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水曜日の担当は、坂田博昭です。 先日、函館競馬場に取材でなく一人の客で行ってきました。 本題に入る前に。 しっかし…ほんと、当たらんね。 JRAの入場券(汗)。 「指定席」じゃなくて、一般席の「スマートシート」を頼んだ方が良いのかもだけど…ちょっと良い位置の「指定席」で見たいじゃないですか。でも当たらん。 私は、落選したあと当日までの、たまたまログインしたタイミングでキャンセル席が取れました。めちゃくちゃついてました。本当に「たまたま」。 何時間もパソコンの前で「更新」の繰り返しとか…むりなので。 でも、チケットゲットできて良かったです。 JRAの競馬場自体久しぶり 去年来られなかったから、函館競馬場2年ぶり 中に入れた時点で、やっとこられた~っていう感慨… スマートシートっていう 要するに一般席を石版で割り振った指定席 1個あけで使われていて、それでも更に人数で間引いてる感じですね。 その場にいる人数がとてもすくないので、ゆるーい時間が流れます。 レースが始まると、皆さんコースの際に下りてきて観戦。 4コーナー方向のスペース かつては、やきとり弁当のハセガワストアとか、ラッキーピエロのハンバーガー売るテントとか、地元の飲食店の出店のプレハブとかが、所狭しと並んでいた場所。 それらが何もない、っていう寂しさはあるけれど… 一方で、ここってこういう場所だったんだ、っていう新鮮さもあった。 恥ずかしながら…その奥にある馬頭観音 初めてお参りしました。 色んなものがそぎ落とされた感じで、本当にレースやって馬券売ってる、それだけ。 すごく「スリム」で「シンプル」になった競馬場。 でも…それで気づくこともあるのかなと、実感。 この先、コロナ禍が一区切りついたあと 競馬場っていう場所がどうなっていくのかなと。 すごく考えさせられた一日でした。 例えば… みんなが花の姿を楽しみに来る、っていうのも、競馬場のひとつのありようかもしれないわけですし。 来週こそ、門別の話…かな。 今日の札幌は、とても暑いです。
2021年07月14日
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こんにちは~!高橋華代子です。先日、2002年の東京ダービー馬キングセイバーと3つの重賞ホルダー・リガメエントキセキがお住いの、千葉県八街市にあるNSGライディングディビジョンに行ってきました。 <NSG全景> <キング(手前)もいろんな仲間たちと元気に過ごしています> キングのことは、地方競馬全国協会のページにできたウェブハロンの中でご覧下さいね。リガメエンは南関魂で。 ここは、キングセイバーのオーナー木曽敏彦さんの乗馬クラブです。 <キングとの思い出の品が、乗馬クラブのロビーにズラリと> 木曽さんは馬場馬術の選手として国際的にも活躍していて、44年ぶりに馬場馬術のオリンピックに出場することでも話題になっている法華津(ほけつ)寛さんとも、一緒に国際的な大会などに出場しているそうです。非常にお若く見えるんですが、同世代とか↓ <木曽オーナー> <木曽オーナー騎乗中。ちなみに、このお馬さんは馬術用の血統の子なので7000万だったとか!!!> 高校一年生の時から馬術を始めて、すでに50年くらいのキャリアを誇るそうですが、「馬との会話には何十年もかかるから」(木曽さん)ということで、これからも現役バリバリで馬に乗り続けていきたいそうです。 このNSGは、馬術大会の訓練を目的に1994年につくられました。その最新の技術を生かして、競走馬の育成や休養なども行っているそうです。キングセイバーもデビュー前にはここで馴致をしたりプール調教も行っていたそうで、第二の故郷ですね(リフレッシュ休養中もここで過ごしました)。 プール調教は、脚元に負担をかけないで心肺機能を鍛えたり、リハビリを行ったりするものです。お馬さんによっては泳ぎが得意な子もいるし、苦手な子もいるそう。人間と一緒ですねぇ~。そういえば、レギュラーメンバーが現役時代の時に、栗東のプールで泳いでいるとこを見せて頂きましたが、スイスイ上手に泳いでいました。キングもリガメエンも、とっても上手に泳ぐそうですよ。 NSGさんのプール。直線70メートル、深さは3メートル以上もあるんだそう。お馬さんの目的によって、ここを2往復だったり、何往復も行うそうです。 ちょうど、去年の10月に蹄骨の骨折で休養を余儀なくされたグランツセイバー君(川崎・田邊厩舎)がプールでリハビリをしていたので、見せてもらいました。 <今からプールに入ります> <おっ、上手に泳いでる!お馬さんの息づかいは走っている時以上に大きくて、ハードなトレーニングなんだなぁと痛感できます> <歯をくいしばって頑張ってます。もうちょっとだ、頑張れ~!!!> <無事に70メートルを泳ぎ切りました。お疲れ様!> さて、お話しはまた馬術に戻りますけども。今回垣間見させて頂いて、面白い世界だなぁと興味津々でした。ここで語れるほどまだ知識はないもので、まずは近いところで、ゴールデンウイーク中に行われる馬事公苑の馬術大会でも行ってみようかなぁ~と。やっぱ、お馬さんが頑張る世界というのは自然に興味がわいてきます。
2008年04月27日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 稿は先週の続き。釧路の街を探訪中。 もう一度、幣舞橋。いつまでも佇んでいたい雰囲気があります。 今日はいよいよ、競馬の話題。 ホッカイドウ競馬の場外発売所「Aibaくしろ」を訪れます。(取材日:平成28年3月29日) Aiba釧路は、先週ご紹介した釧路の街の中心部から車で10分ほど離れたところ、釧路川の街の中心がある側を少し上流にさかのぼったあたりにあります。 離れた、と言っても不便な場所ではありません。 いわゆる「ロードサイド」の店舗群が道路に沿って発展している国道から少し入った場所で、周辺は私が訪れた平日の日中でも結構な賑わいです。 隣には…… でっかいイオンモールがあります。 周辺にも… 様々な店が建ち並ぶ国道。この「国道から少し入ったイオンの裏手」という説明で、到着出来ると思います(笑)。 そのぐらい、あたりは車の交通量も多く、平日昼でも人出がある地域です。 Aibaくしろがオープンしたときはこうしたロードサイド店舗群が広がり始めた頃。イオンは先にこの場所に出来ていたそうで、いずれ「現代風の繁華街」が出来上がる中のうまい立地を先見の明で探り当てたということのようです。 Aibaくしろについて詳しく見ていく前に、周辺事情をもう少し。 実は、このAiba釧路のすぐそば。釧路川を渡った「向こう側」のほとり、釧路川を渡る橋のたもとには、JRAの場外発売所「ウインズ釧路」があります。 ウインズ釧路。やはりJRAの施設はデカい!! 元々、ホッカイドウ競馬の馬券はウインズ釧路で売られていたそうです。 それが平成10年度末に終了。その後1年間だけ駅裏にあるばんえい競馬の場外発売所・ハロンズ釧路に引き継がれたあと、平成12年4月にホッカイドウ競馬の自前の場外発売所としてAibaくしろが生まれ、この場所でホッカイドウ競馬の馬券発売が始まったそうです。 いまでも勿論ウインズ釧路はあり、そしてばんえいが運営するハロンズ釧路も営業しています。JRAの開催日にはこの3箇所が全て営業し、地方競馬の発売も微妙に日程や発売場が異なるとは言え、Aibaとハロンズ2箇所で行われています。(ウインズはJRA非開催日は休館) 人口18万足らずの地域の街に、場外馬券売り場が3軒。 現地を訪れる前に客観的状況だけ調べた私は、この点から生まれるいくつもの「?」マークを頭の中から払拭できませんでした。この場所を訪れるまでは。 そうした事情を前提に、Aiba釧路を見ていきましょう。 平日の午後にもかかわらず、なかなか盛況! この地域で盛んな漁業とか、あとは土木関係の仕事をされている方は、冬が過ぎ去るのを待ってこれからの季節が仕事。場外発売所も冬の間の集客はなかなかのもので、「1~2月はむしろ繁忙期」とのことでした。 この日はデイの笠松とナイトの川崎を発売中。 「年配の方」というよりも、「壮年の方」の滞在がこの日は目立ちましたね。 業務繁忙の季節になると、日中の客層はもしかしたら異なってくるのかも知れません。 お客様が滞在するエリアの面積は、およそ250平米。 元々酒の問屋さんがあった建物に建て増しをして、このようなスペースが出来上がったそうです。 窓口は発払い5窓に発売2窓(いずれも自動券売機)。 この日は4窓で対応していました。 全体的に明るいですし、清潔感溢れるフロアの雰囲気。 「その場所で時間を費やすことにストレスが少ない」という、場外発売所が絶対備えているべき雰囲気が、この場所では保たれていると感じました。 単に座る椅子だけでなく、このように簡易な「机」も設置。 これがなかなか優れもので、この上に新聞を開いて検討するだけでなく、少々疲れたらこの机の上に突っ伏して休むことも可能(笑)。 いや、とにかく居心地が良くなければ、お客様方にいて頂くことは出来ませんから。 場内の一角にある「案内所」には、必ずこうしてスタッフの方が待機しています。 初心者も少ないですし、広いとは言えない場内で「案内」すべきことがそれほど多いと思われないのですが、よくよく聞くとこれが重要。 こうしてフロアに必ずスタッフの方が立っていることにより、窓口やフロアでのトラブルにすぐ対応出来るだけでなく、「トラブル自体の防止」に繋がるとのこと。これはなるほどと思いました。だからこの案内所には男性同士のトラブルへの対応やトラブル抑止効果を想定して、極力男性の方が立たれるようにしているそうです。 前の週の浦和桜花賞の日の入場が 167名 更にその前の週の大井京浜盃の日はナイターで229名 この規模ですとこのぐらい、という数字の感覚が見えてきます。 直近の週末日曜日、JRAでは高松宮記念が行われました。 この日の入場が1100名。勿論こんな人数が場内に滞留できるわけはなく、どちらかと言えば「前売り発売所」の位置づけという方が実態に近いと思われます。 有馬記念の日には2500名ほどの入場になり、さすがに場内は大混雑、発売は大行列になるとか。 JRA開催の日のお客様方の流れには2つの波があるそうです。 最初の波は、朝10時前後。恐らくお出かけ前に馬券だけ買われるお客様ですね。 そしてもう一つの波は、午後3時前後にやって来ます。これはメインレースを買ってレースを見る方。 小さな発売所ですが、お客様方のニーズに合わせてキッチリと昨日していることが窺われます。 Aibaくしろの所長さん(2名いらして、交代での勤務だそうです)に、来客状況や周辺の事情についてお話を伺いました。 開業3年目から現在に至るまで所長を務める、布袋徳さん 平成25年にJRAの馬券発売(J-PLACEくしろとして)が始まってから、お客様の動向が一変したと話す布袋さん。 「ウインズのお客様が、こちらに流れてきているんですね。」 しかし、近くに大きなJRAの発売所があるのに、なぜ? 「色んな意味で、こちらの方が便利なんです。」 聞けばこういうことだそうで。 (1)こちらの方が商業施設に近く便利な印象(2)(ウインズがある)川向こうというのは、イメージ的に遠い印象(3)平日も営業していて、払戻が可能 実はこの(3)は地域の場外発売所にとっては大変重要。 例えば場外発売所で朝馬券を買って、自宅でレースを見る。あるいは用事を済ませて夜に結果を知る。買った馬券が当たるかどうかはわからないけれど、もしも当たった場合にまた週末まで待ってウインズまで払戻に行かなきゃいけないのは面倒だと。その点地方競馬のJ-PLACEはほぼ毎日、しかもいまはほとんどの日に夜まで開いていますから、会社帰りなんかに立ち寄って払い戻すことも出来るわけです。 「あとは、JRAの馬券が買えるようになって、このAibaの存在を知ったという若いお客様も大勢見えるようです。JRAの馬券を売っているということは、新聞なんかでJRAが宣伝してくれますし。」 存在を知り、来てもらえれば、その場で地方競馬の馬券も毎日売っていると言うことを認知してもらえる。気が向いたときに平日訪れて、地方競馬を買ってもらえるチャンスにも繋がるというわけですね。 実際、平成23年の東日本大震災の影響で落ち込んだ馬券の売上げは、その2年後のJRA発売開始で一気に上向き。JRA発売分が増えただけでなく、平日売られているホッカイドウ競馬や冬場の南関東の売上も増加傾向が続いているそうです。 一連のJRAによる競馬全体への「てこ入れ」は、こうした地域の場外発売所にとっては大きな恩恵となってあらわれているようです。 その一方で、先行きに関しては危機感を口にする布袋さん。 「釧路全体で競馬ファンがどれだけいるのかはわかりませんが…いずれ近いうちに横ばい、そして減少していく可能性もあるのではないでしょうか。所詮は定まったパイの中の『取り合い』ですから。」 先週もご紹介したように釧路の人口は着々と減少しており、その中での来場者数の増加、そして売上の増加がいつまで続くのかは懐疑的。ずっと釧路に住まい、そしていま現場でひとの動きをつぶさにご覧になっている方だからこその、冷静な視線ではないかと思います。 釧路という街自体、人口の減少とか産業の衰退とか、社会や経済自体の縮小傾向にいまのところ歯止めが掛からない状況。 そんな状況の中にあっても、地域の中でこのように「競馬」というものが存在感を保ち続けるためにはどうすればいいのか。 それについての取り組みは、いまのところは「まだ」 地域との連携。競馬以外の地域の事柄としっかりと手を結び、ともにこの「地域」を保っていくために、競馬が出来ることがきっとあるはず。 いまはJRAがらみの施策で存在が保たれていても、いずれは大きな経済状況の波に押され、そうした大きな意味での存在感の確保が必要になってくるはずです。 そうしたことを今から考えていけるかどうか。 このような地方の大きめの街にある場外発売所だからこそ、そういうことがむしろ大切なのではないかと思わずにはいられませんでした。 お話し下さった布袋さんも、ずっと釧路の町とともに生きて来られた方。 「石炭や紙パルプといった産業が、技術の進歩の結果需要が減り、漁業も北洋の遠洋漁業がなくなってからすっかり元気がなくなりました。競馬だけでなく、色んなことがどれだけ頑張れるか…」 と憂えるような表情で話すのも、この場所のありように何か活路が見いだせないかとの思いからではないかと、推察する次第です。 「地域」にあって競馬に何が出来るのか。 これからもそのことを意識しながら、町々を回って見てこようと思っています。 次回は、もっともっと小さな町の場外発売所を訪れてみます。
2016年04月13日
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日曜日担当の高橋華代子です。 浦和所属馬たちがお住まいの野田トレーニングセンター。ビッグレースが続いたため、おじゃましてきました。 トレセン前には看板が設置されています。次開催は3月20日から24日まで。22日に南関東牝馬クラシック1冠目の桜花賞(SⅠ、1500m)が実施されます。 2023年も始まったばかりだと思っていたのに、もうクラシックまで1か月ですよ。ほんと、時間はあっという間に過ぎていきますね。 豪華な面々が暮らしていますよ。 フェブラリーSに参戦したばかりのスピーディキック(勝ち馬から1秒差の6着)。北海道時代からも入れると、すでに重賞8勝です。藤原調教師のお話しでは、今年はダートグレード競走を中心に、この後はかしわ記念、年内の最大目標はJBCレディスクラシック(大井)になるそうです。 フェブラリーSは最後の直線で前が壁になるところもあったため、逆に全力で走り切っていないだけに、疲れもなかったそうです。元気で何よりです。 レースから数日後、いつものように森本スティーブルさんへ向かいました。 スピーディキック↓ 先日の大井重賞は2日連続で小久保厩舎V。金盃は東京ダービー馬カイルが馬群をさばいて差し切り、復活の勝利。 「自分の競馬ができれば驚かせるような走りをしてくれるし、それは力があるからこそ動けるので、今回もそれができる状態。スタミナと体力はあるので、長い距離は一番いい条件。スムーズな競馬で集中力が持続できれば結果はついてくると思う」と、レース前に言っていた小久保調教師。 逆に挟まれる箇所があったことで闘志に火がつき、最後に差し切ったシーンはすばらしかったです。東京ダービー馬が古馬になってからも活躍するのはうれしいですね。 (カイルの写真は以前撮ったもの) 同じ金盃には同厩のランリョウオーも出走し、果敢に逃げて惜しい6着でした。 昨年は大井記念と東京記念を含む4連勝を飾りましたが、その後はもう少しの成績。今回は仕切り直しの一戦で「一番強い競馬をしています。展開がかなり厳しくてずっと突かれて、3コーナーからまた来られても、直線半ばまで粘っています。返し馬から気持ちが前向きで復活しているかもと思いました。戻っていますね」と、本橋孝太騎手からもうれしいコメントが聞かれました。 昨年のNARグランプリ2歳最優秀牡馬を受賞したヒーローコールが、今年初戦の雲取賞に参戦し、見事1着。まだ遊びながらの走りで、着差以上の強さだったようです。この後はJRAの伏竜Sを予定。 同厩のニューイヤーカップの覇者ポリゴンウェイヴは、3月29日の京浜盃(大井・1700m)を予定しているそうです。 ちょうど野田トレセンを取材していた日、ティーズダンクが牧場から帰ってきました!!!次走は調教を進めていきながら決めるそうです。どこから使い出すのか楽しみです。 ティーズダンクにとっても水野厩舎にとっても、悲願のダートグレード競走獲りを目指します。 豪華な面々が制ぞろい。今後の浦和馬たちから目が離せません。 取材を終えると、どうしても締め切り時間が迫った原稿があったため、調教を見るお部屋で、原稿を書かせて頂きました。座布団の上でくつろいでいる猫ちゃんを発見(笑)。 原稿を書き終えると、18時頃だったので、もう外は真っ暗でした。 でも、素敵な光景だったのでパチリ。
2023年02月26日
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木曜担当のよこてんです。 まずレースの話題から。6月22日・日曜日に行われた重賞『一條記念みちのく大賞典』。コミュニティが2着モズに10馬身差を付け圧勝。落馬競走中止に終わった昨年の雪辱を、まさに“倍返し”で果たしました。★一條記念みちのく大賞典優勝 コミュニティ 当初出走意志を見せていたロールボヌールや昨年のこのレースの優勝馬ナムラタイタンが不在となって、コミュニティにとっては勝利のチャンスが大きく近づいた・・・という所から始まった今年のみちのく大賞典ですが、それでもなおモズやケイジータイタンといった強力なライバルもいて、必ずしも楽に勝てるとまでは言えない状況でもありました。 にもかかわらず10馬身差、それも自ら積極的に仕掛け勝負所の3コーナーで早くも先頭に立つくらいに立ち回ってそれでその着差。これを「強い」と言わずしてなんといえばいいのか!?と力んでしまいたくなるくらいの好レースでしたね。★引き上げてきてグッと親指を立てて見せた山本政聡騎手ですが・・・★その直後の笑顔も、達成感があっていい感じ 昨年、みちのく大賞典に挑んだ時のコミュニティは3歳重賞(正確に言えば明け4歳限定)を一つ勝ったのみの、A級といってもまだちょっと格下的な存在でした。 それがこの一年間で古馬重賞4勝を挙げ、その中にはナムラタイタンをも破った昨年の桐花賞も含まれます。昨年のコミュニティと今年のコミュニティとどこが違うのか?と考えるなら、やなりこの一年間の“成長”を第一に挙げるべきでしょう。 では、これで追う立場から追われる立場になったのか?レース後の山本政聡騎手にそんな質問を振ってみると「これからも挑戦者の気持ちで一つ一つ挑んでいきたい」と返されました。 そうですね。“追われる立場”はまだ気が急きすぎたかもしれません。でもコミュニティが常に“注目される立場”になっている事は、間違いないと思います。★山本政聡騎手。鞍上の勢いも後押ししたはず さて、このみちのく大賞典に出走意志を見せていたロールボヌールですが、残念な事に岩手ダービーダイヤモンドカップのレース後、屈腱炎を発症していた事が分かりました。★ロールボヌール/岩手ダービーダイヤモンドカップ 千葉幸喜調教師によれば休養期間は少なくとも半年、復帰は来春になるのではないかとのお話でした。 これは私見ですが、ロールボヌールという馬は走ると身体のどこかにしわ寄せが来やすいタイプなんだろうなと想像します。走る馬の宿命なのかもしれませんが、惜しいですよね。 「無事是名馬」という言葉、今ほどその重みを感じた時はありません。恐らくはそれもまた競走馬が持って生まれる才能であり運であり、武器の一つなのでしょうね。 「屈腱炎」というキーワードが出てきました。古い岩手競馬のファンの方ならすぐにトウケイニセイを連想するでしょう。ただ、競馬の世界では頻繁に出てくる用語の割にイメージ先行にも感じます。屈腱炎に関して読みやすく分かりやすい資料がありますので、興味がある方はぜひご覧になってみて下さい。「知ってるつもりの屈腱炎~その1」「知ってるつもりの屈腱炎の話~その2」 今週はもうひとつ話題を用意しました。岩手競馬の「馬運車」のお話。 岩手競馬が盛岡と水沢の二つの競馬場で行われているのはご存じでしょう。それぞれの競馬場に厩舎があって、競馬開催時は互いに輸送されている・・・というのもご存じかと思います。 その際、競走馬を運んでいるのが「馬運車」です。岩手では一台の馬運車に最大4頭の競走馬を積み込み、盛岡-水沢間を行き来しているのです。 今回のこの話題のために、「岩手県競走馬輸送協業組合」にお願いして盛岡競馬場-水沢競馬場間を馬運車に同乗させていただきました。 実は9年ほど前にも雑誌「テシオ」の取材として同様の同乗取材をさせていただいたほか、大井競馬へ遠征する馬の長距離輸送にも同乗させて貰った事があります。自分としては久しぶりの馬運車同乗でした。 本格的に話を進めるのは次回のお楽しみとして、今回は“さわり”の部分をご紹介しておきましょう。 前面はバスっぽいですがベースはトラックに近いそうです。いわゆる特装車。 ずらり勢揃い。競馬開催がない時はこのように待機。なかなか壮観。 馬運車には一台一台愛称が付いています。みちのく大賞典の優勝馬の名前です 内部はこんな感じ。最大6頭乗せる事ができるスペースがありますが、通常は4頭まで。馬によっては1頭だけの場合も。 後部はゲート、大きなフタのようになっていて、開くと馬が乗り込むスロープに。 側面に隠し扉のような出入り口があって、ここから乗り降りする厩務員さんも多いようです。 運転席は、外見通りにバスのよう。ちなみに走行距離はウン十万キロのケタ。80万キロ超えていたりも。自家用車の感覚で見ると驚きますけども、岩手競馬の馬運車はシーズン4万キロくらいの走行で、業務用車としては少ない方だとか。 キャビン部分。車両によって微妙に異なっていますが、3~4人が寝転がれるくらいのスペースはあります。ベッドがあったりも。 雪の日でも馬運車は当然走ります。 ここからは懐かし系画像。まずは旧塗装車を。一時期、首都圏の排ガス規制対応車を区別する意味でこの塗色が残っていましたが、今は全車対応済みになったので他車と同じ色になりました。 中古車を導入した際にしばらくそのままの色で走っていた例。 写真上の「スイフトセイダイ」号は宇都宮競馬の馬運車の色だそうです。宇都宮競馬廃止に伴って岩手にやってきて、しばらくこの色のまま走っていました。 かなり旧型にあたる車両。この写真を撮ったのは10年前の2005年ですが、その時点ですでに廃車でした。パワーはないけど乗り心地は凄く良かったんだそうです。 乗り心地といえばこんなネタも。 先日亡くなられた佐々木修一調教師は以前、「ヘイセイシルバー」号の乗り心地が一番いい・・・とお気に入りで、メイセイオペラなどの遠征時には必ず同車を指定していたとか。メイセイオペラが現役を引退して北海道に移動する時もヘイセイシルバー号に乗っていきました。 「どうせだから“ヘイセイシルバー”号を“メイセイオペラ”号に塗り替えてくれって頼んだけど、ダメだって言われてなあ。メイセイオペラがメイセイオペラ号で乗り付けたらカッコイイのになあ!」と笑われていたのを思い出します。 さて、次回は実際の輸送編。出発進行~!は来週お届けいたします。
2015年06月25日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 まず。週末日曜日・24日のばんえい記念。 私も「セルフィー」なるものに参加させて頂きました。 みんなそれぞれで撮影する、っていう趣向が面白かったですね。 楽天競馬のばんえい記念キャンペーンページからご覧下さいね! 今年は私も晴れてばんえい記念に参加できる身になりましたので(笑)、帯広競馬場で参加させて頂きます。仕事もあるので完全に観戦…とはいきませんが、いい一日になるような気がしています。 仕事の合間に場内も見て回るつもりなので、多くの方々とお目にかかれればと思っています。 それより前。明日! 先週の私の稿でお知らせしたように、北海道のサテライト石狩で「的場祭」…やります! ご案内はこちらから。 多くの方々のお越しを、お待ち申し上げております。 さて、ようやくここからが今日の話題。 大井競馬場で一日時間をつぶすという珍しい用事が出来たので…指定席に入ってみました。 正門を入ってすぐの所にあるスタンド「G-FRONT」 指定席売り場も洗練された感じで、期待感十分 なぜかこの状況で、あの古いスタンドの「穴場」にお金出して指定席券を買い求めていた風景を、思い出しました。隔世の感がありますよね。 プライムシート3000円也 ふんぱつ… 案内されるがままに3階まで上がってきたところ、またこのような素晴らしい受付完備のフロアになっておりました。 フロアの色合いから醸し出される雰囲気が、いかにもプライムな感じ。 月曜日の昼間でしたが、このあともお客様が訪れて盛況でした。 座席は革張りで、ちょうどいい弾力があって座り心地良好 テーブルの大きさも文句なし これで電源が来ていれば…ネットカフェがわりにここで仕事しながら過ごせるのだけれど。残念ながら通常電源はなし。USBケーブルは写真中央の白い部分にささります。 大井競馬場のHPの案内には「ゴール直前の興奮」って、正確に書いてあります。直線が見渡せるし、騎手も馬も頑張りながら目の前を過ぎていくし、いいロケーションです。 今回、この席に入ったのは、試したいものがあったから。 はい!入場と同時に渡されましたよ。 キャッシュレス投票用のカード このG-FRONT3階は、専用端末によるキャッシュレス投票専用フロアになっています。 席にあるでっかい液晶モニターは、様々な情報が映し出せる上に、このモニターに触って入力するだけで投票(つまり馬券を買うこと)も出来ます。 要するに、席を一切立つことなく馬券を勝ってレースを楽しめると言うこと。 便利です。私のように指定席をネカフェ代わりにして遊びたいひとには(笑)。 実際、プライムシートのお客様の行き来は本当に少なくて、フロア自体がすごく落ち着いた感じになるのはそのこともあるのだと思います。 どうしても席を立たなければならないのは、ここに来る必要が生じたとき。予め入金しておいたお金を使い切ってしまったら、ここで補充します。一見券売機のように見えますが、全部入出金機でした。 私が使ったのは、その日限り拝借する「当日用」のカードでした。 登録して、自分だけの会員カードを持てば、このようにポイントがたまって還元されるみたい。次来たときにはカード作ります、必ず。 3000円っていう値段をどう考えるか、なのですが。 私はいま大井競馬場の近所に住んでいるので、気分転換に競馬場に行ってこの場所使うのはありかなと。 勿論、普通に競馬場に遊びに来て、この場所でゴージャスに楽しむというのもいいのですが… 「居場所」ですから。 このプライムシート、居場所としては悪くないと思いました。 例えば、この場所に1冊本を持って行って、競馬たまにやりながらあとは読書、で半日過ごす。 贅沢でいいじゃありませんか。 競馬場は、そういう場所でもあるべきだと、私は常々思っています。 この日不満に感じたことがあるとすれば、パソコン用の電源がなかったことと、食事。 どちらも、競馬観戦という意味では絶対必要というわけではないものなのかも知れませんが、「居場所」と思えば充実させて欲しいところ。 食事はむしろ1階の一般フロアにいろいろあるので、それを買って持ち込めば良かったかなと思いました。(競馬場外からの持ち込みは出来ません) 馬券を当てれば、席代の3000円ぐらいはすぐに…とは思わない方がいいかな(苦笑)。 一本かぶりの「ナニスンネン」がスタート直後に落馬して、本当に「何すんねん!」となってこの日の勝負を終えたことは、内緒。そのレース、一点勝負したもう一方の馬が勝ちました(泣)。 次は、夜の時間帯にぶらりと来てみたいと思います。
2019年03月20日
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金曜日は、古谷が担当します。 「かしわ記念」は今年も、「グリーンチャンネル地方競馬中継」で解説を担当しました。昨年暮れから、GI・JpnIはゲストが加わる形が復活し、ようやく普段のスタジオが戻ってきた感じがします。今回は、同い年の憧れの存在である純烈のリーダー・酒井一圭さんでした。 「かしわ記念」は相当な雨の中での争いとなり、この日は完全に先行有利の状況。「黒船賞」で迷いなく逃げて、1年ぶりの勝利を手にしたシャマルが、「かしわ記念」でも堂々たる逃げ切りを演じ、悲願のJpnI制覇を叶えました。後日、シャマルの松下調教師に「おめでとうございました!」と伝えた時、「無印でしたやんか!ちゃんと観てましたよ」と笑いながら言われましたが、「黒船賞」を勝った時に「賞金的にかしわ記念に出走できるかが微妙なので、とりあえず今回勝てたことはホッとしています。選ばれれば良いですけど…」と心配していたほどでした。それだけに、「かしわ記念」の勝利は、川須騎手と松下調教師にとって、格別な思いがあったと思います。 翌日は北海道に戻り、ホッカイドウ競馬の3歳三冠初戦となる「北斗盃」を観戦。この日は、YouTubeライブ「なまちゃき」の解説を担当し、細江純子さんをゲストに迎えて1日お届けしましたが、こちらも熱い戦いが繰り広げられました。「北斗盃」は、3歳三冠の中で唯一、内回りを使用した戦いです。ストレート部分が、外回りより100m短いので、向正面でも息を入れる暇もなく、上がり3Fは確実に時計を要すレースとなります。となると、先行馬にとって厳しいかといえば、奥行きのある門別競馬場はコーナー部分が長いので、外を回るとかなりのロスを生じるので、差し届かないというケースもあったりと、直線が短いことで騎手も難儀するコース形態です。だからこそ、「三冠の最初で、最大の難関」と言われるのが「北斗盃」です。 今年のメンバーは牡馬ばかり。3歳牝馬の重賞が新設されたこともあり、性別ではっきりと目指すレースが分かれた感じがあります。オフシーズンに積極的にダートグレード遠征をしたブラックバトラーとパッションクライ、さらにカプセルの3頭が注目されました。それとは別に、内回りの忙しい流れを考慮し、開幕週の「ネクストスター北日本」で短距離を意識的に経験させたタイプとして、キタサンヒコボシがいます。様々なローテーションから挑む馬たちの争いは、予想も非常に難しかったというのが正直な感想です。 レースは、逃げるかと思われたカプセルが行き脚つかず、キタサンヒコボシが引っ張る展開となりました。パッションクライが2番手、懸命に出ムチを入れて前に行くカプセルが何とか3番手に押し上げる形となりましたが、序盤から激しい先行争いとなりました。個人的に採ったレースラップは、12秒7-11秒7-12秒6-12秒5-12秒9-13秒1-13秒5-14秒2前半3F37秒0-5F62秒4、上がり3F40秒8でした。向正面に入って最初のラップが12秒5と、その前のラップより速く、逃げたキタサンヒコボシは辛い展開。これが、オープンで争われる内回りの特徴と言えます。3コーナーでパッションクライが先頭に躍り出ると、手応えよく直線に向きましたが、不器用なタイプに感じていたブラックバトラーが、中団から内目をスルスルと上がっていき、それについていく形で後方にいたミソも進出。最後の1Fが14秒2と掛かる展開の中、ブラックバトラーが直線で先頭に立ち、ミソが襲い掛かる形となりましたが、ブラックバトラーが1馬身差をつけて一冠目を手にしました。(ブラックバトラー。写真提供:山中博喜氏) 昨年の「JBC2歳優駿」で大きく立ち遅れながら3着に追い込んだ実力馬が、オフシーズンの遠征で力をつけて、地元の三冠を目指す形で最初の難関を勝利しました。脚質を考えれば当然、外回りで距離が延びる方が力を発揮しやすいので、昨年のベルピットに続くことができるかが焦点となりそうです。もちろん、積極的なレース運びが影響し、「JBC2歳優駿」の時のようにブラックバトラーに交わされたパッションクライも、「しっかり乗り込んで巻き返します」と山口竜一調教師が雪辱を期していたように、大一番に向けて他馬の巻き返しも期待されます。6月13日に行われる「北海優駿」は、さらに熱い戦いが期待できそうです! ブラックバトラーの関係者の皆様、おめでとうございました!
