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神は喜んで与える人を愛してくださいます。 (2コリント9:7) ある人が言いました。「この世には、物を与えるのに、三通りの人がいる。すなわち、火打ち石、海綿、それにミツバチの巣である」。火打ち石から何かを得ようとするなら、何度も何度も打たなければなりません。それでも出るのは、わずかの火花だけです。海綿から何かを得ようとするなら、絞らなければなりません。そして絞れば絞るほど多くのものが出てきます。しかし、ミツバチの巣は、自ら甘美があふれ出ます。 人を助けることができるのに、ケチケチして何も人に与えない人がいます。また、求められれば求められるほど、進んで多くを与える人もいます。そして、求められないのに、喜んで与える人もあります。 聖書は次のように約束しています。神は喜んで与える人を愛してくださいます。 (2コリント9:7) 自分が楽しむため、自分が欲しいものを買うため、自分が行きたい所に行くためには、お金を使うことを惜しまないのに、弱い者を助けるため、悩んでいる人々を喜ばすため、公共の福祉のためには、出し惜しみをすることはないでしょうか。小さな親切でも実行できる機会があったら、その機会を感謝して、財布の口を開きたいものです。快く出したお金は祝福となり、自分に戻ってきます。他人を喜ばすことを喜ぶ人は、天に宝を貯える人なのです。 しかし、与えるということは、お金だけの問題ではありません。与える心をもつことが何よりも必要です。そして、あなたのために、その全生涯といのちを惜しみなく与えられたイエス・キリストを心にもつ時に、私たちの心は豊かになります。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 (2コリント8:9) 心が豊かになると、喜んで与えることができるのです。与えると言っても、お金とは限りません。心から笑顔・ほほえみを与えることができるようになります。たとえ、体を動かすことができない人であったとしても、心からの感謝を、心からの親切な言葉を、与えることができるのです。 『我が恵み汝に足れり』という詩集を読み、感動しました。長野県に住む水野源三さんの詩集です。水野源三さんはものが言えず、手足が麻痺し、六畳の部屋に寝たきりの方でした。小学校四年の夏、赤痢のため高熱が続き、ついに脳を冒され、脳性小児麻痺になったのです。外界に対する意思表示の手段は、まばたきすることだけでした。 それから五年後、水野さん一家はキリストの福音に触れ、源三さんの閉ざされた世界に、一条の光が射し込んできました。幸い目と耳は冒されていなかったので、ラジオ番組や通信講座で学び、キリストを信じる人生に入りました。そして、お母さんが「あいうえお表」を指さして、源三さんがまばたきで合図する字を書き取ることで、意思表示できるようになりました。 やがて、大きな転機が訪れました。詩を書く喜びを覚えたのです。もちろん、お母さんが一字一字、源三さんの目が追う字を書き取っていったのです。 そんな源三さんの顔はいつも天使のように輝き、町の人は、「源三さんは私たちの町の宝です」と言っていたそうです。源三さんは心から与える人生を、キリストによって生きつづけた方です。物が言えない私は有難うのかわりにほほえむ朝から何回もほほえむ苦しいときも 悲しいときも心から ほほえむ あなたの日々も、このようなすばらしい日々でありますよう、お祈りします。
2008/09/30
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久しぶりに韓国へ行く。最初の海外体験は30歳のとき。下関より船で釜山へ約8時間。玄界灘で船酔いに四苦八苦。釜山港に着き約7時間、税関開始の時間まで待機。その後、特急バスでソールへ着いたときはもうフラフラだった。 南山に建つ解放教会は、挑戦戦争で南に逃れたクリスチャンたちがほら穴や掘っ立て小屋に住みながら、身につけていた金の指輪や首飾りなどを捧げ、汗と涙と血の祈りで白亜の大理石で建てられた当時2000人が集う大教会だった。今は韓国は2000人教会は珍しくないが、当時は大教会で有名なキリスト教会だった。 2つの日曜日にまたがり東幕教会やそのほかの教会でも礼拝説教。板門店や前線の立つ勝利教会、民族村や日本軍の残虐行為をパノラマにしたパコダ公園利なども案内され、漢民族の苦難の歴史を知る貴重な旅でもあった。それ以来、毎年のように韓国を訪ねたが、1989年アフリカ宣教やタイ、ミャンマーなど東南アジア地域や、台湾、中国への宣教の機会に多く恵まれ、韓国へはスッカリご無沙汰になっている。 今回はソウル近郊の大学訪問で宿舎も校内で二泊。酒もタバコもたしなまない熱心な教授や職員が5000名の学生を指導し、卒業時には70パーセントの学生がクリスチャンになっているという。総長との出会いが今年あり思いがけない訪問である。 今朝、仁川空港へそこからバスで金浦空港へ。夜はレセプションなどもあり、火曜日の朝は短いメッセージを通訳つきで語り、水曜日には帰国。短い旅だが昨日までは姫路市。来週は東京へと動き続けている毎日です。 今日もまた天国の一日です!感謝します。 火曜日と水曜日は、ラジオ放送希望の声原稿を書きますので、よろしくお願いします。ローマ人への手紙 1:8 何はさておき言っておきたいのは、どこへ行っても、あなたがたの評判を耳にするということです。 神様を信じるあなたがたの信仰は、世界中に知れ渡っているからです。 私は、この良い評判を聞くたびに、イエス・キリストによって、どんなに神様に感謝していることでしょう。 1:9 あなたがたのために私がどれほど祈っているかは、神様がご存じです。 私は、神様のひとり息子についての良い知らせを人々に伝えながら、全力投球で仕えている神様に、あなたがたに必要なものが与えられますようにと、昼も夜も祈っています。 1:10 また、神様が許してくださるなら、いつかあなたがたを訪ね、できれば安全な旅をしたいと、いつも祈っています。 1:11 -12どうしても行きたいと思うのは、信仰をいくらかでもお分かちして、あなたがたの教会が、主にあって強く成長するように役立ちたいからです。 それに、私も皆さんの助けが必要です。 私の信仰をお分かちするだけでなく、あなたがたの信仰によって、私も力づけてもらいたいのです。 こうして私たちは、お互いに励まし合えるでしょう。 1:13 愛する皆さん。 私がこれまでに何度も、あなたがたのところへ行こうとしたことを〔しかし、その計画は妨げられてきました〕ぜひ知っていただきたいのです。 他の国の諸教会でと同様に、あなたがたのところでも、すばらしい成果を得たいと思ったのです。 1:14 私はあなたがたにも、また、ほかのすべての人にも、文明人にも未開人にも、教育のある人にもない人にも、ばく大な借りがあります。 1:15 ですから、何とかして、ローマにいるあなたがたのところにも、神様の良い知らせをお伝えしたいと、心の底から願っているのです。 1:16 というのも、キリスト様についての、この良い知らせを、私は少しも恥じてはいないからです。 この知らせは、それを信じる人をだれでも天国に導く、神様の力ある手段です。 この知らせは最初、ユダヤ人だけに伝えられていました。 しかし今では、すべての人が、この同じ方法で神様のもとに招かれているのです。 1:17 この良い知らせは、私たちがキリスト様を信じておゆだねする時、神様は私たちを、天国に入るにふさわしい者、すなわち、神様の目から見て正しい者としてくださる、と教えています。 これは、初めから終わりまで、信仰によって達成されます。「正しい人は信仰によって生きる」と、旧約聖書に書いてあるとおりです。
2008/09/28
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聖書は「いのち」について、二つの異なったことばを使っています。一つは、肉体的生命、すなわち一時的な生命の場合に用いられています。もう一つは、肉体を超えた永遠の意味における生命を指しています。キリストが「わたしがいのちである」と言われたのは、そこに生命を必要とする状態があるからです。 聖書では、神から離れている状態を「死んでいる」と表現しています。これは肉体的な生命の「死」ではなく、霊的な意味における「死」を指しています。どんな立派なオーディオセットをそろえても、電源につながなければ良い音楽を聞くことはできません。電流が流れてこなければ何にもならないのです。そのように、人間が生命の源である神から離れたら、肉体的には生きていても、内面的・霊的には死んだ状態だと、聖書は教えているのです。 また、主体性のない生き方、それも死んだ状態であると聖書は言っています。私たちは自分の意志で自由に、自分のしたいこと、したくないことを選べると思っています。そうでなくても、少なくとも「・・・・・・したい」と願うものです。しかし、現実には自分の願いと裏腹なことを行ない、悩み、苦しんでいるのです。 同時に、聖書は永遠の死、永遠の滅びを意味する死を告げています。人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている (ヘブル9:27) 生きながらにして死んだような生活を送りながら肉体上の死を迎えるならば、今度は永遠の死、地獄へ向かうことを知ってください。 しかし、そのような人類に対して、イエス・キリストは「わたしがいのちである」と語っておられます。キリストは生命の源、神ご自身ですから、信じる者にいのちをお与えになることができます。わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 (ヨハネ11:25) イエス・キリストは、ご自身、その生命を十字架上に捨ててくださいましたが、三日目に死より復活して、ご自分がいのちの主であることをあかしなさいました。そして、目には見えませんが、イエス・キリストは今も生きておられ、信じる者にいのちを与えてくださいます。ですから、聖書は次のように宣言しているのです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 (ヨハネの第一の手紙5:12) いのちであるキリストをもつ時、その人は生き返るのです。つまり、生まれ変わりの経験をするのです。キリストのいのちが、その人の心を変えてくださるので、生活が変わり、運命が変わって、文字どおり、生まれ変わった新しい人生が始まります。 キリストにある人生は、生き生きとした力強さに満ちた人生です。豊かな人生を生きることができるのです。さらに、イエス・キリストを信じる者は、当然のことですが、永遠のいのちをもち、天国に生きるようになるのです。
2008/09/28
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今夜7時30分より広畑キリスト教会での集会が始まり、午後から姫路へ向かいます。 ラジオ放送希望の声を聞き、メッセージ原稿が欲しいとのハガキが来ました。その頃は手書きだったので家内が清書して送りました。その時のメッセージは、エレミヤ書のことば、「29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」でした。 しばらくしてラジオ聴取者訪問で、その方三木善夫さんを姫路市に訪ねました。玄関で朝日放送ラジオ牧師ですと挨拶し、奥様が応接間に通してくれました。お茶を持って入ってくるなり、主人は亡くなりましたとのこと。 ご主人は当時社会党の国会議員で2期目に当選した直後、ガンであることが分かり入院し、病院で朝早くラジオ放送希望の声を聴き、ハガキを書きました。そして亡くなる前の最後のことばは、「ほんものをつかんだよ!」だったそうです。お話しくださる奥様の目に涙はありましたが、主人はほんもの(イエス・キリストの救い)をつかんだので幸せでしたと方ってくださいました。 その日から34年後に姫路市の広畑キリスト教会へ招かれ説教することになりました。今日できればその家を訪ねてみたいと願っています。 種子島で隣家に住んでいた幼馴染も姫路市在住で、4年前訪ねたとき近くの喫茶店で待ち合わせました。そのときの喫茶店経営者夫妻と知り合いになり、生駒までも訪ねてくださり、イエス・キリストを心に迎える祈りをされ、その後は文通だけでしたが、今日はもう一度会えるので楽しみです。 毎日、いろいろな出来事や出会いがありますが、すべて神の栄光のためであることを感謝しつつ前進しています。マタイの福音書より「主の祈り」 6:9 だから、こう祈りなさい。 『天にいます私たちの父よ。 御名があがめられますように。 6:10 御国が来ますように。 みこころが天で行われるように地でも行われますように。 6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 6:12 私たちの負いめをお赦しください。 私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
2008/09/27
