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IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)を率いているとされてきたアブ・バクル・アル・バグダディが負傷した、あるいはイスラエルの病院で死亡したといった情報が流れているが、真相はよくわかっていない。 こうした情報が流れるタイミングも微妙で、その直前にはドイツのシュピーゲル誌がISを背後から操っていたのは、昨年1月に死亡した元イラク空軍大佐のサミル・アブド・ムハンマド・アル・フリファウィ、通称ハジ・バクルだと伝えられている。この人物が残した文書にはシリア北部で「カリフ制国家」を樹立する詳細な計画が書かれ、情報活動、殺人、拉致などの手法も記され、虐殺は「狂信者」の行為ではなく、元情報将校による冷徹な計算の元で行われていたのだともいう。 アブ・バクルがISを指揮するようになったとされているのは2010年で、その3年後にはトルコからシリアへ密入国したジョン・マケイン上院議員が会談、その席にはFSAのイドリス・サレム准将も同席していた。マケインはネオコン/シオニストや戦争ビジネスを背景にする好戦派(安倍晋三政権と同じ)で、この会談はアメリカの好戦派とISとの連携を示す証拠のひとつだと見なされている。 その一方、アル・バグダディは真の指揮官ではないとする情報もある。イランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将は、イラクのアメリカ大使館がISの司令部だと語っているのだ。アメリカ軍機が投下した物資をISが回収していることは事実だが、それはミスでなく故意だとも准将は主張する。また、イラクのアリ・アクバル大隊の司令官はISとアメリカ軍が定期的に連絡を取り合い、物資の投下地点を相談していることを通信傍受で確認したともイランのFNAは伝えている。 昨年9月23日、アメリカが主導してシリア領内における空爆を始めたが、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったとCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で伝えている。今年1月には、イスラエルがISと戦っていた部隊を攻撃、ヒズボラの幹部5名とイランの革命防衛隊の将軍が殺された。イスラエルは反シリア政府軍の負傷した戦闘員を治療していることも知られている。 2011年に西側とペルシャ湾岸産油国がリビアのムアンマル・アル・カダフィを倒した際、NATOがアル・カイダ系のLIFGと手を組んでいたことが判明する。戦闘の最中、その年の5月にパキスタンで特殊部隊のSEALチーム6がアル・カイダを指揮しているとされたオサマ・ビン・ラディンを殺害したことになっているが、住民はそうした攻撃はなかったとしていた。 2001年夏の段階でビン・ラディンは重度の腎臓病を患っていたと言われ、エジプトで出されているアル・ワフド紙は同年12月26日付け紙面で、オサマ・ビン・ラディンの死亡を伝えている。この情報が正しければ、アメリカが世界の人びとに見せていた「テロの象徴」は幻影にすぎなかったということになる。 軍事侵略を正当化する呪文として使われていた「アル・カイダ」だが、リビアでの戦闘で効力が弱まり、使いにくくなったと言えるが、そうした中、2012年にアメリカの情報機関や特殊部隊はヨルダン北部に設置された秘密基地で反シリア政府軍の戦闘員を育成するための訓練を始める。 ISのメンバーも訓練を受けたとされているが、反シリア政府軍には「穏健派」も「過激派」もなく、違いはつけているタグだけだとも言われている。2013年4月にアブ・バクルは自分たち、つまりISIがアル・ヌスラを創設し、資金を提供、活動を支援しているとする声明を出し、両グループの一体化を宣言、ISと呼ばれるようになる。 その前はISIと呼ばれていたが、これはアル・カイダ系のAQIを中心にいくつかの戦闘集団が統合されて2006年10月に登場した。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、この頃、サウジアラビア、イスラエル、そしてアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は新たな戦略で合意したという。 その内容は、イスラエルの安全を保証、アメリカ、サウジアラビア、その他のスンニ派諸国はイラン問題で手を組み、ハマスなどに対してイランとの関係を断ち、反イスラエル攻撃を抑制し、ファタハと連携について真剣に話し合うように求め、ブッシュ政権はシーア派を押さえ込むためにスンニ派諸国と連合、サウジアラビアはシリアのバシャール・アル・アサド政権を弱体化させるために資金や物資を提供するというようなことだったという。最大のターゲットはイランであり、その影響下にあるヒズボラ、そしてイランを弱体化させるカギを握っているシリアを攻撃することにしたということだ。 こうした戦略を作る上で中心的な役割を果たしたとされているのが副大統領だったリチャード・チェイニー、国家安全保障担当の副補佐官だったエリオット・エイブラムズ、イラク駐在大使だったザルマイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン王子だ。バンダルは1983年から2005年まで駐米大使、05年から国家安全保障会議事務局長、12年から14年にかけて総合情報庁長官を務め、「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と近い関係にある。バンダルたちはアメリカ政府に対してもイスラム教原理主義者の運動を作り出したのは自分たちであり、コントロールしていると示唆していた。この場合、原理主義者とはISを指している。こうした背景があるからこそ、アメリカはISの台頭を黙認、イスラエルはISと戦うヒズボラを攻撃するわけだ。 こうした戦略のために必要ならアブ・バクルを処分するだろう。ネオコン、サウジアラビア、イスラエルはISに替わる新たな幻影を作り出すつもりかもしれない。
2015.04.30
フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙のカーステン・ゲルミス元東京支局長が安倍晋三政権のメディアに対する恫喝を具体的に明かし、話題になっている。脅している事実だけでなく、その方法の稚拙さが物笑いの種になっているようだ。(原文、日本語訳) 日本では情報を官僚が独占しているが、安倍政権の秘密度は特に高く、外国特派員の疑問に答える場を設けようとしていないという。政権を批判すると「日本バッシャー」と呼び、外務省は記者を攻撃するだけでなく、フランクフルトの日本総領事が本社に乗り込み、外交担当のデスクに抗議するのだともしている。昨年8月、FAZの本社へ乗り込んだのは坂本秀之総領事で、その際、「金が絡んでいると疑いざるを得ない」と主張し、中国のプロパガンダ記事を書く必要があるとは、ご愁傷様ですなと続けたらしい。この「外交官」、他人も自分と同じだと考えたのかもしれない。 2014年になってから政府の攻撃的な姿勢が顕著になったようだが、相変わらず抗議の根拠は示さないようで、チンピラの言いがかりと同じだ。ただ、日本の「外交官」がそうした態度を示すことに驚きはしない。個人的に知っている外交官がそうだからだ。市井の人びとを侮蔑、自分たちを選ばれた支配層だと認識している。 2013年5月にジュネーブで国連拷問禁止委員会の「第2回日本政府報告書審査」が開かれたのだが、その際、モーリシャスの委員から日本の刑事司法について「弁護人に取調べの立会がない。そのような制度だと真実でないことを真実にして、公的記録に残るのではないか。」と指摘され、「自白に頼りすぎではないか。これは中世のものだ。中世の名残りだ。」と言われたという。 まっとうな意見だが、外務省の上田秀明人権人道大使は「日本は、この分野では、最も先進的な国の一つだ」と発言、会場で笑い声が起こった。当然の反応だが、それで興奮したらしい上田大使は「笑うな。なぜ笑っているんだ。黙れ!黙れ!」と叫んでしまう。外交官としての資質が欠けている。日本の外務省はチンピラの集団になっているようだ。 こうした「外交官」の発言を聞いていると、彼らは本気で信じているようにも思える。根拠のない話を信じさせる何かがあるのだろうが、その有力候補はネオコン/シオニスト。日本の「エリート」を操っている連中だ。彼らはアメリカ支配層の中でも露骨な連中だが、それでも日本の「外交官」のようにあからさまではない。全世界で記者や編集者を買収、脅すことも少なくないが、そうしたことは見えないところで行う。そうした話を断片的に聞いて、最近の発言につながったのかもしれない。 アメリカの情報機関がFAZなどを買収していると告発したのは、同紙の編集者だったウド・ウルフコテ。彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているという。 そうした仕組みを作り挙げるため、アメリカの支配層はドイツの有力な新聞、雑誌、ラジオ、テレビのジャーナリストを顎足つきでアメリカに招待、そうして築かれた「交友関係」を通じてジャーナリストを洗脳していく。日本にも「鼻薬」を嗅がされたマスコミ社員は少なくないと言われている。 ウルフコテは今年2月にこの問題に関する本を出しているが、その前からメディアに登場し、告発に至った理由を説明していた。ジャーナリストとして過ごした25年の間に嘘を教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことで、ドイツやアメリカのメディアがヨーロッパの人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっていることに危機感を抱いたようだ。 こうした告発の前、昨年8月にドイツの経済紙ハンデスブラットの発行人、ガボール・シュタイガートは「西側の間違った道」と題する評論を発表している。ウクライナが不安定化する中、「西側」は戦争熱に浮かされ、政府を率いる人びとは思考を停止して間違った道を歩み始めたと批判しているのだ。 この編集長は次のように問いかける:始まりはロシアがクリミアを侵略したためだったのか、それとも「西側」がウクライナを不安定化したためだったのか?ロシアが西へ領土を膨張させているのか、それともNATOが東へ拡大しているのか?ふたつの大国が同じ意図に動かされて無防備な第三国へ向かい、深夜、同じドアで遭遇し、内戦の第1段階で泥沼にはまり込んでいるのか? こうした告発、発言の後、ドイツの報道に変化が現れた。それまでアメリカ支配層の主張を繰り返すだけだったドイツのメディアが軌道修正を図っている。読者/視聴者の目が厳しくなっていること、そしてネオコン/シオニストの暴走を止めないとEUは消滅するという危機感を持ち始めているようだ。そしてドイツのアンゲラ・メルケル首相とフランソワ・オランド大統領はウクライナで停戦を実現しようとロシアに接近していく。 メディア支配はアメリカの基本戦略のひとつであり、ウォーターゲート事件を調べた記者のひとり、カール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞めた直後、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いている。それによると、まだメディアの統制が緩かった当時でも400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) こうした事実はあるが、ウルフコテの告発もあり、ドイツのメディアは自分たちが権力者から自立しているところを見せる必要にも迫られている。日本の状況とは違うと言うことだが、その違いを日本の「外交官」は理解できていない。
2015.04.29
安倍晋三政権の言動を見聞きしていると、「欣弥め」という艶噺を連想する。この落語は庭に誰かがいることに気づいた姫が「何者か」と尋ねるところから始まり、濡れ縁(雨戸の外側に張り出された縁側)、戸、室内、布団の中・・・というように「粛々と」事態は進行していくのだが、安倍の場合はその先に戦争、つまり破壊と殺戮がある。安倍はさらに略奪も見ている可能性が高い。 4月27日に改定された「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」で、「放置すれば日本に重要な影響を及ぼす事態」への対応も定められている。そうした事態だと判断するのはアメリカ政府だろうが、そのアメリカ政府は2003年にイラクを先制攻撃する前、イラクを「放置すれば日本に重要な影響を及ぼす事態」になっていると主張していた。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターに立っていたツインタワー、そしてワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、ジョージ・W・ブッシュ政権は攻撃の背後にイラクがいるかのように宣伝、それを西側メディアが大々的に伝えていたが、そうした事実はなく、むしろイラク政府はアメリカへ警告していたことが判明している。 イラクが「大量破壊兵器」を開発、保有しているともブッシュ政権は宣伝していたが、その主張に根拠がないことは早い段階から指摘されていた。それに対し、国家安全保障担当補佐官だったコンドリーサ・ライスは「決定的な証拠がキノコ雲になるという事態を望んでいない」と発言、核兵器を保有しているかのような印象を広めようとしていた。 ブッシュ・ジュニア大統領は2003年の一般教書演説で大量破壊兵器の話を事実として語っているが、その根拠とされたのがイギリスのトニー・ブレア政権が作り上げた偽情報だった。同政権は2002年9月に「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成、その中でイラクは45分でそうした兵器を使用できると主張しているのだが、これはある大学院生の論文を無断引用したもので、内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。 また、CIAの依頼でニジェールとイラクのイエローケーキ(ウラン精鉱)取引に関して調べたジョセフ・ウィルソン元駐ガボン大使は、この情報を嘘だと報告している。その話の証拠とされた文書は基礎的な事実関係を間違えている稚拙な代物で、IAEAも偽物だと見抜いた。が、こうした報告や分析をアメリカ政府は無視したわけだ。 そこで、ウィルソン元大使は2003年7月6日付けのニューヨーク・タイムズ紙に署名記事を書き、事実を公表、イギリスではBBCのアンドリュー・ギリガンが2003年5月29日のラジオ番組で大量破壊兵器の話は粉飾されていると語り、アラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したとサンデー・オン・メール紙で主張した。 ウィルソン元大使の署名記事が掲載された8日後、同じニューヨーク・タイムズ紙でコラムニストのロバート・ノバクが同元大使の妻、バレリー・ウィルソン(通称、バレリー・プレイム)がCIAの非公然オフィサーだということを明らかにし、イギリスでは7月17日にギリガン記者の情報源だったデイビッド・ケリーが「自殺」している。 その後、BBCでは執行役員会会長とBBC会長が辞任し、ギリガンもこの放送局を離れた。これを切っ掛けにしてBBCは政府(ネオコン)のプロパガンダ機関化が急速に進み、「戦意高揚」のため、アメリカの有力メディアと同じように、平然と偽情報を流しはじめた。 1991年の段階でネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたことが判明しているが、この事実を知らなくてもブッシュ・ジュニア政権がイラク攻撃を正当化するために使っていた話が嘘だということは少なからぬ人が指摘していた。 こうした怪しげな情報を日本では政治家、官僚、「専門家」、マスコミは宣伝、それに異を唱えたり、イラク攻撃の障害になりそうな人びとを激しく攻撃していた。マスコミに登場していた人の中、そうした偽情報の発信にくみせず、抵抗していた橋田信介は2004年5月、甥の小川功太郎と一緒にイラクで殺されている。そのとき、マスコミに登場して日米政府の偽情報発信に協力、戦争熱を高めていた人びとは、嘘が明確になった今でもマスコミに使われている。政治家や官僚と同じように、勿論、責任をとっていない。 その後、ブッシュ・ジュニア政権はソ連消滅を受けてネオコンが打ち出した世界制覇プロジェクトに基づいてイラクを攻撃したことが明確になる。そのプロジェクトを始動させる上で2001年9月11日の出来事は重要で、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はその攻撃で自分たちが利益を得たと2008年にバル・イラン大学で語っている。 嘘で始めた戦争でイラクは破壊され、約100万人が殺されたと推測されている。これを切っ掛けにしてアル・カイダ系の武装集団が中東やアフリカへ戦乱を広げているが、リビアではNATO軍とアル・カイダ系のLIFGが同盟関係にあることが明確になった。そして登場してくるのがIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)だが、LIFGのリーダーは現在、リビアでISを率いている。こうしたイスラム武装勢力とアメリカ/NATO/イスラエル/サウジアラビアとの緊密な関係は本ブログで何度も書いてきたので、今回は割愛する。 ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクというようにアメリカは戦争攻撃で国を破壊し、多くの人びとを死傷させてきたが、いずれも口実は嘘だった。その後、リビア、シリア、イエメンでも嘘に基づいて侵略戦争を始め、同じことをウクライナでも行っている。 日本では官民揃ってイラク侵略に賛成していたが、その後の侵略戦争にも反対せず、和平の動きを批判している。こうした過去を政治家、官僚、「専門家」、マスコミは何ら反省していない。大多数の国民も「勝てば官軍」という意識の人が少なくないようだ。こうしたことを清算できないまま事態が進めば、改定されたガイドラインによって、嘘で始めるアメリカの侵略戦争に日本はこれまで以上に深く荷担することになる。
2015.04.28
4月27日にニューヨークで外務大臣の岸田文雄と防衛大臣の中谷元がアメリカのジョン・ケリー国務長官やアシュトン・カーター国防長官と会談、新しい「日米防衛協力指針(ガイドライン)」を発表した。日本はアメリカとの軍事的なつながりをさらに強める、つまりアメリカ軍の代理化を推進、自衛隊の活動範囲は全世界へ広がることになる。 もっとも、アメリカは中東/アフリカでアル・カイダやIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)、ウクライナではネオ・ナチを使って地域の破壊と混乱を深刻化させ、多くの住民を虐殺してきた。日本の担当は東アジアから東南アジアになると考えるのが自然だろう。 中曽根康弘は首相に就任した直後、1983年1月にアメリカを訪問したが、その際にワシントン・ポスト紙のインタビューを受け、日本を「不沈空母」(正確には「大きな航空母艦」だったらしいが、本質的な差はない)と位置づけ、対馬、津軽、宗谷の三海峡を封鎖してソ連の艦隊を封じ込める意思を示した。アメリカの世界制覇戦略はロシア、中国、イランのような服わぬ国々を包囲、海洋へ出られないようにして締め上げるというもので、この戦略にも合致している。 その年の春にアメリカ軍はカムチャツカ沖で大規模な艦隊演習を実施、8月31日から9月1日にかけて大韓航空機が大幅に航路を逸脱、ソ連軍の重要基地の上空を飛行した後、撃墜されたと言われている。その直後、ソ連とアメリカは危うく核戦争を始めるところだった。 その一方、「シーレーン防衛」という話が出てくるが、中東から石油を運んでくる日本のタンカーを守るというなら、少なくとも軍艦を付き添わせなければならない。そうしたことは現実的でなく、実際、考えていなかったようで、中国やソ連の封じ込め、南シナ海の資源争奪、中国のエネルギー輸送妨害を想定していた可能性が高い。 そうした動きを中国は意識、ミャンマーやパキスタンにパイプラインを建設しようとしてきた。そうした動きを潰すため、アメリカはミャンマーとの関係改善を図り、2011年3月に「民主化」して中国との関係を弱めさせている。そうした意味でも中国はロシアとの関係を緊密化させてエネルギー源を確保、軍事力を使って影響力を伸ばそうとしているアメリカに対抗したいところだろう。アメリカに服従する意思を中国やロシアは持っていない。 前にも書いたことだが、アメリカは何をしでかすかわからない国だと思わせれば、自分たちが望む方向へ世界を導けるとリチャード・ニクソンは考えた。いわゆる「凶人理論」だ。また、イスラエルは狂犬のようにならなければならないとモシェ・ダヤン将軍は語ったが、その意味するところは同じ。 ネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの好戦派は今でもこうした考え方に基づいて動いている。そうした考え方の大本をたどると、若き日のヘンリー・キッシンジャーを出世の階段へと導き、アメリカ軍の顧問を務めたフリッツ・クレーマー、あるいは国防総省のONA(ネット評価室)で室長を務めてきたアンドリュー・マーシャルに行き着く。 1929年にクレーマーとドイツで知り合いになった経営学で有名なピーター・ドラッカーによると、クレーマーは国内問題より外交を重視、経済を軽視して軍事力に頼る考え方をしていた。現在のアメリカは全世界に軍隊を配置している軍事国家だが、その一方で経済は衰退、ドルも基軸通貨としての地位から陥落する可能性が高まっている。中国を中心に設立が予定されているAIIB(アジアインフラ投資銀行)へアメリカの「同盟国」も参加している一因はここにあるだろう。 そうした経済の衰退は1970年代に表面化、それを金融の拡大で誤魔化してきたが、それも限界に達している。そこで、ファシズム化と軍事侵略で支配システムを維持しようとしている。それが現在のアメリカであり、その腰巾着になっているのが日本だ。
2015.04.27
ウクライナ、ロシア、フランス、ドイツの首脳は2月11日にベラルーシのミンスクに集まって協議、ウクライナの東/南部で続いている戦闘を15日に停止することで合意した。アメリカの好戦派が本当にロシアと核戦争を始めかねないことを懸念しての動きだろうが、この話し合いにアメリカは参加せず、キエフ政権で軍と治安機関を支配しているネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)は戦争の継続を主張、停戦期間に入ってから激しい攻撃があったと伝えられている。 フィリップ・ブリードラブNATO欧州連合軍最高司令官/在欧米空軍司令官やアメリカ政府がNATOへ派遣されているダグラス・ルート大使はキエフ政権への武器供給を支持、NATO事務局長のジェンス・ストルテンベルグは緊急展開部隊を1万3000名から3万名へ増強するとしていると語る中、4月4日には「右派セクター」を率いているドミトロ・ヤロシュがウクライナ軍参謀総長の顧問に就任した。 この「右派セクター」は「トリズブ(三つ叉の矛)」やUNA-UNSOを中心にネオ・ナチ団体が連合して2014年3月の編成された。西側を後ろ盾としたクーデターの翌月ということになる。UNA-UNSOはNATOの秘密部隊ではないかとも言われている団体で、トリズブは1993年に創設されている。ヤロシュがトリズブへ加入したのはその翌年で、2005年からリーダーとして組織を率いていた。 こうした団体のメンバーを中心にして、いくつかの武装集団が組織された。そのひとつであるアゾフは昨年4月、アンドレイ・ビレツキーが「オリガルヒ」のイゴール・コロモイスキーが出した資金で設立した私兵組織。ビレツキーはヤロシュと同じように「右派セクター」の幹部だ。 こうした私兵が集まって「親衛隊」ができているが、この戦闘組織を今月20日からアメリカの第173空挺旅団の兵士290名が「訓練」しているという。イギリスも75名の軍人を派遣、カナダは200名の「専門家」を送り込むとされている。リビフにある訓練場でウクライナの正規軍兵士1200名と親衛隊の戦闘員1000名を訓練しているようだが、ネオ・ナチのメンバーは2004年以降、バルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を受けていると言われているわけで、アメリカ軍と親衛隊は旧知の仲とも言える。 空挺団のメンバーは戦闘に参加していないことになっているが、ドンバス(ナバロシエ/ドネツクやルガンスク)で民族浄化作戦を始めた直後からアメリカの傭兵会社、アカデミ(旧社名はブラックウォーター)系列のグレイストーンに所属している戦闘員が数百名の単位で戦いに加わっていると伝えられている。CIAやFBIの要員をアメリカ政府はキエフへ派遣、軍事顧問団も入れているとも報道されている。 今年1月にYouTubeにアップロードされた映像には、戦闘地域を取材していたチームの前を通り過ぎた兵士が流暢な英語で「顔を撮すな」と口にする様子が記録されていたが、アメリカの傭兵会社は戦闘員として特殊部隊の「元隊員」を雇っていることを考えると、昔なら特殊部隊を投入する場面で「退役した特殊部隊員」を派遣するということもあるだろう。 ここにきてドンバスで広範囲にわたる攻撃が報告されているが、OSCE(欧州安全保障協力機構)によると、攻撃しているのはキエフ政権軍やドンバス軍でなく「第三者」軍だという。アメリカ/NATOとネオ・ナチが疑われる状況だ。 そうした動きと並行してウクライナでは、キエフ政権に批判的なブログを書いていたふたりがSBU(治安当局)に連行されて行方がわからなくなり、インターネット上にあった1万以上のサイトが閉鎖され、ブロックされたYouTubeのアカウントもあるようだ。特定の新聞を販売店から回収するということも行っている。戦争前の情報統制を感じさせる。 アメリカの支配層にも戦争に慎重な勢力と積極的な勢力が存在する。2003年にイラクを先制攻撃する前、統合参謀本部では慎重派が少なくなかったため、攻撃が予定より1年遅くなったと言われている。当時はネオコン/シオニストが主導権を握っている政権だったので戦争に突入したわけだ。 現在の政権は当時よりネオコンの影響力が低下しているが、昨年2月のクーデターを仕掛けたのはネオコンであり、まだ力はある。強行突破するため、戦争を始める可能性もあるだろう。アメリカ支配層の慎重派だけを見て安心するのは危険である。 すでに西側、特にアメリカの有力メディアはロシアを悪魔化する偽情報を流してきたが、それだけでなく「偽旗作戦」を実行する可能性もある。1962年当時、アメリカの好戦派はキューバ人を装ってアメリカで「偽装テロ」を実行、最終的には無線操縦の旅客機をキューバ近くで自爆させ、キューバ軍に撃墜されたように見せかけ、「反撃」という形で軍事侵攻しようとしていた。「ノースウッズ作戦」だ。ベトナムへ本格的な軍事介入を始める切っ掛けになったトンキン湾事件もCIAと特殊部隊が行った偽旗作戦だったと言われている。クリミアの住民がキエフのクーデターを拒否したとき、条約に基づいて駐留していたロシア軍を侵略軍だとする宣伝を無邪気に信じた人もいたが、そうした人はまた騙されるかもしれない。
2015.04.26
