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図書館で「パリの日々」という本を手にしたのです。パリでアルバイト(ベトナム料理店のウェイター)を続けながら、語学学校(アリアンスフランセーズ)に通うという行き当たりばったりだった私にとって、同類が綴るこの本が興味深いのです。【パリの日々】 丸山直子×丸山垂穂著、三修社、2020年刊<「BOOK」データベース>より1978年、パリの丸山圭三郎一家。かの大著『ソシュールの思想』を世に問う前夜、丸山圭三郎は家族を伴いパリに一年間暮らした。パリで一服の解放感を味わう夫と、現地でことばを覚え、とまどいながらもフランスにとけこんでゆく娘。その生き生きとした姿を、当時のパリの空気とともに、妻であり母親の視点から描く。-そして娘は字幕翻訳者への道を選ぶ。当時公刊されたエッセイに加え、新たに書き下ろした40年後の思い、親子三人の往復書簡(初公開)を収録。<読む前の大使寸評>パリでアルバイト(ベトナム料理店のウェイター)を続けながら、語学学校(アリアンスフランセーズ)に通うという行き当たりばったりだった私にとって、同類が綴るこの本が興味深いのです。rakutenパリの日々なにはともあれ、まず「まえがき」から、見てみましょう。p01~03<まえがき> 1978年から親子三人で滞在したパリの日々を綴った拙著『街角のクレープ』が出版されたのは1980年。それから40年を経て2020年に再び同書が刊行されることになろうとは思いもかけない出来事であった。 40年前のパリの話はかなり時代遅れで果たして現代の読者に受け入れてもらえるだろうか。今読み返すと未熟な内容で恥ずかしい。そして年齢的に新しく書きなおすことができるだろうかという不安もあり一旦は辞退したのだった。 娘の垂穂からは「その気になればできるはず、ボケ防止に」と背中を押され、三修社の上山直寛氏からは娘と「共著で出版しては」という提案を頂き、加筆訂正して新たに出版することになった。 旧著では現役の夫の仕事についてほとんど触れていなかったが、夫・丸山圭三郎は勤務中の大学から1年間の在外研究休暇を得てフランスへ行くことを決めていた。パリに住みつつ、スイスのジュネーヴ大学に通ってソシュール学の泰斗ロベール・ゴデル教授に師事し資料を収集研究するのが主な目的だった。 パリでの1年間の休暇は私たち家族に思いがけない自由な時間をもたらしてくれた。日本ではありえなかった、家族での買い物、あるいは学校の父母会に行く、映画を観る、などという些細な日常を共にすることができた。自宅と大学を行き来する毎日でスーパーなどに足を踏み入れたこともなかった夫が、朝市のおじさんたちと楽しそうにおしゃべりをする姿は解放感に溢れていて、この人は心底フランスが好きなのだと思った。 大学ではフランス語フランス文学専攻、後に言語哲学研究に進んだ夫にとってもフランスに住むのは初めての経験で公私ともに実りの多い滞在だったのではないだろうか。帰国後『ソシュールの思想』『フランス語とフランス人気質』『文化のフェティシズム』『言葉と無意識』などの書物を上梓した。 一方当時15歳の娘は中学を卒業したばかりでその後の教育をどうするかは一番の難題だった。日本の高校生活を経て大学受験へという既定コースから外れてしまうが、夫だけが単身赴任し家族は日本に残るという選択肢は最初からなかったように思う。人生の途中で1年間だけパリのフランス人の中で勉強してみるのも面白いのではないか。せっかくのチャンスだから新しいことに挑戦してみようと親子で意見が一致、無謀にもパリの全寮制中高一貫校に入学してフランス語を一から学び始めた。 しかし現実は想像以上に厳しかったようで先生や生徒たちと全く意思の疎通ができず授業中に泣いていたこともあったらしい。国語の先生の好意で放課後に特別レッスンを受けて3ヵ月を過ぎる頃から少しずつ言葉として理解できるようになっていった。この1年間は娘にとっても大きな試練であったが、同時に異文化を学ぶ場となり、後にライフワークとなるフランス映画字幕翻訳者としての第一歩を踏み出すきっかけを与えてくれたといえよう。 娘は親の都合で教育環境が大きく変わってしまったが、登校拒否にもならず困難な時期をよく乗り越えたと思う。少し回り道をしたが、今は幼い頃から大好きだった映画に関わる仕事に就き、充実した日々を送っているようである。パリ生活から40年後の私たちの暮らしを併せてお届けできたらと思っている。 2020年4月 丸山直子
2024.03.29
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図書館で「イスラム10のなぞ」という新書を手にしたのです。ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。【イスラム10のなぞ】宮田律著、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!<読む前の大使寸評>ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。rakutenイスラム10のなぞ「なぞ8 スンニ派とシーア派はなぜ、対立するのか?」を、見てみましょう。p185~190<なぞ8 スンニ派とシーア派はなぜ、対立するのか?>「スンニ派とシーア派の違いは何ですか」。講演会などでよく聞かれる質問である。スンニ派とシーア派はイスラムの最も大きな宗派的分類であり、現在の中東情勢を理解するうえで必要なカギとなる。 シーア派は、予言者ムハンマドの正当な後継者は彼の娘婿であるアリー(アリー・イブン・ターリブ661年没)とする。 スンニ派は、予言者ムハンマドは4人の正統カリフによって継承され、アリーはその4代目であると考える。両者の間には大きな教義的な隔たりはない。■抑圧されるシーア派 イラクでは、イラク戦争後にスンニ派とシーア派の対立が鮮明になったが、イラク人からフセイン政権が倒れるまで両宗派の住民たちは仲良く暮らしていたという声にも接した。クエートのイラク・レストランではスンニ派、シーア派の人々が一緒に食事をしていた。 イラク戦争において、米軍など多国籍軍がスンニ派を信仰するサダム・フセインの旧勢力を弱体化させるためにスンニ派とシーア派の対立を意図的に煽ったことは否定できない。 現代のスンニ派とシーア派の対立は、メッカとメディナというイスラムの聖地をサウジアラビアにもつアラブ民族と、シーア派教徒が多く占めるペルシャのイラン民族との対立が主要因となっている。イラク戦争でスンニ派のサダム・フセイン政権が崩壊すると、イラクではシーア派主導の政権が成立し、イランの影響力が強まった。サウジアラビアのシーナ派に対する警戒も高まった。 中東イスラム世界における近代化はスンニ派が優勢な国家のもとでまず行われた。欧米をモデルにした近代化は、地域の不均等とシーア派とスンニ派の間の経済的ギャップをもたらした。シーア派が多くを占める地域の、レバノン南部のジャバール・アミール地方、イラク南部の湿地帯、アフガニスタンの中部高地などでは近代化が遅れた。 シーア派住民は、生活の向上を求めて大都市に大量に流入し、ベイルート、バグダード、カブール郊外に貧民街を形成するようになる。社会における不平等感ははじめに左翼思想、続いてイスラム原理主義を受容する素地となった。イスラム原理主義は、イスラムの公正、平等という宗教原理に基づいて現代社会を改善すると考える。このように、イスラム原理主義に最初に傾倒していったのはシーア派の人々であった。「被抑圧者の抵抗としてのシーア派」という概念は、1979年のイラン革命の指導者であるホメイニによって強調された。ホメイニによれば、シーア派教徒はあらゆる宗教の被抑圧者を代表する。そして、イランの被抑圧者がイスラム革命を輸出することによって世界の抑圧された人々を救済することができると考えた。このように、シーア派の原理主義的な主張は「被抑圧者の抵抗としてのシーア派」という概念と強く結び付く。イラン革命の成就は、シーア派のみならず、チュニジア、トルコ、エジプトなどスンニ派諸国の原理主義運動、イスラム復興のうねりに弾みを与えることになった。「イスラム10のなぞ」1:はじめに
2024.03.28
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図書館で「イスラム10のなぞ」という新書を手にしたのです。ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。【イスラム10のなぞ】宮田律著、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!<読む前の大使寸評>ガザ地区ではアラブとイスラエルによって展望の見えない報復合戦に明け暮れているが、なぜそうなるのか知りたいではないか。rakutenイスラム10のなぞまず「はじめに」から、見てみましょう。p03~07<はじめに> 複雑怪奇な中東イスラム情勢は日本人にとって理解しにくいのが実情であり、世界16億人の心を捉えて離さないこの宗教に対する日本人の知識も豊かとはいえない。本書はイスラムに関する基本的問題を、「10のなぞ」として設問を立て、最新の中東情勢を踏まえながら、歴史的に解き明かしていくことで、イスラムを知ることができる入門書である。 こんにちキリスト教に次ぐ宗教人口を抱えるイスラムは、今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予測され、日本人がイスラムという宗教に関わる機会はますます増えていくだろう。過激派による暴力が繰り返され、イスラムには「怖い宗教」「物騒」という見方があることは間違いない。 しかし、イスラムが信徒を拡大していった背景、人々に倫理や法を説く『コーラン(クルアーン)』の内容、予言者ムハンマドの生涯などを知れば、イスラムは危険であるという一面的な考えは払拭されるだろう。さらに、イスラムの歴史と社会制度を理解することは、世界史を読み解く大きな手助けとなる。 手始めに、本書で解き明かす「なぞ」を簡単に紹介してみたい。1から4では、イスラムが歴史的に勢力を拡大し、こんにち世界宗教としての地位を獲得することができた背景を考える。『コーラン』に書かれたことやムハンマドの人物像からイスラムの特徴を捉えたい。 歴史的に見ると、イスラムはムハンマドが生きたアラビア半島に新たな秩序と安寧を与え、イスラム共同体は平和な社会を求める人々の間で求心力を急速に高めていった。ムハンマド以前のアラビア半島は小王朝が乱立し、各部族がそれぞれの神を祀り、この地域全体を治める政治的権威に欠けていた。イスラムは唯一神(アッラー)への帰依を訴えることにより、人々を包み込む大きな政治・社会的権威となっていった。 イスラム帝国がその版図を急速に拡げていったのは、欧米でたびたび言われる、「右手にコーラン、左手に剣」という好戦的な姿勢であるよりも、イスラムが説く教えがビザンツ帝国など当時の社会で定着していた階級を乗り越え、「幸平」や「平等」を訴えて求心力を得たことが大きい。そうでなければ、住民から税を取り上げて、それを帝国の財政基盤にして拡大することは不可能であった。また、インド南部や東南アジアには、ムスリム(イスラム教徒)の商業活動によってイスラムがもたらされた。 5では、8世紀から9世紀にかけてイスラム世界の中心地として大いに繁栄し、学術研究の最先端都市であったバグダードが、やがては衰退の途をたどり、その文明を発展させ、継承することができなかった「なぞ」を考えたい。 8世紀以降、東西世界を支配するようになったムスリムたちはギリシャ古典のアラビア語訳に取り組むようになり、イスラム帝国の首都バグダードは医学、科学、天文学など世界の学術研究の中心となった。 ムスリムがつくり上げた学術的遺産をヨーロッパ人たちも学ぶようになり、それが後にルネッサンス文化として開花していくことになる。1000年を経て、サダム・フセインの統治以降、湾岸戦争、イラク戦争、また「イスラム国(IS)」との戦いで疲弊を余儀なくされたイラクの首都バグダードが、かつての「黄金都市」としての煌きを喪失したことも、イスラム諸国の欧米に対するコンプレックスとなっている。 6では、イスラムにおける経済の発展を考える。(中略) 最後に、7から10では、15世紀以降のイスラムの歴史を考えることで、スンニ派とシーア派の相克、アラブ人とユダヤ人の対立といったようなこんにちの複雑怪奇な中東情勢の「なぞ」に答えたい。中世から近世にかけて東西イスラム世界を支配したオスマン帝国の歴史は、現在のイスラムと欧米の関係を形づくっている。トルコとはどういう民族であったのかを知ることも世界史やユーラシア世界の現状を理解する上で重要なカギになる。 オスマン帝国が弱体化、解体していく過程でスンニ派とシーア派の対立も顕著になっていったが、日本人は両派の名称をニュースなどで頻繁に耳にしながらもその相違や対立の背景はわかりにくく、十分理解できていないだろう。また、アラブ・イスラエル紛争は中東最大の不安定要因、紛争要因であり、アルカイダやISが反米テロを繰り返すのも、アメリカがイスラエルを偏って支援してきた背景が関係している。 さらに、民主化できないでいたアラブ諸国の独裁、強権政治は暴力を助長し、過激派にエネルギーを吹き込むことになってきた。 本書では、イスラムに関して根本的かつイスラムを知るために不可欠な「10のなぞ」をやさしく、また時には一歩進んで詳細に解き明かすことによって、読者がイスラム世界の「いま」を理解することの手助けとなるようにしたい。
2024.03.28
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図書館で「アンコ椿は熱血ポンちゃん」という本を手にしたのです。表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。【アンコ椿は熱血ポンちゃん】山田詠美著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりすこやかに猪突猛進!さわやかな毒舌と熟練のコブシ回し。あなたの心に勇気の火を灯す大人気エッセイ最新刊。<読む前の大使寸評>表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。rakutenアンコ椿は熱血ポンちゃんラーメンと脳科学のエピソードを、見てみましょう。p34~35<早春の満九十六歳> 本日は、お日柄も良く、冒険小説か、船戸与一御大の誕生日である。と、いうことは、私の誕生日でもあるということ。それなのに例年通り机の前にいて、この原稿を書く破目になっている。ハッピー バースデイ トゥ ミー。いくつになっても計画性がまるでない私である。年いくつ? 26よ、というたわ言にも飽きた昨今。これからは、96です、などと誤魔化してみよう。新感覚のおばあさん道が開けて来るかもしれない。 わしわし食べ、ごくごく飲み、すたすたと歩く。我ながら、老いてますます盛んな、あっぱれ人生だ、と思い込もう。そして、腑甲斐ない若者を叱咤する。ほれ、詠美さんを家まで送る! と男気を見せていたくせに、途中で、私を放り出してタクシーを降り、道端でげろを吐いていたあなたのことよっ! 翌日、電話して来て、誰にも言わないで下さいと懇願していたわね。 ええ、守っていますとも。誰にも言いません。ただ書くだけなの。だって、わたくし、日々のつれづれを描写せずにはいられない閨秀作家のはしくれなんですもの。まあ、だらけて眠ってばかりいるので、閨秀作家と呼ぶべきかもしれないが。 私は、寝るのが大好き。用事のない日は、夜の8時や9時にベッドの中にもぐり込んじゃう。で、本を読んでいるとすぐに眠くなってしまい、グーグー。しかし、それだけ早い次項に寝入ってしまうと、やはり夜中に目が覚める。で、また本の続きを読む。すると、再び眠くなる。これをくり返すとどういうことになるか。夢の中に、その読みかけの本の世界が出現するのである。 川上弘美さんの『真鶴』(文藝春秋刊)を読んだ時は恐かった。夢の中で、私も真鶴に旅をしているのである。茫洋とした寂し気な海辺をひとり歩き続ける私。何度も不穏な空気を感じて振り返り、そしてひとりごちるのである。なんだ、ついて来るもの、いないじゃない。目覚めてもなお、耳に海鳴りの音が響いているような気がしていた。 茂木健一郎さんの本を読みながら眠ってしまった時も不思議な夢を見た。夢の中で茂木さんはラーメン屋の主人だった。おいしいと評判のその店には行列が出来ている。私も、その最後尾に並ぶ。おなかは、ぺこぺこである。あたりには良い匂いが漂っている。まだなのー?と待ち切れない思いで、ぴょんぴょん跳ねて順番を待つ私。 ようやく店に入れてありついたラーメン。これが・・・ものすごくおいしいのだ。うひょーうめーずるずるずる・・・。ところが堪能している最中に主人(茂木さん)が、はい、そこまでで充分でしょ、と言って、私の丼を取り上げてしまうのだ。え? そんな! と思ったところで目が覚めた。 口の中には、ラーメンの旨味が、はっきりと残っている。夢で食べたとは思えない。その時、あっと天啓を受けたような気がした。もしかしたら! これ、この感覚こそが、クオリアってやつ!? へー、ラーメンと脳科学の接点がおれさまのベッドの中でもたらされたなんて、新解釈? それとも、でたらめ? まあ、どっちでもいいや。いずれにせよ、タオル頭に巻いて、派手なパフォーマンスで湯切りする茂木さんは威風堂々たるラーメン職人ぶりであった。「アンコ椿は熱血ポンちゃん」1:天高く毎日はアンコ神楽
2024.03.27
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図書館で「アンコ椿は熱血ポンちゃん」という本を手にしたのです。表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。【アンコ椿は熱血ポンちゃん】山田詠美著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりすこやかに猪突猛進!さわやかな毒舌と熟練のコブシ回し。あなたの心に勇気の火を灯す大人気エッセイ最新刊。<読む前の大使寸評>表紙に描かれたカワイ子ちゃんに惹かれて、チョイスするのはどうかと思ったが・・・借りてしまったのです。rakutenアンコ椿は熱血ポンちゃんまず冒頭のエピソードから、見てみましょう。p07~09<天高く毎日はアンコ神楽> 二ヵ月ぶりに戻ってまいりました。しかし、どこを捜しても威を借るべき文豪のお姿が見当たりません。よって、今回からは、懐かしのメロディに便乗して、お調子者の本領を発揮して行く所存でございます。でもなあ、アンコ椿の「アンコ」って、意味解んない。幼い頃に耳にした時はおまんじゅうの「餡こ」だと信じて疑わなかった。 後にどうやら違うらしいと気付いたものの、演歌とは無縁だった山田家。話題にのぼることもなく、ここまで来てしまったのである。今さら聞くに聞けない言葉の範疇に入れられ眠り続けていた「アンコ」。何十年ぶりかに目覚めて、私を動揺させている。それが「アンコ」。そこで、恥を忍んで、新解さんのお宅のドアを叩いてみたところ。 あんこ㈠[姉子の変化][伊豆大島方言]娘。 🉂][東北方言]日雇い労働者。🉁[魚のアンコウを連想させる所から関東から中国・四国方言]力士で、肥え太った型の物。 娘椿!? 日雇い労働者椿!? 力士椿!? 私の場合、絶対に三番目だと思う。だって、日頃から、ゆで玉子に楊枝刺した体型と言われ続けているんですもの。母から私や妹たち、そして姪たちにまで受け継がれる山田家の成せる業なんですもの。 華奢という言葉とは常に無縁で来た私たち。はかなげという形容詞が、まったく似合わない私たち。女にその風情を要求する男たちが、ひとりも近寄って来なかった私たち。でも、いいの。捨てる神あれば拾う神あり。世の中は上手く出来ているもので、娘たちは全員結婚したし(一応)、今も、誰かしらの色恋沙汰で、いつもわいわいしている。 DNAによる体型が、山田家の家風を形作ったと言っても過言ではないであろう。「そっぷ」な家系にはない熱気が漂っているのである。あ、ちなみに、今、調べたら、「そっぷ」の語源は、スープなんだとか。スープを取る骨 イコール やせっぽちの力士ってことらしい。やっぱり、新解さんは、色々教えて下さいますね。ソップはスープの老人語、なんて記述もあったけど、確かに、ハイカラなじいさん用語である。 内田百閒先生あたりにお似合いだ。ソップなスタイルに憧れつつも、アンコな心持ちで、熱血ポンちゃんは、これからも突き進んで行くので、よろしく。 さて、いつのまにやら、今年ももう終わりに近付いていて、信じられない気持ちである。今年、わたしには、夏がなかった。猛暑だったそうだが、昼間外に出ることがほとんどなかったので、まったく実感出来なかった。 書き下しの執筆のために、ずうっと蟄居していた私。夏なのに蟄居。青春を謳歌する季節だというのに蟄居。盆踊りの女王(自称)なのに蟄居。そして、それは、スロウな私の仕事ぶりのために、秋口まで続いたのである。 小説を執筆するたびに、私って奴は、どうして他の小説家の人たちみたいに、さくさく仕事が出来ないのだろうと、我が身の腑甲斐なさにうんざりするのである。「小説を執筆するたびに」なんて言っていること自体、ほんと駄目駄目だよね。本来、小説家は、毎日机に向かうべきではないのか。でも、私にとって、小説を書くことって、受験勉強と同じなの。そして、同時に、試験を受けてもいるの。考え込んでいる時は前者で、書いている時は後者。 だもんだから、学生時代の試験前と同じような行動を取ってしまうのである。机の存在を見て見ぬ振り。これである。参考書や筆記用具が待ち受ける机に気付かれぬよう、そおっと通り過ぎていたあの頃。机を完全に擬人化していた。え?わたくし?人間違いではございませんか? と勉強部屋で、机を相手役にして、ひとり芝居をしていた私。今、仕事部屋でも同じことをくり返しているのである。 しかし、その内、にっちもさっちも行かなくなり、ようやく観念して、机の前に座る。ところが、この期に及んでも、まだ往生際悪く、いつもなら思いつかないような時間つぶしに精を出してしまう。枝毛切ったり、川柳を詠んで笑ってみたり、グラフィティアートもどきのタグを作って色を塗ってみたり、とうに挫折したスペイン語のテキストをおさらいしてみたり、ああ、ほんと、私って奴は!
