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サーッと花粉で顔がかゆくてかゆくてブッツブツだったが、サーッと引いてきた。なんでってスギ花粉が終わってきたからなのよ。一年中何かしらの花粉に反応しているのだが、以前に受けた血液検査では、やっぱり桁違いにスギ花粉の数値が高かった。まだもう少し続くけど、ピークは去ってくれて本当にうれしい。春は春、夏は夏、結局調子が良い季節なんてほんの少ししかないってことなの。
2019/03/31
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私に訪れた変化今日は体の話を少々。私は現在38歳。2000年が20歳と計算しやすい生まれ年なので、つまりは2020年に40歳になる。さて、冷えとり健康法のおかげで体はメキメキ良くなり、月経までもが整った。これは自分でも信じられないことであり、今までどれだけ無関心だったか反省せねばならない。ところが、人生とは実に皮肉なものであり、寄る年波には逆らえないとでも言ったところか。38歳になった途端に激変したのである、体が。月経血の量が明らかに減った。おそらく、約1週間弱のその期間で考えみても、半減だと思う。私はこれまで、目に見えた体の衰えというものは感じたことがなく(いえ、26歳で発病した時に歩けなくなり、一気に老け込んだのだが)、年齢というものをさほど意識したことはなかった。例えば、女性ならばシワとかたるみとか、白髪とか、物忘れとか、何かそういうものを。興味がない、ということもあろう。私は年々時代と逆行している感があり、そんなもの、年は重ねてゆくものなのだから当たり前ではないか、という考えだからである。だが、今回は違った。初めて自分の体の老化を垣間見た瞬間だった。少しずつ周期にも変化が見られ、一歩一歩閉経へと向かっている。あ、そうか、もうそんな年齢に差し掛かるようになったのだな。(その半年ほど前から例の汗がよく出ていたのだが、ちょっとした更年期の症状だったように思う、今になって。)それは、なぜか私の心に少しの安心をもたらしてくれた。生き長らえたいなどと思ったことは一度もなく、できれば早くその時が来てくれればいいのにとさえ考える毎日なので、どこか心がフッと平穏になった。そして、40歳という数字が現実味を帯びた。4という数字への親近感が妙に沸き、人生が終わりへと向かう実感がとてつもなくうれしい。私はおかしいだろうか。イカれているだろうか。だって、真実なのだからしょうがないではないか。
2019/03/30
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命日今日は父の命日。あの時は、大学2回生21歳だった。時が経つのは早いなぁ。
2019/03/29
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われわれはつねに何物にも満足しない「ぼくらは、できるだけわざと、泥道ばかり選んで歩いてたんですが、土埃(つちぼこり)もだんだんひどくなってきました」「治療の方法は何もない。神の思し召しのままじゃ」「いや、もう俗世間などはたくさんですよ。わたしも、そろそろこの齢になりますとね、やはり自然なんてものの方がいいようになりまして」「人間としては、なまじいやでも甥、姪などに囲まれているよりも、ただひとり暮らしをしていることの方が、はるかに得なことを、よく知っていた」「私には、栄誉などどうでもいいのです。世界に君臨するより、休養をとりたいのです」「だいたい移ろいやすいのが人のならい」「よくわれわれは最良の策と思ってしたことが、たまたま最悪と化することがございますから」「わたしは、あまり女の直感など信用したことがない。直感などといったところで、いずれすべて彼女たちの希望的推測と、あまりにもぴったり符合するものばかりなので、とても信用する気になどなれないのだ」「樹がなければ、影もまた存在しえない」「情念って奴は、充たされることによって育つのじゃなくて、むしろ障害によって育つものなんだな。(略)情念って奴はね、先の計算などしないからさ」「子供のことだけが、人生唯一の関心になっちまったら、そんな母親、かえって子供たちを歪めちまうだけだと思うわ」
2019/03/28
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桜桜の季節がやってきた。ちょっと早咲きの桜を見に行った。なんて愛らしいピンクなんでしょう!
