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「ストーナー」ジョン・ウィリアムズ 東江一紀訳 作品社 kuma0504が「ストーナー」という真っ白に近い装丁の単行本裏表紙を閉じて読み終えたのは、2021年1月27日の薄暗いコーヒー屋だった。気がつくと、彼の目に滅多にない涙が滲んでいた。 1891年米国ミズリー州の小さな農場の息子として生まれたストーナーは、ミズリー大学農学部生の時に英文学に出会い、鍬を振るう代わりに一生を本の中に埋める気持ちになる。それを指導教授は「きみは恋をしているのだよ。単純な話だ」と言った。本書はストーナーという完全に架空の人物の一生を丁寧に綴った小説である。kuma0504が数えること3度、ストーナーは人生を変える出会いをする。 kuma0504はそれより2か月ほど前に、1909年に日本の田舎に生まれた少女の昔語りを読んでいた(『一00年前の女の子』)。当初彼は日本と米国の民俗学的比較ができるのではないか?と期待していた。ところが紐解いてみると1900年初めの米国は20世紀後半のアメリカと変わりなく、日本のそれは天地ほどにも変化していて、比較のしようがないと思った。冠婚葬祭における、米国都市部の民俗、ジェンダー意識は、それほどまでに長いこと変化しなかったのである(おそらく現在は違う)。 kuma0504は、ストーナーの無欲で実直な生活に、越し方の壮年時代を想った。いっときの火花のような恋についても、経過は丸切り違うが同じ色の気持ちを思い出していた。 最終章に、ストーナー臨終の日々が延々と描かれる。kuma0504は父親のまるまる4か月に渡る看病の日々を思い出し、来るべき日々のことも思っていた。ところが、裏表紙を閉じる前に、訳者の弟子の布施由紀子が「訳者あとがきに代えて」を書いていて、正に訳者臨終の日々に最終章を訳していたのだと知る。 彼はある感慨に耽り、うっすらと泣いた。
2021年01月31日
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10kgの減量にたった4か月で成功した管理栄養士が教える「やせ玉」腸活ダイエット 加勢田千尋 主婦と生活社 【腸活宣言】 今年のテーマは「腸活」である。それなりの理由がある。先ず、祖父・親・親戚の死亡年齢や自分の病歴を鑑みるに、私はあと20年生きれば良い方だという結論に達した。だとすると、健康寿命はあと10年ということになる。10年前までならば、「それで十分ではないか!そもそもそれ以上はお金が持たないのではないか?」と思って生きてきた。 さて、10年前から10年経った。やはり私の「心の中で締め切りを延ばす」悪い癖が発生して、あと10年でやりたいと思っていたことは半分も出来ないだろう(客観的・冷静的に見れば10%も出来ない可能性は高い)状態になっている。マズイ。健康寿命を出来るだけ延ばすに如(し)くはない。ウォーキングやスロージョギングなどのプログラムが悉く半分失敗に推移している今、また「(健康数値は)ダイエットではもう改善しませんよ」というプロたる医者の無慈悲な宣告を承(うけたま)わった今、他に健康寿命を延ばすためには、プラス思考よりもマイナスを減らす思考にシフトする戦略を思いついた。 ‥‥ということで、私の幼少時よりの弱点である「腸」を活かす方向に力を注ぎたいと思う。 先ずは「理論武装」から始めるのは、私の悪い癖である。←今気がついたが、これで幾度失敗したことか!ダイエットとか、ワインとかの趣味だけでなくて、あれもこれも‥‥。あ、なんかモチベーションが低くなってきた。 ‥‥というわけで、やっと本書のレビューに入る。 もう字数がかなり行っているので簡単に済ます。本書は理論の本ではない。ひたすら実践指南の本である。しかも言っていることは簡単。 ・ズボラなひとり暮らしが、腸活生活に簡単にシフトするため、あるアイテムを冷蔵庫にストックするようになった。 ・それが「発酵玉」を作り置きすることである。 ・体にいい菌が豊富な発酵食品と、その働きを高める食材を混ぜ、調理一回分ずつに取り分けて丸め、冷凍・冷蔵したものであり、お湯に溶かしてスープとして飲んだり、肉や魚を炒める時に混ぜ込んだりして、万能調味料として使う。 ・代表的な「やせ玉」10個分の作り方 みそ100g、削節粉10g、白いりごま20gをすべて混ぜて、大さじ1ずつとりわけ、ラップに包み、くるっと丸めて冷蔵または冷凍で保存。あら簡単。(冷蔵10日、冷凍1ヶ月)(一個あたり35キロカロリー、食物繊維0.7g) ←これによって、著者は「善玉菌が増えて便秘が改善して10キロ痩せれた」と謳うが、「やせ玉」だけの効果は怪しい。けれども、先に読んだ「20歳若返る食物繊維」の「発酵性食物繊維をとって短鎖脂肪酸を生成させる」方向であることは間違いない。この最新学術用語が一切使われていないところに却って私は信憑性を感じる。 ホントは1ヶ月ほど試して、その結果をここに載せるべきなんだろうけど、まぁ許してください。 本書には、その他の「やせ玉」9種類と、たくさんのレシピをカラーで載せています。 というわけで、今年は腸活頑張りたい!と今は思っています。
2021年01月29日
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「老いのシンプルひとり暮らし」阿部詢子 大和書房 私の腸活宣言の背景には、終活プランを曲がりなりにも立ててみた帰結でもあった。もちろん健康だけでは、悔いない人生には行きつかない。よって本書の生活全般を見直す目次と「60歳からのひとり暮らしを心豊かに過ごすためのコツが満載」という煽り文句に惹かれて、暇つぶし用に買った本である。 読んでみて知ったのだけど、阿部詢子さんは101歳で現役のまま大往生した吉沢久子さん(『101歳。ひとり暮らしの心得』)のお弟子筋に当たる人だった。吉沢さんの言葉には共感しまくりだったんだけど、執筆時63歳だった阿部さんの言葉にはついていけないことが多かった。理由はハッキリしている。阿部さんはひとり暮らしのある種の典型、かなり几帳面な性格だったのである。「片付けられない」典型の私とは正反対。しかも、この年で持病を持っていないというラッキーな人でもある。 それに、仕事を週3日に減らした時に、財政的な準備は「持ち家のマンション、貯蓄3千万円」が必要と書いていた。東京暮らしを考慮しても、普通人の感覚ではない。結果、残念な本だった。でも暇つぶし用だから、それで良いんです。 少しでも取り入れ出来そうなところがあれば◯でしょう。以下、羅列します。 ・スーパーでの買い物。レジで予算オーバーしていたら、「これいりません」とその場で返す。誰に遠慮することはないし、見栄をはってもトクはない。 ・近所で伐採していた楠木をもらい、自分で小さく切って防虫剤代わりに、クローゼットの引き出しの中に入れている。←ネットで検索してみたらホントに効果ありだった! ・使わない服は、殆どはリサイクルも受け取ってくれない。よってハサミを入れて一度きりの雑巾にして決心が揺るがないものにする。 ・菜の花の辛子和え‥‥ゆでて辛子醤油で和えただけ ・白菜とベーコンの重ね蒸し‥‥鍋に二つ交互に重ね入れて、水と塩をちょっと入れてフタをして、トロ火で蒸す。それを取り出してサクサク切ってそのまま食べる。 ・オーブンもトースターもなし。ガスレンジについている魚焼きグリルで全て焼いている。それで全然困らない。電子レンジも使わない(←私は使うぞ!)。 ・食器洗いはアミたわしで。汚れた時は、固形石鹸をつけてこすると、綺麗になる。乾かしながら使うと、清潔。 ・台布巾はウルトラマイクロファイバークロスを利用。「MQ・Duotex」。極細繊維で編み上げられた布なので、ホコリも油汚れもよく取るし、キズを付けずに磨くことも出来、すぐ乾くので衛生的で使いやすい。汚れたら石鹸をつけて汚れを落とす。 ・ヤカンの中に市販の炭を入れている。水道水を沸かせば、井戸水を沸かしたお湯とあまり変わらなくなる。3ヶ月に一回ほど、水で洗って乾かせばずっと使える。炭の無数の穴の中の不純物はそれでなくなる。 ・キッチンブラシによるコップや食器の水洗いで充分。 ・同じ世代の人たちとばかり話していると、話題も限られてくるし、世の中を見る視点も狭くなってしまう。若い人たちと話すと、新しい情報が入ってきて新鮮だし、若い人たちの考え方は刺激的で楽しい。(←同感!いくつか入っている集まりの1つはそういう性格。また、SNSはその効果がある)
2021年01月27日
