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何を隠そう、くり乃々の祖先は平家である。 どうりで、都の水で磨き立てた才色の雅やかなこと、って、想像するに平家の落人って、平氏の分家のそのまた末家か、「召人」でしょ、しょせん。(だって名のある一門の末路は、解ってるわけだし)そんで、「我は平くり盛なり」とか嘘ついてイチビってみたり、在方の純朴な娘を「世が世なら、北の方なるぞ」と、たぶらかしてみたり。そのなれの果てが、ワタシ(笑) さて、ご先祖様だからというわけでもないけれど、「落人伝説」には心ひかれる。強大な力の消滅、あるいは隠匿とでもいおうか、負のエネルギーの行方にそそられる。大和という狭い地域ではあれ、国家中枢にいた物部氏が、一族もろとも消滅する?(物部氏は北に逃れ、蝦夷と組んだという説もある)国家を凌ぐ財力と権力を持った奥州藤原氏への畏怖が、民から容易に拭い去れる?なんてことを「兵どもが夢の跡」を見ながら、夢想するのが旅行の楽しみ。 ※Wikipediaの写真より拝借。もう数年前、鳥取に旅行に行った際、案内看板でも見付けたのだろうか。横道にそれて、鳥取県若桜(わかさ)町にある「不動院岩屋堂」に立ち寄ったのだ。三徳山三佛寺の投入堂よろしく、山が孕んだお堂がある。(岩屋が人工か自然かは不明)内部に立ち入ることは出来ないが、小さいながらも堅牢なお堂だ。団体の案内をすべく待合わせ中のおじいさんが、暇つぶしに歴史を語ってくれた。以前は、修験道の寺として大伽藍を誇り、本尊は弘法大師が彫った不動明王だという。秀吉の中国侵攻の際、火をかけられ、岩屋堂しか残らなかったそうなのだ。そして彼はさらりと、平敦盛はこの地まで生き延びた、という話もあるよと仰った。え?敦盛?「一ノ谷嫩(ふたば)軍記」の?青葉の笛の?美少年の?真実かどうかは解らないけれど、父・経盛が、敦盛の愛馬を葬ったという馬塚があるよ。学校の先生然とした風貌のおじいさんは、背を伸ばして仰った。そしてその塚からは、何か解らない骨が出たけど、馬の骨ならどうしてわざわざ葬るかな。彼は、その説を信じておられるのだ。敦盛は一ノ谷では死なず、一門と合流すべく陸路をひた走る途上、この地で亡くなったと。世を忍ぶ身ゆえ、父・教盛は愛息・敦盛の遺骨を、馬塚に偽装して葬ったのだと。 教えてもらった供養塔への道は、広大だった境内の一部だろう、荒れた農地のあぜ道で立ち話をするおばあさん達に、挨拶しながら通らせて頂いた。崩れた墓地のような場所に、馬塚と平経盛や従者の供養塔があった。大伽藍を構えていたその昔、ここは境内の秘密の場所だったのかも知れない。真実は不明で、日本各地に残る「平家落人伝説」の一つに過ぎないのだけど。不動院岩谷堂のある辺りは、長閑な農村風景で、耕し手を失った農地の上を、風にそよぐ花のように、紋白蝶がいくつも舞っていたっけ。 でね、ウチは代々、九州出身なんですよ。って、ことはね、壇ノ浦まで付き随って、落ちたのよ、多分。だからね、たかが召人でも「屋島合戦」辺りの落人とは、ちょっと違うのよ、根性が!(ズ~ット、コレガイイタカッタ) (桜ジャムの写真がないので、桜の塩漬けをお酒に入れてみました。美味しいのよ、これ)この若桜街道沿いの、確か道の駅で、「桜ジャム」を買った。桜の塩漬けが使ってあるのか、わずかな塩味と酸味があった。ケーキに塗ったら美味しかろうと言いつつ、紅茶に入れてみたりして風味を楽しんだ。移ろうあえかな春のように、淡いながらも華やぎのある味だった。言ってよろしければ、御年十六で歴史に散った美少年、敦盛のように^0^
2009年06月16日
千本鳥居。奥の院への出入り口数年前のこと、伏見稲荷大社初午詣(はつうまもうで)のテレビCMがあった。千本鳥居をバックに、着物姿の女性が「福が仰山、もらえまっせ」と誘うのだが、初めて見たときから、さすが着倒れ京都の神社やなぁと感心していた。「服が仰山」に、誤入力されたのだ。物欲満開、アホも丸出し。初午詣でとは、奈良時代(712年)二月初午の日に、稲荷大神が伏見のお山に降り立った日を仰ぎ奉るお参り。御鎮座は、1300年の長きに渡る。2009年初午からは数日ずれて、長持ちから溢れ出る着物を夢見てお参りに行ってきた。 目的は奥の院も熊鷹社も越えて一の峰まで登り、お山を一周すること。稲荷大神が降り立ったという、一、二、三の峰には磐座が祀られ、その力に預かろうというのか合力しようとするのか、小さなお社が、たくさん寄り集まっている。(写真は撮りませんでした) 参道の要所要所にそういったスポットがあり、それらを、鳥居に導かれながらお参りする。何が「要所」に見なされるのかは不明だし、自然発生的に寄り集まった「場所」もあるようだ。伏見稲荷独特のお社寄進?は、江戸末期以降の比較的新しい信仰形態らしい。政情不安な頃、先行きの見えない不安や閉塞感から、現世的信仰にすがったんだろうか。私は、これらお社群に足を踏み入れると、地軸がずるりと歪む気がする。地べたから沸く声は何をおめくのか、己の安堵か繁栄か、はたまた時代を占う声か。そういう箇所には茶店も必ずあり、お供えセット(酒1合瓶とおかきの箱詰め)や、お供え鳥居の販売・文字入れまでしている。寄進の申し出も受付け、出張社務所みたいだけど、出汁自慢やお揚げ自慢、名水ゆで卵や景色自慢なんてのもあって、個性色々。 さて、京都では季節毎に、寺社の期間限定「非公開文化財の特別拝観」がある。2009年冬、伏見稲荷では「御茶屋」(国重要文化財)が公開されていた。書院造りから数奇屋造りへと移行していく過渡期を評価され、重文指定を受けたとか。お上(後水尾院)からの下され物だから大切にし過ぎたのか、あまり修復されていない。襖絵はハゲハゲだし、建具の隙間からは庭が覗ける(笑)。ここは上つ方々の接待所ゆえにお茶は、供しこそすれ、立てることはなかったそうだ、だからお茶室ではなく「お茶屋」。当然、にじり口もないし、切ってある炉も形ばかりとか。そして庭伝いに、代々の伏見稲荷宮司の官舎?だったお屋敷があり、庭から棟方志功作の襖絵も拝観できる。棟方志功らしい、ほとばしる情熱の線と優しいフォルム。京都って....、京都の財産って、ほんと限りがない。毎回毎回、異なる寺社が、秘宝を公開するのだ。個人宅も含めると、知られぬお宝がどれほど....。一部は被ったとはいえ、戦火を免れたという途轍もない幸運を、京都には、未来に責任をもって全うしてくれ、と祈るばかりだ。 いやだからって写真撮影禁止を恨む訳じゃないけどさ。 お庭も外観も撮影禁止の理由を述べよとかこっそり撮ったりもしないけどさぶちぶちぶ 灯籠のツマミ部分の石を持ち上げる。奥の院には、「おもかる石」という吉兆占いがあります。願い事をして石を持ち上げるのですが、想像した以上に軽く感じたら、叶うのだとか。全地球のありとあらゆる住人様、申し訳ございません。この先、第三次大戦勃発や巨大隕石の衝突なんか起こったら、くり乃々のせいだわ。だって「全世界の恒久平和」を祈願したのに、ずっ...しり....と重く感じたんだもん。
2009年03月26日
時を遡ること遥か800年余、神戸市須磨区一帯は戦場となった。 真言宗須磨寺大本山は、その源平一ノ谷の合戦で露と消えた「平敦盛」縁の寺である。室町時代、既に敦盛の供養寺として名高く、父・観阿弥の勧進能に同行しただろう藤若(後の世阿弥)は、インスパイアされて後年、謡曲「敦盛」を創作した。と、勝手に想像する。で、須磨寺は、不思議なお寺さんである。お寺のHPで「おもろい寺」と自ら名乗っておいでだし、これに尽きていいんでしょ(笑) 山門脇の手水舎は、弘法さんのお告げで掘り当てた「独鈷の水」。お告げがもたらされたのは、昔昔じゃなくて平成に入ってから。そこを過ぎれば、実寸大の銅像が名場面を見せてくれる。「敵に後ろを見せ給うものかな。返させ給へ」と熊谷直実が、海へ逃れる敦盛を呼ばわる所。敦盛の足元だけが塗られているが、建造当初、海部分は一面真っ青だったみたい(笑)宝物館には、小枝(通称:青葉の笛)はもちろん、敦盛の絵姿や鎧も展示されているが、ちょっとマニアックな歴史名場面集ジオラマ?もあったり、境内中に、借金首が回るようになるカエルとか、説教する?お地蔵さんとか、亀に乗る七福神とか、孫悟空のおみくじ結びとか、数えきれないレア物が点在する。なんというか、う~ん....昔の行楽地にあったような...キッチュな見せ物なのだ。こういうのは、嫌いじゃない(笑)本堂の傍らの墓園(右エリア)入り口には、なぜか阿形の狛犬が一匹。相方は?この墓園を通って、山上の奥の院に、って、これがまた、階段が延々なんですけどね。下れば墓園(左エリア)に戻ってきて、敦盛の首塚にお参りし終わった所で、吽形の狛犬。 なるほど、この狛犬さん達は広い範囲で本堂を挟み、山全体を守っておられるわけだ。出口に向かう途中の石碑では、歌詞を辿ってボタンを押せば「青葉の笛」を演奏できる。そんな歌があったんだ。知ってる人が聞いたら、調子っぱずれで違う曲に聞こえたろう。祖父母の家に、敦盛と直実の子供向け絵本があった。そんなことを初めて思い出した。 で、お寺は連れもって行った友人夫婦・妻の強い要望?で訪ねたのだが、私の目的はここ。以前、こちらでご紹介頂いてから、行きたかったのだ。貿易商の迎賓館だった洋館を、結婚式場兼レストランにした「ル・アン 鸞」。かつて応接間だったろうウェイティングルームは、張り出し窓がおっしゃれ~。食堂になった広間は、廊下側にステンドグラスを嵌め込み、天井は高い。階段の手すりも建具も欄間(座敷は披露宴に使用される)も、今更、作れっこない繊細美だ。裏手には、日本庭園にお茶室も2棟あるが、手入れが行き届いておらずもったいない。前庭の芝生から眺めれば、天井の高い石張りのお館は、ゴシックロマンにうってつけ。狂女ロチェスター夫人(ジェーン・エア)の悲鳴が、今にも響き渡りそうで嬉しくなっちゃう。 チーズ味のアミューズから始まって写真の他、パイスティック添えミネストローネ有り。肝心のお料理の方は、お野菜に拘るシェフらしく、それらの個性を活かした味付けで、ソースや添え物(西洋ゴボウや金時人参のピューレ等)に、珍しい工夫を頂けた。食後には、給仕さんが本日のお野菜の籠盛りを手に、色々と教えてくれる。実は、給仕の足音が響くのが気になったのだが、床が板張りだからしょうがないとして邸宅内見学込みフルコースランチ4800円(サービス料別途)、私には十分、納得範囲内。誰か、ここで披露宴してくれないかなぁ。あっ。.................................、私がしても、いいんだよね。 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-皆様方におかれましては、私の尾っぽのご心配をして頂き、有難うございますm(__)m日にち薬とは言うものの、本当に日にちは効いてるのか?という疑いがもたげてきますが皆様の労わりのお心使いで、どうやら少しずつ、マシになってきているようです。どうも有難うございます。心から感謝しております。一人じゃないって嬉しいわ(笑)でね、怪我以来、当然ながら全然、遊びに行けなかったんですよ。映画も見るの辛いし、歩き続けるのも辛いし、飲みにも行けないし。で、過去ネタを引っ張り出して、書いてみました。結構、色々、出来上がりました(笑)さぁあ!目指せ!!日記記入率20%越え!!もぉ、お立ち寄り下さり、お目通しして下さるだけで、私の薬になりますから^-^このダラ長文にお付き合い下さり、いつも有難うございます。
2009年03月21日
さて、続きはまだまだお礼参りである。 くどいんですが、「ようよう、てめぇには、ずいぶん世話になったな」ではないんである。祈願成就の御礼を神様に申し上げる、正しく「御礼参り」、である。 ぽっこり丸い里山が目立つ近江平野に、峨々たる山容で一際、異彩を放つ山。「太郎坊宮 阿賀神社」である。天狗伝説で有名な京都・鞍馬山の次郎坊の兄さん天狗、太郎坊がお守り下さるそうな。友人Bは、標高わずか350mとはいえ、石段が延々と続く本殿にお参りしてくれた。だもんで、御礼も当然.....。ご覧、中腹にあるのが参集殿で、本殿はもっと上だよ。ここは、境内建物が、山の斜面中に散らばっているんである。絵馬殿は土・日には休憩所になり、ご神水でいれるコーヒーや焼きそば、お酒なんかも。氏子さん達だろうか、お正月のお飾り作りに余念がない傍らで、早々と休憩しちゃった。麓からでも目立つ参集殿を過ぎた手水舎脇から、ご神体「赤神山」山頂への山道が延びる。ご神体を迂回する形で、赤神山三角地点に到達するらしい(よく解ってない)。ご神体だから山中立入ルベカラズ、山道の両脇には「止め山」と貼り紙が、そこここに。冬枯れの山は明るい。足元はふかふかの落ち葉だ。空気は冷え込んでいるけれど、風はなく、近江平野が見晴らせる。快適に歩いて20分程だろうか、山頂の姿を捉えそうな頃、いきなり風が巻き起こった。鳥の鳴き声もしなかった山が、木々をしならせ、枝々から唸りを上げる。しかし、1mほど頭上で旋回し渦を描く風は、私の髪の毛さえもそよがせないのだ。しばし猛ったのち、それは、山頂目がけて駆け昇っていった。何だったんだ、今の突風は。大きな、途轍もなく大きな鳥が、旋回して飛んでいったみたいだ。天狗の山だぁ。友人に追い付いて尋ねたところ、風には気が付かなかったと言う....。そこから、道を曲がればむき出しになった山頂の岩が、眼前にそびえる。三角地点の岩から見下ろせば、どこまでも真っ平らな大地を、不規則な刺し子の様に田んぼが区切っている。米処・近江ならでは、湖東独特の美しい風景だ。 修験道のお山らしく、峰々には巨石信仰の名残や遺跡が見られるらしいけれど、本日は縦走せず、来た道を戻って本殿にお参りをする。本殿前には、神力でかち割ったという巨岩(誰の神力なのかが不明 笑)があり、悪心を抱く者や嘘つきは、挟まれるんだそうな。隙間80cm、悪心もないんだけど、正直者のくり乃々は、正直、狭い空に息がつまりそう。ぱっくり割れた巨岩は、その名も「夫婦岩」。ひいては家庭円満に効用あり。いかにも度胸も付きそうで、よって、勝負事、出世開運、商売繁盛にもよろしある。下り道にも点々とお参り処があって、開祖は最澄さんだし、いかにも、太古からの自然信仰を踏まえた神仏混合だ。滅多にお札は頂かないのだが、ペット用のお守りがあったので購入した。どうぞ、くれぐれも宜しくご加護下さいませ。 近江平野に西日がさした。今日のお宿「休暇村 近江八幡」を目指して、冬の湖岸道路をひた走る。公共の宿だから、温泉も循環・加水・加温・塩素とフル装備、浴感も温泉だか何だか(笑)それでも、近江牛のしゃぶしゃぶは口の中でほろほろ甘く、滋賀の地酒は静かで優しい。部屋や浴室からは、間近に琵琶湖湖畔を見渡せる。水面に浮かぶは渡りの鴨ばかり、冬の琵琶湖は、寂しい様な穏やかさに沈んでいる。
2009年02月16日
滋賀在住の友人や滋賀方面で仕事中の友人が、ウチのおひいさん(お姫様)くり乃のために、病気平癒のお参りに行ってくれた。こういっちゃ何だけど、歴史ある滋賀には、封じ込めよろしくの古刹が多い気もする。日本一の水瓶と、肥沃な土地があるんだもの、太古からの神様がいたって不思議じゃない。その力強さに思わず知らず拝んじゃった、にしても、御礼は欠かしちゃいけない、いや、友人達にではなくて、神様に。ことは、くり乃さんの病魔退散ですからね。血液検査が良好で経過観察になった頃合い、雪がなかったのが幸いなクリスマスシーズン、大急ぎで、お礼参り(※犯罪者や虐げられた者が行う報復行為。ぶぶー!)に周ってきた。 目的地は、湖東地区は近江周辺(大ざっぱな土地勘)「苗村神社」と「太郎坊 阿賀神社」。その途上に、とても風変わりなお不動さんがあったので、寄ってみた。古墳(恐らく6世紀頃)の石室を、お堂にしている「岩屋不動」。拝殿から見上げると、ぽっこり小さな丘が、古墳であることがよくわかる。奈良や南大阪では、石棺を田畑の天水桶に転用してたらしいし(耕すと、色々出るもんで)秀吉だって、大阪城の石垣に石室の岩を転用したし、神様仏様だって、せっかくの堅牢な石組みを、利用しない手はない(笑)狭いお堂(石室)に提灯を提げてはいるけれど、壁も天井も、素っ気なく岩がむき出しだ。床も板を張るでなく、むき出しの上にゴザや座布団を敷くだけで、石室に、ほとんど人の手は入れてないんじゃないか。正面には、小さなお堂らしく小さなお不動さんが安置されていた。小さな境内は掃き清められ、表も裏も鳥居には門松が据えられ、地元の方に大事にされている様が伺えた。この一帯には、崩れかけも含め大小の古墳が、運転しながらでも見付けることが出来る。それほど沢山あるのに、なぜ、この古墳だけにお不動さんが祀られたのか。境内には、小さなお墓やお地蔵さんが残っていて、何かに吸い寄せられたみたいだった。 さて、お礼参りの目的地「苗村(なむら)神社」。神社には珍しい楼門(重文)と国宝のお社を持つ西宮と、東宮とに分かたれている。友人Aがお参りしてくれたのは、元々は本宮だったという東宮。平らかな田園地に立つ楼門やお社が、大きな空に明るく映える西宮とは異なり、東宮は、杉の森に囲まれている。参道に足を踏み入れると、空気は冴え渡り、鳥の声まで西宮とは異なる気がする。東宮の小さなお社は、参道のどんつき、掃き清められた円形の広場にぽつりとあった。これは、古代の祭祀場まんまじゃないか。拝殿も持たないこの本宮の、この場所が、古より祈りの場であることが容易に想像できる。お社の聖別された結界を超え、森に入り込もうという気にはなれない。この一帯は古墳群だったらしく、でこぼこした地べたはその名残と見える。小さな鎮守の森なのに、暗く果てしなく、時間と空間を踏み外してしまいそうな、 そんな不安に息苦しくなって、空を仰ぎ見る。巨木の先端で丸く囲まれた空は、西宮と変わらぬ青空だった。 で、くれぐれもお礼申し上げ、さらなるご加護をも祈願し、次なるお礼参りに向かう前に昼食だが、って、長すぎるねん、神社ばっかりで。※御本尊やお社(本殿)の撮影が苦手ですので、ずれた写真ばっかりですm(__)m
2009年02月04日
USA山下ろしの氷点下不況風が、師走からこっち吹き荒れておりますが、 吹かなくてもぶっ飛ぶくり乃々屋台骨に、楔の一つも打ち込んどけと、人もすなる初詣。2009年元旦は、商売繁盛で関西一賑わう「伏見稲荷大社」へとやって来ました。いかにもお稲荷さんぽい駅の改札を出た途端、参道は、土産物屋や屋台で大賑わい。聖と俗が絡み合い入り乱れてこそ、初詣。商売繁盛、結構やおませんか。って、ことで早速、ほかほかの回転焼・抹茶クリーム(130円?)一個ゲット。寒いんだもん。大鳥居を潜る前に、豚ペイ焼(豚の塩焼きを卵の薄焼きでくるむ)1本(500円?)。マヨネーズ、ソース、青のり、天かす、紅ショウガはお好みで。大賑わいの本殿脇をすり抜け、千本鳥居に向かう途中に、おぉ、ケバブサンド発見(500円)。ここのケバブは鶏肉で、その分スパイス控えめ、取っつきやすいかも。ナンも丁寧に炙ってくれるし、生野菜もしゃきしゃきしていて気持ちが良い。お参りもまだ済ませてませんが、元日の朝もやっぱりバナナなもんで空腹なんです、私。 さて真昼の夢みたいな千本鳥居を抜けたら、お山一(アヤシイスポット)の「熊鷹社」。ここではお供え物や蝋燭を買ったら、(巫女ではない)売り子さんが切り火を切ってくれます。そしてお社商店街(勝手に命名)は、にゃんこの住み家。狐のお使いか、はたまた。 はい、ごもっともでございます。(写真にカーソル乗せてみて下さい^-^)稲荷のお山はさらに続くけれど、これは近々、次回の宿題ってことで、茶店でお昼休憩。だって狐に騙されたか、この山中の参詣道に、日本文化の粋「瓢亭」発見したんだもん(笑)さすが「お出汁は無添加自家製」と明記されてるし、レトロな店内は、ぽかぽか日当たりがよくて気持ち良さそう。 ここはやっぱ、稲荷名物「いなり寿司」にお蕎麦、寒さしのぎの熱燗で、お正月っと。下山時には、さすが関西随一、参拝客で身動きしにくいほどでした。 アヤシイ伏見を後にして、京都東山・清水のお膝元、縁切りで有名な「安井金比羅宮」へ。悪い縁を断たねば、吉事とご縁は結べない!巨岩の真ん中に穿たれた穴を、表から潜って悪縁を切り、裏からもう一度潜って良縁を結び、先に願い事を書いた形代(短冊状の紙)を、岩に貼り付けるというもの。前の男に未練かましてたら、いい男に巡り会えるワケがないでしょう?!今年こそ、良きこと、良き縁。気合いじゃ~っ!薄曇りの寒空の下、列に居並び、握り拳で気合いを籠めてぇえ!! 「くり乃さんが病気を断ち切って、元気にご機嫌さんで過ごせますよう」(-人-)コレシカ、ナイッテ形代を貼り付ける礎は、その大きさも形も解らないほど、多くの願い事に埋め尽くされ、岩の手触りさえもありません。愚かくとも切なる人の「願い」は境内に渦を巻き、腸までぞろりと触られたような居心地の悪さも、実はあります。だけどにゃんこ達は、生臭さなんかどこ吹く風さ、欄干で爪研ぎまでしてました。おまけに、願掛けしたばかりのロマンチックが迷い込むのか、花街の名残なのか、境内は、複数の秘め事立ち寄り処に囲まれてて、ヒトの妙だなぁ、結構、結構(笑)。薄曇りの一日は寒くて寒くて、おいしいコーヒーが嬉しいわ。祇園甲部はヤサカ会館お隣の、シュークリームが看板のお店で一休み。駅に向かいがてらの四条は、盆も正月も関係なし、人出をかき分けかき分け、お狐さんに誑かされたか人の毒気に中ったか、「商売繁盛」に乗せられただけなのか、なんで、こう、毎度毎度、買い物しちゃうかなぁ、京都。あぁ、寒い。元旦だけは静かに微睡む大阪で、焼酎飲んで、もっと暖まろっと。
