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「シェフィールドより」というタイトルのメールが届く。宛名が妙な表示だったので、迷惑メールかと思ったら、約1年前に私のゼミを卒業した韓国からの留学生・崔さんからのメールであった。私の留学先だったシェフィールド大学の、語学研修コースが始まった様子だ。最終的にシェフィールドの大学院に進学するかどうかはまだ未定らしいが、もしそう決まったら、私の教え子にとってもシェフィールドが母校になることとなる。また、彼女からのメールによると、語学コースの教員で別に政治学が専門でない人からも、ハンナ・アレントの話をされて、驚いた様子だった。英語で書かれたものは、専門書であっても英米人は普通の人が読むのよね。ところがそれが日本語に翻訳されると、一部の専門家にしか分からない代物になってしまう…。この課題は大きい。学問とは本来、ことさら高尚なものではないはずなのだが。
2007.03.31
鍼灸へ。やはり、黄疸が出ていて、かなりの疲労らしい。決して「前回より良くなってます」とは言われなかった。また、周囲の方々からも、私が痩せたのが歴然と分かるらしいし、見る人が見れば、私の顔は黄色味がかっているようだ。油断大敵である。明らかに体は悲鳴を上げている。おそらく、自分が自覚する以上に…。おいおい、年度替りだぞ(汗)。
2007.03.31
ちょっと体調が上向きになる→ついあれこれ動きたくなる→結局休めない→また不調が長期化する…こういう悪循環を、これまで何度繰り返してきただろうか。比較的、体が軽いように感じる今日だが、ひたすら自分に言い聞かせる――「絶対疲れるなよ!」と。目の前の1つの「無理」をすることで、半月も1ヶ月も「疲弊」して周囲に迷惑をかけることになっては、何にもならない…。ちょっと元気になったと思うのは、実は「油断」なのだ。
2007.03.31
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このタイトルからすると、「最近まで論文を書いていた日々が、知的ではなかったのか」という話になりそうだが、正直、過去2ヶ月間は、健康と引き換えの「肉弾戦」だった(汗)。朝は風雨が荒れ狂っていた三島。長い傘を持って出撃し、新幹線で上京したが、途中から見事な快晴になってしまったではないか。あぁ、傘はアクセサリーのバスター・ランチャーと化した。11時30分、過去10年間お世話になっている編集者の方と、久々に神田でお目にかかる。私のような勉強不足の人間に、時間を割いてお付き合いいただけるのは、有り難い限りである。これから始動する新たな翻訳の仕事、またしても自分の力量を越えたものになるが、誠実にベストを尽くしていこう。さらに午後には、恩師を中心とした「シティズンシップ研究会」。S本氏の、トクヴィルを中心とした報告に、非常に啓発を受ける。自由主義と共和主義にまつわる、国ごとの異同。共通の問題を抱えた普遍的側面と、国によって経てきた歴史的経緯の違いに基づく個別的側面と――。さらには、資本主義と切り離して社会主義と結びつき得る自由主義の理論的可能性、また個人主義と切り離して共和主義と結びつき得る自由主義の理論的可能性、等々。もちろん、思想史的背景から切り離された理論的操作だけではお遊びになってしまうかも知れないが、しかし現代的な理論的課題が存在することも事実である。東京駅を20時23分発のこだま号に乗れたから、今日は早い帰宅と言えよう。ポストには、ミネルヴァ書房から書籍小包が。何だろうと思いきや、共著『政治変容のパースペクティブ』(2005年)の2刷目であった。2刷目用に誤植を直したはずなのに、開いた瞬間、見落としたミスを103頁に発見し、「あ~あ」であった(苦笑)。
2007.03.30
春の嵐のようだ。一気に開花し始めた桜には、ちょっと可哀想なくらいの、生暖かい烈風が吹きすさぶ三島である。最悪の体調に落ちた以上、あとは昇るしか道はない。「復活」する以外にない。「雄叫びが 電光石火の一撃を呼ぶ 震えるな瞳こらせよ 復活の時」人よいのちよ、始まりを見る…か?
