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いつのまにか消えていたけれど子どもの頃は、二つ、ヤケドのあとがあった。一つは腕、もう一つは手の甲。どちらも、記憶にないほど幼い頃。当時のストーブは、煙突式。私はその煙突に自分でくっついたらしい。素肌で、ぺたん。母いわく「お風呂に入った時に気がついた」そうで、なんと私は、ヤケドの瞬間、ちっとも泣かなかったのだそうだ。たいしたヤケドではなかったみたいなのだけどすぐに処置しなかったので、あとが残ってしまった。小さい頃から、痛みには、我慢強かったのか。それとも、鈍感なだけ?(笑)あとが残っていたのはその二つだけだったけれど、物心ついてからは数え切れないくらいにヤケドをした。ちょろちょろした子どもだったのさ。どれも軽めのヤケドだったというのが、まあ、不幸中の幸いだね。とにかく頻繁に失敗してたので小学生の頃には「ヤケドといえば、まず冷水」がすっかり身についていて、「ぎゃ!」と思った直後には水道に走るようになっていた。ところが、ある時、いつものように水道に走ろうとしたら、「待ちなさい!」と止められた。祖母の家だった。止めたのは、たまたま遊びに来ていた祖母の友達。「ヤケドには味噌だよ!味噌が一番いいんだよ!」「へ?」戸惑う私、および、周りの人たちに、「味噌だって!早く味噌!味噌!味噌!」緊急で豚汁でも作っているかのように味噌という言葉を連呼。その勢いに負けて、冷水で冷やすことなく味噌をべったりと塗られるはめとなった私。ひりひり痛いのなんの。その時、知った。冷水って痛みも忘れさせてくれていたのね。味噌を塗った上から包帯を巻かれて。味噌くさいし、なんかむずむず痒いし、ほんと、いやだったなー、あれは。そんなわけで、たった一度きりの「ヤケドに味噌体験」確かに、長引くことなく、治った。あとも残らなかったし。だけど、これって味噌のおかげじゃなくて、もともとたいしたヤケドじゃなかったからのような気がするよ。もしか、ひどいヤケドだったとしたら、ろくに冷やさないで味噌なんか塗ったら却って悪化してたんじゃないのかー?(笑)昔の人は、蛇口をひねればすぐに水が出て来る環境にいなかったから、身近のひんやりしたものをということで味噌を塗っていたのかもしれないね。 今日の一曲『ツバサ』 アンダーグラフ
2005年11月30日
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バスで女子高生たちが誰かの噂話をしていて、口々に「ムカつくっぺー」と言っていた。方言が流行っているのは知っていたけれど、そうか、「ぺー」まで行っちゃってるのか。女子高生たちは「あ、着いたっぺー」「ほんとだっぺー」と、ぺーをこだまさせながらバスを降りて行った。 今日の一曲『FEVER』 TRICERATOPS
2005年11月29日
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昨夜は元気だったのに、朝、起きたら、喉が重たく痛い。と思ったら、鼻水ずるずる。あーあ、また風邪ひいちゃったよ。この頃、風邪って、急にひく。子どもの頃はもっと前触れとかがあったような気がするんだけど、今は、いきなり「すごい具合悪い」って感じ。とってもスピーディ。なんなんだろう。でも、治るのも早いみたい。だから、まあ、いっか。 今日の一曲『BAN BAN BAN』 KUWATA・BAND
2005年11月28日
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中学に入ったくらいから、誰からも意見されたくないという思いが激しくなった。心配ですらも迷惑だった。私のことなんか何もわからないくせにごちゃごちゃ言って来ないでよと思っていた。振り返れば、苦笑いが浮かぶ。だけど。人の意見をはねつけて自分だけでいろんなことを考えた。ああでもない、こうでもないと考えた。あの時期を経なければ、人の意見に耳を傾けることができるようにはなれなかったかもしれないなって思うのだ。「私のことなんか何もわからないくせに」って気持ちがいつまでも溶けなかったかもしれないなって。必要な回り道というのがあるのかもしれない。そんな気がする。 今日の一曲『中央線』 The BOOM
2005年11月27日
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11月25日は子どもの頃に別れた父の誕生日。1945年11月25日生まれ。父のことを私はよく知らない。誕生日は数少ない情報の中の一つだ。それらのささやかな情報たちを頭に置きながら、若き日の父のことを想像するのが昔から好きだった。私の顔は、母親にちっとも似てなくてそのかわり、とても父に似ているらしい。子どもの頃から、母を知る私の周りの人々は、みんなして「お母さんと全然似てないね。 ってことは、お父さんに似ているんだね?」と言う。父と離れ離れになって以降、私は、そのたび、なんと答えるべきなのか迷うようになった。確かに実の父にはよく似ている。だけど、今の自分の父親は、実の父ではなくて、血の繋がらない父だから、どう見ても似ていない。似ているわけがない。そして、彼らが、私の父親に会うことがあるとしたら、それは、血の繋がらない方の父親なのだ。そのへんの事情を話すことを、子どもの頃は口止めされていた。今はもう口止めされていないけれど相手の反応を考えると説明するのが億劫だ。だから、子どもの頃も今も、大抵、「どっちにも似てないの」と答えてる。そう返事をする時、私はいつも、少し寂しい。 今日の一曲『迷路ゲーム』 くるり
