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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------いつまで「背負って」いるのですか?出典は忘れましたが、こんなお話があります。(記憶です)(どなたか、出典、ご存知でしたら、教えてください)m(__)m昔、老若二人のお坊さんが、旅をしていました。川のところまで来ると、橋が流されていました。みんなは、着物をたくしあげ、歩いて渡っていますが、一人、若い娘さんが、渡れずに困っています。若いお坊さんは、自分のこころが乱れると困るので、見て見ぬふりをしようとしました。ところが、年寄りのお坊さんのほうは、その娘さんを、背中に乗せてあげると、さっさと川を渡りました。その夜、若いお坊さんは聞きました。「あのようなとき、こころの乱れは起きないのですか」すると、年寄りのお坊さんはこうこたえたそうです。「なんだ。私は、川を渡ったときに、おろしてきたのに、 お前は、まだ背負っていたのか」と。この逸話、「執着」の正体を、みごとに、明らかにしてくれていると思いませんか?まったく迷わぬ人間、悩まぬ人間など、この世には、存在しません。迷っていいのです。悩んでいいのです。でも、そこにとらわれないことが、大切なのです。悩みをかかえつづけるかぎり、こころは、そこにエネルギーを注ぎつづけます。それでは、こころがへとへとになります。安らかに、休むひまがないのですから。悩んだら、「背負って」みればいいのです。そして、「川を渡って」しまうのです。渡ったら、さっさと「おろして」しまうのです。それだけのことなのです。この逸話のすぐれたところは、実にたやすく、視覚化ができることです。読んでいて、二人のお坊さんの姿が、容易に、イメージとして浮かんできませんでしたか?(かたちのうえでは)背負いもしなかった娘さんを、ずっと、「背負い」つづけている若いお坊さん。「背負って」「渡って」「おろして」、それで、もうおしまいの、年寄りのお坊さん。こころのなかで、体験してみるのです。どちらが、より、楽しい人生を送れそうかと。あなたには、もう、こたえが見えています。あとは、行動あるのみです。(^o^)丿--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第305号(2004年8月31日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------「おためしの拒否もあるのです。本当は受け入れてほしいと言いたいのに、素直になれない、っていう体験はありませんか?私はあります。正確には、「ありました」ですけども。生きていく先が見えない。どうしていいかわからない。苦しくてたまらない。そんな思いをかかえて、あるところに通っていたころのことです。そんな私のようすを察して、手を差し伸べてくれるひとたちがいました。心配そうに見守ってくれたり、背中に優しく手をふれてくれたり…。ところが、私は、それを受け入れることができないのです。差し伸べられた手を振り払って、拒否してしまうのです。相手はとまどい、私から離れていきます。「ちがう、ちがう、ちがう。本当は、そうじゃない」こころのなかでは、叫んでいるのに、どうしても、素直に表現できないのです。あれは、なぜだったのだろうと、あとになって、自分に問いかけてみました。ああ、私は怖れていたんだな、ということが、わかりました。本当に相手が受け入れてくれるのかどうか、不安で、怖くて怖くて、たまらなかったのです。何度も何度も、拒否しながら、それでも、手を差し伸べてくれることを望んでいたのです。そう、ある意味で、相手をためしていたのですね。自分の安心感の地がためをするために。相手が、自分を拒否してくるように感じられるとき、そこには、二つのかたちがあると思います。本当の拒否と、おためしの拒否。おためしの拒否とは、上記の私のような状態です。でも、この二つは、一見同じように見えます。見分ける方法は、簡単ではありません。ひとつの目安は、(これは私の例に過ぎませんが)そこにいつづけているかどうか、ということです。あのころ、どんなに拒否しつづけていても、私は、そこに通うことをやめなかったのです。それは、本当の拒否ではなかったから。受け入れてもらいたい気持ちが、奥底にあったから。誰かから、拒否としか思えない態度をとられたときは、いつもこのことを思い出すのです。これは、本当の拒否だろうか。それとも、おためしの拒否だろうか。正確なこたえなど、出せないかもしれませんが、ひとつだけ言えることがあります。そう考えた瞬間に、私のなかから、そのひとを拒否する気持ちが消える、ということです。その、まっさらの気持ちのまま、もう一度、あるいは何度でも、向かい合えばいいのです。それが、あの苦しみのなかから、私が学んだ唯一のことかもしれません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第304号(2004年8月30日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------「どっちが」ではなく、「どっちも」正しい。(あまちゆうと)第295号、297号、298号と、あまちゆうとさんのこと、また、そのことばについて書いてきましたが、今回もそのひとつ。「どっちが」ではなく、「どっちも」正しい。あまちさんのことばのなかで、もしかしたら、一番好きなことばかもしれません。完璧主義だった(今もしっぽをひきずってますが)ころの私にとって、こたえは、つねに「ひとつ」でした。まさに、「どっちが正しい」の生きかたをしていたのです。そして、そのために、完全に行き詰まり、そこから、生きかたを変える模索が始まったのです。そのなかで、この「どっちも正しい」は、まさに、目からウロコ100枚の衝撃でした。でも、いまとなっては、このことば、本当によくわかります。「どっちが正しい」と問いつめていくと、必ず、何かを否定しなければならなくなります。たとえば、誰かと誰かの意見が対立したとき。「どっちが正しい」で、こたえを出すと、「正しくない」とされたがわに、必ずしこりが残ります。でも、「どっちも正しい」だと、どっちもOK。HAPPY&HAPPYの関係になれますね。「だけど、どっちも正しいなんて、できっこない」そんなふうに思うひとがいるかもしれませんね。そんなひとは、よかったら、私の応用法を聞いてください。私たちは、自分の考えにたいして、誰かから、反対されたり拒否されたりしたとき、ついつい、拒絶や攻撃をしてしまいがちです。それは、自分が傷つかないための防衛策なのですが、同時に、相手を理解する糸口もうしなわれてしまいます。私には私の見かたがあるように、相手には相手の見かたがあるのです。それぞれの立場から見れば、間違いなく、「どっちも正しい」のです。だから、まず、意見が異なる相手と出会ったとき、「どっちも正しい。どっちもOK」と、こころのなかで、となえてしまうのです。その瞬間に、相手を否定する気持ちが消え去ります。すると、防衛をする必要がなくなりますから、こころには、余裕ができます。そうすると、では、相手はどうして、そのメッセージを送ってきたのだろうと、考えることができるのです。そこまできたら、もう、二人のあいだにあるのは、対立ではなく、共同関係です。このプロジェクトをどう成り立たせるか、いっしょに考えていく、仲間になれるのです。 これ、相手がどうとらえているかは、関係なし。 私のなかでは、そういうふうに変わっちゃうんです。「二人ができるだけ、 HAPPY&HAPPYになるためには、 どんな方法があるのだろうか」このほうが、ずっと楽しいと思いませんか?そういえば、あまちさんも言ってましたね。「正しいことより、楽しいことを」って。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第303号(2004年8月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------変化は、いつのまにか起きています。ある日のことです。久しぶりに会った友人と、昔話をしていたら、どきっとすることを言われました。「かめさんって、あのころは、 本当に自分勝手だったよね」友人が、そんなことを言うのは、初めてです。(ええっ、そんなふうに思っていたの?)内心で、一瞬、がく然としました。そして、同時に思い出したのです。高校を卒業したあとに、やはり似たようなことをクラスメイトだったひとに言われたことを。「かめおかさんは、 クラスのみんなにきらわれていたわよ」もちろん、それが、そのクラスメイトにとっての(一部の)「みんな」に過ぎなかったことは、あとになって気づきましたが。(^^ゞでも、そのひとことは、長いあいだ、私を苦しめました。目の前のひとが、表面で言っていることと、こころのなかのことばはちがうのではないかと、いつも、びくびくするようになってしまったのです。このとき、この友人に言われたことばも、ある意味、それと似たような状況かもしれません。ところが、ショックを受けたのは一瞬だけで、次の瞬間、私のこころのなかには、こんな気持ちが湧き上がってきたのです。「そうか、このひとは、自分勝手な私を見切らずに、 今日までつきあってきてくれたんだなあ」それは、深い喜びでした。素直な感動でした。そして、わかったのです。この長い年月をかけて、いつのまにか、私自身が変化していたことに。「きらわれている」と言われて、ショックを受ける私は、もう、どこにもいません。ただ、感謝だけを受け取る私が、そこにいました。それは、とても幸福な、私でした。 この友人は、本当に謙虚で、実直で、 何ごとにたいしても、真摯なひとなのです。 だからこそ、余計、素直に、 受け止めることができたのかもしれません。「変わりたい」「変わろう」と思っているうちは、なかなか、変化を感じることはできません。そんなことさえ忘れてしまったあとに、いつのまにか、変化は、起きているのです。そして、こんなさりげない一瞬に、そのことに気づくことができるのです。変化が見えないといって、あせっているあなた。大丈夫ですよ。安心して、「いま」を精一杯生きましょう。やがて、こんなふうに、思いがけない一瞬に、そのことがわかる日がやってきますから。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第302号(2004年8月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------教育とは、徒労です。(20%の喜びの法則)教育者ではないけれど、教育の現場の端っこにかかわっていると、ときどき、ふと、そう思うことがあります。でも、このことば、否定表現じゃないんです。私たちは、ついつい、自分のやっていることに、成果を見出したくなってしまいます。子どもに何か教えているとき、指導しているとき、その結果を、早く見たいと思ってしまいます。だけど、インスタント食品じゃないんですから、そうそう、期待通りにはいかないんです。ナマモノ(人間)相手の商売ですもん。お湯かけて3分間なんて、…いきませんよ、絶対。3日後、見えてくるものもあれば、3か月、かかることもあります。さんざん苦労してかかわって、「あーあ、伝わらなかったかなあ」なんて思ってた相手から、3年後に、お礼の電話がくることさえあります。それどころか、ひょっとしたら、30年後に、ちがうかたちで、見えてくることだってあるかも。ナマモノって、そういうものなんです。(^^ゞだから、かかわっているそのときには、成果を期待することをやめちゃえばいいんです。「あーあ、これって、もしかして、徒労かもね。 でも、自分がやりたいと思ってやってるんだから」ってなくらいのスタンスでいればいいんです。そしたら、何か反応があったときに、10倍も、100倍も喜べるんです。うまくいかないことがあったって、「あ、そんなもんだから」と、かわせるんです。相手も自分も、責めなくてすむんです。いつだったか、育児をしていた友人の言ったことばが、忘れられません。「育児の80%は、苦痛。 でも、残りの20%の喜びが、 80%の苦痛をチャラにして、お釣りをくれる」「苦痛」を「徒労」と置き換えると、まさに、同じことですよね。「成果が見えない」と、意気消沈しているあなた。とりあえずは、「見えないのが当たり前」と、すっぱりあきらめてしまいましょうよ。そのうえで、それでもやりたいと思えることなら、何も言わず、とことん、やってみましょう。20%の起死回生の逆転ホームランは、忘れたころに、やってきますよ。