アメリカのバラク・オバマ政権は環太平洋でTPP(環太平洋連携協定)、EUとの間でTTIP(環大西洋貿易投資協定)を締結しようとしている。いずれも秘密交渉で、その内容は議会にも明らかにされず、勿論、庶民にも知らされていない。そこで、議会に協定の承認を求める前に中身を国民へ示すべきだとする文書をふたりの上院議員、シェロード・ブラウンとエリザベス・ウォーレンがオバマ大統領へ突きつけている。 両議員によると、アメリカ政府が設置しているTPPに関する28の諮問委員会には566名の委員がいるが、そのうち480名、つまり85%が大手企業の重役か業界のロビイスト。交渉をしているのは大手企業の「元重役」。当然、交渉には業界や大手企業の意向が反映される。委員会をこうした構成にしたことからもTPPが目指している方向がわかる。巨大資本に各国政府を凌駕する力を持たせようということで、民主主義の否定とも言える。 以前から多くの人が指摘しているように、最大の問題はISDS条項。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ったなら、企業は賠償を請求できるとしている。健康、労働、環境など人びとの健康や生活を守ることを許さないというわけだ。農産物云々という議論に終始する政党があるとするならば、それは人びとをミスリードしようとしている、あるいはTPPに反対しているように見せかけながら、実は成立させようとしていると疑われてもしかたがない。 これとは逆の方向を目指したのが1932年のアメリカ大統領選挙で勝利したフランクリン・ルーズベルト。巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を拡大しようとした。最高裁の妨害で政策の実現は難しかったが、それでも巨大資本はルーズベルト政権を排除しようと計画、1933年から34年にかけてクーデターを目論んでいる。これはスメドリー・バトラー少将の議会証言で明らかになった。 そうした経験をしたルーズベルトは1938年4月29日、ファシズムについて次のように定義している。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 この定義にしたがうと、巨大企業が政府や議会を支配するシステムはファシズム。TPPやTTIPはファシズム体制を構築することが目的だということになるが、このファシズム体制を全世界へ拡大させる上で大きな障害になっているのがロシアと中国。TPPで日本やオーストラリアなどを、TTIPでEUを巨大資本の支配下に置いてもロシアと中国を中心として巨大資本の支配を拒否する勢力が形成される可能性が高いからだ。中東や南北アフリカを制圧して資源を支配することもままならない。 中東や南北アフリカではアル・カイダ/IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)、ウクライナではネオ・ナチを使って制圧プロジェクトを進めているが、アメリカ支配層の思惑通りに進んでいるようには思えない。東アジアでは、中国と戦う戦闘集団として自衛隊を想定している可能性がある。
2015.04.26
アメリカのベン・ローズ大統領副補佐官は安倍晋三首相に対し、日本によるアジア侵略に関し、「過去の談話と合致する形で建設的に対処し、緊張を和らげるよう働きかけている」と述べたという。1995年に村山富市首相(当時)が日本によるアジアの「植民地支配と侵略」を認め、「痛切な反省と心からのおわび」を表明した姿勢を継承しろということだが、この発言をもって、アメリカが歴史と真摯に向かっていることを示していると解釈してはならない。 例えば、ナチスに率いられたドイツがソ連を侵略し、敗北した歴史を否定しているのがアメリカにほかならないず、イスラエルによる先住民の虐殺、周辺への侵略を黙認している。アメリカの先住民の虐殺を反省しているようにも思えない。つまり、ローズ副補佐官の発言は中国と戦う上で抱き込む必要がある韓国を刺激するなというだけのことであり、ネオコン/シオニストは歴史の書き換え、改竄に忙しい。 ところで、日本のアジア侵略は1872年の琉球王国併合から始まる。徳川時代の日本は藩が集まった連合国家だったが、その徳川体制をイギリスと手を組んで倒した薩摩藩や長州藩を中心とする勢力は自治権を奪い、知事を介して中央政府が全国を支配する体制へ移行させる。これが1871年7月に実施された廃藩置県。その時、琉球王国は存在していた。 ところが、廃藩置県実施の3カ月、宮古島の漁民が難破して台湾に漂着する。日本政府は何人かの漁民が殺されとして清に対し、被害者への賠償や謝罪を要求するのだが、この要求を正当化するためには琉球王国が日本領だという形を整える必要があった。そこで廃藩置県の後に琉球藩を設置するという不自然なことをしたわけだ。 何度も書いていることだが、1872年に興味深いアメリカ人が来日している。その人物とは、厦門でアメリカ領事を務めていたチャールズ・リ・ジェンダー。外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧め、それ以降、1875年まで外務省の顧問を務めることになる。 漁民殺害を口実にして日本政府が台湾へ軍隊を派遣したのが1874年。その翌年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、さらに無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。条規の批准交換にはル・ジェンダーも陪席していた。韓国や朝鮮から見れば、近代における日本の朝鮮半島侵略はここから始まる。 19世紀のアメリカは「国内侵略」の時期だった。言うまでもなく、犠牲者は先住民。1830年にアンドリュー・ジャクソン大統領は「インディアン排除法」(日本では「インディアン移住法」と言い換えているようだ)に調印、先住民から土地を組織的に略奪しはじめている。 1861年から65年にかけての南北戦争を経て1890年にはウンデット・ニーで先住民の女性や子供が騎兵隊に虐殺されるという出来事があったが、この時点における先住民の人口は約25万人。クリストファー・コロンブスがカリブ海に現れた1492年当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されている。虐殺前の推測人口にこれだけ幅があるのは、どれだけ虐殺したのかが不明だからだ。生き残った先住民は「保留地」と名づけらた地域に押し込められた。いわばアパルトヘイト政策。 ル・ジェンダーが生きた時代のアメリカとはこうした国であり、侵略や虐殺は政府が推進していた。こうした国のエリートが国外に出た途端に民主的で平和的な人間になるとは思えない。 1901年から09年まで大統領だったセオドア・ルーズベルトが「棍棒外交」と呼ばれる侵略政策を推進したことは有名だが、これは特別なことではない。だからこそ、1898年から1931年まで海兵隊で軍務についていたスメドリー・バトラー少将は戦争を不正なカネ儲け、有り体に言えば押し込み強盗に準えたのである。 こうしたアメリカ支配層の姿勢は国内でも変化はなく、不公正な手段で富を独占し、貧富の差を拡大させている。そのひとつの結果が相場の高騰、いわゆるバブル。支配層の懐で滞留した資金が投機市場に流れたわけだ。そして1929年の株価暴落、そして恐慌への突入。 それでもウォール街は富を独占する政策を推進しようとするが、そうした支配層の姿勢に反発した庶民は1932年の大統領選挙でウォール街から敵視されていたニューディール派のフランクリン・ルーズベルトを選んだわけだ。そして1933年から34年にかけて巨大金融資本は反ルーズベルト/親ファシズムのクーデターを計画する。この事実を議会で明らかにしたのがバトラー少将だった。1945年4月にルーズベルトが執務室で急死してからウォール街は主導権を奪い返し、ナチスの残党や協力者を保護する。昨年2月にウクライナであったクーデターはその延長線上にある。 自分を狙ったクーデターを知った上でフランクリン・ルーズベルトは1938年4月29日、ファシズムについて次のように語っている。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 フランクリン・ルーズベルトが考えるファシズムをヨーロッパへ広げるために導入を計画しているのがTTIP(環大西洋貿易投資協定)であり、環太平洋に導入しようとしているのがTPP(環太平洋連携協定)。巨大資本が国を支配、つまり「オリガルヒ」が圧倒的多数の人びとの上に君臨するシステムの導入を目論んでいるわけだ。 これを「近代封建制」と呼ぶ人もいるが、その仕組みを作り上げるために選挙結果を操作する仕掛けが作られていると言われている。2000年のアメリカ大統領選挙では投票方法が原始的だったため、多くの人に問題が知られてしまったが、04年には投票のコンピュータ化が進み、操作は容易になった。ケリーが投票結果について闘う意思があればアメリカの深層に光があたったかもしれないが、アル・ゴアの時と同じように、そうした展開にはなっていない。 それでも不正が問題になり、オハイオ州ではコンピュータ・システムを使った投票操作が裁判になっている。その実態を知る立場にあったマイク・コネルが証言することになったのだが、2008年12月19日にパイパー・サラトガが墜落して死亡している。ワシントンDCからオハイオの自宅へ戻る途中だった。生前、コネルはカール・ローブから脅されているとして保護を求めていた。 この「事故」は、1999年7月16日の出来事を思い起こさせる。この日、ジョン・F・ケネディ・ジュニアを乗せたパイパー・サラトガも自動操縦で飛んでいたはずの地点で墜落、本人と妻、その妻の姉が死亡しているのだ。その翌年には大統領選が予定されていたのだが、事故の時点で最も人気の高い候補者は出馬を否定していたJFKジュニアだった。 航空機にしろ、自動車にしろ、コンピュータ化が進んだ現在、外部からハッキングされることは可能。外部からコントロールされ、事故を起こすこともありえるため、JFKジュニアは殺されたと考えている人はいる。 日本もアメリカも民主主義国家とは言えない状況で、アメリカも中東やウクライナでは緊張を高める方向へ動いている。ローズ大統領副補佐官の安倍に対する発言だけをピックアップすると、アメリカの実態を見誤る。
2015.04.25
アメリカから物資や情報の面で支援を受け、サウジアラビアはイエメンで勢力を伸ばしているフーシ派に対する空爆を続け、アル・カイダ系の武装集団を支援しているのだが、思惑通りには進んでいないようだ。サウジアラビアは自国の不安定化を懸念、作戦を終了するとしたものの、アメリカ政府から「仕事はまだ終わっていない」と言われ、攻撃を継続することにしたのだろう。 空爆を正当化するため、フーシ派をイランの傀儡勢力だと主張する西側のメディアもあるようだが、アメリカの情報機関はフーシ派がイランの指示で動いているわけでないことを知っている。空母セオドア・ルーズベルトをイエメン沖へ派遣したのはサウジアラビアの作戦をアメリカが支持していることをアピールすることが目的のようだが、メディアはこれをイランから運ばれる武器を押収するためだと宣伝している。実際は2004年から10年にかけてイエメン軍から入手していたという。 AQAP(アラビア半島のアル・カイダ)が組織された2009年、サウジアラビアは特殊部隊や空軍をイエメンへ派遣、フーシ派を倒そうとしたものの、失敗に終わった。フーシ派の攻勢を受け、アメリカの情報機関も国外へ避難したと報道されている。そうした状況に追い込まれたサウジアラビアは空爆せざるをえなくなったのだろう。イエメン南部のアデンにはサウジアラビアの特殊部隊が展開しているともいう。 言うまでもなく、イエメンで戦闘が続くのは戦略的な理由から。アラビア海から地中海へ抜けようとする場合、アラビア海からアデン湾へ入り、紅海を経由し、スエズ運河を通過するのが通常のコースだが、アデン湾と紅海の境目にあるのがバブ・エル・マンデブ海峡で、非常に狭い。つまり、容易に封鎖でき、そうなると石油の輸送が止まる。スエズ運河と同じように、この海峡は産油国にとってもヨーロッパにとっても重要な場所だ。 イスラエルはイランを攻撃する際、戦闘機のほか潜水艦を使うと推測されている。ドイツから提供されたドルフィン級潜水艦には核弾頭を搭載した巡航ミサイル「ポパイ・ターボ」を載せていると見られているが、このミサイルの射程距離は1500キロメートル程度のため、イランを攻撃するためにはバブ・エル・マンデブ海峡を抜けてアラビア海へ入る必要がある。そこでイエメンを誰が支配しているかが問題になるわけだ。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したとシーモア・ハーシュが書いたのは2007年3月5日付けのニューヨーカー誌。工作の中心にはアメリカ政府のリチャード・チェイニー副大統領、ネオコン/シオニストのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官やザルメイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタンだと言われている。 この三国同盟は1970年代の後半、アフガニスタンで秘密工作を始めた頃から続いているのだが、最近はイランの現体制を破壊するため、サウジアラビアがイスラエルへ資金を提供しているのだという。元AP記者で、コントラ(CIAを後ろ盾としたニカラグアの反革命ゲリラ)の麻薬密輸を報じた後に有力メディアの世界から追い出されたジャーナリストのロバート・パリーによると、ここ2年半の間に160億ドルが支払われたというのだ。イスラエルにしても、サダム・フセインを排除した後のイラク政府が親イラン派になったことを懸念、イラン攻撃は自分たちの戦略にも合致していた。 イランやイラクと同じようにイスラエルが嫌っている国がシリア。ネオコン/シオニストの中核グループの属すポール・ウォルフォウィッツは国防次官だった1991年、ソ連消滅より少し前にシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は語っている。ネオコンは1980年代からフセイン体制の打倒を目論んでいたが、その先があると口にしたわけだ。 アル・カイダ系の武装勢力よりシリアのバシャール・アル・アサド政権が危険だとイスラエルのマイケル・オーレン元駐米大使は語っている。2013年9月、大使を辞める直前にアサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語ったのだ。さらに、2014年6月にはアスペン研究所での対談で、スンニ派、つまりアル・カイダ系武装集団やIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)がシリアで勝利することを望むと口にしている。 そもそも、シリアの反政府軍はこうした勢力で、「穏健派」は西側が作り出した幻影にすぎない。リビアでNATO軍とアル・カイダ系のLIFGが同盟関係にあったことが明確になり、その後にISというタグをつけた武装勢力がシリアでの戦闘へ参加してきた。 来年、アメリカでは大統領選挙があるのだが、共和党の候補者になる可能性が高いのはジェブ・ブッシュ。アフガニスタンの秘密工作に絡む闇資金を扱っていたBCCIの幹部と親しかったと言われているが、それだけでなく、1980年代に発覚したイラン・コントラ事件(イランへの武器密輸とニカラグアの反革命ゲリラへの違法支援工作)では麻薬の密輸に関係した疑いが持たれている。 このジェブが大統領選で副大統領候補にすると言われているのがオハイオ州のジョン・ケーシック知事。カジノ業界の大物でラスベガス・サンズを所有するシェルドン・アデルソンをスポンサーにしている政治家だ。アデルソンはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフを動かしているとも言われ、ケーシックもシオニスト人脈だということになる。アデルソンはカジノ問題を通じて日本の政界にも影響力を持っている。そのジェブのライバルになりそうなヒラリー・クリントンは巨大軍需産業のロッキード・マーチンが後ろ盾。選挙結果は操作する人間の意思次第だ。これがアメリカの現実である。
2015.04.24
ギリシャの財政危機が浮上したのは2009年のことだが、その下地は2001年に通貨がドラクマからユーロへ切り替えられたときにできあがっていた。この切り替えを実現するため、ギリシャ政府は債務を小さく見せる必要が生じ、デリバティブ取引の世界へのめり込み、債務を膨らませることになったのだ。 2002年頃、さまざまな投資銀行が債務を先送りさせ、表面的に数値を小さく見せる複雑な金融商品を売り込み始める。その代表的な手法がCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)。債権者が債務不履行のリスクを回避するため、幾ばくかのカネ(保険料)を支払ってリスクを引き受けてもらうという取り引きで、中でも重要な役割を果たしたとされている投資銀行がゴールドマン・サックス。その結果、ギリシャの状況は水面下で急速に悪化する。 ギリシャの場合、2007年から08年における債務はGDPの100%で、驚くような数値ではなかったのだが、10年4月にスタンダード・アンド・プアーズやムーディーズといった格付け会社がギリシャ国債のランクを一気に3段階下げたことで返済を困難にするほど利率が上昇してしまう。破綻を仕掛けたと言われても仕方がない。 こうした会社の格付けが恣意的で信頼できないものであることは知られているが、それでも債権の取り引きに大きな影響を及ぼしている。2014年における債務はGDPの175%になった。弱った国を餌食にして肥え太ってきたのがジョージ・ソロスが率いているようなヘッジ・ファンド。ヘッジが目的ではなく、単なる投機集団だが、こう呼ばれている。 巨大金融機関や投機集団を儲けさせ、その後を引き継いで庶民の富を奪うのがIMFのような機関。ギリシャのケースではIMFのほか、欧州中央銀行と欧州委員会が庶民からカネを巻き上げる仕事をしている。この3組織はまとめて「トロイカ」と呼ばれるが、ギリシャやEUの利益でなく、アメリカ巨大資本の利益を考えて行動している。 トロイカが推進している政策は「緊縮財政」の強要。福祉予算を削り、公共部門を破壊して国民の資産を巨大資本へ二束三文で叩き売り、失業者を増やし、賃金を低下させ、増税して庶民を貧困化させ、巨大資本や富裕層へは椀飯振る舞い。富を外国の銀行口座に貯め込んでいる裕福なエリート達が負担を強いられることはない。不正行為が発覚しても金融機関は「大きくて潰せない」し、その経営者は「大物すぎて逮捕できない」ことになっている。 こうした政策はIMFやIBRD(世界銀行)の定番だが、1929年に組閣された浜口雄幸内閣が実行した政策も似たものだった。その結果、娘の身売りが横行し、欠食児童が増え、小作争議も激化している。この政策を命令してきたのはアメリカの巨大金融資本、JPモルガンだ。 日本の場合、1930年に浜口が殺され、32年には浜口内閣で蔵相だった井上準之助と三井財閥の大番頭だった団琢磨が暗殺された。1932年には海軍の将校らが首相官邸や日銀を襲撃して犬養毅首相を殺害(五・一五事件)、そして1936年には陸軍の将校が首相官邸や警視庁などを襲撃して高橋是清蔵相らを殺害(二・二六事件)するという事件につながる。 ギリシャでは火焔瓶が飛び交う激しいデモを経て、トロイカが強要する政策を拒否する政権が誕生した。西側の巨大資本の食い物になるのを避けるため、現政権はロシアと交渉し、年間470億立方メートルの天然ガスをトルコ経由で送ることで合意した。 ロシアから黒海を横断、ブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロベニアを経由してイタリアへ至る「サウス・ストリーム」というパイプラインを建設する計画はアメリカの圧力でブルガリアが建設の許可を出さず、ロシアは見切りをつけてトルコへ輸送、さらに中国との関係を強めている。 そのトルコからギリシャへ輸送、そこからEUへ運ぶということになるのだろうが、早くもアメリカは妨害工作を始めているようだ。ギリシャからマケドニアへパイプラインはつながると見られているが、そのマケドニアへアルバニアの武装勢力が攻め込んだのである。 アメリカ/NATOはコソボを制圧する際にもアルバニアの武装勢力を使った。この国には1994年からアル・カイダ系の戦闘員が活動を開始、ボスニアやコソボへ入り込んでいる。1996年にコソボではKLA(コソボ解放軍)がコソボ北部にいたセルビア人難民を襲撃、その後、西側に支援されながら勢力を拡大していった。 KLAは西側からの支援だけでなく、麻薬取引を資金源にしている。1970年代の終盤、アメリカがアフガニスタンで秘密工作を始めてからアフガニスタンの周辺はケシの生産量が急増、東南アジアの「黄金の三角地帯」に替わる非合法ヘロインの生産地になった。そこからバルカン半島を経由してヨーロッパへ流れるのだが、この取り引きで大儲けしているKLAはアルバニアの麻薬組織ともつながっている。 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で検察官を務めたカーラ・デル・ポンテによると、コソボ紛争中にKLAの指導者らは約300名のセルビア人捕虜から「新鮮」な状態で、つまり生きた人間から臓器を摘出し、売っていたという。そうした残虐行為をする勢力でも支持するのがアメリカ流。(Carla Del Ponte, Madame Prosecutor,” Other Press, 2009) アメリカの支配層はギリシャにも軍事的な仕組みを作り上げている。ギリシャは1952年にNATOは加盟したのだが、その際に署名が義務づけられている反共議定書は「右翼過激派」を守り、秘密部隊を編成することを定めている。 ギリシャの場合、LOK(山岳奇襲隊)が組み込まれ、イタリアのグラディオと同じ役割を果たすことになる。1967年にギリシャではアメリカを後ろ盾とする軍事クーデターがあったが、それにもLOKは参加している。予定されていた選挙でアメリカ支配層にとって好ましくない結果が予想されていたからだという。軍事政権は1974年まで続いた。ギリシャで再びクーデターが実行されることを懸念する人もいる。それほどアメリカはロシアとEUの接近を警戒しているわけだ。ギリシャ経由で天然ガスがEUへ流れるようなことがあると、ウクライナをクーデターで乗っ取った目的のひとつが駄目になる。
2015.04.24
安倍晋三政権は戦争の準備を進めている。アメリカの好戦派に命令されてのことで、その「仮想敵国」は中国だろう。「後方支援」は戦争の勝敗を決する重要な要素だが、それにはとどまらず、実戦にも参加する可能性が高い。核ミサイルの撃ち合いに巻き込まれることも想定できる。 表面的には「偽旗作戦」やマスコミのプロパガンダで「やむにやまれず」という形にするかもしれないが、その実態はアメリカの侵略戦争へ荷担することにほかならない。防衛省の内部では侵略かどうかは気にせず、「今なら中国に勝てる」と単純に考えている幹部がいるようだが、それは分析でなく妄想。 日本の支配層が従属しているアメリカは先住民を虐殺、土地を奪うことからスタートした国で、侵略戦争を繰り返してきた。ウィリアム・マッキンリー大統領暗殺を受けて副大統領から昇格したセオドア・ルーズベルトは棍棒外交、つまり軍事侵略で有名。1904年2月に日本海軍の旅順港に対する奇襲攻撃で始まった日露戦争はこのセオドア・ルーズベルトを調停役にして1905年9月に講和が成立している。 戦争を継続する余力のなかった日本にとってセオドア・ルーズベルトの登場はありがたいことだったが、この人物は自分たちの利権を見ていたはずだ。実際、講和条約が結ばれた2カ月後に桂太郎首相はエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営で合意している。勿論、アメリカの支配層が鉄道の経営で満足するはずはない。その後、小村寿太郎の反対で覚書は破棄されてしまうのだが、アメリカの支配層は怒ったことだろう。 アメリカと緊密な関係にあり、日本で徳川体制を倒すクーデターで黒幕的な役割を果たし、薩摩藩と長州藩を中心とする新体制を作ったのがイギリス。その直前、中国(清)に戦争を仕掛けて麻薬を押しつけ、利権を奪っている。 アメリカの巨大金融資本、JPモルガンが日本の政治経済に大きな影響力を持つ切っ掛けは1923年の関東大震災で、その金融機関の総帥の親戚にあたるジョセフ・グルーが32年に駐日大使として日本へ来た。 その年、アメリカでは大統領選挙があり、ウォール街と対立関係にあったニューディール派のフランクリン・ルーズベルト(FDR)が当選している。1933年から34年にかけてJPモルガンを中心とする勢力が反ルーズベルト/親ファシズムのクーデターを計画したことはスメドリー・バトラー海兵隊少将が議会で証言、明らかになっている。 FDRは労働者の権利を認めるなど巨大資本と対立、外交面ではファシズムや植民地に反対し、日本との関係も悪化するのだが、グルーはウォール街とのパイプ役を務めていた可能性が高い。1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカと戦争が始まるが、グルーは翌年の7月まで日本に留まった。 グルーが訪日する前年、日本軍は奉天の北部にある柳条湖で満鉄の線路を爆破、責任を中国側に押しつけて軍事侵略の口実に使った。つまり「偽旗作戦」だ。そして日本の傀儡国家、満州国をでっち上げるが、安倍の祖父にあたる岸信介は満州国の国務院実業部総務司長に就任、その傀儡国家を動かす中枢グループに入った。 その中枢グループには関東軍参謀長だった東条英機、満州国総務長官だった星野直樹、満鉄総裁の松岡洋右、日産コンツェルンの鮎川義介、そして岸が含まれ、一般に「2キ3スケ」と呼ばれている。その当時、日本の情報機関や巨大商社は麻薬取引に手を出していたが、その取り引きで有名な里見機関の里見甫、その上官にあたる影佐禎昭とも緊密な関係を築いた。自民党の谷垣禎一は影佐の孫だ。 本ブログでは何度も書いているように、日本のアジア侵略は1872年の「琉球処分」から始まる。その年、来日して外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を進めたのが厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダー。そして日本は1874年に台湾へ派兵、75年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦を派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。 その当時、朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君と高宗の妻だった閔妃が対立、主導権は閔妃の一族が握っていた。その閔氏の体制を揺るがせたのが1894年に始まった甲午農民戦争(東学党の乱)で、この戦乱を利用して日本政府は軍隊を派遣、朝鮮政府が清に軍隊の派遣を要請したことから日清戦争へつながる。 閔妃がロシアとつながることを恐れた日本政府は1895年に日本の官憲と「大陸浪人」を使って宮廷を襲撃、閔妃を含む女性3名を殺害した。その際、性的な陵辱を加えたことが日本への憎しみを増すことになるが、こうした行為をイギリスは容認したようで、日本とイギリスは1902年に同盟関係を結び、04年2月に日露戦争が勃発した。 日露戦争の最中、1905年1月にペテルブルクで皇帝へ請願するために行進していた労働者らに軍隊が発砲、2000人の死傷者が出たといわれているが、その事件を切っ掛けにして国内は不安定化、6月にはロシア黒海艦隊の戦艦「ポチョムキン」で反乱が起こり、モスクワなどで武装蜂起が起こる。いわゆる第1次ロシア革命だ。この武装蜂起は鎮圧されたものの、戦争どころではなくなり、ロシア政府はセオドア・ルーズベルトの調停に応じたわけだ。 この当時、帝政ロシアは近代化の過渡期で、体制は利害の対立がある地主貴族と産業資本家に支えられていた。そうした中、1914年6月にサラエボでオーストリア皇太子が暗殺され、これが引き金になって第一次世界大戦が始まり、支配体制の矛盾が噴出する。戦争で農民をとられたくない地主と、戦争で儲けたい資本家の対立だ。 そして1917年3月に帝政ロシアは革命(二月革命)で倒される。樹立された臨時革命政権で主導権を握ったのは資本家階級で、戦争は継続されることになる。この政権で法務大臣に就任、後に首相に就任するのがエス・エルのアレクサンドル・ケレンスキー。この人物を通じてイギリス政府とシオニストは新政権に影響力を及ぼしていたと見られている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005) この革命の際、ウラジミール・レーニンやレフ・トロツキーといったボルシェビキの幹部は亡命中か、刑務所の中。スイスに亡命していたレーニンをはじめ、亡命中の幹部をロシア国内へ運んだのがドイツだ。戦争に反対していたボルシェビキを支援し、ロシアを戦争から離脱させようと考えたわけである。そして11月の「十月革命」につながり、ボルシェビキ政権は即時停戦を宣言した。二月革命と十月革命を混同すると、その後の歴史を見誤る。 その後、日本は革命に干渉するために派兵し、シベリアには1922年まで、サハリンの北部には25年まで日本軍は居座った。アメリカの国務省では反ソ連派が形成されるが、その中には「封じ込め政策」で有名なジョージ・ケナン、あるいは駐日大使を務めたジョセフ・グルーも含まれていた。(Christopher Simpson, "The Splendid Blond Beast," Common Courage Press, 1995 ) 明治維新から現在に至るまで、日本の支配層はイギリスやアメリカ、つまりアングロ・サクソンの影を背負ってきた。そうした影が最も薄くなったのが真珠湾攻撃から敗戦まで。アジア侵略を反省しない日本のエリートが真珠湾攻撃を無謀だったという理由はこの辺にあるのだろう。 第二次世界大戦が終わって70年目にあたる今年の夏に発表する「談話」に「侵略」や「おわび」という単語を含るつもりがないらしい安倍首相は4月21日、「春季例大祭」にあわせて靖国神社に「真榊」を奉納したという。 この靖国神社はアジア侵略の象徴的な存在で、日本を占領していたGHQ/SCAPの内部では将校の多数派が神社の焼却を主張していたという。朝日ソノラマが1973年に出した『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、それを阻止した人物がブルーノ・ビッターというカトリックの神父。 ビッターはニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされているが、このスペルマンはCIA/OSSと深く結びついていた。つまり、ビッターもCIA/OSS人脈。GHQのG2(情報担当)を指揮、「小ヒトラー」とも呼ばれていたチャールズ・ウィロビー少将とも親しかった。ウィロビーは退役後、スペインの独裁者フランシスコ・フランコの非公式顧問になっている。 現在、アメリカの支配層はロシアがナチスと激闘を繰り広げた事実を消し去り、歴史を書き換えようとしている。その一方、ナチスの後継者を使ってウクライナをクーデターで奪還し、ロシアに軍事的な圧力を加えている。アメリカの好戦派に従属する安倍首相がアジア侵略の歴史を書き換えようとしても不思議ではない。