2009年01月09日
@原生林コース。朽ちた倒木を乗り越え、さらに太陽をもとめて。生きていくことは奇っ怪だ。承前 (白谷雲水峡/辻峠~太鼓岩~原生林コース)獣道と同等の太鼓岩への小道は、高い梢に遮られ、暗い。窺い知れる空は、雲が多くなったようだ。文字通り、手足を使って這い登る。大丈夫、足がかりは所々、整備されているから。道しるべには10分とあったが、多分15分強、ひゅーひゅーぜーぜー息を切らし、目の前に現れたぽっこり丸い岩をよじ登れば、おおっ!ぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!!絶景だぁああああああ!! 中央が白谷川。右下端の隅っこ、灰色が岩のふち。これ以上は、恐くて乗り出せない。眼前250度、深緑の大パノラマだ。所々、墓標のように巨木の白骨が杭を打つ。1000mを越す足元の遥か下には、白谷川が銀色の筋を縫っている。ザックも上着も放り出し、両手を広げて踏ん張れば、風の道が見えるようだ。腹の底まで解放し、体を筒にして大声を絞ってみたくなる。この世界は、なんて美しいのだろう。なんと美しい世界に、私は生きているのだろう。.........、愛は、さすがに叫ばないけどね。 太鼓岩では、お弁当を食べるのが流行りらしいが、私もそそくさと残りを平らげる。人がぼちぼちと集まりだした。この岩の上は、4畳ほどしかない。折しも左手の山の方から雲が湧き、視界も悪くなりだした。後続者達に場所を譲り、休憩は20分ほどで切り上げ。辻峠で休憩中の親戚一同様に「太鼓岩は、どう?登るの大変?」と聞かれる。雲が湧いてきたけど、今ならまだ絶景かも、とても大変だけど価値はある、と返事する。下りは、どんどん下る一方で調子づいたが、続々と登って来る人達、一様に「まだですか?」と聞かれる。雲が湧いてきたけど、まだ絶景かも、まだまだまだ大変だけど価値はある、と返事する(笑) 原生林コースと楠川歩道の分岐点まで調子よく下ってきたが、ここで、私の足は原生林コースへ、弥次の足は往路と同じ楠川歩道へ。しんどいよ~、杉なんか見飽きたよ~、下り道を帰ろうよ~。という駄々を「絶対、二度とは来ない所なんだよ」と宥めすかし、原生林コースへと腕を引っ張った。が!ほぼ直線に山を貫く歩道と異なり、あちらこちらと見所の杉を縫うこの道は、太鼓岩道で疲労困憊の体を弄ぶが如くくねくねと、アップとダウンも激しい..。確かに杉なんか、もういいや(笑)それでも川のせせらぎは耳に心地よく、下るにつれ出会う鹿は、人慣れしているのかパニックも起こさず行く手を遮り、動じない。もう昼を廻る頃だろう、登ってくる人達も随分、少なくなった。人気コースの割りには、道は道標テープでしか判別の付かない箇所もあり、時折、見晴らせない梢を揺らす、ヤクサルの気配がする。カサカサと枯れ葉を踏むのはヤクシカだろうか、呼び交う声は、何の生き物だろう。水底は花崗岩の砂礫を燦めかせ、透明度を増すようだ。流れる水は、疲れた喉に冷たく甘い。下るにつれ、杉の数は減りヒメシャラやツガが増える。枯れ葉の多さに、ヤクスギランドには落ち葉が少なかったと、初めて気付く。なるほど、ここは照葉樹林帯なんだなぁ、と、終点が見えた頃、やっと一息ついた。出口間際に、樹齢3000年の「弥生杉」への分岐道があり、その距離ほぼ1km。さすがに、行こうという元気は残っていなかった。 @白谷小屋付近で。角のある鹿の写真は、これ一枚っきり。お役立ち情報/白谷雲水峡2もののけ姫の森、太鼓岩まで足を伸ばす場合、往路に楠川歩道をとる紹介が多い。標高差約300mを、50分ほどで直線的に登っていくが、距離は短くてもどうだろう?復路に原生林コースを行くと通算4時間半、延々延々、登って登って、下って登ってになるのだ。いっそ原生林コース→太鼓岩→楠川歩道と行った方が、私的には楽な気がする。でも原生林コースを往路にとれば、太鼓岩まで登る勇気はなかったかも。なお、辻峠をさらに行くと、縄文杉への縦走路となる。その場合は、縄文杉から白谷雲水峡へと下る方が、マシ(楽とは言わない)だと思う。白谷雲水峡に行くなら、太鼓岩からの絶景を見て死ね!(ナポリか)とは、言い切る。だけど雨の屋久島、私の行いが宜しかったので眺望に恵まれたけど、貴方も、とは限らないよね。
2008年10月01日
苔、こけ、コケ、苔の森。ヤクサルさんが一心不乱にお食事中。邪魔してごめんなさい。(白谷雲水峡/楠川歩道~太鼓岩~辻峠)屋久島上陸はや3日目は、縄文杉は諦めても、ここだけは外したくない「白谷雲水峡」。宮崎駿が「もののけ姫」の森のモデルにしたということで、つとに有名な、その名もずばり「もののけ姫の森」がある。世界遺産地域からは外れるが、標高620m(入り口)から980m(もののけ姫の森)に至る一帯は、照葉樹林地帯から屋久杉林へと移行する様が見られる、らしい。ヤクスギランドは川を渡るが、川沿いではない。蛇の口滝探検コースは、滝を目指し川沿いのはずだが、川が見えない(笑)。「巨木が育む」美しい水のイメージを描き続けた私に、ここだけは外せない! 6時過ぎ、ホテルの朝食をお弁当にしてもらって出発、心づもりより、ちょっと出遅れ。宮之浦から、結構なくねくね傾斜道を、最高速度50キロで登っていく。アクセルをいっぱいいっぱい踏み込んでも、軽自動車はこういう道では馬力が出ない。県道から多分60分、目算以上の時間をかけて、整備された駐車場へとたどり着く。朝食もトレッキング準備も済ませた先客達が、次々と入山していく。さすが2000円のビュッフェ分のお弁当は食べきれず、後は歩き飽きた時のおやつということにして、8時半頃にやっと開始。巨岩を一筋、抉りながら龍の如く飛沫を上げる「飛流おとしの滝」を過ぎ、快適な遊歩道を歩む。7分程で原生林コースと楠川歩道との分岐点に到着、と、同時に快適さはあっけなく終了する。 私の目的は「もののけ姫の森」をさらに通り過ぎ、絶景を見晴らす「太鼓岩」まで行くことにある。真っ直ぐに高度を稼いでいく楠川歩道は、江戸時代、伐採した巨木の運び出しに、使われた道なのだそうだ。敷石は時代を経てなお、苔むす間もないほど、巨木や大勢の勢子達(女・子供もいたそうだ)の足に踏まれ続けてきたのだろうか。なんて感慨も、やっぱりすぐに潰える。敷石というより滑り止めのゴロタ岩同然と木の根の坂道は、暗い森の中、ひたすら上を目指し、目算通り50分弱で原生林コースとの合流点に到着。 そこから10分程だろうか、このしょぼい看板に惑わされることなく、人間は口を噤め。 巨木と巨岩が、物言わず緑に溶けていく。腕を伸ばせば、私も緑に染まる。あいにくの晴れ続きで苔は乾燥気味だったが、それでもふっと梢が切れ、日が差し込み枝枝に光が宿る。立ち枯れたような木々は、己が枝葉の代わりに苔や羊歯類をまとい、無数の水滴を翡翠に変えて身を飾る。巨木の無言の胎動に息を潜めるのか、いや、呑み込まれて消えるのだろうか、この森には生き物の気配すらない。原始の緑の夢を微睡むカミサマだけが、そこにいる。 ここからは登山道らしき道は消え、道標テープに導かれて「太鼓岩」を目指すことになる。足元は、時に湧き水に遮られ、時に危うい。頭上でお猿に睨まれ(だって、進行方向に逃げるんだもん)、子供鹿に泣いて怖がられ、もう植生や森の変化に気を配る余裕をなくし、ひたすら登っていく。もののけ姫の森看板から30分以上だろうか、地面が乾いた落ち葉に覆われ、人声がすると思ったら、そこがベンチもある辻峠。左手に太鼓岩への分岐道が...、って.........、道?.....山の急斜面と違うのん? 全長4センチほどのヤクシマアカガエル(勝手に命名) 粘着手足があったら、急斜面も楽勝だろうか・・・。お役立ち情報/白谷雲水峡人気コースなだけに、早朝行動をお薦めする。私達は、1時間は出遅れた。物の怪達は、早朝か日暮れの静寂にしか存在しないが、努々、日暮れ時になぞ悪心をおこされぬよう。暗くて深い森です。彼らを脅かさないよう、ゆったり静かに、緑の美しさで心を洗濯して下さい。下山時にはすでに、もののけ姫の森には人が溢れかえっていた。ぎりぎりセーフだぁ(笑)。こちらも、環境保全協力金300円(お手洗い使用料、含む)が必要。お手洗いは、駐車場と途上、白谷山荘という小屋にある。売店なし!整備された大きな駐車場(無料)は当然、アイドリング禁止。守れんヤツ、来るな。 ケンタ大よりでかいフライドチキン、ウィンナ2本、ハム、焼鮭、つきあげ、煮豆、ゆで卵、おにぎり三種(たらこふりかけ、ゆかり、ごま塩)お漬物、ジュース、ウーロン茶。バナナ生活が夢のようだ(笑)9月24日の食事朝食:バナナ一本、相変わらず湯冷まし600ml昼食:バゲット半分のハムサンドイッチ、カップのスープパスタ夕食:クリームパスタ(生クリーム・サーモン・ほうれん草・マイタケ・チーズ)、豆腐サラダ、ワインパスタは120g、食べている。こんだけ、カロリーとって痩せたら奇跡だよ。
2008年09月26日
同じ金額の、100室の大型ホテルと10室の旅館があれば、迷うことなく小規模な方を選ぶ。金額分は充分にハズレがないと知っている有名大型旅館より、情報定かでなくとも、こぢんまりした旅館が好きだ。穴場好きなのか、単に人ギライなのか(笑)今回の旅行も目星をつけた所は尽く満室で、否応無しの最終選択となってしまったのが「屋久島いわさきホテル」なのだ。なんといっても、敷居が高い(笑)。(ツアーの込み料金なので、いくらになるかは不明。)高速艇トッピーを運行する鹿児島商船グループで、県外企業じゃないのに、屋久島情報からはハミゴになっていることも多いのは、何故だ(笑) さて、滅多に足を踏み入れることもない大型ホテルには、やはり大型の器ならではの豪快さがあるものだ。足を踏み入れた瞬間、目を射貫くのはロビー一杯に広がるモッチョム(本富)岳の勇姿。6階建て相当の吹き抜け窓が、さながら、一面グリーンのスクリーンだ。ヤクスギランド、蛇の口滝探検コースを経て、ヘロヘロになった私の口からも歓声がもれる。 小高い山に位置するこのホテルは、正面からは尾之間の海が臨める。国立公園を従え、遮る物とてない背面は、屋久島の緑滴る山々だ。全室、一間半の大きな窓とバルコニー付きで、今回、私達の部屋はマウンテンビュー。天鵞絨の深緑の裳裾を、大きく広げたモッチョム岳の眺めは、どんな調度よりも豪華で贅沢だ。部屋は広く、バスルームも大浴場嫌いの人でもゆっくり入れる(温泉ではない)し、今、気が付いたが(笑)、ホテルにありがちな配水管の音もしない。(どんだけ、安宿に泊まってるんだ?) ドアマン(パーソン?)達は、トレッキングの荷物やらゴミやら、両手に提げた私達を素早く発見して、荷物(ゴミ)を受け取ってくれる。庭園係もクリーンサービスもフロントも、皆、柔らかな南国アクセントで挨拶してくれる。私達は3泊の間、汗まみれになってゴミと共に帰館し、即、露天風呂に飛び込み、そして、世界自然遺産のモッチョム岳を眺めながら、ビールを飲んだ。早朝、まだ夜気を含んだ露が残り、空気は清浄に冷ややかだ。椰子も茂る山々に、オンドリの鬨の声が木霊する。この贅沢。この至福。こんな毎日ならば、私はとても良い人間になれそうだ(笑)。 だけど、この贅沢をするためのホテルには洗濯乾燥機がない。(通常の有料ランドリーサービスなら、ある)当たり前と思うでしょ?所が、トレッキング客が主たる屋久島では、民宿でも洗濯乾燥機が標準装備なのだ。んで、しょうがないから、各自、洗面台で洗濯した。(洗剤まで持参)弥次なんか全部洗濯して、せっかくの部屋がいっつも干し場状態!バックパッカー上がり(まだ、上がってないのかも)なんか、大嫌いだT.T お役立ち情報/なぜ、ゴミがいつも土産なのか。近年増加する観光客の排出するゴミは、明らかに屋久島を痛めつけている。だから山はもちろん、土産物屋にもゴミ箱はない。全て持ち帰るほかないのだが、それは当然、宿・空港・港へとなってしまう。初日に泊まった民宿「いっぱち」では、ペットボトルの分別を、宿泊客も遵守していた。ペットボトル飲料は必携品で、買わざるを得ない。有料でよいから、給水・給茶サービスがないものかと考えてしまった。(山の水は飲用可)因みにゴミのポイ捨ては、破れた恋の他、いかなる物も死刑である。
2008年09月11日
あんまり長文が続くので、コマメに更新するのが申し訳ない気がしております。お手数ではございますが、何度でもお立ち寄り下さりじっくりお読み下さいませ(-∀-)ヘヘェ(解ってんなら更新するなよとか、写真だけで済むやろてな、お叱りは受けません  ̄∀ ̄) 源泉の海に浮かんでいるかのような噴煙の孤島・硫黄島を遠景に、屋久島にだって温泉はある。まず手始めは、屋久島上陸初日「楠川温泉」(200円.....かな?)上陸地・宮之浦~宿泊地・安房の途中、県道から看板を目印に、車幅いっぱいの道を山中に分け入ってほどなく、つる草の生いしげった空き地にポツンとある。本当にポツンと、一軒だけ、民家も畑もない原生林(笑) 4人も入れば満杯になりそうな小さな浴室は、渓流沿いに窓が開かれ、湯が緑色に染まる。鉱泉の沸かし湯は暑い屋久島でも適温で、硫黄の匂いが漂い、とろりと肌にまといつく。ちょっと深めの湯船の底は丸石が嵌め込まれ、手を掛けすぎない素朴な清潔さだ。山の中、静かな静かな時間が流れていて、ずっと私は微睡んでいたかった。 2回目は屋久島上陸2日目「尾之間温泉」(300円だった.......??) 「蛇の口滝ハイキングコース(ハイキングに疑義有り!)」の起点に位置する。無料の足湯もあり、旅行者入浴(見学ではなく)率一位の温泉かもしれない。滝の幻に潰えた後、疲労困憊で入浴したが、なるほど、旅行者で混むにも関わらず、地元の方で賑わう良いお湯だ。丸石を敷き詰めた湯船の底から自噴している硫黄泉は、相当熱く、加水されてもなお熱い。ここのルールは、シャワーは洗髪時の使用に限るということ。(明記されているので、遵守)掛かり湯や、体を洗うときには湯船からお湯をくみ出すという、逆に贅沢な入浴となる。これは、熱いお湯に不慣れなよそ者にも良い方法だ。かけ湯で体を順応させ、そぉっと湯船に足を入れる。浸かれさえしたら、もうコッチの物、体に纏い付く温泉らしい温泉。歩き疲れた筋肉を、優しくほぐしてくれた。管理人さんに愛されている猫ちゃん達は、たくさんの人の出入りにも動じず、ゆったりと四肢を投げ打ち、のんびり大らか。 温泉愛用者達からも、温泉に劣らず大事に黙認(笑)されているに違いない。 3つめは宿泊した「いわさきホテル」の温泉。大型ホテルだから、塩素入り循環湯だろうと、全く期待していなかったが、なんと!山を見上げる露天風呂は、源泉の掛け流し。湯の花舞う美しい硫黄泉だ!おまけに青い空に緑の稜線を描く、この雄大な山々の景観はどうだ! う~ん、極楽だぁ。体と心の疲れとコリがゆるゆると、ほぐれていった。アブが来ようが、カミキリムシが来ようが、金色のコガネムシ(だと、思った)が来ようが、私はいつも露天に浸かっていた。 温泉の効能かな?運動不足の筋肉に過酷なトレッキングだったけど、ついに筋肉痛知らずだった。ま、私が、まだまだ若いってことよね! お役立ち情報/いわさきホテル露天風呂編。トレッキング話で盛り上がった相客のおば様方、レストランでは誰が誰だかわからない(笑)こっちはスッピンなもんで、むさぼり食ってる最中に、ご挨拶頂き恐縮です(笑)規模の割りに露天の湯船が小さいのですが、掛け流しの良心ってことで。(冬は加温)内湯は規模がデカいので循環ですが、まったり感は残ってて、力の強い温泉なんでしょう。日帰り可、確か1200円。宿泊してなかったら、絶対、未体験ゾーン(笑)女性は、腰に手を当てヤッホ~!と叫んで全然OK!の、開放感120%を満喫して下さい。但し、女性だけ。男性用は、庭園(芝生と垣根)しか見えないようです。しかも、客室バルコニーから丸見え。仁王立ちなんか、しようものなら.....。 ( ̄m ̄)プッ
2008年09月05日
屋久島で見たかった「広範な気候風土」の「高地針葉樹林」がヤクスギランドなら、南国ならではの亜熱帯植物が見たい。迷いに迷って縄文杉を諦めたのも、「蛇の口(じゃのくち)滝」の写真を見たせいもある。花崗岩の一枚岩を、30メートルの高さから轟くエメラルドグリーンの滝は、様々なグリーンを乗せたパレットになり、しぶきを上げる。う~ん、行きたい。が、「蛇の口滝ハイキングコース」で調べてもマイナーなだけに、情報が曖昧で全貌の具現化がしにくい・・。コース所要時間も往復2時間から7時間まで、距離の割りにこの幅のあり方って何?結論。屋久島は、即刻「蛇の口滝探検コース(危険箇所あり)」と名前を改めてください。島ではハイキングかも知れませんが、多分、共通語では、意味しません(笑) ヤクスギランドの後、2日目以降の宿泊地「尾之間(おのあいだ)」に向かいがてら行こう。なんて、呑気なコースを考えた私が、アホだった・・・・。蛇の口滝ハイキングコースは、共同湯「尾之間温泉」の駐車場が起点となり、道はすぐにうっそうとしたジャングルの様相となる。羊歯が大きく道にかぶさり、クワズイモの株が道端に並ぶ。所々、ハイキングコースらしくベンチと、植物や屋久島の森の成立の解説看板も設置されている。なんと、樹高2mほどの万両の木があった。万両って、こんな大きな木になるんだ!植生が屋久島の庭木に似ているなと思えば、そこは昭和40年ごろの開拓地。土壌の貧しさに、開拓民は棄農せざるを得なかったと、看板は語る。いずれは、また鬱蒼とした森に戻っていくだろう、と。石垣を破壊し、人の抗いを歯牙にもかけない、天然野生の自然の力だ(変な表現だけど)。 なんて感慨は、歩き出して20分ほどで終わる。ジャングル気分は、段々段々、真性ジャングルの様相を帯び、想像は熱帯を彷徨い命を落とした行軍だろうか。途中、道が崩落したのか、迂回路は山の斜面だ。これ、道??ハイキング???両手で木にしがみつかなければ、到底、よじ登ることが出来ない。岩に巻き付く根っこに足をのせ、岩の割れ目にしがみつく。(トレッキングシューズに感謝)想像は、さまよえる行軍から新兵残酷物語へ。弥次陸佐!道がありません!(道標テープは、思わぬ場所で見付かったりする。)もうこの辺りになると「熱帯照葉樹林がどうしたってぇ?!」で、見回す気力もない。 ランドマークの少ないこの道は、目的地に到達するまでの時間予測を立てにくい。現在地案内図もないから、自分がどの辺りにいるのか把握しにくいのだ。時折、川の水音はするものの姿は見えず、目的地に近づく高揚感もない。1時間を歩いた時、後1時間だけ歩こう、到達できなければ諦めると決めた。果たして開始2時間後、別の登山道との分かれ道となる川に遭遇、滝まではここから20分のはずなんだが。なんだが、ここが本当に分岐点なのかが自信がない。時間は16時になろうとしている。諦めた。ここは勇気ある撤退を気取ろう(笑)。お天気続きだから、きっと滝もショボいよと、負け惜しみをカマしつつ......。蛇の口滝に到達しなくっちゃ、世界遺産地域に入らないのにぃいっ!(ミーハー) お役立ち情報/蛇の口滝ハイキングコース、そろそろ名前を変えませんか?屋久島の固有ほ乳動物は、たった6種類しかいないそうです。(解説看板でおべんきょー)温泉の駐車場をお借りする(無料)ので、管理人さんに一声掛けてお願いすること。単独行でも大丈夫だ(と、思う)が、道標テープを辿るという最低知識は必要。頼みのテープは、道ってなんだっけ?と概念が揺さぶられる頃、やっと現れる(笑)全体、鬱蒼として薄暗く、見晴らしも悪い。不安に駆られたら、即、撤退する勇気が必要(笑)。増水時は渡渉危険箇所があり、よそ者に上流の天気は読めない。雨中雨後は、潔く諦めよう。敗因:出発地85m→分岐地点(引き返した所)428m→蛇の口滝495m(未踏)。この標高差を、直線的に一気に稼ぐのだ。標高は低いわ、尾之間自体がひと際暑いわ・・・。滝で朝食しましょ♪くらいの早朝開始じゃないと、虫と暑さにゲンナリするはずだよ・・・。解説看板には「徒歩75分」とあったが、75分で歩けるカリスマガイドがいるのなら、是非、お願いしたい。そのペースに付いていくのは、まず不可能だけど。
2008年08月30日
