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【左側の顔面痙攣 エピソード255】5/27(金)体調はかなり良くなる。だが、一気に食べられなくなったのでお腹はぺったんこになる。それにしても、なぜこうも季節の移ろいに身体が付いていかない。ぐったり寝込んでしまった1週間だった。そして、まだ5月なのにこんなに暑いなんて、私は今年の夏は越せるのかと毎年真剣に思い悩む。もう、死活問題に近いのである。5/28(土)お腹の調子が悪い。5/29(日)久しぶりに美術館へ行く。素晴らしい!幸せ♪5/30(月)お隣さん宅の外壁工事も含め、あちこちで工事をしているので、本当に毎日工事現場の中で暮らしているようなものである。日曜日だけは休日なので街がしーーんとなり、普段はこんなに静かなのだなといつも思う。それにしても、家というものは、壊すのも一瞬なら建つのも一瞬である。今日は涼しくてうれしい限りです。5/31(火)私、復活。ブログ開設3000日ですって!
2016/05/31
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きれいだよ紫陽花の青が大好きです。みなさん体調は大丈夫ですか?
2016/05/30
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第八十回「私、社会復帰できますか?」結局私は切羽詰まっていないのだ。母に食べさせてもらっている身だから。35歳にもなって。なんて腑甲斐ない私。(2016.2.13. 13:00)
2016/05/29
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第七十九回「私、社会復帰できますか?」発病した時は、生活やそれまで築き上げてきたものなど何もかもが一瞬にして奪われ、諦めなければならなかったことが山ほどあった。神様は心底不公平だと思った。これだけがんばってきたのに心底理不尽だと思った。特に、当時の仕事を諦めたことは本当に辛かった。でも、発病して8年半が過ぎ、私は一体どんなことを諦めたのか、どんなことに理不尽さを感じたのか、もう忘れてしまって思い出せない。(2016.2.13. 12:00)
2016/05/28
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映画はいうまでもなく美術である「わが恋を犠牲にすること、それが裏切りであるとは思われなかった」「で、お前さんは?お前さんもやっぱりはみ出し組かい?悪たれ組かい?追っぱらわれ組かい?」「きみはひじょうに純粋な人間だ。それはきみの美点でもあり、欠点でもある。きみ自身は純粋な性格だから、人生のすべてが純粋な現象から成り立っていることを望んでいるけれど、実際は、そんなものじゃないんだ。現に、きみは社会的な活動を軽蔑しているけれど、それは仕事がつねに目的と一致することを望んでいるからなんだが、そんなことはありえないのさ。きみはまた、あるひとりの人間の活動がつねに目的をもっていることを、愛情と家庭生活とはつねに一体であることを希望しているんだが、そんなわけにはいかないのさ。この人生の変化も、魅力も、美しさも、どれもこれもみんな、光と影からできているものなんだからね」「わしだって、何も知らないほうがよかったと思うことがしばしばある」「おれのやるべきことは、ただ一つしかない。それをこそ考えるべきだし、そのことをはっきりと考えぬいて、あとは、何ごとも成行きにまかせるべきで、いたずらに気をもんではいけないのだ。気をもむのは恐怖をもつのと同じくらい愚劣なことだ。それは、物事を、いっそうむずかしくするだけだ」「権力!そんなものはつまらぬものじゃありませんか。愚者の尊敬、小児の感嘆?富者の羨望、賢者の侮蔑」「彼は、子供のころからいつも《否!》と言いつづけた。それこそは、彼にとって、ただ一つ自己確認の方法だった。人生にたいする否ではなかった…社会にたいする否だった。ところが、今こそ最後の否、すなわち、生きるということにたいしての否なのだ…」「僕の使命は、僕が死んでも生きている!」「日本人の約8割が、イイ子行動特性といわれる行動をします。人から認められたい、嫌われたくないという思いから、イエスマンになってしまうことです。自分の思いや考えを伝える準備をしておきましょう」「人生、深く考えず、好きなように進んでも、いつか道は天竺に続くのかもしれない」
2016/05/27
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【左側の顔面痙攣 エピソード254】5/23(月)暑いなー。身体がピリピリするのは神経痛だろうか。5/24(火)昨日とおとといは本当にしんどかったが、少し体調は楽になる。5/25(水)蛙さんが賑やかだ。さて、今年は蛙さんの写真は撮れるでしょうか…?5/26(木)月曜日からお隣さん宅の外壁工事が始まっている。耳をつんざくような騒音。1ヶ月はかかるんですってー。むしむしむしむしむしむしむしむし。
