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本日の毎日新聞朝刊に、自然や生命、そして技術をテーマに多数の著作を持っておられ、私も愛読させていただいている、中村桂子氏がコラムを書かれてました。その中で、素晴らしい絵本が紹介されてましたので、御紹介しますね。題名は「ちいさいおうち」だそうです。『 静かないなかに建つ小さな家。どんなにお金をくれても売らないぞ。孫の孫のそのまた孫も、ここで暮らすんだ。持ち主は、そう言う。リンゴの木や畑に囲まれ、一日の変化、四季の変化を楽しむ"ちいさいおうち" でも、ある時、周囲に自動車が走り始め、次々と家が建ち、みなが忙しそうになる。夜も明るく、いつ春が来たのか、いつが秋かもわからない。"ちいさいおうち"は、ひなぎくや月光の中で踊るリンゴの木の夢を見る。そんなある日、家を建てた人の孫の孫のそのまた孫がこの家を見つけ、またいなかの丘の上へ運んでくれ、やっと何もかもがたいへん静かになる。』(2004年1月28日 毎日新聞朝刊より一部引用)この絵本、60年くらい前、半世紀以上前に、バージニア・リー・バートンという人が原作を書いたそうです。まさに今現在の世界の趨勢を表してますよね。正直、驚きました。中村氏も、もちろん私自身も、決して科学技術文明を否定し、昔に戻ることを良し、としているわけではありません。ただ、このコラムでも言ってますが、『ひとびとはまえよりもっといそがしくかけあるくようになり、いまではちいさいおうちをふりかえってみるひとさえありません。』私たちは、まださらに忙しくしようとしているんですね。そして便利のために、山を削り、海を埋め立て、道路を建設し、自然を消し続けているんです。このような不自然な、不調和ともいえる、生活の仕方、価値観は、これからもおそらくなんらかの反作用が生まれてくると思いますが、ある意味、今の子供たちの精神状態、子供にまで波及している(昔は成人病と呼んでいた。)生活習慣病、幼児虐待、陰湿ないじめなどなど、もその反作用と言えるかもしれません。いずれにしても、私たちは、「ちいさいおうち」を忘れないようにしたい、というより、感性として、今一度掘り起こしていきたいところです。今日もありがとうございます。
2004.01.28
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★お友達ご紹介★-応援してくださいね!-そこここで御紹介がありますので、そこに書いてないような形で少しだけ御紹介させていただきますね。笑ご出版がらみですので、出版の順番に◆まず後藤芳徳さん 彼はとにかく凄い知識とバイタリティー、そしてどこで鍛えられたのか、素晴らしい胆力をもってます。 なんどか彼としゃべったり、しゃべるのを聞く機会がありましたが、その知識の量、質ともに半端じゃありません。 当然、表面的な知識レベルではなく、本質的な深みを追求されており、例えば彼が紹介してくれる本なんかを読むと、その彼の探求心の凄さの、一端が垣間見え、面白いです。 そんな彼が書いた最新作は『後藤芳徳の「モテる!」成功法則』。◆次は平野秀典さん 彼の御紹介に、もはや言葉は要りません。 多分、これから彼は、彼がそこにいるだけで熱い、という存在になっていかれるでしょう。 彼のデビュー作は、『儲けを生みだす表現力の魔法―感動は設計できる 』です。 いずれも、アマゾンで御購入いただければ幸いです。 人間観察にはかなり慎重でうるさい(笑)、私が自信をもって御紹介させていただきます。 ありがとうございます。---------------------本文はこちらから---------------------『 妊娠中は、たくさん栄養をとればよいというものではありません。むしろ、たくさんとりすぎて血液の中和ができなくなり、酸性過剰型の栄養失調になっている例も多いのです。 それは酸性の動物たんぱくや、白砂糖、インスタント食品にはミネラル、ビタミンがないからです。血液中和に必要なこれらの成分がないと、血は汚れっ放しで、毒素を出せないので妊娠中毒症状などが出てくるわけです。 そこで、ビタミン剤だ、カルシウム剤だと薬にたよるようになります。しかし、薬には現代の知識でわかっているものしか入っていません。それも天然自然のものと違い、人工的なものですから、生命力は違ってきます。 