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数年前に流行っていた「料理の鉄人」という番組を、ご覧になったことがありますでしょうか?和食、フレンチ、中華、イタリアンの、その道を究めたシェフが、腕に覚えありの挑戦者と1対1の料理対決をする番組です。制限時間内で、その日に発表されるテーマ食材を使って、それぞれが料理の腕をふるいます。私はこの番組が大好きで、いつも鉄人や挑戦者のすばらしい技に感動しながら、欠かさず見ていました。そして、いつかチャンスがあったら、この鉄人たちの料理を食べてみたいものだと思っていたのです。2003年2月23日、そのチャンスは突然訪れました。この日は、JDCの前期イーストジャパン選手権大会が開催され、当時私達はラテンB級に昇級したばかりでしたが、腕試しに、この選手権(A級戦)に挑戦したのです。場所は、東京の臨海副都心にオープンしたTFTホール。とてもおしゃれな建物でした。22組の錚々たるメンバーが、選手権ラテンに参加していました。予選を見た瞬間、「あ、こりゃだめだ」と、歯が立たないことは分かりましたが、予選では結構ポイントをかせいで、あともう一息で準決勝という所で惜しくも、敗退してしまいました。すべての競技が終わって、外に出ると、すぐそばに鉄人たちの店があるのを偶然見つけてしまいました。道場六三郎に続く和の二代目鉄人、中村孝明の店に入りました。例えば自分が何らかの事情で、最後にあと一つだけしか食べられないとしたら、みなさんは何を食べますか?私は茶わん蒸しです。和食の店に行ったら、必ずその店の茶わん蒸しをたのみます。ここ、中村孝明の店ではフォアグラの茶わん蒸しが売りです。コッテリとした濃厚な茶わん蒸しでした。ここは東京有明にあるグルメモールですが、他にフレンチの坂井の店、イタリアンの鉄人の店もそこに入っていました。機会があったら、是非、他の鉄人の料理も試してみたいと思っています。■これであなたも料理の鉄人!?(^^)■世界の料理人 中村孝明包丁5本セット■お料理もラクラク♪全ての加熱器具で使える圧力鍋「中村孝明 ステンレス圧力鍋18cm」ミニミニレ...
2005/03/31
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決勝進出は8組でした。そして、その中に私たちも入っていました。誰かが、「参加者の10%が昇級だから、256組なら25組だ」といっているのを彼は聞いたらしく、これで昇級は決まりだ、なんて言っていました。私は、ホワイトボードに、「C級戦の昇級は6位まで」と書いてあったのを見ていたので、そんなはずはないと思いましたが、それをいうと、また彼が変に緊張するといけないのでだまっておきました。一組ずつ、名前と出身県が紹介され、決勝が始まりました。私たちは、先生に直していただいたホールドを、できるだけ忠実に再現して、現段階でもてる力を全て出し切って踊りました。JDCの表彰式では、優勝から順番に呼ばれていきます。私は、心の中で、「お願いですから6位以内に呼んで下さい」と祈っていました。二人は、呼ばれたらすぐにでも飛び出して行けるように、スタンバイして、司会者の声に、全神経を集中していました。しかし、優勝、準優勝、3位、4位、まだ呼んでもらえません。また、ギリギリでシャッター閉められるパターンか?そう思ったとき、6位で私たちの名前がコールされました。駆け込み乗車、成功!の気分。扉は後ろで閉まりました。これで、静岡大会と合わせて2回昇級規定を満たし、今年度末にスタンダードB級に昇級が決まりました。7位、8位の方は、本当にお気の毒です。私たちもその悔しさを味わったことがあります。同じ表彰式に参加しても、トロフィーをもらえるのは6位まで、そして昇級も6位までです。嬉しいときは、一瞬です。同時に、悲しいときも一瞬で、また明日に向けての生きる努力が始まるのです。家に帰り着いたのは夕方の5時で、昼御飯も食べてなかったので、また、1杯無料の生ビールを飲みに、近所の中華料理店に出かけました。毎週末かよって、もう10杯もタダでビールを飲んでいる私たちは、すっかり顔を覚えられてしまったようです。B級昇級のお祝いなので、無料ビールの他に、もう1杯ビールを頼み、半額料理以外にも、1品だけ、通常料金の料理を頼んで、ささやかなお祝いをしました。最高に嬉しい一時です。今月末で「生ビール一杯無料」のキャンペーンが終わってしまうのだけが、ちょっと、残念。このブログを読んで下さって、いつも応援していただいているみなさんに、リアルタイムで昇級のご報告ができることをとても嬉しく思っています。これからも頑張りますので、「社交ダンスA級への道」どうぞよろしくお願いします。(おわり)
2005/03/30
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ワルツ、タンゴ、スローフォックストロットの3種目。256組全員はいっぺんに審査できないので、背番号順に17組ずつに分けて審査します。最初のグループを1ヒート、以下、2、3...ヒートと続きます。私たちは13ヒートでした。フロアに17組も入ったら、ぶつかって、自分たちの踊りができないという声が、踊り終えた選手達から聞こえてきました。確かに、どのヒートでも必ず誰かが衝突し、3ヒートに1回は、誰かが転んでいました。フロアは全然すべらない、私の好きなタイプ。私たちは、なんとか、うまくぶつからずに切り抜けていました。今日は、朝早くから、Y家のお母さまの心強い応援があり、ひときわ通る高い声で、私たちの背番号を呼んで下さっていました。1次予選、2次予選と予選が進んでいくと、そこで敗退された方がどんどん帰っていかれるので、ビッシリだった選手控室もポツポツ歩くすき間が出来てきました。そこを、午後からのラテン競技や、メイン競技に出場するプロの選手達が埋めていき、4次予選を踊り終わって陣地に帰ったときには、周りの顔触れが総入れ換えされていました。競技は果てしなく続くかのようでした。5次予選が終わったときには、もう2時を回っていて、さすがに早朝からの競技でお腹がすいていました。彼が月曜日の朝一番に、京都で会議があるので、試合が終わったらお昼御飯を食べて出発、の予定でした。当然、お昼ご飯は持ってきていません。思った以上の参加人数で、うれしいことに勝ち残っていたので、とりあえず、非常食用のバナナとゼリー、そして、最近凝ってる「都こんぶ」でつないでいました。陣地でむしゃむしゃ昆布を食べていると、よく見た顔が前を通っていきました。東部選手権に参加されるのでしょう。いつもお世話になっている教室の先生でした。準決勝まで進んだというと、とても喜んで下さって、ロビーのすみでこっそり、私たちのホールドを直して下さいました。そして臨んだ準決勝。今日も予選を1回踊り終わるたびにもめていましたが、256組が12組にまで絞られて、少しフロアの人口密度が減り、今までのうっぷんを晴らすかのように、黒いロングドレスをひるがえし、フロアに進みでました。(つづく)
2005/03/29
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試合の身支度を済ませて、1次予選開始前にトイレに行ってみると、すごい行列が出来ていました。C級だけで256組もいるんですから、他にD級、N級も合わせるとアマチュアのスタンダードだけで400人を越える女性が、この一つのトイレに大集合してるわけです。トイレ脇のドレッシングルームで、鏡に映った自分の姿を見たとき、私は、思わず目をむいてしまいました。ドレスの左脇、ちょうど男性のホールドが来る辺りが5センチくらい破けているではありませんか。大変。こんなことしてる場合じゃありません。私は急いで陣地に戻り、手伝ってもらおうと彼を探しました。しかし、もう、C級戦スタンダードの予選が始まっています。きっと、先にスタンバイしているんでしょう。競技がどんどん進行していく中、私はまた、ドレスを脱いで、普段着に着替え始めました。お着替えポンチョの中で、もごもごしているところを、競技会場の入り口から、私を探しにやって来た彼に見つかってしまいました。「なんでまた脱いでるの?もう試合始まってるんだよ!」そんなこと、知ってますよ。こっちだって緊急事態なんですから。幸いなことに、私たちの背番号は200番台ですから、時間的な余裕はありましたが、のんびり縫っている時間はないので、破けた部分を内側から安全ピン3本で縫うように留めて、もう一度着てみると、大丈夫、全然分かりません。今日は忘れ物も何にもなくてよかったなあと、思っていた矢先のハプニング。やっぱり何か起こったか。でももう、何が起こっても何とかなる、そんな自信が出来てきました。(つづく)
2005/03/28