2024.03.26
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図書館で「アウト・オブ・民芸」という本を手にしたのです。カウンターカルチャーとして現れた民芸が素朴というか、いいではないか♪【アウト・オブ・民芸】 軸原ヨウスケ×中村裕太著、誠光社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜこれは民藝じゃないの?資料を読み解くことで書き換えられる相関図。民藝運動の「周縁」にスポットをあて、21世紀のモノづくりを考える。<読む前の大使寸評>カウンターカルチャーとして現れた民芸が素朴というか、いいではないか♪rakutenアウト・オブ・民芸宮城伝統こけし「第二回 こけしと郷土玩具から見る民芸」から郷土玩具を、見てみましょう。p50~53<第二回 こけしと郷土玩具から見る民芸>軸原: さて今回は郷土玩具、特にこけしの話を中心にするつもりなのですが、前回中村くんに用意してもらったこの分類図(第一回掲載図番参照)をもう一度見てみると、郷土玩具がどこにもはいらないんですよね(笑)。いるとしたらこの個人的工芸と民衆的工芸の間なんじゃないかなと。実用的ではないし、観賞用ともいい切れない。これ見ただけで郷土玩具って「アウト」なんだなという感じがします。柳(柳宗悦)の眼中にはなかった感じですよね。 ですが柳没後の1972年に出た『世界の民芸』(朝日新聞社)という本なんかは、濱田庄司・芹沢圭介・外村吉之介という民芸界の神々が書いているんですが、かなりの割合で「世界の郷土玩具」と言ってもいいようなラインナップなんですよね。そういうのもあって僕はこの民芸のグレーゾーンがずっと気になっていた。 まずは柏木博さんが1981年の『おもちゃの神話』という本に面白いことを書かれていますので、読んでみましょう。 柳宗悦が様々な「民具」や各地方の「雑器」「日用品」に目を向けたのと「郷土玩具」を蒐集する趣味が一般に広がり始めたのとはほぼ同時代である。 セルロイドやブリキ製のおもちゃが大量生産され始め、「手工芸」的につくられる「郷土玩具」が、希少性、珍品になり、その結果、蒐集の対象になったとも言えようけど、それだけが「郷土玩具」蒐集の原因ではなく、岩村(透)や柳に見られる「手工芸」に対するある種の意識も、その原因となっていたと言えるだろう。 「手工芸」に対するある種の意識とは、「工業」によってつくられたものは「無趣味」であり、それに対して「手工芸」によってつくられたものが「趣味」的かつ「美」であるとする意識である。 つまり、失われつつある「郷土玩具」には、「手工芸」によってつくられたものだけが有する、「趣味」や「美」がある、という意識が、「郷土玩具」蒐集の大きな原因になっていたと言える。言いかえれば、「趣味」とか「美」とかいった、イメージとしての価値を、人々は「郷土玩具」に求めたのである。 そしてその価値は、しだいに強力になっていく「工業」的な生産力に逆比例して、当時、発生しはじめた価値であった。軸原: もうここだけですごくいいんですよ。郷土玩具の収集って明治時代から始まっていて、大正期にはすでに一般的なものにまで広がっていく。そういう時期に柳が民芸運動をはじめたということは覚えておいたほうがいいと思うんです。中村: つまり、明治時代には郷土玩具収集は、ある一部の趣味人たちのものだったと。軸原: そうですね。明治期にはまだインテリたちの趣味だった。その後に生まれた背景として、「機械工芸対手工芸」という構図があって、機械工芸は無趣味だけど手工芸は趣味性を帯びていくという感覚が共有され始めたころに民芸運動がはじまっている。中村: 僕が「機械工芸対手工芸」から連想するのはウィリアム・モリスです。柳たちがやっていた民芸運動の素形というか原型のようなものを仮にモリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に求めたとして、モリスに影響をうけていた代表的な存在は柳だと言われますが、他にも横のつながりで富本も直接的な影響を受けている。軸原: 宮沢賢治なんかもいたり、山本鼎にも直接的な影響もあっただろうと・・・それこそモリスの言うような「手仕事の喜び」を推奨してますよね。モリスという共通の背景があるからこそいろんなことが理解できるようになる気がしますね。 そういった中で柳が郷土玩具を批判していたのは、当時の日本での郷土玩具受容や、先んじて始まっていた農民美術運動が人形をベースに展開していたことも含めて、自分の立ち位置をはっきりさせないといけなかったからであり、そのアイデンティティに「用の美」というコンセプトがあったからではないかなと思っています。 郷土玩具に話を戻すと、戦前の本には「土俗玩具」とか「諸国玩具」とか、いろんな言われ方をしているんですね。1923年に『郷土趣味』という雑誌上で田中緑紅の「郷土玩具の話」という連載が掲載されたのが郷土玩具という呼び名の始まりのようです。郷土玩具の定義ってわかりやすくいうと「郷土玩具は必ず商品である」ということです。お土産と神具の中間みたいな。 だからこそ民俗学の収集の対象ではなかったし、文化的な遣り方が難しかったというのはそういうことです。使うものでもないし、儀礼のものとも言い切れない、商品である、ということはもうひとつ考えておいたほうがいいですね。「用の美」とは一線を画す存在なんですね。『アウト・オブ・民芸』1:まえがき
2024.03.26
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図書館で「アウト・オブ・民芸」という本を手にしたのです。カウンターカルチャーとして現れた民芸が素朴というか、いいではないか♪【アウト・オブ・民芸】 軸原ヨウスケ×中村裕太著、誠光社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜこれは民藝じゃないの?資料を読み解くことで書き換えられる相関図。民藝運動の「周縁」にスポットをあて、21世紀のモノづくりを考える。<読む前の大使寸評>カウンターカルチャーとして現れた民芸が素朴というか、いいではないか♪rakutenアウト・オブ・民芸まず軸原ヨウスケさんの「まえがき」から、見てみましょう。p04~05<まえがき> 個人的な想いでしかないが、デザインと美術の間に「民芸」があるのではないかとずっと思っている。手仕事の複製芸術であり、暮らしの中の芸術。誤解を恐れずに書くと、私は「民芸」という言葉を「民衆的工芸」というよりも「民衆的芸術」として理解してきたのかもしれない。「民芸」が目指したものが工芸でしかないのであれば「無印良品」のような安価で使いやすいプロダクトこそが現代の「民芸」ということになってしまうだろう。民芸運動が工芸だけの運動だったとはどうしても思えないし、思いたくもない。私にとっての民芸は、朝鮮民画、大津絵、型染、版画、農民たちが喜んで作ったであろう陶器や模様の数々。そんなものがどれも大好きだ。 もちろん河合寛次郎の「用の美」とは遠くかけ離れたようなオブジェのようなキセルも。「民芸ブランド」の名の下に、そもそもが弱者、民衆の味方として、つまりはカウンターカルチャーとして現れた民芸が、新しいひとつの権威になってはいないだろうか。そんな疑念が「アウト・オブ・民芸」企画の根源にある。 民芸運動以前、もしくは民芸運動発足の同時代において、民衆的な芸術を試みていた人たちはなき者とされ、民芸運動に直接関わった人ばかりが盲目的に顧みられることへの不満も少しはある。しかし根底にあるのは柳宗悦へのリスペクトであり、リスペクト故の素朴な疑問だ。 優しさと正義感に溢れた柳が、民衆的芸術の中でも、あえて外したものが色々あったのは何故だろう。「なぜこれが民芸で、これが民芸じゃないの?」その素朴な理由を知りたくていろいろな資料を読み漁った遍歴が、結果としてこの本になったのかもしれない。 研究ではなく、ただただ好きで調べ続けた結果、連想ゲームのように広がったその世界は、人と人の繋がり、時代背景や人間関係、様々なことを教えてくれた。そして「アウト・オブ」には「アウト・オブ」である理由が色々とあったのだ、とも今は理解できた。(中略) こけしや郷土玩具がグレーゾーンであることを契機に、軸原は「外れてしまった」モノや人を、中村は民芸運動の時代に素早くその周縁(アウト・オブ)に回り込み、自前の工芸論を展開していった人やモノを、興味の赴くままに調べた結果がここにあります。 軸原ヨウスケ
2024.03.25
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在201位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在111位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在57位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在49位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在192位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在11位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在13位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在7位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在67位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在44位・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在59位・森見登美彦『太陽と乙女』(3/23予約、副本1、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ウマは走るヒトはコケる・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・『深海ロボット、南極へ行く』:図書館未収蔵・西東三鬼『神戸・続神戸』<予約分受取:12/27以降> ・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取)・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/27受取)・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、2/27受取)・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、2/27受取)・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、3/11受取) **********************************************************************【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【太陽と乙女】森見登美彦著、 新潮社、2017年刊<出版社>よりデビューから14年、全エッセイを網羅した決定版! 登美彦氏はかくもぐるぐるし続けてきた! 影響を受けた本・映画から、京都や奈良のお気に入りスポット、まさかの富士登山体験談、小説の創作裏話まで、大ボリュームの全90篇。台湾の雑誌で連載された「空転小説家」や、門外不出(!?)の秘蔵日記を公開した特別書下ろしも収録。寝る前のお供にも最適な、ファン必携の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/23予約、副本1、予約0)>rakuten太陽と乙女【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.03.24
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・パリの日々・アウト・オブ・民芸・イスラム10のなぞ・アンコ椿は熱血ポンちゃん<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【パリの日々】 丸山直子×丸山垂穂著、三修社、2020年刊<「BOOK」データベース>より1978年、パリの丸山圭三郎一家。かの大著『ソシュールの思想』を世に問う前夜、丸山圭三郎は家族を伴いパリに一年間暮らした。パリで一服の解放感を味わう夫と、現地でことばを覚え、とまどいながらもフランスにとけこんでゆく娘。その生き生きとした姿を、当時のパリの空気とともに、妻であり母親の視点から描く。-そして娘は字幕翻訳者への道を選ぶ。当時公刊されたエッセイに加え、新たに書き下ろした40年後の思い、親子三人の往復書簡(初公開)を収録。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenパリの日々【アウト・オブ・民芸】 軸原ヨウスケ×中村裕太著、誠光社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりなぜこれは民藝じゃないの?資料を読み解くことで書き換えられる相関図。民藝運動の「周縁」にスポットをあて、21世紀のモノづくりを考える。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenアウト・オブ・民芸【イスラム10のなぞ】宮田律著、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より今世紀末までに世界最大の宗教人口に達することが予想されるイスラムー。しかし、複雑怪奇な中東情勢は理解しにくく、世界16億人の心を捉えて離さないイスラムの本質はよく知られていない。そもそもなぜ、イスラムはこんにち世界宗教としての地位を獲得することができたのか。なぜ、アラブ諸国とイスラエルの和解は進まないのかー。「10のなぞ」を解き明かすことで歴史の真実と意外な事実が見えてくる。イスラム入門に最適な書!<読む前の大使寸評>追って記入rakutenイスラム10のなぞ【アンコ椿は熱血ポンちゃん】山田詠美著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりすこやかに猪突猛進!さわやかな毒舌と熟練のコブシ回し。あなたの心に勇気の火を灯す大人気エッセイ最新刊。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenアンコ椿は熱血ポンちゃん
2024.03.24
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探る道の駅たいじより「8章 クジラとイヌ」から鯨食を、見てみましょう。p253~<1.鯨食と文化> 1988年、東京で㈶日本鯨類研究所主催の「日本の捕鯨を考える」国際研究集会があった。日本以外に、カナダ、オーストラリア、ノルウェイ、米国、英国の研究者が参加した。当時、国際捕鯨委員会(IWC)では英国、米国、豪州は反捕鯨の立場にある国ぐにであり、ノルウェイ、日本、アイスランドが捕鯨推進国であった。 シンポジウムのあった日の夜、新宿の鯨料理屋に全員で繰り出した。クジラを食べる会に出ることに全員、違和感はなかった。店では、クジラの赤身やブラバー(鯨脂)だけが出されたのではなかった。誰かがあらかじめ注文を決めていたのかどうか定かではなかったが、クジラの内臓や生殖器などの盛り合わせた皿が出た。 鯨食になれた日本人でも、値段の高い尾の身だけでなく、内臓を食べる機会はあまりない。捕鯨関係者にしてみればふつうに食べてきた食材であっただろうが、大皿に盛られたクジラ部位の説明をうけて、参加者は一瞬、無言になった。 見た目は色とりどりの刺身に相違なかったが、それが内臓や生殖器と聞いて、食べたことのない人も何人かはいたであろう。 わたし事で恐縮であるが、弟の結納式のさいに京都の著名な料亭での宴席に尾の身が出た。全員その美味に舌鼓を打ちながら、いったい何の肉か魚かとささやきあった。クジラの尾の身と分かり、どよめいたことを機億している。 美味であるかどうかの評価は別として、内臓などを刺身で食べることはあまりない。クジラの舌、つまり「さえずり」は美味との評価がある。 以前、長崎空港のロビー内にある店でさえずりを食べたが八切れで4000円也であった。一切れ500円相当で、これはマグロの中トロにも匹敵する高価な食材であった。新宿の店でさえずりは出なかったが、大阪市内のホテルで開催された立食パーティーで、大阪南の著名なおでん屋が出店を出し、さえずりを提供していた。ご主人と話をしながら、調子に乗って三杯分頂戴して堪能した。本店ではいかほどの値段で提供されているのか、いまだに気になっている。 大阪の茨木市の居酒屋で友人二人とおでんをつつきながら飲んだ。豆腐や卵、こんにゃくをいただくまではよかったが、「コロ」を注文した。コロはクジラの黒皮のついた脂の部分で、独特の食感とアッサリしたうま味がある。勘定書きが予想以上でびっくりした。友人の一人である先輩が全部払ってくれて、注文した手前、申し訳ない気持ちでいっぱいであった。『食の冒険 フィールドから探る』3:ナレズシ、魚醤、塩辛『食の冒険 フィールドから探る』2:魚の生食『食の冒険 フィールドから探る』1:マグロの心臓とコブラの生血
2024.03.23
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図書館で『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』という本を手にしたのです。巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみた「Ⅲ章 東南アジア」からアジア納豆を、見てみましょう。p122~124<絶品! 納豆バーニャカウダ> 納豆は日本独自の伝統食品だと思い込んでいる人が多い。かくいう私もその一人だったが、実は中国南部から東南アジアの内陸部、さらにはヒマラヤまで、納豆を食べている民族がいることを知って驚いた。結局、アジア大陸諸国の納豆を調べ回って本を一冊書いてしまったほどだ。 私はこれらを「アジア大陸納豆」、略して「アジア納豆」と呼んでる。アジア納豆は日本納豆とは作り方がちょっとちがう。日本では伝統的には稲わらで煮豆を包んで発行させるが、アジア納豆は大きな木の葉で包む。バナナの葉やシダ、パパイヤの葉で包むところもある。どんな葉で包んでも二、三日経つと、ネバネバと糸を引く、あのくさい匂いのする納豆ができあがる。 確認のため、ミャンマーとブータンの納豆を持ち帰り、東京都立食品技術センターで検査してもらったところ、作用している菌は日本の納豆菌と「ほぼ同じ」という結論をえた。要するに納豆菌はどこにでもいて、稲わらを含め、どんな植物で煮豆を包んでも納豆になってしまうのだ。 さて、アジア納豆の食べ方はどうなのか? これが日本の納豆とはだいぶ異なる。というより、アジアの納豆民族のみなさんは日本の納豆を見ると、首をひねる。「どうしてナマでしか食べないの?」「どうしてご飯にかけて食べるだけなの?」 実際私はミャンマーの少数民族であるシャン族出身で、東京に長く住んでいる人にそう訊かれて絶句してしまった。彼曰く「私たちシャン族は、納豆を生だけじゃなく、焼いたり煮たり蒸したりして食べてるんですよ」。 衝撃である。だって、考えてみてほしい。もし魚を生でしか食べないという民族がいたら、どう思うか。「まだ文明化されてないんじゃないか?」と疑いかねない。つまり、、私たち日本人は“納豆後進国”の疑いさえ持たれているのだ。 では、逆に“納豆先進国”はどこなのか? 私が調べたかぎりでは、納豆料理が最高度に発展しているのは前述のミャンマー、それもシャン族が住むシャン州だ。シャンの人たちは新鮮なものは生のままでも食べるが、多くの場合、豆を臼で潰して平らに伸ばしてから天日干しにし、薄焼きせんべいそっくりのものを作る。保存がきくからだ。 このせんべい納豆はそのままひに炙っておやつにしても香ばしくて美味しいが、砕いて粉にすると、調味料に早変わりする。汁物でも炒め物でも何でもその納豆粉を入れてしまう。納豆はアミノ酸を多量に含んでいる、言わば「うま味の固まり」だから、どんな料理に入れてもダシが出ておいしくなる。 シャンの人たちが日常的に食べる料理で、しかも私が「世界の納豆料理ベスト3」に入れたいと思うのは、「納豆と川海苔のディップ」。 まずせんべい納豆を揚げ、それを川海苔、ピーナッツ、ニンニク、生姜、ネギ、パクチー、湯むきしたトマト、茄子、炒めた唐辛子と一緒に石臼に入れ、丁寧に潰す。最後に納豆を揚げた油を少し垂らし、水を加えるとディップ(タレ)が完成。そこに茹でた野菜や生野菜をつけて食べる。納豆バーニャカウダとも呼べる。 これは絶品の一言。納豆独特の風味はしっかり残っているのに、川海苔などと合わせているせいか、なんとも爽やか。粘り気はないが代わりにコクとうま味が凝縮されている。これほど体によさそうで、でも食べ応えのある料理はない。しかも、初めって食べる外国料理なのに無性に懐かしい。限りなく和食に近い、いや和食の斜め上を行く料理とでも言おうか。 残念ながら、日本人は納豆のごく一部しか知らないと、つくづく思った。でも、同時に納豆の恐ろしいほどの可能性を知って感動してしまったのだった。納豆といえば・・・かつお節とともにご飯の上に乗せてかき混ぜて食べるものと、バカの一つ覚えであったが、今後はシャン族風にアレンジしてみるのも一興であるなあ。『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』3:エチオピアの珈琲道『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』2:デーツ『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』1:はじめに
2024.03.22
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図書館で『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』という本を手にしたのです。巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみた「I章 アフリカ」からプリミティブなエチオピアを、見てみましょう。p29~31<“アフリカの京都”の生肉割烹と珈琲道> エチオピアは三千年近い歴史を誇り、現存する世界最古の国家のひとつとして知られる。独自の伝統文化を誇り、他のアフリカ諸国とは全く雰囲気が異なる。ゆえに私は「アフリカの京都」と呼んでいる。 日本でもそうだが、田舎者が「都」に行くと独特の習慣に驚かされる。 大学教授に取材したときのこと。教授の奥さんや友だちも交えて一緒に夕食に行ったのだが、教授はいきなり肉屋に立ち寄った。天井から吊り下げられた牛の部位を指さし、「ここと、ここをくれ」みたいなことを言うと、そのままみんなでずんずん肉屋の奥に入っていく。慌てて付いていったら、そこは食堂になっていた。イートインなのである。 私たちが席につくと、肉屋のおじさんがドン! と牛肉の塊がのった皿をテーブルの真ん中に置いた。続いて、私たち一人ずつにナイフが配られる。最後にマスタード風とケチャップ風の二種類のタレ。 唖然とした私の前で、アフリカの京都人たちはナイフで生肉を適当な大きさに切り取り、生のまま、タレにつけてパクパク食べ始めた。 このときは驚いた。何しろ、付け合わせの野菜も何もない。あるのはパンと酒だけ。 実際食べてみると、たしかに味はいい。エチオピアの地方都市は百年前の京都みたいだから冷蔵庫などなく、家畜はその日に屠ったものしか食べない。つまり鮮度が高いのだ。 美味しいけど、ひたすら生肉の塊だけを食い続ける奇妙さと言ったらない。豆腐尽くしの豆腐割烹ならぬ生肉尽くしの生肉割烹なのか・・・。さらにおかしいのは、教授が生肉を切っては奥さんの口に入れていること。まさに「あーん」の状態だが、着飾った40代の女性が手は膝においたまま、淡々と口を開けている姿は異様の一言。訊けば、親しい相手に「あーん」してあげるのはエチオピア人の中上流階級ではごく普通のマナーだという。 素材を生かした料理と女性に手を汚させない洗練されたマナー・・・なんだろうか? やっぱりアフリカの京都人の行動様式は私のような田舎者には計り知れない。 アフリカには茶道ならぬ「珈琲道」なんてのもある。人類がコーヒーを飲む歴史はここから始まったとされているし、コーヒーノキの原産地の一つでもある。私はタナ湖という青ナイル源流の湖周辺でコーヒーノキの原生林に出くわしたことがある。熟した赤い実を食べたらほんのり甘かった。 飲み方に対するこだわりも世界一だ。「女性はコーヒーを上手に入れられないと嫁に行けない」とされており、1980年代の大飢饉のときには、着の身着のままで、でも自前のコーヒーセットだけを携えた女性たちが続々と難民キャンプに集まってきたという。コーヒーは一般家庭では食後の楽しみであり、もちろん客人が来れば、これでもてなす。 初めてこの国を訪れたとき、私は街道沿いの茶屋で珈琲道を体験した。普通にコーヒーを頼んだら、店の若い女性はなんと生のコーヒーの実を七輪で煎るところから始めた。この時点で、日本のどんな「こだわりの珈琲店」も負けである。たっぷり30分もかけて入れてくれたコーヒーは当然、香りも深みも普通のコーヒーとは段違い。何より「新鮮なコーヒー」というものを私は初めて飲んだ。しかも「お勘定はいらない」と笑顔で言われ、最高の気分で店を出たところ、・・・同行した通訳とドライバーになじられた。「茶屋ではコーヒーでお金をとらないんだよ。どうして他のドリンクを何も頼まなかったんだ? 失礼だろ!」というのだ。「そんなの知らなかったよ」と答えると、「雰囲気で察しろよ!!」。 物言いのストレートな他のアフリカ諸国とちがい、アフリカの京都は何かにつけて空気を読まねばならず、大変に面倒くさいことも初めて知ったのだ。「エチオピアの茶道 コーヒーセレモニーへようこそ」で、エチオピアの茶道が見られます。『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』2:デーツ『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』1:はじめに
2024.03.22
