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『片付けられない女たち』という本を書店で見かけた時、苦笑いしてしまった。私のためにあるようなタイトルじゃないか。片付け上手になるための本ならいらないけどね、と思いつつ、パラパラとページをめくって・・・次の瞬間には、電流が走ったみたいになっていた。その本は、ADDという名の先天性の障害について、書かれた本だったのだ。詳しく書くと長くなるので簡単に言うと、ADDとは、脳内の情報伝達物質の分泌異常が原因で、普通の人のように無意識に脳内で情報を整理することができないという障害。それが、片付けられない、ということに繋がっているわけ。こういう人はADDかも・・・っていう項目、何もかも、びっくりするほど当てはまったので、おそらく私はそうなんだと思う。検査はしてないけど。で、脳について考えていたら変な気分になった。性格って言うのは、結局、脳の作りなわけか?たとえば、人を殺すことを厭わない人の脳は、普通の人とは違うらしい。ヒトゲノム計画によると、脳内のDNAには、離婚因子だの、暴力因子、アル中因子まで、あるらしい。他にもまだまだあると思う。そもそも、男と女の脳の構造も違うらしい。「男らしさ」「女らしさ」とは、決め付けではなく、そもそもそういう構造からなる結果なのだそうだ。で、自分の性別とは大きくズレた構造になっていると、性同一性障害となり、微妙にズレてると、「男っぽい女」「女っぽい男」「中性」となるらしい。私たちの性格や、考え方、自分らしさというものは、結局は、生まれつきの脳の構造の結果なんだろうか。極端なことを言えば、人を殺しても平気な脳の構造に生まれてしまったら、脳のせいだからしょうがないんだろうか。自由にしておくと人を殺してしまうから、死んでもらうか閉じ込めるかするしかないんだろうか。うーん。・・・うーん。なんとなく釈然としない。とりあえず、今後も、脳について調べて行かなくては。
2002年03月31日
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はじめて太宰治を読んだのは中学一年の時だった。かの有名な『人間失格』これは自分だ、と思った。後になって、同じように思う人が、日本中にたくさんいることを知ったが、その時は知らなかったので、感激した。ちなみにここで言う人間失格とは、掃除が苦手とかってことじゃありません。わかってるか、そんなことは。それから、すっかり太宰ファンになり、片っ端から彼の小説を読んだ。笑いのセンスも自分と同じだ、と思った。(これも日本中にたくさんいるのかどうかは不明)よく太宰は暗いと言う人がいるけれど、私は、それは大きな間違いだと思う。同世代の作家で、太宰治ほど、ユーモアのあふれる小説を書いてる人はいないと思うし。太宰のすごい所は、『人間失格』のような重たいテーマの小説の中でさえ、そこはかとないおかしさが漂っている所だと思う。ま、しょうがないんだけどね、ハハハ・・・って感じなのだ。太宰治って、自殺未遂を何度もした挙句、心中であの世に逝っちゃったのだけど、今頃、「まさか本当に死ぬとは思わなかったよ、ハハハ・・・」とかなんとか苦笑いしていそう。
2002年03月30日
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告白しよう。私が、人生において、もっとも困難だと感じていること、それは、きちんと暮らすことだ。・・・ふざけてるわけじゃないです・・・。うちの母があれほど私を叱り飛ばし続けた原因も、これなんだからさ。整理整頓ができない。部屋も思考もごっちゃごちゃ。なんでもかんでもすぐ忘れる。用事も物も忘れる。時々、真面目に、自分ってバカなのかも・・・と悲しくなる。すぐ忘れるけど。自慢じゃないけど、勉強は結構できた。だけど日常生活はてんでダメ。社会科で「禁治産者」という言葉を知った時、未来の自分を表す言葉のように思えてゾッとした。とりあえず、今の所、大丈夫。なんとかこのまま乗り切りたい。人間関係、恋愛、そういう高尚な悩み以前の所にいます。正直言って、普通に生きてるだけで精一杯って感じ、ある。外では、必死こいて、きちんと生きている。ルールをちゃんと守るし、常識にも耳を傾ける。特に仕事に対しては死にもの狂いでやっている。何故なら、自分が本質的に非常識な人間だということが、骨の髄まで身にしみているからだ。自分の感覚だけで生きてたら、どこまで転落するかわかったもんじゃないし、周囲に迷惑かけまくりで、生まれてすみません状態になるのは目に見えている。自分を良く見せたいなんてふうには全然思わない。そんなことまで望む余裕はないのだ。願いは、せめて人様に迷惑かけずに暮らしたい。私のようなものが、社会でやって行くには、頑張りすぎるくらいで調度いい。だからこそ、人様に迷惑かけるわけじゃない部分じゃ、好きなようにやらせてもらうよって感じで生きている。それで差し引きゼロなのさ。
