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十代の頃、毎年、初詣に行っていた。大好きな人と、12月31日の夜に待ち合わせて、一緒に神社へ向かう。今年最後を一緒に過ごせることが嬉しくて、新しい年の始まりを一緒に迎えることが嬉しくて。「あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします」なんて、頭をペコリと下げあったりなんかして。お賽銭箱に五円玉を投げて、しばし、今年のお願いを神さまにする。お願いの中身は内緒。内緒にしないと神さまがきいてくれないかもしれないからね。そして幸せな気持ちで「じゃあね」と手をふって、家に帰って、一眠り。起きて最初にすることは、大好きな人から来ているはずの年賀状を探すこと。自然と、にやついてしまうメッセージに、ますます嬉しくなって、夕方過ぎに、また会いに行く。「ねえねえ、私の年賀状、見てくれた?」「家族にからかわれちゃったよ」そう答える彼の表情もなんだかとても幸せそうで、心の中で神さまに今年最初のありがとうを言う。 「今年も彼が幸せでありますように」懐かしい記憶。自分の幸せをお願いしておけば良かったかな?今日の一曲『ヤングブラッズ』佐野元春
2002年12月31日
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生まれてはじめて、言葉というものに、ビリビリ来たのは、小学生の時。「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ」子ども時代の私は、迷える子羊みたいな気持ちを抱えていて、哲学、思想というものに、とても関心があった。求めていたというか、探していたというか。たぶん誰にでもそういう時期があるのだと思う。私の場合は子ども時代だったわけだ。子ども時代に頭を使いすぎちゃった。それはともかくとして、福沢諭吉のこの言葉は、自分が小さな頃からずっと、漠然と思っていたことそのままだったので、聞いた瞬間、そうだよ、そういうことなんだよと嬉しくなった。だからといって、福沢諭吉が好きってわけじゃないんだけど。この言葉が好きなだけなんだけど。まあとにかく、子どもの頃からこんなことを考えていて、生まれてはじめてビリビリ来た言葉がこれだということから、おわかりになるだろうけれど、私はガチガチに「人間はみんな平等」という価値観を持っている。すべての人に、同じ重さの人権があると思っている。誰々は尊いとか、偉いとか、そんなふうに言うのを聞いても、ぴんと来ない。「同じ人間でしょ」ってふうに思ってしまう。生まれた場所や顔の色や家柄、年齢や性別といった、本人の努力や資質とまったく無関係のことでの上下関係って、ほんと、納得が行かない。そんな私だけれど、最近の世の中の流れを見ていて、「平等や人権の意味がズレてる人が多くないか?」と感じることが多い。結果を出してる人が、結果を出せない人より、努力してる人が、してない人より、認められるのは当たり前のことなのに、そんなところで「不公平」「不平等」と騒ぐのって、とても・・・変。そんなこと言い出したら、それこそ頑張ってる人に対して不公平なんじゃ・・・?自分に都合良く権利や人権をふりかざしてるというか。最近、一部の小学校では、運動会で順位をつけないとか、テストの結果を出さないとか、学芸会では主役を決めないとか、サッカーの試合では不公平のないように二軍も全員試合に出すとか、授業中騒いでいても叱り飛ばさず騒ぐ生徒の言い分をじっくり聞くとか、そういうのをテレビで見るたび、「うーむ」と思う私です。それって平等?PTA、間抜けな要望はどうかと思う。今日の一曲『青空』ブルーハーツ
2002年12月30日
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私は楽しみを後にとっておく方だ。でも宿題はギリギリになってから慌ててやる方だ。あれ?まあいいや。私は大体において、楽しみを後にとっておく方だ。好きな食べ物なんかもそう。「先に食べた方が空腹状態だからおいしく感じられる」「突然地震が来たら食べられなくなる」という意見には、もっともだと思うのだけれど、やっぱり、とっておいてしまうのさ。なんだかね、もったいなくって。だけど、おなかがいっぱいになって食べられなかったり、とっておいたことをそのまま忘れちゃったり、なんてことが結構よくあるので、自分でも「バカみたいだな、私」と思います。そんなわけで、2003年は、好きなものから食べる潔さを、ぜひとも身につけたいですね。・・・くだらない目標で、ごめんなさい。結局、他に何も浮かばなかったのでした。今日の歌『あきらめましょう』華原朋美
2002年12月29日
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友人がインターネットを始めることになり、「ねえねえ、ココナツ(仮名・当たり前か)のHPに行きたいんだけど」と、今日、言われた。どひゃー!!である。頭の中で小人がフラダンスを踊り出したかと思った。「いやいや、つまらないものだから」と、モゴモゴ言いながら無理やり話をそらした私だった。実を言うと、普段の生活の友人で、このHPの存在を知っている人は他にも二人いる。本当は恥ずかしいから内緒にしたかったんだけれど、友達なのにひた隠しにするのもどうかと思って教えちゃったわけだ。もっとも、その頃は、今より自分のいろいろなことを書いていなかったので、まあいいかという感じがあった。その後、さらに自分について、ガンガン書いてきたけれど、なんていうか・・・私としては開き直りみたいな感じ(笑)でもでも、今回は、かなり困った。前の場合とは違って、既にこのHPは、ガンガンな状態なのだ。家で言えば、前が土台組んでた状態なら、今はすっかりできあがって住んでる状態だ。どう考えても、いきなりこのHPだと、びっくりされそうだ。びっくりされるのはまあ、どうでもいいと言えばどうでもいいが・・・恥ずかしい(笑)深い意味は何もなく、単純に、恥ずかしい。素っ裸を見られるような感じだ。AV女優が、知り合いには見られたくないわ、と思うようなものだ。参ったなあ。他の友人に教えてるのに教えない、なんてわけには、絶対に行かないしなあ。あーあ、トホホな展開だなあ。きっと、私は、教えるんだろうなあ。その時の恥ずかしさを想像するだけで、もうクラクラである。 いやー、ほんと恥ずかしいよ、○○さん、 見てもいいから見なかったことにしてくれる?(笑)今日の本・『オロロ畑でつかまえて』萩原浩今日の一曲『ダメージ』バービーボーイズ
2002年12月28日