2016/05/26
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アキヲです。このかっこいいねこちゃん、これは誰でしょう。アキヲです。ではこれは?これは知らないのらねこちゃんです。わかりますか?ではこれは?アキヲハウスがお掃除中だから追い出されたアキヲです(笑)
2016/05/25
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来月で9年数年前からうすうす感じ始めていたこと。でも、ここに綴ることは果たして許されることなのか、ずっと憚られていたこと。この度、おぼろげだったものが確信へと変わったので、そして私は難病患者だから、敢えて綴ろうと思います。MSを発病し、来月で9年を迎えます。今となっては遥か昔の出来事のようですが、あの頃の絶望は今でも手に取るように甦ってきます。なんで私が?何か悪いことでもした?だったら病気になるのは妹でもよかったんじゃないの?そんなことしか考えられず、まだ26歳なのにどれだけ理不尽な想いをしたか、どれだけのものを諦めたか、将来への悲観、健康な人への戒め、まるで私は説教者であるかのように日記を認めていました。どれだけの苦しみを味わったかを惜しげなく披露することで満たされ、それが当時の怒りをぶつける場所がない日々の安らぎだったように思います。でも、年月を経るにつれ、それは逆に「恥さらし」だったのではないかと思い始めたのです。病気というものは、自分自身が日々の生活の中で着々と積み上げ、結果創り上げられたものだと思います。不規則な生活や暴飲暴食、もしくは苦労を避けて楽な道ばかりを選んで生きて来たなど、それらは人によってさまざまだと思いますが、何より一番の影響を及ぼすのは心の在り方ではないでしょうか。私は、がんばってもがんばってもまだ足りないと、身体はもうこれ以上は無理だと切実な声を上げていたにもかかわらず、仕事やらピアノやら資格の勉強やらとにかく必死に予定を詰め込むことで自分を無理矢理正当化していました。認められたい、その思いだけが拠りどころとなってなんとか精神が保たれていたと思います。忙しくしている自分が好き、という人がいますが、それとは違ったように思います。絶えずがんばっていなければならないというような切羽詰まった感に自分で自分を追い込んでいたという表現に近い気がします。なぜそうなったのかというと、おそらく不登校の頃に遡ってしまうことでしょう。何もすることがなく引きこもっていたあの恐怖の2年間には何が何でも戻りたくないという反動がすべてを占めていたと思いますが、ここでは割愛します。そのように私は他人からの評価にばかり捉われていて、自分を自分で認めてあげること、よくがんばっているねと褒めてあげること、もう十分なんじゃない?と現状に満足することをこれっぽっちも顧みない病的な状態に陥っていました。もう思考が先へ先へと突っ走ってしまい、忙しくしている日常が当たり前、現実問題毎日が忙し過ぎて少しも振り返る余裕もなく、ふいにある目標が達成されて予定がなくなると何かしなければならないとあたふたと焦り始め、また次の目標をどこからか見つけ出す始末。要するに、自分で自分を苦しめていたのですよね。その結果、ご存知の通り発病しました。心と身体は繋がっています。身体が赤信号を発していたら心も赤信号を、心が赤信号を発していたら身体も赤信号を発しているのです。私の場合、赤信号どころかもう警告のレベルだったように思います。自律神経は大きく乱れ、その他アトピーを含めありとあらゆる不調が身体を支配し、ふと疲れが溜まって弱った瞬間にインフルエンザを発症してしまい、それが引き金となりました。すべて自分の行い、いえ、9割は心の行いが原因です。身体の発する声に無視することなく、その都度耳を傾けていたならば、もしかしたらここまで大きな病気を発病することはなかったかもしれません。難病だなんてそんな未知の世界に存在する病気などに自分がなるなどとは、微塵も頭をかすったことはなかったですもの。まさか自分がそんなことになるはずはない、いえ、そんなことすら考えたこともない、というほどに馬鹿だったのです。発病して9年、10年目を迎えるのを前に、自分の中である区切りが付いた気がしています。そんなこれまでの不登校をも含めすべての自分を受け入れ、それが私という人間であり、これからもこれが私自身だと認められたこと、それが一番大きな理由です。それに加え、ここに綴ってきた自分治療や趣味を持つことの素晴らしさ、日々感謝の念と危機管理と心積もりを忘れないこと、決して決して身体が発する声を聞き流さないこと、いえ、自ら事あるごとに何?と聞いてあげること、身体と心の両面からこつこつと向き合ってきた結果です。これからは、苦しく虚しく空回りした心ではなく、清々しく現実をしかと見た無理のないありのままの心をより多く綴ることができるよう努力します。もちろん生きていれば荒波は押し寄せますが、身体と心がより健康である日々を目指して、病気とも共存しつつ、私らしくしっかりと生きていきたいと思っています。