2002年03月29日
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今、一番、お気に入りの芸能人。それは、ぐっさん。以前から「なんか好きだな」と思ってはいたが、くず以来、いろんな番組にちょくちょく出るようになってから、ぐっさん好きだなあという思いは、日に日に高まるばかり(笑)
2002年03月28日
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恋と友情の違いはなんだ?この手垢のついた疑問は、私にとって永遠のテーマ。小学生の頃の私は、ただ単に、大好きな人が異性だったら、好きな人。同性だったら、友達。と、呼んでいた。その結果、やたら「好きな人」が増えて困った。中学高校時代は、付き合っていた男の子がすごくヤキモチ妬き屋さんだったので、他の男の子とは、ほとんど話すらしなかった。だから「好きな人」は、ただ一人。問題なし。その後、再び、普通に異性と話すようになった。大抵は、今だけの友人って程度の付き合いだったけれど、中には、一緒にいると滅茶苦茶楽しくて、大好きだなって感じる人もいた。これって「好きな人」か?よくわからない。わからないからとりあえず、大好きでも、恋人っぽい行為は絶対したくない人は、友達と考えることにした。しかし、ボーダーラインにいる人のことは、なんと呼べばいいんだろう。よくわからない、ほんと。そもそも、一回試してみなければ、そういう行為は絶対したくないかどうか、わからない気がする。だからと言って、気軽に試すのもどうかと思う。他の人はどういうふうに区別してるんだろう。私にとっては、恋と友情って、とても曖昧。
2002年03月27日
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喋りたいことがいっぱいある時、私は口は急回転。黒柳徹子か、コロポックルか、ってくらいの早口だ。早口言葉、まかせてちょうだい。噛まずにガンガン行けちゃうよ。しかし、早口は、聞き取りにくいものなので、普段私はゆっくり話すように気をつけている。すると、のんびりやさんと間違われたりするから、面白いもんだなあと思う。そういうことって他にもある。感情の起伏が激しすぎて自分を抑えるように心がけていたら、いつのまにか、クールな人だと言われるようになってたりね。表面的なものに、騙されちゃいけないよ。
2002年03月26日
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おなかがすくと、気が遠くなる。十代の頃なんかはそんなことなくて、一日ご飯食べなくてもへっちゃらだったのに、数年前からやけに空腹に弱いわたくし。機嫌も悪くなる。そういえば、身近な人は私が空腹かどうかをとても気にかけてくれる。「まだ大丈夫か?」おいおい(笑)ライオンじゃないんだから。去年、首にグリグリができて、微熱も続いていたので、癌では?と不安になり、病院へ行った。検査の結果、癌でないことが判明。ほっと一息。(アレルギーが原因でリンパ腺が腫れたのだそうです)そして更に、新たな事実が判明。詳しいことは忘れたが、私の体は、なんとかって物質が人より少ないために、おなかがすきやすく、空腹に弱いのだそうだ。やっぱ、そうだったんだ。変だと思っていたのさ。急に痩せたり、空腹時の具合悪さが悪化したら、病院に来てねと言われたが、治療は必要ないらしい。世の中には、変な病気があるものね。
2002年03月25日
