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ボローニャ、マッジョーレ通り。クルマやバイクが走る細い道の両側には屋根つきのポルティコ(柱廊)があり、風雨や炎天から歩行者を守ってくれます。歩行者たちは安心して歩けるワケなんですけど、ポルティコの中を歩いていると、不慣れな観光客(ワタシのことです)にとっては時折、場所がわからなくなってしまいます。そこで、こんな風に車道に出てみると、正面にアシネッリの塔が見えてホッと安心したりして♪ボローニャを歩くとき、アシネッリの塔は重要な目印になります。ちょうど、ミラノでドゥオモのマドンニーナを目印にするように、アシネッリの塔を目指して歩けば、町の中心に出ることができるからです。塔を目指して歩いていると、ちょっと面白い光景に出会いました。 道の真ん中に、お屋敷に挟まれるように塔が立っていて、その下が車道になっているのコレは、中世のボローニャの城壁の名残りなんだそうです。今でこそ大都市ですが、初期のボローニャは現在のマッジョーレ広場周辺を柵で取り囲んだだけの小さな小さな町だったそうです。その後、エミリア街道の要所として町が拡大されて、中世のころには町の周囲を堅固な城壁で囲んだ要塞都市として生まれ変わります。そのころの城壁は、16の城門をもち、それぞれがこうした塔のような形だったんだそうです。この塔も、実はそうした城門の名残りで、今でも「IL Torresotto」という名前で市内何箇所かに見ることが出来るようです。イタリアの町では良く、通りの両側の家の2階が橋でつながっているのを見ることがありますが、通りの上が塔だなんて、やっぱりボローニャならではなんでしょうね~~~
August 31, 2009
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ボローニャのシンボルである二つの塔。高いほうがアシネッリの塔で、低いほうはガリゼンダの塔。アシネッリの塔はご存知の通りボローニャを一望できるビューポイントとして人気ですが、この二つの塔は、実は「斜塔」ということでも有名。斜塔といえばピサの斜塔があまりにも有名ですが、この二つの塔、とくに低いほうのガリゼンダの塔はかなり傾いていますピサの斜塔も、建築途中ですでに傾き始めてたのをムリヤリ完成させちゃったらしいけど、傾いてるのを知りつつ作るのってどうなんだろう。。。ボローニャも、一時期は200本近い塔が乱立していたらしく、貴族たちが権力(っていうか見栄?)の象徴として高さと数を競っていたということですから、多少傾いてても「建っている」ってことが大事だったのかもしれませんまぁ、そんな傾いてる塔がちゃんと数百年も残ってて、しかも高いほうのアシネッリの塔には登れるのですからたいしたものです。・・・といっても、上の写真ですとあんまり傾きを感じませんよね。ドコから見たら傾き具合がよくわかるのか、町を歩きながら観察してはいたのですが。。。。 夕方、塔の北側の小道から眺めたところで「お、なるほど、傾いてるゾ!」と実感~。二つの塔の隙間の角度というか広さが不自然なんです ・・・ネ、傾いてますよネ! どっちが傾いているのか、というとガリゼンダの塔のほうが一目でわかるんですが、ちゃんと調べるとアシネッリの塔もわずかではありますが傾いているのだそうデス。見る角度によって形がかわって見える二つの斜塔。ちょっとした視覚マジックの世界なのでした
August 31, 2009
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突然久しぶりにF1のハナシなど。今日(あ、もう昨日?)はベルギーグランプリで、ホントに久しぶりに我らがキミ・ライッコネンが優勝しました~~~実は今日仕事だったので、レース途中からのTV観戦だったのですが、やっぱりキミにはスパがよく似合います♪ジャンカルロとの接戦でしたが、ピットストップ後のアウトラップで、オー・ルージュを駆け上がってゆくキミのフェッラーリを見て勝利を確信最終的にチェッカーを受けた瞬間のキミのガッツポーズ、パルクフェルメにマシンをとめて、立ち上がって声援に応える直前、こころなしか逸る心に手足がわなないているかのようにさえ見えたキミを見て、TVの前で私も一緒にガッツポーズしてましたライコネンにとっても、そしてまたフェラーリティームにとっても、のどから手が出るほど欲しかった勝利。開幕からひたすらガマンを強いられてきた分、今日の勝利は値千金ですねそして、イタリアマニアとしては、最後までキミとやりあって、2位表彰台をもぎ取ったイタリア人ドライバー、ジャンカルロ・フィジケラに対しても惜しみない賛辞を贈りたいです。表彰台で、優勝者であるライコネンを称えてフィンランド国歌、そしてフェラーリティームを称えてのイタリア国歌が演奏されるのですが、フィンランド国歌の後のイタリア国歌は、フェラーリティームはもちろん、2位表彰台のフィジコにとっても嬉しかったと思います。フィジコってば、大きな口をあけて一緒に歌ってましたよね~。次戦はいよいよイタリアグランプリ。いい流れが出来たところでぜひ、地元イタリアでも活躍して欲しいものですねっ!上の写真は、イタリアグランプリが開催されるモンツァの町のお土産やさんで飾られていたライコネン仕様のフェラーリ模型デス♪おめでとう、フェラーリ、そしてライコネン☆
