全32件 (32件中 1-32件目)
1
自分の心に頼る者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。/自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。(箴言28:26) 幸せになるのをを妨げているものの一つに、愚かさがあります。人間が幸せになれない最後の障害と言っても過言ではありません。 聖書は、自分の気持ちに頼る者は愚かな者と宣言しています。なぜ聖書はそう言うのでしょうか。それは、人の心や気持ちは一瞬で変わるこことが多いかららです。 感情のジェットコースターに左右されやすく、幸福だと思っていてもすぐ心が沈見、不幸だと思います。 心が愛で満たされていると感じたと思ったら、すぐ怒りでいっぱいになることもあります。 自信にあふれていたはずなのに不安になったり・・・・。 自分の心だけをよりどころにするのは、一人分だけの限られた知識と気まぐれな感情に将来を賭けるのと同じことのような歩みになるのです。 イエス・キリストを信じて救われ、全能の神の知恵で幸せに生きる日々を体験なさってください。エレミヤ書17:5 主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。7:7 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。
2011/05/31
コメント(0)
16歳の時、初めてキリスト教会の礼拝に行きました。種子島の小さな集まりで、医院の一室が礼拝の部屋でした。 宣教師はまだ日本語が話せなくて、賛美歌を歌いそのあとは聖書を読むだけでした。その日の朗読個所は箴言31章10節からで、「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い」とあり、今でもその時のことを覚えています。 最初に読んだ聖書の言葉のように、真珠よりもはるかに尊い、しっかりした妻との出会いが与えられています。 箴言=戒めの言葉、教訓の意味を持つ短い言葉、格言=旧約聖書の一書で、道徳的教訓や人生の知恵、格言、金言、勧告の書。 31章あるので毎日1章読み続ければ、人生を幸せに賢く生きることができるすばらしい聖書です。 幸せを妨げる要素はたくさんありますが、その中の一つにねたみがあります。 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。憤りは残忍、怒りは洪水。ねたみの前に誰が耐ええようか。。(箴言27章4節) ねたみ=嫉妬は怒りよりも害を及ぼすと教えています。ねたみのあるところに、ほんとうの幸せはありません。なぜならねたみや嫉妬は自分が持っているものを忘れさせ、ないもののことばかり考えてしまいます。 そして、それは自分与えられて当然なのに、と傲慢な考えに支配されてしまいす。嫉妬すると惨めな気持ちになり、幸福感は失われ、最終的には不幸になります。 幸せな気持ちで過ごすためには、ねたみや嫉妬から救われ、それい勝利することが必要です。 「不安という名の鳥が頭の上を飛んで行くのを防ぐことは出来ない。けれど頭の上に巣を作るのは防ぐことができる。」と言うマルチン・ルターのことばがあります。 ねたみや嫉妬の思いがあることはどうにもならないが、心に入り込み根をはることは止められるのです。御子イエスの血がすべての罪からきよめてくれます。ねたみのお思いが来たら、イエス様の血汐できよめていただき、その思いが心にとどまる前に、取り除くことです。 ねたみや嫉妬心に勝利し続けるその秘訣は、感謝することです。心が感謝で満たされていれば、ねたみや嫉妬心が育つ余地がなくなります。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。コロサイ人への手紙3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
2011/05/30
コメント(1)
陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。喜びを抱く心はからだを養うが/霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。(箴言17:22) 現代医学が発見した真の幸せが健康にも大きく影響すると言うことを、3千年前に箴言は記しています。幸せな気持ちでいると心臓病とガンのリスクが減り、ほかの病にもかかりにくいのです。 一方、沈んだ気持ちでいると循環器系統に炎症を起こす確率が高まり、心臓病、心臓発作、脳卒中の引き金になるのが二倍になると言われている。手術後も幸せな気持ちの人の回復が早いと言われています。 幸せとは、途切れることなく心を満たし続ける喜びです。そのような真の幸福を、イエス・キリストの十字架と復活の福音を、アーメンと信じて体験なさるよう、お祈りいたします。ヨハネの福音書4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
2011/05/29
コメント(0)
風評被害という言葉がよくつかわれています。 3月11日午後、東日本を襲った大地震と大津波、さらに福島原発放射能漏れなど大震災。あれから2ケ月半も過ぎましたが。被災地の復興もままならず、原発事故は予測不能の状態です。 風評被害とは、根拠のない噂のために受ける被害のことを言います。事件や事故が発生した際に、不適切な報道がなされたために、それが事実でなくてもあたかも事実のように信じ込んでしまうことです。 特に、福島原発事故で放射能漏れが報道され 避難地域の野菜や魚などその食品そのものが危険であるとの報道のために、福島県ないの農産物やその他の食品も汚染されているという風評被害のため売れなくなってしまいます。 その風評被害は国内だけでなく全世界に拡大し、農産物だけでなく日本製品のすべてにまで及んでいると思われ、また日本への海外からの観光客が減少していると言う報道です。 中国の首相や韓国大統領が福島県を訪問し、風評被害で売れなくなた農産物を食べて、大丈夫ですとにこにこ笑って安全をアッピールしていました。 特に放射能はいまではなく数年後に被害が出てくる可能性もあり、速やかに福島原発廃止を決定する方が早道だと思います。 風評被害をなくする為には、原発に対する明確な情報が発表されることです。東電はもちろん、政府発表もふかしたかで、毎日の報道もあやふやで、放射能の専門家の意見のまちまち、評論家たちは避難するだけ、インターネットの世界には情報があふれ、風評被害は広がるばかりの今日この頃です。 イエス様は、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」と言われました。 今、風雨被害を防ぐためには、政府が真実を発言することです。それは科学者たちも同じで、何よりも報道機関が真っ直ぐな情報を提供することだと思います。 また、聞く者もあまり風評に惑わされず、落ち着いた生活を心がけていくことです。そんなこと分かっていると怒られそうですが、やはり心の平安をしっかり持ちことです。テサロニケ人への手紙 5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。 5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。 5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。 5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。 5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。 5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。 5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。 5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。 5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
2011/05/28
コメント(0)
人生一本調子だけの人はいません。山あり谷ありです。ピークの時もあれば、ダウン状態、何とかしてと叫びたい時もあります。 テレビドラマの水戸黄門の主題曲、「ああ人生に涙あり」があります。どんぐりころころのメロディで歌えるそうです。 人生人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行くあとから来たのに追い越され 泣くのがいやならさあ歩け人生涙と笑顔あり そんなに悪くはないもんだなんにもしないで生きるより 何かを求めて生きようよ どん底だからと言って、あきらめたり 絶望しないように!どん底って、それ以上落ちない保証です。そこであきらめたり、絶望して座り込むから何も起こらないのです。そこから先は上るだけ、さあ立ち上がろうと決意さえすれば、立ち上がる力が与えられます。イエス様、信じます。助けてくださいと祈りつつ乗り越えて行きましょう水前寺清子が歌いヒットした、ぼろは着ててもという歌もあります。 ぼろは着てても こころの錦どんな花より きれいだぜ若いときゃ 二度ないどんとやれ 男なら人のやれない ことをやれ 涙かくして 男が笑うそれがあの娘にゃ わからない恋だなんて そんなものいいじゃないか 男ならなげた笑顔を みせてくれ 何がなくても 根性だけは俺の自慢の ひとつだぜ春が来りゃ 夢の木に花が咲く 男なら行くぜこの道 どこまでも 想定外のすばらしい未来があるのです。心たくましく進んで行きましょう。真っ暗なトンネルでも、永遠には続かないのです。もう輝きの光が目の前です。 今日もまた天国の一日です!感謝します。 詩篇 23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
2011/05/27
コメント(0)
口から出るもの、それは言葉です。言葉は心の表現です。心は目で見ることはできませんが、耳で聞くことができるのです。口から出まかせばかり言う人もありますが、一貫性がありませんから聞けば聞くほど、いい加減さに驚かされます。心にもないことを言う人もあります。絵空ごとばかりしゃべる人もあります。人それぞれ口から出る言葉で自分を表現しているのです。悪口や嘘いつわりは、人を傷つけ痛めます。聖書は神の口から出た、生きていて力のあることばです。神のことばがどんなに勇気を与え力強いかを体験しながらのクリスチャン人生です。詩篇1:2-3 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 神(聖書の言葉)の教えを喜びとし、昼も夜も聖書のことばを口ずさむなら、すばらしい成功人生が約束されます。その人はどんな状況や環境にあっても大丈夫です。流れのほとりの木が青々と生い茂るように、グッドタイミングで何をしても栄える=繁栄する=成功人生を生きるとの約束です。 心を神のことば=聖書のことばでいっぱいにしてみましょう。イヤな言葉や悪口、不平不満や中傷、皮肉が軽々しい噂話など、心の中から放り出して。イエス様の血潮でキリサッパリ洗い流していただき、人を生かすことばが聖霊の豊かさによって語りだされる天国の一日でありますようお祈りいたします。詩篇19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。 19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。 19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。 19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。 19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。