自然の食べ物には、まだ栄養学でわかっていない成分もたくさん含まれているのです。ですから、自然の食べ物が、胎児にとってもどれほど大切なものかわかりません。』(心を育てる子どもの健康食 東城百合子著より引用)今は、魚なんかでも天然物と養殖物ということで、食べ比べると全然味も違いますよね。厳密には知りませんが、おそらく栄養価も似て非なるものでしょう。つまり、昔と比べて、野菜などでも大量生産発想から生まれた作物は、数十年前の農作物より明らかに栄養価が落ちてます。ですから、食材は無農薬もの(これもあやしいものも多いそうですが・・・)などを摂った方がベターですが、そうじゃなくても、天然自然の食べ物はやはり価値があるのです。なぜなら、上記引用文にも書いてありますように、まだまだ、現代栄養学でも解明されてない栄養素を、天然自然のものは含んでいるからです。つまり、はっきりと分析されている栄養素以外にも未知の栄養価を持っている可能性が非常に高いということです。健康食品や薬は、分かっている栄養素だけしか入っていない、という意味でも、過分に頼るのは危険だ、ということになります。あくまでも補助的なものとしての捉え方が大切です。ところで今は年中、ほとんどの野菜が手に入りますので、旬という言葉もあまり使わないと思いますが、今の時期は身体を冷やす野菜サラダよりも、旬の大根なんかを使った煮物がおすすめ、ということになるんです。旬のものは、その季節の氣を一番よく吸収してますから、その季節に必要な作用、冬であれば暖める、などの作用も自然に受け持ってくれるのでしょう。ということで、自然の恵みに感謝!ですよね。本日もご訪問いただき、ありがとうございます。
2004.01.26
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『 最近、本を読む人が非常に減ってきているんですけど、本は何で必要かというとですね・・・・・・ そもそも、必要か、必要じゃないとかいう前に、私は商人だから、余計に強く思うのかもしれないけど、本を読まないで経営者やっているような人って、すごく勇気のある人だなって思うんだよね。 どういうことかっていうと、だいたい利口になるってことは「自分がバカだ」って気がつくことなんですよ。 そして、自分がバカだって気づいたとき、人はだいたい利口になっているものなんです。 ところが人は、自分がバカなんだってことになかなか気がつけない。 でも、そこで頑固頭になっちゃだめなんです。 頭をゆすってゆすって、ふってふって、本を読んだりして知ったことを、頭の中の下の方へ下の方へ落とし込んでいくんです。 そうすると隙間ができてくるから、そこにまた本読んで知恵をいれるんだ。それが読書ってもんなんだよね。』(本調子 総合法令出版 斎藤一人の章より引用)最近、ほんとにごくごく最近のお話ですが、自分がバカだったんだ、って、やっと氣付きました。笑そして、上記一人さんがいわれていることが、非常によく分かるようになりました。それにしても、下に落とし込んたら隙間ができる!っていうのは、わかりやすい表現ですよねー。結局は、一人さんのように、簡単で誰もが分かる表現ができる人が、智慧ある人と言えるんでしょうね。それと一人さんもよく言ってますが、いい本は何回も読んだ方がいいですよね。いい本はそんなに多くはないかもしれないですし、人によって響く本は違うと思いますが、良書は最低3回くらいは読むべき、でしょう。速読で右脳を使って読むのも大切だけど、繰り返し、3回と言わず、暗唱できるくらい読むと何かが変わりそうに思います。多分、その本から得られる結果の差が歴然とするのではないか、と推定してます。私もチャレンジしてみますので、あなたも是非一度試してみませんか。今日もご縁をいただき、ありがとうございます。
2004.01.22
