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ドナルド・トランプ大統領は側近との個人的な会話の中で、アメリカが攻撃された場合に自衛隊が支援することを義務づけるべきだという考えを明らかにしたと報じられている。当然、アメリカが先制攻撃し、反撃された場合も含まれるだろう。アメリカの戦争へ自衛隊も参加する義務を課すべきだということにほかならない。 過去を振り返ってみて、アメリカが先制攻撃を受けたと言えるのは日本軍による真珠湾攻撃くらいだろう。アメリカが攻撃を受けたと主張されているケースはあるが、自作自演の可能性が高いものばかりだ。 例えば1898年にハバナ港で爆沈したアメリカの軍艦メインの場合、南アメリカを侵略するための口実に使われている。アメリカはスペインが実行したと主張、宣戦布告しているのだが、自作自演だったと疑われている。少なくともスペインが実行したことを示す証拠はない。 朝鮮戦争もアメリカが仕掛けていたことは本ブログで繰り返し書いてきた。ベトナム戦争へ本格的に軍事介入する切っ掛けになったトンキン湾事件の場合、1964年7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島を攻撃、翌日にアメリカの特殊部隊員に率いられた南ベトナムの部隊がハイフォン近くにあるレーダー施設を襲撃、その報復として北ベトナムは8月2日にアメリカ海軍の情報収集船マドックスが攻撃されたのである。真ドックスはアメリカ側の攻撃を知らなかったようだ。 1979年に始まったアフガン戦争の場合、パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始、1979年4月には国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づき、CIAはイスラム武装勢力への支援を始めている。(Alfred W. McCoy, “The Politics Of Heroin”, Lawrence Hill Books, 1991) この武装勢力へCIAは武器/兵器を提供、戦闘員を訓練している。その戦闘員を供給したのがサウジアラビア。戦費もサウジアラビアが提供しているが、麻薬取引も資金調達のために使われた。ベトナム戦争の際にケシ(ヘロインの原料)の主要産地は東南アジアだったが、アフガン戦争が始まるとアフガニスタンからパキスタンにかけての山岳地帯へ移動している。 こうしたアメリカの罠にかかったのがソ連。1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻してきた。ブレジンスキーはソ連を「ベトナム戦争」へ引きずり込んだだけでなく、サラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を主力とするジハード傭兵の仕組みをブレジンスキーは作り上げたのである。その傭兵のリストがアル・カイダにほかならない。後にブレジンスキーはアフガニスタンの「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998) 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された際、アメリカ政府は詳しい調査をせず、アル・カイダが実行したと断定、そのアル・カイダ系武装集団を人権無視で弾圧していたイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒し、国を破壊し、人びとを殺し続けている。攻撃の直前、「大量破壊兵器」が宣伝されたが、これは嘘だった。 本ブログでも繰り返し書いているが、2011年春に始まったシリアやリビアでの戦闘もアメリカなどがジハード傭兵を送り込んで始まった。これらを内戦と呼ぶことは間違っている。侵略戦争にほかならないのだ。 シリアの場合、ロシア軍の介入もあってアメリカなどが送り込んだジハード傭兵は敗走した。その穴をアメリカ軍とその配下のクルドが埋めている。 イランの親イスラエル王制が倒された後、1980年代からネオコンはイラクのフセイン体制を倒し、シリアとイランを制圧するというプランを持っていた。そのプランに従い、イランが攻撃されている。 ネオコンは1992年はじめに世界制覇プランを作成した。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。1991年12月にソ連が消滅、アメリカが唯一の超大国になったという前提で書き上げられたのだが、21世紀に入ってロシアが再独立、ネオコンはロシアの属国化を目指している。 トランプはネオコンとライバル関係にあるイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と近いのだが、そのネタニヤフは大イスラエルの実現が目的で、イランの制圧が最優先されている。 いずれにしろ、アメリカが攻撃されるのはアメリカによる侵略の結果だ。日米安保で日本が守られているという主張は戯言にすぎない。
2019.06.30
ドナルド・トランプ大統領が6月29日にソウル郊外のアメリカ軍基地に到着、韓国大統領府で文在寅大統領の出迎えを受けた。トランプは韓国滞在中に朝鮮の金正恩労働党委員長と「会うかもしれない」と述べている。文大統領は朝鮮とアメリカが首脳会談の実現に向けて水面下で話し合っているといくつかのメディアに語っていたが、これを朝鮮が否定していた。 朝鮮にしろイランにしろ、アメリカ政府は脅して屈服させるという従来に手法を踏襲したが失敗している。その手法を推進しているのはマイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官。最近ではCIAのジーナ・ハスペル長官の名前も挙がっている。 今年2月27日と28日にかけて朝鮮とアメリカはベトナムのハノイで首脳会談を実施しているが、合意に至らなかった。その理由について両国の主張は違った。アメリカ側は、金正恩が核施設を廃棄する見返りに経済制裁の全面解除を求めたことが原因だとしていたが、朝鮮側は制裁を部分解除する条件として核施設の廃棄を提示したところ、アメリカ側は拒否、核プログラムの完全的な廃棄を要求し、さらに生物化学兵器も含めるように求めたとしている。さまざまな情報を勘案すると朝鮮側の説明が正しいようだ。 米朝の首脳会談が決裂してから2カ月後に金正恩委員長は列車でウラジオストックを訪れてウラジミル・プーチン大統領と会談。その際にプーチン大統領は金委員長によるアメリカとの「関係正常化の努力」と韓国との対話を歓迎したという。さらに、中国の習近平国家主席が6月20日から21日にかけて朝鮮を訪問、金正恩委員長と会談している。朝鮮とアメリカが水面下で話し合いを進めていたのかどうか不明だが、それが事実であっても事実でなくても、朝鮮は中国やロシアと連絡を取り合っているだろう。 日本では今でも世界情勢をアメリカ中心に語ろうとする人が多いようだが、そうした時代はすでに過去のものだ。
2019.06.30
インドはアメリカにとってもロシアにとっても中国にとっても戦略上、重要な位置にある。インドのナレンドラ・モディ首相はイスラエルと緊密な関係にあり、昨年(2018年)5月末にアメリカの太平洋艦隊がインド・太平洋軍へ名称変更になった際、インドがインド洋の拠点になると言われた。そのインドが現在、ロシアや中国との関係を深めている。 そうしたインドの動きを象徴しているのがロシア製防空システムS-400の購入契約だろう。この正式な契約が署名されたのは2018年10月。2020年10月に引き渡されると言われている。この契約を破棄させようとアメリカ政府は必死だが、今のところそうした流れにはなっていない。圧力対策として、支払いをユーロにする可能性があるともインドで報道されている。 NATO加盟国であるトルコもロシアとS-400を購入する契約を結び、早ければ今年7月の前半に引き渡されるという。トルコにもアメリカから購入しないように圧力がかかっているが、今とのところ無視されている。 バラク・オバマ政権がウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除、EUとロシアを分断しようとした。EUに対するロシアの影響力をなくし、ロシアからEUというマーケットを奪って経済破綻させようとしたのだろうが、ロシアは目を東へ向け、中国と手を組んだ。両国は現在、戦略的な同盟関係にある。しかもEUとロシアとの関係は切れていない。 アメリカは中国とロシアが手を組むとは想定していなかったようだ。1980年頃から中国は新自由主義を導入、エリート層の若い世代はアメリカへ留学、「洗脳」していたからである。コントロールしているつもりでコントロールできていなかった。そこで経済戦争を仕掛けているのだが、ドナルド・トランプ政権の思惑通りに進んでいるとは思えない。 6月14日から15日にかけてSCOの首脳会談がキルギス共和国で開催されたが、中国、ロシア、インドのほかパキスタンもメンバー国のひとつ。パキスタンは歴史的にインドと対立関係にあるが、両国ともSCOに加盟している。 そのパキスタンのイムラン・カーン首相がキルギスでロシアのウラジミル・プーチン大統領と非公式に会っている。ロシアを介してインドとパキスタンが経済的な結びつきを強める可能性もあるだろう。 パキスタンはイスラム国ということもあり、イランとは友好的な関係にある。そのイランはSCOのオブザーバー国だ。こうした連携をアメリカの支配層は嫌がっているだろう。 そうした中、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の戦闘員がパキスタンやインドへ移動しているという。シリアでロシア軍との戦闘で敗れて逃げ込んだという見方もあるが、アメリカの情報機関や軍がその戦闘員を再編成し、新たな工作に使う可能性もある。アメリカはシリア東部からイラク西部にかけての地域でもそうした戦闘員を再訓練、武器/兵器を供給している。
2019.06.29
69年前の6月25日に朝鮮戦争が勃発、「国連軍」と称するアメリカ軍は63万5000トンにおよぶ爆弾を投下、北側に住んでいた人びとの20%以上を殺している。ちなみに、アメリカ軍が第2次世界大戦で日本へ投下した爆弾は約16万トンだ。 この戦争は北からの軍事侵攻で始まったとされているが、その当時、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると情況は違う。朝鮮半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というものだったという。元特務機関員で戦後はCIAの工作員をしていた中島辰次郎によると、開戦の数カ月前からアメリカ側の命令で彼らは挑発作戦を実行していた。 朝鮮戦争が始まったとされる日の3日前、来日中のジョン・フォスター・ダレスは吉田茂と会談、その日の夜に興味深い夕食会に出席している。 ニューズウィーク誌東京支局長だったコンプトン・パケナムの自宅で開かれたのだが、出席者はダレスとパケナムのほか、ニューズウィーク誌のハリー・カーン外信部長、ダレスに同行してきた国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、そして日本側から大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三だ。 夕食会の翌日、韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州を占領しているのだが、28日にはソウルが朝鮮軍に占領され、韓国軍は馬山、大邱、浦項を結ぶ三角地帯に押し込められてしまう。アメリカはソ連が欠席している国連の安全保障理事会で「国連軍」の派遣を決めて反撃を開始するが、苦戦した。指揮していたアメリカ軍の将校が山岳地帯での戦闘に不慣れだったことが原因だという。 戦況が変化するのは1950年9月の仁川上陸作戦から。そこから北上し、南部を占領していた朝鮮軍を孤立させることに成功するが、その作戦の背後では旧日本軍の将校がアドバイスしていたとも言われている。それに対し、約30万人の中国軍が「義勇軍」として参戦、38度線まで押し戻す。中国はアメリカ軍の目的が中国にあることを理解していたのだろう。 旧日本軍は台湾でも活動を始めていた。蒋介石たち国民党は1949年から岡村寧次大将などに接近している。旧日本軍の将軍たちが処刑される中、岡村は無罪の判決を受けて帰国、GHQ/SCAPの保護下に入った。中国共産党は岡村大将を引き渡すように要求したが、無視されている。 1949年4月に蒋介石は岡村の下へ曹士徴を密使として派遣、曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して台湾義勇軍を編成することで合意、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。 白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡る。この白団を旧日本軍将校のグループが支援、その背後にはアメリカ軍が存在していた。白団は「私設顧問団」ということになるが、それでも1969年に解散するまで台湾に大きな影響力を及ぼし続ける。 朝鮮戦争の最中、1954年4月にCIAの顧問団に率いられた国民党軍約2000名は中国領内へ軍事侵攻している。一時は片馬を占領したものの、反撃にあって追い出された。翌年の8月にも国民党軍は中国へ侵攻しているが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わっている。 この顧問団はCIAの秘密工作部門のメンバー。アメリカとイギリスは第2次世界大戦中、コミュニストが主力だったヨーロッパのレジスタンスに対抗する目的でジェドバラを設置しているが、大戦後、その人脈を中心にしてOPCが組織された。そのOPCが1950年10月にCIAの内部へ入り込み、CIAの秘密工作部門になったのだ。 朝鮮戦争でアメリカは勝利できず、1953年7月に休戦。翌年の1月に国務長官のダレスはNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成する。 ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された後、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは「トンキン湾事件」という挑発作戦を利用してベトナムに対する本格的な軍事攻撃を開始するのだが、これは遅くとも1954年の段階でアメリカの支配層が決めていたシナリオだと言えるだろう。
2019.06.28
アメリカの支配層は自分たちの意に沿わない国、組織、人物をさまざまな手段を使い、攻撃してきた。1991年12月にソ連が消滅するまでは一応、国連を尊重していたが、それ以降は単独行動主義を打ち出している。日本では国連中心主義を主張していた細川護煕政権が潰されてしまった。1994年4月のことである。 勿論、細川政権が成立するはるか前から日本とアメリカは軍事同盟を結んでいた。日米安保条約だ。この条約によってアメリカ軍は日本占領が認められている。アメリカが日本を占領し続けたい理由は、日本が侵略のための重要な拠点だからだ。その日本がより積極的にアメリカの戦争に加担することを求められたのである。 細川政権が設置した諮問機関の防衛問題懇談会はその年の8月に「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」というタイトルの報告書発表したが、ネオコンはこの報告書を問題視する。国連中心主義に基づいて書かれていたからだ。 このレポートを最初に問題だと主張したのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニン。ふたりはカート・キャンベル国防次官補(当時)を説得してジョセイフ・ナイ国防次官補(同)らに自分たちの考えを売り込む。そしてナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。ナイ・レポートを境にして日本はアメリカの戦争マシーンへ組み込まれていく。 そうした動きを後押しする出来事も引き起こされた。例えば1994年6月の松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件、その直後には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されている。國松は1994年7月に城内康光から引き継いでいた。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われるスターズ・アンド・ストライプ紙が日本航空123便に関する記事を掲載、その中で自衛隊の責任を示唆している。 その一方、日本の支配システムを揺るがす出来事も相次ぐ。株式相場の暴落直後の証券スキャンダルでは興銀と東洋信金が関係した不正取引も明らかになった。この取り引きはマネーロンダリングだったという疑いも持たれている。1995年の大和銀行ニューヨーク支店の巨額損失発覚、98年には長銀事件だ。銀行の業務には大蔵省(現在の財務省)が深く関与、不正行為に官僚が無関係だとは言えないだろう。この推測が正しいなら、アメリカの支配層は日本の金融システムの弱みを握り、自由に操る体制ができたと言える。 第2次世界大戦の終盤、1945年4月にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は急死、ホワイトハウスの主導権はウォール街が奪還して大統領はハリー・トルーマンになる。 トルーマン政権は中国に国民党政権を樹立しようとするが、失敗。破壊工作機関のOPCも1949年には拠点を上海などから日本へ移動させている。その年に国鉄を舞台とした怪事件、つまり下山事件、三鷹事件、松川事件が引き起こされたのは興味深い。 中国は19世紀にイギリスから侵略されている。1840年に勃発したアヘン戦争と56年に始まった第2次アヘン戦争だ。香港はその時にイギリスが中国から奪った場所。その後、略奪の拠点として機能する。イギリスやアメリカが香港を手放そうとしないのはそのためだ。アメリカが麻薬取引と深く関係していた蒋介石の国民党に肩入れしたのもそうした背景が影響しているのだろう。 アヘン戦争と第2次アヘン戦争でイギリスは勝利したが、それは海戦。運輸の中心である海をイギリスに押さえられた中国は苦境に陥るが、イギリスには内陸部を支配する戦力はない。アヘン戦争に投入されたイギリス軍は5000名。7000名はインドの兵士だ。第2次アヘン戦争でイギリス軍は兵士の数を増やしたが、それでも1万3127名。フランスから7000名ほどが参加している。 圧倒的にイギリスは戦力が不足している。そこで目をつけられたのが日本。明治維新はそうした側面から考える必要がある。ちなみに日清戦争で日本軍は24万人が投入された。明治維新以降、日本は大陸侵略の拠点であり、日本人はアングロ・サクソンの傭兵としての側面がある。 この構図が揺らいだのはフランクリン・ルーズベルトが大統領だった1933年3月から45年4月。当時、日本を支配していたウォール街がホワイトハウスの主導権を奪われていたのだ。ただ、それでも1932年にJPモルガンの中枢にいたジェセフ・グルーが駐日大使になっている意味は小さくない。なお、大戦後に日本の進路を決めたジャパン・ロビーの中心にもグルーはいた。GHQや吉田茂は日米主従構造において脇役にすぎない。主役はウォール街と昭和天皇だ。戦争が終わった直後、ウォール街の代理人を務めていた人物がジョン・フォスター・ダレスにほかならない。 アヘン戦争以降、アングロ・サクソンにとって東アジアで最も重要な侵略ターゲットは中国。現在、中国と同盟関係にあるロシアも重要な獲物だ。1991年12月にソ連が消滅した直後に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリン、アメリカが唯一の超大国になったと認識したネオコンが描いた世界制覇プランを実現するためにもアメリカは中国とロシアを屈服させる必要がある。そのプランを放棄しない限り、ドナルド・トランプがどのようなことを書き込もうと、彼らが日米安保条約を放棄することはありえない。
