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2日前の日曜日、あちこちで運動会がありました当地でも恒例の運動会でしたが小学校6年生に3人のインフルエンザ保菌者が発覚され学級閉鎖となってしまって6年生を対照としたプログラムは2項目ほど削除されてしまった早朝から運動会日和でこれなら大した盛り上がりもなく無難に競技も早めに終了だろうと誰しも想像しておりました。午前中の部も予定どおり終えて午後の競技にかかったところでハプニングがおこったのです「ゲートボールリレー」の競技が行われている途中、初老のご婦人が自分の分担をクリアーして5人の隊列の後部を廻って次の選手にバトンタッチの途中、勢い余って転倒してしまったどんな競技でも**リレーとなれば早く自分の分担を終えてバトンタッチしたいのが人情であります。悪いことに左肩を押さえその場にしゃがみ込んでしまった。本部席で商品渡しの役目を仰せつかっていた私たちの中に外科医の先生がいらっしゃったが脱臼かと思い(私の想像にすぎないのですが)腕を執って軽くひねられたら苦痛で顔面蒼白となった。「ここでは駄目だ救急車だ!」という事になってしまいましたこのご婦人、年齢は73歳とか・・これでも50歳以上という規定には入ってはいるが・・何処でもそうなんですが・・・適齢者がいないのです。仕方がなかったのでしょうね、たかだかゲートボールもどきの事をするだけのことなのですが、リレーなので少しは走らねばならないのです。聞けば左肩、骨折とかで本日手術というニュースが入っていました。大したことがなければいいのですが・・・・この間30分程の中断があって競技再開でその種目は時間がかかったのですが一応終えました。次の競技は「2人でデート」という種目でマンネリにならないように2,3年で競技種目が見直されて今年の新種目となったばかりです。われわれの校区は20地区の自治会に分かれていますので競技は3班に分かれて行われます。1班が終了して2班目に入りました。スタートの号令と共に東西に男女が分かれて途中で番号札の合致した2人がペアーとなってゴールに向かいます。それだけでは面白くなく男性がゴール途中で6回ほど目隠ししてグルグル廻りをやるのです、その後は目が廻って直進できないので女性がフラフープの輪の中に男性を入れ誘導宜しくゴール・・・ということなんですが・・・ところがまたしてもここでアクシデントが起こりました。グルグル廻りしていた男性(32歳)がそのままぶっ倒れてしまったのです。またしても本部に担ぎ込まれた患者を先生が血圧計を見ながら真剣な眼差し・・・・数分後、その選手はやっと気が付いたようですが、大事をとってまたしても救急車騒ぎということになってしまいました不運、お気の毒と申しようがなく思いますが聞けばこの2人とも同じ自治会の方というから驚きです自治会長さんが「とんだことになった、お払いをしてもらわないといけない」頭をかかえていらっしゃるとかでさんざんな「運動会」となってしまいました。競技には勝負はつきものですから仕方ありません。それにましてリレーとなると自分自身途中で「止めた!」という訳にはいきませんね。そこに「より速く・・・・」という意識を捨てる訳にはいかないのが人情というものです。日頃、自分の体調を知ってより一層の健康管理が盛んなようになってきたようなご時世に思いますが、これも「いざ本番、鎌倉!」といった場合にはあてにはならないものだと思い知らせられた一日でした。インフルエンザ騒ぎ、2人の怪我人を出して公民館長、連合自治会長さんの心中は如何に・・・・ 不運な運動会になってしまいました。
2009/09/29
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稲刈りも終えて10日以上になります稲刈り中に孫が誕生して我家は賑やかになって自然と孫の話題で持ちきりです1昨日は気圧の谷の通過で小雨だったですが毎日好天が続きいよいよ秋本番ですね・・・お墓まいりも済ませて・・・空を仰ぐと・・・これからが稲刈りという品種もありますがほとんどの田圃はご覧のとおりです拙宅の栗園によって見ましたまだ、青くて・・・・葉っぱだけが元気がいいですね中には早くも顔を出しています若い頃、接木したものが成長し主木は枕の太さにもなってこれでも1斗(10升)位の収穫で自宅では食いきれませんお隣では彼岸花が満開です畑に寄ってみると小豆の花が満開でした。この時期に殺虫消毒散布です。これを怠ると収穫は虫食いだらけで食べるところが無いくらいで時期を失せず明日にでも薬剤散布です田舎はのんびりとした光景で毎日大山が毎日見えています 今日は写真を中心にUPしてみました。最後までお付き合いありがとうございました。
