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生駒聖書学院が夏季実習期間に入り、同時にアフリカへ出かけたり、先週は九州巡回。毎日充実のときが流れています。 一昨日、久しぶりに草刈機を取り出して見るとエンジンが動かないので、修理に持っていくが主人がいなくて、昨日取りに行くと、故障じゃないですよと、笑いながら油圧のポンプを何べんでもガソリンが流れるまで押してください。そしてスグにエンジンが動き始めました。新しい歯に取り変えてもらい、早速、朝から昼過ぎにお腹が空いてフラフラになるまで刈り続けました。 しばらくは朝のゆとりの散歩の時間、周辺の草刈になりそうです。2時間以上草刈機を振り回していても3000歩ほど・・・・。市条例で草を燃やせないので、ゴミ袋にいれて回収日に出すので、それもまた大仕事?です。 機能も故障なく、新しいガソリンも入っていたのに草刈機が動かなかったのは、小さな油圧ポンプを押さなかったので、ガソリンがポンプの中を流れていかなかっただけでした。 人生もうまく行かないのは、大きな問題だけではなく小さなことで行き詰まっている場合が多いようですね。人のせいにしたり、悪魔や悪霊など霊的な問題にする前に、もっと素直になることが先決です。 第一に、自分に問題があることを認識することです。 第二に、その問題を解決してくれる所に持っていくことです。草刈機店の社長が、問題があったらいつでも来てくださいよと、声をかけてくれていたので持って行き、動かない理由を教えてもらい、さらに新しい歯まで付け替えたように。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)と、イエス・キリストは招いておられます。 アーメンと信じるなら救われた新しい人生を、神の子として生きることができるのです。イエス・キリストを信じる時、人生の根本的な問題が解決します。すべての罪(原罪や「実際的な罪も咎も)十字架により赦されて神の子とされ、永遠のいのち(神と同じいのち)を持ち、平安で喜びと感謝の日々を生きることができます。 第三に、「ハレルヤ!ありがとうございます。今日もまた天国に一日です!感謝します。アーメン」と、あなたの信じるとおりに前向きに告白して、神の国をうちに持つ者として、力いっぱい感謝することです。 夏は雑草の勢いがものすごいです。ちょっと油断すると家の回りも大変になります。蒔かない種まで生えるほどです。 人生の庭もそのようです。きれいな気持ちで御霊の実、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」を願いながら、逆の思いに支配されてしまう弱さがあります。御子イエス様の血潮に日々きよめられながら、聖書のことばをしっかり信じて、前向きに告白をし続けたいものです。 雑草に負けないためには、雑草の種を蒔かない。雑草は取り除くことはもちろんですが、よい種をしっかり蒔いて、それを育てることが大切です。朝の散歩道には手入れをされた畑や田んぼが広がっています。収穫期に向って伸び伸びと成長している米や野菜を見るだけでも楽しいものです。 自分の心もいつも聖書の約束を信じて告白し、実行していくとき、思いをはるかに越えたすばらしい実りがもたらされることを確信します。 今朝も来客が来る前まで思い切り、今(5時15分)から草刈機を使おうと、日の出とともに動きます。ハレルヤ。感謝!マルコの福音書 4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、 4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。 4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。 4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」 4:30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。 4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、 4:32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
2008/07/30
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昨日、今日もまた天国の一日ですと紹介しました。 神の国=天国の幸いの中を生きよう! さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:20-21) 今朝も目覚めとともに、「ハレルヤ!ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。アーメン」で一日をスタート。 昨夜も夜の休みとともに、「ハレルヤ!ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。アーメン」 天国は、「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」(黙示録21:3-4) 天国は、神とともに住むところです。イエス・キリストを信じた日から聖霊により、神は信じる者の心の内に住んでくださいました。聖書はそのことをはっきりと約束しています。 ヨハネの福音書14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。 聖霊なる神が信じる者とともに住み、信じる者のうちにおられる幸いを体験できるのです。イエス様は、「神の国はあなたがたのうちにある」と宣言されました。もちろんこの肉体のいのちが終わる(死が訪れる)時、救われた者は天国へ召されます。永遠のいのちを与えられているので滅びることはありません。天国へ行くので平安の中で死を迎えることができます。 永遠のいのちは行いによって与えられるのではなく、イエス・キリストの十字架の救いを信じる時に与えられます。神の子とされたので神の命(永遠のいのち)を持つのです。 ヨハネの第一の手紙5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。 イエス様はあなたの信じるとおりになる、あなたの言うとおりになると教えました。「すべてのものは、ことばによって造られた。造られたもので、ことばによらずにできたものは一つもない」(ヨハネ1:3)とあるように、この世界のすべてのものは神のことばによって創造されました。 「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです」(ヘブル11:3) 神のことばは創造します。神の子が神のことばを告白する時、ことばどおりのすばらしいことを体験できます。信仰のことば、感謝のことば、明るく幸せな徳を高めることばで、世界を変えていきましょう。 毎日、「ハレルヤ!ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。アーメン」と、天国の喜びに輝き、すべてのことに感謝しつつ前進しましょう。ヨハネの黙示録7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。
2008/07/30
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もう不満は言わない!不平不満にサヨウナラと日曜日の礼拝で語りました。イエス様は、「あなたの信じるとおりになります。あなたの言ったとおりになります」と、祈りのときでも信仰を宣言するように教えてくださいました。 32年前に初めてキリスト教以外のセミナーAIAに参加し、そこで大きなチャレンジを体験しました。それはネガティブなことばを言わないで、ポジティブなことばを積極的に話すことでした。その日以来、意識してマイナス言葉を捨てて、自分にも人にも、神様にも前向きの徳を立てるような言葉を使うようにしています。 例えば32年間忙しいということばを使いません。必要なら充実していますと言いますが、最近は存在自体がそれらから解放されていますから、何に対しても自由に生きる恵みが与えられています。 日本語のすばらしさは、忙しいには充実している。苦しいには楽しい。嫌だには好きだ!と対応することばがあることですね。根暗のことばを根赤のことばに言い換えて32年になります。不信仰的なことばを言うこともありますが、そのときは気づいた瞬間すぐ言い直します。 「イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。答えられました。感謝します」と祈るたびに告白するので、祈れば答えられた喜びでいっぱいです。たとえまだ現実化していなくても感謝の心で受け止め、否定的なことばを口にしないようにしています。 昨日からまた新しい告白(口癖)をスタートしました。いつもは継続してから紹介するのですが・・・・。少しでも恵みをブログの読者にお分かちしたい(今朝書くことがないので?)と思います。「ハレルヤ!ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。アーメン!感謝します」の告白でスタート。一日の終わりに、「ハレルヤ!ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。アーメン!感謝します」で熟睡、爽やかな目覚めです。ルカの福音書17:21「いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」 イエス様のことばを堅く信じ、どんなときも、「ここも天国です」と輝いて過ごしてみてください。 そうすると生きていることが神の国=天国の喜び、平安、輝き、神の栄光。死んでから行く天国へ良いものを全部先送りして、地上での生活を文句タラタラ、不平不満タラタラに生きなくてよいのです。今は辛いけれども天国へ行ったらタラタラにならにように、「神の国は実にあなたがたのただ中にある」ことを認識したいものです。「この奥義はあなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」なのです。 イエス・キリストのおられるところが天国です。永遠のいのちを与えられているので、死を恐れなくても良いのです。肉体のいのちが終われば永遠の天国へ行くことが保証されています。アーメン。信じますとイエス・キリストを心にお迎えすると救われます。 イエス・キリストの十字架の救いを体験し、聖霊により復活のいのちを充満させていただきます。聖霊のエネルギーで霊も心も身体も満たされ、思いもことばも行ないも変えられていくのです。そのような幸せを今日も体験できるのは幸いです。 ハレルヤ!ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。アーメンと力強く告白して一日にスタートです。黙示録 21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
2008/07/29
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今の世界は好ましい状況ではないことは事実。世界には不平不満が満ちている。そのような中で、イエス様が教えてくださった、「主の祈り」ができるクリスチャンは幸いです。 自分の幸せを考えるのは利己的だからダメなどと考える必要はない。あなたが幸せになれば、世の中の幸せレベルを高めることになる。幸せな考えと行動が人々に伝わり、明るい希望が回りを包むのです。ハレルヤ! 不平不満は伝染する。不平不満を言うことで、関心や同情を得たり、努力を避けて通れたりと言うメリット、少しはあると思う。しかし、そればかりしていると、しょっちゅう不平不満を言う人々は、それを聞くとエネルギーがムダになると思った人々から、遠ざけられてしまう。不平不満ばかり言う人は、周りの人々のエネルギーを同情に変えて、それを吸い取ってしまうことにさえ気づいていないのです。 逆に、悲惨な状況にあっても元気で、すべてのことに感謝している人もいます。たとえ死に直面していても、周りの人のエネルギーを吸い取らず、それどころかその快活さによって、天国への思いを感じさせてくれる人々もある。終わり良ければすべて良し!一生をありがとうとアーメンと感謝で閉じて天国へ・・・・。さようならではなく、おやすみなさい。 ひっきりなしにグチをこぼす人といっしょにいると疲れる。グチをこぼさないレベルの人もいるから感謝! そして、似た者同士が、類はその友を呼ぶように集まる。不平不満を言う者同士、感謝の気持ちを持つ者同士が引き合う。エリムキリスト教会はイエス・キリストに救われた感謝の気持ちを持つ者同士が引き合う最高の教会。ハレルヤ!感謝します。 信仰は最高のエネルギーで、自分の信仰パターンと調和するものは引き付け、しないものは遠ざけてしまう。 あなたの発する言葉はあなたの信仰を表現し、強調し、保存すします。だから不信仰のことばを口にすると、実際に自分が望むことは離れて行ってしまう。自分が必要としていることを、自分の不信仰のグチが追いやってしまうのです。 だってあの人が・・・・と、悪口や不満を聞くこともよくあります。だが傷ついた感情を、それをもたらした当の相手ではなく他の人に話すことは、トライアンギュレーション(三項関係)を作ることになる。 健全なコミュニケーションとは、その問題の当事者と率直に話し合うということです。ほかの人に話せば、それは不平不満や悪口になる。言わなければ我慢できない時は、三つのことを守れば、噂話も良いと思う。 第一に、 そこにいない人をほめることばを話すとき。 第二に、 その人に関して言ったことばを一言一句、その人の前で繰り返すことができる話をすること。 第三に、親切なことばが言えないなら、口を閉ざすこと。噂話に関しては沈黙は金です。 グチの競争に巻き込まれないようにすることも大事です。 グチのこぼしあいはバカバカしく、聞いているだけでも疲れてしまうものです。話しがエスカレートし、だれもが自分の人生が一番惨めだったと思わせようとする。グチで人に勝ってもよいものは何もない。不幸だらけの惨めな人間関係。不安な健康問題。金銭的不安、そのほか山積みの問題、問題の数々・・・・。 