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人間関係の難しさを良く耳にし、肌でも感じる牧師生活です。だれかと対立する時、自分からであれ、受けて立った対立で荒れ、一度こじれてしまったらなかなかです。一時的に終わりる対立もありますが、永遠に関係が損なわれる場合もあります。 その対立の原因はいろいろありますが、聖書から引用してみます。箴言13:10 高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。 やはりおごりや高慢、自分の方が上(よく知っているとか、立派だとか)だと思っているから対立が起こり、相手を攻撃し激しい議論を引き起こしてしまいます。 国会論戦を聴いていると、まさしく合議を目ざすよりも相手を攻撃することに集中しているように思うことが多くあります。箴言15:18 激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。 怒りから口論が起こったりし、いつの間にか火に油を注ぐように、論点とは関係がない方へ流れ、人間関係をこじらせてしまします。すぐ怒る人からはできるだけ離れるほうが賢いのです。箴言 15:1 柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。 相手を傷つけることばを使わず、穏やかで指しい愛にあふれた言葉で、子育てや夫婦生活、また職場や隣近所とも過ごせたら、対立は少なくなり平和に暮らせます。箴言25:8 軽々しく訴えて出るな。そうでないと、あとになって、あなたの隣人があなたに恥ずかしい思いをさせたとき、あなたはどうしようとするのか。 衝動的な争いは何の役にも立たないばかりか、自分の方は傷つ苦可能性が高くなります。怒っても罪を犯すなと聖書は警告しています。新共同訳では、「性急に争いの場に引き出そうとするな」とあります。箴言26:17 自分に関係のない争いに干渉する者は、通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ。 自分に関係がない争いごとに介入すると、火に油を注ぐように対立が激しくなったり、あるいは対立している二人から対立されることもあります。できるだけそっと祈っている法は数倍も良いのです。余計なことは言わずに・・・・。 ともかく、家族仲良く暮らせるよう祈ります。親子の対立、夫婦の対立、兄弟姉妹の対立等から解放され、愛と平和の満ちる、天国の日々を過ごしたいものです。ローマ人への手紙12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 12:16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。 12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。 12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
2011/04/30
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気分良く目覚めた新しい一日です! 石巻市からのメールです 家族は、通達に従がわざるをえず、避難所を出て次の宿泊先がきまるまで、与えられた車で過ごしているとの事です。高校生の彼は、何とか自転車で学校に通っているそうです。 厳しい現実ですが、神様の守りと助けが健康にも、生活のすべての上にもあるように祈りながらの日々です。 連休に神学生を派遣しますが、しっかりサポートできるよう祈りながらの送り出しです。元気な男子神学生3名ですので、良いボランティア活動と支援物資を届けることができると思います。 ニュースや新聞で見たり聞いたりするよりも、現実ははるかに厳しいようです。神学生たちがどれだけ把握してくれるかどうかわかりませんが、可能な限り挑戦してくれるよう願っています。 関東大震災があったので生駒聖書学院は、生駒市に存在するようんなりました。大震災がなかったら生駒聖書学院も存在せず、自分もここにいないし、すばらしい神学生たちとの出会いもなかったであろうと、思わされています。 どんな悲劇的なでいごとにも必ず出口があり、解決の道も与えられて、神の栄光が輝くことを信じながらの日々です。 ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
2011/04/29
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もういや!こんな生活。いろんなところから聞こえてくるつぶやきです。今年はすごく寒さが長続きしています。気温の変動も激しく、今日の生駒は朝から曇っりで、昼過ぎ出かけたら小雨になり、ゆとりの一万歩も濡れたままでした。 ニュースは福島原発事故や大震災を報じ続け、ゴールデンウイークは東北へ出かけよう、被災地の産物をもっと購入し、復興を助けようとも呼びかけられています。 生駒聖書学院は元気な男子神学生をボランティアとして、5月3日より仙台市や気仙沼市へ送り出します。姉妹たちも行く気まんまんですが、今回は男子だけで行くことにしました。 今週は語ることばに気をつけることを書いて来ました。毎日なんとなく口にすることばが否定的だったり、不平不満をつぶやいていると、そのことばがいつも変わらなければ、人生は口で言う通りになってしまいます。 その考えや口にする言葉が人生を創り出していることに早く気がつけば、不思議なことが起こり始めます。 朝起きるとすぐ肯定的なことばを口にするだけでも、一日中が喜びに満ちたものになること請け合いです。顔を洗う時、鏡に映る顔を大きくほほ笑みながら、今日もまた天国の一日です!というだけでもうれしい気持ちになります。 主の恵みは朝ごとに新しい!幸いです!何をしてもうまく行きます!感謝します。 夜の休みのときにも肯定的なことばだけでベッドに入ります。寝る前には必ず、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。おやすみなさい。それだけでも安眠で熟睡です。ヨハネの福音書1:1-3初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。すべてのものは、ことばによってできるのです。できたもののうち、一つとしてことばによらないものはないのです。 今日からまえむきなことばを口にするだけです。ぜひ実行してみませんか。詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
2011/04/28
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今日と明日の祭日は、授業をして来週のゴールデンウイークを休講にし、被災地へのボランティアへ派遣したり、それぞれの教会活動にしています。 昨年までは29日(祭)生駒聖書学院創立者のレオナ―ド・W・クート師を記念する聖会でした。今年は通常に授業でゴールデンウイークでの活動を主体にしています。 学院主催の聖会は、2月11日(祭)のヨベル聖会ですが、来年も寒さの時期にもっとも心燃やされるヨベル聖会を楽しみにご参加ください。 生駒聖書学院は9月入学(9月5日)もあります。 願書は、電話・Fax.07437-74-7622メール;elimyoshi@kcn.jp へ。 体験入学も5月9日(月)より一ヶ月間(6月末は試験が始まるので)受け付中です。月曜夜から金曜昼まで、滞在費は無料です。ぜひ楽しい献身生活を体験ください。ローマ人への手紙 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。 12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、 12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。 12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。 12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。 12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。 12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 12:16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
2011/04/28
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過去が咲いている今、未来の実りはでいっぱいです。 ゆるせない思いで苛まされていることはありませんんか?ゆるせないことを思い出している限り、苦しみから解放されないでしょう。 ゆるせない人を思い出すと、腹が立ったり悔しい気持ちで夜も眠れなかったり、イライラしたりしてしまいます。 恨みばかり胸に持っていると、喜びも感謝も含めて良いことなど一つもありません。 ゆるさない気持ちは、自分の心に囚人を閉じ込めているようなものです。自分が正しくていじめられたり、親に不当に扱われたとしても、どんなにひどい目に会ったとしても、過去にしがみついているなら、ほんとうの幸せに遠ざかるばかりです。 ゆるしは過去という牢獄から、囚人を解き放つことです。復讐など考えなくてもよいのです。ゆるせないという思いに縛られていると、今という最高のチャンスを生かすことができないのです。 ゆるせないと思っている人は、できるだけ早く心の牢獄から解放することです。そうすると心に牢獄がないからスカッと自由になります。心や気持ちは聖霊に満たされることで、いつもさわやかになります。 イエス様はことばの力を教えてくださいました。マルコの福音書11:23 「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」 どんなことも、「心の中で疑わず、自分のいったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」だから、「祈って求めるものは何でも、すでに受けたとしんじなさい。そうすればその通りになるのです」 そのとおりにならないなら、求めた側に問題があることに気づき、再びお願いすれば良いのです。 何に気づくのでしょうか。それはゆるさないこころのままで祈ったり願ったりしていることです。マルコの福音書11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」マタイの福音書6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。 厳しいことばですが、素直に祈る人は、私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。とお願いできます。 過去のできごとをすべてゆるすとき、過去は花開き、満開のなります。すべてのことがわざわいではなく、万事が働いて益となり、つらかったことや苦しかったこと、いじめられたことすら豊かな肥料となり、美しい花が咲く過去となったことに気づくでしょう。 それでもう今日も明日も豊かな実りを収穫する楽しい日々に変わります。今日もまた天国の一日です!その人は、水露のそばに植わった木のようです。ときが来ると実が鳴り、その葉も枯れず、その人は何をしても成功し繁栄します。 ゆるしのあるところに幸いの実がたわわに実ります。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制のある幸せな天国の一日です。 イエス様の十字架の赦しを信じた時から、すべてがゆるされ神の子とされた日々が始まりました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らはなにをしているか分からないでいるのです」 大きな愛に抱かれ包まれています。ゆるしの与える時、今までのうらみつらみも消えて、新しい花が春の満開のように咲き始めます。何と嬉しいことでしょう。イエス様の愛の豊かさを体験しましょう。マタイの福音書18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」 18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。 18:23 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。 18:24 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。 18:25 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。 18:26 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。 18:27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。 18:28 ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。 18:29 彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。 18:30 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。 18:31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。 18:32 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。 18:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』 18:34 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。 18:35 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」