2005年11月25日
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人に話してわかってもらえたことがないのですが私は「右・左」の感覚をうまくつかめません。右が右であり、左が左であることに、ちょっと混乱してしまうというか。「右だよ」と言われた時に、即座に反応することができません。ちょっと時間がかかるんです。しかも、間違える率も高いんです(笑)ついでにいうと、その後、決まって、変な気分になるんです。子どもの頃、靴の左右をよく間違えました。履いてみて「あれ?」って。じきに形で区別するようになったので今はさすがに間違わないけどね。大人って子どもに左右を教える時、「お箸を持つ方が右だよ」「字を書く方が右だよ」って言いますよね。うちの親もそうでした。「これ、右に置いておいて」とか頼まれて、すぐに動けずにいる私に、「字を書く方が右だってば!」わかってるんですよ。字を書く方が右だっていうのは。でも、ピンと来ないんです。実際に手を動かしてみないと。ただでさえ、ピンと来ないのに、「向かって右」と「自分にとって右」の違いもあるので、ますます、ぱぱっと動けなかったりもして。一番、困ったのは、蝶々結びとか、編み物とかかな。うちの親もねー、娘が左右に混乱するタイプならそうと諦めて他の言い方で工夫してくれればいいものを「右に輪を作って」「左に通して」と、徹底して右だの左だので説明したがるものだから、いちいち「右ってどっちだっけ、 ええと字を書く方ね・・・(指を動かして確認) よし、こっちだな。でもなんか変な気分」ってふうになっちゃう自分としては、かなりきつかったです。蝶々結び、自分で工夫してできるようになりましたが、今でも一回じゃ成功しないことが多いです。もっとも、即座にピンと来ないだけで人より数秒時間をかければ大丈夫なので別に深刻な悩みじゃありません。人は「たまたまうっかり間違ったんだね」と思ってくれるみたいで自分で言わなきゃ気づかれないしね。車の運転なんかは危ないんじゃないかなーと思っているけれど、運転しないし。ただ、自分としては、この、ちょっとした混乱を伴う変な気分はいったいなんなのかと、そこが気になるのです。ここまで読んでくれたみなさん、たぶん、「ちょっとした混乱を伴う変な気分」と言われてもピンと来ないことでしょう。いつもそうなんです。左右を間違えやすいくらいまでならなんとかわかってもらえるんだけど、この、変な気分は、わかってもらえない(笑)「ただ間抜けなだけ」もしくは「あせっちゃうんだろうね」と結論づけされて、おしまい。まあ、それもあるんだろうけれど、それはそれとして、変な気分も確かにあるんですよ。 今日の一曲『三国駅』 aiko
2005年11月24日
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「いつもここから」のお笑いライブ(無料)に行き、ひしめきあいながら彼らの登場を待っていた時のこと。突然、前に立っていた人が、後に倒れて来た。女子中学生だったようなのだけど、小柄な私より、ずっと背の高い人で、しかも、真っ黒のダウンジャケットを着てたので、自分としては、いきなり目の前が暗くなって、最初は「なんだ、なんだ」って感じだった(笑)前の方から将棋倒し?とか、誰かが押してるの?とか。だけど、原因はともかく、自分がよけたら、この人が倒れちゃうわけで。そしたら怪我するかもしれないわけで。そりゃ、いかん、たいへんだ!ってなわけで、わけわからないまま、思いっきり力をこめて、押さえた。やたら、重いんだ。それもそのはずで、後から知ったところによると、彼女、貧血か何かで、フーと気を失いかけてたのだった。1分も経ってなかったのかもしれないけど、すごく長いこと、押さえていたような気がする。やがて、そばにいた母親らしき人がようやく気付いて、「うわっ、○○ちゃん、どうしたのっ大丈夫っ!?」と大声を出しつつ、手を伸ばしてくれた。よかった、よかった。お母さんが近くにいてくれて、ほんと、よかった。「ありがとうございました」「いえいえ、気にしないで下さい」そんな会話を交わし、通りすがりの人である私は、彼女たちの視界から颯爽と退場。というわけには行かない。これからお笑いライブだし。そんなわけで、その後も、彼女の様子を大丈夫かなーと思いながら気にしていた。幸いにして、彼女のいた位置は、座っていても舞台を見られる位置だったのだけど、彼女、しゃがんでは、立ち上がり、そのたび、ふらついて、またしゃがみこむ、ということを何度も繰り返していた。