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昨日に引き続き、今日は土木部、住宅部関係の事業の現地を、午前中は北信、午後は東信、合計12箇所回って現地で県の担当者の説明を受けた。午前中の7箇所の調査のうち5箇所が浅川関係。 浅川の抱える大きな問題である内水災害の原因になっている千曲川との合流点、河川改修が途中でストップしている五反田橋、砂田橋付近、天井川が11メートルも掘り下げられた、めがね橋付近などを調査したのだが、驚いたことには、土木委員である議員たちが、千曲川との合流点などで、「俺はここは初めて来た。」「私も、初めて。」などと平気で言っていること。これには、私も、あいた口がふさがらない。あれだけ長年にわたって激しく論争が繰り返され、ついには浅川のダム建設をめぐって知事を不信任にまで追い込む事態になった、その肝心かなめの浅川の治水をまじめに考えようとすれば、避けて通れないのが、千曲川との合流点で、千曲川の河床が高いために浅川が洪水時に自然流下できず、水門閉鎖による内水災害を起こすという問題の解決である。その現場に一度も来ないで、「県民の生命と財産を守るためには、浅川にはダムが絶対必要だ。」と主張してきた人たちの神経に、私は改めて疑問と怒りを感じる。 国土交通省は、今年、ダム建設が一時中止になっている浅川に対し、ダムに替わる治水対策である「河川整備計画」が正式に出来上がっていないことを理由に、浅川の支流の河川改修や、未改修部分の河川改修の予算を凍結してきた。20年以上前から進めてきたダム計画に変わる「河川整備計画」をつくるのだから、一定の時間がかかることを承知の上で、それが出来上がるまでは河川改修に指一本ふれさせないとでも言わんばかりの機械的な対応、いってみれば「意地悪」のたぐいだ。 そのために河川改修が中断している五反田橋、砂田橋付近は、土砂はたまり、葦は茂り、ただでさえ小さな浅川の川幅を狭くして、住民の不安をあおる。こんな状態を放置していてはならないことは当然だ。私は、「この状態は何とかならないかと誰でも考えると思いますが、たまった土砂を取り除いたり、葦を刈ったりという仕事は、河川改修の予算が付かなくてもできるんじゃないですか。」と聞いてみた。「はい、できます。できますが予算は県単(県単独――国からの補助金はないということ)です。」という答え。「でも、河川を管理するという仕事は、ダムができてもできなくても、河川管理者の県としては日常的に当然やらなければならないことで、ダムをつくっても、または河川改修の予算がついても、河川管理のための土砂の除去や草刈などの費用は県単なんじゃないですか。」と聞きなおすと、「そうです。」との答え。結局、やればすぐにもできることを、残念ながら、ダムの中止にかこつけてやってないということになる。 誰がみても感心できないその状態をみて、「この辺の最近の洪水被害はどうなっているのか。」という質問が出たので、私は、「大きな被害が出た昭和57年、58年、平成7年の時も、この辺は被害は無かったんですよね。」と建設事務所の職員に質問を向け、ついでに、「この辺の人たちは、ダムはいらないと言う人が多いんです。」と事実を紹介した。職員も、「そうです。」と、私の二つの発言を認めた。 こんなやりとりの間中、きのうに引き続いてマスコミのカメラが、主に旧県政会の団長だったS議員を追っていた。ところが、浅川関係の調査がすべて終了したところでバスに乗り込もうとする私に、初めてカメラを向けたテレビ局の記者は、「今日のご感想は?知事の言う流域対策は、本当に可能だと思いますか。」と思わぬ質問。きのうのS議員の質問のレベルである。「マスコミよ、お前もか。」本当にがっかりだ。ダム推進勢力と、残念ながら一部土木部職員と、そしてマスコミまでが、「流域対策で治水効果はあがらない。そんなことできっこない。」と冷ややかな態度で、ダム中止後の浅川の治水対策を「お手並み拝見」とばかりに、そしてあたかも失敗することを望んでいるかのように(そこまで言うのは言い過ぎかもしれないけれど・・・)見ているのだ。どうして前向きに、知恵と力を合わせようとしないのか、本当に悲しくなってくる。 「知事が再選されたら議員をやめる。」と言いながら、すぐにやめずに9月議会で出所不明のテープを鬼の首でもとったように持ち出した浜県議は、この救いがたい雰囲気にさらに火をつけることをねらったのだ。つまり、「知事は、流域対策などと言っているが、そんなものは最初から知事もやる気はないし、効果も無い。知事は、国や、県民や、議会を欺いているのだ。」と言うために。しかし、テープの内容は、以前にもこの日記で紹介したように、冷静に聞けば、「浅川は、基本的には河川改修をしっかりやれば十分だと思うが、自分の立場では、そう言い切ってしまうのは問題がある。」と言う知事の意見が述べられているわけで、大騒ぎするような内容ではない。 その浜議員も、ついに今日付けで県議を辞任した。聞くところによると、辞任するにあたって、問題のテープを知事にプレゼントしたとか。もう、使い道、利用価値がなくなったからなのか、私には、彼の真意はわからない。夕方のSBCテレビで、浜前県議が生出演していたが、「すぐ辞任せず、補欠選挙にならない今の時期にやめたのはなぜか。」「来春の県議選に出るのか。」と言う有権者が最も知りたい彼の真意に関する質問には、結局まともに答えなかった。やっぱり出馬の意欲あり、と見るのが現時点では正解か。 2日間の土木委員会の現地調査を通じても、「脱ダム」への具体的な道のりは、まだまだ険しい。
2002年10月31日
今日から三日間、私が所属する県議会土木住宅委員会の東北信現地調査。 まず最初に長野合同庁舎で、各建設事務所長や地方事務所長からのご挨拶や概況説明があり、議員の質問に移ったが、早速旧県政会団長だったS議員、「浅川ダムが中止になって、知事が本部長の推進本部が河川改修と流域対策で対応するなどといっているが、流域対策の検討は一度もやられていないようだ。だいたい、ダムに替わって、森林整備や遊水地、溜池などでダムと同じだけの治水効果を確保するなんて無理に決まっている。皆さんは、本当にそんなことが可能と思っているのか、聞かせてほしい。」と持論を展開。いやはや。 S議員をはじめ、ダム推進派だった議員たちは9月県議会の土木委員会でも、同じ主張を繰り返していた。今日もまた、その問題を取り上げて、建設事務所長に対し、「皆さんがたは、技術の専門家として、流域対策なんて治水対策上の効果はないことや、無理だということがわかっているはずだ。できっこないことは、皆さんが専門家として知事にだめだと言う意見を上げるべきじゃないか。」とあおる。それに対して所長もきっぱりこれを拒否はしないのだから、まだまだ大変な事態。 しかし、浅川ダム建設事務所は今月いっぱいでなくなり、11月1日からは浅川改良事務所になる。「浅川改良事務所は何をするのか。」と、K議員が質問したが、「河川改修や河川整備。契約解除に伴う業者との関係や長野市との基本協定などの後処理。地元住民への説明などたくさんの重要な仕事があります。」との答弁。新しい方針のもとに、知恵を出し合って、問題の解決をしていきたいものだ。 その後、長野市をはじめ、関係市町村からの陳情を受けた後、長野県建設業協会、長野県測量設計業協会、長野県宅地建物取引業協会、長野県建築士会、長野県建設労働組合連合会など建設関係の団体の役員の皆さんと意見交換した。土木委員会では、すでに、上伊那、下伊那地区で、同じような意見交換を行なったが、そのときと比べても、また、他の団体が厳しい中での県の方針をまがりなりにも理解して、そのうえで解決しなければならない問題を前向きに提起しているのに比べると、ここの建設業協会の代表は、「公共事業を減らすことは絶対に納得できない。まだまだ増やすべきだ。」「県会議員のみなさんが力を合わせて、田中知事の公共事業の見直しに抵抗してほしい。」と強く主張して、私は違和感を持った。 今日のところはご意見や要望を聞かせていただくのだから、お聞きするだけにしようと思っていたところ、この発言に元気づいた自民クラブの議員が、「皆さんは、そんなにいい意見を持っているんだから、もっと声を大にして言ってほしい。この間の選挙でもっとそういう生の声を出してくれれば、違った結果になっていたかもしれない。」等と発言するので、私もひと言。田中知事の公共事業の見直しで、県の借金が400億円減ったこと。私たちは公共事業を否定しているのではなく、厳しい県の財政の中で、総額は減らしても、生活密着型の公共事業に重点化して、地元の業者の皆さんの雇用や仕事を確保したいと考えていること。そして、必ずしも国の基準通りの企画ではなくても、「身の丈にあった」長野県的な規格を作って、整備率が全国38位と遅れている生活道路の整備などを抜本的に前進させられるようにしたいと考えていること。私は、発言の最後に、「お互いの知恵を出し合って、がんばりましょう。」と結んだ。 すると終わってから、自民クラブの議員が、私に、「石坂さん、公共事業って言うのは、国から補助金とって来るのが公共事業なんだ。長野県規格なんて公共事業じゃないぞ。」なんて、文句を言って来た。私は、「ええ~っ!税金使ってやる仕事が公共事業じゃないんですか。いま、東北や北陸の14道県が、ローカル企画の公共事業を国が補助対象として認めるべきだ。国は、国基準ばかり振りかざさないでほしいっていう取り組みを始めてるんですよ。あまり、井の中の蛙にならないように・・・」と、申し上げておいたけれど・・・。 国から補助金とって来るのが政治家たる者の仕事、というだけの従来型の発想から、なんとか早く脱皮してほしいものだと思う。
2002年10月30日
全国税労働組合(税務署の職員の皆さんの労働組合)東京地方連合会というところから、環境問題をテーマに、浅川ダムのことで機関紙の取材をしたいということで申し込みがあったので、「脱ダム宣言」のことなど理解していただけたら・・・と気軽にお引き受けしたところ、なんと、平野執行委員長以下10数名の皆さんが県議会の共産党控え室におみえになったのには、びっくり。 お会いするまでは、税務署の職員の皆さんの労働組合と環境問題とか、ダムとかがどう結びつくのかぴんと来なかった私だが、お会いしてみて、「税務署で働くものとして、税金の使われ方にはとりわけ関心があり、その立場から問題のある公共事業の現場を取材し、労働組合の機関紙で職員に伝えている。」とお聞きして、納得。持参していただいた、これまでの労働組合機関紙のバック・ナンバーには、堆砂が深刻な長野県の美和ダムや、カラーの見開きの息を飲むほど美しい岐阜県の徳山ダム予定地の特集がのっていて、この労働組合の皆さんの自然を愛する思いの深さや、税金の無駄遣いへの怒りが伝わってくる。 一行は、すでに昨日、浅川ダムの建設予定地だったダムサイト付近と、下流の千曲川との合流点などの現場は視察済みとのことで、私の話も比較的スムースに理解していただけた。今まで、全国の問題になっている公共事業の現場、特にダムについては全国各地を視察して来たが、最近は中止になったダムの建設予定地だったところを歩いているとのこと。 「でも、ダム予定地で、浅川みたいな、こんな小さな川は初めてです。浅川ダム、浅川ダムと有名なので、どんなに大きな大変な川かと思えば、あんな小川のような川なんですね。全国のダム計画地で、私たちの足を運んだところでは、一番小さい。下諏訪ダム予定地も行って来ましたが、あそこも、決して大きな川じゃないですね。」「ダムサイトも、水をためるところが小さいんじゃないですか。」等という感想やご意見が出されたので、「そうなんです。ダムサイト周辺は地すべり地でもあるので、地滑りを止めるために、押さえ盛土工法といってダムこの中に土を入れて地滑りを止めなければならないので、実際には水をためる部分はみていただいたのよりも、もっと小さくなってしまうんです。」と説明すると、「あんな小川に400億円もかけてダムなんて!」「ひどいねえ、常識超えてるね。」「中止になってよかったですね。」という感想がよせられた。本当によかった。 私は、浅川ダム計画の歴史と矛盾点、11年余にわたる浅川ダム反対の運動、浅川ダム建設事務所が11月1日からは浅川改良事務所に生まれ変わること、知事が本部長の治水・利水対策推進本部の新しい検討が始まったこと、田中知事になってからの公共事業の見直しで、2年前の9月議会時に比べて今年の9月議会時で県の借金である普通債が400億円減ったこと、などをお話しした。 本日、副知事が責任者の長野県公共事業再評価委員会の今年度分の再評価対象事業についての検討結果が公表された。それによれば、対象8事業のうち6事業はそれぞれ凍結・規模の縮小・工法の変更などの見直しがされ、これで13億円の事業費が削減されると言う。一方、生活道路の整備として、私たちも現地調査をして要望してきた佐久市の平賀バイパスは促進していくということで、現地調査の際お会いした地元の区長さんや一緒に要望を取り上げてがんばってきた議員、住民の皆さんの喜ぶ顔が目に浮かぶ。従来の再評価委員会が、再評価とは名ばかりで、事実上ほとんどの事業を計画どおり追認し、継続にしていたことに比べれば、大きな違いである。 公共事業の見直しと生活・福祉密着型事業への重点化は、ますます大切になっているのではないだろうか。