2016/05/24
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「個性」のちに「役わり」「友人の都会生活を内心軽蔑し、その勤務をくだらぬものとして、冷笑していた」「女性はしばしば平凡な醜い男を愛するものだという話は聞いていたが、彼はそれを信じようとはしなかった。というのは自分を例にとってみても、彼が愛することのできたのは、ただ美しくて、神秘的で非凡な女性だけだったからである」「すなわち、人間の行為における心理的現象と生理的現象とのあいだには境界があるか」「いつでも舌の先に用意されている皮肉で、自己満足しているんだから」「この群集の中で彼女を認めることは、刺草(いらくさ)の中でばらの花を捜すように、いともたやすかった」「今ぼくときみは、あまり早く満腹しないようにと、牡蠣なんか食べているじゃないか」「世界じゅうの娘たちは二つの種類に分れているのだ。第一は彼女をのぞいた世界じゅうの娘たちで、それらの娘たちはあらゆる人間的な欠点をもった、もっとも平凡な娘たちであり、第二の種類は彼女ただひとりで、それはなにひとつ欠点をもたない、いっさいの人間的なものを超越した存在であった」「 プーシキン」「われを許したまえ、その功(いさお)しによらず、み恵みによりて、」「きみ、女というやつはね、それを中心にいっさいのものがまわっているんだからね、」「一齊に立て、明日、日の出とともに!」「愛で給う神々は ー 同時にな ー 憎みもし給うのさ」「自分に棄てるべき部分があれば、それをけちけち選りわけてから棄てるという、おどおどした道楽者らしい態度で人生を渡って来た」「自ら求めて死ぬということ、それは棄権とはちがっている。それこそ、一つの運命に、花を十分咲ききらせることにほかならないのだ!」
2016/05/23
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【左側の顔面痙攣 エピソード253】5/19(木)ヘルペスさんこんにちは。1月、3月、5月と最近頻繁にできている。そんなに疲れているのだろうか。朝から遠くの方で小さく動くアキヲのシルエットを確認する。家のすぐ近くで、赤いバンダナをしたねこちゃんと出会う。わぁバンダナがマントみたいにはためいていてかわいい!どこのお宅のねこちゃんかしら♪5/20(金)小満今回のヘルペスは鼻の下。小さいけど、跡形は残るだろう。まぁ、鼻の影になっていてそんなに目立たないからよしとする。ところで、ヘルペスができても、もう数年前から薬は使わず放置するようにしている。自然治癒力の威力を鏡を見る度に感じる訳である。暑い。しんどい。帽子も日傘もなしではそろそろ歩けないな。5/21(土)私、たぶんフランス映画が好き。窓を大きく開け放つ季節となった。どこからか風に運ばれてピアノの調べが私の耳に届く。全部、弾いたもしくは知っている曲だ。たぶん有名な曲が一枚になったCDね。久しぶりに、少し、弾きたくなるよね。5/22(日)満月昨日、ぴかぴかのお月さまを仰いでからぐっすり眠る。この季節特有のしんどさ。取り憑かれたようにだるいなと思っていたら、そうか、今日は満月なのであった。
2016/05/22
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わたしは小学生?一軒家を購入する予定の妹家。まだ契約はしていないが、もう工務店の方との面会も済ませたらしい。私は反対だったのだが、今住んでいるマンションが5年以上も住んでいるのにもかかわらず購入時よりも高くで売れる見込みらしく、それが妹夫婦の一軒家購入の後押しをしている模様。なるほど、そんなからくりがあったとは!それなら夢の一軒家へ、と踏み切るのも無理はないわね。今若い人たちに人気の土地なので、みんな都会から移り住むんですって。ほほぅ〜。なんだかますます先へ進んで行く妹夫婦。もう私とは住む世界が違い過ぎて、私なんて妹夫婦から見たら小学生のような暮らしぶりなのだろうなと思えてくる。はて、この一軒家購入は吉と出るのか凶と出るのか。いずれにせよ、もんもん育てとローンは大変だと思うけれどね。形だけの姉としては、妹夫婦のこれ以上の心と身体の無理がないことを願います。(因みにお姑さん夫婦と同居ではありませんよ。妹夫婦ともんもんのお家です。おそらく4月には消費税が上がるから、それまでに買うんじゃないかと睨んでいます。)
2016/05/21