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『 古代ギリシャの学者たちは、宇宙の霊気が呼吸によって生物の体内に入りこみ、それで生命があるものと考えて、それをプイノマと名づけたというが、そのプイノマとはもともと呼吸を意味する言葉だという。スピリット(精神)という言葉も、元来はラテン語のスピロすなわち息をする、という言葉から出たものだともいわれている。 わが国でも古来「息」と「生」は同音であるとともに、同義だと考えられている。「古事記」などに「息長」というような名が出てくるが、それはいのちの長い意味に用いられている。「長生き」とは「長息」のことだというのもおもしろい。人間の呼吸回数は一分間におよそ十八回だそうだが、主として腹筋を利用し、腹圧を媒介とするいわゆる丹田呼吸を行って静座すると、早い人で一分間に五、六回、少し長くとつとめれば二、三回ぐらいになる。呼吸回数の少ないことは一回の呼吸の長いことだから、それだけ長息--長生きするというわけであろう。』(剣と禅 大森曹玄著より引用)呼吸は、現代人が最も注意しなくてはならないところでしょう。これだけ時代の進むテンポが早いと、そのテンポに合わせて呼吸が浅くなりがちなのもうなずけます。一昔前だったら、ご挨拶もお手紙やハガキで三、四日、まぁ一週間くらいかかってもご丁寧なかただ、ということになったのですが、今はEメールがありますからね。即座の返信、ご挨拶が求められることがほとんどでしょうか。上記引用文、わかりやすいので、もはや説明の余地もないですが、ストレスや疲れがたまる前に深い呼吸をゆっくりとやる習慣をつけることをおすすめしておきます。ポイントは、上記にもあるように腹圧、腹筋を利用することです。私もこのところ若干呼吸が浅くなってました。深い呼吸を意識して行うと、ホントてきめんに体調が変わりますのでお試し下さい。本日もご来訪ありがとうございます。
2004.01.19
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『「私はこの道場で三十年も稽古をしていて暗い時でも的がどの辺にあるかは分かっているはずだから、一本目の矢がまん中に中(あ)たったのはさほど見事な出来ばえでもないと、あなたは考えられるであろうそれだけならいかにももっともかもしれない。しかし、二本目の矢はどう見られるか。これは私から出たのでもなければ、私が中てたのでもない。そこで、こんな暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。それでもまだあなたは、狙わずには中てられぬと言い張られるか。まぁ私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持ちになろうではありませんか」』『「中てようと気を揉んではいけない。それでは精神的に射ることを、いつまで経っても学ぶことができない。あれこれと試してみて、なるべく多数の矢が少なくとも的の枠の中に来るようにする弓の持ち方を考え出すのはたやすいことである。あなたがもしそんな技巧家になるつもりなら、私というこの精神的な弓術の先生は、実際に必要がなくなるでしょう。」』(日本の弓術 オイゲン・ヘリゲル述より引用)オイゲン・ヘリゲル氏が、師から「的を狙わずに射中てよ!」という指導に対して、どうしても得心できなかったころのお話だそうです。師が暗闇のなかで、一本目の矢を裂くくらいに二本目の矢を命中させるという、信じがたい実践例をもって、ようやくヘリゲル氏は、「これは信じるしかない」と観念し、そこから本当の意味での弓術の熟達への道が始まった、と書かれています。非常に深い内容なので、武道なりの達人の域に達しているわけではない、私が本来書ける内容ではないのですが、このような精神が日本にはあるんだ、ということをお伝えしたくて敢えて触れさせてもらいました。時代的には昭和の初期のお話ですが、欧米人には理解しがたい、素晴らしい精神性を日本人は持っているのです。それは弓術で言うと、的に中たる確率を上げる、という確率論的なお話ではない、ですよね。「信じて修練すれば、狙わなくても必ず中たるんだ!」という確信の世界を、ヘリゲルの師阿波研造は言われているのです。でも欧米の合理的な精神からは、狙わないのに中たるはずはない、となります。言語化するのは少し難しい内容かもしれませんが、行間を捉えるとか、言外のことを汲み取るというような、深い精神性、国際的にはわかりにくい、と言われる感性を、私たち日本人が伝統として受け継いでいることに対して、もっともっと誇りに思ってもいいのではないでしょうか。今日もありがとうございます。
2004.01.16