2024年05月03日
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金曜日は、古谷が担当します。 先週から開幕したホッカイドウ競馬は25日、古馬短距離重賞「エトワール賞」が行われました。昨年までは、「北海道スプリントカップ」が5月末or6月頭に行われていたこともあり、「エトワール賞」が重要なステップレースに位置付けられていました。しかし、「北海道スプリントカップ」が3歳限定となった今年は、古馬スプリンターにとって最大目標となるレースが、地元になくなってしまいました。ただ、スーパースプリント戦である「グランシャリオ門別スプリント」が、昨年までの「北海道スプリントカップ」の時期に早まり、その後は「習志野きらっとスプリント」や「クラスターカップ」など遠征してビッグタイトルを目指す流れになります。 昨年の短距離路線を賑わしたスティールペガサスとスペシャルエックスは、オフシーズンの充電期間を経て、「エトワール賞」から始動。新興勢力も加わり、開幕戦ということもあり難解な1戦となりました。 ハナへ行くと思われたイッツクールが、先頭に立つまで苦労するほど序盤のラップが非常に速く、さすが古馬一線級の重賞という感じがしました。好スタートを切ったスティールペガサスが、内の出方を見ながら運びつつ、なかなかイッツクールが先頭に立てないほど馬なりでも楽に先行していたのは、幾度とダートグレードを戦ってきた実力なのだと感じます。個人的に採ったレースラップは、12秒2-10秒5-11秒6-12秒0-12秒4-13秒5前半3F34秒3、上がり3F37秒9と、2F目が驚異的に速かったので、イッツクールの宮内騎手が激しく手を動かしてようやく先頭に立ったというのも頷けます。当然、この展開ではイッツクールが苦しくなるのは早く、押し出される形で勝負所からスティールペガサスが先頭に立ちますが、4コーナーで兵庫から戻ってきたサラキャサリンが外から並び掛け、最内の砂が深いところを通るスペシャルエックスも迫ります。ただ、残り1Fを過ぎると、横に広がる大激戦となり、スティールペガサスを挟む形で、馬群を捌いてきた馬たちが襲い掛かります。外からピンクヴェノム、内からシュロス、真ん中スティールぺガサスの攻防は、最終的にシュロスとピンクヴェノムがハナ差の大接戦となりました。どっちが勝ったか、正直誰も判断できない状況の中、掲示板にシュロスの12番が1着の欄に点滅した時は、場内もどっと沸きました。(シュロス) シュロスは昨季、JRA2勝クラスから移籍してきました。初戦は2着のあと連勝し、その勢いで「道営スプリント」に挑みましたが、重賞メンバーの壁に当たって7着敗退。オフシーズンで力をつけ、年明け初戦で重賞制覇を叶えました。強力メンバーだったこともあり、陣営もビックリの重賞Vとなりましたが、今後のシュロスの活躍が楽しみです。また、2着に敗れたピンクヴェノムは、JRA1勝クラスから転入したばかりの3歳牝馬。50キロの軽量はあっても、いきなりダートグレードで上位を賑わした馬も出走しているメンバーの中でアワヤのシーンを作ったことは、新星登場を印象づけました。 シュロスの関係者の皆さま、おめでとうございました!
2024年04月26日
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カネヒキリさん・・・凄い凄いことですね。アジュディミツオーとの死闘からおよそ2年半。・・・屈腱炎ですよ。今の獣医学なら復帰できない事はないですけれど・・・「ただ復帰する」のではなく最高峰のクラスで「競馬」をする訳ですから・・・相当凄い事なんですよ関係者のみなさん、特に担当厩務員さんと休養中の牧場スタッフのみなさんの苦労は並大抵のものではなかったでしょう。屈腱炎の罹患馬の場合、関係者は常に再発の恐怖と闘いながら毎日を暮らすわけですから。来る日も来る日もケア、ケア、ケアの毎日だったでしょう。本当に、本当に心の底から感動しました。おめでとうございます!!そして屈腱炎の治療に参加した獣医さん、本当に良かったですね!!超難問への挑戦でしたからね。「復帰するだけ」ではなくG1勝利、驚きました!!それはさておき、今日はお馬さんのエネルギー摂取のお話にお付き合い下さいカロリー特にダイエット経験者ならかなり気にしたことのある言葉ですね。私たち人間が一日に必要とするカロリーはどれ位なのかご存知でしょうか?身長(m)×身長(m)×22=適正体重(kg)その適正体重に運動量によって25から35をかけます。適正体重×25~35身長170cmの人の場合1.7×1.7×22=63.58これが適正体重63.58×25~35≒1600~2200つまり身長170cmの人は1600kcalから2200kcalを一日に摂取しなくてはなりません。これってチーズバーガー5個~7個分・・・わかりにくい?かつ丼1.5杯から2杯分・・・う~ん・・・まあ、それが一日に必要なカロリーなんですね。では一体お馬さんは??サラブレッドの成馬で体重が500キロの場合なんと一日の必要カロリー数は32800kcal!!(チーズバーガー110個分!!!!)(数字が大きいので32.8Mcalなんて書かれたりします。メガですよメガ!!)およそ私たち人間の必要カロリーの13倍!!彼らはアスリートですから同列には比較できませんけど凄い数字です。もともと生物は体が大きいほど単位体重当たりの基礎代謝は小さいはずなんです。体重が私たちより8倍ほどの大きさなのに、必要カロリーは13倍以上。エネルギー効率が悪いのか筋肉量が極端に多いためなのか・・・いずれにしてもちょっとお馬さんたちはエコじゃないですね~そんなお馬さんたちの主食はえん麦。えん麦は1キログラム当たりおよそ3000kcal(チーズバーガー10個分)そのえん麦を一日に6キロほどで18000kcal。それに加えて乾草を7キロ。乾草は1キロ当たりおよそ1800kcalですから。およそ13000キロカロリー。そこに混合の穀物(トウモロコシ、大麦、ひまわりの種、大豆などなど・・・)を800グラムほど。それが3000kcalそれに切り草(乾草を細かく刻んだもの)やホースヘイジ(チャフヘイジ)と呼ばれる牧草を糖蜜であえて発酵させたお漬物のような食べ物などを加えてすべてのエネルギー摂取をしているんです。18000+13000+3000+α=34000+αkcal(チーズバーガー113個分・・・しつこい?)まあ長~くなってしまいましたが、要するに与えているエネルギーは必要量ギリギリなんですね実は。ですから飼い葉食いがちょっとでも悪いお馬さんは体がみるみる減ってしまうんですよ。それを防ぐには運動量を落とすしかない・・・それは競馬に向かって非常にマイナスなことです。ですからあれこれ考えて飼い葉を「与える」ことよりも、本当に大切なのは「与えた飼い葉をきちんと食べてもらえること」それを考えるのが私たちの最も大事な仕事なんですよ!お馬さんにも好き嫌いがかな~りたくさんありますからね。ニンジン嫌いとか硬いのイヤ~とか毎日お馬さんの顔を眺めて心の声を聞かないと・・・さて、がんばろっと!
2008年12月08日
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木曜担当のよこてんです。 岩手競馬は今お休み(冬季休催)中という事で、“冬の間の岩手競馬(の競馬場)はどんな感じなの?”というお話をしたいと思います。先日の「あいちゃんねる」でもちょっと触れたんですけどももう少し。 さて、岩手競馬は1月13日にいったん開催を終え、3月22日の特別開催から再開されます。以前は特別開催が無く4月に入ってから新シーズンスタート・・・でしたが、近年は3月下旬に1開催程度組まれるのが通例になりました。 もっと昔に遡ると、年を越して1月まで開催が行われるようになったのは1992年からでした。それまでは12月いっぱいで終了しており、今でこそ「12月31日は桐花賞」が定番のようになっていますけども、かつては12月31日の開催自体が無い時期が長かったようです。 1992年頃の岩手競馬といえば各地にテレトラック(場外発売所)を次々設置し、OROパーク盛岡競馬場の建設も始まった頃。全国的にもいわゆる“競馬バブル”のまっただ中。開催日を増やせばそれだけ売上げが伸びる・・・という時期だったのでしょうが(実際、岩手競馬が初の正月開催を行った1991年度は売上げが対前年比で約120%の伸び・・・との記録があります)、冬の降雪量が減ってきたという気候面の変化もひとつの要因でしょう。 3月下旬に再開という事ですから、当然競走馬の調教はそれ以前から始まります。通常1ヶ月前、ですから2月の下旬頃に「調教始め式」を行ってコースの開放と調教の本格的な再開となります。業務的には調教始め式以降、コースの除雪・整備が全面的にスタートする・・・という事です。 まとめると、 ●1月上旬/開催終了→●2月下旬頃/調教再開→●3月下旬頃/競馬再開 こんな流れになります。 「調教始め式」は競馬再開の前にシーズンの人馬の無事を祈願するもので、盛岡競馬場では馬頭尊、水沢競馬場では馬櫪神(ばれきしん)に玉串を奉納し、コースを清める儀式が行われます。 「馬櫪神」とは厩の神様だという事ですが、盛岡と水沢でお祀りする神様が異なっているのが興味深いですね。★盛岡競馬場の馬頭尊★水沢競馬場の馬レキ神 こちらの方が歴史を感じますねえ★神主さんが御神酒をまきながらコースを一周(もちろん車で)とか、そんなシーンもありますよ。 『●1月上旬/開催終了→●2月下旬頃/調教再開』この間はどうなっているかって?そんな疑問にお答えする写真を用意しておきましたよ。ばん!!じゃじゃーーん!! 2枚目は吹雪の日なんであれですけども、まあ普通に雪山ですね。水沢はもうちょっと違うと思いますが。 これも「以前は」という言い方になりますが、以前だと冬の間はデビュー前の2歳馬を置いて馴致したりゲートの練習をしたり・・・で賑やかでしたが、近年はトレーニングセールまで待つ傾向が強くなっていたりして、デビュー前の2歳馬がいる姿はずいぶん減りました。その代わり、開催中はなかなか時間を取りづらい故障持ちの馬やいわゆる“クセ馬”等にじっくりと手をかけているようです。★吹雪の中の乗り運動。たいへんだ・・・。 3月の特別開催は、そんな段階を経てスタートするわけですが、特別開催から勝ち星を狙ってくる“3月ダッシュ”をしてくる厩舎と4月からの翌シーズンに照準を合わせた“スロースタート”な厩舎があって、予想する側・馬券を買う側としてもその辺の見極めが重要です。この時期の例年の厩舎成績や出走馬の傾向でも見当が付きますので、興味がある方はちょっと注意してみていてください。
2014年01月23日
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ナイター競馬の季節が近づいてきた。週末、2007年TCKのスローガン等が発表された。>>2007年のスローガンは、『今年は×TCK』です。なお、“×”は「バツ」ではなく、>>「カケル」と読みます(今年はカケルTCK)。 だそうで、「賭ける」とか「駆ける」とかを「かけて」るのだろう。 トゥインクル開催は3月25日からで、その前に3月12~16日に最後の昼間開催があるので、お間違えのないように。日程表等でご確認ください。 前開催、新しい着順掲示板(電光部分を更新)の使用が始まった。 場内で着順掲示板の写真を撮っていると、TCKのホームページ等の写真を撮っているカメラマンのI氏が「またブログに悪口書くんでしょ(笑)」と近づいてきた。あのですねぇIさん。。。 確かに、着順の数字が小さくなった感じがするし、はっきり申し上げて「見づらくなった」感じがする。ある方から「スタンドの上から見ると、下から見るよりも見やすい」と聞いたので、スタンドに上がって見たら、確かに上からだと見やすい。 馬番の馬券全盛の時代に、いまどき枠色というのもいかがなものかと。それならいっそのこと全面をビジョン化して、勝負服の柄でも表示した方が便利かもしれない。無理か。 そんな事言いながら、Iさんだって「レースタ仏」(れーすたほとけ)とか言ってるし(笑)最初大きく書きすぎて、最後紙が足りなくなった子供の習字じゃないんだから。。。 馬場改修が終わった。時計はC級で1秒から2秒ほど掛かっている感じ。重賞の2分7秒は、これはスローのせいで、馬場のせいではない。 実際馬場に出てみると、砂はこれまでよりも気持ち浅いように感じた。路盤のクッションが効いているのだろうか。コースは外よりも内で、逃げ粘り、逃げ切り、イン伸びが目立った。馬場改修前の傾向で馬場の中ほどがよく伸びたせいか、同じようにそこを通るコース取りが多かったが、外で伸びを欠く馬が目立った。 石崎隆之騎手は、割りと早いうちに改修後の特徴を掴んでいた(のか、それとも普段からイン粘りが多いからかもしれないが)感じがした。山中アナも感じていたようで「石崎親子は何か掴んでいる」とか、同じような事を言っていた。 ただ、馴染んでくるとまた傾向は変わるだろうが。コーナーに角度が付いたが、直線部分も内外の膨らみが若干増した感じがする。雨が振ると馬場の中ほどが伸びてくるかもしれない。 さて、最後は宣伝。明年度まで残すところ35日。日刊競馬卓上カレンダーの季節がやってきた。 ここ1~2年は後輩の稲井君におまかせで、写真の撮影と校正(しかもザル)くらいしかしていないが、とりあえず、南関東の日程入り卓上カレンダーを目下製作中です。楽しみにしている方(いるのか?)しばしお待ちください。発売場所、プレゼント(あるのか?)については、たぶん「俺達の南関競馬」に掲載すると思う(たぶん)。では、ごきげんよう。
2007年02月25日
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高橋華代子です。 昨晩は船橋の佐藤裕太調教師の騎手お疲れ様会が、船橋の騎手会主催で行われました。 騎手は全員いたんじゃないかな。 (この集合写真は、競馬界とショッピング界で活躍をされている原山実子さんが撮ってくれました。ありがとうございます!) さらに、主催者や報道関係など60名から70名近い人たちが参加しました。 裕太調教師の人徳ですよねぇ。 裕太調教師のあてているピンクのワイシャツは、 張田京騎手からのプレゼント。 裕太調教師と言えば、ピンクカラーですからね。 そんなさり気ない心遣いも優しいです。 向かって右から裕太調教師と騎手時代同期の左海誠二騎手、張田騎手。 今度は左海騎手が裕太調教師からバトンを受け継いで、騎手会の会長になりますよぉ。 で。名誉会長が石崎隆之騎手だそうで。 名誉会長を囲んで、若手騎手たち。 向かって左から、小杉亮騎手、張田昂騎手、山本聡紀騎手、石崎騎手を挟んで、 西村栄喜騎手(ベテランですけどね) なんか、石崎騎手の表情が硬く撮れちゃいましたけど、 実際はユーモアたっぷりにお話し中だったんですが(笑)。 現在、南関東のリーディング・森泰斗騎手。 これからの南関東を頼みましたよ! まぁ、昨日は張田騎手にチューをしようとしていましたが(笑)。 裕太調教師から参加者の皆さんに、ル・パティシェ ヨコヤマさんの焼き菓子がプレゼントされました。船橋競馬場の近所でいちばん大人気のケーキ屋さんと言っても過言ではありません。お心遣いありがとうございます。 山田信大騎手と船橋競馬場ロッテマリーンズ応援団長の山下貴之騎手。 裕太調教師と元騎手の佐藤正人さんですよ。 今は船橋競馬場のスタッフとして、主催者と騎手たちのパイプ役として大切な役割を担っています。 本当はもっとみんなのプライベートショットを撮ろうと思ったんですが、 頼んだジントニックが、これまで呑んだことがないくらいのビックリするくらいの強烈なアルコール量で、1杯呑んで撃沈してほとんど活動できず。。。やっとこの時間になって二日酔いも収まったほど、強烈でした。 しばらく、お酒はいい(;´∀`) さて、裕太調教師はこの後、北海道の牧場で2か月ほど研修に入るそうです。 厩舎を開業しても調教には乗り続けたいそうで、 牧場での調教も学んで、うまくリンクさせていきたいそうですよ。 佐藤裕太厩舎、今から待ち遠しい! 開業はまだ先ですが、その時期がきましたら、主催者から発表されると思います!
2014年06月29日
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ミツオーです。「いかがですか?」とすすめられるとイヤと言えません。さて、今年度の金沢競馬には、2名の騎手があたらしく加わりました。といっても新人騎手ではなく、2名ともいわゆる再デビューの騎手です。葛山晃平騎手(昭和54年生まれ。元・岩手競馬所属)と服部大地騎手(昭和56年生まれ。元・上山競馬所属)、再デビューをはたした2人に少しお話をうかがいました。服部大地騎手は、上山競馬で平成12年(2000年)4月にデビューしましたが、上山競馬は平成15年(2003年)11月をもって廃止。「デビューから3年くらいのころでしたけど、そのときはけっこうショックはありましたね。騎手を続けたい気持ちはあったんですけど、牧場で仕事をしないかという話をいただいたので、騎手をやめて千葉の育成牧場へ行きました」その後、船橋競馬の松代眞厩舎所属の厩務員をへて「金沢に、上山で調教師をやっていたひとがいて(佐藤茂調教師)、そちらから話がきて移ったんですけどね。騎手に(もう一度)なるというのは、そのときはまだ考えてなかったんです。厩務員として、攻め馬手みたいな感じで」牧場や船橋での厩務員時代もふくめて、ずっと競馬界には身を置いていたと言います。ふたたび騎手になろうと考えだしたのは「1年か2年くらい前ですかね。廃止からはもう7年くらいになるんですかね(上山廃止は03年11月。6年半が経過しています)。上山競馬廃止になったときには、『騎手はもういいかな』ってあきらめてる気持ちもあったんですけど、やっぱりやってみたいな、って。厩務員として競馬を見ていたら乗り役のほうがよくなってきて、もう一回やりたくなりました。厩務員として馬をひいたりするのと、騎手としてレースに乗るのとではやっぱり違いますから」あらためて騎手試験に合格したときには「ホッとしたっていう感じはありましたけど、もう一度初心にかえってがんばろう、っていうふうに思いました」再度騎手になって「正直、厳しいことは厳しいですよね。レースもきびしいし、なかなか勝てないしね(笑)。でも乗っている充実感はありますし、これまでより今のほうがいいですね」服部騎手は、終始おだやかな表情で、さぞかしやさしい人柄なのだろうなあ、と思わせる口ぶりでした。わたくし個人としては、上山競馬廃止から「7年くらい」と正確に答えられることにびっくりしました。…ええと、わたし自身が、今年がうつのみや競馬廃止から何年になるのか、いちいち考えないと答えられないものですから(恥)。葛山晃平騎手は岩手で平成9年(1997年)10月に騎手デビュー。「岩手では9年くらい騎手をやりました(06年シーズン途中まで)。騎手をやめたあとは、まるきり競馬界からは離れていました。途中、茨城の牧場に勤めたこともあったんですが、そのあと大阪の実家に帰って、競馬とは関係ない暮らしでした」競馬から離れていた間は「戻る気はしなかったですね。馬の世界はもういいかな、って思ってましたね。ただ、テレビではずっと見ていました。もともと競馬が好きで騎手になったので」大阪で過ごしているときに金沢競馬所属の同期騎手から声がかかったのだとか。「金沢の粂川(京利)騎手から連絡がきまして。騎手をやらないか、というような。迷いましたけど、一回断りました。断って何ヶ月かするうちに、少しずつまたやりたくなってきたってことです。そのときは(免許返上から)1年半くらいたってたんですが、テレビで競馬を見ていて影響されたというか、岩手でも中途半端で終わってしまったような気がして、もっとがんばれるんじゃないかと思いまして」あらためて騎手になってみて「やっぱり最高ですね。レースが気持ちいいですね。(粂川騎手には)感謝ですね。声をかけてもらわなかったら絶対やってないです」「ボクは金沢はすごく居心地がいいですね、人もみんなやさしいですし、環境が好きですね、金沢自体が。(競馬場施設など)広々してますしね。仕事しやすいです」再デビュー後、すぐに勝ち星をあげて「たまたまいい馬に乗せていただいたんで、これからもっとがんばらなきゃいけないと思うんですよ。今のところ不安はないですね。いろいろ考えて競馬乗るわけにいかないし。前向きにポジティブに考えて、とりあえず自分ががんばっていこうと思ってます」葛山騎手は、精悍な表情ながら終始こちらも笑顔。ハキハキと答えてくれる口調が印象的でした。質問にも間髪入れずに明快な答をかえしてくれる姿に、頭脳明晰なひとなのだなあ、と感心させられました。セールスポイントを聞いてみると、奇しくも2人とも同じような回答。服部騎手は「一生懸命追うようにがんばるんで、そこらへんは見てもらいたいですね」と言い、葛山騎手は「(馬に対する)『当たり』はよくない方なので(笑)、一生懸命追うだけですね。馬券、買ってください(笑)」と答えてくれました。2人とも、勝負服のデザインを以前使っていたものから変更しての再デビューとなっています。服部騎手は、上山時代は「青、白星散、赤袖」でしたが、再デビューにあたって「黒、白たすき、袖白星散」に。葛山騎手は、岩手時代の「桃色、白袖青2本輪」から、「青、白たすき、白袖青1本輪」に。変えた理由については2人とも「心機一転です」と語っています(葛山騎手の場合は、桑野等騎手とデザインが似ていたため、ということもあるそうですが)。デザイン変更にあたっては、かなり考えたようです。葛山騎手は「めちゃくちゃ考えました」と笑っていました。どちらもご自分で考えて決めたそうです。それぞれ事情は違えど、一度は騎手を引退した2人。復帰した経緯もそれぞれですが、再デビューしての想いは同じようです。異口同音に「騎手はたのしい」「レースに乗れるのはうれしい」と言います。レースという場に身をおいた者にしかわからない魅力がそこにはあるのだな、という、多分当たり前のことを、2人に話を聞いていて思い知らされました。帰ってきた2人の騎手に、ぜひ注目してご声援ください。おふたりとも、がんばって!応援してますよ(実況する上では公平ですが。←当たり前)。
2010年04月22日
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土曜日担当は、園田競馬・姫路競馬実況の竹之上次男です。 今週の開催をもって、専門紙・競馬キンキが休刊することになりました。 競馬キンキは1948年に創刊。73年の長きに渡り、兵庫県競馬を盛り立て来ました。 これからは、業務がすべて『競馬ブック』に移行されます。スタッフもそのまま競馬ブックにに移り、より一層紙面の充実に取り組んでいきます。 来週からは『競馬ブック兵庫版』を予想の参考にご利用ください。 トラックマンもそのまま移行なので、パドック解説や展望番組などは変わりません。 伊藤記者の退社により、新メンバー松原記者が加わり、川口記者も復帰の予定です。 ただ、紙面は大きく変わるようです。 紙面の大きさが小さくなりますが、ページ数が4ページから8ページに拡大。 馬柱の前走が一番左だったのが一番右側に表示。これが一番大きな違い。 細かいデータも変わって来るでしょうし、トラックマンや編集者も戸惑いがあるでしょう。 それでもファンの皆さんにいいものを提供しようとする彼らの頑張りに、ご期待ください。そして、応援よろしくお願いしますm(__)m 〓Weelyトピックス〓 ★ナチュラリーが快勝! 2月4日、オープン特別が行われ、重賞5勝の実績馬ナチュラリー(牡7・新子雅司厩舎)が、好スタートからハナを奪い5馬身差の圧勝。堂々と1番人気に応えました。 レース結果はコチラ これまでJRAや他地区の遠征では好成績を挙げることができなかったナチュラリー。輸送競馬自体も心配材料のひとつでした。ところが今回は園田からの輸送もクリア。初めての姫路競馬でも快勝して不安を一掃しました。 次走は2月25日に行われる、現在2連覇中の『園田ウインターカップ』が目標。ただ今年は姫路に舞台を移し、全国交流となり名称も『兵庫ウインターカップ』に改まりました。 全国から強豪スプリンターが集い、一気に相手強化となりますが、地元の大将格としての活躍に期待が高まります。 ★吉村騎手が早々とリーディング独走 今週の3日間では、火曜日と水曜日にリーディングトップの吉村智洋騎手が3勝ずつを挙げる活躍を見せました。 木曜日は1勝止まりでしたが、今週も7勝を挙げる充実した内容。これで今年の開催日16日間すべてで勝利を挙げたことになります。 全国では船橋の森泰斗騎手に続く第2位。兵庫では2位の田中学騎手に既に15勝差をつけていて、早々と今年もリーディイング独走態勢を固めています。 なお、来週は祝日の2月11日に佐賀競馬場で行われる『佐賀記念』に参戦。JRAから移籍後2戦目となるメイプルブラザーに騎乗します。 JRA時代オープンで活躍し、安定した成績を残してきた実力馬。前走の移籍初戦も吉村騎手とのコンビで楽勝していて、ロードゴラッソ、クリンチャー、アシャカトブなどの強豪相手にどこまで食い下がることができるか楽しみです。 ★日々の更新 開催日は必ず更新する『竹之上次男.com』もどうぞご覧ください♪ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ 最近は姫路グルメレポートも書いています♪ 姫路競馬開催中に、できれば10本ぐらい書いてみようかなと思っています! 姫路グルメレポート 姫路グルメレポート~その2~
2021年02月06日
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もう1週間経ってしまいますが、グランドオープンとなった東京競馬場には、僕自身、やばいぐらいの興奮と感動がありました。元々、東京競馬場は、一旦中に入ると、木々が高くそびえ立っているので、外が見づらくなります。それが、現実の世界から切り離せるので、「遊びに来たー!」と思わせるものがあります。それが、さらにグランドオープンで、楽しい空間へと生まれ変わった訳ですから、こんな素晴らしいことはありません。 府中競馬正門前駅から改札をくぐり、渡り廊下を歩いていると、小鳥のさえずりが。そして、右はパドック、左を見ると…。どこかの公園にいるような空間と、隣には馬房が。開幕週は、この場所にウイニングチケットとレガシーワールドが来ていました。開幕日の土曜には、昼休みのパドックで、2頭が周回。やはり人気がありますね。ウイニングチケットの生産者・藤原悟郎さんも府中に来られていましたが、「まだ人気がありますね」と笑っておられました(^^) それはそうと、スタンド内はご覧のような造り。中に入ると、ワクワクさせるような音楽が流れ、さっきの小鳥のさえずりも含め、その雰囲気はまさにディズニーリゾート。テーマパークにおける音響の大切さというのは、ディズニーリゾートで実感していますが、東京競馬場はそれを実現してくれました。色んな人に「イクスピアリに似てるよね」とよく言われました。 以前に自分のブログで、ディズニーリゾートの素晴らしさをちょっとだけ書いたことがありましたが、理想の競馬場を追い求めていた身として、これほど完璧な競馬場はありません。 前々から、このブログでも活躍中の奥村助手と、競馬場などの話をしていましたが、奥村さんが今年、アメリカからこんなメールで送ってくれました。「さて問題です。この写真はどこでしょう?」「ディズニーっぽいね」「でしょー、でしょー!実は、これ競馬場なんです。感動しましたよ!古谷さんの理想の競馬場だと思いますよ」 いい大人2人がするメールでもないかもしれませんが(^^;、ディズニーリゾートっぽいとか云々とかではなく、きれいな競馬場、雰囲気が良い競馬場には、誰もが感動するんです。そんな奥村さんも、「この競馬場なら、負けていませんよ」と話していました。自信を持って、世界に誇れる競馬場と言えるでしょう。競馬場は、馬券を買うだけのスペースではなく、競馬に興味がなかった人や家族連れにも楽しんでもらえるスペースも持ち合わせないと、今ではダメでしょう。東京競馬場は、3階のスペースは馬券売り場は全く存在しません。カフェテリア、マッサージ、イベントエリアなど…。それはそれで、歩いていて楽しいし、毎レース買う必要もない訳ですから、時間をつぶす場所というのは必要不可欠でしょう。(これは2階。中山でも有名、「耕一路」のモカソフトです) 知られているようで、競馬場に足を運んだことがない人は世の中にたくさんいますし、東京のど真ん中にあるTCKにしても、「こんなところに競馬場があったんですね」と言われることは多いし、僕の知り合いで連れてきたりする人も、同様のことを言われるという話をしていました。 この日の最終レース終了後には、御承知の通り、ジョッキーマスターズが行われ大盛況。ファンが本当に楽しみ、僕らも感動したイベントでした。テレビを見ていた人たちも、「場内の異様な雰囲気が伝わってきた」と言われました。テレビを見て伝われば、競馬場に行きたいと思い、そして「Feel Live」につながります。 TCKではイルミネーションが、5月開催から変わります。そして、今日から生まれ変わるばんえい競馬も、ファンの手助けもありながら競馬場の雰囲気も変わります。地方競馬も、東京競馬場とは違った面でアピールして競馬の楽しさを伝えていき、中央・地方問わず、競馬ファンを根付かせる努力をしていきたいですね。
2007年04月27日
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木曜担当のよこてんです。 今日9月15日は仲秋の名月、俗に言う「十五夜」です。私が住んでいる盛岡では月の出の頃は綺麗な月が見えていたんですが、今は雲の中に隠れてしまいました。深夜になるともう少し雲が少なくなるようなので、もしかしたらもう一度くらい見る事ができるかも(※夜になるとさらに曇って見えなくなりました・・・)。 十五夜というのは旧暦の8月15日の夜の事。なんですが、旧暦でいう「十五夜」と9月15日が重なるタイミングは意外に無くて、国立天文台のサイトで調べた所、少なくとも21世紀に入ってからは初めてなようです。 また、「十五夜=満月」ではないという事だそうでして、今日15日の夜も満月には少し足りません(9月17日が満月)。これは満月になる月齢が微妙に前後するからで、何年か周期で近づいたり離れたりするとか。次に十五夜と満月のタイミングが揃うのは東京オリンピックの後になるようです ところで、今週末から開催が移る盛岡競馬場ですが、先週の土曜日から水曜日までダートコースの整備工事が行われていました。 昨年行ったような砂の全面入れ替えではないものの、今まで使っていた砂を一度取り除いて路盤面の整備を行うというわりと大がかりなものでした。 公式には追って発表があると思いますが、17日土曜分の専門紙などに「コース整備のため乗り込めなかった」という盛岡所属馬のコメントが出てきていまして、何の事?と思われるファンの方もおられるでしょうから、敢えてここで触れておきました。 さて今日の本題はここから。「メイセイオペラメモリアル」を常設しませんか?という提案のお話です。 先立つ今年7月、メイセイオペラが韓国の地で客死したというニュースはこのブログでも書きました。メイセイオペラの思い出話なども久しぶりに書いてみましたし、また、岩手競馬でも『メイセイオペラメモリアルフォト展』として今週末からの盛岡競馬場を皮切りに東京競馬場、水沢競馬場をメイセイオペラの現役時代の活躍を伝える写真展が巡回したり、とメイセイオペラを偲ぶイベントが行われたりもします。 そうしてイベントで彼を偲ぶのも良い事なのですが、この機会にメイセイオペラの名を残したレースを常設し、この後も長く彼の活躍を思い出す事ができればと思ったりするのです。 メイセイオペラが存命の頃にもファンの皆さんからそういう意見が寄せられていたと聞きますが、馬自身が生きているうちは、種牡馬として現役で活躍しているうちはなかなかレース名に付けづらいもの。世を去ったのをきっかけに・・・というと誤解を招く言い方になるかもしれませんけれど、タイミングとしてはやはり「今」がその時ではないでしょうか。 現在の全国の競馬場には、馬名由来のレースがどれくらいあるのでしょうか?現時点の開催日程で分かる「馬の名前がついた重賞競走」はこれだけあります。 ■ホッカイドウ競馬 コスモバルク記念 ■岩手競馬 シアンモア記念、ビューチフルドリーマーカップ、トウケイニセイ記念 ■南関東4場 ロジータ記念、ハイセイコー記念、フジノウェーブ記念、ダイオライト記念 ■笠松競馬 オグリキャップ記念、ラブミーチャン記念、ライデンリーダー記念 ■JRA シンザン記念、セントライト記念 ホクトベガメモリアル・スパーキングレディーカップ、トキノミノル記念共同通信杯もここに入れていいかもしれませんね。 県営新潟競馬にはキングトップラン記念が、北関東地区にはカネユタカオー記念、ブライアンズロマン記念がありましたし、今は馬名由来名のレースがない競馬場にもスーパーライト記念、ミヤノダービー記念、フクパーク記念、マンペイ記念といったレースがありました。JRAでのアラブ競馬廃止に伴い地方競馬に引き継がれる形になったセイユウ記念(セイユウ賞)・タマツバキ記念なんていうレースも。岩手のファン的にはカブトヤマ記念も忘れる事ができません。 コスモバルク記念やフジノウェーブ記念、ラブミーチャン記念のように近年の活躍馬の名が付けられたレースは、例えばコスモバルク記念は新設、後の二者は既存レースの名称変更で設定されています(フジノウェーブ記念は東京スプリング盃から、ラブミーチャン記念はプリンセス特別から)。 では、岩手でメイセイオペラの名を残すレースを創るにはどんな形が良いか? レースを新設すれば分かりやすいですが、岩手では既にほぼ毎週重賞競走が組まれていて余地が少ない。ここに新たな1レースを入れるのはシーズンの中では詰め込み感が増してしまう印象が強いでしょう。 既存レースの名を変える形では?これはできればフジノウェーブ記念のように、メイセイオペラ自身が勝ったレースにしたいですよね・・・と思ってしまうんですが、そうすると対象になるのがみちのく大賞典とか北上川大賞典とかになってくるので選択が難しい。 ひとつはあすなろ賞。メイセイオペラは特別時代のあすなろ賞を勝っています。第1回のあすなろ賞の勝馬なのですから選択肢にしてもいいでしょう。 もうひとつはマーキュリーカップ。メイセイオペラが初めて制したグレードレースですね。岩手での「星シリーズ」の重賞はマーキュリーカップとクラスターカップのみ。今年20回目を数えたとはいえ全体の中では比較的新しいレースですから、マーキュリーカップをいっそ“メイセイオペラカップ”にしてしまう・・・手もあるでしょう。 ただ、ここはやはり南部杯になんとかメイセイオペラの名を入れたい気がするのです。メイセイオペラにとって初めてのGIタイトル、それも地元ファンの前で達成した待望の勝利。その舞台だった南部杯に組み込みたい。 勝ったから、というだけではありません。 当時いちファンとしてスタンドで勝利を見ていた自分には、あの南部杯、メイセイオペラが先頭で4コーナーを回った時にファンが挙げた地鳴りのような声の響きは忘れる事ができません。もちろん勝った時の大歓声も。 メイセイオペラという馬を偲ぶだけでなく、あの1998年の南部杯のように、スタンドのファンが一体になって大声援を挙げるシーンが再び盛岡競馬場であればいい。あんな嬉しい体験を岩手の競馬ファンがもう一度味わう事ができる日が来てほしい。いつの日かまたメイセイオペラのような優れた馬が登場してほしい。そんな想いをこめたい。ならばやはりそれは、南部杯がふさわしいと思うのです。 メイセイオペラメモリアル・マイルチャンピオンシップ南部杯。ちょっと長いですが語感や口に出して読んだ時のリズム感は決して悪くないと思います。今年とは言いません。来年あたりからいかがなものでしょうか?
