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私はテレビでコメンテーターが、「人の命はなにより重い」とか言うのを聞くと、「じゃあブタは?犬は?」と思ってしまう方だ。どうせ言うなら、命はなにより重いにしてよって。生き物の命の重さ(重さがあるのだとしたら)は、みんな同じだと思う。人だけ特に重いなんて図々しいと思う。そんなこと言ってて肉を食べてるじゃん、と思われるかもしれないけど、食べるのと、命の重さの問題は別じゃないかって気がする。無闇に、無駄に、殺すことは、いけないけれど、食べるために死んでもらうのは、動物社会全体のルールみたいなものだと思うし。食物連鎖。生き物の命の重さは、みんな平等だと思う。クジラを食べちゃいけないと言う人がいるけれど、だったら牛やブタも食べるなよと言いたくなる。どの生き物が重いとか、そんなふうに命にランク付けするのって変。私は動物愛護の人じゃない。絶滅動物に関しては、しょうがないと思っている。恐竜だって滅びたわけだし、環境に順応できない生き物が淘汰されて行くのは、残念なことではあるけれど、自然の流れなんだから。そうやって生き物は進化してきたんだから。人間だっていつか絶滅するかもしれない。たとえば環境汚染とかで。でもそれもしょうがないと思う。きっと人間が生きられなくなった世界では、その世界に順応できる生き物が暮らしていることだろうけど、それも自然の流れだと思う。命の重さは同じさ。同じように重く、同じように軽い。今日の本・『13歳の黙示録』宗田理今日の一曲『花鳥風月』ケツメイシ
2002年10月31日
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私は十代のはじめ頃から、自分は普通ではないんじゃないかと思っていた。普通ではないというのは、感覚が、ということではなくて、精神的になにか病気や障害を持っているんじゃないかと思っていたのだ。ただし、不安がっていたわけではない。「原因が知りたい」という感じだった。原因がわかれば諦めがつくし、もしかしたら対処方法があるかもしれないからね。どこが変だと自分で思っていたかといえば、いくつもあるわけだけど、全部書き連ねてもしょうがないので、特に気になっていたことを書くと、それは、感受性が鋭すぎることだった。自分で言うのもなんだけど、私は、幼い頃から、周囲の空気や相手の気持ちを敏感に察する子だった。だけど、察しすぎるのだ。極端に言えば、相手が何も言わなくても、ちょっとした目つきや仕種から、不安になったりしてしまう。必ずしも考えすぎばかりでもなかったけれど、被害妄想的な受け取り方をしてしまう所はあったと思う。子どもっていうのは感受性が鋭いものではあるけれど、自分のは、ちょっと度を越していたように思う。とにかく、敏感に察してしまう私は、大体においては「いい子」だったのだけれども、反面、相手が自分でも意識していないような悪意を敏感にかぎとって、激しく、傷ついたり怒ったり泣いたりしてしまう子でもあった。とにかく感情が急がしいのだ。まわりも困るだろうけど、本人も疲れる。大きくなるにつれて、少しづつは、感情をコントロールできるようになっていったけれど、表面にあまり出さないようになっただけで、心の中は相変わらず、冬山のように天候が変わりやすかった。晴天、大嵐、晴天、猛吹雪、みたいな(笑)それでも中学に入るまでは、何かの病気じゃないのか?なんてことまでは考えてなかったのだけど。無理にコントロールしようとしたことが引き金になったのか、母の精神状態がまずいことになっていたことでストレスが積もり積もってしまったのか、中学時代の真ん中へんくらいから、10円ハゲができはじめ(幸い人には気づかれなかったけど)吐くほど食べ続けるという(過食症か?)症状にも見舞われ、四六時中腹痛に苦しむようになった(食べすぎじゃないよ)不眠にもなった。そのうえ、対人恐怖症ってやつなのか、特定の友人以外とはまともに口がきけなくなった。頭の中から言葉が消えるし、赤面するし、心臓バクバクだし、変な汗は出るし。特定の友人といる時は会話できたけれど、今度は「この人、今、つまんないんじゃないか?」ということが気になってしまい、やっぱりリラックスできない。嫌われることに対しての不安は意外にもほとんどなかった。変だと思われないか?の方が気になって、それどころじゃなかったからだ。さすがに、まずいんじゃないか?という気がしていたけれど、人にどう説明していいのか、どこから説明していいのかもわからなかったし、相談すべき母の精神状態もまずいことになっていたし、なんでも話せる友達もいなかったので、一人で困っていた。もともと自分は変じゃないかと思っていたけど、その時期に、やっぱり普通じゃないなと思った。その頃から、それらしい病気の本をいっぱい読んで、自分と同じ症状はないかと探すようになった。似たようなのはいっぱいあったけれど、完全にばっちりビンゴなのは見つからなかった。なんていうか・・・どれも、「いや、自分はこれほどではないな」って感じで。数年前にようやく、ADDを知って、「これかもしれない」と初めて思った。思ったけど検査していないので本当にそうかどうかは、はっきりしていない。(検査に行かない理由は長くなるので、また今度)結局、今の段階では、自分がなんなのかはわかっていないのだけど、とにもかくにも思うのは、自分が生きにくいタイプであるということだ。たまに日記に書いているけれど、私は常に「生きてるだけで精一杯」という感じを持っている。生きてる方が死ぬよりましだし、自殺という行為がイヤだから、生きている。どうせ生きるなら、ちょっとでも楽しく生きなくちゃって感じでいるけどね。私のように、生きにくいタイプの人って、抱えてるものは違えども、他にも、たくさんいると思う。これはもう、持って生まれたものだと思う。荷物を抱えて生まれてきちゃったというか。こんなことを言うと、「みんなつらいけど頑張ってるんだ。 生きにくいタイプに生まれて来ちゃったなんて戯言を言うな」と怒る人もいるかもしれないけれど、私も含めて、このタイプの人は、感受性という、頑張れば完治するような部分じゃない所で、困っているのだ。って言うか、既に、頑張ってるのだ。それで、表面上はなんとかやってくことはできてるわけだが、心の中はどうにもできず、くたびれる。で、「あーあ、なんでこんなふうに生まれちゃったのかな」と、こぼしたくなる日もあるわけさ。今、私は、完璧じゃないけど、一応は、感受性を鈍くするコツを覚えたので、昔よりは、ましになった。また、私は変なのさ、だから変と思われてもいいのさ。って感じで、人にどう思われるかが気にならなくなり、むしろ面白がれるようになったのも良かったと思う。おかげで心がくたびれる回数が減った。中学時代ほど、一気にドカンと、困った症状に見舞われたりもしていないし。それでも、やっぱり、「あーあ、なんでこんなふうに生まれちゃったのかな」と、嘆きたくなる日はあるのさ。しょぼん。ブルーハーツでも聴いて、元気だそう。今日の本・『心が雨漏りする日には』中島らも今日の一曲『TRAIN TRAIN』ブルーハーツ