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私は、1+1=2じゃないと、イヤな方だ。物事の結果には原因があって欲しい方だ。計算が合わないのは嫌いなのだ。算数が大好きで、計算問題を解く時、何度も何度も確かめ算をしていた私は、算数以外の問題においても、いろんな方向から確かめ算をしないと落ち着かない。子どもの頃は親の小言に対し、正論を振りかざし、「あんたの言ってることは正しいけど、 正しいことが通るとは限らないんだよっ世の中は。 世の中っていうのは、そんな単純なもんじゃないのっ なんでそんなことがわからないの?このバカ」と、怒られていた。大きくなるにつれて、1+1=2とは限らないということを、一応は受け入れることができるようになった。イヤだけどまあいいやと流すこともできるようになった。だけど、それでも、今でもやっぱり、1+1=43というような、すっとんきょうな答を出されると、「確かめ算をしてくれよ」と言いたくなってしまう。
2002年03月24日
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陳腐な言い方だけど、心は迷宮。自分の心なのに、わからない時がある。そんな時、私は、心をほったらかしにして、逃げてしまう。だからいつまでたっても、問題は解決しないのだろう。心を見通せるように、地図が欲しい。
2002年03月23日
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私も相当バカだけど、あなたもかなりのバカだよね。バカとバカが一緒にいても、バカの度合いが深まるだけかもね。この世に人間が、私とあなたの二人きりってわけじゃないんだから、私たち四六時中、永遠にいつも一緒にいられるわけもないんだから、なんていうか、ほら、社会生活とか、人間関係とか、いろいろこなさなくちゃいけないこともあるんだから、バカのままだと、生きて行くのにいろいろ支障があると思うんだ。やっぱり、ほら、私にもそれなりに向上心とかもあったりするし。だからさ、もうやめようよ。バカ、やってらんないよ。バカ、心地よかったんだけど。もう、やめようよ。
2002年03月22日
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育った家庭の話をすると、相手が何を言うべきか困ってしまうということに、ある時期、気がついた。そういう時の、いやな雰囲気が、私は嫌いだった。だから滅多なことじゃ人に言わなくなった。こういう話をするのは、自分の性格や考え方をわかってもらうには、こういう経験をしているということを話した方が納得してもらえるだろうから話す、というだけのことであって、それ以上でもそれ以下でもない。私は、子ども時代の自分を不幸だったとは思っていないし、かわいそうだとも思っていない。しいて言えば、運の悪い時期だったんだろうって感じだし、自分の側にもなにがしかの問題があったからだろうと思っている。だから、同情はされたくない。言われて嬉しい言葉は、「よく頑張ったね」という言葉だけだったりする。誰にでもつらい時期があるように、私のつらい時期は子ども時代に訪れた。それだけのことなんだと思うのさ。
2002年03月21日
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小学校に入ってすぐの頃に両親が離婚した。原因は、父の浮気(なんと相手側に子どもができてしまった)と、酒乱。私は父が浮気している所も、酔っ払って暴れている所も、見たことがないので、父に対する印象は、「背が高くてかっこいい」ということしかないのだけど、母によると「ろくでなし」だったらしい。離婚するまでの母は、寂しそうな表情で、ぼんやりと遠くを眺めていることが多かった。離婚してから、母は私に体罰するようになった。口で言う程度でいいんじゃないか?と幼い私でさえも首を傾げたくなるほど些細なことで、グーで頭を殴ったり、髪の毛をひっぱって引きずりまわしたり、なんというか「暴れる」という言葉がぴったりな状態だった。二日に一度はそんな感じだったと思う。再婚後も、その状況は変わらなかった。と言うか、更にひどくなった。母は新しい夫を愛することができなかったのだ。新しい父は、愛されない毎日にくたびれたのか、やがて偏屈オヤジになって行った。不幸の悪循環だ。夫婦仲は最悪。一触即発。私の毎日は、両親の不仲、母の愚痴プラス暴力に、まみれていた。愛されるどころの騒ぎじゃなかった。毎日が嵐だったのだから。嵐をやり過ごすことで精一杯だった。母に抱きしめてもらった記憶がない。愛情を言葉や態度で示してもらったことがない。母は、冷静な時ですら、私が近寄ると汚いものを見るような目で追い払った。体罰の時には、「あなたのことを好きな人はこの世に一人もいない」「あなたみたいに可愛げがなくて変な子は、 誰からも好かれるわけがない」などと言いながら、グーで殴るのだった。