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前にも1度似たようなことを書いてるんだけど、私はどうも好きじゃないのさ、みんなで同じ方向向いてるような感じってやつがね。好きじゃないというか・・・いやですね(笑)遊び感覚でなら、いいんです。「波に乗ることを面白がる感じ」っていうのは私にもあるしね。わざと波に乗って乗ってる自分を笑う、みたいなね。いやなのは、真面目も真面目、正真正銘本気って場合。一人一人に対しては、個人の考え方の範疇なわけだからいやも何もないのだけれども、『みんなそろって』っていう状態が、いや。単純に「つまらないから」ということもあるのだけど、物事には、「つまらない」とか言ってる場合じゃない問題もあるでしょ?私は、そういう場合にも、なんかいやだなあと思う。気味が悪い・・・。「戦争が始まった時は、国全体で こんなふうだったのかな?」みたいな、漠然とした気味悪さ。正しい方向に向かってみんなそろって進むことは良いことなのだろうと思う。だけど、たいていのことって、戻るのが困難になるまで進んでからじゃないと「正しかったのか否か」が、わからない。もちろん、「間違っていたのか否か」もだけどね。まあとにかく、私は、みんなが同じ方向を向いているなら自分は別な方向を向いておきたい、と思うのです。 今日の一曲『このままが』 SION
2005年07月31日
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今週はこんな本を読んでいました。__________________『蒲公英草紙 ~常野物語』 恩田陸 常野物語番外編、という感じの物語です。 時は20世紀が始まったばかりの慌しい頃。 主人公は地方に住む女の子。 この本を読んで私は 映画『タイタニック』を思い出しました。 あ、ストーリーは、まったく似てないです。 『タイタニック』を見た時、私は、 ロマンス的な部分にではなく 時の流れと運命の切なさに涙したのですが、 それとよく似た感情をこの本にも抱いたのでした。 『Y』 佐藤正午 実はかなり好きな作家、佐藤正午。 今まで書いたことないけど デビューの頃からのファンです。 彼の小説はどれも謎めいています。 ミステリー小説じゃないのですが、 叙述ミステリー的な文章と展開なのです。 彼の小説からは不思議なイビツさを感じます。 で、そこに私は惹かれています。 一般ウケするタイプって感じじゃないんですが。 ただしこの『Y』は彼の小説の中で変わり種。 この小説で彼は 新しい読者をごっそり獲得したんじゃないかな。 K・グリムウッドの『リプレイ』がモチーフ。 今回、久々に読み返してみて、 よくできた小説だなあと改めて思いました。 不思議なイビツさを感じられない(笑) ってことはつまり、 私からすると「佐藤正午っぽくない」わけなんですが すごく面白い小説なんですよ。よくできた小説です。 そういえば、この間、 「恋愛小説家、佐藤正午」ってふうなキャッチフレーズを 発見して、驚きました。 そんなふうに思ったことって、私はなかったなあ。『文壇』 野坂昭如 野坂昭如と言うと アニメ『火垂るの墓』の原作者ということや (この作品、私はアニメでしか接したことがない) 『TVタックル』に時々出て来る、 なんとなく好きな感じの人ということで 前々から、どちらかというと好印象を抱いていたのですが、 なにせ文体がものすごく独特!!ということで、 今までどうも読む気がしないでおりました(笑) だけど、1960年代の文壇が舞台ということに 強い興味をひかれたので読んでみました。 (なぜか私は三島由紀夫という人物にとても興味がある。 三島由紀夫の作品には心惹かれないのに) 感想・・・いやあ、とにかく文体がキツかった!! 私は、独特のカラーということを、 すごいことだと思っているタイプの人間なんですが、 それと好みの問題は別なのです。 だけど、内容は面白かったし、 野坂昭如その人に対しても、 やっぱり好きだなと思いました。 好きなタイプってわけじゃないし、 気の合うタイプって感じもしないけど、好きですね。『ムテッポー文学館』 中野翠 こういう肩の力の抜けた文学論って好きだし、 そもそも中野翠のことが好きなので、 以前から、この本を探していました。 なので古本屋で発見して「わーい!」と思いました。 何が嬉しかったかって、 伊藤整の『日本文壇史』に触れていたことです。 実は私、以前から、やたら多くの人が、 評論家としての伊藤整の目の確かさを褒めてることが すごく気になっていまして、 最近じゃそれが飽和状態にまでなっていたのです(笑) でも、なにせ古い人なわけだし、 評論家としてじゃなく 小説家として名が残っている人なので、 評論関係の文章は今じゃもう残っていないんだろうなーと 早合点していたのです。 ところが、あったんですね。90年代に復刻出版されていた。 『日本文壇史』しかも全18巻だそうです。 すごいボリューム!楽しみーっっ 中野さん、教えてくれてありがとうございます!! って感じです(古本読んで言うのもなんだけど) おっと肝心の中野翠について全然書いてないや。 他の人がどう感じているのかはわからないけれど、 私にとっては、中野翠というと 「まっとうな感覚の人」という感じだったりします。 『私の個人主義』 夏目漱石 漱石先生の講演を文章化した本です。 実は私が、夏目漱石の思想に興味を持ち始めたのは ここ数年だったりします。 