大丈夫なのか?という根本的な心配が一番大きかったのだけど、そのほかにも、私を含めて後ろのみんなが彼女が動くたび、自分たちも動かなくてはいけないことや、真後ろの自分としては「また倒れて来るかも」と気が気じゃないということもあったので、座っていたらいいのになー、なんで座っていないんだろうなーと、すごく思った。帰りの地下鉄の中で、そういえば、以前、或る歌手が、コンサートの最中に、前の方の席で座って見ていた人に対してノリが悪いとか感じ悪いとかってことをステージ上から言ったとかいう話があったっけなーと思い出した。この事件の真相は知らないけれど、「そういうことがあったらしい」ってことは結構、有名な話だと思うので、あの人はそんなふうに言われるのがイヤで無理して立っていたのかもしれないなって思った。 今日の一曲『スロウライダー』 サニーディ・サービス
2005年11月23日
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この間書いた、職場のボランティア活動に熱心な人。この人は、ゴミ拾いのイベントにもよく参加していて、「ゴミ拾い活動に参加するのは市民の義務」とか「世の為、人の為」とか言っています。それはいいんですが、この人、普段、ゴミをポイ捨てしてるんですよ(笑)しかも、それについて私が何か言っても、「いいの、いいの」とか「まあ、まあ」とか言って笑ってる。しょうがないから、私が拾うと、むっとした顔をする。これが「ゴミをポイ捨てしたって構わないでしょ。 後からまとめてゴミ拾いすればいいんだから」ってことなのだとしたら、なんか変だよなーって思うんです(笑) 今日の一曲『大きな水たまり』 シュノーケル
2005年11月22日
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予約していたCDを発売日前日の夜にウキウキしながら買いに行ったら「まだ届いていない」と言われた。普通は発売日の前日に届いているものなんだけど、なかには当日にならないと来ない商品もあるしね。だから、「じゃあ明日また来ますね」と言ったところ、「明日でも駄目なんです」と言われた。一体、どうして?と思ったら、「うちは小さい店なので 特別に注文しないと来ない商品があるんですよ」だから先週、予約したんだけど・・・。もしかして、先週じゃ、もう既に発売日に間に合わない時期だったのか?そんなバカな。今時、どんな孤島でも、一週間もあれば間に合いそうなもんじゃないかー?と思っていたら、店員が申し訳なさそうな顔で「もしどうしても今日欲しかったら 注文取り消して別のお店に行っちゃってもいいですよ」と言った。「でも、今更取り消したら迷惑ですよね?」そうしたら、なんと店員、にっこり笑って、「大丈夫ですよ。これから問屋に注文する所だから」本日2回目の、そんなバカな!だったら今日、届いているわけがないじゃないか。もういや(笑) 今日の一曲『NO・1』 U.N.O.BAND このCDを予約していたんです・・・。
2005年11月21日
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誰にでも好かれる性格なんてないんだと思う。嫌われる性格もね。気を使われるのが好きな人もいれば嫌いな人もいるんだし、賑やかなのが好きな人もいれば落ち着いた雰囲気が好きな人もいるんだし、そんなことはどうでもよくてもっと違うことを重視している人もいるんだし、マニアックな人もいるんだし(笑)「人に好かれたい」「人に嫌われたくない」と思うのは人間の自然な感情だし、それが自分を高めることや幸福に繋がるんだとしたら良いことなんだろうけれど、他人の評価に合わせ過ぎて自分というものがなくなってしまうんじゃせっかく自分に生まれて来た甲斐がないような気がする。 今日の一曲『悲しみフェスティバル』 スネオヘアー
2005年11月20日
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大好きな人が楽しそうにしているのを見るほど嬉しいことはない。私の言葉で笑って欲しい。私の存在で楽しい気持ちになってもらいたい。それが理想だけれど、もし、その人を楽しくさせるものが私でないなら邪魔したくない。なんでもいい。とにかく楽しい気持ちのあなたでいて欲しい。そんなふうに思っているはずなのに、何故か時々、私自身がその人の楽しい気持ちをぶち壊す。沈んだ表情のその人を見ながら、私は私を、ぶん殴りたくなる。 今日の一曲『スーパーノヴァ』 BUMP OF CHICKEN
2005年11月18日
