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セーフがわやわやしていつので、今日はニュースについて書きます。 とうとう来ました。民主党のサンドバッグ取り換え。誰がなっても同じと言われながら、オレがワタシがとわいわいがやがや。γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ馬さんと鹿さんが並んだショットにはワライました。馬鹿ですねえ。鹿さんは、よその国でいま家を捨てて逃げている人に顔も名前も似ています。お前はらはらさんは出ない方がよかった。これでいい野田さんの邪魔になっています。なにも少ないエサを取り合いしなくたって…… どうせサンドバッグです。みなさん一番肝心なことを考えなければいけません。あの大きな看板の分裂マークです。あれはどう見ても、分子が分裂するところにしか見えません。誰が作ったのでしょうか? 悪い人です。私の予想では、これでいいノダさんですねえ。姓名がいいだけのことですが……
2011.08.27
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セダンの助手席に乗れると思いましたが、腰と背中が痛いので、シートにまず座ってから前を向くのが難しく、うしろへ乗ることにしました。 ショータンが開けたドアを持っていてくれました。車椅子からそろっと立ち上がって、シートに腰をかけ、手でうしろへ体をずらし、右足、左足、と入れるのがなかなかのことで、5、6分もかかりました。 階段が昇れなければ、玄関の廊下に布団を敷いて貰って寝てもいいかと考えました。「入院せんでもええと聞いて、おれがほっとしてるねん」 病院の暗い駐車場から川沿いの道へあがって、東へ500メートル、北へ入ってすぐ東へ曲がると家です。 乗るよりは降りる方が少し簡単でした。杖にしっかり縋って、ゆっくりゆっくり歩き家へ入りました。11時に17分前でした。「ここへ布団敷くんか?」「トイレへ行くとき、起きられへんね。やっぱり、ベッドまで行くわ」「そうしい」 まず、濡れたものを着替えなければなりません。私の部屋から取って来てと言っても、ショータンには判らないだろうと思いました。洗面所でタオルを濡らして身体を拭いて、バスタオルを巻き付けました。体が屈められないから、膝下ストッキングを脱ぐことができません。ショータンに、脱がしてと頼みました。頼めばしてくれますが、頼むのはきらいです。 1段づつゆっくり階段を上がって、パンティーを出して穿き、昨日着ていたワンピースを着て、また階下へ降りました。 ショータンが毎晩自分の部屋へ持って行くお茶のポットには、自分で大きなボトルの麦茶を移してもらいました。「痛みが2、3日も続くようやったら、骨折かも知れんと言うてたぞ」「私にも言うてはった」「股関節いためてることもある、て……」「股関節なんか、痛い言うてへん。ミゾへ縦に落ちて上向きに沈みかけたのに、なんで、股関節がどうかなるのン」「なんも判れへん医者や」 腰を触ってみるとかなり熱を持って腫れているようでした。20センチ四角の綿花に家伝薬ペース状をナイフで塗り、一番痛い左腰に貼ってラップで覆い絆創膏で止め貰いました。その綿の上方と下方に病院の貼り薬を貼ってもらいました。 怪我や病気をした時、いつも(うちは薬があってよかった)と思います。無い人は、処置なし医者にかかった時どうするのでしょうか? 雨戸を閉め、ポットを持ってショータンはさっさと二階へあがって行きました。 またそろりそろりと階段を上がりました。ベッドに横になるのがひと仕事でした。枕からお尻の位置を目測して仰向けに寝ましたが、枕に5センチほど肩が乗ってしまったので、服を引っ張って引っ張って「いたいいたいいたい」と言いながら1センチづつ下がりました。上向きより横向きの方が腰が楽かも知れないと思いましたが、右へも左へも向くことが出来ませんでした。