きっと。(^○^)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第301号(2004年8月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------「ことばのシャワー」を活用しましょう。ある時期から、私は、「ことばは、シャワーみたいに使えるなあ」と、思うようになりました。あるひとの本を、立てつづけに読んでいると、(1冊しかないときは、繰り返し読む、でもいいです)まるでシャワーが降り注ぐように、そのひとのメッセージが、こころに落ちてきて、そのひとの思いで、こころが満たされていくのです。「それって、一歩間違ったら、洗脳じゃん」って、ツッコミをいただきそうだけど…。実はその通り。(^^ゞでも、こういうことを、案外、みんな日常的にやっているのでは? たとえば、おとなが子どもに、よく言う「早くしなさい」なんてのは、まさに、シャワーそのものです。シャワーの効果は絶大です。毎朝、「早くしなさい」シャワーを浴びる、子どもの潜在意識には、「私は、早く行動できない人間だ」というメッセージがインプットされていくんです。 反対に、どんなちいさなことにも、「ありがとう」のシャワーをかけるひとがいたら、その相手は、「ああ、私は感謝されている。私は、ひとに喜びを与えられる人間なんだ」と、そんなイメージを、こころのなかに育てていくでしょう。 注がれるシャワーは、温かいほうがいいか、すっきり冷たいほうがいいか。もちろん、そのひとによって、また、そのときどきによって違うでしょう。「ことばって、シャワーみたい」そんなことを考えていた時期の私は、実は、中村天風さんの本を読みふけっていました。それは、前に進まなくてはならないと、自分で決めたときでした。天風さんのメッセージは、ちょっと強めの、きりりと引きしまるシャワーだったのです。天風さんの強さに、背中を押してもらって、飛び出すエネルギーをたくわえていたのです。そんなシャワーの使いかたをしていたのです。「ことばのシャワー」を活用しましょう。それは、先人(私たちより先に生まれたひとたち)が残してくれた貴重なメッセージの場合もあるし、自分自身が生みだすことばの場合もあります。なんであっても、OKです。あなたが、より、あなたらしく生きていくために、あなたのパワーがよりひらかれていくために、たくさんのことばが、存在しているのですから!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第300号(2004年8月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------ミラクルマジックはありません。ときどき、メルマガの読者さんや、サイトを訪問してくださるかたから、「どうして、そんなに前向きに、 ものごとを、考えられるのですか?」と、たずねられることがあります。また、過去の「挫折」体験に関する記事を読んでいただいたかたからは、「どうやって、立ち直ることができたのですか」と、ご質問いただくこともあります。ご質問される、たいていのかたは、やはり、ご自身のことで、悩んでおられるのです。それを、いっときでも早く解決したくて、質問をされるのです。お気持ちはわかります。私も、そうでしたから。でも…。残念ながら、ミラクルマジックはありません。あるのは、地道な、そして、ねばりづよい「トライ」だけです。なぜなら、問題は、そのひとが超える必要があるから、生まれてくるのです。解決することよりも、まず、その問題に向き合うことに、意味があるのです。だから、「こうすれば、こうなる」という、マニュアルは、存在しえないのです。Aさんに効く薬が、Bさんに効かないことがあるように、ある方法で、Cさんが解決できたからといって、Dさんにとっては、逆効果のことだってありえます。ああでもない、こうでもないと、自分に一番効果のある方法を、一つ、ひとつ、探し、探り当てていくしかないのです。繰り返します。ミラクルマジックは、ないのです。ただ、ひとつだけ、言えることがあります。問題のかたちは、さまざまであり、そのプロセスも、またさまざまではあるのですが、たどり着く、こたえは、ひとつです。(たぶん)過去から未来にいたる「自分」に、「OKをあげる」こと。そして、自分にOKをあげたぶんだけ、他人にもOKをあげること。そこにいたったとき、はじめて、ミラクルマジックは、起こります。かけてきた時間もお金も労力も、全部、必要なことだったとわかるんです。これは、私自身の体験から見えてきたことであり、現在も、まだまだ、その気づきの途上です。それでも、自分自身の実感から、今日のメッセージを伝えたいと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第299号(2004年8月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------------「ひとの好意は甘んじて受ける。チャン、チャン」(あまちゆうと)今年5月17日、光の国に旅立たれた、私のこころの「師匠」、あまちゆうとさんは、たくさんの、すてきなメッセージを残してくれました。今回も、私の好きな言葉を、ご紹介したいと思います。「ひとの好意は甘んじて受ける。チャン、チャン」「最後の『チャン、チャン』って何だ?」っていう質問は、もうちょっと、お待ちください。とにかく、人の好意は、素直に受け取るっていう意味のようです。でも、「甘んじる」って、「与えられたもので満足し、不満は言わない」って意味ですよね。なんか、『しかたがない』みたいな、マイナスっぽいニュアンスがありますよね。あまちさん、日本語の使いかた、間違ってません?(ツッコミ)…でもね、よくよく考えると、これでいいんです。「謙遜」は、日本人の美徳とされてきました。贈りものをあげるときも、「失礼とは思いましたが…」「いえいえ、とんでもない。いただけません」「まあ、そういわずに。つまらないものですが」「いや、悪いですね。申しわけないです」と、やりとりするのが、暗黙のルールでした。でも、それって、とってもまだるっこしいです。「これ、すてきだから、あげます」「ありがとう。うれしい!」こっちのほうが、ずっとストレートなのに。でも、普通には、なかなか、そうは言えません。やっぱり、どうしても、謙遜しちゃうのです。そうしないと、マナー知らずっていわれそうで、こわいのです。「こころの本当の部分で照らしてみれば、 本当は、うれしーい!と受け取るだけでいい。 でも、常識の声が私のじゃまをするうううう」こんなひとの背中を押してくれる言葉、それが、『甘んじて』なのです。「ひとの好意は、(四の五の言わずに) 甘んじて受けなさい」そうすれば、それが、どれだけ気持ちのいいことか、わかるのです。次からは、素直に受け取れるようになるのです。終わりよければ、すべてよし。チャン、チャン。これが、「チャン、チャン」の意味です。「あまち語」かめわざ的解釈の巻、でした。m(__)m--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第298号(2004年8月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------------「短所はない。未熟な長所があるだけだ」(あまちゆうと)今年5月17日、光の国に旅立たれた、私のこころの「師匠」、あまちゆうとさんは、たくさんの、すてきなメッセージを残してくれました。今回ご紹介するのは、そのなかでも、とびきり、好きな言葉のひとつです。「短所はない。未熟な長所があるだけだ」この言葉、これ以上、説明の必要はありませんね。(^^ゞそれは、短所じゃなくて、未熟な長所。そう思ったら、もう、誰も、自分のことを、低く見なくていいんです。もう、誰も、誰かのことを、頭ごなしに、非難する必要がなくなるんです。そう、短所なんてものは、存在しないのです。それらは、すべて、これから育つ長所なのですから!そうです。エネルギッシュな行動力は、粗暴さの陰に隠れているかもしれません。機転のきく、反応のすばやさは、落ち着きなく見える態度の陰に、ひそんでいるかもしれません。独自の発想力は、いらいらするほど協調性のない態度と、セットになったものかもしれません。こう考えてみると、本当は、長所と短所は、同じものなのかもしれません。ただ、表面に見えているかたちが、ことなるだけなのかもしれません。あるいは、さなぎが蝶に変わるように、必要なプロセスを経ているだけかもしれません。だとしたら、「短所」を「長所」仁変える鍵は、あなた自身が、にぎっていることになります。あなたが、それを「短所」と決めつけるか、それとも、未来の「長所」として、見守るか。あなたが、選んだ瞬間に、決まるのです。さあ、どちらを選びますか?どちらを選ぶのも、あなたの自由です!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第297号(2004年8月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------使わなければ、退化します。ワークショップのウォーミングアップのときに、しばしば、「ミラー」というゲームをやります。二人組になって、一人が動くと、もう一人が、鏡のように、同じ動きを真似します。ひとそれぞれ、動きには特徴があって、手を動かすほうが、好きなひともいれば、ジャンプだのひねりを入れだすひともいます。最初は、思いがけない動きにとまどいながらも、そのうち、みんな、夢中になって、どんどん、新しい動きにチャレンジしていきます。ところが、ワークショップのあと、ときどき、「筋肉痛になりましたあ」と、報告をいただくことがあるのです(苦情ではありません)。(^^ゞ「スポーツのように激しくは動いてないのに」と、最初は、不思議に思っていました。その理由がわかりました。ふだんの自分とはちがう動きをすることで、いつもは使わない筋肉を、使っていたのですね。そこで、「筋肉痛が~」のかたには、こんなふうにお返事するようになりました。「からだは、伝わなければ退化します。 使われない部位は、次第に、『あ~、自分のことなんて、どーでもいいんだあ』と、 すねて、なまけてしまうわけです。(^^ゞ でも、ときどき、刺激を与えてあげると、『おっ、なんか、必要とされてるじゃん』と、 うれしくなって、動き出そうとします。 いま、痛いところは、 ひさびさに使ってもらって、喜んでいるのです。 そんなふうに、考えてみてくださいね」そして、こう、言い添えます。「使わないと、退化するのは、 筋肉だけではありません。 こころも、ですよ」今日は、これ以上の説明は不要でしょう。あなたは、こころを、どんなふうに使っていますか?悲しみや怒りに、偏っていませんか?怖れや、不安で、フル回転させていませんか?ひょっとしたら、こころそのものを、動かすことをやめていませんか?こころも、からだも、同じです。使わなければ、退化します。退化させたくなかったら、おおいに、使ってあげてください。こころが揺れる(感動)体験を、どんどん、させてあげましょう。こころは、喜んで、成長してくれますよ。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第296号(2004年8月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.29