2016年09月15日
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木曜担当のよこてんです。 1月9日の月曜日の開催をもちまして2016年シーズンの岩手競馬レギュラーシーズンが終了しました。 毎回書いておりますが改めて説明しますと、岩手競馬のシーズンは「年度区切り」で、3月の特別開催までが含まれているのですが、近年は騎手・調教師等の各記録類や所属馬の格付けなどを3月の特別開催をもって新年度分としてスタートする形になっておりまして、実質的な2016年のシーズンはこの1月でひと区切りという事になります。そのためここで“レギュラーシーズン終了”という表現になっているのです。★1月9日(写真上)こそ馬場が悪化しましたが、おおむね穏やかな開催日が続きました ここまでの発売実績は対前年比113.6%、計画比では102,2%と発表されました。シーズンの実績としては3月の特別開催分まで入りますので今後若干の変動があるかと思われます。プラス13.6%なら上々と言いたいところですけども、他の競馬場の伸び具合と比べるとかなり物足りないのでは・・・と感じたりしますね。その辺のお話は次回に触れてみたいと思っています。 さて今回は、先日をもちまして確定した騎手・調教師のリーディングと、この冬休みの間に他地区競馬場で期間限定騎乗を行う騎手の皆さんのお話です。 騎手リーディングは197勝を挙げた山本聡哉騎手が2年連続のリーディング獲得となりました。 村上忍騎手とのリーディング争いはこのブログでも何度か触れてきたように、序盤は村上忍騎手が大きくリードしていたのがシーズン中盤に山本聡哉騎手が逆転、そのまま逆にリードを広げて・・・という構図。そしてシーズン終盤は山本聡哉騎手がリードを保ったまま推移し、最後も197勝対182勝、15勝という差が付いていました。★騎手リーディング/山本聡哉騎手「去年ほど勝ちを急いだ感じは無かったんじゃないでしょうか。昨年のリーディングだからといって“追われる立場”という感じではなく、シーズンの最初の頃は成績的には追う立場でもあったので気楽に戦えました。 その最初の頃はちょっと差をつけられ気味だったこともあって“今年はどうした?”みたいに言われたこともあったんですけど、自分自身は特に気にしてなかったし焦りもなかった。今年は自然体で淡々と乗れたのが良かったのでは。 来年は、そうですね、まずこれまで通りに目の前のレースをひとつひとつ勝っていくしかない。飛び越えた目標はもたないで、今まで通りですね(山本聡哉騎手)」 今季の山本聡哉騎手の強さは、自分は「自然体で勝っていた」所にあったと思います。 毎週の開催が終わる毎に成績をまとめるのですが、山本聡哉騎手に関しては改めて振り返って「あれ?こんなに勝っていたっけ?」と感じたことが多い。 劇的な勝利・強く印象に残る勝利ばかりではない。だけどいろいろなところできっちり勝ち星を拾って積み重ねているんですよね。 とりわけシーズン中盤から終盤がそうでした。見ていて例えば“ギリギリなところで勝っている”というレースがほとんどない。するっと乗ってさらっと勝っている。ごく自然体。だから自分は、今季のリーディングは昨季のそれと質が異なるものだったと思っています。「騎手・山本聡哉」にとって一つの節目になるようなリーディングだったのではないかと。 調教師リーディングの方も板垣吉則調教師が2年連続で獲得。先週のこのブログで書いたように最終日、最終出走の結果が出るまで行方がわからないという接戦でしたが、板垣吉則調教師が2勝差で晴山厚司調教師を押さえて逃げ切った形になりました。★調教師リーディング/板垣吉則調教師「昨年(127勝)はうまくいきすぎたというか、所属の馬たちが思った以上に勝ってくれた結果でもあるので、今年(85勝)がある意味普通なんじゃないかと思います。確かに昨年はたくさん勝かせていただいただけに今年は少ないなと、昨年に比べてしまうとそう感じるところは正直あるんですけども、80勝以上できてリーディング争いもできたので勝ち星の数だけ見ればこれでいいんだなと思っています。 自分の厩舎は他の先生方よりも馬房数が多く出走頭数からしても多いわけで、それだけチャンスも多いわけですから、そこをしっかり勝たねばならない部分もありますからね。 来季は、また新しい馬も入ってきますからね。一からのスタートとして改めてがんばっていきたいです(板垣吉則調教師)」 昨シーズンは127勝という岩手競馬での調教師の1シーズン最多勝記録を作るほど勝ちまくり、早い段階でリーディング間違いなしという状態だった板垣吉則調教師。それに比べてしまうと今季は一見、勝ち星が減った、苦戦したと見られてしまうのかもしれません。しかしそこは板垣調教師自身も言われるとおり昨季が“うまくいきすぎた”だけであって今季が言ってみれば“通常”の状態なのでしょう。 それでいて、昨季ほど連勝してくれる手駒がいないような状態であって、それでなおリーディングを争う、獲得するくらいの勝ち星を挙げることができたという点が見事だと感じます。 これも板垣調教師が言われるように管理頭数が多い(=出走頭数が多い)分のメリットがあったのも確かだとは思いますが、今季もまた昨季同様、前半頃にいた馬と後半頃にいた馬とでほぼ全部入れ替わっているくらいの所属馬の“回転力”が勝ち星の原動力。多い馬房を埋めてなお入れ替えていく事ができているのが基盤にあるわけですから、今季のような形でリーディングを獲れたのは昨季・今季の見た目の勝ち星の比較とは逆に板垣厩舎の地力、ポテンシャルの高さを示す事になったのではないでしょうか。 次は冬休み期間中に他地区で騎乗する騎手たちのお話です。 まず菅原辰徳騎手。笠松・後藤正義厩舎に所属して約1ヶ月間の遠征となります。★菅原辰徳騎手は笠松競馬で騎乗「これまでも高知や佐賀で期間限定騎乗をして、また他の競馬場で乗ってみたいなと思っていました。東海地区は初めて。笠松競馬は流れが激しそうだしベテランの騎手も多いので簡単に勝ったりできないと覚悟しています。次のためにプラスになる経験ができたらと思っています(菅原辰徳騎手)」 こちらの厩舎の仕事との兼ね合いもあって約1ヶ月、笠松競馬としては2開催ほどの間の短い期間にならざるを得ないのはちょっともったいない感じではありますが、その分中身の濃い経験につながればいいですね。 鈴木麻優騎手は高知・目迫大輔厩舎の所属で約1ヶ月強の騎乗。割と遠征が多い鈴木麻優騎手なのですが、他地区で期間限定騎乗するのはこれが初めてになります。★鈴木麻優騎手は高知競馬で騎乗「高知はあこがれの別府真衣騎手がいるところ。乗りに来ないかというお話があって、いい機会だからぜひ行ってみようと。下村瑠衣騎手もいますから女性騎手が3人揃うのもなんか凄いんじゃないですか。高知競馬場で乗った経験では“難しい競馬場”だと感じました。少しでもいいレースができたらいいな(鈴木麻優騎手)」 高知では2月にLVRの最終戦が行われます。ちょうど鈴木麻優騎手の高知での騎乗期間の締めくくりにもなりそうですから、言葉通りいいレース・いい経験をして最終戦にも活かしてほしい所。女性騎手3人の戦いも楽しみです。 高知競馬にはもう一人、木村直輝騎手も向かいます。★木村直輝騎手も高知競馬で騎乗です「違う競馬場・異なった環境に身を置くのも良い経験になるのではないかと思い行くことにしました。高知には同期がいるから少し気が楽な競馬場ですね(木村直輝騎手)」 木村直輝騎手は他の2名とは異なり3月上旬までの、約2ヶ月間と長めの騎乗期間となっています。デビュー初年度での他地区での期間限定騎乗は必ず良い経験になるでしょう。 高知競馬場では1月24日に『第31回全日本新人王争覇戦』が行われ、岩手からは小林凌騎手が出場します。その模様は改めてお伝えできると思いますのでお楽しみに!鈴木麻優騎手・木村直輝騎手の高知での騎乗ぶりも併せてお伝えできればいいなあ。
2017年01月12日
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木曜担当のよこてんです。 岩手競馬の2016年レギュラーシーズンが1月9日で終了し、その時点での発売実績は発売額254億5百万円、対前年比113.6%と発表されました。 折々書いておりますが「年度」としては3月の特別開催6日間が残っています。そこでの販売額を2016年と同等とすれば約9億円程度、さらに上積みが見込めるでしょうから、2016年度としては最終的に263~4億円の販売額となるのでは。 2014年度はJBC開催があっての約251億7千万円。2016年度はそういう“特殊事情”無しにJBC開催年の発売額を超え、あの2007年の廃止騒動の年に大きく落ち込んだ額(約233億円)も超えました。 もちろん、かつての約690億円というピーク時、あるいは2002年のJBC開催時の年度の約442億円という額にはとても及ばないものの、2007年、そして2011年の震災と続いた厳しい時期はようやく脱する事ができたのかな、という手応えが出てきた・・・と言える実績なのではないでしょうか。 ただし。全国の地方競馬場が対前年比120%・130%という伸びを見せている中での岩手の113.6%は決して高い方ではありません。競馬場毎の1日あたりの発売額の比較でも、平均で2億円をようやく超えるか・・・という現状では全国最下位レベルと言われてもおかしくないものでしかありません。なお一層の発売額増につながる施策が必要です。ではどんな手があるか? 昨年12月に開かれた「岩手県競馬組合議会」(※構成団体の市議会議員などで構成される議会)の資料を見せていただいていたら、こんな項目がありました。 『JRAネット投票(旧IPAT)発売拡大のための照明設備整備について』。 リード文を一部転載させていただきます。 『岩手競馬はインターネット発売の好調な伸びを受け発売額が年々増加しているものの、地理的条件から日没時刻が早く、秋期以降、インターネットで最も売れる時間帯でレースを実施する事ができないところ。 この課題への対応策として照明設備の整備による薄暮期(4月~8月)と同時間帯でのレース施行を検討した結果、最近の発売状況から、設備整備コスト以上の利益を得られる売上げが確保できる見込みである事から、平成29年度に盛岡競馬場ダート走路に照明設備を整備することとし、関係機関等との調整を行っていきたい。』 現在の地方競馬の売上げ増の主要な“エンジン”になっているのはインターネット投票、中でもJRAネット投票(旧IPAT)なのは皆さんもご存じの通り。 その中で、土日月開催を基本とする岩手競馬は、土曜・日曜の好売上げが期待できる時間帯にいかに多くのレースを実施するか?が発売額増への重要な方策となります。 JRAネット投票は、土曜日は17時11分、日曜日は18時11分が発売終了時間です。15時台から16時台、JRAの各競馬場でのメインレースが活発に行われている時間帯はどうしても不利なので、最終レースが終わってから発売終了時間までの2時間ほどの間を狙ってレースを組み込みたい。夏季の岩手競馬が、土曜日は10R編成で最終レースが17時10分前後、日曜日は12R編成として最終レースを18時10分まで行っているのはそのためです。 しかし、北国という事もあり夏至を過ぎてしまえば日没時刻も急速に早まり、最終レースの時間も8月には17時50分頃、9月を過ぎれば17時、16時40分、16時10分とどんどん早まっていきます。10月下旬ともなれば17時頃には日没、ほぼ暗くなってしまいますからね。★6月の最終レースは18時10分台でも十分に明るいですが・・・★10月に入る頃は16時40分頃、★11月上旬だと16時頃でもう薄暗くなり★11月下旬は15時50分台でももう暗い感じです これが岩手競馬にとっては非常に痛い。夏以降の発売額が、最終レースの時間が早まるのに比例するように減少していくからです。★後半3Rの発売額の比較(単位・円)。最終レースの時刻が早まるほど減っていくのが分かります JRAネット投票に限らず、JRAのレースが終わってから動き出す他のネット投票のユーザーの分も当然あるでしょう。岩手競馬が“早じまい”するために逃してしまっている顧客はそれなり以上に大きいだろう・・・というのは、岩手競馬のレース終了が早まってからの時期の高知競馬・佐賀競馬の売上げ推移を見れば想像が付く所です。 この「照明設備整備」はその部分をフォローしようというものです。先に引いたリード文のとおり『照明設備の整備による薄暮期(4月~8月)と同時間帯でのレース施行』を秋期以降も可能にして売上げ増に繋げようとするもの。 “ネット投票頼り”には懐疑的な意見もありますし自分もそう感じる部分はなきにしもあらずなのですが、現状で売上げ増になるだろう最も分かりやすい策はやはりこれです。これ以外となれば、通年で売上げが奮わない土曜日を捨てて日月火開催に移行するくらいしかありません。 この照明設備を活用して10月一杯、できれば11月のできる限り遅くまでレースの時間帯を遅くできれば、後半レースの売上げ増と同時に午前の早い時間帯のレースの売上げ不振もいくらか変える事ができるでしょう。また10月の南部杯、近年はJRA開催と重なって苦戦しているこのレースの当日も底上げができるかもしれません。 先の資料によれば盛岡競馬場に照明設備を整備した場合の費用は約5億4千万円、水沢競馬場に整備した場合は約2億7千万円。導入する場合はリースの形になるでしょう。 ただ、これも資料に触れられているのですが、両競馬場を同時にではなく盛岡競馬場に先に整備する事にもなると思われます。開催時期・期間を考えれば盛岡競馬場の方がより長く(より多くの開催日で)活用できるので、盛岡競馬場に先に整備する点は妥当と考えます。(注・2010年度の「岩手競馬経営の将来方向検討会議」資料では『水沢競馬場については電気供給設備の老朽化のためナイター照明の電力は確保できない』とされています。今回の資料にはその点には触れられていませんのでここでも触れません) また、先にも書いたように盛岡の日没時間は10月半ばで17時頃、11月上旬で16時半頃。この間も“薄暮期と同時間帯でのレース施行”を目指すなら補助照明といわずほぼフルナイターに使えるほどの照度が要求されると思われます。 その場合に整備費用に変化があるのかどうか?は資料からは読み取れませんが、これまで岩手競馬での薄暮延長・ナイター開催等について検討されてきた場合はいずれもフルナイターに相当する設備整備を前提にしていると受け取れますので、今回検討されているのも相応の照明・電気設備である、と判断しておきます。★盛岡も水沢も調教に使われているので照明設備自体はありますが、レースに使うには明るさが足りません★悪天時などのレースで使用されても補助の域を出ません(2015年南部杯) 自分はかつて、そうですね、10年ほど前でしょうか。岩手競馬でもナイター競馬導入が検討され始めた頃、「岩手ではナイター競馬は定着しない」と反対しておりました。 言い訳になりますが、当時はJRAネット投票がない“単独ナイター”。大井のような都会の競馬場ならまだしも盛岡でやってもさほどメリットはないと思っていたのです。 ですがJRAネット投票はじめインターネット投票が定着して状況は大きく変わりました。自分の先見の明の無さを恥じつつ、今は改めて「照明設備整備は最優先で進めるべきだ」と主張させていただきたいと思います。 ただし、ひとつ気になる点があります。それは実際の導入時期です。 資料には、整備計画が認められ順調に進んだとして(そうです。まだ決定事項ではありません)、「2017年度に予算化・工事開始、2018年度に完成・使用開始」とあります。 これでは遅い。 “2018年度に完成・使用開始”といっても秋期以降のための照明ですから、実際の使用開始は9月以降。来・来シーズンの後半に入ってからです。感覚的にはほぼ2年先にようやく実現する事になります。 また、近年ナイター化に踏み切った競馬場では導入して即効果があったわけではありません。数ヶ月遅れて反応が出てくる。とすると、岩手競馬が2018年9月に照明設備導入したとして、実際の効果が現れるのは翌年の、それも秋になってしまうのではないか。とするとほぼ3年先です。 最初に書いたようにいまや岩手競馬の1日あたり発売額は全国でも下位です。こんな状態を実質3年ちかく続けてしまうと、今以上に存在感が無くなってしまう。馬券を買ってくれるファンの皆さんの間での順位、購買モチベーションが下がってしまう可能性がある。そうなるとせっかくの照明設備導入も十分な効果を挙げられない事になりかねない。★新規のナイター場は必ずしもすぐ売上げ増につながったわけではない(写真は船橋ナイター) ここはぜひ、2017年シーズンの秋からの導入をお願いしたいところです。例えば10月前半頃までの、日没がまだ比較的遅めの時期の使用に耐えるだけの設備を暫定的に整えて、“プレオープン”という形で使用を始めるのは? もちろん工事を急いで2017年シーズンから本格稼働できればベストですが、それが難しいならプレオープンでファンの皆さんに楽しんでいただく。来シーズンからはこんなスタイルの岩手競馬が本格的に始まるよ、という宣伝にもなるでしょう。 なに、どうせ後追いなんです。後から追いかけるのだからなりふり構わず急いだ方が良い。そのかわり明らかに速くなければならない。ある意味幸いにして道は先行者が作ってくれています。今さら石橋を叩く必要はないでしょう。ここに関しては拙速が尊ばれる。私はそう考えるのですが、いかがなものでしょうか?
2017年01月19日
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木曜担当のよこてんです。 まずは木曜日に行われた『地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップ』ファイナルステージの結果。山本聡哉騎手はファイナルステージ第1戦が8着、同第2戦が11着で、獲得ポイント35、総合7位となりました。 いやまあ、“吉村祭”になってしまいましたねえ。盛岡でのファーストステージが13着・8着、5ポイントからのファイナルステージ連勝。最初のレースで勝った時点でこういう未来が見えたような気がします。 2015年のこのシリーズでも金沢の藤田弘治騎手が第1ステージ4ポイントの足切り寸前の所から第2ステージ連勝でWAJS出場を果たしました。“最下位近くからの大逆転劇”は非常にドラマチックですよね。 しかし調べてみると、「第2ステージで連勝して総合優勝」という結果は2009年、2015年、2016年、2017年、そして今回2019年と意外に頻繁に発生していました。「未勝利なのに総合優勝」というパターンもちょいちょい発生していますが近年目だつのはむしろ「後半で連勝」のパターン。コースを変えながらの短期決戦だけに“勢いに乗ったもの勝ち”のような所があるんでしょうね。 今年初めての出場で見事WAJS出場チケットをゲットした吉村騎手、おめでとうございました。そして残念ながら札幌には行けなかったけれど今年も期待させてくれた山本聡哉騎手、お疲れ様でした。 さて、少し遡って6月16日の水沢競馬場では『一條記念みちのく大賞典』が行われ、ハドソンホーネット号が優勝。自身初の重賞制覇を成し遂げると共に齋藤雄一調教師に初めてのビッグタイトルをもたらしました。★一條記念みちのく大賞典優勝/ハドソンホーネット 当日は雨の影響で水が浮くだけで無くかなりの先行有利・高速決着。逃げタイプのハドソンホーネットにとっては戦いやすい状況があったのは確かですが、逃げたサンエイキャピタルから少し離れた所で「二番手だけど実質逃げている」様な形を作った山本政聡騎手の作戦も良かったのだと思います。 ハナに立たずに2番手に付けて、その替わりにコースのより走りやすい部分を選んで進むメリットを獲るという作戦が、結果的に自身の力を最大限に引き出し、ライバル達には自由なポジションを進ませなかった。それが3馬身差の完勝を引き出したのではないでしょうか。 ハドソンホーネット号は2016年に船橋でデビュー、翌年岩手ダービーダイヤモンドカップを狙って岩手に移籍した来ましたがその時は2着。その後門別→岩手→南関と移り歩いて今が3度目の岩手在籍。昨年3月には当時南関で期間限定騎乗中だった山本聡哉騎手が騎乗して優勝したりしています。★18年3月14日船橋12Rで優勝した際のハドソンホーネット 今回は転入初戦の準重賞・あすなろ賞を制して、俗に言う“返す刀”で一條記念みちのく大賞典も優勝とこれまでなかなか獲れなかったタイトルを一気に獲得しました。 山本政聡騎手はコミュニティ以来のみちのく制覇。齋藤雄一騎手は開業後初めてのM1重賞制覇となりました。 齋藤雄一調教師は昨年8月に騎手引退・調教師開業と転身したばかりですので開業後2シーズン目、実質は1年足らずで重賞を勝ったことになります。もっと実質的に開催日で換算すれば7ヶ月間くらいなのですから見事ですよね。 改めて調べてみると「開業後1年以内で重賞制覇」した調教師は最近は割と多くてですね、例えば千葉幸喜調教師は2011年5月デビューの同年10月不来方賞制覇、関本浩司調教師も2011年5月デビューの同年11月北上川大賞典制覇。菅原勲調教師は2012年4月デビューの同年8月フェアリーカップ制覇などざっと思いつくだけでもこれだけ出てきます。2シーズン目となると板垣吉則調教師や橘友和調教師もそうですね。伊藤和忍調教師はギリギリ3シーズン目になってしまうのかな。 とはいえ齋藤雄一調教師の快挙の価値は下がるわけではないですし、近年ごく限られた調教師しか勝っていないみちのく大賞典に新進調教師が名を刻んだ意義は大きいと思います。 ハドソンホーネットの勝利の一因にはコース状態があったのも確かではあると思います。同馬の優勝タイム2分4秒7は旧レコード(マルヨフェニックスが2010年のみちのく大賞典 ※当時は地方全国交流でした で出した2分5秒3)を一気に0.6秒も短縮しました。 また、18日には稍重馬場ながら、そしてC1級という下級条件でありながら、ダート1300mでレコードに0.4秒差まで迫るタイムが、同じ日の850m戦でもレコードに0.1秒差という高速のタイムが出ています。★雨の影響を強く受けた週末の状況ではありました 今の水沢競馬場は昨年の今頃に比べると2.5秒から3秒速い決着が続いています。そういう高速タイムへの対応力が要求されるうえの日曜日は雨で水が浮くコース状態。かなり“クセ”がある、馬によって好き嫌い・巧拙がはっきり出る状況になっていたように思えます。 みちのく大賞典で思うような結果が出せなかったエンパイアペガサスやチェリーピッカー、サンエイキャピタルらはそういう馬場状態があまり味方してくれなかった・・・とも言えるでしょう。盛岡・水沢が変わったりコースの状況が変化すれば、今回戦った馬たちの力関係もまだまだ変わっていくのではないでしょうか。
2019年06月20日
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木曜担当のよこてんです。 今週は岩手の騎手が登場した騎手対抗戦が二つありました。27日火曜日に川崎競馬場で行われた「第13回佐々木竹見カップジョッキーズGP」と、今日29日に名古屋競馬場で行われた「レディス&ヤングジョッキーズ2015」です。 今回のこのブログはそれらを採り上げよう・・・ということは前から決めていまして、で佐々木竹見カップの村上忍騎手が総合9位となった事でもあり、“村上忍騎手も鈴木麻優騎手も、また次のこんな機会での活躍を期待しましょう”みたいな予定稿を頭の中で考えていたわけですよ。今日のお昼頃までは。 それがなんと!やってくれちゃいましたよ鈴木麻優騎手!「レディス&ヤングジョッキーズ2015」、事実上の総合優勝です! 最初に細かいところをお断りしておくと、この「レディス&ヤングジョッキーズ2015」は“鈴木麻優騎手を含む5人の女性騎手”対“東海・北陸地区の5人の男性若手騎手”のチーム対抗戦、レディスチームとヤングチームのどっちが勝つか?と、レディスチームの5人の中で誰がトップか?の二つが賞の対象だったとのこと。男の子チームの方はそれがないし、そもそも“男女通じての総合順位”みたいな部分は賞の対象ではなかったそうです。 なので、鈴木麻優騎手は「最優秀レディスジョッキー」と「チーム勝利」の二つを手にした事になるわけですが、とはいえポイントも男女通じてトップなのですから、これは総合優勝、完全優勝だと言いたいところですよね。 1戦目は9番人気シンゼンマリリン号を3着に持ってきて波乱にだめ押しを加えた形。ただこの時は道中ずっとフラフラしていて、あまり褒められた騎乗ではなかった。★1戦目ゴール★降りてきた鈴木騎手もちょっと渋い表情 しかし2戦目は、ここも7番人気と人気薄だったスズカレビン号をスムーズに走らせて最後は叩き合いを制する形で見事な勝利。 先日までの水沢だと鈴木騎手の馬が“斤量が軽くて止まらない”感じで流れ込むシーンを何度も見ましたが、今回は普通の別定重量の56kg。彼女にとっても恐らく初めての56kgでもあり、1戦目より2戦目の方が厳しい戦いになるのでは?と想像していたところが、なにがなにが。叩き合いまで制しちゃったのですから驚くより他はありません。★2戦目。内は岩永騎手、女性騎手同士の叩き合いも初めての経験★川西調教師「あなたにこの馬の乗り方を見せて貰った気分だわ」と上機嫌★スズカレビン号を引いていたのはあの福山の3000勝ジョッキー・岡崎準元騎手。これは良いネタになったと思っておりました そしてなんといっても鈴木騎手にとってはこの名古屋が自身初の遠征レース。初めての名古屋競馬場で、初めての遠征レースで、初めての馬、初めての騎手を相手に戦っての2戦1勝3着1回。本当に強運の持ち主なんだなあ・・・と感心してしまいます。 皆川麻由美元騎手なんかも遠征競馬で良い結果を残す“強運タイプ”でしたが、鈴木騎手はそれを上回る“超強運タイプ”なのかもしれません。 2月28日には佐賀競馬場で女性騎手招待レースが行われるそうで、鈴木騎手も出場予定との本人談。次は他の女性騎手たちも簡単には勝たせてくれないでしょうけども、強運を武器に面白いレースを見せてほしいですね。 佐々木竹見カップの方は・・・と書き始めるとなんだか付け足しのようで申し訳ない。佐々木竹見カップでの村上忍騎手の成績は総合9位と、昨年の8位からひとつ順位を落とした格好でした。 2戦の着順は7着・8着。ただ、どちらももうひとつふたつは順位を上げられていいレースをしていましたし、もしそうであればもっと上位になっても良かった。 あとは「運」の部分になってくるんでしょうね。より良い馬を引き当てる、という事もあるし、レースで良い展開になる・良い状況になるという点もあるでしょう。なかなかこういう騎手対抗戦で上の方に入れない村上忍騎手ですが、恐らく、ちょっと運が味方してくれればいつでも表彰圏内に入ってくるくらいの段階にはなっていると思います。 今年の竹見カップの覇者は山崎誠士騎手。二年前に続き自身二度目の総合優勝でした。ちょうどこの名古屋の鈴木麻優騎手のように2戦して1勝3着1回の成績は安定感がありましたね。 現地で雑談をしていて気付いたのですけども、佐々木竹見カップはこれで6年連続して南関東の騎手が総合優勝しています。09年の内田博幸騎手も加えていいでしょうから事実上7年連続。他地区の騎手が総合優勝したのは08年の菅原勲騎手が最後です。 過去13回中で純粋に「他地区」の騎手が制したのは3度のみ。実は08年の菅原勲騎手は当時南関東で短期所属騎乗中で、それも除外するとしたら2度のみとなってしまいます(04年の鮫島克也騎手と07年の武豊騎手)。 このレースに出てくる位のジョッキーはもう“左回りだから”泣き言を言うようなレベルの人たちではないですが、それでもやはりちょっと個性的な左回りコースである川崎競馬場が舞台ということで、思った以上に「地の利」が大きいシリーズなのかもしれない・・・と改めて感じた今年の佐々木竹見カップでした。
2015年01月29日
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木曜担当のよこてんです。 今回は、先週の鈴木祐・木村直輝両騎手のデビューとか鈴木祐騎手の初騎乗・初勝利の話を書こうと思っていたのですが、突然の話が。 櫻田浩三調教師がご逝去されました。21日の朝のこと、とのお話でした。19日に75歳の誕生日を迎えられたばかりでありました。★櫻田浩三調教師 岩手ではよく“櫻田一門”と言っていたのですが、遡れば「黄金競馬場」と呼ばれていた頃の盛岡競馬場で活躍していた櫻田石太郎から始まり、昭和初期から戦後まで活躍した櫻田浩、そして櫻田新一郎(騎手、調教師)、櫻田勝男(調教師)、櫻田浩三(騎手、調教師)の“櫻田三兄弟”へとつながる、まさに岩手の競馬史と共に生き、歴史を創ってきた名門。櫻田浩三調教師も騎手・調教師としてだけのみならず東北の馬産界とも長く関わり、全国の競馬界にも広く名を知られた名伯楽でした。 騎手から調教師に転身して1974(昭和49)年デビュー。4月13日に初出走・初勝利を飾ったという記録が残っています(水沢2R・イセヒカリオー)。 初の重賞制覇は調教師開業2年目の翌1975(昭和50)年。南部駒賞をサカノエミールで制しました。鞍上は平澤芳三騎手。櫻田浩三調教師の初特別勝ちとなった同年のIBC杯でも平澤騎手が手綱をとっており、初期の櫻田浩三厩舎の活躍の原動力は平澤騎手だったようです。 1990年代に入るとアラブの女傑・シバノアマゾネス、2歳世代で地方最強とうたわれたアプローズフラワー、アラブ競馬末期に息長く活躍したタービュレンスらを輩出。 2000年代ではJRA特別勝ちを果たしたガッサンヒカリ、ダート中長距離戦線の主的存在だったグローバルゴット、マイル・短距離路線で芝ダを問わず活躍したトキオパーフェクトらの名前が挙がります。 2000年代はグレードレースでも存在感をしめされました。03年東京大賞典4着のデンゲキヒーロー、05年全日本2歳優駿2着のアテスト。06年ジャパンダートダービー3着のオウシュウクラウン。そして06年10月、エーデルワイス賞をパラダイスフラワーで制し、初めてのグレードタイトルを手にしました。★2006年、旭川競馬場でのエーデルワイス賞制覇の口取り 近年もトーホクキング、コミュニティらみちのく大賞典の勝馬、あるいはアスペクト、スペクトル、サプライズハッピーといった2~3歳戦線での活躍馬を送り出し、各世代にまんべんなく有力馬を配しているというイメージを保ち続けました。★トーホクキングでみちのく大賞典制覇(2012年)★トーホクキングはその年の4歳以上最優秀馬に。IWATE KEIBA GRAND PRIXにて トーホクキングやトーホクアロー、かつてのアプローズフラワーのような東北産馬・青森産馬を数多く育ててきた・・・という点も非常に印象深かったです。 地方通算勝利数は1843勝。もちろん岩手の現役調教師では最多勝でしたし、岩手競馬の調教師歴代最高記録である1914勝にも「あと71」までせまっておりました。★1800勝達成(2015年6月7日) 重賞タイトルは最初の南部駒賞から昨年のプリンセスカップまで61勝。先にも多くの馬たちの名を挙げたように、特にここ20年くらいはどの世代・どの路線を見ても中心的な存在となる馬を擁している、櫻田浩三厩舎の有力馬抜きではレースを語れない。そんなポジションにあり続けました。 そんな「大」を何十個もつけなくてはならない偉大な櫻田浩三調教師なのですが、厳しいだけでなく非常におちゃめなというか、楽しい、優しい一面も持っておられました。 今でも忘れられない出来事があります。あれは2008年の冬。その頃、岩手の冬休みの間、まとまった数の馬を荒尾に遠征させてレースに出る・・・という事を数年続けておりました。騎手や厩務員さんたちも大挙して遠征して荒尾で住み込む一大イベントでした。 その岩手からの遠征馬の監督役として、調教師さんも2名ほどが荒尾に滞在する事になっていました。2008年は櫻田浩三調教師がその役を負い、現地で長期滞在をされておりました。 自分もその時取材に行ったんですけども、朝の調教を終えて皆で朝食・・・という時に率先して料理を作っていたのがなんと櫻田浩三調教師。そしてそれがまた手際が良いし味も良い。「こう見えても俺は料理が上手いんだぞ」とニコニコしながら、実に手早く進められるのです。 あまつさえ、おかずを並べて厩務員さん達も席について、さあご飯・・・。浩三先生がご飯をよそっているじゃないですか! 結局、大調教師手作りのおかずを大調教師が手ずからよそったご飯で食べるという、嬉しいような恐れ多いような経験になりました。おかずもご飯も非常においしかったものだから余計に忘れられない思い出になっています。★浩三先生の料理姿。携帯とかじゃなくちゃんと撮れば良かったなあ★一番働いているので一番写真に写ってない浩三先生・・・ ここ何年かはしばしば体調を崩され、入院された、退院されたという話を何度も聞くようになっておりました。この春も競馬場にはおいでにならず、心配していた矢先の訃報でした。櫻田浩三調教師のご冥福をお祈りいたします。そして、競馬の事を様々教えていただきありがとうございました。 なお、櫻田浩三調教師の逝去にともない、管理馬は櫻田康二調教師あずかりという形になっています。所属の大坪慎騎手の移動先も含め、詳細は後ほど岩手県競馬組合より発表される事になると思われます。
2016年04月21日
