全30件 (30件中 1-30件目)
1
偉大な祈りの約束のことばに励まされて 聖書のことばは生きていて力があります、。本気でアーメンと応ずるなら書かれている約束は実現します。それがたとえ30秒であろうと、3時間の祈りであろうと、偉大な神はご自分の語られてとおりにお答えくださいます。 昨年、開拓教会(滋賀県守山市)の献堂式説教を依頼され出かけました。駅前でテナントを借りて礼拝をしていましたが。契約切れで立ち退きを要求されました。 「わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう」(詩篇81:10)との約束を信じ祈り始めました。 「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ33:3)と、聖書の約束を握って祈りました。 人間の行き止まりは、神様の始まり、聖霊の恵みの御業おこります。不可能は挑戦となり可能なります。 先々代から先代がクリスチャンで、キリスト教会がその地域に建つことを祈り、家庭集会を続けていた家をそこを紹介されました。 敷地が200坪あり、80坪の家でした。格安で提供してもらい、20台駐車できる新しく改装された礼拝堂で、晴れやかに賛美し喜ぶ姿に触れ、神の栄光のすばらしさに感動の献堂式でした。 偉大な神の子どもとされて、大きなことを神に求め期待することは、恥ずかしいことでも罪なことでもありません。 富雄駅には毎年ツバメが巣を作ります。雛がかえると親鳥は忙しくえさを運びます。そのとき最初にえさを食べることができるのは、誰よりも先に大きな口を開けている雛だそうです。自然の摂理のすばらしさでもあり、同時に厳しさでもあります。 それはまた霊的世界の法則でもあるように思います。求める者に聖霊をくださり、従う者に祝福を与えてくださいます。聖書の世界はヒューマニズムの世界とは異なるようです。「あなたの口を大きくあけよ。私がそれを満たそう」(詩篇81:10) 口を大きくあけないとツバメの雛が餓死しるように、クリスチャン生活も沈黙すると命が縮みます。わずか30秒でも(いや1~2秒)でも、純粋に素直にアーメンと祈るとき、奇跡は起こるのです。 長い時間の祈りや断食、徹夜、早朝祈らなければならないという教えを聞くこともあります。それはそれで素晴らしいことですが、心と行いが伴わなければ、絵に描いた餅です。 何の変化も喜びもなく、何時間祈れたと自慢したり、祈れない人を裁いたりしてしまいます。祈りをほんとうに聖書に書いてあるとおりに実現するアーメンの祈りにしましょう。 偉大なる祈りは、神をたたえ神の偉大なる栄光を輝かせます。偉大なる祈りは、神の御業を拝します。偉大なる祈りは豊かな喜びをもたらします。「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ2:20-21)
2011/09/30
コメント(0)
昨日は家内のトントン治療きで、朝早く大阪市内の整骨院まで出かけました。ついでに何も治療するところはないのですが、トントン骨製骨をやってもらいます。 運動したことがない身体だとすぐ分かるそうで、ものすごく硬い身体だそうです。昨日は首を回して見てくださいと言われ、右回し、左回しとしてみました。それだけしか回らないですかと驚かれ、借金で首が回らないと言うのはほんとうですね!とお笑いでした。 ちなみに治療院の先生もやってもらっている方も一円の借金はないのでが、首だけは回らずまた骨が硬いことが証明されてしまいました。 首だけでなく頭も固くとんがっていますと、頭をトントンと叩いて普通に戻してもらいました。勉強しすぎると頭がとんがるんですとのこと。余り頭をつかっていないのに不思議ですねと、気持ちよくトントンと叩かれ続けました。 手を握って身体を回した時、やさしい手ですね。この手はどんな労働をしてもすぐや柔らかくなる良い手ですとのこと。 手は細く普通の男性よりも小さいので、細いですね!小さい手ですね!仕事をしたことのない手ですね!と、非難?やけなしではないけれども驚きの声を聞くことが多い人生でした。 少年時代に開墾作業で血豆だらけ働き、汗みずくで労働したことなどあります。でも手の大きさだけはどうすることもできません。 70歳になって専門家にほめられ、私の手も同じですよ。鉄を扱う仕事でしたが、すぐ元通りになり今のトントン治療にふさわしい手だと分かり感謝していますとのこと。 牧師さんの手はやしく癒しの手ですよ。そう言われてみると肩こりの上に手を置いて祈るだけで、スッキリしましたと喜んでくださる方もかなりあります。 主の癒しを感謝します。同時に手当てと言うように、手を置くだけで肩こりが直りましたと言われることもあります。 昨日治療室でそのことを来ていた家内も、あなたの手は特別な手だと思いますよ。祈ってもらう時特別な温かさが流れてきますとのこと。 イエス様は、「病人に手を置けば病人はいやされます」(マルコ116:18)と約束されました。手が大きくても小さくても、すべてのクリスチャンの手は癒しの手です。 子どもが転んだりすりむいたり、頭やお腹が痛いという時でも、まずお母さんのやさいい手で触れて、早く治るようアーメンと祈りたいものです。 また、いやしの手は人の手だけでなく、自分の手も癒しの手です。痛む所や辛い個所に手を置いて、いやしを信じ静かにいのることができれば、温熱と同じような効果があると思います。 初めて手のことをやさしい癒しの手ですね、とほめられて今日もまた元気な天国の一日のスタートです。 今朝は授業の後、クリスチャンだけれども教会に行っていないで84歳で召された男性があります。葬儀社に出棺式だけでもと依頼され、簡単な告別式をご家族で天に送ります。主の聖徒の死は、主の御前において尊い!(詩篇116:15) 午後からは、今日85歳の誕生日を迎える方のお祝いに出かけます。毎日が天国の喜びの日です。マルコの福音書16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、 16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」 16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。 16:20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕
2011/09/29
コメント(0)
今日は朝一番にトントン骨治療で家内と大阪まで出かけます。珍しい製骨法ですが、家内がすごく気に入っており、紹介してくれた教会員に感謝しています。 神に愛されている人よ!ダニエル書9:23 あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。10:19 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。 神に愛されている人は、救われ選ばれてことを誇らない謙遜さで生きる喜びを知っています。エペソ人への手紙2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。 また、どんな時でも幼子が母の胸に憩うように、神の豊かな愛に信頼し続けます。イザヤ書43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。エレミヤ書31:3 主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。 それだけでなく、神の愛の計画を知り理解し、平安と希棒に満たされます。エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 さらに何事があろうと勇気を持って立ち上がり、勇敢に生きていきます。ヨハネの福音書16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」与えられた豊かな愛を、受けるよりも与えるほうが幸いと、与える愛に生きる人生です。ルカの福音書6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。 今日もまた天国の一日です!感謝します。
2011/09/28
コメント(0)
周りに若い女性が多い教会や神学校生活です。女性にとって顔はいのちです!などと宣言している者もあります。スッピンこそ美の基本だと化粧なしできれいな方もあります。 またちょっと化粧法をかえるだけで美しくなると、自分だけでなく周りの友人を見違えるように美しくしている者もいます。聖書の創世記には、「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。それは、はなはだ良かった。見よ、それは極めて良かった。はなはだ良かりき。Then God said, "And now we will make human beings; they will be like us and resemble us.」とあります。 人は姿形や顔に関係なく、神に似たものとして造られているので、そのことを心から喜び感謝するとき、顔も愛されたいる喜びに美しく輝くのです。あなたは私の目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している!ありがとうございます。愛されています。感謝します。 もう一つの美しさは心の美です。心がきれいであることは顔や姿形より尊く輝ける秘訣です。少年時代を種子島で過ごしました。島の向こうには世界遺産の屋久島があり、宮之浦岳(九州一の高山)の雪を仰ぐたびに、雪よりも白い心をと願いました。 16歳の時、十字架にいのちを捨ててくださったイエス・キリストの愛を知りました。その愛によってアーメンと信じ、雪よりも白い心が与えられ、御子イエスの血汐にきよめられ続けの人生です。 イザヤ書に、「「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる」とあるとおりです。 また黙示録にも、「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン」とあります。 三番目に、ことばの美しさを上げることができます。ことばはその人の考えが出てくるので、顔が美しくても、心はきれいなんですよと言われても、その人がどのような人かすぐわかります。 美しいことばを話せると美しい心になります。顔も輝きます。反対に汚い言葉や、ネガティブな言葉ばかり使っていると、心が汚くなり顔も醜くなります。 最高にきれいなことばは聖書のことばです。聖書をしっかりあく読んで暗誦し、みことばの告白を自由に死、美しいことばの人になりましょう。 最後に、部屋(事務所や車の中等)をきれいに美しくすることです。片づけの本がイッパイ出ていますが、読むだけでは何も変化しません。 ブログを書きながら机の上を見ると、本が積読になったままです。環境を美化することはすごく大切ですね。 掃除美人、ことば美人、こころ美人になると顔のことでいちいち悩むなんて、つまらないことに思え来ます。気にしないで伸び伸びと笑いながら、今日もまた天国の一日です!感謝しますと叫んでみたいものです。コリント人への第二の手紙2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。 2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。 2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。 2:17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。
2011/09/27
コメント(0)