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いつの頃からか、後悔しない生き方をしたいと思うようになった。過去はどんなに悔やんでも変えられない、そんなどうもにもできないことに縛られたくない。そして、なによりも、失ったものの大きさに後から気づいて苦しみたくはない。そんなふうに思い始めて随分たつ。気がつけば私は、歩き方が遅くなっていた。後悔したくないから、迷いを抱えているうちは答を出さずに、そこに立ち止まっているような、そんな毎日になっていた。いつか自分は、失うことを恐れて動かずにいたことによって、消費した時間を後悔するのではないかと、最近、少し、考えてみたりする。方向転換をしてみようか。するかもしれない。しないかもしれない。今はまだわからない。けれど、どっちにしろ、後悔のない生き方なんて、きっと無理なのだと思う。どんなふうにしたって、なんらかの後悔は生まれてしまうものなのだと思う。特に私のような幸福に貪欲過ぎる人間は。失ったことに、後悔。失わずにいたことに、後悔。行動したことに、行動しなかったことに、後悔。時々、バカなことを考える。タイムマシーンがあったらいいのに。過去に戻ってやり直すことは反則だろうから、そんなことを望みはしないけれど、過去の自分のもとに飛んで行って、「大丈夫だよ、それでいいんだよ」とか、「それはやめた方がいいよ」とか言ってあげられたらな、なんてことを考える。未来の自分がここに来て、ほんの少しでいいから道を示してくれたらな、なんてことを考える。それでもきっと、後悔しない生き方なんかできないのだろうと、わかってはいるけれど。時々、ふっと、夢想してみたりする。今日の本・『Y』佐藤正午今日の一曲『夏のタイムマシーン』小泉今日子
2002年12月27日
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前に、親しくしていた人たちから、「ココナツって、自己主張しないよね」と言われたことがある。私は、「自分はこう思う」とか「これが好きでこれがイヤ」というようなことは、人並み以上に言うタイプで、その人たちと会話する中でも、私はこう思う的な発言は、客観的に見て自分が一番多いのでは?という気がしていたので、一体なんで?と不思議に感じたのだけれど、よくよく話を聞いてみると、それはつまり、「自分の意思を押し通さない」「こうして欲しい、ああして欲しいということを言わない」という意味あいらしかった。そうか、人はそういうことを自己主張というのか。と、知りました。私は逆に、彼女たちに対して、自分の考えをあまり言わない人たちだなあ、自己主張しないんだなあと、思っていたのでした。と、ここで終わるのではなくて。私は確かに、そういう意味の自己主張をしない。自分がどういう考え方なのか伝えることには熱心だけど、それを受け入れてもらえるかどうかは特に気にとめていない。うまく言えないのだけど、私にとって重要なのは発信することで、受信する側がどう受け止めようとそれはその人の自由、みたいな感じがある。相手もどんどん発信してくれれば良いと思う。その方が相手のことがわかるから。楽しいから。それをどう受け止めるかは私の自由だと思ってるけど。そして「こうして欲しい、ああして欲しい」部分についても、別に意識して言ってないわけじゃなくて、無意識に、そんなことは考えていなかったりする。くだらないことで言えば、私は連絡が欲しければ自分から電話するし、会いたければ自分で会いに行く。欲しいものがあれば自分で手に入れるしね。私にはむしろ、自分の望みを人に委ねるって感覚の方がわからない。まどろっこしいし、確実性に欠けるし。彼とかそういう相手に対してなら、甘えちゃえ!って感じで、そういう言葉を言うこともあるけどさ。そういう時はズバリ言うけどさ。あと迷惑な時は迷惑だって言うけど。ああそういえば、彼女たちは、迷惑な時に迷惑って言わない人たちだったな。意見が違っても相手の前でそれを口にしない人たちだったな。やっぱり、私からすると、彼女たちの方が自己主張していなかったように思える。やっぱり、自分って、感覚がズレてるんだろうか。よくわかんないや。ほんと、わかんない。そんなわけで、彼女たちとの付き合いは短命に終わりました。だって私、自己主張しない人って、なんだか信頼できないんだもん。と、これを読んだら、彼女達はきっと、「自己主張しないのはあんただろ」って言うんだろうな。今日のボヤキ「あー今日は笑いすぎて疲れちゃった」今日の一曲『アンダンテ』矢井田瞳
2002年12月26日
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社会っていうのは、個の集合体なので、私も社会の一部だと思う。たとえば社会が一人の人間だとしたら、個人個人はその細胞。細胞の一つが死んでも、その人は死ぬわけじゃないが、(と言うより気がつきもしないだろう)たくさんの細胞が駄目になれば、病気になるし、最悪の場合は死ぬ。人が死ねば、当然、その細胞も死ぬ。だから社会は個人をないがしろにするべきじゃないし、(ちりも積もれば山となる)個人も社会と無関係ではない。私はそういうふうに社会というものをとらえているので、社会のありかたに対して高みの見物を決め込み、「私には責任はないから言うけどさ、今の社会は最悪だね」とかいうふうに言う人に対して、なんとも言えない違和感を感じてしまう。責任は、あると思うの。自分の幸福をないがしろにしてまで社会に奉仕する必要はないし、立派な思想をかかげたり、群れて運動を始めたりってことが大事だなんて全然、まったく思っていないんだけど、細胞の一つ一つが健康だったら、その人間の体はばっちり健康になるはずで。いや、そうとは言えないかもしれないけれど、少なくとも、細胞の一つ一つが不健康だったなら、その人間の体が健康になるわけもないのだから。まあ、自分としては、細胞としての責任感を持っていなくてはなと思うわけさ。できる範囲で。わかる範囲で。細胞だけれども、唯一無比の私だけの人生を、もちろん、しっかりと楽しみながら。今日の一曲『チェインギャング』ブルーハーツ ぜひ聴いて欲しい一曲です。
2002年12月25日
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世界中の、すべての人へ。 メリー・クリスマス!!今日の一曲『聖なる夜に口笛吹いて Christmas Time In Blue』 佐野元春
2002年12月24日
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今日は久々に朝からガンガンに頭が痛かった。別に珍しいことじゃないので「またか」って感じなのだけど、頭が痛いと、楽しいことをするどころじゃないし、きちんと物を考えることすらつらいので、ぼーっとしながら機械的に動いているような状態になる。なのでいつも、痛みが和らぎ気分が落ち着くと、こう思う。「あー無駄に一日を過ごしちゃったよ」私は小学生の頃からの頭痛持ちで、涼しい時期はやや軽減するのだけれど、真夏なんかはバファリンを手放すことができないくらいの、頭痛と友達状態の生活をずっと送っている。しかも薬が効く割合は半々くらいだし。ちなみに、別にどこが悪いってものでもなく、いわゆる偏頭痛だ。どこも悪くないのは安心だけれど、どこも悪くないから頭痛と縁を切ることもできない。そんなわけで、よくよく考えると、今までの人生の半分くらいを無駄に過ごしているような気がする。なんて勿体ないんだ。歯軋りしたいくらい、悔しい。でもまあ、体質だから、しょうがないってことで、せめて頭痛のない日は、思いっきり楽しんで、無駄に過ごしてる分を取り戻して行かなくてはね。今日の本・『模造人格』北川歩実 ○今日の一曲『恋人がサンタクロース』松任谷由実
2002年12月23日