2011/05/25
コメント(0)
牧師は礼拝や集会ごとに説教をします。メッセージを語ると言った方が的確ですが。語ることが苦手で牧師にはなれないと考えていました。聖書を読んでいた時、「ああ、麗しいかな。良いことを告げる足は」という言葉に出会いました。 良いこと(福音)を伝える、それだけで良いのだと信じて牧師になりました。嬉しい知らせを伝える情熱をもっと欲しいと願いながら、いつも聖書のことばをお伝えしています。 ある神学校から説教学の教授依頼があり、親しい牧師に相談しました。そうすると説教学の教授は説教はうまくなくても良いとのアドバイスだったので引き受けました。 何事も、先を予測して準備していると良いのですが、突然頼まれたりすることもあります。礼拝の直前まで何を話すか決まっていないときもあります。あせればあせるほどうまくいかないこともあります。 長年の牧師生活ですが、ふり返って見ると何とかなってきました。そんな説教の時に限って、今日もメッセージで勇気をもらいました。必要なアイデアが与えられました。慰められて感謝しますなど、いろんなことばが帰ってきます。 そんなとき、ほんとうに確実に存在される聖霊の息吹によって語れたと感動します。見えないけれども確実に助けてくださる助け主がパワーを与えてくださったのです。 超自然的な聖霊のパワーは、初代教会時代だけでなく、今もなお存在しています。心を素直にして待ち望む時、聖霊に満たされて語る自由が与えられます。 講壇に立つまであきらめないで、主を待ち望み、みことばを語り伝えたいと願いつつです。ルカの福音書12:12 言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。ヨハネの福音書3:34 神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
2011/05/25
コメント(0)
朝型、夜型のタイプがあります。 種子島で生まれ育ち、家が島の真ん中で、太平洋側へ7キロ、東シナ海に面した中学校まで9キロもあり、毎朝5時に起きて通学でした。 高校の寮は6時起床で少しホッとしましたが、生駒聖書学院は午前5時起床なので、種子島時代の生活と同じ時間に鳴り、現在は午前4時30分には起きる毎日です。 早起きは三文の得と、ことわざは早起きを勧めています。早起きは三文の徳でもいいですね。三文なんて一円より小さくてお金にするとわずかですが、早起きは健康で長生きの秘訣と言っても過言ではないと思います。 朝起きると窓を大きく開けて、五月の新緑を思い切り吸い込み、今日また天国の一日です!と叫びます。主の恵みは朝ごとに新しい!これは主がなさったことだ。私の目には不思議なことです。この日は主が造られた日!この日を楽しみ喜ぼう。ハレルヤ。 豊かな恵みを思いつつ、聖書のことばで祈り賛美します。午前5時30分には学院チャペルで神学生たちと、大声を出しての朝の祈りを一時間。それから7時までの30分間は、賛美と聖書のメッセージに耳を傾け、新しい一日へのスタートです。 熟睡型でしっかり眠利朝の目覚めも爽やかです。生駒聖書学院の敷地は緑がいっぱい、朝の澄み切った空気に満ち、ウグイスやメジロの囀り、ヒヨドリの鳴く声も気持ち良く響き、物事に集中できる朝は最高です。 聖書は朝の恵みを多く約束しています。以下、引用してみます。詩篇5:3 主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。90:14 どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。143:8 朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。伝道者の書12:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。 哀歌3:22-23 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
2011/05/24
コメント(0)
毎日の生活の中で???と思うことが多い人生です。牧師の生活も自分のことだけでなく、様々な?(なぜ、どうして)が寄せられます。 試練や逆境がなぜあるのか。苦難はなぜ襲ってくるのか。デボーションが今朝から、苦難の書として有名なヨブ記になります。 ウツの地にヨブという人がいました。ヨブは潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている高潔な人でした。 彼には七人の息子と三人の娘もあり、すごく幸せな家庭でした。また彼は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを持っており、東の人々の中で一番の富豪でした。 そんなヨブに、一朝にして全財産を失う苦難が襲いかかりました。全財産を失ったばかりか、パーティを楽しんでいた息子娘全員が台風で全員即死でした。 そのような逆境のさ中でしたが、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して神を礼拝します。 そして言いました。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな!」 ヨブはこのようにひどく恐ろしい出来事の中でも罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかったのです。 そののような災いをもたらしたサタンは、ヨブはすべてを失ってもまだ健康な体があるからだと、神に抗議しさらにヨブの肉体を病にする許可を求めます。 ヨブ記の記述をそのまま転載します。 2:1 ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。 2:2 主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」 2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」 2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。 2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」 2:6 主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」 2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。 2:8 ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。 2:9 すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」 2:10 しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。 潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかり、信仰深く高潔なヨブになぜ試練が襲い、苦難が望んだのかと言うテーマで3章から最後まで40章にわたって議論が展開されます。 第一に、すべての災いは悪魔・サタンが引き起こすという考えがあります。咳をしたり風邪を引いても、それは悪霊だとか言って、すべてのうまくい行かない原因を悪魔のせいにしてしまいます。 第二に、因果応報=親の因果が子に報いる、あるいは前世の因果が不幸の原因とみなす考えで、ヨブの友人たちの論議もそのことに集中しています。 第三に、罰だ、たたりだ、呪いだという考えです。 第四に、不道徳、悪習慣などで自分の生活が引き起こした結果だと責める考えです。 第五に、心理的要因と言う考えで、ヨブ自身もそのように告白しています。「私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ」 どのような試練や苦難の原因を単一の要因で起こると決めつけると罠に落ちてしまいます。悪魔や悪霊が原因だと大騒ぎすると、彼らが大喜びします。もっと思え、その通りだと考えろとますます思いが曇らされてしまい、悪魔や悪霊を恐れおびえていくのです。 イエス様の十字架の死は、私たちを救いだしてくださいました。ヘブル人への手紙2:1415 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。 因果応報につても聖書は、イエス様の十字架によって親の罪が子に及ばないことを宣言しています。ヨハネの福音書9:1-3 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。旧約聖書・エゼキエル書8:2-4 「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。 わたしは誓って言う。――神である主の御告げ。――あなたがたはこのことわざを、イスラエルで、もう決して用いないようになる。 見よ、すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。イエス様は十字架の上にすべての罪を贖い、テテレスタイ!すべてが完了したと宣言されたので、アーメンと信じれば救われ罪が赦されます。 ヨブ記に苦難の意味を訪ねて、なぜ?どうして?を求めると、その答えを見出すことはできません。 ヨブ自身の結論・・・・。 ヨブ記42:1-6 ヨブは主に答えて言った。あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。 知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。 どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。 その結果・・・・ ヨブ記42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。 毎日の出来事になぜ?どうして?と問うことの多い悩みの人生です。苦難の意味を知りたく思うものです。 けれどもイエス・キリストを信じた日から、すべての重荷を委ねながら、いろんなでいごとに直面するたびに、祈りつつ?マークから、感謝します!とビックリマークで祝福され、すべてのことが働いて益となる恵みを感謝しつつの歩みです。PS. 学院長と面会の約束があると、昨日の午後生駒聖書学院をお訪ねくださった三人の方があったと報告を受けました。日曜日は新世界のエリムキリスト教会礼拝で大阪あので、日曜日の午後に約束はできません。多分お間違えだと思います。
2011/05/22
コメント(0)