2002年10月30日
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Dear my special boy friendお誕生日、おめでとう。今年もたくさんのハッピーが、あなたに降りそそぎますように。あなたがこの世に生まれた偶然に、わたしたちが出会えた幸運に、今も私は感謝しています。
2002年10月29日
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夏目漱石は、「人はみんなエゴイズムを抱えた生き物。 それがすべての諸悪の原因なのだ」というような考えを持っていたのだと、学生時代に教わった。私は漱石は『こころ』『夢十夜』の二作品しか面白いと思わない奴だったのだけど、漱石の人間観には、強く共感した。漱石は人間のエゴイズムに絶望したらしい。私は絶望じゃなく諦めに似た希望を持った。人間は生まれつきエゴイストなんだ。人を傷つけたり、意地悪したりするのも、ワガママだったり自己中心的になってしまうのも、信じられないような愚かな行為に走ってしまうのも、そこに悪意があってのこととばかりは言えず、すべての人間が生まれつき抱えた性質ゆえのことなのかもしれない。そう思ったら、気が楽になったのさ。しょうがないや、生まれ持った性質だもの、うまく付き合っていくしかないねって感じ。エゴイズムの悪魔になってしまわないように、エゴは小出しにしてた方がいい。人をエゴイズムの悪魔にしてしまわないように、他人のエゴもないがしろにしない方がいい。ちょっとづつ、譲り合って、認め合って、時には許しあって行くうちに、お互いがお互いを必要としていることに気づく、なんてことがきっとあるだろう。それはそれで素敵なことだろうという気がする。エゴのない人間が、もしいたなら、その人は完全無欠の素敵な人だろうと思うけど、その人は一人でいるだけで完全なわけだから、一緒にいても、きっと寂しいことだろう。たぶん、人間はみんな、愛し愛されるために生まれて来るのだと思う。愛して、許して、誰かの心を包み込んであげるために、愛されて、許されて、愛してくれた人に感謝するために。だから人間は完全じゃないのだと思う。そして、生まれ持った性質であるエゴイズムは、愛し愛されるという、生まれて来た目的を果たすことによって、ようやく、少しづつ溶けて行くのだと思う。今日の本・『ライオンハート』恩田陸今日の一曲『woman-s』サイズ
2002年10月28日
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私は北朝鮮を危険な国だと思っている。拉致問題に関しては非道だと思っているし、現代の世界常識にそぐわない価値観の国に見える。だけど、マスコミの、「北朝鮮は悪の国。日本は良い国。 被害者の方々はこのまま日本に永住帰国すべきだ」という論調には心がひどくモヤモヤしてしまう。家族の方たちが言うのは心情的に納得なんだけど、それでもやっぱり少々モヤモヤしてしまう。私はどんな場合でも、一番尊重すべきなのは本人の意思という考え方だ。今回のように特殊な場合においても、やっぱりそう思ってしまう。だからモヤモヤ。本人たちが「今回の帰国は一時帰国」だとか、「いったん向こうに戻って家族と話し合ってから決めたい」と言ってるのに、洗脳だから、脅迫されてるんだろうからというふうに、本人の意思をないがしろにしているのって、どうなんだろうなという気がする。マスコミの論調って、あくまでも、日本人側の視線なんだよね。だけど、24年を向こうで過ごした被害者たちや、自分を北朝鮮の人間と信じて生まれ育った被害者の子どもたちは、「日本人側の視線」ではないんだよね。洗脳だけじゃなく、過ごした環境による価値観の違いからも、彼らの目には、私たちの方が、変に見えているかもしれない。たとえば、愛国心のなさとか。社会への無関心とか。私は今の日本や日本人が非の打ち所もないほど素晴らしいとは思えないので、マスコミの論調には「うーん・・・」となってしまう。また、仮に、家族ともども日本に暮らした場合に、果たしてスムーズになじめるのか?という気もする。きちんとしたケアや、補償のようなものがなければ、難しいと思う。そういうことを考えると、「このまま永住帰国をすることにして、 北朝鮮には帰らずに、子どもたちを呼べばいい」という意見ってちょっと乱暴に思える。そうは言っても、帰ったらもう二度と会えないかもしれない危うさを持った国だしなーという気もするし。うーん。そんなふうに、毎日、テレビを見ながらモヤモヤしています。今日の本・『李歐』高村薫今日の一曲『風に吹かれて』ボブ・ディラン
2002年10月27日
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ラブレターというものを、もらったことが一度だけある。(付き合ってる人の手紙は別)あれは中学校1年の時、隣の席の男の子から貸していた本を返してもらって、そのままカバンにしまおうとしたら、「ちょっとパラパラ開いてみて」と言われて、そのとおりにしたら封筒が出てきたのだった。「なに、これ」と聞くと「あけてみて」と言う。素直にあけると、中から白い紙。書いてあった言葉は『I LOVE YOU』その瞬間、私は恥しくて死にそうな気持ちになった。恥しい。恥しすぎる、このシチュエーション。I LOVE YOUって・・・。こういう変にキザったらしいのって、「うわー」と叫びたいくらいに恥しい。しかも、貸した本にはさまってるなんて。そのうえ、隣で反応見てるなんて。乙女心は繊細なものなのさ。その頃、私には他に好きな人がいたので、こういうシチュエーションじゃなくても、ごめんなさいって感じだったのだけど、あまりにもこっぱずかしかったので、記憶喪失になってしまいたいと思った。だけど彼は私を記憶喪失にさせてはくれなくて、一日に何度も隣の席から「返事は?」と聞いて来た。きっとよっぽど自分に自信があったんだろう。自信を持つのは結構だけど、こっちが記憶喪失になるのを諦めて「好きな人がいるから」と答えたあとも、「恥しがらなくていいのに」と、とんちんかんなことを言うのは、結構じゃなかった。ちゃんと「付き合えない」とも言ったのに、聞いちゃいない人だった。とにもかくにも、その後もプッシュプッシュの彼だったので、私はだんだんうんざりして来て、(噂にでもなって好きな人に誤解されたら最悪だ)あからさまに冷たい態度をとるようになった。「今日、一緒に遊ぼうよ」「やだ」「じゃあ、明日は?」「うるさい」って感じで。話はズレるけど、私は時々、こんなふうに、ものすごく性格悪い人になる。母に言わせると私って人をムッとさせる天才なんだそうだ。その時も、周囲の人もびっくりの、高飛車で冷たい態度だったらしく、ある日、いつものように彼に話しかけられ、つんけんしていたら、後の方から「○○(彼の名前)そんな女に構うなよ」という男子の声が。「どこがいいんだよ、そんなブスのバカ」そんな女呼ばわりされ、おまけにブスのバカと来たもんだ。ガーンガーンガーンだった。ショックの3乗だ。ああ、私は「そんな女」そしてブスでバカ・・・あーん。今思えば、いくらなんでもつんけんしすぎだった自分が悪いんだろうけどね。そんなわけで、はじめてもらったラブレターはイヤな思い出だ。しつこいようだけど、I LOVE YOUじゃなくて、好きですにしといて欲しかった。今日の本・『呼人』野沢尚今日の一曲『少女時代』原由子