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第七十八回「私、社会復帰できますか?」派遣の登録でもしようか。(2016.2.11. 18:30)
2016/05/20
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恒例の写真展へようこそ。やっぱりねこちゃんを撮っている時が一番楽しいかな。動物が言うことなんて聞くはずないから、たまたま良い写真が撮れた時は本当にうれしくなるよ(笑)やまぼうしの花咲いた。エメラルドグリーン。アート作品のように撮れた。お気に入り。
2016/05/19
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【左側の顔面痙攣 エピソード252】5/16(月)妹ともんもんが帰宅し、一気に静けさが戻る。「嵐は去った」と母が言う…。あのリビングの散らかりは幻だったのかしら。私はすぐ図書館へ行ったので、もんもんと付かず離れず過ごしたのはほんの1時間ほどだったが、大いに疲れたらしく、今日は一人の時間が新鮮に思える。と、ピアノの椅子にバイキンマンとカレーパンマンのシールがこっそりと、でもほどよく目に留まる絶妙の位置に貼られていることに気付く。おそらく妹の仕業だろう。企み顔が目に浮かぶ。仕方ない、そのままにしといてやるか(笑)妹は昔からこういう茶目っ気を持ち合わせているのです。5/17(火)もうすぐ80歳になるというとても元気な女性が、今時の子どもの名前はなんだか宗教じみていると言っていて、妙に納得してしまう。そういえばいつだったか、あるパパが息子を呼んだのだが、「ぞーへー」と言った。美術館マニアの私には「造幣」としか漢字が浮かんで来ず(苦笑)一体どんな漢字を書くのでしょうか。9割方「へー」は「平」。「ぞー」はまさかの「象」?……………。5/18(水)最近は幼稚園の子どもまで歩きスマホ。おしゃれな感じのブックカフェへ行ってコーヒーを注文したら、湯気の「ゆ」の字も立っていない生温〜いコーヒーが運ばれてくる。「あっさり」とメニューには書かれていたのだが、あっさりなんてほど遠く、生温さのせいでもった〜りしたお味がする。久しぶりにこんなにまずいコーヒーを飲んだなとかなり驚く。
2016/05/18
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第七十七回「私、社会復帰できますか?」これだけ自分だけの世界に閉じこもっていて、年々気難しくなっていって、社会に出ていけるはずがないではないか。(2016.2.11. 18:30)
2016/05/17
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居場所はどこだ悪いのは全部私。母に一切の口をきかない私。もう何年も母の顔など見てもいないし、母の前で声を発していないし、もちろん会話などしていない。私はただただ無言で無表情を装って日々を過ごす。なるべく物音を立てないように、感情など微塵も出さないように、下を向いて食卓につく。母と一緒に過ごす時間は夕食だけ。あとはすべて自室にこもり、解放された私だけの時間を優雅に過ごす。が、いつ母が入って来るやらわからないので、正直気が気でない(私の部屋から洗濯物を干し、取り込むので)。何度も何度も部屋に鍵を取り付けようかと考えたが、それだけはやっとの思いで自制している。「私が居ても場を乱すだけだし、不愉快になり、せっかく実家に帰って来ても楽しめないと思う。」もんたともんじがいるから尚更だ。私を除いて家族団欒で過ごしてほしい。本当にそう思っている。私が全部悪い。それ以外に理由などない。私の母への憎しみは相当深くに根ざしていて、深刻なのである。この気持ちは決して誰にも理解し得ないだろう。もうこのままでいい。もう母との関係が改善することは一生ないと思う。もう、そっとしておいておくれ。妹ともんもんが泊まりに来る前日、こんなことを考えていると、おもむろに痙攣が始まるのであった。
2016/05/16
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【左側の顔面痙攣 エピソード251】5/14(土)妹ともんもんが泊まりに来るというので、お出かけする。行きたかったところへ行ったりしていつも通り結構楽しく過ごす。夕食を外で食べることはめったにないのだが、久しぶりに外で軽く済ます。おいしい。10時頃帰宅。リビングに入った瞬間、おもちゃ箱をひっくり返したような散らかり様に唖然とする。バイキンマンのシールが床に引っ付いているし、二人分のおむつや服が山のように盛られ、ここは夜逃げ現場かしら。ちらと覗くともんたは蛙さんの足をしてすやすや、もんじはブブブブブといびきをかきながら夢の中。もんもんの寝顔を見ながら、妹と1時間ほど姉妹他愛のない会話を交わして寝る。5/15(日)早朝からとても元気な声に起こされる。もんもんとご対面。だぁれ?