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【人生は人から、してもらうことが多いものです】 ホスピスケアのシステムを日本に導入された人は、柏木哲夫医師と言われています。柏木先生は1969年からワシントン大学に留学し、そこで末期患者さを、いかにケアしていくかの研修を受けたそうです。当時、日本ではホスピスケアという考え方は、今ほど浸透してはいませんでした。1972年に帰国されて、翌年に日本で最初にホスピスケアのプログラムをスタートされました。実は、私の母もガンで亡くなりましたが、末期患者としてある施設でホスピスケアを受け、大変お世話になったことがあります。先生のお話によると、ニュージーランドという国では、がん患者さんのために「人生史」をつくるという活動をしているそうです。文章を書く人(ライター)はボランティアの人です。ライターは病院を訪れ、患者さん自身の人生をいろいろ聞き、その内容を文章化して、患者さんの人生史を書きあげます。この時、先生が一つの共通した特徴があることに気づいたそうです。 それは、患者さんが自分がこれまで生きてきたことをふり返って話をしていくと、『自分が人のために働いてきたことよりも、人にしてもらったことのほうが、こんなにも多かったのか』と感じるのだそうです。________________________________________自分が人のために、やってあげたことの何倍も人からしていただいたことがわかると、素直に感謝できる気持ちになれるものです。私たちは、自分で気づかない内に、「〇〇してやっている」と思っているかも知れません。家族、友人、周りの人たちのおかげで生きている、ということを時々は考えてみましょう。
2015年10月31日
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【社会が求める正しい人とは】 企業は、優秀な社員を雇うことを第一に考えます。しかし、社員である前に一人の人間として、どのような考え方をするのか、これがとても大事です。会社の経営に携わる方々と話しますと、社員教育の難しさを口々に言われます。これは、学校での教育や、家庭でのしつけを含めて広く社会の問題でもあるようです。________________________________________ ある会社の求人広告があります。非常にユニークな内容です。 求む! 不満を言わず、向上しようとする人。 不言実行する人。 はじめから不可能だと言わず、きっとできると明言する人。 他人の邪魔をせず、みんなを奮起させる人。 傍観者に甘んじず、物事の中心部へ切り込んでいく人。 誤りを指し示すのではなく、正しいことは何かを指摘する人。 暗闇を嫌うのではなく、明かりを灯す人。________________________________________ これは普通の人にも共通して、求められることですね。明治初期に活躍した政治家に、後藤新平という人がいます。日本ではじめて、ボーイスカウトを組織した人ですが、彼も、次のような言葉を残しました。 *人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そして報いを求めぬよう たった3行の言葉ですが、とても難しい内容です。
2015年10月30日
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【宿命が使命に変わる時】 イギリスの、とあるホスピスを見学した一人の牧師さんがいました。牧師さんが、ホスピスの玄関に着いた時、ある男性とすれ違いました。その男性は、ホスピスの受付係の人に「行ってきます」と手を振って車を運転して出て行きました。牧師さんは、このホスピスで患者さんたちに、話をするために来ていました。牧師さんは先ほど出て行った男性を見て、受付係の人にたずねました。「あの人は、たしか入院患者ですよね」。と。受付係から返ってきた答えは次のようなものでした。「彼は、ガンです。残された命はあと数ヶ月です。他の病院からここ のホスピスに転送されてきた時は、寝たきりの状態でした。 ところが、鎮痛医療がみごとに効いて、ガンは進行していますが 痛みは感じず、あのようにさわやかに生きているのです」。「では、一体彼はどこに出かけたのですか?」と牧師さんは聞きました。受付係は答えます。「彼は、ボランティアに出かけました。同じような病気の人の話相手 をするボランティアです。彼は、医者や看護師さんにも言えない、 苦しみや悩みを聞いてあげるのは、同じ病気の自分しかいない、と 思っているのです」。牧師さんは、この話を聞き、驚きその男性の生き方に感動しました。________________________________________ *ボランティアをする男性にとって、ガンになり余命数ヶ月という のは「宿命」でした。 しかし、その宿命のなかで精一杯生きようと考えた瞬間、彼は 残りの人生を「使命」に変えたのだと思います。 彼は、本当はもっと生きたかったに違いありません。 ただ、「宿命」に負けない生き方を選んだ彼の勇気から、私たち は学ぶことがあるはずです。
2015年10月29日
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【人を赦した時の心は?】 昭和初期の劇作家で倉田百三という人がいました。『出家とその弟子』という作品の中に、親鸞聖人と弟子の対話があります。 弟子「ほんにさようでございます。 罵ったあとの心は淋しいものでございますね。 私は、腹を立てているときより、赦した今の気持ちが 勝利したような気が致します」。 親鸞「そうとも。そうとも。 人間の心に、もし浄土の面影があるならば、 それは正しく赦したときの心の相であろう」。________________________________________ 人と言い争い、あげくの果てに罵ったあとの心が、いかに淋しいか。生きているうちには、誰もが経験することの一つです。弟子の言葉にある、「赦した方が勝つ」というこの生き方に、学ぶべきことがあると思います。しかし、人を赦すことは簡単なことではありませんね。渡辺和子さんはこう述べています。 「赦すということは易しいことではない。 しかし、赦すことによって、私たちは相手の支配から自由になり 自立を勝ち得るのだ。かけがえのない自分の時間を、他人の支配 に任せていては、もったいない」。 *赦したい誰かが、あるいは赦せない誰かがいたとしても、 「赦したあとの尊い自分がいること」を信じてみましょう。
2015年10月28日
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【カレンダーの季節です】 いつも足を運ぶ本屋さんに行くと、もう来年のカレンダーや手帳がたくさん、ところ狭しと並んでいます。気に入ったものを手にすると、来年は今年より、いいことがあればいいな、と思ったりします。カレンダーを品定めしながら、小曾根俊子さんという方のことを思い出しました。小曾根さんは、重度の脳性マヒという障がいをもちながら、詩人として活躍した人です。「わたぼうし音楽祭」という催しが、今年で40年を迎えました。この「わたぼうし音楽祭」というのは、障がいのある人たちが書いた詩に曲をつけて歌うというものです。小曾根さんは、第3回の「わたぼうし音楽祭」で大賞を受賞した合唱組曲の元になった、詩集「愛は藍色」の作者です。小曾根さんが、「カレンダー」という題で創った詩があります。________________________________________ ●カレンダー おぞね としこ 新しいカレンダーは この1年 私に起こる出来事を 何もかもみんな知っているようで なんだかとってもこわいけど やっぱり私は壁にはります だから せめて 一日に一度ずつでも うれしいことがありますように 素直な心がもてますように 悲しみや苦しみは 願わなくても いつもこの手に余るものですから・・・・・________________________________________10年ほど前、小曾根さんは亡くなりましたが、小曾根さんの詩に励まされた人も、たくさんいらっしゃると思います。一日一つでも、何かいいこと、嬉しいこと、が書けるような人間でありたいと思います。