2002年10月26日
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「よくそんなことを覚えているね」と、驚かれることが多い。「もう忘れてよ」とも言われるけど。私は昔から、忘れ物の王様、トリアタマと呼ばれていたのだけれど、反面、変な所で、人に感心されるほど記憶力抜群なのだ。変な所でなので日常生活じゃさっぱり役に立ってないけどね。嘘か本当か、三島由紀夫は生まれた時の記憶があると本に書いてた。さすがに私にはそれはないけれど、1歳の記憶ならある。庭でアヒルと遊んでいた記憶。「昔、うちでアヒル飼ってた?」と、まさかそんなことはないだろうと思いながら母に聞いたところ、「それはあんたがまだ1歳かそこらの時だよ」と、びっくりされた。ちなみに、そのアヒル、誰かに盗まれたらしい。幼稚園以降の記憶なら、もうばっちりだ。私の彼は、びっくりするほど、過去のことを忘れている人だ。本人いわく、「18の時に、階段から落ちて頭を打ってからこうなった」らしい。ま、あそこまで忘れっぽいと、さっぱりしていて良いような気もするけれど。そんなわけで、私が、彼の思い出の証人。エホバの証人じゃないよ。今日の本・『ポップ・ワイドショー』ムック今日の一曲『スイート・メモリーズ』松田聖子
2002年10月25日
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カッパ・・・。この前、フリーマーケットを見に行った。買ったもの→ウナギイヌのぬいぐるみ本当は、冬も来ることだし、可愛いブーツの一つでもと思っていたのだけど、急にお金が惜しくなって、結局、100円のぬいぐるみしか買わなかったのさ。私は変な置物とか、変なぬいぐるみが好きだ。買っても何の役にも立たないとわかっているのに、もう飾る場所もないのに、見ると欲しくなる。たとえば、ハニワとか、シーサーとか。東北に行った時は赤べこという牛を買って来た。しかもビッグサイズ。アジアの動物置物にも弱い。特に好きなのはタイの猫。どぎつい色で変な顔で、とても可愛い。アフリカの木彫りのキリン、象なんかも好きだな。北海道の木彫りの熊は好きじゃないけど。高校時代は、招き猫を集めていた。金、銀、黒、白の他に、3匹くっついたファミリー型まねき猫も持っている。ちなみにふざけた顔のはダメだ。両手をあげてるのも不可。次に凝ったのはパンダだった。本物の毛でできた剥製風ミニパンダ(何の毛なんだろう)上野限定パンダ(ほんとに限定?)セトモノ風パンダ(小さくて8頭セット)ガラスパンダ、本場中国仕様のパンダ、黒白逆パンダ。本当っぽい顔のパンダが好きだ。たれぱんだは不可。その次が、グレムリンのギズモ。ほんとにね、何の役にも立たないし、荷物が増えるばかりなんだけどね、見ると欲しくなるし、買ったら愛着わいて捨てられないし。雑貨屋、お土産屋の前を通れば吸い込まれるし。まったくもう、困ったものだよ。今日の本・『クイックジャパン』今日の一曲『これはただの例え話じゃない』槙原敬之
2002年10月24日
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家でゴロゴロしてると、やたらとセールスの電話がかかって来る。私は「いらねーよ、ガチャン」ってことはできない性格なので、「すみません、今、考えてないです、結構です」って感じで、お断りするのだけど、たまに、結構ですを言い終わらないうちに向こうからガチャンと切られたりする。断ってもしつこくすすめて来る人にも困るけど、こんな切り方されるのは本当不愉快だ。ダメなら次、次ーっていう姿勢はいいんだけどさ。人が礼をつくしてるのに、いきなりガチャンは失礼だ。訪問販売でも、とんでもない人がよくいる。私は、玄関のスコープから見て、それらしい人だと居留守を使うことにしているのだけど、帰り際、ドアを蹴っ飛ばして行く人が結構いる。心底、開けなくて良かった・・・と思う。こういう人とは係わりあいたくない。この前はチャイムのところに落書きが残っていた。よく見たら、○○死ね、と書いてある。○○の部分に書いてあった名前は階下の人の名前だ。(きっと手ひどい断られ方をしたんだろうね)おいおい、私が書いたと思われるじゃないかっ誰も見てないから。どうせ自分だってわからないんだから。そういう状況の時に、その人の本質って出るものだと思う。私は子どもの頃に遊びで教会の日曜学校に通っていた。その時に神父さんに言われた、「神様はいつも私たちを見ている」という言葉は、今も心に残っていて、無宗教の私だけれど、なんだかよくこんなふうに思ってしまう。「もしかしたら神様が見てるかもしれないや」その神様って、自分の良心のことなのかもしれないね。今日の本・『13月の悲劇』美内すずえ今日の一曲『ハーティー・パーティー』竹内まりや
2002年10月23日