2019.06.27
アメリカのミサイルシステム「イージス・アショア」を安倍晋三政権は萩市と秋田市に配備する準備を進めているが、いずれも地元で強い反発にあっている。 以前から弾道ミサイル防衛システムは先制核攻撃とセットになっているという考え方がある。先制核攻撃で破壊し損なった相手国の弾道ミサイルを迎え撃つことが目的だということである。 防衛力の増強にはそうした側面があるのだが、イージス・アショアはそれ自体が攻撃兵器になるという問題もある。その発射装置がトマホークのそれと同じだからだ。トマホークは射程距離が2500キロメートルという巡航ミサイル。つまりウラジオストックや平壌は勿論、北京も射程圏内に入るのだ。 アメリカ軍は東アジアだけでなくヨーロッパにもイージス・アショアやTHAAD(終末高高度地域防衛)を配備している。ルーマニアやポーランドにアメリカは潜在的攻撃ミサイルを並べているのだ。 こうした軍事的な恫喝に対し、これまでロシアは「上品」に振る舞ってきた。ロシアのエリート層、特に経済分野には欧米を崇拝する人びとが残っていることも理由のひとつだろう。 そうした情況が少し前から変化している。アメリカやイギリスが常軌を逸した言動を繰り返し、法と秩序を公然と無視する様子を見て欧米幻想から目覚めた人もいるだろう。 1991年12月にソ連が消滅して以降、ネオコンなどの好戦派はアメリカが唯一の超大国になったと信じ、ロシアはアメリカが何をしても刃向かわないと考えるようになった。 新自由主義にドップリ浸かった中国の場合、エリート予備軍はアメリカ留学で洗脳されてきた。中国人はカネ儲けできればほかは気にしないと思い込んでいる人が西側にはいた。 しかし、ここにきてロシアはアメリカへの幻想を捨てた。イランや朝鮮もアメリカを交渉のできる相手とは考えなくなっている。アメリカなど西側が軍事力を増強すれば対抗措置を執るようになったのだ。 アメリカがヨーロッパで軍事力を増強してロシアを挑発する中、ロシアのフリゲート艦ゴルシコフ提督が6月24日にキューバのハバナ港へ入った。こうした動きを見て1962年の出来事を思い出した人もいるだろう。 その背景にはアメリカのソ連に対する先制核攻撃作戦があった。ソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦をアメリカ軍が作成したのは1957年のことだ。その前からアメリカの好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画していたが、これは具体的なものだった。 沖縄で「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収、軍事基地化が推し進められたのはその頃のことだ。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づいて武装米兵が動員された暴力的な土地接収だった。1955年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。 萩市や秋田市へのイージス・アショア配備はアメリカの戦略に基づいている。そのアメリカを支えてきたドル体制と情報支配が揺らぎ、帝国は崩壊の危機に瀕している。 ドル体制と情報支配を揺るがしているのはロシアと中国。アメリカ帝国を維持するためにはロシアと中国を潰し、その富を略奪、エネルギー資源を支配する必要がある。そうしなければアメリカ帝国は崩壊を免れない。新たな世界秩序もアメリカの支配層が望むものではなくなるだろう。萩市や秋田市へのイージス・アショア配備にはそうした背景がある。
2019.06.26
アメリカがロシアの送電システムを破壊するための工作を実行してきたと伝えたニューヨーク・タイムズ紙に対し、ドナルド・トランプ米大統領は反逆だという言葉を浴びせた。その批判に対する同紙の反論が話題になっている。報道する前に政府へ記事の内容を説明していると書いたのだ。検閲と言われても仕方がないだろうが、大統領の指揮系統外に検閲者はいる。 アメリカの有力メディアとCIAとの関係は少なからぬ人が取り上げてきた。第2次世界大戦の前からメディアにはプロパガンダ機関としての側面があったが、大戦後にはメディアをコントロールする目的でプロジェクトがスタートしている。いわゆるモッキンバードだ。 本ブログで繰り返し書いてきたように、プロジェクトの中心人物はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、フィリップ・グラハムの4名。 ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士でCIAやその前身であるOSSで秘密工作に関わっていた。ダレスはそうした工作を指揮していた人物であり、ウィズナーはその下にいた。 ヘルムズもダレスの側近だった人物で、ヘルムズと同じようにCIA長官になった。国際決済銀行初代頭取の孫という側面もある。 グラハムはワシントン・ポスト紙の社主だった人物で、妻のキャサリンはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを失脚させた当時のワシントン・ポスト紙社主。キャサリンの父親は世界銀行の初代総裁だ。 ウォーターゲート事件の取材は若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが中心になって行われたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校。記者としては素人に近く、事実上、取材はバーンスタインが行ったと言われている。 バーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いた。これはウォーターゲート事件以上に重要な記事だ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) その記事によると、20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。 CIAが有力メディアを情報操作のために使っていることはフランク・チャーチ上院議員を委員長とする情報活動に関する政府の工作を調べる特別委員会でも明らかにされた。 勿論、CIAからの圧力があり、チャーチ委員会は記者、編集者、発行人、あるいは放送局の重役から事情を聞いていない。当時のCIA長官、つまりウィリアム・コルビー(1973年9月から76年1月)やジョージ・H・W・ブッシュ(1976年1月から77年1月)たちから調査をやめるように働きかけたことが影響したようだ。 コルビーからブッシュへの長官交代も情報統制を強化する意味があった。ニクソンが失脚した後、副大統領から大統領へ昇格したジェラルド・フォードはホワイトハウスからデタント派を排除するが、コルビーの解任もその一環。コルビーは議会で秘密工作の一端を明かしているが、そうした証言は支配層を怒らせていた。 当時、ブッシュを情報活動の素人だと言う人が少なくなかったが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が非常に高い。当時からの親友、ジェームズ・リリーもCIAの高官になる。このふたりは学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったという。 ブッシュは1989年1月から大統領を務めているが、その年の4月にリリーは中国駐在の大使になっている。このふたりは中国との関係が深い。 この当時、アメリカはソ連と中国で体制転覆の秘密作戦を展開中だった。ソ連ではブッシュたちCIA人脈とソ連のKGBの中枢が手を組んで作戦を成功させたが、中国では失敗している。 バーンスタインの記事などでCIAとメディアとの関係が明らかにされた後、そうした関係は解消されていない。それどころか強化されてきた。新自由主義が世界を侵食する中、巨大資本によるメディア支配を容易にするように規制は緩和され、帰国ある記者や編集者は排除されていく。こうしたことは日本でも引き起こされていた。 9/11以降、報道統制は加速度的に強化されていくが、その一端をニューヨーク・タイムズ紙の記者だったジェームズ・ライゼンも明らかにしている。 個人的な経験だが、1980年代にアメリカやイギリスのジャーナリストに対し、日本のマスコミがいかに酷い状態かを説明すると、異口同音に「どの国も同じ」という答えが返ってきた。自分が所属している国の状態を棚に上げ、日本のマスコミは駄目だと語る人は信用できないと考えている。 言うまでもなく、アメリカだけに報道統制の仕組みがあるわけではない。例えばイギリス。この国にはDSMA通告(以前はDA通告、D通告と呼ばれた)があり、安全保障に関係すると見なされた情報の報道をしないように要請できる。 イギリスの場合、BAP(英米後継世代プロジェクト)も報道統制に貢献している。ロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つ富豪を呼び、軍事や治安問題で一緒に仕事のできる「後継世代」について話し合っているのだが、その結果、BAPはつくられた。その中には編集者や記者も参加する。イスラエルを後ろ盾としているトニー・ブレアを支援していた。 ちなみに、日本では昔から自己検閲が徹底している。
2019.06.25
アメリカのジョン・ボルトン国家安全保障補佐官が6月22日にイスラエルを訪問、23日にベンヤミン・ネタニヤフ首相とイランを巡る問題について話し合い、24日と25日にはボルトンのほかイスラエルで国家安全保障担当の顧問を務めるメイア・ベン・シャバトやロシアのニコライ・パトルシェフ安全保障会議長官が会合を開く。 その直前、6月13日にオマーン沖で日本の国華産業が運行する「コクカ・カレイジャス」(パナマ船籍)とノルウェーのフロントラインが所有する「フロント・アルタイル」(マーシャル諸島船籍)が攻撃され、6月20日にはアメリカ海軍の無人偵察機MQ-4C トライトン(RQ-4 グローバルホークのアメリカ海軍向けドローン)がイランの防空軍に撃墜されている。 タンカーが攻撃された直後、アメリカ中央軍は「コクカ・カレイジャス」から機雷を除去している「イランの船員」の様子を撮影したとする映像を公開したが、国華産業の堅田豊社長6月14に開かれた記者会見で攻撃の際に乗組員が「飛来物」を目撃していたことを明らかにし、「間違いなく機雷や魚雷ではない」と発言、「イランによる攻撃」というアメリカ側の偽旗作戦は不発に終わった。 ドローンが撃墜された後、イラン側は徐々に詳しい情報を明らかにしている。22日にはジャビアド・ザイフ外相がドローンの詳しい航跡図を公表、撃墜地点がイランの領海内だということを強調、同時に回収された残骸も明らかにした。 偽旗作戦の失敗を受け、ボルトンとネタニヤフは次の一手について協議したかもしれないが、世界の目は冷たい。ロシアのアメリカに対する姿勢も厳しくなった。 2014年2月のウクライナでバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターを実行した後、ウラジミル・プーチン大統領の姿勢は変わり、15年9月にはシリア政府の要請で同国へ軍事介入したが、それ以降もロシアのアメリカに対する姿勢は厳しくなっている。 アメリカの属国である日本もイランの問題ではアメリカに同調しきれていない。アメリカの支配層に従うことで自らの地位と財産を維持している日本のエリートたちだが、イランの問題ではアメリカに従うと自らの地位と財産が揺らぐ可能性がある。腐敗したエリートが支配的な位置から陥落した場合、落ちていく先は刑務所だ。
2019.06.24
ロンドンを訪問していたサウジアラビアの情報機関、つまりGIP(総合情報庁)の長官を務めるハリル・アル・ハミダンはドナルド・トランプ米大統領がイランに対する攻撃を中止した直後、イギリス当局にイランの軍事施設への限定的な攻撃を実行して欲しいと要請したとする情報が流れている。イギリス政府の高官が語ったようだ。 トランプ大統領が攻撃を中止したということは、その前に一旦は攻撃を決めたということになるが、トランプがイランへの攻撃を承認したことを示す証拠はない。サウジアラビアやイスラエルがアメリカにイランを攻撃させたがっていることは確かなようだが、今回の情報が正しいとは限らない。 イランへの攻撃を望んでいる人物としてマイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官のほか、最近ではCIAのジーナ・ハスペル長官の名前が挙がっているが、アメリカ軍の中枢である統合参謀本部は攻撃に反対している。 前にも書いたことだが、戦力が全く足りない。「限定的な攻撃」という身勝手なシナリオ通りに実際の戦争が展開する保証は全くない。思惑通りに進まないのが戦争だ。1991年12月にソ連が消滅してから始められたネオコンを中心とする好戦派の世界制覇戦争はその最たるものだ。 2003年にイラクを侵略する際、ドナルド・ラムズフェルド国防長官は10万人で十分だと主張していたが、エリック・シンセキ陸軍参謀総長(当時)は治安を保つためには80万人が必要だとしていた。結局、約31万人が投入されたのだが、足りなかった。 そのイラクの人口は約2600万人であるのに対し、イランは8100万人。3倍強だ。イラクで80万人が必要だったという想定が正しいとするならば、イランでは240万人以上が必要ということになる。つまりアメリカ軍がイランを制圧することは無理だ。そうした批判をかわすために「限定的」という修飾語を使うのだろうが、そのように都合良くは進まない。
2019.06.24
オマーン湾でアメリカ海軍の無人偵察機MQ-4C トライトン(RQ-4 グローバルホークのアメリカ海軍向けドローン)が撃墜された際、哨戒機のP-8 ポセイドンも一緒に飛行していたのだが、P-8は撃ち落とさなかったとIRGC(イラン革命防衛隊)を指揮するアミル・アリ・ハジザデは記者に語っている。警告としては無人機の撃墜で十分だと判断したのだという。 MQ-4Cは6月20日に撃墜されたのだが、その前、6月13日に2隻のタンカーがオマーン湾で攻撃を受けている。日本の国華産業が運行する「コクカ・カレイジャス」(パナマ船籍)とノルウェーのフロントラインが所有する「フロント・アルタイル」(マーシャル諸島船籍)だ。 その直後にアメリカ中央軍は「コクカ・カレイジャス」から機雷を除去している「イランの船員」の様子を撮影したとする映像を公開したが、国華産業の堅田豊社長は6月14に開かれた記者会見の席上、攻撃の際に乗組員が「飛来物」を目撃していたことを明らかにし、「間違いなく機雷や魚雷ではない」としている。 アメリカ中央軍、あるいはホワイトハウスのマイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官を含む好戦派はドローン撃墜より前からイランに対する攻撃を目論んでいた。これは国連の内部でも流れていた話だ。戦争はそのように都合良くコントロールできない。そうしたことを理解している統合参謀本部は開戦に反対しているようだ。 そうした反対の声をタンカー攻撃で封じようとしたのかもしれないが、「イラン実行説」はすぐに崩壊してしまった。そして今回の撃墜だ。 この撃墜を受け、ドナルド・トランプ米大統領はイランに対する報復攻撃を承認したとニューヨーク・タイムズ紙は伝え、それを西側の有力メディアは拡散しているが、トランプが本当に攻撃を承認したかどうかは不明。ターゲットはイランのレーダーやミサイル施設だというが、たとえ「限定的」な空爆を意図していたとしても、思惑通りに進まないのが戦争である。 RQ-4/MQ-4Cは偵察機U2の役割を引き継ぐ目的で開発されたとも言われている。アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃計画を作成、その準備を進めていた1950年代後半にソ連上空を偵察飛行していた。ソ連がキューバへ中距離ミサイルを運び込んだことを1962年10月に確認したのもU2だった。 アメリカ側の先制核攻撃へ報復するため、ICBMの開発で後れをとっていたソ連は中距離ミサイルをアメリカに近いキューバへ配備したのだと見ることができる。 ソ連の周辺にミサイルを配備していたアメリカだが、キューバへのソ連がミサイル配備したことがわかると激しく反応、開戦を主張するグループも現れた。(1950年代から先制攻撃を計画していたのだが。)そして1962年10月27日にU2がキューバ上空で撃墜され、同じ日にシベリア上空で別のU2をソ連のミグ戦闘機が迎撃している。 この報告を受け、ロバート・マクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2がソ連の領空を侵犯していた。ジョン・F・ケネディ政権は軍やCIAの好戦派をコントロールしきれていなかったのだ。(Richard J. Aldrich, "The Hidden Hand," John Murray, 2001) ケネディ政権では軍、CIA、FBIの中に「組織内組織」が形成され、政権の政策を無視して動いていた。フランクリン・ルーズベルト政権でもそうした動きがあり、ナチスの残党などが救出されている。ルーズベルトが1945年4月に急死した後、そうした反ルーズベルト派(ウォール街)がホワイトハウスの主導権を奪還した。 ドナルド・トランプ大統領がケネディ大統領より政権内で強い立場にあるとは思えない。
