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野生動物と遭遇する確率の高い人、やたらと動物になつかれる人を、私は『動物フェロモンの出てる人』と呼んでいる。と言っても、見た感じ、わからない。別に不思議な香りを漂わせているということではない。なので、ひょっとしたら特殊な超音波みたいなものを出してるのかね?って気もするんだけど、単に、そういう運の人なのかもしれない。まあ、それはそれとして、私の周りには少数の『動物のフェロモンの出てる人』がいる。彼らは札幌市という都会にいながらにして頻繁に、キツネだのシカだのリスだのヘビだのに遭っている。あと、頻繁ではないけれども、キジとかタヌキなんかのレア動物にまで遭っている。別に森の中で遭遇したってわけじゃなくて、道路でばったりだっていうから、ほんとにもう、羨ましいったら、ない。私なんて全然だ。田舎に住んでたこともあるのにキツネもシカもヘビも、ほんの数回しか見たことがない。もし見たら、胸の中、カーニバル状態になる。そのくらいに、私にとっては、珍しいことなのだ。当然、レア動物なんかは、1度も見たことがない。そういえば、去年だったか、大きな黒リスを見て狂気乱舞!しそうになったら、横に飼い主がいた、なんてことがあった。なんだ、ペットかよ。短大時代、本州から来ていた友人が「北海道って熊が普通にそのへん歩いてるんでしょ」と言っていた。なんという誤解。熊が普通にそのへん歩いてたらたいへんじゃないか。 今日の一曲『ぼくたちの日々』 スガシカオ
2005年12月25日
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風邪をこじらせて気管支炎になってしまった。早い段階で病院に行って、薬を飲み始めたわりに長引いてる。咳をして胸が痛い、なんて経験、ほんとにもう、久しぶり。いつも風邪ひくと、鼻がメインって感じだしね、咳とか痰とかってこと自体、今までの人生で、あんまり、なじみないのよね(笑)それが痛いくらいの咳だからね、素人しては参ったよ、ほんと。咳をした時の力の入れ具合ってものすごいんだろうね。筋肉痛にもなっちゃった。いてててて。というわけで、ゴホゴホ咳きこむ日々を送っている私、マスクをして歩いてます。マスクなんて口裂け女か、80年代のヤンキーかって感じで不良は不良でも体調が不良な自分としてはちょっと抵抗あったんだけども人様に迷惑かけるよりはましなんで我慢。っていうか、最近は、エチケットやら花粉症やら何やらの影響で、薬局のマスクコーナーも結構充実してるのね。いろんなタイプのマスクを売ってたよ。それはともかとして、マスクしてると暖かいね。防寒にも良いかもね。昨日、たまたま母から電話がかかって来たので、「ゴホゴホ、気管支炎になっちゃってゴホゴホ 咳がね、ひどいんだよーぅぅゴホゴホ」と言ったところ、「あら、あんた、喘息持ちだからね、 やっぱり、気管支系統が弱いんだねー」という返事が戻って来た。母、誰と間違ってんだ。 今日の一曲『みそか』 スピッツ
2005年12月23日
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五年生の時、転校をした。新しい学校に通い始めてしばらく経った或る日。「今日の給食、やったね!」「うん!嬉しいね!!」なにやらはしゃいでいる様子のクラスメイトたち。これはさぞかしおいしいものが出て来るのだろうと私もウキウキ気分。やがて、給食の時間。そいつはお皿の上に乗っていた。小ぶりのモナカだった。しかも凍ってる。ということは、アイスモナカ?へえ、アイスクリームなんて給食に出るんだ。なるほど。それならみんなが喜ぶのもわかる。そんなことを思いながら、がぶり。おお!アイスクリー・・・・じゃなくて、なななな、納豆!?献立名、納豆モナカ。モナカの中に半分凍った納豆が入ってんの。納豆モナカなんて、その時、初めて見た。前の学校の給食には出て来なかったし、我が家の食卓でも、お店でも、そんなもの、見たことがなかった。というか、そういうものがあるってことすら知らなかった。そりゃあもう、驚いたのなんの。だけど、これが、意外にも、すっごくおいしかった。みんながはしゃぐのも納得。納豆といえども凍ってるしモナカだしってことでなんとなくおやつっぽくってね、私、すっかり、納豆モナカのファンになった。たまに、また食べたいなと思う、納豆モナカ。でも、お店に売ってないしなー。今度、自分で作ってみようかな。 今日の一曲『ハーメルン』 レピッシュ
2005年12月22日