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悪い夢を見た。廃墟のような外見で、中身は忍者屋敷のような作り、そのうえ、不気味で埃くさくて魑魅魍魎が闊歩している怪しいお城で、お宝争奪戦みたいなのをするのさ。総指揮をとっているのは、アラブ系の顔立ちで、がっしりした体を中世のヨーロッパ貴族みたいな衣装に身を包んだ、城主らしき中年の男だ。私はなぜか40代後半くらいの奥様になっていて、岡田真澄みたいな感じの夫とペアを組んでいる。それで、まあ、血みどろ、仰天、危機一髪、いろいろあって、ライバルたちが消えて行き、あと一組のライバルを残すだけというところまで行くのだけれど、そこで突然、城主がおかしくなるのだ。いきなり、気が狂った挙句に亡くなった奥さんの思い出話をはじめて、自分自身も変になっちゃうのさ。そこで「なんだなんだ」と怯えていたら、地響きが起こって、建物が崩れ出すのだ。ただ崩れるだけならいいが、狂った城主が追いかけて来て、私たちお宝隊はギャーギャー言いながら逃げ惑う。で、どうにかこうにか、壊れそうなエレベーターを見つけて、飛び乗るのさ。ところが、狂った城主までそこに飛び乗り、変なボタンを押してワイヤーを切ったり、いきなり上から鉄板が落ちてきたり、ぐらんぐらんと床板が揺らいだり。私たちは右往左往。で、ライバルは、下に落っこちて、あっと驚いてる間に城主が襲ってきて、襲われそうになった私を吹っ飛ばして岡田真澄似の夫が負傷。「大丈夫?」と駆け寄る前に、城主、夫にとどめをさして、あーもうダメ、私もやられるっと思った瞬間、チーンと、一階に到着。助かった!と思いつつ、扉に駆け寄った。その瞬間、血走った目の城主に、腕を、がしっと掴まれた。ギャーッ!!!と、ここで目を覚ました。見れば、私の腕を、隣で寝ていた彼がつかんでいるじゃないか。なんで、こんなにタイミング良く、つかむわけ?もう少しで逃げられそうだったのに。後味悪いなんてもんじゃないよ。「なに?なんで私の腕つかんでるの?」どうせ相手は寝ているのだと思いながらも、むしゃくしゃして文句をつけたら、どういうわけか彼は目を覚ましていて、「いやーなんとなく」「あんたのせいで城主につかまったんだよ。 って言うか、あんた、城主?」こんな夜中に変な言いがかりをつけられる彼も気の毒だ。だけど私も、ギャーなのだ。絶叫なのだ。こうなったら、一部始終、聞いてもらわなくちゃ気がすまない。「・・・夢を見てたんだよ。 なんだか知らないけど私は40後半の奥様で、 岡田真澄似の男の人と夫婦でさ・・・」今日の本・『グミ・チョコレート・パイン』大槻ケンヂ今日の一曲『サタデーナイト』ベイシティローラーズ
2002年10月22日
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裏切られたという感覚は、相手に対する過剰な期待と、切っても切れない仲だと思う。私は、裏切り者は嫌いだけど、勝手に過剰な期待して「裏切られた」と騒ぐのも、どうかと思う。前に、それらしいことを言った覚えも示した覚えもないのに、「裏切られた」と言われたことがある。なんだかムッと来て、「裏切ったよ、はっはっは」と答えちゃったけど。友人や恋人、家族、大切な人を信じるってことは大切なことだ。それこそが愛の証って気がするくらいだ。信じるって、盲目的に期待するってことじゃなくて、「私はあなたのことを、 裏切られることなんか怖くないくらいに好きなんだ」って気持ちのあらわれなんじゃないかと思う。ある意味、やけっぱちなくらいの強い気持ちが愛。なるべくなら、裏切られても、「私が勝手に信じただけさ。 信じたかったから信じたんだ。だからいい」と思いたい。信じて玉砕、それもまた清々しいもんさ。今日の本・『天声美語』美輪明宏今日の一曲『我れ想うゆえに我れあり』フライングキッズ
2002年10月21日
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私にとって、長渕剛は、あー参ったな、好きだな、と思ってしまう芸能人だった。ちなみに、私は、長渕剛をアイドル視する世代ではない。もうちょっと上の人たちの中には、そういう見方をする人がいっぱいいたかもしれないけど、私の世代では、長渕剛の歌をいいと言う人は見かけても(男の子に多かった)恋愛対象として、いいよねと言う人は皆無だった。だから私の「好き」は、流行に乗った「好き」じゃなく、純粋に「参ったな、好きだな」だったのさ。歌はそんなに好きじゃなかったし。彼がカリスマとして持ち上げられるようになり、本人もその気になって、偉ぶった言動が取り沙汰されるようになってしまった時には、がっかりした。私は、彼が弱いから好きだったのに。弱いけど強くなりたいんだっていうハングリーな感じがするから、好きだったのになと思って。ドラマでの彼も、それまでのヘラヘラしてる中にどこか少年の繊細さが見え隠れしているような表情が消えて、立派なアニキみたいになっていた。アニキって器じゃないだろうに。その後、スキャンダルにまみれて行った彼。そのどれもが、いかにも天狗になってやっちゃったよっていう感じで、そのつど、アサハカさ、みっともなさ全開で、やがては、カリスマの座から落っこちた彼。私は、だから最初からそういう器じゃなかったんだよ、という感じで見ていた。久々に出演したドラマでは、悟りきったお坊さんみたいになっていた。あーあ、と思った。お坊さんに恋心は感じない。彼の歌も、バカでアサハカな奴の歌と思えば、自分をなんとかしてから言えよという感じで聞く気がしなかった。なんだかメロディーも演歌くさくなっちゃってるしねって感じで、新曲が出ても、食わず嫌い状態でいた。そんなわけで、私の中で長渕剛は、それから長い間、「かつては好きだったけど今は魅力を感じない」存在だったのだけど、数年前に、ゆずの番組に、ちょこっとゲスト出演して、歌ってる姿に、感動してしまった。弱いながらも精一杯いきがって、頑張って、頑張りが認められて成功し、嬉しくて舞い上がって、天狗になって、やがて天狗の鼻をへし折られ・・・という過去を、しっかり噛みしめて来たからこそ、響いてくる歌声だ、と思った。そばで聞いてるゆずの二人が感激して泣いていたが、私も感激だった。ゆずとは存在感が違うぞ、長渕、と思った。それは、ゆずに実力がないからじゃなくて、抱えている荷物の重さとそれを抱え続けてきた時間の差なんだろう。かつて桑田佳祐が、彼を、口先ばかりで中身のないサルと言った。その時は私もそうかもしれないと思った。だけど、もう違うねと思った。今の長渕の歌は、魂を揺さぶる力があるよ。恋心は消えたけど、すごい歌を歌う人として、好きになりました。今日の一曲『昭和』長渕剛
2002年10月20日
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大人って言葉に、せこくてずるいっていうイメージを持っていた。あと、感性が鈍いとか。大人になることを拒絶していた、はたちを過ぎて、しばらく経っても、やっぱり私。久しぶりに会う友人たちはみんな、なんの躊躇もなく、社会や、大人ってものになじんでいるようで、かつての自分を「ガキだった」なんて笑ったりしてた。開いてしまった距離が寂しくて。大人になってしまいたくない。痛みも、悲しみも、それを感じることが純粋ってことの証なのだとしたら、厄介だとしても、感じやすい心をずっと持っていたい。そんな頃に、JUN SKY WALKERSというバンドが、解散するというニュースを聞いた。彼らはブルーハーツみたいなポジションにいたバンドで、まあなんというか、分別くさい大人になんかなりたくないよっていう感じの、メッセージを送るバンドだった。彼らの最後の歌を、私は聞いて、泣きそうになった。その歌のタイトルは『さらば愛しき危険たちよ』ジュンスカ、それまで自分たちが送り続けたメッセージに、ケジメをつけてやめていくんだ、と思った。きみが寂しくてつらい日は僕たちの歌を聞いてくれ、そして元気になったら、僕達の歌を踏んづけて歩き出せ。つねにエールを送り続けてきてくれた彼らの、最後のエールは、「いかした大人になろうぜ」ずるくてせこくて感性鈍いのが大人っていうイメージにとらわれていた自分に気がついた。無理して純粋さにしがみついていることの、みっともなさに気がついた。だからといって、いきなり「大人」を受け入れることは難しいけれど。無理してしがみつくんじゃなくて、否定するんでもなくて、自然に、純粋だったり、卑怯だったり、揺れながら迷いながら、だけど、いつかは、自分なりの、いかした大人になって行けるように、大人のドアを開けてみよう。そんな気持ちにさせてくれた歌。今日の本・『陽子』アラーキー今日の一曲『さらば愛しき危険たちよ』ジュンスカ