2002年10月28日
25日の記者会見で、田中知事は、来年2月議会に提案するとしていた常設型住民投票条例の提案を見送る考えを明らかにした。「知事のためでも、県議のためでもない、県民のための条例にするため」という理由である。 私は、9月議会でこの問題を代表質問で取り上げた。県民多数の思いと、県議会多数派の意志が大きくかけはなれた結果の今回の理不尽な不信任、というような事態を二度と繰り返さないためにも、常設型の住民投票条例を制定し、重要な県政上の課題で、直接県民の意思が反映できる手段にしたい、と考えたからである。常設型住民投票条例が今回の知事選で田中知事の公約でもあったことから、民主主義のわからない県議たちは今なお「住民投票条例は全体主義につながり、ファッショだ。」などと平気で言っていることもあり、早い時期の提案で、大いに議論を喚起したい、との思いもあった。 しかし、記者会見での、知事のコメントは正論である。県民の中での充分な議論と、県民自身の強い願いとしての住民投票条例の必要性が出てこなければ、条例は「絵に書いたもち」になってしまう。おおいに、県民的議論を深めたいものだ。 午後、古牧地区の県政報告会。絶好の行楽日和に25名の皆さんが参加してくださったのは感謝。「来年の県議選の情勢はどうですか。」などという質問が出て、ああ、いよいよだなあと思う。今日の県政報告会に参加してくださった60代の女性が、私たちとご一緒に日本共産党員として、「自分にできることでお役に立ちたい。」と入党してくださり、心強い限り。
2002年10月27日
今日は、長野県内の日本共産党地方議員の交流集会。今、長野県内の日本共産党の地方議員は189名。そのうち、先日の中野市会議員選挙で初当選した野口みすずさんや、同じく新人県議の高村京子さんをはじめ女性議員は51名。県内各地の地方議員の頑張りには、いつも学ばされる。 この交流会の席で、今井県委員長から、来年の県議選や一斉地方選挙にむけて、長野県で作った日本共産党の新しいオリジナルポスターについてのエピソードが紹介された。「県政改革の流れをさらに大きく」とスローガンをかかげたこのポスターは、縦型の上半分に片手をあげた女の子の写真が使われている。この写真は、日本共産党の新聞「赤旗」の読者サービスである「赤旗」カレンダーのために、さる著名な写真家が撮影してくださったもの。この写真家は、化粧品の「資生堂」の専属カメラマンなどもつとめたことのあるかたで、今回の写真を長野県のポスターに使わせていただくにあたり、今井県委員長が日本共産党の中央委員会を通じてお願いしたところ、モデルの子供さんにも保護者の方にも了解を取った上で、こころよく承諾してくださったとのこと。 日本共産党の中央委員会では、最初、県委員長に、「今井さん、お礼を10万円くらい用意しておいてください。」ということで、県委員長も、この写真を使わせていただければ10万円も惜しくないと考えていたところ、撮影した写真家の方からは、「お金はいりません。モデルの子供さんにだけ2000円くらいの図書券をあげてください。」と破格のご厚意。そこには長野県への特別の思いが、――長野県の県政の改革に期待を寄せ、その改革の流れをさらに確かなものにしようと決意している私たち長野県の日本共産党や県議団に、「がんばれ。」と心通うエールを送ってくださる思いがあるのだと知って、胸が熱くなった。 このポスターを一軒一軒お願いして貼らせていただき、県政改革への思いを多くの県民の皆さんと語り合いながら、来春の県議選になんとしても勝利し前進できるように、がんばっていきたいと思う。 夜は、稲田地区南原で県政報告会。いつもより女性の参加者が多く、また、浅川ダムのこと、豊野町と長野市の合併のこと、この地域の切実な願いである踏み切り廃止反対のとりくみについて、オリンピックの帳簿問題など活発な意見交換に時間がみるみるたってしまった。この地域は、自治会として正式に浅川ダムの反対を決議している珍しい地域で、私も何度も声をかけていただいて県政報告をさせていただいた。浅川ダム建設差し止めの監査請求や住民訴訟にも何人もの方に参加していただいている。改めて、浅川ダム本体工事の契約解除、浅川ダム正式中止を、ともに喜びあった。
2002年10月26日
毎年、必ず夏は山登りをするのが、私の楽しみとストレス解消になっているが、今年は思いがけない知事不信任と知事選挙、という事態となって、「ああ、これで、今年は、どこにも登れなかったなあ。」と、悔しく残念に思っていたところ、毎年一緒に山登りしている仲間達から、「気軽なお手ごろの日帰りコース」と、思いがけないお誘いを受け、今日、東部町の東篭の登山(ひがしかごのとやま)へ登った。 私にとっては初めての山。標高2218メートル。登山道入り口は池の平湿原と見渡すばかりの一面のカラマツ林が黄金に色づいて、息を飲むような黄金の海。その黄金の海の中を、よく整備された登山道のカラマツの落ち葉でふわふわのじゅうたんのようになった道を、一歩一歩踏みしめて登る。登る私たちの頭の上から、黄金のカラマツの落ち葉が、日を浴びながらハラハラと降りかかる。運良く、今日は抜けるような青空。登山道の両側にはみごとな石楠花やイワカガミの群生した葉が光り、花盛りの季節に来れば、きっと最高の華やかさと連想できる。 今さらながら、自然のなせる技のみごとさに、ただただ感動のひととき。つい、北原白秋の「カラマツの林をすぎて カラマツをしみじみと見き カラマツは寂しかりけり 旅行くは寂しかりけり」なんて、口ずさんでみたりした。 頂上付近からは白煙を噴く浅間山も見え、頂上からの長野県側、群馬県側のそれぞれの眺め、西篭の登山(にしかごのとやま)、水の塔山(みずのとやま)の眺めもなかなかのもの。頂上で食べたおにぎり、中野早苗さん手作りのコロッケとキムチのおいしかったこと。この山は、登山道にいたる道路の両側に次々に現われる「百体観音」とともに、飽きることなく楽しませてくれるという点で、おすすめ。 帰りは高速道路を使わず群馬県嬬恋村へ向かい、「山登りのあとは、やっぱり露天風呂がいいよね。」と、露天風呂のあるお風呂を探し、汗を流した。この露天風呂が、ため息の出るようなかえでのグラデーションになった紅葉に囲まれていて・・・これで500円は絶対お得。お風呂上りのビール一杯と100円とはとても思えないコーヒーが、しあわせ気分を広げてくれた。 帰り着いた長野で、現実に戻り、夕方6時からは吉田地区の女性の皆さんと来春の県議選にむけて、今回の県知事選挙で県政報告会に来てくださったお宅などをおたずねして、ごあいさつやお願いをし、「赤旗」新聞の新しい読者も3人増えた。夜の闇の中を、おばさん4人(私もその一人)が、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら住宅地を歩いているのだから、にぎやかなこと。 そのあと、長野市東部女性後援会の役員会に出て、県政報告。東部女性後援会は、役員の皆さんが本当によく団結してがんばっている、長野市内でも活発なところで、私もいつも励まされる。原田市会議員の情勢報告も受けて、来年1月18日に、県議選に向けての女性の集いを開くことを決めていただいた。頼りになる女性の皆さんである。事務局長の大村さんのお手製のアップルケーキ(?)が、とてもおいしかった。
2002年10月25日
私が視察に出かけている間に、選対本部長の古川さんや、市会議員の原田さんたちがご苦労していただき、来春の県議選のための選挙事務所が決まった。我が家からも近く、私が同僚の堀内県議との分担で、おもな活動地域とする長野市北部地域のちょうど真ん中辺に位置しているので、多くの皆さんに気軽に出入りしていただける場所。そして目抜き通りの交差点のすぐ近くで、それなりに目立つところでもある。 今夜、稲田地区徳間センターでの県政報告会があり、原田市議と会って、事務所を借りるにあたっての感動的な話を聞いた。 この事務所の大家さんは、なんと吉田地区の旧県政会の大物県議の後援会幹部。毎月20名前後の役員を集めて「無尽」など開き、大物県議もそこへ来るのだという。今回の知事選では、もちろん田中知事の対立候補の長谷川さんのために運動し、何回も役員会をやった。ところが、何回会議をやっても、集まってきた人たちのなかからは、「田中」「田中」という声が出る。こんなことは今までに無かったと、候補者について調べれば調べるほど自信がもてなくなり、大物県議に説明を求めたが、納得はできないままだった。選挙結果は、思わぬ事態となり衝撃を受けたという。これが流れか、と思うようにもなったと。 そこまで聞いた原田市議は、「そう言うお立場のあなたが、その大物県議とは正反対の政治的立場にある石坂さんに事務所を貸すということになれば、いろんな圧力があったり、立場が悪くなるんじゃないんですか。」と聞くと、一瞬沈黙の時が流れて、大家さんはぐっとつまり、言葉が出なかったそうだ。そして、そのあと、「いろいろあっても、事務所にお貸しする。いいんだ。もう、そういう時代なんだ。」と、決断してくださったとのこと。 徳間センターに集まってくださった25名の参加者の皆さんとともに、原田市議からこの話を聞いて、私は、胸にジーンと来るものがあった。長い間信じていた考え方を、否定し、乗り越えていくひとりひとりの思いと勇気が、世の中を変えていくんだと、そんなあたりまえのことが、なんだかとても新鮮なことに思える話だった。 県政報告会の参加者からは、豊野町と長野市の合併はあまり賛成できないという意見をはじめ、教育委員のこと、30人学級のこと、浅川ダム中止後の対策のなかに、もっと上流の森林だけでなく流域に木を植えることも、大切なことではないかなど、活発な意見が出された。 今日の参加者の中には、この報告会があることを原田市議と主催者のAさんが宣伝カーで宣伝して、それを聞き、党の事務所へ、「今、石坂千穂さんの県政報告会があるって、宣伝カーが通ったんですけど、早く行ってしまって、場所と時間がわからない。教えてください。」と、電話をかけてくださったという方も参加して下さって、また何人かの新しい出会いがあった。ひとつひとつの出会いを大切に、がんばっていこうと思う。