2019/03/27
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なぜなのかえー、背中の日の丸湿疹。直径20cmほどだろうか。少々悪化したのだが。なんで?毎日の暮らしにうんざりするように、湿疹にもうんざりする。
2019/03/26
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才能!?「のらねことそんなに会うもんじゃない」「のらねことそんなに会うのは才能」と、パートナーが言った。おかしくって笑った。才能なの?歩くのが遅いということと、仕事をしていないから、なんというか、のんびりとした波長と、後はいつもキョロキョロ探しているから見つかるだけのことだと思うけれど(笑)先日、すっごく久しぶりにアキヲを見た。しかも立て続けに3回も。相変わらず小心者ですぐ隠れるのだけど、フェンス越しとか車の下にいるとか、ある一定の距離を保っていさえすれば写真を撮っても大丈夫。お家で飼われるようになったから、顔が柔らかい表情になっていた。夢はのらねこちゃんを保護して飼うこと。きっとどこかにいると思うんだ、このねこちゃんだ、っていうねこちゃんが。かわいいね♪
2019/03/25
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自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて2年と8ヶ月。雨ばっかりね。体がだるくなるね。もう3月も20日となる。平成の終わりが刻一刻と近付いている。花粉の季節、私が毎年一年で一番調子の悪い時期というだけあって、うん、お世辞にも調子が良いとは言えない…。肌もブッツブツ。だけど、比べるのは去年の今と今年の今。三段跳びぐらいで良くなっている。一昨年はメイクもできずマスクと髪の毛で顔を隠していた、昨年はメイクはできたけど耳を髪の毛で隠していた、今年はメイクもしてるし髪の毛も束ねてる!やつれてないしね。むしろ今は夏に向けて蓄えてるよ!背中と頭の一部は相変わらずで、というかずーっと停滞状態。何日かのサイクルで少し良くなったりぶり返したりという状態がひたすらに続いている。自分でももうよくわからない。かなりの月日が経っているけれど、背中なぞはまもなく2年になるんじゃなかろうか。ヒリヒリ、毎日炎のよう。あとは、顔、首、耳の中もまだ出ているし、手の指、股ももう少し続きそう。手の平、耳のめがねを置くところが若干ぶり返し、まぁ、花粉の季節だから仕方ないのかもしれない。延々と本当にがんばっているわ、私。でも、両腕は見違えるほど良くなってきた。半袖が着られなくはない、本当に。まだ湿疹は出ているしかゆいけど、ここまで回復すると嫌いな夏も少しだけ好きになれそうな気がする。「もんじの問題」は長引きそうである。先週妹が泊まりにきていたのだが、妹は友達と会う約束をしたとかでせかせか出かけて行った。さすが妹よ。1分も「時間を無駄に」しない…。外へ外へ出てどんどん交友を広げる妹と、内へ内へ籠って友人もいなくなって萎んでいく姉、こうも違う。でも、私は、ふと、それって最近巷でよく聞く「承認欲求」とかいうやつでは?と思ってしまった。みなさんどうお思いになる?
2019/03/24
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人間成功の要諦は勤勉にあり「袋小路に踏みこんでこそ、かえってちゃんと目的のものがつかめるんじゃないかと、」「問題は、あたしが「彼を」愛してるってこと、それだけでいいんじゃないの」「人間、ひとりっきりで大空でも飛んでてごらんよ、考える時間ばかりあって、つい妙なことを考えるんだな」「世間並みの人間のやる通りをして、あとはなるようになれっとでもいった生き方の方が、いいんじゃないかしらと、そんな風にも考えてみるんだがね。(略)いったい人生とはなんだ?人生なんて、いったい意味があるのか?それとも、ただ盲目の運命がつくり出す悲しい過誤にすぎないんじゃないかと、ついそうした疑いも湧こうというもんじゃないかな」「ねえ、あなた、他人事(ひとごと)じゃないのよ。ちゃんと、自分で考えて正しいと思うことをしなくちゃァ。物事ってものはね、延ばしたからって、決して簡単になるもんじゃないのよ」「どうか善をみならって悪を遠ざけて下さい」「ぼくは苦しい失恋をすると、すぐと大西洋航路の船に乗った」