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朝から小降りの雨が大雨になってきた生駒です。 明日27日(土)は、姫路市で集会があり、話をするために出かけます。 広畑キリスト教会;時久忠夫牧師。 広畑区早瀬町1-2・電話079-239-3952) 午後7時30分ー9時 28日(日)午前10時30分ー12時まで礼拝メッセージ 午後1時30分ー3時まで3回目の集会です。 初めて行くキリスト教会です。お祈りください。希望の声・・・真理とは何ですか わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 (ヨハネ14:6) 二つ目のことば「わたしは真理である」について考えてみましょう。 キリストは、十字架につけられる直前、総督ピラトの前で裁判を受けました。その時、ピラトは「真理とは何ですか?」と問いかけました(ヨハネ18:38)。真理とは何か、これは大きな質問でしょう。今でもこの質問は投げかけられ続けています。「真理とは何ですか?」「真理はあるのですか?」その声は世界中に、虚しくこだましています。 しかし、実は答えはあるのです。ピラトの「真理とは何か」との問いに、イエス・キリストは「わたしが真理なのです」と答えられたのです。真理について証明されたのではありません。「真理とはこんなものです」と教えられたのでもありません。「わたしが真理だ」と宣言されたのです。☆真理は絶対 真理は相対的なものではありません。真理とは絶対的なものです。この世に絶対と言えるものはありません。あるとしても、人間は絶対に死ぬということぐらいでしょう。しかし、イエス・キリストは絶対者、神なのです。ですから、キリストだけが「わたしは真理である」と言い得たのです。キリスト以外のどのような宗教家も哲学者も、「わたしが真理だ」と言い得る人はありませんし、言うこともできないのです。彼らが指し示し、教えた真理はすべて、キリストを指していると言っても、言い過ぎではないでしょう。☆真理は全人類共通 真理は全世界、全人類共通でなければなりません。真理は人間のもっている問題を本当に解決し、すべての人に救いを与えるものでなければなりません。人間は罪をもっており、死にゆく存在であると聖書は語ります。これは本当です。全人類は死に向かって、毎日行進しているのです。キリストが十字架にかかって死なれたのは、この人類の罪と死のためでした。罪の問題が解決されない限り、死の問題の解決はありません。しかし、罪の問題が解決すれば、死の問題も解決するのです。キリストが十字架上で死んで、三日目に復活されたので、キリストを信じる者はみな、この死に勝利することができるのです。☆真理は不変 真理は変わることがあってはならないということです。聖書には、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じ」(ヘブル13:8)とあります。「わたしが真理だ」と言われる方は、変わることのない、永遠的存在者なのです。キリストは今日も生きておられる救い主です。彼のことばも変わりません。キリストの愛も、永遠に変わらない愛です。人間の愛は、「・・・・・・だから愛します」「もし・・・・・・ならば愛します」と、条件付きです。しかし、キリストの愛は無条件、「・・・・・・にもかかわらずの愛」なのです。 今日、イエス・キリストは真実の愛をもって、あなたを愛しておられます。この真実の愛を知る時、あなたの人生も変わるのです。 あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。 (ヨハネ8:32)
2008/09/26
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道は未知ではない! わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネ14:6) これはイエス・キリストの自己紹介のことばです。イエス・キリストこそ、天国への唯一の道だという意味です。人間は自分の力で天国へ行こうと努力します。それは今も昔も変わらないことですね。 かなり前のことですが、イラクの政府が観光のため、バベルの塔を再建するというニュースが新聞に載っていました。バベルの塔は、人間が自分の力で天まで届こうと努力した、人間の思い上がりと虚しさのシンボルです。また、現代科学もある意味では、バベルの塔の現代版と言えるかもしれません。神を除外して、人間が築き上げてきたすべての文明は、まさに「バベルの塔」と言ってもよいでしょう。 しかし、イエス・キリストは「わたしは道です」と宣言されました。道を指し示したのではありません。これが道だと教えたのでもありません。「わたしこそ、その道、天国への道だ」と言われたのです。 1976年の5月、私は一人の聴取者を訪れました。彼女は病気でした。青春の日々を、身動きできぬ不自由さの中にありました。そんな彼女に私は、イエス・キリストの福音を単純に伝えました。神が私たちを愛していること、人間には罪があり、自分の努力や修養では救われないこと、しかし、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死んでくださったこと、イエス・キリストを信じる者はすべて罪が赦され、神の子どもとなり、永遠の生命をもち、天国へ行くことができることを、お話ししました。彼女はその事実を素直に信じました。それ以来、何度も手紙をやりとりしました。 ある日曜日の礼拝後、彼女が亡くなったという知らせを聞きました。お母さんが知らせてくださったのです。そしてお母さんは、電話でその時の様子を語ってくださいました。彼女は、「お母さん、とてもきれいな、すばらしい所が見える。とてもきれいな所が見える。早く、早く」と言って、安らかに息を引き取ったそうです。お母さんはクリスチャンではありませんが、娘が見たきれいな所、すばらしい所は、いつも娘さんが語っていた聖書に書いてある天国であることが分かったとおっしゃいました。 確かに、娘さんが亡くなったことは、深い悲しみです。しかし、最後にお母さんは、「『娘は行くべき所へ、ちゃんと行った。天国のイエス様の下へ帰っていった』という平安と慰めが、家族全員にございます」と言って、電話を切られました。 イエス・キリストが彼女の道、天国への道となってくださったのです。 また、イエス・キリスは、私たちがどう生きるかという「人生の道」を示してくださいました。 キリストの道を歩む時、不安のない、迷いのない人生を歩んでいくことができます。道は私たちに方向を示すものですね。人生をよく旅にたとえます。「人生は長い道のりを、重い荷を背負って行くようなものだ」とも言われます。時には重い荷を背負いましょう。しかしそれは、旅の目的と行き先が分かっていればこそ、耐えられるのです。人生、なぜ疲れるのでしょうか?目的が見いだせず、行き先が定かでないからです。あなたは、自分の人生の道がどこにあるのか、どこへ行き着くのか知っていますか? イエス・キリストは「わたしが道だ」と言われます。そして、私たちを永遠の父なる神の家へ導いてくださるのです。 どうか今からあなたも、イエス・キリストの道を歩んでください。この地上でどのような戦いや貧しさや病苦があったとしても、キリストとともに歩む人生には輝きがあり、それを乗り越える力が与えられ、解決があります。 イエス・キリストこそ、永遠の天国へ連なる道なのです。 ラジオ放送希望の声からお届けしました。ヨハネの福音書 14:1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」 14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。◇
2008/09/25
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23日(祭)午前10時より、生駒聖書学院を会場にラジオ放送35周年祝賀会が開催されたました。 ラジオ放送希望の声は、富雄キリスト教会提供で35年間、毎週水曜日(午前4時35分)に10分間、大阪朝日放送(ABCラジオ・1008kHz)で語られている福音放送です。 祝賀会当日は、富雄キリスト教会賛美グループが開式前に賛美をリードし、10時前に満席になた会衆も聖霊の臨在の中で、声をそろえて主を賛美してくれました。 富雄キリスト教会・榮義嗣牧師の開会宣言。主の祈りとともに、エリムキリスト教会合同聖歌隊の歌う賛美で会場を華やかに盛上げてはじまった。、 参列者は教会員だけでなく、千葉や岡山や和歌山県などラジオ放送聴取者の方々。牧師や【伝道師の先生方。榮牧師の種子島の同級生、聖書学院時代の同級生など・・・・。また森祐理さんご両親も参加された。 榮義之牧師は、ラジオ放送希望の声開始が、聖書のみことば、「ヨハネの黙示録3:8 「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである」に、開拓伝道のさ中だったがアーメンと応答したことによると語り、だれも閉じることのできない門が福音宣教のために開かれていることを語り、満場の拍手を浴びた。 今年で満10年になる前田基子牧師も、福音を語ることこそ自分の使命であることを強調し、同感の大拍手を受け。その席上、富雄キリスト教会や学院教会,大阪エリムのメンバーによる花束贈呈やプレゼントもあり、祝賀会にふさわしほほえましいひとときでした。 日系人移住100周年のためにいヶ月間(8月25日ー9月18日)ブラジル全土で公演活動を終え、帰国したばかりの森祐理(福音歌手)さんも東京より駆けつけ、90分間の美しい賛美とブラジルでの体験や、弟(神戸大生)を阪神淡路大震災で失った悲劇により、天国を身近に体験した証しなどを語り、参列者一同涙と感動に包まれ、文字通りの天国聖会であった。コンサート終了後には、階下のホールに参会者全員(180名)が集まり、テーブルいっぱいに用意されたご馳走に舌鼓しつつ、交わるひとときを過ごした。森祐理さんのCDも飛ぶように買い求められ、一口も食事を入れる間もなく、サインを続ける盛況さでもあった。 ラジオ放送は35年継続していますが、テレフォンメッセージは37年間、毎日休むことなく日替わりでメッセージ(2分30秒)届けています。平均一日30通話くらいかかってきます。月曜日ー水曜日は榮義嗣牧師。木ー日曜日は榮義之牧師。留守のときは前田基子牧師と途切れないように毎朝、聖書のことばを吹き込んでいます。全国から通話があり、救われた方もあります。 テレフォンメッセージ;0743-73-3740(ぜろなし みなさん みなよし!)と語呂合わせしたりして楽しんで福音を伝えています。一度ダイヤルを!ヨハネの黙示録 3:7 また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。 『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。 3:8 「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。 3:9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。 3:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。 3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。 3:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。 3:13 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
2008/09/24
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昨日、森祐理さんが1ヶ月間のブラジルでのコンサートを終え、お元気で生駒聖書学院に来てくれました。今朝は午前8時よりリハーサル、午前10時30分ー12時まで、聖霊に満たされたブラジル公演の体験なども含めて、美しい賛美をチャペルいっぱいに響かせてくれます。 スーツケースの中には、2000年に出版した私の著書がいつも入っており、もうぼろぼろになるまで線を引いたりして読んでいると、著書を取り出し見せてくれました。 その中で大好きな箇所ですと、彼女が開いてくれたページと同じ話を転載します。信仰は現実! 神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 (マルコ11:22-24) 「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」(詩篇118:24)と聖書にあります。本当にそうですね。今日という日、この日はまったく新しい日です。古い昨日は過ぎ去り、新しい日が来ているのです。あなたは今日も生きているのです。生き抜くのです。新しい希望と喜びをもって、出発する幸いをお祈りします。 イエス・キリストを信じる人生とは何でしょうか?それはたくさんのすばらしい現実的なことを意味します。 信仰は、あなたの繁栄を約束します。 信仰は、あなたの幸福を保証します。 信仰は、あなたの家族に救いをもたらします。主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。 (使徒16:31) 信仰は具体的な結果となって現われてきます。イエス・キリストを信じて、罪赦された人は、神の子どもです。永遠の生命をもっています。神の子どもは自由です。仕事や社会生活での成功が約束されています。「その人は、何をしても栄える」(詩篇1:3)と、聖書ははっきりと約束しています。 信仰は悩みや恐れ、欲求不満や失敗などから、自由にされることです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。 (ヨハネ16:33) どんな中にあっても支配されない、自由と喜びの生活を聖書は約束しています。 信仰は勝利です。ものごとを成し遂げることです。土の上をはいずり回る人生ではなくて、ワシのように翼をかって上る人生を、聖書は約束しています。 昔、アリは大きな翼を神から与えられました。大空を自由に飛ぶことができたのです。しかし、アリたちはその翼を自分たちでむしり取ってしまいました。