2002年10月24日
いよいよ今日で、今回の東北での視察調査は終わるが、今日は公募に応じて教育長になった福島県三春町の前田教育長さんとお会いして懇談の時間を持っていただき、有意義なひとときだった。また、ユニークな校舎の中郷(なかさと)小学校を視察した。 三春町の町長さんが教育長の公募に踏み切ったのは、「教育界の閉鎖性を何とかしたい。」ということだったとお聞きし、そう考えられる町長さんはなかなかの人、というのが私の率直な感想だ。 公募に応じた前田昌徹(まさあきら)さんは、埼玉大学の教授として70年代の学園闘争も経験し、学生たちが教官に突きつけた「世襲的なもの、私的なものへの疑問というラジカルな問いかけ」には、共感するものがあったという。「大学も公募人事になって、よい意味で明らかに変わってきた。大学の経験で、公募はよいことだと思っていた。だから、町長の理念を応援するつもりで、一昨年の8月に新聞記事で初めて知った三春町を自分の足で歩いてみてから応募した。」という。 最終選考に残り、教育長となった前田さんは、三春町の小学校6校、中学校5校を全部まわった。人口2万人の町で小中学校11校は多い方だと思うが、城下町でもある三春町は、学問を重んじ、文化を大切にする気風があるのだという。しかし、前田新教育長が見た三春町の義務教育の現場は、上からの締め付けや管理がすごく、「教育現場は、もっと解放しなければ」「もっと、先生方に自由闊達にやってもらえるようにしなければ・・・」と痛感する状態だったという。 県の教育事務所主催の教育長会議に行くと、まるでやくざの総会か何かのように、会場の玄関から会議の部屋までの道のりの要所要所に黒い服の案内人がつき、主催者の席の後ろには、金屏風(!)。配布された会議の次第を見ると、「教育事務所長訓示」が30分、そのあと各種報告が延々と続き、最後に「質疑」と書いてあるので、「質疑というのは何分あるんですか。」と質問すると、静まり返っていた会場はざわつき、主催者はあわてふためき、結局、「なるべく質疑の時間はとりますので・・・」ということにはなったそうだ。教育関係の行事で、「教育長あいさつ」という場面で、舞台の壁の日の丸に向かっておじぎをするのはいやなので、おじぎはしないであいさつをはじめると、これまた静まり返っている会場がざわざわ・・・。 そんなことで始まった教育長生活だったけれど、「教育に大切なのはソフトの充実。いい先生を呼ぶ。先生方にはよく勉強してもらう。教育委員会の仕事は、そのための条件をつくること。」という理念を貫き、今では、先生方の会議を教育委員に傍聴してもらったり、逆に教育委員会を先生方に傍聴してもらったりして、子供たちひとりひとりの個性をのばす教育にしていきたいとがんばっているという前田教育長。私たちは、率直な教育長のお話に、早くも意気投合し、笑ったり、感心したりして、あっという間に予定の時間は過ぎてしまった。 そして、私たちは、前田教育長のお話にも出てきた中郷(なかさと)学校を視察する。中郷学校とは、小学校、公民館、幼稚園を同じ敷地内に建設した複合施設の名称。80年代に三春ダムの建設で学校や住居が水没することになり、町の再編成が迫られたことから、三春町出身の建築家長沢悟氏を招き、各校2名の代表者からなる「学校建築検討委員会」をつくって検討を重ねた結果、学校教育と生涯教育、まちづくりはひとつ、という願いのもとにコミュニティスクールとしての中郷学校ができた。前田教育長は、「学校とは何か、という議論の中から、長方形の校舎という建物構造が管理社会をつくるという結論が出てきた。」と説明してくれた。 中郷学校へ行く途中に、樹齢1000年という「滝桜」のみごとな大木。春のお花見シーズンには何時間も車が渋滞するのだという。 中郷学校は、とにかく私たちが一般的に描く「学校」のイメージとは全然違う。門を入るとまず目に付くのは、校舎前の柱にツタの絡まるエントランス。玄関を入ると目の前には、まるで喫茶店のような小さな机とイスのくつろぎスペース。階段を降りると、まるい街路灯があり、そこはオープンスペースの図書館。なんと学校の中心に出入り自由な、天窓からさんさんと光の注ぎ込む図書館があり、授業中、子供たちは教室から自由にこの図書館に来て、本を手にとり調べものをしたりしている。教室はひとつひとつ独立しているのではなく、広いスペースをいくつかに仕切ってはいるが、隣の教室とも行き来自由。一クラス10人前後の教室は、まるで外国の映画を観ているように、先生を囲んで円形の机の配置。地元の木工組合の人たちが、地元の木材で造ったという机や棚は、理科室の実験用の机を含めて全部キャスターつきで子供たちでも簡単に移動できる。ちょうどお昼近くなり、隣の幼稚園の子供たちが、自校給食を小学校まで食べに来る準備が始まり、テーブルの上には炊きあがったご飯の家庭用炊飯器が置かれているのが、とても家庭的な暖かさ。公民館の調理室は、家庭科の授業にも使い、畳のお部屋は子供たちのお楽しみ会の会場になったり、夜は大人たちの会議室にもなる。 同じ日本で・・・と、つい、長野の現実とのギャップにため息が出るが、私たちは私たちの知恵で、子供たちのためのよりよい教育環境をつくっていかなければならない。 昼食を食べた食堂に、前田教育長が、「まるで京人形のような・・・」といっていた三春人形が並べられていた。一見、中野の土雛に似た張子の人形は、細筆で書いた目元が、なんとも愛らしくほほえましい。 収穫の多かった3日間の視察を終え、新幹線を乗り継いで長野へ帰る。夜は、浅川ダム建設差し止め訴訟の原告団役員会。ちょうど今日、やはり県を相手取って建設差し止めの裁判を起こしていた下諏訪ダムの裁判が取り下げられた。テレビのニュースでは、田中知事が、「皆さん自身のご判断で、取り下げていただいたことはうれしい。」と、コメントしていることが報道されていた。下諏訪ダム訴訟の原告は28名だが、浅川ダム訴訟の場合は243名もの原告がいるので、12月14日に原告団総会を開いて正式決定することになったが、すでに、本体工事の契約が解除され、「浅川ダム建設事務所」も11月1日からは「浅川改良事務所」となって、知事が本部長の治水・利水対策推進本部のもとに、ダムによらない治水・利水が検討されていくわけだから、浅川ダム建設中止という本来の目的は果たすことができたわけであり、裁判取り下げの方向は決定的だ。原告団総会の日には、お世話になった人たちもお呼びして「勝利宣言」とお祝いをしようと決めた。
2002年10月23日
今日は、午前中、岩手県庁で、公的関与の産業廃棄物処分場について、公共事業の事前評価制度について、岩手型公共事業モデルについて、それぞれ県の担当者の方から説明を伺った。 午後は福島県庁へ行き、30人学級の現状について、市町村合併の考え方と県のとりくみについて担当者から説明を伺った。(くわしいことはあとで・・・)
2002年10月22日
今日から23日まで、東北の岩手、福島へ、日本共産党長野県議団としての視察調査。私たちの視察調査は、いつも、せっかく出かけてきたからには「あれもこれも」と、目いっぱいの日程を組んで、結構ハードなスケジュールとなってしまうが、今回も調査項目は盛りだくさん。 初日の今日は、岩手県水沢振興局の実情と政務調査費の全面公開などの見直しを準備している岩手県議会の検討内容を聞く。 振興局については、長野県でも、県の行政改革の一環として田中知事が表明しているものでもあり、今後の長野県の行政改革を進めていくうえでも、すでに振興局の形態を実施している県の実態を知りたかったからである。 新幹線の水沢江刺駅に降り、昼食を済ませていこうと思ったが、この駅には食堂が無い。駅の周りにもそれらしきものが無いので、私たちは仕方なく振興局まで行って、その近くで食べようとタクシーに乗った。振興局までの道中、付近の建物には自由党の小沢一郎さんの大きなポスターが張ってあるのがやけに目立つ。ここは小沢氏の地元なので、さすが、と思ったが、そんな私たちの印象を感じてかどうか、タクシーの運転手さんは、「水沢というところは、ちっとも発展しないんですよ。」と、強調する。大物政治家がいても、ちっとも発展しないんだとは、彼の人気の秘密はなんなんだろうか、興味のわくところ。後から聞いたら、もう一台のタクシーの運転手さんも同じせりふを言ったというのだから、住民の共通認識なのだろう。 水沢振興局は水沢市役所の前にあるのだが、付近には喫茶店が一軒あるだけで、食事をするようなお店は見当たらず、結局少し離れたショッピングセンターまで連れて行っていただき、私たちは、無事昼食にありついた。 振興局というのは長野県で言えば、地方事務所と建設事務所、保健所、労政事務所、農業改良普及センター、消費生活センターなどを、事実上全部ひとつに統合してしまったような組織である。長野県とは歴史も実態も違うので一概には比べられないが、農業関係の組織は合理化された振興局の中にも農政部の他に農村整備事務所があるのに、商工部や住宅部(長野県では県営住宅などを管轄している)にあたるものは無いなど、かなり実情は違う。 組織は合理化しながら、人事や予算の権限を地方分権の精神も生かして県民により近い現地期間におろしていこうというのが振興局体制のメリットという発想と思われるが、岩手県でも現実には予算や人事の実質の権限はまだ振興局長には無く、体制の作り方によっては県民サービスの切捨てにもつながりかねないな、というのが私の率直な感想である。 続いて政務調査費の領収書を含めての全面公開の内容を盛り込んだ条例改正を12月県議会で行なう予定になっている岩手県議会に、その検討内容についてお聞きした。 結論から言うと、岩手県でも、領収書を公開しないなどの議会の姿勢に県民の強い批判があり、それを受けての検討の結果、領収書あるいは支払い証明書の無い支出は認めない、提出された報告書と領収書、支払い証明書をチェックして、政務調査費の支出として適当でないものは返還させる、という条例改正がされることとなったということである。この改正点は長野県議会でも、是非、実施するべきだ。岩手県では、今回の改正のなかで、現在会派への支給となっている政務調査費を議員個人への支給に変えるということだが、この点については、どちらが妥当か、検討してみたい。会派の事務局職員の人件費の位置づけに対する考え方なども参考になった。 長野県でも、現在政務調査費に対する県民の皆さんの疑問や批判が起こっている。私たち日本共産党県議団は、県議団のHPで、その使い道について公開し、領収書もいつでも見られるようにしてあるが、「領収書まで公開する必要は無い」「5万円以上の支出について公開すればよい」等と、議会内での意見が一致できず、不透明であることが県民の皆さんのお怒りや誤解まで生んで、中には「政務調査費は議員のヤミ給料だから廃止するべきだ。」などという極論まで出てしまい、悲しい。 ヤミ給料であるかどうかは、全面公開して、その内容を県民の皆さんに見ていただけば、一目瞭然、わかるはずだ。正直言って、調査費がなかったら、浅川ダムの問題ひとつとっても、専門家への調査依頼に費やした数百万円のお金をどこから生み出せばよかっただろうか。また、現在、私たち日本共産党県議団の日常の調査活動の支えになってくれている事務局長の大池さん、和田さんをはじめ、6人の事務局員の人件費(わが県議団の調査費の約6割を占める。といっても、決して高給とは言えず・・・申し訳なく思っている。)の工面も大変になる。しかし、私たちよりもはるかに人数の多かった他の会派が、事務局職員もあまりいない現状の中で、税金である政務調査費を全面公開しないことは、金額が金額であるだけに(旧県政会クラスになると年間支給額が億単位になる。)、県民の皆さんばかりでなく私たちもその使い道に疑問を持ってしまう。 長野県議会でも、1日も早く全面公開に踏み切れるように、今回の調査結果も生かしてがんばりたい。
