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朝の語源 なるほどねーと感心しました。・ ・で朝には十字架の十が2個あるんですね。生駒の生にも2個。榮には1個言語学者が聞いたら怒るるでしょうが、十は十字架の十と考えれば漢字もまた楽しくなるのでは・・ ふと 思うことです。 原人礼拝メッセージへの応答メールがあり、返信しました。 朝には十字架が2本、生駒の生にも2本、榮には一本。なるほどと感謝し、今度の礼拝で早速使わせてもらいます。 クリスチャンになる前、物言わぬ少年でしたから人には言いませんでしたが、この(之)の義によって榮える!と考えていました。キリスト教会へ行き、あなたは罪人ですと言われ、それに反発するほどの正しさもなく(行いは真面目?でしたが、心の考えはそうでなく)教会行きを止めました。 しばらくして罪を背負い身代わりとなられたイエス・キリストの十字架の話を聞き、アーメンと信じて種子島の海岸でバプテスマを受けクリスチャンになりました。 その日から、この(之)義によって榮えるが逆転し、イエス・キリストの義によって榮える日々に変えられました。 義という字は、羊+我、我だけだと我(ガ)ガアガアとうるさい自己義だけです。羊のしたに我がくると義になります。 羊とは「見よ。世の罪を取り除く神の羊=イエス・キリスト」のことです。十字架の救いを信じ、イエス・キリストとともに歩く人生は、己の義を立てる(誇る)のではなく、キリストによって義とされている人生です。コリント人への第二の手紙5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。ペテロの第一の手紙2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。 今日もまた天国の一日です。いつもありがとうございます。ハレルヤ!感謝します。マンガで拘置所や刑務所に福音が広がり、今日は早朝出発日帰りで、鳥取刑務所まで面会です。 生駒へ来て50年記念に、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」というマンガを発行しました。 そのマンガ物語を読んで洗礼を受けた方が3名もあり、教会の礼拝に来られた方々も多数あり感謝しています。 その中で拘置所で読んだ人がいろんな方に紹介し、多い時は10名くらいの方々から手紙をいただきました。 今年もその反応は広がり、徳島刑務所に二人、無期懲役でもう40年も熊本刑務所収監の方からの手紙もあります。今日は鳥取刑務所へとなりました。 イエス様はマタイの福音書で、教えてくださいました。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』(25:34-40)ヘブル人への手紙13:3 牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。
2011/08/30
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今日中にも95代総理大臣が決まり、各大臣も指名され新しい内閣もスタートします。国会議員には珍しく信頼できる政治家と評価されています。俺が俺がのタイプではなく、本気で国民のことを考えている首相がやっと誕生した期待の声が大きいようです。 「王(首相)は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす」(箴言29:4)と、聖書は警告しています。増税を主張している首相ですが、条件付きを考えています。 大切なことは増税主張より、国会議員自ら率先して範を示し、国民の信頼を回復する、希望の持てるビジョンを提示すべきです。 聖書の箴言は、以下のように指導者像と国民の姿を教えています。 指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。箴言11:14わたし(真実の愛の神=イエス・キリスト)によって、支配者たちは支配する。高貴な人たちはすべて正義のさばきつかさ。8:18正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。12:28正義は潔白な生き方を保ち、悪は罪人を滅ぼす。13:6正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。14:36正義によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。16:8正義と公義を行なうことは、いけにえにまさって主に喜ばれる。21:8正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れとを得る。21:21 特に、箴言28章2節は、現在の日本を予見したようなことばです。 「国にそむきがあるときは、多くの首長たちがいる。しかし、分別と知識のあるひとりの人によって、それは長く安定する」 新しい総理大臣がこの聖書のことばに従い、信頼のおける首相として国民の前を進んでもらいたく、健康と祝福をお祈りいたします。
2011/08/30
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ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 朝の目覚めとともに、聖書の約束のことばを告白します。毎朝同じ言葉の時もありますが、その時に与えられた思いにしたがいます。 「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」(詩篇1:2-3) ありがとうございます。主の教えを喜びとし、その教えを口ずさみました。感謝します。 ありがとうございます。私は水路のそばに植わった木のようだ。時が来た、葉は枯れなかった。私は何をしても栄え(成功、繁栄)ました。 感謝します!ハレルヤ。 そのように受け止めると、生きていて力がある神のことばですから、聖霊により時空を越えて今ここに現実化する恵みを体験できるのです。 聖書の約束は、絵に描いた餅ではありません。あなたの言う通りになるのです。それがイエス・キリストの約束です。信じるゆえにそのように告白するだけです。そして大きな恵みが与えられ続けるだけです。 箴言からことばについてのポジティブな約束を書き出しました。お役立てください。箴言10:11 正しい者の口はいのちの泉。13 悟りのある者のくちびるには知恵があり19 自分のくちびるを制する者は思慮がある。20 正しい者の舌はえり抜きの銀。21 正しい者のくちびるは多くの人を養い、31 正しい者の口は知恵を実らせる。32 正しい者のくちびるは好意を知っている。12:18 知恵のある人の舌は人をいやす。 19 真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。13:2 人はその口の実によって良いものを食べ、3 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、15:1 柔らかな答えは憤りを静める。 :2 知恵のある者の舌は知識をよく用いる。:7 知恵のある者のくちびるは知識を広める。:23 良い返事をする人には喜びがあり、時宜にかなったことばは、いかにも麗しい。:26 親切なことばは、きよい。16:1 人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。:23 知恵のある者の心はその口をさとし、そのことばに理解を増し加える。:24 親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。18:4 人の口のことばは深い水のようだ。知恵の泉はわいて流れる川のようだ。:20 人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。:21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。21:23 自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。23:16 あなたのくちびるが正しいことを語るなら、私の心はおどる。25:11 時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。31:26 彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。イエス・キリストの約束です。マルコ11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。聖書のことばが口ぐせになる幸せは最高です!ハレルヤ。感謝します。
2011/08/28
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朝にキク言葉・ひすいこたろう著(サンマーク出版・1200円+税)に、一日の始まりを最高のスタートにするために。に引かれて購入しました。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。と朝を迎え、聖書のことばを告白します。哀歌3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。3:24 主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。3:25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。詩篇103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。詩篇18:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。そのほかにも多くの聖書のことばを暗誦しているので、朝ごとにランダムに告白し続ける日々です。 さあ、新しい朝をはじめよう。朝は人の心を素直にします(山口衛) 十月十日と書いて朝=「月 十 日 十 」 十月十日という漢字をよく見てください。「十日十日}と言う字が隠れています。十日十日、それは受精卵であった私たちが、お母さんのおなかの中で成長して、生まれてくるまでの歳月になります。だから私たちは、生まれてきてからも、朝が来るたびに生まれ変わっているのです。どんなに疲れていても、どんなに苦しい夜でも、どんなにつらい夜でも、次の朝、起きたときに、すかっかり元気になって、また一日がんばれるように。私たちはいつも朝に救われている。朝は、いつもあなたの味方だ。私たちは毎朝、生まれ変わっている。今日はどんな生まれ変わりをするのか、楽しみですね。あなたの体は、さっき食べたものでできているように、あなたの心は、さっき味わったコトバでできています。とびっきり新鮮な 朝のコトバを 用意しました。 朝のコトバのまえがきから引用しました。 聖書のことばで、毎日奇跡を体験しています。 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は力強い」(哀歌3:22-23) 朝目覚めて息をしている、生かされている、いのちがあるそれだけで奇跡の朝です。それに気づいたのは58歳の時でした。それまで体調はベストで、健康はイエス様の癒しの恵みだと豪語していました。身体は健康で頭痛も腹痛も一度もなく、風邪も引いたことのない健康体でした。 1999年11月19日(金)の夜、東京のホテルで倒れ左脳内出血内。救急車で緊急入院でした。集中治療室から病室へ、さらにリハビリあ繰り返されてクリスマスにやっと帰宅が許されました。 それ以来、もうすぐ13年になり毎朝の目覚めとともに、奇跡の朝を感謝しつつ、生かされている恵みを喜んでいます。 「これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」(詩篇118:23-24)と高らかに告白しながら、与えられたいのちの日を輝きつつ生かされています。 朝には、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します」 夜には、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します」 イエス様は、告白する大切さを教えてくださいました。マルコの福音書11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(新改訳)11:23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。(新共同訳)11:23 よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。(口語訳)
