2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全30件 (30件中 1-30件目)
1
陳腐な言葉だけど、結局、「愛が地球を救う」のかもしれない。「愛だけが地球を救える」のかもしれない。たとえば、誰かを本気で愛したことがある人は、人の痛みがわかる。誰かに本気で愛されたことのある人は、人に感謝できる。愛し愛されている人は、そのシアワセを誰かにわけてあげたいと思う。人はみんな、生まれつき弱くて愚かでエゴイストだけど、愛だけが、それを飛び越せるような気がする。「この人のために強くなりたい」「この人にふさわしい自分になりたい」「自分が犠牲になったとしてもこの人を幸せにしたい」もし裏切られたとしても、それが本当の愛なら、憎しみよりも、温かい気持ちの方がたくさん残るはず。愛する人にいつもニコニコしていて欲しい、個人個人の、そんな優しい気持ちが、つながりあって行けば、やがては世界中の人たちがみんな、ニコニコして暮らせるというような奇跡が起きるのかもしれない。甘っちょろい理想論だけれども、この世で愛だけが奇跡を起こせる力を持っているのは間違いないからさ、家族の愛。恋人や友達の愛。ペットへの愛。形はなんだって構わない、愛し愛されて生きたいね。今日の本・『残酷な神が支配する』萩尾望都今日の一曲『瑠璃色の地球』中森明菜
2002年11月30日
コメント(2)
幼い頃の思い出の中に、もっとも多く登場する大人は母方の祖母だ。どういう事情があったのか正確にはわからないのだけれど、私は本当にしょっちゅう祖母の家に預けられていたのだ。祖母は孫を猫っ可愛がりするタイプではなくて、母親のように、私に接していたように思う。いっぱい優しくて、でも結構口うるさくて。祖母も仕事をしていたので、育児をするのはたいへんだっただろうけれど、イライラしていた姿って見たことがない。いつも冗談ばかり言っていて、のほほんとしている人だった。両親とは一緒に眠った記憶がないけれど、祖母とは毎日一緒の布団でぴったりくっついて眠っていた。両親には甘えたこともワガママ言ったこともないけれど、祖母のことはよく困らせていた。ある時期から祖母と私は仲良しじゃなくなった。ちょっとしたことがきっかけで、私の中の祖母への絶対的な安心感が揺らいでしまったこと、そして、母から祖母が私のことを悪く言っていたと何度も聞かされたことなどから、「だったら、もういいよ」となってしまったのだった。その後、おじさんの所に子どもが生まれてからは、祖母の関心はそっくりそちらへ行ってしまったので、いつしか私の心の中から祖母の存在は消えていた。正直に言ってしまうと、消していた。大好きだったからこそ裏切られた気がしていた。向こうがその気ならこっちから断ち切ってやるよって感じだった。その後も、たまに親戚の集まりで会うことはあったし、母に電話がかかって来た時には取り次いだりもしていたので、接点はなくなってはいなかったのだけれど、私はいつだってよそよそしい態度だったと思う。一昨年、祖母から、私の家に電話が来た。母にじゃなくて、私あての電話だ。嬉しかった。それでもやっぱり、「今度そっちに行くよ」って言われた時、素直に「絶対泊まって行ってね」ということはできなかった。それから3ヶ月もたたないうちに、祖母は、入院した。胃癌だった。仕事の都合でなかなかお見舞いに行けなかった。いや、無理をしてまで行きたいとは思えずにいた。結局、母に、「もういつ逝ってしまうかわからないから」と引っ張られるまで行かなかった。「強い薬を使っているから、ほとんど朦朧としているの。 もうあんたのこともわからないかもしれない」そう言われながら、病室に入り、そうっと祖母に近付いた。祖母は目を開けていた。母と私が近付いても何の反応もなくて、ぼーっとどこか遠くを眺めているみたいに見えた。もともと小さかった体が、ひとまわりもふたまわりも小さくなっていて、そのやせ細った腕につきささる点滴の針は、目を背けたいくらいに痛々しかった。3ヶ月前にはあんなに元気に電話で話をしていたのに。悲しいとかじゃなく、なんだか不思議な気がした。やがて、何も言葉を発することができなくて立ちすくむ私のかわりに、母が祖母の体をとんとんと軽く叩き、「ココナツがきたよ」と言った。その瞬間、ぼんやりと漂っていた祖母の目の光に力が戻った。それは本当に、まるで誰かが魔法をかけたんじゃないかってくらいの変化だった。それから祖母は私を見つめて、にっこりと微笑んだ。とても懐かしい笑顔だった。ずっと抱えていた祖母へのわだかまりが、一瞬にして消えてしまうような、あたたかい笑顔だった。「ああ、私、おばあちゃんに愛されていたんだ」って、素直に、そう思えた。その途端、ふざけあいながらお風呂に入ったことや、私のわがままを困った顔で聞いてくれたこと、おいしい白玉だんごを作ってくれたこと、ぎゅっと抱きしめてくれたこと、いろんな思い出が溢れ出してきて、鼻の奥がつんと痛くなった。つまらないことで意地をはっていないで、もっと仲良くすれば良かった。もっと大事にしてあげれば良かった。可愛くない孫でごめんなさい。せつなくて、悲しくて、涙が止まらなかった。今、思い出しても、泣きそうになる。祖母のあの笑顔は一生忘れられないと思う。忘れたくないと思う。今まで見た中で、一番美しい笑顔だったから。今日の一曲『やさしさに包まれたなら』荒井由実
2002年11月29日
コメント(2)
電話を切った直後、一体なんなのさと溜息が出た。前の職場で一緒だった友人に対して、最近、やけに複雑な気持ちになっている。思えば、彼女は、以前から怪しかった。「私は友達を絶対裏切らない」とか言うわりに、自分から提案した決め事をやぶるし、しょっちゅう仕事を休み、その理由が毎回、どうも信じがたいものだったり。ごく最近もそんな感じで、「会おう」と電話が来て、用意して待っていたら、直前に「ごめん、具合悪くて行けない」と断りの電話が入る、なんてことの繰り返し。この前は、息もたえだえの声で電話がかかって来て、変態電話かと思ったら彼女だった。いくら病気にしてもこんな声を出すなんて様子がおかしい、もしかして体じゃなくて気持ちの具合が悪いのか?と心配してたのだけど、その次会った時の会話の内容からいって、どうも約束やぶってパチンコ行ってたっぽい。ずる休みしようが、約束をやぶろうが、私は別にどうだっていいのだ。いやどうでもよくないけど、それは、友達だったら許せるって範囲内のことだから。だけど、嘘をつかれるのは、いやなんだ。寂しいじゃん。他にも、詳しくは書かないけれど、どうも嘘っぽくないか?と感じることが、頻繁にあったりする。もしかして、虚言癖ってやつか?こんな気持ちで友達関係をやってくのは、相手に対しても失礼だと思うので、距離をおいた方がいいのかなと最近思っているのだけど、だけど同時に、彼女が自分を必要としているような気がして。「なんか嘘くさい」ことをのぞけば、私に対してとても優しくて、一緒にいると、この人すごく気を使ってくれてるな、というのをビシバシ感じるのだ。彼女は誰にでも愛想をふりまくタイプでも、そう親切なタイプでもない。同じ職場にいた時も、私にだけ、過剰なほどに優しかった。どうして私なのかはわからなかったんだけど。今もわからないんだけど。とにかく、そういうことのいろいろをトータルして考えると、嘘も、嫌われたくないからついてる嘘のような気がして。私は彼女が親切だから仲良くしてるわけじゃないし、ずるくてもなんでもいいんだけどな。一生懸命「いい人」にならないでくれた方がいいな。嫌われるかも・・・なんて心配しないでくれた方がいいな。でもそれを口に出すと、彼女のプライドを傷つけてしまいそうだから躊躇してる。もしかして自分の誤解かもしれないし。まあ、そんなわけで、近頃、私の心は複雑なのだ。今日の本・『わたくしだから改』大槻ケンヂ今日の一曲『ラストクリスマス』ワム!