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私はいつも「なんか面白いことないかな」とアンテナを張っている。音楽でも小説でも映画でも時事ネタでも、その他もろもろ、なんでもいいのだけど、面白いことを見つけると、とても嬉しくなる。その中に「好きなもの」があったりすると、ますます嬉しくなる。そんなわけで、心の引き出しには「好きなもの」がいっぱいしまってある。(「嫌いなもの」は忘れちゃうのであまりない)なので、私は、自分で言うのもなんだけど、結構、話題が豊富なタイプだと思う。人と会話して共通の話題がちっともないってことは、相手の年齢や性別がどうだとしても、ほとんどない。私はいろんな人といろんな話がいっぱいしたいので、これは自分にとってお得なことだわ、と思っているのだけれど、でも、広く浅く、なのよね。熱烈に好き!思いっきり執着!っていうものって、ほとんどないような気がする・・・。って言うか今までそう思ったのって、一、二度しかないかもしれない・・・。一つ一つに向ける情熱が小さめだから、質より数さとばかりに、あれもこれもなのか、あれもこれも気になるから、一つに費やす情熱が小さめなのか、そのへんはわからないけれども。これって、器用貧乏っていうのに、少し似てる。一つのことに集中して、ごうごうと燃えられる人がちょっと羨ましい。今日のボヤキ『北朝鮮、気球作戦はやめてくれ』今日の一曲『ロックバルーンは99』ネーナ
2002年12月22日
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18の冬、いきなり彼から別れを告げられた私は、その瞬間から、彼のこと以外考えられなくなった。彼は歩いて10分くらいの距離に住むご近所さんだったので、私ときたらいつもいつも、ばったり会えはしないかと用もないのにそのへんをうろうろしていた。真夜中、彼の家の窓の近くまで行き、佇んでいたこともある。手紙を書いていると会話しているような気持ちになれるから、いっぱい書いた。何通も送った。返事は来なかった。最後に「これからも友達でいよう」とか「電話するよ」とか、言っていた筈だったのに、電話なんか、もちろん来なかった。少しでもかかわっていたい気持ちを抑えることができなかった。それでも自分なりに、ルールを決めていた。手紙には、戻ってきてくれとか、会いたいとか、要求めいたことは一切書かないこと。そして一ヶ月たったら、すっぱりやめること。だから一ヶ月だけ期待させてね、期待する私を見過ごしていてねと思っていた。今ならストーカーと呼ばれるに違いない。下手したら通報されるだろう。それとも仲介人がいきなり現れるかも。だけど私には、あの頃の自分を否定する感情って少しもない。肯定もしないけれど。「あー本当に大好きだったんだね」と思うだけだ。人を好きになるって、だって、こういうことでしょう。理性で抑えられる人は、そりゃあ立派だと思う。だけど同時に、抑えられる程度の思いならば、それは本当に好きって言えるのか?と思ってしまう。なんだか、ストーカーという言葉が一般的になってから、「ただ好きでいること」までもが、ストーカー呼ばわりされているみたい。たとえば、相手を自分のものにしたいあまりに危害を加えるとか、不法侵入したり、無言電話を何十回もかけるとか、望遠鏡でのぞくとか、盗聴するとか、尾行するとか、まあ他にもいろいろ、そういう犯罪的、実質的な迷惑をかけるような人をストーカーと呼ぶのであって(私はこういうことをする人は相手を愛しているのではなくて、 プライドを傷つけられて怒ってるか、 独占欲に燃えてるだけだと思うけど)失恋しても好きでい続ける人がみんなストーカーなわけじゃないのにね。そんな風潮が蔓延したなら、両思い以外は、本気で人を好きになっちゃいけないことになってしまいそう。それって、潤いのない世の中って気がする。18の冬、私は、今ならば「ストーカー」と呼ばれるかもしれない奴だった。が、その後、音信普通の半年間を経たあとで、彼は戻って来た。そんなわけで、私の行為は「ストーカー」ではなくて「純愛」と呼ばれたのだった。結構そんなもんだよね、言葉って。今日の一曲『MISSING』久保田利伸
2002年12月21日
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何かにこだわるということがあまり好きではない。好みの問題なので、こだわっている人に対してどうこう思うことはないのだけど、自分の感覚としては、なんとなくかっこ悪いような気がしている。そう言いながらも、私にもこだわっていることはある。こだわるのはかっこ悪いや・・・と思うけど、わきあがるこだわりはどうしようもない。せめて、あんまり、口に出さないようにするしかない。かといって、隠しているのも、これまたかっこ悪い。じゃあどうすればいいんだろう。・・・なんてことは考えなくてもいいか。何にこだわってるかって?まあいいじゃないですか。そんなことは。で、実は幾つかのこだわりを持っていつつも、なんだかなあと思っている私は、人から「ココナツってこだわりのある人だよね」と言われると、とても恥ずかしい。そういう時、相手は、悪い意味で言ってるのではなく、むしろ良い意味で言ってくれてるみたいなのだけど、むしょうに恥ずかしい。そこで「こだわってないよー」とむきになってしまう。そして、一人になってから、思う。「こだわらないことに、こだわっちゃったよ」ああ、余計にかっこ悪い。今日の本・『異人たちの館』折原一今日の一曲『胸がドキドキ』ハイロウズ
2002年12月20日
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彼は私を「メルヘンな女」と言う。メルヘン・・・漢字にすると、童話。私の思う「メルヘンな女」とは、童話や絵本を集めていたりして、ポプリやステンシルなんかが好きで、赤毛のアンみたいな生活に憧れてるような人。私はそういうタイプを「可愛いね」と思うけど、自分はそうではない。しかも大きくそうではない。私は可愛いものが大好きだけど、硬質で少し毒があって変な可愛らしさが好みだ。テディベアよりシーサーの方が好きだ。ケーキよりワサビのきいたお寿司の方が好きだ。赤毛のアンよりアルセーヌ・ルパンの方が好きだ。カクテルより生ビールやジンの方が好きだ。ミルキーよりクールミントガムの方が好きだ。7人の小人より7人の侍の方が好きだ。・・・ん?まあとにかく、そんなわけで、「メルヘンな女」と言われた時、戸惑った。もしやこの人はメルヘンな女が好きだから、私をそうだと思いこんでいるのでは?と勘ぐったほどだ。だけどしばらくして、彼の言う「メルヘン」と私が思う「メルヘン」は違うらしい、と気がついた。そして、それなら、彼の言うことにも一理あると納得した。つまりは、彼の言う「メルヘン」とは、もちろんメルヘン=童話ではなく、少女趣味だとか女の子らしいとか、そういうことでもなく、ただ単純に、「子どもみたいに夢見てる」ってことだったみたい。夢見てるっていっても、いつか王子様が・・・みたいな夢じゃなくて、理想を諦めてないってことなんだけどね。そうしてたぶん、ロマンチストって意味もある。ちなみに私が思う「メルヘン」は、彼に言わせると「ファンシー」らしい。私は「オヤジメルヘンな女」たまに小説やドラマで見かける、文学青年くずれ(ロック青年くずれでもいい)みたいな、ロマンチストの中年男のようなタイプ。口では「現実なんてこんなもんさ」と言いながら、心の中では「もしかして」と夢見てる。そんなわけで、オヤジメルヘンな女です。どうぞよろしくね。今日の本・『家族八景』筒井康隆今日の一曲『Wonderful Tonight』 エリック・クラプトン
