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日曜日の朝。いつもの起床時間である5時に、テントの中で目が覚めた。少し風はあるが、天気は良さそうだ。まだ早いので、シュラフの中で本を読んで過ごす。島内を散策した後、ダッチオーブンで作られた炊き込みご飯と、酒を飲んで疲れた体に効くオニオンスープの朝食を食べ、日曜だけの参加メンバーを待つ間に、テントやシュラフを徐々に片付けていく。日が昇ると暑い! 浜辺はもう夏の雰囲気だ。9時前にはメンバーが集合。 カヤックを初めて漕ぐ人も一人居るが、後は村上水軍商会の常連さんたちだ。艇を振り分け、荷物と装備を準備して、10時半頃、今日の目的地である走島に向けて漕ぎ出した。タンデム2艇とシングル5艇。弱い向かい風で、波もなく、瀬戸内らしい良いコンディションの中を漕ぎ進む。私は、走島に行くのは初めてなので楽しみにしていた。距離は、鞆の浦から6キロ位で、島の周囲が8キロ程度。 イリコとノリが特産物の漁業の島だそうな。適度に休憩しつつ、ゆっくりのんびりペースで、約1時間半弱で、港の前にある加治屋島に到着。ここからは、半時計回りで島を回ることとなった。1/3周ほど漕いだ、浦友地区の手前に、丁度良い大きさのきれいな浜があったので、そこに上陸して昼食となった。上陸すると、まるで真夏の太陽のようなギラギラした光で炙られ、暑くてとても耐えられない。昼食の準備が進められている間、海で体を冷やすことにした。シャツを脱ぎ、海に浸かる。 走島の南側は水も澄んでいてゴミも少なく快適な海。 もう海は適度な水温で、海水浴もぜんぜんOKだ。水がきれいなので目を開けて泳ぐが、さすがに裸眼では、ぼやけてしまう。 残念! 水中メガネを持ってくれば良かった、と後悔。頭まで浸かると、ボーッとしていたのがシャキッとする。 最高に気持ちE。 でも不思議なことに、他の人たちは泳がない。 もったいない。炒めたウインナーとピーマンをタコスにはさみ、サルサソースを掛け、ライムを絞り込んで食べたランチもおいしく、食事と海水浴を堪能した。 う-、ビールが飲みたーい!!片付けて、再度出発。右手前方に宇治島をみながら漕ぎ進み、浦友港を越え、天女が浜と名付けられている唐船浜を抜けて、走島の東側へ出た。今度は、右手に大飛島を見ながら北上し、再び走島の北岸に出た。風もなくなり、あまりの暑さにみんなバテ気味だ。時々休憩を取り、水分補給をしながら、体をだましだまし漕ぐ。鞆の浦との中間地点くらいになると、少し風も出て、ベタ凪だった海も少し波が立つようになり、良いペースで進み、行きよりも短い時間で、仙酔島まで帰ることができた。ここでは、一旦上陸して休憩するとともに、テントを残していた人たちは最後の片付けをし、ゴールである鞆の浦に向けて最後の一漕ぎ。弁天島の南で集合して写真を撮り、鞆の浦の漁港の済みにフネを揚げさせていただいた。2日間、入れ替わり立ち替わりに加わっては帰って行く様々な人と会い、漕ぎ、食べ、飲んで話した。楽しいツーリングの最後は、いつでもそうだが、漕ぎ終わることが寂しくなる。 今回も、傾いて行く夕日の中、鞆の浦の港を目指すときには、もう1日漕ぎたいと思った。もうそろそろ海は夏モード。 これからのツーリングには、水中メガネと足ひれを持って行こう!
