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1月3日(水)晴れビジネスホテルだけど、豪華なバイキング。郷土の料理を揃えている。佃煮3種。こんぶはわかる。モツや魚まで佃煮とは知らなかった。お雑煮。やはり角餅(焼いていない)、大根、三つ葉、人参有り。すまし汁。それにお芋等。おせちを一通り揃えてくれていた。栗きんとんもあった。紅白蒲鉾以外には、伊達巻も関東の定番のようである。結局なんやかんやで、朝からガッツリ。朝、予定を変えて南千住に行くことにした。日比谷線降りてすぐの小塚原回向院に、この記念碑がある。此処が、解体新書が出来るキッカケになった小塚原刑場である。また、知らなかったがいろんな人の墓があった。開明派でなおかつ幕府が、生き残る道を模索し、処刑されなければ日本の違った道も有り得たかもしれない橋本左内の墓(遺骸は移されている)がこんな処にあった。同じく、維新の傑物、吉田松陰もいた。彼の死は、反対に維新を回天させた。頼三樹三郎もその隣にいた。面白いのは、刑場に消えたという共通点があるのか、鼠小僧の墓があった。それと並んで、高橋お伝とこの何か腕に覚えが有りそうな墓が並んでいた。これだけで小説ひとつ出来そうだ。そうから歩いて浄閑寺に向かう。路地が細く、少し不規則。こういう場所は、庶民が一挙に家を建てたのではないか?浄閑寺の前は碁盤目になっている。ここは昔は田んぼだったのではないか?投げ込み寺浄閑寺の説明書。首洗い井戸。ちょっと悲しい話。庶民はこのような悲しい話が大好き。それでこんな像まで寄せている。此処にきたのは、永井荷風文学碑があり、なおかつ彼の散歩コースだったから。この文学碑並びにゆかりの品の由来は、以上にある通り。以上ゆかりの品。遊女たちの無縁仏はこれである。JR南千住駅に戻る。すると、芭蕉の矢立はじめの像があった。これを写した直後、カメラが固まる。なんとか、治したがもう限界か。
2018年01月31日
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お昼は女将推薦の御徒町の井泉(とんかつを作った店らしい)を目指したら、なんとお休み。仕方ないので、他を探す。美味しそうな店は全部行列だ。なんとか、牛タン定食にありつく。ホテルに戻って預かってもらっていた荷物を持って、隣の上野の山に。国立博物館は今日から開いている。岩崎邸の設計士コンドルの設計。ここは、原則写真OK。しばらくご覧ください。すっかり暗くなった。春は桜で綺麗な上野をそれなりに飾っている。浅草に着く。夕食はめんどくさいので、何回か来た神谷バーにした。電気ブラン、赤ワイン、煮込み、串カツ、タコスモークサラダを頼む。全部て2350円。カードが使えない。ここで、「神谷バーは相席になるので、人とお話しするのが楽しみなの」という御婦人と少し話す。彼女は神奈川。毎年浅草にお参りに来ているらしい。多い人出を避けてこの時間帯に来ているのは、やはりベテランなのか。昨日見たように、正月お昼の浅草寺は、DJポリスも出動するくらいの人出で、長く長く並ばなくてはお参り出来ないのである。迷って、最後のお宿へ。綺麗な宿だった。
2018年01月30日
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水月ホテルの女将の案内で、谷中七福神巡りに出た。東京最古の七福神らしい。時は天涯和尚の指定というから、江戸時代初期であろう。250年前という説もある。1番最初だけ車で送ってくれる。谷中といいながら、此処は田端である。そのあとは徒歩。8000歩という。この歩きだけでも面白い。1.東覚寺神様:福禄寿(ふくろくじゅ)住所:〒114-0014 東京都北区田端2-7−3此処には赤紙仁王様もいる。220円で、赤紙二つと線香を買ってお供えする。自分の悪い所に貼るとそこが治るらしい。便秘気味なのでお腹に貼る。2.青雲寺神様:恵比寿(えびす)住所:〒116-0013 東京都荒川区西日暮里3-6異常に人が多かった。3.修性院神様:布袋尊(ほていそん)住所:〒116-0013 東京都荒川区西日暮里3-7-1巨大な布袋様に驚き!谷中駅前通りを歩いて行く。4.長安寺神様:寿老人(じゅろうじん)住所:〒110-0001 東京都台東区谷中5-2-22此処には、狩野芳崖の墓があった。狩野芳崖展を観たとき、その雄大な絵にびっくりした。当時を代表する画家のはずなのに、墓はなんとも小さい。そして夫婦墓だ。次に行く途中、幸田露伴「五重塔」のモデルとなった塔跡が見える。急いでいたので素通りした。5.天王寺神様:毘沙門天(びしゃもんてん)住所:〒110-0001 東京都台東区谷中7-14-8戦いの神様らしい。平安時代の作と書いてあった。6.護国院神様:大黒天(だいこくてん)住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園10-18此処に来る途中、「どうして谷中や根津に古い家が多く残っているのか?戦災にあわなかったのか」と女将さんに聞いた。「それは東大があったからよ」上野動物園があったから、というような説は今は一蹴されているらしい。「米軍は勝てると思っていたから、終わる前から、東大をそのまま接収することを希望していたのよ。研究内容をごっそり頂こうという話。だから、その周辺は空襲対象にならなかったの」びっくりであり、納得する話だった。「なんとも、自分勝手な国ですね」「ホントに!」7.寛永寺神様:弁才天(べんざいてん)住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園2-1弁天堂である。10時半から始まって、廻り終えるのに、4時間近くかかった。朝偶然隣り合わせになった豊田市から来た御婦人(毎年来て七福神巡りをしているらしい)と客は2人きり。贅沢な企画だった。
2018年01月29日
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年末年始東京旅の後半を開始します。 1月2日(火)晴れ朝食もいろいろと豪華でした。お雑煮は、すまし汁で焼いたまるもち、蒲鉾、トリ、大根、人参、三つ葉。丸餅はシェフが京都だかららしい。隣の人は愛知県豊田市から来て、やはりすまし汁、角餅、白菜、蒲鉾らしい。このご婦人は、偶然朝のホテル企画「谷中七福神めぐり」に行く予定らしい。「参加者が私1人だと聞いていたので嬉しいわ」「そんなことないでしょ。直前になれば、人が増えますよ」と私は返したけど、結局参加者2人だった。ホテル企画の七福神巡りまで、まだ2時間ほどあったので、ホテルで手に入れた「文学旅行 舞姫・雁」から、雁の主人公の友人「岡田」の散歩道をなぞることにした。小説の男は東大近くから散歩に出かけるが、私は水月ホテルを出て、不忍池沿いを歩く。不忍池沿いは、駅伝発祥地らしい。多くのランナーが走っていた。弁天堂を蓮池から臨む。カモメ目線で、弁天堂を臨む。なぜカモメがいるのか。江戸上野はつまりは、臨海都市なのである。「岡田」はそのあと仲町通りを通る。古本屋を冷やかすのが日課だったからだ。この辺りは、古い家を改築して店に流用している所が多い。その方が古民家をきちんと保存できる。何故、こんなに古民家が多いのか。戦災に合わなかったのか?その理由を後で聞くことになる。湯島天神の前を通る「新派」碑由来。このすき焼き「江知勝」は、明治四年創業、漱石も贔屓していた「牛鍋」があるらしい。そのあと瑞祥院の中がコースになっているので入ってみる。抜けられなかった。でも春日局の墓があった。ちゃんと葵の紋が付いている。穴四方と台石に穴が空く、とっても珍しい墓。「死してのちも天下の政道を見守りたい。黄泉から見通せる墓を作って欲しい」とあう遺言からこうなったらしい。春日局、今の政道を見るとどう思うのか。瑞祥院の通り抜けは出来なかった。そのそばの道も行き止まりだった。結局東大の横の道を抜けることになった。 竜岡門を右にまがる。「岡田」は上条辺りに下宿していることになっている。この白雲荘の辺りか。東大鉄門を右に曲がる。そこは無縁坂である。右が旧岩崎邸。左のマンション辺りが、「雁」のヒロインお玉さんが住んでいた所である。どうやら彼女にはモデルがいたらしく、左のマンションが出来る時には、反対運動が起きたらしい。私は「坂」という以上は、「上って」不忍池にたどり着くのだとずっと思っていた。このコースは下り坂だった。大きくイメージが変わった。「雁」には次のようなくだりがある。「(岩崎邸の)石垣の上の所に、雑木が生えたいほど生えていて、育ちたいほど育っているのか、往来から根まで見えていて、その根に茂っている草もめったに刈られることがなかった」塀があるのに、どうして根まで見えるのか、かなり不思議だけど、行って見てなるほどと思った。ちゃんと塀まで盛り土がされていて、本当に根が見えるのである。序でに岩崎邸に行ってみる。明治29年、岩崎弥太郎長男、三菱三代目社長の久弥の本邸として建てられた。ジョサイア・コンドルの設計。彼は明治10年日本に西欧式建築様式を教えるために来日。弟子に東京駅の辰野金吾などがいる。鹿鳴館や上野博物館なども設計。その彼による洋館はジャコビアン様式。邸内細部にジャコビアン様式の意匠を見ることが出来る。一階婦人室。洋館は主に客室用で、いろんな人物が此処にやってきたわけだ。その隣に、撞球室(ビリヤード場)が建てられている。なんと洋館と地下で結ばれている。どうしてビリヤードなのか?生活の場は洋館と続きの和室だったらしい。無縁坂を降り切って不忍池にたどり着く。ここから、スカイツリーが思いがけず近くに見える。水月ホテルに戻る。暗くて見えなかったホテル内に保存されている森鴎外邸を見る。ドイツ帰国後結婚して、登志子の実家の持ち家に1年半住んでそこで「舞姫」を書いた。中は、大広間や客室ばかり。庭を眺める渡り廊下は、明治の建築だと思う。舞姫事件が勃発したからなのか、森鴎外は登志子と離婚して、昨日の今は鴎外記念館になっている観潮楼に引っ越す。言うなれば、此処は「舞姫の家」なのである。ホテルで囲むように遺されているので、上から眺めることが出来る。一階建てである。しかし後で女将に聞くと、2階が生活の場であったらしい。どうして消えたのかは不明である。