August 30, 2009
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アルキジンナージオで中世の学び舎の雰囲気を堪能した後は、現在のボローニャ大学も見てみたくなっちゃいました。炎天下、ポルティコに守られながら、再びボローニャの町を歩きます。。。しばらく歩いていくと、美しいポルティコ(柱廊)に囲まれた教会のファザードが見えてきました。サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。 教会は閉まっていたのですが、このかわいらしい広場と、ぐるりと取り囲んだポルティコがとってもいい雰囲気♪教会自体も、正面だけ見るとなんだか小さいように見えますが。。。 実は奥行きがたっぷりこのポルティコに沿って右側、ポルティコの突き当りまでが教会なんです。時間が合えばぜひ、中も見てみたかったナ。なんて思いつつ、さらに北東へ向かって歩いてゆくと、 あ、なんとなくソレらしい建物~! 果たして、中に入ってみると「UNIVERSITA'」なんていう文字がうわ~い、現代のボローニャ大学です♪ちょっと中を拝見。。。 入り口を入るとすぐに、中庭。真ん中に立っている像、あれは誰なのかしら。。。大学も、もちろん夏休み中。しずかな校舎の中で、時折話し声が遠くに近くに響いてきます。・・・う~ん、なんだか懐かしい雰囲気ですねそもそも、学校っていうトコロにくること自体が何年ぶり??っていう感じですが(苦笑)そして、そんな構内で、思いがけず知っている顔に遭遇! そう、ダンテさんさすらいの詩人、ダンテさんもここ、ボローニャ大学に来ていたのですね。皇帝派、教皇派という政治的な立場から故郷フィレンツェを追われ、理想の人生と君主を求めてさすらい歩いたダンテさん。その足跡は、ミラノからボローニャ、そして永遠の眠りについたラヴェンナへと、エミリア街道沿いの町でも多く残されています。体の弱そうなヒトっていう外見だけど、実はタフガイなんですねぇ~。。。
August 30, 2009
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世界最古の大学、ボローニャ大学本部跡のアルキジンナージオ。卒業生たちの残した紋章で埋め尽くされた階段を登って2階へ行くと、大学の雰囲気を濃く残す図書館と、1637年に作られた解剖学教室が残されています。 こちらがその、解剖学教室(テアトロ・アナトーミコ)こういう教室ってめったに見学できませんものね、ちょっと覗いてみましょう。。。「解剖学」なんていうと、タイル張りの壁とスチール台みたいなトコロを想像してしまいますが、17世紀初頭に作られたこの教室は。。。 すべて木造教室はまるで劇場のようになっていて、中央で行われる解剖を生徒たちがぐるりと取り囲んで見下ろすようになっています。 なんとなく、おどろおどろしい雰囲気かと思っていたのですが、天井の彫刻も華やかで、ちょっとした広間、という感じ ・・・もっとも、豪華な天井の下で横たわるヒトには、そんな彫刻なんて見えてないんですケド。。。中央の解剖台、ピカピカの大理石がまな板みたいでみょ~に生々しかったです そして教壇には、これまたリアルな、一皮むけちゃったヒトの彫刻が。夜になったらこの彫刻が歩き回るとか、そんなハナシがあってもおかしくなさそう。。。じゃない??
August 29, 2009
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世界最古の大学、ボローニャ大学の本部が置かれていたアルキジンナージオ。学生たちが残したステンマ(紋章)で有名なところです。紋章は、木彫りの重厚なモノもあれば。。。 鮮やかなフレスコ画として描かれているものもあって、見ていてホントに飽きないです。 とくにフレスコ画で描かれている紋章はどれも状態がよく美しいものばかりひとつひとつ見ていると、いろんな紋章があって面白いですネストライプだったり、動物だったり、ヒトの顔まである~ それぞれ、紋章の下には名前らしき文字も書かれているのですが、一番下にCREMONENSIS、と書いてあるので、きっとこの2つの紋章の持ち主はクレモナのヒトなんだと思います。 ・・・で、この2人はマントヴァ出身。。。??同郷の友達同士といったトコロでしょうかね。 ココは、2階の図書館へ続く階段の天井~。あまりの華やかさに階段登る前に立ち止まって、口あけたまま見上げてしまいました(笑)天井も気になるけど、足元も気をつけないとネ
August 29, 2009