という顔をしてきょとんとしているが、昨日から「ママのお姉ちゃんの尚と明日会う」というお膳立てがされていたらしく、尚、尚と呼び捨てで連呼される。もんじに「もんちゃん(もんじの)ママ?」と聞かれ、私はおかしくて笑いが止まらない。私ともんもんとの再会はいつもハイタッチと決まっている。私がもんもんの顔の前に手をパーにして出すと、人見知りしないもんじがまずタッチ、少し緊張して恥ずかしい顔をして妹の背後に隠れ1分ほど様子を見た後にもんたが小さくタッチ。はい、お友達ね、という感じになる。その瞬間から、扱われ方はママと同等になる。始終家中を走り回り、どうやら忙しいらしい。プレゼントがあるよ、な〜にかなと言うと、うーーんとー、えーーっとー、と二人に同じにやにや顔で見上げられ、ふむふむ双子だな、と思う。それぞれに絵本をプレゼントすると、うれしそうな顔をして大きな本を脇に抱えて大急ぎでママの元へ飛んで行き、もらったよ!とぎゃあぎゃあ大騒ぎ。ママに順番に読んでもらい、まぁ、喜んでくれたと思う。私はいつも絵本をくれる人だと合点はいっているらしい。それにしても、もんたももんじも大人と普通に会話ができるようにまで成長した。思った以上に大人の会話が理解できているようで、子どもの成長とは本当に著しいこと極まりない。絵本も、理解が「絵」から「物語」へとステップアップ致しました。8月で3歳になりますのよ。もう小さな大人ね。体の大きさは年子と言っても通るぐらい差が開いてきた。ご存知の通りもんじの方が遥かに小粒だ。もんたは生まれつき骨格ががっしりしていたので、これからもっと大きくなると思う。もんじは…、まぁ小粒なままでしょうね。ただ、もんじの方がお口は達者なようですわよ。五分五分の取り合いっこのケンカが絶えない双子の男の子の子育ては心底大変だと思う。男の子にしてはおとなしい方だとは思うが、体力はびっくりするほど有り余っているよう。このまま元気にすくすく大きくなりますように。また大きな声で尚と呼び捨てしてね。尚おばさんはもんもんに会えてうれしかったわ。また遊んでね。
2016/05/15
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第七十六回「私、社会復帰できますか?」急にパートナーがあれやこれやと私にできそうな仕事を見つけてきて、どうかと問う。もうすぐ新生活が始まる時期だからね。(2016.2.11. 18:30)
2016/05/14
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【左側の顔面痙攣 エピソード250】5/11(水)雨の日が続くと調子が悪い。気持ちがどんよりし、体も重たい。とにかく、歩きたくて、お散歩に出る。カフェで隣に座る男性がイタリア語の勉強をしているらしい。一人は堪能、もう一人は中級といったところか。ところで、例えば2年前にお世話になった人に2年ぶりに再会する場合、「2年前は大変お世話になりました。ありがとう」というしゃべり出しはイタリアには存在しないそう!もう2年前にありがとうと言ったのだから更に何回も何回もお礼を言うことはしつこいんですって。ほほぅ、勉強になるわね〜。「今」を基準に話し始めたらいいのね。なかなかおもしろいカフェ時間を過ごす。5/12(木)あさってのことを考えるとすっきりせず。やっぱり歩きに行く。のらねこちゃんを4匹も(それとアキヲの足だけ)見る。地元の図書館では一冊につき2週間借りられる。もし次に予約をしている人がいなければさらに2週間延長できる。つまり、最大4週間借りられるということだが、なぜかたった一冊の350ページほどの小説を読み終えることができなかった。仕方なく半分ほど未読のままで返却する。はて。おもしろくない訳ではなかったのに。きっと気分が乗らなかったのね。また改めて借りるとするか。5/13(金)私、発病したのが6月だったし、顔面痙攣が始まったのも6月だった。なんとなく私の要注意月間は5月と6月だと思う。おそらく気候の影響を受けやすいんだろうけどね。なるべく慎重に、より慎重に、穏やかに過ごすように心がけよう。明日は妹ともんもんが泊まりに来る。痙攣がむくむくと顔を出す。逃亡場所は、決まった。
2016/05/13