2002年12月19日
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カタカナ言葉が苦手だ。と言っても、なんでもかんでも苦手ってわけではなくて、なんというか、いつのまにかニュースや新聞で、普通に使われるようになってるような、カタカナ言葉ってあるじゃないですか。なにやら難しいやつ。たとえば・・・あーダメだ。具体的な言葉を思い出すことすらできない。苦手すぎて。もともと英語が苦手なのだ。私の脳は英語向きにできていないのだと思う。ちんぷんかんぷん。単数形だの複数形だの出て来て、ただ「s」つければいいものを、単語によっては思いっきり形を変えたりするのも困るし、過去形、現在形、未来形とか、めんどくさいったらありゃしない。大体、単語もめんどくさい。日本語だったら、音と字が一致しているから、仮名さえ覚えれば耳で聞いたまま字にできるけど、英語はそうはいかない。一回一回覚えなくちゃいけない。一回一回覚えるという意味では漢字もなのだけど、漢字にはそれぞれ意味があるから、(にんべんはこういう時、とかさ)想像しやすいと思う。耳で(目でもいいけど)カタカナ言葉を聞いても、なんにも想像できやしない。まあとにかく、そんなこんなで、私はカタカナ言葉が苦手だ。なのに次から次と「一般的なカタカナ言葉」は増えて行く。いつのまにか「看護婦」は「ナース」になっていた。いくらなんでもナースくらいは知っているけど、なんのためにナース?と、どうも腑に落ちない。まさか、カタカナの方がかっこいいからではないだろうとは思うけど、他に理由が考え付かない。新しくできた言葉や、カタカナ言葉と和風言葉じゃ微妙にニュアンスが違うって場合は別として、昔から普通に日本語があって、しかもニュアンスに違いもない言葉を、わざわざ外国語風の言い方にするのは、一体なぜ。日本人なんだから日本語で言えばいいじゃん、と私は思う。幼児虐待の、なんだっけ、ネグレクト?ネグレスト?あれも、放置とか、そういう言い方の方がわかりやすいのに。ドメスティックバイオレンスなんか、映画のジャンルの一つかと思ったよ、私は。あと、トラウマ。はじめて聞いた時は、イノブタみたいに虎と馬のあいのこかと思った。パンツとパンツも気になる。片方、ズボンじゃダメか。なんだか、昭和ヒトケタかよ?と誤解されそうで、心配になってきたのでこのへんでやめます。ちなみに私、いまだにハンガーを「えもんかけ」と呼んでいて、しょっちゅう友達に笑われていたりします。なんて書いてるけど、カタカナ言葉、結構しゃらっと使ってます。自分に都合悪いところだけ文句つけてるってこと?結局(笑)今日の一曲『焼け野が原』Cocco
2002年12月18日
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この間書いた大掃除計画、まだ続行中。疲れて来た。でも、掃除、するべしするべし。心の中の丹下のおっさんが耳打ちしているよ。(丹下のおっさん、わかる人にはわかるってことで)そんな私を励ますために昨日、母がやって来た。やたら大荷物だなあと思っていたら、おもむろにエプロンとジャージを取り出し、「さあ、やるよ」母、働く、働く。さすが掃除の達人だ。バケモノみたいなスピードで壁を拭き始め、あれよあれよという間に、一面ピカピカ。止めようとすると、「あんたはアトピーだから洗剤は避けた方がいいよ、 それにあんたがやるより私がやった方が、 きれいになるしね、早いしね、ホホホホホー」ホホホホホーって。母、優しいや。感謝、感謝だった。でも、正直に言うと、なんとなく面白くなかった。そうしてそう思っちゃったことに対して、私ってまだまだガキだなーと自己嫌悪。そして今日、一気にドカンときれいになった壁を見て、彼が言った。「おまえの母さん、すごいなあ」こんなにしてもらって感謝しろよ、見習えよ、おまえには絶対無理なことだなー、ほとんど一人でやってくれたんだろー、ダメな娘を持つと苦労するよなー、はっはっは・・・・・・・「あーうるさいっ」と、思わず、怒鳴りつけてしまった私は、やっぱり、本当に、まったくもって、ガキざます。今日の一曲『はじめ人間ギャートルズのテーマ』
2002年12月17日
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過度な期待はしない主義。無理なものは無理。ダメなものはダメ。ものには限度ってものがある。器ってものもある。望んだからってそのとおり行くもんじゃない。絵に描いた餅をいくら増やしたって、おなかはふくれない。かといって、過度に諦めもしたくない。私の目標は、できるかもしれない範囲内でのMAXポイント。101点は望まない。無理だから。でも100点になれる可能性は諦めない。そんな私が恋に落ちるのは、200点をめざす人(笑)今日の一曲『みつめていたい』ポリス
2002年12月16日
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どうせ誰にも私の気持ちなんかわかんない。中学生くらいまでは、そんなことをよく思ってた。たとえば、他の人にはなんでもないような一言でムッと来たり、悲しくなったりしてしまうことに対し、「なんでそんなことで?」って言い方をされると、だけどこの一言に敏感になってしまうことの背景には、こんなことやあんなことがあるんだもんっ何もわかんないくせして偉そうなこと言わないでよね、などという思いにかられて腹を立てていたし、気軽に同情されたり変に叱咤激励されたりすると、同じ経験をしたことがあるわけでもないあなたに私の気持ちがわかるのか?と思ったりしていた。その考えは、基本的には、今でも間違っていないと思う。人は自分以外の人の気持ちを完全に理解することなんかできない。半分だって無理かもしれない。でも、そのことにこだわって、諦めて、「どうせ、どうせ」と言ってても何も発展しない。心が卑屈に、孤独になっていくばかりだ。そんなふうに寂しい気持ちにとらわれることによって、誰が一番損するかといえば自分だ。だから、ちょっと考え方を変えてみようと思った。別に、完全を求めなくたっていいじゃないか。「誰も私の気持ちなんかわかってくれない」じゃなく、ちょっとでもわかってもらえれば、まるっきりわかってもらえないよりはずっといい。だから「どうせわかんないくせに」と心を閉じてしまうのではなくて、その人が自分のことをわかろうとしてくれているということに、目を向けてみようと思ったのさ。たとえ結局とんちんかんだとしても、わかろうとしてくれるってこと自体が、嬉しいことなんだよね。結局のところ、私は、いろんな人のその気持ちに、いろんな場面で救われてきたような気がする。そして、彼らに対して、残っている思いは、どうしてだろう、わかってもらえたって思い。私には人の気持ちを完全に理解することはできない。抱えている荷物も、経験も違うから、人の苦しみも、心の傷も、完全に理解することなんかできない。でも、ちょっとでもわかりたいよって思っていたい。そりゃあ完全にわかることはできないだろうけど、わかりたいよって気持ちの人間がそばにいることによって、相手の気持ちがほんの少しでも軽くなることを信じてる。人と人とが完全に理解しあえることはないけれど、完全に理解し合えないってこともないのだから、わかりあえる部分が増えてくことを単純に喜びながら、助けてもらったり、手伝ってあげたりしながら、てくてく歩いて行けたらいいな。今日の本・『懲戒の部屋』筒井康隆 ○今日の一曲『わかってもらえるさ』RCサクセション