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「20歳若返る食物繊維 免疫力がアップする!健康革命」小林弘幸 監修・青江誠一郎/小林暁子 朝日新聞出版 今年から本気で腸活を始めた。この本に「20歳若返る」エビデンスは一切ない(笑)。まぁ最新の本なので、最近の情報が、雑誌を読むように軽く紹介されている。初めて知った事が幾つか。本の1/3を占める簡単レシピと体験談はおまけとしても、最速時間で必要な情報を得ることのできる便利な本。 ・不溶性食物繊維と水溶性食物繊維に分ける分類は時代遅れ。最新は、「発酵性」「非発酵性」と分類。 ・発酵性食物繊維は、腸内で腸内細菌のエサになって発酵し「短鎖脂肪酸」を生成して全身の健康に寄与する。因みに、発酵性食物繊維は、ほぼ従来の水溶性食物繊維と重なる。 よって、ペクチン、コンニャクマンナン等(熟した蜜柑、生のプルーン、ひじき、わかめ、昆布、モズク、蒟蒻、里芋、長芋)が有用。 また、食物繊維ではないが、ナッツなどに含まれる炭水化物の一種、レジスタントスターチ(冷やご飯)も。 水溶性食物繊維の割合が多く、発酵性のあるβーグルカンを豊富に含むもち麦、押し麦を狙い目としてとって欲しい。あとは牛蒡(根を持つもの)など。 ・まとめ的に言えば、糖尿病や心臓病、脳卒中、癌などの慢性疾患の発症リスクが低くなり、免疫機能がアップしてインフルエンザウィルスから身体を保護する作用がある。 ・政府の提唱する1日に21グラムを目標に。(日本人平均は15グラム)本当は24グラムを目指して欲しい。 ・セカンドミール効果(最初にとる食事の効果が次にとる食事後の血糖値にも影響を及ぼす)‥‥朝食でとった発酵性食物繊維を腸内細菌が餌にして、活発に短鎖脂肪酸を出すと、血糖値を下げる働きのある消化管ホルモンGLP-1が出て、次の昼食の後も血糖値の上昇を抑えてくれる。4-5時間後に昼食を取るのがいい。そのあと少し効果が薄れるので、おやつにペクチン豊富なドライフルーツを取ればいい。 ・キャベツ・レタスは不溶性。効果的なのは、根菜類を先に食べること。サラダはそのあと。 ・主な発酵性食物繊維食品(100gあたり) 小麦全粒粉(7.9g)ごぼう(2.3g)玉ねぎ(0.6g)ブロッコリー(0.7g)バナナ(0.1g)キウイフルーツ(0.7g)押し麦(6.7g)ゆで大豆(2.2g)調製豆乳(0.2g) ←他の気になる食物の種類が少ない。 ・サプリメントは補助的に使って良い。ただし、選んで使う(グァー豆原料の「ファイバープロ」を使う)。 ←今までの食生活の多くが間違っていない事を再確認できた。とりあえず、食物繊維量を意識すること、セカンドミール効果を意識して食物繊維を朝食にとる。
2021年01月26日
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「絶対はずさないおうち飲みワイン」山本昭彦 朝日新聞出版 むかし趣味を作ろうと、毎月数本のワインと教材が届く通信教育に登録したことがあった。お金をかけたのだからと、その後も何本か5-8000円ほどするワインも試したし、ワイン試飲会にも参加して高いワインを飲んでみた。結果わかったのは、鼻の悪い私はワインを趣味とするべきではない、ということだった。 ところが、コロナ禍の夏の終わり、私は高級ホテルのフランス料理付き一泊が通常の実質1/5の値で体験できるコースを見つけた(gotoだけでなく県民割引、食事券諸々合算)。そこで私は、久しぶりの「マリアージュ」を体験した。高級料理を然るべきワインに合わせれば、料理とワインはいよいよ豊かに香り高く円やかになるのである。ここで出ていたワインは、おそらく定価2-3千円台の「はずさないワイン」だったと思う(グラス1500-2000円)。私は、またあの体験をしたくなった。私が健康のために毎日1/4ボトル飲んでいるデイリー赤ワインでは分からない世界がある。‥‥というところで、この本に出会った。 ここにあるのは全て1900-2400円のワインである。書いていることは、昔の教材を簡略化して現代風味をつけたようなことで、とてもわかりやすい。というか、今になって物凄く頭の中に入った。何十年かけて私も学習してきたのだと思う。決定的に不足しているのは、テイスティングの体験値だろう。 50本のワインを試してみたい。本の中に書いている「品種の違い」「土地の違い」「生産者の想い」を自分の舌と比べてみたい。またマリアージュ(今はペアリングというらしい)を体験したい。しかし、通販で買えば、基本的に全部送料が必要である。私は試しに岡山市で一番在庫が豊富なお店で50本を探してみた。店員は本をパラパラと捲るだけで判断してくれた。在庫が全部頭に入っている。凄い!「一本もない。でもワンランク上のプティシャブリならあります」そうだろう。ワインとはそういう酒なのだ。たとえ名酒でも、出逢うのは一期一会なのである。300円高いシャブリを買って帰った。 このプティシャブリ。コルトー家が営む歴史の若い作り手。ステンレスタンクで醸造。つまり現代派。私もシャブリは好きで、プリミエクリュの5000円台のシャブリも飲んだことはある。これは2600円。それでも美しい琥珀色、雫も良い、一口飲むとミネラル感いっぱい。流石にいつものワインよりも二味ぐらいバリエーションがある。そして合わせたのは惣菜の鯖の南蛮漬け、安いモッツァレラチーズ、アーモンド、しめじ味噌汁でした。ペアリングで味変を感じたのは1ヶ所ぐらい。修行が足りないのか。いや、安い食材は安い味しか無いからこうなったのかもしれない。次は高いお寿司を買ってくるべきか。ホントは生牡蠣が1番わかるんだけど。 あと49本の試飲がある。どうしようか。
2021年01月25日
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「文明に抗した弥生の人びと」寺前直人 吉川弘文館 著者の狙いは、野心的だと思う。 今まで単純に思われていた縄文から弥生時代へと移る日本列島の姿を、弥生の定義含めてもう一度考え直そうという主張である。その背景には、弥生時代には日本列島に「国境」という概念はなかったという認識がある。朝鮮半島南部と北九州との関係は、近畿を含めた西日本の人々との関係と同じぐらい近く、尚且つ西日本とは遠かっただろう。 弥生時代、稲作文化に付随して様々な「文明」がやってきた。本書は「西方から新たにもたらされた技術や思想に対しての在来社会側の反発や拒絶、或いは変化しなかったものの存在や理由」を明らかにする。 図らずも、弥生時代晩期に展開する西日本統一の「謎」に対する私の「仮説」を、理論的に補強する内容になっていた。いやあ、松木武彦と共に、ファンにならざるを得ない。 寺前直人さんの記述は、専門性を持ちながら仮説・検証・証明をわかりやすく繰り返す。以降注目したい考古学者になった。 以下、参考になった部分をメモする(例によって考古学ファン以外には単なる知識の羅列なので無視してください)。 ・縄文時代後期に植物栽培・管理の知識があったことは確実ではあるが、主なカロリー源になっていた可能性は低い。食材の自然回復以上のことはできていない(家畜がないので、肥料を得られない)。 ・北海道千歳市キウス周堤帯墓2号墳(縄文時代後期末)の直径75m高さ5mは、縄文・弥生を通じてこれ以上の墓は、弥生時代晩期の楯築弥生墳丘墓を待たなくてはならなかった。副葬品の多さも特徴的。巨大な権力を持った首長なのか、それともレジェンドたる匠かジャーマンか。 ・「瑞穂の国やまと」史観の影響か、98年の学習指導要領から、旧石器時代と縄文時代の記述が小学六年生の歴史の教科書から消えて「国のまほろば」として弥生時代の米作りから始まるようになった。(!)←今でもそうなのか?だとしたら、あまりにも歪つな歴史認識になる。しかも、事実は変えられないから、中学歴史からは旧石器時代が復活する。あまりにもせこい改変である。 ・板付の水田‥‥木組の井堰、幅1mと50cm、高さ30cm.15cmの台状の畦、板材と杭で時々補強。 中西遺跡‥‥10-15平方mに区切られた1800枚の水田。また他の遺跡で幅20mの河川から用水(幅3m)に引き入れるための堰が築かれる。全て労働力の集中が必要な作業ばかり。全て現代の水田と技術的にあまり変わらない。 ・最古の鉄器は、弥生時代前期末、あるいは中期初頭(遅くともBC4)以降にしか認められない。つまり、弥生時代前半は少なくとも金属器が存在しない。水田稲作社会は、新石器時代として始まった。 ・朝日遺跡では、シカ・イノシシを選択的に狩猟し全身骨格や皮が利用されているのに比して、タヌキ・キツネ・イタチ・アナグマ・テンが狩猟されていないのは害獣駆除・肉以外の資源獲得目的があったのだろう。 ・山陰からは鹿角製アワビオコシが多く出土。海人と稲作集団との交流があった。 ・磨製石製短剣は、弥生時代発祥のヒトを傷つけるための道具。半島経由の技術。一体式と組合式がある。主に北九州から出土。 ・朝鮮大坪里遺跡(←行きました!)では、居住域と生産域の間に数十基の石棺墓が列状に連なって検出。4号石棺墓からは有茎式磨製石鏃が、10号石棺には丹塗磨研土器と一体式磨製短剣が副葬されていた。 ・朝鮮検丹里遺跡(←行きました!)の環濠。長軸約120m、短軸約70m。環濠外には支石墓。紀元前10世紀? ・弥生時代に、物理的に戦い出し、武器が半島から伝わり、武器の所有が埋葬施設にまで反映して階層的秩序を作り上げていたのは、玄界灘沿岸では伺うことができた。一方、環濠は伊勢湾沿岸までは広がるものの、防御性は低下していく。つまり、実践的な武器の普及や武器を中心とした階層性は「玄界灘沿岸地域にとどまるのだ」(p132)←つまり、半島経由の平和についての価値観は、東に行くにつれて変化している。 ・土偶の研究(136-156p)により、分銅型土製品の起源が、東北地方の縄文時代後期の屈折像土偶(出産に関する土偶)から影響を受けている可能性が高いとする。更には、西日本近畿の農耕開始期に流行する長原タイプ土偶が愛媛、香川、徳島の分銅型土製品或いは池島・万福寺遺跡の土製品に求められる。