2015年10月27日
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【自分への悪口を受け取る必要はありません】 昔、ブッダと数人の弟子たちがある村を托鉢していました。しばらく、村の中を托鉢しながら歩いていた時、一人の村の者が近寄り怒ったような口調で、文句を言いはじめました。「俺たちは、毎日こうして額に汗を流して働いているのに、お前たち は何もしないで、人から物をもらっていきている。 これは、おかしいではないか・・・・・」村の者は、延々とブッダたちに文句を言い続けます。ブッダは、黙って聞いています。その内、文句を言っていた者も次第にしゃべり疲れたのか、ついに黙ってしまいました。 ブッダはおもむろに言葉を発しました。「言いたいのはそれだけですか?」「そうだ!」「では、さようなら」とブッダは言い残し、その場から去りました。ブッダの後ろからついてくる弟子たちは、一様に怒っていました。そしてブッダに向かって「ブッダさま。どうして黙っておられたのですか?」と言います。ブッダは、答えます。「あなたたちは、もし誰かが毒蛇を持って来たら受け取りますか?」「とんでもありません。受け取ったりしません」「では、受け取らなければその毒蛇は誰のものになると思うか?」「持ってきた者が、そのまま持ち帰るしかないと思います」ブッダは、皆に言い聞かせるように語りました。「そうだろう。だから私は先ほどの悪口という、毒蛇を受け取らな かったのだ。 悪口という汚れた心は、あの人が持って帰ったのですよ」________________________________________*意味もなく、わけもわからず自分のことを悪く言われて、気持ちのよい人はいませんね。しかし、言われたことに心を乱すことが正しいとは限らない。ブッダはこのことを、伝えたかったのです。 受け取らなければ、相手にそのまま帰っていく。よい言葉も悪い言葉も一緒ですね。仮に、よい言葉を相手が受け取らずに、自分に帰ってきても何の不都合もありません。しかし、悪い言葉は相手が受け取らない時、自分に帰り、自分が傷つくことになります。その時は、わからなくてもいつか、必ずわかります。悪口は受け取る必要はありません。それ以上に、悪口を言わない人間になることが、もっと大切です。
2015年10月26日
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【人を信じて包み込んでみよう】 人の欠点が目についた時、なかなか大きな気持ちになれないものです。人を助けてあげたいと、常々心のどこかで思っている人は、そんな時でも、自分の気持ちが揺らぐことはないようです。________________________________________ 明治の初めごろ、あるお寺に泥棒が入りました。住職は、その泥棒を懲らしめることはしませんでした。それどころか、この男を寺で面倒をみることにしました。そして、驚いたことに男を寺の出納係にしようというのです。このことを聞いたお寺の総代たちは大反対しました。いくらお寺の住職とはいえ、総代たちの考えは正しいといえるものです。しかし、住職はみんなの反対意見に耳を傾けることなく、泥棒を寺の出納係として置くことにしたのでした。総代や寺の檀家の人も心配でしかたありません。お賽銭やお布施などはすべて、その男の管理のもとに置かれ、誰も見ていないところでお金を扱うのです。ところが、一番困ったのは当の本人である、「元、泥棒」の男でした。泥棒、つまり窃盗は一つの癖でもあるのです。この男にとっては、なかなか直る癖ではありませんでした。毎日、お賽銭やお布施などのお金が入ってくるたびに、盗み癖のある男にとってはお金と向き合うことは、苦痛でした。毎日が、苦行でもあったのです。さらには、住職が泥棒である自分を信じて下さっているという気持ちは、男にとっては大きな苦しみでした。 年月が流れます。その、出納係の男は亡くなりましたが、死ぬまで一文のお金も間違わず不正もなく、このお寺での仕事を務めあげたそうです。________________________________________*彼が人間として、正しい道をまっすぐ歩いてこれたのは、住職が自分を信じて下さっていることに応えよう、と思ったからです。人を信じてなお、包み込むのは難しいことですが、人間にとって自分を信じてくれる人の存在は大きなものでもあるのです。
2015年10月25日
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【人は3つの時間を持つ】 私たちは、時間を3つ持っています。一つは、「現在」という時間。もう一つは「過去」という時間。あと一つは「未来」という時間。この3つの時間を、どう使うかによって生き方の方向性が変わります。わかりやすく言うと、「現在」「過去」「未来」をどのように考えるかで生き方が変わるのです。________________________________________ 昔、インドである学生がブッダに質問しました。「恐れることがなく、安心できる充実した人生を送るには、どうすれば よいのでしょうか?」 ブッダが答えました。「現在」においては、どんなことにも、執着してはいけません。「過去」においては、後悔してはいけません。「未来」においては、不安を抱いてはいけません。________________________________________ 「現在」に執着するというのは、あれもしたい、これもしたい、又はあれも食べたい、これも食べたいなど「欲」に振り回されてはいけませんよ。欲の本質は、人間が生きていくために必要なものですが、度を越してしまうと、自分が傷つき、まわりも傷つくということです。 「過去」を後悔しないとは、ああすればよかった、こうすればよかった、と悔やんだところで元に戻ることはできない。過去から学び、現在にどう生かすかを考えなさい、ということです。 「未来」に不安を抱かないとは、取りこし苦労をしてはいけない、ということです。何かに備えて準備をすることは大事ですが、どうなるかわからない先のことを、心配しても意味がない。「心配倒れ」になってはいけない、ということです。*現在に感謝し、過去に学び、未来に希望を持って生きる。 人生、シンプルに考えてみましょう。
2015年10月24日
