全20件 (20件中 1-20件目)
1
★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------相手の立場に立ってみる。お芝居のなかには、さまざまな登場人物がいます。善人もいれば、悪人もいます。太っ腹なひともいれば、臆病なひともいます。短気なひともいれば、のん気なひともいます。現実がそうであるように、本当に、さまざまな登場人物が存在します。そして、その人物同士が関わりあうなかに、ドラマが生み出されてくるのです。さて、そうした人物のなかには、日常の自分では、とうてい理解しえない人物も存在します。もちろん、脚本には、どう演じたらいいかなど、書かれていません。演出家も教えてくれません。それらは、すべて役者の仕事なのです。では、役者はどうするのか。これまた、方法はさまざまです。たとえば、その人物によく似たひとを探し出し、入念に、観察をするという方法があります。 一歩間違えると、ストーカーになります。(^^ゞ履歴書を書くという方法もあります。想像力を駆使して、生い立ちを書いていくのです。実在の人物であれば、資料を調べ、背景、環境、教育、さまざまな面から掘り下げます。そんなふうに悪戦苦闘した結果として、最初は、およそ理解不能であった人物が、「ああ、こういう生育歴だから、こうなったのか」「こういう出会いをして、こういう体験をしたから、 この言葉が出てくるのだな」というふうに、見えてくるわけです。そこで初めて、生きて演じることのできる存在として、役者のなかに落ちてくるわけです。私たちは、日常のなかで、しばしば、「あのひとの気持ちがわからない」「理解できない行動するひとだ」という言いかたで、ひとを決めつけてしまいます。でも、相手が理解できないというのは、実は、「自分の立場で考えている」からなのです。自分の判断基準を、そこに持ちこんでいるためなのです。これでは、わからないのが当たり前。相手を理解するということは、相手に迎合するとか、全部受け入れるとか、そういうことではないのです。ただ、単に、自分とは異なる思考回路、ものの見かたを、体験してみるだけなのです。そう、役者たちがそうしているようにね。理解しがたい相手と向き合ったら、まずは、一度、「相手の立場に立って」みる。そのほうが、対話の糸口も、ずっと見つけやすくなると思うのですが。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第265号(2004年7月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------死と生の体験を、子どもたちに。子どもをめぐる、いたましい事件が起きたりして、この原稿は、配信を迷っていましたが、やはり出しておきたいと思います。子どもたちと、劇をつくっていたときのことです。たたかう場面が出てくる劇でした。敵に攻めこまれて、自分が死ぬかもしれないという場面で、「どういうふうに演技すればいいのかわからない」と言う子がいました。たしかに、日常には、そんな体験はないかもしれません。そこで、エチュード方式という、即興的に、場面をつくってみる練習方法を、取り入れてみることにしました。相手役が、刀を手にせまってくる場面です。私はその子に聞きました。「いま、何を感じる?」「命を失うかもしれないって…」「そうだね。命を失うって、どういうことだろう」「……」「じゃ、やってみようか」 相手役に、そのまま、目の前に立ってもらいます。ほかの何人かにも協力してもらい、その子の「家族」になって、二人のまわりに立ってもらいます。その子に、「家族」一人ひとりとアイコンタクト(目を合わせること)してもらい、それからもう一度、相手役のほうに向き直ります。刀が、その子のいのちをうばいます。(演技です)その子は、「家族」を振り返りますが、そちらに行くことはできません。「家族」も手を伸ばし、声をかけますが、その子を、取りもどすことはできません。その子と家族のあいだは、どんどん離れていきます…。見ると、その子が、ぼろぼろと涙を流しています。もう説明の必要はありません。わかったのです。ただ、あまりにも深く入りこんでしまったのでしょう。いつまでたっても、涙が止まらないのです。そこで、「再生の儀式」(^^ゞをやることにしました。その子に横になってもらいます。(そこはまだ死の床です)「あっ、○○ちゃんが、悪夢にうなされてるよ。 家族が心配して駆け寄ってくるよ」私の声かけに、「家族」が、駆け寄ってきて、揺さぶりながら、口々にその子の名前を呼びます。 「どうしたの?」「何をうなされてるの?」「しっかりして」「目を覚ましなよ」その子が、目を開けます。そのとたん、「家族」が、よってたかって、その子を、ぎゅっと抱きしめます。みんなは、笑いました。その子も、涙を流しながら、笑いました。偶発的におこなったワークでしたが、いまでも、ときどき、印象深く思い出します。私たちは、子どもたちに、ときとして、死と生の体験を提供する必要があるのではないかと。いのちを感じる体験は、本来は、実際に自然にふれたりすることで、つちかっていく感覚なのだと思います。けれども、なかなか、かなわないときは、こんなふうに、想像力を使う方法もあるのではないかと思います。子どもたちは、子どもたちなりに、深いところから、実感を引き出してくるのですから。いのちのてごたえが希薄になっている現代だからこそ、なおさら、切実に思うことです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第264号(2004年7月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------あなたを見ている、もう一人のあなた。昨日の話題のつづきに、なるかどうか…。(^^ゞ「俯瞰(ふかん)図」「鳥瞰(ちょうかん)図」というのをご存知ですか?そう、空の上から見る位置で、描かれた図画ですね。すこし、話がマニアックになりますが、(^^ゞ私たち、演劇(とくに役者)にかかわる人間にとっては、この「俯瞰」「鳥瞰」が必要なんです。よく、「役になりきって、がんばります」と、生徒が言うんです。それにたいして、私のこたえは、いつもこう。「なりきらなくていいよ」「えっ?」「だって、たとえば、殺人犯の役になったとして、 なりきっちゃったら、稽古のたびに、毎回、 一人ずつ、ひとが減っていっちゃうからさ。 ただでさえ、部員が少ないのに、困るでしょ」 (そういう問題か…?)(^^ゞ 「じゃあ、どうしたらいいんですか?」「本気で、その役に没入することは大切だよ。 でも、同時にね、頭のちょっと後ろの上のほうに、 演じている自分を見ている、もう一人の自分、 を置いておきなさい」「もう一人の自分、ですか?」「そう。9割は、役に『なりきって』いい。 