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悲しいことやつらいことがあると、眠れなくなるという人は多いけれど、私は、そういう時ほど、よく眠る。というか、悲しい気持ちの途中で眠くなって来る。泣いてる途中で眠くなって来る。電池が切れるみたいに。子どもの頃、こっぴどく叱られた後でもすやすや眠っている私のことを、母は「神経の図太い子だ」と言っていた。私も「そうなのかなー?そうなんだろうなー」と思っていた。だけど、今になってみると、違う気がする。眠ることには心を守る作用があるでしょ?だからきっと私の体は、そういう機能に優れた体なんだと思う!そうだ、そうなのだ。・・・現実逃避機能とも言えるけど(笑)けれど、たとえ、そうだとしても、朝、起きると、大抵、元気になっている。朝の光の中では昨日の夜にはもう駄目だとしか思えなかったことがなんとか頑張れること、乗り切れることのように思えたりする。大抵のことは、気持ち次第だから、気持ちが上向きになれば事態を好転させることができちゃったりもする。そういうことを考えたなら、ちょっとの間の現実逃避ならそんなに悪くないんじゃないかなって、そんな気がしませんか。 今日の一曲『Hey my friend』 TOMMY HEAVENLY6
2005年11月17日
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昔から、一部の同性には結構ウケがいいのですが異性のウケは悪いと思います、私のおしゃれセンス(笑)私の場合、なんでおしゃれするのかというと、徹底的に、自分が楽しむためなんです。だから、好感度とか、どうでもいいんですよ。好きな相手の好みにも別に合わせないな。でも、私を好きになるような人は、こういう私が好きなわけだし、私が好きになるのは、自分の好みを押し付けて来るようなタイプじゃないので、全然問題なしのまま、生きて来ました。気まぐれなので「今日は○○風」って感じでその日の気分でいろんな格好をするのですが基本的には、個性的で遊び心のある格好が好きです。自分が楽しむためのおしゃれなだけに。少し前に知人(50代、男性)とばったり会った時に「面白い格好をしてるねー」と言われました。「そういう不思議な格好が今は流行ってるのかい」って(笑)ジーンズにミニスカートを組み合わせた格好ですから、それに対する返事は、「いや・・・流行ったのは少し前ですね。 でも、これって、結構、定番化してると思いますよ」って感じだったんですが、私にとっては「面白い」とか「不思議な格好」とかって言葉は、言われて楽しい気分になる言葉なんですよ。だから、お互い、にこにこしながら別れて。で、数日前。たまたま、その時と似た感じの格好をしていたら、年下の友人に、「今日の組み合わせ、色とかバランスとか、 すごく好きだなー」と褒められたので、「この前、知り合いにね、 面白い格好って言われたんだよー」と笑いながら話したら、友人、「なにそれ。失礼だね!」と、怒り出したのでした。「あ、不思議な格好とも言ってたよ」「不思議な格好って、更に失礼だねっ」「いや、別に失礼な意味じゃなかったよ。 物珍しそうな顔をしていたし」「・・・ココナツさん、 そういうの、イヤじゃないの?」イヤじゃないよ、全然(笑)という友人とのやり取りの中で、「面白い格好とか不思議な格好って言葉は 人によっては失礼な言葉なんだねえ」と、しみじみ思った私でした。 今日の一曲『粉雪』 レミオロメン
2005年11月16日
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「借りたものは 借りた時のままの状態で返す。 万が一、それができない場合は弁償」というのが私の『当たり前』です。だけど、世の中、そうじゃない人もいるんですよね。だから、貸す時には、あげるつもりで貸すことにしています。あげるつもりになれない物の場合には「大切なものだから元の状態のままで返してくれる?」と聞いて、悪い反応なら、貸さないことにしています。もっとも、こう聞くと、大抵の場合、相手の方から「じゃあ、やめとく」と言って来るんですが。後から、腹を立てたりしたくないんです。お互いの『当たり前』が違うんだとしたら、相手に悪気はないわけだから、悪気のない人に腹を立てたくないんです。十代の頃、人に頼まれて本を貸したら、カバーがすっかり汚くなり、本体も真ん中でぱっくり割れちゃってて、帯はビリビリ・・・って状態で返されました。貸した時には新品同様だったので、すごくショックでした。しかも、相手、少しも申し訳なさそうじゃなくて(笑)「ごめんね」も、なかったし。なんか、ほんと、普通にニコニコしながら、「ありがとー。面白かったよー。また何か貸してね」って。それで、私、「こんなふうにされるんだったら貸したくないよ」って言ったんです。「私は本を大事にしてるから、 こんなふうにされたくなかったよ」って。そうしたら相手、ちょっとびっくりしたような表情の後で、「ごめんね」って真面目に謝ってくれて、弁償するとまで言ってくれました。その様子を見ていて、「この人は、ほんとに、 悪気なんかなかったんだなー。 自分にとって普通と思ってることをしただけなんだなー」と思ったのでした。ここで、相手が、「じゃあ、先に言ってくれれば良かったのに!」って怒り出したなら、きっと私、それもそうだなーと思いつつも、思うからこそ、余計に、むしゃくしゃしたと思うのですが、その人は、「いやな気持ちにさせてごめんね」って態度だったから、自分の方から「先に言わなかった私も悪いね。