2018年01月28日
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「土佐源氏」宮本常一(「忘れられた日本人」(1960)より)池澤夏樹に「小説よりおもしろい」と言わしめる作品である。私もインタビュー記事を書いたことがあるのでわかるが、これだけの内容を聞き出すとすれば、優に4ー5時間を2回は繰り返さなくてはならない。もちろん信頼関係が出来上がってからの話だから、本当は数日かかる。私は、民俗採取の真似事をしたこともあるが、1時間じっくり話を伺って使えるのは一言二言分しかない事ばっかりだった。ところが、記録によれば、宮本常一の村への滞在はたった1日の数時間だったらしい。信じられない密度である。小説よりおもしろいが、これは明らかに民俗採取である。馬喰や盗人宿、こうぞつくり、夜這い、etc。今は無くなっている豊かな民俗がここにある。それから10数年後に書かれた「生活の記録」の中に、単に男女平等と云うことではなく、生き生きとした女の民俗が記録されているのは、そんな「採取」ができるのは、決して偶然ではない。
2018年01月27日
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「死者の書」折口信夫いろいろとわからない語句や展開もあるけど、詰まりながらも、なんとか最後まで読み通した。誤解していたのは、古代の黄泉の国描写が半分くらいあるのかと思いきや、それはほとんどなかったこと。有名な「した、した、した」という擬音が、もっと全編を覆っているのかと思っていた。むしろ、発表当時としては、非常に先進的、もしかしたら現代でもまだここまでの水準に達していないほど考証のしっかりした奈良時代小説になっていた。地の文自体が、古代人の目線になっていて、例えば「片破れ月が、上がってきた。それがかえって、あるいている道の辺の凄さを、照し出した」「月が中天来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白んできた」(218p)というような言葉の選び方は、もう誰も到達できぬ高さである。しかしこれは民俗学ではない。純粋に小説だろう。
2018年01月26日
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年末の12月に観た映画はたったの5作だった。結局2017年に観た映画の本数はきっちり120本。少し長いが、一回で全部紹介する。「リングサイド・ストーリー」思いもかけず良かった。「百円の恋」の武正晴監督が脚本家足立紳の実話をヒントに、いつまでも夢を追いかけているダメダメ男を描く。もちろん、根っからの悪い男ではなくて、投げ散らかしたビール缶を片付けるくらいの神経は持っている。プロレス界とK-1の裏方についたダメ男の彼女を通じて、ファイト・ラブコメディが快調だった。シネカノンの李鳳宇が、プロデュースと脚本に参加していた。彼の視点が健在で少し嬉しい。「俳優ってのはなっ!人に非ずって書くんだよ!」いかにも、長い間下積み俳優を続けている男のいいそうなことだ。(解説)二人にしか見れない景色、探しに行こう!日本アカデミー賞、ブルーリボン賞など数々の映画賞を総なめにした大ヒット映画『百円の恋』から3年。同スタッフが再集結し、盟友・足立 紳の実話をヒントに生み出されたオリジナルストーリーをひっさげた武 正晴監督の最新作!「夢」だけデカい典型的なダメ男と彼を支える健気な女が繰り広げるファイト・ラブコメディ。4年ぶりの映画主演作となる佐藤江梨子と、出演作のたび七変化して円熟味を増す実力派俳優、瑛太をW主演に迎え、武藤敬司・武尊・黒潮“イケメン”二郎など、K-1×プロレス界のトップ アスリートたちが豪華出演!近藤芳正・余 貴美子・田中要次・有薗芳記・高橋和也などの日本映画界の名優たちが、脇を固めます。また結成から28年目を迎え、日本のロックバンドとして咲き誇り続けるフラワーカンパニーズが楽曲を提供、身も蓋もない現実を代弁するかのような主題歌「消えぞこない」が胸に響きます。 俳優、格闘家、ミュージシャンの実力者たちで作り上げた「演技の総合格闘技」のゴングが、この秋、鳴り響く!2017年10月8日シネマ・クレール★★★★「八年越しの花嫁」表町商店街、西大寺電停前、京橋、旭川の河川敷、岡山市民病院(景色の良い見晴らし台だけ何処かわからなかった←のちに岡山市ではなく、浅口市の逍遥山だとわかる)、思った以上に岡山市で2人がロケをしていて、しかも岡山市観光作品にはなっていない。純愛を突き詰めると、こうなるのではないか。一般の闘病モノとは一線を画すキチンと泣ける、地味な恋愛モノになっていた。事実を元にしながらも、「愛です。絶対直ると信じることが大切なんです」「壊せばまた直せば良いんだからな」自動車修理工にあわせた身に沁みる脚本が素晴らしい。土屋太鳳の、動画が豊富に存在するからできたのかもしれないが、各段階の症状の表情に説得力があった。誠実な青年を佐藤健の演技が応えていた。一月に、映画のもとになったドキュメンタリーを見たが、相当脚色している、しかし核のところのみは残していることがわかった。つまり尚志の「消してぶれない愛」である。テレビでは、ほとんど動画は紹介されなかったので、撮りためていた動画を見て麻衣が心動かされたのは脚色かもしれない。映画サークルで、ロケ地巡りをして楽しかった。STORY結婚式を3か月後に控えていた尚志(佐藤健)と麻衣(土屋太鳳)。しかし、麻衣が病を発症して昏睡(こんすい)状態になってしまう。尚志は、麻衣の両親からほかの女性を探すように諭されるが、彼女のそばから離れようとせずに回復するのを待ち続ける。その後目を覚ました麻衣は、記憶障害に陥って尚志が誰なのかわからない状態になっていた。ショックに打ちひしがれながらも、毎日のように彼女を訪ねる尚志だが……。キャスト佐藤健、土屋太鳳、北村一輝、浜野謙太、中村ゆり、堀部圭亮、古舘寛治、杉本哲太、薬師丸ひろ子スタッフ主題歌:back number監督:瀬々敬久脚本:岡田惠和2017年12月9日Movix倉敷★★★★「女神の見えざる手」(ロビーストが勝つのに必要なのは)「予測すること。敵の行動の一歩先を行くこと。敵の切り札がすべて出た後に、最後の切り札を出せるように用意しておくこと」という意味の女の信条が少なくとも3回繰り返される。だから、観客はまるで水戸黄門の印籠がいつ目の前に出て来るのかをずっと待つだろう。そして期待通りに、それは出た。なるほど。これは切り札だ。決して、本当は決して使ってはいけない切り札だ。いや、これは最初から「使う予定の切り札」として用意していたのだという意見も聞いた。大いに議論が分かれた。それも楽しい。こういう女がどうして出来上がったのか。「結婚して、家庭を持つあり得たかもしれない人生をなぞるために、男を買うのよ」等々の台詞以外には、なんの説明もされない。その切り取り方がなかなかいい。実にアメリカ映画らしい秀作。(解説)政治家の心や世論を動かし、マスコミも操作し、世界を変える決断に深く関与する。そんなプロフェッショナル集団=ロビイスト。いったい彼らはどんな戦略を立て、その見えざる手で人々の心や巨大な権力すら操作するのか?戦略の天才たちにモラルや常識は必要ない。危険な一線も越えて繰り出される秘策は、どんな武器よりも強力で過激! 一瞬先も読めないロビイストたちの闘いが、かつてない興奮とサプライズ、感動をもたらす話題作が誕生した。ロビイストの“女神”に君臨するのが、エリザベス・スローン。真っ赤なルージュ、一流ブランドとハイヒールで武装した彼女が、天才的なひらめきと無敵の決断力で、巨大な勢力を敵に回すーー。一切の妥協を許さず、敵はもちろん、味方をも畏れさせるエリザベス。睡眠時間も惜しんで策略を巡らせ、プライベートの時間をもたず、恋愛はエスコートサービスで代用。これ以上ないほど強烈なインパクトのヒロインを演じるのは、『ゼロ・ダーク・サーティ』のジェシカ・チャステイン。観客の目もあざむく演技で新境地を拓き、ゴールデン・グローブ賞主演女優賞にノミネートされた。さらに、エリザベスと共に闘う上司役に『キングスマン』のマーク・ストロングが出演し、物語に深みをもたらす。アカデミー賞®作品賞に輝いた『恋におちたシェイクスピア』のジョンマッデン監督によって圧巻のエンタテインメントが誕生した!銃規制法案を巡るロビー活動の攻防には巧妙な罠も仕掛けられ、予想不能のサスペンスが展開。そして逆転に次ぐ逆転劇の末に導かれるのは、清々しくエモーショナルな結末!近寄りがたいほど鉄壁だったヒロインに、気がつけば心をわしづかみにされている。2017年12月17日シネマ・クレール★★★★「スターウォーズ 最後のジェダイ」期待していた二つの繰り返しのうち、一つしか実現しなかった。衝撃の展開がある。とあの様にひつこく宣伝されれば、終わってみれば全て想定内の様にも思う。最も密かに予測していた(レイの親は実はスノークだった)というのは、完全に外れたが。幾つか残った疑問といえば、スノークとは何者だったのか。