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1981年のヒット曲です。ちあき哲也作詞・五十嵐浩晃作曲・鈴木茂編曲。1981年。私は小学生。自分のラジカセを買ってもらって以来、暇さえあればラジオを聞いてるって日々が続いてた。振り返ってみると、この時期にヒットしていた曲には今でも大好きな曲がいっぱいある。この曲も、その中の一つ。『どうして報われないものが好き』ってフレーズが、何故だか、やけに印象的で。大人っぽくてきれいでせつない曲だなって思ってた。すごく好きだった。 今日の一曲『ディープ・パープル』 五十嵐浩晃
2005年12月21日
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小学生の頃、両親がパチンコにはまり、しょっちゅうパチンコ屋につき合わされていた。今と違って当時のパチンコ屋はお洒落さのかけらもなく、煙草とお金と床のワックスの混じり合った匂いと裏びれた生活感みたいなものが漂う暗い場所だった。することのない私は落ちているパチンコ玉を拾い集めて時間を潰していた。今思えばちょっとしたご機嫌とりのポーズに過ぎなかったんだろうけどたくさん集めて親のところに持ってくと喜んでもらえたのでそれを励みに、時間を潰していた。ぽつりぽつりと似たような子がいた。みんな、つまらなそうな澱んだ目をして、玉を拾ったり、所々ビニールのやぶけた椅子に座ってくるくる回ったりしていた。私もあんな目をしていたのかもしれない。気が向くとひとときだけの友達になった。パチンコ屋はうるさいから、大声をはりあげないと話ができない。かといって、目立ってしまうと店の人に目をつけられてしまう。だから、ひとときだけの友達関係は、大抵、拾った玉の数を競い合うだけの、言葉のやたらと少ない関係だった。すべて親の都合次第でもあるから気がつけば姿が消えているなんてことが珍しくない、「さよなら」も言わないで終わる関係でもあった。それにしても、私が親によって無駄使いさせられた時間っていうのは合計すると一体どのくらいになるんだろう。たまにそんなことを思ってちょっと悔しい気分になる。 今日の一曲『CASINO DRIVE』レッドウォーリアーズ
2005年12月20日
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雪の家を作るのが好きだった。足跡のついていない雪野原を踏みしめて作る、まるで蟻の巣みたいな雪の家。玄関、応接間、寝室、趣味の部屋、洗面所にトイレ、お風呂・・・。もちろん、家具や飾りも、雪。半分凍ったような少し固めの雪の塊を探して丁寧に削って作る。固すぎる塊は、思うように削れないから駄目。玄関先には、小さな雪像。雪うさぎが一番、多かったかな。こういうとこ、変に几帳面で細かい性格の私だから、全部できあがる頃には日が暮れている。翌日になると、大抵、夜の間に新しく降り積もった雪に埋もれてる。だから、私、毎日のように、新しい家を作ってた。今日こそは日が暮れるまでに完成させるんだ、そうして住人になって遊ぶんだ、って思いながら、だけど、結局、作ってばかりで、住人になることは殆どなかった雪の家。 今日の一曲『傘はおいてませんか』 麗美
2005年12月19日
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洋楽、そんなに幅広く知らなくて。開拓する意欲も、そんな、なくて。だから、洋楽に関しては、数少ないお気に入りを繰り返し聞くっていうタイプの自分なんだけど、こうやって文章を書いている時には洋楽のCDをかけていることが多い。なかでも頻度が高いのはベット・ミドラーのグレイテストヒッツ。なんか落ち着くの。古い曲ばっかりなんだけど、やけにしっくり来る雰囲気というか。ベット・ミドラーの歌声って、映画のイメージも手伝ってるんだろうけどすごく愛がこもってるような気がする。柔らかくて温かい感じがするんだ。 今日の一曲『FROM A DISTANCE』 ベット・ミドラー
2005年12月18日
