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バラク・オバマ米大統領はシリアへ特殊部隊を送り込むことを承認したという。現在、シリアではロシアが9月末から始めた空爆でIS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)やアル・カイダ系武装集団に大きなダメージを与え、戦力の35%を失ったとされている。この結果はアメリカ軍がISやアル・カイダ系武装集団を攻撃してこなかったことを示している。 アメリカのフォクス・ニュースは、「プーチンが意図的にわれわれの軍事勢力をターゲットにしている」としたうえ、アメリカがロシアに対して弱腰だと失望している政府高官の発言を紹介しているが、アメリカ中央軍のロイド・オースチン司令官が9月16日に議会で行った証言によると、アメリカ軍が訓練した戦闘員でISと戦っていたのは4名か5名。 また、DIA(アメリカ軍の情報機関)が2012年8月に作成した文書によると、「われわれの軍事勢力」とは反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI。DIAによるとアル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称だ。アメリカの好戦派がロシア軍の空爆でパニックになっているのは、こうしたISやアル・カイダ系武装集団が敗走し始めたからにほかならない。 2011年3月にシリアで戦闘が始まった直後からトルコにあるアメリカ空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関や特殊部隊、イギリスやフランスの特殊部隊から派遣された教官が戦闘員を訓練、シリアへ反政府軍の兵士として送り出していたことは知られている。 イスラエルでの報道によると、シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が潜入、ウィキリークスが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも最近、報道された。こうした西側の特殊部隊がロシアの空爆で厳しい状況に陥っている可能性が強く、その救援部隊として新たな特殊部隊を派遣する可能性もあるだろう。 NATO加盟国、ペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエルの支援を受けた反シリア軍はゴラン高原にいもいて、イスラエル軍から支援を受けてきたが、そこでもロシア軍の攻撃を受けている。イスラエルが不法占領しているゴラン高原では石油など資源が発見されていて、シリアの主権を無視する形でアメリカの会社、ジェニーが利権を手にしようとしている。 この会社の戦略顧問にはリチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジー、ウィリアム・リチャードソン、ジェイコブ・ロスチャイルド、ルパート・マードック、ラリー・サマーズ、マイケル・ステインハートなどが名を連ねている。つまり、この会社のカネ儲けをアメリカ政府は支援させられる。 いずれにしろ、アメリカの特殊部隊派遣は「初」でなく、方針の変更でもない。ただ、今回はそれを公言したということだ。オバマ政権が初めて自国の特殊部隊をシリアへ派遣するという「大本営発表」を垂れ流すマスコミも存在するようで、救いがたい。ちなみに、シリアは主権国家であり、そこへ軍隊を入れるのは侵略にほかならない。それを平然と伝えるマスコミは、日本が周辺諸国を侵略することにも反対しないのだろう。
2015.10.31
安倍晋三政権は反民主主義の本性を剝き出しにして辺野古を埋め立てしはじめている。かつて、沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められたが、それを思い出すという人もいる。 その軍事基地化は、1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づいて行われた。真和志村案謝、銘刈、小禄村具志、伊江村真謝、宜野湾伊佐浜などで武装米兵を動員した暴力的な土地接収も行われた結果、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になってしまう。そうした軍事占領の始まりは、1949年9月に昭和天皇が出した「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)というフィクション」のもとでおこなわれることを求めるという内容のメッセージだ。(豊下楢彦『安保条約の成立』岩波書店、1996年) こうした強制接収と並行して移民政策も推進している。土壌の豊かな土地が無償で提供され、未知の病気もなく、近い将来には鉄道が近くを通るとも琉球政府などは宣伝、それを信じて約4000名が応募する。 最初の移民は1954年8月にボリビアへ到着するが、そこは鬱蒼としたジャングルで、そこから鉄道までの道もなく、大きな川に橋も架かっていなかった。水を得るためには何キロメートルも歩かねばならず、その水は塩分が含まれていたという。しかも、そこには原因不明の病気があり、大洪水やネズミの大群に苦しむことになる。当初の移民計画では1954年から10年間で1万2000名をボリビアへ送り込む予定だったようだが、3200名にとどまったという。「棄民政策」と言われても仕方がないだろう。 この時期、リーダー格の人びとが排除されている。例えば、1954年7月には人民党中央委員の林義己と畠義基に退島命令が出され、10月には同党の瀬長亀次郎書記長らが逮捕され、それを不当だと抗議した二十数名がさらに逮捕された。弁護士のいない裁判で瀬長は懲役2年の判決を受けている。また、1956年10月には比嘉秀平琉球主席が55歳の若さで急死した。 そうした中、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたのが後の統合参謀本部議長、ライマン・レムニッツァーである。本ブログでは何度か登場した軍人で、ソ連を先制核攻撃しようとしていたグループのひとりだ。 議長時代にはアメリカを戦争へ引きずり込むため、「偽旗作戦」を計画した。つまり、アメリカの諸都市で「偽装テロ」を実行、最終的には無人の旅客機をキューバの近くで自爆させ、あたかもキューバ軍が撃墜したように演出、キューバへ軍事侵攻する口実にしようとした。いわゆる「ノースウッズ作戦」である。 レムニッツァーが統合参謀本部議長に就任したのはドワイト・アイゼンハワーが大統領だった1960年9月。翌年からジョン・F・ケネディ政権がスタート、その年の7月にレムニッツァーを含む軍や情報機関の幹部が300発の核爆弾をソ連の100都市に投下するという「ドロップショット作戦」を大統領に説明している。この計画は1957年からスタートし、63年の後半にはソ連を核攻撃する予定になっていたという。その頃になれば、先制攻撃に必要なICBMを準備できると信じていたのだが、ケネディ大統領は拒否する。そのケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのは1963年11月だった。 沖縄が軍事基地化される背後で、アメリカの好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいたということ。1963年後半ならソ連から反撃されることなく、圧勝できると考えていたようだが、ソ連消滅後にもアメリカの好戦派は似たことを妄想している。 今から9年前、外交問題評議会(CFR)が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌に掲載された論文で、キール・リーバーとダリル・プレスはロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張した。ロシアや中国と戦争してもアメリカは圧勝、世界制覇は実現されると信じていたのだろう。 その論文が出た前年、日米両国政府は「日米同盟:未来のための変革と再編」に署名、同盟の対象が極東から世界へ拡大され、「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」が放棄され、「日米共通の戦略」に基づいて行動することになった。 言うまでもなく、「日米共通の戦略」とはアメリカ支配層の戦略。その頃、アメリカを動かしていたのは1992年初めに国防総省で作成されたDPGの草案だ。当時の国防長官はリチャード・チェイニー、次官はポール・ウォルフォウィッツで、ネオコン色が濃く、好戦的な布陣。 こうした好戦派は1991年12月にソ連が消滅したことでアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、新たなライバルの出現を阻止するため、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潰そうとする。同時に、ライバルを生む出す基盤になる資源が地下に眠る西南アジアを完全に支配しようと考えた。つまり、2005年の文書は、日本もアメリカの世界制覇に協力するという宣言なわけである。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンは今でも生きているが、中東やウクライナでロシアに行く手を阻まれた。そこで、アメリカの好戦派は東アジアで軍事的な緊張を高めようとしている。その手先として日本を差し出したのが安倍晋三政権であり、その安倍政権をマスコミは支えている。
2015.10.30
10月29日に沖縄防衛局は名護市辺野古で埋め立て本体工事に着手したという。この工事については沖縄県の翁長雄志知事が埋め立て承認を取り消していたが、28日に石井啓一国土交通相がその効力を止める「執行停止」を決定、そのうえで着工した。 石井国交相は、取り消しがアメリカとの信頼関係に悪影響を及ぼすので代執行手続きを進めるとしているようだが、この発言について記者から質問されたアメリカ国務省のジョン・カービー報道官は戸惑いを見せる。日米同盟やアメリカ軍が存在している状態の最大利益に移設は含まれると信じ、これからも両国は連携していくと語ったものの、外交的な議論の詳細には立ち入らないと答え、取り消しがアメリカとの信頼関係に悪影響を及ぼすのかという質問には答えていない。 知事による埋め立て承認の取り消しを国交相が「執行停止」した前日、アメリカ海軍は中国が自国の領海だと主張する南沙群島(チュオンサ諸島、あるいはスプラトリー諸島)の海域へ偵察機を伴ったミサイル駆逐艦(イージス艦)のラッセンを送り込んで中国を挑発、今後も続けると言われている。 このタイミングでイージス艦を派遣した理由について、フィリピンで開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議やマレーシアでの東アジア・サミットを睨んでのことだと推測する人もいるが、辺野古の問題が関係しているかもしれない。 ただ、アメリカ国防総省には5月の段階で軍用機や軍艦を南沙群島へ派遣すべきだとする意見があった。そうした主張の中心にいるアシュトン・カーター国防長官は今年2月、軍事力の行使に慎重なチャック・ヘーゲルの後任として就任した人物。長官に就任した翌月、アメリカとイランで合意が成立してもイランを攻撃する選択肢は消えないと語っている。2006年にはハーバード大学で朝鮮空爆を主張したことでも有名。5月にバラク・オバマ大統領が統合参謀本部議長に指名したジョセフ・ダンフォード大将も好戦派として知られている。 こうした流れの中、南沙群島で軍による示威活動を実行すべきだという意見が出てくるのは必然だが、中国との関係悪化を避けるため、そうした意見をホワイトハウスは押さえ込もうとしてきたという。そうした押さえがきかなくなったということだろう。 しかし、1992年以降、世界制覇を目指すアメリカが中国と衝突するのは不可避。経済的に中国との関係を悪化させたくないなら、そのプロジェクトを放棄する必要があるのだが、そうした動きはない。 好戦派はアル・カイダ系武装集団やネオ・ナチを使って軍事侵略、ターゲット国での破壊と殺戮を続けてきたが、そうした戦術がロシアの反撃で機能しなくなり、その間、ロシアと中国との関係が緊密化してアメリカを中心とする支配システムは揺らいでいる。好戦派の世界制覇戦略を続けるならば、アメリカは遠くない将来に崩壊して破綻国家になりかねない。それでも好戦派に引っ張られているところにアメリカの悲劇がある。
2015.10.29
ロシアの空爆でアルカイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)が大きなダメージを受けていることは、イラクの政府や議会がロシアへ空爆を要請しようとしていることでも明らか。アメリカの好戦派は動揺している。 好戦派のひとり、アシュトン・カーター国防長官はロシアに死傷者が出る、あるいはペンタゴンはイラクやシリアで地上で直接的な行動を始めるなどと語ったようだが、個人的に虚勢を張っているようにしか見えない。 アメリカのフォクス・ニュースは、「プーチンが意図的にわれわれの軍事勢力をターゲットにしている」としたうえ、アメリカがロシアに対して弱腰だと失望している政府高官の発言を紹介しているが、「われわれの軍事勢力」とは具体的に何を指しているのかと話題になっている。 2012年8月の時点で、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしているとDIA(アメリカ軍の情報機関)が報告していることは本ブログで何度も書いてきた。 また、DIAによるとアル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称。このAQIは2004年に組織され、06年にISIが編成されたときの中心になり、13年4月からISと呼ばれるようになった。AQIもアル・ヌスラもISも同じ戦闘集団だと言わざるをえない。 そこで、アメリカ政府は「穏健派」の戦闘集団を育成してきたというのだが、米中央軍のロイド・オースチン司令官が9月16日に議会で行った証言によると、アメリカ軍が訓練した54名のうち、その時点でISと戦っていたのは4名か5名。言うまでもなく、軍事勢力とは呼べない。事実上、そうした勢力は存在しないのだ。 では、アメリカの好戦派が言うところの「われわれの軍事勢力」とは何を指しているかということだが、アル・カイダ系武装集団やISしかない。ネオコンたちはロシア軍がそうした「われわれの軍事勢力」を攻撃したことに怒っているのだ。武器庫なども破壊されているので、物資も補充している。 シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が潜入したとイスラエルで報道されたほか、WikiLeaksが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも最近、報道された。こうした部隊のメンバーも爆撃で死傷している可能性がある。 ネオコン/シオニストなどアメリカの好戦派は1992年に世界制覇プロジェクトを始めて以来、アメリカ軍が軍事作戦を始めてもロシア軍は動かないという前提で計画を立て、しかもロシア軍の能力を過小評価していた。 例えば、2006年、外交問題評議会(CFR)が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌にキール・リーバーとダリル・プレスはロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると書いている。これはネオコン全体の見方だったのだろうが、ロシア軍のシリアでの空爆によって、こうした見方は崩れた。 今後、アメリカの好戦派は物資を供給するだけでなく戦闘員も増強、ロシアを泥沼へ引きずり込もうとするだろう。その一方、東アジアでも軍事的な緊張を高めている。実際に火を付ける可能性もある。勿論、足りない戦力を補充するのは日本の役割。安倍晋三政権はそうした約束をアメリカと交わしたのである。
2015.10.28
トニー・ブレア元英首相を戦争犯罪人として裁くべきだとする人が増えている。そうした中、10月25日にブレアはCNNの番組で「自分たちが知らされた情報が間違っていた事実」を謝罪した。しかも、サダム・フセインを排除したことについて誤ることは拒否している。自分に対する風当たりが強くなっているため、一種の「ガス抜き」をしようとしたのだろう。いわゆる「ダメージ・コントロール」だ。 逆風を強めた一因はコリン・パウエルの書いたメモにある。ジョージ・W・ブッシュ政権の国務大臣だったパウエルは2002年3月28日、ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わるとメモに書いているのだ。この時点でブレアは開戦に同意していることになるが、この当時、ブレアはそうしたことを言っていない。 この頃、アメリカではネオコン/シオニストなど好戦派はイラクを先制攻撃、サダム/フセイン体制を破壊しようと目論んでいたのだが、統合参謀本部では大義がないうえ、無謀だとして反対意見が多く、揉めていた。イギリスでも開戦が認められるような雰囲気ではなかった。 そこで、アメリカやイギリスの政府はイラク攻撃を正当化するために「大量破壊兵器」を宣伝する。ブレア政権が「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成したのはパウエルのメモが書かれた半年後、2002年9月のこと。 その報告書、いわゆる「9月文書」はイラクが45分で大量破壊兵器を使用できると主張している。しかも文書の内容がリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載した。この報告書をパウエル国務長官は絶賛したが、大学院生の論文を無断引用した代物で、内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。 それに対し、2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 キャンベルはブレア首相の側近で広報を担当していた。デイリー・メール紙で記者をしていた経験があり、メール・グループを統括していたロバート・マクスウェルから可愛がられていたのだが、マクスウェルはイギリスやイスラエルの情報機関に協力していた人物だとされている。キャンベルも親イスラエル。ブレアがイスラエル系の富豪を資金源にしていたことは本ブログでも何度か書いた。 つまり、ブレアは2002年3月以前にイラクを先制攻撃することを決断、それを実現するため、9月には嘘を承知で大量破壊兵器の話を広めて開戦へ結びつけたのであり、情報機関から「正しい情報」を知らされたにもかかわらず、「間違った情報」を発信したのだ。 その結果、2003年3月20日にアメリカ軍はイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃、フセイン体制を倒し、12年以上を経た今でも戦闘は続いている。その間、フセインは処刑された。 2006年10月に出されたイギリスの医学雑誌「ランセット」によると、2003年3月から06年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だとしている。またイギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表した。 今回、ブレアは「謝罪」という言葉を使ったものの、本当に謝罪しているわけではない。戦争犯罪で裁けという意見が強まる中、ダメージ・コントロールを図ったのだ。 少しでも思考力があれば2002年や03年でも大量破壊兵器の話に疑問を感じていただろうが、日本の政治家やマスコミは戦争熱を煽るだけ。テレビに登場するのはそうした類いの人物ばかりで、例外は橋田信介くらいだった。その橋田は2004年5月、自衛隊駐屯地へ立入許可証を受け取りに行った帰りに甥の小川功太郎とともに殺害された。
2015.10.27
アメリカ海軍は10月27日、中国が領海だと主張する南沙群島(チュオンサ諸島、あるいはスプラトリー諸島)の海域へ偵察機を伴ったミサイル駆逐艦(イージス艦)のラッセンを送り込んで挑発、中国の反応をみているようだ。 ラッセンは横須賀を拠点にしている。この海域は中国のほか、フィリピン、マレーシア、ベトナムも自国の領海だと主張しているが、今回はアメリカが自分たちの「縄張り」だと宣言する一種の示威行動だ。 ウクライナでもアメリカは似たようなことをしている。昨年4月10日に黒海へイージス艦のドナルド・クックを入れ、ロシアの領海近くを航行させたのだが、このときはロシアはジャミング・システムを搭載したスホイ24を米艦の近くを飛ばしている。その際、米艦のイージス・システムが機能しなくなり、その間、戦闘機は仮想攻撃を実施したという未確認情報が流れている。その直後にドナルド・クックはルーマニアへ緊急寄港、それ以降はロシアの領海にアメリカ軍は近づかなくなったという。 こうした出来事の直後、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問して14日にはアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が東部の反クーデターは住民を制圧する作戦を承認、22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それに合わせてトゥルチノフ大統領代行、アルセン・アバコフ内相、バレンティン・ナリバイチェンコSBU(治安機関)長官、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長が会議を開き、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)のスポンサーとして知られているドニエプロペトロフスク市のイゴール・コロモイスキー市長も出席している。そして5月2日にオデッサで住民が虐殺された。 虐殺を演出したのは会議を開いたグループで、実行部隊はネオ・ナチ。まず、サッカーの試合を強行してフーリガンを集め、反クーデター派を装ってそうしたグループを挑発して労働組合会館へ誘導している。 会館の前に集まっていた反クーデター派の住民には子どもや女性も含まれていて、そうした人びとを会館の中へ避難させるようにネオ・ナチは仕向け、その中で住民を殺している。50名近くが殺されたとされているが、住民の証言によると120名から130名が虐殺され、70体から80体の死体は運び去られたという。 クーデターを現場で指揮していたことで知られているパルビーは事件の数日前、数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチへ運んでいる。その装具を受け取ったミコラ・ボルコフは虐殺の当日、労働組合会館へ向かって銃を発射、状況をキエフの何者かに報告する様子が映像に残っている。その後、ウクライナの東部、ドンバス(ドネツクやルガンスク)でロシア語を話す住民をキエフ側は殺し始める。民族浄化作戦の開始だ。 ウクライナではそれとなく警告していたロシアだが、シリアでは9月末から軍事作戦を開始、IS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)やアル・カイダ系武装集団に対して大きなダメージを与えている。シリア軍と連携、住民の協力を得ていることもあり、正確な情報で効率的に空爆を繰り返し、途中、カスピ海の艦船から巡航ミサイルでISやアル・ヌスラの部隊を攻撃している。 攻撃までの動きが素早く、しかも攻撃の精度が高いことにアメリカ側は驚いているようだが、そのロシアは中国へ高性能地対空ミサイルS-300を供給、それを上まわる能力を持つS-400も提供すると言われ、アメリカ側は神経質になっている。中国がどの程度のジャミングの能力を持っているかも気にしているだろう。今回、ラッセンを派遣した理由のひとつは、そうした能力を見たいということもあるかもしれない。 ラッセンが航行した南シナ海を安倍晋三首相は「日本の戦場」と考えている可能性がある。ベトナム、フィリピン、日本を軸にして中国を封じ込めようとしているアメリカの意向に沿ってのことだ。週刊現代のサイトで紹介された話によると、今年6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍首相は「安保関連法制」について、「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。 シリアでの戦闘でウイグル出身者が死んでいるようで、今後、アメリカの好戦派は新疆ウイグル自治区などで戦闘を始めるつもりかもしれない。それと並行する形で東アジアへ戦乱が拡がる可能性もある。