安産は新たな家族を迎えること。そのための祈りは決してなくなることは無い。 ・近畿においては、東日本起源の儀礼体系こそが、弥生時代中期以降の銅鐸をはじめとする日本列島中央部における独自の「創造的」「平等な」な儀礼の基盤となったのではないか。(例)石棒についての研究 ・吉武高木遺跡M3号墓(中期)の武器・装飾具は、朝鮮半島エリートと遜色ない「グローバルエリート」だった。福岡・佐賀で100人に1人の青銅器埋葬墓。 ・細形銅剣をムラのハズレに埋納したのは、岡山・香川のみ。個人のものとはせずに、共同体祭祀道具とする。 ・青銅器に対する人々の歓迎や反発、融合や妥協の苦心を読み取ることができる。 ・何故青銅器武器が祭祀具になったのか? (1)石製品を用いた祭祀の影響を受けた。 (2)青銅器を鉄製品が駆逐したので祭祀具化した。←しかし、これはそれに先行して細形銅剣祭祀具があるのでバツ。 (3)朝鮮半島経由説。←朝鮮の青銅器武器の儀器と日本列島祭器が違いすぎる。 (1)が有力。ただし、何故武器祭祀具が登場したのか。それは、石製石剣の祭祀化が石棒祭祀化の影響を持って出てきたのではないか?というのが寺前さん独自の「仮説」のようだ(石材獲得や製作の場面において、共通性がある。磨製石鏃も同様)。 前期に始まった石剣祭祀化が中期の青銅器武器祭祀具になり、北九州のエリート化を抑制する契機ともなった。東部瀬戸内地域から大阪湾岸地域の「階層化に抗う人びとの巧みな企み」であった。 ←支持します!! ・格差拡大に否定的な社会。前期の大阪湾岸から伊勢湾沿岸地域の土偶や石棒などの伝統的な儀礼具を用いて、従来の社会関係を維持しつつ、水田稲作を受容した社会。これらの地域が、銅鈴に伝統的な紋様を与えて、祭祀化し、大型化を図った。 ←その流れに吉備地域は外れたが、やがて吉備は新しい神を見つける。というのが私の仮説のひとう。 ・反動。中期以降、権力集約型社会統合の痕跡は近畿南部をさけるように東に拡大する。また、紀元後1世紀、弥生時代後期に、丹後に鉄剣を軸とする厚葬墓が発達、その墓は山陰、北陸に拡大、やがて鉄剣厚葬墓が拡大。近畿は大きな墓の空白期が生まれる。 ‥‥では、激動の弥生時代後期から晩期ににおいて、西日本はどう動いたのか?何故銅鐸は埋納されたままになったのか?一切書いていない。ここからが面白いのに! 次回を期待したい!
2021年01月24日
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米軍機ではないが、日本原演習場に展示していたヘリコプター(UH-IH)。 昨年12月、突然米軍は日本原演習場において今年3月岩国基地米軍の単独訓練を2週間程度行うと発表した。具体的な日時や規模、内容は一切明らかにしていない。しかし、過去の訓練内容から海兵隊の「他国侵略訓練」になる可能性は高いだろうと思える。これも、日米地位協定の取り決めによって、一方的な要請で米軍は日本の自衛隊基地を使えるのである。 岡山県平和委員会は、一月県知事に「単独訓練自体を憲法の観点からも反対して欲しいが、それより以前に岩国基地でコロナ感染が拡大している状況で、来させるのは県民の健康の観点からも大いに反対してもらいたい」と要請しました。 岩国基地の米国民は家族合わせて3000人ほどです。それからいうと、下の記事の143人ならば、あまりにも高い感染率になるだろう。三密を避けない軍隊の移動なんて論外です。 岡山県知事には、断固とした態度をとってもらいたい。 行動歴・経路、公表せず 岩国基地コロナ急増、市議ら「情報開示を」 中国地方のニュース 2021/1/13 岩国市の米軍岩国基地で新型コロナウイルス感染が急速に広がっている。昨年末から14日間連続で感染者が確認されるなど累計の感染確認は13日現在、143人。うち半数以上がわずか2週間で判明し増加ペースが際立つ。だが要因について基地側から市民に伝わるかたちの説明はなく、市議会からは「積極的な情報開示を求めるべきだ」との声も上がっている。 12日にあった市議会の新型コロナ対策特別委員会。「基地の感染者が多い。隔離されていない感染者が市中を歩いているのではないか」「情報の透明性は確保されているのか」。基地に批判的な議員だけでなく市が掲げる「基地との共存」に理解を示す議員からも不安の声が相次いだ。 人口約13万人の岩国市内の感染確認は13日時点で168人。人口が1万人超とされる基地内で人口当たりの累計感染者の割合は市内の10倍近くになる計算だ。9、10日には基地で働く日本人従業員と家族計5人の感染が判明。感染拡大が市民生活に影響を及ぼしている可能性がある。 ある基地関係者は「クリスマス前後で広島県のほか、遠くは長野県まで家族やグループでスキーに出かける人がいた。ホームパーティーを開く人も多く、明らかに感染対策が緩んでいた」と打ち明けた。 基地は3日に更新した公式フェイスブックで「ここ数週間で(感染対策の)シールドを下げた結果、基地内で新たな感染例が発生した」と、対策に緩みがあった事実は認め、25日まで他の家族との接触を1人に限定するなどの対策強化を打ち出している。 しかし、基地からの情報は乏しい。市民が感染した場合、県はプライバシーに配慮しつつ行動歴や感染経路などを一定に公表しているが、基地は感染者の人数以外の情報をほとんど発表しておらず「なぜ感染が急増しているのか」という素朴な疑問に答えていない。 感染拡大の具体的な説明を求める中国新聞の取材に対し、基地報道部は「必要な情報は全て地元の医療当局と共有している」と回答。情報を得ているとする県も、基地の発表を超える内容を公表していない。 岩国市など基地周辺の2市2町と県でつくる協議会は12日、感染防止対策の徹底とともに、情報提供を適切に行うよう基地に要請。市基地政策課の村上武史課長は「現時点で県の保健当局への情報提供は適切になされていると考えている。今後も継続してもらう趣旨で要請した」としている。(永山啓一)
2021年01月23日
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「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」矢部宏治 ちくま文庫 2010年、本書の取材をした矢部宏治さんの人生が変わったように、1990年「沖縄の人はみんな知っていること」を知って、私の人生も少し変わった。そのことを書けば怖ろしく長くなるので、何とかして1/1000にまとめる。 沖縄には、日本の矛盾の塊りがある。一言で言えばそういう事を知ったのである。 単なる職場の平和サークルの学習旅行のために、今考えればどうして、ひめゆり隊の生き残り宮城喜久子さんが「語り部出張」にやってきたのか?どうして、あの有名な反戦地主の島袋善祐さんが対応してくれたのか?沖縄平和委員会事務局長が「安保の見える丘」を案内してくれたのか? と、書いても本土の人の大部分には知らない人たちだろう。詳しく解説する余裕はない。本書にも登場しない。ただ、矢部宏治さんも驚いたように、未知の単なる物好きのような矢部さんの取材にも沖縄で会う人全員が親切丁寧に沖縄基地の案内をしてくれたらしい。当初数ヶ月かかるかと思われた取材が2週間で完結したのは既視感があった。何しろ、私たちは2泊3日で沖縄の真髄に触れたのだから。沖縄で普通にニュースで流れていることは、本土では全然流れない。沖縄の人たちは、みんな知ってもらいたいのである。沖縄のことを。 矢部宏治さんが、沖縄問題や基地問題について何冊も本を書いて、ベストセラーを連発するようになったのは、2010年6月鳩山内閣の崩壊に疑問を持って沖縄に乗り込んだ時かららしい。その時まで誰からも本質的なことは聞けなかったのに、沖縄の人は一様にその本質を知っていたと言う。 「13年前と同じなのよ」 しびれるコメントです。基地の問題にくわしいキャスターや新聞記者、学者もいるはずなのに、どうして本土ではそういうことを言わないのか不思議でしかたありません。(68p) 1997年12月21日、辺野古の海上基地建設をめぐって名護市で市民投票が行われ、反対派が勝利した。その結果を受けて、反対派として当選していた比嘉鉄也市長(当時)は東京に行って橋本龍太郎首相と会う。すると、なんと「受け入れ」を表明。「同時に辞任する」意向を伝えた。 その仕組みは、遡れば細川首相が福祉税導入に失敗したからではなく「北朝鮮の核」のために辞任したことにも繋がるらしい。細川首相辞任のことは知らなかったけど、ある程度平和運動に関わり沖縄に何回か来たことのある者にとっては、矢部宏治さんの話は既視感のある話ばかりである。近くは仲井眞知事が東京で一夜で県民を裏切り、辺野古容認に走ったのが2013年年末だった。その直後に翁長知事が誕生しなかったら、どうなっていたか。反対に言えば、沖縄は良くぞあの時踏ん張ったのだ。そういう危機感を本土は共有していない。 本土では、お昼の番組で北朝鮮のことは毎日しゃべるけど、沖縄のことはその1/100も喋らない。 矢部宏治さんと同じように、矢部宏治さんよりも前に、私は沖縄に行き世界観が変わった。そのきっかけとなり得る、沖縄の地図と解説と写真と歴史的解説がこの本にある。騙されたと思って、この本をガイドに2泊3日で沖縄旅行をしてみるがいい。「この本には、こんな事を書いているのですがホントですか?」そう言って沖縄の人に聴いて見てみたら?もしかしたら、貴方の人生も変わるかもしれない。