2015.04.22
安倍晋三首相の訪米を4月26日に控え、TPP(環太平洋連携協定)をめぐる日米の交渉が進展しているのだという。その交渉は秘密裏に進められ、透明度は極度に低いのだが、断片的に漏れてくる情報によれば、アメリカの巨大資本が加盟国の行政、立法、司法を支配できる仕組みを築こうとしている。いわば、ボリス・エリツィン時代のロシアと同じような体制で、富を一握りの強欲集団へ集中させ、庶民を貧困化させるための反民主主義的な協定だと言える。 アメリカ/NATOはウクライナでネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使って支配地域を広げ、ロシア制圧を狙っているのだが、こうしたやり口を見ても彼らが民主主義を否定していることがわかるだろう。1933年から34年にかけてアメリカの巨大資本は反フランクリン・ルーズベルト/親ファシズムのクーデターを計画していたが、そのころと変化はない。 多くの人が指摘しているように、TPPは「関税交渉」でも「通商交渉」でもなく「独立放棄」の協定で、農産品と自動車の交渉は枝葉末節の話。こうした交渉が難航しているという話が本当なら、ほかの話は難航していないことになり、「独立放棄」を日本政府は認めたということになる。 独立を放棄させるカギを握っているのがISDS条項で、健康、労働、環境などに関する法律によってアメリカの巨大企業が「将来に期待された利益」を企業が実現できなかった場合、各国政府に対して賠償を請求することがTPPでは許される。 TPP(環太平洋連携協定)の知的財産分野の条文草案とされる文書を内部告発を支援しているWikiLeaksは公開したが、それによると、アメリカの代表は開発した新薬の独占期間を長くしようとしている。そのため、安価な後発医薬品の利用が制限され、ガンの治療薬など命に関わる薬の場合、所得によって命が左右されることになると批判されている。そうした薬品会社の論理がエボラ出血熱の場合にも出てくる可能性はある。 巨大資本は低賃金で劣悪な労働環境が許される国に工場を建てるが、そうした条件を維持させ、「国産品を買おう」や「地産地消」という運動は規制の対象になりかねない。外国から労働者を入れれば、低賃金で劣悪な労働環境がTPPに加盟する全ての国へ広がる。 また、巨大資本にとって都合の悪い情報が流れているインターネットに対する規制や監視を強化する一方、金融取引は逆に規制を緩和するだろう。ADB(アジア開発銀行)、IMF(国際通貨基金)、IBRD(国際復興開発銀行/世界銀行)といったアメリカが主導する金融システムとも深く結びつく。アメリカはEUとTTIP(環大西洋貿易投資協定)を結ぼうとしているが、その目的も同じだ。 このTTIPでは法案が私企業の利益に影響を及ぼす可能性があるかどうか審査するような仕組みを作ろうとしているようだ。すでに議会は形骸化しているが、その形骸化した議会の息の根を止めようとしている。 TPPにしろ、TTIPにしろ、アメリカの巨大資本の欲望を実現するための協定で、アメリカ以外の国の巨大資本も同調しているが、そうした強欲さへの不満は世界的に高まっている。その不満をエネルギーにして存在感を高めているのがAIIB(アジアインフラ投資銀行)で、アメリカの同盟国であるはずの国々も参加した。 このAIIBは中国の提唱で設立が予定されている金融機関で、その背後にはBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海合作組織/アルメニア、ベラルーシ、中国、カザフスタン、ロシア、タジキスタン、ウズベキスタン)が存在している。 BRICSやSCOの中心はロシアと中国。アメリカ好戦派は中東、南北アフリカ、ウクライナで破壊と殺戮を繰り広げているが、その結果、ロシアと中国の関係を強化させることになり、ドルは基軸通貨としての地位から陥落しそうだ。石油相場の下落もあり、ペトロダラーが逆流を始めたこともアメリカの支配層を慌てさせているだろう。 AIIBには全てのBRICS加盟国、アルメニアとベラルーシを除くSCO加盟国が参加しているが、そのほか、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、イスラエル、ヨルダン、クウェート、カタール、サウジアラビア、グルジア、さらにオーストリア、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイスランド、イタリア、ルクセンブルグ、マルタ、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリスも加盟した。 コンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューの中で、控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいないと語っていたが、これだけの国を脅すためには核戦争で脅すしかないだろう。IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)やアル・カイダ、あるいはネオ・ナチを使うにしても、限界がある。崩れ始めたシステムを立て直すことは難しい。
2015.04.21
IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)の存在は、アメリカが中東へ軍事介入する口実になっている。そのISは狂信的なカルト集団とも見られているが、実際は情報機関を彷彿とさせる組織で、残虐行為も冷徹な計算に基づいて行われているとドイツのシュピーゲル誌は伝えている。2014年の戦闘で死亡した元イラク軍大佐が保管していた書類から判明したのだという。 この元大佐はISを操っていた人物で、サダム・フセイン時代にはイラク空軍の情報部に所属、2003年にアメリカを中心とする連合軍がイラクを先制攻撃してフセイン体制を倒した後に軍を追われ、06年から08年までアメリカが設置したアブ・グレイブ収容所に拘束されていたとされている。 しかし、この元大佐を過大評価するのは危険だろう。シュピーゲル誌はドイツの雑誌だが、そのドイツはNATO加盟国であり、NATOはアメリカを中心にして、中東/北アフリカの体制転覆プロジェクトを進めてきた。2007年の段階でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリアやイランの現体制を倒す秘密工作を始めたとも指摘され、ISはその手先だと言われている。シュピーゲル誌の報道でそうした側面を忘れてはならない。 ISが「一神教聖戦団(JTJ)」として誕生したのは、この元大佐がイラク空軍に在籍していた1999年。アメリカがイラクを先制攻撃して体制を転覆させた後、04年にアル・カイダ系の武装集団に加わって名称を「イラクのアル・カイダ(AQI)」へ変更した。元大佐がアブ・グレイブに収容されたという2006年にAQIは小集団を吸収、その年の10月からISI(イラクのイスラム国)と名乗るようになる。ISと呼ばれるようになるのは、シリアで戦闘を始めた2013年4月のこと。 本ブログでは何度も書いてきたが、アル・カイダとは、ロビン・クック元英外相も指摘しているように、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダとはアラビア語で「ベース」を意味、「基地」と表現することもできるが、実態は「データベース」だということ。この重要な指摘をした次の月にクックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われ、急死した。享年59歳。 CIAが「ムジャヒディン」を訓練、武器や資金を供与した目的は、言うまでもなく、ソ連軍と戦わせるため。そのソ連軍をアフガニスタンへ誘い込む秘密工作を計画したのは、ジミー・カーター大統領の国家安全保障問題担当の補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキー。後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌から取材を受けた際、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と彼は答えている。カーター大統領に対し、ソ連に「ベトナム戦争」を贈呈する機会が訪れたと伝えたともいう。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998) つまり、ISの歴史をたどるとブレジンスキーに行き着くということ。4月17日にイランのアーマト・レザ・ポールダスタン准将は、ISを創設したのはアメリカであり、アル・ヌスラやナイジェリアを中心に活動しているボコ・ハラムも同じだと語り、18日にはハッサン・フィールーザーバーディー参謀総長はアメリカがISに武器、資金、食料を供給していると発表したが、これも指摘されてきたことだ。キリスト教徒やイスラム教徒を虐殺し、歴史的な建造物を破壊しているISがイスラエルやサウジアラビアを攻撃しないのも、そうした背景があるからだと見るのが自然だろう。 1990年代に入り、中東、南北アフリカ、旧ソ連圏などで戦火が広がるが、その原因が1991年12月のソ連消滅にあることは何度も書いてきた。ネオコン/シオニストがアメリカを「唯一の超大国」と認識、世界制覇を露骨に始めたのだ。日本もそのターゲットに含まれている。その制覇計画の青写真が1992年に作成された「DPGの草案」(通称ウォルフォウィッツ・ドクトリン)の草案。その前年に、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は語っている。 2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に興味深い記事を書いている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラがターゲットにした秘密工作を始めたというのだ。 すでにISがシリアで政府軍と戦い始めていた2013年9月、駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンは、シリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。 そのイスラエルを宗教的な理由で支援しているのがアメリカのキリスト教系カルト。彼らにとって大事なのは「聖書の法」で、民主主義とは単なる「ゴロツキのルール」にすぎない。全体の40%以上は聖書に書かれた最終戦争の予言を信じているとウィスコンシン大学のポール・ボイヤー教授は書いている。 カルトの教義によると、キリストに従う「善の軍勢」と反キリストの「悪の軍勢」が「ハルマゲドン」で最終戦争を行い、人類の歴史は幕を閉じ、その後にキリストが再臨して自分たちは救われることになっている。「歴史の終わり」だ。(Frederick Clarkson著『Eternal Hostility』Common Courage Press、1997年) こうしたカルトの力を侮ってはならない。ナチスはカルト集団であり、かつての日本も「現人神」を崇めるカルト国家だった。カルトと軍事力が結びついたとき、この世に地獄が現れる。
2015.04.20
ウクライナでジャーナリストや政治家の殺害や変死が相次いでいる。いずれもキエフの現政権に批判的な人びとで、内務大臣の顧問がコントロールしているというウェブサイト「平和維持者」から「国家の敵」として脅されていたという。その背後でネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)で編成された「死の部隊」が動いていると推測する人もいる。かつてアメリカがラテン・アメリカで使った手口をウクライナでも使い始めたのではないかということだ。 今年2月11日にウクライナ、ロシア、フランス、ドイツの首脳がベラルーシのミンスクで話し合い、キエフ軍とドネツクやルガンスク(ドンバス/ナバロシエ)の部隊は15日から停戦することで合意しているが、アメリカ/NATOとネオ・ナチは拒否、戦車を含む兵器が送り込まれ、訓練を名目にして空挺部隊を派遣、情報統制を強化するなど新たな戦争の準備をしている。 昨年2月23日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領は追放されるが、その前年の11月20日に大統領の与党だった地域党のオレグ・ツァロフは議会でクーデター計画の存在を指摘、その翌日に約2000名の反ヤヌコビッチ派がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)へ集まっている。当初は人びとのEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的な雰囲気だったが、人が集まったところで凶暴化する。クーデター後もツァレフはネオ・ナチに屈せずに政治活動を続けるが、昨年4月14日、テレビ局を出たところで襲われている。(映像1、映像2) 戦争の継続を要求しているネオ・ナチを率いているドミトロ・ヤロシュが4月4日、ウクライナ軍参謀総長の顧問に就任するなどキエフ政権のナチ化は進んでいる。やはりネオ・ナチを率いているひとり、アンドレイ・パルビーは国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長を務めた後、議会の第1副議長に就任している。クーデター後、キエフ政権で軍と治安機関を動かしているのはネオ・ナチ。その背後にはアメリカ/NATOが存在している。 今年に入ってキエフ政権、あるいはネオ・ナチに批判的な人の変死、あるいは殺害が目立つと話題になっている。例えば、1月26日に地域党を支持していたニコライ・セルギエンコが猟銃で「自殺」、29日には地域党の支持者だったアレクセイ・コレスニクが首をつって「自殺」、2月24日には地域党の国会議員だったスタニスラフ・メルニクが猟銃で「自殺」、25日に地域党の活動家でメリトポリ市の市長だったセルゲイ・バルテルが首をつって死亡、26日にバルテルの弁護士だったアレキサンドル・ボルデュガが車庫で死体となって発見され、地域党の国会議員だったオレクサンドル・ペクルシェンコが路上で銃撃されて負った傷が原因で死亡(公式発表は「自殺」)、28日には地域党の国会議員だったミハイル・チェチェトフがアパートの17階から落下して死亡、3月14日には地域党を支持していた検察官のセルゲイ・メルニチュクがアパートの9階から落下して死亡、4月13日にはキエフ政権に批判的だったジャーナリストのセルゲイ・スコボクが殺され、15日には地域党の幹部だったオレグ・カラシニコフが銃で受けた傷が原因で死亡、16日にはキエフ政権に批判的だったオレス・ブジナが自宅の近くで射殺されている。 ここにきてドネツクやルガンスク(ドンバス/ナバロシエ)に対する広範囲にわたる攻撃が報告されているが、OSCE(欧州安全保障協力機構)によると、攻撃しているのはキエフ政権軍やドンバス軍でなく「第三者」軍だという。アメリカ/NATOとネオ・ナチが疑われる状況だ。 そうした動きと並行してウクライナでは、キエフ政権に批判的なブログを書いていたふたりがSBU(治安当局)に連行されて行方がわからなくなり、インターネット上にあった1万以上のサイトが閉鎖され、ブロックされたYouTubeのアカウントもあるようだ。特定の新聞を販売店から回収するということも行っている。 クーデター直後からアメリカ政府がロシアのメディアを批判、キエフ政権はロシアのジャーナリストの入国を阻止、あるいは拘束したり追放してきたが、情報統制のランクがひとつ上がったようだ。 ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者でヘルムート・コール首相の顧問を務めた経験もあるウド・ウルフコテは、ドイツを含む多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開していると告発した。 こうしたことは以前から報告されている。例えば、ウォーターゲート事件を調べた記者のひとり、カール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後にローリング・ストーン誌で「CIAとメディア」という記事を書き、400名以上のジャーナリストがCIAのために働いていたことを明らかにした。メディアは工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったともいう。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) カネや何らかの見返りを餌にするほか、脅しで記者や編集者を操るという話を聞くが、ウクライナでは殺害の領域に入ったようだ。【参考】この問題について日本語で読める記事:「マスコミに載らない海外記事」
2015.04.19
支配システムと一体化することで自らの立場を強め、物質的な見返りを得ようとしている人が日本のマスコミや出版界にも少なくない。前にも書いたが、日本の「言論界」に「反体制」も「左翼」も「右翼」も存在せず、「もどき」ばかりで、そうした人たちにとって、安倍晋三政権に屈服することを拒否する沖縄県の翁長雄志知事は憎悪すべき対象。彼らの目には「敵意をむき出し」にしていると映るようだ。 安倍政権はアメリカの好戦派に従属している。その好戦派とはネオコン/シオニスト、戦争ビジネス、金融資本などを中心とする勢力で、世界は自分たちの所有物だと勘違いしている。そうした勘違いを表に出す切っ掛けが1991年12月のソ連消滅。アメリカは「唯一の超大国」になったと認識、世界の人びとは自分たちに従属するべきだと考えるようになったのだ。 その世界制覇プランは1992年にDPG(国防計画指針)の草稿として形になる。その中心はリチャード・チェイニー国防長官とポール・ウォルフォウィッツ国防次官で、I・ルイス・リビー、ザルメイ・ハリルザド、アルバート・ウールステッター、リチャード・パール、そしてONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルたちが作成に参加したという。 ウールステッターは核戦略の専門家で、1951年から63年にかけて国防総省系のシンクタンクRANDに所属し、64年から80年までシカゴ大学で教えている。彼がRANDに在籍していた時代、軍や情報機関の好戦派がソ連に対する先制核攻撃を目論んでいたことは本ブログで何度も書いてきた通りで、この計画にウールステッターも関わっていただろう。彼らが攻撃を予定していた1963年にRANDを辞め、シカゴ大学へ移ったことは興味深い。勿論、1963年はソ連との平和共存を訴えていたジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された年でもある。 ウォルフォウィッツやハリルザドはシカゴ大学でウールステッターの教え子。この大学にはネオコンの思想的な支柱と言われたレオ・ストラウスもいた。「ユダヤ系ナチ」とカルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授から呼ばれている人物だ。フライブルク大学でマルチン・ハイデッガーから思想面で大きな影響を受けたと言われている。ウォルフォウィッツはストラウスの下で博士号を取得した。 強者総取りの新自由主義経済の教祖的な存在、ミルトン・フリードマンもシカゴ大学で教えていた。フリードマンはフリードリッヒ・ハイエクと関係が深く、ジョン・ケインズの理論とは敵対的な関係にある。ドナルド・ラムズフェルドも1960年代にシカゴ大学で開かれたセミナーでフリードマンに傾倒している。ジェラルド・フォード政権で国防長官を務めた際、ラムズフェルドはONAのマーシャル室長や好戦派に大きな影響力を持っていたフリッツ・クレーマーから助言を受けていた。 DPGの草案では潜在的なライバルの台頭は許さないとしているが、「同盟国」に対しても容赦ない。1991年にフランスとドイツは西ヨーロッパの外交と軍事を統合する道を探り始め、「ヨーロッパ軍」を創設しようとしたが、こうしたことは許さない。日本が影響力を拡大することも阻止する。1990年代に入って証券や銀行のスキャンダルが噴出、アメリカの軍事システムに日本が組み込まれていくのは偶然でないだろう。当然、TPPにもそうした計略が反映され、こうした代物に賛成する日本人はアメリカ支配層の「傀儡」であり、「買弁」と呼ばれても仕方がない。 アメリカは世界制覇という「予定」を実現するため、敵を作る。ソ連、アカ、ロシア、中国などがキーワードとして使われてきた。かつて「自由の戦士」と呼んでいたアル・カイダ系の戦闘集団を「テロリスト」として利用、そのアル・カイダ系の武装集団がリビアでNATOと手を組んでいたことが広く知られると、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)を使い、ロシアのウラジミル・プーチンの悪魔化にも余念がない。 CNNの創設者は「ロシアが攻めてくる」という宣伝を批判しているが、西側の有力メディアはそうした批判を意に介していない。特にアメリカと日本が酷い状況だ。権力者を批判して支配システムにおける自らの立場を弱め、経済的に苦しくなるようなことをする意思はない。「リベラル派」や「革新勢力」もそうしたメディアを信じ、あるいは信じた振りをしているが、その理由も同じだろう。だが、そうした人びとが信奉しているアメリカの支配システムは崩壊し始めている。
2015.04.18
2012年12月13日にNBCニュースの取材チームが同じシリアで拉致され、5日後に解放されるという出来事があった。日本人ジャーナリストの山本美香がシリアのアレッポで殺された4カ月後のことだ。 チームのひとりで主任外国特派員のリチャード・エンゲルは翌年の4月号のバニティ・フェア誌で政府軍と連携している武装勢力が実行したと主張していたのだが、ここにきてエンゲルはその主張を取り下げ、反シリア政府軍につかまっていたと認めた。拉致グループは自分たちを親政府軍であるかのように装っていたので間違えたというのだ。 しかし、解放された直後から拘束したのは反シリア政府軍ではないかという報道もあった。エンゲルたちが携帯していたGPSでNBCの幹部は拉致を察知、その場所が反政府軍の支配している地域であることも認識していたという。解放後にエンゲルも知らされたはず。しかも、拉致したグループと救出したグループの指揮官は一緒だったことが判明している。つまり、バニティ・フェア誌の記事は「誤解」でなく嘘だった可能性が高いということだ。その当時、アメリカ/NATOはシリアに対する直接的な軍事攻撃の準備をしていた。こうしたことを考えても、湯川遥菜(湯川政行)と後藤健二の事件も「政府公認の見解」は信じない方が良いだろう。 シリアのアレッポで殺された山本美香は反政府軍でアメリカ/NATOから支援を受けていたFSAに同行していたようだが、同じようにFSAの案内で取材していたイギリスのテレビ局、チャンネル4の取材チームも間一髪のところで命拾いしている。 取材チームの中心的な存在だったアレックス・トンプソンによると、彼らは反政府軍の罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるところだったという。彼らをFSAの兵士は交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けたというのだ。イギリスやドイツなどの情報機関から政府軍の位置は知らされているはず。意図的だったとしか考えられない。西側は「ジャーナリストの犠牲」を演出しようとしていたのだろう。 2013年3月19日、シリア政府はアル・カイダ系のカーン・アル・アッサルが化学兵器を使ったと発表、国連に対し、すみやかに調査するように要求している。また、この事実をシリア政府から得ているとロシア外務省は発表、懸念を表明した。 これに対し、反政府軍は政府軍が使ったと反論するが、この攻撃で被害が出ているのは政府軍側。イスラエルのハーレツ紙も書いているように、シリア政府に責任を押しつけるのは無理がある。国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使った疑いは濃厚で、しかも政府軍が使用したとする証拠は見つかっていないと発言した。そうした状況の中、エンゲルは自分たちを拉致したのが政府軍側だと主張する記事をバニティ・フェア誌で書いたわけだ。 イラクでISIとして戦っていたアル・カイダ系の戦闘集団が2013年4月からシリアでの戦闘に参加、それにともなって名前を「イラクとレバントのイスラム首長国(IS、ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)」に変更している。 7月31日にサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官がモスクワを秘密裏に訪問してウラジミル・プーチン大統領と会談したが、その際、シリアから手を引けば、ソチで開かれる冬季オリンピックの襲撃を計画しているチェチェンの武装グループを押さえると持ちかけ、逆に激怒させることになる。 ダマスカスの近くで化学兵器が使われたのはその翌月、8月21日にこと。西側の政府やメディアはシリア政府軍がサリンが使ったと主張、シリアへNATO軍が直接介入する動きを見せるのだが、このストーリーはすぐに崩れ始める。例えば、国連のシリア化学兵器問題真相調査団で団長を務めたアケ・セルストロームは治療状況の調査から被害者数に疑問を持ったと語っている。(PDF) おそらく、最も早く西側の主張に反論したのはロシア政府だ。シリアの体制転覆を目指す勢力がシリア政府のサリン使用を主張する中、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使はアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示し、報告書も提出した。 ロシアが示した資料の中には、反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、毒ガス攻撃を受けたとされるゴータで着弾していることを示す文書や衛星写真が含まれていたという。 ミサイル発射から間もなくして、化学兵器をサウジアラビアを結びつける記事がミントプレスに掲載された。デイル・ガブラクとヤフヤ・アバブネの名前で書かれたもので、後にガブラクは記事との関係を否定する声明を出すのだが、編集長のムナル・ムハウェシュはその声明を否定する。 編集長によると、記事を28日に編集部へ持ち込んだのはガブラクであり、同僚のヤフヤ・アバブネがシリアへ入っているとしたうえで、反政府軍、その家族、ゴータの住民、医師をアバブネが取材した結果、サウジアラビアが反政府軍に化学兵器を提供し、それを反政府軍の戦闘員が誤って爆発させたと説明したという。一連の遣り取りを裏付ける電子メールが残っているともしている。その後、カブラクからの再反論はないようだ。 昨年10月に入ると「ロシア外交筋」からの情報として、ゴータで化学兵器を使ったのはサウジアラビアがヨルダン経由で送り込んだ秘密工作チームだという話が流れた。アフガニスタンの反政府軍支配地域で「第三国」がアル・ヌスラなどシリアの反政府軍に対し、化学兵器の使い方を訓練しているとする報告があるとロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は語る。 12月に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表している。反政府軍がサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるというのだ。国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授は、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 ユーゴスラビアにしろ、アフガニスタンにしろ、イラクにしろ、リビアにしろ、シリアにしろ、ウクライナにしろ、アメリカは嘘を口実に戦争を目論み、実際にいくつもの国を破壊してきた。この嘘が判明しても知らん振りしているのが日本の政府やマスコミ。嘘にも続いて「集団的自衛権」を発動、破壊と殺戮を繰り広げたあとで嘘がわかったときも知らん振りなのだろう。「大東亜共栄圏」の賛成し、侵略、破壊、殺戮、略奪の片棒を担いだ人びとと何ら変わらない。