2015.10.27
愛媛県の中村時広知事は10月26日、県庁で四国電力の佐伯勇人社長と会い、伊方原発3号機の再稼働に同意すると伝えたようだ。「津波という観点では福島とは同じことは起こらない」としたうえで、「原子力発電所に代わりうるコスト、出力、安定供給という3条件が満たされた代替エネルギーが見つかるまでは最新の知見に基づく安全対策を施して向き合って行かざるをえない」と語ったという。 言うまでもなく、事故が起こる原因は千差万別、「同じことは起こらない」。東電福島第一原発の事故原因が第三者の手で詳しく調査された事実はなく、政府や東電はデータを隠している。そうした限られた情報ではあるが、揺れで配管の破損など致命的な破壊が起こり、「津波」は原因のひとつにすぎないと見る人は少なくない。「放射性物質は薄めれば環境中へ放出しても問題ない」とい言う人もいるようだが、これは「確率が低いから事故は起こらない」という主張と同じ。 事故を起こした原発は40年で廃炉できることになっているらしいが、福島第一原発の小野明所長も飛躍的な技術の進歩がない限り、不可能かもしれないと語っている。イギリスのタイムズ紙は廃炉までに200年という数字を出しているが、数百年はかかると見るのが常識的。その間のコストは膨大で、リスクは高い。今後、健康、環境への影響も顕在化し、人間は「種」としての存続が危うくなることも考えられる。 原発は事故が起こらなくても莫大な経費が必要で、リスクも高い。放射性廃棄物の処理は困難で、数万年の間、安全に保管する場所を探すことも困難。警備も必要になる。そうしたことは多くの人びとが指摘してきたが、中村知事は気にしていないようだ。原発が電力を「安定供給」できず、「最新の知見に基づく安全対策」が無力だということを福島第一原発の事故が明確に示した。 通常の運転中も原発は環境に悪い影響を与え続ける。勿論、放射性物資が環境中に漏洩するという危険性もあるが、温排水によって海水温を上昇させるという問題もある。原発推進の理由として「温暖化対策」を挙げることはできないのだ。 伊方原発が抱える大きな問題のひとつは近くに中央構造線が存在していること。勿論、地震が起こるからではない。日本の場合、地震はどこでも起こりえる。活断層が動いたなら、その上の建造物は崩壊してしまうから恐ろしいのだ。 コスト面や安全面で原発にメリットはないが、推進側には魅力を感じる理由がある。カネ儲けと核兵器の開発だ。アメリカの情報機関では日本が核兵器を開発していると確信、監視を続けてきた。 戦争中、仁科芳雄を中心とする理研の「ニ号研究」や海軍と京都帝大の「F研究」が進められていたが、敗戦後に核兵器の開発を諦めはしなかった。例えば、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対して「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝え、67年には「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守ると言うことを期待したい」と求め、ジョンソン大統領は「私が大統領である限り、我々の約束は守る」と答えたという。(「“核”を求めた日本」NHK、2010年10月3日) 1967年には「動燃(動力炉・核燃料開発事業団/現在の日本原子力開発機構)」が設立されたが、その2年後の2月に日本政府は西ドイツ政府と秘密協議、日本側はアメリカから自立し、核武装によって超大国への道を歩もうと日本側は主張したという。 秘密会談の前月、アメリカではリチャード・ニクソン政権がスタート、ヘンリー・キッシンジャーが大統領補佐官に就任している。そのキッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) イスラエルではエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグといった富豪の支援を受け、1949年から核兵器の開発が始まられた。当初はフランスの支援を受けていたが、1960年には西ドイツのコンラッド・アデナウアー首相がイスラエルのダビッド・ベングリオン首相とニューヨークで会談、核兵器を開発するため、六61年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めた。 これに対し、1961年からアメリカ大統領を務めたジョン・F・ケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発に厳しい姿勢で臨む。ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告したのだ。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007) しかし、このケネディ大統領は1963年11月に暗殺され、引き継いだリンドン・ジョンソンは議員時代から知られた親イスラエル派。そのジョンソンも日本の核武装には反対していたようだが、キッシンジャーは違った。 1977年にアメリカではジミー・カーター政権が始まるが、この年に試運転が始まった東海村の核燃料再処理工場と核兵器開発を結びつける見方もある。カーター大統領は日本に兵器級のプルトニウムを生産させないため、常陽のブランケットを外させたともいう。 1981年にロナルド・レーガンが大統領になると状況は一変、アメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれている。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、福島第一原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外から持ち込まれた可能性もある。
2015.10.26
シリアからイラクへ向かうIS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)の戦闘員を攻撃することでイラクとロシアは合意したとイラク議会の国家安全保障防衛委員会委員長のハケム・アル・ザメリは語ったという。この攻撃でイラクにいるISの兵站ラインを叩くことができるとも見られている。 イラクのハイデル・アル・アバディ首相が同国もロシアに空爆を頼みたいという意思を今月初めに見せたことにアメリカ政府は危機感を持ち、ジョセフ・ダンフォード米統合参謀本部議長を10月20日にイラクへ乗り込んだ。同議長はイラク政府からロシアへ支援要請をするなと恫喝したようだが、今回の合意はイラクへ向かうISの戦闘員をシリアで攻撃するということのようだ。ロシア、シリア、イラン、イラクの連携をアメリカ政府は止められそうにない。 追い詰められたアメリカ、トルコ、サウジアラビアはウィーンでロシアと10月23日に外務大臣クラスの会談を実施、バシャール・アル・アサド大統領を排除したいという意思を伝えたのに対し、ロシアは国家主権を主張して拒否したという。 アメリカ、トルコ、サウジアラビアの主張は内政干渉であり、侵略とも言える。それを日本のマスコミもわかっているようで、シリアの戦闘を「内戦」と表現するが、これは嘘だと本ブログでは何度も書いてきた。反シリア政府軍で戦っている戦闘員の大半は外国人だ。かつてはサウジアラビアが多かったが、最近はチェチェン出身者が増えていると言われている。 反政府軍の実態はアメリカ軍の情報機関DIAも明らかにしている。例えば、2012年8月に作成した文書の中で、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。この文書が作成された後、こうした武装勢力/戦闘員の中からISは生まれたわけだが、その支援国にはアメリカ、トルコ、サウジアラビアも含まれている。 シリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍側。彼らはアル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したとも説明している。そこから派生したISと最も密接な関係にあるのはトルコ政府である。ISの最も重要な兵站ラインはトルコからのもので、それをトルコ軍が守ってきた。 イラクではヌーリ・アル・マリキも首相時代、アメリカやその同盟国に批判的な姿勢を見せ、サウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると2014年3月に両国を批判している。 その直後、4月に行われた選挙でアル・マリキを支える「法治国家連合」が第1勢力になり、全328議席のうち92議席を獲得した。ムクタダ・サドルが率いる勢力の34議席とイラク・イスラム革命最高評議会の31議席を加えたシーア派連合は157議席に達し、スンニ派連合の59議席、クルド連合の55議席を大幅に上回る。本来ならマリキが次期首相に指名されるのだが、それを大統領は拒否している。マリキがアメリカを批判、ロシアへ接近したことが原因だと見るべきだろう。 そして6月、ISがモスルを制圧して西側メディアも大きく取り上げるが、その際、アメリカ政府は傍観していた。スパイ衛星、偵察機、通信傍受、地上の情報網などで動きはつかんでいたはずだが、反応していない。武装集団がトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレードするのも許した。 ISやアル・カイダ系武装集団の勢力拡大をアメリカ政府が支援していることは自国の軍情報機関も指摘している事実。それを示す文書も公開され、「穏健派」の反シリア政府軍など事実上、存在しないことも西側メディアは知っていなければおかしい。知った上で、ロシア軍の空爆を西側メディアは批判的に報道している。ロシア軍はISやアル・カイダ系武装集団を本当に攻撃、大きなダメージを与えているからだ。 勿論、ISやアル・カイダ系武装勢力に苦しんでいる国々はそうしたロシア軍の攻撃を歓迎しているが、それはアメリカ批判に直結する。ISやアル・カイダ系武装集団の後ろ盾がアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルといった国々で、その中心にアメリカがいることは公然の秘密だからだ。 コンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューの中で、控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいないと語ったことがある。脅さなければ誰も言うことを聞かないと自覚しているのだろうが、ロシアの登場でその脅しがきかなくなっている。
2015.10.25
ロシア軍の空爆でアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)は大きなダメージを受けている。現在、ISと最も密接な関係にある国はトルコだと本ブログでは何度も書いてきたが、2013年8月にシリアであった化学兵器による攻撃に与党の公正発展党が関与していると共和人民党(CHP)は10月21日に発表、注目されている。2014年4月17日付けロンドン書評誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事はCHPの主張と合致する。 公正発展党の最高実力者はレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領(2013年当時は首相)で、同国の情報機関を使ってISを支援しているほか、ISがイラクで盗掘した石油の密売でエルドアンの息子は重要な役割を果たしていると言われている。 その息子が所有するBMZ社の手で盗掘された石油はパイプラインでトルコのジェイハンへ運ばれ、そこからタンカーでイスラエルへ輸送し、そこで偽造書類を受け取ってEUで売りさばくという仕組みだというのだ。一説によると、販売を請け負っているのはサウジアラビアのARAMCO。 共和人民党によると、サリンが実業家の手を経てトルコからシリアへ運ばれてISが使用したことをトルコの検察当局はつかみ、早い段階で13名の容疑者を逮捕したのだが、政府の圧力ですぐに釈放されたという。 シリアのバシャール・アル・アサド体制に対する軍事攻撃は始まったのは2011年3月のことだが、反シリア政府軍を操っていたのはNATO加盟国のアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、ペルシャ湾岸産油国のサウジアラビア、カタール、そしてイスラエルなど。 WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権はサウジアラビアやエジプトと手を組んでシリアを不安定化させる工作を開始、2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めている。 その中でサウジアラビアと緊密な関係にあると指摘されているのがムスリム同胞団とサラフ主義者。この延長線上に2011年に始まったリビアやシリアへの軍事侵略はある。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書の中でも、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。シリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍側。彼らはアル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したともいう。そのDIAは2013年6月、アル・ヌスラに神経ガスを生産、使用する能力があると警告する報告書を提出している。 エルドアンたちはリビアと同じようにNATO軍とイスラム武装勢力の連係攻撃を目論んだ。2011年3月に戦闘が始まったときからトルコにあるアメリカ空軍インシルリク基地では、アメリカのCIAや特殊部隊、イギリスやフランスの特殊部隊から派遣された教官が戦闘員を訓練、シリアへ反政府軍の兵士として送り出している。 イスラエルでの報道によると、シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が潜入、ウィキリークスが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも最近、報道された。 当初から西側の政府やメディアはシリア政府による「民主化運動の弾圧」を盛んに宣伝していた。その情報源として重宝されていたのは、外国勢力の介入を求めていたシリア系イギリス人のダニー・デイエムやロンドンを拠点とする「SOHR(シリア人権監視所)」だ。 デイエムが「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像が2012年3月にインターネット上へ流出してしまうが、その後も彼を使っていたメディアは反省せずにプロパガンダを続け、その「報道」を引用する「リベラル派」や「革新勢力」もある。 SOHRは2006年に創設され、背後にはCIA、アメリカの反民主主義的な情報活動を内部告発したエドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトン、プロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在していると指摘されている。 内部告発を支援しているWikiLeaksが公表した文書によると、SOHRが創設された頃からアメリカ国務省の「中東共同構想」はロサンゼルスを拠点とするNPOの「民主主義会議」を通じてシリアの反政府派へ資金を提供している。2005年から10年にかけて1200万ドルに達したようだ。 デイエムの嘘が発覚した直後、2012年5月にホムスのホウラ地区で住民が虐殺される。その時も西側の政府やメディアはシリア政府に責任があると主張していたが、現地を調査した東方カトリックの修道院長は反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が実行したと報告、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っている。ロシアのジャーナリストやドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も同じように伝えていた。 そして2013年8月のサリン騒動。シリア政府が化学兵器を使ったと西側では大合唱だったが、早い段階からロシア政府が否定、国連へ証拠を添えて報告書を提出している。反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾していることを示す文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。 そのほか、化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事が伝えられ、10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。 12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 シリア政府が化学兵器を使ったとする話が嘘だということは、DIAの報告を受けていた統合参謀本部もバラク・オバマ大統領も知っていた。そうした中、ネオコンはシリア攻撃を主張していたのだ。 そして2013年9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射された。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまう。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。 ホワイトハウスの内部が揉めている中、ドイツから提供されたイスラエルのドルフィン級潜水艦からミサイルが発射されたが、シリア/ロシアによって墜落させられたという可能性がある。その後、ロシア政府は自国軍の戦闘能力が高いことを見えにくい形で示してきた。その延長線上にロシア空軍による空爆がある。 その空爆で大きなダメージを受けたISなどの戦闘員はEU、アフガニスタン、新疆ウイグル自治区などへ移動、「テロ」を目論んでいるとも言われている。その黒幕は言うまでもなくネオコンであり、その勢力に従属しているのが安倍晋三政権だ。
2015.10.24
年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が今年7月から9月にかけて約7兆9000億円の運用損失を出したと野村証券の西川昌宏チーフ財政アナリストは試算している。もっとも、昨年10月31日の段階で年金が大きな損を出すことは確定的だった。 この日に開かれた金融政策決定会合で日本銀行が追加緩和に踏み切ることを決め、株式分野ではETF(上場投資信託)買いで相場を押し上げる一方、GPIFは株式の運用比率を倍増させることになったのだ。日銀はETFとGPIFを使って仕手戦を始めると公言したとも言えるわけで、この段階で仕手戦の失敗は決まった。こうした取り引きでは秘密が重要なのだ。手の内を知られて成功するはずがない。 仕手戦が始まるとわかれば提灯買いが入り、値上がりするのは当然。外国の投機家も買ってくるだろう。そして昨年11月から相場は高騰するが、半年で息切れしてしまった。提灯筋は売り逃げ、仕手本尊は損を出す。仕手戦で失敗する典型的なパターンである。 仕手戦で儲けるためには、買収したがっている企業など、玉をぶつける相手を見つけておかなければならない。GPIFがその相手だったというなら話はわかる。すでに玉を仕込んでいた「見えない仕手本尊」がGPIFにぶつけたということだ。アメリカの巨大資本から命令されて公的な年金や健康保険のシステムを破壊しようとしている政治家や官僚たちはGPIFの損を喜んでいるのではないだろうか。 年金の運用は「ルーズ」というより、計画的に一部の「エリート」が横領している疑いもある。年金の記録漏れにしても、システムを維持するつもりがないから起こったことだろう。
2015.10.23
ジョセフ・ダンフォード米統合参謀本部議長が10月20日にイラクへ乗り込み、イラク政府からロシアへ支援要請をしないという言質をとったようだ。シリアでロシアが行っている空爆はIS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)やアル・カイダ系武装集団に対して大きなダメージを与えているが、それを見て今月初め、イラクのハイデル・アル・アバディ首相は同国もロシアに空爆を頼みたいという意思を見せていた。そうした動きを止めるため、ダンフォードは恫喝したのだろう。 ヌーリ・アル・マリキも首相時代、アメリカやその同盟国に批判的な姿勢を見せ、サウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると2014年3月に両国を批判している。 ISがモスルを制圧したのは6月の初めだが、その際、アメリカは傍観していた。スパイ衛星、偵察機、通信傍受、地上の情報網などで動きはつかんでいたはずだが、反応していない。しかも、武装集団がトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレードするのを許した。なお、この小型トラックはアメリカの国務省がシリアの反政府勢力へ提供した43台の一部だという。 この出来事に限らず、アメリカ政府はISやアル・カイダ系武装集団との戦闘に消極的。そこでマリキ政権は不満を抱き、ロシアへ接近している。マリキによると、反政府軍を押さえ込むため、2011年にアメリカ政府に対してF-16戦闘機を供給するように要請、契約もしていたのだが、搬入されなかった。しびれを切らしたマリキ政権はロシアに戦闘機の提供を求め、昨年6月下旬に中古ながら5機のSu-25近接航空支援機がイラクへ運び込まれている。 ISが攻勢を掛ける2カ月前、イラクでは選挙が行われ、アル・マリキを支える「法治国家連合」が第1勢力になり、全328議席のうち92議席を獲得した。ムクタダ・サドルが率いる勢力の34議席とイラク・イスラム革命最高評議会の31議席を加えたシーア派連合は157議席に達し、スンニ派連合の59議席、クルド連合の55議席を大幅に上回る。本来ならマリキが次期首相に指名されるはずだが、アメリカ政府の意向を受けて大統領は指名を拒否している。 本ブログでは何度も書いてきたが、ISの歴史をさかのぼると1979年7月に始まったアメリカの秘密工作に行き着く。当時のアメリカ大統領はジミー・カーターだが、その補佐官を務めていたズビグネフ・ブレジンスキーのプランに基づくもので、ソ連を刺激して軍隊をアフガニスタンへ誘い込み、そこでイスラム武装勢力と戦わせるという内容だった。そのため、アメリカの情報機関は戦闘員を集め、地対空ミサイルを含む武器を与え、訓練している。ソ連の機甲部隊は1979年12月にアフガニスタンへ軍事侵攻した。 1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックが指摘しているが、こうした訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルがアル・カイダ。アラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳としても使われている。 アフガニスタンへソ連軍が侵攻した当時からアメリカはサウジアラビアやイスラエルと手を組んでいるが、この同盟はその後も続き、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。 その中でサウジアラビアと緊密な関係にあると指摘されているのがムスリム同胞団とサラフ主義者。工作の実行部隊ということになる。WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始めたとされている。 イスラエルはシリアでISやアル・カイダ系武装集団を守るために空爆を繰り返してきたことも本ブログでは何度も書いてきたが、イラクでISの部隊に参加、指揮していたイスラエル軍のユシ・オウレン・シャハク大佐(准将とも報道された)が拘束されたとも伝えられている。 イラクでもアメリカに対する反発が支配層にも広がっている中、ISとイスラエルとの関係を再確認させる出来事が起こったとするならば、中東でアメリカを拒否する雰囲気はさらに強まるだろう。アメリカ軍トップの脅しが効果を持つ期間は長くないだろう。
2015.10.22