2021年01月19日
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「鬼滅の刃13-16」吾峠呼世晴 集英社コミックス 「刀鍛冶の里」「柱稽古」編を経て、一挙に柱たちと無惨たちとの戦いに突入した今巻。誰も死んでほしくないけど、そんなことは言ってられないんだろうな。 最終巻の後にレビュー書こうとしたけど、長くなりそうなので、中間報告。因みにまだこれ以降の巻を読めてません。時間切れでした。来月ぐらいになるかな。この段階で、幾つかこのマンガの世界観が小出しにされました。その他気がついたことがあります。その感想です。 単行本では、一冊に一つではなく、全ての話の扉絵の裏の空いた頁にサービスショットをつけています。ここまでサービスしている作家は珍しい。例えば、アニメ化決定で喜ぶ扉絵の後ろに「悲惨な回の話に(雑誌ならば説明ついているけど)意味わからない楽しそうな扉絵載せてごめんなさい」という絵さえ載せて謝罪しています。ここらあたりの正直さ、誠実さが、ほとんどそのまま竈門炭治郎です!また、そのサービスショットを見ていてわかるのですが、吾峠さんの絵は、出来上がりこそは書き込みが凄くて個性的ですが、ラフデッサンからペン入れ仕上げまでが、昔ながらの描き方で、全く奇をてらった所がありません。吾峠さんは努力の人です。ともかく、竈門炭治郎と同様、きつい修行をしながら身についた「考える」「最後まで諦めない」「画」なのです。はっきり言って、よくまぁ週刊誌ペースで描けたものだと感心します。その分、キャラクターが荒削りで、大まかな構成は出来ていたとしても、キャラ立ちは幾分かは多分後付けです。後々少年たちは「吾峠先生はここまで努力して僕たちに物語を残してくれた」「努力はしなくちゃいけない」と思うのではないでしょうか?「手塚治虫は生命を削りながら膨大な作品を残してくれた」と私たちが感謝するように。 さて、小出しにされている作品の世界観です。そのまま紹介するのはネタバレになるので出来ません。でも、ここで描かれている「鬼」は、決して歴史的に支配者階級から「鬼」とされたモノではないし(例えば桃太郎伝説における温羅伝説)、妖怪一族の亜流でもないことはわかりました。いま「鬼」に対する世の中の関心が高まっていますが、「鬼滅」を以って「鬼」のイメージを持たないことを祈るばかりです。また、鬼殺隊当主が無惨に指摘する言葉は、重要です。「君は(永遠を)思い違いしている。永遠というのは人の想いだ」意味がわからなかった少年・少女たちには、是非人生の課題として噛み締めて欲しいですよね。
2021年01月18日
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「女子柔道部物語6-9」原作恵本裕子 脚色・構成・作画小林まこと 前回五巻ごとにレビューすると言ったが、一巻フライングしてしまった。せっかく読んだので感想を書く。 柔道を中学・高校と6年間やった。その私が見ても、全然違和感がない本格柔道マンガ。同時に小林まこと節全開の絶妙なギャグ。同時に高校生から柔道を始めて、やがてオリンピックで金メダルを獲るマンガのような話を、その当のモデルであるメダリスト恵本裕子が原作(あくまでも原作。脚色・構成・作画は小林である)を書くことで、この嘘のような話をホントに出来るんだ!という全ての柔道ガールやボーイに夢を与えるマンガになっている。 第一話で、96年のオリンピックで女子で初めて金メダルを獲る(恵本の場合は実話)と宣言しているので、90年全北海道大会の途中で終わる9巻は夢の途中でしかない。7巻目において、既に北海道大会個人戦で主人公の二年生神楽えもは2位、他のカムイ南高校選手も3人が全員二年生で入賞を決めている。これから彼女たちの快進撃と挫折が待っていることはわかっている。金メダルは、その最後のご褒美でしかない。途中で、小林の名物キャラ東三四郎が出てきたり、北海道警察に出稽古に出た時には、昨年読んだ増田俊也『七帝柔道記』に出ていたままに増田が機動隊員に段取りで「虐められている」サービス場面もある(時期的にもあっている)。恵本たちも出稽古に来ていたのか!とびっくりしたのだが、なんと機動隊員たちは、女子には優しかったらしい。 男版の名作「柔道部物語」には無い、実話(或いはそれに似た話)が散りばめられているのが女子版の特徴。最も象徴的なのが音羽海上女子柔道部発足記念パーティー(実質は三井海上。後に恵本も入部する)での、故・井上靖の挨拶を実名で全文載せているところだろう。「盡己」(おのれをつくす)という柔道部に架けられた額について語ったものである。(第8巻82p)恵本にしても、小林にしても、何巻もかけて柔道部物語を描くモチベーションは、おそらくこのスピーチの中に込められている。スピーチ自体は初めて知ったが、そうなんだな、と感動した。 まだまだ高校生編のクライマックスにはたどり着いていない。次回こそ、15巻でまたお目にかかります。
2021年01月17日
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「水は海に向かって流れる(3)」田島列島 講談社コミックス 昨年の今頃2巻までの感想を書いた。令和の「めぞん一刻」だとこうなるのか、非日常の日常系マンガだ、等々の感想を述べて「おじさんはよくわからん」と結んだ。 思いもかけず、物語はたった3巻で終焉し、おじさんにも共感が生まれた。高校生男子目線からのお話。10歳上の女性に恋をして、気持ちを慮(おもんばか)り、遠慮しまくる構造は、もちろん男には永遠の憧れの構造だからよくわかる。女性の気持ちは、台詞から(高校生には難しいけど大人には)誰でも想像できるようにはなっているけれども、決定的な気持ちは最後の頁まで持ち越される。うん、なるほど、これはやはり「めぞん一刻」だ。 線はシンプルで、顔の表情は記号的に省略されている。だからあざといぐらい、人に想像させる絵だ。簡単にドラマ化できそうで、かなり難しい素材だけど、手塚治虫文化賞新生章や「このマンガがすごい」に2年連続入賞などの評価を受けていることで、無視はされないんじゃないだろうか?それにしても、作者が実は女性だと知って軽くショックを受けた。 おまけで、締め切り間際に綱渡り的にネームを仕上げたと告白マンガがあって、激しく共感した。
2021年01月16日
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「仕事が速くてミスがない人は机に何も置かない」中野清人 総合法令出版 県立図書館福袋で選んで貰った本の一冊。「新社会人さんへ」と4冊選んでもらったけど、私には不要なモノが多かったので、これで紹介は止めにします。因みに、他の3冊は既出の『コミュ力』本の他に『マナーとお金まるわかり』と『一生使える「段取り」の教科書 トップ1%が大切にしている仕事の超キホン』でした。司書さんには悪いことをしたかもしれません。せめて、こういうレビューを残すことで、なんの意味もなかったことは無いよ、と示したいと思います。 目次 第1章 身の回りの「モノ」を片づける 第2章 「紙」をスッキリと整理する 第3章 「データ」を効率よく扱う 第4章 「書く」で仕事がうまく回る 第5章 「思考」を整えれば結果が出る 上で、「私には不要」と書きましたが、この本に限っては「私の生活には必要」な部分が少しはあったように思います。何しろ最近気がついたのですが、私は「大人の発達障害」でした(2冊本を読んでセルフテストしてみました)。ごく軽いので心配してもらわなくてもいいのですが、どうやらかなりの「片付けられない」人間のようです。今気がついたのですが、コミュ力劣等生でも劣等生と自覚しなかったのは、常にマイペースな発達障害くんだったからなのかもしれません。 この本に書いていることの全部をやろうとしたら、それだけで毎日の仕事が終わるぐらい大変なことばかり書いています。多分「思いつきメモ」をそのまま羅列しているのでしょう。でも1割くらいは「私にとっては」参考になることがありました。 ・机上をシンプルにするタイミング(1)仕事がスムーズにいかなくなったら整理する(2)忙しくなる前に整理する(3)毎日整理する。←これが出来ないから散らかるんです!でも(1)から始めないとね。 ・ペン立てに輪ゴムを縦に何本か巻きつけて仕切りをつける。 ・デスクトップの一年以上使っていないファイルは廃棄せよ。保留フォルダの名前にファィル廃棄予定日を組み込む。 ・フォルダ内で「CTRL」+「F」のショートカットを使えば検索できる。 ・メモや資料をまとめて、定期的に一括管理 ・余裕を持ってスケジュールを立てる(予備時間を入れる) ・締め切りを守るために逆算してスケジュールをつくる。←私の場合は、これをやると更に締め切りが心の中で動く「病気」にかかっている(笑)。結果、締め切りが守れない。 ・TODOリストを作る時(1)優先度の高いタスクから先に置く(2)締め切りと所要時間を記入する←3時間以内で終了するタスクまで分割する←とりあえずTODOリストをやってみよ!