2015.04.17
世界有数の核兵器保有国と信じられているイスラエルは核ミサイルをドイツから提供されたドルフィン級潜水艦に搭載している可能性が高い。ドイツはイスラエルへ6隻の潜水艦を提供する予定で、近いうちに5隻目が引き渡されるという。 この潜水艦が搭載しているのは巡航ミサイルの「ポパイ・ターボ」で、2000年5月にインド洋で実施された発射テストで1500キロメートル離れた地点の目標に命中したと言われている。一般に言われている射程距離は200キロメートルから350キロメートルなのだが、イスラエルが改良して射程距離を伸ばした可能性はある。 しかし、地中海から発射した場合、射程距離が1500キロメートルだとしてもイラン全土をカバーすることはできない。イランを攻撃するためには空軍を使うか、潜水艦をイランの近く、例えばペルシャ湾の周辺へ配置しなければならない。そのためにはスエズ運河を通過、紅海をからバブ・エル・マンデブ海峡を通ってアデン湾、そしてアラビア海へ出る必要がある。イエメンに独立した政権が存在することをアメリカやイスラエルは許容できないだろう。 スエズ運河とバブ・エル・マンデブ海峡が封鎖されるとイスラエルの潜水艦は身動きがとれなくなる。そのため、少なくともエジプト、ジブチ、イエメンがイスラエルにとって不都合な行動をしないようにする必要があるわけだ。 2009年6月にイスラエルの潜水艦がエジプトの艦船にエスコートされて地中海から紅海へ入っているが、サンデイ・タイムズ紙などによると、核兵器を搭載した3隻の潜水艦が常にイランの海岸近くに配備されているという。 2013年にこのミサイルがシリアへ向けて実際に発射された可能性もある。この年、アメリカとイスラエルはシリアへ軍事侵攻する動きを見せ、「化学兵器話」を西側のメディアは宣伝していた。これはすぐに嘘だと判明するが、それでも9月3日には地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射されたのだ。 この発射をロシアの早期警戒システムはすぐに探知、2発とも海中に落ちたとされているのだが、その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表した。事前に周辺国(少なくともロシア)へ通告はなく、シリアに向かってミサイルは飛んでいたことから、侵攻作戦をイスラエルとアメリカは始めたと考えても不思議ではない。 最初の攻撃で躓き、中止になったのではないかと推測する人もいる。ジャミングで落とされたという説もあるが、ロシアがイランに提供するというS-300ならば打ち落とせるだろう。戦闘機でも同じことになる。 ところで、ミサイルに搭載する核爆弾の開発は、1956年にシモン・ペレスがフランスでシャルル・ド・ゴールと会談し、フランスは24メガワットの原子炉を提供してから始まる。開発に必要な資金はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドをはじめとする富豪が提供したようだ。 1958年にはアメリカもその事実を察知している。CIAの偵察機U2がネゲブ砂漠のディモナ近くで何らかの大規模な施設を建設している様子を撮影、それは秘密の原子炉ではないかという疑惑を持ったのだ。 そこで、CIA画像情報本部の責任者だったアーサー・ランダールはドワイト・アイゼンハワー大統領に対してディモナ周辺の詳細な調査を行うように求めたのだが、それ以上の調査が実行されることはなかった。ランダールが大統領へ報告する場合、通常はアレン・ダレスCIA長官やジョン・フォスター・ダレス国務長官が同席したようで、両者も調査の続行を要求しなかった可能性が高い。 核兵器の開発には重水が必要だったのだが、この重水をイスラエルはノルウェーからイギリス経由で秘密裏に入手する。その取り引きについてノルウェーのアメリカ大使館で筆頭書記官だったリチャード・ケリーは1959年の段階で国務省へ報告している。この書記官はアメリカの国務長官を務めているジョン・ケリーの父親だ。 1960年3月には西ドイツのコンラッド・アデナウアー首相がニューヨークでダビッド・ベングリオン首相と会談、核兵器を開発するため、1961年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することになった。この会談をアメリカ側が知らなかったとは思えない。 アデナウアーとベングリオンが会談する前月、1960年2月にイスラエルの科学者はサハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加した。その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有している。1963年にはイスラエルとフランス、共同の核実験が南西太平洋、ニュー・カレドニア島沖で実施された。
2015.04.16
テレビ朝日の番組「報道ステーション」に準レギュラーのコメンテーターとして元経産官僚の古賀茂明が出演していたらしい。その古賀が3月いっぱいで番組を降板することになり、3月27日の放送中、「テレビ朝日の早河会長、古舘プロジェクトの佐藤会長の意向で、私は今日が最後です」と発言、その直後にメイン・キャスターの古舘伊知郎と口論になって話題になったようだが、問題はそうした事態が生じた理由。安倍晋三政権からの圧力のためだというのだ。 安倍首相は14年前にも番組の内容を変えさせるためにマスコミへ圧力をかけたとして話題になっている。2001年1月30日にNHKはETV特集「問われる戦時性暴力」を放送したのだが、その内容が政治的な圧力で改変されたとされているのだ。その当事者のひとりが安倍だった。 2007年1月に東京高裁が出した判決によると、松尾武放送総局長や野島直樹国会担当局長が国会議員などと接触、「その際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされた」ため、「松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受けとめ、その意図を忖度(そんたく)してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。」 松尾総局長と野島局長を呼び出したのは中川昭一や安倍で、「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたと伝えられている。そうした会談を受け、松尾、野島、そして伊東律子番組制作局長が参加して「局長試写」が行われる。 当初、安倍やNHKは報道内容を全面否定、それに対し、取材に協力した「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」は、その改変を問題にして損害賠償を求める裁判を起こす。結局、最高裁第一小法廷は「報道の自律性」を尊重、「番組内容への期待や信頼は、原則として法的保護の対象とならない」と判断し、東京高裁の判決を破棄したのだが、高裁の事実認定を否定していない。政治家の「意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にする」ことも「報道の自律性」に含まれるというわけだ。 事実上、最高裁が言うところの「報道の自律性」が認められているのは編集や経営の幹部にすぎないわけだが、現在、そのNHKの経営幹部は安倍の傀儡ばかりになっている。そうしたひとり、籾井勝人がNHK会長に就任する際、記者会見で「従軍慰安婦」は「どこの国にもあったこと。」と口にしている。 記者から「慰安婦は戦争していた国すべてにいた、というふうに取れるが」と言われ、新会長は「韓国だけにあったことだとお思いですか。」と聞き返し、「戦争地域ってことですよ。どこでもあったと思いますね、僕は。」「行って調べてごらんなさいよ。あったはずですよ。あったんですよ、現実的に。ないという証拠もないでしょう。」少し後で、再び「僕は、なかったという証拠はどこにあったのか聞きたいですよ。」と繰り返している。 まず自分の発言に関する調査の責任を相手に押しつけ、「あったはず」という推測から「あった」という断定に変わり、「ないという証拠もないでしょう」と一気にトーンダウンする。口から出任せ。何か違反なり犯罪なりの容疑で捕まった人物が別の次の人物を指し、「あいつが悪いことをしていない証拠を出せ」と居直っているようだ。 「ドイツにありませんでしたか、フランスにありませんでしたか?そんなことないでしょう。ヨーロッパはどこだってあったでしょう。じゃあ、オランダに今ごろまでまだ飾り窓があるんですか?」とも言っているが、オランダの「飾り窓」は「従軍慰安婦」とまったく別の話。 安倍首相はマスコミをなめきっているが、マスコミ側にもなめられても仕方のない歴史がある。戦前戦中には戦意高揚のプロパガンダを展開、敗戦後、その責任を問われず、自分たちで責任をとろうとしなかった。戦前戦中の体質を戦後も持ち続けたということだ。 そのひとつの結果が1960年6月17日に東京の7新聞社、つまり朝日新聞、産業経済新聞、東京新聞、東京タイムズ、日本経済新聞、毎日新聞、そして読売新聞が掲載した宣言。「6月15日夜の国会内外における流血事件は、その事のよってきたるゆえんを別として、議会主義を危機に陥れる痛恨時であった。」ではじまるのだが、安保改定を政府と与党が強行採決、それに抗議するデモ隊を警察が暴力で鎮圧し、ひとりの死者と多くの負傷者を出したことには言及していない。 1960年1月に岸信介首相は日米安全保障条約の改定でアメリカ側と合意、5月19日に自民党は国会へ警官隊を導入、会期延長を単独採決した直後、20日未明に新安保条約を強行採決している。それを受け、20日には約10万人のデモ隊が国会を取り巻き、6月4日には全国で460万人が参加したというストライキが実行されたわけだ。言うまでもなく、岸は安倍の祖父にあたる。 そうした事態を見た岸首相は6月7日にマスコミの幹部を官邸に呼びつけている。読売新聞の正力松太郎社主、産経新聞の水野成夫社長、NHKの前田義徳専務理事、毎日新聞の本田親男会長、東京新聞の福田恭助社長をそれぞれ個別に官邸へ呼び、その翌日には共同通信、時事通信、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞、日経新聞、さらに民放の代表を招き、9日には朝日新聞の代表にも協力を要請している。駐日大使のダグラス・マッカーサー2世も7日に各新聞社の編集局長を呼んで「懇談」したという。そして17日の宣言につながる。 支配層がマスコミへの影響力を強める節目になった事件として「沖縄返還」をめぐる密約の問題も忘れてはならない。返還にともなう復元費用400万ドルはアメリカが自発的に払うことになっていたが、実際には日本が肩代わりするという密約の存在を毎日新聞の記者だった西山太吉がつかみ、その事実が議員から漏れ、問題になった出来事だ。その後、この報道を裏付ける文書がアメリカの公文書館で発見され、返還交渉を外務省アメリカ局長として担当した吉野文六も密約の存在を認めている。 西山は密約に関する情報を外務省の女性事務官から入手していたのだが、マスコミは密約の内容よりも西山と女性事務官との関係に報道の焦点をあて、「ひそかに情を通じ」て情報を手に入れたとして西山を激しく攻撃する。 1974年1月の一審判決で西山は無罪、事務官は有罪になるのだが、2月から事務官夫妻は週刊誌やテレビへ登場し、「反西山」の立場から人びとの心情へ訴え始めた。このキャンペーンにマスコミも協力、こうしたキャンペーンが毎日新聞の経営にダメージを与え、倒産の一因になった可能性があるのだが、これは偶然でないと見る人もいる。密約を知らせた事務官が自衛隊の情報将校とつながっていたと言われているからだ。 1987年にもマスコミを脅す事件が引き起こされた。5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃されたのである。散弾銃を持ち、目出し帽を被った人物が侵入、小尻知博が射殺され、犬飼兵衛記者は重傷を負った。これで日本のマスコミが萎縮したことは間違いない。このころから日本でもマスコミは急速にプロパガンダ色を強めていく。 古賀が「報道ステーション」を降板させられた直接のきっかけは、1月23日の放送されたIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)の人質事件に関する報道だったとされている。本ブログでは何度も書いているように、ISはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが作り上げたモンスター。人質事件自体、そうした黒幕国の意思で行われた可能性が高い。 番組の中で古賀は安倍首相の外交姿勢を批判、「I am not ABE”」というプラカードを掲げたという。古賀の主張によると、これで官邸が激怒し、古賀降板、チーフプロデューサーと恵村順一郎朝日新聞論説委員の交代という形になったわけだ。 しかし、日本のマスコミはとうの昔に死んでいる。今はゾンビ状態。ジャーナリストのむのたけじは1991年に「ジャーナリズムはとうにくたばった」と「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭で語ったという(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)が、その後、状況はますます悪くなっている。だからこそ、今回のようなことが起こるとも言える。
2015.04.16
ロシアはイランに対する長距離地対空ミサイルS-300(NATO名はSA-10)の禁輸措置を解除するという。4月2日にイランの核開発問題について、ロシア、中国、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカがイランと「枠組み」で合意したことによる決定だという。 S-300は1979年から実戦配備されている防空システムで、そのレーダーは同時に100の目標を追跡できると言われている。アメリカは防衛のためだとしてロシアや中国の周囲に地対空ミサイルを張り巡らせているが、ロシアのイランへの売却にはイスラエルと同様、反発している。 イランと交渉していたバラク・オバマ大統領をネオコン/シオニストやイスラエルは激しく批判、イラン攻撃を主張している。合意が発表される直前、アメリカのアシュトン・カーター国防長官はバラク・オバマ大統領を牽制するような発言をしている。合意が成立してもイランを攻撃する選択肢を制限しないと語ったのだ。イランの壊滅を狙うサウジアラビアもイラン攻撃を主張している。 アメリカの議会で主導権を握っているのはこうした好戦的な勢力で、そのひとりであるジョン・ベイナー下院議長はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相を大統領に相談せずに招待し、議会で大統領やイランを攻撃する演説をさせている。 こうした好戦派は今でもイランを攻撃するつもりで、タイムズ・オブ・イスラエル紙によると、イランを攻撃するイスラエルの戦闘機の自国領通過をサウジアラビアは受け入れているという。その戦闘機にとってS-300は大きな脅威になる。つまり、ロシアはイスラエルやネオコンによるイラン攻撃にブレーキをかけるため、S-300の禁輸措置を解除したわけだ。 ネオコン、イスラエル、サウジアラビアがイランの前に取りかかったのがイエメン。空爆で破壊と殺戮を繰り広げる一方、政府の食糧倉庫を破壊、国連の許可を得て4万7000トンの小麦を積んでいた輸送船の入港を阻止するなど、例によって兵糧攻めをしている。 イエメンが狙われている理由は資源だけでなく、その位置にある。アラビア海から地中海へ抜けようとする場合、アラビア海からアデン湾へ入り、紅海を経由、スエズ運河を通過するのが通常のコースだが、スエズ運河と同じように、アデン湾と紅海の境目にあるのがバブ・エル・マンデブ海峡はネックになっている。非常に狭いため、容易に封鎖でき、石油など物資の輸送を止めることができる。 そのバブ・エル・マンデブ海峡はジブチとイエメンにはさまれている。ジブチは小さい国だが、アメリカ軍の拠点で、JCTF(統合連合機動部隊)約1800名が駐留、無人機の基地もあり、偵察だけでなく攻撃も実行されている。この国は海峡を守るために作られたとも言えるだろう。この国には自衛隊の拠点基地が約47億円をかけて建設されている。 イエメンを支配するため、サウジアラビアは2009年に特殊部隊や空軍を派遣してフーシ派を倒そうとしたのだが、目論見通りには進まない。このフーシ派は部族グループで、シーア派。イエメンのシーア派はザイド派で、人口の約40%を占め、シーア派の中ではスンニ派に近く、イランとの関係は深くない。 アメリカやサウジアラビアはこうした構造を破壊するため、傭兵であるアル・カイダ系の武装集団を投入したものの、フーシ派は勢力を拡大、サウジアラビアは大々的な空爆をする必要に迫られたということのようだ。 そのサウジアラビアはスンニ派のワッハーブ派。この宗派が登場した18世紀以来、イブン・サウドの一族と密接な関係を維持している。アル・カイダ系の武装集団に参加している戦闘員の多くはワッハーブ派だ。 イエメンがどうなるかはともかく、ネオコン、イスラエル、サウジアラビアはイランを軍事的に葬り去ろうとしている。中東/北アフリカに対する政策でオバマ大統領はネオコンと対立しているようだが、ウクライナでは差が見られない。軍事力を前面に出し、場合によってはロシアとの戦争も辞さないという姿勢だ。イランに対してオバマ大統領の周辺とネオコンが手を組む事態もありえる。そうなれば戦争だが、その前にS-300が立ちふさがることになる。
2015.04.15
関西電力高浜原発の3号機と4号機の再稼働を禁じる仮処分決定を福井地裁が出したという。原発再稼働の可否を決める新規制基準が「穏やかにすぎ、合理性に欠く」ことは広く知られていることだが、その常識に基づく決定を裁判所が出したことに少なからぬ人が驚いている。それが日本の現状。この決定が出る前、外国で東電福島第一原発の現状に関する厳しい内容の報道が出ていたが、そういうことを隠しきれなくなったのか、何らかの深刻な事態が判明した、あるいは生じたと考えるのはうがちすぎだろうか? 例えば、イギリスのタイムズ紙が福島第一原発に関し、廃炉まで200年はかかるという話を伝えていた。その中で2051年までに廃炉させることは、飛躍的な技術の進歩がない限り、不可能かもしれないという同発電所の小野明所長のコメントを紹介している。勿論、台風や地震などで原発が倒壊しなければ、の話だが。 また、東電は放射能レベルに関する全てのデータを公表する意向を示しはじめたというが、事故直後から政府や東電は情報を隠し、嘘をつき、そうした偽情報をマスコミは垂れ流し、その一方で事実に迫ろうとする人びとは攻撃されてきた。特定秘密保護法も情報の隠蔽に利用されているだろうが、それでも隠しきれない事態になっている可能性がある。 日本は「商業用原発」を運転しているだけでなく、核兵器の開発も続けてきたと見る人は世界的に少なくない。原発を中心とした巨大な利権構造が日本の核政策を推進させる大きな要因であることは事実だが、それだけで動いているわけではなく、核兵器の開発を抜きに語ることはできない。 日本が最初の核兵器の開発を行ったのは1940年代の前半、第2次世界大戦で敗れるまでのこと。理化学研究所の仁科芳雄を中心とする「ニ号研究」には東京帝大、大阪帝大、東北帝大の研究者が集まり、海軍は京都帝大と「F研究」を進めていた。 最初の開発計画が終了した20年後、1965年1月に佐藤栄作首相はアメリカを訪問してリンドン・ジョンソン大統領に会い、アメリカが核攻撃に対する日本の安全を保障しないなら、日本は核兵器システムを開発すると伝えたとされている。 この日米首脳会談でジョンソンは佐藤に対して思いとどまるように説得したというが、核兵器開発は動き始める。1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立され、69年になると政府内で核武装を本格的に話し合い、西ドイツ政府と秘密協議をしている。西ドイツとの協議に参加した日本側のメンバーは、外務省の鈴木孝国際資材部長、岡崎久彦分析課長、村田良平調査課長だった。 このとき、西ドイツは日本に同調しなかったというが、その一方で1961年からイスラエルの核兵器開発に必要な資金の一部を提供しているとする情報がある。1960年3月に西ドイツのコンラッド・アデナウアー首相がニューヨークでダビッド・ベングリオン首相と会談したところから始まる。そこで、核開発のため、10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することになったという。 しかし、イスラエルの核兵器開発で最大の資金提供者はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドだとされている。その祖父にあたるエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドは1882年にユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供した人物。もっとも、大半のユダヤ教徒は住み慣れた土地を離れてパレスチナへ移住する意思はなく、この移住計画はロスチャイルド側の事情から出た話だろう。 イスラエルの核兵器開発をフランスが支援していたことも広く知られているが、その背後にはフランス在住のエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドがいたということ。西側の場合、表の権力者と真の支配者は一致しない。 1956年にシモン・ペレスがフランスでシャルル・ド・ゴールと会談、フランスは24メガワットの原子炉を提供している。イスラエルの科学者は1960年2月、サハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加、その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有している。西ドイツが資金を提供し始めた頃だ。1963年にはイスラエルとフランス、共同の核実験が南西太平洋、ニュー・カレドニア島沖で実施された。 日本における核武装に関する調査は内閣調査室の主幹だった志垣民郎を中心にして行われ、調査項目には核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などが含まれていた。技術的には容易に実現できるという結論に達している。日本原子力発電所の東海発電所でプルトニウムを生産することになる。志垣らの調査では、高純度のプルトニウムを1年に100キログラム余りは作れると見積もっていた。 また、1969年から71年まで海上自衛隊幕僚長を務めた内田一臣は毎日新聞の取材に対し、「日本の防衛のために核兵器がぜひ必要だと思って、それなりの研究も(個人的に)していた」と語ったという。 その後、ジミー・カーター政権(1977年から81年)は日本の核兵器開発にブレーキをかけたが、ロナルド・レーガンが大統領になると状況は一変して協力し始める。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、アメリカで核兵器用のプルトニウムを量産してきたサバンナ・リバー・サイトにあるプルトニウム分離装置からプルトニウムをアルゴンヌ国立研究所経由で日本にあるRETF(リサイクル機器試験施設)へ送られたという。このRETFはプルトニウムを分離/抽出するための特殊再処理工場だ。 また、1971年から81年までSIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の所長だったフランク・バーナビーは、イギリスのセラフィールドで生産され、日本へ輸送されたプルトニウムは核兵器レベルの高純度だと語っているようだ。この話が正確なら、イギリスはアメリカと同様、日本の核武装に協力していることになる。 アメリカのバラク・オバマ政権はウクライナに対する軍事支援では一致しているが、中東/北アフリカの政策では対立が生じているようだ。日本の核兵器問題に対しても、アメリカ支配層には推進派だけでなく、懸念する声はある。CIAなど情報機関にもそうしたグループは存在、監視を続けてきた。福島第一原発の事故後、日本政府が外部の人による調査を強く拒み、協力を拒否したことに疑惑の目を向ける人が少なくなかったのは、そうした事情があるからだ。日本の核兵器開発に批判的な人の声が強まると、日本の核政策も変更せざるをえなくなるだろう。
2015.04.15
