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研修順調順調。それ以前に、一人暮らし順調順調。三日前くらいから、ようやく自炊をスタートした。以前は、一人暮らしとはいえ、外で食べてくることが多くて、ほとんど自炊なんてしなかったんだけど。たまに自炊したりすると、嬉しくてここの日記に書いたりしていました。それだけ私にとっては 自炊すること=スペシャルなこと でありました。いまは(といっても、まだ三日目だけど)、ちゃんと朝も夜も作って食べてる。人はやればできる。後は継続力。継続は力なり。イコール継続力?兄ちゃんに飯のタネは自分で買え、といわれたので、さっそく飯のタネを買ってきた。といっても、まだお給料いただいていないので、それは親から仕送られたお金で買ったものなのだけど。今回の引越し、就職の際には、本当に親に迷惑をかけた。そして、あくまで全面的にサポートをしてくれようとしている親に、本当に感謝。今回のことで、マオフイ家の普通預金、使い果たしたらしい。本当にお金かかったもの。引越しに、就職の用意に。「お金は出してあげるから。だからきちんと社会人になる準備してから四月を迎えなさい。じゃないと、始まってからでは何にもできないでしょ」とのお言葉。あーーーりーーーがーーーとーーー。ちょっと保護欲の強い親だとは思っていたけど、このときばかりは感謝感謝。そして甘えきる私に喝 喝。ところで話がずれたが、飯のタネ。まだ読んでないけど買った本は、・社会人マナー本・社会人敬語本・「まずはこのセリフを口に出せ!!ビジネスハンドブック」←立ち読みしたら、なんかやる気が出そうだった・「7つの慣習」←ビジネス書として、かなり有名てな感じです。前にも書いたかもしれないけど、私は本が好き。しかし、読むのが好きなのではない。だから今回も買ったに満足して、読まずに本棚の肥やしにならないようにしないと。この傾向は浪人時代にもあらわれていて、どの参考書が良書か研究に研究を重ねて買いあさり、一回も使わなかった、という参考書がたくさんあった。大学に合格してから私が買った参考書の額を計算したら、約9万円も使っていた。形を整えてから入ろうとする傾向があるらしい。そしてついたあだ名が「参考書マニア」。受験生にはありがちらしい。今回、本屋に行ってたくさんのビジネス書を前にしたら、あの浪人時代に参考書を前にして感じた興奮がよみがえってきた。「ビジネス書マニア」にならないよう、気をつけなきゃ。(追加)今日、携帯の方に変なメールがたくさん届いた。出会い系とかじゃなくて、何か添付されているメール。当然携帯じゃ開けないものなので、中身知らないのだけど。ウィルスが広まっているのかしら!?
2004.03.30
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今日から三日間、会社でパソコン研修。朝九時から会社に行きました。最近早起きしてなかったから朝起きれるか不安だったけど、ばっちり起きて、しかも朝ごはんまで作って、余裕が見えた。早起きといっても、普通に社会人のみなさんが起きる時間帯とそんな変わりないんだけど。大学生から見れば、立派な早起き。パソコン研修を受けていた時に同期から聞いた話でわかったこと。以前の日記で、「飲み会が体育会系だった」と書いたけど、私の知らざるところで、もっとすさまじいことが起きていたらしい。同期の一人は、飲みながら吐くこと5回。先輩(♂)が女子トイレで吐いていた。同期の一人は、急性アル中で救急車で運ばれ、入院していたらしい(泡吹いたって)。・・・・。言うことなしです。入院していた彼は、無事、今日パソコン研修に来ていました。その病院に運ばれるとき、一人の先輩が付き添ってくれたらしいのだけど、先輩がその同期の家族に電話したとき。