夏目漱石の思想は、 生き抜くための思想と言えるような気がします。 しかも、今に通じる思想です。 私もまだ咀嚼できているとは言えないのですが、 「どうせ昔の人の意見なんでしょ」と 小馬鹿にしている人が、もしいるとしたら、 その人は間違ってると思います(笑)『触れもせで ~向田邦子との二十年』 久世光彦 向田邦子に関心を持ったのも去年くらいかな。 名前だけは子どもの頃から知っていたけど、 向田邦子ドラマとか、 あんまり面白いと思わなかったし・・・。 関心を持ち始めた直接のきっかけは、 そもそもは太田光がすごく評価してたからでした。 (太田光の審美眼を信じる、ということではなくて、 私には『誰かがすごく評価しているもの』に 興味を持つという習性があるのです。 特に年月を経ての評価には興味をひかれますね。 「どのへんが魅力なんだろう?」と、 自分で確認したくなります) その後、山口瞳のエッセイでも、 向田邦子に関する記述を見つけたりもしたので ますます気になるって感じで今に至っています。 どうでもいいことですが、私は、 向田邦子のルックスがとても好きです(笑) 『優柔不断術』 赤瀬川原平 私は優柔不断を自覚している人間でして(笑) 白黒はっきりさせたいの、 ってタイプじゃないんですよ。 そんな自分の心は、この件に関して、 「やっぱりいけないよな」 と反省したり、 「でも、考えようによっては 良いことのような気もする」 と思ったりと、日々、揺れ動いていたりします。 そんなわけで読んだのですが、 この本、客観的に見て、 そんなに優柔不断のカラーじゃなかったです。 読む人が読めば、むしろ、 「はっきりした意見の人の本」 って感じかもしれない気がしたほどでした。 ところが、私、この本を読んでいて、 結構、たくさんの共感ポイントを感じたんですね(笑) で、 「ん?ってことは、私も或る意味、 優柔不断な人間ではないってことなのだろうか?」 と、不思議な気分になりました。 ___________________土曜日を読書日記の日として、その週に読んだ本の中から何冊かチョイスしてちょっとした感想なんぞを残しておくことにしました。私は、無音状態で読書するタイプなので読書日記の日は、今日の一曲はなしということで☆
2005年07月30日
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さっきから雷が鳴っている。怖い。子どもの頃、雷に恐怖心を抱いていなかった。むしろ、空が光ってきれいだと思っていた気がする。私にとって、雷さまといえば、ドリフの高木ブーのイメージだった、ということも怖くなかった理由の一つだけど、最大の理由は、雷の怖さを知らなかったということだろう。よく、怖いものを並べて「地震雷火事オヤジ」と言うけれど、子どもの頃の私が、一番、怖かったのは、自分の母親だった。 今日の一曲『嵐の金曜日』 ハウンドドック
2005年07月29日
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ムシキングというやつが流行っているらしくて、街をぶらぶらしているといたるところに大きなクワガタやカブトムシのぬいぐるみがある。ムシキングのことは全然知らないし、興味もないのだけど、可愛いなと思ったので、つい買ってしまった。大きいクワガタ一匹。クワガタが好きだ。カブトムシもまあまあ好きなのだけどもともと私の住む北海道に生息していない生き物なのでどうも親しみを感じられない。1度、道を歩いていて、「珍しいクワガタ発見!!」と大喜びして、つかまえた瞬間に、思いっきり指をはさまれたことがある。いくら私がボヤっとした人間でもその状況では、さすがに間違いに気付く。「クワガタじゃなくて、 カミキリムシってやつなんじゃ・・・?」慌てて、ひきはがそうとしたけど、カミキリムシ(後から図鑑で確認した)の顎って、すごい力なものだから、離れないの、なんの。何が目的なのか知らないけどカミキリムシの根性ってやつは生半可じゃないですね。「た・・・たすけて・・・」と、まわりを見渡したけど、誰もいやしない。助けを求めてる時に限って誰もいないのは、私の宿命か。冗談はさておき、とにもかくにも凄まじい痛みだった。しかも、なんとも、バカらしい痛み。みなさんは、くれぐれも、クワガタとカミキリムシを間違えないようにね(笑) 今日の一曲『夜の盗賊団』 ブルーハーツ
2005年07月28日
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今日、職場のAさんから「明日、Bさんに会ったら『すごくきれいで驚いたよ、どうもね』と 言ってあげてね」と言われた。なんのことやら?と思ったら、どうやらBさん、私がいない間に、みんなで共有しているハサミをピカピカに磨いておいてくれてたらしくて。で、「ココナツさん、どういう反応示すかなー? びっくりするかな?」と楽しみにしていたんだって。ところが、私は、たまたま、ハサミを使わなかったのでわからなかった(笑)そうして、気がついた時には、ハサミ、もう既に、元通りに輝きを失っていた・・・。というわけで、Aさんは、Bさんが私の反応を楽しみにしてたことを知ってるから、これじゃあかわいそうだなと思って、冒頭の台詞を言った、というわけ。で、私は、それに対して、「そっかぁ・・・ Bさん、せっかく磨いてくれたのに、 気がつかなくて悪いことしちゃったなあ。 