エレミヤ33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。 第一に、わたしを呼べ=祈りは命じられています。詩篇50:15苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」イザヤ55:6主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。マタイ7:7求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。ヘブル4:16ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。ヤコブ4:8神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。テサロニケ第一5:17 絶えず祈りなさい。第二に、 そうすれば、わたしは、あなたに答え=答えは約束されています。マルコ11:24だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。ヘブル11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。ヨハネ第一5:15私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。 第三に、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう=祈りを実践するすべての人の信仰への励ましエペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。 ともかく何事であれ祈りましょう! イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。 ありがとうございます。答えられ(与えられ、いやされ、満たされ、助けられ)ました。ありがとうございます!感謝します。 すばらしい五月最後の一週間、豊かな祝福と祈りの答えの日々でに感謝します。アーメン。
2011/05/22
コメント(0)
先週から韓国語を習おうと思い、チャレンジしています。韓国には25回ほど行きましたが、日本語ができる方がたくさんあり、メッセージにも不自由しなかったので、カクサハムニダ(感謝します)だけでした。 生駒聖書学院には韓国語ができる神学生がたくさん在籍しています。 昨日、アンニョン ハセヨ=挨拶言葉を覚えました。韓国の牧師接待があり祈りのことば、イェスニム イルムド キド トゥリョッスムニダ!も教えてもらい夕食の祈りに使いました。 自己紹介は、(チョヌン イルボネ モクサイムニダ) 毎月来ているIT教授の牧師を接待を任せて何カ月もそのままでしたので、昨日は美味しい肉料理をと思い、レストランまで案内しました。何と閉店になっており、近くのホテルへ行き早く着きすぎて、三人だけで静かな(言葉が通じないので)食事の時間でした。 あっという間に一週間が過ぎ、今月も最後の週になり、明日は奈良市の富雄キリスト教会説教、昼は大阪エリムキリスト教会で聖書研究、夜は堺エリムキリスト教会礼拝です。 誕生日祝いや、病気の方を見舞ったり、今朝は未明に召された方の葬儀(他教会員のため葬儀司式はしないがアドバイスだけ)を朝早くからの相談来訪でした。 テレフォンメッセージ録音、インターネット録画、ブログ書きやメール返信、明日の礼拝への備え、月曜日メッセージや授業準備など、充実した時を過ごしている毎日です。 朝の目覚めとともに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 一日の終わりに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 幸い、熟睡の恵みが与えられているので、日々元気で過ごしています。お祈りありがとうございます。コリント人への第二の手紙 6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。 6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。 6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、 6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、 6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、 6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、 6:7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、 6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、 6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、 6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
2011/05/21
コメント(0)
エステル=ペルシャ名で星、ユダヤ名はダサ=てんにんか(天人花=春から夏に芳香のある径3cmほどの桃色から紫色の花が咲く。果実は黒紫色に熟し食べられる。世界の熱帯・亜熱帯で広く野生化(日本では沖縄県など)しています。 エステル2:15「エステルを見る人は皆、彼女を美しいと思った」 美人の定義はいろいろ、平安美人と現代の美人、日本人とフランス人、時代国によって美人感 覚は変わります。だから絶対的美しさは見る人によって違ってくることもある。 エステルの美しさは、文句なしの美しさでした。このような美しさは決して姿や形の美しさだけではなく、心の中から出てくる品性の美しさだと思います。美しさはスタイルや顔立ちだけでなく、美しい人間、美しい心が美しい人をつくると思います。エステル2:7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。 親の愛を知らない孤児、寂しさや孤独、悲しみや辛さもあったことでしょう。おじさんから受けた大きな愛があり、その愛に支えられ育まれてきました。 心の美しさは何一つ不自由のない環境や苦労のない人生からだけでなく、悲しみや苦しみを通して銀のように輝くものです。 苦しみだけだとひねくれるかもしれませんが、モルデカイの大きな愛=イエス・キリストの十字架の愛を体験すると、苦しみに会ったことは私に良いことでした!その中から心の優しさがにじみ出るのです。人の心の豊かさが美しさを輝かせるのです。エステル2:20 モルデカイが彼女に命じていたように、まだ自分の生まれをも、自分の民族をも明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていた時と同じように、彼の言いつけに従っていた。 エステルには、モルデカイのアドバイスに素直に従う従順と言う美しさがありました。王妃になりたくてそれに従ったのではなく、従順によって自分の気持ちを現わしました。沈黙は金でした。 素直さ、従順さというのは、人の心を生かすために、自分の心を抑えることです。自分を殺し、人に命を与えることです。このような美しさは日本女性の特徴でした。自分を可愛がり、自分にご褒美を与え、自分をアピールする時代には、なかなか見られない美しさです。 ピリピ人への手紙2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。 エステル2:8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。2:9 このおとめは、ヘガイの心にかない、彼の好意を得た。そこで、彼は急いで化粧に必要な品々とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女にあてがった。そして、ヘガイは彼女とその侍女たちを、婦人部屋の最も良い所に移した。 ヘガイ=注ぐ者の心にかなったとあります。望む者は何でも与えられました。 エステル2:13 このようにして、おとめが王のところにはいって行くとき、おとめの願うものはみな与えられ、それを持って婦人部屋から王宮に行くことができた。 エステルの慎み深さは、王のところにはいって行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていました。 そして、ついには王妃となります。エステエル2:17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。 ここには、エステルが美しかったから王妃にしたとは書かれていません。エステルを愛した。エステルのために何かをしてあげたいという気持ちを王が起こしたからです。まさしく恵みであり想定外のできごとでした。 今日、ヘガイ8聖霊)の注ぎを受けているあなたは幸いです。素直に、謙遜に、慎み深く、自我に死んで、イエス・キリストに結ばれる恵みの中にあります。御霊の実は愛・・・・・。神が与えてくださった霊は、力と愛と慎みの霊です。聖霊の力に満たされ、エステルがユダヤ民族の救いのために立ち上がったように、私たちも救いの業に励みたいものです。ハレルヤ。今日もまた天国の一日です!
2011/05/20
コメント(0)
エステルを見る人は皆、彼女を美しい人だと思った! 旧約聖書のエステル記のにことばです。今日のデボーション個所がエステル記で、ルツ記とともに女性の名前を題名にしてる書です。 エステルは孤児でしたが、伯父さんにモルデカイに育てられました。ペルシャ王の妃選びの候補となり、王に選ばれペルシャ王妃になり、ユダヤ人を虐殺から救い出しました。 今でもイスラエル人はそのことを記念するプリムの祭りを祝っています。エステルの名前の意味は星です。 不遇な生活環境の中にあっても、優しい伯父さんの愛にはぐくまれました。悲しさや苦しみも辛さも経験したことでしょうが、彼女はそれを言いふらすこともなく、沈黙は金で星のように輝きました。 伯父さんのアドバイスに従う従順で素直な美しさ!王妃になりたくて頑張り美を競うのでもなく、人の心を生かすために自らを犠牲にす奥ゆかしい美しさでした。 自分を殺し、人に命を与える美徳は、日本女性の美徳でしたが、現代は自分を可愛がり、自分を強調し、ご褒美を自分に与え、自分の美だけをアピールする時代になったように思います。
2011/05/20
コメント(2)
あらゆる扉を開ける鍵は、コミュニケーション能力とよく言われます。 ハイブリットカ―にはたくさんの機能が付いています。たとえば電子キー、ドアに近づくと自動的にロック解除。ブレーキペダルに足を乗せ、シフトレバーのボタンを押せば車は動きます。 緊急時にはボタン一つで何もかもセンターに連絡できます。でもどんな便利でも使わなければ宝の持ち腐れ?です。 しかし、その電子キ―やコンピュータも、聖書のカギには遠く及びません、生きていて力がある神のことばは最高のカギだなのです。 効果的でないコミュニケーションは仕事と人生の最大の障害です。 夫婦間のコミュニケーションの問題は、女性は右脳(感性や心情)、男性は左脳(倫理、分析)優位で考えることも壁になっています。 女性が一日に話すことばは、25,000語~50,000語。男性は12,000語~25,000語。その差が誤解やすれ違いを生ムのかもしれません。 効果的なコミュニケーションが取れないと、絆が失われかけていると思い始め、そしてやがて、まったく気持ちが通じ合わないと考えるようになることもあります。 コミュニケーションの優劣で、怒りを鎮めることも、あおることもあります。 「柔らかな応答は憤りを静め/傷つける言葉は怒りをあおる。柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。(箴言15:1) 傷つけることもいやすこともできます。 「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす」(箴言12:28)知恵のある人は人の心を癒し、健康にするコミュニケーション力がある。 「親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す」箴言16:24) 「心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。心配は人をうなだれさせる。親切な言葉は人を喜ばせる。(箴言12:25) 今朝のメールに、コミュニケーション上手な人が陥り易いワナとあった文を紹介します。コミュニケーションの得意な人に限ってとにかく議論をするのが大好きです。会話上手な人は自分の考えを豊かな表現力で巧みに相手に伝えることができます。こういう人は意見が対立して議論が熱くなってきても終始会話をリードすることができます。そして議論のゴールを容易に自分の望みの結果に導きます。しかし、これは一歩間違うと相手を説得できているとは言えません。単に相手を言い負かせているだけで自分が気持ち良くなったに過ぎません。議論に勝って説得に失敗してしまうわけです。相手は心の中で納得しておらず、その人のために行動することはありません。従って、相手を動かすためには相手との議論に勝つのではなく相手の考えをしっかり聞き出して相手の価値観に合わせて友好的に解決する必要があるというわけです。もし、今度、意見の対立があったときは自分の言いたいことを抑えて相手の真意を探ってみるのもいいかもしれませんね。聖書のことばペテロの第一の手紙3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。3:10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、3:11 悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。