2011.08.26
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「座薬を出しておきましょう」「座薬!? 座薬は要りません。大して効きませんから」「そんなことない。痛みを止めるのは座薬が一番ですよ」「前に、膝の手術したとき、座薬でしたけど、全然効きませんでした」「手術のあととは違いますよ」「要りません。飲み薬で結構です」「鎮痛剤。二日分。と、座薬3つ、出しときます」「座薬は要りません」 女技師は私を車椅子に移動させて、「そんなこと言うてたら、座薬入れますよ」と言いました。「え? 要りません。貼薬、ください」 女技師が車椅子を部屋から出そうとしますので、「この痛いとこ、青染んでないか、みてください」とドクターに言いました。 技師が服を巻くってパンツの後ろをちょと下げ、ドクターがさっと見ました。「なんともなってないです。ちょっと擦過傷があるだけですね」 昔の田舎の外便所みたいな暗いところで、さっと見ただけで青染みが判る筈ありません。ザクッと傷があるとか、血がブクブク出てるとかでなければ、怪我とは思わないドクターなのでしょう。内科医か眼科医かも知れません。 女技師は玄関ロビーまで押してくれ、「此処で待っててください」とどこかへ行ってしまいました。暗い廊下の長椅子に、40前後の男性がしょんぼり座っていました。救急車で来た人の付添でしょう。 ショータンが、私のショルダー・バッグを肩に掛けて入って来ました。「済んだんか?」「うん。バッグの中に保険証あるから、支払して来て」「救急車、南大阪病院や言うたのに、こんなとこへ連れて来て、送ってくれるのかと思たのに帰ってしもた。一晩病院に泊めてもうた方がよかったんや」「入院するほどのことはないみたい」「そうか。……あの車に乗れるか?」「無理。なんにも処置してくれてないもん。セダンと換えて来て」「セダンやったら、乗れるか」「車椅子に座れたから、乗れると思う」 ショータンは支払をして、車を換えに出て行きました。南大阪まで行っていたら、着替えを取りに行ったり来たりするだけで1時間ですから、この病院の良いところは家の近くであるということです。ショータンが出て行くとすぐ事務員らしい若い男性が来て、「薬です」と袋を手渡してくれました。あんまり薄いので確認すると、座薬の袋と一日3錠の鎮痛剤が2日分だけしかありません。「貼り薬も言うたんですけど。貰って来てください」 男性はドクターの部屋へ行き、すぐに戻って来ました。小型の貼り薬が1袋だけでした。痛い所にビターッと貼れば、今夜の分だけで明日は足りません。うちの家伝薬で湿布するしかないようです。
2011.08.24
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ショータンが軽トラのライトを点滅させていたらしく、救急車はまっすぐやって来ました。川沿いに来たので軽トラの前へ駐まり、私には見えませんでした。「頭は、怪我してませんか?」「頭は大丈夫です」「何処が痛いですか?」「腰と背中です」「はい。支えてますから、そろっと寝てください」 頭と背中を支えてもらって、腕の力を抜き地面に仰向きに寝ました。隊員は3人でした。黄色い鉄製の担架を持って来て、私の横でカバッと縦二つに外し、右からと左からと私の身体の下に入れてから一つに合わせました。一人が私の身体に重たい毛布を掛けてくれようとしました。「うしろ半分濡れてますから、これは要りません。この金属、頭が痛いです」「はいはい。そンならこれを…」 いま畳んだ毛布を、頭の下にあてがってくれました。ショータンの車が後ろへ下がり、私の頭のすぐ上まで救急車がバックして、金属担架がレールを滑って頭から車の中へ入りました。灯りも点いてないし、なんの設備もないようです。私の左横に座った人が、名前と生年月日と住所と電話番号を訊きました。「お年は?」 生年月日を言ったのに、年齢も言いました。