「自分の足で一歩一歩、それは消えることのない私の人生」と、美しい絵手紙がプリントされた、機関紙が届き、次ページに「秋を歩こう、天高く歩こう!」とありました。 現代人は歩かなくなったと言います。車や電車がなかった江戸時代の庶民の歩数を試算したところ、一日3万歩も歩いたそうです。 それが、便利な車時代になり、なかには一日2000歩も歩かない人も多数になっているようです。 少年時代は種子島でした。中学生のときは片道9キロですから、往復だと35000歩以上歩いたいたことになります。 神学生時代も生駒駅まで歩き、上本町から新今宮までも歩く歩くの生活でした。開拓伝道のときもひたすらに歩き続けてポスティング。 自動車に乗り始めたのが25歳、便利だし時間の節約になるしで、歩くことが少なくなりました。 58歳で左脳内出血で倒れ、元気なってからもムリしてはいけないと自動車生活でした。それから四年後、一日に1万歩歩くくらいのゆとりがあってもと思い立ち、万歩計を着け「ゆとりの1万歩」で歩き始めました。 人間とは歩く動物です。2本足直立歩行は、歩くために効率が良いのです。ウオーキング、手っとり早い運動不足開所法です。ムリなく楽しく続けることが秘訣です。続けると健康貯蓄の残高に大きな差が出てきます。 また、人間は感情から老いるとも言われます。定年を過ぎると生活が単調になります。脳の刺激が少なくなると、老いは急速に進みます。 歩くときは、感動を見つけながら歩くことです。秋の草花、川のせせらぎや鳥の声、色づいてゆくの山の木々、散歩通の方々とのちょっとした会話・・・・人々の雑踏や街のにぎわいなど。 面白い!美しい!あれっと感動すると、脳が回転を始めます。楽しく前向きに歩き続けると、美しいものがいっぱいの地球です。空を見上げれば太陽の輝きだけでなく、流れる雲の形にも感動を覚えます。 脳の活性化から考えると、楽しみながらすることが一番効果的だと思います。 ただし気をつけたいことは、健康を損なう悪習慣はどんない楽しくても、多くの害を身体にも心にも傷を残します。 健やかな志=十字架に真っ直ぐ向かう心=で、神の栄光に向かって、今日もまた天国の一日です!コリント人への第一の手紙9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。 9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。 9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。 9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。 9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。
2011/09/26
コメント(4)
昨日の朝は久しぶりに山に向かって歩きました。家の裏から山へ向かう道があり、2000歩ほどで山麓公園です。 ゆっくり歩いているとスタスタと急ぎ足の男性。おはようございますと挨拶し、その足について見ようと坂道を急ぎました。20メートルほどでかなりの差になり、またマイペースでのゆとりの一万歩に切り替えました。もう一人の方は鉄アレイを両手に坂道を上っていました。 まだ明けやらぬ山道を巨木の森を抜け、水辺の小道を回り、桜並木の道を横切り、万葉の丘まで行こうと思いましたが、まわれ右で下り坂を家まで9500歩の朝のひと時でした。 宅急便をコンビニで出し、歌いつつ祈りつつ、聖句を暗唱しつつ、一石三鳥の小雨の中を、6時前に帰宅しゆとりの一万歩で、日曜日の朝を迎えています。 昨日宅急便が届き開けてみると、先週ABCスタジオで録音したマンガ「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」のナレーションでした。 早速聞いて見ると初めてのナレーションだった神学生の声がCDから流れて来ました。取り直しもなくナレーション録音でしたが、効果音なども入れてあり、すばらしい出来栄えで感謝しています。 東京へ宅急便で送ろうと準備をしながら、マンガがDVDになり種子島原人ページで動画としても流されるのを楽しみにしています。 三万部発行した「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」(20ページ)です。残り少なくなり再版予定もないので、ご希望の方にはお贈りいたします。お申し込みは、elimyoshi@kcn.jp までどうぞ。新しいマンガ「今日もまた天国の一日!」(24ページ)を神学生が描き上げ、受洗54年記念日に出版予定です。 神様の大きな恵みで出版物は次々絶版になるまで売り切れています。 アマゾンでは、「愛・輝きに向かって(ラジオメッセージ集」「30秒の祈りが世界を変える!」「牧師雑感(9月2日発行)」を送料サービスでお求めいただけます。 古本では、「天の虫けら」「朝日放送ラジオメッセージ集・希望の声」「サバンナに愛の光・永遠に」なども検索するとあると思います。 一人でも多くの方にイエス様の十字架と復活の福音を知り、救われた幸せな日々を生き、天国へ行く確信を持ってほしいと願っております。 アーメンと言えば救われます。「イエス様。私の心にお迎えいたします。どうぞお入りください。信じます。アーメン」と、新しい人生をスタートする時でありますようお祈りいたします。ダニエル書9:23 あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。10:19 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。
2011/09/25
コメント(0)
今年の天国聖会は、キリスト教葬儀セミナーを開催し、ライフワーク社社長を講師に迎えました。 クリスチャンと言えども、死についてはなかなか考える事が少ない現実です。クリスチャンと言う観点から、死ぬことと葬儀について考えることができた恵みの一日でした。 キリスト教葬儀は礼拝が中心で、すべての基本にイエス・キリストの十字架と復活が主体となる時です。 故人を崇めることではなく、創造主なる神(主イエス・キリスト)の大いなる業を崇め讃える(賛美)礼拝です。 ご遺族に対し、心からの慰めと励ましの気持ちで接するひとときです。同時に慰めと励ましを神に祈るとりなしのひとときです。 召されたクリスチャンの信仰の証が輝くときであるよう心がけます。 まだイエス・キリストの救いを知らないで、永遠をどこです分からない方々へに、永遠のいのちと天が奥へ行けることを知っていただける場であるよう祈って葬儀に臨みます。 神に与えられたいのちを生き抜き、召された方の遺体を丁重に葬る式です。 全世界で日本ほど葬儀にお金をかける国はありません。葬儀費用合計全国平均231万円、近畿平均は182万円(低価格葬儀社大阪平均112.1万円)2010年全国平均は不況の影響で199万円。 ここ数年、葬儀はどんどん小規模化が進んでいます。平均寿命が上が友人の会葬者が減ったり、核家族化が進んで親戚つき合いが希薄化するなど。また形式化で見栄えばかりを追求する大規模葬儀から、心のこもった葬儀をしたいというニーズが高まりつつあるようです。 また、最近は直送や家族葬等も多くなり、今月召された81歳の教会員は、生前より家族だけで送るよう語っており、遺言にもそのことをしたためてありました。 本人の願いどおりに富雄キリスト教会に、親戚や友人、ご近所の方がを招いて、召天記念礼拝を行う予定です。 人は必ず死を迎えます。その時の備えを考えるすばらしい葬儀セミナーでした。 三日の旅をするにしても、宿泊ホテルは決まっているだけ安心できます。死は永遠への旅です。行き先のホテル(天国の住まい)は決まっていますか。どうぞ永遠の住まい天国への予約をなさってください。 「アーメン。信じます。イエス様を心にお迎えします。アーメン」その時から、今日もまた天国の一日です。感謝しますと、新しい神の子としての歩みがスタートします。ヨハネの福音書 14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」 14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。エペソ人への手紙1:13 またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。 1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
2011/09/24
コメント(2)
みことばとともに信じる道を!今日もまた天国の一日です!マタイの福音書16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。ガラテヤ人への手紙2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。ヨハネの福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。ピリピ人人への手紙4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。幸せが訪れる変化の瞬間私は怒っている。 しかし主は言われる・・・・.ゆるすようにと。私は恐れている。 しかし主は言われる・・・・.勇気をだすようにと。私は疑っている。 しかし主は言われる・・・・.信じるようにと。私は不安になっている。 しかし主は言われる・・・・.安心するようにと。私は楽をしたがっている。 しかし主は言われる・・・・.わたしに従えと。私は種々の計画をしている。 しかし主は言われる・・・・わたしの言うとおりにせよと。私はもうけたがっている。 しかし主は言われる・・・・すべてを放り出せと。私は安全をほしがっている。 しかし彼は言われる・・・・.いのちを投げ出せと。私は良い者だと思っている。 しかし主は言われる・・・・それだけでいいと思ってはならないと。私は第一人者だと思っている。 しかし主は言われる・・・・人に仕えよと。私は理解しようと思っている。 しかし主は言われる・・・・信仰をもてと。私は命令する立場にあると思っている。 しかし主は主は言われる・・・・言うことを聞けと。私は自己満足できると思っている。 しかし主は言われる・・・・人に使われやすくなれと。私は仕返しを望んでいる。 しかし主は言われる・・・・兄弟に気に入られるようになれと。私は腹いせを望んでいる。 しかし主は言われる・・・・別の頬を向けなさいと。私は剣に手をかけている。 しかし主は言われる・・・・.和解せよと。私は自分主は言われる・・・・子どもになれと。私は身を隠そうとしている。 しかし主は言われる・・・・.あなたの光をわたしに示してほしいと。私は第一人者の席を取ろうとしている。 しかし主は言われる・・・・末席を取れと。私は見られたいと思っている。 しかし主は言われる・・・・部屋の中で祈りなさいと。コリント人への第一の手紙10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。ヨハネの福音書14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」 14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
2011/09/23
コメント(0)
台風15号で和歌山県、奈良県は大きな被害が重なっています。東京もや名古屋も洪水の被害で、被災地にも影響が重なっています。ニュースはいま東北を通過し北海道へと報じています。 今年の日本列島は今年大地震や大津波、原発事故放射能漏れや台風12号&15号被害に襲われてきました。重ねて政治も安定せず、同時に世界的紛争や経済の影響をもろに受けています。 作者不詳の、砂の上の足跡という詩があります。慰めと勇気を与える詩で、主がともにおられる幸いを、全国民に体験してほしいと願い祈りながらの、今日もまた天国の一日です!砂の上の足跡ある晩、男が夢を見ていた。夢の中で彼は、イエス様と並んで浜辺を歩いているのだった。そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。どの場面でも、砂の上にはふたりの足跡が残されていた。 ひとつは彼自身のもの、もうひとつはイエス様のものだった。人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。すると彼の人生の道程には、ひとりの足跡しか残っていない場所が、いくつもあるのだった。しかもそれは、彼の人生の中でも、特につらく、悲しいときに起きているのだった。すっかり悩んでしまった彼は、イエス様にそのことをたずねてみた。「イエス様。私があなたに従って生きると決めたとき、あなたはずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。しかし、私の人生のもっとも困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。私が一番にあなたを必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのですか」イエス様は答えられた。 「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」マタイの福音書11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
2011/09/22
コメント(0)