でも、嘘はつけないですよー」と、返事したんだけど・・・Aさん、がっかりしたみたいで、「それなら別にいいけど・・・」って、少し私を責める目をしてた。私は、こういう時には、「磨いておいてくれたんだってね。 どうもありがとう。 でも、私、見なかったからわからなかったんだ。 せっかくしてくれたのに、 気がつかなくてごめんね」って、ありのままに言うのが、一番良いと思う。嘘はいけないから、とかじゃなくて。なんていうか・・・・単純に、この方が良いと、私は思う。Aさんにとっては、嘘をついてでも望む反応をしてあげることが『思いやり』なのだと思う。でも、嘘をついてでも望む反応をしてあげるのって、私の感覚では『思いやり』では、ないから、私にはできない。AさんがBさんのことを思うからこそ望んだことを、私は、Bさんのことを思うからこそ、したくない。この場合で言うと、「どうもありがとう」と「せっかくしてくれたのに気付かなくてごめんね」が、私にとってのBさんへの『思いやり』だから。『思いやり』の心は一緒なのに表し方が違う。そういうことって、よくあるね。 今日の一曲『Anyone At All』 キャロル・キング
2005年07月27日
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小さな頃から「男でも女でもないような感じ」を抱えて来た。「変な子」「駄目な子」と周囲から言われてた。同性になじめなかった。いじめられたり嫌われたりもした。「私って変なのかなあ?」「私って駄目なのかなあ?」って数え切れないくらい考えた。いつも出て来る答は、「女の子としては確かに変で駄目かもだけど、 もし男の子だったなら普通の範疇だよなー?」小学生の頃、男の子とばかり遊んでた。まわりの女の子たちとは遊びたいことがズレてたし、話もあんまり合わなかったし、いやがらせをされることもあったし。その頃は、「私、男の子に生まれてたら良かったのかも」と思ってた。間違って女の子に生まれちゃったのかもしれないなって。だけど、大きくなるにつれて、自分が気の合うのって、男の子の中でも男の子っぽくないと言われてるようなタイプばかりってことに気がついた。もし自分が男の子に生まれてたらやっぱり、「男の子らしくないね」って言われてしまうだろうなって思った。それじゃ、今の逆パターン。こりゃ男の子に生まれてたとしても同じだ、と思った。もっと大きくなって、女の子で気の合う人たちに出会えた。仲良くなった後で、その人たちと自分に共通点があることを知った。みんな、「変な子」って言われてた経験を持ってた。まわりになじめなかった経験を持ってた。彼女たちもやっぱり、女の子社会の中で浮いてたことのある人たちだった。結局、そういうことか、と思った。自分は中性的な人と気が合うんだなって。今も私「男でも女でもない感じ」でいる。そうしてたまに「男でも女でもあるような感じ」にもなる。男性、女性というのは脳の構造が違うらしいので、ひょっとしたら自分の脳は中性脳なのかも・・・と思わないこともないけど、だけど、たぶん、それよりも、観念の影響が大きいんじゃないかな?って思ってる。社会にはびこる「男ってこういうもの」「女ってこういうもの」の観念がどちらも、しっくり来ないから、自分はこういう感じになってしまってるのかもなって。言い忘れたけど、私、ぱっと見は、普通以上に女の子っぽかった(笑)それだけに中身とのギャップが目立つから、余計に、人からどうこう言われちゃうってことはあったように思う。とりあえず、私は自分の体が嫌いじゃないし、違和感感じるわけでもない。それに男女どちらも同じように好きだし、女で損したなーと思うのは「変で駄目な奴呼ばわりされて いろいろイヤな思いをした」ということくらいしかない。社会における女性の立場が云々で気に食わない、みたいなことも別にないしね。だからとにかく『性別・女性』であることに対する不満ってない。最近は、ぴったり観念まんまの人っていうのは意外と少ないのかもしれないなって思うこともあったりするし。今の私は、自分の意識は、「男でも女でもないような」「男でも女でもあるような」だけど、人の、自分への対応とか印象に関しては、男とか女とか、結構、どうでもいい感じ(笑)とにかく自分の中で私が私であることだけがくっきりはっきりと確かなことなので、男とか女とかって言葉抜きで、「私」を受け容れてもらえるのが一番嬉しいっていうのはあるけれど、だけど、「女っぽいね」とか「女っぽくないね」とか、言われることに関しては、もう、どうでもいい。これが「女っぽい所が素敵」みたいに言われたら、「ちょっと待ってよ! そんなふうに思ってたら後から後悔するよ」と心配になるけど、それ以外は、「あ、そう見えるんだね」とか「なるほど。その部分はそうかもね」とかって思うだけ。だって、そんなの、しょせんは、観念の問題に過ぎないんだもの。しかも、この観念ってやつは曲者で、よくよく考えてみれば、人によって微妙に違っているんだよ。 今日の一曲『FOUR SEASONS』 THE YELLOW MONKEY
2005年07月26日