2002年11月28日
コメント(3)
大人という言葉。きっとそれぞれにとらえかたが違うと思うのだけど、私は、大人になるって、子ども時代に持っていた何かを失うこと、ではないと思っている。むしろ、子ども時代に持っていたものにさらにいろんなものが増えて行く、という素敵な可能性を秘めたことのような気がしてる。じゃあ大人ってなんだろう?私は、自分の足で歩こうとしてる人のことだと思う。自分の感覚や価値観で物を考えたり、自分の言動に責任を持ったりをしなくちゃいけないんだって、思っている人のことのような気がする。夢みたいな理想を追いかけてたって、器用に世の中を泳いで行けなくたって、弱くて傷つきやすくたって、失敗ばかりしていたって、自分の人生は自分のものなんだから、自分がなんとかしなくちゃいけないのだと自覚している、ということが大人であるということなんだと思う。けれど、失い続けるだけの大人は、魅力がない。私は、かつて子どもだった頃の自分を内包した大人に、なって行きたい。つまんない大人じゃなくて、いかした大人にね。今はまだ、子ども部分の比重ばかりが大きくて、年齢のわりに大人になりきれていないけれど、昨日を振り返り過ぎてせつなくなる日もあるけれど、ちょっとづつでもいいから、いかした大人になって行けたらいいな。今日の一曲『いつも何度でも』木村弓
2002年11月27日
コメント(4)
私たちは二人して臆病で傷つきやすかった。コンプレックスの塊でもあった。だから、お互いがお互いに対して、いつも優しかった。私は彼を甘やかし、彼も私を甘やかした。弱い部分、駄目な部分を、肯定しあい、許しあっていた。二人一緒の時間は、なじんだ毛布みたいに、居心地の良い時間だった。何も無理しなくていい。ありのままの自分でいることが許される唯一の場所だと、お互いにちゃんと自覚していて、だからこそ、ずっと一緒にいようと、約束をしてもいた。十代の後半という誰にとっても不安定な時期を、私たちは手を繋いで乗り切った。私は彼の存在に、彼もまた私の存在に救われていた。自信をなくした時には、相手の自分に対する想いを確認することで自分の価値をも確認し、周囲に流されそうになった時には、相手の言葉が自分の中の曖昧で無軌道な衝動を止める歯止めとなった。十代にありがちな空虚な気持ちに襲われた時にも、相手との未来に想いをはせることで生きてく気力をとり戻した。「双子」という言葉を好んで使っていた私たちは、家族のような、親友のような、二人だった。嬉しかったこと、傷ついたこと、大好きなもののことや、素敵なものを見つけたこと、友達の話も趣味の話、学校の話、なにもかも、報告する相手は彼だった。彼にとっても、私だった。「あなただけが(きみだけが)自分を理解してくれる」そんなふうに、信じていた。五年目、私たちは二十歳になった。それぞれに大人にならなくてはいけない時期に来ていた。なじんだ毛布にくるまってばかりじゃいられない時期に来ていた。外の世界で、うまくいかなったこと、傷ついたことを、それまでだったら、ただ相手に慰められてそれでよしとしていたけれど、それだけじゃ済まされないのかもしれないと気づき始めていた。彼も私も、相手を甘やかし過ぎていた。過保護の親のように「駄目な子ほど可愛い」と思っていた。たとえば彼は私の、人に対して臆病なところが好きだった。たとえば私は彼の、子どもじみた頑なさが好きだった。それらはどちらも、外の世界では通用しないことだった。外の世界でやってくために、私は人に対する臆病さを克服しようとした。彼もまた子どもじみた頑なさを克服しようとしていたのだと思う。だけどお互いの口から出る言葉は、「変わっちゃったね。前のあなたが(きみが)好きだったのに」だった。このままの自分じゃいけない、無理してでも変わらなくちゃいけない。そんな時、今のままでいいよと優しさに包まれることは、それはいいことなのかな?と考えるようになった。もしかして、私たち、一緒にいたら駄目になる?嫌いになったわけじゃない。最後の最後まで、大好きだった。特別の存在だった。それでも、離れなければいけなかった人だった。今日の本・『ノルウェイの森』村上春樹今日の一曲『スペシャルボーイフレンド』ゴーバンズ
2002年11月26日
コメント(7)
人に何か頼むのがとても苦手だ。頼むことでエネルギーを消費するのもバカみたいなので、たいていのことは、自分でやってしまう。自分ではできなくて、でも誰かにやってもらわなくちゃいけない、という時、気が重くてしょうがない。とりあえず、能天気を装って、明るく頼んではいるけれど、内心、思いっきり、どよーんな気分だ。「自分ばっかり得しちゃってさ」と思われそうでイヤなのだ。誰かに何か仕事を頼むのだとしたら、自分はその人以上に多く仕事をしなくてはいけない気がする。「図々しい人だね」と思われるのもイヤなのだ。申し訳ないと思ってることをアピールしなくちゃ、してもらった後は感謝の気持ちをまたまたアピールしなくちゃと思う。嫌われるのは平気なんだけど、嫌われる理由についてはおおらかになれない。「ずるいから」「図々しいから」「無能だから」こういうのはどうもイヤだ。嫌われなくてもこういう評価をされること自体、勘弁してよって感じだ。なので、私は、人の前では働き者だ。無理して働き者だ。それで身も心もクタクタに疲れてしまうせいか、一人になると、とんでもなくなまけものだ。バランス悪いなあとよく思う。ちゃんと働かない人に、気安く文句つけるわりに、変な所が小心者だよなあとも思う。今日の本・『天人唐草』山岸涼子今日の一曲『ゲンキ力爆弾』種ともこ
2002年11月25日
コメント(2)
育った境遇や、性格などなどを、親から「あんたは普通じゃないんだから」と言われて育った。親がそういうことを言う時、必ず、そこには、「普通じゃないんだから自重しろ」みたいな意味があったので、普通の人は余計なことにわずらされることがないから気楽でいいよなあ、と思っていた。別に憧れはしないけど、生きてくうえでは「普通」の方がお得な感じよね。「普通」=無個性、「変わってる」=個性この図式はちょっと違うと思う。個性っていうのは、その人らしさのことなので、普通だろうが普通じゃなかろうが誰にでもある。と言うか、ない人はいない。活かしてるか活かしてないかは別として。普通っていうのは、簡単に言っちゃえば多数派のことなんだと思う。離婚天国な国、一人っ子ばかりの国じゃ、私が普通。平均身長が低い国では私が普通。考え方や感覚だって、そうだと思う。たまたまここに生まれたから普通じゃないだけのこと。ま、とにかく「普通」っていうのは流動的なもの。なので、私は、多数派に属しているからってだけで、自分は偉いのだみたいな態度の人を見ると、むかっぱらがたつ。多数派なんか、ただ単に仲間が多いから過ごしやすいだけのものなんじゃ・・・?そんなことばかり考えて育った私は、やたら少数派に肩入れしちゃうひねくれ十代を過ごし、今は、どっちだっていいじゃーんな日々。今日の本・『月と雲の間』岩館真理子今日の一曲・『ミス・ブランニューディ』SAS