2002年10月19日
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人に誤解されることが、どうしてもいやだった時期がある。人の目に映る「自分」を気にし過ぎていたのだと思う。ココナツって○○だよねという言葉。それは違うよってことを言われた時、むきになって否定してた。「誤解されるのっていやだよね」って話を、出会った頃に、彼にしたことがある。彼は、「どうだっていいじゃないか」と言った。「どうだって良くないよ、絶対にイヤ」「・・・なんで?」なんでと言われて返す言葉が思い浮かばなかった。「俺は自分が自分をわかってればそれでいいよ。 別に人がどう誤解しても、 わかってねえなって思うだけでイヤでもなんでもないよ」言われてみれば、確かに、彼はいつもそういうふうだった。人にどう思われるかなんて全然気にしていなくて、なんでもかんでも判断基準は自分の感覚のみ。否定的なことを言われても、へのかっぱ。かっこつけてるわけでも、無理して装っているわけでもなくて、本当に、そんなことはどうでもいいって人なのだ。私は、こういう人になりたかった、と思った。こういう性格だったらストレスがたまることもないし、人生楽しいんだろうなあ、と。彼のような性格を俗に自分勝手と言う。だけど、どう思われても平気という潔さを伴った自分勝手。私にはそれがとても眩しく見えた。この人といたら、自分も少しは強くなれるかもしれないと思った。そして今。少しは強くなったんじゃないかなと自分なりに思う。彼と一緒にいると、ふりまわされることがいっぱいだから、くたびれてしまったりもする。だけど、今でも彼は、私にとって、「すごい人だよ」と思わせてくれる、ただ一人の人なんだ。今日の一曲『すべてはオールライト』RCサクセション
2002年10月18日
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言い訳するんじゃないって、子どもの頃によく言われてた。言い訳じゃないよ、理由を言ってるんだよって思ってたから、すごく悔しかった。言い訳と思われるのは嫌い。だから、きちんとした理由がなければ、自分を甘やかさない。そんなふうに思ってやって来た。だけど、最近、言い訳と思われることなく、自分を甘やかせるように、みずから理由を作っていないか?私、なんてことを考えたりする。つまり、こうなんだもの、しょうがないじゃないって、自分も周囲も納得できるような大義名分を得るために、わざと自分を追い込むような傾向が、私にはあるってことに気がついたのさ。なんてバカなんだ。自分を甘やかすことに後ろめたさを感じ過ぎてた。今日の本・『イティーハーサー』水樹和佳子今日の一曲『命果てるまで』ユニコーン
2002年10月17日
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世の中って、正論が受け入れられることが意外に少ない。一生懸命だったり、正直だったり、真面目だったり。そういう人の方が損をしてしまうようになっちゃってるし。世の中がそうだから、多くの人が、大人になるにつれて、適当にすることに流れていく。世渡りってやつさ。それができない真面目な人たちは、間違ったことはしていないのに報われないってことが多すぎて、しかも「もっと適当にすればいいのに」と、アドバイスまでされちゃって、一体どうすりゃいいのさって感じで、心が病んでいくんじゃないかなと思う。楽な方へと行きたがる人が多いから、だから、世の中はこんなふうなんだと思う。それが悪いと決め付けるつもりはないのだけど、真面目だからこそ苦労したり、心が病んでしまう人のことを考えると、世の中って理不尽だよなーと胸が痛くなる。私は、中学生の頃、「世の中おかしい」と腹を立てている真面目な子だった。他の人が不真面目なことは全然かまわないんだけど、彼らが決まって、まるで自分たちが正しいかのように言うのがイヤだった。それで文句をつけてはバカにされたりして、次第にうんざりして、もういいよ、一人でいるよって感じになっていた。だけど、今の私は、そんなに真面目じゃない。そのことには、クラスメイトの一人が追い詰められて行くのに直面した時に、「彼女は間違ってないよ」と言おうとしなかった自分もまたずるいんだと気がついたこと、そして世の中の理不尽さの怖さを知ったことなどが、影響しているような気がする。というわけで、今はそんなに真面目じゃない私だけど、真面目な人や一生懸命な人を絶対にバカになんかしないよ。今日の一曲『中央線』ブーム
2002年10月16日
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私は自分が男でも女でもないような感じを持っている。男じゃないのは当たり前なんだけどさ。どうしてなのか、自分でもわからない。幼い頃に催眠術でもかけられたのか。ま、どうでもいいか。とにもかくにも、そんな私が思う女らしい人とはこんな人。→ずるく賢く、貪欲で、好奇心旺盛に、 人生を謳歌している、強くてパワフルな人。で、私は、こういう女の人が大好きだ。憧れてしまう。かっこいいなーと思うのさ。一般的には、おとなしかったり控えめだったりの、弱っぽい人を女らしいと言うみたい。それって間違いだと思うな。だって、女って、・・・男より弱くないよね?今日の本・『スタバトマーテル』近藤史恵今日の一曲『WOMAN』アン・ルイス
2002年10月15日