いい人になろういい人のなろう金も力もないけれどもなろうと思えば いつでもなれるいい人になろう困っている人がいるからね待っている人がいるからね助けが欲しいと言ってるからねいい人になろういまだけでいいんだいいひとになろう 詩人(ボランティア仲間九州ラーメン党・理事長)濱田龍郎さんの詩です。人、冠して曰く、詩人、作家、書家、ボランティア活動家と、詩が送られてきた封筒に記されています。 新作マンガ、「今日もまた天国の一日」と表紙が決まり、濱田龍郎さんに題字を書いていただこうと思いお願いしました。すぐ独特の潤いある書が何枚も届き、その中に「いい人になろう」の詩が、達筆で書かれていました。一人で読むのはもったいないと思い、ブログに掲載しました。 種子島原人ホームページでお知り合いになり、自叙伝「貧者の一灯」や詩集「浦上の丘に登れば」などを読みました。種子島の豊かな心を持つ大きな人物です。 ※「貧者の一灯」「詩集川向」「浦上の丘に登れば」など個人詩集6冊刊行。作詞・・森永乳業(株)社歌、ふるさとの歌(下段にあり)、佐世保卸団地歌、ひろやす保育園歌、偶成、ふみしめて歩くなよ、ほたる夜想曲、四季の巡り逢い、阿蘇からの風、ハイゲンキ、 熊本城讃歌、翼が生えた日、など多数。 現在、詩人・作詩(詞)家、作家、講演会、ボランティアなど幅広い活動を行う。8月9日の原爆の日には毎年長崎に来て、原爆落下中心地や平和公園を清掃するなど犠牲者慰霊と平和祈念の行動を続けました。現在は熊本県益城町でラーメン店を営みながら、ボランティア仲間「九州ラーメン党」を立ち上げ、“最後の貧者の一灯になる” ことを胸に秘めながら、障害者の施設や老人ホームなどに無料でラーメンを振る舞い続けています。 ◆活動障がい者家作りプロジェクト基金 (就労継続支援B型事業所そよかかぜ福祉作業所)改築費用に使用します)突発的災害救援活動 (淡路神戸大震災、奄美豪雨災害、東日本大震災) ホームレス、生活困窮者への食事支援。福祉施設老人施設への食事提供福祉講演会 「濱田龍郎とそよかぜ福祉作業所に通う障がい者コンビ」 ハマダタツロー愛のコンサート(歌手大庭照子さんとコラボ)H24.4鹿児島市開催義援金、募金、ボランティアバンクへの募集(善意預り証発行) ホームページで種子島原人を検索すると、ボランティアの紹介や動画などを見ることができます。エペソ人への手紙 2:1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、 2:2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。 2:3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。 2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、 2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。 2:7 それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。 2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
2011/09/20
コメント(0)
一昨年、生駒聖書学院へ入学し献身50周年を迎えたことを感謝し、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」というコミック(20ページ)を3万部発行しました。 種子島の西之表キリスト教会で、イエス・キリストの十字架と復活を聞き、「アーメン。信じます」と信じ、その日(1957年11月24日)に教会前の城之浜海岸で、バプテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンになりました。 その日以来、「アーメンと信じれば救われます」をモットーに恵みの中で、イエス様の救いを伝え続けています。 無口でしたが教会案内のチラシやトラクトを配り続け、富雄キリスト教会で最初に導かれた方々のほとんどはそれを見て教会に導かれました。 現在も、家内のトントン治療や総合病院診療の待ち時間に、ゆとりの1万歩も兼ねながら、マンガや教会案内をポステティングすることしばしばです。 また病院お見舞いや、遠方に遠出すると駐車場の車にマンガや教会案内を置くようにしています。今年も沖縄県、鹿児島県、宮崎県、大分県、熊本県、長崎県、福岡県、岡山県、島根県、鳥取県、岡山県、近畿6県はもちろん、愛知県、岐阜県、三重県、静岡県、長野県、山梨県、東京都、栃木県、群馬県、宮城県、岩手県などに朝の散歩で配ったり、電車の中で渡したりしています。 マンガですので名刺代わりですと、出会う方々に手渡すとほとんど受け取ってもらえるので感謝です。 土曜日も奈良県内の曾根村まで行き、道を訪ねたり道の駅売店に立ち寄ったりするたびに、ありがとうございますと渡すと、受け取りあなたのことですか?と聞かれ、福音を語るチャンスも与えられています。 マンガを見て教会でバプテスマを受けた方々もあり、特に刑務所でマンガを見て聖書希望の手紙もかなり届いています。 10月9日の種子島おじゃり申せ祭りでは、参加される方に200冊配布してくださるとの嬉しさもあります。自然な形での郷里伝道になりそうです。 「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」が残り少なくなりました。しばたまき神学生が、「今日もまた天国の一日」と題して、24ページのマンガを描き終えてくれました。クリスマス前に新しいマンガが出版予定です。 同時に、種子島原人さんが「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」をDVD化するとのお申しでをいただき、朝日放送スタジオで神学生がナレーションを吹き込んでくれました。 初めてのナレーションン朗読でしたが、一回でOKになり二人のディレクターが感心するほどでした。 常に福音のためにはどなことでもする!とチャレンジ中の70歳の朝です。コリント人への第一の手紙9:14 同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。 9:15 しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。 9:16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。 9:17 もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。 9:18 では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。 9:19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。 9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。 9:21 律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。 9:22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。 9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。 9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。 9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。 9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。 9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。天国聖会ご案内 興味のある方、ご参加歓迎します。参加費無料です。席上献金はあります。昼食は持ち寄りで天国の会食を楽しみます。何でもお気軽にお持ちよりくだされば幸いです。会場;生駒聖書学院チャペル(生駒市俵口町951 電話0743-74-7622)日時;9月23日(祭)10時~12時 賛美とセミナー 12時~13時 会食交わり講師;野田和弘氏(株式会社創世ライフワーク社取締役社長) 今日もまた天国の一日です!感謝します。
2011/09/20
コメント(0)
今日は敬老の日です。敬老とは「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことと、法律第178号第2条に定められています。 いつから敬老の日に該当するのかまちまちです。鹿屋市にある教会では90歳から敬老で、エリムキリスト教会は昨年までは65歳でしたが、今年から70歳になりました。地方自治体などでは75歳の所もあります。 現在、全国で65歳以上の人口は、前年より24万人増え、約3千万人。人口に占める割合は23%を超えています。100歳以上も4万人を越え、世界一の長寿はまだ続くでしょう。 しかし、高齢無職世帯の家計収支は、1ヶ月当たり3万8千円の赤字で、貯蓄現在高は3年連続の減少で、悠々自適の高齢者と言うわけにもいかず、高齢者も住みにくい世の中になっているのが現状です。 イエス・キリストを信じ永遠のいのちを与えられ、永遠の天国に行く保証をしっかり持って、平安な心で長寿を全うする人々が多くなるよう祈りながらの敬老の日の朝です。 若い日から大好きなサムエル・ウルマンの青春の詩を、敬老の日のプレゼントにお贈りします。 青春の詩青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意思、豊かな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを降り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも70歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い青春は芥となる。70歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に引かれる心、おさな児のような未知えの探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。詩篇 92:1 主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。 92:2 朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。 92:3 十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。 92:4 主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。 92:5 主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。 92:6 まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。 92:7 悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。 92:8 しかし主よ。あなたはとこしえに、いと高き所におられます。 92:9 おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。不法を行なう者どもがみな、散らされるのです。 92:10 しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。 92:11 私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。 92:12 正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。 92:13 彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。 92:14 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。 92:15 こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。
2011/09/19
コメント(0)