でも、残り1割のあなたはね、立ち位置を確認したり、 観客の反応を見たり、冷静に判断をしているわけ」一応、書いておきますが、これって、役者として、けっこう高度な要求をしてます。(^^ゞでも、言っておくと、その気になってくれるので、(爆)それなりに、生かせたりもするのです。さて、問題を、引きつけて考えてみましょう。昨日の「被害者」「加害者」意識も、ある感情のなかに、100%飲みこまれた結果として、起きてくるものなのです。そんなときに、それを見ている、冷静なもう一人のあなたを、確保しておくのです。俯瞰、鳥瞰ほど、高い位置は無理でも、後頭部のちょっと上くらいなら、何とかなりそうでしょ?最初は練習が必要かもしれませんが、ためしてみると、少しずつできるようになるものですよ。結果的に、感情に振り回されて「被害者」モードに落ちるよりも、はるかに、楽に、生きることができるのです。「なんだか、自分が分裂してるみたいだなあ」と、感じるひとがいるかもしれません。でも、そういうことではないんですね。よりまるごとの自分を見るための、これもひとつのフォーカスチェンジなんです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第263号(2004年7月20日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------「被害者」になるのはやめましょう。人間関係のうえで、トラブルはつきものです。そしてそのつど、しばしば、「あのひとのために私はひどい目にあった」というような言いかたが、なされがちです。たしかに、あなたは、傷つけられたのです。非は、相手にあるかもしれません。(あるのです)でも、あなたが、「ああ、私は被害者だ」と思わなければ、相手は、加害者になることはありません。もう一度、繰り返しますね。あなたが、「私は被害者だ」と思った瞬間に、「加害者」がつくりだされる、ということなんです。2001.9.11。ニューヨークで、いたましい事件が起きてしまいました。ときの大統領(あ、いまもか…)は、即座に、「報復」宣言を出しました。大勢のひとが、それに賛意を表明しました。その結果、何が起きたか(起きているか)は、みなさん、ご存知のとおりです。そのとき、大統領の報復宣言にたいして、「私たちの息子はそれを望みません」と、手紙を出した、ご両親がいたそうです。息子さんは、あのいたましい事件で、無念にも、いのちを落とされたのです。そのご両親が、報復に、「ノー」を表明されたのです。このことは、何を意味するのでしょうか?「加害者」がいるから、「被害者」が生まれるのではないのです。あなたが、自分を「被害者」にしてしまったとたん、そのことが、「加害者」という存在を、生み出してしまうことに、気づいてほしいのです。理不尽な暴力を、見て見ぬ振りをしろとか、がまんして耐え忍べ、ということではありません。ただ、憎しみからは、憎しみしか生まれません。怒りからは、怒りしか生まれないのです。その連鎖を断ち切るためには、私たちが、いったん、「被害者」であることをやめる必要があるのです。そして、ただ、ありのままに、その事象(対象)を見つめてみるのです。受け止めてみるのです。たぶん、憎しみや怒りや悲しみの裏に隠されていた、何かが、そこに見えてくるはずです。それを見すえて、もう一度、考えてみてほしいのです。自分が何をすべきか、何を選ぶべきかを。私には、それが、いま、私たち「人類」にもとめられている、あたらしい時代の選択のような気がしてなりません。今回のテーマは、読まれて消化不良のかたも、いらっしゃるのではないでしょうか。実際、とても深いところとつながっているので、一度では、充分に書ききることができません。私のなかでも、問い直していかなければならない課題でもあるのです。明日も、すこしこの話題をつづけてみます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第262号(2004年7月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------「間違い」はないけど、「遠回り」はあるよね。ワークショップや劇指導のときの、私の口ぐせは、「間違いはない。全部OK」です。そして、それは、日常や人生においても、同じだと思っています。でも、「自分のやっていることが、 間違っているんじゃないかなあ」って思っているひとは、意外と多いんです。ワークのなかでさえそうなのですから、日常や、人生においては、なおさらです。その結果、自分で自分を否定してしまい、気持ちも、どんどんふさいでしまいます。「間違いはないんだよ」ということばを、上手に受け取れなくなってしまうのです。間違いはありません。本当にありません。でも、どうしてもそんな気持ちになれないときは、「遠回りしてるんだ」って、思ってみてはどうでしょう。子どものころ、寄り道をしたり、道草を食ったりしたことはありませんか?それは、テストの点数が悪くて、お母さんやお父さんに見せたくないときだったり、あるいは、何かおもしろいものがあって、どうしてもそれを見て帰りたいときだったり…。そんなときは、家までの道のりが、「遠回り」になりますよね。日常や、人生にも、そんなときがあるのだと思うのです。まっすぐに行けばいいとわかっていても、ときにはそのほうが楽だと知っていても、どうしても、遠回りしてしまうときが。そう、間違いではないんです。ただ、ちょっと遠回りなだけなんです。そして、遠回りをするには、遠回りをしたいだけの、理由があるんです。子どものときのようには、単純ではないかもしれませんが…。(^^ゞ遠回りで、いいじゃありませんか。遠回りには、遠回りの楽しみがあるのです。思いがけない出会いがあるかもしれないし、なくしたと思っていたものに、ひょっと、めぐり合えるかもしれません。子どものころの、寄り道の、わくわく気分で歩いてみましょうよ。もしかしたら、その途中に、本当の目的地があった、なんてことだって、あるかもしれませんよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第261号(2004年7月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------オンリーワンであり、オールワンである私。ワークショップのなかでは、さまざまな体験をしますが、今日は、4月におこなった、かめわざ快心塾のなかの、イメージ・ワークの体験から、感じたことを書きます。「ナンバーワンより、オンリーワン」先ごろはやった歌の影響でしょうか、しばしば耳にすることばです。けっして反対ではないけれど、何かすこしちがう気持ちがしていました。私たちは、生まれながらに、一人ひとり、異なった存在です。