2002年10月21日
自治労連愛知県本部が事務局をつとめる「第5回住民が主人公の地方自治をすすめる交流集会」で、長野県政についての講演をした。 7団体で実行委員会を作って取り組まれたこの集会は、約150名の参加者で会場はいっぱいだった。 愛知県では、来年2月2日の投票で知事選がある。従来型開発至上主義の現県政は愛知万博と新空港建設に目下最大の力を入れていて、県の借金が4兆188億円にもなっているのに、今年全国1位の公共事業増額予算を組んだ。こんな県政を変えたいー―そう願っての学習交流集会である。 私は、田中県政誕生以来の長野県政の変化の内容や、県民の意識の高まり、今回の知事不信任にいたる経過と知事選をどう取り組んだか、選挙後の変化などについて、私たちの経験を報告した。長野県で、41年間続いた官僚県政が終わりを告げて、田中県政が誕生したのも、一番の原動力は「こんな県政を変えたい」という県民の思いだった。そしてさらに、田中県政の誕生とともに、今までとは比べ物にならないくらい主体的に県政にかかわり始めた県民が、今回の理不尽な不信任を許さず、田中知事を再び圧勝させたのである。その県民の意識の高まりを、多くの県会議員たちはつかめなかったのだ。自分たちが県民の思いの代弁者であるという本来の役割を忘れてしまっていたために・・・ 「住民の暮らしと福祉を守る」という地方自治体としての本来の役割を果たす自治体らしい自治体が全国各地で増えていき、地方政治の新しい流れが、やがて国政も大きく変えていくことになるように、と願わずにはいられない。
2002年10月20日
私の地元、朝陽地区での3ヶ月ぶりの県政報告会。前回は、ちょうど県議会で知事不信任が可決された翌日の7月6日だった。怒りがおさまらない私の報告を聞いてくれた参加者からは、「これから選挙になって、石坂さんは地元での報告会はもうできないだろうけれど、その分私たちが今日聞いた話をまわりの人たちに伝えて、必ず選挙に勝てるようにしよう。」と、心強い言葉をかけていただいた。 今日参加してくださった人の中には、「私、生まれて初めて、選挙のお願いで近所や友人のところを回りました。本当によかった。」という人。「私、初めてこういう会に参加しました。やっぱり、直接お聞きしないとわからないことがいっぱい。来て良かったです。また来ます。」と言って下さったこの人は、友人を誘って参加してくださった。 また、今日の報告会には、2月26日付のこの日記にも書いた、飲酒運転の車に対するパトカーの無理な追跡のあおりを受けて息子さんを亡くした芝波田さんの支える会が発足したということで、芝波田さんと支える会の会長さんや関係者の皆さんが参加してくださって、支援活動や署名運動への協力の呼びかけもあった。裁判になっているこの問題で、「信号無視などの車に対しては無理な追跡はしない。」と定めた県警の「走行マニュアル」は、1年間あっただけで今は削除されているので出せない、と県警はその「走行マニュアル」の提出を拒否しているという。 この「走行マニュアル」って、今回のような悲しいことを繰り返さないためには、むしろ必要なものじゃないだろうか。1年間だけで削除してしまったのなら、改めて「マニュアル」を作ることを検討してほしい。二人の未来ある若者の命は二度と戻ってこないからこそ、悲しい事故の教訓から、今後に何を生かすのか。尊い犠牲を払ったのだから、そのことを県民の立場で考えるなら、県警もあったものを無いなんて、隠し続けることはやめてほしい。身内を守ることと、県民を守ることとどちらが大切?どうか、真剣に受け止めてほしい。
2002年10月19日
長野県治水・利水ダム等検討委員会の角間川部会が始まった。 午前中は自己紹介と概要説明、午後は現地調査という日程。委員全員が、この部会で議論し、深めたいことについて一言づつのべたが、今までの部会との大きな違いは、特にダム建設に疑問を持ったり反対している人たちが、知事選での県民の選択や、「脱ダム宣言」に堂々と確信を持って触れながら、自分の意見を述べたことだと思う。 その意味では、1年余にわたる治水・利水ダム等検討委員会の議論も発展的に受け継がれて生かされていることにもなり、この1年間、実にハードな日程をこなしてきた私たちとしても、報われる思いがする。 「治水に関しては安全第一に考えるべきだ。僕は、工学部卒業の建設会社の社員で、学生時代にはコンクリートは永久的に安全と学んだが、今ではコンクリートは危険だとわかった。人間は自然には勝てないということを考えなくてはいけない。」 「ダムでなければ、本当に流域の安全は守れないのか。過去に起こった水害の原因は果たしてなんだったのか究明したい。その点についての県からの住民への充分な説明はなかった。この部会の議論も含めて、住民に十分な情報が与えられていない現状を改善してほしい。」 「山ノ内町は自然と観光で成り立っている。角間ダムは、住宅地に最も近いところに計画されていて、自然破壊にもなり、建設することは汚点を残す。」 「角間ダムについては、住民の反対運動がないなどと言われていたが、住民には十分な情報が伝えられていなかった。しかし、そんな状態でも、住民の中には角間ダムへの心配の声はあり、『脱ダム宣言』が出て、それに励まされ、その精神を生かそうと総合的な治水・利水を考える会をつくった。」 これらの、みずから公募して委員になった人たちの発言は、ひとつひとつ、流域の住民の実態を語っていて、その深い思いに共感する。 また、同席していた中野市長は、「市長になって6年たつが、市長になったとき自動的に角間ダム建設促進期成同盟会の役員になった。期成同盟会を通じて聞こえてくる地域のダム建設への要望は強いが、同盟会のメンバーは区長など限られた人たち。この部会の委員になったことをきっかけに、いろんな角度からの意見を聞いて、方向を決めていきたい。充分な、広い角度からの検討を望む。」と発言し、さすが、あの県知事選挙の異常事態のなかでも、「市長の会」に参加せず、中立の立場を貫いた人らしい。部会が終わっても、知事選で県民の審判が下っても、今なお「浅川の治水対策は、ダム以外は技術的に不可能だ。」と、浅川ダムにこだわり続けている長野市長とは大違いだ。 午後の現地調査も、日程の中に私が希望していた落合地すべり地が入れられており、今後の議論に生かされていくことと思う。日本でも1,2位を争う規模といわれているこの落合地滑りは、現地の状況を知れば知るほど大変な状態である。角間ダムが計画されている角間川とその下流の夜間瀬川には、大量の土砂が流出しているが、この流域の現状からは、私の個人的な意見では、ダム建設を考えるよりも、この膨大な地すべりに抜本的な対策をとることが、地域住民の生命と安全を守るうえでは重要な問題だと思う。それほど重要な位置を占めていると思われるこの地すべり地を、昨年の「治水・利水ダム等検討委員会」が行なった最初の現地調査の中に調査箇所として入れなかった県土木部の認識には、私は常々疑問を持っていた。ダム建設の必要性は、やはり、地域の全体像を見る中で、検討してほしい。 知事戦後、再会された黒沢部会では、報道によれば、すでに「ダムなし案」を部会報告に採用する意向という。そうなれば、初めて、部会報告としてダム建設計画は否定されることになる。 また、今日の角間川部会終了後開かれた清川グループのとりまとめでは、清川については、費用対効果の面からも、ダムによらない河川改修を提案する意向という。 一歩一歩、ひとつひとつ、「先に建設ありき」だったダム建設が、住民参加の検討委員会での議論を経て中止されていく。さま変わりしていく長野県政の、今日の到達点を、2年前まで、いったい誰が想像しただろう。歴史の新しいページがまたひとつ・・・
2002年10月18日
長野中央法律事務所の学習懇談会に、県政についての報告をしてほしいといわれて出席した。参加者は、法律事務所の弁護士、所員の皆さんのほか、法律事務所の依頼者やかかわりのある方々。 学習懇談会の席では、「法律家から見た田中県政の1年8ヶ月」「改革を後戻りさせないために、私たちは田中康夫さんを支持します」というビラが配られていて、私ははじめて見たが、先の県知事選挙の際に配ったものだという。知事のハンセン病療養施設の訪問、「脱記者クラブ宣言」、地方労働委員への県労連委員の任命、県公安委員に河野さん任命、トンネルじん肺や中国人強制連行、県道崩落事故、飯田高校殺人事件などへの謝罪と解決のための積極的支援、などが高く評価されているビラである。県民の中の各層各分野での自主的な草の根の取り組みが、田中知事再選を支えたことを証明するビラである。 報告のあとは、今回の9月議会で一部議員が異議を唱えた浅川・砥川の流量調査について、常設の住民投票条例ができれば、何が、どのように変わるのか、という質問や、不公正な同和行政の実態として、研修会に参加すればお弁当つきで1万円の日当が出る話などが出された。また、田中知事の対立候補だった、弁護士の長谷川敬子氏の陣営で、候補者の一本化にともなってポストの約束をしたことによる公職選挙法違反の問題が告発され受理されている問題についても触れられた。 県民の県政への関心は、まだまだ続きそう。
2002年10月17日
今日は第36回長野県献血推進大会に来賓として出席。主催者の長野県衛生部長のあいさつによれば、昨年は長野県内の病院での手術などに必要な輸血用の血液は、何とか県内の献血でまかなえたが、全国的には、まだまだ輸入に頼らざるをえない現状とか。国民全体の理解と協力が不可欠だ。 今日の大会では、献血推進事業に貢献した団体や個人が表彰されたが、全国大会で厚生労働大臣表彰を受けた県立屋代高校では、もう20年来のとりくみで、毎年の文化祭では校外からの参加者にも協力を求めているという報告に感心した。また、献血推進への協力を呼びかけるポスターの中学生の部、高校生の部の最優秀、優秀、佳作が表彰されたが、表彰された12人全員が女の子だったのには、私もびっくり。 マスコミは、北朝鮮の拉致被害者のうち生存が確認された5人の24年ぶりの帰国のニュースでわきかえっている。今回の小泉首相の訪朝で、北朝鮮が拉致の事実を認めたこと、生存者が確認されて一時帰国ができたことは本当にうれしい。いっときも忘れることのできなかった行方知れずの家族に、24年ぶりに再会したご家族の思いはいかばかりだろう。そして、死亡と告げられ、再会が果たせなかったご家族のことを思うと胸が締め付けられる。一日も早い真相の解明を心から願っている。 日本共産党は、橋本敦参議院議員(当時)が、1988年の国会で他党に先駆けて、初めてこの問題をとりあげて、「北朝鮮での行方不明者の問題解決を」と政府に要求した。1999年には不破委員長(当時)の代表質問で、日本政府が北朝鮮に対立的な軍事的対応を進めるだけで、正式の交渉ルートを持たなければ、問題は解決しないことを指摘している。日本共産党自身、北朝鮮の側から、国際的な道理を無視した不当な攻撃を繰り返し受けたために1982年以来、北朝鮮の政権および政権党といかなる関係も持っていない。そういう相手であればあるほど、日本の側が国際的な道理を踏まえて、事態の打開にあたるべきだ。 ひとりひとりの人間の人生を大きく狂わせてしまった拉致という国家的犯罪は決して許すことはできない。失われた24年は、決して戻らないからこそ、日朝両国政府の誠実で真剣な対応を心から求めたい。24年ぶりに帰国した拉致被害者の皆さんには、できるだけ多くの時間をご家族とゆっくり団欒の時として過ごしてほしい。 我が家のまわりには、季節はずれのクロッカスが、春と秋を間違えたのか、今を盛りと咲き誇っている。アンネのバラも、今年何回目かの花をつけている。