そして、地上をはいずり回り、足を引きずって歩く生活を選び取ったという話があります。 ある意味では人間も同じです。いや、まさしく人間こそ、そうであると言えるでしょう。すばらしい幸福、自由、喜び、輝きのある人生を、神とともに過ごすことができるのに、神から離れて、罪と汚れの中に生きる道を選び取ったのです。どんなにすばらしい幸福も、神から離れていれば、汚れた幸福です。神とともにある時、人は幸せと本当の満足を体験することができるのです。 イエス・キリストを信じる信仰をもつことは、すばらしいことです。 あなたが、イエス・キリストを本気で信じるなら、山をも動かすことができるのです。 あなたが、イエス・キリストを本気で信じるなら、不可能は可能となり、成功人生を送ることができるのです。 あなたが、イエス・キリストを本気で信じるなら、目標達成するために必要な力、エネルギー、方法を神様は与えてくださいます。 あなたが、イエス・キリストをにあって、自分にはそれができると本気で信じるなら、方法・道は必ず開かれます。 しかし、多くの人は疑います。信じないことは、否定的な力です。マイナスの力なのです。だから、自分は成功しないだろう、自分のすることはうまくいかないだろうと考えれば、だいたいそのとおりになります。疑いや否定的な考えは、あなたの人生に失敗をもたらすのです。しかし、勝利を信じれば、成功します。 人間の心の中は工場のようなものです。しかも二人の工場長がいるのです。一人は勝利さんです。もう一人は敗北さんです。勝利という名の工場長は、積極的なものを造り出します。なぜできるか、どうしたらできるかという考えをいつも造りだします。しかし、敗北という名の工場長は、なぜできないか、どんなに弱い人間であるか、という否定的な考えを常に造り出しているのです。 だから、イエス・キリストを信じて、敗北の考えを取り除くことです。成功を考え、失敗を考えない決心をするのです。大きく信じることです。できるといつも信じ、成功を信じ、繁栄を信じ、前進するのです。 今、あなたの人生を清めるために、イエス・キリストを信じてください。その十字架の血はあなたを清め、罪を赦し、神の子としてくださいます。復活の生命を体験して、正しい信仰の道を、成功人生を前進してください。 ヘブル人への手紙11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。 11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。 11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。 11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
2008/09/23
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今日もまた天国の一日です!と、さわやかな朝の目覚め。 明日のコンサート準備のため、森祐理さんが昼過ぎからスタッフの方と来訪予定。先週までブラジル移住100周年コンサートツアーで1ヶ月間、ブラジル中を回っての帰国でした。 昨夜の電話では疲れもなく元気で明日に備えているとのこと。昨日と今日から京都へ。今日は京都から電車で生駒まで行きますと、明るい声での連絡でした。 エリムキリスト教会では、あまりイベントやコンサートを開かないので、森祐理さんを迎えるのは初めてです。 イエス・キリストの福音を美しい歌声に乗せて語ってくれる福音歌手です。今までは手紙だけのお付き合いでしたが、今日初めて直接会うので楽しみです。 ラジオ放送でも、森祐理さんの賛美を使ったこともなく、今回お話して許可をもらえればラジオ放送でも彼女の歌を流せるのではないかと考えています。 ラジオ放送では、賛美歌が好きな方も多く森山良子・愛唱賛美歌選を長年使っています。早いものでもう36年目になるラジオ放送希望の声です。 愛知県稲沢市に行く途中、名神高速道路を木曽川を通りかかったとき、「ラジオ放送をやってみないか?」と声をかけられ、瞬間できないと思いました。当時は富雄キリスト教会開拓中で教会員も少なく、朝日放送に支払う電波量料金と同額の献金だけの厳しい経済状態でした。 さらに話しべたで赤面恐怖症、不可能な理由がいっぱいありました。 一ヶ月くらい祈ってから返事してくれていいよとのことばに、できない!無理です!とことばを飲み込んで、稲沢市のキリスト教会に到着しました。 説教前に案内された部屋で、イエス・キリストの十字架の救いを伝えたい!ラジオで愛と救いの知らせを語りたいと思い、祈りつつ聖書を開きました。 見よ!とのことばが目に飛び込んできました。 「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである」(黙示録3:8) わたし(イエス・キリスト)が、だれも閉じることのできない門を、目の前に開いておいたとのことばに、開かれたラジオ放送の門をアーメンと信じて一歩を踏み出しました。35年間にわたって一度も電波料金も滞ることなく支払い続けています。 あなたには少しばかり力があって=その力とは、わたしのことば=聖書の約束のことばを守り、わたし(イエス・キリスト)の名を否まなかったかれである。 イエス・キリストの御名は、天においても、地においても、いっさいの権威を持つ、全能の神の名前です。その名を否まず信じるとき、不可能は可能となります。マタイの福音書28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 ラジオ放送希望の声は、聖書の約束の上に35年間支えられ続けています。お祈りやご支援ありがとうございます。ローマ人への手紙10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。 10:18 でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。 「その声は全地に響き渡り、 そのことばは地の果てまで届いた。」
2008/09/21
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ダニエル書 10:18-19 すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。 エリムキリスト教会では、毎日聖書を3章読むことを習慣にしています。 旧約聖書= 913章 新約聖書= 263章 合計 =1176章 一日3章=一年間で読了。 一日24章=年間8回読了。 一日39章=一ヶ月で読了。 16歳でクリスチャンになったときから、聖書を読み続けています。不思議な書物で読めば読むほど味わい深く、多くのチャレンジや励まし勇気を与えられます。 神のことばは生きていて力があり(ヘブル4:12)ます。ダニエル書を昨夜も読み恵まれました。 バビロン捕囚のさ中に生きたダニエルは、波乱万丈、紆余曲折の人生を生き、祝福されつつ高年になっていました。 イスラエルや世界の将来を考えるとき、うちから力抜け、顔色なくなり、力を失ってしまいました。 そのような失望落胆のさ中、一つの手が彼に触れ、ひざと手を揺すぶり、「神に愛されている人ダニエルよ。恐れるな。安心せよ。強くあれ」と声をかけたのです。天使の声でした。 ダニエルは勇気を持って立ち上がり、与えられた使命を果たしその生涯を全うしました。神に愛されている人よ!と声を聴いたのは80歳くらいのときでした。 今日、どうにもならない状態で座り込んでいませんか。真実の愛があるのです。聖書は神の愛があることを宣言しています。 聖書の愛の言葉を自分の語りかけていることばとして受取ってください。新しい勇気と愛が湧き上がり、すべての問題を乗り越える力が与えられます。ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの福音書15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。ヨハネの第一の手紙4:9-10 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。イザヤ書43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。ローマ人への手紙5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。リビングバイブル5:5 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。 今朝、目には見えなくてもダニエルに天使が触れて、「神に愛された人よ!」と告げたように、あなたにも聖書のことばで触れています。さらに、「恐れるな。安心せよ。強くあれ。雄雄しくあれ」と語りかけ、勇気と使命に満ちて愛を注ぎだす力をくださいます。 愛しています!と全能の神への愛を告白しつつ、周りの人へも愛を届ける日々を聖霊に満たされて前進したいものですね。
2008/09/21
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昨日は生駒も台風の影響で少し雨でした。今朝も韓国牧師といっしょにモーニングサービス店で朝食。午後1時の飛行機で関空より帰国。来月もまたIT研修セミナーのために来日します。先週はフィリッピンで100名を越えるセミナー。韓国の事業化がパソコンやセミナー研修などの全費用を寄付してできたのだそうです。 来週は中国で同じような寄付によりIT研修が行なわれるとのこと。ITの時代、海が水で満ちるように、神のことばのすばらしさが満ちるよう祈っています。 来週は、ラジオ放送35周年祝賀会や、森祐理さんコンサート。サンディ・アデジャラ聖会やセミナー。姫路市広畑キリスト教会聖会や礼拝。3日間の韓国への旅などが続きます。 韓国牧師に別れを告げ、行きつけの美容室で散髪をし、その帰りにスカッと晴れ渡る秋空を見上げつつ、今日も天国の一日です!とゆとりの1万歩。道路上の温度計は30度と点滅表示。 影を選んで歩いたけれども暑さも相当のものでした。詩篇 神よ。みこころの時に。 あなたの豊かな恵みにより、 御救いのまことをもって、私に答えてください。 69:14 私を泥沼から救い出し、 私が沈まないようにしてください。 私を憎む者ども、また大水の底から、 私が救い出されるようにしてください。 69:15 大水の流れが私を押し流さず、 深い淵は私をのみこまず、 穴がその口を 私の上で閉じないようにしてください。 69:16 【主】よ。私に答えてください。 あなたの恵みはまことに深いのです。 あなたの豊かなあわれみにしたがって 私に御顔を向けてください。 69:17 あなたのしもべに御顔を隠さないでください。 私は苦しんでいます。早く私に答えてください。 69:18 どうか、私のたましいに近づき、贖ってください。 私の敵のゆえに、私を贖ってください。
2008/09/20
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祈りは聞かれると確信し、望みの忍耐で神のみこころをいつも待ち望んでいます。疑いや恐れが邪魔しないように、みことばをしっかり告白し、イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。答えられました。解決しました。与えられましたとできるだけ具体的に完了形で告白し、感謝します! 祈ってタイミングよく解決すること。 忍耐を持って解決を待っていることもあります。 また自分の願ったことを越えて、驚くような結果が与えらます。 今日もイエス・キリストの名による祈りを恐れないで祈りたいものです。ヨハネの福音書14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。ヨハネの福音書15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。ヨハネの福音書 16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
2008/09/20
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昨日と今日は韓国と東京より講師を迎え、院内に宿泊しているのでチャペル終了後、すぎ近くの喫茶店のモーニングサービスへ。 昨日の朝はNONNO(のんの)、ここのママは子どものとき日曜学校へ行ったことがあり、懐かしく思い出して福音に耳を傾けてくれる。最近献身入院し腫瘍が見つかり、イエス・キリストの名によるいやしをいっしょに祈る。 モーニングセット440円で美味しく、特にママのサンドイッチ(朝はないが)最高に美味しい。 今朝は、趣を変えてパン屋さんが始めた喫茶店へ。モーニングセットは580円だが、さすがに焼きたてのパンは美味しい。 韓国語はカムサハムニダ(感謝します)だけなので、韓国牧師とはカムサハムニダ!だけの交わり。 東京からの牧師は少しだけ話せるので、片言の韓国でお互いを紹介し合うだけで、いっしょに食事を済ませる。 聖書のことばに、黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。とある。 イエス・キリストを信じるとは形だけのキリスト今日を持つというのではなく、心を通じ合う関係になるということだ。神の言葉を聞き、神に話を聞いてもらえるすばらしい関係になることだ。 聖書を読むとき神の語りかけを聞き、聖霊により神のことばを理解できる。神への語りかけは祈りをすることである。祈りとき神はお聞きくださる。そして聖霊により神との混むにケーションができる。なんと言う幸い!なんと言ううれしさ!心置きなくすべての悩みも苦しみも、求めることも必要なことも打ち明けられるとは! まさしく今日もまた天国の一日です!感謝します。ローマ人への手紙8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。 8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