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探る「5章 生食と発酵食品」からナレズシ、魚醤を、見てみましょう。珍味のオンパレードのようなお話になっています。p159~162<2.発酵食品の展開> ■ナレズシと魚醤の文化 ナレズシは、魚と塩と炊飯したコメを漬けこんで乳酸発酵させた食品である。日本では、滋賀県ではいまなお、ナレズシの食文化が伝統として継承されている。材料となる魚はすべて淡水魚であり、このなかにはニゴロブナ、ゲンゴロウブナなどのフナ以外にも、ドジョウやナマズ、コイ、ウグイ、ハス、オイカワ、アユ、モロコ、タナゴ、イサザなどのナレズシがある。琵琶湖産の淡水魚と塩、コメを組み合わせたナレズシの食文化は地域と密着したものであり、歴史も古くさかのぼる(橋本編2016) 前述したように、ナレズシは魚類に塩とデンプン類を加えて乳酸発酵を促した保存食品である。塩は魚の防腐作用を果たす。デンプンとしては、米飯が多く使用されるが、日本のイワシの糠漬けのように米糠を使う場合や、後述するようにモチゴメのせんべい粉やサトイモを使う東南アジアや、アワやサトイモを使う台湾の例がある。米糠を大量に使う場合は糠漬けと呼ばれる。ナレズシでは、乳酸菌や酵母菌が発酵に寄与する。 興味あることに、ナレズシは日本、東アジア、東南アジアにのみ分布する。ナレズシの食文化は稲作地帯と一致することが分かる。魚の発酵食品にはさまざまなものがある。日本からアジア大陸部にはナレズシ以外にも、魚醤や塩辛などの発酵食品が広く分布することが知られている(石毛・ラドル 1995)。 ナレズシには、日本以外に東南アジアではプラ・ラー(タイ)、プラ・ホック(カンボジア)などがある。カンボジアでは、魚に塩、粥、炒ったコメなどを混ぜたポ・オ、さらにはパパイアの刻んだものを混ぜたマムなどがある。ラオスでも、メコン河流域で獲れた小魚をコメと塩で漬けた発酵魚は一般にパー・デエークと呼ばれ、日常の食事に欠かせない。 また、魚肉に塩、炒ったコメを混ぜたソム・パー、さらにパイナップルのスライスなどを混ぜたケム・マクナットなどがある。 石毛直道さんは、魚醤を⑴魚醤油、⑵塩辛、⑶塩辛ペーストに三区分して議論を整理している(石毛2012)。これを順番に説明しておきたい。■⑴魚醤油 魚醤のうち、魚と塩を混ぜたものを保存する過程で魚から浸出する上澄みをろ過した液体が魚醤油である。魚醤油はアジアに広く分布し、淡水産、海産の魚介類が利用される。 ベトナムのニョク・マム、タイのナム・プラー、ラオスのナム・パー、カンボジアのトウック・トレイ、中国の広東省やマカオの魚露(ユールィ)が地元で広く使われている。 日本では、ショッツル(秋田県)、イシリ(石川県)、コウナゴ醤油(香川県)などが魚醤油の代表例である。なお、ショッツルではハタハタやイワシが、イシリではイワシヤイカが、コウナゴ醤油ではイカナゴの稚魚が原料とされる。 イシリは能登半島で製造されており、現地ではホタテガイの貝柱を焼き、出来上がり直前にイシリを数滴たらして、熱々のホタテを食べると何ともいえないうま味が口中に広がる。臭いどころの話では決してない。 魚醤油は古代ローマでもガルム(garum)として知られていた。皇帝や貴族階級が贅沢の限りを尽くしたことはアピキウスの書やプリニウスの『博物誌』などでもよく知られている。 古代ローマでは、とくにサバ、イワシ、マグロ、キビナゴなどの内臓を素焼きの甕で塩蔵したガルムは重要な調味料とされた。また、上澄み液をとった残りの魚肉(塩辛)はアレックと称され、貧しい階層の人びとが食べる麦粥の味付けに塩辛が使われていたことは面白く、アジアでも中国粥における魚醤油の使い方と似ている。■⑵塩辛 塩辛は魚類に塩を加え、自己消化酵素や魚介類の体内細菌のはたらきでタンパク質を各種アミノ酸に分解して独自のうまみや香りを産みだした保存食である。塩辛の原料は海産・淡水産の魚類だけでなく、カニ・エビ・タコ・イカ・貝類など多岐にわたる。塩辛は洋の東西でみられる。ヨーロッパではカタクチイワシの塩辛であるアンチョビやニシンの塩漬け缶詰であるシュールストレミング(スウェーデン)がよく知られている。アンチョビはまだしも、シュールストレミングは、世界でもっとも臭い食品との評判があり、国立民族学博物館時代に石毛さんが実験室で缶を開けた時の異常な匂いにはさすが参ってしまった。 アジアでは、韓国、日本でとくに塩辛食品が発達している。日本では、メフン(サケの腎臓)、子ウルカ(アユの卵巣)、苦ウルカ(アユの内臓)、白ウルカ(アユの精巣)、切りウルカ(アユの内臓と生殖腺を混ぜたもの)、タラコ(スケトウダラの卵巣)、酒盗やワタガラス(カツオの内臓)、スクガラス(アイゴの稚魚)、カラスミ(ボラの卵巣)、のほか、タイ、イワシなどの魚類やイカ、タコ、エビ・オキアミ、カニ、シャコガイ、コノワタ(ナマコの内臓)などを用いた多様な塩辛食品がある。 韓国にも前述のシュールストレミングよりはましとはいえ、かなり臭いガンギエイ(洪魚:ホンオ)の塩辛がある。これはガンギエイの切り身を壺に入れて冷暗所で10日発酵させたものでホンオ・フェ(洪魚カイ)と呼ばれ、強烈なアンモニア臭がする。韓国南部の木浦が産地であり、講演で木浦大学に行った折、是非に食べたいと先生に頼んだが遠慮されてしまった。『食の冒険 フィールドから探る』2:魚の生食『食の冒険 フィールドから探る』1:マグロの心臓とコブラの生血
2024.03.21
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図書館に予約していた『フォルモサ・イデオロギー』という本を、待つこと1ヶ月半ほどでゲットしたのです。台湾人が書いた台湾人イデオロギーってか、このタイトルに惹かれて予約したのだが・・・・手に取ると、ゲッ このハードカバーは全くもって論文そのものであり、読破するのは無理というシロモノです。【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>台湾人が書いた台湾人イデオロギーってか、このタイトルに惹かれて予約したのだが・・・・手に取ると、ゲッ このハードカバーは全くもって論文そのものであり、読破するのは無理というシロモノです。<図書館予約:(2/03予約、3/15受取)>rakutenフォルモサ・イデオロギー「第3章 ナショナルになっていく」で「日本による同化」が語られているので、見てみましょう。p157~158<第3節 「台湾は台湾人の台湾ならざるべからず」> 台湾民主国は明らかに、真正なナショナリズム運動ではなかった。日本が地域的な武力抵抗を完全に鎮圧し、台湾における確固たる支配権を確立した1919年になって、そして、日本式の近代教育を受けた台湾人知識階級の第一世代が現れてはじめて、近代台湾ナショナリズムは東条したのである。別言すれば、台湾という島と同一の広がりをもつ近代的でナショナルな想像は、このかつて中国の辺境だった土地が日本に割譲されたあとに、日本による四半世紀の植民地支配のもとではじめて出現したのである。 これは、朝鮮の事例とは対照的である。1910年に日本に併合される以前の朝鮮には、すでに発達した近代的かつ民族的な意識が存在し、そして実際に、公定ナショナリズムの運動までもが存在していた。 この事実が指し示すのは、その大部分が大陸からの漢族移民からなる台湾人は、中国とは別個の政治的現実に直面して、自らのアイデンティティを模索し、再定義する過程を経験したということである。台湾ナショナリズムは、漢族系台湾人による、日本の植民地支配という現実のもとでの自己アイデンティティの模索と再定義の帰結であった。「模索」という言葉は、彼らのアイデンティティが不確かであったこと、そして、長期間にわたりその意味が不安定なものであったことを示している。実際に、台湾人の民族的アイデンティティは、あらかじめ計画されたわけでもない、矛盾や対立や論争に満ちた動的プロセスを通じて形成された。 台湾人がこの過程のなかで遭遇した最初の難題と論争は、日本へと同化するか否かということであった。 前章で述べたように、統合と同化とを内包した包摂は日本の台湾に対する一般的な統治理念だったが、それはその領土支配の前半期(1895—1918)において完遂されることはなかった。それは、不安定な地域情勢によるとともに、権謀術数に長けた日本の反同化主義者たちがそのような情勢を利用し、六三法という臨時法に基ずく植民地支配体制を実現したためである。 結果として、この時期に見出されるのは、限定的な〈統合なき同化〉であった。日本が台湾の制度的統合とともに、拡張的かつ集中的な同化に着手したのは、原敬の内地延長主義という視点が公的な統治理念になった1919年になってからである。 日本国家は1919年から1945年まで、内地延長主義のもとで台湾における完全な包摂に向けて着実に歩を進めた。しかしながら改めて注意したいのは、内地延長主義が求めたのは〈差別的包摂〉、すなわち新たに獲得した周縁を包摂するために日本が採用した国民形成の植民地的様式であったことである。 それは漸進主義的かつ階層構造で、何よりきわめて国家主義的であった。公定ナショナリズムの植民地的あらわれとしての〈差別的包摂〉の基本原則は〈統合の前の同化〉であり、それは権利の付与よりも規律訓練を重視するものであった。 この権威主義的で集権的な考え方は、1910年代に日本人ナショナリストによって主張されたような急進的でリベラルで平等主義的な同化主義とはずいぶん異なっていた。彼らは、周縁の民族を統合する際に、即座にとはいわないまでも、より速やかな政治的統合を支持していたからである。ウーム なんだか難しくて、よく分からなくなったぜ。『フォルモサ・イデオロギー』1:台湾ナショナリズム
2024.03.20
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図書館に予約していた『フォルモサ・イデオロギー』という本を、待つこと1ヶ月半ほどでゲットしたのです。台湾人が書いた台湾人イデオロギーってか、このタイトルに惹かれて予約したのだが・・・・手に取ると、ゲッ このハードカバーは全くもって論文そのものであり、読破するのは無理というシロモノです。【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>台湾人が書いた台湾人イデオロギーってか、このタイトルに惹かれて予約したのだが・・・・手に取ると、ゲッ このハードカバーは全くもって論文そのものであり、読破するのは無理というシロモノです。<図書館予約:(2/03予約、3/15受取)>rakutenフォルモサ・イデオロギー「第1章 植民地台湾とナショナリズムの諸理論」で「台湾ナショナリズム」が語られているので、見てみましょう。p5~7<第1節 台湾ナショナリズムという問い> 本書は植民地ナショナリズムについての研究である。より限定すれば、植民地やかつての支配領域を一個のネーションへと変貌させたナショナリズムというイデオロギーが、いかにして反植民地主義の闘争を通じて誕生したかを問うものである。 1895年から1945年に及ぶ日本の植民地支配のもと、植民地主義に抵抗する運動が、主として台湾の漢族のあいだに生まれた。「台湾人の台湾」「台湾の独自性」というそのイデオロギーは、強い漢族意識に基礎を置くものであり、「弱小民族」としての台湾人の民族自決の権利を主張した。「台湾人の台湾」という考えには、実質的にはすべての党派・・・そこには、1940年、中華民国が公式に日本に宣戦し、1895年以来はじめて公式な政策として「台湾の回復」を掲げるようになるまで、大陸に亡命していた親国民党の祖国復帰派も(大きな勢力になったとはいえなかったものの)含まれる・・・が同意しており、台湾人の主権とまではいえないまでも、台湾人の主体性についての意見をはっきりと共有していた。 さらに、台湾人の主体性(もしくは台湾人の主権)という主張は、単に植民地支配の進める日本に対してのみならず、母国中国に対しても向けられたものであった。別言すれば、中国の近代ナショナリズムが世紀転換期の中国本土において勃興し、1920年代に反帝国主義の頂点に達するのと並行して、台湾ナショナリズムの言説もまた、日本の植民地支配のもとで誕生していたのである。それは、台湾の歴史にあらわれた最初のナショナリズムであった。 なぜ台湾・・・(17世紀以来の中国人植民者たちの入植地であり、1885年から95年までの短い期間、清帝国の省でもあった台湾)・・・は、「中国人の台湾」ないしは「中国の独自性」という中国ナショナリズムではなく、「台湾人の台湾」「台湾の独自性」という台湾ナショナリズムを、日本の植民地統治下で育むことになったのだろうか? なぜ台湾の反植民地主義者のあいだで、中国への復帰は力をもたなかったのか? なぜ、そしてそしてどのように、この〈フォルモサ・イデオロギー〉・・・(集合的アイデンティティの表出としての国民的な近代イデオロギーというルイ・デュモンの定義でいうところの)・・・は存在するにいたったのか? どのようにそれは「台湾人性」、つまり漢人ではあるが中国人ではないという考えを包含するにいたったのか? 本書はこうした問いに、台湾ナショナリズムの言説の端緒がどのように形成されたのかを説明することによって答えようとするものである。
2024.03.20
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探る「5章 生食と発酵食品」から生食を、見てみましょう。p146~148<1.魚の生食> ■日本人は魚臭いか 1986年7月、沖縄・本部の海洋博公園にある熱帯ドリームセンター展示用の映像取材でアフリカのケニヤを回った。アフリカの熱帯植物の映像撮影に同行して取材の助言をおこなうためである。そのさい、ナイロビ市内で英国の著名な植物学の先生と話をした。 そのときの会話で、「日本人はフィッシー・スメルがするというのは本当かね」との質問をうけた。一瞬、たじろいたのはその意味を計り知れなかったからだ。いまから思えば、「日本人はよく魚を食べるから、魚の匂いが体に染みついているのは本当か」という問いであった。 世界のなかで、日本人だけが魚を食べているわけではもちろんない。とくにわれわれが生の魚を好んで食べることからいわれなき偏見を生んだともいえるが、わたしとしては義憤を感じざるえなかった。魚について知らない英国人がふざけたことをいうな! という思いもあったが、当時から30年たち、時代も変わった。 ヘルシー志向、日本食ブーム、和食がユネスコの無形文化遺産として登録されたことなどがあり、魚食は追い風の状態である。にぎり鮨はニューヨークやロンドンでもふつうに食べることができるようになった。ただし、日本で食べるのとはまったく味の評価がおなじかどうかは知る由もない。2017年の築地における初セリで、大間産のクロマグロが「寿司ざんまい」によって7420万円で落札された。 1990年代はじめ、ロンドンで鮨屋にいったが、日本人の職人はいなかった。鮨ネタもサーモンとマグロばかりで、とても鮨を楽しめたとはいえなかった。あれから20数年。鮨を例とするだけでも、食のグローバル化の進展とその意味を考えざるをえない状況にある。 一方、魚の乱獲や違法な漁業は世界で蔓延している。厚生労働省の調査によると、国民一人あたりの畜肉類の摂取量が魚介類の摂取量を超えて逆転したのは2006年、つまり今から10数年ほど前のことである。 今後、魚とわれわれ日本人との付き合いをどのように考えればよいのか。この問題は最終章で考えるとして、本章で生食と発酵食品を例として、魚と人との深くて長い付き合いについて考えてみたい。英国のサー(卿)からの問いかけに端を発し、「魚臭い」内容に徹底してみようと思い立ったのは以上のようなは行け殻である。■サシミ(刺身)文化 魚を中心とした生の食材を食べるさいの料理、あるいはその料理法を刺身と呼ぶ。魚や、貝(ホタテガイ、アワビ、アカガイ、カキなど)、タコ、エビ、カニ、クジラなどの海産物、アユ(背ごし)、コイ(洗い)などの淡水魚が主なものであろう。 ただし生食品には、湯葉、タケノコ、コンニャク、カマボコ、野菜、果物などの植物性食物や、馬刺し、ニワトリ(ササミ)、牛刺しなどの肉類もある。しかも、諸外国からみると、生食の文化は思った以上に広がっている。『食の冒険 フィールドから探る』1:マグロの心臓とコブラの生血
2024.03.19
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図書館で『食の冒険 フィールドから探る』という本を手にしたのです。生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。 【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>生態人類学者の語る「食の冒険」ってか・・・面白そうである。rakuten食の冒険 フィールドから探るまず「1章 食の冒険」の冒頭から、見てみましょう。p2~4<1.マグロの心臓とコブラの生血> 1971年夏、下北半島の大間でマグロ一本釣りの調査をおこなった。マグロ漁師がどのような餌を使って漁をするのか。個人により、あるいは季節により使われる餌はおなじではない。このことを獲れたマグロの胃内容物と漁師の考え方をつきあわせて考えようというのが調査のねらいであった。終日、浜の魚市場にいて、マグロを持ち帰る船を待ち構えた。マグロの胃内容物をその場でもらい、ホルマリンで固定した。 さて、マグロの胃袋や内臓はどうなったか。漁業協同組合の職員がそれをもらい受け、現場で焼いて食べるのがならわしであった。そこで初めて口にしたのがマグロの心臓であった。100キロ以上のマグロなら、その心臓はおむすびほどの大きさがある。これをスライスにして詰所の七輪で焼き、醤油をつけて食べる。マグロならトロや赤身のほうがおいしいのだが、心臓や胃袋を食べることのできるのはごくかぎられた人であることはまちがいない。どちらも市場には出ない部分である。 数年後の1974~75年に、ソロモン諸島のマライタ島で調査したさい、毎日のように魚を食べた。マグロのような大きい魚は食べなかったが、サンゴ礁の魚は人びとの重要な食料であった。ある日、アイゴを水煮して食べたさい、助手のJ君が魚の身だけでなく頭をチューチューと音を立てて吸いはじめた。 何をしているのか聞いてみると、魚の小さな頭の中にある脳の部分を食べるのだという。その量からすれば取るに足らないと思えるのだが、そこまで食べるかと感心した。 それからまた数年後、博多のスナックで今度はウナギの生きたままの心臓を食べた。大きさは1センチほどのもので、生きたままピクピク動いていた。味もくそもなかったが、大間で食べたマグロの心臓のことが思い出された。(中略) カンボジアのシエムレアップはアンコールワット遺跡のある街である。ここには何度も通ったことがある。ある時、通訳の男性と町のレストランに行った折、コブラ料理を食べた。まず、コブラの血がグラスで出てきた。赤ワインと見まがう色で、爬虫類の血を生で飲むのは何か病原菌がいそうで、大丈夫かと聞いてみた。アルコールが入っているから問題ないということだが、アルコールで割って飲むから大丈夫ともかぎるまい。 思い切って飲んだが、精力がつくのでわれわれは飲むということだ。魚の心臓や脳みそ、ヘビの生血などはふだんお目にかからないものだけに、食べなれていないと、胃袋だけでなく心臓のほうがなにがしかの影響を受けるにちがいない。コブラの血のあとは、コブラの身のぶつ切りを入れた鍋が出た。皮付きで、ウロコがザラザラして気持ちのいいものではないが我慢して食べた。
2024.03.18
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図書館で『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』という本を手にしたのです。巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみたまず「はじめに」から、見てみましょう。p9~11<はじめに> 子供の頃から胃腸が弱く、好き嫌いも多かった。 動物の内臓(モツ)や皮、キノコ(特にシイタケ)、香辛料の効いたもの、漬け物や外国のチーズなど、ちょっとでも見かけがグロテスクだったり、臭かったり、クセがあるものは全然受けつけなかった。 それが一気に変わったのは大学探検部の遠征でアフリカ・コンゴへ行ったときだった。やむをえない事情から、サル、ゴリラ、ヘビなどの野生動物を片っ端から食べるはめになった。他に食糧がないから、食べないわけにはいかない。当時は毎日のように「こんなものも喰うのか」と驚いていた。 でも、いざとなれば食べられてしまうし、けっこう美味かったりもする。 これが人生における「食ビッグバン」となった。 コンゴから帰ると、好き嫌いは一切消滅していた。シイタケやモツなど、毛がからまったチンパンジーの肉に比べたら鶏のささみのように素直な食品に思える。食の可動域が極端に広くなったのだ。 もし関節の可動域が急に広がれば、誰もがいろいろなことを試してみるにちがいない。上海雑技団のように背中をそらせて足の間から顔を出してみたり、針金細工のように複雑なヨガのポーズをとってみたくなるだろう。 同じことが私にも言えて、食の可動域が広がると、いろいろなものを食べてみたくなる。実際、辺境の地へ行くと、日本の都市部では考えられないような料理や酒が食卓にのぼる。「こんなもの、喰うのか」とやっぱり驚くし、「ヤバいんじゃないか」とも思うが、現地の人たちが食べているのを見ると一緒に食べずにはいられない。食べてしまえば意外に美味しいことが多い。すると、また食の可動域が広がった喜びに包まれる。 感覚が「ヤバそうだけど食べてみよう」からやがて「ヤバそうだから食べてみよう」に変わっていく。人間、こうなると歯止めがきかない。 だが、「なんでも食べられる」ことは、実は私の仕事にとって欠かせないスキルでもある。 環境や文化が全く異なる人たちのところに行って溶け込むために最も大切なことは、その人たちと同じ生活をすることだ。つまり、同じものを同じように食べ、なるべく彼らの言語を話し、同じ場所で寝て、一緒に歌ったり踊ったりする。 私たちだって、そうだろう。ナイジェリア人とかベルギー人がうちに来たとして、彼らが私たちと一緒に納豆や刺身をぱくぱく食べて「オイシイ!」と片言の日本語で言うのと、「ノー、そんなキモチワルイものは食べられない」と英語やフランス語で断り、遠目で眺めているのと、どちらが親近感を覚えるだろうか。答えは言うまでもない。 ただ、いつもそれが良い結果を生むわけではない。 コンゴに四回目に行ったときは長距離バスの中でサルの燻製肉がまわってきた。誰かが大きな固まり肉を持ってきて、まるでみかんかせんべいをお裾分けするかのように、車内の客に分けていたのだ。一人ずつガブッと噛みちぎっては隣の客に手渡す。 私も躊躇なくそれを食べたところ、乗客の人たちから歓声があがった。「外国人がサル肉の回し食いなど絶対しない」と思っていたのを覆されたからだろう。こうなると、一気にその世界に溶け込むことができる。だが、溶け込みすぎて、カネをたかられたり、騙されたりもした。現地に溶け込むとは、食い食われすることだから、しかたないのだが。 そうこうしているうちに辺境旅も30年以上が過ぎ、いつの間にか莫大な数の寄食珍食が私の体を通過していた。正直言って、日本人でこれまで私ほどへんな食べ物を食べた人は何人もいないんじゃないかと思う。
2024.03.17
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図書館で「週刊現代プレミアム 昭和の怪物」というムック本を手にしたのです。おお 松田優作、テレサ・テン、渥美清など、昭和の名優、怪物がちりばめられているがな・・・ということでチョイスしたのです。【週刊現代プレミアム 昭和の怪物】ムック、講談社、2020年刊<出版社>より昭和の芸能界を代表する人物を、貴重な写真と秘話で綴る「昭和の怪物 芸能界編」。今だから明かせるテレサ・テン涙の理由、「敗戦後の人生はおまけ」と言い切った鶴田浩二の人生観、決して見せなかった「寅さん」渥美清の苦悩。ヤクザと芸能界がいまより密接だった時代が蘇る。<読む前の大使寸評>おお 松田優作、テレサ・テン、渥美清など、昭和の名優、怪物がちりばめられているがな・・・ということでチョイスしたのです。rakuten週刊現代プレミアム 昭和の怪物やや個人的好みになるが「勝新太郎」を、見てみましょう。p37~43<勝新太郎 太い肝と細い心>■生き方そのものが作品だった ダーティーヒーロー役を演じさせたら、勝の右に出る者はいなかった。『悪名』の村上朝吉、『座頭市』の市、『兵隊やくざ』の大宮貴三郎・・・。いずれも品行方正な正義の人ではなかったが、見る側を熱狂させた。勝自身、正調ヒーローを毛嫌いした。温室育ちの役者と重なって見えたからだ。勝は自分の手でスターの座を掴んだ役者である。 演技力は確かだった。北海道大教授で映画評論家の阿部嘉昭は「アジア大のスケールの人。それを担えるだけの顔や表現力などをもっていた」と評する。事実、香港などにもファンが多い。ブルース・リーも勝の信奉者だった。 勝は役を離れてもダーティーヒーローを演じ続けた。1991年、ハワイから帰国する際には日本の司法当局に対し、宣戦布告した。「コカインと大麻は知らないうちにパンツの中に入っていた」「総理大臣の代わりはいるが、勝新太郎の代わりはいないから、権力と戦う」 この約1年4カ月前に、薬物を所持してハワイ入りした際に逮捕され、そのまま現地に留まっていた。帰国すればまた逮捕されることは分かっていたが、無罪を勝ち取るつもりだった。 ところが、いざ裁判が始まると、傍聴席を意識した証言に終始する。弁護人が証拠の乾燥大麻を提示したときには、「これはモノが良くないね」 裁判官は苦虫を嚙みつぶすばかりで、無罪どころではなかったが(懲役2年6カ月・執行猶予4年)、これが勝新太郎という役者の性(さが)なのだろう。 本名・奥村利夫の本音は違った。ハワイでの逮捕直後には「マスコミには知らせないでほしい。自殺しなくてはならなくなる」と懇願している。性根は繊細で小心だったのだ。■晩年は借金まみれに 天才ゆえの生きづらさ 1967年、勝プロダクションが旗揚げされた。だが、社長の勝は経営をまるで知らず、直前になって「資本金って何だ?」と周囲に尋ねている。多難な前途を予感させた。事実、勝プロは儲からなかった。生粋の役者である勝が採算を一切考えず、製作費を湯水のように使ったからだ。(中略)1979年、巨匠・黒澤明によって映画『影武者』の主演に指名されながら、黒澤と衝突し、降板したのも痛手となった。「あんなのに出ても仕方ない」と強がったが、この作品は世界公開が先に決まっており、国際的スターに飛躍するチャンスだったのだ。 結局、勝プロは1981年に倒産してしまう。負債総額は約14億円。勝が毎晩のように豪遊し、誰彼となく1万円のチップを渡したことも傷口を広げた。 倒産時の会見で勝は「もう銀座には行かない」と誓うが、それを守るような男ではなかった。翌年に中村玉緒を社長とする勝プロモーションが設立されると、周囲は勝を「オーナー」と呼んだ。つまり、何も変わらなかった。 借金は再び増え、1997年6月の勝の他界時には会社分と本人分で計20億円以上あった。貸したのはオーナー社長、学校経営者、プロモーター・・・。どうして、こんなに借りられたのか。「やっぱり、かわいい方だから。困っている勝さんを見たくない」(前出・黒沢年雄)『町山智浩・春日太一の日本映画講義』という本で『兵隊やくざ』が語られています。『週刊現代プレミアム 昭和の怪物』1:テレサ・テン
2024.03.16