2011/08/28
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一浴(読)十吸百笑千字万歩。一日一度はゆっくり湯船で疲れを癒しリラックスが良いそうです。だが風呂は苦手でいつもカラスの行水でシャワーです。 年に忘れるくらいの頻度で、シルバー入浴料金千円で奈良健康ランドへ。一大決心をしてあかすりに挑戦。電話をすると予約いっぱいで2時間後ですとのこと。帰る時間が決まっているので25分コースを選びました。 今日は仲間が二人も休暇なのでと、待たせたことを詫びながらあかすりが始まりました。お話しを聞くと福島県いわき市からの人。二年前に出稼ぎに来て家族はいわき市在住。原発事故の地で不安におびえながら暮らしているという。 種子島で生まれ、キリスト教会で神の愛を聞き、同時に罪があることに気づき、イエス・キリストの十字架と復活の救いを、アーメンの信じると救われたことを証するあっという間でした。 身体さえも専門家に洗ってもらうと美しくなるように、十字架に死なられ復活し今も生きているン方を信じるなら、罪が赦されすべての重荷が取り去られて、雪よりも白くきれいな心になることもしゃべりました。 25分で終わり部屋を出る前に、きれいになった身体のままでありがとうございますとお礼を言いながら、お祈りさせてくださいと言うと、握ったままの手を離さずに祈りをなさり、アーメンと言ってくれました。 アーメンと言えば救われます!。今日、イエス・キリストを心に信じお迎えくださいと、再び信じます。アーメンとイエス様の救いを受け入れてくれました。ハレルヤ。 もう帰る時間ギリギリ、フロントで許可をもらい車まで駆けもどり、マンガ「歌えない、踊れない、無口の牧師物語と、「愛・輝きに向かって」を再度入場で差し上げました。 裸のままでもいつでもどこでも、信じてバプテスマを受ける者は救われるのです。 熊本県刑務所から、無期懲役者の手紙が届きました。25歳の時から40年の刑務所生活。生駒聖書学院卒業生からの差し入れの中に、雪よりも白くとマンガがあり、むさぼるように読んだと便りにしたためられていました。 早いもので無期で40年、65歳になり毎日が罪を悔い日々を過ごしている様が伝わる手紙でした。早速、そのほかの小著を郵送しました。 いつでもどこでもイエス・キリストの救いを伝え続ける時、アーメン。信じますと告白するクリスチャンが起こされます。 種子島情報満載のページ;種子島原人を索ください。種子島現人(種子島輝ける人)に、榮義之も紹介されています。福音が日本中に満ちることを祈り願いながら語っています。詩篇 指揮者のために。ダビデの賛歌。ダビデがバテ・シェバのもとに通ったのちに、預言者ナタンが彼のもとに来たとき 51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。 51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。 51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。 51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。 51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。 51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。 51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。 51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。 51:9 御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。 51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。 51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。 51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。 51:13 私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。 51:14 神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。 51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。 51:16 たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。 51:17 神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
2011/08/27
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10歳の誕生日前の8月26日、刈り入れの終わった田んぼで、まっ黒になって遊んでいました。義之ちゃあんとの隣のおばさんが大きな声で、お母さんが・・・・。 大急ぎで母の家に走りました。母は病のために伏せっていました。医者も保健所もなく薬もない生姜山での貧しい暮らしです。容態が急変し痩せた手をそっと伸ばし、まっ黒に焼けた私の腕を握り、「義之・・・・ごめんね。あとをよろしく・・・・」そのままの臨終でした。 まだ夏日の種子島、ドライアイスもなく翌日は土葬の葬り日、村はずれの墓地まで村人総出での葬列。掘られた穴に下ろされた棺にドサッ・ドサッとあっという間に土饅頭・・・・。 人は死ねば終わり、どんなに愛していても好きでも、もう抱きしめてもらえない、優しい声を聞こえない。心の中に母が住むと言われても、大丈夫よ!勇気を出してと励まされても、一人ぼっちだ。大声で泣き叫ぶ声も、涙も出ない・・・・。 引き取って育ててくれた義母(年寄りだったから婆(ばあ)と思い、呼ぶことも話しかけることもなく、その家で暮らしていました。 母の死から二年のしないうちに中風になり、病の床に伏せるようになりました。一度も声をかけることも病床に近づくこともありませんでした。 高校一年年生の8月26日、義母も臨終を迎えます。兄はすでに救われ献身を決意し、父も聖書を読み始めていました。 種子島へ来たばかりのハモンド先生に葬儀を依頼し、生姜山はじまって最初のキリスト教の葬式でした。 大阪聖書学院神学生は、夏の奉仕で西之表港着と同時に、ハモンド先生のオートバイの後ろにしがみつき、デコボコ道を生姜山へ。そしてキリスト教式で義母は天に召されました。 その葬式で歌われた賛美歌の歌詞に永遠を思う16歳になる前の義母の死でした。そしての二学期が始まると同時に、最上医院でのキリスト教会の礼拝に出席し、アーメンとイエス様の十字架と復活を信じ、1月24日に種子島の海岸で洗礼を受けクリスチャンになりました。 義母の死がイエス様への信仰の第一歩となり、人の死にざまが永遠を思う時となり感謝しています。 辛く悲しい思い出とともに、永遠への一歩を踏み出すきっかけとなった、忘れることのできない8月26日です。 今日もまたて天国の一日です!感謝します。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。 8:33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。 8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。 8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
2011/08/26
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6月のこと。大阪エリムキリスト教会階下の喫茶店ママより生駒の自宅へ電話があり、会いたい方が待っているとのこと。火曜日の大阪集会日でもあり、急いで準備して集会前の6時に喫茶店でお会いしました。 詩人の生野太郎・やすらぎの詩人が、東日本大震災の中で、明日を生きる人たちへ贈る応援の詩集出版予定で、まえがきを書いて欲しいという依頼でした。 元大阪市職員でもあり、市長に書いてもらうのが一番だと勧めました。だが、やすらぎの詩人と命名してくれた牧師にお願いしたいとのこと。 渡された100編の詩原稿を読み、まえがきをお渡しアフリカへ出かけました。23日夜の集会に出席され、出版されたやすらぎの誌を届けてくださいました。めぐる四季のありがたさ。生きる喜び絆の力。未来を照らす希望の光。愛と希望と憧れと、挫折と無念と諦めと。人の世に生きる喜び悲しみすべてを受け入れ、明日を生きる人たちへ贈る応援歌集です。 「ホッと一息やすらぎの詩2 震災に思う」 著者;生野太郎発行所;株式会社星湖舎;06-6777-3410・・・・まえがき・・・・そよ風のような、やすらぎの誌。ほっとするような心のメロディ・・・・そのような詩集が手元に届き、慰めと勇気が与えられています。 長年の詩作の中から、」東日本大震災を思い心込めて祈りつつ、やすらぎの詩人の愛の詩が書かれ続けました。 第一作の詩集と同様、そのふるさとを思いつつ、すべてを失った東北地を偲びつつ、山や海や川の美しい自然と調和した生活への復興の願いが込められた約100編の詩集です。 再読、三読するたびに、心がいやされ慰めと力、勇気が与えられる不思議とも思える癒しの詩集です。 一人でも多くの方に読んでいただき、被災地のもならず全国にやすらぎの詩が広がることを期待します。朝日放送ABCラジオ希望の声牧師生駒聖書学院院長 榮義之29日から生駒聖書学院神学生たちが、被災地へボランティアで出発します。やすらぎの詩のような、明日を照らす希望の光として奉仕できるようお祈りお願いいたします。 今から日帰りで河口湖往復へ。帰宅は深夜になり、明日もまた早くから来訪者です。雨の生駒ですが、今日もまた天国の一日です!元気でスタート、恵みの一日中です。感謝します。詩篇23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
2011/08/25
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プレシデントムックに、「なぜ、あなたはかわれないか?」とあり、「言語習慣」を変えれば「思考習慣」が変わり、性格も変わる! 人間作りが苦手、変化や新しい挑戦に尻ごみする、本番に弱くテンパッてしまう、ストレスをためやすい等、コンプレックスが消える口ぐせリストも掲載さています。 その場で適切な判断が必要なことが多く、緊張したり不安になったり、なかなか思うようにいかないのがではと心配事が増える毎日です。 しかし、アメリカ・ミシガン大学研究チームの調査があります。それによると心配事の80%は起こらないそうです。起きるのは残りの20%ですが、そのうちの八割は、あらかじめ準備して対応すれば、心配事にはいたらずに解決できるのです。 心配だ!不安だと思い煩っていますが、ほんとうの心配事は、全体の4%なのです。イエス様は何も心配しなくて良いと教え、心配事があればわたしのところに来なさいと、招いてくださいました。 その素晴らしい約束を聖書から引用します。 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイの福音書6:25-34) さらに、すばらしい招きの約束まります。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(マタイの福音書11:28-30) このことばを初めて聞いたのは15歳の時でした。高校生の時でしたが、その意味は良く分かりました。心の重荷だけでなく、様々な重荷がありました。その日以来、思い煩いやあらゆる心配事をイエス様にお願いするようになり、ほんとうの心配事はわずか4%、しかもそのすべてもイエス様にお委ねし、解決する恵みの日々を過ごしています。聖書の約束は真実です。そのことばをアーメンと真正面から受け止める幸いを体験できるのです。 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。詩篇55:22 私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。詩篇94:19 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。エレミヤ書17:6 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。ペテロの第一の手紙5:7 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ人への手紙4:6-7 ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。詩篇68:19 聖書の約束だけで十分です。その約束をそのまま、ありがとうございます。心配事や思い煩いから解放されました!感謝します。そう告白するだけで、不思議に物事は解決していきます。そのような日々を経験し続ける恵みを感謝します。 本番に弱くテンパッている人に、おススメの口ぐせリスト今日も良い日になるぞ!(この日は主が造られた。今日も楽しみ喜ぼう!ハレルヤ)今日は最高(今日もまた天国の一日です!)良い予感がする(幸せです)気分爽快(ハレルヤ。感謝します)チャンスを生かそう(神のなさることはみなその時にかなって美しい)余裕を持とう(恐れるな。主がともにおられる)さあ、クールダウン(心を騒がせるな)勇気を持って~不安を吐いて~(勇気をだいなさい)念ずれば花開く(期待には大きな報いが伴っている)なんとかなるさ(すべてのことが働いて最善となる)その調子だ(大丈夫!大丈夫!)私ならきっとできる(信じるからできる。可能だ!)解決策は思いがけないところにあるはずだ(何をしても栄える。成功する。繁栄する)落ちたところが登り道(わしのように翼をかって上ろう!)( )内はいつも告白している自分のことばです。それぞれの口ぐせを考えると楽しくなります。でも最高は聖書のことばをそのまま告白し続けることです。詩篇103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