2021年01月15日
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「コミュ力ゼロからの「新社会人」入門」渡瀬謙 インプレス 正月5日県立図書館は、「福袋」として4冊入のお楽しみ袋を貸してくれました。なんとトートバックはプレゼントです。残りが少なく、私は社会科学部門の「新社会人さんへ」という袋を選ばざるを得ませんでした。その中にあった一冊です。 テレビのインタビューを受けて、私は「本のプロである司書さんのセンスを楽しみたい」とかっこよく言ったのですが、中身は期待外れでした。私は「働くとはどういうことか」果ては「労働法制を生活に役立てる」等の本を思い描いていました。つまり、私の「センス」はかなり硬く古臭かったのです。 今どきの司書さんは、「明日から如何に残酷な新世界を上手に泳いでいくか」その技術指南の本「のみ」を選んでいました。しかも読み通すのに1-3時間で済むような本ばかり。確かに、これも見事な「センス」だなと思います。 目次は以下の通り。 第1章 社会に出る不安がなくなる7つの考え方 第2章 コミュニケーションがラクになる7つのメソッド 第3章 これで安心! しゃべりが苦手な人のための7つの「会話の基本」 第4章 職場で「適度な距離感」をキープする9つの「人間関係のつくり方」 第5章 苦手なシチュエーションを乗り切る8つの会話テク 第6章 口ベタ・人見知りでも自信を持って成果を出せる5つの視点 第7章 不安があるからこそ成長できる6つの心構え 自慢じゃないけど、私はおそらくコミュ力劣等生でした。おそらく、と書いたのはその自覚がなかったからです。確かに働いていると、コミュニケーション力はあった方が良いということは多々あります。早く出世しようとしたら、意識的にこういう本を読んだ方がいいでしょう。でもなんとかなります。こんな本を読まなくてもなるんです、きっと。証拠に、ここに書いている98%は、私の中で「メソッド(技法)」になっているか、「解決済み」の事項でした(つまり、「厳選メソッド49」のうち参考になったのは一つしかなかったということ)。 私が気になったのは、こういう本はここ20年の流行なのではないか?ということ。「コミュ力」という言葉自体が新語・流行語です。それほどまでに若者にとって「生きづらい」世の中になってしまったということなのでしょうか?
2021年01月15日
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12月に観た作品の後半3作品です。 「魔女がいっぱい」 大魔女は、英語だけど明らかにナチス的な喋り方をして、全てを鼠に変えて駆除されても仕方ない、ということを子供に植え付ける宣伝のための英語という体裁である。 よって、この作品は、何が言いたいのか、全然わからない。もしかして、ナチス的な「魔女狩り」に邁進する「主人公たち」を、反面教師にせよ、という作品なのか、でもかなりそこは真面目に主張していて、どう見ても、魔女=口が裂けていて、指は3本、足指はなく、髪の毛はないからズラをかぶっていて、かぶれて腐っているという、人間離れしているものだから、駆除しても大丈夫だと宣伝する映画にしか思えない。 アンハサウェイは、アカデミー賞女優でバッシングを受けて、自分を変えたかったのか、ノリノリで演じている。そのノリノリ部分だけは見応えがあった。 STORY 1960年代。ある豪華なホテルに若くおしゃれな女性たちがやって来る。彼女たちは、美しく邪悪な大魔女“グランド・ウィッチ”(アン・ハサウェイ)と世界中に潜む魔女たちだった。魔女は普段は人間として生活し、魔女だと気づいた人間を魔法で動物にしていた。大魔女は魔女たちを集め、ある邪悪な計画を実行しようとする。しかし、一人の少年がその計画を知ってしまう。 キャスト アン・ハサウェイ、オクタヴィア・スペンサー、スタンリー・トゥッチ、ジャジル・ブルーノ、クリスティン・チェノウェス、(声の出演)、クリス・ロック、コーディ=レイ・イースティック スタッフ 監督・脚本・製作:ロバート・ゼメキス 脚本:ケニヤ・バリス 脚本・製作:ギレルモ・デル・トロ 製作:ジャック・ラプケ、アルフォンソ・キュアロン、ルーク・ケリー 撮影:ドン・バージェス 美術:ゲイリー・フリーマン 編集:ジェレマイア・オドリスコル、ライアン・チャン 衣装:ジョアンナ・ジョンストン 視覚効果監修:ケヴィン・ベイリー 音楽:アラン・シルヴェストリ 原作:ロアルド・ダール 上映時間 104分 2020年12月12日 MOVIX倉敷 ★★★ 「私をくいとめて」 のんちゃんが娘のように、孫のように、過去の自分のように思えてきて、何度「大丈夫だよ」と思ったことか。ところが、のんちゃんには既に理想的な声の自分A(中村倫也)がいる。彼女に的確なアドバイスをし、的確に肯定してくれる。 ところが、のんちゃんも気がついているけれども、Aは自分なのである。気立てのいい子なのだけど、脳内は毒づきばかり。このままでは、久しぶりに現れた誠実そうな多田くんとの未来も生まれない。彼女はそれもわかっている。結局聡明な女性なのだ。 最後にAが中村の姿で現れると誰もが思っていたのに、意外にも現れたのは「ちょうどいい男」だった。なるほど、のんちゃんは総てわかっていたのだ。 結局未来を勝ち取るのは、総てを肯定してくれる脳内Aでも友達でもない。自分なのである。 あまりにも当たり前な、お一人様の「日常」なのであるが、のんちゃんが可愛いから、ずっと幸せに観て入れた。 (解説とストーリー) 芥川賞作家・綿矢りさの小説を原作に、アラサー独身女性と年下男性が織り成す不器用な恋模様を描くラブストーリー。脳内にいるもう一人の自分を相談役にシングルライフを満喫するヒロインが、思いも寄らず恋心を抱く。監督・脚本を、綿矢原作の『勝手にふるえてろ』などの大九明子が務めた。ヒロインを『星屑の町』などののん、彼女のことが好きな年下男性を『おっさんずラブ』シリーズなどの林遣都が演じる。 アラサー女子の黒田みつ子(のん)は何年も恋人がいないが、脳内にいるもう一人の自分「A」にさまざまなことを相談しながら独り身でも楽しく生活していた。常に的確な答えを導き出す「A」と一緒に平和なシングルライフが続くと思っていたある日、年下の営業マン多田くん(林遣都)に恋してしまう。独身生活に慣れたみつ子は勇気を出せない自身に不安を抱えつつも、多田くんと両思いだと信じて一歩踏み出す。 2020年12月29日 TOHOシネマズ岡南 ★★★★ 「ワンダーウーマン1984」 何故死んだはずのスティーブが生き返っているのか? 何故1984年なのか? それに答えることが、そのまま映画のテーマに繋がる。 「猿の手」。何かを得れば何かを失う。 「真実以外に欲しいものはない」 如何にも単純なヒーロー映画のテーマだけど、「真実」ではある。この真っ当さが、パティ・ジェンキンスの持ち味なのだと思う。 前回は、作品のあらゆるところに、ジェンダー問題の蘊蓄を散らばらめていたけど、今回はピースの蘊蓄を散らばらせていた。1984といえば、レーガン大統領だろう。核拡散が世界的な問題になった時だ。日本でも、トマホーク来るな!と問題になったことなど、日本人はもう覚えていないだろう。しかし、アメリカ人にとっては、あれは歴史的な危機だったのかもしれない。 パレスチナ問題やその他の問題で、あっという間に世界が危機に陥るのは、ジェンキンス監督には前回同様お手の物なのかもしれない。こうなったら、2008年の貧困問題にもワンダーウーマンを活躍させて欲しい。 ガル・ガドットが、素顔を晒してまるで別人になる場面も見所です。 STORY スミソニアン博物館に勤める、考古学者のダイアナ(ガル・ガドット)には、最強の戦士「ワンダーウーマン」というもう一つの顔があった。1984年、禁断の力を入手した実業家・マックス(ペドロ・パスカル)のたくらみにより、世界のバランスがたちまち崩れ、人類は滅亡の危機に陥る。人並み外れたスーパーパワーの持ち主であるワンダーウーマンは、マックスが作り上げた謎の敵チーターに一人で立ち向かう。 キャスト ガル・ガドット、クリステン・ウィグ、クリス・パイン、ロビン・ライト、ペドロ・パスカル、コニー・ニールセン、(日本語吹き替え版)、甲斐田裕子、小野大輔、花澤香菜、堀内賢雄 スタッフ 監督・脚本:パティ・ジェンキンス 製作:チャールズ・ローヴェン、デボラ・スナイダー、ザック・スナイダー、パティ・ジェンキンス、ガル・ガドット、スティーヴン・ジョーンズ 製作総指揮・脚本:ジェフ・ジョンズ 製作総指揮:レベッカ・スティール・ローヴェン、リチャード・サックル、マリアンヌ・ジェンキンス、ウォルター・ハマダ、シャンタル・ノン・ヴォ、ウェスリー・カラー 脚本:デイヴ・キャラハム 撮影:マシュー・ジェンセン 美術:アリーヌ・ボネット 衣装:リンディ・ヘミング 編集:リチャード・ピアソン 音楽:ハンス・ジマー 2020年12月27日 MOVIX倉敷 ★★★★
2021年01月14日