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日曜日の駅は、通勤の喧騒もなく、特に今は春休みとあって、がらんとした静けさに包まれていました。斜めに差し込む朝日が階段を照らし、その中を大きな荷物を抱えた私たちは、改札に向かって黙々と登っていきました。「たまには、休みの朝、ゆっくり寝たい。」なんで、こんなにダンスばっかりやってるんだろう。私は一度、教室の若い先生にぼやいたことがあります。「最近、踊ってても楽しくないんです。」子供の頃、好きな映画音楽に合わせて、でたらめに踊るのが大好きでした。踊ることは、好きなんです。しかし、競技ダンスでは、いつも、上へ上へと努力する必要があるので、特に成績が停滞しているときは、その状態を楽しむことが出来なくなってしまいます。それは、仕事や、他のスポーツでも同じだと思います。決して、楽しいばかりじゃない、でも、やめられない、もがいてもがいて、ふと気が付くと、いつの間にか、見晴らしのいい所に出る、それの繰り返し。そんなことを考えながら、冷たい空気を、花粉防止マスク越しに大きく吸い込み、ホームから真っ青に晴れた空を見上げていました。東京メトロを乗り継いで、東陽町に下り立つと、駅から大きな荷物を持ったカップル達が、ぞろぞろと皆同じ方向に向かって歩いていきます。今日は、JDCの前期イーストジャパン選手権大会。東京のホテル・イースト21で行われました。私たちは、スタンダードC級戦に出場。しかし、あらかじめ往復ハガキで知らされていた背番号が200番台だったので、今日も激戦になることは分かっていました。受付をすませて、プログラムを見ると、予想を上回り、なんと、256組もいます。この中で、6位以内に入らなければ、B級への片道キップはもらえません。試合開始は9時。プログラムの最初は、私たちの出場するC級戦の1次予選です。選手控室は、すでにビッシリと埋め尽くされていました。(つづく)
2005/03/27
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赤のコスチュームで臨んだ初めての試合は、2003年2月11日、名古屋で行われた、中部ブロックダンススポーツ選手権でした。前日に、名古屋駅前のビジネスホテルに泊まり、午前中のラテンB級戦と選手権ラテン(A級戦)二つにエントリーしていました。B級戦の方は出場組数24組、サンバ、チャチャチャ、ルンバ、パソドブレの戦いでした。この年、B級に昇級したので、ここでまず決勝に残って、降級しないための底固めをしようという目論見です。これは、見事に成功し、5位に入賞しました。A級戦の方は、いかにもラテン人というかんじのシンガポールの選手が、愛知県の所属で出場していて、中部ブロックランキングのトップ選手達を征し、優勝に輝きました。出場組数は12組で、いきなりジャイブ入りの準決勝からでしたが、私たちは予想通り、準決勝で敗退しました。この試合は3連休の最終日。踊り終わると、そそくさと荷物をまとめて新幹線に飛び乗りました。そして、ハードジェルとスプレーで、てかてかに固めたヘアスタイルのまま、有楽町でこのとき話題になっていた「ハリー・ポッター」を見ました。普段はもっと、試合の内容や、自分たちの踊りについて覚えているんですが、この三連休は実は3本も映画を見ていて、そのせいで、記憶が定かでありません。土曜日に、試写会で、「ロード・オブ・ザ・リング(二つの塔)」に続いて、トム・クルーズ主演の「マイノリティ・リポート」を見ていました。二つ見終わって外に出ると、もう夜で、目の使い過ぎか、頭が痛かったのを覚えています。彼は、大学で「映画研究会」にいたし、私も高校の時、学園祭に向けて映画を自主制作したことがあるくらい、二人とも無類の映画好きなんです。この年は、正月からダンスばっかりしてて、映画を見る機会が無かったので、ここにきて、一気に映画熱爆発でした。ここで映画の話を始めると、社交ダンスから大きく外れていってしまうので、今日はこの辺で。好きな映画や男優さんは、こちらに紹介してあります。 ハリー・ポッターと賢者の石 特別版(期間限定) DVD「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人特別版2枚組」2004/12/17発売(DL-28445) ロードオブザリング スペシャルエクステンデットエディション トリロジー【PCBH-60005】 =>2... マイノリティ・リポート スペシャル・エディション <初回限定生産>
2005/03/26
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ダンス競技会での女性の衣装は、とても華やかで色とりどりですが、男性はどちらかというと、黒子のような衣装が主流です。スタンダードは特に、全員燕尾服ですから、背番号がついてないと、みんな同じに見えて、自分のリーダーを探すのも大変。まあ、それはちょっとオーバーですが、スタンダードに比べると、ラテンは、まだ少しましで、男性の衣装にも凝ったのがあります。私が目をつけたのは、JDCのプロA級戦で踊っておられたN先生の衣装。その時パートナーの着ていたコスチュームが、私の持っている赤のドレスにとても似ていました。男性は、赤のシャツに胸から腰まで黒のグラディエーションがかかっていて、下の黒のパンツにつながり、とても足が長く見えるのです。将来を有望視されていたN先生は、2002年にパートナーを解消されて、私たちが自主練をしているスタジオで、時々一人で練習されていました。2003年の年が明けて、2月になると、ようやく風邪も治って練習を再開し、このN先生にお会いしました。私はその時、思いきって伺ってみました。「あの赤と黒のコスチューム、譲っていただけませんか?」N先生は、快く、今度もってきて下さるということになりました。私たちのプロフィールに載せている、男性のコスチュームです。私が「足長い」とか「かっこいい」とか、褒めまくるので、すっかりその気になった彼は、このコスチュームを譲ってもらうことにしました。1月には、誕生日プレゼントとして「クリクリビーみたいな、横に線が入ってる競技パンツ」を買っていたので、これで男性の方はバッチリ。私の方は、クリスマスに無くなったと思った赤いドレスが出てきちゃったし、それに合う男性のコスチュームもそろえてしまったので、当分お預けという感じです。背番号を付けているのは男性ですから、どうせなら目立ってもらわないとね。紳士スラックス ハイウェスト ラテンパンツ
2005/03/25
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試合のあった群馬県前橋市は、詩人萩原朔太郎の誕生の地です。大正初期、彼がまだ20代だった頃に、浅草雷門の近くにある、「神谷バー」に出入りし、当時流行の電気ブランのグラスを傾けながら、詠んだ詩があります。一人にて酒をのみ居れる憐(あは)れなるとなりの男になにを思ふらん電気ブランは、大正時代の実業家で、フランスから日本にワインの製造技術を初めて導入したとされる、大正のワイン王「神谷殿兵衛」が明治15年に作ったカクテルです。老舗の「神谷バー」は、今も浅草で営業を続けています。創業当時は、電気は珍しく、ハイカラな物には、みんな「電気○○」という名前を付けるのが、流行だったそうです。中身は、ブランデー、ジン、ドライベルモット、ホワイトキュラソー、ワイン等で製法は秘密にされています。伊香保温泉に行きそびれた私達は、三連休の最終日、3月21日、この神谷殿兵衛が作ったワイン工場に出かけました。これは、私達が以前住んでいた家の近くにあり、「結婚記念日おめでとう」ハガキが届いていたので、それにつられて出かけたのです。ハガキを持参すると、一杯無料の地ビールが飲めるので、生ビールもいいけど、こっちも魅力的。行楽にはもってこいの、素晴らしい天気になり、「神谷殿兵衛」記念館を見たり、庭に咲く梅の香りを楽しんだり、もう何度も行っている場所ですが、季節によって趣も異なり、何度訪れても楽しいところです。そして今回初めて、「電気ブラン」を試飲させてもらいました。アルコール度数40度で、ほんの一嘗めで舌がしびれる感覚でした。味なんてよくわかりません。フーっと息を吐いて、マッチの火を近づけると、大道芸の火吹き男のような芸が出来そうでした。この神谷殿兵衛が作った「シャトー神谷」は、茨城県牛久市にあり、これから桜の季節を迎え、沢山の行楽客でにぎわう所です。ワインの他に4種類の地ビールも作っていて、一杯無料の地ビール、彼は「ヘレス」、私は「ピルスナー」をいただきました。もちろん、このあとに、お金を払って、他の2種類もいただきました。決勝進出、おめでとう。また来ますよ。今度は3位以内に入賞して!●牛久地ビール6本セット(CKS-09)●電気ブランとワインケーキセット(CKS-07)
2005/03/24