May 29, 2005
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週末は、久し振りに福山の村上水軍商会のイベントツーリングに参加させてもらった。普段一人で漕ぐことが多く、また、最近は山口のダイドックさんにお世話になることが多かったので、地元の人たちとも知り合いになる機会も持ちたく、村上水軍商会さんのツーリングに参加。今回は、歴史のある港、鞆の浦で開催される花火大会の見学を中心とした土曜日と、鞆の浦から適度な距離にある走島を巡る日曜日のツーリングを合わせた贅沢なイベントツーリングだった。28日朝、内海大橋の駐車場に集合。初日のツーリングは、島根、大阪、広島からと多彩なメンバーだ。準備から出艇までのたっぷりの時間は、福山から釣りにきていたおじいさん、おばあさん&その孫達と話をして過ごす。10時過ぎ、子供達に見送られながら内海大橋下を出艇。対岸の海水浴場経由で、阿伏兔観音、孤崎経由で鞆の浦まで、約1時間半のショートツーリング。鞆の裏と仙酔島との間にある、弁天島では、夜の花火大会の準備がなされていた。また、ちょうどそのとき、鯛網関係の祈願をするような船団が通って行った(写真)。唄も聞こえてきて、なかなか良い雰囲気だ。鯛網のお客さんを運ぶフェリーや小舟が停泊している浜の手前で昼食を取り、その先にある小さな浜に到着。そこでは、あまりの暑さに泳いで体を冷やし、夜の準備をして、花火大会だけを見に来るお客さんを迎えに、鞆の浦の港に戻った。そのお客さんは、岡山から来た女性だけの5人組。せっかくなので仙酔島のあたりを少し漕ぎ、花火を見る浜に移動。村上水軍商会自慢のおいしい料理とビールを飲みつつ、花火を楽しんだ。その後、帰るお客さんを港まで送り、泊まる浜まで短いナイトツーリング。その夜は、2次会をする元気も無く、テントに戻ってぐっすりと眠り込んだ。明日は良い天気でありますように!!
May 29, 2005
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今日は雨だったので、久し振りに広島の街に買い物に出た。買い物と言っても、本だけだが。先日読んで面白かった、山口県大島出身の宮本常一の本を探して、紀伊国屋書店へ。この書店では、店内の端末で本が検索でき、在庫の有無に加えて、どの棚を探せば良いかといった情報までが小さな紙に印刷できるので、とても便利だった。結局、3冊の本を購入。『家郷の訓』、『ふるさとの生活』、『塩の道』帰りのバスの中で、まずは『家郷の訓』を読み始めた。まだ最初の40ページを読んだだけだが、明治から昭和の初期まで、多くの人々は貧しく、島での暮らしも決して楽ではなかったが、住み良い気候の島で、時には出稼ぎに行き、また娘達は親にも告げず、自主的に町に奉公に出ていき、それぞれの家の生活を支えていたことがわかる。また昔は、日常の子守りなどの機会を通じて、年寄りから孫に、地元の歴史や生きて行く上で必要な知識、守るべき規範や価値観などがしっかりと伝えられていたことも知ることができる。テレビやラジオ、インターネット、ケータイなどがなかった時代だから、子供にとっても楽しみで、かつ有用な時間であったことであろう。BEGINの唄(オジー自慢のオリオンビール)にもあるが、『どんな映画を見に行くよりも、オジーと飲んで話したい』。先日、偶然にもシーカヤックツアーの風待ちで入らせてもらった日本海沿いの小さな漁港で、地元のおじいさんから昔のその土地の生活や漁の話などを聞かせてもらう機会があったが、まさにそんな感じだった。今日の夜は、昨日西条で購入した『賀茂鶴/蔵出し原酒』を飲みながら、ゆっくりと本を読んで過ごそう。
May 22, 2005
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以前から気になっていた竹原のラーメン屋、『太華園』に行ってみた。今日は、朝一番でロードスターのタイヤ交換に行き、その足で竹原までドライブ。天気が良くて、屋根を開けていると暑い暑い。 もう夏だ!オープンカーは、秋から冬、春までは快適だけど、夏はキツい。 冬なら、屋根を開けていてもヒーターが効いて、車内は暖かく快適。 だが、夏は、屋根を開けてエアコン/冷房を効かせても意味ないので、正直かなりキツい。 車を降りると、胸にシートベルトの形で汗の跡がクッキリ、なーんてことも。それでも、オープンカー乗りの意地で、雨が降らない限りはできるだけ開けるのだ。竹原には、ちょうど開店の5分くらい前に到着。まだ準備中だったが、店の人が『中に入ってお待ち下さい』と言って下さった。 親切だ。メニューを見て、私は『チャーシュー麺』を、妻は『半チャンラーメン(ラーメンと小チャーハン)』を注文。チャーシュー麺は、チャーシューがどんぶりいっぱいに載っており、すごい迫力だ。尾道ラーメンの系統を引き継ぐ、背油の浮くこってり醤油系。 値段も、ラーメン/中華そばが500円。半チャンラーメンで800円と、リーズナブル。 おなかいっぱい。食べている間にも、どんどん人が入ってくる。 人気店のようだ。その後は、西条に向かう。 駅前の駐車場に車を停め、酒蔵めぐり。駅前には、案内所もある。西条は、ドライブの通過点で、ゆっくりと歩いて回るのは初めてだった。 酒蔵あたりは、閑静な住宅街の端っこに、白壁や赤煉瓦の煙突が立ち並ぶ感じが、なかなか良い。車なので試飲は遠慮したが、賀茂鶴では、アルコール類はほとんど飲めない妻が、これはいくらでも飲めそうと言った、『蔵出し原酒(蔵元限定直売品)』を購入した。晩ご飯も一段落し、今から、チビチビと楽しもうと思います。皆さんも、良い週末を!!