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今年ももうすぐおしまい。今年もいっぱい好きな歌と出会ったよ。そんな中から2005年私の好きな歌ベスト10を選んでみた。はい、スタート。10位 WISH 嵐 パレードっぽいハッピーな雰囲気が楽しい。 きみに似合いの男に~とかって 少女マンガ的な歌詞にも好感。 9位 HOME アンジェラ・アキ この曲、楽曲自体も (ピアノ弾き語りだよ、アコースティックだよ) 胸にじーんと来る良い曲だなーと思うんだけど、 彼女の歌声がね、ほんと、すごくいい。8位 全力少年 スキマスイッチ 爽やかで明るくて、力強くもあって、 気持ちが盛り上がる歌。 朝とか、出かける前とかに、よく聞いてた。 7位 春夏秋冬 レミオロメン 出す曲、出す曲、いいなーと思う、レミオロメン。 彼らの歌詞って、松本隆ばりに季節感あるよね。 そんな所も好きな理由の一つ。 6位 JOY YUKI 誰かを愛すことなんてほんとはとても簡単だ。 このフレーズが、特に好きなんだけど、 全体的に共感しちゃう歌詞。 ピコピコした雰囲気もいいな。 5位 さくら ケツメイシ この曲、 プロモーションビデオも良かったね。 正直、桜というタイトルを聞くと、 「また、桜かよ?」と思ってしまう自分なんだけど、 しっくり来る歌、多いから困るよ、桜がらみの曲は(笑) コブクロの『桜』も良かったし。 4位 NO・1 スネオヘアー お笑いの人たちで結成のU.N.Oバンドに 提供した曲なんだけど、 スネオヘアー本人が歌ってるバージョンの方が やっぱり好き、ずっと好き。 疾走感あるメロディー、共感ビシバシな歌詞は、 どっちも一緒なんだけど(当たり前だよ) なんてったって、スネオヘアーの声が、 いいのさ、いいのさ。 「夜明け前の山頂に~」って所が、特に好き。 3位 To All The Dreamers SOUL'd OUT ファンキー。かっこいい。 サビ部分聞くと 踊れない私でも踊りたい気分になるよ。 この曲は、絶対、でかい音で聞きたい。2位 ラブ・パレード オレンジレンジ ときめき、ちょっと困っちゃった感じ、 ささいなことに切なくなっちゃう感じ、 だけど、きみがいたなら、 きみのためなら、強くなれそうな感じ。 今すぐきみに走って行きたい、 大好きだよ、きみを見てたいよ、守ってあげたいよ。 そんな、等身大の恋する気持ちが、 いっぱいあふれてる歌だと思う。 聞いてるとキュンとなる、心が透き通って来る。 そして、そして、第1位!!じゃじゃーん。 ファンタスティポ トラジハイジ「え、この曲があんたの今年の1位?」って感じ?だけど、私、連れてかれちゃったの、ファンタスティポへ(笑)懐かしくて、はじけてて、いかがわしくて、楽しくて、大好き。Oh yeah yeah yeah♪さてさて、10曲の中に、みなさんの今年のお気に入り曲は入っていたでしょうか? 今日の一曲 『ファンタスティポ』 トラジハイジ
2005年12月16日
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言葉を意味わからず使うことを「なんか、バカっぽいね☆」と思うのは私だけだろうか。別に、バカおよびバカっぽいことが悪いとは思わないし、バカっぽさが愛らしいねって場合もある。また、私自身、うっかりしてバカっぽい状況になってることもある。だけど、悪くなくても、愛らしくても、はたまた、自分も同じ穴のムジナになり得るとしても、バカっぽいと感じることには変わりない。 今日の一曲『ジュジュ』 佐野元春
2005年12月15日
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一人の人間の性格というのは全部繋がっていると思う。気に入らないからといって一部分だけ、変えることはできない。どこかを変えようとすれば、別の部分にもなんらかの影響が出る。「あんたのそういう性格、変えた方がいいよ」と、人の性格を矯正したがる人を時々見かけるけれど、その結果、変えた方がいいと思ってたこと以外の部分にも変化が出てしまった場合に、またまた、どうだこうだと言い出すのは、無茶だと思う。 今日の一曲『I DON’T KNOW!』 Babe
2005年12月14日
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かなり高い頻度で心をよぎる言葉に「死ぬかもしれない」というものがある。何もないのにそう思うわけじゃない。体の具合が悪い時や、乗り物に乗った時など、危険の可能性が幾ばくか、ちらついている状況で思う。よく「人は自分だけには危険が起こらないと過信してるものだ」と言う人がいるけれど、私も、人と接していて、そう感じることが多い。自分のように頻繁に「死ぬかもしれない」と考えているふうな人にはあんまり、お目にかかったことがないし、自分がこの言葉を口にした時に「考え過ぎ」だの「ネガティブ」だのと反応されることも多い。