点々と白い花が落ちていた。見回しても、どの樹に咲いているのか分からない。 出口近く、川を見下ろして、やっと一本だけ見つけたが、何という樹だったんだろう。 今回、あえて(と、言わせてもらう)「縄文杉トレッキング」は行わなかった。10時間を歩き続けるということが、私には具体化できない。下手したら「縄文杉しか行けなかった~」に、なりかねないじゃないか。そしてさらに、ゴールデンウィーク時の縄文杉の写真を見て、諦めがついた。繁華街かよ。時期的にも、ここまでの人出はないにせよ・・・・・。 屋久島が、世界自然遺産に選ばれた理由、「広範な気候風土と固有の動植物を有する」ならば、その広範な気候風土が見たい、と私は思ったのだ。その一つが「ヤクスギランド」。このチンケなテーマパークばりの名前に、努々、騙されてはいけない。 朝8時前、駐車場には、車一台なかった。受付も売店も、人の気配はない。環境保全協力金プラスお手洗清掃金を箱の中に入れ、土の湿気た匂いが漂う中、出発!団体旅行の観光コースに組み込まれるだけあって、石畳みの遊歩道は歩きやすい。渓流を、時に跨ぐ道中は明るく開け、揺れる吊り橋もご愛敬だ。遊歩道を設置出来ない箇所は、岩や木の根の上に木橋をかけてあり、アップダウンもない。この鼻唄気分は、30分、50分コースで終了。80分、私達が選んだ150分コースは、50分コースと別れを告げた途端、正統山道となる..。 江戸時代に伐採の手が入ったこの森の杉は、今までの私が知っていたそれとは全く違う。垂直に天を目ざして高さを競い、下生えに光も届かないほど、空間を占拠する植林地とは違うのだ。奇っ怪なオブジェのようにねじくれた杉の大木、何の木とも解らない絡み合う木々、みっしりと岩肌を覆う苔、杉の若木を押しのけ、生い茂る下生えの羊歯。この地の生存競争において、杉は優遇された勝者ではない。 屋久島は花崗岩の島だ。あの巨木達を支える土壌は、実は、岩の表面を覆っているだけにすぎないらしい。巨木故に、その体躯を支えられず倒れ伏し、やがて、苔に覆われ実生の木が芽吹く。伐採された切り株は朽ちることなく、新しい命の寝台とも栄養源ともなる。屋久杉達は、その貧しい土壌故に親の骸を土と変え、やがては己も山を覆う土となる。その、むき出しの生命力。生存を勝ち抜き、他をねじ伏せる強靱な、静寂の意志。恐らくはあなたが夢想する「屋久杉の森」・「屋久島の自然」が、ここにある。渓流沿いの明るい場所にさしかかると、蝉が鳴いていた。今夏、初めての蝉だ。深い森の奥でウグイスの呼び声は谷を渡り、人の声は、私達の間抜けた会話ばかり。 150分コースを折り返し、仏陀杉まで帰って来た頃、やっと「人間」に会った。団体ツアーの方達が、賑やかに遊歩道を闊歩していたのだ。11時半頃、駐車場に戻ったら、大型バスが数台あるし、満車じゃないか。なんだか、夢でも見ていたようだ、こんなたくさんの人間、どこにいたのだろう...。屋久杉の千年の夢の中にいたってのは、相当、青臭く恥ずかしいサゲだけど。 150分コースの折り返し地点にある倒木「蛇文杉」の根っこと、うろになった幹。 1997年に倒れ、もう木々が芽吹く。この幹も近い将来、豊かな土壌になるのだろう。 (さらに急斜面の登山道を進めば、美しい森と太忠岳へ、世界遺産地域が広がるらしい.....。) お役立ち情報・ヤクスギランド標高1010m地点から970mまで一端下り、1050mまで登っていく。歩いた時にはしんどかったが、後から思えばチョロイチョロイ(笑)。標高のお陰か、暑さや虫も他に比べて、ぜんぜん!マシ!杉の世代更新がどのようなものか実感できるし、早朝ならば、神秘の森が堪能できる。売店が閉まっていても、お手洗いは使用可(ここにしか、ない)。但し、協力金100円が必要。屋久島の環境は厳しい。このくらい、感謝を込めて支払って欲しい。看板もラインもないのでどこが駐車場か解らないが、路駐しやすそう♪と、思った場所が、多分、駐車場(笑)。 ************************************************** 遠位型ミオパチーという病気を、ご存知ですか? 遠位型ミオパチー患者会HP http://enigata.com/ オンライン署名 http://enigata.com/sign_mail/sign_mail.html 病と闘っている全ての方々が、少しでも安心して、一刻も早く、治療に専念できるよう、 どうぞ、ご理解とご支援をお願い致します。 参考:なぜ、難病及び特定疾患の認定が必要であるか。 「オーファンドラッグ」について。※ 8月18日に、ニュースで取り上げられたこともあり、飛躍的に署名が伸びているそうです。署名して下さった方々、署名活動にご協力下さっている方々、深く御礼申し上げます。そのお志に感謝を込めまして、有難うございますm(__)m
2008年08月25日
→ 道中から、太忠岳と天柱岩Zoom Up!朝4時くらいから、ゴソゴソ動き回っていた弥次に起こされる。お早うございます、本日は、ヤクスギランド~蛇の口滝ハイキングコースを回る予定でございます。方角なのか、天気のせいなのか、朝焼けの明星岳は見られなかったが、空気はひんやりと乾燥しているようだ。縄文杉に向かう同宿者と小声で挨拶しながら、5時半には、忍び足で宿を後にする。 朝食を早朝登山弁当に振り替えてもらっていたので、店で引き取り、整備された山道へと入る。屋久島に山越えの道はないから、早朝、山から下りてくる車もあり得ず、対向車はないし、同方向の車さえない。エアコンなんか不要。窓を大きく開け放って、山の空気を存分に吸い込む。昇りきった太陽に、山の稜線がきらきらと空と同じ色になる。 縄文杉、ヤクスギランドとの分岐点を、淀川登山口方面「紀元杉」へと向かった。先に行っておかないと、トレッキングの後は、絶対に!行きたくなくなるはずだから(笑)山中の杉は、和歌山や京都で見かける整然とした植林地と、全く異なる。道の端、山の斜面問わず陽の当たるところ、実生の杉が生え出で、成長したそれは手入れも施されず雑木同然だ。 まさに、己生え(おのればえ、実生のこと)とはこのことか。屋久島に生える杉は樹齢千年の時を経て、初めて「屋久杉」と、固有名詞が与えられる。このチビ杉達も「屋久杉」と呼ばれる時を、迎えうるだろうか。この地が、何ものにも冒されない千年の揺籃でありますように。 分岐道から20分走った頃、数台、駐車できる程度に広がった道路端に「紀元杉」はある。紀元杉も恐らくは縄文杉同様、材木に不向きだから伐採を免れたのか、この地が、人の手の入らない森だったのか。 樹齢3000年(推定)を越えるこの杉は、折れたか齢に勝てずか中途で先細り、他の植物を着床させ緑を繁らす。自らを栄養源として投げ出しながら、それらを懐に取り込むように、幹は捩れ、根がどっしりと地を這う。世紀を跨り、異様な姿に成り果て尚、ゆうゆうと辺りを払うこの巨木の見る夢は、卑小な人間に、理解できる形なのだろうか。 屋久島はある部分、見所は己の足で稼ぐしかないと言ってもいい。体力が万全でなくとも屋久杉に触れたい方には、紀元杉ドライブはお薦めだ。この山中は屋久島の大自然らしい風景で時折、ヤクスギランドの山奥・太忠岳の巨岩「天柱岩」も見える。(冒頭の写真)しかも、ね、紀元杉はぎりぎり「世界自然遺産地域」なの。(ミーハー) 畏れ多くも紀元杉のお膝元で、朝ご飯弁当を頂きます! 焼き塩鯖、卵焼き、ツキアゲ、小学校の修学旅行以来かもしれない赤いウインナー。紀元杉の向かい側、「紀元命水」という実に有り難い湧水が、お茶代わり。 お役立ち情報/早朝お弁当屋さん屋久島は、トレッキングは当然、何故かダイビングにしても早朝行動が鍵となっており、朝4時から予約販売するお弁当屋さんが数軒ある。(店によって営業時間は異なる)味・内容の比較は、残念ながら未調査。違う店でも、同じ内容のお弁当は見かけた(笑)朝・昼2食分を作ってもらうことも可能。(お昼用には、お店の個性もあるようだ) 大きい宿ならお弁当を作ってくれるだろうし、大抵の民宿が、朝食分を契約したお弁当屋さんに振り替えてくれるか、朝食なしももちろんOK。コンビニもあるが、24時間営業はないので、前日に購入しておかなければならない。弁当屋は安房・宮之浦のみ。山に売店はあっても、お弁当はないし営業すらしてない場合も。飲料水の自販機はあるけど、山の水は美味しいよ(^-^)(水場じゃなくても、川もOK。)********************************************************* 遠位型ミオパチーという病気を、ご存知ですか? 遠位型ミオパチー患者会HP http://enigata.com/ オンライン署名 http://enigata.com/sign_mail/sign_mail.html 病と闘っている全ての方々が、少しでも安心して、一刻も早く、治療に専念できるよう、 どうぞ、ご理解とご支援をお願い致します。 参考:なぜ、難病及び特定疾患の認定が必要であるか。 「オーファンドラッグ」について。
2008年08月16日
高速艇は揺れもなく、14時55分、屋久島随一の港町、宮之浦港に到着。 タラップを降りると、ツアーや宿泊先、レンタカー屋のお迎えがずらりと並び、面映ゆい(笑)私が予約したレンタカー屋さんも、名前入りプラカードを掲げて待っていて下さった。車の受取と同時に、島の道路事情や周り方を、丁寧にレクチャーしてくれる。不吉な黒雲から、やっぱり大粒の雨が落ちてきた。今日は、久しぶりの雨なのだそうだ。降らないと屋久島の美しさも本当も解らないと、レンタカー屋のお姉さんは言う。屋久島を楽しんで下さい。銀色キャロルに乗り込んだ私たちを送り出してくれた彼女は、南国の優しいアクセントだけど、テキパキとしたキャリアウーマンだ。 本日の宿泊先、第二の港町「安房(あんぼう)」に向かう前に、山岳保険加入のため観光協会に寄る。一口1000円、2泊3日分をカバーする(注:トレッキングのみ)。お守り代わりってことで。さてお次は、予約したトレッキングシューズ等の受取りに、のつもりが、鹿児島でラーメンを食べ損ねた弥次が、腹が減ったと言い出した16時前。島の飲食店は、シェスタ並に昼・夜二部制で、しかも店じまいは早い(笑)も~、18時過ぎにはお夕飯だから、我慢したら?お店、開いてないよ。間食もせず(パンは間食のうちにも入らない)一つの食事に、期待の全てを込める弥次公を、唯一、営業中のお好み焼き屋「鷹」に放り込み、私だけが登山用品店へ。と、ぱらぱらだった雨が大粒のどしゃぶり~!水煙で、風景が霞むほどだ。ちょうど下校時間だった子供たちは慣れているのか、ゆうゆうとずぶ濡れで、動じる風がない。 その日のお宿「民宿いっぱち」は、まだ新しさの残るバリアフリーの建物で、小さいながらもお掃除が行き届き、気持ちがよかった。いかにも、目配りの利く範囲だけで賄っています、という良心的な家族経営の民宿。食事のアレルギーや好き嫌いにも、真剣・丁寧に対処して下さった。部屋の大きな窓からは、ウッドテラスに下がったすだれ越しに明星岳がそびえている。 周囲は、畑というか元畑というか空き地というかに囲まれ、道路沿いでも実に静か。住宅地からちょっと横に入ると、あっという間に野太い自然に凌駕される世界なのだ。そんな風にポツンとある宿だから、野性動物も、夕食時にエサを狙ってやってくる。 見事なビッグママ猫と息子猫?人懐っこくおねだりされてヨロメクが、餌付けは厳禁。お宿のアイドル「社長」君の健康のためだというから、ここは切なく我慢した。 一度くらいは島定食みたいなものを食べておこうと、この日だけが宿の夕食。 トッピー(トビウオ)は、味も脂っ気も臭みもなく(不味そう?)、魚嫌いには嬉しい美味しさ。クツ海老は和歌山にもあるが、初めて食べた。濃厚な味わいだった。豚の軟骨も、アオサのおつゆも、刺身の代わりの厚揚げも、ツキアゲ(トビウオのさつま揚げ。定番おかず)も、野菜サラダも、ご飯だっても、それぞれに豊かな味で美味しかった。お湯割り焼酎の、口当たりのなんとなめらかなこと。水が良いって、美味しい。どんな調味料でも作れない、なんてしんみりとした美味になるんだろう。 因みに、「鷹」の大阪風お好み焼きは、大阪でも引けをとらないほど美味しかったらしい。水が良い、素材の良さが問われるお好み焼きって、初めてかも。タコ焼きは、善良に贅沢で.....、マヨネーズをさっ引いても濃厚過ぎた。タコ焼きなんてものは、卵も粉もうんとケチって、だから美味しくなると私は思っている。 お役立ち情報/レンタカー編島の公的交通機関はバス。本数は少なく料金は高い。やっぱり、レンタカーが一番か。大手や地元店など複数あるが、宿同様、ネット予約可のレンタカー屋から埋まっていく。値段はガイドブック割引きとか、乗り捨て無料とかで、それなりに似た金額になる。メイン道路の県道は島を囲み、縦横に抜ける道がない(島の中央部は山山山山ですから)ので、迷いようがない、が。全体、標識が少なく、観光地や店は一歩横道に入ると、間違いなく迷う!でも勢力外なので、ナビ(軽自動車は有料)は無用だとレンタカー屋のお姉さんは言っていた。因みに少人数なら、山道ではアカンタレだが、軽自動車が小回り利いて無難かも。ほら、燃費いいしね。(島のガソリンは、遂に200円突破!2008年7月現在) ********************************************************* 遠位型ミオパチーという病気を、ご存知ですか? 遠位型ミオパチー患者会HP http://enigata.com/ オンライン署名 http://enigata.com/sign_mail/sign_mail.html 病と闘っている全ての方々が、少しでも安心して、一刻も早く、治療に専念できるよう、 どうぞ、ご理解とご支援をお願い致します。 参考:なぜ、難病及び特定疾患の認定が必要であるか。 「オーファンドラッグ」について。
2008年08月08日
一体何時になったら屋久島に上陸するんだろう。上陸出来るんだろうか。鹿児島南港ジェットフォイル乗船場のコインロッカーに荷物を預け、大急ぎで桜島行きのフェリー乗り場に向かう。2時間弱の鹿児島滞在時間を、どのように有効利用するか。(空港バス所要時間50分除く)1. 鹿児島ラーメン(昼食時間には、早すぎた)2. 温泉銭湯(せっかく塗りたくったUVが流れ落ちて、面倒)3. 黎明館(港から遠い上、一日遊んでしまう)4. 水族館(港に近いが、やっぱり一日遊んでしまう)5. 大河ドラマのセットを利用した「篤姫館」(港に近いが、弥次が無視)で、なんでか、一番人気のなさそう(笑)な桜島に行くことにした。フェリーは、10分おきぐらいに就航していて、所要時間も片道15分程度、しかも100円。この日は社会実習(なんて言うのかな?)で、中学生が操舵室にいた。下船の時には、船員さんと一緒にタラップでお見送りもしてくれる。いいな、羨ましいな、操舵室。この授業だけが、私が唯一賛成する教育改革だ(笑)。 @桜島山と溶岩帯桜島の港すぐ近くの「大正溶岩原」にある遊歩道をてくてく歩く。黒い溶岩の隙間からひょりと待つの若木が覗いている。上海の岩石庭園かSF映画みたい。私が子供なら、絶対、宇宙戦争ごっこしちゃうな。皆様、桜島って、いつ陸続きになったかご存知?大正時代の大噴火以来ですって!もっと大昔からだと思ってました、ワタクシ6( ̄∇ ̄;)この遊歩道には東屋があちこちあって、工事作業員や釣り人に昼食場所として活用されている。そのせいか遊歩道のはずなのに、単車は乗り入れるわ、軽自動車はくるわ、軽トラまで走ってるわで、フツーに道路やん。真っ昼間かんかん照りの下、一人で歩く私が珍奇なのか、運転手のどなた様からも熱視線だった。いや、遊歩道ですから。 わずか40分ほどの桜島滞在。わずか往復30分に満たない船旅。潮風が気持ちが良かった。ジェットフォイル船には、甲板がない。船内もウロウロしちゃいけない。だから桜島に寄って、小さくても船旅がしたかった、風と潮の匂いを感じたかった。因みに弥次は、桜島マグマ温泉(ナイスネーミングな国民宿舎)へと別行動。ナイスビューな鉄泉で大層よかったらしいが、温もり湯で大汗をかいていた.....。 さて、トッピー乗船前に昼食でも、とラーメン屋さんに入ったのが大失敗。鹿児島なのに福岡ラーメンだね、憎まれ口を叩きながら、ラーメン遅いぃと、時計を見る。12時55分。トッピーって13時10分発でしょ?!13時半発やろ?と弥次。えぇ?そう?!行程表を確認............、10分発。店員さんに叫ぶ。船の時間、間違えてたの、食べる時間ない!(間違えてたのは、弥次。私は、現在時間を把握していなかっただけ。どっちが悪い?)店員さんの手元には、湯気の立つラーメン鉢がぁ!お金払いますぅT.Tお金はいいから急いで下さい、だって!なんて、親切なんだろう(感涙)。店中の注目を浴びながら、走り出る私達......。食事どころか、座席券に変える時間さえギリギリやん!(で、窮屈な席しか残ってなかった。)売店で、ちゃっかりサンドイッチは購入したけど。(濃厚な味で、ボリュームがあった)鹿児島南港の商業施設ドルフィンポート内「筑豊ラーメン 山小屋」です。お願い。どなたか食べに行って、御礼方々この弥次喜多の分もお支払い下さい。 お役立ち情報・有意義なStay The 鹿児島欲張らずにドルフィンポート内で食事して、お土産物屋さんをひやかして下さい(笑)乗船場には売店2つと食堂が1つ有り、お弁当も売っていますが早めの購入を。港でしか座席券引き替えが出来ないのは、ドルフィンポートで散財させる算段かとも邪推している。 @桜島のフェリーターミナル。 遠藤保仁選手(ガンバ大阪のMF)への応援横断幕がたくさん掛かっていた。 Forza!ヤット!!(海外行くと、体調悪くなる子だから・・。ホドホドに・・・が、心の声。)-----------------------------------------------------------------------------遠位型ミオパチーという病気をご存知ですか? 友人のブログで当更新直後、みつけた記事です。私自身、この病気のことは知りません。ですから、教えてくださる方がいれば、との思いもありリンクいたしました。是非ご一読下さり、知ってくださる方が一人でも増えれば、と希望するとともに病に悩む方々、また、そのご家族様の尊いご努力に幸いあること、心よりお祈り申し上げます。そして、皆様方の優しいご同意が得られることを願うと同時に、この記事に目を留めてくださいましたこと、心より感謝申し上げます。有難うございました。 (15:50追記)※8月6日 21:50 リンク先を「遠位型ミオパチー患者会」のHPに変更。このアドレスを、お持ち帰りくだされば、幸いです。
2008年08月02日
@鹿児島南港。桜島と高速艇。実は、ロケットの方だったりする...(笑) 国内線であっても久しぶりの飛行機は、8時10分発伊丹発のANA。平日の早朝、始発バスも電車も想像以上に乗客が多く、皆、お仕事人のようだ。ごめんなさ~い♪私、今日から旅に出ま~す♪♪世界自然遺産の屋久島なの~♪♪♪梅雨も明けたし、屋久島で青い海を見て、昼間っからビールと島酒、飲んで来ま~す! 機内は満席だったが、名物スープを頂く内に予定通り8時20分 9時20分鹿児島空港着。 (ミグだから早いのよ!...( ̄∇ ̄;) ご指摘、有難うございます。8/11日訂正。)私達は屋久島行きのボンバル機ではなく、港へと向かうべく鹿児島市内行きのバスへと乗り換える。このリムジンバスは1200円もするのに、なんと港への乗り入れがない。終着バス停から15分近く、徒歩かタクシーしかないという不親切な不便さ。鹿児島素通りは許さんでごわす、てか?料金追加でいいから港まで乗り入れして下さい。暑い。梅雨明けした南国の日差しに、肌の焦げる音がする。熱せられたアスファルトの温気が、足元から這い登り纏い付く。港近くの氷屋さんでは、コンテナ用に需要が多いのだろうか、男性が5人も働いていた。店先ではかき氷も商っているらしいが、まだ準備中で、食べれず残念。 ジェットフォイル船「トッピー」は、13時10分に鹿児島南港を出発。進行方向右手に桜島と、天気がよければ薩摩冨士の開聞岳が見えるはず。左手には、ずんずんずんずんといつまでも佐多岬が見えている。なんだかいつまで経っても、錦江湾なんだな~。船内のTVは電波が安定しないのか、ひっきりなしにチャンネルが変わる。たかが1時間45分間、京阪電車のテレビ同様(笑)、不要だと私は思うけど。屋久島環境保全のレクチャービデオだけでいい。興味深いし役にたつ。HOW TO 屋久島野外音入れとか、ね。飛行機でもこのビデオ、流すのかな。 キラキラと明るい海の前方、黒く渦巻く雲をずっぽり纏った峨々たる山容がそびえている。う~ん...、あれが屋久島かぁ.....。なんだか暗くて、不吉じゃないか(笑) さて、屋久島上陸前にちょっと寄り道しますが、その前に。果たして、上陸するのか?! お役立ち情報・トッピー編(鹿児島商船運行)鹿児島~屋久島(あるいは種子島)を結ぶ高速船は、独占企業だった鹿児島商船(株)のトッピーにコスモライン(株)のロケットが低価格で殴り込みをかけ(全国ニュースにもなった)、あおりを食ったのが、島の生活物資輸送船でもあるフェリー屋久島2。島のあちこちで、航路廃止反対の看板を見かけた。何だかな~...。 潮風に当たれなくても船旅は、せめて窓際で気分を出したいもの。その窓際座席確保のためには、(1)予約券→乗船券(予約した場合のみ) (2)乗船券→座席指定券と、交換していきますが(2)は乗船1時間前からしか受付しません。(良い席が欲しいなら、港に1時間も拘束される...)乗船券は、天文館バス停前(リムジンバス降り場)でも購入できますが、座席指定は不可。なぜ、乗船券購入時に座席指定が出来ないのか?なぜ、港でしか出来ないのか??多分、オンラインじゃないから..。窓口係員が、手作業で座席表を埋めていく丁寧さ。シンジラレナイ........。隅っこマニアじゃなければ、二階後方に席を取った方が、視界が広がって良いかも。目の前がTVという窮屈な席有り。(時間ギリギリで席がなく、往路はここになった...)以上、トッピー情報でした。(今回、ロケットは利用していないので) 白谷雲水峡で出会った子供ヤクシカ。 ごりかり、木の皮を食べていた。見ていただけなのに、泣きながら逃げた。