2002年11月24日
コメント(2)
何年か前にビデオが壊れて、新しいものを購入した。SONYの比較的お値段安めのやつね。その時「お持ち帰りになりますか」と言われて、私は「そんなバカな」と思いつつ、試しに持ってみて「あら、行けそう」と驚いた。軽い。うちにあった年代もののビデオ(実家からもらった)は、とてもじゃないけど持てる重さじゃなかった。軽くなったんだなあ、進化してるよなあ、と、しみじみ。これまた、数年前、MDコンポを購入した。CD、カセットも聴けて、スピーカーもちゃんと2個ついてる普通のやつね。その時も驚いた。軽い。もともとうちにあったやつは、10年ほど前の品で、レコード、CD、カセットが聴けるもの。プレーヤーごとに分離できるんだけど、一個づつ持っても、うぎゃーと言いたくなるほど重い。軽くなったんだなあ、進化したんだなあ・・・。でも、実際使ってみて思ったんだけど、ビデオもコンポも、新しいものの方が音がちゃっちいような気がする。古いものの方は重量だけじゃなく音も重たいのさ。ちなみにどちらもパイオニア。ステレオ。なんでなんだろう。昔のものの方がつくりが丁寧なのかなあ。昨日、古い方のコンポで、ひさびさにレコードを聴いてみて、「CDより音いいじゃん」と思った。今日の本・『小耳にはさもう』ナンシー関今日の一曲『カーマは気まぐれ』カルチャークラブ実は大好きな歌、カーマは気まぐれ(笑)
2002年11月23日
コメント(2)
週刊誌やワイドショーで話題になっていたことで、本人が記者会見して、「え、ほんとだったの?」と思うことが数多くある。自分でもどうしてなのかわからないのだけど、私には噂の類を、あらかじめ眉唾と決めてかかってしまう所がある。それは日常生活でも同じで、たとえば誰かが誰かの悪い噂をしているのを聞いても、「じゃああの人にはかかわらないでおこう」と思うことがない。むしろ、悪い噂をたてられて気の毒に、誤解されやすい人なのかも、などと同情的になってしまう。自分で見聞きしないと判断できないから、と言うと、なにやら立派なポリシーのような感じだけれど、私の場合、極端すぎるような気がする。冷静に判断するとか保留するとかじゃなく、頭っから否定しちゃってるわけだから。大体、ポリシーにそってそうしてるわけじゃない。おかげさまで、しょっちゅう、「ほんとだったのー?」と、びっくりしている。びっくり人生だ。また、これは噂じゃないのだけれど、恋愛において、相手がたとえば他の女の子の存在をほのめかしたり、別れたさそうなことを言った時も、私は「またまた冗談ばっかり」と思ってしまう。ぬきさしならなくなってから、「ほんとだったのー?」おバカさんである。今日の本・『おおいなる遺産』ディケンズ今日の一曲『クリスマス・イブ』山下達郎
2002年11月22日
コメント(4)
自分にとって、愛は、ご飯みたいなものだったりする。愛がないと飢餓状態だ。元気に生きられない。へなへなだ。おなかがすいてると、仕事どころじゃないでしょ。考え事どころじゃないでしょ。「なんか食わせろ」しか考えられなくなっちゃうでしょ。私にとって愛はそんな感じ。愛がないと、「愛が足りない。愛、くれ」しか考えられなくなってしまい、他のことがさっぱり手につかなくなってしまう。逆に充分に愛が足りてる状態だと、愛がなくてペコペコだった時のことなんかすっかり忘れてしまい、他のことで頭がいっぱいになっている。愛が足りてると確信してる時、私は、相手に電話もしなければ、会いたいと言いもしない。もちろん、会いたくないわけじゃないのだけれど、本を読んだり、友達と遊んだり、音楽聞いたり、その他いろいろやりたいことがいっぱいあるから別にいいや、と思ってしまうのだった。愛に満ち足りて元気がみなぎってる今こそ、がんがん活発に行動しなくっちゃって感じなのだ。相手が淋しがってるようなら、飛んで行くけど、そうじゃないなら、あなたもいろんなことを楽しんだらいいよって思う。その方がいいと思う。そういうところを、「俺のことをほんとに好きなのか、きみは」と思われたことがあった。「つめたい性格だ」とも。その延長で、しまいに恋が壊れた。私の愛情に不安を感じてしまった彼は、他の、もっと自分を熱烈に愛してくれる人に走ってしまったのだった。愛を失い、飢餓状態になった私は、朝も昼も夜も彼のことしか考えられなくなった。「愛、愛、愛。愛を手に入れるためならなんでもする」ってくらいになった。だって飢餓状態だから。それでしばらくたって、愛を取り戻したのだけど、落ち着いてくると、なんか無理があるかも、と思うようになった。近い未来に、また同じはめになるだろうという予感というのか。つまりは、私にとって愛はご飯。生きてくために、何よりも大切なもの。ではあるけれど24時間、ご飯を食べていたいとは思わない。ご飯食べてるだけの一生を送りたいとも思えない。冷たいと思う人もいるかもしれないけれど、私はこういうふうにしか愛をとらえられないし、これはこれでいいのではないかと思っている。でも相手にとっての愛が、そういう形じゃないのだとしたら、・・・駄目じゃん。組み合わせ的に。どういう愛の形が正しいかなんて答えはないんだけど、付き合うのなら、似た形の方がいい。似た形じゃなくちゃ続かない。今日の本『八月の降霊会』若竹七海今日の一曲『気まぐれロメオ』ザ・プライベーツ
2002年11月21日
コメント(2)