だからもういいよ」って言えました。(もちろん、弁償してもらわなかったよ)人によって『当たり前』って違うんだけど、これがトラブルの原因になってしまうことって多いです。で、そういう場合に、世間の常識に照らし合わせて、どっちが正しいかみたいにしてしまうのって、私は、なるべくしたくないんです。人と付き合う際に、大事なのは、世間の常識よりも、自分と相手の感覚だと思っているから。そんなわけで、私は、「面倒な人だな」とかなんだとか思われたとしても考え方を確認し合うとか、最悪パターンを受け容れる覚悟を持てるなら持つとかってふうに、後から、お互いがイヤな気持ちにならないようにってことを、事前に心がけておくのがいいんじゃないかなーと思っているのです。たまに、うっかり忘れちゃうんですけどね(笑) 今日の一曲『モスクワの夜』 藤井隆
2005年11月15日
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ある日、外をぶらぶら歩いていたら変な音楽とともに小型バスが走って来た。「移動図書館、そよ風号です」移動図書館!?そんなものがあったんだーっっ小樽に引っ越して以来、子どもの足で行ける距離内に本屋も図書館もなく、学校の小さな図書室でしか本に出会えない生活を送っていた私は、活字に飢えていた。小学校五年生の頃のことだ。そよ風号は、私の家のすぐ隣の会館に停まった。こ、こんな近くにかー。嬉しくて、飛び跳ねたくなった。何人かの人々が放送を聞いて集まって来た。誰もが、何冊かの本を抱えている。常連さんたちのようだ。列の後にそっと並んだ。ドキドキした。足を踏み入れた瞬間、ふわっと、大好きな古い本の匂いがした。そうして、窓をふさぐほどに、ぎっしりとつまった本、本、本。しゃがみこんだり、背伸びしたりしながら、目についた本を手に取って開いては閉じて、また、別の本に手を伸ばして、同じことを何度を繰り返していると、係の人が「小さい子の本と大人の本ばかりだから お姉ちゃんくらいの子が読む本はないかもしれないよ」と気の毒そうな顔で声をかけてくれたので「大人の本でも大丈夫です」と返事した。この際、本なら、なんでも良かったんだ、本当に。そうして、嬉しい迷いに揺れながら何度も棚に本を出し入れした結果、何の本を選んだのか、今ではもう忘れてしまったのだけれど、別れ際に係の人が「今度来る時は お姉ちゃんの好きそうな本を持って来てあげるよ」と言ってくれたことは覚えている。それから、私は、月に二回のそよ風号来訪を心待ちにするようになった。何度聞いても、今日来るのだとわかっていても、遠くから、あの変な音楽が聞こえて来ると、やっぱり胸が高鳴った。今でも小樽の町を走っているのかな。大好きだった、そよ風号。 今日の一曲『初恋』 村下孝蔵
2005年11月14日
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小・中学校と写真に映るのが大嫌いだった。鏡で見る自分の顔は結構好き(笑)でも写真の顔は大嫌い・・・の日々。友達からも「・・・写真写り、ほんっとに悪いよねえ・・・」と同情されるほどに、ひどかった。ただでさえ、カメラを向けられると照れくさいような変な気持ちになり、どうしても顔が強張ってしまうというのに、「はい、笑って」と言われて笑う不自然さにも、はたまた「はい、チーズ」の掛け声にも耐えられず、わざと変な顔をしたり、横向いたりしてしまう自分。「イェーイ」も「ピース」も、できないし。とにかく、カメラ向きの良い顔やポーズを作ることも、自然に笑うこともできなかった。というわけなので小・中学校の卒業アルバムなんか、押入れの奥にしまったっきりだ。あんなもん、二度と見たくないぞ。高校に入った頃くらいから、普通の顔で写ることができるようになった。短大に入った頃には、自然に笑えるようにもなった。「写真って残るんだし あんまり変なのばかりというのも寂しいよな」と思うようになり、ヤケクソになることにしたのさ。しかし、今でも、さすがに、はじけたことはできないし、自分がカメラを撮る時に「はい、チーズ」と言うこともできない。「はい、写すよー」ガチャ。これ、結構、人から嫌がられる。ヤケクソになってもまだ越えられない壁のある自分なのだった。 今日の一曲『想い出がいっぱい』 H2O
2005年11月13日
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この間、ぷらぷら買いものをしていた時のこと。近くで綺麗な女の人が携帯電話で話をしていた。綺麗だなと思ったけれど、知り合いでもなんでもないので普通に通り過ぎた私だったが、何メートルか離れた所で、ぞっとした。そこには、凄く怖い表情をした女の人が立っていたのだ。彼女の視線の先には、さっきの綺麗な女の人。し、知り合い?私は今まで、あんなに怖い顔で、しかも一心不乱に人を睨みつけている人ってホラー映画以外で見たことがない。そのくらい、凄い表情だったし、一心不乱な様子だったのだ。だから、目を離せなかった。何かが起きてしまうんじゃないかと心配にもなった。彼女たちはどちらも、私の視線に全然気付かないらしく、片方は陽気な笑い声をあげながら電話を続け、もう片方は、その様子を睨み続けていたのだが、やがて、電話を終えた綺麗な人が歩き出すと、睨んでいた人も別の方向へと歩き出した。緊張が解け、私も自分の向かう先へと歩き出す。ふと不安になって、辺りを見回した。ひょっとしたら彼女たちを見ていた私のことも別の誰かが「一体、なに」と身を震わせながら見ていたかもしれない。私はどんな表情で彼女たちを眺めていたのだろう。 今日の一曲『赤橙』 アシッドマン