2019.06.22
アムステルダムからクアラルンプールへ向かっていたマレーシア航空17便がウクライナ上空で撃墜されたのは2014年7月17日のことだった。 その年に2月にアメリカのバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使ってビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させたが、ヤヌコビッチの地盤だった東部や南部の人びとはクーデター政権を認めようせず、戦乱は続いていた。 現在でもブーク・ミサイル・システムで撃ち落とされたという説は流れているが、その年の7月23日に現地入りしたBBCの取材チームはそうしたことを示す証拠や証言がないことを確認している。ウクライナの制圧を目論んでいた勢力にとって都合の悪い情報だ。その映像をBBCはすぐに削除したが、コピーがインターネット上を流れた。 その映像に登場する住民によると、旅客機の近くを戦闘機が飛んでいた。キエフ軍の航空機が民間機の影に隠れながら爆撃しているという話も映像に記録していた。現場の周辺では防腐剤のような臭いがしていたとも言われている。 また、旅客機の残骸を調査したOSCE(欧州安全保障協力機構)の調査官も榴散弾ではなく左右から銃撃された可能性が高いと話している。コックピットの下の部分にいくつもの弾痕があるのだが、入射穴と出射穴があり、榴散弾ではなく左右から銃撃された可能性が高いというのだ。ブークが発射されたなら、しばらくの間、軌道上から煙が消えない。地上の人びとは気づき、撮影されただろう。 ロシア国防省はMH17と同じコースを同じ高度でSu-25が飛行していたと説明していた。戦闘機と旅客機との距離は3から5キロメートルだったという。Su-25を実際に操縦した経験のある人びとによると、1万2000メートルから1万4000メートルの高度までは到達でき、MH17を撃墜することは可能だ。MH17とほぼ同じルートを40分弱の差でウラジミール・プーチン露大統領を乗せた航空機が飛行する予定だったとする未確認情報も流れていた。 この撃墜を調査するとしてオランダが主導するJIT(合同調査チーム)が編成された。そのほかベルギー、オーストラリア、ウクライナ(クーデター政権)、そしてマレーシアが含まれている。EUの拠点であるベルギー、アメリカの属国であるオーストラリア、撃墜の実行犯と疑われているウクライナ、そして旅客機が所属するマレーシアだ。 しかし、マレーシアのマハティール・ビン・モハマド首相によると、JITの主張を裏づける証拠がない。同国の調査官はMH17のフライト・レコーダーを調査することを拒否されたという。そうしたこともあり、マハティール首相はJITの結論に納得していないという。同首相もウクライナのクーデター派が実行した可能性を指摘している。 JITはロシア人3名とウクライナ人ひとりの合計4名の国際逮捕状を発行するのだというが、オランダの主任検察官はこの4名が撃墜に関与したことを示す証拠はないとしている。「ロシア」という文字を印象づけることが目的なのだろう。マハティール首相が指摘しているように、この調査は政治的なものだ。
2019.06.21
アメリカ海軍の無人偵察機MQ-4C トライトン(RQ-4 グローバルホークのアメリカ海軍向けドローン)をイランの防空軍が6月20日に撃墜した。アメリカ側は公海上の空域で撃ち落とされたという表現でこの事実を認めている。 過去にはアメリカの無人機が捕獲されたこともあった。2011年12月のRQ-170をイラン領内に着陸させたのだ。この無人機もステルスだったのだが、電子的にイランが乗っ取り、着陸させたと言われている。 イラン側の説明によると、トライトンを撃墜したのは同国が独自に開発した防空システムのコルダド。トライトンはアラブ首長国連邦の基地を離陸、ホルムズ海峡の上空を飛行、イランに近づいていた。ステルス・モードだったという。イランがコルダドを公にしたのは6月9日。その能力をアメリカ海軍は確かめようとしたのかもしれない。 すでにアメリカはイランに対する戦争を始めている。経済戦争は兵糧攻めの一種だ。そうした中、アメリカは軍事的な圧力を強めてきたが、そのひとつの結果が今回の撃墜だと言えるだろう。アメリカが考えている以上にイラン軍の能力が高いことを証明したとも言える。 F-35戦闘機のステルス能力がアメリカが宣伝するほどではないのではないかという声を聞くが、トライトンがステルス・モードで飛行していたことが事実なら、アメリカのステルス技術そのものに対する疑問が高まる。 アメリカの統合参謀本部はイランへの軍事侵攻は無謀だと考えているのだが、マイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官を動かしているグループは戦争を望んでいる。その戦争でアメリカが崩壊することを気にしているとは思えない。 開戦を正当化するため、2003年にイラクを先制攻撃した時と同じことを今回もしているように見える。例えば、6月13日にオマーン沖で日本の国華産業が運行する「コクカ・カレイジャス」(パナマ船籍)とノルウェーのフロントラインが所有する「フロント・アルタイル」(マーシャル諸島船籍)が攻撃を受けたケース。 その直後にアメリカ中央軍は「コクカ・カレイジャス」から機雷を除去している「イランの船員」の様子を撮影したとする映像を公開しているのだが、国華産業の堅田豊社長は6月14に開かれた記者会見の席上、攻撃の際に乗組員が「飛来物」を目撃していたことを明らかにし、「間違いなく機雷や魚雷ではない」としている。アメリカ側の主張が「間違い」だということを明らかにしたわけだ。 アメリカの好戦派は世界を脅しているつもりなのかもしれないが、結果として、自らが「張り子の虎」であることを証明することになっている。
2019.06.21
ロシアのニュースサイト「メドゥーサ」の記者、イワン・ゴルノフに対するに刑事訴追を同国の内務省が証拠不十分だとして6月11日に取り消した。ゴルノフは6月7日に麻薬取引の容疑でモスクワ市警察に逮捕され、欧米の有力メディアで話題にされていた。 このケースについて書くだけの情報を持っていないが、ジュリアン・アッサンジが逮捕された際の有力メディアが冷淡だったこととの対比も話題になっている。 アッサンジは4月11日、エクアドル大使館の中でロンドン警視庁の捜査官に逮捕された。アメリカの支配層が隠しておきたい情報を明らかにしてきたウィキリークスを創設したひとりであるだけでなく、看板的な役割も果たしていた。 その彼をアメリカの当局が秘密裏に起訴したのは2010年4月から11年初めにかけての時期だった。2010年4月にウィキリークスはアメリカ軍がイラクで行っている殺戮の実態を明らかにする映像を含む資料を公開している。 その中にはロイターの特派員2名を含む非武装の人びとをアメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターに乗っていた兵士が銃撃、十数名が殺される映像も含まれていた。 こうした情報をアメリカなど西側の有力メディアで働く記者や編集者は明らかにしたがらない。 例えば、1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落において住民がアメリカ軍の部隊によって虐殺された際、そうした行為を目にしたはずの従軍記者、従軍カメラマンは報道していない。 この虐殺が発覚したのは内部告発があったからである。虐殺の最中、現場近くを通りかかった偵察ヘリコプターのパイロット、ヒュー・トンプソン准尉が村民の殺害を止めたことから生き残った人がいたことも一因だろう。 そうした告発を耳にし、調査の上で記事にしたジャーナリストがシーモア・ハーシュ。1969年11月のことだ。本ブログで繰り返し書いてきたが、この虐殺はCIAが特殊部隊と組んで実行していたフェニックス・プログラムの一環だった。 この秘密作戦を指揮したひとりであるウィリアム・コルビーはCIA長官時代に議会でこれについて証言、自身が指揮していた「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と明らかにしている。解放戦線の支持者と見なされて殺された住民は約6万人だとする推測もある。 ソンミ村での虐殺はアメリカ陸軍第23歩兵師団の第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊の第1小隊によって実行された。率いていたのはウィリアム・カリー中尉。虐殺から10日後、ウィリアム・ウエストモーランド陸軍参謀総長は事件の調査をCIA出身のウィリアム・ピアーズ将軍に命令する。ピアーズは第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIAの台湾支局長を務めていた。事件を揉み消すために人選だろう。 第23歩兵師団に所属していた将校のひとりがコリン・パウエル。ジョージ・W・ブッシュ政権の国務長官だ。2004年5月4日にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、彼は自分も現場へ入ったことを明らかにしている。 ジャーナリストのロバート・パリーらによると、パウエルはこうした兵士の告発を握りつぶし、上官が聞きくない話は削除する仕事をしていたという。その仕事ぶりが評価され、「異例の出世」をしたと言われている。 この当時から組織としてのメディアは支配層の宣伝機関にすぎなかった。これも本ブログで繰り返し書いてきたが、そうした機能を推進するためにモッキンバードと呼ばれるプロジェクトを第2次世界大戦が終わって間もない段階で始めている。 日本ではウォーターゲート事件を調査、「大統領の陰謀」を明らかにしてリチャード・ニクソンを辞任に追い込んだワシントン・ポスト紙を崇める人が今でもいるようだが、モッキンバードの中枢にいた4名はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムである。 ウォーターゲート事件はワシントン・ポスト紙の若手記者ふたりが中心になって取材したが、ボブ・ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校で記者としては素人に近く、事実上、取材はカール・バーンスタインが行ったという。 そのバーンスタインは1977年に同紙を辞め、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いている。CIAが有力メディアをコントロールしている実態を暴露したのだ。ウォーターゲート事件の裏側を明らかにしたとも言えるだろう。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) その記事によると、それまでの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリスト。1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。 1970年代の半ばには議会でも情報機関の不正行為が調査されているが、それに危機感を抱いた人びとは情報の統制を強化する。そのひとつの結果が巨大資本によるメディア支配。気骨あるジャーナリストは追放されていった。 ドイツの有力紙、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。 彼によると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収されている。人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているというのだ。2017年1月、56歳のときに心臓発作で彼は死亡する。出版されたはずの英語版は市場に出てこなかった。 情報機関がジャーナリストをコントロール下に置く手法はさまざまだが、一緒にコーヒーを飲むようなところから始まることが少なくない。スクープに飢えている記者の鼻先に情報をぶら下げ、秘密保護の誓約書にサインさせる。そうなると情報機関の協力者だ。ワシントンDCあたりの特派員になると、そうした誘惑が待っている。 勿論、それ以上の接待もあり、接待を受けている場面が隠し撮りされて弱みを握られるということもあるようだ。企業にしろ情報機関にしろ犯罪組織にしろ、見返りを期待せずに接待することはない。このようにして取り込まれた記者や編集者にとってウィキリークは目障りな存在だろう。
2019.06.20
アメリカはロシアを締め上げるため、ポーランドに電子情報機関や軍の施設を建設しつつある。ポーランド人は昔から反ロシア感情が強く、イギリスと結びついてきた。ウクライナが破綻国家化する中、アメリカにとってポーランドの重要性が高まりつつあるようだ。 最近行われた会談の結果、アメリカはポーランドへ地上部隊1000名を増派することになった。すでに4500名のアメリカ兵がポーランドに駐留している。ドナルド・トランプ大統領は記者団に対し、2000名をポーランドへ移動させる可能性があるとしていたので、さらに1000名が派遣されるかもしれない。アメリカ軍の基地を建設することでも合意したようだ。 2013年からポーランドにはアメリカの電子情報機関NSAの要員が入り、情報活動を続けている。主なターゲットはロシアの飛び地であるカリーニングラード。そこにはロシア海軍のバルチック艦隊が司令部を置いている。 日露戦争が始まった1904年にはポーランドで反ロシア運動を率いていたユゼフ・ピウスツキが来日、運動へ協力するよう説得しているが、このピウスツキは25年にプロメテウス同盟という地下組織を編成した。 ピウスツキの後、ポーランドの反ロシア運動で大きな影響力を持つのはウラジスラフ・シコルスキー。1939年9月にドイツ軍がポーランドへ軍事侵攻、その直後にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告するが、その月の終わりにシコルスキーはパリへ脱出して亡命政権を名乗り、翌年6月にはイギリスのウィンストン・チャーチルと会談、ポーランドがイギリスと一緒に戦うことを約束、亡命政権はロンドンへ移動する。 シコルスキーの側近のひとりだったユセフ・レッティンゲルは大戦の前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動していた人物で、戦争が終わった後の1952年にオランダのベルンハルト(ユリアナ女王の夫)に接近し、その人脈を利用してアメリカのハリー・トルーマン政権やドワイト・アイゼンハワー政権につながった。そして設立されたのがビルダーバーグ・グループ。 イエズス会はカトリックの一派だが、カトリックの内部にはバルト海とエーゲ海で挟まれた中央ヨーロッパをカトリックで統一しようという動きがあった。インターマリウムだが、この組織はイギリスやフランスの情報機関から支援を受け、国家間の勢力争いと深く結びついていた。 また、1922年には中央ヨーロッパの統一を目的としてPEU(汎ヨーロッパ連合)がオットー・フォン・ハプスブルク大公やウィンストン・チャーチルらによって創設されている。 ポーランドは2014年2月にウクライナで実行されたネオ・ナチによるクーデターでも重要な役割を演じた。このクーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチは2010年の大統領選挙で勝利している。 このヤヌコビッチを排除するために西側の支配層はまずNGO(非政府組織)を使った。CIAの資金を受け取っていたNGOは2013年11月にキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でカーニバル的な集会を開き、約2000名を集める。12月に参加者は50万人に達したと言われている。 年明け後に広場ではネオ・ナチのメンバーが前面に出てきて暴力行為がエスカレートしていく。2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。 このネオ・ナチは2004年以降、バルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を受けたと言われている。ポーランド外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練を受けたという。 これまでポーランドはイギリスやアメリカにさまざまな工作の拠点を提供してきた。秘密工作、情報活動、そして軍隊の配備でポーランドは重要な役割を果たしているが、それだけ国は危険な状態になっているということでもある。