2007.03.29
散髪に(いばるなっ)。
2007.03.29
一気に春めいてきて、ここ数日の間に職場の桜も開花が始まった。朝晩はまだ冷えるものの、日中気温が上がると、疲弊しきった心身に太陽エネルギーが注がれるようで、少しでも気持ちがよくなるのがありがたい。提出直前の論文に致命的なミスを発見。事前に発見してよかった…と冷や冷やものではあった。昼過ぎ、キッカリ1ヶ月ぶりに鍼灸へ行くと、S山師より、満身創痍であることが告げられる。いつもの弱点である、胆道と尿管の詰まり。これはすべて、体内の石によるもの。この2箇所が相当ダメージを受けている上に、すい臓と腎臓もやられていると聞かされる(ちなみに、食事を減らしている私は、暴飲暴食など一切していない)。さらには、初めてこの鍼灸に通い始めた4年前に言われた黄疸が、今また出かかっているというから、この1ヶ月間は自分が想像する以上に健康を害していたことになる。周囲から「顔色が悪い」と言われたのも、この黄疸によるものかも知れない。今日は、普段うたれない個所にも鍼をうってもらった。もっとも、ホントに死にそうに疲弊していた昨日の夕方に鍼灸の予約を入れたら、今朝はわりと体が楽だった。「そういうことはよくありますよ」とは S山師の言。何はともあれ、常人のレベルを超えて疲れすぎていることは事実のようだ。なすべきことは無限にあるが、養生しなければ…。
2007.03.28
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1989(平成元)年1月、卒業論文を提出する日に、大雨にたたられて原稿がびしょ濡れに。現在のようにコピー機があちこちにある時代ではなかったから、図書館で乾かしながらコピーして提出したものだった。1991(平成3)年11月、エディンバラ留学中に日本語で執筆した修士論文。10月からの秋学期より、午後の授業をオミットして帰宅して執筆に専念していたが、いよいよ仕上げるという段階で喘息に。心身が消耗する中、狂ったように書き上げたものだった。1993(平成5)年、2本のマンハイム関係論文を書いていた院生時代。自分の勉強不足と、どう勉強していいか分からない、という精神的に行き詰った状況の中、とにかく勢いで2本の論文を仕上げた。病の発病する予兆はすでに現れていた。1995(平成7)年春、シェフィールド留学の1年目が後半になりつつある頃、Ph.D.とは別に日本の雑誌に載せるべく、フェミニズム政治理論の論文を日本語で書いていた。その時に、緩和しつつあった自律神経失調症が悪化。泥沼のような状態の中で仕上げたのだった。2002(平成14)年5月、シェフィールド大学にPh.D.論文を提出。留学を中断して帰国して、すでに6年の歳月が流れつつあった。今度は修士論文の時とは逆に、日本にいながら英語で書いた。慢性的な体調不良と仕事の多さの中で、よくも諦めなかったものだ。あの「執念」は、何に由来していたのだろうか?2004(平成16)年の今頃、前年に自律神経失調症が再発して、10月末から寝たきりに近い生活だったのが、春の訪れと共に徐々に回復に向かい、初の単著『大衆社会とデモクラシー』の執筆に着手し始めていた。授業と並行しながら、3ヶ月で一気に草稿を書き上げた。あのパワーは、どこから湧いてきたのだろうか?何が言いたいか。私が何か仕事を形にする時は、常に「最悪の」コンディションの中でやってきたということだ。時間の面でも健康面でも、また手に入る資料の面でも、恵まれた環境で仕事をしてきたことなどない。自信があって戦ったことなども、一度もありはしない。ただ愚直に、諦めない、逃げない。闇が深ければ暁は近い、と自らに言い聞かせつつ――まさに「暗黒からの浮上」の連続だ。これまでも、これからも、永遠にその繰り返しなのだろう。そしてその度に、ナイト・スターでの、イデオンとギド・マック(ハンニバル・ゲン搭乗)との死闘を思い浮かべるのだろう…。「サムライが自ら散れば、家の子郎党、末代まで悔いはない。無駄死にだけはさせるなよ」などとほざきつつ…現実には「生きて生きて生き抜くのがサムライ」だと思っている私だが。
2007.03.27
ボロボロだ…。しかし、武士は食わねど「侍ジャイアンツ」改(食事はしてるが)。「ズンタタタ ズンタッタ ズンタタタ ズンタッタ ソメイヨシノをつんざいて 智慧の稲妻 闇に飛ぶ でっかい星も砕け散り PCの唸りに地獄が見えた 見ろよ あいつの執筆を あいつは副長 ドラゴン山田」サムライ…和泉守兼定!
2007.03.27
吹けよ嵐、嵐、嵐! の掛け声のままに、あれもこれもあれもこれもあれもこれもあれもこれも…と、すでに気力と体力の限界を越えている。しかし、なすべき時に、なすべきことの「決着」はつける! 所詮、身体は1つしかない。1日は平等に24時間だ。ならば、目の前の1つ1つのことを、丁寧に誠実に片づけていくしかない。「着実」に…。
2007.03.27
「顔色が悪い」との指摘を受ける。よくよく私は、疲労し切っているらしい。
2007.03.26
疲労は深い…。しかし、今週も始まる。戦いだ!!