南沙群島(チュオンサ諸島、あるいはスプラトリー諸島)を舞台にしてアメリカと中国が軍事的な緊張を強めている。アメリカの好戦派はソ連消滅後、旧ソ連圏や中東/北アフリカなどを先制攻撃、破壊と殺戮を繰り広げてきたが、シリアやウクライナではロシアに主導権を奪われ、イランだけでなくイラクもロシアへ接近、戦乱の炎は弱まりそうだ。そうした中、アメリカは戦乱の舞台を東アジアへ移動させるつもりかもしれない。 東シナ海を「友愛の海」にしようと語っていた鳩山由起夫首相が検察とマスコミの力で首相の座から引きずり下ろされたのは2010年6月。次の菅直人政権は棚上げになっていた尖閣諸島(釣魚台群島)の領有権をめぐる問題に火を付け、日本と中国との関係は悪化していく。 実際に火を付けたのは海上保安庁。2010年9月、「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を取り締まったのが始まり。漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっていると自民党の河野太郎議員は指摘している。 こうした展開はアメリカ支配層の思惑通り。2012年にヘリテージ財団アジア研究所北東アジア上席研究員のブルース・クリングナーは「日本国民のあいだに中国への懸念が広がりつつあるという状況」を歓迎しているが、これは好戦派の一致した気持ちだろう。 20世紀の初頭からアメリカやイギリスの支配層はロシア/ソ連や中国を包囲して締め上げる戦略を立てている。現在、中国を封じ込める枢軸としてアメリカの好戦派が想定しているのは日本、フィリピン、ベトナム。そこへ韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしている。フィリピンとベトナムの中間にあるのが南沙群島(チュオンサ諸島、あるいはスプラトリー諸島)で、そこに中国は軍事的な拠点を作ろうとしている。 この群島は南シナ海にあるのだが、6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相はこの海域に触れている。「安保関連法制」は「南シナ海の中国が相手」だと口にしたというのだ。週刊現代のサイトが紹介、外国でも話題になっていた。安倍政権は中国との戦争を想定しているわけだが、その背後にいるのがアメリカの好戦派だ。 アメリカの好戦派はネオコン/シオニスト、戦争ビジネス、そして巨大金融資本が中心的な存在。古来、戦争の背後ではカネ貸しが暗躍している。ちなみに、ヘリテージ財団はネオコン系。 アメリカ経済は中国なしに成り立たないとして戦争にはならないと高をくくっている人たちもいるが、同じような話をイラクへアメリカが先制攻撃する前にも聞いた。ネオコンは軍事的な緊張を高めることが目的ではなく、世界制覇を目指している。 その野望が顕在化したのは1992年。前年の12月にソ連が消滅、自分たちが支配するアメリカが「唯一の超大国」になったと考え、潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアも支配するプロジェクトを始めた。ソ連の消滅を「冷戦」の終結と考え、平和な時代が訪れると思った人がいるとするならば、それは「冷戦」の本質を理解していなかったということだ。 そうしたプロジェクトを文書化したのが国防総省で作成されたDPGの草案。作業の中心がポール・ウォルフォウィッツ国防次官だったことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 その影響は日本へも波及する。1994年には「国際平和のための国連の機能強化への積極的寄与」を掲げる「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」が出される一方、武村正義官房長官が排除された。武村排除はアメリカ側の意向だったとされている。 樋口リポートを読んだアメリカの好戦派は「日本が自立の道を歩き出そうとしている」と反発、国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、1995年に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」につながる。 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになる。「周辺事態法」が成立した1999年にはNATOがユーゴスラビアを先制攻撃した。 アメリカで大統領選があった2000年、ネオコン系シンクタンクPNACがDPGの草案をベースにして「米国防の再構築」という報告書を発表した。作成にはウォルフォウィッツやビクトリア・ヌランド国務次官補の夫であるロバート・ケーガンなどネオコンの大物たちが参加しているが、実際に執筆したのは下院軍事委員会の元スタッフ、トーマス・ドネリー。2002年からロッキード・マーチンの副社長に就任している。この報告書は戦争ビジネスの意向でもあったわけだ。 2000年にはナイとリチャード・アーミテージのグループによって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」も作成されている。この報告では武力行使を伴った軍事的支援が求められ、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」としている。 ナイ・レポートで日本をアメリカの戦争マシーンに組み込む第一歩を踏み出し、アーミテージ報告で集団的自衛権を打ち出した。こうした報告書や新ガイドラインなどの危険性を理解、警鐘を鳴らす研究者やジャーナリストもいたが、マスコミは無視する。 2000年にネオコン系シンクタンクPNACはDPGに基づく報告書「米国防の再構築」を発表、その執筆者たちに担がれたジョージ・W・ブッシュが2001年1月、アメリカの大統領に就任した。その年の9月11日にはニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アメリカ国内では憲法の機能が停止、国外では軍事侵略が本格化する。 日本では2002年に小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。2012年にもアーミテージとナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表している。 日本に対して集団的自衛権、憲法第9条の放棄、そして国連軽視をアメリカが求めてきたころ、日本で問題になっていたのは「耐震偽装問題」。ある一級建築士の構造計算書偽造が2005年に発覚したのだ。建築業界で「手抜き」は常態化していると言われ、この問題を掘り起こしたなら大変な問題になるはずだったが、2007年頃には「個人犯罪」で幕引きになった。2006年から10年にかけての頃には、アメリカの好戦派から嫌われていた小沢一郎と鳩山由起夫が攻撃されている。 この当時、アメリカの好戦派は自信満々で、2006年には外交問題評議会が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌にキール・リーバーとダリル・プレスの論文「未来のための変革と再編」が掲載され、その中でロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張している。その攻撃に日本も使うつもりだった可能性は高い。 2011年3月8日、巨大地震で東電福島第一原発が「過酷事故」を起こす3日前、イギリスのインディペンデント紙に掲載されたインタビュー記事の中で東京都知事だった石原慎太郎は核武装への憧れを口にしている。彼によると外交力とは核兵器であり、核兵器を日本が持っていれば中国は尖閣諸島に手を出さないだろうという。 その後、世界情勢は大きく変化したが、それでもアメリカの好戦派は軍事力による世界制覇を目指し、日本の「エリート」は彼らに付き従っている。そして強行成立させた法律が「南シナ海の中国が相手」だという「安全保障関連法」だ。
2015.10.21
2011年3月11日に過酷事故を起こした東電福島第一原発で作業、白血病を発症した労働者の労災を厚生労働省は10月20日に認めたという。その労働者は2011年11月から13年12月にかけて複数の原発で放射線業務に従事、そのうち12年10月から13年12月は福島第一原発で原子炉建屋カバーの設置工事などをしていたという。働いていた時期からすると、福島第一原発では比較的被曝が少ない方だろう。 国や東電は認めていないが、福島県で働く医療関係者の間から、作業員や住民が被曝が原因で死んでいるという話が漏れてくる。例えば、2011年4月17日に徳田毅衆議院議員は「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 12日に爆発したのは1号機で、14日には3号機も爆発している。政府や東電はいずれも水素爆発だとしているが、3号機の場合は1号機と明らかに爆発の様子が違い、別の原因だと考える方が自然。15日には2号機で「異音」、また4号機の建屋で大きな爆発音があったという。 こうした爆発が原因で建屋の外で燃料棒の破片が見つかったと報道されているのだが、2011年7月28日に開かれたNRCの会合で、新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。 NRCが会議を行った直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにしている。 また、事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆は、心臓発作で死んだ多くの人を知っていると語っている。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしているのだが、そうした話を報道したのは外国のメディアだった。 この井戸川元町長を作品の中で登場させた週刊ビッグコミックスピリッツ誌の「美味しんぼ」という漫画は、その内容が気に入らないとして環境省、福島県、福島市、双葉町、大阪府、大阪市などが抗議、福島大学も教職員を威圧するような「見解」を出し、発行元の小学館は「編集部の見解」を掲載、この作品は次号から休載すると決めたという。 福島県の調査でも甲状腺癌の発生率が大きく上昇していると言わざるをえない状況。少なからぬ子どもがリンパ節転移などのために甲状腺の手術を受ける事態になっているのだが、原発事故の影響を否定したい人びとは「過剰診療」を主張している。手術を行っている福島県立医大の鈴木真一教授は「とらなくても良いものはとっていない」と反論しているが、手術しなくても問題ないという「専門家」は、手術しなかった場合の結果に責任を持たなければならない。どのように責任をとるのかを明確にしておく必要がある。 事故直後、福島の沖にいたアメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンに乗船していた乗組員にも甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているようで、放射線の影響が疑われ、アメリカで訴訟になっている。カリフォルニアで先天性甲状腺機能低下症の子どもが増えているとする研究報告もある。 福島第一原発には兵器クラスの核物質が存在していたという噂はともかく、事故で環境中に放出された放射性物質は日本の政府やマスコミが宣伝している量を大幅に上回っている可能性が高い。 原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセンによると、福島のケースでは圧力容器が破損、燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、99%の放射性物質を除去することになっている圧力抑制室(トーラス)の水は沸騰状態で、ほとんどの放射性物質が外へ放出されたはずだと指摘する。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) また、水が存在したとしても、解けた燃料棒や機械が気体と一緒に噴出、水は吹き飛ばされていたとも指摘されている。いずれにしろ、圧力容器内の放射性物質はダイレクトに放出されたということ。ガンダーセンの推測によると、少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出した。放出された放射性物質の多くは太平洋側へ流れたと見られているが、それでも原発周辺の汚染は深刻なはずで、人間を含む環境に影響が出ないと考える方が異常だ。 放射線の影響は20年から30年後に本格化するともいわれているが、チェルノブイリ原発事故から23年後の2009年に詳細な報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』がニューヨーク科学アカデミーから発表されている。まとめたのはロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループ。1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達し、癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。 なお、徳田毅の姉を含む徳洲会グループ幹部6人を東京地検特捜部は2013年11月に公職選挙法違反事件で逮捕、徳洲会東京本部や親族のマンションなどを家宅捜索している。
2015.10.20
(上から続く)アメリカのライバルとされていたソ連は湾岸戦争で軍隊を出さず、1991年12月に脆くも消滅した。存続国家のロシアはアメリカの属国になり、アメリカを支配する巨大資本は絶対的な権力を手に入れたはずで、1992年から世界制覇プロジェクトを開始する。最終的な目標はロシアの完全支配だ。 中東でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めた直後、2008年1月から4月にかけてアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣して「アフガニスタンに派遣される部隊」を訓練、7月10日にはアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官がロシア周辺国のひとつ、ジョージアを訪問した。 ライス訪問から1カ月ほどを経た8月7日、サーカシビリ大統領は南オセチアの分離独立派に対して対話を訴えるが、その約8時間後の深夜に奇襲攻撃を開始、南オセチアに駐留していた「平和維持部隊」を蹴散らした。が、ここでロシア軍が戦闘車両150両を送り込むなど即座に反撃、ジョージア軍を圧倒する。ここでアメリカ支配層がロシア軍を過小評価していたことが明確になった。 2011年2月にリビア、3月にシリアで戦闘が始まるが、いずれも三国同盟を中心とする勢力の工作によるもの。リビアでは戦闘の過程で彼らの手先としてアル・カイダ系武装集団のLIFGが使われたことが明らかになり、ムアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊した後、戦闘員や武器はシリアへ運ばれたと言われているが、その際、マークを消したNATOの軍用機がシリアとの国境に近いトルコの軍事基地へ武器と戦闘員を運んだとも伝えられている。 シリアの場合、当初からトルコにある米空軍インシルリク基地でアメリカ/NATOは反シリア政府軍の戦闘員を訓練、その教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員だという。このときから「穏健派」の反シリア政府軍などは存在しない。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書の中でも、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。シリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍側。彼らはアル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したとも説明している。そこから派生したISと最も密接な関係にあるのはトルコ政府である。ISの最も重要な兵乱ラインはトルコからのもので、それをトルコ軍が守ってきた。その構図がロシア軍の登場で崩れているようだ。 2013年にはNATOが直接的な軍事介入を試みている。リビアと同じように、NATOとアル・カイダ系戦闘集団が連携してシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしたのだ。そして9月3日には地中海の中央からシリアへ向かって2基のミサイルが発射されたが、そのミサイルはいずれも海中に落ちてしまい、その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表している。事前に周辺国(少なくともロシア)へミサイルを発射すると通告されないこともあり、ジャミングでGPSが狂ったと推測する人もいる。 また、2014年4月には、黒海に入ってロシア領へ近づいた駆逐艦(イージス艦)の「ドナルド・クック」の近くをロシア軍の電子戦用の機器だけを積んだSu-24が繰り返し飛行し、その際に船のレーダーなどのシステムが機能不全になり、ロシア軍機から仮想攻撃を受けたと言われている。 現在、アメリカで開発されている「最新鋭戦闘機」はロッキード・マーチンのF-35だろう。プログラム・コストは1兆5000億ドル以上になりそうで、「高額兵器」だとうことは間違いないが、問題は性能だ。「空飛ぶダンプカー」とも呼ばれ、今年1月にカリフォルニア州にあるエドワード空軍基地で行われたF-16Dとの模擬空中戦では完敗したと言われている。この高額欠陥戦闘機を日本も5機注文、さらに42機を購入する計画だ。この「最新鋭戦闘機」は現在のアメリカを象徴していると言えるだろう。
2015.10.20
シリアの領空を侵犯しようとしたイスラエルの戦闘機をロシアの戦闘機が10月18日に要撃、追い返したとイスラエルやレバノンで報道されているようだ。国境を越えて侵入した場合は攻撃すると警告したという。現在、空爆の護衛としてSu-30が投入されているので、この戦闘機がイスラエル軍機の侵入を防いだ可能性が高い。ロシアは中東で存在感を強め、アメリカの好戦派は苦境に陥っている。 今回は偵察飛行だったとされているが、イスラエル軍はこれまでIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)などシリアの体制転覆を目指す戦闘集団を助けるため、政府軍側に対する空爆を繰り返してきた。 例えば、今年1月18日にはISを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊を攻撃してイラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺している。イスラエルが負傷した反シリア政府軍/ISの兵士を治療しているとも伝えられている。 1991年12月にソ連が消滅、翌年の初めにアメリカの国防総省では世界制覇を目指すビジョンを描いた。アメリカを「唯一の超大国」と位置づけ、潜在的なライバルを潰すと同時に新たなライバルを生み出すエネルギー資源が眠る西南アジアを制圧しようと考えたのだ。そしてDPGの草稿が書き上げられる。その作成で中心的な役割を果たしたポール・ウォルフォウィッツ国防次官の名前から「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 この草稿を危険視する人が政府内にもいたようでリークされ、書き換えられたが、その考え方は生き残る。2000年にネオコン系シンクタンクPNACが「米国防の再構築」というタイトルの報告書を発表しているが、その考え方は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に基づいている。 DPGはウォルフォウィッツのほか、I・ルイス・リビーやザルマイ・ハリルザドらが書いたようだが、PNACの報告書の執筆陣の中にもウォルフォウィッツとリビーは含まれている。そのほか、ウクライナのクーデターを現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補の結婚相手であるロバート・ケイガン、イラクへ軍事侵攻する前に偽情報を流していたOSPの室長だったエイブラム・シュルスキー、さらにステファン・カムボーン、ウィリアム・クリストルといったネオコン/シオニストの大物たちが名を連ねていた。2001年にはじまるジョージ・W・ブッシュ政権はこの報告書に基づく政策を打ち出していく。 1999年12月にロシアの大統領が西側の傀儡であるボリス・エリツィンからその後継者と見られていたウラジミル・プーチンへ交代、徐々に再独立化していくのだが、「勝利」に酔っていたアメリカの支配層はロシアを甘く見続け、例えば、2006年にキール・リーバーとダリル・プレスがフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)でロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると書いている。 ロシアをイスラエルも軍事的に締め上げようとする。例えば、2001年からイスラエルのガル・ヒルシュ准将が経営する「防衛の盾」がジョージア(グルジア)へ予備役の将校2名と数百名の元兵士を教官として送り込んで訓練、その一方で無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなども提供した。ロシア軍のアナトリー・ノゴビチン副参謀長によると、イスラエルの専門家は2007年からジョージアの特殊部隊を訓練し、重火器、電子兵器、戦車などを供給する計画を立てていたという。 2001年は歴史の大きな転換点だった。この年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだが、それから間もない段階でドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃することを決めている。そして2003年、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒した。 2003年にはジョージアで「バラ革命」があり、アメリカ支配層を後ろ盾とするミヘイル・サーカシビリが実権を握り、04年から05年にかけてはウクライナでも同じことが行われ、やはりアメリカ支配層を後ろ盾とするビクトル・ユシチェンコが大統領に就任した。両政権は新自由主義的な政策を推進、富が一部の人間に集中して「オリガルヒ」と呼ばれる富豪が誕生、その一方で庶民は貧困化していく。 WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始め、2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した。その中でサウジアラビアと緊密な関係にあると指摘されているのがムスリム同胞団とサラフ主義者。この延長線上に2011年に始まったリビアやシリアへの軍事侵略はある。(下へ続く)
2015.10.20
ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエルが2002年3月28日に書いたメモの中で、イギリスのトニー・ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わると書かれていることが明らかにされた。イギリスはアメリカに従うということだ。このメモが書かれた1週間後、米英両国の首脳は会談している。 実際にアメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃したのは2003年3月20日のこと。統合参謀本部の中に戦争を無謀だとする意見が少なくなかったため、約1年間、開戦が延びたと言われているので、ブッシュ政権はブレア英首相がアメリカに従うと約束した直後に攻撃を始めたかったのだろう。 この先制攻撃でサダム・フセイン体制は崩壊、フセイン自身は処刑されたが、12年以上を経た今でも戦闘は続き、戦乱は中東や北アフリカへ拡がっている。多くの人びとが犠牲になっていることは言うまでもない。 イラクの場合、例えば2006年10月に出されたイギリスの医学雑誌「ランセット」によると、2003年3月から06年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だとしている。またイギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表した。 イラク攻撃を正当化するため、アメリカやイギリスの政府は「大量破壊兵器」を口実として利用した。パウエルのメモが書かれた半年後、2002年9月にブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を作成、その中でイラクは45分でそうした兵器を使用できると主張している。直後に文書の内容がリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載した。この報告書をパウエル国務長官は絶賛したが、大学院生の論文を無断引用した代物で、内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。 それに対し、2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 ブレア首相の側近で広報を担当していたキャンベルはデイリー・メール紙で記者をしていた経験があり、メール・グループを統括していたロバート・マクスウェルから可愛がられていた。マクスウェルはイギリスの情報機関に協力していた人物で、キャンベルも親イスラエル。ブレアがイスラエル系の富豪を資金源にしていたことは本ブログでも何度か書いた。 ギリガンが「45分話」の疑惑を語って間もなく、彼の情報源が国防省で生物兵器を担当しているデイビッド・ケリーだということがリークされる。実際、2003年5月22日にギリガンとロンドンのホテルで会っていた。そのため、ケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に死亡した。 公式発表では「自殺」ということになっているが、疑問は多く、今でも他殺説は消えていない。自殺に使ったとされるナイフからなぜケリー博士の指紋が見つからないのか、最初に発見されたときには木によりかかっていた死体が救急医が到着したときには仰向けになっていたのはなぜなのか、死体のそばで警備していた警官が正体不明の人間がいたことを隠したのはなぜなのか、古傷があってステーキを切れない右手で左手の手首をなぜカットできたのか、ケリー博士の死体を発見直後に見た同博士の友人が提供した証拠について調査委員会はなぜ触れていないのか、ケリー博士の死体に関する報告書や写真が70年間秘密にされるのはなぜなのか、死んだ場所が記載されていない死亡証明書で調査委員会は死亡原因をどのように特定したのか、博士が行方不明になった日に警察はなぜ博士の居間の壁紙を剥がしたのか、重要証人の何人かが調査委員会に出てこなかったのはなぜか、ケリーの死体が発見されて90分ほどしてトーマス・バレー警察が使っていたヘリコプターが近くに着陸、5分ほどで飛び立ったという事実がなぜ伏せられたのか等々。その後、2004年10月に「45分話」が嘘だということを外務大臣のジャック・ストローが認めた。 この時に限らず、戦争を始めようとする人びとは、開戦を正当化するために嘘をつく。イラク以降も、リビア、シリア、イラン、ウクライナ・・・いずれもアメリカの政府やマスコミは戦争を正当化するために嘘をつき続けてきたが、「反戦」を主張する人びとの中にもアメリカ支配層の嘘を無批判に受け入れている人が少なくない。一種の「保身術」なのかもしれないが、それでは侵略戦争に抵抗できないだろう。
2015.10.19
戦乱を世界中に広げてきたのはアメリカにほかならない。そのアメリカに従うことを目的にして「安全保障関連法」は作られた。「防衛」のための法律だという安倍晋三政権の戯言をマスコミは垂れ流しているが、実際はアメリカの戦争マシーンに日本を組み込み、侵略の道具にしようとしているのだ。 本ブログでは何度も指摘しているように、1991年12月にソ連が消滅するとネオコンなどアメリカの好戦派は自国が「唯一の超大国」になったと考え、潜在的ライバルと考えられる旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潰し、ライバルを生む出す基盤になる資源が地下に眠る西南アジアを完全に支配しようとする。そうした考えに基づき、1992年初頭に国防総省でDPGの草案が作成された。作業の中心が国防次官のポール・ウォルフォウィッツだったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」と呼ばれている。 その後、ユーゴスラビアを先制攻撃で破壊、2001年からアフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどを先制攻撃し、イランを狙う。2014年2月にはウクライナでネオ・ナチを使ってクーデターを成功させた。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成された当時、アメリカの好戦派は自分たちが世界の支配者になったと錯覚している。ライバルだったソ連は消滅し、傀儡のボリス・エリツィンが大統領を務めるロシアは属国。そもそも、1991年にアメリカがイラクを攻撃した際、ソ連は軍隊を動かさなかった。 そうした感覚はロシアでエリツィンが失脚、ウラジミル・プーチンが実権を握った後でも続く。例えば、キール・リーバーとダリル・プレスは2006年、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)で主張している。 ロシアと中国を軍事的に制圧できると考えているようだが、アメリカには第2次世界大戦の直後からソ連を先制核攻撃するという計画があった。まず、1948年にアメリカの「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)、その翌年に出された統合参謀本部の研究報告ではソ連の70都市へ133発の原爆を落とす(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)ことになっていた。 1957年になると計画は実現性が強まる。300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊しようと目論んでいた。「ドロップショット作戦」だ。この作戦を1961年7月にライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長らが大統領に説明したが、拒否されている。この作戦が立案される直前、1955年から57年にかけてレムニッツァーは琉球民政長官を務め、沖縄を軍事基地化していた。 ケネディ大統領の時代、レムニッツァーたちはキューバ政府の手先を装ってアメリカの都市で爆弾攻撃を繰り返し、最終的には旅客機をキューバ近くで自爆させ、キューバ軍に撃墜されたとして軍事侵攻する作戦を練り上げていた。「ノースウッズ作戦」だ。 こうした動きを危険視したケネディ大統領はCIAのアレン・ダレス長官、チャールズ・キャベル副長官(大統領暗殺の際、ダラス市長だったアール・キャベルの兄)、リチャード・ビッセル計画局長を解任、レムニッツァーの議長再任を拒否(1962年9月に退任)した。このとき、ケネディ大統領はCIAを解体する意向で、それに替わる組織として想定されていたのが1961年10月に創設された軍の情報機関DIAだと言われている。 しかし、カーティス・ルメイのような好戦派はその後も軍の中で重要や位置を占め、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、こうしたグループは1963年の終わりにソ連を奇襲核攻撃する予定だった。そのころ、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。1963年11月、ルメイたちと対立してたケネディ大統領は暗殺され、ソ連やキューバが背後にいるとする話も流されたが、FBIによって否定され、核戦争には至らなかった。なお、ルメイはケネディ暗殺の翌年、日本政府から「勲一等旭日大綬章」を授与されている。 アルゼンチン大統領だったネストル・キルシュネルによると、大統領時代のジョージ・W・ブッシュは「経済を復活させる最善の方法は戦争」だと力説、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」と話していた(この証言はオリバー・ストーンが制作したドキュメンタリー、「国境の南」に収められている)というが、「経済」を「個人的なカネ儲け」と読み替えれば、正しい。 戦争をウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいて続けてきたアメリカの好戦派だが、シリアでロシアが空爆を開始、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)の司令部や武器庫などに壊滅的な打撃を与え、「テロとの戦争」の嘘が白日の下に曝されたアメリカ政府は苦しい立場に陥った。 ロシア軍がカスピ海から巡航ミサイルでISやアル・ヌスラの部隊を攻撃した直後、空母シオドア・ルーズベルトを「メンテナンス」のためだとしてペルシャ湾の外へ出て、アメリカがインドや日本とベンガル湾で行う軍事演習に参加したようだ。中東での影響力が低下したアメリカは東アジアにも火を付けようとしている可能性がある。
2015.10.18
IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)と戦うためだとして、シリアの反政府軍を国外で訓練するという破綻した計画を続けるのは狂っているとロバート・ゲーツ元国防長官はバラク・オバマ大統領を批判したという。当然の反応であり、こうした意見が封印されている国があるとするならば、それも狂っている。 恐らく、オバマ政権もそうした計画が狂っていることを承知しているはず。自分たちがISなりアル・ヌスラ(AQI)なりを使ってシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒して傀儡政権を樹立しようとしているなどとは言えないため、そうした計画をカムフラージュとして打ち出しているだけだ。 ゲーツは1980年代、ロナルド・レーガン政権の時代にイラクのサダム・フセイン体制をめぐってネオコンと対立したことがある。今回もゲーツが本当に批判しているのはネオコンだろう。 ネオコンはズビグネフ・ブレジンスキーと同じように、ロシア制圧を目指している。ウクライナで手先として使っているのはネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)であり、中東や北アフリカではアル・カイダ系の武装集団。その集団はここにきてサラフ主義者やムスリム同胞団からチェチェン人などカフカス周辺を拠点としている人びとへ主導権が移ってきたと言われている。ネオコンは彼らにシリアで実戦を積ませ、ロシアと戦わせようとしていたのだろう。 安倍晋三政権が従属しているアメリカの好戦派は「テロ支援勢力」であり、集団的自衛権は日本も「テロ支援勢力」に引き込む仕組み。アメリカが世界で行っている侵略行為を見て見ぬ振り、知らん振りしている人びとも安倍首相と大差はない。
2015.10.17
IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)を率いているとされているアブ・バクル・アル・バグダディの車列がイラク空軍に攻撃され、本人は負傷、あるいは死亡したと10月11日に伝えられた。今年3月18日にも負傷したと報道され、イスラエルの病院で死亡したとする話も流れたことがある。 アル・バグダディがISの前身、ISI(イラクのイスラム首長国)のリーダーになったのは2010年5月だとされている。ちなみに、ISIは2006年10月にAQI(イラクのアルカイダ)が中心になって編成され、13年4月からISと呼ばれるようになった。AQIはアル・カイダ系武装集団として2004年10月に登場している。ただ、こうした名称は曖昧で、実態に大きな変化はなかったようだ。 2012年8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。DIAによると、アル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称にすぎない。 本ブログでは何度も書いているように、1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、アル・カイダとはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルで、戦闘集団というわけではない。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳としても使われている。つまり、IS/ISI/AQI/アル・ヌスラなどは傭兵にすぎず、雇い主の都合でタグが付け替えられるため、さまざまな名前が出てくるだけだ。 サラフ主義者やムスリム同胞団はサウジアラビアなど中東出身者が中心だが、最近はカフカスなどからシリア入りするケースが増えている。シリアやイラクで経験を積んだ後、出身国、つまりロシアやCIS(独立国家共同体)へ戻って戦乱を広める計画だとみられ、例えば、8月1日にはウクライナの外相、トルコの副首相、そしてタタール人の反ロシア派代表がトルコのアンカラで会い、タタール人、チェチェン人、ジョージア(グルジア)人などで「国際イスラム旅団」を編成してクリミアの近くに拠点を作ることで合意した。ロシアが空爆を始める前、シリアでISの戦闘員として戦っていたCIS出身者は5000名、そのうちチェチェン出身は約半数だと見られていたが、空爆で相当数が死傷したようだ。 勿論、こうした動きの背後では、ネオコン/シオニストなどアメリカの好戦派が暗躍、IS内部の主導権をCIAはカフカス系のグループへ移動させ、それがアル・バグダディの負傷話が流され、ロシア軍が空爆を始めた理由だと推測する人もいる。ロシアが空爆を始めた直後、怒ったアシュトン・カーター国防長官はシリアでロシア人に犠牲者が出ると口にしたが、アメリカはロシアでロシア人を殺そうとしていた可能性が高い。チェチェン人と同じように、ウイグル人も訓練、新疆ウイグル自治区を不安定化させようとしていたと見られ、その計画にも影響が出ているだろう。
2015.10.17
安倍晋三政権は日本をアメリカの戦争マシーンに組み込むだけでなく、巨大資本のような私的権力が国や社会を支配する仕組みを作り上げようとしている。つまり、フランクリン・ルーズベルトが言うところのファシズム化。他国を侵略し、国内でも庶民から富を搾り取ろうというわけだ。 1991年12月にソ連が消滅するまで、アメリカをはじめとする西側の支配層は自分たちが自由や民主主義を尊重しているかのように装う努力はしていたが、消滅後は露骨に世界制覇を目指し始める。そのはじまりを告げる文書が、1992年にアメリカの国防総省で作成されたDPGの草案。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰すだけでなく、ライバルを生み出しかねない膨大な資源を抱える西南アジアを支配するとしていた。 その後、アメリカの支配層はユーゴスラビアを先制攻撃、自分たちが操るNATOを東へ拡大し、ウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行、イラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、さらにイランを揺さぶると同時にリビアやシリアをアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュなどとも表記)で攻撃し、西側資本の傀儡体制に作り替えようとしてきた。 こうした軍事侵略を「人道」、「人権」、「民主化」のためだとアメリカ支配層は主張してきたが、リビアのプロジェクトではNATOとアル・カイダ系の武装集団LIFGが連合していることを知られ、シリアの反政府軍は遅くとも2012年8月の時点で主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIだということをアメリカ軍の情報機関DIAが報告している。DIAによると、アル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称。 こうしたことは本ブログで何度も書いてきたこと。9月末にはじまったロシア軍の攻撃で司令部や武器庫を破壊されたISやアル・ヌスラは大きなダメージを受け、トルコやヨルダンなど隣国へ逃げ込む戦闘員も少なくないようだ。そこでアメリカは形振り構わず、約50トンの物資を反政府軍、つまりISやアル・ヌスラへ補給した。 自分たちの思い通りにならない体制を破壊し、略奪するということをアメリカの支配層は繰り返してきた。その典型例が1973年9月11日に南米のチリで実行された軍事クーデター。民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ大統領をオーグスト・ピノチェトの率いる軍隊が倒したのだが、ピノチェトの後ろ盾はCIA、その背後にはヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官がいた。 このクーデターで2025名とも約2万人とも言われる人びとが虐殺され、新自由主義の導入に反対するであろう勢力は壊滅状態になる。ピノチェトは議会を閉鎖、憲法の機能を停止、政党や労働組合を禁止、メディアを厳しく規制した。 ピノチェト政権の経済政策はミルトン・フリードマンの弟子たち、いわゆる「シカゴ・ボーイズ」が実行した。大企業/富裕層を優遇、社会や福祉の基盤を私有化し、労働組合を弱体化、賃金を安くし、インフレーションを抑え、年金は私的なものにした。1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。 フリードマンの同志、フリードリッヒ・ハイエクと親しかったひとりがイギリスのマーガレット・サッチャー。その結果、イギリスもチリと同じように新自由主義を導入、それに合わせるようにしてオフショア市場/タックス・ヘイブンがロンドンのシティを中心に張り巡らされていった。富豪や犯罪者が資産を隠す仕組みが整備されたと言える。 クレディ・スイスのレポートによると、世界の富の約半分を1%の人びとが保有、下位90%は12.3%にすぎないという。これでも満足できないのが世界の富豪たちで、富を集中させる仕組みをさらに強化しようとしている。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TISA(新サービス貿易協定)はそのための協定。日本にも自分たちが「オリガルヒ」になりたいと夢想している政治家、官僚、大企業経営者はいるだろう。学者の中にもいそうだ。 アメリカの支配層は「人道」、「人権」、「民主化」といった看板、バナーを掲げながら世界に戦乱を広げているが、そうした侵略とTPP、TTIP、TISAは表裏一体の関係にある。アメリカが掲げる看板やバナーを受け入れている人や団体は安倍政権と本質的に同じということでもある。 その安倍政権が服従しているアメリカの好戦派は東アジアで軍事的な緊張を高めている。中国を軍事的に包囲する枢軸として日本、フィリピン、ベトナムを想定、そこに韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしている。フィリピンとベトナムの中間にあるのが南沙(スプラトリー)群島。そこに中国は軍事的な拠点を作ろうとしている。 中国の最高責任者である習近平が9月21日から22日にかけてアメリカを訪問、両国の緊張緩和を図ったようだが、南沙群島へ艦隊を派遣すると口にする人物がアメリカ政府にはいる。それに対し、中国には自分たちの利益を守るために軍隊を使うとする人もいる。安倍政権が「安全保障関連法」の成立を急いだ理由にひとつはこの辺にあるだろう。
2015.10.16
中国海軍の孫建国提督がイランを訪問、10月13日にイランのホセイン・デーガン国防相と会談、両国の軍事的な協力関係を深めたいと語ったという。中国としてはイランの石油も魅力だろう。そのイランの近く、ペルシャ湾岸にアメリカ軍は空母を貼り付けてきたが、ロシア軍がカスピ海から巡航ミサイルでISやアル・ヌスラの部隊を攻撃した直後、空母シオドア・ルーズベルトを「メンテナンス」のために湾の外へ出したという。 アメリカの好戦派はリビアに続いてシリアの体制転覆を目指し、軍事介入の口実を作ろうとしてきた。シリア政府軍による民主化運動の弾圧や住民虐殺が宣伝され、2013年8月には政府軍が化学兵器を使用したと西側の政府やメディアは非難しはじめた。この化学兵器話はロシアのビタリー・チュルキン国連大使がアメリカ側の主張を否定する情報を国連ですぐに示し、報告書も提出している。 この時、チュルキン大使が示した情報には、反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、毒ガス攻撃を受けたとされるゴータで着弾していることを示す文書や衛星写真が含まれていたようで、その後、国連内の雰囲気が大きく変化したとも言われている。 その後、アメリカのジョン・ケリー国務長官は、シリア政府がサリンを使ったことを示す証拠を持っていると語っているが、証拠が示されることはなく、逆にアメリカ政府の主張を否定する事実や分析が次々に出てくる。 まず、APのデイル・ガブラクがヤフヤ・アバブネと書いたミントプレスの記事ではサウジアラビアと化学兵器との関係を指摘した。現地で反シリア政府軍、その家族、ゴータの住民、医師をアバブネが取材した結果、サウジアラビアが反政府軍に化学兵器を提供し、それを反政府軍の戦闘員が誤って爆発させたとしている。 そのほか、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、アフガニスタンの反政府軍支配地域で「第三国」がアル・ヌスラなどシリアの反政府軍に対し、化学兵器の使い方を訓練しているとする報告があると語った。 また、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2013年12月にLRB(ロンドン書評)で書いた記事によると、攻撃の数カ月前にアメリカの情報機関はアル・カイダ系武装集団のアル・ヌスラ(最近、アメリカ政府は「穏健派」だと主張しているらしい)がサリンの製造法をマスター、量産する能力を持っていると報告しとしている。シリア政府が実行したとするため、都合の悪い情報をアメリカ政府は切り捨てられたという。 さらに、アメリカの科学者、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授からもアメリカの政府やメディアの主張を否定する分析が明らかにされた。化学兵器をシリア政府軍が発射したとする主張はミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないというのだ。 アメリカ政府はシリアのバシャール・アル・アサド政権を軍事的に倒すため、嘘を承知で「サリン話」を宣伝していたと言えるだろう。その嘘は早い段階から指摘され、説得力もなかった。それにもかかわらずアメリカ政府の主張をそのまま宣伝していたメディアの罪は重い。 西側メディアはアメリカ軍のシリア攻撃は不可避であるかのように「報道」、アメリカ政府はシリア近くの基地にB52爆撃機の2航空団を配備し、5隻の駆逐艦、1隻の揚陸艦、そして紅海にいる空母ニミッツと3隻の軍艦などの艦船を地中海に配備した。 それに対抗してロシア政府は「空母キラー」と呼ばれている巡洋艦モスクワを中心に、フリゲート艦2隻、電子情報収集艦、揚陸艦5隻、コルベット艦2隻がシリアを守る形に配置したとされている。その時、中国も数隻の軍艦を地中海に入れていたという。 攻撃が予想されていた9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射された。このミサイルをロシアの早期警戒システムがすぐに探知、公表されているのだが、2発とも海中に落ちたという。その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、事前に周辺国(少なくともロシア)へ通告されていなかった。実際は攻撃を始めたのだが、ジャミングでミサイルのGPSが狂って落下したと推測する人もいる。 その9月に西側の首脳はヤルタで国際会議を開き、アメリカに従わないロシアの体制転覆について話し合ったと言われている。そして11月にウクライナのキエフで反政府活動が始まる。ロシア政府が動きにくいと計算したのか、ソチのオリンピック開催に合わせ、ネオ・ナチが前面に出てきて過激化する。棍棒、ナイフ、チェーンなどを片手に持ちながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを撃ち始め、そして狙撃が始まり、オリンピック競技の最終日に憲法の規定を無視する形でビクトル・ヤヌコビッチ大統領が解任された。 アメリカ支配層の目論見としては、中東、ウクライナ、ロシア、中国を別々に潰していく予定だったのだろうが、全てが同時に進行する事態になり、その間にロシア、中国、シリア、イラン、イラクの関係が緊密化している。 ロシアや中国を中心にまとまっているBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海協力機構/中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)の存在感も強まり、AIIB(アジアインフラ投資銀行)や新開発銀行(NDB)も始動している。 昨年5月20日、プーチン露大統領の中国訪問にタイミングをあわせるようにしてロシアと中国は軍事演習「海上協力-2014」を東シナ海で開始、24日に日本と中国の軍用機が数十メートルの距離まで接近するということもあった。海上自衛隊のOP-3C(画像情報収集機)と航空自衛隊のYS-11EB(電子情報収集機)に対して中国はSU-27(戦闘機)を緊急発進させ、OP-3Cには50メートル、YS-11EBには30メートルまで近づいたという。 アメリカの支配層はメディアを使ったプロパガンダで人心を操り、1992年の初めに国防総省で作成されたDPGの草案通り、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配しようとしてきたが、この世界制覇プランは崩壊した。ネオコン/シオニストなどが余裕を失っていることは彼らの言動に現れているが、日本の「エリート」は自分たちが服従している勢力が危機的な状況であることを理解しているようには見えない。