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木曜担当のよこてんです。 阿部英俊騎手、地方通算1500勝達成おめでとうございます! 大きな落馬事故に遭って、1年以上のブランクがあって、それを乗り越えてのこの記録達成は非常に価値があると思います。本当におめでとうございました。 そんな阿部騎手の1500勝達成セレモニーは5月1日、今季のOROパーク盛岡競馬場の開催開幕の日に行われます。当日は3歳重賞のやまびこ賞、南関東ジョッキーズフレンドリーマッチ、はたまたJRA・天皇賞春の発売等があります。イベントも多数行われますので皆様ぜひOROパーク盛岡競馬場におこし下さい。 と、ちょっと狙って「OROパーク」というキーワードを使ってみました。 南関東ジョッキーズフレンドリーマッチに「盛岡競馬場開設20周年記念」と付いているように、1996年に“新盛岡競馬場”ことOROパーク盛岡競馬場がオープンして今年で20年の節目となりました。今回は、盛岡競馬開幕を前に、その20年前のOROパークオープンの頃を振り返っておきたいと思います。 OROパーク盛岡競馬場で最初のレースが行われたのは1996年の4月6日でした。岩手競馬は冬休み明けの4月に水沢競馬から開幕するのが近年の通例なのですが、この年は新競馬場オープンという事で盛岡競馬から開幕。おおむね4月いっぱいを盛岡で開催して、5月は逆にほぼ全て水沢で開催して・・・という開催日割でした。 ちなみに芝レースは6月16日になって初めて行われております。オープンの年は芝の育成や路盤の安定を考慮してレース数自体少なめに抑えられていましたし、当時は今のように芝の一般戦というものもありませんでした。そのため次の、2回目の芝戦は7月に入って7日の新馬戦、芝1000mまで間が開いていたりします。初期のOROでの芝レースはかなり貴重というか、レアな存在だったわけですね。 さて、その競馬開幕に先立っての3月には竣工式典が行われておりました。新しい競馬場が作られている・・・という事は自分ももちろん知っていたし、どんな規模になるかもだいたい分かっていましたが、いざ目の当たりにするとやはり感動を禁じ得なかったですね。★「祝竣工」と表示されたOROビジョン★ピカピカのスタンド★ピカピカのパドック★非常階段から このアングル、今改めて考えてみると3階の指定席の外にある非常階段から撮ってますね。今は簡単に入れないかな。 で、ビジョンの左の方に噴水が上がっているのが分かりますか?内馬場の池には噴水があって、開場後何年かは使われていたんですよね。★芝スタンド。周りの植樹がまだ小さいですねえ★スタンド内部もピッカピカ★JRA発売窓口 初期は500円単位の発売でした。確か“混雑防止のため”という、かつてのWINS梅田やWINS京都みたいな理由だったはず★落成式のセレモニー。このあとパーティーもありました 映画監督の故森田芳光さんも確かいらしたような。森田監督は競馬好きで知られていましたが、招待されていたわけではなくて、ちょうど当時『(ハル)』という盛岡を舞台にした映画が公開されていてそれの用事で盛岡に来ていたところがこの式典の事を知ってやってきた・・・のような話だったと思います。★祝竣工と表示されたビジョンの前を走る調教中の馬たち この落成式の時はけっこういろいろな所を案内して貰えた記憶があります。パトロールタワーにも登ったです。 さあそして1996年4月6日、開幕の日を迎えます。 当日の天候は晴れ。開門前からたくさんのファンがオープンを待っておりました。新競馬場のオープンを見ようとやってきた人出で場内は大混雑。久しぶりにジャンボ焼き鳥を買おうと思ったら(ジャンボ焼き鳥は旧盛岡競馬場時代からの名物)「長」を5,6個つけたいくらいの長蛇の列に驚いた記憶が。 注目の第1レースです。新競馬場での初めてのレースは『アラ系ダート1200m』11頭立て。OROパーク最初のレースはアラブのレースだったのです。 勝ったのはイスズラッキー、鞍上は菅原勲騎手。 当日のメインレースは旧4歳の特別・スプリングカップ。こちらも菅原勲騎手が騎乗するウエストサンボーイが勝ちました。この時6着だったサンディゴボーイがのちにORO最初の芝レース・はまなす賞を制しています。 この時の出走馬名表に見える騎手の中で今でも現役なのは阿部英俊騎手だけですね。 クイズです。1996年4月6日、OROパークオープンの日に騎乗した騎手の中で20年後の今でも現役の方が3名います。そのうちの一人が阿部騎手。残る二人は誰と誰でしょうか?答えはこの稿の下の方↓に。★新盛岡競馬場完成予想図(「岩手競馬30周年記念誌」より) こちらは“新盛岡競馬場”の完成予想図。2000mのスタート地点のあたりに建物がありますが、当初はここに馬にまつわる博物館やホテルなどの施設群を置く計画があったそうです。宿泊施設を併設した競馬場・・・というものが実現していたら、それはそれで面白かったかもしれませんね。★造成中のOROパーク盛岡競馬場(「岩手競馬30周年記念誌」より) OROパーク盛岡競馬場を建設していた頃の岩手競馬はいわゆる“飛ぶ鳥を落とす勢い”ってやつで、新競馬場の完成はまさに絶頂期。関係者にとっては鼻高々だったことでしょう。 いちファンとしては、でもそんな事よりは、地方競馬でもこれだけのコースが出来る・使えるという事が誇らしかったです。 やっぱりその頃の地方競馬というのは、地方・JRAの交流が活発になりつつあったとはいえまだ“二軍”扱い。地方からの馬がJRAで活躍しても「たいしたことがない設備しかない地方競馬からがんばって出てきた」位の言われ方。しかしOROは、JRAの競馬場とも大きな差のないダートコースと、それまではJRAの特権だった芝コースを兼ね備えている。これで同じ土俵に立てるんじゃないか。そんな興奮があったんですよね。 皆さんもご存じのように、岩手競馬はOROパーク盛岡競馬場の建設などを要因として経営難に陥り、ちょうどオープン10周年にあたる2006年から翌2007年にかけて存廃問題のまっただ中にさらされました。 20周年という事はその時からも10年経ったという事であり、はや10年も、はや20年も経ったのか・・・と、いろいろと感慨深いものがあります。 もたらした結果が必ずしも正の部分だけではなかったにせよ、岩手競馬の岩手競馬たるアイデンティティはやはりOROパーク盛岡競馬場にあると思いますし、であればここをいつまでも「負の遺産」扱いをするのではなく、岩手競馬の武器として活かす方向性をより強く打ち出すべきでは、とも思います。なんにせよこのOROパークと、これからも10年、20年・・・と共に過ごしていかねばならないのですから。 (答・村上忍騎手・南郷家全騎手です)
2016年04月28日
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木曜担当のよこてんです。 なんかこう、すごく慌ただしい一週間でした。 17日の土曜日。降雪による馬場状態悪化のため1レースから最終レースまで取り止めとなりました。この日は重賞の「白嶺賞」が行われる予定だったのですが、取り止め&代替開催なしのため今シーズンの白嶺賞は“実施せず”に。 岩手競馬では特別競走が同様の事態になった事はこれまでにもあったと思いますが、重賞競走ではちょっと記憶に無いです。いずれにせよ“第26回白嶺賞”は来シーズンに持ち越しという事になりました。 この白嶺賞、少頭数ながらもナリタスーパーワンの転入初戦に注目していましたから、残念でしたね。 古い話ですが、1998年のダービーグランプリが盛岡競馬場の降雪のためにレース前に開催打ち切りになってしまい、約1ヶ月後に再度予定が組まれ実施された、という事はありました。 その頃に比べると今は場外発売・他場発売の関係が大幅に複雑になっていて、代替競馬の日程を入れるのが難しいんだそうです。 ちなみに岩手競馬では、2000年シーズンに三度(!)、2001年シーズンにも二度の代替競馬がありました。その後にはあったかなあ。取り止め・打ち切りは何度かありましたが・・・。 そしてその土曜日。禁止薬物陽性馬が出ましたと。その報道発表がありますと。ああもう本当に厄日。 この件に関しては今日・木曜日に再検査結果まで出ており、当該馬の陽性は確定となっております。一方、当該馬を管理する他の馬からは薬物は出なかった事も判明しております。ですので、当該馬は該当のレースを失格、加えて出走停止処分が、各馬の管理調教師には、以前の例から判断する限り一定期間の賞典停止処分が下される事になると思われます。 ここからはあくまでも私個人の意見。禁止薬物陽性馬とされた3頭はいずれも力がある馬です。例えばスズヨローズは岩手では6戦5勝、ヴィグラスムーヴは10月の転入初戦から5連勝しており、そのほとんどがワンサイドの圧勝です。コスモジョイジョイだって昨季の秋から1年余りにわたってほとんど馬券圏内を外していない堅実な馬です。つまり、ニコチンごときの力を借りる意味がない馬たちなわけです。 加えてスズヨローズは11月21日に走って勝っていますし、ヴィグラスムーヴは10月から月2走ペースでコンスタントに走ってそれを全部勝っている。コスモジョイジョイも同様のペースで走って何度か勝っている。今のルールでは勝てば必ず尿検査がありますから、12月11日・12日だけ薬物が出ました・・・っていうのは、どういう事なんだ?と思わざるを得ない。 しかし結果は結果。原因がどのようなものであれ、このような事が再び起きないようにしていかなくてはなりません。 話題を変えましょう。「第42回桐花賞」の出走馬ファン投票の結果が出ました。投票上位10頭と報道推薦の2頭が以下のとおりとなります。■ファン投票(10頭)第1位 ナムラタイタン第2位 ナリタポセイドン第3位 コミュニティ第4位 ライズライン第5位 ラブバレット第6位 チョイワルグランパ第7位 エンパイアペガサス第8位 ユッコ第8位 ダイワマッジョーレ第10位 マツリダアンバター■競馬専門紙記者推薦馬(2頭)ナリタスーパーワンメテオライト ナリタスーパーワンは白嶺賞に出走してから桐花賞を目指す予定がレースが取り止めになってしまいました。桐花賞には出走条件として「転入後一走以上」があるのでどうなる事かと陣営が心配されたそうですが、レースが取り止めでも一走条件は満たすという事で無事希望が叶う事になりました。 勘の良い方は「あれ?」と思われるでしょう。ナリタスーパーワンはナリタポセイドンと同じ板垣吉則厩舎の馬。そんなに桐花賞出走にこだわるの?と。 下が実際の桐花賞への出走申込馬です。ナリタポセイドンの名がありませんよね。ナムラタイタンコミュニティライズラインチョイワルグランパユッコマツリダアンバターアントニオピサトーホクアローシャークサプライズハッピーナリタスーパーワンメテオライトミラクルフラワーサンエイホープ 実はナリタポセイドンは来春まで休養となりました。一部では放牧という噂にもなっていましたが、今のところは放牧ではなく在厩のまま休養しているとの事。 それもあってナリタスーパーワンで桐花賞を、なのです。同馬は勝ち星こそ無いもののダート1700m、芝の2000mまではこなしていますし小回りコースもむしろ得意でしょうから、桐花賞での水沢ダート2000mという条件自体は特に問題ないでしょう。ただ、冬場独特の馬場状態の影響も計りたいだろうし、やはり一度実戦で水沢を走っておきたかっただろう・・・とは思います。 他には、兵庫ゴールドトロフィーに向かうラブバレット、また浦和に移籍したエンパイアペガサス、退厩しているダイワマッジョーレらが不在。代わって北上川大賞典2着アントニオピサ、桐花賞では4年連続掲示板確保のトーホクアローらが出走予定となりました。■ナムラタイタン(昨年の桐花賞優勝時) こうなると、ナムラタイタン・コミュニティ・ライズラインの、昨年の桐花賞1~3着馬が今年も有力視される事になるのでしょう。そこにアントニオピサ・ナリタスーパーワンの新規勢力がどう立ち向かっていくのか?個人的にはユッコに期待してみたいですが、いずれにせよ“昨年の上位馬”対“ここから台頭を狙う新規勢力”の構図になりそうです。
2016年12月22日
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木曜担当のよこてんです。 前回のこのブログで“次回は根岸ステークスと佐々木竹見カップの模様をお伝えできると考えております”と書いていたんですが、急きょ別なお話を掲載いたします。 既にニュースでご覧になられたように、岩手で唯一の女性騎手だった鈴木麻優騎手の現役引退が発表されました。 昨年9月に落馬負傷した鈴木麻優騎手だったのですが、その後、現役復帰は難しそうだと、引退するよと、そういう話は割と周知のことになっていまして、後は、まあ何というか、免許を返上するのがいつの事になるのかなと、今年はそんな段階になっていたのでした。 なので自分も、じゃあ騎手を辞める前提で話を聞かせてよと、本当に偶然今日、鈴木麻優騎手にお話を聞く時間を取ってもらっておりました。 さて聞いておくのはいいもののどういうタイミングで書こうかな・・・と考えていたところが今日引退が発表されてしまった。ちょっと、いやかなりびっくり。でもまあおかげで、心置きなく聞いて書ける事にはなりました。 鈴木麻優騎手が落馬負傷したのは昨年、2017年9月23日の盛岡第6レースのことでした。クリニャンクール号に騎乗していた鈴木麻優騎手でしたが、3コーナーあたりで馬が鼻出血を発症して転倒。その時に下敷きになる形になってしまいました。 医務室に運ばれてきた鈴木麻優騎手はそれはもう“全身血まみれ”という感じだったのですが、実際はその血は馬の鼻血が飛び散ったもので人間の方には際だって大きな外傷は無かった。ただ外見では見えないところで、背骨の破裂骨折、それも3個分もの骨折をしていたという事が後の検査で分かりました。結果的にはその怪我が引退につながってしまった・・・という事になりました。 ここからはインタビュー形式で進めましょう。●落馬事故-落馬した時の事は覚えている?鈴木麻「全然覚えてないです。その日のそこまでの記憶が飛んじゃって。何の馬に乗ってたのかも出てこなかったくらいでした。(競馬場の)医務室でけっこう喋っていたとか騒いでいたとか後で聞いたんですけど・・・」-自分も医務室にいて見てたんだよ。和忍さん(伊藤和忍調教師)もほとんどずっといたし鈴木麻「ホントですか!?」-そういうのも覚えてないんだ。確かに“あたし何の馬に乗ってた?どうなった?”って何度も聞いてて、教えてもらってもしばらくしてまたすぐ“何に乗ってた?”って聞いてたな。同じ事を何度も言ったり聞いたりしてた鈴木麻「その日の事は夜くらいまで全然覚えてないんです。病院で検査を受けている時くらいまで全然。脳しんとうで記憶が飛んじゃったんだろうってお医者さんに言われました。次の日なんかも、本を読んでいたんですが、一行読むと前の行に何を書いてあったか忘れているんですよ」●引退を決意・・・後悔はしていないです-その怪我が思った以上に重かったし影響が大きかった・・・という事になるんだね鈴木麻「そうですね。破裂骨折で、骨で言うと3つ分なんですけど、真ん中のは意外と無事だったんですが上側と下側がほとんど潰れていて。手術でどうにかなる部分じゃなかったから潰れたまま固まるのを待つだけしかできなくて2、3ヶ月はコルセットをしてました。身長もちょっと縮みましたよ。けっこう細かく割れちゃったんでまだ完全に固まってないんです」-そんな状態でもう一度同じ所を怪我でもしたら危険だから、と?鈴木麻「それもありますし、それにこれだけ長い期間休んだじゃないですか。また元のコンディションに戻すのは自分では出来ないと。今までは、競馬学校からずっと、ほとんど毎日馬に乗っていたわけで、その積み重ねがあってやってこれたと思うんですけど、そこで怪我をしてしまって、ここから鍛え直すというのが自分では無理だなって。やろうと思えばできるのかもしれないけれど、もうそう思ってしまったから・・・」-そう思ったから、ここで区切りを付けようと・・・ね。後悔はしていない?鈴木麻「今は全然してないですね。辞めると決めた時はちょっと悩んで、騎手をやりたいなっていう気持ちの方が多かったけど、それは良い事ばかり、良い時の事ばかり思い出していたからで。そんな良い事ばかりじゃないなって考えたら、“もういいんじゃないかな”って。 いざこういう怪我をしてしまうと大変ですね。車とかは運転できるんですよ。今はコルセット外したからちょっとしんどい。体幹が弱くなっているんでしょう。 日常生活には困らない程度で済んだ事もあって“頑張れば復帰できたのかも・・・”と思ったりもしました。怪我のリスクはあったとしても騎手はそういう危険や困難を乗り越えてやってますからね。騎手はやっぱりそれでもやっていく職業なんだと思います。うん、頑張ればできたのかもしれないけど、自分にはそこまでのメンタルがなかった」-例えば山本茜(元)騎手のように、しばらく免許を持ったままでいるという選択肢もあったんじゃない?鈴木麻「そうすると“次”に行きづらいなって思ったんです。騎手免許を持ったままでいるといろいろ中途半端にもなってしまうから、ちゃんと区切りを付けて、そして次の事に進みたいなって。 自分が辞める事で女性騎手が減ってしまうのは寂しいですけど・・・。でも教養センターには今3人、女性候補生がいるそうですし、自分の跡は玲花ちゃん(※関本玲花・・・関本浩司調教師の娘さん。98期生として昨秋入所)が継いでくれるでしょう」★2016年5月、JRA・藤田菜七子騎手とのトークショーにて●いろいろなことをやってみたい-そうなると、その“次”はどんな事をしてみたい?鈴木麻「今ははっきりとはしていないんですけど、少しでも競馬のお仕事に関われたらいいなっていうのもありますし、それ以外の、いろいろな仕事もしてみたいな。老人ホームに見学に行ったりもしたんですよ。介護や福祉の仕事にも興味があるんです。 高校に1年だけ行って競馬学校に入って騎手になったからアルバイトなんかもしたことがない。何をやるにしても最初からになるので、もうちょっとして落ち着いたらゆっくり考えてみるのもいいかな。 赤見千尋さんみたいになれたらいいなと思ったりもするんですが、それにはもっともっと勉強しないといけないでしょうしね」-ブログとかツイッターとかで自己アピールはしてきたよね鈴木麻「そういうのをやっておいた方が良いよってアドバイスしてくれた馬主さんがいて、それでブログとかやっていたんです。今はツイッターで予想とかやってみているんですけど全然当たらなくて!“逆神”とか言われてますよ(笑)」-そうなると話は戻るけど、免許を持ったままでも良かったんじゃないかなあ。辞めて外の世界を経験してまた戻ってくるのも、何かを掴むきっかけになったのかもしれない鈴木麻「でも、子供とかできたら多分もう無理ですよ。瞳さん(※宮下瞳騎手)みたいなガッツはないですし。調教して子供の面倒見て・・・とか難しいですよ。馬に関わるにしても騎手は無理かな」●一番思い出に残っているレースは・・・-騎手生活を振り返って、一番思い出に残っているレースを挙げてもらうとすると?鈴木麻「初騎乗ですかね。願いが叶ったレースでしたから」★2014年4月19日の初騎乗★そして一ヶ月後、2014年5月19日の初勝利★2016年のマーキュリーカップに騎乗★2017年9月17日の10R。この勝利が鈴木麻優騎手の最後の勝利になった●他の女性ジョッキー達へのメッセージ-他の女性ジョッキー達に何かメッセージを残すとしたら・・・?鈴木麻「やっぱりほら、自分が一番若かったのに一番早く辞めてしまったじゃないですか。真衣さん(※別府真衣騎手)に憧れて騎手になったのだから、真衣さんより長く続けたかったし、真衣さんにも“頑張ってね”って言ってもらっていたから、こういう形で辞めるのは申し訳ない気持ちでいっぱいです。皆さんこれからも各地で活躍し続けてほしいですね」★2016年LVR盛岡ラウンドにて★ラウンド優勝を逃し「私はここで勝たなくちゃいけなかった」と悔しがった★2015年1月に行われた『レディス&ヤングジョッキー名古屋』で優勝。遠征初勝利も挙げる●ファンの皆さんへ-ではファンの皆さんに向けて鈴木麻「いきなり落馬事故を起こして復帰することなく姿を消すことになってしまったんですけど、競馬場に来てたくさん声をかけてもらうととても嬉しかったです。まだ頑張れって思ってくれる人もたくさんいると思うんですけど、ここでひとつ区切りを付けて辞めるので、4年も乗れずに早かったですけど、たくさん応援してもらって感謝の気持ちでいっぱいです」●馬には乗りたいなって-とりあえず何をする?鈴木麻「いつか結婚はしたいですね。子育てとかしてみたい。でももうちょっと自由を楽しみたいかな。ずっと泊まりでどこか行くとかできなかったし、2年くらいは自由に(笑)」-2年は長いだろ。若いんだからあんまりグダグダするのは時間がもったいない鈴木麻「長いですかね?じゃあ1年くらいにしようかな。高卒の資格も取りたいなって。高校に1年間行ってるから残りの2年分を通信でとって高卒になれば、将来選べる幅がもっと拡がるかなって思ってます」-レースは難しいかもしれないけど馬にまたがるくらいは続けたら鈴木麻「馬に乗るのは好きなので乗りたいなって思いますけど、馬に乗れるレポーターとかできたら面白いかな。でもとりあえず怪我を治してからですね」★2013年、候補生時代の鈴木麻優騎手。競馬場実習でやってきた頃の写真 騎手という仕事を辞めると決めてある程度の時間が経っている事もあってか、心の整理というか気持ちの切り替えは済んでいるんだなあ・・・という印象を受ける語り口でありました。 せっかく夢をかなえて騎手になったんだからもうちょっと・・・と、自分なんかも思わないでもないですけど、本人には“夢半ばで・・・”みたいな悲壮感はなく、新しい将来の事を考えていた。それは良かったと、それで良しとすべきなのでしょう。 まだ22歳。いろいろやったことが寄り道になるのかもしれないけれどそれも良いでしょう。なにかを得た新しい麻優になっていくことを楽しみにしています。 さて、既報のように3月25日(日)、春の特別開催中の水沢競馬場で鈴木麻優騎手の引退セレモニーが行われます。詳細は未定。 また、『レディスヴィクトリーラウンド』の残り2カ所、2月7日の高知競馬場、2月20日の佐賀競馬場でのイベントに参加するという事です。 あと『ウイニング競馬』にも呼ばれているという話をしていたんだけど詳細不明。番組をご覧になっている方々はご注目を。★故郷の海と麻優騎手/2018年2月1日撮影
2018年02月01日
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木曜担当のよこてんです。 12月15日の水沢競馬、降雪のため中止になってしまいました。前日の14日も最初から雪の中のレースだったのですが、その時はまだ細かい雪でそんなに急激に積もる感じまでは無かったと思います。 それが、レースが終わった頃くらいから積もる雪に変わってきて、翌15日になってもどんどん降り続いたようです。★14日の開催中はまだそれなりに降っているかな・・・という感じでしたが 水沢競馬の降雪取りやめは2016年12月17日以来。昨年や一昨年は時々雪が積もる事があったものの開催日には晴れていたりして、例えば今年の1月の開催などどんどん雪が消えていって最後の1月7日は全く雪が無い青空の下での競馬になりましたからね。 ここ何年か雪が少なくて、寒さとか馬場状態の悪さとかは気にするとしても雪が降り積もるのはあまり気にしていなかったですから、久しぶりに「冬ってこうだったな」と思い知らされた感じがします。 不幸中の幸いというか、今年はここまでの売り上げが良いですから、こういう場合に中止の方へ、より安全な方へ判断しても、それで廃止とかあまり気にしなくてもいいのはね、いいですよね。昔は少々無理をしても・・・な所はやはりあったと思うので。 しかし、この後の天候は、この時期にしては気温が上がる日というのも少なくないのですが、競馬開催日はどうも雪が降ったり気温が激下がりになる時に当たってしまいそうで。盛岡開催がいつも雨に当たってしまった様に今年は天候の“引き”が悪いシーズンなのかも・・・。 さて今回は、水沢競馬場の馬体重計のお話を。 水沢競馬場の装鞍所の一角にある「馬衡所(ばこうしょ)」、馬体重を計る所ですが、今は“昔ながら”といいますかアナログ式の馬体重計が使われているのですが、これが近々新しいものに置き換えられるというお話を聞きまして、改めて写真を撮ってみた次第。 なおいずれも岩手県競馬組合の許可を得ての撮影です。★水沢競馬場の馬衡所★アナログ式の、針が動く目盛り。1000kgまで計れるのですね ここで改めて馬体重を計る流れを見てみましょう。 レースに出走する馬が馬衡所にやってくると、「○番(馬番)」とか「○○(馬名)」とか厩務員さんが言いながら馬を馬体重計に乗せます。 馬の動きが止まり針の動きが止まったら、即座に「○○kg!」と係員さんが目盛りを読み上げます。 人間が体重を量るのと違って馬はまず完全静止はしないですから秤の針も微妙に動き続ける場合が多いわけですけども、そこは係員さんが上手く読み取ります。馬がきちんと秤に乗っていれば、針の振れ幅の中心が馬体重の数値ですからね。 馬体重を計った馬はマイクロチップを照合したのち装鞍を行います。 計測された馬体重の数値は馬衡所の端末に入力されて各所に伝達されると同時にホワイトボードに書き出されて、厩舎関係者はこちらに書かれた数値を見ていますね。★今は水沢も盛岡もホワイトボードに書き出されていますが、水沢は割と最近まで黒板にチョーク書きでした。馬名等が手書きなのはどちらも同じ 長く働いてきたアナログ式の馬体重計も、ついに交換部品が払底してしまった事から交換という事になったのだそうです。 日本の競馬場で、現役で使われているアナログ式の馬体重計って水沢だけなんじゃないの?と関係者の皆さんも言われるのですが、実際どうなんでしょうね?馬衡所とか装鞍所って基本立ち入れないエリアにあるので他所様のは見た記憶がない。 荒尾は装鞍所の一角にアナログ式のがあったような気がする。福山もそうだったような・・・。しかしそもそもだいぶ前に廃止されたところだしなあ・・・。 もしかしたら“日本最後の競馬場現役のアナログ式馬体重計”がそろそろ無くなる、というお話。
2020年12月17日
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木曜担当のよこてんです。 いろいろ考えていて遅くなりました。今回は、先日の水沢開催での取り止めのお話から。 皆様もご存じのように、19日の水沢競馬が3R以降、翌20日は4R以降のレースが取止となりました。いずれも理由は「走路状況の悪化」。開催当日こそ降雪はなかったものの直前の週末に大雪に見舞われた影響があって、両日とも気温上昇にともなってコース全面に水が浮いてくるような状況になりました。途中のレースを取り止めにしてコース整備をして再開を・・・という努力もされましたが、最終的にはその状態でレースをするのは危険との判断から以降取止という形になりました。★20日の1レース前のコース。この時点ではまだ良かったそうなのですが★取り止めとなった頃にはこれだけ水が浮く状況に★前日の取り止め後もコース整備は続けられたのですが・・・ 昨年も複数日が取り止めになりましたが、猛烈な寒気(気温低下)が続いた事による昨年と、気温が高めだったことによる今年と、少し状況は異なるようです。ただ「取り止め」という結果は同じ。ここ何年か12月の開催が予定通りに進んだ事がなくて、今年こそはなんとかと思っていましたが・・・。 今シーズンは冬の開催リスクを減らすべく年明けの開催が近年より一週間早く終わる日程にしていました。 冬は悪い馬場状態が続いてレースだけでなく調教にもリスクが大きくなる。昨年のような複数日の取り止めになる事こそ珍しいとはいえ1日・2日取り止めになる事はこれまでもしばしばあった。“吹雪の中のレース”などもレースをする方としては危険極まりない状況になります。 桐花賞をいつやっていたか?を見ていただくとわかるんですけども、昭和の頃の桐花賞は12月8日とか11月27日とかに行われていて、岩手競馬の開催自体もその辺で終了していました。 平成に入って開催終了が徐々に遅くなっていって、12月の最後まで開催が行われるようになったのは1990年。年明け1月まで開催が組まれるようになったのは1991年。言ってみれば“30年の歴史”があるわけですけども、そろそろ転機なのかもしれません。 今後どうするかを考えていくとして、まずひとつはハード面。 以前のこの時期の水沢での写真を見比べてみて、今年などは以前よりも浮いた水の量が多いのかな・・・という印象があります。★2000年12月31日の桐花賞の日。水は浮いていますがそんなジャブジャブではない感じ★2008年の12月27日、これだけ降ったのですが、★翌28日はこんな感じ。寒かったのかあまり水が浮いていない★29日、2日後になって気温が上がったのか水が浮いてきました もともと水沢のコースは水はけが良くなくて、冬に限らず夏場でもゲリラ豪雨に見舞われて水がはけなくて取り止めになる・・・という事が近年多くなっています。 コースの排水性を良くすればいいのか?コース外に強力な排水設備を設置すればいいのか?あるいはもっと別の手段なり工法なり施設なりで改良・改善できるのか? 例えばより透水性の高い路盤の構造を研究するとか、いっそコース全体をかさ上げするとか、費用を考えずに書いていますけども、いずれにせよ改良に繋がるハード面の対策があるのかどうか?は考えなくてはならないように思います。 それで足りないなら、あるいはそれは費用的に追い付かないというなら、ソフト面での対応を考えてみることにする。例えば盛岡はこの時期でも開催できるコース状態になるというのなら気温が寒くても盛岡で開催する、年末の開催は諦めて以前のように遅くとも12月2週目くらいでシーズンを終えるようにする、いっそ2011年のように12月一週目まで盛岡で開催してそこで終わりにする。その替わり春~秋の開催日を今より増やす・・・。「真冬は開催しない」という選択肢を採る方が賢明なのかもしれません。 そして今年や昨年のような「馬場状態悪化のため」という取り止めの理由に、なにか客観的な基準は持たせた方が良いようにも思います。砂の水分量とか、ペネトレーターで馬場硬度を計測して判断するとか。簡単な話ではないでしょうが、これこれの基準に対してこういう状況だからできます・できませんと見せるのは、お客様に対して大事だし必要じゃないかなと思います。 やっぱり気温が高くなって、降る雪も以前より湿ったものになっている影響もあるんでしょうね。サラサラの雪なんかホント限られた時期にしか降らなくなりましたし。ちょっと前は湿った重い雪が降り始めると春が近づいたなと感じたものですが、今は年中湿った雪で。 さて、10年前の2011年12月23日、荒尾競馬場が廃止されました。SNSにその話題がたくさん挙がってきていましたのでちょっと振り返ってみましょう。 このブログで書いた事が・・・あったかな?2008年から2010年にかけ、冬季休催中の岩手から荒尾に人馬が移動、荒尾競馬場に滞在しながらレースをする・・・という取り組みがありました。 在厩頭数が減っていた荒尾と冬場競馬がない岩手との「WIN-WIN」の関係を狙ったこの冬季交流、3年間でしたがなかなか目新しいものだったかなと思います。 自分が最後に行ったのは2011年12月1日に行われたLJS荒尾ラウンド。廃止まで一ヶ月を切っていた事もあり、場内にはお別れの装飾があちこちに掲示されていました。 岩手から来たと話すと現地の方は「地震は大変でしたね」と気を遣ってくれるのですが、いやもうすぐ廃止になってしまう方がよほど大変じゃないですか、と、そうはいまさら口にはしなかったですけども、そう思ったものでした。★上2008年・下2011年。廃止直前は場内の食堂も減っていましたね★荒尾名物?パドックのど真ん中の大きな木★これも荒尾名物、たすき馬道を通って引き上げてくる馬。最後の頃は使われなくなっていた模様★裏?荒尾名物、物干し竿にずらっと干されるゼッケン★裏荒尾名物その2、コースを2/3周する厩舎-装鞍所間の馬道 スタンドの上の方に上がればキラキラと輝く有明海が拡がり、その向こうには雲仙普賢岳。冬場にしか行った事がないですけど岩手に比べれば暖かくて、なんとなく波の音を聞きながらレースを見ているような、そんなのどかな空気に包まれる競馬場でした。
2021年12月23日
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木曜担当のよこてんです。 実は・・・と切り出しますが、実は私、オーストラリアに行っておりました。 先週のこのブログは成田空港からアップして、そのまま飛行機に乗ってオーストラリアに向かっていたのでありました。 まあ、自分のフェイスブックをご覧になっている方はご存じだったでしょうが、改めてここで白状しておきます・・・。 さて、最初の目的地はニューサウスウェルズ(NSW)州のCorowaという街にある競馬場です。シドニーから小さい飛行機に乗ってAlburyという所まで1時間半ほど。そこからさらに車で1時間ちょっとという距離。NSW州といってもヴィクトリア(VIC)州との境界に近いくらい遠いところです。★シドニーで乗り継ぎ そんなところにあるCorowaの競馬場は大きなスタンドなんか無くてこぢんまりしていて、オーストラリアのわりと小さな競馬場にだいぶ慣れてきた自分の目で見ても小さな競馬場でありました。 なぜそんなところまで行ったかというと、その日ここで日本人女性ジョッキー・Miki Nakao騎手が騎乗するからです。 オーストラリアで騎乗している日本人女性ジョッキーというと、2013年に岩手で騎乗した太田陽子騎手が頭に浮かんできますが、実はもう一人、NSW州にもいるのです。 Miki Nakao騎手、こう書くと長ったらしいので中尾騎手と書きますが、中尾騎手はわりと最近のデビューだったうえ、NSW州のキャンベラ地区がベースだったので他の日本人騎手の目に触れにくく、比較的最近までどんな人なのか知られていなかったりしました。 自分も失礼な話ですが、中尾騎手がどんな顔の方なのかつい最近まで分からなかった。レースの映像は日本からでも見る事ができるのですが、細かいところは分からないですからね。見習い騎手だから現地の競馬サイトに取りあげられる事もあまりなかったようですし。 最近になって太田騎手と中尾騎手が同じ競馬場で騎乗したり、中尾騎手が別な競馬場にベースを移したという事が競馬ニュースになったりでようやくどんな方か分かってきました。そしてついにCorowaで、中尾騎手のレースを見る事ができるという事になったのです。 そもそもCorowaの競馬場まで来るはめになったのは、元々Alburyの競馬場で開催がある予定だったのが冬の気候のせいで馬場状態が悪いとなって、つい2日前くらいにCorowaに開催地変更になったため(オーストラリアでは馬場状態悪化による開催取り止めとか開催場を替えて行うという事が結構頻繁にあります)。 もともとがそんな前提条件の気候なのに、Corowaに行く途中では何度も強めの雨に遭遇して、これはCorowaも取り止めになるのでは・・・と気が気ではありませんでした。競馬場の周りにも車はほとんど停まってない。中に入っても人気がない。ストール(繋厩舎、かな)に馬がいるのを見た時には心底ホッとしましたね。★ついに念願叶って見ることができた中尾騎手の騎乗シーン 中尾騎手は自分が行った日にはのべ3レース騎乗していて、自分はそのうちの2つを見る事ができました。自分にとっては幻が幻でなくなった瞬間。 ちなみに中尾騎手は、オーストラリアの競馬スクールで菅原俊吏騎手の後輩になるんだそうです。ただし中尾騎手は2008年渡豪で、その頃には菅原俊吏騎手は岩手に戻って騎乗していましたから直接の面識はないと思うんですけどね。 先週の日曜日にはVIC州のバララト競馬場に向かいました。バララトはメルボルンよりやや北に位置していて緯度的にはメルボルンより気温が高くてもいいんですが、平原のど真ん中にあるためか非常に寒いところでした。雪が積もらないだけ岩手よりはいいのかもしれませんが。★バララト競馬場での障害レースの模様 バララトでは当日のメインイベントの障害レースも興味がありましたが、それと同じくらい川上鉱介騎手の騎乗にも興味がありました。★川上騎手 川上騎手はオーストラリアで恐らく唯一の、障害レースを主戦場にしている日本人騎手。今回は残念ながら障害戦での騎乗はありませんでしたけども、メイン後に組まれたハイウェイト戦(体重が重い、通常は障害レースをメインに戦っている障害騎手用に負担重量を高めに設定している平地レース)で二鞍を見る事ができました。いずれも2着。もうちょっとで勝てそうな感じだっただけに2着は惜しかったですね。どうせなら勝つところ見たかったですね~。 そして最後はメルボルン近郊のパケナム競馬場でした。 パケナム競馬場は昨年3月に移転開場した、今現在オーストラリアで一番新しい競馬場です。そのためもあってかあちこちまだ綺麗ですね。 いや、競馬場を見に来たわけではない。ここで騎乗がある太田陽子騎手の現地でのレースを見に来たのです。 太田騎手が騎乗するのはシンセティック(オールウェザー)1600mの11頭立てレース。太田騎手の騎乗馬は11頭立ての中でダントツと言っていい最低人気でしたがそれはまあいいです。2013年の秋以来約2年ぶりに見る太田騎手の騎乗が何より重要ですから。 とまあこういうようにあちこち転々とした甲斐あってか3人の日本人騎手の騎乗姿を見る事ができました。次行く機会、騎乗するところに出会う機会があるのなら、ぜひ勝つシーンを見たいですね。いつかそんなチャンスがあればいいですねえ・・・。
