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昨日、玄関に大きな箱が置かれていました。何?だろうと開けて見ると、種子島の安納イモ(蜜のように甘く、種子島でも安納という限定した地域でできるサツマイモ)がいっぱい入っていました。 小学校時代の同級生の名刺が置かれてあり、歩いて10分くらいのところに住んでいるので、すぐリンゴを持って訪ねました。 自分が種子島の畑で作ったもので、今が一番おいしく食べごろだから届けたとのこと。久しぶりの出会いにお互いに感謝のひと時でした。 彼は、ブラスト工業所を経営しており、第二工場の持ち安定した業績と経営を続けています。 20代のころ大阪市バスの運転手に採用が決まっていましたが、もっと良い仕事はないかと企業合同に面接に再度出かけました。 ある会社から誘われ、平野区の工場を訪ねました。ネクタイにスーツを着け喜ん出かけましたが、当時の平野区の外れドロドロの道、靴も汚れてしまいました。 場末の工場に着くと、昨日の面接者が薄汚れた作業服に満面の笑みで迎えてくれました。そこもまたスゴイ工場でした。 そのまま帰ろうかと思いましたが、仕事の内容を聞くうちに、考えが代わりそのブラスト工場に就職することになりました。 ショットブラスト は、単にブラストとも呼ばれ、投射材と呼ばれる粒体を加工物(ワーク)に衝突させ、ワークの加工等を行う手法である。 対象となるワークは金属、セラミック、ガラス、プラスチック等硬質なものが主ではあるが、ゴムのような軟質なものに対しても冷却硬化させてから用いる場合がある。 この手法は主にワークのバリの除去、表面研削、梨地加工のような模様付けなど広い意味での研削に用いられているが、金属の表面近傍に残留圧縮応力を付与させることによりばねやギアなどの疲労強度の向上、耐応力腐食割れの向上等にも用いられ、これを「ショットピーニング」という。 変わった用途として投射材の素材そのものをワークに転写することによりワーク表面を改質コーティングする手法もある。(二硫化モリブデン粒子を投射しワークに転写させて摩擦を減らす加工等) 日本にこの技術がもたらされたのは戦後のことで、日本鋳工株式会社(後の日本ブラストマシン株式会社、現在のJFEメカニカル株式会社)の取締役技監であった福田連博士がショット・ブラストを使用した金属疲労実験の成功により、同社がブラストマシン国産第一号機を開発、製造した。 (ウィキペディア) 彼はその時詳しい理論は分からなかったけれど、あまり役に立たないような物が、ブラストされることにより輝く製品に変貌することに感動し、その場末の工場に就職しました。 そして紆余曲折を経て独立し、その後も最も信頼していた部下に一億円も持ち逃げされたり、さまざまな試練の谷間を通りました。その都度、奥様が私たちは種子島田舎育ち、もともと何もなかったのですから、生きているだけでも幸せですねと、文句ひとつ言わずに励まされて今日に至っています。穏やかに話す同級生の笑顔に、心明るくされる夕方でした。 会社では種子島出身の若者たちが働き、大阪での遊びにお金を使い込んだり、誘惑に負けないように、給料から天引きの預金を勧めました。不平不満の社員もいないわけではありませんが、退職して種子島に帰る時や転職のとき、その通帳を見て感涙する社員がたくさんいる、立派なブラスト会社を東大阪市で経営しています。 種子島の田舎の田舎、万葉で生まれ育ち、小学校まで4キロ、中学まで5キロの道を歩いた彼が、今もなおその純粋な心を持ち続け、家族と社員の幸せのために身を粉にして働いている姿に感動しています。 大晦日の朝、昨日の出会いを感謝し、今日もまた天国の一日です!と、明日からの2012年に豊かな祝福をお祈りいたします。 コリント人への第二の手紙6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。 6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。 6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、 6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、 6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、 6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、 6:7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、 6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、 6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、 6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
2011/12/31
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ここ数日、落ち葉集めや掃除に時間を割いています。ところがほとんど歩数が伸びず、仕事が終わってから夕方にゆとりの一万歩です。 今朝は起きるとすぐ歩き、一万歩を達成しました。ゆっくり掃除ができるので、家の周りがさらにきれいになると思います。 歩きながら聖歌を口ずさんでいました。望みも消え行くまでに 世の嵐に悩む時 数えてみよ主の恵み 汝(な)が心は安きを得ん 数えよ主の恵み 数えよ主の恵み 数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み主の給いし十字架を 担いきれず沈む時 数えてみよ主の恵み 呟(つぶや)きなどいかであらん 数えよ主の恵み 数えよ主の恵み 数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み世の楽しみ 富(とみ) 知識 汝(なが)心を誘(さそ)う時 数えてみよ主の恵み 天津国(あまつくに)の幸(さち)に酔(よ)わん 数えよ主の恵み 数えよ主の恵み 数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み 数えよ主の恵み 数えよ主の恵み 数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵みと、何べんも繰り返しながら、未明の道を歌いつつ、祈りつつ歩きました。 年末には聖書のことばがいつも心に留まります。そのことばどおりの年末であり、新しい希望の輝く2012年を期待します。 すべてのことに感謝し、2011年を閉じましょうう。 ありがとうございます。2011年のすべてのことに感謝できました!今年のすべての日々が天国の毎日でした!感謝します。 今日と明日の年末の祈りが、感謝にあふれた祈りであり、新しい年への期待と希望でさらに感謝が大きくなるようお祈りいたします。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。コリント人への第二の手紙4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。テサロニケ人への第一の手紙 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
2011/12/30
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昨日、種子島から二通のお便りが届きました。 「種子島でもやっと寒くなりました。温かい方が良いのですが・・・・やっぱり冬は冬でそれらしい方が自然でいいのかもしれません。 野山大好きの私には、今が一番きれいです。紫式部にむらさき、赤芽カシワの黄色、ハゼの紅、ツワブキの花の黄色がとってもきれいです」とありました。種子島の姿が目に浮かぶようです。 もう一通には、「種子島特有西風が吹き荒れている今日この頃です。オーギ(サトウキビ)切りも寒いです。 昔ながらの黒砂糖ができましたので、少しですが送らせていただきます。砂糖小屋によって少し違いがありますが、味わってみてください。 浜津脇(私が通った星原中学がある地域)の人たちは、ほとんど知り合いでいたので嬉しかったのです。 「今日もまた天国の一日」のマンガをプレゼントしましたら、涙をながしてくださり、「よかことをしょいとやな(良いことをしているのですね)よかよか」ともらってくれました。とありました。 でき立ての黒砂糖が入っており、種子島の香りとともに味わう夜のひと時でした。 来年は種子島へ帰る時、少し日程を多くしてできるだけ多くの方々との出会いができるよ願っています。 今年は8月以降、種子島原人ホームページで紹介してもらい、九州ラーメン党濱田龍郎理事長(詩人で小説家、書家で福祉作業所運営等)と出会い、いわき市へのラーメン炊き出しにもごいっしょできました。 来年1月10日には、西成区天下茶屋の三角公園(愛りん=釜が崎)で800食の九州とんこつラーメン炊き出しです。またお握りも提供できます。 ちょうど十日戎の日で、北側の浪速区ではお賽銭が投げ込まれ続けています。その自分の利益をだけを求めてお金を費やす、いやしい心根がホームレスや三角公園に集まる人たちへ少しでも向けられ、「受けるよりも与える方が幸いである」気持ちのゆとりを持つようになればと思います。 日本の現状も同じではないでしょうか。今朝のRACからのメールの一部転載します。政・官・業・学 + マスコミの五重構造 福島第一原発の事故で明らかになったことは、最終処理方法が開発されず、何万年も保管しなければならない放射性廃棄物を出し続ける原子力エネルギーを、そのリスクを十分に説明しないで使い続けてきたという実態です。電力会社や政府は、「原発は、炭酸ガスや硫黄酸化物などの排気ガスを出さないクリーンなエネルギーで、しかもコストが安い」というような、今となっては、「悪い冗談でしょ」とでも言わなければならないような嘘をついてきました。 原子力発電所1基を1年間運転すると、約50トンの使用済み核燃料が発生します。この中には、広島に落とされた原爆の数百発の「死の灰」が詰まっています。日本全国で、1年に900トンから1000トンにもなります。この「死の灰」は何万年も強烈な放射線を出し続ける、大変やっかいな「ゴミ」です。そればかりか、彼らは、問題山積の原発プラントを海外に輸出することを、日本経済の成長戦略の一つとして位置づけてきました。 なぜ、このような「まやかし」がまかり通ってきたのでしょうか。それは、電力業界の権益に群がる族議員や学者・研究者たち、天下り先を用意する業界と癒着してしまう官僚、大スポンサーに弱い民放各社、族議員らに弱いNHKらの癒着構造に問題があります。政官業学とマスコミの五重構造が、原発の「安全神話」を作り上げ、それを流布させ、ついには、典型的ともいえる組織事故を引き起こしたのです。 日本人が幸せ度100パーセントになるような国になるよう、心の豊かさと素晴らしイエス・キリストの救いがあふれるよう祈ります。テモテへの第一の手紙6:3 違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、 6:4 その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、 6:5 また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。 6:6 しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。 6:7 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。 6:8 衣食があれば、それで満足すべきです。 6:9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。 6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。 6:11 しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。 6:12 信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。 6:13 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。 6:14 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。 6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、 6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。 6:17 この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。 6:18 また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。 6:19 また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。
2011/12/29