たとえ双子でさえも、同じ両親から、まったく同時に生まれることはできません。数秒差であっても、必ず差があり、その時点で、何かがほんのちょっと、ちがっています。だから、私たちは、ことさらに強調するまでもなく、生まれながらに、オンリーワンなのです。イメージ?ワークでは、目を閉じて、呼吸を楽にし、ゆっくりと、からだとこころを解放していきます。そこに、私が静かに語りかけます。 46億年前に地球が生まれ、 40億年前に最初の生命が誕生し、 200万年前に、人類が誕生しました。 その永い永い歴史のなかで、 途絶えることなく、いのちをつないできました。 感じてみてください。その地球の歴史を。 私たちのいのちもまた、その歴史の途上です。 いのちは、すべてつながっているのです。 太古の海の成分は、私たちの血液の成分と、 ほとんど、同じといわれています。 私たちのからだのなかには、海があります。 すべての生命を生み出した源、海があります。 海を感じてみてください。自分の内なる海を。 私たちは、もともと、つながりあう存在なのです。 だから、私たちは、オンリーワンであり、 同時に、オールワンであるのです。 私たちは、いのちの歴史のなかに存在します。 私たちの内がわには、いつでも、海があります。 どうぞ、忘れないでください。 私たちは、オンリーワンであるとともに、 もともとが、オールワンであるということを。ワークを終えたあと、ある参加者のかたがこんな感想を言ってくださいました。「いままで、オンリーワンというのは、 ナンバーワンの上なのだと考えていました。 そこにも、順位をつけてしまっていたんですね」オールワンには、順位は存在しません。オンリーワンは、比較しても意味がありません。自分がオンリーワンであり、オールワンであるように、あなたの大好きなひとも、大嫌いなひともともにオンリーワンであり、オールワンであることを、受け入れることができれば…。たぶん、生きかたが変わります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第260号(2004年7月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------自分に深く、問いかけてみる。ある朝、ふっと、自分に問いかけをしたくなり、イメージ?ワークをおこなってみました。自分の目の前に、架空の椅子を置いて、そこに「自分」を座らせ、質問をしてみるのです。 この方法は、トリイ・ヘイデンさんの著書にあった ワークを、自分なりに応用したものです。椅子に座った「自分」を見つめながら、私は聞きます。「あなたは、どう生きていきたいのか?」「私は、愛を生きたいのだ」ちょっと意外な(?)こたえが返ってきました。「愛を生きるとは、どういうことか」「すべてのひとのなかに、光を見い出すことだ」「光を見い出すとは、どういうことか」「そのひとが、そのひと本来の価値に気づき、 それを受け入れて、幸福に生きること。 私は、そのための、お手伝いをしたいのだ」「今日のフォーカスチェンジ」も、「ドラマ教育ネット」も、「かいしん倶楽部!」も、「魔法の言葉」も、(↑ すべて私が発行しているメルマガです)ワークショップも、演劇指導も、本の執筆も、すべてそこにつながっている。そのことは、意識のうえでもわかっていたことです。私は、すこし、意地悪な問いかけをしてみました。「あなた自身を幸福にすることは、どうなのか」「私自身は、やりたいことをやっているから」こたえてから、ほんのわずかだけれど、言いよどむ感覚があることに気づきました。「自分のなかに、うそはないのか」「うそはない。ただ…」しばらく沈黙がつづきます。「…どこかに、『犠牲』の気持ちが、 残っているかもしれない」「犠牲、とは?」「自分が、先に幸福になってはいけないという…」それは、かつて、私を支配していた感覚でした。そのために、深く苦しみながら、誰とも、本当にはつながることができずにいたのです。さまざまなプロセスをとおして、その苦しみを終わらせてきたと思っていたのだけれど、まだ、どこかに片鱗が残っているのでしょうか…。「あなたが、より、あなた自身を生きるには、 どうしたらいいのか」「…もっと、深く、自分に正直になること」「もっと深く、自分に正直になると、どうなるのか」「……」椅子に座った「自分」は、口をひらきました。そして、すこしためらいながら、言いました…。…さて、私は、なんとこたえたのでしょうか?それは、ヒ・ミ・ツです。(爆)(だって、もったいないんだもーん)←うそです。大切なことは、そんなふうに、ときには、自分に深く、深く問いかけてみること。思いがけないこたえが、返ってくることもありますが、怖れることはありません。勇気を出して、しっかりと受け止めてみましょう。そこから、あらたな気づきが生まれることもあるのですから!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第259号(2004年7月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------とびきりの夢を見せてください。中学生たちに、劇指導をしているときに、私は、ときどき、こんな言いかたをします。「お客さんは、夢を見に来ているんだよ」生徒たちは、いつだって一所懸命です。でも、ときどき、その一所懸命に、影がさすこともあるんです。自分の演技に自信がもてないとき、なるべく目立たないように、舞台のうしろのほうに、行ってしまったり。(^^ゞあるいは、友だちと、仲たがいしたあと、その気持ちをひきずったまま、稽古にのぞんでしまったり。それって、見ていて、全然楽しくないです。だから、言うんです。「お客さんはね、夢を見にくるんだよ」って。演劇は、架空の世界、虚構の世界。ゼロからつくりあげられる世界です。架空だけれど、虚構だけれど、なかみは、いっぱい詰まっています。お客さんは、その世界を見ることで、おなかから声を出して、思いきり笑ったり、ほろりと、涙をこぼしたり、人生のいろいろなことに思いをめぐらしたり…。ふだんの生活では味わうことのできない世界。それが、舞台っていう空間なんです。「お客さんは、とびきりの夢を見たくて、来るの! そんなお客さんに、自信のない顔だの、 心ここにあらずの演技を、見せたいわけ?」ここは、ちょっと「挑発」かかってマス。(^^ゞでもね、そうすると、みんなの表情が変わります。ちょっと、忘れていただけなんですね。なんのために、演劇をやっているのかって。自分自身の喜びのためでもあるけれど、それを見て、喜んでくれるお客さんがいるんだってこと。そのことに気づくと、あとの稽古の雰囲気が、まるで変わります。そして、実は、これって、演劇の話だけではないと思ってるんです。私たちが、誰かと出会うとき、相手の心に、何をプレゼントしたいのか。とびきりの夢なのか、暗い黒雲なのか。