2015.10.15
2014年7月17日、マレーシア航空17便(MH17/ボーイング777)がウクライナの東部、キエフ軍と反キエフ軍が戦うドネツクの上空で撃墜された。この出来事に関する報告書がオランダ安全保障会議から公表され、反クーデター軍が支配する地域から発射されたブーク・ミサイル・システム(SA11)に撃ち落とされたとしているようだ。が、その可能性はきわめて小さい。 アメリカをはじめとする西側が支援するキエフ政権は旅客機が撃墜される5カ月前、2月23日にネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とする勢力のクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除して成立している。つまり、憲法の手続きは踏んでいない非合法政権。すぐにクリミアの住民はクーデター政権を拒否、ドネツクでは戦闘が始まった。5月2日にオデッサではクーデターに反対する住民をキエフ政権が虐殺している。 撃墜について調べると称して西側諸国は調査チームを編成したが、その時点で予想されていた結論になっている。チームのメンバー国はNATO加盟国のオランダとベルギー、アメリカの属国であるオーストラリア、そして実際に撃墜した可能性があるキエフ政権。この構成を見ただけで公正な調査が期待できないことは明白、つまり茶番だ。 事件の直後、ブークで撃墜されたとする説はBBCロシアの取材チームも否定している。この取材チームは現地の住民も取材、旅客機の近くを戦闘機が飛んでいたという証言を得ている。ブークは発射してからしばらくの間、軌道上から煙が消えず、広い範囲の人が気づき、今の時代なら撮影されたはずだ。 BBCのチームは、キエフ軍の航空機が民間機の影に隠れながら爆撃しているという話も映像に記録していた。旅客機の残骸を調査したOSCE(欧州安全保障協力機構)の調査官も榴散弾ではなく左右から銃撃された可能性が高いと話している。コックピットの下の部分にいくつもの弾痕があるのだが、入射穴と出射穴があり、榴散弾ではなく左右から銃撃された可能性が高いとされている。 ロシア政府はMH17と同じコース、同じ高度、3から5キロメートルの距離で近接航空支援機のSu-25が飛行していたと主張した。それに対して西側から、この戦闘機が攻撃可能な高度は3000メートルから4000メートルまでだとする反論が出たが、実際に使っている軍人によると、1万2000メートまでは通常の任務で到達、中には1万4000メートルまで上昇したパイロットもいるという。また、レーダー上で別の戦闘機、例えばSu-27やアメリカの戦闘機F-15をSu-25に誤表示させることも可能だと指摘されている。 偵察衛星なども上空にいた可能性が高いが、それだけでなく、7月7日から17日にかけてNATOは黒海で軍事演習「ブリーズ2014」を実施、アメリカ海軍のイージス艦、AWACS(早期警戒管制機)の「E-3」、電子戦機の「EA-18G」も参加していたので、当然、MH17もモニターしていたはず。もし西側が宣伝している通りのことが行われていたなら、簡単に証明できる。 西側の政府やメディアは嘘をつき続けてきたわけだが、今回、アメリカは特に情報の隠蔽を徹底している。本来なら、この撃墜を利用してロシアを追い詰める予定だったのだろう。
2015.10.14
反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(イラクのアル・カイダ)で、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしているとアメリカの軍事情報機関DIAは2012年8月に報告している。バラク・オバマ米大統領はこの報告書を読み、「穏健派」などが妄想にすぎないということを知っていたはずだ。 この報告書が作成される3カ月前、シリアのホムスで住民が虐殺され、西側の政府やメディアはシリア政府側が実行したと宣伝していたが、すぐに嘘だということが発覚する。現地を調査したひとり、東方カトリックの修道院長は反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が虐殺したと報告、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も、キリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えた。 修道院長の報告内容はローマ教皇庁の通信社が伝えたているが、その中で修道院長は次のように語っている:「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は、地上の真実と全く違っている。」と修道院長は主張、キリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムは外国からの干渉が事態を悪化させていると批判している。 つまり、シリアでの戦闘を「内戦」と表現することは間違いであり、プロパガンダ。シリア軍は外部から侵略してきたサラフ主義者、ムスリム同胞団、アル・カイダ系戦闘員と戦っているのである。だからこそ、シリア国民からアサドは支持されている。 シリアで活動しているアル・カイダ系武装集団はアル・ヌスラだと伝えられていたが、DIAによると、それはAQIがシリアで活動するときに使う名称にすぎない。AQIは2004年に組織され、06年にISIが編成された際の中核になった。ISIは現在、IS(ISISやダーイシュなどとも表記)と呼ばれている。ISはアル・カイダ系武装集団の中から生まれたということ。そうした反シリア政府軍を支えてきたのは、アメリカ、イギリス、フランス、トルコのNATO諸国、イスラエル、そしてサウジアラビアやカタールのペルシャ湾岸産油国だ。 その中でも中心的な役割を果たしているのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3カ国。1979年7月にアメリカ政府はズビグネフ・ブレジンスキーのプランに従ってアフガニスタンで秘密工作を始めているが、それ以来の同盟国だ。なお、ソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ入ったのは1979年12月。 2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に興味深い記事を書いている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めたというのだ。 この記事をWikiLeaksが公表した文書も裏付けている。その文書によると、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始めたというのだ。そうした工作の延長線上に2011年3月の戦闘はある。 イスラエル政府はシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すためならアル・カイダ系武装集団と手を組むと公言している。例えば、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近として知られるマイケル・オーレンは駐米イスラエル大使時代の2013年9月、シリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語った。 ISやアル・ヌスラのような戦闘集団がアメリカなど好戦派の傭兵にすぎないことは公然の秘密。アメリカが主導した国々がISに対すると称してシリア領空を繰り返し侵犯し、攻撃を繰り返してきたが、シリアの施設を破壊したり民間人を殺すだけで、ISはダメージを受けてこなかった。それどころか、アメリカが「穏健派」に提供した武器、弾薬、そして小型トラックなどがISへ流れている。内陸部では「誤投下」も繰り返されてきた。 その象徴がトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」。ISの戦闘員がパレードに使ったその小型トラックはアメリカの国務省がシリアの反政府勢力へ提供した43台の一部だという。そのせいではないだろうが、パレードをアメリカ軍は攻撃しなかった。 アメリカの国務省が提供したトヨタの小型トラックがISへ ところが、9月30日からロシア軍がISやアル・ヌスラなどを空爆、司令部や武器庫などを破壊し、少なからぬ戦闘員が死傷、あるいは隣国へ逃亡した。ネオコンのデービッド・ペトレアス陸軍大将は「穏健派アル・カイダ」への支援を主張、ジョン・マケイン上院議員はそうした勢力へ地対空ミサイルを供給してロシア軍機を撃墜させるべきだと語り、ヒラリー・クリントンは飛行禁止空域の設定を求め、ズビグネフ・ブレジンスキーはロシア軍の武装解除、つまりロシア軍を攻撃しろと言っている。そうした中、アメリカ軍は反シリア政府軍に対する物資の提供を強化するらしい。ロシア軍に破壊された一部を補充しようということだろう。 で、アメリカ政府は誰を支援するつもりなのだろうか? DIAは反シリア政府軍の主力をサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(イラクのアル・カイダ)だとしていた。最近、アメリカ政府は大金を掛けて10名未満の戦闘員を育てたらしいが、そのグループがISと戦えるわけがなく、武器を携えて「投降」するのが関の山だろう。 アメリカは自らが「テロ」を実行し、「テロリスト」を支援する国。「民主主義を押しつけている」のではなく、民主主義を破壊してきた。そのアメリカが展開している軍事侵略を実行する戦争マシーンへ日本を組み込んだのが安倍晋三政権であり、その手助けをしてきたのがマスコミだ。かつて日本のマスコミは「大東亜共栄圏」という幻影を宣伝、軍事侵略を後押ししたが、同じようなことをまた繰り返している。
2015.10.13
安倍晋三首相に言われるまでもなく、経済政策と軍事戦略は表裏一体の関係にある。そうしたものを全て含むビジョンを描いているのはアメリカの支配層。日本の「エリート」はそのビジョンに従って動いているにすぎず、マスコミはそこから渡された情報を垂れ流すだけ。 有り体に言えば、戦争も秘密工作もTPPも目的は巨大資本のカネ儲け。1933年から34年にかけてJPモルガンをはじめとする巨大資本の反フランクリン・ルーズベルト大統領のクーデター計画を阻止、議会で明るみに出したスメドリー・バトラー海兵隊少将の言葉を借りるならば、戦争は不正なカネ儲け、つまり押し込み強盗。「民主主義」や「人道」の伝道活動をしているわけではない。 1991年12月にソ連が消滅、ロシアを属国にしたアメリカの支配層は「唯一の超大国」に君臨している自分たちは世界の覇者になると考えた。そこで1992年の初めに国防総省で作成されたのがDPGの草案。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配すとしていた。これは本ブログで何度も書いてきたが、この問題に触れなければ安倍政権の政策も理解できない。 その後、NATOがユーゴスラビアを先制攻撃、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、この出来事を利用してアフガニスタンやイラクを軍事侵略した。実は、ネオコンの中心的な存在であるポール・ウォルフォウィッツは1991年に5年から10年でイラク、イラン、シリアを殲滅すると語っていた。その当時、ウォルフォウィッツは国防次官。「予告」より少し遅れたが、その3カ国のうちひとつが破壊されたわけだ。 2007年3月5日付けニューヨーカー誌で調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。その中でサウジアラビアと緊密な関係にあると指摘されているのがムスリム同胞団とサラフ主義者。工作の実行部隊ということになる。WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始めたとされている。 リビアやシリアで戦乱が始まる切っ掛けを西側の政府やメディアは「民主化運動の弾圧」だと宣伝していたが、実際は外部からの軍事侵略にすぎなかったことは本ブログで何度も書いてきた。その侵略軍の主力はムスリム同胞団とサラフ主義者で構成されたアル・カイダ系の武装集団。 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書の中でも、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。2011年3月にシリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍を支援、アル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したとも説明している。IS(ISISやダーイシュとも表記)はAQIから派生したグループだ。 こうした反シリア政府軍の雇い主はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々。アメリカ軍が主導する空爆でISであろうとアル・ヌスラであろうと、打撃を受けるはずはなかった。その武装集団をロシアは本当に空爆して大きなダメージを与え、イラク政府もロシア政府に空爆を要請しそうだ。 1991年の段階でウォルフォウィッツはアメリカが軍事行動に出てもソ連/ロシアは動かないと考えていた。ところが、シリアでは小規模ながら空爆を実施、しかも結果を出している。手駒を叩かれたことでアメリカのブレジンスキー、アシュトン・カーター国防長官、あるいはジョン・マケイン上院議員などは怒り、ロシアを攻撃すべきだと主張している。イギリスでは政府がロシア軍機の撃墜を許可したと報道されたが、同国の国防省は否定したと伝えられている。 サウジアラビア王室も中東情勢のカギを握っているのはバラク・オバマ米大統領でなくウラジミル・プーチン露大統領だと考えているようで、国王の息子がモスクワを訪れてシリア情勢を話し合っている。そのモスクワでISの戦闘員が爆破工作を目論んでいるとも言われている。 アメリカの支配層が自分たちにとって都合の良い体制を築くために「テロリスト」を使うのは昔から。例えば、1990年10月、ジュリオ・アンドレオッチ伊首相はNATOの内部に「テロ活動」を行う秘密部隊「グラディオ」が存在することを認める報告書を出している。こうした部隊はNATOに加盟している全ての国で組織されたという。 こうした秘密部隊は1944年にアメリカとイギリスが創設した「ジェドバラ」に行き着く。大戦後、ソ連の軍事侵略に備えるという名目でNATOが創設されたが、西ヨーロッパ諸国をアメリカが支配する仕組みとして利用されてきた。そうした目的のために秘密部隊を設置され、コミュニストの勢力が強かったイタリアでは1960年代から80年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、クーデターも試みている。いわゆる「緊張戦略」だ。 こうした仕組みの存在は遅くとも1972年に発覚している。秘密部隊の幹部はイギリスの情報機関で訓練を受け、武器庫は139カ所に設置された。そのひとつが1972年2月に発見され、カラビニエーレ(国防省に所属する特殊警察)は捜査を開始している。 その3カ月後、カラビニエーレの捜査官が調べていた不審車が爆発して3名が死亡、「赤い旅団」が実行したとされ、約200名のコミュニストが逮捕された。その後、武器庫の捜査は中断する。 1984年にひとりの判事が捜査中断に気づいて捜査は再開され、不審車の爆破に使われた爆発物は「赤い旅団」が使っているものではなく、NATOが保有しているC4だと判明し、ほかの武器庫が存在することも発覚、爆破事件は右翼の「新秩序」がイタリアの情報機関SID(国防情報局)と共同で実施したこともわかる。(Daniele Ganser, "NATO's Secret Armies, Frank Cass, 2005) そうした捜査が続いている頃、アメリカはアフガニスタンでイスラム武装勢力をソ連軍と戦わせていた。ジミー・カーター米大統領の補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーの発案でイスラム武装勢力が組織される。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、疲弊させるというもので、1979年4月にCIAのイスラム武装勢力支援プログラムを開始、この年の12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻した。 この時に多くの戦闘員をアメリカの軍や情報機関は生み出したが、ロビン・クック元英外相によると、アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の意味でも使われる。なお、クックはこの事実を書いた翌月、保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡してしまった。享年59歳。
2015.10.13
数週間以内にイラク政府はロシア政府に対し、シリアで行っているような空爆をイラクでも実施するように要請すると言われている。アメリカ軍が行っているIS(ISISやダーイシュとも表記)に対する攻撃に効果がなく、ハイデル・アル・アバディ政権は不満を強めていたようだ。いや、恐らく、アメリカとISがつながっていることを知っているのだろう。 アル・アバディが首相に就任したのは昨年9月のことだが、その背後ではアメリカ政府の意向が働いていた。昨年4月に行われた議会選挙で「法治国家連合」が全328議席のうち92議席を獲得、ムクタダ・サドルが率いる勢力の34議席とイラク・イスラム革命最高評議会の31議席を加えたシーア派連合は157議席に達し、本来ならアル・マリキが次期首相に指名されるはずだったが、アメリカ政府が嫌い、その意向を受けてフアード・マアスーム大統領が指名を拒否したのだ。 2006年5月から14年9月までヌーリ・アル・マリキが首相を務めているが、このマリキは選挙の前月、サウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判、ロシアへ接近する姿勢を明確にしていた。アメリカ政府が武装勢力を使い、イラクを破壊していることに反発していたということだ。そのマリキを外して首相にしたアバディもマリキと同じ道を歩こうとしている。 イラクで首相の人選をめぐって揉めている最中、広く知られるようになったのがISなる武装集団。2014年1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧した。モスル制圧の際、銀行から約4億2900万ドルを奪い、保有する総資産は20億ドルに達したと言われている。 その際、イラク軍の指揮官は戦闘を回避したようで、マリキ首相はメーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任した。 ISは後にジェームズ・フォーリーの首を切る場面とされる映像(その後、フェイクだと指摘されている)が公開され、広く知られるようになった。その際、トヨタ製の真新しい小型トラックを連ねてパレードする写真も公開されているが、そのパレードをアメリカ軍が攻撃しなかったこともアメリカ政府に対する不信感を強めることになった。このトヨタ車はアメリカの国務省がシリアの反政府勢力へ提供した43台の一部だと伝えられている。 ISの過去を振り返ると、2004年にAQI(イラクのアル・カイダ)が組織され、06年にはAQIが中心になってISIが編成され、今ではISなどと呼ばれている。2011年にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された際、NATOがアル・カイダ系のLIFGと手を組んでいたことが知られ、新たな「タグ」をつける必要に迫られる。 そうした状況下にあった2012年8月、アメリカ軍の情報機関DIAは反シリア政府軍について報告している。当時の局長はマイケル・フリン中将。それによると、反政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。アル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称だとも説明している。ISIやISも新たなタグにすぎず、実態はAQIだということだろう。 アメリカ政府などの西側諸国、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコが支援しているこうした武装集団は東部地区やトルコとの国境沿いに勢力圏を広げ、その武装集団の実態からその地域はサラフ主義者に支配されるようになるとDIAは見通し、またシリア政府軍からの攻撃を避けるため、拠点をイラクに築き、そこで新たな戦闘員を集めて訓練するとも予想していた。バラク・オバマ政権は何が起こるかを理解した上で反シリア政府軍を支援したわけである。 現在、中東はふたつの勢力が対立する構図が生まれようとしている。これまでアメリカ/イスラエル/ペルシャ湾岸産油国/トルコ/ISが破壊と殺戮を繰り返してきたが、それにロシア/中国/シリア/イラン/イラクが対抗しようとしているわけだ。 シリア、イラン、イラクは1991年にネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が殲滅すると口にしていた国。その3カ国を潰しきれなかっただけでなく、結束を強めることになった。 1992年初めにウォルフォウィッツをはじめとするメンバーが国防総省で作成したDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」では、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配すとしていた。 旧ソ連圏はユーゴスラビアからはじまり、現在はウクライナ。西南アジアは戦乱で破壊と殺戮が繰り広げられている。東アジアでも軍事的な緊張が高まり、安倍晋三政権は日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込んだ。残るは西ヨーロッパだが、アメリカの好戦派は「難民」を利用して自分たちが訓練した戦闘員を送り込み、「カラー革命」を行うと考えている人もいる。「冷戦」時代にはNATOの秘密部隊(イタリアのグラディオが有名)が破壊工作を実行、社会不安を煽って左翼陣営を攻撃、治安体制を強化した。EUがアメリカ離れを起こしつつある現在、それ以上のことを実行する可能性があるということだ。
2015.10.11
