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原村在住のコカリナ奏者、音楽家の安川誠さんが亡くなられた。 笠木透さんらと一緒に岐阜県恵那を本拠地に音楽活動をなさっていた方で、原村に移住し木のオカリナ・・コカリナの演奏、歌、作曲等音楽活動をなさっていた方です。残念です。 私も若い頃「私の子ども達へ」・・・生きている鳥たちが生きて飛び回る空をあなたに残しておいてやれるだろうか母さんは・・・などと笠木さんの歌をよく歌ったものです。 最近の歌では、笠木透さん作詞、安川誠さんが作曲した“あの日の授業”は、歌うたびに泣けてくる歌、戦後憲法が制定されたとき、全国の学校で憲法の学習が行われました。あの日の授業ー新しい憲法の話ーこれからもずっと歌い継いでいきたい歌です。 あの日の授業ー新しい憲法の話
2010年08月31日
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梅原 猛さん、大江 健三郎さん、奥平 康弘さん、澤地 久枝さん、鶴見 俊輔さん、三木 睦子さん、残念ながら亡くなられた井上 ひさしさん、小田 実さん、加藤 周一さんという日本の代表的な知識人9人が呼びかけ人となって“憲法9条を守る”という一点で結成された“9条の会” (ホームページがあります。マガジン9条もあわせて開いてみてください) その志に呼応して津々浦々に、また職場に9条の会が結成されました。茅野市でも宗教者の方々を含め5人が呼びかけ人となって、憲法9条を守るという一点で集まった様々な人で茅野市9条の会が発足しました。早いものでもう5年になります。 毎年様々なイベントを行いこつこつと署名活動を積み上げています。頭が下がる思いです。阿部内閣の時に国民投票法がが成立していますから、いつ何時行われるかわからないという情勢ですが、どんな世論調査を行っても9条を守れというのが多数になっています。それに確信を持って進めていかなければと思います。 総会に先立って“日米安保条約50年”と題して木島弁護士による学習会が行われました。敗戦後の米国統治、サンフランシスコ講和条約、朝鮮戦争 自衛隊、日米安保条約が締結されたそもそも論から現在の日米の状況までのお話をお聞きしました。 戦後のアメリカの統治をひきずったままでの締結はアメリカ軍の下士官室で国民や国会にも知らせずに調印されたとのことです。中身が豊富で時代を区切りながらもっと詳しく知りたいと思いました。 日米安保条約50年の年、このようなアメリカと従属的な関係を続けていくことが国民にとってどうなのかを研究者もマスコミも検証する必要があるのではないかと思います。
2010年08月29日
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本当にもう何年ぶりになるでしょう、2人で旅に出るのは・・・。前回はいつどこに行ったかも忘れてしまいました。 あの「モモ」や「はてしない物語」の作者ミヒャエルエンデと松谷みよこさんの作品や展示がある「黒姫童画館」・・・。以前から行ってみたかった美術館でした。北信5岳が眺められる雄大な黒姫高原のスキー場の一角にあります。喫茶室から外に出ると「いわさきちひろ」さんの黒姫山荘が移築されています。 黒姫高原は日頃みている山の風情とは違って“森が深い”と感じました。昨年茅野にいらしたニコルさんの森もこの近くにあるのでしょう。この地を選んだ理由がわかるような気がしました。 飯山の高橋まゆみ人形館へ。飯山の町はなんだか時間がゆっくりと流れているような街です。なんだか気持ちが和んでくる感じです。不思議な気持ち。 そんな街にこそ高橋さんの人形がふさわしい。多くの来館者でにぎわっていました。北陸新幹線の工事が進んでいました。新幹線が通るようになってこの街はどう変わっていくのでしょうか。 志賀高原から白根山、草津温泉へ。草津はさすが日本でも有数の温泉地、大勢の観光客でにぎわっていてびっくりしました。夜になっても湯畑のまわりは人がいっぱい! 帰り長野原町を通りましたが、話題になっている八場ダムに10分ほどで行かれると聞き川湯温泉まで行ってきました。5つの村がダム湖に沈むという巨大なダム、鉄道と道路の付け替え工事が行われていました。その規模と大がかりな工事には度肝を抜かれました。ダム完成図の橋が2番目の写真の橋です。まさに“百聞は一見にしかず”です。
2010年08月24日