May 21, 2005
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木曜の夜から出掛けたシーカヤック山陰ツーリングの疲れもあり、今日は休養日。本屋に行き、偶然目にとまった2冊を購入。『無人島に生きる十六人』と『まぐろ土佐船』。まずは、無人島に生きる...を読んでみた。これが、予想に反して最高に面白い! 掘り出し物だった!!!当時、東京高等商船専門学校の実習生だった須川邦彦さんが、実際の体験者であり、当時の教官だった中川倉吉という人から聞いて感激した話をまとめたもの。明治31年。龍睡丸という帆船の船長だった中川さんたちが南洋の海で遭難し、なんとか無人島に避難してから、全員無事に帰国を果たすまでの経過がつづられている。まさしく、世界をまたに掛けた船乗りたち。沈没や遭難など、さまざまな海難を経験してきた、広い心を持ち、どんな状況になってもどっしりと構えてグループ全員を明るく保ち、モチベーションをキープさせることのできる、頼れる老練の男達。また、溢れんばかりの知識欲や意欲を持って、どのような困難にも前向きに立ち向かって行く、明るい若い乗組員たち。最高/最強のプロ集団だ!また当時の船旅は、帆船ということもあり、一ヶ月という単位が、ごくあたりまえに費やされていることも羨ましく思った。 そう、旅とは、週末の土日や3連休なんかでするものではない。 一ヶ月、数ヶ月、年単位での旅が、昔は当たり前だったのだ。 なんとも羨ましいではないか!聞き書きでもあり、少しはデフォルメされてきれいにまとめられているにせよ(あるいは、すべて真実であるにせよ)、船長をリーダーに一致団結し、単に生きるだけでなく、たっぷりある時間を利用して知識を増やし、貴重な経験を自分たちの血肉とし、しかも楽しんで生活していたことに感銘を受けた。以下、引用。『島生活は、きょうからはじまるのだ。はじめがいちばんたいせつだから、しっかり約束しておきたい。 一つ、島で手に入るもので、くらして行く。 二つ、できない相談をいわないこと。 三つ、規律ただしい生活をすること。 四つ、愉快な生活を心がけること。』『島でかめや魚をたべて、ただ生きていたというだけでは、アザラシと、たいしたちがいはありません。島にいるあいだ、おたがいに、日本人として、りっぱに生きて、他日お国のためになるように、うんと勉強しましょう』沖を通る船を見張る順番を決める席で、『年寄りのいうことをきくものだ。今夜は、おいらがいいのだ。そのわけは、船長が知ってござる。...』みんなをさとすようにいうのであった。小笠原のいうとおりだ。夜の見はりは、よほど考えなければならない。つい、いろいろのことを考え出して、気がよわくなってしまう心配がある。ものごとは、まったく考え方一つだ、はてしもない海と、高い空にとりかこまれた、けし粒のような小島の生活も、心のもちかたで、愉快にもなり、また心細くもなるものだ。*様々な偶然の重なりによって、無事帰国してからも、無人島での勉強で手紙が書けるようになった漁夫や水夫が両親や兄弟を驚かせたこと。青年達が、船舶職員試験に合格したことなど、後日談にも泣かされた。最近読んだ本の中でも、本当に最高の一冊でした。 海を旅する人であれば、ためになり、また共感できることが多いと思います。 お勧めの一冊です、ぜひ!!