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【病に立ち向かうには家族の支えが力になります】 某新聞社の日刊紙を愛読して40年以上になります。その新聞の編集者の一人に安武信吾さんという方がいます。安武さんは以前テレビで放映された「はなちゃんのみそ汁」の作者であり、乳がんで亡くなった千恵さんのご主人です。この番組は話題を呼び、娘のはなちゃんのけなげな姿には、たくさんの人が心を動かされたたと思います。今年の12月には映画化される予定です。この安武信吾さんが、毎週1回コラムを連載していますが、その中に共感できる記事がありましたので、一部割愛して紹介したいと思います。________________________________________ ●はなパパの 食べること 生きること 安武信吾 「我慢せずに泣いてほしい。一緒に苦しんでいきたい」。 乳がんのため、右乳房の全摘手術をうけたタレントの北斗晶さんの 夫の佐々木健介さんが涙ながらに語っている記事を読み、亡き妻 千恵の闘病生活を思い出した。 千恵は、全国の乳がん患者とメールでのやりとりをしていた。 その交流を楽しんでいたが、パソコンの文字を打つ手が止まることが あった。 がんと告知された直後に男性から婚約解消された人。告知後に夫の 協力が得られず、離婚した人。病気だからこそ一枚岩にならなければ ならない家族が、病気が原因で引き裂かれる現実があった。 僕は、全力で千恵を支えたつもりだ。千恵もブログでは「私は、それ に関してはツイていた」と振り返っている。 そもそも、がんが理由で相手を突き放す人とは、人生を一緒に乗り 越えていくことなんかできないと思う。がんは一例であって、人生に は、他にも多くの困難が待ち受けているからだ。 それにがんを一緒に乗り越えてきたからこそ、今まで一緒にやってこ られた。「がん様様」なのである。 千恵は「がん」という言葉に敏感だった。 「『がん』を『ぽん』に言い換えてよ」という千恵に、僕は「乳ぽん の調子はどう?」と返した。 明るい雰囲気を作るのは、僕の役目だった。12月に公開される映画 「はなちゃんのみそ汁」でも、大切な場面として取り上げられている。 だが、いつも、千恵を支えていたかと問われれば、そうでもない。 ある日、僕が帰宅すると、洗濯ものが山積みになり、床の上がほこ りだらけになっていた。千恵に注意すると「自分が気付いたんだった ら自分でやればいいでしょ」と言い返された。 僕たちは口論になった。治療の副作用がつらかったのだろう。あの時、 「僕がやるよ」と、なぜ言えなかったのか。今も悔やまれる。 がん患者が、病に立ち向かうためには、家族の支えが原動力になる。 北斗さん夫婦の姿を見て、あらためてそう感じた。 (引用抜粋:西日本新聞 2015年10月20日号)________________________________________ *身をもって体験されただけに、説得力のあるお話でした。
2015年10月23日
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【日本を愛したヘレン・ケラーの足跡】 今まで、何度かヘレン・ケラーのお話をしていますが、今回は日本といかに関わっていたかをご紹介します。ヘレン・ケラーはサリバン先生と出会って、言葉を獲得します。発声法を学び、ハーバード大学に入学し、英語、フランス語、ドイツ語ラテン語、ギリシャ語まで習得します。卒業し、障がい者のための活動に従事するようになりました。生涯3度、日本を訪問しています。最初の訪問をとりもったのが、大阪の岩橋武夫という人でした。岩橋さんは、若くして失明し盲学校の教師から社会事業家になった方です。この岩崎さんがヘレン・ケラーの自宅を訪ねて、日本への訪問をお願いし最初の訪日が実現します。視覚障がいの福祉施設を建設しようとしていた岩崎さんは、ヘレン・ケラーとの出会いを果たし、二人の信頼関係は深まりました。昭和12年の最初の訪問では約4ヶ月にわたって滞在し、この時のほほえましい出来事の一つとして、犬が好きなヘレン・ケラーに、秋田犬がなついたことがきっかけになり、飼い主からその犬がプレゼントされたという話があリます。2回目の訪問は昭和23年でした。被爆地の広島、長崎を訪れました。奈良の地も訪問し、着物姿になり日本文化への愛着を深めました。3回目の訪問は昭和30年です。交友の深かった岩崎さんが亡くなられ弔問のための来日でした。また、ヘレン・ケラーにもロマンスがあったそうです。36歳の時、年下の秘書の男性から求婚されますが家族の反対もあって叶いませんでした。ヘレン・ケラーは日本酒を好み、秋田犬を飼い、自宅には厳島神社と同じように灯篭に明かりをともしていたそうです。日本の精神と文化を心から愛した偉人でした。 (参考文献:「奇跡の人、ヘレン・ケラー」新潮社。 「ヘレン・ケラーと岩橋武夫」社会福祉法人日本ライトハウス。)
2015年10月22日
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【自分の心の底にあるもの】 *自分の心の底にあるものが、まわりの状況を立ち上げていく。 *自分の心の底に、生きている喜びがあれば、にこやかな顔に なる。 *自分の心の底に、光のような感謝があれば、「ありがとう」と、 すぐにいえる。 *まわりの世界は、自分の心が外に出て、どんどん広がって創造 されていく。 『哲学者・東洋思想研究家 境野勝悟(さかいのかつのり)』________________________________________ あなたの心の奥にあるものはどんなものでしょうか?それは、生きている喜びですか?光のような感謝でしょうか? もしかしたら、生きていることの辛さですか?闇のような不安や、悲しみのようなものでしょうか?創造は想像からはじまるそうです。自分の心にあるものが、どんなものかは関係なく、人生が創られていくのです。もし、何かの願望をもっていても、なかなか実現しない時は想像する(イメージング)とよいそうです。 ●想像する力は、願望の力よりも強いものです。 喜びと感謝の心で、豊かな人生を想像=創造しましょう。
2015年10月21日
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【体調や、心の状態がよくない時の対処法】 特に理由があるわけでもないのに、体の調子がよくない。あるいは、気持ちがどうもすっきりしない、という経験をした方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。そういう時は、まず心の状態を正しい方向にもっていくことが大切です。仏教で「五蓋」(ごかい)という言葉があるそうです。「蓋」は“ふた”と読みますが、臭いものにふたをするの「ふた」のことです。人間には、健康な心に「ふた」をしてしまう、五つのよくない感情があるから、そのよくない感情を取り除くことが必要という考えです。さて、その五つです。1、欲張り過ぎていないか。 今の自分の身の丈にあった生活をしているか。他人からよく思われ たいなどをいつも気にして、自分らしい生き方や考え方をしていな いないのではないか。2、小さなことにすぐ怒っていないか。 物事がうまくいかないからといって、他人や自分に怒りっぽく なっていないか。3、小さなミスを、クヨクヨして嘆き悲しんだりしていないか。 失敗したことを、前向きに考えているか。4、小さなことでイライラしていないか。 思いどおりにならない時でも、冷静な気持ちが保たれているか。5、他人をすぐ疑ったりしていないか。 他人を疑いやすい時は、自分に自信がない時。まず自分を信じる 気持ちがあるかどうか。________________________________________ *この五つの要素で判断してみると、意外と自分のことが見えてきます。自分の感情を、映画のスクリーンに映し出すような気持ちでゆっくり眺めてみましょう。
2015年10月20日