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家の周りは落葉樹がいっぱいです。11月に福岡県から来られた方が、屋根のペンキを塗り替える時、家の方が大事ですよとずいぶん切ってくれました。 それでも全部と言うわけにもいかず、風が吹くたびに落ち葉が舞卯年末です。昨日は昼から箒と熊手で家の周りの落ち葉を集めました。4時間でやっと半分がきれいになり、今日も午後から頑張ります。年内いっぱい時間を見つけては落ち葉の掃除です。 昨日は朝歩かなかったので、掃除を終えて万歩計を見ると何と3000歩でした。土手にへばりつくように落ち葉を手で集めたりしたので、ほとんど歩かないままだったようです。 それから作業着のまま、ゆとりの一万歩へ。何か目的があれば元気が出るとユニクロ目ざして歩き、下着を一枚買うことにしました。 帰ってきたら6時過ぎ、久しぶりに風呂に入り遅い夕食でした。 年末は大掃除や片づけ等をします。普段からきれいに片づけしていれば、一年の終わりにバタバタしなくても大丈夫だと思います。 きれいさっぱり片づけると、気持ちもよく快適です。家の中や周りをするだけでなく、心の中や頭の中もきれいさっぱり片づけると、もっと快適になります。 新しい年を新しい気持ちで迎えることができれば、2012年はさらに快適な一年になることでしょう。 掃除でも同じですが、その気になってやることです。きれいにしよう!しなければならないけれどどうしよう!と、思い悩んでいるだけだと、何も進展しません。 思いたったら吉日です。さっそく取り掛かりましょう。 心をきれいにする秘訣の第一は、すべての不必要な考えや失敗、罪や汚れた思いなどを全部かき集めて捨てることです。 聖書では、悔い改めると言います。多くの方は年の終わりに反省をすると思います。反省と悔い改めは根本的に違います。反省はやったことを思い出し、もう二度としないように決意することです。でもお互いが経験しているように、また同じことを繰り返してしまう自分に気が付きます。 悔い改めは、真の神に向きを変えることです。太陽に背を向けると影を踏みますが、太陽に顔を向けると影を見ないで明るさの中を進むように、明るく生きることができます。 神様。ごめんなさい。お赦しくださいと悔い改めると、御子イエスの血がすべての罪からきよめてくださいます。 汚れた衣服を霧に洗う以上に、十字架の上で流されたイエス・キリストによって、まっさらな心に洗われます。「あなたがたはわたしが語ったことばによって、もうきよいのです」と、イエス様は宣言してくださいます。 年末の日々、謀殺されることも多いと思いますが、静かな朝のひと時、あるいは寝静かった夜の中で、静かに心を静めてお祈りなさってみませんか。 きっと大きな神の愛につつまれる恵みを体験し、新年がさらに新鮮な輝きで訪れることでしょう。ヨハネの福音書 17:14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。 17:15 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。 17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。 17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。 17:18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。 17:19 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。 17:20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。
2011/12/28
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昨日いただいたお便りに、詩が書かれていました。出会い日あなたに出会えたことが 一粒の種となり芽吹きいつか花咲かせる日 ありますように大切に育てたいね 今日の日の出会い 人生は出会いで決まると言われます。歌も歌わず運動もしない、無口の子ども時代でした。16歳のとき、イエス・キリストとの出会いを経験し、「わたしはあなたを友と呼んだ」との聖書のことばにアーメンと信じ、クリスチャンになり今は牧師です。 人生は奇跡と不思議の連続です。想定外の恵みをいっぱい受けることができます。どんな出来事が人生に起ころうとも、十字架にいのちを捨て、墓に葬られ、三日目に朝に復活されたイエス・キリストを信じるとき、大きな助けと救いが与えられます。 人は誰でも死を迎えます。そのような人生最後の死の陰の谷を過ぎるときも、永遠のいのちを与えてくださったイエス様がともにおられます。 涙の谷を過ぎる時も、そこを多くの泉がわく所と変えられます。そのような出会いを若い日に経験できた恵みを感謝しながらの朝です。 最高の出会いは、イエス・キリストとの出会いです。そして牧師と出会うことがその出会いのきっかけになる幸いを経験しながらです。 このブログもその出会いのきっかけになればと願い祈りつつ、毎日書き続けています。もっとましなことを書けと、お叱りを受けることもあります。 限られた時間の中でできるだけ書こうと、読み返しもせずそのまま公開するので、ミスプリントを楽しみに読んでいる方もあると聞きました。 今日もまた天国の一日です!大切に育てたいね。今日の日の出会い!感謝します。ヨハネの福音書15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。 15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。 15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。 15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。 15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。 15:15 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。 15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
2011/12/27
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昨日のクリスマスが今年最終の日曜日でした。 クリスチャンは日曜日の礼拝に出席します。土曜日が安息日ですから、日曜日に礼拝をすることを否定する方々もあります。 安息日は一週間働いたご褒美としての安息が与えられる恵みです。ユダヤ教では旧約聖書の律法に従って厳格に守っています。 十戒の第四戒めにあります。 「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。――それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。(出エジプト記20:8-11) 現代でもイスラエルの厳格な地域では、土曜日に自動車を乗り入れることができません。また聖地旅行ではエレベーターは動いていないホテル(動いていても各階で自動的に停まる)もあります。 朝食も前日から自動的に温められてり、その日の朝に作ることは律法に逆らうことになります。 セブンスデー・アドベンチスト教会やイエスの御霊教会、真イエス教会なども安息日厳守(救いの条件)を強調します。 新約聖書は律法による救いはないと宣言しています。安息日を守らないと救われないとか、あれをこれをしなければ天国に行けないという条件は、すべて排除されました。 イエス様のは、「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです」 すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか」 イエスのお答えは、「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです」つまりイエス様を信じることが救いだとおっしゃいました。 ユダヤ教では、神の律法(十戒)他の戒めもですが、特に安息日を守ることが重要でした。 しかし、イエス様は「神がつかわした者=イエス・キリスト」を信じることが神のわざだと宣言されたのです。 使徒ペテロはペンテコステの朝、聖霊に満たされて答えています。 「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」(使徒2:37-39) その勧めを聞いて3000人が信じ、その日にバプテスマを受けてクリスチャンとなり、初代教会が誕生しました。使徒パウロも同じ答えをしました。 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。8使徒16:26-36) そしてエペソ人への手紙2章8節」には、「 2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」と強調しています。 イエス・キリストが人間として馬小屋に生まれたのは、全人類を救うためでした。しかもその救いは無条件の恵みなのです。 33歳の時、十字架の上で死なれました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです」との祈りは、全人類のすべての赦しの祈りです。 「すべてが完了した!」の叫びは、その赦しが自らの十字架の死により完成した宣言です。全人類の罪も病も、呪いも貧乏も、死も地獄への恐れも、すべての悩み苦しみや思い煩い、心配や重荷のすべてが、十字架で流された尊い血(いのち)によって洗われきよめられたのです。 クリスマスはその愛の贈り物が差し出されたときです。昨夜のクリスマス礼拝に来ていた4年生の女の子に聞きました。プレゼントをどうぞと言われたらどうする?彼女はためらわず、ありがとう!と受け取ります。 十字架の救いは贈り物です。アーメンと信じるだけで良いのです。そこにキリスト教の偉大さがあります。 十字架と復活の福音より時代は変わりました。古い者ものは過ぎ去り、あたらしい救いの時代が到来したのです。 ただ恵みにより救われる喜びです。何かをして安息を得るのではなく、安息が与えられてその喜びをいっぱいいただいて日曜日(イエス・キリストの復活)を喜び祝うのです。 安息日を厳守しないと救われないと恐れるのではなく、週の最初の日の安息(救い)が与えれれ、その平安と喜びの中で過ごせる、天国の日々になるのです。 カレンダーが日曜日からスタートします。恵みからスタートする人生に幸あれ! 2012年1月1日は日曜日からスタートします。元旦を礼拝で始めましょう。すばらしいイエス・キリストの十字架と復活をアーメンと受け止め、聖霊に満たされる天国の毎日のスタートです。 富雄キリスト教会&聖書学院教会とも、午前10時より新年祝福礼拝です。 大阪エリムキリスト教会は、午後2時より始まります。ご参加を歓迎します。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。コリント人への第一の手紙15:1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。 15:2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。 15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、 15:5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。 15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。 15:7 その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。 15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。 15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。 15:11 そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。
2011/12/26
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昨夜は、クリスマス・イブで午後6時より近くの病院やスーパー、住宅地を子どもたちもいっしょに賛美歌を歌いつつ回りました。 イブ礼拝前に帰って来てイルミネーション前でさらに力強く歌い、イルミネーションを見に来た方々も耳を澄ませておりました。 イブ礼拝はローソクの光りだけで賛美歌を歌い、クリスマスの聖書の個所を全員で朗読しました。 聖歌隊の美しい賛美で会場は盛り上がり、白いガウンをまとって講壇に立ち、イブのメッセージ「ほんとうの贈り物」と題してを語りました。 「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」(ルカ10:45)と、イエス様は語りました。 クリスマスの良いこの時、どうしても必要なことは一つだけ!あなたにとってどうしても無くてはならないものはなんでしょうか。今夜その良いほうを選んでください。それはイエス・キリストの救いだけです。 イエス・キリストを信じるとき救われます。神の子となり永遠のいのちが与えられます。天国へ行く保証が与えられます。人は必ず死にます。死んだらどこへ行くか分からないままで、2011年が過ぎようとしています。 今すぐ死を迎える人もいるかもしれません。2週間前にひとりの主婦が末期がんで臨終を迎えました。お訪ねしてベッドに跪いて祈り、病床洗礼を授けました。翌朝召されましたが、幼い孫の女の子が、昨夜近づいてきて「おばあちゃんンのために祈ってくれてありがとう!」と、輝く笑顔で声をかけてくれました。病床でおばばちゃんがバプテスマを受ける所をしっかりと見ていてくれたのです。 肉体は死を迎えても、その霊魂は迷うことなく天国へ行ったことを、彼女は心にしっかりと刻む恵みでした。自宅での臨終うだったので、初めて人が死ぬと言う現実の初体験だったと思います。小学生の幼い心にさえも、イエス様をアーメンと受け止めるとき、死からいのちに移る恵みが、体験として受け止められた恵みを感謝します。クリスマスは喜びの時、最高の救いの日です。今日この日に、イエス様を心にお迎えくださり、新しい年への大きな飛躍の第一歩となさってくださるようお祈りいたします。 イエス・キリストの十字架こそ、救いの力です。信じるときに罪が赦されるだけでなく、病が癒され、呪いから解放され、貧しさからの救いも与えられ、死と滅びの地獄からも救いだされ、勝利に輝きつつ、今日もまた天国の一日です!と生きる幸いの日々になります。 生きていても天国、死んでも天国の恵みです。 聖く正しく、健康に祝福された神の子として、永遠のいのちの保証を与えられ、死とともに天国へまされる恐れのない平安に満たされた救いです。 このような救いをアーメンと言う時、その瞬間からすばらしい救われた人生をスタートできるのです。「アーメンと言えば、救われます」(アーメンとは真実、ほんとうですの意) 祈りのことばです。どうぞ口に出してお祈りください。 「イエス様。ありがとうございます。私は心の扉を開いて、イエス様を私の救い主、主としてお迎えいたします。 私のいままでの罪や心の汚れをお赦しください。 今、渡しの心にお入りくださったことを信じます。すべての罪が赦され、神の子とされたことを感謝します。永遠のいのちをありがとうございます。心から信じてイエス様のお名前によってお祈りします」アーメン。 ありがとうございます。イエス様を信じ救われました!感謝します。ルカの福音書 19:1 それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。 19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。 19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。 19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。 19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。 19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。 19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」 19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。 19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