敬老の日は2002年まで9月15日でした。2003年からは移動祝日になり、9月の第3月曜に設定され、9月15日は「老人の日」で、15~21日は「老人週間」です。 最初は1954年に「としよりの日」と制定され、この名前では??と、1964年に「敬老の日」に改められました。1966年からに国民の祝日となりました。 さて、老人というのはだいたい何歳以上か?という意識調査がしばしば行われ、1993年の総理府調査では「70歳以上」という意見が57%ありました。老人福祉法の規定も70歳以上となっているので、エリムキリスト教会も、今年から70歳以上を敬老の日対象者にしています。 敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条で、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことと定められています。 聖書にはどのように書かれているかランダムに引用してみます。レビ記19:13あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。ヨシュア記13:1ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。詩篇71:8 私の口には一日中、あなたの賛美と、あなたの光栄が満ちています。71:9 年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。71:18 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。イザヤ書46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。箴言16:31しらがは栄えの冠である、正しく生きることによってそれが得られる。20:16若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである。17:6孫たちは老人の冠、子らの光栄は彼らの父である。23:22あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない。使徒2:17『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。テトス2:2-3老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。 同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。 たくさんの聖句が、年老いる祝福を約束しています。創世記 24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。 アブラハムのようにあらゆる面で祝福される老年を期待します。年老いることは楽しみであり、永遠への備えが十分にできる幸せを体験したいものです。 サムエル・ウルマンの青春の詩とともに、短い詩ももあるので引用します。どうってことない! 頭が白くても、どうってことない心と考えが若ければ心の中に灯があればくちびるに歌があれば天国聖会ご案内興味のある方はご参加ください。参加費無料で会場献金はあります。昼食は持ち寄りで天国の会食を楽しみます。何でもお気軽にお持ちよりくだされば幸いです。会場;生駒聖書学院チャペル(生駒市俵口町951 電話0743-74-7622)日時;9月23日(祭)10時~12時 賛美とセミナー 12時~13時 会食交わり講師;野田和弘氏(株式会社創世ライフワーク社取締役社長) 今日もまた天国の一日です!感謝します。
2011/09/18
コメント(0)
今週は、ものすごく充実の天国の日々でした。 日曜日は、生駒市と大阪市で二回の礼拝。大阪エリムキリスト教会礼拝後の夕方、湯川胃腸病院のホスピスに見舞いに行きみことばと祈りの時。 月曜日は朝のチャペルと二時間授業。聴講希望者との面接。すぐ軽い昼食で家内をトントン骨治療で大阪市生野区へ。家内の治療中ホスピスへ。また生野区の求道者に「牧師雑感」とパンフレットを届けました。残った時間で家内が食べれる食材を数軒の店を回って購入など。帰宅後すぐ重症の教会員が新しい病院に転院できたので見舞い祈りました。 火曜日は、野菜レストランで学院教授と昼食。店長ともすっかりおなじみになり、無農薬栽培のバイキングで少し食べ過ぎになりそうです。 午後から再びホスピスへ。湯川胃腸病院のご自由にお取りくださいコーナーには、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語』(コミック)と、新刊の「牧師雑感」が置かれています。「牧師雑感」の前は「30秒の祈りが世界を変える!」も置かれていました。 夕方には大阪エリム火曜集会。神学生たちが熱心に新しい方を7名を誘い、神学生のメッセージに、「アーメン信じます」と応答してくれました。 水曜日は昼食を終え書斎でパソコンを開くと、「午前11時57分に召されました』とのメール。大急ぎでホスピスへ。9月2日の81歳誕生日にホスピスへ緊急入院の教会員が、詩篇23篇を娘さんが最後の6節、命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう」を読み終えると、安らかなお顔で眠るように召されました。 本人の強い遺志で愛する家族だけで葬式なしの前夜式でした。木曜日に納棺式を終え、金曜朝に奈良市斎場で最後のお別れでした。 木曜日は朝祷会で全員の朝食の準備をし、「今、それは来、それは成就する」と題して証をしました。その日のデボーションの個所、エゼキエル書39書8節「今、それは来、それは成就する。――神である主の御告げ。――それは、わたしが語った日である」 午後からは納棺式を終えると、葬儀社部長よりキリスト教式で送ってほしい希望者(クリスチャンで所属教会mないらしい)があり、そのときはお願いしますとの依頼の電話。前夜式や納棺式を見ていた社員が連絡したらしい。 金曜朝に奈良市斎場で最後のお別れ。普通は納骨式にも行くのですが、富雄キリスト教会牧師に依頼し、昼過ぎにまた家内に頼まれた食材を自然食の店で購入。 前からの予定だったコミックのナレーション録音で、吹き込みを張り切っている神学生といっしょに朝日放送スタジオへ大急ぎで出かけました。 初めてのナレーションでしたが、二人のディレクターが驚くほど上手に読んでくれたので、DVDの完成と、種子島原人ホームページで動画になるのが楽しみです。 運転中や録音中たくさんの電話があり、知っている者だけに連絡したら、こちらの対応が悪かったらしく、前から聞いていたことだったので最後まで詳しい話を聞かず、「分かりました。感謝します」で失礼してしまいました。 再びメールが入り厳しい思い込みのことばが並べられ、誤解と不快そのものの言葉が連なられていました。誤解を解く必要もないと思い、簡単に謝罪のことばを送りました。 相手が不愉快な気持ちになっていることはこちらが悪くなくても、相手にそのような気持ちを与えたのだから、こちらから謝るほうがよいのです。人間関係に十分気をつけているつもりですが、決めつけてしまう方との対話やメールには戸惑うことも多い、70歳を迎えてもまだ修業中の牧師です。 そんな日々の中でもゆとりの一万歩を欠かさず歩き続けています。昨日届いた機関紙に、「秋を歩こう!天高く歩こう!」と美しい絵がありました。 明日の礼拝の備えとともに、お訪ねしたい家もあり、今日もまた天国の一日です!感謝します。詩篇23:1 【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 23:2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い 23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。 23:4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。 23:5 わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。 23:6 命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。
2011/09/17
コメント(0)
毎年秋分の日(23日)に、エリムキリスト教会は天国聖会を行います。 初回は、三歳の長男が痛みと苦しみのなかで、イエス様が・・・・と幼い口調で天国を見ながら召され、その日より牧師としての使命をより強く与えられ、すばらしい教会を形成され牧師のメッセージ。 第二回目、吉本新喜劇座長の奥目のハッチャンとして人気を博した故・岡八朗の長女、市岡祐子さん。お母さんの自殺、弟の死、父のアルコール依存症などの苦難を負うなか、ニューヨークのハーレムでゴスペル音楽に出会い、慰められゴスペルシンガーの道に進み、壮絶な葛藤の末に手にした父娘の絆。 岡八郎も64歳で召される前にイエス様を信じて天国へ。絶望からの再起を、ゴスペルソングや大阪弁トークも交えての講演で好評でした。 第三回、家内の親しい牧師夫人が64歳で突然の心不全でイースターの前夜に召され、すばらしい愛と祈りの教会の牧師が、愛する妻を天に召されたことを感動の涙とともにメッセージ。 第四回、森祐理さんが阪神大震災で実弟(神戸大学生)を召された傷からいやされ、多くの方々にいやしと慰めの美しい歌声を響かせてくれました。彼女はいま、ブラジルの諸教会を巡回中です。 第五回目も、歌手の本田路津子さんで、美しく軽やか歌声を天にも響けと歌ってくれました。 昨年は、女で一つで育ててくれたは母が、突然召された沖縄の牧師が、家族七名で来てくれました。 海兵隊の父との間でアメリカで生まれ、国籍はアメリカ。今なおそのことを感謝しつつ、語りきれないほどの恵みや里親としての子育てを、愛と涙で天国の母にも届けと情熱のメッセージでした。 今年は、もう少し天国について詳しく知りたいとの声もあり、前田牧師が昨年「終活ファッションショー」に出演したことなども考え、祈りの中で「生きる葬式」を示されました。 死は終わりではなく新しい生へのスタートです。今日もまた天国の一日です!と告白し続けています。死とともに文字通り永遠の天国へのスタートです。 美しく死に、美しく葬られ、死んだ者も残された家族も、さらに美しく輝いて生きるような葬式をしたいと願っています。 ですから今年は、葬儀社の社長に葬式心得セミナーをしてもらうことになりました。 興味のある方はご参加ください。参加費無料で会場献金はあります。昼食は持ち寄りで天国の会食を楽しみます。何でもお気軽にお持ちよりくだされば幸いです。会場;生駒聖書学院チャペル(生駒市俵口町951 電話0743-74-7622)日時;9月23日(祭)10時~12時 賛美とセミナー 12時~13時 会食交わり講師;野田和弘氏(株式会社創世ライフワーク社取締役社長) 今日もまた天国の一日です!感謝します。ヨハネの第一の手紙5:9 もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。5:10 神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。5:16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。5:17 不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。5:19 私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。5:20 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。5:21 子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
2011/09/16
コメント(0)
クリスチャン新聞(9月18日号)関西版に、「一家ずぶ濡れニコニコ洗礼式--生駒聖書学院教会で3代そろって受洗」と記事が掲載されました。 先月17日(日)に7名が洗礼を受けました。祖父、息子、孫と三代そろってのバプテスマでした。祖父は、富雄キリスト教会礼拝に奥さま送迎で礼拝に出席し続けていましたが、アーメン。信じますと告白しても洗礼は受けないままっでした。 六年生の孫が、「爺ちゃん。僕こんど洗礼をうけるからいっしょに受けよう!」と電話しました。一度はことばをためらいましたがすぐ電話をかけなおし、「爺も受けるよ」と決意を伝え、三代そろってバプテスマ式に臨みました。 糖尿から併発したすい臓がん、さらに肝臓へも転移があり、洗礼を受けた翌日より入院。すぐ末期と宣告され抗がん剤治療を受けずに、奇跡的にホスピスへ転院になりました。 ホスピスは空きがなく二週間待機が普通だそうです。本人と家族の祈り、また病院の配慮により、ちょうど81歳の誕生日にホスピスへ移ることができました。 ホスピスの理事長は、普通はあり得ないことです。神様の恵み以外の何物でもありませんと、詳しく説明してくれました。 ちなみに湯川胃腸病院には、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語』のマンガと、新刊「牧師雑感」が、ご自由にお持ち帰りくださいコーナーに置かれています。 日曜日の礼拝後と月曜日、水曜日に見舞い詩篇23篇を読み祈りました。昨日、娘さんが読む詩篇23篇を聞きながら、最後の節、「私はいつまでも主の家(天国)に住むでしょうとの朗読が終わり、アーメンのことばとともに天国と召されました。 本人の強い遺志により葬儀なしで家族だけで送ることになり、昨夜自宅でお別れの賛美と祈りで過ごしました。 人生を誠実に生き抜き、アーメンと信じてバプテスマを受け、81歳の誕生日を迎えて直後に、天国へ旅立って行った聖徒の死は尊く、素晴らしい召され方だったと感動しております。ヨハネの黙示録14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」 21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
2011/09/15
コメント(1)