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ボローニャを上から見下ろした後は、再び町歩き♪次にやってきたのは、かつてのボローニャ大学の総本部が置かれていた場所、アルキジンナージオ宮殿です。昔も今も「学生の町」という顔を持つボローニャは、世界最古の大学都市。この町に大学が誕生したのは1088年ごろといわれていますが、その当時は大学といっても1箇所に校舎があるわけではなく、町のいたるところに授業が行われる場所があったのだそうです。それほど多数の教育機関が密集していたにもかかわらず、組織としてはまとまりがなかった大学都市に、法王の勅令によって法律や芸術の中枢機関としてできたのがココ、アルキジンナージオ宮殿なのだそうです。 ここが大学のいわゆる「本館」として使われるようになったのは1561年。それからおよそ250年後の1803年に現在の場所に大学本部が設置されてからは一般に公開され、一部は市立図書館として使われているのだそうです。 通りに面した入り口をくぐると、柱廊にかこまれた中庭があります。このアルキジンナージオは、大学本部として使われていた当時の学生たちが残した「ステンマ」という紋章で有名。この中庭自体はシンプルでドコにでもある雰囲気ですが。。。 柱廊の天井や壁には、ナルホドたくさんの紋章が飾られていました 昔は「大学生」なんていうと、貴族や大商人の子息が集まる場所。それぞれの紋章は、そんな若者たちの「われこそは」という心意気を感じるようなパワーをいまだに発しているような感じがしました。 ・・・ちょっと、あんまり多いと気持ちワルイかも。。。
August 28, 2009
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ボローニャのシンボル、高さ97メートルのアシネッリの塔から。500段の階段をヒィフゥ言いながら登って辿りついた展望台。レンガ色の町並みと、エミリア・ロマーニャの大地を一望するこの景色を見たら、階段で味わった閉塞感や恐怖なんてどこかへ吹き飛んでしまいます上の写真はちょうど、塔から南西方向、マッジョーレ広場とその向こうに広がるグァルダの丘を眺めたところ。 ちなみに展望台は、こんな風になっていますお城のようなギザギザの狭間と頭上には安全のため鉄格子がはめられています。この格子のおかげで、安心して身を乗り出して眼下を望むことができるんんですネ。塔の上は、日差しは強いものの、カラっとした風が通り過ぎてとっても快適。狭間の間に腰掛けてしばらくうっとりと、ボローニャの町並みを見下ろしてしまいました。 こちらは北北東方面。私の泊まっているホテルは、二つの塔のちょうど間くらいの場所だわ~びっしりと隙間なく立ち並ぶ家並みはイタリア独特の建築様式である、スキエラ型と呼ばれるつくり。間口が狭く奥行きがあって、両隣の建物と壁を共有して隙間なく連続してひとつのブロックを形成しています。 こうしたスキエラ型の住宅は、町が大きく複雑化してくるとさらに、隣同士2つ、または3つのスキエラ型住宅が合体してさらに大きな「リネア型」と呼ばれる住宅が生まれます。こうして上から眺めると、通りに面して、1ブロックがそのままヒトツの建物に見えるところがたくさんありますが、これがいわゆるリネア型と呼ばれる住宅なんですね。ヨーロッパの町並みの中でも、こうした「横長」の住宅が多く見られるのはイタリアならではだと思います。とっても特徴ある町並みですが、逆に考えると、こうした街づくりゆえに、現在でも建物の高さが均一で、美しい景観を作り出していることになります。美しいボローニャの町を見下ろしているとなんだか、町を独り占めしているような気分♪そして、そんな町を東西に横切っているのが。。。 そう、エミリア街道なのです歴史をさかのぼると紀元前187年、古代ローマの総督マルクス・アエミリウスによって、東海岸のリミニから、イモラ、ボローニャ、モデナ、パルマを経てピアチェンツァへと敷かれた街道です。ボローニャを横切るエミリア街道。上の写真は東、出発地点のリミニ方面です。・・・地平線までまっすぐに続く道です ちょうど、今いるアシネッリの塔の真下を通って、西へ、パルマ~ピアチェンツァ、そして現在ではミラノを経てトリノへと続く道。神聖ローマ帝国の時代には皇帝が、中世にはダンテやダ・ヴィンチ、チェーザレ・ボルジアやマキャヴェッリらも通った街道を、21世紀の現在、世界中の人に混ざって、ちっぽけな私が見下ろしている。。。いにしえから続くロマンの街道の存在感に、ただただ圧倒される思いがしたのでした
August 27, 2009
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ボローニャ2日目。いよいよ、ボローニャのシンボルであるアシネッリの塔を制覇してみたいと思います!この2つの塔は、小さいほうがガリゼンダの塔といって、高さおよそ50メートル、そして大きいほうがアシネッリの塔、高さは97.2メートルあります。この塔が作られたのは12世紀初頭、1109年から工事が始まり、10年後に完成しました。・・・日本史でいうと、平安時代ですよねこの時代に高さ100メートル近い塔を作ってしまったなんて、ホントにビックリです。そんな塔に登れる、というのですからコレはもう、行ってみるしかありません。 道路に面した入り口を入ると、なんだか不気味な雰囲気・・・ダイジョウブなのかしら?と心配になってしまった私ですが、後からきた家族連れがずんずん奥に入って行ったのをみて意を決して中へ。 