2019.06.20
日本の国華産業が運行する「コクカ・カレイジャス」(パナマ船籍)とノルウェーのフロントラインが所有する「フロント・アルタイル」(マーシャル諸島船籍)が6月13日にオマーン沖で攻撃を受けた。その直後にアメリカ中央軍は「コクカ・カレイジャス」から機雷を除去している「イランの船員」の様子を撮影したとする映像を公開している。 しかし、国華産業の堅田豊社長は6月14に開かれた記者会見の席上、攻撃の際に乗組員が「飛来物」を目撃していたことを明らかにし、「間違いなく機雷や魚雷ではない」としている。イラン側もアメリカ政府の主張を否定している。中央軍の主張が間違いだということだ。2003年にイラクを先制攻撃する前と同じことをしている。 イラクを攻撃する際、日本のマスコミを含む西側の有力メディアは「大量破壊兵器話」を宣伝していた。勿論、嘘だったのだが、同じことを繰り返している。アメリカ支配層の「お告げ」を垂れ流すことは大手メディアで働く人びとの個人的な利益につながるのかもしれないが、世界に惨禍をもたらす。 映像を公表した中央軍はトランプ大統領の政策を無視するようなことをしてきた。例えば昨年(2018年)12月に大統領がアメリカ軍をシリアから撤退させると発表し、国防長官を努めていたジェームズ・マティスが命令書に署名しても戦力を増強し続けていた。命令に不服だったマティスは2019年2月に辞任する。 マイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官も公然とトランプ大統領に反抗、結局、撤退はしていない。現在、シリア東部からイラク西部にかけての地域、一時期ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が占領していたあたりをアメリカ軍が占領、基地を新設するなど軍事力の増強に努め、傭兵の訓練も行っている。 マティスが辞任を表明した後、パトリック・シャナハンが長官代理として国防総省を指揮してきた。ボーイングの副社長を務めた人物。立場が「平和的」とは思えないが、ペンス、ポンペオ、ボルトンを含むグループから見ると好戦性が足りないらしい。そうしたこともあり、トランプ大統領はシャナハンを次の国防長官にすることを諦めたようだ。 アメリカのネットワーク局ABCは6月17日、ポンペオが月曜日にフロリダを訪問し、その翌日に中央軍や特殊作戦軍の人間とマクディル空軍基地で会っていると伝えている。その際にシャナハン国防長官代理は参加しなかったようだ。ちなみに、特殊作戦軍は歴史的にCIAと関係が深く、ベトナム戦争の際にはこのコンビが住民の大量殺戮を目的としたフェニックス・プログラムを実行している。 中央軍や特殊作戦軍は旧日本軍の「関東軍」的な立場にあるように見える。関東軍は大本営ではない強大な存在の命令に従っていた可能性が高いのだが、中央軍や特殊作戦軍にも同じことが言える。関東軍も偽旗作戦を好んでいた。 その一方、17日と18日にヘンリー・キッシンジャーは国防総省を訪れた。アメリカ軍を指揮しているはずの統合参謀本部はイランとの戦争を無謀だとして反対している。2003年にイラクを先制攻撃した際も統合参謀本部では戦争に反対する声が少なくなかった。大義がなく、作戦が無謀だからだ。今、似たような状況になっている。
2019.06.19
中国の習近平国家主席が6月20日から21日にかけて朝鮮を訪問、金正恩労働党委員長と会談すると伝えられている。今年に入って金委員長は中国を4度訪問しているが、習首席の朝鮮訪問は初めてだ。その1週間後、6月28日から29日にかけてG20首脳会議が大阪で開催される。 G20には中国、ロシア、そしてアメリカの首脳も参加する。金正恩はドナルド・トランプ米大統領と今年2月27日と28日にかけてハノイで会談したが、合意に至らなかった。トランプは金正恩が核施設を廃棄する見返りに経済制裁の全面解除を求めたとしているが、朝鮮の外相は部分解除を求めただけだとしている。 韓国で伝えられている情報によると、アメリカ側は核プログラムの完全的な廃棄だけでなく、生物化学兵器も含めるように求めたという。決裂した理由はマイク・ポンペオ国務長官とジョン・ボルトン国家安全保障補佐官が同席したことにあると言われている。 要求をエスカレートさせて合意しないのがアメリカ流。全面降伏を求めるだけだ。アメリカ支配層との交渉は無益であり、時間の無駄だと考える国が世界的に増えている。そのひとつがイランだ。 金正恩委員長は4月24日に列車でウラジオストックを訪れ、25日にはロシアのウラジミル・プーチン大統領と会談。その際にプーチン大統領は金委員長によるアメリカとの「関係正常化の努力」と韓国との対話を歓迎したという。プーチンのシナリオに合致しているということだろう。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、朝鮮はロシア、中国、韓国と連携、そのビジネス戦略に加わろうとしている。そうした動きが顕在化したのは2018年3月26日。金委員長が特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会い、4月27日には韓国の文在寅大統領と金正恩委員長が板門店で会談したのだ。 しかし、ロシアが朝鮮にアプローチしたのはその7年前。かつてはソ連と関係が深かったが、1985年に書記長となったミハイル・ゴルバチョフから見捨てられ、アメリカの影響を受けるようになっていた。 その朝鮮へ2011年夏にドミトリ・メドベージェフ首相がシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会っている。その際、ロシア側は110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。朝鮮に眠る資源の開発がひとつの目的だったが、鉄道やパイプラインを朝鮮半島の南端まで延ばすことも考えていた。 ロシアや中国はユーラシア大陸に鉄道網を張り巡らせ、エネルギー資源を運ぶパイプラインを建設しようという計画を持っているが、それらの計画は連結することになっている。それと並行して東アジアのビジネスを活発化、地域を安定化させるつもりだろう。 この提案を金正恩の父、金正日は受け入れたのだが、2011年12月に急死。朝鮮の国営メディアによると、12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したというのだが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の元世勲院長(2009年~13年)は暗殺説を唱えていた。その後、ロシアの計画は中断していたようだが、ここにきて動き始めている。 ロシアと中国を中心とする経済システムが拡大することをアメリカの支配層は恐怖している。ドル体制が崩壊、ドル体制で支えられている「アメリカ帝国」が崩れるだろうからだ。アメリカはドル体制を利用して他国を破壊してきた。アメリカ以外の国がドル体制から離脱したいと考えるのは当然だろう。 そうした中、日本で支配者面している人びとは、あくまでもアメリカの支配層に従属しようとしている。それが彼らの地位と富を維持する唯一の方法だからだ。
2019.06.19
ドナルド・トランプ米大統領はABCの番組でジョージ・ステファノポラスからインタビューを受けていたトランプはその中で2001年9月11日の攻撃(いわゆる9/11)について触れた。「イラクは世界貿易センターを崩壊させなかった。イラクではなかった。ほかの連中だ。その連中が誰なのかを私はわかっていると思っている。あなたもそうかもしれない。」と語ったのだ。 9/11の直後、詳しい調査もせずにジョージ・W・ブッシュ大統領は「アル・カイダ」の犯行だと断定、オサマ・ビン・ラディンはそれ以降、「テロの象徴」になった。その象徴を掲げながらアメリカは中東で侵略戦争を大々的に始める。 イラクを侵略する前にブッシュ政権は「大量破壊兵器」を宣伝したが、それが嘘だということは当時から指摘されていた。ネオコンがイラクのサダム・フセイン体制を倒したがっていることは1980年代から言われていたことでもある。 それに対し、トランプは9/11から間もない段階で世界貿易センターの南北タワーは航空機の激突で崩壊したのではないと主張している。トランプはデベロッパーで、建造物について詳しい。崩壊したタワーは頑丈で、軽量化が図られている旅客機がぶつかった程度では崩れないとしていた。 これは単なる一般論でなく、実際に両タワーの強さを彼は目にしている。1993年2月、ノース・タワーの地下2階にある駐車場で大きな爆発があり、4階層に渡って幅30mの穴が開いた。トラックに積まれた爆薬によるものだった。 その数日後、建造物で最も弱い部分が破壊されたにもかかわらず、びくともしなかったノース・タワーをトランプは見たのだ。 9/11では早い段階から爆破説が流れていたが、爆弾を仕掛けていたら知られてしまうと反論する人が少なくなかった。が、世界貿易センターの場合、そうしたことが可能だった。 1993年の事件後、タワーの警備にCIAやモサドとの関係が強いと言われるクロル・アソシエイツが参加、同社は治安システムを新しくする。その一方、エレベーターのシステムが改良された。そのための工事が1994年から2000年にかけて行われたのである。大工事と言って良いだろう。 9/11は国外での侵略戦争だけでなく、国内の刑務所化を進める切っ掛けになった。9/11はアメリカ支配層にとって重要な意味を持っている。その重要な情報にトランプが触れた意味は小さくない。
2019.06.18
アメリカがロシアの送電システムを破壊するための工作を実行してきたとニューヨーク・タイムズ紙は伝えている。システムの中にマルウェア(有害ソフト)を組み込んだというのだ。 こうしたことをアメリカの情報機関が行ってきたことは広く指摘され、1980年代の初めには大きな問題になっていた。日本もそのターゲットのひとつだ。当然のことながらロシア政府は熟知しているはず。 問題はソ連の末期やボリス・エリツィン時代は体制の中枢が西側の支配層に支配されていたこと。その当時に組み込まれたマルウェアを掃除することは簡単でないだろう。今でも経済部門は西側の巨大資本とつながっている人びとに支配されているという問題もある。 ニューヨーク・タイムズ紙の報道について、さまざまな解釈がある。トランプ大統領とウラジミル・プーチン露大統領との関係を悪化させようとしているのか、ロシアを恫喝しているのか、アメリカ側からのロシアに対するサイバー攻撃を明らかにしてロシアを敵視している勢力を牽制しているのか等々。 背景にどのような思惑があるのかは不明だが、アメリカの正体がまた明らかになったとは言える。
2019.06.18
トルコ政府はロシア製防空システムS-400の供給を7月前半から受けるかもしれないとレジェップ・タイイップ・エルドアンは語ったと報じられている。 この取り引きを止めさせるため、アメリカ政府はトルコ政府に対し、S-400導入の計画を放棄しない限りアメリカはアメリカ製戦闘機F-35のパイロットに対する訓練を中止すると警告していたが、無視されたようだ。 もっともF-35は欠陥戦闘機。トルコにとって欠陥戦闘機の導入が中止になってもかまわないだろうが、開発や製造に加わっていることからビジネス上の問題が生じる。戦闘能力よりカネ儲けが問題になるということだ。 この戦闘機はプログラム・コストが1兆5000億ドル以上と言われる高額兵器。2015年1月にカリフォルニア州のエドワード空軍基地近くで性能をアピールするためにF-16戦闘機との模擬空中戦を実施したが、F-35が完敗したと伝えられている。 それでもステルス性能があるとF-35を擁護する人びとは主張するのだが、それも怪しい。ロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣がイスラエルを訪問しいた2017年10月、シリアを攻撃していたイスラエル軍のF-35が「コウノトリと衝突して飛行できない状態になった」と発表された。 その状況は不明だが、シリア政府軍が発射したS-200で損傷を受けたのではないかと推測されている。S-400なら確実に撃ち落とされるのではないかと考える人もいる。
2019.06.17
オマーン沖でタンカーを攻撃したのはイランだとアメリカ政府は批判、イギリス政府が同調しているのだが、証拠はない。ドイツの外相や国連事務総長がイラン批判に参加しないのはアメリカの支配層が信頼されていないからだ。 世界制覇を目指すネオコンは支配の重要な要素であるエネルギー資源を独占するため、中東を制圧しようとしてきた。その手始めとしてイラクのサダム・フセイン体制を倒そうとしたのだ。これは1980年代に言われていた。 フセイン体制を倒してイラクに親イスラエル国を築き、トルコ、イラク、ヨルダンという親イスラエル国帯を作り上げようとしたのである。当時、トルコは親イスラエルと見なされていた。この帯で自立志向の強かったシリアとイランを分断、両国を個別撃破するということだ。 ベンヤミン・ネタニヤフを含む大イスラエルを目指す勢力にとってもイランは制圧の重要なターゲット。宗教的なライバルであるサウジアラビアもイランの破壊を目指している。 ドナルド・トランプ政権はイランを倒すために同国の石油輸出を阻止しようと考え、世界の国々を脅している。イランの石油をホルムズ海峡から外へ出さないということだろうが、イランはアメリカがイラン産原油の輸出を阻止するなら、ペルシャ湾から石油を誰も運び出せなくすると警告している。 イラクでの経験から考え、イランを占領するためにアメリカ軍は約240万人を導入する必要があるとも推計されている。予備役を投入してもアメリカ軍にそれだけの戦力はない。核攻撃で破壊するという手段もあるが、そうなると人類の存続が問題になる。 アメリカ軍がイラン占領を目指さなくてもペルシャ湾からの石油輸出は難しくなるだろうが、それだけでなくサウジアラビアなども無傷ではいられない。当然、原油相場は暴騰する。 中東から石油が手に入らなくなり、価格が暴騰するとアメリカの石油産業が復活するという見方がある。コストの高いアメリカのシェール・ガスやシェール・オイルがビジネスになるということだが、こうした展開はロシアも経済的に潤す。ベネズエラの石油をアメリカが支配できていれば、アメリカの立場はさらに強くなっただろうが、これは失敗した。 言うまでもなく、原油価格が高騰すれば石油を使う産業はダメージを受け、アメリカ社会も大きな影響を免れない。
2019.06.16
オマーン沖で攻撃された国華産業が運行する「コクカ・カレイジャス」(パナマ船籍)から機雷を除去している「イランの船員」を撮影したという映像をアメリカ中央軍が公表したが、本ブログでも伝えたように、国華産業の堅田豊社長は6月14に開かれた記者会見の席上、攻撃の際に乗組員が「飛来物」を目撃していたことを明らかにし、「間違いなく機雷や魚雷ではない」と語っている。今後、アメリカからの圧力で証言が変わる可能性もあるが、14日に行われた証言の重要度は揺るがない。 公表した「証拠写真」について、ドイツの外相も証拠として不十分だと語り、国連事務総長は真に独立した調査が必要だとしている。アメリカ政府に同調、主要国の中でイランを非難しているのはイギリス位だろう。 イギリスは2003年3月にアメリカ主導軍がイラクを戦略する際にも協力していた。この攻撃はアメリカの統合参謀本部でも大義がない上作戦が無謀だとして反対意見が強く、予定された2002年には実行できなかったと言われている。 そうした中、2002年9月にイギリスのトニー・ブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を作成、その中でイラクは45分でそうした兵器を使用できると主張する。その直後に文書の内容がリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というタイトルの記事を掲載した。開戦の後押しだ。 この報告書をアメリカのコリン・パウエル国務長官は絶賛していたが、大学院生の論文を無断引用したもので内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。それでも強引にジョージ・W・ブッシュ政権は戦争を始めた。1980年代からネオコンが主張していたことが実行されたのである。 そうした実態はすぐ明るみに出された。BBCの記者だったアンドリュー・ギリガンは2003年5月29日、ラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語る。さらに、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 ギリガンが「45分話」の疑惑を語って間もなく、彼の情報源が国防省で生物兵器を担当しているデイビッド・ケリーだということがリークされる。実際、2003年5月22日にギリガンとロンドンのホテルで会っていた。そのためケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に死亡した。今でも他殺だと考える人は少なくない。
2019.06.16