「普段はこんな会社じゃありませんから」そんなんで、親は納得するのでしょうか。パソコン研修は、けっこうおもしろい。ワードとかエクセルを今日は習ったんだけど、これを四年前から知っていれば、私の大学でのレポートはもっとマシなものができたのでは。卒業論文は、もっとビジュアル的に素晴らしいものになったのでは。と、ふと思いました。卒論友人に見せたとき、私の作ったグラフを見た瞬間、その友人吹きだしたからね。「これありえないよ」って。今からちょこっと過去にさかのぼって、卒論を書いている私にアドバイスをしてあげたい。後二日間パソコン研修したら、そのまま通常研修へとなだれこみます。
2004.03.29
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家に用があったので電話した。すると、両親とも出かけていたらしく、電話に出たのは兄ちゃん。兄ちゃんには前から就職祝いに「腕時計を買って」と頼んでいたのだけど、ついに入社にいたるまで腕時計は届かず、自分で買う羽目になった。ついでに軽く文句を言うと、「兄ちゃんも忙しくてよ~」と言う。兄ちゃんは営業マン。もしかして私も営業マンになるかもしれない。それは五月の所属が決まるまで、わからないことなのだけど。兄「大変だぞ。お前な、いままでどれだけ自分がぬるい生活をしていたかわかるようになるよ」私「ある程度は覚悟してるんだけどね」兄「お前新人なんだから、最初は寝る時間を惜しんで勉強しろ。兄ちゃんも朝一時間でも30分でも早く起きて、勉強したもんだ」私は東京暮らしだったので、実家新潟暮しの兄のフレッシュマン生活は知らないのだが、母からそれとなく大変そうだったのは聞いた。そのせいあってか、兄ちゃんはけっこう営業マンの中では成績がいいらしい。そういえば兄ちゃんも、根っからの体育会系・・・。私「兄ちゃん、なんか営業マン用の本、たくさん持っていたよね。もう読まないんだったらちょうだいよ」兄「自分で買え。そうやって自分で買って、自分で勉強するのがいいんだ。それが飯のタネになるんだから」なんか納得。そして兄が少し立派に思えた。さすが社会人の先輩。兄「・・・って俺も先輩に言われたんだけどな」昨日は社会の厳しさの一部を目の当たりにして、少しへこんだけど、今日は復活。なんとか粘り腰でいき、早く目標を持ってがんばりたいと思います。ところで昨日の日記に書き忘れたことが二つある。23日の日記、謝恩会の話を書いたんだけど。遅刻をして、それを「大したことなかった」風に書いてしまい、ちづどんから「あれじゃあヘルパーに迷惑かけてないみたいじゃない」とのご指摘をいただきました。この場を借りて、ヘルパーのみなさんにご迷惑をかけたこと、その影響により先生、卒業生の方々皆様に何かしらご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。謝恩会中も、事前のヘルパーの打ち合わせに参加していなかったために段取りがいまいちわからず、他のヘルパーが働いている時に、私だけめっさ料理を喰っていたという噂も・・・・。本当にごめんなさーーい。それから昨日の入社式の話。パーティーでは、新入社員はいきなり一人一つ、一発芸をやれ、と言われた。いきなり言われたものだから、イッキ飲みをする人が多く、他にも倒立をしたり、歌を歌ったりと、ほんとうにサークルみたいになっていた。私も、「次!マオフイ!」と呼ばれて、開場の前のほうへ立たされる。何をしようか何をしようか。二年間学んだ、中国語をなんとか思い出して、それであいさつしようか。それともここは前例にならって、イッキ飲みをしようか。散々悩んだ挙句、大学入学したときのオリエンテーションキャンプで披露した、伝家の宝刀、「皇太子の顔モノマネ」」をすることに決めた。司会をやっている先輩の隣に立って、自己紹介からはじめる。