May 15, 2005
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14日朝、5時にテントの中で目が覚めた。浜に打ち寄せる波の音は、少し小さくなっているようだ。 昨日はほとんど漕げなかったので、今日こそは海に出たい。テントを出ると、少し風はあるが、東の風。 オフショアの微風。浜に打ち寄せるサーフも、昨日とは打って変わってかわいいサイズになっている。長袖の薄いフリースを着ているのだが、日が出る前のこの時間は、まだ少し肌寒い。朝食は、カップそば。 お湯を沸かし、暖かいそばを食べていると、おじさん2人組が、ボートを車の上に乗せて釣りにやってきた。2人がかりでボートを降ろし、船外機を付け、クーラーや竿など大量の荷物を積み込み、コロを付けて浜に引っ張って行き、沖に出て行った。それを見届けてから、こちらも準備開始。一人でフネを降ろし、担いで浜に。 ショートツーリングなので、荷物は、パドルフロートやビルジポンプ、スポンジ、携帯、発煙筒などの安全装備だけ。6時30分。 スカートを付け、サーフの周期を見計らって出艇した。今日の海は穏やか。 日も昇ってきた。 天気も良さそうだ。港を出て、まずは、西側にバウを向ける。左手すぐ先には、大きな岩が点在する面白そうな場所がある。 この岬を回ると、岩、巌、イワ。まさに日本海らしいロックガーデンが続く。昨日のように荒れていたら泣きそうだが、今日は波も低く、岩と巌との間をくぐり抜けながら、のんびりとパドリング。 岩と岩との間にはロープが渡してある場所も多く、岩の上には釣り人も多い。穏やかとは言え、やはり日本海。 崖に近いところでは、寄せる波と返す波で複雑な波が左右から押し寄せてくる。瀬戸内とは違い、慣れるまでは少し緊張気味になる。 外房や伊豆などでもそうだったが、日本海でも、海のエネルギー/パワーを体で感じる。 やはり今年は、山陰で漕ぐ機会を増やそうと思った。魚待ノ鼻まで行き、Uターン。まさにカヤックでしか通れない、ロックガーデンの奥深くを探りながら、港の方向に引き返す。港の出入り口を、注意しながら横切り、今度は東側へと向かう。少し先には、洞ノ鼻があり、それを回り込むと、昨日散歩に着た北浜海岸だ。北風が強かった昨日は、この北浜海岸にはサーフィンでもできそうな波が押し寄せていた。この浜にある立て看板を読んでみて初めて知ったのだが、ここは、『日本海海戦』、『バルチック艦隊』にゆかりのある浜なのだそうだ。明治38年5月の日本海海戦で撃沈された、ロシア/バルチック艦隊のウラル号乗組員が、カッターボートで流れ着いたのが、この北浜海岸。後で調べてみたら、言葉が通じない無抵抗のロシア兵の人々に対して、この付近の人々は、生活習慣の違いに戸惑いながらも、益田市内に護送されるまでの間、世話をしていたのだとか。海岸線ギリギリの丘の上を走る山陰本線の列車を見ながら、観音崎まで行った。舳先を港に向けようとした瞬間に、横でバシャッという音が。見ると、一匹の『トビウオ』が、海面から飛び出し、羽を広げた見事な滑空で飛んで行く。飛魚かー! やはり、日本海。浜に戻ると8時過ぎ。 1時間半ほどの短いツーリングだったが、満足満足。この土田海水浴場は設備も整い、近くに荒磯温泉もあり(日帰り入浴が11時~14時までと短いのが難点だが)、何人かで来る一泊ショートツーリングのベースとしては最高の場所。 ロケハンに来た甲斐があった。帰りには、浜田市の南、186号線沿いにある『湯屋温泉』に寄り、子安華湯館で潮抜き。ここは初めてだが、丘の上にある静かなラドン温泉で、土曜日の朝一番だったので、貸し切り状態。 露天風呂ではないが、のどかな景色を眺めながら、ゆっくりとお湯につかることができた。今年は日本海も漕ぐぞ!