信仰と愛と希望のことばで、お互いの徳を高める会話を心がけるとき、喜びと感謝が満ち溢れるようになります。 不平不満を言うのをやめて、すべてのことに感謝を現すことです。誰の人生にも感謝できることはたくさんあり、感謝を始めると感謝なできごとが次々起こっります。はっきり表現したことは、なぜか実現する。ネガティブな不幸なことを話せば、ネガティブな不幸なことが起こるから気をつけたい。 ありがたいと思っていることを話せば、感謝の心で放せばよいことが起こり続けます。鹿児島県さつま町の開拓伝道の教会の話しです。教会の隣に600坪の土地があり、駐車場になれば良いといつも思い、願い祈り続けていたそうです。お金の問題は当然だし、地主も売らないと言う。しかし祈りと告白を続けました。 ある日買って欲しいと地主と銀行が訪ねて来ました。何とその値段が300万円(一坪5千円)とのこと。今、隣接地は教会駐車場になっていました。 あなたがあなたであることが、世界に影響を与え続けるのです。不平不満を言えば、その影響力はネガティブなことばかりだったかもしれない。しかし今は、不平不満にさようならするとき、世界中に信仰と希望と愛のポジティブな影響を及ぼすことができるのです。 小さな波紋かも知れませんが、大海に起きたさざ波を、世界中に広げていく幸い、嬉しい限りです。今日も、イエス・キリストの十字架の救いの良い知らせが、世界中に広がり続けています。 ブドウの季節ですが、ぶどう畑では、一房のブドウが熟しはじめると、その波動、酵素、香り、あるいはエネルギーの磁場が発散して、それがほかのブドウに伝わるのだそうです。その一つが周囲に、今こそ変わる時期だとシグナルを送るとき、ブドウ畑は色づき初めます。 私たちは今日から、この一房のブドウのように、すべてのことに感謝する気持ちとことばを口にし、何事も感謝の笑顔で行う時、子どもたちへ、夫へ妻へ、上司へ部下へとその感謝の波動が、聖霊により広がっていくと確信している朝です。 別に何もしなくても良い。すべてに感謝するとき、最善のものだけがあなたの周囲に広がっていくのです。イエス・キリストを信じて救われ、聖霊によりイエス・キリストを宿す者へと変えられてください。聖霊が今こそ信じる時だと、あなたにも語りかけているのです。 「アーメン。イエス・キリストを信じます。私の心のお迎えします。アーメン」と、お迎えください。「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」コロサイ人への手紙 3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
2008/07/28
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アーメン・ダイエット法 お腹がでてベルトがきつくなった経験がある人が多いと思います。そんなとき目につくのが健康雑誌や折込みに入ってくるダイエット法です。手元にあるものをいくつか上げてみると、大騒然・・・で84キロ、72キロ、25キロ、13キロ即やせた、300人続々やせた!!とか、60キロ、40キロ、15キロ、10キロ、すとんとやせたなど。また2日間断食で脂肪が燃焼、5キロ、20キロらくらくやせる!最新ダイエット10キロ、7キロどどっとやせたなどの大文字が踊っています。 なぜダイエットするのでしょうか。健康のためにというより、見た目のよさのためなら、目的が違います。健康のためにスリムになり、体脂肪が落ちたり、高血圧が平均化したり、コレステロールが平常化する明確な目的ならばいいと思います。簡単で安易な方法で高いお金を使ってするダイエットには、いつでもムリがあります。 なぜ太るのでしょうか。さまざまな理由が考えられます。一つは仕事が忙しいからです。忙しいと食生活が乱れます。寝る前に甘いものを食べたり、チョコレートを食べるしか楽しみがなかったりで、バランスのよい食事をとらなくなります。あるアンケートで肥満の原因を求めたところ、ストレス、自分の落ち度、夫や妻、イラク戦争など面白い回答もありました。一元的な要因だけではありませんが、最大の理由はストレスのようです。ストレスの原因は、自分の肥満、ダイエット、体重測定、空腹などです。いくらダイエットしようとしてもおいしいものは食べたいし、付き合いもあるしでダイエットそのものがストレスになってしまいます。肥満解消の努力がかえって肥満を促進し、イライラ度を増させているということができます。 どんな健康法も結論は、バランスの取れた食生活にあります。野菜と適量の魚を中心とした低カロリーの食事をちゃんと食べることです。また適量のサプリメントを規則正しくとり、私は18年間以上SOD様食品とルイボスティを愛用しています。脳内出血で倒れても完全に回復したのは、神様の恵みと食生活のバランスだったと感謝しています。もうひとつ大切なことは、毎日10分でもいいから適度に散歩をすることです。毎日できなければ3日に1日くらいは、欠かさず1万歩くらい歩くゆとりを持つとよいでしょう。ちなみに私は、毎日1万歩のゆとりで完全な健康体を回復しました。 どんなダイエット法も健康を損なっては意味がないことを、しっかり理解して神様が与えてくださった身体を大切にしてください。 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。 出エジプト23:25
2008/07/27
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昨日の朝4時前に九州から自動車で帰宅。メールへ返信したりブログを書いたり、テレフォンメッセージを録音したり・・・・。ぐっすり10時頃まで熟睡したが、さすがにぐったり少し早い昼食をすませ、ニュースを見ながら眠ってしまった。 ゆとりの一万歩はカンカン照りのため、夕食を終えてゆっくり出かけそれでも1万1千歩余を歩く。夏祭りの時期で3箇所ほど盆踊りのリズムが鳴り響いていた。 今日は2ヶ月ぶりに富雄キリスト教会礼拝説教。その間に30代男性がイエス・キリストを信じ、今日初めての出会い。幸い礼拝後に生駒聖書学院の洗礼場で水のバプテスマを受けてクリスチャンとなる。教会員たちも参加しての喜びの時です。 ルカ福音書のことばが心に響きます。15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。15:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」 今日も天国の喜びにために働ける幸いを覚えながら、シャキッと元気で新しい喜びの中でスタートの日曜日の朝です。ハレルヤ。詩篇126:1 【主】がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、 私たちは夢を見ている者のようであった。126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、 私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。 そのとき、国々の間で、人々は言った。 「【主】は彼らのために大いなることをなされた。」126:3 【主】は私たちのために大いなることをなされ、 私たちは喜んだ。126:4 【主】よ。ネゲブの流れのように、 私たちの繁栄を元どおりにしてください。126:5 涙とともに種を蒔く者は、 喜び叫びながら刈り取ろう。126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、 束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
2008/07/27
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昨夜7時ちょっと過ぎ、八女市のレストランンで美味しい夕食をいただき、その足で九州自動車道に乗り、美しい夕日輝く高速道を走り、8時過ぎに九州に別れを告げました。 それからは睡魔との闘い。朝4時半に起きゆとりの一万歩。朝食後、久留米市より八女市まで行き、地域の救いを祈る会(6年目を迎えてすべての人の救いを祈る会に改名)に参加。いつもは久留米市の牧師夫妻も参加するが、昨日は筑後市の有名な幼稚園園長牧師の3名での祈り会。 祈り会後の軽食をいただきながらお交わり。午後からの伝道集会前に近くのスーパーを少し歩く(暑いのでスーパーの中は涼しいので・・・・) 初めて集会に出席した親子は、6年前まで生駒駅前に住んでいたとのこと。生駒にも友人がいるのでいつか聖書学院を訪ねてたいとのこと。 中西伝道師と母親、若い娘さん、また橋本伝道師が大分市より駆けつけ集会開始。幸い集会初めて参加の3名が信じる祈りをしてくださる。その後、お交わりをしながら全員の祝福を祈りました。 今年で15年になる九州巡回ですが、今回は鹿屋市、霧島市、鹿児島市、さつま町、出水市、久留米市、八女市とダイヤモンドフェリーを降りて950キロの走行でした。広島を過ぎた頃から眠さをこらえきれず、サービスエリヤごとの停車。少し眠ってはまた走りで、朝の4時前に帰宅。9時前まで熟睡しすっきり目覚めでした。 すべての出会いと聖霊の導きに感謝しつつの朝です。感謝します!ハレルヤ。雅歌2:8 愛する方の声。 ご覧、あの方が来られます。 山々をとび越え、丘々の上をはねて。 2:9 私の愛する方は、 かもしかや若い鹿のようです。 ご覧、あの方は私たちの壁のうしろに じっと立ち、窓からのぞき、 格子越しにうかがっています。 2:10 私の愛する方は、 私に語りかけて言われます。 「わが愛する者、美しいひとよ。 さあ、立って、出ておいで。 2:11 ほら、冬は過ぎ去り、 大雨も通り過ぎて行った。 2:12 地には花が咲き乱れ、 歌の季節がやって来た。 山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。 2:13 いちじくの木は実をならせ、 ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。 わが愛する者、美しいひとよ。 さあ、立って、出ておいで。 2:14 岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。 私に、顔を見せておくれ。 あなたの声を聞かせておくれ。 あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。 2:15 『私たちのために、 ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕らえておくれ。』 私たちのぶどう畑は花盛りだから。」 2:16 私の愛する方は私のもの。 私はあの方のもの。 あの方はゆりの花の間で群れを飼っています。 2:17 私の愛する方よ。 そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、 あなたは帰って来て、 険しい山々の上のかもしかや、 若い鹿のようになってください。
2008/07/26
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早く起き、植木がたくさんあり少し歩くと山もあるホテルの周りを一万歩。きょうもゆとりのスタートです。 今日はここから一時間弱の八女市フロンティア祈りの家(近藤雅子牧師)で、午前中地域の救いを祈る会が行なわれ、久留米市や筑後市、八女市牧師が集まるとのこと。月一度持ち回りで地域のリバイバルを祈るすばらしい時です。 午後には伝道会が計画されています。ラジオ放送希望の声 愛するということ私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 (?ヨハネ4:19) 人には愛されたいという欲求があります。それはどんな欲求よりも強いものです。 健康な体を保つためには、欠かすことのできないものが二つあります。一つは食物です。もう一つは適当な運動です。食べなければ運動できません。食物を摂り入れ、それをエネルギーとして放出する時、肉体は健康を維持することができるのです。 健康な心・精神を保つためにも、欠かすことのできない要素が二つあります。一つは愛されることです。もう一つは愛することです。愛されるとは愛を摂り入れることであり、食物を食べることに似ています。一方、愛するとは愛を与えることであり、運動としてエネルギーを発散させることに似ています。 愛するためには、まず十分な愛を摂り入れる必要があります。人は愛されることによって初めて、愛する力をもつのです。 あなたがこの世に生まれてきたということは、すでに愛を体験した証拠です。理想的には子どもは親の愛の結晶ですね。たとえ理想的でなかったとしても、お母さんが新しい生命の誕生のために、十ヵ月も体を気遣い、不便を忍んで、子どもを産み出したこと自体、すでに愛されていることです。 生まれてきたので、生きているのです。生きてこられたのは、だれかが愛して世話をしてくれたからです。ある統計によれば、人間一人生存するためには、二〇〇万人の人がかかわらなければいけないそうです。 私たちはしばしば、他の人が自分を分かってくれない、自分の本当の姿を理解してくれないと悩みます。 おじぎ草という草がありますね。そっと触っても、すぐにサーっとしぼんでしまいます。私たちもほんのちょっとしたことで心を閉ざしてしまい、だれも自分のそばに近づけようとしなくなります。あなたは今日、いかがですか?自分を愛してくれる人はだれもいない、自分はひとりぼっちだ、だれも自分を分かってくれないと嘆いていませんか? あなたに分かってほしいのです。神が愛であることを。そして、神の愛はあなたの心を暖かい太陽のように包み、いやしてくださるのです。どんなに堅く閉ざした心をも、神は十字架の愛によっていやし、包み、理解してくださいます。 私が聖書学院一年生の時でした。ある集会で、寂しそうな、険しい顔をした青年に出会いました。私はただ一つ確実に覚えていた聖書のことばを語りました。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネ3:16)あなたは、神に愛されている!あなたのために、イエス・キリストは十字架に死んでくださった!あなたのどんな罪も赦される!あなたは神の子になれる!