2011/04/27
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昨日は、イエス様のことばから、自分が言ったとおりになることを書いてみました。祈りは宣言です。すごい約束のことばです。マルコの福音書11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
2011/04/27
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「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」(マルコ11:22-24) 大好きなイエス様のことばです。 「心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」 朝目が覚めると同時に、「今日もまた天国一日です!」と告白します。この日は主が造られた日!この日を楽しみ喜ぼうと元気に顔を洗いながらの朝です。 生駒聖書学院が全寮制(通学生有)ですので、もう長年の習慣で目覚ましなしで目覚めます。ときには寝過ごしそうになり、チャペルまで全力疾走もあります。 どんなときにも毎日が楽しく、幸せなら最高です。イエス様は、「ただ自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」と教えてくださいました。 100パーセント信じています。ですから毎日が楽しく幸せです。できるだけマイナスになるようなことばを口にせず、できれば聖書の言葉だけ告白しようと願っています。 毎日の生活の中で、どのような考えを持つと気分がよくなるでしょうか。愛されてる!うれしい!感謝だ!と考えただけで気分が良くなりますね。 健康や仕事、特に明日楽しい計画があるときなどは、もう待ち切れずにワクワクですね。子どもとき遠足が待ち遠しかった思い出があると思います。愉快な子ども時代を思い浮かべた瞬間でさえ楽しくなります。 それを口にすると楽しさは倍になります。聞いてくれる人がいたら倍々化していきます。 神様は神の子どもたちが良い考え、楽しいか考えを告白すりのが楽しみなのです。だから祈りは、考えを告白し宣言することです。うらみつらみを祈ったり、不平不満をだらだらと申し上げることでもなく、ただ少しも疑わず、自分の言ったとおりになると信じて祈るのです。 「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」約束ですから、アーメンと信じて感謝し続けます。 ありがとうございます。すでに受けました。感謝します」その聖書の約束を心から楽しみつつ、告白し続けていくと、心はワクワクと豊かになり、笑顔があふれます。 健康についても、今日も新しいいのちを与えられていることに感謝します。もう直って元気にされています。余計な考えに惑わされません。健康に必要なよ栄養分はすべて与えられているので、身体は最適な状態です。毎日どんどん健康になり続けています。 いつも健康が最良に支えられるよう、楽しいことだけを考えているので、体長は元気にお守られています。楽しい考えが健康な体を作るので幸いです。出エジプト記 23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。申命記7:15 主は、すべての病気をあなたから取り除き、あなたの知っているあのエジプトの悪疫は、これを一つもあなたにもたらさず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。詩篇103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。生駒聖書学院体験入学を歓迎します。期間; 5月9日(月)より6月10日(金)の間で三泊まで無料で体験入学ができます。9月入学学生募集中;入学式9月5日(月)願書申し込みは、生駒聖書学院事務局へ。FAX。0743-74-7622メール;elimyoshi@kcn.jp学院ホームページ;http://ibcelim.com/
2011/04/26
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昨日は生駒市議会議員選挙の投票日。朝一番にゆとりの一万歩で回り道で投票所へ。生駒聖書学院教会員が立候補(みんなの党)しているので、ありがとうございます。当選しました!感謝しますと、祈りつつ当選を宣言し、投票箱へ記名した投票用紙を入れました。 四年前の市議選で落選し、その足で学院教会へ来られて洗礼を受けクリスチャンになり、昨日も礼拝に出席して選挙事務所へ向かいました。 落選後は、厳しい試練の中を通りました。特に大きかったのは交通事故(バイクで走行中自動車にはねられ全治3ケ月)や、仕事のことなどいろいろありました。 奥さまと心を合わせて乗り切り、今回の選挙を迎えました。昨夜、堺エリムの帰りに事務所を訪ね、三人で手をつなぎ当選を祈りました。奈良テレビで開票速票を見ながらでしたが、何と新人トップ(総合で2位)という当選でした。すぐ電話でおめでとうを申し上げ、これからの市議会での活躍を祈りました。 開票速票を見ながら、ときどきチャンネルを変えていると、24時間テレビのマラソンランナーが決まったとのこと。徳光和夫アナウンサー70歳の挑戦!同年生まれで学年は一つ上です。 その挑戦に大きなチャレンジを覚えつつ新しい朝を迎え、今日もまた天国の一日です!以下ニュース転載です。 今夏の日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」(8月20、21日)でチャリティーマラソンを走るのは、フリーアナウンサーの徳光和夫氏(70)に決まった。同局「行列のできる法律相談所」(日曜後9・00)の24日夜の生放送で発表された。徳光氏は「古希の私が走ることでチャリティーに貢献できたら」と意気込んでいる。 「行列…」に徳光氏がトレーニングウエア姿で登場すると、スタジオは「え~っ!」という驚きの声で包まれた。 徳光氏はまさに24時間テレビの顔。1978年の第1回に同局アナウンサーとして携わってから、昨年までの全33回を皆勤賞で出演。さらに、80年の第3回から昨年まで、総合司会を担当してきた。同局は「20回目の(節目の)チャリティーランナーは、ミスター24時間テレビの徳光さんこそふさわしいと思った」と今年1月に要請した。 「人の姿を見て泣いてきたけど、自分自身に泣いたことがないなと思った」という徳光氏に、「行列…」の司会の島田紳助(55)は「男は60歳でも70歳でも(挑戦する)スイッチがある」とエールを送った。 70歳は07年にランナーを務めた萩本欽一(69)の当時66歳を抜いて歴代最高齢。「古希にムチ打って頑張りたいと思います」とガッツポーズを見せた。気になる走行距離は、萩本が70キロだったことを引き合いに、「ボクは70歳で70キロぐらいかな?ただ、距離は決まっていません。走れる能力で決まっていくと思います」と話した。 01年6月に急性心筋梗塞の大病をしている徳光氏。「毎年、ランナーに“大丈夫ですか?”と声を掛けていたが、その苦しみは分からなかった。いつかチャンスがあれば…と思っていた」。早速、3人の専門医のお墨付きをもらって決意した。 現在は薬を飲んで体調を整え、トレーナーの指導の下、ウオーキングを週3回実施。「心筋梗塞の後は摂生していたが、ここ7、8年は徹夜の麻雀など不摂生もした。これを機に16歳の孫娘の結婚式まで生きたいな」。トレーニングで72キロだった体重は現在70キロ。食事療法も含め、今後6、7キロ落として本番に臨む予定だ。 走ることを決意してから東日本大震災が起きた。「毎日、新聞記事を読んで、被災者の方々の頑張る姿に励まされている。古希の私が走ることで募金に結びつけば…と思っています」と早くも気合を入れていた。コリント人への第一の手紙9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。 9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。 9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。 9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。 9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。
2011/04/25
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昨日までの雨も上がり、スッキリ晴れた青空が広がるイースター・サンデーです。 イエス様の復活された日曜日の夜、弟子たちはまだ信じられず、周りの人々を恐れ部屋に閉じこもっていました。閉じられた部屋に復活されたイエス様が、シャローム!(こんばんは)と入ってこられました。 驚く弟子たちに、イエス様ははもう一度、「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」と言われます。その日以来、弟子たちは十字架と復活の福音を全世界に向かって伝え始め、種子島までもその救いは伝えられ、16歳の少年も救われて平安で幸せな人生を生きています。 シャローム=平安ということばは、旧約では237回、詩篇では27回も書かれています。 ヘブル語のシャロームの本来の意味は、単に、争いのない、平和な状態を表わすだけでなく、力と生命に溢れた動的な状態=大丈夫!ですの宣言です。 通常、おはよう!こんにちは。こんばんはなど挨拶のことばで、今もイスラエルでは使われています。 同時に、シャロームが意味するものは、以下にあげるようにきわめて豊かです。(1) 平和 (対国、対神、対人) ・・・和平、和解(2) 平安 (個人的)・・・平穏、無事、安心、安全(3) 繁栄 (商業的)(4) 健康 (肉体的、精神的) ・・・健全、成熟(5) 充足 (生命的) ・・・満足、生きる意欲(6) 知恵 (学問的) ・・・悟り、霊的開眼(7) 救い (宗教的) ・・・暗闇から愛の支配へ(8) 勝利 (究極的) ・・・罪と世に対する勝利 シャローム=豊かで溢れるほどの祝福があるように! 友よ、また会う日まで、シャローム シャローム、 めぐみの主守りたもう、シャローム、シャローム十字架は豊かな平安を与える わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ 14:27) 十字架の上でテテレスタイ=すべたが完成した!と宣言されたように、全部の救いが完成したので、アーメンと信じれば救われます。 過去のすべての罪は赦されたので、自分のやってしまったことや、自分の性質をつくづくと眺めてみて、落ち込んだり、罪責感にさいなまれたりしなくてよいのです。 新しい人生を神の子どもとして晴れやかに生きることができます。何と言う平安=シャロームでしょうか。 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5:17) またいま生きている現在も、シャロームのことばのように平安のただ中にある救いです。 今も愛のまっただ中 神さまの愛の御手に守られているのです。 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11) 明日もまた大丈夫です。何事が起ころうと、たとえ死が訪れても永遠のいのちが与えられています。明日もシャローム=平安で大丈夫なのです。明日のことを心配したり、思い煩ったりすることなく、すべてのことに感謝しつつ、天に召される時も、友よ、また会う日まで、シャローム! シャローム! めぐみの主守りたもう、シャローム!シャローム! わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。(ヨハネ10:28)ピリピ人への手紙4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 イースターの救いと平安を祈りつつ、今日もまた天国の一日です。シャローム!