オマーン沖で攻撃されたタンカーのうち国華産業が運行する「コクカ・カレイジャス」は魚雷、ノルウェーのフロントラインが所有する「フロント・アルタイル」は磁気機雷に攻撃されたと報道されていたが、国華産業の堅田豊社長は6月14に開かれた記者会見の席上、2発目の攻撃の際に乗組員が「飛来物」を目撃していたことを明らかにした。「間違いなく機雷や魚雷ではない」という。 ドナルド・トランプ政権に限らず、アメリカの政府はこうした際、詳しい調査を行わずに断定的な主張を繰り返す。証拠を明らかにしないことも少なくないが、明らかにしても怪しげなものだ。2003年にイラクを先制攻撃する前、ジョージ・W・ブッシュ政権は「大量破壊兵器」の脅威を宣伝、証拠らしきものを示していたが、すべてインチキだった。 今回、トランプ政権も似たことを行っている。その宣伝活動で中心的な役割を果たしているのはマイク・ポンペオ国務長官だが、この人物、自分が嘘つきだということを公言している。 6月には重要な集まりが続く。すでに終了しているが、6月6日から7日にかけてはサンクトペテルブルクで国際経済フォーラムが開催されてロシアと中国とのつながりを再確認させ、6月14日から15日にかけては中国とロシアを中心とするSCOの首脳会談がキルギス共和国で開かれている。そして6月28日から29日にかけては大阪でG20首脳会議。6月13日には安倍晋三首相がイランの最高指導者アリー・ホセイニー・ハメネイと会談している。 イランとの関係を深めているロシアや中国が存在感を示す会合や催しにぶつけるようなタイミングでタンカーへの攻撃は引き起こされた。 本ブログでも紹介したが、ネオコンの拠点と言われるブルッキングス研究所が2009年に出した報告書には、アメリカ軍による空爆を正当化するイランによる挑発をどのように実行するべきかが書かれている。世界の人びとに気づかれず、イランが挑発しているように見える演出をするということだ。 今回もそうしたシナリオに沿った動きをポンペイたちは実行しているように見えるが、過去のこともあり、見え見え。以前ならアメリカを恐れて騙されたふりをする国が大半だったろうが、今は情況が違う。アメリカ中央軍が公表した「証拠写真」を証拠として不十分だとドイツの外相にも言われている。
2019.06.15
安倍晋三首相がイランの最高指導者アリー・ホセイニー・ハメネイと会談した6月13日、2隻のタンカーがオマーン沖で攻撃を受けたという。日本の国華産業が運行する「コクカ・カレイジャス」(パナマ船籍)とノルウェーのフロントラインが所有する「フロント・アルタイル」(マーシャル諸島船籍)で、前者は魚雷、後者は磁気機雷によるもので、タンカーの乗組員44名はイランの救助隊に救助され、ジャースク港に移送されたと伝えられている。 イランを安倍首相が訪問した主な目的はドナルド・トランプ米大統領のメッセージをイラン側へ渡すことにあったのだろうが、ホルムズ海峡を経由して運ばれる石油への依存度が高い日本の懸念も伝えたようだ。 1908年にペルシャ(現在のイラン)で石油が発見されるとイギリス支配層はAPOC(アングロ・ペルシャ石油)を創設、利権を手にした。1919年にイギリスはペルシャを保護国にする。 1921年にはレザー・ハーンがテヘランを占領、その4年後にカージャール朝を廃して王位についた。これがパーレビ朝のはじまりである。この新王朝を介してイギリスはペルシャを支配した。 1935年に国名がペルシャからイランへ変更、それにともなってAPOCはAIOC(アングロ・イラニアン石油)になる。名称に関係なく、イギリスの支配層がイランの石油で儲けるための会社だ。 イギリスはパーレビ朝を利用してペルシャの石油を支配したのだが、その仕組みが第2次世界大戦後、1950年代に入ると揺らぐ。イギリスによる収奪に対する不満が高まり、1951年にムハマド・モサデクが首相に選ばれた後、議会ではAIOCの国有化を決める。その直後にアバダーン油田が接収された。 しかし、イギリスの圧力でモサデクは翌年に辞任するが、庶民の怒りを買うことになって5日後にはモサデクが再び首相になった。その間、AIOCは石油の生産と輸送を止めて抵抗している。 現在、トランプ政権は似たようなことを実行している。イラン産原油の輸送を止めるため、消費国に買うなと命令したのだ。が、それが困難な国も存在する。そこで日本、韓国、トルコ、中国、インド、台湾、イタリア、ギリシャに対してアメリカ政府は猶予期間を設定したが、それが時間切れになる。中国はイランからの石油輸入を続けそうだが、他の国はアメリカからの圧力に抗しきれないかもしれない。 今回のタンカーに対する攻撃についてマイク・ポンペオ国務長官はイランが実行したと非難したが、例によって証拠は示していない。単なる「お告げ」だ。 この攻撃はネオコンの拠点と言われるブルッキングス研究所が2009年に出した報告書に基づいていると指摘する人もいる。アメリカ軍による空爆を正当化するイランによる挑発を示せれば良いのだが、この報告にも書かれているように、世界の人びとに気づかれず、イランにそうした行為をさせるよう仕向けることは非常に難しい そうした難しい工作は2015年に合意されたJCPOA(包括的合意作業計画)から始まるとする見方がある。アメリカ大統領だったバラク・オバマがこの作業計画に参加したのは、アメリカがイランの核開発を巡る対立を平和的に解決しようとしているとアピールするためだというのだ。 オバマはポール・ウォルフォウィッツが口にしていた侵略計画に基づき、2011年春にリビアとシリアを侵略する。使われたのはサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を主力とする傭兵(アル・カイダ系武装グループ)。 ウォルフォウィッツを含むネオコンが1980年代から考えていた計画はイラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル国を築いてシリアとイランを分断、次にシリア、最後にイランを制圧するというものだ。 2001年9月、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、イランのほか、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが攻撃予定国に加えられる。 リビアが狙われた理由として石油利権が指摘されているが、それ以上に大きな理由は、ムアンマル・アル・カダフィがアフリカを欧米から独立させるために独自の通貨(金貨)を導入する計画を立てていたことにあると言われている。 オバマはネオコンの計画に従って動いていた。そのネオコンはロシアを再支配するだけでなく、イラン制圧を予定していたのだ。6月13日のタンカー攻撃が誰の利益になるかは明白だろう。
2019.06.14
アメリカの「ユダヤ人指導者」が6月5日にアミー・クロウバシャーをはじめとする民主党の上院議員25名と会談した。言うまでもないことだが、この「ユダヤ人指導者」は決してユダヤ系アメリカ人の指導者でも代表者でもない。イスラエルが組み込まれた支配システムにつながっている人びとだ。 民主党だけでなく共和党の議員もイスラエルを絶対視するのだが、その最大の理由はカネ。アメリカの選挙は膨大な資金が必要で、その相当部分が有力メディアへ流れ込む。有力メディアにとってもイスラエルはカネ儲けのために大切な存在だ。 今回の会合にも代表が出席しているロビー団体のAIPACなどを介して多額の資金がアメリカ政界へ流れ込んでいるが、その源泉はアメリカ議会がイスラエルへ流し込んでいるカネ。日韓疑獄と同じ構造だ。 そのイスラエルが作り上げられた場所にはアラブ系の住民が住んでいた。つまり、イスラエルは侵略によって出現したのだが、侵略の黒幕はイギリスにほかならない。 まず1917年にイギリスのアーサー・バルフォア外相がウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出したところから始まる。いわゆる「バルフォア宣言」だ。その中で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。(実際に書簡を書いたのはアルフレッド・ミルナーだと言われている) このロスチャイルドはイギリス系だが、パレスチナにユダヤ人の国を作ろうというシオニズムを推進していたのはフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルド。1882年にユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供している。(Will Banyan, “The ‘Rothschild connection’”, Lobster 63, Summer 2012) その孫に当たるエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドはヘンリー・キッシンジャーと親しいと言われ、イスラエルの核兵器開発に対する最大の資金提供者としても知られている。 エドモンド・ジェームズを記念して1958年に「ヤド・ハナディブ(ロスチャイルド基金)」がイスラエルで設立され、1989年にはイギリスのジェイコブ・ロスチャイルドが理事長に就任した。このジェイコブはロスチャイルド一族を統括する立場にあり、トニー・ブレア元首相とも親しい関係にある。本ブログでは何度か指摘したが、ブレアのスポンサーはイスラエルだと言われている。 現在、イスラエルで首相を務め、ドナルド・トランプ陣営に近いと言われているベンヤミン・ネタニヤフの父親はベンシオン・ネタニヤフ。ベンシオンはニューヨークでウラジミール・ジャボチンスキーの秘書を務めた人物だ。ちなみにジャボチンスキーは「修正主義シオニスト世界連合」の祖と言われている人物だ。 ロスチャイルドの流れとジャボチンスキーの流れには違いがある。一時期は激しく対立していたと言われている。その関係がヒラリー・クリントンとトランプの対立、サウジアラビアの皇太子交代につながった。 田川健三がギリシャ語から訳し、注釈を書いた『新約聖書』を読むと、「ヨハネの黙示録」は原著者の記述に何者か(田川は編集者Sと表現)が勝手に書き込んだ文章の合わさったものだという。その編集者Sは「極端にごりごりのユダヤ主義者」だとも指摘している。つまり、自分たちこそが真のユダヤ人だというわけだ。 この編集者Sの主張を全面的に受け入れ、新約聖書の他の部分を軽視しているキリスト教徒がアメリカには少なくない。黙示録を読み込むほどユダヤ至上主義にのめり込んでいく。そうしたキリスト教徒の中にマイク・ペンス副大統領やマイク・ポンペオ国務長官は含まれると言えるだろう。 そのため、ユダヤ至上主義の影響力は無視できないが、「ユダヤ」にとらわれると間違った方向へ進む危険性が高いことも確かだ。「ユダヤ」を隠れ蓑の使っている人たちがいる。
2019.06.13
安倍晋三首相は6月12日からイランを訪問、最高指導者のアリー・ホセイニー・ハメネイや大統領のハッサン・ロウハニと会談するという。イラン側は安倍との会談がアメリカのJCPOA(包括的共同作業計画)復帰につながることを期待しているようだ。 アメリカがJCPOAから一方的に離脱、イランへの「制裁」を始めたのは2018年5月8日のこと。その日、ロシアではウラジミル・プーチンの新政権でもドミトリ・メドベージェフが首相を務めることを議会が承認している。 メドベージェフはアメリカやイギリスの巨大資本の影響を強く受けている親西側派のひとりと言われ、ロシア国内では人気がない。ベドベージェフの続投はプーチンへの批判につながった。 アメリカの支配層から見れば、プーチンの新政権はアメリカとの協調を臨んでいるように見える。アメリカ支配層が自分たちの行動にロシアは強く反応しないと思っても仕方がない。 JCPOAからの離脱はイラン攻撃の準備だと考える人もいた。イラン攻撃はドナルド・トランプ政権と強く結びついているイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やサウジアラビアのモハンマド・ビン・サルマン皇太子が望んでいることだ。 昨年12月下旬、トランプ大統領がシリアから軍隊を撤退さえる準備をしていると伝えられたが、実際は逆の方向へ動いた。現地のアメリカ軍はシリアやイラクで軍事拠点を増強、物資を補給、手先に使う戦闘員の訓練していたのだ。トランプのシリア撤退命令に抗議してジェームズ・マティス国防長官は辞任を宣言、実際、今年2月に辞めている。 また、マイク・ペンス副大統領とマイク・ポンペオ国務長官のキリスト教系カルトのコンビ、そして好戦派のジョン・ボルトン国家安全保障補佐官も公然と反対していた。3名とも狂信的なシオニストだ。 トランプ政権が始まった直後、2017年2月にマイケル・フリン国家安全保障補佐官が辞任に追い込まれたが、この人物はロシアとの関係修復を進めていた。 フリンは2012年7月から14年8月までDIA(国防情報局)の局長を務めているが、12年8月にDIAはシリアで政府軍と戦っている勢力の主力はサラフ主義者やムスリム同胞団で、武装組織としてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げていた。 当時、オバマ大統領は反政府軍のうち「穏健派」を支援していると主張していたが、そうした集団は存在しないことを伝えていたわけだが、それだけでなく、DIAはオバマ政権の政策がシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。 その警告は2014年に現実となる。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧したのだ。 その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられ、広く知られるようになるが、本来ならこれは格好の攻撃目標である。アメリカの軍や情報機関は偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで武装集団の動きを知っていたはずだが、何もしていない。 なお、このトヨタ車はアメリカ政府がFSA(自由シリア軍)、つまりシリア侵略のために送り込まれた傭兵部隊へ提供したものだとも言われている。 この展開を受け、オバマ政権の内部で対立が生じ、2014年8月にフリンはDIA局長のポストを追われた。その1年後、フリンはアル・ジャジーラの番組へ出演する。その際、司会者からダーイッシュ的な勢力の出現を予測していたにもかかわらず、阻止できなかった責任を問われる。 それに対し、提出される情報の正確さをできるだけ高めることが自分たちの任務であり、情報に基づく政策の決定は大統領が行うと彼は答えている。つまり、バラク・オバマ政権がダーイッシュを出現させ、勢力を拡大させたというわけだ。 西側の有力メディアは触れないようだが、ダーイッシュを含むジハード傭兵はイスラエルを攻撃しない。それどころか協力関係にある。つまりダーイッシュはイランとシリアの間に親イスラエル国を作り上げたのだ。これは1980年代からネオコンが主張していた戦略に合致する。この当時からシオニストは革命イランの打倒を最大の目標に掲げていた。現トランプ政権はこの戦略に基づく政策を進めている。 しかし、本ブログでもすでに書いたように、イランを軍事的に制圧することは不可能に近く、アメリカ軍の上層部にも反対する声は強い。イラクを先制攻撃する直前にも統合参謀本部では反対する意見が多く、攻撃開始が1年ほど延びたと言われている。 アメリカがイランへの攻撃を始めた場合、シリアだけでなくイラクやトルコとの関係がさらに悪化するはず。中東でアメリカを支持する国はイスラエル、サウジアラビア、アラブ首長国連邦などにとどまり、多くはないだろう。 EUはJCPOAの問題でアメリカの命令に従わず、アメリカの従順な属国である日本も経済的に従えない事情がある。トルコがそうだったように、アメリカへの服従と自分たちの利益が対立している。中国との関係でも似たことが起こっている。 来日した際、トランプ大統領と安倍首相はイラン問題についても話し合ったという。トランプ側から何らかの指示があったのか、メッセージを託されたのかもしれない。日本の政府が独自の判断で動けないことをイランも熟知しているだろう。
2019.06.12
中国が5月に金の保有量を16トン近く増やし、現時点で総量は1900トンを超したようだ。購入を始める前の昨年10月の保有量は1842トン強と言われているので、約58トン買い増したことになる。 金を買い始める直前、12月1日にカナダ当局がバンクーバーの空港で中国の大手通信機器メーカー、ファーウェイ・テクノロジーズ(華為)のCFO(最高財務責任者)で同社を創業した任正非の娘でもある孟晩舟を逮捕している。 その時、アメリカのドナルド・トランプ大統領は中国の習近平国家主席と貿易問題について話し合っていた最中で、トランプは逮捕を事前に知らされていなかったという。これが事実なら、トランプが「米中経済戦争」を激化させようとしたわけではないことになる。誰が仕掛けたにせよ、中国はそれに応じたわけだ。 中国と戦略的な同盟関係にあるロシアの場合、リーマン・ブラザーズが2008年に倒産してから金を買い続け、2014年にバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使い、ウクライナでクーデターを実行してからそうした動きを強め、現在の金保有量は2183トン。 この保有量の大半は1991年12月にソ連が消滅してから購入した者だ。消滅の直前、ゴスバンク(旧ソ連の国立中央銀行)には2000トンから3000トンの金塊が保管されていたはずなのだが、400トンに減っていたのだ。つまり、何者かが盗みだしていた。 本ブログでは何度か指摘したが、ソ連の消滅はジョージ・H・W・ブッシュをはじめとするCIA人脈がKGBの腐敗勢力とくんで実行したもの。ハンマー作戦と呼ばれている。その勢力が盗んだと見られ、西側の私的権力が保有しているはずだ。 ロシアはすでに保有していたアメリカ財務省証券の大半を売却している。中国は買い増さないできたが、ロシアと同じように売り始め、ドルの流通量が増えるとアメリカの支配層にとって由々しき自体。ドルを回収しきれないなら中国の資産を凍結する可能性もあるが、そうなると世界はパニックだろう。 ソ連社会は性善説に基づいて動いていたと言う人がいる。そうした社会で不正を働くと、西側では考えられないような厳罰に処せられたというのだ。 それが正しいかどうかわからないが、ソ連最後の最高指導者だったミハイル・ゴルバチョフがアメリカやヨーロッパを信頼していたことは確かだろう。信仰に近いものだった。そうでなければ彼は単なる売国奴だ。ウラジミル・プーチンも大統領になった当初は西側を信じていたようだ。 そうした信頼がアメリカが築いたシステムを受け入れさせたのだが、ソ連消滅後にアメリカの支配層、特にネオコンはそうした信頼を裏切り始めた。アメリカのシステムを受け入れると自分たちは破滅すると考えるようになった国はロシアや中国にとどまらない。その結果、アメリカの支配システムは崩壊の速度を速めている。中国の金売却はそのひとつの結果と言える。
