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子どもの頃のある時期、教会の日曜学校に遊びに行ってた。その当時、日曜学校は、帰り際におやつがもらえるからということで、友達の間でちょっとしたブームだったのだ。おやつ目当てのガキどもがふざけて「アーメンソーメンミソラーメン」とか言ってるのに、神父さんはちっとも怒らず、聖書について教えてくれた。私はその、外国人の、もじゃもじゃ頭の神父さんと、神父さんのお話が大好きだった。聖書の話は、壮大な物語のようでワクワクしたし、愛とか家族とか友情とかについての話も、正しくてわかりやすくって、素直に聞けた。だけど、どうしても、受け入れることができない部分があった。それは、神様は、私たちを慈しみ、見守ってくれている温かい存在なのだという、いわば宗教にとっての一番のポイント部分だった。どうしてもピンと来なかった。むしろ、怖くて、残酷なんじゃ・・・?神様は、他の宗教を信じる者にとても冷酷だ。自分を信心してても、偶像を作れば怒り狂うし、天にも届きそうな塔を作れば、人間のくせに生意気だとでも言うようにぶち壊す。これって、慈愛に満ちた存在というより、独裁者じゃないか?その印象は今も変わらない。というわけで、私は神様とは縁のない日々を送っている。時々、トンデモ本を読んで、「神様って宇宙人なのかも」「未来人がタイムマシーンに乗って過去に行ったのかも」という説に、心が動かされたりしている。そう考えれば、つじつまがあうんだけどなあ。・・・ダメ?
2002年02月28日
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今日は、小沢健二復活アルバム発売日。ということを、朝の情報番組で知ったので、仕事の帰りに近所のCDショップに寄った。オザケン、オザケン、オザケン・・・今日発売日なのに一枚しかない。売れたのか、それとも一枚しか入荷してないのか。まあいいや。とりあえず手に入ったし。なんか具合悪くなりそうなデザインのジャケットだけど、そこは気にしないことにして、CDをセットし、歌詞のブックレットを取り出してパラパラパラ・・・。オザケンは歌詞が良いのよねえ。しかし次の瞬間、「なんじゃこりゃあ」見ずらい。見ずらすぎる。一頁に全部の曲の歌詞が。どこからどこまでがどの歌なのか、さっぱりわからないぞ。そういえば、随分前の、安室奈美恵のアルバムにもこういうのがあったっけ。一体、なんの意図を持ってこういうふうにするのやら、と思ったっけ。一体、なんの意図を持ってこういうふうにしたのだ?オザケン。まあいい。ジャケットが変でもブックレットが変でも、音楽が良ければそれでいいさ。というわけで長々と前フリしましたが、復活アルバムの感想は、これ。「オザケン、随分遠くに行っちゃったみたいね」悪くはないです。何回も聴いてるうちにクセになってしまうかも・・・って感じもするし。ただ、昔の小沢健二とは違うね。まっすぐな明るさみたいなのがなくなったみたい。まあ、いいや。
2002年02月27日
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恋愛中において。不安、滅多に感じない。嫉妬、ほとんどしない。電話、まったくしない。一ヶ月二ヶ月会えなくても全然平気。それが、私だ。「きみは俺のことなんかどうでもいいんじゃないか」と言われるのが一番困る。どうでもよくない。大好き。できれば一生仲良くしていきたい。そう言うのだけれど、大抵の人はなかなか納得してくれない。友達から「彼って全然自分から連絡して来ないの。 これって絶対、 私のことなんかどうでもいいってことだよね?」と相談されると、力を入れて、「いやいやそうとは限らないよ。彼の言葉を信じなさい」と言ってしまう私です。
2002年02月26日
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2、3年前、まだパソコンを持っていなかった頃、真夜中の2時になると電話のベルが鳴ることがあった。最初は気にとめていなかったのだけれど、注意してみると、月に一度くらいの割合だった。いつも真夜中の同じ時刻。多くても3回くらいしかベルは鳴らなくて、慌てて駆け寄っても間に合わないことの方が多かった。何度か間に合った受話器の向こう側は音のまったくない世界。孤独の匂いがした。パソコンを買い、インターネットをするようになってから、回線がふさがっているため、電話のベルは鳴らなくなった。そのうち忘れてしまっていたのだけれど、昨日、真夜中の3時に、久しぶりに電話のベルが鳴った。一回だけコールして、ぷつん。眠っていたら気がつかなかっただろう。もしかしたら今までもこんなふうに電話をくれていたんだろうか。一体、誰なんだろう。これまでに出会った人たちの中の誰か?どうして電話をくれるんだろう。私はあなたの声が聞いてみたい。