シリアでロシア軍が行っている空爆で大きなダメージを受けたアメリカの好戦派はロシアを罵倒しながら兵器と戦闘員の補充を目論む一方、アフガニスタンで戦闘員を訓練、ロシアのカフカスや中国の新疆ウイグル自治区へ送り込んで「報復テロ」を実行するつもりだとも言われているが、彼らが厳しい状況に陥っていることは間違いないだろう。 ロシアの空爆により、アメリカ/NATO、イスラエル、ペルシャ湾岸産油国などが手駒として使ってきたアル・カイダ系のアル・ヌスラやIS(ISIS、ダーイシュなどとも表記)の戦闘員に多くの死傷者が出ているほか、司令部や武器庫が破壊され、シリアからヨルダン、あるいはトルコへ逃れたり、避難先からEUを目指している戦闘員も少なくないとも言われている。チェチェンからシリアへ入っていた相当数の戦闘員も戦死しているようだ。ロシア軍はトルコの戦闘機を威嚇、ISの兵站ラインを守るためにシリアへ侵入することを許さない姿勢を見せたともいう。 アメリカが主導して行ってきた攻撃が効果を上げてこなかったのに対し、ロシアによる空爆が結果を出している理由はいくつか挙げられている。現地にいる人からの情報力がアメリカの場合は貧弱なのか、トルコから攻撃に関する情報が漏洩しているのか、あるいはアメリカにISを攻撃する意思はないのか・・・。最後の理由が最も説得力がある。理由はともかく、こうした敗走が起こる原因は、彼らが侵略軍にすぎないということにあるだろう。その実態はアル・ヌスラやISで、アメリカの好戦派を中心とする勢力の傭兵だ。 シリアの戦乱が「政府による民主化運動の弾圧にある」という話をアメリカは軍事侵略を始める際、盛んに宣伝していたが、それを前提にすると現在の状況を理解することが難しくなる。ユーゴスラビアの「人権」にしろ、イラクの「大量破壊兵器」にしろ、アメリカが軍事侵略するために使った嘘だった。シリアの「民主化弾圧」も同じだ。 戦乱が始まった頃、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、武装蜂起は外国から入ってきたグループに扇動されたもので、報道とは違い、緊張が高まるにつれて市民の運動は小さくなって激しい弾圧という事態にはならなかったという。この事実をシュバリエ大使は実態をアラン・ジュペ外務大臣兼国防大臣(当時)に報告するが、封印されてしまった。 2012年5月にホムスのホウラ地区で住民が虐殺され、西側の政府やメディアはシリア政府側が実行したと宣伝していたが、そうした話と事実との間に矛盾点が多く、事件直後から疑問を抱く人は少なくなかった。 そのホウラを調査した東方カトリックの修道院長も反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が実行したと報告、その内容はローマ教皇庁の通信社が伝えた。その中で修道院長は次のように語っている:「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は、地上の真実と全く違っている。」と修道院長は主張、キリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムは外国からの干渉が事態を悪化させていると批判している。 また、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も、キリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えた。 2012年8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI。この勢力は西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。修道院長がホウラの虐殺を実行したグループと重なる。 DIAによると、アル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称。AQIは2004年に組織され、06年にISIが編成された際の中核組織。ISIは現在、ISと呼ばれている。アル・ヌスラもISも実態は同じということだ。 シリアのバシャール・アル・アサド体制をアメリカの好戦派が倒すと言い始めたのは湾岸戦争が停戦になった直後、つまり1991年のこと。その年の終わりにソ連が消滅する。 ヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラーク大将によると、その年、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしている。湾岸戦争の経験から彼は自分たちが軍隊を出してもソ連軍は出てこないと考えるようになったようだ。ロシア軍に対しても同じように見ていたのだろう。 そして1992年初頭、ネオコン/シオニストに支配されていた国防総省の内部で作成されたDPGの草案は、潜在的ライバルを潰すという目標を掲げた。アメリカを「唯一の超大国」と位置づけ、世界制覇を目指すというわけだ。その作業の中心がウォルフォウィッツだったことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、イラン、シリアのほか、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃することを決めている。そして2003年、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒した。 2007年3月5日付けニューヨーカー誌で調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。その中でサウジアラビアと緊密な関係にあると指摘されているのがムスリム同胞団とサラフ主義者。工作の実行部隊ということになる。現在、シリアでアサド体制を倒すために戦っている勢力と同じだ。 WikiLeaksが公表した文書によると、ハーシュの記事が出る前年、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始めている。2009年には「人道」というキーワードが出てくる。 2003年にイラクを軍事侵略して以来、アメリカは中東、北アフリカ、ウクライナへ戦乱を広げてきたが、そうした戦乱を広げてきた武装勢力をロシア軍が空爆で攻撃、大きなダメージを与えた。それを見てイラク政府がロシアへ空爆を要請する姿勢を見せ、イラクの首都、バグダッドにロシア、シリア、イランの統合調整本部を作るという話が伝えられている。
2015.10.10
ロシア軍がシリアで行っている攻撃でアル・カイダ系のアル・ヌスラやIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ダーイシュなどとも表記)は大きなダメージを受けているようで、イラク政府もロシア政府に攻撃を要請したいという姿勢を見せている。 アメリカもISを攻撃しているはずなのだが、効果は見られず、むしろ攻撃開始からISは勢力を広げてきた。ISに蹂躙されている国の人びとが不信感を抱くのは当然だが、それに対してロシアの攻撃が効果的だということになると、人心のアメリカ離れは決定的になるだろう。 そうした中、CNNは4基のミサイルがイラン領内に墜落したと伝えた。現地にいるアメリカの軍や情報機関の協力者が報告してきたと匿名の高官2名が語ったというのだが、証拠は提示されず、アメリカ国務省の広報担当、ジョン・キルビーは確認できないとしている。ロシア国防省やイラン国防省はCNNの報道を全面否定した。 勿論、ミサイルが墜落することはありえる話だが、CNNはアメリカの軍事侵略を正当化するために偽情報を流し続けているメディア。シリアで戦闘が始まった直後からBBC、アル・ジャジーラ、フランス24と同じように、「活動家」や「人権団体」の話だとしてアサド政権が暴力的に参加者を弾圧していると伝えていたが、いずれも背景に西側情報機関が存在し、単なるプロパガンダだった。アフガニスタンでアメリカ軍が病院を「誤爆」したことに対する風当たりを弱めたいと思っているのかもしれない。 今でも情報源として重宝されている「SOHR(シリア人権監視所)」は2006年に創設され、ロンドンを拠点として活動しているのだが、その背後にはCIA、情報機関と緊密な関係にあるブーズ・アレン・ハミルトン(エドワード・スノーデンが所属していた)、プロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在していると指摘されている。イギリスの情報機関とも交流がある。 また、シリア系イギリス人のダニー・デイエムなる人物も西側のメディアへ盛んに登場し、政府の弾圧を訴え、外国勢力の介入を求める発言を続けていた。「西側」のメディアも精力的に彼の「情報」を流している。ところが、2012年3月1日にダニーや彼の仲間が「シリア軍の攻撃」を演出する様子を撮した映像が流出、彼の情報がインチキだということが判明、西側メディアの信頼度は大きく低下したのだが、CNNに限らず、その後も西側メディアは偽情報を大々的に「報道」しつづけている。そのCNNの情報に飛びつく人は事実に興味がないのだろう。あるいは安倍晋三と同じようにアメリカの「権威」を崇拝しているのか・・・。 もっとも、CNNも事実を伝えようとしていた時期もある。例えば、1998年6月のラオスにおける神経ガス使用に関する報道。1970年にアメリカ軍のMACV-SOV(ベトナム軍事援助司令部・調査偵察グループ)がベトナム戦争で、逃亡兵を殺害するためにサリンを使用したとする内容で、その重要な情報源は70年から74年まで統合参謀本部議長を務めたトーマス・ムーラー提督。 本ブログでも触れたことがあるが、ベトナム戦争では正規軍と情報機関/特殊部隊が別の指揮系統で戦っていた。この「テールウィンド作戦」は後者のもので、ムーラー提督は直接関係していなかった。部下がその作戦を監視、報告を受けていたのである。 しかし、報道後、軍から大変な圧力がかかり、CNNは屈服する。CNNの経営陣は、報道内容のチェックを弁護士のフロイド・エイブラムズに依頼し、1カ月にも満たない短期間で報告書を作成させた。報告書の結論は報道内容を否定するものだったのだが、引用に不正確な部分があり、慎重に調べたとは到底言えない代物だった。 それに対し、番組を担当したプロデューサーのジャック・スミスとエイプリル・オリバーは報道を事実だ主張、オリバーによると、放送では示されなかった重要な情報をCNNは隠していると私の取材に答えている。その後、ふたりは解雇された。 この後、CNNは軍との関係が緊密化したようで、1999年、コソボ戦争の最中にアメリカ陸軍の第4心理作戦グループの隊員を2週間ほど本部に受け入れている。アメリカ軍の広報担当、トーマス・コリンズ少佐によると、派遣された軍人はCNNの社員と同じように働き、ニュースにも携わったという。(Trouw, 21 February 2000) その2年後、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて以降、アメリカのメディアは「報道の自由」を放棄して単なるプロパガンダ機関になっている。 西側メディアに言わせると、1997年にウクライナとロシアが結んだ協定に基づいていクリミアに駐留していたロシア軍1万6000名(協定では2万5000名まで駐留できる)は軍事侵攻してきた部隊になってしまう。 CNNだけでなく、ニューヨーク・タイムズ紙であろうと、ワシントン・ポスト紙であろうと、ウォール・ストリート・ジャーナル紙であろうと、BBCであろうと、西側の有力メディアの「報道」は眉につばをつけながら見たり読んだりしなければならない。
2015.10.09
アル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)、あるいはネオ・ナチをアメリカの好戦派は軍事侵略の手先にしてきた。以前からそうした戦略に反発する声がアメリカの軍や情報機関からも聞こえてきていたが、そうした意思を表明する「将軍」がまたひとり現れた。DIA(国防情報局)の長官を務めたマイケル・フリン中将だ。 フリン中将が長官だった2012年8月、DIAは反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告書を作成した。この報告書によると、2011年3月にシリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍を支援、アル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開した。 反政府軍は東部地区やトルコとの国境沿いに勢力圏を広げ、そこをサラフ主義者が支配するようになり、それを西側諸国、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコが支援するだろうとしている。またシリア政府軍からの攻撃を避けるため、拠点をイラクに築き、そこで新たな戦闘員を集めて訓練するとも予想している。実際、DIAの予想はISという形で現実のものになった。バラク・オバマ政権は何が起こるかを理解した上で反シリア政府軍を支援したわけである。 ここでAQIやISの過去を振り返ってみたい。 AQIは組織されたのは、アメリカ軍がイギリス軍などを率いてイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒した翌年、2014年のこと。フセイン政権はアル・カイダ系の組織を「人権無視」で弾圧、それまで活動らしい活動はしていなかった。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたと書いているが、その前年、2006年にAQIを中心としてISI(イラクのイスラム首長国)と呼ばれる武装グループが組織された。 シリアより少し前、2011年2月にリビアでも体制転覆プロジェクトが動き始めている。ここではNATO軍とアル・カイダ系のLIFGが連携してムアンマル・アル・カダフィ政権を倒した。その年の10月にカダフィが惨殺された直後、反カダフィ派の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられている。その様子を撮影した映像がすぐにYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メール紙もその事実を伝えていた。 リビアで戦闘が始まった段階で西側やペルシャ湾岸産油国がアル・カイダ系武装集団と手を組んでいることは明確になっていたのだが、その7年以上前、2004年2月にCIA長官だったジョージ・テネットはLIFGをアル・カイダと結びついた「過激派」で、アメリカの治安にとって脅威だと上院情報委員会で証言している。そうした集団であることを承知の上でNATOはLIFGを使ったということだ。 アメリカ以上にLIFGとの関係が深いのはイギリス。MI5(イギリスの治安機関)の元オフィサー、デイビッド・シャイラーによると、1996年にイギリスの対外情報機関MI6はLIFGを使ってカダフィを爆殺しようと試みている。 カダフィ体制を倒したアル・カイダ系武装集団は武器を携えてシリアやイラクへ移動したようだが、その際、マークを消したNATOの軍用機がシリアとの国境に近いトルコの軍事基地へ武器と戦闘員を運んだと言われている。2012年になると、アメリカのCIAや特殊部隊はヨルダン北部に設置された秘密基地で戦闘員を訓練、その中にはISのメンバーになる人びとも含まれていたという。2013年に入るとISはシリアでの戦闘を激化させる。 アメリカ支配層は人びとの目を眩ますため、戦闘集団のタグを頻繁に付け替えるが、その実態は自分たちが訓練してきた傭兵にすぎない。アル・カイダとはアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳語としても使われているようで、ロビン・クック元英外相が明らかにしたように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルという意味でもある。アル・カイダという具体的な戦闘集団が存在するわけではない。この仕組みを作り上げたのは、ジミー・カーター政権で大統領補佐官を務めていたズビグネフ・ブレジンスキーだ。 こうしたイスラム系武装集団を使い、アメリカはバルカン諸国、中東、北アフリカ、ウクライナを戦乱で破壊してきた。 ハルフォード・マッキンダーの「ハートランド理論」にしろ、ズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」にしろ、最終目標はロシアを制圧して世界を制覇すること。自分たちを「特別の存在」だと信じているアメリカの好戦派はそれを当然のことだと思っている。 しかし、フリン元DIA局長はロシアにも外交政策や安全保障戦略があることを理解しなければならなかったと主張、それをせずにアメリカはロシアの「レッドライン」を踏み越え、ロシアはシリアでの軍事作戦を始めたのだとしている。このまま進めばロシアとアメリカ/NATOの軍事衝突の可能性が高まる。実際、ブレジンスキーやアシュトン・カーター国防長官はそうした方向へ進もうとしている。 フリン中将はそうした動きに危機感を持っているようだが、2001年当時からネオコンの好戦的な政策に反発する将軍は少なくなかった。当初、2002年に予定されたイラク攻撃が翌年に延びたのは、そうした反発が原因だったとも言われている。 公然と異を唱えたケースには、例えば、2002年10月にドナルド・ラムズフェルド国防長官に抗議して統合参謀本部の作戦部長を辞任、06年4月にタイム誌で「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書いたグレグ・ニューボルド中将、翌年の2月に議会で長官の戦略を批判したエリック・シンセキ陸軍参謀総長、そのほかアンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将もネオコンの好戦的な戦略に否定的だ。 こうした反発が出てくる最大の理由はネオコンなど好戦派の戦略が常軌を逸しているからだが、日本では危機感が感じられない。政府やマスコミだけでなく、「革新政党」もアメリカのロシア批判の同調しているように感じられる。日本もアメリカも戦前の日本軍の状態に似ている。つまり事実を見ず、妄想の世界にどっぷり浸かっている。そうした中では情報将校の分析も無視される。
2015.10.09
シリアという国のあり方を決める権利を持っているのはシリア人だけである。ところがアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、ヨルダン、イスラエルといった国々は2011年3月、バシャール・アル・アサド体制を倒すために軍事作戦をスタートさせた。つまり侵略を始めたわけである。 当初、中心的な役割を果たしたのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアだが、ここにきてIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)に拠点を提供し、兵站ラインを守っているトルコが、またISを支援するためにシリアを攻撃しているイスラエルが注目されている。 9月29日、ニューヨークでロシアのウラジミル・プーチン大統領とアメリカのバラク・オバマ大統領が会談した。その際、プーチン大統領はイスラエルのシリア攻撃に懸念を示したというが、ネオコンやその背後に存在する支配者グループが大きな影響力を持つアメリカがイスラエルを制御することは難しいはずで、ロシア政府に何を言われても対応できない。 会談の翌日からロシアはシリアに侵入している武装勢力を攻撃し始めた。今回の攻撃でロシア軍はカスピ海から巡航ミサイルでISやアル・ヌスラの部隊を攻撃したと発表されているが、こうした攻撃が可能だということは、イスラエルを攻撃することもできるということにほかならない。さらに、今後、ロシアはシリアの防空システムを強化してイスラエルの攻撃に備えるだろう。 イスラエルがシリアを攻撃した一例は、2013年1月30日に行われた4機の戦闘機によるもの。その8日前、アビブ・コチャビAMAN(イスラエルの軍情報部)司令官はワシントンで攻撃計画を説明、同じ時期にイスラエル政府は安全保障担当の顧問、ヤコフ・アミドロールをロシアへ派遣して攻撃を通告していたとも言われている。 2013年5月や14年12月にあった爆発は大きく、まるで地震のような揺れがあり、「巨大な金色のキノコに見える炎」が目撃された。爆発の様子を撮影したCCDカメラに画素が輝く現象(シンチレーション)もあり、小型の中性子爆弾が使われたと推測する人もいる。この推測が正しいならば、実行したのはイスラエルだった可能性がきわめて高い。 1986年にイスラエルの核兵器開発を内部告発したモルデカイ・バヌヌによると、イスラエルは150から200発の原爆や水爆を保有しているだけでなく、中性子爆弾の製造を始めていたという。その中性子爆弾を使ったとしても不思議ではない。 シリアで大爆発があった当時、アメリカとイスラエルはシリアへ軍事侵攻する動きを見せ、「化学兵器話」を西側のメディアは宣伝していた。この「化学兵器話」が嘘だということは本ブログで何度も書いてきた。そして攻撃が噂されていた9月3日、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射されたのだが、2発とも海中に落ちてしまう。 その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、事前に周辺国(少なくともロシア)へ通告はなかった。シリアに向かってミサイルは飛んでいたことから、侵攻作戦をイスラエルとアメリカは始めたと考えても不思議ではない。そこで、ドイツからイスラエルへ提供されたドルフィン級潜水艦がミサイルを発射したが、ジャミングなどの手段で落とされたのではないかと言われている。この後、アメリカはシリア攻撃の動きを止めた。 それでもイスラエルはシリアを攻撃し続ける。今年1月18日にはISを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊をイスラエルは攻撃し、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺した。イスラエルが負傷した反シリア政府軍/ISの兵士を治療しているとも伝えられている。 アメリカの好戦的な政策を推進しているのは戦争ビジネスやネオコン/シオニストで、その背後には金融資本が存在している。言うまでもなく、ネオコンはイスラエルと緊密な関係にあり、その中心グループのひとりがポール・ウォルフォウィッツだ。この人物はソ連が消滅して「冷戦」が終わる直前、イラク、シリア、イランを殲滅すると口にしている。 1992年の初めにアメリカ国防総省はDPGの草案を作成したが、その中でアメリカを「唯一の超大国」と位置づけ、世界を制覇するために潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配しようというビジョンを打ち出した。この草案作成で中心的なウォルフォウィッツが中心的な役割を果たしたことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。そこからアメリカの好戦派は軍事侵略を本格化したわけで、「冷戦」の終結で世界は平和になると考えた人は「冷戦」の本質を理解していなかったということだ。 現在、シリアで続いている戦乱もウォルフォウィッツ・ドクトリンが生み出したと言える。「アメリカの価値観」、つまり少数の支配者に権力や富を集中させ、私的権力が国を支配するべきだとする考え方、フランクリン・ルーズベルトの定義ではファシズム化に従わない「レジーム」を「チェンジ」する一環として、シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしている。 アサド体制の打倒はイスラエル政府の意思でもある。ベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近として知られるマイケル・オーレン駐米イスラエル大使は2013年9月、シリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語った。 シリア国内にアメリカ支配層に命令に従ってクーデターを実行できる勢力は存在しないため、国外から傭兵を投入して2011年3月から戦闘が始まった。これを西側では政府やメディアが「自由」や「民主化」といった言葉で飾り立てているが、実態は単なる侵略。 ネオコンの戦術は恫喝して屈服させるというものだが、「テロには屈しない」ロシアが屈することはないだろう。逆に、イスラエルはロシアの射程圏内にあることを今回の巡航ミサイルによる攻撃は示しているわけで、イスラエルへの警告と見ることもできる。そのイスラエルはガザで破壊と殺戮を行っている。 事態が切迫する中、安倍晋三政権は憲法を無視する形で「安全保障関連法」、いわゆる戦争法を強行成立させたのだが、ロシアとの全面核戦争へ突き進むネオコンにどの程度の西側支配層が従うだろうか?