2002年10月16日
今日で、9月定例県議会が終わった。 景気対策と浅川・砥川の流量調査費用などを盛り込んだ補正予算は、土木委員会で予算に反対した人たちを含め(?!)、全会一致で可決された。 教育委員の選任については、共産党、無所属の会、県民クラブのO県議、K県議が継続審議に反対したが、賛成多数で継続審議となった。 高村京子さんの質問に対し、知事は、C型肝炎などへの県費助成を当面打ち切る考えはないことを明らかにしたが、このことも引き金となって、肝臓病の患者会から出されていた公的支援を強めてほしいという請願は全会一致で採択され、それにもとずいて国の対策強化を求める「ウイルス肝炎対策の充実・強化を求める意見書」が全会一致で採択された。請願提出に各会派を回ったTさんは、今日は「県議会ははじめて」という近所の主婦の方と一緒に傍聴にきていたが、思わぬうれしい結果に「全国的には、県レベルの公費助成はほとんど打ち切られたのに、うれしい。うれしい。」を連発していた。本当によかった。 知事選挙の結果も受けて、さすがにダム問題については、「県民の生命と財産を守るために」何が何でもダムを建設するべきだと主張する人はいなくなったが、県民が見直しを求めている「松本―糸魚川高規格道路」をはじめ従来型の大型公共事業推進の陳情には、土木委員会で「松本―糸魚川高規格道路」の推進を求める陳情に反対した「フォーラム改新」を含めて(?!)、私たち以外は全会派が賛成した。結局、県財政の危機を問題にしながら、財政危機の根本的な原因を作った大型公共事業推進の姿勢には、何の反省もないのだから、彼らの無責任さは深刻だ。これだけの財政危機を知りながら、しかも県民の中からその必要性にも大きな疑問が出されている大型公共事業を、もっと進めようとは、いったいどういう神経なんだろう。 この点については、今日の本会議で確認された「行財政改革調査特別委員会」の報告に対する討論で、藤沢のり子さんが指摘したが、日本共産党以外の会派の皆さんには、田中県政以前からの県の借金を予算規模の1.6倍にも膨れ上がらせた、大型、開発型公共事業偏重の財政運営に賛成してきた県議会としての反省が見られない。そのため、特別委員会の委員長報告には、「平成13年度の公共事業費253億円の減額、浅川ダムの本体工事一時中止にかかわる問題で国庫支出金を減額させたのは、財源確保に対する観点が欠如していると疑わざるを得ない」などと知事の財政運営を批判する見解が盛り込まれている。 田中知事が、不要、不急の公共事業を見直し始めたからこそ、今回の2002年9月補正予算の時点での県の借金である普通債残高が、田中知事就任直前の2000年9月補正予算の時点から400億円も減ったのである。無駄な公共事業の見直しで、県の借金を減らし、財政再建をはかることなしに、県民のさまざまな要望を実現していく財源は生み出せないことを思えば、このことは注目するべき成果であり、この方向にこそ未来があることを、私は確信している。 節度を超えた野次、怒号や、知事の理念を頭から否定する攻撃的な論調があたりまえだった6月議会までの議会の様相とは姿を変えた議会となったことは、歓迎できる。今回の議会では、田中知事就任以来の議会では「恒例」のようになっていた審議中断も一度もなかった。この様相の変化が、知事選の結果の民意を真しに捕らえてのものであるならば、県議会がようやく本来の論戦の場となり始めたことを評価したい。願わくば、この変化が、目前に迫った県議選を意識してのものだけではないことを、期待したい。
2002年10月15日
今日は更埴市のあんずホールで新日本婦人の会の創立40周年を記念する集いがあり、来賓としてごあいさつ。会場のロビーには、絵手紙や手作り品、「親子リズム小組」等の活動の様子を写した写真などがところせましと展示されていた。 開会式は、長野合唱団の力強い太鼓の響きで始まり、今、あちこちのイベントをにぎわせているロックソーランのエネルギッシュな踊りがそれに続く。来賓のあいさつは地元の更埴市長と、新婦人創立以来のメンバーで大先輩の依田静子さんと私の3人。依田さんのごあいさつのなかで、県議会に女性議員が一人もいなかった頃のご苦労と、今では新婦人の会員が3人も県議会にいる時代になって本当にうれしいと述べられていたことが印象的だった。歴史の確実な前進を感じて、私もうれしかった。 お昼からは、今日告示になった中野市議選の応援に。特に、新人で立候補した野口みすずさんには、私も立候補を要請した一人でもあり、責任もある。選挙戦は定数23人に対して26人が立候補、前回は無投票だったこともあり、決して甘くはない選挙だ。 私は、知事不信任とその後の知事選を通じて、改めて問われている議会の役割、議員のあるべき姿についての私の思いを街頭から訴えた。議員は、当選したら何をやってもよいということではなく、常に市民の目線で、ひとりひとりの市民の思いを代弁することこそ、本来の役割であるはず、と。 野口さんの訴えのなかで、今年の夏の猛暑の中、中野市の中学生が、連日40度を超えるプレハブ教室のなかで体調をくずし、50人近い子供たちが保健室へいくという事態になったこと、しかし、来年も、再来年もこのプレハブ教室を使うといっている中野市教育委員会が、「クーラーの設置は考えていない。」と言い切り、「怒りを感じます。」という部分がある。私も彼女と同じ思いだ。 私たちは、障害児学校の環境改善の問題で、先進地である滋賀県へ視察に行ったことがある。前回視察させていただいた養護学校は、ちょうど校舎を増築中だった。その頃、長野県の養護学校でプレハブ教室増設が決まっていたこともあり、「プレハブ教室は増設しないんですか。」という私の質問に対して、校長先生は、「教室が足りなくなれば、校舎を増設する。プレハブ、という発想はありません。」と答えられ、大変ショックを受けたことがある。 今、全国的にも、障害のある子供、養護学校への入学を希望する子供たちが増えており、教室は足りなくなっている。ましてや、子供たちの発達を保障するために、先生を増員したり、クラス編成を改善すれば、教室はますます足りなくなる。自治体ごとに財政事情が違う、とは言え、プレハブ教室という、本来は仮の教室であるはずのものが、長野県では障害児学校といえども常設の正規の教室としてカウントされているという悲しい現実だ。 厳しい財政状況のなかで、百歩譲って、それが仕方ないことだとしたら、せめて、地球温暖化が進む現実のなかで、クーラーの設置は、最低限のこと、人権問題ではないだろうか。文部科学省も、来年度から、教室へのクーラー設置の補助金を出すことになった。中野市教育委員会にも、先進地の考え方や、さまざまな情報も集め、前向きな対応をお願いしたいものである。
2002年10月13日
朝から晴れわたった秋空のもと、今日は地元にある県立長野盲学校の文化祭「菊花祭」。私も来賓として参加した。 開催式やステージ発表は、実行委員長も司会もみんなこの学校の生徒たち。車椅子で出てきた開会の言葉を述べる男の子も、なんだかとてもうれしそうな顔をしていた。幼稚部、小学部、中学部、高等部・・・とステージ発表がすすんだが、子供たちと先生たちの一生懸命さが伝わってきて、とても、励まされる。 「アメ―ジンググレース」をアカペラで男の子と女の子が二部合唱でみごとに歌った中学部。その後の劇は、日常生活の中で、視覚障害者に対する配慮に欠けた接し方について、わかりやすく教えてくれるものだった。視覚障害者が、せっかく自分でいつものルートを歩いているのに、困っているかどうかも聞かずに、一方的に「親切」を押し付け、かえって混乱させてしまったり、点字ブロックの上に自転車を置いたり、立ちはだかったり、座り込んでいることが、いかに迷惑で危ないことか・・・など、障害者との日常的なかかわり方について、改めて考えさせられた。 高等部の生徒たちと先生が一緒になってこの日のために結成したというバンド、ハッピーボーイズの演奏は、今盛んに歌われているビレッジシンガーズの「亜麻色の髪の乙女」など2曲だったが、プロ並みの迫力と楽しさで、なかなかのもの。 ステージ発表のあと、例年のように、展示やバザーをのぞいた。毎年のことなので、PTAのお母さんたちともすっかり顔なじみになり、「毎度、ありがとうございます。がんばってますね。」と、声をかけていただく。心のこもった手作りの品々が並び、これがまた安くて申し訳ないくらい。でも、「いかがですか。買って―。」の声に甘えて、なんと地元産のお米5キロ500円をはじめ、放し飼いの鶏の卵(大きさいろいろ)、りんご、みょうが、えのきだけ・・・などを買い込み、おまけに珍しいビロードのようなドライフラワーをいただいて帰ってきた。 校長先生のお話では、ことし理療科の教室にもクーラーが入り、今、もうひとつの新しいエレベーターの工事中、校舎脇の道路には新たに点字ブロックもつくことになったということで、「本当によかったですね。」とみんなで喜びあったが、一緒に話を聞いていた公民館の役員さんが、「なんだい、そんなこと、最初からそうなっているべきものがなってなかったってことじゃないか。本来の姿にやっとなって来たってことだ。」と言い、みんなで共感した。 思えば、関係者の皆さんと何度も教育委員会への申し入れをして、やっと県下の19の障害児学校全校にクーラーが入ることになり、喜んだのもつかの間、1校1つづつということで、その1つをどの部屋に入れるのかでケンケンガクガク。教育委員会は「保健室へ」といい、現場の先生達は、「具合が悪くなったときしか行かない保健室ではなく、毎日子供たちが勉強している教室へ」「自分で体温調節のできない子供の教室へ」などと、なかなか折り合わず、1校1つといわないで、もっとクーラーを増やしてくれたら、と願ったものだった。 盲学校の行事に参加して、私はいつも、子供たちのひたむきさと、先生方の情熱と、人間の限りない可能性に、いつもたくさんの元気をもらう。今日ももらったたくさんの元気を、明日からのエネルギーに変えて、また、がんばっていこうと思う。
2002年10月12日