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図書館で「文学界 9月号」という雑誌を手にしたのです。表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。【『文学界 9月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<商品説明>より【特集】エッセイが読みたい「枕草子」から脈々と続くエッセイの面白さと奥深さを27人の書き手と共に味わい、エッセイの「いま」に迫る植本一子/小山田浩子/オルタナ旧市街/済東鉄腸/ジェーン・スー/鈴木涼美/檀上遼/永井玲衣/能町みね子/野崎歓/野村訓市/平岡直子/穂村弘/堀静香/堀江栞/堀江敏幸/町田康/松尾スズキ/山本精一/吉澤嘉代子/吉田靖直/米澤穂信/わかしょ文庫<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。amazon『文学界 9月号』特集「エッセイが読みたい」から好みのエッセイをもうひとつ見てみましょう。p76~77<ぼろぼろのユートピア:穂村弘> 小説でも詩でもなく、同時に、その両方であるような、そんな文章に憧れている。位置づけることのできない言葉の塊は、エッセイと呼ばれることもあるようだ。例えば、内田百閒の随筆、金子光春の自伝的放浪三部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』など。濃淡の差はあってもアウトサイダーの精神が共通している。その流れの中でも、とりわけ怪しい光を放っているのが西東三鬼の「神戸」である。 1900年生まれの作者は「水枕ガバリと寒い海がある」「おそるべき君等の乳房夏来る」「炎天を遠く遠く来て豚の前」「露人ワシコフ叫びて石榴打ち落とす」「広島や卵食ふ時口ひらく」といった破格の句で知られる俳人。寺山修司にも影響を与えた俳句界最大のトリックスターだ。「神戸」の舞台となるのは、戦時下の港町神はトーアロードに建つ「ハキダムホテル」である。「東京の何もかもから脱走」した三鬼は、雑多な人種の集まるこの「難破船のような」国際ホテルの住人となる。 心楽しまぬ時、波子はホテルにウヨウヨいる仔猫共を集め、順々に蚤を取ってやる。そして、ポツリポツリと自分の生い立ちを語った。 原井さんは、完全無欠なその日ぐらしであった。 このパパさんなる人は、白髪の老支配人で、元の持主の義弟、善良なること神の如き人物、いつも暇な時には金槌を持って女達の部屋部屋を廻るので、あだ名がヨセフ。これはいかにも神戸らしかった。姉御達は威勢はいいが皆父親運が悪いから「パパさん」の愛称のひびきには心がこもっていたのである。 彼等や彼女等は、戦時色というエタイの知れない暴力に最後まで抵抗した。エジプト人、トルコタタール人,白系ロシヤ人、朝鮮人、台湾人そして日本娘達の信仰は「自由を我等に」であった。だから彼等はそのハキダメホテルで極めて行儀が悪かった。 そして奇妙な事には、一様にプライドが高かった。奇妙といったのは、これらの外国人達はいずれも国法にすれすれに触れる商売をしていたのだし、女達は夜更け、酒場の客をくわえ出して、このホテルは勿論、あちこちのホテルに沈没して稼いでいたからである。 破天荒なアウトサイダー同士の交流の面白さ、そして奇妙に溢れる優しさ。時代の過酷さに傷つき打ちのめされた魂たちが行き交う世界が、ぼろぼろのユートピアに見えてくる。これは現代の我々が生きている透明なディストピアの対極に位置するようだ。あまりにも個性的な登場人物が集まった「ハキダメホテル」に、そして「神戸」という街に、心惹かれずにはいられない。 作中には、病死、焼死、溺死、狂死、銃死、轢死、戦死など夥しい死が溢れている。ホテルにいた十数匹の猫たちまでも、空襲で殺されてしまった。にも拘わらず、どうしてなのか、突き抜けた虚しさと明るさの入り交じったこの世界に自分も足を踏み入れてみたくなるのだ。 おそらくはその特異な文体のせいだろうか。作中の奇妙な登場人物の一人ひとりが、可視化された運命そのもののように感じられる。「そういう我等を見守るのは、どのような神であったか、所詮は邪教の神であって、一流の神様ではなかったであろう」という思いに胸を打たれる。 この「神戸」の登場人物の大方は、戦争前後に死んでしまうのだが、これは私が特に死んだ人のことばかりを書こうとしたのではない。ひとりでにそうなってしまったのである。何故そうなったかは私には判らない。ただ一つ判っていることは、私がこれらの死者を心中で愛していることだ。 本作の舞台となったト-アロードを歩いてみたくて現地にいったことがある。流れ星のように燃え尽きた命の痕跡を探そうとした。でも、見つからない。「神戸」の時代から80年の時が流れている。けれど、そのせいだけではないと思う。憧れの「神戸」は、鬼才三鬼の魔性の言葉の中だけにある幻の街なのだろう。私は中華料理の店で緑色の冷麺を食べて帰ってきた。ウン 我が街神戸を舞台にしてアウトサイダー同士の交流があったのか・・・と、このエッセイには感じ入った次第です。『文学界 9月号』1:出てきてしまったもの:能町みね子
2024.03.15
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図書館で「文学界 9月号」という雑誌を手にしたのです。表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。【『文学界 9月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<商品説明>より【特集】エッセイが読みたい「枕草子」から脈々と続くエッセイの面白さと奥深さを27人の書き手と共に味わい、エッセイの「いま」に迫る植本一子/小山田浩子/オルタナ旧市街/済東鉄腸/ジェーン・スー/鈴木涼美/檀上遼/永井玲衣/能町みね子/野崎歓/野村訓市/平岡直子/穂村弘/堀静香/堀江栞/堀江敏幸/町田康/松尾スズキ/山本精一/吉澤嘉代子/吉田靖直/米澤穂信/わかしょ文庫<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。amazon『文学界 9月号』特集「エッセイが読みたい」から好みのエッセイを見てみましょう。p68~69<出てきてしまったもの:能町みね子> 原稿どう書きはじめようかな、と唸っていたら、ryuchellが死んじゃったというニュースが降ってくる。 もちろん会ったこともないし、追っかけてたわけでもなかったけれど、有名人の訃報としてはかなり、相当、大きなショック。悲しい。切ない。頼まれた原稿書く気なんてなくなってしまう。なんでそんなことになってしまうのかね。ぼんやりいろんなことを考える。仕事の文章、書かなきゃいけないのになあ。エッセイについてのエッセイを書いてほしいなんて言われていたんだけどな。 私は自分の肩書きを決めきれないでいるので、仕事相手からプロフィールについて聞かれ、肩書きはエッセイストでいいですか、と言われたら、面倒なので「いいですよ」と言ってしまう。コラムニストでいいですかと言われたら、それでもOKにしてしまう。 なんでもOKというわけじゃないけれど、エッセイ/コラムと呼んでよさそうなものを書いたことはあるから、エッセイスト/コラムニストという名乗りでも嘘ではないだろう、くらいの消極的な態度である。 しかし、受けてみて何を書こうか悩み、気づいた。私はエッセイを書くのが苦手なんだよ。厳密に言えば、人に依頼されて、仕事としてエッセイを書くのが苦手だ。 改めてたいへん無粋なことを言ってしまうが、この文章は、もちろん「文学界」という雑誌に依頼されて書いている。こういったテーマのエッセイをお願いしますと依頼され、エッセイを書くつもりで、このエッセイを書いている。しかし、エッセイというこの・・・私にとっては少し癪に障る、御しかねる、腫れ物みたいな存在をどう手なずけたらいいものか、私はずっと困り続けている。『日本エッセイ小史』(酒井順子)を読んだ。これは「小史」というくらいだから論文調でもあるのだが、やはり酒井順子さんが書いているだけあって、文章の触感がエッセイである。エッセイについてのエッセイと言っていいだろう。すなわち、私がここで書いているのは、エッセイについてのエッセイについてのエッセイである(この三重構造に少々テンションも上がろうというもの) ともあれ、この本によれば、そもそもエッセイには定義らしい定義がなく、先人も、エッセイの名手とされる人たちも、その捉え方に悩み続けていた様子が描かれている。エッセイとされるものの要素をこの本からざっくり引くならば・・・「随筆」よりも軽いものであり、専業者は少なく副業として書かれることが多い。また、井上ひさしは「エッセイとは自慢話」と言っている。(自虐や自省の類も「こんなこと考えている私なかなか良いでしょう」という自慢である、という意味で)、等々。どれも特に反論はない。納得できる。 ただ、自分の中の理想的エッセイ像は、これらの要素だけでは語れない。 私が好むエッセイは、誰にも依頼されず自発的に湧き上がってきたような、書き残したくなってしまって誰のためでもなく勝手に書いたような、思いついたことをどうしても記録したくてやむをえず書いてしまったような、そういうものである。 エッセイをちょっと神格化しすぎだろうか。エッセイ原理主義者になっちゃってるだろうか。 先に挙げた要素と照らし合わせるなら、自慢話もやはり自発的にやりたくてついやってしまうものだし、副業として書かれているものが多いというものも、依頼&納品という仕事らしいプロセスを経て作られることに向いていない証左になっているように思う。 だから、私はお願いされてエッセイを書くのが苦手なわけだ。業務をお願いされたという事実をどれだけ頭の中から消して、いかに自分を騙し、「そういえば私は自分の意思でこんなことが書きたかったんだった」という気持ちに持っていくか・・・エッセイに関しては、こうした作業をかなり念入りに心がけなければならない。ウン つれづれもなく綴られていてまるで兼好法師の徒然草ではないか♪・・・さすが能町さん
2024.03.15
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図書館で「歌の革命」という本を手にしたのです。「歌の革命」とはバルト民衆による「バルトの道」とのことで、思った以上のスリリングなお話のようです・・・ということでチョイスしたのです。【歌の革命】高橋眞知子著、社会評論社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1989年、ソ連邦からの独立を要求して、200万人のバルトの民衆が、武器をもたず、平和への祈りをささげ、歌いながら、国境を越えて人間の鎖でつなぐ600㎞の「バルトの道」を実現した。「歌の革命」と呼ばれる。オランダ在住の著名なフルート奏者が、リトアニアの独立運動にまつわる人びとを探訪して描く、「歌の革命」をめぐる物語。<読む前の大使寸評>「歌の革命」とはバルト民衆による「バルトの道」とのことで、思った以上のスリリングなお話のようです・・・ということでチョイスしたのです。rakuten歌の革命「第2章 独立革命のリーダーとそのファミリー」のエピソードをひとつ、見てみましょう。p136~138<ふたつの伝説的な実話 その1> ソヴィエト海軍・潜水艦隊勤務、キャプテン補佐でリトアニア生まれのヨナス・ブレシュキースという人物がいた。 漁業船の元乗組員だったが、のちサンクト・ペテルブルグで最も優れた教育レベルをもつソヴィエト海軍学校を卒業し、一等航海士から海軍大佐に昇格した。 彼はある日、ソヴィエト戦艦で任務に就く。到着目的地であったタリンに向かう途中、コンパスの故障による航行の混迷を装ってスウェーデン方角へ潜水艦を誘導し、ついにゴットランド島への逃避に成功したというものだ。 スウェーデン逃亡後、ソヴィエト政府はブレシュキースにメッセージを送った。「君が戻って来れば自由を保障する。君の過去は許される。こちらが君の祖国であり、生涯の自由が待っているところだ」。こんな嘘に騙されるものはいない。 彼はスウェーデンから米国に政治移民として亡命し、CIAの諜報員として勤務した。 私は改めてこの実話を想像してみることがある。船の様子、ブレシュキースが準備周到に作製した詳細な公海図、故障を装った羅針盤と舵取り、目的地の灯台の灯と最後に現れるスウェーデンのゴットランド島のごつごつした岩。1961年4月7日の早朝に起きた、これは奇跡の物語としかいいようがない。 レジスタンスの塊で「自己の軸」を貫いた彼は[*我々の]驚異的なシンボルとなり語り継がれてきた。占領下で、禁じられた生活を送るリトアニアの人々の現状は、混沌としか呼びようのないものであった。 人間とは哀れなものである。人々は自分たちが分からなくなっていた。「自己の軸」や「超越した展望」もなく、考える力さえ失っていた。その中で起きたこの珍事は政治的スリラーと呼ばれるにふさわしい、目から鱗の大事件である。本物の自由とは言葉だけでは絵に描いた餅に等しいということ、「極限の使命」を行動する、その重大な意味に気がついた人々。 この実話を元にしたトム・クランシーの原作「The Hunt for Red October 1982年出版」は映画化された。名優ショーン・コネリーが演じ「Hunt for Red October」として世界に広まった。[*邦訳ではレッド・オクトーバーを追え] 長い間、実話ではなくフィクション映画と信じられてきたのは、これも異例のことだが、ブレシュキースが30年のあいだ無言を貫いてきたためだった。 分断された西と東の世界は、自由の世界と破壊された世界とにはっきり別れていた。にもかかわらず、鉄のカーテンを破る逃亡の成功は自由の獲得達成をさらに触発していくことになる。 ブレシュキースの珍事が政治的スリラーとして、その後のレジスタンスに大きく影響したのは明らかである。*この物語について、少し詳細にふれてみたいと思います。1948年のこと。J・ブレシュキースは13歳。家族もろともシベリア強制送還にあいます。人々は汽車に詰め込まれ、走り始めた汽車から子供達[兄弟の3人]を瞬時の機転で突き落としたのは父親でした。そこから始まるのはブレシュキースの命をかけた波乱の人生。その後サンクト・ペテルブルグの海軍学校に学び、一等航海士から海軍大佐に昇格したことも、彼の緻密な計画のもとに行われた行動ではなかったのかと思わせるようなストーリーです。 彼には誰にも明かさぬ一途な夢がありました。それは自由になること。ソヴィエト体制から脱出すること。ソヴィエト船はクライペダを出港しました。任務目的地はエストニアのタリンです。コンパスの故障を装ってこれを方角異なるスウェーデンに導く、どうやってそんなことが可能だったのか。ついに遂げたゴットランド島への逃避、彼は26歳でした。KGBから30年間追われる身になりますが、彼を援助したのは米国のCIAでした。ウーム 潜水艦のコンパスの故障を装ってソヴィエト体制から脱出するってか・・・事実は小説より奇なりではないか。『歌の革命』1:リトアニア初の飛行機設計士、空軍パイロット
2024.03.14
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図書館で「歌の革命」という本を手にしたのです。「歌の革命」とはバルト民衆による「バルトの道」とのことで、思った以上のスリリングなお話のようです・・・ということでチョイスしたのです。【歌の革命】高橋眞知子著、社会評論社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1989年、ソ連邦からの独立を要求して、200万人のバルトの民衆が、武器をもたず、平和への祈りをささげ、歌いながら、国境を越えて人間の鎖でつなぐ600㎞の「バルトの道」を実現した。「歌の革命」と呼ばれる。オランダ在住の著名なフルート奏者が、リトアニアの独立運動にまつわる人びとを探訪して描く、「歌の革命」をめぐる物語。<読む前の大使寸評>「歌の革命」とはバルト民衆による「バルトの道」とのことで、思った以上のスリリングなお話のようです・・・ということでチョイスしたのです。rakuten歌の革命まず「第1章 リトアニア初の飛行機設計士、空軍パイロット」の冒頭から、見てみましょう。p13~17<1 若きユルギスの夢と情熱 フライングマシーン発明の時 > カウナス市に、ユルギス・ドブケヴィチウス中等学校という名称の学校があります。2011年3月に起きた東日本大震災には、児童生徒が日本へ励ましのメッセージを送った学校です。ここを訪れたのは、プロローグで触れたように「絆」テーマの一連のチャリティー演奏会に参加するためでした。 ネムナス川を見下す小高い丘の上にある学校は、当時小学1年生から12年生(小・中・高)までの児童生徒585名。指導教員49名。必修授業の他、音楽、民族舞踏やダンスを学び、毎年半数ほどの児童生徒がカウナス市の「歌の祭典」や「舞踏フェスティヴァル」に出場するということでした。文化と伝統を大切にする教育プログラムが推進されていました。 演奏の前に訪れたのは、東日本大震災の直後、初代特命全権大使のもとにお見舞いとして、友情のリストバンドや励ましのカード、折り鶴を届けた少額4年生の児童たちでした。贈り物は港湾都市のクライペダと姉妹都市を結ぶ岩手県久慈市に送られたそうです。 庭の緑を映して明るいクラス、笑顔の優しい子ども達。遠い国日本に起きた大惨事に寄り添って、ひとりひとりから慰めとお見舞いの言葉をもらいました。かれこれ8年前のことですから彼らはもう18歳。 1951年に創立されたこの中等学校は1992年、若き英雄に因んでユルギス・ドブケヴィチウス中等学校という名称を授かりました。 次の話は、そのドブケヴィチウスを軸に歴史背景をまとめてみたものです。空軍パイロット、飛行機の設計者として全身全霊をかけたこの若者のことをお国で知らぬ人もあります。そして多くのことがそうであるゆに、時代とともに忘れ去られようとしています。是非紹介したいとおもいます。■ユルギス・ドブケヴィチウス、父と、母と 1900年の3月23日に生まれたユルギス・ドブケヴィチウスは飛行機ドビ(Dobi)モデルで国際的に知られ、リトアニア航空機の歴史に欠かせない人物です。生まれはロシアのサンクト・ペテルブルグ。ヴィボルグ商業学校で学び、大へん優秀な学業成績をおさめ、卒業式には金メダルを受賞する模範生です。 ポリテクニック(高等工業大学)で造船技術を、バクの専門学校で航空技術を修得しました。 カウナスでは1920年11月26日という日を記憶している人もいます。ユルギスがドイツ製の強力なエンジン、安全性とそのスピードで知られた軍事用飛行機フォッカーで、リトアニアの最高記録・地上5600mの宙返り飛行達成した日なのです。これはこの土地に語り継がれてきた誇らしいエピソードです。 5600mとはとんでもない高度です。標高8000mがデスゾーンと呼ばれ、これは登山用語ですが、生命維持ができなくなる限界とされています。酸素の濃度が3分の1ほどに薄くなれば人間の体はそれに耐えられません。コンヂションによっては限界が7000mいやそれ以下の場合もあるでしょう。 彼のアクロバット飛行はその技術を軍事に活用する試みとはいえ、酸素マスクの装着もないままの無謀なものでした。当時軍人パイロットの通常の訓練では4000から4500mの飛行はありましたがそれ以上のトレーニングを彼はどこで行っていたのか。有り余るエネルギーに任せた、ただの無鉄砲に過ぎなかったのでしょうか。 1918年、父親のヨナス・ドブケヴィチウスは崩壊しつつあるロシア帝国から、独立を果たしたリトアニアのカウナスに家族共々帰郷しようと決心しました。自分と妻、そして3人の子供達、長男のユルギス、長女のヴァレンティーナ、次女のアレクサンドラです。 この帰国かなり前から念頭に置かれていたことではないか、とこれは推測にすぎません。しかし決定的だったのは1917年の「2月革命」の後に起きた「10月革命」のロシア革命でした。ロシアのサンクト・ペテルブルグを舞台にして起きた、ボルシェビキ(多数派という意味)のリーダー、レーニンのクーデター的革命でした。 ロシア社会を構成していたのは上流社会層の知識人、資本家、その上に貴族と皇帝、それに対して労働者、農民、兵士です。よもやその上流階級層の打倒をもってなされたこの血なまぐさい革命のなかで、普通に考えればですが、ドブケヴィチウス家族が生活を維持していくのは困難であったはず。帰郷の年号は資料によって異なりますが、1917年の「10月革命」のかなり前であった可能性も否めません。すでにリトアニア独立の動向に通じていたに違いなく、なによりもサンクト・ペテルブルグの不穏を家族は重大に受け止めていたでしょう。このあとサンクト・ペテルブルグ家族の優秀な人材や開発した軍用機について書かれているのだが、「歌の革命」やKGBとCIAの戦いなどに話は広がるわけです。
2024.03.14
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「食」でしょうか♪<市立図書館>・辺境メシ ヤバそうだから食べてみた・食の冒険 フィールドから探る・文学界 9月号・フォルモサ・イデオロギー<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみた【食の冒険 フィールドから探る】秋道智彌著、昭和堂、2018年刊<「BOOK」データベース>より食をともにし、暮らしのなかへ溶け入ってこそ見える世界とは。フィールドで鍛えた生態人類学者の眼に、世界の食のジャングルはなにを見せてくれるのだろうか。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten食の冒険 フィールドから探る【『文学界 9月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<商品説明>より【特集】エッセイが読みたい「枕草子」から脈々と続くエッセイの面白さと奥深さを27人の書き手と共に味わい、エッセイの「いま」に迫る植本一子/小山田浩子/オルタナ旧市街/済東鉄腸/ジェーン・スー/鈴木涼美/檀上遼/永井玲衣/能町みね子/野崎歓/野村訓市/平岡直子/穂村弘/堀静香/堀江栞/堀江敏幸/町田康/松尾スズキ/山本精一/吉澤嘉代子/吉田靖直/米澤穂信/わかしょ文庫<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「エッセイが読みたい」とあり・・・力を抜いてエッセイを読むのもいいかもということで、借りる決め手になったのです。amazon『文学界 9月号』【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/03予約、副本?、予約2)>rakutenフォルモサ・イデオロギー
2024.03.13
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図書館で「週刊現代プレミアム 昭和の怪物」というムック本を手にしたのです。おお 松田優作、テレサ・テン、渥美清など、昭和の名優、怪物がちりばめられているがな・・・ということでチョイスしたのです。【週刊現代プレミアム 昭和の怪物】ムック、講談社、2020年刊<出版社>より昭和の芸能界を代表する人物を、貴重な写真と秘話で綴る「昭和の怪物 芸能界編」。今だから明かせるテレサ・テン涙の理由、「敗戦後の人生はおまけ」と言い切った鶴田浩二の人生観、決して見せなかった「寅さん」渥美清の苦悩。ヤクザと芸能界がいまより密接だった時代が蘇る。<読む前の大使寸評>おお 松田優作、テレサ・テン、渥美清など、昭和の名優、怪物がちりばめられているがな・・・ということでチョイスしたのです。rakuten週刊現代プレミアム 昭和の怪物やや個人的好みになるが「テレサ・テン」から、見てみましょう。p13~<テレサ・テン いまも君の歌が聞こえる>■日本からの国外退去処分を経て テレサ・テンが初来日した1973(昭和48)年は、山口百恵や浅田美代子らがデビューしたアイドル歌手全盛の時代。テレサの最初のシングル『今夜かしら明日かしら』(74年3月発売)も、売れっ子作曲家の筒美京平氏が手がけた、典型的なアイドル歌謡曲だった。 出身地・台湾で14歳のときにレコードデビューして7年が経ち、香港でも成功を収めていたテレサだったが、この日本第1作は不発に終わる。香港出身のアグネス・チャンが『ひなげしの花』(72年/デビュー曲)、『草原の輝き』(73年)と大ヒットを飛ばし、人びとの注目がアグネスに向いていたのも一因だろう。 そこで、第2作は路線を変更。演歌が得意な猪俣公章氏作曲の『空港』(74年7月)を発表したところ、70万超を売り上げた。この年は森進一の『襟裳岬』や殿さまキングス『なみだの操』が売れ、演歌人気も高かった。恋人のもとを去る女性の心情を「別れることが二人のため」と歌う『空港』は演歌ファンにも支持され、テレサは日本でも一躍スターになったのだ。 著書に『華人歌星伝説 テレサ・テンが見た夢』があるノンフィクション作家・平野久美子氏が解説する。「日本語が分からない彼女は歌詞の内容を自分のものにするため努力しました。通訳にじっくり説明してもらい、詞の上官が理解できなければ何度でも質問した。そうやって歌の世界をしっかり掴んでいたので、語尾の微妙なニュアンスまで正確にリズムに乗せ、詞の陰影を歌いこなせた。持ち前の歌のうまさに皮得て、繊細な女心や切なさを表現できたからこそ、彼女の歌声は多くの人の心に響いたのです」 以降、新曲を着実に発表したが、79(昭和54)年に事件が起こる。偽名のパスポートで入国したとして、国外退去処分が下されたのだ。彼女はその頃、台湾を拠点に日本や香港、シンガポールなどを飛び回っていた。「当時は日本を含め、台湾と国交のない国がいくつもあった。テレサのように各国を頻繁に行き来する台湾人のなかには、母国以外の国のパスポートを持っている人が少なからずいた。国交のない国に入る際はそのパスポートを使い、煩雑な手続きなしに入国できるようにしていたのです。それがテレサの不注意で発覚してしまった」(平野氏) 日本のメディアに批判されたこともあって、彼女は翌80年から再び台湾や香港を中心に活動するようになり、日本から足が遠のく。が、それが功を奏したと言うべきか、アジア各国でヒットを連発、大規模なコンサートを何度も成功させて人気を爆発させた。 そのなか、テレサのレコードがまだ発売されていなかった中華人民共和国でも、彼女の評判が広まる。また、華僑財閥の御曹司と熱愛関係になり、81(昭和56)年に婚約を発表。この二つが、84(昭和59)年の『つぐない』での日本カムバックと『時の流れに身をまかせ』(86年)の大ヒットにつながっていく。■「歌う公務員」から「アジアの歌姫」へ テレサの中国語の芸名は鄧麗君、本名は鄧麗ユン。53(昭和28)年、台湾製南部にある雲林県の村で生まれた。父親は中国の内戦を戦った軍人で、49(昭和24)年、中国共産党軍に敗れ、大陸から台湾に逃れてきた。母親も大陸出身者だ。 前出の平野氏が語る。「一家は台湾で生活を一から立ち上げねばならず、仕事を求めて国内を転々としたそうです。かつてテレサも『引っ越しばかりで貧しかった』と私に話してくれた。そんな暮らしのなかで京劇や伝統音楽に触れる機会があり、テレサ自身も歌うのが好きになっていきました」 地元で評判になるほど彼女は歌がうまく、10歳のとき、ラジオ局主催のコンサートで優勝。14歳でレコードデビューを果たす。「抜群の歌唱力と愛くるしい顔立ち、親しみやすい人柄で、テレサはすぐに人気者になります。テレビやレコードの録音で1日に数十曲を歌うことがあり、それでも文句を言わないので、『歌う公務員』と呼ばれました」(平野氏) 18歳になり、香港でレコード制作を開始すると、「天才少女歌手」から「大人の歌い手」への脱皮を図る。子供っぽい歌い方を矯正し、スローな曲を歌う訓練もした。もともと彼女は声が小さかったが、「それを活かした、優しく囁くような、心に染み入る歌唱法を身につけた」(平野氏)のだ。結果、香港でも評価を高め、日本のレコード会社から声がかかったのだった。 来日後数年間の活躍、偽名パスポート事件、日本での活動が減る代わりにアジア各国で人気が爆発し、文字通り「アジアの歌姫」になったのは前述した通りだ。