2011/12/25
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もうずいぶん前になるが「説得力」と言う本を買いました。電車の中でまえがきを読むと、この本を買って人を説得し変えようと思っていたら、読むのを止めてくださいとあった。 あなたの指を変えようと思っている人に向けて、間違いです、改善してくださいと言いながら、その握っている手をひっくり返して見てください。三本の指は自分を差しています。 人は人を変えることはできないのです。たいていの人は、多くのことを良かれと思いやっています。自分が正しいと思っています。それに従わなかったり、賛成しない人がいると、当然間違っているのは相手だと思います。 そして何とか相手を改善しなければと説得するのです。ところが問題は自分の方にあることに気づかないのです。 説得力は自分が変わることが秘訣なのです。人が変わることができるのは、自分が変わろうと思い決断したときなのです。 自分で変わろうと思ったら、言葉に出してください。言葉に出したら、いつも前向きな言葉を使い続けることです。そうすると行動も伴ってくるのです。 毎日実行するので習慣になります。習慣が人格を形作ります。それがあなたの将来を、追うにしてくれるでしょう。神の栄光を現わすような、人格にしてくれるでしょう。コリント人への第二の手紙 5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
2011/12/24
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自分の年齢を知らなかったら・・・・。可愛い子どもを見ると、お名前は?年いくつ?と直ぐ聞きます。 女性の年齢を聞いてはいけないともよく言われます。何歳になっても女性は年齢を聞かれるのはイヤだそうです。100歳でも? 年齢不相応に振る舞うと、軽蔑されたり相手にされなかったりすることもあります。年齢相応に振る舞うようにと教えられ、子どもは子どもらしく、大学生は大学生らしく、社会人は社気人らしくです。 らしくと書きましたが、5歳は5歳らしく、20歳は20歳らしく、50歳は50歳らしく、70歳は70歳らしく、限りなく年齢相応の振る舞いが求められます。 今年古希を迎え、周りから言われるとそう思ってしまいます。もう70歳だからムリしない方が良いですよ。ゆとりの一万歩を7000歩に減らしたらいかがですかと、親切なアドバイスもいただきます。 年をとることは疲れ、病、不安、単調、引退、老衰、無力、災難、マイナスの連続で、その結論は死です。 それが人間の運命だと言われ続けています。そのように条件づけられています。老化や老年と言う言葉からは、弱い、病弱、もろい、か弱い、衰弱、虚弱、病的、寝たきり、生活苦、孤独、さびしい、何もできない等などが連想されます。 それをそのまま受容することもありますが、人間の体にある原子の98パーセントは、一年のうちに入れ替わっているのです。細胞はいつもフレッシなのに、身体はなぜ衰えるのでしょうか? エイジレス革命には、「老年期に活力が衰えるのは、主にみんなが衰えると思っている結果だ。 みんな知らず知らずのうちに自滅的な信念をうえつけてしまっている。心と体はつながっているので、『自動的にこの意志を実践してしまうのだ」とあります。 もちろん肉体は永遠ではありません。いつかはこの肉体の衣を脱ぎ捨てて、永遠の故郷である天国へ飛翔する日はやってきます。 だからと言ってこの地上にある間、老化現象に悩まされ、もう~歳だから、もう年だからという考えに支配されてはいけません。そんな考えが浮かんだりしたら、目はかすまず、気力も衰えず、元気で意気盛んな自分を見つめ、聖霊に満たされて感謝しつつ前進! 今日もまた天国の一日です!天国のみことばでハレルヤです。感謝します。 「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」(ローマ人への手紙8章11節) ハレルヤ!ありがとうございます。私のうちには聖霊様が住んでおられます。死ぬべきからだは、イエス様を死者の中からよみがえらせた力によって、私にもいのちを活力を満たしてくださいました。私の身体の細胞は、光に満ち溢れています。この輝くばかりの健康と果てしない元気と幸せに感謝します。今日もまた天国の一日です!アーメン。コリント人への第二の手紙4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。イザヤ書 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2011/12/23
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今朝も早起きでゆとりの一万歩。クリスマス案内を配りながら、今まで歩かなかった住宅地に入りました。 大きいな家が整然と立ち並んでいます。ところが高い塀や山に突き当り、デッドエンド。塀を乗り越えることも崖を這い上ることも無理で、入って来た所まで戻り、また目の前にある道へ、するとまた行きどまり。 日本や世界の現実を思いつつ、またデッドエンドを個人的に経験している厳しい2011年の日々です。 絆という漢字が今年選ばれました。 来年1月10日(火)大阪市西成区あいりん(釜が崎)三角公園で、特定非営利活動法人ボランティア仲間九州ラーメン党(濱田龍郎理事長)の協力で、九州とんこつラーメン800食の炊き出しを行います。 毎週火曜日と金曜日に炊き出しをしているグループの協力も得て、お握り500個も提供します。 生駒聖書学院は10日三学期始業ですが、通常より早く午前8時にスタートし、すぐ大阪へ向かいます。今までになかったようなフリーの服装での始業式になります。 通常はスーツにネクタイですが、ラーメンを運ぶためラフな衣服で式終了とともに出かけます。女性たちはパンツ姿でボランティア活動をします。 三角公園もまた行政の行き止まりと言っても良いと思います。万国博覧会で好景気に沸いたとき、労働力の供給場であり、日本の経済の縁の下の力持ちのような存在でした。 バブル好景気の後退とともに、建設関係の仕事が急激し、愛りん地区の大試練に突入しました。 景気の後退だけでなく、高齢化が進み当然仕事もできなくなり、かと言って福祉施設があるわけでもなく、その日その日の糧にも乏しく、デッドエンドで人生を閉じる方々も多くなる寒さの時期です。あなく すぐ近くにエリムキリスト教会はあります。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつのことばによるのです」をモットーに毎週、火曜日と日曜日に礼拝の時を持っています。 すべての行き止まりが、新しい出発点になるよう祈りつつ、アーメンと言えば救われます!をモットーに日夜励んでおります。 人生のデッドエンドは死です。死から免れることのできる人間はひとりもありません。死にたくないと叫んでも、しかも確実に訪れます。 死を越えて永遠にきる道を備えるために、イエス・キリストは2011年前にこの世界に生まれました。 33歳のとき十字架のいのちを捨て、墓に葬られ三日目に復活されました。そのことをアーメンと信じて受け入れる時、救いの奇跡が起こるのです。 イエス・キリストを信じる人生は、どんな行きどまりをも越えていく恵みを与え、デッドエンド歓迎!の勇気を与えてくれます。 今年もあとわずかで新しい年がやってきます。 走ってもあゆまず、走ってもつ疲れない。わしのように翼をかってのぼることができる! 希望の中で今日も前進の天国の一日です!イザヤ書 30:18 それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜わっても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。 30:22 あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け。」と言うであろう。 30:23 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、 30:24 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。
2011/12/22
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昨夜の大阪の集会は、「野のユリ」映画鑑賞会でした。 W・E・バレットの小説を社会派のネルソンがメルヘン調で演出し、主演のシドニー・ポワチエは黒人として初めてオスカーに輝いた作品です。 東ドイツの修道院がなぜかアリゾナの荒野の真ん中の土地を相続し、派遣された五人の尼僧たちが流れ者の青年ホーマー・スミスをつかまえ、そこに立派な教会を建設するまでをほのぼのと描く映画です。 院長を始め、みなドイツ系なので、最初のうち、シュミットと呼ばれるホーマーは、彼女たちに英語を教えながら、無報酬と食事の悪さを嘆きつつもそこに居着いてしまいます。 途中、逃げ出したかに見えても、結局は足りない資材を買って戻ってくる。そして、拒んでいた地域住民の協力も受け入れての教会落成のあかつき、尼僧たちの賑やかな合唱の声を後にこっそり立ち去っていきます。 アーメン。アーメンのコーラスが背景にながれ、修道女と黒人青年の交流うが、ポワチエの毅然としたユーモラスな好演で、90分の長さが感じられないステキ無映画でした。 映画「野のユリ」のタイトルは、有名なイエス様のおことば「なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません」(マタイ6:28) 「"So why do you worry about clothing? Consider the lilies of the field, how they grow: they neither toil nor spin;」 そして、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイ6:34) そのみことばの精神が見事に描かれている映画です。機会があればご覧になったら良いと思います。 いつもは9時過ぎの帰宅ですが昨夜は10時前になり、返るとすぐシャワーを使い、メール返信や何やかやで、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 今朝も早い目覚め、まだクリスマス案内していない地域にマンガ「今日もまた天国の一日」をポスティング。ゆとりの一万歩の一石二鳥の朝です。マタイの福音書6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。 6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。 6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。 6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
2011/12/21