2019.06.11
SCO(上海協力機構、上海合作組織)の首脳会談がキルギス共和国で6月14日から15日にかけて開かれる。中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタンに加え、2017年にはインドとパキスタンがメンバー国になった。言うまでもなく、インドとパキスタンは歴史的に対立関係にあり、この2カ国が同時にSCOへ加盟した意味は小さくない。 インドとパキスタンは戦略的に重要な場所にあるのだが、その両国をロシアが結びつける可能性がある。すでにロシアはインドへ防空システムS-400を売却する契約を結んでいるが、その一方でパキスタンにパイプラインを建設しようとしている。イランのエネルギー資源を運ぶためだ。途中で分岐させ、ひとつはインドへと計画しているようだ。 現在、アメリカはインドを取り込もうと必死。アメリカとインドは軍事的に結びつき、ナレンドラ・モディ首相はイスラエルとの関係が深いと言われているが、そのインドはS-400を買おうとしている。 ロシアの働きかけが成功した場合、イラン、インド、パキスタン、中国の結びつきが強まり、この地域は安定、経済的な発展が見込める。 それに対し、アメリカは2018年5月に太平洋軍をインド・太平洋軍へ名称変更、太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという構図を描いている。インドの東側にあるスリ・ランカでは今年4月に爆破事件があり、少なからぬ死傷者が出たが、その直後にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が「犯行声明」を出した。事実かどうか不明だが、この攻撃を利用してアメリカ軍が軍事力を強化する口実に使う可能性がある。 ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになるはずだが、ICJ(国際司法裁判所)はディエゴ・ガルシアを含む茶ゴス諸島をイギリスはモーリシャスへ返還するようにという韓国を出した。つまりイギリスは不法占拠している状態だが、そこを重要な軍事拠点としているのはアメリカだ。
2019.06.10
この時期になるとアメリカ海軍の情報収集船リバティに関する記事を目にする。本ブログでも何度か書いたことのある出来事だが、西側の有力メディアは触れたがらない。 1967年6月8日、第3次中東戦争の最中にイスラエルの沖でイスラエル軍の攻撃を受け、船は沈没しかけ、乗組員9名が殺され、25名は行方不明、そして171名が負傷した。イスラエル政府は間違いだったと主張、アメリカ政府はそれを受け入れている。 攻撃が始まる前にイスラエル軍はリバティの近くに偵察機を飛ばし、それがアメリカの艦船だということを確認している。その約4時間後には2機の戦闘機がリバティの近くに飛来、その後も2度ほどイスラエル軍は航空機を船の周辺に飛ばした。 攻撃は始まったのは午後2時過ぎ。3機のミラージュ戦闘機がロケット弾やナパーム弾を発射している。最初に狙われたのは船の通信設備だった。つまり救援を呼べないようにしたわけだ。 しかし、リバティの通信兵は寄せ集めの装置とアンテナでアメリカ海軍の第6艦隊に遭難信号を発信することに成功、それに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害。その直後に3隻の魚雷艇が現れて砲撃、さらに魚雷を発射する。その魚雷が命中して船は傾いた。 ジャミングが始まる前に第6艦隊の空母サラトガは訓練の最中で、甲板にはすぐ離陸できる4機の戦闘機があった。艦長は船首を風上に向けさせて戦闘機を離陸させている。その時、イスラエルが攻撃を開始してから15分も経っていない。そこからリバティまで約30分の距離だ。 空母の艦長は艦隊の司令官に連絡、司令官は戦闘機の派遣を承認し、もう1隻の空母アメリカにもリバティを守るために戦闘機を向かわせるように命じる。が、空母アメリカの艦長がすぐに動くことはなかった。 リバティが攻撃されたことはリンドン・ジョンソン大統領へすぐに報告されのだが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んだと言われている。後にマクナマラはソ連軍がリバティを攻撃したと思ったと弁明している。 もしリバティが沈没、生存者がいなかった場合、ソ連軍がアメリカの情報収集線を撃沈したと国防長官は主張、有力メディアはそのシナリオを世界に向けて発信した可能性が高い。 しかし、リバティは沈没せず、生き残った乗組員がいる。アメリカ政府は3時過ぎ、リバティへ戦闘機と艦船を派遣するという至急電を打っている。この時、リバティはメッセージを受信できない状況だったが、イスラエル軍は傍受した。 この決定を受け、空母2隻から8機が発信、艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告する。その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃を実行した。 それから15分ほど後にイスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れたのだ。 一連のやりとりをアメリカの電子情報機関NSAは記録していたのだが、CIAの分析官だったレイ・マクガバンらによると、その記録は後にすべて破棄されている。 実は、リバティに対する攻撃にジョンソン政権が関係していた、あるいは主犯だという疑いもある。この政権で秘密工作を統括していた303委員会で1967年4月、フロントレット615という計画が説明されているのだが、その内容が問題なのだ。 リバティと潜水艦を地中海の東岸へ派遣するというもので、実際、後にリバティや潜水艦は派遣された。潜水艦の乗組員もイスラエル軍による攻撃を目撃している。当初の計画では潜水艦も撃沈する予定だったのかもしれない。 この計画の中にはリバティを沈没させ、その責任をエジプト、あるいはソ連に押しつけて戦争を始めることも含まれていたと言われているのだ。 ジョンソンの前の大統領、ジョン・F・ケネディは1963年11月に暗殺されているが、その時にアメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいた。それを阻止したケネディは暗殺され、イスラエル系富豪エイブラハム・フェインバーグをスポンサーとするジョンソンが副大統領から昇格したのだ。ちなみに、フェインバーグはフランスのロスチャイルドと同じようにイスラエルの核兵器開発を支援していた。 箝口令を無視して話し始めたリバティの乗組員がいるほか、さまざまな形で情報は漏れてきているが、公的な記録の大半は処分されている。その処分の責任者はアメリカ海軍太平洋艦隊の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまりジョン・マケイン3世上院議員の父親にほかならない。
2019.06.09
サンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラムに出席した中国の習近平国家主席がウラジミル・プーチン大統領と6月6日に会談した。ここで生まれたプーチンは習近平を観光に誘っているが、両国の親密さを演出したのかもしれない。 ロシアと中国が急接近する切っ掛けは2014年にバラク・オバマ政権が長年育成してきたネオ・ナチを使ったクーデターをウクライナで実行してから。 ネオコンなどはウクライナを支配することでEUとロシアの関係を絶ち、EUのアメリカ依存を強めると同時にロシアからマーケットを奪い、経済的に破綻させようとしたのだろうが、ロシアは中国に目を向ける。 その中国をアメリカはコントロールできていると思っていたようだが、アメリカの手法を警戒するようになったのか、アメリカ離れを始めた。そして現在、ロシアと中国は戦略的な同盟関係にある。 その結果、中国の一帯一路がロシアの東アジアにおけるビジネス構想と結びつき、少なからぬ国を引き寄せつつある。この流れに韓国だけでなく朝鮮も乗った。 すでにロシアは2011年夏に朝鮮側へ110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。朝鮮は資源の宝庫。豊かになれる可能性を秘めた国なのだが、それだけでなく鉄道やパイプラインを朝鮮半島に建設ようと考えていた。 しかし、ロシアの提案を呑んだ金正日がその年の12月に急死してしまい、その後、朝鮮はミサイル発射実験や核兵器の開発をアピールするようになり、ロシアのプランを実行することが難しくなる。 こうした流れに変化が現れたのは2018年4月27日。韓国の文在寅大統領と金正恩委員長が板門店で会談したのだ。朝鮮指導部の考え方を変えさせた出来事があったのだろう。 そうした出来事ではないかと思えるのが2017年4月のアメリカ軍によるシリアへのミサイル攻撃。すでに数発程度のミサイルではロシアの防空システムで防がれてしまうことはわかっていたので、アメリカ海軍に所属する2隻の駆逐艦から巡航ミサイル(トマホーク)59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射している。 この攻撃はドナルド・トランプ大統領がフロリダ州で中国の習近平国家主席とチョコレート・ケーキを食べている最中に実行された。 アメリカ政府は中国を恫喝するつもりだったのだろうが、発射されたミサイルのうち6割が無力化されてしまう。裏目に出たということだ。ロシア製防空システムの優秀さを示すことにもなった。この攻撃が朝鮮指導部の判断を変えさせた可能性がある。 その1年後、板門店で南北首脳会談が開かれる13日前の2018年4月14日には100機以上の巡航ミサイルをアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍がシリアに対して発射する。大幅に発射するミサイル数を増やしたわけだが、7割が無力化されてしまう。 アメリカ軍は対策を練っただろうが、ロシア側も対策を練っていたのだ。最も大きかったのは短距離用防空システムのパーンツィリ-S1の配備だと言われている。少なからぬ国がアメリカは張り子の虎だと思っただろうが、そのひとつが朝鮮だったのではないだろうか。 その後、朝鮮の金正恩労働党委員長は中国やロシアとの関係を強め、アメリカの恫喝に動じなくなる。今年2月に朝鮮とアメリカの首脳はベトナムのハノイで会談するが、合意に至らなかった。例によってアメリカ側は無条件降伏を求めたが、朝鮮に拒否されたようだ。 朝鮮側の説明によると、制裁を部分解除する条件として核施設の廃棄を提示したところアメリカ側は拒否し、核プログラムの完全的な廃棄を要求、さらに生物化学兵器も含めるように求めたという。トランプ大統領は金正恩が核施設を廃棄する見返りに経済制裁の全面解除を求めたとしているが、これは正しくないようだ。 米朝の首脳会談が決裂してから2カ月後、金正恩委員長は列車でウラジオストックを訪れてウラジミル・プーチン大統領と会談する。その際にプーチン大統領は金委員長によるアメリカとの「関係正常化の努力」と韓国との対話を歓迎したという。トランプ大統領との会談について朝鮮側がロシア側と事前に打ち合わせしていたとしても驚かない。 そうした流れの中、アメリカは東シナ海や南シナ海で軍事的な示威行動を活発化させる。アメリカから中国敵視の政策を強要されていた台湾は国民の意思で方針を転換しているが、その台湾と中国との海峡へアメリカ海軍は繰り返し軍艦を航行させて中国を挑発しはじめる。 昨年、アメリカ海軍の艦船が台湾海峡を通過したのは7月、10月、11月。今年に入っても海峡通過は続き、5月には駆逐艦のプレブルが2度にわたって航行。 こうしたアメリカ側の動きに対し、ロシアと中国は4月29日から5月4日にかけて艦隊演習を実施しているが、6月7日にはロシア軍の駆逐艦ビノグラドフ提督がアメリカ軍のチャンセラーズビルと危うく衝突するという出来事があった。 ロシア国防省はアメリカの艦船が突然進路を変更してロシア艦船の航行を塞ぐ形になり、ロシア側が急旋回して回避したと主張、アメリカ側に抗議した。アメリカ側はこれを否定している。どちらの主張が正しいかは不明だが、アメリカ側が挑発を続けてきたことは間違いない。 歴史的にアメリカやイギリスは制海権を握っていることを利用し、船での輸送をコントロールしようとしてきた。自由な航行の拒否だ。この軍事作戦に日本も組み込まれ、沖縄はその拠点になっている。最近、東北などで軍事的な動きが見られるのはロシアが仮想的に加わったからだろう。 日本は中国やロシアと戦争する準備を進めているのだが、この両国に面した海岸線には原発が乱立している。戦争になれば石油などエネルギー源の備蓄基地はすぐに破壊され、新たな供給も困難だろう。アメリカは日本を奇襲攻撃の出撃基地としか考えていないのではないだろうか。 それに対し、ユーラシア大陸の内陸国は高速鉄道の建設を進めてきた。ロシアや中国が現在、進めている戦略もそうした意味がある。そうした陸路を断つためにアメリカはサラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団をはじめとする傭兵を使う。
2019.06.08
現在の世界情勢を象徴するふたつの出来事が6月上旬にあった。 まず第1にドナルド・トランプ米大統領のイギリス訪問。エリザベス2世英女王の招待で6月3日から3日間滞在した。その中にはDデイ(ノルマンディー上陸の開始日)の記念日が含まれている。その正式名称はオーバーロード作戦。1944年6月6日に始まったのだ。 1941年6月、ドイツ軍の主力310万人は西部戦線へ90万人を残し、ソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001) 東へ向かったドイツ軍の主力は1942年8月からスターリングラード(現在のボルゴグラード)に対する攻撃を開始するのだが、ソ連軍の反撃で手こずる。11月になるとソ連軍が猛反撃してドイツ軍は崩壊、生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは降伏した。主力が壊滅したドイツ軍の敗北はこの時点で決定的だ。 その時点までアメリカやイギリスはドイツ軍によるソ連への侵攻作戦を傍観している。手薄になったドイツの西側を攻めることはなかった。両国が慌ててワシントンDCで会談するのはドイツ軍の敗北を見てから。1943年5月のことだ。 そして同年7月にアメリカ軍とイギリス軍はシチリア島に上陸、9月にはイタリア本土を占領する。この段階でイタリアは無条件降伏したが、この作戦の際にアメリカはイタリアの犯罪組織マフィアと手を組んでいる。コミュニスト対策だった。ノルマンディー上陸はその翌年だ。つまりDデイはドイツ軍の主力が壊滅した後に実行された。 スターリングラードでドイツ軍が降伏するとOSSの幹部だったアレン・ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断でドイツ側の要人と接触を開始、1945年に入るとナチスの幹部を含むドイツの要人を救出するサンライズ作戦をダレスたちは始めた。 1945年4月の反ファシストだったルーズベルト大統領が急死、5月にドイツは降伏する。その後、ローマ教皇庁の協力を得てラテン・アメリカへナチス幹部などを逃がすラット・ラインも作られた。その後、現在に至るまでアメリカ支配層とナチズムの信奉者は同盟関係にある。ノルマンディー上陸作戦でドイツ軍は負けたという話はハリウッドが作り上げた幻影にすぎない。 ここで時間を現代に戻す。 イギリスでトランプはテレサ・メイ首相とも会談、EUからの離脱を賞賛している。アメリカとの結びつきを強めようということなのだろう。この離脱をエリザベス2世も賛成していたと言われている。 トランプがイギリスを訪問した直後、もう一つの出来事があった。6月5日に中国の習近平国家主席がロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領らと会談しているのだ。その中で両国が戦略的な同盟関係にあることを確認、さらに貿易の支払いや決済を両国の通貨で行うことで合意したという。ドルとの決別を意味している。基軸通貨であるドルを発行する特権で世界を支配してきたアメリカに対する挑戦とも言える。 すでにロシアは保有していたアメリカの財務省証券の大半を売却しているが、今後、中国がどう出るかは注意しておく必要があるだろう。現在、新たな買い増しはしていない。 6月6日から7日にかけてはサンクトペテルブルクで国際経済フォーラムが開催されているが、そこで中国は存在感を示している。アメリカによる中国に対する「制裁」でロシアは巨大な市場へ悠々と入れる環境が作られた。 この後、中国とロシアを中心とするSCOの首脳会談がキルギス共和国で6月14日から15日にかけて開かれ、6月28日から29日にかけては大阪でG20首脳会議が開かれる。
2019.06.07