私としては、この反応は不本意だ。私が考え過ぎなのではなくて安全を過信する人が考えが足りないんじゃないかな?と思うし、極論めいてしまうけれども、可能性ってものを無視することをポジティブとは言わないだろうとも思う。そもそも、「死ぬに違いない、死ぬだろう」ではなく、「死ぬかもしれない」なのだし。さて。死ぬかもしれないと考える人と、死ぬわけないと考える人は、どこが違うのか?いろいろと考えられる。先に書いたような、考え過ぎる性格かどうかの違いやら、ネガ・ポジどちらの傾向が強いってことの違いという見方をする人、トラウマという見方をする人、他にも、いろいろな見方をする人がいそうだ。けれど、私が一番、気に入っているのは、「想像力が豊かかどうかの違い」という考え方なのだよ(笑)最も自分に都合良い解釈を一番気に入っている。こんな自分が、私はとても微笑ましい。 今日の一曲『パラダイム』 アンダーグラフ
2005年12月13日
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人に何かを要望する、ということを全然しない子どもだった。「これ、欲しい。買って買って」と、おねだりすることは勿論なく、「こうして。ああして」と、何かをしてもらうことを望む台詞を言うこともなく、「やめて」「やめなよ」という台詞すら、自分に直接かかわること以外では言わない子どもだった。今でも、他の人たちから「あなたって人に求めない人だよねえ」と、しみじみ言われたりしているので、普通以下なんじゃないかなと思うんだけども、子どもの頃は、ほんとに、まるっきり人に求めない奴だった。求めちゃいけない気がしてた。個人的事情もあったけど、世の習い(笑)として、抑えなくてはならんことなのだとも思っていた。しかし、欲望がないわけじゃない。というより、抑えるべき!と自縛していただけに、激しい。いったん、望んだら、マグマのように激しく、身も心も燃え上がりそうな勢いになってしまうのが常だった。そんな私は、「遠回し作戦」を企むことが多かった。全然関係ない時に何気なく(でも、何回も)言ってみたり、日記に書いてわざと読まれそうな場所に置いてみたり、買って欲しいものがある時には店で「欲しいなあ」ということを態度でアピールする(言葉にはしない)どんな鈍感な人でも気付くだろうってくらいにわかりやすく、しかも、カルメンのごとく情熱的に。成功の率は、かなり低かった・・・。周りの人(おもに親)からすると、策略めいた感じが見え見えなものだから悪感情を抱き、却って「無視してやる」という気分になったのかもしれない。「遠回しなんて感じ悪いことしないで まっすぐぶつかって来なさいよ」みたいな。私もこんな自分がイヤだった。「抑えるべき!」と思いつつも、抑え切れなくて遠回しにアピールする。だったら抑えないでストレートにぶつかってく方がいいよなーと。第一、やり過ぎである。しかし、実際、その場になると、遠回し作戦に流れてしまう。大人になるにつれて「抑えるべき!」と思わなくなった。言うのは自由だ。というか、拒絶するのも相手の自由なんだから、あらかじめ強力に自縛することはないのだと思う。それで随分、楽になった。抑える時はある。というか、そういうことの方が多い、今でも。だけど、今は、「抑えるべきであるから我慢しなくちゃいかんのだ」じゃなくて「抑えておきたいから抑える」って感じでいるから、だから、その分、気持ちが自由になった。随分、楽になった。「べき」は嫌いだ。「べき」という言葉が似合うのは公的なルールの時くらいで、私的なことでは、そんなにないようにも思う。私は「べき」を必要最小限に、とどめておきたい。 今日の一曲『淡い心だって言ってたよ』 The Yellow Monkey
2005年12月12日
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我が家のスキヤキはずぅっと豚肉だった。現在では変わって来ているようだけど、かつては、北海道では、豚肉のスキヤキが一般的だったのさ。ヤキトリもだ。ヤキトリも北海道では、鶏肉、豚肉(精肉と呼ばれる)があって、どっちかというと豚肉の方が一般的。ちなみに私は、子どもの頃から、「何故、豚肉なのに、ヤキトリと呼ぶのだ?」ということが、とても気になっていた。しかし、気になりつつも、私もヤキトリは豚肉の方が好き。味付けは塩ね。豚丼なんてのもあるね。カツ丼じゃないよ、豚丼。甘じょっぱいタレをからめて焼いた豚肉をご飯の上にドサッと乗せたやつ。あと、カレーライスや、しゃぶしゃぶも、豚肉を使う人、多いみたい。