inti-solのブログ

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2013.04.09
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カテゴリ: その他
死してなお国論二分、サッチャー政策に議論再熱


サッチャー氏を「師」と仰いできたキャメロン首相は8日、首相官邸前で、「サッチャー氏が一方では愛され、もう一方では憎まれたことは否定できない」と語った。
9日付保守系各紙は「世界の自由主義を擁護した」(デイリー・テレグラフ紙)、「一番の女性だった」(タイムズ紙)などと称賛を惜しまなかった。70年代の不況から脱し、90年代から15年以上続いた好景気の下地を作った功績への評価は、保革を問わず共通する。
ただ、サッチャー氏には、不況克服のため、徹底した民営化を断行、金融・サービス業を重視した結果、基幹産業だった製造業の衰退を招き、失業者の増加と貧富の差の拡大を生んだとの負の評価もある。産業を失った西部ウェールズ地方や北部スコットランド地方には「我々は今も後遺症に苦しむ」との恨みが渦巻く。

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イギリスの元首相マーガレット・サッチャーが亡くなったそうです。日本の新聞にはサッチャーの「偉大な」業績についての話で溢れかえっていますが、サッチャリズムというのは、現在の競争原理主義、新自由主義のはしりのような存在です。更に言えば、マルビナス(フォークランド)紛争で断固たる態度を取った、それ自体はともかくとして、その過程で、ラテンアメリカ諸国の中でただ一国、イギリスを支持したチリのピノチェト政権の人権弾圧に対して非常に曖昧な態度を取った挙句、後年になってイギリス滞在中のピノチェトが身柄を拘束された時、彼を擁護して釈放を主張しました。
考えてみれば、ピノチェトもサッチャーも、競争原理主義の教祖ミルトン・フリードマンの忠実な信奉者という共通項がありました。彼らにとっては、経済的な自由(競争)は、政治的な自由よりもずっと大事なのでしょう。

サッチャーがマルビナス(フォークランド)島の領有を巡って争った当時のアルゼンチンもまた、軍事政権の統治下にあり、同じ軍事政権同士で、チリのピノチェトと裏では何かと繋がっていました。だから、まさかチリがイギリス側に付くとは思っていなかったのでしょう。読みが甘すぎたのですが、そもそもアルゼンチンの軍事政権がマルビナス侵攻という冒険に走ったのは、人権弾圧と経済失政によって国民の不満が最大限に達している時、何とかその不満を外に逸らそうとする苦し紛れの策だったので、冷静な判断など、最初からなかったのです。
サッチャーが戦争に勝ったので、結果的にアルゼンチンの軍政は崩壊、最悪の人権弾圧(軍事政権下で3万人が闇から闇に粛清されたと言われる)も終わりを告げたのは、サッチャーの強硬主義の副産物と言えなくもありません。

もっとも、その軍政時代に弾圧されていた、現在のアルゼンチン大統領、クリスティーナ・キルチネル(夫で前大統領のネストル・キルチネルは軍政時代に2度投獄されている)は、現在マルビナス諸島の領有権についてイギリスと激しい舌戦を繰り広げており、両国の緊張が再び高まっているのは、ある意味皮肉な出来事です。

引用記事には触れられていませんが、サッチャーの負の遺産には、もうひとつ、福祉の切り捨てという問題があります。特に問題になったのは、医療費削減によって医療崩壊を招いたこと。何しろ、イギリスの医者はみんな英語を話せる(当たり前ですが)。優秀な医者は、軒並み国を捨てて米国やその他の英語圏の、より高給が稼げる国に逃げてしまった。サッチャーの時代はイギリスの医療水準が著しく下がった時代です。もちろん、金をいくらでも積める人なら、手はいくらでもあるので、お金のあまりない人が、医療崩壊の悪影響をまともに受けたわけです。
そう考えてみると、私の目にはサッチャーには功罪の罪の部分のほうが大きいように思えるのですけどね。





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最終更新日  2013.04.09 22:06:39
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