クリスチャン新聞二、生駒聖書学院神学生の夏季伝道の体験が掲載されました。お読みいただければ幸いです。 教会の牧師、伝道師や信徒が約束もなく地域の家々を訪問しているのは、何か異端の訪問伝道と間違われてしまいそう。 そんな心配を一つ打ち砕いたのが、昭和橋キリスト教会(木下信行牧師)が今年の夏に“期間限定”で行った“何でもボランティア”。いわば無料の便利屋さん伝道で、ご近所の隣り人になっていく働きとなった。 “何でもボランティア”を考え、実践したのは、同教会出身の近藤成次神学生(生駒聖書学院)。 近藤さんは、5月に東日本大震災の被災地へボランティア活動に行き、「高齢者の方の家で、2階にあるものを1階に下ろしてほしい、というような手助けが多かったのです。これは、私たちの教会の地域でも高齢者の方が多いので、同じお手伝いができるのではないかと思わされた」という。 神学校の夏休み前に、教会の近隣8千軒に新聞折り込みで「【期間限定】何でもボランティア〈無料〉どなたでもご遠慮なくどうぞ」のチラシを配布した。 内容は、「高齢者住宅などの家具の移動、お掃除・片付け、お話聞きます(傾聴)、庭の草刈り、犬の散歩、本の朗読など」誰にでも出来そうな作業案内と東北被災地でのボランティア報告や教会のイベント案内。 依頼の電話がどれほどあったのか気になるところだが、「まったく有りませんでした(笑)。待っているだけでは来ないので、こちらから行くということですね」。 そこで、配布した地域の家を作業着姿で一軒一軒訪問した。まさに、御用聞き。「地域への訪問伝道は5回目になるのですが、新聞に折り込みチラシを配布していた効果は大きかったです。以前は、いぶかしく思われている感じでしたが、今回はチラシを見て覚えていてくださった方もいて対応は全然違いました」。作業を頼まれたのはペンキ塗りだけで「ほとんどがお話を聞く、傾聴ボランティアでした」。 この“何でもボランティア”の働きをとおして、傾聴のため訪問できるコミュニケーションが数軒とれるようになった。その中から教会の夜の集会に出席した人もいる。 近藤さんは“何でもボランティア”を実際にやってみて「とにかく遜るしかないなと思わされました。お年寄りは、まだ自分で出来るという思いを強く持っておられる。ですから、『ありがとう。でも、今はいい。そのうち必要になるから』と言ってくださる方もおられました。頼まれることも、簾を掛けるとか、ペンキを塗るとか、誰でもできること。誰にでもできることは見下されるものなのですが、キリスト者として遜る思いでさせていただくことの大切さを実感しました」という。 近隣の人たちの中に飛び込んで行けたことで、「教会がどういうことをしているのかが分かった」という声も聞こえてきた。近藤さんの報告を受けて、木下牧師は「こんな働きもあったのかと喜んでくださった」という。 来年神学校を卒業予定の近藤さん。教会に奉職できるようになったら「期間限定ではなく、教会のオープンな働きにしてニーズに応えていきたい」と語る。地域の人たちの隣り人になり、仕えていくビジョンが与えられたようだ。 昭和橋キリスト教会=名古屋市中川区昭和橋通1ノ2 http://www.showabashichurch.net/マタイの福音書7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。ルカの福音書6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」 使徒の働き20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
2011/09/14
コメント(0)
秋分の日(23日)に、エリムキリスト教会は天国聖会を行っています。 初回は、三歳の長男が痛みと苦しみのなかで、イエス様が・・・・と幼い口調で天国を見ながら召され、その日より牧師としての使命をより強く与えられ、すばらしい教会を形成され牧師のメッセージ。 第二回目、吉本新喜劇座長の奥目のハッチャンとして人気を博した故・岡八朗の長女、市岡祐子さん。お母さんの自殺、弟の死、父のアルコール依存症などの苦難を負うなか、ニューヨークのハーレムでゴスペル音楽に出会い、慰められゴスペルシンガーの道に進み、壮絶な葛藤の末に手にした父娘の絆。 岡八郎も64歳で召される前にイエス様を信じて天国へ。絶望からの再起を、ゴスペルソングや大阪弁トークも交えての講演で好評でした。 第三回、家内の親しい牧師夫人が64歳で突然の心不全でイースターの前夜に召され、すばらしい愛と祈りの教会の牧師が、愛する妻を天に召されたことを感動の涙とともにメッセージ。 第四回、森祐理さんが阪神大震災で実弟(神戸大学生)を召された傷からいやされ、多くの方々にいやしと慰めの美しい歌声を響かせてくれました。彼女はいま、ブラジルの諸教会を巡回中です。 第五回目も、歌手の本田路津子さんで、美しく軽やか歌声を天にも響けと歌ってくれました。 昨年は、女で一つで育ててくれたは母が、突然召された沖縄の牧師が、家族七名で来てくれました。 海兵隊の父との間でアメリカで生まれ、国籍はアメリカ。今なおそのことを感謝しつつ、語りきれないほどの恵みや里親としての子育てを、愛と涙で天国の母にも届けと情熱のメッセージでした。 今年は、もう少し天国について詳しく知りたいとの声もあり、前田牧師が昨年「終活ファッションショー」に出演したことなども考え、祈りの中で「生きる葬式」を示されました。 死は終わりではなく新しい生へのスタートです。今日もまた天国の一日です!と告白し続けています。死とともに文字通り永遠の天国へのスタートです。 美しく死に、美しく葬られ、死んだ者も残された家族も、さらに美しく輝いて生きるような葬式をしたいと願っています。 ですから今年は、葬儀社の社長に葬式心得セミナーをしてもらうことになりました。 興味のある方はご参加ください。参加費無料で会場献金はあります。昼食は持ち寄りで天国の会食を楽しみます。何でもお気軽にお持ちよりくだされば幸いです。会場;生駒聖書学院チャペル(生駒市俵口町951 電話0743-74-7622)日時;9月23日(祭)10時~12時 賛美とセミナー 12時~13時 会食交わり講師;野田和弘氏(株式会社創世ライフワーク社取締役社長) 今日もまた天国の一日です!感謝します。ヨハネの第一の手紙5:9 もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。 5:10 神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。 5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。 5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。 5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。 5:16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。 5:17 不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。 5:18 神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。 5:19 私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。 5:20 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。 5:21 子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
2011/09/13
コメント(1)
NHKスペシャル「寿命は延ばせる!」で紹介され、老化防止の長寿遺伝子として注目の《サーチュイン遺伝子》を活性化する、レスベラトロールが話題になっています。 「誰でも125歳まで生きられる驚異のアンチエイジング法」(浅井隆著/(第二海援隊定価税込千円) 著者の体験とともに、具体的なアンチエイジング法を公開しています。 長寿遺伝子(サーチュイン)を活性化させると、脳も血管も活性化し、元気に活動できることは幸いです。 大阪の礼拝に行く途中、後ろの席から70歳になったらロマンスグレーが似合うと思います。あまり黒々でふさふさの髪だと染めてると思われるから・・・・と、変なアドバイスを受けました。 中学生のころから、健康の秘訣は、美しい血流がきれいな血管をサラサラと流れていればOKだとおもっていました。種子島で16歳でクリスチャンになり、自分の身体の全部(血液も含めて)が新しくなった、神を宿す神殿になったと信じました。 70歳までノンアルコールで、タバコを触ったこともない日々を与えられています。酒、タバコや不節制は健康を損なうと言われます。 健康で長寿の秘訣は、良い水を飲み、食事量も80パーセント(腹八分)にし、酒、たばこを止めれるだけでも、ストレスからも解放され伸び伸びと生きることができます。 いつまで地上のいのちを生きるか誰にも分かりません。使命を果たし終えたら、神様の召しがあり天国へ帰ることができます。 健康で長生きするに越したことはありませんが、イエス・キリストを信じて罪を赦され、神の子となり永遠のいのちを持つことにまさる幸いはありません。 健康である恵みを感謝し、傲慢にならずへりくだって主のいやしを確信し、ちょとした努力も重ねつつ今日も元気です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。イザヤ書57:15 いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。詩篇51:17 神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。ヤコブへの手紙4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。4:11 兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。あなたが、もし律法をさばくなら、律法を守る者ではなくて、さばく者です。4:12 律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。
2011/09/12
コメント(0)
昨日、「誰でも125歳まで生きられる驚異アンチエイジング法」と言うセミナーに参加しました。 NHKスペシャル「寿命は延ばせる!」50分で紹介され、老化防止の長寿遺伝子として注目の《サーチュイン遺伝子》を活性化する、レスベラトロールについての講演でした。 講師の浅井隆(1954年生57歳)先生は、「誰でも125歳まで生きられる驚異アンチエイジング法」(第二海援隊定価952円+税)を発行したばかりです 自分の体験を含めて具体的にアンチエイジング法を公開してくれました。 レスベラトロールが薬として許可されるのは少なくとも十数年後かかるそうです。けれども、サプリとちょっとした努力であなたの人生は変わります! 長寿遺伝子(サーチュイン)を活性化させると、脳も血管も活性化し、どんどん若返えります。講師も二か月で劇的な変化を体験し、7キロの減量に成功し、経済書を1ケ月で1冊執筆出版。脳の働きも二倍に活性化し、疲れもなく世界中を飛び回っているとのこと。海外帰りだが東京から大阪へ着き、以前は時差ぼけに悩まされていたが、元気で講演会に臨んだと57歳の自信にあふれた顔での4時間の講演でした。 本来は経済講演会ですが、健康の喜びを伝えたいと「誰でも125歳まで生きられる驚異アンチエイジング法」を全般に盛り込んだとのこと。知らずに参加しましたが、経済講演も聞いてきました。 健康の秘訣は、美しい血流がきれいな血管をサラサラと流れていればOKです。 良い水を飲み、食事量も80パーセント(腹八分)にし、酒、たばこを止めればOK。但し、高齢者は食事を減らすと返って逆効果。 白米ではなく玄米食をしっかり良く噛む(100回) 免疫食材ならなお最高です レスベラトロールには、赤ワイン(ポリフェノール)100本分が凝縮されているそうです。 健康で長生きするに越したことはありませんが、イエス・キリストを信じて罪を赦され、神の子となり永遠のいのちを持つことにまさる幸いはありません。 たとえ125歳まで生きたとしても、必ず死にます。死後の終着駅が地獄であれば、恐れと不安におびえながらの長寿に意味があるでしょうか。 使命を与えられ、健康も長寿も守られるクリスチャン人生をぜひ経験なさってください。 イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じ、心にイエス様をお迎えください。その日から、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。新しい平安と喜びあふれる幸せが永遠に続きます。ルカの福音書4:18-19 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられ(圧迫され・打ちひしがれ)ている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」 いま125歳長寿も必要ですが、永遠のいのちの福音を日本は必要としています。アーメン!