2011/04/24
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昨日22日(金)は、イエス・キリストの十字架を記念する受苦日でした。十字架上にいのちを捨て、墓に葬られました。明日の朝が復活の記念日イースターです。 イエス様は、何回(福音書に記録されているだけでも5回)も自分が苦しめられて死ぬが、三日目に復活すると語られました。 マタイの福音書 16:21 その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。 それは与える愛の豊かな現れでした。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13) 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(ヨハネの第一の手紙3:16) 最高の愛はいのちを与えることです。愛は与えます。今回の大震災や原発事故を通して、与える愛が盛り上がっています。 被災地の回復を祈りつつ、義捐金や支援、ボランティア活動、世界中からも愛の具体的な行動が寄せられています。 「受けるよりも与えるほうが幸いです」(使徒20:35)と、イエス様は教えてくださいました。生きる幸せは与えるエネルギーです。そうするとき与えられる大きな恵みが注がれます。 フランシスコの祈りは、その与える愛を非常によく現わしています。主よわたしをあなたの平和の道具としておつかいください。憎しみあるところに愛をいさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、うたがいのあるところに信仰を、あやまっているところに真理を、絶望のあるところに希望を、やみに光を、かなしみのあるところによろこびをもたらすものとしてください。なぐさめられるよりはなぐさめることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしがもとめますように。わたしたちは、あたえるから受け、ゆるすからゆるされ、自分をすてて死に、永遠のいのちをいただくのですから。アーメン 愛を与えること、サービスや手助け、あれをしてくれない、これもしてくれないと言う前に、自分から実行することです。 おはようございます!と爽やかな挨拶をすることも、喜びや笑いを与えることも、理解や励ましを与えることもできます。 また実際的な贈り物や、感謝のことば、優しい思いや感情を周りの人に与えることができます。 幸せ探し求めていますか。まず人々の幸せを祈りましょう。 自分が求めているものを与えることです。 自分が願っていることを、周りの人のために願うことです。 与える機会は周りにたくさんあります。まず相手の幸せを願う気持ちを持ち、心からの笑顔で挨拶するだけでも幸せはあふれます。 十字架の愛を覚えつつ、その愛を受けた感謝をいつも覚えていたいものです。復活されたイエス様がいつも共におられます。そのお方の愛をいつも与えれれ続けています。与えられた愛を流し出していく力も与えられています。 すばらしい復活のいのちで生きる幸いを感謝しつつ、受けるよりも与えるほうが幸いであることを体験する日々です。 今日もまた天国の一日です!幸せを祈ります。ルカの福音書 6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。 6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。 6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。 6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。 6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。 6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。 6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。 6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
2011/04/23
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今日22日(金)は、イエス・キリストが十字架で死なれた受苦日です。その十字架上での死により、全人類は救われ、正しく聖なる人生を、健やかに豊かに祝福されながら、永遠のいのちを持つ神の子として天国に行ける幸いを体験できるのです。 その十字架上の苦しみの中から、七つのことばが語られ残されています。 第一の言葉 「父よ、彼らを赦して下さい。なぜなら、彼らは何をしているのかわからないからです。」(ルカの福音書23章34節) 第二の言葉 「アーメン、あなたに言います。あなたは今日私と共にパラダイスにいます」(ルカの福音書23章43節) 第三の言葉 「そこにあなたの子がいます」「そこに、あなたの母がいます」(ヨハネの福音書19章26節-27節) 第四の言葉 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか)(マタイの福音書27章24節) 第五の言葉 私は渇いている」(ヨハネの福音書19章28節) 第六の言葉「終わった(テテレスタイ)、完了した」(ヨハネの福音書19章30節) 第七の言葉 「父よ、私の霊をあなたの手にゆだねます」(ルカの福音書23章46節) 静かにイエス・キリストの十字架の苦しみを思い、その十字架の死によりすべての罪が赦され、救われた感激の中に今日も生かされています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2011/04/22
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今朝は、昨夜からの講師といっしょに、初めて行くパン屋さんへ行きました。モーニングサービスがあると思ったのですが、パン作りの中でのセルフサービスでの朝食でした。 好きなサンドイッチとパンを皿に取り、レジでお金を払ってから、作り立てのパンがいっぱいのテーブルの片隅に案内されました。 紙コップでコーヒーとジュースをそれぞれ自分で入れて、ほんとうのセルフサービスです。なんか急いで食べないと申し訳ないような雰囲気でした。 さすがにできたてのパンは美味しく、帰りに買い過ぎかな?と思うくらい入れてもらい、お昼の食事の用意もできました。講師は別の接待ですが・・・・。 パン作成は夜中の2時に始まり、店を開けるのは朝6時30分。ものすごい量のパンですが超人気店で、午後3時過ぎには売り切れの時もあるくらいです。 ともかく講師接待の店でないことだけは良く分かったので、上品なモーニングサービスのある行きつけの喫茶店を愛用しようと思う朝です。 学院へ帰るとすぐ新任教授が来られ、大急ぎで院長室へ駆けつけお交わり、教室へご案内。 パソコンも開けないままの、恵まれた新しい天国の一日です! 東日本大震災ボランティアに4名の神学生派遣が決まり、被災地での実際的な活動への準備、救援物資の選定なども彼らと相談しながらです。 伝道者の書 3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。 3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。 3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。 3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。 3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。 3:9 働く者は労苦して何の益を得よう。 3:10 私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
2011/04/22
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この世で最上のわざは何?楽しい心で年をとり、働きたいけれどもやすみ、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうな時に希望し、従順の平静に、おのれの十字架をになう。若者が元気いっぱいで、神の道を歩むのを見てもねたまず、人のために働くよりも謙遜に人の世話になり、弱ってもはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること、老いの重荷は神の賜物。古びた心にこれで最後の磨きをかける、まことの故郷へ行くために、己をこの世に繋ぐ鎖を少しずつ離して行くのが、真にえらい仕事。こうして何もできなくなれば、それを謙遜に承諾するのだ。神は最後に一番よい仕事を残してくださる、それは祈りだ。手は何もできないけれども、手を合わせることができる。愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。すべてをなし終えたら、臨終の床の上に、神の声を聴くだろう。来たれ!わが友よ。我、汝を見捨てじと。届いた手紙の同封されていたドイツの神父・ヘルマン・ホイスベルの詩です。 ゴールデンウイークに、石巻市へ救援物資を運ぶ神学生三名が与えられ、宿泊所も決まりホッとしているところです。 カップ麺、缶詰、チョコレートや飴等の菓子類、コーヒー、紅茶。ニンジンやじゃがいも、かぼちゃやミカン、グレープフルーツなどの野菜や果物。米やみそ、しょうゆ、砂糖、塩なども、ペットボトルも積めるだけ積み込んで送り出すことにしました。幸い、ボランティアの提供される旅館(ホテル代を払うが)も備えられ、愛と祈りの支援です。 夏季伝道実習期間にはさらに大勢で出かけることができるよう祈り備えています。詩篇 27:1 主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。 27:2 悪を行なう者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。 27:3 たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。 27:4 私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。 27:5 それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。 27:6 今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。 27:7 聞いてください。主よ。私の呼ぶこの声を。私をあわれみ、私に答えてください。 27:8 あなたに代わって、私の心は申します。「わたしの顔を、慕い求めよ。」と。主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。 27:9 どうか、御顔を私に隠さないでください。あなたのしもべを、怒って、押しのけないでください。あなたは私の助けです。私を見放さないでください。見捨てないでください。私の救いの神。 27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。 27:11 主よ。あなたの道を私に教えてください。私を待ち伏せている者どもがおりますから、私を平らな小道に導いてください。 27:12 私を、私の仇の意のままに、させないでください。偽りの証人どもが私に立ち向かい、暴言を吐いているのです。 27:13 ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったなら。―― 27:14 待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。
2011/04/21
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イエス様を心に受け入れることは、最高にすばらしい宝を持っていることです。人間は土の器です。天地万物の創造者、全能の神が聖霊によって私たちのうちに住んでおられます。 この奥義はあなたがたのうちにおられるキリスト、栄光の望みのことです。それは特権であり栄光に輝くものです。 しかしそれは内にある宝の尊さであり、人間は弱い土の器です。人間は弱い存在に過ぎず、決して宝と同じではありません。 その弱さが人間が傲慢にならないように造られている証拠なのです。それでも神様は、わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している!と、土に器そのものをも受け入れてくださいます。 四方八方から患難を受け苦しめられるとも、窮することのなく、途方に暮れても、逃げ道がないほど追いつめられることはありません。 つねにゆとりがあるのがクリスチャン生活の特徴です。状況がどんなに窮屈であっても、押し込められとka,閉じ込められたと感ずる必要はさらさらないのです。 たとえその肉体が困難な環境や窮屈な状況に閉じ込められていても、その霊は、その魂、心は、神の広大さへはばたくことができるのです。 たとえ迫害されているとしても、見捨てられることはありません。倒されているのしても決して滅びません。 自分の味方であると思っていた人から見捨てられたときでさえ、ジャンヌ・ダルクのように、「ただ一人神とともにいるほうが良い。神の友情は私を裏切らない。神の助け、神の愛もそうです。神の力の中にあって、私は死ぬまで、がんばって、がんばってがんばりぬくのだ」 クリスチャンの最大の特徴は、倒れないことではなく、たおれてもそのたびにまでまた立ちあがることです。打たれない事ではなく、打たれても決して敗北しないことです。下には永遠の愛の腕があることを知っているから大丈夫なのです。 十字架なしには栄冠なし!クリスチャン生活の仮借のない法則です。パウロは、イエス・キリストの復活の力を思いつつ、すべてのことにぶつかっていきました。自分が受ける苦しみと試練によって、ほかの人が神の光と愛に導かれることを確信し、すべてのことに耐えて行くことができるのです。 自分の身に起こっていることは文字通りキリストのために起こっているのだと言う、まったき確信を持つ人生こそ、復活を信じるクリスチャンの喜びなのです。ハレルヤ! 今日もまた天国の一日です!すべてのことに感謝し、夢と希望の一日を迎えましょう。コリント人への第二の手紙4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2011/04/19