2008/09/19
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ダリヨス王は国を百二十の州に分け、それぞれに知事をおきました。 州知事の上に三人の大臣をおき、ダニエルはその一人でした。 この三人に報告するように義務づけることで、王は効果的に王国を治めることができました。 ダニエルは、そのすぐれた能力のゆえに、他の大臣や、州知事よりはるかに有能であることが、だれの目にも明らかになりました。 そこで王は、彼を行政長官とし、全帝国を治めさせようとしました。 そのため、他の大臣や州知事は激しく嫉妬し、ダニエルの行政に何か落度はないかとあら捜しをし、王に訴える口実を見つけようとしました。 しかし、何一つ批判すべき点を見つけることができません。 ダニエルは誠実で、正直に振る舞い、まちがいを犯すことがありませんでした。 そこで、「残された道はただ一つ。 ダニエルの宗教を突くことだ」ということになったのです。 彼らは、申し合わせて王のもとへ行き、次のように進言しました。 「ダリヨス王よ。 いつまでもご健勝であられますように。 私ども大臣、州知事、参議官ならびに総督は、どんな事情があっても取り消すことのできない法令を陛下に制定していただくよう、全会一致で決議いたしました。 その法令とは、向こう三十日間、陛下以外の者に、どんな神にも人にも祈りをささげる者があれば、ライオンの餌食にされる、という内容のものでございます。 この法令に署名をお願いいたします。 そうすることで、これは無効にすることも、変更することもできないものになります。 まさに、取り消しのできない『メディヤとペルシヤの法律』となるのでございます。」 そこで王は、この法律に署名したのです。 ところで、ダニエルはそのことを知りましたが、家に帰ると、いつものように二階の寝室に入り、ひざまずきました。 エルサレムの方角の窓を開けたまま、彼は一日に三度、祈りをし、感謝をささげていたのです。 すると、陰謀を企てた連中がダニエルの家に押しかけ、神様に哀願し、ひたすら祈っているダニエルの姿を見つけました。 彼らは王のもとに急ぎ、あの法律について念を押してから、こう言いました。 「陛下。 陛下は、向こう三十日間、陛下以外の者に、どんな神にも人にも祈りをささげてはならないという法律に、署名なさいました。 また、その法律には、背く者はライオンの餌食にされる、ともございました。」 「いかにも、そのとおりだ。 変更も取り消しもできない『メディヤとペルシヤの法律』だ。」 そこで彼らは、王に訴えました。 「あのユダヤ人捕虜の一人、ダニエルは、陛下をも、陛下の法律をも無視して、日に三度、彼の神に祈りをささげているのです。」 これを聞いて、王は法律に署名したことを悔やみ、何とかしてダニエルを助けようとしました。 その日が暮れるまで、ダニエルを救い出す手だてはないものか、と思いめぐらしていました。 夕方になると、陰謀を企てた連中がまた来て、しきりにせき立てます。 「陛下。 もう、どうしようもございません。 陛下が署名された法律ですから、変更の余地はございません。」 万策尽きた王は、ダニエルを逮捕するよう命じました。 ダニエルは捕らえられ、ライオンの穴に投げ込まれたのです。 王はダニエルに呼びかけました。 「おまえがいつも礼拝している神様が、どうか、おまえを救ってくださるように。」 それから、一つの石が運んで来られ、穴の口に置かれました。 だれもダニエルをライオンの穴から救い出せないように、王と政府の公印をもって封じたのです。 王は宮殿に帰ると、食事もせずに寝込んでしまいました。 その晩は、いつもの催しも中止して、とにかく眠ってしまおうとしました。 が、なかなか眠れません。 翌朝はやく、まだ夜の明けないうちに、王はライオンの穴に駆けつけ、悲痛な声でダニエルを呼びました。 「ダニエル! 生ける神のしもべよ! おまえがいつも礼拝している神様は、ライオンから救ってくださったのか。」 すると、ダニエルの声がするではありませんか。 「陛下。 永遠に生き長らえられますように。」 まぎれもなくダニエルの声です。 「私の神様は御使いを送り、ライオンの口をふさいでくださったので、ライオンは何もできませんでした。 それは、神様の前で、私に罪のないことが認められたからでございます。 また、陛下に対しても、何も悪いことをしていないからでございます。」 王は我を忘れて喜び、ダニエルを穴から出すよう命じました。ダニエルは神様に信頼していたので、体にはかすり傷一つ負いませんでした。 王はダニエルを訴えた連中を妻子ともども捕らえ、ライオンの穴に投げ込みました。 すると、彼らが穴の底に落ちないうちに、ライオンが飛びかかり、かみ殺してしまいました。 そののち、ダリヨス王は、帝国内の全国民に、次のような声明文を書き送りました。 「諸国民に告ぐ。 余が治めるこの国のどこでも、ダニエルの神様の前に、震えおののくようにせよ。 彼の神様こそ、変わることのない生ける神であり、その国は滅びることがなく、その力は尽きることがない。 この神様はご自分の国民を救い出し、危険からお守りになる。 天においても、地においても、驚くべき奇蹟を行なわれる。 ライオンからダニエルを救い出してくださったのは、実に、この神様だ。」 こうしてダニエルは、ダリヨス王の治世とペルシヤ人クロス王の治世とに、大いに栄えました。 ヘブル人への手紙11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、 11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。 11:35 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。 11:36 また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、 11:37 また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、 11:38 ──この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした──荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。 11:39 この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。 11:40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。
2008/09/19
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昨日は韓国からインターネット専門の牧師が来日。今月で今年7回目になるが関西空港までの出迎えました。時間をミスして2時間も空港で待機。日光ホテルロビーで祈りのときを持ちました。1年半近く祈り告白していた問題が解決した嬉しい知らせもあり、最高のウエイト時間でした。 イエス・キリストのお名前によって祈るのは当然ですが、3年前から必ず、「ありがとうございます。解決しました。与えられました。答えられました!感謝します」と、宣言するようになり、常に豊かな解決を与えられています。昨日のことも考えられないような解決(プライベートで詳しく書けないのが残念ですが)だったので大感謝でした。 全能の神の前にいつももっと素直に、へりくだって祈りさえするなら、考えられないような答えと解決が与えられることをまた経験しました。 そのように告白しても、そのとおりにならなかったらどうするのですか?と質問されます。乱暴に聞こえるかもしれませんが、そのときはその時です!と答えています。 祈りのときの心得は、必ず祈りが聞かれるという確信が第一です。ヨハネの福音書 14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。 14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。ヨハネの福音書15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 なぜ答えられないのかは、疑うからだと明確に書かれています。ヤコブ1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。1:7 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。1:8 そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。ヤコブ4:2 あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。4:3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。 ですから疑いや欲を捨てて、虚心坦懐に必要を祈り求めることが大切な鍵になります。そうるとき、ピリピ人への手紙4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。の約束は成就するのです。 もう一つ大切なことは、望みの忍耐を持って待つことです。昨夜の電話を受けるまで一年5ヶ月、ありがとうございます。解決しました。感謝します。と平安な心で待ちました。ヘブル人への手紙0:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。ヘブル人への手紙 11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 神の愛と真実をしっかり信頼するとき、願いをはるかに越える神のみこころがなされます。エペソ人への手紙 3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。 祈るとき神のみこころがなされていくのです。恐れないで疑わないで、信頼して祈り続けましょう。ルカの福音書 22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」マタイの福音書25:23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(ルカ19:17 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』) 25:29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。 祈りは人生に奇跡をもたらします。信仰と信頼をもって、愛にあふれる神に愛していますと告白し、イエス・キリストのお名前によってお祈りください。 祈ったことは必ず聞かれたと確信し、ありがとうございます。答えられました。感謝します」と宣言してみてください。
2008/09/18
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イエス・キリストを信じるとき、まさにその瞬間、あなたの人生に聖霊が働き、新しい人生を与えてくれます。 あなたがイエス・キリストをアーメン信じますと受け入れるとき、人生が新しくなります。 コリント人への第二の手紙5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 聖書は全能の神の生きていることばです。神のことばは生きていて力があります。聖書の約束を心から信じて告白し実行するとき、不思議に人生は変ります。 16歳の11月24日(日)種子島の西之表キリスト教会の礼拝で、神が愛であり、イエス・キリストの十字架のより、人間のすべての罪や悩み、病やのろい、貧乏や苦しみ、死や地獄行きの運命をすべて引き受けて死なれ、墓に葬られ三日目に復活したことを聞きました。 イエス・キリストをアーメンと信じて心に迎えるとき、聖霊により新しい生まれ変わりの人生が与えられ幸せになるので、今日信じる決心をしてくださいとのお勧めでした。 その朝の礼拝でアーメン信じますと、イエス・キリスを心にお迎えし、その日から救われた幸せの中にきています。 天国に行ったら幸せになるのではなく、天国に行くまでどんなことが起ころうとも、復活し今も生きておられるイエス・キリストが聖霊によって、ともにいてくださる幸いです。 あれがあれば、こうなれば幸せになるというのではなく、今あるがままで幸せを感謝しつつ生きることができるのです。 どうか、イエス・キリストを信じる幸いを今朝から体験してください。 今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。幸せです。愛しています。アーメン。ローマ人への手紙0:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
2008/09/17