2024.03.12
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図書館で「日本語の行間」という本を手にしたのです。著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。【日本語の行間】シンシアリー著、扶桑社、2021年刊<「BOOK」データベース>より外国語に訳すのがむずかしい「どうぞ」「どうも」。具体的に言わなくても、社会に共通する「感覚」によって伝わる「高文脈文化」。「私がこの国の一員になるために、気づかないといけない『何か』」とは?<読む前の大使寸評>著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。rakuten日本語の行間巻末の「新書版のための新章」で韓国の親日派や法治が述べられているので、見てみましょう。p274~276<保守右派系の次期大統領候補・尹錫悦氏> 韓国、保守右派系の次期大統領候補に、尹錫悦という人がいます。検察総長出身で、常に「法治」を強調してきた人で、文在寅政権とは正しく犬猿の仲でした。日韓関係もそうですが、韓国社会には、口では正義や道徳を強調する人が多いわりには「法治」という概念が二の次にされる、良からぬ風潮があります。 韓国の大統領候補の中で法治ここまでキーワードにする人は珍しかったし、また、文政権から、特に検察の人事権限を持っている法務部長官から明らかな嫌がらせを受けながらも持論を曲げない強さ見せていた人なので、個人的に、この尹錫悦氏には好感が持てました。 その尹氏が、2021年6月29日、大統領選挙に立候補宣言を行いました。ですが、その場所が、尹奉吉記念館でした。尹奉吉は1932年、上海の公園で開かれた天皇誕生日記念式に爆弾を投げつけ、民間人を含めた多数の死傷者を出した人物です。韓国では英雄となっており、大きな記念館もあります。ただ、これは明らかに違法なもの、言わばテロでした。法治を大事にする検察総長出身大統領候補でも、やはりこれが限界か、と思わざるを得ませんでした。 初めてこの話を聞いたときには、偉人とされている尹奉吉と特別な関係、例えば孫とか、そんな関係にあるのかな、と思いました。でも、同じ尹氏である以外に、接点は無いとのことです。 韓国では、少しでも「反日思想」に逆らう発言をすると、その人は「親日派」とされ、社会的地位を失うことになります。するとその人は、「私は親日ではない」とアピールするために、不自然なほど独立精神は、臨時政府史観(併合は違法支配だったとする歴史観)などを強調したりします。尹氏もたぶん、そういう点を意識しただけでしょう・・・と極めて肯定的に考えることもできなくはありません。 ですが、その記念館を借りた経緯もまた、怪しいものでして。尹奉吉記念館は、政治利用を禁止するために、出馬宣言などで記念館を使うことは記念館側の規則で禁止されています。これは尹前総長が、他の人の名義で、他の目的で申し込んで、記念館を借りました。一時、「法律をちゃんと守ることこそが必要だ」としながら文大統領と対立していた尹前総長なだけに、これは実に嘆かわしいやり方です。 それに、出馬の弁で日韓関係にも触れましたが、主な内容は、「韓日関係では、過去の歴史は過去のことで、私たちの子孫が歴史を正確に記憶するために真相を明確にしなければならない問題があるが、未来は私たちの次の世代のために実用的に協力しなければならない関係だと思う」「この政府になって壊れた慰安婦問題、強制徴用問題、韓日間安保協力や経済貿易問題、このような懸案を、全部一つのテーブルにおいて、『グランドバーゲン(※一括交渉)』をする方法で、問題にアプローチしなければならない」、などです。 韓国側のマスコミは、この件を、「(安保面を強調していることから)安保面で日本に協力してやれば、日本は歴史問題で譲る」という取り引きのことだと分析しています。日韓問題の本質は、「法治」、すなわち国家間の条約を守らなかった韓国側の国際法違反であるにもかかわらず、その部分には一切触れませんでした。 韓国側は何か長引きそうな案件があると、すぐに「一括妥結」を言い出します。米朝関係においても、日韓関係においても、韓国がすぐに「首脳会談で一括解決するしかない」と主張します。「王」が決めればそれでなんとかなると思っている、前近代的な考え方がまだ残っているのでしょうか。「日本語の行間」2:日韓で微妙に異なる「高文脈文化」「日本語の行間」1:日本の空間
2024.03.11
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図書館で「日本語の行間」という本を手にしたのです。著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。【日本語の行間】シンシアリー著、扶桑社、2021年刊<「BOOK」データベース>より外国語に訳すのがむずかしい「どうぞ」「どうも」。具体的に言わなくても、社会に共通する「感覚」によって伝わる「高文脈文化」。「私がこの国の一員になるために、気づかないといけない『何か』」とは?<読む前の大使寸評>著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。rakuten日本語の行間「はじめに」で日韓で微妙に異なる「高文脈文化」が述べられているので、見てみましょう。p8~9<はじめに> 私は、韓国で、ざっと40年間、実生活の中で、これら二つの思想(儒教とキリスト教)を経験しました。そして、いまハッキリ覚えているのは、「疲れた」という感覚だけです。どちらも一方通行だったからです。詳しくは本章で綴ることとなりますが、神と人間の関係だけでなく、どことなく人と人の関係も一方通行でした。 どうでしょう。さて、年間で約7万5千冊の本が発売されるというこの日本にて、この本を手にしえくれた、まさにミラクル読者である「貴方」は、どう思われますか。まだ「はじめに」の途中ですが、私はこう思っています。意見が合うといいのですが。 人を大事に出来ない人は、神を大事にすることも出来ません。むしろ、その神に迷惑をかけることになります。私がなぜ「イエスは素敵な方だった」と思っていながらも、キリスト教をギブアップしたのか。それは、神に疲れたわけではありません。神の名で愛を語りながら、矛盾した言動しか示さなかった、教会の「人」たちに失望し、疲れたからです。 儒教に対しても、いまでは「韓国の社会悪」としか思っていません。相手を見下すことで人より上になれると信じる人たちを量産してしまったからです。気や理のせいではありません。徳のせいでもありません。ただ、人のせいで嫌になりました。疲れました。 真の神国とは、神が人間との共存を受け入れ、人間が神との共存を受け入れた国のことではないでしょうか。人が人に、人が神に。神が人に、敬を示してくれる国。それが神国です。私は、その関係を支える大きな柱の一つこそが、日本語だと思っています。 ご存知でしょうか。言は事なりて、世の中の「こと」、全てに影響します。言語で書かれた文章に「行間」があるのと同じく、その言語が溢れている街にも、社会にも、行間があります。具体的に言わなくても観念的に分かり合える何かが、そこにあります。「敬」を示す言葉の行間は敬で溢れ、人も敬に馴染み、その行間は神の居場所となります。「蔑」の言葉の行間には蔑が溢れ、人も蔑に馴染み、神はその行間から去っていきます。蔑を好む人などいません。人が住みたくないと思うところに、神が住むものですか。 ふと感じた、この国の一員になるために自分自身に必要なもの。足りないもの。本書は、その「もの」に関する私の試行錯誤の記録です。その「もの」は、日本語の真の敬の言語へと完成させる、日本という神国の行間の一つでした。本当に「何気なくそこら中にあるもの」。神社にもコンビニにもあったものなのに、なぜか意識せずに通り過ぎていたその行間。「日本語の行間」1:日本の空間
2024.03.10
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図書館で「日本語の行間」という本を手にしたのです。著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。【日本語の行間】シンシアリー著、扶桑社、2021年刊<「BOOK」データベース>より外国語に訳すのがむずかしい「どうぞ」「どうも」。具体的に言わなくても、社会に共通する「感覚」によって伝わる「高文脈文化」。「私がこの国の一員になるために、気づかないといけない『何か』」とは?<読む前の大使寸評>著者のシンシアリーの名はネットや本屋で見かけていたので・・・何やら気になり、読んでみるかということでチョイスしたのです。rakuten日本語の行間「第一章」で「日本の空間」が述べられているので、見てみましょう。p40~42<第一章 「イタダキマス」から見える日本の「空間」>■「文化」と「空間」の関係を研究したエドワード・ホール 文化人類学者エドワード・ホール氏は、文化と「空間」の関係をテーマにした研究で有名です。彼の研究テーマは、「空間人類学」とも呼ばれています。バス停で並ぶとき、前の人とどれだけ空間を作るのか、車を運転するときに安全な車間距離をどれだけ確保するのか、そういう空間は、文化によって違います。 簡単なことのように思えますが、実は、車道、歩道、バス停の位置やデザイン、広さ、交通システム、そして通勤時間などに見られるその社会の経済、物的・人的資源の回り方、多くの要因が、そこに関わっています。 エドワード・ホール氏は、主にそういう空間を分析し、それが文化圏によってそれぞれ違う、空間がその社会の文化を表している、と主張しました。空間からその社会の人たちの考え方が見えてくる、というのです。 私の実体験によりますと、韓国人は店や家で誰かと酒を飲む時、ほぼ間違いなく相手と向かい合って座ります。だから、カウンター席はあまり人気がありません。これは、酒を飲むときにも上下の区別があるからで、酒を飲む時、相手から顔をそらす(自分の顔を横向きにする)のが礼儀だからです。 そもそも、韓国では、話す時にも、相手の顔や目を見つめるのは失礼で、下の立場の人は少し視線をそらします(基本的に、少し下げます)。まっすぐ見つめながら話すのは、ある種の「挑戦」、下の者が、上と同格になろうとする意味を持ちます。隣に座っていては、相手が自分に対してちゃんと礼儀を取っているのか、確認できないし、韓国人は一人で酒を飲んだりご飯を食べたりするのを極端に厭がるので、食堂にもカウンター席はそうありません。 家族や友だちなど、韓国人が一般的に「ウリ(私たち)」と呼ぶ仲間たちは、出来る限りの空間を共有しようとします。家の構造も、日本の場合は子どもたちが親のいるリビングを通らなくてもトイレに行ったり、外出したりできる構造ですが、韓国の場合は、リビングを通らないと外には出られない家がほとんどです。 このような「空間」の構造には、韓国人の「家族の間に秘密があってはならない」とする考えが反映されていると言われています。余談ですが、欧米でもそういう構造の家は多いけれど、子供の部屋を二階にすることで、独立性というか、子供のプライバシーを守ってやるのが一般的です。 何か悲しいことがあって、「一人にしてくれ」と言い残し、部屋という名の「空間」に閉じこもった人がいるとします。日本では本当にそのまま一人にしてやるのも選択の一つとして成立しますが、韓国では違います。 韓国人は、「一人にしてくれ」と言う人ほど、誰かが自分の部屋に入って慰めてくれることを期待します。一人にしてくれと言われて、本当にそのままにしておくと、後で「なんで私を無視するのか」と怒られます。これもまた、良いか悪いかは別にして、文化において、空間の使い方、その空間の持つ意味、空間に対する認識が、それぞれ違うという、微笑ましい(?)事例になるでしょう。シンシアリーのブログに彼の著作が数多く見られます。
2024.03.10
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図書館に予約していた『世にもあいまいなことばの秘密』という本を、待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密「8章」で「代名詞の曖昧さ」が語られているので、見てみましょう。p179~181<8章 自分はそれですね>■「それ、僕です」―「それ」や「彼」の解釈 人間の言葉には、「同じ表現の繰り返しをできるだけ避ける」という性質があるように思います。もちろん言語によってある程度の差はありますが、私たちは同じ表現を何度も聞かされると、少し鬱陶しく感じがちです。 繰り返しを避けるための方法の一つとして、人間の言語には「代名詞」が備わっています。日本語で言えば「それ」や「これ」、「彼」「彼女」などの表現がそれにあたります。これらを遣えば表現が簡潔になりますが、具体的に何を指すかが相手に伝わらないと、しばしば言葉のすれ違いを生み出します。 言葉のすれ違いは、お笑いにも利用されることがあります。お笑いコンビのアンジャッシュの「すれ違いコント」を見ると、代名詞の解釈が話し手と聞き手の思い込みに影響を受けることがよく分かります。 彼らのコントの中に、路上で不審者を見つけて通報した人と、通報を受けて駆けつけた警察官が登場するものがあります。警察官は、現場にいる通報者を見て、「こいつが不審者なのだろうか」と考えます。警察官が通報者に近づき、不審者がいたとの通報を受けたことを話すと、通報者は「それ、僕です」と応えます。その結果、警察官は通報者のことを「不審者本人」だと勘違いしてしまいます。 ここでのすれ違いの原因は、「それ、僕です」の「それ」が曖昧であることにあります。通報者は当然、「通報をしあ人物は僕です」というつもりでそう言ったのですが、警察官は「不審者は僕です」と言ったと解釈しました。「それ」は、そこまでの文脈に現れているものを指す代名詞です。そして、「それ、僕です」の前の文脈では、「不審者」と「通報した人」の両方が現れています。聞き手である警察官は、「それ」がどちを指すのかを見極めなくてはなりません。 もともと警察官は通報者を見て「怪しい」と思っていたため、通報者の言う「それ」を不審者のことだと解釈してしまったのです。「それ」に限らず、文脈上にすでに現れたものを指すタイプの代名詞には、このような曖昧さが生じることがあります。たとえば、「彼」や「彼女」といった人称代名詞もしばしば曖昧になります。『世にもあいまいなことばの秘密』2:修飾語と名詞の関係『世にもあいまいなことばの秘密』1:辞書に載っている曖昧さ
2024.03.08
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図書館に予約していた『世にもあいまいなことばの秘密』という本を、待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密「4章」で「修飾語と名詞の関係」が語られているので、見てみましょう。p77~79<4章 私には双子の妹がいます>「かっこいい車」や「明日の試合のスターティングメンバー」のように、名詞に修飾語がついた表現のことを、言語学では「名詞句」と呼びます。名詞句には、修飾語が付いたことによって生じる曖昧さがあります。以下では修飾語と名詞の相乗効果によって引き起こされる「すれ違い」を見ていきましょう。■「誰の絵ですか?」―自由すぎる「AのB」 日本を代表するアニメ監督、宮崎駿の作品には、「「の」という助詞が入ったものが多いと言われています。確かに、「風の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」「となりのトトロ」「天空の城ラピュタ」「ハウルの動く城」、「千と千尋の神隠し」など、「の」が入っている作品はいくつもあります。しかしなぜ、これほど多くのタイトルに「の」が入っているのでしょうか。ここには、「の」の自由さが関わっていると考えられます。「の」という助詞は、実ん多くの意味をあらわすことができます。たとえば「風の谷のナウシカ」は「風の谷に住んでいるナウシカ」、「魔女の宅急便」は「魔女が営んでいる宅急便」、「天空の城ラピュタ」は「天空にある城ラピュタ」、「ハウルの動く城」は「ハウルが所有する動く城」、「千と千尋の神隠し」は「千と千尋の身に起こった神隠し」です。このような自由さが、「の」があちこちに出現できる理由です。 逆に、「の」では表せない意味を考えるのは、かなり難しいことです。言語学でも、「AのB」という形の表現に何通りの意味があるかが研究されていますが、実のところ、それまでの文脈でAとBの関係がはっきりしていれば、たいていは 「AのB」という表し方ができるようです。それほどまでに、日本語の「AのB」は自由な解釈を許すのです。 これは逆に言えば、文脈がよく分からない場合、「の」がどんな関係を表しているかが分かりにくくなるということでもあります。たとえば、「これは誰の絵ですか?」という疑問文を考えてみましょう。すぐに思いつく解釈は、「これは誰が描いた絵ですか?」という、絵の作者を尋ねるものでしょう。 しかし、もしその絵が人物画ならば、「これは誰を描いた絵ですか?」というふうに、描かれている人物を尋ねている可能性もあります。さらに、もし話し手が「この絵を買い取りたい」と思っている場合は、「これは誰が所有している絵ですか? 私はその人からこの絵を買いたいのですが」と訊いている可能性も出てきます。 『世にもあいまいなことばの秘密』1:辞書に載っている曖昧さ
2024.03.07
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今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館>・日本語の行間・歌の革命・週刊現代プレミアム 昭和の怪物<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【日本語の行間】シンシアリー著、扶桑社、2021年刊<「BOOK」データベース>より外国語に訳すのがむずかしい「どうぞ」「どうも」。具体的に言わなくても、社会に共通する「感覚」によって伝わる「高文脈文化」。「私がこの国の一員になるために、気づかないといけない『何か』」とは?<読む前の大使寸評>追って記入rakuten日本語の行間【歌の革命】高橋眞知子著、社会評論社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1989年、ソ連邦からの独立を要求して、200万人のバルトの民衆が、武器をもたず、平和への祈りをささげ、歌いながら、国境を越えて人間の鎖でつなぐ600㎞の「バルトの道」を実現した。「歌の革命」と呼ばれる。オランダ在住の著名なフルート奏者が、リトアニアの独立運動にまつわる人びとを探訪して描く、「歌の革命」をめぐる物語。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten歌の革命【週刊現代プレミアム 昭和の怪物】ムック、講談社、2020年刊<出版社>より昭和の芸能界を代表する人物を、貴重な写真と秘話で綴る「昭和の怪物 芸能界編」。今だから明かせるテレサ・テン涙の理由、「敗戦後の人生はおまけ」と言い切った鶴田浩二の人生観、決して見せなかった「寅さん」渥美清の苦悩。ヤクザと芸能界がいまより密接だった時代が蘇る。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten週刊現代プレミアム 昭和の怪物
2024.03.07
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在221位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在133位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在65位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在56位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在218位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在16位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在15位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在7位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在71位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在53位・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、副本?、予約2) 配送中・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在62位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ウマは走るヒトはコケる・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・『深海ロボット、南極へ行く』:図書館未収蔵<予約分受取:12/05以降> ・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取)・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/27受取)・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、2/27受取)・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、2/27受取)**********************************************************************【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/03予約、副本?、予約2)>rakutenフォルモサ・イデオロギー【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.03.06
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図書館に予約していた『台湾漫遊鉄道のふたり』という本を、待つこと8ヶ月ほどでゲットしたのです。8ヶ月か、このところの待ち惚け期間としては、最長の本ではないだろうか。【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>8ヶ月か、このところの待ち惚け期間としては、最長の本ではないだろうか。<図書館予約:(6/23予約、2/27受取)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたりこの本は台湾の食品によって章立てされているが、その冒頭の食品を見てみましょう。p22~26<瓜子 瓜の種> 映画というものは、台湾でも人気があるらしい。 今回、思いがけず招待を受けることになったのは、私の小説『青春記』に基ずく同名の映画が、台湾でも上映されたことがきっかけなのだ。昭和11年に東京で公開されたこの映画が、台湾へ渡ったのはその1年後の昭和12年、つまり去年のことだ。 台中州の婦人団体「日新会」のご婦人たちが、映画を観て深く感動し、会が出資して台中州の各地で上映会をしたそうだ。上映会の茶話会も毎回盛り上がったことから、日新会はついに、原作小説の著者を台湾に招いて巡回講演会を行う企画を立ち上げた。台湾総督府も内地作家の台湾旅行招待への協賛を快諾、日新会と合同で作家を招待することとなり、台中州庁対中市役所の名義で招待状を発送した。 報酬の多寡はともかく、旅行中の交通、宿泊、飲食すべてを招聘者が持ってくれるということで、私の台湾行きの費用の問題は解決された。 電報と電話でやり取りを重ねた後、私は初夏に出立することを決めた。 九州北端の門司港から内台連絡船に乗って出発し、台北州の基隆港から台湾に上陸した。基隆港まで出迎えの人をよこすという日新会と台中市役所の申し出は、礼を言って断った。私は単身、汽車で台北市内に入り、そこで一泊。翌朝、台北駅から南下する汽車に乗り、急行でわずか3時間半の台中に向かう。これこそ旅というものだ。そうでしょう? 午前9時半、列車は台北を発車。台中に着いてからの昼食では、お腹が持ちそうにない。 10時5分に到着した桃園駅のホームで、売り子が駅弁を売っていた。一つ買ってみると、つやつやした白いご飯に揚げ魚、焼き魚、大根の漬物に鰻の八幡巻き。内地の駅弁とほぼ変わらなかった。 11時1分、新竹駅到着。売り子がここの言葉で呼び声をはり上げ、「炒米粉」というものを売っていた。隣に座った女性の乗客に尋ねると、蕎麦を炒めたようなものだと言われた。だが、食べてみるとまったく違うものだった。 そこから20分ほどで竹南駅に到着。先ほど炒米粉をいれた腹の空き具合を探ってみる。 11時47分、苗栗駅到着。ここの駅弁も内地式のもののようだったので、塩味のついたあひるのゆで卵五つと、塩むすびを買うにとどめた。乗り降りする乗客たちを観察するに、南に行くにつれ、現地の言葉を話す人が増えてくるのが面白い。この後の旅も楽しみだ。そうこうするうちに午後1時3分、台中駅に到着した。 期待に胸が躍る。 午後2時に、市役所の職員と台中駅で待ち合わせることになっていた。だが、ぼんやり座って待つつもりはない。 待合室から外を見れば、降り注ぐ金色の陽光に、青々と葉を茂らせた椰子の樹々が映えている。日差しが強すぎるせいか、道行く人々がみな木陰を伝うように歩いている様子が興味深かった。道を行き交うのは西洋式の自動車もあれば、人力車や、ずっしり重そうな貨物を載せた牛車もある。少し離れたところの樹の下には、台に何かを積み上げて売っている荷車もあった。「すみません。駅の近くに、台湾人の商店街があるでしょうね?」 改札にいた駅員は、私に急に話しかけられ、少々どぎまぎした様子だった。「台湾人の商店街・・・というのは、本島人の商店街のことでしょうか」「本島人、そう、本島人のです」 駅員に説明された道順を暗記し、そのとおりに歩いていって着いたのが、ここ干城橋通りだ。 松旭斎天勝の魔術団のごとき、本島人の街。 しかしいつの間にか、なんだかとげとげした果物を買ってしまっていた。 身振り手振りだけで買い物に成功したのは、この旅の幸先も良いのではなかろうか。「×、×、×、×、×、×?」 果物屋台の、まだあどけなさの残る顔をした本島人少年が、ゆっくりとひと言ずつ区切るように、何かを繰り返した。「ごめんなさい。台湾の言葉はわからないのよ。いったい何が言いたいのかしら?」 私はひたすら、手を振ったり頭を振ったりして見せた。 少年も困りはてた顔になった。「×××××××××」 そう言うと少年は、何かのラベルの貼られた木箱を取り出した。そこに果物を入れ、器用にくるくると包装して、あっという間に美しい手土産物の体に作り上げた。(中略)「何かお困りですか?」 かなり標準的な日本語だった。 声のほうにふり向くと、私の視線のだいぶ下の方に、小柄な少女の姿があった。 台湾の住民は漢人系の人々が「本島人」、原住民族が「蛮人」と呼ばれ、本土出身者とその子弟は「内地人」を名乗っていたが、1945年以降に上陸してきた外省人と内省人との闘争はまだ見られないのどかな(?)時代だったようです。少女は国語(日本語)を話せたが、少年が話す「××××」は閩南語あるいは客家語だったのかも。