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祈りが答えられたことを、どうして知ることができるでしょうか?と質問されることがあります。 聖書には、イエス・キリストのお名前によって祈れば、答えられると約束されており、いつもイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。と祈ります。 とくに20006年からは、イエス様のお名前によって祈ります。アーメンと祈ったらすぐ、ありがとうございます。答えられました!感謝します。と告白し続けています。 自分の祈った通りの結果でなかったときも、願いをはるかに越えたかみこころの答えだと感謝します。 「れは主のなさったことだ!私たちの目には不思議なことだ」(詩篇118:23)と、与えられたいのちと新しい日を感謝し、愛してくださる神の愛に支えられ、今日もまた天国の一日です。 左脳内出血で12年前に倒れ、「わたしは主であってあなたをいやすものである」と、聖書の約束を信じてアーメンと祈りました。奇跡的に後遺症もなく癒される恵みを体験し、主がいやしも与えてくださる恵みを感謝しつつの日々です。健康を守られています。 WHO(世界保健機関)は、人間の健康を「身体的健康」「精神的健康」「社会的健康」の3つに分けています。人間が求めている幸せは、基本的にこの3つが満たされることです。 しかし、この3つが満たされたからといって必ず幸せになれるとは限りません。WHOもそれに気づき、「霊的健康」という概念を取り入れました。とは言え、WHOの健康定義を完全に満たすことは実際、不可能に近く、ただイエス・キリストを信じるときに可能となるのです。 「愛する者よ。あなたが、たましいに幸い(恵みと繁栄)を得ているようにすべての点でも幸い(恵みと繁栄)を得、また健康(恵まれ繁栄し幸い)であるように祈ります」(ヨハネの第3の手紙1:2) 「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます」(テサロニケ人への第1の手紙5:23~24) 健康への約束は、聖書で繰り返し宣言されています。実際に自分が脳内出血で集中治療室へ運ばれ、治療を受けていたときは、30秒どころかもっと短い祈り、「イエス様。助けてください」と声にもならない心の叫びでした。 一般病棟に移され、聖書を読むことができるようになると、短い祈りよりも神様とお話しし、健康の約束をみことばで教えられ、今まで説教していたことを実践する場となりました。 一つは、脳内出血と戦わず、その事実をありのまま受け入れ、心から感謝の祈りをささげることでした。 二つ目は、「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(ペテロの第1の手紙2:24)とのみことばを、真心から信じたことです。祈りで心に平安が訪れます。 三番目には、そのことを口に出して告白することでした。まず祈りが告白に変わりました。助けて下さい。治してくださいと祈るだけでなく、「ありがとうございます。治りました。回復しました。感謝します」と宣言の祈りに変わりました。 口にする言葉は、言えば言うほどもう一度言いたくなるような現象を引き起こします。 イエス・キリストは、「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」(マルコ11:23~24) 祈りは願い事であり求めでもありますが、さらにすばらしいことは、宣言(告白)するとき、言ったとおりになることを体験できるのです。 病のいやしに限らず、すべての求めを心の中で疑わず、みことばに従い祈ったとおりになるのですから、30秒であれ長時間であれ、何事をも確信して宣言したいものです。 ありがとうございます。祈りのとおりに実現しました。感謝します。アーメン。 同時に、自分の願いどおりにならないことも、祈りの答えだと受け止める時、不平不満や、疑い恐れ不信仰からも守られます。 思いを遥かに越えて答えられる祈りの幸いを感謝することができるからです。 ある時、歯科医国家試験を受けたばかりの方から相談があり、イエス・キリストのお名前によって合格を祈りアーメンのあとに、ありがとうございます。合格しました。感謝しますと言うようにアドバイスしました。 数日後、そう祈っても不合格だったらどうするのですか?と質問され、その時はその時ですと答えました。 そうするとつまづくこともなく、「そうですね。合格発表まで心配するよりも、その時はその時ですね」と素直に受け止めてくれました。幸い国家試験に合格し、今ではトルコで歯科医として活躍しています。 「その時はその時です!」は,少し乱暴な答えに思えますが、聖書には、「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ3:19-20)とあり、願うところ、思うところのすべてをこえて祈りは聞かれると約束されています。 常に祈りの心を持ち続けていますが、切羽詰まり七転八倒し、祈りすらできないようなときでも、聖霊の大きな助けと解決が、神の栄光のために備えられていることを体験しています。 ですから答えられていない、聞かれていない祈りは一つもないと確信しながら、今日もまた天国の一日です!と感謝の一日です。「神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(コリント人への第二の手紙6:2)「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである」(ヨハネの福音書1:16)ヨハネの第一の手紙5:14 何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。5:15 わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。
2011/04/19
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ケニア宣教の恵み 昨日の礼拝にパラダイス孤児院(ケニア第五の都市キスム・マンブレオ村、ビクトリア湖のほとり在)の責任者と、孤児院で育った青年3人が出席しました。 現在は、26名が孤児院で暮らし、21名の高校生は寮で学んでいます。 エリム宣教会は、子どもたちの高校教育までを支援し続けています。ケニアで高等学校まで責任を持つ孤児院は少なく、パラダイスで育った子どもたちは学ぶ喜びを目標に楽しく生活しています。 そこで育った青年たちが5名が日本で働き、毎月2万×5人=10万円を自分たちが育った孤児院にいる子どもたちをサポートしています。すごいことだと感謝しながら、昨日も彼らの健康と守り、さらに幸せになるよう祈りました。 ケニアからのメッセージの後、4人で英語、スワヒリ語、日本語で賛美し礼拝も豊かに祝された日曜日でした。 エデンの園でのアダムとイブの堕罪により、天国(パラダイス=楽園)を失いましたが、イエス・キリストの十字架の贖いにより、いま豊かに信じる者にはパラダイスが回復し、今日もまた天国の一日です! 生駒聖書学院も今週から平常授業スタートです。今週は箴言に学ぶ人間学の授業で、勤勉について学び、史上最高の知恵を体験できるよう導きを願っています。 受難週のこの時期、イエス・キリストの十字架のより100パーセントの愛を、聖霊により注がれた日々を感謝します。イザヤ書12:1 その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」12:2 見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。ローマ人への手紙5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 完全充足の世界が、十字架と復活により与えられ、聖霊によって日々実現するとは、なんと素晴らしいことでしょう。 今日もまた天国の1日です!は絵に描いた餅ではなく、それがクリスチャンの現実です。クリスチャン生活は、悩み解消のだけでなく、充実と感動の神の国体験です。イザヤ書12:3 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。ヨハネの福音書4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。12:5 主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。世界中に福音を見たそう!アーメンと言えば救われます。 イエス・キリストの十字架を見上げつつ目覚め、今日もまた天国の一日です! 一日中、充足と勤勉の日々を、ゆとりの一万歩も与えられ、一日を終える時も、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 すべてを神の栄光のために!すべてが素晴らしい恵みの中です。アーメン。
2011/04/18
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今日はホサナの日曜日で、受難週です。22日が受苦(イエス・キリストが十字架上で死なれた)日、24日がイースターです。十字架上の七言ルカ23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ルカ23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」ヨハネ19:26 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。19:27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。ヨハネ19:28 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。ヨハネ19:30 イエスは、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。ルカ23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。 特に「すべてが終わった=完了した」という言葉は、ギリシャ語で「テテレスタイ」といい、「完成する、約束が成就する、債務の支払いが完了する」という意味です。 しかもこの言葉は、文法的には「完了形」で、これはある動作が終わって、その影響が今も、そしておそらくこれからも残っているということです。すなわち、過去、現在、未来に関わる言葉なのです。十字架に表された神の愛は「テテレスタイ」です。その愛は、あなたの過去にも、現在にも、そして未来にも向けられています“終った=完了した”と言う言葉に注目して下さい。 ギリシャ語では同じ“テテレスタイ。そしてイエスが“すべてが終った=完了した”と言われた時、聖書の初めから最後まで、律法そして預言において、全てがイエスによって果たのです。 聖書のすべての約束が、イエス・キリストにより成就され完成されたのです。 神の約束はことごとく、この方イエス・キリストにおいて「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。(コリント人への第二の手紙 1:20) 全能なる神の愛により、イエス・キリストを信じます。アーメンで救われるのです。十字架のより豊かな恵みが注がれています。 イエス様がが“すべてが終った=完了した”と言われた時、キリストは悪魔と罪を支配し、勝利へと進まれたのです。 悪魔は罪はキリストを十字架で滅ぼしたかに思えました。しかし、その十字架の死によって、キリストは罪-と悪魔を滅ぼされたのです。 イエス・キリストが“すべてが終った=完了した”と言われた時、キリストは罪と悪魔を負かされ-そして、キリストを信頼する者達のために、死をも滅ぼされたのです。 イエス・キリストが“すべてが終った=完了した”と言われた時に、キリストは悪魔とそれに従う大勢の悪霊達に、“全人類は救われた! お前達は十分長く、彼らを罪の奴隷としてきた!”彼らの罪の贖い終わった=完了したと言ったのです。“すべてが終った=”といわれた時、その最初の預言(創世記3章15節)は成し遂げられたのです。 ヘブル人への手紙 2:14-15 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでしたイザヤ書第53章にも、こう書かれています、 “まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。・・・ しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。 彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれ傷によって、われわれはいやされたのだ。 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。 主はわれわれすべの者の不義を、彼の上におかれた。”(イザヤ書53章4-6節) この偉大な預言もテテレスタイ!すべてが終わった=完了したのです。ハレルヤ。 “彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。・・・神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。”(ローマ人への手紙第3章24-26) 第一ペテロ 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 あなたの罪に対する全ての罰は消えたのです。 それは、十字架の上でキリストにより完全に贖われたのです。“テテレスタイ! すべてが終った=完了した!”“テテレスタイ! すべてが終った!”“テテレスタイ! すべてが終った!” あなたの救いに必要なすべてのことは、すでに十字架の上でキリストにより与えられたのです! 同時に肉体の病も心の病もいやされたのです。もう二度と病気ということばからのさようならです!病と言うだけで十分です。 すべてが終った=完了した! 人類を苦しめてきた呪いと貧乏も終わりました。豊かに祝福されて天国への道を歩める、新しい人生を生きることができるのです。 コリント第二8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 ガラテヤ3:12-14 しかし律法は、「信仰による。」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる。」のです。 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。 律法から自由になり、なんと喜ばしいことでしょう。イエス様は御血を流され、そこには罪の赦しがあります。律法からのろわれ、そして堕落により傷つき、 罪と汚れと呪いの中からただ信じるだけで、イエス・キリストは全人類を永遠に贖われたのです。 アーメンと信じる信仰によってキリストに来なさい。 そうすれば、彼はあなたを悪魔と罪のとりこから解放して下さいます。 あなたを解放するための必要な全ての事は、十字架の上で果たされたのです。 罪も病も呪いも貧乏も死と滅びもすべてが終わった=完了したのです。アーメンと信じ、バプテスマを受けるだけで救われるのです。テテレスタイ!すべてが終った=完了した!のです。1.過去形の救い:もう恐れなくてよい あなたは、自分のやってしまったことや、自分の性質をつくづくと眺めてみて、落ち込んだり、罪責感にさいなまれたりすることはありませんか。 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5:17)2.現在形の救い:すべては神の愛の計画の中にあります。 神さまの愛は過去形ではなく完了形なのですから、今もあなたは神さまの愛のまっただ中にいます。 しかし、あなたは、そんなこと信じられないと思えるほど、つらくて苦しい状況に置かれることがありませんか? そんなあなたに向かって、聖書はこう言っています。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)。 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28) 「あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません」(ヨハネ16:22)3.未来形の救い:大丈夫だと確信し期待してよい=永遠のいのちのなかに 「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません」(ヨハネ10:28-29) 神さまの愛は、過去と現在にとどまらず、永遠にあなたを覆います。イエス・キリストの救いを受け入れた人は、死んで終わりではなく、永遠に続く祝福された人生を約束されています。しかも、死んだ後のパラダイスというだけでなく、この地上生涯においても多くの祝福を味わうことが約束されています。 朝の目覚めとともに一日中、今日もまた天国の一日です! 激しい戦いや困難が続いても、夜の休みとともに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。おやすみなさい。ローマ8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。来週はイースターです!喜びの中で聖霊に満たされてイースターを祝いましょう!