頭に異常がないかどうかのテストでしょうか。1キロほどの所に紀和病院がありました。節電中か、駐車場も玄関も廊下も暗い病院でした。看護師さんかドクターか判らない緑色の服装の女の人が、迎えに出てくれました。「何処が痛いですか?」「左側の腰……全体に痛いです」救急車の人達も一緒に中に入り、一人がまた、「お名前は? 生年月日は? 住所は?電話番号は?」と訊きました。先に訊いた人も手帳に書いていたのに、本当に頭は普通かどうか、確認しているのでしょう。女の人が言いました。「まず、レントゲンを撮りましょう」 転落事故だから、まず怪我の箇所を調べるのが先だと思いましたが、担架から移動ベッドに移されてまっすぐレントゲン室へ運ばれました。数年前にショータンが救急車で行った病院は、玄関も廊下も電灯がいっぱい点いていましたが、周囲がぼんやりとしか見えないほどの照明です。節電徹底とはいえ、病院がこんなに暗くて大丈夫なのかなあと思いました。 うす暗いレントゲン室で、女の人は背中の下に原版を差し込んで、「はい。息を吸ってェ止めてくださーい」と言って向こうの部屋へ行き、操作しました。 ハワイで車に跳ねられたとき、ハワイの病院のレントゲン技師は、「息を吸ってー。いきをとめてー。いきをとめるのやめてー」と言いました。ほかの日本の病院では大抵、「息を吸って、止めてください」「はい。らくにしてください」と言いますが、この人は「息をとめて……」のあとなにも言いませんでした。上向いたままで4枚撮影して、「はい。おわりました」と言いました。「背中も腰から下も痛いんですけど」「全部撮りましたよ」前から背面もうまく撮れるのでしょうか? よく判りません。女技師はさっさとストレッチャーをドクターのいる部屋へ運びました。レントゲン室よりはほんの少し明るい部屋に、30代ぐらいのドクターがいました。救急車の人達もまだいました。ショータンが80歳だし私は軽トラに乗れそうもないので、家まで送ってくれるのかも知れません。「どんなように落ちました?」「左足を踏み外して水の中に浸かって、それから辷って、斜め上向きに……腰から下、全部濡れてます」 夏で幸いでした。ショータンは何処へ行ったのか、救急車に乗る前から姿が見えません。落ちた処から家は近いので、着替えを取りに行ったのかも知れません。まさか…「はい。はい」 ドクターは、レントゲン写真を見ただけで、痛いという箇所は見ませんでした。「骨に異常はないようですが、もし、何日も痛みが続くようでしたら、ここに写っていないところが骨折している可能性もあります」
2011.08.22
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電車の中やホームで、浴衣を着た若い女性をかなり見ましたけど、みんな花火見物で橋本へ行ったので、この駅で下りる人がいませんでした。 タクシーの列の後ろで向こうから来る車を待っているのも、私一人でした。15分ほどして、ショータンは簡単に私を見つけてすぐ前まで来ました。8時に少し前でした。私が大阪へ行く時はいつも、駅まで迎えに来て貰って、夕飯は外食ということになっています。食事代は、タクシー代の代わりに私が持つわけです。いつもより2時間遅い夕飯になりました。この駅の周辺では、マクドナルドと小さな中華料理屋しか知りませんので、橋本まで戻りました。24号線を突っ切って南へ行くと、紀ノ川です。 24号線沿いにはかなりの飲食店があります。家はこの交差点から西南の方なので、ショータンは西へ曲がりました。東の方にもいろいろありますが、西へ行くと中華料理屋が5軒と回転寿司屋と牛丼屋と焼き肉屋があります。1番近い回転寿司屋がガラガラでしたので、入りました。花火が終わるとまた大勢来るのでしょう。 食べ終わって外へでると、駐車場から花火が見えました。でも、家の近くのアパートの二階の通路からの方がもっとよく見えます。アパートの前で下ろして貰うことにしました。 