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【友人・知人・その他大勢】 40歳のある会社の社長さんの話です。会社を作って3年が経ち、社員も30人で業績もそこそこです。業種はコンサルタント業で、社長さんの名前も業界では知られるようになりました。ある時、知人の一人がコンサルタントの仕事は人を使うより、個人で評論家と顧問業を兼ねて活動したほうがよいのでは、と言ってきたそうです。社長さんは、どうしたものかと考えました。それまで会社のために働いてくれた社員のことを思うと、自分だけの都合で会社を閉じてしまうことを迷いました。そこで、自分の先生と慕っている人に相談に行きました。________________________________________ 先生は言いました。「あなたが、個人で活動すれば確かに仕事はたくさん来るでしょう。 しかし、やめたほうがよい。40歳という若さで、有名になると 人というのは思い上がるものです。人の心がわからなくなり、周り からちやほやされたくなる。結局、人から嫌われてしまいます」。先生は続けます。「例えば、多くの人が名前を知ってくれたとしても、その他大勢の関係 ですよ。お金に換算すると100万人の人があなたを知ってくれても 一人10円の値打ちと考えれば、1000万円の財産です。 それよりも知人を作ることが大切です。知人は顔と名前を知っている だけだが、一人10万円の値打ちがある。 仮に、ここにA、B二つの飲食店があった時、Aは有名人の店だが その有名人はあなたのことを知らない。あなたは有名人の名前と顔は 知っている。 Bは経営者があなたの知人だとします。あなたはどちらにいきますか。 やはり、Bでしょう。 その他大勢というのは、Aのような関係で全く知らないよりは有利だ が、知人に比べたらはるかに存在価値は薄いですよ。 知人づくりの次は、友人づくりをしなさい。友人は頼まれたことは、 多少無茶でも無理でも、何とかしてやろうという関係の人で、一種の ファンのようなものです。これは一人100万円以上の価値です。 今、あなたの会社に30人の社員がいるなら、それは3000万以上 の財産です。 有名になって300万人の人に名前を知られるのとあまり変わりませ んよ。 だから、有名になりたかったら、威張りたくなくなってから、世の中 がわかり、思い上がりがなくなってからにしなさい。 それまでは、地道に今の会社をしっかり経営していくことです」。この先生の助言で、若い社長さんは迷がなくなり会社の経営に専念して今では、上場企業として多くの会社の相談や指導を行っています。________________________________________*この話は、友人・知人の大切さやありがたさを教えてくれます。人は、自分一人の力では生きていけないものです。友人や、知人との関係を見直し、大切にしていくことも豊かな人生を送るには必要なことだと思います。
2015年10月19日
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【建設的な生き方がもたらすもの】 人間の考えている事や思いは現実化する、とよく言われます。最近では、プラス発想・マイナス発想という言い方も定着しています。そして、人の性格の傾向としてプラス発想で物事をとらえるタイプ、逆のタイプの人、さまざまです。また、時によっては両方の考え方を持つ人もいると思います。人間は、意外と暗示にかかりやすい生き物です。できれば、プラス発想で考えたいと思っても、難しいものです。「体の調子が良くないなぁ、どこかが悪いかも。もしかしたら、大変な病気なのでは・・・・」と、思う人。「体の調子がよくないなぁ、どこかが疲れているから、休めということを知らせてくれているんだ。ありがたいことだ・・・」と思う人。________________________________________ メンタルヘルス岡本記念財団を設立された岡本常男さんは、スーパー「ニチイ」(マイカル)の副社長でした。会社を大きくするために苦労され、一時期神経症になりました。体重が34キロになるほど、食事ができなかったそうです。そんな時、神経症の大家でもある森田正馬(まさたけ)博士の森田療法に出会いこの病気を克服しました。岡本さんは森田療法を普及させたいと私財40億円を投じて、記念財団を作りました。森田療法の特徴は、不安や恐れは誰もが抱くものと考えます。しかしその不安や恐れが過剰になると、神経的な症状(不安障害)が現われるが「誤った考え方をやめ、努力の方向性を修正して、日常生活をすすめる」ことで、症状を治すというものです。つまり、不安や恐れを抱えていても、日常の生活でやるべきことをやり(行動)、建設的に生きる(プラス発想)ことで、病気を治すという治療法です。________________________________________*プラス発想というと、なにか大げさなパフォーマンスをともなうものだと思いがちですが、わかりやすくいえば「建設的な考え方」という意味にとらえてもよいと思います。建設的に考え、建設的な人生を送りましょう。
2015年10月18日
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【人生には肥料が必要】 ●人生は決してきれいなものでも、美しいものでもない。 それを美しいものにするのは、他ならない「私」である。 心に「花」を育てたい。 その種子や水は、日常生活の中にある。 むしろ棘(とげ)のある言葉や、思うままにならないことこそ、 栄養、肥料となるのである。ありがたいことではないか。 (渡辺和子著、「愛をつかむ」PHPより)________________________________________ イギリスの大政治家、チャーチルは幼年期は落ちこぼれ少年でした。成績は全教科で最下位、特に数学と外国語(フランス語)は嫌いでした。体も小さく、遊びも苦手でクラスメートからも嫌われる問題児でした。落ちこぼれ不良少年だったため、学校の校長先生からむち打ちされたこともあるほどでした。しかし、国語だけは大好きだったそうです。25歳の時、新聞社の従軍記者になり南アフリカに行きますが、ゲリラにつかまり捕虜となりました。しかし、収容所のトイレの窓から脱出し2週間近く逃げ回り、炭鉱の穴の中に隠れたりしながら、貨車に忍び込みようやく当地のイギリス領事館に駆け込んで助かりました。また、チャーチルは捕虜になる時、何人かの兵隊を助けたことがあり、その兵隊の人がイギリスに帰国し、チャーチルの勇敢な行動が知られて彼の評判が一気に上がり、国会議員への道につながっていきました。ところが50歳の時、選挙で落選しその後15年間、不遇の時代を過ごします。そして、第二次世界大戦となって、66歳になっていたチャーチルが首相として国家の指揮をとることになるのです。幼少の頃、国語だけは好きだったチャーチルは79歳でノーベル文学賞を受賞しています。________________________________________ *人生には、浮き沈みがあります。 「もうダメだ」と思いたくなるようなことでも、人生の栄養と肥料 になるのです。 浮き沈みを繰り返しながら、強くなっていくのです。
2015年10月17日
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【他人を裁かない生き方】 宗教評論家の、「ひろさちや」さんという方がいらっしゃいます。仏教や、キリスト教などの教えをわかりやすい言葉で本として出版している方です。このひろさんが、ある日電車に乗っていた時の出来事が、とても興味深いのでご紹介します。電車の中で、青年が週刊誌を読んでいたそうです。彼の前には老人が立っています。青年は時々、週刊誌から目を離して外を眺めたりしていたので、目の前に老人が立っていることは知っています。席をなかなか譲ろうとしない青年に、ひろさんはたまりかねて勇気を出して注意しました。「きみ、席を譲ってあげなさい」と。しかし、青年はぶつぶつ言うだけで立とうとはしませんでした。ひろさんは、腹がたって仕方ありません。心の中では彼と、現代の若者たちに非難の言葉を浴びせていたそうです。 ところが、電車がいくつかの駅を過ぎると、その青年は降りました。その時、ひろさんの顔は真っ青になったそうです。青年は、足に障がいがあったのです。片足を引きずるようにして歩いて行きました。ひろさんは自分を恥じたそうです。ご自分の体験を通して人間というのは、ついつい他人を裁いてしまっている。もしかしたら、青年は席を確保するために、わざわざ始発駅まで戻っていたのかもしれない。本人の事情は他人にはわからないのに、裁いたり悪口を言ったりしている自分を知り、ひろさんはイエス・キリストの言葉が浮かんだそうです。「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない」________________________________________*自分では正しいと思えることも、相手によっては全く違う考え方にな ることもありますね。 自分の立場だけでなく、相手の立場になって物事を見ていくことも 大事なことではないでしょうか。