(^^ゞそれを選ぶことができるのは、自分自身なんですね。どうせなら、わくわくする、すてきな夢のほうが、いいに決まってるじゃありませんか!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第258号(2004年7月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------楽しんでやれば、ラッキーがおとずれる、かも!ふと思い出した、自分の体験です。大学を卒業したあと、一時期、郷里に帰っていたころの話です。その町では、年に1回、「町内ソフトボール大会」という催しがありました。町内会ごとに、チームを出して、日曜日の何回かを使って、勝ち抜き戦をおこなうのです。チームは、男子チーム、女子チームとあり、20代だった私にも、当然、声がかかりました。自慢ですが、私は、相当な運動オンチ。(^^ゞ学生のとき、球技大会で、ひとが足りないと言うので、「私が出ようか」と言ったら、「あんたはいいから」と、ことわられたくらいです。(爆)さて、私の入ったチームは、実に、すてきなチームでした。なにせ、かけ声は、「無理しないでやろうねー」でしたから。(^^ゞ実際、ふだん、運動をしていないひとが、無理をすると、けがをしたりして、あぶないのです。ボールを投げた。打った。飛んだー!ボールを追いかけて、走る、走る、走る!「無理に取らなくていいよー。 けがしたら、ばかくさいっしょ(方言です…)」「わかったー」ボールが、地面に落ちるのを待って、それをひろって投げるわけです。(笑)でも、そんな取りかたなので、あわてず、リラックスしていたせいでしょうか、送球がきれいに決まって、けっこうアウトが取れちゃったりして。(笑)こんな感じで、私たちの練習は進んだのです。よそのチームは、連日、朝練習をしているとか、けっこう気合の入ったうわさも聞こえてきましたが、私たちは、相変わらずのマイペース。そして、とうとう、試合のときがやってきました。書き遅れましたが、我がチームは、唯一、ピッチャーが、学生時代、ソフトボール部の経験者。この彼女の球が、なかなかよいのです。そして、例の「無理しないでー」の守備路線。どうにか、第一試合、第二試合を勝ち抜きました。「あらら、勝っちゃった。ラッキーだねー」そんな話をしてきたとき、最有力チームと言われていた、あるチームが、ルール違反をやったため、失格になったとの報が!これが、試合全体の流れをおおきく変えました。私たちは、その後も勝ち抜き、いつのまにか、決勝戦へと進んでいたのです。最有力候補は脱落したとはいえ、さすがに、相手は強く、試合の流れは劣勢です。でも、私たちは、いつもと変わりません。そう、無理せず、がんばらずの練習は、私たちに、ソフトボールを楽しむ気持ちを与えてくれていました。どんなに劣勢でも、その瞬間瞬間を、楽しみながら、全力投球することができたのです。結果は、どうなったと思いますか?優勝です!まるで、マンガのような話ですが、本当に、本当に、優勝しちゃったのです!!いまでも、そのときの優勝メダルをもっていますよ。運動オンチの私がもっている、唯一最高の勲章です。(^○^)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第257号(2004年7月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------スタートするのに、遅いということはありません。今日は、あるひとの話を書きたいと思います。私の周囲では、よく知られているひとなのですが、ここでは、とりあえず匿名で、Mさんにしておきます。(^^ゞMさんは、中学校演劇部の顧問です。51歳のとき、赴任した中学校で、演劇部の顧問になりました。でも、それまで、演劇のことなど、まったく知りませんでした。「顧問のくせに、何も知らないなんて」迎える演劇部員のまなざしは、ひややかでした。前任の顧問の先生は、ベテラン中のベテランだったのです。「いまさら、ここでがんばらなくても…」Mさんの気持ちも、自然、消えそうになります。ところが、Mさんには、特技がありました。手先が器用で、何でもつくれてしまうのです。ある日、大道具づくりに困っている部員の話を聞いて、「これでいいのかな」と、あっさりつくってみせたのです。それ以来、Mさんと部員の垣根は、急速にとれていき、それと同時に、Mさんも、まわりが驚くほどに、演劇の世界にのめりこみはじめました。大道具づくりだけではありません。ほかの先生が投げ出したくなるような生徒でも、Mさんは、演劇をとおして、なんとか支えようとしつづけました。あるとき、ある女の子が、脚本を書いてきました。勉強があまり得意ではなく、ふだんの授業では、居眠りばかりしているような子です。脚本のなかみは、他愛のない恋愛もの。ほかの先生は、誰も評価しませんでした。でも、Mさんは、ふと思いました。「これが、いまの中学生の素直な感性なのかも」そこで、その生徒と、意見を交換しながら、何度も何度も練り直し、とうとう脚本を完成させたのです。脚本は、地区の発表会で、演劇部によって上演され、おおきな共感を呼びました。そして、中学校向けの脚本集に収録されると、全国各地でも、上演されるようになりました。Mさんの働きは、それだけではありません。学校だけでなく、学校同士のネットワークや、地域での演劇活動にも関わるようになりました。まさに、24時間、演劇づくしの生活となりました。Mさんは、実は、持病をもっているのです。寝不足や、過労がつづくと、たちまち、からだにその反応が出ます。でも、「大変ですね」と、声をかけると、Mさんは、さわやかに笑って言うのです。「こんな楽しいこと、ひとにはまかせられませんよ」フル回転の10年が過ぎていき、昨年、Mさんは、定年退職を迎えました。卒業生たちが中心になって企画を立て、Mさんのためだけに、有料のホールを借りて、感謝の気持ちをこめて、劇の上演をおこないました。大きな花束を抱きながら、目を赤くして客席に座るMさんの姿がありました。さらに、非常勤として1年をつとめたのち、61歳の今年、ついに、Mさんは退職することになりました。さっぱりした表情で、Mさんは言います。「これからは、いよいよ、本格的に、 地域の演劇教育の活動に取り組めます」いくつになっても、スタートするのに遅いということはないのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第256号(2004年7月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.18