周りはうるさくて、私が話した言葉を先輩が大きな声でリピートして、遠くまで聞こえるようにスピーカー役をしていてくれた。私「マオフイと言います!」先「マオフイさんでーーす!!」私「得意なことはマッサージなのですが、(マッサージは目に見えないので、皇太子の顔モノマネをさせていただきたいと思います)」ちなみに( )の中は、言おうと用意していた発言なのだが、ついに発せられなかった言葉だ。なぜなら先輩の声にかき消されたから・・・・・。先「マッサージやりまーーーす!!」それから「マッサージ マッサージ」のコールの中、申し訳程度に先輩の肩を押す。座って肩を押された先輩。おもむろに立ち上がり、「3! 2! 1! きーーもーーーちーーーいいーーーー!!!」私引きつり気味の笑顔。これでなんとか解放される。先輩のおかげでなんとか形になったけど、そもそもやっぱりなんでこんな体育会系のノリなの?自分の席に戻って飲んでいると、しばらくしてから関西支社の社長がやってきて、「さっきマッサージが得意って言ったのは誰だ?」と聞いてくる。「私です!」と立ち上がると、「ちょっとやってみてくれ」とおっしゃる。そこで、簡単に肩と、テーブルナプキンを使って支社長のハゲた頭をマッサージしてみた。しばらくすると、「これは本当にうまい。本当にうまいよ」と褒めてもらえた。そりゃそうですよ。私の高校時代のあだ名は「マッサ・フイ」ですもの。ってことで、支社長とタッチの間柄になり、チャンチャン。
2004.03.28
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入社式だった。今日、はじめて自分の入る会社の全貌の一部(矛盾してる?)が見えたといえよう。午前から始まり、入社式、その会社の一年の締めくくり会、そしてパーティーと称した飲み会になった。感想を書くと。・とにかく仕事大変そう。それは、もう、聞いて泣きそうになるくらい・根はみんないい人そう・体育会系そう・同期は(特に女の子)仲良くやっていけそう・涙そうそう一応社会人になるからには、ある程度の覚悟をしていたんだけど、それ以上に今日の会で、それ相当の覚悟をしないと、1年持たないのではないかと思われた。つまりビビった。うひーー。ここでひーひー言っている暇もなさそうところでパーティーと称した飲み会、ほんと体育会系だった。男の人は飲みつぶれる人多し。新入社員の人も、トイレに駆け込む人多し。コールは飛ぶし、一発芸やらせるしで、まるで大学のサークルみたいだった。「普段からこんな風に飲み会多いんですか?」と聞いたら、「仕事が夜中まであるから、そんな飲みに行く機会ないよ」とおっしゃってた。カリスマ営業部長がいて、なんだか営業の人はみんなその人を尊敬していて、「カリスマさん(←と命名してみた)みたいなかっこいい男になりたいです」と一人一言いう場のときに、そう言っている人が多かった。そんなわけで、私が入る会社。体育会系です。その会がおこなわれた場所が、たまたま私がアルバイトをしていた居酒屋の場所から徒歩5分くらいだった。パーティーが終わったのが8時過ぎだったので、新入社員の何人かでお茶をして帰る。そして駅に向かう時。ふと、そのアルバイト先に顔を出したくなった。なんとなくうずまく不安とさびしさの穴を埋めるために、店長やバイトのみんなに会いたくなった。顔を出すのは簡単。きっと行ったら店長とかも喜んで迎えてくれると簡単に予想できた。駅に行くまでの道のりの途中でその店があるので、ちょっと店長とバイトの子の顔を見て帰ろうと思ったのだけど。店の前まで行って、やっぱり止めた。なんか今会ったら余計寂しくなっちゃうし、入社式でいちおう社会人になったというけじめがある。アルバイトを卒業した今となっては、いくら店長やみんなが「いつでも来てくれ」とか「困ったことがあったらいつでも言ってな」と言ってくれても、やはりそう簡単に甘えるわけにはいかない。