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美しい傘は、雨の日の、花なのです「嘆いても返らぬことは、それ自身のうちに慰めを持っているのだ」「敵…何がいったい敵なのか?フランス人、ドイツ人…出生による偶然…人としておなじもの!」「ごく自然に自信をもつようになったひとは、自分の考えをいじけさせずに、いつもおおらかにしていられるのだ」「人っていつかは一人になってしまうものです。自分で自分をいたわる、っていうか、あやしながら楽しませる必要があると思うのです。心をカサカサにしないように、自分一人でも楽しめる方法を、見つけ出すようにすることです」「ひとにはちょっと言えない、いやなこと、つらいことが、ときにはあるものです。急に冷込みに襲われたようなそのショックは、私から食欲をうばい、睡眠までうばってしまいます」「眠りによってすべてを忘れることは、すくなくとも、夜が来るまではできない」「大多数の人びとと新聞のいだいている見解とまったく同じものを堅持していたし、大多数の人びとがその見解を変えるときにのみ、自分の見解を変えた。いや、彼が見解を変えたというよりも、見解そのものが、いつのまにか、彼の内部で変化するといったほうが当っているかもしれなかった」「今となっては、偽りのほか、なにも期待することはできない。しかも、偽りは彼の本性と相入れぬものであった」「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」「その日その日の要求によって生きねばならぬ、つまり、くだらぬことは忘れてしまわねばならぬ」「あのドイツ人は時計のねじを巻くために、自分のほうも一生涯ねじを巻かれている」「子供は自分のはにかみがこっけいに見えるだろうと思って、いよいよあがってしまい、ついには涙がにじむほど赤面するものである」「ふたりは互いに理屈では相手の仕事を認めながらも、心の中ではそれを軽蔑しているのだった。ふたりは互いに自分の送っている生活こそ唯一無二の真実の生活であり、相手の生活など幻にすぎないという気がしていた」
2016/05/12
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マイテリトリーやっぱり、いつまで経っても、あまりに他人との距離が近いのは苦手なままです。エレベーターは極力乗りません。例えば、商業施設などの10階に行きたければエスカレーターで地道に一階ずつ登ります。また、その日の体調など時と場合によっては閉所恐怖症にもなりうるからという理由もあります。電車もぎゅうぎゅうならば見送ります。周りを集団に囲まれそうになったら、その威圧感から怖さを覚えるので、失礼かとは思いますが、あからさまにならない程度にそっと移動します。これでも以前よりはかなり良くなりました。異様な汗はかかなくなりましたから。でも、どうしても他人に踏み込んでもらっては困る私を取り巻くテリトリーというものは、他の人より大きいと思います。ただ、わかっていることは、もしそこにパートナーが一緒にいれば大丈夫だということです。神経なんて、所詮そんなものなのです。
2016/05/11
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【左側の顔面痙攣 エピソード249】5/6(金)雨の日が多いですね。よーく眠る。5/7(土)新月少しだけ遠出して美術館へ行く。妹から無料のチケットをもらっていたのだった。おそらく半年ぶりだが、なんとなく懐かしい場所というか、行く度に家に帰ってきたのと同じような気持ちになれてほっと落ち着く。と、帰宅中に五ェ門に会い(というかある場所へ行くと90%いる)、これまたアキヲハウスへ帰宅中のアキヲにも鉢合わせする。あら、偶然ね♪アキヲもお出かけしてたの?5/8(日)朝からねこちゃんが追いかけっこをしているところを見る。良い日になりそうな予感は的中し、良い日になる。左側の片側(へんそく)顔面痙攣は来月で2年になるにあたり、ようやくまぁまぁ落ち着いたかと思う。ただ、完全に止まることはない。なんでもない日々を過ごしていても、忘れた頃にピクっと震え、あぁ、そういえば痙攣していたのだったと自分が自分に気付く。5/9(月)連休、終わりましたね。そして雨、ですね。5/10(火)毎日、過ぎるのがとても早いですね。もう、あっという間に半ばですね。
2016/05/10
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本日の3枚写真は楽しいなぁ!腕立て伏せ。岩合光昭さん風。オレンジローズ。
2016/05/09
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第七十五回「私、社会復帰できますか?」私は、all or nothingなのだ。仕事をお金を稼ぐためと割り切ることはできない。仕事が趣味の延長であり、そこに楽しみを見い出すことができ、私自身の生きてゆく糧になるもの。それが私にとっての仕事という分野の在り方なのである。あるいは、今のように「ゼロ」か。(2016.2.8. 20:30)
2016/05/08
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第七十四回「私、社会復帰できますか?」正直、私はどんな仕事がしたいのかもわからない。このままのんべんだらりともう働きたくないのかもしれない。(2016.2.8. 20:00)
2016/05/07