2011/05/19
コメント(0)
夜の集会後、スッポンをいただき、雑炊の作り方を教えてもらいました。家に帰ると遅かったので家内は就寝中で、ひとりでごそごそと教えられtとおりにスッポン雑炊を炊き、少しだけ味わい、今日の昼はスッポン雑炊のごちそうです。 手元に「帯津良一・健康になる格言」(草思社刊/1400円+税)、読めば心がほぐれて不思議に元気が湧いてきます。とっておきの帯津流「現代養生訓」と帯にあります。裏には、目次からの抜き書きです。よく生き、よく病み、よく死ぬ。苦痛を感じるは養生法にあらず。ストレス転じて、健康となる。喜びの食なら毒も転じて薬となる。足が弱れば、命も弱る。人相は健康を写す鏡。物に依存すれば心は病む。苦しみがあるから、病気は治る。生命ある限り回復は続く。死に向かい合えば、病気は治る。 目次を読むだけでも帯津流「現代養生訓」の味わいを感じる本です。今までも何冊かは読んでいますが、かなりの数の著書があります。 聖書には、健康の約束のことばがたくさんあり、聖書を読むと心も身体も元気になります。 健やかな日々を天国に行く時まで、今日もまた天国の一日です!心はいつも天国の喜びに満たされて過ごしましょう。詩篇 91:1 いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。 91:2 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。 91:3 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。 91:4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。 91:5 あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。 91:6 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。 91:7 千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。 91:8 あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。 91:9 それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。 91:10 わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。 91:11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。 91:12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。 91:13 あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。 91:14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。 91:15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。 91:16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
2011/05/18
コメント(0)
ローフードと言うことばを知りました。遅ればせながら・・・・。 ウィキペディア=Wikipedia= インターネット百科事典により以下。 ローフード(英語:raw food)とは、加工されていない生の食材を用いた食品、あるいは食材を極力生で摂取する食生活(ローフーディズム)のことである。 リビングフードとも呼ばれる。全食事の60-100%がローフードであれば、ローフーディズムの実践者であると考えられる。 ローフーディズムは植物性食品のみを食べるローヴィーガニズムと混同されることが多いが、ローフードの実践者の中には、生であれば、動物の肉や、その他の動物性食品を食べる者もいる。 食物が持つ、加熱によって失われがちな酵素やビタミン、ミネラルなどを効率よく摂取することを目的とする。 ただし、酵素が破壊されないとされている摂氏48度以下でならば加熱してもかまわない。 医学専門家の研究では、ローフード食は健康的だという研究結果もある一方、 身体にさまざまな問題を起こすという研究結果もある。徹底した菜食者はビタミンB12が不足しやすいので注意が必要である。アメリカではベジタリアンのためのガイドラインもある。 ローフーディズムは、1900年代から欧米で提唱されてきた食生活であり、近年では、アメリカ西海岸や、イギリス、ドイツ、オーストラリアなどを中心に人気があり、大都市ではローフード専門のレストランが開店し、芸能人の実践者も多い。と説明があります。 また問題点も指摘されています。 生の肉や魚介類には食中毒の危険性がある。生野菜やフルーツも、危険な微生物に汚染されている可能性があり注意が必要である。 加熱調理することで、効果や吸収力が増加するビタミンや抗酸化物質もある。 ローフード実践者を対象に行った調査では、45歳以下の女性のうち30%が、無月経症状をおこしがちであることがわかった。その数字は長期間に及ぶ厳格なローフード実践者ほど顕著であった。 昨日あった若い女性は、あと5キロ減らすことが目標ですとのこと。今でもきれいでベストだと思いますよ!と言うと、女性の気持ちが分からないですね。どうしても5キロ減量ですと強調していました。 聖書のことばに、「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です」(テモテへの第二の手紙2:7)とあり、慎みということばをバランスと理解することもできます。 精神的な心構えも力と愛とのバランスがあると、家庭生活や人つき合いもうまくいくように、食生活もバランスのよく食べると健康が維持できると思います。 玄米食だったらそれ以外はダメ!生野菜だけだったらそれ以外は絶対イヤ!あれもダメ、これもダメ!と言って頑張り、健康のバランスや人づき合いのバランスを崩してしまう場合もあります。 健康になる格言(小櫃良一著)を読みました。喜びの食なら、毒も転じて薬となるとありました。急用ができ出かけるので、続きはまた書きます。出エジプト記 23:25 あなたたちは、あなたたちの神、主に仕えねばならない。主はあなたのパンと水を祝福するであろう。わたしはあなたの中から病を取り除く。 23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。
2011/05/17
コメント(0)
福島原発放射能漏れ災害で、計画的避難を余儀なくされてしまった飯館村が報じられていました。 飯館村には「までい」という言葉があるとニュースで知りました。手間暇惜しまず、丁寧に心をこめて!という意味で、村人は世界でここだけの言葉ですと語っていました。日本一美しいと言われる村だそうですが、放射能汚染(原発とは無縁で何の恩恵を受けず、町村合併でも自村だけで、までいに村の自立を願って取り組んでいた村だそうです)のために村を捨てることになりました。 までい=手間暇惜しまず、丁寧に心をこめて生きる日本人の心を失わないで、大地震や大津波、放射能被害から立ち直る復興日本を心から祈る日々です。 ベンジャミン・フランクリン(1706年~1790年)の13の徳目を紹介します。1.節制=頭が鈍るほど食べすぎないこと。2.沈黙=利益(自分にも他人)にならないことはしゃべらないこと。3.規律=物はきれいに片づけ、仕事は時間を決めてちゃんとやること。4.決断=やるべきことを決めて、決めたことは必ず実行すること。5.節約=ためにならないことに無駄金を使わないこと。6.勤勉=時間を無駄にしないこと。7.誠実=策略を用いて人を傷つけないこと。8.正義=他人の利益を損なったり、他人の損害を及ぼさないこと。9.中庸=両極端を避けること。10.清潔=身体、衣服、住居野不潔を黙認しないこと。11.平静=小さなこと、日常茶飯事や避け難い出来事で心を乱さないこと。12.純潔=性の営みは健康、または子孫のためにのみ行い、不品行をしないこと。13.謙遜=イエス・キリストを模範とすること。ペテロの第一の手紙2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
2011/05/16
コメント(0)
主の祈り(文語訳)天にまします我らの父よ願わくはみ名をあがめさせたまえみ国を来たらせたまえみ心の天に成る如く地にもなさせたまえ我らの日用の糧を今日も与えたまえ我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなりアーメン口語訳 天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン 主の祈りは弟子たちがイエス様に、祈りの方法を聞いたとき、このように祈りなさいと教えられた祈りです。だれでも祈れる祈りです。美しい主の祈りのカードで覚えることもできます。 日曜学校やキリスト教会の礼拝、幼稚園やミッションスクールで覚えた方もあると思います。クリスチャンになって、朝の目覚めの時や就寝前の祈りを習慣にしている場合もあります。何かにつけ主の祈りを口ずさむこともあるでしょう。 また主の祈りを模範に深い祈りへ導かれることもあります。いずれにしろ、こう祈りなさいとの主の教えですから、そのまま祈ることも重要です。だれでも祈れる最高の祈りと思っています。その祈りがさらに祝福されるために、心がけていることがあります。 主の祈りを祈ったら、その祈りが聞かれたと確信し告白するようにしています。主の祈り・・・・アーメン。ありがとうございます。御名が崇められました。感謝します。ありがとうござます。御国が来ました。私の中に!感謝します。ありがとうございます。みこころが天にも地にも行われました!感謝します。ありがとうございます。日ごとの糧(必要)は今日も豊かにアドナイ・イルエで与えられました。 感謝します。 ありがとうございます。私に罪を犯した人を赦しました。私の罪もイエス様の十字架でぜんぶ赦されました。感謝します。ありがとうございます。試みに合わせられないで、悪い者からも救われ続けました!感謝します。ありがとうございます。国と力と栄えとは永遠にあなたのものです!感謝します。アーメン。 それは聖書の約束のことばどおりになったと確信しているからです。 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」(ヨハネの第一の手紙5:14-15)ルカの福音書11:1 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」 11:2 そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。 11:3 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。 11:4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』」 11:5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。 11:6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。 11:7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』 11:8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。 11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 11:10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。 11:11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。 11:12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。 11:13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