2016年08月25日
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木曜担当のよこてんです。 度々触れておりましたが今岩手県内各地で行われている『いわて国体』。水沢競馬場でも馬術競技が今日木曜日までの日程で開催されました。 岩手競馬的にとりわけ目を惹きそうな選手を挙げるとやはりこの方、山本美聡選手。山本政聡・山本聡哉・山本聡紀の三兄弟騎手の妹さん。水沢農業高校の馬術部に所属していて今回の国体では岩手県代表として出場しました。■やっぱり似ている?? 滋賀県代表として少年の部の競技に出場していた松若流星選手はJRAの松若風馬騎手の弟。少年標準障害競技では2位、リレー競技、少年自由演技馬場馬術でもそれぞれ5位と出場種目全てで上位に入る演技を見せていました。 兄の松若風馬騎手は当初南部杯の出走馬に騎乗予定があって、「兄は競馬、弟は馬術で岩手登場」という珍しいパターンが実現しそうだったんですが、お兄さんの方が騎乗停止になり来盛できなくなったのが残念。■よく似ていると思います 馬術で国体に出た・インターハイに出たという競馬関係者は珍しくないですからねえ。今回の出場選手の中にも将来の騎手あるいは調教師がいたのかもしれません。 さあ、来る10月10日はいよいよ『マイルチャンピオンシップ南部杯』。最新の出走予定馬と騎乗予定騎手は以下のようになっております。14頭が残っている状況。枠順確定は金曜日です。★JRAアスカノロマン/太宰啓介コパノリッキー/田邊裕信ベストウォーリア/戸崎圭太ホッコータルマエ/幸 英明レーザーバレット/吉原寛人ラテンロック/山本聡哉★地方他地区ナムラビクター/関本 淳ロイヤルクレスト/服部茂史タッチデュール/佐藤友則オグリタイム/高松 亮メイショウパーシー/未定★岩手シークロム/阿部英俊ライズライン/村上 忍ヒミノコンドル/山本政聡 今年のフェブラリーS勝馬モーニンが最終的に回避となってJRA勢は出走枠7頭に対し6頭出走となりました。ラテンロックは松若風馬騎手予定だったんですが騎乗停止のため山本聡哉騎手に。コパノリッキーは田邊騎手、ベストウォーリアは戸崎騎手になり、ホッコータルマエ・幸騎手と共に奇しくも2年前、盛岡JBCクラシックの時と同じ鞍上での対決となりますね。 こうなると、やはりJRA勢の争い、それも“GI馬対GI勝ちを狙う馬”の構図になるのかなという印象です。 ホッコータルマエが10勝、コパノリッキーが7勝、そしてベストウォーリアが2勝。この3頭でダートGIをのべ19勝。加えてコパノリッキーは2014年盛岡でのJBCクラシックを制覇、ベストウォーリアは2014・2015年とマイルチャンピオンシップ南部杯を連覇、ホッコータルマエも2013年の南部杯2着、2014年JBCクラシック4着があります。ダートグレードに実績だけでなくコース実績もあるこの馬達が、まずは主力、まずは中心ということでいいでしょう。★帝王賞を制して乗り込んでくるコパノリッキー★三連覇を目指すベストウォーリア 残る3頭は、ここまでの実績でいけばアスカノロマン、レーザーバレット、ラテンロックの順でしょうか。 アスカノロマンはフェブラリーS3着がありますしその後のアンタレスS・平安Sの内容も上々。帝王賞6着は、そこは2000mは少し長いのかも・・・で理由付けできる部分でしょう。GIを勝ちまくっている馬たちが複数いるためにどうしても影が薄くなってしまいますが、これだけの実績の馬が例えば昨年のこのレースに出ていたら、間違いなく人気上位、2番人気か3番人気にはなっていたはず。 レーザーバレットは近年1200m~1400mを主戦場にしており、久しぶりのマイル戦がひとつのカギでしょう。とはいえテレ玉杯オーバルスプリントから転戦してくる臨戦過程は近年の南部杯では全く不利ではない所かむしろ王道になりつつあるパターン。早くから吉原寛人騎手を押さえて待っていたあたりもちょっと不気味。 ラテンロックはデビューからここまで1400mのみしか走っていないという珍しいキャリアの持ち主。ダートのGIが、というか重賞自体初出走ですから、過去データ的に強く推せる材料は無い・・・と言わざるを得ませんが、昨年4着のダブルスターのような怖さはあります。 改めて“3強”に戻ります。この3頭が盛岡で対決するのは2014年JBCクラシック以来。その時は1着コパノリッキー、4着ホッコータルマエ、5着ベストウォーリアの順でした。レコードで完勝したコパノリッキーからホッコータルマエまでは約5馬身差。そこからベストウォーリアまではさらに2馬身差となっていました。 積極的にコパノリッキーを追いかけていったベストウォーリアが最後後退する形になったのは距離適性の差だったでしょうし、ホッコータルマエは、やはり坂を少し苦にするのか、という印象だったと記憶します。★2014年JBCクラシックの一周目。コパノリッキー、ベストウォーリア、ホッコータルマエが先行するシーン とすれば、2000mだったJBCクラシックから1600mに距離が短縮される事で、ベストウォーリアがより戦いやすくなるのでは、より差が縮まるのでは・・・となるわけですよね。 果たしてそれだけでいいのか? 昨年の南部杯、自分は「1400mの流れのレース」と評価しました。ベストウォーリア自身が恐らく1400mベストのタイプで、上手くその流れに持ち込んだ事で中距離型のワンダーアキュートを封じ、同じ1400m型のタガノトネールには地力で勝ったというレースの形だったと考えます。 今年は、しかし流れが変わるはずです。コパノリッキーもホッコータルマエも1800mベストのタイプ。マイルや2000mになると少し展開の助けも欲しくなるタイプという点でも似ていて、だからこの二頭の相性があまり良くない(両立する結果が少ない)んだと思います。ただ、坂があるコースの分、盛岡ではコパノリッキーの方が戦いやすいのでしょう。 今回は、JRA勢6頭を見る限り1800m型と1400m型が半々。地方他地区勢もどちらかと言えば中距離型が多い感じですよね。そうすると中距離型が流れをつくってしまう可能性が高くなってくる。 かつての南部杯がそうで、マイル戦ながら中距離型の独壇場でした。コパノリッキーあたりがすんなり流れを握ってしまう(ハナに立つ立たないは別として)と、JBCクラシックの再現のような結果になるでしょう。 逆パターンがあるとすれば1400m型・1800m型とは噛み合わない脚質の馬が展開利を得る状況。2000年のゴールドティアラが勝った時がそれです。ファストフレンドやインテリパワー、ウイングアローといった中距離型を、短距離の差し馬らしい切れ味で退けて見せたゴールドティアラ。あの時のパターンです。 今年のメンバーの中に“1200mで末脚切れる”タイプがいれば展開的に面白くなったんではないかと、思うんですよね。ベストウォーリアはどちらかというと先行脚質だし。 あれ。いない事もないか。レーザーバレットか。 昔の南部杯のように中距離型が流れを支配して終わるか?それともその流れをひっくり返す馬が出てくるか?果たしてどちらの展開になるのでしょうか・・・。
2016年10月06日
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ひとネタで3回も引っ張っているので、もうお忘れの方もいらっしゃるかとは思いますが…先週に続いて韓国の話でございます。 やってきた釜山慶南競馬場。競馬場に来たからには、勿論馬券を買い、そして当てねばなりません。今日はそんな韓国競馬の馬券の実践編。 勝ち馬検討に欠かせないのが、やはり専門紙・予想紙の類でしょう。先週ご紹介したように、韓国ではあり得ないぐらいの膨大な数の専門紙が発刊されています。 どれがいいのかなんて私にはわかりませんので、インスピレーションで何紙か購入。大きさはかなりデカくて、見開きB3ぐらいの冊子ですそもそも専門紙のタイトルがわけわからん…もちろん中身もハングルだらけ。数字しかわからん。見開きの左半分が情報欄右半分がいわゆる馬柱だということはわかるのですが… ↑の写真は、正直「サジ投げた!」の図。馬名もハングル表記しかないからどうにもならんのですよ…。 しかし、根気強く中身を精査していくと、ハングルがわからなくても意味は理解できる部分が多々あることがわかりました。これはわかりますね。本紙予想。韓国では★が本命以下◎○▲と続きます。見た限り他の専門紙も同じでした。馬柱。一見しただけでは内容も理解しがたいのですが… よく見ると、馬柱のハコには当該レースの全馬の出走成績が載っています。アンダーラインがその馬自身。今回同じレースを走る馬がいると、その馬にも細いアンダーラインがつきます。 時計は右肩の斤量の下にある「1148」ですね。その下はテンのタイムと上がりタイム。 下級条件だと、互いに同じレースを走っていることも結構ありますから、そんな対戦比較が馬柱を見ると一目瞭然でわかるのです。時計比較もOK。但し、馬によってはソウルのレースを使っているので、同じ距離でも比較の上では注意が必要。 これだけわかれば、予想の方も何とかなりそうな気がしませんか?馬名は依然として、全くわかりませんけど。 データ欄の中で、唯一意味がわかったのがこれ。各馬のテン1Fと終い2Fの時計を、レースの距離別に表にしたものです。平均なのか、それともベストなのかはわかりませんけど。 この表の意味に気がついてから、展開を含めてレースを予想出来るようになりました。これは予想を楽しむためにはとても大きな発見でした。 ここまで専門紙が読めるようになったら、情報面はほぼ合格です。 つぎはパドックに出かけて、馬体を観察。これは万国共通ですよね、恐らく。パドック全景。香港シャティンみたいに装鞍用の馬房がありますが、使われておりませんでした このパドック、これから始まるレースの馬が馬場に出て行くと、すぐに次のレースの出走馬が登場します。ソウルよりマシとはいえ、釜山も結構寒いんですが…そんな中で馬を曳く方は、延々30分ぐらいパドックを回らなければなりません。勿論馬もです。 馬は、日本より全体的に「小さい」ような気がします。実際に、500キロを超えるような馬というのは、1レースに1~2頭いるかいないか。見た感じもコンパクトで、香港やオーストラリアで見る馬とは、方向性が違いますね。 考えてみれば、日本の競馬も一昔前はこんなに馬は大きくなかったはずですし。開催委員とジョッキーがお客さんの方を向いて整列騎乗前に深々とお辞儀をします。一部のお客さんから拍手すら起きる瞬間です。騎乗前の「礼」自体は日本にもありますが、似て非なる行為という感じ それはともかく、この時点でだいたい締め切り15分前。急いで馬券も買わないと。マークシート。上から場、レース番、そして買い目賭け式は単複、馬連馬単、そしてワイドの5通りです係員が座っていませんが、発売窓口。左の緑色の小窓からお金または的中馬券とマークシートを差し出すと右のブルーの小窓からおつりまたは払戻金と馬券を渡されます。外貨両替窓口もありました。日本円と米ドル自動券売機もあるんですが…使い方がようわかりませんでした馬券。日本の馬券と手触りなんかは同じで、正方形に近い形 韓国競馬の醍醐味は、なんといっても大口勝負でしょう。 私たちのような小遣いギャンブラーでも、いつもと桁が違う大勝負が出来ますから。もちろん、単位はウォンですけど…。 ちなみに、本日現在、10000ウォン=約1134円です。 上記の馬券が、丁度総額1000円。 私はこの日、最大60000ウォンの超人気馬券1点勝負をしました。レースの間中、心臓がバクバクして、そのうち止まってしまうんじゃないかという興奮を味わいました(笑)。 そんなレース観戦の様子は、来週のこの項で。
2008年02月05日
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皆様あけましておめでとうございます。そしてはじめまして。今週から木曜を担当する岩手のよこてんこと横川典視と申します。 今年のJBCは11月3日・盛岡競馬場で開催。その日に向けて岩手競馬の情報をお届けしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。 さて。最初の回は何を書こうかと考えて、冬の岩手競馬ってどんなものなの?という話を書いてみようと考えていました。そのつもりで写真を探したりしておいたのですが。今日1月2日の水沢競馬、雪のため途中中止になってしまいました・・・。 第1レースが終わった時点で走路状態悪化のためコース整備に入り、いったんは2R・3Rを取り止めて4Rから再開という事になったのですが、降り続く雪は止む気配を見せず、待機しても良化の可能性は低いという事で第2レース以降全レースが中止となりました。●この時点ではまだ2R・3Rを取り止めて4Rから再開予定だったのですが・・・。 夜半から朝にかけて一気に30cmほどの積雪があったのと、この時期にしてはちょっと気温が高目だったのが災いして、シャーベット状になった雪が排除しきれなくなってしまったんですね。 騎手たちは雪の中でもシャーベット状になった緩い雪が一番危険だと言います。馬の蹄の裏側に団子状にこびりついてしまって走るどころじゃなくなってしまうのだそうです。 昨年の大晦日なども気温が高めで、例年に比べて過ごしやすいなあ・・・なんて思っていたのですが、それがこんな所で裏目に出る形になりました。●ちょっと歩くだけでこんなことに 今日はこんな形で新年の出鼻を挫かれる形になりましたが、しかし岩手競馬は明日3日から4日・5日と開催があります。本日の開催が中止になった瞬間から明日に向けたコース整備が始まっていました。明日の開催を無事にスタートさせ、皆様にお楽しみいただくべく、騎手はじめ関係者は努力しております。●今日の写真ではないですが、この時期は凍結防止のため一晩中ハローをかける事も珍しくありません ・・・とまあ、しょっぱなからちょっと盛り上がらないネタを書いてしまいましたが、なにせこの季節は「日本最北の平地競馬」の岩手・水沢競馬。これもまた岩手競馬らしいかなと思い敢えてここから始める事にしました。春の桜、夏の新緑、秋の紅葉に冬の雪。どれも岩手競馬の四季を飾ってくれる重要な役者ですからね。●ある程度天気が良ければ「雪中競馬」も楽しいものです●サバゲーではありません。この時期のレースに挑む騎手の、完全装備の姿 気温は寒いですがレースは熱いですよ、と言ってフォローもしておこう。この後も明け3歳世代の最終決戦である金杯(5日)、4歳になった若武者たちの戦い・ニューイヤーカップJBC2014(11日)、そして今シーズンラストの重賞になるトウケイニセイ記念(13日)と重賞も目白押し。3日・4日・5日の、そして続く11日~13日の岩手競馬を、ご期待のうえお待ちください。 あらためて、これからもよろしくお願いいたします。
2014年01月02日
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日曜日担当の高橋華代子です。 東北楽天ゴールデンイーグルスの開幕戦に行ってきました。パート1はこちらです。今回は別の角度からお伝えしますm(__)m いろいろお席が増設されているので、角度によってはこんな感じで↓ 今回の指定席は、イーグルスネスト前ウッドデッキにある内野指定席1塁側S席。お値段は高めだったのですが、当日券がそこしか空いてなかったという(^^ゞ 隣の方との間隔もゆとりがあったし、テーブルなどもあったりで何かと便利。とても優雅なひとときでした。ちょっと贅沢しちゃったので、これからは節約しよう(´・ω・) そして、めちゃめちゃ寒い日だったので、後ろにあるイーグルスネストの中で温まらせてもらったり、おトイレも近かったので、非常に助かりました。 イーグルスネストにはこういうものも↓ 開幕戦は来場者プレゼントで、イーグルスブランケットをゲットできました。寒い時期には非常に助かるグッズで、競馬のナイター観戦にもいいアイテム(^^)↓ 内野指定席1塁側S席は眺めがとてもよかった!↓ 話しは飛んで、試合が終わると、この日のヒーローインタビューに登場した、則本昂大投手と岡島豪郎選手が球場外にあるステージに!!! 勝った場合はこういうファンサービスがいつもあるのかな?首都圏での観戦時は、もちろんアウェイなので楽天選手のこういう光景は見られません。めちゃめちゃテンションが上がりました。やっぱりいいな、ホームでの観戦。 試合前は入場制限で入れなかった球場の敷地にあるイーグルスショップには、試合後入場できました。あっ、写真は試合前に撮ったものですが(^^ゞ 自分のお土産(笑)に、今年出たばかりのクリアファイルを買いました。観賞用と仕事用。仕事柄、クリアファイルは何枚あってもうれしいです。オコエ選手もいてかわいい!↓ コボスタ宮城を出て仙台駅に向かって歩いていくと、その途中に、新しいイーグルショップがありました。立派やぁ~。前は仙台駅の中にイーグルスショップがあったので便利だったのですが、今はこちらに移動したようです。球場のイーグルスショップより人も少ないのでゆっくり見ることができました。 毎度思うのですが、私がご贔屓にしている辛島航投手のグッズがあまりにも少ない……。辛島投手のグッズもたくさん作ってください。楽天さん、よろしくお願いしますm(__)m 仙台滞在6時間という強行軍でしたが、充実したひとときでした。時間がなかったのでご飯も食べることなく、これだけ買って帰りました(^^ゞ 我らが東北楽天ゴールデンイーグルス、現在2位。 このまま選手の皆さんが怪我なく元気にプレイできることを願いながら、このコーナーを締めたいと思います。 ら~くてん、ら~くてん、イ~グル~ス~ヾ(*´∀`*)ノ
2016年04月03日
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土曜日担当は、園田競馬実況の竹之上次男です。 きょうは『チャージアドバンス』の取材で小谷周平騎手の自宅を訪問してきました。 先月の12月8日に6人目のお子さんが産まれた小谷騎手は、兵庫県競馬きっての子だくさん。 どんな生活をしているのか興味津々で、訪ねてきました。 話の内容は約1ヶ月後に配信されますので、どうぞしばらくお待ちください(^^)※ぼくは聞き手で、書き手ではありません 大家族ならではの、家中グチャグチャで、収拾つかない状況を軽く想定していたのですが、長女の華穂ちゃん(小4)や、長男の哲平くん(小3)がしっかりしていて、意外に落ち着いた雰囲気。 賑やかなのは賑やかなのですが、どうしようもないというわけではありませんでした。 面白い話、育児についてのためになる話が訊けたので、配信をお楽しみに♪◆長女 華穂(かほ)ちゃん 小学4年生 さすが、面倒見のいいお姉ちゃん。習い事が大好き♪ときにはママの愚痴を聞く係。◆長男 哲平(てっぺい)くん 小学3年生 パパのお膝でトークに参加。将来は騎手ではなく、サッカー選手になるのが夢♪◆次女 華凜(かりん)ちゃん 幼稚園年長 跳ねすぎて見えない(;^^) お姉ちゃんと替わって手前が華凜ちゃん。 感受性の強い天才肌。騎手になりたいと宣言!園田初の女性騎手へ期待高まる!!◆次男 竜平(りゅうへい)くん 幼稚園年中 グズってたけど、誕生日を一日前倒しでケーキをゲットしてご満悦の竜平くん♪ 末っ子予定だったために可愛がられて甘えん坊に育つ。それでも切り替えは早い♪◆三女 華乃愛(かのあ)ちゃん 2歳 天真爛漫、スーパーおてんば娘♪取材中、ひたすら可愛い笑顔を振りまいて癒してくれた!◆三男 晃平(こうへい)くん 1ヶ月 兄姉にいじり倒されて可愛がられたためか、生後1ヶ月半なのにほとんど泣くことなく、動じない強い子に育っている! みんながスクスク育ちますように♪〓Weeklyトピックス〓★関本大介は2017年も園田にやって来る! 来週の火曜日、1月31日のメインレースは『大日本プロレスカップ』が行われます。 数えて今回が18回目となります! もちろん、関本大介選手も来園♪ 性懲りもなくやって来るのです! あの小学生の方がもっとマシな読み方をするで!っていう読み方の表彰状の読み上げ。 まったく上達しないのです(>_
2017年01月28日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 先週に続いて、サテライト成田(エフケイバ成田)のリポートです。 (この稿の取材日は、平成29年10月23日です) 前回は周辺を巡ってサテライト成田にたどり着いたところまで。 今回はいよいよ内部に「潜入」してみましょう。 ご覧のように2階建てになっているサテライト成田。 1階部分が競輪とオートレースの場外発売所。 そして2階部分が競馬の場外発売所になっています。 元々は2008年に千葉競輪の場外発売所「サテライト成田」としてオープンしたこの場所。 船橋競馬の場外発売所「エフケイバ成田」が開業するのは2012年で、その時に元々競輪の特別観覧席だった2階部分を改装して、競馬の場外発売所にしました。 1階の競輪部分の様子 今回は競馬の場外発売所としての紹介ですので、2階の競馬の発売所(名称:エフケイバ成田)の様子を見ていきましょう。 業務エリアも含めて870平米あまり。 とても手頃なスペース感。 当日は船橋開催、夕方前の時間帯ですが、このように結構な数のお客さまがお楽しみで盛況でした。 とても明るくて、全体の色合いも落ち着く感じ。 使い勝手も考えられていて、建屋の柱を使って、マークシートの記入スペースがうまく配置されています。 平場スペースの3分の1ぐらい、発売機と反対側の壁側一片は、このように椅子が並んで壁にはモニターがずらり。皆さんくつろぎながらレースをご覧になっていました。 発売機付近。 この場所を見せて頂いて印象的だったのは、こうして警備の方とかスタッフの方々がいつもさりげなくお客さま方に気を使っていること。 あちらこちらのこういう場所を見て回るとわかるんです。 場所だけ店開きして窓だけ開けて、さああとはご勝手に…っていう場所の雰囲気とは、明らかに違ってくるんですよね、こういうことって。 普段何をするわけでもなくても、何かあったときにすぐに対応出来る気遣い。 細かいようですが、人手もかかりますし、なかなかそういう雰囲気を作るのは難しい。 「場所の雰囲気」 形はないものなのだけれど、そういうことの大切さを改めて感じます。 券売機が11台あるんですが、平日は3台はこのように閉まってます。 これは週末のJRAの発売日に稼働する分。 奥の方には、JRAの開催の日だけ解放されるスペースがありました。 やはりJRAの発売日は相当に混雑するそうです。 それだけに、お客さま方が馬券を買うための環境作りが大切と言うことなんでしょう。 このサテライト成田、すごいのが有料の特別観覧席です。 フロアの一角にある、秘密の扉… 特別観覧席の入場者のみが入れるように、鎖錠してあります。 このように、席数僅か6席のサロン風 ゴージャス感溢れるソファとテーブル。モニターも2台自由に使えます。 一日ゆったりと楽しめる特別観覧席。 たったの6席しかないので、週末には朝一番で売り切れてしまうそうです。 JRA開催日は1席5000円(500円は保証金なので実質4500円)・競馬専門紙無料配布・フリードリンク・昼食サービス(お昼のランチなど無料!) …お値打ちすぎる! すぐ満席になるのもわかります。 地方競馬開催日は1席2500円(同じく実質2000円) 昼食サービスはありませんが、競馬新聞とドリンクはついています。 東京のように競馬場が近い場所にいると、場外発売所を訪れる機会はなかなかないもの。 しかしこうして訪れてみると、競馬場から少し離れた場所にいて「競馬を楽しみたい」と思う方々にとって、こういう場所がとても大切な場所だと言うことがわかります。 建物の形で少し奥まったスペースも、「いつもこの場所」とおぼしきお客さま方がおられました。 狭い場所でも、こういう場所の居心地も気配りされていました。 で、もっと重要なことは… そういう方々にとって、競馬を楽しむ場所の選択肢は、あまりない。 これも東京のような場所にいるとなかなか気がつかないことです。 ここに来てくれるか、この場所がいやならもう来なくなるか。 来なくなる、イコール競馬をやらなくなる。 こうした「競馬のある場所」というもののかけがえのなさを、改めて感じます。 この場所を運営されている方に、お話を伺いました。 サテライト成田の運営会社の社長 茂木一男さん 「このあたりは、元々競馬にものすごく縁のある場所ですから。ここで競馬を楽しめる場所を作るというのが私たちの悲願でした。」 ご存じのように、明治の時代から当時の宮内省の御料牧場があったのが、千葉のまさにこの場所。名門・社台ファームも戦前この千葉の地から礎を築いていったように、いまはこの地を離れた大手の牧場の中にも、この千葉に拠点を置いていた牧場は数多くありました。いまでも、馬の生産・育成に携わる牧場が数々、この成田の近隣の場所に点在しています。 千葉のこの場所で競馬の場外発売所の開設を目指してざっと10年。競輪の場外発売所としての開設を経て、2012年7月に船橋競馬の場外発売所「エフケイバ成田」の開設に至りました。「成田や近隣市内のお客さま方だけでなく、九十九里の漁師さんとか、房総方面の農家の方々とか、車で1時間弱の圏内から多くお客さまがお越しです。北は利根川を挟んで茨城の端の方の方も、お越しになっているようです。美浦のトレーニングセンターの近辺の方々もお客さま方の中にはおられますよ。」 幅広い商圏を支えるのは、前回ご紹介した1000台の車が留まれる無料駐車場。 一日トータルで2000人とか3000人とかが来場する有馬記念の日でも、駐車場には困らない。これは大きなアドバンテージになっているようです。 私が場外発売所を訪れるときに注目するのは、その場所が存在する「地域」との関係です。 その場所に競馬があり続けるために必要なこと。それはその場所のひとびととともにきちんと競馬が根を下ろすこと。 例えばこちら。 1階にある食堂です。開店している間に写真撮れなかった… 券を買うフロアとは全く雰囲気が異なり、白を基調に清潔感溢れるエリア この食堂の何がすごいかって言うとですね… 昼の定食が2種類、何と!ワンコインの500円 取材日からの週の1週間のワンコイン定食メニュー 私は残念ながら、定食の時刻に間に合いませんでした。 これが500円ならば、来場客の皆さんさぞかしおよろこび…と思いきや、先ほどの茂木さんから衝撃の事実が明かされました。 「ワンコイン定食、周辺の会社の方々が食べにいらっしゃいます。」 周辺は空港関連の業務を行う倉庫とか工場とかオフィスがたくさんあります。あまりに安いので、昼にはそうした会社の方が食事をしにサテライト成田を訪れるそうです。 券を買わずに、食事だけしに来るひとも多いそうですが…「地元の方々がお越しになるなら、それでもいいんじゃないでしょうか。」 値段云々よりもむしろ、あまり数が増えるとスタッフの方が大変、と心配されていました。 いずれは券を買うことに繋がる、と言うところまで思わなくても、近隣の会社との関係向上のために食堂が役目を果たしているのはいいこと、と考えておられるみたいです。 さながら、周辺の職場の「社員食堂」(笑)。 場所柄ももちろんあるわけですけれども、こういうありようには素直に感銘を覚えました。 「これはまだ思ってるだけですけれども…ここは井戸水があるので水には困らないし、まるまる1000台とまれる駐車スペースも建物もありますから、いずれはたとえば地域の防災拠点とかになれたらいいんじゃないかとか……話大きいですけれど(笑)」 成田のこの場所にあって、お客さまは勿論、この場所のひとびとを意識しているからこその考えなのではないでしょうか。 正直、これまで本当の意味でこの「成田」という場所にほとんど縁がありませんでした。 競馬があったから、こうやって訪れる機会が出来ました。 そして…普段私が思い描く以上に、成田という場所が競馬にとって身近な場所であることも、感じることが出来ました。 そしてこのサテライト成田という場所も…。 きっとこの場所が、地域のなかの競馬、そして競馬がある場所ということを意識しているからこそ、それを感じるお客さん方や周囲のひとびとが支えてくれているのでしょう。 またいずれ、この周辺をもっと探索せねば… 昨年巡った北海道以上に、競馬がここにあり続ける深い「理由」に巡り会えるような気がしてなりません。
2017年11月01日
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木曜担当のよこてんです。 7月3日の火曜日、青森県は八戸市において『八戸サラブレッド1歳市場』が開催されました。 暦の上では夏の暑い盛りに開かれる八戸市場ではありますが近年は暑いといっても割と過ごしやすい日だったりしたのですが、今年は正真正銘掛け値無しに暑い中で行われました。月曜・火曜と暑い日が続いた中で外にいたのでめちゃ日焼けした・・・。 八戸市場はですね、毎年漢字一文字を足して「八戸○市場」とキャッチフレーズっぽく作るのですが、今年は「八戸熱市場」。まさに熱い?暑い?市場でした。 それでは取引額上位の馬を中心に見ていくことにしましょう。 まず今年の最高価格馬になったのは父リアルインパクト・母ドルフィンルージュの牝馬で831万6千円。青森・諏訪牧場の生産馬です。★父リアルインパクト・母ドルフィンルージュ 本馬から見た3代目の母Slip Ashorはタイキシャトルの母ウェルシュマフィンの半姉にあたります。父リアルインパクトはこの世代が初年度ですね。 ちなみに青森産馬が最高額を獲ったのは2年連続になります。 第2位は父オーシャンブルー・母イースタリーブリーズの牡馬で756万円でした。本馬も青森の、イズモリファームの生産。1位は牝馬でしたので「牡馬の1位」はこの馬です。また最高額・2位共に青森の牧場の馬になったのは2008年以来10年ぶりの出来事に。★父オーシャンブルー・母イースタリーブリーズ 第3位は680万4千円、父パイロ、母ショウリダバンザイの牝馬で、新ひだか・タイヘイ牧場の生産馬。★父パイロ・母ショウリダバンザイ 母ショウリダバンザイは門別で大活躍しただけでなく岩手にも頻繁に遠征してきており、ビューチフルドリーマーCでじゃ2011年から2013年まで3年連続遠征。優勝こそならなかったものの3回中2回、1番人気に支持されていました。★ショウリダバンザイ(2013年ビューチフルドリーマーC) 第4位は父ゼンノロブロイ、母ローマンクイーンの牡馬で648万円。牡馬では2番目の価格ということになりますね。★父ゼンノロブロイ、母ローマンクイーン 続いて第5位。父はウインバリアシオン・母はヨンハという血統の馬で青森・佐々木牧場の生産馬。価格は561万6千円。 父は青森で繋養生活を送るウインバリアシオン、母ヨンハはマヨノエンゼルの半妹にあたります。青森&青森という感じの構成です。★父ウインバリアシオン・母ヨンハ 第6位は父リアルインパクト・母ゲーリックダンスの牝馬。青森・青南ムラカミファームの生産で価格は486万円。本馬は今年4月のスプリングCを制したグランフェルメールの半妹にあたりますね。父がヨハネスブルグでややスピード色が強いように感じるグランフェルメールに対しこちらはマイル以上もいけそうなリアルインパクト。その違いがどんな変化をもたらすかが気になる一頭。★父リアルインパクト・母ゲーリックダンス 第7位は父ショウナンカンプ・母ネオヴェリーフェズの牡馬で青森・荒谷牧場の生産。453万6千円でJRA日本中央競馬会が購買されましたので、育成が順調に進んだ暁には来年のブリーズアップセールに登場してくるのではないでしょうか。 本馬の半姉ライズインザノースが6月20日の門別2歳認定未勝利戦を勝っております。★父ショウナンカンプ・母ネオヴェリーフェズ★ライズインザノース(6月7日出走時) 第8位は父ケープブランコ・母カディッシュ。新ひだか・タイヘイ牧場の生産馬で410万4千円。本馬もJRA日本中央競馬会がご購買。 本馬の祖母はカディザデー。ということは母カディッシュはサニングデールの半妹になります。その血統も目を惹きますが、本馬はそれだけでなくお腹の所の白斑も印象的。★父ケープブランコ・母カディッシュ もう一頭挙げておきましょう。父ウインバリアシオン・母エムケイミラクルの牝馬。つまりマヨノエンゼルや先に出てきたヨンハの半妹という馬です。生産は青森・佐々木牧場。落札額は108万円。 マヨノエンゼルの下という事でもあり興味を持っていた岩手の調教師さんもいたようなんですが、結局ガジコレーシングさんが落札されております。★父ウインバリアシオン・母エムケイミラクル 今年の八戸市場の売上額は9,234万円(税込)。1億を超えた昨年には残念ながら及ばなかったものの、売却率77.8%は八戸市場の過去最高。また、少し見方を変えるならば、上場頭数が同じ36頭だった2014年が売却率50.0%・売上額5,087万8千円だったのに比べると大幅に良化しているとも言えます。 馬の価格の高騰と馬不足が言われる昨今、八戸市場に目を向ける関係者も増えているようです。上場馬の質に関してもおおむね好評だったような話を各所で耳にしました。上場頭数が減少傾向にあって先行きの予断を許さない八戸市場なのですが、こうして好評を得続けることができるならば、八戸市場の他の市場とは違う立ち位置もまた存在し続けるのではないでしょうか。 ひとつ心配なのは松橋参事の不在です。八戸市場だけでなく全国のセリ市に姿を見せ、独特のテクニックをもって“名物鑑定人”の評判も高い松橋さんなのですが、今年のセリシーズンを目前に体調不良に陥り、結局地元である八戸市場にもついに姿を見せることができませんでした。自分も松橋さん以外の鑑定人が運営する八戸市場を見るのは初めて。どうしても寂しく思えてしまいます。 松橋さんは単にセリの鑑定人というだけの役割に留まらず、とりわけ青森産馬は生まれた時どころかそれこそ種付けの時から知っていて、絶えず生産者と相談しながらセリに送り出している、八戸市場とまさしく一体といえる存在なのです。 そんな存在が不在となってしまうと、セリだけではなく青森の馬産そのものにも大きな影響を及ぼしてしまう・・・と言っても全く過言では無い。松橋さんが元気になって、再び鑑定台に立てるようになることを切望しつつ祈っております。★今年は不在だった松橋参事
