全30件 (30件中 1-30件目)
1
【左側の顔面痙攣 エピソード274】少しごぶさたしていましたが、左側の片側(へんそく)顔面痙攣は、相変わらずです。止まっている時もあり、ピクピクすることもあり、まぁ、やっぱり完全に止まることはないようです。これも足に遺るしびれと同じだと考えているので、これからも付き合っていく所存です。ここまで回復したのでよしとします。
2016/09/30
コメント(0)
父の日記父は読書が趣味でした。休日は一日中読書三昧。いつ父の部屋の前を通っても、片手に本を持って、椅子に座って足を組んでのけ反った静止画像のまま。額縁をつけて「それを横からみた絵」というのが、私の脳裏にある父の記憶の中で、もっとも大きい割合を占めているように思います。そして、毎日欠かさず日記も付けていました。ふふ、読書と日記、結局私は父と同じことをしているようですよね。来年で父が他界して15年になりますが、実はまだ父の日記を読めていません。いえ、何と言うか、大事に大事にしまわれて鍵のかかった宝箱を開けるような、私にとってはそんな勇気と心の踏んばりが必要なのです。その数冊の日記は他の雑多なものと一緒に本棚に並んでいるのに、軽い気持ちで手に触れてはいけないような、なんともそこだけ神聖なオーラを醸し出しているのですよね。そんなこんなで、あれよあれよという間にこんなにも時が経ってしまいました。そろそろ読んでみようか、と決心がつくのはいつになるでしょうか。うーん、まだもう少し先かなぁ。
2016/09/29
コメント(0)
ひょいと私は肩で風を切って自分から精力的に道を切り開いていくタイプではない。むしろ、じっとそこにうずくまって、太陽に照らされる日を忍耐強く待つタイプだ。でも、もし私の元に、どんなに些細なことであってもチャンスが巡ってきたならば、間違いなくひょいとそのチャンスに乗る準備だけは日々怠らないようにしているつもりです。
2016/09/28
コメント(0)
とんでもないえー何と言いますか、妹は最近ますます顔つきがするどくなってきまして、得意満面というか、自分は人生の成功者だと言わんばかりの札を貼ったような顔をしていまして、眉は少々吊り上がり、若干殺気立っているので近寄り難いです。新車を2台所有した辺りからますます拍車がかかりました。政治家の顔のような感じとでも言えば伝わるでしょうか。ちょっとでも歯向かおうものなら、秒殺でございます。もんもんはすくすく育って3歳になり、只今旦那さん念願の一軒家も建築中ということもあって、妹家はおそらく幸せの絶頂期なのでしょう。怖いもの無しとはこのことを言うのですね。私なんぞは、パチンと叩かれる蚊のような存在でございます。でも、ちょっとだけ言わせてもらえれば、夫婦共働きで正社員をして子育てをして、と、あたかも自分たち夫婦だけでこんなにも早く一軒家を持つことができたとほくそ笑んでいますが、それもこれもお姑さんの助けあっての実現なのではないでしょうか。毎日毎日来る日も来る日も保育園のお迎えに行くのはお姑さんの仕事。さらに、もんもんが熱を出した、やれお願いします、ちょっと買い物に行きます、やれお願いします、それではまるで下僕のようではありませんか。お姑さんだって束縛されることなく自由に過ごしたい時だってあるでしょう。そりゃあもちろん孫はかわいいでしょうけれど、いろいろとがんじがらめにされていることがあるだろうことは手に取るようにわかります。夫婦二人で建てた一軒家ですって?とんでもない、お姑さんを含め、3人で建てた一軒家です。妹は人を見くびったような偉そうな態度を取っていますが、お姑さんなしでは妹家は一日たりとも生活は成り立たないのですからね。そこのところを妹はもう少し顧みることです。そういう想いをほんの少しでも持ち合せていたらば、そういう顔つきにはならないと思いますことよ。
2016/09/27
コメント(0)

喫茶店行ったよ!今日、喫茶店へモーニングを食べに行った!うれしいー!おかげさまで湿疹もかなりましになってきて、帽子を目深にかぶれば外出できるようにまでなっていたので、お散歩も兼ねて20分ほど歩いたところの喫茶店へ。本当は嫌だったのだけど、顔の湿疹がひどいところにだけワセリンを薄く伸ばしてからね。そして、さっと早くに帰宅してたっぷりと半身浴をした。現時点で2ヶ月間、いろいろなことを抑制して好転反応と向き合っているところだ。大好きな美術館だって、いえ、それどころかお出かけも一切していない。それもこれも自分の将来の健康のためなので、我慢しているとは思っていないが、やっぱりそれなりのストレスを感じているのだと思う。今日はストレス発散にもなり、もう少しの辛抱だと思って、より一層好転反応と向き合おうと思った。今度は美術館へ行こうかな♪そして、私のだーい好きなお花、彼岸花がいい感じに撮れました♪