手紙を毎日書いていた時期があった。付き合っていた人への手紙。三日に一度くらいは会っていたので、ポストに入れるのではなくて、手渡しする手紙だ。会えない時に手紙を書くのが好きだった。授業中、眠る前、いろんな時に。手紙を書いていると、その人と一緒にいるような気持ちになれるから。照れ屋な私には、口に出して言えないことがいっぱいあったから、彼の方も、私の気持ちを知ることができるという意味で、喜んで受け取ってくれていた。今日はこんなことをしたね、こんな話をしたね、なんてことも書いていたから、「アルバムみたいなものだね」と、大切に保存してくれてもいた。そんなふうに何百通、手紙を書いたことだろう。私たちの間で、手紙は、大切なコミュニケーション、思い出の証。いつだって心をつなげるアイテムだった。だけど或る日、手紙は心を引き離すアイテムに変わった。「なんだかこの頃あなたの気持ちがわからないよ」そんな書き出しで、独り言みたいに、「離れた方がいいのかな」「あなたのことが好きなのかどうかわからない」なんてふうにぼやいた手紙だった。彼はその手紙によって、傷ついて、悩んで、考えあぐねて、さよならを決めたのだと言った。ちょっと弱音を吐いてみたかっただけだったのに、彼は、手紙=本当の気持ちと思い込んでいるようで、すっかり自信をなくしてしまったみたいだった。「手紙」を大切にとらえていた彼にとって、したためられた文字は、私が考えていた以上に、重たさを持っていたのだと思う。あんな手紙、書かなければ良かった。文字は口に出した言葉よりも重たいのだと気づかずに、会話するみたいな感覚で書いていたことを後悔した。それからまた新しい恋を始まった。相変わらず照れ屋の私は、新しい彼にもやっぱり手紙を書いた。前の時の失敗を忘れたわけではなかったけれど、本当に伝えたいことをわかってもらうという意味では、やっぱり手紙は有効だと思っていたのだった。今度はそんなにたくさんは書かなかった。恥しさや時間の問題で、口に出してはなかなか言えないけれど、この気持ちを伝えたい、って時くらいしか書かなかった。或る日、彼が、おまえは卑怯だと言った。「口に出して言う勇気がないのなら、手紙も書くな」言いたい気持ちは、声に出せ。きびしいな、と思った。「俺は、おまえの気持ちが知りたいけれど、 一方的なひとりごとを読みたいわけじゃなくて、 おまえと話がしたいんだ」そこに至って、私はあることに気がついた。「私・・・手紙もらうの苦手・・・なのよね・・・」友達からの手紙はまったく別だけど、ラブレターも彼からの手紙も実は苦手なのだった。封を開く手が震えるほどだ。なんだよなんだよ、一体なにが書いてあるんだよ、と、変な緊張してしまう。読み終わって思うのは「そんなら言ってよ」熱い愛の言葉なんか書いてあったりすると、うひゃーとそこら中走り回りたいような思いに襲われる。自分がそんななのに文句言えるはずがなかった。というわけで、私は手紙を書かなくなった。気持ちをうまく伝えられず、困ることもあるけれど、手紙で失敗ってこともない。そうして、言いたいことを声に出す勇気、ちょっとはついて来たみたい。ところで、何百通も彼へ手紙を書いてました、と書いたあとで、こんなこと書くのもどうかと思うのだけど、私は仲間内で、「手紙を書いてもさっぱり返事をよこさない奴」として有名だったりする。
2002年11月20日
コメント(5)
二人で夜の石段にこしかけておしゃべりするのが日課だった頃、彼は時々、ひとりごとみたいに、「せつないな」って呟いていた。十代の頃。その時の私は彼の言葉の意味がわからなかった。私たちは好きあっていて、何の障害もありはしなくて、未来だってどこまでも広がっているのに、どうしてせつないの?意味がわかったのは、それからしばらくたった頃。好きって気持ちが増えすぎて、心の器からあふれてしまうほどになった時、好きあっているのに、何の障害もないのに、未来に不安もありはしないのに、胸がはりさけてしまいそうにせつなくなった。彼のちょっとした仕草や何気ない言葉。たとえば時計を見たり、あくびをした瞬間、そんなことの、いちいちに敏感に反応してしまう。ずっと好きだよって言葉、のんきに喜んでられなくて、こんなに幸せでどうしよう幸せすぎて不安だよって思ってしまう。あとどのくらい一緒にいられるんだろう?今度会えるまでどのくらい我慢したらいいんだろう?ああ、でも駄目。そんなこと言ったら、めんどくさい子だって思われてしまうかも。重たいよって嫌われてしまうかも。会えない日には、今頃なにをしているんだろう?私のことを思ってくれてるのかな?ひょっとして他の女の子に目移りしてないかな?ほんの1gでも他の子を好きと思っていたなら悲しいな。そんなことばかり考えている。好きで好きで、大好き過ぎて、なにもかもがせつない。こんなに苦しいのなら、いっそ離れてしまえばいいのかな?って思ったり、彼の彼女ってパスポートを失う方がもっと苦しいやって、思い直したり。恋って、せつない。せつなくて、苦しい。逃げ出してしまいたいくらい、苦しい。だけど、二人一緒に、同じタイミングで、「好きで好きで、大好き過ぎてせつない」って気持ちなのだとしたら、二人一緒に、苦しさを乗り越えられるんだよね。今日の本・『ラブレター』姫野カオル子今日の一曲『tears』Fayrey
2002年11月19日
コメント(6)
ロックを体が求めてる。心が、か。なので聴きまくった。ブルーハーツ、モッズ、スライダース、イエモン、hide、RC、ルースターズ、BOφWY、レッドウォーリアーズ、ウルフルズ、シーナ&ロケッツ、ボガンボス、真心ブラザース・・・よし。今日の私はロックなココナツだい。
2002年11月18日
コメント(5)
いろんなことを真面目に考えてたら疲れてしまった。考えるの、めんどくさくなって、まあいいやって、それが答えになってしまった。これが私の悪いところ。まあいいや、悩んでもしょうがないから棚上げしておこう、そんなふうに幾つものことを解決してきた。解決したつもりになって逃げてきた。最後までしっかりと向き合わないから、しばらくたってまた同じことにぶつかってしまう。同じことの繰り返し。いやなことから目をそらして、苦しいことからトンズラ決め込んで。だけど心が壊れるよりはましじゃない?死んでしまいたくなったらたいへんだから、絶望に思いがいたるまえに逃げるんだ。なんて自分にいいわけしたりして。逃げて逃げてどこまで逃げられるんだろう行き止まりまで、あとどのくらい残ってるんだろう。いつから私、こんな情けない奴になったんだ?「生まれつき」なんていいわけはきかない。今日の一曲『激しい雨が』The MODS
2002年11月17日
コメント(3)
レベッカを聴くと高校時代を思い出す。ガールズブラボー!な毎日だったから。毎日のように、制服のまま、街をぶらぶらして、ファーストフードのお店で、ミントチョコやフライドポテトを食べながらお喋りに夢中。突然思いたって、公衆電話のボックスに、みんなして入り込んで、誰かの片思いの子に電話してみたり。よくお泊り会もした。ペットボトルのジュースと袋菓子をたっぷり買い込んで、お気に入りの音楽をかけながら、寝ないでお喋りして、夜明け頃に「おなかがすいたね」とカップラーメン食べて。「あーまた太るよ」とダイエットを誓い合ったりした。みんなで一緒にバイトしたり、高校生クイズ(笑)に出てテレビに映ろうと躍起になったり、文化祭りではおそろいの服で踊ってみたり、ライブに行ったり、海に行ったりなんてこともした。私たちはみんな、好きな男の子のことと、おしゃれのことで頭がいっぱいの、能天気な女の子たちで、「それのどこが悪いわけ?」みたいに、いつもはしゃいでた。仲間内で一番地味だったのが私。「ほら、おいでよ、ココナツ」って感じで妹扱い。私が失恋をした時、「あったま来た。直談判してやるっ」と、私より怒ってくれたこと、嬉しかった。ほんとに彼の家まで行っちゃうとは思わなかったけどね。窓に小石をぶつけ出した時、あせって、一人で逃げてごめんね。本当に、毎日がお祭りみたいだった。サンキュ。今日はそんな仲間の一人のお誕生日。ああそういえば、偶然にも、みんなみんな誕生日がこのあたりだったんだ。おめでとう。おめでとう、みんな。今年もスーパーガールなあなたたちでいてね。今日の一曲『ガールズ・ブラボー!』レベッカ