2011/09/11
コメント(2)
トントン骨調整法という治療を70歳の誕生プレゼントに贈られました。マッサージをしたことも、肩たたき・肩をもんでもらったこともない身体です。サウナにも風呂(朝晩シャワーだけ)もほとんで入らない人生です。 運動もほとんでどしないし、逆立ちも一度もしたことがない、ただ歩くことは「ゆとりの一万歩」が10月で満八年になります。 頭のてっぺんから足のつま先まで、トントンと2時間叩きながら腰まで来ました。きついパンツでですね。ゴムを切りますよと言うと、大きな裁ちハサミで両サイドのゴムをパチパチと切ってしまいました。 足首には靴下のゴムの跡がくっきりついていました。きついゴムの靴下もダメですとのこと。 いつもキッチリしていないと落ち着かない70歳までの人生です。先週はユニクロでXLのパンツを買い、骨調整法(調整する骨はほとんでないのっですが)のアドバイスに従っています。 骨調整法で強調されているのは、靴下のゴムが身体によくないということです。パンツのゴムも同じです。ゴムで足首、足の付け根や腰を締め付けることで、骨が変形してしまうからだそうです。 骨と言うとすぐ骸骨を想像し硬いと思いますが、生きた身体の中にある骨は200余りあり、日々新しい骨の組織をつくり出し、およそ3年ですべての組織が入れ替わるそうです。 骨は体内で毎日毎日、骨自身が生きているので、硬く締め付けると、骨の組織もストレスを感じて、いつの間にか骨が変形してしまうのです。 骨の働きは、筋肉とともに身体を動かします。 身体の各部の基礎で、身体を形づくり、それを保持します。 脳や内臓など重要器官の容器で、それらを保護するものです。 硬いだけでなく、腰を伸ばしたり屈んだり、若い時は骨も柔らかく自由に動きます。高齢になるとドッコイショと身体の柔軟に動かなくなるわけです。 そんな話をクリスチャンの先生に聞きながら、信仰生活も同じだなと考えさせられました。イエス様の十字架の救いは、すべての締め付けからまったく解放してくださいました。 罪から解き放ち、義とされた平安を与えられ正しく生きる救いです。 病を癒され健やかに元気に生きる救いです。 呪いから解き放たれて、祝福だけの幸せ人生です。 貧しさから救い出されて、心豊かに何をしても成功し繁栄する人生です。 死から贖いだされて、永遠のいのちを与えられ天国へ行く最高の救いです。 復活のいのちが聖霊により内に与えられ、いのちと活力、エネルギーとパワーの自由な人生です。 ところが多くの縛りがあり、罪責感、劣等感、敗北感、試練や困難、問題や悩み、苦しみなど様々な問題で平安を失い、不平不満、呟きや文句、悪口や泣き言などで縛られてしまっています。 聖会や特別集会ではメッセージを聞いていると恵まれますが、かえって自分はだめだと不信仰に縛られてしますことすらあります。 信仰は窮屈なものではありません。すべての重荷をイエス様におゆだねする時、すぐに平安とくつろぎが与えられます。アーメンと聖書のことばに応答するだけです。信仰の本質は聖書のことばにあります。神のことばは生きていて力があります。 あれやこれや悩みで自分を縛らず、聖書のみことばでトントンと、聖霊様の愛で心を叩いてもらいましょう。明日の礼拝メッセージもきっと心を軽く自由にしてくれるでしょう。ガラテヤ人への手紙5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。 5:2 よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。 5:3 割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。 5:4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。 5:5 私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。 5:6 キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。 5:7 あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。 5:8 そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。 5:9 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。 5:10 私は主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、だれであろうと、さばきを受けるのです。 5:11 兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。 5:12 あなたがたをかき乱す者どもは、いっそのこと不具になってしまうほうがよいのです。 5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。 5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。 5:15 もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。 5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。 5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、 5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。 5:25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 5:26 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。
2011/09/10
コメント(0)
人間は祈ることができるから生きることができるのです。祈りは聞かれると聖書は約束しています。 祈っても答えられないのはなぜですか?と質問を受けました。聖書に答えられない理由を述べています。疑う心 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。(ヤコブの手紙 1:6-7)願わない、求めない あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。(ヤコブ4:2)悪い動機 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。 (ヤコブ4:3)不義や罪 もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。(詩篇66:18) しかし、祈りは聞かれることを聖書は約束しています。 詩篇66:19 しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。 66:20 ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。 66:19 しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。 66:20 ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。
2011/09/09
コメント(0)
聖書を読んでいると、信じる者への豊かな報いの約束がたくさん与えられています。 今日から、創世記聖書講義が始まります。 その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1-3) ここには7つの祝福が約束されています。わたしはあなたを大いなる国民とするあなたを祝福するあなたの名を大いなるものとするあなたの名は祝福とするあなたを祝福する者をわたしは祝福するあなたをのろう者をわたしはのろう地上のすべての民族は、あなたによって祝福される アブラハムが戦いと経済的試練に出会ったとき、神は彼に語りかけました。 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい](創世記15:1) 人生には、様々な恐れがあります。聖書には恐れるな、怖がるな、怯えるななど365回もと書かれています。毎日、毎日、愛なる神は優しく語りかけ、盾となって守ってくださいます。 それだけでなく、「あなたの受ける報いは大きい」と、損失を上回る報酬を約束しています。 ちょと損しただけで大騒ぎするものですが、大きな損失にもかかわらず、大丈夫だ!と豊かな報いを約束している恵みに感謝します。 新約聖書のヘブル人の手紙には、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである」(11:6)とあります。 神を求める者に報いてくださる!アーメン。必ず報いてくださる。感謝します。 どのような報いでしょうか。 第一に、永遠のいのちの報いです。今日もまた天国の一日です!そして、地上のいのち(寿命)が終わると、永遠の天国へ召される豊かな報いです。 第二に、精神的な報いです。心がいつも平安と感謝にあふれている、心豊かな人生が報いを与えられます。 第三に、肉体的な報いです。健康が支えられ守られる報いです。たとえ病になろうともいやしの約束があり、健康を祈る恵みです。そして寿命はいつかは終わり必ず死にます。肉体を持って永遠に生き続けることはありません。死ぬときは死ぬと言う恵みが報いとして与えられます。 第四に、この地上に生きる限り、物質的な祝福も報いとして与えられます。今、持っているもので満足しなさい。欲張りではなく、与えられたもので満足し感謝するという報いは幸いです。 第五の働きに対する報いです。 「しかし、あなたがたこそ強くあってほしいのです。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いが伴っているからです」(歴代誌下15:7) 豊かな報いを確信を持って、楽しく期待したいものです。ヘブル10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。黙示録22:12 見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。アーメン。
2011/09/08
コメント(2)
昨日は、10月ラジオ放送録音でABCスタジオでした。新しい建物になりましたが、警備員の方々も顔なじみも多くなりました。 いつも車で行くので駐車場もちゃんと確保され、その足で大阪エリムキリスト教会集会へ行くので、録音は火曜日にしています。 種子島の牧師さんとして局内でも有名?ですよと、ディレクターに言われました。有名な牧師ではなくて、種子島、種子島と口を開くので、そうい言われているみたいです。とても光栄に思いました。生まれ育った種子島をひとりでも多くの方に知ってほしいからです。 今朝も5時過ぎにチャペルへ降りて行くと、キャンパス内でカメラをセッティングしている壮年の方があり、あはようございますと挨拶。学院から見る矢田丘陵を染め昇る朝日を待っていました。我が家の前ならもっと見えますよと案内し、種子島からここに来ましたとマンガと本をプレゼント。岡山市から奈良へ来て35過ぎとのこと。素敵な紳士との日の出前の出会いでした。 ホームページ種子島原人で、種子島輝きの人を検索すると、種子島について語っている動画があります。原人さんが好意で動画とページを作成してくださり感謝しています。 そのページには種子島の情報が満載です。種子島時休=日本のガスタービン開発先駆者&日本初のジェット機「橘花」の開発者 最後の特攻兵士日高保(たもつ)=作家日高恒太郎も種子島出身で、不時着、名も知らぬ遠き島よりなど著作多数。種子島が生んだ明治の新聞人西村天囚(本名・時彦)=天声人語の名付け親。 生前出会った方には、洋画家の日高蔀(しとみ)があります。渡仏し3000点の洋画を残しています。 今、活躍中の詩人、濱田 龍郎(はまだたつろう)さんがあります。そよかぜ福祉作業所代表 夢実行塾塾長。何よりもNPO法人ボランティア九州ラーメン党の理事長で有名です。「九州ラーメン党」とは、ラーメン好きの仲間がつくったボランティア団体。(ラーメンの種類やラーメンチェーン店でも、政治団体の名前でもありません)」 阪神大震災や新潟地震、東日本大震災地域に熊本から大型バスで機材や材料を積み込み、現地でラーメンを何千食と作り、自らはすい臓がんを抱えながらいのちがけでボランティア活動に打ち込んでおられます。九州では、福祉施設などを巡回し、おいしいラーメンをその場で作り提供しているスゴイ方です。 10月9日(日)は種子島ふるさと芸術祭を、西之表市区民会館で主催されます。種子島のみなさんお出かけください。 上記以外にもスゴイ種子島情報満載のホームページをぜひ検索ください。原人さんは東京在住でボランティアで作成されています。種子島原人 http://genjin3.web.fc2.com/ブログ種子島原人 http://gold.ap.teacup.com/genjin/ 種子島の動画 http://www.youtube.com/profile?user=genjin3#g/uヘブル人への手紙 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 11:7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。 11:8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。 11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。 11:10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。 11:11 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。 11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。 11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。 11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 故郷の種子島を思いつつ、魂の故郷天国への思いとともに、今日もまた天国の一日です!