2005年11月11日
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知人が「あの人と付き合ってると苛々する、腹が立つ、疲れる」と言った。あの人とは、私も知っている人。知人は、「人それぞれだから あの人が間違ってるとかってことではないと思うんだけど」と前置きして、様々なシチュエーションを例に出して「・・・っていうのが、腹立つ」「・・・っていうのが、疲れる」と説明を始めた。「その気持ちを本人に言ってみれば」と言うと、「言いにくい」と首を横に振る。「もしかして 自分が不愉快だってことを表に出してもいない?」と聞くと、「我慢して出さないようにしてる」と言う。「それとなく伝えてあげようか」と言うと、「いい」と断る。そうして、最後に「好きなのか」と聞いた所、「好きじゃない、どうでもいい」と言ったので、私は言った。「そういうことなら付き合いをやめたらいいと思う」 相手が間違っているとは思わないのだけれども、 苛々する、腹が立つ、疲れる。 その気持ちを伝えられない、伝えたくない。 伝えない方がいいとも思っている。 そして、ここが一番重要なのだけど、 好きじゃない、どうでもいい。だったら、付き合いをやめたらいいと思う。というか、その状況で付き合いを続けて行こうとしているってことが私には不思議だ。 今日の一曲『明日の行方』 SMILE
2005年11月10日
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字を書くのが目的じゃないのに丁寧に書くのは面倒くさい。私は、思いついたことや書きたいことをささささーっとスピーディーにもらさず記したい気持ちが大きいので、きれい・汚いなんかは二の次さ、と思っている。そのため、手帳やノートの字は、たいへん汚い。そんな私だけれども、『字を書くことも目的』の時には、全然、違う字を書く。たとえば、手紙とか、プレートとか。そんな時には、字はアート。ちなみに、アートモードの私の字は、「アンバランス故のバランス良さ」と「鋭角」に、こだわった字。字の使い分けをするようになったのは小学校の高学年くらいの頃から。アートモードの私の字しか見たことがない人は、ノートなんかの字を見たら、びっくりすると思う。ほんとに全然違うから。筆跡による性格診断ってあるけれど、私は、自分がこんなだけに懐疑的。もっとも、多重人格的傾向があるとか(でも、大抵の人は、そうじゃない?)公私の区別をつけてる性格とか、重要な事は何なのかってことや意味にこだわる性格とかって診断結果なら、苦笑いしながら納得しちゃうけどね☆ 今日の一曲『星になった嘘』 山下久美子
2005年11月09日
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職場のAさんは地域の活動やら、その他の運動やらに、熱心に取り組んでいる。この間、Aさんが、「ココナツさんも もっといろんな所に出て行けばいいのに」と言った。私は、出なければならなければ出るし、出たいと思った場合にも出るだろうけれども、そうじゃなければ出たくない。そう言うと、Aさんは、「だけど、こういうことをしてると、 いろんな人で出会えるよ」と言った。確かにそうだろうし、人と出会うのは素敵なことだろう。しかし、私は、人と出会うために義務も必要性もない活動に参加しようと思わない。それを、もっとソフトな口調で言ったところ、Aさんは、「ココナツさんは人と出会いたくないのね」と解釈したらしい。多くの人と出会うことの素晴らしさについて語り始めた。それについては何の異論もない私はAさんの話をじっと聞いていた。するとAさんは反応が良くないと思ったのか、こんなことを言った。「知り合いが多いと何かと便利だよ」「便利、ですか・・・」「そうだよ。いろんなことに利用できるから」「・・・利用・・・ですか。 私、人のことそういうふうに考えるのって なんか抵抗あるんですけど・・・」「そう?私なんか人と出会うたびに、 この人はこういうことに利用できるわね、 こういうことに使ってやろう、とかって考えているよ」そ、そうなんだ・・・。ところで、Aさん、私のことは何に利用しようと考えているの?(笑) 今日の一曲『それが本当なら』 真心ブラザーズ
2005年11月08日