2011/08/23
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ことばを変えれば幸せになると書き、昨日は朝から夜遅くまでお見舞いや、弁護士依頼の電話、9月2日発行のブログ「牧師雑感」最終稿確認などと続きました。 訪問の途中コンビニの書棚に、「なぜ、あなたはかわれないか?」実証!「やる気&成果10倍」驚くほど効くテク公開とあり、立ち読みする暇もなく中も見ずに購入しました。PRESUDENT MOOK(プレジデントムック)と言う雑誌名で、タイトルの方が大きく書かれています。 「言語習慣」を変えれば「思考習慣」が変わり、性格も変わる。コンプレックスが消える「60の口ぐせ」リストとありました。その中から、人間関係が苦手な人におススメの口ぐせリストを紹介します。ありがとう!実は人間がすきなんです彼も人なり、我も人なり1人の人に可能なことは万人に可能だ道は限りなく広がっているみんな幸せになるために生まれてきたあなたの幸せは私の願いですあなたに会えてよかった愛は幸せになって帰ってくるなんて幸せ者なんだとても助かったいきいきしてるねそのアイディア、いいね仲間に恵まれたこれから必ずうまくいくね! 他にも、いろんな場合の口ぐせが書かれています。コンビニや書店にあると思います。924円でした。 イエス・キリストをアーメンと信じれば救われます。自己変革ではなく、十字架の上にすべての罪を背負い死なれ、全人類の重荷や悩みを葬り去り、三日目に復活された真の救い主を信じれば生まれるんです。 信じたとおりになります。あなたの人生は良くも悪くもあなたが信じた結果なのです。十字架を信じる時、古い考えは死に新しい生まれ変わった思考が生まれます。 その新しい心から出てくることば(信仰のことば)どおりに人生は変えられ、神の栄光は輝くのです。聖書を読むのは、神の真実のことばだから、時空を越えて今も生きて働く力があるから、それをそのまま信じてアーメンと告白するだけです。コリント人への第二の手紙5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 アーメン。信じます。ありがとうございます。私はキリストによって新しく造られました!感謝します。 ありがとうございます。私の心の考えも、口から出ることばも全部が新しくなりました。感謝します。 ありがとうございます。古いもの(すべての悪習慣や悪趣味、罪責感やコンプレックス、ネガティブな言葉や口ぐせ等)は過ぎ去りました!消えてしまいました!感謝します。詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。ありがとうございます。幸せになりました!感謝します。ありがとうございます。聖書のことばを日々喜び、いつも口ずさみました!感謝します。ありがとうございます。私は何をしても栄え、成功し、繁栄しました!感謝します。 聖書の真正面から向き合い、そのままにアーメンと受け止め、そのまま実現すると確信し、大胆に告白し続けてください。 聖霊の大きな助けがあり、気がつかないうちに不思議に変えられ、あなたの言ったとおりになって行く不思議さを経験なさいます。今日もまた天国の一日です!感謝します。ペテロの第一の手紙1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。 2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。 2:3 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。
2011/08/22
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聖書には、ヨハネの福音書1:1―3 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。(新共同訳)とあります。 口語訳では、「1:3 すべてのものは、これ(ことば)によってできた。できたもののうち、一つとしてこれ(ことば)によらないものはなかった」とあります。 ヨハネの福音書のことば(ロゴス)は、イエス・キリストのことです。すべてのものはことばによってできました。コロサイ人への手紙にも書かれています。「御子(イエス・キリスト)は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。 なぜなら、万物は御子(イエス・キリスト)にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子(イエス・キリスト)によって造られたのです。万物は、御子(イエス・キリスト)によって造られ、御子(イエス・キリスト)のために造られたのです。御子(イエス・キリスト)は、万物よりも先に存在し、万物は御子(イエス・キリスト)にあって成り立っています」(1:15-17) 昨日の礼拝で、夏の終わりの日々を幸せに過ごそうと語りました。その秘訣は口にする言葉にあります。 すべてのものが言葉によってできたなら、私たちも使うことばによって雲泥の差を生じてしまいます。 不平不満や愚痴、悪口や避難や中傷、泣き言や恨み言、周りには朝から夜までネガティブな言葉の洪水です。 愛や喜び、感謝感激のことばはどこへ行ったのでしょう。日本中が不平不満で満ち溢れています。 今週はぜひ喜びの言葉を、感謝する気持ちとともに口にし、ことばでちょとでも暮らしを変えて見ようと考えている朝です。 アーメン。今日もまた天国の一日です!感謝します。ハレルヤ。 人生を幸せにする三つ秘訣があります。思いとことばと行動です。その結果として花も実もある幸せの人生がはじまります。 イエス様を信じるとき心が変えられます。アーメンとイエス様を心にお迎えすると、新しい生まれ変わりの人生です。そして語るとことばが変わってきます。神の子になったので天国が母国になり、母国語を自由に語ることができます。 その変化を大きく体験するには、ことばを変えるのが早道です。ことばを制する者が人生を制するのです。普段話していることばは80パーセントがネガティブなことばです。中には100パーセント、朝目が覚め寝るまで、寝言もネガティブな人もあります。 考え方を変えるよりも言葉変えるほうがうんと優しく早道です!自分でポジティブなことば(特に聖書のことば)を告白すると不思議なことが起こり始めます。夏の終わりの一週間、ぜひ実行してください。I‘m sorry.(すみません)Please forgive me.(ごめんなさい)が素直に言える謙遜さが身に付きます。I love you.(愛しています)Thank you.(感謝します)と愛と感謝のことばが自由に語れます。God blles you.ありがとうございます!と、相手の幸せをねがうことばも自然にでるようになります。朝には、今日も天国の一日です!感謝します。夜には、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。熟睡の恵みです。ヤコブの手紙 3:2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。 3:3 馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。 3:4 また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。 3:5 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。 3:6 舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。 3:7 どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。 3:8 しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。 3:9 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。 3:10 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。 3:11 泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。 3:12 私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。
2011/08/22
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荒野で恵みを得た!エレミヤ書31:2 主はこう仰せられる。「剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」荒野の恵み 一難去ってまた一難=悪いことが起こると、必死になって解決しようとしますが、また新しい悩みや苦しみが襲ってくる。虎口を逃れて竜穴に入る。 荒野は恵の場所と考え信じている人は幸いです。聖地旅行やケニアの荒野の経験。それは神様の大きな憐れみと愛があるからです。エレミヤ書31:3 主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた」申命記8:14 あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。――主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、8:15 燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、8:16 あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。――忘れられない荒野の日 8月26日は忘れようとも忘れられない日です。9月2日が誕生日です。その一週間前、小学四年生の夏休みでした。病の母が37歳で亡くなりました。それから7年後の15歳のとき中風で五年間も寝たっきりだった義母がちょうど同じ8月26日亡くなりました。種子島の小さな村で最初のキリスト教式の葬儀でした。物も言わず歌も歌わず、運動もしないひとりぼっちの子ども時代でした。貧乏で欲しい物も買ってもらえず・・・・。しかし、いま思うとスゴく贅沢な暮しでした。自然栽培の野菜だけ、ほとんどすべての果物は食べ放題、肉や魚は食べず、「白米もなくからいもが主食。いま玄米食へ切り替え中です。 その義母の死によって教会に導かれました。種子島原人ブログに紹介されている最上医院の集会に出席し、神の愛を知りました。ハモンド先生に会い、マタイ11:28-30すべての重荷を十字架に贖われたイエス・キリストの救いをアーメン、信じますと受け入れ、クリスチャンになり、今年で54年(11月24日)エレミヤ31:4 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。 喜びと平安の人生を与えられ、すべてのことに感謝しつつです。特に25歳の時、理髪店で見た刺繍により、エレミヤ29章11節でわざわいではない、今日もまた天国の人生です!人生のすべてを肯定的に受け止める感謝に変わりました。