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「メンター」に出会うということ。私は、相手が誰であろうと、基本的に、「さん」づけで呼ぶことにしています。仕事がら、「先生」と呼ばれる相手も多いですが、あえて、「さん」づけで呼びます。 例外として、そのひとが、自分のことを 「先生」と呼ばれたがっている場合は別です。(^^ゞ 私は、けっこうサービス精神旺盛なのです。(笑)だから、「そのひと」のことも、私は、ずっと、「さん」づけで、呼んできたのです。そのひとは、ヒーラーさんで、私は、そのころ、年に数度、そのひとが上京するたびにひらかれる、気功の会に参加していました。もっとも、私は、日常の修行をまるでしないので、まったく上達しませんでしたが。(^^ゞ気功そのものより、私は、そのひとの、笑顔が見たくて、通っていたのかもしれません。本当に、「底抜け」というのは、こういう表情をいうのだろうな、という笑顔なのです。ヒーラーさんなのに、ちっともえらそうではなく、「食堂でビールを頼んだら、びんのふちが欠けてて、『やった、もう1本もらえるかも!』と思ったあ♪」なんて話を、うれしそうにするひとなのです。「どっちが、ではなく、どっちも、OK」というのが、そのひとの、口ぐせでした。「正しいことより、楽しいことを」とも言いました。「無邪気」が服を着て、歩いているようなひとでした。「いま・ここ」を味わう大切さを、存在そのものをとおして、教えてくれたひとでした。本当に、そのひとの話を聞き、笑顔を見ていると、この世の何もかもが、ゆるせる気がしてくるのです。「メンター」とは、こういうひとのことを言うのかもしれない。あるとき、ふっと思いました。そのひとに直接、告げたことはありませんが、それ以来、そのひとは、ずっと、私にとっての、「メンター」でした。ここ数年、私自身の活動が増えたせいもあり、そのひとの会に出席することもなくなっていましたが、こころのなかでは、忘れたことはありませんでした。「メンター」を胸のなかにもっていると、苦しいときや、迷ったとき、いつでも、ふっと、原点に帰ることができるのです。それも、そのひとの考えを押しつけるのではない。「どっちもOK」という明るい笑顔、それだけで。暗雲がたちこめるように感じられる、いまの時代。そのひとは、もしかしたら、天の誰かから、「おい、おまえ、ちょっと来い。 ここで、笑って、その光をおろせ」なんて、強引に頼まれてしまったのかもしれません。あまちゆうとさん。2004年5月17日、逝去。享年41歳。いま、降り注ぐ光のすべてが、あなたの笑顔です。 合掌。(この原稿は、5月に書いたものです)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第295号(2004年8月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------ふれる体験、忘れてませんか?私のワークショップでは、「ふれる」ワークを、意識的に取り入れています。「ふれる」といっても、実際には、おにごっこでタッチするなど、子どもの遊び感覚のゲームがほとんどですが。(笑)でも、「ふれる」ことで、場の雰囲気ががらりと変わってしまうんです。とくに、初対面同士で、緊張が強いときには、「ふれる」ワークの効果は絶大です。なぜ、「ふれる」ことで、緊張が解けるのか。私たちは、もともと、「ここまでが自分のエリア」という、主張ラインをもっています。大体は、腕を伸ばして、からだのまわりを、ぐるりと一周するくらいの範囲です。これは、言い換えれば、自分のまわりに、「バリア」を張っていることと同じです。実際にためしてみるとわかりますが、この範囲に、ひとが近づいてくると、無意識のうちに緊張します。満員電車などで、必要もないのに、ひとと接近しなければならないとき、居心地が悪いのは、このせいでもあります。ですから、逆に、このエリアに他者を受け入れるということは、相手とは、ある種の親密さを共有していることになります。家族であったり、恋人であったり、親しい友人であったり、…というわけですね。ワークでは、遊びやゲームをとおして、自然に、このエリアをつなげてしまいます。すると、初対面の相手にもかかわらず、親しみを感じる、ということが起きてくるのです。ふれる・ふれられる。これはまた、私たちがこの世に生まれて、次の瞬間に、体験することでもあります。この原初の体験をとおして、ひとは、生きるエネルギーを受け取るのかもしれません。単純なことだけれど、とても大切なことだと思うのです。ところが、いま、日常生活のなかで、ふれる体験は、とても少なくなりました。何もかもが、便利になって、いろいろなことが、ふれなくても、できてしまったりするのです。そして、そのせいでしょうか。私たちは、どんどん、エネルギーをうしなってしまっているように感じます。ワークのなかでの、ふれる体験は、日常のなかでうしなわれてしまったエネルギーを、とりもどす作業なのかもしれません。元気をとりもどしてほしくて、私は、そうしたワークをやっているのかもしれません。でもね…。思い出してほしいんです。こんなこと、ほんとは、ワークでなくたって、できるってことを。握手をしたり、肩をたたいたり、子どもなら、からだをぶつけて遊んだり。そのことに気づいたひとは、ぜひ、日常のなかに、そうした、ふれる体験を、ちょっとずつ、とりもどしてほしいんです。そう、ほんのちょっと意識するだけで、私たちは、自分のことも相手のことも、元気にすることができるのですから!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第294号(2004年8月20日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「消費」しない生きかた消費者教育のお話ではありません。(^^ゞ現代は、おそろしいほど、情報が氾濫する時代です。自分自身の子ども時代と比べてみても、1日に入ってくる情報の量は、ケタちがいです。10年ひと昔なんて言葉は、とっくに死語になり、現在は、1か月ひと昔、という感じでしょうか。そんな日々のなか、ふっと気がつくと、ものすごく鈍感になっている自分に気づくのです。たとえば、とても悲惨なニュースが流れ、数日は、そのことでこころ騒いだり、憂いたりしてみても、ふと気がつくと、すっかりと忘れてしまっているのです。おもしろいテレビ番組を見て、笑って、おしまい。ひとのうわさ話に盛り上がって、それで、おしまい。悲しいドラマを見て、涙を流して、おしまい。不正な事件の報道を見て、腹を立てて、おしまい。これでは、まるで、すべてのできごとが、ただ、「消費」するものになってしまう。何ひとつ、積みあがっていくものがない。すべてが、ただ、「消費」されて、おしまい。それどころか、何が必要な情報で、何が不要な情報なのか、それさえも吟味しなくなってしまっている…。そのことに気づいて、愕然とする思いがしました。情報を否定するわけではありません。いまほど、さまざまな情報が入手しやすくなっている時代はありません。それは、おおいに活用すべきだと思います。そして、だからこそ、ときどき、立ち止まって、考える必要があると思うのです。通り過ぎていこうとしている、このできごとが、自分にとって、どんな意味をもっているのか、と。この世界と、自分は、切り離された存在ではなく、そこで起きるあらゆるできごとは、すべて、自分と、有機的にかかわりあっている。その自覚のもとに、考え、行動するのです。そうすれば、この世界と呼応しながら、自分は何を考え、どう生きようとしているのか。そこから考え、行動する生きかたになっていくと思うのです。それが、「消費しない」生きかたではないかと、いま、思いはじめているところです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第293号(2004年8月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------「わからない」から、こだわってみる。私は、これまで、小学生や中学生のための脚本を、いくつも書いてきました。そのなかに、ちょっと異色な作品として、『土神裁判』(『宮沢賢治童話劇場』第3巻所収。国土社刊)があります。宮沢賢治の「土神ときつね」を脚色したものです。原作は、あまり知られてはいませんが、賢治の、こころの闇の部分を描いたともいわれる作品です。一匹の見栄っ張りな狐と、土神という土着の神が、一本の樺をめぐって対立し、最後は、激昂した土神によって狐が殺されてしまう…。あらすじを書いているだけでも暗くなりそうな、実に救いのない話です。(^^ゞ そのためか、せっかく書いた脚本も、なかなか上演してもらう機会がありませんでした。ところが、あるとき、ある中学校の演劇部から、この作品を、上演したいという連絡がきました。うれしくて、稽古を見学に行きました。稽古のあとで、「よくこんなむずかしい作品を選びましたね」(自分で言うか(笑))と、聞きました。すると、「実は、本当は、別の作品になるはずだったんです」との返事。「えっ?」と思って、聞き返したら、こんな話を聞かせてくれました。脚本選びがすすんで、ほとんど、ある作品に決まりかけていたときのことです。一人の生徒が、「どうしても、この作品をやりたい」と私の、この作品を、強く推したそうなのです。その子は、私の脚本を初めて読んだとき、こんなふうに思ったそうです。「たくさんの脚本を読んできて、 おもしろいのもあるし、つまらないのもあった。 でも、この作品を読んだときの第一印象は、『何、これ?』だった」そう、「わからなかった」のだそうです。そして、「わからない」けれども、あるいは、「わからなかった」からこそ、放り出すことができなかったそうなのです。その子は、私の作品を、何度も何度も読み返してくれました。そして、この、登場人物たちのこころに、深く入りこんでいったのです。「どうしても、この作品を上演したい」そう思いつめたその子は、なんと、部員一人ひとりを説得しはじめたのです。そして、別の作品に傾いていた、みんなの気持ちを、変えてしまったそうなのです。いま、世のなかは、「わかりやすさ」が最優先されて動いているように感じます。でも、ときには、こんなふうに「わからない」から、こだわってみる、ということも、大切なことのように思います。そこには、どうしてもこだわらずにはいられない、何か深いものが、隠されているのかもしれません。ちなみに、その中学校の舞台は、地区の中学校演劇発表会で、最優秀賞を受賞し、さらに上の発表会(大会)でも、別の賞を受賞しました。いまだにほとんど上演されることのない作品ですが、(^^ゞ私にとっては、本当に大切な作品のひとつです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第292号(2004年8月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------誰か、ひとりのこころに届けばいい。日記を書いたり、メルマガを発行するのは、やはり、誰かに何かを伝えたいという気持ちを、もっているということです。せっかく書くからには、より多くのひとに知ってもらいたい。反応がほしい。そんな気持ちにもなるものです。正直な気持ちを書けば、アクセスが増えれば、単純にうれしいし、購読解除があれば、やっぱりサビしいです。(^^ゞ実際、読者数、アクセス数の増減に一喜一憂し、何とか増やせないかと画策した時期もありました。それでも、最初のメールマガジン「ドラマ教育ネット」を発行して、この6月で4年目を迎えたいま、ようやく、気持ちが落ち着いてきました。たくさんの読者さんとのやりとりのなかで、「ああ、100人いたら、100人に 受け入れられる必要はないんだ」と、思えるようになってきたからです。実際、あるかたからは、不評の内容が、別のかたからは、「こころが癒されました」と正反対のメッセージをいただくことも、けっして珍しくはないからです。それって、どちらも間違いではないんですね。ひとが、100人いたら、100の感じかたがあるでしょう。その100人もまた、昨日と今日とでは、感じかたも、受け取りかたも変わるでしょう。だとしたら、私のたったひとつの発信は、少なくとも、誰かひとりのこころに届けば、その使命を果たしたことになるのでは?いいえ、たとえそのときには、誰も受け取ってくれなかったとしても、ひょっとしたら、明日、あるいは10日後、「あれっ」と、振り向いてもらえるかも…。いまは、そんなふうに思えるのです。だから、今日も、そう思って書いています。「誰か、ひとりのこころに届けばいい」そのひとりと、たとえ直接やりとりはなくても、こころを通わせることができたなら、そこに、ちいさな共感の輪が生まれます。ちいさな共感の輪を、毎日、いっこずつつくっていけたら、輪は、次第におおきく広がっていくでしょう。そして、それは、私ひとりではなく、すべての発信者のもとで起きていること。共感の輪が、ふわりふわりと、生まれては、つながっていくようすを思い浮かべたら、こころも、ふわっと明るくなりました。誰か、ひとりのこころを大切にするように、すべてのひとが、誰かのこころを感じて、そのひとのために祈ることができたら…。きっと、世界は変わります。そのとき、私たちの発信にも、何かの意味を見い出すことができるかもしれません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第291号(2004年8月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------「生まれ変わり」思想の活用法あなたは、「生まれ変わり」を信じますか?最近は、それらに関する書籍もずいぶん出ています。