2018年07月05日
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木曜担当のよこてんです。 北海道胆振東部地震。門別競馬は9月11日からの開催だけでなく9月18日からの開催も取り止めが発表されています。現地関係者の方々が発信されているSNSを見ると非常に苦心しながら在厩馬の管理に努められている事がうかがえ、一日も早く復旧してほしいと願うばかりです。 東日本大震災の際の岩手競馬は3月下旬の特別開催から始まる予定だったものが、約2ヶ月後の5月中旬からの再開となりました。 地震の直後こそ混乱があったものの3月のうちには“5月の盛岡から再開”という方針が決まったので、厩舎関係者も当初こそ「そうは言うものの本当に再開できるのか?」と心配していたようですが、徐々に通常の厩舎作業に戻っていかれたように思います。★2011年4月 競馬再開に向けて調教が行われる水沢競馬場 岩手の場合は、2011年だったじゃないですか。2007年春の廃止騒動からまだ4年も経ってない時です。「単年度で赤字なら廃止」と耳にタコができるほど聞かされ続けていた時期でもありましたから、「例え再開できても最終的には赤字になって廃止になるだけでは?」という声もよく耳にしたものでした。 そういう「本当に再開できるのか?」「いつ再開するのか?」「馬の調教を続ける意味があるのか?」という実体の見えない不安は本当に嫌なものです。門別競馬の関係者の皆さんのみならず馬産地生産者の皆さんの不安が少しでも早く払拭されるよう、状況が好転していくことを祈っております。 さて、当初9月12日の門別で行われる予定だった重賞『旭岳賞』に遠征予定だったコミュニティ(盛岡・櫻田浩樹厩舎)は10月2日金沢の『白山大賞典』へ矛先を変える模様。 9月27日に同じく門別競馬場で行われる予定の重賞『道営スプリント』に登録しているラブバレットは現状では開催があるかどうかを待つ状態のようです。 一方、9月19日の大井の重賞『東京記念』に登録しているストロングサウザーは予定通り出走の見込み。2400mはちょっと長いかもという印象ですが、ここは良い競馬をしてまだまだやれる所を見せてほしいものです。 話題をもうひとつ。騎手・調教師の区切りの勝利。 3週前になってしまいますが、8月27日の第10Rで山本政聡騎手が地方通算1100勝を達成。★8月27日水沢第10R・シュクエターナル号(山本政聡1100勝) 山本政聡騎手は8月25日の1Rで勝ってリーチをかけたものの、その後2着が何と6回も続き、8月27日の第10R、その週の最終騎乗機会でギリギリ白星を挙げての1100勝達成となりました。 9月8日の第4Rでは村上忍騎手が地方通算3100勝を達成しています。★9月8日水沢第4R・スノービスケット号(村上忍騎手3100勝) 4000勝は?という声に「さすがにそれは無理!」と笑いながら即答した村上忍騎手でしたが、3500勝くらいはなんとかぜひ・・・。 9月9日の第6Rでは高松亮騎手が地方通算1100勝を達成。★9月9日水沢第6R・セイゲイル号(高松亮騎手1100勝) 前週に5勝、この週に2勝とピッチを上げての達成となりました。 調教師では菅原右吉調教師が、9月9日の第3Rで地方通算1200勝を達成。1989年の調教師デビューから30シーズン目での到達です。★9月9日第3R・ゼットヴィグラス号(菅原右吉調教師1200勝) この後は、騎手では山本聡哉騎手が、地方通算1500勝にあと「3」と迫っています。早ければ今週中にも1500勝達成となるでしょう。 6月の水沢開催時に少しペースを落としていた山本聡哉騎手でしたがここのところは一開催10勝ペースを回復。この水沢開催でも22勝を挙げて一気に1500勝に迫りましたね。 調教師では村上実調教師が1400勝にあと「1」のリーチをかけています。こちらも今週中の達成となる可能性が高いのではないでしょうか。 また、坂口裕一騎手が696勝、阿部英俊騎手が1690勝、畠山信一調教師が493勝と区切りの勝利が近づいています。今月中から南部杯の頃にかけて次々と達成されていく事になるでしょう。
2018年09月13日
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木曜担当のよこてんです。 前回のこのブログで“残りの開催が無事に終わりますように”と書いたのですが、残念ながら全く叶わず、本来ならレギュラーシーズン最後となる1月9日から11日までの3日間が全て取り止めという形で終わってしまいました。★こういう看板があったんだなと感心しましたが、しかしそうそう目にしたいものでは無いですね・・・ 2018年の冬も禁止薬物問題の影響で年末を迎える事無く打ち切りの形で終わったのですが、今年は雪と低温のため、年末年始は越えたものの3日間連続取り止めの形での終了に。 結果的に、冬の水沢開催はのべ22日の予定のうち実質8日間が実施できませんでした。終盤の16日間に限れば半分が無かったわけで、この年末年始はなんか競馬があったような無かったような、中途半端な感覚でしたね。ファンの皆さんも不完全燃焼だったのではないでしょうか。★懸命な馬場整備が行われたのですが 近年は雪が少なくて、降ったとしても開催に影響が無い場合がほとんどで・・・という感じで。北国の本当の“雪の脅威”を思い出させられた気持ちです。★冬の山とかスキー場とかでしか見れないような光景が平地の競馬場に出現した・・・という、それだけ寒かったというわけですね 来年は、つまり来シーズンは、恐らくこの3日連続で取り止めになった1月第2週のところの開催は無くなると言われています。 “年度で赤字なら廃止”というスキームがある以上、開催取り止めとか打ち切りは可能な限り避ける、頑張って開催する・・・という面がこれまではありましたが、近年の好調な売り上げのおかげで今回のような危険な時は安全に振った判断がしやすくなった、それによって取り止めが多くなったという一面もあります。 今季は結果8日間が無くなったのでさすがに3月に4日分の特別開催を追加しましたけども、リスクの高い期間はなるべく開催日を減らし、その分他の時期にしっかり“稼ぐ”というのがこれからの方向性かもしれません。 ちなみに冬期の1月にも開催が行われるようになったのは、調べてみたところ1992年からでした。その年は1月3日から6日、12日から15日と延べ8日間もみっちりと開催がありました。当時は雪も多かったでしょうに、なんか凄いですね・・・。 まあ競馬ブーム、競馬バブルの頃でしたし、年末年始はドル箱、稼ぎ時の頃でもありましたからね。ちなみにその1992年1月3日は北の水沢から南の荒尾まで地方競馬が12場(!)も開催されていました。かつての盆暮れ正月&ゴールデンウィークはホント、日本中で競馬が行われていましたよね。 突如競馬シーズンが終わって、しばらくは競馬場にも行く事が無いかと思っていましたが、用事があって盛岡・水沢と回りました。盛岡は、この時期は雪が積もったままで、まあ雪山みたいな状態です。水沢の方は数日前よりも雪が減っているようにも見えました。大雪のピークは越えたとされますが、まだしばらくは極低温になる日があるようで気が抜けません。★昨日の盛岡競馬場。すっかり雪山★今日の水沢は暖かかったです 先ほど触れましたが、取り止めが多かった事を受けて3月12日から15日まで4日分の開催が追加され、当初11開催の予定だった水沢開催が12開催とされました。それに伴って馬場開きの日程も前倒しされるでしょうから、あと1ヶ月もすればコースでの調教が再開される事になるでしょう。 今年の冬休みは短めなんですけど、しかし岩手から2騎手が出場予定だった『全日本新人王争覇戦』は3月に延期、昨年山本聡哉騎手が優勝を果たした『佐々木竹見カップ』も今年は南関騎手のみでの開催。そして高松亮騎手がベストフェアプレイ賞を受賞した『NARグランプリ2020』は表彰式典は実施されず。なんか盛り上がらない・・・。 取材をしたかったことができずにバタバタしていたりもして手近なネタができていないんですが、次回はもう少し岩手競馬の話題をまとめたいと思いますのでちょっとお待ちください。★盛岡競馬場の馬頭尊は冬ごもりモードですが、あと1ヶ月もすれば・・・
2021年01月14日
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木曜担当のよこてんです。 5月25日、あの落馬事故から2ヶ月弱。その際の負傷の治療のためにレースから離れていた山本聡哉騎手が今週末から復帰の予定となりました。 今週末のオパールカップの騎乗予定騎手の中に山本聡哉騎手の名前が記載されていることで気がつかれたファンの方もおられると思います。先月末頃から少しずつ調教に騎乗するようになって・・・というお話は聞いていましたが、いよいよ、ついに、実戦復帰へ。 という事であればぜひご本人にお話を・・・ということで、今回は“突然ですが電話で山本聡哉騎手にインタビューしました”というお題です。-今週からレースに復帰すると聞きましたが、身体の具合の方はいかがでしょう?「調教には、2週間・・・3週間くらい前かな、乗り始めました。まだリハビリ中ではあるんですけども、自分では大丈夫かなと判断しました」-改めてになりますが、この怪我はどんなものだったのでしょう?「肘の関節脱臼で、肘は後方脱臼というのが多いんだそうですけども、例えば手を突いた時に肘が後ろに脱臼する・・・みたいな。自分の場合は“前方脱臼”っていう結構珍しい脱臼だそうでした」(※肘の脱臼はほとんどが後方脱臼で、前方脱臼は肘の脱臼の中の1割くらいのようです)-落馬の時の話は今簡単には言いづらいけど、これくらいで復帰できるのなら不幸中の幸いと言って、いいのかな・・・「そうですね。肘の骨折脱臼だったらもうちょっと時間がかかったかもしれないですね」-今復帰できるのは凄いと思うけど、逆にこんなに早くて大丈夫?とも思ってしまう「スポーツ復帰するのは3ヶ月くらいかかると言われてたんですけど、ちょっと早く復帰できて良かったと思っています。違和感が無いわけではないんですが、肩の脱臼と違ってあまり癖になる事もないらしいですし、今はもうリハビリをどんどん進めていって良い段階ですから、ある程度は大丈夫かなと」-この休養中はどんな風に過ごしていました?「怪我をした時は、コロナの検査とかやってから治療になったから時間がかかったんですよ。3時間くらい待って。結局全身麻酔して整復しなくてはなりませんでした。 でも次の日には退院して家に戻りました。早く復帰したかったから戻って2週間くらいは朝夕にウォーキングしたりしてたんです。心の整理もしたかったですし。 でも3週間たって固定していたのを外してみたらもう少しかかるって言われて、それでちょっと心が折れたりして・・・。それからは安静にしていたというか、ダラダラとしていました(笑)」-でもそこからは割とすぐに馬に乗ろうと決めたんだ「とにかく早く乗りたいっていう気持ちはずっとあったんです。でも固定を外した直後はさすがにすぐには無理だと分かったのでリハビリに専念して。最初は痛みとかありましたが、リハビリも進んだのでちょっと前倒しで馬に乗ろうと。 とにかくじっとしていられなくてですね。馬に乗っていた方が治りが良いような気もして自分で自分にGOサインを出したというか。気持ちもなんかこう覇気が出てくるし、馬に乗ってからの方が肘の可動域が付いてきましたしね」-リハビリと実際に馬に乗った時と、動かす筋肉も違うでしょうしね「まあ今も調教で乗っているだけではありますからね。追い込み動作とかステッキワークとかもやってみていますけど、実戦でどうか?は気にならないわけではないですね」-さて、いよいよ実戦に戻るわけですが、とはいえまたすぐリーディング争いに加わって来るのを期待していていいんでしょう?「んー、今回は例えば“オフシーズンに他地区で乗っていて、戻ってくる”とかと違って病み上がりですからね。勘もちょっと鈍っているだろうし、正直いきなり全開とはいかないでしょうけど、でもリーディングは目標にしていますから。まだまだ狙えると思っています」-2000勝チャレンジもね、改めてスタートというか「2000勝が近いから頑張れますね。なんていうか“ひと区切り”かもしれませんね。2000勝という区切り、ラブバレットがいなくなってからの区切り。自分の騎手人生の“第二章”になるのかなと思ったりします」-ではいよいよ復帰という事でファンの皆さんへひとこと「自分もレースに乗るのを楽しみにしています。あとは精一杯やるだけです」 「今週から乗りますよ、ってそんなにアピールしているわけじゃないんで、こうやって言ってもらっても実は全然騎乗が無い・・・ってこともありますよ」と山本聡哉騎手は笑っていましたが、自身も徐々に勘を取り戻していこうと考えているようですし、少しずつ騎乗が増えていく・・・という形でも良いのでしょう。 でも、これまで他の騎手が怪我をした時を見てきた感じ、怪我の休養明けって結構みんな「勝利に飢えている」ようなところがありますからね。案外とんとんと勝ち星を増やしていくのかなとも思ったりしますね。 山本聡哉騎手のリーディング順位は先週終了時点で45勝・4位。1位村上忍騎手とは19勝差となっていますが、ここからどんな追い上げを見せるのか?そして残り31勝に迫っている地方通算2000勝のカウントダウンも改めてスタートするわけで、この先の活躍が楽しみです。 とはいえまずは1戦目、1勝目。無事に通過できる事を祈って。
2021年07月08日
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木曜担当のよこてんです。 今回のお題は『2022シーズンで競馬場を去った馬たち』。昨シーズンをもって引退した馬の中から何頭かをピックアップさせていただいて、その馬達を振り返ってみよう・・・というお話をしたいと思います。 そういう馬はもちろんたくさんおりまして、クラスの上下を問わず印象に残っている馬もたくさんいるわけですが、敢えて数頭に絞って採り上げさせていただく事にします。 まず最初はタイセイブラスト(水沢・佐藤雅彦厩舎※現役時・以下同様)。2020年の5月12日に岩手での初戦を迎えた同馬は3シーズンの間A級から降級する事無く戦い続け、昨年9月26日の盛岡11R「金木犀特別」優勝をもって引退。勝ってキャリアを締めくくる見事なラストともなりました。★22年9月26日『金木犀特別』。ラストレースを見事勝利で飾ったタイセイブラスト「調子の波があまりなくて、レース数としては結構な数を走ってきましたが、常に頑張ってくれる馬でした」と、同馬を管理していた佐藤雅彦調教師は振り返ります。 タイセイブラストのデビューは2015年7月のJRA福島、ダート1150m戦。2年あまりのJRA時代は1勝に留まったものの、南関東に移籍してから6勝を挙げ、2020年春に岩手に移籍後はさらに13勝もの勝ち星を積み重ねました。 通算勝利数は20勝。岩手では転入当初から引退までA級を守り続けたので、つまり岩手での勝ち星は全てA級かオープン特別以上でのもの。2021年の栗駒賞で重賞制覇、同年のすずらん賞で準重賞も勝ちました。短距離王として活躍したラブバレットとも何度も矛を交え、最終的には四度破ってもいます。その頃はラブバレットの好敵手と言っていい存在でしたね。★21年栗駒賞優勝時。口取り後に皆によしよしされるタイセイブラスト「展開が向いた時は本当に良い脚を使ってくれた馬。そういう時はこちらが思った以上の走りを見せてくれてもいましたね。 9歳になった2022シーズンはどうしても年齢を感じさせる走りになっていたように感じました。良い頃のような脚が使えなくなっていた。馬の状態自体は決して悪くなかったですし、休養してもう少し・・・とも考えましたが、そうすると良い成績を求めてしまいたくなる。今以上に状態を良くしよう、良い成績にしようと思って馬に負担をかけてしまうかもしれない。だったら勝って引退させてあげるのがいいのかな、と(佐藤雅彦調教師)」 常に上級の条件で走っていた馬ですから自分もいつも注目していましたが、昨年は絶好の展開になって、あるいは絶好の位置を獲れていて、でも以前のような伸びが無い・・・というレースぶりに、だんだんとなっていったように感じていました。 それでも最後の3戦の頃、夏を過ぎた頃ははっきりと立ち直ってきていて、この頃は自分も再び重めの印を付けるようにしていました。 2022年に挙げた2勝はいずれも早め先頭から粘り込む形。かつてのような上がり最速の末脚で突き抜ける勝ち方ではありませんでしたが、それでもラストレースでしっかり勝ちきって見せたのは間違いなくタイセイブラストの地力、底力のなせる技だったでしょう。★20年5月12日、岩手転入初戦を制したシーン「“こんな良い成績を残してきたんだ”と、改めて振り返るとそう感じさせる馬でしたね(佐藤雅彦調教師)」 マイネルエメ(水沢・畠山信一厩舎)もタイセイブラストと同じ2020年の春に岩手に移籍してきた馬。岩手で挙げた勝利数も奇しくも同じ13勝でした。こちらは昨年12月12日の水沢9R、9着のレースを最後に引退となっています。★マイネルエメの最後の勝利となった8月23日盛岡11Rでの勇姿「こちらに来た時は最下級、C2級の一番下の組からのスタート。そこからA級で勝つまでに出世したのですからやはり凄い馬、力がある馬でしたね」と畠山信一調教師。 マイネルエメのデビューは2017年6月4日のJRA阪神競馬場、2歳新馬戦。そこでは5着だったものの2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、翌1月にはシンザン記念にも出走しています。 結果的にJRAではその1勝のみ、転じた南関東では掲示板も厳しい結果が続きましたが、2020年4月19日の転入初戦で久しぶりの勝利を挙げるとそこから4連勝して早くもC1級の最上位へ。夏にはB級入り、10月にはB級卒業とトントン拍子にクラスを上げていくと11月8日の盛岡10R『朝露特別』でA級初戦をあっさり勝ち抜きました。C2級でも最下級あたりから半年ほどでA級優勝・・・というくらいに勝ち上がっていく馬はそうそういない。畠山調教師が「こんな馬なかなかいないでしょ!」と言うのもオーバーな話ではありません。★岩手2戦目となった20年4月26日水沢5R優勝時のマイネルエメ A級に上がってからはさすがに下位クラスほど安定した成績ではなかったものの、しばしば存在感ある走りを見せていましたし、昨年秋にA級に再昇級した時にはタイセイブラストに先着したりもしています。★20年11月8日盛岡10R『朝露特別』。初A級戦を2馬身差快勝 そのマイネルエメは引退後は乗馬クラブに移ったとの事。「茨城にある“ホースランチKYRA”で乗馬になりました。ここは同じオーナーさんの馬だったイマジンジョンを引き取ってくれたところで、その縁になります。クラブの場長さんが“いずれは乗馬の大会に出してみたい”と言われていて、いつか馬術の大会に出場するマイネルエメを見る事ができるかもしれませんね(畠山信一調教師)」 次もこれまた奇しくも2020年春に移籍してきた馬です。ツルオカボルト(水沢・瀬戸幸一厩舎)。タイセイブラストと同じく南関東のA2B1というあたりのクラスからの転入で、旧地での実績はむしろ本馬の方が上といえるくらい。ただしツルオカボルトは大井での出走が、タイセイブラストは船橋での出走が多かったため、ほぼ同じクラスにいたものの南関時代の対戦はありませんでした。昨年10月30日の盛岡10R、3着を最後に引退。★ツルオカボルトのラストレース、最内に姿が見える「来た当初は年齢もあって“どこまでやれるだろうか?”と思っていましたが、走りを見ていてまだまだやれる力はあるとも感じました。条件を色々変えてみてやはり短距離で力を出せる馬だと。そこからは短距離に絞って戦ってきました(瀬戸幸一調教師)」 岩手に来た時には既に9歳になっていた本馬ながらも秋にはオープン特別を優勝。タイセイブラストが制した21年栗駒賞では5馬身弱の差の3着に食い込むなど重賞にも手が届きそうな走りをしばしば見せていましたね。クラスターカップにも二度出走しています。★21年クラスターカップ出走時★トレードマークのメンコはジャマイカの国旗をモチーフにしたもの「11歳になっても本当によく頑張って走ってくれていたのですが、年齢のせいか、良かったと思っていた状態が急に悪く・・・とか順調を欠くような事が起こるようになってきました。秋にB1級に降級したのもね、クラスが下がったのが良い方向になるかと思っていたら、流れが緩くなった事でソラを使うようになって。A級・オープンの速い流れの方がこの馬には戦いやすかったんでしょうね。そして大きかったのが、オーナーさんが亡くなられた事。担当者が一生懸命に世話してくれていたからシーズンの最後までは・・・と思っていたのですが、そんないろいろがあって、この辺で切り上げる事にしよう、と(瀬戸幸一調教師)」 岩手では3シーズン、最後こそB1級でしたがほとんどの期間はA級を維持。2022シーズンも結果的には未勝利ではありましたが9戦して掲示板を外したのは一度だけの健闘でした。9歳~11歳という時期で・・・なのですから本当に頑張って走った馬。500kgを超える重量感あふれる馬体は毛艶もいつも良かった印象です。★20年11月7日『スプリント特別』優勝。これが岩手での初勝利でした そんなツルオカボルトも乗馬として第二の“馬生”を送る事になったそうです。「秋田のエクセラという乗馬クラブに行きました。ここは“引退した競走馬のその後”をどうするかという事を考えて活動しているところで、引退馬にトレーニングをして馬術の大会に出る事ができるようにする・・・とかをやってきている。ツルオカボルトもそういう道を歩めるか、ここでトレーニングしていく事になると思います。自分も学生時代から知っているところなので安心して送り出せました(瀬戸幸一調教師)」 近年は競走馬を引退した馬の第二の馬生というもの、元競走馬の“クオリティ オブ ライフ”についての関心が高まっているのは皆さんもご存じかと思います。“引退競走馬のみの馬術大会”も開かれていますよね。 先に挙げたマイネルエメもそんな道を進むかもしれません。いつかどこかの大会でツルオカボルトとマイネルエメが再会し、馬術競技で戦う・・・という姿を見る事ができるのかもしれません。 最後にもう一頭。リーピングリーズン(盛岡・櫻田康二調教師)は今年1月2日の『睦月特別』9着をもって引退、繁殖牝馬として、未来の名馬の母への道を進む事になりました。★23年1月2日『睦月特別』。リーピングリーズンの引退レースになりました「以前に在籍していた時よりも明らかに力を付けていたのが感じられて嬉しかったですね」と櫻田康二調教師。同馬はJRA未勝利の形で2019年秋に岩手移籍。櫻田康二調教師の元で2連勝してJRA復帰を果たしました。その後2勝を挙げて3勝クラスにまで出世。そこでは勝ち星が無かったとはいえ勝ち馬から1秒以内の走りも何度か見せていたように、昨秋の岩手再転入後は芝のオープン特別で勝ち星を挙げています。★19年10月19日盛岡5R優勝時。岩手で連勝、JRA復帰を果たした勝利★22年10月16日『OROターフ特別』優勝時。本馬の芝での2勝はいずれも盛岡でのものでした 勝ったのは岩手復帰2戦目でしたが馬の状態は後半にかけてむしろ上昇感があって、トウケイニセイ記念では9番人気ながら4着確保。最終戦となった睦月特別は1番人気に支持されたのですが、残念ながら差し馬不利の傾向にもなって9着。これをもって4シーズンに渡った競走馬生活にピリオドを打ちました。「盛岡の芝を勝っているしダートも悪くない成績ですからね。馬格もある馬だからきっと良いお母さんになるんじゃないかな。いつかもしこの馬の仔を預かる機会があったなら、ぜひまた一緒にやってみたいですね(櫻田康二調教師)」 最初にも書いたように他にも触れたい馬はたくさんいますがまずはこの辺ということで。 ここで挙げた馬たちのこれからの“馬生”が幸せなものになる事を祈りつつ。
2023年01月19日
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木曜担当のよこてんです。 4月1日(日)、“2018シーズン”の岩手競馬が開幕しました。★来場するお客様を出迎える騎手たち★新人・岩本騎手も参加 まもなくデビューする岩本怜騎手もピカピカの勝負服とピカピカ(?)のクリクリ頭とで登場。「なんとか(騎手免許)試験に合格しましたよ~」と言いつつも、無事「騎手」になった安堵なのか、実習中よりも表情が柔らかかったように見えましたね。★騎手宣誓直前の村上忍騎手に接近! 今年も騎手宣誓は村上忍騎手。2012年から7年連続です。宣誓は騎手会長の役目で、かつては菅原勲騎手・小林俊彦騎手が交互に務めていたりもしましたが、今のところは村上忍騎手以外にはいないのかな。ここまま10年連続・・・とかも無い話ではないのかもしれません。 ところで今年も4月1日からスタートして、昨年に続き2年連続で4月の最初の日から始まったわけですが、来年は4月1日が月曜日になるので開幕は6日になると思われ、それ以降もカレンダーの配置の関係で、次の「4月1日開幕」は2023年となります。 そしてこの4月1日から3日までの3日間の売得金が約9億700万円と、昨年同期の約6億6800万円の35%増(開幕日だけの比較では対前年比165.4%)という好成績。開幕から二日連続で3億を超えたのは自分の手元の資料を見比べる限り2002年以来16年ぶりです。 まあ、他の主催者さんを見ていると3億超えて当たり前状態なのですからこれくらいで喜んではいられないかもしれないけれど、やっぱりちょっと「おっ!?」と思ってしまう数字。 実は例年も、開幕週は売上げが良くて2週目以降はちょっと伸び悩み、それが薄暮開催が本格化するまで続きがち・・・というパターンではあるのです。今年は最初の波が少し大きかっただけなのか?それともある程度持続してくれるのか?今週末どうなるのかが気になるところです。 レースの話。まず1日に行われた3歳牝馬のあやめ賞。1番人気のスターギアが完勝して、昨年の寒菊賞と金杯でチャイヤプーンの2着に食い下がってみせた地力を発揮してくれました。★あやめ賞/優勝スターギア 同馬はこれで“岩手の牝馬には未だ先着を許さず”も継続。次戦は留守杯日高賞で遠征勢との戦いになるでしょうが、現在発表されているメンバーなら昨年11月のプリンセスカップの時の方が強敵揃いだったようにも感じ、そこで4着に食い込んでいるスターギアならそれほど大きな差は無いように思えるのですが、さてどうなるでしょうか。 2着のバレンティーノはスターギアに対して積極的に攻めていったものの、ほぼ直線だけで6馬身突き放されてしまっては・・・でしたね。これは今回のスターギアが強かったのだという事だと思います。★バレンティーノ。引き上げてきた時の佐藤友則騎手の悔しそうな表情 3着のピーベリーは前残り傾向があるコースにも助けられたかもしれませんが、最後まで粘ってみせた事でプリンセスカップの12着ではなく今回の3着が本来の力だと自ら証明したといえるでしょう。★今年のあやめ賞は馬名入りのゼッケンでした 2日・日曜の第9Rでは昨年の最優秀2歳馬・チャイヤプーンが始動。こちらも2着に8馬身差を付ける快勝で新シーズンのスタートを切りました。★チャイヤプーン 直線で抜け出したところから一気に内ラチの方へ刺さっていくというのは相変わらずやんちゃな走りですが、やはり力量は抜けているなという印象です。 この後の3歳重賞戦線、ひと足早く始動しているニッポンダエモンとの激突が楽しみになりました。 ところでこのレース、「ただの3歳A級戦」ですがチャイヤプーンは馬主服で出走しています。 新年度から岩手競馬で馬主服を使用できるレースが「ダートグレード競走」「重賞競走」「JRA条件交流競走」「上記以外の3歳馬及び2歳馬の全ての競走」へと拡大されたのですが、ちょうどこのチャイヤプーンが出走した4月2日の9R・3歳A級戦が“規定が変わって馬主服が使用できるようになった3歳の一般戦”の最初のレースだったのでした。 先週はここだけでしたが、今週末には3歳C級のレースなどでも馬主服を使用する馬がいたりします。岩手でも馬主服を目にする機会がグンと増えるのを実感できそうですね。★3日間で9勝を挙げた山本聡哉騎手★3月22日の6頭落馬事故に巻き込まれそのあとの2日間は休んでいた木村暁騎手も初日から復帰 水沢競馬場の桜の木のつぼみ。3月はまだ固かったのが一気にふくらんできていました。 水沢あたりの桜は結局、例年よりちょっと早いくらいの開花で収まりそうですが、しかしこの感じだと14日の週末あたりにはけっこう咲いてそうな気がする。
2018年04月05日
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木曜担当のよこてんです。 昨日、ムッシュかまやつさんが亡くなられました。 ミュージシャンとして非常に高名な方でした・・・などとはいまさら自分が言うまでもないのですが、岩手競馬ファンとしてはかまやつさんが「競馬のジョー」として親しまれた事、これは改めて触れておきたいと思い、古い資料を探してみました。 “競馬のジョーへカモンカモン!”という軽快なリズムと共にかまやつさんが『競馬のジョー』として降臨されたのは1999年。今から18年前になりますね。★登場初期のビジュアル。いやあカッコいいなあ あのムッシュかまやつと競馬?と最初はピンとこなかったファンもおられたのではないでしょうか。自分もそうでした。ですが、ギターを肩に競馬場のあちこちに登場してくるスタイルとあの軽やかでかつ印象的なリズムに、『競馬のジョー』の知名度はあっという間に上がっていきました。★99年クラスターカップのポスター。ビジョンの上! ファンを驚かせたのがこのビジュアルではないでしょうか。当時もう60才の大ベテランを、ビジョンの上に立たせて歌わせる。そのアイデアが凄いですが、やったかまやつさんも凄いですよね。 これはポスター、静止画ですが、動画の、ビジョンの上で競馬のジョーが動き歌うというCMもありました。 このビジョンの上、自分も上がった事がありますが、それなりに怖いですよ。“屋上”が平坦ではなく後ろに勾配が付いていて(雨水を裏側に流すためですね)、何もなければまだしも風が吹いていたりしたらドキドキすることうけあい。★ビジョンの中は確か4層★狭い階段を昇っていきさらにハッチを抜けると屋上★幅はそんなに不安ではないですが勾配が気になる感じです★スタンドでいえば3階くらいですか。そんなに高い訳ではないですけど、やっぱり高いですよねえ ところでさきほどのポスター。ビジョン全面に競馬のジョーが映し出されて・・・という構図ですが、盛岡のビジョンの解像度ではこの絵は表示できないだろうと、ビジョン部分は合成ではないかと想像しているのですが・・・。当時を知る方がいらしたら実際どうだったのか教えていただきたいです。 『競馬のジョー』シリーズは翌2000年も継続しまして、今度は“競馬のジョーでババババン!”になりました。この年は競馬のジョーが盛岡の街に飛び出したCMが面白かったですよね。 盛岡市にある川徳デパートのエレベーターで歌う“カワトク編”。★エレベーターガールも今や懐かしいものになりましたな “盛岡のソウルフード”じゃじゃ麺の有名店・「白龍(ぱいろん)」に競馬のジョーが並ぶ“パイロン編”。 競馬のジョーの歌声にあわせてエアロビを・・・の“エアロビ編”。★歌声だけでなく「はいっ!」という合いの手も印象に残るCMでした 競馬のジョーグッズも作られたはずなのですが、自分の手元には残念ながら全くと言っていいほど無い。唯一残っているのが“競馬のジョー赤ペン”。競馬場内で売っている赤ペンのキャップの所に競馬のジョーのシルエットが入っているというものです。★2006、7年くらいまでは盛岡競馬場内の売店に残っていたように思います また、これは99年のポスターですが、注目は盛岡競馬「ジョー」の部分。 競馬のジョーの広告類では盛岡も水沢も「競馬ジョー」にされていました。TVCMでもそうでしたよね。 場をジョーに変えるの、些細で簡単なようで、意外に難しい事だったと思うんですよ。例えば『東京競馬ジョー』とか『阪神競馬ジョー』とか、簡単にOK出ないんじゃないかと。 そういうノリを許す懐の深さがあった時代だった、のでしょうねえ。 岩手競馬のCMは90年代前半からOROパーク開場後まで続いた『馬の家の人々』シリーズが有名かつ大きな存在でした。ドラマ仕立てのCM、それも競馬で、という筋立てが斬新で、当時は岩手に住んでいなかった自分にも「岩手にこんな面白いCMがある」という噂が聞こえてきたほどでしたもの。 “競馬のジョー”シリーズはそれに匹敵するくらいに一般に浸透した広告になっていたように感じます。わりと冗談抜きに、あちこちで小さい子供が「けいばのじょーでばばばば~ん」とか歌っていたんですから。局地的・限定的なのかもしれませんが「だんご三兄弟」レベルの広まり方をしていたのでは。 それもきっとムッシュかまやつさんの歌声とキャラとが受け入れられての事だったのでしょう。 また、“競馬のジョー”シリーズの展開はいわゆる不条理系、直球ではなく変化球で来るパターンのものです。さじ加減を間違えると嘘くささが前に出てきてしまって破綻してしまいがちなのですが、それを絶妙な所で成立させたのはやっぱりムッシュかまやつさんのミュージシャンとしてのテクニック・存在感ゆえなのだろう、とも思います。 競馬のジョー。ムッシュかまやつさんは去って行かれましたが、あのリズムは、競馬のジョーは、岩手の競馬ファンの心の中にいつまでも残り続けるのでしょう。
2017年03月02日