回復の恵みに仕える日々31:5 再びあなたはサマリヤの山々にぶどう畑を作り、植える者たちは植えて、その実を食べることができる。31:6 エフライムの山では見張る者たちが、『さあ、シオンに上って、私たちの神、主のもとに行こう。』と呼ばわる日が来るからだ。」31:7 まことに主はこう仰せられる。「ヤコブのために喜び歌え。国々のかしらのために叫べ。告げ知らせ、賛美して、言え。『主よ。あなたの民を救ってください。イスラエルの残りの者を。』31:8 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。31:9 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」すばらしい救いと回復の牧師として働く幸いが与えられています。エリムキリスト教会とだけでなく、全国のキリスト教会が荒野での恵みを受けるときが来ています。 来週は神学生たち四名が被災地にボランティアに出かけます。東北のキリスト教会に聖霊の業がなされると信じ祈りましょう。荒野で恵みを経験し続ける秘訣ヨハネの福音書1:1―3 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。(新共同訳)1:3 すべてのものは、これ(ことば)によってできた。できたもののうち、一つとしてこれ(ことば)によらないものはなかった。 人間は神様の姿に似せて造られました。外形や外見だけではありません。神と同じ霊と心を持つ者として。そしてもうひとつは、ことばを使うことができるようにです。 ところが悪魔に欺かれて霊を失ってしまい。真の神を礼拝せず霊の暗闇の迷い込み、物言わぬ偶像やオカルトに走ってしまいました。 心も迷いに迷って、その心から出てくることばの否定的で、不平不満や悪口、泣き言や愚痴だらけになっています。人生を幸せにする三つ秘訣があります。思いとことばと行動です。その結果として花も実もある幸せの人生があるのです。 イエス様を信じるとき心が変えられます。アーメンとイエス様を心にお迎えすると、新しい生まれ変わりの人生がはじまります。そして語るとことばが変わってきます。 その変化を大きく体験するには、ことばを変えるのが早道です。ことばを制する者が人生を制するのです。普段話していることばは80パーセントがネガティブなことばです。中には100パーセント、朝目が覚め寝るまで、寝言もネガティブな人もあります。 考え方を変えるよりも言葉変えるほうがうんと優しく早道です!自分でポジティブなことばを告白すると不思議なことが起こり始めます。夏の終わりの一週間、ぜひ実行してください。I‘m sorry.please forgive me.I love you.I‘m happy.Thank you.God blles you.ありがとうございます!今日も天国の一日です!今日もまた天国の一日でした!ハレルヤ。お知らせ種子島原人に新しいホームページが加わりました。馬毛島のページ=基地反対署名にご協力お願いいたします。種子島移住ページ種子島輝く人ページ=種子島文芸人ではなく新しいページをいただきました。有り難すぎるほど光栄です。最上宏さん、古市静子さんとともに榮義之も掲載されています。検索よろしくお願いします。種子島原人 http://genjin3.web.fc2.com/ブログ種子島原人 http://gold.ap.teacup.com/genjin/ 種子島の動画 http://www.youtube.com/profile?user=genjin3#g/u
2011/08/21
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古市 静子 弘化4年(1847)~昭和8年(1933)7月 <生い立ち> 薩摩国種子島西之表に生まれた。 弟は先生について四書五経を学んでいたが、静子は女である、ということだけで学問をする機会を与えられなかった。弟の寝ている間に弟の本を貪るように読み、ますます向学の念を抑えがたく、ついに家出をした。 慶応2年(1867)、ひそかに大阪行きの船に乗り込んで種子島を出たものの、あいにくの大暴風で夢を果たすことができなかった。おまけに両親から謹慎を命じられた。しばらく種子島の大奥に仕向したが、眼病にかかり長崎に治療に出た。そのとき知り合った島津藩の前田正名の招きで鹿児島に赴いた。 折から帰国した森有礼に出会い、彼の私塾で学ぶ機会が与えられた。が、森が太政官となって東上したために、せっかくの学校は閉鎖となった。明治2年から3年にかけてのことだった。 明治6年(1873)、森有礼を頼って上京し、同10年(1877)に東京女史師範学校に入学した。<荻野吟子との出会い> 東京女子師範学校の寄宿舎で色白で小柄な古市静子と荻野吟子は同室であった。吟子が年長の25歳に対して静子は23歳であったことから互いに親しくなり、吟子に静子は胸の中を語った。 静子が荻野吟子に語るところによると、森有礼と婚約までした仲だったが、森有礼は、古市静子を捨てて明治9年(1876)広瀬阿常と結婚した。森有礼が広瀬常子との結婚に際しては、日本の習慣打破と いう意味で、福沢諭吉を証人に「共に余念なく相愛して夫婦の 道を守ること」という誓約書を交わし、耶蘇教式と派手に公表 した。 常子は明治19年(1886)11月28日、不貞(目の色が異なる子を生んだ)理由で離縁となった。 荻野吟子自身は、16歳で稲村貫一郎と結婚したが、夫から淋病をうつされ、3年後に自分の意志で実家に戻り離婚したが、その病は慢性化して生涯にわたって吟子を苦しめた。そうした男の身勝手さに義憤を燃やした吟子は、森有礼に直談判をするために静子に代わって一人で森有礼と対面し、静子の苦悩を訴え、静子の当面の学費の工面をつけた。<教会> 明治19年(1886)10月10日、神田明神町の坂上、湯島4丁目にある大名屋敷の一部を借り受けて、「博愛館」と号して伝道が開始された。これが、現在の日本基督教団弓町本郷教会の前身である。このころ、静子(既にこのとき受洗をしていた)に誘われて荻野吟子も集会に出ていた。 その年の冬ごろには信徒数も増え、別の建物を必要としたことから木村熊二・鐙夫妻の小舎を借り受けて日曜日の集会所とすることとして、博愛館から西片町講義所に移動した。新たに木村鐙の弟田口卯吉夫妻、松本亦太郎夫妻、村上直次郎、麻生正蔵、大西祝、そして松本荻江その他が集会に参加するようになって、またまた集会所が手狭になったことから新しく金助町講義所に移動した。<幼児教育> 静子は、東京女子師範学校を卒業した明治19年(1886)、東京本郷駒込に駒込幼稚園(うさぎ幼稚園)を開設して、30年間幼児教育と経営に当たった。 静子が所属していた弓町本郷教会は、火災後新会堂を壱岐坂に建てたが、日曜学校(現在は、教会学校と呼称)の使用する部屋がなかったので、静子の経営する幼稚園がしばらくの間日曜学校のために使用された。明治38年(1905)1月の教会総会で、教会堂の前面の家屋を買収して日曜学校の教室に当てるまでの間であったのだろう。大正5年(1916)70歳で引退し,86歳で死去した。 1966(s41年)のうさぎ幼稚園80周年記念式典を期に、古市静子の偉功を讃えようとする気運が高まり、翌1967(s42年)には西之表市の若狭公園内に、古市静子の”黎明”偉功碑が建立されました。この偉功碑建立の陰には、古市静子の女子幼児教育の偉功を顕彰しようとする地域の人々の努力がありました。種子島へ帰るたびに若狭公園を散歩しつつ、明治の初期に(活躍した種子島の女性の姿に感動し、今朝ご紹介できることを嬉しく思います。 ヘブル人への手紙13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」 13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
2011/08/20
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昨日届いた会員情報誌に健康貯蓄を見直そうという記事があり、その一部を転載します。 健康貯蓄とは、健康長寿のためにプラスになることをしたとき、天に蓄えられるものです。この残高が多ければ、健康豊かな人生を送ることができます。 健康貯蓄の残高を豊かにするということは、言うまでも無く、良い生活習慣を実践することです。世界中の多くの学者が、その効果を証明しています。英国ケンブリッジ大学のチームは、「良い生活習慣を取り入れた人は、そうでない人より14年も長生きできる」という調査結果を米医学誌に発表しました。その習慣とは・・・・1. タバコを吸わない2. ほどほどの飲酒、もしくは禁酒3. 野菜と果物を充分に摂る4. 適度な運動をする(一日30分ほどの軽い運動)5. ストレス(心配や思い煩いも)ない生活 「どんなに借金(病)があっても、健康貯蓄を始めましょう。必ずいつの日かその借金(病)は消えますから」(いのちの本音より)健康貯蓄を決心してちょうど7年と10カ月、ゆとりの一万歩を歩き続けています。 今朝は、祈りつつ6000歩の散歩。これから富士川口町の川口湖近くのセミナーハウスまで車で出かけます。明日夜帰りですが、パーキングエリアに駐車するたびに、歩き回りながらのゆとりの一万歩。夕方と朝に川口湖畔を散歩できればと思いつつの朝です。 今日もまた天国の一日です!感謝します。明日は種子島生まれの幼児教育の創始者、古市静子を紹介予定です。ヨハネの第三の手紙1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。イザヤ書40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2011/08/19
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昨日は大失敗、70歳を迎えるから喜びの喜寿ですと書いていました。ご指摘されて一人で顔を赤らめながら訂正しました 子どもの時から人の生まれを動物に当てる干支など、万物の霊長である人間はするべきではないという教育を受けてきました。 日本文化の中で育ちながら、干支を初め風習習俗とかけ離れた生活(小さな村で難しい父はよそ者だったのかもしれません)でした。 だから干支も今では常識として何とか言えますが、16歳でクリスチャンになりさらに磨きがかかり、何も気にせずの日々です。 散髪に美容室へ行くと、牧師さん干支は何ですか?蛇ですと言うと笑いながら巳と言うんですよと若いマスターに言われれたりです。ご家族はと聞かれて家内と息子は辰で娘は馬ですと言うと、驚いてすごいですねと言う。きょとんとしていると知らないのですか。辰は天空を駆ける、馬は陸を駆ける、巳は海を駆けると言うんですよ。その三つは同じで変身するんですよとのこと。そんな話し聞いたこともないよ。 イエス様をアーメンと信じるともっとすごい変身がありますよ。心が新しくなり、考えも新しくなり、生き方も新しくなり、栄光から栄光へとキリストと同じ姿に変えられて行きますと、福音の生まれ変わりを話すこともできました。。 書き間違いで調べて見ると、人生の節目を賀寿は数え年で祝いましたが、現代では満で祝う方も多くなっています。61歳 還暦(かんれき) 十干十二支の暦(干支)が60年で一巡し、61年目に元に戻ることから。本卦(ほんけ)帰りともいう。また、華甲の祝いともいわれている。 70歳 古希(こき) 唐の詩人、杜甫の「人生七十、古来稀(まれ)なリ」という詩から生まれた言葉。 77歳 喜寿(きじゅ) 「喜」の字が草書体で七十七と書かれることから。 80歳 傘寿(さんじゅ) 「傘」の略字が八十と書かれることから。 81歳 半寿(はんじゅ) 「半」の字が「八」「十」「一」で成り立っていることから。 88歳 米寿(べいじゅ) 「米」の字を分解すると八十八になるところから。 90歳 卒寿(そつじゅ) 「卆(卒)」の字を分解すると九十となるところから。 99歳 白寿(はくじゅ) 「百」の字から「一」を引くと「白」になることから。 100歳 百寿(ひゃくじゅ) 百が区切りのよい数字であることから。 108歳 茶寿(ちゃじゅ) 「茶」の字は八十八の上に「十」が二つついているところから。 110歳 珍寿(ちんじゅ) 110歳は珍しい長寿であることから。 111歳 皇寿(こうじゅ) 「皇」の字は「白(99)」と「十」と「一」が二つから成り、全部足すと111になることから 書き間違えて賢くなりました。とはいえ日本の習俗習慣を祝っても、永遠のいのちがなければ虚しい人生です。たとえ幼い時や若い日に召されても、永遠に生きる希望を持っている人は幸いです。 なんで若くしてと嘆き悲しむことなく、やがて会える日を楽しみに、生かされる限り信仰と希望と愛に輝いて、今日もまた天国の一日です!と感謝しつつ歩み続ける幸いを体験しましょう。ペテロの第一の手紙 1:17 また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。 1:18 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、 1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。 1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。 1:21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。 1:22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。 1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