May 14, 2005
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13日は有給休暇をとり、山陰に漕ぎに行く事にした。特に目的地は決めておらず、益田市から浜田市の間くらいでロケハンも兼ねてのソロパドリングツアー。木曜日の夜に家を出て、漁港で仮眠。 朝5時に起きてみると、北風がびゅーびゅー吹いていた。前日の天気予報では、晴れて波も穏やかになるはずだったのだが、曇りで北風が強い。国道9号線を海を見ながら走り、どこでフネを出そうか考えていたら、『荒磯温泉』の看板が出ていた。この『荒磯温泉』には、17、8年前にドライブがてら来た事があるが、その当時はシーカヤックをやっていなかったこともあり、浜があったかどうかの記憶も定かでない。でも標識には、土田海水浴場の矢印もあり、出せそうかどうか見に行ってみる事にした。9号線から少し入ったところに、その『土田海水浴場』があった。駐車場と芝生の広場、東屋があり、きれいで整った浜。白い砂浜と日本海。看板を読んでみると、ここではキャンプもできるようだ。平日なので人もおらず、とても静かななかに、波の音だけが響いている。この、こじんまりと整ったきれいな浜に、一目惚れしてしまった。今日はここ! すぐそばには温泉もあるし、平日でだれも居ないこの浜を、独り占めだー。とはいえ、相変わらず北風が強く、目の前の海では、そこそこ大きな波がサーフとなって打ち寄せている。 これではとても出られない。浜を散歩しているおじさんに話しかけられ、風待ちをしていることを話すと、予報では波は収まるといっていること、荒磯温泉は11時から入れる事などを教えてくれた。漁港を散歩をしたりして時間をつぶし、11時には温泉に。前来た時は、急坂の狭い道を降りて温泉宿に行き、立ち寄りで入らせてもらった覚えがあるのだが、今は広いきれいな道ができていた。600円払って、浴場へ。 ここでも平日効果で、だれもいなかった。 波が打ち寄せる海を眺めながら、のんびりと湯につかる。昔来た時は、もっと鄙びた感じの温泉だった。 その時は、風呂場に一匹のフナムシが歩いていて、海辺の温泉らしいな、と感じた事を思い出す。昼になったので、浜の近くにある、一見の喫茶店風の店に行ってみた。ドアを開けると、いきなり一匹のミニチュアダックスが店の奥から飛び出してきて、足に噛み付かれた!店の人が慌てて出てきて、犬を抑えにかかる。私はといえば、いつも手に持っている、黄色い”ミニペリケース”で、はだしにビーサンという無防備な足を防御。店の人から、大丈夫ですか、と聞かれたので見てみると、くるぶしに犬の歯形がくっきりとついていた。 小さいのに、元気のよいヤツだ。ぜんぜん大丈夫ですと応えるが、一応と、スプレー式の消毒液と絆創膏をくれた。焼き肉定食を食べながら、その店のおばさんと話し、この浜は数年前にきれいにしたもので、夏にはキャンプや海水浴で賑わう事、荒磯温泉も特に夏には人が多い事などを聞く。食べ終えたので店を出ようとすると、サービスだと言ってアイスコーヒーを付けてくれた。少し、サーフも小さくなったようなので、フネを出してみる事にした。テトラの入っている港の出口まではなんともなかったのだが、テトラを過ぎて沖に漕ぎ出そうとすると、結構な波がある。 それも、一定のうねりではなく、左右からランダムに攻め込んでくるいやらしい波だ。結局、すぐにあきらめて浜にUターン。 まあ、風と波には勝てません。着替えてもまだまだ日が高い。 暇つぶしも兼ねて、夕食の仕入れのために益田市の中心部まで車ででかけることとした。スーパーで刺身とビールを仕入れ、浜に戻る。気持ちのよい芝生の上にテントを張り、缶ビールを『プシュ』、『グビグビ』、『プハー』(今回、最初の1本は発泡酒ではありません! 久し振りに本当のビール)。この浜は、西向き。 日本海に沈む夕日を眺めながら、刺身とビール、レトルトカレーの夕食。今日は、ほとんど漕げなかったけれど、こんなに良い景色の浜を独り占めし、おいしい刺身とビールがあるのだから、幸せ幸せ。 なにも言う事はありません。夜に車を走らせ、車中泊での疲れもあり、8時頃には寝てしまった。明日は、波が治まりますように!