あなたは神のいのちをもつことができる!あなたは新しい人生を生きることができる! 青年の目に涙がありました。実は、彼は殺人を犯して逃亡中だったのです。神の愛は彼を捕らえ、彼は救われました。自首し、立派に更生することができました。 今日、神の愛に心を開き、新しい人生に旅立とうではありませんか。 父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。 (ルカ23:34) オランダに、コーリー・テン・ブームという、世界的に有名な婦人がいます。 第二次世界大戦の時、彼女の家族はユダヤ人をかくまったという理由で、ドイツの収容所に入れられました。彼女の両親と姉妹は、残忍な拷問に耐えきれず、収容所で死んでしまいました。しかし、彼女は耐え抜き、九死に一生を得て、オランダに帰りました。そして神学を学び、イエス・キリストに身を献げ、世界中を回って神の愛を語るようになったのです。 神の愛を語る時、彼女はいつも「もう一つの声」が語りかけてくるのを聞きました。それは「数多くの人々を虐待したドイツ民族が、罪責感にあえぎ、苦しみ、悩んでいるから、そこへ行って、赦しの福音を語れ」という声でした。彼女はかつての辛い経験から、ドイツにだけは行きたくなかったのです。しかし、強く促す神の声に逆らうことができず、仕方なく出かけました。 コーリー・テン・ブームは、ドイツの人々に、神の赦しの愛を語りました。 イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、すべての人々の罪を背負い、赦すためでした。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と、自分を釘づけた人々のために、キリストは祈りました。「七度を七十倍するまで」(マタイ18:22)赦しなさいとも教えられました。 敗戦の中で、罪責感にあえぎ、霊肉ともに病んでいたドイツの人々は、この「赦しの福音」を聞いて、神様に感謝し、喜んだのです。彼女の話を聞いて、多くの人々が救われました。またさまざまな病気が治った人もたくさんいました。彼女が話し終えると、人々は列をなして握手を求めてきました。 しばらくの間、次々と差し出されてくる手を握っていたコーリー・テン・ブームは、彼女の前に手を差し出している一人の男性を見て、思わずその場に立ちすくんでしまいました。心臓が止まる思いでした。その男こそ、強制収容所で彼女を裸にし、拷問した兵士だったのです。 その男は何も気づいてはいません。みんなと同様に、手を差し出していました。彼女は収容所時代を悪夢のように思い返し、手を差しのべて握手する気持ちには、到底なれませんでした。そして男が手を差し出している短い時間が、まるで何千年ものように思われました。 神の愛を語り、勇敢にキリストの十字架の赦しを語った彼女です。しかし、彼女の家庭と青春を無惨にも踏みにじったこの男を、どうして赦すことができるでしょう? コーリー・テン・ブームは心の中で祈りました。「主イエスさま、私はどうしてもこの男を赦すことができません。どうか私を助けてください」。その時、イエス・キリストの御声を聞いたのです。「わたしが、わたしを十字架に釘づけた人を赦したことを、あなたは知っているでしょう?また語ったでしょう?早く手を差し出して握手しなさい」。 その声を聞いたコーリー・テン・ブームは、鉄の塊のように重くなった手を差しのべ、その男と握手しました。まさにその瞬間でした。神の愛が豊かに注がれたのです。神の愛が全身を覆い、彼女は涙を流し、心のそこからその男を赦すことができました。彼女は自分の体がまるで十年も若返ったような気持ちさえしました。 あなたは今、心の中に、どうしても赦すことのできない憎しみをもっていませんか?聖書は、「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ6:37)と教えています。 人の過ちを赦すことは決して容易なことではありません。しかし、 第一に、赦すことは、神様の命令です。 第二に、赦すことは、自分自身の心のために必要です。 第三に、赦すことによって、隣人と温かい関係を結ぶことができます。 神様は赦す人の祈りを聞き、幸せで包んでくださいます。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と、十字架上で祈ったイエス様が、あなたの心の中に住んでくださいます。 今、イエス・キリストを心にお迎えください。
2008/07/25
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ホテルの朝食を終え、福岡県久留米市に向う。ここでも生駒聖書学院卒業の牧山祐子牧師が、約千坪の敷地が与えられ、その中に20坪ほどの教会を建てて、キムチつくりを村の人々に紹介しながらの開拓伝道中です。 教会はどこですか?と問うと、イエスの家はキムチ作りを教えている所ですよと、教えてくれるほどに村に馴染んできています。ここでは午後に集会があり、夜は近くのホテルで宿泊予定です。ラジオ放送希望の声 赦しの愛父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。 (ルカ23:34) オランダに、コーリー・テン・ブームという、世界的に有名な婦人がいました。 第二次世界大戦の時、彼女の家族はユダヤ人をかくまったという理由で、ドイツの収容所に入れられました。彼女の両親と姉妹は、残忍な拷問に耐えきれず、収容所で死んでしまいました。しかし、彼女は耐え抜き、九死に一生を得て、オランダに帰りました。そして神学を学び、イエス・キリストに身を献げ、世界中を回って神の愛を語るようになったのです。 神の愛を語る時、彼女はいつも「もう一つの声」が語りかけてくるのを聞きました。それは「数多くの人々を虐待したドイツ民族が、罪責感にあえぎ、苦しみ、悩んでいるから、そこへ行って、赦しの福音を語れ」という声でした。彼女はかつての辛い経験から、ドイツにだけは行きたくなかったのです。しかし、強く促す神の声に逆らうことができず、仕方なく出かけました。 コーリー・テン・ブームは、ドイツの人々に、神の赦しの愛を語りました。 イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、すべての人々の罪を背負い、赦すためでした。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と、自分を釘づけた人々のために、キリストは祈りました。「七度を七十倍するまで」(マタイ18:22)赦しなさいとも教えられました。 敗戦の中で、罪責感にあえぎ、霊肉ともに病んでいたドイツの人々は、この「赦しの福音」を聞いて、神様に感謝し、喜んだのです。彼女の話を聞いて、多くの人々が救われました。またさまざまな病気が治った人もたくさんいました。彼女が話し終えると、人々は列をなして握手を求めてきました。 しばらくの間、次々と差し出されてくる手を握っていたコーリー・テン・ブームは、彼女の前に手を差し出している一人の男性を見て、思わずその場に立ちすくんでしまいました。心臓が止まる思いでした。その男こそ、強制収容所で彼女を裸にし、拷問した兵士だったのです。 その男は何も気づいてはいません。みんなと同様に、手を差し出していました。彼女は収容所時代を悪夢のように思い返し、手を差しのべて握手する気持ちには、到底なれませんでした。そして男が手を差し出している短い時間が、まるで何千年ものように思われました。 神の愛を語り、勇敢にキリストの十字架の赦しを語った彼女です。しかし、彼女の家庭と青春を無惨にも踏みにじったこの男を、どうして赦すことができるでしょう? コーリー・テン・ブームは心の中で祈りました。「主イエスさま、私はどうしてもこの男を赦すことができません。どうか私を助けてください」。その時、イエス・キリストの御声を聞いたのです。「わたしが、わたしを十字架に釘づけた人を赦したことを、あなたは知っているでしょう?また語ったでしょう?早く手を差し出して握手しなさい」。 その声を聞いたコーリー・テン・ブームは、鉄の塊のように重くなった手を差しのべ、その男と握手しました。まさにその瞬間でした。神の愛が豊かに注がれたのです。神の愛が全身を覆い、彼女は涙を流し、心のそこからその男を赦すことができました。彼女は自分の体がまるで十年も若返ったような気持ちさえしました。 あなたは今、心の中に、どうしても赦すことのできない憎しみをもっていませんか?聖書は、「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ6:37)と教えています。 人の過ちを赦すことは決して容易なことではありません。しかし、 第一に、赦すことは、神様の命令です。 第二に、赦すことは、自分自身の心のために必要です。 第三に、赦すことによって、隣人と温かい関係を結ぶことができます。
2008/07/24
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今日は鹿児島市からさつま市へ。生駒聖書学院卒業生の牧師夫妻とその教会を訪れます。その後、家内の母親を出水市の介護施設ニューライフに見舞い、夜はホテルキングに宿泊予定です。 ラジオ放送希望の声 初めに、神が天と地を創造した。 (創世記1:1) 聖書の開幕、第一ページの最初のことばは、「初めに、神が天と地を創造した」です。 このことばは、聖書全体を理解するために、とても重要です。まあ、聖書全体の「鍵」と言っても過言ではないでしょう。 それはまず第一に、「キリスト教は神中心の教えである」ことを示します。 ここで言う神とは、「唯一、まことの神」のことです。太陽が一つしかないように、この世界には、まことの神はただお一人しかいないと、聖書は告げているのです。唯一であるということは、絶対に他に比べられるものはないということです。 しかも、この唯一、まことの神は、「生きている神」です。人格をもったお方なのです。 聖書は、この唯一なる神が初めに、天と地を、つまりこの宇宙を、この世界を創造したと宣言しています。 神は世界を造られたのであって、決して世界の一部ではありません。ちょうど、画家とその描いた絵とが別個のものであるように、農夫とその耕す畑が別個のものであるように、神は生きている「造り主」であって、全宇宙も全人類も、神によって造られた被造物にすぎません。 だから、生きているまことの神以外のものを拝むことは、愚かなことなのです。太陽も月も星も人も草も木も動物も、生けるまことの神によって造られたものです。造り主こそ、賛美と礼拝を受けるにふさわしいお方なのです。 神は生きた人格ですから、すべての人間は、神と人格的かかわり合いをもっています。たとえあなたがまことの神を知らなくても、神はあなたの創造者であり、主なのです。あなたは神のものですから、神はあなたを愛しておられます。 あなたがこの世に生を受けた目的は、神を喜ばせ、神の栄光を現すことであって、神を中心として日々の生活をすることです。そうしてこそ初めて、真の意味での充実した豊かな生涯を全うすることができるのです。 先日、デパートに行った時のことです。小さな男の子が私の手を握り、「お父ちゃん」と言いました。私は子どもを連れていなかったので、びっくりしてその子を見ました。その子は私よりももっとびっくりして、泣きそうな顔になりました。でも近くに本当のお父さんがいて、すぐその子の手を取ったので、本当にうれしそうな顔に戻りました。私たち人間の姿を見たような気がしました。 昔、アウグスチヌスという有名な神学者は、「人間は神によって造られた者であるから、神の懐に帰るまでは、本当の平安はない」と言いました。生けるまことの神との間が正常であれば、不安や恐れは消えて、平安と喜びが与えられます。 まことの生ける神に背を向けてどんなに懸命に生きても、まことの神以外のものにどんなに祈っても、決して平安はもてず、ただイライラとして毎日を過ごすだけなのです。まことの神の愛の懐に立ち返るなら、その瞬間から、本当の平安と満足が与えられます。 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネ3:16) 神はあなたの帰るのを待っておられます。今日から生けるまことの神を信じる生活を始めようではありませんか。
2008/07/23
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久しぶりのダイヤモンドフェリーで大阪南港乗船。美しい夕日を眺めつつ船内で夕食。することもなく早くに就寝。太平洋に昇る朝日を浴びながら、船上を祈りつつゆっくり歩き続ける。早いので甲板上にはまだ人影もない。 愛用の聖書のことばを暗唱し、聖歌を口ずさむ。主にすがるわれに悩みはなし 十字架の御許に荷をおろせば 歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ 歌いつつ歩まん この世に旅路を 賛美が静かに波の上を流れていく。 快適な船旅。詩篇のことばを思う。詩篇107:23 船に乗って海に出る者、大海であきないする者、 107:24 彼らは【主】のみわざを見、 深い海でその奇しいわざを見た。 107:25 主が命じてあらしを起こすと、 風が波を高くした。 107:26 彼らは天に上り、深みに下り、 そのたましいはみじめにも、溶け去った。 107:27 彼らは酔った人のようによろめき、 ふらついて分別が乱れた。 107:28 この苦しみのときに、彼らが【主】に向かって叫ぶと、 主は彼らを苦悩から連れ出された。 107:29 主があらしを静めると、波はないだ。 107:30 波がないだので彼らは喜んだ。 そして主は、彼らをその望む港に導かれた。 107:31 彼らは、主の恵みと、 人の子らへの奇しいわざを【主】に感謝せよ。 特に、107:30 波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。鹿児島の志布志湾に静かに入港。主が造られた新しい日のスタートだ。 鹿屋市に学院卒業生で恵泉教会牧師の奥様を見舞、いやしと回復を祈ります。 きりしま市では星原中学時代の担任東亮吉先生(サバンナに愛の光 永遠に・榮義之牧師物語の著者で87歳)を訪れ、同市内に住む富雄キリスト教会の名ピアニストだった方も久しぶりに再会します。 それから桜島を望みながら鹿児島市へ・・・・。
2008/07/22