2002年12月15日
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心とか体とか、どっちだっていい。リアルだろうが幻想だろうがなんでもいい。何を求められてるかなんかどうでもいい。求められてるということが嬉しい。きみが、私を、求めてる。それが大切。それだけでOK。面倒くさい言い訳も、それらしき理由付けも、なんにもいらない。私たちの関係は私たちだけのもの。常識もモラルもプライドもほっぽり出して、むきだしの「好き」と「好き」だけあれば、あとはなんにもいらないさ。今日の一曲『本能』椎名林檎
2002年12月14日
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連日、寒い日がつづいています。こちらは札幌。本日は氷点下の青空。冬は恋人たちの季節です。クリスマスに初詣、バレンタインにホワイトデー、卒業のイベントまで控えています。おまけに何気に私の誕生日もあったりします。しかもしかも、冬は、恋人たちが接近するための言い訳が盛りだくさん。ビバ、真冬。「手が凍っちゃったーほらほらほら、ほーらほらほら」「・・・つなぐ?」「うひゃあ(氷に滑る)」「どひゃあ(しがみつかれる)」「くしゅん。あのねー風邪って人にうつすと早く治るんだって」「・・・うつされてあげようか」「寒いよー寒いよー寒いよー寒いんだよーっ」「・・・あたためてあげるよ」「なんだか眠たくなってきちゃったー(遭難ごっこか?)」「寝たら死ぬぞー(結構ノリノリ)」「とりあえず、よっかかっていい?」書いてて恥ずかしくなってきました。ちなみに、以上、すべて、かつて私が使った姑息な手段です。間違いなく、こっちの思惑はバレバレでしたけどね。まいっちゃいますね。バカですね。いいんです、どうせ誰も見てないんだから。すべてはやったもの勝ちです。みなさん、思いっきり、冬を満喫してね。追伸・あの時はひっかかったふりしてくれてありがとね。今日の一曲『セクシーフレンド・シックスティーナイン』 フライングキッズ
2002年12月13日
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数日前の日記で、愛のもたらす可能性はすごい!みたいなことを書いたくせして、こんなこと書くのもどうかって気がするんだけど、実を言うと私には、愛よりもっとすごいと思っているものがある。それは、笑い。愛は手に入れようとしたからって手に入るもんじゃない。愛するのは自分次第、でも愛されるのは相手次第。ところが笑いは、誰でも彼でも、いつでもどこでも、手に入れようと思えば手に入れられる。まず、この時点ですごい。そして、笑いは、貧乏も孤独も不幸も、とにかくあらゆる悲しみも、その一瞬だけは忘れさせてくれる。ずーっと笑い続けていれば、一生悲しみ知らずでいることも夢ではないのさ。とは言え、物事を面白いと感じる心の余裕もなくなる時もある。そんな時はとりあえずわけもなく笑ってみるのがいい。自分の行為のバカバカしさに笑えるかもしれないから。そうして笑っているうちに、きっと肩のあたりがすとんと軽くなっているはずだから。今日の本・『おかしな男 渥美清』小林信彦 ○今日の一曲・もちろんこれ『笑えれば』ウルフルズ ウルフルズは元気ない時にガッツをくれますね。
2002年12月12日
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2002年ももうじきおしまい。そこで今年のマイブームを振り返ってみました。【音楽】シングルでは、Dragon Ash『Life goes on』リップスライム『楽園ベイベー』ラブサイケデリコ『裸の王様』が、お気に入りでした。アルバムでは中島美嘉『TRUE』宇多田ヒカル『DEEP RIVER』スピッツトリビュートアルバム『一期一会』が良かったです。あとは、つじあやのがやたら気に入ってしまい、過去アルバム『春蜜柑』を浴びるように聴いていました。そのほか、テレビの歌番組を見てて、「おお!」と思ったのは嵐の『PIKA☆NCHI』こりゃかっこいいなと思いました。洋楽は今年はほとんど聴かなくてエンヤくらい。【ドラマ】なんといっても『木更津キャッツアイ』がナンバー1。あとは『空から降る一億の星』や『漂流教室』『ごくせん』『TRICK』も良かったです。あと忘れちゃいけないのが『愛なんかいらねえよ、夏』タイトル変だけど本当に良かったんですよ、これ。基本的に恋愛モノは苦手なんですけど、『空から降るー』と『愛なんてー』の2本は、純粋な感じが漂っていてキュンとなりました。【芸能人】あいかわらず女優では深津絵里、男優では渡部篤郎、窪塚洋介がお気に入りでした。俳優以外では、小雪に見とれたり。菊川伶、優香なんかも可愛いなあと思いましたね。男性だと、DON DOKO DONのぐっさん。SMAPは、「かっこいいのはキムタクなんだけど好きなのは稲垣吾郎」から、「かっこいいのはキムタクなんだけど好きなのは中居くん」へと変化しました。【ビデオ】ナンバー1は『GO』見終わった後、走り出したくなるような、躍動感が良かったです。それと『バトルロワイヤル』これはなんと感想言っていいのかわかんない映画なんですが、クレジットのところで流れるドラゴンアッシュの歌が、すべてをあらわしているような感じ、胸が熱くなりました。あとは過去ドラマの『池袋ウエストゲートパーク』タカシとジェシーに目が釘付け。【ミステリー】なんといっても恩田陸、若竹七海。あとは伊島りすと『飛行少女』が本当良かったです。その他、お気に入りの井上夢人、加納朋子は、今年の作品はピンと来なかったのでがっかり。今年の収穫は北森鴻、飛鳥部勝則の作品に出会えたこと。【ホラー】今年は角川ホラー文庫のラインナップがいまいちだったのが、残念でした。ホラーで「おお!」と思ったのは三津田信三。『ホラー作家の棲む家』『作者不詳』どちらも独特の変な雰囲気が漂っていて生理的に怖かったです。海外ではジョン・ソールが気に入って古本屋めぐりをしました。【マンガ】大注目してたのは今年もやっぱり浦沢直樹。あとはお気に入りマンガ家、吉野朔実『記憶の技法』いくえみ綾『私がいてもいなくても』が心に残りました。ようやく完結した萩尾望都『残酷な神が支配する』吉田秋生『YASHA』は、期待しすぎてたせいかアラが目につきました。青年マンガでは佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』が、良かったです。まだ連載中らしいので今後も注目。これ絶対ドラマ化されると思う、うん。【ニュース】ムネオ問題と、北朝鮮問題ですね。それからやっぱりアメリカ対イスラム社会の構図とか。児童虐待や少年犯罪、自殺増加のニュースも注目してました。あとウイノナ・ライダーの万引き騒ぎと、マイケル・ジャクソンの動向も気になったな。マイケル・ジャクソンは、動向だけじゃなく、顔も。【その他】奈良美智さん。Qooグッズ集め。ヤ○ーオークションに心を熱くしたりもしました。あと、宇多田ヒカルが元気かどうか気になったり。「ザ・スクープ」終了しちゃってがっかりして、鳥越さん見たさに朝のワイドショーを見るようになったり。窪塚洋介、どこに行くんだ?と心配になったり。回転寿司で青魚を好んで食べるようになったり。まあそんな感じです。今、気になってるのは、来春始まる野島伸司の新ドラマと、映画「夜を賭けて」「凶気の桜」かなあ。山本太郎って私が見たいなと思ったやつに必ずといっていいほど、出てるんで、ひょっとしたら、来年、好きになるかも。今日の一曲『忘却の空』Sads
