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十七清浄句妙適 淸淨句是菩薩位(清浄なる菩薩の境地である)慾箭 淸淨句是菩薩位觸 淸淨句是菩薩位縛 淸淨句是菩薩位一切自在主 淸淨句是菩薩位見 淸淨句是菩薩位適悦 淸淨句是菩薩位愛 淸淨句是菩薩位慢 淸淨句是菩薩位莊嚴 淸淨句是菩薩位意滋澤 淸淨句是菩薩位光明 淸淨句是菩薩位身樂 淸淨句是菩薩位色 淸淨句是菩薩位聲 淸淨句是菩薩位香 淸淨句是菩薩位味 淸淨句是菩薩位
2023.06.30
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煩悩が身を焼くという表現があります。
2023.06.30
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クンダリニー覚醒
2023.06.28
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釈迦牟尼はこのように言われたこの王子は世にありては、すべてを征服する英雄である転輪王となるであろうまた世を捨てて出家すれば、人々を救う仏陀となるであろう
2023.06.27
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真言宗の瞑想として阿字観というものがあります。偶然縁がありこれを体験してみました阿字観では世界と自分は一つであると説かれています。(これについては、はじめから実はそうなっていると知ることではないかと)(これは観ているものはどこにあるかになります)もし、その人がこの観想に熟達したならば、この「阿字」が心中より光を放って、あまねく三世十方法界の諸仏の浄土に届く。(これはこの光ではないかと思われます。目を閉じている時の光がありますが、目を開けたときその光が阿字の中心で輝きます。円形で数秒で消えていきますが、外部にこの光が引き出せることがわかりました。また行が終わったときまた阿字を観ましたが、おこりません。相当な集中が必要ですが、目を閉じて開く、阿字のうえで発光します。)(その光は全身に広がります。またこの行のあと目を閉じたこの光が容易に上方に安定的に形成されるようになります。)その際に、この光は瑜伽行者の頭頂から足先まで体中を巡ることになる。つまりは、この「阿字」を明らかに観想できれば、六根の諸々の罪業と障害が全て清められて清浄となる。また、六根が清浄になり無垢であれば、心の本質(心性)も無垢清浄となり、例えば、透明な水晶や清らかな満月のようなものとなる。とあります。(阿字観はローソクの明かりの場所で行われるとのことですが、室内での行だったので相当明るいとは言えます。これで出現しましたからもしこのくらい暗いと、もっと発光するだろうと思われます。)
2023.06.18
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常行三昧天台宗の祖である天台てんだい大師智顗(ちぎ)の摩訶止観(まかしかん)に説かれる四種三昧のうちの一である常行三昧である。般舟三昧経の説によって九十日を一期として堂内に安置された阿弥陀仏像のまわりを常に歩行し、その仏名を唱え心に仏を念ずる般舟三昧の行法である。この念仏三昧の行法が完成すれば十方の諸仏をまのあたりに見る(諸仏現前)ことができるという。シナ浄土教の嚆矢である廬山の慧遠は、念仏結社白蓮社を結び、般舟三昧による空観の完成を目指した。浄土経典による浄土への往生と違い、現世での般舟三昧の行に依って精神を集中し見仏を目指すのが廬山流念仏であった。いわゆる口称の念仏(なんまんだぶ)ではなく、禅定三昧三昧の語義であるサマーディ(samādhi)に入る念仏三昧の修行であった。親鸞聖人が比叡山の常行三昧堂で修行されたのも、諸仏現前三昧・仏立三昧を期する般舟三昧の行であった。仏を目の当たりに拝見することは、成仏を授記されることでもあった。その、比叡山時代は、その著『嘆徳文』で「定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ」といわれている。自らの心を静かな水面のように穏やかにしようとつとめても煩悩の衝動の波がしきりに動いて心が安らかではなく、さとりの月が心に至っているということを観じても、迷いの暗雲がさとりの月を距ててしまうのである、というのである。
2023.06.16
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『般舟三昧経』(はんじゅざんまいきょう)は、大乗仏教の経典。サンスクリット原典は散逸し、 チベット語訳と数種の漢訳経典が現存する。紀元前後に成立した最初期の大乗仏典のひとつであ り、浄土経典の先駆と考えられる。精神統一によって仏の姿を現前に見ることを説く。 般舟三昧とは、心を集中することによって諸仏を眼前に見ることが出来る境地のことである。(諸仏現前三昧とも言う)(仏立三昧ともいう))「現在の仏がこと ごとく前に立つ精神集中」の意で、その略語を音写して般舟三昧と言う。現存する仏典の中では、阿弥陀仏およびその極楽浄土について言及のある最古の文献であり、三昧によって極楽浄土の阿弥陀仏を現前に見ることが述べられている。このことから浄 土経典の先駆と考えられる。ただし、極楽浄土への往生を願うのではなく、現世での般 舟三昧の行によって見仏を目指す点に後世の浄土教信仰との相違がある。また一方で、この 経典の「行品」に見られる空の思想 は般若経典に通じるものであり、 この点でも空観 を説くことが比較的少ない後世の浄土経典と趣を異にする。
2023.06.15
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脳 そしてそれとつながった身体の活動は、やはり因果的な自然法則に従っている。それにもかかわらず、私たちは自由意志を持つ。自由意志を持っているという幻想をいだいている。すなわち、脳を含む世界が因果的に決定されていると言うことと私たちが自由意志という幻想を持つことは両立する。これが自由意志の本質として、今学会で主流となっている両立説の説くところである。茂木健一朗 クオリアと人工意識
2023.06.08
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痛風発作を右足親指に起こした。この痛みにたいして、座った状態で手を上げ横に開いて光を集めるこの状態の時同時に頭上の光を移してくるそれをこの痛みに当てる瞬間的にこの痛みは消失した しばらくしてその後には鈍いものだけが残る手の位置については吉祥天像を参考とした痛みの期間は4日間、翌日この行為の可能性に気がつきの3日後にはすべて消えた湿布はしたが痛み止めは使っていない
2023.06.08
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手のひらからも遠赤外線が出ている「手当て」という言葉は昔、ケガや病気の時に手を当てて治療したことから来ているでは手を当てあるだけで本当に効果があるのでしょうか?科学の進歩でその辺は明らかになりつつあります、その例として「遠赤外線」があります。この遠赤外線、実はすべての物質から出ています。手を当てると、この遠赤外線効果と「共鳴」という作用が相まってはたらき、当てている部分が温まることがわかっています。温まると血行が良くなるなど自然治癒力を促進することはよく知られています。また、手を当てると鎮痛作用のある神経伝達物質β-エンドルフィンの濃度が高まるというデータもあります。安静ホルモンと言われるオキシトシンが分泌されて全身にひろがることも確認されているようです。
2023.06.08
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慈(メッター)悲(カルナー)とくに慈(メッター)の部分殺す、盗む、淫する これらは非常に強いしかしこれらが消えた場所そこには何もないのだけど、このメッターがうっすらと存在しているただ静かであり、心地よく、静かさの中にそれがあるように思える非常に強いものはすべてを支配してしまうのだけど、永遠にそこにとどまることはできないただそれら強いものが無くなった場所があり、それは何もないが故に永遠にそうであるように存在しているとしかわたしには見えないすべてはその場所からはじまっているとしかわたしには見えないだからみているものは誰 その場所からみえているものは誰
2023.06.05
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