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『 ゆずり原(山梨県にある地名)を訪れたイギリス人の学者は、この村の歴史をこう語った。 「日本人は本来、貧困、粗食、重労働に耐えてきた民族だった。それがゆずり原の長寿のもとになった。80代まで元気に畑仕事を続け、ある日太陽の下で大往生をとげて人生を終わるという幸せは、こんな習慣によってもたらされたんだ」 だが、人々の健康は昭和29年にこの村にバスが開通したことによって崩れていく。畑から食卓へ直通の「身土不二」の粗食は、町から運ばれてきたハム、チーズ、インスタント食品へと変わっていった。「米の粒をたらふく食べて死にたい」という戦前のゆずり原農民の悲劇が近代食と共に達成された時、皮肉にも中高年層の成人病が始まったのだ。』(生活大国イギリスの知られざる習慣 井形 慶子著より引用)決して懐古趣味で言っているのではありません。笑こと食生活に関しては、前にも述べましたように、今一度日本食、日本の風土に合った伝統食を見直すといい、と思います。簡単にできる、揚げ物、チンもの(笑)、インスタント食品、ファーストフードがあると、ついつい忙しいのでそっちへ行ってしまうでしょう。でも、ご飯をしっかり食べ、あと味噌汁に、野菜の煮物1品、お浸し少々くらいのおかずが、日本人という民族の体質には一番合っているようです。ここでは、シンプルイズザベストですね。内臓さんも、沢山の種類の消化、吸収のお仕事よりも、シンプルな食事の方が仕事が楽だろう、と思いませんか。酸化した油ものの処理なんか、いかにも大変そうですよね。たまにはそんな視点で考えてみるのも面白いでしょ!今日もご訪問いただき、ありがとうございます。
2004.01.13
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『 健康診断で異常が出ても、長期で飲む予防薬は止めた方がいい。医者は副作用が出た途端に知らん顔だ。 人一倍健康管理に注意して、まじめに医者の言う通り運動した。摂生し減量し薬も飲んだ。夢を追いかけて生きてきて、長生きしたかったから飲んだ薬。その薬によってこんな体にされ、倒れた。』(私は薬に殺される 福田 実著より引用)最近話題の書なので、ご存じの方も多いでしょう。薬害被害者として、薬害を告発し、今の医療体制がどうしたら良くなるのか、まで提案している良書です。ただ逆に、今の一般認識はやはりこのようなものだということもよく分かりますよね。私が常々言ってますように、「薬に副作用はつきもの」なんです。ですから、その副作用があることを前提に、薬を飲む場合は、できる限り短期間にしたい、わけです。風邪薬なんかでもそうですが、一日三回、何日も飲んでいると体調がおかしくなりませんか。それが「正常」な反応なんです。ある程度健康な人は、薬という人工的な不自然をきっちり感知し、連用すると身体の方でイヤな感じを受け取ります。でも、現代人は多くの人々が、日常生活の中で取っている、化学物質、つまり食品添加物、車の排気ガス、騒音、そして電磁波などの複合汚染とも言える、不自然な環境の中で、身体の感性、感覚が大きく麻痺している場合が多いと推定されます。で、副作用の強い薬を連続服用しても、身体がその害を認識できず、副作用の泥沼に入っていくのでしょう。あるいは、副作用という認識がないために、身体がよくなっていないからもっと飲み続けないといけない、ということにもなるのでしょう!ここで改めてお伝えしておきたいのは、よく例示するのですが、自然な川には浄化作用がある、ということです。一方で、汚染されてゴミ溜めのようになった川は、もはや自浄作用は期待できないのです。つまり一番大切なのは、副作用の強い薬のお世話になる前に、もっと健康について留意をし、身体の感性を上げていくこと、なんです。そうすれば、不自然なことも身体が受け付けなくなり、上記のような複合汚染の害も減り、健康度そのものが上がって行くんです。おわかりいただけますでしょうか。一般認識からはかなりかけ離れているかもしれませんが、私が今事業として実践しているのも実はそこなんですね。まぁ、それでも病気になってしまった場合には、沢山の自然に囲まれた環境で療養するのが一番なように思います。今日もありがとうございます。
2004.01.11