という感じで、北海道では豚肉の人気が高い。あ、いや、最近は、牛肉も同じくらいに好まれてるようなんだけど、私の子どもの頃は、豚肉一人勝ちって感じだった。その理由を私の母なんかは「手に入りやすいからじゃない?」と言っていた。値段が安いし、スーパーでも牛よか豚の方がたくさん置いてある、と。確かに、当時は、そうだったのだよ。で、私は、ずっと不思議だったのだ。北海道といえば、牛じゃないか?実際、田舎の方へ行くと、あっちにもこっちにも牛がいてモーと鳴いている。それに比べて、豚がブーと鳴いてる所は全然見たことがない。そりゃあ、牛肉の方が、値段が高いのかもしれない。でも、地元なんだから、多少、お安く手に入るものなんじゃないかと思うし、あちこちに牛がいるという意味ではもっと身近な食材として意識されてもいいはず。(ちなみに、羊肉なんかは、身近な食材になっている)北海道こそ、牛肉がポピュラーであっていいはずなのに他の地域以上に「牛肉より豚肉」の空気が漂っていた。それは、何故だったんだろう?「じゃあうちは? うちはどうして牛肉より豚肉をたくさん使うの?」と聞くと、母はいつもこう言った。「だって味が、牛より豚の方が、おいしいじゃない?」味覚の問題・・・?かつての北海道には、母と同じく、牛肉より豚肉の方がおいしいと感じる人が多かったのか・・・?うー。やっぱ、そんなことないような気がするなー。なんて言ってる私も、実は、牛肉よりも豚肉の方が、味が好きなんだけどさ。 今日の一曲『万華鏡キラキラ』 RYTHEM
2005年12月11日
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自転車で15分の所にあったイトーヨーカドー。まだ新しい建物の匂いが残っている所や、何気に都会的で小奇麗な所が気に入っていた。当時はまだ珍しかったシェイクが飲めたこと、カツ丼がとてもおいしかったことも、かなり大きなポイント。イトーヨーカドーは小学校の低学年だった私のお気に入りスポットだった。いつもなら本屋に直行していた私。ある時から、おもちゃコーナーで、ぼーっとしてしまうようになった。私の心を奪っていたもの、それは、モンチッチ。まあ、なんというか、猿だ。男の子の猿と、女の子の猿がいて、女の子の方は泣いている。奴らは顔と手足の部分だけ合成樹脂で、その他は、触り心地の良いふわふわした毛になっていた。おもちゃコーナーには、大小さまざまのモンチッチたちがいた。私は20センチほどの大きさのスタンダードモンチッチには興味がなかった。既に持っていたからだ。こいつは、値段が安いせいか、毛並みが悪かった。お店にいる時には、ふわふわしてたのに、家に連れて帰ってそんなに経たないうちに、ぺたんとなってしまった。安物の絨毯みたいな展開だった。というわけで、私は、赤ちゃんくらいの大きさのモンチッチが欲しくなってしまったのだ。大きなモンチッチは、小さなモンチッチよりもずっと丁寧に作られているように見えた。いつまでもふわふわした毛のままでいてくれるんじゃないか。そっと抱いてみると、大きいだけに、抱き心地も抜群だった。お店の人の目を盗んで毛の中に顔を埋めてみたら毛布みたいな温かい匂いがした。けれど、大きなモンチッチは、値段が高かった。普通のモンチッチみたいに、自分のお小遣いで買えるような値段じゃない。親に「買って」と、ねだることはできなかった。私は、おねだりのできない子どもだった。暇さえあれば自転車を飛ばして大きなモンチッチを見に行った。さわって、ちょっとだけ抱きしめて、「またね」と別れることの繰り返し。ある時、私は熱を出した。父の車で病院へ連れて行ってもらった帰り道、イトーヨーカドーに寄ることになり、買い物の間、どこかで時間を潰しているように言われた。「おもちゃコーナーにいてもいい?」「動くなよ」やがて、おもちゃコーナーにやって来た父は、モンチッチを熱心に見つめる私に「欲しいのか?」と言った。小さく頷くと「どれがいいんだ?」普段は厳しいけれど、病気の時には優しい父であった。しかも、財布の紐がゆるむ。かくして私は大きなモンチッチを手に入れることができた。泣き顔の、女の子モンチッチだった。嬉しくて嬉しくて、車の中で袋から出した。ぎゅっと抱きしめた。しばらくして、父が急ブレーキをかけた。後部座席にいた私は不意のことにモンチッチを放り出してしまった。そして、再び、抱き寄せたモンチッチ。顔を見て、びっくりした。おでこの辺りに、なにやら、変な黒いものがついている。変な黒いものは、マジックで書いたみたいな汚れで、いくらこすっても、家に帰って洗剤で拭いても、消えなかった。滲むことすらなく、鮮やかに残った。買ってもらったばかりのモンチッチなのに!!モンチッチのおでこを見るたび、悔しいような悲しいような気持ちになった。だからなのか、欲しくて欲しくて手に入れたものなのに、あんまり愛せなかった。今でも不思議だ。どうしてあの時、モンチッチのおでこに変な黒いものがついちゃったんだろう。そして、あれは、結局、なんの汚れだったんだろう。いつだったか、友達のモンチッチにも私のと同じマジックみたいな汚れがついているのを見つけたことがある。素材のせいだったのか? 今日の一曲『モンキーマジック』 ゴダイゴ