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大会でいい成績だったら、つまり、もし3位以内に入れたら、伊香保温泉に1泊して、のんびり美味しいものでも食べようと、私たちは前日の土曜日に話していました。折角の三連休。遠征の締めくくりは温泉です。お風呂道具や、泊まる用意なんかも、ダンスウエアと一緒に持ってきていました。決勝を踊り終えて、表彰式を待つ間、去年よくB級戦でお会いした千葉のHさんとお話ししました。てっきりもう今年はA級になっておられるかと思っていたので、伺ってみると、何と、私たちと同じで、昇降級規定の勘違いから、B級残留になってしまったとのことでした。キレのいい踊りで、去年、A級戦でも決勝に残っていらしたカップルですから、私たちよりも、もっとA級に近い所におられるはず。強敵です。ノービス、F級、E級、D級と表彰式が進み、いよいよB級戦の結果発表です。6位から順に呼ばれていきますので、私たちは、「どうか、4位までには名前が呼ばれませんように」とずっと祈っていました。しかし、何としょっぱなに呼ばれてしまいました。6位です。トロフィーを一人1本ずつ、2本頂いたんですが、うれしいようでうれしくない、フィギュアスケートの安藤選手もこんな心境だったでしょうか。そして、優勝は、例のHさんでした。123組中6位なんですから、客観的に見れば立派なものだと思います。それに、サンバ・パソのB級戦で決勝に残ったのは初めてですし。しかし、このなんとも割り切れない気持ちは何なんでしょう。当然、伊香保温泉も中止。全競技が終了したのは7時頃でしたが、そのまま高速に乗りました。非常食用に買っておいたメロンパンやバナナで飢えをしのぎながら、関越道を真っ直ぐ東京方面へ。途中、突然思い出したかのように、彼が「あー!6位かー!」と叫び、その度に飴やらガムやらを与えて、家に着いたのは10時頃でした。何で途中でご飯を食べなかったかというと、理由があります。「一杯無料の生ビール」を飲むためです。家の近所に、中華風居酒屋がオープンして、3月末まで、本格中華の美味しいおつまみが半額、しかも、生ビール1杯タダですから、一人千円も出せば、お腹一杯食べられるのです。精一杯戦って、悔いはありませんでした。次の試合までにまた技を磨いて、今度こそ3位以内を狙おうと決意も新たに、この「一杯無料の生ビール」で乾杯したのでした。(おわり)
2005/03/23
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群馬県大会は、いつもメインアリーナで開催されていましたが、この日はバスケットかバレーの試合があって、ダンス競技会は少し小さめのサブアリーナで行われました。スタンダードの試合が終わって帰られる方もいて、そろそろ陣地取りのスペースが点在しています。会場の横に、日の光が差し込む明るいレスリングジムがあって、低反発マットが敷き詰めてありました。私たちは窓の近くに場所をとって、着替えに入りました。斜め向かいに座っていらした女性が、髪をまとめるところから化粧が終わるまでの一部始終をじっと見ておられました。参考になるかどうかわかりませんが、お役に立てばいいかな、と思って、気付かないふりをしていました。私も以前、同じように、上級者の化粧の様子をじっと見させてもらったことがありました。私たちの出場するラテンB級戦は、123組。いつも、多くても80組くらいなので、この出場者の多さに驚きました。どんなに出場組数が多くても、A級に昇級するためには、このB級戦で、3位以内に入らなければなりません。体育館をA, B二つのフロアに分けて予選がはじまりました。かなり狭い感じで、しかも床はつるつるでした。競技に慣れていないと、狭いフロアでは、すごいスピードで迫ってくる周りのダンサーに怖気付いて、自分の踊りが出来なくなります。種目はサンバとパソドブレ。どちらも移動距離の長い踊りです。1次予選が終わって陣地に引上げると、息も絶え絶えに倒れ混んでいる女性がいました。無駄な動きが多いと、必要以上に体力を消耗します。1次予選、2次予選、3次予選と勝ち進むうちに、123組が、24組にまで絞り込まれて、準々決勝。私たちは今まで、この2種目で決勝まで進んだことはありませんでした。しかし目標は3位以内。予選で敗退するわけにはいかないのです。ついに、フロアの仕切りが取り払われて、準決勝12組にまで、勝ち残りました。予選が一つ終了するたびに念入りに靴底を削り、滑り止めのスプレーをつけて次の試合に備えます。私は、決勝に残ることを確信していたので、一度もスコアボードを見に行きませんでした。思い返せば、今回も色々なことがありました。1週間前に首が動かなくなったときは、出場できるか危ぶまれる状態でしたが、ようやく金曜日に練習を再開出来ました。しかし、痛みを抑えるためにずっと貼っていたサロンパスにかぶれ、今度は痒くて、小麦色の肌にするかどうか、土曜の夜中まで悩んでいました。試合当日は、思いも寄らぬ大渋滞で、ここでも出場を危ぶまれる状況。しかし、ついに私たちは、決勝でコールされました。123組の中の上位6組に食い込んだわけです。ここで決めないと、いままでのすべての難関突破は意味がなくなる。赤いドレスに黒い長手袋、シルバーのアクセサリーに身を包んだ小麦色の私は、黒いコスチュームの王子様にエスコートされて、ぐっと首を伸ばし、決勝のフロアに進んだのでした。(つづく)
2005/03/22
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目標からあまりにかけ離れていると、最初からあきらめもつきますが、ちょっとがんばれば、とどくかもしれないとなると、悪あがきをしたくなるものです。つながっていた渋滞が、次第に流れ始め、前橋I.C.に到着したのが、受付終了20分前。競技会の案内に添付されていた地図には、「前橋I.C.から車で25分」と書いてありました。もういちど、会場のSさんに電話を入れてみましたが、まだ通じません。「受付終了から5分くらい遅刻なら、待ってくれるかな?」普通だったら、コンビニに寄ってお昼のお弁当やお茶を買ってから、会場に入るのですが、今日はそんな暇はありません。トイレ休憩もなしでした。1分の無駄も許されない状況で、私は凄いことを思いついてしまいました。「この車の時計、3分進んでるんだった!」群馬総合スポーツセンターの砂利の駐車場に、砂煙を上げて到着したとき、時計台の針は、ちょうど、11時半を指していました。受付終了時間、ジャストです。小学校からリレーの選手だった彼は、車を飛び出すと猛ダッシュで、体育館に向かって走って行きました。私は花粉防止のでっかいマスクをつけて、助手席から彼の姿がどんどん小さくなって行くのを眺めていました。私が走るよりは、絶対に早く受付に到達するでしょう。しばらくすると、緑色のプログラムを持った彼が疲れた顔で戻ってきました。「もう、準備運動完了って感じ。まだ10組くらい受付に来てない人がいたよ。」ひょっとすると、同じ事故渋滞に巻き込まれて、まだ抜け出せない方達がいるのかもしれません。午後のラテン競技の試合開始は2時半ということでしたので、お弁当を買いにコンビニに戻りました。心配して下さっていると悪いので、もう一度、Sさんに電話すると、今度は出てくれました。無事に受付が出来たこと報告すると、午前中のスタンダードの試合も、C級戦だけで17組も欠場が出ていたということでしたので、この渋滞で諦めた方もいらっしゃるのかもしれません。私達は午後からの試合でラッキーでした。会場では、スタンダードの予選が行われていました。大変な混雑で、シートを広げるスペースも全然ないし、寒いので、車の中でお弁当を食べて、ホッと、一息。なんとかスタートラインに着くことができました。(つづく)
2005/03/21
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今日は、春期JBDF関東甲信越ブロック競技会の最初の大会、全群馬競技ダンス大会でした。この大会は、千葉、茨城、埼玉、栃木、群馬、山梨、長野、新潟の各県大会を、春と秋で2回ずつ行い、その総合成績で昇降級が決まるという大会です。去年「クリスマスの受難」でお話しした通り、ちょっとした勘違いでA級昇級を逃してしまった私たちは、「今年こそA級を決める」つもりで、勇んででかけました。午前中がスタンダードの試合だったので、ラテンしか出ない私たちは、比較的ゆっくり、といっても朝8時頃ですが、出発しました。外環をぬけて関越道に入るとき、衝撃の電光掲示板。「所沢ー前橋 事故渋滞45Km」どうする?しかし、高速を使わないで行ったら、絶対に間に合わないことも分かっていました。突入するしかありません。他の車も、吸い寄せられるように料金所のゲートをくぐって行きます。ハイウェイラジオの交通情報を聞きながら走っていると、次第にスピードが落ちてきて、とうとう渋滞の最後尾についてしまいました。まだ埼玉県です。幸いなことに、事故車はたった今、移動が完了し、通行止めにはならず、これから渋滞も解消していく一方、という状況でした。しかし、受付終了前に、私たちが前橋に着けるかどうかは微妙です。「このままいくと、30分位遅刻だ。」同じ教室のSさんが、午前中のスタンダードから参加しているはずなので、代わりに受け付けしてもらおうということになりました。携帯に電話すると、留守電です。「ただいま、電話に出られません。ご用の方は...。」多分、試合の真っ最中でしょう。Sさんが携帯をチェックしてくれるのを願って、メッセージを残しました。「携帯、見てくれるかなあ。私だったら、試合中には、携帯なんか見ないもんね。」折角、遠くからやって来て、受付に間に合わなかったら、バカみたいですが、わりと楽天的で、「だめだったら、伊香保温泉でも行って、のんびりして帰ろ。」なんて、話していました。車は相変わらずのノロノロ運転。やっぱり遠征の時は、前日から泊まらないとだめかなあ、日帰りで群馬に行くのは、これが初めてでした。(つづく)