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東亜日報報道で、下記ニュースを読みました。 北朝鮮メディアが発表した金正日(キム・ジョンイル)総書記の死亡時間は17日の午前8時39分。メディアが報じたのは19日午後0時で、死亡から51時間30分かかった。1994年、金日成(キム・イルソン)主席死去したときは34時間後に発表があったことに比べると、17時間30分がさらにかかっている。この時間の間、北朝鮮内部では何が起きていたのか。なぜ金主席死去のときより時間がかかったのか。4つの疑問点を検証した。 走る列車の中で死去? 北朝鮮メディアの発表でもっとも疑問に思われるのは、「現地指導の強行軍を続けていたところ、列車の中で殉死した」としている部分。死亡当時、列車がどこにいたのかは明らかにしなかった。 金総書記は2008年の秋、脳卒中で倒れて以来、左腕と手足の動きが不自然なくらいだった。このため、金総書記の健康管理は北朝鮮当局の最優先の課題だった。にもかかわらず、北朝鮮当局が金総書記の健康異常に全く気が付かず、現地指導の強行を認めたことは容易に納得しがたい。 脱北者出身のアン・チャンイル世界北韓人連盟総裁は「北朝鮮の最高統治者が移動中に死亡したということは異例のことだ」と話した。一部では「北朝鮮内部で権力闘争が起きていたか強硬派が何かを起こしたのではないか」という観測も出ている。最近、北朝鮮が米国との関係改善に積極的に出るなかで、強硬派の不満が爆発した可能性があるという見方だ。 北朝鮮メディアの報道内容からすれば金総書記は死亡2日前まで活発に活動していた。最後の公開活動は15日、平壌(ピョンヤン)市のクァンボク地区商業中心(大型マート)やハナ音楽情報センターへの現地指導だった。これに先立ち、13日には平壌防御司令部とされる軍部隊の火力打撃訓練を指導した。 剖検を実施した理由は? 金総書記の死亡から発表まで、北朝鮮で起きたことについて、朝鮮中央通信が公開したことは「18日に行われた病理解剖検査では疾病の診断が完全に確定した」と伝えたことがすべてだ。 金総書記を剖検したのは、そのくらい死亡原因について各種説が飛び交う可能性が高いことを自らさらけ出したものだ。これを遮断するため、「完全に確定された」という強い表現を使ったものと見られる。金主席が死亡したときも、北朝鮮は翌日に剖検を実施している。 また北朝鮮が明らかにした金総書記の死亡原因「急性心筋梗塞心臓病ショック」だった。金主席の死亡原因である「深刻な心筋梗塞後の心臓麻痺」と驚くほど似ていることに注目が集まる。北朝鮮メディアは、心筋梗塞とショックを起こした状況と過去の病歴については一切公開しなかった。 金正恩体制の脆弱を暗示? 専門家たちは北朝鮮で最高の危機状況で意思決定が遅れたことに注目している。葬儀委員会の構成、遺体安置場所など葬儀の手続きを決め、後継擁立措置を取るのに多くの時間が必要だったことは、金正恩の権力基盤がまだ脆いことを示すものだと指摘する。 金総書記が1974年に後継者に公式任命され、20年間後継者としての地位を固めた上で権力を譲り受けたのに対して、金正恩氏が後継者として公式席上に登場したのは1年2ヵ月あまりしか経っていない。しかも金正恩は今年29歳に過ぎない。 韓国国防研究院の白承周(ペク・スンジュ)安保戦略研究センター長は「北朝鮮内部的に権力継承の準備ができていたにもかかわらず、葬儀の手続きなどを決めるのに多くの時間が必要だったことを示している」と話した。 急変事態を防ぐ対策はあったか? 北朝鮮指導部が大量の脱北など急変事態を防ぐための措置を取る過程で時間が流れた可能性もある。対北朝鮮メディアのデイリーNKは「18日午前1時ころ、北朝鮮の国境警備隊に国境封鎖の特別警備指示が通達された。退勤していた軍官たちが部隊に復帰し、普段は2人1組だった勤務も4人に増やした」と伝えた。開かれた北韓放送は「中国駐在の北朝鮮大使館と領事館の主要関係者たちが週末に召還されて北朝鮮に帰った」と緊迫した雰囲気を紹介した。 また北朝鮮メディアの報道通りなら、現地視察をしていた最高指導者が列車の中で急死したため、指導部に緊急の連絡を入れ、金総書記を病院に搬送するなどの混乱が起きていたと推定される。 テレビも新聞もインターネットも、金総書記死去のニュースで持ちきりです。北朝鮮については、共産主義独裁者というイメージが余りにも強い国です。独裁者は贅の限りを尽くし、一般民衆はその日の食も欠けるほどに飢えている状態です。 核兵器開発やテポドン、拉致や麻薬や密輸等、国内外に山積みの様々な問題に囲まれています。 普通に考えるだけでも大変な国です。その総書記が死去したことによって、どういう変化が起こるか、さらに大きな問題になるのか、解決に向かうのか全世界の関心が集まっています。 しかし、彼の死によって北朝鮮が救われるわけではありません。ますます混乱を極めるかもしれないのです。彼の死によって拉致されている人々が全員帰国しることにでもなれば、その死は少しでも役立つことでしょう。 また核開発やテポドンなど破壊的な戦争戦略が終わるとか、北朝鮮の食糧事情が良くなり、北挑戦の人々が幸せになるとかの良い変化が起こるなら、その死に何かの意味があるでしょう。 比較にはならないが、イエス・キリストの十字架の死は、全人類の罪を贖い、地獄行きの人々をアーメンと信じるだけで、永遠のいのちを与えられ、天国へ行ける幸いが与えられるすばらしい十字架の死です。 使徒パウロは、「さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした」(コリント人への第二の手紙2:1-6) クリスマスのベストシーズンです。ひとりの人物の死が世界中を駆け巡っているこの朝、イエス・キリストの十字架と復活の良い知らせ(福音)が、世界中に満ち溢れることを祈る朝です。 詩篇103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
2011/12/20
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朝の礼拝を終え、大阪エリムへ出かけようとドアを開けると、男の人が前の前に立っていた。 どなたですか?と言うと、ガレージのことでお伺いしましたとのこと。ガレージが壊れたことを知り訪ねてけたのです。 前日の会社の方は、来て見るなり修理はムリですね。年内はできない、来年1月10日まではムリですが結論でした。 26日間もガレージが開きっぱなしでは困るので、年内に何とかお願いしますと頼みましたが、在庫もなくムリです。高い見積もり書を置いて行かれました。来年になっても直さなければと思いながらでした。 昨日来られた方は、大丈夫です。年内になおりますから安心してください。もちろんタダではありません。壊れた物ですから新しく付け替えることは必要でしたが、見積もりも安くて助かりました。 先に来た会社から、なんとか年内に設置しますから、わが社を指定してくださいと社長自らの電話が何回もかかりました。 年末ですから仕事が多忙なのは分かりますが、対応の仕方でこんなにも変わるのかと思わされる出来事でした。 土曜の夜にホームセンターでブルーシートを二枚購入し、釘で打ち付けて風と落ち葉が入らないようにはできました。やはりきれいに直るほうが快適です。 人生も同じだと思います。何とかしなければと悩みながら、いろんな救いや手段を求めます。 ところがここに救いがあると言われても、現実にはさらに悩みが増えたり、余計な思い煩いを抱え込むことがことが多いようです。 イエス・キリストの救いは、中途半端でもなくその十字架の救いは、完全な救いです。 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)の聖書の約束のとおり、アーメンと信じれば救われるのです。 十字架の上に全人類のすべての問題が解決されれたのです。ペテロの第一の手紙 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。ガラテヤ人への手紙3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。コリント人への第二の手紙 8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。ヘブル人への手紙 2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
2011/12/19
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昨日は、なくそう原発!2.17生駒市民集会で、市民からのアピールで、10人目の登壇でラストのアピールでした。 結論は、 最初に引用したイエス・キリストのことば、「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」(マタイ16:26)をもう一度申し上げます。 電力の代わりになるものは沢山ありますが、命の代わりになるものは一つもありません。 生駒市と、「原発ゼロへ・生駒の会」が日本の先駆けとなり、全地球を美しくするために立ちあがることができたことを感謝し、祝福を1心から期待しお祈りいたします。ありがとうございます。 と、大きな拍手に包まれての土曜日の午後のひと時でした。 壊れたガレージが修復できず、新しく設置とのことで年内は壊れたままの吹きっさらし。一月十日まで我慢できず、ホームセンターで三メートルを二枚買い、暗闇の中で張り付け作業をし、車もガレージに出入りできるようにしました。 落ち葉の舞いこまず、少々の雨や雪でも大丈夫?と、笑いながら満足!ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 来週(25日)は富雄キリスト教会クリスマス礼拝説教なので、学院教会が今年最後のメッセージになります。 すべてのことが働いて益(プラス)になると題してメッセージです。聖書のことばをたくさん引用します。万事は働いて益となるローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。神を愛する人々=神のご計画に従って召された人々とは?エペソ1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。1:6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。第一コリント1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。1:31 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。第一ペテロ2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。2:10 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。神がすべてのことを働かせて益としてくださる!エレミヤ29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。第二コリント4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。伝道者の書3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。私たちは知っていますホセア4:6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。ホセア6:1 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。6:2 主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。6:3 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」 6:4 エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。ヘブル10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 以上の聖書の言葉にあるように、みことばにアーメンと応答し受け取る時、ことしのすべてのできごとが相働いて、人生を輝かせます。 そしてすべてのことに心から感謝し、神の栄光に包まれての2011年を終え、希望に満たされた2012年を期待と感謝で迎えることができる幸いを体験できるのです。テサロニケ第一5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
2011/12/18
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昨朝早く車で出かけ朝食前に帰宅。いつものようにガレージを開け車庫に入れました。二週間前からドアは上がるが、閉めるときはスイッチでも動かず、思い切り引っ張って閉めていました。 昨日は、閉めようと思ってもびくともしません。いままでも同じことがありシャッター会社に連絡し直してもらっていました。 昨日も直ぐ駆けつけてくれましたが、アメリカ製の大きなシャッターで、今回はもうムリとのこと。 建物も22年目、今まで何回も直してもらいましたが、もうムリですかねと同意し、直ぐできますかと問うと、年内に何とか??見積りを今日持参してくれます。 車2台が入る大きなガレージ。会場が書斎になっており、昨日は周りの落ち葉が寒風で吹き込み続けでした。夜は冷凍庫の上にある部屋の感じで、朝も思わず寒い!と声が出てしまい、あわててすべてのことに感謝します。 ありがとうございます。直ぐ治りました!感謝します。ハレルヤと告白しています。 「見よ。わたしは、誰も閉じることのできない門を開いて置いた」(黙示録3:8) ガレージは、開閉ができないと大困りです。しかし、救いの門はイエス様が十字架の上でいのちを捨て、三日目の朝に復活されてより、一度も閉ざされたことはありません。 今日も救いの日、恵みの時です。アーメンと言えばだれでも救いの門に入るこtができます。 死ぬ前に、アーメン信じますと素直にイエス様を受け入れる時、地獄の門は閉ざされ永遠の天国へ召されるのです。 幸い、16歳のときに種子島の小さなキリスト教会で、イエス様を信じます。アーメンと受け入れることが来ました。 シャッターのドアの開閉など大したことではありません。ちょと辛抱すれば直ります。一日も早く寒風から解放された意のは山々です。でも毎日ありがとうございます。感謝しますと告白するチャンスが与えられたから、それも感謝だと思いながらの朝です。 今日は、なくそう原発!生駒市民集会です。 生駒市長や市議会議長、大学名誉教授や大学教授などのおはなし。「あしたが消えるーどうして原発?-」映画上映。 その後、市民からのアピールがあり、ラストに「被災地・福島の支援活動をして」と題し、演壇に立ちます。午後1時半からの集いですから、午後3時過ぎになると思います。そのころまでにブログに目を通していただいたら、一言でも覚えてお祈りくだされば有り難いです。 「原発ゼロへ・生駒の会」は、生駒市と生駒教育委員会後援で発足し、これから全国に向かってさようなら原発をモットーに展開して行く予定です。 アピールの結論に、「電力の代わりになるものは沢山ありますが、命の代わりになるものは無いのです!」、全世界よりも尊いいのちを守るため。原発ゼロ。原発を無くそう!と訴えます。 クリスマスのこの時期、生駒市がそのために立ちあがったことを感謝しつつの朝です。 今日もまた天国の一日です!詩篇 46:1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。 46:2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。 46:3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ 46:4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。 46:5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。 46:6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。 46:7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ 46:8 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。 46:9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。 46:10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」 46:11 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ
2011/12/17
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ゆとりの一万歩!歩き続けて8年2カ月。クリスマスも近く、ひとりでも多くの方に、イエス様のことを知ってほしいと祈り願っています。 今朝も、新しいマンンガ「今日もまた天国の一日」をポスティングしました。まだ新聞配達のバイクだけが走る未明の住宅地を、祝福を祈りつつ一軒一軒入れていきます。出会った方には、元気におはようございます。と声をかけると、おはようございますの声が返ってきます。 ごみ出し場をきれいにしていた高齢婦人に挨拶すると、今朝は当番なのでと話しかけてくださった。数年前にクモ膜下出血で倒れ入院手術。病院には一ヶ月で退院要請されたが、2か月間、病院でリハビリを繰り返し、このように後遺症もなく元気になりましたとのこと。 明日の図書会館での原発反対集会や、クリスマスイブの礼拝などの案内を話し、未明の朝の爽やかなひと時でした。 一昨日は、久しぶり東大阪のレストラン・シャロンへ。食事が終わると若いウェイトレスさんがお茶を持ってきました。 まだ来客も多くない時間だったので、今日もまた天国の一日です!と、毎日言っています。 そのことばを聞いてどう思いますか?とぶしつけな質問をしました。にこっと微笑みながら、とても幸せな気がしますとの返事でした。 種子島で16歳の時、アーメン信じますと言ってクリスチャンになったことを少し話し、アーメンとは真実、ほんとうですと言う意味ですと言うと、アーメンってそんな意味ですか。初めて知りました。 アーメンと言えば救われるの当然意識で、しっかり目を見つめながら、「アーメン。イエス様信じます。私の心にお迎えいつぃます。アーメン」と、ともに祈りました。 駐車場まで走り、「今日もまた天国の一日」と「愛・輝きに向かって」のABCラジオメッセージ集をプレゼント。他の店員の方々にも名刺代わりにマンガを手渡しました。 歩きながら挨拶をしたり、出会ったら声をかけながら、イエス様の救いをお伝えするチャンスが与えられるよう、人々の救いと祝福を祈りつつの日々です。 今日はこれから大阪中之島中央公会堂、地下一階大会議室で、湯川胃腸病院の白方院長講演「私の考える日本宣教成功への提案」を聞きに行きます。講演後、会費1000円の昼食会もあり、初めてお聞きする講師で楽しみです。 明日午後2時30分の集まりの祝福をお祈りください。 生駒市民集会:原発ゼロへ行動を 17日(土)図書会館ホール(420名収容) 原子力発電所をなくすことを目指す「12・17生駒市民集会」が17日午後1時半、生駒市辻町の市図書会館大ホールで開かれます。 「『原発ゼロへ・生駒の会』準備会」(代表=桂良太郎・立命館大教授)が「若狭湾の原発から100キロ圏内の生駒市民として声を上げ、行動を起こそうと」と主催する第一回集会です。 集会では、映画「あしたが消える-どうして原発?-」(55分)を上映。 ソ連・チェルノブイリ原発事故から3年後の89年、福島第1原発を追ったドキュメンタリー作品。被ばくしながら働く労働者、被ばくの危険性を訴える医師、4号機設計に携わった人らの証言を集めている映画です。なくそう原発!安全なくらしと安心して子育てできる地域社会12.17 生駒市民集会・プログラム開会のあいさつ メッセージ紹介生駒市長、生駒市議会議長、安齋 育郎(立命館大学名誉教授)、大島 堅一(立命館大学教授)映画 「あしたが消えるーどうして原発?―」市民からのアピール田中郁さん(ソプラノ・ソロでビキニの歌『海に生きたあなたよ』、蟻の会) 高原康生さん(被爆2世から) 立石昭彦さん(食品の放射能検査、生活クラブ生協) 河野アサさん(宗教者として、日本基督教団生駒伝道所) 加来洋八郎さん(さようなら原発 1000万署名・生駒より) 北村弓さん(核兵器も原発もいらない、絵本作家)長島稔さん(生駒市における自然エネルギーの可能性) リングホーファー・マンフレッドさん(オーストリアの原発事情、大阪産業大学教授)榮義之さん(被災地・福島の支援活動をして、生駒聖書学院長・ABCラジオ牧師)「原発ゼロをめざして」主催団体より ・「原発ゼロへ・生駒の会」準備会活動経過報告 ・「原発ゼロへ・生駒の会」の発足とこれからの活動について市民集会宣言閉会のあいさつ ぜひ生駒市立・図書会館ホールへ、17日(土)はご参加ください。短いメッセージですが、支援活動の体験を通じてのアッピールをする予定です。 覚えてお祈りいただければ感謝です。 今日もまた天国の一日です!テサロニケ人への第一の手紙5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
2011/12/16
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生駒市民集会:原発ゼロへ行動を 17日(土)図書会館ホール(420名収容) 原子力発電所をなくすことを目指す「12・17生駒市民集会」が17日午後1時半、生駒市辻町の市図書会館大ホールで開かれます。 「『原発ゼロへ・生駒の会』準備会」(代表=桂良太郎・立命館大教授)が「若狭湾の原発から100キロ圏内の生駒市民として声を上げ、行動を起こそうと」と主催する第一回集会です。 集会では、映画「あしたが消える-どうして原発?-」(55分)を上映。 ソ連・チェルノブイリ原発事故から3年後の89年、福島第1原発を追ったドキュメンタリー作品。被ばくしながら働く労働者、被ばくの危険性を訴える医師、4号機設計に携わった人らの証言を集めている映画です。なくそう原発!安全なくらしと安心して子育てできる地域社会12.17生駒市民集会・プログラム開会のあいさつ メッセージ紹介生駒市長、生駒市議会議長、安齋 育郎(立命館大学名誉教授)、大島 堅一(立命館大学教授)映画 「あしたが消えるーどうして原発?―」市民からのアピール田中郁さん(ソプラノ・ソロでビキニの歌『海に生きたあなたよ』、蟻の会) 高原康生さん(被爆2世から) 立石昭彦さん(食品の放射能検査、生活クラブ生協) 河野アサさん(宗教者として、日本基督教団生駒伝道所) 加来洋八郎さん(さようなら原発 1000万署名・生駒より) 北村弓さん(核兵器も原発もいらない、絵本作家)長島稔さん(生駒市における自然エネルギーの可能性) リングホーファー・マンフレッドさん(オーストリアの原発事情、大阪産業大学教授)榮義之さん(被災地・福島の支援活動をして、生駒聖書学院長・ABCラジオ牧師)「原発ゼロをめざして」主催団体より ・「原発ゼロへ・生駒の会」準備会活動経過報告 ・「原発ゼロへ・生駒の会」の発足とこれからの活動について市民集会宣言閉会のあいさつ ぜひ生駒市立・図書会館ホールへ、17日(土)はご参加ください。短いメッセージですが、支援活動の体験を通じてのアッピールをする予定です。 覚えてお祈りいただければ感謝です。 今日もまた天国の一日です!テサロニケ人への第一の手紙5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。 5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。 5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。 5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。 5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。 5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。 5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。 5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
2011/12/15
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願いが叶ったり、夢が実現することは喜びであり、幸せです。 昨日は、シドニーオリンピック、テコンドー銅メダリストの岡本依子さんが訪ねてくれました。 先週、大阪市生野区林寺の商店街を朝10時前に歩いていました。ほとんどの店はまだ開店前でしたが、キムチの店が開いていました。入口に「夢は叶う」と書いた色紙があり、岡本依子さんのサイン入りでした。 声をかけるときれいで元気な店主が出て来ました。娘の同級生で家にもよく遊びに来たでとのこと。娘さんは今でもテコンドーの道場で練習していると、朝一番の客だからとキムチもサービスしてくれました。ここ一週間おいしい韓国キムチを食べています。 その日に不思議なことに岡本依子さんからのメールがあり、昨日お会いすることにしました。インターネット礼拝で、輝く笑顔で話してくださいました。 どうぞ彼女の話をお聞きください。http://ibcelim.com/(メッセージビデオ13日) 願いが叶い、9月に大阪市帰宅南森町に新しく道場をスタートし、同時に教会も始まったと嬉しそうに教えてくれました。 スポーツドリームファクトリーを検索してください。http://ameblo.jp/yoriko-okamoto/entry-11063813844.html 無農薬野菜のレストラでは、ランチが終わると写真とサインを求められ店に提示されました。 イエス・キリストを信じる人生は幸せです。願いが叶う喜びを体験できるからです。祈らなくても願わなくてもいいと言う人もあります。 けれども生きている限り願いを持つ方が生きている喜びは大きくなると思います。聖書には若者はビジョン(幻)を老人は夢を見ると書かれています。 大きな夢と幻をいつまでも持つことができるの人は幸いです。しかも願いが聞かれかなえられるなら最高です。見果てぬ夢を追い求めるだけでなく、願いを起こしたことが実現するクリスチャン人生に感謝します。ヨハネの第一の手紙5:14 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。5:15 わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。詩篇20:4 主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように。20:5 私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。主があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。
2011/12/14
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イエス様のおことばを今朝も聞きつつ、年末の日々を元気に迎えています。 16歳の時、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタイの福音書11:28-30) その日から心配から救われ、思い煩いのない救われた日々を過ごしています。 心配して心配がなくなれば一晩中でも寝ないで心配します。お金がないと心配を口にすると、一万円札が飛んでくるならいつでも心配します。 心配して頭の痛さがなくなるなら、頭を抱えて心配します。 明日のことを心配して、すばらしい明日が来るなら寝ないで心配して明日の朝を迎えます。 イエス様のことばを紹介します。 「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイの福音書6:25-34) 特に、「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイの福音書6:34)は有名です。 誤解されるのは、明日はあしたの風が吹くという刹那的な生き方と勘違いすることです。イエス様は、明日のことを心配する!思い煩うな!と教えられたのです。 明日のことを考え、計画し、夢を見たりビジョンを持つなという意味ではありません。 私たちを愛してくださる全能の神を信頼し、その目的の下にこの地上のいのちを終え、天国に帰る日まで何事にも心配せず、苦労や試練を乗り越えて前進するために、希望をもって生きる道を備えてくださいました。 心からすべてのことに感謝し、神の栄光のために年末の日々を過ごしましょう。 自分一人で悩まないで、イエス様のお願いし悩みを聞いてもらいましょう。また信頼できる友に打ち明けて見ましょう。 悩むくらいなら動いてみましょう。行動的に生きると喜びが湧いてきます。クリスマスのこの時期、教会案内をポスティングすることも一つの方法です。 ゆとりの1万歩はポスティングに好都合です。 今日はこれからシドニーオリンピック・テコンドー銅メダリストの岡本依子さんが、インターネット礼拝でメッセージです。昼食までごいっしょします。 昼からはラジオ放送希望の声2012年1月放送録音で、朝日放送スタジオです。そのあと大阪エリムキリスト教会夜の集会です。 年末の日々、今日もまた天国の1日です!感謝します。ハレルヤ。