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12月に観た作品は6作品。2回に分けて紹介する。 「ドクター・デスの遺産 −BLACK FILE−」 予想とは違って、安楽死問題を正面から扱ったものではなくて、エンタメに振り切った悪と正義の話になっていた。 ドクター・デスの動機はキリコ医師のような哲学的なものではなくて、単なる快楽殺人だった。 もう少し高千穂明日香の頭脳が見れるかと思いきや、犬養刑事とどっこいどっこい。残念。それに、ドクター・デスの行動変容に説得力無し。 原作がそうだから、なのかもしれない。イヤミスの有望株らしいが、あまり期待できない。 STORY 警視庁捜査一課の敏腕刑事である犬養隼人(綾野剛)は、バディである高千穂明日香(北川景子)と共に終末期患者が次々と不審死を遂げる事件を追う。捜査を進める中、依頼を受けては終末期患者に安楽死をさせる「ドクター・デス」と呼ばれる謎の医師がいることが判明。苦しませることなく、被害者たちの命を奪っていくドクター・デスの目的と正体を探る犬養と高千穂だったが、腎臓病に苦しむ犬養の娘・沙耶香が、ドクター・デスに自分の安楽死を依頼してしまう。 キャスト 綾野剛、北川景子、岡田健史、前野朋哉、青山美郷、石黒賢、柄本明、木村佳乃 スタッフ 原作:中山七里 監督:深川栄洋 主題歌:[ALEXANDROS] 上映時間 121分 2020年12月1日 MOVIX倉敷 ★★★ https://wwws.warnerbros.co.jp/doctordeathmovie/ 「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」 前回は日本だったので、細かい所が気になって集中できなかったが、今回は米国、英国やらインドやヒマラヤ、世界が舞台。集中できた。おそらく、何処かおかしいところはあるんだろうけど、それを含めて類人猿のウソを楽しく見せてくれる。 ライオネルの部屋にある鳥の剥製は、飛べない鳥の「ドードー」に間違いない。幻の鳥であって、剥製などがあるはずはないのである。それを含めて楽しむ作品なのだ。 イギリスの貴族クラブに入ることに拘るライオネルに元恋人が言う台詞がなかなか良いです。 STORY 神話と怪獣研究の第一人者を自称するライオネル卿は、自身の手で伝説の生き物を見つけ、その存在を証明しようと思い立ってアメリカの太平洋岸北西部に行く。やがて彼は、人類の遠い祖先にあたる生きた化石ミッシング・リンクと遭遇する。ライオネル卿は孤独なミッシング・リンクのために、遠い親類を捜そうと伝説のシャングリラに向かう。 キャスト (声の出演)、ヒュー・ジャックマン、ザック・ガリフィナーキス、ゾーイ・サルダナ、エマ・トンプソン、ティモシー・オリファント、デヴィッド・ウォリアムズ、スティーヴン・フライ、マット・ルーカス、アムリタ・アチャリア、チン・バルデス=アラン スタッフ 監督・脚本・キャラクター・デザイン:クリス・バトラー 製作:アリアンヌ・サトナー、トラヴィス・ナイト プロダクションデザイン:ネルソン・ロウリー 音楽:カーター・バーウェル 視覚効果スーパーバイザー:スティーヴ・エマーソン 衣装デザイン:デボラ・クック 特殊効果監督:オリヴァー・ジョーンズ ラピッド・プロトタイピング監督:ブライアン・マクレーン アニメーションスーパーバイザー:ブラッド・シフ 撮影監督:クリス・ピーターソン 編集:スティーヴン・パーキンズ パペット制作監督:ジョン・クレイニー 上映時間 93分 (C) 2020 SHANGRILA FILMS LLC. 2020年12月8日 MOVIX倉敷 ★★★★ https://gaga.ne.jp/missing-link/ 「ミセス・ノイズィ」 慎重に映画を観る者ならば、冒頭の場面からミセス・ノイズィに喧嘩を売る小説家はヤバいんじゃないかと思うはずだ。 だから、その後の展開も、予想できるといえば、できる。ただ、深刻な映画ならば、悲劇になる展開である。あっさりと描かれる一つの結果のTEL。これが全てを救っただろう。 最初から、笑って泣ける、を目指した、おそらく篠原ゆき子の同期と言われる天野千尋監督・脚本の自分の想いをいっぱい詰めた作品。天野千尋が、夫が妻を許す場面、隣人が小説家を許す場面等の、一般的には涙を振り絞る場面をカットしたのは、映画を少し向上させたと思う。けれども、作品賞をとるには、後もう一つ足りない。 でも、今は全国公開で、評判もいい、「笑って泣ける」ちょっとビターな作品に仕上がったことを、祝ってあげよう。 篠原ゆき子が、天野千尋の分身のように、もう一花咲かせようと焦るアラフォーを演じてリアルだった。 見どころ 嫌がらせをする隣人と反撃する小説家の対決を描いたドラマ。監督は『ハッピーランディング』などの天野千尋。『共喰い』などの篠原ゆき子、『どうしようもない恋の唄』などの大高洋子、『私は渦の底から』などの長尾卓磨、『駅までの道をおしえて』などの新津ちせらが出演するほか、田中要次、風祭ゆきらが脇を固める。 あらすじ 母親として日々家事をこなし、小説家としても活動する吉岡真紀は、スランプに陥っていた。あるとき彼女は、隣人の若田美和子から嫌がらせを受けるようになる。真紀は美和子がわざと立てる騒音などでストレスがたまり、執筆が進まず家族ともぶつかってしまう。真紀は状況を変えようと、美和子と彼女からの嫌がらせを題材にした小説を書き始める。 2020年12月10日 TOHOシネマズ岡南 ★★★★
2021年01月12日
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「文明の生態史観」梅棹忠夫 中公文庫 大晦日に、蟲文庫という所で1974年初版のこの古い文庫本を見つけた。懐かしくて持ち帰った。 高校生の時、本書を読んで、世界を、地理と歴史との丸ごとで俯瞰的に見渡す「手がかり」を得た気になった。大学で歴史を学びたいと思っていた私に、本書はこの方向でやってみたらどうか?と思わせる魅力的な書だった。何故歴史を学ぶのか。過去に学ばない者は未来を語れない。日本の過去と未来を知ってこれからの日本に役立ちたかった。そこだけは、昔も今も変わりがない。ところが、大学は教養学部の成績で専攻科が決まる。私の成績では1番人気の国史は到底手が届かない。結果、新設の研究室に入らざるを得なかった。 その研究室の教授の概論で、たまたま「文明の生態史観」が俎上にあげられた。なんと生態史観発表直後にその根本的な欠陥を批判した人々がいたらしい。その論旨の明確さに、私は初めて生態史観に疑問を持ったのである。そしていま、文庫を読み返してびっくりしたのだが、本人は74年段階で批判を受け入れているのである。全ての論文の前に本人の「解説」が載っていて、1955年に発表した時に57年に既に加藤周一から批判が出ていることを本人が書いているのだ。その後、竹内好、上山春平からも出ている、と書いている。梅棹忠夫は、「今となっては、わたしの思想の出発点というにすぎず、現在の考えをそのまましめすものというわけではない」と堂々と自論を修正したことを認めているのである(!!)。しかし、当然批判論文の内容までは述べていないし、本格的総合的な修正した各論も書いていない。高校生の私は文庫の「わかりやすい」世界史モデルをそのまま信奉して大学生になったといわけだ。今読めば、梅棹さんは言い訳を書いているのに過ぎない。 世界を第一地域、第二地域に分けて、後続の日本と西ヨーロッパ諸国が距離があるのにも関わらず同様の「発展」をしたのを、生態学的な視点で説明できるとする論理は、あまりにも乱暴なラフスケッチだった。そのせいか、米国・西欧のように発展する日本は当然であり、中国・アジアを下に見る風潮も(本人の意図ではないが)生まれた。 本書で指摘された歴史的事実は、そんなふうに思える事実はたくさんある。だから、生態史観は74年の後も版を重ねて今に及ぶ。解説子は「東西の座標軸しかなかった世界史の見方に革新的な視点を与えた」と絶賛するが、それが持つ悪影響は当然語らない。社会・歴史を自然科学的方法で説明することは慎重でなければならない。今でも教科書的な世界史ではなく社会学史を取り入れた『銃・病原菌・鉄』の先鞭を取ったと評価する者もいる。2つの書は肌の色が似通った全くの別人なのであるが、そんなふうな単純化で、直ぐにわかったような気になる人々が後を絶たない。現在我々は、気象予報ならばかなりの確率で明日を予測することができる。けれども、我々は複雑な要素が絡み合う社会予報は未だ出来ないのである。コロナ禍の明日の感染者数さえ、誰も予測できない。 日本人は日本文化論が好きだ。文明の生態史観は、不幸にも上のように読まれて消費されてゆき、今では殆ど忘れられている。その前後に現れた加藤周一「雑種文化論」では、加藤周一はその名称は一切使わず各論になる「日本文学史序説」を経て「日本文化における時間と空間」に結節させた。また、その後現れた丸山真男の「古層論」も、発表後40年以上経っても、未だ通用している。私はモデルは必要だと思う。モデル化を経ないと、なかなか歴史から未来を見渡せないからだ。日本文化モデルは、長い間の批判に耐えうるものだけを、読むべきだと今は思う。 本書に出会って、43年。 奇しくも私を日本文化論への長い旅に誘う悪魔の役割を果たした本書に再会し、懐かしい女性に出逢ったような想いをした。
2021年01月10日