2024.03.05
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図書館に予約していた『翻訳夜話』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪<図書館予約:(2/15予約、2/27受取)>rakuten翻訳夜話「フォーラム2 翻訳学校の生徒たちと」でもう1件、見てみましょう。p60~62<he said she said>質問者B:あの、語学力というのは私にとっても永遠のテーマなんですけれども、私が翻訳の勉強を始めた頃に、とにかく日本人の作家が日本語の文章を書いたように、日本の小説を書いたように自然な美しい日本語に訳しなさいというふうに先生に教わりました。で、まあ、そういうのを目指して、そういう風に思ってきたわけなんですけど、最近思いますのは、説明的な文章はいいんですけれども、たとえば、科白なんかが並んだ文章ですと、英米圏の小説では必ず一つの科白のど真ん中に「彼はこう言った」とか「彼はこう叫んだ」とか、科白がちゃんと完結しない、ど真ん中をぶちぎって二つに分けちゃうというような手法が多いですよね。 それを、まあ、原文に忠実にというふうに考えて訳していくと、どうしても翻訳調の漢字が、すごく自分ではするんですけれども。あと、逆に日本の小説家の方で、本当に純然たる翻訳調で日本の小説を書いてらして、それはそれでけっこうおもしろいというふうに感じたこともあるんですが、お二人の先生方は翻訳なり小説を書かれるときに、そういう翻訳臭さを消そうというふうに考えてらっしゃるのか、エスカレートしてそれを生かそうと考えてらっしゃるのか、そのへんのお話を聞きたいと思います。柴田:要するに、“I have to go,”he said.“they are waiting for me.”というような形ですね。村上:これについていちばん僕が苦労したのは、やはりレイモンド・カーヴァーの初期の作品です。もう無茶苦茶なんですよね。he saidが一つの文章に三回あったりする。「he said何とか何とか、何とか何とかhe said、he said何とか何とか・・・」これはもちろんわざとやっているんですよ。 どうしてわざとこんなことをやるのかというと、普通の文章スタイルを意図的にぶち壊そうとしているわけですね。これはあとで知ったことなんですが、レイモンド・カーヴァーのその頃の編集者だったゴードン・リッシュという人が、本人もわりに前衛的な小説を書く人だったんで、強権をふるってカーヴァーが書いた普通の文章をズタズタに切ってhe said he said he saidって全部勝手に書き直しちゃったみたいなんです。 でもその頃はそういう事情を知りませんし、カーヴァー自身がこういうふうに書いたと思うから、なんとかその文体を忠実に再生しようとしたんだけど、日本語にするともう収拾不可能になってしまう。だから適当に止めちゃったんですよ。僕の判断で、he saidがひとつのセンテンスに三つあっても、場合によっては一つにしちゃいました。それでもカーヴァーの独自の文体はきちんと伝わると思ったから。いま原文を読み返してみても、やはりギミックっぽいなと感じるし。 結局、作者の意図がどうであれ、日本語にしたら読む人は違和感を感じると思ったら、翻訳者は自分の判断で変えていいんじゃないかと、僕は考えています。もちろん何だって読みやすいように勝手に変えていいということではないけれど、もし自分の判断力に責任が持てるのなら、原文に官僚的に忠実になる必要はないんじゃないかということです。『翻訳夜話』2:「僕」と「私」『翻訳夜話』1:小説執筆と翻訳の関係
2024.03.05
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図書館に予約していた『翻訳夜話』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪<図書館予約:(2/15予約、2/27受取)>rakuten翻訳夜話「フォーラム2 翻訳学校の生徒たちと」でお二人が若い受講者に向けて語りかけているので、見てみましょう。p47~51<「僕」と「私」>柴田:今晩は、柴田元幸です。よろしくお願いします。きょうは我々が一方的にしゃべるのではなくて、皆さんのほうからいろいろご質問をいただいて、それにお答えするというかたちで進めていきたいと思っています。 世の中に翻訳についての本とか雑誌とかは数多く出ていて、僕もそういうのをときどきのぞいてみるんですけれども、読んでいるとなんか、だんだん暗くなるんですよね。何と言うか、人生の道を説かれているような気がしてきて。翻訳をやるためには日頃からこういうことをやっていなくちゃいけない、こういうことも知らなくちゃいけない、こういう辞書やソフトも持ってなくちゃいけないとか、そういう話がいっぱい書いてあって、それが自分に当てはまるかと考えると、そんなこと日頃からやってないし、知らないし、持ってないし、僕は絶対翻訳者になれないんじゃないかっていう気がする(笑)。 世間的にはいちおう教師兼翻訳者ということになっているんだけどなと思って、不思議な気持ちになります。そういうところでいろいろ言われているのは、基本的に翻訳っていうのはこうしなくちゃいけないとか、こうすべきだとか、やっぱりそういう「ねばならぬ」式の発言がどうしても多いんですね。まあ、プラクティカルな翻訳指南ということであれば仕方ないのかもしれないと思うんですけど、もう少し翻訳のおもしろいところとか、楽しいところとかを取り上げてお話ができればいいなと思っています。村上:今晩は、村上です。僕はふだんあまり人前に出てしゃべることはないんですが、でも、翻訳のことになるとこういうふうにまめに出てきちゃうんです。小説の書き方なんて話題になると絶対出てこないんですけれど(笑)。 で、どうして翻訳のことになるとこんなに熱心になれるのかと言いますと、結局、簡単な話で、翻訳することが好きなんだということに尽きると思うんですよね。小説を書くのはもちろん本職であるわけで、これが僕にとっては生命線なわけですが、それだけに「好き」とかそういう言葉では簡単に表現できない部分があるし、またいつでもどこでもすらすら書けるというものでもない。 それなりの覚悟を決めて、正しいときを選んで、「さあやらねば」という勢いと集中がないとできません。でも翻訳というのは、違うんです。放っておいても、ちょっとでも暇があったら机に向かって、好きですらすらやっちゃうようなところがあるんです。 どうしてこんなに翻訳という作業が好きなのか、あらためて考えてみると、自分でももうひとつよくわからないんですね。皆さんも翻訳をやろうというふうに志しておられる方だからたぶん、翻訳することが好きなんだろうと単純に推察するわけですが、いま柴田さんがおっしゃったように、やっぱり「楽しんで好きでやる」というのがいちばん大事なことだと思うし、翻訳道とかそういうのは僕もあまり好きじゃないです。 柴田さんと話しているといつも、「ああ、この人は根っから翻訳が好きなんだなあ」という感じがひしひしと伝わってきて、楽しいんです。翻訳なんて手間のかかる地味な仕事だから、ほんとに好きじゃないとできないです。好きだというのは努力が苦にならないということでもあるから。『熊を放つ』っていうジョン・アーヴィングの作品を訳したのは、何年前でしたっけね?柴田:えーっと、もう10年ぐらい・・・もっと前ですね。僕が初めて翻訳を単独で出したのが10年前で、その一、二年前ですね。87年とかそのぐらいですか(1986年 中央公論社刊)村上:これはなにしろ長い小説だし、僕もまだ長篇翻訳ってやった経験がなかったので、僕が全部ざっと訳したあと、柴田さんと斎藤英治君とかでチェックチームを組んでもらって、みんなでディスカッションしながら仕上げていったんです。 それでそれ以来のおつきあいなんですが、僕も翻訳は相当好きだけど、柴田さんぐらい好きな人はちょっといないんじゃないかと(笑)、思います。だから、きょうはそういうラインでわりに気軽に、楽しく翻訳についてお話ができればというふうに思ってます。柴田:というわけです。もうここからは、質問がある方はどんどん手を挙げていただいて、その質問にお答えするというかたちにします。『翻訳夜話』1:小説執筆と翻訳の関係
2024.03.04
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図書館に予約していた『世にもあいまいなことばの秘密』という本を、待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>曖昧な言葉の秘密ってか・・・面白そうである。<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密「2章」で「辞書に載っている曖昧さ」が語られているので、見てみましょう。p27~29<2章 「OKです」「結構です」>■「微妙」な味とは? 昔、私が知人に自分の料理を食べてもらったときのことです。「味はどう?」と聞いたら、「微妙」という答えが返ってきました。私はそれを「いまいち良くない」という意味に受け取り、あんまり美味しくなかったのかと思ってがっかりしました。しかし、後からよく話を聞いてみると、その人は「良い味だ」という意味で「微妙」と言ったということが分かりました。 辞書を引いてみると、「微妙」には「いまいち良くない」という語義の他に、「一言では言い表せない趣があること」という語義もありました。私はこの語義を知らなかったので、「微妙」を否定的な意味だと解釈してしまったのです。 辞書を見ると、「微妙」に限らず、ほとんどすべての単語が複数の語義や用法を持っていることが分かります。ここでは、辞書に載っている曖昧さのうち、とくに気をつけた方がよいと思われるものをいくつか取り上げてみます。 注意すべき表現の筆頭は、先ほどの「微妙」のように、良い意味と悪い意味の両方を持つ言葉でしょう。こういう言葉の中には、もともと悪い意味ではなかったのに、さまざまな事情で否定的な意味が付いてしまった言葉も少なくないようです。 たとえば「忖度」という言葉は、もともとは「相手の真意を推し量ること」でしたが、2010年代の政治問題の報道とともにこの言葉が広まった結果、「目上の人間の意向を推測して、その人に都合の良いように取り計らう」という意味で使われるようになりました。 悪いイメージが付いてしまった「忖度」という言葉の気持ちを忖度すると、ちょっと気の毒に思えてきます。 時間が経つにつれて否定的な意味が出てくるという現象は、「議論が煮詰まる」という表現にも見られます。この表現の解釈には世代差があり、比較的年齢が高い層はこれを「議論が十分になされて、結論が出る」という良い意味に捉えていますが、年齢が低い層では「議論が行き詰まる」という悪い意味に捉える人が多いそうです。会議の終わり頃に「そろそろ議論が煮詰まってきましたので・・・」と言ったら、相手によって受け取り方が変わるかもしれません。 逆に、もともとあまり良い意味ではなかったのに、肯定的な意味でも使われるようになった言葉もあります。たとえば「こだわり」は、もとは「ささいなことを必要以上に気にすること」でしたが、今では「こだわりの逸品」とか「絶対食べたい!こだわりスイーツ」のように、「良さをとことん追求すること」の意味でも広く使われています。「やばい」も、以前は「危険だ」とか「非常に都合が悪い」という意味で使われていましたが、「すごく良い」という用法が広がっています。若い人たちが何かにつけて「やばい」を連発することをやばいと感じている人も少なくないようですが、あれほど頻繁に使われる背景には、程度の甚だしさをカジュアルに表現できる便利さがあるように思えます。
2024.03.03
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図書館で『文学界 10月号』という雑誌を、手にしたのです。表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。【『文学界 10月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 10月号』編集部が絲山秋子にインタビューしているので、見てみましょう。黒蟹弁を編み出した絲山さんの言語的センスには、言語学者たちも敵わないのではないか。p109~112<インタビュー 言葉にならない「関係性」が面白い>■黒蟹県ができるまで編集部:黒蟹県を舞台に繰り広げられる絲山さんの短編シリーズ、「神と提灯行列」(2023年7月号)までの8話が『神と黒蟹県』として刊行されることになりました。絲山:もともとは、「文学界」の1000号記念(2021年2月号)に短編を、という依頼があったのが始まりでした。会社員の担当引き継ぎの話で一つ短編を書きたいと思って、「黒蟹営業所」を書いたんです。私自身も、福岡から名古屋、名古屋から群馬、さらに群馬から埼玉と、転勤を伴う引継ぎを三回経験していて、それがすごくいい経験で面白くもあったんですね。そこで、新しい土地にやってきて、全くさらの状態の人と、そこから立ち去って今までのことがリセットできるので清々してる人を書きたいなと思って。 最初は黒蟹県のことを続けて書くとは考えていなかったのですが、書いているうちに出てきた自治体についてもっと自分も知りたいし書いてみたい、とだんだん思うようになって、連作になりました。編集部:絲山さんは創作の際に、舞台となる土地についての綿密な調査をされているとよくお話しされています。絲山:「黒蟹営業所」を書き始める前にも、群馬のいくつかの町を、「文学界」の担当編集者と訪ねました。転勤してきたときにどういう目でその土地を見ていたか、ということを思い出すためにどうこうしてもらって。 自分一人で行くと、どうしても知り合いが住んでいたり、直近の予定を思い出したり、場所がリアルな生活と重なってしまうんですよね。そこで暮らしたことのない編集者が同行していると、確かに転勤で初めて来た人はそこに絶対目が行くよね、というところに気が付きますし、景色や地形も新鮮に見ることができます。「黒蟹営業所」では、黒蟹県に赴任してきた主人公の三ケ日凡(みっかびなみ)が「狐」という地名を面白がるシーンがあります。狐ではないんですが、実際に、群馬県の渋滞ポイントで「鹿」っていう交差点があるんですよ。「鹿山」とか「鹿川」なら何とも思わないのに、「鹿」って言われると動物が浮かんできてしまうんですね。地名はやはり、初めて知ったときは新鮮に感じます。■「架空」だからこそリアルになる編集部:群馬県をはじめ、福岡県や富山県など、数々の地域をリアルに書かれてきた絲山さんですが、今回、黒蟹県という架空の県を舞台になさったのはなぜでしょう。絲山:具体的な土地を舞台にすると、いろいろ気をつけなければいけないことも出てきますし、もう少し自由に町を設計したい気持ちもあって。何より、架空の県を舞台にしたことで、とにかくリアリティに徹することができました。 もちろん実在の土地でなくても、ネガティブな印象にならないかということは強く意識しています。それから、著者の存在が悪影響とならないように、すごく考えながら執筆しています。 でも架空の世界が舞台だからできることも多くて、この作品ではギリギリまでリアルに徹して書くことができたと思います。狐町の町長や、黒蟹青年アソシエーションなどは、リアルな土地を舞台にしたら書けませんでしたね。編集部:地名だけでなく、黒蟹県の特産品の山菜やキノコのひとつひとつに、とてもリアルな架空の名前がつけられています。絲山:架空にすることで、ちょっと隙間ができるんです。読者の中に迷いが生まれる。たとえば「白ヒルギタケ」や「モキツ貝」という言葉を見たとき、「あれ、これ知ってたっけ?」って。そうすると、一定の速さで読めなくなりますよね。その空白が、小説のためにはすごく必要なんです。句読点みたいな役割ですね。 ちょっと偏ったところもあるかもしれませんが、架空の固有名詞はたくさん登場しますし、実在の紛らわしいものも混ぜました。実際に起こったエピソードでもそのまま書いたら嘘っぽくなることはたくさんありますし、草取りに使う「三角ホー」や「ユスラウメ」などは実在ですが架空と紛らわしい。 人名でも、本当に実在するのか紛らわしいものがあるのじゃないですか。地名のような、ひとを戸惑わせる何かの境界線上にある名前もありますよね。『神と黒蟹県』に出てくる人名でも、ありふれたものと、存在するけれど珍しいもの、まずないだろうっていうもののバランス、取り合わせに気を遣いました。編集部:知らないはずなのにどこか懐かしい、黒蟹弁も登場します。絲山:最初は方言のことまでは考えていなかったんです。年配の人は方言を話すとかなとか、山間部は方言が強いかもしれないな、とは思っていましたが、県内全域で使うかどうかはあまり考えずに書いていました。 黒蟹弁で話す人が出てくることになってからは、かなり気をつけながら方言を作りました。実在する言葉に酷似してはいけないので、『全国方言辞典』を参考にしました。それから、安直にやるとゆるキャラが「〇〇ネギィ~」と喋るような。語尾だけ安直にいじる形にはならないように。 どこにも存在していないけれど、どこでもあるようような、何より読んで意味が推測できる塩梅にしました。「忸怩たる神」に出てくる「じゃんがじょうに寝てくわる」というのは「ぐっすり眠っていらっしゃる」という意味ですが、「くわ」って音自体は、古い日本語にも存在しますから。 黒蟹弁を作るうえでは、営業職の頃に方言を話した経験が生きていると思います。建設業界なので方言を話すお客様も多かったのですが、自然にテンポとイントネーションを合わせて話せるようになれば、細かなニュアンスも理解し合えるし、信頼も得られます。 名古屋弁と博多弁とは、イントネーションも話す速度も違うし、強調するタイミングも全く違う。でも、お客様と同じ言語を喋れるようになったことが、強い自信になったんです。これでどこに行っても、その土地の方言が習得できるだろうなって。 でも、富山弁は難しかった。北日本新聞の連載や『まっとうな人生』の取材で何度も通い、友達や知り合いもたくさんできたのに、富山弁は自然に出てくるようにならないんです。これまでの自信は吹っ飛びました。■黒蟹県にモデルはあるか?編集部:登場する待ちも個性的です。県庁所在地の紫苑市、歴史が古く、黒蟹城を擁する灯籠寺市、新幹線の駅があり、隣県との人の往来も盛んな窯熊市など。具体的なモデルとなった町はあるのでしょうか。絲山:特にどこが、ということはありません。群馬に限らず、黒蟹県にあるような市町村の関係性は、一般に広く存在しますから、都市同士の関係性、役割にはいくつかパターンがあるんじゃないかと思います。 県庁所在地と、古くから歴史のある街が分かれている県って、結構ありますよね。たとえば神奈川県で言ったら、県庁のある横浜と工業都市である川崎、小田原と鎌倉などでは、それぞれ街の個性や歴史的役割、愛着の持ち方などが全く違う。 私の勝手な分類ですが、県によって「フランス式」と「イタリア式」があると思っているんです。フランスはパリに多くのものや人が集中し、イタリアはナポリ、ミラノ、ローマ、トリノなどそれぞれの都市のユニークさがある。「フランス式」は京都府や石川県、岩手県などが浮かびますし、「イタリア式」は群馬県や滋賀県、三重県などだと思っています。今回の黒蟹県というのは、「イタリア式」の県だろうなとは思っていました。『文学界 10月号』1:辻原昇×絲山秋子の対談
2024.03.02
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図書館で『ナショナルジオグラフィック2023年10月号』という雑誌を、手にしたのです。表紙に「宇宙☆新時代」というコピーが見えるが、この特集には見覚えがあるぞ・・・でも、2度目になってもまあいいか、ということでチョイスしたわけです。【ナショナルジオグラフィック2023年10月号】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙に「宇宙☆新時代」というコピーが見えるが、この特集には見覚えがあるぞ・・・でも、2度目になってもまあいいか、ということでチョイスしたわけです。rakutenナショナルジオグラフィック2023年10月号帰って調べたら4ヶ月前に借りていました。で、この記事を(その2)とします。準備が進められているSLSp45~46「この瞬間がたまらなく好き!」 そう叫んだのは、米航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士であるクリスティーナ・コックだ。ここは米国フロリダ州ケネディ宇宙センターの小高い丘の上。コックは3人の同僚とともに青い飛行服を着て、たかさ98メートルの巨大ロケット「スペース・ローンチ・システム(SLS)」が夜空に輝く小さな点になるのを見守っていた。 SLSが打ち上げられたのはその数分前、米国東部時間の2022年11月16日午前1時47分だ。「宇宙打ち上げ装置」を意味する名称はいささか地味だが、このロケットは推力がジャンボジェット31機分に当たる3万9100キロニュートンもあり、それまでに打ち上げられたロケットのなかでは最大だった。発射台からかなり離れた丘の上でも、ガスが噴出する振動を体で感じるほどだ。 巨大ロケットは時速2万8000キロ以上で軌跡を描き、宇宙船オリオンを空の高みへと送り込んだ。オリオンは宇宙飛行士をかつてなく遠くまで運べるように設計されている。今回は無人飛行だが、月より遠い宇宙空間を目指す旅が人体に及ぼす影響を調べるため、船長代わりのマネキン人形と、女性の胴体を模した2体の人形を乗せていた。 これらの人形は25日と10時間53分にわたるミッションの期間中に、地球から50万キロ近く離れた宇宙空間まで旅し、時速4万キロ近い速度で大気圏に再突入した。次のミッションでは、オリオンは4人の宇宙飛行士を乗せて月を周回する予定で、コックもその一人になりたいと切望していた。 NASAは今、半世紀ぶりに月に人間を送る込もうとしている。2022年に実施されたコノミッション「アルテミス1号」は、そのための重要な一歩だった。計画通りに行けば、24年11月のアルテミス2号で有人の月フライバイ(月の近くを通過する飛行)を行い、25年後半のアルテミス3号で、いよいよ有人の月面着陸に挑む。その後さらにミッションを重ね、月面に足場を築く予定だ。 なぜ再び月を目指すのか。一つには、月面は科学的に興味深い場だからだ。石や塵には過去45億年余りの太陽の活動の歴史が刻まれている。クレーターを調べれば、太古の月や地球に大量の隕石が降り注いだ出来事の謎をひもとけるかもしれない。月の北極と南極の周りに分布するとみられる氷から、太陽系の水の起源を探れる可能性もある。 このプロジェクトには政治的な狙いもある。国際協力を実現でき、航空宇宙産業の振興につながり、高度の知識や訓練が求められる雇用の創出も期待できる。 さらに、月は火星への有人飛行の足がかりともなる。NASAは火星で生命の痕跡を探している。その一環として、できれば2030年代に火星に人間を送り込みたいと考えている。人を寄せつけない過酷な環境で生存するには、与圧された居住施設や高度の宇宙服などの技術が必要になる。 アルテミス計画は数々の試練にさらされて」きた。スケジュールは大幅に遅れ、費用もふくれ上がり、中止を求める声も上がった。だがこの計画が成功すれば、その意義は宇宙飛行士が再び月面に降り立つことだけではない。人間が地球の外で暮らし、働くことが当たり前になる。そんな膨大な可能性が開かれると同時に、身が引き締まるような重い責任が生じる新時代が幕を開けるかもしれないのだ。Artemis I Launch to the Moon (Official NASA Broadcast) 、アルテミス1計画で明らかになった7つのことがお奨めです。『ナショナルジオグラフィック2023年10月号』1:ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡による観測p80~83
2024.03.01