2015.10.08
アメリカ軍は「誤爆」を繰り返してきた。住宅、病院、国連施設、大使館、メディアの支局、ジャーナリストが拠点にしているホテルなどが攻撃され、多くの人が犠牲になっている。アフガニスタンで活動してきた「国境なき医師団」の病院を空爆しても驚きではない。 そのアメリカ軍はイギリス、フランス、ドイツ、カタール、サウジアラビア、トルコを率い、シリアでも1年以上にわたり、空爆を繰り返してきた。空からだけではなく、地上にも特殊部隊を潜入させていると言われている。イスラエルでの報道によると、シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が、またWikiLeaksが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊がシリア領内で活動している可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも最近、報道された。 そうしたNATO加盟国やペルシャ湾岸産油国の攻撃にもかかわらず、勢力を拡大して破壊と殺戮を繰り返してきたのがアル・カイダ系武装集団やそこから派生したIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)。何しろ、ISを支える主要な兵站ラインはトルコからシリアへ延び、それをトルコの軍隊や情報機関が守っている。こうした情報は西側のメディアも伝えているほど有名で、例えば、ドイツのメディアDWは昨年11月にトルコからシリアへ武器や戦闘員だけでなく、食糧や衣類などの物資がトラックで運び込まれ、ISの手に渡っている可能性が高いと伝えている。 昨年10月19日に「交通事故」で死亡したイランのテレビ局プレスTVの記者、セレナ・シムはその直前、トルコからシリアへISの戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGO(非政府組織)のトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手していたと言われている。 ISはそうした兵站に頼るだけでなく、資金調達のためにイラクで盗掘した石油を密輸している。生産は既存の施設を使っているのだろうが、それを輸送し、販売するルートがあるということだ。そうした石油を扱っているのはレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子が所有するBMZ社だと伝えられている。 まずトルコのジェイハンへパイプラインで運び、そこからタンカーでイスラエルへ輸送し、そこで偽造書類を受け取ってEUで売りさばくという仕組みだというのだ。一説によると、販売を請け負っているのはARAMCO。この会社はSOCAL(スタンダード石油カリフォルニア)、テキサコ、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、ソコニー・バキューム(後のモービル)が出資して創設され、1976年にサウジアラビアが国有化している。 2011年3月にバシャール・アル・アサド体制を倒すための軍事作戦が始動して以来、西側の政府やマスコミは「シリアの民主化を目指すFSA(自由シリア軍)」を宣伝してきたのだが、その幹部であるアブデル・ジャバール・アル・オカイディによると、その約10%はアル・カイダ系のアル・ヌスラ。このFSAは弱体で、今は消滅状態のようだ。 2012年8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。DIAによると、アル・ヌスラはAQIがシリアで活動するときに使う名称。AQIは2004年に組織され、06年にISIが編成された際の中核組織。ISIは現在、ISと呼ばれている。アル・ヌスラもISも実態は同じということだ。 最近、ネオコンのデービッド・ペトレアス陸軍大将は「穏健派アル・カイダ」をISと戦わせるために使うべきだと主張しているが、それが何を意味しているか、言うまでもないだろう。以前から、アメリカが武器を提供、軍事訓練した戦闘員は武器を携えて「過激派」へ「投降」するという話は流れていたが、最近もそうしたことがあった。 そうしたISやアル・ヌスラの拠点をロシア軍は空爆し、その後をシリア軍やイランが送り込んだ戦闘部隊で掃討作戦を行っているようだ。数日間の攻撃でISやアル・ヌスラは大きなダメージを受け、生き残った戦闘員はヨルダンなどへ逃げ込んでいるとも伝えられている。 ロシア軍の攻撃が始まった直後、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、カタール、サウジアラビア、トルコは懸念を表明した。ジミー・カーター政権でソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、アメリカが訓練したイスラム武装勢力と戦わせる戦略を立て、ウクライナ制圧してロシアを攻撃すべきだと主張しているズビグネフ・ブレジンスキーもシリアの状況にショックを受けているようだ。ちなみに、バラク・オバマ米大統領はブレジンスキーの弟子。 そのブレジンスキーはシリアにいるロシアの海軍や空軍は脆弱であり、アメリカの支配下に入らないなら「武装解除」すべきだとしている。つまり、ロシア軍と戦えと弟子に命令している。アメリカの好戦派が使っているISやアル・ヌスラは本当にシリアで厳しい状況にあるようだ。 ところで、ロシア軍はカスピ海から巡航ミサイルでISやアル・ヌスラの部隊を攻撃したとも伝えられている。ミサイルはイラン、イラクを通過してシリアに達している。ブレジンスキーはカスピ海のロシア海軍を壊滅させられると考えているのだろうか? ロシアとシリアへの憎しみが強いからか、ブレジンスキーやペトレアスは2001年から「アル・カイダ」が果たしてきた役割を忘れたようだ。アメリカが世界で軍事侵略をはじめる切っ掛けになった2001年9月11日の出来事、つまりニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)への攻撃を実行したのは「アル・カイダ」だということにされてきたのだ。その「テロリスト」が自分たちの仲間だとアメリカ支配階級に属す人物が言っている意味は重い。
2015.10.07
安倍晋三政権は「安全保障関連法」を強行採決、日本をTPP(環太平洋連携協定)へ参加させようとしている。自衛隊をアメリカの「戦争マシーン」へ組み込み、それだけでなく日本の住民、自然、社会、文化などをアメリカへ献上するつもりだ。それが自分たちの個人的な利益になると考えているからだろう。そのシナリオを書いたのは官僚だろうが、その官僚を含む日本の「エリート」は大まかに言って2種類に分けられる。親が支配階級に属しているか、受験競争を勝ち抜いたかだ。 受験競争を勝ち抜いたということは、出題者が望む解答を書く能力に長けていることを意味、思考力はむしろ邪魔になる。そうした「エリート」は自分たちで考えず、「権威」や「強者」が何を望んでいるかを知ることに集中する。日本の「エリート」がアメリカの命令に従うのは必然だということ。マスコミには「エリート」の落ちこぼれが少なくないため、競争の「勝ち組」には弱く、あわよくば自分も「勝ち組」だと見なされたいと思っている。 現在の日本は薩摩藩や長州藩を中心とする勢力のクーデター、いわゆる「明治維新」から始まる。そのクーデター派の背後に存在していたイギリスは19世紀の半ばに清(中国)を軍事侵略している。つまり、1840年から42年にかけてのアヘン戦争と1856年から60年にかけてのアロー戦争だ。清との貿易が大幅な赤字になったイギリスはアヘンを売りつけることにし、その結果の戦争だった。勿論、イギリスは麻薬を売りつけるだけでなく、清に蓄積されていた富を奪おうとしていたはずだ。 アロー戦争の最中、1858年にイギリスは日本と修好条約を締結、その翌年には麻薬取引で大儲けしていたジャーディン・マセソン商会がトーマス・グラバーという人物をエージェントとして送り込んでいる。1859年にイギリスは長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決め、63年には藩主の命令で井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)がロンドンに渡る。この時に使われた船はジャーディン・マセソン商会の船で、グラバーが渡航を手伝った。 1867年にグラバーは岩崎弥太郎、坂本龍馬、後藤象二郎らと盛んに接触、68年には佐賀閥に接近して高島炭坑の開発に乗り出し、戦乱の拡大を見越して武器取引に力を入れるのだが、勝海舟と西郷隆盛の会談で江戸城が平穏に明け渡され、戦争は終結する。イギリスは徳川幕府と薩長との戦争が長引き、両者が疲弊することを望んでいたのだろうが、その思惑通りには進まなかった。その結果、1870年にグラバーの会社は資金繰りが悪化して倒産するが、81年に岩崎の三菱本社が渉外関係顧問に迎え入れている。 1868年に明治体制がスタート、71年7月には強い自治権を持っていた藩を廃し、中央政府の官僚が支配する県を置く。廃藩置県だが、その後、1872年に琉球国を潰して琉球藩を設置、79年に沖縄県を作る。廃藩置県を実施した際、明治政府は琉球国を日本領とは見なさず、日本領にしたいとも思っていなかったということである。その方針を変更させる状況が生じた。 そうした不自然なことが行われる切っ掛けになったのは、1871年10月に起こった宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、何人かが殺されたとされる事件。日本政府は清に対して被害者に対する賠償や謝罪を要求するが、そのためには琉球国が日本領だという形が必要だった。 この時、日本に台湾派兵を勧めた人物がいる。1872年に来日した厦門駐在アメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーだ。外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧め、それ以降、75年まで外務省の顧問を務めることになる。日本が台湾へ軍隊を派遣したのは1874年のことだった。ちなみに、2003年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ザ・ラスト・サムライ」は、このアメリカ人をモデルにしたことになっているが、その実態は映画と全く違った。 1875年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ明治政府は軍艦を派遣して挑発する。「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。条規の批准交換にル・ジェンダーも陪席した。 朝鮮では1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こるが、それを好機と見た日本政府は軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながる。この戦争に勝利した日本は1895年4月、「下関条約」に調印して大陸侵略の第一歩を記す。その年の10月、日本公使だった三浦梧楼を中心とするグループは高宗の王妃、閔妃を含む女性3名を殺害した。 1904年に日本は帝政ロシアと戦争を始めるが、その戦費を融資したのはロスチャイルド系のクーン・ローブ。その金融機関を統轄していたジェイコブ・シッフと最も親しかった日本人は高橋是清だ。(JPモルガンと最も緊密な関係を築いていた日本人は井上準之助。) その間、1891年にはイギリスで重要な出来事があった。セシル・ローズ、ウィリアム・ステッド、エッシャー卿(レジナルド・バリオル・ブレット)、ロスチャイルド卿(ネイサン・ロスチャイルド)、サリスバリー卿(ロバート・ガスコン-セシル)、ローズベリー卿(アーチボルド・プリムローズ)、ミルナー卿(アルフレッド・ミルナー)が会談、アングロ・サクソンが人種の頂点に位置しているとし、ドイツを敵視することを明確にした。 現在でも生きている「ハートランド理論」をハルフォード・マッキンダーが発表したのは1904年。彼によると世界は3つ、第1にヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、第2にイギリスや日本のような「沖合諸島」、そして第3に南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」に分けられる。「世界島」の中心が「ハートランド」で、具体的にはロシア。 広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを締め上げるためにマッキンダーは西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」を、その外側に「外部三日月地帯」を想定した。パレスチナにイスラエルを作った理由のひとつはこの辺にあるだろう。(大多数のユダヤ教徒はパレスチナへ移住する気持ちはなかった。)ロシア制圧のカギはウクライナが握っていると主張したのはズビグネフ・ブレジンスキーだ。 この段階でイギリスはドイツとロシアを戦わせ、両国を疲弊させようとしたはず。それが第一次世界大戦で実現する。当時、帝政ロシアは地主貴族と資本家の2本柱で支えられていたのだが、地主は農作業の担い手を取られたくないので戦争に反対したのに対し、戦争で儲けたい資本家は賛成していた。そうした中、1917年3月に「二月革命(ロシア歴では2月)」が起こってロマノフ朝は崩壊、資本家が主導権を握る臨時政府が誕生した。 それに対し、ドイツは戦争に反対していたボルシェビキに目をつける。亡命していたり刑務所に入れられていたことからボルシェビキの指導部は二月革命に参加していなかったが、その指導者たちをドイツがロシアへ戻したのだ。そして11月の「十月革命」につながる。ボルシェビキ政権は即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止を打ち出した。ソ連嫌いからボルシェビキとイギリス支配層を結びつける人もいるが、無理がある。 この後、ドイツではアドルフ・ヒトラーが台頭してくるが、その背後にウォール街が存在していたことが明らかになっている。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とするアメリカの巨大資本はフランクリン・ルーズベルト大統領を排除したファシズム体制の樹立を目的としたクーデターを計画したが、根は同じ。このクーデター計画はスメドリー・バトラー少将の議会証言で明るみに出ている。ヒトラーはドイツとソ連/ロシアを破壊するために作られたモンスターだと言えるだろう。 現在、アメリカ支配層は世界制覇プロジェクトを死にものぐるいで推進している。そのプロジェクトが明らかになったのは1992年。この年に国防総省で作成されたDPGの草案はアメリカが「唯一の超大国」になったと位置づけ、世界制覇を実現するために潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配するとしている。が、その遥か前、1891年にアングロ・サクソンは世界制覇を妄想し始め、その段階から日本は取り込まれている。
2015.10.06
TPP(環太平洋連携協定)に関する交渉を続けてきた閣僚級会合で大筋合意が成立したという。交渉に参加している国はオーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナム、そしてアメリカだが、実際の交渉は巨大資本が主導、その利益を最大限にすることが目的だ。それ以上に問題なのは、交渉内容が秘密にされていること。内容を知った人間が外部に情報を漏らすと刑事罰が待っている。巨大資本の周辺にいる人びと以外には知られたくない理由はひとつ。そうした人びとの利益に反するのだ。 アメリカのシェロード・ブラウン上院議員とエリザベス・ウォーレン上院議員によると、アメリカ政府が設置しているTPPに関する28の諮問委員会には566名の委員がいて、そのうち480名、つまり85%が大手企業の重役か業界のロビイストであり、交渉をしているのは大手企業の「元重役」だ。 TPPの交渉に参加している人物には、バンク・オブ・アメリカのステファン・セリグ商務省次官補やシティ・グループのマイケル・フロマン通商代表も含まれている。セリグはバラク・オバマ政権へ入ることが決まった際、銀行から900万ドル以上をボーナスとして受け取り、フロマンは銀行からホワイトハウスへ移動するときに400万ドル以上を貰っていると報道されている。金融資本の利益のために頑張れということだ。 多くの人が指摘しているように、TPPで最大の問題はISDS条項。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ったなら企業は賠償を請求できることになり、健康、労働、環境など人びとの健康や生活を守ることを許さない。最近、GMO(遺伝子組み換え作物)の危険性を指摘する研究報告が発表され始め、GMOを禁止する国も現れているが、そうした規制は難しくなるだろう。 TPPと同じ協定をアメリカはEUでも締結しようとしている。TTIP(環大西洋貿易投資協定)だ。これにTISA(新サービス貿易協定)を加えた3協定はセットで、アメリカの巨大資本が参加国をコントロール、世界を制圧する重要な仕組みになる。 ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日、ファシズムについて次のように定義している。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 現在、アメリカ政府は世界をファシズム化しようとしているわけだが、その前に大きな障害が存在する。ロシアと中国である。これまでアメリカの好戦派は世界を自分たちに都合良く作り替えるため、アル・カイダ系の武装集団、そこから派生したIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ダーイシュなどとも表記)、あるいはネオ・ナチを使って戦乱を広げ、破壊と殺戮で脅してきた。もし、日本人を本当にISが殺害したとするならば、それはアメリカ支配層から日本支配層に向けて発信されたメッセージである可能性がある。 そうしたアメリカの戦略を実現するために動いている戦争マシーンへ日本を組み込むため、安倍晋三政権は「安全保障関連法(戦争法)」を強行成立させた。この戦争法はユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどに対するアメリカの軍事侵攻やTPPと同じように、ネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの支配層が世界を制覇するため、1992年に打ち出した「ウォルフォウィッツ・プロジェクト(DPGの草案)」の一環だ。 安倍政権は日本の労働環境を劣悪化させ、社会保障システムを破壊し、基本的な権利を庶民から取り上げ、監視体制を強化しつつある。そうしたプランに基づき、「住民基本台帳」や「マイナンバー制度」も導入された。こうしたファシズム化を推進する上でもマスコミが果たした役割は大きい。
2015.10.05
ロシア軍がシリアで行っているアル・カイダ系武装集団/IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)に対する空爆は実際に「テロリスト」の司令部や武器庫などを破壊しているようだ。アメリカが主導してきたものとは違う。西側の政府やメディアが批判するのは当然だろう。何しろ、自分たちの傭兵が攻撃されているのだ。 本ブログでは何度も書いているが、アル・カイダとは故ロビン・クック元英首相が説明したように、CIAから訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳としても使われている。 その始まりはアフガン戦争。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめていた(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)が、武装集団が本格的に編成されたのは79年7月。ズビグネフ・ブレジンスキー大統領補佐官のプランに従ってジミー・カーター大統領がアフガニスタンの武装勢力に対する秘密支援を承認、その術中にはまってソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ入って来たのは、その年の12月。そのソ連軍と戦わせるためにアメリカは戦闘員を集め、訓練し、兵器を与えた。資金を出したのはサウジアラビアで、戦闘員のリストが「アル・カイダ」。アフガニスタンとパキスタンをまたぐ山岳地帯では資金調達のためにケシが栽培され、ヘロインの密輸が飛躍的に増大する。 シリアではアル・カイダ系の武装集団としてアル・ヌスラという名前が出てくるが、この名称はAQI(イラクのアル・カイダ)がシリアで活動するときに使っていたとDIA(アメリカ軍の情報機関)は説明している。DIAが2012年8月に作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている。AQIは2004年に組織され、06年にISIが編成されたときにはその中心になり、今ではISと呼ばれているわけで、アル・ヌスラもISも実態は同じ。 そうした武装集団をロシアは本当に攻撃している。その攻撃についてFoxのニール・カブトに質問された米大統領候補のジョン・マケイン上院議員は、アフガニスタンのときと同じように、戦闘機を撃墜できる武器を武装集団へ提供するべきだと語っている。 口にするかどうかはともかく、アメリカの好戦派はマケインと同じように考えているだろう。シリアの体制を転覆させるプロジェクトには、アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々が参加してきた。現在、ISを使っているのはトルコで、ISの最も重要な兵站ラインはトルコからシリアへ延びている。こうした国々がアル・ヌスラやISへ携帯防空システムを提供する可能性は高い。 8月1日にはウクライナの外相、トルコの副首相、そしてタタール人の反ロシア派代表がトルコのアンカラで会い、タタール人、チェチェン人、ジョージア(グルジア)人などで「国際イスラム旅団」を編成、クリミアの近くに拠点を作ることで合意したとされているのだが、今後、全世界にあるロシアの権益を「テロリスト」に襲わせることも推測されている。 当然、そうしたことをロシア政府も承知しているはずで、対策を練っているだろう。ロシア、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、そしてウズベキスタンで組織されたCSTO(集団安全保障条約機構)が動き始め、9月15日にはその幹部がタジキスタンで会合を開いてシリアやイラクでのテロ活動を批判、国連の下で軍隊を派遣する容易があるとする声明を出している。さらに、ロシア、シリア、イラン、イラクの4カ国はISに関する情報を交換するセンターを設置した。アメリカの「支援」がISに対して全く効果がないこともあり、イラクの現政権もアメリカ離れを始めている。また、すでにロシアは経済面だけでなく、軍事面でも中国との関係を緊密化させている。これはアメリカの好戦派が進める世界制覇プロジェクトに対する反発の結果。 このプロジェクトによって中東や北アフリカは不安定化しているが、それによって大量の難民がヨーロッパへ向かい、その中にはアル・カイダ系戦闘集団やISで戦っていた戦闘員も含まれている可能性が高い。ロシアの空爆を受け、逃げ出した戦闘員の一部もヨーロッパへ向かったという。そこでEUはアメリカに対する警戒を強めているようだが、ここにきてサウジアラビアもアメリカ好戦派の戦略に疑念を抱きはじめている。 現在、最もISと緊密な関係にあるトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアンはマケインのようなネオコンと同様、孤立しはじめている。そのネオコンに従っている日本の立場も微妙だ。