次回でレイア役(キャリー・フィッシャー)の死亡をどの様に処理するのか。次の冒頭説明で殺すのは可能だけど、それならばカイロ・レン(ベン・ソロ)の救いが描けない。レイとは何なのか?主人公として、あまりにも影が薄いのではないか?次回で、それらをキチンと決着つけるのか?誰か「嫌な予感がする」と言った?聞きそびれた?「フォースとともにあらんことを」は三回も出た。これは裏切りだろう。それ以外は、満足な出来だった。キチンとジェダイ修行の途中で主人公は離脱するし、お約束の「氷の惑星」での戦いも、赤い塩がまるで血の様に見える見事な映像美を見せていた。レジスタンスの敗北も、前三部作を踏襲していた。一般的に映像美は、素晴らしい。これは父親殺しの物語である。父親を殺して、闇に落ちるか、それとも英雄になるか、世の英雄譚には二通りある。つまりこれは主人公はカイロ・レンだったということになる。次回ルークがある形で出て来るのは必死である。それによって、「失敗こそが最高の教えである。」というヨーダの言葉が活きる。こういう繰り返しの展開の中で、確実に世代交代を行う。これこそが新三部作の魅力だろう。(キャスト)デイジー・リドリー、ジョン・ボイエガ、アダム・ドライヴァー、オスカー・アイザック、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー、アンソニー・ダニエルズ、ベニチオ・デル・トロ、ローラ・ダーン、ケリー・マリー・トラン(スタッフ)製作総指揮:J・J・エイブラムス、ジェイソン・マクガトリン、トム・カーノウスキー製作:キャスリーン・ケネディ、ラム・バーグマン監督・脚本:ライアン・ジョンソン撮影監督:スティーヴ・イェドリン編集:ボブ・ダクセイプロダクションデザイナー:リック・ハインリクスヘアー&メイクアップデザイナー:ピーター・スウォーズ・キングUSキャスティングディレクター:メアリー・ヴァーニュー共同プロデューサー・VPポストプロダクション:ピッパ・アンダーソンクリーチャー&ドロイドFXクリエイティブスーパーバイザー:ニール・スキャンラン衣装デザイナー:マイケル・カプランプロップマスター:ジェイミー・ウィルキンソンSFXスーパーバイザー:クリス・コーボールドスタントコーディネーター:ロブ・インチVFXスーパーバイザー:ベン・モリスUKキャスティングディレクター:ニナ・ゴールド2017年12月20日Movix倉敷★★★★「否定と肯定」原題は「DENIAL」。「否定」であり、「否定と肯定の対決」ではない。ホロコースト否定論者がいかに信頼出来ないかを明らかにする裁判の一部始終を扱った作品だからだ。しかし、日本人は、こういう邦題にした。そこに、いま議論があると言われる事項(南京大虐殺、従軍慰安婦問題)に対する「忖度」があると、私は思う。観客はほとんど老人だった。日本の否定論者の中心世代はあまり居ない様に思えた。しかし、客は30人近く入っていた。このハコでは比較的入っている方だ。アクションのない、法廷劇に人が入るのはそれだけ関心も高いのだろう。日本の否定論者がもしこれをみたならば、アーヴィングと同じ様に判決があっても「これは単にアーヴィングだけが酷い歴史学者だけだった話である」「リップシュタットは、裁判戦略のために陳述もしなければ証人も呼ばなかった事になっているけど、ホロコーストの歴史自体の真実の証明を放棄したからだ」「彼女が勝ったのは、豊富なユダヤ資金があったからだ」と、チャチを入れるだろう。目に見えるようだ。そして、なんとか、「否定論者と肯定論者の闘いは続く」と持っていくのだろう。否定論者のやり方はいつもそうだ。自分が不利になれば不可知論に持って行き、少し突っ込むところがあれば感情論で世論に訴える。そもそも、こんな映画で、客観的な真実を「証明」することは困難だ。何度も何度も出てくるアウシュビッツ「跡」の隠しようもない映像。しかし、実際に虐殺した多量の死体の写真はない。意図的に撮らなかったからである。(南京大虐殺は死体の写真はあるが、数をごまかしているという。従軍慰安婦は証人はいるけど、本人が嘘をついていると言う)2時間の映画ではわからない事が山ほどあるが、ことの単純な事実はひとつである。憲法学者の木村草太さんの言うように「あなたの知的誠実さにかかっている」のだ。レイチェルは、イライラするような女性学者を等身大で演じていて見事だった。(解説)ユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタットは、イギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングが訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”を看過できず、著書で真っ向から対立する主張を繰り広げていた。しかし、アーヴィングは、名誉毀損でリップシュタットを提訴、異例の法廷対決が始まった。この裁判は、開始時から欧米でセンセーショナルに報道され、判決の行方は、ユダヤ人だけでなく、世界の知識層や学者などからも注目された。裁判の行方を混沌とさせたのは、アーヴィングが提訴した先が、英国の王立裁判所という点だった。英国の司法制度は、訴える側ではなく、訴えられた側に立証する責任がある。それゆえ、訴えられたリップシュタットは、裁判でアーヴィングが唱える“ホロコースト否定論”を崩す必要があった。このため、彼女のために、英国人による大弁護団が組織された。アーヴィングの日記を調べ上げ、アウシュビッツの現地調査も行い、歴史の真実を確認する作業が繰り広げられる。その一方で、同時に、弁護団はリップシュタットに対し「法廷では発言しないように」と要請した。しかも、ユダヤ人の生き証人が法廷で証言することも拒否した。リップシュタットは、アメリカの法廷での戦い方との違いに戸惑い、反発する。しかし、裁判が進むにつれて、弁護団の戦術の深さと巧みさを知る。さらには弁護団の人柄に引き込まれ、この裁判には何としても勝たねばならないという使命感が湧いてくる。ナチスによる大量虐殺はあったのか、なかったのか。世界中のマスコミが注目するなか、歴史の真実を争う裁判は判決の日を迎えた。このドラマチックな裁判の映画化にあたって、まず脚本家のデヴィッド・ヘアに白羽の矢が立った。彼はナチスの戦争犯罪裁判を題材にした映画『愛を読むひと』(08)でアカデミー賞脚色賞にノミネートされている。脚本執筆にあたり、膨大な裁判資料をすべて読みこみ、事実を描くという信念のもと、裁判の再現に真摯に取り組んだ。監督にはイギリス人のミック・ジャクソンが選ばれた。ホイットニー・ヒューストンとケヴィン・コスナーが共演した往年の大ヒット映画『ボディガード』(92)の監督であるが、最近はドキュメンタリーを数多く手掛けている。本作では、弁護団のやり取りや法廷での審理シーンなどもリアリティーある場面に仕上がっている。ユダヤ人歴史学者リップシュタットは、アカデミー賞受賞者であるレイチェル・ワイズが熱演。自身のルーツにユダヤ人の血が流れる彼女は撮影前にリップシュタットに何度も会い、リップシュタットの思考や信念に留まらず、彼女の特性や性格まで把握し、演技に臨んだ。対決する歴史家にはティモシー・スポール、年長弁護士にトム・ウィルキンソンという老練したイギリスの名優が共演し、作品に重厚さを与えている。“ポスト・トゥルース”や“フェイクニュース”といった、捻じ曲げられた理論であっても、それを声高に主張すれば世間に認められるという現代の風潮にも警鐘を鳴らし、普遍的なテーマを投げかけている。歴史上、争いのないと思われる真実であっても、時として否定論者は現われることがある。ホロコーストという最大にして最悪の世界史を題材とした本作は、歴史の真実を伝え続けなければならない我々一人ひとりに対する警告でもある。2017年12月27日シネマ・クレール★★★★
2018年01月24日
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「王様ゲーム 起源」(1-6巻) 山田J太 金沢伸明原作メールで王様ゲームとして「理不尽な命令が届く」。その恐怖の連鎖が始まる前の起源を捻り出した、ゲーム世代の現代の若者の貧弱なしかし王道的な発想が作った物語。リングシリーズの貞子と同じように、「起源」を1977年の夜鳴村という閉鎖的な村に舞台を求める。ちょっと目新しいのは、とりあえずの「万能的な殺しの方法」を「人の意思を忖度して、実行させるウィルス」に求めたこと。それだけで6巻分のマンガを作れるし、他にもシリーズをつくれるのだから、安いものだと思う。こういう人の命を自由に操るゲームマンガが売れると云う世の中は、なんとかならないものか。2018年1月読了
2018年01月23日