軽トラは、そこから更に西へ行って、田んぼの方へくだりました。田んぼの中の4メートル農道は、花火がよく見えました。それで、アパートの二階へ行くのをやめて、「ここで写真撮るから下ろして」と言いました。「コワイないか? ヘビ、出るぞ」「怖いない」 カメラと杖だけ持って軽トラから降り、ドアを閉めて、2歩歩いたら左足が宙に浮きました。踵が付いたのは、1メートルほど下の水の中でした。身体が半回転して、まっすぐ暗い空が見えました。田んぼの水路へ落ちたのです。右手だけで、いま踏み外した縁に掴まりました。左脚は溝そこを踏まず、ずるっと滑りました。右足より先に、お尻が水に浸かりました。右の腕は、この間脚立ごと倒れてひどく打ったので、這い上がる力がありません。「あー! 落ちたァ。落ちたァ」 ショータンが、車から下りました。「どこにおンねん?」 ずるずると仰向けに下へ落ちていく私を見つけて、ショータンは手をつかみました。水路の両縁に足を置いて跨がれば両脇から手を入れて引っ張り上げられますが、そんなに幅は狭くありません。「あんたも一緒にはまるよ」「そうや。……待てよ」 どうやったかよく判りませんけど、ショータンはどうにか私を道へ上げてくれました。「立てるか?」 立とうとしましたが、腰や背中が痛くて立てません。川へ落ちなかった杖を拾って支えにしてと思いましたが、座ることもできません。ショータンは後ろへ回って、抱え上げようとしました。「いたい、いたい、いたい」「どこが?」「どこか、いっぱい……」「どうする?」「救急車呼んで。ケイタイ、バッグのファスナーの付いてないとこに入ってる」 ショータンは、ファスナーをあちこち開けています。「ファスナーの付いてないとこ」「あ。あった。どないして掛けるねん?」「そのまま数字押したらえねん」「アタマ、打ってなくてよかったナ」 どうにか電話が消防署へ繋がりました。「……紀ノ川の北側の田んぼの真ん中の道です」 道の上に寝るのは背中が痛いし、座るのは腰が痛いし、足を延ばして両腕で斜めに上半身を支えて、救急車が来てくれるのを待ちました。「うちが車降りてから、あんたがすーっと行ってしもてたら、おしまいやなあ」「おしまいや。底へ落ちたら30センチの水で溺れる」「呼んでたん聞こえた?」「なんかヘンやなと思てドア開けたからな」 北の方を向いて座っていたので、お月さんも花火も見えませんでした。十五夜でなかったら、真っ暗な道です。道の小石を抑えて上体を支えている手の平が痛いので、手の下に敷くものを取ってと言いました。軽トラの荷台に、パンフレットやチラシ類がある筈なのに、ショータンは布の買い物袋を一つ、持って来てくれました。「もう一つ」 手が二本あること、なんで解らないのでしょうか? 10分以上経って、救急車の音がしました。
2011.08.21
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8月15日は紀ノ川花火大会があるので、5時から8時まで駅周辺の道路は通行止めです。地下鉄は“なんば”で降りて南海に乗り換えるのに、うとうとしていて動物園前まで行ってしまいました。 “なかもず”まで行って南海に乗り換えてもいいのですが、それでは絶対に座れないので、地下鉄を乗り換えて“天下茶屋”へ出て、南海に乗ることにしました。“天下茶屋”から“動物園前”へ行く電車に乗るのはエレベーターを使うので歩く距離は短いのに、この反対はずいぶん歩かなければなりません。 南海のホームへ来ました。入ってきた電車は各停“河内長野行き”でした。空いていたから乗りました。河内長野で降りて、次に来るのは“林間田園都市行き”とあります。橋本まであと2駅なのに、ケチなダイヤです。20分も30分も電車待ちばかりでは、いつも6時前に橋本に着くのに、8時を回りそうです。橋本駅は花火見物の人で混雑しているようだから、「林間田園都市まで迎えに来て」とショータンに電話しまた。 林間田園都市駅の外へ出てびっくりしました。