2011/12/13
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残り少なくなった2011年。大地震や大津波、原発事故、大型台風大被害など多くの災害に襲われ、いまだに復興が遅れている状態です。 政治の世界も打つ手がないとしか思えない、やる気があれば直ぐ国会議員削減やそのほかの経済的対策もできるのに、何も最善策は実行されないままのように思う一年です。 個人の生活でも、行き場もなく、どうしていいか分からず、前にも進めず後ろへも行けない、希望のかけらもないような時もあります。 しかし、どのような絶望のときでも、決して希望の光を失う必要はありません。ある主婦の経験です。 主人は失明し仕事を失い、二人の息子たちは将来への道も閉ざされ、もう一家心中しかないと思うような状況に追い込まれました。 幸いイエス・キリストを信じる機会が与えられました。事態に変化はなく絶望状態は変わりません。 求めなさい。そうすれば与えられるとの約束を信じて祈りました。イエス様。助けてください。解決の方法を教えてください!必死でした。心からの叫びでした。 そのように求め祈り、この暗く長いトンネル抜け出せるでしょうか。何の希望も兆しも見えません。祈りの言葉も切れ切れになりました。そのとき、そのトンネルを立ててごらんなさいと言う思いが浮かびました。神様の答えと信じて、トンネルを立てて見ると、何と天井に明るい光がほんのちょっとですが輝いていました。 彼女はスックと立ち上がり、イエス様。ありがとうございます。分かりました!大丈夫です。感謝しますと大声で叫びました。 ビクトール・フランクルの『夜と霧』には、彼がドイツの強制収容所での経験が書かれています。 いつガス室送りになるような最暗黒の中でさえ、希望を捨てなかった人が生き延びたそうです。 ああ、もうすぐ自分の番だと、希望を失い絶望だと嘆いた人ほど、早く死んでしまうこともが多かったそうです。 ガンやそのほかの病の中にあっても、健康的になれるし、病の対する抵抗力も強くなると、現代医学は教えています。 大丈夫ですよ!過ぐ直りますよ!と、太鼓判を押してくれるとほとんどの病気は治ると思います。 薬でもプアしーボ効果で、効き目があると思うだけで希望が生じ、直ってしまう例も多くあります。 病気でさえ絶望さえしなければ、乗り越え癒され続け、天国の希望に輝き、感謝しつつイエス様が天国へ召してくださるまで、生き生きと感謝しつつ生きることができるのです。 人は必ず死にます。その肉体の死から免れる人はひとりもいません。だから死を絶望と考える必要はないのです。死の向こうに天国があることを確信する時、どんな状況であれ希望が生まれます。 イエス・キリストは十字架のうえに全人類の罪を引き受けて死なれました。墓に葬られましたが、死を打つ破り三日目の朝に復活されました。 どんな絶望も希望に変わると信じているのは、その復活信仰を与えられているからなのです。 それは仕事や勉強、何事であれ適応される敬虔の土台となっているのです。あきらめるのではなく希望に輝き生きることができるのです。 クリスマスの時期にケンタッキーフライドチキンはご馳走です。鶏肉はほとんど食べませんがケンタッキーフライドチキンは大好きです。 もしカーネル・サンダースが希望を失ったら、ケンタッキーフライドチキンはありませんでした。 もう65歳でした。彼は自分のチキンのレシピを売り込みために、レストランンを断られても断られても回り続けました。 やっと採用してくれるレストランを見つけたのは、なんと1009軒ものレストランだったそうです。 ケンタッキーフライドチキンを食べる(一年に数回)たびに、カーネル・サンダースおじさんを思い、必ずチャンスは巡ってくると希望に胸を弾ませています。 どんな時でも希望さえあれば大丈夫!ハレルヤと乗り越えながら、今日もまた天国の一日です!感謝しつつ前進の朝です。 ローマ人への手紙5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。10:11 聖書はこう言っています。「彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。」コリント人への第二の手紙4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
2011/12/12
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昨朝は生駒聖書学院も初霜でした。寒さもつのり東北の被災地はこれからさらに厳しくなると思い、守りと平安をお祈りしています。 6日からいわき市へボランティアに送りだした神学生たちによると、まだまだ片付いていない地域も多く、重労働の奉仕だったようです。神学生は短い奉仕ですが、被災地は3月からずっと続いているから大変だと身にしみて体験しての帰院でした。 クリスマスに野原で夜番をしていた羊飼いに、天使が告げたことばが聖書に書かれています。 「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 御使いは彼らに言った。「畏れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカの福音書2:8-13) イエス・キリストの誕生の夜に、「あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」と、」天使によって告げられた良い知らせ=福音は、2000年以上も全世界に響き渡っています。 今年もクリスマスシーズンですが、全世界がその良い知らせに耳を開くなら、世界は救われます。 すばらし知らせとは、天地万物の創造者である唯一の神が、あなたを愛しているという知らせです。愛されていることにまさる幸せはありません。 どうしてクリスチャンになったのですか?と聞かれることもあります。 神の愛を聞き知ったからです。 「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8) 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです」(第一ヨハネ3:16) 温かい太陽の熱が氷を溶かすように、神の愛、十字架の愛がすべての罪を赦し、神の子としてくださり、永遠のいのちを与え天国への救いをくださいました。 昨日もおひとり召されました。地上のいのちは長寿時代であれ何であれいつかは終わります。しかし、それで終わりではなく、イエス・キリストが生まれた目的は、その死から人類を救い、永遠の天国を約束するためでした。 その大きな愛が豊かに与えられたのがクリスマスです。しかも聖書のことばは、「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになたのです」と記されています。 あなたがアーメンと信じると、今日があなたの救いの日になるのです。たとえ病床であれ、危篤であれ、どうにもならないような状況の中でも、アーメン(真実・ほんとうです)と言えば、聖霊の働きにより想定外の救いが与えられるのです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。ヨハネの福音書3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。コリント人への第二の手紙6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
2011/12/11
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クリスマス=Christmas」は、キリストミサ=Christ's Massの意味で、直訳すればキリスト礼拝です。日本語では、「降誕祭」、「聖誕祭」、「聖夜」とも言いますが、クリスマスが良く分かる呼び名です。 Xマスは、Xが十字架すなわちキリストを表し、。キリストを礼拝すると言う表記です。 Xマスと書くとはてな?ともなり、子どもたちにクリスマスって何?と聞くと、ケーキを食べる日とか、プレゼントをもらい日など答えが返って来ます。 イエス・キリストの誕生日だよと言うと、それ誰?と問われることも多い現実です。 イエス・キリストは、旧約聖書の預言通り、神が肉体を取ってこの世に来られた救い主であり、処女マリヤが聖霊によって身ごもり、ベツレヘムの馬小屋で誕生しました。ルカの福音書にくわし記録されています。マリヤへの天使の御告げ ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。 御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。(1:26-39) キリストの誕生 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。 天使がキリスト誕生を羊飼いたちに告げる さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(2:1-14)羊飼いたちが馬小屋で生まれたキリストに会う 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。(2:15-21) 今年のクリスマスは日曜日です。ぜひほんとうのクリスマス=キリスト礼拝を、お近くのキリスト教会でお迎えください。すべてのキリスト教会が心から歓迎いたします。 エリムキリスト教会でもお出でになるのをお待ちしております。生駒聖書学院教会12月24日(土)午後7時;キャンドルサービス(イブを美しいキャンドルの光と賛美で過ごします)メッセージ:榮義之牧師12月25日(日)午前10時;クリスマスのメッセージと、礼拝後お祝い会富雄キリスト教会12月25日(日)午前10時;アンサンブル演奏とクリスマスメッセージ。劇や手品など祝会大阪エリムキリスト教会12月25日(日)午後2時;クリスマス礼拝と祝い会堺エリムキリスト教会午前10時;ライブによる礼拝(学院教会礼拝と同時進行)午後5時;クリスマス礼拝と夕食祝い会 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2011/12/10
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子育てで大切なことは、愛することは当然ですが、しつけることも大切だと聖書も教えています。 ところがいつの間にか、しつけが虐待になる可能性が大きいようです。 しつけとは、子どの感情や行動を自分でコントロールできるように導くことです。 何をどうすればよいかを教え、大人や他の子どもと適切に交われるように教えることです。そして良いところを伸ばすように励ますことです。 虐待は、子どもの行動を力によって、コントロールしようとすることです。 身体的な痛みや過剰な罰を加えたり、食事を与えないなど、子どもの基本的な権利を奪うことです。また情緒的な攻撃をすることです。 虐待はの原因は、 第一に、保護者が要因となっています。 育児の負担が大きく、育児に不安を持っています。自分の体調が悪かったり、子育てにストレスを感じていることや、お金の問題などいっぱいあるようです。 第二に、養育環境の要因もあります。ストレスの項でも書きましたが、経済的問題はやはり大きく、身近に相談する人もなく、役所に行けば相手にしてくれない。夫も協力してくれない。向こう三軒両隣りでもなく、秋深し隣りは何をする人ぞで、交流がなく孤立してなど。 第三に、子ども自身が要因になっています。 なかなか泣きやまなかったり、かんしゃくが激しかったり、身体が弱く病気がちだったりなどです。 子どもは可愛い者と思っていたのに、何と手にかかる子と思ったり、育てにくいと感じてしまいます。 虐待には、 身体的虐待(殴ったり、蹴ったり、つねったり、お湯をかけたり、物を投げたり等) 心理的虐待(怒鳴る、汚い言葉で脅かす、他の子と比較し差別する、話をまったく聞かない、無視する等) ネグレクト(食事を与えない、着替えさせないで汚れたままの不潔な衣服で放置する、家の中に閉じ込めたり、車の中にそのまま放置する等) 性的虐待(考えられないことですがわいせつな行為を強要する、わいせつな画像の被写体にする、AVを見せる等) 家の中のことですから、なかなかわからないことが多いのですが、児童虐待は、今みぢかな問題になっています。 周りが(警察や保護司だけでなく)気づくだけでも、守ることができるのです。夜中に子どもの異常な鳴き声や、ドスンばタンと言う音とともに悲鳴が聞こえたらすぐ警察へ電話するようにしたらよいと思います。 子どもを虐待から守るための5カ条おかしいと思ったらすぐ連絡(通告してください)しつけのつもり…は言い訳(子どもの立場で判断)ひとりで抱え込まない(「あなたに実行できることから即実行)親の立場より子どもの立場(子どもの命が最優先)虐待はあなたの周りでも起こっている(特別なことではない)奈良県の相談電話を記します。子どもや家庭に関するご相談や、児童虐待の連絡はお住まいの窓口へ!中央子ども家庭相談センター;0742-26-3788育児やしつけ、家庭に関するご相談はこちら:0742-23-4152詩篇128:1 幸いなことよ。すべて主を畏れ、主の道を歩む者は。 128:2 あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。 128:3 あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。 128:4 見よ。主を畏れる人は、確かに、このように祝福を受ける。 128:5 主はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。 128:6 あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。