沖縄県名護市辺野古への新基地建設をめぐる政府と県との対立を引き起こしている原因は、言うまでもなく、日米安保にある。1951年9月8日午後5時、アメリカの第6兵団が基地として使っていたプレシディオで調印された軍事条約だ。その1週間前、同じ場所でアメリカはオーストラリアとニュージーランドとの間でANZUS条約を結んでいる。このふたつの軍事条約は誕生の時点から密接に関係していると言えるだろう。 その6年前、日本はアメリカに降伏したのだが、その時、すでに反ファシズムの看板を掲げていたフランクリン・ルーズベルトはいない。1945年4月12日に執務室で急死、政府の主導権は1933年に反ルーズベルトのクーデターを計画した巨大資本が握っていた。関東大震災が起こった1923年から日本に大きな影響力を及ぼし、戦後はジャパンロビーというグループを編成して日本を「右旋回」、つまり「戦前回帰」させた勢力。「戦前回帰」ということは、天皇制を維持するということでもある。 敗戦によって日本の支配システムは揺らぎ、労働運動が活発化、民主化を求める声も高まり、民主的な内容の憲法草案が提案され始めた。しかも、連合国の内部で天皇や皇室の戦争責任を問う声が高まることは必至であり、急いで「民主的」な体裁の憲法を制定し、戦争責任を問うたという形を作る必要があった。 そこで日本国憲法の制定を急ぎ、極東国際軍事裁判(東京裁判)によって戦争責任の追及は幕引きになる。憲法の公布は1946年11月、裁判の判決は48年11月のこと。この憲法は「象徴」という名目で天皇制を維持、裁判で皇室の責任は問われなかった。 1947年に実施された参議院選挙と衆議院選挙で社会党が第1党になり、6月には同党の片山哲を首相とする政権が誕生するが、そうした雰囲気の中、昭和天皇はダグラス・マッカーサーと会見し、新憲法の第9条に対する不安を口にしたとされている。自分の戦争責任を問う勢力が存在していると恐怖していたようだ。その内容の一部を通訳の奥村勝蔵は記者へリーク、APの報道につながった。マッカーサーは天皇に対し、アメリカが日本の防衛を引き受けると保証したというのだ。 ところが、奥村が隠した会談の後半でマッカーサーは違うことを述べていた。「日本としては如何なる軍備を持ってもそれでは安全保障を図ることは出来ないのである。日本を守る最も良い武器は心理的なものであって、それは即ち平和に対する世界の輿論である」と主張していたのだ。(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫、2008年) 大戦が終わると、アメリカは中国の制圧に乗り出す。その手先として選ばれたのが国民党だった。1946年夏の段階で国民党軍の総兵力は430万人、それに対して紅軍(コミュニスト軍)は120万人。アメリカは国民党に対して120億ドルを援助、最新の装備を提供し、軍事顧問団も派遣していた。 国民党の勝利は時間の問題だと推測する人は少なくなかったが、1947年夏になると農民の支持を背景にしてコミュニストが反攻を開始した。軍の名称も紅軍から人民解放軍に変更、兵力は280万人に増えた。その時の国民党軍は365万人。1948年の後半になると人民解放軍が国民党軍を圧倒、49年1月には北京へ無血入城し、10月には中華人民共和国が成立する。 大戦中、アメリカはイギリスと共同で破壊工作部隊「ジェドバラ」を編成、その人脈で1948年には極秘機関OPC(当初の名称は特別プロジェクト局)が組織され、東アジアの拠点は上海に置かれていた。その上海は1949年5月に人民解放軍が制圧、OPCは拠点を日本へ移した。その中心だったのはアメリカ海軍の厚木基地。 この頃、日本では「怪事件」が続発していた。1948年10月には「帝銀事件」、49年7月には「下山事件」と「三鷹事件」、8月には「松川事件」だ。政府やマスコミは国鉄を舞台にした3事件を共産党の仕業だと宣伝、その党員が起訴された。後に被告は無罪になるが、労働組合や左翼勢力は致命的なダメージを受けている。 1952年6月には大分県直入郡の菅生村(現在の竹田市菅生)の巡査駐在所で爆破事件があり、これも当初は共産党員の犯行だとされた。ところが、後に警察の警備課に所属する戸高公徳が仕組んだということが発覚、戸高は身を隠すのだが、戸高を匿っていたのは警察だった。その後、戸高は警視長まで出世している。ノンキャリアでは異例のことだ。 1960年代から80年頃にかけてイタリアで「NATOの秘密部隊」、グラディオが「極左グループ」を装って爆弾攻撃を繰り返し実行し、左翼勢力を弱体化させ、治安システムを強化することに成功している。その黒幕はOPC人脈で編成されたCIAの計画局(後に作戦局へ名称変更、現在はNCS/国家秘密局)。イタリアの爆弾攻撃は「緊張戦略」と呼ばれているが、似たことが日本で先に行われていた可能性が高い。 OPCを生み出したジェドバラは1944年夏、アメリカとイギリスの情報機関によって編成されたのだが、1943年2月にソ連へ攻め込んでいたドイツ軍は全滅、ソ連軍が反撃を始め、西に向かって進撃していた。 1941年6月にドイツ軍が「バルバロッサ作戦」を開始、ソ連領内に攻め込んだときには傍観していた米英だが、ドイツ軍が敗走するのを見て1943年7月にシチリア島へ上陸、9月にはイタリア本土を制圧、イタリアは無条件降伏していた。そして1944年6月に実行されたのがノルマンディー上陸作戦。この時点でのジェドバラ編成である。 1945年5月7日にドイツは連合国に降伏するが、その直後、イギリスのウィンストン・チャーチル首相はJPS(合同作戦本部)にソ連を攻撃するための作戦を立案するように命令。そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」で、7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦を実行する上で最大の障害になったであろうアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は4月12日に執務室で急死していたが、イギリスの参謀本部が反対、実現していない。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など) 7月26日にチャーチルは退陣するが、翌1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説した。ソ連との「熱戦」を始めることに失敗したチャーチルが「冷戦」の幕開けを告げたと言えるだろう。 ルーズベルトの急死でアメリカ側の状況は大きく変化していた。副大統領から昇格したハリー・トルーマンはドイツとソ連が戦っている最中、「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と提案している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 安保条約が結ばれる前年、1950年6月にジョン・フォスター・ダレスは吉田茂と会談、吉田は「日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」をアメリカへ与えることに消極的な姿勢を見せ、7月に開かれた参議院外務委員会で「軍事基地は貸したくないと考えております」とした上、「単独講和の餌に軍事基地を提供したいというようなことは、事実毛頭ございません」とも発言した。 ところが、この年の4月に大蔵大臣の池田勇人は吉田の発言と矛盾する内容のメッセージを携えてアメリカを訪問している。その時に同行したのが秘書官だった宮沢喜一だ。そのメッセージには、アメリカ軍を駐留させるために「日本側からそれをオファするような持ち出し方を研究」してもかまわないという内容が含まれていた。(豊下楢彦『安保条約の成立』岩波新書、1996年) その後の吉田発言とは矛盾しているが、その謎を解くカギは、池田が訪米する1週間前に行われた天皇とマッカーサーとの会談にあるとする見方がある。この会談では「講和問題と日本の安全保障問題」が議論のテーマで、それまでの流れからすると、関西学院大学の豊下楢彦教授が言うように、天皇とマッカーサー「の見解が対立ないし平行線をたどったであろう」ということになる。(前掲書) 池田訪米の2カ月後、6月22日にダレスは東京のコンプトン・パケナム邸で開かれた夕食会に出席している。パケナムはニューズウィークの東京支局長で、イギリスの貴族階級出身ということから日本の宮中に太いパイプを持っていたという。この点、ジョセフ・グルーと似ている。ダレスとパケナムのほか、ハリー・カーン外信部長、国務省東北アジア課ジョン・アリソン課長、大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三が出席した。日本側の出席者は天皇と関係が深い。 こうしてみると、日米安保/日米同盟は昭和天皇を抜きに語ることはできない。アメリカにとって日米安保は中国を見据えたものであり、天皇は自分自身の「防衛」を考えていたと考えなければならない。昭和天皇の役割を見て見ぬ振りをするから複雑に見えるだけだ。 また、「冷戦の仮想的はソ連」だから北海道にアメリカ軍基地がないのはおかしい、という発想もおかしい。敗戦直後、ソ連に周辺国を侵略する能力がないことはアメリカも熟知していた。だからこそ、先制核攻撃を計画したのだ。北海道にソ連が攻め込むなどアメリカは考えていなかったはず。北海道からソ連を攻めるメリットも考えていなかっただろう。本ブログでは何度も書いたことだが、朝鮮戦争やベトナム戦争も中国を見据えての戦争だと考えなければ辻褄が合わない。19世紀のアヘン戦争以来、アングロ・サクソンにとって中国は略奪のターゲット。だからこそ沖縄だった。
2015.04.14
アメリカのバラク・オバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長が4月11日にパナマで会談したというが、アメリカの支配層がキューバと本当に「国交正常化」を望んでいるとは考え難く、旧ソ連圏で実行されたように、キューバ革命以来、54年に渡ってアメリカでさまざまな訓練を受けた亡命キューバ人がキューバへ戻り、政権転覆工作を始めると見る人も少なくない。 アメリカの好戦派は中東/北アフリカやウクライナで戦乱を広げているが、その先には全面核戦争が見えている。そうした際、アメリカの喉元にあるキューバから報復攻撃を受けるような事態は避けたいだろう。軍事的な制圧には失敗した過去があるが、今回は「カスピ海の春」で潰そうと目論んでいるかもしれない。 この首脳会談にアメリカ側からフェリックス・ロドリゲスが参加していることもアメリカ側の不誠実な態度を示している。キューバ革命の英雄、エルネスト・チェ・ゲバラをボリビアで殺したCIAの「元オフィサー」で、ジョージ・H・W・ブッシュと親しい。このブッシュはジェラルド・フォード政権でCIA長官を務めているが、そのはるか前、エール大学時代にCIAからリクルートされていたと信じられている。こうしたアメリカ側の姿勢をゲバラの娘が批判するのは当然だろう。向かって左側、最も手前の人物がフェリックス・ロドリゲス。1963年1月に撮影されたCIAで秘密工作を担当していたグループの写真と言われている。 ロドリゲスはベトナム戦争でCIA/特殊部隊が実行した住民皆殺し作戦「フェニックス・プログラム」に参加、ニカラグアの革命政権に対する秘密工作でも中心的な役割を果たしているが、その際に手下として使っていたルイス・ポサダ・カリレスは1961年4月のキューバ侵攻作戦に参加したひとり。アメリカで1964年から68年にかけてアメリカで軍事訓練を受け、その直後にベネズエラへ移住、1976年10月にキューバの旅客機、CU-455便をバルバドス沖で破壊する工作に参加、同機に乗っていた73名を殺している。 この「テロ行為」でポサダはベネズエラで起訴されるが、1985年に脱獄、その直後にロドリゲスと会っている。逮捕された際、ポサダはアメリカの首都ワシントンDCの地図を持っていて、そこには1976年9月に暗殺されたチリの元外相、オルランド・レテリエルが日常、どこを移動しているかが示されていた。 この暗殺はアメリカの好戦派に動かされていた南アメリカの軍事政権が作っていた秘密工作ネットワーク「コンドル」の作戦。レテリエルを暗殺する計画をCIAが事前に知らなかったとは思えないが、当時のCIA長官はブッシュ・シニアだ。 その後、ポサダは1994年にはキューバのフィデル・カストロの暗殺を企て、94年と95年にホンジュラスで十数回の爆弾事件を起こし、97年にはキューバのホテルやレストランなど11カ所を爆破している。 2000年11月にポサダはパナマで逮捕され、2004年4月に8年から9年の懲役が言い渡されたのだが、その4カ月後に特赦で釈放される。翌年の3月にはメキシコ経由でアメリカへ不法入国して「亡命」を求め、その願いは叶えられた。アメリカ政府は脱獄犯を保護、その脱獄犯は「テロリスト」だとされている。 もっとも、1960年代から80年頃にかけてイタリアで「NATOの秘密部隊」、グラディオが実行した爆弾攻撃に加わっていた容疑で起訴されていた人物を日本政府は亡命させ、その事実を伝えたマスコミに対し、東京地裁の和田剛久判事は2000年6月に合計300万円の支払いを命じている。 今回、オバマとあったラウルの兄、フィデル・カストロはゲバラと並ぶ革命の英雄。この人物がアメリカとの関係に関する書簡を今年1月に発表している。敵を含む全世界の人と友好的な関係を結ぶべきだとしたうえで、アメリカの政策は信用できないとしている。確かに、アメリカの支配層が信用できないことは歴史が証明している。
2015.04.14
来年のアメリカ大統領選挙に出馬するとヒラリー・クリントン陣営が発表した。巨大軍需企業のロッキード・マーチンから多額の資金を得ていることで知られ、NATO軍とペルシャ湾岸産油国の雇った戦闘集団がリビアのムアンマル・アル・カダフィを惨殺した際、「来た、見た、死んだ」とCBSのインタビューの中で口にし、話題になったこともある。当時は国務長官だった。CBSニュースがYouTubeにアップロードした映像は現在、日本では見られないが、それをコピーした映像は流れている。どう考えても戦争好き。カダフィ惨殺を知らされ、「来た、見た、死んだ」と言って笑顔を見せるヒラリー・クリントン 北アフリカや中東では2011年から体制転覆を目指す動きが活発になり、リビアやシリアでは激しい戦闘が始まった。その背後にNATO諸国やペルシャ湾岸産油国がいることは有名な話で、アル・カイダ系の武装集団を操っているのはそうした国々。例えば、2011年2月から国内で戦闘が始まったリビアでNATOの支援を受けた政府軍と戦ったLIFGもアル・カイダ系の武装集団として知られている。このLIFGの幹部は現在、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)というタグをつけた集団を率いている。 言うまでもなく、ヒラリーが結婚したビル・クリントンは1993年1月から2001年1月まで大統領だった人物。その前の共和党政権ではネオコン/シオニストが大きな影響力を持ち、1991年にはポール・ウォルフォウィッツ国防次官がシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官の話。1992年にウォルフォウィッツたちはDPG(国防計画指針)の草案を作成、その中で世界制覇のプランを示している。 クリントン政権の時代にネオコンは外部で活発に動いている。例えば、1996年にはベンヤミン・ネタニヤフへの提言という形で「決別:王国保全のための新戦略」を作成している。その中でもサダム・フセインをイラクから排除して親イスラエルの体制の国に作り替えるべきだと主張している。ヨルダンからトルコへいたる親イスラエル国帯を作ってシリアをイランを分断、不安定化させて国力を衰退させるのだという。さらに、パレスチナ人の権利を制限し、その居住地全域に対するイスラエルの軍事侵攻を支持、アメリカから経済的に独立するべきだともしている。 ネオコンを含むアメリカの好戦派は「アーカンソー・プロジェクト」と呼ばれたクリントン大統領に対する攻撃も始めた。その最大のスポンサーがメロン財閥のリチャード・メロン・スケイフ。情報機関とも密接な関係にあることで知られている。 まず問題にされたのは「ホワイトウォーター疑惑」で、特別検察官としてケネス・スターが任命されるのだが、この人物は「フェデラリスト・ソサエティー」という法律家集団に属していた。議会に宣戦布告の権限があるとする憲法や1973年の戦争権限法はアナクロニズムだと主張、プライバシー権などを制限、拡大してきた市民権を元に戻し、企業に対する政府の規制を緩和させることを目指していた。ある国が自分たちにとって脅威になりそうだと判断したならば先制攻撃できるともしているのだが、他国がアメリカを脅威だと判断して攻撃することは許さない。 その後、スターの切り札的な証人とされた人物は偽証していたことが判明、検察側の偽証工作も発覚してしまった。元アーカンソー州職員、ポーラ・ジョーンズに対するクリントン大統領のセクシャル・ハラスメント疑惑もでっち上げの可能性が高まる中、1998年に浮上したモニカ・ルウィンスキーとのスキャンダルで検察側は何とか形を作った。 こうしたスキャンダル攻勢の結果、クリントン夫妻は弁護士費用など多額の経費が必要になり、経済的に破綻するのではないかとも言われたが、実際は膨大な資産を持っているようだ。そうしたカネの出所のひとつが戦争ビジネスなのだろう。ネオコンと対立していたことは事実だろうが、戦争には反対していない。 ヒラリーは学生時代から「左翼」、あるいは「リベラル」だったという話も流れているが、実際は怪しい。1960年の大統領選で13歳のヒラリーはジョン・F・ケネディではなくリチャード・ニクソンを支持。 ケネディが暗殺された翌年の選挙ではバリー・ゴールドウォーターを支援したのだが、この時、ジョージ・H・W・ブッシュとジョージ・W・ブッシュもゴールドウォーターを支持していた。ヒラリー自身はマーチン・ルーサー・キング牧師やロバート・ケネディの暗殺にショックを受けて宗旨替えしたかのように言っているが、その後に共和党大会に参加したとされている。ヒラリーが「左」へ向かったとするならば、それは子どもの問題に取り組んでいたマリアン・エデルマンと会ってからだという。それでも戦争好きは変わらない。 アメリカには現在、大統領候補として非支配層から支持されている女性がいる。上院議員のエリザベス・ウォーレンだ。議員になる前はハーバード大学の教授で、巨大金融資本を厳しく批判してきた。現在、最もウォール街から嫌われている上院議員だと言われている。共和党のジョン・ボーナー下院議長の招待を受け、アメリカ議会でベンヤミン・ネタニヤフが演説した際、ウォーレンも欠席したひとりだ。日本では注目されていないようだが、その理由もそこにあるのだろう。
2015.04.13
アメリカは孤立の度合いを強めている。そうした状況を認識しているのか、コンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューの中で、控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいないと語っている。それを「唯一の超大国」と考えているのがネオコン/シオニストをはじめとする好戦派。その好戦派に従属することで自分たちが特別な存在になろうとしているのが日本の「エリート」だ。 つまり、そうした日本の「エリート」にとってアメリカの好戦派は権力の源泉。日本がアメリカから離反するような事態になると、自分たちはカネと名誉を失うことになる。そこでアメリカが自由と民主主義の国であるかのように宣伝する一方、「アメリカに従属しないと酷い目に遭う」と庶民を洗脳してきた。そうしたことを信じているのか、信じた振りをしているのかは不明だが、その結果として「嫌中派」や「嫌露派」も生まれた。 そうしたことを信じさせるために使われてきたひとつの逸話が真珠湾攻撃。1941年12月7日午前7時48分(現地時間)にハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃したのだが、当時の生産力や資源量などを比較するとアメリカは日本を圧倒、戦争は無謀だったという話。ところがその前のアジア侵略について触れられないことが圧倒的に多い。真珠湾を攻撃しなければ良かったということだけなら、アジア侵略を肯定することになる。 本ブログでは何度も書いてきたことだが、近代における日本のアジア侵略は1872年の「琉球処分」に始まる。この年の5月から6月にかけて「明治政府」は琉球王国を潰すことを勝手に決めて琉球藩をでっち上げたのだが、この決定は奇妙。1871年7月に新政府は廃藩置県を実施しているのだ。順番がおかしい。最初から琉球の併合を目論んでいたなら藩制度を廃止する前に琉球藩を作っていただろう。 その不自然な決定は廃藩置県の3カ月後に起こった事件が原因だった可能性が高い。宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、その際に54名が殺されたという出来事だ。これを口実にして日本は台湾へ派兵するのだが、それを正当化するために琉球王国を日本へ併合したということだろう。 実は、1872年に興味深い人物が日本へ来ている。フランス系アメリカ人で厦門の領事を務めていたチャールズ・リ・ジェンダーだ。外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を進め、それ以降、75年まで外務省の顧問を務めている。リ・ジェンダーの意見を受け入れたのか、日本は1874年に台湾へ派兵したわけだ。 その翌年、1875年に日本政府は朝鮮半島で軍事的な挑発を行う。李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣したのだ。日本は朝鮮を屈服させることに成功、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させている。この交渉にル・ジェンダーも陪席していたという。 1875年にリ・ジェンダーは外務省の顧問を辞めるが、その後も日本に滞在、離日したのは1890年。それから1899年まで李氏朝鮮の王、高宗の顧問を務めた。 当時、朝鮮では高宗の父にあたる興宣大院君が高宗の妻だった閔妃と対立していたが、主導権を握っていたのは閔妃の一族。その閔氏の体制を揺るがせたのが1894年に始まった甲午農民戦争(東学党の乱)。その内乱を利用、「邦人保護」を口実にして日本政府は軍隊を派遣した。その一方で朝鮮政府が清(中国)に軍隊の派遣を要請、日清戦争につながった。 この戦争に勝利した日本は大陸侵略の第一歩を記すことになるが、その一方で閔妃のロシア接近を懸念するようになる。日本の三浦梧楼公使を中心とする日本のグループは閔妃を惨殺した。暗殺に加わった三浦公使たちは日本の裁判で無罪になるが、この判決は暗殺に日本政府が関与している印象を世界に広めることになる。 1902年に日本はイギリスと同盟関係に入り、04年には日露戦争が勃発する。その翌年にロシアで近衛兵が労働者を銃撃して多くの死傷者を出すという事件が起こる。いわゆる「血の日曜日事件」だが、これを切っ掛けにして革命運動が盛り上がり、戦争どころではなくなる。そこへ棍棒外交(つまり軍事侵略)で有名なアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領が乗り出して日本は勝利することができた。 韓国を併合した1910年、日本では「天皇暗殺」を計画したという口実で幸徳秋水など数百名の社会主義者や無政府主義者が逮捕される。そのうち26名が起訴され、24名に死刑が言い渡された。いわゆる「大逆事件」で、支配者にとって目障りな人々を一掃するために当局が仕組んだフレーム・アップだった可能性がきわめて高い。 事件の翌年、1911年に警視庁は特別高等課を設置、ここから思想取締の暴力装置、特別高等警察(特高)の歴史が始まる。1925年には悪名高き「治安維持法」が制定され、思想統制は強まった。その間、1923年に関東大震災があり、それを切っ掛けにして日本はアメリカの巨大金融機関、JPモルガンの影響下に入っている。 1927年に日本軍は山東へ軍隊を派遣、翌年に河本大作大佐を中心とするグループが張作霖を爆殺、1931年になると板垣征四郎大佐と石原莞爾中佐らが満鉄の線路を爆破、それを中国側の仕業と主張して中国の東北地方を占領していく。この偽旗作戦は「柳条湖事件」と呼ばれている。 その後、中国での戦争は泥沼化、そして真珠湾攻撃につながった。真珠湾攻撃を議論するなら、琉球処分からの歴史を見直さなければならないが、それをせず、単にアメリカとの戦争は無謀だったと繰り返す。これは「日米同盟」を盲目的に信じろという洗脳にほかならない。 戦前から続くアメリカとの同盟、幕末から続くアングロ・サクソンとの同盟は日本のアジア侵略と密接に結びついているとしか考えられない。この同盟の描いていたシナリオを壊したのがフランクリン・ルーズベルト。1932年の大統領選挙で当選した人物で、その直後にJPモルガンなどアメリカの巨大資本が反ルーズベルトのクーデターを計画したのはそのためだろう。「日米同盟」を絶対視する人たちにとってルーズベルトは敵である。日米支配層の共通した行動原理、つまり侵略、破壊、殺戮、略奪というシナリオを狂わせたのは、そのルーズベルトだった。
2015.04.12
日経平均株価が2万円を超えたと騒いでいる人がいるらしいが、現在の相場は日銀と年金で作られている人為的なもの。日銀はETF(株価指数連動型上場投資信託)を購入し、年金は「リスクを冒し」て株式を買っている。つまり官製の相場操縦、あるいは仕手相場。その結果の相場上昇だということは世界的に有名な話で、優秀な人材を抱える日本のマスコミも熟知しているだろう。相場の下落で年金が破綻するという事態もありえる。そうなった場合、マスコミも責任を負わなければならないが、どのように責任をとるつもりなのだろうか? こうした日本側の事情を知っているからこそ、相場の上昇を見込んで外国の投資/投機家も買ってくる。「日本企業の業績改善に対する期待」など関係のない話だ。日本経済が持ち直しているなどとも考えていないだろう。彼らはそれほど愚かではない。安倍晋三政権や日銀は「狂っている」という声も聞こえてくる。 生産システムを外国へ移転させてしまったアメリカで経済が回復することは考え難く、政府が発表する数字も怪しげなものばかり。例えば、失業率の改善は低賃金で劣悪な労働環境の仕事が増え、職業を諦めて失業者にカウントされなくなった人が増加した結果だと指摘されている。一時期、富が「1%」の人びとに集中していると言われたが、これは古い表現で、今は「0.1%」と言われている。 景気が回復したという実感がないということを口にする人がいるが、庶民の立場からすると景気は回復していない。それどころか悪化している。そもそも「アベノミクス」の政策を実行すれば富を集中させることになるのは明らかだった。同志社大学の浜矩子教授は安倍政権の政策を「アホノミクス」と呼んだが、おそらく同教授は安倍首相を好意的に見ているのだろう。安倍政権は意図的に庶民を貧困化させているとしか考えられない。1990年代の後半から下がり続けていた実質賃金は安倍政権の政策で歯止めが掛からなかったどころか、悪化させている。 相場は買い注文と売る注文の綱引きで決まる。買い注文が増えれば上昇し、売り注文が増えれば下降するわけで、その原因はさまざま。経済状況も売り買いの動向を決める一因だといるだろうが、昔から「不景気の株高」ということわざもある。不景気で生産活動へ投資できない状況になれば、とりあえず手持ちの資産を相場で運用しようとする人が増えるということだ。株価の上昇と景気回復を結びつけるのは相場を知らない人の講釈か、詐欺師の嘘。先物取引が主導、コンピュータ化が進んだ現在は実体経済と相場との関係は希薄だ。
2015.04.11