2008年07月30日
本当は、上高地に行こうと思った。 上高地と白神山地、そして屋久島は、かねて憧れの大自然だ。(ミーハー)ところが、思い立つのが遅いから信州方面は、希望の温泉地がどこも満杯。夏休みだしね~、しかも信州の宿は、思いの外、高いんだ....。う~....、熊本に用がある(大分ではない)し、阿蘇山麓を再横断もいいかな~。一人旅(したかった)のつもりだったのに、旅の相棒・弥次公が屋久島なら行くと言い出した。体力のある内に、車では行けないところに行っておきたいんだと。弥次も行きたかったなんて初耳だけど、ま、旅行会社に軽く(笑)聞いてみましょ。希望日はすでに満杯。私、常々思うんですが、こうなると意地になりません?ちょっと聞いてみてぇ....、のつもりが、一挙に、何が何でも屋久島・モードだ。日程も宿泊先もあれこれ当たってもらい、気付けば申し込まざるを得ない状況になっている(笑) 申し込んだ後の冷静さで調べると、屋久島の梅雨明けは例年7月中旬頃。それでなくても雨降りの島なのに、終い梅雨のドカ雨に遭遇するかも知れない.....。えぇっ?!トレッキングシューズって、「登山」靴のこと!?トレッキングって、ハイキングにケが生えた程度かと思ってた......。雨が多いからジーパン不可、レインスーツ必携とある。百均のやったらあかんのん?しかも介護ボケしたこの体。本当なら雨の多い大台ヶ原で足慣らし、といきたいけど、到底その時間を作ることは出来ない。 行くぞ!屋久島!!体力果てても、会うぞ!縄文杉に!!(だから、行ってないってば)んで、とりあえず通勤時の自宅~駅間を歩くことにした。バカにしたらアカンよ。往路20分(下りと平坦な道だから、小走りで。但し、駅前が心臓破りの坂)。復路30~40分(逆にダラダラ登りになるし、遅刻の緊張もないし)。これを、ミュール(ツッカケちゃうで)で歩くのだ。筋肉もちょっとは使うって。おまけにこの蒸し暑さ、会社に着いたら汗でスッピンに逆戻り!の過酷さぞ!! お役立ち情報・装備編(暑い季節照準です)滞在中、トレッキングは一回こっきりなら別だけど、あそこにもここにも行きたければ、甘く見ない方が良い。1.トレッキングシューズが楽。濡れない、滑らない。 (虫が多いので、素足にスポーツサンダルもどうかと....)2.汗や雨で動きづらくなるので、ジーパンは不向き。 せいぜいジャージかスポーツ用速乾パンツ(短パンは虫や草に襲われて平気な方のみ、どうぞ)3.百均のレインスーツは、枝にひっかけて破く可能性大。使わなかったので、機能的には未知数。屋久島には登山用品のレンタルもあるし、装備を惜しまない方が体力の無駄遣いをせずに済む。あなたが身軽な子供か、体力だけは持て余している若い男性じゃない限り。 ※因みに私はネット予約ができる登山用品店で、靴、レインスーツ、ザックカバーをお願いした。 速乾Tシャツにユニクロの速乾パンツ。シーズン的に七分丈しかなかったのが、無念。 コメント欄を開きましたが、当面、お返事は出来かねますので、お察しの上ご容赦下さいm(__)mじゃぁ、なぜ閉じたままにしとかないのさ。だって、ケータイの時、掲示板はPCビュアーじゃないと見れないし、高くつくんだもん.........。 15cmは、あった。2匹もいた。わくわく。その後、1.5cmのミニミニカエルにも遭遇したが、小さすぎてどこに写ってるかわかんない。
2008年07月25日
那智の大滝、日本一の飛沫を浴びても、山上のお寺参りで汗は引かない。温暖化が叫ばれて久しく、それでもようよう冷たい北風も吹く今日この頃だが、なにせ、この旅行は9月初旬、暑さもまだ勢いのある頃で、塩吹くような汗だった。 那智のお山とR42を結ぶ、大型観光バスも走る道路沿い、実は秘湯がある。行き交う車は、絶対に!温泉があるなんて思いも寄らないはずだ。どうです! 真正100%の源泉掛け流し、お湯を受けた手はつるつるし、硫黄の匂いも残る。う~ん、もったいな~い、こんなにいいお湯、土に帰るだけ~?そういうあなたに、お勧めなのが「那智天然温泉」。この名もなき(あるのかも知れないが)温泉の兄弟源泉と思われる。 林の中に佇むのは、プレハブの管理棟(小屋?)と温泉棟、そして温泉プール。靴脱ぎ場を見れば、先客達は(高齢の)地元の方とすぐに知れる。 おそるおそる、風呂場の扉を開けると...、屋根はビニールシート、床はコンクリート。さしずめ、壁をブロックで積み上げたビニールハウスを想像して頂くと、近い?5人は入れる浴槽は、コンクリートのふちに岩をはわせているのが、ご愛敬。その中に、家庭サイズの小さな浴槽が入れ子式になっており、加温湯が張ってある。惜しみなく投入される源泉は、人肌で湯の花舞う極上品だ。 混浴露天風呂は、椰子の木やカンナに囲まれ、南国趣味とでも言おうか。子供用プールほどもあるこの岩風呂は、床がコンクリートの打ちっ放しで、ごつごつと足裏健康法に適している上、たまに鉄筋も顔出しして危険でもある。先客はおばあさんがお一人、湯口に陣取り、自家製美容液でマッサージ中。温い湯だったが、こちらがのぼせ上がる頃でも、ゆったりとおくつろぎで、贅沢なエステタイムを、堪能されていたようだった。プレハブハウスの雑多な休憩室では、おじいさん達が、将棋を指して賑やかだった。この溢れんばかりの良泉を、開発業者に渡すことなく、まるで己の理想郷を追求するべく、手作りでこつこつと積み上げてきた、信念のリゾートがここには、ある。 大阪への帰り道は、素直にR42を走り高速道路に乗ることにする。そのR42沿い、以前、よく借りていた親戚の家のほど近くに新しい日帰り温泉「長生の湯」が、出来ていた。 脱衣場は4人もいれば窮屈なほどだが、ゆったりした内湯と露天風呂が2つ。このお湯は、私がよく遊びに来ていた頃には、42号線沿いの裏山にあった、地元の方々が利用する温泉銭湯だったはずだ。山の上から幹線道路沿いに引っ越して、建物は古材も活かした和風になり、100円か200円だった入浴料は、500円になった。もう暮れなずむ頃合いなのに、観光客は途絶えないが、地元の方の姿は見えない。それでも中味は、白浜に多い潮気のある温もり湯に変わりはない。かつて、銭湯温泉があった崖の上から、一本の楓が露天の浴槽にさしかかっていた。紅葉の頃なら、湯面に赤い影がさし、落ち葉は、湯にたゆとい錦を織るだろう。さすがに涼気を含む夕風の中、手足を伸ばして、そんな風景を想像していた。南紀・和歌山には、険しい山、荒れる海で生きてきた人間達への、神々のささやかな恩寵に満ちている。 長い長い南紀縦横の旅がやっと終わりました。お付き合い下さり有難うございます。高野山から酷道を経て、「丹生ヤマセミ館」と「アイリスパーク」で日帰り入浴、志原海岸まで南下して「リバージュスパひきがわ」で一泊。2日目は昼近くまで海岸で遊び、勝浦で昼食後、新宮市の「神倉神社」拝観後、湯快リゾートの那智勝浦「越之湯」で一泊。3日目は、補陀洛山寺→那智の大滝→那智本宮→青岸渡寺と那智聖域巡り「那智天然温泉」で入浴後、勝浦漁港で遅い昼食、R42を白浜まで戻り「長生の湯」でまたも入浴、一路、阪和自動車道で帰阪。紀伊半島を縦に横にと、ずいぶん走り廻っていますが、昼食は茶粥にお蕎麦、スポットは、寺社の拝観と日帰り温泉!宿泊料金は2泊で、2万円未満!!なんだかな~..............、清遊が趣味じゃないんだけど、しかもさぁ......両手で足りないほど白浜に来ているのに、名物パンダをまだ見てないよっ!! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、しかも、更新逃げが続いておりますm(_ _)m来週、成人式が済むまで、こんな調子のようです。だからと言う訳ではありませんが、ご一読いただき、しばし一時お付合い下されば、大満足ですので、読み逃げ結構、大歓迎です。いつも皆様方にお出で頂き、心より感謝しております。有難うございます。
2008年01月06日
【1月2日 追記】 T.T 元旦に更新したのに、下書き保存していたため、うっかり日付がそのままです。2008年1月1日の日記です! 行場という物は、宗教哲学に照らした時、異端の匂いがするものだろうか。歴史が古ければ古いほど荒々しい、叫びにも似た信仰を見る思いがする。そこにあるのは思想ではない、天空が司る運命への畏れだ。 まずは、那智勝浦町「補陀洛山寺」(ふだらくさんじ)へ。小さな船に30日分の水、食料、油だけを積み込み、南方の海はるか観音浄土を目指す信仰「補陀洛渡海(ふだらくとかい)」、その基地となった寺だ。古く9世紀頃から始まった荒行らしいが、江戸中頃以降、住職の亡骸を生者に見立て船に乗せる、水葬の儀式に変わったという。補陀洛山寺の住職や修行者が、民衆や己の業を背負い、死を賭して行う荒行を思う時、現世とは、かくも生き難いものかと、ため息が出る。住職本人の自発的行為も、もちろんあったろうが、やはり、しないでは済まされない社会的制裁も、また強制もあったようである。那智以外にも、室戸岬、足摺岬、有明海に、基地となる寺はあったらしく、霊峰と言われる山と海が近接している地形が、仏教世界の地理に通ずる故らしい。 果たしてどんなドラマが、今に伝えられているのかと思ったがお堂をぽつりと持つ小さなお寺は、街中にあっけらかんとして残っていた。渡海船の原寸大の模型と、お堂の背後に祀られる行者のお墓、小さな説明板がそういう信仰がかつてはあったと、語るのみだ。隣接する熊野詣のお社には、この地がかつて、一面の森だった名残、樹齢800年の夫婦楠が、今も枝葉を繁らしている。その木陰で地元の方が数人、しめ縄にするのだろうか、藁を綯っていた。 何度行こうが、那智勝浦っていったら、那智大滝は外せない。日本は、高低差の激しい国土のお陰をもって名瀑に事欠かないが、なんと言っても一番は、落差133メートルもある那智の大滝。那智飛瀧(ひろう)神社(那智大社の別宮)のご神体、そのものだ。古来、熊野詣としても、修験道の行場としても名高かったが、神道としての正史は新しく、明治以降だ。境内は、日本一の飛沫をうけ、季節を問わず乾くことがない。滝の定番・不老信仰もあり、百円?の志納金で、滝のお水を飲むことが出来るが坂と階段を頑張って登れば、滝を見下ろす青岸渡寺の手洗鉢にも溢れている。滝のお水は、甘露甘露という言葉まんまだった(浄財不要 笑) 瀧を育む山は、かつては広大な原生林だったらしく点々と瀧が存在し、その一つ一つが行場だったのだそうだ。吉野、熊野と、広大な行場を揺籃する和歌山、奈良、三重一帯。都に近くもあるようで、厳しい道のりで遙か、隔てられた地。歴史の闇も欲望の蠢きも、また、底抜けの清明さをも併せ持つ地。木が、水が、土が、風が、日光が、沸きいずる雲が、そして大気が、永年、信仰を受け、その刻まれた記憶を、私に囁きかける。人は、畏れを忘れてはいけない。人は天の目が、常にあることを忘れてはならない。 さて、この那智大滝だが、途中の岩盤によって三筋に別れて落ちることから別名「三筋の滝」と呼ばれている。いつほど昔のお話なのか、厳しい修行に耐え抜き、ついに仕納めを迎えんと修験者は、ようよう那智の大滝まで辿り着いたはいいが、その巨大な女神の御姿に度肝を抜かれ、腰を抜かしたと伝えられている。 なるほど、三筋の滝を眺めれば。その修験者が修行を無事に終えたか、徒にしてしまったのかは、知らない。 潔斎鍛錬の暁には、原生林を分け入り、那智48滝巡りの野望を持っています、が、まずは那智って言えば、那智黒♪(那智の碁石を象った黒糖のアメ)いやいやなんせ、暑うございましたのでね、黒あめソフトです(@寝ぼけ堂) 黒糖の味でした(それだけかいっ!) お立ち寄り下さり、読んで下さっただけで、深謝深謝です。読み逃げ大歓迎!!まだ、和歌山が残ってるんだもん 最後になりました。新春を寿ぎ、ご挨拶申し上げます。旧年中は、数々のお心遣いを頂戴し、誠に有難うございました。本年も、思い込みブログながらご厚誼を賜りますことどうぞ、よろしくお願い申し上げます。子年が、皆様方にとりまして、お心安らかなよき事に満ちますように。
2007年12月27日
湯快リゾートというグループを、ご存知だろうか。 オン、オフシーズンを問わず、365日7800円均一料金。伊豆を根城に、かつての老舗大型温泉旅館が傘下だ。南紀も近年、大きな器を持て余し、安売り合戦と化している上、傘下旅館が3軒もあり、事情の厳しさが推し量られて、寂しさがよぎる。んでも、お安いことは有り難いし、なにせお湯には定評のあった「越之湯」だ。船でしか行けない露天風呂「らくだの湯」にも、入ってみたかった。 さすがは、昭和天皇もお泊まりになったという、格式高い旅館が器だ、近頃、お寺以外で、こんな威風堂々たる(笑)瓦屋根は見たことがない。とかく、南紀の接客は評判が悪かったが、グループは仲居を置かず、少人数であたるフロントや売店の応対は、的確・丁寧である。各部屋には、持込み用として冷蔵庫を備えてあり、館内の自動販売機も、他は高うにボリまっせと、いう下品さもない定価販売。 今回、ぎりぎりの日程変更をし、それでも「海が見える部屋」の要望は曲げず、予約係は、お勧めの部屋ではないような応対だったが、いやいや、私には逆に嬉しい、木造の旧館部分に通された。明かり取りの坪庭を囲み、古い建物特有の優雅な薄暗さを、廊下に漂わせている。部屋の窓はやや小さめだが、それでも漁港の景色は堪能できる。所が、部屋にはすでに布団が敷いてある。手入れの面倒な障子も撤去され、合理合理が、手際よく片付けた気分で、ちと侘びしい。いっそ「お客様が、お好きに敷いて」で、いいんじゃない? お風呂は、館内3個所(露天風呂、ジャングル露天風呂、露天付大浴場)+足湯+ラクダの湯。室内の洗面所も塩湯の温泉で、大浴場のみ硫黄泉の掛け流し。さて、お楽しみのラクダの湯は、700円の渡船料(湯浴み着付き)を払って、船で半島をぐるりと回るのが、なんとも嬉しい。岸壁に降ろされると、お迎えが来る1時間半後まで、総勢25名、2つの浴槽に浸かり、海を眺めているしかないのだが、「そして誰もいなくなった」(byアガサ・クリスティ)状態を想像しながらってのも、ワクワクして、相客とストーリー作りなんかをしてみた。なんにせよ、砕ける波を見ながら浸かる、湯の花舞う硫黄泉は、別天地なのだ。 風呂上がり、食事までのしばしの間、部屋でゆっくりビールを飲んだ。窓を大きく開け放ち、内海の優しいさざ波の音に身をゆだねる。暮れてしまえば、対岸の巨大ホテルも闇に溶け込み、万華鏡の夜景と化した。従業員を乗せた連絡船か、漁船なのか、船の灯りが海に漂う。これは、先ほど浸かった塩湯の匂いだろうか、肌からと海からと、二つの潮の匂いが混ざったようだ。 さて、お食事は朝・夕共に、かつての大広間や宴会場をぶっ放した風の大食堂で、バイキングです。お刺身、天ぷら、にぎりに焼き魚、肉団子やシュウマイ、鶏の唐揚げ、サラダバー、フルーツ、デザート諸々...............。何を食べたっけ、写真はありません(笑)いっそ、外で美味い寿司を食うぞと、割り切るのも方法かも。朝ご飯の茶がゆは目玉が映りそうで、オリバーツイストを思い出してしまいました(笑) そうそう、ラクダの湯には、飲料水とお手洗いがありません。脱衣場は浜茶屋程度ですので、極力、身軽がお勧めです。女性の湯浴み着は、浴衣風の病院寝間着みたいなの、男性は百均のトランクス(笑)女性は、ちゃんと押さえてないと、ぶわりと裾が浮き上がるし男性は、.........、こぼれます。奥様に怒られているご主人、数名。うん、見たくはないぞ(笑)なぜ「ラクダの湯」か?ラクダに見える岩が、浴槽の真向かいにあるからです。※ お暇とお時間のある方は、写真の上にカーソルを乗っけてみて下さい
2007年12月10日
夏・冬と2回、毎年のように南紀白浜を訪れていた時期があった。 親戚の海の家があったので、そこを足場にあちこち巡ったのだ。温泉は引いてあったのだが、温泉銭湯や日帰り湯に日参し私の年間利用日数は家主よりも多く、また土地にも明るくなった。それなのに掃除や料理が、段々おっくうになって行かなくなり親戚宅も面倒を見る人がいなくなって、数年前にその家を手放してしまった。 鮎釣りのメッカ・日置川が流れ着く志原海岸は、その頃から良く通った。波打ち際すぐ、急激に深くなるので波が荒く、海水浴に向かない。だが人気のない広々とした砂利浜も、澄んだ海も、釣り客の多い磯場も抜き手を切らない(笑)私には、格好の遊び場だったのだ。その浜辺に国民宿舎「ふるさと荘」はあった。温泉天国・紀州にあって温泉に恵まれず、古寂びた鉄筋コンクリートの建物は、真夏でも満室になることもなく、ぽつんと潮風に吹かれていた。 ミレニアムの頃だったろうか、町はついに、海底から念願の温泉を掘り当て、唯一、「ふるさと荘」だけに引かれることになったのだ。その翌年、日帰り入浴のため「ふるさと荘」に、初めて足を踏み入れた。清掃は行き届いているものの、天井は低く、ロビーのソファはスポンジがはみ出し、薄暗い廊下には、消臭剤の刺激臭が満ちている。......、旧ソビエト連邦のコルホーズ系宿舎とは、こんな風だったんだろうか。せっかくの海の眺望を持ちながら、裏手側にある浴室からは、生い茂った薮しか見えなかったが、温泉は柔らかなぬめりを持ち、極上品だったのだ。勿体ない..、温泉、眺望、これに小洒落た建物なら、わんさか客が来るだろう。 考えることは、誰しも同じだ。温泉掘削と同時にあった計画なのだろうか、国民宿舎はほどなく廃業し、その跡地に、日帰り温泉メインの「リバージュスパひきがわ」が、建ったのだ。延々、山中を走行し辿り着いた宿泊地は、今回、二度目となるここだ。大型ホテルではないが、南欧風に明るい建物に、旧ソ連の面影はみじんもない。全客室は海に面し明るく、かすかに磯の匂いが漂っているのも旅情というもの。 海に大きく開けた大浴場は、陽が沈む頃に入るに限る。スパリゾートの名に恥じず、6つもの浴槽と露天、サウナを備え、国民宿舎時代とは打って変わって、地元客、観光客と大賑わいだ。まだ明るい夕日を浴びて、うぅ~んと手足を伸ばしたのは、加温・加水、塩素も無しの、35℃ぐらいの源泉浴槽。静かに溢れ出るその湯は、ふるさと荘の頃と変わりなくまだ厳しい9月初旬の日射しに灼かれた肌を、柔らかく静めてくれる。湧出量の割にいくつもの浴槽を作れば、循環も止む得ないが、小さくとも源泉浴槽も設ける。良心的というよりも、自慢したい大事な大事な温泉なのだ、きっと。 日帰り客の時間帯も終わった夜間、さすがに宿泊客もおらず、広い風呂場に、私は一人。(これはこれで、恐い。)常に客で賑わっていた露天風呂に、ゆっくり浸かってみた。まったり感は循環で弱められるが、潮風の強い日なら、塩湯になってお得だ(笑)ガラスの塀の向こうは真の闇。時折、タンカーだろうか、灯りの移動で水平線が知れる。湿気た夜の帳は、潮の香に満ちている。砂利浜の故か、志原海岸の波音は、さらに大きく世界を征し、この球体に息する物は、私が一人、孤独な獣がいるだけなのだ。この幻惑に、いつも私は魅入られ、海へと誘われる。 お夕食はごま豆腐、モズク、豚の角煮。牛肉の陶板焼きは、お刺身の替わり。炭うどん(普通の味....)。茶碗蒸し、梅肉を鱧で巻いた天ぷら、デザートもありました。小じゃれて綺麗には、作られています。休前日泊で、確か9000円ちょっと。お料理、お部屋選択も出来ますが、いつも安いお部屋で充分、満足です。あ、因みに終わったのは酷道で、和歌山からは、まだ帰ってないから。
2007年11月07日