2011/05/15
コメント(0)
火曜日の夜のことです。ラジオ放送の録音を終え、新世界のエリムキリスト教会駐車場へ。少し用事があり傘をさしてづぼら屋の裏側を歩いていると、ときどきお握りやパンを渡したことのある路上生活の男性が軒先に雨を避けていました。 こんばんは。大丈夫?と声をかけると、ちょっと待ってや!あげる物があるでとのこと。何だろうと傘をさしかけると近くの植え込みの中に手を入れ引っ張り出しました。これ食べてや!大丈夫やでと、ずぶぬれの袋です。 自分で食べなきゃと押し返すと、生肉だから食べられないので持っていくようにムリに押しつけられました。ユッケの事件さ中でもあり、だれかにもらった肉だが調理器具もなく、隠しておいた物のようです。 駐車場で雨の中開けて見ると、薄く切った生ハムも入っていました。せっかくの今までの恩返しのような好意だと思い感謝しましたが、なま物のため処分して集会の臨みました。 昨日夕方エリムキリスト教会まで出かけ、通りかかると同じ男性の出会い、美味しいバナナを買ったばかりだったので袋のまま渡し、さらにコンビニで巻きずしとお握り、お茶をお渡ししました。いつもはいらないと固辞することもあるのですが、昨日は気持ちよく受け取ってくれ、ありがとうと感謝のことばのありました。 生肉で食べられなかったからくれたと思いますが、人は誰でも受けるよりも与えるほうが幸いであることを体験したいのです。 その人生の辛さを語らず、じっと路上生活を続けているな方々が多い大阪市浪速区野新世界近くにあるエリムキリスト教会です イエス・キリストの十字架と復活の福音により救われ、新しい人生の第一歩を踏み出すキリスト教会であることを心から願いながらの日々です。 明日15日(日)の午後2時より礼拝があります。ぜひお近くの方お出かけください。 大阪市浪速区恵美須西2-3-4 栄光キリストビル2F・エリムキリスト教会 電話;090-1593-1269 メール;elimyoshi@kcn.jp 毎週火曜日は、午後7時よりリバイバル伝道集会;6月までは神学生メッセージ 毎週日曜日は、午後2時;前田基子牧師メッセージ 午後3時;榮義之牧師メッセージありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。コリント人への第二の手紙5:16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。 5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
2011/05/14
コメント(0)
吐くと言う字は口に+(プラス)と-(マイナス)からなっています。それはマイナス情報を伝えることも必要だからです。でも受け取る側がマイナス情報だけを受けると悲観的になり、絶望するだけです。 しかし、吐くから-(マイナス)を取ると、叶うと言う字になります。叶うとは口に+(+)を宣言することです。 受け取る側の心がけひとつで、不平不満を吐きだしたり、無責任な答えをさも正しいかのように大言壮語でわめきたてたりしてしまいます。 -(マイナス)を取って口に+(プラス)を、なんとかなる!なんとかする!大丈夫!必ず復興すると宣言したいものです。 同時に+(+)は十字架のしるしでもあります。本当の十字架は+ではなく、縦の線が長いので、それは単なるプラス思考や積極的考えを越えて、全能の神に望みを置き、どんなときにも、「昔よりの神は住む家。永遠の腕が下に」(申命記33:27)とあるように、十字架と復活に裏打ちされた十字架思考なのです。 できればと言うのか。信じる者にはどんなことでも出来る!からし種一粒の信じる心で、山が動き可能性へのチャレンジから奇跡が起こるのです。 今のこのときを最大の可能性が広がる時と信じて、あれができない、これもできないと、泣き言や不平不満、文句や悪口を吐き出さないで、あらゆる可能性を口にして、願いと祈りが叶うよう前進したいものです。ローマ書5:3-5 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
2011/05/13
コメント(0)
今朝、女王蜂と働き蜂についてのメールがありました。 スプーン一杯の蜜を得るために働き蜂は巣と花の間を500回も往復するそうです。蜜蜂の中に扇蜂?という蜂がいるそうです。と言っても特殊な蜂ではなく働き蜂なんですが、みんなが蜜を取りに言っているとき、入口に陣取ってお尻を巣の方に向け羽をふるわせ、新鮮な風を巣に送るのだそうです。 その姿が跪いて祈る姿にも似ているので、祈り蜂ともいわれるそうです。このことに詳しい方があればお教えくだされば嬉し限りです。 では何のためにそんなことをしているのかと言うと、蜜蜂の巣は複雑で入り組んでいるので、女王蜂や巣のために新鮮な空気が必要です。働きは蜂が運んできた道を保存するためにも新鮮な風を入れるのです。天然の知恵ですね。 しかもその務めを働き蜂たちが交互に交代しながら果たしているそうです。 どんな社会にももっと働け、がんばれ!という言葉が飛び交います。震災以後、頑張ろう日本がうるさいぐらい叫ばれています。その通りですが、日本のために祈り蜂の務めが必要です。 祈りつつ働き、働きつつ祈る時、復興の働きは内外ともに充実して速やかに前進します。生駒聖書学院は朝5時30分から、震災直後より祈り続けています。義捐金や実際的な支援とボランティアで神学生を派遣したりです。全体から見ると小さな働きですが、学期終了後もできるだけの支援やボランティア活動で計画中です。 祈る時奇跡は起こります。祈りつつ働くところに奇跡の実現があります。日本中が偽りの神を離れて、真の愛である神を信じ、」イエス・キリストの十字架と復活の救いを体験できるよう祈りつつの朝です。テモテへの第一の手紙 2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。 2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。 2:8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。
2011/05/12
コメント(0)
イエス様は十字架の上にいのちを捨ててくださいました。その前の夜、最後の晩餐のときに遺言を残されました。 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14:27) 普通に人が死ぬときは、遺言だけではなく何かを残し、残された物を形見分けしたりします。 イエス様は大工さんでしたが家を残しませんでした。すばらしいことばをたくさん語りましたが、本も残しませんでした。結婚しなかたので子どもも残しませんでした。 着物も残さず、なんと下着はローマの兵士たちがサイコロ賭博で取ってしましました。見える形のものを何も残しませんでした。 しかし、その最後のことばのように、全人類に残されたのは平安であり、平和を残されました。 十字架の死後、三日目の朝に復活したイエス・キリストの弟子たちへの最初のことばは、「平安があなたがたにあるように」でした。イエス様の口からでた最初のシャローム!と言うことばが語られたのです。 シャロームの本来の意味は、単に、争いのない、平和な状態を表わすだけでなく、力と生命に溢れた動的な状態=大丈夫!と言ういみです。 通常はおはよう!こんにちは。こんばんは。など挨拶のことばで、今もイスラエルでは使われています。 シャロームと挨拶するとき、そのことばには挨拶以上の元気づけの意味があるのです。ユダヤ人の強さはその挨拶のことばにもあるんですね。 シャロームは大丈夫ですという力のいのちにあふれた意味ですが、それ以上に深い意味がありンす。(1) 平和 (対国、対神、対人) ・・・和平、和解(2) 平安 (個人的)・・・平穏、無事、安心、安全(3) 繁栄 (商業的)(4) 健康 (肉体的、精神的) ・・・健全、成熟(5) 充足 (生命的) ・・・満足、生きる意欲(6) 知恵 (学問的) ・・・悟り、霊的開眼(7) 救い (宗教的) ・・・暗闇から愛の支配へ(8) 勝利 (究極的) ・・・罪と世に対する勝利 シャローム=上記を含む、豊かで溢れるほどの祝福があるように!と声をかけ合う喜びを受け止めたいものです。 友よ、また会う日まで、シャローム シャローム、 めぐみの主守りたもう、シャローム、シャロームヨハネの福音書 14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」 14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネ 14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平ます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
2011/05/11
コメント(0)