2016/09/26
コメント(4)
勇気ある撤退 「贈り物は、贈ることによって贈り主が満たされる行為でもある」「身体は常に変化している」「これはどんな人間にも降りかかる可能性のある不幸なのだ。 そして今、その不幸がわしにも降りかかってきたわけだ。 問題はただ、どうしたらいちばんうまいぐあいに、この状態に耐えられるかということだ」 「わしの目的は、自分の活動を順調につづけていくのに必要な名声を保つ、ということなんだから」 「妻が悪い奴であり、不貞な妻であったために、彼が自分の生活を破滅させ、苦しまなければならないという理由は少しもないし、またありえなかった」 「女というものは、大体が浮ついた動物だものだから、鹿爪(しかつめ)らしい態度で男から扱われるとひどく退屈するくせに、自分たちを笑わせてくれる道化者にかかるところりと参ってしまったからである。 ユーモアを解する感覚をいう点でも女どもはお粗末にできている」 「奇妙なひとびとはみな、違ったことばと違った考えをもちながら、互いにぴったりと寄り添って暮しているのである。 お互いに違った神を信じお互いに違った価値をもっているのである」 「聰明(そうめい)な旅行者というものは想像だけの旅行をするものである」 「過ぎ去った時代の香りがした」 「さまざまな人間のなかに見られる感情の反応の相違というものを調べると実に面白い」 「私たち人間には、どんなショックからでも立ち上がり、のりこえる力が備わっています」 「悩みや不安を一度吐き出してしまうと、それが落ち込みから這い上がる第一歩です」 「医師とのよりよい関係づくりは、自分にも責任がある」 「治療方法を決めるのは自分自身!」
2016/09/25
コメント(0)
2アトピーに関する本、さらにはステロイド薬についての本には、なぜか手を付けたことがなかった。理由は特にこれと言って見当たらないが、幼い頃からの付き合いだから別に今更知りたいようなことはなかったし、また、皮膚科の先生を信頼していたという理由もあったかと思う。だが、7月、顔の好転反応が始まった頃、なぜか急にピンと気になってしまい、おもむろに図書館で借りてみた。すると、なんとも恐ろしい記述が次から次へと連ねられていて、その内容若干身の毛がよだつほど。現在日本で使用されているアトピーのステロイドの塗り薬は、強さのランクが5段階あるそう。その中で、固めの軟膏のものや、少しクリーム上になったもの、液体のものなど各ランクに数種類ずつのステロイドが分類分けされている。私は見た目にはわからないほど良くなっていたのにも関わらず、なんと強い方から2段階目のランクのものをずっと処方されていたのだった。え、2段階目って…。どういうこと?どう考えても5段階目で十分でしょ?さらに、軟膏よりもゆるいクリーム上になった塗り薬は、なんと油脂と水を界面活性剤(たった今リアルタイムで話題になっていてびっくり)で乳化させたものだそうで、まったくその事実を知らなかった私はゾゾゾっと鳥肌が立ち、これは完全にステロイドを断つに越したことはないと一大決心したのだった。と同時に、ステロイドとは仲良く付き合っていこうと、これまで思考がカチコチに固まっており、なんで私はアトピーなのにアトピーの勉強を一切してこなかったのかとものすごくものすごく悔いた。身体を良くしようとその他の勉強は結構してきたつもりだったのに。だっておかしい。ほとんどアトピー肌だってわからないんだよ?それなのに2番目に強いステロイドってどう考えてもおかし過ぎる。(もんじは3段階目です。)みなさんそう思いませんこと?それじゃあ高校生の頃のひどいアトピーだったら一体何段階目のステロイドを塗ればいいの?私が先生のことを信頼し切っていることをいいことに、診察なしでもせっせと薬だけを処方してくれ、しかもこんなにも強いステロイドが処方されていたとは、なんとも腹立たしい限りである。が、物も考えようで、今気付くことができて本当によかったと心底思った。ステロイドについてきちんと調べてこなかった自分に非があるが、これからは、今まで蓄積され続けてきたステロイドを抜きつつ、未来へ向けてよりよい身体作りに励もうと誓った。人は他力本願では絶対に良くなれない。私、ストイックという言葉はなんとなく好きではないのだが、でも私はストイックな性格であることは明白だと思う。MSもそう。自力でなんとか良くしてみせる、医者や薬には頼らない、頑固一徹そういう考えでやってきた。来年でMS歴10年になる。結果、私の軌跡は間違っていなかったと思う。それはみなさんがここで証明してくれるだろう。兎にも角にも、私は自分の自然治癒力と自分自身の身体を信じてアトピーも克服します。
2016/09/24