2005/03/20
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2002年の年末から2003年にかけてのお正月休み、もう2年も前の話です。ダンスの上位級は、年度末昇級が普通。年が明けて、JBDF北関東ラテンC級、JDSFラテンB級、まだラテンだけにしぼって、スタンダードはやっていませんでした。私たちは、12月30日~1月7日の間、完全に休んだのは2日だけで、毎日、ダンス練習に通っていました。まとめて練習する機会がなかなかないので、このときとばかりに、細かいところをチェックし、注意点を確認し、躍り込んでいきました。正月にお餅やお節料理で、ダラダラとテレビを見て過ごした去年とは打って変わって、スタートダッシュを決めたわけです。やはり、その違いは大きな差になります。たいていお正月モードで、一端エンジンを切ると、もう一度エンジン駈け直して、走り出すまでに時間がかかります。このときは、エンジンを切らずにずっとアイドリング状態だったので、いい状態で仕上がっていきました。ところが、1月半ばに差し掛かったころ、パソドブレの練習中に、彼の降り下ろした手が私の手首を強打し、コブができてしまいました。しばらくはジーンとしびれていましたが、だんだん腫れてきて、色もきれいな「バラ星雲」みたい。ラテンでは男性が女性の手首を押さえて、向きを変えさせる振り付けがかなりあるんですが、これが全部、痛くて出来なくなってしまいました。しかも次の1週間は風邪でダウン。折角、スタートダッシュを決めたのに、すぐにピットインという感じの2003年でした。
2005/03/19
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「ミュシャ展」を出て、次に向かったのは国立西洋美術館で開催中の「ラ・トゥール展」です。世界的な画家らしいのですが、日本ではあまり知られていません。17世紀、フランスのロレーヌ地方に生まれたジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、「夜の画家」といわれています。日本で関ケ原の戦いがあった1600年、同じロレーヌで私の大好きなクロード・ロランが生まれていますが、それとほぼ同じ時代、1593年に生まれ、ルーベンスやフェルメールとも時代がかぶっています。生まれは、パン職人の家。修業して売れっ子画家となり、貴族の娘と結婚して、名前に「ド」が付くようになります。ルイ13世に大変気に入られ、彼の絵を飾るために、部屋にある他の絵画を全部取り払ったという逸話が残っているくらいですから、当時は素晴らしい名声を得ていたに違いありません。それがなぜ、歴史の闇に埋もれたかというと、17世紀の30年戦争を始めとした数々の戦乱で400点近くあったとされる作品のほとんどが失われてしまったのです。20世紀になって、劇的な形で再発見されましたが、現在、世界に40点ほどしか作品が現存しません。そして、その貴重な作品の一点を、2003年、西洋美術館が買いとったのでした。この展覧会は、それを記念して開催されたものだということです。「夜の画家」、その名にふさわしい、なんと神秘的な絵でしょう。ロウソクの光の、小さな世界の中だけに展開する物語は、さまざまな想像をかき立ててくれます。 中でも私のお気に入りは、このチケットにも使われている「聖ヨセフの夢」です。まどろむヨセフの前に、愛らしい天使が現れます。ロウソクの光が天使の手の中で揺れています。光から、暖かさが伝わってきそうです。もう一つのお気に入りは、「手紙を読む聖ヒエロニムス」。ロンドン、バッキンガム宮殿の王宮コレクションです。赤い衣をまとった聖ヒエロニムスは、眼鏡を使って手紙を読んでいます。光がその薄い紙を照らして、裏に文字が透けています。不思議な余韻に包まれて、特別展を出て、常設展に向かいました。ここには、冒頭にも述べた私の大好きなクロード・ロランの「踊るサチュロスとニンフのいる風景」があります。国立西洋美術館に来るたびに、ちょっと奥まった、ルーベンスの壁の裏側にあるその絵に、私は一目散に向かうのです。途中にある数々の素晴らしい名画を横目で見ながら、今日も懐かしい友達に会いに行くような暖かい興奮に心躍らせながら、どんどん奥に向かって歩いていきました。いつもの場所に、いつものように、その絵はあって、私を迎えてくれました。左側に大きく開けた理想的な空と雲、右側には木々が生い茂り、足下では妖精達がダンスに興じています。私の心はすっかり満たされて、体にエネルギーが沸いてくるのを感じました。フランス美術 切手 Fセットジョルジェ・ド・ラ・トゥールと、抽象画家ピエール・スラージュの絵画のセット
2005/03/18
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頭の栄養は、本を読んだりセミナーに出たり。体の栄養は、美味しいものを食べたり、お風呂でリラックスしたり、ゆっくり眠ったり。では、心の栄養は?みなさん、足りていますか?ダンスは?それは、別格です。私にとっての心の栄養は、感動です。クリスマスに「アレグリア2」を見に行って以来、心を満たしてくれる感動から遠ざかっていました。そこで3月16日(水)、有給をとって、美術館めぐりに行ってきました。朝からポカポカ陽気で、上野公園には、平日にもかかわらずたくさんの人出。最初に向かったのは、東京都美術館で開催中の「ミュシャ展」です。びっくりするほど混んでいて、なんと入り口で入場規制をしていました。今日初めて知ったのですが、第3水曜日は65歳以上は入場無料なんだそうです。 アルフォンス・ミュシャは、1860年にチェコで生まれ、ミュンヘンやパリで学び、34歳まで無名のイラストレーターでした。本の挿し絵などで生計を立てていたのです。チャンスが訪れたのは1894年のクリスマス。印刷屋ルメルシエの元に、ルネサンス座から当代きっての売れっ子女優、サラ・ベルナールが主演する「ジスモンダ」のポスター制作の発注がありました。新年早々の公演に合わせて、大至急の依頼でしたが、クリスマス休暇でデザイナーが出払っていて、その時残っていたのは、ポスターを作ったことのなかったミュシャだけでした。彼は、大急ぎで納期に間に合わせました。このポスターは、張り出されると同時に町中の噂を呼び、ミュシャは一夜にして売れっ子ポスター作家になったのです。そして、アール・ヌーボーの代名詞として、時代を先導していきます。彼はポスター作家として有名ですが、今回見に行って感心したのは、油絵も素晴らしいということでした。特に、自分の家族を描いた絵は、この世の最も美しい者たちを自分の手で後世に残したいという、透き通るような気持ちが伝わってきました。パリ時代には、ゴーギャンと同居していた時期があり、一緒に写った面白い写真も展示されていました。今月27日で終わりですが、彼が祖国のためにデザインした紙幣やデッサン、日本初公開の100点を含め、250点の作品が展示されていて、とても見ごたえがありました。Art Selection 今月の特集はミュシャの「四季」です。新築祝・開店祝にも!おしゃれなインテリア鏡【エッチングミラー~ミュシャ・ダンス】ミュシャ「Job,1897」ミュシャ モラヴィア スプーン・フォークセット 10PCS (金仕上)
2005/03/17
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12月になると、ダンスの競技シーズンは終わり、昇降級に影響する様な試合は、ほとんどありません。年度末にB級昇級を決めていた私たちは、C級選手として出られる最後の試合で、錦を飾ろうと、2002年12月15日、第11回市川市スポーツダンス競技会のオープン戦に参加しました。ところが、同じことを目論んでいる、B級昇級を決めた選手がゴロゴロ参加していました。みんな考えることは同じです。あれ、Kさんだ。あ、Wさんもいる。なんで?Tさんも出てるよ。みんな、2002年のC級戦ラテンで一緒に戦ってきた人たちばっかり。場所は千葉県の国府台スポーツセンター。家からバスで30分くらいのところです。種目はチャチャチャ、サンバ、ルンバ、パソドブレの4種目。市長杯争奪のチャンピオン戦ラテンには、21組が参加していました。予選2回と準決勝、決勝を経て、私たちは3位に入賞しました。決勝のルンバで、私の大好きなジュリア・フォーダムの「Happy ever after」という曲がかかって、とても気持ち良く踊れたのを覚えています。この曲は、1990年頃に流行った、アパルトヘイトに反対する歌です。この日も、心強いY家の応援団が来てくれて、ビデオを撮ってくれました。ダンス月刊誌「ダンスビュウ」に、この時の写真が載ったのですが、カメラマンさんは、私たちがまさか入賞すると思わなかったのか、踊っている写真じゃなくて、入場していく写真です。それよりさらにビックリしたのは、熊本大会の、グランプリ優勝者の次に大きな写真が出ているではありませんか。メチャメチャかっこいい日本一の選手の近くに、かっこわるいポーズの私たちを載せないでくれー、といってもその声はどこにも届かず、知り合いの方々の「写真見たよ」の、意味深な言葉が胸を刺す。いつか、かっこいい写真、載せてみせますからー!!ジュリア・フォーダム/ザッツ・ライヴビューティー(CD)(Aポイント付)美しいメロディを集めたCDコレクション-ベスト・オブ・ジェリア・フォーダム