2015年10月16日
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【気の力】 江戸幕末の時代から明治維新にかけて、活躍した勝海舟という人物がいました。当時、疫病のコレラ(その時代はコロリと呼ばれていたそうです)に罹りました。この病気はその頃、ワクチンのようなものもなく、間違いなく死んでしまうという、大変怖いものでした。この疫病に、勝海舟が罹ったのです。症状は、ものすごい下痢が続きます。普通の人なら、罹った時点で死ぬことを覚悟していたという話です。ところが、海舟は熱い風呂を沸かせ、ほぼ一日中熱い湯につかり、下痢を我慢してついに治してしまったというのです。心配して、お見舞いにやってきた人たちは口々に言いました。「熱いとはいえ、湯に入ってコロリを退治なさったんですか?」すると、海舟は「なーに、気力だよ。ハッハッハ・・・」と、笑いながら答えたそうです。今の医学からいえば、ほんとに熱湯のようなお湯につかってコレラが治るかどうかはわかりません。それよりも、海舟がコレラに罹ったら助からない、死んでしまうという当時の常識に、左右されなかったことに驚かされます。いわゆる、「気力」というのは生死にかかわるような、重大なことにも影響を及ぼすほどの力がある、ということを証明する出来事です。「勝海舟だからできたのだろう」と言われれば、そうかもしれません。しかし、人間には気持ちの強さ、弱さというものがあり、ひいては命や運命までも変えてしまう「力」があるのは、間違いないと思います。________________________________________*『気力はその人の人生を実現する力の根源』と言う人もいます。自分には気づかない、「気力」があるかもしれません。自分にはどれくらいの気力があるか? という視点で自分を見つめてみてはいかがでしょう。
2015年10月15日
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【苦しみの中から学ぶこと】 “苦しいこと”を体験しないで、人生を送ることができるなら、それはそれで、よいことです。しかし、人は“苦しいこと”を体験することで、苦しみとは違う別の存在に気づくこともあります。________________________________________ 細菌学者のパストゥールは、フランスで生まれました。狂犬病のワクチンや、ぶどう酒の防腐法などを開発したことで知られています。16歳の時に病気で学校を休学するなど、健康に恵まれてはいませんでした。それでも細菌学者として研究を続け、乳酸菌の発酵についての功績を残しています。45才の時、ソルボンヌ大学の教授として活躍していましたが、翌年脳溢血となりました。しかも、当時3人の娘を次々に失うという不幸な時期を迎えました。自身の半身不随という生活と、娘を3人も亡くす境遇は想像を絶するものでした。しかし、パストゥールは病気と闘いながらも、研究者としての仕事を投げ出すことはしませんでした。58歳で狂犬病の研究を始め、ワクチン開発に成功したのです。66歳の時、国や民間の寄付金をもとにパストゥールの名を冠した研究所が設立されました。________________________________________ *人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきです。 そこに、一切の真理が潜んでいるのです。 (ゴッホ) *苦しんで強くなることが、いかに崇高なことかを知らなければ いけません。 (ロングフェロー)
2015年10月14日
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【絶望の奥には希望がある】*自己に絶望し、人生に絶望したからといって、人生をすべて否定する 必要はない。 人生は無限に近い。 人生には私たちが知らない多くの真理が、美がかくれているかもしれ ない。 それを、放棄してはいけない。 (亀井勝一郎)________________________________________ 書道家に金澤翔子さんという人がいます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ダウン症児として生まれました。お母さんの泰子さんは当初、娘の将来を悲観して我が子と死のうと悩んだこともありました。翔子さんは字が上手でした。母、泰子さんが書道家だったこともあり般若心経を書きながら練習していたそうです。私が翔子さんのことを知ったきっかけは、「平清盛」という大河ドラマの題字を見た時でした。書体が変わっていたので、どんな人が書いたのだろうと思っていたら『金澤翔子』さんということがわかりました。 ある時いつも母、泰子さんの講演会に同行している翔子さんが、会場で泰子さんの著書を「悲しい日記本です」言いながら、販売していたそうです。この本は、翔子さんがダウン症であることがわかり、母親としての苦しみを書いた日記の本でした。その時、母、泰子さんが「どうして、悲しい本なの?」と聞くと翔子さんは答えました。「お母様は私が生まれて、一緒に死のうとしたでしょう。私は、私の 赤ちゃんと死のうとは思わない、生きる!」これを聞いた泰子さんは、難しい本は読めないだろうと思っていたのが、自分の知らないころで読んでいたことを知りました。同時に我が子には言えなかった、弱い母親の心の奥を知られたことは驚きでもあったのでした。しかし、それ以上に、娘が抽象的な言葉で綴った本を読んでいたことは泰子さんにとって喜ぶべきことでもあったのです。知性は高くない、と思って娘の行く末を案じていましたが、これなら大丈夫だ、と自信を持ったそうです。「この世に絶望なんてない。ダウン症のお母さん方へ、希望の持てる お知らせができる」とも思いました。________________________________________*希望が逃げても、勇気を逃がすな。 希望はときどき、私たちをあざむくが、勇気の力は息吹なのだ。 (ドイツの哲学者、ブーテルヴェクの言葉)
2015年10月13日
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【今日の忍耐は3年先の幸福になる】 「石の上にも3年」という諺があります。この諺には、とても深い意味があるような気がします。________________________________________作家の司馬遼太郎さんは、大河ドラマの原作になるような歴史小説をいくつも手がけています。そして、司馬さんは仏教にも非常に関心をもっておられたようです。その司馬さんがいろんな寺院を訪ねて、たくさんの名僧や、高僧の方と会って話をすることが何度もあったそうです。しかし、司馬さんがおっしゃるには、そのような偉いお坊さんよりも30年、40年という長い間、行商をしながらあちこちを歩き回ったり、生涯一つのものを作り続けるような職人さんのほうが、“悟り”とという意味では、上回っているように感じたそうです。________________________________________別の諺に「苦労は買ってでもせよ」というものもあります。受難礼賛がすべて必要、というわけではありませんし、苦労は幸福になるための絶対条件でもありません。ただ、苦労を経験すると人の痛みがわかる人間となり、奥深い考え方ができる人間になれるのは事実だと思います。これでもか、これでもかと苦労が追いかけてくる人生であってもその奥には、幸せの種があるものです。種が成長して、実をつけるまでに必要な栄養が、忍耐というものかもしれません。