そして時々、「普通のお母さんみたいに子どもを可愛がりたいのに、 どうしてもそれができない」と言って、泣いた。私は母のことが好きだった。好きになって欲しかった。私の存在が母を不幸にするのではなく、嬉しい気持ちにさせるものであればどんなにいいだろうと、思っていた。ある年齢に達するまでの子どもが親に対する愛情っていうのは、そのくらい深くて無償のものなのだ。今、私は、どうして、虐待する親たちは、そんなにも愛されているということに、幸せを感じることができないのかと思う。数年前、母から、「あなたの顔が父親そっくりだったから、 それだけで憎らしくてたまらなかった」と言われた。せつないな、と思った。
2002年03月20日
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そこに行けばどんな夢も叶うと言うよ誰もみな 行きたがるが 遥かな世界その国の名はガンダーラどこかにあるユートピアどうしたら行けるのだろう 教えて欲しい生きることの苦しみさえ消えると言うよ旅立った人はいるが あまりに遠い自由なそのガンダーラ素晴らしいユートピア 心の中に生きる幻なのか最近、私の地区では「西遊記」を再放送していた。この歌はその主題歌『ガンダーラ』子どもの頃にはよくわからなかったけれど、今の私は、こう思う。ガンダーラがあるとしたら、それはやっぱり心の中にあるんだ。すべての人の心の中ではなくて、本気で願う人の心の中にだけ現れる国。だけどそれは幻じゃなくて、ちゃんと存在してるのさ。ちゃんとお掃除したり、修理しないと、崩れ落ちてしまう、儚い国だけど、ちゃんと、存在してるのさ。もしかして、たくさんの人の心が願ったならば、世界中がガンダーラになるのかもしれない。
2002年03月19日
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自分で自分を「不幸だ」と認めた瞬間、その人は本当の意味で不幸になるのだと思う。はたから見れば、ルックルック女ののど自慢に出られそうなほど、不幸な境遇の人だとしても、当の本人がそれを不幸だと思っていなければ、不幸じゃないのさ。今日の空はきれいだなとか、面白い映画を見つけたとか、そういう日常に転がっている小さな幸せを見つけることが上手な人が、幸せな人なんだと思う。私は幸せに貪欲な人間だ。だから、どんなことが起きたとしても、自分で自分を不幸だなんて認めないんだ。どっぷり不幸な状況にはまってしまったとしても、自力で浮き上がってやる。
2002年03月18日
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一目惚れってしたことがなかった。そもそも、簡単に、ポーッとなったりしないのだ。好きなタイプのルックスは、ある。けれどそういう人に出会っても「好きなタイプだなあ」で、終わる。初恋は、幼稚園の時だった。小学校低学年の時には、恋愛ごっこみたいなことをしていた。初告白は4年生の時。友達がみんな躊躇してる中、意気揚揚とバレンタインのチョコを渡した。物心ついた頃から、いつだって「好きな人」がいた。だけど、私が好きになる人は、大抵、私を好きな人だった。そうじゃない場合もたまにはあったけど、行動してみて反応が思わしくないと、さっさと終了。「はい、次」やがて始まった彼との付き合いは、甘さやせつなさ、ときめきよりも、安らぎやシンパシーが溢れる付き合いで。ああ、私が求めていたのってこんな感じだったんだ、って思った。友達は私を「淡白」と言っていた。彼との付き合いを「それって恋じゃないんじゃない?」なんて言われたこともある。恋じゃないかも。よくわかんない。だけど私は幸せで満たされているから、だから、これってすごく私らしい付き合い方なんだろうなって思ってた。きっと一生、他のみんなのような恋愛はしないんじゃないかな。そんな私が、ある日、恋に落っこちた。それも一目惚れ。恋としか呼びようがない気持ち。趣味も好みも全然合わなくてシンパシーなんて全然感じなかった。双子みたいだなんてこともまるで思わなかった。あくまでも異性。あくまでも他人。自分とは全然違う魂を持った人。だけど、好き。乱暴と言ってもいいほどの「好き」双子のように想っていた人を失ってしまうのだとわかっていても止められない「好き」ドキドキワクワク、嬉しくなったり頭に来たり、大好きと思ったり本気で憎らしくなったり。忙しくって、貪欲な気持ち。彼に恋して、付き合い始めてから随分長い時間が流れた。相変わらずわかりあえないことだらけで「あくまでも自分とは違う人」と思っているし、相変わらずちっとも安らがなくて「自分が求めてたのってこういうんじゃないんですけど・・・」と思いながらも、相変わらず、私は彼に、恋をしている。