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「9条つつくな!水島の会」が21日、立ち上がった。地域で60団体に声をかけて、倉敷医療生協の理事を代表世話人に、天理教東水島文教会の人や労組などを世話人事務局に選んで、40人が参加してキックオフ集会が開かれた。清水善郎弁護士を迎えて「こんなに危険!9条改憲」という内容で記念講演が開かれた。安倍改憲の中身、実現してしまったらどうなるか、今やるべきことなどに分けてわかりやすく解説してもらった。後で質問して「自衛隊違憲論者」でも「合憲論者」でも同じだと講師の了承を得たので、現在の自衛隊が合憲だと思っている人でも、安倍改憲の後はこのような酷いことになるということを4点列挙したい。(1)アメリカの手下として戦争をすることになる。米国建国242年間で米国が戦争していないのは、たった21年間。特に、直近のアフガン戦争(01-)はドイツ軍も参戦、イラク戦争(03ー11)には英国、韓国、ポーランド等も参戦している。(2)国民生活が犠牲にされる。今でも軍備を増強しているが、自衛隊を憲法に明記すれば、さらに拍車がかかる。(3)自衛隊を存続させることが憲法上の価値とされ、人権を制約する理由になる。憲法上では国民は奴隷的な拘束を受けてはいけないが、自衛隊のためには「例外」を設けることができる。よって、「徴兵制」の法的な根拠を持てる。また、現在の有事法制の「業務従事命令」では、都道府県知事が病院を管理し、土地物資の保管収容を命じても、それを拒否して罰則はないが、それを強制させる罰則規定を設けることが可能になる。また、今までは土地収用法では自衛隊基地のための強制収容は出来なかったが、それが可能になる。辺野古のような事態が全国に広がる。(4)国際関係の悪化。前文と9条の絶対平和主義は、国際社会へ、特に東北アジアへの約束だった。改憲は、そこでより深刻に受け止められ、安全保障上の脅威と評価される。中国・韓国・北朝鮮との関係は、さらに悪化し、軍拡競争をエスカレートさせる。「改憲されたら、法律家はもううんともすんとも言えないのか?」と質問したら、「そもそも9条は矛盾をもっているのだから、それで戦う」とは言ってくれましたが、改憲されたならば、大きな変化が待っている(特に3番)ことは、具体的に話さなくてはいけないと肝に命じました。22日に、毎日新聞の世論調査が発表された。<本社世論調査>改憲案「年内に発議する必要はない」46%「年内発議は必要ない」の方がまだ上回っているが、「自衛隊の存在を明記する憲法改正について「憲法9条の1項と2項はそのままにして自衛隊を明記する」との回答が31%、「9条の2項を削除して自衛隊を戦力と位置付ける」が12%で計43%に上った。「自衛隊を憲法に明記する必要はない」は21%と、明記派の半分程度だった。(略) 自衛隊明記に関しては「わからない」も27%あり、国会などで議論が深まれば世論が動く可能性はある」とあり、これから何もしなかったら、発議されてしまうような状況だ。これからの運動がほんとに大切。
2018年01月22日
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「サトコとナダ」ユペチカ 監修西森マリー 星海社アメリカでのルームシェア。ルームメイトはムスリムの服を来たサウジアラビアの女の子だった。Web漫画の単行本化を初めて見た。四コママンガではあるのだけど、一コマが横長なのである。なるほど、スマホで見るからね。マンガで見せる異文化交流マンガエッセイ。この前東京に旅した時に驚いたのは、当たり前のようにニカブやチャドルを来たムスリム女性が街を歩いていたこと。ナダは、ヒジャブで髪を隠しているけど「綺麗だから隠すのよ。隠れているから手入れは念入り」という意識である。また、見合い結婚を少しも疑問を持っていない。1日5回のお祈り、年30日の断食月も当然だと思っている。そういう文化的ギャップがあるけど、若い女の子の感性は、あまり変わっていない処が面白い。甘いものに目がなくて、おしゃれに余念が無い。アメリカでは、日本のような多神教は、却って少数派だということも新鮮である(Facebookには宗教を聞く項目がある)。マンガは、森羅万象を見せるツールである。こういうマンガも面白い。「このマンガがすごい2018」オンナ編第3位。
2018年01月21日
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「傘寿まり子」(1ー5巻)おざわゆき 講談社宝島社の「このマンガがすごい」オンナ編6位に選ばれていたので、まとめて読んで見た。80歳といえば、私の両親の世代、介護が現実味を帯びて、周りにはそんな話ばかりが目立つけど、一方ではいまだに現役バリバリで頑張っているお医者さんや地域の世話役等々もおられることを私は知っている。東京となれば、このまり子さんのように、小説家として現役として残っている人もいるだろう。まり子さんは4世代住宅に住んでいたが、居場所がなくなって家出してしまう。年金と原稿料があるから、なんとかなるだろうと考えていたけど、さにあらず、保証人もなしに老人に貸す不動産屋はいないのである。ネットカフェや友人男性との同棲、雑誌の打ち切り、友人女性と同居、ネット雑誌のへの模索など、時々息切れをしながらまり子さんは、新しい地平を切り開いてゆく。「あとかたの街」で、母親の青春期をモデルにリアルな空襲マンガを描いた作者。今度は現代を舞台にやはり母親同世代をリアルに描く。ふんわりとしたキャラを、しっかりとした取材で同時に描く作者の立ち位置は同じ。既に前作の刊行冊数を超えることになった。愉しみな作品が増えた。
2018年01月20日
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「岳飛伝14」北方謙三 集英社文庫この巻の白眉はやはり梁山泊の九紋竜史進が、金国の楊令遺児の胡土児へ、「血涙」楊業からずっと伝えられて来た吹毛剣を渡しに行く場面だろう。ことが終わると胡土児はすぐさまウジュのもとに行く。「そばにいさせてください、父上」「ならぬ。吹毛剣で、梁山泊の人間を斬ってはならぬのだ。それをやれば、おまえは人でさえなくなる」(112p)ウジュは、3年は南に降りるなと言い渡す。つまりそれまでに梁山泊との決着が着くということなのだろう。胡土児が北に行く。吹毛剣がモンゴルに行く。北方謙三の意図はどうであれ、これで吹毛剣の命が継がなれた。他の場面で、秦容と岳飛と潘寛が夢の継承について語り合う場面がある。「戦の目的などを考えると、夢に向かって進んでいくような、高揚した気分になる。しかし夢は、あんな風にも朽ち果てる」「秦容は、いやなことも平気で言うのだな。俺など、いつも顔をそむけているよ」「夢に、人の生が届くということは、ないのでしょうか、秦容将軍?」「ないぞ、潘寛。男はみんな、見果てぬ夢を抱いて死ぬ」「そうなのでしょうか」「届いたと思ったら、それは夢ではない。夢にどうやって向かって行ったかが、男の人生さ。ただ、夢は受け継がれる。振り返ると、夢という墓標が、延々と続いている。その先端に立って、俺たちはいまいるのさ」(42p)秦容・岳飛連合軍は、本格的に南宋に進軍する。終わりが近づいている。2018年1月7日読了
2018年01月19日
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「悲嘆の門(下)」宮部みゆき 新潮文庫「英雄の書」より遥かに面白かった。 というような〈言葉〉を、作者は欲していたのかもしれない。いや、ホントに面白かった。前回が物語と言葉をめぐる概念の「思想書」だとしたら、今回はその思想に影響を受けた人々の「実践の書」であり、人々に普及するための「物語」でもあるだろう。 前回は少し難解だったかもしれない。今回はエンタメに振り切ろう。 そう作者が考えて、それを実践したようにも思えた。たいへん面白い物語を紡いだ作者に言いたい。やはり貴女(あなた)が一番物語を〈渇望〉している。その証拠に、こんな物語世界を実現させても、まだ満足していないでしょ?この30年間で紡いだ貴女の〈物語〉を、ガラの眼で見ればどんな形をしているんだろ。貴女が心配だ。この巨大な〈物語〉に、貴女は潰されることはないのだろうか。「あれからいろいろ考えたよ。それで 思うんだ。ガラが君に教え、君がいろいろ経験してきて思う、その〈言葉〉と〈言葉の残滓〉のことをね、昔から人は、こう呼んできたんじゃないかねえ」業、と。「人の業だよ。生きていく上で、人がどうしようもなく積んで残してゆくものだ。それ自体に善悪はない。ただ、その働きが悪事を引き起こすこともある」(376p)作者とは全く関係ないけれども、年末年始にかけて、今年も様々な事件が起きた。言葉を操って自殺願望者を引き寄せ連続殺人をした男に影響を受けたのか、その模倣犯が未遂で捕まった。自殺願望者たちが道行の結果1人だけ生き残った。またこの小説の中にもあるように、親族同士の諍いの末に幾つもの殺人が起きた。第三者の私たちにとり、小説世界の殺人も、ニュースとして見聞きする殺人も、「情報としては等価だ。ーこれって、〈物語〉じゃないか。」(195p)と、孝太郎同様、私も思う。だから、貴女は最後に〈メッセージ〉を残したのだろう。物語の行き着く先は、そうでないとならないのだと。「ここが〈輪〉だ。物語が続き、命が巡り、祈りが届き、嘆きが響く。ー〈輪〉の小さき子よ、生きなさい。」(386p)
2018年01月17日