午後、生活環境部の皆さんと、ごみ処理のあり方などについての意見交換を行なった。ざっくばらんに意見交換をしようということだったが、公的関与の産業廃棄物処分場を県がかかわって造るということですすんでいる計画に対して、企業責任の問題やごみ処理のあり方について、お互いの考え方を述べ合った。現在の生活環境部長は、かつて廃棄物対策課長をしていた。彼は、当時まだ2名だった日本共産党県議団の控え室に、しばしば来て、産業廃棄物処分場の問題について話し合った。今ほど「説明責任」ということが言われなかった時代に、彼は、休日も返上して、処分場予定地に住民への説明会に奔走した。私の記憶の限りでは、長野県で、公共事業の実施に伴う住民への説明を、地権者以外の住民へも、積極的に行なった最初の事例だったと思う。私は、その意味で、彼の県民に対する誠実な仕事振りには、心から敬意を表したい。 夜、来春の県議選に立候補を予定している塩尻市の備前光正さんの事務所開き。塩尻市の目抜き通りに開設した事務所は、先日の県知事選にも使ったと言う縁起のよい場所。といっても、20人もはいればあふれてしまう狭さである。 今日の事務所開きは、屋外で、街頭演説の形式で行なうと言うユニークなもの。日が暮れて、少し肌寒くなってきた夕暮れ、駆けつけてくださった約7~80名の皆さんに囲まれながら宣伝カーからのごあいさつ。現職の塩尻市会議員である備前さんは、最近問題になった塩尻市の小学校のシックハウス問題でも、いち早く情報をキャッチし、教育委員会としての責任を持った保護者への説明や、子供たちの健康を守るためのてだてを要求してきた人である。彼らの問題提起がなかったら、重要な問題があいまいにされてしまったかもしれないわけだから、「住民の利益第一に」という議員としての本来の役割を発揮してがんばっている人である。私は、今日の備前さんのあいさつを聞いて、彼が足が悪いため、子供の頃、運動会にも参加できず、遠足にもいかれなかったことや、彼のお父さんも障害者でご苦労されたことなどを初めて知った。障害やさまざまな困難をのりこえて来た人の温かさが、彼の議員活動を支えているのだろう。来春の県議選では、是非、当選してほしい。
2002年10月11日
朝から、私たちの委員会はまたトラブル。午前中は住宅委員会だが、開会時間になっても、S県議、K県議、創新会、自民クラブの県議たちが、無連絡で10分以上来ないため、委員会が開会できない。きっと、例の流量調査の予算に反対する件で相談しているのだろうと察しはつくが、失礼な話だ。たまりかねた委員長が、副委員長に彼らを呼びに言ってもらうことにして、そのせいか、偶然か、K県議を除いた3人は委員会室に来たのだが、彼らは、「連絡しなくて悪かった。」とも、「遅れてすみません。」とも言わない。私が、「説明してください。」と言うと、「する、する。」と言ったが、何も言わないまま、住宅委員会は始まり、通常の審議が始まった。K県議が来たのは、かなり時間がたってからだ。住宅委員会が終わっても、彼らからは何も話がないので、「無連絡で委員会の開会を遅らせたことについて説明がないんですけど・・・」と言うと、「先に始めていればよかったんだ。」「大事な相談があったから仕方ないんだ。」「石坂さんだって、無連絡で10分も30分も遅れてきたり、委員会を出たり、はいったりしたことがあるじゃないか。」と、まったく根拠のないことを言って、自分たちの行動には、何のお詫びの言葉もない。私は、議長から、「団長として来てほしい」と呼び出しがあったとき以外、10分も30分も遅れたり、委員会を出たり、はいったりしたことはない。お昼休みに、浅川ダム反対の住民運動をしてきた人たちが、各会派と土木委員に、流量調査の予算を認めるよう、申し入れに来てくれた。きのうのニュ―スを見て、いてもたってもいられないと急な申し入れにもかかわらず10人近い人たちが駆けつけてくれたのには感激。回ってくれた人たちの話によると、「調査は必要ない。」と一番抵抗したのはK県議。彼女は、今までの水位観測所を、自分は見てないことをあっさり認め、「私は見てないけれど、土木委員の皆さんは見てあるはず。」等と言ったという。多分、誰も見てないだろう。見てあれば、こんなお粗末な議論にはならないはず。創新会の県議は、「委員長報告に、意見を盛り込めば、予算に賛成してもいい。」と述べたと言う。さて、いよいよ土木予算の採決。するとK県議が、ベテランの自民クラブ、飯田市選出のF県議に、「ねえ、今言えばいいの?」と同意を求めた上で、「委員長報告に、『流量調査は必要ない。』と言う意見が委員会で出たことを盛り込むべきだ。」と発言した。採決の結果、なんと彼女は予算賛成に回り、S県議、委員長報告に意見が盛り込まれれば予算には賛成するはずの創新会の県議、自民クラブの県議の3人が反対し、5対3で、予算は可決された。ともかくよかった。世論の力だ。彼らは、完全に打ち合わせして事を運んでいる。会派はわかれても、みんな同じ仲間。「別れても好きな人」だとは、わが県議団事務局の和田さんの弁。ちなみに、申し入れに回った人たちの報告によれば、公明党の2人の県議は、なんとわかれたはずの県民クラブの控え室に、何の違和感もなく一緒にいたそうだ。こちらも「別れても好きな人」。社会・衛生委員会では、肝臓病の患者会から出されていたウイルス性肝炎への公的支援を求める請願が全会一致で採択され、委員会発議で国への意見書が決議された。高村さんの一般質問に知事が、「C型肝炎への県費補助を直ちに打ち切ることはしない。」と答弁したことに続いて、うれしい出来事だ。知事提案の教育委員の選任は、またしても継続審議になった。
2002年10月10日
「地域住民の生命と安全を守るために、ダム建設は絶対に必要だ。」と、ダム推進派、知事不信任派の県議たちは、今まで繰り返し強調して来た。その県議たちが、今、土木委員会で、「浅川の流量調査は必要ない。この予算は認められない。」「浅川だけ、贅沢だ。税金の無駄遣いだ。」などと、驚くべき発言を繰り返している。6月県議会で、県民クラブの若手議員が、同じ趣旨の、およそ、住民の立場にたてば、信じられない感覚の質問をしたこともあり、私は、今回の代表質問で、わざわざ流量調査が、今、なぜ必要かについて述べた。浅川ダムの問題や、浅川の実情について、多少なりとも、まともに勉強すれば、そもそも、治水対策上、ダムが必要なのかどうか、どれだけの雨がふったら、どれだけの量の水が浅川に流れ出すのか、ということを判断する材料として、最低限必要なデータとされている、雨量、水位、流量の観測が、なんと浅川ではきちんとされて来なかったと言う事実を知る。浅川のダムサイト予定地の1キロ以上うえにある水位観測所は、浅川の治水を検討するためのデータを観測する場所としては、あまりにも不適当と言うことは、良心的な専門家はもちろんのこと、治水・利水ダム等検討委員会や浅川部会のなかで、ダム建設に賛成の立場の専門家でさえ指摘したことである。そのため、「浅川では、ご指摘のように、必要な流量観測が今までされて来ませんでした。」と、検討委員会のなかで、県の職員が答弁している。私は、「ダムを造る、造らないにかかわらず、浅川流域で、一生浅川とおつきあいして生きていかなければならない住民にとって、科学的根拠に基づいた治水対策を考えていくうえで、流量観測は、「いろは」の「い」の問題、最も基本的なことであり、それを否定する質問や、あいまいな答弁には、心からの怒りを感じる。浅川の治水対策を真剣に検討していくためには、必要不可欠で、あたりまえの基本的な調査だと言うことをお答えいただきたい。」と主張した。同じ長野市選出の県民クラブのK県議や、社県連のT県議は、流量調査の必要性を主張する質問をしてくれ、うれしかった。しかし、諏訪市選出のK県議などは、「流量調査の必要なし」の急先鋒で、「知事が基本高水を従来のダム計画どおりの450トンから下げないで、河川改修と流域対策をすると言っているんだから、これ以上の調査は必要ない。」の一点張り。彼女は、私の隣に座っていて、私の質問の最中、横から、「石坂さんにそんなこと言う資格ないじゃない。」「矛盾してるじゃない。」「おかしいよ。」などと野次を飛ばし続けていた。彼女の言い分は、私が、検討委員会や、浅川部会などで、従来のダム計画の基本高水(予想される洪水の量)が過大であると主張してきたのに、知事が、その過大とされる基本高水を採用して河川改修を進めるのだから、結局、私たちが要求している以上の対策が実施されるのであり、これ以上、調査を要求するのは不当だ、というのである。そう言いながら、一方で彼女は、「基本高水を下げるための調査は認められない。」「流量調査の結果、基本高水を下げるのか。」と、くり返し質問した。結局、調査の結果、真実が判明し、ダム計画の根拠とされてきた基本高水の数字が修正されることが許せないのだ。正確な流量調査の結果、浅川の降雨時の実態が明らかになり、それに対応する治水対策が実施されることで、流域住民の生命と安全が守られれば、基本高水の数字をその時点で修正するか、しないかなどと言うことは主要な問題ではない。思いがけずも流量調査の是非をめぐって紛糾した土木委員会は、今日で終了予定のはずだったのに、採決を明日の午後にのばすことになった。流量調査の予算を否決するかどうかの検討のためであることは明らか。議会の本質は、少しも変わっていない。ダムに変わる治水対策について、前向きな質問としては、社県連のT県議が、洪水時の住民へのすみやかな情報伝達やハザードマップの具体化などの問題を取り上げてくれたのが救いで、県政会団長から無所属議員となったS県議などは、「森林、溜池、グランド貯留・・・こんな流域対策は実際の効果はなく実現不可能。知事も、本気でやる気はなく、県民をごまかしている。絵に書いたもち。」などと主張し、土木部長は「実現不可能とは毛頭考えていない。困難はあるが、長野市の協力もえて実現していきたい。」と答弁しているのに、治水利水対策本部「流域班」のメンバーであると答弁に立った砂防課長は、「森林整備もこれ以上の治水効果は望めない。遊水地も無理。流域対策の効果はあまり期待できない。」などと、流域対策を公然と否定する始末。まだまだ、前途は多難であると言える。昨日は、浜県議が入手したとされるテープについて、発言の確認を求めただけだった元県政会団長S県議は、あきらめきれないらしく、委員会としてそのテープを聞くことを主張した。私は、たまたま、そのテープのほぼ全文を文字におこしたものを入手しており、それを読む限り、知事は、「極論を言えば、浅川は河川改修単独案で充分だ。」と発言し、そのあと、女性からの「河川改修をやれば、それで充分だということですか。」という質問に対して、「僕の立場でそう言い切ることはできない。」と答えているのだから、何も大騒ぎして取り立てることでもない。S県議の主張に対して、結局、委員会としてテープを聞くことになり、聞いた結果は、私が入手したとおりのものだったため、私が、「別に何の問題もないじゃないですか。ここに全文を起こしたものがありますからどうぞ。」と言うと、S県議は、テープを聞く前の意気込みはどこへやら、「このことについて質問するかどうかは12月議会にまわす。」ということになった。問題は、このテープのなかで、「これはオンエアしない。」とか、知事に「音、とってるんだろう。」と聞かれて、「とってませんよ。」などとうそを言って、このテープが録音されており、約束に違反して公表されているということ。卑怯なやり方だ。今日の土木委員会に詰め掛けた、マスコミのカメラマンや記者に、テープを聞く前と聞いたあと、K県議がやけに親しそうに話していたあるテレビ局が、もしかして、この件にかかわっていたりして・・・彼女は、浜県議と同じ政信会。すでに、会派で、このテープは聞いたという。
2002年10月09日