2002年03月17日
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男の子の友達とばかり遊ぶことで、時に寂しくなったり、時に「仕方ないさ」と諦めたりしながらも、なんとか、孤独感をやり過ごしてた。それがうまく行かなくなったのは、思春期を迎えた頃から。男の子たちにとって自分は、どうしたって異性なのだと気づく。では女の子たちは?やっぱり、苦手。誰も彼もが、遠い気がする。孤独に落ち込んでいく。そんな最低最悪の気分の時期に、ナツメグくん(仮名)に出会った。ただのクラスメイトとして2年を過ごし、中学の卒業間近に「彼」と「彼女」になった。私たちは毎日にように夜の散歩をした。どうしてこんなに一緒にいることが楽しいんだろう。どうしてこんなに自然にわかりあえることができるんだろう。ナツメグくんがある時言った。「自分たちって家族みたいだね。とりわけ双子みたいだね」私は嬉しい気持ちになりながら、こんなふうに思った。「ここは私の居場所だ。私だけの居場所だ」こんな言い方は曖昧で好きじゃないのだけれど、ナツメグくんは、私にとって、世界のすべてだった。彼だけいれば他には誰もいらないと思った。きっと自分は、もしも彼が女の子だとしても同じように、好きになるだろうと思った。いつかどちらかが別の人に恋をしてしまったとしても、双子の片割れという思いは永遠に消えないだろうと思った。時々、ナツメグくんは、「きみにとって、俺ってなんなの?」と言った。私はそんな時いつも、「ナツメグくん」と答えた。「俺たちってなんなのかな」「ナツメグくんとココナツ」私たちの関係に名前をつけるとすれば、「ナツメグくんとココナツ」他の言葉はどれもそぐわなかった。
2002年03月16日
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子どもの頃から、女だということに違和感を感じていた。同性の友達は常にいたし、彼女たちのほとんどのことは大好きだった。にもかかわらず、深い部分ではわかりあえない、という感じを抱いていた。女心って理解はできても共感できなかった。遊びや趣味も関心を持つことも、なんだかズレていた。みんながシール交換だとか手芸だとか、クッキー作りだとかをしたがった時、私はそんな遊びにはまったく興味なかった。筆箱の中身を可愛く揃えて、自慢しあったり取りかえっこしたりというのが流行した時、私の筆箱には汚い鉛筆と消しゴムしか入っていなかった。仲間内で誰かの噂を言い始める時、私は「みんなはどうして他人のそんな細かい所に気がつくの?」と不思議だった。一事が万事そんな調子だった。私はみんなから「変わってる」と言われていた。家に帰れば家族から「間違って女に生まれた」と言われていた。女だったら当然でしょと言われるようなことが、ことごとく苦手だったし、やる気もわかなかった。そんなわけで、自分でも、女であることに違和感を感じていた。けれど、体は女だけど心は男、みたいにも思えなかった。女にも男にも、しっくり来ない。どっちでもないって感じだった。これが、私の孤独感のミナモトなんです。
2002年03月15日
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あの頃、私は「捧げる恋愛」をしていた。彼がいつも幸せな気持ちでいられますように。決して、いい人ぶって好かれようと策略していたわけではなく、自分を殺して無理をしていたわけでもなく、今となっては不思議なのだけれど、彼といると、まるで天使が乗り移ったみたいに、自然とそんな気持ちになれたのだ。私は彼に何も求めていなかった。何をして欲しいとか、そんなことは一つも思わなかったし、見返りや感謝も、好きでいて欲しいとさえも願っていなかったような気がする。ただ、彼がいるだけで、良かった。それは、とても気持ちの良いことだった。自分がどこまでも透き通っていくような、本当に素晴らしい気持ちだった。今、あの頃の自分を愛しいと思う。けれどその反面、彼はきっと寂しかったんだろうなとも思うのだ。求められるって、とてもとても嬉しいことだと思う。ワガママをぶつけられたり、甘えられたり、ちょっと迷惑だったりするそんなことが、たまらなく幸せだったりすることが、ある。私はそんな気持ちをずっと独り占めしていたのだ。捧げるだけじゃ、人を幸せにできない。