アルバイト先に遊びに行くのは、私の切り札なので、もう少し後まで取っておこうと思った。家に着いてから、着信に親から電話があったので電話をかけなおす。父、母と順番に話す。父から母に電話を換わってもらって、「どうだった?入社式」とやさしく聞かれたとき。卒業してから初めて涙がこぼれた。ようやく実感した。私、卒業したこと。もう学生じゃないということ。自分でがんばらなきゃいけないということ。多くのものとお別れしたこと。そして迎え入れる大きな試練。母親にいたわしげに聞かれたこの一瞬で、ようやくそれら認めることができたような気がします。これからどうなるかわかないけど。早く自分の見通しを立てて、目標を持ってがんばっていきたいと思います。
2004.03.27
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うーん、ひさびさの日記。日記書きたいことがなかったのではなく、逆に書きたい、書かねばならないことが多すぎて、半端な気持ちでキーボードを叩きたくないと思っていたら、あっというまに日にちが過ぎてしまった。このままいくと面倒くさくて日記書かなくなってしまいそうなので、簡単でいいからいまのうちに振り返っておこうと思った。もし、ここの日記が自分的に自分史として残るようなことがあれば、本当にここ最近の数日は、キラキラヒカルデーだったこと振り返る日が来るのでしょう。だって、卒業シーズンだから。卒業は一昨日。なのに、まだ卒業した気分じゃない。なんとなく寂しくないし、実感がわかない。もう明後日からは社会人なのだけど、その実感もわかない。どっちともつかない、こうもりな日々です。今日は買い物を大量にした。というのも、新居の準備や社会人のためのアイテムがまだ全然そろってなくて、かって買って買いまくらねばならないのだ。そのためにお金を下ろして、買って買って買いまくろうとするのだけど。買いたい物を買うのは楽しい。でも買わねばならぬものを買わなければならないのは、非常に苦痛である。今日、スーツ一着買うのにもほんと苦労した。友人につきあってもらい、あーでもないこーでもないと散々デパートを回って。ようやく一着買った頃には、私の精魂は尽き果てていた。本当はバッグも靴も買う予定だったのだけど、デパートの閉店時間に追いやられて、続きはまた明日となってしまった。でも一つだけ。今日買ったもので、買って楽しかったものがある。その名もトゥルースリーパー。訳すと「真実の睡眠者」?低反発のマットで、マットは体にフィットし、点で支えるのではなく面で支えてくれる。快適な睡眠を約束してくれるらしい。社会人になったらお仕事で忙しいし、お金ないしで、私の楽しみってなに?と、なるわけですから、せめて眠りだけは上質なものにしようと。まだ試してないのでなんともいえないけれど、けっこう高い買い物だったので公約を守ってもらわなければ。夜からは一女会だった。(一女会=大学一年のときに所属したスキーサークルで、同期だった女の子たちの集まり)今回は6人中2人が都合がつかず、4人だけの一女会だったのだけれど、学生最後の一女会となった。一女6人中、就職するのは2人だけ。どうよ、この確率。すごいでしょ、一女。しかも、後ろ向きな理由でないところがこの一女ちゃんたちのすごいところです。がんばれ。軽く一杯だけで、あとは食べたりお茶したりして楽しく過ごした。恋愛の話をあーだこーだ話しているうちに、あっというまに時間は過ぎ。こんな付き合いを社会人になっても続けていきたいと思った。とりあえず一年目は私の参加率が一番低くなりそうだけど。やはり今日も最後という実感がわかない。ゆえに全然悲しくない。働き出してから実感が湧いて悲しくなるなら、今のうちに少し味わっちゃっておきたいんだけど。うぉおーーーー、明後日は入社式だ!!