2011/04/17
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渡辺和子(ノートルダム清心学院理事長)の「置かれたところで咲きなさい」(英語詩の一節より)と言う言葉が紹介されていました。 30歳間際で修道院に入り、アメリカへ行き学位を取り、35歳で日本に戻り、すぐ岡山へ派遣され、精神学院三代目の学長に任命されました。36歳の時でした。 初代、二代目ともアメリカ人で70代後半の学長でしたので、その半分の年齢で学長に任命されたので、周囲は驚きました。自分自身も驚きと困惑の渦中に投げ込まれてしまいました。 初めての土地、思いがけない学長と言う役職、未経験の事柄の連続。いつのまにか、「くれない続」になっていたそうです。「あいさつしてくれない」、こんなに苦労しているのに、「わかってくれない」「ねぎらってくれない」「・・・・ああしてくれない。こうしてくれないetc....」 自信喪失になり、修道院を出ようかとまで思いつめていた時、「置かれたところで咲きなさい」という英語詩に出会いました。 その言葉との出会いにより、変えられました。置かれた場に不平不満を持ち、不幸になっていては、環境の奴隷でしかない。人間として生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせようと決心するこができたのです。 それは自分が変わることによってのみ可能なのです。「置かれたところで咲きなさい」に続く言葉は、「咲くということは、仕方がないとあきらめることではない。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いではなかったと、証明することだ」 その日から、「くれない族」の自分と決別し、自分から先に学生たちの挨拶し、ほほえみかけ、お礼を言う人になりました。 「置かれたところで咲く」心構えを実行したとき、ふしぎなことにまわりも明るくなり、優しくなってくれました。そして波紋のように幸せが広がり続けました。 今日もまた天国の一日です!と告白しても、現実の厳しさに打ちひしがれる日もあります。風当たりが強かったり、日照り続きや大雨の降る時もあります。感謝しますと告白しても、都合の悪いことが続く日もあります。 そんな時にはムリに咲かなくてもよいのです。その代わりに、根を下へ下へとおろして、根を張る時、次に咲く花はより大きく、美しい花になると信じて。 生駒聖書学院は春たけなわです。書斎の窓を開けると、石ころだらけの外庭にタンポポが咲き誇っています。女子寮の庭はタンポポのじゅうたんです。 土手の陰にはスミレの花が紫色を輝かせています。日もそんなに当たらないのに、だれからもほめられないのに、「山路きてなにやらゆかしすみれ草」です。 置かれたところは、辛い立場であったり、理不尽、不本意、憎しみの的であったり、信じていた人の裏切りもあるかもしれません。 置かれたが神の栄光が現れる場と損じて、与えられるものごとを一つひとつを、しっかり受け止め、イエス様の十字架の元へおろして、平安を与えられたいものです。詩篇23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
2011/04/16
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メルマガで届いた古典の中の古典といわれる『中庸』からのことばです。「故(ゆえ)に君子(くんし)はその独(ひと)りを慎(つつし)むなり」 君子(君子にもさまざまな種類がありますが、ここでいう君子は成徳といって、徳の非常に優れた立派な人物のこと、あるいは立派な人物になろうと志して努力している人を指しています)は独りを慎む。すなわち慎独(しんどく)です。誰に見られることがなくても独り、自らを律していく。「患難(かんなん)に素(そ)しては艱難(かんなん)に行う」 病気や貧乏など、さまざまな憂い事、心配事、なかなか思うようにならないことに対しても、それを基にして対処していかなければならない。「故(ゆえ)に至誠(しせい)は息(や)む無(な)し。息(や)まざれば則(すなわ)ち久(ひさ)しく、 久しければ則(すなわ)ち徴(しるし)あり」「至誠」というのは天の心であり、聖人の心です。その心はもちろん本気です。「息む無し」とは休む時がないという意味です。つまり、本気だから久しく続くということ。すると、ある時、ひょこっと兆しが現れてくる。これを「久しければ則ち徴あり」といっています。 なかなかいことばだと思い転載します。洋の東西を問わず、心はものすごく大切です。もし心がな、やはりかったら、人間ではなくなると思います。でも心は見えないので、心って何かと聞かれてもハッキリ答えるのも難しいですが、やはり心は大切です。 感じる心、思う心、喜ぶ心、楽しい心、愛する心、優しい心、安らぎの心、考える心、決断する心、尊敬する心、いやす心、健やかな心、豊かな心など、もし心がなければ人間でなくなると言っても言い過ぎではないでしょう。 東日本大震災に世界中、135ケ国から祈りと愛の支援が寄せられてます。具体的に救援隊も今でも働いてくれている国もあります。それは世界の心が日本に向けられている証拠でもあります。 お金や物だけでは解決できないことであっても、心で解決できることはいぱいあります。クリスチャンになり人間は、霊と心と体の存在であることを知りました。 心を心たらしめる動機は、霊がどれだけきれいかで決まることも知りました。今日もまた天国の一日です!と、心こめて祈り働く一日です! 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(テサロニケ人への手紙5:23-24)詩篇 51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。 51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。 51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。 51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。 51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。 51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。 51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。 51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。 51:9 御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。 51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。 51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。 51:13 私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。 51:14 神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。 51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。
2011/04/15
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あきない商売は、あきないという。どうして、あきない、なのだろうそれはおもしろくておもしろくて、しかたないから、あきない なのだ。いつもおもしろいから、笑い顔、笑顔がたえないから、商売=笑売なのだ。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」笑顔がたえない、いつも活発、だから=勝売=とななる。ところが あきない=商売を、おもしろくないとおもっていると、その商売はすぐあきる。いつも不平不満や愚痴が出て、心が次第に「傷ついて=傷売=となってしまう。こんな店には、そのうち誰もよりつかなくなり、=消売=となって、消えてしまう。笑売をしているのか。傷売をしているのか。勝売をしているのか。消売をしているのか。あなたがどちらの商売をしているのだろう。 書斎の隅に見つけた、清水英雄の詩集(1987年)にあったことばです。 人生を生きる秘訣のように思い引用しました。どんなことでも楽しんでできることは、ほとんどうまく行きます。 リラックスして楽しみながらすることです。なぜ趣味が楽しいか。それは楽しいからです。毎日、ゆとりの一万歩を歩きます。朝の光を浴びながら、山道を歩くのは快適です。 大好きな勉強をするのもそうです。少年時代を思い出します。得意な科目は、机に向かう前から楽しかったですね。だからなおさら頭に入るし、試験でも良い結果が出るわけです。 イエス様の救いを知った時から、人生は楽しくなりました。良い知らせを伝える人の足は麗しい!と、牧師への道を歩き出し、生駒聖書学院での3年間は、素晴らしい時でした。卒業後も、多くの戦いや苦労を経験しました。不可能に思えることも多かったけれども、不可能は挑戦として受け止め続けました。 いまは可能性への挑戦は可能となる!「できればと言うのか。信じる者にはどんなことでもできるのです」(マルコ9:23)「私は、私を強くしてくださるお方によってどんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)と宣言しています。 生駒聖書学院での日々はすばらしい楽しさです。何もかもが楽(らく)と言ういみではありません。苦あれば楽蟻は、度の世界でも同じです。正面からどんなことでも楽しいこととして受け止めると、乗り越える勇気と力も与えられます。 今日もまた天国の一日です!限りない可能性にに満ちた日々に感謝します。詩篇 35:27 私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。彼らにいつも言わせてください。「ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな。」と。36:5 主よ。あなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。 36:6 あなたの義は高くそびえる山のようで、あなたのさばきは深い海のようです。あなたは人や獣を栄えさせてくださいます。主よ。 36:7 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。 36:8 彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。 36:9 いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。 36:10 注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人に。 36:11 高ぶりの足が私に追いつかず、悪者の手が私を追いやらないようにしてください。 36:12 そこでは、不法を行なう者は倒れ、押し倒されて立ち上がれません。
2011/04/14
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生駒聖書学院が新入生を迎え、新学期がスタートしました。昨日はオリエンテーション。夜は大阪での集会へ。今日は一学期を快適に過ごすために、朝から清掃奉仕です。広いキャンパスがエデンの園のようになるのを楽しみにしています。 家の前の土手に、鬼百合の芽がいっぱい出ています。気をつけていないときれいに刈り取られてしまいます。都会育ちの神学生が多いので、草と花の違いに気づかない者もありので。 特例ですが、鎌で木を切ったり、ノコギリで草を刈ったりという若者もいたこともありました。庭掃除など一度もしたことがないのでしょう。箒を初めて持つ者もいます。どうして掃除して良いのか分からず、少しもきれいにならないまま時間だけが過ぎていきます。 それらのことなども指導する全寮制の良さであり、同じ釜の飯を食べた仲間が、卒業後も互いに祈り助け会いながらの、福音宣教の日々です。 今日もまた天国の一日です!明るく輝きながらの、生駒聖書学院の一日です。 将来、牧師や宣教師、牧師夫人を目ざす青年男女、また退職後の人生を天国へ行くまで、多くの人々に仕えようと願う方々も、学歴、年齢、国籍不問、ペンテコステの聖書学院ですが超教派で入学できます。体験入学も歓迎します。 お問い合わせは、630-0243 奈良県生駒市俵口町951電話&Fax.0743-74-7622 メール;elimyosi@kcn.jp 箴言17:22 心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。(口語訳)17:22 喜びを抱く心はからだを養うが/霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。(新共同訳)17:22 陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。(新改訳)
2011/04/13
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それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する』(使徒13:22)神の選びの中で しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。(サムエル上16:7-13)イエス・キリストにある選び 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」ヨハネ15:16)聖霊を受けて イエスはもう一度、彼らに言われた。 「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります」(ヨハネ20:21-23)選ばれ祈りにより前進する! アサはその神、主に叫び求めて言った。 「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください」(第一歴代誌14:11)無きにひとしい者さえも・・・・ 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。さしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。(第一コリント1:26-31) しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(第二コリント3:16 -18) だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。第二コリント5:17)神のことばに素直に従う しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです。歴代第二15:8)
2011/04/12
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新学期を迎え、午前5時起床で学院がスタートしました。四月は春眠暁を覚えずですが、全員5時半にはチャペルの前に集合。大声を出しながらラジオ体操で眠気をふっ飛ばし、聖書を一章朗読し、猛烈に声を出して一時間の祈りを続けます。 東日本大震災地域を特別に覚えながら、特に福島原発事故放射の漏れからの守りと、速やかに解決するように祈り続けます。 今朝は、これから新学期心得をしっかり神学生たちに伝える時間です。テモテへの第一の手紙 2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。 2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。 2:8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。
2011/04/12