2019/03/23
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耳の中耳の中の湿疹。入り口を塞ぐほどかさぶたに覆われたり、黄色い汁が流れ出てくるほどの猛烈な状態は過ぎ、なぜか耳の入り口付近から徐々に治っていって、今は極めて奥の方だけになった。耳かきが届く、一番奥の奥だけ。まだ黄色い汁は出て、それがかさぶたになり、またごそごそかいて取って、を延々と繰り返しいるものの、かなり楽にはなった。綿棒もさほど使っていない。何せ、耳の穴の腫れが引き、穴が若干大きくなってスースー通るような感じだし、よく聞こえるし(笑)、いいことずくめである。後一息、というところまでは来た気がする。まぁ、その一息が数ヶ月単位なのだが、それでもやっぱりここまでがんばってよかったなって、思う。
2019/03/22
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多かれ少なかれ日差しが急に強くなった。コートを着る時期でも日傘を差している人がいるが、あれも大変だなと思う。紫外線がどれだけ肌に負担になるか、私もよーく知ってるから。夏とは違って、コートはかさばるし、マフラーもして日傘も差して、相当体にはストレスなはず。みんな、多かれ少なかれ何かを抱えて生きてるよね。
2019/03/21
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うれしい再会先日、とってもうれしい再会があった、のらねこちゃんと(笑)ちょうど1年ほど前に、あるお寺の近くでのらねこちゃんに会った。10匹近くもいて、おじさんがごはんをあげていた。一応のらねこだけど、まぁ、面倒を見てくれる人間がいる外で飼われているらしいねこちゃんたちで、ちゃんと犬小屋のような家まであった。みんな人慣れしていて、どれだけ写真を撮っても近付いてもドンと構えていて、堂々たるもの。たくさん写真を撮らせてもらったことを覚えている。その中の一匹、ふてくされた顔にまったく動じない性格、みんなとは少し離れたところにどっかと座り、極めてマイペース、と、なんともキュートなのらねこの中ののらねこという風貌の白いねこちゃんがいた。向き合って話しかけてみてもじーっとしているし、目をポチポチさせて半分夢の中にいるよう。もちろん鳴かない。スマホにこのねこちゃんの写真だけは保存していて、折にふれ眺めていた。先日、1年ぶりにそのお寺の近くの美術館へ行った。その白いねこちゃん、というよりかは、のらねこちゃんたちはまだいるのだろうかとさほど期待せずにそこへ行ってみたのだが、なんといた!またしてもナイスタイミングでおばさんがごはんをあげている最中ではないか。2匹の内、おそらく1匹は1年前にも見たねこちゃんだったので、とてもうれしくなり、ついつい近寄って行ってしまった。うーん、でもあの白いねこちゃんはいないみたい。ベンチに腰掛けて、1年前に撮ったお気に入りの写真を見る。どこかに行っちゃったかな。のらねこだから仕方ないよね。でも会いたいなぁ。しばし休憩し、また少し歩いてみると、あれ?さっきのおばちゃんがいる。もしや、またねこちゃんにごはんをあげているのでは!?そろりと忍び寄ると、あ!白いねこちゃん!すぐにわかった。あの写真のねこちゃんがそこにいた。あまりにうれしくて、思考回路が途絶えてしまった。めちゃくちゃかわいい。心なしか太っていて、栄養は足りているらしい。1年前に見たのらねこをまだ覚えている私も私だが、いやはやよく再会できたものである。たまたまごはんのタイミングだったからという理由もあるけど、ある意味奇跡ではなかろうか。ごはんの邪魔をしてはかわいそうだと思い、遠目に写真をパシャリ。へへ。うれしいな。この白いねこちゃんの幸せを願って、元気でいるんだよ、また会えたらいいね、とバイバイした。この顔(笑)
2019/03/20