2015年10月12日
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【口下手でも思いは伝わる】 仏教の祖、ブッダにはたくさんの弟子がいました。ある日、ブッダは弟子たちを集めて、自分のまわりに呼び寄せました。ブッダは、一輪の花を持ったまま何も話さず、ただ黙ってずっと立ち続けているだけでした。しばらくすると、呼び寄せられたたくさんの弟子たちは「何があったのだろう?」と不思議に思い、どうしてよいかわからなくなりました。そういう中で、一人の弟子がブッダの前に来て、にっこりと微笑みました。すると、ブッダもにっこりと微笑んで、その弟子に応えました。今で言う、アイコンタクトのようなやりとりだったのですね。この出来事は「拈華微笑(ねんげみしょう)」と、言われるそうです。この弟子は、後の十大弟子の一人、迦葉(かしょう)尊者といわれた人で、このやりとりの意味は『言葉にしなくても相手に伝わることがある。言葉というものよりもっと大事なもの、それは心である」というものです。________________________________________ 障がいのある人たちを、たくさん雇用している沖縄教育出版という会社があります。この会社は朝礼に時間をかける企業です。朝礼は、体操のあと社員の話し方を訓練するために、毎日誰かがスピーチをすることになっているのです。そして、このスピーチのために1時間以上(時には3時間)かけることもあるといいます。理由は、知的な障がいをもつ人が、みんなの前で話すことはなかなか簡単ではありません。しかし、それでも本人が、言いたいことを言い終えるまで全員で聞いてあげようと思っているからです。「私は・・・・」まで言ってしばらく口ごもりますが、「今度の・・・」「お給料で・・・・・・」「お母さんにマフラーを・・・・・買います」スピーチが終わると、みんなから大きな拍手が湧きます。言葉ではうまく話せなくても、「思い」「心」が何より大切ですね。
2015年10月11日
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【ささやかな喜びを見つけよう】 更年期障害という言葉を聞くと、女性特有のものと思われがちです。しかし、男性にもこの症状は現われるものです。「気持ちは若いけど、体がついていかない」時、なおさら強く感じるものです。40代後半から緩やかにやってくるのが更年期障害。体だけではなく、心にも現われてきます。作家の五木寛之さんも、更年期障害に悩まされたそうです。著書「生きるヒント」に中に、心を健康にするために五木さん自身が実際やっていることを書いていました。日々の生活に疲労感を覚えて、とても大変な思いをしていたそうです。そこで、五木さんは日常の生活でのちょっとしたことにも、幸せだなぁと感じるようになろう、と思いました。そして、実践したことは次のようなものでした。一日一回、何でもいいから、何かに喜びそれを手帳に書くことでした。五木さんが、書いた内容の例ですが、「きょう新幹線の窓際の席に座ったので、富士山が真正面によく見えた。 うれしかった」「小松空港で鱒(ます)寿司を買おうと売店にいったら、最後の一個 が残っていてラッキーだった。うれしかった」日常の中にある小さな、ささやかな出来事。どうでもいいようなことでも、その人にとっては喜びであり「うれしかった」と思えることは必ずあるはずです。ビッグな幸せは、そうそう起きることはないかもしれません。しかし、ささやかことに喜べる感性はきっと磨かれていくはずです。私も、やってみようと思います。
2015年10月10日
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【苦しいことも時間が連れていく】 古代インドの説話に「昼夜の起源の物語」というお話があります。夫のヤマ、妻のヤミ―というとても仲の良い夫婦がいました。(*この二人ですがキリスト教でいえば、アダムとイブに相当する人物だと思ってください。)ある日のこと、夫のヤマが死んでしまいました。最愛の夫を亡くした妻ヤミ―は、悲しみに打ちひしがれていました。「毎日、毎日」涙を流していました。(*本当は「毎日、毎晩」という表現をすべきですが、この説話では じつは『夜』というものがなかったのです。)夜がないから、次の日がはじまりません。だから妻ヤミ―は「夫のヤマはきょう死んだ」と言っては泣いていたのでした。「ヤマはきょう死んだ」「ヤマはきょう死んだ」と嘆き悲しむばかりです。そこで天界から、神々が心配して妻のヤミ―を慰めに来ました。それでも、ヤミ―の悲しみはひどくなるばかりです。神々は「このままだとヤミ―が死んでしまう」と心配し、集まって相談することにしました。そのうちある神がひらめいて、言いました。「夜をつくろう!」と提案したのです。他の神々はとても良い考えだと賛成し、さっそくみんなで力を合わせて『夜』をつくりました。そして夜ができて、一日が終わると次の日が始まることになりました。一夜が明けると、ヤミ―はこう言ったのです。「ヤマはきのう死んだ」次の一夜が明けたら、ヤミ―はこう言いました。「ヤマはおととい死んだ」一日一日が過ぎていき、ヤミ―は自然に夫ヤマの死んだ苦しみから解放されることになりました。________________________________________ 人間は、人の力では解決できないことがあります。たとえば、心の苦しみや、悲しみを今すぐ自分の力で消し去ることはできません。「時間」のおかげで、苦しいこと悲しいことから少しずつ離れることができます。時間とともに離れながら、成長していくことができます。古代の人たちの、このような知恵から何か学ぶこともありそうです。
2015年10月09日
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【自分中心より相手中心の方が人に好かれる】 ある住宅メーカーの営業マンに、一つの特技を持っている人がいました。どういう特技かというと、逆さまに絵を描けることです。家を建てたい、購入したいというお客様に話しをする時、その営業マンは、お客の前に置いた空白の図面に、自分には逆さまに見える絵を描き込んでいきます。理由は、営業マンから見た絵をそのまま描けば、対面しているお客から見ると逆さまになってしまうために見えにくくなります。そこで、この営業マンはお客様から見やすいように、逆さまに絵を描き込む技術を習得したといいます。しかもこの営業マンは、口下手な性格であるにもかかわらず、売上はいつもトップクラスだそうです。彼は、自分の性格の弱点を知っていながら、相手(お客様)の立場になって考えようと思っていたのです。「私はこういうふうに思う」より、相手はどう思うのか。「私にはこんなふうに見える」より、相手にはどう見えるのか。つまり、「自分中心」より「相手中心」に考えたほうが、人間関係はうまくいくのです。私たちも仕事で名刺交換をする時、相手に見やすいように自分から見て逆さまに渡しますが、これはマナーでもあります。________________________________________ ●相手に対するちょっとした心づかいは、好感をもたれます。●