入り口で、入場料3ユーロを支払い、いよいよ地上95メートルへ。。。といってもモチロン、階段です四角い塔の壁にそってぐるぐるとらせん状に続く木の階段を見上げた瞬間、まだ数メートルしか来ていないのにすでに挫折しそうな気がした私です(苦笑) 下から見上げると果てしなく続く階段は、狭くて細くて、おまけに木製なものですから、ごらんのように磨り減ってるこんな階段を500段ほど登らないといけないのですが、もう引き返すわけにも行きません。 暗くて狭くてギシギシきしむ階段をひたすら登ること数分。ふと気づくと、壁にこんなプレートが。「現在地、地上47メートル、ポデスタの塔」なんて刻んでありますそろそろ息切れがしてくるころにこんなプレートがあったので、「ほぉ~っ」なんて感心して読むフリをして休憩(笑)ナルホド、マッジョーレ広場に面したポデスタ館の塔はちょうどこれくらいの高さなのね。。。といってもぜんぜん景色見えないので感心しようにもいまひとつ実感がわきませんけど その後も、「51メートル地点、サン・ペトローニオ大聖堂の鐘楼」とか、 「55メートル、ピサの斜塔」なんていうプレートに励まされて、もくもくと階段を登る私。・・ああ、せめて誰かとこの苦しみを分かち合えたらいいのに、なんて珍しくヒトリ旅を嘆いてみたりしてまぁ、誰かと一緒でもきっと、息切れしてしゃべったりできないと思うけど(笑)今こうして考えると、ピサの斜塔って意外と高さ低いんですね~っていうか、アシネッリの塔が高すぎるの?? ちょうど半分登ったあたりで、上を見るとキリがないので、下を見下ろしてみました。。・・・・・ああ、底が見えません~~~やっぱり、足元だけを見ながら進むのがイチバンかも。。。 その後も、ひたすら登ることさらに数分間。高くなるにつれて、現在地と比較する建物が減るのか、プレートの数もめっきり減っていたのですが、このプレートを見てゴールが近いことを実感、ちょっと元気がでてきました♪「現在地、83メートル、ヴェローナのランヴェルティの塔」ときましたよ~!いよいよ残り10メートルほどです!ココまで来たら元気復活! 残りの階段を弾む(?)足取りで駆け上がると。。。。 Finalmente!地上95メートルの展望台へ到着したのでした~~~~・・・塔からの絶景は、息切れが治まるまでしばらくお待ちください
August 26, 2009
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ボローニャ初日の夜は結局真夜中までブラブラと歩き回ってしまいました 翌日はボローニャのシンボル、アシネッリの塔へ登るつもりでしたので、しっかり休まないとネ。今回お世話になったのは市内中心部に4箇所のチェーンを持つレジデンスホテルのヒトツ、Hotel Corona D'oro。昔の貴族のお屋敷を改装したお宿で、マッジョーレ広場やアシネッリの塔から徒歩5分以内のロケーションで、優雅な雰囲気の隠れ家的宿。夜のロビーにナイトキャップが欲しくなりましたが、お宿に帰ったら疲れが出てきました。部屋に帰って、バスタブにつかったら急に眠気が。。。。 翌日。朝10時近くまで爆睡して、よろい戸を開けたら、バルコニーにはすでに夏の日差しジリジリと肌を焦がすような日差しに、今日も暑く長い一日の予感。朝食で栄養を補給しましょう♪ 朝寝坊したせいか、朝食室はガラガラ。テーブルについてカプチーノを注文し、さっそく朝食ビュッフェへ♪ さすがエミリア・ロマーニャ、朝から生ハムサラミ食べ放題 フルーツも、ブリオッシュも、迷っちゃうくらい充実~ お昼ごはんいらないくらい食べちゃった♪これだけ食べたら、アシネッリの塔なんてもう、制覇したも同然です(・・・??)朝食担当のスィニョーラはとってもフレンドリーで親切。絶妙のタイミングでカプチーノのお代わりを持ってきてくれました ちなみにこちらのクッキーは各テーブルに用意されていたもの。・・・・おやつ用に包んで持って行こうっと
August 25, 2009
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夕食の後、広場で映画を見たあとはウィンドウショッピング♪ブランドショップが立ち並ぶエリアを歩いていて、私が思わず写真を撮ったのがこちら、ブルーノマリのお店。グッチもエルメスも、ヴィトンもアルマーニもある中で、このお店に惹かれたのは、商品よりも「お店」そのもの昔のお屋敷をブティックに改装したこのお店、一見とってもモダンですが、 高い天井と、天井のフレスコ画は昔のままこんなお店でゆっくりと商品を選ぶなんて、イイ気持ちなんでしょうね~♪ ブランドイメージも商品も大事だけど、お店の雰囲気でよりラグジュアリー感がでるものなんですね♪
August 24, 2009