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私は誇りを持って、8%だと宣言する。それにしても、85%は圧倒的な世論といえる。ここまで、あっという間に世論が一色に染まった。恐ろしい。戦争に突入するときは、こんな風になるのだろうか。85%とは何か。昨日このような報道があった。JNN世論調査、日韓合意での韓国側対応「理解できない」が85%1/15(月) 6:29 従軍慰安婦問題をめぐる日韓合意あっ、先週、韓国側が改めて日本側に謝罪を求めたことに、8割以上の人が「理解できない」と考えていることがJNN世論調査でわかりました。 安倍内閣の支持率は、先月の調査結果より1.9ポイント増え54.6%でした。一方、不支持率は、1.8ポイント減って43.9%でした。 従軍慰安婦問題をめぐる日韓合意について、先週、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が誤りだったと強調し、日本側に改めて謝罪を求めましたが、こうした韓国側の対応を理解できるかどうか聞いたところ、「理解できない」と答えた人が85%に上り、「理解できる」を大きく上回りました。理解出来るは8%だったという。皆さんも想像してみてほしい。わかりやすい例えをつくった。 もし貴方のお母さん(オモニ)が、若い頃会社に就職して、そこの会社の従業員から組織をあげてレイプされたけど、政府のお墨付きがあったから不問に付されて長い間公にすることも訴えることも出来なかった。むしろ悪い噂だけが流されて惨めな人生を送った後に、やっとその会社の息子たちが、一片の紙切れでお母さんの長男とだけ秘密裏に話し合いをして、幾つかの事実を認め謝罪金を払うと言ったら、そして其の後もその会社の従業員は、「そんな事実はない」「あの娘は進んでやっていたんだ」と言い続け、息子の会社社長も「謝りに行く必要はない」と断言し、なおかつ抗議の為の看板を長い努力の末に建てていたのに、それさえもその社長は「撤去せよ」と云う。真に反省していないのは明らかだとお母さんはずっとその「合意」に反対している。長男が亡くなった。次男はお母さんの意を受けて、あの合意に不備があると言い出した。しかし、会社の息子社長は、正式な「合意」があったから、長男が亡くなった後にそれを破棄するのはダメだという。それを貴方は「理解」するのですか?それともお母さんを「理解」するのですか? こういう説明を受けたら、皆さんはどういう意見を持つだろうか。政府が「軍の関与を認めた」のも「事実」であり、「謝罪を拒否している」のも事実である。大事なのは、マスメディア情報をうのみにしないこと。そして想像力を持つことだと思う。
2018年01月16日
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「DAYSJAPAN2018年1月号」表紙写真。2017年11月5日、大統領専用機で米軍横田基地に降り立ち、約2000人の米軍兵士と自衛隊員らを前に演説するドナルド・トランプ米大統領。東京・横田基地。Photo by Getty Images特集は「占領下の日本 日米地位協定」である。私は、あまりにも直近なのでここにも取り上げれていない最近の米軍機の相次ぐ事故のあとに知り合いと話し合ったものである。「もう、沖縄は独立した方がいいんじゃないか」「全く同感です。本土の私が見てもあまりにも酷すぎる。私は、日本が米国の半占領状態にあると規定した某政党の意見を最近堂々と支持するようになりましたね」と言っていたわたしたちでも、ここに書いている地位協定の詳しい実態には、更にびっくりした。2016年5月に、20代の女性が殺害された事件。メディアは、犯人を「元米軍属」と表現し続けた。伊勢崎賢治さんの話では、「本来の地位協定では軍属ではない」明らかな誤りだったという。本来は軍属とは、軍人ではなく背広組、政府から直接雇用されている者ではあるが、犯人は基地内で民間業者に雇用されていたものだった。しかし、日米地位協定は、そういう者でさえ軍属扱いにして来たという。どこまで従属すればいいのか。日米地位協定では、日本にほとんど捜査権はない。一昨年から今年に起きた事故の実態が日本には伝わらない。全ての事故は、日本国民の命が危険にさらされたにもかかわらず、である。そういう屈辱的な地位協定を持つ国は、世界中でも日本と韓国のみという。韓国では、映画「グムエル」でも描かれたように、時には明確な反米感情を発することがある。日本の映画にはそれがない。どちらがよりポチかといえば、日本である。13pの沖縄全戦没者追悼式に参列した安倍首相を見つめる翁長県知事、役人、中年、青年、高校生の見事なまでの一致した「厳しい視線」の写真は、見事である。もうそろそろ、沖縄は独立した方がいいんじゃないか?2018年1月読了
2018年01月15日
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「ビッグイシュー326号」ゲット!今回は見どころ満載!もちろん、私の趣味の考古学が特集の一部を構成しているからだけではない。もちろん、とっても面白かった。面白すぎてここでは紹介しきれない。恒例のお正月かるた。今回は13年間の「よりぬき版」らしいが、ここ数年の新参者の私には初めて目にした珠玉の言葉ばかし。座間の自殺願望者連続殺人事件を受けての「3人の自殺未遂者からのメッセージ」というイベントレポートをした雨宮処凛さんの文も、思うところがたくさんあった。第56回「ワンダフルライフ」は、路上にある「片手袋」をずっと撮り続けている石井公二さんの記事。1度はみんな思ったことがあると思う。どうして路上には、こんなにもたくさんの片手袋があるんだろ。人を驚かすために、全国的な陰謀組織があるんだろうか。私は本気で疑っていた。彼は撮りためた4000枚もの写真を基に片手袋分類図を真面目に取り組んで作った。それを見て私は初めて様々な理由と、放置された後の経過があることを知る。うん、これほど様々な形があるんなら、これは陰謀組織じゃない!販売者人物紹介は、今回は久しぶりに日本人だ。やはり、日本人の記事は読ませる。「お客さんの励ましがあるから、がんばれている」という。彼の人生の全てはわからないけど、いろんな人生があるんだなとはわかる。そういえば、岡山の販売者と少し正月明けに話したけど、彼は私と同じ年末30日から旅をしている。自分を変えた第二のふるさとに帰っている。私の旅は人生じゃないけど、彼の旅は人生だ。ホームレス人生相談。今回枝元なほみの悩みに効く料理は、里芋の煮っころがし。いまだ作ったことはない。里芋(500g)、砂糖(小2)酒・みりん・水(各大2)、しょうゆ(大2と少し)で、クッキングペーパーで落し蓋、さらに蓋して15分ほど中火で煮て、火を止めざっと混ぜ10分置く。ちょっと端折って書き写すとこんな感じ。やってみようっと。「人生カルタ」より。・理性、判断力はゆっくり歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる。(ジャン・ジャック・ルソー)・不可能なことなどないわ。だって「不可能」という言葉が「私には可能( I'm possibe)」って言ってるじゃない!(オードリー・ヘップバーン)・よういどん なにかをしようとして もう おそすぎると思ったときには 心の中で言ってみる よういどん(杉本深由紀)・最も歌がうまい鳥だけしか鳴かないなら、森は静まりかえってしまうだろう(ユダヤのことわざ)
2018年01月14日
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「ビッグイシュー325号」ゲット!特集は「暮れの時間」。本、映画、音楽を3人の専門家が回顧している。本はあまりにも発行冊数が多く、共感はし難い。しかし藤原新也「沖ノ島」(小学館)は、確かに「深夜1人で焼酎のお湯割(私ならばワイン)を飲みながら、ずっと眺めていたい写真集」のように思えた。札幌のシアターキノ映画館館主の中島洋さんの選んだ14本は、観ていない作品も多くあるけど概ね共感した。特に「人生フルーツ」を1番に持って来ているのは、私と同じ。その通りだなと思う。伏原健之監督は「実は2人のツーショットを撮るのが難しかった。意外でしょうが、2人は別行動が多いのです」と言ったという。中島さんは「自立した個人がお互いを尊重しながら、それぞれの役割を担っているところに、多くの観客が感じた本当の豊かさの秘密があるのかもしれない」と受ける。そういう視点を私はあまり持っていなかったので、なるほどと思った。あとは、「わたしは、ダニエル・ブレイク」「彼女の人生は間違いじゃない」「残像」「エルネスト」「ブレードランナー2049」が入っているのが嬉しい。音楽のことはさっぱりわからない。
2018年01月13日
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東京旅レポートの後半は、溜まっている読書や映画の記事が一段落ついたら、また報告します。「スカイツリー下町歴史の散歩道」東京遊歩連編集 山川出版社年末年始に東京を旅した。此処に載っている両国・深川エリア、錦糸町・木場エリア、向島エリアを数日かけて歩き通した。コースの選定、見るべきもの、そのモノの背景、かなり参考にさせて貰った。特に、著者は小説の舞台になった場所にかなり詳しく、なるほどと思った。歴史的事実も看板に書いていることと全ては被らないで、ちょっとトリビアなことも書いている。単なる看板しかない処でも、この本を読んでいるので、様々に想像することができる。と、持ち上げておいてちょっと小言を書きます。この本だけではわかりにくいので、東京詳細地図も持ち歩いたのだが、それでも看板のある場所にたどり着くのはものすごく苦労した。そもそもこの本の地図があまりにもいい加減なのである。この本だけで場所にたどり着こうと思うのは断念した方がいい。中には三遊亭円朝旧居跡など、明らかに間違って書いている処もある。また、表紙の北斎の「富嶽三十六景本所立川」の場所は何処なのか?本書を探したけど遂に書いてなかった。それでもなんとか、場所を突き止めた。そうすると、この位置から富士山を眺めると、スカイツリーは明らかに反対側にあるのである。これを表紙に選ぶ以上は、その辺りも考慮して欲しかった。2018年1月4日旅の終了
2018年01月12日