2011/09/07
コメント(0)
生駒聖書学院二学期がスタートし、9月入学生は27歳の青年を迎えました。 男性最高齢は64歳、平均年齢がかなり高く落ち着いた雰囲気の中で学期スタートです。 今日は草刈り清掃日。広い敷地をエデンの園のようにと願いながら、神学生たちといっしょに動こうと思う朝です。 日課の聖書個所が、エゼキエル書になります。エゼキエル(Ezekiel)は「神が強くする」と言う意味の名前です。自分は強いと宣言するよりも、「神が強くする」と告白すると、さらに聖霊の力が注がれます。 「私は、私を強くしてくださる方によりどんなことでもできるのです!」と宣言し、「ありがとうございます。私は、私を強くしてくださったイエス様に、感謝します!」と告白する人は幸いです。 エゼキエルは、紀元前6世紀頃の預言者です。祭司の息子で、預言者の中では最も祭司的色合いが濃い人物です。 紀元前597年ユダ王のエホヤキンと共に、バビロン捕囚人として移住させられ、5年後に預言者として召命を受けした。当時のユダはゼデキヤ王時代であり、エレミヤが預言の活動を行っていた。エレミヤより若い預言者です。 環境次第だと言われますが、最悪の環境の中でエゼキエルに、神の召しと使命が与えられ、異郷の中での預言活動がはじまりました。 その中心的主張は、「あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか」(18:31)です。 日本の現実を考えると、罪が蔓延し自分のことしか考えないドライな世代が幅を利かせています。正義は国を高くし、罪は民を辱めるのです。 さらにエゼキエルは、「わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。 それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行なうためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる(11:19-20)と語りました。 石の心、それは頑固で融通は利かず、頑なでうなじの強い人の心です。意思の強さを誇る人もあります。でもその意思が石のように頑なな思考や決断だけなら、真の神の前にアーメンと跪くことはできません。 幼子のような素直さで、イエス・キリストの十字架の救いを信じるなら、やさしい肉の心、素直にアーメン信じますと言うことができます。「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。 わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる」(36:26-27) 今朝もそのような素直な気持ちで、イエス・キリストの十字架の福音を、アーメン信じますと信じ、同時に復活のイエス・キリストを心にお迎えなさってください。その時から、「神が私を強くする」新しい天国の日々がスタートします。ヨハネの黙示録18:31 あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
2011/09/06
コメント(196)
午後の大阪エリム礼拝メッセージ中、外へ出ようとした方がドアを開けようとしたら、不思議に開かない。何べん押しても引いても動かずパニック状態になり、メッセージも中断しない聞こえないほど。 いつもより大勢の出席者で、ケニアの青年たちも五人出席。やっとドアが開き嵐が静まった。後で担当者に聞いたら、ちょとしたコツがあって普通に開くとのこと。 和食の公式に五味五色五法があり、五味とは甘味、塩味、酸味、苦み、旨味であり、辛みは味ではない。人生も甘さばかりでは味気なく、酸っぱさや苦みもあり、塩を利かせる必要もあり、それらの全てが合いまって、恵まれ祝されるのが人生の醍醐味だと話している途中の出来ごとでした。 神のなさることはみなその時にかなって美しい!ハレルヤ。 帰りにはホスピスへ入院した教会員を訪問、タクシーがすぐ来ると思ったが、なかなかで歩き続け、鶴橋駅までワンメーターの所で乗ることができました。帰宅は午後8時。 今日は入学式。27歳の青年がひとり入学し、同時に始業式です。始業式後はいつものようにバイキング昼食会。今日は牧師会あるので神学生たちとゲストを送り出し行かない決めている。 明日はチャペルが休みなので、学院チャペル礼拝動画配信は7日(水)の副院長メッセージからです。二学期終了日まで、神学生たちといっしょに礼拝をお楽しみください。明日は院長メッセージだけです。 今日もまた天国の一日です! 台風のため水害にあった地域の平安と回復をお祈りいたします。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。 8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
2011/09/05
コメント(0)
台風12号接近の9月2日(1941年・昭和16年生)に70歳の誕生日を迎えました。 教会の聖書日課が哀歌だったこともあり、誕生日前にふさわしい聖書のことばに、夢と希望と勇気が与えられての朝でした。 タマガッタあー(魂が舞い上がる・種子島方言)70歳のスタートで、最初の礼拝メッセージです。哀歌3:19 私の悩みとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。3:20 私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。3:49 私の目は絶えず涙を流して、やむことなく、3:50 主が天から見おろして、顧みてくださる時まで続く。3:54 水は私の頭の上にあふれ、私は「もう絶望だ。」と言った。3:55 「主よ。私は深い穴から御名を呼びました。3:56 あなたは私の声を聞かれました。救いを求める私の叫びに耳を閉じないでください。3:57 私があなたに呼ばわるとき、あなたは近づいて、『恐れるな。』と仰せられました。3:58 主よ。あなたは、私のたましいの訴えを弁護して、私のいのちを贖ってくださいました。3:59 主よ。あなたは、私がしいたげられるのをご覧になりました。どうか、私の訴えを正しくさばいてください。コリント人への第一の手紙10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。種子島原人で広がる恵みと交わり 1941年9月2日に種子島の真ん中で生まれた。17歳で種子島を出た。それ以来13年、種子島が大きな祝福となって帰ってきた。故郷は遠くにありて思うもの。思い出の川や山も海も。 種子島輝きの人ページ。古市静子紹介動画。濱田龍郎さんラーメン党。何とマンガDVD!ももうすぐ作成される。 貧しい家に父なし子として生まれた。主食はカライモ、サトイモ、ジャガイモ、トウモロコシ。おかずは野菜だけ=ニンジン、大根、ごぼう、玉ねぎ、ネギ、ニラ、ニンニク、白菜、キャベツ、ホウレンソウ、菊菜、水菜、ふだん草、トマト、カボチャ、キューり、なす、冬瓜、うり。山菜=わらび、ぜんまい、つわぶきに蕗、山いちご、野葡萄、サクランボ、桑の実、竹の子、ヤマイモ。家の周りには、リンゴ以外の果物。みかん、きんかん、ぼんたん、夏ミカン、ゆず、カキに栗、もも、ヤマモモなど、パッションフルーツなどもあった。みょうがも生姜山! 肉や魚はほとんど食べたこともないし、食べなかった。卵も山羊の乳も、時々食べる豆腐の厚揚げが最高のごちそう。 日本人がウェットな国民であるのは、その食生活に多いに関係がありそうです。海の幸、山の幸をふんだんに使っていますが、どの料理もウェットです。 一方、欧米料理は、気候風土の関係から保存がきく食品が多くなりました。また狩猟民族は、常に移動していましたので、持ち運びに便利は食品が発達しました。ビーフジャーキーなどは、その典型で、西部開拓時代の名残と言えます。ハンバーガーもそうです。日本人はハンバーガーを、飲物なしでは食べるのはちょっとという感じを持ちます。彼らは平気です。 典型的な日本人は、やはり、ウェットな食事を好みます。つゆがたくさんのうどん・そばなどはウェットな食事の典型です。そして、安心して食べることができます。 最近では、若い人たちの食生活も欧米風になってきていますので、ドライな人間が増えていくことは確実です。 日本料理では、「五味五色五法」という定式(ていしき)があります。料理は、全体バランスを考えて、甘味、辛味、塩味、苦味、酸味の五つの味付けけがしてあります。また、赤、青、黄、白、黒の五つの色彩をうまく取り入れ、季節感を出しています。「五法」とは、「焼く」「煮る」「蒸す」「揚げる」そしてお造りのように生を活かした料理方法を指します。料理人はいつもこれらの定式を考え、料理し、盛りつけを行ないます。 欧米人の味の基本は、「甘い」「塩からい」「酸っぱい」「苦い」の4種類だそうです。そのためか、アメリカ料理などその典型ですが、欧米の食事はなんとなく大味すぎると感じる日本人は少なくありません。 欧米の4種類の基本味に対して、日本には、もう一つの味が存在しています。それは「うま味(旨味)です。味噌、醤油、昆布、鰹節、煮干、シイタケなどでダシをとります。このダシに含まれているのがうま味です。科学的に分析すると、このダシは、食品が自己分解したときにでてくるアミノ酸だそうです。うま味 = アミノ酸 = 日本人の味。安心して食べることができるものを安定食品(安心料理)と呼んでいます。 人間の舌が感じる味は5つあります。甘味、苦味、酸味、塩味、そして旨味です。辛味は、舌の味を感じる部分ではなく、痛覚を刺激するので、正確な意味での味ではありません。 6番目の味覚として認定される可能性がある。トルドフによれば、「苦くて、恐らくちょっと酸っぱい」味だという。ヒトの感じる味の種類には甘味、酸味、塩味、苦味およびうま味があるとされるが、新たに“カルシウム味”が加えられる可能性があるという。 (この項目検索より) 人生も同じように様々な味付けがあって、その人の旨みが出てくるのです! 3:21 私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。3:24 主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 70歳の誕生日を迎え、想定外の祝福をいっぱい受けました。2日の牧師雑感発行。新しいマンガの原稿完成(クリスマス頃出版)。種子島芸術祭展示コーナーに書積展示。マンガを参加者に配ってくれる。現在のマンガが動画とDVDになる。未信徒の方々が故郷伝道協力。家内のガンがなくなる!新しい夢が与えられる。エリム=恵理夢! みことばの真実に、アーメン。ありがとうございます。その通りになりました。感謝します!さらに恵みのみことばは・・・・3:25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。3:26 主の救いを黙って待つのは良い。3:27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。3:28 それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。3:29 口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。3:30 自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。3:31 主は、いつまでも見放してはおられない。