オーストラリアの放送局ABCの本社が警察の家宅捜索を受けた。同国の特殊部隊がアフガニスタンで違法な殺人を犯したことを国防省に秘密文書に基づいて報道したことが違法だとされたのである。 いわゆる「国家安全保障上の秘密」の大半は支配層にとって都合の悪い情報にすぎず、国家安全保障とは無縁だという。実際、これまでに内部告発で明らかにされた情報はそうだった。 内部告発を支援してきたウィキリークスを創設したひとりであるジュリアン・アッサンジは4月11日にロンドンのエクアドル大使館の中で逮捕された。 アッサンジは2010年8月、スウェーデン滞在中にベッドの上でのトラブルに巻き込まれ、事情聴取を受けている。そのトラブルをスウェーデン警察がタブロイド紙にリーク、そのタブロイド紙が「レイプ事件」としてセンセーショナルに伝えた。 ところが、その翌日には主任検事が令状を取り消す。事件性はないと判断したのだ。そこでアッサンジはスウェーデンを出てイギリスへ向かうにだが、その後、スウェーデンの検事局長が捜査の再開を決めた。アメリカ政府の意向を汲んだ政治的な判断だったと言われている。 スウェーデンの検察当局はイギリスに対し、事情聴取をするためにアッサンジをスウェーデンへ引き渡すように求めた。それに対してアッサンジは12月にイギリス警察へ出頭、10日間留置された後に保釈された。 保釈中に彼はロンドンのエクアドル大使館へ駆け込み、亡命が認められたが、この行為を保釈の条件に違反したとしてイギリス警察は今回、アッサンジを逮捕したのである。ちなみに、事件の発端になった事件は2017年5月に取り下げられ、逮捕後に捜査は再開された。 しかし、保釈の前提になる引き渡し要請は無効だと考える人が少なくない。ヨーロッパの場合、裁判所の発行した令状でなければ無効とされているのだが、アッサンジのケースでは検察官が出したものであり、無効だと考えるのが普通。それをイギリスの裁判所は有効だと認めたのだ。 アッサンジがエクアドル大使館へ逃げ込んだ理由はアメリカ支配層が彼を逮捕し、厳罰に処す意向だということを感じたからだと見られている。実際、アメリカの司法当局は2010年4月から11年初めにかけての時期に裏で起訴していた。バラク・オバマが大統領だった時期だ。 ウィキリークスはさまざまな秘密文書を公表しているが、起訴に近い時期にも重要な情報を明らかにしていた。2010年4月にアメリカ軍がイラクで行っている殺戮の実態を明らかにする資料を公開したのだ。その中にはアメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターがロイターの取材チームを含む非武装の人びとを銃撃、十数名を殺害する場面を撮影した映像が含まれていた。 アッサンジは「1917年のスパイ活動法」に違反したという口実で起訴されている。すべてが有罪になると最大で懲役175年だ。 安倍晋三政権は2013年12月に秘密保護法を公布、支配層が秘密にしておきたい情報を漏らすことを犯罪にした。アメリカの支配層が情報の統制を強化したことを受けてのことだろう。 すでに日本を含む西側の有力メディアは事実を伝えず、支配層が庶民に信じさせたい情報を流すようになっている。報道の自由を放棄している。今後、支配層が統制できていない情報の発信者に対する取り締まりを強化するのだろう。
2019.06.06
NATO軍が空爆でユーゴスラビアを破壊したのは1999年3月から6月にかけてのこと。「人道」が攻撃の口実に使われたのだが、それが事実に反することは当時から指摘されていた。 攻撃の目的はユーゴスラビアを解体し、コソボを奪うことだが、その背景には大アルバニア構想があったと言われている。コソボは歴史的にセルビア人の居住地域だと言えるが、そうした経緯を無視しての構想だ。その矛先はロシアに向いている。 アルバニアはアメリカやイギリスなど西側の支配層にとって戦略上、重要な位置にある。第2次世界大戦後、アメリカが最初に秘密工作を実行したターゲットはアルバニアだった。 1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死してホワイトハウスの主導権をウォール街が奪還した後、アメリカやイギリスはソ連に対する秘密戦争を始めている。その一例がウィンストン・チャーチル英首相が作成させたアンシンカブル作戦。 この作戦はイギリスの参謀本部が拒否、チャーチルは下野する。そのチャーチルは1947年にアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだが、実行されなかった。 イギリスでは1948年11月、「ロシア委員会」の「冷戦小委員会」はソ連の衛星国を武力で「解放」することを決定する。ある空軍中将は5年以内にソ連の体制を転覆させたいと考えていた。最初のターゲットがアルバニアだ。(Michael Holzman, “James Jesus Angleton,” University of Massachusetts Press, 2008) その作戦を実行するために小委員会の委員長はワシントンDCを訪問、アメリカ国務省の高官や破壊工作機関OPCを指揮していたフランク・ウィズナーと会って説得、アメリカ側はイギリスの提案を受け入れた。この秘密工作ではリビアにあったアメリカの空軍基地から物資を供給、軍事訓練はマルタで行われたという。 しかし、この作戦は失敗、1949年になるとアメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容を含む研究報告を作成した。1952年には初の水爆実験を成功させ、54年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を立てている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 1957年に作成したドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(前掲書)このドロップショット作戦は実行するつもりだったと見られている。この計画と沖縄の軍事基地化を無関係だと考えることはできない。 軍事基地化が進められていた時期に琉球民政長官を務めていたライマン・レムニッツァーをドワイト・アイゼンハワー大統領は統合参謀本部議長に任命、空軍参謀長のカーティス・ルメイなど好戦派とソ連に対する先制核攻撃を準備していく。その準備が整い、ソ連側が反撃の準備ができていない時期ということで彼らが決めた実行日は1963年後半。こうした攻撃に反対していたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、西側の有力メディアは1991年12月にソ連が消滅して以来、旧ソ連圏へ軍事侵攻するように煽っていた。 しかし、ビル・クリントン政権(1993年1月~2001年1月)は当初、その要求を拒否。そうした姿勢が変化したのは1997年1月に国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代してから。 オルブライトはチェコスロバキア生まれ。コロンビア大学でポーランド生まれのズビグネフ・ブレジンスキーから教えを受けている。この人事を大統領に働きかけていたのはヒラリー・クリントンだったと言われている。 ユーゴスラビア解体にオサマ・ビン・ラディンが関係、ジハード傭兵が作戦に参加しているが、コソボ略奪のために手を組んだKLA(UCK、コソボ解放軍)は麻薬業者。クロアチアのネオ・ナチも入り込んでいた。その指導者のひとりがハシム・サチで、後に首相や大統領に就任する。 この人物はアルバニアの犯罪組織とつながっていると言われている。麻薬取引に手を出しているだけでなく、臓器の密売に関与していたと言われている。 臓器密売については旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で検察官を務めたカーラ・デル・ポンテが自著の中で書いた(Chuck Sudetic, Carla Del Ponte, “La caccia: Io e i criminali di guerra,” Feltrinelli, 2008)ほか、欧州評議会のPACE(議員会議)のメンバーだったディック・マーティによる報告書にも書かれている。 ほかのケースでもアメリカの支配層は犯罪組織、麻薬業者、ネオ・ナチ、サラフ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)、ムスリム同胞団などと手を組んできた。コソボでも同じ手法を使ったということであり、その手法が西側では支持されている。これが安倍晋三政権が共有する共通の価値観なのだろう。
2019.06.05
シリア西部、トルコと接したイドリブを奪還する作戦をシリア軍とロシア軍は5月30日頃から本格化させたと伝えられている。住民殺害や化学兵器の使用といった偽情報を西側の有力メディアは伝えていたが、止められなかったようだ。 イドリブを支配している集団の中心的な存在はアル・カイダ系のタハリール・アル・シャーム(アル・ヌスラ)。アメリカ大統領特使としてダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)問題に取り組んでいたブレット・マクガークは2017年7月、イドリブは9/11の後、アル・カイダの最も大きな避難場所になっていると語っている。 こうした集団に参加している戦闘員の中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、チェチェン、ウクライナ、ウイグルなどからも来ている。 こうした傭兵集団がシリアで戦闘を本格化させたのは2011年3月のこと。当時からアメリカの情報機関CIAが支援の中心にいたと見られているが、イギリスの特殊部隊SASやフランスの情報機関DGSEのメンバーが指揮に参加していると報告されている。 侵略の最重要拠点はトルコにあるアメリカ空軍のインシルリク基地。そこで各国の情報機関員や特殊部隊員が傭兵を訓練してシリアへ送り込まれていた。そのルートは侵略軍の平坦線でもあった。2011年から2016年の前半までトルコは侵略勢力の一員で、配下の戦闘員がシリアへ入っている。 そうしたトルコ系の戦闘員がまだイドリブには残っている。少なからぬ戦闘員がアメリカなどの手によってイドリブから非難したようだが、トルコ系は残ったようだ。国境を越えればトルコなので、慌てて逃げ出す必要はないのだろう。 トルコは2016年からロシアへ接近、アメリカの圧力を跳ね返す形でロシアから防空システムS-400を購入する契約を結んでいる。 シリア侵攻作戦が始まった当初、リビアと同じように政権転覆に時間はかからないとされていたのだが、そういう展開にはならなかった。しかも2015年9月にはロシア軍がシリア政府の要請で介入、傭兵集団の支配地域は急速に縮小。その一方で交易相手だったシリアやロシアとの関係を断絶した結果、トルコ経済が苦境に陥ってしまう。ロシア接近はその結果だ。 そこでアメリカはレジェップ・タイイップ・エルドアン政権をクーデターで倒そうとするが、失敗に終わった。2016年7月のことだ。ロシアから事前にクーデター情報が伝えられていたと言われている。 エルドアン政権はクーデターの黒幕をフェトフッラー・ギュレンの一派だとしているが、それだけでなく背後にはアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたと主張している。 ボーテルは特殊部隊の出身。2016年12月、大統領選で勝利したドナルド・トランプに対し、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ、いわばジハード傭兵を支援し続けるように求めていた。 そのジハード傭兵が支配するイドリブもシリア政府軍が制圧しようとしている。すでにジハード傭兵がアメリカ製の対戦車ミサイルTOW、ロケット・ランチャー、NATOが使用しているプラスチック爆弾C-4、装甲車などを保有していることが判明している。いずれもトルコから運び込まれているが、その輸送はアメリカ政府の承認済みだ。イドリブでの戦闘を利用し、アメリカはトルコを再び配下に置こうとしているのかもしれない。
2019.06.04
ビルダーバーグ・グループの会議がスイスのモントルーにあるホテル・フェアモント・ル・モントルー・パレスで5月30日から6月2日にかけて開かれた。テーマには安定した戦略的秩序、中国、ロシア、資本主義の未来、Brexit(英国のEU離脱)、ソーシャル・メディアの武器化、サイバーの脅威といったものが含まれている。資本主義に基づく自分たちの支配システムが中国やロシアによって脅かされているという認識が見える。 1954年に創設されたこのグループはアメリカ支配層とヨーロッパ支配層の利害調整機関と見られ、会合の参加者をチェックするとアメリカ大統領選挙の行方を予測できるとも言われている。 2015年6月にオーストリアで開かれた会合にジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席したことから次期大統領はヒラリーに内定したと噂され、実際、2016年の大統領選挙では途中までヒラリーが勝つと予測されていた。 その後、ウィキリークスが公表したヒラリー・クリントン関連の電子メールの中に、2015年5月の時点で民主党幹部たちがヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆しているものも含まれている。これはバーニー・サンダースの支持者を怒らせた。 第2次世界大戦の前からアメリカやイギリスの支配層の内部にはヨーロッパを統合しようという動きがあり、1948年にはACUEが設立された。その主要メンバーにはアメリカの金融資本の代理人で情報機関を動かしていたウィリアム・ドノバンやアレン・ダレス、イギリスの金融資本と強く結びついている首相経験者のウィンストン・チャーチルたちが含まれていた。 ビルダーバーグ・グループはACUEの下部機関で、その創設者としてオランダ女王の夫、ベルンハルト殿下やユセフ・レッティンゲルが名を連ねている。レッティンゲルは戦前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動、大戦中はロンドンへ亡命していたポーランドのウラジスラフ・シコルスキー将軍の側近だった。 1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議でアメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求、オイル・ショックにつながったとサウジアラビアのファイサル国王の腹心で石油鉱物資源相を務めたシェイク・ヤマニはオブザーバー紙の記者に語っている。この秘密会議はビルダーバーグ・グループの会合だった。1973年5月11日から13日にかけてスウェーデンで開かれている。 ヤマニによると、ファイサル国王は価格の高騰が代替エネルギー源の開発を刺激、石油ビジネスにとって良くないと考えていた。そこでヤマニをイランのパーレビ国王の下へ派遣したのだが、そこで「なぜ原油価格の値上げに君たちは反対するのだ?そう願っているのか?ヘンリー・キッシンジャーに聞いてみろ、値上げを望んでいるのは彼なんだ」とパーレビから言われたという。 石油相場がお急騰した直接的な原因は1973年10月の第4次中東戦争。戦争勃発から10日後、OPECに加盟するペルシャ湾岸の6カ国が原油の公示価格を1バーレルあたり3.01ドルから5.12ドルへ引き上げると発表している。 この戦争はエジプト軍の奇襲攻撃で始まり、イスラエルは窮地に陥った。ヘンリー・キッシンジャーはエジプトのアンワール・サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げると同時にイスラエルへ和平交渉に応じるようプレッシャーをかけようとしたとされているのだが、石油相場を急騰させることもシナリオに含まれていたはずだ。 当初、戦争はキッシンジャーの思惑通りに進むが、これを懸念する声が国防長官や統合参謀本部議長などから出てくる。そして統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を検討するが、キッシンジャーは妨害したという。後にネオコンの中心的な存在になるリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツはキッシンジャーの動きに激怒している。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009) その結果、アメリカ国内の石油産業やイギリスの北海油田が利益を生むという結果ももたらされ、1974年にはアメリカ政府がサウジアラビアと石油取引に関する協定を結ぶ。 その協定によって石油取引の決済はドルに限定され、石油を求める国々はドルを集めて産油国へ支払うことになる。産油国に集まったドルはアメリカ財務省証券や高額兵器の購入などでアメリカへ還流、その代償としてアメリカ政府はサウジアラビアと油田地帯を軍事的に保護し、支配一族の地位を永久に保障することになった。別の産油国とも基本的に同じ内容の取り決めをアメリカは結んだとされている。この仕組みがいわゆるペトロダラーだ。おそらく日本ともドル還流の取り決めがあるだろう。 ドルを還流させる仕組みができると、アメリカはドルを発行し、物を買うという無限ループの恩恵に浴すことになる。この仕組みが崩れると、ドルは「軍票」と化す。 こうした仕組みを導入した背景にはアメリカ経済の破綻がある。そのため、1971年8月にリチャード・ニクソン大統領はドルと金の交換を停止すると発表せざるをえなかった。国際収支の赤字で金の流出が止まらなかったのである。 ペトロダラーの仕組みを作り上げることに成功したアメリカだが、不安材料はあった。ファイサル国王はPLO議長だったヤセル・アラファトの後ろ盾的な存在で、アメリカと一線を画していた。 その不安材料は1975年3月に排除される。国王の執務室で甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されたのだ。ビン・ムサイドはクウェートのアブドル・ムタレブ・カジミ石油相の随行員として現場にいたという。この暗殺犯はアメリカでモサドの操り人形にされていたことが判明している。