2002年03月14日
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子どもの頃から、私には、人や人の感情、その他様々なことを色でイメージするという癖がある。優しい気持ち幸せな気持ち→ふんわりした水色ワガママ、自己主張→鮮やかな黄色冷静さ、クール→紺色はぐれ者、個性的、毅然とした感じ→黒清らかさ、柔らかさ→白などなど、大体、色判断で言われるようなイメージそのままなのだけど。とにかくまあ、なにかと色をイメージしてしまう。で、ドロドロした感じや、生活臭やいやらしさ、卑怯さや醜さ、などなど、やーな感じがすると、ドブのような濁った色が頭の中に浮かんでしまう。ずっとずっと、それが、心底イヤだった。生理的嫌悪感。きれいな色、くっきりした色だけに包まれていたいと思っていた。濁った色からは目をそらし見なかったことにして暮らしていた。最近、ようやく克服できてきたような気がする。清らかさも濁りも、どちらも、大切なものなのだと、脳みそじゃなく、感覚で、わかってきたような気がする。たぶん、いいことなんだと思う。
2002年03月13日
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なんなんだかね、と思う時がある。たとえば、同じ職場で同じ仕事をしている仲間の中で、時々、聞こえてくる「不公平!」という言葉。私はこんな仕事してるのに、あの人はあんな仕事、あっちの方が楽だわ、ずるいわ、公平にしてよっ・・・何を言ってるんだろうと思う。仕事に楽もクソもあるもんか。どんな仕事だろうが、精一杯の力でやるのなら、きつさは一緒じゃないのかな。職場以外でも、見かけます。自分が損したと感じる時だけ「不公平」と不平をたれる奴ら。得してる時は言わないのさ。得してる時に口をつぐむなら損した時も黙ってればいい。もうこの際、どっちでもいいから徹底してよ。かっこ悪いぞ、すごく。
2002年03月12日
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文章にも顔があると思うんです。特に、インターネットの世界では、表情も、雰囲気も、つかむことができないから、文章(文体と言った方がいいかな)が顔になる。とても優しい文章を書く人、清らかさや潔さを感じさせてくれる人、理知的な人、ユーモアに溢れた人、クールでかっこいい人。本当にもう、いろいろ。それは、文がうまいとか下手だとかってことではなく、しかも書いている内容だけがポイントってわけでもなく、使う言葉や、全体の雰囲気から、伝わってくるんですよね。面白いものです。私はどんな印象なのかな?・・・あ、いい。答えてくれなくて。聞くの怖いから。
2002年03月11日
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私は「愛してる」という言葉を言ったことがない。聞かれても言わない。手紙にもメールにも書かない。「大好き」は言うけど「愛してる」は言わない。だって、私は、愛ってなんなのか、まだはっきりとわかっていないんだもの。わかっていないのに、言えない。自分でも変だなあと思うのだけど、私はある部分ではやけにいいかげんなのに、別のある部分では、バカがつくほど誠実だ。「愛してる」くらい、そんなに深く考えないで言っちゃえばいいのに、言えない。せっかくの甘い雰囲気がぶち壊しになるとわかっていても、言えない。いいかげんな性格だからこそ、大好きな人への言葉だけは、誠実でいたいのさ。
2002年03月10日
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キライな人っていない。キライな性質というのは幾つもあるけれど、それを持っているからこの人キライ、とは思わない。私自身の中にも、そのキライな性質があるしね。とは言え、苦手な人はいる。キライじゃないけど、苦手。あんまり一緒にいたくない相手というか。それは、笑いのセンスが自分と大きく違う人。くだらないことだと思われるかもしれないが、私にとっては重要なのだ。普段、私はいつもふざけたことを言っている。特にブラックな冗談が多い。自虐はイヤだけど、自分自身を笑い飛ばすのは大好きだ。たぶん、私は、死にいたる病におかされたとしても、意識がなくなるまで、ふざけたことを言っていると思う。そういう性分なのだ。笑いのツボが違うと、私としては冗談を言ってるのに、相手は真面目に受け止めるわけで、結果、同情されたり、慰められたりしてしまう。ウケないのはいいとしても、それはつまらない。慰めるつもりがあるなら、しんみりするより、一緒に笑い飛ばして欲しい。その方がよっぽど救われる。ま、そういう特異な状況は別としても、単純に、一緒にいて、面白くないなら、一緒にいる意味ないじゃん。