アメリカ/NATOの好戦派を後ろ盾とするウクライナのキエフ政権がドネツクやルガンスク(ドンバス/ナバロシエ)に対する広範囲にわたる攻撃を始めたと伝えられている。ネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)を使ったクーデターを成功させたものの、東部や南部の軍事的な制圧や民族浄化には手間取り、戦車を含む兵器を運び込み、空挺部隊を送り込みつつあった。もう一度、アメリカ/NATOはドンバスの軍事的な制圧を試みるつもりだろう。ドイツやフランスは見くびられている。 1950年代の後半から60年代の初めにかけてアメリカの好戦派がソ連への先制核攻撃を目論んだことは本ブログで何度も書いてきたが、その時に起こったのがソ連によるキューバへの中距離ミサイル持ち込み。アメリカのICBMにソ連は中距離ミサイルで対抗するしかなかったのだが、そのためには近くにミサイル基地を建設する必要があったのだ。そのキューバとの関係を改善する意味をロシアとの核戦争という視点から考える必要もある。 今月に入り、キエフ政権はこれまで以上に情報統制を強化する動きを見せ、オデッサではブログを書いていたふたりがSBU(治安当局)に拘束され、その後の行方はわからなくなっているようだが、それだけでなくインターネット上にあった1万以上のサイトが閉鎖され、ブロックされたYouTubeのアカウントもあるようだ。特定の新聞を販売店から回収するということも行っている。キエフのアメリカ大使館はクーデターの司令部と言われているが、その大使館に約2500名のデモ隊が4月2日に押しかけたと言うが、この情報も無視されている。西側でウラジミル・プーチンを「悪魔化」する新たな連載記事を見かけたら、警戒を強める必要があるだろう。 ウクライナ、ロシア、フランス、ドイツの首脳はウクライナでの戦闘を停止するため、今年2月11日にベラルーシのミンスクに集まって協議、15日から停戦することを決めたのだが、アメリカやネオ・ナチは反対している。戦争を継続したいということだ。 そうしたネオ・ナチを率いるひとり、「右派セクター」のドミトロ・ヤロシュは4月4日、ウクライナ軍参謀総長の顧問に就任した。キエフ政権は戦争を選択したということだろう。何しろ、この政権を操っているアメリカの好戦派は軍事的な緊張を高めようと必死だ。例えば、フィリップ・ブリードラブNATO欧州連合軍最高司令官/在欧米空軍司令官やアメリカ政府がNATOへ派遣されているダグラス・ルート大使はキエフ政権への武器供給を支持、NATO事務局長のジェンス・ストルテンベルグはロシアを睨み、緊急展開部隊を1万3000名から3万名へ増強するとしている。 クーデターを実行したネオ・ナチのスポンサーはイゴール・コロモイスキーのようなシオニストが含まれ、当初からイスラエルの影も見えたが、そのイスラエルと緊密な関係にあったグルジアの元大統領、ミヘイル・サーカシビリは現在、ウクライナ大統領の顧問。保健相として入閣しているアレキサンドル・クビタシビリはグルジアで労働社会保護相を務めた人物だ。 言うまでもなく、サーカシビリは2008年8月、自国軍に命じて南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で惨敗するという醜態を演じたことがある。このとき、サーカシビリは南オセチアの分離独立派に対話を訴えた約8時間後、深夜近くにミサイル攻撃を開始している。この攻撃の背後にはアメリカとイスラエルがいた。 アメリカ政府は2002年に特殊部隊を含む約40名を派遣しているが、その前年からイスラエルの会社は武器を提供、軍事訓練を行っている。2007年にはイスラエルの軍事専門家がグルジアの特殊部隊を訓練、重火器や電子機器、戦車などを提供したと言われ、また2008年1月から4月にかけてアメリカの教官がグルジアに入って特殊部隊を訓練、侵攻作戦を始める数日前にも訓練のために教官がグルジア入りしたが、グルジア軍を訓練した傭兵会社とはMPRIとアメリカン・システムズ。こうした準備を経ての奇襲攻撃であり、作戦はアメリカ、あるいはイスラエルが立案したと推測する人もいる。 イスラエルがグルジアの特殊部隊を訓練する前年、2006年にキール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)にアメリカの好戦派がどのようにロシアを見ていたかを示す論文を書いている。アメリカはロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できるというのだ。つまり、先制核攻撃を仕掛ければ圧勝でき、アメリカは真の覇者になれるというわけだ。この判断が南オセチアを攻撃させた一因になっているだろう。逆に言うと、南オセチアでの惨敗はアメリカの好戦派やイスラエルのとってショックだったはずだ。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたと書いた。その手先になることが見通されていた「スンニ派系武装勢力」には現在、「FSA」、「アル・カイダ」、あるいは「IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)」といったタグがつけられている。 ウクライナではクーデターの直後からアカデミ(ブラックウォーターから名称変更)系列のグレイストーン傭兵会社が数百名の戦闘員を送り込み(例えばココやココ)、ポーランドからも傭兵が雇い入れられていると伝えられ、イスラエル、グルジア、ルーマニア、スウェーデン、ドイツなどからも戦闘員としてウクライナ入りし、グルジア出身者はブーク防空システムを操作する訓練を受けているとも言われている。 こうした「民間」の戦闘員がウクライナで活動しているだけでなく、アメリカ政府はFBI、CIA、そして軍事顧問を派遣したと言われ、1月21日にキエフ入りしたアメリカ欧州陸軍司令官のフレデリック・ベン・ホッジス中将を中心とする代表団は、国務省の計画に基づき、キエフ政権の親衛隊を訓練するためにアメリカ軍の部隊を派遣する意向を示していた。 こうした軍事支援では東部や南部を軍事制圧ず、本格的な軍事支援が必要になってきたわけだ。今月20日からアメリカの第173空挺旅団の兵士290名がウクライナの正規軍兵士1200名と親衛隊の戦闘員1000名を訓練するというが、結局、アゾフのようなネオ・ナチや国外の傭兵に頼らざるをえないだろう。蛇足ながら付け加えると、アル・カイダはアメリカの好戦派が作り上げた傭兵派遣組織であり、ISは傭兵集団のひとつのタグにすぎない。グルジアを経由してチェチェンの戦闘員が入ってくる可能性もある。何度も書いていることだが、グルジアのパンキシ渓谷はチェチェンの反ロシア武装勢力が拠点だ。
2015.04.11
ドイツのアンゲラ・メルケル政権が積極的に中国へ接触、ロシアとの戦略的な連携強化にブレーキをかけようとしているとアジア・タイムズ紙は伝えている。昨年までEUはロシアとの経済的な関係を強めていたのだが、一昨年11月にアメリカ/NATOがウクライナの体制転覆プランを始動させたことが原因で、その流れを断ち切ってしまった。EUはロシアが困って西側に屈服すると思っていたのかもしれないが、実際は中国との関係を緊密化させ、EUは苦境に陥る。現在、ドイツは中国に働きかけ、ロシアとの関係強化にブレーキをかけようとしている。EUの立場を強め、アメリカの御機嫌を取ろうとメルケルは考えたのかもしれないが、無理な話だ。 アメリカは昨年2月23日、憲法の規定を無視、暴力的にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除して傀儡政権を成立させた。そのクーデターでアメリカ/NATOが手先として使っていたのがネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)だ。 何度も書いてきたが、クーデターで前面に出ていた集団がナチズムの影響を強く受けていることは西側のメディアも知っている事実。例えば、昨年2月下旬にBBCはこの問題を報道し、9月にはガーディアン紙がアゾフがネオ・ナチだと伝えている。ウクライナのネオ・ナチはバンデラ信奉を隠していないが、そのバンデラとナチスとの関係は戦後、多くの研究者やジャーナリストが報告してきた。 ウクライナのクーデターを現場で指揮していたのはアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使で、ヌランドの結婚した相手であるロバート・ケーガンはネオコンの中核グループの所属する好戦派。このことからも推測できるように、クーデターの背後にはネオコンが存在する。 ネオ・ナチのスポンサーとして知られているイゴール・コロモイスキーはウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持つ富豪のシオニストで、ドニエプロペトロフスクの知事を務めてきた。「シオニストはユダヤ人であり、ユダヤ人はナチズムと敵対関係にある」というステレオタイプの見方は捨て去るべきだ。実際、シオニストやイスラエルはユダヤ教と敵対する関係にあると主張するユダヤ教のラビ(聖職者)も少なくない。 相手を軍事力やテロリズムで脅し、屈服させのがネオコンの常套手段。場合によっては実際の軍事侵略する。中東、南北アフリカ、ウクライナなどでは、そうしたことが起こっている。その手口を脅しの通用しない核保有国の中国やロシアにも使おうとしていることから核戦争を懸念する声が強まってきた。 1970年代、ジェラルド・フォード大統領の時代、CIAの内部にソ連の軍事的な脅威を誇張した情報を発信するグループが存在した。「チームB」と呼ばれ、その集団を率いていたのはハーバード大学のリチャード・パイプス(Richard Pipes)教授。ポール・ニッツェやポール・ウォルフォウィッツもメンバーに含まれているが、いずれも後にネオコンと呼ばれる。その背後には国防総省のシンクタンクONAのアンドリュー・マーシャル室長がいた。アメリカの軍事力を増強、ソ連に対するプロジェクトを正当化する口実としてソ連を脅威だと宣伝する必要があった。 第2次世界大戦後、アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を目論んでいたことは本ブログで何度か指摘した。1957年初頭にアメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせ、1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていたとテキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授は書いている。その1963年の後半、11月22日にジョン・F・ケネディ、好戦派と対立していた大統領がテキサス州ダラスで暗殺された。 その後、核戦争に勝者はいないという話を人びとは理解、「抑止力」のために核兵器は必要だという主張が広められたが、好戦派は核攻撃を諦めていない。ソ連が消滅、ロシアにボリス・エリツィンという傀儡大統領を据えることに成功するとアメリカは「唯一の超大国」になったという妄想が膨らみ、先制核攻撃の欲望が復活する。 そうした妄想をまとめた論文がフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されている。キール・リーバーとダリル・プレスが書いたもので、アメリカがロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できると主張している。今でもネオコンはそのように考えているようで、ロシアや中国に対して核戦争を始めるというメッセージを発信して脅している。 こうした脅しが有効だとネオコンは信じているらしく、2013年11月からウクライナで政府転覆プロジェクトを始動させ、2月にヤヌコビッチ大統領を排除、東部や南部で民族浄化作戦を始めた。破壊と殺戮でロシアを挑発、出てこなければそのままウクライナ全域を制圧し、その上でロシアを攻撃、もし出てくれば全面戦争でロシアとEUを破壊してアメリカの支配力を強めるという腹づもりだったのだろう。 ところが、アメリカ/NATOが使っているネオ・ナチに対する反発は予想以上に強く、東部や南部での戦闘でキエフ政権は劣勢。しかもロシア軍は侵攻してこない。そこで彼らは兵器を供給し、軍事顧問団を入れて戦闘員を訓練、NATO軍をロシアとの国境近くに配置して挑発し、何とか戦況を好転させようとしている。 軍事力で押し切れなかった場合、アメリカを中心とする支配システムは崩壊する可能性が高い。経済的には、リチャード・ニクソン大統領が金とドルとの交換を停止した1971年8月が大きな転換点。その後、新自由主義という形で富を支配層へ集中させる方向へ舵を切っているが、その「強者総取りシステム」に対する反発は強まる。1990年代の終わりには「反グローバル化」という形で怒りが噴出していた。 こうした怒りを封じ込めることになったのが2001年9月11日の出来事。「テロとの戦争」という看板に人びとが気をとられている間に戦乱を拡大させ、アメリカ国内のファシズム化を促進したが、アメリカ経済の衰退は目を覆うばかり。数字遊びで経済回復を印象づけようとしているが、生産システムが破綻、社会が崩壊している以上、真の意味で経済が回復することはありえない。 21世紀に入るとロシアでアメリカの傀儡勢力が押さえ込まれ、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海合作組織/アルメニア、ベラルーシ、中国、カザフスタン、ロシア、タジキスタン、ウズベキスタン)という形でアメリカに対抗する勢力が育った。その中心にはロシアと中国がいるが、ウクライナでのクーデターを切っ掛けにして両国の関係はさらに強まり、世界は両国を中心に回転しはじめた。その回転を止めるため、アメリカは中国とロシアを破壊しようとしている。安倍晋三政権はその手先になろうとし、マスコミはその方針に従っているわけだ。
2015.04.10
安倍晋三政権が目指している方向を知りたいなら、言うまでもなく、アメリカ支配層の動きを見る必要がある。日米両政府は今月末、「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を改定するというが、これについても同じことが言える。現在、アメリカは軍事力で世界を制圧しようと躍起になっているわけで、このことから目を背けてはならない。 かつて、アメリカ海兵隊のスメドリー・バトラー少将は戦争を「違法な手段を用いたカネ儲け」、要するに押し込み強盗に準えた。耕作地の拡大、資源の獲得、財宝の略奪、賠償金の獲得など富を奪うことが目的だ。戦争ビジネスが肥大化した現在、国から巨大企業へ多額のカネが移動する戦争、それ自体が目的になっている。アメリカが戦争を続けている理由もそこにあり、安倍政権はそうした強盗に協力しようとしているわけだ。 アルゼンチン大統領だったネストル・キルシュネルによると、大統領時代のジョージ・W・ブッシュは「経済を復活させる最善の方法は戦争」だと力説、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」と話していたという。この証言はオリバー・ストーンが制作したドキュメンタリー、「国境の南」に収められている。軍事力を増強する目的もそこにあるということ。ただ、戦争で儲かるのは戦争ビジネスだけ。勝利して敗戦国から富を奪えなければ、国は疲弊し、庶民は貧困化するだけだ。戦争で国が経済成長することはない。 アメリカの場合、ヨーロッパから移住した人びとは先住民を虐殺し、その土地を奪ってきた。「建国」はそうした押し込み強盗から始まっている。1492年にクリストファー・コロンブスがカリブ海に到達した当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたのだが、ウーンデッド・ニー・クリークでの虐殺があった1890年には約25万人にすぎなかったという。 1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡ったピューリタン(ピルグリム・ファーザーズ)の場合、北アメリカで「新イスラエル」を建設するつもりだったという。つまり、北アメリカは神が自分たちに与えた土地であり、先住民を皆殺しにする権利を持っているという理屈だったようだ。イスラエル建国のときのシオニストと同じということ。 そのピューリタンは1640年から60年にかけてイギリスで革命を成功させるが、このときに議会軍を指揮したのがオリバー・クロムウェル。「正直でまじめなクリスチャン」で軍隊を編成、敵からは「鉄騎隊」と呼ばれた。王党派を倒した後、小農民や職人層に支持されていた水平派を弾圧したクロムウェルはアイルランドを侵略、殺戮と略奪を繰り広げた。クロムウェルは宗教的な信念からユダヤ教徒をイングランドへ連れて来るが、その先、パレスチナへ移住させることを想定していたようだ。 魂の救済は神によって定められているので「善行」は意味がないと考えるジャン・カルバン派にピューリタンは属し、クロムウェルもそう信じていた。巨万の富を手にすることも、極貧生活を強いられることも神が定めたことで、そうした状況を悪いとは考えない。 カルバン派も含め、福音主義者と呼ばれる人びとがパレスチナにイスラエルを建国させたがった理由は、最終戦争(全面核戦争)を起こし、キリストが再臨して自分たちが救われる前段階として必要だと考えたからで、彼らにとって破壊と殺戮は必要なこと。ウィスコンシン大学のポール・ボイヤー教授によると、アメリカ人の40%以上は聖書に書かれた最終戦争の予言を信じているという。 こうした歴史の中でも現在のアメリカは特に好戦的。何度も書いてきたが、1991年12月にソ連が消滅したことを受け、アメリカでは自分たちが「唯一の超大国」になったと思い込み、世界制覇は目前に迫ったと考えた一団がいる。ソ連消滅より前、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していたという。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官の話だ。そうした好戦派が1992年に作成したのが「DPGの草案」(通称ウォルフォウィッツ・ドクトリン)の草案。 こうした好戦派が日本に対する締め付けを厳しくしはじめたのは1994年。国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会ったのが始まりだとされている。 そして1995年に発表されたのが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。10万人規模の駐留アメリカ軍を維持、在日米軍基地の機能は強化、そして使用制限は緩和/撤廃されることになった。 1997年に「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになり、1999年には「周辺事態法」が成立する。 2000年にナイとリチャード・アーミテージを中心とするグループが作成した「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」では武力行使を伴った軍事的支援が求められ、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」としている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてアメリカは国外で戦争を開始、国内では憲法の機能を停止させてファシズム化が進んだ。 その翌年、2002年に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。 そして今月末、ガイドラインが改定され、日本はアメリカの戦争マシーンとの一体化が進む。ホルムズ海峡での機雷除去などは些細な話。アメリカの好戦派は中国とロシアとの戦争を想定している。 こうした好戦派は中東や南北アフリカでアル・カイダ/IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)、ウクライナではネオ・ナチを使って戦乱を拡大させている。 こうしたプロジェクトでアメリカの好戦派はイスラエルやサウジアラビアと同盟を組んでいる。1980年代のアフガニスタンでの戦争でこうした結びつきは指摘されていたが、新たな動きをシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌の2007年3月5日号で指摘した。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたというのだ。その後の展開を見ると、このレポートは正しかった。 この三国同盟が中東やアフリカで使っているのがアル・カイダ/IS。現在、シリアで激しい戦いが続いているが、イスラエルはアル・カイダ/ISとの関係を隠そうとしていない。2013年9月、退任間近だった駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンは、イスラエルの希望はシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すことであり、アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。 イスラエルはこれまで何度かシリアを空爆、今年1月18日にはISを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊を攻撃し、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺した。このほかにもイスラエル軍はシリアを空爆している。イスラエルが負傷した反シリア政府軍の兵士を治療しているとも伝えられていた。 アメリカを中心とする「有志連合」が行っている空爆にも疑惑の目が向けられている。昨年9月に最初の空爆が実施されたが、そのときに破壊されたビルは15から20日前の段階で蛻の殻だったとCNNのアーワ・デイモンは翌朝の放送で伝えている。 その後、アメリカは高性能の兵器を「ミス」でISへ渡していると伝えられていた。ISとアメリカ軍が定期的に連絡を取り合い、物資の投下地点を相談していることをイラクのアリ・アクバル大隊の司令官は通信傍受で確認したとイランのFNAは伝えている。 その一方、ウクライナでは傭兵の派遣だけでなく、アメリカは武器を提供、戦闘員に対する軍事訓練も始めようとしている。ドイツやフランスなどEUの国々はアメリカの好戦的な姿勢を懸念し始めているが、アンゲラ・メルケル独首相の言動を見ると、まだアメリカの命令には逆らえないでいる。アメリカは経済的に追い詰められているだけに、中国やロシアを破壊したいという欲望を好戦派が強めている可能性は高い。安倍政権はその好戦派に同調している。
2015.04.09
翁長雄志沖縄県知事と菅義偉官房長官が4月5日、那覇市内で名護市辺野古での新基地建設問題について会談したという。アメリカが国外に持っている軍事基地は約740。日本には空軍が20施設、陸軍が15施設、海軍が31施設、そして海兵隊が17施設あるようだ。県の面積が日本全体の0.6%にすぎない場所に在日米軍基地の74%が集中、そこへ新しい軍事基地を建設しようというのだから、反対されて当然。最近、UNASUR(南米諸国連合)でもアメリカの基地を閉鎖させようという動きがある。 基地を拒否するという沖縄の「民意」は明確。翁長知事も辺野古での基地建設に反対する意思を明確に伝えた。札束で頬をはって解決できる問題ではない。そこで菅官房長官は「粛々」と物事を進めると繰り返したというが、知事が言うように、これは「問答無用」で作業を進めるということ。 この「粛々」は日本の政治家や官僚がよく使うが、「上から目線」という感情的な問題ではなく、民意を無視、つまり民主主義を否定するという宣言。民意が踏みにじられるのは日本が民主主義の原理に基づいて動いていないからだ。安倍晋三政権が従属しているアメリカの好戦派、つまりネオコン/シオニストや戦争ビジネスなどは侵略のためにイスラム武装勢力を組織、ウクライナではネオ・ナチを使っている。 沖縄にアメリカ軍の基地が集中した理由のひとつは地理的な条件。アジア支配の拠点として最適の場所だということだ。もうひとつは昭和天皇の意思で、アメリカ軍の沖縄占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで継続されることを望むというメッセージを1947年9月に天皇から出されている。(豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫) このメッセージは、天皇が側近の寺崎英成を通じてGHQ外交局長のウィリアム・ジョセフ・シーボルトに伝えたとされ、そのシーボルトが残した文書の中に記述されていた。天皇の生涯を記録したという「昭和天皇実録」を宮内庁は編集している。その宮内庁は沖縄占領に関する天皇のメッセージについて「事実とは認定していない」としているらしいが、この官庁に歴史的事実の真偽を「認定」する権利はない。 降伏後、日本とアメリカとの交渉は天皇とホワイトハウスとの間で行われたという研究報告があるが、皇室の力を考えれば当然だろう。降伏前、日本軍には少なからぬ皇室のメンバー在籍していた。軍の幹部だった人、あるいは軍の内情に詳しい人によると、皇室は軍の内部で特別な存在だった。軍には階級があるが、そうしたものと関係なく、皇室の人間が立場は上になるという。 皇室出身の軍人は中国での戦争にも参加、例えば、1937年12月の南京攻略当時、昭和天皇の叔父にあたる朝香宮鳩彦は上海派遣軍司令官だった。形式上、この作戦は中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将が指揮したことになっているが、松井が朝香宮に逆らうことは不可能だったはず。関東軍が「暴走」できたのは、そうした仕組みがあったからだとしか考えられない。この攻撃の直後、イギリスの支配層でソ連を第一の敵と考える勢力が「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようと考えていた。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)、 この同盟案は日本軍の真珠湾攻撃で消滅しただろうが、真珠湾を攻撃しなければ別の展開があったと考えている人が支配層にいても不思議ではない。戦争に反対なら、1872年の「琉球処分」から続くアジア侵略をまず問題にすべきであり、アメリカと戦争を始めたことだけを「無謀だった」と反省するのはおかしな話。 それはともかく、日本と戦った相手の国で天皇の戦争責任を問う声が出てくるのは必然で、処刑を求める圧力が高まる恐れもあった。極東国際軍事裁判(東京裁判)や新憲法の制定を急いだ一因はここにあるだろう。 民主化を徹底したいなら、徹底的に審理し、ゆっくり条文を吟味しても問題はない。東京裁判で身代わりを処刑し、天皇制を存続させる憲法をアメリカは作ったのだろう。天皇は「神」から「象徴」へと表現は変化したが、その後も「神聖にして侵すべからざる存在」でありつづけている。 それでも天皇は憲法第9条を懸念していた。コミュニストが日本を制圧し、自分を絞首台や断頭台の前に引きずり出すのではないかと恐れ、ダグラス・マッカーサーに対してその不安を口にしたというのだ。 しかし、戦争が終わったときにはアメリカを親ファシスト派が主導権を握り、権力構造が大きく変化していたので天皇の不安は杞憂に終わる。ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルト大統領が1945年4月12日、ドイツが降伏する前の月に執務室で急死したことが切っ掛けだ。ルーズベルトはウォール街の親ファシスト派にとって邪魔な人物だった。 1932年の大統領選挙で初めて当選した直後、JPモルガンをはじめとするウォール街の支配層はルーズベルトを排除し、ファシズム体制を樹立するためのクーデターを計画していた。これはクーデター派から誘われたスメドリー・バトラー退役少将らの議会証言で明らかになり、失敗に終わる。 その後、ドイツはソ連制圧を目指して「バルバロッサ作戦」を始めるが失敗、1943年2月になるとドイツ軍は壊滅状態担って敗走を始める。それを見てアメリカ軍を中心とする部隊がシチリアへ上陸したのは1943年7月のこと。9月にイタリア本土を制圧、44年6月んはノルマンディーに上陸してパリを押さえた。1945年2月にはウクライナ南部の都市ヤルタでアメリカのルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、そしてソ連のヨセフ・スターリン人民委員会議長が会議をしている。その2カ月後にルーズベルトが急死、5月7日にドイツが降伏文書に調印した。 この降伏直後、チャーチル首相はJPS(合同作戦本部)にソ連を攻撃するための作戦を作るように命令、「アンシンカブル作戦」ができあがる。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、これは参謀本部の反対で実現していない。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など) ソ連の中心的な存在だったロシアにとって、ドイツの降伏は大きな意味を持つことは明らかで、今年5月にはナチスに勝利して70周年を祝う式典が予定されている。この式典に参加しないように圧力をかけているアメリカは昨年2月、ウクライナでネオ・ナチを使ってクーデター実行、キエフに傀儡政権を樹立させた。 そのアメリカの好戦派は中東や南北アフリカでアル・カイダ/IS(ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)を使って破壊と殺戮を繰り広げ、地域を破壊している。ネオコン/シオニストは東アジアの制圧を重視していたが、その東アジアでも同じことを繰り返そうとしているはず。その手先が安倍政権だ。
2015.04.09