駅前まで車は乗り入れられないようになっているのです。この駅で待ち合わせるのは初めてで、どこで待ったものかと思案しながらタクシー乗り場まで行きました。車の外へ出て話をしている運転手さんに訊くと、タクシーの一番後ろで待つしかないということでした。 ずらーっと一列に並んでいるタクシーの一番後ろまで行きました。腰掛ける所はありません。ショータンが来る向こうの道から、立っている私が見えるでしょうか? ちょっとした失敗で、人の運命というものは変わってしまうものです。なんばで地下鉄から南海電車に乗り換えなかったのがあとのタイヘンになろうとは、この時予想もしませんでした。-------続く-------
2011.08.18
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15日。母の100歳誕生日でした。 母の身内は甥も姪もその子供たちもみんな死んでしまったから、私と姉と、孫(姉の娘)とひ孫だけが集まりました。お盆だから、生まれてから1度も祝ってもらったことがないという誕生日です。100年目の初誕生日会です。 お寿司パーティかなあと思っていましたが、もしかしたらお昼はみんな集まらないから、食べるものは無いかも知れないと、バスに乗らず電車で行って、駅前商店街を通りました。昨年も15日に行って、商店街が休みだったということをすっかり忘れていました。 開いているのは靴屋と雑貨屋と八百屋と和菓子屋と肉屋と本屋だけでした。 商店街の外れのお饅頭屋で、赤飯2パックとおはぎと葛餅を買いました。 姉が来ていました。母はいつものように、ベッドの端に腰掛けていました。持って行ったプレゼントを見せました。編んだばかりの夏カーディガンと、13歳女児用肌着2枚と、夏ソックス2足です。母「おおきに。今着る服?」私「ケアセンターへ着て行く服」母「着ていく」私「おかあちゃん、お昼は?」姉「ヘルパーさんが来て、なにかしてくれはる」私「お姉ちゃん、お赤飯食べる?」姉「カップヌードル、食べる」母「あんたら、お寿司頼んだらええねん」姉「マミやユーくんや、みんな来てからにするわ」 私は、葛餅を一つだけ小皿に乗せて、母の前へ置きました。 私はおかずなしでゴマシオを振りかけた赤飯だけ。姉はストックのカップヌードル。母は葛餅ひとつ。侘しい誕生日です。姉「先週、ケアセンター休んだから、お風呂10日も入ってないねんて。今日はユークンが入れてくれ ることななってるねん」私「うちの裏に、訪問入浴専門のケアサービスあるけど、この辺はないのん?」姉「無いと思うわ。センターへ連れて行くしか仕様ないみたい」 1時にヘルパーのH口さんが来て、「お誕生日おめでとうございます」と赤いリボンのついた可愛らしい紙バッグを母に手渡しました。「ありがとう。そこへ吊っといてください」姉「折角くれはったのに、開けてみんと…」母「あ、そう」H「開けてください」 母は誕生日に祝って貰ったことがないから、バースディ・プレゼントを知らないのです。紙バッグには小さい洋菓子が4個入っていました。姉「食べるもんやのに、吊っといたらあかんやん」母「ああ。珍しい、美味しそうなお菓子…。ありがとうありがとう」 H口さんはにこにこしました。母は仲人さんを36年していて、毎年お中元お歳暮が山ほど来ていましたが、洋菓子類はいつもマミが持って帰っていました。私も姉も、わざわざ買って行ったことはありません。 2時前に、マミが次男のハルクンと一緒に来ました。ハ「おばあちゃん。誕生日、おめでとう」母「ありがとう」私「あ。うちもお姉ちゃんも、おめでとう言えへんかった。マミも言えへん。ハルクンだけや」H「私も言いましたよ」姉「そうや。よう覚えてくれてはって----」私「それにしても、市役所はなんにもくれへんねえ」 私が持って来た赤飯と、昨夜のおかずの残りで母にお昼を食べさせて、H口さんは帰って行きました。 姉とマミが、お風呂の用意をしました。