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------おとなになるためのドア。「自分のなかに、軸をもち、 自分で考え、自分で選び、自分で行動できる」この「自分基準」を生きるには、どうしたらいいのか。私は三つの言葉を提案してみたいと思います。一つ目の言葉は、「大丈夫」。二つ目の言葉は、「OK」。三つ目の言葉は、「ありがとう」「大丈夫」(D)「OK」(O)「ありがとう」(A)で、DOA…ドア。(ちょっと強引ですが)(^^ゞこれが、「おとなになるためのドア」というわけ。「大丈夫」と「OK」は、自分にたいして、言う言葉です。あなたが、悩んだとき、迷ったとき、「大丈夫、自分基準で生きていいんだよ」あるいは、誰かに何かを言われて傷ついたとき、「OK、OK。 あなた(自分)は、ちゃんとよくやってるよ。 ひとの目基準じゃなくて、 自分基準で、このままやってみよう」そんなふうに、繰り返し、繰り返し、自分をフォローしてくれるのが、この言葉。ちなみに、「D」と「O」で、「DO」ですね♪怖れず、前に進みましょう。それから、「ありがとう」は、ひとへのメッセージ。あなたの行動を制限しようとするひとには、「ありがとう。 (でも、自分の力でやらせてみてね)」あなたのことを心配して引き止めるひとには、「ありがとう。 (でも、自分で決めてやってみたいの)」もちろん、あなたを応援してくれるひとには、「ありがとう。私を信じてくれて」この「ドア」の最大の特徴は、自分も他人も、否定しない、ということです。そして、「ネバナラナイ」ではないことです。ドアを上手に使いましょう。ひらいた先には、必ず道がつづいています。おとなになるための、STEP BY STEP。楽しみながら、あけていきましょう。●追記今日のメッセージは、実は、第6号(2003年11月6日発行)「自分だけの『魔法の言葉』を見つける」http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000119721をヒントにしています。「魔法の言葉」は、ひとそれぞれでちがっていいのです。あなたにとって、よりパワフルな「魔法の言葉」が見つかったら、ぜひ、それを手がかりに、おとなへの道を、進んでいってくださいね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第255号(2004年7月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「自分基準」で生きましょう。「自分のなかに、軸をもち、 自分で考え、自分で選び、自分で行動できる」このことは、どういうことかというと、「自分基準」をつくるということなのです。私たちは、何かを決めるとき、いつも迷います。誰かが「A」といえば、「Aがいいかな」と思い、誰かが「B」といえば、そちらにもこころが揺れます。どちらを選んでもいいのです。大切なのは、「自分が決める」ということなのです。自分で決めるからこそ、そこに覚悟ができるのです。自分で決めたからこそ、自信もついてくるのです。迷っていい。間違っていい。やり直していい。大切なのは、それも、自分が決めることです。それを支えるのが、「自分基準」なのです。ほかのひとが何を考えようと、何を言おうと、(それはそれで参考意見として受け止めながら)「自分基準」で決めたことが一番大切なのです。どんどん、「自分基準」で考え、行動してみてください。ただし、「自分基準」とは、他人を否定することではありません。あなたの「自分基準」は、あなただけのもの。他人に押しつけることはできません。あなたにはあなたの「自分基準」があるように、ひとにはひとの、「自分基準」があるのです。あなたが、自分の「自分基準」を大切にしたければ、同じ度合いだけ、ひとの「自分基準」を尊重してあげることです。自分の「自分基準」を、ひとに押しつけないですむようになると、当然ですが、ストレスが減ります。(^^ゞひとから、何か押しつけられたと感じても、「ああ、このひとは、このひとの『自分基準』で ものを見ているのだな」と、少しだけ、冷静に考えることができます。そして、不思議なことに、そうしているうちに、お互いのあいだのちょうどいい、「お互い基準」が見えてきたりもするのです。もちろん、現実は、なかなか厳しいと思います。あなたのまわりには、そうした「自分基準」を理解してくれないひとたちばかりが、集まっているかもしれません。そんなときは、こうも思ってみてください。「おとな」になるのには、順番があるのだと。理解してくれないまわりに振り回されるのをやめて、ただ黙って、「自分基準」を生きていくのです。思うようにならないときも、自分で、「自分基準を生きる自分」に、「OK」をあげるのです。そうすると、自然に腹が立たなくなりますよ。だって、あなたのほうが「おとな」なんですから!理不尽な振る舞いをされたときでも、「まだまだ子どもだねえ」と、つぶやくくらいの、余裕をもって見てあげてみましょう。(^○^)(もぢろん、慈愛の優しいまなざしで!)「自分基準」を生きる。ことばでは理解できても、実際には、なかなか難しい面もありますよね。そこで、明日は、「自分基準」を生きるための、私なりの方法をご紹介したいと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第254号(2004年7月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------私たちは、育ちつづける存在です。昨日は、とても未消化な書きかたをしてしまい、不快に思われたかたもいるのではないでしょうか。どうぞ、よかったら、もう少しおつきあいくださいね。購読しているメルマガのなかに、こんな引用がありました。 「親はなくても子は育つが、 子供がいないと親は育たねぇ。」 (宮部みゆき著『ステップファザー・ステップ』/講談社文庫) ※掲載メルマガは、「e-kotoba」第809号 http://e-kotoba.net/index2.cgi?&cno=30これを読んで、「ああ」と、気持ちが晴れました。「私たちは、育ちつづける存在なのだ」と。「自分のなかに、軸をもち、 自分で考え、自分で選び、自分で行動できるひと」それが、私にとって「おとな」の定義であることは、いまも変わりません。ただ、それは、けっして硬直したものではないのです。軸は、いつだって揺れるのです。揺れることによって、確かめなおしていくのです。考え、迷うのです。選び、後悔するのです。行動し、また振り出しにもどることもあるのです。それでいいのです。そのときに、迷っても、考えた自分を受け入れること。後悔しても、選んだ自分を受け入れること。振り出しにもどっても、行動した自分を受け入れること。そうすると、次第に、軸がしっかりしたものになっていきます。揺れながら、しなやかに、強くなっていくのです。失敗を怖れて、考え、選び、行動することをやめると、失敗はないでしょうが、変化も発展もありません。