2011/08/18
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「顔が笑う こころが笑う 能が笑う」(中井宏次著・春陽堂書店)の中に、大阪商人のユーモアがあります。 大阪維新の会は、多数決で日の丸条例や、今朝の新聞に愛国心を盛り込むとあり、多数決だから可決するとありました。大阪をどこへ導こうとしているのか危惧されます。 大阪は笑いとユーモアの都市、「商は笑にして勝なり」「笑が昇ずれば商は勝なり」「商が省ずれば商は小なり」 願わくば府知事が「勝が省ずれば勝は小なり」と、傲慢は滅びに先立ち、謙遜葉栄誉に先立つ、日本国憲法に基づく大阪府政を、そして大阪商人の気風で大阪を変革してほしいと願い祈る朝です。大阪商人七気風1.柔らかい2.情のこもった3.謙遜で4.誠実で5.芯があって6.ユーモアが漂う7.品のいい雰囲気大阪商人基本精神気は長く、心は丸く、腹立てず、己は小さく、人は大きく顔が笑う=幸せ感 こころが笑う=感性の喜び 能が笑う=教養の香りと、バランスの良い品性が漂う人生でありたいものです。 種子島から生駒聖書学院入学、卒業後ゼロからの開拓伝道でした。働かないと食べることもできず、教会案内一枚作れずの貧乏暮らしでした。 決まった仕事はセールス、ものも言わない人間が営業に行く。店の前に立ち「こんにちは」と小さい声での挨拶。「お前、なんや?物売りに来たんか」「ハイ」「何持ってるんや」カバンを開けて取り出す。「何や本か。それわしが買うんか。いくらや」「ハイ。500円です」「ほな買おか」「ありがとうございます」 簡単に書けば何も売り込まずに、相手のことばハイだけの返事で買ってもらいました。そして会社でもトップではないけれど上位で、一年後新しい営業所長に任命されるまでになりました。 大阪大好きの一つの理由葉、相手の気持ちを察して笑らいとユーモアで包んでくれる大阪の懐を感じる体験でした。もちろん、仕事中や帰れ!帰れ!と追い返されたり、罵倒されることもありましたが、それは人生の常です。そんな時は物言わぬ方が勝ち。スーパーマン(スーと聞いてパーと飛び出す)反論は一切なしでトラブルにも合わない若い日のセールスマン体験でした。 来月は70歳、古希を迎えます。顔が笑う こころが笑う 能が笑う 三位一体の古希になること楽しみに、今日もまた元気で天国の一日です!感謝します。詩篇126:1 主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。 126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」 126:3 主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。 126:4 主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。 126:5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。 126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
2011/08/17
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昨日は終戦66年記念日でした、 第二次世界大戦(太平洋戦争〈大東亜戦争〉)が終わった日を指すことが多く、これにより「戦争終結の日」とも誤解されています。 実際は、玉音放送(天皇の肉声で戦争を止めると言う)が放送された日です。 現在では「終戦記念日」としての意味合いも薄れつつあります。昨日は新聞休刊日、マスコミも終戦の意味が薄れ、せめて休刊日を少しずらしても社説で平和宣言を主張す新聞があっても良いのでは! ニュスは石原都知事の批判を報じていました。 東京都の石原慎太郎知事は15日、靖国神社を参拝した。石原知事は参拝後、報道陣に対し、首相と全閣僚が靖国神社に参拝しない方針を示したことに「あいつら日本人じゃないんだ」と激しく批判した。 この日は、都の戦没者追悼式典に出席後、靖国神社に直行。「国を救ってくれって言った」と話した上で、報道陣から菅政権による政治の混迷を問われると「自業自得だよ。日本人が堕落したからこんなことになったんだ」と述べた。 靖国に行く行かないで、日本がどうなるわけではありません。そんなことを国を愛するからと叫んでいるひとたいこそ、この美しい国、日本を滅びに導いているのです。 ほんとうは日本人が堕落したから戦争と言う愚かな行為に突っ走ったのです。国ために死んだかから靖国神社に祭られると言う大ウソに騙され欺かれることから、早く正しい道にたち帰ることこそ、終戦記念日なのです。 国が国民のことを考えていないし、戦死した兵士は国民ではなく物扱いでした。戦死者は国政の犠牲者です。国とは制度やしきたりだけではなく、ひとり一人をいのちのある人間として、その尊厳を認め、その人権を尊ぶことです。 終戦記念日くらい、戦死しても靖国で会えるから戦えと、多くの若者を国のためだと言う大義で無謀な戦争に駆り立てたことを総ざんげする記念日であり、世界に平和を宣言する時あのです。 大東亜戦争は義戦だったと主張する戦争好きの有名人の愚かな論議に惑わされないように、憲法を順守する自由な日本人として、平和のために前進したいものです。 いま大東亜戦争を義戦と主張し、戦争を美化したりする方々は、自分たちが上に立てば蒔けるような戦はしないし、兵士隊を物扱いにはしないと言います。そんなことは実際の戦いがはじまればすぐ化けの皮がはがれてしまいす。 イエス・キリストのことばどおりです。マタイの福音書23:2 こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。(為政者や官僚たち、指導者たちは、国民の上に坐しています) 23:3 ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。 23:4 また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。 大東亜戦争義戦論者や戦争寂論者には 23:27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち(大東亜戦争義戦論者や戦争賛美論者)あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、 23:28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。 23:29 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち(大東亜戦争義戦論者や戦争寂論者)あなたがたは預言者の墓(靖国神社)を建て、義人の記念碑を飾って、 23:30 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。 23:31 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。 23:32 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。 23:33 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。 ご案内;下記は種子島を紹介している素敵なホームページとブログ、動画です。アクセスいただき種子島から世界平和を護るために、種子島沖の馬毛島が軍事基地にならないようお祈りください。 種子島原人 http://genjin3.web.fc2.com/ブログ種子島原人 http://gold.ap.teacup.com/genjin/ 種子島の動画 http://www.youtube.com/profile?user=genjin3#g/u
2011/08/16
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種子島原人ホームページからの転載です。 「安城小学校教諭「宮園豊則先生」西之表市の安城小学校の教師をしていた豊則先生は,昭和23年8月14日,わずか27歳の若さで亡くなりました。自分の命を投げ出し,教え子を救ったのです。 夏休みの暑い日差しの中,子どもたちにせがまれた豊則先生は,みんなで安城海岸へ泳ぎに行きました。ところが,泳いでいるうちに教え子3人が波にさらわれ,沖へ流されていきます。 豊則先生は,おぼれかかった2人を両腕に抱え,海岸まで泳ぎ着き,もう1人を助けに海へ戻りました。死力を尽くして残りの1人を助け出しましたが,力尽き果てた豊則先生はそのまま波にさらわれ帰らぬ人となってしまいました。 豊則先生の悲しき殉職は波紋を広げ,翌年,鹿児島県教職員組合が中心となり「宮園豊則先生顕彰碑」を安城小の校庭の一角に建立しました。 碑文には,「宮園先生は教え子三人の生命を逆まく怒濤より守り・・・(中略)・・・この碑ある限り,宮園先生の生涯をわれわれの生涯として,正しく強く進もう」と書かれています。 また,それとあわせて昭和25年頃、紙芝居「波」も作製され当時の鹿児島県のすべての小学校に配布されたそうです」 今朝、その紙芝居動画を見、鴻峰小学校で村の青年団が劇を演じ、小学生でしたが溺れそうになった三人の子どもを救い、自らは波に沈んだ先生の話が劇になったのだと思い出し、感動の涙の朝です。ぜひ種子島原人をアクセスし、ご覧になってください。 16歳の時、イエス・キリストが人類の罪の身代わりとしていのち十字架に身代わりとされたメッセージを聞き深く感動し、アーメン。信じますとクリスチャンになったのも、小学生の時の劇の思いが影響していたのかもと思いながらか感謝しています。ローマ人への手紙5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ペテロの第一の手紙2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
2011/08/15
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一読・十笑・百吸・千字・万歩に億年! 毎日一読、つまり本を読むことです。聖書を読むのが一番だと思います。 人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつ一つのことばによるとあるとおりです。 泣いてミルクを欲しがる赤ん坊のように、霊の乳(聖書のことば)を慕い求めなさい!とも書かれています。心の糧を第一にする人は幸いです。読書百遍自ずから通ずです。 また一読の変わりに一浴とも言えます。毎日お風呂に入るときれいになるし、リラックスもできます。と書きながらシャワーだけの日々ですが・・・・。 身体だけでなく、心も御子イエスの血で毎日清められる人は幸いです。 花のカードで便りをしたら、「つぼみは同じようですが花咲くと違うのですね。人間も生まれた時はみな同じようですが、もの心着きますとそれぞれ違います。私も美しいままでおれましたなら、こんな所へ来なくてよかったのです。もう一度美しい心を取り戻せるでしょうか」刑務所に服役中の男性からの手紙に書かれていました。 聖書にも同じ祈りがあります。 「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください」(詩篇51篇) 神の答えてくださいます。 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる」(イザヤ書) イエス・キリストの十字架により、すべてが赦されきよめられ、新しく生まれ変わった神の子としての人生がスタートします。感謝です。 「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(ヨハネの第一の手紙1:7-9) 十笑とは大声で笑うことです。神の国は飲んだり食べたりだけではなく、義と平和と聖霊による喜びです。腹の底からわき上がる喜びが、脳に刺激を与え、心が笑いにあふれ、破顔一笑の笑顔が輝きます。 