2009/09/23
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8日から始まった稲刈りも1昨日終了した今年の稲の熟具合がイマイチ停滞したようで例年より1週間も遅くなっていた。原因は、今年の夏の天候不順の日照不足、熱帯夜の減少であったかに思える。したがってその分だけ徒長して台風も来ないのにだんだん倒伏傾向になったこうなったら刈取りも厄介になる、穂の8割が黄色になれば「刈取り可能」であるというしたがって茎がまだ青くてもそんなもの配慮する必要はないのだ。朝から晴天であってもタップリと朝露が降り水に濡れた稲は「脱穀不可能」これが乾かなければ仕事にかかれないからじれったいことだだから稲刈りといっても正午前から夕方6時くらいまでが実働時間というわけだ。9日から取り掛かったが終了までの1週間に降雨2日(稲刈り休み)JAカントリーの定休日1日、孫の誕生と目出度い事も重なって14日に100アールの稲刈りが無事終了した。孫が生まれれその世話もさることながら自宅米は乾燥、籾摺りまで自前でやってきたのだが今年は見送った。本来ならば自家米で氏神さまにお参りしたかったのではあるが、止むおえないことだ。これで米に関する今年のもう作業は終了してしまった。出来高はイマイチのようであるが、害虫、病気らしきものは見当たらない。品質は最高ではあるまいかと思う大抵は2等米の判定であったが久しぶりの1等米を期待している。昔なら、10月になってからの稲刈りだったのだが裏作の中止が稲作体系を変えてしまったのだ。時代の変革とともに農産物の輸入、農業機械化(牛馬の廃止)により田圃の裏作(レンゲ、菜種、麦)の作付けをしなくなったのだ。※この収穫期は5月となるため田植期は6月と相場は決まっていた。そして農家の革命「圃場整備」が全国的に実施され作業能率の良い水田が造成されたのである。ところが全てがうまくはいかないもので米の品質が低下しだしてきたのだ。その原因は地球温暖化にあるというのが関係者の一致する意見である。米の成熟期の8月に25度以上の気温が連続すると「乳白米」といって玄米全体が乳白となって養分を含まない屑米となってしまうという。そんな米は商品価値がゼロである。「田植えをもっと遅くして10月の青空の下、稲刈りをしよう!」というJAの呼びかけに同調する人はいない。理由は少子高齢化、人不足で「5月の連休中で子供にしてもらわないと・・」という農家も多い。成長が早ければそれだけ病害虫、台風の被害を防げるし農薬も最小限で済ませる事が出来るではないか・・・等 ご意見が多く統一が出来ない!「天高く馬肥ゆる」の候移動性高気圧の青空の下、キーンと百舌がないて柿も色付き始めて・・・・気持ちよい汗を流した昭和3,40年頃の時代がサッーと駆け巡ったハギ、フジバカマ、マンジュシャゲも咲き出して彼岸ももうすぐだ
2009/09/17
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雨降りが続いた頃これでは稲刈りは機械が圃場に入らないと思い落水を予定より早めた。それ以降連続晴天が続いて心配したことにはならなかったが、今度は圃場が地割れ状態のカラカラに乾いて・・・・2週間ぶりに5分ほどの夕立がありました西日本の残暑は厳しく、しつこいです連日30度を越す日々ですこの夕立は寒気の前ぶれとかで明日以降はカラッとした天候になりそうで稲刈りを開始しようと機械の総点検、試運転をしたら、バッテリーが上がっていたり部品が壊れていたりして早めの段取りが必要と痛感しました昨年の終了時にきれいにして格納しておいてもどこかの部品が痛んでいます、特にプラスチック製品のパーツが年数に弱いですね<栗拾い>やはり秋の味覚なんでしょうか、まだ残暑、「この暑いのに栗なんか・・・・」と思いきや降雨でブラッと行ってみると、あらあらもう落下していました。今年は例の長雨で昆虫、害虫の絶好の季節だったのでしょうね。たくさんの栗虫の餌食となっていました早生は放任ですから消毒はしていません、そのせいで害虫の餌となったということです。本来この早生は不味いのでいつの頃からか放置していましたので当然かも知れません。女房殿が40個ほど拾ってきて早速、「栗ご飯」を作ってくれました。まあ、初物ですからね、実りの秋に感謝していただきます。隣にあるのは二十世紀梨です。宣伝しなくても贈答用として毎年ジャンジャン電話注文で殆ど出荷終了なのに今年は不景気風がここにまで吹いているのですね、今が最盛期なのですが・・・・ 注文はイマイチなんだそうです 世間の風は冷たいですね