2002年02月25日
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ドッジボールでも、各種鬼ごっこでも、最後に残るのは私だった。いや、ほんとに。鉄棒だって体操だって跳び箱だってスイスイクルクルだった。ちなみに徒競走もマラソンも水泳もスキーも結構いけた。しかーし、球技がダメだった・・・。バスケットボールだろうが卓球の球だろうが、球が怖いのだ。あたると痛いから。それもこれも小学校5年の時に転校した先がやたらドッジボールの強いクラスだったことが原因だ。朝、中休み、昼休み・・・暇さえあればドッジボール。しかもなんだか知らないけど授業を潰してまでもドッジボールしてた。担任もドッジボール好きだったんだろう。私ははじめて彼らのドッジボールを見た時、本気でびっくりした。遊び感覚がまったくないのだ。全国ドッジボール大会を目指しているかのような真剣勝負だ。ふざけたりのろのろしていようものなら怒鳴りつけられるし、飛び交うボールはやたら速くて重い。そのうえドッジボールじゃなくてバスケットボールを使ってるし。あまりの怖さに連日死にもの狂いで逃げた逃げた。が、ある日。男子の投げたボールが、顔にあたった。3メートルくらいの距離からの直線ボールだった。無事にすんだので比較的軽い球だったんだとは思うけど、痛いなんてもんじゃなかった。あれ以来、私は飛んでくるボールをまともに見ることができない。目をそらす。顔をそむける。そもそも条件反射で体が逃げてしまう。ボールを見ずにバスケができるか。バレーができるか。テニスができるか。はい、できません。というわけで、その後の私はまわりのみんなから「運痴」のレッテルを貼られるようになってしまった。苦手なのは球技だけなんだけど、球技ができないと全部できないというイメージがあるらしい。他の種目は大体普通よりできるのに、運痴のイメージを払拭することは結局できずじまい。ちくしょー。「いや、私、別に鈍くないんだって。球が怖いだけなんだってば」と言ってみても、しょせん負け犬の遠吠え。いやはや、イメージって怖いものだね。
2002年02月24日
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ドロドロした感情が苦手。人を憎んだり恨んだりしたくないし、湿っぽくもなりたくない。北海道の夏空のようにいつもカラリとしていたい。というふうなことを小さい頃から思ってた。自分を取り巻く現実がちっともカラリとしていなかったから、そういうものに侵食されたくないあまり、必要以上にドロドロを嫌っていたのだと思うんだけど。そんなわけでドロドロを避けて生きて来た。小さなことで心がグラグラ揺れてしまう性格だけど、マイナスの感情が重たい塊になってしまうことはなかった。忘れちゃうから。でもそれって違うのかも。なんでもかんでも水に流して忘れてるつもりになってるけれど実はそれって意識の奥底にしまいこんでるだけなのかも。今までに何度も、美容院で「半年くらい前に大きな悩みごとってなかった? 小さいハゲができてたみたいだよ。 ほら、ここだけ毛が短くなってるでしょ?」と言われたことがある。悩んだ覚えはないのに。しょっちゅうおなかや頭が痛くなる。熱を出す、吐き気に見舞われたりする。どれも一過性のものだし、原因不明。ストレス性のやつじゃない?と人から言われるけど、ストレスたまった覚えがない。もしかしてこれって、心のかわりに体が悲鳴をあげてるのかな。意識の奥底にしまいこんでるマイナスの感情が行き場がなくて体に行っちゃってるのかな。なんてことを最近よく考える。健康のためには、思いっきりドロドロしたり、湿っぽくなったりした方がいいのかもしれないなあ、なんて。
2002年02月23日
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歌を聞いて泣いたことはありますか?私は今までに3度。一番最近では去年。特別大きな悲しいことがあったわけじゃないのだけれど、小さな悲しみや痛みが、滴のように少しづつ、いつのまにか胸の中でたまってたのだと思う。何気なく見ていたテレビから流れて来たこの歌を、ぼんやり聞いていたら、涙があふれて来た。好きだなんて思ったことは一度もなかった人の、それまでは聞き流していた歌が、とてもとても胸にしみた。悲しい気持ち、涙になって、空気の中に溶けていった。
2002年02月22日