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今朝、仕事に行く途中に青空に浮かぶ小さな白いものを見つけました。野球帽みたいな形でした。最初は小さい雲かと思ったんです。ちぎれ雲なのかなと。だけど、動いているんです。ゆっくりとだけど、左へ一直線に。飛行機?・・・には見えない。ヘリコプター?・・・にも見えない。もしかしてUFO?・・・まさかね(笑)一体なんなのかなあと気になったのでしばらく眺めていたのですが、たいへん、遅刻してしまう。というわけで、諦めて、角を曲がりました。だけど、やっぱり気になる!!なので、戻ってみた私。その間、3分ほどだったのに、白い物体は忽然と消えていたのでした。今日、仕事に遅刻してしまいました。もしかしたら、私、UFOにさらわれていたのかもしれません。 今日の一曲『あおぞら』 椎名林檎
2005年07月25日
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みなさんからしたらどうでもいいことかもしれないですが、実は私、この文字の形が、どうにもこうにも気に入りません。みなさんが今読んでいるこの日記の文字の形です。ちょっと左側のフリーページの方を見てみてください。小さい文字がずらっと並んでますね?そこです、そこ。日記の文字となんとなく雰囲気が違うでしょ?ちょっとしたバランスによるものだと思うのですが、私は、この、小さい文字の形の方が、なんとなくキュートな感じがして好きなんです。「文字が小さいと読みにくいですよ」とアドバイスしていただいて、私は、「大きくすると形がイヤなんだよなあ・・・ だけどだけど、読みにくいんだったら困るよな」と、今の大きさに設定しました。で、今も、この大きさで表示しているわけなのですが、正直な話、自分の日記を確認するたび、「あー、この文字、ほんと、嫌いだ」と、げんなりした気分になってしまうのでした。で、毎回、「こんな思いをするくらいなら やっぱ、小さくしようかな・・・ いやいや、駄目だ、我慢しよう」ということを思っている次第です。他の人のHPで見る分にはいいのですが、自分のHPには、やっぱり、ささやかだけれどもこうしたいトータルイメージ・・・みたいなものがあるわけで。そういうものと、読みやすさのはざまで、毎回、ゆらゆら揺れ動いている私の心(笑)少し前から、楽天、日記の文字の色やら大きさやらが以前よりも細かく設定できるようになったようです。なので、もしかしたら、「それなりに読みやすい大きさで文字の形も良い感じ」というふうにできるのかもしれないですね。時間のある時にでも、研究してみようかな。 今日の一曲『胸のチャイム』 フライングキッズ
2005年07月24日
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注・生理的に駄目な感じに弱い人は この日記は読まない方が良いかもですうぅ・・・気持ち悪いっっさっき、ケーキを食べた時に、うっかり銀紙をフォークで引っ掻いちゃって。あーあの感触、気持ち悪い。まだ残ってる、うー。頭から首筋にかけてが、まだ震えているよ。そうだ。この際だから生理的に駄目!なものを書いてみよう。カップラーメンの容器って名前、なんていうのかな。白くてちょっとふわふわしてるっぽいやつ。あの感触も、駄目だな。直接さわるのもゾゾっとするし、箸でふれただけでもゾゾ。あと、銀紙はね、フォークでキーっとやった時も感触だけじゃなくて、なめっちゃったりするのも、駄目。なんなんでしょう、あの味。かなり破壊的な味だと思う。それから、人形の髪ね。しばらくおいておくと、変にベタベタしてくるでしょ?なんかこう、指どおりが悪い感じになるというか。あの、キュッキュッとした感じ、気持ち悪い。音だと、黒板を爪で引っ掻く音だな、やっぱり。視覚に来る生理的に駄目な感じのものというと、・・・うじゃうじゃした感じ(笑)銀紙と黒板はたぶん、ほとんどの人が駄目だと思うんだけど、それって、どうしてなんだろうね?不思議だな。 今日の一曲『いちご水』ブランキージェットシティ
2005年07月22日
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結局のところ、「三つ子の魂百までも」なのかもと思う。小さな頃から本が大好きだった。小さい子だから、読むのは物語ばかり。ページをめくって行くうちに、いつのまにか、私は、自分も物語世界の住人で、しかも主人公の友人のような気分になり、次から次と起こる事件に自分のことみたいに一喜一憂する。現実は意識の彼方に飛んでいた。夢中になると、「自分」ってものまで、消えた。小さい頃から、自分や、自分をとりまく現実があまり好きではなかった。現実はくたびれた。物語を読むことは、束の間、そこから逃れることだった。物語世界は、たいていが「理不尽じゃなかった」「整合していた」だから、居心地が良かったしね。私の読書はそういう所からスタートしてるから、その後、違った読み方も覚えたし、それで感動したり考えたりと影響を受けてる部分もたくさんあったりするし、自分や自分をとりまく現実が結構好きだなと思うようにもなり、逃避する必要もなくなったのだけど、それでも、やっぱり、なんといっても物語が好きという気持ちは変わらない。きっと、ずっと、こうなんだと思う。本屋さんはね、ワンダーランドですよ。 今日の一曲『GALAXY』 リップスライム
2005年07月21日