2009/09/08
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先日、奥出雲町にトマト農園見学に言ったことはBLOGで紹介いたしました。標高500mの高地、過疎地でトマト栽培に執念を燃やす社長さんはじめ従業員の皆さんの「じげ興し産業」に心からなる敬意を表します。さて本日の話題はその続編ではありません。あれから数日経過しても何となく気になって記しておかないと思って「本日の農作業の事は些細なこと」と省略してPCに向かっています。 亀嵩の話題をしたいと思います 「島根県仁多郡奥出雲町亀嵩」亀嵩と聞いて「松本清張作・砂の器」を連想される方は60代、団塊の世代以降のお方と存じますが・・・トマト農園からの帰路にマイクロバスはこの駅を通過して道の駅に立ち寄りました。現役時代は山陰、山陽を結ぶ路線は国鉄木次線、芸備線経由で広島まで約6時間もかけての出張でした。山陽新幹線が開通するまでは常にこのコースだったのです、長閑なものでした「亀嵩駅」勿論、快速列車(当時は準急といっていましたね)は通過です。しかし、「砂の器」の小説を読んだ者にとってこの駅は「電磁力」に惹かれるようにあの映画が思い浮かぶのです。清張氏の「砂の器」が映画化されたのは74年(昭和49年)映画は殺人事件の背景に、ハンセン病の父と、その子供の流浪の旅を描いています。日本海の荒波、流浪する先々で2人を容赦のない迫害、厳寒は一層彼らを痛めつけた・・父子は抱合って荒れ小屋で寒さを忍び、また流浪の旅・・そしてたどりついたは早春、奥出雲路・・・「旅」の終わりの舞台が亀嵩でした。巡査(三木謙一)の世話で病気の父は療養施設に入るため、亀嵩駅から汽車で運ばれる。永遠の別れを予感し、少年がホームを走る あのシーンは泣けてきますね 巡査に子供がなかったのでいくいくは子供にしようとより一層可愛がったのだがある日突然逃亡してしまったのです。三木巡査夫妻の落胆は如何ばかりかと思うのですが・・・三木巡査は退職後長年の希望だった「お伊勢参り」に参拝に・・ところが事もあろうことに三木さんが東京蒲田駅操作場で死体となって発見!誰にも恨まれるどころか情に熱い心優しい三木巡査が何故に・・・・ 推理小説はこれからが本番なのですが・・・この後は小説「砂の器」をご覧下さい当時私は、高校生だったと思いますが授業中知らぬ顔の地蔵顔で教科書の中にカッパノベルBOOKSを教科書で挟んで読んだ記憶があります。すごい迫力でした、一気に徹夜して読みました、授業は何の科目だったのかさっぱり記憶にありません。当時、江戸川乱歩氏の「探偵小説」から「推理小説」という言葉が流行し清張氏が人気作家の絶頂でした。社会派といわれて「点と線」「黒いシリーズ」「霧の旗」「昭和史発掘」「邪馬台国論争」・・・今でも書店で見られますね。私が昭和の文豪清張氏のことをトヤカクいう資格は全くありません。ただただ尊敬の念を抱くだけです。<道の駅で>「砂の器」の展示コーナがありました、興味深く鑑賞させて戴きました。この「砂の器」は映画としては加藤 剛、加藤 嘉、緒方 拳、丹波哲郎、森田健作、佐分利 信、寅さん(渥美 清)が初版で後続が何本か、TVドラマでもご覧になった方も多いでしょう、名作だから成せる業なんですね。ちょうど今年が清張さんの生誕100年だそうです、思い出したように繰り返し繰り返し清張さんの作品がTV放映されるのは一世を風靡したあの印象と感動がいつまでも皆さんの心の奥に残っているに違いないと思います。「読書の秋」大好きだった清張さんの作品を倉庫から探し出して読み直ししてみたいと思っています。<忘れていました>県道を走っていたら「ここは亀嵩、兎はいません」おもしろいジョークの看板を見つけて皆さん大笑いでした座布団3枚 最後までお付き合いありがとうございました。
2009/09/03
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