初めての温泉にも入ったし、満腹だし、後は、海を目指して酷道をひた走るだけ。川沿いの道の下り方向を選択していけば、間違いは無いのだし どちらにせよ迷うほどの道数はないので、人力ナビも必要ない。さしかける木々を受けて、車内まで緑色に染まるのも心地いいが、たいがい、飽きるぞ...、植生は杉だけだし、延々、視界の広がらない山の中。と、道の端っこに、「塩竃神社○キロ →」とベニヤ板にペンキで文字を記しただけの、手製の小さな道しるべを発見した。「こんな山の中に神社...」一体、誰がお参りするんだ。といっても、二度とは遭遇出来ない神社に違いない。行くことにした。っても、一本道だから、イヤでも向かうのだ。 いくつかの道しるべに導かれながら、20数キロは行ったろうか、(何度も書くが、道は1本。必要度はどんだけ~。)参道(さらに山道)入り口には、縁起を記した大きな看板が設けられていた。道中も周囲にも、家一軒ないのである。誰が、いつ、お参りするんだ.....。「家畜を襲おうとした大蛇を退治し、東北から塩竃神社を勧請した」のが縁起で、この神社は、その勧請した人物が住んでいた屋敷跡にあるのだそうだ。なぜわざわざ東北からなのか、義経の家来が西に落ち延びたとあるので、紀州の山深くに身を潜め、遠く平泉の地を偲んだのかもしれない。 小さな神社は、どなたが手入れなさるのか、きれいに掃き清められ石段も手水舎も、修復されたばかりのようだった。小さな休憩所もあり「記帳してからお参りされると、さらに有り難いことです」と、書かれている。和綴じの大層立派な帳面によると、どうやら週末毎に、1組程度の参拝者はあるようで山中さまよう観光客が、退屈しのぎにお参りするのかもしれない。道しるべも縁起も境内の案内板も、全て同じ方の手による文字に思われた。子孫の方でもあろうか、参拝者は稀でも、大切にお祀りされている神社なのだ。 さて熊野古道に沿うように、二車線もある(笑)R311に出会えた所でツレがここまで来たら、是が非でも入りたい温泉があると言い出した。日本一のぬるぬる湯、なのだそうだ。せっかくの快適な道に別れを告げ、温泉の看板を探しながら、里を抜け、川を渡り、辿り着いたそこは........、「アイリスパーク」という、コテージもあるキャンプ場なのだが、アプローチには、鳥を飼っていたような檻が積み上げてある。山小屋風の管理棟周辺にも、鳥小屋らしきものがコテージに混ざって建てられ、目当ての「女神の湯」と大書きされた建物よりも、何よりも目を引くのは、動物園にでもありそうなイヌワシの檻.......。おぉ、さすが猛禽、かなりの異臭だ(笑)。向かいには、軍鶏もいるし小屋がけの檻からは、ジャーマンシェパードが2頭、私達を見張っている。オーナーの女性によると、ベルーガも飼っているらしい。物好き動物好きのくり乃々でも、さすがに腰が引けるここは、私設動物園? 鳥小屋に恐れをなしたが、お風呂のお掃除はピカピカに行き届いている。タイルもピンクの花柄で可愛らしいのだが、ぶった切ったパイプから、ふつふつと注ぎ込まれる温泉を受け止めるのは、かつて見た事もない、巨大なポリのバスタブ.........。5人は入れるぞ。男性用にも相客はいない様だ、大きな窓を開け放ち、山の風を楽しむ。時折、鳥のさえずり、なんて可愛いもんじゃなく、奇声が聞こえてくる。確かに、ぬるぬると優しく肌にまつわるような温泉は、日本一かもしれない。が、ハッキリ言って、泉質も浴感もぶっ飛ぶワイルドさ、っていうかなぁ.....、和歌山の豊かな山の恵みは、懐深いというか神秘的というか不思議ワールドにようこそ、とでも言っておこうか....。 因みに女主人は、色白ツヤ肌(温泉効果?!)で、上品な物腰の親切な方でした。「アイリスパーク」は民宿もしていて、メニューにシャモ鍋が新たに加わりました。..............T.Tペットじゃないの?キャビア丼もあるの? うっふっふっふ、たくさん足跡、つけてね^0^ 20:30追記m(_ _)m申し訳ありません。限界に挑戦するため(笑)、しばし留守に致しますので、週末まで、更新逃げとさせてもらいます。今から出発なんです。ごめんなさい。コメントにて足跡を残してくださると、さらに有り難いことです(笑)秋が、大急ぎでやって来ました。お風邪など召しませぬよう、ご自愛ください。
2007年10月18日
龍神温泉にも寄らず、ツレが入りたかったのは、「丹生ヤマセミ温泉館」という。 2車線あり整備行き届いたR371から、...、名もない酷道を辿る。遠回りすれば、まだ安全だろう道ではなく、酷道を選んだのはツレだが、残念ながら私はナビが出来ない。地図が読めないのではなく、見ると車酔いするのだ。(と、言っておく。)で、しょうがない、ここだけは私が運転手だ。だから停車して、高い青空の写真とススキの穂なんかも、撮影してみる。これこれ、この秋の風景が見たかったの。日射しは突き刺すほどに、厳しく暑かったけれどやはり、大阪よりも一足早く、萩の花もあるか無きかの風に揺れていた。 (旅行は9月初旬でした) 因みに、この旅でも使役された我が家の車は、4駆でもなんでもない。ハイブリッドの重い車体を持ち、ハードな山道を走るようには出来ていない。手入れもろくにされず、長距離も滅多にない老人家庭の老車なのに。可哀想に、車のタメイキと関節のキシミが聞こえてくるようじゃないか...。 和歌山山間地には、整備された道は少ないが、集落が無い訳じゃない。峻険な谷底にあった川と道が接近する頃、ぽっかりと山が切れ遭遇する。「丹生ヤマセミ温泉館」も、そういう集落の小学校廃校跡にある。今では森林公園と名をつけ、何軒かのログハウス風コテージもあり、この日も子供連れが数組、宿泊するようだった。 龍神村特産の杉を多用し、渓流に向け大きく窓をとったお風呂場は明るく清潔で、気持ちよい。塩素臭も入った瞬間に気が付く程度で、さほどでもない。単純泉だそうだが、静かに溢れ出るやや濁ったお湯と、植え込みから伺える清流とが、気持ちの良い山の温泉なのだ。相客は、日帰り温泉ツアーとおぼしき6人のおば様団体、彼氏とドライブ♪という若い女性と、結構、混み合い内湯、露天とてんでに散らばれば、写真は撮れない。 お風呂から上がると、頃合いよろしくお昼時。畳敷きの休憩室兼用の食堂は、土・日祝のみの営業だが、麺類、ご飯物と揃っている。が!ここはやっぱり、紀州の茶がい定食っきゃないでしょう!!茶粥は、文字通り、ほうじ茶でおかいさん(と、呼ぶ)に炊いた物。奈良、和歌山、大阪南部のご年配家庭では、今でも朝の食卓に欠かせない、トラディショナル食なのだ。 鉄なべに盛られた茶粥(二人盛り)は、ほどよく冷まされ、湯上がりには嬉しい。手作りこんにゃくの炊き合わせ(ささげ、ごんぱち、人参、かぼちゃ)、味とコシのある木綿豆腐。 ※ごんぱちは、いたどりのこと(方言だそうです)茶粥はほうじ茶の香ばしさに満ち、お料理はもちろんお漬物や梅干し、どれをとっても、既製品臭など微塵もない。(目ざしは、食べてないので知らない)これで500円なのだから、少々?!の苦労は、する価値があろうってもんだ。お料理人は、もちろん里の方々。 私達を始め、日帰り温泉ツアーご一行のおば様方も30分は、彼女の風呂上がりを待っていたろうお二人連れも、注文したお料理は、皆、一緒。お風呂上がりに熱った肌でも、冷房なんかありはしない。大きく窓を開け放ち、一台の扇風機を皆で仲良く分かち合い、山の風に涼みながらの茶粥定食だった。 ビール?もちろん、本日運転打ち止め、の意思表示です(笑)
2007年10月05日
寄せ還る波、岩に砕ける波頭、日照に碧く燦めく海。 この潮風は、ザ・サハラを渡ってきた風でもあろうか、地中海カラーの青と白のパラソルをはためかせる。 はい、気分は南紀イタリアでございます。ともあれ、太平洋に挑むこの志原海岸は、雄大という表現こそ似つかわしいじゃありませんか。 高速が延び、市街地をよけるバイパスが出来たといっても阪和自動車道を突っ走って、大阪の宴会場・白浜温泉まではほぼ2時間。今回は、無料になった高野・龍神スカイラインで山を貫き、海沿いの温泉地に1泊づつ二泊三日の目論見だ。あの美しい海に注ぐ、美しい川を眺めながらという、大好きなお題ではあるがなんちゃない、ツレは山の日帰り入浴に行きたかったらしい。またかいっ! 高速入り口に背を向け、わざわざ、朝まだ早き、真言宗総本山高野山まで登りお参りもせず、スカイラインへと向かう。山中を縫う道だから、かなりのアップダウンとカーブが続くが、元々、有料道路だ。二車線しかないとはいえ、交通量の少なさからも充分に走りやすい。途中、護摩談山にて休憩したが、秋を予感させるが如く風は冷たかった。 終点は、美人湯で名高い龍神温泉だが立ち寄らず、秘湯へと向かうべく通称「和歌山酷道(こくどう)」の旅に突入する。私が選んだのではない、ツレが選び望んだ道だ。しかも酷道であることは、以前にも私の警告を無視し、身をもって体験している。故に、運転手はもちろん、君だ。 和歌山県は、未だ建設半ばの高速道路が、海岸線まで伸びている。唯一の大動脈・国道42号線も、躍動感溢れる海岸線を味わうかのように、紀伊半島外周をぐるりと巡っている。道路だけでなく、大阪側と三重側を結ぶ唯一の鉄道、JR紀勢本線も海岸輪郭線に沿っている。ご理解頂けるだろうか、和歌山のほぼ全域を占める広大な山地を縦に貫く「縦貫」道路、交通機関は存在しない。あるのは、国道、県道とは名ばかりの林業管理道路だけなのだ。長年、道路だけでなく公共交通網の充実を切望する和歌山県民に、頷きたくなる県外者は、私だけではなかろう。 道の両側は杉の植林地で、待避所はたまに設けられているが、もちろん一車線だ。所々に路肩崩壊要注意の看板もある。滅多に使われない道路であることは、苔むしている路面と道に散らばる枝や、石が雄弁に語っている。台風の影響だろうか、崖崩れで道の半分、土砂に埋まっている個所も一つではない。切り立った崖の底には川が流れ、万が一、ここから滑落しても一週間は、発見されないに決まっている。助けを呼ぼうにも、もちろん携帯は圏外だ。ただし、空気は素晴らしく美味。すれ違う車も同行の車もなく排気ガスも人間の二酸化炭素も、吐き出されたのは今が初めてに違いない、杉の香気に満ちた山の空気を、窓一杯に開けて吸い込む。 「川に下りたいから車、止めて」「こんなとこ下りる道なんか無い」「道の写真撮りたいから、止めて」「こんな木陰の暗い道、写らへん」ツレはハンドルにしがみつき、にべもない返答が続くが、和歌山酷道の旅は、始まったばかりだ。またもや長いドライブにご同行下されば、有り難くも嬉しいことですが、上記会話のように、車酔いされてもめったな降車は許されませんので、ご覚悟の上、そこんとこ、よろしくぅ。
2007年10月02日
数えたくない程の昔、社員旅行で長島温泉に泊まったことがある。 全長166kmの長良川が伊勢湾に流れ着き、木曽川と合流する中之島にある温泉地だ。しかも滅多に泊まれないけど、チョイスもしない大型の高級旅館である。残業は多いわ安月給だわで、女工哀史のような日々だったが、こんな場合のみ一切、個人負担なしという、体質的に高度成長期の小企業だったのだ。だから、どんちゃんと、めちゃくちゃ飲み食いした記憶しかない。旅館のHPで見てみたら、結構なお値段なのでビックリしたが、今でも、その分の現金をくれとは、思う。 さて、そんなことは全く関係ない。だだっぴろい大浴場と、露天風呂まで走っていくのが寒かった。しかし温めのお湯は、とろんとしてて期待以上に温泉だった。そんなことしか、覚えていない。それと宴会用広間の窓一杯に広がる、長良川の広大な灰色の風景。墨を流し込んだかのように、暮れなずむ空と一体化した大河。長良川とは淀んだ大河、長く私はそう思いこんでいた。 この夏の始め、郡上八幡に行った折り宿泊した、ふたこえ温泉での宿を後にし、(皆はん、憶えてはりますかぁ?あんじょう、復習しとくんなはれや)ひるがの高原まで足を延ばすことにした。湿原植物園があり、水芭蕉がまだ咲いているかも知れない。その道中、「長良川源流 夫婦滝」の大きな看板を発見!!ぎゅぎゅんっと、駐車場にハンドルを切る。実は、私の心の引出には、今までに訪問した滝のコレクションがある。ただ未整理なのと健忘が融合して、展示できないだけだ。 岩走る清流に沿った遊歩道の空気は、冷んやりと湿り気を帯び、汗ばんだ肌に気持ちよい。足元が苔むした岩に変わり、足場が悪くなった頃、耳は轟く滝音を捉えた。10分歩いただろうか、遊歩道が水浸し、小川状態になっている。「長良川源流」と書いてある高さ1mの杭の根元、地面の岩場から、出し放しの水道みたいに水が湧き出し、川へとこぼれ落ちているのだ。水は冷たい。掬った手を払いたいほど、冷たい。口に含めば土の匂いにも、苔の匂いにも染まらず、ただ清澄だ。 程なく、姿を捉えた夫婦滝は、文字通り二条の水を落としている。岩に阻まれ、滝壺までは行けないが、飛沫が日に燦めきながら空気を充たしている。青く晴れた空と木々の深い緑の空間を、水の玉となって舞い水流に作り出された涼風に乗って、私にまといつく。体の底をすこん、と抜いて、大きく大きく息を吸い込む。もっともっとたくさん、体の軸が涼しくなるまで、息を吸い込んでみる。 川沿いに転がる岩には、澄んだ空気を養分にして分厚になった苔をしとねに、実生の木が空を目指していた。いずれ世紀が変わる、そんな未来には、岩を砕き見上げる大木に育つのかもしれない。この空気が、この地がいついつまでも、このままでありさえすれば。地を這う巨龍の如き長良川が、湧きいずる所には、そんな祈りが込められている。
2007年09月27日
地獄の釜が開いた、と言う表現が、まさにぴったりな記録的猛暑に日本列島が、 すっぽりと包まれたお盆週間。そのさ中に、ふと京都に行こうと思い立った。猛暑でなくとも、飛ぶ鳥がめまいを起こすと言われる、油照りの京都。声をかけたが、拝み倒した友人以外、メンバーは集まらなかった(笑) 奥座敷、貴船は京都市内より5℃~10℃は、低いと言われている。2両編成の小さな叡山電車から、終点・鞍馬に降りると.......、やっぱり暑かった。清少納言の「近くて遠きもの」で有名な鞍馬寺の九十九折りは、この際パスし、牛若号という名前通りに、可愛いケーブルカーでゴトゴト運んでもらう。しばし山道、石段を歩き、辿り着いた山の中腹にある本堂は、..............暑い...。石畳も砂利も屋根も何もかも、日照りを反射して目を射り、肌を焦がす。「誰が思いついたツアーなん?」と己を恨みつつ(友人の怨み節は耳に入っていない)、奥の院に至る階段を見上げると、結界を越えたのだ、一気に体感温度が下がった。暗く濃い木々から吹き下ろされる風は、異世界の匂いに満ちている。 で、回れ右して長ぁい石段に背を向けると、縁起を表した小さな枯山水がある。正伝「鞍馬蓋寺縁起」(「あんまがいじえんぎ」鑑禎建立説)ではなく、650万年前「護法魔王尊」が金星から「天車」に乗り、鞍馬の地に降り立ったという、不思議とロマンに満ちた伝説の方だ。護法魔王尊の秘仏は羽を持ち、従来の仏像の概念からやや外れた御姿らしい。 鞍馬と峰で繋がり、聖域を成す貴船神社の祭神、「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)もまた異形を恥じ、姿を見せなかったという伝説があり、あたかも異世界からの到来者のようだ。玉依姫が浪速津(大阪湾)より乗ってきたという「黄船」(貴船の語源)を人間の目に触れることの無いよう、石で覆い隠したという石塚は、航海守護の民間信仰として、今も見学することが出来る。怪しさ大爆発。伝奇好きには、たまらない聖地である。 さて、その貴船神社界隈は、川床料理でシーズン真っ盛り。貴船川沿いに道を辿れば、体感温度もぐんと下がり快適だ。縁結びの神様だから、ここは気合いを込めてお参りしなくちゃいけない。ご神水に浮かべれば、文字が浮き出る名物おみくじを引いてみる。中吉、ふん。願望、思いのままなるべし、ふんふん。失せ物、男子の知ることあり。なっにぃ~~!!くり乃々の「女のシアワセ」という、大きな失せ物、これを知る男子は即刻、名乗り出られるがよろし!! 貴船は杉の大木に囲まれ、日暮れが早い。蜩の振り落ちる静かな鳴き声に、川床の提灯の灯りが、ふと慕わしくなる。帰り道は、ついつい急ぎ足で、またもや叡電に乗り込み、終点・出町柳に降り立てば、鴨川を渡る川風も涼やかだった。夕焼けの薄紅色に染まった雲は、はや鰯雲で、五山の送り火(8月16日)を済ませたばかりの京都には、もう秋が訪れたようだった。 鞍馬、貴船は遠い。やっと帰りついた大阪は、お盆の人出で沸き返り、とてつもない数の肉まんを、ひっきりなしにふかし続ける蒸籠のように蒸し暑かった。手のひらに掬った小さな感傷なんか、どかんと吹っ飛び、まずはビール!ってか!! この日、「鞍馬・貴船1dayチケット」(1900円)を購入しました。大阪市営地下鉄、京阪電車(但、途中下車不可区間あり)、叡山電車の乗り放題。鞍馬寺、貴船神社やお食事処で、割引きやお土産サービスがありました。叡電は出町柳→鞍馬→貴船→鞍馬→出町柳と、活用したので、多分、きっと、モトはとったんじゃないかなぁ...........。(計算しろよ) ---------------------------------------------------------------------- 子供のように色々と、ご心配かけましたm(__)m時期外れですが、UPし損なっていたネタで、お茶を濁させて頂きます。サボリ癖がついちゃってと、反省してたら、なんとっ!!正しい更新ペースじゃないですか。う~~~~ん、騙されたか..(誰に.. 笑)。相も変わらぬ長文駄文です。のんびりペースで、今後ともお付き合い下されば、とても嬉しゅうございます。皆様とのご縁に感謝申し上げます。心より、有難うございます。
2007年09月13日
郡上八幡が、水と共生する町と知ってから、5,6年はたとう。 以来、行きたいと思いながら、そのままになってしまっていたのは、「郡上には、温泉がない。」と、友人に一蹴されたためでもある。私的には、湧水でたてたお風呂で、充分満足だったんだけどな。 暑い夏の予感に満ちた7月、なんとしても行きたくなった私は、「郡上八幡 温泉」で、ネット検索をかけてみた。あるやん!!郡上踊りのシーズンならば、客がこぼれ落ちるだろう「郡上温泉」を始めちょっと車で足を延ばせば、山中に一軒宿がありそうだ。色めき立って友人まで、あれもこれもと情報を引っ張り出し、行きたかったのがどこだったのかも、解らなくなっている。こういう時、友人の勘は絶対、アテにならない、絶対、ドツボだ。速やかに無視し、さっさと手配するに限る。 でも頭っから無視して、ちょっぴり可哀想だったので宿に行く途中にある、日帰り湯に立ち寄ることにした。「湯の平温泉」。施設の名前も、ただこれだけ。どんなに鄙びたと、思っていたら、木を用いた和風の新しい建物だ。入浴料は500円、どうも回数券利用の常連さんが多いようだ。 浴室の扉を開けると、塩素臭が鼻につくのに、ちょっとがっかり。加温されたお湯は、熱い。早々に露天風呂へと、移動する。浅い岩風呂は、少なめに溜めてあり、投入湯量をあからさまに絞ってある。それでも打たせ湯が二筋、どうどうと落ちていた。 眺めは一方にだけしか広がっておらず、清流も見えないが、植え込みの隙間から、人工堰から流れ落ちる滝が見えた。露天風呂の名前が「滝見の湯」、それで、初めて気が付いた次第。重曹泉らしく、お湯は肌にまったりとしていた。何よりも広々とした露天は、向かいの山々の緑が清々しい。露天風呂の写真を撮りたかったのに、先客1名様が、なかなか出て行かない。かなりの長湯だとお見受けしたが、上せて負けた。 脱衣場の扇風機で、ほてりを冷まして出てみれば、ロビーの傍らの休憩コーナーに、おじちゃん達がたむろしている。受付では、ひるがの高原牧場の牛乳や、持ち込まれた野菜も売っている。渓流釣りの人も、ひとっ風呂浴びるのかも知れない。無骨だけど気取りのない、そんなお湯、そんなお風呂。 ただ一つ、とても不思議だったのは、玄関のかたすみに、靴の忘れ物コーナーがあったこと。ごついスニーカー、つっかけ、子供の靴。パンプスはさすがに無いけれど、色んな靴が10人分は、あっただろう。子供用は、わかるけど......、なんで、靴なんか忘れるんだ?この辺りでは、入浴後、靴を履き替える風習なんだろうか、まさかね。 ※ 温泉施設のすぐ近くに、新しくて清潔そうな和風コテージがあり、 お庭にBBQセットを備え付けてありました。 「湯の平温泉」の駐車場の向かいにレストランがあったので、そこでも食事が出来るのでしょう。 運転しながらだったので、宿泊条件は解りませんでしたが、1泊6000~7000円だったかも・・・。 (一人か一棟かは不明。しかも、全く自信なし)
2007年08月20日