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太平洋戦争が終わって65年目の終戦記念日。諏訪湖の花火に行く人でにぎわっている駅周辺で街頭宣伝を行いました。でもみんな気もそぞろといった感じで聞いてくれた人はいるかなあ。 戦後65年、日韓併合100年、被害と加害の歴史をきちんと知らなければならないと思います。8月には戦争と平和に関連したドキュメンタリーやドラマが何本も放映されています。この何日かテレビに釘付けです。 街頭でのインタビューで若者が「8月15日が何の日か知らない」と答えていました。戦後生まれが8割を占める時代に、二度と戦争を起こさないためにこのような優れた番組をたくさんの人が観て欲しいと思います。
2010年08月15日
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県内の不登校数が市郡別に公表され、13日付けの新聞報道で知りました。郡はいくつかの町村で構成されていますからはっきりとはわかりませんが、市ではその数が他市と比較されることになります。 新聞記事によると、それに対してある市の教育長が数値の公表に対して記者会見で「数字が一人歩きをして、不登校で苦しんでいる子どもや保護者、先生方が責めを負うようになってはいけない」と批判したと掲載されていました。 不登校の調査の結果について各市町村の教育委員会や学校に結果を知らせ、対策の参考にしてもらうのは当然と思いますが、公表する必要があるのかは疑問です。 私も今で言う特別支援学級を担任していました。全然学校に来られないのではなく教室に入れなかったり、時々なら登校できるそんな生徒達でしたが、その後はそれぞれが自分の道を見つけて進んでいっています。長い目でみることの大切さを教えてもらった日々でした。 不登校の理由は子どもによって様々であり、特にこれが原因とはかりかねることも多いのではないでしょうか。元気に毎日登校できることがいいとは思いますが、登校することが苦痛になる子どもだっているのです。 学校現場が数の多少で一喜一憂し、数を減らすことに戦々恐々とするようになるのではと危惧するものです。あくまで個々の問題として考えるべきであって、数で比較し競わせるなど愚の骨頂といわなければなりません。指摘は全くその通りと思います。 調査によると中1で急増していると言うことです。以前から中1ギャップが問題とされています。現在小学校6年生までの35人規模学級を当面緊急事態として中1まで拡大することこそやって欲しいことです。
2010年08月14日
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諏訪湖浄化議員連盟が地方事務所、6市町村、県議、6士町村議などに呼びかけて行った「諏訪湖湖上学習会」に参加しました。 暑かったけれど、一頃の暑さよりまだまし。ワカサギ釣りの舟に乗り、時折湖上を吹く風にいやされながらの学習会でした。 菱がびっしりと湖面を覆っている近くで、菱を引き抜き説明を受けました。繁茂しているのは諏訪湖が以前に比べ浄化され透明度が増してきた証拠であるということですが、汚染の原因となる窒素やリンなどを吸収するという利点がある反面、葉が日射を遮るため沈水植物の生長を抑制したり、密生することにより水中酸素濃度が低くなる、枯死した場合吸収した窒素リンなどを放出し汚泥の原因となるなどの欠点もあるというお話で、その場で採集した湖底の土は汚泥でした。 引き抜いた菱には浮きの役目をしている小さな袋のようなものがついていて海綿状になっていました。菱の実はコウモリのような菱形をしています。長野の実家の裏の池には菱がびっしりと生えていて、菱の実をゆでて中の白い部分を食べた覚えがありますが、誰一人そんなことは聞いたことがないとのことで自分だけの経験なのかと思います。 密生しているところを国の緊急雇用創出事業で間引く作業を行っています。11月20日頃までだそうですが、経験した人の話では大変な重労働だそうです。 下諏訪から岡谷の釜口水門を経て、ガラスの里近くの水深1メートルくらいのところで、参加者が諏訪湖に入り観察をしました。この付近は水のきれいな場所で、湖底は砂地であり貝が見つかりました。多くの人の努力により諏訪湖がきれいになっていることを実感しました。 その後場所を移して諏訪湖漁協の方のお話を伺い、昼食を食べながらの懇談となりました。釜口水門からの放流について等様々な意見が出されました。 初めての湖上学習会本当によい学習会でした。“百聞は一見にしかず”