3:32 たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。3:33 主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。3:34 地上のすべての捕われ人を足の下に踏みにじり、3:35 人の権利を、いと高き方の前で曲げ、3:36 人がそのさばきをゆがめることを、主は見ておられないだろうか。3:37 主が命じたのでなければ、だれがこのようなことを語り、このようなことを起こしえようか。3:38 わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのではないか。3:39 生きている人間は、なぜつぶやくのか。自分自身の罪のためにか。3:40 私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。3:41 私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。 回復のときがくるのです!エレミヤ書、エゼキエル暑とデボーションが続きます。悩みの民の苦悩が、現在の日本とダブらせて伝わってきます。地震や大津波、放射能汚染、なすすべもなく新内閣がスタートした直後、台風12号の大被害、3日午後6時50分ごろ、奈良県十津川村野尻で、村営住宅2棟が鉄砲水で流されたと、 村役場に付近の人から通報があった。2棟の住人11人のうち、子ども3人を含む7人が行方不明になった。 忍耐が必要です=哀歌3:25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。3:26 主の救いを黙って待つのは良い。 期待しましょう。=エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 神との出会い=29:12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。――主の御告げ。―― 回復は必ずやってきます。=エレミヤ書29:14わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。――主の御告げ。――わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」ヨハネの福音書1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2 この言は、初めに神と共にあった。1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2011/09/04
コメント(0)
台風12号の大雨のニュースで、各地に被害が出ており、平安と守りを祈りつつの朝です。 昨日、70歳の誕生日を迎え、カードやメールお電話など祝いのことばをいただき感謝です。匿名のハガキもありありがとうございます。 誕生日感謝にブログ『牧師雑感』(グッドワーク研究所、定価1200円+税)が、9月2日発行されました。アマゾンでも送料無料で購入できます。ライフセンターにもある?と思います。 毎日書き続けている榮所義之牧師のブログ『牧師雑感』にようこそ! すべてのことに感謝を発してゆくから、 結果的にも感謝するべき状況からどんどん生まれ、 神の栄光が輝くようになると信じます。(本文より)第一部 感謝!感謝!感謝!第二部 神様の子との日々第三部 いのちを見つめて第四部 輝ける生涯へのメッセージ ブログは毎日更新しております。あなたのアクセスをお待ちしております!『牧師雑感』:http://my.plaza.rakuten.co.jp/?func=diary&act=write発行;グッドワーク研究所・定価1200円+税 ご購入いただける場合は、メールでご注文ください。送料サービスで振替用紙といっしょにお送りします。elimyoshi@kcn.jp 榮義之 今朝も台風が来る前にゆとりの一万歩、雨にも合わずに幸いな散歩です。 種子島は台風銀座と言われますが、1961年(昭和37年)ころから少なく?なったそうです。 台風は被害をもたらすと同時に恩恵も運んできます。台風で磯に打ち寄せる波がプランクトンを発生させ、伊勢海老やアワビなどが良く肥り大きくなります。また磯の魚類も豊富になります。 台風シーズン前に早場米を収穫し、害虫や台風の被害から免れることも工夫しています。踏み潰されても必ず起き上がってくる回復力が強いソラマメ栽培は、種子島に最適だと思います。そのほかにもたくさんあると思いますが・・・・。 人生にも雨の日も風の日もあります。避けて通りたいと思えが思うほど、これでもかと試練が襲ってくるように思えます。どんな患難や苦しみ悩みにも、考えられないような恵みが隠されています。 70歳の誕生日を迎えましたが、想定外の試練を与えられての九月です。その試練を真正面から受け止め、ソラマメのように、台風にもまれても踏まれても、必ず起き上がれる回復力を、主は聖霊により与えてくださいます。60代よりも元気に溌剌と、今日もまた天国の一日です!感謝します。 テレフォンメッセージで事務所へ行くと、ボランティア仲間九州ラーメン党よりの封書がありました。 開封してみると達筆の筆字のお手紙と、種子島ふるさと芸術祭2011(原案)があり、展示コーナーに著書を並べてくださるとの提案。思いがけない誕生日のプレゼントです。ありがとうございます。 種子島原人ホームページで多くの出会いが広がり、いつも種子島生まれでと話し続けている幸いを実感しながら、ありがとうございますと感謝しつつの70歳の朝です。ローマ人への手紙 5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 5:9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
2011/09/03
コメント(0)
今日は新しい内閣が認証され、野田首相のもとにどのような政治が行われるかが、期待されています。 今の日本、政治が悪い、景気が悪い、円高でどうにもならない、地震や津波、原発事故や放射能漏れで大変だといつも聞かされています。 それはちょうど今朝の台風12号影響の日のようです。今の状態も国でも家庭のことや個人的な問題で悩むのは、「雨が降ってイヤだなあ。この雨いつ止むんだろう。」と言い続けるのと同じです。 マトモな人間なら、雨だからどうしようと考えて行動します。今朝は70歳の誕生日、目覚めると同時に、「今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。主の恵みは朝ごとに新しい。その真実は絶えることはない。感謝します。アーメン」と顔を洗いながら宣言。 今日出版のブログ『牧師雑感』をメール便で送るため、ゆとりの一万歩で祈りつつコンビニへ。帰宅したらちょうど一万歩。風が不幸が大雨だろうが、感謝しつつありがとうございます。 豊かになり過ぎてしまった日本です。スキル(skill)やノウハウ(khow how)=教養や訓練を通して獲得した能力や技能だけが重んじられています。 物事を行うための能力や技能、交渉力などの仕事を潤滑に進めるために必要な能力や、技術を証明するための資格、運動を行うための肉体的能力も必要です。 コンピュータ化した時代にスキルと呼ばれることが増え、コミュニケーションスキル、ビジネススキル、運動スキルも必要とされます。乳幼児や障害者の歩行や食事などの日常動作もスキルと論じられる場合まります。恐らく素晴らしいスキルを日本人ほど身につけている民族はないかもしれません。しかし今、中国やインドに追い抜かれそうで、もっとスキルをの声も上がっています。 際限なく技術は向上し、スキルは磨かれて行っても、いま日本に大切なのはセンスだと思います。センス英語で五感の意味で、転じて、美的感覚や感性のことです。そのままセンス、あるいは審美眼です。 センスの企業が国際的にも成功し、不況の嵐を乗り切っていくのです。それは大中小企業に関わらず、家庭生活や個人の暮らしでも同じです。 最高のセンスを身につける秘訣は、イエス・キリストを心にお迎えすることです。不思議に物事が良くなります。スキル的説明を要求されるよりか、感性イエス・キリストを体験する方がやさしいのです。幼子のような素直さで、アーメン信じますとう時、奇跡が起こります。マルコの福音書 9:22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」 9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 9:24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」 9:25 イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」 9:26 するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、「この子は死んでしまった。」と言った。 9:27 しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。
2011/09/02
コメント(2)
「雪よりも白く」マンガ「歌えない、踊れない、物も言わない無口の牧師物語」を読んで、刑務所から手紙が来ました。 イエス様を信じる気持になり、聖書を欲しいとの手紙がありすぐ送りました。受取人不在で返送され手紙を書いたら、手違いだったことが分かり、二学期前に面接に昨日行きました。 ところが面接不可になり、幸い所内にに入れてもらい聖書と本を5冊差し入れました。門外の面会所には、出所を待つ方々が10名近くあり、出所を待っていました。身元引受人が出所の時に来ていないと出所が10日延長になるとのこと。 出迎えに来た保護司の方は、出所者の家族が罪を犯した息子と縁を切ったので出迎えない。いつまでも刑務所にいた方が良い。絶対行かないとのことで、法律で罪は償われたので、自分が出迎えに来たと話していました。 車にたくさんマンガを積んでいたので、待合所にいる方々にお渡しするとみなさん受け取りって、牧師様ですかと微笑んでくださる方もありました。 ガソリンスタンドや梨の売店でも、ともかく出会った方々に名刺代わりですと、マンガを手渡すとほとんど受け取ってもらえます。 今年もまた新しいマンガを出版予定です。マンガを描くのが夢だった神学生が精魂込め、原画を描いてくれました。もうすぐ帰院するので楽しみに待っています。 ブログ、「牧師雑感」が発行され、鳥取から帰ると届いていました。 本の表帯カバーに、榮所義之牧師のブログ『牧師雑感』にようこそ! すべてのことに感謝を発してゆくから、 結果的にも感謝するべき状況からどんどん生まれ、 神の栄光が輝くようになると信じます。(本文より) 裏側カバーには、第一部 感謝!感謝!感謝!第二部 神様の子との日々第三部 いのちを見つめて第四部 輝ける生涯へのメッセージ ブログ毎日更新しております。あなたのアクセスをお待ちしております!『牧師雑感』:http://my.plaza.rakuten.co.jp/?func=diary&act=write発行;グッドワーク研究所・定価1200円+税 ご購入いただける場合は、メールでご注文ください。送料サービスで振替用紙といっしょにお送りします。elimyoshi@kcn.jp 榮義之詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
2011/09/01
コメント(2)
全30件 (30件中 1-30件目)
1


![]()