あちらこちらから聞こえてくる水音に誘われて、町を巡れば江戸末期の家々や、明治・大正の洋風建築、高雅な古刹色濃い緑陰に包まれた旅館など、興味深い建築物が点在していますが、郡上八幡には、それほど名所があるわけではありません。観光とは無縁の生活が息づいた、幼い頃の、肌に懐かしい風景を思い出す、そんな所です。こちらの染め屋さんでは、藍を発酵させる甕を、土間に埋め込んでありました。機械染めとは無縁の、手業が伺えます。用水路で、お道具でも洗ったのでしょうか、たわしが、ころん、と転がっています。看板の「元祖踊下駄」の文字が、盆踊りで賑わうお土地柄。「郡上踊」の手ぬぐいも売っておられましたが、土産物というだけでなく、参加者には、必需品なのかもしれません。商いには関係なく、色んな所で売られていました。酒屋さんの前の道を右に行くと、昔の街並みが残っている「職人町」。木の看板は歴史を物語るので、今ではあちこちで大事にされていますね。踊り強化月間(笑)に入ったのでしょう。スクランブル交差点(車1台しか通れない)の上では、大きな「郡上踊」の提灯を掲げる作業中でした。町の中心にかかる18mもの高さを持つ新橋からは、吉田川の大瀬(だいせい)と呼ばれる早瀬目がけて、飛び込むのが夏の風物詩だそうです。郡上八幡の男の子達は、小さい頃から川原の飛び込み台で度胸を付け次はこの岩、そのまた次はあの岩と、高い所へと挑戦していき、極め付け、橋からの大飛び込みとなるのが、通過儀礼なのだそうです。初心者用の跳び込み台から眺めても、岩走る水面までは距離があり、私なぞは足が竦みます。細い道でつながれて、軒が連なる郡上八幡は、デジャヴの迷路です。しんとした昼下がり、水音を突いて聞こえたのは、風鈴でしょうか。母の言いつけで被っていたはずの、麦わら帽子を背中にぶら下げ捕虫網で鯉を突いたり、葉っぱの舟を浮かべたり、じゃぶじゃぶと水を撥ねかし、遊んでる女の子は幼い頃の私。梅雨の厚い雲が切れ、夏の日射しに一層、水しぶきが燦めきを増す頃、ここの軒下、あそこの路地、あぶり出されたそちこちの濃い影から、坊主頭にランニング、短パン姿の男の子達が、わらわらと、起き上がってきました。じりじり肌を焼く、夏休みの太陽の下、下駄やゴムぞうりを鳴らして少年達は吉田川へと、我先に馳せ参じます。事故がないよう目を光らせる子、銀鱗を燦めかせるかのように水に潜る子、飛び込めなくて泣き出してしまう子も、きっといたに違いありません。橋の上には、静かに見守る女の子も、声援を送る女の子もいたでしょう。昭和の少年少女達の小さな失望、希望や憧れ。世界がまだ、途轍もなく広く遠かったあの頃。逆巻く水を見ている内に、すぐそこ、私が立っている川原から、沸き立つ子供達の歓声が、確かに聞こえてくるようでした。
2007年08月10日
室町時代から、城下町として発展した郡上八幡は、旧盆に、夜を徹して踊る「郡上踊り」で有名ですが、今なお水と共に生きる町、としても名を馳せています。迸る水の美しさは、やはり夏の真っ盛り、陽の暑さに燦めいてこそ、有り難みも増そうというものですが、何故か行ったのは、織姫と彦星も可哀想な梅雨空の、七夕の頃でした。厚く垂れ込めた曇り空の下、高速道路を乗り継ぎ、昼前には郡上八幡へ到着。東へ行けば高山、西北に向えば越前大野、さらに北上すると、世界遺産の白川郷へと続く、岐阜県美濃の折り重なる山懐にあります。町の名を高らしめた用水路は、防火と日常生活のために、縦横に張り巡らされ、山から湧水を引いた川とともに、町の中央を流れる吉田川へと集められます。大火災の教訓を活かした、江戸時代の都市計画が、今に根付き町の周囲に寺社を配し、石垣を要塞代わりにした町割りもそのままです。古くは江戸の末期からという家々の軒下にも、水は流れ、各戸の門口には、60センチ四方ぐらいの深い水溜があり、鯉や金魚が泳いでいます。お店のご主人に尋ねたら、近年まで、そこで食器を洗ったり、釣ってきたお魚の生簀にしていたのだとか。もちろん今でも、堰(小さな木の板)を開けば、きれいな水を誘い込める構造です。料亭で飼われていた鯉は、ビリーの首ほどには太く肥えてましたが、ペットかしら、お膳の食材かしら…。「いがわの小径」では、民家に挟まれ幅1mに満たない水路が、勢いよく流れ、ここでも大きな鯉が沢山、泳いでいました。所々に、洗い場が設けられ、野菜や食器洗い、洗濯へと活用されるそうです。その姿を見ることは叶いませんでしたが、掃き清められ、大事に管理されている様子が伺えました。鯉の餌も百円で売られ、道々、面白がってばらまき歩いてたのですが、餌をうっかり手づかみし、うぇっ~!生臭い(泣)でも、大丈夫。パイプから溢れ出る冷たいお水で、手を洗うことが出来ました。小道の終点には、ちゃんと餌の空袋用のゴミ箱も備えてあります。 水の街らしく、あちらこちらに「水船」という「水道」が、モニュメントとしてあしらわれています。湧水や川の水を引き込み、上の槽は飲用、下の槽は洗い物と使い分け、食べかすは、魚の餌となって濁りをとり、池に流れ込むという循環型上下水道。元々、各家庭に備えられ、現役利用のお宅もあるそうです。水の利用に長けていること、即ちエコロジー精神で、いかに汚さないかが、長い歴史で培われてきたコツのようです。和花の植え込みや短冊で軒を飾り、目を楽しませてくれた郡上八幡ですが、まず、ゴミが落ちていません。人目の行き届かない物陰でも、水の溜まり場でも、空き缶はもちろん、たばこの吸い殻、紙くず、ゴミが全く目につきません。水の恵みに甘えることなく、厳しく律し、何よりも大切なのは、利用し続けるということ。生き続ける水の風景に、住人だけでなく人々の感謝ある限り、この町に、大地からほとばしる水の響きは、絶えることはなさそうです。町の象徴「宗祇水」。吉田川のほとり、町中の民家の切れ目にあります。小さなお社の下から、静かに水が湧いています。町中の水路にしては、全体、流れが速いのですが、浄化のためにも、水量を豊富にしているのでしょうか。けれど、この宗祇水は、とても穏やかな水の姿でした。因みに、どこのでも飲用OK。わずかに甘い、冷たいお水です。
2007年08月02日
三朝の温泉街は、三徳川に沿って延びています。近代的な大型旅館に混じって、小さな湯宿、お土産物屋、食堂、スマートボール屋、都合3畳ほどのヌードスタジオ(笑)、飲み屋さん等々。山の深い緑を背後に、昔懐かしいような、小さな温泉街です。三朝温泉の地酒、藤井酒造の直売店で買いました。麹の香り高い甘口ですが、なぜか、古酒というコアなお酒も作ってました。そんな街のお散歩には、カロコロ、下駄の音が似合います。宿のを拝借して道行けば、共同浴場「菩薩の湯」「株湯」、河原には無料の露天、足湯、飲泉場と温泉処が点在しているのが、さすがです。三朝橋から、無料の露天を見下ろすと、賑わいが丸見えで囲いの外でだって、体を洗う人、服を脱ぐ人、熱りを冷ます人。目の保養になるかならないか、は、趣味ですが、野郎ばかりです。足湯が傍らにあるので、降りたかったのですが、それも憚る、開き直ったかのような男性天国でした。男性美?に圧倒されて、三朝温泉発祥の「株湯」へと退散します。二人入れば満杯の、小さな共同浴場。地元のおばあさん二人連れを、追い越した私達の前に、観光客親子が、歩いています。親子連れが、入浴券購入にもたついていると見るや、おばあさん達は猛ダッシュ!!お風呂道具を入れた袋をふりまわし、駆け込む姿を見てしまえば、とてもじゃないけど、私達は、入れません。ここは地元の方の生活の場、ご遠慮申し上げることに致しました。湯巡りパスポートこそありませんが、各旅館では、立ち寄り湯を受付けています。ですが今回は、浮気することなく、宿のお湯(岩窟の湯)に専念しました。その代わり、町内3個所(株湯、三朝神社、薬師の湯)飲泉用の温泉(冷泉)をもらって帰ることにします。三朝神社のそれは、手水舎で、溜まったお水は100%の源泉。だからって畏れ多くて、いくらなんでも入りませんけどね。「旅館 大橋」でも飲泉可能だったそうですが、保健所の許可が、下りなくなってしまったとのこと。衛生上でも、有害物質が検出されたわけではないそうですが同じ理由で、「菩薩の湯」の飲泉場も止められていました。精神は脆弱ですが、胃腸は強靱ですので、汲んだお湯は、帰宅後、温泉粥、温泉湯豆腐と、活用しました。お米もお豆腐も、内側から柔らかくなり、クリーミーに炊き上がります。しかも、火をいれれば白濁し塩味が増すので、出汁いらず。もし飲泉用の単純泉を見付けられたら、お試しあれ、美味は請け負います。三徳川に沿って、青葉茂れる遊歩道をぷらぷら歩けば、清流に白鷺、五位鷺、鴨にカルガモ親子、野鳥の姿も長閑です。今の季節でしたら、ホタルの乱舞も見られましょう。遊歩道から三徳川を挟んで、「旅館大橋」全景旅館はもちろん、お店でも、応対は柔らかく親切な、プロ意識の高い温泉街でしたが、それは客商売に限りません。庭の手入れをされていた男性、遊歩道ですれ違った小学生、交通整理のおじさん、畑帰りのおばあさん。町の方々が道行く私に、にっこり微笑み、挨拶してくれるのです。温泉を、無料で振る舞うほど豊かにあれどこの類無いホスピタリティこそ、この街一番と言えましょう。効能は? いつまでも湯冷めしない、クセになっちゃう暖かさ、です。
2007年07月05日
開湯800年を超える山陰の名湯、三朝温泉に憧れの日本旅館がある。昭和4年、世界的金融不安と長い不況の時代に日本建築の粋を極めた器を、と「旅館 大橋」は建てられた。以来、三徳川ほとりに建つそれは、ランドマークとして存在している。今や登録有形文化財の宿として名高く、しかも自然湧出の自家源泉ともなれば、これは、行かずばなるまい!!立ち寄り入浴じゃござんせんよ、1泊とはいえ、お泊まりざんす。開け放たれた引き戸の前で訪えば、三徳川を挟んだ山の緑がまぶしい。応対は丁寧ながら、慇懃に陥らず親密感にあふれている。部屋も館内も改装はなされているが、板張りの廊下、木の窓の桟、欄間と随所に、そのエッセンスは匂い立ち横に延びる構造と、ほの暗い廊下の曲がり目に、私は古き良き時代を夢想する。露天風呂とセットになった「ふくべの湯」、件の「自然湧出の自家源泉」の「岩窟の湯」と、この二つが、男女入替となる。河原から湧き出るお湯を、岩で囲い溜め、加温加水一切無しの湯。このお風呂に、入りに来たのだぁ!!岩を転がし、湧き出し口を囲っただけの野性的な湯船は3つ。中の湯、下の湯はラジウム泉、上の湯がトロン泉と泉質が異なる。トロン温泉の方が、肌をまったり包む感じだろうか。湯船の奥へと湧き出し口を足で探りに行けば、まるで、川遊びをしている気分。浴槽は大きくない上、眺望も臨めないが、昔風に天井は高々とし、見立ては、さながら三徳川河原であろうか。料理自慢の宿でもあるが、「八寸」は十種の異なる味が楽しめ、素材の味も良いけれど、その包丁の一工夫、その見事さ。味わい、こしらえ、盛りつけと、どの料理にも当たり前がない。今回、特別プランで予約したのだが、ツレは落ち着きをなくしてしまった(笑)料理だけで、1泊分の金額は潰える豪華さで、ワナじゃないかと言うのだ。本の一部です。他あんかけ茶碗蒸し、真丈のお清まし、海老のお刺身...たくさん...。天ぷらは、山菜、伊勢エビの梅肉巻。因伯牛の豆乳鍋。美味しかった.......。ソフト、ハード両面から申し分ない、珠の如き宿なのだが、たった一つ、ただ一つ、気になるのが、日帰り客の入浴時間。私だって、宿の立ち寄り入浴は、利用させて貰うのだから、夕食前までは、混んでいるのも止む無しと諦めた。だが、である。食後の時間帯でさえ、入れ替わり立ち替わりの忙しなさ。ようよう、湯船で手足を伸ばせた頃には、交替時間になっていた。しばし宿泊客の優越感に、浸っていたかった、というのはわがままだろうか。但し、客の引け時を狙って、何回も入浴したお陰であろう、あれだけ三徳山でしごいた体は、ついに筋肉痛をおこさなかった。温泉の効能たるや、恐るべし。さらに驚いたのが、翌朝のチッェクアウト時。風呂場でこそ多くの客とすれ違ったが、配膳時でさえ、声も物音も聞かなかった。所が、広い玄関の三和土に揃えられた客の靴たるや、びしりと列を成している。ほぼ満室にも関わらず、あの穏やかな静寂の佇まい、最も感嘆すべきは従業員諸氏の客さばきの見事さに、尽きるのかも知れない。勿論ワナは無く、お勘定は、予約通りの超お得プランでした。おいくらかは、ヒ・ミ・ツ(笑)。「三朝湯のゆたかなるかな こころさえ この新しく 湧くよ学ばん」与謝野鉄幹の歌碑より、拝借いたしました。
2007年06月29日
前回の須磨アルプスは、実は、この為にこそあった。鳥取県の山中にある、天台宗三徳山三佛寺で修行をしよう。いえ、修行はしませんが、国宝・奥の院「投入堂」にお参りしよう。本堂から投入堂までの道なき道は、元々は、役行者が開いた修験場。道なき道ったって、観光客が登るんでしょう?どっこい。行きたいのは山々だったが、冬期閉山(11月~3月、天候による)の上、雨風、霧の折には、突然、入山禁止になることも多いとか。行く時期はタイトに絞られるし、それってハードってことじゃない?準備体操の積もりでトレッキングくらいは、てんで、須磨アルプス。本堂背後の中腹に、小さく「文殊堂」が見える。目的「投入堂」は、遙か遠く、山陰に見えない。本堂お参り後、別途入山料(200円)を納め、入山時間、連絡先を記帳して、六根清浄のタスキを受け取る。修行ですからね、これは、身に着けてなくちゃいけない。靴底のチェックを一人一人受け、不適当なら500円のわら草履を購入する。意気揚々と朱塗りの橋を渡り、いざ出発!道なき道は、獣道。山の斜面を、垂直によじ登って行く。体力的にもシンドイが、真剣に道を見極めなければ、足も手も掛からない岩の斜面に、立ち往生してしまう。日曜日でもあり、登山下山、人の波はひっきりなしだが、当然、どちらかが足場の良い所で、待機しなくてはならない。その折にも、どこを足がかりにすればよいのか、他人の動きを注視する。尖った、あるいは滑る岩に立つ足元のすぐ脇は、木々に隠れているが、谷底だ。むき出しの根っこ、あるいは蔓を、ロープ代わりに足を引っかけ、また、かいくぐり、虎の爪を持つなら爪を立てたい、お猿の尾っぽが付いているなら、第5の手足にしたい。これは冗談抜きで、命がけじゃないんかい?!やっと、辿り着いた文殊堂で一休み・・・、こ、恐い………。三方が崖に突き出している上、手すりなんかもちろん、無い。しかも縁側は、わずかに外側に傾斜している。お堂に張り付きながら一周すると、恐怖で、かあっと汗腺が開く。風に吹き上げられ、そのまま遙かな谷底へ真っ逆さま、の恐怖だ。だあれ?奈落の底、なんてこと言うの。鐘楼堂等いくつかのお堂があるが、建材はどうやって運んだのだろう。自分の身一つでも危ういのに、この大きな鐘はどうやって運ぶんだ。疑問を増やしながら、ようよう国宝「投入堂」に辿り着く。役小角が、法力で投げ込んだと伝えられ、建築方法は未だ謎。立入禁止とはいえ、どうやってもよじ登ること不可能な崖の、わずかなくぼみに収まる、その小さな舞台造りのお堂は、緑陰が照り映え、自然に芽吹き、生え出でたかのようだ。思わず誰もがもらす感嘆の声を、木々は呑み込み、風の音をざわつかすのみ。自然だけがもたらしうる聖域の静けさが、ここにはある。で、タスキだが「記念にお持ち帰りィ」は、とんでも無い!!ちゃんとお返しし、帰着時間を記帳しなければ、捜索隊が出動するのだ。これで五感六感、性根も洗われ、私は清浄になった、はず。あとは汗と疲労を、湯に流すだけ、はい、三朝温泉へとまたもや続く。
2007年06月25日
鳥取ネタが尽きるとネタ無しになるので、ここは惜しんで( ̄・ ̄;)旅行に先立つ、ゴールデンウイーク頃!!の話です。なんだかんだと忙しかくて、体をあまり使ってないような気がする。関節に、どんよりと髄液が溜まったみたいだ。春だというのに、こんな事ではイケナイ、フィトンチッドを吸って、リンパの流れを良くしなくては!!春と秋、年二回ほど山歩きがしたくなります。といっても、お散歩コース。新緑も美しかろうと、神戸市の横尾山に登山?に出掛けました。六甲山系に連なる、山々の一つです。神戸の山は生活圏に間近く、住民さんは気軽に行き来されるようです。何せ、山中に貸し農園があるくらいに。野菜の手入れで、毎日、山に登るなんて、かなり嫌だ。けれど神戸に住めば、家に帰る、学校に行く、ご近所を訪ねる、この日常行為自体が、すでに登山ですね。この横尾山は、標高315mの割りには、崖をよじ登ったり、ゴロタ道を下ったり。「馬の背」と名付けられた地点では、なんと道幅60センチ程、両側は、切り立った崖です。しかも、海風が遮られることなく直接吹き上げて来るので、スリル満点!!さらに、花崗岩の砂礫で滑りやすい道は、標高以上にハードな登山を演出します。三角地点からの風景です。なかなか、深山幽谷の趣でしょう?海側に目をやれば、山の斜面に緑の濃いの薄いの、反対側に目をやれば、あらなんと、裾野一面、住宅街が広がっています。アップダウンを繰り返し、全く音がしない森のごとき場所を潜り抜ければ、後は下るだけ、と思いきや、これまた太陽のピラミッドの如き階段が、150m以上は延々と続いています。下りだからましやね、なんて笑ってられるのも最初だけ。どうして、これをすべり台にしない?!神戸市。直滑降長距離すべり台、名所になると思うんだけどな。さて、地盤、地形、想定外の階段と非常にサスペンスフルな横尾山ですが、実は、違う怖さもあります。「神の戸」の名に怖じず、神戸の山地には怪しい地名や、遺跡ともつかない怪しい物が、転がってたりします。何せ背骨をなす六甲山が、関西有数のミステリースポットですし・・・。で、ですねぇ、見通しの悪い森の道で、後ろから男の人が走って来るのですよ。天気予報も晴れだったのに、傘を1本持って、てか、こうもり傘しか持たず、しかも足元は、サンダル履き、てか、ツッカケで。この急峻な山道を、駆け足で、息も乱さず、薄笑いを浮かべて、何かに取り憑かれた様に彼は、総毛立つ私達を追い抜き、消え去りました。横尾山だけなら行程約2時間、こういうスリルも味わえる、近頃、須磨アルプスと呼ばれている所です。常に船が行き交い、「港町 神戸」の名に恥じません。写ってませんが、左側に1周年を迎えた神戸空港があります。一機たりとも、離着陸を見ませんでした。神戸人の友人に言わせると、大阪湾を関西国際空港まで埋立て、合併し「神戸国際空港」と称するのが、神戸市の野望だそうです。山が足りるかしら………。
2007年06月19日
夕食後、1000円の湯巡り手形を購入して、いざ探検。岩井温泉湯宿3軒、共同浴場の「湯かむり温泉」と、入ることが出来ます。しかも、期間は無期限。未使用分は、再訪時に利用出来るんです。リピーター作り、気が利いてますよね。しかも宿泊した「明石屋」の分は残りますから、当然、次回は別旅館に泊まって、それで完了となる仕組み(笑)花屋旅館のお風呂も、檜造りで、こぢんまりとしてシンプル。シャワーなしのカランも有りましたが、ここは、浴槽の底からふっふっと、熱いお湯が沸いています。もう一つの大浴場との仕切は引き戸で、全面開け放てる構造ですが、なぜ?庭園に面して露天もあるそちら側とは、男女入替制の様です。日時が悪かったのですね。公衆浴場「湯かむり温泉」は、地元の方も観光客も大勢訪れ、親しく活用されている温泉です。やはり温め、熱い目二つの浴槽があり、惜しげもなく溢れていました。ただ、夕食後の混む時間でしたので、シャンプー類の匂いにメゲてしまい、せっかく地元の方がお寛ぎの所、邪魔にならぬよう早々に退散いたしました。さて、岩井温泉となれば、必ず写真を使われる岩井屋、念願です。ここも、古民家風に山野草などあしらいながら、風情ある造りです。湯船はゆっくりしているけれど、カラン数は最も少なく3,4つ。奥の方が、ぐっと低くなっており、ちょっと小腰をかがめれば肩まで浸かれます。底から熱いお湯が、ふつふつと沸いているのを、足の裏に感じました。昔からある有名な「長寿の湯」とは、こちらも男女入替でまたも、運がありません。どちらの旅館も、湯口の傍らには、柄杓が置いてありました。おぉっ!これが「湯かむり」用かしら?!相客がいなかったので、やってみても良かったのですが、頭寒足熱、熱いお湯をかけて脳みそが、さらに茹で上がったらどうすんだ?!常識的に思いつくはずですが、飲泉用でした。奇習に思い馳せすぎ、飲まず終いでホント残念。所で、この「湯かむり」の効能効果って、何でしょう?!湯治客が浸かってるのに飽きて、暇つぶしで始めたんじゃないかと、私は、想像しているのですが・・・・。この岩井温泉3軒は、とても上手に「鄙び」を演出しているようです。それぞれに根強い固定客が付いているのも、良い材料でしょう。フロントに若い男性がおられたので、後継者もバッチリ確保?!実は岩井屋は、最初に行ったとき、団体が入っているから後で、と断られました。これは体よく、追っ払われたのかと勘ぐりましたが、再度行ったときには、ちゃんと顔を憶えてくれていて、謝ってくれました。こういう時、美人は得というものの、外国観光客が来たので、ゆっくり入浴を楽しめないのでは、という配慮からのようでした。名だたる温泉地でもないのに、一体、どちらのお国から、とは不思議でしたが、TDLやUSJ、東京、京都だけではない、大らかな風景と細やかな美しさを、日本人でも惚れ惚れするこの豊かさを、「ニッポンの底力」どんなもんでぇっ、自慢したっていいですよね?※ 補足情報(ってか、本文に情報、ないし)この手形は、岩井温泉宿泊者特典だそうです。ご安心あれ。立寄り湯でも750円(共同は300円)で、気持ちよく入浴できますので、大地の新鮮な恵みを、お肌で味わってみて下さい^-^んで、当然、まだまだ続きます!!