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木曜担当のよこてんです。 岩手競馬で今季3回目の禁止薬物陽性馬が出たという報。自分は、A検体陽性だったという情報を耳にして、月曜日にはB検体の結果が判明するという所までを知ってオーストラリアに来たので、現状は割と一般のファンの皆さんと同じようにニュースで分かる範囲の事しか知りません。それに大きな状況としては9月に書いたこのブログと変わってはいないので、ここで新たに何かにと書き連ねる事はしません。 ひとつだけ書くとすれば、9月に2回目の陽性馬が出た後、現場の厩舎では当然今まで以上に薬物・薬品に対する注意をはじめ馬が汚染される状況を作らないように努力してきていたわけで、それでもなお3度目となって「なぜまた出たのか?これ以上何をどうすればいいのか?」と困惑する状況になっています。 当面今週末の3日間の開催を取りやめて対策をするという事になっており、できるだけ早く再開できるのが良いのはそうなのですが、ここで怖いのは「対策しました。開催を再開します」と始めた途端に4頭目が出てしまう事なんですよね。万が一何者かの悪意による“犯行”であればその可能性も否定しきれない。 そういう想像が的外れであってほしいと思うものの、否定しきれないしそうであればどういう対策が適切なのか判断が難しい。 かといって、じゃあ例えばいっそ今シーズンは開催取止めにしたところで、いずれ競馬を再開するならそういう悪意への対策も必要になる。 以前も書いたように、そこで安易に“犯人捜し”をした結果犯人を「創る」事になってしまうのも避けなければなりません。 例えば、いったん全厩舎を空っぽにして、厩舎内部もすべて検査して、以降は許可されたもの以外は持ち込めないようにするとかでしょうかね。オーストラリアの検疫のように。 いずれにせよ、再開が早ければいい、この3日間だけにとどまれば良いのですが、先に書いたように拙速は危険という気もします。自分は17日以降の開催も楽観していません。 さて。現在オーストラリアに来ている事でもあり、競馬の話もしたいですよね。 木曜日、ウォーナンブール競馬場という所に行ってきました。メルボルンから車で3時間ちょっとと遠い(こっちの感覚では「あまり近くはない」くらいのようですが)所に行ったのは、現在オーストラリアで騎乗中の臼井健太郎騎手が出走するのを見るためなのでした。★ウォーナンブール競馬場 ウォーナンブール競馬場は海辺の町の中にあって、競馬場自体は丘に囲まれた中ではありますが雲の流れ方が海の近さを感じさせてくれます。時折ウミネコ?カモメ?も飛んでくるし。★ゼッケンに「THE ’BOOL」と入っているのがここのオリジナル この日はメルボルンのフレミントン競馬場ではオークスが行われているという事で、こちらは「ウォーナンブールトヨタプレゼンツ・オークスデー」と銘打ってイベントが行われていました。 場内の各所に、例えばマウンティングヤードのすぐ脇とかに車が止まっていて、なんだろうなと思ったら新車の展示なんですな。★最初「開催中なのに中に車停めてるの?」と思ったら展示だった こういうイベントの際は必ずと言っていいほど行われる「ファッション・オン・ザ・コース」も優勝者には総額3350ドル相当の各種賞品(ホテル宿泊券やエステパッケージ、商品券など)が出るという事で大賑わいでした。★「ベストドレッサー」部門と「スペキュタキュラーハット(帽子)」部門で入賞したレディーたち さて臼井騎手。登場したのは4R、BM58の2000m戦。6頭立てから一頭取り消して5頭立てのレースです。臼井騎手が騎乗するDodge Cityは、一頭出走取消になったことでレーティング最上位にもなって単勝1番人気に推されていました。★騎乗前、調教師と話す臼井騎手★パンツの表記は「KEN USUI」 レースは、道中は後方追走から徐々に押し上げ、3~4コーナーで外から逃げ馬に迫っていったあたりでは前をとらえられそうな手応えに見えたのですが、そこから伸びきれず最後は3頭一団の2着争いの中でもみ合って結果は3着。ちょっと惜しい感じの競馬でした。★2着争いの真ん中にいるのが臼井騎手 このレース、スターティングゲートの位置が間違っていたのを発走直前になって修正するというなかなかめったに見ないトラブルがあったのですが、臼井騎手にあとで聞いたところ、ゲートに入る直前になって修正すると移動して置きなおして、それでもともと気負いやすい馬が余計気負ってしまったのも影響したかもしれないという話。 とはいえ「勝てるレースを落としてしまったので絶対後で怒られます・・・」とヘコみまくりの臼井騎手。これも勉強だと思って頑張ります・・・と言い残して去っていきました。★ヘコむ臼井騎手 ちなみに臼井騎手も現在メルボルンに住んでいるのでここウォーナンブールまでは「一人で、車で来ました」とのこと。そういう移動は大変だけど車の運転は好きだからどこでも苦にならないですよ。こちらの食べ物も自分には合うみたい。そんな事を話す臼井騎手は、前に日本で会った時よりも少したくましくなったようにも感じました。 高橋悠里騎手が韓国に行った時も思ったのですが、一人で海外で戦っているとやっぱり日本で乗っている時とは雰囲気が変わってくる気がしますね。とりあえずは元気で生き抜いて欲しいですな。
2018年11月08日
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木曜担当のよこてんです。 姫路競馬再開、おめでとうございます。おめでとうと言うのも変か?でも実質的に久しぶりの“新競馬場”オープン。SNSのタイムラインにも現地からの楽しそうな投稿が多く見られて何よりです。 京都に住んでいた頃は園田にはちょいちょい通っていましたけども姫路はちょこっと行くには少し遠くて、実は一度も行ったことがありません。そうこうしているうちに岩手に来てしまったし姫路競馬も工事休止になってしまったので寄る機会がないままで。もうちょっと落ち着いた頃に行ってみよう。 時に、1月17日は阪神大震災が起きた日ですね。 1995年のその時、実家の親が京都の自分の家に来ていまして、17日の伊丹発の飛行機で帰る予定だったんですよ。京都市内は全く平穏そのものでしたが鉄道もバスも動いていない。ただ、翌日になれば阪急が動き出すから、ということを聞きつけて、慌てて街中の旅行代理店に行って予約を変更したりして。 翌18日に大阪に出ました。空港行きのバスを待つ間に駅の近くでお昼でも、と探したのですが、どの店も開いていない。普段なら他の人を避けずには歩けない梅田の地下街も、東大通の商店街も、歩いている人がほとんどいない。真っ昼間にあんなガランとした梅田の周辺を見たのはあの時だけです。 その阪神大震災から25年も経ちました。当時神戸に住んでいて震災を生き延びた友人の中には、既に自分より先に世を去ってしまった人もいます。 震災の日の京都の、人通りが少なくてガランとした河原町の通りにパチンコ屋の音楽ばかりが響き渡っていた光景。あるいは普段の深夜よりも人気が無かった梅田の街の光景。今でもはっきりと記憶に残るあの時を思い出すにつけ、時間が過ぎる速さを改めて感じさせられます。 さて、今回は数字のお話。岩手競馬の1月7日までのシーズンの発売額が360億円を超えた、というところから始めましょう。■2019シーズンの発売額は360億円。21世紀最高額突破も夢ではない 平成に入った1990年頃には700億円にも迫った岩手競馬の発売額でしたが、その後は後退基調が続いて2002年(盛岡での最初のJBCが行われた年)は442億円、廃止問題で揺れた2007年には233億円に。そして東日本大震災が発生した2011年には146億円にまで減少しました。 しかしそこからは上昇基調に入り、2014年、二度めのJBCが行われた年に252億円、翌年は反動で一旦下がったものの2016年には264億円まで上昇。そして2019年が360億円超えが確実になっていますので、その2016年よりも100億円ほど増加した・・・という事になりました。“21世紀最高”は2001年の457億円。来シーズンはその突破が、21世紀最高の更新も夢ではないところまで来ました。岩手競馬的な“失われた20年”もようやく克服できそうな手応えです。■しかし他主催者と比較するとかなり心もとない 売上が伸びることは良い事です。良い事ですが、他地区の状況に目を向けると安穏としていられないのが分かってきます。★表1/地方競馬各主催者の年間発売額推移(単位:億円)★表2/同、1日あたり発売額の推移(単位:億円) この表の数字はNARウェブサイトで公開されている「地方競馬開催成績」から暦年(1月から12月)の成績を過去5年間で比較したものです。岩手は年度で発表するので若干の差異がありますが、「2019年度」の数字がまだ分からないのでここでは暦年の数字で表を作っています。★表3/年間発売額の伸び率★表4/1日あたり発売額の伸び率 この辺は、元々の発売額のマスが大きい南関東の主催者だと大きめの数字が出にくいという事を念頭に置いて見ていただけたらと思います。また、2015年の数値を出したいので2014年の数値も使っております。 岩手競馬は2015年から2019年で年間約127億円・1日あたり1.35億円が増加してはいますが、他の主催者のそれと比較すると心もとないですよね。 伸び率にしても他の主催者が15%増・20%増を普通に出しているのに岩手はまだそういう年がありません。 以前にもこのブログで触れましたが、年間伸び率の10%と15%、15%と20%の差は利子の違いのようなもので、あっという間に差が付いていきます。つい最近まで年間100億円以上の差があった門別や帯広にいまや追い越されそうなのはこの伸びの差の部分の影響です。■“ナイター化”の流れに乗り遅れたのが要因ではないか★表5及びグラフ/2014年を1とした時の年間発売額の伸び★表6及びグラフ/2014年を1とした時の伸び・1日あたり発売額 表とグラフを見比べていただきます。高知の伸びがダントツですね。岩手は、2014年がJBCの影響で高めに出ているので数値上不利になる部分がありますが、それでも年間発売額の伸びで全主催者中最下位です。 1日あたりにしても、元々が大きいために伸び率が小さくなる南関東4場以外では下から2番目。 細かい数字が多くて申し訳ないですがちょっと見ていただくと、岩手の数値の中で2016年と2017年の伸び率が悪いのがおわかりでしょうか。去年や一昨年も決して良いとは言えないですが、この2年がダントツに低い。 これはおそらく“ナイター化”の流れに乗り遅れたせいではないかと想像します。 門別と高知が通年ナイター化したのが2009年、園田の「その金ナイター」が2013年。船橋競馬のナイター化が2015年。この表の中で目につく伸びを見せているのはこれらの主催者です。 岩手にしても実質的に秋シーズンだけの照明利用ながらも、2018年以降の発売額には好影響が出ています。 JRAと競合する週末は特に「地方競馬はナイター」という認識が定着したのがこの2016年・2017年頃ではないか?何度か計画の俎上には上がりながらも照明設置が遅れた岩手はこの2年間で出遅れたのではないか?というのが容易に想像できる比較になっているのではないでしょうか。■売上増が望めるのであれば恐れずナイター化に舵を切ってもいいのではないか 週末に限れば帯広と高知がナイター開催をしており、佐賀もこれに加わるでしょう。そのうえ“パイ”が残っているのか?は当然心配な事項です。 ただ、岩手競馬とJRAの開催が重なる土日、早い時間帯の岩手は1レースあたり1000万円とか1500万円とかしか売れていません。それがJRA終了後の時間だと、重賞でもなんでもない一般戦でも4000万・5000万と売れるわけです。 高知なんかも同様です(引き合いに出して申し訳ない)。JRAとかぶる時間帯は1000万円を下回ったりする。これだけ売上が伸びている今でもです。そして遅い時間ほど増えていく。 高知で一番売れるのは最終レースだったりします。つまりその日の最後のレース、「最後のひと勝負」を狙うファンが殺到する。岩手がより遅い時間帯にレースを移すにしてもそんな「当日最終」を獲れなければ、高知のような伸びは望めないでしょう(ミッドナイト競馬とかまでいけば別かもしれませんが)。 しかし、今の土日の1R・2Rで足して3000万円も売れないのが、例えば全体に1時間遅くすることで(遅い時間のレースが増えることで)5000万・6000万に変わるとすれば、岩手的に“負け”では無いと言えるはずです。物足りないかもしれませんが今よりは増える。 開催がかぶる点についても、考えてみてください。かつてJRAが3場同時発売を始めた頃は「同時に3場なんか慌ただしくて買えない」という声が多かったのが、いまや「2場では少ない・物足りない」といって3場開催が待ち望まれるくらいではないですか。 岩手の場合は冬季間のナイターは非常に厳しいでしょうから、さしあたり春秋のJRAG1シーズンに“できる限り遅めの時間帯まで展開”という事にして、なんとなれば1~2年間の試行という形でも良いと思います。真夏の間は完全ナイターにもして、東北の夏祭りを見に来た観光客に「さんさの後は岩手競馬を」というアピールをする・・・というのも良いんじゃないでしょうか。■体力をつけるために少しでも“稼ぐ”事を 少しでも稼いだほうが良いと思うのは、構成団体からの融資返済ももちろんですが、これからの競馬は「働く人集め」が重要になると考えるからです。 例えば騎手不足は慢性的ですし、厩舎で働く厩務員さんなんかも現時点ですでに高齢化が進んでいる。 それは岩手に限らないでしょう。「働く人が足りなくて競馬開催が満足にできない」という状況になってしまうのもそんなに遠い将来の話では無いのではないでしょうか。 それに対しては賞金・手当の増額も重要ですが、例えば古い厩舎を建て替える、ウォーキングマシンやトレッドミルを導入する事で労働環境を改善したり、古くなった宿舎や関係施設を改築改修する事で“働いてみたい環境”を作っていくことも重要だと思います。もちろん“馬を預けたい環境”もです。 今の岩手は「ここに馬を置きたい」「ここで働きたい」という魅力に欠ける。ただでさえ常時輸送競馬で拘束時間が長くなるわ、冬は寒いわ、冬休みがあって収入が減るわでハンデが大きい競馬場なのですから、他以上の魅力がないと人集めで負けてしまいます。 ナイター化で、あるいは薄暮延長でも良いのです。売上を伸ばせる可能性があるのならそれをとって、売上を増やして体力を付け、岩手競馬の魅力に変えていく。そういう明るい未来が見える2020年になってほしいと願います。
2020年01月16日
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木曜担当のよこてんです。 今回は“岩手競馬史上初の女性騎手による重賞制覇”の話題。 10月22日に行われた『OROターフスプリント』。芝コースの状態悪化のために当初予定されていた芝1000mからダート1000mに変更される事が事前に発表され、これも当初予定の遠征馬はじめ出走予定馬関係者に対してダートでも可か?と意思確認したうえで枠順が決まり・・・と異例な事が多かったORO“ターフ”スプリントでしたが、“芝を経験させてみたかったけど、実績的にはダートも悪くないので”という遠征馬もいたりして、結果としては遠征馬4頭・地元馬8頭の12頭の戦いとなりました。 そしてレースの結果としては、2番人気に推された川崎・マッドシェリーが逃げ切りV。同馬だけでなく鞍上の神尾香澄騎手、同馬を管理する山田質調教師のいずれもが初重賞制覇という嬉しい勝利に。★ダートで行われたOROターフスプリント。川崎マッドシェリーがV 好発からハナを奪って、しかし道中は内外から虎視眈々狙ってくる馬がずっとついてきていて、そんなついてきている馬の方が手応え良く見えるようなシーンもあって、決して楽な逃げではなかったと思うのですが、最後はライバル達をしっかり振り切ってゴール。 マッドシェリーの上がり3ハロンは34秒9、勝ちタイム58秒1は盛岡ダート1000mのレコード。鞍上は女性騎手でしたが重賞のため減量は一切無し。それでこの結果ですから見事な勝利と言って良いはず。 レース後、「とても思い入れがあって思い出も多い馬。その馬で重賞を勝てて本当に嬉しい」と語っていた神尾香澄騎手。★出迎えた関係者の姿を見て思わず・・・の神尾香澄騎手でしたが、★口取りを撮る頃には笑顔が戻っていました というのも、山田質厩舎は自身の所属の厩舎、マッドシェリーはいわゆる“自厩舎”の馬で自分のデビュー前から調教に乗ったりしてきて、自身の初勝利もこの馬で挙げたもの。3回目のコンビがその初勝利、そして18回目のコンビでの戦いが今回の重賞制覇。それは嬉しいですよねえ。★騎手が馬にまたがって・・・の口取り、岩手では撮る人がほとんどいなくなったのでちょっと新鮮 そして。この勝利は冒頭でも触れたように“岩手競馬史上初の女性騎手による重賞制覇”でもありました。 “女性騎手の特別勝ち”は岩手競馬でも複数ありますし、“重賞騎乗”という事も、なんならJpnⅠでの騎乗も何度かあります。ですが重賞制覇は今までなかった。 そんな事をレース後にSNSに書いたところ「高橋優子騎手が重賞を勝っているのではないか」という指摘をいただきました。良い機会ですのでその辺の歴史を振り返っておきましょう。 5年あまりの現役期間の間に203勝を挙げた天才騎手。と同時に、わずか25歳で夭折した幻の騎手。しかし高橋優子騎手の天才性は203勝という数字だけではなく、早くから男性騎手に伍して大レースを制してきた点に表れていました。 1969(昭和44)年5月に実戦デビューした高橋優子騎手は翌1970(昭和45)年8月の『日高賞典』をニュースターエイト号で、同年11月15日には『農林大臣賞典特別』をツルハゴロモ号で優勝しています。 前者も1着賞金35万円の当時としては高額賞金のレースでしたが後者は同50万円。当時の盛岡・水沢に1戦ずつ設定されていた『農林大臣賞典特別』がそれぞれの競馬場での最高賞金レース。そして1970年と言えば小西重征騎手・平澤芳三騎手の全盛期に加えて、先日亡くなられた村上昌幸騎手(※いずれものちに調教師)がデビュー年にいきなりリーディング3位とこちらもまた“天才”の片鱗を見せていた強豪揃いの年で、そんな中でデビューから実質2シーズン目の女性騎手が最高賞金額の大レースを制したわけですから、それはもう高橋優子騎手の凄さがうかがえる・・・というものですよね。 さて、1970(昭和45)年の『日高賞典』。これが旧日高賞(1999年まで行われていたアラブ4歳馬の重賞)の直接の祖先とされていて、レース回数のカウントも1969年に行われた最初の『日高賞典』から加算されていました。そのため旧日高賞の歴史では「第2回日高賞」の優勝騎手として高橋優子騎手の名が記載されておりました。★『岩手競馬競馬手帳1996』より。かつて毎年制作されていた競馬手帳での記載 関連する話を書き連ねていたら妙に長くなってしまったので結論を先に書くと、この時の『日高賞典』はまだ重賞ではありません。 岩手県競馬組合が創立20周年記念誌として1983(昭和58)年に発行した『いわての競馬史』によれば「重賞」・「特別」の競走が設定されたのは1973年、そして1975年になって“特別競走で始まった「日高賞」、「不来方賞」も重賞競走に組み入れられた”(「いわての競馬史」P249~P250)との記載があります。同誌に掲載されている各年の主要レース勝ち馬欄でも、1974(昭和49)年時点では日高賞典・不来方賞典には“(重賞)”の注釈がありませんし、1着賞金額からも“普通の特別”だった事がうかがえます(時系列がちょっと行ったり来たりしてしまいますが、それには別の理由があります。後述)。★『いわての競馬史』P190より。昭和49年時点では日高賞典特別に『(重賞)』の記載が無い という事で“高橋優子騎手が勝った時の『日高賞典』は、その当時の重賞級の大レースではありましたが、重賞競走にはなっていなかった。重賞競走とされたのは1975年から”となるわけです。 以下、関連する話をいくつか。●1968(昭和43)年までは「知事賞典」であったり「盛岡市長賞典」であったりと副賞名がつくくらいだった、もっと前は「けいがA」とか「平地B」とか単にクラス分けだったレースに固有名がつけられたのが1969(昭和44)年。『駒形賞典』『日高賞典』『岩鷲賞典』『不来方賞典』の4レースが設定されました。いずれも1着賞金25万円、「A級イ」とされているので最上位クラスの設定だったようです。●日高賞典はのちに『留守杯日高賞』になった際に回数がリセットされ、駒形賞典はのちに特別競走になったことで現在は回数表示がされていませんが、不来方賞・岩鷲賞の今年55回の表示はこの時からカウントされているわけですね。●1970年頃の岩手競馬は競走馬数の不足を理由としてサラ系・アラ系混合でレースが行われており、血種別に分離されたのは1971(昭和46)年から。なので高橋優子騎手が勝った際の『日高賞典』もサラ・アラ混合の設定だったはずです。●固有名をつけたレースだけでなくさらにグレードの高い設定を・・・と、1973(昭和48)年、この年に重賞競走が設定されました。既に登場していた岩鷲賞、駒形賞に加えて『みちのく大賞典特別』、また盛岡・水沢両競馬場での高額賞金レース『農林大臣賞典特別』が重賞となりました。●やはり1970年頃は競馬場の入場者数・発売額共に右肩上がりで増加していた時期。 1967(昭和42)年には開催日数78日・入場者数約9万5千人・発売額約10億円だったものが、6年後の1973(昭和48)には開催日数90日・入場者数44万7千人・発売額は112億円あまりになっています。 発売額の増加にはインフレ分もあったでしょうけども入場者数の激増ぶりはなかなかですよね。特別戦に固有名をつけたり、重賞・特別を設定したりしたのは、そんな増加するファンに向けてより魅力あるレースを・・・という狙いがありました。●1975(昭和50)になるとほぼ全てのレースが固有名を持つようになり、今にも続く桐花賞やシアンモア記念、金杯などはこの年に生まれています。 『農林大臣賞典特別』は、1973年・1974年に実施された際に盛岡のものがサラ系、水沢のものがアラ系の競走として設定されていたことから、それぞれが1975年から第1回として設定された桐花賞・紫桐杯の前身になったと見て良さそうです。●不来方賞と旧日高賞には謎があって、1972(昭和47)年・1973(昭和48)年に実施された記録が残っていません。そのためレース回数は1969年からカウントされているものの、この2年分は記録は空欄、回数だけ進んだ事になっています。当時の専門紙が残っていれば、たどっていけば判明するのかも・・・。 高橋優子騎手と日高賞典の話の方が多くなってしまいました。結論としては「岩手競馬史上初の女性騎手による重賞制覇」の栄誉は神尾香澄騎手にある事、高橋優子騎手も今でいえば重賞級の当時の大レースを制していますがその時はまだ「重賞」ではなかった事。改めて確認しておこう、というお話でした。
2023年10月26日
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木曜担当のよこてんです。 12月3日、全レース終了後の水沢競馬場パドックにおいて木村暁騎手の引退セレモニーが行われました。★引退セレモニー、胴上げされる木村暁騎手★寒い中たくさんのファンが待っていてくれました これに先立つ11月17日、地方競馬全国協会から発表された『令和5年度第2回調教師・騎手免許試験 新規合格者について』で木村暁騎手の調教師試験合格が発表されて、11月いっぱいで騎手を引退、12月1日から調教師となることが明らかになっておりました。 ファンの皆さんはお気づきだったかもしれません。今年二度ほどかな、木村暁騎手が“家事都合”という理由で騎乗していなかった時期があったことを。その間は調教師試験のために教養センターに行ったりしていたわけですね。 木村暁騎手は2002年のデビュー。同期の齋藤雄一騎手が一足先に調教師に転身しているんですけども、両騎手は自分が岩手競馬の仕事を本格的に始めてからデビューして、自分からするとデビュー戦から見ている騎手でしたから、齋藤雄一騎手の時も思いましたが“ついに引退かぁ”“もう引退かぁ”と、ちょっと感慨深いものがあります。 ということで今回は木村暁騎手のこれまでを振り返ってみようというお題であります。 木村暁騎手のデビュー戦は2002年4月20日の水沢5R。ヴィノロッソ号に騎乗しました。その結果は10頭立て10着。“ほろ苦いデビュー戦”ということになるのでしょうか。★2002年4月20日水沢5Rでのデビュー戦。結果は10着 初勝利は同年4月29日の4R、ロイヤルエリート号に騎乗して挙げました。デビューから7戦目の初勝利。 初勝利後のインタビューを見ると「同期で他に勝っていた人がいなかったので自慢できた」とのコメントが。同時に「早くもう1勝したいが、勝つことに焦りすぎているかも」というコメントもありました。 実際そうだったのでしょうか。2勝目は7月28日の盛岡1Rとなっています。 その後はまずまず順調に勝ち星を挙げて、1年目は通算11勝でシーズンを終えた木村暁騎手でした。 ちなみに齋藤雄一騎手は、デビュー日は同じ4月20日でしたが初勝利は6月1日。初めての勝利は木村暁騎手の方が1ヶ月以上早かったんですね。ただし2勝目は齋藤雄一騎手は6月29日。こっちは逆に1ヶ月以上早い。 同期の齋藤雄一騎手の1年目は通算12勝。初勝利や2勝目やらが前後しながらもシーズンは同じような勝ち星で終わるのが“同期”らしいというかなんというか。 木村騎手の騎手人生、その序盤に大きな影響を与えたのが度重なる怪我です。改めて振り返ってみると、・2003年7月5日、水沢4Rで落馬負傷して同年11月29日まで離脱・2006年10月7日、盛岡8Rで発走前に負傷し翌年春まで離脱・2007年は4月16日まで騎乗したが負傷、この年も翌年まで離脱・2010年7月4日、水沢6Rで落馬負傷、同年10月23日まで離脱 この後は長期間の離脱がなかったものの、廃止問題や東日本大震災もあった時期ですし、デビューから10年ほどの間“流れが悪かった”のは本当に痛かったですよね。 これについて木村暁騎手に「どんな怪我だったか」をうかがったのですが、2003年は「850mの新馬戦で内ラチに突っ込んでしまって右腕の尺骨複雑骨折。他の所から骨を移植したけれど、それがうまく付かなくて」。2006年は「枠入れの時にゲート裏で馬が転倒。その右手の上に馬が落ちてきて・・・」。2007年は「肩甲骨を折ってしまった」。 さらっと話してくれましたが、文字にしてみると“よく生きていたな・・・”と思う怪我ばかり。木村騎手も「一番アピールしたい時期に乗れない時期が続いたのは堪えたね。騎手をもう止めようと、真剣に考えていた」とこの頃を振り返ります。 初めての特別勝ちは2006年7月24日・盛岡10R『南昌山特別』。当時はB2級牝馬・ダート1800mという条件で行われていたレースをキタノソナタ号で勝利。同馬では9月17日に行われたB1級芝1700m『八幡平特別』も制しています。自分はこの頃はレース写真を撮ってないので残念ながら手持ちの写真はありません。 自分の手持ちにある特別勝ちは2008年4月14日水沢10R『大屋梅賞』。コスモパライソ号は2番人気での勝利。★大屋梅賞の表彰式で。若い! 2012年には『南昌山賞』、C1芝1600mと条件やレース名が少し変わった“南昌山特別”をバクソクトレイン号で制しています。★2012年の南昌山賞優勝時 木村騎手というとけっこう「芝」のイメージがあるんじゃないでしょうか。実際各シーズンの成績を見てみると芝未勝利で終わっている年もまあまあ多いのですけども、芝での勝率・連対率がダートでのそれを上回っているような年もありました。 芝でも1000mや長距離はあまり勝って無くて1600mか1700m、なかではやはり1600m。人気薄も多そうなイメージですがはたして??★2018年のダイヤモンドカップではエルノヴィオで2着 重賞はなかなか勝てなかったですね。2着まではわりとあったんですけどもなかなか「1」には届かず。ついに届いたのが、皆さんもご存じの通り昨年のシアンモア記念。木村騎手も重賞ウイナーの仲間入りとなりました。「ここまで長かったけど、伝統のある重賞が初めてのタイトルになったのが嬉しい」とはその時の木村騎手のお話。★木村暁騎手にとって待望の初タイトルは昨年のシアンモア記念でした。赤松杯も惜しかったですよね 木村騎手の昨年、2022年シーズンは、重賞勝ちだけで無く勝ち星も自身シーズン最多の85勝でリーディング順位は6位、それも勝率・連対率でもしっかり6位確保。“質・量”ともにレベルの高い、木村騎手自身にとっても「乗れている」と感じるシーズンだったようです。終盤ちょっと息切れの形にはなりましたが、秋の初め頃までは自身初の100勝も狙えそうな勢いでしたものね。 それだけに今年になっての引退はちょっともったいない気もしますが、調教師試験を始めて受験して一発合格ってなかなか無い事ですからね。これも運命の流れというものなのでしょう。 今年の11月13日・盛岡9Rではユキノマツシマ号で優勝して自身の地方通算700勝達成。この時はまだ試験結果の公表前でしたが「間に合って良かった」と話していたのが記憶に残っています。 騎手としての最後の勝利は2023年11月21日・盛岡6R、ハッチャキコク。3連単18万円あまりの高配当をたたき出す木村騎手“らしい”勝利。★騎手としてのラストウィンでも万馬券をたたき出す そして最後の騎乗は11月28日の水沢12R、エイシンヌチマシヌ号でした。騎乗最終日はこの1レースのみの騎乗、それも当日の最終レース。結果は7着でしたが、最後まで見守ってくれていたファンの皆さんに良いお別れになったのではないでしょうか。★騎手としての最後のレースに向かう木村暁騎手。レース後は馬上からファンの皆さんへサヨナラ また、これは自分語りですけども、「騎手として最初のレース」と「最後のレース」、「初勝利」と「最後の勝利」を現場で見ることができたのは、こういう仕事冥利に尽きるのかなとも思います。そういう事もあっていろいろと感慨深いですねえ。 さて木村暁調教師。12月1日免許交付でなるべく早く厩舎の準備を始めたい希望だったそうですが、現状水沢競馬場に馬房の空きがないので年明けまで待つとのこと。例年2月10日頃になる、来季に向けた調教はじめの頃までには準備を整えて、3月の特別開催から出走・・・という流れになりそうです。 来春、「木村暁厩舎」のデビュー戦を、そしてその先の活躍を、楽しみにしながら待ちたいと思います。木村暁騎手の騎手生活を振り返るお話、こちらのインタビューでもけっこういろいろ語っていただいているのであわせてご覧ください。
2023年12月07日
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日曜日担当の高橋華代子です。 成田漬物支援プロジェクトをご存知ですか? 成田市で漬物製造業を営む『成田漬物本舗』さん。 伝統的な製法を守りながら、地元の野菜を使ったおいしいお漬物を提供しています。 現在は、船橋競馬場や川崎競馬場などにも出店。 出張販売所には、きゅうりの浅漬けなど、おいしいお漬物を中心にした食品がズラリと並んでいます。 お漬物も美味しいですが、店長さんのお人柄がとても優しくて、接した誰しもがファンになってしまうと思います。 店長さんはお漬物と地元を愛しているのが、ものすごく伝わってくる方。 店頭に並んでいるお漬物について質問すると、とても丁寧に教えてくださり、本当にありがたいです。 そんな成田漬物本舗さんが、クラウドファンディングを始めました。 『漬物の未来を守る!食品営業許可取得のための設備整備プロジェクト』 告知文から抜粋すると、 食品衛生法の改正にともない、漬物製造業も食品営業許可が必要になり、営業許可を得るためには法の基準を満たす設備の整備が必要となったそうです。 期限は今年の5月末日まで。 それまでに許可を取らないと、6月以降の漬物の製造ができなくなり、そのままでは名物の浅漬けも製造できなくなるため、支援をいただきたいということです。 詳細はこちらをご覧ください。 名物、きゅうりの浅漬け。とっても美味しいです。食べはじめたら、とまらない(^^;↓ 店長さんのメッセージとして、 「このプロジェクトを通じて、私たちはこれまで以上に安心して美味しい漬物を皆様にお届けしたいと心から願っています。そして、地域の食文化を守り、さらにはそれを次世代につなげていくことが私たちの使命だと考えています。皆様の温かい支援が、私たちの想いを形にする大きな力となります。どうか、ご支援を心よりお願い申し上げます」 私も少しばかりですが支援させていただきました。 これからも成田漬物本舗さんの美味しいお漬物をいただくことができますように。 成田漬物本舗さんのX(旧Twitter)はこちらです。
2024年04月21日
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金曜日は古谷が担当します。 昨日のホッカイドウ競馬は、霧で今年初のレース中止になってしまいました。濃霧のため、上がり3Fを主催者発表が「非計測」となった8Rと10Rは、自分が計測したものをブログで記しています。今後のレース予想の参考にして頂けたらと思います。 霧で見えない…ながら、3コーナーの映像は残り600mでの各馬の位置取りは把握できますので、時計を採ることは決して不可能ではありません。実際、4月29日は高知にいて、昨日は東京にいながら時計の採取をしています。10Rは1700mのレースですが、向正面の映像から何とか頑張って前半3Fを出しました。 門別競馬場のハロン棒の位置から、この辺りを通ればおおよそ前半3Fになる…と思い描く形ですので、こちらは上がり3Fより信憑性はないと言われてしまえばそれまでですが、大きなズレはない自負はありますから、ペース判断での参考にはできますし、何よりこのレースは「函館2歳S」の権利獲りレースだという特性を考えると、頑張って時計を採らなければ…という個人的な意地もあります。何度も前半3F部分をチェックし、この辺りの時計だろうなと出したもの、そして各馬の位置取りから出しました。(6月25日の8Rと10Rの3Fを出す過程のメモ書き) さて、太田さんや坂田さんのブログと重なる面もありますが、北海道にいる身とすればやはりJRA函館競馬が開幕したことは、本格的な夏競馬を告げるものとして嬉しいニュースです。(開幕日の土曜日。信号を渡り、入場門へ向かうところ)(フリーパスの日曜は、朝から多くのファンでにぎわっていました) 土日とも「ビギナーズセミナー」の講師を担当しましたが、土曜は坂田さんと交互に、日曜は村本浩平さんと馬サブローの木村拓人さんと配分をしながら行いました。(今年はブースができました) 昨年は入口を入って右手すぐに、仮設の仕切りを作って行っていましたが、今年は開催全日、ビギナーズセミナーを実施することになりましたので、4コーナー寄りの「風の広場」にブースが設置されました。この場所にほぼ1日いることになりますので、芝1800mのレースだと、スタート地点の真ん前なので、かぶりつきでレースを見ることもありました。(土曜の最終レース。少し日が暮れて暗く感じるかもしれません)(ダート戦も、遠く感じるとはいえ迫力はあります!) 仕事で競馬を見るようになると、こうした位置でレースを見る機会も段々減ってきます。ビギナーズセミナーを手伝っているバイトの方々と、合間の時間にレースを一緒に見ましたが、目の前で馬が走るシーンを見て興奮している姿を見ると、新規ファンの獲得につながるものだと感じます。また、ファンの声を間近で聞くこともできるので、楽しくレースを見ることもできました。 そして、今年はビギナーズセミナーの講師陣が、当日のメインレースの予想を、昨年のビギナーズセミナーを実施した場所(入場門をくぐって右手)に「本気予想」と題して掲載されています。馬券の参考に…という形で今までにない企画です。こちらも開催全日、日替わり講師で実施しています。 7月4日には、ホッカイドウ競馬から2頭の3歳馬が芝を求めて参戦します。函館2歳Sにも当然ながら、最大3頭の2歳馬が出走します。その権利獲り最終戦となる、全国初の2歳重賞「栄冠賞」が30日に行われますが、例年以上にハイレベルな戦いを期待できます。ぜひ、お見逃しなく!