過去世催眠なども、あるようですね。もちろん、「そんなの、根拠のないまやかしだ」と、考えるひとも、大勢いるでしょう。さて、私はというと、実は、「どっちが正解でもかまわない」派です。(^^ゞより正確にいうと、私はほとんどのことにたいして、「どっちでもいい」と考えている人間なのですが。ただ、この「生まれ変わり」思想、活用のしかたによっては、とても役に立つのです。私たちのこの人生は一回きりですけれども、もしも、生まれ変わりがあるとしたら、そのひとの人生は、(人生の概念も変わってしまいますが)もっともっと、ずっと長いスパンのものになります。その視点で、すべてを見直してみるのです。たとえば、あるひとが、何かに、一所懸命、打ちこんでいたとします。ところが、別のあるひとは、ろくに努力しているように見えないのに、同じことを、すいすいできてしまったりします。「いや、もっと効率的な上達法があるはずだ」と、奮起できるひとは、それでかまいません。でも、「ああ、自分には才能がないんだな」と、あきらめの気持ちが湧いてしまうひとは、ちょっと、立ち止まって考えてみてください。「もしかして、このひとは、 前の人生で、同じことをやってきたのかも」だとしたら、いま、努力しているように見えなくても、すいすいできて当たり前ですよね。そういうふうに考えてみると、ひとと比較して、悩むことがなくなると思いませんか?(^^ゞあるいは、こんな場合はどうでしょう。世の中には、マハトマ・ガンジーとか、マザー・テレサのように、本当にすばらしい仕事をなしとげるひとたちがいます。あのひとたちの、すばらしい生きかたに比べて、同じ人間でありながら、自分はなんてちっぽけで、つまらないんだろう。そんなふうに、感じたことはありませんか?実は、以前、私自身がそんなふうに感じていました。でも、あるとき、この「生まれ変わり」の思想を取り入れることで、気持ちを切り替えることができたのです。このひとたちの(お二人とも亡くなられましたが)「いま」の人生だけを見て、判断したら、とてもかなわない。でも、もしかしたら、このひとたちも、何度も何度も、人生をやり直すなかで、この尊い生きかたにたどり着いたのかもしれない。だとしたら、私も、まず、この人生のなかで、やれることを、最善を尽くしてやっていこう。それを「蓄え」にして、次の人生に生かせばいいんだ。もちろん、私たちには、次の人生(あったとしても)を確かめるすべはありません。けれども、いま、生きていることの意味を、以前よりもずっと、豊かに受け取れるようになったのも、この発想の転換のおかげなのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第290号(2004年8月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------あなたがいたから、私がいます。これは、以前、私のワークショップで、ひとりの女性が語ってくれた話です。「鏡を見ると、母がいるんですよ」一瞬、どきっとすることばを言われたあと、そのかたは、つづけました。「でも、それは、よく見ると、私の顔なんです。 私は、母に、とてもよく似ているのです。 毎朝、鏡を見ているのですが、ときどき、 母がそこにいるとしか 思えないくらい、 そっくりに見えることがあるんです」そのかたのお母さんは、もう、とうに亡くなっています。でも、街で、すれちがったお年寄りなどに、「あんたは、○○さんの娘さんかい?」と、声をかけられることがあるのだそうです。「そんなふうに声をかけてもらえるということは、 母が、それだけ、みなさんに好かれていたと いうことなのだと思います。 私が、こうして生きていられるのも、 母がいてくれたからなんだなあと思います」淡々とした、その語り口を聞きながら、内心で、涙がこぼれそうになってしまいました。そのかたのお母さんは、おそらく、特別に何かにひいでた有名人などでは、なかったろうと思います。でも、たったひとりのひとから、こころをこめて、「あなたがいたから、私がいる」と言ってもらえる。それだけで、充分に、幸福な生きかたをしたのだなあと思います。同時にまた、私たちも、たったひとりでいい、「あなたがいたから、私がいる」と言われるような、そんな生きかたができたらいいとも思うのです。そのかたのお母さんがそうであったように、私たちは、それだけで充分に幸福になれるのです。そして、その「あなたと私」のつながりを、どこまでも、つなげていくことができたら…。この地球上から、あらそいなどなくなってしまう。…そんなふうに思うのは、甘すぎるでしょうか。「鏡を見て、母がいるなあと感じられるとき、 私は、鏡のなかの私(母)に、『おはよう』って、声をかけるんですよ」そのかたは、ほほえんで、そう言われました。ほんとに、あたたかい、やわらかな笑顔でした。そのかたの笑顔のなかの、お母さんに、私は、思わず、「ありがとう」と言いたい気持ちになりました。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第289号(2004年8月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------レンズに気づく。光に気づく。しばらく前のことです。目が痛むので、眼科に行ってきました。眼科に行くのは、たぶん、15年振りくらいです。(笑)私は、遠視で斜視で、しかも、左右の目の焦点が合わないため、像が二重に見えます。近視のかたが、「ぼやけて、二重に見える」のとちがい、同じ像(景色)が、くっきり二つ見えるのです。ふだんは、目の調節機能が働いて、一つの像として、見せてくれているのですが、疲れてきたり、光量の少ない劇場などに行くと、調節機能の限界がきて、像がはっきり二つに分かれます。舞台では、登場人物が二倍登場するので、そりゃあとてもにぎやかです。゛(大道具も二倍になります)(笑)しかも、すごいことに、私は、長いあいだ、世の中のひとは、すべて、ものが二重に見えている、と信じて疑わなかったのです!(自己チュウのきわみです…)さて、久々の眼科で、矯正視力をはかりました。視力検査表を見ながら、次々とレンズを取り換えて、一番よく見える状態を探していくのです。レンズによっては、検査表の文字がくっきり見えたり、ぼやけて見えたりします。私は私でそのままなのに、レンズを換えただけで、目の前が、ちがって見えてくるのです。そして、ふっと思いました。私たちの日常も、きっとこんなふうなのだろうなと。自分では、たしかにそのものを見ているつもりでも、実は、気づかないうちに、さまざまなレンズをつけてしまっているのでしょう。それは、ときには、ゆがんだり、あるいは、拡大されたり、縮小されたり、着色されたり、一部にだけ特殊な光が当てられたり…。そして、そのことに気づかないまま、それが、真実だと思いこんでいるのかも…。自分自身の目で、しっかりと見ることの大切さを、しみじみと思いました。同時に、この世のなかを、自分自身の目で見きわめて生きることの困難さをも感じました。さまざまなレンズが、目の前にぶら下がっているなか、本当に、自分自身の目で見ていると、誰が断言できるのか。そんなことを思うと、暗澹たる気持ちになりかけました。診察を終えて、外に出ました。とたんに、世界が強烈にまぶしく感じられました。眼底検査をしたため、瞳孔がひらいていたので、制限なく、目が、光を受け止めてしまっていたのです。本当に、すべてが、まばゆく光っていました。世界は、絶対的な輝きのなかにありました。まるで、光の国のなかを歩いているような、不思議な錯覚にとらわれました。すべては、光のなかにあったのだと。ただ、その光に気づいていなかっただけなのだと。ひたひたと、そんな気持ちが押し寄せました。そして思ったのです。この、光のなかにいる自分を感じて生きようと。気づかずにつけてしまうであろうレンズをも、この光が、溶かしてくれることを信じながら。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第288号(2004年8月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------すべてのひとのなかの輝きを信じるということ。宝石店で見かけるダイヤモンドは、それは美しい輝きを放っています。その輝きにうっとりするひとは、大勢いるでしょう。でも、ご存知のように、ダイヤモンドは、原石の状態では、ちっとも美しくありません。原石のまま、道ばたにころがっていたら、気づかずに、蹴ってしまうかもしれません。人間も、同じです。そのひとの真の輝きは、いつでも、表面にあらわれているとは限りません。むしろ、隠れていることのほうが、ひょっとしたら、多いかもしれないのです。では、どうしたら、そのひとの隠された輝きを、見落とさずにすむのでしょう。すべてのひとのなかに、隠された輝きがあることを、信じること。私は、そんなふうに思うのです。私たちは、しょっちゅう、表面的なことに振りまわされて生きています。ひとのとった行動に怒りを感じます。その背景に、思いをやることもせず。ひとの言ったことばに傷つきます。その真意を、深く知ることもなく。結果、私たちは、そのひとに、マイナスのレッテルを貼りつけます。その瞬間に、そのひとの隠された輝きをも見失います。それはとても寂しく、悲しいことです。だからこそ、あらためて思うのです。あらゆる疑いのこころと訣別して、そのひとの、内なる輝きだけを見つめてみようと。それは、盲信とはすこしちがい、まっすぐに、相手の魂を見つめるまなざしです。そのまっすぐなまなざしは、やがて、まわりまわって、自分にもかえってきます。そのとき、私たちは、気づくのです。実は、他者を見つめるまなざしをとおして、自分自身を見つめていたことに。ひとの、内なる輝きを信じることは、それを信じられる自分自身がいるということ。自分自身の内なる輝きが、そこにあるということ。そのとき、ひとと、自分は、ひとつながりの環のなかに在ることを知るでしょう。すべてが、輝きのなかに在ることを知るでしょう。●追記今日は、ちょっと抽象的になってしまいました。(^^ゞそのうち、もう少し噛み砕いて書けたらいいなと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第287号(2004年8月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------------あなたの「天職」は、「いま・ここ」にあります。読者のかたから、メールをいただきました。天職が見つからずに悩んでいるのだと言います。そこで、お返事を書きました。それに少し手を加えたものを、今日は掲載します。-------びっくりされるかもしれませんが、実は、「いま・ここ」が、いつでも、「天職」なんですよ。あなたが、家族の反対で、そのとき、行きたかった道を断念したなら、それは、それで、必要な選択だったのです。もちろん、そのときの夢を、永遠にあきらめるという意味ではありません。そのときは、タイミングではなかった、ということです。そして、いくつかの仕事を転職されて、いまはお仕事をお休み中というのも、これまた、必要があってのことだったのです。いつでも、必要なことが必要なだけやってきていると思えると、天職探しにあせらなくてすむようになります。私には、正社員の体験がありません。(^^ゞ学生時代から含めると、10いくつのアルバイトを転々とし、「これは、本当はやりたいことではない」と、悩んだ時期もありました。その悩むという体験も含めて、いまとなっては、自分にとって、必要な体験だったのだなと思えます。いまは、本業は、フリーの編集者で、多少は物書きもし、脚本を書き、演劇の指導をし、ワークショップを主催もし…、しかし、いずれもそれ一つだけでは食べてはいけないという状況のなかで、(笑)ボツボツと入ってくる収入をかき集めては、何とか、日々の暮らしをつないでいます。不安定きわまりない生活ですけど、でも、ものすごく楽しいので、これはこれでいいのだと思っています。そして、これを「天職」と呼ぶならば、それもいいなあと思えるのです。でも、こんなこと、10代20代のときには、思いもよりませんでしたよね!(^○^)だから、いつでも、いま、目の前にあることを100%大切にして、体験してみる。それしか、次に進む方法はないと思うのです。やってみたいと思うことは、どんなかたちでもいいから、やってみるといいですよ。長続きしなくてもOK。それは、長続きする必要がなかっただけのことですから。そして、目の前にやってきたことに全部OKをあげて、一つひとつ大切にクリアしてみてくださいね。ジグソーパズルが埋まるように、いつか、「ああ、あれもすべて、必要な体験だった」と、思える日が来ますから。そのときには、ひょっとして、「天職」も見つかっているかもしれません。いま、想像しているのとは、ちょっとちがったかたちかもしれませんが!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第286号(2004年8月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.18