2007年06月08日
鳥取県岩美町にある岩井温泉は、以前より行きたい温泉地の一つでした。立ったまま入浴するほど深い湯船の底から、ぽこぽこ沸いてくる温泉。体にも効きそうだし、なんだか豊かそうでしょう?頭に温泉をかける(洗髪、ではない)とかいう、奇習「湯かむり」は、今更、誰もやっていないのは、いくら私でも承知しています。正しくお作法を習って、やってはみたいけど……。岩井温泉は、海辺から6,7km入ったくらい、海の町独特の平明さがあります。宿場町というより、古来、温泉で賑わった町だそうですが、温泉街らしきものもなく、良泉で聞こえた割りには、3軒の湯宿しかありません。いずれも小規模ながら、そのお湯と海の幸で根強い固定客を持っているようです。さて予約をとったのは、岩井温泉の代名詞「長寿の湯」の宿ではなく庭園露天風呂が自慢の「明石家」さん。昭和和風建築の古寂びた、趣のある建物です。大阪は難波の新歌舞伎座、ご存知ですか?アレです(超縮小版)。買い物類(初日で?!)も放り出して、そそくさと庭園露天風呂に走る私達。夜間に女性専用タイムはあるものの、混浴式です。どうせなら、庭園を眺められる時間に入りたいでしょう?あっついの、温めの岩風呂が二つ。温い方で手足を伸ばせば……、虫や葉っぱが、浮いてる、浮いてる。ま、それも野趣ってことで、気にしない。5時になったのでしょう。お寺の鐘が、のんびりと重たい音を響かせておりました。大浴場(といっても5人いれば、嫌な大きさ)は、新建材ながら土壁を模したり洗面ボウルが信楽焼きだったり、と古民家風。最近の流行りで、照明は薄暗いけど、柱や浴槽も檜造りで山小屋みたい。どうです、とぽとぽ、新鮮な温泉を注ぐ湯口の羊(なぜ羊?)は、茶色の陶器のはずなのに、びっしりと、白い湯の花の毛を生やしています。残念ながら、庭に大きく窓をとった浴室は男性専用、交替なしです。小さいながらも、泉水や多種の植え込みをもつ庭を、カラコロ歩けば「んきゃっ!失礼っ!!」てな事態は明白。ごめんなさい、あの日、貴男のヌードをデバガメったのは、私です。今回、初めて知ったのですが、岩井温泉は尾崎翠の生誕地です。昭和初期、体の芯がずれる様なシュールな世界を展開し、私の学生時代、文学少年少女を、魅せてやまない幻の作家でした。「花屋旅館」の旧館には、彼女の資料室があり、その規模と信奉の程はともあれ、木造の佇まいが彼女の世界を、彷彿とさせます。磨きこまれた廊下、手すり、階段、掃き清められたタイルモザイクの三和土。「ハロオ、センチナウタヨミ。羽織ヲヌイデ夏ノウタヲ支度シナサイ。」彼女が短歌との決別を暗示した、随筆「モクレン」からの一節です。起き抜けに入った朝風呂は、柔らかいお湯を独り占め。昨晩は気が付かなかった薄色の湯の花が、小さな窓から差し込む朝日にきらきらきらきらと、まるで雲母の様に、湯の中で燦めき舞っていました。 私のわがままにも、応えて誂えて下さったお夕食。海の味を活かした、力強い美味しいお膳です。お刺身の代わりに、海老の塩焼きや子持ち昆布?の和え物をご用意下さいました。業務用既製品など何一つなく直球がズドン、と入ってくる美味しさ。おご馳走様でした。地場産名物のラッキョウの天ぷらがついたのは、ご愛嬌。
2007年06月04日
パスポートのサビを落として、ジャ~~ン、念願の海外旅行、人類の故郷、憧れのサハラ砂漠です!!ショウもないこと言いました。憧れ(これは、ホント)の鳥取砂丘です。古くささが少しくキッチュで、好きなんです、昔ながらの名所・観光地って。まずは初日の宿泊地を、日本海海岸線に近い「岩井温泉」に定めました。早朝、阪神高速湾岸線を走り、神戸でツレを拾い・・・・・、と、ここですでに一波乱。いえ、単に、私が高速を降り間違い、待合わせ場所を迷走させただけ、のことですが。大阪湾、瀬戸内海沿いと別れを告げ、山中一路、そちこちの道の駅に迷い込みながら、いざ、日本海へ、鳥取砂丘へ。で、冒頭の景色です。白砂青松が日本の景勝地の定冠詞。けれどここには松の木陰はなく、眼前に大きくふさがる無機的な砂丘をざっくざっくと踏み越えていきます。と、青い空の元、眼下遙かに、白波走る青い海が!!ご注意遊ばせ。コーフンの余り身を乗り出すと(私だけか?!)、足下の砂が崩れて、止めどなく浜まで滑り落ちてしまいます。細かな砂ばかりなので、高さの割りにケガはないでしょうが・・・・・・・・・・、シンドイと思います。戻ってくるの・・・・・。儚いほどに細かな砂を手の平に掬うと、音もなく風に散ってしまいます。ラクダに乗りたかった(1800円!)けど、好きな所を行けるわけでもないので、ロレンスごっこは諦めました、大人だし。その後、砂の海岸線を浦富海岸へとドライブ。一転、こちらは、山陰の松島とも称される岩礁の海岸線です。透明度は、20メートルを越すという美しさ。遊覧船(1200円)は40分程で、操舵手さんの名調子を聞きながら波の浸食で出来た島々、洞門を巡ります。この日、結構、波が高くローリングしたのですが、とみこうみ、しぶきを浴びながら、デッキを動き回っておりました。そうです、川下り、遊覧船、これもはずせない私の観光アイテムです。頃は昼下がり、潮風に吹かれ、空腹感も絶頂!!遊覧船発着場には、お土産物屋と食堂「あじろや」があります。ツレは、イカスミカレー(イカのリングフライ、サラダ付)。私は名代お出汁の天ぷらうどん(エビの天ぷら、わかめ入500円?)。自慢のお出汁(そう書いてあった)は、海水で取ったんかぁあ?!と、叫ぶくらいには塩辛く、イカスミカレーは、普通に喫茶店の味でした。けれどフライのイカは、天然物で大層美味しかったらしく、天ぷらのエビも身が締まってましたので、ここは素直に、人気の魚定食(大2切!!生野菜、小鉢、お味噌汁付きで780円?)に従うべきでしょう。かなりのボリュームなのに、皆様、笑顔で完食されてましたから。船から見た海岸線をプラプラと、散策に出かけましょ。山の中腹に作られた遊歩道の長い長い階段を降りると、そこは鴨が磯。花崗岩の島々が、波に洗われ堆積した砂浜だそう。ここの浜には水晶なぞも、見つかるそうです。思わず知らず、見つめるのは足下の砂だけ….。荒い砂を掬ってみると、ほんのり透明な物体が。水晶かしら?!砂は、払うと手に残ることなく、しゃらしゃらと落ちて行きました。さて、長々とまだまだ、だらだら続きます。でも、まずは、ひとっ風呂!!続く!!
2007年05月30日
えっと、情報性に欠ける当ブログではありますが、ここでささやかにお役立ちを。そうです………、まだ強行ツアーバスに乗っております。もういい加減にしなくちゃ、皆様が乗って下さいません(T.T)))まずは安来市の田園地帯に、いきなり存在する「足立美術館」から。空腹やお疲れの方は、館内のレストランが充実しています。なんせ、たった2時間の見学時間ですから、立寄る暇もありませんでした。味の方は分かりかねますが、庭園に面して美しい景観を楽しめますので、お代の程はつり合うかと思います。美術館の傍らには、年中、安来節が観られる「安来節会館」がございます。ツアー相客のおば様に寄れば「バカにしたもんやない」そうです。また、美術館の駐車場からは「鷺ノ湯温泉」の看板が見られます。聞くところに寄れば、こぢんまりとはしながらも、歴史の古い、湯量豊富なぬくもり温泉だそうです。立寄り専用のお風呂こそありませんが、何軒かある旅館で、入浴させてもらえるとのこと。某温泉コレクターの展示品には無かったので(収蔵品としてはお持ちでしょうが)今なら先が越せるかも知れません。なぜ、入らなかったか?ねぇ、こういうとこツアーって不便ですよね。3月末で閉館してしまった「ルイス・C.ティファニー庭園美術館」にはホームメイドのパンを売るカフェがありました。ロビー中に香ばしさを漂わせていましたが、売切れでした。もう、食べることは出来ません。最寄り駅は、一畑電車という可愛らしいローカル線。駅名は「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」、日本一長い駅名だったそうです。もちろん駅は「松江イングリッシュ・ガーデン前」として、残っていますがもう、日本一と記念撮影をすることは出来ません。その電車で宍道湖湖畔沿い、終点に到着すると松江しんじ湖温泉です。改札を出たところに、無料の足湯がありました。宿泊した5年程前は、ビミョーにやんわりとしたお湯だったと記憶します。さて、久しぶりのバスツアー、とかく土産物屋にばかり連れて行かれる、という印象ですが、高速道路をひた走り、美術館内を走り抜け、買物どころか、お土産さえ見る間が無かったという大忙しぶりでした。で、ですねぇ、総勢90名、ざっとその内女性が85名(笑)トイレバトルは熾烈なんてもんじゃあ……、個人旅行に慣れ親しんだお方は、とてもじゃないが勝てっこありません。「いずもまがたまの里 伝承館」にての昼食は蟹のお味噌汁、鰻の柳川、出雲蕎麦、お土地柄を連想させる品揃え。グズなのに、しかも時間がないのに、蟹なんかほじれるかぁ~~!途中のサービスエリアで買食いしておいてよかった・・・。けれど母や皆様の感想によると、期待を上回るほどには美味しかったそう。食事処は湖畔間際だったので、ゆっくり眺めとお酒を楽しむ時間があれば、なおのことよろしかったのに。
2007年05月24日
桜はまだか、の頃の古い話で申し訳ありません。夏休みの行事を、冬休みの絵日記に書いているような物だと、思し召せ。島根のルイスC.ティファニー庭園美術館が3月末日をもって、閉館するという。以前から行きたがっていた母は、是が非でも、となった。出雲のここと足立美術館の二つを廻る日帰りバスツアーだ。人気はあるのだが、あまり乗り気じゃなかったのは、自分のペースで観られないから。美術館なんて時間を気にせず、行きつ戻りつして観る物だ。だが、自分たちで計画立てて行くならば日帰りなんて到底、及ばぬ距離。空席も、いよいよ末の平日しかないという。観られなかったよりかは、ちょっとだけ観たの方が、まだましかもしれない。仕事もサボって、何年ぶりかのツアーに参加することにした。なんと総勢90名に及ぶ一行は、2台のバスに分乗し、朝7時に大阪を出発した。バスは長い道中、高速をひた走り、私は食っちゃ寝を繰り返す。最初の目的地「足立美術館」に到着したのは、もう11時を回る頃。度々、賞を取っている日本庭園で名高いが、常緑樹で緑豊かにしつらえてはあるが、3月末、残念ながら緑の勢いは欠ける。伝統的な日本庭園ながら、その敷地と借景にした自然が悠然とし過ぎるのか、手入れが行き届き過ぎるのか、妙に日本離れした印象がある。外国の博覧会にでもありそうな、これが日本庭園です。という感じ。大きなはめガラス窓で、さしずめ大壁画のように楽しめるが、散策は禁止。やはりこの美術館には、その膨大な日本画のコレクションを持つことの方に、価値を見出す。ことに横山大観に関しては、国内最大の規模ではなかろうか。魯山人の作品も多くはないが、その創造世界をお座敷風に展示し、作家のモダンさが、たっぷり想像できてワクワクする。2時間の見学時間では、もう駆け足である。個人で行くならば、入館料2200円。次回分の割引券付き。リーフレットには、年内の展示会の会期とテーマも案内されている。「こんな辺鄙な所、誰がまた来るんだ。」その日本離れした収蔵品の豊かさをもって独自の企画展を開催し、常設品すら度々、掛け替えているほどだ。今回3回目になる母でさえ、観たことのない絵があるという。(見たことを、忘れただけの気もするが)足立美術館、創設者が夢と情熱をかけた美術館だ。官に頼らず、飽きずに足を運ばせるその努力は、観光商業主義とあざける向きを退けるに、十分であると思う。なんとっ!!ルイス・C.ティファニー庭園美術館は、6月末まで営業するそうです。ちぃっ!せっかく書いたのに。この後、続けていた文章は加筆訂正したく、その想を練るため放浪の旅に出ます。ご訪問とお返事は、帰国、帰り次第させて頂きますが、どうぞ皆様、当サロンにておくつろぎ下さいませ。主が留守の事とて、おもてなしも行き届きませんが、冷やした白ワインとはしりの葡萄を用意させて頂きました。お褒めの言葉を残して下さる、お心映えの美しい方にだけ、召し上がって頂けるかと思います。
2007年05月11日
赤穂といえば、はい、忠臣蔵。去年、初春興行で観た「仮名手本忠臣蔵」。玉三郎のおかる、仁左衛門の勘平。その凛々しいこと、美しいこと、当代きっての看板だ。私にとっての忠臣蔵とは、討入りよりもそこに至るまでの阿呆らしくも切ない、歌舞伎や浄瑠璃で馴染んだ、見栄と意地の人間ドラマだ。で、前述通り雨もよいの春の日、花見の積もりで降り立った赤穂はまさしく四十七士の故郷だった。改札を抜けて駅頭に下りる階段には、四十七士一人一人のタイルが貼られているし駅前モニュメントも赤穂浪士ならば、お弁当の名前も赤穂浪士。私の気持ちの中では、お城に行く予定は無かったのだが、天気も悪いし、一つミーハーで楽しむことにする。城下町らしく、真っ直ぐな広い道路がお城に向かって走っている。海に面しているので、平坦で空が広い。お堀の名残と大手門を越えた城内、大石内蔵助の館跡に大石神社はある。松の廊下の惨事(珍事?)を伝えた早駕籠(早馬説も)が叫ぶ「御開門!ごかいも~ん」の門も残っている。短い参道には、ずらりと石造りの四十七士が居並ぶが、当たり前か、皆、悲壮な表情だ。入り口には、大立役者大石内蔵助、対面には若くして父に殉じた主税。この大石神社のご利益は、大願成就、らしい。私は子供の頃、殿様一家は天守閣に住んでいると思っていた。再建するならば天守閣だろうが、赤穂城はそもそもそれを持たない。それでは、と歴史的にも優れた赤穂上水道の遺構に合わせて、本丸御殿を再現した。といっても、コンクリートで間取りを象っただけだが、大広間、控えの間、湯殿、押入れ、縁側、奥の間、台所、十分にあらましが想像できる。大家族だろう殿様一家を想像すると、広いのか狭いのか、よくわからない。う~ん、5LDK基準の小市民的発想ですね。御座所の大広間の正面には、日本庭園が広がっている。ゆるやかに綻びかけた桜もたくさん植わっている。天守閣をついに乗せることのなかった石垣は、その分、さらに堅牢に残っているという。 天守閣が乗るはずだった石垣から御殿跡を見る赤穂御崎に急ぎたかった私は、この日、大石神社の資料館にも博物館にも寄らなかった。残念。あまり来ることはない町だろうに。堀端には桜が咲ききらぬ枝を水面にかざし、その遠景、蔵を模した博物館の外観が伺えた。塩の取引で栄えたろう国の名残だ。赤穂を去る頃、ようよう陽が明るく差し出し、締めくくりに、隣町の坂越に降り立つことにした。海に面した古い家々を取り潰し、町並み整備を始めたようだがかつては塩の取引で賑わった、古い漁村の面影を残している。頃は夕方、神社の広場では、子供達がボール遊びに興じるその上で桜が霞を作っている。港には、二人三人と手にバケツを下げて集まってきた。きっと、漁のおすそ分けがあるのだろう。まだ開ききってはいなかった桜が、駅へと戻る頃には、西日を受けて、温もったのだろうか、ぽわぽわと夢から覚めたように、咲きだした。今日もまたもや、西行法師。雪と見えて 風に桜の 乱るれば 花の笠きる 春の夜の月もう赤穂でも、いくら何でも今日辺りは散った頃と思われます。お城の庭では、朧月夜、名残の桜を慰撫するために管弦の音色を漂わせ、上臈方がきららにお揃い召されたやもしれませぬ。
2007年04月19日
青春18切符なる物を初めて利用した。友人が誘ってくれたのだが、基本的に鈍行で行くのは好きじゃない。特急で行くからこそ、旅行気分も盛り上がろうというものだ。それでも、せっかくならば出来るだけ遠くに行こうというのが、人情なのか、生来ケチくさいのか。赤穂は、大阪の端っこに住んでいる私からしたら、日帰りにはきつくまた、泊まりに行くほどでもなしという微妙な距離にある。けれど、ただで行けるというならば、温泉にも入ってみたい。折しも花見のシーズン、赤穂御崎の突端には桜があるという。海、空渾然と一体になった蒼の風景に、うす色の桜のピンクが霞を作ろう。私の脳裏には、点描派スーラの明るい絵画が浮かんだ。ようし、鮮やかな春の風景狩りと行こうじゃないか、赤穂御崎の桜としゃれ込むことにした。その日、天気は悪かった。ついに雨がぽつぽつ来たので、お弁当お酒で花見の醍醐味は、潰えた。赤穂城を廻り、食事を済ませ(後述)雨上がりを待って、いざ、岬へ。岬に至る道の両側に、花びらを潮風に振るわせた桜の木が並んでいる。岬の突端も桜にぐるりと囲まれ、ここまでは想像通り。が、蒼色に爛漫な花の風景はなく、枝先にまだ赤くすぼまった蕾を残し、灰色の中、桜は寒そうに佇んでいた。それでもシーズン中の土曜日だ。狭い岬の上には、ブルーシートを広げ陣取るおじ様方、ワインを抱えてしゃれ込む方、たこ焼き作りを楽しむ方、手をかけたお弁当を広げる方、皆それぞれに、お花見を楽しんでいる。開ききらぬ花を後に、海岸へと遊歩道をぶらりぶらりと下っていくと。「桜取るバカ、梅取らぬバカ」というのだもの、桜は弱いのだ。波際にあろうはずがない。遊歩道を辿り、もう一つの目的「赤穂温泉」に行く。数軒ある旅館は、どこも新鮮な魚と眺望を売りにしているが、日帰り入浴料は、一律1500円の様子。海に面した断崖にある露天風呂は、岩風呂と檜の2つの浴槽を備え、日本庭園風前栽をこしらえてある。貸切状態ではあるし露天とはいえ、ゆったりと入れる感じだ。お湯は、赤穂ならではの塩の温泉で、ゆっくりまったりと温もってくる。岩風呂の目の前には、まだ若い桜の木が花を咲かせようとしていた。遠景には、赤穂御崎がやんわりとピンク色に染まっている。湯船につかりながらの花見とは、これは、文人墨客並みの風情と贅沢だ。私は大きく伸びをして、十二分に満足していた。本日、大阪は水色の空をした春の快晴です。桜便りによると赤穂御崎は、やっと「満開」さだめし、日本の春と題した印象派絵画が見られることでしょう。お題はこちらより拝借いたしました。言わずと知れた、生涯かけて桜と恋愛した西行法師のお歌おしなべて 花のさかりになりにけり 山のはごとにかかるしら雲
2007年04月12日
杉山家のお雛様 江戸末期頃だそうですはや桜便りが行き交う時候に、まだお雛さんかいな、ではありますが旧暦なら雛祭り、4月4日は・・・・・・・・、の日でもありますしご容赦願って、お付き合い下さいませ。しかもまた、長いし・・・・・・。高校野球大阪代表常連校PL学園を擁する富田林市は南大阪に拡がる住宅地の一画ですが、また、高野街道筋の古い町並みも残しています。環濠に近い形を未だ留める寺内町でも、ここ数年、お雛様を街角に飾る雛祭りをしています。母と二人、3月10日、春の陽気に誘われて出掛けることにいたしました。環濠とは、堀で町の周囲をぐるりと囲ってしまうこと。寺内という地名通り、夜盗や野武士の襲撃から町を自衛するために寺を中心に土塁や堀で要塞を作った街並みです。やはり、力のある自治体のみに許されるわけですから裕福な家々が多いのが特徴です。街道の交差点、水運業盛んな川筋と恵まれた富田林市寺内町は、古くから商家が集まり大層、賑わった町だそうです。「薄幸の歌人」石上露子の生家杉山家住宅を始め伸びやかな田園風景に眺め入ったろう勝間家、材木商を営んできた、一丁を占める程に広大な奥谷家、忍返しの塀からは、屋根と樹齢何百年の大木だけしか伺えないというくらい豪壮な家々を楽しむことができます。大修復の後、公開されている杉山家住宅では、ご親戚筋から寄贈された江戸時代末頃の内裏びな。同じく公開中の勝間家では、お祖母様の明治初期より残る七段飾りのお雛様と邸宅の内部とあわせて、贅をつくした雛人形を楽しむことが出来ます。また、町中を桃と菜の花の活け花を目印に捜していけばお雛様は、店先に玄関先に道標の上にと見つけることが出来ます。古い物とは限らず陶器、折り紙、木彫りと意匠も様々なかわいらしいお雛様が楽しめました。目印の活け花も各戸、工夫されていますこの南大阪随一の裕福な町も、やはり時代の趨勢に従い、修復が追いつかなかったり、住む人がいなくなったり、また、建てかえたりで、完全に昔からの形を残しているのは、ごく一部分ではあります。それでも平成になってからの街並み保存運動とともに、塀には木材、漆喰様(しっくい、とはまた別物ではないかと思います)で、外観もまた、格子や虫籠窓を生かした修復を、という機運になっています。新しい分譲住宅も、木目や白壁を現代風に、またガレージに石畳を用いたりと街並みに融和するそのデザインは、日本の風土が産んだ美しさ住まう方々のこの町に寄せる愛情、自負心を痛感せずにはいられません。今日、古い家並みを維持していくことの困難さは、想像に余る物があります。けれど長くお住まいの、またその家並みを愛してやまない方々のその見識の高さによって、かろうじて伝統は引き継がれていくようです。住むことこそ叶いませんが、余所者の私もあちらこちらで有り難く、余得を頂戴しています。たった一日だけの雛祭りではありますが、昔から伝わる物の美しさ、大切さを認識するには大事な、そして大きな大きな一日ではありました。なお「薄幸の歌人」石上露子につきましては、長大な期限なし(笑)のレポートに取り掛かっております。いずれお目にかける日あらば、ご笑覧下さいませ。読みたかねぇや、って?( ̄∇ ̄;)
2007年04月04日