2002年12月11日
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彼は私の弱さをいつも笑い飛ばす。決して「うんうん、わかるよ」なんて言ってくれない。どんよりと落ち込んでいると、「辛気くせえな、目の前から消えろ」と言い、うじうじ悩んでいると、「じゃあ俺が決めてやる」と勝手に答を出してしまう。時々、生きてるのが面倒くさいような気分になった時、そんなことをこぼそうものなら「だったら死ね」だ。慰めて欲しい時、まず慰めの言葉は返って来ない。「やっぱり私がダメなのかなあ」「そうだ」「・・・」苦手なことからも守ってくれやしない。逆に誰よりも率先してそれをやらせようとする。彼はよく、「おまえがどんなんなっても一緒にいてやるよ」と言う。おまえみたいな奴の相手は俺にしかつとまらないから、 見捨てないでいてやるよ、感謝しろよ、 などと偉そうに言う。それはこっちの台詞だ。なんて図々しいんだ。あんたなんか大嫌いと言っても、「ほんとは好きでしょうがないくせに」まったく図々しいったらありゃしない。だけど、はい、全部そのとおりです。あなたくらい頭に来る人はいない。あんまり頭に来るから、思いっきり言い返してるうちに、何で悩んでたかも忘れてしまうほどだよ。「だったら死ね」の言葉を言われるたびに、悔しいから絶対死なないと心に誓っているよ。おかげで長生きできそうだ。あなたくらい私を傷つける人もいない。これまたおかげさまで最近かなり打たれ強くなって来た。そしてあなたくらい笑いのツボを刺激してくれる人もなく、あなたくらい私をドキドキさせる人もいない。ああ本当、毎日が、泣いたり怒ったり大笑いしたり、退屈する暇もないほどだよ。私にはあなたがちょうどいい。そしてあなたにも私がちょうどいい。あなたがいつもそんなに強いのは、それは私がいるからなんでしょう?「おまえなんか大嫌いだ」彼が言うたび、私は心の中で言い返す。「ほんとは好きでしょうがないくせに」今日のボヤキ・「氷点下だよ、あーブルブル」今日の一曲『リリス』山下久美子
2002年12月10日
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せっかく生まれて来たので、楽しい気持ちをいっぱい味わいたい。せっかく生まれて来たので、あんなこともこんなことも知りたいな。せっかく生まれて来たので、最大限のシアワセな人生を過ごせますようにと、とても欲張りな自分です。ほんとはちょっと、生きてくことがめんどくさいような気持ちになる日もあるし、ふと冷静になって、いろんなことがバカバカしくなる日もあるけれど、せっかく生まれて来たのだから、もう私は生まれてしまったのだから、ごちゃごちゃ言っていないでこの人生を楽しまなくてはね。どうせだったら最大限まで楽しまなくてはね。今日の一曲『静かな日々の階段を』Dragon Ash
2002年12月09日
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コンプレックスだらけの私だけれど、自分のことが好きだ。矛盾してる?だけど、好きってことと、肯定するってことは、ちょっと違うような気がする。私は私だから、私が好きだ。ずっと好きでいたい。もっと好きになりたい。だから、むやみやたらに肯定してはいられない。ダメな部分はダメと認めて、克服したいものだよと頑張ってみたり、せめてこれ以上ダメにならないように歯止めかけたりも、必要なことだと思う。頑張りすぎて心がクタクタになるようじゃ逆効果だし、なんでもかんでも否定するつもりもないけれど、自然体という言葉に甘えすぎないようにしたいんだ。ずっと好きでいられるように。もっともっと好きになれるように。今日の本・『複合汚染』有吉佐和子今日の一曲『進め なまけもの』斉藤和義
2002年12月08日
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私はこの『イマジン』という歌が好きだ。英語に疎いので、RCがカバーした日本語『イマジン』で、そういう意味の歌だったのか!と知ったんだけど。(もっとも清志郎の訳詞っていうのは、 ジョンのイマジンをやや皮肉っている内容だったりする)外国の悲惨なニュースを見るたび、ワイドショーでどこかの地方の悲しいニュースを見るたび、そして日常生活でなんだかんだと問題ごとが起こるたび、世の中、そして社会っていうのは複雑だなあと思う。ああでもない、こうでもない、どっちが悪い?こっちか?でもそうなったのには事情がある?どうしたらいいんだ、こうか?でもそりゃだめだ、などと、自問自答。真面目に深く考えた時ほど、答は遠くなって行く。理想と現実との間にある大きな溝。でも諦めてしまうのは悲しい。そして思う。結局『イマジン』が答かもって。そんな簡単なもんじゃないんだよって、鼻で笑う人はたくさんいるだろうけれども。たとえ夢だとしても、みんなで夢見れば、それは夢じゃなくなる。理想は現実になるかもしれない。「世の中なんてしょせんこんなものさ」ってふうにみんなが思っていたら、しょせんこんなものが現実になってしまうんだろう。そしてそれは、ただ単に世の中が悪いんじゃなくて、しょせんこんなものな世の中を受け入れている人みんなの責任でもあるのだと思う。私はテレビのニュース番組で、「この国の政治家はダメですからねえ」と苦笑いしているようなキャスターが嫌いだ。ダメなものをダメと言うのはいいけれど、他人事みたいに苦笑いって、なんだかなあ。とにもかくにも、 LOVE AND PEACE!!これ絶対。今日の一曲『イマジン』ジョン・レノン
2002年12月07日