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------あなたには、何もできません。あるとき、友人から電話がかかってきました。 同じ会社の同僚が悩んでいて、 その悩みを打ち明けられるのだけれども、 自分には何の力になってやることもできない。 話をされるたびに、どんどん苦痛になり、 しまいには、そのひとを避けたくなってきた。 こんな自分は、冷たいのだろうか、と。私は答えました。「あのね、そのひとの問題は、 そのひとのものなんだよ。 あなたには、何もできなくて当たり前なの」まあ、なんて薄情な言いかたでしょうか。(^^ゞ友人も、聞き返してきました。「何もできなくて、当たり前?」「そう。あなたはそのひとじゃないんだから」すると、友人は、ほっとした声で、こう言ったのです。「私、そのひとに、 何かしてあげなきゃいけないと思っていて、 だから、何もできないことが苦しかったの。 でも、いま、何もできないんだと思ったら、 話を聞くことが、楽になるような気がした」誰かの悩みを知ったとき、あなたが、それをフォローしてあげたいと思うことは、けっして、悪いことではありません。でも、それができないときに、余計な罪悪感や無力感を背負ってしまうとしたら。それは、あなたにとっても、相手のひとにとっても、マイナスでしかありません。なぜならば、あなたが、「助けてあげなければ」と思いつづけるかぎり、相手のひとは、「助けられる弱いひと」で、ありつづけることになってしまうからです。あなたは、助けてやろうとして、かえって、相手の力を弱めてしまっているのです。そして、あなた自身も、そのマイナスの循環にはまってしまい、みずからのエネルギーをうしなってしまいます。あなたがすべきことは、そのひとの、内なる魂の力を信じること。そして、相談をもちかけられたときには、「このひとは、自分で解決できるひとだ」と信じたうえで、話を聞いてあげるのです。それだけです。頼まれてもいないのに、ゆめゆめ、「何かしてやろう」なんて、思ってはいけません。いえ、頼まれたって、そのひとが本当に、自分で解決する気持ちをもっていないかぎりは、けっして、フォローしてはいけません。小さな親切、大きなお世話。(笑)あなたには、何もできません。何もできなくて、いいのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第285号(2004年8月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------私は、一度も失敗したことがありません。昔からの知人で、いま、60半ばのかたがおられます。現在は、退職していますが、在職中は、さまざまな企画を立てては、実行しておられました。その行動力と思いきりのよさには、私も、常々、刺激を受けつづけていたものでした。そのかたが、あるワークショップの、懇親会の席でおっしゃったことばです。「私は、一度も失敗したことがありません」えっ、とばかりに、みんなの視線が集まります。そのかたは、すまして、ことばをつづけられました。「なぜなら、私が失敗だと思わないから」次の瞬間、会場が、どっと湧きました。共感と、感動の笑いでした。あなたが、「失敗をした」と思うことで、奮起して元気が出るタイプなら、この発想は不要です。でも、「失敗をした」と思うことが、前に進むことのさまたげになってしまうようなら、ぜひ、この考えかたを採用してみてください。そう、失敗も成功も、そのひと自身が決めるのです。だとしたら、あなたが元気になる方向を選びましょう。実は、私も、いまのような生きかたを選んでからは、一度も、「失敗した」ことがないのです。そう、「失敗」と思うことをやめてしまいましたから。その結果、何が起きたのか。すべての体験から、「学ぶこと」ができるようになったのです。ありとあらゆるできごとが、私にとって、プラスの「学び」に変わってしまったのです。そうすると、前に進むことが楽しくなりました。何があっても、失敗はないのですもの!どんどん、エネルギーが湧いてくるのを感じます。こころが、自然にわくわくしてくるのです。もしも、あなたが、前に進むことを何らかの理由で、ためらっているとしたら。理屈でごちゃごちゃ考えるのは、いったんやめましょう。あなたは、ひとつも失敗などしないのです。あるのは、必ず、何かしらの成功なのです。そこに、しっかりと視点を定めましょう。そして、さあ、その一歩を踏み出すのです!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第284号(2004年8月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------そんな自分に「OK」をあげる。ひとは、やりたくないことと出会ったとき、しばしば、それを、「これは、やらねばならないことだから」と、無理に、自分の気持ちを置き換えます。けれども、こころのどこかに、「本当はちがう」という思いが残ります。その気持ちが積み重なってくると、「やりたくないことをやらない」ひとが、ゆるせなくなってきます。「私はやりたくないことを がまんしてやったのに、あのひとは…」本当は、自分も、やりたくなかったのです。だから、「やりたくないことをやらない」ひとは、本来は、理想のひとであるはずなのです。でも、がまんにがまんを重ねたこころは、本当の気持ちを感じることがこわくて、目の前に見える、それを拒否しようとします。「そんなわがままは、ゆるせない」と。こころの深いところで、もう一人のあなたが、「ちがうよ」と悲鳴をあげているのに。拒否することは、本当は、自分の内がわの深い気持ちを殺してしまうことなのに。この矛盾を解くためのかぎがあります。ためしに、いま、やっていることを思い浮かべ、自分に、こう、問いかけてみてください。「いま、背負っているすべての責任から解放され、 ありとあらゆる可能性が自分にゆるされたなら、 そしてそのことが、誰も不幸にしないとしたら、 自分は、それをやりつづけるだろうか」「それでもやりつづける」とこたえられるなら、それは、あなたにとって、本当にやりたいことです。おめでとうございます!もし、やりつづけたいと思わないのなら、それは、やはり、本当には、「やりたくなかった」ことなのです。でも、がっかりすることはありません。その事実をまっすぐに受け入れたとき、あなたは、もう一度、自分のこころを取りもどすことができるのです。もちろん、それをつづけているのには、さまざまな事情があるのでしょう。ですから、今すぐ放棄せよ、なんて、そんなことを思う必要はないのです。「やりたくないことをやらない」選択をいまはまだ選べないとしたら、そんな自分に「OK」をあげましょう。「いまは、やりたくないことをやっている。 でも、それがやりたくないことだと、 ちゃんとわかっている自分がいる」と。そのときから、あなたは、「やりたくないことをやらない」ひとを、非難せずにすむようになるでしょう。あなたは、あなたの本当のこころと、コンタクトできるようになったのですから。それが、原点です。いつもいつも、そこに帰ってください。出発点をまちがわなければ、私たちは、必ずゴールにたどりつくことができます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第283号(2004年8月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------「やりたくないことはやらない」生きかた。私のモットーは、「やりたくないことはやらない」です。これだけ書くと、よく誤解されます。「それじゃ、社会が成り立たないよ」と。このことばにおこたえする前に、なぜ、やりたくないことをやらないのか、それについて、少し書きたいと思います。私たちの日常は、おそろしいほどたくさんの、「やるべきこと」に囲まれています。あふれるような指示・命令・要求が、次々と、私たちに投げかけられます。何しろ、自動販売機までが、「おつりをお受け取りください」と、指示してくる世の中ですから。(頼まれなくても、受け取りますって!)(爆)こんな生活にどっぷりつかっていると、自分が何をやりたいのか、わからなくなります。気づかぬうちに、誰かの指示を待っている、いえ、指示されないと動けない状態になっていきます。これは、とてもこわいことです。だから、まず、立ち止まる必要があるのです。そして、考えるのです。「これは、本当に、自分のやりたいことだろうか」「よし、やりたいことだ!」と思えたら、喜んで、それを選択しましょう。もしも、やりたくないと思ったら、思い切って、「やらない」ことを選択するのです。もちろん、リスクはあります。でも、選択することで、同時に、リスクを選択できる自分を、見出すことができます。思考停止でもない、指示待ちでもない、自分で考え、自分で選び、行動できる自分をです。この自覚は、自分自身におおきなエネルギーを与えてくれます。たとえ、リスクがあろうと、それを乗り越えることによって、さらに、パワーアップした自分を獲得できます。パワーアップすると、さまざまなことを受け取る力(器)が大きくなります。いままで、なかなかでぎなかったことが、前よりも、楽にできるようになります。そうすると、不思議なもので、「やりたくない」ことが減っていきます。細かいことなんか気にしないで、「OK」って言えるこころが育ってくるんですね。「やりたくないことをやらない」というのは、自分が自分であるための、大切な出発点です。この話題は、奥が深いので、明日も、もう少し、話を発展させたいと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第282号(2004年8月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------閉じこめてはいけない。 このメッセージは、たぶん、今のあなたの心には届かないだろう。だからここに書く。いつか、あなたがこれを受け取ることができるようにと願いながら。 自分の心を閉じこめてはいけない。こぶしをひそかに握りしめ、黙ってがまんすることが、強さであるなどと、思い違いをしてはいけない。本当の強さとは、弱いと感じるままの自分をも、そのままにさらけだして立つことだ。 あなたの想いは、もうのどもとまであふれているのに、息を止め、飲みこんでしまってはいけない。それは、心とからだの自然に反することだ。あなたの心とからだが悲鳴をあげているのを、感じないふりをしてはいけない。 もう充分に耐えてきたのだ。抑えるだけ抑えてきたのだ。これ以上、知らないふりをしていてはいけない。吐き出しなさい。そのように感じる心があることを、受け入れなさい。それは、あなたの弱さではないのだから。 自分の怒りを認めなさい。認めて、吐き出してしまいなさい。あなたには怒る権利がある。あなたには泣く権利がある。あなたには訴える権利がある。あなたには、正当に受け入れられる権利がある。 そのためにこそ、手放しなさい。あなたの心のなかに抱えているものを。あなたの心に新しい風を入れるために、あなたの心にあたたかい日ざしを注ぐために、今、あなたが心にいっぱいに抱えているものを、手放しなさい。 あなたが、あなたの怒りを苦しみを痛みを、ひとりで抱えている限り、誰もあなたとそれをわかちあうことはできない。あなたは、今、世界が、自分に背を向けていると思っているに違いないのだけれど、本当はそうではないとも言えるのだ。 あなたが今、それらを感じるもとになっていることさえも、実は、深いところであなたとつながっているのだ。私たちは、誰も孤立することはできない。この世界では、私たちはつながりのなかにいる。互いに異なって見えるのは、それを映す鏡が異なっているだけなのだ。 あなたは、「自分のなかにもう一人の自分がいる」と言った。ならば、そのもう一人の自分の声に耳を傾けてごらんなさい。それはあなたのもう一つの鏡だから。こたえは、外がわではなく、間違いなく、あなたのなかにあるのだから。 だからこそ、抑えるのではなく、手放しなさい。