2004.03.25
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昨日の卒業式・謝恩会の疲れが出たのか、お昼までぐずぐずベッドで過ごす。のそのそ起きだして、買い物に出かけた。買い物買い物買い物。根は貧乏人らしい。必要とは言え、毎日こうもお金を使い続けると本当に消費しているのはお金だけではなく、精神までも共に払ってしまっている気がする。とはいえ、心を鬼にして消費消費。絶対いま私、日本経済に大いに貢献している一人だと思う。お金は循環するものだという。だったら早く私のところに戻っておいで。
2004.03.24
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卒業式、謝恩会。ついにこの日がきちゃいました。前日から母親が泊まりにきていて、着付けのために早起きしなければならない私を叩き起こしてくれた。着付けとヘアメイクは会場近くのところでやってもらうので、とりあえずノーメイクで出かける。着付け先は、同じく卒業式に参加する同女子大学生でごった返していた。芋洗い式に、着付けられ、髪の毛を結われ、メイクをほどこされた。袴ってきっと一生に一度しか着ないから、感慨深いものがある。卒業式は、ばったり会ったちづや他の学科の友人と、その母親さんたちと一緒に参加する。会場の席についたときに、私は失敗に気づいた。袴を着付ける時に見栄を張った私は、帯をしめられるときに息を吐いて、腹を引っ込めて着付けてもらった。そこをぎゅっと締められたもんだから、腹回りがものすごいきつい。座っている間、袴を脱いでしまおうかという決意が揺らめきたつたびに、自分の見栄のはりっぷりを後悔した。あのとき、息を大きく吸って、腹をふくらましていればっ!!!半ば気を失うように、卒業式中は寝ていた。ちゃんと見るところは見たよ。学科の総代、ヤスエだとは知らなかった。ヤスエの名前が呼ばれたときは、思わず「おおーーっ!」と隣のちづと目を合わせたものだけど。その後再び息苦しさのため気を失う。大学全体の卒業式が終わって、学科別の卒業式に参加するために大学に向かう。学科別の卒業式がおこなわれたあとは、みんなで写真をぱしゃぱしゃ。みんな先生や友人たちと思う存分写真を撮っていた。私もお世話になった先生や友人たちと写真を撮っていたのだけど。バッハ先生が、写真を撮ってもらう回数より写真を撮っている回数が多いのを、密かに横目で見ながら涙!!バッハ先生とは最初に写真撮っちゃったからな~~。そのあとは急いで着物を返す会場に行って、そして自宅に帰って、謝恩会に出るように着替えて髪の毛も直す。このときすでに思ったより時間がなくなっていて、謝恩会の特別のヘアメイクをしなきゃならんっていうのに、寝坊した時並みのクイックなヘアメイクで自分でも驚いた。だって、私は謝恩会の準備をするヘルパー。みんなより一時間早く会場につかなきゃいけないのに、すでに家を出る時間がヘルパー待ち合わせを一時間過ぎていた。大慌てで家を飛び出し、タクシーを拾う。大出費です。ヘルパーの待ち合わせが16:30。みんなの会場が17:30。開演が18:00。私が到着したのが17:50。大遅刻です。案の定会場についたとたん、ヘルパーたちに「なにやってんの!!」と軽く怒られた。うふ。やってしまいました。大事な日にやってしまいました。でも、ヘルパーたちには迷惑をおかけしたけど、決定的なダメージは与えていなかったらしい。それにホッとして、会場入りする。謝恩会は、みんなドレスアップしていて、普段の友人たちとは違う顔が見れて楽しかった。オッティーにも予想以上に近づけて楽しかった。オッティーを口説いて口説いて、あしらわれてあしらわれて、楽しかった。私「オッティー先生の香水は、『エゴイスト』ですよね?」オ「ああ、奥さんが買って来るんだよ」しっかり釘を刺されて。うーーん、どうしたらこの気持ちが伝わるんだろう。私「先生、今度一緒に飲みましょう。もちろん二人っきりですよ」オ「マオフイの口に食べ物を詰め込んでおけば大丈夫かな」私「・・・。私口にモノが入っていてもしゃべり続けますから(怒)」つれないところがまたいいっすねーー。でも、こんなことももうできないのかと思うと、あたい、さびしい・・・。それくらいかな。卒業式と謝恩会で寂しいと思ったのは。本当に実感がわかない。本当に私たち、もう卒業なの?地方に行ってしまう友人とかもいて、そうなると会いたいと思ってもなかなか会えなくなる。というよりも、友人たちに会えないということよりも、もっと大事なものとお別れしているのだ、私たちは。学生というなんとも生ぬるい、自由で守られている生活と。もっとも手放したくない。とは言ってられない。でも実感がわかないから、きっと社会人生活が始まったらひーひー言うのでしょう。ゆとりがあれば、ここの日記で、ひーひー言ってみたいと思います。