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続・もんじの問題妹ともんもんが泊まりに来ていました。さて、問題のもんじ。顔を見るのが少し居た堪れなかったというか、恐る恐るになってしまった自分が情けなかったけれど…、いつものように笑顔でハグして再会を喜びました。見たところ普段と一切変わりなし。大好きな恐竜のぬいぐるみをぶら提げ、何を言っているのかよくわからないけど真剣に説明してくれて、もんじは恐竜博士になるんだと言います。この1ヶ月ほど、こんな小さな心でもんじなりに一生懸命乗り越えてきたんだなと思うと、おばバカ、うるうると泣きそうになりましたよ。妹の話によると、調子は良くはないそう。ようやく保育園へ行きたくないとは言わなくなったけど、神経質になったり、吃ったりするそうで、まだまだサポートが必要です。なぜ私には普段と変わらないように見えたかって、それは保育園が休みだったからです。遊んでいる時と休日は至って元気もりもり。平日限定で調子が悪くなるのです。うん、よーくわかるよもんじ。で、妹の話を聞いていて思ったのは、妹はさほど深刻には考えていないということです。もう少し危機感を持ってもいいんじゃないかしらと私などは思ってしまうのだけど。小児科の先生にも数週間で症状は治まると言われたそうですが、そういう問題ではないと思うのです。私には、そのもっと向こうにあるPTSDというやつにならないかと思われてなりません。こういう事態に陥るということは、もんじは繊細だということなのです。今ちゃんと安心させてあげないと、小学校へあがった時、何か今回以上の厄介な事になったりしないかしら?また、旦那さんにも助けてもらわないとと私が念を押して言おうとしても、そこは触れられたくない話題のようで、ひょいと交わして避けるし、なんでも「仕事がめっちゃ忙しい」のだとか。まったく頼りになりません。妹がなるべく仕事を早退すると言ってもやっぱりそこは周りの同僚に気を使うから、余計にストレスが溜まるらしく、既に悪循環極まりない状態に陥っています。妹自身も朝起きた時から吐きそうに胃が痛いらしいです。後2週間でクラス替えとは言え、今の時点で4月からの保障など一つもないし、何があってももんじは後1年保育園へ行かなければならないのです。そして妹は定年まで働かなければならないのです。目先のことに捉われ過ぎていて、妹夫婦は「木を見て森を見ず」の状態だなと思いました。双子のお猿さんに引っ付かれ揉みくちゃにされた後、恒例の絵本のプレゼントを。もんじはかこさとしさんが大好きなので、1冊どうぞと手渡すと、ニコーッと大事そうに抱えてママの元へ駆けてゆきます。その後ろ姿のなんて愛らしいこと。私は、もんじの手から転がり落ちた恐竜を拾い上げ後を追います。もんじ、ぐんとお兄ちゃんになったね。背中が誇らしいよ。
2019/03/19
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プロの集団この間、また映画館へオペラを見に行った。これまで結構な回数を見てきたつもりだが、もしかしたら今回のオペラはベストかもしれない。歌手、オーケストラ、舞台美術、演出、など、すべてにおいてレベルが高かった。紛うことないプロの集団。これほどまでの舞台をどうやって作り上げたのだろうと、いささか疑いたくなるほど出来過ぎの感があったが、良いものを見られてうれしい。総合優勝。心に刻まれたこと間違いなし。
2019/03/18
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ブツブツ顔のブツブツがひどい。ということは頭と首もひどい。耳にも広がった。毎年今が一番肌の調子が悪く、少し赤味も帯びている。早く花粉の季節が終わってほしいなぁ。
2019/03/17
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ウサギは寂しいと死ぬ「わたしたちが生きている限り、つねに何かが待ちうけている。しかも、たとえそれがよくねえことでも、よくねえことだってこっちにわかっていてもだね、いったいわたしたちに何ができるというのかね?生きていくのをやめるわけにもいかんし」「人生は持ちつ持たれつであり、」「人生とは何か?それは暗い夜のホタルの光である。冬に野牛が吐く息である」「彼がなりたいと思った者になった人間はだれでも、彼がもちたいと思ったものをもった者はだれでも、すべてが「敵」になるのだった」「ぼくはただ惰性で進んできたんだな?神が唯一の実在であることなど知らないでね。ところが、いったんそのことを悟ると、すべてものがきちんとその場所におさまってくるんだな、生命が意味をもってくるし ー 死にしても同じことなんだ」「社会と調和しない男の種族、安住できない男の種族がいる。彼らは親族縁者の嘆きを尻目に、勝手気ままに世界を流れ歩く。彼らは野をさまよい、海をさすらい、山の頂に攀(よ)じのぼる。彼らの血は呪われたジプシーの血、彼らは休息を知らない。地道に進めば、成功するだろう、たくましく、勇敢で、誠実だから。だが、彼らはつねに現状に倦(う)み、未知の新しい世界を求めていく」「むしろわかったことは、とうていわかるまいということであった」