コメント(0)
たかが部屋、されど部屋過ごしやすい気候になってきて、無性にうずうずと部屋の大掃除がしたくなってきた。この夏の過酷過ぎた猛暑の影響で、なんだか部屋の空気までもが淀んでいるなとは感じていた。でも、あまりの暑さで大掃除などできるはずもなく、必要最小限の掃除だけでやり過ごしてきたのだが、そろそろ「見えない何か」をすっきりさせなければ。ついでに模様替えもしよう。余談だが、私、家の中ではもう自室しかいられない。リビングやらは物が氾濫していて汚いし、とにかく落ち着かないから長居できなくなった。心がざわざわそわそわする。ご飯を食べる時だけリビングで過ごし、後はすべて自室で読書をしたりしてゆっくりと過ごす。テレビもないパソコンもない、あるのは冷暖房だけ。せっせと、私だけの居心地のいい広々とした空間を作り上げたのだ。毎日過ごす環境ってつくづく大事だと思う。たかが部屋、されど部屋、部屋はその人自身の心を表していると思う。
2016/09/23
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード273】直感、というか、まったく根拠のない自分の「勘」を頼りにしてこれまで生きてきた節がある。大きなことなら不登校、予防治療を拒否したこと、など。小さなことなら、その日に出かける場所、歩く道順でさえも。でも、たとえどんな小さな選択でも、その後の私の人生を大きく左右してきて今現在の私があると思う。私の「勘」がそう言っている。こっちだよ、そっちじゃないよと言っている。だから私はそれに素直に従うだけだ。私、数年以内に、40歳ぐらいまでを目処に、受給者証を持つ難病患者から外れます。敢えて卒業するとは言いません。「外れる」のです。
2016/09/22
コメント(0)
第九十四回「私、社会復帰できますか?」テレビなどでインタビューを受けている人の名前の横に「30代 会社員」と肩書きが出るだけで、何ら普通のことなのに、純粋に仕事をしていてすごいなぁと思ってしまう。 無職歴が長いとだんだん感覚が麻痺してくるようで…、私は何一つ社会貢献をしていないからさ。 (2016.8.16. 19:00)
2016/09/21
コメント(0)
応援してるんだお向かいさんは父子家庭だ。数年前、お母さんが突然亡くなった。当時は単身赴任だったので母子家庭だったようだが、その後おばあちゃんが1年ほど住み込みで来たりした末、今は父子家庭でようやく落ち着いたらしい。そんな一人息子も中学生になった。多感な時にお母さんを突然亡くしたことで、顔付きががらりと変わり、それに伴って付き合う友達も変わり、連日たくさんの友達が家に入り浸ってゲーム三昧の日々だったが、そもそも真面目でおとなしい雰囲気の男の子だったせいか、中学生になり一気に鎮まった。おそらく、クラブと塾に精を出している模様。端から見ていても心配だったが、もう大丈夫かなとホッと胸を撫で下ろす。お父さんはとても地味な方で、お世辞にも若いとは言い難く、今後再婚などはないのかもしれないが、男の子のためを思うとお母さんという存在が必要な気もしなくもない。だって10歳ほどでお母さんがいなくなってしまったんだもの。ある日救急車が来て運ばれていって、それっきり。当時は母子家庭だったから、通報したのももしかしたら男の子だったのかもしれない。考えただけでいたたまれないよ。現実を受け入れ、本当に強くて屈しない心を持った男の子に成長したことを心から感心する。私、密かに応援してるんだ。
2016/09/20
コメント(0)
人間、先へ先へと進まなきゃだめだ 「だれもかれも、この空のように、この緑のように、今の自分に対しては情け容赦もしないだろう」「あの人が八年間もあたしの生活を窒息させていたことも、あたしの心の中に生きていたいっさいのものを窒息させたことも、あたしが愛情を必要とする生きた女だってことを、あの人は一度も考えてみてくれたことがなかったことも、」 「あたしは生活の意義を見いだそうとして、一生懸命に努力しなかったとでもいうのかしら?」 「これ以上は自分を欺くことができないと悟ったんですもの」 「ふたりの生活は前だってとても苦しいものだったけれど、ことに近ごろではもう恐ろしいものになっているのに、これから先はどうなっていくのかしら?」 「あの人は水をえた魚のように、虚偽の中をすいすい泳ぎまわって、楽しんでいる。 あの人はあたしを虚偽の蜘蛛の巣でしばろうとしている」 「あたしはただ自分に自分のことがわかってる」 「見栄も外聞もけとばしてしまって。 でも、そのけとばし方にも、いろんなスタイルがあるわけですけど」 「退屈しないようにするためには、退屈だろうなと考えちゃいけないってね。 それは不眠症を心配するのなら、寝つかれないのじゃないかなんて心配してはいけないのと、まったく同じことですよ」 「どんな人でも自分をとりまいている条件の複雑さを、とことんまで知りつくすと、その条件の複雑さや、それを解明することのむずかしさは、つい自分だけの、偶然な特殊なものだと考えがちで、ほかの人も自分とまったく同じように、それぞれ個人的に複雑な条件にとりかこまれているなどとは、夢にも考えないものである」 「今退職するのは、自分で自分の船を焼きはらうようなものだ」 「一度みずから、自分は恋をえて幸福なのだから、そのために名誉心を犠牲にしたのだと、決心した以上、」 「もうすんだことはすんだことさ」