2015.10.05
今年は国連が創立されて70年目。9月28日には一般討論演説が始まり、初日に登場したふたりの主張が対照的だったことから話題になっている。アメリカのバラク・オバマ大統領とロシアのウラジミル・プーチン大統領だ。言うまでもなく、安倍晋三首相の演説を真剣に聞いた人はいないかっただろう。端から相手にされていない。 最近はアル・カイダ系武装集団/IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)やネオ・ナチを使い、アメリカ支配層の意に沿わない体制を破壊するプロジェクトを進めているオバマ米大統領は自分たちに従えと威嚇したのに対し、プーチン露大統領はオバマに対し、「自分がしでかしたことを理解しているのか?」とアメリカを公然と批判した。この日、暴力で世界制覇を目指すアメリカと、そのアメリカに立ち向かうロシアという構図が明確になったと言える。 アメリカが民主主義を破壊するようになって久しい。この70年に限っても民主的に成立したいくつもの国を破壊してきた。第2次世界大戦の直後、コミュニストが強かったイタリアで総選挙に介入したのが秘密工作の初めだと言われている。その後の有名な例としては1953年にイランのムハマド・モサデク政権を、また54年にグアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン政権を、73年にはチリのサルバドール・アジェンデ政権をそれぞれクーデターで倒している。 1975年には自立した政策を進めようとしたオーストラリアのゴフ・ウィットラム首相をイギリス女王エリザベス2世の総督、ジョン・カーを使って解任している。カーは第2次世界大戦中、オーストラリア政府の命令でアメリカへ派遣され、CIAの前身であるOSSと一緒に活動、大戦後はCIAときわめて深い関係にあった。 アメリカの好戦派が世界制覇プロジェクトを始めたのはソ連が消滅した直後、1992年の初めのこと。国防総省でDPGの草案が作成されたのだ。ソ連の消滅でアメリカが「唯一の超大国」になったと考えたネオコン/シオニストは世界制覇を実現するため、潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配しようとした。文書作成で中心的な役割を果たしたのがポール・ウォルフォウィッツ国防次官だったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 しかし、アメリカ憲法の機能を停止するプロジェクトはロナルド・レーガン政権時代の1982年、「NSDD55」が出されて「COGプロジェクト」が承認されて始まった。これは一種の戒厳令計画。その中心グループにはジョージ・H・W・ブッシュ副大統領のほか、好戦派のドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジーがいたようだ。 国内だけでなく外国の体制をアメリカ支配層にとって都合良く作り替えるプロジェクトも始めている。計画の暗号名は国内の「プロジェクト・トゥルース」、国外の「プロジェクト・デモクラシー」。後に両計画は合体する。1982年にレーガン大統領はイギリス下院の本会議で「デモクラシー・デモクラシー」という用語を使ったが、具体的に動き始めるのは大統領が「NSDD77」に署名した1983年。これ以降、アメリカは「民主主義」の名の下に侵略を始める。1990年代には「人権」も侵略の口実に使われるようになるが、今でも「民主主義」を掲げながら、民主主義の価値観を無視しているのがアメリカ。そのアメリカに日本の政府やマスコミは従属している。 9月28日の演説でオバマ大統領は「もし民主主義がシリアに存在していたなら、アサドに対する反乱は決して起きなかっただろう」と主張したが、この「民主主義」も本来の意味では使われていない。アメリカ支配層に服従していたならシリアをアル・カイダ系武装集団/ISで破壊することはなかったと言っているのだ。そうした暴力に頼るアメリカは弱体化し、崩壊の危機に直面している。その実態を明確にしたのがオバマ米大統領とプーチン露大統領の演説だった。
2015.10.04
ロシア軍がIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)の拠点空爆を続け、ロシア国防省はラッカ近くにあったISの司令部や地下倉庫を破壊したと説明している。そのラッカでISは、それまで強制だった金曜日の礼拝を中止した。 この攻撃をシリア政府だけでなく、イラクやイランの政府、さらにクルド勢力も歓迎しているが、シリアの体制転覆を目指している国々は不快感を隠していない。アメリカ政府はロシアがIS以外の勢力を攻撃、市民に犠牲者が出ていると非難、その主張を西側メディアは必死に宣伝、日本では「革新政党」もそれを垂れ流している。「アメリカ政府の仰せの通り」ということであり、日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれるのを本気で阻止しようとしてきたとは思えない。 2011年3月にバシャール・アル・アサド体制の打倒を目指す軍事作戦を始めたのはアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、ヨルダンといった国々で、今回の攻撃を非難する「アラブ諸国」が存在するのは当然。中東のメディアとして有名なアル・ジャジーラはカタールの国策メディアである。 アル・ジャジーラは「アラブの春」で体制転覆を目指す勢力を支援していたが、このプロジェクトにはカタールも深く関与、そのプロパガンダを展開してきた。シリアでもこのメディアはフランス24と同じように、アサド政権が暴力的に参加者を弾圧していると伝えていたが、その当時、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエは報道内容を否定していた。同国外務省の調査団が調べたところ、実際は限られた抗議活動があっただけで、すぐに平穏な状況になったことが判明したというのだ。 この報告を読んで怒ったのがアラン・ジュッペ外相。EUへの加盟支援を餌にトルコをリビアやシリアに対する軍事作戦へ引き込んだのはこのジュッペで、シリアとイラクにクルド国を作るというプランを持っていたという。ジュッペは調査団の報告を無視、シリアのフランス大使館へ電話して「流血の弾圧」があったと報告するように命じた。 このフランスより前からシリアでの工作準備を始めていたのがイギリス。1988年から93年にかけてのフランス外相、ロラン・デュマによると、2009年にイギリスを訪問した際、イギリス政府の高官からシリアで工作の準備をしていると告げられたという。デュマは政府から離れているとしてイギリス政府高官の話に乗らなかったというが、その後フランス政府は誘いに乗ったということだろう。 その2年前、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリアとイランの2カ国とレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとニューヨーカー誌で書いている。その中でサウジアラビアがムスリム同胞団やサラフ主義者と緊密な関係にあるとする情報を紹介、サウジアラビアだけでなくアメリカも反シリア政府派を支援しているとしている。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビアが手を組んだのはアフガン戦争から。アメリカは1973年からアフガニスタンで秘密工作を開始、1979年7月にジミー・カーター大統領はアフガニスタンの武装勢力に対する秘密支援を承認するが、これは大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーの計画に基づく。そして目論見通り、同年12月にソ連の機甲部隊をアフガニスタンへ誘い込むことに成功した。 そのソ連軍と戦わせるためにブレジンスキーが編成したのがイスラム武装勢力。資金はサウジアラビアが出し、兵器の提供や戦闘員の訓練はアメリカの情報機関や軍が担当していた。これにイスラエルが協力している。その関係の一端は「イラン・コントラ事件」という形で発覚した。 こうしたCIAの訓練を受けた戦闘員、いわゆる「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルが「アル・カイダ」だとロビン・クック元英外相は明らかにしている。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われる。 この構図は1992年に作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」で再浮上、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから本格的に動き始めた。攻撃から間もなく、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺では攻撃予定国リストが作成され、そこにはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンの名前が載っていた。 ネオコンはすぐにイラクを攻撃したかったようだが、統合参謀本部などの抵抗があり、開戦は2003年にずれ込む。そして2004年に「イラクのアル・カイダ(AQI)」が組織され、この戦闘集団が中心になって06年にはISIが編成され、今ではISと呼ばれている。シリアではアル・ヌスラというアル・カイダ系の武装集団が活動していることになっているが、この名称はAQIがシリアで活動するときに使っていたともDIAは説明している。 2012年8月にアメリカの軍事情報機関、DIAが作成した文書によると、サラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)がシリアにおける反乱の主力だとし、反シリア政府軍を西側(アメリカ/NATO)、湾岸諸国、そしてトルコが支援しているとも書いている。「穏健派」などはアメリカの好戦派が作り上げた幻影だということだ。 こうした支援活動によって東部シリアにサラフ主義者の国ができる可能性があるとDIAは警告しているが、アメリカ政府は方針を変えなかった。それはバラク・オバマ政権の決断だったと報告書を作成した当時にDIA長官だったマイケル・フリン中将は語っている。 デービッド・ペトレアス陸軍大将は「穏健派アル・カイダ」をISと戦わせるために使うべきだと主張していたが、勿論、そのようなものは存在しない。タグを付け替えて同じことを続けようという話。アメリカが武器を提供、軍事訓練した戦闘員が武器を携えて「過激派」へ「投降」することになっている。最近もそうしたことがあった。 シリアのアサド政権を倒すために雇い、武器を提供し、訓練してきた戦闘員をロシアは攻撃している。それにアメリカ政府が文句を言うのは当然だが、アメリカ好戦派の命令で成立させた「安全保障関連法」に反対だという人たちがアメリカ政府に同調するのは滑稽だ。その「反対」も本気ではないのかもしれない。
2015.10.03
アメリカの好戦派は東アジアから東南アジアにかけての地域で中国を軍事的に包囲する態勢を作りつつある。「東アジア版NATO」のようなもので、安倍晋三政権が強引に成立させた「安全保障関連法案」、いわゆる戦争法案も深く関係しているだろう。その枢軸として想定されているのが日本、フィリピン、ベトナムの3カ国で、そこに韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしている。この戦略のベースは地政学の父とも言われているハルフォード・マッキンダーのハートランド理論だ。 マッキンダーによると、世界は3つに分けられる。第1にヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、第2にイギリスや日本のような「沖合諸島」、そして第3に南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」である。「世界島」の中心が「ハートランド」で、具体的にはロシア。 広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを締め上げるためにマッキンダーは西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」を、その外側に「外部三日月地帯」を想定した。パレスチナにイスラエルを作った理由のひとつはこの辺にあるだろう。(大多数のユダヤ教徒はパレスチナへ移住する気持ちはなかった。) 日本が琉球併合から台湾派兵、さらに朝鮮半島へ軍を送り込み、日清戦争、日露戦争、そして中国侵略へと向かう動きはハートランド理論に叶っている。言うまでもなく、徳川幕府を倒した薩摩藩や長州藩を中心とする勢力の後ろ盾はマッキンダーの母国、イギリス。 この理論の影響を受けた人物のひとりがズビグネフ・ブレジンスキー。南西アジアのイスラム諸国と接するソ連の南部国境地帯を「危機の弧」と称していた。彼はソ連が南下するというシナリオを描いていたが、実際にはイスラム武装勢力を使ってソ連を揺さぶるという考え方だった。ジミー・カーター政権で大統領補佐官になったブレジンスキーはこれを具体化させたわけだ。 このブレジンスキーはロシアを支配するためにはウクライナを支配しなければならないと主張していたが、ネオコン/シオニストはその戦略を引き継いだようで、昨年2月にキエフでクーデターを成功させ、民主的に選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を追放した。その手先として使われたのがネオ・ナチ。勿論、憲法の規定は無視されたが、日本のマスコミや「護憲政党」はクーデターを支持、民意に従い、このクーデター政権を拒否して自立への道を歩み始めた人びとを批判している。 ネオコンの中核グループに属しているポール・ウォルフォウィッツは1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。アメリカが世界を制覇することを目的としたウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成されたのは、その翌年。2001年の終わりにアメリカの国防長官周辺で作成された攻撃予定国のリストに載っていたのはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダン。これまでアメリカは予定通りに体制を破壊してきた。この軍事侵略も日本のマスコミや「護憲政党」は支持してきた。 そうした流れが9月28日に変わったとする指摘がある。この日、バラク・オバマ米大統領は強者が弱者を支配する世界秩序を宣言したのに対し、ウラジミル・プーチン露大統領はそうしたアメリカの姿勢を辛辣に批判、その後、ふたりは会談している。この会談は9月19日にアメリカ側から持ちかけられたものだという。捨て駒にすぎない安倍と会う時間を作る余裕はオバマになかったのだろう。 会談後、ウクライナとシリアの情勢が劇的に変化、ウクライナではネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補がクーデターの前に行っていた次期政権の閣僚人事に関する会話で高く評価され、実際に首相を務めることになったアルセニー・ヤツェニュクが解任される可能性が出て来た。またウクライナ東部のドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)で戦争犯罪を犯したとキエフ側が認めたとも伝えられている。また、シリアでロシア軍がIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)を空爆したのはプーチンとオバマが会談した1日半後のことだ。 この空爆をアメリカの好戦派やその影響下にあるメディアが激しく批判しているが、アメリカの支配層内で大きな変化が起こっている可能性は高い。ロシア軍が空爆する前から「民間の犠牲者」が西側では報道されたようだが、BBCは2001年9月11日に世界貿易センターの7号館が崩壊したと実際に崩壊する20分ほど前に報道していたので、驚くほどのことではない。 また、アメリカ空軍参謀次長のロバート・オットー中将はロシア軍がアメリカに支援された部隊を攻撃した事実はないと発言、マイケル・フリン元DIA局長はシリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとする報告を確認、ISの勢力範囲を広げたのはアメリカ政府の判断に基づくと説明している。軍の情報部門からこうした西側のプロパガンダに反する証言が出てくることも興味深い。 中東やウクライナでネオコンのプランが崩壊する可能性が出て来たわけだが、彼らがこのまま引き下がるとは思えない。ロシアで「報復テロ」を実行するという見方もあるが、東アジアで火をつけることも考えられる。すでに新疆ウイグル自治区にアル・カイダ系の武装勢力は入り込んでいるようで、最近、中国国内で爆発が続いていることも無視はできない。そうした中、安倍晋三政権が戦争法案を強行成立させた意味は日本人にとって重い。
2015.10.02
ロシアの戦闘機がIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)の拠点8カ所を空爆、その様子を撮影した映像をロシア国防省が公表した。バシャール・アル・アサド政権の要請に基づき、国連事務総長と相談の上で実施、イランやイラクも支持しているのだが、西側のメディアはアサド政権の延命を狙っての攻撃だとする宣伝を始めた。アサド大統領の排除を目的とし、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したISを使っているアメリカの好戦派は不愉快なことだろう。 ロシアは今回の空爆を期間を区切っての作戦だとし、地上軍の派遣は否定している。それに対し、イスラエルでの報道によると、シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が潜入、WikiLeaksが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも最近、報道された。 昨年9月、アメリカはISを攻撃するとしてシリアを空爆したが、事前にシリア政府の要請があったわけでも国連の承認を得てのことでもなかった。独断で他国の領土を空爆したのだが、その15から20日前の段階で蛻の殻だったとCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で伝えている。そのほか物資をISへ「誤投下」する一方、兵站ラインは放置してきた。アシュトン・カーター国防長官はロシアが行った空爆について、「ISが存在しない場所」だと主張したようだが、これは自分たちが行っていること。 アメリカの支援する「穏健派」が攻撃されることを懸念しているらしいが、DIA(アメリカ軍の情報機関)は2012年8月に作成した文書の中で、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。「穏健派」などは存在しない。シリアではアル・ヌスラというアル・カイダ系の武装集団が活動していることになっているが、この名称はAQIがシリアで活動するときに使っていたとDIAは説明、文書が作成されたときにDIA局長だったマイケル・フリン中将は文書が本物だと認めた上で、そうした勢力をアメリカ政府が支援してきたのは政府の決定だと語っている。 例によって日本のマスコミはアメリカ政府の主張を垂れ流している。安倍晋三政権が強行成立させた「安全保障関連法」もアメリカ支配層の命令に基づくもので、その根源には彼らが1992年に始めた体制転覆プロジェクトがある。このプロジェクトを宣伝している連中が安保関連法に反対するのは矛盾であり、本ブログでは何度も書いているように、法案の成立が確定的になったのを見計らって安倍政権を批判しはじめる行為は単なるアリバイ工作だと言われても仕方がない。 イラクのアリ・アクバル大隊の司令官によると、ISとアメリカ軍は定期的に連絡を取り合って物資の投下地点を確認、またイランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将はISの司令部がイラクのアメリカ大使館にあると語っている。6月6日にはISと戦っているイラク軍の基地をアメリカ軍が爆撃したという イスラエルもアサド体制の打倒を公然と口にしている。例えば、2013年9月に駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンは、シリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。 口先だけでなく、イスラエルはISを守るためにシリア軍を攻撃してきた。例えば、今年1月18日にはISを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊を攻撃し、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺している。負傷した反シリア政府軍/ISの兵士をイスラエルは治療している。 2013年5月にはダマスカスの近郊をイスラエルが攻撃、大きな爆発が報告されている。まるで地震のようで、巨大な金色のキノコに見える炎が目撃され、小型核爆弾、いわゆる「スーツケース爆弾」が使われたという指摘がある。2014年12月にも大きな爆発があった。 勿論、武器や兵器だけで戦争はできない。兵士が戦うためには食糧など多くの物資が必要。そうした物資を運び込んでいるISの兵站ラインで最も重要だとされているものはトルコからのもの。例えば、ドイツのメディアDWは昨年11月にトルコからシリアへ武器や戦闘員だけでなく、食糧や衣類などの物資がトラックで運び込まれ、大半の行き先はISだと見られていると報じた。 また、ISは資金調達のためにイラクで盗掘した石油を密輸しているが、その石油を扱っているのは、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子が所有するBMZ社であり、ISの負傷兵はトルコの情報機関MITが治療に協力、秘密裏に治療が行われている病院はエルドアン大統領の娘が監督していると伝えられている。しかも、トルコ政府のロビーとしてCIAの秘密工作部門の所属していたポーター・ゴスが加わったという。 現在、アメリカの攻撃にトルコも参加しているのだが、ジョー・バイデン米副大統領の言葉を借りるならば、ISの「問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦」であり、その「同盟国」はシリアのアサド政権を倒すために多額の資金を供給、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してISを強大化させてきた。 今回は物資の集積所などをロシアは攻撃したようだが、トルコ軍が守っている兵站ラインを潰せるとISは大きなダメージを受ける。S-300のような地対空ミサイルが配備されたなら、イスラエルの戦闘機がISを援護することが難しくなる。
2015.10.01
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