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11日(月)午前10時より、生駒聖書学院11年度の入学式が行われました。今年度の新入生は4名、9月入学のローの兄弟も参加、それぞれが献身の決意を表明し、大拍手を受けました。 特にその中の一人は漫画家志望で、コミック「歌えない、踊れない、話さない牧師物語」にも刺激され、生駒聖書学院に入学しました。 入学前にマンガを描く材料を全部用意し、決意表明でも院長のマンガを描きますと力強く語っていました。 また韓国から09年の来日した牧師は、大阪市内で開拓伝道中ですが、さらに日本の事情を理解し、日本語も上達することも念願です。子どもも三人あり日本の学校に通っています。 その後、各教授からの祝辞もあり、昼食はバイキング料理に全員で出かけ、日ごろダイエットの女性神学生たちも、思いっきりたべて新年度のスタートダッシュです。 ありがとうございます!今日もまた天国の一にでした。すべてのことに感謝します!テサロニケ人への第一の手紙 5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。 5:12 兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。 5:13 その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。 5:14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 5:15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはなりません。 5:20 預言をないがしろにしてはいけません。 5:21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
2011/04/11
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ありがとうございます。朝の目覚めから、就寝まで一番多く使うことばです。朝の目覚めで、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 主の祈りをして必ず・・・・ありがとうございます。御国が来ました!感謝します。ありがとうございます。みこころが天で行われるとおり、地上でも行われました。感謝します。ありがとうございます。日ごとの糧(必要)は今日も豊かに与えられました。感謝します。ありがとうございます。私に罪を犯す人々を赦しましたように、私の罪も許されました。感謝します。ありがとうございます。試みに合わず悪い者から守れれました。感謝します。ありがとうございます。国と力と栄えは永久にあなたのものだから!感謝します。アーメン。詩篇一篇を告白すると・・・。ありがとうございます。幸いでした!感謝します。ありがとうございます。悪い者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座につきませんでした。感謝します。ありがとうございます。主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさみました。感謝します。ありがとうございます。流れのほとりの木のように、その葉は茂り枯れることなく、時が来ると実がなり、なにをしても栄えました!感謝します。 祈っても、告白しても、聖書を読んでも、食事をしても、メールが来ても、誰かに会っても、買い物に行っても、何事をしていても、ありがとうございますと言うようにしています。 多くの言葉の中で、もっとも美しく力強いのが、ありがとうございます!という言葉だと思います。 ありがとう=有り難うは、有り難い=めったいにない貴重な=ことに恵まれて、感謝していますと言うことです。 イエス・キリストをアーメンと信じて救われ、クリスチャンとして今日まで来れたのは、すべてが神様の恵みだけだと、心から信じ感謝しています。 なんでもそうですが、当たり前!だと思うと、ありがとうございます!という感謝の気持ちもでてきません。当たり前だ!当然だ!と思っていることが多すぎる現代社会です。 目が覚めて息をしているだけでも有り難いことなのです。目覚めたことを奇跡!と受け止めると、ありがとうございます。感謝しますは自然に出てきてもよいことばです。 美しい空気があり、雨が降り日が輝る。桜が咲き春が来る!朝ごはんが食べれる。テレビが映る。何事でもありがとうと言う気持ちで見ると、感謝の種はいくらでも見つかります。 ゆとりの一万歩で山道を歩きながら、この世に生を受けたこと、産んでくれた母のこと、生まれ育った種子島の貧しい山の環境、学校へ行けたこと、プラスもマイナスもすべてが感謝の材料です。 時には涙しつつ、ありがとうございます。こみあげてくる喜びにありがとうございます。いつも感謝の心があれば、満たされ続け快適に過ごすことが可能です。 そして良いことに目が向くので、自然と楽天家になります。孫の名前が楽大(らくと)と命名されたのも、楽な人生を願うだけでなく、人生を大いに楽しみ、この世界を変えるような器になってほしいというじじバカの願いと祈りです。 そのありがとうをどこに向けて告白するかで、雲泥の差が出てきます。つまり自分に都合がよいことにはありがとうございますと言うけれど、都合の悪いことには怒り心頭では、すべてのありがとうが消えてしまします。不平や不満が渦巻く、文句タラタラへと逆戻りです。 天地万物を創造し、すべてをご存じの全知全能の真の神様、十字架に命を捨て愛してくださったイエス・キリストに心を向け続けることです。 そのときに思いをはるかに越え、最善をなしてくださる方への信仰と信頼が湧きあがります。聖隷の助けは常にあり、すべてのことに心から感謝し、神様ありがとうございますと言うこことができます。 そのような心で朝ごとに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!何事が起ころうとも、一日の終わりのときにも、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝しますと、平安の中で熟睡が与えられます。 今日は生駒聖書学院入学式です。今年度は5名入学です。主に生涯をささげる恵みの器たちを迎えます。心からありがとうございます。献身者を感謝します。と祈り備えつつの朝です。詩篇34:1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。 34:2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。 34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 34:4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。 34:5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」 34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。 34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
2011/04/11
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絶えず祈りなさい!手を合わせることもなく、祈りも知らずに育ちました。 16歳の時、真の愛である唯一の神を知りました。イエス・キリストの十字架と復活の福音を聞き、アーメンと信じてクリスチャンになり、今日まで絶えず祈れる恵みの生活です。 「イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。ありがとうございます。答えられました!感謝します」 一番多く祈るのは、「主よ。助けてください!」という短い祈りです。旧約聖書に登場するアサ王の祈りが大好きです。 アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。 私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください」(歴代誌下14:11)「私たちの神、主よ。私たちを助けてください!」主の名を呼び求める者は、いつでも救われます。書斎の窓から生駒山を見ながら、いつも詩篇121篇のことばを祈りとして口ずさみます。 「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 私の助けは、天地を造られた主から来る」 天地万物の創造者、全能の愛なる唯一の神が、助けとなってくださる幸い!神はわれらの避け所、いと近き助けです。 主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。 弱さを覚える時こそ、一番助けが必要です。その助けを約束してくださる大きな愛に、もっと信頼したいものです。「たぶん、主がわれわれに味方してくださるであろう。大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない」(サムエル上14:6)とのヨナタンの告白を見習いたいものです。 イエス様は、ヨハネの福音書の中で聖霊が助け主であることを語られました。十字架上で全人類の救いのために身代わりとして死なれ、3日目復活されたのちは、聖霊が助け主として来てくださったのです。 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(14:26) わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。(15:26) しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(16:7)全能の愛なる神がいつも助けてくださる人生はすばらしい祝福の日々です。桜満開の春の日々が、さらに大きな助けの中で前進することを祈ります。ヘブル人への手紙13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」 13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
2011/04/10
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ありがとうございます。朝の目覚めから、就寝まで一番多く使うことばです。朝の目覚めで、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 主の祈りをして必ず・・・・ありがとうございます。御国が来ました!感謝します。ありがとうございます。みこころが天で行われるとおり、地上でも行われました。感謝します。ありがとうございます。日ごとの糧(必要)は今日も豊かに与えられました。感謝します。ありがとうございます。私に罪を犯す人々を赦しましたように、私の罪も許されました。感謝します。ありがとうございます。試みに合わず悪い者から守れれました。感謝します。ありがとうございます。国と力と栄えは永久にあなたのものだから!感謝します。アーメン。 詩篇一篇を告白すると・・・。 ありがとうございます。幸いでした!感謝します。ありがとうございます。悪い者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座につきませんでした。感謝します。ありがとうございます。主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさみました。感謝します。ありがとうございます。流れのほとりの木のように、その葉は茂り枯れることなく、時が来ると実がなり、なにをしても栄えました!感謝します。 祈っても、告白しても、聖書を読んでも、食事をしても、メールが来ても、誰かに会っても、買い物に行っても、何事をしていても、ありがとうございますと言うようにしています。 多くの言葉の中で、もっとも美しく力強いのが、ありがとうございます!という言葉だと思います。 ありがとう=有り難うは、有り難い=めったいにない貴重な=ことに恵まれて、感謝していますと言うことです。 イエス・キリストをアーメンと信じて救われ、クリスチャンとして今日まで来れたのは、すべてが神様の恵みだけだと、心から信じ感謝しています。 なんでもそうですが、当たり前!だと思うと、ありがとうございます!という感謝の気持ちもでてきません。当たり前だ!当然だ!と思っていることが多すぎる現代社会です。 目が覚めて息をしているだけでも有り難いことなのです。目覚めたことを奇跡!と受け止めると、ありがとうございます。感謝しますは自然に出てきてもよいことばです。 美しい空気があり、雨が降り日が輝る。桜が咲き春が来る!朝ごはんが食べれる。テレビが映る。何事でもありがとうと言う気持ちで見ると、感謝の種はいくらでも見つかります。 ゆとりの一万歩で山道を歩きながら、この世に生を受けたこと、産んでくれた母のこと、生まれ育った種子島の貧しい山の環境、学校へ行けたこと、プラスもマイナスもすべてが感謝の材料です。 時には涙しつつ、ありがとうございます。こみあげてくる喜びにありがとうございます。いつも感謝の心があれば、満たされ続け快適に過ごすことが可能です。 そして良いことに目が向くので、自然と楽天家になります。孫の名前が楽大(らくと)と命名されたのも、楽な人生を願うだけでなく、人生を大いに楽しみ、この世界を変えるような器になってほしいというじじバカの願いと祈りです。 そのありがとうをどこに向けて告白するかで、雲泥の差が出てきます。つまり自分に都合がよいことにはありがとうございますと言うけれど、都合の悪いことには怒り心頭では、すべてのありがとうが消えてしまします。不平や不満が渦巻く、文句タラタラへと逆戻りです。 天地万物を創造し、すべてをご存じの全知全能の真の神様、十字架に命を捨て愛してくださったイエス・キリストに心を向け続けることです。 そのときに思いをはるかに越え、最善をなしてくださる方への信仰と信頼が湧きあがります。聖隷の助けは常にあり、すべてのことに心から感謝し、神様ありがとうございますと言うこことができます。 そのような心で朝ごとに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!何事が起ころうとも、一日の終わりのときにも、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝しますと、平安の中で熟睡が与えられます。 ブログにアクセスいただきありがとうございます。健康と幸せを祈ります。感謝します。 コリント人への第二の手紙 6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。 6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。 6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、 6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、 6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、 6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、 6:7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、 6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、 6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、 6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
2011/04/09