2005年12月09日
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子どもの頃、オセロが大得意だった。大人たちは大抵、最初は子どもだからとバカにして手加減するのだけど、途中から本気になった。一回勝っても嬉しくない。どうせ最初のうちは手を抜いてるんだから。二回、三回と、繰り返し、負かすのが楽しかった。それも、こてんぱんにやっつけるのが楽しかった。友達相手なら負け知らずだった。私は誰が相手でも手を抜かなかった。「かわいそうだから、 あんまりひどくやっつけるのはやめよう」とも思わなかった。最後の最後まで真剣勝負だ。いつでも私の目標は、盤上を、とことん自分の色で塗りつぶすことだった。そのうち、誰も相手をしてくれなくなった。私とやっても、面白くなかったのかもしれない。オセロという遊びを、みんなは、そんなに好きでなかったのかもしれない。しばらくの間は、一人でやっていた。どうせ、もともと、相手が見つからない時には一人でやっていたのだし。一人で、白と黒とを受け持ち、両サイドで本気でやる、一人オセロ。それでも「いつかは誰か相手をしてくれるかも」と思いながらでやるのと「誰も相手なんかしてくれない」と思いながらやるのとでは、やっぱり違ってて。いつのまにか、一人でもやらなくなった。箱がボロボロになってまわりをガムテープで止めていた愛用のオセロ盤は母親によって押入れの奥深くにしまい込まれた。大人になった或る日、友達の家で、「オセロでもするか」という話になった。子どもの頃の喜びが甦り、ほくほくしながらゲームを始めた私。なんだ、こりゃ。勝手が違う。子どもの頃には晴れ渡る空のようにすっきりと読めていた幾通りもの展開が、ほんの一握りしか読めなくなっていたのだ。だから、自分の狙いどおりに相手を動かすため、「そこにしか置けないように」追い詰めることも容易にはできなくなっていた。信じられなかった。勘が甦ることを期待して何度もやってみた。勝つことはできた。だけど、子どもの頃のように、完全な勝者として勝つことは、何度やってもできなかった。次第に、心の色がどんよりくすんだ色になって行く。もう、これは、「失ってしまった」と認めるしかなかった。それ以来、オセロの話題になると、私はなんとなく苦い気持ちになる。子どもの頃はものすごく強かっただなんて今はもう誰も信じてくれやしない。 今日の一曲『Baby I Love You』 くるり
2005年12月08日
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ミステリー小説の手法の一つに叙述トリックというものがあります。現代ではいろんな作家が挑戦していて珍しくないのですが、この種のミステリー小説が登場した当時には「フェア?アンフェア?」で大騒ぎになったらしいです。ちなみにその小説、「そして誰もいなくなった」だったか「アクロイド殺し」だったかはちょっと失念してしまったのですが、いずれにせよ、作者の名前は、アガサ・クリスティーです。私の場合、中1の時に、クリスティーに夢中になったのですが、「そして・・・」と「アクロイド」を読んだ時の、脳みそに電流が走ったみたいな快感はいまだに忘れられません。サプライズの快感、ですね。それ以来、私は、叙述トリック愛好者となりました。叙述トリックというのは、簡単に言えば、文章がトリックなのです。文章にトリックが仕掛けられているというわけです。基本的に、ミステリー小説というのは、文章にはトリックを仕掛けていません。また、一人称、三人称にかかわらず、探偵(もしくは探偵の助手)視点で物語が進んで行くので、自然と、読者も探偵と同様の情報収集ができるようになっているのです。と、同時に、読者と主人公の間には信頼関係が築かれています。「主人公は、読者に、嘘をつかない」(これは、ミステリー小説に限らず、 小説全体に通じる暗黙の了解的事項です)ところが、叙述トリックは、この「主人公は、読者に、嘘をつかない」部分で巧妙な罠を仕掛けるんですね。