May 13, 2005
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民俗学者として有名らしい宮本常一の本を、読んだ。 きっかけは、カヤック仲間のNさんから教えてもらった事。彼は、山口県の屋代島出身であるということもあり、なんだか身近に感じる存在だ。まだ、ほんの数十年前の事なのに、今の日本とはライフスタイルや価値観が、かなり違っているように思える。TVや映画、ゲーム、インターネットなどのような娯楽こそ無かったが、その分、人間として本質的/本能的な部分では、結構楽しんでいたように見受けられた。羨ましい。日本残酷物語(1)も続けて読んだのだが、島などに住む若い女性達は、近くの本土にある大きな街に出て働き、田舎では得られない新しい知識を得、言葉を覚える事が先端を行くと考えられていた事(今でも、外国に留学して異文化を吸収したり、英語を始めとする外国語が話せるようになった人が、帰国子女としてもてはやされるなど、あまり変わっていないかも?)。女性ばかりで出かけた四国のお遍路さんなどでは、結構、接待していただけるので、家を出た時よりも帰った時の方が現金が増えていた例もある。稲刈りなど忙しい季節には、女性ばかりで適当に出稼ぎに行き、途中のお百姓さんの家で手伝っては、報酬をもらいながら巡っていた事。職人としての腕があれば、どこでも生きて行く事ができ、自分が気に入る土地があれば、たとえ地元に妻があろうとも、身分を偽って重婚し、楽しく生活していたこと(帰ってこない事を心配した家族に見つけられ、連れ戻されることもあるのだそうだ)。また漁師達も、良い漁場を探して、瀬戸内から対馬まで、結構な距離を思っているより気軽な気持ちで行き来し、また移住していた。その他、夜這いなどは、我々が思っている以上に普通に行われており、大きな楽しみの一つであった事なども知る事ができた(少し前のミクロネシアの夜這いの話も、昔の日本にも同じような風習があったのだ)。この数十年で、日本や日本人の生き方や価値観が、結構大きく変わっていのだろう。 どちらが、人間らしい生き方なのか?まだ、宮本常一の書き物を読んだ事がない人、特にシーカヤックや旅、スローライフに関心がある人にはお勧めの本です。 ぜひ、ご一読を!!
May 11, 2005
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今回の連休中で唯一、家族全員の予定が入っていないこの日に、ドライブに出かける事とした。目的は温泉。今まで行った事がなく、そこそこの距離という事でピックアップしたのが、県北の高宮町にある『たかみや湯の森』。朝7時に家を出て2時間ほど、予定より早く着いてしまいそうなので、近くにある『神楽門前湯治村』に寄ってみた。運良くここの見世は、9時開店。パンや、野菜、コロッケ、豆腐など、様々な店が並び、おいしそうなものを少し買い込み味見してみた。家族には、豆腐カステラが好評。その後、目的地の『たかみや湯の森』へ移動。入浴料金は大人600円と手頃で、連休最終日にもかかわらず、そこそこの混み具合でストレスが溜まるほどではない。 主浴槽、薬湯、露天風呂、サウナなど種類もそこそこあり、また肝心のお湯も肌触りが良く、のんびりゆっくりと過ごす事ができる。初めて体験した酒風呂では、おばさんが浴槽に使った人々の肩に、酒を少しずつかけてくれた。かかった瞬間にはヒヤッとし、お酒の香りが辺り一面に立ちこめる。 飲んではいないのに、気分は飲んだようにフワリとする。出る時には、再入浴されますか? と聞かれた。 今回は、次の予定が入っていたので断ったが、ここで日がなゆっくりと過ごすのも、最高の休日になるだろう。それからは、甲立の湧永庭園へ。ここは、庭園散策と四季折々の花が無料で楽しめるお勧めのスポット。今は、チューリップがきれいだったが、これからバラの季節はもっと良いだろう。日陰となっている芝生に寝転び、弁当を食べ、ここでもゆったりとした時間を過ごす事ができた。家から片道2時間ほどだが、家族それぞれのリクエストに応える事ができ、自然と温泉好きの私も満足した、なかなか充実した休日であった。
May 5, 2005