2016/09/19
コメント(0)

独り言めがねの鼻の架け橋になる細い部分から真っ二つに割れ、その片方のレンズしかないめがねが道に捨てられているのを見て、無性にこの世の終わりを感じてしまった…。図書館で去年の11月に予約していた本がようやく回ってきたが、この本を予約していたことも忘れていたし、もうこの本への高揚感もないし、まぁ読むことは読むけど、完全にほとぼりが冷めている…。なんで予約したんだろうとまで考える始末…。「ずる賢いねん、下の子特有の」と、井戸端会議で息子の保育園のお友達のことをとんだ剣幕で怒っている方がいて、うん、わかるよ、私の妹もそうだよ、と言いたくなった。誤って掃除機で蜘蛛を吸ってしまい、ひどい罪悪感に苛まれる…。そろそろ睡眠の秋(?)がやってきた。眠たくて眠たくてまぶたが重〜い。先日お散歩に行ってきた。久しぶりに歩くとなんて清々しいんでしょ。かなり涼しくなって、暑さの苦手な私としてはこんなにうれしいことはありません。写真も久しぶりね。
2016/09/18
コメント(0)
「それ」を残したかったこのブログを始めたのは、発病してちょうど9ヶ月が過ぎた頃だった。よくもまぁ、来る日も来る日も書き続けているよなぁと我ながら感心してしまうことがある。これだけ長く書いていると、開設した時とはそりゃあ良くも悪くもいろいろと変わってきたのは当たり前だけど、私のこのブログに対する想いとか姿勢というものは、1mmだって変わってはいない。何を言っても、まずは、自分の記録のためだった。当初から、その日の行動ではなく自分の内面を中心に綴ってきたが、日々の些細な気持ちの揺らぎや出来事、まぁ病状なども含め、とにかく記録として残しておきたかったということが根底にある。そして、そんな私という存在と多発性硬化症(MS)という病気のことを一人でもいいからここで知ってほしかった。まだまだ名前もほとんど知られていないこの病気と、そんな病気を患った惨めな私とを。もし、私のブログでこの病名を知った方がいたら、それは心から、本望です。風のように月日は流れ、当時の想いはそのままに、今ではここが私の揺るぎない居場所のように思う。ちょっとぐらいやさぐれていても、体調が思わしくなくても、ここだけは譲れない。だって、それこそが私だから。紛れもなく「それ」を残したかったから。何にも変えることのできない生きた証となって、ここには私という人間がぎゅうぎゅうに詰まっている。私の冒険はまだまだ始まったばかりだ。ここから自分を見つめ、発信し、発病後に歩んできた足跡を少しでも長く多く記していきたいと思っている。
2016/09/17
コメント(0)
第九十三回「私、社会復帰できますか?」この暑さのせいで朦朧とし、ついでに好転反応中なので、「仕事」という単語が一切合切私の中から消えているような…。 (2016.8.11. 21:00)
2016/09/16
コメント(0)
只今8週間冷えとり健康法の好転反応の湿疹が全身に出始めたため、毎日ひたすら半身浴をするようになって8週間。この間、毎週自分の湿疹の写真を撮り続けてきた。もちろん経過の記録のためである。毎日自分の湿疹を見ていると、本当に良くなっていっているのかまったく判断がつかなかった。一進一退の振れ幅が大きく、その原因が何であるのかもわからず、明日が予想できない湿疹であった。でも、1週間前の写真を見る度に、その回復ぶりは明らかだった。と言っても、ただ半身浴をしているだけでステロイドを使っている訳ではないから、回復速度は亀のように至って緩やかなのだが。それでも、私にもちゃんと自然治癒力が備わっていることだけは感じられるような回復の仕方だと思う。そうやって毎週過ごし、その週の前進をバネに8週間淡々とがんばってきた。週ごとに良くなっていき、夜も寝られるようになった。当初から、私の気持ちの中では3ヶ月を覚悟して挑んできたのだが、さて、これからどれほど回復できるだろうか。そろそろ美術館へ行きたい。過ごしやすい気候になってきたし、お散歩もしたい。のらねこちゃんの写真も撮りたい。もんもん邸へもお招きいただいている。でも、焦りは禁物だ。好転反応とは、ゆっくりとじっくりと自分の心と体に向き合うチャンスなのだから。