2004.03.23
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追われる日々。ゼミの追いコンがおこなわれた。バッハゼミ第一期生としての追いコン。ゼミ生に会うのが本当に久々だった。三年生はやはり就活が大変なのか、何人かはスーツだった。去年の自分を思い出すぅーー。みんな、がんばってちょうだい。追いコンで、みんなにプレゼントをもらった。それと一緒にみんなから一言ずつ書かれた色紙をいただいた。色紙もらうのって、高校時代に部活の後輩からもらったぶりーー!!。こういう色紙っていいよね。さすがに後に残るものだし、本人に見せるものだから悪口は書かれていない。自分ってこんなにいい人だったのか~、とナルシストにしてくれる最高のアイテムだと思う。「マオフイさんの、ここは直したほうがいいと思う」的色紙は、確かに役立ちそうだけど後味悪いし。本当にみんな、ありがとう。そして追いコンは二次会まで。一次会でも普通に宴会コースを頼んでいたにも関わらず、おなかが俄然すいていたため、二次会も宴会コースでガンガン食べた。おなかいっぱい、幸せいっぱい。二次会終わった時に、「またゼミ飲みに来て下さいねー」と誘ってくれる。「フイさんとはなんだかすぐ会えそうな気がします」私もそう思います。私の勤め先が大学と同じ駅で、徒歩10分くらいのとこにあるせいかもしれないけど。ちゃっかりゼミ飲みやら、学食やらに出没してるかも。びんぼちっちの私にとって、学食は本当に大切な存在。ゆえに通います。二次会が終わった後に、一回家に帰ってまたでかける。この日は私のバイト先のみんなが、私のお別れ会をやってくれるというのだ。バイト先の居酒屋の営業終わってからやるというので、開始時間は深夜の0:30からだった。待ち合わせがバイト先だったので、そこでみんなで待ち合わせしてどこかのお店に行く予定なのだろう。終電でバイト先に向かうと。すでにみんなが集まっていた。そして、なんとお店のテーブルには料理の数々が。どうやらお店でお別れ会をしてくれるらしい。しかもお店には風船でデコレーションがされていて、その風船に一つ一つ文字が書かれ、「フイさん卒業おめでとう」と書かれていた。 こんな手の込んだお別れ会をしてもらえるとは思っていなかったもんで、本当にびっくり。しかも店長やアルバイトだけではなく、調理場さんやイケメン調理長まで参加してくれていた。調理長は今までおこなわれてきた飲み会には一回も参加したことなかったのに・・・。あまりのドッキリお別れ会で、本当にびっくりした。調理長や調理場の人が作ってくれたお料理で、会が盛り上がる。しかし、それまでのゼミの追い込んでおなか一杯食べてきた私は、料理もお酒も胃が受け付けることができなくて、あんまり飲食することができなかった。それを見ていた店長がどうやら心配をしていたらしいのだけど・・・。途中でケーキも出てきた。みんなで「バースデーソング」を、「♪あ~りが~と~ フ~イさ~ん」と替え歌して歌ってくれた。誕生日ではないが、なぜかロウソクに灯された火を吹き消す。 そして、ここでも出てきました!色紙が!!本日ナルシストに陥ること二度目。みんな泣けることを書いている。いやーー、私って素敵な人物だったんだな。ちなみに後日この色紙を見た母親は、驚いていた。「あんた、どれだけ外面いいの!」えへ。みんな最後だから、色紙だから特によく書いてくれたのじゃ。それでも今日もらった色紙は私の大切な宝物となるでしょう。明け方まで楽しく飲んだ。やはりここでも最後という気がせず、あんまり悲しくならない。ただただ、ありがたいという気持ちでいっぱいで、楽しく過ごせた。私が勤めたアルバイト先、ほんとサークルみたいだった。だから卒業するのはとても悲しいけど(でも実感はまだなし)。OGとしてたまに顔を出したいです。