「読者に、嘘をつかない」これは守っています。だけど、「書かない」のです。嘘はつかない。でも真実を何もかも述べるわけじゃない。意図的に、隠すのです。更に巧妙になると、会話分において、作中の登場人物に対して嘘をつくシーンが出たりします。(これって、読者には、嘘をついていないですよね)もちろん、この場合も、読者には、真実を話したとも嘘をついたとも示しません。それどころか、読者が疑いすら抱かないくらいに、さりげなく書かれていたりします。と、まあ、文章にトリックを仕掛けているとは、以上のような意味なんですが、そんな叙述トリックを見破るためには気をつけなくてはならないことがあります。それは、客観的事実と主人公の主観をごっちゃにしてしまわないこと。ここの線引きがきちんとできなければ騙されまくり、翻弄されまくりです。もっとも、その方が後からサプライズの快感を味わえるので却って、楽しめるのかもしれないですけどね☆ 今日の一曲『マワルソラ』 矢井田瞳
2005年12月07日
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この間、友人が私の夢を見たのだそうだ。夢の中で私は、家の中だというのに華麗なダンスを踊り出し、友人が「狭いから危ないよ」というのも聞かず、得意げに次から次と技を繰り出して、しまいに、背中を床にくっつけてクルクル回り出したかと思うと、そのまま、窓ガラスをぶちやぶって、外へとダイビング。「コ、ココナツ!大丈夫?」慌てて窓際にかけよった友人の言葉に、生垣に突き刺さりながらも手足や頭だけでまだ踊っていた私は、クールに「大丈夫」と答えた。幕。私って一体どんなイメージなんだろう。「それにしても、あんたのダンスはすごかった。 もう一回、見てみたいよ」私も見てみたいよ。 今日の一曲『ループスライダー』 真心ブラザーズ ちなみに私は、踊りなど、まったく踊れません。
2005年12月06日
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スキーならそれなりにできるけどスケートは駄目だ。スキーは学校で習ったけどスケートは習ってないからーってこともあるけど、もし習ってたとしてもやっぱ、駄目だったんじゃないかって気がする。リズム感、ないから。それに、怖いから。小学生の頃、友達みんなとスケート場に行った。私たちは、そろって初心者。初心者なだけに計画の段階では、夢、広がりまくりだった。テレビなんかで見るスケートシーンはすいすいすいーと軽やかで素敵でスキーよりもお洒落っぽくもあって私たち、大きく盛り上がった。「ミニスカートにマフラーで行こうよ」「いいねー、マフラー、風になびかせたいよねー」「スカートの下、どうする?短パンはいてく?」「なにケチくさいこと言ってるのさー。 スケートはパンツ見せてなんぼのスポーツだよー」どんなスポーツなんだ(笑)ごつい格好しかできないスキーに慣れてただけに、せっかくスケートするんだからスケートファッションをしたかったのさ。雪国小学生女子の乙女心。なんかズレてたけど、そこはほれ、初心者なだけに、変にテンション上がっていたのだろう。当日。「スケート靴のレンタルって意外と安いんだね」「これなら、いつでもまた来れるね」と、はしゃぎながら、氷の上に降り立った私たち。友達の一人が、私の手を見て言った。「ココナツ、手袋は?」「忘れて来た。でもいいんだ。なくても」さらっと返事した私に、友達が大声を出した。「良くないよーっ」「え、なんで?寒いのなら平気だよ?」「指、なくなるよ!!」「スケート靴はね、ナイフみたいなものなんだよ。 うっかり転んで、手をついてるところに 誰かがスーッと滑って来たら・・・」ギャ、指が!!「ここのスケート場でも 何人も指をなくした人がいるって噂だよ」「な、何人も? (じゃあここって血にまみれたスケート場なの?)」「とにかく絶対に転んじゃ駄目だよ」「そ、そうだよね。 いつどこから人が滑って来るかわからないもんね」というわけで、初めてのスケート体験はミニスカートとマフラーをなびかせるどころじゃなく、転ばないようにということと、友達が転んだら慌ててガードに向こうということに気を張るだけで終わった。後から考えてみれば、手袋をはいていてもいなくても危険には変わりないし、あのスケート場で何人もの人が指をなくしたなんてことはなかったと思う。というか、誰一人、なくしてなんかいないのでは。それでも変なイメージがついてしまった。スケートって怖い、というイメージ。困ったものだよね(笑)いまだに、スケートって、怖い。 今日の一曲『真冬の恋人たち』 松田聖子