2005/03/16
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寝違えて首が回らなくなったこと、ありませんか?電車でいつも寝ている私には、それほど珍しいことではありません。しかし今回ばかりは、自己管理の甘さを反省しました。いつもダンスの練習の前後に、ストレッチをして、怪我をしないように気をつけていますが、そういえば首のストレッチはしていませんでした。降りる駅のちょっと手前でいつものように目を覚ますと、なんか、首が変です。右に回りません。「あれ、寝違えちゃったよ。」たいてい、1日か2日で治るんですが、今回は様子が変でした。枕が高いと、よけい痛いので、バスタオルを丸めて枕にして、朝起きてみると、起き上がれません。何が起こったのかよくわかりませんでしたが、どうやら別方向にも寝違えたらしく、「痛くない首の可動範囲」が、ほとんどない状態です。鏡を見て驚きました。右肩が大きく下がっています。首が動かせないというのは、こんなに不便なものかと思い知ったのは初めてでした。まず、Tシャツが着られません。髪をまとめるのも大変。首が前に倒れないので、ご飯を食べるときも、背中ごと曲げなければなりません。ちょっと右を見ようとすると、たいへんな痛みが走るので、車の運転も危険です。歩くのはまだいいのですが、走ると、左足の踵が着くたびに、右首に衝撃が伝わってきます。もちろんダンスなんて出来るはずもありません。一夜空けてみると、肩も随分平行にもどってきました。今日は、首が左に回るようになって、ワルツくらいなら踊れそうです。首って大切です。次の試合に出られるのか、この問題のネックは、「ネック」が動くようになるかどうかにかかっています。 金太郎~熊クマちゃんの首が動きますいいなあ 会津民芸 千両べここんな柔らかい首ほしい
2005/03/15
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たけしの「本当は怖い家庭の医学」(3月8日放送)で、スポーツ選手を何人かゲストに招き、この話題で番組はスタートしました。元プロ野球選手のパンチ佐藤は、スランプになるとボールがゴルフボールや仁丹みたいに小さく見えるといっていました。バレーの元日本代表、中田久美選手は、バレーボールの縫い目が見えなくなる、レーサーの片山右京は、ハンドルが大きく、座布団を握っているような感覚になる、そんな話をしてくれました。陸上競技でタイムや距離といった、自分の状態が数字になって出てしまうスポーツでは、特に、スランプというのが大きな壁になるのではないでしょうか。その点、相対的な美を競う社交ダンスのような競技は、スランプが見えにくいジャンルだと思います。番組では、このスランプが、実は大きな病気のサインである可能性を示唆していました。症例は、30代のマラソン主婦。結婚して初めて出場したハーフマラソンで3位の好成績、夫の協力で自己流の練習メニューを組み、市民マラソンの上位入賞の常連になっていきます。しかし、しばらく続けていくと、タイムが落ちるというスランプに襲われます。彼女は、もっと激しい練習を自分に課し、朝晩10キロ走ることにしました。このころから、風邪をひきやすくなり、それが一向によくならない、体重が1カ月で3キロ減少し、目の下に隈が出来てしまいます。彼女は、体が搾れてきたせいだと思っていました。ついに、ある朝、胸が締めつけられる痛みに襲われ、病院にかつぎこまれます。原因は、不整脈で、全身に血液が巡らずに倒れてしまったのでした。この病気は「運動性慢性疲労」というもので、過度の運動によって体中の臓器がボロボロになる病でした。そして、スランプはそのサインだったというのです。激しい運動をすると、口でハアハアと息をしますが、この空気がのどを通るスピードは時速50~150キロで、のどの細胞がはがれ、病原菌に感染しやすくなるのだそうです。競技会が終わると、いつも風邪っぽくなるのは、このせいだったのかもしれません。自己流の無謀な練習が原因で、彼女の場合は、すい臓にダメージを受けます。踵の着地の小刻みな衝撃を、脊椎を通じて長期にわたって受け続けたすい臓は、消化酵素が十分に発揮されなくなり、急激に痩せる原因となりました。現在、間違ったトレーニングによって、スポーツで内臓を痛めていいる人が、日本だけで200万人いるといわれています。そして、ついに、過度の運動によって自律神経に異常を来たし、不整脈になって入院となってしまいます。練習したら、した分だけ上達するというのは、十分な休養と栄養補給が行われて、ただしくプログラムされたメニューに沿って練習されたときだけで、自己流の過度な練習には、思わぬ落とし穴があるということを、心に留めておきたいと思いました。
2005/03/14
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日本人には、エスコートという観念が歴史的にありません。女子は、男子の後ろを、影を踏まない位離れてちょこちょこ付いて行くもんでした。しかし、社交ダンスは、ヨーロッパからの輸入品なので、それが必要になります。もともと、習慣になっていないものを、突然やれといわれても、できないのは当然かもしれません。競技会でも、フロアに出ていくとき、女性の手を引っ張って、スタスタ出ていく男性が時々見受けられます。かと思えば、途中までエスコートしている風に出ていって、あるところで手を放して女性に勝手にポジションについてねーと、突き放してしまう男性もいます。エスコートの歴史は知りませんが、例えば男性が女性を食事にエスコートする場合、レストランに入って、女性を席に着かせるまでが仕事です。同じように、競技フロアでも、女性を踊って欲しい場所までおつれするのが、男性の役目ではないでしょうか。ときどき、ポジションに付いた後に、別のカップルがやって来て、初期位置を微調整する必要がある場合がありますが、そのとき個人的に堪え難いのは、男性がまるで「集合写真カメラマン」みたいに、手をヒラヒラさせながら、「もう少し右おねがいします。はい、もう少し右。はい、そこでストップ。」みたいなことをするケースです。ほかにも、「旅館の中居さん」みたいに、手のひらを上にしながら、「はいずずっと、こちらにどうぞ」みたいなポーズをするのも、カッコ悪いと思います。やはり微調整したいなら、少なくとも女性の手を取って、「こちらにお願いします」くらいのエレガントな立ち居振る舞いをして欲しいですね。ヨーロッパの文化が必ずしも絶対とはいいませんが、ダンスを踊るときだけは、武士の魂はお休みにして、ジェントルマンを演じて欲しいというのが、レディからのお願いです。1/43Trofeu フォードエスコートRS2000Roadcar 赤アンティーク・エスコート型 小型地球儀
2005/03/13
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次に教室に行った時に、ラテンのT先生にお話ししましたが、「聞いてない」とのこと。パーティの時に一緒に紅白戦で競ったSさんやKさんにも、「ドレス行方不明なんです。」と、お話しました。女性と男性の更衣室がそれぞれあって、アマチュアの女性出場者はみんな同じ部屋にいたんですが、だれも私の赤いドレスを見た人はいませんでした。電話で別の教室にいる先生達に、T先生が問いあわせて下さっていました。これはいよいよ「新しいドレス」か?結構高い買い物なので、こんなきっかけでもないと買えませんから、私は次第に「無くなったさみしさ」より、「買えるうれしさ」の方が、勝ってきていました。ちょうどボーナスも間近だし、この際、何か買っちゃいますか?!今度は、白にしようかな、なんて、それとなく彼に話していると、そこへT先生。「ドレス、あったそうですよ。」えー!あったの?無くていいのに。(自分でも何言ってんだかよくわかりません)その赤いドレスは、パーティが終わって静まり返った更衣室のいすに、さみしく置き忘れてあったそうです。いすがテーブルの影になっていて、見えなかったんでしょうか。先生が回収して、もう一つの教室に保管されていたとのこと。11月の鍵事件に続き、12月のドレス事件、私はまた菓子折りを持って、ドレスを引き取りに行きました。先生は、笑顔でこうおっしゃいました。「またどんどん忘れて下さいね。その度にお菓子もらえてうれしいから。」(おわり)