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本屋さんで恩田陸の新作を見つけた。『蒲公英草紙』大好きな作家、恩田陸。しかも、なんとこれは、待ちに待った「常野」のシリーズだ!!「常野」というのは不思議な力を持った一族の総称。で、その、常野一族の物語を連作形式で綴ったものが結構前に出た『光の帝国』という本です。(確かもう文庫にもなってたはず)私は恩田陸の小説ならばどれもこれも大好きなのだけど、特にこの「常野」のお話の続編を楽しみにしてたのさ。『光の帝国』の後書きによると、恩田陸はゼナ・ヘンダースンの「ピープル」シリーズみたいなものを書きたくて「常野」シリーズを書いたらしい。だけど「ピープル」シリーズを読んでいない私は、この小説を読んだ時、萩尾望都の『ポーの一族』を思い出した。連作短篇という形が同じだという、ただそれだけの理由で(笑)でもそれは、私が、連作短篇ってやつにどうしようもなく惹かれてしまう人間だからだと思う。それでなくても、私は「リンクしてる物語」が好き。(Aという小説の登場人物が、 Bという小説にも出て来る、みたいなのです。 恩田陸は他の小説でも、これをやっています。 このタイプの物語の作り手は 小説よりもマンガに多いです。 たとえば、手塚治虫がそうですね)それはそれとして。私は「物語」が好きなんだ。本に求めるものは人それぞれだと思うのだけど、私はやっぱり「物語」を一番求めてる。物語を楽しみたい。恩田陸はね、現代作家の中で一番の物語作家だと思う。そういえば、『蒲公英草紙』の帯に、「今、一番愛される作家」と書いてあったよ。本屋さんでそれを見て、わかる、わかると頷いてしまった私です。 今日の一曲『LOVIN’YOU』 ミニー・バリートン
2005年07月20日
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小さい頃から水が大好きだった。母が暑がりだったこともあって夏ともなると毎日のように庭で水をためたタライに漬かったり、ホースの水を振り回して遊んでいたし、それでなくても、川だとか池だとかを見ると、わくわくした。水たまりや、小さな下水路なんかにまで、ときめいていた。友達は「汚いよ」と言っていたけれど私は、飽きることなく、じっと眺めていたりした。小学校に入学して一番、嬉しかったのは、プール学習だったような気がする。夏休みのプール解放にはほぼ毎日、行っていた。田舎の祖母の家に泊まりに行った時には、その近所の学校のプールに通っていた。4年生の時、海洋少年団という団体に入った。「海に親しむ」というキャッチフレーズに、いちころ。私が住んでいた札幌から、海は遠かった。子どもが一人で行ける距離ではなく、親が気まぐれに連れて行ってくれるのを待つしかなかった。海洋少年団に入れば、親に頼らずとも毎週、みんなでバスに乗り、海に行けるのだ!!と思ったのだけど、実際は、ただっ広い草原で手旗の練習をしてばかりだった。結局、札幌は、海が遠い。5年生で小樽に引っ越した。海だ、海。小樽、海だらけだった。海だらけなのに学校にプールもある。なんて贅沢な環境なのでしょうと思った。私の小学校は、というか、私の担任の先生は、時間割どおりに授業をしない人で、「今日は暑いからプールに入ろう」と、いきなり言い出すことが多かった。「やったー!でも水着持って来てないよー」「じゃ、家に取りに行って来ていいぞ」みんな、一斉に、自分の家へと走り出す。なかには、最初から期待して水着を着て登校している人もいた。「俺は取りに返らなくていいんだ。 いつもパンツのかわりに水着をはいてるから」「・・・なんか、汚くない?・・・ま、いっか」アバウトなクラスだった。海の町なだけに、みんな、泳げた。決まった形の泳ぎをきちんと泳げる人は水泳スクールに通っている数人しかいなかったけれど、誰もが、自分なりのスタイルで、すいすい泳いでいた。海坊主と海女の群れ、という感じで、あっちこっちで潜水して脅かしあったりしていた。無意味に仰向けに浮かんでばかりの人もいた。何か瞑想でもしていたのかもしれない。みんなを見ていたら、私は水が好きなだけで泳ぎは駄目だなあとしみじみ思った。そこで、5年生の夏休み。市でやっている水泳講習会に参加した。たぶん、五日ほどの講習会だったと思う。市内の小学生のほとんどが参加するような大規模な講習会だっただけに、場所は、海。級ごとに帽子の色が違っていた。私は初級の帽子をかぶることになった。初日、同じように下手くそな仲間たちと、砂浜に腹ばいになり、平泳ぎの格好を練習した。なんだかバカみたいな格好だと最初は恥ずかしかったけれど、やりだすと、結構、燃えた。私たちは、カエルとなり、砂の中を本気で泳いだ。ただ一つの願いは、好きな男の子がここを通りませんように、ということだったのだけど、願いはすぐに破られた。彼は、カエルの集団の横を、上級の色した帽子をかぶる仲間たちと、颯爽と歩いて行った。うっとりと見ていたかったけれど、私は慌てて砂に顔をつっこんだ。この期に及んでは、自分だと気付かれないようにするのが唯一の道だった。帽子にでかでかと自分の名前が書いてあることをすっかり忘れていた。ようやく、海に入れてからは、塩水を口から鼻からガブガブ飲みながら、泳ぎの練習をした。カエルの格好で静かに沈んで行く私と仲間たち。自己流でやれば沈まないからと逆らってはコーチに叱られた。テストの時の待ち時間には、津波に乗っかって、はしゃいだり、足の指でアサリを探して遊んだ。あの海は、アサリの宝庫だった。水泳帽に入れて持って返ろうとする強欲な人もいた。なんだかんだ言っても水泳講習会はとても楽しかった。水に入れるだけでも大喜びな自分なので、楽しくないわけがなかった。6年の時にも参加した。やっぱり、下手くそチームだった。私は水が大好きなだけで泳ぎのセンスはまるでない。 今日の一曲『シャッポ』 サザンオールスターズ