2007.03.26
午前中、上京前に自宅で書簡をしたためていると…グラグラッと。「お、地震か?」。三島ではせいぜい、震度1程度ぐらいだったのではないかと思うが、それがまさか、能登半島沖で震度6の大地震だったとは。断層、フォッサマグナ、伊豆半島…日本沈没の予兆ではあるまいが。被災地の方々は大丈夫だろうか?(3月26日記す)
2007.03.25
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「ガロワ・ザンとマジス・ザンは、第6惑星に向かう。ジム・ザンは敵の進路上にこれを迎え撃って、第6惑星ポイントにおびき出せ」――バッフクランの指令ルクク・キルの、亜空間戦闘の命令である。土星軌道上での死闘。新鋭機動メカ・アディゴの強襲で、イデオ・ノバのコクピットは炎上。パイロットのモエラは、死の間際までイデオン・ガンにエネルギーを送り続け、ルククの艦隊は壊滅。さらにイデオン・ガンの余波は、土星の輪の一部を破壊する…。異星人に追われ、母星・地球からも見捨てられた、ソロ・シップのクルーたち。私たちの言葉で言えば「難民」である。「ソロ・シップの人々は、もう二度と、この故郷のある星々の輝きを、見ることはなかった」という故・塩沢兼人氏の抑制の聞いたナレーションが、悲惨な滅びの物語を暗示する。人間が、コントロールすることのできない巨大な力を手に入れてしまったことの不幸。その無限力に対する恐怖と欲望がかき立てる、人間のエゴイズム。ホッブズ的な人間観をこれでもかと描いたのが、『伝説巨神イデオン』の世界だったのかもしれない。その中での救いは、異星人をも乗せたソロ・シップの中にだけは、多くのいさかいの果てに人の調和が生まれつつあったということか。しかしそれは、おびただしい人の死によって購われなければならない、悲しい僥倖だったのだろうか。第32話「運命の炎のなかで」。中2の終わりに観て以来、忘れられないエピソードである。今の目で見るならば、「異質」=「敵」としてしまう人間の「業」を考える際の、数々のヒントに満ちている。
2007.03.24
今年も4分の1が過ぎようとしている。年末年始の渡英(1週間での英国ななめ縦断)、帰国後2週間続いた時差ボケ、そして、間断なき死闘・激闘…。体中に、想像以上に疲労が濃縮され蓄積されているのを感じる。痛いだとか、辛いだとか、そういう言葉では表現できないしんどさである。そんな状態の私を支えているのは何か――言うまでもなく、多くの方々からの信頼と援助だ。いかに恩に報じるか? 勝利の結果を出して見せる以外にない。「勝ち戦 それが我らの 使命かな」大規模な戦略級の戦いであれ、ささやかな戦闘級の戦いであれ、所詮、いかなる勝負も最後は白兵戦である。私の格闘性能はいかほどのものか…それが試され続けている。
2007.03.24
1995(平成7)年の今頃、ロンドン近郊で書きとめた一枚の紙片が出てきた。それの日本語バージョンを改めて手にしたのが、実は2003(平成15)年1月。その一部を、昨日・今日と何人かの友にメールしたら、思わぬ反響をいただいた。ここにその一部を、英語版で記しておこう。・To be strong so that nothing can upset the peace of my mind.・To talk health, happines and hope to every person I meet.・To make my friends feel that there is something good and beautiful in them.・To look at the sunny side of everything and to be optimistic about life.・To think only the best, work towards doing and expect only the best.・To be just as happy about the success of others as I am about the success of myself.・To forget any mistakes of the past and press forward to greater achievement in the future.・To give so much time to improving myself that I have no time to criticise others.・To be too strong for fear, too kind for anger, and too happy for worry.もし私の記憶違いでなければ、これらを一紙片に書き記した時には、オーストラリア出身でロンドン在住の研究者 Robyn Quinlan さんと初めて知り合ったあたりの頃になる。彼女は、パグウォッシュ会議の故・J.ロートブラット氏とも親交があった。ここ数年会っていないが、この年末年始にはグリーティング・カードをいただいた。元気だろうか?
2007.03.24
シェフィールドの盟友・Sue から、夜メールが入る。正月に会って以来だ。そうだ、9月に会えそうかどうか、打診しなければならない…。(3月24日記す)
2007.03.23
私の夕刻の一時的な「意識不明」が、結果的に盟友 K森氏、K合氏、S藤氏らに心配をかけることになってしまった。あぁ、申し訳ない。と同時に、下書きを一応まとめた論文を、妥協なく「これでもか」と練り直す。エラボレーションとでも言うのか。不思議なことに、読み直して手を加えれば加えるほど、気づかなかった点でつじつまが合い、議論がよりつながってくるように思える。これもまた、懸命なるがゆえの「智慧の嵐」か…。考えてみれば、今書いている論文は、いろんな意味で、過去になし得なかった仕事の「仇討ち」の側面がある。(1)シャンタル・ムフ『政治的なるものの再興』の訳出作業中だった10年前の1997(平成9)年、留学中からのフェミニズムへの関心から、ある論点に気づいたのだが、それをずっと眠らせてしまっていた。(2)数年前、ある論文集への寄稿を予定し、アイリス・ヤングに関する論文にしようと下準備はしたのだが、他の仕事に追われてしまって寄稿そのものを断念してしまった。(3)「Civil」や「civility」の問題を深めるべく、ジョン・キーンの市民社会論の全体像を捉えようとしたが、体調不良や英文拙著の出版などが重なって中断してしまった(せっかく日本に招聘までしたのに)。と同時に、この10年間、別々の形で手がけてきた仕事が、何らかの形で今の論文に流れ込んできているのも、改めて感じる。(1)授業の教材に用いた C. D. Lummis, Radical Democracy (Cornell U. P., 1996)、A. M. Gamble, Politics and Fate (Polity, 2000)、I. M. Young, Inclusion and Democracy (Oxford U. P., 2000) が、見事に全部生きてきている。(2)マイケル・ケニー『アイデンティティの政治学』の翻訳で、気づかないうちに力をつけたのかもしれない。(3)去年、図書新聞から、ムフ『民主主義の逆説』の書評を頼まれて、アメリカ出張の往復の機内で集中して読み込んだことが、そのまま今の論文の構想のベースになった。(4)Carole Pateman, The Disorder of Women (Polity, 1989) を私が翻訳することになり、再びフェミニズム政治理論を手がける時が来ていた。(5)偶然にも、2006(平成18)年度は、職場から、フェミニズム政治理論に関する研究という名目で個人研究費をもらい、かなりの文献を手に入れていた(読んだかどうかは不明だが…汗)。等々…。一見してバラバラだった自分のこれまでの仕事だが、「時」がくれば集約される点が見えてくるものなのだな。
2007.03.23
いかん…、18~19時の間、意識不明に陥った(汗)。
2007.03.23
おぉぉ…! 以前念のためにと、手元に取り寄せておいた雑誌論文に、お昼前にさくさくっと目を通してみると――私の論点と同じことに言及されているではないか! これでまた1つ、脇が固まった。Wenman, Mark, "'Agonistic Pluralism' and Three Archetypal Forms of Politics," Contemporary Political Theory, Vol. 2, No. 2, 2003.