あなたがまっすぐに向き合ったとき、世界は、新しい光をあなたに注ぐだろう。過去の価値観を手放しなさい。それはあなたを幸福にしない。あなたが今見ているものは、過去の呪縛なのだ。光を受け入れれば、それが見えるはずなのだ。 あなたに対して、私は何もできない。世界に対して、私は何もできない。だから、ただ祈ります。あなたの内なる強さとつながりながら。この祈りが、自己満足のものではないことを願いながら。 --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第281号(2004年8月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------「ゆずり愛」(かめわざ辞典より)ある日、ふっと、このことばが浮かんできました。「ゆずり愛」単に、「ゆずりあい」の「あい」が漢字になっただけなのですが、「譲る」意味が、ぱっと見えた気がしました。ところが、そのあと、たまたま語源を見てみたら、おもしろいことを発見しました。(角川書店『新字源』)「譲る」という字は、もとは、「問い責める」という意味だったのです。「問い責める」が転じて、「譲る」になったというのですが…。ここから先は、私の勝手な空想です。問い責める、とは、ちょっとおだやかならぬ状態です。何らかの理由で、相手に問いをつきつけているのです。問いをつきつけるということは、当たり前ですが、こたえをもとめていることです。それほどの激しさで、こたえをもとめるためには、相手と、真正面から向き合わねばなりません。相手の目をしっかりと見て、物申さねばなりません。(けっして、電話や、携帯メールではだめなのです)(笑)そして、あなたの、その本気を受け止めて、相手もまた、しっかりと、あなたの目を見返し、いいわけではなく、真摯なこたえを返したとき…。「責める」気持ちは抜け落ちて、「問い」だけが残ります。そのとき、おそらく、あなたは、相手のこたえに素直に耳を傾けるでしょう。こたえは、必ずしも、あなたの納得のいくものではないかもしれません。でも、相手の誠意を受け止めて、あなたのこころは、やわらいでいます。 そうか、望みどおりのこたえではないけれど、 この部分については、私は訴えを取り下げよう。そんな思いが沸き起こります。それにこたえて、相手も言います。 あなたの問いをとおして、 これまで気づかずにいたことが、見えてきた。 私もまた、この部分については、 あなたの望みどおりにすることにしよう。問い責める気持ちが、こんなふうに変化して、「ゆずる」の意味が定まったのではないかと。何の根拠もないけれど、思ってみたわけなのでした。「ゆずり」「ゆずられる」関係が成り立ったとき、そこには、「相通ずる」思いが生まれます。相手への信頼という、深い、こころの結びつきです。「ゆずりあい」は、「ゆずり愛」。けっして、駆け引きではないのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第280号(2004年8月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「他者という鏡」の使いかた。私たちは、つねに、自分のがわから、ものごとを考えます。言い換えれば、自分の価値観や思考回路でものごとを考え、判断します。これは、当たり前のことだし、そして、大切なことでもあります。自分というものが、はっきりしていなければ、私たちは、不安定な存在になってしまいますから。でも、ここにはひとつの落とし穴があって、「自分の価値観(だけ)が、正しい」という錯覚にも、陥ってしまいやすいのです。そのために起こる、対立やあらそいの数は、枚挙のいとまがないほどです。私は、それを、「パワーゲーム」と呼んでいます。「パワーゲーム」仁は、やすらぎがありません。つねに、「どちらが正しいか」「勝つか負けるか」という恐怖におびやかされつづけるからです。まずは、ことなる見かたがあるということを、ただそれだけを、認めてみませんか。ピカソが実際に描いてみせたように、箱ひとつとってみても、見えるかたちは、実にさまざまです。上から見た見かた、下から見た見かた、横から見た見かた、斜めから見た見かた、さらには、内がわから見た見かた、箱ひとつとってさえ、これだけことなるのです。複雑な「こころ」であれば、なおさらなのです。どちらが正しいかを決めることに、こころを傾けるのではなく、「他者という鏡」を、そのまま見てみませんか。あなたがいま、箱の正面から見ているとしたら、あのひとは、横からの箱の姿を見せてくれているのです。また、別のあのひとは、斜めからの箱の姿を見せていてくれるのです。それを、「他者という鏡」と呼ぶのです。「他者という鏡」は、それを拒否しているあいだは、自分をおびやかすものでしかありません。でも、「ああ、そういう見かたがあるのか」と、受け止めることができれば、そのまま、自分の価値観や思考の幅を広げる力になります。念のため、「受け止める」というのは、必ずしも、「同意する」ということではありません。「ああ、そういう角度からの見かたもあるのだ」という、認識の問題なのです。そのとき、あなたは、自然に、「パワーゲーム」のわなから抜けているでしょう。そのとき、こころには、やすらぎがおとずれます。そして、「他者という鏡」の多様な視点を使って、いままでよりも、さらに広い角度から、ものごとを見ている自分に気づくでしょう。もちろん、このことだけで、すべての問題が、一気に解決するわけではありません。けれども、まずは、そこからのスタートなのです。「他者という鏡」を、あなた自身の実りのために、ぜひ、有意義に活用してください。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第279号(2004年8月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「自分流」を育てましょう。演劇的な手法を用いたワークをやるようになって、もう、10年くらいになります。しばしば聞かれることが、「劇団に所属されているのですか?」「どなたに師事していらっしゃるのですか?」こたえは、「いいえ」です。劇団に所属したことはないし、特定の先生に師事してもいません。もちろん、何年か継続して学んでいるものもありますが、基本的には、いつもひとりでやってきたのです。実は、そのことが、長いこと、私にとってのコンプレックスでした。演劇(教育)の講師をつとめるひとは、「○○大学に留学、○年間、研修をして…」など、立派な肩書きをもっているひとが多いのです。だから、最初のころは、「講師」と言われると、どこか落ち着かないような、引け目を感じたものです。私が学んできたのは、ありとあらゆる、機会からでした。興味のあるワークショップやセミナーは、食費を削ってでも、受講しました。本もずいぶん買って読みました。いろいろなひとから、話も聴かせてもらいました。学ぶことが、楽しくてしかたがなかったのです。そして、それを仲間うちでシェアしていくうちに、「かめさん、講師をやってよ」と言われるようになり、今日にいたっているだけなのです。「私よりもっと優れた能力をもっているひとは、 いくらでもいる…」その気持ちは、正直、いまでももっています。でも、10年やってきて気づいたことがあります。私は、私なりに「自分流」を育ててきたのだな、と。もしも、仮に、誰かとまったく同じメニューのワークをやるとしても、その内容は、決して、まったく同じものにはならないのです。なぜなら、「そのひとはそのひと」「私は私」だから。当たり前すぎることですが、実際、そうなのです。私には私の学びのプロセスがあり、だからこそ、伝えられるものがある。ほかのひと(たち)の価値と、私の価値は、比べられない…、もとい、比べる必要がないのです。そう思えるようになってから、私のワークは、以前よりずっと、伸び伸びしたものになりました。いまでは、以前にはできなかった、さまざまなこころみを、ワークのなかでしています。「全部正解! 全部OK!」は、まさに、私自身の体験のなかから生み出されてきたのです。「自分流」を育てましょう。「自分流」であることが、そのまま、あなたの輝きです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第278号(2004年8月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------すべてのひとの「卒業」を祈って…。ある日、メルマガの読者のかたから、「卒業します」というメールをいただきました。半年くらいずっと、読んでいただき、当初かかえておられた悩みを克服されたので、いったん購読を解除されるというのです。実は、このメールをいただいたとき、一瞬、「えー、やめちゃうの?」って思ったんですね。(^^ゞメルマガ発行者としては、正直な気持ち、読者が減るのは寂しいことですから。でも、そのとき、ふっと、「あれっ」と思ったんです。私が本当に望んでいることは何なんだろうって。世のなかには、こころに関わる仕事や活動がたくさんあります。カウンセリング、コーチング、セラピー、ヒーリング、内観などなど。それらは、とても大切な仕事であり、いまの時代に、必要とされているものだと思います。私の「フォーカスチェンジ」も、ささやかながら、そうした分野にかかわるものだと思っています。でも、見かたを変えれば、それを必要とするひとたちがいるということは、こころのどこかが、満たされていないひとたちがいる、ということです。本来なら、みんなが満たされて、そういうものを必要としなくなることが、理想のはずなんです。そう、私の望みは、すべてのひとが、そのひとらしく、生き生きと生きてくれること。だから、極端なことを言うと、みんながフォーカスチェンジの達人になって、私のメルマガが必要とされなくなること。これが、望みであり、理想であるわけなんです。なのに、どこかで、それを忘れていたんですね。いつまでも、私が発信つづけなくちゃ、みたいな、傲慢な思い上がりが生まれていたんですね。「卒業します」という読者のかたからのメールが、私に、気づきを与えてくれたのです。もう一度、原点に帰ろうと、素直に思えました。そして、そのかたには、感謝の気持ちをこめて、「卒業おめでとうございます」とグリーティングカードを贈らせていただきました。あらためて、すべてのひとの「卒業」を祈ります。すべてのひとが、そのひとらしく生き生きと、生きていける世界を願いながら…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第277号(2004年8月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------すべては、地球からの借り物なのです。ちいさな子どもが、おもちゃをかかえて、声の限りに泣いています。お友だちに貸すのはいやだと言うのです。…こんな光景、目にしたことがありますね?これは、子どもにとって、大切な体験なのです。子どもは、この体験をとおして、「所有」という概念を学ぶのですから。おとなから見て、一見「わがまま」に見えることも、子どもの学びのためには、必要なプロセスなのです。ところが、すでに学び終えたものに、いつまでも、しがみついているおとながいます。まるで、いったん手放したら、もう二度と、手に入れることはできないかのように。それは、お金であったり、地位であったり、石油であったり、土地であったりと、さまざまなのですが…。「所有」という概念を学ぶことと、「所有」そのものは、まったくちがうものです。「所有」することは、かまわないけれど、「所有」に執着すると、ゆがみが生じます。思い出してください。誰か、生まれながらに、服を着、くつを履いていたひとはいましたか?誰か、土地の権利書を握りしめて、おぎゃあと、産声をあげたひとがいましたか?何ももたずに、はだかのまま生まれてきたのです。その瞬間には、「所有」という概念さえ、もちあわせていなかったのです。人類200万年の歴史のあいだ、ただの一度たりとも、私たちが、最初から所有していたものはなかったのです。そう、私たちが所有しているものは、すべては地球からの借り物なのです。その証拠に、人生の最期には、最初と同じ、はだかんぽうになって還っていくではありませんか。どうして、そのことを忘れてしまうのでしょう。そんな当たり前で、単純なことを。子どものころ、「所有」の概念を学んだ私たちは、もしかしたら、おとなになってから、もう一度、学び直す必要があったのかもしれません。借りたものの、正しい扱いかたのことを。「所有」をめぐって、おおくのいのちが、ときには傷つき、ときにはうしなわれる、この世界にあって。