安倍晋三政権からはネオコン/シオニストの臭いが漂ってくる。そのネオコンと一心同体の関係にあるのがイスラエルの好戦派で、ともにウラジミール・ジャボチンスキーの影響下にある。アメリカで活動していた当時のジャボチンスキーを秘書として支えていたベンシオン・ネタニヤフはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の父親だ。 ネオコン配下のアメリカ上院議員、ジョン・マケインは2013年5月にトルコからシリアへ密入国して反シリア政府勢力のリーダーと会談しているのだが、その中にはIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を率いることになるアブ・バクル・アル・バグダディやFSAの幹部も含まれていた。 ISは1999年に「一神教聖戦団(JTJ)」として創設されたが、アル・カイダとの関係ができたのは2004年だと言われている。アメリカが2003年3月にイギリスなどを率いてイラクを先制攻撃、アル・カイダを弾圧していたサダム・フセインが崩壊した後、AQI(イラクのアル・カイダ)としてイラクへ入って活動を始めたのだ。 ロビン・クック元英外相も言っているように、アル・カイダは軍事組織でなく、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アラビア語でアル・カイダは「ベース」を意味、「基地」と解釈することも可能だが、実際は「データベース」だということである。そのデータベースに登録され、AQIと呼ばれるようになったと言えるだろう。その後、2006年10月にAQIは小集団を吸収し、ISI(イラクのイスラム国)が編成された。 2011年3月にシリアで政府軍に対する戦闘が始まるが、その当時からトルコの米空軍インシルリク基地は反シリア政府軍の訓練基地として機能していた。そこで戦闘員を訓練しているが、教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスとフランスの特殊部隊員。シリアを攻撃する拠点もトルコ政府は反シリア政府軍に提供してきた。その反政府軍がFSA。 シリアより1カ月前からリビアでは反政府軍が武装蜂起している。その主力部隊になったのがアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)。3月にNATOが空爆で地上軍のLIFGを支援、イギリスの特殊部隊SASの隊員や情報機関MI6のエージェントがリビアへ潜入して支援していたとも言われている。 10月にはシルトの近くでカダフィはイギリスの偵察機に発見され、フランスの戦闘機が2発のレーザー誘導爆弾を車列に投下、アメリカ軍の無人機プレデターの攻撃も受けている。最後は反政府武装グループからリンチを受けた上でカダフィは殺された。その後、アル・カイダ系の戦闘員はシリアへも流れ、マークを消したNATOの輸送機がリビアからトルコの基地まで武器を輸送、反シリア政府軍へ渡されたともいう。 こうしたテコ入れをしてもシリアでは政府軍が優勢。反政府軍の多くは外国から入ってきた傭兵だということもあり、シリア国民から侵略軍と見なされていることも大きい。しかもリビアと違い、ロシアの反対でNATOは空爆を実現できず、反政府軍は劣勢のまま推移してきた。 こうした流れを変えるため、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力は新たなプロジェクトを始める。その一環として、2012年にはヨルダン北部に設置された秘密基地でCIAや特殊部隊がシリア軍と戦う戦闘員を育成するために訓練したと伝えられている。 そうした中、2012年8月に日本人ジャーナリストの山本美香がシリアのアレッポで殺されている。彼女はFSAに同行していたようで、トルコからシリアへ密入国していたのだろう。何者かにはめられたのかどうかはともかく、危険な取材だったことは間違いない。 同じ頃、イギリスのテレビ局、チャンネル4の取材チームもFSAの案内で取材していたのだが、チームの中心的な存在だったアレックス・トンプソンによると、彼らは反政府軍の罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるところだったという。彼らをFSAの兵士は交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けたというのだ。イギリスやドイツなどの情報機関から政府軍の位置は知らされているはず。意図的だったとしか考えられない。 マケインがシリアへ密入国し、反シリア政府軍のリーダーたちと会談してから4カ月後の2013年9月、退任間近だった駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンは、シリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。オーレンはネタニヤフ首相と近く、これは彼らの共通認識のようだ。 イスラエルはこれまで何度かシリアを空爆しているが、ISを支援するものだと指摘されている。今年1月18日にイスラエル軍はISを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊を空爆、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺し、劣勢のISを助けたようだ。このほかにもイスラエル軍はシリアを空爆している。 昨年7月、FSAの部隊を率いていたというシャリア・アス・サファウリなる人物が、アル・カイダ系のアル・ヌスラの部隊に拉致され、自分たちがイスラエルと協力関係にあると語っている。その前にはイスラエルが負傷した反シリア政府軍の兵士を治療しているとも伝えられていた。 また、イランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将は、イラクのアメリカ大使館がISの司令部だと語り、アメリカ軍の航空機から支援物資をISへ落としているとしている。これまでもアメリカ軍が落とした軍事物資をISが回収していることは伝えられていたが、これはミスでなく、故意だったとナクディは主張しているわけだ。イラクのアリ・アクバル大隊の司令官はISとアメリカ軍が定期的に連絡を取り合い、物資の投下地点を相談していることを通信傍受で確認したともイランのFNAは伝えている。 ネオコンやイスラエルは戦争を始め、戦乱を拡大させるために「モンスター」あるいは「悪魔」を作り出す。例えば、中東/北アフリカではアル・カイダやIS。ウクライナではネオ・ナチを「民主化勢力」であるかのように飾り立て、偽情報でロシアを悪魔化して見せた。ほかの地域でも似たことを行い、破壊と殺戮の世界を作り出している。つまり、これが彼らの手口。東アジアでも同じことをしつつある。安倍政権や日本の放送、新聞、雑誌、出版社などはその手先であり、手は血まみれだ。
2015.04.07
日本では「検定」に合格しない限り「教科書」として認められない。来年度から使われる中学校の教科書について4月6日に文部科学省は検定結果を公表した。「領土問題」に関する記述が大幅に増えたという。事実に基づく記述をするというなら、対立関係にある主張も公平に載せなければならないのだが、そうしたことはないようだ。 安倍晋三政権は自分たちの妄想に合わせて歴史を書き直させようとしているが、元々、教科書とは庶民の子どもを洗脳するための道具にすぎないわけで、その内容に期待するのは無理。そもそも「検定」とはそういうもの。歴史について学びたいなら「歴史物語」ではなく、信頼できる多くの歴史に関する本を読み、できたら元の資料や証言などにあたるしかない。違った視点の本を読む必要もあるだろう。 日本だけでなく、外国の研究者が書いた本を読む必要もある。日本国内には歴史学者の人脈があり、その人脈を利用して支配層は影響力を及ぼし、偏った見方が広まることになるからだ。「御用学者」の仕組みである。学者の世界でも、権力者にへつらえば地位と資産が手に入り、逆らえば仕事を奪われ、困窮する。こうした仕組みに人びとが疑問を抱かないようにするためにも「教育」や「報道」という名目で洗脳は行われている。 権力者の影響力をできるだけ排除するために「学問の自由」が謳われ、「大学の自治」が尊重されていたが、今では支配層の大学支配が進んでいる。これは一般企業などでも基本的に同じだが、資金面で大学を締め上げ、教員の立場を不安定にし、政府に楯突くと解雇される状況が作られてきた。いわば脅し。脅しに基づく恐怖(テロ)政治。彼らはテロリストだ。この仕組みはマスコミでも効果的に機能している。 歴史は無数の出来事の地理的、そして時間的な連鎖で成り立っているのだが、そうした出来事に関する情報を日本人は軽視する傾向が強い。支配層は情報を隠すだけでなく、都合の悪い出来事は調査せず、重要な資料を簡単に廃棄してしまう。そのうえで「証拠はない」と開き直るわけだ。承認が現れたり、外国で文書が出てきたりしても「証拠はない」と言い張る。現在の検定では「閣議決定など政府の統一的見解がある場合はそれに基づいた記述をする」ことになっているようだが、それがいかに馬鹿馬鹿しいかは明らかだ。 勿論、不明なことは不明だと明示する必要はあり、不明なことを事実であるかのように語るべきではないが、その前提として、資料をきちんと保存し、公正に調査、研究する必要がある。日本政府が行っていることはこの前提が欠落、犯罪者の証拠隠滅工作と大差はない。 検定でも「固有の領土」という言葉を使わせているようだが、そんなものが存在しないことは明らか。「不変の国」を前提にしているのだろうが、人類の歴史を考えれば国というシステムができたのは新しく、国の範囲も一定していない。徳川時代は「連邦制」に近く、当時の北海道や沖縄を日本の領土と呼ぶことはできない。 安倍首相やその「お仲間」たちは、自分たちの妄想にとって都合の悪い事実を主張する人びとに対して「自虐史観」という言葉を投げつけるが、世界を見渡すと似た用語を使う人びとがいる。シオニストだ。イスラエルが行ってきた破壊と虐殺を批判するユダヤ系の人は少なくないのだが、そうした人びとに対して「自己憎悪(Self-hating)」だと攻撃する。歴史の書き換えにも熱心だ。ここでも安倍人脈はシオニスト(ネオコン)と仲が良い。 世界で起こりつつあることに関する情報も安倍政権は自分たちに都合良く書き換えようと必死で、マスコミに対する締め付けを強め、マスコミは自主規制してきた。マスコミ側としては政府にすり寄ってプロパガンダに協力した方が得だということもある。支配層に従って彼らが提供する情報を垂れ流すだけなら苦労して取材する必要はなく、トラブルが起こる可能性も小さく、カネ儲けという視点から考えると合理的だ。メディアは「社会の木鐸」、あるいは「権力の番犬」であるべきだとする主張は妄想にすぎない。
2015.04.06
ウクライナ東/南部の戦乱を終わらせるため、ウクライナ、ロシア、フランス、ドイツの首脳はベラルーシのミンスクで今年2月11日に協議し、その結果、15日から停戦することになった。この合意にアメリカは参加せず、そのアメリカを後ろ盾とするネオ・ナチ系政党の「右派セクター」を率いるドミトロ・ヤロシュは停戦を拒否、そのヤロシュが4月4日、ウクライナ軍参謀長の顧問に就任した。アメリカは戦争への道を「粛々」と歩いている。 ヤロシュが率いる「右派セクター」は「トリズブ(三つ叉の矛)」を中心にして2014年3月の編成され、アゾフなどの武装集団と密接な関係にある。今月20日からアメリカの第173空挺旅団の兵士290名は、リビフにある訓練場でウクライナの正規軍兵士1200名と親衛隊の戦闘員1000名を訓練するというが、この親衛隊はアゾフを含む武装集団で成り立っている。 アゾフは昨年4月、アンドレイ・ビレツキーがイゴール・コロモイスキーの資金で設立したが、このビレツキーはドミトロ・ヤロシュと同じように「右派セクター」の幹部。ヤロシュやビレツキーを動かしていると言われるアンドレイ・パルビーは1991年10月、ネオ・ナチ政党「ウクライナ社会ナショナル党」の創設に参加した人物。2004年2月には党名を「スボボダ(自由)」へ変更しているが、これはアメリカ支配層の意向だったとも言われている。 パルビーは昨年2月のクーデターでユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)における暴力的な活動を指揮、狙撃の責任者だとも言われている。クーデター後にできた政権では国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)議長に就任、2014年8月までその職にあった。その翌月に「人民戦線」という政党を創設、現在は議員だ。 ネオ・ナチのスポンサー、コロモイスキーはウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持つシオニストの富豪。ドニエプロペトロフスクの知事を務めてきたが、ペトロ・ポロシェンコ大統領と対立して知事の職を解かれた。アメリカも解任に同意した、あるいはアメリカが解任させたということだ。 対立の直接的な原因は、大手石油関連会社ウクルトランスナフタとその親会社であるウクルナフタの経営。ウクルナフタの発行済み株式の51%を持つ政府が経営の主導権を握るために経営陣を入れ替えたのが、それを受けてコロモイスキーは私兵を使ってオフィスを制圧、書類を廃棄したという。不正行為に関する証拠を処分した可能性がある。 現在、ポロシェンコ政権はウォール街の傀儡色を強めている。アルセニー・ヤツェニュク首相はクーデターの前からビクトリア・ヌランド国務次官補が高く評価、「次期政権」で入閣させようとしていた人物。金融大臣はシカゴ生まれでアメリカの外交官だったナタリー・ヤレスコ、経済大臣はリトアニアの投資銀行家だったアイバラス・アブロマビチュス、保健相はグルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリ、大統領の顧問にはミヘイル・サーカシビリ元グルジア大統領が就任しているが、いずれもアメリカの意思が背景にある。。 アメリカ支配層の中でも、ウクライナに深く関与しているのはネオコン/シオニストや戦争ビジネスのような好戦派。その勢力に送り込まれ、クーデターを指揮していたのがヌランドだが、この人物は2013年12月に米国ウクライナ基金の大会で演説、1991年からウクライナを支援するため、50億ドルを投資したと発言している。巨大資本がカネ儲けしやすい体制に作り上げることが目的だ。 そうした国家改造プロジェクトが推進される中、2004年から05年にかけて実行されたのが「オレンジ革命」。この「革命」で実権を握ったビクトル・ユシチェンコは西側の意向を実現するために活動、新自由主義的な政策を推進して国は疲弊、大多数の国民は貧困化し、その一方で西側の巨大資本やそうした資本と手を組んだ一部のウクライナ人が大儲けした。ユシチェンコの実態に気づいたウクライナは軌道修正するが、それを元に戻そうとしたのがビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した昨年2月のクーデターだ。 クーデターの幕開けは2013年11月21日。約2000名の反ヤヌコビッチ派がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)に集まったのだが、当初は人びとのEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的な雰囲気の集まりで、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。 多くの人が集まるとネオ・ナチが全面に出始め、2月18日頃から彼らはチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出し、中にはピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。その翌日、アメリカのバラク・オバマ大統領はウクライナ政府に対し、警官隊を引き揚げさせるべきだと求めている。 2月21日にヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派が平和協定に調印したが、22日に狙撃で多くの死者が出始め、議会の議長を務めていたボロディミール・リバクは「EU派」の脅迫で辞任、アレクサンドル・トゥルチノフが後任になる。憲法の規定を無視して新議長を議会が大統領代行に任命したのはこの日だ。 この狙撃について西側のメディアは政府側の仕業だと宣伝していたが、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は翌日、キャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に対し、反政府側が実行したと強く示唆している。この狙撃を指揮していたのがパルビーだと言われているわけだ。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」そして、「新連合はもはや信用できない。」 西側も反ヤヌコビッチ派の内部にネオ・ナチが存在していることは認識していた。例えば、クーデターの直後、2月下旬にBBCはこの事実を報道し、9月にはガーディアン紙がアゾフがネオ・ナチだと伝えている。EUのアシュトンもそうした背景を知っていたからこそ、パエト外相の報告を封印しようとしたのだろう。 西側、特にアメリカやイギリスの支配層はネオ・ナチに寛容で、自分たちの同盟相手にしている。もっとも、1932年の大統領選挙で当選したフランクリン・ルーズベルトを排除するため、ファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画したことはスメドリー・バトラー海兵隊少将の議会証言などで明らかになっている。ナチス政権下のドイツへアメリカの巨大金融機関が資金を投入していたこともわかっている。 また、C・アンソニー・ケイブ・ブラウンがイギリスの情報機関MI6(SIS)を指揮していたスチュワート・メンジスをテーマにして書いた『C』によると、イギリスにはソ連と戦うために「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成するという案が1939年頃にあったという。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988) 第2次世界大戦でドイツが降伏した直後にはイギリスのウィンストン・チャーチル首相の命令でソ連への奇襲攻撃が計画されたが、その背景には「日本・アングロ・ファシスト同盟」というアイデアがあったということだろう。チャーチル首相の命令に基づいて「アンシンカブル作戦」が作成された。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、これは参謀本部が反対して実現しなかった。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000など)
2015.04.06
ウクライナのリビフにある訓練場でアメリカが送り込んだ第173空挺旅団の兵士290名による戦闘訓練が4月20日、つまりアドルフ・ヒトラーの誕生日から始まるようだ。訓練を受けるのはウクライナの正規軍兵士1200名と親衛隊の戦闘員1000名だというが、親衛隊の少なくとも一部はネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)である。東/南部地域に対する戦闘を再開するため、ネオ・ナチを訓練するのだと解釈する人も少なくない。アドルフ・ヒトラーの写真を掲げるアメリカの手先、アゾフのメンバー 第173空挺旅団はイタリアのビチェンツァを拠点にしているが、リビフの訓練場を利用してきたとされている。親衛隊にはアゾフ、ジャガー、オメガの3大隊をはじめ、50大隊ほどが含まれているのだが、その大半が戦闘員を派遣するという。 親衛隊の中心的な存在と言われるアゾフは昨年4月、アンドレイ・ビレツキーがイゴール・コロモイスキーの資金で設立した武装集団。戦争の継続を主張しているドミトロ・ヤロシュと同様、ビレツキーは右派セクターの幹部。ヤロシュは議員に選ばれたが、議会へは手榴弾を携帯していうような人物だ。ナチスはカルト的な理由から白人優越を主張していたが、ビレツキーも思想的に似ている。 また、アゾフの隊員は約半数に犯罪歴があり、昨年6月14日にキエフのロシア大使館を襲撃したグループの中心はこの戦闘集団だったとされている。東部での民族浄化作戦にもアゾフは参加、非武装の住民を殺害している。 先日、ドニエプロペトロフスク知事を解任されたコロモイスキーはウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニスト。武装集団を使って略奪を繰り返してきたことでも知られ、アゾフのほかにアイダル、ドンバス、ドニエプルを組織している。アイダルは誘拐、違法な拘束、虐待、窃盗、強奪を実行、処刑の疑いもあると「人権擁護団体」のアムネスティ・インターナショナルにまで批判された。 昨年2月23日、憲法の規定を全く無視した形でビクトル・ヤヌコビッチ大統領が解任され、このクーデターを経て現在のキエフ政権は誕生した。ヤヌコビッチが西側によって排除されたのは、これが2度目。最初は2004年から05年にかけて「オレンジ革命」だ。この「革命」にも関与したアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補は今回、ジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使とクーデターを現場で指揮していた。何度も書いてきたことだが、ヌランドが結婚したロバート・ケーガンはネオコン/シオニストの中核グループの一員。 ネオコン系シンクタンクのPNACは2000年に「米国防の再構築」という報告書を発表しているが、これは1992年に作成されたDPG(国防計画指針)の草案に基づいている。アメリカを「唯一の超大国」と位置づけて書き上げた世界制覇のプランだが、ケーガンもその報告書の共同執筆者のひとり。ジョージ・W・ブッシュ政権はこの報告書に基づく政策を推進したが、それを可能にしたのが2001年9月11日の出来事だ。 ヤヌコビッチを追放したクーデターの幕開けは2013年11月21日。約2000名の反ヤヌコビッチ派がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)に集まったのだが、当初は人びとのEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的な雰囲気の集まりにすぎなかった。12月に入ると50万人が集まったとも言われている。 多くの人が集まるとネオ・ナチが全面に出始め、抗議活動は暴力的になる。2月18日頃からネオ・ナチはチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出し、中にはピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。その翌日、アメリカのバラク・オバマ大統領はウクライナ政府に対し、警官隊を引き揚げさせるべきだと求めている。 2月21日にヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派が平和協定に調印したが、22日に狙撃で多くの死者が出始め、議会の議長を務めていたボロディミール・リバクは「EU派」の脅迫で辞任、アレクサンドル・トゥルチノフが後任になる。憲法の規定を無視して新議長を議会が大統領代行に任命したのはこの日だ。 この狙撃について西側のメディアは政府側の仕業だと宣伝していたが、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は翌日、キャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に対し、反政府側が実行したと強く示唆している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」そして、「新連合はもはや信用できない。」 ヌランド次官補は話し合いでの解決を嫌っていた。ヌランドとパイアットが電話で「次期政権」の閣僚人事について話し合っている音声がYouTubeにアップロードされたのだが、その中で話し合いを進めていたEUに対し、「くそくらえ(F*ck the EU)」と口にしている。こうした意向を知っていたのか、イギリス人のアシュトンはクーデターを成功させることを優先させるべきだという意思をパエトに伝えている。 クーデターで前面に出ていた集団がナチズムの影響を強く受けていることは、早い段階から西側のメディアも知っていた。優秀な人材を抱えているはずの日本のマスコミも知っていなければおかしい。例えば、クーデターの直後、2月下旬にBBCはこの事実を報道し、9月にはガーディアン紙がアゾフの隊員がネオ・ナチだと伝えている。そうしたネオ・ナチに資金を出していたのがシオニストの富豪であり、アメリカ/NATOが後ろ盾になっているわけである。この構図は現在も基本的に変化していない。キエフ政権を正当化するということは、ナチズムを支持しているということを意味する。
2015.04.05
イエメンが戦略上、重要な位置にあることは地図を見ればすぐにわかる。アラビア海から地中海へ抜けようとする場合、アラビア海からアデン湾へ入り、紅海を経由し、スエズ運河を通過するのが通常のコース。アデン湾と紅海の境目にあるのがバブ・エル・マンデブ海峡で、非常に狭い。つまり、容易に封鎖でき、そうなると石油の輸送が止まる。スエズ運河と同じように、この海峡は産油国にとってもヨーロッパにとっても重要な場所だ。 バブ・エル・マンデブ海峡はジブチとイエメンにはさまれている。ジブチは小さい国だが、アメリカ軍の拠点で、JCTF(統合連合機動部隊)約1800名が駐留、無人機の基地もあり、偵察だけでなく攻撃も実行されている。この国は海峡を守るために作られたとも言えるだろう。この国には自衛隊の拠点基地が約47億円をかけて建設されている。 ジブチの隣国が「アフリカの角」と呼ばれるソマリアで、ここも戦略的に重要。CIAはJCTFを介してソマリアの武装勢力へ資金と供給、その勢力が劣勢になると、エチオピア軍を投入して支配しようとした。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、2001年9月11日から間もない頃、ジョージ・W・ブッシュ政権が作成した攻撃予定国リストには、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、スーダンと同様、ソマリアも含まれていたという。 イエメンでサウジアラビアは2009年にフーシ派を倒すため、特殊部隊や空軍を派遣したと伝えられている。何度も書いているように、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟はアル・カイダやIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)を利用して侵略してきた。2009年、イエメンではAQAP(アラビア半島のアル・カイダ)が組織されている。 ところが、その後、フーシ派は勢力を拡大。サウジアラビアは大々的な空爆をする必要に迫られたということのようだ。フーシ派をイランの傀儡だと考えると、その強さを見誤る。傀儡でないからこそ、強いのだ。イエメン南部のアデンにサウジアラビアの特殊部隊が展開、アメリカの艦船も参加していると報道されている。
2015.04.04