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昨夜、種子島120キロを歩く、黄金伝説の番組を見ました。短時間と思ったら3時間もテレビをつけっぱなし。 種子島生まれ育ちですが、番組で紹介された名産で知っていたのは、安納イモとラッキョウ飴やガジュマル飴、黒砂糖やたんかんくらいでした。 タルメや熊エビ、マルイカや鯛などは初めて見るものばかり。 またイモ豚やインギー鶏もまだ一度も食べたこともなく、今度種子島まで出かけたら、食べてみようと思いました。 黄金伝説はお笑いタレントたちが0円で種子島を120キロ歩いて一周するという試みでした。島の人情に触れながら歩き続ける姿に笑いや感動もありでした。 ふるさとは遠きにありて思うもの!懐かし風景に出会いながら、一度120キロをひたすら歩いてみたいなと思いながらの就寝でした。 脳内出血で倒れてから、ゆとりの一万歩で毎日歩いて8年半になります。歩くことは中学生時代往復18キロを毎日通学したので、一万歩はわずか6キロくらいですから、何でもない距離です。ただ毎日時間との追っかけの充実人生で、そのなかでの一万歩を歩き続けています。 落ち込んだり、やる気が出ないとき、行き詰まりを感じたりする時、おすすめは、外へ出て歩くことです。 開拓伝道中は、トラクトを持って外へ出ました。ポスティングだけですが、身体を動かすとスカッとしたものです。それは今でも変わりません。昨朝も産婦人科まで車で行けば20分ですが、教会案内をもって往復しました。 なぜ歩くと良いのでしょうか。それは全身の筋肉の70パーセントは太ももと、お尻にあるので、歩けば歩くほど、それだけ脳に刺激が与えられます。 書斎に閉じこもっているより、外の景色(今は桜や春の花が満開)も楽しく、おはようございます!と元気に声を掛けると、新しい出会いもあり、ますます元気になります。 歩けば食欲も旺盛になり、元気百倍で意欲もわき、可能性へのチャレンジも見つかります。 祈りながら歌いながら聖書のことばを口ずさみながらで、一石二鳥と言うより一石三鳥にも四鳥にもなります。 万歩計をつけてなくても距離を歩数で測ることもでき、生駒駅まで3300歩、東生駒の娘の家まで4000歩、富雄キリスト教会まで約一万歩です。終わった時には気分爽快、頭もさえ気持ちも落ち着き、夜は熟睡で朝もスカッと目覚める幸せです。 今日もまた天国の一日です! 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。 主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。(哀歌3:22-25)詩篇118:22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。 118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 118:27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。 118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 118:29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
2011/04/08
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桜が満開に近くなった生駒聖書学院周辺です。近くの飯盛霊園はいまが盛りと咲いています。 桜が若木なので生き生きと咲く花で、墓地が気にならないほどの美しさです。「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」(西行)の詩を思わされます。 そんな春まっ盛りの中でも、どうも元気になれないし、何か辛いしいやだなと思うことも多い人生です。春の輝きのようにスカッとしたいものです。 地震や津波や原発被害が余りにも大きいので、国全体も沈み込んでいるようです。でも余り自虐傾向にならずに、もう少し上を見上げて元気を取り戻したいものです。 聖書のことばに、「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです」(コリント人への第二の手紙4:15) 自分に起こることは、どんなことでもプラスになる!と前向きに受け止め、心からありがとうございますと受けると感謝があふれてきます。 マルコの福音書には、 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです」(9章23節)とあります。すんべてのことは可能性へのチャレンジです。「私は、私を強くしてくださる方によってどんなことでも出来るのです」(ピリピ人への手紙4:13) また自分の思う通りにならない時も、想定外の解決と祝福が与えられます。「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ人へ手紙3:20-21) 問題の解決や悩みからの救いは、とほうもない方角から来る場合が多くあるので、お手上げ状態でも、悲観したり自暴自棄になったりしないことです。 否定的になりその思いに支配されそうになっても、聖書のことばをできるだけ口にすると、不思議に聖霊に助けにより元気が出てきます。 「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:3-5) どんなときにも神の最善がなされることを、信仰、希望、愛で受けとめ。ありがとうございます。最善になりました!感謝します。と前向きに進みたいものです。イザヤ書 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2011/04/07
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4月2日に孫が生まれ今日は退院。死ぬかと思うほどだったと言うので、そこで自我に死んだら幸せだねと答えると、泣きながら笑っていました。母になると強くなるのは、それほどの苦しみを通して生み出した新しいいのちの感動に包まれるからだと思います。 イエス様は、「女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます」(ヨハネの福音書16:21)とおっしゃっています。 人生でも同じです。生み出す苦しみがあるところに、必ず喜びと楽しみがあります。今、わが国は未曾有の苦しみを体験しています。東北関東大震災だけでなく、福島原発事故の放射能被害は、農業魚業に携わる方だけでなく、あらゆる面に苦悩と被害を与えています。 福島原子力発電原発をコンクリートで固めてしまうべきだと、最初に原子炉導入を大いに賞賛し推進した当時の元大臣が発言しています。本音の発言だと思います。それでも文明の利と電力供給を願い、さらに新しい原子力発電所を建設中の会社もあります。 天災ではなく人災(人の思い上がり)からの事故であり、想定外という便利な責任逃れのことばを使ってはいけないと思います。 そんな中での孫の名前は、楽大(らくと)と命名されました。人生にどんなことがあろうとも、それを大いに楽しみ乗り越えてほしいという両親の願いです。 聖書にある楽しいという言葉を調べてみました。 ランダムな引用ですが、かなりの楽しいという前向きのことばを見つけました。じじばかで引用してみます。詩篇16:11あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。31:7あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。35:9こうして私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって楽しむことでしょう。35:27私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。彼らにいつも言わせてください。「ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな。」と。36:8彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。46:16あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「主をあがめよう。」と、いつも言いますように。70:4あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう。」と、いつも言いますように。90:14どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。118:24これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。箴言28:24正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を生んだ者はその子を喜ぶ。伝道2:25実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。5:19実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。イザヤ25:9その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」30:29あなたがたは、祭りを祝う夜のように歌い、主の山、イスラエルの岩に行くために、笛に合わせて進む者のように心楽しむ。35:10主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る。51:3まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。61:10わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。エレミヤ15:16私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。ヨエル2:21地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。主が大いなることをされたからだ。ゼパニヤ3:17あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。ルカ1:14その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。使徒2:26それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。黙示録19:7私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。 生まれてくるすべての新しいいのちの祝福を心より祈りつつの朝です。マルコの福音書10:14-16 「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
2011/04/07
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昨日、ラジオ放送でスタジオへ行きました。発声練習をして話そうとしたら、ディレクターより大地震や大津波、特に放射能被害については話さないようにとのことでした。 なぜ?と思うと、いま福島原発の放射能被害で日本中が敏感になっており、風評被害が度を越えつつあるので気をつけてほしいとのことでした。ニュースではいつも放射能について聞いているので、それから平安に守られるよう祈りますとも言えませんでした。 「風評被害(ふうひょうひがい)とは、災害、事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退し、本来は直接関係のないほかの業者・従事者までが損害を受けること」です。 なぜ風評被害が起こるのでしょうか。それは、正しい情報を伝えないことによって起こるからです。 今回の福島原発事故の報道を聞いていると、政府や東電、あるいはその発表報道も、不完全情報なので、福島県や関東地方全体まで、余計に不安になっているような気がします。 風評被害は、情報が不足した時に起こることであり、できるだけ正確な情報が提供されるなら大丈夫なのです。 昨夜も大阪市でひとりの男性に、いわき市から送られてきた通販の服を着ても大丈夫ですか?とたずねられました。まだ開封しいない箱が足元に置かれ、開けることさえ不安ですとのこと。大丈夫ですよ。心配しないでもOKですよと答えました。 放射能の風評被害が全世界に広がり、関西への世界からの観光客のキャンセルが相次いでいると今朝の新聞にありました。 いまこそ世界は、核の問題を正面から取り組むべき時が来たと信じます。もちろん原子力は大きな文明の推進力の元です。しかし、その原子力は戦争に使用され、広島、長崎に落とされた原子爆弾は、今でも後遺症が続いています。その悲惨さは世界中に知られているにもかかわらず、この美しい地球を何回も絶滅するほどの核が保有されています。 日本にも核の脅威を強調し、2006年ですが、政調会長「日本の核保有も選択肢、議論は大いにしないと」発言。当時の外相「日本の核保有議論も大事と賛同。政調会長はアメリカに理解求め、「…議論をしてはいけないと言う人は一人もいなかった」と核容認を「弁明したこもありました。潜在的にそのような考えを持つ方々があることは事実です。 福島原子炉の問題が速やかに解決し、放射能被害が解消し、風評被害が静まり、大地震や御津波被害からの復興を祈りつつの朝です。詩篇 91:1 いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。 91:2 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。 91:3 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。 91:4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。 91:5 あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。 91:6 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。 91:7 千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。 91:8 あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。 91:9 それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。 91:10 わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。 91:11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。 91:12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。 91:13 あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。 91:14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。 91:15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。 91:16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
2011/04/06