2007.03.23
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今日もまた、赫々たる朝日が昇った。戦いの要諦は、「電光石火」「一撃必殺」。時間や能力のある・なしではない。きらめく智慧の「閃光の剣」で、勝負!
2007.03.23
盟友・K森氏が、ある新聞記事をご紹介くださる――。ある小学校教諭の話。「とにかく褒めてあげること。褒めれば、耳が開いて心が開く。こちらの言いたいことが伝わる。最初に叱ると、耳が閉じて心も閉じてしまう」▼男の子は自分が世界一だと思っている。だから褒めてあげる。褒めれば、さらに力を発揮する。女の子は自信がない。だからこそ褒めてあげる。褒めて不安を取り除いて安心を与えてあげるのだ、と▼日本人、とりわけ男性は褒めるのが下手だと言われる。恥ずかしさもあるだろうが、「褒めるは毀る下地(褒め言葉に油断するな)」と、褒めることに価値を置かない。一方、欧米人は、異なる思想や文化を持つ人々と共に生きる技術として上手に褒める。個性化、多様化する日本も、もっと褒め合う社会でよいのではないか…等々。言葉を惜しむな! 褒めて褒めて、褒めちぎれ!!
2007.03.22
私が、shonanian さんを訪ねて、初めてアメリカという国の土を踏んだのは、1991(平成3)年師走、エディンバラ留学の末期だった。その時に頭にあった詩(うた)――「若き地涌の丈夫は 舞い往け大空 空飛ぶ鷲と 民を守りて 正義の羽は 勇み勇みて 友よ起て 見よや彼方に虹かかり いざいざ往かなむ 決めたる道を 地を往く王者と 走りぬ獅子は 朝日夕日に 友よ起て」いよいよ桜の開花も本格化。花に吹雪に、友よ起て!!
2007.03.22
「ドッキング・アウトォ!」ではない。夕べ寝る前に、ここのところ行っていなかった接骨院からもらった、非常に浸透性のいい塗り薬を首や肩に塗ったのが、見事に裏目に出た。凝り固まった肩が楽になるどころか、たまっていた疲労層を開放してしまい、泥沼の状態で起床した。9時には、夜勤明けの僚友・I葉氏とデニーズでお茶することになっている。朝の渋滞を考えれば、家を早く出るよりない…。晴天だったのは救いだった。小一時間お茶した後、出勤。約2ヶ月の間苦しみ抜いてきた論文の下書きを、ついにプリント・アウト。ようやく、この段階まで来た。もちろん、これで完成ではない。パソコン画面で論文を見ているのと、印刷したハードコピーを見るのとでは、見方が違うのだ。現に、プリントした原稿を読み進めてみると、滑っている文章や、おかしな繰り返しや、もっとましな表現方法が見つかったりして、練り直される。これを、あと何回繰り返すことで、完成原稿となるだろうか。いつものこととは言え、この段階に漕ぎ着けるまでの大変さと、この段階から先の苦労とを、やはり味わっている。昨日は春分の日だったが、確かに今日の夕方は、日が長くなったのをしみじみ実感した。夕方近くは一時風が強くなり、「春の嵐」という言葉が脳裏をよぎった。私は「智慧の嵐」で勝負をかけるよりない。最後の堅めが大事なのだ。
2007.03.22
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春分の日は、論文執筆で明け暮れた。過去2週間のおぞましいまでの体調不良と過酷な多忙さから、一転して、智慧の嵐をわかせて一気に論文執筆を敢行した月・火。下書きレベルのものは、何とか形になりつつある。だが、これからがむしろ厄介だ。一度文章化してしまうと、自分の思考が固定されてしまい、手直しが必要な個所が見えなくなる。また、注などの煩雑なデータが、便利なカット&ペーストで前後が入れ替わっているのに、それを見落としてしまうと、まだ出てきていない文献が「前掲書」などとなっていることに気づかない。そういうのがボロボロ見え始める。さらには、目を通したというレベルの文献を改めて読み直して、議論の脇を固めるなり、引用するなり、注で触れるなり…等々という作業もバカにならない。ともあれ、風邪気味の中、「逆襲のドラゴン」の戦いは続く――。
2007.03.21