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来年のカレンダーをどうしようか迷っている。奈良美智さんの大きいのがあったら迷わず買うんだけど、今のところ、まだ見つけられてない。ないのか。しょうがない、黒パグのやつにしようか。来年の話をすると鬼が笑うと言う。どうして笑うんだろう。そしてどうして鬼なんだろう。鬼って赤鬼か、青鬼か。鬼といえば、日本で言われていた「鬼」って、外国人(白人)のことだったんじゃないかって説がある。大きくて毛深くて、顔の色が赤かったり青かったりするから(黄色人種に比べて)なるほどそうかもしれない。でも・・・じゃあツノは?ツノはないよね。いくら白人でも。あるわけないさ。だからやっぱりいたんじゃないかな、特異体質みたいなもので、ツノがはえちゃう体質の人も。きっと遺伝だろうから、一族みんなツノがあってさ。その人たちをきっと「鬼」と呼んでいたんだよ。普通と違うから迫害されて、彼らはツノのない人間を憎むようになったんじゃないかな。そう思うと、鬼って気の毒な存在だ。昔話『桃太郎』が私は嫌いだった。鬼がかわいそうで。せっかく人のいない鬼ヶ島で豊かな暮らしをしていた鬼たち。人間を襲ったとかそういうエピソードはなかったから、おそらく鬼たちは自分たちの努力でパラダイスな暮らしを満喫していたのだろう。そこへやって来た桃太郎、鬼を退治しちゃって宝の山を奪うのだ。まるで盗賊だ。まったくもう、なんだって、鬼だからってだけで、別に迷惑かけてないのにあんな目に合わされなくちゃならないんだ。本当に鬼って気の毒な存在だ。『泣いた赤鬼』もかわいそうだったよね。今日の本・『華麗なるギャツビー』フィツジェラルド今日の一曲『あのさぁ』大槻ケンヂ
2002年10月14日
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いつだったか忘れたけれど、一度、母が占い師の所に行くのについてったことがある。私の母はこういうのが好きな人なのさ。近所で有名な霊能おばちゃんの所に行ったこともある。かなり興味深いことを言われたらしいんだけど、こっちの話は今度の機会に、ということで。その占い師は、喫茶店のマスターで、なんとかっていう小太りの振付師によく似ていた。占い方法は、姓名判断と手相・人相、それから占星術に四柱推命、とにかく聞き覚えのあるやり方を全部組み合わせたような、ミックス方式に、振付師、じゃなくてマスターの霊感をチョイスしたものだった。母は結婚生活および、これまでの自分の人生が、どうも不幸続きな気がする、健康状態も不安だ、なんとかならないか、というようなことを相談した。マスターは、まず、「あなたは運の強い人だよ」と言った。「健康も心配いらないね。長生きするから」おまけに、「今の旦那さんとはね、たぶん、前世かなんかで兄妹(姉弟か?) だね。出会うべくして出会ったし、結婚したのは運命。 結婚して良かったんだよ」と、ことごとく良いことを言い、母をがっかりさせていた。それから、私もついでに見てもらうことになった。「とりあえずこれまでの人生を簡単に説明してみて。 今の悩みとか、過去の悲しかったこととかさ」私は困った。こういう場合言いたいことの、すべての原因になっている、その人は、今、隣でコーヒー飲みながら興味津々の視線を送ってきている、この人だ。参ったなあと口ごもっていたら、母がかわりに説明し始めた。なんだか釈然としない気もしたけど、だからと言って、こんな所で争ってもしょうがないので、面倒が省けて良かったと思うことにした私だった。そのあと、ミックス方式+霊感で、いろいろなことを言われたのだけど細かいことは忘れてしまった。とりあえず悪いことは別に言われなかった気がする。で、最後に、へ?と思うことを言われたのだった。「あなたさ、今のお父さんと性格がそっくりでしょう」前世がどうとか、運命がどうとか、神秘的なことではなく、「小さい頃から一緒にいたから、すごい影響を受けたんだね。 考え方とか趣味とか、そっくり、そっくり」母は「あの偏屈オヤジとこの子が?」と眉をしかめていたし、私も「絶対、それは違う。絶対、イヤだ」と思った。帰り道、私たちは、この話題を出し、「あの占い師、ダメだね。わかってないね」と、珍しく意気投合したのだった。そしてそのまま、小太りの振付師に似た占い師の所に行ったことなど、すっかり忘れていたのだけど、最近、なんとなく思い出したりする。そして、確かに父と私って似てるかも・・・と思ってみたりする。今日の本・『マダムとミスター』遠藤淑子今日の一曲『パパ・ドント・プリーチ』マドンナ
2002年10月13日
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人は他人のことをそんなに観察していない。「この人、やな所があるけど、いい所もあるはず。 それはどこなのかなあ?」というような見方すら、必要に迫られなければ別にしない。ドラマだったら、必ずと言っていいほど、「あの人は本当はこうなんじゃないかな」とフォローする役回りの人が現れるけど、現実にはそういうラッキーなことはそうそうない。だからわかって欲しければ、わかってもらえるように自分の口から言わなければダメなんだと思う。それってなんだか粋じゃないけど、そうなんだと思う。だけど。私は、不器用で自分をアピールすることができない人の、本当はアピールしたいことを、気がついてあげられるような人になりたいなって思ってた。ドラマで言えば、フォローする役回りの人に、なれたらいいなと思ってた。今もそう思ってる。なれてるかな。あんまりうまくいってないみたい。なれたらいいな。今日の本・『ダレン・シャン』ダレン・シャン今日の一曲『BURN』イエローモンキー
2002年10月12日
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小・中学校の頃の音楽の時間に、先生がピアノを弾いてその音を当てる、というやつがあったのだけれど、私は一度も正解したことがない。ドレミファソラシド。音の区別がつけられない。わけわかんない。もう脳が記憶できないって感じ(笑)歌うのも、楽器を弾くのも下手くそ。音符はなんとか読めるけど、ややこしい記号がいっぱいあると、楽譜を見るだけでイライライラ。女子で、それほどまでにできないのは私だけ。音楽の時間は大嫌い。憂鬱だった。親や先生は「真面目にやらないからできないんだよ」って言ってたけれど、真面目にやってもできなかった。できるようになりたいのに、できなかった。ただでさえできなくて情けないのに、「怠けてるから」「ふざけてるから」って言い方をされて、本当にイヤな気分だった。やってもできないことってあると思う。なんでもかんでもやればできるなんて幻想だと思う。私の場合は音楽だったけど、誰でも心あたりの一つや二つあるんじゃないかな。なのに、どうして、多くの人は、できない人を見ると「やればできるよ」って言いたくなっちゃうんだろう。その言葉が余計にその人を追い詰めているかもしれないのにね。今日の本・『水の時計』初野晴今日の一曲『スペシャルボーイフレンド』ゴーバンズ
2002年10月11日