2005年07月19日
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数日前、母と一緒に小樽に行った。小樽は以前に住んでた町で今も私の大好きな町。それは母も同様で私たちは月末にもまた小樽へ行き、今度は一泊するつもりでいる。小樽に引っ越したのは私が10才の時だった。小樽の町はどこもかしこも古びていてそのうえ古いものが放ったらかしのため、なんだか薄汚れて見えた。また、いかにも急激に栄えるのに合わせて慌てて無計画にいろいろなものをこしらえた、という感じの、雑然とした町並みでもあった。私は、生まれ育った札幌の、新しくて、きれいに整備された町並みにすっかり見慣れていたので、すごく変な感じがしたし、なじめない気がした。だけど、きっと、自分の中にはもともとこういうものを好む感覚が潜んでいたのだと思う。気がつけば、大好きになっていた。いつまでも、好きになれなかったのは、小樽の人だった。石川啄木が『かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人々の 声の聲(声)の荒さよ』という短歌を残している。小樽の人はこの短歌を気に入っていないとどこかで聞いたことがあるけれど、私はこれは、写真みたいなものだと思う。つまり、目に映る印象。私も、長いこと、この短歌のような印象を小樽人に対して抱いていた。小樽人の本質というのは、「リアリスト」なのだと思う。この短歌のような印象を与えるのは、実際にそうだからなのではなくて、リアリストであるが故の過剰な照れのせい。住み始めて随分たってから、気がついた。気がついた時、私は小樽の人々のことを好きになっていた。 今日の一曲『レスター』 森山直太朗
2005年07月18日
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あれは数年前、夕闇を友人数人と歩いていた時のことでした。不意に少し先を歩いていた友人がこちらを振り返り「あっ」と小さく叫びました。「今、ココナツから ココナツが出て行った!」へ?・・・・それってもしかしてドッペルゲンガー?絶対、見間違いだと思いました。そんなことあるわけがないし、もし仮にあるのだとしても、自分の身にはないと思いたい。だけど、その友人は「絶対に間違いない」と言うのです。「ドッペルゲンガーって、 死の直前に出るとかって言うよね」「出たら、3日後に死ぬんじゃなかったっけ」「いやいや、 ドッペルゲンガーというのは 魂が分裂したものなんだよ。 だから、3日以内に戻って来なかったから死ぬんだよ」「そうなの?それは知らない。でも、 自分のドッペルゲンガーを見たら死ぬというのは どこかで聞いたことがあるな」友人たちが、ドッペルゲンガー話で変に盛り上がるのを横目で見ながら、私は、「その話、全部聞いたことあるよ・・・ 他にも知ってるよ・・・ でも言いたくないよ・・・最悪だよ・・・」と、ますます暗い気持ちになりました。私は今も生きています。あの日、友人が見たものは、本当に、私の中からドッペルゲンガーが抜け出した瞬間だったのでしょうか。もし、そうなのだとしたら、ドッペルゲンガーは、私の中にもう戻って来たのでしょうか。ここまででも、ひどい状況ですが、これ以上、ひどいことにならないようにと、私は、心から願いたいです。「ドッペルゲンガーさん、 戻って来ていないならせめて 私の前に現れないでください」どうせなら、どこか遠い所で幸せに暮らしていてもらいたいですね。本体の前を、うろちょろしようだなんて思わないくらいに、幸せにうつつを抜かしていてもらいたいなと思います。 今日の一曲『浮雲』 柴崎コウ
2005年07月17日
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マクドナルドで昼食を食べていた時、酔っ払いの男の人と遭遇した。別に大暴れをするとかまわりの人に因縁つけるとか危険な部分はなかったのだけど、真っ赤な顔で、大きなひとり言を言っていた。少ししたら警察がやって来て男の人を無理やり連れてった。「俺はコーヒーが飲みたいだけなんだよ」「いいから、家に帰って飲みなさいね」「ここで飲みたいんだよー コーヒーくらい好きな所で飲ませてくれよー」飲ませてあげればいいじゃないかと思ったけれど、そういうわけには行かないんだろうなあ・・・。なんとも複雑というか、物悲しいような気分になったが、しっかりチーズバーガーと杏仁娘(シェイク)を、たいらげてから店を出た。 今日の一曲『ダウンタウン』 EPO
2005年07月16日
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実は手紙を書くことに、やや苦手意識がある。子どもの頃・・・というか、十代の頃には、こんなこと、考えたこともなかった。不精者なので、切手を貼るのが、封をするのが、そしてポストに行くのが億劫。だから、書いたけれども出さない手紙というのが、あるにはあった。だけど出さないだけで書いていた。それも人並み以上に書いていた。タイミングを逃しやすく、そのうえ口下手な自分にとって手紙というのはただひたすらに助かるものだった。私は、口下手なことを気持ちを伝えないことの言い訳にするのは良くない、と思っていた。口下手ならば他の手段を使ってても伝える努力をするべきじゃないか、と思っていた。