2016/09/15
コメント(0)
自論を少々今日は自論を少し。先週だったか、引きこもりのことが新聞に書かれていた。最近は、長期化と高年齢化が進んでいるそう。早めの対策や職員が自宅訪問して促す、というような趣旨だったが、そもそも引きこもりなんてもっともっといると思う。どうやって統計を取っているのかだって甚だ疑わしい。では、私のお隣さんは?お向かいさんは?ここに引きこもりだった私だっていますよ。今の日本には、統計の取れないような地下で這いつくばって病んでいる人がわんさかいて、逆に言えば統計の取れている人なんてそんなものは引きこもりではないと思う。有識者だかなんだか知らないが、真の引きこもりの深さを知らない。早めの対策と言っても、いきなり職員が訪ねてきてそれで引きこもりから脱出できる人などいかほどいるだろうか。限りなくゼロに近いと断言する。いや、むしろこじれて悪化するのではないだろうか。経験者だから言うが、誰が訪ねて来たって、そりゃあ解決の糸口になる人もわずかにはいるかもしれないが、それは決して完全な解決にはならないと思う。結局は自分で這い上がるしかない。周りの人間がいくら手を引っぱっても、結局は、当の本人の引きこもりから本気で脱出したいという強い意志だけが解決に導くのである。それ以外の解決策はない。そもそも、引きこもりの人がみんなそこから脱出したいと思っていると考えること自体が大間違いだと思う。きっと、別に引きこもりのままでいいんだよと思っている人だってわんさかいるはず。だって、引きこもっていたら、我が身は守れるでしょう?ぬくぬくと安全な場所にいられるでしょう?引きこもりの経験もない人が意気込んで対策だとか言うけど、根本的におかしいんだよ。引きこもりはもっともっと根深いところに存在すると思う。
2016/09/14
コメント(0)
私の未来今の私には、なんにもない。仕事もないし、家庭を持っている訳でもない。高校生で2年間引きこもっていた時もなんにもなかった。本当になんにもなかった。もう、毎日絶望しかなかった。でも、今は、私の手にはなんにもないにもかかわらず、私の将来は明るいと感じている。なぜだろう。高校生の時のような絶望感はまったくない。不安はないとは到底言えないけれど、それは誰しも明日の保障がないことと同じぐらいの割合でしかなくなった。人は、その人なりに折り合いをつけて生きていく。ゆっくりとたおやかに流れる時間が、いつしか私の味方となり、少しずつ少しずつ心を浄化させてくれたように思う。きっと、私の未来は、そう、悪くはないはず。
2016/09/13
コメント(0)
廃用退化(はいようたいか)、つまり使わないと駄目になる 「寝つくためには、働かなくちゃなりません。 楽しい気分になるためにも、やはり、働かなくちゃなりませんよ」 「ぼくは名誉心が強くてね。 これは欠点だが、自分でも認めているさ」 「今のところはなにも永久にってわけじゃないからね」 「我を張るべきではない」 「ただ、なにもかも、今のままであればいいのさ」 「重荷を運びながら、両手でなにかすることができるのは、ただその重荷が背中に縛りつけられたときだけだね。 いや、つまり、それが結婚というものさ」 「神こそはまことに親切でまことに慈悲深い」 「あの女がおのれのあらゆる罪を悔いているその気持ちたるやまことに美しい」 「刑務所のつらい罰こそは、あの女のために命を捨てられた、わが聖なる主の足もとに供えられる感謝の捧げものであるとあの女に悟らせてやりたいのだ」 「自然の原始的なもろもろの力にひそむ悪意というようなものが感じられた。 ただの土砂降りではない、それは奔流(ほんりゅう)みたいな雨であったのだ。 大空の洪水といった感じで、ひとを発狂させるような小やみない執拗さでもってなまこ板の屋根をたたきつける」 「後悔しているのなら罰を甘受するがいい」 「それにかれの場合とかく癇癪が内攻しがちであった」 「雨は意地の悪い執拗さで降りつづいていた。 ついには空の水が一滴もなくなるにちがいないという気がするのだが、それでもなお、なまこ板の屋根の上に気も狂うほど絶えまなく、ざあざあとはげしく降りそそぐのであった」 「避けがたいことは受け入れるほかない」 「自分の愛しているひとりの女房をちゃんと理解すれば、何千という女を知るよりも、はるかにすべての女を理解できるようになるっていうからね」 「年を重ねるにつれ、同質の友は減っていく」
2016/09/12
コメント(0)