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図書館に予約していた『翻訳夜話』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>とにかく、村上春樹×柴田元幸というプロが翻訳の醍醐味を語ってくれそうです♪<図書館予約:(2/15予約、2/27受取)>rakuten翻訳夜話冒頭の「フォーラム1 柴田教室にて」小説執筆と翻訳の関係が語られているので、見てみましょう。p13~19 1996年11月、東京大学教養学部の、柴田の翻訳ワークショップに、村上がゲストとして参加。翻訳を語り、また学生からの質問に答えた。学生は約百人、おもに教養課程の学生たちで、村上の酸かは事前に知らされていなかった。このフォーラムがきっかけとなって、本書が生まれることになる。<偏見と哀情>柴田:今日の授業は、ごらんのとおり村上春樹さんにおいでいただきました。翻訳についていろいろお話をうかがえればと思っています。最初に、ぼくのほうからいくつか質問させていただきます。まず、村上さんは小説家としてご自分の文章を書かれる方でもあるし、翻訳をされる方でもあるわけですけれども、自作するのと翻訳するのとでは脳味噌の使い方はずいぶん違いますか。村上:違いますね。小説を書くのとほんやくするのとでは、脳の中は全く逆の側が使われている感じがするんです。小説をずっと書いていますと、こっち側(と右側のこめかみを指でさす)あたりを使っているなという感じがするわけです。だから小説を書き終えちゃうと、翻訳が自然にしたくなるんです。つまり今度はこっちのほう(と左のこめかみを指でさす)を使いたいなというのが出てくるわけですね。 左右は逆かもしれないけど、とにかく。それで、誰にたのまれたわけでもないんだけど、自然に机に向かって翻訳をしちゃうという傾向があります。そうしないとうまく自分のなかでバランスがとれないということなのかな。 小説を書くというのは、簡単に言ってしまうなら、自我という装置を動かして物語を作っていく作業です。自我というか、エゴというか、我(が)というか。我を追及していくというのは非常に危険な領域に、ある意味では踏み込んでいくことです。ある場合にはバランスを失うぎりぎりのところまで行かなくてはならないし、外の世界との接触が絶たれていく場合も多いんです。それくらいの危機をはらんだ作業であるというこtができる。出来上がったものが立派であるかどうかは、また別の問題として。 ところが翻訳というのはそうじゃない。テキストが必ず外部にあるわけです。だから外部の定点との距離をうまくとってさえいけば、道に迷ったり、自己のバランスを崩したりというようなことはまずない。こつこつとやっていれば、ほとんどの部分は論理的に解消できます。そういう作業はぼくにとっては、すごくありがたいことなんです。ほっとできるというか。柴田:素人考えでいくと、基本的には翻訳するよりもご自分の文章を書くほうが大変だろうなと思う訳ですけれども、翻訳するほうが大へんな面というのは何かありますか。村上:気持ち的にはそりゃ翻訳のほうがずっと楽ですよ。立ち上げのところを考えなくていいから。考えなくていいというのは表現が過激だけど、要するに、ほとんど語学的、文章的、技術的なことだけを追求していればいいから。それに比べて小説を書くのって、ゼロからいちいち起こしていくわけだから、それはしんどいです。 ただ創作には原理的に作者の間違いってまずないんです。なんか変だといわれても、それはフィクションだ、ということでだいたい片付けられる。なんたって作者は神様ですから。 たとえばフォルクスワーゲン・ビートルのラジェーターのことを僕は一度書いたことあるんですが、よく考えたら、ビートルは空冷エンジンだから、ラジェーターなんてそんざいしないですよね。でも極端なことを言えば、「これは別の宇宙の話であって、そこではビートルはちゃんと水冷なんだ。それで何が悪い」と断固突っ張ることだってできます。何せ」小説だから。 しかし翻訳だとそうはいかないですよね。テキストが厳然として存在するから、間違いはあくまで間違いであって、それは間違いとしてあとあとまで残りますよね。そのへんが大変といえば大変かなあ。柴田:なるほど。では逆に、ご自分の作品が翻訳されるということについてはいかがでしょうか。自作が翻訳される場合に、翻訳家なり訳文に何をもとめられるかをお聞かせ願えますか。村上:ひとくちでいえば愛情ですね。偏見のある愛情ですね。偏見があればあるほどいいと。柴田:ご自分の作品が訳されたものを読んで、これは愛情があるなというのがわかりますか。村上:わかりますよ、それは。僕のを英語に訳している人は三人いるんだけど、おもだった人は二人で、一人はアルフレッド・バーンバウムというアメリカ人、もう一人はジェイ・ルービンという人で、バーンバウムは一種のボヘミアンなんです。特に定職もなく、大学に属しているわけでもなくて、タイに行ったりミャンマーに行ったりフラフラして暮らしている。 彼はある場合には自分の好きなように訳すんです。正確かどうかよりは、出来上がりのかたちを重視する。だからわりに自由自在にやって、部分的に適当に削ったりもする、勝手に(笑)。もちろんほとんどのところでは忠実に訳しているけど。場合によっては、ということです。柴田:増やしたりはしないですか。村上:増やさないですね(笑)。増やされるとさすがにまずいですよね。それに比べてジェイ・ルービンはハーヴァード大学の正教授で、社会的にもきちんとした偉い人で、ユーモアの感覚みたいなのはすごくあるんだけど、翻訳作業については非常に真面目で厳密な人で、わかんないことがあるといつも電話をかけてくるんです。ここの「は」は本当は「が」じゃないとかね(笑)。 全く逆な性格の二人なんです。でも僕はどっちの翻訳者も個人的には好きなんですよ。というのは、彼らは僕の作品をよく理解してくれているし、好きだし、いやなものがあればいやだとはっきり言うし。 たとえばジェイは『ねじまき鳥クロニクル』は好きだけど『国境の南、太陽の西』は好きじゃないとか、バーンバウムは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は好きだけど『ノルウェイの森』は好きじゃないとか、はっきりしているんですよね。だから、やると言った分はきちんと愛情を込めてやってくれる。 もっともバーンバウムはそう言いながら『ノルウェイの森』を講談社英語文庫で英訳しているけど、あれはたぶん生活のためだな(笑)。柴田:ははは村上:彼らが訳したものを、いちおう英語訳でざっと読むわけですよ。そうするとなんか、すごく楽しく読めるんです。僕は自分が書いた小説って、まず読み返さないんですよ。読み返すととにかく恥ずかしいから。書くときはすごく一生懸命書いているんだけど、いったん書き終わっちゃうと、本のページを開くことってまずないですね。なんか自分の靴下の匂いをかぐときのような気がして。 でも、英語だと読み返せるんですよ。というのは、僕が書いたものと、そこに訳されたものとのあいだには、ある種の乖離というか遊離があるからね。自分の書いたものでありながら、自分のものではないという二重性があるから、そのへんのすきまみたいなものを楽しんで読めちゃうのね。ジェイ・ルービンの著作『村上春樹と私』をかつて読んだことがあるので、紹介します。【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私『村上春樹と私』6:文学鑑賞と年齢の関係『村上春樹と私』5:世界中の翻訳仲間『村上春樹と私』4:アメリカでの村上講演会『村上春樹と私』3:村上作品の英訳『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労
2024.03.01
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図書館で『文学界 10月号』という雑誌を、手にしたのです。表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。【『文学界 10月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 10月号』特集「絲山秋子デビュー20年」から辻原昇×絲山秋子の対談の冒頭部を、見てみましょう。p82~84<対談 小説の余白に信を置く>常に外からやってくる「小説の言葉」を、いかに感受するか。住みよい場所を見つけることの重要性。井伏鱒二が描く「粗忽者」について・・・。文學界新人賞選考委員と受賞者、20年を経ての対話。 ■「いい小説にある唯一感」辻原:絲山さんが文學界新人賞を受賞されてからもう20年なんですね。当時の自分の選評を読み返してきたんですが、「イッツ・オンリー・トーク」という小説の良さを自分なりにちゃんと捉えているぞ、と(笑)。「いい小説にある唯一感」と書いたんですが、それはたくらんでできることではない。当時は文學界新人賞から吉田修一、長嶋有、吉村萬壱、円城塔といった優秀な若い人たちが出てきましたが、その中の一人が絲山さんでした。絲山:本当に嬉しい選評でした。あの小説では最後、蒲田に住んでいる主人公の家に転がり込んできたいとこが、実は44歳で結構な齢だったことがわかります。書いた本人としても、そこは書いていて驚いたところなんです。 そのことを辻原さんは選評で、「その瞬間に、読者の頭の中で読み直しが実行される」と書いてくださった。私はただ「驚いた」で止まっていたのですが、「読み直しが実行される」と言葉にしていただけたのがありがたかったですし、選考委員の方が読むというのはそういうことなのか、と感激しました。辻原:ミステリーの驚きとはまた違うんですが、彼が44歳だとわかった時、読むほうにもちょっとした衝撃がくるんです。その衝撃をきっかけに、読み直しというのは実際にページをめくって読むのではなくて、読んだ記憶の中で「イッツ・オンリー・トーク」の世界を辿り直すんです。絲山:確かに他の本を読んでいて、映画やドラマのダイジェスト映像のような、走馬灯のようなものがブワーッと頭の中で流れる瞬間ってありますよね。「ああ、このためにあのシーンがあったのか!」と。 あの小説はもちろん狙って書いたわけではなかったんですが、もしここで読者を驚かしてやれと思って書いていたら、うまくいかなかったと思います。辻原:そこがミステリーと違うところで、ミステリーは仕組んでおいて驚かすんだけれど、絲山さんも含めて僕たちがやっているのは、自分でも意外なところに行きついてしまい、自分でも驚く、そういうことの繰り返しをやっている。その驚きと喜びのために。絲山:そういう瞬間は書いていて頻繁に訪れるものですか?辻原:頻繁にはないですが、そういう瞬間に出合うと、小説を書いてる面白さ、醍醐味を感じることはあります。絲山:自分の力じゃないんだなぁ、と思います。辻原:それは言葉、言語そのものが自分のものではないから。常に外からやってくるものなので、当然起きることなんですが、それをいかに精密化し、構造化するかというところが困難な作業。絲山:ものすごく昔の文学作品と繋がっていたり、全く違うジャンルの人が残した発見と繋がっていったり、それに気づくと面白いなと思います。辻原:書いていることと読んでいることは、ほとんど同じ作業で、書いているというよりも、読んでいる行為のほうが強いような気がします。絲山:私も、書きながら読んでいるように思います。あと、聞いている感じもありますね。だからなのか、最近は自分の書いているものが不思議と、昔話のようなものに戻っていく感覚があります。辻原: 絲山さんはこの数年、「文学界」で短編連作を書かれていましたが・・・あの連作はどういうタイトルになるんですか?絲山:『神と黒蟹県』になると思います。辻原:神話空間ですね。地名やタイトルからも、そういう空間を舞台にしていると示唆されている。絲山:これまで群馬や富山、福岡など現実の場所を舞台にしてきたんですが、その場合は一生懸命取材をして、その地域で暮らす方が読んでも違和感を持たれないよう意識してきたんです。 ただ、その書き方をすると、気を遣わなければいけないところも出てきてしまうんですよね。たとえば評判の悪い首長がいたとかこの町とこの町は仲が悪いといった、「わかっていても言ってはいけない本当のこと」が、架空の場所であれば書ける。 現実に遠慮しないで書くことで、もう一歩先に進めるんじゃないかなと思ったんですが、もう一歩先に進んだと思ったら意外と見慣れた、昔話のような世界に戻ってきてしまったのかもしれません。辻原:実際に存在する土地を描いたから、小説にリアリティが出る、というわけではないんです。具体的な誰もが知っている世界から離れているからこそ逆に、獲得できるリアリティがある。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』で描かれているのは、まさにそういうリアリティですね。 『百年の孤独』のマコンドと黒蟹県は、ちょっと似ているところがあるんじゃないかと思いました。ひょっとしたら、これから豚の尻尾を持った人間が出てくるかもしれない(笑)。この雑誌も絲山秋子ミニブームR11に収めておくものとします。かつて読んだ『イッツ・オンリー・トーク』を付けておきます。【イッツ・オンリー・トーク】絲山秋子著、文藝春秋、2006年刊<「BOOK」データベース>より引っ越しの朝、男に振られた。やってきた蒲田の街で名前を呼ばれた。EDの議員、鬱病のヤクザ、痴漢、いとこの居候―遠い点と点とが形づくる星座のような関係。ひと夏の出会いと別れを、キング・クリムゾンに乗せて「ムダ話さ」と歌いとばすデビュー作。高崎での乗馬仲間との再会を描く「第七障害」併録。<読む前の大使寸評>絲山秋子デビュー作とのこと・・・これは期待でじそうやでぇ♪amazonイッツ・オンリー・トーク『イッツ・オンリー・トーク』1:1 トースト『イッツ・オンリー・トーク』2:4 ジャージ『イッツ・オンリー・トーク』3:6 リハビリ
2024.02.29
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今回借りた5冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・文学界 10月号・ナショナルジオグラフィック2023年10月号・翻訳夜話・台湾漫遊鉄道のふたり・世にもあいまいなことばの秘密<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【『文学界 10月号』】雑誌、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙のコピーに特集「絲山秋子デビュー20年」とあるので、借りる決め手になったのです。rakuten『文学界 10月号』【ナショナルジオグラフィック2023年10月号】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<「BOOK」データベース>より雑誌に付きデータなし<読む前の大使寸評>表紙に「宇宙☆新時代」というコピーが見えるが・・・この特集が借りる決め手になりました。rakutenナショナルジオグラフィック2023年10月号【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/15予約、2/27受取予定)>rakuten翻訳夜話【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密
2024.02.28
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在235位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在140位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在70位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在58位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在224位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在20位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在17位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在7位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在73位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在57位・呉叡人『フォルモサ・イデオロギー』(2/03予約、副本?、予約2)現在1位・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/22受取予定)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・絲山秋子『神と黒蟹県』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ウマは走るヒトはコケる・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』<予約分受取:11/28以降> ・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、2/04受取)・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』(2/15予約、2/27受取)・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、2/27受取)・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、2/27受取)**********************************************************************【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【フォルモサ・イデオロギー】呉叡人著、みすず書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本の“東洋的植民地主義”の下で、台湾人はいかにして自らのネーションの政治的形式を想像し、そこに文化的内容を付与していったのか。その葛藤的過程を描く。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/03予約、副本?、予約2)>rakutenフォルモサ・イデオロギー【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one‛s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/15予約、2/22受取予定)>rakuten翻訳夜話【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.02.28
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図書館で「中国 人口減少の真実」という本を手にしたのです。この本は、中国で報道されたニュースを基に、考察を深めるという構成になっていて・・・単なる嫌中ではなくて興味深いのです。【中国 人口減少の真実】 村山宏著、日本経済新聞出版社、2020年刊<「BOOK」データベース>より13億か14億か、正確な数字さえ分からない中国の人口。だが、確実なのは人口が減少することだ。家族のあり方、個人の生き方、都市生活事情から、経済問題、社会保障、対外関係まで、人々の日常を伝えるニュースを手がかりに、人口減少問題に直面する中国社会のいまを活写し、人口減少後を展望する。<読む前の大使寸評>この本は、中国で報道されたニュースを基に、考察を深めるという構成になっていて・・・単なる嫌中ではなくて興味深いのです。rakuten中国 人口減少の真実「第5章 中国の対外膨張はどこへ」で、増える孔子学院を、見てみましょう。p209~212<3 増える孔子学園:ソフトパワーを握れ> 米議会上院の常設調査小委員会は27日に公表した報告書で、中国政府が中国文化の普及を目的とする孔子学園の設置のために米国の学校に1億5800万ドル以上の資金を提供してきたと述べた。孔子学園が中国政府の強いコントロールの下で宣伝機関として機能しており、調査小委員会は学院の組織を変更するか閉鎖するよう求めた。報告書によれば、連邦捜査局(FBI)は孔子学院を「監視対象」であると述べ、国務省は「中国のもっとも強力なソフトパワーの拠点」と呼んでいる。 調査小委員会は孔子学院の職員がスパイ活動に関与しているとの証拠はみつけられなかったとしているが、多くの職員が不適切なビザヲ取得していることを発見した。さらには、中国政府から年間少なくとも25万ドルを受け取った米国の大学のうち、7割の大学が教育省への報告義務を怠ったことを発見した。(2019年2月28日、ロイター「米上院委員会が孔子学院の変更可閉鎖を要求」を抄訳) 孔子学院は中国語の普及を目的につくられた語学学校であり、中国文化を学ぶためのカルチャーセンターでもある。似たような組織は世界に数多い。ドイツ政府が支援する「ゲーテ・インスティトゥート」、フランス政府の支援を受けた「アリアンス・フランセーズ」などだ。いずれも時刻の言葉の普及を通じて自国文化を広め、国際社会のなかで存在感を高めようという狙いがある。 中国政府もまた各国の大学や高校と提携し、学校内で中国語を教え、中国文化に触れ合う機会を提供してきた。そのために2004年にせっちされたのが孔子学院だ。全世界で535校(2019年9月30日現在)を開校している。 中学・高校レベルの授業をする孔子課堂は1134校とさらに多く、孔子学院と孔子課堂は158の国家・地域に広がっている。日本では立命館大学に早くから設置されており、様々な大学や高校と提携し開校されている。■米国で孔子学院への警戒高まる 孔子学院は米国でも多くの大学で開校されていたのだが、2018年にFBIのレイ長官がスパイ活動に利用されている疑いがあるとして「捜査対象」と発言した。その後、孔子学院への風当たりが強まり、中国政府から資金提供を受けて孔子学院を運営していた大学が次々に学院の閉鎖を余儀なくされた。スパイ行為に関与しているかどうかはさておき、孔子学院は米国では親中派人材の養成機関として警戒されている。 国際政治では軍事などモノの力による影響力をハードパワーと呼ぶ。経済もハードパワーの一種だろう。これに対して文化や教育など目に見えない力をソフトパワーと呼ぶ。国際社会では自国の利益を守るためにはハードパワーだけでなく、ソフトパワーが必要だとみなされている。 アニメから料理までソフトパワーの領域は広く、日本政府もクールジャパン戦略などで強化に乗り出している。中国は軍事力などハードパワーの構築に余念がないが、真の大国になるためにはソフトパワーを強化すべきだと感じているようだ。ここでも巨大な人口が強みを発揮する。 言語研究サイト「エスノローグ」(2019年版)によると、英語を話す人口は11億3200万人と世界でいちばん多い。次いで多いのは標準中国語(普通話)で11億1700万人に上る。3位はヒンディー語で6億1500万人。13億人の人口を有するインドは言語がヒンディー語やベンガル語に分かれ、文字も異なる。最大のヒンディー語でも話者は6億1500万人であり、中国の標準中国語のように中核となる言葉がない。 中国が経済成長を続ければビジネスの場でも中国語を使用する機会が増えるだろう。これまで優勢だったフランス語やドイツ語に代わって中国語を学習しようとする学生が増えるのは自然の流れだ。中国政府はソフトパワーを構築するために、まずは学生を中国語学習の場に誘い込み、中国文化に触れさせることが得策と判断したようだ。それが孔子学院だ。私もかつてフランスのアリアンス・フランセーズにはお世話になったが・・・孔子学院となると怖いというか、身構えてしまうわけです。『中国 人口減少の真実』2:中国の爆食『中国 人口減少の真実』1:はじめに
2024.02.27
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図書館で「ざんねんな食べ物事典」という本を手にしたのです。おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。【ざんねんな食べ物事典】東海林さだお著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>よりおいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!<読む前の大使寸評>おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakutenざんねんな食べ物事典ここで食べ物からはなれて、ショージ君の流行歌談義を拝聴しましょうね。・・・老人の繰り言とは一味ちがっているのでは♪p81~95<懐かしや「死んだはずだよお富さん」> 今回にかぎり本編は「オール読物」の中の「老人欄」としたい。 新聞に「家庭欄」とか「学芸欄」とかいうのがありますね。 あれと同様の「老人欄」。 実際の話、いまの時代、新聞に「老人欄」がないのが不思議なくらい老人全盛の時代となっている。 今回は流行歌の話をしたいのです。 それも、うんと古い昔の流行歌。 うんと古い昔の流行歌といっても、どのあたりにするか。 「赤城の子守歌」の東海林太郎あたりから話を始めようと思ったのだが、それではあまりにもあまりなので、ディック・ミネ、岡晴夫、近江敏郎、灰田勝彦あたりから、というのはどうでしょう。 え?誰?その人たち?ですって?(ここで10ページほど中略) かぐや姫の「神田川」も同棲ソングである。 二人で町の銭湯に行くなど、一見卑下しているように見えるが、実はあれは自慢ソングであることをぼくは見破った。 ♬小さな石鹸カタカタ鳴った などと貧乏くさいことを言っているが、なぜその石鹸は小さくなったのか。 それは「二人で暮らした年月」の長さを誇示して自慢しているのだ。 このように、流行歌というものは、一般的には人々の憧れを歌に託したものが多いのだが、時にはその歌詞が人々の妬みや僻みを買うこともあるということを制作者側は知っておいてほしい。 それにしても、流行歌の世界は何と男女の愛だとか恋だとかばかりを取り上げていることか。 好きだ、とか、愛してる、とか、口づけがどうのこうの、とか、抱き合う、とか。 男女の恋愛以外、すなわち政治、経済、道徳、世界情勢、などの大きな問題を歌いあげる流行歌はなぜないのか。 そういう流行歌もあってしかるべきだとぼくは思う。 道徳関係は、わずかではあるが流行歌として取り上げてはいる。 水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」はまさに道徳を扱った流行歌である。 ♬しあわせは歩いてこない/だから歩いてゆくんだね/一日一歩三日で三歩 人生とはそういうものだ、ということを人々はこの歌を通して知る。 村田英雄は、主として任侠の世界を通して、人としてしてはならないこと、なすべきことをせつせつと説く。 労働問題はどうか。 北島三郎の「与作」は、 ♬ヘイヘイホー、ヘイヘイホー という言葉によって、労働の苦しさ、楽しさ、大切さを人々に知らしめたのだった。 政治問題を歌謡曲にして歌いあげるのはとてもむずかしい。森友学園問題などは、その全内容を人々は熟知しているし、政治の非情、酷薄も随所に盛り込まれているし、籠池元理事長、安倍昭恵夫人の名ゼリフもたっぷりあるし、「森友エレジー」として歌いあげればかなりの娯楽作品になると思うのだが・・・。 ただ、この歌を誰に歌わせるか、ここがネックとなる。森進一では暗すぎるし、小林旭あたりがズンドコ節風に歌うのがぴったりのような気もするし・・・。 経済問題も歌謡曲にするのはむずかしい。 わが「オール読物」の読者は団塊の世代と重なる人が多いと思う。バブルも経験しているしバブル崩壊も経験している。 舟木一夫の「高校三年生」のメロディーでこういうのはどうか。 ♬赤い夕陽が社屋を染めてー バブルで踊ったお立ち台 あーあーあーあーあー リーマンショック ぼくら離れ離れになろうとも 定年仲間はいーつーまーでーもー『ざんねんな食べ物事典』2:ファミレスでちょい飲み『ざんねんな食べ物事典』1:牛丼チェーン店
2024.02.27