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これ、私の呼び名。小さい頃に、父につけられた。すぐプゥーッとふくれっつらになるから、プー。おならみたいだからやめてよーっとお願いし続けてるのに、いまだに、プー。そう、私は怒りんぼだった。というか、あらゆる感情が激しい奴だった。成長するにつれて、それなりにコントロールできるようになり、しめしめと思っていたのだけれど、ついこの間、職場の上司から、「ココナツさん、思ってることが顔に出すぎ。 大人なんだから納得行かなくても気に入らなくても いちいち顔に出さないようにね」と言われた。ガーン。出てたのかー。親しい人といる時はコントロールなんてしてないけど職場とかではしっかりコントロールしてるつもりだったのにー。やっぱり私はプーだった。ダメだなあ。反省。
2002年02月21日
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実は、困っていることがあります。それは眠る直前のこと。前は、眠りに落ちる直前に決まって金縛り状態になり、「うー、動かなーい」と激しく歯を食いしばってしまうので、いつかは前歯が変になるのでは・・・と不安でした。最近は金縛りは減ったのだけど、そのかわり、息ができなくなってしまいました。うー・・・く、苦しいっ・・・・・・すぱーっ(息をしている音)って感じです。とにかく息ができなくて苦しい。一分くらいは続くんじゃないかな。それが何度か来るの。で、いつのまにか寝てるんだけど。どっちにしろ、苦しいので、困っています。ちなみに1度寝てしまうと、深く深く朝まで眠ります。不眠症じゃありません。あと、苦しい目にあうのは、毎日ではありません。眠る直前の金縛りっていうのは、体と脳みその疲労度が比例してない時に起こるのだそうです。息が苦しいのも多分、原因は同じだと思います。そんなわけで私は、体と脳みその疲労度を同じにする方法を、本やインターネットで調べてるのですが、ちっとも見つからなくて、困り果てています。誰か、同じ症状の人、いませんか?特に息ができない方。・・・いないよね。今まで会ったことないもん。あーあ、すとんと眠りにつきたいよ。
2002年02月20日
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多重人格って、どう思う?最近では日本でも症例があるらしくて、テレビでも、多重人格の人が別人格に変身する映像が流されたりしてますが、どうもうさんくさい気がするのは私だけ?「24人のビリー・ミリガン」のように、一人の人間の中に、様々な年齢の男女が24人もいて、それぞれちゃんと人格を持っていて、しかもお互い会話したりするっていうのが、どうも納得行かない。なんでそんなことがあり得るんだ。複数の霊が乗り移ってると言われた方がまだ納得が行く。多重人格の中のある人格が殺人をした場合に、「それは別の人格だったんだから責任能力はない」というふうになっちゃうのは変じゃないか?それはともかくとして、一人の人間の中にはいろんな性格が入り混じっている。多重人格みたいに記憶にない人格じゃなくて、しっかり記憶に残っている「まるで別人のような自分」っていうのは、絶対にいる。私だってそう。真面目なココナツ、いいかげんココナツ、潔いココナツ、嘘つきココナツ、生意気ココナツ、臆病ココナツ、賢いココナツ、ダメダメココナツ、可愛いココナツ、意地悪ココナツ、淡白ココナツ、弱虫ココナツ、情熱ココナツ、負けず嫌いココナツ、泣き虫ココナツ、親切ココナツ、頑固ココナツ、間抜けココナツ、ネガティブココナツ、楽天ココナツ、わがままココナツ、投げやりココナツ、ナルシスココナツ、少女趣味ココナツ・・・おお、24人のココナツだ。オマケ:24人も考えるのは、結構たいへんでした(笑)
2002年02月19日
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子ども時代から、ずっと、これだけは譲れない!と思っていたこと。それは、私が私であること。いじめられっ子だった。親から四六時中怒られていた。故に、私は、人から好かれる自信がない。にもかかわらず、私はいつだって、私でいたいと思っていた。ダメでも変でも、私は私でいたい。自分の感性や感覚は大切な宝物。何故なら、私はこの世でたった一人の私なんだから。嬉しい記憶だけじゃなくて悲しい記憶も愛しい宝物。何故なら、この世でたった一つの私の人生なんだから。そうじゃなくちゃ、せっかく私に生まれた意味がないじゃないか。
2002年02月18日