2015年10月08日
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【幸せは「あたりまえ」の中にあります】 再び、野坂礼子さんの言葉集からです。当り前のことに、なかなか感謝できない自分がいます。自分の心の弱さに情けなくなるとき、野坂さんの言葉から教えられることがあります。________________________________________ あたりまえ あたりまえのことが、あたりまえではないってわかることが、 人生で一番大事なこと。 本物の幸せはいつも、「あたりまえ」の中にある。 あたりまえ、あたりまえ、あったりまえ・・・「あたりまえ」探しを してみてください。 「有る事が難しい」と書いて「有り難う」、「ありがとう」というの は奇跡が起きているという意味ですね。 呼吸ができるのは奇跡、お水が飲めるのも奇跡、太陽が輝いている のもすごい奇跡でありがたーい! 光の中で、目が見えてありがとう。感動できてありがとう。 大根、にんじん、お魚さん、命をいただきありがとう。 お父さんがいてお母さんがいて、先生に会えて、お友達がいて・・・。 生かしていただいてありがとう、ありがとう、ありがとうございます。 私が私でありがとう。あなたに出会えてありがとう。 あたりまえのことが幸せの元だとわかっている人が、素直で謙虚な人。 幸運は素直で謙虚な人のところにやってきます。 あたりまえのことに感謝できることが、幸せになるということだと思 います。 呼吸ができて「ありがとう」。 手足が動いて「ありがとうございます」。 (出典:野坂礼子著。「笑顔」と「ありがとう」の魔法。PHP)________________________________________ ●いつも最後まで読んでいただき、「ありがとうございます!」
2015年10月07日
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【感謝の法則】 アメリカのある哲学者によりますと、「感謝」というものにも法則があると述べています。どういう意味かといいますと、感謝の念が起きると自分以外の大きな存在に近づける、というのです。自分以外の「大きな存在」(宇宙を動かしているような大きな意思)、あるいは神様のようなものかもしれません。 そして、「感謝の法則」とは、「作用に対して同じ大きさの反作用がおこる」自然の法則であること。感謝の気持ちは、力になって外に向かって放出されますが、それが「大きな存在」に作用し、その反作用として自分に向かって動きが生じるといいます。つまり、感謝の気持ちを「強く長く」持てば、自分にとって恵まれた環境、もしくは状況が現われてくるということです。「大きな存在」と自分を結びつけるのが、感謝の念。 逆に、感謝する気持ちと反対のもの、これは「不満」です。よく、考えてみると不満の気持ちがある時は、感謝の気持ちがない時でもありますね。感謝の気持ちがない時は、その時に与えられているものに不満を抱いている時なのです。感謝しましょう。感謝は、自分の意識が「大きな存在」に向けられていることにほかならない。こう思って、感謝しましょう。
2015年10月06日
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【再起の背中を押してくれた人】 63歳になって経営していた会社が倒産したSさん。ある人との出会いがきっかけになり、再起することができたというお話です。________________________________________ 「株式会社M社を破産とする」裁判官の冷酷な言葉でした。M社は私が経営していた会社でした。先祖が数代にわたって守り続けた資産までも、人の手に渡ってしまったのです。もう、何をしてもダメだとの絶望感に打ちのめされました。そんなある日のことでした。久しぶりに職安に出かけ、駅におりた私に、突然、目に障害を持ったお年寄りが聞いてこられたのです。「職安はこの方向でよいのですか」と。「私も行きますので、ご案内いたしますが」「いや、私はその先の盲学校にマッサージを習いにいくのです」この人がマッサージを習っているとは、とても考えられませんでした。随分と年長者に見えたからです。「いやあ、八十の手習いですよ。お恥ずかしい。あなたは?」「私は職探しですが、63歳ともなると簡単にはみつからないもので すねぇ」 「六十三とは、それはお若い!」歩きながらの会話は、やがてお年寄りの身の上話に変わっていきました。「私はねぇ、50代の終わりの頃に大病を患い、突然の失明でした。 光が消え、音だけの生活になりました。それまでの平穏な生活は 崩壊し、人の助けがないと生きられない人間になってしまったのです。 社会的にも無用の存在になってしまったのです。 どう考えたって生きている甲斐がありませんよ・・・。 こんなことを毎日考え悩んで、しまいには自殺をも試みましたが、 結局周囲の人達に迷惑をかけただけでした。 神様が私を死なせてくれなかったのです。お前はまだまだ成すことが ある。生きていなければならない、と。 しかしねぇ、このことがあってからです。人のお世話にならずに最後 まで自分で生き抜こうと決心したのは。 しかし、この私に、何ができるのかということには随分と悩み苦しん だものです。が、マッサージを習いはじめてからは気持ちも和らぎ、 大きな喜びになりました。 ゆっくりですが、目標に近づいていく自分を見たからです。 目標がいかに高いハードルでも、必ず越えることはできる。 今からでも決して遅くはないと思いはじめたのです。 人生は挑戦だったのですねぇ。挑戦すればするほど己は輝き出し、 青春にもなるのですねぇ。私は今が青春です。あなたはまだまだお若 い。これからです、あなたの青春は・・・」こう語り終えると、お年寄りは盲学校に向かいました。その後ろ姿は、まるで遠い国からやってきた仙人のようでした。この日から、私は「今からでも決して遅くない」と再起に向け全力疾走をはじめたのです。 時には、赤い涙が溢れ落ちることもありました。しかし、涙の中にはあのお年寄りの元気な顔がありました。やっと立ち直れた私には、終わりなき挑戦の継続がきっとできると思っています。 (引用・参考文献:PHP。平成11年6月号より)________________________________________●苦しい時、誰かの言葉に支えられ、心の目がさめることがあります。 大切なことは、あきらめず挑戦することだと思います。●
2015年10月05日
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【倒れても起き上がろう】 宗方啓次君は、小学6年生。体にハンディがあります。その啓次君を励まし、可能性を引き出してくれた棚橋先生が、家の事情で学校をやめてしまうことになりました。啓次君は、感謝の気持ちを伝えるため先生に手紙を書きました。________________________________________ 6年4組 たなはし(棚橋)先生へ。 先生、ぼくは、先生が卒業式までいてくれると思っていたのに、今年でやめてしまうと聞いたときは、悲しかった。先生のおくさんが病気で、そのお世話の関係で、2学期までって決めてたんやから、しょうがないから、クラスのみんなも、ガマンすることにしました。 ぼくは、小さい時の病気が元で、体の右側が不自由です。暗くておとなしかったし、いじめられてたし、学校に行くのがホンマにイヤやった5年生のころに、担任になった先生がいつも笑いかけてきた。はじめは、バカにされてるんかと思って、腹が立ったよ。ぼくは、何をやっても、だれよりもヘタクソやったから、よう泣いたし、一人やったし、先生に向かって、かんしゃくを起こしたことも何回もあったな。