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『73歳定年制により、見識豊かな2人の政治家が引退を迫られたという出来事があったが、考えてみると我々は「スピード」「効率」ばかりを優先してきたように思う。新幹線はどんどん速くなり、プロペラ機がジェット機になって、通信もハガキや手紙がeメールに取って代わった。一方で「スローフード」に代表される「スロー」であることが見直されてもいる。「新しく」はないかも知れないが、これまでの経験に基づく、思慮分別のある行動や独自の歴史観を持つことが政治家として「豊か」であるということではないだろうか。』(月刊 世相1月号より引用)上記月刊誌で竹村健一氏が冒頭に述べられている、言葉です。政治家として、という事で話されてますが、私は一般論としても、全く同感です。最近、アメリカをベースにお仕事をされている方々に少しご縁ができました。その方々が共通して言っておられるのが、国際的に通用するには、「アメリカ的な押しの強さ」が必要、ということのように感じます。確かにそのような面もあるのは事実なのでしょう!国際的な決断の場面なんかでは、白黒をハッキリと打ち出す、ということも大切だと思います。でも、もうそろそろ日本は日本の独自性、独自の文化を世界に今一度知らししめていい、時期ではないかと私は考えてます。戦後、日本は教育から、食、そして生活全般に至るまで、アメリカ的な生活スタイルをずっと追いかけてきました。(そういうレールを敷かれた、と言ってもいいでしょう。)そのスタイルの中に、スピード、効率志向があったんですね。でもそのスピード・効率志向は、地球全体の効率を意識したものというより、それぞれが自分本位の優先志向だったといってもいいのではないでしょうか。その結果として、今の地球の環境は、たった数十年で、大きく破壊されました。そして、私たち自身の健康状態も、昔の人々よりも(いくら寿命が延びても)、生命力という観点では間違いなく落ちています。一方で、ちょうど、上記世相の同じ号の中に記述があるのですが、イギリスは古いものを大切にする、独自の文化を築きあげているんです。築百年(ここが、現在の日本の築数十年とは違いますよね。ものを非常に大切にします。大切にものを使う、というのは、本来日本の伝統でもありますよね!)の家などは、簡単には潰しません。環境保護団体や地域住民が、景観を損ねる、ということで猛反対するのです。日本でも最近はよくある話かもしれませんが、違うのは、反対しても結局資本が勝ち、高層ビルが建っている、ということで、そのような例が私の家の近くで、ごくごく身近にもありました。いずれにしても、日本も古来日本にあった、伝統、精神を今一度見直すちょうどいい時期なのかもしれませんね。単に昔に戻る、というのではなく、戦後、大きく変わったその流れの、いいところはいいところとして咀嚼した上で・・・。今日もご訪問いただき、ありがとうございます。
2004.01.09
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『 植物が私の心を捉えたのは、そもそも少年時代が最初だった。私は島根県で生まれたが、その後、高等学校を卒業するまでは父親の仕事の関係で台湾で暮らしていた。夏休みになるたびに、新高山(玉山)のふもとになる日月タンという湖のほとりに父親が建てた別荘に遊びに行く。周囲はヒノキ林で、その中を歩くたびに不思議な感覚を味わっていた。 まわりの木々が話しかけてくるような気がするのである。もちろん、「こんにちは」などどいう声が聞こえてくるわけではないが、どうしても木立が自然の一部という感じがしない。何を喋っているの分からないものの、何か喋っているという気がしてならないのである。この疑問が私の心によみがえり、植物の研究には意欲的に取り組んだ。』(はじめに仮説ありき シャープ顧問 佐々木正著より引用)技術の先端にいらっしゃる方が上記のようなことを書いておられたので、少し意外に思いました。でも、考えてみたら、植物も、有機物としての生命体である以上、なんらかのコミュニケーションの手段を持っていてもおかしくないですよね。私は技術畑の人間ではありませんが、今世紀は、生命、生命の力というのがおそらく大きくクローズアップせざるを得ないでしょう!これまでは、当たり前すぎて、ほとんど素通りしてきたようなことが・・・。佐々木氏は、どうやら植物は、共振、つまり、葉脈中の溶液の振動によってコミュニケーションを成立させているようだと、説明しておられます。別になんら不思議なことではないですよね。人間が声をベースにコミュニケーションするのと同じです。こう考えると、人間と植物の間でも、声なり、触れるなり、だけでもコミュニケ-ションは十分成立するようにも思えます。これからは間違いなく、以前の常識では笑い飛ばしていたようなことも、科学の力によって解明されていくことでしょう!とても楽しみですね。今日もありがとうございます。