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今日の目的地は、『海猿』で有名になった『両城の200階段』。天気が良かったので、少し離れた場所まで散歩に行ってきました。今日のメインテーマは、映画『海猿』で有名になった『両城の200階段』。 それ以外は、風の吹くまま気の向くままの”散歩”。 同行者は、妻と次男。家を出てから歩く事約1時間半で、まずは目的の三条商店街に到着。商店街を歩いていると、右手に鳥居が見えた。急勾配の階段を登って行くと、そこは『鯛の宮神社』。 その名の通り、豊漁を祈って漁業関係者が建立したという神社であり、また、『第6潜水艇殉難慰霊碑』で有名なことを初めて知った。*第6潜水艇: 明治39年に日本で初めて川崎造船所で建造された潜水艦。訓練中の事故で沈没した時の、乗組員が落ち着きを失わず、最後まで持ち場を守った話で知られている。再び商店街に戻り、両城小学校裏にある200階段に向かった。 階段登り口近くには、昔の防空壕が残されており、当時の空襲の様子などが記されている。 まだほんの数十年前の事だ。防空壕のすぐ先に、200階段の登り口がある。幅の狭い、急勾配の階段で、中央に鉄パイプ製の手すりが設置されていた。気合いを入れて登り始めるが、なかなかこれがキツい! 上に行くと、遠くまで見渡せるようになり、たしかに景色は良いのだが、息が切れ、足も重くなってくる。周りは、急斜面に家が建ち並ぶ、呉らしい場所だ。 よくこんな所に家を建てたものだ。 感心。実際には230段くらいあるらしい階段をなんとか登りきると、南側に呉湾が見渡せるようになる。両城中学校を越え、山の上を通っている道を進む。ここは初めて歩く道だが、抜けの良い呉湾/瀬戸内の景色が広がる、天気の日にはもってこいの散歩コース。庭にテーブルを置いてある家もあり、海が眺められるこんな静かなところで、のんびりビールでも飲めれば最高だろうとうらやましく思った。道はどこにつながっているのか分からないが、どんどんと歩いて行くと、ようやく下りになった。よくもこんな所にまでと思うような場所に立つ家と、その間を縫う離合できそうも無い狭い急な坂になっている道を下ると、川原石に出た。*帰って調べてみると、両城中学校の場所は昔の海軍工廠の寮があった場所で、両城と川原石とを結ぶ道は、川原石の上道路と呼ばれ、海軍工廠の工員が歩いて通った道であるらしいことがわかった。昼前になったので、弁当を買い込み、海沿いの公園に向かった。家を出てから、約3時間の散歩だった。 なかなか良い運動だった。弁当を食べ、今度は大和ミュージアムの方向に向かう。連休で混雑していると聞いているので、今回入る予定は無いが、どんな感じか偵察がてら行ってみることにする。ミュージアム前は、道路に車が溢れ、入場を待つ人の列が100mくらい伸びている。 ガラス越しに館内を見ると、人また人。 やはりここには、ブームが落ち着いた頃に来よう。ミュージアムの前には、新しく公園ができていた。 案内を読むと、その公園は『大和波止場』という名前で、大和の前部甲板の半分を模した形になっているのだそうだ。また、昔の水中翼船や、潜水調査船、テクノスーパーライナーなどが展示してあるほか、陸奥の主砲やスクリューを見る事ができるなど、無料でも充分楽しむ事ができた。快晴のもと、ゆったりとした散策の時間を楽しめ、充実した一日だった。
May 4, 2005
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ツーリング3日目。5時前に起きると、テントを叩く雨の音がしていた。一人用の狭いテントの中で、シュラフやマットなどを片付け、着替える。朝食は、今日も早立ち用に昨晩準備されたオムスビ。雨の中、準備が整い、6時過ぎに出発した。弱い追い風で、船の出入りも特に無いようなので、湾を最短距離で突っ切る事となり、舳先を北に向けて漕ぎ進む。丸島の手前では、少し南西風が強くなり海がザワザワしていたが、丸島を越えて笠山の裏に入ると穏やかになった。笠山は、ドライブに来た事はあるが海から眺めるのは初めてだ。 溶岩の岩が並び、これまた独特の景色。虎ヵ崎の手前で少し休憩し、再び漕ぎ出す。岸ベタルートで笠山に沿って漕いで行くと、次第に向かい風が強くなってきた。 越ケ浜北側の港手前に差し掛かった頃には、フルパワーで漕がないと進めない状態だ。風はドンドンドンドン強くなり、笠山と越ケ浜との間を抜けて行く烈風が、雨のカーテンとなって、目の前を横切って行く!