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種子島生まれなので鹿児島県は懐かしい故郷です。1993年から毎年7月か8月に九州の教会訪問を継続している。 93年に種子島でキリストの教会全国大会があり、母教会が西之表基督之教会でもあり大会の講師として招かれた。ペンテコステの牧師になっていたが、初めて母教会(しかも全国大会)でメッセージを語ることは喜びでした。それまでも種子島のバプテスト教会で説教することはあっても母教会へは挨拶に訪れるだけでした。 93年以来、早いもので15年になり、昨年は奄美大島と徳之島の日本基督教団教会や出水市、八女市、久留米市の教会。 今年は鹿屋市、きりしま市、鹿児島市、さつま市、出水市、久留米市、八女市を訪れます。教会の集会や入院中や自宅療養中の重症の方見舞い。家内の実家の母(97歳)も見舞うことにしています。生駒聖書学院卒業生もかなりあり、時間の許す限り動こうと思い自動車で行くことにした。 ダイヤモンドフェリーで行くので、大阪南港17時55分発。明日の朝8時55分に志布志港着。明日は太平洋の日の出を見ながらフェリー上をゆとりの散歩をしようと思っている。 初めて船に乗ったのが小学6年生の時。種子島から鹿児島までだったが、400トンの船で佐多岬過ぎる時の揺れで、ものすごい船酔いに襲われ、二度と乗らないとさえ思うほどだった。鹿児島までは当時5-6時間。船以外には手段がなく、船酔いに悩まされ続けでした。 24歳の時初めての飛行機で種子島へ。酔うどこっろか快適な30分の飛行。それ以来飛行機が大好きになり、今年もアフリカまで出かけました。幸い横浜からナホトカまでの54時間の船旅や、鹿児島から徳之島24時間。スエーデンからロンドンまでの12時間と船旅もなれ、イエス・キリストの福音を携えての宣教に励む幸いをいつも体験しています。 出かけるまでにしておく事が多くあり、ブログも毎日更新を継続中なので、途切れないようにしたい。インターネット画像礼拝も毎日配信できるように。 明日から金曜日の八女市フロンティア祈りの家での集会まで、主の守りの中で過ごす聖霊に導かれての九州(鹿児島県&福岡県)訪問です。ローマ人への手紙私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。 1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。 1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、 1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。 1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。 1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。 1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。 1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。 1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。 1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。 サファリを行く象たち
2008/07/20
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今朝も爽やかな目覚め。朝から晩まで礼拝が続くので、祈りつつゆとりの1万歩へと。黎明を染め矢田丘陵から輝きの日の出は5時8分頃。小鳥のさえずりが静けさをさらに濃くするような山道を歩く。約8000歩を歩き、シャワーでさっぱりする。テレフォンメッセージを録音し、日曜日はしっかりと朝食を食べる。メールへの返信やブログへ書き。いつもの日課は変わらない。 9時に一部礼拝。十時に学院教会でインターネット放映の礼拝をささげる。急いで昼食をすませ車で大阪エリムへ。日曜日の高速は空いているので40分弱で到着。日曜日でも1時間300円のコイン駐車が信仰によりいつも空いているので感謝。 大阪エリムの礼拝を終えるとそのまま26号線で堺へ。最近心なしか車の流れが少なくなったように思う。ガソリン高騰のせいかな?と思ったり・・・・。 堺の礼拝を終えると、阪神高速と第二阪奈道路で6キロのトンネルを抜けると生駒市。料金所から5分ほどで生駒駅に一人の教会員を下し、途中のコンビニで同乗者の夕食やアイスクリーム・お茶などを買い生駒聖書学院へ。 夕食を軽く終えるとシャワーを使い、明日の予定をチェックし、おやすみなさいと祈りとともに朝4時半からの充実の一日が終わります。 今日のメッセージは、デボーション箇所が伝道者の書だったので、「神の時の中に生きる幸い」と題して語る。 神の定めの時に生まれる幸い 神の導きの時の中に生きる幸い 神の愛の中に死を迎える幸い伝道者の書3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、 すべての営みには時がある。 3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 植えるのに時があり、 植えた物を引き抜くのに時がある。 3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。 くずすのに時があり、建てるのに時がある。 3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。 嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 3:5 石を投げ捨てるのに時があり、 石を集めるのに時がある。 抱擁するのに時があり、 抱擁をやめるのに時がある。 3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。 保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 3:7 引き裂くのに時があり、 縫い合わせるのに時がある。 黙っているのに時があり、話をするのに時がある。 3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。 戦うのに時があり、和睦するのに時がある。 3:9 働く者は労苦して何の益を得よう。 3:10 私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。アフリカ・ケニアのパラダイス孤児院の子どもたち
2008/07/20
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アフリカではサファリに行くと野生動物を見ることができます。特にマサイマラはライオンの王国と言われています。今年はいつもより多くのライオンを見ることができ、同行者の喜びを楽しむこともできました。
2008/07/19
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アフリカより帰国して2週間になるが、久しぶりに朝の生駒を歩きました。それまでほとんど昼間に所用で出かけるとき車を使わず歩きでした。 毎日ゆとりの10,000歩と歩き続け、今朝でちょうど4年9ヶ月になりました。聖書学院学期中は午前5時30分スタートです。夏季実習期間は、家にいる限り早朝の散歩をと思いつつでした。 ケニア宣教中も毎朝ホテルの中や、キスムの町ではストリート・チルドレンを訪ねて歩きました。サファリでは安全なサファリの道を、ドバイでは待ち時間の空港内を・・・・。 自分で歩こうと決めたのでゆとりを持ってあせらず、おごらず、ぼちぼちと雨が降ろうと雪になろうと、台風が来ても、真夏のカンカン照りの日でも、眠れない(夜はほとんどないが)真夜中でも、ともかく1万歩以上を歩き続けています。 土曜日の朝は歩いている方が多く、おはようございますと声をかけると、今朝は全員からおはようございますの応答ありでした。また、歩いていて知り合いになった男性とも久しぶりに出会い、「しばらく教会の礼拝にご無沙汰しています。また出かけます」との嬉しい挨拶もありました。 朝からカンカン照りだが帽子もかぶらずなので、家内から顔が真っ黒になるからと言われながら、素顔で歩き続けている毎日です。 インターネットで画像メッセージを毎日(木曜日だけ富雄キリスト教会牧師)しているが、自分で見たらそんなに日焼けしているとは思えないのですが・・・・。 ibcelim.jp をアクセスよろしく。 今日は明日に備えてと思っていたが、緊急の訪問予定が入り、午前中から出かけることになり、遠方でもあり自動車を使うので、今朝の1万歩は感謝です。 輝きの朝のスタート!新しい出会いの喜びの日です。感謝します。イザヤ書40:25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか」と聖なる方は仰せられる。 40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は【主】に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2008/07/19
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早く目覚めたので散歩へ出ようと外を見たら雨。緑の木々や雑草の何と生き生きと輝いていること。雨の日は植物には晴れの祝い日。 ハレルヤ(晴れるや!)と感謝し、聖書のことばを告白し祈りつつ新しい恵みの一日に出発です。 昨日は、新約概論の今学期最終講義。初講で新約概論の学びは、新約聖書を読むことですと述べてスタート。読書百篇自ずから通ずとありますが、聖書読みの聖書知らずにならないためには、聖書を読むことが肝心です。 韓国の神学生がほとんどなので講義ノートは韓国語に翻訳され、みなの使っている聖書も韓国語。同時通訳をイヤホーンで聞きつつの受講。マタイの福音書から黙示録まで、簡単な講義ノートで一学期間で完了することができた。 神学生たちからプレゼントがあり開けてみると、フタ付のお茶碗と湯のみがだった。しっかりご飯を食べて元気に主の仕事に励めとの激励と感謝して、拍手に包まれて都ホテルの集会に駆けつけました。 在日の方もあるがほとんどが日本人に嫁いだ婦人たちや、本国から日本に来ている方々でした。個人的にお交わるすることもなく一学期間の講義だったが、日本人がイエス・キリストを信じて救われるように真剣に祈り奉仕する姿に感動しました。 アーメンと言えば救われる!のです。イエス・キリスの十字架によりすべての罪は赦され、汚れはきよめられ、新しい神の子としての人生を生きることができるのです。神の子ですから神の命(永遠の命)を与えられ、天国に入る幸いが約束されています。 クリスチャンになるのは神の選びと恵みです。地獄行きの身が救われて天国へ行くことができるのです。何と幸いな知らせでしょう。その知らせを16歳のときに聞き、アーメンと信じてバプテスマ(洗礼)を受けました。救われて幸せの中を歩み続けています。 そのすばらしい十字架の救いを一人でも多くの方に体験して欲しいと祈り願いながらです。 「イエス様。信じます。私の心にお迎えします。アーメン」と、お祈りください。聖書の約束の救いを体験して、きよく正しく、健やかで祝福された繁栄の道を天国へ行くまで続ける幸いを今日からスタートです。アーメン。祝福を祈ります。ローマ人への手紙10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
2008/07/18
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朝日放送新社屋が完成しはじめてのラジオ録音。昨日の洗礼式後の食事に招かれたのに、時間を気にしてお断りした。大急ぎでナビに導かれて新社屋駐車場までたどり着いたが、午後2時の予約はないので入れないとのこと。 新しいシステム導入で駐車場も厳しくなり、前はラジオ録音ですで留めてもらえたのに、入り口で連絡を取ってもらいやっと駐車場へ。ところが時間の勘違いで午後4時録音とのこと。もう一度出て(出るときは簡単)喫茶店でチョコパフェを注文し時間を待ち、再び駐車場へ。 今度はナンバーを確かめるなり、富雄キリスト教会さん到着と警備員が叫ぶと、地下10番へどうぞと声が帰ってきた。そのまま10番へ駐車しようとしたが車が留まっている。 あわてた係員が戸惑いながら番号なしの所へ誘導してくれた。入館カードをもらいディレクターに迎えられて入所するがカードをチェックしないとドアも「開かない。厳しい管理体制の新社屋に戸惑いながら13階のスタジオで8月放送分を無事録音終了。 35年のキャリアも何も役に立たない。予め予約しておいた時間と車両ナンバー、そして富雄キリスト教会牧師榮義之(ラジオ放送希望の声録音)が、すべて間違いないことがチェックされてはじめて入館できるシステムになっていたのです。 天国への入り口も同じようなものだと思いました。これだけ立派に人生を過ごしました、善行も重ねだれにも迷惑をかけない生き方をしてきたつもりです。宗教への理解もあり神社仏閣にも多額の寄付をしました。「分け上るふもとの道は異なれど同じ高嶺の月を見るかな」何でも良いんでしょう。 あるいは「私は無神論者でした。天国があるなんて思ってもいませんでした。私なりに自分の哲学を持って立派に生きてきました。なぜ私を入れてくれないんですか?」 私たちがこの地上の生涯を負えて死を迎えた直後に、なぜ?どうして???天国に入れないか?との詰問が天国の門の前で繰り返されるのではないかと思いました。 そのときに天国の門番(天使)は、ご予約がありますかと問うことでしょう。「あります。イエス・キリストをアーメンと信じてバプテスマを受けました!感謝します!」と喜びに輝きながら答えると、天使は種子島でアーメンと信じた神の子が到着しましたと叫ぶことでしょう。 その胸には赤いカードならぬ十字架の血潮が塗られ、そのしるしだけで天国の門は大きく開かれるだけでなく、十字架の釘跡のある両手を広げたイエス・キリストの愛の御手の中へと迎えられるのです。 