子どもは、どちらのおとなから、よりおおくのことを学ぶでしょうか。私たちは、育ちつづける存在なのです。育ちつづける存在として、子どもの前に、立ちつづけてほしいのです。繰り返しますが、それは、勇気のいることです。でも、その勇気を、子どもたちの前に示してやってください。そこから、子どもは学びます。「おとなってすごいな」と、きっと思うと思います。そして、私たちは、子どもたちのそうしたまなざしに、「ああ、おとなって、いいものかもしれないな」と、あらためて、喜びを受け取るのです。この話題、明日も少し補足します。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第253号(2004年7月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------早く、「おとな」になってください。長いこと、私の疑問は、「何をもってして、『おとな』と言えるのだろう」ということでした。外がわの定義は、「20歳」をもってしてです。でも、それが、本当の「おとな」の定義でないことは、誰が見ても、わかりますよね。では、「おとな」とは何か?どうしたら、私たちは、「おとな」になれるのか?それがわからないあいだは、私は、本当の「おとな」になれないと思っていたし、実際、「おとな」と呼ばれることを拒否していました。そして、長いあいだ、試行錯誤したのち、私が認め、受け入れたのは、このこたえでした。「自分のなかに、軸をもち、 自分で考え、自分で選び、自分で行動できるひと」少なくとも、その自覚をもって、生きているひと。これが唯一絶対のこたえであるとは思いませんが、少なくとも、私には、すとんと落ちました。それ以来、私は、自分が「おとな」であることを認め、受け入れることができるようになりました。完璧にはできないけれども(当然です)、とにかく、その自覚をもって生きていくことをこころに決めたのです。ところが、この前提をもって、まわりを見ると、そうではないひとが、けっこういるようです。そのときどきの情勢によって、ころころと態度・対応を変えるひと。気分によって、言うことが変わるひと、などなど。しかも、そのために、まわりの、とくに子どもたちが、振り回されてしまうケースが、少なからずあるのです。教育の現場の、隅の隅にいる私ですが、そのことを、ひしひしと感じて、とてもつらい気持ちになってしまうのです。自分の軸を考えようともしないおとなのもとで、自分の軸を見つめて生きる子どもが育ちますか?自分で考え、自分で選び、自分で行動することを態度で示そうとしないおとなのもとで、そのような生きかたを、子どもが選べますか?できるはずがありません!(反面教師というのは、結果論です)だから、私は言いたいのです。「早く、『おとな』になってください!」と。もしも、これを読んで、自分のことを、責められているとか、何か、えらそうな物言いをしているとか、感じるかたがいらっしゃったら、ごめんなさい。けっしてそんなつもりはありません。完全な「おとな」なんて、この世には存在しません。でも、社会に生きていれば、自然に、子どもたちと出会います。影響を与えます。「おとな」には、「おとな」の責任があるのです。そのことを、自覚してほしいということなんです。大丈夫。大切なことは、気がつくことです。「自分は、自分の軸をもっているだろうか。 本当に、自分で考え、 自分で選び、行動しているだろうか」そこを問い返すことが、すべての出発点です。そしたら、間違いなく、変化が起こります。(たとえ、どんなにちいさなかたちであっても!)変化する背中を見て育つ子どもたちは、確実に、変化する生きかたを学びます。「おとな」が「おとな」の自覚をもつことは、それだけ、大切な、そして急務であるのです。今日の話題は、とてもとても生煮えで、まるで、書ききれていないと思います。何をえらそうにと、不快に思われるかたもいらっしゃるかもしれません。もう少し、つづけて書いてみますから、よかったら、どうぞ、おつきあいください。すべてのおとなと子どもの幸福のために、祈りをこめて、書きますから!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第252号(2004年7月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------「触媒」という役目。メルマガを発行していると、読者のかたから、たくさんのメールをいただきます。「気づきをもらいました」という、うれしいメッセージも、しばしばいただきます。何かのお役に立てたのだなあと、私もまた、うれしい気持ちになります。ところが、最近、おもしろいことが起きています。そんなふうに、「気づきました」というかたと、メールのやりとりなどをしていると、(あるいは、そのかたの日記などを読んでいると)気づきが、どんどん発展していくのです。私が言わなかったようなこと、考えもしなかったことを、そのひとが、考え、実行しだすんです。私のほうが、「そうか、そうだったんだ」と、気づかせてもらうこともしばしばあります。これって、どういうことだろうと思いました。もし、私から「気づいた」ことがすべてなら、そこで終わってしまってもおかしくありません。でも、そうではないのです。実は、「気づき」は、もともと、そのひとのなかにあるんです。もともとある「気づき」の種から、自然に芽が出て、伸びて、花を開かせていっているだけなんです。では、私は何をしたのか。私の役割は「触媒」だったのです。 【注】触媒とは、化学反応の速度を変える作用をもち、 反応後も、それ自身は、あまり変化しない物質。 (小学館『国語大辞典』より)小学校でやった、化学実験を覚えていますか?触媒を入れたとたんに、すごい煙が噴き出したり、火花が散ったりして、「おおっ」と驚いた記憶。私、個人的に、あの種の実験がとっても好きでした。(笑)触媒自体に、何かがあるわけじゃないんです。変化をうながすお手伝いをするだけなのです。だから、私の場合に話をもどしてみましょう。そのひとが、もともと持っていながら、眠っていたままになっていた「気づき」。それが、私という「触媒」に接したことで、目覚めたということなのです。だからこそ、あんなふうに急速に変化したのです。だから、本当は、「ありがとう」でも何でもないんですね。だって、もともと、そのひとのものだったんですから!実は、このことに気づいて、私自身も、とっても楽になりました。あんまりエラそーなこと書こうと気負わなくても、たまたま、触媒に反応してくれるひとがいれば、それでいいんじゃないかって、思えるようになったから。ただ、定義にある「それ自身はあまり変化しない」っていうのが、気になりますね。(^^ゞ私も、私の触媒になってくれるひとを探そうかな。