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大貫妙子作詞/C-Cohen・R-Mumarra・R-Wargniel作曲。切なくて、美しくて。この曲が、どうしようもなく、好き。もしかしたら、自分が一番好きなのは、この曲かもしれない。小説を読んでいる時、「このまま、終わらなければいいのに」と思うことがある。彼を、彼女を、もっと見ていたい。物語が終わってももっともっと、いろんな話を聞かせて欲しい。この世界に、まだまだ浸っていたい。この世界をいつまでも感じていたい。この曲を聞いていると、それとよく似た気持ちになるのです。 今日の一曲『彼と彼女のソネット』 大貫妙子
2005年11月07日
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1993年のヒット曲です。作詞・林田健司、森浩美/作曲・林田健司 /編曲・CHOKKAKU。SMAPの曲には他にも好きな曲がいろいろとあるのですが、自分の中でSMAPのイメージが大きく変わったという理由でこの曲を選びました。私は、SMAPによって、80年代に、この身にしっかり染み付いていた、ジャニーズ系の音楽に対するイメージが変わったりもしたので、ま、そういう意味でも、この曲が良いかなと。こう言ってはなんですがジャニーズ系の音楽って、80年代(特に後半)以降、時代からズレていたような気がします。ウェットで、良く言えば、ノスタルジック、悪く言えば、古くさい雰囲気。好きな人にとっては、そこが魅力だったんだろうけど、私には「古っぽいのも、ウェットなのも決して嫌いではないんだけど、 この二つがかけあわさると苦手・・・」って感じだったのでした。余談ですが、当時を知らない世代の人が、光GENJIの『ガラスの十代』なんかを指して「当時の音楽ってああいう感じだったんでしょ」とか言うのを聞くと「それは違う!」と強く言いたい気持ちになります。そりゃあ大ヒットしたけどさー、あの感じは、もっと古い(笑)話はSMAPに戻って。SMAPは、この曲よりも前の『雪が降ってきた』あたりから既にジャニーズ色が薄くはあったんですよね。口づさみやすくて品の良いJポップって感じで今、聞いても、「聞き心地良いね」と思えるような曲が続いてたし。ただ、グループがブレイクするほどの、インパクトには、欠けていたと思うんです。そして、『$10』良い意味で、いかがわしくて、思い切り弾けている、この曲は、すんなりと「あ、この曲、かっこいい」と思える曲で、SMAPのメンバーに興味なくても、「もう一回聞いてみたい」と思えるような曲だったと思います。この曲を聞いて私が一番に思うのは、アレンジがいいよなーってことなんですが、それだけじゃ、曲としての、トータル的な迫力に欠けるわけで、もちろん、歌も、みなさん、かなりドカンと行ってます。特に、今は脱退した森且行の声がファンキーで、この曲に合っているんじゃないかな。歌詞、ちょっとこのフレーズ変だろうって所もありますが、とにかく、はっちゃけた曲だから、まあいいや、もういいや、なんでもいいやと思えたりして(笑) 今日の一曲『$10』 SMAP
2005年11月06日
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10才の時に生まれ育った町、札幌を出て、10年後に、また戻って来た。以来、ずっと、この町で暮らしているのだけど、どういうわけか、幼い頃に住んでいた家の付近に近付いたことがなかった。過去探索の好きな自分にしては珍しい。ましてや、その家は、札幌市の中心部。足を伸ばそうと思えばいつでも行けた。まさに「どういうわけか」なのだった。その家には6才の時まで住んでいた。嘘か本当か知らないが、「海賊の家だった」といういわくつきの、古くて変な家だった。(考えてみると、私の母は、 いつも、変な家ばかりを選んでいる。 そして、後に「気味が悪い家だったね」と言うのだった)細かい造りは忘れてしまったが、二階の廊下の壁が、とても大きな窓、のわりに、やたらと薄暗かったことと、階段に趣味の悪い赤絨毯が敷かれていたこと、それから、トイレの鍵が、内側ではなく外側につけられていたことだけは記憶に残っている。家も大きめだったが、庭もわりと広かった。犬小屋が二つに、ウサギ小屋、アヒル小屋があり、それなりの大きさの花壇もあったのに、ブランコまで置いていたし、夏にはビニールプールを設置していたけれど、それでもまだ走り回って遊べる余裕があった。ちなみに、家の周りには、背の高い木々が鬱蒼と生い茂っていた。それで家の中が薄暗かったってわけなのさ。とにかく、その家を、少し前に私は、母と一緒に見に行って来た。見つからなかった。残念だったけれど、考えてみれば、当たり前だ。札幌市の中心部なんだから、あんな古くて変な借家が残ってるわけがない。しょうがないので、そこら一帯を二人で探索することにした。子どもの頃に歩いた道か・・・と思ったら、心もとない気持ちで道端に生えていたシロツメクサを齧りながら真夏の太陽熱を吸い込んだ真っ黒いアスファルトの上にぺたんと座っていた記憶が、ふっと甦った。広くて長くて、とにかく先の見えないほどに、どこまでも続いていたアスファルトの道。ところが、その道、実際には、信じがたいほどに、狭くて、短い道だった。「え、これが?ほんとに? 道も変わったんじゃないの?」と言う私に、母は、「いや、この道は、変わってないよ」気味が悪くなってしまった。小さい子どもの視線だと、こんなに印象が違うものなのね。母が不思議そうに呟いた。「ここらへんにあの家があったはずなんだけど、 のわりに、 やけに面積が足りないような気がするのよね・・・」もしかしたら、あの頃、私たちは、幻の中に住んでいたのかもしれない。 今日の一曲『Strawberry Fields Forever』THE BEATLES