2011/12/09
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昨日は久しぶりに家内をトントン整骨治療院へ。トントンが終わるまでの2時間、じっと待つのも時間の無駄と思い動きました。 すぐ近くの湯川胃腸病院へ。待合室へマンガや著書を置いてあるので、新しいマンガ「今日もまた天国の一日」100冊を届けました。 理事長は午前6時過ぎに家を出て、神の愛が満ちる病院となるよう院内を祈りつつ巡回するのだそうです。 現在は、ホスピス床が20室あり、9月には教会員の兄弟(83歳)が病院温かい看病とケアの中で、家族に愛され詩篇23篇の朗読とともに、安らかに天国へ召されました。 マンガがひとりでも救われるチャンスになればと思いながら、祈りつつ次の予定へ向かいました。 来年、大阪市西成区の三角公園(あいりん=釜が崎地区)で、九州ラーメン党が炊き出しを決めたので、協力してくださる「勝ちとる会」を訪ねました。 ナビが付いているのですぐ分かりました。玄関も空いており大声で呼びましたが、誰も出て来ず倉庫になっているんだと思いました。 家内が治療が終わるまでゆとりの一万歩でもと、治療院の近く林寺の商店街を歩いていると、店の壁に「夢は叶う!との色紙が貼ってありました。 シドニーオリンピック銀メダリスト岡本依子さんの色紙でした。キムチの店でまだ朝10時前なので、大きな声でおはようございます。 するときれいな奥様が出てきてキムチですか。ウチのは特別美味しいよ!どれしましょうと韓国なまりもないことばで話し始めました。 夢は叶う!を話題にすると、娘の高校時代からの親友、よく知っているよと反してくれました。 朝一番の客にはサービスをいつも用意していると、ノリや買わなかったいろんなキムチを入れてくれました。 「今日もまた天国の一日」を名刺代わりにお渡しし、カムサハムニダ!で店をでました。 辛い物は苦手ですが、ほんとうに美味しいキムチで、おまけに頂いたほかのキムチも初めて食べましたが、余りニンニクの臭居もなく、ひとりで食べる昼食でした。 午後からはラーメン炊き出し予定の奈良苑を訪ね施設長と対談。老人ホーム入居者と職員のみな様200名も楽しみにしていると喜んでくれました。 九州ラーメン党を大阪市と奈良市にお招きできる手はずを整えることができ、皆様にも喜んでもらえた天国の一日でした。 帰りの運転中電話があり、クリスマス大会でマンガ「今日もまた天国の一日」をプレゼントしたのでとのこと。 早速、宅急便で300冊を沖縄へ送りました。メールを開くと50冊づつの注文もあり、新しいマンガがいろんな所で用いられており感謝します。 定価300円ですが、一冊100円(24ページ)でお分けします。送料は無料です。 お申し込みはメールへ;elimyoshi@kcn.jpコリント人への第一の手紙 1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 1:31 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。
2011/12/08
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九州ボランティアラーメン党(濱田龍郎理事長)の大阪市三角公園での炊き出しが決まりました。 2012年1月10日(火)午前11時に、500~600名規模のラーメン炊き出しです。 当日は釜が崎高齢日雇い労務者の仕事と生活を勝ち取る会も、お握りを配るのでラーメンといっしょに食べてもらえます。 また、11日(水)は奈良市の奈良苑(200名)での炊き出しです。 九州ラーメン党はもいう25年以上ボランティアを継続し、阪神大震災や今回の東北大震災・大津波・原発事故に襲われた石巻市や気仙沼、11月には福島県いわき市へもラーメン炊き出しでした。 ごいっしょさせていただき、その美味しい九州とんこつラーメンを食べる被災者の皆様の姿に感動しました。 愛りん地区のすぐ近くのエリムキリスト教会はあります。今回の九州ラーメン党炊き出しに全面的に協力を願っています。 当日は、生駒聖書学院も三学期スタート、エリムキリスト教会員も可能な限りお手伝いし、寒空の中ですがイベントもできるようにと祈っております。ヤコブの手紙1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。 1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。 1:19 愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。 1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。 1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。 1:22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。 1:23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。 1:24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。 1:25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。 1:26 自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。 1:27 父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。
2011/12/07
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今年も12月になり、クリスマスや大晦日も近づいてきました。 一年を振り返る時、あれもこれも?と考えてしまうこと、悔いの残ることも多い様に思います。 一所懸命がんばってやったことでも、結果が出なかったり裏切られたり、無駄に思わされることもあります。 伝道者の書に、「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない」(11:6)と言うことばがあります。 人生はちょうど種を蒔くようなものです。朝のうち=若い日からとも理解できます。あるいは信じはじめたときでもともとれます。もちろん、今日目覚めた朝のうちにです。 種を蒔くと芽が出て育ち花が咲き、実を結び収穫することができます。種子島の貧農の家に生まれ育ちました。 種を蒔くとすぐ収穫なんてことはありません。時期が来ると収穫です。ただ言えることは蒔いた種以外のものを収穫することはありませんし、できません。 稲の種を蒔いて麦?絶対にありえません。麦が欲しければ麦の種を、コメが欲しければ米の種を蒔けばよいのです。 きちんと種を蒔いておけば、蒔いた種が必ず実を結ぶことは理の当然です。カラスに食べられたり、枯れてしまうということもありますが、それは例外中の例外です。 人生の種蒔きも同じようなものです。自分の人生どうしてこんなに問題ばかりなのか?不思議に思うかもしれませんが、聖書は人は蒔いたものを刈り取ると教えています。 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう」(ガラテヤ人への手紙6:7-10) 蒔いたものを刈り取ると言われと、よい種ばかリ蒔いてこなかたと思ってしますます。 しかし、イエス・キリストの十字架の救いは、私たちが蒔いた罪の種やマイナスの種のすべてを刈り取ってくださった恵みなのです。アーメンと信じる時、今までのすべてを刈り取り、新しい人生へと入れられます。 そして同時にどんなマイナスのように見える種の結果をも最善のものに変えてくださるのです。あきれるほどにもったいない恵みを受けることができるのです。 信じたその日から、真実の種(聖書のことば)を自らの心に蒔き続けていくとき、不思議なように何も心配しなくても、時が来るとすばらしい実を結ぶという結果になっているから幸いです。 だから、いま目に見えて結果が出ていなくても心配したり落ち込んだりしないで、与えられたことを忠実に励み続けることが大切なのです。 「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない」(伝道者の書11:6) 夕方とはやり始めて終わるまでの意味もあり、また高年になってもと理解することができます。祈りある限りなすべき使命が与えられています。身体が動かなくなっても、家族の健康や周りの人々の幸せを願い祈ることもできます。 アーメンと信じてクリスチャンになってくださる方々を思う時、親がクリスチャンだったとか、日曜学校に通っていたとか、だれかがその救いを祈り願っていた場合がおおくあります。 イエス・キリストは十字架の上で、「父よ。彼らをお赦しください」と2000年前に祈りました。その十字架上の祈りの全人類は包まれ愛されているのです。 あなたの今日の頑張り努力が無駄になることはありませn。イエス・キリストのお名前による祈りは聞かれているのです。 どうぞ継続は力なりです。あなたは、あれか、これか、どこで成功するか分からないことが多く、もしかしたら無駄に見える失望感にさいなまされているかもしれません。 しかし、全部がうまく行くように働いているのかも知れません。心配しないで全力を傾けて実行し、すべてのことに感謝しつつおおらかに生きて行きましょう。人生に何一つ無駄はないのです。今日もまた天国の豊かな実りへの一日です!感謝します。ローマ人への手紙 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。コリント人への第二の手紙 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2011/12/06
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昨夜、大阪エリムキリスト教会より帰宅後、メールを開くと原人さんからのお便りがあった。 大阪の礼拝でお話ししたばかりの勿忘草さんの詩が、無料でダウンロードできるとのこと。 詩集・思いはいつの世でも輝きてを、さっそくダウンロード。礼拝前に話があるとの約束で、喫茶店で3名の方と40分間お会いしたが、お金の話だけで礼拝前の聖なる思いが消されたような感じで、しかも礼拝にも出席せず、何のための時間だったのかとマンガだけを名刺代わりプレゼントしただけだった。 詩集を読み気持ちがスッとしたので、勿忘草さんの声を電話でお聞きし、原人さんにメールを送り、詩集もプリントアウトし再読。 「ふるさとの味がする」 散歩中に見つけた 野いちご つまんで口へほうり込む 懐かしい味が 口の中いっぱいに広がっていく 甘酸っぱい 故郷の味がする 懐かしさがこみ上げてくる 涙が ぽとん と 目の前が霞んで 野いちごが ダブル 故郷が だぶる 「我がふるさと種子島」悠久のかの地に 足を踏み入れし時より 生命を育み 足跡を残し 去る日まで続けられし 命の営み 未来永劫 生きとし生けるものの 息吹が感じられますように・・・・無料・詩集『想いはいつの世でも輝きて』21作品(著者・勿忘草) 無料ダウンロードは、http://www.dlmarket.jp/default.php/manufacturers_id/6777/price/2西之表市生、大阪府在住。文芸社より『詩集 想いが、思い出に変わる時』も出版しています(ネット販売中)「ブログ勿忘草の小部屋」http://ameblo.jp/wasure-nagusa/ 今年は9月の誕生日(古希)より、懐かしい故郷の種子島人との出会いが続き、遠きにありて思う故郷が、一直線に近くなった感じの数カ月です。 53年前に種子島から生駒に来たときは、バスで一時間、船で6時間、鹿児島駅から大阪駅まで急行で22時間。大阪駅から生駒駅まで1時間余り、そして歩いて30分もかかりました。 今では新大阪から鹿児島まで新幹線で4時間弱。高速艇で種子島まで90分です。自動車でも高速道路で12時間弱です。飛行機では2時間、あっという間に種子島です。 そのうちに種子島の夢、ロケット往復の旅が宇宙に向かってできるかもしれません。 そんな思いを持ちながら、種子島で生まれ育ったことを感謝しながら、今日もまた天国の一日です!と、感謝しつつの朝です。 日本人すべてが、イエス・キリストを心に迎え、アーメンと信じプテスマを受け、天国を故郷に持つ、天国人となるよう祈りつつの朝です。ヘブル人への手紙 11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。 11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。 11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。 11:11 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。 11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。 11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。 11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
2011/12/05