これから渡る予定の、港の出入り口付近が最も激しく吹き荒れており、気合いを入れてフェリーグライドで横断するしかないかと覚悟していたところ、ガイドのHさんから、一旦港手前のテトラの所にフネを係留して様子を見ましょうとの指示がでた。テトラの手前がちょうど藻場になっており、強い向かい風の中でも波が立たず、藻との摩擦抵抗でなんとかフネの位置が保持できたので、無事みんな上陸できた。 これでひと安心。風が落ちるのを待って港の中に入ろうということにし、行動食などを食べながら様子をうかがっていたが、1時間が過ぎても風が落ちる様子が無い。しかたなく、まず荷物を全て揚げ、その後に空荷のフネを引き揚げる事とした。フネと荷物を、テトラの反対側にある漁港のスロープに揚げさせてもらい、着替える。地図で確認すると、この港の名前は、『嫁泣港』だった! 嫁が泣くだけではなく、カヤッカーも泣く泣くフネを揚げた港だった。*この嫁泣港がある越ケ浜は、本土と笠山との間の、両側を海に挟まれた砂州の上であるため、真水がでなかったのだそうだ。そのため、遠くまで水汲みに行くのが嫁の仕事で、そのつらさを唄った嫁泣節が伝わっているとの事。今日は4km位しか進む事ができなかったが、自然の中で遊ばせてもらうのだから、仕方が無い。 Safety First! ほんと、無事に上陸できて良かった。1台車をデポしてある目的地までたどり付けなかったので、その車を回収する組と、出発地まで車を取りに行く組とに分かれて行動する事となった。エクストリームNさんと私は、出発地に戻る組。JR越ケ浜駅で、それぞれの列車に乗る。我々は、長門市駅まで戻り、そこからはバスを乗り継いで出発地点まで戻る。車、カヤック、列車、バス、徒歩と、様々な移動手段が楽しめるのも、行きっぱなしツーリングの醍醐味の一つ。長門市駅から古市駅まで、山の中のすごい道を走るバスに揺られ、古市駅でスタート地点の近くを通るバスに乗り換えた。パドルケースを持っていたので、運転手さんから釣りか? と聞かれたのを切っ掛けに、カヤックで旅している事などを話した。運転手さん:『ところで仕事はなに?』私: 『普通のサラリーマンです』運転手さん: 『エー!! 外で体使うて働いとるんやとばっかり思っとった。 まさかネクタイなんかして働いとるんやないやろな!』私: 『まあそんなもんです。 良く自衛隊員なんかに間違われて、なかなか堅気のサラリーマンには見てもらえないです』運転手さん: 『アーッはっはっは』運転手さん: 『ところで休みはいつまで?』私: 『5日までです』運転手さん: 『じゃあ、まだまだ漕げばええが』私: 『まあ、家族もありますんで』運転手さん: 『エーッ!! 家族がおるんか』私: 『高校生と中学生の子供がおります』運転手さん: 『あんたいくつや?』私: 『41です』運転手さん: 『家族持ちには見えんかった。 もっと若うみえたわ』私: 『はあ、どうも』古市駅出発前に、地元の人らしきお客さんが数人乗ってきた。運転手さんは、後ろを見回して、○○さんはどうした? と他のお客さんに聞くと、そのおじさんは冗談で、もう待たんと出発したらええが、と笑いながら言っていた。結局、発車間際にその○○さんが乗ってきたのだが、このローカル路線では、その時間にだれが乗ってくるかを運転手さんが把握しているのだ!その人が遅ければ心配し、場合に寄っては、少し待ってあげるのかもしれない。 最近はやりの、ケータイやPCなど、ITを使ったオンデマンドバスなんかより、よっぽど人に優しい公共交通機関である。 素晴らしい。 最後はやはり人(ヒト)が重要なのだ。移動中も、お客さん同士の会話がギャグのように楽しく、エクストリームNさんと私は終止、 『良いですねーこのバスは! 漕ぐだけがツーリングではなく、ハプニングや移動も含めて全てが旅なんですよね。 今回の旅は、最高!』 と頷きあった。兵庫県の家島から、岡山、広島、そして山口県の下関まで漕ぎつないだ尺取り虫方式の瀬戸内横断の続きとして始めた、下関から日本海を北上して行く旅。計5日間で、ようやく萩まで辿り着いた。次回は、嫁泣港から再出発の予定。 荒れる海を前に泣かないよう、海況が比較的安定する梅雨前後にしようか。どんな旅が待っているか楽しみだ。
May 1, 2005
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