2004.03.20
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いま、部屋作りに夢中。いえ、語弊がありました。いま、部屋作りに追われている。なんとか来週中には普通に生活できるようにとやっているんだけども、通販のものが届くのがおそかったり、私の仕事がおそかったりと、なかなか終わらない。今日も通販から届いた押入れハンガーセットなるものや、収納ケースを組み立ててはみたものの、そういうものが苦手な私は、最低一つのものに対して、3回くらい組み立て直しを余儀なくされた。ほんとめんどい。おんぼろの木造アパートとくれば、畳であるので、当初は「素敵な和室作り」を目指していたんだけど、モロッコに行って、着いた翌日にモロッコ絨毯を買ってしまったところから予定が狂い始めた。そのほかにも燭台やらお皿やらスリッパやら布やらを買ってしまい、行きは10キロだった荷物は帰りはしっかりと15キロなっていた。下の写真は、帰ってきたときの私の荷物。完璧浮浪者でした。 この荷物たちを持った姿で東京を歩くのもつらかったけど、イタリアを歩くのもつらかった。そしてなにより膝が壊れるかと思った。これらの努力に報いるべく部屋作りをすると、和風どころか多国籍風になりそう。題して、「世界は一つ。平和的協調な部屋作り」。略して「ナンバーワンよりオンリーワンの部屋」。略してないっすね。拡張ですね。ううう。がんばります。学生でいるうちに友人たちを呼んで飲み会をする予定が~~~~~・・・!!
2004.03.19
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夜から久々にカナダに留学したときの友人に会った。彼女は社会人一年目で、「死にそう。辞めたい」と言いながら営業をがんばっている。前から「会おう会おう」という話にはなっていたのだが、なかなか都合があわず、ようやく念願がかなったのだ。社会人の先輩としていろいろ話を聞く。女性で営業やっている知り合いって、なかなかいないもんで。その話はなかなか有意義だった。彼女の話を聞いて、四月からの私の働いている姿を想像してみる。仕事についての話のほかにも、いろいろ話した。その話の内容から、これから他の友人と話すときも、大学時代と違って内容も大幅に変わるんだろうなー、と思った。きっと会社の愚痴とか、結婚の話とか、キャリアの話とか。恐らくそれにともない、ここの日記の話もそんなことになりそう。ぜったいヒマジンって名前、変えたほうがいいし・・・。働く前から、いただくお給料を計算して、私がこれから生活していく支出と合わせて計算してみた。するとでてきた結果は、私すごいびんぼっちっち。きっと、学生の頃の方がリッチマンだったにちがいない。自炊とか余儀なくされるんだろうなー。にもかかわらず、家にケーブルテレビ入れちゃった。テレビ観る暇ないだろうに、計画性のなさがここにも現われております。さっそく近くに住む友人が、ビデオ予約録画していった。「これからもちょくちょく来るわ」という友人(♂)に、「ケーブルテレビだけが目当てなのね!」と叫びたかったが、果たして「私の体が目当てなのね!」と叫ぶのとどちらがむなしいのかと考えてみた。まあ、それを餌に(?)力仕事手伝わせたのだからあんまり文句は言えないです。ケーブルテレビは社会人になったら解約するつもりです。じゃあ入れるなって?三月中に思いっきり楽しむんです。
2004.03.18