天国への新しい旅立ちを期待しつつ、平安と喜びの中で感謝に溢れて生きていきましょう。新社屋と新しいスタジオでの録音を終えての帰りにそんなことを考えながら、イエス・キリストの救いの恵みに感謝する日々です。マタイの福音書 22:1 イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。 22:2 「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。 22:3 王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。 22:4 それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』 22:5 ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、 22:6 そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。 22:7 王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。 22:8 そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。 22:9 だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』 22:10 それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。 22:11 ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。 22:12 そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。 22:13 そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。 22:14 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」アフリカのマサイ族です。
2008/07/17
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【ニューヨーク=米沢秀明、塚沢健太郎】15日にヤンキースタジアムで行われる米球宴の会見が14日行われ、ア・リーグ1番右翼で出場するマリナーズのイチロー外野手とナ・リーグ8番中堅の福留孝介外野手が出席した。8年連続のベテランと初出場のルーキーという好対照の2人だったが、際立ったのはイチローの存在感。すっかり米球宴の顔となった昨季MVP男は「僕はここにいなければいけない」とスター揃いの出場選手の中でもナルシスティックなまでに貫禄十分だった。とあり、イチローのコメントも書かれていた。 「2年連続MVPを狙える立場にいるのは僕1人だし、昨季を超えるとしたら投手をやるとか右打席で本塁打を打つとか...。オリックス時代、マリナーズ時代と僕はよく似た道筋をたどっている。僕自身が導いてしまったのかと思うくらい。しかし、ここから先は体験していない時間。期待してもっと昇りたい」と、明日見るアメリカンドリームに胸を躍らせていた。 8年連続でアメリカの夢の球宴に選ばれ、昨年はMVPに輝き今年も期待されているイチローのコメントを転載しました。 特に、「しかし、ここから先は体験していない時間。期待してもっと昇りたい!」との言葉に感動しています。 過去の栄光に酔いしれるのではなく、さらに新しい境地を求めて期待する人生。開かれた聖書に、「 これは【主】のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、【主】が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。ああ、【主】よ。どうぞ救ってください。ああ、【主】よ。どうぞ栄えさせてください」(詩篇119:23-25)と、大好きなことばがありました。 人生もおなじではないでしょうか。古いものは過ぎ去りすべてが一新され、過去の悩みム苦しみも新しい今日を生きるために必要だったと感謝するとき、古い傷や痛みに支配されることなく、この日は主が造られた日!感謝します。 これから先は体験したことのない時間と、新しい体験の世界に期待と喜びを持って昇華できるのです。 ケニア宣教中、全世界旅行と結婚したという日本人男性に出会いました。世界の国々を一つも残さず二回も訪ね、新しい国が独立したら必ず出かけるそうです。最後の旅は天国へと祝福を祈りました。 「しかし、ここから先は体験していない時間。期待してもっと昇りたい」 人生でどのような栄光を体験し、成功に成功を重ねても必ず死にます。死ねば終わりの人生ではなく、期待してもっと昇りたい願望を、イエス・キリストを信じるすべての人は体験できるのです。 スポーツや学問、事業や経済の面で活躍できるのは限られた人々。才能に恵まれていたり人一倍努力や研鑽を重ねた人々だと思います。 しかし、イエス・キリストを信じる人生は、「その人は何をしても栄える」だけでなく、昇華し続ける地上の生涯を終えるだけでなく、天国の栄光の中に招き入れられるのです。 死んでしまい地獄jへ行くなら、この地上のどのような栄光も終わりです。どうかイエス・キリストを「アーメン。信じます」と心に受け入れ、喜びの中を、「しかし、これから先はまだ経験していない世界。もっと期待して天国を目ざしたい!」と、平安の幸せな日々をお過ごしください。 嬉しいことに今朝は教会に出席している84歳の男性がバプテスマを受けます。まだまだ分からないと言っていましたが、「信します。アーメン」との素直な心で救われました。 午後からは朝日放送新社屋でラジオ放送希望の声録音です。35周年祝賀会を9月23日(火)午前10時より、森祐理チャペルコンサートとともに生駒聖書学院で行います。ご参加をお待ちします。 アフリカ・ケニアの写真をランダムに紹介しています。パラダイス孤児院をご支援ください。詩篇[ 49 ] 指揮者のために。コラの子たちの賛歌 49:1 すべての国々の民よ。これを聞け。 世界に住むすべての者よ。耳を傾けよ。 49:2 低い者も、尊い者も、 富む者も、貧しい者も、ともどもに。 49:3 私の口は知恵を語り、私の心は英知を告げる。 49:4 私はたとえに耳を傾け、 立琴に合わせて私のなぞを解き明かそう。 49:5 どうして私は、わざわいの日に、 恐れなければならないのか。 私を取り囲んで中傷する者の悪意を。 49:6 おのれの財産に信頼する者どもや、 豊かな富を誇る者どもを。 49:7 人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。 自分の身代金を神に払うことはできない。 49:8 ──たましいの贖いしろは、高価であり、 永久にあきらめなくてはならない── 49:9 人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。 墓を見ないであろうか。 49:10 彼は見る。知恵のある者たちが死に、 愚か者もまぬけ者もひとしく滅び、 自分の財産を他人に残すのを。 49:11 彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、 その住まいは代々にまで及ぶと思い、 自分たちの土地に、自分たちの名をつける。 49:12 しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。 人は滅びうせる獣に等しい。 49:13 これが愚か者どもの道、 彼らに従い、彼らの言うことを受け入れる者どもの 道である。 セラ 49:14 彼らは羊のようによみに定められ、 死が彼らの羊飼いとなる。 朝は、直ぐな者が彼らを支配する。 彼らのかたちはなくなり、 よみがその住む所となる。 49:15 しかし神は私のたましいを よみの手から買い戻される。 神が私を受け入れてくださるからだ。 セラ 49:16 恐れるな。人が富を得ても、 その人の家の栄誉が増し加わっても。 49:17 人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、 その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。 49:18 彼が生きている間、自分を祝福できても、 また、あなたが幸いな暮らしをしているために、 人々があなたをほめたたえても。 49:19 あなたは、自分の先祖の世代に行き、 彼らは決して光を見ないであろう。 49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、 滅びうせる獣に等しい。
2008/07/15
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免許証を紛失してしまい、来週ダイヤモンドフェリーで志布志まで行くので、今日再発行手続きをします。 警察で紛失届けを出し、生駒警察でも再発行してもらえるならお願いし、無理なら奈良県免許センターまで午前10時30分までに行けば、即日発行してくれるので・・・・。捜しなさい。そうすれば見つかります! 求めなさい。そうすれば与えられます!で、免許証再交付センターまで出かけることになりそうです。 イエス・キリストを心にお迎えした日から、主ご自身の約束、「わたしは決してあなたを離れずあなたをも見捨てない」 「わたしは世の終わりまであなたとともにあります」 「恐れてはならない。わたしはあなたとともにいる。たじろぐことはない。わたしはあなたの神である。わたしはわたしの勝利の右の手であなたを強め、あなたを支え、あなたを守る」 「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」 決して失効しない天国行きの免許証を頂いている幸いに感謝します。もし失効したと思っているクリスチャンがいたら悔い改め、御子イエス様の血潮のきよめにより、回復される幸いを体験してください。 書き終わって警察まで行こうと準備しようと思い、もう一度、「探しなさい。そうすれば見つかります」と告白しながら、全部のスーツのポケットを探そうと触っていったら、ハレルヤ!難と着目のポケットから出てきました。お葬式がありその時に式服に免許証だけ入れて出かけたことを思い出しました。一人で苦笑しました。感謝します。詩篇 51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、 罪ある者として母は私をみごもりました。 51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。 それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。 51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。 そうすれば、私はきよくなりましょう。 私を洗ってください。 そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。 51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。 そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、 喜ぶことでしょう。 51:9 御顔を私の罪から隠し、 私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。 51:10 神よ。私にきよい心を造り、 ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、 あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。 51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、 喜んで仕える霊が、私をささえますように。 51:13 私は、そむく者たちに、 あなたの道を教えましょう。 そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。 ケニア・赤道直下の国です。赤道を訪れました。
2008/07/15
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ヘブル人への手紙2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 日曜日は朝の礼拝に始まり夜の堺エリムの礼拝まで充実した時間を過ごしています。普通は午後8時前に帰宅し夕食を取ることができます。 昨日は訪問の約束があり午後10時過ぎの帰宅になり、夕食も取らずにシャワーを浴びてメールをチェックし返信、あっという間に真夜中でした。みことばを口ずさみ祈りの中で主の愛の手に抱かれて熟睡。 朝の礼拝後は、大阪エリムへ出発するまで高校生とのカウンセリング。今学期登校拒否になり話を聞いて共に祈り復学できました。期末試験を受けることもでき、成績は散々だったが、夏休みは補習授業でいっぱいですと明るい顔で話してくれました。 二人で朝のうちに歩いて買って来ていたサンドイッチを食べながらの一時間。安堵感と情熱、意欲に満ちた姿に感動しながらともに祈ることができ感謝でした。 夜の訪問では勉強が大好き!勉強以外は関心がないという中学生に悩み?を持つ両親の話を2時間以上も聞きました。 その子の期待に答えてあげたい。学校の勉強だけでは物足りなく、彼の希望通りに勉強させて上げると、塾の費用だけでも年間200万を越えるし・・・・。 勉強が嫌いと言う少年少女に多く接するので、うらやましい限りですねと答えながら、祝福の祈りと共に帰路に着きました。 勉強がすべてでないとはいっても、勉強をしないのが良いわけではなく、かといってそれがすべてと言うわけでもない。人生にどのような挫折が待ち受けていても、それを乗り越えていく翼を持つ子どもを育てることができればと願いながらです。 いや乗り越えることを子どもに求めるだけでなく、どんなことが起ころうとも自ら乗り越える翼を持つ者でありたいと祈りながらです。 山崎さんは、小さなパン工場の経営者でした。ところがある日、すぐに工場に来てください!との連絡。急いで駆けつけると、工場が燃えていました。火の勢いは強く、全焼は免れません。 なんと、山崎さんは、その炎を見ながら「ばんざい! ばんざい!」と叫んでいいました。社員たちは、「ショックのあまり、社長がおかしくなってしまった」と思いました。 しかし、クリスチャンである山崎さんは、社員に向かってこう言ったそうです。「これは、もっと大きな工場を建てるようにという天からの声だ。最新鋭の工場で、もっとおいしくて、もっとたくさんのパンを、もっとたくさんのお客さまにお届けできるんだ! すごいだろう?わくわくするだろう?」 山崎さんの工場は、ヤマザキ製パン会社へと成長していきました。 困難に出会うとき、落ち込んだり、がっかりしたり、絶望するのは当たり前かもしれません。 しかし、逆境は乗り越えるためにあると信じる時、不可能は可能となり、神様の大きな愛をいっぱい受けて乗り越えるたびに、人は強く、やさしくくなれる」のです。人生に無駄なことは一つもないのです。