2002年03月09日
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ありのままの自分が好き。無理してる自分は嘘っぽい感じがするからイヤ。人に対しても同じ。ダメ部分や、自分にとってショックな言動だとしても、ありのままでいてくれた方が、嘘っぽい姿でいられるより嬉しい。誰でも、カタチは違っても、ダメ部分を持っていると思う。ある部分では私の方がいいかも、だけどある部分では私の方がダメ。そういうもんだと思う、誰と誰の組み合わせでも。お互い様。ダメでもなんでもありのままで、人と向き合いたい。だから私、無理はしない主義。で、思ったとおりに言動してるつもりなんだけど、人からよく「ココナツって何考えてるのかわからない」って言われるんです(笑)なんで?気分が変わりやすいから?うーん。
2002年03月08日
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3月です。春です。この頃、外を歩いていると、春の匂いがしてきて、良い気分。私にとっての、春の匂いは、何ヶ月ぶりかの温かい風に溶かされた雪と土がまじりあう匂い。ちょっと埃っぽいような匂いね。この匂いを感じると、別に卒業するわけでも引っ越すわけでもないのに、新しい何かが始まりそうなワクワクした気分になります。ところで、私は、鼻がいいんです。アレルギー体質だから、しょっちゅう、くしゃみをしてるのに、何故か、匂いに敏感。食べ物の匂いにも敏感。アニエス.bの香水で気に入ったのがあって、たまにつけたりするのですが、つけてないと思われることが多いです。私にとっては十分量なんだけど(それ以上、つけると、強すぎて具合悪くなるんです)他の人にとっては、薄いみたい。そういえば、その人が通った後しばらく香水の香りが漂っているような人って時々いますね。・・・鼻の良い私にはつらいです。
2002年03月07日
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昨日は、古くからの友人から久しぶりに電話があり、私が十代の頃に付き合っていた人と同姓同名、同年齢の人が、交通事故死したというニュースをテレビでやってた、と教えられたため、すっかり動揺してしまった。さっそくパソコンで調べてみたけれど、数ヶ月前のニュースということだったので、記事を探すのに苦労しちゃった。だけどまあ、とりあえず、別人らしいということを、つきとめたので、安堵。本当に良かった。彼には誰よりも幸せな日々を送っていて欲しい。そして私よりもずっと長生きして欲しい。心からそう願っているんだ。会えなくなってから、彼は私の中の良心のようなものになった。いつか会った時に、がっかりされることのないよう、ちゃんと生きて行くよ。「あの時、別れたことは間違いじゃなかったよね」って笑いあえるように、彼も私も、あの時よりも、幸せになっていなくちゃいけないの。
2002年03月06日
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幼い頃の私にとって、一人で空想したり絵を書いたり本を読んだりしている時が一番楽しい時間だった。いじめられやすいタイプだったので、なおさら、一人でいることに安らぎを感じていたのだと思う。小学校1年生の時、担任の先生がそんな私のことを「幼稚だ」と言った。「ココナツちゃんはこの年齢にしては空想癖が強すぎ。なんだか現実と空想の区別がついてないように見えるのよねえ」親に対しては、「家庭不和や親の愛情が足りなかったりってことが原因でこんなふうになっちゃうことって多いんですよ」と、言ったらしい。心の病気という言葉も使ったらしい。つまり、私は、先生から「おかしい子ども」という烙印を押されてしまったわけだ。ショック以上に屈辱を感じた。前言撤回させてやる、と思った。その思いが、自分を変える大きな原動力になった。それからの私は、積極的に何にでも挑戦し、勉強にも友達作りにもせっせと励んだ。そうして気がついた時には、いじめられっ子じゃなくなっていた。学校が大好きな女の子になっていた。振り返ってみると、似たようなことが何度もあった。こうした「見返してやる」という思いに助けられて、前へ進んで来られたような気がするよ。だから今、彼らに伝えたい言葉は、「会えて良かった。どうもありがとう」