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絶望は愚者の結論である(ベンジャミン・ディズレーリ)と言うことばがあります。今のこのような状態(大震災や大津波、原発事故放射能被害)のときに、絶望こそふさわし言葉かもしれません。 しかし、人にはどのような時にも希望の窓が開いています。希望こそどんな小さくても、いのちを与えるひかりです。 アッシジの聖フランチェスコは、「多くの影を取り除くのには一筋の陽光で十分である」と述べています。また、ヘレンケーラーは、「希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ、何事も成就するものではない」と語っています。 どんな時でも希望のある限り、そこに生きる勇気と力が与えれれます。人生には苦難があり試練があります。 この世に生を受け生きている限り、この世に絶望と言うことばや、現象は存在しないのです。いや、私は絶望しています!現実はどこをみても絶望です。そのように言われそうですが、絶望と思いこんでいるだけで、ことばを変えればカン違いだけではないでしょうか。 絶望だ!もうどうにもならないと思いこんでいるだけで、絶望と言う信仰を持っているだけです。 その意味で、ディズレーリの「絶望は愚者の結論である」は良い言葉だと思います。結論が先に来てしまうと、もうそれでデッドエンドです。道を歩いていると行き止まりにぶつかります。そこでああ、行き止まりだと止まってしまえば、道はお終いです。 けれども回れ右をしたり、ちょと戻れば別の道があったりします。人生も同じように考えると、いつも、「これが道だ。これに歩め」という声を聞くことができます。 聖書のローマ人への手紙には、「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(5:3-5) 希望と言うことばを聖書から書き出してみます。すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである。(伝道者の書9:4)わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ書29:11)こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(第一コリント13:13)約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(ヘブル10:24)なたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(第一ペテロ1:21) あるひとりの若いアメリカ生まれのクリスチャン女性には、両手がありません。彼女は自分の境遇を、「私がこのような形で生まれてきたのは、神様に何らかの計画があるからに違いありません。毎日、私はその神様の計画をワクワクしながら待っています」 有名な乙武洋匡んは、五体満足という本のなかで「それほど不便は感じないし・・・・」と書いています。すごいことです。彼には両手両足がなく、車イスの生活を余儀なくされています。それでも泣き言一ついいません。その屈託のない笑顔を拝見すると、絶望するどころか、彼は希望に燃えて生きて生きておられます。 今朝もガン発見で来週手術とのメールがありました。癒しと手術の成功、回復を心から祈っています。仕事も順調でさあこれからという時でしたが、神のなさることはみなその時にかなって美しく、どんな状態であろうと神の最善が輝きます。 いま、キリスト教会はレント(受難節)中です。22日がエス・キリストの受苦日(十字架で死なれた日)です。死は絶望です。しかし、イエス・キリストは三日目に死を打ち破り復活しました。 その復活のいのちを信じる時、たとえ死んでも生きる天国への救われた道を歩くことができます。絶望は消え去り、希望が輝く日々を感謝しつつ前進です。 今日もまた天国の一日です!いのちが与えられていることは、主の恵みです。主の恵みは朝ごとに新しく、その真実は絶えることはありません。祝福を祈ります。コリント人への第二の手紙 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2011/04/05
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ノブレス・オブリージュ 富というのは、たまたまそれを持つ富豪のもとにあるだけで、最初は神様のものです。だからいつかはお返しするものです。日本には、ノブレス・オブリージュの精神がないのですが、しいて言えば「金は天下の回りもの」と言う考えああるので、真の神を知らないので、これがその精神に近いとも言えるでしょう。 3.11の大震災、大津波、原発事故でノブレス・オブりージュの精神が、全国より寄せられ続け、世界各地からもその助けが寄せられています。 直接関係はないけれもノブリス・オブリージュの心構えで、ビル・ゲイツは、自己資産の85パーセント(約5兆2800万円)を寄付しています。 慈善は(チャリティ)がお金持ちの義務=ノブリス・オブリージュ=高貴な義務=この精神は、「上流には上流たる者に神から課せられた高貴な義務がある」と言う意味で、慈善事業や寄付は当り前の義務なのです。 アメリカの石油王、クリント・マーチソンは、息子たちに財産を残す際に、「お金ってやつは、肥料のようなものだ。一か所に積み上げておけば、そりゃ嫌な臭いを放つもんだ。それをばらまいてごらんよ。とっても役に立ってくれるもんだ」 アンドリュー・カーネギーは、識字率向上のために、世界各地に2811もの図書館をつくり、オルガンを7689台も寄付しました。 日本のお金持ちたちも、ノブレス・オブリージュの精神を発揮してほしいものです。この大震災がそのよいきっかけになっている方々も多くあり感謝です。それは上流階級の義務と言うより、人間としての義務であり、お金があるなしを越えた心の問題だと思います。 その高貴な義務の原点は、聖書の教えからきています。 その中心は十一献金(タイス)の精神にあります。イエス様もそのように実行し、教えてくださいました。 「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません」(マタイ23:23) 「だが、忌「まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません」(ルカ11:42) 「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。 あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。 わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。――万軍の主は仰せられる。―― すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。」と万軍の主は仰せられる」(マラキ書3:8-12)10分の10を捧げ、その中から10分の9を与えられるという精神は、もともとこの世にあるものは、「すべて神のもの」と認め,ることであり、与えられてこそ生きる恵みの証なのです。 「まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません」(歴代上29:14)の祈りは、ノブリス・オブリージュの精神を理解した祈りです。 日本中の子どもたちが、お小遣いをもらう時期になったら、聖書の教えの通り十分の一は神のものであり、お返しするものだと理解できるなら、日本中にノブレス・オブリージュの精神が満ちるようになると思います。新共同訳箴言11:18 神に逆らう者の得る収入は欺き。慈善を蒔く人の収穫は真実。11:19 慈善は命への確かな道。悪を追求する者は死に至る。11:20 心の曲がった者を主はいとい/完全な道を歩む人を喜ばれる。11:21 悪人は何代経ようとも罰を逃れえず/神に従う人の子孫は免れる。11:22 豚が鼻に金の輪を飾っている。美しい女に知性が欠けている。11:23 神に従う人の望みは常に良い。神に逆らう者の期待は怒りに終る。11:24 散らしてなお、加えられる人もあり/締めすぎて欠乏する者もある。11:25 気前のよい人は自分も太り/他を潤す人は自分も潤う。11:26 穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買い/供する人の頭上には祝福が与えられる。11:27 善を捜し求める人は好意を尋ね求める人。悪を求める者には悪が訪れる。11:28 富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。11:29 家に煩いをもたらす者は風を嗣業とする者。愚か者は知恵ある人の奴隷となる。11:30 神に従う人の結ぶ実は命の木となる。知恵ある人は多くの魂をとらえる。11:31 神に従う人がこの地上で報われるというなら/神に逆らう者、罪を犯す者が/報いを受けるのは当然だ。新改訳11:24 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。11:25 おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。11:26 穀物を売り惜しむ者は民にのろわれる。しかしそれを売る者の頭には祝福がある。口語訳11:24 施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。 11:25 物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。 11:26 穀物を、しまい込んで売らない者は民にのろわれる、それを売る者のこうべには祝福がある。
2011/04/03
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4月7日が出産予定で、楽しみにしていましたが、産院で3月になるかも知れないと言われ、3000gを越えてきました。 家内は3月27日生まれなので、4月1日を過ぎて孫が生まれるよう願い祈っていました。 娘もそのように願い、毎日祈りつつ歩いて体調を整えていました。昨日、市内の産院に行きったけれども、まだ来なくて良いと連絡がありました。夕方そろそろかなと思い、家内を産院まで送り生まれたら、トンボ帰りするからと家に向かいました。 なんとすぐ携帯がなり、無事出産との知らせ。生まれたばかりの男の子(3114g)と無事出産を果たした娘に分娩室で会い、感謝の祈りをともにすることができました。 婿にとっては最初の息子、婚家では最初の内孫で大喜びで迎えられる孫の健やかな成長を願い祈りつつの朝です。これから朝の散歩で産院まで往復7500歩、孫の顔と娘に会って来ようと思います。 4月2日の誕生で良かったと素直に喜ぶ娘や家内と喜びをともにしながら、神様の大きな最善の愛に感謝しつつの朝です。 今日も学院教会、大阪エリム、夕方は堺エリムと礼拝が続きます。特に堺エリムキリスト教会は、中西祐子牧師就任式です。カトリック教会から神父推薦状で入学し、聖地旅行でヨルダン川で受洗、昨年から堺市に移住し、堺エリムキリスト教会での奉仕も5年目になります。 昨年は7名の受洗を与えられ、毎日熱心に伝道活動に励み続けています。これからも午前中の礼拝はインターネットですが、朝の礼拝出席者も10名前後になり、夕方5時からの礼拝も15名前後出席するので、これからがさらに楽しみです。 今日は、牧師就任祝いにコミックを12000部プレゼントしようと思います。コミックをみて導かれ洗礼を受けた母子もあり、今年から礼拝での賛美司会もしてくれるようになったので、うれしい限りです。マンガが用いられ救われる方々も起こされ幸いです。 先週、気仙沼市へ炊き出しに出かけたチームも元気で帰って来ました。生野菜や調味料、果物やカップラーメン、それからジーパンやシャツ、義援金あんどもしっかり届いたとの報告を受けました。 今日の礼拝のメッセージは、「ノブレス・オブリージェ」です。大震災を機に、日本国民がその精神を持ち続けるよう、自らもその先達となれるよう願いながらの日曜日です。今日もまた天国の一日です!ピリピ人への手紙4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。4:20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
2011/04/03
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厳しい東北関東大震災ですが、巡りくる春の季節がやって来ました。春が来た!と実感した昨日です。 広い病院の中を歩き、隔離病棟を見舞いました。その途中広い庭があり、桜がもう七分咲きで、春まっ盛りです。 今朝、書斎から生駒聖書学院の庭をみると、桜はまだつぼみですが、モクレンの紫や白い花が満開です。反対側のまどから眺めると、たんぽぽがたくさん花を咲かせています。 長年都会地で暮らした神学生が、幸せです!と美しい顔を輝かせて語りかけてくれました。 朝の目覚めとともにウグイスの鳴き声が聞こえる!目白もさえずっている!もう最高です。こんな幸せな朝を迎えることなど考えてもいなかった。嬉しい!と語り続けています。 生駒聖書学院は、今は住宅地に囲まれています。それでも広い敷地には木々が茂り、神学生の言うように、ウグイスやめじろ、ひよどりや雀や鳩、カラスやそのほかの小鳥たちも餌をついばんでいます。 朝日が矢田丘陵を染めて輝く春の朝です。 被災地にも早く春の訪れが来るように祈りながら、聖書のことばとともに、新しい一日を迎えています。詩篇 19:1 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 19:2 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。 19:3 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 19:4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。 19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。 19:6 その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。 19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。 19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。 19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。 19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。 19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。
2011/04/02
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今朝の余録に、やさしさの輪とありました。 岩手県の大船渡と釜石に入った米救援隊の消防士はその惨状に驚く。それにもまして印象深かったのは倒壊したある店の女性主人だった。その人は「何もありませんが」とせんべいを差し出したのだ。 同じく大船渡市で捜索活動をした中国の援助隊員は、通りがかりの住民に「遠くからわざわざありがとう」と声をかけられ、アメや菓子を手渡された。別の隊員は現地コンビニで「援助隊なら」と代金の受け取りを拒まれ、カップ麺やおにぎりの提供を受けたという。 苦境にあっても思いやりを失わぬ被災者の姿は外国人に感銘を与えた。だが、外国の人々も負けてはいない。マレーシアのある孤児院では孤児が修道女らに働きかけて被災地への募金活動を始め、自分らと卒業生の分も含む義援金と激励の言葉を日本大使館に寄せた。 パキスタンの地中海性貧血を患う子供たち40人は福祉団体代表と共に日本の領事館へ被災地の子供たちにとサッカーボール10個を寄贈した。アジアの途上国からは過去の日本の援助や災害支援への感謝と共に寄せられる義援金やお見舞いのメッセージが相次いでいる。 空き缶に小銭を集めたブラジルの貧しい地区の生徒たち、お小遣いで被災者に水を送りたいというスウェーデンの8歳の子、日本人からは代金を取れないと言ったポーランドのタクシー運転手、巨額の金と「がんばって」との一言だけを残していったロシアの紳士--。 人へのやさしさや思いやりが地球のあちこちで小さな奇跡を起こし続けている「3・11」後である。今は被災地を覆う深い悲しみも、いつかはこの奇跡の輪の中でいやされる日が来るよう祈る。 世界中が東北関東大震災や大津波被害、さらには福島原発事故の速やかな解決と避難を余儀なくされた地域の人々の安全と守りを願い祈っています。 昨日もお知らせしましたが、またメールにアフリカの子どもたちの祈りの動画(同じものですが)の知らせがあります。Kenyan children praying for Japan.http://www.youtube.com/watch?v=0L5W5CYkbR4&sns=emテモテへの第二の手紙4:6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。ダニエル書12:3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。マタイの福音書13:43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。黙示録 14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
2011/04/01
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