2002年11月16日
コメント(4)
十代の自殺のニュースを見ると、いつも、「今は永遠じゃないんだよ」と思う。悩んでるまっただなかにいる人に、そんなことを言っても詭弁にしか聞こえないだろうけど、でもほんと、今は永遠じゃないんだもん。私はいっぱい知ってる。十代の頃には、いじめられたりなじめなかったり、憂鬱でぱっとしない毎日を過ごしてたけど、大人になってから輝きだした人。その反対に、十代の頃はラッキーハッピーウッキッキーと過ごしてたのに、大人になってからくすんでしまった人も。もっとも、そういう人も、もしかしたらもっと時が経てば輝きを取り戻すのかもしれない。つまり、今は、永遠に続かない。ましてや十代ならば、絶望するには早すぎるよって思う。たとえば、いじめられたりバカにされたり傷つけられたり。ふられたり。相手へのあてつけで自殺する人もたまにいると思うのだけど、私は最大の復讐って、その相手よりも幸せになることなんじゃないかなあと思う。ふられたのなら、「ふらなきゃ良かったー」と思わせることが復讐かな、と。相手が「やっぱり好きなんだよ」と言ってきた時に、にっこり笑って、「もう遅いよ。恨むなら見る目がなかった自分を恨んでね」って答えて復讐完了。なんて、どうでしょう。今日の本・『風の万里 黎明の空』小野不由美今日の一曲『イージューライダー』奥田民生
2002年11月15日
コメント(4)
人を好きになると、なじんだ毛布みたいになって、その人をくるんであげたいな、と思う。冷たい風から守ったり、ぐっすり眠れるようにポカポカ温めたりしてあげたいなって。そんなふうに思うのって、きっと、自分がそうされたいからなんだろうな。私には親が子どもにあげるような愛情を、至上の愛と思っているようなところがある。無条件で永久不滅で見返りを求めない、包み込むみたいな大きい愛。欲しけりゃ、まずは、自分がそうしなくっちゃ!という感じなんだな、私はきっと。ある意味、せこいのかもしれません。でもそれは内緒。今日の本・『秘密の花園』松本隆今日の一曲『おやすみ』小泉今日子
2002年11月14日
コメント(0)
冬の必需品。私の場合はマフラーです。学生時代から、と言うか子どもの頃から、ずーっとマフラー愛用です。箪笥の中には色とりどりのマフラーたち。マフラーなしじゃ北風に吹かれることはできません。手袋なくともマフラーです。一番好きな巻き方はぐるぐる巻き。なで肩なので、がっちり巻いておかないとずり落ちてしまうのさ。そうは言っても流行は気になる。ぐるぐる巻きは数年前に大流行しちゃっただけに、今やるとちょっとかっこ悪い。軽く巻いて背中に長くたらーんと下げるやつが流行ってるし。なので無理してそれにしようかなと思っていたところに、こんなニュースが。「長めのマフラーがからまって窒息死」怖い。怖すぎる。以前、「厚底で足首骨折」のニュースを見た時は、ケッて感じで履き続けたけれど、骨折とマフラーじゃ恐怖感が大違い。なのでやっぱり今年もぐるぐる巻きで行きますわ。今日の本・『オススメボーイフレンド」いくえみ綾今日の一曲『二人のハーモニー』宮沢和史&矢野顕子
2002年11月13日
コメント(0)
いつも、男だからとか女だからって言い方は嫌いだとかなんだとか、言っている私だけれど、実を言うと、「俺は男だぜ」ってタイプが好きだ。男はこうあるべし、みたいな、時代錯誤なポリシーを持ってる人が好きなのだ。そうじゃないタイプと付き合えば、「それって男尊女卑!!」と怒るはめにもならないのに、そういう人にはときめかない。掃除洗濯裁縫料理、男でもどんどんやっちゃうような人と一緒にいれば、きっと楽だろう。「きみのやりたいようにするといいよ」と、なんでも私の意思を尊重してくれる人と一緒にいれば、きっと気持ちが良いことだろう。でもなぜか、それだと、物足りない。男のくせに人前で泣くのはかっこ悪い。男のくせにあたふたするのは情けない。男だったら相手の動向気にしておろおろしないで欲しい。男だったら強くいて欲しい。せめて強くなろうとしていて欲しい。そんなふうに思ってしまう自分こそが、「男だから」の考え方にとらわれているよなーと、情けなくもあるけれど、かっこいい人が好きなんだもん。今日の本・『壬生義士伝』浅田次郎今日の一曲『トコトンで行こう』ウルフルズ
2002年11月12日
コメント(3)
世の中には要領が良い人がいる。私はいつも「いいなあ」と思う。童話や小説とかじゃ、よく、要領が良い人はずるくて要領が悪い人は心がキレイ、みたいに書いてるけれど、私はそんなことはないと思う。あれはきっと書いてる人が要領悪いタイプなんだろう。作家って要領悪い人がやりそうな仕事だし。自慢じゃないけど、私はほんとに要領が悪い。お世辞とか、自分を良く見せることとか、言えない。思ってないのに「楽しいです」とか言えない。不愉快さをさらりと流すこともできない。褒められたら一応謙遜するのが良いんだろうと思いつつも、「まあねっ」って思ってるのに謙遜するなんてできない。そういうポリシーがまるでないとは言わないけれど、特別こだわっているわけじゃない。要領良く立ち回った方が、雰囲気も相手も良い気分、って場合っていうのは確かにあると思うので、そういう時は「要領良くなりたいよ」と強く思うし。高校時代の担任は、「ココナツーおまえってトムみたいだね」と言っていた。『トムとジェリー』のトムだ。要領悪いやつの代表格だ。トム・・・嬉しくなかったー。だってトム、アサハカでおバカさんで、そのうえ可愛くないし。ジェリーは、賢くて可愛い。ジェリーになりたかった。どう考えてもジェリーの方がいい。こずるい顔をしても可愛いぞ、ジェリー。だけど私はトム。しょうがないね、ジェリーよりトムが好きって人を探しましょう。今日の本・『空くんの手紙』小田空今日の一曲『夢先案内人』山口百恵
2002年11月11日
コメント(0)