2005/03/12
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実は、私も、下にルンバ用のコスチュームを来ていたのです。プロフィール紹介に載せている写真のコスチュームです。ロングスカートを脱ぎ捨て、ルンバ対決に飛び出しました。この対戦は、紅組の勝利でした。徹底して、紅組の気分になりきるため、この競技が終わると、私は別の赤いワンピースに着替えました。この日は、赤いドレスばっかり3着持っていったんです。パーティも無事終了して、今日はめずらしく何事もなく家路に付くことができました。早着替えも大成功だったし。家に着いて荷物を広げた時、異変に気が付きました。ルンバを踊った赤いドレスがありません。3着も赤いドレスばっかり持っていったので、一つ置いてきたことに気が付かなかったんでしょうか。あわてて、会場に電話しました。「そのような、お忘れ物はございません」えー! 初めて試合で着た、思い出のコスチュームが行方不明です。最新モードの新品ドレスじゃないから、誰かが盗って帰るというのは、かなり考えにくいことです。先生に電話してみましたが、打ち上げか何かやってるんでしょう。携帯もつながりません。会場にないということは、先生が預かっているというのが一番考えられる線です。「これは、ひょっとして、新しいドレス買いなさいってことじゃなーい?」私は、半分悲しくて、半分うれしい、複雑な気持ちでした。(つづく)編みぐるみCC-142 赤いドレスのキティちゃん【050225応援セール】赤いドレスの ベアやっぱりミニーちゃんは赤いドレス♪ラメプリントがキレイなミニーのロンT【黒】
2005/03/11
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ハウステンボスから帰った次の週末、いつもお世話になっている教室のクリスマスパーティがありました。場所は、千葉県内の某結婚式場です。私たちはこのとき、紅白戦に出場することになっていました。2002年12月8日のことです。ラテン紅白戦の参加希望者が奇数だったので、私たちは、パソとルンバの2種目で、紅組として出場することになりました。競技会の応援にも来て下さるY家の方々も来られるというので、ここはちょっと、いいとこ見せなきゃ、と「早着替え」をすることにしたんです。最初の種目のパソドブレが終わると、次のルンバまでの間にチャチャチャの試合があり、約2分、着替えに使えます。家で何度かリハーサルをして、だいたい1分で着替えられるようになりました。それを見ていた彼が、「ぼくも着替える」と、言いだしました。そこで、パソの時は、黒のチョッキをきて、ルンバになったら、それだけ脱いで、下の赤いコスチュームで踊る、ということになりました。いよいよ本番。パソドブレは闘牛の踊りです。私は真っ赤なロングドレスに、そで口が大きく開いたフラメンコダンサー風のいでたちで登場。一方、白組代表カップルは、男女とも真っ白なコスチュームで統一しています。司会者の方も、「この紅白戦は、どっちがどっちか分かりやすいですねー。」なんて、会場の笑いをとっていました。第2ハイライトまで踊って、会場に挨拶すると、私たちは早着替えに走りました。(つづく)格安フラメンコワンピース赤地に黒パイピング 斜め2段フリル&サテンフラメンコファルダ☆無地 (黒・赤)
2005/03/10
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取れたボタンを安全ピンで修復して、準決勝に臨みました。今度は、普通のラテン音楽がかかりました。私たちはやっと通常の調子を取り戻し、だんだんスコアも良くなって、決勝に勝ち残りました。この段階で、他に3組、僅差で並んでいる選手がいました。ホテルなので、下は絨毯で、そこに木目の1メートル四方くらいのパネルが敷き詰められてダンスフロアになっています。私は、床が滑る時用の新しい靴と、滑らない時用の古い靴2足を持ってきていました。このフロアは、全く滑らないので、私たちの好きなタイプ。足がしっかり使えるのです。決勝は、今日の中では最高の踊りで、観客席からの拍手に答える余裕さえありました。さっきまでもめていたのが嘘のように、すっかり仲直りしてしまった私たちは、「オナーダンスだったら何踊ろうか?」なんていう相談までしていました。ノービスに出場されていた学連風のカップルがとても上手なルンバを踊っていたので、彼らがルンバだと私たちはチャチャかな、でも、オナーダンスであの演歌がかかったら嫌だから、やっぱりルンバか、などどコソコソ話していました。C級の決勝が終わると、すぐに表彰式です。ノービスの優勝は、やはり思った通りのカップルで、彼らはチャチャチャをオナーダンスに選びました。次のD級戦優勝の男性は、オナーダンスの存在をしらなかったのか、表彰式を待たずに着替えてしまっていました。次のプロD級優勝者は、やはり、関東選手権で2位だった(その1)に登場したカップル。こちらも、オナーダンスにチャチャチャを選びました。最後に、優勝でコールされた私たちは、久しぶりにオナーダンスを躍らせていただきました。ルンバです。静岡グランプリの直前に付け加えた、「拍手ポイント」のルーチンを、わざと倍の長さの8カウントに伸ばして、「みなさーん。ここで拍手してねー。」と、いうのに応えるように、会場から拍手が起こって、私たちもほっとしました。終わった後、先週、静岡に一緒に来てくれたCちゃんと待ち合わせて、ミニ懐石でお祝いしました。ホテルイースト21の試合の時は、そこに行くのをいつも楽しみにしていたのですが、オーナーが変わったのか、店の名前が変わっていました。ランチは安くて、3種類のおばんざいと、てんぷらと焼き物、煮物、ごはん、おみそ汁、おしんこ、デザートまでついて、もちろんビールの味も、最高でした。Cちゃんと別れて家に帰ってから、私たちは近くの天然温泉に出かけました。私はアカスリ、彼は足裏マッサージをしてもらって、のんびりお風呂に入り、これで、ご褒美も完了です。この日の収穫は、大トロ(一番大きなトロフィー)でした。(おわり)
2005/03/09
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私は2次予選の背番号のコールを聞きながら、必死にダンスシューズを履きました。だんだん自分の番号が近づいて来ます。「ああ、もうだめだあ。絶対間に合わない。」そう思ったとき、番号のコールが私たちの直前で止まりました。まだ靴を片方履いたところでした。思わず、「セーフ!」とつぶやくと、隣でおにぎりを食べる手を止めていた選手たちも、ほっとしたようにまた食べ始めました。「おれたちも焦っちゃったよな。」隣の選手達も笑ってました。「すみません」と小さな声で言って、シューズを履き、フロアにもどりました。どうやら参加人数が少なかったので、間に予定されていた2級戦とD級戦の予選がカットされたらしいのです。2次予選第2ヒート、最初の種目はチャチャチャです。ここで、信じられないことが起こりました。また、あの、演歌みたいな曲がかかったのです。いきなり尺八の音がしたときは、二人とも唖然としました。何でよりによって、この曲ばっかりかかるんだろう。お互いの目で、そういっていました。こんどは、彼の方が乗りきれずに新しく作った部分が崩れました。私たちはフロアの外に出た途端、お互い「バカ呼ばわり」の喧嘩です。全く大人げないんですが、最初のポジショニングについて彼が変な言い掛かりをつけてきたので、私も反撃に出ました。後から考えてみると、どうもあの演歌がかかると、二人の波長が狂うようです。他の3種目、サンバ、ルンバ、パソドブレに関しては、また、問題なく踊ることが出来ました。次に勝ち残ったとき、また出遅れそうになるのが嫌だったので、私はそのまま客席の後ろに待機していました。フロア脇で開いているダンスウエアのお店を見たり、試合の成績表を見たりして、ぶらぶらしいると、彼が手首を押さえてやってきました。「ボタンちぎれた」見ると、そで口から一本長い糸がたれて、その先に大きな金ボタンがゆれていました。(つづく)クロバーソーイング用品軽快で、便利なソーイングセットSS201ブルー
2005/03/08