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今日もまた天国の一日です!さわやかな朝の目覚めです。 大好きな朝の言葉を紹介します。好きになりそうなことばがあれば、朝の目覚めとともに口ずさんで、すばらしい一日のスタートになりますように。 哀歌3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。 詩篇 5:3 【主】よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。 詩篇30:5 まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。 詩篇 90:14 どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。 詩篇118:23 これは【主】のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、【主】が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 朝の目覚めで口にすることばが一日を支配すると良く言われています。最近は、今日もまた天国の一日です!と目覚めます。 天国は神がともにおられる所。イエス様を信じる者は神の子とされ、神と同じ命=永遠の命を与えられます。肉体のいのちが終わるとき、体は死にますがその霊魂は天国へ召されます。イエス・キリストの再臨のときに、死んでいた肉体は新しい栄光の身体を与えられます。そのとき生きている者は瞬間的に栄光の身体(キリストの復活体と同じ姿)に変えられます。 今、地上にあってもその心はいつも天国です。天国の最高の喜びは愛が溢れていることです。そこでは悲しみの涙は拭われ、もはや死もなく、痛み苦しみもなく、平安と愛だけが豊かに満ちています。感謝がみちみちている最高の場所です。その天国を仰ぎ見るだけでなく、その天国への道を開いてくださったイエス・キリストが、信じる者の中に住んでおられます。 イエス様がともにいてくださるとき、そこは天国です。 今日もまた天国に一日です!を毎日の口癖にしてみませんか。詩篇 103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 私のうちにあるすべてのものよ。 聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、 あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。リビングバイブル103:1 私は心から神様をたたえます。 103:2 今までにいただいた祝福を、決して忘れません。 103:3 神様は私の罪をみな赦し、病気を治してくださいます。 103:4 地獄行きの身を身受けし、恵みとやさしい思いやりで包んでくださいます。 103:5 私の一生は祝福でおおわれ、鷲のように若返ります。
2008/09/16
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ラジオ放送希望の声は、今年で36年になります。どこで誰が聞いているのか分かりません。レスポンスを下さる方もものすごい数になりました。 大阪エリムの礼拝を終え、大急ぎで高速で堺エリムに着くと、高齢のご婦人が入って来られた。挨拶をすると長年、ラジオ放送希望の声を聞いてくださっているとのこと。どうしても顔を見たかった。主人(88歳)もいっしょに来たかったが少し体の調子が・・・・とのこと。 敬老の日礼拝だったので、前に出てもらい短く挨拶をいただく。79歳との事。とてもその年齢には見えないほど若々しく、これで現役ですとにこやかに、毎日午後5時半ー8時半まで働いており、日曜日は休みなので家も近いし(と言っても歩いて一時間)、毎週出席してくださると約束し帰られた。 イエス様を信じて受け入れる祈りをっし、感謝!感謝で幸いな礼拝でした。来週23日のラジオ放送希望の声35周年祝賀会にも、生駒までご主人といっしょに参加すると張り切っておられた。 ラジオでしかキリスト教に触れることのできない方が、勇気を出して教会の礼拝に誘われて参加することは大きな喜びです。 ラジオ放送希望の声は、毎水曜日朝4時35分と早い時間。どうしても早起きの高齢者、入院中でイヤホンで朝早くラジオを聞く方、車庫入れで本社に帰るタクシーの運転をしている方、そのほか一晩中ラジオをつけたままの若者たち。 全能の神の愛は、そのひとり子イエス・キリストを十字架に釘付け、すべての罪や病、呪いや貧乏、死と滅びをあがない、信じる者を救い天国にいけるように永遠のいのちを与えてくださいます。 十字架で死なれ、3日目に死を打ち破り復活し、聖霊によって心の中に住んでくださる救い主!アーメン。信じます。私の心に受け入れます。そのような素直な心で幸いな人生を体験できます。敬老の日の今日も、長寿を願うだけでなく、永遠の命を与えられ、肉体の死を越えて天国へ行ける幸いを経験してほしいものです。ヨハネの福音書 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。 3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。 3:21 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
2008/09/15
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明日は敬老の日。100歳以上が3万人近くになり、80歳以上の高齢者人口も10パーセント近くを占めるようになりました。 敬老の日は9月15日でしたが、2003年の改正により9月第3月曜日。今年はちょうど15日が月曜日なので、敬老の日が戻ってきたかのようです。 キリスト教会では敬老の日の前日が日曜日なので、礼拝の中で高齢者の祝福を祈ります。先日訪れた教会では、60歳以上を敬老の日対象とのこと。エリムキリスト教会は65歳からです。 星塚敬愛園の恵泉教会は90歳から敬老の対象とのこと。 聖書のレビ記には、 「19:32 あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは【主】である」 リビングバイブル訳では、「 19:32 神を恐れなさい。 老人には一目おき、尊敬をはらいなさい。わたしは神だ」とあります。 日本社会を見るとき、高齢者への配慮も何もなくなったかのように思うことが多い昨今です。 しっかりと永遠を見つめて天国へ行くまで、平安で健やかに過ごせるよう祝福を祈る今日の日曜日です。 創世記 24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。【主】は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。 25:8 アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。 青春 サムエル・ウルマン青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意思、豊かな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには、二十歳の青年より六十歳の人に青春がある。年を重ねるだけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥になる。六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、驚異に引かれる心、幼児のような未知への探究心、人生の興味への歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして巳む。 人生行路の贈り物私はいばらのない道を求めない 悲しみが消えよとも求めない日の当たる毎日も求めない 夏の海も求めない輝く太陽と 永遠の昼のみでは 大地の緑はしぼみ衰える涙の水がなければ 歳月を通じて 心の奥底は 希望のつぼみを閉じる人生のどんなところでも 気をつけて耕せば幸いな収穫をもたらすものが 手の届く範囲にたくさんある
2008/09/14
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小さな結婚式を頼まれて、3年目から引き受けていました。チャペルを無償提供し、タキシードやウエディングドレス、ブーケや写真もセットで10万円以内できる、きれいなキリスト教ウエデッングです。どうしても土曜、日曜、祭日に希望が集中します。10月4日(土)に一つ入っていますが、それ以降は年内すべて断りました。 外部教会の聖会や礼拝、韓国行くなど外国への旅も加わり、日曜日は朝から夜まで動き回りの教会活動です。土曜日はしっかりと準備に時間を取る必要もあり。スタッフの皆さんもチャペルの掃除や何やかやであわただしくさせるので、年内はムリになりました。 ブライダル会社の要望にできるだけ添いたいと思い、心から祝福を祈りつつ式をしてきました。今月赤ちゃんが生まれる夫婦もあり幸いです。 どんなに安い費用でもお金を払って式を挙げるので、牧師へのお礼状や感謝はありません。子どもが生まれたら報告も幼児祝福の祈りに来る親子もなく、心から新しい門出を祝福して式をしても、水の上にパンを投げるようで寂しい気持ちにもなります。 受けるよりも与える方が幸いであることを理解しつつも、そのような気持ちになる自分を叱咤激励し、祝福を祈り続けています。 毎日の充実さに加えて、小さな結婚式まで加わると時間が幾らっても・・・・という感じなので、10月4日の式でストップにしようと考えています。 今週は生駒聖書学院2学期始業で、朝の散歩の祈りが猛声祈祷の時間になり、ゆとりの歩きが院内を動き回るだけで1万歩になる昨日、一昨日でした。 近くの教会が老朽化したので月曜日に解体。牧師も高齢のため新し教会は建設せず、駅前に家を借りて小さな礼拝を召されるまで続けるとのこと。 今朝はその教会まで出かけ、学院で使って欲しいものがあるというので、その器材を見せてもらうことになっています。 今日また天国の一日です!ハレルヤと歌いつつの新しい日へのスタートです。感謝します。エゼキエル書36:25 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、 36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。 36:27 わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。 36:28 あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。 36:29 わたしはあなたがたをすべての汚れから救い、穀物を呼び寄せてそれをふやし、ききんをあなたがたに送らない。 36:30 わたしは木の実と畑の産物をふやす。それであなたがたは、諸国の民の間で二度とききんのためにそしりを受けることはない。 36:31 あなたがたは、自分たちの悪い行いと、良くなかったわざとを思い出し、自分たちの不義と忌みきらうべきわざをいとうようになる。 36:32 わたしが事を行うのは、あなたがたのためではない。──神である主の御告げ──イスラエルの家よ。あなたがたは知らなければならない。恥じよ。あなたがたの行いによってはずかしめを受けよ。 36:33 神である主はこう仰せられる。わたしが、あなたがたをすべての不義からきよめる日に、わたしは町々を人が住めるようにし、廃墟を建て直す。 36:34 この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべての者に荒地とみなされていたが、耕されるようになる。 36:35 このとき、人々はこう言おう。『荒れ果てていたこの国は、エデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、くつがえされていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった』と。 36:36 あなたがたの回りに残された諸国の民も、【主】であるわたしが、くつがえされた所を建て直し、荒れ果てていた所に木を植えたことを知るようになる。【主】であるわたしがこれを語り、これを行う。 36:37 神である主はこう仰せられる。わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。わたしは、羊の群れのように人をふやそう。 36:38 ちょうど、聖別された羊の群れのように、例祭のときのエルサレムの羊の群れのように、廃墟であった町々を人の群れで満たそう。このとき、彼らは、わたしが【主】であることを知ろう。」
2008/09/13