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2年弾いていない左側の片側(へんそく)顔面痙攣が始まって来月で2年になる。つまり、ピアノも弾かなくなって2年になるということだ。先生に教わることなく初めて自分の力で一曲仕上げてみようと練習していたのだが、まさかの痙攣が始まってしまい、あっさりと挫折し、それから2年も中断しっぱなしなのであった。演奏する者にとって、楽譜は財産だと言う。大掃除をしたり、整理整頓をしたり、不要な物はなるべく溜めずに処分してきたが、楽譜だけは捨てられない。コピー譜(コピー機でコピーした楽譜)はやっぱり価値が格段に落ちるのでかなり処分したが、本としての楽譜というものは、書き込みや手汗やめくり皺が生々しく残り、演奏している瞬間の高揚感が鮮明に蘇る形あるものであるので、私にとってはかけがえのない財産なのである。いえ、処分する気は毛頭ない。今はピアノはしばし休憩中だが、やっぱり心のどこかでは自分の納得した形でいつか復帰したいという想いがあるのだと思う。だが、それは今ではない。まだまだずっと先だろうけど、ふと弾きたくなって、堰を切ったように弾き始めるそういう日が必ず訪れるだろうと、私は感じている。
2016/05/06
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【左側の顔面痙攣 エピソード248】5/2(月)「彼女が何見ても欲しい欲しいって言う」とぼやく学生。あのね、それはとどまることを知らない「欲しい欲しい病」っていう病気ですわよ。お隣さん家はいち早く冷房と暖房を入れるのだが、もう冷房を入れている。最近どこへ行ってもコーヒーが「アメリカン」になった気がする。アメリカンを注文したらお湯割りのようになるのでは…気のせいだろうか。みなさん、もしや豆の量を減らしてはいませぬか?5/3(火)楽しい連休のはずなのに、なぜかみんな顔が疲れている。デモがすごい。5/4(水)風がすごい。連休はいかがお過ごしですか?私は大掃除をしました。5/5(木)立夏ねこちゃんの写真をいーっぱい撮る♪五ェ門にも遭遇する♪来週末妹ともんもんが泊まりに来るので、母が敷布団を買った。旦那さんが旅行らしいので、自分たちも負けじと旅行という訳である(苦笑)私は憂鬱でしかない。もんもんに会えるのは多少うれしいけれど、私は母がいたら楽しめないので、いつものように逃避行することにしようか…。毎回毎回何をやっているのだか。まったく自分が嫌になる。
2016/05/05
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あみもの、というのは旅のような気がします「読んだものが、ただちに役に立つような、ガラスの拭き方や、魅力的なお化粧法とちがって、心をゆさぶった精神的なショックは、その時よりも、あとでいつまでも心にしみてくるような気がします…」「経済的には女も独立しやすくなりましたが、精神的に自分の足で立っていられるひとが、そのなかに幾人ありましょうか」「ふり返ってみると、私もいろいろな本にめぐりあってきました。ごはんよりも本に夢中になる時期、というのが、誰にでもあると思いますが、年令に応じ環境につれて、手にする本が少なくなったり、かわったりいろいろします。でも、私もたちは、たいてい自分の世界の他にたくさんの世界がほしくて、本のページを開きます。つぎからつぎへ、一つの本の世界からつぎの本の世界へ移ります。そうしていながら、思い起して見ると、内容をすっかり忘れてしまったものもあり、ただ面白かったという印象だけがのこるものもあり、それはちょうど、ともだちにめぐりあうのと同じことで、つきあいかたが浅い場合も、また深い場合もあるのです」「きょうの怒りを明日に持ちこしてはいけませんよ。おこったままの顔で新しいお陽さまをあおいではなりません」「長年の結婚生活から口いさかいでは妻に花をもたせるほうが平和をもたらすゆえんだと悟っていたのである」「人生っていうのははかないものですよ、だから、なんでも、たのしいことを山のようにしておおきなさい」「若いあいだは、つぎからつぎと、日を重ねるほど逢う人が多くなり、ともだちも増えて行きます。けれど、ある時期から、別れのほうがずっと多くなって行きます。さらに年を重ねれば、ただ遠い外国の旅立ちの別れではなく、ほんとうの別れが、いくつもいくつもやってきます。肉親、おともだち、知人、さまざまな、深いきずなでつながっていたひとびとの別れ、決して、もう会うことのない別れがやってくるのです」「もう私たちの想う海はなくなってしまった」「自分たち、あのころ、なんと自信をもって未来を望んでいただろう!」「目に見ゆるものを見ることなく、見えざるものを見よ。目に見ゆるものは一時のものにして、見えざるものは永遠のものなればなり」
2016/05/04