(笑)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第251号(2004年7月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------思い出を語れる場所。少し前になりますが、女ばかりの友人3人で、居酒屋さんに行ったときのことです。座ったのは、少しおおきめのテーブルで、向かいの角には、70過ぎとおぼしき男の人が、一人で飲んでいました。やがて、酔いがまわってきたのでしょうか。その男の人は、何やらしゃべりはじめました。まるで、ひとりごとのような感じで、です。男の人のつぶやきは、次第におおきくなり、今度は、隣のテーブルの男の人に話しかけました。(やっぱり、ひとりごとのような感じで)けれども、話しかけられた男の人は、一瞬、迷惑そうな顔をすると、無視して、仲間との会話をつづけました。そんなことが、何度かつづきました。 男の人が席を立ったすきに、友人のひとりが私に聞きました。「どう思う?(どうして、知らないひとに話しかけるのかな)」「うーん、寂しいからでしょう、たぶん」と私。「じゃあ、話をすれば喜ぶ?」「たぶん」「でも、酔っ払いだよ」「大丈夫だと思うよ」 男の人が戻ってきました。すると、友人は、本当にその人に話しかけ始めたのです。ちなみにこの友人、中国を3か月も一人旅するなど、思い切りがよく、裏のないすっぱりとした性格です。 男の人は、最初は、不機嫌な顔をして、「うるさい」と言わんばかりの対応を示しました。けれども、友人が何度か話しかけつづけると、少しずつ、こちらを向くようになりました。そして、「その帽子、いいね」と友人がほめると、急に、にこにこと相好を崩したのです。そのひとは、昔、洋服屋さんをしていたのだそうです。 そのあとは、がぜん、話が盛り上がってしまいました。気がつくと、その人は、もう、ひとりごとのようなしゃべりかたはしていませんでした。ぶっきらぼうではありますが、ときには、ひとなつこい笑みさえ浮かべて、洋服にまつわる思い出話をしつづけたのです。 時計はすでに23時近くになっていました。まだ話したそうな男の人に別れを告げて、私たちは席を立ちました。 そのとき、ふと、学生時代によく利用した長距離の夜行列車のことを思い出しました。年末、出稼ぎから帰る男の人たちがよく使っていた列車でした。向かい合わせに座って、缶ビールのふたをプシュッとあけると、そこからもう、自然に会話は始まっていたのです。そして、東北のどこかの駅で、その人が降りるまで、あるいは、いつのまにか眠りこけてしまうまで、見知らぬ同士が、家族や仕事の話をとりとめもなくかわしたのです。 その日出会った男の人も、そんなふうに思い出を語れる場所があれば、もう少し、幸福に生きられるのかもしれない…。そんなふうに思うと、いまでも少し胸の痛む思いがするのです。 --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第250号(2004年7月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------「黙っていないで、ひとに聞け!」このメルマガ第85号に、「私に聞くな!」を書きました。http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000119721(2004年1月24日発行)で、その対として考えたのが、このことばです。すぐに載せようと思っていたのに、あっというまに、半年も過ぎちゃいました。(笑)でもって、本題です。またしても、演劇部ネタになってしまうのですが、中学生たちは、しょっちゅう、いろいろなことを思いつきます。あるときも、教室公演を企画していて、その本番直前の稽古日。部員たちが、えっさほいさと、体育館から、重いスポットライト2台を運びこんできたのです。教室公演の場合は、これまで、フラットな空間で、大道具も最小限のもの、素に近い感覚での上演をおこなってきました。だから、照明もほとんど、室内灯だけで、対応してきたのです。「それ、使うの?」「はい!!」「コンセントの差し口、合わないの、知ってた?」「えーーーっ」 普通のコンセントの差し口は、 ブタさんのお鼻のようなかたちになっていますが、 スポットのそれは、一つは縦、一つは横と、 つまり、カタカナの「ト」に似たかたちなのです。「で、教室の電気容量ってそんなにないから、 アンペア計算しとかないと、2台同時に使うと、 ヒューズが飛ぶかもしんないよ」「えええええーーーっ」(爆)スポットライトを使おうとした意気ごみは認めます。でも、どうしてそのとき、ひとこと相談できないかなあ。「かめさん、今回はスポットを2台使う予定だけど、 何か気をつけたほうがいいことはありますか?」このひとことが、足りないのです。「黙っていないで、ひとに(私に)聞け!」思わずカミナリが落ちました。(爆)もちろん、自分たちでためして、失敗して、そこから学ぶということは、すてきなことです。私も基本的には、そのやりかたを奨励しています。ただ、新しいことをはじめるときには、それなりの準備が必要なこともあるわけです。わからないことを、自分勝手に解釈するのではなく、知っていそうなひとをつかまえて聞く!これって、とても大切なことだと思うんです。「黙っていないで、ひとに(私に)聞け!」そうしたら、私もいっしょに考えるのです。そして、アイデアのひとつも出せるのです。ひとりだけの考えより、私もいっしょになり、まわりもいっしょに考えたら、もっともっと、楽しい展開になるんです。中学生たちよ、わかったかな?(おとなもだよん)●追記その昔、大学の文化祭で、同じフロアを、演劇部と軽音楽部が使用することになりました。準備の段階から、ブレーカーが落ちる、落ちる。(爆)どちらも、電気を食う道具を使いまくっているのですから、無理もありません。で、どうしたか。演劇部が、アイデアを出しました。小型発電機を借りてきて、屋上から引いたのです。そう、演劇部の電源は、自家発電しちゃったのです。(笑)本番の最中、かすかに聞こえてくる「ドドドドド…」という、工事のような音が、発電機であることに気づいた観客は、おそらくいなかったろうと思いますが…。(^^ゞ--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第249号(2004年7月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------「なりたい自分」になれる、「名前の魔法」このところ、少し重い話題がつづいたので、今日は、少し、楽しい話題を提供したいと思います。私が勉強しているインプロ(即興演劇)のワークショップの、ミニ発表会のときの話です。そのなかで、私は、ある役を演じました。