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ここ数日、大阪三笠フーズの不正米問題で、日本中に影響が広がっている。今朝のニュースでも、農薬などに汚染された事故米を愛知県の2社が不正に転売などしていた問題で、名古屋市の接着剤製造業者「浅井」から購入した三重県四日市市の米穀仲介業者「ノノガキ穀販」の野々垣勝社長は12日未明、食用関連の計12社に転売したことを明らかにした。農林水産省は実際に食用になったかどうか調査しているとある。 野々垣社長の説明では、浅井を通じて購入したのは、もち米とうるち米の2種。もち米570トンは基準値を超えた農薬メタミドホスの汚染米で、平成18年から今年にかけ、岐阜、愛知、三重、京都の4府県の製菓会社や米取扱業者に転売した。1キロ50-130円で仕入れ、70-160円で売ったという。 農水省によると、愛知県の転売先は菓子製造会社で既に消費された可能性が高く、三重県の転売先の業者はさらに岐阜県の会社に転売したことが分かっている。同省はノノガキ穀販から帳簿の提出を受け、販売先での行方を確認している。 朝日新聞によると、事故米の転用問題で、農林水産省は11日、米販売会社「三笠フーズ」(本社・大阪市北区、工場・福岡県筑前町)と、同社のグループ企業である米仲介会社「辰之巳」(東京都中央区)の2社を不正競争防止法違反容疑(虚偽表示)で熊本県警に告発した。 これまでの農水省の調べでは、三笠フーズと辰之巳の両社は、清酒メーカー「美少年酒造」(熊本県城南町)に対し、殺虫剤成分のアセタミプリドが検出されたベトナム産の「うるち米」を、国産と偽って販売していたと言う。 不思議なことは農水省の検査が何十回もあったのに、不正を見つけることができなかったことです。 だれも見張り役に徹していなかった?政府も農水省も何の謝罪のことばもなく、責任を取る者は一人もいない。 不正や偽装がまかり通る、儲けのことしか考えていない。自己中心の罪深い社会通念を打破する必要を痛感する、最近のニュースです。 心底から悔い改めて、真っ直ぐな道を行く政府、企業化、教育界、家庭、個人で溢れる幸せな国でありたいものです。エゼキエル書より 33:1 次のような主のことばが私にあった。 33:2 「人の子よ。あなたの民の者たちに告げて言え。わたしが一つの国に剣を送るとき、その国の民は彼らの中からひとりを選び、自分たちの見張り人とする。 33:3 剣がその国に来るのを見たなら、彼は角笛を吹き鳴らし、民に警告を与えなければならない。 33:4 だれかが、角笛の音を聞いても警告を受けないなら、剣が来て、その者を打ち取るとき、その血の責任はその者の頭上に帰する。 33:5 角笛の音を聞きながら、警告を受けなければ、その血の責任は彼自身に帰する。しかし、警告を受けていれば、彼は自分のいのちを救う。 33:6 しかし、見張り人が、剣の来るのを見ながら角笛を吹き鳴らさず、そのため民が警告を受けないとき、剣が来て、彼らの中のひとりを打ち取れば、その者は自分の咎のために打ち取られ、わたしはその血の責任を見張り人に問う。 33:7 人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。 33:8 わたしが悪者に、『悪者よ。あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もし、あなたがその悪者にその道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分の咎のために死ぬ。そしてわたしは彼の血の責任をあなたに問う。 33:9 あなたが、悪者にその道から立ち返るよう警告しても、彼がその道から立ち返らないなら、彼は自分の咎のために死ななければならない。しかし、あなたは自分のいのちを救うことになる。 33:10 人の子よ。イスラエルの家に言え。あなたがたはこう言っている。『私たちのそむきと罪は私たちの上にのしかかり、そのため、私たちは朽ち果てた。私たちはどうして生きられよう』と。 33:11 彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。──神である主の御告げ──わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』 33:12 人の子よ。あなたの民の者たちに言え。正しい人の正しさも、彼がそむきの罪を犯したら、それは彼を救うことはできない。悪者の悪も、彼がその悪から立ち返るとき、その悪は彼を倒すことはできない。正しい人でも、罪を犯すとき、彼は自分の正しさによって生きることはできない。 33:13 わたしが正しい人に、『あなたは必ず生きる』と言っても、もし彼が自分の正しさに拠り頼み、不正をするなら、彼の正しい行いは何一つ覚えられず、彼は自分の行った不正によって死ななければならない。 33:14 わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼が自分の罪を悔い改め、公義と正義とを行い、 33:15 その悪者が質物を返し、かすめた物を償い、不正をせず、いのちのおきてに従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない。 33:16 彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公義と正義とを行った彼は必ず生きる。 33:17 あなたの民の者たちは、『主の態度は公正でない』と言っている。しかし、彼らの態度こそ公正でない。 33:18 正しい人でも、自分の正しい行いから遠ざかり、不正をするなら、彼はそのために死ぬ。 33:19 悪者でも、自分の悪から遠ざかり、公義と正義とを行うなら、そのために彼は生きる。
2008/09/12
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いつもは午前8時30分授業開始の聖書学院です。今日と明日の2日間、マレーシアより4名のチームを迎え、賛美セミナーを午前10時より午後2時まで行なうので、朝のチャペル開始を午前8時半に変更。 久しぶりに学期中なのに静かな朝を迎えています。朝早く携帯が鳴り、驚いて飛び起き番号を見ると初めての方。もしもしと答えるとスゴイ怒鳴り声・・・・。静かに対応すると落ち着いてくださり、早い時間だったけれども必要なところへ電話ひと段落。 昨日からアメリカへ留学中の神学生にfax送信を依頼されたが、院内のどのfaxもアメリカに通じず、今朝メールが届きメールで連絡できるようになり感謝。 静かな朝と思いきや、ドタバタのスタートになりましたが、今日もまた天国の一日です。神の国は愛があふれている国。愛しています!ハレルヤ。感謝します。ありがとうございます。幸いです!平安と喜びに輝いてこれから朝のチャペルです。祝福を祈ります。アーメン。ペテロの第一の手紙 3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。 3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。 3:10 「いのちを愛し、 幸いな日々を過ごしたいと思う者は、 舌を押さえて悪を言わず、 くちびるを閉ざして偽りを語らず、 3:11 悪から遠ざかって善を行い、 平和を求めてこれを追い求めよ。 3:12 主の目は義人の上に注がれ、 主の耳は彼らの祈りに傾けられる。 しかし主の顔は、 悪を行う者に立ち向かう。」 3:13 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。 3:14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。 3:15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。 3:16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。 3:17 もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。 3:18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
2008/09/11
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9月23日(祭日)午前10時より午後2時まで、ラジオ放送35周年感謝祝賀会にゲストの森ゆりさんを迎えます。 彼女の書いた心の傷を通して・・・・を紹介します。 子どものころ、転んでケガしたたことありませんか?きっとだれでも、痛んだことやワッと泣いてしまった記憶があると思います。 どんなに傷だらけになっても、すぐ治っていくのが表面のキズ。でも心の中の傷はどうすればなおるのでしょう。1955年1月17日、阪神地区をかつてない大地震が襲ったーーーー 私の弟は、当時大学の4年生で神戸に下宿をしていました。前日まで大阪の実家に帰ってきていたのですが、「卒業論文を仕上げるから」と、16日夜,神戸にも戻ったのです。18日、まったく連絡の取れない弟を案じて、父が歩いて探しに出かけました。 西宮北口より東灘区の下宿まで3時間。まるで怪獣が暴れまわったかのようにメチャクチャになった神戸の街を歩き、やっと着いた弟の下宿は、見る影もないほどひどく壊れていました。 「バイクがないから森君は逃げたと思いますよ」そんな大家さんのことばをよそに、胸騒ぎを覚えた父がガレキを掘り始めると、中に弟の体を見つけました。必死になって近所の方々と共に掘りましたが出てきた時には弟はすでに冷たくなっていました。 19日、牧師や父に担がれて、毛布でくるまれた弟が家に運び込まれた時、私の心の中にも何かでガツンと開けられたような穴が開きました。その穴はどうすることもできない心の傷になりました。 お葬式までの数日、弟の遺体はドライアイスに囲まれて、我が家に置かれていました。ある時、紫色にはれあがった弟の顔を眺めていると、心の中に声が響いてきたのです。 「お姉ちゃん、俺、死んでへんで」ハッとしました。 「俺、もっといいところ、天国に行ったから心配するな」涙があふれました。でもそれは、悲しみの涙ではなく,死をも乗り越える大きな力を感じた畏怖の涙でした。「また会えるーーー」その希望を胸に被災地に行き、歌いはじめました。ガレキの中、炊き出しの場、仮設住宅・・・・そこで多くの方々と出会いました。 そして、彼らの痛みと悲しみ、優しさや温かさが、私の心の穴のところから内側へとどんどん流れ込んでくるようになったのです。 手をとり合い、涙しながら歌う中で、どんな人の心も痛みをもち、慰めを求めておられることを知りました。自分自身が痛んで初めて、人の痛みを知るようになったのです。 それからは、心の痛みを持っている方々へ歌を届けたい一心で歌い続けていました。有珠山の噴火、台湾の大地震、各地の刑務所、少年院。背景は違っても、皆、心に傷をもち、苦しみながらその傷のいやしを求めておられます。でも、どうしたらその傷がいやされるのでしょうか。 どんなにともに歌い、ともにないても、一時の慰めにしかすぎません。どうしたら、誰にも触れることのできない心の奥底の傷に届くことができるのでしょうか。 「わたしがあなたの傷を直し、あなたのうち傷をいやすからだ」(聖書エレミヤ書より) 聖書には、神様が傷をいやしてくださると書いてあります。精密な機械や工芸品が壊れた時、その製作者のところに持っていかねばならないように、私たちの命と心をk路をつくられた神様のもとに行くことが、心の傷の最高の治療法だと思います。 震災で弟を失い、私は心に傷を受けました。でもその傷のおかげで、人の痛みを知るようになりました。悲しみは、悲しみだけに終わらず、もっと大きな何かを得るとびらになると思います。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(聖書;ペテロの第一の手紙2:24) イエス様は、私たちの罪も苦しみもすべてをその身に負われ、十字架に釘付けられました。それを信じるだけで、私たちは罪ゆるされ、天国への切符をいただくことができます。 死からよみがえられたイエスさまは、今も生きておられます。そのイエス様の流された尊い血潮というお薬によって、あなたの心がいやされ、永遠にいのちを受取られますよう心から祈っています。ーーーーーークリスチャンアーティスト 森 祐理述ーーーーーーーーーABCラジオ放送希望の声35周年祝賀会 =榮義之牧師35周年&前田基子牧師10周年!=日時 9月23日(祝)午前10時~午後2時会場 生駒聖書学院チャペル(大駐車場有)スペシャルゲスト 森祐理さん 森祐理さんプロフィール 小学校6年生の時に日曜学校に通い、やがて,家族全員で教会に、高校2年生の時に洗礼を受けた。京都市立芸術大学(音楽学部声楽専修)卒業後、NHK教育テレビ『ゆかいなコンサート』の歌のお姉さんとして活躍。阪神大震災で最愛の弟(神戸大学生)を失い、天国をさらに強く体験し、多くの傷ついた魂にその歌声は、いやしと希望を与え続けている。 ブラジル日本移民100周年記念コンサート(8月25日-9月18日)を終え帰国直後、ラジオ放送希望の声35周年祝賀会コンサートに駆けつけてくれることになりました。美しい森祐理さんのコンサートをたっぷり1時間30分,心のいやしをお受けください。お楽しみに!当日はコンサート終了後に、美味しい食事をいただきながら祝賀会です。ご家族や友人知人お誘いくださり、おそろいでのご参加をお願いします。食事準備の都合上、参加申込みを9月20日までFax、またはメールでお願いします。Fax0742-44-3154;elimyoshi@kcn.jp 630-0243 生駒市俵口町951
2008/09/10