そんなわけで、人並み以上に手紙を書いていたのだった。ところが、ある時、恐ろしいことが起きた。なんと、手紙がきっかけで、何年も大事に付き合って来た彼の不信を買い、(「きみ、俺のこと、好きじゃないんだよ」)ふられるはめとなったのだった。こっちが伝えたかったことを彼は読み取ってくれず、とんでもなく曲解して受け止めたのだった。そういえば彼って国語の成績最悪だったっけ・・・と後悔したけれど、そんなのは後の祭りであった。しかし、私は、それでも懲りなかった。その彼に、心をこめて手紙を書いた。後で聞いた所によると、たまたま読んでしまった彼の母親が私の手紙に感動して泣いたらしい。私は本人に感動してもらいたかったが、なにせ、彼には読書の習慣もなかったので、文字の集団を見ただけで疲れ果て斜め読みしかしなかったのだろう。そのまま、ふられた。と言っても、その後、運良くまた付き合い始めたのだけど、懲りない私は、また、やってしまった。二度目のさよならも、手紙がきっかけだった。もしかしたら自分は手紙を書き始めると変に陶酔してしまうのかもしれない、と、薄々感じていたことが、リアルに感じられた。そういえば自分は、いろいろな人から「いつものココナツと文章のココナツって別人みたいだね」とも言われていた。普段の私は、照れ屋さんで、肝心のことが全然言えず、いつも、どうでもいいような冗談ばかり言っているのに、文章の私は真っ向勝負だ。天下のロマンティストぶりだ。変に陶酔してるうえに、別人じゃ、彼だって戸惑うことだろう。と、気付いていたのに、次の恋でも私は手紙をいっぱい書いた。ある時、たまたま喧嘩して、最悪に機嫌が悪かった彼に、こう言われた。「言いたいことを口で言わないで手紙に書くのは卑怯だ」そんな考え方もあったのか、と驚いた。その考え方には賛成できないね、とも思った。だけど、卑怯者扱いされるのがいやで、私は彼に手紙を書くことをやめた。もしこの人が彼と同じ考え方だったら卑怯者と思われるのかな?なんてふうに考えてしまい、なんとなく他の人にもあんまり書かなくなった。それが更に書かなくなったのには、ある人に手紙を書いた所、その人が勝手に別の人に読ませていた、という事件が発覚しての影響。私信を第三者に読まれるのは風呂場を覗かれるくらいに恥ずかしい。(彼の母親に読まれた時以上に参った。 たぶん、二回目だったからだろう)そうして、何年かして、気付いた時には、「手紙って書き慣れていないから ちょっと苦手・・・」という感じになっていた。手紙を書くのは好きだ。好きだけど、やや苦手意識がある。普通に文章を書く時や、インターネット上で返信する時のように、伸び伸びと書くことはできない。と、まあ、そういう話。 今日の一曲『丘を越えて』 小泉今日子
2005年07月15日
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人にさわられるのが苦手だ。よく気楽に肩を叩いたり背中をつついたりする人がいるけれど、お願いだから私にはそんなことをしないでもらいたい。「ぎゃ」と叫びたくなる。女の子の中には、腕を絡めてきたり、手を繋いできたり、抱きついてきたりとスキンシップ好きの人が少なくない。恋人に絡みつく分には構わないが、同性同士の友達付き合いでもわりとベタベタしたがる人が多いので、子どもの頃から困惑することが多かった。私は腕なんか絡めたくない。手も繋ぎたくない。がんじがらめな感じが落ち着かない。いっそ男になりたいと何度も考えた。実際はわからないけれども、私が見る限り、男同士でベタベタくっつきあっている人たちは女同士に比べれば、かなり少ない。きっと、男には、恋愛感情でもない限りむやみやたらとくっつき合わない人が多いのだろう。私としては、とても好ましい世界だ。私は裸の付き合いというのも苦手だ。友達と一緒に風呂になんか入りたくない。けれど、この場合は、男同士の方がより多くしていることのような気がする。「いやですよ」と言ったら、「男らしくないぞ」と怒られそうだ。そんなわけで、結局、私は、男になるわけにも行かないのだった。 今日の一曲『ラサーラ』 バービーボーイズ
2005年07月14日
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良い気分で鼻歌まじりにフフフンと歩いていたら昇りの階段で小石に蹴躓き、慌てて手すりにつかまり体勢立て直したら、勢い余ってサンダルの紐が千切れた。お気に入りのサンダルだったのにぃ。と思ったけれど、あのまま頭から転がり落ちてたらもっとたいへんだった。不幸中の幸いだ。よかった、よかった。千切れたのが、家まであと少しという場所だったのも、よかった、よかった。そんなにたくさん歩きにくい思いをしなくて済んだ。こういう時、私は、アンラッキーと思うと楽しくないのでラッキーと思っておくことにしています。 今日の一曲『Everybody needs somebody』 ラブサイケデリコ
2005年07月13日