2019/03/15
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じゃあ次は小説を読んでいたら、その文中に、ある作家やある小説が出てきた。うん、じゃあ次はそれを読もう。「あとがき」を読んでいたら、その作家と同じ州の出身である作家との交流の様子が書かれていた。うん、じゃあ次はその同じ州出身の作家のものを読もう。という風にしてマイリストを増やしていき、それを図書館で検索して図書館の所蔵の中でなるべく古いものを借り、読む。というのが、私の読書の広げ方である。
2019/03/14
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今年の花粉花粉症が少し落ち着いた。3月の初めは本当にひどかった。くしゃみと鼻水が止まらず、夜は鼻が詰まるし、皮膚もかゆいし、散々だった。なぜか目は大したことなく、これまでとは違う花粉症を迎えている。もしかしたら、こんなにもひどかったのは初めてかもしれない。いや、今年は飛散量が多いのか?よくわからないが、とてもじゃないが体調が良いとは言い難い。うーん、悩ましい。もう少し続くが、どうすることもできず、ただ待つしかない、この季節が終わるのを。
2019/03/13
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「寿ぐこと」元号が変わるので、美術館では、皇室関連のものや「寿ぐこと」のような企画の展示が数多く催されている。以前からそういうものは好きでよく見に行っていたのだが、今年はどの美術館もより力が入っていると思う。私、やっぱりコーヒーが好きだ。いずれ断つとがんばってはみたものの、あっさりと断念。他にいろいろと節制してきたつもりだから、コーヒーは自分へのご褒美だと思って楽しむことに決めた。そう何でもかんでもできないよね。
2019/03/12
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いつか、いつか、したい。いつか、行きたい。いつか、夢叶えたい。いつか、なんていつなんだ?
2019/03/11
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人生の骰子(さいころ)をもいちどふりなおして、「あんたはただ一つしか正しいやり方がないと思っている ー 」「年貢の納め時が来るときには、来るものさ」「もし一羽の小鳥が穀粒を一つずつ大洋を越えてはこぶとしたら、それを全部向う岸に運び終えた時から、やっと永遠がはじまる」「愛するって、人間を孤独にするものなんだわ、」「<今死ねるとしたら、こんな幸福なことはあるまい> シェイクスピア『オセロー』」「だが、文明の将来は、と彼は考えた、ああいう若者たちの手中にあるのだ、」「どうせ人生の一切はふざけたものなんだから、ともかくわたしたちは自分の役割をはたそうじゃありませんか」「だって、ひとが心に感ずることを言わないということは、かえすがえすも残念なことだから、」「だって、毎日いっしょに暮らしているひとたちのことだって、どれだけ知ることができましょう?」「多芸は無芸」
2019/03/10
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続・もんじの問題つづき。これまで、私はあくまで傍観者であり、何も余計なことは口出ししないで来ました。妹にとっては誰に諭されるよりも一番胸糞悪いだろうし、これでも私とてわきまえているつもりで、役に立たない姉でいいのです。私たち姉妹の関係は、姉のような人生にはならないようにと一歩も踏み外さずに生きてきた妹が強くて当たり前なのです。でも、私、今回のことで初めて妹に言ってしまいました。ちゃんと旦那さんにヘルプミーって言わないとダメだよ、と。二人の息子なんだし、一人で子育てしている訳ではないのだから、と。さて、妹にはどの程度聞き入れられるでしょうか。とは言え、もんじの小さな傷付いた心が案じられてなりません。まだ5歳という体で、どれほどの恐怖を感じ怯えたのか。胸は痛み、切ないとしか言いようがありません。