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谷中を歩き疲れたので、浅草までワープ。JR鶯谷駅から秋葉原、乗り換えて浅草橋、乗り換えて浅草。そこを出ると、元旦雷門前がすごいことになって居た。車を封鎖して、DJポリスが出動、長い列が出来て居た。日本人は諦めて長いこと並ぶだろうけど、外国人は気の毒だ。昼食はいろんな所が行列だったので、閑散としている洋食屋「ワイン館」に入ってみる。980円、ドリンク付きのランチ。正解だった。サラダとオリーブ付きのフランスパン。量も味もグッド。牛ステーキも、柔らかくは無かったが、旨味たっぷり、ソースも美味しかった。それでもうひとつランチを頼んだ。チキンのなんちゃら。とても柔らかかった。2時前に浅草演劇ホールに着く。正月の落語は全て顔見せ興行である。20年前の冬休み、私は二回ほど通った。正にその時以来だ。あの頃も小朝が2部のトリをとっていた覚えがある。四部構成。このホールは入れ替えをしない。だから、朝から夜までずっと見ることができる。もっともそんなことをしている人は、あまりいない。あの当時は2500円だった。今は3000円である。「すみません。今は立ち見になるんです」「いいよ、どうせ小朝が終われば席が空くんでしょ」「なんとも言えませんが」いいよ、いいよ。勝手知ったる寄席だ。では、見た順番に評価を◯△でつける。・柳家小満。年寄り。泥棒もの。オチはヤカン。△・林家あずみ。たい平の1番弟子。女の子。◯・三遊亭金馬。登場から拍手がわく。顔が売れている噺家が出るとそうなるのである。噺家始めて77年目らしい。オオと会場がどよめいた。すこぶる元気。◯・林家木久蔵。元木久蔵の息子。それが持ちネタらしい。後はミサイルネタをする。20年前は、元木久蔵つまり木久扇の噺を聞いた。芸風はしっかりそのまま。父親は第一部のトリだった。昔は中頃だったと思う。△・ストレート松浦。手品師。「今年はね、私はちゃんとやりますよ」の一言で大いに受ける。実際、全然ちゃんとやらなかった。◯・春風亭小朝。第ニ部トリ。倦怠期の夫婦の話。キレが無い。△・桂扇生。オチは「かわいやかわいや」本格を短くまとめたけど面白くない△・三遊亭歌橘(かきつ)。「美肌王子です」で大いに受ける。初めて見たけど、忘れられない顔。◯・三遊亭金時。オチは「お前はお父さんの子じゃないんだよ」。わかっているオチだけど、面白い。◯・林家二楽。紙切り。今日作ったのは、羽根つき、ツルとカメ、パンダ。おひねりとビールを貰った。◯・橘屋圓太郎。寄席とは何かと外国人に聞かれ「今にも壊れそうな小屋で」を6-7回繰り返す。なぜか大受け。◯・蜃気楼龍玉。「縁起担ぎでなんでも当たりをつけるといいよ、と御隠居に知恵つけられて、スルメをあたりめというのはいいとして、スリッパを当たりっぱといったり、ちょっと面白い。◯・柳亭市馬。相撲甚句で終わり。△・のだゆき。ぞうさんの芸ひとつで時間の関係か、直ぐに降りた△・林家志ん橋。「初日の出」と言って頭を見せる。「名前はしんばしじゃない、しんきょうです」と掴みは良かったが、与太郎モノの話はイマイチ。△・林家種平。本来は林家三平の出番だったが、(おそらく遅れたのだろう)急遽順番を変えて出た。ネタは、短い小話だけ「母ちゃん、パンツ破けたよ」「またかい」。林家一門がすると、どうしてこんなにおもろいんだろ。◯・林家たけ平。種平と同じく小話。でも、全然面白くない。△・青空一風千風。女2人組漫才。あっという間に終わる△・鈴々舎馬風。△・昭和こいる。漫才の相棒が今入院中らしい。△・古今亭菊丸。「初七日」◯・橘屋半蔵。円蔵(元円鏡)の弟子。小話。切れが無い。△・林家ペー。最初1人で出てきたからどうしたのかな、と思ったら途中でパー子が出て来てひたすら高い声で客席を写していた。むちゃくちゃなんだけど、どうしてこんなに面白いのか。◯・春風亭一之輔。本格噺。◯・林家三平。正蔵の弟。笑点の話題で終始した。兄よりテンポが早い。でも洗練されてはない。◯・立花屋橘之助。◯・林家正蔵。第3部トリ。やはり面白い。最近はストーリーがある。それに20年前三平として見たのと違い落ち着きがある。でも最高!◯・入船亭扇蔵。△・柳家三語楼。内輪話。△・すず風にゃん子、金魚。女漫才。振り切った芸風。ゴリラとしてバナナを食べる。◯・入船亭扇好。△ここで、休憩。2時前から5時半まで、約4時間愉しませて貰った。さて、帰ろう。銀座線で上野で降りて、不忍池の弁天堂に寄る。芸能の神様でもあるのか、今さっき観た正蔵も提灯を寄進していた。7時前に、ホテルに着いた。部屋は思ったよりは狭かった。水月ホテルの料理は、京懐石だった。シェフは大河原実氏で、東京のなんかの賞をとっているらしい。贅沢な料理が出るとは思っていたが、まさか京懐石とは。鴎外ワイン(ドイツの辛口の白)を注文。前菜は、上から柚子豆腐、汲み上げ湯葉、数の子松前漬け。それをお重みたいな箱を分解すると、このように出てくる。ハッタリをかます。それが京懐石の特徴なのだと思う。お腕は芸術のようだった。霙仕立て道明寺織野菜 柚子口。凝っていてなおかつ上品。お造りは、旬の魚5種。芽もの彩彩、土佐醤油で。大根薄切りで鶴をあしらっている。煮物は海老芋含め煮と帆立旨煮、竹の子、生麩、蕗、木の芽。薄味だけど、甘みと旨味がある。和牛すき煮。白菜、水菜、長葱、エノキ、焼き豆腐、白滝、生麩も一緒に。これは平凡。和肉と言っても赤身だから。サーモンのホイル焼き。伊勢海老根津焼き、温野菜。何処が根津焼きなんだろ鯛めしと香の物と赤出汁。デザートは、なんと西瓜。何故今?「びっくりでしょ。どちらにせよ、初物ですから」そりゃそうだ。そのあと、場所を変えて新春コンサート&ビンゴ大会をしていたので参加。和洋折中のコンサート。「異邦人」やジブリの曲があんなにも「合う」なんて、新鮮な発見。ビンゴ大会では、みごとに商品をゲッツ!福袋を取ったら、なんとお菓子盛り合わせだった。それだけではなく、ジャンケンで鴎外荘のクオカードもゲッツしてしまった。今年の運を使い尽くした?
2018年01月10日
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元旦(月)晴れ明けましておめでとうございます!6時50分。見事な晴れ。ホテルの朝食。流石に正月バージョンになっている。紅白の蒲鉾、卵蒲鉾?、そして昨日の味噌汁は簡単な雑煮に。大根と人参と三つ葉のすまし汁、そして小さな角餅。これが東京下町の雑煮なのかもしれない。こういうタイプは食べたことがなかったので、とても新鮮。部屋にもどると、初日の出はすんでいたが、高層ビルで太陽は見えず。でも本当に日本晴だ。これが2日泊まったホテル。次のホテルに午前中に荷物を預けに、根津で降りる。そこから根津を少し歩くと、ここでもやはり松の門松変形があった。もはや、柳田の言うように、正月は家の主人が若水を汲んで若木を神様に供える、それを忠実に実践しているのは。もはや西日本ではなくて、少なくとも東京なのかもしれない。ホテルは水月ホテル鴎外荘である。この旅で唯一私贅沢な所に泊まる。決めては、幾つか正月企画をしているのと、此処が森鴎外旧居をそのまま遺していること。荷物を預けた後に、根津千駄木谷中をぐるりと回って浅草を目指す。この辺りは戦災に遭ってないので古い建物が多く、しかも東向島のようではなくて生活に余裕があるのか見て取れる。弥生町に入る。東大工学部隣。「弥生式土器発掘ゆかりの地」。ここは、弥生時代を研究する者にとって聖地である。何故、縄文時代の後が弥生時代だったのか。それは、優しい時代だったからではない。弥生町から発掘されたからである。正式には此処は向ヶ岡弥生町と言ったらしい。何故弥生町と言ったのかは、この説明書を読んで初めてわかった。遺跡を探すとやはりあった。弥生時代後期後半の方形周溝墓が見つかっていたらしい。残された土地があるので、見に行く。弥生二丁目遺跡。此処が弥生時代発祥地と思うとドキドキする。弥生二丁目16には、サトウハチロー(1903ー1973)旧居跡もあった。彼は1937年からなくなるまで此処に住んでいたらしい。この形の屋根は珍しい。お化け階段を降りて根津神社に辿り着く。此処は正月境内で蚤の市をしていた。こういう境内は極めて珍しいと思う。本殿前のこの行列。根津神社は重要文化財である。宝永3年(1706)建立。神社を出て左に曲がり、日本医大前を間違って左に曲がると、森鴎外「青年」の散歩道が続いていた。東大農学部前の道が本郷へ続いている。途中で間違いに気づき、まっすぐずっと帰ると、日本医大同窓会館前に夏目漱石旧居跡があった。漱石がイギリスから帰ってすぐ、西片町に移るまでの約4年間(明治36-39)、此処に住んで「我輩は猫である」「坊ちゃん」などをものにした。森鴎外も1年余り住んでいたらしい。ここは、今でこそ開けているが、やはり町の中だったと思う。しかし、明らかに高台であり、向島に住んでいた堀辰雄や幸田露伴とは、また違っていた。旧居は自らを「猫の家」と呼んでいたらしい。猫の像が居た。そのせいか、此処で2匹も道路を闊歩する野良猫を見た。初メジロを見つける。駒込千駄木町の名前由来を初めて知る。歩き通して言問通りに出る。玉林寺千代の富士の銅像があった。亡くなった去年の作ではなくて、数年前の建立らしい。言問通りを更に歩くと、旧吉田屋酒屋。下町風俗資料館。しかし今日はお休み。
2018年01月09日