ユークンはなかなか現れません。ハルクンは愛用のカメラで母を撮り、持って来たパソコンに入っている写真を見せ、マミは編み物の話。姉はカメラの話。わいわいがやがや。母は大方聞こえないから、いつものように昼寝です。 4時。「もう帰るわ」と帽子を被った時、ユークンが彼女を連れて来ました。夕方のヘルパーさんも来て、みんなでおばあちゃんと並び、カメラのシャッターを切って貰いました。 そのあとすぐ、私は姉の車に乗せて貰い、マミはマミの車でハルクンと帰りました。お寿司パーティはなしでした。国からのお祝も無しでした。 8月15日の特筆すべき出来事は、このあとです。
2011.08.17
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土曜、日曜になるとお墓までの道が渋滞するので、今日行ってきた。 それでもお昼を20分過ぎた。普通、お昼までに着くのに、やっぱりのろのろだったらしい。私はいつものように半分寝ていたので、のろのろかどうか知らなかった。 明日からお盆なので、来ているところはまだ少ない。土かりかりで草ぼうぼうだった。 暑い暑い。家を出るときから暑かったけど、草むしりをしたらすごい汗。40年通っているけど、今までで今日が一番暑かった。 私一人になったら、お墓には来ないよ。
2011.08.12
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糸巻き器が壊れたので、ラクテンで買った。1300円余りして、高ァいと驚いたけど、壊れたのは50年も使っていたのだから、世の中変わって当たり前だ。しかし、糸巻き器の構造は全然変わっていない。びっくり。 すぐに使うからと、テレビの前の私の椅子の背もたれの後ろに置いていた。ところが1週間の使わなかったので、ショータンがケty都バス頃だと思って片付けた。 さて、その糸巻き器を何処へ仕舞ったか思い出せなくて、昨日探し回った。階下の物入れ。私の部屋。毛糸の籠の中。サマーヤーンの箱の中。ロッカー。二階の押し入れ。袋戸棚。袋戸棚の「夏糸 白」と書いた箱を下ろす時、先に箱を畳の上へ投げてから降りればよかったのに、箱を持って降りようとした。重たーい、ぐらぐらする----と思った途端、脚立ごと倒れた。ドスン!! すごい音がした。箱が胸の上に乗ることもなく、頭を打つこともなかったけど、腕が痛い。箱の中には無論なかった。そんなに難しい所へ仕舞った覚えはない。階下へ降りて、ショータンに言った。「さっきドスンて大きな音したやろ?」「うん」「糸巻き器探してんねんけどな。袋戸棚から箱出して、脚立ごと倒れてん」「ふうん」「頭は打てへんかったけど」「おれは、こけたら必ずアタマ打つ」 夜。腕が前へ出せなくなった。上へはなお上がらない。痛い。肩の骨にヒビが入ったのかな? うちのクスリで湿布して包帯を巻いておけば痛みはとれるけど、肩に巻くには幅広の長い包帯が要る。暑いし……。それにしても、あの糸巻き器は何処へ仕舞うたんかなあ。3月に病院で貰ったヤクバンを二枚貼った。 夜中、痛い腕を上にして寝ていても痛い。 朝。もつれ糸を解いて散らばった糸くずをとったブラッシが転がっているので、整理箱の上へ乗せた。あった!。色々の毛糸を前に置いて糸を巻いている女の子の写真がある糸巻き器の箱。なーんや。こんなとこに……。毎日見ていた筈なのに。「昨日打った腕、痛うて前へも伸ばされへんわ」「なにしたん?」「昨日言うたやん。 脚立ごとこけた、って。ドッスンて大きな音がしたやろ?」「ああ。ドッスンは聞こえた」もおっ。「なんで、脚立に乗ってたん?」「糸巻き器、仕舞い忘れて探しててん」もおッ。「ふうん」「昨日一日中探して、見つかれへんかったけど、ここにあった」 と箱を指さした。「これ? これ探してたん? ずっと此処に置いてるやん」
2011.08.10