イランが核兵器を開発していないことはアメリカの情報機関も12年以上前、イラクがアメリカの率いる軍隊に攻撃される前から認識していた。CIAはイランの「大量破壊兵器」について調査していたのだが、イラク同様、イランにもそうした種類の兵器は存在せず、開発計画もないと判断していたと言われている。 今回、イランの核開発問題について、ロシア、中国、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカはイランと「枠組み」で合意したというが、こうした背景を考えると、真剣に話し合えば平和的に解決されることは明らかだった。問題は、ネオコン/シオニスト、イスラエル、サウジアラビアがイランを軍事的に破壊したがっていることにある。 ジョージ・W・ブッシュが大統領に就任して間もない頃、イランの「大量破壊兵器」について調べていたチームを率いていたと言われている人物はバレリー・ウィルソン(通称、バレリー・プレイム)。イランは核兵器を開発していないという結論の報告書を作成すると見られていた。 その直前、2000年2月にCIAは核兵器の部品に関する改竄された設計図をイランへ渡していた。「マリーン」という暗号名のロシア人科学者を介してイランへ核弾頭の「欠陥青写真」を渡したのだ。 イラン側が改竄部分に気づく可能性はあるわけで、イランが本当に核兵器の開発を進めていたなら、開発を促進することになった。つまり危険な工作。そこでCIAのオフィサーだったピーター・ジェンキンスは2003年に上院情報委員会に接触、この危険な工作について通報した。 内部告発だが、その工作が2006年に出版されたジェームズ・ライゼンの著作『戦争国家』(日本版のタイトルは『戦争大統領』)の中に書かれている。裁判所は証拠を示すことなくスターリングが情報源だと認定し、機密情報を漏らしたとして有罪判決を言い渡した。 イラクへの先制攻撃が始まった3カ月後、2003年6月12日にリチャード・チェイニー副大統領がルイス・スクーター・リビー副大統領首席補佐官に対し、バレリーがCIAの対核拡散部門で働いている事実を伝え、それを7月8日にリビーはニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラー記者にリークする。 バレリーの夫、ジョセフ・ウィルソンは元駐ガボン大使で、CIAの以来でイラク政府がニジェールからイエローケーキ(ウラン精鉱)をイラクが購入するという情報の真偽を調査、そうした事実はないとCIAに報告していた。実は、この情報の証拠とされた文書は基礎的な事実関係を間違えている稚拙な代物で、IAEAも偽物だと見抜いた。 この明らかな偽情報をジョージ・W・ブッシュ大統領は2003年の一般教書演説で事実として主張する。イラクを攻撃するために展開していたプロパガンダの一環だったが、世界的に嘘だということは認識されていた。その演説にショック受けたジョセフは7月6日付けのニューヨーク・タイムズ紙に署名記事を書き、事実を公表する。リビーのリークはその2日後。 バレリーとCIAとの関係が明らかにされたのは7月14日のこと。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、ロバート・ノバクの書いた記事の中で「ふたりの政府高官」から聞いた話として、バレリーがCIAで大量破壊兵器を担当していると暴露したのだ。 アメリカ巨大資本の代弁紙であるウォール・ストリート・ジャーナル紙だけでなく、日本では「リベラル」に分類されているワシントン・ポスト紙やニューヨーク・タイムズ紙を日本のマスコミを批判するために引き合いに出すのは滑稽だと言うことでもある。 この当時、イギリスのトニー・ブレア政権もオバマ政権に協力して大量破壊兵器に関する偽情報を流していた。同政権は2002年9月に「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を作成、その中でイラクは45分でそうした兵器を使用できると主張しているのだが、これはある大学院生の論文を無断引用したもので、内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。 この文書をBBCのアンドリュー・ギリガンは2003年5月29日のラジオ番組で内容が粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 ギリガンが「45分話」の疑惑を語って間もなく、彼の情報源が国防省で生物兵器を担当しているデイビッド・ケリーだということがリークされ、そのケリーは同年7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に「自殺」している。 その後、執行役員会会長とBBC会長が辞任し、ギリガンもBBCを離れた。これを切っ掛けにしてBBCは政府(ネオコン)のプロパガンダ機関化が急速に進み、今では「戦意高揚」のため、アメリカの有力メディアと同じように、平然と偽情報を流している。NHKと同じことが起こっているわけだ。つまり、NHKを批判するためにBBCを持ち出すのは根本的に間違っているということ。 今回の合意でイランが核兵器を開発しているという主張は崩れた。もともと「砂上の楼閣」だったわけで当然なのだが、イランからの核攻撃を口実にNATOがロシアとの国境近くに配備してきたミサイルが撤去されることはなさそうだ。 もっとも、この口実を信じるような「お人好し」は少ないだろう。フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文でも主張されていたが、ネオコンなどアメリカの好戦派はロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できると信じ、「戦略」を立ててきた。 シーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いたレポートによると、この論文が出た頃、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3カ国は、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始していた。中東での軍事侵略はロシア攻撃とリンクしていると見るべきだろう。アメリカ/NATOのミサイル防衛とは、ロシアを先制攻撃、第1撃で破壊しそこなったミサイルなどで反撃された場合への備え。イランの情勢には関係ない。日本のミサイル防衛も目的は同じで、攻撃的なものだ。
2015.04.04
イランの核開発問題の平和的な解決を目指して協議してきたイラン、ロシア、中国、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカの7カ国は「枠組み」で合意したという。その合意が発表される直前、アメリカのアシュトン・カーター国防長官は、合意が成立してもイランを攻撃する選択肢を制限しないと語っていた。 ネオコン/シオニスト、イスラエル、サウジアラビアは一貫してイランとの話し合いに反対、軍事攻撃を主張してきた。戦争で甘い汁を吸おうとしている戦争ビジネスや金融/投資ビジネスなどの巨大資本も願いは同じだろう。 ニューヨーカー誌の2007年3月5日号に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートによると、この段階でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めていた。この「アメリカ」はジョージ・W・ブッシュ政権を支えていたネオコンを指しているはずだ。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビアが共同で秘密工作を行ったのは、少なくとも1970年代の終盤までさかのぼることができる。ズビグネフ・ブレジンスキーのプランに基づき、秘密工作でソ連をアフガニスタンへ引きずり込み、疲弊させるプロジェクトをこの同盟は実行しているのだ。その一端は「イラン・コントラ事件」や「BCCIスキャンダル」という形で明るみに出た。 そして1991年12月にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になったと確信したネオコンは軍事的に世界を制覇しようと歩き始める。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、この年、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していたという。イラクは既に破壊、残るはシリアとイラン。 その翌年、1992年にアメリカ国防総省は世界制覇のプランを「DPGの草案」(通称、ウォルフォウィッツ・ドクトリン)という形で作成する。リチャード・チェイニー国防長官の下、ウォルフォウィッツ次官、I・ルイス・リビー、ザルメイ・ハリルザドが中心になって作業、国防総省のONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルから助言を得ていたという。 ここにきて、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはイエメンで軍事作戦を展開している。アメリカの傀儡政権だけでなく、この同盟が「地上軍」として使ってきたアル・カイダ/IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)がフーシ派に押され、危機感を感じたようだ。 アル・カイダについて、1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックは、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだとしている。「プロジェクト」が企画されると、そのファイルの中から戦闘員が選ばれて派遣されるということだろう。 アル・カイダとはアラビア語で「ベース」を意味、「基地」と表現することもできるが、実態は「データベース」だということだ。なお、クックは記事を書いた翌月、保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて急死した。享年59歳。 また、1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークはCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がISを作り上げたと語った。ISの後ろ盾がネオコン/シオニスト、イスラエル、サウジアラビアだということは公然の秘密で、それをクラークは口にしたということ。 ISは2004年、アメリカがイギリスなどを引き連れてイラクを先制攻撃、破壊と殺戮を始めた翌年にAQI(イラクのアル・カイダ)として誕生した。2006年1月にはAQIを中心にしていくつかの集団が集まり、ISI(イラクのイスラム国)が編成され、シリアへ活動範囲を広げるにともなってISと呼ばれるようになった。 中東、南北アフリカ、ウクライナなどでアメリカが戦争を始めた引き金は1992年に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンだが、そのベースにはアメリカ経済の急速な衰退がある。その原因は支配層の強欲さ。アメリカが「唯一の超大国」になったことで、自分たちは「絶対的な支配者」になったと錯覚、その政策は庶民の怒りを買うことになる。 強欲な支配層の重要な機関のひとつがWTO。これは1995年にGATTを引き継ぐ形で創設された組織で、経済や金融で圧倒的な力を持つ巨大企業に対する規制を緩和、あるいは消滅させる方向へ世界を導こうとしてきた。 1996年にOECDの閣僚理事会が交渉開始を決めたMAIは、投資の自由化を進め、投資保護の義務や紛争解決の手続きを規定、労働や環境基準についても定めることになっていた。巨大資本が自由に投資、問題が生じても投資は保護され、巨大資本に有利な形で紛争を処理、労働条件の悪化や環境の破壊を招くことが予想されたために批判を浴び、交渉は失敗する。そのMAIを強化した形で復活させたのが現在進行中のTPPだ。TPPの交渉が秘密裏に進められているのは、こうした過去の失敗があるからにほかならない。「残業代ゼロ」など安倍晋三政権は労働環境を劣悪化させる政策を次々と打ち出しているが、これはTPPを先取りしているということだろう。 巨大資本が世界を支配するシステムは「グローバル化」という側面を持つ。1999年にアメリカのシアトルでWTOの閣僚会議が開かれた際に激しい抗議活動があり、それに参加した人は少なくとも4万人、おそらく10万人が集まった。このグローバル化と同時に進行していた投機経済も破綻に向かっていた。 こうした流れの中、2000年には大統領選挙があった。民主党のアル・ゴアと共和党のジョージ・W・ブッシュが争ったのだが、選挙戦が始まる前、最も人気があったのはジョン・F・ケネディ・ジュニア、つまり1963年11月22日に暗殺されたJFKの息子だった。 本人は出馬を否定していたが、実際に立候補した場合、民主党でも共和党でもない人物が大統領に選ばれる可能性があった。こうしたことが実現したなら、アメリカの支配システムは揺らぐところだったが、そうしたことは起こらなかった。1999年7月、JFKジュニアを乗せたパイパー・サラトガが墜落、乗っていた全員が死亡してしまったのである。 大統領選挙では不正が指摘され、最終的には裁判所の判断でジョージ・W・ブッシュの当選が決まった。大統領に就任したブッシュは「中国脅威論」を叫んでいたが、自分たちの「財布」だったエンロンが破綻、任期を全うできるかどうかも怪しい雰囲気だった。そうした状況を一変させたのが2001年9月11日の出来事。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アフガニスタンに続いてイラクを軍事侵略、その後、戦乱を中東、南北アフリカ、そしてウクライナへと広げている。ウォルフォウィッツ・ドクトリンを実行しているとも言える。 しかし、軍事力で世界を制圧するというプランは破綻しつつあり、ロシアと中国との同盟強化によってドルが基軸通貨の地位を失いつつあり、IMFやIBRD(世界銀行)を中心としたシステムにも揺らいでいる。そのひとつの結果がAIIBだ。世界の国々は「アメリカ帝国の終焉」を予測している。アメリカの好戦派に残された手段は限られ、「核戦争」を始める可能性もある。その好戦派への忠誠を公言しているのが安倍晋三首相だ。
2015.04.03
安倍晋三政権に沖縄の民意を無視させているのはアメリカの好戦派だろうが、どのような理由であろうと、そうしたことを可能にさせている主因のひとつは日本国民の意思。そうした行為を容認しているのだ。基地の問題を自分のものとして考えていない。政界、官界、財界のエリートは私的な席で沖縄は日本でないと語っていると聞いたことがあるが、庶民も同じように沖縄を扱っている。 アメリカの好戦派とは、ネオコン/シオニスト、戦争ビジネス、金融/投資ビジネスが中心で、エネルギー産業も絡んでくる。アルゼンチン大統領だったネストル・キルシュネルによると、大統領時代のジョージ・W・ブッシュは「経済を復活させる最善の方法は戦争」だと力説、「アメリカの経済成長は全て戦争によって促進された」と話していたという。この証言はオリバー・ストーンが制作したドキュメンタリー、「国境の南」に収められている。 戦争とは殺戮と破壊を伴うもので、核兵器が配備され、原子力発電所が世界中に存在している現在は人類の死滅もありえる。それでもカネ儲けのために戦争したいのが彼らだ。その欲望を正当化するため、核戦争でアメリカはロシアや中国に圧勝すると主張、自分たちも信じているのだろう。フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文は、アメリカがロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できると主張している。今でもネオコンはそのように考えているようだ。 核戦争の誘惑が強まったのは1991年12月にソ連が消滅してから。何度も書いているが、その翌年にはリチャード・チェイニー国防長官の下、アメリカの世界支配を前面に出したDPGの草案が作成された。作業はポール・ウォルフォウィッツ国防次官、I・ルイス・リビー、ザルメイ・ハリルザドが中心になり、国防総省のONA(ネット評価室)で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルから助言を得ていたという。 この好戦的なDPG草案が作成されたベースには、アメリカが「唯一の超大国」になったという認識がある。「パックス・アメリカーナ」、つまりアメリカによる絶対支配の体制を構築しようというわけだ。 こうした考え方を否定していたアメリカ大統領がいる。1963年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディである。暗殺の5カ月前にアメリカン大学の卒業式で行った演説は、「パックス・アメリカーナ」を否定することから始まり、平和は不可能であり、しかも非現実的だとする考えを「危険な敗北主義的な考え方」であり、人類を破滅させると批判する。 全面戦争が起これば、いずれの国も破壊されるとケネディ大統領は主張、冷戦の段階でも「両国はともに無知と貧困と病気を克服するためにあてることができるはずの巨額のカネを、大量の兵器に投じている」と警鐘を鳴らし、戦争と軍備の廃棄はアメリカの利益と人間の利益に合致していると強調、「われわれは人類壊滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって努力し続けるのです」と演説の最後に語っている。 しかし、この当時の好戦派も自分たちは核戦争で圧勝できると信じ、ケネディ大統領の考え方に同調しなかった。その好戦派の中枢には1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長や日本の大都市に焼夷弾を落とし、広島や長崎へ原爆を投下させて住民皆殺しにする作戦を指揮したカーティス・ルメイ空軍参謀長も含まれている。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、こうしたグループは1957年初頭にアメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせ、1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。そのころ、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。ソ連は中距離ミサイルで対抗するしかなく、そのためにアメリカとソ連はキューバに目をつけた。 現在、アメリカの好戦派は中東、アフリカ、ウクライナ、ラテン・アメリカなど世界中に戦乱を広げ、破壊と殺戮を展開している。バラク・オバマ大統領がイランと核問題で協議していることも気に入らず、アメリカとイランで合意が成立してもイランを攻撃する選択肢は消えないとアシュトン・カーター国防長官は語った。 日米の好戦派が新基地の建設を急いでいる沖縄を日本が植民地化したのは、琉球王国が潰されて琉球藩がでっち上げられた1872年のことだと言えるだろう。1867年に大政奉還で徳川家の支配体制が崩壊、薩摩藩や長州藩を中心とする新体制へ移行している。 それまでは幕府から半ば独立した藩が存在していたが、新政府は中央集権体制を確立するため、自分たちの派遣する知事が支配する県へ移行させる。この廃藩置県は1871年7月。それより後に琉球藩が作られたのは台湾への派兵を睨んでのことだろう。1871年10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、漁民が殺されたとされる出来事が起こり、これを利用して軍隊を台湾へ派遣することになったのだ。そのためには琉球が日本の領土だとする形式が必要だった。 琉球王国が潰されて琉球藩がでっち上げられた1872年、興味深い人物が来日している。厦門の領事を務めていたチャールズ・リ・ジェンダーだ。外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を進めたという。このアメリカ人は1875年まで外務省の顧問を務めている。 日本が台湾へ派兵したのは1874年、その翌年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功した。同条規の批准交換にル・ジェンダーも陪席したという。 日清戦争で清が日本に敗北、閔妃(高宗皇帝の妻)はロシアへ接近、その閔妃を暗殺するために日本の官憲と「大陸浪人」が朝鮮の宮廷に突入した。その際、閔妃を含む女性3名は性的な陵辱を受けたとされている。 暗殺を実行した三浦梧楼公使たちは罪に問われることなく、三浦は後に枢密院顧問や宮中顧問官という要職につく。この段階で日本の朝鮮植民地化の幕は既に開いていて、その後の中国侵略へつながる。日本がイギリスと「日英同盟協約」を結んだ3年後、1905年に伊藤博文は韓国総督に就任、その4年後に暗殺された。「伊藤好き」の人はこの暗殺を愚かなことだと言うが、伊藤を暗殺したとされる安重根は朝鮮/韓国の活動家だ。 その間、日本は閔妃の後ろ盾と見られ、イギリスのライバルだったロシアと戦争しているが、その戦費を用立てたのはアメリカの金融機関、クーン・ローブのジェイコブ・シフ。その当時、日銀副総裁だった高橋是清はシフと親しくなる。 台湾派兵の背後ではリ・ジェンダーというアメリカの外交官が蠢いているが、「明治維新」はイギリスを抜きに語ることはできない。徳川家の支配体制が薩摩藩や長州藩を中心とする勢力に倒されるという出来事は、イギリスがアヘン戦争で中国(清)を侵略しはじめた中で起こった。薩摩藩や長州藩の後ろ盾は、そのイギリス。 1840年から42年にかけて行われたアヘン戦争、56年から60年まで続いたアロー戦争(第2次アヘン戦争)でイギリスは中国に麻薬貿易を認めさせ、利権を手に入れた。その戦争で大儲けしたジャーディン・マセソン商会が1859年に日本へ送り込んだエージェントがトーマス・グラバー。日本での内戦が予想外に早く終わったことからグラバーは破産するが、その後、三菱の顧問に就任する。 1863年に長州藩は井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)をイギリスへ送り出した。その手配をしたのがグラバーであり、渡航にはジャーディン・マセソン商会の船が使われている。この5名、物見遊山に出かけたわけではないだろう。伊藤博文もイギリスの手の中で踊っていたひとりだ。
2015.04.02
アメリカの好戦派はウクライナで本格的な戦争を始める準備をしている。アメリカの議会がキエフ政権側へ武器を供給しろと叫ぶ中、アメリカの戦車が50台ほどウクライナへ運びこれてたとする情報が伝えられている。そして4月からは米第173空挺旅団が290名ほどの将兵をウクライナへ送り込み、「親衛隊」を半年間、訓練するという。この部隊派遣計画は昨年9月に伝えられていたので、実行まで半年以上かかったということになる。また、イギリスのデイビッド・キャメロン首相も75名の軍人を「ロシアの軍事侵略」との戦いを支援するために派遣するとしている。 1月21日にアメリカ欧州陸軍司令官のフレデリック・ベン・ホッジス中将を中心とする代表団がキエフ入りし、国務省の計画に基づき、キエフ政権の親衛隊を訓練するためにアメリカ軍の部隊を派遣する意向を示したが、これも第173空挺旅団の派遣と一体の話だろう。 本ブログでは何度も書いたことだが、ウクライナの正規軍や治安機関には、クーデターで権力を奪取したネオ・ナチに従いたくないという人が少なくないようで、一部は東部や南部での独立戦争に参加している。そこで、キエフ側は戦闘員不足ということになる。そこで、グルジアのパンキシ渓谷を拠点としているチェチェンの武装勢力、あるいは中東/北アフリカで暴虐を尽くしているIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)の戦闘員が利用されることになると予想する人もいる。 昨年3月16日にクリミアではロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う住民投票が実施され、圧倒的多数が賛成した。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成したという。これが民意だが、その民意を無視しろというのが西側の基本スタンス。 当初、クリミアでは小さないざこざはあったが、すぐ平穏になる。クリミアにいたウクライナ軍の将兵は多くが住民側につき、現地に駐留していたロシア軍との戦闘はなかった。1997年にウクライナとロシアとの間で締結された協定は2万5000名までのロシア軍が駐留することを認め、それに基づいて1万6000名が駐留、キエフ政権や西側の政府やメディアはこの1万6000名を軍事侵攻してきたロシア軍だと宣伝していた。この協定の存在を西側の政府やメディアが知らないとは思えない。 ドネツクやルガンスクではキエフ軍の攻撃で住宅地を含む建造物が破壊され、多くの住民が殺されたが、クリミアは違う。キエフ政権や西側の兵糧攻めにあっているが、とりあえず人びとは平穏な生活を送っている。クリミアは周囲を海に囲まれているため、キエフ軍が攻撃しにくかったということもあるだろう。キエフ軍が介入しなければ破壊も殺戮も起こらないということだ。 当初、ドネツクやルガンスクではクリミアほど独立の意思は強くなく、連邦制を主張していたが、キエフ軍の攻撃は状況を大きく変えた。キエフ軍が破壊と殺戮を繰り返し、約100万人の住民がロシアへ避難せざるをえなくなっている現在、連邦制は論外だろう。その難民には老若男女が含まれ、小さい子どもを抱えた家族は真っ先にロシアへ避難しているようだ。年齢による差は感じられない。高齢者はロシア、若者はアメリカという思い込みはしないほうがいい。 避難した後、自宅へ戻った住民もいる。「全てが正常」とウクライナのメディアが宣伝したこともあったようだが、自宅へ戻ると、そこには知らない人たちがいて、元の住民はほとんど戻っていなかったとするレポートもある。西側から移住してきた人びとに占拠されていたということだ。 東部や南部はクーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領の支持基盤で、そうした人びとを追い出し、そこへユリア・ティモシェンコを支持したような人びとが入り込んだということだろう。ドネツクやルガンスクでの民族浄化作戦に参加した戦闘員は略奪を認められていたとも言われているので、住居も「戦利品」と見なされていたのかもしれない。2010年に行われたウクライナ大統領選挙の投票動向:青系がヤヌコビッチ支持 東部や南部での抵抗が予想以上に強く、キエフの送り込んだ部隊は惨敗、ロシア軍も介入してこないためNATO軍も手詰まり、しかもキエフ側で内紛が起こっている状況の中、アメリカは態勢の立て直しに躍起だ。 言うまでもなく、好戦派の中心はネオコン/シオニスト。クーデターを指揮していたビクトリア・ヌランド米国務次官補、ジョン・マケイン議員、ジョー・リーバーマン議員などは筋金入り。やり過ぎと判断されたのか、アメリカも押さえにかかっているドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー元知事はウクライナ、イスラエル、キプロスの三重国籍を持っているが、この人物もシオニスト。 ネオコンの思想的な支柱はシカゴ大学のレオ・ストラウス教授とされている。ポール・ウォルフォウィッツやエイブラム・シュルスキーといったネオコンの中枢で活動している人物もストラウス教授の下で博士号を取得した。ストラウスは1920年代にドイツのフランクフルト大学でマルチン・ハイデッガーから思想面で大きな影響を受けたという。 戦略的な方面で大きな影響力を及ぼしたと言われているのがシカゴ大学のアルバート・ウールステッター教授。ソ連を敵視していたことで知られ、ポール・ニッツェと近く、ウォルフォウィッツも教え子のひとりだ。 大学を出たネオコンの「幹部候補」を育てる場所はヘンリー・「スクープ」・ジャクソン上院議員の事務所と軍備管理軍縮庁。ジャクソン議員の顧問だったハーバード大学のリチャード・パイプス教授は対ソ連強硬派として有名なシオニスト。こうした場所で育った人物にはリチャード・パール、ダグラス・フェイス、エリオット・エイブラムズ、シュルスキー、ウォルフォウィッツ、ニッツェなどが含まれている。 メディアの世界で大きな影響力を持つルパート・マードックやイギリスの首相だったトニー・ブレアはこうした人びとの活動を支援しているが、両者ともジェイコブ・ロスチャイルドと緊密な関係にあることで有名。マケイン議員もロスチャイルドと強いつながりがあり、2008の大統領選挙ではジェイコブと息子のナットがロンドンで資金調達のためのパーティーを主催している。ヘンリー・キッシンジャーはエドモンド・ド・ロスチャイルドの友人だ。
2015.04.01
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