強くなれた私、頑固だから。なんでも自分でなんとかしようと思ってしまう。例えば今向き合っている好転反応。例えば不登校引きこもり。例えばMS。誰に助けてと言えばきっと助けてくれるのだろうけど、そうはしたくない。結局にところ、信じられるのは自分だけであって、自分の体や心を変えられるのも自分しかいない。苦しいんだよ。その時は、そこでもがいてもがいて、出口は一体どこにあるんだろうって思っちゃう。もう何もかも嫌になって全部投げ出したくなるのだけど、そこでぐっと踏んばれるかどうかが成長するということなのだと思う。それを乗り切った時、人間として一回り大きくなって、まぁるい年輪が刻まれているのだ。そして、あ、私、強くなれた、って思うのだ。
2016/09/11
コメント(0)
エッセイって、最近エッセイばかり読んでいてつくづく思うのだけど、しかしあの、アレですね、エッセイって文章が上手とか下手とかではなく、たとえ文章が稚拙であろうとも、その人自身に魅力を感じるかどうか、興味が持てるかどうか、その一言に尽きますね。じゃないと一冊読了するのは難しいです。小説とは違って、興味も湧かない人の書いた文章なんて、たらたらと読んでいられないもの。それって致命的だと思う。ある意味、ブログもエッセイのようなもの。読んでくださっている方、いつもありがとうございます。
2016/09/10
コメント(0)
20年前の出来事私が不登校になったのは、高校2年生。始業式後すぐのことだった。その後2年間引きこもった末に、ピアノの先生を紹介してもらい一から猛練習し、ほんの少しだけ予備校に通って数学やら必要最低限の勉強だけをした。そして、当時の高校卒業資格なるものを取って、大学に入学した。高校は大学が決まるまで籍だけ残していたが、当たり前だが留年扱いになるので、3年間ほど幽霊の高校2年生だった。大学の周りの友達には、私が一つ歳上の理由をとやかく聞かれる前に「一浪した」と言っておいた。ほとんどみんなストレートで入学していたから、これがまた、私がグループに群れずに我が道を淡々と貫き通す良い意味での理由となってくれたと思う。きっと、私は異質な存在だったに違いない。それは、大抵不登校と言えば小学生や中学生を指すと思われるからだ。高校は義務教育ではないので、辞めたければ勝手に辞めてしまえばいい。もちろん、高校側の対応もマニュアルがないのか、しかも今でこそこんなに騒がれているが、当時は1997年、さほど社会問題ではなかった時代だったので、見事に「ほったらかし」だった。私などに割く時間はないと言わんばかりの対応だった。特に、1回目の高校2年生の時の担任はもう最悪だった。定年間近の家庭科の女性教師だったが、1年間の間にかかってきた電話は数回、1度だけ家庭訪問に訪れただけ。その1度の家庭訪問も、母が出したお菓子を口いっぱいに詰め込んで、ボロボロとこぼし、唾を飛ばしながら、ただ自分の考えをねちねちと言い含めるだけで帰って行った。2回目の2年生の担任は、今でも新年のご挨拶が続いている。保健体育のまだ若い男性教師で、家庭訪問こそなかったものの、何度も電話をかけてきてくれて、私が出たくないと拒否しても、母とはそれなりに会話をしていたようだった。保健室の先生と連携してくれたのも、この先生だった。予備校に通い始めた3回目の2年生の時も続けて担任をしてくれた。その間、私は数回保健室登校をした。私が通用門ではない門からこっそりと入り保健室へ忍び込むと、保健の先生が迎え入れてくれて、そこへ担任の先生がやって来て、3人で他愛のないおしゃべりをした。不登校になった者にとって、学校へ向かうことも、校舎を見ることも、ましてや校内に足を踏み入れるなんて、ものすごく勇気のいることだった。実際、今でも高校の前を通る時があればまだ少し構えてしまう。心臓はドキドキするし、汗は出てくるし、何度もこのまま引き返そうかと考える始末だった。だから敢えて授業中のしんと静まり返った時間を約束の時間に指定してくれたり、帰る時も誰にも会わずにさっと帰れるように計らってくれたり、梅雨の時期なら傘で顔を隠して歩いてこられるからと季節まで考慮してくれたり(猛烈にアトピーがひどかった時期でした)、この2人の先生には感謝している。私が大学に合格した時には、3人でお祝いをしようと言って、ご飯を食べに連れて行ってくれた。担任の先生は、「ちゃんと足の指の間も洗ってるかー?」などと言う人だった。おそらく、担任の先生が奇異な目で私を見ることもなく、何が何でも学校に来いと言うこともなく、(一応進学校だったから)勉強の遅れを指摘するでもなく、変に気遣うこともなく、至って自然な振る舞い方をしてくれたから、私はこの苦しかった高校時代を乗り越えることができたのだと思う。かけてきてくれる電話の回数も、多くもなく少なくもなく、というのは、多すぎるともうほっといて!と言いたくなるし、かと言って1年目のように極端に少なすぎると私はクラスの一員ではないと思ってしまう。ちょうど私には良い加減だったのだ。あれからもうすぐ20年…。今振り返ると懐かしい。保健の先生は元気にされているでしょうか。(うろ覚えだけど、当時中学生の2人の息子を持つお母さんだったが、確か学生時代は病気で車椅子だったと言っていたと記憶している。)担任の先生は、もともとラグビーの選手だったらしく、昨今のラグビーブームが誇らしいようですよ。