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ボローニャの中心、マッジョーレ広場。巨大な教会のファザードは、守護聖人であるサン・ペトローニオを祀った教会。荒削りなファザードはまたいつもと違う魅力があるんだけど、広場にびっしりと並べられた椅子と、「Sotto le stelle del cinema(星空の下の映画館)」なんていう文字についつい、引き寄せられてしまいます 説明によると、7月下旬から8月にかけて、この広場で映画を楽しむというイベントがあるらしいんです町で一番大きな広場を映画館にしてしまうなんて、やることが大きいですよね~♪ かなりの人数で楽しむことができるようになっているこの「映画館」、上映は夜の10時から。昼間はもちろん、空っぽです。ちょうどご飯を食べ終わって、広場にもどると、いよいよ映画が始まるところでした。 この映画館は全席自由席。もちろん無料です♪近くのバールでパニーノとドリンクを買って、ここで食事、なんていうのもよかったかもしれないですね♪映画は見たことのないフランス映画でした。古都ボローニャで、モノクロのフランス映画を見るという贅沢なひとときに酔いしれてしまった夜なのでした☆
August 24, 2009
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さて、長い一日がようやく終わろうとしています。ほのかに薄暗くなってきた空にガリゼンダとアシネッリ、二つの塔がそびえ、エミリア街道沿いの町には明かりがともり始めます。ようや~く、涼しくなってきました日中は観光客くらいしかいなかった広場も。。。 だんだんとにぎやかになってきました☆そろそろカフェで一杯なんていうのもイイ時間帯パラッツォ・コムナーレの時計を見ると、もう21時になろうかという時間 真夏のボローニャ、まだ日は沈んでませんヨ~。 ・・・でも、21時という時間をみちゃったら、おなかもすいてきちゃいました。。近くのお店で腹ごしらえしよっと。 ボローニャに来たら食べるべきものってなにかしら?なんていう質問をトラットリアのお嬢さんにしたらもう大変。「う~ん、そうね、まず生ハムとサラミの盛り合わせ、これは食べたほうがいいわね。それからプリモにはパスタがお勧めなんだけど、有名なトルテッリーニ、これオススメなんだけど今日は暑いから食べるのはちょっと大変よ!タリアテッレ・ボロニェーゼかラザーニャがいいかもね。セコンドにはなんといってもこのビステッカを試してほしいけど。。。(と、私のほうをチラっと見て)・・・ちょっと重たいわね!コトレット・ア・ラ・ボロニェーゼにしたらどうかしら。。」と、マシンガントーク勢いに押されて生ハム&サラミの盛り合わせと、量が少ないから大丈夫、という言葉を信じてラザーニャを注文。セコンドに関してはその後で考えます、ということにしました。・・・やっぱり、ヒトリだと食欲もあまりないわよね、セコンドはやめてジェラートとカフェで締めさせてもらいました(笑)・・・食事がおわったら、マッジョーレ広場で映画よ~~♪
August 23, 2009
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サント・ステファノ広場からみた、サント・ステファノ教会群。広場は丸石を敷き詰めた石畳になっていますが、歩きやすいように広場中央から放射状に白い石で歩道がつくられています。 両側に立ち並ぶお屋敷を見ながら歩いてゆくと、この先でエミリア街道に合流する道ですが、幹線道路であるエミリア街道と1ブロックしか離れていないのに、ホントに静かです。この道がエミリア街道と合流する交差点には、ボローニャのシンボルである二つの塔と、中世の面影たっぷりの美しい建物、メルカンツィア宮殿があります。 1384から1391年にかけてアントニオ・ディ・ヴィンチェンツォの設計で作られたメルカンティ宮殿。中世には中央商業組合本部がおかれ、現在でも商工会議所となっているそうです。アーチの上のレース細工のような装飾も美しいのですが、ポルティコの下でおしゃべりに興じるボロニェーゼたちのリラックスした姿にちょっとうらやましさを感じてしまった私です。 日本でもいるでしょ、じべたに座り込んでおしゃべりしてるコたち。・・・でもさ、舞台が変わるだけでこんなに雰囲気がかわっちゃうのね。座り込むどころか、寝そべっても絵になるボローニャの女の子たち。なんだか、楽しそう
August 23, 2009
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サント・ステファノ教会前の広場から、アシネッリの塔へと続くサントステファノ通り。両側には立派なお屋敷が立ち並び、昔も今も、ボローニャの富裕層の住まいとなっています。そんなお屋敷群で、ちょっとかわった装飾がありました 道路に面したポルティコのアーチの上、そして2階の窓の上に、こんな風にいろんな顔が彫られていて、ちょうど道行く人を見下ろすようなカタチになっているんですその数は、なんと130を数えるとか。テラコッタで作られたこの顔は老若男女、天使風、悪魔風、異国風と実にバリエーションに富んでいます。 ・・・夜とか、あんまり顔を合わせたくないのもあるけど。。。。
August 22, 2009