2004.01.06
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『 衆に優れた人物は、運に恵まれていようと見離されていようと、常に態度を変えないものである。 運命は変転しても、彼らは毅然とした精神を保ちつづけているので、他人の眼には、運命もこの人々にはなんの影響も与えないのではないかとさえ、見えるほどだ。 反対に、弱い人間にとっての運命の変転は、表にあらわれてしまう。好運に恵まれたときは有頂天になり、まるで自分個人の力量のためであるかのように得意がる。そして周囲には耐えがたい存在になったあげくに憎まれる。 ところが、ほどなく運にかげりがさしはじめるや、とたんに沈みこんでしまい、卑屈な人間に変わり果てる。』(マキアヴェッリ語録 塩野七生著より引用)このバランス取り、バランス感覚って大事ですよね。昨年、よく話題にしておりましたポーカーなんかやると、上記のような人間の性格が、結構「丸出し」になったりします。(経験された方わかりますよね!?)普段の生活では、もちろん、言わずもがな、でしょう!私も上記フレーズを常に肝に銘じ、調子のいいときも、良くないときも淡々と、そして一喜一憂せずにビジョンや、目標を今年はクリアしていきたいと思ってます。その一方で、調子のいいときの感覚、悪いときの感覚を、逆によく味わっておけば、次に打つ手を直観で進めていくことができる、ということもあります。つまり、一喜一憂するな、ということと、感覚、感性を大切に、ということは同時に重要なのです。感情のコントロールは大切だけれど、その時の感覚を感性として捉えておくと、同じようなシチュエーションが来ても、冷静に、客観的に対応しやすい、ということですね。単に、感情を押し殺してお終い、ということではないんです。ここは非常に大切なポイントだと考えています。今日はちょっと難しい、でしょうか。いつもご訪問いただきありがとうございます。
2004.01.04
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『 人間が学校というフェンスを出ると、そこは、ドラゴンワールド(現実の、悪意に充ちた世界)なわけだ。地球上には三十億だか、四十億だかの人間がいて、おまえはその三十億プラス一の余り者似すぎない、おまえのことなんか誰も関心を持っていやしない、生きていようと死のうと、こっちの知ったことか、みたいな扱いを受けることになる。ある人間がだめになるというのは、そういうことなんだよ。 どうやってそれに対抗するかといったら、やっぱり自分の歌をうたい続けることだと思うね。「うるせえ、おまえのその変な歌をやめねえと張り倒すぞ」かなんか言われて、それでだめになっちゃうことだってあるけど、張り倒されても、まだ歌い続けることだ。 もちろん、ドラゴン・ワールドにあっては、明日の飯代をどうしよう、今日の部屋代をどうしようなんていうわずらいもある。それはしようがないから、思いわずらい、駆けずり回りながらでも、自分の歌だけはうたい続けるわけだ。』(イリュージョン リチャード・バック/村上龍・訳より引用)上記は「かもめのジョナサン」で有名な著者の、隠れた名作だそうです。(今は残念ながら絶版になっているようです。)現実の世界が「悪意に充ちた」とは思わないですが、村上龍氏の名訳により、なんとも言えない文学的、詩的な表現(?)になってますよね。今年は私も自分の歌を歌い続けます。誰がなんと言われようとも。笑それによりインスパイアされる方々のために・・・。本年もどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。
2004.01.01
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