百吸は、病は気からと言うように、気持ちを大きくするためには深呼吸が一番です。腹式呼吸で古い嫌な気を全部吐き出し、聖霊の息吹を腹の底まで吸い込むとき、元気が出て病など吹き飛んでしまいます。 千字は文字通り千字以上を書くことです。小学生や中学生の時、日記は大嫌いでした。毎日何も嬉しい事も楽しいこともない子ども時代でした。 イエス様の十字架の救いを受けた日から、今日もまた天国の一日です!に変わりました。物も言わない無口の人生でしたが、牧師となりテレフォンメセージをもう40年毎日語り続け、ラジオ牧師も39年継続。ブログも8年になりました。嬉しいことに70歳の誕生日に牧師雑感が出版されます。 万歩はゆとりの一万歩です。左脳内出血で倒れ、恵みにより何の後遺症もなく癒されました。自動車ばかりの生活から切り替え、万歩計とともにゆとりの一万歩、歩き始めて8年が過ぎました。 出会う人すべてにおはようございますと声をかけ、生駒市内を元気なおはようの声で満たし続けています。 億年は、永遠のいのちを与えられているので、地上の生涯を終わり天に召されたら、永遠に生き続けるのです。この地上でどのよう生きたとしても、天国へ行く保証を持っていないと寂しい死を迎えてしまいます。 イエス・キリストをアーメンと信じ救われる時、永遠のいのちを与えられ、億年への保証のある平安の日々を、今日もまた天国の一日です!感謝します。 「私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。 もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。 神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします」(ヨハネの第一の手紙3章&5章より) ご健康と幸せをお祈りいたします。イザヤ書58:11 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。58:12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。エレミヤ書17:5 主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。17:7 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。ピリピ人への手紙4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
2011/08/14
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大阪エリムキリスト教会に毎週火曜日&日曜日は新世界ですが、昨日今月初めて大阪市内まで出かけました。 ジュンク堂でしばらく立ち読みでした。 「顔が笑う こころが笑う 能が笑う」(中井宏次著・春陽堂刊・1200円+税)帯には、笑ってますか!コミュニケーションがアップする。あなたも今日からユーモア人材です。とあります。 著者の座右の銘は、「仕事は楽しく、人生はおもしろく」です。健康で豊かな喜びのある生活の実現を願い、NPO法人健康笑い塾を主宰しておられます。 期待される三つの効果1.笑い(ユーモア)は、免疫力を上げ、ストレス解消になり、「人間は笑わなくてはいけない」ことが理解でき、健康長寿へと導きます。2.笑い(ユーモア)は、楽しく豊かに生きるためのコミュニケーション、マネジメントの@基本であることが理解でき、「ユーモア人材」となり、仕事が楽しくなります。3.笑い(ユーモア)は脳を活性化し創造力を養い、新しい発想が生まれ、人生がおもしろくなります。 聖書には笑いについててあります。神様の笑い詩篇2:4 天の御座に着いておられる方は笑う。創世記21:6 サラは言った。「神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう。」年老いてイサク(笑う)が生まれた時の笑顔の告白。 イエス様の約束ルカ6:21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。イエス様の喜び(笑い)ルカ 10:21 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。イエス様の約束ルカ6:21 いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。ヨハネ16:22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。聖霊の喜び(笑い)ローマ14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜び(笑)だからです。みことばの約束詩篇126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」エレミヤ30:19 彼らの中から、感謝と、喜び笑う声がわき出る。わたしは人をふやして減らさず、彼らを尊くして、軽んじられないようにする。31:4 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。 さらに聖書は、いつも喜びなさいと繰り返し教えています。 弾けるような喜びと幸せにに輝くクリスチャン人生を、今日もまた天国の一日です!と高らかに宣言しつつ、感謝の満たされて過ごしましょう。ハレルヤ!詩篇 103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
2011/08/13
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「人生の目的に対する疑問は無限といってよいほどにしばしば提出されてきているが、 ついぞ満足できるような答えが与えられたことはない。 また、そのような答えはおそらく決して許されないものなのだろう。」名言です。 多くの人々が有名無名にかかわらず、時代や国籍を越え人々はなぜ?と答えを探しています。 そのなぜ?に答えようとして宗教が生まれ、哲学や心理学、科学が発達し今でもなお世界中が答えを求めて呻いています。 その唯一の答えは、アーメンと言えば救われます!イエス様は、私が道です。真理です。いのちです!と宣言されました。 それだけでなく、十字架上に死にすべての人類のなぜ?を自ら引き受けてくださいました。墓に葬られすべてのなぜ?を葬り去ってくださいました。すべてのなぜ?に答えと解決を与えられたのです。死を打ち破り三日目に復活し、今もなお聖霊により働かれておられます。イエス・キリストは、きのうの今日もいつまでも変わることはなく、アーメンと信じる者を救い続けてくださいます。 想定外の思いがけないことに昨日遭遇しました。なぜ?の大きな?マークでした。その時に与えられた聖書のことばです。 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」(伝道者の書3章11節)「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ人への第一の手紙5章15-17節) 「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙8章28節) 次々に与えられる聖書の生きたことばに励まされつつ、今日もまた天国の一日です!コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2011/08/12
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9月2日に誕生日を迎えます。毎年誕生日には自分でお祝いすることにしています。今年は、アフリカへ行く前にそうだブログを本にしようと思いました。 誕生日まで2カ月前でしたが、快く編集出版をグッドワーク研究所が引きうけてくれました。今朝のメールにはすべての原稿と、本のタイトルや表紙が送られており感謝しています。 タイトルは、「いのち見つめて」です。幼い日から母を初め多くの死に接し、虚しさの中にありましたが、15歳の時いのちは全世界よりも尊いことを知りました。 16歳の時、全世界よりも尊い自分のいのちを救うために、十字架に自らのいのちを犠牲とされたイエス・キリストを知りました。そしてその大きな愛に感動してクリスチャンになり、きょうもその復活のいのちとともに永遠の天国を保証される幸いを与えられています。 今日もまた天国の一日です!と、与えられたいのちを感謝しつつ、何事があろうとも平安な心を与えられ、すべてが最善になることを楽しみながら感謝を続けています。 今朝も可愛い孫が二人、書斎に入ってきてしばらく遊んでバイバイと帰りました。まだ2歳と4歳ですがパソコン大好きで目を離した瞬間に触りまくり、後が大変ですが今朝のブログ書きが遅くなりました。 昨日届いたばかりの岡山清水白桃をしっかり持って、桃大好きありがとうとシートベルトを閉められながらイバイ。台風一過という感じの朝のひと時です。 今日は午前11時過ぎに40代男性の洗礼式です。夕方にと希望していましたが、昼過ぎから出かけ帰りが遅くなりそうで、急遽大阪より早く来てもらいました。かん 14日の朝には9名の洗礼式で、イエス様の十字架の救いを受け、永遠の命にあずかり天国への道を歩むクリスチャンが加えられる幸せに感謝しています。感激の新生のときでした。 信じてばプテスマを受ける者は救われます。(マルコ16章16節)イエス・キリストの約束は変わらず、信じる人は最高に幸せです。そこにいのちが輝きます。いのちを見つめて、その幸せな姿に接する幸いを与えられている牧師も幸いです。あなたの幸せが私の幸せです! 今日もまた天国の一日です!感謝します。ローマ人への手紙 10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
2011/08/11
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神様は人の心に永遠への思いを与えられました。人生の終着駅、帰る場所を持つとき、日々平安の中に生きることができます。人の心にある永遠への思いはイエス・キリストを信じるときに与えられ満たされます。伝道者の書3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 八女市での集会の時、ひとりの方が愛燦々(サンサン)とを絶唱してくれました。美空ひばりの有名は歌の一つでした。 雨 潸々(サンサン)と この身に落ちて わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして 人は哀しい 哀しいものですね それでも過去達は 優しく睫毛(マツゲ)に憩う 人生って 不思議なものですね 風 散々(サンサン)と この身に荒れて 思いどおりにならない夢を 失くしたりして 人はかよわい かよわいものですね それでも未来達は 人待ち顔して微笑む 人生って 嬉しいものですね 愛 燦々(サンサン)と この身に降って 心秘そかな嬉し涙を 流したりして 人はかわいい かわいいものですね ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う 人生って 不思議なものですね ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む 人生って 嬉しいものですね 人生って不思議なものですね!との歌詞のとおりだと思います。その不可思議とも思える人生で、神の愛を受ける恵みは不思議でワンダフルの人生です。ヨハネの福音書3:15 それは、信じる者がみな、人の子(イエス・キリスト)にあって永遠のいのちを持つためです。3:16 神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。3:17 神が御子(イエス・キリスト)を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子(イエス・キリスト)によって世が救われるためである。 イエス様を信じる人生は、希望となぐさめと祝福を受け続ける幸い人生です。その終局は天国、地上の不思議とも思える人生を終えて帰る家があるのです。天国の家に帰るそのときまで、永遠のいのちを与えられ、今日もまた天国の一日です!と、すべてのことに感謝しつつ、なぐさめと望みに輝きながらの毎日です。テサロニケ人への手紙2:16-17どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。 なぐさめの意味は、人それぞれ違うかもしれませんが、すべての人が慰めを必要としていることは事実です。幼子から頑強な青年・壮年、美しい乙女たちや主婦であろうと、高齢者や死期を迎えた人々、職業や貧富の差も国籍も関係なく、慰めを求めております。 罪責感に責められている人には、罪の赦しが慰めになり、病に苦しむ者には癒しの治療が慰めです。物資が乏しく困窮している者には、食べ物が与えられるときそれが慰めになります。 お金に困っているときには、お金が慰めになります。孤独に泣く者には、だれかが共にいるのが慰めです。 額に汗し働いてきた人には、ご苦労さまという一言のねぎらいが慰めになります。 そのすばらしい慰めをイエス・キリストは約束されました。ヨハネの福音書14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。 聖霊様は、助け主=パラクレートス、慰め主=Comforter、今働かれている神様です。 愛するイエス様。この厳しい現実の中に生きる私に、救いの恵みを与えてくださり、永遠の望みと豊かな慰めを与えてくださり感謝いたします。私があらゆる良いわざと、信仰のことばをいつも告白するように、聖霊様の助けと力をお与えください。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。 ありがとうございます。豊かななぐさめと希望輝かせてくださいました。永遠のいのちを感謝します。ハレルヤ。