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一年と十ヶ月。本当にお世話になったアルバイトに、ついに最後の日がやってきた。店長には「今回を最後にします」と言っておいたんだけど、「何時からでもいいから、1時間でもいいから、入れる日があったら言ってな。少しでも多く働いてほしいから」とおっしゃってくれた。私も、少しでも多く働きたかったし、できれば最後にバイトのみんなと一緒に働くために何度かシフト入れたいと考えていたのだけど、実質問題、新生活の準備をするのとその他のもろもろの予定で、アルバイトをしている時間がないのだ。ということで、引越しと卒業旅行で三週間程休んでいたにも関わらず、三月は一回働くだけでお別れとなってしまった。なんとも微妙なシフト。知らなかったのだけど、店長が一月くらいから私の時給をあげておいてくれたらしい。結局上げてもらってからそんなにシフトいれてないから、そんなにお給料に影響がでなかったのだけど、気持ちがすごく嬉しかった。この店で時給があがるという話は聞いていないから、店長なりの餞別だったのだと思う。アルバイトに行くと、今日来ているアルバイトは私を除いて二人。最後に働くとあて、少し湿っぽくなるかと思ったけど、なんだか気持ち的にとてもドライになって、特に何も意識することなく働くことができた。アルバイトの人は、「今日がフイちゃん最後かー」としみじみしてくれたりもしたけど、そういう話をしていると「だめだだめだ!そういう話をしちゃだめだ!フイちゃんは今日が最後ってわけじゃない。とりあえずシフトが決まっているのが今日までって言うことで、まだこれからも来るかもしれないし、社会人になってからは週2で働くことになってるからっ!」と、店長は最後ということを認めてくれない。そんな中で、アルバイトが一緒で後輩のAちゃんと彼氏がアルバイト先に食べに来た。「フイさんが働くの最後だから」と、わざわざ来てくれたらしい。大きな花束をプレゼントしてくれた。こんなことされちゃうと、ドライだった気持ちにひびが入る。「ああ、最後なんだな」って。他にももう一人後輩の子が閉店間際にわざわざ会いに来てくれた。Aちゃんもその後輩も、もう会えないって言うわけじゃないんだけど、「働いている姿を最後に見たかった」と言われると、自分のなかの一つの役割が終わる気がした。「最後に一緒に働きたかったです」という言葉に、思わずシフトを増やそうかと考えたが、やはりきっぱり辞めたほうがいいだろうと考えて、心を鬼にして今日を最後のシフトにした。私もほんとうに、最後にみんなと一回ずつは一緒に働きたかった。二年近くお世話になったお店に、もう店員として働けなくなるのは本当に寂しい。おそらく私にとって、このアルバイトは通常より自分にとって大きな存在価値があった気がする。こんなに自分を認めてもらえて、成長させてもらった場所は他にはなかったです。・・・ようなことを本当は店長にお礼を含めて言いたかったんだけど、「ありがとうございました」や「お世話になりました」のような類を言おうとすると、「だめだめ!そういうこと言っちゃダメ!過去形で言わないで!今日店長は泣かないって決めてきたんだから」と言って、受け付けてもらえない。結局、満足にあいさつもできなかった。帰り際に「お疲れ様でした」というと、「今日は、お疲れ様でした。今日は!っていう意味だからね」と最後まで強情。「今日が最後なんですから。お世話になりました」と言うと、弱々しくうつむいて笑う店長。終電があったので、そのまま(!)店を出てくると、後から出てきたアルバイトの先輩が「店長泣いてるよ」と言った。本当にいいアルバイト先だったなー。みんないい人だったし、働けば働くほど認めてもらえた。店長が言うとおり、社会人になっても週2で働きたいくらい。そんなことしたら過労死しちゃうけど。最後のアルバイトが思ったより湿っぽくならなくてよかった。しかもアルバイトのみんなとまではいかないけど、わざわざ会いに来てくれた後輩もいて、最後の締めくくりとしては満足でした。ありがとう。そしてさようなら。
2004.03.17
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ようやく日記書くことができた。卒業旅行からは、もう先週のうちに帰ってきてたんだけど、ネットつないでなくて、ようやく今日つなぐことができました(っていうかつないでもらった)。いまだダンボール箱生活。四月までにはなんとか我城を築き終わらなければ。この三週間あまり、本当にいろいろなことがありました、主にいろいろは、処の国のなかではないのだけど。そのこともいつか書ければいいなと思いながら、今日はこれにてしっつれ~い。
2004.03.16
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