2015年06月26日
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木曜担当のよこてんです。 南部杯も終わってひと息ついた所で、今回はいつもとはちょっと違うネタを。 地方競馬の騎手たちは騎手服・勝負服といわれる服を着てレースに臨みます。JRAなどの馬主服とは異なり騎手固有の服ですから、通常はレースの度に同じ勝負服で出てくる・・・事は皆さんもご存じでしょう。 しかし、何レースも連続で騎乗しているのにいつも綺麗な勝負服を着ている。雨の中のレースでびしょ濡れになってもすぐ綺麗な姿で出てくる。もちろん騎手たちは勝負服を何セットか持ってはいます。ですがそれだけでは足りないはず・・・。 という事で今回は、レースの間に勝負服を洗って綺麗にしてくれる従事員さんたちの活躍ぶりをお伝えしようという話題。 さあレース終了しました。 レースが終わって騎手たちが引き上げてきます。三々五々と戻ってきた馬から降りた騎手たちは、馬具を外して後検量へと向かいます。 一方、そんな騎手たちを待ちかまえている人たちが。それが従事員さんたち。馬群がゴール板を駆け抜ける足音が聞こえる頃にはそれぞれのポジションで待機完了。■騎手が戻ってきました■勝負服やプロテクターは脱いだその場で従事員さんに渡します■腹帯や鞍下に入れるスポンジはそれぞれ別に■渡されたものから早速洗濯開始です■そうしている間にも戻ってくる騎手がいます。脱いだ勝負服はどんどん洗い場へ このまま勝負服を追いかけましょう。手洗いが終わった勝負服は洗濯機に移されて、すすいだり脱水したり。二槽式洗濯機大活躍。■洗濯機の中でグルグル回る勝負服 脱水が終わったら乾燥機へ。ここまでの所要時間は約10分!■今度は乾燥機の中でグルグル 乾燥機の設定時間は「12分」という数字が見えますな。 スポンジもこの間、鞍下用と帯下用に分けて洗濯中。手洗い→洗濯機で脱水の流れは勝負服とだいたい同じ。■洗うとけっこうな量の砂が出てくる 洗いから脱水までこちらもほぼ10分。脱水後はさらに外で干すことも。 腹帯は?こちらも手洗いです。騎手が置いていった腹帯は従事員さんが一本一本たわしでこすって綺麗にします。■台車に積んで運ばれる腹帯■一本一本手洗いで綺麗にしていきます こちらはだいたい15分くらいで洗濯終了。物干し竿にかけて乾かしておきます。洗った順(使った順)に乾いていくのを、騎手たちが頃合いを見て引き取りに来るという形。 しかし、見ていると従事員さん達は素手で洗剤を扱っている。何か特別な洗剤かと思ったら普通の洗濯洗剤だそうで。手が荒れませんか?って聞いたら「うーん、大丈夫かな~」。その辺もなんだかベテランっぽい。確か水沢の洗濯チームの従事員さんはゴム手袋を使っていたような。■乾燥終了 さあ、勝負服の乾燥が終わりました。綺麗になった勝負服は、従事員さん達が畳んで騎手の道具棚に配って、終了。ここまで、レースが終わった騎手たちが勝負服を脱いでいってから洗い終わって畳み・配布も終わるまで、約25分!でした。 他地区からの遠征騎手などでどうしても急ぎで、という時は特別に速く仕上げてもらえるようです。特急仕上げも応相談。 一連の作業を横で見ていると流れ作業が非常に手際よく、「あっという間に終わった」感しかないのですが、しかしこの頃にはもう次のレースが発売締め切りになろうか・・・というタイミング。ひとつ終わったと思えばもうほどなく次のレースの騎手たちが帰ってきて、また同じ作業が始まるわけで、1日のレースの数だけその繰り返し。そう思うとなかなかの激務ですねえ。■腹帯を取りに来た鈴木祐騎手。必要なものは基本的に騎手が揃えて前検量に向かう 後はここに写ってないもので、ズボン。騎手曰く、ズボンはよほど汚れない限り一日同じものを履いている事が多いとの事で、一日の騎乗が終わった所で洗濯をお願いするそうです。■ハンガーに掛けられた勝負服 ハンガーに掛けて置いている勝負服も結構あるんですがこれはなぜかと騎手に聞くと、今の勝負服は吊しておくと伸びるのでそれを気にする人は畳んでもらうようにお願いしている、あまり気にしない人や、古くなって能検の時にしか使わないような勝負服(伸びてもいいもの)はハンガーに掛けて返してもらう・・・なのだとか。 騎手一人がだいたい3~4枚の勝負服を持っていてローテーションで使用する。1枚の勝負服の寿命は2~3年、とも。 勝負服などの洗濯は岩手競馬に限らずどこの競馬場でも行っている作業です。しかし場によって従事員さんが行う作業の範囲とか作業の流れとかに違いがあって、横で見ていて興味深い部分でもあります。■福山競馬場の物干し棚。年季が入った感じの造りでした■園田競馬場は検量室の横に勝負服が吊してある 1日11~12レース、毎回毎回騎手たちが綺麗な勝負服でレースに挑む事ができる背景にはこういう従事員さん達の頑張りがあるという事を、レースを見ながら思いだしていただければ幸いです。
2016年10月20日
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木曜担当のよこてんです。 先週予告した様に、今回は馬運車編その2!です。 水沢競馬場で開催がある時は、盛岡競馬場所属の馬たちは馬運車によって順次輸送されております。レースの時間に合わせて出発し、レースが終わればまたそれに合わせて帰ってくる・・・というパターン。頭数によっては馬運車一台だったり二台だったり。★配車票 これは帰りの分の配車票なんですが、行きの分も同様に“○レースの馬を○頭積んで・・・”と配分されています。 馬のクセなどにあわせて“隣の馬との間にカーテンをつける”とか書き込まれてもいます。実際に積み込む際には運転手さんと厩務員さんが打ち合わせをして確認。そのあたりの「あの馬はこんなクセがある、この馬はこういう乗せ方をしないとダメ」みたいな把握は、ドライバーさんたちも非常に詳しいです。 今回の取材時は水沢開催なので比較的頭数が少なめ・往復する馬運車の数も少なめ。盛岡開催の場合は水沢から来る頭数が多いので馬運車の数も多くなります(注・水沢競馬場の方の在厩頭数が多いため)。★盛岡競馬場内にある輸送センター 盛岡側の馬運車の基地。馬運車の出発・到着、高速道路に乗った・降りた等の際には無線でここに連絡。 出発時刻が近づくと厩務員さんに引かれた馬がやって来ます。“乗客”が乗り終わると出発です。 盛岡競馬場からは市道・県道を通って盛岡南ICへ。最初からカーブやアップダウン、はたまた車が多い道を通り抜けますが、そこはベテランドライバーの腕でスムーズに通過。 ちょうどこのあたりでは復興道路「盛岡宮古横断道路」の都南川目区間の工事がたけなわになりつつあり、大型ダンプとすれ違う事も多くなっています。ここが完成すると細い山道の上り下りが少し減るかな? 完成は3年後の予定。 盛岡→水沢間を同乗させていただいたのはコアレスレーサー号、運転手は久慈さん。以前雑誌「テシオ」で取材させて貰った時も久慈さんでした。ちょうど9年前になりますが覚えて下さっていました。★「テシオ」2006年6・7月号より。当時の久慈さん。バックは当時の担当車ダイドウスター号。 久慈さんは馬運車のドライバーになる前は生コンミキサー車を運転していたそうです。「生コンミキサー車は重心が高いから横転しやすいんですよ」とか「沖のケーソンまで生コンを運ぶ仕事をやったんですが、そこが狭くて転回できないからと、長い浮き桟橋をバックで走ったことがありました。揺れるし波しぶきで滑りやすいし、あの仕事はさすがに肝が冷えましたね」とか、かつての“武勇伝”を聞かせていただいたのも前回の取材時の事。 馬運車は東北道を快調に南下。水沢ICで高速を降ります。特に混み合う事もなく、高速道路は走行時間40分で通過しました。ちなみに盛岡競馬場から水沢競馬場までの所要時間は1時間15分で計算しているそうです。 細かい話ですけども、以前同乗した時は凄く揺れが少なくてスムーズだなと感じたのですが、今回は結構揺れる所が多いような気がしました。そんな事を久慈さんに訊ねてみると、やはり震災の影響が道路の凹凸に少し残っているのだとか。そのせいで昔よりも揺れるように感じるのでしょう、と。 水沢ICを通過すると厩務員さん達が降り支度を開始。ほどなく水沢競馬場へ、通用門側から入ってつなぎ厩舎の横に止まって水沢競馬場到着です。馬を降ろして車内を片付けて片道の行程が終了となります。★車内のボロなどを、他のドライバーさん達も協力して綺麗にします★盛岡の馬が水沢競馬場で入るつなぎ厩舎 帰りは最終レース後に出発する「トウケイニセイ」号に乗せていただきました。ドライバーは畠山さん。 畠山さんは宅配便の拠点間輸送の長距離トラックを運転していたベテランドライバー。馬運車のドライバーさんは大型トラックやトレーラーから移ってきた人が多いのです。 さて、この便は最終レースに出走した馬を積んで帰る予定なのですが、その最終レースでは盛岡所属馬が1着含め揃って上位に入ったので、乗って帰る予定の馬が採尿対象になりました。 これが最後の便ですから検査が終わるまで待たなくてはなりません。早く終わればいいなあ・・・と話しながら待つこと30分ほど。採尿が終わった馬がやってきました。 早かったねえ、というやりとりもそこそこに出発準備開始。てきぱき馬を積み込みます。そうして水沢競馬場を出発したのは、さきほど採尿が終わった馬が帰ってきてからわずか5分後だったのですから、さすがの手際よさですよね。★水沢競馬場から出発~ 行きの逆ルートを通って盛岡競馬場へ。高速上は90km/hペースを維持して安定した走行。 「90km/h」というのはですね、馬運車は速度抑制装置、いわゆるリミッターが装着されているため90km/h以上の速度が出ないんですね。 畠山さんいわく「アクセルをベタ踏みしているんだけど、スピードもエンジンの回転数も一定になるんだよね。高速の運転は楽だよ。燃費も良いしね(笑)」。 という事で小ネタ。『馬運車の速度は90km/h』。高速道路で馬運車に出会った時に目安として参考にしてください(笑)。燃費は4~5km/Lだそうですよ。 もうひとつ小ネタです。馬運車はこうして高速道路を通ったりしながら競馬場間を往復するわけですが、事故とか降雪で通行止めになった時はどうしているのでしょう? 「そういう時のためにね、あちこちに“抜け道”を考えておくのさ。○インターと○インターの間が通行止めだったらどこどこを抜けて・・・とか、途中のインターチェンジまでで不通になっているならどの道を通ってどこに出て・・・とかね」と畠山さん。 もちろん、馬運車は大型トラック並みのサイズがありますから、抜け道といってもそうそうどこでも通るわけにはいきません。馬運車が通行できる道路でかつ緊急時にもあまり混まないルート。それをいくつかのパターンで頭に入れておく事が“肝”なのだそうです。 そしてそんな時には、馬運車のドライバーさんの間でも情報のやりとりをしています。どこどこが渋滞している、反対車線で事故があったようだ・・・と、何か異変があった場合はドライバーさんの間で連絡を取りあって、もし通行止めになりそうなら早めに回避ルートに進む・・・みたいな事も行っています。そんな目に見えない部分での連携が競馬開催を支えているわけですね。 だからもし皆さんが、普段は見ないような所を走っている馬運車を見かけたとしたら・・・。その時は高速道路で事故等があったから・・・なのかもしれませんよ。 盛岡南ICで高速を降りる頃にはだいぶ薄暗くなってきました。今は夏開催の時間割でも日が長い分明るいですが、これが冬になると、最終レースが2時間以上早くとも水沢競馬場を出る頃には既に真っ暗になっています。 盛岡競馬場到着。灯りが付いてないスタンドを横目に厩舎エリアへ。馬を降ろすと輸送終了です。★それぞれの厩舎へと帰っていく馬と厩務員さん★ドライバーさんもお疲れさまでした! 今回は「馬運車の輸送」を採り上げてみました。競馬開催を支えるまさしく縁の下の力持ち。雨が降ろうが雪が降ろうが、例え高速道路が閉鎖されていたとしてもつつがなく競馬ができるのには、これら馬運車とそのベテランドライバーさんたちの存在も大きく貢献していると思います。 皆さんが馬運車を見かけたら、「頑張って!」「お疲れさま!」と、心の中で結構ですので応援していただければ幸いです。
2015年07月02日
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木曜担当のよこてんです。 今週末は3歳馬の重賞『不来方賞』が行われます。今年で49回目を迎えるレースなのですが、岩手競馬の重賞で同じく49回を数えるのは他には岩鷲賞のみ。つまり不来方賞と岩鷲賞は「岩手競馬で最も歴史ある重賞」だ、という所からお話を始めたいと思います。 不来方賞、当初は「不来方賞典」と呼ばれたレースが創設されたのは1969(昭和44)年。それまでは「農林大臣賞典」とか「知事賞典」とか、あるいは「スタンド新装記念」などとされていた特別競走を、固有の名前を付けることでより盛り上げていこうという目的で作られたもの。この時同時に生まれたのが「駒形賞典」「日高賞典」「岩鷲賞典」でした。 「第1回不来方賞」といえるレースは旧盛岡競馬場のダート1730m(えらい半端ですな)、1着賞金25万円という条件で行われ、スズヒカリトップという馬が勝ちました。鞍上は福田重征騎手(後の小西重征騎手。現調教師)。 ただしこのスズヒカリトップ、3歳馬(旧4歳馬)ではなかったんです。同馬は競馬会から移籍してきた馬でこの時6歳。競馬会時代の1967(昭和42)年の日本経済賞ではスピードシンボリの2着という戦績があったりします。初期の不来方賞典は古馬のレースだったのです。 今のような3歳馬(旧4歳馬)のレースになったのは1974(昭和49)年から。そして1975(昭和50)年から重賞競走とされました。前者を勝ったのがカネシラン、後者を勝ったのがカネシラユキ。いずれも鞍上は小西重征騎手。 そう。小西重征騎手は“設立第1回目”“3歳馬(旧4歳馬)のレースになった第1回目”“重賞になった第1回目”のいずれもを制するという、非常に珍しい成績を残したわけですね。 さて、不来方賞というレースがいかに大事にされていたか?はレースが組まれていた日程を見ると想像が付きます。1975年に重賞化されてからの不来方賞はしばらく10月~11月に設定されていましたが、これは「その年の盛岡開催の最終週」に置かれていたから。3歳馬(旧4歳馬)の重賞のクライマックスというだけでなく盛岡開催を締めくくるクライマックスとしても重要視されていたわけです。 その後、1979(昭和54)年からは東北優駿のトライアル的な位置に、1986(昭和61)年にダービーグランプリが設立されてからはそのトライアルに、と開催時期を移動してはいますが、どの段階でも『岩手の3歳馬の最終決戦』であり『交流戦の舞台へと送り出す壮行レース』の位置づけは変わっていません。 下の画像は1988年、第20回不来方賞の新聞広告。ダービーグランプリのそれと軌を一にしたエンブレムが用意されていた事からも不来方賞の「スペシャル度」がうかがえるのではないでしょうか。他には南部杯くらいしかみつかりませんもの。そのレースだけのエンブレムが用意されたのって。★1988(昭和63年)の不来方賞告知広告(10月14日岩手日報より) ところでこの「不来方賞エンブレム」、先だって南部杯30周年ブログというのを書くために資料を集めていた時、新聞の中に偶然見つけたのですが、競馬組合の中でも知っている人が少なかったです。 他の年度の広告を見る限り、恐らくは1986年から1990年までの間しか使われていなかったようなんですよね。「不来方賞エンブレム」は30年近く忘れられていたのかな。ちょっともったいない気がしますね。★1989(平成元)年の不来方賞告知広告(10月27日岩手日報より)★1990(平成2)年の不来方賞告知広告(10月25日岩手日報より)エンブレムの意匠が若干変更される★1991(平成3)年の不来方賞告知広告(10月24日岩手日報より)エンブレムがなくなる★1992(平成4)年の不来方賞告知広告(10月22日岩手日報より)エンブレムっぽいものが復活しますが、これはこのシーズン共通のデザインのもの★1996(平成8)年の不来方賞告知広告(10月20日岩手日報より)旧盛岡競馬場最後の不来方賞でした もうちょっとエンブレムにこだわってみよう。 下の画像は1988年、1989年、1990年の不来方賞エンブレムを拡大したもの。★1988年★1989年★1990年 1988年のダービーグランプリトライアルの下にある「サラの夢は日本の夢」という一文は、この年の第3回ダービーグランプリのキャッチフレーズです。 1989年のはちょっと混乱しそうな事になっています。 前年の「ダービーグランプリトライアル」が「ダービートライアル」になっているじゃないですか。 ダービーグランプリはあくまで“全国の地方競馬のダービー馬による決戦”であって岩手の“ダービー”は不来方賞だ、というのが当時の位置づけのはず。その不来方賞を「ダービートライアル」と言ってしまうとね・・・。★2000年の不来方賞の装飾。「IWATE DERBY 不来方賞」と書かれています 今でこそ岩手の“ダービー”はダイヤモンドカップという事になっていますけども、古いファンの心情的にはやはり不来方賞こそ“ダービー”なんですよね。 さて不来方賞。これまでの優勝馬には後に岩手の名馬となったような馬が多数おります。メイセイオペラ(1997年)でありモリユウプリンス(1992年)、サンドリーズン(1990年)、スイフトセイダイ(1989年)、トウケイフリート(1986年)。新しい方に行けばトニージェント(2000年)、バンケーティング(2001年)。★トニージェント(2000年) 村上忍騎手にとって2つめの重賞タイトルでした★バンケーティング(2001年) その年の桐花賞を制し、翌年は南部杯でトーホウエンペラーの2着にも ロックハンドスター(2010年)、カミノヌヴォー(2011年)、ロッソコルサ(2012年)は3年連続で「不来方賞-ダービーグランプリ-桐花賞」を3連勝して3歳のみならず古馬の頂点にまで一気に到達したりもしていますね。★グレードアップ(2009年)唯一の他地区馬による優勝馬 レアなのが2009年の勝馬グレードアップ。2008年・2009年の不来方賞は休止していたダービーグランプリの替わりのような位置づけで地方競馬全国交流重賞として行われました。2009年は船橋から遠征してきたグレードアップが優勝し、不来方賞史上では現時点で唯一の他地区馬の勝馬となっています。 このように不来方賞の勝馬からはその後古馬になってからもトップクラスで活躍する馬が多く出ていますから、今年の不来方賞の勝馬も、過去の名馬たちに並び立つような馬になってほしいと期待しております。 もう一つ小ネタ。今年で49回目を迎えるほどの不来方賞なのですが、近年は不思議なほどに限られた騎手にしかそのタイトルが降りてきていません。 遡っていくと1993年の第25回以降、昨年まで24回もの間で、優勝した騎手は菅原勲(元)騎手・小林俊彦(元)騎手・村上忍騎手・阿部英俊騎手・村松学(元)騎手のたった5人! 今年も村上忍騎手・阿部英俊騎手は不来方賞に騎乗あり。この2人が勝てば「不来方賞ウイナー」の数は増えませんし、他の9人が勝ったとすれば新たな1名が加わることになります。さてどうなるか?これも注目しておきたいですね。
2017年10月19日
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木曜担当のよこてんです。 先の8月17日、軽種馬農協参事・松橋康彦さんが亡くなられました。 7月のこのブログで、今年の八戸市場に松橋さんの姿がなかった事を心配しているという事を書きました。再び鑑定台に立つ松橋さんの姿を見たい・・・と思っていただけに、こんなに急にと、悲しいというよりも信じられないという気持ちの方が今でも強いです。 今回はその松橋さんの思い出をいろいろと書いてみたいと思います。 自分が松橋さんの事を知ったのは2001年に八戸市場に行った時になります。競馬の仕事に就いて間もない頃で馬のセリをというものを生で見たのもこの時が初めてだったのですが、台上に立つ「鑑定人」がただ者ではないことは自分にもすぐに分かりました。 なにせ面白い。セリの、オークションのやり取りに“面白い”という表現が適切なのかどうか?ですけども、とにかく「セリとはこういうもの」と想像していたあるいはなんとなく知っていた物とは違うセリを展開するのが目の前にいる八戸市場の鑑定人なのでした。 それが松橋康彦さんであり、そしてその場で感じた通り、“ただ者ではない”ということを知るのにもそれほど時間はかかりませんでした。 当時編集に関わっていた競馬雑誌の中で東北の馬産を採り上げてみようと考え松橋さんに相談してみると二つ返事でOKしていただき、松橋さん自身へのインタビューであったり、あるいは現地取材の橋渡しに助力して頂いたりと、いろいろと力を貸してくださいました。★「テシオ」2002年7月号誌面より★この記事の松橋さんの写真の元。2002年6月の盛岡競馬場にて撮影のもの また、せっかくなら青森の牧場の事も知っておいた方が良いからと、セリ上場馬に対して行う馬体検査や生まれた仔馬に対して行う登録検査について回ることを許可してくださいました。 おかげで、2000年代前半に青森で競走馬生産を行っていた牧場は恐らく全て、一度は訪れることができました。★牧場での個体識別検査の様子★獣医さんが行う検査の傍らで前後左右から馬を見つめる松橋さんなのでした 当時既にウォーキングマシンを複数台備えた牧場があった一方で、「ここが“生産牧場”だよ」と車を降りると普通の民家の前で、裏に回ると納屋のような馬房があってそこに馬がいる。放牧地は裏庭がちょっと広いくらいの所・・・という“牧場”もありました。 2000年代前半の青森では、1990年代のピーク時の450~500頭という頭数でこそなかったものの、それでも200頭以上の競走馬が生産されていました。大手の牧場であれば10頭15頭と検査することも普通でしたが、1頭2頭という牧場ももちろんたくさんありました。数で言えば後者の方が多かったわけで、先に挙げたような“牧場”にも頻繁に行きあたったのでした。 良く言えば昔ながらの牧歌的な、厳しく言えば旧態依然として変わりが無い青森の馬産地の現状。松橋さんはそういう面も包み隠さず見せることをもって自分にいろいろと教えてくれたのでしょう。 最近はいろいろな状況の変化もあって検査に連れて行ってもらう事もできなくなっていましたが、それでも今でも牧場の方々に自分の顔を覚えてもらっているのも松橋さんのおかげ。感謝の他はありません。★以前の、八戸市中心街にあった頃の軽種馬協会東北支部。検査出発前の慌ただしいひととき★八戸市場ではかつて「市場前夜祭パーティー」が開かれていて、翌日のセリのために訪れた顧客の皆さんを歓待していました 松橋さんは八戸市場の鑑定人として馬を売る場の、販売の側の要であっただけでなく、軽種馬協会の現場の責任者として生産の側の要でもありました。 いわば作る側と売る側の両輪として青森の馬産地を、八戸市場を、いかにして盛り上げ存続させていくかに力を注がれていた。 例えば北海道からの上場馬を積極的に受け入れるようになったのが2000年代前半。仕掛けたのは松橋さんでした。 青森の生産者からすれば“黒船”ともいうべき北海道の馬を八戸市場に連れてくる。それを良く思わない生産者も当然いたでしょうが、市場としての注目度を上げる、レベルを上げる、そのためにという松橋さんの熱意が勝りました。 一方、青森から八戸市場に上場される馬の質を上げる事にも力を入れており、当時コンサイナーとして知られていたバンダム牧場との連携から始まって、一時期は六戸にある六戸育成牧場にバンダム牧場のスタッフを招致してセリ前馴致を行ったりもしていました。★「テシオ」2003年7月号で取り上げた六戸育成牧場でのセリ前馴致の取組 北海道では当時も既に当然のように行われていたセリに向けた育成馴致ですが、青森ではまだまだ重要性が浸透していなかった。それがセリの場での北海道の馬と青森の馬との注目度の差、価格の差にもつながっていると見た松橋さんが、北海道では既にここまで手をかけて“商品”を作っているんだということを青森の生産者に直に見せたかった。そんな意味があったのだと思っています。 東北産馬への注目度を上げるという目的では、松橋さんは岩手競馬での『東北産馬限定競走』の実現にも助力してくださいました。★JRA交流「フレンドリーカップ銀河賞」という形で南部杯と同日に実施されていました なかなか良い形で馬が揃わず、この東北産馬限定戦は長くは続かなかったのですが、いつかまた再開する事を願ってみたいレースではあります。 個人的にも思い出深いのがカームの種牡馬入りです。2005年12月の桐花賞をもって引退するカームを種馬として受け入れてくれる所は無いだろうか?と探しているという馬主さんサイドのお話を耳にし、困った時の松橋さん頼りと相談してみたところ、いろいろと難事をまとめてくださって、おかげでカームの青森での種牡馬入りが実現することになりました。★2006年1月、青森の牧場に到着した際のカーム。実戦を走って間もないためシャープな体つきです その後いろいろあって松橋さんにはご迷惑ばかりをおかけしたような形になってしまったのが申し訳ないのですが、とにもかくにもこの話がまとまったのは松橋さんの尽力のたまものでした。深い雪の中、水沢競馬場から青森に向かうカームを積んだ馬運車を追いかけたのは懐かしい思い出です。 松橋さんはサラブレッドのセリの鑑定人として非常に有名なのですが、意外なところでも鑑定人として登場しておりました。 毎年春に岩手県・軽米町で開かれている農用馬の市場。これはもうリアルな話ですが「キロいくら」の世界のセリなんですけども、松橋さんはここでもいつもどおりの“松橋節”全開でセリを展開されておられました。★農用馬市場での松橋さん。2006年。この頃はゲン担ぎでヒゲを伸ばされていましたな この農用馬市場はだいたい4月の週末のどこか開かれるという日程で、つまり岩手競馬の開催日と被ることがほとんどなので、自分も一度しか行ったことがありません。競走馬ではない馬を売りさばく松橋さんの姿をもう一度見たいと思っていたのですが・・・。 松橋さんのセリのスタイルは、なんというかもう型破りですよね。鑑定台の上から「社長!この値段でどうですか?」と問いかけてみたり、そうかと思えば「社長~、もう少し相談に乗って頂けませんかねえ?」と値を上げようとしてみたり。鑑定台のそばで見ていると、お台とビッドが合わない生産者に「そんなお台じゃ売れないから!この値段で受けれ!」と説得しているようなやり取りを耳にすることもしばしばでした。★静内市場での松橋さん。ここでは左端で補助鑑定人として立っている そして盛り上げる時は徹底的に盛り上げる。連続してビッドが入った時の掛け合いのリズム感、タイミングの良い合いの手。それは、セレクトセールの億の値段がつくようなセリよりもはるかに興奮させ高揚感を与えてくれたのではないでしょうか。★独特のスピード感と高揚感のあるセリは他にないものだったと言っていいでしょう 一方で、松橋さんは非常に現実的な考えの持ち主でありリアリストだったとも思います。先に挙げた北海道の馬を八戸市場に受け入れた事は、馬産の先進地である北海道の馬の現状を見て青森の生産者にも追いつくようがんばって欲しいという意図があったのは確かでしょうが、八戸市場の存在意義が無くなってしまえばいろいろ立ちゆかなくなるんだと、例え上場馬のほとんどが北海道の馬になったとしても「八戸市場」というものが生き残れば良いんだというリアルな計算のようなものもあったのではと感じます。 生産牧場に対しても「馬が生まれさえすれば売れるような時代は終わった。売り物としてちゃんと手をかけていかないとダメなんだ。だから、ただ生産頭数が多ければいいってものじゃないんだよ」という事を、昔から言われていました。 生産の側の重鎮でもあるので、馬を生産するという牧場があるのを止めはしない。でもただ仔馬を産ませているだけのような牧場がフェードアウトしていくのをことさらひき止めることもしない。しかし熱心に、本気で取り組もうという生産者が現れたら、例え小規模であっても様々にサポートする。そういうスタンスだったとも思います。 何度も書くように松橋さんは青森の馬産地にとっては生産と販売の両輪であって、それはかけがえのないものでした。 どこの牧場でどんな馬が生まれたか、どう成長しているかまでを隅々まで把握し、それによってこの馬は北海道のセリでも通用するからセレクションを狙ってみよう。この馬はそこまでではないが八戸の注目馬になる・・・と適切な市場もアドバイスする。そしてその市場では自身が鑑定人として売り込んでみせる。そういう全てに目を配ってきた人がいなくなってしまう影響は非常に大きい。 近年の八戸市場は上場頭数こそ以前の数分の一ながらも売却率は過去最高レベル、総売上額もかなり上がってきていました。それを“少数精鋭”なのだと言ってしまうのは少し語弊があるかもしれない。しかし数は少なくとも質の高い馬をしっかり売り切るという市場の形は松橋さんがずっと目指してきたものでもあったはずで、市場がようやく上向いてきたなかでまさに志半ばで世を去らなければならなかったのは、我々としてはその旗頭を失ってしまったのは、本当に残念だと言わざるを得ません。 とはいえ、今はその事はおきましょう。 松橋さんが亡くなられたのはちょうど北海道のサマーセールが始まる直前でした。なによりも楽しみにしていたセリで、どうしても鑑定台に立ちたかった松橋さんが、やっぱりちょっと行ってくるわ・・・と旅立ってしまったように思えてなりません。 お疲れ様でした。ありがとうございました。もう好きなだけお酒を飲んでいいんじゃないですか。時々セリの様子も見に来てください。たまには競馬場にも遊びに来て下さい、松橋さん。
2018年08月30日
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