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恋愛は数が少ない方がいい。できるなら最初に恋した人と最後まで一緒に歩いて行くのがいい。同じ景色を眺めながら、共有の記憶を積み重ねながら、大切に愛する気持ちを育てて行くのがいい。打ち上げ花火のような恋愛よりも永久に絶えることのないさざ波のような恋愛がいい。そうしていつかとしをとった時、「こんなにずっと好きでいさせてくれてありがとう」って心から思えるような恋愛がいい。
2002年02月17日
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何かに強く心惹かれる時の理由って、共感するからっていうのと、自分にはない感覚だからこそ憧れてしまうっていうのの、二通りがあるような気がします。たとえば私は村上春樹には、ものすごくシンパシーを感じます。彼の小説を読んでいると、自分の中の疎外感のようなものが溶けていくような、柔らかい安心感を得ることができるんです。そして私は、村上春樹とは正反対の浅田次郎の小説も大好きなのです。というか、これまでたくさんの小説を読んで来たけれど、活字を追いながらポロポロ涙がこぼれたのは、彼の小説が初めてだったりします。浅田次郎の書く世界は、本来私が「けっ」と思っているような性善説の世界なんです。「けっ」と思っているはずの世界が何故にこんなに心に響くのだ。きっと私は「けっ」と思いつつも、こうであったらどんなにいいだろうと憧れているのね。
2002年02月16日
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小さい頃、私は、いじめられっ子でした。とにかくもうどこに行っても苛められました。幼稚園で苛められ、保育所で苛められ、親戚の家に行っては苛められ・・・って感じです。わざわざ私を探しに来るんですよ。で、みんなで追い掛け回したりするの。みんなにとって、私を苛めることがレクリエーションになってるみたいでした、ほんと。楽しそうだったもん。恐怖のいじめられっ子生活は、小学校の1年生くらいまで続きました。あることをきっかけにして、自分で自分を変えたのさ。それはさておき、その頃、私が不思議だったことは、みんな一人一人は優しくて、私を嫌いというわけでもなさそうなのに(一人の時はわざわざ「ココナツちゃん遊ぼうよ」みたいに自分から声をかけて来たりするわけです)何故、集団になると、急に残酷になるのか?ということでした。昨日二人で仲良く公園で遊んだ相手が集団の中ではみんなと一緒に私を罵倒する。罵倒しなくてもニヤニヤしながら見ていたりする。しかも次の日ケロリと誘って来たりする。一体、何故?・・・集団って怖い・・・。自分をいじめた子たちを憎む気持ちは当時も今も全然ないです。群衆心理ってやつだよなあと思うし、自分にも何か原因があるってわかってたしね。というわけで、集団という安全地帯に身をおきながら誰かを苛めたりしないというのが、私の、ささやかだけど絶対のポリシーです。みんなが無視をしていたとしても自分だけはしない。ちゃんと守ってきたよ。だってそれをしたら、あの頃のいじめられっ子だった自分を裏切ることになってしまうからね。いじめられるって、悲しいだけじゃなくて、悔しくて情けなくて、とっても惨め気持ちになるんだぞ。自分に心があるように他の人にも心があるのさ。
2002年02月15日
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虐待のニュースを見るたび、心がとても痛くなる。だけどテレビのコメンテーターなんかが言う「親が子どもを愛するのは当然のことなのに・・・」という言葉には、ひっかかりを感じてしまう。愛せないこともある、と思う。愛情というのは、努力すれば感じることができるような質のものじゃなく、自然に沸きあがるものなのだから。子どもを愛せないこと自体は不幸なことだけど罪じゃない。暴力(肉体的、精神的両方の意味で)が、罪。ただでさえ、人の尊厳を奪ったり心や体を痛めつけることは、してはいけないことです。ましてや子どもは、体や力が小さくて、そのうえ生活能力がないから逃げ場がないんです。そうした存在に対しての暴力は、この世で一番卑怯で卑劣な行為だと思います。虐待する親は、そんな自分を恥ずかしいと思って欲しい。愛することができないなら、せめて、その子が生きて行く邪魔をしないであげて欲しい。
2002年02月14日