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クリスマスシーズンの12月です。 クリスマス=クリス(キリスト)マス=ミサ(礼拝)、クリスマスとはキリストを礼拝する日です。 クリスマスには、イエス・キリストの母として選ばれたマリヤを忘れることができません。 有名なアベマリアの調べとともに。「アヴェ・マリアの祈り」 アヴェ、マリア、 恵みに満ちた方、 主はあなたとともにおられます。 あなたは女のうちで祝福され、 ご胎内の御子イエスも祝福されています。 神の母聖マリア、 わたしたち罪びとのために、 今も、死を迎える時も、お祈りください。 アーメン 処女マリヤの偉大さは何だろうと思いつつ目覚めました。 第一に、ルカ1:28 御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」と天使ガブリエルによる告知を受けました。 主があなたとともにおられる恵みです。一人ぼっちではない。誰も自分のことを分かってくれないと嘆くのではなく、あなたを愛してくださる方がともにおられる幸いです。 一人病室で死を迎える時も、太陽の光も届かないような部屋に孤独のさみしさにさいなまされている時でも、「あなたわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語りかけてくださる主がともにおられるのです。第二に、1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。 先日にメッセージで「わたしの恵みはあなたに十分である」(第二コリント12:9)を語りました。 聴くものにとまどいがありました。ひどく戸惑ったものもあります。現実はお金もない、身体も弱い、人間関係にも躓きがある。トラウマも大きい。マリヤも同じ心境でした。当時の律法では、結婚しないで身ごもると死刑でした。処女が身ごもるという預言はありましたが、まさかその預言が自分に当てはまるとは考えもできなかったことでしょう。第三に、1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。 どんな恵み?「あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい」想定外の恵み、考えることもできないような恵みがナザレの村里に住む乙女に告げられたのです。 とまどいはなくなるどころか、もっと大きくなりました。「わたしの恵みはあなたに十分である」と告白したパウロは、さらに「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(第二コリント12:9-10)と告白しています。 神のことばは私たちの戸惑いを越えて語りかけてきます。第四に、1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ルカの福音書1:37 神にとって不可能なことは一つもありません(神にできないことは何一つない) 聖霊の御業が語られます。神にできないことはないのです。大きな教会で説教することもしばしばあります。 神にできないことはないのです!と叫ぶと、大きな声でアーメンと応答の声が上がります。 信じる者にできないことはないのです!と叫ぶと、大きな声が半分くらいになります。 そして、あなたにできないことはないのです!とチャレンジします。アーメンの声は小さくなりほとんど聞こえない場合もあります。 聖霊のお力と働きを信じています。でもそれは聖書の時代であり、特別に選ばれた聖人であり、自分は別だと考えてしまうのです。それが謙遜だと思っている場合もあります。第五に、マリヤの偉大さ素直さは、そのままにみことばをアーメンと受け取ったことです。1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」 結果としてイエス・キリストはこの世界にい生まれてくることができました。 マリヤの「あなたのおことばどおりこの身になりますように!」のアーメンが世界全人類を救ったのです。 私たちも今朝、聖書のことばにアーメンと応答し、神様の与えてくださる幸いをそのままお受けする者となりたいものです。 エリサベツの賞賛のことばは、今朝そのまま私たちが受け取るべきことばです。ルカの福音書1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。 MerryChristmas(メリークリスマス)今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。感謝します。
2011/12/04
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16歳でクリスチャンになり、その日から聖書を読むようになりました。 最初はなじみのない人物名や、奇跡の話にちんぷんかんぷんでした。 ある日、「若い人は名によってその道を清く保つことだできるでしょうか」という詩篇の言葉に出会いました。 どうしたら雪よりも白い心で生きるだろうかと求めていました。そのことばの続く希を読むと「みことばに従ってそれを守ることです」とあります。あっ!聖書を読めばいいんだ。 「私は主に向かって罪を犯すことのないように、心のうちにみことばを蓄えました」と続きます。その日以来、聖書を読み聖書の言葉を覚え、日々口ずさむ平安と希望の生活です。 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」(マタイの福音書7章7節) あなたを愛してくださる神様が、求める者には絶対に良いものを与えてくださるという、変わらない約束です。 どうせ無理だ、ダメだとあきらめているから、何事も変わり映えせず、そのままなのです。 物を求めるだけでなく、あなたにはいろいろな可能性がるのに、自分はダメだとため息だけの人生にさようならです。 アメリカの心理学者で潜在能力開発専門家ジーン・マリー・スタインは、「私たちには、自分でも知らない能力が眠っている。それらをすべて合わせると、今より500パーセントも自己成長できる」と述べています。 自分で勝手に自分を制限し、限界を設けているのがあなたや私ではないでしょうか。神様のかたちに象って創られた人間です。 イエス・キリストの十字架の救いを受けたとき、神のかたちが回復されました。新しい復活のいのちが与えられ、聖霊の力が内側から変化をもたらします。 自分は頭が悪いから・・・・とか、記憶力が無くなたとか、ボケるかも・・・・、あれも苦手、これも苦手など否定的な思い込みにとらわれてはいませんか? あなたには限りない可能性があるのです。単に物を求める便利な言葉ではなく、「求めなさい。そうすれば与えられます。誰であれ求める者は与えられるのです」あなたの人生を根底から変えてしまうイエス・キリストの約束です。 残された年末の日々、聖書の言葉で元気よく乗り越え、新しい年に向かって羽ばたきたいものです。 主を待ち望む者は新しい力を受けます。ワシのように翼をかって上ることができます! 今日もまた天国の一日です!感謝ます。詩篇119:65 主よ。あなたは、みことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました。119:66 よい分別と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じていますから。119:67 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。119:68 あなたはいつくしみ深くあられ、いつくしみを施されます。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。119:69 高ぶる者どもは、私を偽りで塗り固めましたが、私は心を尽くして、あなたの戒めを守ります。119:70 彼らの心は脂肪のように鈍感です。しかし、私は、あなたのみおしえを喜んでいます。119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。119:72 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。119:73 あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください。119:74 あなたを恐れる人々は、私を見て喜ぶでしょう。私が、あなたのことばを待ち望んでいるからです。
2011/12/03
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生駒聖書学院二学期最後のチャペルでした。聖書の学びと同時に、冬春夏と伝道実践期間を設けています。 今月はクリスマス月間で、来週6日よりそれぞれの教会で学んだことを実践します。4名の男子神学生を、9日までいわき市へボランティア派遣します。今日一人の神学生は少年院慰問へ行きます。 厳しい人生を歩いてきた者もありますが、今朝のチャペルメッセージは、「わたしの恵みはあなた十分である」と語りました。 聖書には、「すべてのことについて感謝しなさい!」とあります。その根本的な理由が、「わたしの恵みはあなたの十分である」(コリント人への第二の手紙12:10)のことばにあります。 使徒パウロは、高慢にならないために肉体的な弱さを持っていました。彼は、「肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです」と告白しています。 その苦痛を伴う肉体のとげのために、「これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました」と言うように、祈りに祈りました。 主からの答えは、「「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。 彼が手を置けばどんな病も癒され、その手拭いに触るだけで健康が回復しました。しるしと不思議と奇跡の伴う伝道生涯でしたが、彼自身は肉体の刺を持ったままの一生でした。 祈っても答えられないと嘆く人もありますが、「わたしの恵みはあなたに十分である」との、主のことばを信じる人は幸いです。 第一に、その恵みは救いの恵みです。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」((エペソ2:8) イエス・キリストの十字架の救いは、ただ恵みによって与えられます。十字架と復活の福音をアーメン信じますと受け入れるだけで、恵みのより救われ神の子となり、永遠のいのちが与えられます。地獄行きに定められた罪人が、今日あなたは私とともにパラダイスへ!との約束通り、永遠の天国に召されることができます。だから、今日もまた天国の一日です!と、恵みが十分であることを感謝できるのです。 第二に、恵みにより救われた者は、苦しみや辛さから助けられうだけでなく、苦しみを受けることさえ恵みなのです。 パウロは、肉体の刺のため謙遜になり、そのままで主に信頼し、十字架の苦しみと復活の力に満たされました。 ランナーズハイと言うことががあります。 マラソンブームですが、最初は苦しくやめようと思うこともありますが、長時間走り続けると気分が高揚してくるのえ、また走りたくなる作用が働きます。「ランナーズハイ」は、エンドルフィンの分泌によるものとの説があり、内在性オピオイドであり、モルヒネ同様の作用をしてくれます。特に、脳内の報酬系に多く分布する。内在性鎮痛系にかかわり、また多幸感をもたらすと考えられており、そのため脳内麻薬と呼ばれることもある。二人以上で走ると効果がさらに高くなるそうです。 信仰生活でも同じような経験をすることがります。聖霊の内在を経験していると、苦しみなあたことが幸せであり、新しい向上する人生を体験できる不思議な世界です。 第三にどんな肉体の刺であれ、神の栄光=神様の素晴らしさ=があらわされます。 歌が歌えなかたので、よい妻との出会いが与えられました。 種子島の田舎の田舎で生まれたので、種子島出身の方々との良い出会いが与えられました。 挫折があったので今の私があります。 水野源三さんの詩、苦しまなかったらと、有難うを紹介します。苦しまなかったらもしも私が苦しまなかったら神様の愛を知らなかったもしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら神様の愛は伝えられなかったもしも主なるイエス様が苦しまなかったら神様の愛はあらわれなかった有難う物が言えない私は有難うのかわりにほほえむ朝から何回もほほえむ苦しいときも 悲しいときも心から ほほえむコリント人への第二の手紙 12:7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。12:8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。テサロニケ人への第一の手紙5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
2011/12/02
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種子島で生まれ育ちました。時間的には生駒市が第二の故郷です。でも心はいつも種子島です。 初めて出会う方には、種子島から来ました。ときどきロケット基地に居ましたとか、ロケットを作っているので打ち上げ時期には種子島ですとの方々との出会いもあります。 何よりも嬉しいのは種子島で生まれ育った方々との出会いです。今年は特に種子島原人さんのホームページで、多く新しい出会いがありました。 昨日は、詩人の勿忘草さんがイエス様を心に迎えて、生駒聖書学院でバプテスマ(洗礼)を受けました。先週はラーメン党さんがバプテスマでした。広がりゆくイエス様の愛の豊かさに感謝の朝です。 昨夜遅く勿忘草さんブログを開いたら、美しい誌と洗礼の喜びが記されていました。晴れ渡る空 黄葉に彩られし生駒の山並み導かれし魂心の迷い溶けて清き水の中洗われたる 小、中、高と教会へ通っていましたが、洗礼を受けるまでには至りませんでした。11月になって深い縁(えにし)で、種子島出身の榮義之牧師の元へ導かれました。 お会いして心満たされ、ELIMキリスト教会(大阪市浪速区西恵美須町)で礼拝に参加し、ポロポロと涙溢れ、魂が癒されていくのを感じました。 今日、生駒聖書学院にて、イエス・キリストをアーメンと信じバプテスマを受け、新しい居歩を歩き出しました。(詩人・勿忘草ブログより転載) 今日から師走、クリスマスに向かってさらに多くの方々が、イエス・キリストを心に迎え、新しい希望にあふれる2012年を迎える日本であるよう祈る朝です。 今日もまた天国の一日です!感謝します。コリント人への第二の手紙 5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
2011/12/01
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