損して得取れとは 、一時は損をしても、先の大きな利益を得るようにせよということですが、昔は損して「徳」とれ,という意味だったそうです。 損してでもやればいつか得をするという意味だけではなく,損してでも一生懸命行えば人々が認めてくれて,よい仕事がまわってくる。とにかくなんでも、一生懸命よいことをしていると、必ず徳が積み重なり、人格が磨かれていくのです。 それは、一つ一つの仕事を一生懸命にこなしていけば,必ず次につながる意味もあります。品性が豊かになり仕事などすべても恵まれてくるのです。 そうやっているけれども、でもダメです。 自分だけが損しているように思うと、何もかも投げ出してしまいそうになります。そういう方もいるでしょう。 人類の歴史上、もっと損して徳(得)取れ!を実行したのは、イエス・キリスト様です。イエス様のことを損して得取れなどの例に引きだしたら、怒られるかも知れませんね。 イエス様のことばに、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」とあります。 一粒の麦として十字架の上にいのちを捨てられました。その結果、全人類の罪は贖われました。 二千年の歴史を持つキリスト教は、現在、欧米の先進国を中心に、全世界238ヵ国に、20億を超える人々の間に広まっています。 中国では毎日8,000人が救われているそうです。 その十字架の救いを信じているクリスチャンたちも、イエス様の教えを実行しています。その教えとは、「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです」 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。三章にもその勧めがあります」(ヨハネの第一の手紙 3:16) いのちを捨てるとは、いのちを損するということです。別のい意味では、いのちを削るともいえます。自分のことばかり考えていると。自分の得になること以外はしない人格になります。 すべてが自分中心ですから、損することはしない。楽して得することしか考えない、自己中心のわがままな生き方です。 3月11日の東関東大震災や大津波、福島原発以来の二か月、日本全体や全世界から義援金や支援が寄せられました。そこにあるのは損して徳をとる善意があふれています。 生駒聖書学院もゴールデンウイークに神学生を派遣でき喜んでいます。学期終了とともにまたボランティアに出かける予定にしていますのでお祈りお願いいたします。ペテロの第二の手紙 1:2 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。 1:3 というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。 1:4 その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。 1:5 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、 1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。 1:8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。 1:9 これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。 1:10 ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。 1:11 このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。
2011/05/10
コメント(2)
ゆとりの一万歩で、7年と7ケ月歩き続けています。ウオーキンググシューズをそろそろ買おうかなと思いながら歩いていると、Arcoと言う靴やがあり入って見ました。 アルコとは、イタリア語でアーチという意味・・・・あなたを足を支えるアーチになりますとのこと。 イタリア語にした理由は、イタリアのスタイリッシュなデザインに、ドイツ・コンフォートシューズのクニックを融合させたいという店主の思いだそうです。 店主は、医療の現場で20年の臨床経験を持ち、外反母趾や偏平足の専門家で、生駒市内へ一年前に店を開いた方。30分以上も話を聞き、裸足で診断をしてもらいました。 結果は、外反母趾と偏平足(特に右足)とのこと。それに足ダコが二つもあり、それにも気が付いてないと言うと笑われてしましました。 足に合う靴が店置きの中になく火曜日に届くとのことで、歩きやすい新しいドイツ・コンフォートシューズを買うことにしました。 歩いて疲れるのは、土踏まずの低下による偏平足や外反母趾が原因とわかり、ちょっと安心しました。少し高い靴だけれど、足は第二の心臓、明日からまた新しい靴で、元気なゆとりの一万歩を継続です。20年の臨床経験をもつ制作技術者のアドバイスに感謝! コミックや教会案内でイエス様の福音を語る時も与えられ、幸いいな出会いでした。 イザヤ書40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2011/05/09
コメント(0)
なぜカーネーションが母の日のシンボルなのでしょうかか? 母の日は1908年5月10日(日)アンナ・ジャービスが、フィラデルフィアのキリスト教会で、母(牧師の妻で社会活動家ミセス・ジャービス)が好きだった白いカーネーションを召天記念礼拝で配りました。 やがて熱心なクリスチャンだった百貨店王ジョン・ワナメーカーが、その感謝に感動してデパートで母の日感謝会を開催し、全アメリカの注目を集めます。 1914年、大統領ウイルソンが5月第二日曜日を母の日と制定し、国民の祝日になり今日まで続いています。 日本では1913年(大正2年)ごろからキリスト教会(日曜学校)で母の日が始まり、1937年(昭和12年)森永製菓は母の日を宣伝し、全国的に広がり始めます。戦争に突入し鬼畜米英のまねごとはとの府に気でしたが、1947年(昭和22年)公式に五月第二日曜日が母の日となりました。祝日ではありませんが・・・・。 ミセス・ジャービスは、牧師夫人として教会に仕えると同時に地域社会への活動家として、平和を求め続けていました。だから娘のアンナ・ジャービスが願った母の日は、たんにすばらしい母に感謝するだけでなく、心から平和への願いが込められていたのです。 母の日にカーネーションを贈る習慣になっているのは、ミセス・ジャービスがカーネーションを好んだことからきています。 もともと、カーネーションは“母と子”や“母性愛”の象徴とされている花です。 カーネーションは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが落とした涙から生じた花だと言われいます。 白いカーネーションは十字架にかけられる前のキリストとマリアを、赤いカーネーションはキリストの体から散った血の色や復活したキリストを象徴しているのです。 真実の愛は、イエス・キリストの十字架上に示されたアガペの愛、自らを犠牲にして全人類の罪を贖った尊い愛です。 その愛にもっとも近いのが母の愛だと思います。8歳のときに母は死にましたが、産み育て愛してくれたので今の自分があります。カーネーションを贈る生母はいませんし、白いカーネーションを胸に飾ることのありません。けれども平和を創り出す人は幸いです。その人は神の子と呼ばれますと、平和を祈りつつ今日も十字架と復活の福音を語り続けています。ローマ人への手紙 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 5:9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。 5:11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。
2011/05/08
コメント(0)
悩みが多いのは、自分に自信がないから・・・・。 イエス様は、「だれでも重荷を負って苦労している人は、わたしのところに来なさい。わたしが休ませて上げよう」と招いてくれました。 そして、「あなたがたはこの世では悩みが多い。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝利しました」と、勇敢に生きる模範を残されました。 ですからイエス・キリストを信じる人生は、悩み多い生活の中で自信を持って前向きに乗り越えて生きることができるのです。「私は、私を強くしてくださる方によってどんなことでも出来るのです」と言う自信(神への信頼)がみなぎるのです。 辛いことが多いのは、感謝を知らないから・・・・。 日本語の美しい言葉に、ありがとうございますがあります。毎朝目が覚めると、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。のことばで一日をスタートします。 朝、目覚めて息をしていることが奇跡です。生かされている!喜びを感謝します。不平不満やつぶやきの多い日々です。朝から晩までつぶやいてるときもあります。あれもこれも不満、あの人もこの人にも不平タラタラでは、感謝など出てくるのさえひかえてしまいます。 思い切って、すべてのことに感謝する習慣を身体にも言葉にも顔にも覚えさせたいものですね。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝できるよう心がけたいものです。 悲しいことが多いのは、自分のことしか分からないからではないでしょうか。今回の大地震や大津波、福島原発事故などにも心を向け、目を注ぐとき涙の祈りになり、同時に涙を拭って立ちあがる勇気を与えられます。 ゴールデンウイークに神学生たちが仙台市や石巻市、気仙沼市まで援助物資を積んで出かけました。往路は仙台市まで渋滞で19時間もかかりました。帰路は気仙沼市より渋滞は少しは減りましたが15時間以上かかりました。 報告は見ると聞くとでは大違いだと、その見て来た悲惨さを報告してくれました。大震災から50日以上が過ぎてさえ、そうですから震災直後はどれくらいだったことでしょう。 そして今なお福島原発事故は継続中です。放射能汚染は広がる危険は減少していない現実です。 幸いです。今悲しんでいる人たちはと、イエス様の慰めと解決のことばが、全世界に響きその声を聞く人たちは、悲しみの涙が真珠の輝きに変わることを知っているのです。 心配や思い煩い、苦しみや辛いことが多い時代です。そのような中を神を信じ信頼して、心丈夫に前進し続けましょう。 今日もまた天国の一日です!声に出して顔をを上げ、ほほ笑んでみましょう。周りに人にあなたの輝きが新緑のようなさわやかさを与えることでしょう。 明日は母の日、お母さんへのありがとうも忘れずに!感謝しましょう。ルカの福音書6:20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。 6:21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。 6:22 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。 6:23 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。 6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。 6:25 いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。 6:26 みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。 6:27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。 6:28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。 6:29 あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。 6:30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。 6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。 6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。 6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。 6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。 6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。 6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。 6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。 6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