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小学校2年生になるまでの自分を振り返った時、記憶の中の私は大抵ひとりぼっちでいる。一人っ子だったし親が共働き、しかも不仲。そんな事情があって、親が経営していた喫茶店の隅っこで静かにマンガを読んだり、店の近くの車がびゅんびゅん通っているような場所で一人ケンケンしたり、というのが私の日常だった。年に何度か祖母や従兄弟の家などに長期間預けられたりもしていた。祖母も働いていたから、そこでも私は一人でマンガを読んだり散歩したりしていた。大人は私のことを「手のかからない子」と言っていた。一人で放って置いても、無茶をしないし、ごねたり文句を言ったりもしない。物心ついた時からそういう環境だったから、寂しいなんて思わなかった。私にとっては孤独が当たり前の状態だった。最初から持っていないものを恋しく思ったりしないものなのだと思う。自分がそれを持っていないことに気がつくまでは、だけど。孤独であることに良い点があるのだとすれば、それは自由であるということだと思う。何にも縛られずにいられるということだと思う。あの頃、私はとても自由に暮らしていた。自分で物を考えて行動しなくてはどうしようもない状況で、私はいつも小さな頭をひねってた。欲しいものがあるなら自分で手に入れなくてはいけないこと、降りかかる問題の責任を人に押し付けていても埒があかないということ、どんなことも自分次第だということ、つらいこともあったし、ある種の達成感を感じることもあった日々の中で、それらの考え方を身を持って覚えた。そういう幼少時を過ごしたせいか、私は孤独であることに慣れてしまっている。友人や恋人といった大好きな相手とでさえも、長時間一緒にいると息苦しくなってくる。何も考えず何にも気を使わずに一人で風に吹かれたくなる。孤独に戻りたいなどとは思わないけれど、心の一部分には、確かに今も、孤独を愛してしまう私がいる。
2002年02月13日
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好きなタイプはルパン三世です。サルに似てればいいってわけではありません。モミアゲにこだわるわけでもありません(当たり前か)ああいう、どこか不良っぽくて陽気で欲望に素直で自信たっぷりで行動力があって、結構いいかげんなんだけど決める時は決めてくれて、しかも男の美学を持っているという、ルパンタイプに、私はすこぶる弱いです。
2002年02月12日
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風邪が悪化して、パソコン開く元気もありませんでした・・・。仕事にはなんとか行ってたんだけど、記憶が飛んでます。おお、こわ。というわけで、ここ数日、家にいる時はほとんど布団にもぐって読書していました。ちょうど楽天に注文してた本が届いたのでラッキーでした。別にここが楽天広場だから言うわけではないけれど、楽天ブックサービスは、本当にいいです。グッドサービスです。何がいいって送料がタダなのがいいです。しかも早いしカードも使えるし。オークションは、古本なだけに、本自体のお値段は安い!しかししかし、個人売買なだけに、送料と銀行振込の手数料がネック。結局は新品で買うのと同じくらいのお金がかかったりすることもあるのが悲しいトコロ。絶版本、希少本が目当てなら、少々お高くても、手に入れられるだけで満足なんだけどね。まあ両方うまく利用するのがお買い物上手ってやつよね。
2002年02月11日
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人に好きになってもらえる自信がない。他のことではそれなりに自信を持っていたりするし、恋愛だったら結構どうにかなると思っているけれど、もっと大きな意味で、つまりは人間として、人に好きになってもらえる気がしない。だから子どもの頃から中学時代までは、誰に対しても、一歩も二歩もひいていた。それ以降は、まあいいやと割り切った。割り切ってからの方が人と親しく付き合えるようになった。それでも自信のなさは変わらない。時々、こんな私を「友達」と言ってくれる人に出会う。私はその一言だけで本当に心から嬉しくなる。男の子から「好きだよ」と言われるよりも嬉しいほどで、大切にしよう、誠実に付き合おう、なんて、本当にもう、普通なら恋愛の時に考えるようなことをひそかに心に誓ってみたりする。いつか、心からの友達になれたらいいな、なんてふうに思いながら。
2002年02月08日