それを糧に揉まれて成長してくれればいいけれど、それにはまだ少し未熟過ぎるようです。今は兎にも角にも見守りたいと思います。逆撫でしない程度に妹へもマメに連絡をし、これまで同様、妹家を陰ながら応援する姉でいる所存です。その後、妹は是が非でも仕事に行かねばならない訳で、もんじを無理矢理保育園へ預けています。だけど、大人のちょっとした言葉の言い間違いにやけに敏感に反応したり、時々お漏らししたりと気持ちが不安定な状態は続いています。それでも怖い先生の元へ毎日行かなければならないもんじのかわいそうなことと言ったら。実はもんじの問題は奥が深いのです。妹自身の体調も悪いのだとか。また、後日談を。来週には、もんもんを連れて泊まりに帰ってくるそうなので、ゆっくりしたらいいと思います。
2019/03/09
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続・もんじの問題つづき。もんもんが両親から怒られることなく成長してきたことも原因のようです。怒るというか、叱るということも時には必要だと私などは思いますが、私の考えは今時時代遅れのようです。自立して生きてゆける大人になれるようにするというよりも、甘やかして育てられ、さらに保育園でも優しい先生たちに囲まれて、ぬくぬくとここまで来ました。かと言って、こんな時代に子どもたちが恐怖を感じるほど叱りつける先生も先生です。度々取り上げられている社会問題を、その仕事に携わる人こそ、もっと深刻に考えるべきです。翌日にはその問題の先生にさっそく頭を下げて謝られたらしいのですが、妹はご立腹でツンとした態度を取ってしまったと、保育園への対応との狭間にも立たされているようです。ただ、唯一の救いは、妹は内に溜め込まないで人にあれやこれやと文句が言える性格だということです。友達も多いし、恥ずかしがらず包み隠さずおおっぴらに話すことは何てことないし、語り尽くされた調子で滔々と述べ立てる妹を幾度見てきたことでしょう。おそらく妹は人それぞれの反応から賢い頭を使って統計を取るのでしょうね。妹は世の中の一般的な過半数を占める考えに倣うことが最もだと考えているものですから、みなの解答から自分がどう行動すべきか練るのです。私などにメールしてきたということは、母にもメールしているということです。分身であるもんたのことも心配になります。一人につきっきりになると、もう一人にも考えも及ばないところから歪みが生まれることはもう請け合いで、輪をかけて妹の負担になることは間違いないでしょう。最近旦那さんの仕事が忙しいようで、土曜日も日曜日も出勤することも多いらしく、夜ももんもんが寝静まってから帰宅します。つまり妹だけで双子の子育てをしているようなもので、えー、これがまた私の例の勘ですが、次の妹家の厄介ごとは、夫婦間の雲行きなのではないでしょうか。いえ、離婚という意味ではありませんよ。絶対に離婚はしません。なぜって、それは、簡単です。「妹が歩むレールから外れることになるから」。ここに予言しておきましょう。つづく。
2019/03/08
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♪〜朝起きてすぐに、ベランダへ出てシーツをバサバサと叩いていると(いつまで叩くんだ?)、茶色いのらねこちゃんがのっそりのっそり歩いていた。♪〜朝からいい日!夕飯を食べている時、あ、と思った。くちびるにヘルペスが生まれた瞬間に立ち会った。初めて、映画館でど真ん中の席に座ってみた。でも、すみませんすみませんと言って人の前を通って座席につくのだけは避けたかったので、真っ先に行って座る。おー、よく見える。少しの優越感を味わう。私も強くなったものである。
2019/03/07
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自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて2年と7ヶ月と半月。ひな祭り。花粉症は、もうおそらく大丈夫だろうと思っていたが、とんでもない!ここ10日間ほどひっどいのだが!去年までは主に目の症状だったのに、なぜか今年は目はさほど出ず、くしゃみと鼻水が止まらない。そして顔がとてもかゆく、ごしごしとかいていたら全体的に腫れぼったくなってしまった。一体なぜこんなことになったのか…。お散歩へ行けば、花粉をシャワーのように浴びているのであった。