2011/05/07
コメント(0)
「顔はすべてを語る(豊田泰光)」とメールにあったので転載します。 いまでも忘れられない試合がある。 昭和二十八年、私は西鉄ライオンズに入団。 すぐにショートのポジションを獲得して 公式戦に出場することになった。 四月十二日、私にとってはちょうど十八歳と二か月の 節目の日に行われたのが、 佐賀県の旧杵島炭坑野球場での東急フライヤーズとの試合だった。 両エースの好投で一対一の同点のまま迎えた九回表、 東急の攻撃の時に悪夢は起こった。 ツーアウトでランナーは二、三塁。 打者の打った球は私の守るショートに転がってきた。 なんでもないゴロである。 ところが捕球の瞬間、ホームに向かって走るランナーの姿が チラッと目に入り、途端に体が硬くなった。 気がつくと、ボールは転々と私の後ろを転がっている。 大事な場面で私はトンネルをやらかし、 相手の勝ち越しを許してしまったのである。 その日は打撃でもまったくいいところがなく、 その裏に回ってきた打順で三振。 最後のバッターになってしまった。 「バカヤローッ!」 「帰れっ!」 西鉄ファンで埋め尽くされたグラウンドは、 怒号の渦となり、私はやりきれない思いで球場を後にした。 宿舎に向かうバスに乗る時、チームリーダーの先輩に謝ると、 「謝って済むならお巡りは要らん!」と 思いっきり蹴飛ばされ、私はバスの外へ転がり落ちた。 死にたい気分だった。 バスの座席に戻っても、出てくるのはため息ばかり。 あぁ俺は最低だ。もう野球なんかやめて国へ帰り、 土建屋の親父の手伝いでもしようか。 外は暗く、車窓に映る自分は何とも情けない顔をしていた。 しかし、このまま終わりたくはなかった。 なんとかこの借りを返したい。 自分を使ってくれた三原監督、好投を続けていた エースの川崎さんに恩返しをするためにも。 なぜあんなエラーが起きたのか。 大事な場面で動きが止まらない方法はないか。 一年間、心に残ったトラウマと闘いながら私は考え続けた。 そしてついに、「動いて捕って、動いて投げる」 独自のスタイルをあみ出したのである。 守備に自信を得た私は、打撃の勝負強さにも磨きがかかり、 攻守にわたる活躍で西鉄の黄金時代を支えた。 この体験から得たことは、単に野球の技術に 関することばかりではなかった。 私を蹴飛ばした時の先輩の顔。 極悪人のように醜くゆがんだその顔は、 いまだに忘れることができない。 また、バスの車窓に映った自分の顔は、 何とも言えず情けなかった。 顔は、その人の心をつぶさに表していることに 私は気づいたのである。 バッターボックスに立って相手ピッチャーの顔を見る。 緊張してこわばっていれば必ず甘い球が来るから、 私は逃さずはじき返した。 逆に、キャッチャーのサインを落ち着いて のぞき込んでいる時には、結構いい球が来る。 そういう球は簡単には打てないから、 ファールで粘ってチャンスを待った。 意識して見れば、何気ない相手の表情から いろんなことが分かってくる。 チャンスに強いと言われた私のバッティングも、 そのことに気づいていたことが大きい。 顔というのはバカにならないのである。 しかし、多くの人は自分の顔について あまりにも無知である。 髭剃りで毎日鏡をのぞき込んでいても、 肝心の自分の顔をちゃんと見ていない。 特に責任ある立場に立つ人には、 もっと自分の顔に注意を払っていただきたいものだ。 先日、テレビで某有名企業のトップが しゃべっているのを見たが、実に冷たい目をしていた。 あんな目をして心優しい人に、 私はこれまでお目にかかったことがない。 あるいは国会中継で放映される野党の面々。 与党に対してあれだけ鋭い質問を突きつけられるのだから、 きっと頭はいいのだろう。 ところがいかんせん顔がよくない。 何が何でも自説を押し通そうと、 殴らんばかりの険悪な顔をしている。 あれでは、いくら立派なことを言っても 国民の支持は得られない。 顔で勝負できる人物が出てくるまで、 当分の間政権交代は難しいだろう、などと思ってしまう。 私は、若い頃からトップクラスの財界人や文化人と 交流する機会に恵まれてきたが、 そういう社会的地位の高い人に怖い顔で見つめられると、 ビビッて目のやり場に困ったものだ。 やはり人間、一番いいのは笑顔である。 自分の生き方を貫いてきた人は、 ニコッと笑っただけで相手の心をつかむことができる。 人生の辛酸を嘗め尽くしてきたお年寄りが、 時に見せる少年のような笑顔は、 接する者を何ともいえない嬉しい気持ちにさせる。 どんな組織でも、上の人間から笑顔で明るく 「おはよう」と声を掛けている所は うまくいっているはずである。 顔というのは、年とともに変わっていく。 若い頃の私は、いま考えると恥ずかしくなるくらい 生意気な顔をしていた。 野球選手として脂の乗っていた頃は、 目つきが鋭いといって怖がられた。 現役を退いてからは人間的な幅も広がり、 それが多少なりとも表情に反映されてきているように思っている。 顔にはその人の生きざまが刻み込まれ、 年とともに独自の味わいを醸し出してくるものだ。 顔はその人の人生をすべて表していると言っても 過言ではないだろう。 いい笑顔が滲み出るような 素晴らしい人生を歩んでいきたいものである。テサロニケ人への第一の手紙 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
2011/05/06
コメント(0)
美しいということは、女性だけに使うことばでなく、すべての人に当てはまる言葉であり、美しい花とかきれいな星とかとも表現されます。 人生を美しく生きることが最高の願いです。心美しく生きることができれば幸いですね。もう40年前、テレフォン・メッセージをはじめるとすぐ電話がありました。 お訪ねするとオーストラリアから来ている母子家庭の英語教師でした。電話のメッセージで日本語が全部分からないけれども慰められたと話してくれました。 10歳の一人娘との日本での生活でした。娘さんが天国に召されて寂しさの中でしたが、電話メッセージを聞き、直接会ってみたいと思いましたとのこと。 いろんなお話を聞きましたが、その中で今も覚えていることは、娘はきれいなままでいのちを、自分を母親として委ねられ、イエス様を信じてその美しい心のままで、娘を天にお返しできました。その目には涙がありましたが、お顔は美しく輝いていました。 美しい天国には美しい心の人が行くことができます。たとえどのような人生を生きてきても、イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと信じる時、十字架の上で流された尊い血汐により、雪よりも白く洗われるのです。 心が美しくなると、考えや思想も美しくなり、気持ちが美しくなります。気持ちがきれいになるとことばも美しくなります。ことばが美しくなると、そのことばを聞いてくれる相手に対しても美しく生きるようになります。 それは自分自信にも美しく生きると、顔や身体も美しくなります。内なる美しさは必ず外にも輝き出るようになるのです。 それだけにとどまらず、環境や地球に対しても美しく生きるようになるのです。今朝も早く起きて広いキャンパスを、十能片手に祈りつつ歩きました。院内がごみ一つなく美しく輝く喜びの朝です。 今日もまた天国の一日です! 毎日、美しく生きることを意識しつつ、美しさに感動を覚えれば、自分自身もさらに美しく輝き、周りにも幸せの美しさをもらし続けるようになります。 美しくさえずる目白の声が響いています。ヒヨドリや名も知らぬ小鳥の声、ウグイスの鳴き声がさらに美しく聞こえてきます。 タンポポの綿毛が美しく風に揺れ、新緑が日々美しく濃くなるさまもすばらしい眺めです。 被災地での奉仕も美しく、今日は気仙沼市で清掃奉仕に集中します。報告のメールも美しく平安と守りを祈ります。大震災や原発事故避難地域が美しく復興することを祈りながらの日々です。サムエル記上16:6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。 16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」 16:8 エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前にすすませた。サムエルは、「この者もまた、主は選んでおられない。」と言った。 16:9 エッサイはシャマを進ませたが、サムエルは、「この者もまた、主は選んではおられない。」と言った。 16:10 こうしてエッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んではおられない。」 16:11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れて来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」 16:12 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」 16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。 神の選びは人間の基準とは異なります。人はどうしても外形にだけ捉えられます。しかし神はその美しい心をご覧になります。 その心の美しいダビデは、さらに外形も血色も良い顔で、目が美しく、姿も立派でした。 聖書の男性で目が美しくと表現されているのはダビデだけですが、ダビデの意識はいつも、目を輝かせてくださいとの祈りとともにありました。詩篇 13:3 私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を輝かせてください。私が死の眠りにつかないように。 ありがとうございます。目を美しく輝かせてください。目も美しく輝き感謝します。詩篇 51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。 51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。 51:9 御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。 51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。 51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。 51:13 私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
2011/05/05
コメント(1)