深夜の風呂上りに、アマゾンを何気なく検索していたら、John Keane 教授の著書 The Life and Death of Democracy の発売予告が出ていた。2008年2月発売予定で、もう予約開始だと。まだ11ヶ月もあるのに、気の早いことだ。ハードカバー版で6,000円代だから、さほど高いとは思えない。どの程度の厚さなのだろうか?Keane 教授を日本に招聘して、もうすぐ2年が過ぎようとしている。2003(平成15)年、2004(平成16)年と、ロンドンで個人的に2度お目にかかって、2005(平成17)年の招聘につながったわけだが、あの当時から彼は「デモクラシーの歴史について書いているんだ」「古代ギリシャ以前から書くんだ」「日本はデモクラシーに何か貢献したのか?」等々と語っていた。それがいよいよ、The Life and Death of Democracy という形で結実するのか。去年、いつだったか(多分クリスマスあたり)彼から届いたメールで、このタイトルを聞いてはいたが…。いかんなぁ、Keane 教授の civil society に関する論文も、執筆が止まったままだ。が、今はそれどころじゃない。
2007.03.20
私が小学生だった1970年代にも、一時期、自殺が大流行した時期があった。今も、交通事故死の3倍前後の人が自殺する社会ニッポンである。生きることそのものが地獄となり、死んだ方が楽だと思う――。確かに、そこまで追い詰められて自死を選んだ人を、さらに石をもって追うように責めることなど、誰ができようか。それでも、なおかつ、あえて、叫びたくなる。「なぜ死ぬ!? なぜ死を選ぶ!?」と。「生きろ! 生きて生きて生き抜け!!」と。「あんた一人のいのちじゃないんだよ!!」と。「死ぬこと」と同じくらい避けられないこと、それが「生きる」ことだ、とはチャップリンの言。また、「なぜ殺す!? なぜ戦う!? なぜそっとしておけないんだ!?」とは、文脈は異なるがユウキ・コスモの叫び。自殺であれ他殺であれ、「殺」が充満する現代において、これらの言は重い。生きることが地獄だという人に「耐え抜け! 生き抜け!」と叫ぶことは、残酷な拷問だろうか? 私は、そうは思わない。生きたいのに理不尽に死ななければならない、過酷な運命の人も世界中にいるのだから。この世に「使命」がなかったら、生まれてくるもんか! 「生命の尊厳」という言葉を、ただのキレイ事にしないために…。
2007.03.20
日大法学部の『政経研究』43巻4号が、宅急便で夕方届く。拙稿「後期カール・マンハイムの政治思想的考察・序説(二)」が掲載されている。ちなみに、随分前に同論文の(三)の原稿とフロッピーを提出したはずだが、一向に初校が出て来ないなと思い、関係する事務局に尋ねてみると、『政経研究』44巻1号に掲載は決定しているとのこと。ただ、種々の事情で、初校は4月に入ってから来るらしい。ひゃ~、助かる。今、目の前の別の論文にとどめを刺さなければならない時に、マンハイム論文の校正が来たひにゃぁ、大パニックは目に見えている。う~ん、守られている。それにしても、同時に複数の論文を並行して書いていて、よくも頭の中がゴチャゴチャにならないものだ(なっているのに、自覚がないだけ?)。その分、肉体面には相当な負荷がかかっていることは事実で、今日も主治医から「働きすぎでは?」と言われた。いや、決して私はワーカホリックではなく、人の何倍も努力しなければならないほど不勉強だという事実の問題なのだが(汗)。
2007.03.20
年末年始に渡英したことなど、帰国後の凄まじい怒涛のごとき戦いの日々の中で、忘れかけていた。ところが…、年末に Carole Pateman 教授にお会いするため訪れたカーディフから投函したエアメールが、今日届いた、という連絡をいただき、呆気にとられた。英国の絵葉書には、やたら大きいのや、横長のや、とにかく多種多様なものがある。カーディフでは横長の絵葉書を使ったのだが、郵便局ではなく W. H. Smith で切手を買ったものだから、うかつにも 1st Class の切手を1枚しか貼らなかった。その結果、年明けてシェフィールドやエディンバラから投函したエアメールが届いているのに、カーディフのは行方不明という状態だった。結果的には、破棄されたのでなく船便扱いにされて、約3ヶ月かかって届いたということであった。う~ん、すべて後から振り返れば帳尻が合う。ムダは何一つない。すごすぎる!
2007.03.20
苦しければ苦しいほど、笑い飛ばすっきゃない! 「復活のイデオン」ならぬ「決着のドラゴン」。「戦うか 戦えるか すぐれぬ体調よ 迫り来るタイムリミットに 勇気を示せ 湧き上がる 智慧の嵐 いのちの叫びか 獅子王の 副長の力 錯綜切り裂く 諸刃の剣が斬るのは 我が身なのかと 恐れるな 心開けよ 決着の時 人のいのちの 力量を見る Don't Runaway Dragon, Dragon Don't Runaway Dragon, Dragon」逃げるな~!