2005年11月04日
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随分と前のことになるけれど、二人の人を同時に好きになったことがある。困惑した。自分にはそんなことはないと思っていたのだ。理屈っぽい言い方だと思われてしまうかもしれないけれど、その「好き」は、種類の違う「好き」だった。種類の違う「好き」だから、どちらへの恋を突き進めば良いのか、わからなくなった。もともと、私は、「決められないってことは どっちもたいして好きじゃないってことさ」という考え方だったので、その時も、まずは、自分で自分にそう言い聞かせようとした。けれど、それじゃどうも納得できなかった。つまり、「同時に二人を好きになる気持ち」っていうのは、「実際、そうなってみて初めてわかる感覚」なのだった。とりあえず、「同時に二人を好きになったことがなかったから、 あんなふうにすっきりと思っていられたのね、自分・・・」ということにだけは納得できた私だったのだけど、問題はそこじゃないので、困惑は更に続いた。そうして、最終的に、私は、「二人が同時に海で溺れていたら どっちを助けたいか」を考えることにした。両方とも助けたいのは山々だ。基本的には、見ず知らずの人でも助けたいくらいなのだし。しかし、この場合、絶対に一人しか助けることができない(と設定した)しかも、助けることによって自分が死ぬかもしれない(とも設定した)だとしたら、私は、どうするか。荒れ狂う海を想像した。ザパーン、ザパーン。そこで溺れる、私の好きな人、二人。溺れながらの台詞も人物に合わせて想定した。私が、自分が死ぬかもしれなくても助けたい人は誰?そして、わかったのでした。自分が本当に必要としている人が誰なのか。 今日の一曲『君の声』 アンダーグラフ
2005年11月03日
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この歌を知ったのは小学生の時。音楽の時間に習って、その後、みんなで合唱・合奏したんだったと思います。あと、映画の主題歌にもなってたんですよね。それをテレビで見た時に、映画のストーリーともども、じーんと来たのを覚えています。そんなこんなで、当時は、「いい曲だな、好きだな」と思った私だったのですが、大人になるにつれて、いつのまにやら忘れていました。ふたたび、この歌を好きになったきっかけを作ってくれたのは、顔も本当の名前も知らない、或る人でした。インターネットを始めたばかりの頃です。私は、ささやかな掲示板を運営していました。『懐かしワールド』という名前をつけた、その掲示板は、管理人の私が毎日、過去の音楽やテレビ番組の中から一つか二つのテーマを、短文とともに掲載して、遊びに来てくれたみなさんと一緒に語り合うという場でした。その掲示板で、私の誕生日の時に、一人の人が、この歌を贈ってくれたのです。それが、すごく嬉しくて。本当に、すごく嬉しくて。というわけで、この歌は、私にとって、特別な存在の歌の一つなのでした。 今日の一曲『翼をください』
2005年11月02日
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平原綾香の、カバーアルバム『From To』を買いました。この前、同じくカバーアルバムの、槙原敬之『Listen To The Music2』を買ったばかりなのに(笑)このところ、カバーアルバム、多過ぎ!なんて文句言ってるけど、ほんとのところは、カバーアルバムっていい曲が収録されてるだけに好きなのでした。平原綾香、槇原敬之みたいに、歌声がすごく好きな人のは、特に、「この人が歌ったらどんななのかなあ? 聞いてみたいなー」って強く思うしね。(実は今、徳永英明のも欲しかったりする)ちなみに、『From To』の収録曲は、こんな感じ。「晩夏 ひとりの季節(荒井由実)」「言葉にできない(オフコース)」「いとしのエリー(SAS)」「いのちの名前(木村弓)」「Missing(久保田利伸)」「秋桜(山口百恵)」「TRUE LOVE(藤井郁弥)」「桜坂(福山雅治)」「なごり雪(イルカ)」「翼をください(赤い鳥)」「あなたに(安全地帯)」カバーアルバム好きの自分ですが、こんな、全曲好きな曲っていうのは、さすがに初めてです(笑)感想。すっごく素敵な一枚です。とても気に入りました。 今日の一曲『晩夏(ひとりの季節)』 平原綾香
2005年11月01日
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