2019.06.03
ミハイル・ゴルバチョフがソ連で実権を握る前、1980年から中国では新自由主義がすでに導入されている。その年に新自由主義の教祖的な存在であるミルトン・フリードマンが中国を訪問しているが、これは象徴的な出来事だった。 ところが、1980年代の後半になると新自由主義による社会の歪みが深刻化する。1988年に実施した「経済改革」は深刻なインフレを招き、社会は不安定化。労働者などから不満の声が高まり、軌道修正を図ることになる。 それに対し、新自由主義で甘い汁を吸えるはずのエリート学生は「改革」の継続を求めた。そうした学生に支持されていたのが胡耀邦や趙紫陽だ。このふたりの後ろ盾だった鄧小平も軌道修正に与した。 新自由主義の継続を求める学生運動の高まりに対する責任を問われて胡耀邦は1987年に総書記を辞任、89年に死亡した。その死を切っ掛けに天安門広場で大規模な抗議活動が始まり、5月に戒厳令が敷かれ、6月を迎えた。 本ブログではすでに指摘したが、当時、現地にいた西側のジャーナリストや外交官は天安門広場で学生が虐殺されたという話を否定している。 例えば、当日に天安門広場での抗議活動を取材していたワシントン・ポスト紙のジェイ・マシューズは問題になった日、広場に派遣された治安部隊は学生が平和的に引き上げることを許し、そこでは誰も死んでいないとしている。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 学生指導者のひとりである吾爾開希は学生200名が殺されたと主張しているが、マシューズによると、虐殺があったとされる数時間前に吾爾開希らは広場を離れていたことが確認されている。 また、北京ホテルから広場の真ん中で兵士が学生を撃つのを見たと主張するBBCの記者もいたが、記者がいた場所から広場の中心部は見えないという。(Jay Mathews, “The Myth of Tiananmen And the Price of a Passive Press,” Columbia Journalism Reviews, June 4, 2010) 西側の有力メディアは2017年、天安門広場で装甲兵員輸送車の銃撃によって1万人以上の市民が殺されたという話を伝えている。北京駐在のイギリス大使だったアラン・ドナルドがロンドンへ送った電信を見たとAFPが流したのだが、ドナルド大使自身が目撃したわけではない。彼の「信頼できる情報源」から聞いた話だ。 その情報源が誰かは明らかにされていないが、そのほかの虐殺話は学生のリーダーから出ていた。当時、イギリスやアメリカは学生指導者と緊密な関係にあった。ドナルド大使の話も学生指導者から出たことが推測できる。この推測が正しいなら、現場にいなかった人物の話ということになる。 また、ウィキリークスが公表した北京のアメリカ大使館が出した1989年7月12日付けの通信文によると、チリの2等書記官カルロス・ギャロとその妻は広場へ入った兵士が手にしていたのは棍棒だけで、群集への一斉射撃はなかったという。(“LATIN AMERICAN DIPLOMAT EYEWITNESS ACCOUNT O JUNE 3-4 EVENTS ON TIANANMEN SQUARE”, WikiLeaks) しかし、衝突がなかったわけではない。広場から少し離れた場所で銃撃はあったのだが、治安部隊と衝突したのは新自由主義に反対する労働者を中心とするグループだったという。この衝突では双方に死傷者が出ているようだ。西側支配層はこの衝突を掘り下げたくないだろう。 イギリスのデイリー・テレグラム紙が2011年6月4日に伝えた記事によると、BBCの北京特派員だったジェームズ・マイルズは天安門広場で虐殺はなかったと認めている。軍隊が広場へ入ったときに抗議活動の参加者はまだいたが、治安部隊と学生側が話し合った後、広場から立ち去ることが許されたという。 学生の抗議活動にCIAが関与していることは間違いない。当時の状況を見ると、大統領は1989年1月からCIA出身のジョージ・H・W・ブッシュ。エール大学でリクルートされた可能性が高く、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺でも名前が出てくる。 同年4月にアメリカ大使として北京へ赴任したジェームズ・リリーはブッシュと昵懇の間柄にあるCIAの高官。リリーの前任大使であるウィンストン・ロードは大使を辞めた後、CIAの資金を流すNEDの会長に就任している。ブッシュ、リリー、ロードの3名はいずれもエール大学の出身で、学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだ。 学生は大使のリリーだけでなく、投機家のジョージ・ソロスともつながっていた。後に吾爾開希や柴玲など運動の指導者はイギリスのMI6やアメリカのCIAが作った逃走ルート「黄雀行動」を利用、香港とフランスを経由してアメリカへ逃げた。吾爾開希はハーバード大学、柴玲はプリンストン大学へ入学している。吾爾開希は現在、台湾で独立運動に参加しているという。 中国政府は経済政策を修正したものの、その後もアメリカとの友好的な関係は崩していない。その関係が崩れるのは2014年、ウクライナでアメリカがネオ・ナチを使ったクーデターを実行してからだ。
2019.06.02
コソボのROSU(警察の特殊部隊)がセルビア人が住む地区を襲撃、23名を拘束した。その中にはUNMIK(国連コソボ暫定行政ミッション)に所属するロシア人外交官が含まれ、このロシア人を含む複数が負傷している。 襲撃の名目は「組織犯罪網」の摘発だが、明らかにセルビア人を狙った行動。かつてシオニストがイスラエルを作り上げる際に先住のアラブ系住民を襲撃、惨殺して残る人びとを難民化させたが、同じことをしようとしているのだろう。 コソボはユーゴスラビアの一部だった。そのユーゴスラビアを解体する工作が始まったのは1984年。この年、ソ連圏を「静かな革命」で倒そうというNSDD133にロナルド・レーガン大統領が署名したのだ。その工作のパートナーになったのがポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世。西側支配層にとって都合良いことに、ソ連では1985年に西側を信仰しているミハイル・ゴルバチョフが最高指導者に就任する。 その前にレーガン政権は「民主化」というタグをつけて侵略することにしている。プロジェクト・デモクラシーだ。一種の心理戦である。その心理戦を実行するためにSPG(特別計画グループ)をNSC(安全保障会議)に設置。そのために大統領は1983年、NSDD77に署名した。 レーガン政権で国外における秘密工作を指揮していたのは副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ。ゴルバチョフ時代にCIAやそのOB人脈はソ連でクーデター(ハンマー作戦)を計画していた。 1989年1月にブッシュは大統領に就任、91年7月にロンドンで開催されたG7首脳会談にゴルバチョフを招待し、そこで新自由主義の導入を求める。それを拒否したゴルバチョフは同年8月に「クーデター未遂」を切っ掛けに実権を失い、西側支配層の操り人形だったボリス・エリツィンがソ連を解体へと導くことになる。エリツィンは12月にベラルーシのベロベーシで勝手にソ連の解体を決めてしまったのだ。 こうした動きはソ連国民の意思を反映したものではなかった。例えば1991年3月にロシアと8つの共和国で行われた国民投票では、76.4%がソ連の存続を望んでいた。国民投票が実施された共和国の人口はソ連全体の93%で、ソ連全体の意思だと思って構わないだろう。(Stephen F. Cohen, “Soviet Fates and Lost Alternatives,” Columbia University Press, 2009) ソ連解体後、旧ソ連圏は西側支配層に食い荒らされて庶民は貧困化、その一方で西側支配層やその手先になった一部の人びとは巨万の富を手にする。オリガルヒという成り上がりが登場するのはその結果だ。 エリツィンによってロシアが弱体化される中、西側の有力メディアは広告会社と手を組み、旧ソ連圏を侵略するように煽っている。このころからメディアは人びとが戦争に合意するよう、偽情報を露骨に流している。当初、ビル・クリントン政権は戦争に消極的だったが、さまざまな圧力に負けて戦争へと傾いていく。大きな転換点は1997年の国務長官交代だ。 一方、ユーゴスラビアでは西側の働きかけもあり、解体の動きが顕在化する。まず1991年6月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言、同年9月にマケドニアが、翌年3月にはボスニア・ヘルツェゴビナと続き、4月にはセルビア・モンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成している。そしてユーゴスラビア連邦共和国からコソボを剥ぎ取ろうとする動きが始まったのである。当時、ユーゴスラビアを解体する工作を現地で指揮していたのはリチャード・マイルズだ。 1992年3月にユーゴスラビア駐在米国大使だったウォーレン・ジンマーマンはサラエボでボスニアのイスラム指導者だったアリヤ・イザドベゴイチと会談した。 その数日前、EU主導でボスニア・ヘルツェゴビナでの流血を避けるため、イスラム、ギリシャ正教、カトリックで住み分けることで合意していたのだが、その合意を破棄すればアメリカがイザドベゴイチたちを全面的に支援すると約束したのだ。ジンマーマンに指示を出していたのは国務副長官のローレンス・イーグルバーガーだったという。 ジャーナリストのレナテ・フロットーによると、サラエボにあったイザドベゴイチのオフィスで1993年から94年にかけてオサマ・ビン・ラディンを何度か見かけたという。アフガニスタンからソ連軍が消えた後、ジハード傭兵はユーゴスラビアへ移動したということだろう。主なルートはクロアチア経由だったとされている。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018) クリントン政権で最初の国務長官であるクリストファー・ウォーレンはユーゴスラビアとの戦争に消極的だったのだが、1997年1月に好戦派のマデリーン・オルブライトと交代して状況は一変する。オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの教え子。この人事を大統領に働きかけていたのはヒラリー・クリントンだった。 そして1999年5月にNATOはユーゴスラビアに対する空爆を開始、4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。これは侵略戦争以外の何ものでもない。 アメリカがコソボを乗っ取るために使ったのはKLA(コソボ解放軍、UCKとも表記)。1996年2月頃から台頭してくる。この集団にはクロアチアのネオ・ナチが入り込んでいた。 その指導者のひとりがハシム・サチなる人物。後に首相、そして大統領になるが、アルバニアの犯罪組織とつながり、麻薬取引や臓器の密売に関与していたと言われている。こうした実態はその後も基本的に変化していない。 アメリカはアフガニスタン侵略でカネ儲けのためにヘロインを利用していたが、主要な輸送ルートはコソボを通過、それにともなう儲けがKLAの資金源になっていた。 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で検察官を務めたカーラ・デル・ポンテは自著の中でKLAによる臓器の密売に触れている。コソボで戦闘が続いている当時、KLAの指導者らが約300名のセルビア人捕虜から「新鮮」な状態で、つまり生きた人間から臓器を摘出し、売っていたというのだ。 その勢力が今でもコソボを支配、それをアメリカやEUは支持している。ROSUによるセルビア人襲撃の先には新たな民族浄化策があるのではないかと懸念されている。
2019.06.02
ベトナムのハノイで今年(2019年)2月27日と28日にかけて行われた朝鮮とアメリカの首脳会談で実務交渉を担当していたという国務委員会対米特別代表の金赫哲が処刑され、対米交渉を総括していた金英哲労働党統一戦線部長は「革命化措置」(強制労働および思想教育)を受けたと韓国で報じられている。ドナルド・トランプ大統領との交渉が決裂したことに金正恩労働党委員長はショックを受け、その責任を問われたとしている。 朝鮮側の説明によると、その交渉で朝鮮が制裁を部分解除する条件として核施設の廃棄を提示したところ、アメリカ側は拒否し、核プログラムの完全的な廃棄を要求、さらに生物化学兵器も含めるように求めたという。トランプ大統領は金正恩が核施設を廃棄する見返りに経済制裁の全面解除を求めたとしているが、両国の発表以外の情報を見ると、これは正しくないようだ。 アメリカ政府に朝鮮との交渉で合意しようという意思があったとは思えない。そうした交渉姿勢を決めたのはマイク・ポンペオ国務長官とジョン・ボルトン国家安全保障補佐官だったと見られている。アメリカに従属しなければ破壊するというスタンスだ。これまでもアメリカ支配層にとって朝鮮は東アジアを不安定化させる重要な国であり、朝鮮半島全域の支配はありえても平和を彼らが容認するとは思えない。 この当時、朝鮮はすでにロシア、中国、韓国と連携、アメリカとの交渉についても話し合っていたはずである。2018年3月26日に金委員長は特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会い、4月27日には韓国の文在寅大統領と金正恩委員長が板門店で会談している。 ロシアが朝鮮にアプローチしたのはさらに早く、2011年の夏にはドミトリ・メドベージェフ首相がシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会っている。その際、ロシア側は110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。朝鮮は資源の宝庫。豊かになれる可能性を秘めた国なのだ。 ロシアや中国はユーラシア大陸に鉄道網を張り巡らせ、エネルギー資源を運ぶパイプラインを建設しようという計画を持っている。朝鮮が同意すれば、朝鮮半島を縦断する鉄道とパイプラインを建設できる。これらは中国の一帯一路に連結する。 この提案を金正恩の父、金正日は受け入れたのだが、2011年12月に急死してしまう。朝鮮の国営メディアによると、12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したというが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の元世勲院長(2009年~13年)は暗殺説を唱えていた。 このロシアの提案は中国や韓国を巻き込み、昨年3月に動き始めた。残る課題は制裁(経済戦争)。その黒幕はアメリカ支配層にほかならない。 アメリカやイギリス、つまりアングロ・サクソンの支配層が東アジア侵略を本格化させるのは19世紀。アヘン戦争からだ。この戦争でイギリスは中国(清)に勝利したが、それは海での戦い。内陸部は制圧できていない。戦力が足りなかった。 そこで目をつけられたのが日本。つまり日本人を傭兵にしようとしたわけだ。そして実行されたクーデターが明治維新。李氏朝鮮は中国侵略に加担しなかった。 その後、明治政府は琉球併合、台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争へと進み、中国侵略。1932年には中国東北部に傀儡国家の満州国を樹立、39年にはソ連へ侵略しようと試みてノモンハン事件を起こし、惨敗する。 そしてソ連侵略を諦めることになるが、それはアングロ・サクソン支配層の意向に背く行為であり、対立が生じる。イギリスが植民地化していた東南アジアへ向かえば、その対立は決定的。そして真珠湾攻撃でアメリカとの戦争が始まる。 ここで注意しなければならないのは、アメリカが一枚岩ではないということ。1933年3月から45年4月まで続いたフランクリン・ルーズベルト政権はファシズムを敵視、ソ連とは連携しようとしていた。 それに対し、1933年から34年にかけて反ルーズベルト政権のクーデターを目論んだウォール街の巨大金融資本は反コミュニストでナチスのスポンサーでもある。この金融資本はファシズム体制の樹立を計画していた。(スメドリー・バトラー少将やポール・フレンチ記者の議会証言) ウォール街と同じようにソ連を敵視していたのはイギリスのウィンストン・チャーチル首相。ルーズベルト大統領が急死した翌月、ドイツが降伏した直後にチャーチルはソ連を攻撃する作戦を立案するように命令、アンシンカブル作戦ができあがる。米英軍数十師団とドイツの10師団がソ連を奇襲攻撃することになっていた。 明治時代と同じように、日本はアングロ・サクソンの中国侵略に手を貸し、朝鮮は勿論、韓国も第2次朝鮮戦争や中国との戦争を避けようとしている。アングロ・サクソンが日本を支配する仕組みである天皇制官僚体制が続く限り、この構図は変わらないかもしれない。 ところで、ハノイでの会談から2カ月後の4月24日、金正恩委員長は列車でウラジオストックを訪れた。25日にはロシアのウラジミル・プーチン大統領と会談に入る。その際、プーチン大統領は金委員長によるアメリカとの「関係正常化の努力」と韓国との対話を歓迎したという。ハノイ会談自体、プーチンが演出した可能性がある。 そうした会談が決裂したことに金正恩が大きなショックを受けたとは思えない。現段階では処刑されたのかどうかは不明で様子を見るしかないのだが、金赫哲が処刑されるような状況にあるとは思えない。
2019.06.01
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