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ポルティコの中を歩いて、ボローニャでもっとも美しいといわれるサント・ステファノ広場へやってきました確かに、交通量の多いボローニャの町のなかでひっそりとしていながら優美なたたずまい。このあたりはボローニャきっての富裕層のお屋敷が集まっているとのこと。そんなお屋敷に囲まれた広場の奥にあるのが、サント・ステファノ教会群。 赤レンガを積み上げたシンプルな教会は、1世紀から4世紀にかけて建て増しが続けられ、4つの教会と2つの修道院で構成されています。複雑に入り組んだ建物は名目上はセッテ・キエーゼ、7つの教会群とされていますが、外から見えるのはこの3つの建物と、奥にある鐘楼くらい。それでも、それぞれに趣の違う建物がこうしてこじんまりと肩を並べて建っている様子はかわいらしいというか不思議な魅力があります上の写真で真ん中、ちょうど木の後ろに隠れてしまっているのがサン・セポルクロ聖堂。 教会群のなかでも歴史のある建物で、外側の、レンガで造られた素朴なモザイクがかわいらしい聖堂です。 セポルクロ聖堂に並んで建っているのはこちらもかわいらしいサン・アグリコラ教会。法王ヴィターレとアグリコラの遺体が発見された場所という言い伝えがあり、正しくはChiesa dei protomartiri San Vitale e Sant'Agricola、殉教者聖ヴィターレと聖アグリコラにささげる教会、といいます。 古代の教会らしい、石積みの内部は、大理石を薄く削ってはめ込んだ窓から差し込む夏の日差しに照らされて、荘厳な雰囲気。なんでしょうね、パワースポットのような「気」を感じます 教会群の中庭からは、美しい鐘楼を見ることもできます。ポルティコに囲まれた中庭の真ん中には古い井戸がありました。以前から洗礼盤の水がくみ上げられていたというこの井戸にも不思議な伝説が残っていて、1307年5月、150人以上もの足の不自由な人たちがこの水を飲んで治癒した、という話。 奇跡の井戸水をもとめて、たくさんの巡礼者たちが押し寄せたため、ボローニャ市では宿泊用のテントを用意するために大わらわだっと、という文献が残っているのだそうです私ものぞいてみたんですけどね、今ではしっかりと蓋が閉じられていました 外から見ると小さくてシンプルな、サント・ステファノ教会群。見ごたえたっぷりで癒される、ボローニャのパワー・スポットです
August 22, 2009
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さて、ジェラートでクールダウンして、再び町歩き♪張り切って歩き始めたものの、昼下がりの日差しの強さに早くもくじけそうになる私確かにこの時間、歩いているのは観光客くらいかもしれない。。。。 でも、ボローニャにはポルティコ(柱廊)がある!雨や雪をしのぐだけではなくて、こうして暑さよけにもなるポルティコ、最初に考えた人もエライけど、その利便性を活かした街づくりをしてきたボローニャ、さすがです。 町のいたるところに見ることができるポルティコですが、高さが均一なところがまた、景観上の美しさを引き出していて魅力的です。それもそのはず、このポルティコは、中世にはすでに高さ、大きさといった「規格」が決められていたんですってそれによると、馬に乗ったまま通ることができるように、ポルティコの高さは最低でも2メートル66センチ以上、なんていうキマリがあったようですよ なるほど、お馬さんのいる暮らしのおかげで、天井の高い、贅沢な空間がうまれたのですね~。現在ではもちろん馬なんて通りませんけど、そのかわりポルティコを利用したカフェやバールがたくさんあったりして、昔も今も、ポルティコは大人気みたい。そして、ポルティコのある暮らしを営むボローニャの人々について、ゲーテは「イタリア紀行」の中に、次のように記しています。。。 『ほとんどあらゆる通りに広がっているポルティコの中で、太陽と風雨から保護されてあちこちを歩きまわり、ぼんやりと打ち眺め、買い物をし、商売をしている民衆たち。。。』ゲーテの時代も、2009年も、人々の暮らしの基本はやっぱり、変わっていないように感じてしまいますね、このポルティコの中では。。。♪
August 21, 2009
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今回のイタリアバカンス、初日のジェラートでございます~ホントに暑かったので、有名な塔に登る元気もなくなりそうでしたので、ジェラートで元気を注入することにしましたボローニャの守護聖人、サンペトローニオの教会の裏手、カブール広場に面したジェラテリアでいただきました☆初日ということで、定番メニューのピスタッキォ、チョコ・フォンダメンテ、そしてフルッティ・ディ・ボスコ実はココ、通りすがりに見たら地元イタリアの人たちがたくさん並んでいたトコロ。2ユーロでこのボリューム、たしかにお得だし、味もおいしかった♪ お店は新しい感じで、明るくて広い店内にはこうしてお持ち帰り用のアイスケーキもたくさんありました写真右端に移っているスィニョーラが食べているのはフォカッチャ・コン・ジェラート。フォカッチャにジェラートをはさんだモノで、ちょっとした食事代わりになりそうですね♪ 外は暑いから、店内で食べてたんだけど、こんなケーキを見ちゃったら、ジェラートのお代わりが欲しくなっちゃう冷たいジェラートで元気を補給して、いよいよアシネッリの塔にチャレンジです