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ミステリーの連続ものって、厳しいものがありますね。「金田一少年の事件簿」なんて特に、おいおい、なんだって同じ学校内で、こうもたくさん人が死ぬんだよって思っちゃいました。あと、行く先々で殺人事件が・・・ってことは、探偵よ、あんたが疫病神か?と、つっこみ入れたくてたまんなくなります。と、いうふうに、私はどうでもいいことが気になって、せっかくのドラマに没頭できないことが多いです。最近では「漂流教室」窪塚くんのカツラ、よくできてるなあとか、あの男の子はオトマツだっけ?タカマツだっけ?とか、不良三人娘の一人の名前がトメ子っていうのはいかがなものかとか本当にもう自分でもイヤになります。みなさんはそういうことはないですか?ないだろうな。
2002年02月07日
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仏教には輪廻転生という、ロマンチックな言葉がある。洋風に言えば、リ・インカネイション。更にロマンチック。ま、本来の意味はロマンとは関係ないんだろうけど。「生まれる前から僕たち出会っていたんだね」「次に生まれ変わった時もふたたび私を見つけてね」という会話は女心をくすぐるものなのさ。でも生まれ変わりがあるのだとすると、背後霊とか守護霊とかって一体・・・って感じもする。お墓参りしても当の先祖はもう墓にいないんじゃ・・・とも思う。生まれ変わりを主張しているはずの仏教で、なんでまた霊とか先祖供養とかの話もするわけだろう。うーん。まあいいや。とにかく、生まれ変わりはあった方がいいな。できることならまた人間に生まれたいな。立派な行いをした人は輪廻転生の輪から外れて天国に行けるとかなんとかって手塚治虫のマンガに書いてたけれど、私はね、天国に行くより中国に行きたいよ。
2002年02月06日
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私は「この先もっといいことあるかもしれないのに勿体なくて死ねるか」という命根性の汚いタイプなので、今までに死のうと思ったことは一度もないのですが、自殺という行為に関しては、どちらかというと肯定的です。大抵の人は「自殺はいかん」と言います。残された者の身になってみろ、とかね。それはそう。私も大切な人にいきなり死なれたら心の底から悲しいし「裏切られた」と傷つくことは間違いないです。でも、結局のところ、命って自分のものじゃないですか。生きて行くことで、何かを背負うのも、傷つくのも、周囲の人じゃなくて自分なのだし。生きてるだけで辛いって人もいるのだろうし。当の本人が考えたうえで「もう限界」と言うなら、他人が止める権利はないような気がします。(なんて書いてるけど、身近な人が「死ぬ」って言ったら絶対に止めちゃうけどね。ただ、それは私のエゴかもなあと思う)自殺する人の殆どって、うっかり死んでいるような感じがします。勢いで死んでるというか。なんて勿体ない、と思います。大抵の傷は時が流れれば癒えるのに。もしかしたら素晴らしい未来が待っていたかもしれないのに。逃げてばかりの人生だとしてもカッコ悪くなんかなかったのに。イジメや失恋などで、自分自身がつらくて、と言うより、仕返しの感覚で自殺する人がいます。あんなバカバカしいことはないと思います。はっきり言って死に損です。死んだ人間は、いつしか忘れ去られてしまうのだから。仕返しがしたけりゃ、生きてなければダメです。というか、生きて生きて、そいつらよりも幸福になることこそが最大の復讐になるんじゃないかなあ。ねえ?迂闊に死んではいけないよね。
2002年02月05日
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日本では、人が死ぬと火葬にされる。私はそれがとても怖い。だって、焼かれちゃうんだよ。もしも途中で生き返ったりなんかしちゃったら、まさに生き地獄。できるなら、土に埋めて欲しいよ。そうそう、火葬も怖いけど、その前の、体を清めてもらうっていうのも、かなりイヤだ。去年、祖母が亡くなった時、お寺に行く前に、祖母の体を親戚のみんなで拭いたのだけど、おばさんたちが、祖母の胸とかおなかとかを平気でばーんと出しちゃっていた。「すっかり痩せちゃって、かわいそうに・・・」と声を震わせていた面々。すっかり痩せたのは確かにかわいそうだが、裸をみんなに見られるのもかわいそうだと思ってしまう私って、変だろうか。自分も死んだらこんなふうにされるのかと思うと、永遠に死にたくない、ほんとに。
2002年02月04日
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昨日は、春を感じた。光の色や空気の匂い、春だなあと思った。なのに今日の空は再び冬の色。早く春が来るといいな。いつだって、一番好きな季節は、次に来る季節。
2002年02月01日
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