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図書館で「中国、モンゴルの砂漠を訪ねて」という本を手にしたのです。当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。【中国、モンゴルの砂漠を訪ねて】 大谷和男著、風詠社、2020年刊<「BOOK」データベース>より砂漠には人を惹きつける不思議な魅力がある。高さ500m超の砂山、彼方まで続く地平線、砂の世界に浮かぶ湖、満天の星、美しい日の出、動物が描かれた岩絵…。バダインジャランの雄大な自然に魅せられ通い続けた砂漠歩きの記録。<読む前の大使寸評>当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。rakuten中国、モンゴルの砂漠を訪ねてバダインジャラン砂漠まず「Ⅱ章」で、内モンゴル自治区の砂漠(続き)を、見てみましょう。p109~119<2‐1 バダインジャラン砂漠(2014年)> 初めて砂漠歩きを試みたのがバダインジャラン砂漠で、その初めてのときの記録から紹介したい。砂漠を本格的に歩くのは初めてだったので、がむしゃらに歩いてみたところ膝には優しいということが分かったが、急斜面の登りは蟻地獄のようになり結構大変なことも分かった。 また、こんなに綺麗な風景が中国にあるということを知ったし、風さえ吹かなければ空気は綺麗で快適なせかいであるということも知った。しかし風が吹くとテントの中にいても砂まみれとなり大変なこともよく分かった。この最初の体験から、その後別の砂漠を経験したが4年後、5年後にバダインジャラン砂漠に再び戻ってきてしまったという話である。■(1)はじめに 膝の悪化に伴い色々なことを考えてきたが今回は「砂漠」を考えてみることにした。砂漠を歩くとはどういうことか? 今回はまずそのイメージを掴むため歩いてみようと思った。狙いは中国ではまだ行ったことのない内モンゴル自治区の砂漠。本来内モンゴル自治区の砂漠の旅の最適時期は7~8月で、4~5月は強風の時期ということだが、砂漠の旅を知るためには却って条件の悪い時期でもよいと開き直り出かけた。「楽しくない旅」、「何でこんあ所へ来てしまったのか」と思う旅になることを覚悟して出発した。 砂漠は幾つか候補があったが、砂漠のヒマラヤと形容されていることから巴丹吉林砂漠に興味を持ちこの地に決めた。旅の手配はいつものように中国の旅行会社の〇さんにお願いした。得意の単独行である。■(2) 行程(2014年 4/29~5/5 詳細は中略)■(3) メンバー 大谷和男単独■(4) 装備、(5) 食料、(6) ネット情報(詳細は中略)■(7) 記録 2014・4・29 東京‐上海‐蘭州 今日は移動のみだが、蘭州についたら明日と帰りに使用する列車のチケットを入手しなければならないのがポイント。蘭州に来たのは9年ぶり。上海は気温が高かったが蘭州はそうでもない。しかし空気が悪い。空港から列車のチケット交換所までタクシーで向かう途中タクシーの中に居ても喉がいがらっぽい感じ。空港は町の中心から離れているのと渋滞で時間がかかった。(中略) 時間はかかったが蘭州駅では無事チケットへの交換ができてほっとする。後は泊るホテルを探すだけだがなかなか見つからない。駅から離れてしまったところで、面倒なのでタクシーに乗ると何と駅のすぐそばでその前を歩いて通り過ぎていたことが分かった。しかしホテルに無事着いたことに安堵した。 蘭州は初めてではない。かつて出張で金昌にある企業を訪問するため蘭州に来たことがある。上海から飛行機で蘭州の空港に着陸しようとしたとき、窓から見えた大地があまりにも赤茶けていた砂漠地帯だったので火星に来てしまったのではないかと思ったほどだった。出張のときは蘭州から車で金昌まで行った。確か5時間くらいかかったと思うが、今回は明日汽車で金昌駅に向かう。 今回は名物の金昌ラーメンは時間が無く食べなかったが、かつて出張したときには着くとすぐに食べた。ラーメンと言っても実質うどんだが、上海に戻ってからも蘭州ラーメンを掲げる多くの店で5元の蘭州ラーメンを食べ続けた。旨いかどうかはスープの味で決まり店によってもずいぶん違う。 ついいろいろなことを思い出してしまうが、明日の朝も早いので日本から持ち込んだウイスキーを呷って寝る。長い1日だった。 (中略) 2014・4・30 蘭州‐金昌‐巴丹吉林鎮‐砂漠入り口‐敦徳吉林 蘭州発7:45の汽車に乗るのに1時間前の6:45に駅に行き待合室に入ると、とにかく人が多く圧倒される。時間に十分余裕があると思っていたが、しばらくすると自分が乗るべき列車の改札が始まった。こんなに多くの人が本当に乗れるのかと思うほどの長蛇の列に並び大群衆と共にホームに向かうが改札を通るときがやはり中国人らしく我先にという人ばかりで、改札の通過が大変だった。 ここ2年ほど中国に来てなかったので中国人に圧倒されている自分を感じた。しかし列車に乗り込むと一変し、軟座のため乗っている人の質が違うのか静かに過ごせそうだったのでほっとした。座って砂漠に関する文献に目を通していると汽車は静かに発車した。 (中略) 金昌に着くとかなりの強風でこの先が思いやられた。予定通り迎えは来ていた。タクシーのような車に乗り巴丹吉林鎮に向かいそこで4WDの徐さんとスイッチ。食料、水等の買い物をして出発。これから砂漠の4泊5日の間、徐さんと2人の旅となる。徐さんは4WDで先を行き大谷が後を一人で歩いていくというスタイル。 幹線道路の砂漠入口から砂漠に入ると天気は回復していたが風がやや強い。砂漠に入ってもすぐに歩くことはせずしばらく4WDで進む。私も全て歩きたいなどという拘りはないので徐さんに任せた。砂漠の中に入ると軟らかい砂上へと変わり徐さんはタイヤの空気圧を下げた。『中国、モンゴルの砂漠を訪ねて』2:トングリ砂漠(2016年)『中国、モンゴルの砂漠を訪ねて』1:タクラマカン砂漠
2024.02.26
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図書館で「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」という本を手にしたのです。フランス大好きなⅯドングリは、ドイツ映画などを筆頭に、わりとドイツを評価していたことに気づいて・・・チョイスしたのです。【ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか】熊谷徹著、青春出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より世界一便利な日本で「ゆとり」を感じられないのはなぜ?ドイツ流・お金に振り回されない生き方。<読む前の大使寸評>フランス大好きなⅯドングリは、ドイツ映画などを筆頭に、わりとドイツを評価していたことに気づいて・・・チョイスしたのです。rakutenドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか「第2章」で日独のサービスの違いあたりを、見てみましょう。p57~61<第2章 みんなが不便を「ちょっとだけ我慢する」社会> 前章でドイツのサービスの悪さについて読んで、「ドイツ市民はなぜこんな扱いをされて怒らないのか?」と不思議に思った読者もいるだろう。その理由は、ドイツ人のサービスへの期待度が我々日本人に比べて低いからだ。彼らは日本人ほど、レストランや商店、ホテルで良いサービスを期待していない。■サービスへの期待度が低いドイツ人 私もドイツに29年住んで、この国ではもはや良好なサービスを期待しなくなった。「ここはドイツなので、良いサービスはない」と思うようにしている。 前章で食堂の店員がコースターを客の前に手裏剣のように投げたエピソードをご紹介したが、その場にいたある日本人は「ドイツに5年住んでいるが、こうした態度には、いまだに慣れない。客に対して最低限の思いやりがない」と憤慨していた。 多くの日本人は、目の前に物を投げられると「邪険に扱われている」と不快に思う。繊細な客の中には、犬や猫の前に餌を投げる情景を連想する人もいるだろう。 しかし私はこの時、店員がコースターを客の前に投げるのを見ても全く怒りを覚えなかった。その理由は、「この国のサービスというのはこんなものだ」と悟っていたからである。 以前私は会議の席で、ドイツ人が自分の名刺を客に1枚ずつ手渡さずに、テーブルの上に投げたのを見たことがある。名刺すら投げる人がいるのだから、飲み物のコースターを投げられたくらいでは驚かない。冷静に考えれば、それで何か不都合なことが起こるわけではない。あくまでも気分の問題である。 つまり、サービスに対する期待度を下げてしまえば、サービスガ悪くてもあまり不快に思わない。「自分はお客様なのだから、良いサービスを受けて当たり前だ」と思い込んでいると、サービスが悪いと頭に来る。腹を立てると、その日は損をしたような気がして楽しくない。いやな思いをするのは結局自分である。(中略) 大半のドイツ市民も、この国のサービスについて「こんなものだ」と思っており、際立って悪いとは感じていない。多くのドイツ人は日本に行ったことがないので、日本のような「サービス先進国」があることを知らないからだ。 ■なぜドイツ人はサービスが苦手なのか 私がドイツ人から高い水準のサービスを期待しないもう一つの理由は、サービスが未発達である背景に、彼らの強烈な個人主義があることを知っているからだ。 ドイツ人の店員は客に対してへりくだらない。客に向かってペコペコせず、常に堂々としている。ドイツ語でサービスに相当する言葉はDienst(ディーンスト)である。この言葉の動詞はdienen(人に仕える、サービスする)だが、派生語にDiener(従者、下僕)という言葉もある。 つまり、ディーンストという言葉は客との目線の違いを感じさせるので、個人主義が強いドイツ人には聞こえがよくない。誇り高きドイツ人たちは、人に仕えること、サービスをすることが得意ではないのだ。 さらに、ドイツ人は日本人ほど他人の感情を重視しない。感情よりも規則や理屈を重んじる。ドイツ語ではこういう人のことをコップフメンシュ(Kopfmensch=頭を優先する人、感情よりも理屈を優先する人)というが、この国にはコップフメンシュが多い。 たとえば、アンゲラ・メルケル首相はコップフメンシュの典型だ。彼女は政治家になる前は、物理学者だった。メルケル氏はどんな状況でも感情を顔に出さず、冷静沈着に振る舞うことで知られる。演説の内容も理詰めで、聴衆の感情に訴えかけるような話し方ができない。感情よりも合理性を重んじる典型的なドイツ人である。「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」1:日独の大きな違い
2024.02.26
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図書館で「ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか」という本を手にしたのです。フランス大好きなⅯドングリは、ドイツ映画などを筆頭に、わりとドイツを評価していたことに気づいて・・・チョイスしたのです。【ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか】熊谷徹著、青春出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より世界一便利な日本で「ゆとり」を感じられないのはなぜ?ドイツ流・お金に振り回されない生き方。<読む前の大使寸評>フランス大好きなⅯドングリは、ドイツ映画などを筆頭に、わりとドイツを評価していたことに気づいて・・・チョイスしたのです。rakutenドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのかまず序章で日独の大きな違いあたりを、見てみましょう。p27~30<序章 ドイツ人の平均可処分所得は290万円!>■低賃金なのに「生活に満足している」のはなぜ? このようにドイツでも所得格差が広がりつつあり、パラダイスとは言い難い状態だ。特に低賃金層に属する人々が苦しい生活を送っていることは紛れもない事実である。 それでもこの国で29年暮らしてきた私の目には、ドイツ社会を全体として見ると、日本に比べて「ゆとり」があるように見える。そのことは、様々な世論調査の結果にも表れている。 統計ポータル「スタティスタ」によると、2017年の秋に行われたアンケート調査で「自分の生活に満足していますか?」という問いに対して「非常に満足している」もしくは「かなり満足している」と答えた人の比率は、93%に達した。(中略) ドイツの公共放送連盟ARDが2017年5月に行った世論調査では、「私の経済状況は良い」と答えた市民の比率が81%に達していた。 ドイツ人の9人に1人、約960万人が105万円以下の年収で暮らしていることを考えると、これらの世論調査結果が高い満足度を示しているのは意外である。 これに対し、日本の内閣府が2017年8月に発表した世論調査の結果によると、「生活に満足している」と答えた市民の比率は73.9%でドイツよりも20ポイント近く低くなっている。 時間的なゆとりという面では、日独間の格差がもっとはっきり見えてくる。2018年1月にドイツの連邦統計局が発表したアンケート調査の結果によると、2016年の時点で4100万人の就業者のうち90.7%が「現在の労働時間に満足している」と答えた。労働時間に不満なので変更を希望していると答えたのは9.3%にすぎなかった。つまり回答者の9割は、ワーク・ライフ・バランスがとれており、時間のゆとりがあると考えているわけだ。 これに対し、内閣府の世論調査によると、「生活の中で時間のゆとりがある」と答えた日本人は68.6%にとどまっており、ドイツ連邦統計局の調査結果よりも約22ポイント低くなっている。 経済協力開発機構(OECD)が実施した、各国市民の生活満足度についてのアンケートの結果も興味深い。これは個々の国民が自分の生活についてどのような感情を抱いているかを、アンケートで調べたものだ。満足度の最高値は10である。 ドイツ人の満足度は7で、OECDの平均値6.5を上回った(38ヵ国中13位)。これに対し日本人の満足度は5.9で、平均値よりも低くなっている(38ヵ国中29位)。 国内総生産(GNP)を目安にすると、日本は米国、中国につぐ世界第3位の経済大国だが、生活満足度においては、GDP第4位のドイツに追い越されているだけではなく、OECDの平均にも達していないのだ。ウーム つい先日、GNPで日独の逆転が報道されたが、これで経済規模も生活のゆとりもドイツの後塵を拝することになったわけだ・・・女性の力を充分に活用しない日本システムの欠陥が表れたのかも。
2024.02.25
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図書館で「ざんねんな食べ物事典」という本を手にしたのです。おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。【ざんねんな食べ物事典】東海林さだお著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>よりおいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!<読む前の大使寸評>おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakutenざんねんな食べ物事典まずコラムニストの村瀬秀信氏との対談で、ファミレスのあたりを、見てみましょう。ケンタッキーやサイゼリアはよく愛顧しているファミレスでおます。それから“ちょい飲み”するならサイゼリアのワインがお奨めですね。p108~111<奥が深い! 我らの“チェーン店”道>■“ちょい飲み”が流行東海林:ファミレスで一人飲みってやったことあります?村瀬:最近はやりやすくなりましたね。東海林:でも、あそこは違和感があるな。周りがファミリーだから。村瀬:早い時間だと特に背徳感があります。未来ある子供には見せられない。東海林:ファミレスのメニューって写真もいっぱい使っていて派手でしょう。その隅のほうに小さく、徳利の絵が描いてあって、おつまみが二品くらいあって。村瀬:メニューの番外地に申し訳なさそうに書いてある。でも、いまは「バーミヤン」でボトルキープができたり、モスバーガーも「ケンタッキー」も一部の店舗でモスバルやバルケンタなんてのをやっています。他にも、「サイゼリア」だと堂々とお酒のコーナーがありますよ。東海林:ある? おじさんコーナーみたいな?村瀬:ちょっとオシャレなんです。ワインとか、生ハムとフレッシュチーズとか。ムール貝ヤエスカルゴが399円。イタリアンの庶民化に貢献してます。東海林:あ、そっち行くのね。村瀬:一部のサイゼリアにはワインリストが別にあって、高いのだと7000円以上するワインもあります。東海林:でも、「ワインリストある?」って聞くとき、誇らしい気分になるね。とはいえ、やっぱり日本酒がほしいな。村瀬:それならやっぱり富士そばですね。東海林:いつも思うんだけど、一人飲みって難しいね。ほんとに疲れる。村瀬:どこに疲れを感じますか?東海林:たとえば居酒屋チェーンに行くと、みんな複数で来てるでしょ。その中でポツンと飲んでると、周りからどう見られてるかばっかり気になっちゃう。「あの人、お友だちいないんだわ」って見られてるんじゃないかとか、つい思っちゃって。そうじゃないんだってことを何とか示せないかな。村瀬:どうしたらいいんだろう(笑)。東海林:手帳を見たりしてね。今、スマホがあるけど、スマホをやるとかえって孤独感が強くなる。村瀬:たとえば、チェーン店じゃなくて、粋な女将がいる小料理屋みたいなところとか、大将と馴染みの店、みたいなところだとどうですか?東海林:あれだって難しい。太田和彦さんなんかは、折を見てご主人に話しかけなさいというけど、なかなかできるものではない。村瀬:チェーン店で店員に親しげに話しかけたら、周りに「この人、いつもここに居るんだ」って思われる(笑)。東海林:アイデンティティをどうするか。一人飲みというのは万人の悩みなんじゃないでしょうか。村瀬:他人に興味を示さないのは、チェーン店のよさの一つなのかも。東海林:ここだって、みんな壁で区切ってある。これだったらあんまり周りの視線を浴びないね。村瀬:(ちょっと見回して)あそこのカウンターは、一人客ですね。東海林:へぇ、カウンターも、横に仕切りがあるんだ。村瀬:人のプライベートには立ち入らないというのが、チェーン店の流儀かもしれないですね。『ざんねんな食べ物事典』1:牛丼チェーン店
2024.02.24
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図書館で「ざんねんな食べ物事典」という本を手にしたのです。おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。【ざんねんな食べ物事典】東海林さだお著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>よりおいしい、とか、おいしくない、とか言っていいの?ラーメン、牛丼、はんぺん、トコロテン、天かす…いとしくて、残念な食べ物の数々。ショージ君的B級グルメ考、ここに極まる!<読む前の大使寸評>おお 東海林さんのB級グルメ考ってか、漫画もいいが東海林さんのエッセイもええでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakutenざんねんな食べ物事典まずコラムニストの村瀬秀信氏との対談で、牛丼チェーン店のあたりを、見てみましょう。p101~106<奥が深い! 我らの“チェーン店”道>■一人で待つ苦しみから解放東海林:待ち時間といえば、「マクドナルド」は、注文した後、ちょっと脇へ避けて待つじゃない。あれがつらいね。どうやって待ってればいいのかわからない。次の人の邪魔にならないように「すいませんね」って感じでいるんだけど。結構長いんだよね、あれ。村瀬:以前は作り置きしていましたが、いまは作りたてをていきょうするので待ち時間が長いんです。昔は「モスバーガー」が作り置きをしないというのが新鮮だったんですが。待つ時間のスタイルはどんな感じがいいでしょう?東海林:まず、こう腕組みして。村瀬:壁のメニューを眺めたりして。東海林:うなづいたりしてね。村瀬:東海林さんは、西荻窪に事務所を構えてどれくらいですか?東海林:50年くらいですね。村瀬:その頃は、このあたりにチェーン店はなかったですか。東海林:全然なかった。あたとしたら「養老乃瀧」だけど、他にそういう店がないし、チェーン店って言い方はしなかった。村瀬:ああ、そういう概念もないですね。東海林:「他にも同じ系列の店があるようだ」と。村瀬:チェーン店という概念が広まったのは、ファミリーレストランができてからですかね。養老乃瀧の創業自体は38年。昭和38年かと思ってたら、なんと1938年。日中戦争の頃ですよ。養老乃瀧の牛丼って食べたことありますか? 80年代頃、昼に出してたという。東海林:もっぱら牛丼でしたよ。村瀬:やっぱり! ぼくが子どもの頃、牛丼といえば養老乃瀧で、それが憧れだったんですが、やめちゃったんですよね。それが去年、一部の店舗で復活したので食べに行ったら、味は普通でした(笑)。東海林:西荻窪には牛丼屋が三軒あるんです。最初にできたのは「松屋」で、ずっとそこへ通っていたら「吉野家」ができて、それから「すき家」もできた(すき家は現在は閉店)。村瀬:どこが一番好きですか?東海林:吉野家です。ちょっと他と違うんだよね。村瀬さんは?村瀬:僕も吉野家です。吉野家の七味が大好きで、とにかくたくさんかけます。東海林:村瀬さんの本を読んで初めて、そういう食べ方もあるのかと思いました。みんなやってる?村瀬:僕が極端なんです(笑)。でも、人気があるようで、最近は吉野家の通販サイトで買えるようになりました。東海林:吉野家の牛丼は味に深みがありますよね。なんだろう、ワインが入ってるせいかな?村瀬:白ワインがベースですね。あと、やっぱりあの肉じゃないと出せない味なんでしょうね。BSE問題でアメリカ産牛肉が調達できなくなった時、他がオーストラリア産に切り替えて牛丼を出す中、吉野家は牛丼を出しませんでした。東海林:偉いですよね。村瀬:今ある日本の牛丼チェーンって、すべて吉野家から始まっているんです。すき家の会長はもともと吉野家にいた方ですし、松屋の会長も吉野家に影響されて始めたんだけど、吉野家の牛丼をリスペクトするあまり、牛丼という呼び方を避けて「牛めし」と呼ぶようにしたと聞きます。
2024.02.23
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図書館で「中国、モンゴルの砂漠を訪ねて」という本を手にしたのです。当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。【中国、モンゴルの砂漠を訪ねて】 大谷和男著、風詠社、2020年刊<「BOOK」データベース>より砂漠には人を惹きつける不思議な魅力がある。高さ500m超の砂山、彼方まで続く地平線、砂の世界に浮かぶ湖、満天の星、美しい日の出、動物が描かれた岩絵…。バダインジャランの雄大な自然に魅せられ通い続けた砂漠歩きの記録。<読む前の大使寸評>当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。rakuten中国、モンゴルの砂漠を訪ねてまず「Ⅱ章」で、内モンゴル自治区の砂漠を、見てみましょう。p75~85<1 トングリ砂漠(2016年)>■(1)はじめに 2014年5月にバダインジャラン砂漠、2015年5月にタクラマカン砂漠探検を敢行した。バダインジャラン砂漠では、砂まみれになり砂漠を歩き、美しい湖を眺め、標高差250m程度の砂山を登るのも大変で大汗をかいて登るなどの体験ができた。タクラマカン砂漠では、新疆ウイグル自治区での行動の不自由さはあったが、ケリヤ人の郷を訪問することができた。 今回は、政情が不安定な新疆ウイグル自治区は避け、バダインジャラン砂漠近くの内モンゴル自治区のトングリ砂漠へ行くことにしたが、今回はいつも私の勝手な旅を手配してくれている旅情中国の〇さんに中国人のツアーに入ることを勧められ、中国人のツアーに入ることにした。上海駐在員時代に中国の会社の社内旅行で団体で中国人と旅をしたことを思い出し一抹の不安を覚えたが、たまにはこういうのも面白いだろうと開き直り出かけることにした。中国で4番目に大きいトングリ砂漠を中国人達と歩いてみるという旅に出た。■(2)トングリ砂漠ツアーの構成メンバー(大谷以外は全て中国人の総勢78人のグループ)(ドクター、カメラマン、コックを含む、30名、40名の2グループ、トラック1台、4WD車3台など記されているが、詳細は中略)■(3) 行程(4/29~5/7 詳細は中略)■(4) 行動の記録 2016・4・29 上海 今回は一人旅だが、砂漠では中国人の集団に入ることになる。また、後半は上海駐在員時代に住んでいた上海・青浦区のホテルでゆっくり過ごすことにしている。思えば中国勤務から帰任して8年の歳月が経っている。もし今年3月に会社を辞めていたらこのGWに中国に行くことはなかったであろうと思うと、これが中国へ行くのも最後かもしれないと思ったりもした。(中略) やりたいことは、何事も後回しせずに、できるチャンスがあるときに実行しておかないと後悔することになると思いながら日本を出発した。(大きく中略) 2016・4・30 銀川 トングリ砂漠は内モンゴル自治区だが、銀川は寧夏回族自治区になる。 (中略) 朝7時過ぎに食堂に行くと混雑している。よく見ると、これから砂漠に行くような格好をしている人ばかりだ。若い人が多いし女性も多い。トングリ砂漠は人気で砂漠ツアーは流行っているのかもしれないと思った。中国人は自然よりも人工物が好きだと思っていたが、最近変わってきたのであろうか。 10時にこのホテルのチェックアウトを済ますと、温さんが隣のホテルから迎えに来てくれた。隣のホテルへ移動すべく温さんと隣のホテルへ行ってみるが、何と隣のでは日本人を泊められないらしい。日本人だけが泊められないのか外国人全てなのかよく分からないが、これもよくあることである。結局、元のホテルに戻った。 (中略) 人民広場は地図を見て予想したより遠かった。やっと人民広場に着くと、人民広場の広さをまず漢字たが驚くべきことに毛沢東の像が立っていない。寧夏回族自治区の回族のリーダーと毛沢東が握手する像が立っているのではないかと予想していたが、ただ広い広場では凧揚げをしている人がいるだけだった。 人民広場は面白くなかったが、近くに博物館を発見。博物館で勉強することにした。入場は無料で、区の中心に位置する大きな規模の博物館では無料というのも珍しい気がした。歴史に関する部分を中心に見学。やはり黄河流域のこの辺りの歴史は古く、動物等の絵が刻まれた岩や石等の展示、土偶のような写真の展示が印象的だった。漢の時代のものも目立ったが、項羽と劉邦の時代は新しいと言わざるを得ない。『中国、モンゴルの砂漠を訪ねて』1:タクラマカン砂漠
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