今日から常任委員会。私の所属する土木・住宅委員会では、昨日の浜議員の質問で取り上げた「知事発言」なるものが、本当か否か、もう一度知事に確認しなければ、質問ができないと言う議員の発言から始まった。あらあら・・・。結局、委員会を休憩にして、その取り扱いをどうするかを協議したのだが、「確認したいのなら、知事を委員会に呼べばいいんじゃないですか。」と言うと、「だめだめ、知事を委員会に呼ぶのは反対だ。また県民から、知事をいじめてると言われるだけだ。」とは、あるベテラン議員の弁。以前の委員会だったら、すぐに知事を呼んだかもしれないな、と思うと、議会の変わりようには苦笑。結論としては、正副委員長が知事の元に出向いて確認して来ることになったのだが、正直言って、私には、どうしてこんなことをしなければならないかわからない。なぜならば、「河川改修だけで充分」と仮に知事が言ったとして、その意見に納得いかないのであれば、あるべき治水対策について、議員としての意見を述べれば、委員会審議はすすむはずだから。しかし、「確認しなければ、委員会審議ができない。」と言う議員がいる以上、仕方のないこと。この件については、正副委員長に同情してしまう。本当にごくろうさま。この件に関する知事の正副委員長への回答は、「発言の真偽のほどは、浜議員に聞いてほしい。浅川の治水対策を、河川改修と流域対策を組み合わせて行なっていくと言う私の考え方に変わりはない。」と言うこと。だって、「治水利水対策推進本部」を作って、知事みずからが本部長になり、河川改修を中心的に検討する「河川班」、流域対策を検討する「流域班」等に分かれて総合的な検討を始めているんだから、あたりまえのことじゃないの?本日委員会で行なわれた質問では、私があれだけ代表質問で、浅川の流量調査は、ダムを造る、造らないにかかわらず、治水対策を科学的に検討しようと思えば、やらなければならないことだと言うことを理解していただけるように説明したのに、「税金の無駄遣いだから、やるべきではない。」などと、恐るべき発言。ほとほと、情けなくなってくると同時に、いったい、浅川流域の住民の思いが、わかっているのだろうかと怒りが湧いてくる。安心して暮らせるための治水対策を検討するのに、科学的なデータをとってはならないとは・・・
2002年10月08日
今日で、一般質問は最終日。朝から、隣の政信会の控え室前は、マスコミの人だかり。「田中知事が再選されたら、県会議員を辞める。」と言っていた浜県議が、今日、事実上の最後の一般質問をするからと言うのがその理由のようだ。彼は、非公式に、10月31日付で辞職すると言われている。なぜ、10月31日かと言えば、県会議員改選前6ヶ月以内になり、補欠選挙をしなくていいから、ということのようだが、そんなことは、県民にとっては、まったく余計なお世話と言う気がする。(そこまで、浜県議に決めていただかなくても・・・ということ。)浜県議は、今日は、控え室からの出入りや、本会議場への出入りのたびに、たくさんのマスコミのカメラに追いかけられて、ちょっとしたスター並み。しかし、見かけはスター並みでも、彼の最後の質問は、県民を侮辱した、まったく許せないものであり、最後まで、何の反省もない態度に終始していて、まったく残念だった。「ダムをやめて、もし災害による被害が生じたら、知事は責任をおえるのか。」等の、選挙中の主張を繰り返したあとに、浜県議は、「知事、私は、今でも、あなたを信用していません。」ときりだし、「あなたのマインドコントロールで82万票を投じた県民も同じだ。」と主張した。これほど、県民を侮辱した話はない。県民は、決してマインドコントロールなどで82万票を投じたのではなく、みずからの意志で田中県政の継続を選択したのである。その県民の良識に対して、なんと言う評価だろう。私は、浜県議が、選挙後、まだあまりたたないとき、「わずか3年半県会議員をやってきただけで、県民の意識から大きくかけはなれてしまった。」と、マスコミにコメントした記事を見て、ああ、彼も、県民の思いや民意と言うものをわかってくれたんだなあ、と思っていたのだけれど、結局は、何もわかっていなかったのだ。質問の最後に、彼は「風と土」という表現を持ち出し、田中知事は外からの「風」で、長野県の伝統や県民の思いを吹き飛ばしただけ、自分たちは「土」で、長野県民の思いがわかっており、県政を担当する資格があるのは自分たちだけだ、という意味の表現をまくし立てて質問を終わった。まったく、失礼極まりない。さらに、彼の質問中、田中知事が、あるマスコミの取材で、「浅川は、基本的には河川改修ですむんですよ。」と発言したことが大問題だと主張し、報道されなかったそのマスコミ取材のテープを「私は持っているんです。」と、浜県議は発言した。もし、それが本当なら、浜県議にそのテープを渡したマスコミこそ、大問題ではないだろうか。先日も長野市で、マスコミの倫理懇談会が開かれたばかりだが、取材し、報道しなかったテープを、特定の議員に渡して質問に使わせると言うマスコミは、いったいどこの放送局なのだろう。マスコミの公正さや倫理について、どう考えているのだろう。是非、明らかにしていただきたいものだ。結局、浜県議の質問には、公約実行中の知事を任期なかばで、自分たちの感情のおもむくままに乱暴にも不信任にしたこと、そのことで県民や県政にかけた迷惑への反省は一言もなく、みずからを正当化する「自分勝手な人の代表」としか、私には思えなかった。「田中知事が再選されたら、また不信任にする。」と、テレビで公然と発言したことにはいっさいふれなかったH県議や、今までの議会に比べれば今回はおとなしくしている「野次将軍」のK県議も、今日の質問者だったが、全員、まったく何の反省もなく、救いがたい人たちだ。もっとも、来春の県議選までは、ともかくおとなしくしていようと、口先ばかりかもしれない反省を述べることがいいのか、正直にうわべだけの反省などしないほうがいいのかは、考えものだけれど・・・一般質問終了後の議員提案の意見書採択。私たちは、今回、初めての議案提案権を使って5つの意見書を出した。医療保険の改悪に反対する意見書は、社県連と県民クラブのK県議の賛成のみで、賛成少数につき不採択。介護保険の充実を求める意見書は、公明党から同趣旨のものが出て、内容を一本化し、全会一致で採択。BSE対策の強化を求める意見書は全会一致で採択。住民基本台帳ネットへの接続中止を求めろ意見書は、社県連、県民クラブの一部の賛成のみで、賛成少数で不採択。イラクへのアメリカの武力攻撃に反対する意見書は、社県連から同趣旨のものが出て、社県連のものに一本化し、共産党、社県連、県民クラブ、無所属の会が賛成したが、賛成多数とはならず、不採択。結局5つの意見書を提案し、2つが採択されたことになる。私たちの初めての意見書提案が、出すだけに終わらず、採択されたことは、うれしいことだ。「住基ネット」反対や、イラクへの武力攻撃反対の意見書は、不採択にはなったが、賛成する会派や議員が増えたことがうれしい。せっかく獲得した議案提案権、さらに生かせるようにしていきたい。また、本日の本会議で、決算特別委員会が正式に発足し、私は副委員長に選出された。選挙後の会派再編、日本共産党県議団の6名への前進あればこその結果だ。日本共産党長野県議団としての、委員会の副委員長も、史上初めてのこと。精一杯、がんばりたいと思う。
2002年10月07日
高校の修学旅行で北海道へ行った息子が、たくさんのお土産を買ってきてくれた。夫には湯飲み茶碗、孫の(彼にとっては姪の)萌花ちゃんには、かわいい「オコジョ」のぬいぐるみ人形と、なかなか気がきいている。カニ、生きた帆立貝、いくらの醤油漬けなどは宅配便で届き、娘たちのところや息子の友達にも届けられた。このお土産代が、息子のアルバイト代から出ていることを思うと、末っ子の甘えん坊も、成長したものだと私も、やや「親ばか」。「お母さん、早く食べようよ。」と言う息子の声にせかされて、夜、帆立貝をバター焼きして食べた。焼く前に、2枚の貝殻の間にバターを少し入れようとすると、貝殻が閉まって、私の指がはさまれた。えっ、まだ生きている。人間って、残酷だなあ、ごめんね、と心の中で言いながら帆立貝を焼いて食べた。新鮮で、とてもやわらかく、甘くて、おいしかった。修学旅行の買い物も、準備も、今回は全部自分でやってくれた息子の成長振りをうれしく思いながら、まだ食べてないカニも、味わっていただくつもり。さあ、明日からはまた県議会。明日は堀内県議の一般質問だ。
2002年10月06日
今日は夫の義父の3回忌。私の夫は6人きょうだいの6番目、つまり末っ子。私たち夫婦の仕事柄、いつも、親戚やきょうだいの皆さんには、お世話になるばかりで、あまり貢献できないので、今回の3回忌には、なんとしても出席しなければと思っていたが、日程的にはちょうど都合がつき、本当によかった。富山から、鳩ヶ谷から、そして長野市内から、6組の夫婦が久しぶりに集まって、義父と、義父より早く亡くなってしまった義母を供養し、しばし、ふたりの話に花が咲く。義父には、私が初めて選挙に出るときから、一緒に親戚をまわってもらったりして、お世話になった。あとから知ったのだが、義父は、地元の自民党の衆議院議員を支持しており、選挙のときには、陣中見舞いのお酒なども届けていた人。でも、私には、そんなことは何ひとつ言わず、選挙のために集会で、「皆さん、ありがとうございます。お世話になりますが、嫁をよろしく。」と、言葉少なに、あいさつもしてくれた。夫や、夫のきょうだいからは、ずいぶん怖い父親だったと言う話も聞くが、私には、あまりいろいろなことは言わず、やさしい人だった。義母には、幼い頃に母を亡くした私のために、最初の子のお産の時に我が家に来て、私と長女の面倒を見てもらったり、何かとお世話になった。正義感が強く、思ったことをずばずばという気持ちのいい人だった。私が初めて選挙に出ることになった時、「どうして、明(私の夫の名前)が出ないで、あんたが出るの。明が出るんなら話はわかるけど・・・」と、この義母に言われて、私は困ってしまって、返事ができなかった。でも、私たち夫婦の生き方を、いち早く理解してくれ、「あんたたちが応援している候補者は、ちっとも当選しない人が多いから張り合いがないねえ。」といいながら、応援してくれたのは義母だった。「とうちゃんなんかね、あんたたちに内緒で、最近まで小坂さん(自民党の衆議院議員)のこと、一生懸命応援してたんだよ。」と、教えてくれたのも義母。もう、戻っては来ないこの義父、義母。私の両親もすでにこの世の人ではない。考えてみれば、寂しいものだ。こうやって、6組の夫婦が、元気で一堂に集まることができるのも、あとどのくらいかな、なんて考えると、ひとりひとりが、みんな大切な人たちだ。たまには、みんなで温泉でも、ということになり、法事が終わったあと、予約してもらってあった上諏訪温泉「諏訪湖ホテル」へ。ホテル隣の片倉館の「千人風呂」にも入り、マッサージも頼んだりして、久しぶりに極楽、極楽。
2002年10月05日