2007.03.19
そう遠くない過去に、「タリウム」と「タウリン」をめぐる偽悪的冗談を展開したことがあった(関係各位、哂ってくださって結構です…汗)。最近はそこに「タミフル」も参戦するかに見えたが、それはさておき。ここのところ、リポビタンDに2度お世話になっている。どの程度効いているかは知る由もないが、コンビニに入ってそういうものに手を伸ばしてしまう自分がいる。かなり疲れているのだろう。実際、両足に力が入らない。食べないともたないし、食べると体調が悪化する。それでも、「ドラゴン、大地に立つ」。
2007.03.19
「カルテット」と聞けば、私の脳裏に浮かぶのは、四重奏ではなく、『伝説巨神イデオン』に出てくる地球連合軍の戦闘機だが…、それとは直接関係ない。結婚式の司会を何とか無事に終え、いったん帰宅。その後、大学時代に大変にお世話になった、O本先生ご夫妻と、Y幡先生ご夫妻に招かれ、御殿場の時之栖(桜の礼拝堂)でのマイア・カルテットのコンサートにお供する。心理学の O本先生は、定年退職なされてからも毎週水曜日には非常勤でいらしているので、お目にかかることも少なくなかったが、社会学・哲学の Y幡先生とは、数年ぶりの再会となった。もともとうちの職場で「ヨーロッパの社会」という科目を担当され、出身の上智大学に転任なさり、個人的に随分と知的啓発を与えていただいた。すでに上智大学は10年前に定年となられ、現在はうちの経済学部で非常勤で教鞭を執っておられる。私がヨーロッパを考える場合、Y幡先生から受けた知的薫陶が、どれだけの財産になっているか、計り知れない。シェフィールド時代、アメリカに長くいたという日本人の方に、ヨーロッパの歴史的・精神史的背景を説明するのに、学部時代に Y幡先生の授業で拝聴した内容が自分の脳髄に刻み込まれていることに気づき、その凄みを実感したものだった。当然、現在教壇に立っている私の語りの中に、それらがどれほど色濃く現れていることか。「政治共同体」と「民族共同体」と「言語共同体」の3つが重なることが稀であること、ウェーバーの言う「世俗内的禁欲」の持った暴力性、一般的に言われる「近代化」という歴史認識の欺瞞性、日本人が英語でものを書かないために知的責任を果たしていないこと…等々、数年ぶりにお目にかかっても、変わらずに知的刺激を受けた、貴重な一夜となった。(3月22日記す)
2007.03.18
パニックするやに見えた結婚式の準備だが、大先輩の機転によって逆にあっさり終了。開始時刻までの一服タイムに、盟友・K森氏となぜかウルトラマンの話に。「今からすれば、子供むけ番組とは思えないくらい、よく考えて作られていましたよね~」等々。つい、語ってしまう私。有名なレッドキングは、実はスペシウム光線によってではなく、投げ飛ばされて倒された。ウルトラマンが光線を放ったのは、レッドキングが持ち上げた大岩を破壊するためだった。また、ウルトラセブンを神戸で苦しめたロボット、キングジョーは、ペダン星人が送り込んだ合体ロボット。アイスラッガーをも跳ね返すキングジョーは、セブンの力ではなく、ライトンR30爆弾で破壊された。…こんなことばっかり知っていて、論文は大丈夫? と自嘲気味のドラゴン山田であった(汗)。私にとってのウルトラマンとは、本当にリアルタイムで観たと言える1971(昭和46)年放映の『帰ってきたウルトラマン』に他ならない。『ウルトラマン』は、私が生まれる前年の1966(昭和41)年の夏から放映開始で、私の誕生日である1967(昭和42)年元旦には第25話「怪彗星ツイフォン」の放映日だったはずだが、そんなこと覚えているはずがない。『ウルトラマン』も『ウルトラセブン』も、再放送で接していたのだろうが、実はちゃんとした記憶があったわけではない。特に、『ウルトラマン』にまともに接することになったのは、『ザ・ウルトラマン』(アニメーション)や『ウルトラマン80』が製作された、いわゆる第3次ウルトラブームの頃。私が中2あたりの時代だ。初代の『ウルトラマン』が複数映画化され、またサウンドトラックのLPレコードが、キングレコードから「サウンド・ウルトラマン」が、ユピテルレコードから「ウルトラマン怪獣大決戦」が、それぞれ2種類ずつリリースされ、ビデオなど出はじめで家になかったあの頃に、「これが、俺が生まれた頃にやっていた、初代ウルトラマンの世界なのか」と感じ入っていた。その頃朝日ソノラマから出版された大型本、ファンタスティック・コレクション『ウルトラマン』は、なぜか今でも手元にある。レッドキングがスペシウム光線で倒されたわけではなかったこと、キングジョーが人間のミサイルで倒されたこと、等々の知識は、中学生になってから得たのだった。あはは。(3月22日記す)
2007.03.18
「あらゆる人間にとって、生きることの喜びと幸福とを感じるために必要なことは、人が自分のためだけではなく、自分に続く世代のために働くことである。」(ムスタファ・ケマル・アタチュルク)青年を育てるかどうか。それが、真の指導者と、保身の権力者との分かれ目か…。
2007.03.18
「因果律」「因果地平」――やはりイデオンの世界か。個人も、星々も、宇宙も、刻々と生々流転を繰り返す。いや、単なる生死の流転ではない。「生も歓喜、死も歓喜」という、永遠に創造的な生命の律動である。悪条件を突破して、先輩 F本氏の結婚式で司会を務める。こうした司会は4度目の経験だろうか。久々に冬物の礼服を着用。これは、板橋時代の1994(平成6)年1月、高輪で友人 M安君の披露宴での司会を引き受けた時に買った礼服だ。あの頃はボロボロで、ガリガリに痩せていた。しかも披露宴の2日前に、自律神経失調症を発病。よくもまぁ、そんな状態で司会に立ったものだ(その上、よくもまぁそんな状態でシェフィールド留学に飛び出したもんだ)。その後13年、一頃はずいぶん太ったはずだったが、去年からの激闘の中で痩せ、今日はこの古い礼服が体にピッタリなのに驚く。ベストのボタンが全部かけられるとは…1994年並みに痩せているということか。案ずるより生むがやすし――成功裏に終わってしまえば、そう思えるものだ。しかし、「成功」という結果を出すために、必ず一度は「深刻な苦悩」に沈まなければならないのだろうか。それが避けて通れないのであれば、悪条件に対しても立ち向かうのみだが、しかしそれで痛く健康を害するのであれば、やはり智慧を発揮して何とか工夫しなければ。多くの方々の協力を得て、今日の午後の成功はあった。必要な「時」に必要な「人」を得るのは、誠に困難で、僥倖というよりない。感謝の念は尽きない。