2011/08/10
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長崎市への原子爆弾投下66年の記念日です。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分に、アメリカ軍が長崎市に原子爆弾を66年前に投下した記念日です。 長崎への原爆投下は、6日の広島に投下され実戦で使われた二発目の核兵器です。 この一発の原子爆弾で、当時の長崎市の人口24万人で約14万9千人が死没しました。、建物は約36パーセントが全焼または全半壊してしまいました。 それから66年、いま日本は福島原発の事故で放射能の危機に見舞われています。風評被害もありますが、新米、牛肉、野菜、昨日のニュスでは京都大文字送り火に、陸前高田の薪を使用を取り止めたと報じていました。蒔きについている放射能が燃えることによって京都市内に降り、影響が出たら困るとの苦情が多く寄せられました。放射能があるかどうか検査しました。結果はゼロでしたが、風評被害を恐れての中止徒のことです。 何が真実でどこまでが風評被害なのか、もう誰のことばも信じられなくなっている、放射能不安に支配されてる日本中です。 聖書には、「 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。(テサロニケ人への手紙5章2~11節) 長崎原爆投下記念の日に、「長崎の鐘」(永井隆著)サトウハチロー作詞、古関祐而作曲の「長崎の鐘」を「藤山一郎の心込めた歌声を聞きつつ、平和の鐘よ、全世界の人々の心に響けよと、祈りつつの今日もまた天国の一日です!こよなく晴れた 青空を悲しと思う せつなさようねりの波の 人の世にはかなく生きる 野の花よなぐさめ はげまし 長崎のああ 長崎の鐘が鳴る召されて妻は 天国へ別れてひとり 旅立ちぬかたみに残る ロザリオの鎖に白き わが涙なぐさめ はげまし 長崎のああ 長崎の鐘が鳴るこころの罪を うちあけて更け行く夜の 月すみぬ貧しき家の 柱にも気高く白き マリア様なぐさめ はげまし 長崎のああ 長崎の鐘が鳴る詩篇84:4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。セラ 84:5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。 84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。 84:7 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。 84:8 万軍の神、主よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ。耳を傾けてください。セラ 84:9 神よ。われらの盾をご覧ください。あなたに油そそがれた者の顔に目を注いでください。 84:10 まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。 84:11 まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。 84:12 万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。
2011/08/09
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暦の上では立秋。ゆとりの一万歩でも秋を感じる朝、と書きながら外を見ると眩しい真夏日の太陽が輝き、今日も猛暑日です。 二、三日前から猛烈に蝉が鳴き出しました。先週の種子島では蝉の合唱が聞こえ、今年は生駒では余り聞かなかったなと思いながらの帰宅でした。 ところが数日後、セミの鳴き声のラッシュアワーで、短いいのちを精いっぱい、やっと夏が来たという思いです。 今朝は昨日と同じコースを歩き、お会いする方も同じ方々で、おはようございますと爽やかに挨拶。 6000歩ほど歩いたところで、大きな犬が伏せをしていました。すると猫が近寄ってくるので危ないと思いました。猫は犬に口のところに自分の体をまるでキッスするように寄せて行きます。歩みを止めて見ていると犬はその猫をご論と寝転がすと、鼻先でそのお腹をさすっています。猫は気持ちよさそうに仲良く遊んでいました。 犬を連れたご婦人にいつも仲良しなですかと声をかけると、不思議ですね。今朝会ったばかりなのに、なぜなんでしょう驚いていました。 犬猫の中と言われますが、今朝の大型犬と可愛い猫に限って言えば、犬猫の仲良しということばがふさわしいほほえましいひと時でした。カメラを持っていな方かったのが残念です。 人間同士も、国同士も憎み争わず、お互いに近づき会うなら、この世はもっと住みやすく、世界はもっと平和に満たされるでしょう。 珍しい光景に感動の朝のひと時です。今日もまた天国の一日です!感謝します。詩篇85:1 主よ。あなたは、御国に恵みを施し、ヤコブの捕われ人を、お返しになりました。 85:2 あなたは、御民の咎を赦し、彼らのすべての罪を、おおわれました。セラ 85:3 あなたは、激しい怒りをことごとく取り去り、燃える御怒りを、押しとどめられました。 85:4 われらの救いの神よ。どうか、私たちを生き返らせ、私たちに対する御怒りをやめてください。 85:5 あなたは、いつまでも、私たちに対して怒っておられるのですか。代々に至るまで、あなたの御怒りを引き延ばされるのですか。 85:6 あなたは、私たちを再び生かされないのですか。あなたの民があなたによって喜ぶために。 85:7 主よ。私たちに、あなたの恵みを示し、あなたの救いを私たちに与えてください。 85:8 私は、主であられる神の仰せを聞きたい。主は、御民と聖徒たちとに平和を告げ、彼らを再び愚かさには戻されない。 85:9 まことに御救いは主を恐れる者たちに近い。それは、栄光が私たちの国にとどまるためです。 85:10 恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。 85:11 まことは地から生えいで、義は天から見おろしています。 85:12 まことに、主は、良いものを下さるので、私たちの国は、その産物を生じます。 85:13 義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。
2011/08/08
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マルコの福音書1:15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」 イエス様の最初の福音ことばです。神の国は近くなった!悔い改めて福音を信じなさい。マタイの福音書では、天の御国近づいたたから・・・・。 それでは神の国とはどういう国でしょうか。文字通り、神が支配する国と言う意味です。旧約聖書は律法を守る厳粛な神の国を教えています。現在もユダヤ人は、イスラエルに神の国が実現することを嘆きの壁で熱心に祈り求めています。 イエス様が、神の国は近づいた!と言われた時、当時の人々は、ローマ帝国の支配から解放されるときが来たと思ったのは当然でした。 ひとりの律法学者がイエス様に質問しました。マルコの福音書12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」12:32 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。12:33 また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」12:34 イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。 国と言うのは普通、権威と権力のもとに法律があります。法のない社会は無秩序、無政府状態になり、それぞれが自分勝手に振る舞い、収支がつかなくなり、共同体として成り立ちません。 イエス様は、律法学者の賢い答えに、「あなたは神に遠くない!」と言われました。 神の国には掟があり、それは旧約聖書と同じ律法でしょうか。ノ―です。イエス様の神の国は、まったく新しい天の御国なのです。 その第一の戒めは、「あなたの神である主を愛する」ことです。主を愛するとは、神の全き愛の支配にアーメンと素直に生きることです。従順さ、素直さです。 次に大切なのは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」 隣人への愛です。愛による思いやりであり、赦しの愛です。あなたの隣人を自分のように思いやり、自分を赦すように赦すことです。 キリスト教会は、神の国の実現です。そこにあるのは十字架により赦された共同体です。ですから互いに愛し合うこと=赦しと思いやりがあふれている場がキリスト教会なのです。イエス様は神の国はこのようなものであると譬えて教えました。マルコの福音書4::26-29 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」 種を蒔けばほっておいても、実が実ると言うのは勤勉や努力を否定した、あまりにも楽天的な神の国の教えのように聞こえます。 イエス様の教え自体が、「明日のことを心配したり思い煩うな」だったり、「だれでも苦労している者は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげます」と、ものすごくおおらかなでした。 ですから、神の国は律法に縛られた窮屈な国ではなく、「地は人手によらず実をならせる」ように、自由で自発的な実りある国なのです。 神の国は、権力やと権威に支配されず、また人々を律法や規則で強制することなく、信仰と希望と愛に満たされ、聖霊による自由の中で伸び伸びと神を信頼し生きて行くことができるのです。 聖霊のあるところに自由があり、主の御姿を繁栄させながら、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられて行く自由で神の栄光が輝く国なのです。 このすばらしい神の国が近づいた宣教なさり、ここではあなたは神の国に近いとおっしゃいました。 それだけではなくさらに、偉大な宣言があります。 ルカの福音書17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」 2008年の8月1日に説教し、それから毎日朝の目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!と宣言し続けています。 夜には、ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 神の国はやがて来ると願望するだけでなく、イエス様がおられるところが神の国です。彼岸だけを願って天国に行けばと切望するだけでなく、今日もまた現実に神の国が実現したと確信し続ける人生は幸いです。 永遠のいのちを与えられているのですから、もう天国生きの保証が与えられているのです。マタイの福音書6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。ローマ人への手紙14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。神の国の現実を体験し、死後も天国が保証されている幸いを感謝し、飲み食いにこだわるのではなく、義と平和と聖霊による喜びに満たされ感謝です。 週末の時代、この神の国に一人でも多くの方々が入るように、十字架と復活の福音を聖霊に満たされて伝え続けております。 アーメンと信じてバプテスマを受け、神の国に新しく生まれ変わってください。 ペテロの第二の手紙3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。3:11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。3:12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。3:13 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