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生駒聖書学院の朝は、起床5時よりスタート。25分のチャペル前の広場に集まり、元気良く全員の掛け声でラジオ体操。眠気を吹き飛ばし、チャペルで聖書を3章音読し、主よ!と叫んで猛声祈祷に入ります。 一時間が過ぎると、6時30分よりチャペルタイム。賛美に15分、メッセージに15分で7時ジャストで終了。清掃奉仕、朝食と続きます。 祈りについて聖書には多くの約束が書かれています。マタイ6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。 お願いする前に、私たちの必要をご存知の全知全能の神様です。感謝します。 ですから静かの瞑想の時を持つことはすばらしいことです。一人静かに神の前に祈れる幸いを体験なさってください。マタイ18:19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 もし二人が、心を一つにして祈るなら必ずかなえられるとの約束です。心を一つにし、声に出して必要を祈りことができます。親子で夫婦で友人同士で、あるいは牧師と二人で心を合わせれ祈り時、必ず答えられるというすばらしい約束です。 心を合わせて祈る人がいないときは、内なるイエス様がともにいてくださると信頼していのることができます。使途の働き4:24 これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。 教会で皆で心を合わせて熱心に祈ることも大切です。教会で皆が声を出すとうるさいからと嫌う人もいますが、そんなことを気にする必要はないと思います。 ほかにもたくさんの約束があります。生駒聖書学院では、大声(猛声)で主に叫び求める朝の祈りから、一日がスタートします。詩篇 5:1 私の言うことを耳に入れてください。【主】よ。私のうめきを聞き取ってください。5:2 私の叫びの声を心に留めてください。私の王、私の神。私はあなたに祈っています。5:3 【主】よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。詩篇88:1 【主】、私の救いの神。私は昼は、叫び、夜は、あなたの御前にいます。 88:2 私の祈りがあなたの御前に届きますように。どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。 詩篇89:15 幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。【主】よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。 朝ごとに、昼にも夜にも、主に叫べる人生は幸いです。もちろん大声を出すだけでなく、沈黙(声にならない)の叫びもあります。叫びはTPOのよりますが、叫べる祈りは幸いな祝福のときです。あなたの祈りに主が豊かに答えてくださいますように!ローマ人への手紙10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。
2008/09/09
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今日もまた天国の一日です!と朝早く元気に一日をスタート。 今朝9時30分より2学期始業式。9月入学生が1名あり、神学生たちも長かった夏季伝道期間を終え成長した姿で帰って来ています。 今日からまたさらに充実した日々です。今週は11日(木)-12日(金)マレーシアよりヤップ牧師がチームが、京都福音教会へ訪問した機会を用いて、賛美セミナーで2学期をスタートできる幸いを感謝しています。午前10時より午後3時まで行なわれます。 昨日の一部礼拝後、生協店長が伊豆の保養地で行なわれた企業研修の経験を話してくれた。自己責任を果たすことこそ、企業盛衰の鍵であり、トップから社員すべてがそのことを自覚するとき企業は成長する。日本社会を見る時、何と自己責任が欠落した時代になったことかと嘆き、政治家に責任を負わせるよりも、その政治家を選んだ自分に責任があると自覚する時、政治は変り国は造り替えられていくのではないか。 家庭でも職場でもしっかり自己責任を果たして行くことが、ほんとうの幸せをもたらすなどと話し、ともに祝福を祈るひとときでした。 昨日のメッセージは、エゼキエル書 18:1 次のような【主】のことばが私にあった。 18:2 「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。 18:3 わたしは誓って言う。──神である主の御告げ──あなたがたはこのことわざを、イスラエルで、もう決して用いないようになる。 18:4 見よ。すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。 18:5 もし、正しい者なら、その人は公義と正義とを行い、 18:6 丘の上で食事をせず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を汚さず、さわりのある女に近寄らず、 18:7 だれをもしいたげず、質物を返し、物をかすめず、飢えている者に自分の食物を与え、裸の者に着物を着せ、 18:8 利息をつけて貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を正しくさばき、 18:9 わたしのおきてに従って歩み、まことをもってわたしの定めを守り行おう。こういう人が正しい人で、必ず生きる。──神である主の御告げ── 18:10 しかし、彼が子を生み、その子が無法の者で、人の血を流し、先に述べたことの一つにでも違反する場合、 18:11 すなわち、それらすべてのことをしようともせず、かえって丘の上で食事をし、隣人の妻を汚し、 18:12 乏しい者や貧しい者をしいたげ、物をかすめ、質物を返さず、偶像を仰ぎ見て、忌みきらうべきことをし、 18:13 利息をつけて貸し、高利を取るなら、こういう者ははたして生きるだろうか。彼は生きられない。自分がこれらすべての忌みきらうべきことをしたのだから、彼は必ず死に、その血の責任は彼自身に帰する。 18:14 しかし、彼が子を生み、その子が父の行ったすべての罪を見て反省し、そのようなことを行わず、 18:15 丘の上で食事をせず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を汚さず、 18:16 だれをもしいたげず、質物をとどめておかず、物をかすめず、飢えている者に自分の食物を与え、裸の者に着物を着せ、 18:17 卑しいことから手を引き、利息や高利を取らず、わたしの定めを行い、わたしのおきてに従って歩むなら、こういう者は自分の父の咎のために死ぬことはなく、必ず生きる。 18:18 彼の父は、しいたげを行い、兄弟の物をかすめ、良くないことを自分の民の中で行ったので、彼は確かに自分の咎のために死ぬ。だったので、自己責任について話だったこともあり、聖書の具体的な適応を話すことができ感謝でした。 神のことば生きていて力があり(ヘぶる4:12)ます。毎日聖書のことばに触れるとき、聖霊の大きな助けと力が臨みます。 今日もまた天国の一日でした!と感謝で終わる歩みを続けたいものです。ハレルヤ!
2008/09/08
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最近恵まれていることば。今日もまた天国の一日です!毎朝ごとに口ずさみ起き上がり歩きます。今朝は早く目覚めて1万歩を歩き、シャワーの後でそのまま眠ってしまいました。 今日は一部礼拝から堺エリムまで4回のメッセージ。これから出発です。 天国の幸せを地上で体験することがを4つ紹介します I'm sorry. Please forgive me. Thank you. I love you! 「スミマセン。ごめんなさい(許してね)感謝します(ありがとう!)愛しています」 第一に愛してくださる全能の神に向かって告白してみてください。 そして、家族や周りにいる人々にも・・・・。愛の奇跡が起こりはじまるでしょう。 イエス・キリストを信じる人生は、そのように素直ですばらしい生活です。詩篇1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、【主】は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。
2008/09/07
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ロックフェラーが知っていた「もうけ方」(イ・チェン著・小牧者出版・1600円+税) ビル・ゲイツを上回る大富豪が貫いたとんでもない大原則とは?!を読んだので紹介します。 裏表紙には、人類史上最高の富豪として、ビル・ゲイツの3倍もの富を築き上げた男、ロックフェラー。 彼は多くの子孫に恵まれ、100歳近くまで生き、あらゆる幸いを手にしました。 彼はまた、多くの慈善事業を行い、野口英世も所属したロックフェラー医学研究所やロックフェラー財団などを設立し、人類の福祉と発展に貢献した人でもあります。 ニューヨークにそびえ立つロックフェラーセンターのように、ロックフェラーは今でも、偉大な巨人として、世界中の賞賛を集めています。 ロックフェラーの人生をたどることによって、私たちも同じような幸いを受ける秘訣を知ることができます。 読みやすい本なので326ページが苦になりません。著者は韓国人です。伝道者の書 5:10 金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。 5:11 財産がふえると、寄食者もふえる。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。 5:12 働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。 5:13 私は日の下に、痛ましいことがあるのを見た。所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ。 5:14 その富は不幸な出来事で失われ、子どもが生まれても、自分の手もとには何もない。 5:15 母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。 5:16 これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろう。 5:17 しかも、人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り。 5:18 見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。 5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。 5:20 こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。
2008/09/06
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聖書に、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ1:1-3)と書かれています。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった! この天地宇宙のすべてが言によってできたと聖書は宣言しています。ヘブル人への手紙 11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。 人間は神に似せて創造されました。その最大の賜物はいのちです。そして生きる存在となり、ことばを与えられ神と意志を通じるようになりました。創世記2:19 神である【主】は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。 この地上に存在している動物、植物、鉱物・人間が作り出す物すべては、人のことばによって名前が付けられ、存在が実在となりました。それはこれからも変りません。人類の始祖、アダムとエバが堕罪し堕落したことにより罪が人類に侵入し、神のかたちを失うとともに、神より与えられた創造のことばをも失い、罪のことば=否定的、破壊的、消極的なことばを多用するようになり、世界はそのようなことばで満ちるようになりました。 ことばを変えると人生が変ります。 アーメンと言えば救われます。信じます!アーメン。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。愛しています!幸いです。ハレルヤと言うだけでも奇跡が起こります。 嬉しい!楽しい!喜びです!感謝します!幸いです!好きです!愛しています!ということばが溢れている家庭に、平安が溢れみんなが幸いです。 不平、不満、泣き言や文句ばかり言っていると、そのようなことが繰り返し起こります。 イエス様はあなたの言うとおりになると言われました。今日も明るい言葉をしっかり告白して、すべての事に勝利し乗り越えて行きましょう。テサロニケ人への第一の手紙5:14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 5:15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはなりません。 5:20 預言をないがしろにしてはいけません。 5:21 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
2008/09/05