自分の気持ちをうまく言葉にできない。口に出してだと、人と接していることからなる諸々の緊張から、(大きな緊張ではないにしても)純粋な言いたいことをそのまま伝えることができない。こうして文章に書いたなら、気持ちをどんどん言葉にできるのだけれど、普段特に意識していないような奥の部分までもが見えてきて、今度は気持ちがあふれすぎてしまうから、やっぱり、正確に気持ちを伝えられてはいないような気がしてしまう。きっと、誰もがそうなのだと思う。完全に心をわかちあうということができないという意味で、誰もがみんな孤独なのだと思う。だから人は抱きしめあったりするんだろうか。大好きな人の心臓の音や体温を感じながら、ぼーっとしてる時、孤独を忘れる瞬間がある。今日の本・『国境の南、太陽の西』村上春樹今日の一曲『僕の中の少年』山下達郎
2002年11月10日
コメント(4)
ガーン・・・な時、私はいつも、別に平気さって顔をしてしまう。「よくあることだよねー」「悩んでてもしょうがないしー」「死ぬもんでもないしー」「ま、元気出して頑張るさ」「ところで、この前のあのドラマ見たー?」などと、相手が言葉に逡巡している間に、一人でベラベラ喋って、話を解決させてしまう。心の中は、ガーンガーンガーンでも、そうなってしまう。前に、そうやってベラベラ喋って、「はっはっは」と笑っていたら、「もっと真面目に物事考えたら?」と、付き合っていた彼に、怒られた。「考えてもどうしようもないから、 やけくそで明るくなってんだ」と、頭に来た。「それくらい、私を好きなら、察してよ」と思った。だけど、もしかして、「強がるなよ」とかって言われたとしたなら、やっぱり私は腹を立てるのだろう。「強がってないよ。もともと強いんだよ」「いいから、俺の胸で泣きなさい」なんて言われたとしたなら、「バカじゃないの」とパンチしてしまうことだろう。どっちにしろ、駄目なのね。あー、あまのじゃくな私。今日の本・『九つの殺人メルヘン』鯨統一郎今日の一曲『あまのじゃく』斉藤由貴
2002年11月09日
コメント(2)
私は親のふりかざす「常識」が大嫌いだった。道徳的に、そりゃそうだという「常識」のことじゃなく、世の中ってそういうもんだから、という類の「常識」ね。「でもさあ、インドやアフリカじゃ、 それって常識じゃないわけでしょう?」と思ってしまう。それを言うと、母はいつも、「じゃあインドに行きなさい」と怒っていたけれど。それもそうだ。「なんで私がインドに行かなくちゃいけないんだよ。 変な常識がまかり通ってる世の中が悪いんだから、 世の中が変わるべきだよ」そう言う私に、母は、「じゃああんたが変えれば」と、冷たく言い放っていた。まったくそのとおりだ。私はそんなふうに、なにかと理屈っぽいことを言う子どもだった。親に注意されても、それが注意だと思わずディスカッション(笑)のように思っていたので、いちいち面倒なことになった。親は口ぐせのように、「親をバカにするな」と言っていた。バカにしているつもりはまるでなかったが、親からすると、そう感じてもしかたなかったかも、と思う。つまり、何が言いたいかというと、私は時々、このHPで、自分は親に可愛がられずに育った、と書いているけれど、それは一方的に親が悪かったわけじゃない、ということだ。親が人間的に駄目な奴だったわけでもない、ということだ。もし私が親でも、こういう子が娘なら、腹が立つかも、という気がするほどだ。世の中には、子どもを愛せない親がいっぱいいるようだ。私は、親が子どもを愛するのは当たり前なんて思わない。そりゃあ愛するのがベストだけれど、親子でも相性がある。子どもの側に問題がある場合もあれば、どうしようもない場合もある。私の親は、私を可愛いと思えないことで悩んでいた。ひどい暴言を吐いたり、ボカスカ殴ったりする親だったけれど、そのことで本人もまた苦しんでいた。私はそのことを知っている。若くして私を産んだ母は、「年が近い親子だから、 あんたとは友達みたいになりたかったんだ」と、よく言っていた。テレビを見ながらおしゃべりしたり、一緒に編み物なんかをしたり、おしゃれの話で盛り上がったり。たぶん私じゃない子が娘だったら母の望みは叶ったことだろう。そういう意味では、気の毒なのだ。また、母はよく、「あんたは私の味方になってくれない、薄情だ」と嘆いてもいた。私は母から父の愚痴を聞かされても中立的な態度を崩さなかった。「向こうにも事情があるんじゃないかな」というふうな返事ばかり。間違った返事じゃないけれど、血を分けた娘に言われて嬉しい言葉でもないだろう。たぶん、「うんうん、わかるよ。ひどいよね」とでも言っていたなら母のストレスは軽減していたはずだ。そうしたら冷静に自分を見つめる心の余裕ができて、悪い所は悪いと治していけただろうし、そうなったら事態は良くなっていたかもしれない。自分に非がある、ないの問題じゃなく、ただただ自分の味方になって欲しいという気持ちがあることを、あの頃の私は理解していなかった。私はただ、経験のともなわない正論をふりかざす、理屈っぽいガキだった。そんなガキでも愛せる親は世の中にはいっぱいいることだろうけど、愛せなくても無理もない、と私は思う。私の母は、決して、ひどい人間なんかではなかった。正直で、責任感があり、努力家だった。花を愛でて、小さな生き物を可愛がる人でもあった。自分を愛してくれなかった親に、家を出てからずっと、月々何万円ものお金を送り続けた人でもあった。職場では、患者さんに頼りにされる、優しい看護婦さんだった。どんな子どもでも思いっきり慈しみ愛せる人もいるだろう。それは素晴らしい「母」だと思う。私の母はそういう意味では「ダメ母」だった。だけど、それとは別の部分で、素晴らしい部分をたくさん持った人だった。だった、だった、と過去形で書いているけれど、母は健在だ。私は母を、人間的に、尊敬している。叶わないな、と思っている。彼女は、私が知っている人間の中で、一番誠実で、一番の頑張り屋さんである。今日の本・『小さな祈り』紡木たく今日の一曲『スワロウテイルバタフライあいのうた』 YEN TOWN BAND
2002年11月08日
コメント(4)