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今日の国会。自見んのヤツ、すごいカンサンイジメやっていた。「あきかんをたたいてみてもあきのそら」 (笑) なんのことやら…と笑った人もいたようだ。「あきかんとは空いた缶でもありますが、もう飽いた、飽き飽きしたのアキ。飽き菅ですね。みんながアタマ叩いたり足引っ張ったりしています。秋の空の空も空きです。そらっとぼけてなんの変化もない」 かんさんの前で、よくそんな説明が出来ることだ。無礼すぎる。 それでかんさんが大きく見えた。 空き缶を蹴り飛ばしても秋の空。アカンーとも鳴らない。
2011.08.08
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今日は霧雨が時々降っていた。 庭の水遣り、忘れていた。 鉢、からからだろうなあ。 福島のコドモたちが、神戸の招待でプールで遊んでいるニュースがあった。 楽しそうにしている子供に、アナウンサーが訊いていた。「楽しいですか?」「楽しいです。この楽しさを思い出にして、早く家へ帰りたいです」 やっぱり帰るか、あの壊れた土地へ。 あそこはもう見切った方がいいよ。 広島の原爆慰霊祭で、カンさんは何度も何度も「原子爆弾」と言っていた。あの人も、『核』のことがよく解ってないのじゃないだろか? 「福島には、少なくとも5年は誰も住むな」と言えばいいのに。言っても聞かない人は仕方ないとして……。ぬるい。ぬるかん。
2011.08.06
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疲れたからと早く寝ると、早く起きてしまう。睡眠時間平均四時間だから、たまには六時間寝てもいいなと思っているのに、四時間半ぐらいで起きてしまって、ベッドで本を読む。いまベッドの枕元に置いてあるのは、『マルヴェッツイ館の殺人(ケイト・ロス)』。昔はこういうの好きだったから、上下とほか2冊、ロスのものを買ったけど、テンポが遅くて面白くなく、なかなか進まない。階下のテレビの前に置いてある『フロスト』もの(R・D・ウィングフィールド)は目茶目茶面白くて、続け様に3冊読んだ。 ウィングフィールドは老齢になってから書き始め、79歳で亡くなった。ケイト・ロスは教師をしながら書いて、作家になって短く癌(41歳)で亡くなった。 フロスト・シリーズは全部揃えたけど、早く読んでしまって後がないから残念だ。 今日は、母の誕生日にプレゼントする夏のカーディガンを編み上げた。 午後、テレビで映画『黄金の7人』を見ながら、もつれ糸ほどきもやった。テレビも本も面白い面白いのに、ショータンはつまらないつまらないチャンバラものや日本の推理ものばかり見ている。あんなドラマなら、ニュースの方が面白い。 最近、ゲンパツの始末報告、全然しないけど、汚染が広がるばっかりでどうにもならないのだろう。 さあ。これから写真整理。また夜中にかかってる……
2011.08.05
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8月2日「今日は涼しいから、山へ薬を作りに行きたいねんけど」「アメ、降れへんか?」「降れへん」 ショータンは、私の部屋以外にある窓を全部閉めた。私は私の部屋の窓を3センチほど閉め残し、ヴェランダの戸は30センチ開けておいた。 山の家は、またイノシシが来て遊んだ痕があった。裏の崖に張った網が千切られ、石ころや土が下にいっぱい落ちていた。 ショータンは、2枚掛けてあるカマドのシートをガバッと外して隣の方へ投げた。私はいつも、1枚ずつ紐を解いてのける。12年来ているけど、ショータンが準備を手伝ったことは一度もない。 私が、落ちている石や土をスコップで掬ってトナリの領分へ移し始めると、仕事台を家の中から持ち出したショータンは、「そんなことしてるヒマないやろ」と目を三角にして言った。