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短大の頃、教職課程を学び、その授業の中で、一番心に残っていることは、ある講師の、「みなさん、子どもという字を書く時に、 子供とは書かないでください」という言葉だったりする。「子どもは一人の人間であって、親の付属物ではないのだから、 供えるなんて漢字を当てはめてはいけないんです」子ども時代、私は親や先生に対して、子どもの自分にだって人権はあるんだ、と思っていた。(子どもだからもうちょっと違う言葉で考えてたんだけど、 まあ、そういう意味のことを思っていたわけだ)ただ思っていたわけじゃなく、そのことで傷ついたり怒ったりしていた。いつか自分が子どもじゃなくなった時、絶対にこんな大人にはならない、と心に誓っていた。だから、その講師の話を聞いた時、この私がそれを実践しないでどうする、みたいなことを思った。そして、時は流れ、インターネットを始めた頃、どこかの掲示板で、こどもと書いた時のこと。変換で子供と出た。おっといけない、変換し直そうと思った。でも、次の瞬間、まあいいやと思った自分がいた。少し胸が痛んだけれど、すぐに忘れた。数日後、掲示板で親しくなったある人から、「こどもは子供じゃなくて子どもと書きましょうよ」というようなことをやんわりと指摘された。それが、私個人に向けていたのか、それとも、不特定多数の人へ向けていたのだったのかは、残念ながら忘れてしまったのだけれど、どっちにしろ、私は、はっとした。いつのまにか、まあいいやと思ってしまっていた自分を、うわーいやだなあと思ったのさ。子どもを子供と書く、ということに限らず、多くの、かつては真剣に考えていたことを、今の私は、まあいいやと流してはいないだろうか?こどもという字を変換する時、私は、いつも一瞬、このことを思い出す。そして、しっかり、子どもと表記する。今日の本・『モモ』M・エンデ今日の一曲『Wonderful Opportunity』 B’z
2002年10月10日
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雪虫にメルヘンな気分になったのも束の間、風邪をひいてしまい、うんうん唸っていました。なにやら、ハイテンポな風邪だったらしく、いつもなら早めにパブロン飲んで「はい、それまでよ」だったのに、今回はウイルス野郎にすっかり遅れをとってしまったようです。だけどハイテンポなだけに、もう結構いい感じ。喉が痛くなってから頭痛と熱が出て鼻水になり・・・という風邪ツアー、コマ回しで参加しちゃいましたよ。あなたもいかが?今ならご紹介キャンペーン中ですよ。ゴホッゴホッああ、いけない。ガイドが私を呼んでいる。「ココナツさーん、ツアーはまだ終わってないですよー」今日の一曲『ルパン・ザ・サード』(サントラ)
2002年10月09日
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何日か前、雪虫を見た。雪虫って知ってる?白と青の、ふわふわして小さな羽虫。何故、雪虫という名前なのかと言うと、雪によく似ているから。そして、「もうすぐ雪が降りますよ」って頃に姿を現すから。私はこの雪虫が好きなのだ。人間を全然怖がっていないし、集団で来るので、結構、邪魔くさいんだけれど、存在自体がロマンチックだなあと思うのさ。今年も雪虫が舞い始めた。もうすぐ、大好きな冬がやって来る。今日の本・『だいじょうぶだぁ』志村けん今日の一曲『TEARS』中島美嘉
2002年10月08日
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人を傷つけたくない。だけど傷つけないようにするには、どこかで嘘をつかなくちゃいけない。大切な人だから傷つけたくない、大切な人だから嘘をつきたくない。あーどうしたらいいのさ、ということを思い悩んでいた時期があった。その時、私は嘘をつくことを選んだ。正直に話した場合の相手のダメージは、そんなにたいしたものじゃなかっただろう。だけど、その時は、ほんの少しでも傷つけたくなかった。だから、嘘をついた。自分自身も傷つきたくない、というずるさもあった。その嘘を守るために、また嘘をついた。そして、しばらくたった頃、その人が私の言葉を以前のようには、信じてくれなくなってしまったことに気がついた。信じてもらえないのは悲しいことだった。その人は信じることができないことに苦しんでいた。やがて私たちはダメになった。結局、嘘なんかつかない方が良かったわけだ。嘘なんかついたせいで、最初に正直に話した場合の何倍ものダメージに見舞われた。もしまた同じことで迷った時は、嘘じゃなく、傷つける方を選びたい。大切な人との関係において、一番悲しいことは、傷つけたり、傷つけられたりすることじゃなくて、信じあえなくなることなんだから。今日の本・『同級生』紫門ふみ今日の一曲『浪漫飛行』米米クラブ
2002年10月07日
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私の母は中学3年の進路を決める時期に、いきなり父親から、「おまえと俺は血が繋がっていない。 だからこれ以上養うつもりはない」と言われたのだそうだ。本当の親子じゃなかったということと、高校に行けないというダブルショック。当時、既に「普通は高校へいく」って時代になっていたし、ましてや母は努力家で勉強ができる方だったらしく、担任の先生がわざわざ家まで親を説得に来てくれたらしいが、それでも「中学を出たら家を出す」の一点張りだったそうだ。母はよく言っていた。「その話が出るまで、 本当の親子じゃないなんて考えたこともなかったの。 だって私、父さんに可愛がられてるって思ってたんだもの。 結局、血の繋がりがないとダメなんだってことがわかったよ。 私が中卒で布団一つもらっただけで追い出されたのに、 弟なんか大学行ってさ、仕送りまでしてもらってさ、 そんなに差をつけなくたっていいじゃない」という事情があったので、母は再婚の最初から、私と父が本当の親子みたいになれるなんてことはあるわけのでは?という不安にとりつかれてしまったのだと思う。だから、父が躾や教育に熱心で、その流れで小言を言うことを、「私に対するあてつけだわ」「可愛くないから苛めてるんだわ」というふうに受け止めて、父に対して悪い感情を持つようになって行ってしまった。そして、私には、父の感情を逆なでしないようにと神経質に叱りつけたり、「本当の娘じゃないんだから可愛がられるわけがないんだよ」「損をしたくなかったら我慢しなさいよ」という助言をし続けた。だから私は、父に叱られるたび、「私のことがやっぱり嫌いなんだ」と思い、何かしてもらうたびに「申し訳ないです」って気分になった。母の言うとおり、父にものすごく遠慮して気を使っていた。そして当の父から「子どもらしくない」とイヤな顔をされていた。父は(前にもこの日記に書いているように)単純に私を「俺の子」と思っていてくれていたのに。父は父で傷ついていただろう。良かれと思ってすることが裏目に出て、虚しくなったり、腹が立ったりもしていただろう。かくして、母の悲しい思い込みによって、私たち3人は、傷ついたり傷つけたりを繰り返し、仲良し家族になりそこねた。父と母の関係ですらも、ひどいもんだった。でも母が悪いわけじゃなかった。母があんなふうに思い込んでしまったのは、自分がそうだったからなのだもの。悲しいことだと思う。誰が悪いわけでもないのにうまく行かない。それぞれがなんとかしようと努力しているのに、根の部分で間違っているために努力もカラ回り。どうにもなりゃしない。だけど世の中には、往々にしてこういうことがある。時が過ぎるまで待つしかないことがある。今日の本・『冷静と情熱のあいだ』辻仁成今日の一曲『ラーメン食べたい』矢野顕子