今日は、高村京子さんの初質問。上田市では、史上初めての日本共産党の県議となった高村さんに期待して、「県庁は初めて」と言う人も含めて、50人以上の傍聴者が上田市から来てくださった。予約してなかった人が何人も朝の集合場所に来るといううれしいハプニングもあったとのこと。また、本来は、今日はもう一人、堀内あきら県議が質問する日になっていたが、堀内さんは義理のお兄さんが亡くなって、昨日お葬式だったので、急きょ小林伸陽県議と交替してもらったため、小林県議の地元上伊那郡からも大勢の傍聴者がきてくださった。26年間看護師としてがんばってきた高村さんは、医療の現場からの思いを込めて、医療制度の改悪が、いかに深刻な患者いじめ、お年よりいじめとなっているかをリアルにふれながら、治療の一環である入院給食費の患者負担は考え直してほしいこと、介護者の負担が軽減できる環境整備がもう少し進むまで、介護慰労金の廃止は見送ってほしいこと、などを主張した。彼女を支援してくれた、今までにない多くの人たちの思いがそこに込められていたと思う。さわやかな、堂々たる高村さんの初質問。そして、予想外の展開で、廃止が確実と思われていたC型肝炎への県費補助を、知事は、「当面、廃止することは考えていない。」と、前向き答弁。やった!私は、思わず、斜め前に座っている高村さんに、後ろから声をかけ、「高村さん、よかったね。」と、親指と人差し指で「成功」のしるしの輪を作って、二人でエールを交換した。C型肝炎の県費補助を実施している県はほとんどなく、わずかに実施していた北海道なども打ち切られたと言うので、長野県は県費補助をしている数少ない県になる。高村さんが質問にたつときに、同じ上田市選出で、今回、不信任の採決時に退場して県政会から除名され、田中知事を支援し、「無所属の会」を作った島田県議が拍手してくれたので、島田県議の質問のときに、私たちも拍手して「お礼」。小林県議は、いつも私たちにはない新しい発想や着眼点を見せる人だけれど、今日は、ダムのことばかりに関心を奪われている人たちに、そんなことで明け暮れているよりも、身近な河川の治水対策を真剣に考えることのほうが大切、と訴える意味で、千曲川工事事務所から聞いた河川改修計画を明らかにした。なんと、それによると、千曲川は、長野市で一番流下能力が少ない岩野橋付近での基本高水は7000m3/秒、ところが河川改修の目標である計画高水は5500m3/秒。現在までに改修がすんでいる分は、わずか2700m3/秒とのこと。千曲川は、浅川ばかりではなく、たくさんの支流が合流しているが、多くの支流は、浅川と同じように、逆流を防ぐために合流点で水門をつくり、洪水時には、水門を閉めて、千曲川へポンプで水を上げている。その肝心の千曲川は、基本高水を目いっぱい飲み込む河川改修計画など最初から持っていないのだから、支流の浅川で、ダムを造る、造らないとなぜ、大騒ぎしなければならないのだろう。千曲川の根本的な改修計画の前進こそ重要だ。今日は、2人の質問の日で、控え室は傍聴にきてくださった人たちであふれ、つい、落ち着いてお話できなかったが、とてもうれしい出会いがあった。お会いするのはこれで2回目だけれど、なんとこのつれづれ日記を通じてお知り合いになった佐久市の田中知事応援団の女性の方が、手作りのプルーンジャム持参で、私を訪ねてくださったこと。こんな出会いもあるんだなあ、となんだか不思議。人生が広がる気分。プルーンジャムはさわやかな甘さで、彼女の暖かさが詰まっている感じ。しあわせ――。夜は、真田町の町政、県政を語る会に、高村さんと一緒に参加。約70名の参加。高村さんの活躍ぶりを早速報告。県政の変化を報告し、「がんばれば、政治は変わる」ことを強調した。真田町でも、15日告示で町議選。定数2名削減の選挙で、現職の2名の議員が再選をめざす。2名とも、誠実にがんばって住民の利益を守っている議員。がんばってほしい。
2002年10月04日
きのうの私の質問の最後に、「総括をきちんとしてこそ、前に進める」「今回の不信任から学んだことを、今後に生かそう」と、呼びかけたにもかかわらず、結局、誠実な回答は帰ってこなかった今日の一般質問には、改めて大きな失望、というよりも、もう、この人たちに、人間の言葉は通じないのか、とあきらめの気分。まず、一般質問の冒頭、県民クラブのM議員。この人は、選挙中に、「もし、田中知事が再選されても、浅川ダム中止の考えを変えなければ、また不信任を出す。」と数百人の有権者を前に公然と発言し、地元「大糸タイムス」にその発言が写真入で報道されている。私は、彼の名前こそ出さなかったが、きのうの質問の最後の呼びかけで、その発言を具体的に紹介し、「県民への説明責任を果たすべき」と呼びかけている。にもかかわらず、彼は、そのことにはいっさい触れぬまま、選挙後、知事の態度が変わったから対話できるようになったと強調し、「ダムを中止すれば県の財政が大変になることが県民に理解されず残念。」と選挙中の主張を繰り返し、結局、不信任にいたったのは知事が悪かったのだと言わんばかり。しかも、浅川ダムの契約が正式に解除されたと言うのに、質問のなかでは、ダム問題にはいっさいふれなかった。厚顔無恥とはこの人のこと。とても、人間としての誠意は感じられない。続いて質問に立った公明党議員。新たに県民クラブからわかれて公明党県議団を作ったことも、公明党と言う言葉も、ただの一度も言わず、なんと選挙や不信任についても一言もふれなかった。これにも、ただただ驚くばかり。自分たちが、不信任に賛成したことも、対立候補を応援したことも、まるで無かったことのように・・・「ダムを造るべきだ。」と質問する人はほとんどいなくなり、むしろ、ダムの問題に触れない質問が圧倒的だ。知事選効果、知事選を圧勝に持ち込んだ、県民の世論の力だろうか。様変わりした議会の様子は、いったいいつまで続くのだろうか。しかし、見かけは変わっても、民意に答えよう、原点に戻ろうと言う、心からの反省、総括は、あまり聞こえてこない。質問が進むにつれて、選挙などまるでなかったかのように、みずからの反省の言葉もないまま、知事に「決意」等をくり返し迫っている議員も出てくる始末。残念ながら、不信任の本当の意味での決着は、まだついていない。
2002年10月03日
長野県議会の歴史上初めての日本共産党の代表質問をする、という光栄ある任務を果たし、今、少し、ほっとしている。と、言っても、そんなに肩ひじ張ったわけではなく、自然体で。ただ、2期目を迎えた田中県政の改革の道筋が本格的にすすむよう、思いを込めて。私が初めて県会議員となった11年前は2人の県議団だった。今、無所属の会や、公明党県議団がいる、あのうなぎの寝床のような控え室でがんばっていた。それが、3年前の県議選で5人の県議団になって、今の明るい控え室へ移った。今回の不信任を受けての県議補選で、高村京子さんが初当選を果たし、6人の県議団になって、初めて手にした代表質問権。今日は、私の先輩議員であった山崎元県議や今井県委員長などたくさんの人たちが傍聴にきてくださり、傍聴席は満員。山崎さんたちががんばっていた頃から今日にいたる歴史の歩みと前進を思うと感無量だ。私は、今回の選挙で示された長野県民の良識に敬意と感謝を述べ、この歴史的な選挙の勝利に、私たちがささやかでも貢献できたことを誇りに思うことを述べてから、質問に入った。今回の選挙で問われたのは、民意をどう汲み取るか、県会議員としての役割は何かと言うことでもあった。県民の思いから県議会の多数がかけはなれて、自分たちの勝手な思惑で不信任に走ったことを思えば、このような民意とのねじれをできるだけ許さず、県民の声が重要な政策決定により正確に反映できると言う点で、選挙中から田中知事が主張している常設型の住民投票条例は重要な考え方だ。私の質問に対して、住民投票条例は、できれば今年度中に提案していきたい、という知事の考え方が示された。30人学級の対象学年を広げていくという問題で、再質問を教育長にふったところ、別の問題で再答弁に立った田中知事は、自分自身の体験を述べながら、中学校1年、高校1年という時のつまずきを作らないために、30人学級を実施していくということも考えてみたいと言う、思ってもいなかった前向き答弁。この部分は、今日の答弁の中で、田中知事の人間らしさを一番感じさせる答弁だったような気がする。しかも、この答弁は、私が教育長にふった再質問について述べると言う形だったため、知事は、「直接の私のご質問ではございませんので、願わくばマイクがつながることを望むところでございますが・・・」と断っての答弁。6月県議会で、ダム問題への答弁の最中に、議長に一方的に答弁を中止させられ、マイクの電源まで切られてしまったことを皮肉っていて、ユーモアたっぷり。全国トップクラスの土木費を使い続け、年間予算の規模をはるかに超える1兆6000億円の莫大な借金(全国2位)をつくりながら、身近な公共事業は後回しにしてきた長野県は、生活道路の整備率が全国38位。生活密着型の公共事業に重点を移し、地元業者の仕事をふやすためにも、生活道路整備のための部局横断的な検討体制を、という問題提起にも、「考え方はまったく同じ」と前向き答弁。東日本では長野県だけ、といわれるゆがんだ同和行政については、部落解放同盟の県連の役員などがさまざまな名目で手にしている「やみ給与」とも言うべき実態を明らかにしたが、「特別な人、特別な地区への特別な対策をやめることこそ差別をなくす道」と言う私の主張に、「県民感情が納得のいくものに、経過措置は5年間だが、5年を待たずに終結できるものからすみやかに終結していく。」と言う強い決意が知事から述べられた。市長会などの事実上の圧力によって、トーンダウンせざるをえなかった「乳幼児医療費の窓口無料化」の課題は、まだまだ紆余曲折をたどりそうで、決して満足の行く答弁とはならなかったが、約2年前までの吉村県政の時代に比べれば、県民のまともな願いが正面から受けとめられて、浅川ダムの歴史的な契約解除はもちろんのこと、30人学級、生活密着型公共事業への重点化、同和対策の終結など、県政の大きな変わりようは、感動ものだ。質問の最後に、私は、県議会各派の県議の皆さんに、きびしい県財政を11億円も使っての、あの理不尽な不信任がいったい何であったのか、それは、何の反省もなしに、突然歯の浮いたような支持表明をすることでも、自らの責任を不問にすることでもないはずだ、との思いから、きちんとした総括をし、県民への説明責任を果たすべきだ、と呼びかけた。明日からの一般質問、委員会審議のなかで、彼らはそれに答えてくれるだろうか。(私の質問の詳細は左の「9月議会代表質問」をクリックしてください。また、日本共産党県議団HPhttp://www.avis.ne.jp/~up/ 長野県議会HPhttp://www.pref.nagano.jp/gikai/tyousa/movie/library.htmからも見ていただけます。)
2002年10月02日
知事戦後初の県議会の代表質問が始まった。今日は、創新会(羽田派グループ)、自民クラブ、政信会。基本的には野次は、ほとんどなく、質問も総花的で、以前の攻撃的な雰囲気はなし。失礼ながら、退屈なくらいだ。他会派の県議たちは、「知事は変わった。対話ができるようになった。」等と言っているが、変わったのは県議たち。以前のように、無理難題を押し付けて、感情的に大騒ぎすることがなくなったからだ。言いがかりをつけての審議中断もない。無理やり不信任に走って県民に迷惑をかけたことや選挙戦での敗北をどう総括するかが興味深かったが、質問の冒頭、「このたびの再選、おめでとうございます。」「不信任を出す前に、もっと県民の声を聞くべきだったと反省しています。」「結果は厳粛に受け止めている。」などと言うけれど、ダム問題や財政問題については、結局選挙前からの主張から脱皮することができず、「代替案がなければ、地域住民は安心できない。」「借金もあるが、税収不足が県財政を圧迫している。財政再建団体にならないための知事の決意を。」などと、不勉強と責任逃れに終始していた。ダムに変わる治水・利水対策はこれから本格的に作り上げていくのだから、自分達も大いに建設的な提案をしようとか、長野県の財政をここまで大変にしてしまったのは大型公共事業優先で莫大な借金を作ってしまった自分たちの責任であることに、彼らはいつまでたっても気がつかない。困った人たちだ。あげくの果てには、「住民投票条例」に関して、「直接民主主義はファシズムにつながる恐れがある。重要な政策決定は、住民に選ばれた市町村長や議員が間接民主主義でやるべきもの。」等と、驚くべきことを言い出した。結局、彼らは、民意を汲むことの意味、民主主義とは何かがわからず、県民より、自分たちが特権的な立場にあると勘違いしているのである。今のおとなしさ、静けさが、いつまで続くのかはわからないけれど、県民の目線で、建設的な議論を望みたいものだ。戦後最大と言われる台風が急接近しているらしい。あまり、大きな被害にならなければいいのだけれど・・・収穫を間近に控えたりんごなどが無事であることを願っている。
2002年10月01日
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