「掃除せな、仕事でけへんやン」「できる」「きれいにして、塩撒いてからするねんから」 ものごとにはなんでも、段取りというものがある。「これ、そっちへ置けや」 仕事台を受け取って、カマドの後ろへ置いたけど、なんのために手伝うのだろう? 珍しいことをして貰うと雨になる。「ほれ」 道具の入って箱も出してくる。「場所作らな置かれへんから、出さんといて」 ショータンはプーとふくれて向こうへ行った。 コンロを二つ出し、容器を出し、材料を出し、いつものように一人で用意した。 材料を調合した容器をコンロに乗せて、椅子に座ったのは10時半だった。 カナカナが喧しく啼いていた。頭の真上の大きな木で、ひときわ大きく啼いた。 ショータンは、周囲に散らばっている杉の小枝を集めて、小屋の前でいつものようにたき火をしていた。ゴミを燃やすほかは、昼寝か散歩するしか能がない。5、6年前、薬に火が入って火事になりかけた時、大声で呼んだけど、ショータンは散歩に行っていなかった。濡らしたタオルを容器の上へ被せて事なく済んだが、大事の時にも頼りには絶対に出来ない。 12時。まだ区切りはつかない。 12時半。家の中を覗くと、ソファに座っているショータンの足だけが見えた。上がって行った。大きな音でラジオを聞いていた。「お弁当、食べた?」「食べた」 ポットと私のお弁当を持って、コンロの前へ戻る。 時々日が射して、暑い。カナカナが静かになった。 出来上がった薬を火からおろし、新しく仕込んだ容器を乗せる。 4時。うす暗くなって、またカナカナが啼きだした。空模様が怪しい。(やっぱり降るかな?) 片付けられるものを急いで家の中へ運び入れた。最後の薬が出来て火を止めたところでポツリと降ってきた。薬をビンに移すのは、軒下でも出来る。 ショータンが立って来た。「雨、降ってきた」 上がり小口に置いたものだけでも向こうへ持って行ってくれればいいのに、ボソッと突っ立って見ている。「今日はアメ降る、言うたやろ」 と言って向こうへ行ってしまった。人足見れば荷が重いと言うけど、人足ならぬただのアシ。 雨脚が強くなってきた。軒下まで降り込む。床に置いたものを奥へやり、軒下のを中へ入れ、上がったり下りたりして、戸を閉めた。 土砂降りだ。もう一つ、火は消したがコンロの上へ乗せたままの容器が心配。 傘があった筈、と探してみたが見つからない。大きなビニール袋を被って庭へ出た。 カマドの中は濡れていたが容器には異常なかった。二つのビンに漉し布を置いた漏斗を乗せて、できたクスリを入れながら道具類を片付けた。ひょいと見ると、注意していなかったビンが容量を超えて溢れていた。「あー。タイヘンやー」 ショータンが見に来た。「お前の仕事や」 もしここで、なにかに躓いて私がひっくり返っても、ショータンは「お前の不注意や」とそのままにしておくに違いない。 5時。雨は小止みになった。カマドの中のコンロはビショビショになっていた。上置きの水を捨て雑巾できれいに拭いて、一つずつ中へ入れ、上がったり下りたりして仕舞った。コンロ一つは5キロある。ショータンが推薦した6キロのバカソージキのことを思えばましか。 2枚重ねてショータンが外したカバーは、びしょ濡れになった紐がほどきにくい。どうにか解いて、カバーを一枚ずつきちんと被せ、ヒモで括った。手伝ってくれない方がよっぽど気分いい。 車の中で言った。「此処あんなに降ったら、家の方も降ってるかなあ」 ちょっとだけ閉め残した窓が気になっていた。東から風が吹いたらベッドが濡れる。ヴェランダから吹き込んだら、オークションで買って未整理の沢山の糸が濡れる。「降ってるやろ。窓はちゃんと閉めといたんやろ?」 閉めなかったとは言えない。 6時前、家へ帰って来た。植木鉢の土は乾いていた。雨は少しも降らなかったようだ。 山で降った雨は、珍しいことをしたショータンのせいだ。 大仕事をしたから、早く寝た。12時に。
2011.08.03
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