生まれ持った性格と環境とが、複雑に絡み合った時、人を殺すことに躊躇しない性格ができあがる場合がある。雑誌『新潮45』編集部による『殺ったのはおまえだ』という、ノンフィクションを読んだ。比較的最近の、世間をにぎわした幾つかの事件の、加害者の家族などにインタビューをしたものだ。たとえば『池田小学校児童殺傷事件』『月ヶ瀬村事件』『池袋通り魔事件』『尼崎児童虐待事件』などなど。クールな視点で、人道的な意見や被害者への哀悼の意を、比較的排除して、「なぜ、このような人間(加害者)ができたのか?」を追求したレポートになっている。そういう意味では、この本の趣旨を理解しかねる人は、読んで、不愉快になるかもしれないとは思う。私がこの本を読んで、まず驚いたのは、加害者たちの育った環境の、あまりの劣悪さだ。彼らはほとんど私とそう変わらない年齢か、年下だ。しかし、そうとは思えないほど、ひどい。ただ貧乏なだけじゃなく、劣悪。(貧乏でもきちんとした家庭はいっぱいある)あまりにもぐちゃぐちゃ、ごちゃごちゃ、猥雑な環境だ。また、親は一様に、子どもに対し愛情不足、無責任。そもそも親自身が常軌を逸して粗暴だったりする。そのため、一家は、近隣の家から差別されて育ってもいる。一般的に言われる差別とはかなり違っていて、「さわらぬ神にたたりなし」的な差別だ。危険だから近寄らないでおこう、と言うような。実際、危害を加えられたりしている人もいるようなので、差別なんか絶対に許せない!と思う私でも、この場合の差別は、やむを得ない気がしてしまうほどだ。正直言って、ここまでひどい境遇の人が、現代の日本にこんなにいるのか、と、ショックを受けた。あばら家みたいな造りで、どこもかしこも、ぐちゃぐちゃの家に住み、親に対し尊敬も親しみも感じられず、愛情ももらえず、まわりからは差別され、自分自身も他の人とのあまりの環境の差にコンプレックスを感じ、育った人間が、一般的な感覚や常識を身につけるのは容易なことではないと思う。加害者側に同情するつもりはまったくないが、改めて、思った。親も処罰するべきだ。けれど、その親も、同じように育ったわけで、だったら、親の親も処罰するのか。それは、なんだか違う気がする。かつて日本はみんなが貧乏で、劣悪な家庭環境もそう珍しいことではなかったはずだ。けれどほとんどの人はそこから抜け出した。何故、加害者の家系は抜け出せなかったのか。本人が悪いのか。運が悪いのか。社会が悪いのか。もうちょっと考えてみたいと思う。今日の本・『殺ったのはおまえだ』新潮45編集部今日の一曲『青空』ブルーハーツ
2002年11月07日
コメント(0)
たとえば、愛情に恵まれて育った人には、だからこそ持っているものがある。けれど恵まれずに育ったからこそ持っているものもある。どっちでもいいじゃん、と私は思う。私は、つらい経験、後悔しちゃうような経験、そして反対に、嬉しかった経験。どんな経験からも、なんらかの得たものがあると思っている。その気持ちを身を持って知ることができたことだけでも、しないよりはした方が良かったと思っている。こればっかりは強がりじゃなくて、本当にそう思う。ただし、これは、とんでもなくつらい経験をしたことがないから言えることなのかもしれないので、人に、どんな経験もしないよりした方がお得だよと、自分の考えを押し付けるつもりはないんだけどね。とにもかくにも、私の場合は、どんな経験も大事な記憶たちだ。これからもいろんな経験をして行きたい。そうは言っても、人生一度きり。得られる経験は限られている。なので、せめて疑似体験をと、今日も私は本を読む。今日の本・『見張り塔からずっと』重松清今日の一曲『たららん』パフィー
2002年11月06日
コメント(2)
子どもの頃に『ノストラダムスの大予言』が大流行した。はじめて知った夜は、怖くて怖くて眠れなかった。母は「みんな死ぬんだからいいじゃない」と言ったが、そういう問題じゃないと思ったし、どういう死に方になるのかも気になった。その後、私は、道端で『信じる者は救われる』という看板を見て、これしかない!と思い、にわかキリスト信者となり、毎晩、自分で適当に作った祈りの言葉を、神様に捧げ続けた。「天国の神様、どうか人類滅亡を起こさないでください。 そのかわり私はいい子になります。 今日は落ちてたお金を交番に届けました。アーメン」って感じで。とりあえず、アーメンをつけておけば大丈夫だろうと思っていたのさ。小学生だし。いつしか恐怖心は薄れた。それにともなって、祈ることも忘れた。時たま、ふと思い出して、どうなのかなあと不安になったりした。「たぶん大丈夫だろう。でも、もしかしたら・・・」って感じのまま、毎日を過ごして来た。1999年。それが全部、無駄な恐怖心だったことを、知った。そりゃあ、何も起きなくてホッとしたさ。心の底から嬉しいことだよと思うさ。だけど、訳者の五島勉には、頭に来たね。「あんたのせいで無意味に怯えちゃったじゃないか。 子どもの頃からのあの無駄な日々をどうしてくれるのさ」って感じだ(笑)この世紀の大予言が外れたことによって、私の中では、科学的にどう考えてもおかしいことは、ありえないことなのだ、というふうに、オカルトに関する意識が落ち着いた。大体、何世紀も前のおじさんが、洗面器で未来を知るなんてことができるわけがなかったのだ。だけど、アンチオカルト派になったわけではなく、今後科学的に証明される可能性があることに関しては据え置きで行こうというふうに思っている。たとえば宇宙人。地球に人が住んでいるんだから、他の星に生命体が住んでても不思議じゃないと思う。その星の科学が発展していたら地球に来ることだってあるだろう。だから否定しない。だけど「私には金星人からメッセージが来る」とか言うのは、どうかと思う。なんであんたを選ぶのさ、と思う。どうせメッセージを送るなら、大統領あたりにしといた方が無駄がない。いやいや、大統領には極秘にメッセージを送っているのだ、人類がパニックを起こしちゃいけないので内緒にしてるのだ、と言う人もいるようだけど、宇宙人側が内緒でいたがる理由がわからない。大統領と手を組んで世界征服を企むという可能性はあるけれど、その場合、大統領の気持ちがわからない。一生、大統領でいられるわけじゃないんだからさ。って言うか、ないだろう、宇宙人との密約は。人類滅亡の終末思想も、環境汚染でどうこうなるとか、核戦争でどうこうなる可能性はあると思うけど、空から変な大王やら悪魔やらがやって来ることだけはないだろう。と、なんだか、とりとめのない日記になってしまったけれど、とにかくまあ、こういうことに関しては、基本的にニュートラルでいたいですね、私は。今日の本・『ロミオとロミオは永遠に』恩田陸今日の一曲『1974』TMN
2002年11月05日
コメント(2)