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接写スタイルで広大な風景を撮ってみたいと思うけれど、どこかそういう絶景の場所にわざわざ赴かなければ、そう撮れるものではない。地元でもきれいな場所はあるけれど、どうしてもビルや電線が邪魔をして、美しい写真が撮れたとはとてもじゃないが言えるはずもなし。という訳で、だんだんその物体に接近して撮る「接写」になっていった。なぜなら、ビルなどの余計なものが背景に写り込まないからである。いつの間にか接写が自分のスタイルとなり、じっくりと観察しながら撮るようになった。お花の雌しべや雄しべ、ねこちゃんのふわふわの毛。近づけば近づくほど魅力的に映る。元はと言えば、お散歩中に出会うお花やねこちゃんを撮っている内に写真にのめり込んでしまい、趣味となった訳なので、結果それらを極めることになっているらしいのでよかった訳だ。美しい景色の写真はしばし置いておいて、お花やねこちゃんの細部までその良さを引き出した写真をこれからも残せていけたらいいなと思う。それに加え、どこかに私らしさを盛り込んだ写真を目指していきたい。「カラー」というやつである。(そう考えると、私がこれまで弾いてきたピアノにカラーはあったのだろうか。技術ばかりを追い求めていたのではなかったか?このブログは、まぁカラーはあるかと自負しているが。)また、数を当たる、というのは、確実に上達する手段であると私は思っている。(でもなぜか、撮った写真にさほど執着することはなく、このブログのように趣味で続けている写真のアプリに載せたら、それだけで満足してしまう私。一方、小言程度の日記ではなく真面目に書いた文章の日記であったらば、結構執着心が強いかもしれない。)全然逃げる気配もないのらねこちゃん。目が美しい。綿毛。シャガ。
2016/05/03
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第七十三回「私、社会復帰できますか?」カフェにて、隣の男女の会話。女「起業が流行ってるねんて。なんでやろ?しんどいやん」男「そんなん、誰かに使われるのが嫌やからやろ」いえ、私の場合、使われるのが嫌だからと言うより、誰かの下では働けない。それは私にとって多大なストレスでしかない。(2016.2.6. 11:30)
2016/05/02
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【左側の顔面痙攣 エピソード247】4/30(土)左の坐骨神経が少々疼く。長編小説を読み終えた後は、雑誌などをめくってしばらくふわふわとまどろむ時間を作るようにしている(もう次に読む小説は借りてあるんだけど♪)。それにしても、雑誌も良いと思えるものはほとんどないなと感じているので、いつも毎月2冊だけを借りている。近頃「それこそ」という言葉がはやっているのかしら。よく聞くけど、意味がよくわからないし、巷の会話は全然接続語としての機能を果たしていないと思う。というか、どういう時に使うのやら。本屋さんで平積みの本がざざっと雪崩のように崩れ落ちる現場を2回、雑貨屋さんでも塩こしょう入れの雪崩の現場、脚の長い椅子が一脚真横にガタンと倒れる現場、呼び鈴が落下してチンチンチンチンと狂ったように鳴る続ける現場に遭遇し、なんだか変な一日となる。でも、楽しくてかわいい映画に出会えて全部がトントンとなり、幸せ気分でよく眠る。5/1(日)八十八夜しかしアレですね、先日妹のお姑さんのお姑さんが亡くなりましたが、つまり旦那さんのおばあちゃんということですが、私が一緒に住んでいた母方のおばあちゃんなんてもう小学校低学年の頃に亡くなって数枚の静止画として記憶に残っているくらいだし、おじいちゃんなんてさらにその前に亡くなったので遺影とおばあちゃんよりも薄い記憶しかないし、父方の祖父母は年に数回しか会わなかったから妙に仰々しかったし、というか父さえ亡くなって来年でもう15年だし、地元の友達は成人式の時に3人目を身ごもっていたし、大好きだったカフェのおねえさんは40代後半でもう2人のお孫さんのおばあちゃんだったし、かと思えばお向かいのお宅は奥さんが急死したから父子家庭だし、そう考えればもんもんは尚家のおじいちゃん(父)のことはまったく知らない訳だし(というか、私は勝手にもんじは父の生まれ変わりだと決めてかかっている)、となると私は早くに祖父母と父を亡くしたとは言え両方の祖父母に抱っこしてもらえたことはある意味奇跡であり幸せなことだったと思うし、もんもんは双子という生物学的に不思議な多胎児で生まれたし、言い換えればそれは父といつかの時代に生きたもう一人の先祖が生まれ変わった証であるし、私はもう今年36歳で9割9分9厘子孫を残す確率はないだろうけれど、極めて辻褄の合わない話ですが、これもすべてトントンなのかしら?
2016/05/01
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