2010年08月11日
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「あの、すみませんが・・甲府から茅野まできたのですが・・・」と、突然の電話。甲府で働いていたが解雇され、茅野まできて所持金がなくなってしまった。いろんな所に相談したが、共産党に相談したらと言われたという電話。 愛知県に実家があるということなので、実家まで無事に帰ることができるよう、若干の夕食代とガソリンを満タンにして・・・住民票がある場所で生活再建をするようがんばって欲しい。 所持金がなくなる前に何とかできなかったのだろうかとか・・・想像もつかないけれど、会ってみればお金がなくて食事をしてないという現実。なんだか切なくなって泣けてきた。
2010年08月10日
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原爆投下から65年目の夏を迎えた広島で市主催の平和記念式典が行われました。国連事務総長の藩基文事務総長が国連のトップとして初めて参加。アメリカのルース駐日大使、イギリス、フランスの政府の代表が参加するなど世界の核廃絶の世論の高まりを示した画期的な式典となりました。 藩基文事務総長は、「被爆者が生きているうちに核廃絶の日が来るように努めよう」と訴えました。また秋葉広島市長は平和宣言の中で政府に対して「唯一の被爆国として、非核3原則の法制化、核の傘からの離脱、核兵器禁止条約締結の音頭をとることを求めました。 しかし、記念式後の記者会見で菅首相は「核兵器の拡散という現実もあり、核による抑止力は日本にとって必要だ」と発言しました。一瞬にして多くの人の命を奪う、地球を人類を破滅するような核兵器を一刻も早くなくしたいという多くの人々の思いを逆なでするものです。記念式典では唯一の被爆国のリーダーとなるなど調子のいいことを言っておきながら・・本当に許せない思いです。挨拶をする茅野市長 東海第3校の生徒、柳平市長、宅労所福寿草などからの折り鶴を捧げる 茅野市では15回目の「茅野市平和記念式」が原爆の火が燃え続ける塔の前で行われました。およそ100人ほどがあの日と同じ暑い日差しのなか集まりました。県下でもこのような式典が行われている所はまれであり誇らしいことです。多くの人の思いで原爆の火の等が建立されたこと、それからずっと続けられていることに、力を尽くされてきた先輩の方々に感謝するものです。 茅野市長、議長、JA信州諏訪の組合長が挨拶をし、広島、長崎市長からのメッセージの代読、折り鶴や花の献花があり、全員で「原爆許すまじ」の合唱をして閉会となりました。これからも茅野市の誇れる行事としてずっと続いてほしいと願っています。 記念式終了後図書館に場所を移して被爆体験を聞く会がもたれました。 原爆投下後入院していた父親に会うために広島市内に入り被爆をした方が語ってくれました。あまりにも悲惨な体験であり話したくないと思ってきたが同じ被爆者の方のすすめもあって、初めて体験を語ってくださいました。 戦争は二度としてはいけないという言葉とともに勇気を持って語ってくださったことに感謝し、私たちはその思いに応えていかなければいけないとの思いを強くしました。
2010年08月06日
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10年に一度当番が回ってくる下諏訪町で行われるお舟祭り。お舟祭り今年は茅野市北山・湖東・米沢が当番です。 暑い中行われるお舟祭り、10年後は参加できるかどうか?なので最後と思って参加しました。 一生懸命引っ張って疲れた!暑かった! 諏訪大社春宮から秋宮まで引っ張り、秋宮の神楽殿を3回回って正面に引きつけられました。最後に神楽殿脇の土俵ですもう3番が行われ終了となりました。初めて見ました。 思ったより参加者が少なかったし、人手も少なかったと感じました。 下諏訪町には4年半くらい住んでいましたので、懐かしく町を歩きました。共通した屋号が附けられていたり町が観光地として整備されてきていました。下諏訪の町は至る所に小路がありその風情が好きです。そのころ通っていた菅野温泉にも入って汗を流してさっぱり!
2010年08月02日
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