2011/08/07
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今日は、広島市への原子爆弾投下66年記念日です。 第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に、アメリカ軍は広島市に原子爆弾を投下しました。 これは実戦で使われた世界最初の核兵器でした。この一発の原爆兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したそうです。 原爆の開発に携わった科学者たちは、神は太陽をつくったが、我らは神以上の物を作ったと豪語しました。 ヒロシマへの原爆投下の悲惨さを知ったとき、神は天国を造ったが我らは地獄を作ったと嘆いたそうです。 奈良市の教会でも今もなお原爆後遺症で悩んでいる高齢の教会員があります。原爆を投下したアメリカは、一度も日本に謝罪したこともなく、大統領の広島市・長崎市への公式訪問もありません。 福島原発事故があっても、便利さや経済効果だけを強調し、原発廃止への動きもなく、原爆投下の日広島宣言でも触れらませんでした。 原発賛成者は、保証でお金をたくさん受けたのでさっさと放射の被災地から逃避できたそうです。、反対派は経済の保証もなく苦しんでいると聞き、矛盾を感じています。 唯一の被爆地でありながら、核兵器を保有すべきだと主張する意見も幅を利かせ、そのような人々も多い日本の現状を憂うこのころです。世界の核兵器の総数を検索してみました。 「米国科学者連合(FAS)」のハンズ・クリステンセンと「自然資源防護協議会(NRDC)」のロバート・ノリスによると、現在世界で保有されている核兵器の数は、2万6000発近くに達する。 これらのうち、1万1000発以上が、短時間で使用可能なものと見なされている。1986年の約7万発という保有数と比べると、相当少なくなってはいるが、冷戦終焉後十数年も経つことを考えると、あまりにも大きな数だ。 現在の保有数約2万6000発の威力を合わせると、高性能爆薬TNT換算で3000メガトン。1メガトンは、1000キロトン。 広島に投下された原爆の威力の推定値16キロトン(2003年3月発表のDS02)から計算すると、3000メガトンは広島の約18万7500発分になる。 下は、FASの「核情報プロジェクト」のサイトにある2007年の世界の核兵器の表(2007年5月2日更新)とニューズ・ウイークのサイトにある核地図(FASのクリステンセンの協力で作成)のメガトン数を合わせたものである。(ただし、ニューズ・ウイークの核地図の説明で広島の何発分にあたるかを計算するのに使われたの広島原爆の推定値は古い数字)。2007年 世界の核兵器の現状 核弾頭総数 総メガトン 国名 戦略核弾頭 戦術核弾頭 作戦配備 保有総数 ロシア 3,340 2,330 5,670 15,000 1,587 米国 4,663 500 5,163 9,938 1,299 中国 145 ? 145 200 273 フランス 348 n.a. 348 >348 46.8 英国 160 n.a.
2011/08/06
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救いの祝福 テサロニケ人への第二の手紙2:13 しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。 イエス・キリストの十字架の救いの中に選ばれた幸い勝る幸せはありません。その恵みによる救いを、アーメンと真正面から受け止める人は幸いです。 目に見えることだけを祝福と思う生き方では、ほんとうの幸せになることはできません。 永遠のいのちを与えられて、信仰を持って生きるとき、すべての面において大きな幸せを体験できます。 今日もまた天国の一日です!イエス様による幸せを生きる恵みに感謝します。マタイの福音書6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
2011/08/05
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26日より2日まで留守にしていたので、昨日は朝から動きっぱなしでした。いつものようにインターネット礼拝録画撮りと声をかけられたり、ブログ書きやメールや手紙への返信。あっという間に昼になり、すぐ近大付属病院へ。診察が済むまで真昼日の炎天下を、ゆとりの一万歩をかねてのポステイング。 生駒聖書学院に来客ありとの連絡を受けたが、幸い副院長との約束の客と分かり、今度は奈良県立診療所の結核病棟へお見舞い。 その足で9月2日の誕生日までに「牧師雑感」を出版するので、編集者と打ち合わせのため会社訪問。終了後、健康相談をし詳しく説明を聞きながら、いろいろとお話しでき感謝でした。 席を立つと同時に外出中の社長が帰られ、また生に座りなおしてお話しをお聞きでき幸いでした。 万歩計を見たら7500歩。阪奈道路の奈良市と生駒市の境界線に遊歩道があるので、夕闇せまる山の中を2500歩。ゆとりの一万歩で帰宅したのは8時過ぎ、軽い夕食を取りそのままシャワーを使い、いろいろしている内に11時になり、おやすみタイム。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。 今朝も熟睡で目覚め、家の近くの水路沿いをゆっくり祈りながら6000歩。テレフォンメッセージを録音し、ブログを書いています。朝日が眩しく輝き、静かな夏の朝のスタートです。詩篇130:1 主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。 130:2 主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。 130:3 主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。 130:4 しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。 130:5 私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。 130:6 私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。 130:7 イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。 130:8 主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。
2011/08/04
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7月26日(火)大阪南港からダイヤモンドフェリーで別府へ。別府市から中津市へ、耶馬渓や日田市を経て九州自動車道で福岡県八女市に。 午後二時の集会には用意した椅子が満席でした。集会ではフルート演奏や、牧師の友人が、「愛燦々と」や英語で「驚くばかりの恵みなりき」を心こめて賛美し、大きな感動の拍手に包まれました。 近藤雅子牧師の、素直にすべてのことに感謝していますと、輝いてお証する姿に心打たれる時でした。 90歳の最高齢の方も喜んでくださり、20年くらいも前久留米市の開拓教会で信じた美しい女性も、ブログを読んで参加されたり、日本キリスト教団の牧師も小学生のお孫さんと参加され、孫がアフリカへ宣教へ行くよう願っているとのことで、その子の祝福を祈りました。 九州自動車道で鹿児島へ。噴煙の桜島が目の前に見える城山観光ホテルの宿泊。鹿児島の教会牧師家族がそろって訪ねてくれ、長女は鹿児島大学でもう教職の資格も取り、長男は筑波大学一年生、生駒聖書学院で学んでいた時は、まだ幼なかった子どもたちが大きく成長している姿に感謝の祈りのひと時でした。 30日に高速艇ロケットで種子島へ。ほとんど揺れもな九あっという間の90分で種子島の西之表港へ。レンタカーで生まれ育った生姜山へ向かいました。 鴻峰小学校は島中の小中学が廃止統合される中、唯一休校中の小学校です。しかも8年間も休校中です。建物も古くなり休校と言うより廃坑になるのではと思われるようでした。 ただ生姜山と言う名前あるように、生姜栽培にもっとも適した地域と言うのが分かり、総務省の肝いりで生姜栽培地に指定されているそうです。 子どもの時から茗荷しか見たことはなく、なんで生姜山かなあと思っていたのが、やっと分かったように思ました。 生まれた家もないような生姜山で、日本バプテスト連盟の種子島新生キリスト教会が公民館で夜の集会を計画してくれました。出かける前夜に電話をもらい、マンガをぜん家庭に配ろうと持って行きました。 日曜日の朝早くホテルをから車を飛ばし、生姜山に着いたのが午前4時30分。街頭一つないような真っ暗闇。どこに家があるか分からず16番集落まで後戻りし、所々に立つ街灯を目当てにマンガと名刺をポスティング。 やっと薄明かりの朝になり、再び生姜山へ。わずか20軒弱のポツンポツンと立つ家に、マンガと名刺を配り終わりました。万歩計は5000歩。それでも夜の集会にはポスティングした家から4名の方々が出席していました。 種子島のキリスト教会で宣教師として二年間滞在された、アルビン・ハモンド師がアメリカで7月21日に召された知らせを受けて直後の種子島伝道でした。 宣教師に導かれ、アーメン信じますとクリスチャンなり、今年の11月24日で54年になります。一人の宣教師の蒔いた種が、芽生えて成長し多くの実を結ぶようになったことを喜んでくださった恩師に、義の冠が輝いていることを思いながらの種子島の日々でした。ダニエル書12:3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。マタイの福音書13:43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。テモテへの第二の手紙4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
2011/08/03
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サファリに行く途中、マサイ族の村に20ドルで招かれ、マサイダンスや歌を披露されまました。もちろん土産物の売り込みも熱心でした。女子神学生は可愛いブローチがお気に入り、安いか高いかは別問題。全部手作りです。詩篇100:1 全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。 100:2 喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。 100:3 知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。 100:4 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。 100:5 主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。
2011/08/02
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ケニアの子どもたちは音楽が始まると、もうリズミカルに身体が動き、楽しく歌い続けます。この日は、この日は、主が造られた。この日を、この日を楽しみ喜ぼう!この日は、主が造られた。女子神学生が教えた日本語と手話で賛美し続けていました。詩篇118:23~29118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。 118:27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。 118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。 118:29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
2011/08/01
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