小学生の時に背伸びして読んだ小説の中に、「人は誰でも同じ数の幸福と不幸を持って生まれて来るんだよ」という台詞があった。人生っていうのは、魂の修行をする場で、不幸はそのための試練。試練を乗り切る際に、そうして、心のよりどころになったり、ご褒美だったりするのが幸福。だから、人はみんな、同じ数の幸福と不幸を持って生まれて来るのだ、というようなことを書いていたと思う。いくら小学生といえども、それを鵜呑みにしたわけじゃなかった。けれど、ちょっとした希望になった。その頃の私は、あんまり恵まれていない環境にいたので、自分勝手なくせに恵まれた環境にいるような人を見ると、むしゃくしゃしたり、羨んだりしていたのだけど、それからは、そういうことを考えなくなった。死にたいと思ったことがないのも、それと関係がある。この先、すごい幸福が待っているかもと思うと、もったいなくて死んでられない。不幸せな出来事は、幸福の貯金。そう思えば、結構、乗り切れた。ところで、私の運は十代の真ん中へんくらいから好転したみたいで、それ以降、自分でも結構恵まれてるよな、と思う毎日だったりする。そんなわけで、今後の運がちょっと心配だ(笑)今日の本・『いつか大人になる日まで』紫門ふみ今日の一曲『今日までそして明日から』吉田拓郎
2002年11月04日
コメント(2)
出会ってから15年以上、一度も途切れることなく付き合っている友達が、一人だけいる。5年ほど前に彼女が転勤で東京に行ってからは、電話やメールだけの繋がりになっているのだけど。それでも週に1度はメール、月に2回くらいは電話で喋ってるので、結構密度の濃い付き合いだと思う。連絡をくれるのは、ほとんど彼女。15年以上もの間、私はひたすら受身。私は誰に対してもそういう奴なのだ。この点、友人たちに申し訳なく思っているのだけれど、彼女に関してだけは、私みたいなタイプの方が居心地いいんだろうなって気がしている。彼女は基本的に個人主義。マイペース。仕事も趣味も恋愛もバリバリやってるパワフルな人でもある。連絡しあうことが義務のような友人関係は、彼女のような人にとってはちょっとたいへんなんじゃないかと思う。だから私のようにひたすら受身の人の方が彼女にはいいんじゃないかな、たぶん。彼女はとにかく自分に正直で自己主張の強い人。実は可愛らしい面のいっぱいある人なのだけど、歯に衣着せぬ物言いをしたり、周囲の空気もなんのそので自分の意見を通すので、「あの人とは付き合いにくい」と言ってる人が多かった。エキセントリックなので「変な人」との評価も高い。しかし、私は、彼女のようなタイプが好きだったりする。私はカチンと来ると思いっきりぶつかってくわりに、普段冷静な時は「迷惑じゃないかな」とか「不愉快じゃないかな」とか、余計なことを気にし過ぎるタイプなので、(でも思ってることはそのまま口にする方だ、矛盾してる?)いわゆるいいひとや、気を使い過ぎてる性格の人って、好きだけど苦手だったりする。(ほんとはどうなんだろう?って不安になってしまうのさ)彼女のように、迷惑な時は迷惑、イヤな時はイヤ、と言ってくれる人の方が気が楽なのだ。私も彼女も、違う形でではあるけれど、集団になじめないタイプだ。どちらも、人から嫌われやすい面を持っている。でも、私にとっては、彼女って、ああいう性格だからこそ好きだし居心地の良い相手。彼女にとっても、私はそうなんだと思う。そう思うと、人の性格なんて、良い性格、悪い性格と判断できるもんじゃない気がしてくる。一見、やな性格の人でも、ある人にとっては「だからいいんだよね」って感じだったりするんだから。私たちはお互い、照れ屋さんなので、いつもふざけた会話ばかり。シビアな話題も、聞かされる方はツッコミ入れまくり。そして二人して罵り合って、大笑い。真夜中、二人とも寝ぼけながら喋ってて、わけわからない会話に死にそうに笑ったこともあった。親友なんて言葉、1度も使ったことがない。ずっと仲良くしてたいねという会話すらしたことがないかもしれない。それでも気がつけば、15年以上も、付き合っている私たち。バカみたいな話ばかりしていた日々だけど、こいつは親友と呼んでも間違いなさそうだ、と思う今日このごろ。今日の本・『こうばしい日々』江國香織今日の一曲『タイムマシーンにお願い』サディスティック・ミカ・バンド
2002年11月03日
コメント(1)
朝、カーテンを開けたら、一面、雪野原だった。今年もとうとう冬がきた。毎年のことなのに、その年最初の雪野原を見た時は、やっぱり、うっとりとしてしまう。その時だけは雪国に生まれたことを心から嬉しく思う。粉雪、ぼたん雪、吹雪の雪、雪にはいろんな顔があるけれど、どれも好き。私は雪の降る日に生まれた。雪の中ではじめての彼とはじめての散歩をした。はじめて手をつないだのも、はじめて恋をなくしたのも、雪の中だった。雪を見ると、雪の匂いを感じると、そんなことのいろいろを思い出してせつなくなるけれど、微笑んでしまうような思い出もいっぱい持っているから、それでもやっぱり雪が好き。これからも雪の中でいろんなことが起きるんだろう。いつか、死んでしまう時にも、できることなら、雪が降る日がいいな。静かに、静かに、消えていけたら素敵だな。今日の本・『記憶の技法』吉野朔実今日の一曲『3-Dのクリスマスカード」松任谷由実
2002年11月02日
コメント(2)
この頃、あんまり報道されていないようだけど、十代の少年の凶悪犯罪って、最近少しは減ってきたんだろうか。一時はどこの番組でも「17才が危険」ってやってたけど。普通の17才が気の毒だったな。あの頃、イジメや強盗目的による暴力によって人を死に至らしめ、「まさか死ぬとは思わなかった」と言ってる少年が多かったように思う。私の感覚で言うと、頭なんか一発殴っただけでも当たり所が悪ければ死ぬって感じなので、あんなにもボコボコにしておいて「まさか死ぬとは思わなかった」なんて、まったく驚きだった。だけどもしかして、これって映画なんかで、とんでもないアクションをしても死なないシーンが多いからなのかもと思った。私はそういうシーンを見ても、映画だからね、って感じで、そうか人間はこんなダメージを受けても死なないのか、なんて思わないけど、暴力を受けた経験がない人なんかは、鵜呑みにしちゃうのかもしれない。だからといって私は映画が悪いなんてふうには思わなくて、親が「あんなことやったら普通は死ぬよ」と教えておけばいいのに、って感じなんだけど。テレビゲームが悪いっていう説も出ていたね。マンガが悪いとか。どこかの保護者団体が反対運動をしてたとか。そういうの、変だよなーと思う。有害ゲーム、マンガって確かにあるけれど、作るなって運動するのは、なんだか変。表現の自由だし。節度を知る人が楽しむ分には構わないものなんだし。個人レベルで親が子どもに「見るな」とやれば済む話のような気がする。少年法の改正がどうとかやっているけれど、私は、少年が犯罪を犯した場合は親も厳しく処罰すればいいと思う。親ってそのくらい責任のあるものだと思うから。今日の本・『アトポス』島田荘司今日の一曲『17歳の地図』尾崎豊
2002年11月01日
コメント(2)
全30件 (30件中 1-30件目)
1
![]()