その役は、現実の私より、うんと個性の強い、それはそれは強烈なキャラクターでした。即興ですので、名前もその場で決めます。この強烈キャラにふさわしい名前は何だろう?私はとっさに、あるひとを思い出していました。もうずいぶん前の知人で、いまは交流はありません。ちょっとエキセントリックなところのある、実に個性的な女性でした。出番が来て、名前を名乗るシーンです。私は、思わず、そのひとの名前を使っていました。「○○×子です」その瞬間、背筋が伸びて、肩が少し吊りあがりました。目つきが鋭くなり、口元もきゅっと締まったようです。そして、シーンが始まると、私は、ふだんの私とは打って変わって(笑)、強い個性のその役を、演じとおすことができたのです。 ○○さん、名前、勝手に使ってごめんねー。(^^ゞひとは、それぞれに個性や性格をもっています。なかには、その個性や性格が、好きではないひともいます。「もっと、てきぱきと行動できるようになりたいなあ」「どうして、もっと優しい気持ちになれないのかなあ」そんなふうに、あれこれと思い悩みます。そんなときに、この「名前の魔法」をためしてみてください。自分が「こうありたい」と思うイメージにふさわしい、名前をつけてみるのです。ポイントは、遠慮しないこと。どうせ架空の名前なのですから、現実にはとうていありそうにない名前でも、思い切ってつけてみましょうよ。(笑)もしできたら、衣装やメークも、それなりに工夫してみましょう。そして、鏡の前に立って、言ってみましょう。「私の名前は、◎◎よ」ほら! もう、「なりたい自分」が、あなたのなかに住んでいることに気がつきますよ!そう、あなたは、本当は、最初から、すべてをもっているんです。ただ、ふだんは、使わずにいたために、忘れられて、眠っていただけなのです。「名前の魔法」が、あなたに、そのことを思い出させてくれたのです。さあ、今日から、あなたの枠が広がりました!もっと自由に、楽しみながら、さまざまな自分を「使って」いきましょうね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第248号(2004年7月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------愛される理由この2月に亡くなった友人の、「偲ぶ会」に参加したときの話です。(3月のことです)居酒屋一軒を貸し切り、70人近いひとが次々とおとずれました。友人は路上ミュージシャンだったので、集まったひとの大半は、音楽関係者だったようです。すぐれた演奏の腕をもちながら、病気とアルコールが、友人をむしばんでいました。調子のいいときは、街頭で音楽活動ができるけれども、ひとたび不調の波に襲われると、部屋にこもって、アルコールにひたる毎日。酔って寂しさが増すと、あちこちに電話をかけまくってもいたようです。正直、日常的に関わるには、大変な面をもっていた友人なのです。でも、昨夜の会で、私がひたひたと感じていたのは、そこにつどったひとたちの、友人にたいする愛情でした。その愛情の源は、何なのだろうか。ふっと、「弱さ」ということばが浮かんできました。そう、友人は弱かったのです。弱さを隠すこともできないほど、弱かったのです。そして、それは、私たちの誰もが、直視することを怖れる弱さでもありました。それなのに、あるいは、それゆえに、友人の奏でる音色は、いつもピュアでした。空の高みを吹きぬけていく風のような、青い透明感が、友人の演奏のなかにはありました。そのエネルギーと思いの深さは、私たちのこころの奥底にある、隠された感情を、揺さぶらずにはいられませんでした。誰もがあこがれながら、そこに行くことのできない、そんな深みのただなかに、友人はいました。…それが、友人の「愛される理由」であったのかもしれません。「食尽きれば月光を食(は)む」友人が遺した自由律俳句集のなかの一句です。いま、友人は、あの空の高みで、月の光を楽器代わりに、思う存分、演奏をつづけているのかもしれません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第247号(2004年7月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------「おまかせ」には、前提が必要なのです。フリーで編集の仕事をしていると、さまざまな担当者と出会います。あるとき、引き受けた仕事で、担当のかたがこう言われました。「資料から、かめおかさんの判断で選んでいただいて、 このスペースを埋めてください。おまかせしますので」多少は分野ちがいの仕事ではあったけれど、まったく専門外というわけでもなかったので、「わかりました」と了解して、仕事を進めました。そして、私なりに資料を読みこんで、字数も合わせ、原稿を作成して送ったのですが…。「これと、ここの部分は、 不都合があるので使わないでください」と、ボツになって返ってきたのです。「えっ、おまかせと言ったんじゃなかったの?」不満に思いながらも、やり直して、提出。それはそれで通ったものの、その後、そんなやりとりが、三度もつづきました。「あのう、ことばの使いかたを間違っていませんか」思わず言いたくなって、ふと気がつきました。その同じ年に、やはり似たようなことを体験していたからです。そちらは、「どんどん進めてください」という言いかたでしたが、考えてみると、「おまかせ」と同じニュアンスです。そして、そちらのケースも、どんどん進めると、途中で、「それは、ちょっと方針とちがうので」と差し止めが入って、やり直しというケースになったのです。ここにきて、ようやく、私も気がつきました。私の見ている立場と、担当者の立場がちがうのだと。立場がちがうために、同じ資料について話していても、重要と考えるところが、微妙にちがっていたわけです。結局、「おまかせ」も「どんどん進める」も、その前提を、しっかり押さえる必要があったのです。なのに、私も相手も、自分サイドのものの見かたで、ことばを解釈してしまっていたのです。 そしてさらに言えば、自分自身が、自分の仕事を、過信していた時期に起きたことでもありました。相手のことばのニュアンスを、自分勝手に解釈せずに、さまざまな角度から読み取って、すれちがいがあればそこをきちんと埋めていくこと。 当たり前すぎることではありますが、仕事をしていくなかでは、ときに慢心して、落とし穴にはまることもあるのです。初心忘るべからずの気持ちで、今日は書きとめてみました。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第246号(2004年7月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.02.12
コメント(0)
全20件 (20件中 1-20件目)
1

![]()