いまからでも、遅くはないから!最近、そう思えてしかたがないのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第276号(2004年8月2日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------まず、よかったところに目を向ける。絹川友梨さんのワークショップを、受講したときのことです。 絹川さんこと、ゆりさんは、私にとって 「インプロ」(即興演劇)の先生です。 ※ゆりさんのサイト「インプロ・ワークス」 http://www.improworks.net/このとき、参加したのは、「ソロ・インプロ」。そう、文字通り「一人即興」なのです。ワークの参加者が、一人ずつ前に出て、5分間、とにかく「何か」を演じるのです。それはもう、強烈な印象を残す時間になりました。ただ、いま、この瞬間を生きるということが、まさにこのことなのだと、感じる時間でしたから。でも、今日書きたいのは、そのことそのものではなく…。(^^ゞワークショップでは、発表が終わるごとに、演じた本人と、見ていた他の参加者が感想を言いあいます。そのとき、あるひとが、自分の感想を、「ここが、うまくいかなかった。 ここが自分としては納得いかなかった」と話し出したのです。すると、ゆりさんが、途中で言いました。「よかったと思ったところを言ってみて」でも、そのひとは、ふたたび、言い始めました。「こうしようと思ったが、できなくて…」もう一回、ゆりさんが聞きました。「いいと思ったところは?」そのひとは、ようやく、ゆりさんの言葉に、気づいたようです。ふっと、ことばを止めて考えました。「いいと思ったところは…」ちゃんとあるのでした!!(^○^)その瞬間、まわりの空気が、ほあっとなごみました。みんなの口から、次々と、そのひとのよかったところを語ることばが、あふれ出ました。何かを学んでいるとき、私たちは、ついつい、うまくいかなかったことに目を向けがちです。確かにそれも大切なことなのですが、結果、学ぶことが苦痛になってしまったり、苦手意識を強めてしまうこともありえます。ゆりさんのメッセージは、一貫していました。「楽しもうよ!」なのです。そのためのキーワードが、「いいと思ったところは?」なのでしょう。私流の言葉で言えば、「自分にOKをあげる」なのかもしれません。まず、よかったところに目を向ける。マイナス方向に目が行きがちなひとや、自分にたいして厳しくなりがちなひとは、なおさら、大切にしたい感覚ですね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第275号(2004年8月1日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------あいにいきましょう。これ、ある日、友人から受け取ったメールの件名です。「あいにいきましょう」会いに行く? 誰に? いつ? どこへ?思わず、そんなことを考えてしまいました。でも、正解は…、「愛に生きましょう」なぜそんなメールのやりとりになったかはナイショにして。(爆)←念のため、友人は女性。(^^ゞああ、本当にそうだなあと、胸に落ちました。そのころ、ちょっと、いらいらしている自分がいたのです。おおきな状況のなかでの、無力な自分へのいらだら。そこかしこに渦巻く、マイナスエネルギーを感じて、必要以上に、ピリピリしてしまったり…。自分は自分。ひとはひと。わかっていたはずなのに、どこかで影響されてしまっていたんですね。「かめさんは、愛に集中してくださいよ」友人のメッセージで、目が覚めた気分です。愛に生きましょう。どうやって? どんな方法で?細かいことは、とりあえず置いといて。(笑)愛に生きましょう。ただ、そう決めればいいだけなのです。決めれば、そこから何かが始まります。始まる何かに、自分をゆだねてみましょう。考えてみれば、「愛」ということばを、意識的に使える生きものは、人間だけですものね。だとしたら、私たちは、もっともっと、この言葉と、深く向き合う必要があるのです。だって、人間の特権なのですから!愛に生きましょう。そう思った、いま、この瞬間にも、胸のなかが、あたたかく、満たされてくるのを感じます。たとえ、愛が何であるかわからなくとも、このあたたかさは、間違いなくホンモノです。愛に生きましょう。どれほど、それをつらぬくために、困難な状況が用意されていたとしても。私たちは、選ぶことができるのです。愛も、憎しみも、喜びも、悲しみも。愛に生きましょう。今日も一日、胸のなかで、このことばを繰り返し、つぶやいていることにします。それが、あなたの、内なる愛につながり、さらなる連鎖が、いつか、遠い未来に、この世界を包みこむことを祈りながら。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第274号(2004年7月31日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------「迷惑」な生きかた。「ひとに迷惑をかけてはいけない」こんな言葉をよく聞くと思います。実際、使っているかたも、多いでしょう。私の知っているひとで、とても「迷惑」なひとがいました。そのひとは、自分の一念をとおすために、父親とさんざん対立しました。東京に飛び出したものの、病に倒れ、結局は、親がひきとりにきたのです。家の手伝い(質屋でした)をさせれば、もとの価値より高いお金で貸してしまう。まともな計算もできない、迷惑ものです。学校の先生をしていた時期もありましたが、教科書どおりにすすめることができません。鉱物の勉強をしているときに、いきなり宇宙の話から始めたりするので、これが進学校だったら、即日クビです。教員をやめたあとは、農業に従事しましたが、おせっかいなことに、頼まれもしないのに、ほかの農家の農業相談などやっていたのです。おかげで、いいように利用されたこともあったようです。いつでも、何をやりだすかわからない、親にとっても、まわりにとっても、本当に、「迷惑」なひとでした。そのひとは、ずいぶん前に亡くなりましたが、こんな言葉を遺しています。「世界全体が幸福にならないうちは、 個人の幸福はあり得ない」なんて、ばかげた言葉でしょうか。世間知らずもいいとこです。世界はこれほど対立しているのに、世界全体が幸福になるのを待っていたら、人間、一生、幸福になんかなれるわけがありません。こんな、非現実的で、無意味な言葉を、周囲に、ふれてまわっていたというのですから、こんな「迷惑」なひとは、いないでしょう。…。そして、私は思うのです。「ひとに迷惑をかけない生きかたというのは、 ひとと、関わらない生きかたのことだろうな」深く、ひとと関わろうと思ったら、どうしたって、迷惑は起きてくるのです。一人ひとり、生きかたはちがうのですから。「迷惑」をかけることを怖れてちぢこまるより、「迷惑」をかけあいながら、互いの「迷惑」を、ゆるしあって生きるほうが、うんと楽になれるのではないかと。「迷惑」をゆるしあえるようになると、腹の立つことも、傷つけあうことも、ずいぶん減ってくるのではないかと。そうしたら、かけていい「迷惑」のバランスも、ゆずりあうべきラインも、おのずから、見えてくるのではないかと。もしかしたら、そのとき、世界全体が幸福になれるのではないかと。あらためて、いまは天のうえの、そのひとに、聞いてみたい気がするのです。ね、宮沢賢治さん…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第273号(2004年7月30日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------「理想の人物」を、INGで生きましょう。あなたにとって、理想の人物は誰ですか?「理想の人物」とは、あなたが(将来)かくありたいと思える、そんなひとのことです。ただのあこがれではなく、自分もそんなふうに考え、行動してみたいと思えるひとのことです。「このひと」と、はっきり思えるようなら、今度は、実際に、イメージのなかで、そのひとのことを、もっと具体的に思い出しましょう。どんな表情をしていますか。どんなまなざしをしていますか。どんなふうに笑いますか?どんなふうに歩きますか?どんな声で話しますか?どんどん、具体的に思い出していきましょう。今度は、あなたのイメージするそのままに、 あなた自身が、立ってみてください。そう、あなたが、あなたの「理想の人物」になったつもりで。そして、その「理想の人物」の目から見るように、まわりを見渡してみてください。その「理想の人物」が聞くように、まわりの音・声に、耳を傾けてみてください。歩いてみてください。笑ってみてください。話をしてみてください。(実際にではなく、 イメージのなかだけでもOKです)どうですか? 何を感じますか?なんとなく、世界が広がった気がしませんか?もしも、あなたの「理想の人物」が、とてもスピーチのうまいひとだったら、あなたは、雄弁に説得力をもって話ができる、そんな気持ちを味わうはずです。あるいは、行動的なタイプのひとであれば、あなたは、どこにでも機敏に動ける、からだの軽さを感じているはずです。「理想の人物」イコールとまではいかなくても、少なくとも、いままでの自分にはなかった、あたらしいエネルギーを感じとることでしょう。いま、あなたが感じているそのイメージは、実は、もともとあなたのなかにあるものです。私たちは、自分の内がわにないものは、想像することができないからです。つまり、あなたは、「理想の人物」をとおして、無意識のうちに、自分の可能性を見ていたのです。「理想の人物」とは、いまはまだ達成していない、未来のあなた自身の姿なのです。どうか、それを、届かない先の話としてではなく、いま、すでに始まっていると思ってみてください。あなたは、あなたの「理想の人物」になるプロセスを、まさに体験している途上なのです。これは、けっして、気休めではありませんよ。現在と未来は、つながっているのですから!あなたのその状態を、仮に、「理想の人物ING」と呼んでみましょう。(アイエヌジー、現在進行形です)「理想の人物」そのままではないけれど、すでに、その一部を獲得している状態なのです。さて、では、その「理想の人物ING」のあなたのまま、この世界を見てください。あなたは、この世界に対して、どんな働きかけができますか?あなたが果たすべき役割は何ですか?「何もできない」なんてことはありませんよ。だってあなたはすでに、「理想の人物」の一部なのですから!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第272号(2004年7月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------安心感を育ててあげてください。よその家の前を通りかかって、犬に、吠えられたことはありませんか?のら猫をなでようとして、引っかかれたことはありませんか?そのとき、あなたは何か悪いことをしたのでしょうか?いいえ、たまたま、その犬が、臆病だったりとか、のら猫の警戒心が強かったから、ですね。そんなとき、あせらずに、ゆっくりと関わっていくと、吠えたり、引っかいたりしなくなります。そう、あなたが、自分にとって、安心な相手であることがわかるから。人間関係でも、同じことが言えます。もし、誰かがあなたにたいして、攻撃的な態度をとったとしたら?その相手は、本当はあなたを攻撃したいのではなく、何か怖れているものがあって、その代償として、あなたを攻撃しているのかも。ふっと、あるひとのことを思い出しました。いつも、厳しい表情をしているひとでした。ことばの使いかたに、しばしば、配慮を欠くようなこともあるひとでした。そのひとが、あるとき、仕事上で失敗をして、周囲から、孤立する状況になりました。そんなとき、職場のなかで、そのひとを、あたたかく見守るひとがいたのです。過去に、そのひとから、きついことばを、投げかけられたこともあるひとです。でも、そんなことにはひとこともふれず、そのひとを、慰め、励ましたのです。自分を認め、受け入れてくれるひとがいる。孤立していたときだけに、そのひとにとって、それは、おおきな安らぎになりました。少しずつですが、そのひとのことばづかいがおだやかな物言いに、変わりだしました。そして、いつのまにか、見違えるように、優しい表情を見せるようになったのです。もしも、あなたにたいして、攻撃的な態度をとるひとがいたとしたら、どうぞ、額面どおりにとらないでくださいね。そのひとは、何らかの理由で、こころが、とても痛んでいるのです。