2002年03月05日
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母は完璧だった。いつも。看護婦をしていたのだけど、掃除洗濯、料理、すべて手を抜かず、家の裏の空き地を開墾し家庭菜園を作り、春には山菜、秋にはキノコを探しに山へ出かけていた。そのうえ、寝る間を削って、編物やら裁縫やら革細工やらまでしていた。しかも化粧、服装もばっちりで、美人でもあった。私は今までに、母以上にすごい人を見たことがない。だけど、母は、いつも疲れていた。疲れているから心に余裕が持てなくて、しょっちゅうヒステリーを起こしていた。「こんなに真面目に一生懸命に生きているのに、 どうして報われないんだろう・・・」真面目に生きよう、一生懸命生きよう、と、世間じゃ言われてる。だけど実際、そうやって生きてる人が報われるかと言えば、人間関係においては、決してそんなことはなかったりする。むしろ疎ましがられたりしがち。理不尽なことだ。だけど、「完璧な母」と長年一緒に暮らした私は、こういう人は周囲をくたびれさせる、と、しみじみ思う。たぶん、何事も、やりすぎは良くないってことなんだね。でもこういうのは、持って生まれた性分だからね、うーん、ほんと、理不尽だよね。
2002年03月04日
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昨日は、いやな夢をいっぱい見て、なかなか眠れなかった。まず、強盗がやって来て、殺されそうになり、逃げ回る夢。それから、どこかの廃ビルに迷い込み、出口を探す夢。そして最後に父がいきなり現れて「帰って来たよ」と言う夢。なまら(北海道弁で、すごくという意味)怖かった。特に最後の。目覚めた後で「父、死んでんじゃないだろうな?」と、気になって、更に眠れなくなってしまった。よく、死ぬ前に枕もとに立つとかって言うでしょ。夢の中で父、まさに枕もとに立ってたの。ま、私にはその手の霊感はなかったようで、今日も父は元気に生きている。良かった良かった。それはともかくとして、「父、死んでんじゃないだろうな?」と不安になった時、本当に本当に、悲しかった。普段、父が死ぬなんてことは考えもしていない。元気だし。まだ若いし。だけど、よく考えたら、いつか死ぬんだ。父に限らない、誰でも必ずいつか死ぬんだ。死んでしまったら、どんな言葉も伝えることができない。楽しい時間を共有することもできない。だから、「いつかできるさ」なんて後回しにはしないで、生きてるうちに、言いたい言葉は伝えよう。やりたいことはやろう。祖母が亡くなった時にもそう思ったはずなのに、気がつけばまたいろんなことを後回しにしてる。ダメだな、今をしっかり生きろココナツ。
2002年03月03日
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単なる好みの問題なんだけど、「いい人」にはあまり魅力を感じない。むしろ「ワガママ」とか「ズバズバ言う奴ー」とかって言われちゃって、ちょっと周りから浮いてるような人の方が好き。私は言われた言葉をそのまんま受け止めるタイプだから、心のままの言葉を使ってくれる人の方が、いい。人間なんて結局誰でもエゴイスト。みんなそう。お互い様。だったら、わかりやすい方がいい。私はね。その方が気楽に付き合えるし。「いい人」は偉い。だけど痛々しいとも思う。
2002年03月02日
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自分を必要としてくれる人がいる、って、感動しちゃうくらい嬉しいことだよね。基本的には、誰も必要としてくれなくたって自分自身が自分を必要としてるからいいのさ、と思ってる。だけど、「自分って何の価値もない奴なのかも」って気分になってしまいそうなダメージを受けた時に、自分を必要としてくれる誰かがいるといないじゃ、元気を取り戻すのにかかる時間が大違い。だから、やっぱりね、できるならば、誰かに必要とされる日々を送りたい。
2002年03月01日
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