August 21, 2009
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ボローニャのパラッツォ・コムナーレ。その内部も素晴らしいのですが、せっかく宮殿に来たのですから、ボローニャ貴族になった気分で、高い場所から街を眺めてみるのも一興♪ マッジョーレ広場も、上から見るとまた違った美しさそして、ボローニャが「百塔の街」と呼ばれるゆえんである、林立する塔を望むこともできます。 ちょっと北のほうへ視線をやれば、ボローニャのドゥオモであるサン・ピエトロ大聖堂の、タマネギ頭の塔(鐘楼)。この鐘楼の右下、くっつくように見えているのがプレンディパルテの塔、少し離れて右手に見えているのが、ホテルのすぐそばにあったアッツォグイディの塔(Torre Azzoguidi)。手前の道路はリッツォーリ通りといって、ボローニャの目抜き通りになっています。 そして、リッツォーリ通りの奥に、ひときわ高くそびえているのが最高峰のアシネッリの塔。すぐ横に、シンプルな四角い塔が見えますが、あちらはガリゼンダの塔といって、この二つはセットで「Due torri(二つの塔)」と呼ばれてボローニャのシンボルとなっています。この角度からだと意外とまっすぐ立っているようですが、この2本の塔、実はピサの斜塔も顔負けなくらい傾いているんですヨリッツォーリ通りは、この二つの塔を回りこむようにして、延々と東へ伸びてゆきます。・・・そう、この道がエミリア街道。2000年のロマンを伝える街道筋は、今はアスファルトで覆われて、バスやクルマが行き交う幹線道路になっていますが、ボローニャ貴族たちも、同じ角度でこの街道を見下ろしていたのかと思うとなにやら感慨深いモノを感じます。。。 市庁舎を出ようと、豪華な広間の出口へ行くと、窓の向こうにも塔。ほんとうに、百塔の街なんだ、なんて実感してしまいます。ダンテがボローニャに遊学していた13世紀後半には、200本近い塔が建っていたといわれるボローニャの、かつての面影を垣間見る思いがしたんですが・・・・、 出口の近くに、当時の文献などをもとに再現したボローニャの町の模型がありました。・・・・まるで近未来都市を思わせる、ものすごい数の塔!百塔の街、ボローニャ。・・・おそれいりました!
August 20, 2009
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ボローニャの市庁舎は、お役所というよりはもう、完全な「お屋敷」。豪華な装飾の広間は現在、無料で公開されているのですが、昔から伝わる伝統技術や芸術作品の宝庫といっても過言ではないくらい、そのコレクションは充実しています。 美しい絵画や彫刻などはまた、後ほどゆっくりと紹介することにして、このお屋敷のリッパなお部屋の数々をご覧くださいませ♪こちらが、総督の間でございます 天井画の美しいこのお部屋も落ち着きますし。。。 太陽神アポロンを中央に据えたこのお部屋はまるで、森林浴気分 私のお気に入りはこちらの赤いお部屋♪だってボローニャですもの、赤ですよね~それにしても・・・・こんな市庁舎、みたことナイ!!
August 20, 2009
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ボローニャのパラッツォ・コムナーレ(市庁舎)。もとは学者さんのお屋敷⇒穀物倉庫&取引所⇒元老院⇒市庁舎という数奇な運命を経て今に残るリッパな建物は現在無料で公開されていて、ボローニャの歴史と華やかな宮廷生活をかえりみる事ができますお屋敷見学のためにはまず、この階段を登って2階へとあがります。政治の中枢期間である元老院が置かれた頃には、戴冠式など大掛かりなセレモニーもたくさん行われたという宮殿では、主賓たちが馬や馬車に乗ったまま、この階段を2階へと進んでいったといわれています 階段を上り詰めると一旦広々とした廊下に出ます。大きな窓のそばには段がついているので、しばらく腰掛けて、ちょっと高い場所から中庭を見下ろすこともできます。 窓から見下ろした中庭。赤い壁とポルティコが印象的♪ いろいろなセレモニーが行われたという2階の広間を過ぎると、もう一度階段。階段といっても、坂道に滑り止め程度の石の段をつけただけ。歩いて登るのはちょっと疲れるけど、なるほど、馬や馬車ならかえって好都合なのかも、なんて思ってしまいました。。緩やかな傾斜の階段を登りきって左手が、皇帝や法王サマたちが宿泊したという総督の間へつづく広間です。 狭い階段を通り抜けて、薄暗い広間に出る。このお屋敷を作ったヒトは、そんなドラマティックな演出まで考えていたのかしら?薄暗い広間の奥行きに圧倒される思いで、入り口にたたずんでしまったのでした。つづく☆
August 19, 2009