2005年12月05日
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大雪にまみれてるし凍りつく寒さにブルブルしてるし、風邪が長引いて疲れて来たし、なんか・・・それなりに冬を満喫してるなーって感じです(笑)この前の夜、家で読書していたら、外から「いしやーきいもー」の声が聞こえて来ました。いしやーきいもー、おいもっ。おいもの部分が可愛い。やきいもの車です。季節ものに弱い自分なのでふらふらーっと買いに行ってしまいました。別に、やきいも、好きじゃないのに、つい。それでも車のそばに行くと、とっても良い匂い。なんとおいしい匂いなのでしょう。やきいもとか、甘栗とかってすごくおいしい匂いだと思います。味より匂いの方が、おいしい気がするのは、気のせいでしょうか。車をのぞくと、想像していたような毛糸の帽子を被ったおじさんではなくて金髪でロックな雰囲気の若者がいました。さっきの「いしやーきいもー、おいもっ」の声は録音なのね。だってどう考えてもおじさんだったもん、あの声。「やきいも、ください」「あいよ!何本あげようか」あいよ!って返事が、いかにも、やきいも屋さんって感じ。ふうん。「一本ください」「ええと、450円になります」あ、急に、やきいも屋っぽくなくなっちゃった。最初の、あいよ!の勢いはどこ行った?っていうか、高っっ。いも一本、450円もすんのか。あったかいやきいも抱きしめて家に帰って、もぐもぐ食べました。やっぱ、匂いの方がおいしいや。でも、やきいも好きの人にとっては匂いより味の方がおいしいんだろうな。なんて当たり前のことを考えながら焦げてるところ、くんくん嗅ぎながら食べました。 今日の一曲『さらばシベリア鉄道』 大瀧詠一 冬になるとこの曲を思い出す。
2005年12月04日
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少し前のことなんだけど高校時代の友達から送られてきた久しぶりのメールに「作家の江國香織がテレビで話してるのを見てたら あなたのことを思い出したよ」と書いてあった。一体どういうことだろう?ファンじゃないし、似てないし・・・。首を傾げながら読み進めると、こう書いてあった。「一つ一つの言葉を探しながら考えながら 話している感じがね、同じだなーと思ってね」そこかー!(笑)一つ一つの言葉を探しながら考えながら話す。江國香織のことはわからないけれど私の場合、このことの根っこにあるものは、ポリシーと、自己防衛意識。毎日、教室で会っていた頃に指摘されたことってなかったんだけど、「さすが、友達、気がついてくれていたんだね」と、なんとなく可笑しかった。そうして、妙に、しみじみしてしまったのだった。「ああ、そっか。 こういうところに気付いてくれていて、 しかも、何も言わずに尊重してくれる人だったからこそ、 私は彼女といることが特別に心地良かったんだな」と。 今日の一曲『車も電話もないけれど』 ユニコーン
2005年12月02日
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小学生の時、クラスに「弥生」という人がいた。三月生まれの弥生ちゃん。昔から和風な感じや季節感というものに強く心惹かれてしまう性格の私。可愛いなーいいなーと思っていた。私は一月生まれだからこのパターンで行くと「睦月」睦月ってのも可愛いなー、中性的な感じがこれまた良いな。睦月とつけてくれれば良かったのにな。二月の「如月(きさらぎ)」四月の「卯月(うづき)」五月の「五月(さつき)」六月の「水無月(みなづき)」七月の「文月(ふみづき)」八月の「葉月(はづき)」九月の「長月(ながつき)」十月の「神無月(かんなづき)」十一月の「霜月(しもつき)」どれも素敵だなー。なかには、名前にするには、そのまんまじゃなくて少しひねった方がいいようなものもあるけれど。でも、一つだけ。十二月の「師走」だけは、ひねっても、いまいち素敵じゃないな。だけど、もしかしたら、コミカルでいいかもしれない。「こんにちは、しわすです」「おーい、しわすーっ」しわす、しわす、しわす・・・うん。何回も言ってるうちに慣れてきた。やっぱ、師走も、なかなかいいな。 今日の一曲『12月のエイプリルフール』 EPO
2005年12月01日
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