2002年10月06日
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脳は巨大容量のコンピューターのようなもので、これまで起こったことのすべてを、記憶しているのだという。思い出せないのは、記憶の引き出しの奥へとしまいこまれているからで、忘れてしまったよと感じるのは、探したい記憶をうまく探せないからで。だから催眠で幼い頃の記憶を引き出し、心の傷を明らかにする、なんてこともできるわけだ。で、私は、そんな話を聞くたび、いつも思ってしまうことがある。記憶は目や耳で感じることだけでなく、心が作るものでもあるわけだから、夢の中で経験したことは、どうなんだろう。もしそれが可能なのだとしたら、それが夢だったのか現実だったのか、脳はきちんと区別できているんだろうか。夢じゃなくても、たとえば願望めいた空想は?時が過ぎて、記憶を辿った時に浮かんで来る光景は、本当に現実にあったものなのか。もしかしたらその記憶の中には、どこかに願望が混じっているのかもしれない。そう思うと、ちょっと不安な気持ちになる。今日の本・『飛ぶ夢をしばらく見ない』山田太一今日の一曲『カルアミルク』岡村靖幸
2002年10月05日
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時代の空気ってあると思う。で、私はずっと、生まれる時代を間違えたと思っていた。どうも好きじゃなかったのだ。自分が過ごして来た時代の空気が。なじめなかったし、なじみたい気にもなれなかったのさ。自分の世代の「普通」その頃の私は、少し前の本や映像を好んでよく見ていた。そこには私の思う「普通」があったから。そんなふうに過ごして来て、だけど、いつからか、時代にあまり違和感を感じなくなっていた。20代半ばを過ぎて、同年代の人が、「この頃の子ってどうなってるの?」なんてふうに言い始めた頃からだ。この頃の子って変だよ、と言ってるのを聞くたび、私らの頃よりは変じゃない気がする、と思ったりする。時代はめぐるってことか。もうそろそろ、また違和感を感じるようになるのかもしれないね。今日の本・『美貌の果実』川原泉今日の一曲『残酷な天使のテーゼ』高橋洋子
2002年10月04日
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ちょっとHPのお掃除をした。で、新しく、前から考えていた映画のページを作ることにした。そしたら、次から次と紹介したい映画が思い浮かんで、どうにもこうにも止まらなくなってしまった。おかげで今日は一日、これに夢中。楽しかった。私がはじめて映画館で観た映画は『ジョーズ』だった。『キングコング』『スーパーマン』『E・T』などなど、話題作は、ほとんど映画館で観た。うちはよく家族でデパートなどに出かけていたのだけれど、母の買い物が長引いて退屈になると、父はよく、「おい、プー(私のこと) ママの買い物が終わるまで映画でも観るか」と、映画館へ引っ張って行ってくれたのだった。いきなり行くわけだから、大抵の洋画は日本語じゃなく字幕だった。覚えていないけれど、小学校の低学年の頃なんかは、意味なんかわからないで観ていたんじゃないかと思う。それでも私は父に誘われると必ず大喜びでついて行った。たぶん、映画館で映画を観る時の、まるで誰かの夢の中に入り込んだかのような、非日常な雰囲気が、好きだったのだと思う。今は映画館じゃなくて部屋でビデオ、ということが多くなってしまったけれど、あの頃の名残りなのか、非日常的なストーリーの映画ばかり好んで観ている私だ。今日の本・『黙示の島』佐藤大輔今日の一曲『ベストフレンド』Kiroro
2002年10月03日
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今年に入ってから、何度も、自転車の空気を抜かれて迷惑している。時間的、場所的な面から、どうも子どものイタズラではなさそうなので、陰湿な悪意って感じがして、なんだか気味が悪い。しかし気味が悪いと怯えてばかりもいられない。なんとか対処方法を考えなくては。セメダインで空気のフタ(黒い所ね)を、べったりくっつけちゃうのはどうだろう。・・・後で自分が困るか。自転車にさわった途端に電流が走るような機械はないかな。自分がビリビリ感電しちゃうか。毎晩、フタのところに、ペンキを塗っておくとか。そこにさわったら、あらたいへん!指が離れない。いちいちペンキ塗るのめんどくさいね。駐輪所にピアノ線を仕掛けとくとか。下手したら死人を出すことになってしまう。絶対、ダメだ。何か、いい方法はないかね。今日の本・『日輪の遺産』浅田次郎今日の一曲『ノット・サティスファイド』アナーキー
2002年10月02日
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すごく頭に来る人っていうのはいるものだけど、そういう人とかかわることも、自分にとってはプラスなんだよなとよく思う。本人が聞いたら怒るかもしれないけれど、反面教師ってやつだ。自分がされてはじめて、「ああいうのは良くないんだなあ」と気づくことってあるしね。それに、「きーっなんなのさー」とメラメラ来て、それを友達にこぼしている時、必ずと言っていいほど、よぎるのは、「私はあの人のことを言えるだろうか?」ってことだったりするし。もしかすると、誰もが誰かの反面教師になっているのかもしれない。だとすれば、いろんな人とかかわることって、それだけで意味があることなのかもしれない。(そうとでも思わなくちゃやってらんない)今日の本・『謎の母』久世光彦今日の一曲『There is・・・』hitomi
2002年10月01日
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