2008/07/14
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モタさんの楽々人生術という本の中に、「逆境を乗り越えるたびに、人は強く、やさしくなれる」とあり、逆境と言うのは実は大事な存在なんです。と書かれていた。 「大正3年に家事になり一挙に貧乏生活。思春期に両親が別居生活。第二次世界大戦では空襲で自宅も病院も丸焼けになりました。 戦争が終わって自宅の焼け跡を訪ね、焼け残った金庫をこじ開けてみると、中にあったのは借金の証文ばかり。彼はへなへなとその場に座り込んでしまいました。でもその借金を返さなければという一心で一生懸命働く気持ちになり、戦後の窮迫から脱却できました。 そう考えるとこの借金の証文が逆境を乗り越えるための宝物だったんですね。 私の過去には、挫折も失敗も不幸もいろいろありましたけれども、今日まで何とか生きてくることができたのは、そういった逆境をばねにして、うまく乗り越えたからではないかと思います。ですから逆境というのも大事な存在なのですね。 どうように病気になることは不幸なことですが、その逆境を克服し乗り越えることも大事です。そして、病気や不幸を経験することで、人間的に大きな、思いやりのある人になれるのではないのでしょうか」 聖書には、「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます』(第一コリント1013)とあります。 またその試練を乗り越える力を、イエス・キリスト様が与えテくださり、助けてくれるとも約束されています。ヘブル人への手紙2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 人生にはどうにもならないような出来事も多くなります。人間関係や仕事、経済的な試練や家族の問題、健康も事や病気なること、数え上げたらキリがないほど試練に出会うこともあり、今日も途方にくれるようなことに出会っているかもしれません。 しかし、イエス・キリストを信じる人生は、どのような時にもすべてのことを感謝しつつ受け止め、喜び祈りながら前進することができるから幸いです。ローマ人への手紙5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。リビングバイブル訳5:3 私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。5:4 忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。5:5 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。パラダイスの孤児たち
2008/07/13
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昨日は、妻たちから夫へ「それが嫌なのよ!」20項目を、夫婦は「気くばり」で9割うまくいく(吉岡愛和著)より転載した。 今日は、夫たちから妻へ「夫が嫌だと感じるところ」20項目を紹介します。1 夫に命令する2 素直でない3 帰宅するやいなや不満をぶつけられる4 夫を立ててくれない5 よその夫と比較する6 夫の知らないところで大切なことでも勝ってに決めてしまう7 仕事の苦労を知らなすぎる8 育児や家事を強要する9 給料が少ないと不満を言う10 身だしなみをきちんとしていない11 当然のことのようにお小遣いを制限する12 夫の趣味はまったく理解しない13 家に知人や親戚の人が来た時の態度が悪い14 子どもの前で夫の悪口を言う15 家に中が汚い16 料理の手抜きが多い17 自分の都合のいいように夫を教育しようとしている18 夫の悪口を言いふらす19 物事の順番が子どもの次になる20 家の中に夫の決まった席がない 本を読み妻の嫌がること、夫の嫌がることを比較してみると、女性は心の安らぎ、いたわり、ねぎらいを求めていることがわかります。妻が夫から愛されている喜び、心の安らぎを持つとき、幸せな気分になり家庭も和やかさに包まれるのです。 夫たちの求めているのは、妻が夫を男として認めて頼ってくれ、あなたがこの家の王様ですよという言葉や態度で接してくれることなのです。自分が必要とされ、自分の頼り、甘え、立ててくれれば男性としての力を発揮できるのです。お互いの違いを理解して、気配りすることこそ夫婦はうまく行くと著者は述べています。エペソ人への手紙5:22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。 5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。 5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。 5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。 5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 5:27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 5:28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。 5:29 だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。 5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。 5:31 「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」 5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。 5:33 それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。
2008/07/12
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立ち寄った本屋で、夫婦は気配りで9割うまくいく」(吉岡愛和著・コスモトゥワン・1,400円)を買った。夫たちがとる行動や態度の中で、妻たちが嫌だと感じる20項目があげられていました。1 食事時「いただきます」も言わず、料理に関心も示さない。2 妻が重い荷物を持っていても気づかない。3 妻の体調が悪いのに手伝ってくれない。4 妻の話をうるさがって聞こうとしない。5 自分が悪かったと謝らない。6 言葉が乱暴。7 子どものことを一緒に考えられない。8 何かというと説教がはじまる。9 帰りが遅くても電話がない。10 仕事のストレスを家に持ち込む。11 よその妻と比較する12 夫婦の性生活が一方的。13 嫉妬心が強く、自由に外へ出かけられない。14 家事をまったく手伝ってくれない。15 子どもと遊んでくれない。16 家でだらだらしていることが多い。17 自分の部屋に閉じこもってパソコンばかりやっている。18 「愛しているよ」と言ってくれない。19 男らしくない、頼りにならない。20 妻の誕生日を忘れている。 以上の20項目に当てはまらないご主人もいると思いますが、身につまされるようなことばかりです。妻にとって大げさでなくても、ちょとしたいたわりの気持ちが伝わればうれしいのではないでしょうか。 「ありがとう」「大変だったね」「おいしいよ」と短い一言でも声をかけてもらうだけで良いと思います。 明日は夫たちから妻たちへ「それが嫌な一言だ!」20項目を紹介します。 アフリカの子どもたちの写真をうまく紹介できていません。追々紹介できるつもりです。ペテロの第一の手紙【新改訳改訂第3版】<1Pe>3:1 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。3:2 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。3:3 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。3:5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。3:6 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。3:7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。
2008/07/11
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昨日は大阪。午前中は弁護士事務所で1時間お話を聞き、昼からは桃谷シオンチャペル牧師と、教会下の喫茶店で面談の約束があり行く途中、突然の土砂降り。バケツをひっくり返したという表現そのままの大降り。すぐ近くのコンビニに飛び込み500円で傘を買い、ずぶぬれをまぬかれました。 思いがけない出来事や問題に直面するのが人生です。何も問題がない生活を望みますが、聖書には問題は世の常だとあり、実際の生活の中でさまざまな出来事に直面します。その中には思い過ごしや誤解もありますが・・・・。 雨が降ったとき、近くにコンビニがあったことは大助かりでした。お金が500円あったことも感謝でした。とっさの判断で買おうと決め購入したのでバケツをひっくり返したような雨に濡れずに約束の喫茶店で会うことができました。 祈りも同じだと思いました。問題がある悩みがある、土砂降りの雨のようです。そのときコンビニならぬ全能の神の愛の胸に飛び込むことができるのです。500円があったようにイエス・キリストの御名のよる祈りをするとき、必ず答えられ解決が与えられるのです。 同時に、傘を買おうと決断したので傘を買えたように、イエス・キリストのお名前によって祈ることです。 単純なことですが、イエス・キリストを信じて祈る幸いを経験なさいませんか。アーメンと祈り、ありがとうございます。答えられました。感謝しますと素直に信じることを願いながらです。詩篇46:1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。 46:2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。 46:3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。 セラ 46:4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。 46:5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。 46:6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。 46:7 万軍の【主】はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。 セラ 46:8 来て、【主】のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。 46:9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。 46:10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」 46:11 万軍の【主】はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。 セラ
2008/07/10
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アフリカより帰国し早いもので5日も過ぎました。ゆっくりとレポートをしようと思いつつ、何やかやと充実した時が流れ、まだ落ち着いてブログにも向うこともできないままです。 今日も午前中に弁護士との会見。午後は新しく桃谷駅前に教会を開く韓国牧師との会談。夜は久しぶりに大阪エリムキリスト教会でのりバイバル集会説教・・・・等々で、ゆとりの1万歩も今日は大阪で歩き回りです。 ケニアの人口は3,500万人、内子どもが1,500万人、そのうちの150万人が孤児だそうです。孤児ですから両親とも死んでいないか、捨てられたかのどちらかの境遇です。 パラダイス孤児院には43名の子ども達が生活しています。創設13年になるので高校生たちが現在22名在院しています。卒業後の就職もままならず、これからの課題は彼らの仕事が与えられることです。 同時に、孤児院が自立してさらに新しい孤児院がスタートすることを夢見ながらのアフリカ宣教を継続しています。小さい力ですが聖書のみことばに励まされて19年間継続してきました。 その聖書のことばは黙示録3章8節です。「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである」 神のことばは生きていて力があり(ヘブル2:14)ます。聖書の約束に心からアーメンと応ずる時、その約束は必ず実現します。自分の可能性を越えただれも閉じることのできない門を入るだけです。そのように信じてすべての働きを継続しています。 来年はアフリカ宣教20年になるので、パラダイス孤児院に井戸を掘り、水の事業を展開することができればと願っています。井戸水を殺菌して上質の飲み水として販売することです。水さえきれいになれば死亡率は低下し、病にもかからず同時に生活も向上すると思います。 神様が知恵も方法も資金的な面でも、誰も閉じることのできない門を開いてくださったと確信しています。ありがとうございます。誰も閉じることのできない門が開かれました。感謝しますと告白しつつ、アフリカ宣教の思いを祈りの中で推進しています。 ケニアの子どもの写真です。お祈りをお願いします。