攻撃的な態度でしか、自分を表現することができなくなっているだけなのです。あくまでも、おだやかに、静かに、そのひとに、接してみてください。あなたから、そのひとに、「安心」を手渡してあげるのです。時間はかかるかもしれませんが、必ず、成果は見えてきます。そのひとの、態度の変化というかたちで。安心感をもとめる気持ちは、犬も猫も人間も、みんないっしょなんです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第271号(2004年7月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------一度も罪を犯したことのないものだけが…有名な、「マグダラのマリア」。聖書の一節です。私自身は、クリスチャンではありませんし、もともとが、無宗教人間です。 私にとって、宗教は、 哲学の一分野という認識です。でも、この「マグダラのマリア」の話は、好きです。いつも泣けてしまいます。万が一、ご存知ないかたのために、簡単に解説すると-- ある女が、娼婦の罪により、民衆による石投げの刑で、 殺されようとしていた。 そのとき、そこを通りかかったイエスが、 「このなかで、一度も罪を犯したことのないものだけが、 彼女に石を投げてもいい」 と言うと、誰ひとり、石を投げるものはいなくなった。当たり前ですが、生まれてから一度も、罪を犯したことのない人間など、ひとりも存在しないでしょう。実際に法律をおかさなくても、罪は、さまざまなかたちで存在するからです。(何よりも、そのひと自身のこころのなかに)これは、罪を見て、見ぬふりをする、ということでは、もちろんありません。ただ、私たちは、いつでも他者の胸のなかの痛みを共有できる存在だということなのです。なぜならば、かたちはちがっても、同じ痛みが、その胸のなかにあるのですから。もしも、誰かを非難したくなったとき、ふっと、立ち止まって考えてほしいのです。自分自身はどうであるのかと。自分の内に、罪はないのかと。そして、自分ならば、どのような働きかけをもらったら、その罪を悔い、あらためることができるかと。この聖書の掌話は、そういうふうに解釈することもできると思うのです。日常のなかの、ささいな対立においても、どんな働きかけ、どんな受け止めかたをすれば、もっと、よい関係が築いていけるのかと。私たちは、誰かを傷つけるために生まれたわけではありません。私たちは、互いの胸の内にある罪をとおして、互いを慈しみあえる存在なのですから。誰かを非難する前に、(石打つ前に)もう一度、立ち止まって考えてみましょう。マグダラのマリアが改心したのは、何によってであったのかと。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第270号(2004年7月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------地球の中心とつながる感覚。昨日の「おすすめ」コーナーにも書きましたが、私はいま、野口体操教室に通っています。http://aea.to/noguchitaisou/「体操」というと、ほとんどの場合、筋肉をきたえるものですが、野口体操はちがいます。かぎりなく、余分な力を抜いていくのです。私たちは、気づかないうちに、からだに、たくさんの余分な力を入れてしまっています。そのために、肩こりや腰痛を引き起こしたりして、さまざまな意味で柔軟性をうしなっています。それは、言い換えると、「自然に反した」状態の「からだ」になっていると、いうこともできそうです。野口体操で、ゆったりと、力を抜いて、自分のからだの重さにまかせていくと、重さは、どんどん下がっていきます。どこまで行くかというと、「地球の中心」です。「はあっ?」って思われるかもしれませんが、これは、単なる物理法則、重力の法則なのです。そう、重力なしには、私たちは、一瞬だって、この地球上にとどまっていることはできないのです。ただ、私たちは、ふだん頭でっかちになって、自分の力で、立っている気分になっているんですね。足の裏から、重さを、どんどん、地球の中心に向かって流しこんでいきます。(創始者の野口三千三さんは、そのことを 「おうちに帰る」と言ったそうです)もちろん、物体としての肉体が、地球の中心に向かって、ずぶずぶ、めりこんでいくわけではありません。(そうなったら、オカルトですね)(爆)でも、イメージのなかで、しっかりと、地球と自分がつながる感覚を覚えると、限りない安らぎが、全身を満たすのです。一切の作為も抵抗もやめて、ただ、ただ、重さにまかせて、地球を感じるだけ。そのときの感覚は、「優しさ」の一語に尽きます。何の見返りももとめずに、私たちを、ここに生かしてくれている「地球」への感謝…。地球感覚とも、宇宙感覚とも言えそうな気がします。私たちは、日ごろ、いかに、自然にたいしても、自分のからだにたいしても、無理を強いていることか。そのために、さまざまなゆがみがあらわれ、結果的に、私たち自身を苦しめている…。そんなとき、こんなふうに、もう一度、地球の中心とつながってみてはどうかと思うのです。力を抜いて、呼吸を深くして、ただ、無心に問うてみるのです。「私は、どう生きたいのか」重さをとおして、「地球」からのこたえが、返ってくるかもしれませんよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第269号(2004年7月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------ただそれだけの、単純な思い。「宇宙と生物の歴史」を、1年に換算してみたら、どうなるでしょうか?この数字は、友人のサイトで知ったのですが、もっとも、それ以前にも聴いたことがあるので、ずいぶん前から、流布しているものなのかもしれません。途中を割愛しながら、紹介してみます。 1月 1日(150億年前)を「ビッグバン」とし、 9月10日(46億年前)に、地球が誕生。 9月25日(40億年前)に、海と陸とに分かれ(生命のスタート)、12月23日(2億5千年前)の恐竜の時代を経て、12月31日23時(200万年前)、ヒトの時代へ。そして、産業革命は、なんと、12月31日23時59分58秒。現在は、同日23時59分59秒をカウントしていることになるわけです。さて、あなたは、この数字を見たときに、何を感じられますか?そんな数字、何の意味があるの?と思うひともいるでしょう。人間って、ちっぽけだなあと思うひともいるかもしれません。 私が感じたのは、とても単純なのですが、「生命の歴史のなかでは、人間が生きている時間よりも、 生きていない時間のほうが、ずっと長いんだなあ」ということでした。でも、そのことは、私に、おおきな気づきをもたらしてくれました。これまた単純なことなのですが、「その、わずかしかない、生きている時間を 自分はどのように生きたいのか」ということなのでした。また、生きていくうえでつきまとう、ざまざまな「マイナスに思える感情」も、この気づきに照らしてみると、あっという間に、消えてしまうこともわかりました。だって、ほんの、1秒もないのですよ。(笑)泣いても笑っても、怒っても喜んでも、1秒足らず。いえ、現実にはもっとあるわけですけど、感覚的に、ずっと短く感じられるようになったのです。そして、やっぱり、単純なことなのですが、どうせなら、喜びや楽しさで満たされた人生を生きたいなと、こころから思ったのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第268号(2004年7月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------ちがうのは、ちがいを知るためなのかも。この世のなかには、誰ひとり、まったく同じ、という人間は存在しません。瓜二つといわれる双子でさえ、成長するにしたがって、何かしらちがってきます。成長しても瓜二つという双子でさえ、よくよく調べれば、ほくろの位置など、絶対にちがっているところが見つかります。そんなふうですから、他人であれば、なおさら、ちがっているのは、当たり前のことです。このことは、これまでも繰り返し書いてきました。今日はその先について、考えてみたいと思います。というより、私の勝手なイメージを書きます。なぜ、私たちは、そのように、一人ひとり、ちがって生まれるのでしょうか?逆に、もしも、私たちが、まったく同じだったら?…ふと、そんなことを考えてみました。右を見ても、左を見ても、どこを見ても、いるのは、自分と同じ顔をして、同じ性格をして、同じ行動をとる人間。そう、まさに、クローン人間そのもの。考えただけで、ぞっとしますね。そして、もしも、本当にそんな世界があるとしたら、「自分」って、どこに存在しているのでしょう?一人いれば充分です。60億人も存在する必要はありません。だって、やることなすこと考えること、みんな同じなんですものね。そう考えたとき、思い至ったのです。もしかしたら、私たちが、それぞれにちがっているのは、その、「ちがっている」ことを知るためなのでは? と。その「ちがい」を手がかりにして、「自分」というものを知るためなのでは?…と。だとしたら、私たちは、ちがっていていいのです。ちがっていることにこそ、価値があるのです。ことなる容姿をもつひとがいるからこそ、私たちは、自分の魅力のありかを探せるのです。ことなる才能をもつひとがいるからこそ、私たちは、自分の才能とは何かを考えられるのです。ことなる考えのひとがいるからこそ、私たちは、自分の考えを、検証することができるのです。だから、私たちは、ちがっている相手を拒絶する必要はないのです。相手がちがっていてくれるからこそ、この、いまの自分があるのですから!ちがいをゆるし、認め、祝福しましょう。それこそが、私たちがいま、ここに存在する理由なのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第267号(2004年7月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------ひとの数だけ正しさがある。「正しい」ということばほど、むずかしいものはないなあと思います。なぜなら、その時代、その国などなど、立場や環境が変わると、基準というものが変わってしまうからです。にもかかわらず、「絶対的なものである」と信じられているのも、「正しさ」の不思議です。こんな話を聞いたことがありませんか?幸福なカップルが生まれて、晴れて結婚式を挙げることになった。ところが、結婚式を進めるにあたって、双方の家が、自分たち流のやりかたを主張して譲らず、二人の関係まで、ぎくしゃくしてしまった…。大切なことは、2人の門出を祝うことだったはず。でも、双方が、「正しさ」にこだわったため、一番大切なことがなおざりにされてしまったのです。第三者的に見ると、「ばかだなあ」と思いますが、こんな過ちを、私たちはしょっちゅう犯しているのではありませんか?あなたには、あなたの正しさがあっていいのです。あなたは、あなたの正しさを貫いてください。でも、あのひとにも、あのひとの正しさがあるのです。あのひとは、あのひとの正しさを貫いているのです。そういう意味では、どちらも正しいのです。「どちらか」が、正しいのではないのです。あなたから見たら、どんなに理不尽に思えることでも、相手には、相手なりの論理があるのです。たとえ、60億人のひとが「イエス」といっても、そのひとが「ノー」といえば、そのひとにとっては、それは、間違いなく「ノー」なのです。ひとの数だけ正しさがある。このことが本当にわかったら、私たちは、「どちら(こっち・あっち)が正しい」と、争う必要がなくなります。どちらも正しいのですから、そこを争うことには、意味がないからです。そして、実は、そこからが、本当に必要な対話のはじまりなのです。あなたも正しい、私も正しい。そのうえで、このトラブルをどう解決していくか。その視点に立って、対話をすすめていくのです。もちろん、そうそう、簡単にはいかないでしょう。それでも、少なくとも、「自分こそ正しい」という態度で臨むよりは、はるかに、あらたな展開の可能性がありそうです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第266号(2004年7月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2008.03.01
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