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言問橋を渡った先の隅田公園に、こういう碑があった。戦災によって亡くなられた方々の碑である。この場所は、東京大空襲の時には、ここで遺体が仮埋葬されたらしい。昭和61年台東区によって建立。待乳山聖天宮。ここは、大根を奉納することで有名。良縁成就、夫婦和合で人気ある。いろいろ特徴のあるお寺。お供え用の大根、一本400円。この隣の公園に、池波正太郎誕生地というのがあった。こんな説明。池波正太郎も、下町ではあるが、川沿いの少し品のある町に生まれた。同時に、芸人の町の隣に生まれた。この二つが、彼の素地を作ったのかもしれない。そこから歩いて、浅草寺に行き着く。なんと来年戌年を記念して、ソフトバンクがこんなのを奉納していた。ここはビジュアル大画面が鎮座している。私は、お寺にはもちろんお参りはしない。仲見世は覗かない。もう5回ぐらいは訪れている浅草寺。しかし、周りの施設を初めて見る。淡島堂。此処には浅草大平和塔というものがある。建設趣意書は以上の通り。昭和38年の、まだ20周年も来ていない時の庶民の思いである。その頃から人々の意識の風化が心配されていた。今はもっと心配されて良い。昭和10年、淡島様の呼びかけで針の供養塔が、出来上がり、針供養を始めたらしい。このお堂は、江戸時代女性の守り神として信仰を集めたお堂らしい。その隣に奥山庭園がある。江戸時代に見世物小屋が数多くあった場所らしい。そこに様々な碑がある。映画弁士の塚があるのは、至極当然かもしれない。しかし、徳川夢声以外は私もあまり知らない。喜劇人の碑がある。中心の揮毫が笹川良一というのが気に入らないが、その隣は森繁久彌が書いている。「喜劇に始まり、喜劇に終わる」。更には「ノンキトウサンの碑」というのもある。福地桜痴の碑も移転されて来ている。「半七の塚」まであった。もとより半七捕物帳の彼である。ファンによって昭和24年に建てられる。ナゼか隣にガマガエル?(青蛙)がいる。戸田茂睡(1629-1706)の生前墓。江戸時代の歌人である。つまりは非常に古い文化財。力石。説明文に明らか。これがそれです。子規の句碑もあった。三匠句碑。「ながむとて花にもいたし頸の骨」宗因、「花の雲鐘は上野か浅草か」芭蕉、「ゆく水や何にとどまるのりの味」其角。句碑は1809年建立。1894年移築。瓜生岩子女史の銅像。明治元年会津戦争で孤児になった幼子の教育に努力。社会事業のパイオニア。明治30年69歳で没す。同年篤志家により、浅草境内に建立。仲見世の裏はこんな感じ。昨日悉く事前調査の名店がお休みだったので、全く期待していなかったが、お蕎麦の尾張屋がやっていた。観光客の年越しそばの期待に応えているわけだ。元旦は休業していたので、とても誠実だ。当然行列が出来ている。もちろん並びますよ。お品書き。永井荷風がよく通ったと言われているそば屋。彼のお気に入りのかしわ南蛮も頼む。序でにお酒も頼んでみる。蕎麦で酒を呑む。初めての経験。突き出しに肉味噌が出た。何れも美味しかった。上品でやはり香りが違う。その隣に、やはり事前調査の食事屋モンブランがある。粒ぞろいのツマミ2品が30種類から選べて、お酒付き。私は赤ワインと、ミニステーキ、そして豚のオイスター炒めを頼んだ。すっかり良い気分になる。今日は、カウントダウンまでもう用は無い。スターバックスで日記を書く。と、思っていたら急に思い出した。急いで渋谷に動く。2017年4月、有志の尽力で渋谷に加藤周一「さくら横丁」の碑が建った。私も少ないながら、寄付をした。残念ながら除幕式には行けなかったが、渋谷に行く時は見に行こうと思っていた。渋谷駅につくと、なんと再開発中。もらっていた地図があまり役に立たない。いろいろ迷いながら、やっとたどり着く。マンションの玄関隣にそれは立っていた。現在は渋谷区東一丁目4番地だけど、昔は中通という地名だったらしい。隣は並木町。この詩はその辺りのエピソードなのかもしれない。行って見て思うのだけど、心臓のようなこの形は何を意味して、上の花輪のようなオブジェは、いったいなんなのだろう。そのあと、渋谷ハチ公前に行く。カウントダウン1時間前。人人人人人人人人だ。109前で、カウントダウンの催しがなされている。警察がたくさん動員されている。有名なDJポリス出動。コカコーラ提供の赤い山高帽の山山山山山山。人人人人人人人人人人人人人人人人。なんかこれだけで終わりそう。つまらない。電車最終がきになるので、帰ることにした。この光る犬の仮装だけが目立っていた。ホテルへ帰る途中に新年になる。駅を出ると、小さなお寺なのだけど、除夜の鐘を突かせてくれるというだけで、行列が出来ていた。この人口密度こそが東京なのだと思う。
2018年01月08日
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首都高速から離れて一般道路を歩いていると、きびだんごやがあった。どうして東京にきびだんご?休憩がてらに食べてみる。一人前270円。もちもちの熱く柔らかい小さな餅。岡山とも鬼ヶ島とも関係なく、材料がキビだかららしい。幸田露伴旧居跡に行く。児童公園になっていた。幸田文さんがここで厳しく育てられたのだろうか。そこからスカイツリーが小さく見える。最初期のジャーナリスト成島柳北の旧居跡を探して、日本で最初の少年野球場に行く。ここから、王貞治が育ったらしい。その隣に、こんな碑や冬サクラの木々が。咲いている!または、こんな碑も。周りは、玉ノ井とはまた違う古い家が多い。榎本武揚の旧居跡を見つける。そこに成島柳北の地図もあった。小学校の横にあった。成島柳北跡からスカイツリーが良く見える。いつの間にか昼を過ぎていた。もう名店にはこだわらない。食べれる時に食べる。「年越しそば」は食べておかなければなりらない。「久月」月見そば650円。濃い出汁が、そばに合う。東京のそばという感じ。吉川英治旧居跡を探し、鳩の街商店街を行って右に曲がるとあると聞いて、商店街を歩けどもない。古い家が多い。戦後、商店街の通りは花街だったらしい。やっと見つけた。曲がって直ぐそこだった。吉川英治旧居跡。彼が売れる前の旧居だった(25歳より)。品のある、しかしいかにも下町と言った処に彼は住んでいたのだ。ここで、初期のあのドキドキするような小説が生まれる(30歳から)。私は中学校時代を通じて彼の全集の約8割を読んだ。感慨深いものがある。小雨が降ってきたので、商店街の中にある喫茶店「こぐま」に入ることにした。霙混りの雨。東京はこの日、初雪を観測したらしい。昭和2年建築の薬屋の古民家を改装したとってもおしゃれな喫茶店だった。シフォンケーキ500円を食べたけど写真に撮るのを忘れた。雨も止んで、少年野球場まで戻る。ここに言問団子の店があったからである。教育委員会の看板には、明治元年、外山左吉が有原業平の歌「名にしおはばいざ言問はん都鳥我が想ふ人はありやなしやと」を基に言問団子と名付けたのが始まりであり、言問橋等はその後に出来たと言う。初めて食べたが、上品でかつ少しおお振りの満足いく団子だった。三つで630円。喫茶値段かと思いきや、お土産6個もその倍の値段だった。その隣に桜もち本店がある。正岡子規が、大学予備生の頃、ここの景色が気に入り、桜もち「山本や」の2階を3ヶ月ほど借り、「花の香を若葉にこめてかぐわしき桜の餅家つとにせよ」と歌っている。池上正太郎もこの餅が好きだった。今日はお休み。芭蕉雪見の句碑。「いざさらば雪見にころぶ所まで」そこにあった観光地図を基に森鴎外旧居跡に行く。ところが、地図の場所にはそれらしきものがない。諦めて、言問橋隣の隅田公園に行く。この辺りでもやはり門松は、このタイプだった。此処には、堀辰雄旧居跡がある。びっくりしたのは、この近くで3回も引越しを繰り返していること。生涯の半分近くを此処で過ごしている(1904-1938)。私はもっといい処のお坊ちゃんだと思っていた。隣は水戸藩別邸があったらしい。そして、此処で安政の大地震のとき藤田東湖が圧死している。その時から維新が本格的に回天し始めた。藤田東湖が生きていれば、水戸があんなにも激化しただろうか?ここにあるのは藤田東湖の「天地正大気」の漢詩。墨田区役所隣に、勝海舟像があった。ナゼこんな処に?というのが最大の疑問。結果は、像をつくる会が、ともかく作りたかった、と言うだけの話らしい。(小説の)長谷川平蔵所縁の地があった。まくらばし。鬼平犯科帳では、さなだやという店が此処にあったことになっている。「蛇の眼」、「正月四日の酒」など。北斎の絵の場面、此処にも。隅田公園は、震災後に出来た日本初のリバーサイドパークだったらしい。言問橋を渡る。鉄橋を電車がゆっくり渡っている。
2018年01月07日
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12月31日(日)曇り朝の5時に起きた。ドラマ「最後の仇討ち」をしていた。明治14年、仇討ち殺人に判決が言い渡される。「本来死罪なるも、武士としての行動だったことを考慮して無期懲役に処す」。明治22年の憲法発布で恩赦出獄。山岡鉄舟がそれに関わる。今日は彼の旧居があった処を尋ねることができるか(←結局行けなかった)。7時朝食バイキング。ホテルは古いが、まともなものを作っていた。此処のホテルは、こんなにもドラマロケで使っているらしい。部屋のドアが古い木造なので、それが使われているのかと思いきや、ホテルマンの言うにはほとんど屋上らしい。屋上に上がることは出来ないのて、8階の部屋からの風景を掲げる。なるほど、と思う。此処はすぐ周りに高い建物がなくて、南に新宿高層群、閑散もせずにいかにも東京らしい風景なのである。ロビーも使われているらしい。古いためか、広く、雰囲気がある。今日は墨東に行く。いろいろ検討した結果、東新宿から蔵前へ。ここからナゼか一旦外に出て200メートルほど歩いて乗り継ぎ。浅草方面へ。押上で降りる。そこから東京スカイツリーを眺めながら、(決して登らない。意地です)東京スカイツリー駅に乗り換え。東向島駅で降りる。永井荷風「濹東綺譚」の玉ノ井とはここであった。駅前で一旦、ドトールで休憩。この歳になると、トイレが近くなっていけない。昨日は苦労した。昔流行った「コンビニのトイレ自由化」が、東京では一軒も採用されていなかった。これは東京だけなのか?