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「映画にまつわるx について」西川美和 実業之日本社文庫 西川美和は、公開されたならば無条件に万難を排して観に行く監督の1人です。「ゆれる」を観た時のショックはちょっと言葉では言い表せられない。その西川美和が冒頭、朝青龍というヒールならぬヒーローの話を書いた後に、するすると30年ほど昔の『恐怖の24時間』というテレビドラマの話を書いています。 連続殺人犯が弁護士になりすまして教誨師の家を隠れ家とする話で、その逮捕劇の顛末です。西川美和解説に耳を傾けると、その殺人犯は、若い頃の役所広司が演じていて、グレて親不孝を働いていた長男を捕まえて説教をしたり、布団を羽交い締めにして咽び泣いたり、逮捕された後も家族に屈託なく笑って去ってゆくそうです。西川美和は、役所広司に朝青龍と同じヒーローを感じて、風呂の中で泣けたそうです。映画ファン的な興味としては、この2010年の文章が、やがて監督の師匠・是枝和弘監督の『三度目の殺人』に関係している気がするし、今年の最新作『すばらしき世界』に直結している予感がする。西川美和は書く。 「凡そ人の風上にも置けない主人公にばかり惹きつけられてきたような気がする。みんな人格も行動も間違いだらけで、賢人の忠告をはねのけ、自分の失態で人生が台無しになっている。けれど、まだ諦めきれない、もう一度闘うんだ、やりなおすんだ、と歯を食いしばっているような人物たち。そういう悔恨だらけの、黄昏の中に佇むヒーローを、心の糧にしてきた」(16p)思えば確かに、西川美和作品の主人公はみんなそうだ。美人で世界的名声をモノにしている監督は、人一倍コンプレックスの塊だった。 読めば読むほどファンになってゆく。外見とは裏腹に、西川監督はかなり男前な性格だということもよくわかった。そう言えば、西川美和は過去直木賞にもノミネートされています。その文章力は折り紙付きです。松たか子と一緒にお忍びフォークリスト講習に行き免許を獲った顛末記などは、一篇の短編コメディのようでした。 倉敷蟲文庫という美人の店主がいる古本屋でゲットした本でした。
2021年01月09日
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「るきさん」高野文子 ちくま文庫 昨年の秋に、映画開始までの時間潰しのために買った本です。セレクト基準は安いこと、何処から読んで何処で止めてもいいこと、価値のあるもの、過去買おうとして何度か止めたもの。それから4ヶ月。やっと読み終わりました。 高野文子は約40年前「黄色い本」で衝撃を受け「絶対安全剃刀」でファンになりました。その後、「棒がいっぽん」で距離を置き、「ドミトリーともきんす」でやはり凄いと再確認しました。で、長い間未読の本書を手に取ろうかどうかと逡巡していたわけです。毎回作品ごとに「画の文体」を変える作者ではありますが、ずっと共通なのは2点あります。 ひとつは、絵が圧倒的に上手いこと。マンガはあくまで「本」として評価するべきだとは思います。高野文子にとってもそうです。それでも、一本一本の線の説得力は多くの(私を含む)漫画家志望を絶望させるに充分だったと思います。 ひとつは、普通と言われる価値観を軽々とひょいと越えること。激動の89年には13作も「るきさん」を描いています。1月には天皇が亡くなり、6月には天安門事件が起こり、10月にはベルリンの壁が崩れた、あの年です。このアラサーOL日記ともいえる世評マンガに、それらの大事件はとうとう1ミリたりとも陰を落としませんでした。しかも、あろうことか、自粛風が吹き荒れていた2月号4p拡大版では、るきさんとえっちゃんコンビはおせちや年賀状などの話題に終始し「まぁ今年もよろしく」と去ってゆく男友たちに挨拶をするのです。11月には区立図書館の児童書コーナーでナンパするその男友だちと、その談話室で焼きそばパンとファンタを飲む女(るきさん)も描いています。この貧乏くささは世の中バブリーな空気満々な頃のマンガとは思えません(しかも掲載誌は「Hanako」)。 このマイペースなるきさんの日常が、30年後の現代読んでいて少しも不自然じゃない。普遍性がある。むしろ、新しい自立した女性像のような気がするから不思議です。 どのように「普遍性」があるか? 友だちえっちゃんの呟きだけで構成されているこの一作を紹介すれば分かるかな。 「るきさんは電車に乗るとき」「よくドアにはさまる」「あんまりたっぷりはさまれるので、まわりのほうがびっくりする」「踏切では」「降りてくる、降りてくる、降りてくると思いながら」「頭で受けるので」「やっぱりみんな驚く」「運動神経の問題だということは居合わせていればすぐにわかるが」「わからないのはこの直後の冷ややかさだ『だいじょうぶ、だいじょうぶ』」「痛くないわけじゃない、アザものこるし、コブものこる」「なぜですか?『子供のころからしょっちゅうだったから慣れちゃったのかなって思います、だいたい外出ってそういうもんだと思ってましたしね』」「るきさんが言うには『きゃーん、いったーい』」「『うぇ〜ん、やだぁ』ときたまこういう人を見かけますが」「『はずかしーっ』あれはめったにころんだことのない人なんです、との説である」 あるある! るきさんの説は説得力がある。 えっ?るきさんの方がおかしい?そうかなぁ。
2021年01月08日
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昨日、県立図書館に福袋を貰いに行きました。開館15分後に着いたら、もう77袋あった福袋は数えるぐらいしかなくて人気のない社会科学系でも2つしか残っていなくて、会社図鑑よりもこっち「新社会人さんへ」を選ばざるを得ませんでした。4冊はそのまま借りるわけですが、図書館特製トートバックはプレゼントです。 たくさんのローカル局が取材に来ていてインタビューを受けました。(華がないので、採用されないでしょうが) 「福袋目当てで来たんですか?」 「そうです(ホントは予約本を借りるために来た)」 「コロナで年末年始は本を読まれましたか」 「そうですね。5冊ぐらいは読んだかな」 「1日一冊の割合ですか?」 「そうですね(実際には年末年始8日間で8冊読んだ)」 「福袋を手に取ってどう思いましたか?」 「未だ中身わからないのですが‥‥。図書館の人は本のプロだと思っています。どんな本を選んでくれたのか、そのセンスを楽しみたいと思います」 私も長い間、ミニコミ紙でインタビューする側にいるので、記事にするために必要な言葉は知っている。「具体性とキーワード」だと思っている。ちょっとサービスしてしまったのかもしれない。けれども、テレビの場合にはそれに「見た目」がつく。目が泳いでグニュグニュ言う男の話は採用し難いとは思う。
2021年01月06日
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「うさぎと潜水艦」朴範信 斎藤日奈訳 きむふなセレクション 昨年末のお休み間際の図書館の新刊コーナーに置いていた。韓国文学のショートショートを、原文を参照しながら読める本。長編ならば絶対出来ないけど、短編ならば読み比べができる。何かわかるかもしれない。極めて薄い本(80頁弱)だけど、1200円(税抜き)と安くはない。 バスの中は相変わらず蒸し風呂のようだった。 しばらくの間沈黙が続いた。 塩漬けの白菜のようにぐったりとなった人々の喘ぎ声だけが、バスの空席にまで満ちていた。(17p) 버스 속은 여전히 가마솥 같았다. 잠시 동안 조용한 친목이 계속되었다. 절인 배츳잎처럼 풀어 진 사람들의 할딱거림만이 버스의 빈자리까지 꽉 차 있었다. たまたま抜書きしたこの一文で、勿論韓国文学の文体すべてが説明できるわけではないが、気がついたことを述べる。 ある程度ハングルが判る人ならば一目瞭然だけど、単語の順番は日本語と同じである。訳文同様、丁寧語は使われていない。語尾は日本語よりも乾いている気がする(カタッタ、テオッタ、イソッタ)。 「蒸し風呂のようだった」→「蒸し風呂カタッタ」 「続いた」→「継続(ケソク)テオッタ」 日本語の方がよく言えば情緒的、悪く言えばウジウジしているようには思えないだろうか? 大きな違いのひとつは、単語のセレクトが違う。熱帯夜に密閉したバスの中の状態を「蒸し風呂」に例えるのは日本語でも無いとは言えない(でも、少し大騒ぎし過ぎな気がするが、比較的空気が乾いている韓国では耐えられないのかもしれない)。しかしその中でぐったりとしている人々を「塩漬けの白菜」と例える文化は、日本には無い。 偶然かもしれないが、翻訳で41頁かかった短編は、原文は33頁で済んでいる。日本語の方が、装飾が過剰なのかもしれない。 最大の違いは、やはり韓国と日本の、歴史と政治状況の違いなのだと思う(よく、韓国人は怒り過ぎだと非難する日本人がいるが、これは歴史と国民性の違いからきていると私は思っている。顔が同じなのでよく勘違いされるが、韓国人は外国人なのである)。 読み始めて、最初私は、「これは韓国の近未来のディストピア小説か?」と思った。主人公は戒厳令下深夜の道路を「横切っただけ」で、「即決裁判所」に向かう警察の「バス」に乗せられる。その他「無断行商」や「路上喧嘩」だけで人々がバスに乗せられていた。バスの中には「制服(警官)」が権力の頂点にいた。日本の近未来では、ありそうな情景ではある。しかしこれは1970年代、深夜にだけ戒厳令をひいていた朴正煕政権下の日常風景だったのである。つい最近までの「地球の歩き方韓国」には、「時々戒厳令練習のサイレンが鳴るから、絶対に動かないこと。動けば警察に捕まるかも」と書いていたのを思い出した(2000年代の歩き方にはあった)。 路上喧嘩していたのは「娼婦」と「大学生」である。どちらも日本には路上では目立たない。特に大学生は男なのに「(娼婦は)20年間不本意ながら守ってきたぼくの純潔を盗もうとした」とのたまうのである。男が「純潔」だなんて!これも儒教文化の残滓があるためか。そして彼は、この朴正煕政権の過剰な防衛をチクチク批判する「知性」をも持っている。これも、日本の大学生には無い伝統だろう。大学生には、自分は自国を担うべき役割があるという自覚がある。戒厳令下の経験なんて、日本の文学者には望んでもできていない体験ではある。 ホントは、会話文だけでも原文を書き写せば、かなり生きたハングルの勉強になりそうな気がする。買ってみるか?