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私は人を選べない。仕事や事務的な意味ではなくて、友達を選ぶとか恋人を選ぶとか、そういうことができない。そもそも思考回路に「人を選ぶ」って感覚がないし、人に対して、選ぶなんて、おこがましいような気がして。100%いい人はいないけど、100%悪い人もいないし。何もかも気が合う人も、何もかも合わない人もいないし。一緒にいて四六時中大笑いできる人も、まるっきり面白い瞬間がないって人もいないし。だから、扉はいつも開けっ放し。性格的に心を開くのには時間がかかってしまうのだけど、それだけに、出会いの扉は出入り自由にしておきたいなと思っているし、出会うことができた人たちとの糸を自分から切ってしまうなんて、そんな寂しくてもったいないことはしたくない。自分ではこのことを良いとも悪いとも考えていなかった。ただ単に、私ってそういう性格なのよねという感じで。子どもの頃は違ったんだけどねと思いつつも。だけど、ある人から、「それはだめだ」と注意されてしまった。「ココナツの悪いところはそういう所だよ」って。「人を選ぶなんて言うとイヤな言葉になるけれど、 自分らしくとか、自分や自分の生活を大事にするとか、 そういう意味で、必要不可欠なことなんだよ?」言われてみれば確かにそうだなあと思った。人を選ぶことができないがために、そして、常に「選ばれる側、選ばれない側」でいるために、感じるはめになっているストレスは少なくない。だけど。やっぱり私は。なにかの時には、「自分のこの性格がすべて悪いっ」と、溜息ついたりしちゃいながらも、やっぱり人を選ぶことができずに生きてくような気がする。だってそういう性格なんだもんな。トホホであろうとも。今日の本・『がんばりません』佐野洋子今日の一曲『いつもと違う場所で』THE BOOM
2002年12月06日
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猫を飼っていた。中学から高校の終わり頃まで。茶色いしましま模様の、トラ猫。うちの家族は、私を含めてみんな、ネーミングセンスに欠けているので、名前はそのまま「とら」だった。とらは最初、迷い猫として、やって来た。もう仔猫というには大きな体、雑種なのにやけに綺麗な毛並みの猫。きっとどこかの飼い猫だよね、情がうつると別れる時悲しいからねと、私たちは最初、庭に居着いてしまったその猫のことを、無視しようとつとめていたのだけれど、もともと動物好きな一家なので、三日もしないうちに、我慢ができなくなって、ミルクをあげたり、そっと撫ぜてみたり。やがて、家の中にも入れるようになった。夕方になると、とらは散歩の時間。「飼い主の所に帰っちゃうかもしれないね」と、最初の頃は、心配していたけれど、どういうわけか、とらは、朝になると、ちゃんとうちに帰って来てくれた。飼い主なんかいなかったのかもしれない。とにかく、いつのまにか、とらはうちの猫になっていた。家族のとらへの態度は三者三様だった。父は溺愛。抱いたり一緒に眠りたがったりして、とらに引っ掻かれて、それでも可愛くてしょうがないみたいだった。母は私にするみたいにとらにも、躾に厳しくしていた。トイレに失敗したりインコを襲った時は、モノサシで叩いていた。けれどエサに気を配ったり、ケガの手当てをしてあげたりするのも母で、だから、とらは、母に一番なついていたと思う。私はちょっと距離をおいて接してた。猫が相手なのに「迷惑じゃないかな」と思ったりして、ぎゅっと抱きしめることもしなかったし、みんなのように赤ちゃん言葉で話しかけたりもしなかった。その代わり、いつやって来ても、追い払ったりもしなかった。だけど猫って、そのくらいの構われ方がちょうどいいのかもしれない。私の部屋が、とらの一番お気に入りの場所で、私たちはよく同じ部屋で、お互いに干渉することなく、一緒の時間を過ごしてた。眠っている間に、いつのまにか、とらが来ていて、私のふとんの上に丸くなって眠ってる、なんてこともよくあった。父は「なんでおまえの所ばっかり行くんだよー」と嘆いていたけれど。その頃、私は、週に何度か、付き合っていた彼と、夜の散歩をしていた。そうして歩き疲れて、私の家の近くの石段にこしかけて、お喋りしていると、どこからともなく、とらがやって来て、彼と私のまわりをちょろちょろし始めるのだった。勇気を出して彼の肩にちょこんと頭を乗っけてみたところで、とらがやって来て、二人の間に割り込み、どっかり座り込む、なんて時は、「とらったらー」って感じだったけれど、やきもちを妬いているみたいな様子が可愛らしかった。私たちは、照れくさい時、それをごまかすために、とらに話しかけたりしていた。ちょっとイヤな雰囲気の時、とらがいてくれることで、和やかになるってこともあった。彼と私と、とらの、夜のデート。高校3年の時、とらは、喧嘩で大怪我をして、おそらくそれがもとで、病気になってしまった。毛の艶がなくなり、体のいろんな所が膿んでいた。病院に行ったら、猫エイズに感染したんですね、と言われた。「人間にはうつらないので、そういう意味の心配はないけれど、 残念ながら、この病気は治らないんですよ」父の目が真っ赤になった。ボロボロの汚い猫となり、動作も緩慢になってしまったとらを、見ていると、とらは死に向かっているのだと、せつなくて、悲しくて、鼻がつんとなった。それから、私が、失恋と卒業、進学、それから家の引越しとで、自分のことで精一杯な毎日を送っていた或る日、とらはふいにいなくなった。さよならも言えなかった。きっと、とらは、どこかでひっそりと、天国行きのバスに乗ってしまったのだと思う。私たちはみんな、本当はそう思っていたけれど、「とらは今頃どうしているのかな」「おいしいものを食べられているといいね」などと、とらが元気でいることを想定したような会話しか、しなかった。今もやっぱり、父と母と私は、そんなふうにしか、とらの話をすることはできない。今でも、猫を見ると、とらを思い出す。父の真っ赤になっていた目や、ケガの手当てをしてあげていた時の母の表情や、彼と私と、とらの夜のデートのことを思い出す。今日のボヤキ・「藤間紫って素敵な人なんだなあ」今日の一曲『きっと明日も』つじあやの
2002年12月05日
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母にズバリ、「子どもの頃のことを恨んでるんでしょう?」と言われた。それで知ったのだけど、どうやら母は、日々、そのことで思い悩んでいるらしい。過去の自分の私への接し方について、後悔してはいないのだけれども、その結果として、今現在、どこかよそよそしい関係になっている、それは結局ココナツが自分を恨んでるからなのね・・・ということらしい。なので、くっきりはっきり断言した。「絶対、恨んでない」本当に恨んでないんだもの。でも、愛されたかったな、とは思っている。愛されなかったことを恨みはしない。そんなのはしかたないことだから。ただ、愛されたかったな、と思うだけだ。何故、愛されたかったな、と思うかといえば、愛されなかったことが原因で、極端に自分に自信を持てない人間になってしまったからだ。あえて言うけれど、私はこれまで誰からも愛されずに生きて来たわけじゃない。親からも愛されていると、今は、思うし。だけど、子ども時代の長い毎日を、「自分は誰からも愛されてない」「親からすら愛されていない」「それは自分がよっぽどダメな子だからなんだろうな」と感じざるを得なかった環境にいたことっていうのは、やっぱり性格形成の上ですごく大きな影響となっていると思う。普段はそんなことなど特に考えずに暮らしている。だけど、何かあった時に、すとんと落ち込んでしまう。「やっぱり自分のせいだ」と思ってしまうから、自分を信じて闘い続けることがどうもできない。自分の権利を主張し続けることもできない。核の部分がどうにもこうにも脆いのだ。人は、子ども時代に、親から無条件の愛情をもらうことによって、自分の価値というものに対する自信を身につけるのだと思う。その自信って、成長し親以外の人々と接して行くうえで、時に防具になり、時に武器になるようなものなんじゃないかと思う。私はそれを持っていない。とっくに過ぎ去り、手遅れなことを、「欲しかった」などと言っても仕方がないことはわかっているし、それがないならば、別の何かで補えばいいのだということも、わかっている。だから、うまく補えずにいる自分が、ふとした瞬間にすとんと落ち込んでしまう自分が、やっぱり子ども時代の影響なのかな?と思ってしまう自分が、とてもイヤだ。イヤだけど、そうなってしまう。イヤなのにそうなってしまうからこそ、情けなくて、悲しい。いっそ、誰か、私に催眠術をかけてくれないか、と思ったりする。「いっぱい怒られていた。だけど、いっぱい愛されていた」ってふうに、ほんの少しだけ嘘の、記憶をプレゼントして欲しい。なんてふうに、時には弱音を吐きたい夜もある。あーかっこ悪い。いつか必ず、乗り越えてやる。待ってろよ、母。その時あなたの悩みも解消されるだろう。今日の本・『私がいてもいなくても』いくえみ綾今日の一曲『いつか』ゆず