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ダンスする場合、気持ち良く踊れる曲と、どうしても乗れない曲というのがあります。私たちの場合、演歌みたいな曲がかかると、どうも気分が乗らないんです。ラテンアメリカンですから。この日、最初の種目のチャチャチャで、いきなりそれがかかってしまいました。尺八や三味線や鼓、何度か聞いたことがある曲なので、踊れないことはないんですが、乗れないんです。しかも、試合前にリハーサル出来なかったので、最初の種目は私がボロボロでした。別のヒートの選手が踊り、次の種目を待つ間、私は彼がブーブー文句を並べるのを聞いていました。うまくいかなかったことに対して自分に腹が立っているときに、追い打ちをかけるように文句を言われるのは火に油を注ぐようなものですから、本当は言わないほうがいいですね。しかし私たちは、フロアの外でいくらもめても、一端フロアに入ると、世界で一番仲良しなカップルに変身する特技を持っています。サンバのコールがかかると、パチっと気持ちが切り替わって、エンターテイナーモードに入ります。何人かのお客様が、最初からずっと応援して下さっていました。サンバ、ルンバ、パソドブレを無難に踊り終わって、1次予選終了です。2次予選の前に、2級、N級、D級の予選が予定されていたので、私たちは一端陣地に引上げました。メイン競技の東部日本選手権に出場するプロ・スタンダードの選手が次々とやってきて、控室はいつのまにかぎっしり埋まっていました。敷き詰められたシートのすき間を縫って、自分の陣地に帰るのが結構大変です。空いていた隣のスペースには、やはりメイン競技に出場される様子の若いプロのペアがオニギリを食べていました。私は靴を脱いで足を伸ばし、プログラムを見ていると、彼が心配そうにもどってきて、「もう行ってたほうがいいんじゃない?」とスタンバイを促しました。私はさんざん文句を言われてちょっとムっとしてたので、「次の予選までまだ3つ競技があるよ。」と、体育座りで背中を向けたまま、ぶっきらぼうに答えました。すると、そこに放送が入りました。「次の競技は、C級戦ラテン2次予選。出場者は、○番、○番、...」彼は、あわててフロアに駈けていきました。(つづく)
2005/03/07
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本日はJCF東部日本選手権、プロ・スタンダード部門の試合がありました。場所は、ホテルイースト21です。私たちはこの前哨戦であるラテンC級戦に出場しました。先に結果を言ってしまいます。優勝です。なんでC級戦?以前にも何度かお話ししましたが、プロにはいくつかの団体があり、それぞれが独自級を持つ競技会を主催していて、2年ほど前までは、JDCとJCFは、アマチュアの団体であるJDSFと級の互換性がありました。そのときC級だった私たちは、JCFが分離してから級とりの試合に出ていなかったので、依然C級のままでした。今年から、昇降級規定が変更となり、そのままだと降級することになったので、またJCFの試合にも出てみることにしたのです。優勝して当然ぐらいの気持ちで行ってみると、2003年の関東大会で私たちが4位だったときに2位だった選手がいるではありませんか。JBDF関東甲信越の試合でも、ずっと負けていたので、彼はすっかりビビってしまいました。しかし、プログラムをみると、そのカップルはいつの間にかプロに転向していて、当然ながらC級戦にはいませんでした。出場組数27組、種目はチャチャチャ、サンバ、ルンバ、パソドブレの4種目です。いつも試合が始まる前に、一通りルーチンの確認をするのですが、今回は会場がホテルということもあり、ロビーで練習していたら注意を頂いてしまいました。ぶっつけ本番だと、一次予選がボロボロになるので、少し心配ではありましたが、みんな同じ条件なのですからしかたありません。先週の試合では、私のドレスと彼のボタンが試合中に絡んで大変だったので、今回は少し工夫しました。彼に黒い手袋をしてもらうことにしたのです。こうすれば、袖のボタンの上にかぶるので、私のドレスにもひっかからなくて安心。しかし、そう簡単には行きませんでした。ピッタリした手袋の端からコスチュームの袖がたらんと出て、カッコ悪いのです。「だめだ、これ、使えないよ。」本番直前になって、別の方法を考えました。答えは以外と簡単です。ボタンが外に出ないように、折り返せばいいのです。最初の種目は、チャチャチャでした。(つづく)
2005/03/06
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美容院に行ってきました。年末に駅前にオープンしたお店で、前から気になってはいたんですが、なかなか出かける機会がありませんでした。トロフィーを頂いたのは8カ月ぶりでしたが、美容院に行くのもそれと同じくらい、久しぶりです。高校の時から、髪はずっとのばしていたので、それが半分トレードマークのようになっていました。前髪だけはいつも自分で切っているので、長い髪は一番手がかからないんです。しかし、あまり長くなりすぎると、座るときお尻に敷いてしまったり、合気道で受けをとった後、踏まれたりするので、じゃまといえばじゃまです。踊るときに三つ編みにすると、映画「トゥーム・レイダー」のララのように髪が鞭に変わって男性を直撃します。新しい美容院に入ってみると、そこには「ヘアーエステ」のメニューがありました。男性のヘアーエステはテレビコマーシャルでよく聞いたことあるけど、女性でも、こんなのあるんだなあ、と初めて見るこのメニューに興味がわき、さっそくそれをお願いしました。慣れた手さばきで映画「シザーハンズ」の主人公みたいに、髪を切ってくれて、みるみるうちに、床が黒く長い髪の束で埋まっていきます。腰まであった髪が、あっというまに肩甲骨の真ん中くらいの長さになってしまいました。驚いたことに、頭が軽いんです。半分くらいの重さになった気がします。体重も少しは減ったかな。さて、いよいよエステ。まず、頭皮の汚れをきれいにし、頭をゆっくりマッサージしてくれます。ふわー、気持ちいいです。そして、髪にはたっぷりトリートネント。帽子みたいな機械をかぶって、暖かいミストにかかります。モクモク白く細かい水蒸気の煙が出て、自分が肉まんかシュウマイになった気分。あとはきれいにシャンプーしてくれて、肩のマッサージ付きで5800円なり。心も頭もリフレッシュできました。 トゥームレイダー2 プレミアム・エディション(2枚組) 「デイ・アフター・トゥモロー」+「シザーハンズ 特別編」(初回生産限定) ◆20%OFF!<DVD...
2005/03/05
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2002年冬、ハウステンボスの熊本大会に行く4日前辺りから、「ひざがちょっと痛くなってきた」と彼が言い始めました。原因の一つは、私の体重が重いせいです。ルンバで、女性が後ろに倒れていくのを片方の膝で支えるルーチンがあり、そこばっかり練習したので、膝に大きな負担がかかったのでしょう。男性は競技会でもズボンを履くので、見えないことをいいことに、膝の後ろがバツになっている強力なサポーターを薬局で買ってきて、それを付けるようになりました。いまでは、練習の時も両ひざにしています。それに加えて、関節にいいといわれる、サプリメントを摂るようになりました。グルコサミンです。ダンスで多いのは、外反母趾。私は全然大丈夫ですが、彼は、高校の時にサッカーで足の親指を骨折して、固定の仕方が悪かったのか、すごい外反母趾です。一時期は、痛くて踊れないとまで言っていましたが、いまは、テーピングをして踊っています。そんなに痛い思いまでして踊らなくっても、と思われるかもしれませんが、痛みを抱えながらダンスをされている方は、以外に多いようです。特に始めたばかりの頃は、普段使わなかった筋肉を急に動かすので、あっちこっち痛くなりますし、しっかりした筋肉がないのに、無理な体勢をとろうとしたりして怪我される方が多いようです。また、競技選手は、試合前の練習が過密になってきたときは、特に筋肉が疲労していたりしますので、支えきれなくなって、関節痛や腰痛になったりします。ダンスの前と後に、十分なストレッチ、サポーターやテーピングでの補強、サプリメントを利用した体の内側からの補修で、私たちはダンスの痛みとつきあっています。 アンメルツ医学サポーター(ひざ裏交差型) グルコサミン&コンドロイチン テーピングテープ非伸縮タイプ C25F2(ニチバン)25mm×12m 2ロール入 今、話題のヨガ&ストレッチで健康に(^^)/人気シリーズの2代目が新登場!ナイキ ヨガマット2
2005/03/04