元食堂のウインドウ。親子丼からうどん、焼き飯、カレーライスと何でもあったのかも。おすしを注文すると「今日は、うどんとそばしかない」って、言われたりね。とても古いお雛様でしたが、やっぱり大事にしてあるのですね。さて、城下町長浜から、南下して、やはり古い町並み残る近江八幡市は近江商人の軒昂ぶりが面影に残っています。今では、時代劇のロケ地として重要になった八幡堀を中心に静かな情趣に満ちた町並みです。お雛様が飾られた家々は地図に記され、また軒には短い竹竿に布を下げたものを、目印として出してあります。商店のウインドウを中心に、お宅に残る、古くは江戸時代の享保雛から明治に流行した御殿作りのお雛様、子供時代に目にした懐かしいお雛様、日本人形、五月人形と飾ってあります。雛祭りとは文字通り、忘れていたものを、また取り出し、眺め、また愛でる。人形を供養できるのは、本来、そんな肉感的行為だけのような気がします。近江八幡では、家々に飾られたそんなお雛様の他に今では、「旧伴庄右衛門」宅として公開されている大きな建物内部(以前は校舎として活用されていた)でも寄贈された古いお雛様やお道具が展示されていました。相方を無くしてしまった三人官女や、人気役者を模した人形、流行り装束をまとった人形、武者人形など、今では見ることもない意匠の人形が白砂をしいた囲いの中に並べられそれは、日頃孤独なお人形達の花見の宴のようでした。またことのほか愛おしいのは、小さな小さな道具類。黒塗りに金蒔絵の定番だけではなく、恐らくは、お土地柄でしょうか、まるで裕福な商人の妻女達が使う物のように、華やかな色合いの衝立、箪笥、鏡台。硯や筆はもちろん、墨と水滴まで納められた硯箱、小さなお煎茶茶碗一式、火鉢、時代が新しくなってくればミシンやアイロン、果ては包丁一式、お玉や杓子、魚焼き網なんてお台所道具まで、数え上げればキリのない、女達には縁深い日用品がそれはそれは、いかにも大事に丁寧に作られ、残されているのです。箪笥長持だけでなく、日用品も含めて飾るというのは、実は、私は初めて知ったのですが、この地特有の風習なのでしょうか。いつからの物なのか、残念ながら時代別には展示されてなかったので不明でしたが、説明文には、年に一度の雛祭りの時にだけ、飾られ手に取った、とありました。日頃はお転婆な子も、そっと取り上げ、静かに眺め入ったお道具だったのでしょう。夕闇迫り薄暗く、ますます、ヒンヤリとしてきた館内の一画から古の女の子達の密やかな息使いが、感じられます。お雛様をお片付けする日、髪やお顔には母だけしか触ってはならず手をきちんと洗い、化粧紙をお雛様の道具に巻き付けることのみ許された幼い日の私。その覚束ない緊張した手つきと柔らかな化粧紙の感触。そんなものまで、その場所には蘇ってくるのでしょうか。お雛様の宴もたけなわ、いろんな時代の、境遇も異なる女の子達のざわめきに、幼い日の私も確かに、混じっていたようでした。大阪府富田林市寺内町でも見つけたお雛道具です。高さ20センチくらい。近江八幡にもありました。寺内町に関しては、遠い近日(笑)アップ予定。
2007年03月22日
母がついつい自分のために購入した、古布をまとったうさぎの雛一対。父には、値段は内緒だそう。墓場まで持って行く秘密の、一つと言ったところ。最近、個人所蔵のひな人形を各戸で展示し観光客は、古い町並みを楽しみながら、店や玄関先に飾られたそれらを眺めさせて頂くという形式の町おこしが、そちこちで見られるようになりました。琵琶湖湖畔には、古い町並みを残す珠のような町々が残っています。梅に誘われ、早春を味わうつもりで訪れたそんな湖国の町でも、桃の節句はもう始まっておりました。長浜は、戦国時代を舞台にしたドラマで、豊臣秀吉が、初めて城持ち大名となった城下町として登場しますがその城址に天守閣を模した博物館があります。高さはありませんが、最上階がお決まりの展望台になっており、平坦な長浜の町並みと、間近にずんと拡がる琵琶湖をぐるりと見回し秀吉の高揚感をひと時、味わうことが出来ます。常設品としては、国友火縄銃の生産地として、様々な武器が展示されていましたが、この時期、企画展として「砂千代の雛と雛道具」が開催されており長浜の古刹「大通寺」と縁深い彦根藩主の娘、砂千代姫(井伊直弼の七女)が同寺に縁づいた折の道具が展示されています。幕末の、しかし幕府の屋台骨を支え続けた大藩の、恐らく浮世離れもしてたろう姫君の種々の贅を尽くしたお道具類。お寺かお城の大広間にしか映えないほどに、大きな内裏雛(一抱えもある)。漆に蒔絵の、実用品と見紛うばかりの雛道具類。様々な美しい化粧道具、風変わりな意匠の食器。幼いうちから内室となるべく大通寺に養女に出され、また父を早くに亡くした姫君は、小柄で華奢だったのでしょうか。白地の紬地に刺繍が施された振り袖は、身幅も着丈もとても小さいものでした。父直弼と亡くなった婚約者の絵姿は展示されているのに、この日の主人公を、そっと空想する唯一のよすがでした。彦根市では姫の姉、弥千代姫のひな人形の展示があったようです。あわせてみることが出来れば、どれほど、感慨深かったことでしょう。「砂千代の雛と雛道具」展は3月25日まで、もっと早くにご紹介すべきでしたが。隣市、彦根と併せて、大名家の暮らしを伺えるこんな企画展があれば、また足を運んでしまうでしょう。長浜城歴史博物館の周囲にも、たくさんの桜が植えられその花の盛りを思い描いたことでした。くり乃々の姉姫初節句のひな人形。かれこれ30年もたつと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、古色もつきますが綺麗なお顔をしていると思うのは、愛着ゆえでしょうか。お内裏様とお雛様しか残していないのが、残念です。後編は、近日(笑)アップ予定です。またのお越しを、お待ち申し上げております。
2007年03月21日
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて春な忘れそ日本歴史史上最強の祟り神、菅原道真公が九州は太宰府に左遷された後、詠んだ望郷の歌です。(初出は「春を忘るな」だそうですが、こちらの方が好き)全国に散らばった天神さんの境内には、どこも梅の木があるでしょうが、筆頭、京都の北野天満宮では梅花咲きほころぶ頃、菅公の祥月命日である2月25日に「梅花祭」として、毎年、多くの人を集めます。この日、梅ならぬもう一つの花が、上七軒の芸、舞妓たちによる野点でのお接待。京の花街といえば、祇園、先斗町を思い描かれることでしょうが、北野天満宮と軒を接する上七軒は、最も歴史が古くその成立ちからして縁深いそうです。また、織物の代名詞「西陣織」生産地のただ中ですから、彼女たちは目のこえた旦那衆に鍛えられ、その隆盛時には、どこの花街よりも豪勢な衣装比べだったとか。例年、お天気が荒れることの多い梅花祭ですが、今年は暖冬に恵まれ日曜日でもあるし、私も出かけることにいたしました。覚悟はしておりましたが、人出はかなりなものです。1500円也のお茶券(おみやげ、宝物館入館券つき)は、とうに売り切れ、お目当ての綺麗どこさんは、くすん、紅白の天幕で区切られた遙か彼方で、しかも、茶席の客人に囲まれた向こうで、結った頭が、行ったり来たりしているのが見えるだけ。天幕に貼りついて目を凝らしましたが、着物チェックは到底、叶いそうもありません。梅に鶯ならぬ、梅に華。目もあやな上七軒の芸妓さんです。しからば、ここは素直に、梅の甘やかな香りに導かれることと致しましょう。茶菓代込みの梅林入園料は500円也(境内、拝観は無料)。紅白の梅が六分咲き、の状態でしょうか。例年よりも早いですね、やっぱり。こちらも幽玄の境地には程遠く、人混みに歩調をあわせて進みます。チケット代に含まれる茶菓は、長蛇の列でしたので並ばず、どんなお菓子だったのかはわかりません。上七軒の綺麗どこさんにお株を奪われた形なのに、なんだか境内の梅の方が梅林よりも、枝振りもお花も雅で華やかな気がします。うぅ~ん、気のせいかしら?そもそも、北野天満宮においては25日は毎月、市の立つ日。広くはない敷地内に、定番の食べ物屋から古着、骨董、小間物屋と種々雑多に屋台が立ち並びます。すぐ傍らに拡がる梅林に、屋台の雑多な匂いが(唐揚げ、焼きそば等々)入り込み、せっかくの梅香を殺してしまった様でした。市は大好きな性格ですが、梅にはそぐわず魅力半減、全く残念なことでした。友人が撮ってくれた写真は、いつもデータ記号のままメールで来ます。なぜかこれにだけは、すでに名前が付けてありました。ザンバラ髪で紅白幕に張り付いている女が、はい、くり乃々です。写真に、カーソルを乗せてみて下さい。むむむむ~、ウッキー!!3月9日現在の梅便りによると、長浜盆梅展、北野天満宮ともに「満開」でした。^-^
2007年03月09日
さて前述しましたように、日帰りバスツアーも来るほどですから会場内は、団体ツアー客も個人客も結構な人出ですが、間違ってもフラリと立ち寄った若者や、お花見デートなんてのは一人もおらず、お若い方がおられたら、大方、運転手兼じじばばの付き添いです。平均年齢62,3歳てとこでしょうか。私達なんか、引き下げに貢献しています。会場は、新館も連なっていてお土産物コーナー、お抹茶、梅茶が頂ける茶所もしつらえてあり、寒さもあってか一番の人だかりでした。この後訪れた近江八幡の骨董屋のおやじは「俗ぽく、商業主義に陥りすぎた。昔は、もっと厳かだったのに」と怒っておられましたが、私も出来ることならば民話を気取って「サンカ」の住人の如く、艶やかな友禅を裾長に着付け人のいない盆梅の間を密やかに歩いてみたいものです。会場は「慶雲館」という明治期の由緒ある木造の建物。明治天皇の長浜行幸に際して、歓待所として建築されたそうです。なんと作庭は七代目小川治兵衛で、彼らしく、広い空間をより明るく伸びやかに作ってあります。なんだか、オブジェとしか言いようのない巨石が散らばった お相撲さんとか巨大手水鉢とか巨大灯籠とかちょっと不思議で楽しいお庭です。(オブジェは七代目の趣味ではなく、後世のものかも)今回、建具は取り払われていましたし、春から秋にかけては見学できるそうなので、次は、暖かくなった頃「慶雲館」そのものをじっくり訪ねたく思います。今年は3月11日まで開催されていますが、この記事を読んで奇特にも好奇心を刺激された方、そう、貴方のために最後にたった一つのお役立ち情報です。会場内はもちろん、暖房などありません。しんしんしんしんと足元から冷えが這い上ってきます。傘とお弁当は忘れても分厚いソックス(重ね履き用)、室内履き、カイロのご用意、これらをお忘れになっちゃいけません。名物の一つとして、是非とも湖国の寒気を観光したいというへそ曲がりさんには、暖冬の今年であっても存分に味わえること、請け負います。鉢の一つ一つに、なるほどという麗々しいお名前がついています。この「蓬莱」というお題は、木にではなく、2本の木が醸す空間につけられたのでしょうか。写真の角度が悪い(撮影:友人)のですが、左は1メートル余り斜めに伸びた白梅、微妙な間があって右が小振りなしだれ紅梅。まさに、仙人が住まう「蓬莱」という幽境の心地がしませんか?もしかしたら、滋賀の蓬莱山(琵琶湖バレイ)に因んだだけかも。まさか、「551の蓬莱」オーナーの所有物なんてことは・・・・・・。 大阪発祥の中華料理屋。持ち帰り用豚まんが有名で、そのテレビCMは大阪炸裂です。
2007年03月04日
柳田国男に端を発する「サンカ」(山窩とも山家とも)の変化球的伝説の一つでしょうか。山中、迷った里人が大きな屋敷に辿り着き、歓待を受けるというお話。開けてはならぬという約束を破り、秘密の場所を覗くと四季の風景がそれぞれ眼前に現れる。里人が我に返ると、豪壮な屋敷も典雅な住人もおらず、迷った山中に取り残されていたという民話は、日本全国どこにでもあるようです。秘密の場所は、倉の中であったり、座敷であったり、小さな箪笥の抽斗の中というのもありました。けれど共通して四季の風景は、夏は蝉時雨、秋は借り入れ前のたわわな稲田、冬は雪景色に、春は梅に鶯だったと思います。子供心に箪笥に収められた四季の箱庭的風景というのが、妙にそそられたのですが以来、梅というと「梅林」よりかは「盆栽」を思い浮かべます。最近、大阪からの日帰りバスツアーで「長浜市の盆梅展」というのをよく見かけます。以前から心惹かれる企画だったのですが、なにせ、冬の琵琶湖湖畔の寒さといったら!梅の季節には積雪も珍しくなく二の足三の足でしたが、この度、友人の出産祝いを届けるため、 四の五の言ってる内、赤ちゃんは、1歳のお誕生日を迎えました湖西まで行くことになり、そのついでといってはなんですが、1泊してぐるり琵琶湖半周、湖東まで足を伸ばすことにしたのです。盆梅というのは、文字通り梅の盆栽。年末にはお花屋さんに並び、新春寿ぐ気分を上手に演出してくれる、あれです。会場「慶雲館」の式台も物々しい玄関の右左にも、そんな紅梅白梅が春を競うように咲いてのお出迎えでした。緋毛氈の上をしずしず歩めば、お庭に面したお座敷のふすまを取っ払った広い空間に盆栽が並んでいます。なんと!「箱庭的」なんて言葉が吹っ飛ぶくらい大層、立派な木々が並んでいます。野山からかっさらってきて慈しみ、中には樹齢350年なんてのもあるそうです。300鉢の中から、その三分の一くらいを開花した順に取り替えながら展示しているそうですが、元々、梅は桜と違い、てんこ盛りに咲くものではないにしても幹の立派さに比べ、お花は五分といった印象。天女が舞い、楽を奏する優雅、典雅な梅花のイメージではなく、枯淡、恬淡、古老といった言葉が匂いたちます。咲いていないというより花芽自体、少ない気さえするのですが、ひょっとしたら、盆梅はお花を見るものではなく、このねじくれた枝幹を愛でるのが通なのかもしれません。それでも、館内には馥郁とした梅の香りが立ち籠め、纏い付くようでした。また、狭い空間に人があふれているので、一番見栄えする場所にデンと機材を構える、素人カメラマンもご遠慮下さっているのが見物客にはありがたいことです。お役立ち情報満載(嘘っ)!!続く!!まさに「盆梅」という言葉を絵に描いたような「盆梅」春告げし 音なく散るや またも咲きオソマツ
2007年03月03日
1月3日より大阪の国立文楽劇場において、文楽の初春興行が始まりました。私が観た演目は、「二人かむろ」(小品の舞踊芝居) 、「嫗山姥」そして、歌舞伎においては二代目坂田藤十郎が「封印切」のシーンで得意とする「冥途の飛脚」(近松門左衛門 作)。大店飛脚屋の養子若旦那、忠兵衛が遊女梅川に入れあげ、友人からの預かり金を、身請けの手付けとして使い込みます。養母への思いやりから、友人は、口裏あわせに協力しますが廓にて、諭す気持ちで梅川を身請けする金なぞないことを暴露する友人に逆切れした忠兵衛は、届けなくてはならない公用金にまで手をつけ、見得を切り、梅川を身請けします。(封印切の段)武家の公用金の封印を切ってしまった忠兵衛には、もはや死罪しかなく、梅川と手に手を取り合って、死への旅路に出奔します。バカでしょ?いいメーワクにも程があるでしょ?大体、とっとと、届けなくちゃいけない大金を懐に、花街の青い灯、赤い灯にち迷って梅川に会いに行くのもバカなら、忠心から、また梅川を哀れとも思う友人の忠告に、キレるのが大バカでしょ?上方のお芝居に多い、この手の二枚目「だめんず」。でも、決して作り物じゃない「いるいる、こんな奴!」と私は、思ってしまいます。(しかも、二枚目でもないくせに・・・。)それでも!恋が許されぬ遊女の身で、なおさら忠兵衛に心すがる哀れな梅川。泣き崩れる彼女の体をそっと抱き起こし、髪や着物を整えてやりまた、振り出した雪から守ってやるため、自分の羽織でくるんでやる忠兵衛。その手つき目つきの優しく、甘やかなこと。事ここに至らせた、柔弱であまりにも浅はかな男ならではの、このセンチメンタル。大江戸歌舞伎に多い、主人への忠誠心から我が子を殺したり老母、妻を見捨てて恩に報いる武士たちよりもさすがは、実をとる上方もの、実にリアルに、愚か者のドラマを描いている様な気がします。この日、真ん中にあった演目「嫗山姥」(こもちやまんば)はなぜ、坂田金時は山中、一人で育ち、熊と相撲をとる大力の持ち主となったのかと、いう金太郎さんの前日譚ともいうお話でしたが、これは、夫婦喧嘩に立ち回り、鬼面の早変わりなど見せ場が多く、場内がわっと沸く派手な、とても楽しい出し物でした。この初春興行、1月25日が千穐楽で、二等席ならなんと2,300円。まぁ、騙されたと思って、一度お運び下さい。退屈したなら、独特のリズムが心地よい眠りへと誘ってくれることは間違いなし、・・・・です。館内ロビーに鎮座する弁慶のお人形初春なので、紅白の餅花が飾られてます
2007年01月14日
仕事始めやん、まだお屠蘇気分なん?暦的には「松の内」なのでお許しになって、お付き合いくださいませ。元旦、三日目とお正月日和の間の、選んだかのような雨降りの日に初詣。聖と俗の入り混じる門前町の賑わいに、心浮き立つ私はさしたる信仰心もないくせに京都、奈良に足が向きます。この日はまず阪急河原町に降り立ち、昼前に「六波羅蜜寺」からスタート。弁財天吉祥初稲穂といって、三が日には、稲穂の束に六波羅蜜寺のお札を付けたもの(無償)を頂けます。これに十日戎のように、縁起物を買ってつけていくわけ。境内では、開祖空也上人に由来する皇服茶の振る舞いもあります。(有償)ほうじ茶に小梅と結び昆布が入ったもの。無病息災の小さいお札もついています。小野篁が縁の「六道珍皇寺」の門前を通り過ぎ、「建仁寺」の境内を通って「清水寺」へ。お正月気分にまどろむ街中から、人の渦へと様相が一変します。昼食は目当てのお店が、お正月定食のみになってしまっていたので、やむなく老舗のお蕎麦屋さんの出店へ。大層な人出の産寧坂、二年坂の店を冷やかしたり、買い物したり。京都の町って、どうして、こうも、ついついコマコマと買ってしまうのか。女の財布を知り尽くした、京都一千年来のお商売上手の技なんでしょうか。「清水寺」には参拝せず、二年坂から「高台寺」近辺の石塀小道へ。この間、焼き餅、お茶、甘酒、おからコロッケとつまみ食い(?!)を堪能しました。この界隈は、古い瀟洒な佇まいでお気に入りの場所です。まだ入ったことのなかった、親鸞上人のお墓がある「大谷祖廟」へ。ここは、お墓参りや、信者さんがお参りされる敬虔なところで、観光気分の私たちは、早々に失礼させて頂きました。その後、円山公園から「八坂神社」へと抜け、身も心も美しくなる「美御前神社」に心を込めてお参りしました。ご利益てき面、まぁ、ワタクシをご覧じろ・・・・。皆様とのご縁に感謝しつつ、「八坂さん」で改めて参拝させて頂きました。この頃にはもはや陽も傾き、祇園を抜けて帰ることにいたします。一力茶屋の大戸も、今日は閉じられています。随分、歩いた気がしますが、地図で見るとさほどでもありません。東山一帯をぐるりと一巡りです。でも、この行程、初詣というにはわざわざ、ミステリーゾーンを踏んで回っているような・・・・・・。さて、六波羅蜜寺で頂いた稲穂ですが、友人に押し付け、持って帰ってもらいましたが、これは、来年お寺にお返しし、お炊き上げしてもらわねばなりません。て、ことで、来年はまた六波羅蜜寺から、ヨーイ、ドン?縁起物は、もちろん、何もついていません。
2007年01月05日
京都では、11月最終日から十八代目勘三郎の襲名披露と銘打った、恒例の顔見世大歌舞伎公演が行われております。ま、伝統芸能つながりと言うことで、ちょっと、過去に戻って11月の文楽公演に、お付き合い下さいませ。大阪の国立文楽劇場は、浪速の胃袋「黒門市場」を背景に歓楽街など割とコアな場所に位置します。夏休みには、子供向け公演もあるのですが、夜は、保護者さんにとても評判が悪く、開始時間が早くなったとか。まあ、昔から芝居小屋周辺は猥雑で、悪所と言われてきたのだから、あながち的外れな場所とは言えまいと、私なぞは思っているのですが。上方のシェークスピア近松門左衛門作のこのお話、情けない子持ち色男と遊女の心中物と、言ってしまえば身もふたも無い。この男の女房と遊女の、実に泣かせる意気地の張合い、義理の立て合い。女房に夫を死なせてくれるなと泣きつかれた遊女は、泣く泣く不実を演じて見せ、一方、遊女が死ぬ気だと悟った女房は、別れてくれた恩に報いる為有り金はたき、足りぬとなれば幼子の寒さ凌ぎの着物まで質にいれ、遊女を身請けさせようとする。この対立するはずの女達が醸す、切ないドラマツルギー。荻上直子監督辺りの淡々とした映像演出で、見たい気がします。互いに「飽きも飽かれもせぬ」女房も愛おしいこの男、不実を詰る舅に対し「離縁はしたくない」と言い張るのに最後は、やっぱり遊女と心中しちゃうんです。なんで?どうしてやっぱり心中に至ってしまったの?すみません、きっと、大事なところをすっとばしてしまったのですね。そうです、11月某日、一番前のど真ん中の席で、ず~~と居眠りしてたのは、ごめんなさい、私です。・・・・・・・・ったく!!!今,東京では「義経千本桜」(17日まで)を公演中です。大阪では、恒例、初春興行が1月3日より始まります。年間を通して、地方巡業や学校への出前(すみません)興業もございます。人形遣い、語り、三味線と、人間の五感の醍醐味を、また厳しい修行が形成した六感の、限りを尽くした、その生のドライブ感を味わってみてください。美形を「人形のような」と形容するように、美女、二枚目人形のあのゆったりした瞬きは、それはそれは清純で、なのに蠱惑的な魅力に満ちています。
2006年12月13日
さて、池山水源地は広い駐車場を備え、おみやげ物屋、岩魚の養魚池などもあるちょっとした観光地。お水を汲みにこられた姿もちらほら。その脇を通り抜け、川の傍らを5分も歩くと杉の木に囲まれてその湧水池はあった。池の底からふつふつと湧き出てくる水の波紋に、水草が揺れて見え、それが、鏡面とは異なる自然の息づかいを感じさせる。 梅花藻の一種でしょうか。調べたのですがわかりませんでした。昔、昔からこの地の農作物を育て、人間の生活を支えてきた滔々と満ち溢れる水の姿。折りしも雨も上がり、すっかり、お水付いてしまった私たちは道中、道標でみかけた山吹水源地にも足を伸ばすことにした。こちらは、対向車が来るといやだな~という山道を登っていく。道の両脇は、牧場だ。傍らの看板には、「牛、馬の飛出し要注意」と書いてある。友人:はねたら、逃げる?他に車おらへんし。私 :これ、軽やから、車の方が負けるやろ、絶対!!20分ほど牧場の合間を縫い、これまた広い駐車場にたどり着くが池山水源地とは異なり、こちらは私たちだけ。お店もない。看板によると、駐車場より10分ほど遊歩道を下っていくようだ。巨木の間を、圧倒されるちょっと心細い思いで歩いていくその間中、山道の下の方から川の流れる音が、ずっと響き昇ってくる。川と合流して程なく、雑木に囲まれた水源地にたどり着いた。なんと、静かで穏やかな湧水池だろう。池山水源を杉に囲まれ、その緑を映した天然色の世界だとしたらこちらは、一本の弦を弾くような静けさに満ちたモノトーンの世界だ。人間の信仰心にも触れたことのないような、無垢な穏やかな水の神様。皮膚から髪の毛から、細胞全部を開いて、水の精気を思う存分、吸い込む。雨か霧か、わずかな晴れ間だけで、また空気が湿り気を帯び出した。※ さて、お水の味ですが、池山水源は純粋なお水ほど味がしないという方程式にずばり 当て嵌ります。雨降りにも関らず、清浄な軟水でした。 お気に入りの山吹水源ですが、な、なんと水飲み場が、駐車場のお手洗いのすぐ傍らに ございまして、ちょっと、飲む勇気は出てきませんでした。 お手洗いは、誰がお掃除してくださるのかピカピカで、きっと、洗面所も流すのも お掃除するのも名水ですね。だから、どこのを飲んでもきっと大丈夫なはず!?あ、そもそも、目的のお食事処はね、また今度お付き合い下さいませ!!
2006年12月12日
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