2008/07/09
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朝早く町を歩くとストリートチルドレンに出会います。パンや手持ちのシャツをプレゼントしたり、イエス様を信じる祈りも一緒にし、祝福を祈りました。
2008/07/08
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パラダイスの子どもたちをランダムに紹介します。
2008/07/08
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ケニアの写真です。
2008/07/08
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今朝はブログを書こうとパソコンに向ったら電話で急用が入り・・・・。また後で書こうと思いながら失礼します。祝福を祈りつつ。詩篇 84:5 なんと幸いなことでしょう。 その力が、あなたにあり、 その心の中にシオンへの大路のある人は。 84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、 そこを泉のわく所とします。 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。 84:7 彼らは、力から力へと進み、 シオンにおいて、神の御前に現れます。 84:8 万軍の神、【主】よ。 私の祈りを聞いてください。 ヤコブの神よ。耳を傾けてください。 セラ 84:9 神よ。われらの盾をご覧ください。 あなたに油そそがれた者の顔に 目を注いでください。
2008/07/08
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アフリカより帰国後の最初の日曜日。早朝より夜遅くまで動き続けでした。暑かったでしょうとか、真っ黒になりましたねの声もかかり皆さんが祈ってくれていたことに改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。 今日で天の虫けらの転載を終了します。明日からアフリカを写真で紹介予定です。「天の虫けら」(最終回)・・・祝福のあかし 斧健司兄は福井県で高校生の時クリスチャンになり、現在女子高の英語の教師をしている。スキーが得意で、いつも合宿担当だった。 ある年の春、スキー場で転んでしまった。先生が転んだと女生徒たちははやしたてた。学校に帰っても頭が重く、少し様子がおかしい。同僚の教師たちの勧めもあり、北野病院に検査に行ったところ、脳に小さな腫瘍が見つかった。スキーで転ばなければ気づかないほどに小さなものだった。医師は「すぐ入院してください。緊急に手術が必要です」と、有無を言わせず入院させた。いつもなら空きベッドのない病院で、脳腫瘍の手術も順番待ちなのに、この時はすべてが備えられていた。 わずか三週間で退院した。学校はそれまでの忠実な勤務に一年の特別休暇を提供した。イガグリ頭で礼拝に出席した斧兄弟の姿を懐かしく思い出す。 井上資朗兄は、富雄団地に住んでいた時、会社の帰りに教会案内をもらい、その夜の集会でイエス・キリストを信じた。 何回もお見合いしたが決まらず、母親は「お前は頑固者だから教会にでも行かなければ救われない」と言った。天理教信者だった母親は天理教の教会のつもりで話したのだが、彼はキリスト教会のことだと思いこんでいた。聖なる勘違いでクリスチャンになり、最初のお見合いで結婚が決まった。 今も忠実に家族で礼拝に出席し、主の祝福を豊かに受けている。 山口暁生兄は、小学一年生の時、お姉さんといっしょに日曜学校に来た。親はクリスチャンではなかったが、いっしょに出かける用事があっても、日曜学校が終わるまでは外で待っていた。とにかく一度も休まず、礼拝に出席した。試験中も休まない。高校受験の時も大学受験の時も休まなかった。忠実に教会に出席し、クリスチャンとして揺るぎなく歩み続けている。現在は礼拝で賛美をリードし、神の栄光のために生きる好青年である。 この本は、彼の協力で出版できるようになった。 イエス・キリストを信じて救われた教会員のことを書けば、いくらページがあっても書ききれないほどの祝福のあかしがある。そして今、イエス・キリストを信じる人々が、毎日のように救われ続けている。 あの少年の日、「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」との聖書のことばで、牧師となることを決心した。父の家を出て、種子島に別れを告げて幾星霜、祝福を受け継ぐ者として、今日も生きる恵みが与えられていることを感謝する。 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです また、この世の取るに足らない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有る者をない者のようにするため、無に等しい者を選ばれたのです。 これは神の御前でだれをも誇らせないためです。 しかし、あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、購いとになられました。 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。(一コリント1:26~31) イエス・キリストが再び来られる日まで、世界の宣教と日本のリバイバルを求めて、誇るものの何一つない者が、主の恵みによって、今の私になったことを感謝し、主を誇れる幸いを喜ぶものである。願うことはいつも主とともに歩み、祝福を与える者として、進み続けることのみである。 読んでいただいたことを感謝し、心から祝福をお祈りする次第である。 ハレルヤ! アーメン!天の虫=蚕 蚕は桑の葉を食べて黄金の糸の絹を紡ぎます。私は桑の葉ならぬ聖書のことばを食べて、黄金の人生を織り成します。無駄になることの何一つない幸せな人生を、イエス・キリストによって与えられ、虫は虫でも天の虫けらの小さな56年の体験でした。ありがとうございます。コロサイ人への手紙【新改訳改訂第3版】 3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
2008/07/07
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ケニアと日本の時差は6時間。ケニアの朝6時は日本の昼12時。海外旅行をしても時差ぼけになったことはないが、さすがに昨日の朝は9時まで熟睡。今朝は5時半に目覚めて礼拝の備をしている。 朝9時の礼拝から夜の境エリム礼拝まで、聖霊の助けと満たしの中で前進です。ハレルヤ。「天の虫けら」(91)・・・ELIMキリスト教会 「夢見る者がやってくる」と悪口を言われながら、不可能にチャレンジしつつ、不思議に門が開かれてきた。一九九八年二月二十五日、大阪市内に新しい教会が与えられるという祝福を体験した。おそらく日本で初めてのレンタルチャーチではないかと思う。 在日韓国人の兄弟が、日本の救いを願って、マンションの二階部分を教会堂とし、貸し出すことにした。「クリスチャン新聞」や「リバイバル新聞」に記事が掲載されたが、借り手はなかった。保証金だけで一二〇〇万円、共益費や光熱費に消費税を入れると家賃も一〇〇万近くになるから、無理もないことであった。 一月末、私のところに電話があり、使ってほしいとのこと。大阪へ出かけた。教会堂のあるマンションの設計者とも会い、福音を語った。彼はイエス・キリストを受け入れてくれた。 その一週間後に、私はその教会を借りる信仰の決断をした。一切の条件を考えずに、その場所で教会を始めることが神の御心であるかどうかだけを祈り、祈りの中で決断し、その旨を連絡した。結果として大きな恵みを受けることができ、感謝している。保証金は八〇〇万円に下がり、家賃も七十万円になった。しかも四月から九月までの家賃は献金ということで、半年間無料になった。半年間の間にリバイバルが訪れ、家賃を払うことが可能な教会になるよう、チャレンジを受けたのである。 教会の名前は、ELIMキリスト教会。場所は大阪市浪速区恵美須西三‐二‐四、栄光キリストビル二〇一。新しい大阪の顔フェスティバル・ゲートの真向かいにあり、通天閣や環状線からも九階建ての屋上に輝く十字架が見える。交通も至便で、しかも今、大阪で一番安全と言われる場所である。 兄が牧会する大阪救霊会館とは五〇〇メートルほどの距離にある。昔、クート師と市電に乗り、大阪市内を走っていた時、「義之兄弟、大阪にはもう一つ教会が必要だよ。あなたが作るだよ」と言われたことばが、思いがけず現実になった。 今年の3月より10年間無償提供になり、神様の祝福にただ感動のありがとうと感謝しています。今日も午後2時より、ラジオ放送希望の声聴取者を中心に関西各地から礼拝者が集う恵まれた礼拝が行われています。詩篇100:1 全地よ。【主】に向かって喜びの声をあげよ。100:2 喜びをもって【主】に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。100:3 知れ。【主】こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。100:4 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。100:5 【主】はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。
2008/07/06
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昨夜、エミレーツ航空ドバイ経由でアフリカより帰国しました。10日間のケニア宣教でしたが、パラダイス孤児院の45名の子どもたちは今年も元気で歓迎してくれました。 ナイロビのホテルをチャックアウトして生駒の自宅までちょうど24時間。フライト時間はナイロビードバイ6時間弱。ドバイー関西空港10時間弱ですが、移動や乗換え待ち時間が長くかかります。それも感謝でドバイ空港でゆとりの1万歩でした。 来週よりできれば写真でケニアを紹介できればと思います。今年のアフリカ宣教は、天の虫けらを読んで新しい出会いが与えられた方との楽しい旅でした。[天の虫けら」(90)・・・いやし 日曜日は学院教会の礼拝からスタートする。 森重正子さんは、ラジオ放送「希望の声」を始めた初期のころ、熱心に通信講座を受講してクリスチャンになった。「人形のもりしげ」の社長として活躍した方である。 学院教会の礼拝に来はじめたころ、大阪の阿倍野橋で、以前店長として活躍していた石田良子さんにばったり出会った。石田さんのやせて苦しそうな姿に驚き、事情を聞いたところ、会社を辞めてから肝硬変を患い、今も治療を続けているとのことだった。 教会に誘ったが、石田さんは、せっかく教会に行くのなら、聖書を読んでから行こうと心に決め、旧新約聖書を四ヵ月で完読した。それからいっしょに礼拝に出席し、イエス・キリストを信じて、バプテスマを受けた。 そんな石田さんが大阪日赤病院で主治医よりガンを宣告されたのは、一九九一年のことだった。「君はクリスチャンだから、大丈夫だね。実はガン細胞が出たが、初期であり、今のうちにガンを閉じ込めてしまうために薬を入れよう。血管造影でやる予定だが、がんばってください。大丈夫ですよ」と医師は言った。彼女は少し考えて、「先生、それで何年ぐらい生きられますか?」と尋ねた。「五年が目安と思ってください。でも、今はどんどんいい薬ができてくるから、それが最低の日数だと思ってください。心配しないで」との答えだった。 真夜中の病室で、彼女は「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときに、ゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください」と詩篇のことば(4:1)を読んだ。それから「神様、私の頭をからっぽにしてください。ガンということばと思いを消してください。主を賛美します。安らかな眠りをください」と祈ると、不安は消えて、熟睡できた。イエス・キリストを信じた日から、罪が赦され神の子となった喜びと平安に満たされていた。永遠のいのちが与えられているから、天国へ行ける確信をもっていた。五年のいのちと宣告されても、同時に礼拝で聞くいやしのメッセージに、神の全能を信じる信仰ももった。 肝臓部分にできたピンポン玉のようなしこりのために、彼女に祈りを求められたのは、一九九四年のある日曜日の礼拝前のことだった。「『わたしは主であって、あなたをいやす者である』。『その打たれた傷によって、あなたはいやされた』。イエス・キリストの名によって、ガンよ消えてなくなれ。アーメン」と短く祈った。 その直後の検査では、ガンは見つからなかった。しかし十数年間も彼女の身体を詳しく知る主治医は、ガンは必ずどこかに隠れていると確信していた。再々にわたって血液検査から骨の検査までを繰り返し、成人病センターに資料を送り、あらゆる面から調べた。ガンは見つからない。次の年、その次の年と定期的に検査したが、何の兆候も見いだせなかった。 それでも医学的には考えられないと、医師はもう一度CT検査をした。すると小さな影が写っていた。私は礼拝前に、また手を置いて祈った。数日後、MRTの検査をしたが、何の異常もない。まったくの健康体になっていた。「五年を目安にしてください」と宣告されて、ちょうど五年目だった。主治医は「君のからだのほうが、私より健康体だぞ。すごいね」と、検査表を説明しながら微笑んだ。ちょうどその日はクリスマス・イブ、キャンドルを手に主を賛美する彼女のほほは感謝で濡れていた。イザヤ書53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。【主】の御腕は、だれに現れたのか。 53:2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。 53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