2002年12月04日
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はたち以前の写真を人に見せると、必ずといっていいほど「変わったねー」と言われる。老けたからじゃないですよ(笑)化粧のせいでもありません。そういう変化もあるとは思うのだけど、それよりなにより、顔だち自体が変わったのさ。私の顔は高校生になった頃から変わり始め、20才から23才くらいの間に大変化をし、今に至っている。たまにかつての同級生と街でばったり会うのだけど、毎回、私だと気づいてもらえないし、クラス会でも「あの人、誰?」と小さな騒ぎになったほどだ。よっぽど印象が薄かったのかという気もするけれど、はたちを過ぎてから知り合った人に昔の写真を見せると、「全然、違うよ」と言われるので、やっぱり、かなり違うのだと思う。顔全体が痩せたから、というのが最大の理由。痩せれば顔の形も目も変わるからね。あと雰囲気が変わったのも大きな理由だと思う。私の顔はたぶん普通以上に変化したので、例外になっちゃうのかもしれないけれど、私以外の人だってみんな、大人になるにつれて、大なり小なり、顔立ちが変化しているような気がする。なので、最近、お化粧感覚で、整形(プチ整形)をする人が増えてるようだけど、中高生のうちにしなくてもいいのになあと、よく思う。ましてや小学生でなんて、Oh!No!って感じだ。顔は変わるんだから、まだ子どものうちに手術で一部変えちゃうと、あとでバランスが不自然になるかもしれないよ。大人になってからでいいのにね。でも、そんなに美人じゃなくても、としとってから魅力的な顔になってる人は多いし、しょせん美しさには流行があるし、なんだかんだ言っても、素敵かどうかのポイントは顔の造りじゃなくて、表情のような気がするので、やっぱり、自然が一番のような気がするけどね。まあ、他の人のことはいいや。私は表情美人をめざしてやってくよ。今日のボヤキ・「・・・北朝鮮とオウムって似てないか?」今日の一曲『美人天国』爆風スランプ
2002年12月03日
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12月だ、Decemberだ、師走だーっなので、大掃除開始を決意しました。掃除が下手(と言うか、めんどくさい)なくせして、ぐちゃぐちゃの光景はキライ、というワガママな私です。いつも、やなことは一気にするべし、って感じで、ガーッと大片付け(変な言い方だけど)をしているのですが、一度に頑張り過ぎて、疲れて最後までやりきれないというパターンを繰り返しているので、今回は作戦を変えて、ちまちま行くことにしました。ちょっとづつ、片付いてきた部屋の中を見て、「きれいっていいなあ」と、しみじみ。そうだ、いっそ模様替えしちゃおう、とか、百均で、整理グッズ買ってこようとか、カーテン新しくしちゃおうかなあとか、ウキウキワクワク。というわけで、今、自分の中で、お掃除が最大のテーマ。・・・いつまで続くことやら・・・。でもねえ、思ったのでした。私の最大の苦手は「片付け」そろそろ克服する努力を真面目にしなくちゃなあ、と。まずは、きれいにしてから、そんなに負担じゃない、自分でもできそうなやり方で、きれいを持続して行こうと思っています。片付けがキライでも、ごちゃごちゃが平気な人なら、そのままでもいいんじゃない?って思う。だけど私は、ごちゃごちゃが嫌い。うんざりするし、気分も悪くなる。だったら、キライでも、自分の居心地良い空間を作る努力をしないとね。お手伝いさんをやとえる身分じゃないんだから(笑)明日は、本棚の整理です。今日の本・『根の国の物語』篠田真由美今日の一曲『ヴィーナスの花』イエローモンキー
2002年12月02日
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高校の頃、中学時代には同じクラスでありながら殆ど口をきいたことがなかった子と仲良くなった。「今だから言うけど、中学の時、 ココナツのこと大嫌いだったんだ」ある日、彼女が言った。中学時代の私は、いじめにあってたとか、あからさまな意地悪をされてたわけじゃないけれど、好かれていないことをひしひしと感じていたので、彼女の告白は、特にショックではなかった。「どうして?」のんきにたずねると、彼女はこう言った。「ココナツって、みんなを見下してる感じだったでしょ。 あんたたちみたいなバカとは付き合いたくないって態度で」「こっちから話しかけても、迷惑そうだったし、 そっちから声かけて来ることもないしさ。 そういうふうに思ってた人、他にもいると思うよ」自分はそんなふうに人の目に映っていたのかとびっくりした。その頃、私は、疎外感と、対人恐怖というコンプレックスで悩んでいた。簡単なことで傷ついて、殻に閉じこもって、そっちがそうならもういいよ、私もみんなを拒絶してやるよと思うことで、なんとか、コンプレックスと自分のプライドとの折り合いをつけていたのだった。すぐに傷ついてしまうのは自分が弱いからであって、みんなが悪いわけじゃないんだろうなって思ってはいたけれど、「傷つけられてるのは自分」っていう意識が常にあった。けれど、実際はそうじゃなくて、私の態度で「拒絶されてる」と相手も感じていたんだな、傷つけられたと感じてたのかもしれないんだなと、ほんとにほんとに、驚いたのだった。そんなこと、考えたこともなかったから。結局、人と人の関係って鏡みたいなものなんだなと、その時に気がついた。自分が「あなたのこと好きだよ、仲良くしたいよ」って態度で接すれば、よっぽどじゃない限り、相手は受け入れてくれるのだろう。「私なんかどうせ好かれないし」とか、「今、この人、私のこと変なふうに思ってないかな」とかって、強張った表情でいたなら、相手は、「迷惑なのかな、自分のことがイヤなのかな」と誤解してしまう、なんてことがあるのだろう。自分が拒絶すれば、相手も自分を拒絶するのだろうし。中学時代の私は、自分だけが傷ついているって思い込み過ぎて、他人の気持ちが見えにくくなっていたのだと思う。自分以外の人にも敏感で繊細な傷つきやすい心があるってことが、わかっていなかったんだ。だから、あの頃は、ほんとの友達ができなかったんだろうね。今日の本・『心臓を貫かれて』M・ギルモア今日の一曲『Gentle Land』エコーズ
2002年12月01日
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