2016/09/09
コメント(2)
第九十ニ回「私、社会復帰できますか?」出口の見えない猛暑。 体力と気力が根こそぎ奪われて疲弊していく。 この猛暑の中、工事現場で働く人たちは本当にすごいと思う。 もうそれしか言葉が出てこない。 ぶっ倒れないのかしら。 (2016.8.2. 15:00)
2016/09/08
コメント(0)

愛しの再会♪アキヲがいましたー!うれしい!1ヶ月半ぶりの再会ですよー!ふてぶてしい顔をしながらも、いつもカメラ目線してくれるの(笑)
2016/09/07
コメント(0)
虚像と実像これまで、堅くて重くて暗い昔の海外の小説ばかり読んでいたのだけれど、ちょっとさすがに今はしんどく感じるので、ずっとエッセイを読んでいる。私、俗物的なものを認めないというか、認めたくない自分がいて、そもそも興味もないからだろうけど、例えばテレビなどは低俗で画一的な気がしてできる限り生活から排除していたように思う。発病してからまともに仕事をしていないから、自己鍛錬の意味合いもあって、昔の小説を貪り読んできた。そういうことも全部引っくるめて自分の気持ちを理解していながらも、そんな自分が少し意固地で窮屈で気難しいなと感じることは、正直度々あった。でも、最近ではまさかの映画鑑賞が趣味になったりして、自然と少しずつ殻を破れて世間が広がるようになってきたらしい。エッセイは思いの外おもしろくて、毎日楽しませてもらっている。その人の人生観や生活が垣間見られて興味深い。小説とエッセイとどちらが好きかと問われると即答で小説と答えるが、でもそれぞれに良さがあって、比べる対象にはならないんだなと得心がいった。私は、この世の中での生き辛さを絶えず感じていた。とにかくいつもどんな時でも世間に馴染めず生きてきた。それは今でも拭い切れないものの、もしかしたらそれは、いつの間にか自らうず高く積み上げてしまっていた虚像のしがらみに自ら身を投じてがんじがらめにされていたからかもしれない。映画にしてもエッセイにしても、本当に少しずつだけど、頭が以前よりも柔軟になって世の中が捉えられるようになってきたことはうれしく思う。僅かながらでもそのしがらみから自分を解き放ってあげることで、人生遥かに生きやすくなる。要は、多様性を認めるということです。
2016/09/06
コメント(0)
第九十一回「私、社会復帰できますか?」白い小さな二階建ての三角屋根の一軒家。木造で築30年ぐらい。駅から少し離れているので、そう騒がしくない。玄関には「ピアノおしえます」の看板がかかる。全部で10人ぐらいの小さなピアノ教室。時に幼稚園児、時におじいちゃん。ほのぼのとした曲が流れる。近くの朽ちた公民館で年に一度日頃の成果を披露するこぢんまりとした発表会をする。少しだけおめかしして、みな頰はポッと染まる。ピアノを弾く子どももいれば歌を歌うおばあちゃんもいる。聴きに来るのはその家族。上手になったわね。客席から一段だけ高い舞台へ、演奏し終えた出演者に拍手と共に一輪のお花を贈る。最後に、出演者もお客さんもここへいる人みんながピアノの前に集まって集合写真を撮る。みんなよくがんばりましたね。とても良い発表会でしたね。また来年へ向けての練習の励みになりましたね。と、夢から覚めた。あまりにリアルな夢。私はこういうことがしたいのだろうか。(2016.7.7. 12:00)
2016/09/05
コメント(0)
青い鳥は、いつも身近にいます 「一般的にいって、ある種の固定観念がちゃんとできているらしいね。 だから、そうした観念で規定されている枠を踏みはずすのを、あの連中は許そうとしないんだね」 「ええ、心で語ることができれば…」 「まあ、ほんとに、自尊心のお高いこと! その調子には女だけが知っている別の感情と比べて、相手の感情の卑しさを、さげすむような響きが感じられた」 「心と体をゆがめないようにすればいいんだ。 そうすれば、すばらしい子供たちになるだろう」 「神は一日を与え、神はそのための力を与えたもうたのだ。 この一日も、その力もすべて労働にささげられ、労働そのものの中に報酬があるのだ。 