でも、先生、しょっちゅう、僕に、なんか話かけたりしてくれた。 5年生のときの運動会の100メートル走では、あんなに練習したのに、ゆっくり走ってええって言われてたのに、何回もコケたから、誰かが笑ったのもイヤやったし、涙が出てしまってはずかしかった。そして、ゴールしてから、てれかくしに、ふざけながら言いました。「おれ、コケてもコケんでも、どーせいつもビリやねんけど、今日は特に失敗。大失敗やーっ!」そしたら、先生はぼくにこう言いました。「ケイジ。おまえ今までコケることが失敗やと思ってたんか? えらいカンちがいしてる。失敗いうのはコケることやなくて、その まま起き上がらへんことや。 おまえ、最後まで走ったんやぞ。何回も起き上がるの、先生、今、 見てたがな。もっと自分をホメたらんかぁ」って。 ぼくは本を読むのがにがてで、“らりるれろ”のつく言葉とか、言えないもんもあるから、国語の授業でも当たらないようにしてたけど、先生が、「ケイジは作文がうまいから、心をこめて読めるはずや。だれにも苦手なカベはあるけど、ブチ当たってみぃ」というので、毎日一生懸命に読む練習をしたら、ラジオでしゃべる人みたいにはうまくないけど、校内の朗読大会の代表に選ばれました。お母さんが喜んで、僕の前でめったに泣かないのに、「よかってね」ってベソをかいていました。先生、このとき、こんなことを言いました。「ケイジ、がんばったなぁ。おまえはまだ完全に壁はブチやぶってへんかもしらんけど、努力してブチ当たってたら、壁が倒れて、橋になったがな! すごいすごい、おまえ、すごいな!」って言ったからうれしかったです。あのね、先生、ぼくも小学校の先生になれるかなぁ。いっぱい、がんばってたら、また橋がかかるなぁ。 この手紙は、先生に卒業式の時に渡したかったけど、卒業式に先生おらんし、小学校を卒業したら、封筒に入れてポストに出します。棚橋昌臣(たなはしまさおみ)先生。いっぱい、いっぱい、あいがとう。宗方啓次(むなかたけいじ)より。 (引用:橋本昌人編、「なみだのラブレター」ヨシモトブックス)________________________________________ 倒れたら起き上がれない大人もいますが、この宗方君のような起き上がろうとする少年もいます。棚橋先生が言った、 「失敗というのはコケることではなくて、起き上がらないこと」 「頑張っていれば、壁もいつかは橋になる」という言葉は、少年の中で輝き続けると思います。
2015年10月04日
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【「ありがとう」という言葉の威力】 以前ご紹介した、野坂礼子さんは「笑顔セラピー」というセミナーを各地で開催されています。私自身、参加したことはありませんが、野坂さんの考え方に賛同している一人です。このセミナーでは「ありがとうございます」の言葉を唱えます。『感謝法』というのだそうです。「ありがとうございます」という言葉をたくさん唱えると、人生が好転するといいます。2分で100回はできるそうです。はじめは気持ちが伴わなくても繰り返してやっていく内にその気になるとのこと。最初は一日300回から500回。次に1000回。心が伴いだしたら5000回(100分)できるそうです。実際、参加者の方で人生が変わったという人もいるとか。________________________________________ 野坂さんの著書の中の一つに、次のようなものがあります。 『魔法使い』 「笑顔」と「ありがとう」は、人間だけが使える、とっておきの 魔法です。動物は笑わないし、動物は言葉を使えません。 人間だけが笑顔ができるし、「ありがとう」って言えるのです 「笑顔」と「ありがとう」で心にやすらぎと喜びが満ちてきて ほんとに不思議なくらいに幸せになれます。 やってみた人にしかわからない、素敵な実感です。 それが動物にはできない、人間が人間らしく生きるってこと なのです。 笑顔は魔法の押しボタン、「ありがとう」は魔法の杖、 あなたも魔法使い。 (引用:野坂礼子著。「笑顔」と「ありがとう」の魔法。PHP)________________________________________ 人生好転、生活向上のために役立ててみましょう。
2015年10月03日
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【感性(感じる)を磨こう】 1970年代からよく言われたことで、「三無主義」。最近は「五無主義」。無気力、無関心、無責任、無感情、無感動、のことをいうそうです。悩みの相談などで、これまで頑張ってきたのにいつのまにか、感情がなくなってしまった、という話をよく聞きます。まじめで、負けず嫌いな人に多いようです。ただ、今の時代に一番欠けているものは、「感動」することのように思えます。理由はいろいろあると思いますが、根本的に「感情の活動」が少なくても生きていけるからかもしれません。「人より気高くなるには、他より感じることが必要」と、著名な社会評論家が言ったそうです。神経過敏になることとはちがいますが、無感動になると社会から疎外されたような気になるのでしょう。また、一方では精神的に疲れたから無感動になってしまったというケースもあります。こんな時は、休養することが何より大切です。できれば、日頃から小さなこと、当たり前なことに感じた気持ちを、そのまま言葉に出してみると意外と元気になれます。一日生活をしていると、誰かと言葉のやりとりをすることは必ずありますね。そんな時、相手が真剣に話しているなら「ふーん」「そう・・・」と軽く流さないで、「すごいね!」「大変ですね!」という気持ちが動く言葉を出すことを心がけてみましょう。こういう習慣、雰囲気はとても大事だと思います。感情の循環をよくすると、人間関係にもよいリズムが生まれてくるものです。錆びついた気持ちのままだと、しだいに憂うつな気分になります。感情のリズムにメリハリをつけ、感性を磨いていきましょう。感性が磨かれると、生きることが楽しくなります。
2015年10月02日
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【感謝の手紙を書いてみよう】 失語症のお父さんを亡くした娘さん(27歳)が、父親を偲んで手紙を書きました。________________________________________ ドクターストップが解けて走った小学校での徒競走。 5人中4等だった私に、普段は無口でクールな二枚目タイプだった お父さんなのに、笑顔いっぱいで頭をなでてくれたよね。 体操着に4等の印の水色のリボンをつけてもらったときから、 水色が私の一番好きな色になりました・・・・・・・・。 お父さん、覚えてる? 入院しているとき、看護婦さんに、 「あなたのお名前は?」 と聞かれたとき、 「フクイ ヨシコです」 とまじめに答えたこと。 「それは娘の名前でしょ」 って私が言ったら、少し考えて 「フクイ、ヨシオかな?」 「お父さんは保夫(やすお)でしょ」 って笑顔で訂正したけど、本当は病院の廊下に出て泣いていたんだ。 でもね、失語症で自分の名前は忘れても、娘の名前は忘れないほど お父さんから愛されていたんだなって思うとうれしかった・・・・。(出典:生活デザイン研究所編著「人生最高のラブレター」清流出版)________________________________________ ●感謝していても、かしこまって言葉に出すことは勇気がいります。 何かの記念日にでも、短い文でも「ありがとう」の気持ちを伝えて みましょう。感謝の気持ちを持つと、相手の気持ちが不思議と理解 できるものです。●
2015年10月01日
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