スギ花粉の恐ろしさを知る。背中と頭。相変わらずぶり返しを繰り返しているが、なかなか手強い。頭の湿疹は、なぜか乾燥してくれず、ずっと黄色い汁が滲み出てベタベタしている。背中は、日の丸であることは変わりないけど、少し小さくなったような気がしなくはない。背骨を跨いで左右に出ていたが、右側はだいぶん良いように思う。左側と背骨上は相変わらず血と黄色い汁が出続けているけれど。手の平も一部ぶり返し。顔と生え際もぶつぶつが出ている。とは言え、湿疹が出ていないところの皮膚は、ますますみずみずしくなり(何も塗っていないのに)、すべすべしっとりとしている。誰もアトピーだとは思わないだろう。色も一段と白くなり、色素沈着も消えてきた。生まれてから今が一番調子が良い。今更だけど、今こうやって冷えとり健康法と向き合って身体を良くしている最中だが、覚悟して湿疹を耐え続けて本当に良かった。外出もできなかったし、夜も眠れない日々を過ごしてきたけど、きっと、私の人生の中で今しかできないことなのだとひしと感じる。終わりなんて見えなかったけど、ちゃんと見えてきていますよ。完治した時ってどんな風なのか楽しみで仕方ない。テレビで、「病気には負けない」とか「戦う」とかみんな言うけど、私がこの病を告げられた時はそんな風にはこれっぽっちも思えなかった。
2019/03/06
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うぐいすが鳴きました♪あんまり気持ちいいお天気だもんだから、ふらふらお散歩に出かけてみた。どこを歩いているのかよくわからないまま、赴くままにゆったりと歩を進めていると、大きな公園へ着く。誰もいない。小鳥の鳴き声だけがちゅんちゅんと響く。パラソルのような屋根があったので、腰を下ろしてみた。うん、最高に清々しい!おにぎり握ってこればよかったな。きっとすっごくおいしかっただろうな。で、結局ここはどこだったのかしら?うぐいすが鳴きました♪
2019/03/05
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続・もんじの問題つづき。そのことを聞いた時、私はとても驚きました。と同時に、「やっぱりもんじ」と思ってしまったことは否めません。こんなこと、妹に言ったりしたらとんだ剣幕になるし、何があっても絶対に口に出してはいけないことですが、ここでは気兼ねなく言えます。えー、それは、なぜなら、「もんじとは心の奥で繋がるものを感じるから」。ごめんなさい、もんたには感じない何かを感じるのです、もんじには。そう、それは生まれた時からでした。両の手にすっぽり収まるほど小さかったもんもんを初めて胸にかき抱いたあの時からです。要するに、私ともんじは似ているのでしょう。実際、もんじの「登園拒否」のようなことを予感したことを、ずっとずっと以前にパートナーに話したこともあります。0歳の頃から保育園へ預けられ、朝から晩まで育児は丸投げで保育園任せ、近くに住むお姑さんの全面協力も得て今の妹家は成り立っています。旦那さんの強欲から、自ら「城」と呼ぶ一軒家を購入し、さらにその後も物欲は途絶えることなく増しに増し続け、実態の知れないようなローンばかり組んでいます。私は、何度もここで警鐘を鳴らしてきました。やっぱり、人間 、「分を知る」ことって大事だと思うのですよ。自分たちではわからないのでしょうが、私からすると明らかに妹家はそれを大幅に超過していて、もうやめておいた方がいいと何度感じたことかしれません。あのね、何もかも手に入れるなんてできることではないのです。手は二つしかないではありませんか。私なんかは、妹家が購入した立派な一軒家など一生買うことなんてできないし、妹が日々こなしている仕事や家事などの十分の1もできません。いつでもがんばっているし、自慢の妹ですが、私には先が見えるのです。このままでは持たないよ、と。次は妹自身が倒れるよ、と。これは、妹とはまったく違う経験をし、生きてきた私だからわかることなのです。つづく。
2019/03/04