2021年01月05日
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「グスコーブドリの伝記」宮沢賢治 青空文庫 そしてみんなは、こならの実や、葛やわらびの根や、木の柔らかな皮やいろんなものをたべて、その冬をすごしました。 けれども春が来たころは、おとうさんもおかあさんも、何かひどい病気のようでした。 ある日おとうさんは、じっと頭をかかえて、いつまでもいつまでも考えていましたが、にわかに起きあがって、「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」と言いながら、よろよろ家を出て行きましたが、まっくらになっても帰って来ませんでした。(9p) 賢治の数少ない雑誌発表の作品です。原作はもちろんのこと、漫画やアニメで何度となく見てきた作品ですが、当初は次第と科学者として大成してゆき最後には身を挺して火山を爆発させて冷害を救ったヒーローのお話だという印象しかなかったのです。 こうやって再読してみると、前半部分の冷害と飢饉の「リアルさ」に、胸を打つようになりました。「冷タイ夏ハ涙ヲ流シ」と詩った賢治の心像風景を童話にすればこうなるのか、と思えるような描写が次々と表れます。冒頭引用はお父さんの最期の場面です。それを哀しく見守ったお母さんも、ブドリと妹のネリを残したまま家を出て帰りませんでした。 ネリを背中の籠に入れて「おおほいほい。おおほいほい」と風のように去ってゆく子攫いの姿は、アニメ「この世界の片隅に」でも出現するくらいだから普遍的なイメージだったのでしょう。 ブドリの父の木こりの山は、小資本家が買い取り「テグス工場(絹糸生産?)」のような工場に変化し、ブドリは子供労働者として雇われます。ところが相次ぐ冷害で直ぐに工場は閉鎖、ブドリはクビになる。次にひろわれたのは山師の農業者。2年間は食わせてもらえたけど、やはり冷害でバラバラになる。岩手県(イーハートーブ)の現実が、次から次へと襲うのです。でもイーハートーブはきちんと学び真面目に働けば報われるし、やがては科学の力が自然災害をも克服する世界です。 作品としての完成度を優先させるあまり、少し都合のいい展開も目につきますが、子供の頃はそれがあったから読み終えることが出来たのだから、やはり必要だったのでしょう。 晩年に肥料の設計技師をやり、肥料の会社を起こそうとしていた賢治の見果てぬ夢は、科学の力で安定的な生産を実現する夢の国でした。でも、現代は賢治の描いた潮汐発電所も、効率の良い肥料も、冷害を乗り越える知恵も実現しています。それでも、世界全体が幸せにならない世界を、賢治が未だ生きていたならば(生きていたなら、未だ104歳)どう描いたのでしょうか?
2021年01月04日
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「神様のカルテ3」夏川草介 小学館文庫 初めて読む作家である。ドラマが始まるから紐解いたわけだが、なぜ「3」から始めるのか。それは映画の「1」も「2」も観ていて感心していたので、効率を選んだというわけだ。ストーリー的にはなんの問題もなく入っていけたが、やはり原作と映画は少し違っていた。 信州松本平にある24時間体制の本庄病院で働く6年目の内科医・栗原一止(いちと)やその同僚たちの日常を描く小説である。医者の労働環境がブラック企業並みの酷さというのは、最近になってしられてきた。コロナ禍の去年は更に知られただろう。それでも彼らは、人の生命を守るために献身的に医療に従事する。私は映画の(悔しくも適役の)櫻井翔が「医師の話ではない!私は人間の話をしているのだ」と哲学的・文学的に叫ぶクライマックスが大好きなのだけど、もう原作ではそういう「私は」と、大上段に語る口調がずっと続いて堪らなくなる。しかも予想外の、これは文体が「医療ハードボイルド」なのである。頭脳の回転の速い人たちばかりが登場するから、自然と会話は機知と比喩と揶揄と箴言に満ちている。栗原一止に至っては、それに文学的教養がついてくる。確かに医師が文学書を紐解かないのはおかしい。「人間」を相手にしているのだから。と、言いながら時間のない医者にとって暇があれば漱石を紐解いている一止は充分変人なのである。 さて、偶然にも終盤の、第四章「大晦日」を私は大晦日31日に読んだ。偶然にも原作中でも大晦日に信州は吹雪だった。その中で、一止は重大な決断をする。その日、現実世界では奇しくもコロナ感染者は東京・全国共に最大を数え、労働環境と家族と医者としての使命との3つのせめぎ合いは、全国の医療従事者の悩みの種になっていた。到底この小説内で型のつく話ではない。 宮崎あおいが、これ以上にない佇まいで医療現場という戦場に傷ついた栗原一止を迎えていた映画が、果たしてテレビドラマではどうなるのだろうか。
2021年01月03日
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「図書2021年1月号」 表紙の「絵」は、いつも司修さんの見た夢がモチーフです。正月2日。皆さんの見た初夢はどうでしたか? 司修さんのこの絵は、大木じゃありません。題名は「鬼婆の母」です。飛行機みたいなキノコが出ていますが、子供の頃戦時中には「嘘だろ」と思うような歌が流行っていたそうです(モシモ日本ガマケタナラ/デンシンバシラニハナガサク)。それを歌うことで「日本が勝つに決まっている」と嘘を無理やり信じようとしたのだろう、と司修さんは言います。これは「母が鬼婆になって私を食べようとしている」絵だそうです。因みに、司修さんの絵を観て、その意図を当てたことは一度もありません。悪夢は見たくないものです。因みに、2日のマイ初夢は、富士、鷹、茄子は見なかったですが、亀は見ました。なんか意味あるかな? 長い間連載していた民俗学者・赤坂憲雄と歴史学者・藤原辰志との往復書簡が今号で最終回を迎えました。赤坂憲雄にとっては、福島の地からどうやって再生の道を作ろうか、という問いかけの日々でした。最終的に以下のような感慨に落ち着きます。 ーーそれぞれの場所で、可能ならば、命あるかぎり勝てなくとも負けない戦いを継続していけたら、と思います。 毎年1月号の「図書」は、昨年の岩波書店刊行目録が載ります。読み損ね、買い損ねた書物をチェックするには便利です。私にとっては以下の書物になります。読めたり買えたり出来るかどうかは、また別の話。 ・「孤塁 双葉郡消防士たちの3.11」(吉田千亜) ・「渡来系移住民」(吉村武彦編集) ・「冬の蕾 ベアテ・シロタと女性の権利」樹村みのり ・岩波新書「暴君」スティーブン・グリーンブラット ・岩波文庫「次郎物語(全5巻)」下村湖人 ・岩波文庫「白い病」カレル・チャペック
2021年01月02日
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あけましておめでとうございます🌅 初日の出を撮り損ねたので、初日の入りをパチリ。 もはや、この歳になれば、なるようになると生きていくだけです。 お墓参りをして近所を散歩していたら、岡山にもこんなお地蔵さんがいました。他にも同様な群像お地蔵さん祠があったので、この地方の流行なのかもしれません。今日は、とりあえずここまで。
2021年01月01日
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