2008/07/05
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昨日はナイロビ近郊のオンガタロンガイ村に、「マトマイニ・チルドレンズホーム」を訪ね、1981年よりマゼイと呼ばれながら孤児の救済に携わっている菊池さんを訪ねました。マトマイニは希望と言うスワヒリ語です。日本人の手によってケニアの孤児たちが希望を持って生きる道を与えられていることに感動しつつ、アフリカに今年も別れを告げました。昨日の夕方ナイロビ国際空港をエミレーツで出航し、ドバイに真夜中に着き乗り換え時間が少なく、直ちに日本に向けて出航。夕方には関空に到着します。帰国したらまたケニアのレポートをしっかりしたいと思います。アフリカ宣教の10日間、お祈りとご支援をありがとうございました。祝福をお祈りします。詩篇132:13 【主】はシオンを選び、 それをご自分の住みかとして望まれた。132:14 「これはとこしえに、わたしの安息の場所、 ここにわたしは住もう。 わたしがそれを望んだから。132:15 わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、 その貧しい者をパンで満ち足らせよう。132:16 その祭司らに救いを着せよう。 その聖徒らは大いに喜び歌おう。132:17 そこにわたしはダビデのために、 一つの角を生えさせよう。 わたしは、わたしに油そそがれた者のために、 一つのともしびを備えている。132:18 わたしは彼の敵に恥を着せる。 しかし、彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。」
2008/07/04
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日曜日は学院教会の礼拝からスタートする。 森重正子さんは、ラジオ放送「希望の声」を始めた初期のころ、熱心に通信講座を受講してクリスチャンになった。「人形のもりしげ」の社長として活躍した方である。 学院教会の礼拝に来はじめたころ、大阪の阿倍野橋で、以前店長として活躍していた石田良子さんにばったり出会った。石田さんのやせて苦しそうな姿に驚き、事情を聞いたところ、会社を辞めてから肝硬変を患い、今も治療を続けているとのことだった。 教会に誘ったが、石田さんは、せっかく教会に行くのなら、聖書を読んでから行こうと心に決め、旧新約聖書を四ヵ月で完読した。それからいっしょに礼拝に出席し、イエス・キリストを信じて、バプテスマを受けた。 そんな石田さんが大阪日赤病院で主治医よりガンを宣告されたのは、一九九一年のことだった。「君はクリスチャンだから、大丈夫だね。実はガン細胞が出たが、初期であり、今のうちにガンを閉じ込めてしまうために薬を入れよう。血管造影でやる予定だが、がんばってください。大丈夫ですよ」と医師は言った。彼女は少し考えて、「先生、それで何年ぐらい生きられますか?」と尋ねた。「五年が目安と思ってください。でも、今はどんどんいい薬ができてくるから、それが最低の日数だと思ってください。心配しないで」との答えだった。 真夜中の病室で、彼女は「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときに、ゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください」と詩篇のことば(4:1)を読んだ。それから「神様、私の頭をからっぽにしてください。ガンということばと思いを消してください。主を賛美します。安らかな眠りをください」と祈ると、不安は消えて、熟睡できた。イエス・キリストを信じた日から、罪が赦され神の子となった喜びと平安に満たされていた。永遠のいのちが与えられているから、天国へ行ける確信をもっていた。五年のいのちと宣告されても、同時に礼拝で聞くいやしのメッセージに、神の全能を信じる信仰ももった。 肝臓部分にできたピンポン玉のようなしこりのために、彼女に祈りを求められたのは、1994年のある日曜日の礼拝前のことだった。「『わたしは主であって、あなたをいやす者である』。『その打たれた傷によって、あなたはいやされた』。イエス・キリストの名によって、ガンよ消えてなくなれ。アーメン」と短く祈った。 その直後の検査では、ガンは見つからなかった。しかし十数年間も彼女の身体を詳しく知る主治医は、ガンは必ずどこかに隠れていると確信していた。再々にわたって血液検査から骨の検査までを繰り返し、成人病センターに資料を送り、あらゆる面から調べた。ガンは見つからない。次の年、その次の年と定期的に検査したが、何の兆候も見いだせなかった。 それでも医学的には考えられないと、医師はもう一度CT検査をした。すると小さな影が写っていた。私は礼拝前に、また手を置いて祈った。数日後、MRTの検査をしたが、何の異常もない。まったくの健康体になっていた。「五年を目安にしてください」と宣告されて、ちょうど五年目だった。主治医は「君のからだのほうが、私より健康体だぞ。すごいね」と、検査表を説明しながら微笑んだ。ちょうどその日はクリスマス・イブ、キャンドルを手に主を賛美する彼女のほほは感謝で濡れていた。 そのお二人とも今は天国です。信じる者には永遠のいのちが与えられるので、地獄へは行かずに天国へと召される幸いを感謝します。詩篇130:1 【主】よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。130:2 主よ。私の声を聞いてください。 私の願いの声に耳を傾けてください。130:3 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。130:4 しかし、あなたが赦してくださるからこそ あなたは人に恐れられます。130:5 私は【主】を待ち望みます。 私のたましいは、待ち望みます。 私は主のみことばを待ちます。130:6 私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、 まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、 主を待ちます。
2008/07/03
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ある時、里深兄弟が、「私はメッセージを聞いて、祝福を祈るようになりました。会うすべての人の祝福を祈り、最近は野良猫や野良犬を見ても、野の草や木々を見ても、祝福を祈っています」と話してくれた。 その話を聞くまでは、「祝福を与えなさい」と説教しても、私の祝福は気まぐれだった。 ラジオ放送「希望の声」の録音に行く日、彼の話を実行してみようと決心し、大阪駅で降りて、朝日放送のスタジオまで歩くことにした。駅の北側の歩行者はそれほど多くない。出会う人々の祝福を祈るためには、ちょうどいいと判断した。見かける人ごとに、心の中で「祝福がありますように」と祈りつつ、プラザホテルの前まで来た。「このホテルに宿泊する人々に祝福がありますように。働く人々にも祝福を」と祈った。また当時、朝日放送のスタジオの下には日産自動車のショールームがあり、ちょうどコンパニオンがシーマを初老の紳士に説明していた。売り込みが成功し、紳士が高級車を買えるよう祝福した。 録音を終えての帰りは、生駒駅から学院まで裏道を歩いた。壮大な祝福の実験を続けるためだ。大きな邸宅が多い道であり、犬もいるし、猫とも会う山道だから、ちょうど良かった。この家に祝福を。犬が吠えるが祝福あれ。庭木にも山にも、ともかく「祝福」という単語以外は使わないほどに、祈り願いつつ歩いた。 家に帰り、不思議な気持ちになった。失ったものは何もなく、心が今までの倍以上に大きくなった感じがした。祝福は与えれば与えるほど、大きくなることを知った。まさしく「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)と聖書にあるとおりだ。 ある誕生日の朝、祝福ということばが突然聞こえ、聖書を三ヵ所開いた。 あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創世記12:1‐3)ユダヤ人の祖であり、信仰の父である、有名なアブラハムへの約束である。 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから購い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者は、すべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。(ガラテヤ3:13‐14)その約束が、イエス・キリストの十字架のゆえに、聖霊によって私にも与えられた。 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(Iペテロ3:9)ただで受けた祝福だから、無条件で与えるのである。 沖縄のホテルの部屋で餅を食べた時、奥歯に被せていた金冠にくっつき、歯がだめになった。奥中歯科で治療を受け、たまたま最後の患者だったので、応接間に通された。その時、だれが来ても吠える犬なのに、榮牧師には吠えなかったと家族は驚いた。そしてイエス・キリストに心を開き、信じた。 私は犬に吠えられることが少ない。それだけのことで、喜んで迎えてくれる家も数軒ある。祝福の雰囲気は動物にも伝わることを知り、ますます祝福を祈ることに徹している。詩篇126:1 【主】がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、 私たちは夢を見ている者のようであった。126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、 私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。 そのとき、国々の間で、人々は言った。 「【主】は彼らのために大いなることをなされた。」126:3 【主】は私たちのために大いなることをなされ、 私たちは喜んだ。126:4 【主】よ。ネゲブの流れのように、 私たちの繁栄を元どおりにしてください。126:5 涙とともに種を蒔く者は、 喜び叫びながら刈り取ろう。126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、 束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
2008/07/02
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1988年、毎週日曜日の夜になると、富雄キリスト教会の兄弟たちが牧師館に集まっては、ビジョンや夢を遅くまで語り合っていた。 そんな中、それぞれが自分の夢を語るだけでなく、教会のビジョンも生まれてきた。エリムチャペルの夢である。エリムとは旧約聖書の出エジプト記15章に出てくる地名で、ヘブル語では大きな木という意味がある。英語の綴りはELIMで、私たちはこの語にExcellent Love In Mission(最高の愛に生きるミッション)という意味を重ね合わせた。その夢の中から兄弟たちは、それぞれの成功の道を歩みつづけている。 牧師として、教会員が祝福されることほどの幸せはない。「あなたの幸せが、私の幸せです」と心から言えるようになりたいと願いつづけてきた。兄弟姉妹がしっかりとキリストにとどまり、天国に行くまで救いの中に成長することを祈っている。経験不足もあり、多くの失敗を重ねてきたが、本音は教会員の幸せである。祝福だけを祈るのが、私に与えられた使命である。 長い間、本音と建前が分からないままで生きてきた。このごろでもあまりよく分からず、とまどったり失敗したりする。 たとえば、「牧師先生、私は富雄キリスト教会ではなく、他の教会に移ります」と言われると、人間的には悲しいが、そのことが本人の願いであるなら、祝福になると思っているので、私は引き止めない。「分かりました」とだけ言う。そして教会を去った兄弟姉妹が、幸せに祝福された信仰生活を送り、天国に行くまで信仰を全うできるように祝福だけを祈る。 私につまずいた信徒の数は決して少なくはないが、信仰から離れた者はほとんどない。そのようにイエス・キリストに導いた確信がある。私たちの教会から去ったが、牧師になった者もたくさんいる。何と感謝なことだろうと、いつも主に感謝している。 現在、エリムキリスト教会は奈良市、生駒市、大阪市、堺市、東大阪市で礼拝を持っています。 エリム宣教会としてケニア宣教を19年間続け、7月4日(金)夕方に関西空港へ帰国します。ABCラジオで希望の声放送を35年継続しています。ibscelim.comで毎日パソコン画像礼拝を配信中です。詩篇123:1 あなたに向かって、私は目を上げます。 天の御座に着いておられる方よ。123:2 ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、 女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、 私たちの目は私たちの神、【主】に向けられています。 主が私たちをあわれまれるまで。123:3 私たちをあわれんでください。【主】よ。 私たちをあわれんでください。 私たちはさげすみで、もういっぱいです。123:4 私たちのたましいは、 安逸をむさぼる者たちのあざけりと、 高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです。
2008/07/01
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