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続・もんじの問題「最初はグー」私はグーのままにしておく。「じゃんけんぽん」もんもんは二人揃ってパーを出す。「イエーイ、勝ったー」「なお、二人に負けたー」さて、以前チラッと書いた例のもんじの問題です。卒園まで残り1年余りという5歳の冬、妹家に重大問題が発生してしまいました。詳細はこう。もんもんの通う保育園では、例えば5歳児のクラス、1歳児のクラス、というように学年でクラスわけをするのではなく、0歳〜6歳児までをごちゃ混ぜにしたクラスわけだそうです。もんたはよく「クラスのお兄ちゃん」と言って楽しくお話ししてくれます。先生は1クラスにつき2人体制で、ベテランの先生とまだ若い先生とが組むのだそう。そりゃあそうですよね。経験浅い先生が2人で組むはずがありません。さぁ、ここからです。そのもんじのクラスの若い先生の方が、「怖い先生」で有名だとかで、「ママ大好きー」と言ってくまさんのようにふんわりした、他のクラスのもんたまでもが、はっきりと「あの先生嫌い」と言うのだとか。つまり、もんじはその「怖い先生」に怒られました。理由はわかりません。私なぞは又聞きの又聞きな訳で、本当にもんじが何か悪いことをしたのかもしれないし、その「怖い先生」の度が過ぎたのかもしれません。妹曰く今までの蓄積らしいのですが、とにかくもんじはそれがあまりにも怖かったようで、帰宅後、吐きそうだと言ってえずいたり、もんじの手をその先生の手が触れた感触がずっと残っていて気持ち悪くて物が触れないとか、「また怒られたらどうしよう」とそわそわ落ち着かなくなったそう。母親である妹は驚いてすぐに保育園へ相談し、もちろんそれは園長先生へも伝わり、翌日には小児科へ行ったりと、奔走しました。「大丈夫だよと言って安心させてあげてください」。そう言われた妹は、仕事から早く帰るようにするとか休みを取るなどしてなるべくもんじの側にいてあげようと、4月のクラス替えまでの残り1ヶ月の間、母親として全力で息子を守ることを父親と話し合いました。つづく。
2019/03/03
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指揮者のオーケストラが始まった途端、ん?ちょっとテンポが遅い?と思った。私の頭の中を流れるその曲の速さよりも、ほんの僅かなのだけど遅く感じ、でも気のせいかもしれない。が、やっぱり少々遅い。ハープのソロはこれまた野暮ったく、くどく、ねちっこいとでも言おうか、ハープはサラリと演奏する方がハープの良さが出るのではないだろうか。と、なんとなく追いかける金魚の糞のような感を感じつつ、そこでパッと指揮者の顔が画面に映った。…。ほほぅ、なるほど…。でっぷりと肥えて脂乗りと血色の良いおじいちゃんだった。そう、すべては指揮者の「棒加減」なのである。ハープ奏者云々とかそういう問題ではなく、これは指揮者がそう演奏したいからそう指示する訳であって、つまりはこの指揮者はそういうモッサリとした演奏が好みなのだな、と一人納得する。(また違う日には、重厚さが欲しい曲が妙に軽やかだった。なるほど、指揮者は地に足付かず陽気だった。)私自身こね回したような音楽はタイプではない。だが、この日は、こういう曲の創り方もあるものだと大いに勉強になった。
2019/03/02
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この憎しみというけだもの「わたしはもう、この世のことでも、かれこれ言わないことにしよう。彼女はとても若いような気もし、お話にならないほど老けたような気もした」「わたしは一生の半分はものごとを単純にただそのことのためにしないで、ほかのひとたちにああ思わせこう思わせるためにしている」「伯父は戦争中のある朝寝床の上で寝返りをうったきり亡くなった。「わしはもうたくさんだ」」「宗教的恍惚状態は人々を無感覚にし、感情を鈍くするんだわ」「憎らしいのは、あのひと自身じゃなくて、こちらの頭の中の考えだからだわ」「自分にたずねた、自分はやがてかならず死滅するってことは、それほど大変なことなのかしら。わたしがいなくなっても、これらすべてのことは平気でつづいて行くにちがいないってことは、怪(け)しからぬことなのかしら?それとも、いっそ、死は絶対の自己消滅だと信ずることが、かえって安心できるんじゃないかしら?」「世界が鞭(むち)をふりあげた、それはどこへ打ちおろされるのか?」「彼のほうは、公の道筋であり、満ち足りた征服の行進であり、彼女のほうは、結局、病院の廊下をぐるぐるめぐり歩くことに終った個人的な道筋であった」「あんたは否定のコースを進んでいる」
2019/03/01
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