それとも全国なのか?東向島駅には()して「旧玉ノ井」と書いていた。先ずは旧花街のいろは通りを探す。全然わからない。だいたいの場所はわかるので、その辺りをともかく歩き通す。小さなスーパーの奥を入ると啓運閣という寺があり、そこに永井荷風ゆかりのものがある。ということなので、そこが見つかれば、その周りが旧花街で確定するのだが、そのスーパーがない。でも、古い建物は幾つも見つかる。こんな建物も。この出窓はおそらく名残だと思う。やっと見つかった。こらがその永井荷風が当時の花街を記したというものの写しである。字がよう見えないが雰囲気はわかった。こんな仏さんもいた。たわし石佛。水をかけてたわしでこすると、病が治るらしい。腹をタワシで擦りました。滅多にないことなのだけど、そのあと方向感覚がわからなくなった。私は方向感覚だけは鋭いのです。ポケット地図が無かったら、そのままかなり迷ったのかもしれない。実際ぐるぐる回って何度か同じ道を歩いた。人が「玉ノ井はラビリンスである」というのがよくわかった。きっと道が出来て家を建てたのではない。家を仮につくって行ったら、道が出来たのだ。こういう道は、スラム街に多いと思う。東向島から西に向かうつもりだったが、鐘ヶ淵駅横を通り過ぎて東白髭公園に出る。この堤にずっとそびえ立っているアパートはすごい。大震災で大津波が来た時に、このアパートが大きな堤の代わりになるように設計されているのだそうだ。だから、唯一の連絡通路も非常時には鉄門で閉めるように設計されていた。津波をアパートで食い止める。東京都というのは、ものすごい発想をするものだ。しかし、この発想は広がっていない。確かに水はこの一部分で防げる。しかし水はもっと大きなエネルギーを持って他を襲うだろう。隅田川をずっとアパートで包むなどできるはずがない。阪神大震災から東日本大震災へ。日本は、経験を重ねている。公園内を歩く。北斎のこの絵は、この辺りで描いたらしい。この絵は、隅田川神社が手前にきている。隅田川堤防にやっと出る。遠く東京ガスがある。白髭神社に富士講の碑があった。白髭神社を出ると、下町の道に東京スカイツリーが見える。
2018年01月06日
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12月30日(土)晴れ今日から5泊6日の年末年始東京ぶらぶら旅だ。朝は6時に起きた。25分のバスの始発に乗るためだ。それは、11時前には東京に着きたいと、逆算して行くと、そう決まったためで早起きしたかったからではない。けれども日本では、五分バスや在来線が遅れたならば乗り継ぎが成立しなくなるのに、外国で実行すると無謀だと言われる。日本ではこういう計画を立てることができる。結果1分も遅れずに余裕を持って新幹線に乗ることが出来た(東京駅には10時43分着)。「洋子さんの本棚」で平松洋子さんが旅のことを『ある意味、自分のあり方の訓練。「これだ」と思った瞬間に感知する力』と言っている。昨日と地続きの同じ日のはずなのに、此処は外国ではない、日本のはずなのに、新幹線の車窓から日本の家波を眺めながらナゼか旅人モードになっている自分を発見する。ありふれた風景なのに、此処まで均一化され、整頓された風景はやはり日本独特なのだと思う。しかも、つくった本人たちは気がついていないかもしれないが、数十年単位で見ると、明らかに「屋根の編年体」というべきものはあって、おそらく50年ぐらいで、その地域と年代を分類することは可能なのではないか(例えば一枚の写真を見るだけで、近畿地方20世紀前半、みたいに)?などということも「夢想」できるのも、旅モードマジックである。東京駅。JR中央線快速に乗り換え、JR中野駅へ。此処までが乗車券扱い。駅前には確かにあった。平松洋子さんオススメ「田舎そば かさい」。ところが、昼前なのに暖簾をあげて居ない。まだなのか、と思って中野商店街をぶらぶら。学生の町なのか、500円代のランチがまだまだある。一本中に入ると渋いお店もある。もう一回戻ってじっくり張り紙をみると、ちょうど今日から4日までお休みらしい。人が居たのは大掃除だったのである。やられた!仕方ないので、ぶらぶらして居た時に行列が出来て居た「青葉」というラーメン屋に入る。中華そば730円。不味くはないが、この界隈で高めの値段なのに、驚くほどではない。魚ベーススープに何かを足している。スパイシーなチャーシュー。特徴はそれだけ。500ー600円のランチにすべきだった。新宿駅に来て、末広亭に向かう。今回のテーマの一つが、寄席巡りだからである。初めて年末の寄席を体験してみようという試み。ところが、既に休みになって居た。開始は元旦から。寄席とは、そういう処なのかもしれない。早いけど、新宿のビジネスホテルに入る。そこから新大久保のコリアタウンに向かう。歩いていくと、少しずれたので地図の中にあったちょっと気になった地名に向かう。久左衛門坂。行ってみると、単に家康の家臣がこの坂をつくったということだけらしい。ナゼわざわざ名前が残ったのか、しらべたら面白いかもしれない。東京のこの地域は、また岡山とも香川とも、出雲とも違ったお飾りがあった。ちょっと長いお飾りも珍しいが、特徴的なのは、門松。竹を使った門松の簡易版かなと思いきや、この辺りは全てこれだった。地域的な統一が出来ている。ただし、コリアタウンの辺りは、マルコっこい当世風なお飾りかあったり無かったり、新人の町ということがわかる。なんとお飾りを売る専門コーナーまであった。こんなのを見るのは、初めて。大久保町に入ると、突然ハングルかよく出てくる。その一画に「小泉八雲旧居跡」というのがあった。これがその説明文。その目の前に、今日唯一の昭和名残の住居有り。小泉八雲記念公園まであった。しかしこのために此処に来たわけではない。もちろん、コリアタウンを見に来たわけでもない。それにしても、ものすごい人出だった。この写真では雰囲気がわからないが、中心道路沿いの店の通路には立錐の余地もないほどの女子供が歩いていた。ちなみに、いまは異常にチーズタッカルビが流行っているということが分かった。新大久保周りは、コリアタウンと同時にホテル街にもなっている。歌舞伎町の隣ということもあって、夜の町の女の子たちのアパートが多い。見かけだけは可愛いが、マッチ箱みたいなアパートである。此処に来た目的は、24時間営業のABC保育園を一目見ること。「私の東京町歩き」を見て、そういえばNHKドキュメント72で取り上げて居たな、と思ったのである。職安近くのラブホテル街近くの百人町にあると、そこには書いていた。しらみつぶしに歩く。途中で疲れて、この店に入る。本日の日替わり定食、コムタン500円。安い!韓国の伝統に則って、やはりキムチなどのパンチャンが5品出る。本体は、本場ソウルの名店と比べると、薄っぺらいものだったが、まああんなもんでしょ。パンチャンは、キムチと言い、オイキムチ、もやしとコンニャクのナムルと言い、美味しかった。これで500円は安いです。どうしても保育園が見つからない。「私の東京町歩き」の文章は30年前のものだから、移転している可能性がある。しかし地域の要望に沿った保育園なので、あまり離れては居ないはず。そこで、ホームページを検索してみる(←最初からしろよ)。そしたら、百人町ではくて、大久保町に引っ越していた。これは行く途中で見つけた猫。3時間ほど歩いてやっと近づく。子供注意の看板もあり、遠くから子供連れお母さんのグループもやってくる。間違いなし。それにしても、此処にたどり着くまで、横の連絡通路が全くなかった。随分歩かされた。これは吉祥寺と同じように、街道沿いに百姓にあてがわれた土地が細長かったからに違いない(←ブラタモリ情報)。あの本にあった「おかめ食堂」、「大新食堂」は遂に見つけることができなかった。分院まで出来ていた。わりとしっかりとした作り。こちらが本院。年末だからか、幼児は見えない。土地柄か、夜働くお母さんのために、或いはお父さんのための24時間保育園。ニーズがあって、それに応えて、貧しい福祉制度の中で此処まで大きくした。ニーズが先か、設備が先か?そうそう、今年は映画にもなったようだ(未見)。次は何処に行くか。ダメ元で、平松洋子さんオススメのお店にいってみよう。というわけで、電車乗り継いで銀座へ。そこから有楽町交通会館地下一階のあじフライ定食を食べに行く。残念‼︎今日から正月休みだった。つまり名店ほど、年末年始は休むのだ。同じく絶品だと言っていた玉子サンド。すぐ近くの新有楽町ビルの地下一階。なんと30分遅れで食べれなかった。笑うしかない。結局、新有楽町ビルの一階にあった「ルノワール」で、バドワイザー飲みながら唐揚げサンドを食べた。此処で今日の日記の大部分を書く。さて、このままホテルに帰っていいのか?映画を観るか?東京で観る作品が岡山にくるまでタイムラグがあるので観る意義はある。しかし、あと2時間半待たなくてはならないのと、割引が一切効かないので1800円も払わないといけない。そのあと一杯飲み屋でワインを飲みながら、映画代は酒代に変わった。白ワインと赤ワインのちょい飲みとツマミ2品で帰ることにした。外に出ると有楽町マルイの窓にゴジラのポスターが。今はまだ8時。これは間に合う。行ってみた。入場料1000円は、怪しい。たいしたことない雰囲気が大いに出ている。しかし、この旅でほとんど博物館に入れないので、この企画は貴重だ。目をつぶって入った。結果は、撮影や企画に使われた歴代ゴジラの頭の模型が10体ほど並んでいたり、シン・ゴジラのCG説明フィルムなど1部面白いものもあったけど、まあ数百円の価値でした。
2018年01月05日
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