2007.03.18
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またここ数日、体調が極度に不安定になっている。調子がいいかと思えば、何かの拍子にダウンする。食事をすると体調が悪くなり、起きていられなくなる。そのくせ、ひょんなことからエネルギーを回復し、パワー全開になる…。まことに、思い通りにならない「イデのゲージ」のようだ。明日司会を任されている結婚式の、難渋な準備状況への辛労。人々の間を引き裂く、誤解に基づいた悪意の増幅。悪夢によって妨げられる熟睡。他者の悩みに耳を傾け、時としてその人の心の「毒」を受け止めるのは、想像以上に生命力を消耗する労作業だ。しかし同時に、他者を激励した分だけ自分も元気になる、というのも事実。所詮、人は人の間でしか磨かれない。ちょうど、ダイヤモンドでしかダイヤモンドを磨けないように…。おや、2002年5月4日の新聞の切り抜きが出てきた。「断じて、やり遂げる! その戦う心と執念に 人生勝利の ドラマが生まれる!」一度「イデのゲージ」が上がり、無限力が発動すれば、不可能も可能になる! ただし、暴走には注意(汗)。
2007.03.17
爪を!(いばるなっ)(3月19日記す)
2007.03.16
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「なぜだ!」「そんなバカな!」…という理不尽なことが、これでもかと畳み込むように続いている。心安らかだった週末など、ここんとこない。それでも、迫り来る困難に対しては、勇気を持って対峙しなければならない。「挑戦」には「応戦」を。所詮、自分が変わらなければ、周りも変わらない。ホール・ケインの小説『永遠の都』の革命児・ロッシィの言葉を借りれば――「緊急事態は日常茶飯」!
2007.03.16
全く停滞してしまった昨日・おとといに比べ、今日3月16日は、諸会議はあったものの、それなりに原稿執筆が進む。「逆襲のドラゴン」だ!とは言っても、まだまだ脇が甘く、資料の言葉に自分の言葉が相当引っ張られている。しかも、このままでは字数をオーバーしかねない。余計な言葉を削ぎ落としつつ、かつ、重要な論点については「追究不足」と言われないよう、必要かつ十分な議論展開にしなければ。
2007.03.16
「従藍而青」。人材育成のポイント4つ。1.訓練(training)2.擁護(support)3.指導(guindance)4.教授(teaching)これは、育成する側・される側、双方に当てはまるポイントだろう。「訓練」を受けるのを嫌がるのでは、初めからモノにならない(今はそういう風潮が支配的だろうが)。他方、「訓練」と称して無理難題を後輩に押し付けるような、愚昧な指導者になってはならない。「擁護」を忘れて、一方的に「訓練」だけ施したら、せっかくの人材の卵を潰してしまいかねない。どんな小さなことでも褒め合い、称え合わなければ。逆に、「擁護」されて当然というような甘えは、断固として排除しなければならない。「指導」は「命令」とは異なる。これを履き違えるような人間に、リーダーの資格はない。「指導」とはあくまで、本人の立場に立って軌道修正してあげることであり、本人の内側から力を発揮させること(ソフト・パワー)に他なるまい。「教授」。上から「教えてやる」といった態度では、反発を食らうだろう。逆に教わる側も、受身でただ聞くだけなら、教わったことをすぐに忘れてしまう。教える側の真剣さが伝わればこそ、教わる側も聞いたことを生命に刻み付けるに違いない。
2007.03.16
限られた時間の中で、本当のことをズバッと言い切って、しかも聞く側に変な誤解や不快な思いをさせないためには、それ相応の信頼関係と、こちら側の根源の「誠意」が必要となる。「根源的な」誠意である。上っ面の誠意では、いくらでも誤解されるのだから。「根源的な誠意」というものは、甘っちょろい優しさなどから出せるものではない。常に、自身の思考を練り、感性を研ぎ澄ませ、語る相手の状況や場の空気を瞬時に読み取る、という「精神闘争」が必要だ。そうであってこそ、いくらでも誤解や曲解が可能な厄介な「言葉」というものを、使いこなせるようになるのだろう。生命を削る、などという次元にはまだまだ達していないが…。
2007.03.15
グローバル化という名の「文明の画一化」が、新たな対立を生む。それに対する解決策は? ハヴェルは語る――「意味のある唯一の出口は、我々の文明を、本当に文字通り多文化的なものに変えることだろう。それは、全員が本来の姿のままでいられるようにすることである。単に寛容な多文化共存への道を探求するだけではなく、より明確に互いの関係を定義し、共通の価値と規範を分け合うことを通じて、何がその共存を創造的なものにし得るかを、より明確に定義することである。」(読売新聞1997年1月27日付け)欧米中心主義的な価値観を「共通のもの」として世界中に押し付ける文化帝国主義でもなく、「差異」がそのまま「衝突」につながるようなバルカン化でもなく、自分の生存のためにこそ異質な他者が必要だというような、「共存」「共生」――。そうした、寛容な文化共存の骨格となるものの源泉を、ハヴェル氏は模索している。私も模索している。最低限共有されるべき規範は、文化が違おうが人種・民族が違おうが、同じ人間としての「生命」なんだから、殺すな…という、小学生でも分かるはずの基本的なことだと思うのだが。それじゃ不十分なのだろうか??