届いた郵便の中に、スティーブ・マックイーンについての文がありました。 父親のウイリアム・マックイーンは、航空ショーの曲乗りりパイロット、母親のジュリアンは10代の家出少女でした。 スティーブが生まれて六カ月目、母子を捨てて父親は家を出てしまいました。母親は酒におぼれ、彼は酪農家の親戚の家に預けられ、両親の愛を知らずに育ちます。 やがて再婚した母親に引き取られ、今度は新しい父親に暴力をふるわれ続け、非行に走りついに、14歳で少年院に入れられます。 少年院時代、「君には何かすばらしい才能を感じる!」とm先生から温かいことばを掛けられました。その一言がきっかけでやる気になったマックイーンは、一年半後出所し、17歳で海兵隊入隊しました。 除隊後、バーテンやタクシーの運転手などの食を転々とします。21歳で映画俳優になり鳴かず飛ばずでしたが、「荒野の七人」や「大脱走」など大ヒットの連続になり、映画スターの頂点を極めるようになります。 ところが彼はアクション映画の出演をことごとく断るようになり、ある大学の講演に招かれた時、「演じることは楽しいが、映画スターでいるのは面倒だ。周りに甘やかされて人間的な成長が止まる。」自分はそのことに苦しんできた。私はバイクとスピードだけの俳優ではない。そんなのはうんざりだ。私は自分自身が救われる場を探さなければならない」と語っています。 救われる場として選んだのは空を飛ぶことでした。飛行場のある町に引っ越し、飛行機に熱中しましたが、そこにも救われる場はありませんでした。 飛行教官のサミー・メイソンは、日曜日にはキリスト教会の礼拝に出席する穏やかな心を持つクリスチャンで、マックイーンも教会へいっしょに行くようになりました。 日ならずしてイエス・キリストを信じて彼もクリスチャンになり、自分が求めていた救い野場が、飛行機でもなくリゾートでもなく、実にその場は自分の心が救われることに気がつきました。 イエス・キリストの十字架の救いを知ったマックイーンが大きく変わります。15歳の少女カレンを助け、いっしょに教会へ出席しました。 「スティーブできることなら世界中の子どもたちを助けたいと考えていました。自分んが子どの頃与えられていなかったことを、多くの子どもたちに分け与えたいと願っていました」と妻のバーバラは語っています。 最後の映画となった「ハンター」の撮影中、体に異変を感じ撮影終了後の1979年12月、ロスアンゼルスの病院でアスベストを吸い込んだことによる肺がん、中皮腫と診断されました。 「私は生きていたい。これまで考えてもみなかったような、生きる目的があるからだ。しかし、神が病気を治してくださらなくてもかまわない。私はどこへ行くのか分かっているから」と彼は穏やかに語っています。 1980年10月、彼は自分の人生を振り返って、「愛を与えられていない子どもは、自分は良い子なのか疑ってしまう。そこで他の人がやらない危険なことを進んで行うのだ。何かしなければ臆病だという考えに取りつかれていた。 今は以前と違い、自分に優しい気持ちと自信を持てるようになった。かつて私はマッチョであろうとした。今、肉体にはボロボロだが、精神はくじけていない」と最後に残された録音テープで語っています。 1980年11月17日、50歳で彼の人生に救いを与えた救い主、イエス・キリストの御許、永遠の天国に駆けあがっていきました。 あなたもマックイーンのように、「楽しいが・・・・面倒だ。甘やかされいるばかりだと人間的成長がとまる。自分がそのことに苦しんできた。私は・・・・こんな・・ではない。そんなのはうんざりだ。私は自分自身が救われる場を探さなければならない」と探しておられませんか。 イエス・キリストのもとへ。キリスト教会へ出かけてみませんか。すばらしい平安と救いの人生を体験し、今日もまた天国の一日です!と永遠のいのちを確信するでしょう。マタイの福音書11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」ヨハネの福音書 4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。 4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」イザヤ書55:1 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。 55:2 なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
2011/05/04
コメント(0)
憲法記念日を迎えました。ゴールデンウイークで神学生たちもそれぞれの活動に励んでいます。 今朝未明(0時30分)に神学生たちが、仙台市&石巻市へ援助物資を山積みで、ボランティアのために出かけました。 メールで石巻市で避難所を出され(期間切れ)自動車で生活していた家族が、住まいが備えられたとの嬉しい知らせも届きました。 大震災や大津波、福島原発の事故など、大災害からの復興を目ざしているさ中の憲法記念日です。今こそ、このすばらしい憲法を守り、その理念どおりの高貴な国として大きく前進したいものです。 憲法の前文 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 特に、第九条は日本を「世界平和に登録してもよいような、人間の歴史上誇れる憲法だといつも思っています。 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 コロサイ人への手紙 3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
2011/05/03
コメント(0)
連日、大震災や原発事故報道が続いています。明日朝早く、神学生たちをボランティアとして利府キリスト教会や石巻市での活動へ派遣し、救援物資や寄せられた義捐金もお届けします。 大地震や原発事故の衝撃は大きく、涙し祈ることもしばしばです。しかし同時に心励まされたり、勇気を与えられるニュースに接することもあります。 ある主婦は全壊した自宅前で、「世界一の被害を経験したのだから、世界一ガンバって必ず復興してみせます」と語っていました。 ガンバレ日本!とうるさいほどですが、被災地のどん底で生きる勇気を持ち、高い志で復興立ち上がっている姿に感動します。 巨大地震直後、相馬市沖で海上保安庁の巡視船「まつしま」は、10メートルの津波に遭遇しました。 迫りくる巨大な津波に舳先をまっすぐに向け、真正面から乗り越え、転覆することなく守られました。 津波を恐れて操舵を誤れば横波をかぶり、ひとたまりもなく大波にのみ込まれてしまいます。 のみ込まれないためには、逃げずに真っ直ぐ波に向かうという判断と決断を見事に果たされた船長と操舵手、さすがに海の男たちだと感激します。 人生も同じではないでしょうか。試練や苦しみ悩みの波が襲って来ることを避けることはできません。人のせいにしたり、言いわけしたり、悪魔や悪霊の仕業だと騒いでも、何の解決もありません。 帰って横波をかぶって転覆するようなものです。勇気を与えられて、その波を真正面から乗り越えることが大切です。 聖書のことばで勇気を降り起こして、今日もまた天国の一日です! あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への第一の手紙10:13) しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(コリント人への第一の手紙15:57-58) 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヤコブの手紙1:1-3) 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。 愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。(ヤコブの手紙1:12-16) わたし(イエス・キリスト)がこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。ヨハネの福音書16:33) 勇気を与えられて試練や悩み苦しみの大波であれ、真正面から乗り越え続ける喜びを体験したいものです。 今朝は、これから大阪市中央区の大阪クリスチャンセンターでの朝祷会メッセージです。 希望は失望に終わらずと題し、ローマ人への手紙より語ります。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:3-5)
2011/05/01
コメント(0)
「あなたに何を与えようか。願え」と言われたら何を願うでしょうか? 今朝開いた聖書のことばに一節です。ダビデ王の息子ソロモンが王となり、その王権が強固となった夜、神が夢のうちにソロモンに現れ、彼に語りかけたことばです。 神は愛です。四月に娘に長男が生まれ、昨日まで我が家でいっしょでした。可愛い娘が母親になり、育児に専念するのを毎日見るのは楽しいときでした。のんびり暮らしていた家内は、大忙しでしたが、子育てのアドバイスをしながら楽しいひと時だったようです。明日はまた早くから娘の家(車で7分・歩いて4000歩)に駆けつけると思います。 神がソロモンに言われたように、「あなたの何を与えようか。願え」(なんかほしい物ある?買ってあげようか)と、息子や娘に語りかけると、幼い頃にはすぐ「あれが欲しい!これ買って!」と嬉しそうに顔を輝かせたものです。 長ずるに従い、「何か欲しい者ある?」と聞いても、「別に」とか「今、特別に何もない」などと答えが返ってきます。ときには、「何でもいいよ」と言われることもありで、親離れ子離れしていくのが普通かもしれません。 今は、孫たちが小さいので、なにかほしい?と聞くと、すぐあれが欲しい!これが良い!と答えが返ってくるので、じじバカでうれしくなり、捜してでも買って上げます。孫の喜ぶ顔を見ると、もっと何かしてあげたいとうれしくなるものです。 先日、沖縄で牧師の息子(11歳)が交通事故で脳挫傷で手術でした。脳外科医がこのまま眠り続け、最悪の時も考えておいてくださいとのこと。祈りに祈り、また祈りの要請をし続け、ありがとうございます。助かりました。回復しました!感謝しますと、宣言を続けました。 それから3日後、麻酔が切れ眠りから目覚めました。今朝の嬉しそうな声での電話があり、集中治療室から大部屋に移り、四名の脳外科医がめったいないことですが、脳障害も起こらないとお思います。念のためまだ一ヶ月くらいは入院が必要ですが、大丈夫でしょうとのことでした。 眠りから覚めたとき、「何か欲しいものがある?」と聞く父親の言葉に、11歳の息子は父親がビックリするような願いをしました。電話で笑いながらいのちが助かり意識が戻ったので、一ケ月分の給料をはたいてでも買ってやろうと思うたと話してくれました。 人間でさえ子どもがほしい物を知れば、何としてでも与えたいと思うものです。まして天地万物の創造者である真の愛なる神が、聞いてくださらないはずはありません。 神はソロモンに、「何を与えようか。願え」と語りかけました。その神の声にソロモンは、「今、知恵と知識を私にください!」と求め、その動機を神は喜び、ほめてくださいました。 神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、あなたが富をも、財宝をも、誉れをも、あなたを憎む者たちのいのちをも求めず、さらに長寿をも求めず、むしろ、私があなたを立てて私の民の王としたその民をさばくことができるようにと、自分のために知恵と知識を求めたので、その知恵と知識とはあなたのものとなった。そのうえ、私はあなたの前の、また後の王たちにもないほどの富と財宝と誉れとをあなたに与えよう」 神の愛の豊かさはソロモン以上に、今私たちにも注がれています。 イエス様のことばを思い出してください。 すばらしい約束です。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネの福音書14:13-14)マタイの福音書7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。 7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。 7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。イエス・キリストを信じる者にはだれでもソロモン以上の確約がなされています。夢を見たとか、幻が必要だとか、あれこれ理屈を言う前に、素直に聖書のことばをアーメンと信頼し、恵みと祝福の中を今日もまた天国の一日です!と、五月の緑の輝きのように満たされて過ごしましょう。ヤコブの手紙1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。1:7 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。1:8 そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。
2011/05/01
コメント(0)
全32件 (32件中 1-32件目)
1