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昔から思っていたことの一つに、「なぜ3月3日は祝日じゃないんだろう」というのがありました。5月5日が「こどもの日」ということですが、どう考えても、これは「男のこどもの日」であって、「女のこどもの日」は3月3日です。それに、ついでだから、ぞろ目の日は全部祝日にしてしまえばいいのに、とも思っていました。以前、10月10日は体育の日でしたし、7月7日の七夕だって、やすんでもいいじゃないか、何にもないけど、2月2日も、4月4日もこじつけて祝日にしてしまえ、まあ、かってな一国民のたわごとです。子供の頃から、自分はおひなさまと同じように3月3日に結婚するのだ、とも思っていました。なぜなら、私はおひなさまの生まれ変わりだからです。全く意味不明ですが、幼い頃、だれかに吹き込まれたホラをずっと信じていたんです。だいたい、おひな様って何者なのかも分からないし、どんなお内裏様と結婚するはめになるのかもさっぱり不明でしたが、私は3月3日に本当に結婚してしまいました。もう一つ、なんでそう思い込んでいたのか忘れてしまいましたが、占いか、暦か何かで「3回結婚する」なんて言われて、普通1日で済ます所を、3日に分けました。結婚式と披露宴と籍を入れた日が、全部違うんです。そういう意味では結婚記念日は3日あります。最初のは、3月3日、ホテルで、親族だけの結婚式。1ヶ月以上あいて、今度は結婚式場で職場の方々や、学生の時の友人、恩師をお呼びして披露宴。さらに、もう一度、友達の友達もみんな呼んで、船を借り切って、東京湾クルージングパーティを盛大にやってしまったんです。親からの援助も相当ありましたが、この芸能人のような派手なパーティには莫大な費用がかかり、結婚してから5年間はその借金を払うために「意地でも離婚できない」状況にありました。今から考えると、若くてアホだったとしか言いようがないんですが、絶対に忘れられない、いい想い出になりました。一生に一度くらい、馬鹿な大散財をすると、そのあと自粛していい大人になれるんではないでしょうか。今、私達が本当にいい大人なのかどうかは、別として、とにかくこの結婚がなければ、「社交ダンスA級への道」もなく、ここに立ちよっていただく方々とも知りあうこともなく、もっとつまらない人生を歩んでいるかもしれないのですから、この場を借りて、主人に感謝。楽しい人生を、ありがとう。******o ******o ******o ******o ******o東京湾クルーズいろいろフランス料理・東京湾ディナークルーズ[Sセット]大人フランス料理・東京湾サンセットクルーズ[Sセット] 大人フランス料理・東京湾ディナークルーズ[シェフおすすめ料理]大人フランス料理 東京湾ランチクルーズ[和風膳] 大人イタリア料理・東京湾ディナークルーズ 大人クルージングブッフェ(バイキング料理)東京湾ディナークルーズ 大人
2005/03/03
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いつも何かしら忘れ物をする私が、今回忘れたのはスタンダード用の髪飾りでした。それがなかったお陰で、頭が少し小さく見えて、返ってよかったのかもしれません。今までの試合と少し勝手が違ったのは、時間短縮のためか、ワルツとタンゴを続けて同じヒートで踊り、全員が踊り終わると、次にスローフォックストロットを踊るという競技方法でした。予選は3回、76組のうち準決勝に進めるのは12組です。最初の、ピンチは2次予選のスロー。出だしで3歩出ては止まるを、3回も繰り返してしまいました。別のカップルと交錯しそうになって、道を譲っていたためです。そのせいで、半周したところで音楽が終わってしまいました。このときは、タンゴもイマイチだったので、今日はこれで終わりかと、私は早々に陣地に引上げて、また、オニギリを食べていました。スコアを見に行った彼が、そこに戻ってきます。「通過してたよ。一次よりいい点だった。もうすぐ、3次予選だから早くおいで。」1次はかろうじて予選通過している状態でしたが、今回も踊っていくうちにだんだん調子が上がってきて、ポイントもどんどん入るようになってきました。次のピンチは、準決勝。彼は、最初のワルツで足がつったそうです。お昼御飯を食べないで、ずっと踊っていたせいで、エネルギーが切れたに違いありません。もう、夕方の6時に近い時間です。足がつったまま、タンゴ、スローまで踊りきるなんて、彼は、本当に素晴らしいダンサーなのでしょう。私だったら、足引きずって退場します。今回C級戦スタンダードで初めて決勝に進みました。決勝では、彼が2度滑りました。タンゴのファイブステップで、ずるっと突然いなくなって、思わず笑っちゃいましたが、しりもちつくほどではなく、瞬間的に復活するのでギャグみたいです。スローでも、もう一度ツルリ。彼の方は、必死だったに違いありません。一方お気楽な私は、競技に使われた音楽がどれも素晴らしくて、思わず、踊りながら聞きほれていました。知っているミュージカル曲や、オペラの曲、まるで、天上の歌声のような美しいソプラノにのって踊るワルツは、戦いを忘れてしまいそうでした。もし天上界で神々の戦いがあるとしたら、こんな、美しい戦いに違いありません。色とりどりのドレスがキラキラと輝きながら、スウィングの度にひらめいて、雲間に舞うシルフィードのよう。撮っていただいたビデオを見ると、私たちは、風のように、その間を走り抜けていきます。この神々の戦いを制して、私たちは準優勝に輝きました。応援して下さったY家の方々も、大喜びで、本当に嬉しかったです。車が苦手なお母さまは、新幹線で家路に付かれ、私たちは、また、Mさんの運転する車に便乗させてもらって東京に帰りました。もう雪もすっかり溶けて、帰りは2時間弱で到着。新幹線より早かったかもしれません。空には、干し柿みたいなオレンジ色の月が、不思議な感じで浮かんでいました。車を置いて、御徒町で祝杯をあげました。久しぶりにトロフィーを2本もゲットできたのです。そりゃもう、ご想像の通り、ビールの味は最高でした。(おわり)この中の曲、かかりました。屋根の上のバイオリン弾き ACADEMY LIBRARY(期間限定) ◆20%OFF!<DVD> [GXBJB-16164]ロミオとジュリエット(1968年度制作版)【PPA-102276】 =>20%OFF!《発売日:05/01/05》◆ 【音楽CD】ワーグナー:楽劇《神々の黄昏》 全曲◆ バレエ「ラ・シルフィード」《全2幕》◆ ダンス音楽こちらからどうぞ
2005/03/02
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準決勝のサンバでは、衣装が引っ掛かって焦りましたが、そのあとのチャチャチャ、ルンバ、パソドブレは問題なく踊ることが出来ました。一週間前に始めた「アルファー・リポ酸」計画は、私には今のところなんの変化もありませんが、彼には素晴らしい成果をもたらしたようです。試して2日目に、いつもはいていたGパンが「おなか、ブカブカ」になり、入るかどうかあやぶまれていたラテンの競技ズボンが、見事はけるまでにお腹の脂肪がとれていました。雪と凍結のために通行止めが続いた東名高速道路は、2時10分にようやく解除となり、迂回路も大混雑で、参加を断念された選手が多かったようです。他の競技でも、「○番欠場です」という放送が何度も入りました。また、ようやくたどり着かれた選手を待って、競技が30分ほど遅延していました。外は、明るい太陽が降り注ぎ、昨日の雪など嘘のようです。体育館の窓からは、方向が悪いのか富士山は見えませんでしたが、外に出たらきれいに見えるのかな、などと思いながらオニギリを食べていました。そこへ彼がやってきて、「決勝に残っちゃったよ」と、いうではありませんか。はっきりいって、予想していなかったので、オニギリがのどに詰まりそうになりました。これも、雪で何組かの有力選手が来れなくなったおかげかもしれません。しずおか選手権には大変見ごたえのあるA級選手が何組も参加されていました。決勝には、日本のトップ選手に成長した静岡を代表する双子の競技ダンサー、久保田組を始め、2002年の三笠宮杯で、ウリナリと一緒に1級戦に出て優勝し、今、高校3年になった大村組、去年、一緒にB級戦で戦い、何度も優勝を飾った田中・小林組など、素晴らしい選手ばかりです。撮ってもらったビデオでよく分かるのは、もっと体を目一杯使わないといけないということ、もっとリズムにはっきりした変化を見せないといけないということです。他にもいろいろ比較してみると、課題満載です。決勝のルンバで、ちょっと出遅れてしまいました。というのは、いつも練習会でチャチャチャを練習している曲がかかったからです。きっと、間違えたといって、すぐルンバの曲に切り替わるんだろうと、しばらく待っていると、みんなそれでも次々と踊り始め、私たちも腑に落ちないまま踊り始めました。それとも、いつも練習に使っているのはルンバの曲だったのでしょうか。しずおか選手権ラテンの結果は、6位でした。私たちは、それでも大満足で、決勝に残れただけでも「うそみたい」と思っていたくらいです。なんと、トロフィーをもらうのは去年の6月以来8カ月ぶり。決勝が終わって、まだ汗もひかないうちに、スタンダードのC級戦です。私たちはバタバタと着替えて、次の競技に向かいました。予定では76組出場とのことでしたが、やはり雪のため何組かは欠場されたようでした。出場組数が前回の試合の半分以下ですから、昇級のチャンスです。C級戦で年間を通じて2回以上決勝に進むと、B級に昇級することが出来ます。今回もう一つ私たちが有利だったのは、体育館が広いので、思いっきり踊っても大丈夫ということです。前回は、半分踊って角に来てしまっていましたが、今回はその心配はありません。種目は前回と同じ、ワルツ、タンゴ、スローフォックストロットです。(つづく) TVあるある大辞典で話題のαアルファリポ酸+CoQ10配合夕亜【3月1日より順次発送いたします。】 ★楽天スーパーポイント10倍★【スーパーブロウ】■2個で送料無料■3個で代引料も無料■セルラ... αリポ酸(アルファリポ酸)
2005/03/01
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