2007.03.15
なすべきことは分かっている。資料もほぼ揃っているし、それらの内容も、それなりに理解しているはずだ。あとは時間との勝負――のはずなのだが、論文執筆を阻む雑多な要因があまりに多すぎる。それは、外から来るものばかりではない。自分の体調という、内側の問題もある。非情にも時だけは過ぎ、タイムリミットは刻々と迫る。「ピンチはチャンス」という兵法の基本を、ただのキレイ事で済ませないためにも、満々たる生命力が欲しい…。まさに、生命の「攻防戦」である。所詮、「勝つ」と決めた者が勝つ!
2007.03.15
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ウチの職場の図書館はしばらくの間、書庫内の整理の期間に入っていたため、満足に利用できないでいた。が、今日久々に顔を覗かせたら、書庫に入れるというので、ラッキーとばかりにリサーチ。といっても、大したものではないが…。まず、ヴァーツラフ・ハヴェルがチェコ大統領時代に読売新聞によせたコラムを、縮刷版でコピー(「地球を読む」読売新聞1997年1月27日付け、1~2面)。また、以下の3冊を借り出す。・アーノルド・トインビー、秀村欣二ほか編『トインビー現代論集 地球文明への視座』経済往来社、1983年。・シドニー・タロー、大畑裕嗣監訳『社会運動の力――集合行為の比較社会学』彩流社、2006年。・川本隆史『現代倫理学の冒険――社会理論のネットワーキングへ』創文社、1995年。さて…、仕事だ!
2007.03.15
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バンダ・ロッタは言う――「身を守るということを理由にすべてが許されるというのは、間違いだと思うの」と。この言葉を、政治理論はどう受けとめるか?
2007.03.14
山岡荘八『高杉晋作』より――「元気を出せ!」「躓いたからといって落胆せぬこと。ただちに次の策を立てて進むばかりだ。」これぞ、ただの精神論でも観念論でもない、リアルな「たくましき楽観主義」だ!
2007.03.14
敵に向かっては、一歩も退かずに戦う。味方と出会えば、必ず勇気づけてあげる。――これが勇者である。
2007.03.14
かつて、副長シュテッケン・ラドクリフ(土方歳三)は言った――世ン中には、どうでもいいヤツもいれば、肝っ玉のすわった志の高い男もいる…と。その「志の高い男」とは、いかなる権力集団にも支配されない自分たち独自の星作りをしようと戦っている、ツルグ・カーイ(河井継之助)であった。世間には、自分の私利私欲を護るためだけに汲々とした、浅ましい姿が渦巻いている。人生、何を護るために戦うか。それによって、男としての充実も勝利も決まる。「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」
2007.03.14
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とある地域の discussion meeting。小学生と思しき子が2人、ニコニコしながら私の顔をチラチラ見ている。きっと内心「あ、ドラゴンが来た」と思っているに違いない。その2人、何気に廊下でDSを手に遊びに興じている。私は、ニンテンドーのDSは持ってもいないし、今のところ買うつもりもないが、しかしDSが単なるゲーム機を越えていることには舌を巻いている。私にとっては、DSと聞けばニンテンドーのことではない。Dimension Space =「亜空間」のことだ。言うまでもなく『伝説巨神イデオン』の世界では、時空を歪める反物質エンジンの開発によって、E と F の座標を取ることで数万光年を数ヶ月で航行する「亜空間飛行(DSドライブ)」が可能になり、増えすぎた人口を他の銀河系の地球型惑星に移住させている。座標軸合わせが困難なため、DSドライブ中に座標が固定できなくなると、全く分からない宇宙空間に放り出されてしまう。それほど危うい亜空間において、敵との戦闘が開始されると、それは文字通り「DSファイト」と呼ばれる。『イデオン』の音楽担当は、すぎやまこういち氏。数々の名曲の中で、萎えそうになる心を奮い立たせてくれる曲がある。その名もズバリ「デス ファイト」。去年の秋から冬にかけては、もっぱらダンバインとガイキングを聴いて戦った私だが、この春の戦いでは、この「デス ファイト」こそ相応しい曲かもしれない。「不可能」を「可能」にするからだ。
2007.03.13
「一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず」春3月――王者の富士のごとく、何があっても微動だにしない。「世紀の 貪婪なる火宅の中に 虚飾なく佇み 駁説に怖じぬ」
2007.03.13
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