では、だれのための労働なのであろうか? その労働の結果はどうなるのであろうか? こうした考えこそ、第二義的な、取るに足らないものなのだ」 「いまや彼の唯一の関心事は、どうしたらいちばんうまく、世間体よく、また、自分には都合のいいように、したがってもっとも公平なやり方で、妻の醜行によって浴びせられた恥辱の泥をはらい落し、自己の勤勉な、名誉ある有益な生活の歩みをつづけることができるか、という問題にしぼられていた」 「しかし、やっぱり、自分の子はすばらしく、六人が六人ながらみんなそれぞれ性質は違うけれども、類のないほどいい子供ばかりだ、と自分にはいいきかせるのだった。 そして、これらの子供たちによって自分を幸福だと考え、子供たちを誇りに思うのであった」 「今の彼女は自分のためでも、自分を美しく見せるためでもなく、ただかわいい子供たちの母親として、見る人の印象を傷つけないために装いをこらすのだった。 そのため、最後にもう一度鏡をながめたとき、彼女は自分の容姿に満足した。 彼女は美しかった。 もっとも、その美しさは、その昔、彼女が舞踏会などで美しくありたいと願ったような美しさではなかった」 「子供たちはそういう見えすいたおとなたちの態度に手きびしく反応するものである。 子供はどんなに知恵の足りないものでも、相手がいかに巧みに偽装していても、すぐに気づいて、そっぽ向いてしまうものである」 「自分には生活の目的がある」
2016/09/04
コメント(0)

誇りと愛着ある我が人生我が家の裏手では、一軒家が建築中。とんでもない爆音と共に毎日生活しているが、外見は出来上がったようなので、もうすぐ完成すると思われる。(濃いグレーでしかも箱のように真四角の家なので、他の家より大きく感じるし、若干の威圧感がある。最近こういう四角い新築をよく見かける。きっと流行っているんでしょうね。)さて、妹の一軒家もただいま建築中(もしや妹家も四角…??)おそらく年内には引っ越すと思われる。猛スピードでどんどん先をゆく妹。マラソンなら、地球一周分ほど差が開いていることだろう。走っても走っても追いつけまい。でもね、私はこれでいいのよね。なんだか最近は世の中に逆らって歩いているような感は否めないけれど、なんだかんだ言って私は私の人生が好きだし、これでも誇りだってあるし愛着だってある。全力で走っていたら、アキヲと戯れたり、お花の写真を撮ったり、こういう人生の嗜好は得られないもの。一見無駄なように思われることこそが人生なのよ。明日の私の糧になるのよ。久しぶりの一枚です。
2016/09/03
コメント(0)
会話をしない生活半身浴生活を始めて7週間目に突入した。つまり、まるまる6週間家に引きこもっていて、まるまる6週間誰とも一言も会話をしていないということになる。私の普段の生活で唯一声を発する時は、カフェなどで注文する時とお会計の時だけだ。こうやって今家に引きこもっているのだから、当然声を発する機会もなし。私、これは見栄を張って強がっている訳でもなんでもなく、本当に誰ともしゃべらなくても平気なのである。いえ、むしろそれがうれしかったりする。話すのは苦手だし、相手に合わせられないし、気を遣ってしまって自己をうまく言葉にできないという大きな欠点を持ち合わせているからである。実際、誰ともしゃべらないから寂しいという感覚はなく、一人でカフェで過ごすのは私にとって至福の時であり、何冊かの本が常に側に積まれている環境で、自分を表現できるブログさえあったらば、それだけで私は満タンに満たされているのであった。要するに、本から知識を得、ブログを通して自己表現することで、十分に気持ちよく循環しているらしい。しかも、私が好むのは一切の無音の空間ときている。もう、手の施しようもない。発病してからほぼこんな感じだから、久しぶりに妹や友達と会えばそれはそれは疲れるのである。当たり前の話かもしれないが、もう心底脱力なのである。唯一会っても疲れないのはパートナーだけ。この環境が大好きだけど、でも私、このままでいいのか?と思うことは正直ある。
2016/09/02
コメント(0)
美術館計画今隠居中だから、行きたかった美術展をいくつか見送ったりして、少し残念なこともある…。(逆に言えば、大好きな美術展を見送ってまで好転反応と向き合う強い意志があったということだと思う。)秋は芸術の秋。それぞれの美術館が一年の中でこぞってもっとも力を入れる、かなりそそられる美術展が開催されそうなので、私もチケットの獲得にかかり始めた。現在、ざっと、無料で3つのチケットを確保済み。少しの割引も実施しない個人で経営する美術館は定価で入館するしかないが、前売り料金などで少しでもお得になるところは、遠慮なく利用させてもらう。だって、そのお得分でもう一つ美術館へ行けるよ。さて、9月。美術館マニアには垂涎ものの季節、秋到来なのです。
2016/09/01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1