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朝の目覚めとともに、「ハレルヤ。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!幸せです。愛しています。感謝します。アーメン」が自然に喜びとなって口に出てきます。 洗礼を受けた次の日曜日礼拝で、牧師が前に来て祈ってくださいと声をかけてくれました。一応前に出たのですが、人前で話をしたり祈ったこともなかったので、神様!と呼びかけはできたのですが、そこから先は声が出ず、歩や汗だけの数分間でした。 生駒聖書学院での神学生の間、クート院長は常に祈るだよ!と変な日本語で、求めたら与えられるだよ!学院敷地(5000坪)も教室の建物や机など備品を指差しながら、すべて祈って与えられものです!と、具体的な体験を話してくれました。 祈れば答えられ必要は与えられる!着るもの、食べる物、生きていく必要はアドナイイルエ(主の山に備えがある)!だ! 最初の教会で聞かなかった具体的な教えに戸惑いました。日ごとの糧を与えたまえと祈ってはいても、具体的に求めることもないまま3年生になりました。 生駒聖書学院は全寮制です。授業が終わると家族寮以外は閉鎖になり、外部へ行かなければならず3年生のとき、近くの牧師の好意により2ヶ月間同居させてもらいました。 毎日の訪問活動で靴に穴があき、お金は一円もなく穴を段ボールや新聞紙で塞いで歩きました。雨が降るともうだめです。そんな折に上がってお話くださいと招かれました。とても靴を脱げる状態ではなく玄関先で真っ赤になりながらお話しして失礼しました。 すごく惨めになっての帰り道、「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7:7)のイエス・キリストのことばが心に迫りました。教会に帰るとすぐ講壇の前に跪き、「神様。靴に穴が開きました。新しい靴が必要です。お与えください」と、イエス・キリストのお名前によって祈りました。 祈った後で手紙が来てその中に靴を買うお金が同封されていました。次の日よりさらに元気で訪問活動を続けることができました。 もし祈らなかったらお金が届いても偶然でありラッキーと叫んだことでしょう。しかし、確実に本音でイエス・キリストのお名前によって祈った直後でした。祈りは偶然を越えるものです。尊い人生を偶然に任せず、祈りにより全能の神に求めるとき、必然の祝福の日々を生きることができます。 あの日の靴を求めて与えられた経験が、聖書の約束とともに祈りの原点となっています。 「ハレルヤ。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!幸せです。愛しています。感謝します。アーメン」は、祈りの感謝の最高のことばと確信しています。マタイの福音書 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。 7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。 7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。7:7 求めなさい。 そうすれば与えられます。 捜しなさい。 そうすれば見つかります。 戸をたたきなさい。 そうすれば開けてもらえます。 7:8 求める人はだれでも与えられ、捜す人はだれでも見つけ出します。 戸をたたきさえすれば開けてもらえるのです。 7:9 パンをねだる子供に、石ころを与える父親がいるでしょうか。 7:10 『魚が食べたい』と言う子供に、毒蛇を与える父親がいるでしょうか。 いるわけがありません。 7:11 罪深いあなたがたでさえ、自分の子供には良い物をやりたいと思うのです。 だったらなおのこと、あなたがたの天の父が、求める者に良い物を下さらないことがあるでしょうか。
2008/09/04
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昨日は67歳の誕生日。委員会のため琵琶湖エキシブに一泊。今日もまた天国の一日です!愛していますと、同室の方が目を覚まさないように午前4時30分に静かに部屋を出る。琵琶湖エキシブは24時間玄関が開いているので、まだ薄暗い琵琶湖の岸辺を歩き始める。できるだけ遠くへ行こうと思ったが、小雨が少し降り始めたのでホテルの周りを歩こうと決めた。 午前6時に一万歩を完歩。エキシブの風呂場がちょうど開くので、そのまま風呂場へ。まだ誰もいない大きな風呂場でゆっくりと汗を流し、部屋へ帰るとまだ眠っている方を起こさないように外へ。歩きつつ賛美し祈ったが自動車の中で朝食まで待つ。 午前7時のニュースで、福田首相が辞任したとのニュースが流れている。驚き!解散総選挙を多くの国民が望んでいる時期に、自分が退くことで自民党への非難をそらそうとしている姿が見える。阿部元首相のように健康に問題があるわけでもないと、記者会見で語っている。何のために辞任かさっぱり伝わってこない。9月になるとすぐ諸物価が値上げ、値上げ。政治家の目は国民の方を見ていない。政権党の方にだけ目が向いている。一言も国民へ申し分けないとのことばもない。 新しい首相が決まるまで、行き先を失った船のようにさまような国になっているようだ。 国民に目が向いている、国民のことを考える首相の出現を祈るのみです。テモテへの第一の手紙 2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。 2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ──私は真実を言っており、うそは言いません──信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。
2008/09/03
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今朝は琵琶湖岸エキシブで67歳の朝を迎えました。今日もまた天国の一日です!愛していますと目覚め、湖岸をゆとりの一万歩。イエス様のありがとうございます。愛しています。感謝します。と祈り賛美しつつの朝です。 ラジオ放送希望の声メッセージを転載します。 榮義之牧師神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 (マルコ11:22-24) 「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」(詩篇118:24)と聖書にあります。本当にそうですね。今日という日、この日はまったく新しい日です。古い昨日は過ぎ去り、新しい日が来ているのです。あなたは今日も生きているのです。生き抜くのです。新しい希望と喜びをもって、出発する幸いをお祈りします。 イエス・キリストを信じる人生とは何でしょうか?それはたくさんのすばらしい現実的なことを意味します。 信仰は、あなたの繁栄を約束します。 信仰は、あなたの幸福を保証します。 信仰は、あなたの家族に救いをもたらします。主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。 (使徒16:31) 信仰は具体的な結果となって現われてきます。イエス・キリストを信じて、罪赦された人は、神の子どもです。永遠の生命をもっています。神の子どもは自由です。仕事や社会生活での成功が約束されています。「その人は、何をしても栄える」(詩篇1:3)と、聖書ははっきりと約束しています。 信仰は悩みや恐れ、欲求不満や失敗などから、自由にされることです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。 (ヨハネ16:33) どんな中にあっても支配されない、自由と喜びの生活を聖書は約束しています。 信仰は勝利です。ものごとを成し遂げることです。土の上をはいずり回る人生ではなくて、ワシのように翼をかって上る人生を、聖書は約束しています。 昔、アリは大きな翼を神から与えられました。大空を自由に飛ぶことができたのです。しかし、アリたちはその翼を自分たちでむしり取ってしまいました。そして、地上をはいずり回り、足を引きずって歩く生活を選び取ったという話があります。 ある意味では人間も同じです。いや、まさしく人間こそ、そうであると言えるでしょう。すばらしい幸福、自由、喜び、輝きのある人生を、神とともに過ごすことができるのに、神から離れて、罪と汚れの中に生きる道を選び取ったのです。どんなにすばらしい幸福も、神から離れていれば、汚れた幸福です。神とともにある時、人は幸せと本当の満足を体験することができるのです。 イエス・キリストを信じる信仰をもつことは、すばらしいことです。 あなたが、イエス・キリストを本気で信じるなら、山をも動かすことができるのです。 あなたが、イエス・キリストを本気で信じるなら、不可能は可能となり、成功人生を送ることができるのです。 あなたが、イエス・キリストを本気で信じるなら、目標達成するために必要な力、エネルギー、方法を神様は与えてくださいます。 あなたが、イエス・キリストをにあって、自分にはそれができると本気で信じるなら、方法・道は必ず開かれます。 しかし、多くの人は疑います。信じないことは、否定的な力です。マイナスの力なのです。だから、自分は成功しないだろう、自分のすることはうまくいかないだろうと考えれば、だいたいそのとおりになります。疑いや否定的な考えは、あなたの人生に失敗をもたらすのです。しかし、勝利を信じれば、成功します。 人間の心の中は工場のようなものです。しかも二人の工場長がいるのです。一人は勝利さんです。もう一人は敗北さんです。勝利という名の工場長は、積極的なものを造り出します。なぜできるか、どうしたらできるかという考えをいつも造りだします。しかし、敗北という名の工場長は、なぜできないか、どんなに弱い人間であるか、という否定的な考えを常に造り出しているのです。 だから、イエス・キリストを信じて、敗北の考えを取り除くことです。成功を考え、失敗を考えない決心をするのです。大きく信じることです。できるといつも信じ、成功を信じ、繁栄を信じ、前進するのです。 今、あなたの人生を清めるために、イエス・キリストを信じてください。その十字架の血はあなたを清め、罪を赦し、神の子としてくださいます。復活の生命を体験して、正しい信仰の道を、成功人生を前進してください。
2008/09/02
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元気の良い子どもたちの声が聖書学院前の道に響く、今日から2学期始業です。クリスチャンスクールは5日(金)より新年度がスタート。生駒聖書学院は8日(月)に9月入学式&始業式です。新学期早々、マレーシアよりヤップ先生一行4名を迎え、賛美とメッセージの集中講義。 11日(木)と12日(金)午前10時ー午後3時。マレーシアレー教会賛美に興味のある方はご参加ください。 今日は日本ペンテコステ親交会常置委員会が琵琶湖岸エキシブで行なわれ、午後より出席のため車で出かける予定です。米原なので長浜市まで足を伸ばし、前回お会いした市議会議員を訪ねようと思っている。 今朝も、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。愛しています」と、元気の目覚めゆとりの一万歩。 誕生日の明日は琵琶湖岸を、ゆとりの一万歩を祈り賛美しつつ歩ける幸いも楽しみです。詩篇 25:1 【主】よ。 私のたましいは、あなたを仰いでいます。 25:2 わが神。 私は、あなたに信頼いたします。 どうか私が恥を見ないようにしてください。 私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。 25:3 まことに、あなたを待ち望む者は だれも恥を見ません。 ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。 25:4 【主】よ。あなたの道を私に知らせ、 あなたの小道を私に教えてください。 25:5 あなたの真理のうちに私を導き、 私を教えてください。 あなたこそ、私の救いの神、 私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。 25:6 【主】よ。あなたのあわれみと恵みを 覚えていてください。 それらはとこしえからあったのですから。 25:7 私の若い時の罪やそむきを 覚えていないでください。 あなたの恵みによって、私を覚えていてください。 【主】よ。あなたのいつくしみのゆえに。 25:8 【主】は、いつくしみ深く、正しくあられる。 それゆえ、罪人に道を教えられる。 25:9 主は貧しい者を公義に導き、 貧しい者にご自身の道を教えられる。 25:10 【主】の小道はみな恵みと、まことである。 その契約とそのさとしを守る者には。 25:11 【主】よ。御名のために、 私の咎をお赦しください。大きな咎を。 25:12 【主】を恐れる人は、だれか。 主はその人に選ぶべき道を教えられる。 25:13 その人のたましいは、しあわせの中に住み、 その子孫は地を受け継ごう。 25:14 【主】はご自身を恐れる者と親しくされ、 ご自身の契約を彼らにお知らせになる。 25:15 私の目はいつも【主】に向かう。 主が私の足を網から引き出してくださるから。 25:16 私に御顔を向け、私をあわれんでください。 私はただひとりで、悩んでいます。 25:17 私の心の苦しみが大きくなりました。 どうか、苦悩のうちから私を引き出してください。 25:18 私の悩みと労苦を見て、 私のすべての罪を赦してください。 25:19 私の敵がどんなに多いかを見てください。 彼らは暴虐な憎しみで、私を憎んでいます。 25:20 私のたましいを守り、私を救い出してください。 私が恥を見ないようにしてください。 私はあなたに身を避けています。 25:21 誠実と正しさが私を保ちますように。 私はあなたを待ち望んでいます。 25:22 神よ。イスラエルを、 そのすべての苦しみから贖い出してください。
2008/09/01
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