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「寂しい」と「淋しい」私には「寂しい」の方がしっくり来ます。「淋しい」は、さんずいがついてるでしょ?だから涙の感じがするのです。私の涙は、さびしい時に流れることはあんまりないから、だから、「寂しい」の方がしっくり来るのだと思います。前にも書いたけれど、私はすごい泣き虫の子どもでした。今も、どっちかというと泣き虫。だけど、寂しい時や悲しい時、痛い時に泣いたことはほとんどないのです。たぶん、これらのことに関しては、むしろ泣かない方だと思う!・・・たぶん(笑)私の目から涙があふれて来るのは、悔しい時、情けない時、そして、これが一番多いのだけど、感動した時。悔し泣きってかっこ悪いから、なるべく我慢しなくちゃって思っているのだけど、そこで優しい声をかけられたらもう駄目です。悔しさと感動のダブル攻撃ですもん、太刀打ちできやしません。そんな時は、「放っておいて」と、素直じゃない言葉を口にしてしまいます。困った奴です。可愛くないです。寂しかったり悲しかったりした時には、笑ってしまいます。そうして、重度の時には、頭の中が空洞って感じになってしまいます。空洞なので涙は出て来ないのでした。言葉だって出て来なかったりします。そういう時の自分の顔って、ハニワみたいになってるんじゃないかな、きっと。 今日の一曲『ROSE』 ベット・ミドラー
2005年07月05日
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ぼんやりしてる間に日が暮れていた。せっかくの、久しぶりの休みだったのに、どこにも行かないで過ごしてしまった。私は時間を浪費している。この間、「待つ」ということについて考えた。私は「待つ」ことが苦じゃない。それどころか、待ってる時のときめきが結構好きだったりする。そのせいか、私はこれまで、かなりの量の時間を、誰かや何かを待つことに費やして来たような気がする。ぽややーんと待つことを楽しみながら。その時は良かったのだけど、振り返って考えてみると、時間の浪費をしてたと言えなくもない。取り返しがつかなくなる前に、この、ぽややんとした性格を改めるべきなんじゃないか、自分。と思ってはみたものの、これが自分の持ち味のような気もして。いや、しかし、持ち味とかなんとか呑気なことを言ってていいものか。こうしてる間にも、時間は流れてくんだぞ。 今日の一曲『SOMEONE LIKE YOU』 エコーズ
2005年07月04日
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純粋でなければ私は寂しくなってしまうのです。友情も愛情も純粋でなければ寂しくなってしまうのです。私は、ついつい、純粋であるかどうかを気にしてしまうのだけれど、でも、それは、良いとか悪いとかの問題ではなくて、寂しくなってしまうかどうかの問題なのです。一人でいるのが寂しいから誰でもいいから繋がっていたいと私には思えないのです。私には一人でいることよりも誰でもいいような関係の方がずっと寂しいことなのです。寂しさは、雪に似ています。少しなら我慢できるけれど、たくさんになると雪かきしたくなる。そうして、それでも手に負えないくらいに降り積もったなら、「仕方ないんだよね」と溜息つきながら雪のない世界を夢見るのです。 今日の一曲『Lost in Love』 大森洋平
2005年07月03日
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私は子どもの頃、「役立たず」と親から罵られることが多かったので、すっかり洗脳されていて、役立たずの自分を責めてばかりいた。だけど今、冷静に考えてみて、別に自分を責めるほどのことでもなかったんじゃないか?と思っている。たぶん、私の言葉や行動は少しは誰かの役に立っていたと思う。殆どの人間は本人が気付いていないとしても誰かの役に立てているような気がする。何気ない笑顔だって相手の心を和らげるという意味で役に立てている。それに、仮に本当に役立たずだったのだとしても、やっぱり、自分を責めなくてもいいと思う。人間って誰かの役に立つために生まれて来るわけじゃないのだし。それでも、役に立てた時には嬉しい。だけど、役に立てない自分を責めるのではなくて、役に立てた時に嬉しい気持ちになる、という心持ちでいいんじゃないかな?と今は思ってる。 今日の一曲『流れ星』 真心ブラザーズ
2005年07月02日
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子どもの頃のある日、私は母に、「好きな歌は何?」と聞いた。母のこたえは「四季の歌」それから少し経ち、母がお土産を買って来てくれた時。「お礼に、 四季の歌を歌ってあげるね」と言ったところ、母は、きょとんとした顔で「は?四季の歌?」と言った。「え。 だって、ママ、この歌が好きだって言ってたから」「そうだったっけ」母、自分の言ったことを、もう忘れていた。「忘れちゃったの?」「そんなこと、いちいち覚えてられないよ」私にはこういうことがよくある。小さい頃だけじゃなくて、今も。結構、自分の言ったことを忘れちゃってる人って多い気がする。考え方が変わってしまったのではなくて、忘れちゃってる人。自分が特に忘れない方のような感じがするし、そんな自分ですら、たまに忘れてしまってることもあるし。だから、忘れてしまうのはしょうがないよなって思ってる。でも、「あれ? この前、こう言ってたよね?」と言った時に、「忘れた。そんなこと、いちいち覚えてられないし」みたいな返事をされたりすると、なんか、寂しい気分になる。「そんなこと」と言われることが寂しいのかもしれない。 今日の一曲『サマー・ソルジャー』 サニーディ・サービス
2005年07月01日
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