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暑さを避けるために、広場の南側にある巨大な宮殿、パラッツォ・コムナーレへ向かいます。いわゆる「市庁舎」という意味のパラッツォ・コムナーレはもともとは著名な法学者であったアクルシオ神父によって建てられ、当初は「アクルシオ宮」と呼ばれていましたが、後に教皇派に売却され、歴代の皇帝や法王の宿泊所として使われてきたそうです。市庁舎となったのは近世になってからで、現在ではボローニャの歴史を語る美術館。私が行った日曜日は無料で見学できるというので豪華なお屋敷を見学してきましたよ~正面玄関の上に、ブロンズの像が飾られていますが、このヒトはいったい誰?? ・・・答えは、地元ボローニャ出身の法王、グレゴリオ8世この像にも面白い逸話があって、過激派が像を破壊しに来るというウワサを聞いたボローニャの市民が、「この像は法王サマじゃないんです」というカモフラージュのために、法王冠をはずして、かわりにボローニャの守護聖人であるサン・ペトローニオの司教冠をかぶせた、という話。法皇様が司教に変装、なんて他では聞いたこともありませんよねその後、グレゴリオ8世が法王のシンボルを取り戻すまでに100年もの年月がかかった、というのもなんだかイタリアらしいです。 さて、正面玄関を入ってみると、ポルティコに囲まれた静かな中庭に出ます。ポルティコの上が宮殿部分ですが、すぐそばの広場の喧騒がウソのように静かな空間。 市庁舎として使われるようになる前は、この豪華な宮殿はなんと穀物倉庫および穀物の取引所として使われていたんですって!ポルティコの中にこだまする穀物商人たちのざわめきが聞こえてきそうですね ・・・学者のお屋敷から穀物取引所へ、やがて元老院が置かれて政治の中心地となったアクルシオ宮。 この中庭でも、いろんなセレモニーが行われたのでしょうね~。ポルティコの日陰で涼みながら建物を見上げると、ボローニャを象徴する色、赤色が目に付きます。中世時代の面影を残す漆喰の色、屋根の色から、昔からこの町は「赤い都」という名前で呼ばれてきたそうです。ふと見上げた宮殿の窓の、日よけの布までもが赤いのをみて、なるほどと実感してしまった私なのです。。。次回はいよいよ、豪華な宮殿の中をご紹介します♪
August 19, 2009
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ネプチューンの噴水から少し歩くと、大きな広場。ココがマッジョーレ広場の中心で、向こうに見えている大きな教会のファザードは、ボローニャの守護聖人をまつった、サン・ペトローニオ教会です。ちょうど夏のバカンスシーズンということで、広場にはいすが並べられていて、夜にはここで映画が上映されるとのこと ちょっと楽しみですね♪そして、手前に見えるポルティコ(柱廊)つきの建物がポデスタ宮。ガイドブックなどでは、ポデスタ宮1階のカフェから、広場を眺めつつワインなんか飲んでる人たちの写真が載っているので、私もちょっと行ってみたかったんですが。。。 さすがにこの炎天下じゃ、開店休業状態ですやっぱり夕方、映画が始まる頃に来るのがいいのかも。かわりに外壁の彫刻に感心してみたりして。。。 ・・・ポルティコの中は、涼しげなんですけどね~。。
August 18, 2009
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ちょっと高いところから、マッジョーレ広場を見下ろして見ました。ネプチューンの噴水が小さく見えるココは、広場に面した市庁舎で、現在美術館になっているところです。広場を見下ろすと、噴水をはさんでお向かいに見える建物がポデスタ宮と、エンツォ王の館。ひとつの建物のように見えていますが、向かって右側、大きな塔のある部分がポデスタ宮。その昔、神聖ローマ帝国の皇帝によって任命されたボローニャの行政長官が住むためのお屋敷として立てられたものです。そして、ポデスタ宮に続く、左側のお城のような建物がエンツォ王の館。 神聖ローマ帝国の統治下にあったボローニャは1164年、時の皇帝フリードリヒ1世が任命した行政長官を追い出し、「自由都市」の時代の幕開けを迎えます。市民たちによって選出されたカピターノ(首長)率いるボローニャと、神聖ローマ帝国との戦いはその後も続き、1249年にフェデリコ2世との戦いに勝利したボローニャはついに、皇帝の息子エンツォを捕虜にしてしまいます。捕虜とはいえ、皇帝の子息。盛大な行列をなして町を横断し、この宮殿へ幽閉されたエンツォはその後、1272年になくなるまでの23年間をこの宮殿で過ごしたのだそうです。 美しい金髪の王子、エンツォは幽閉生活の中で一度だけ、脱走を試みたそうですが、そのあまりにも美しく見事な金髪ゆえに変装を見破られてしまったとか。宮殿での生活は何不自由ないものでしたが、祖国へ帰れず、またボローニャのざわめきを聞きながら外へ出ることすら許されなかったエンツォ王。・・・ちょっと切ないですね エンツォ王の嘆きと引き換えに、ボローニャはコムーネ(自治都市)としての栄光の一時代を迎えます。花で飾られた鉄格子の扉は、エンツォ王の華やかな憂鬱を今に伝えているかのように、静かにその扉を閉ざしているのでした。。。
August 18, 2009
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ボローニャの名所、ネプチューンの噴水。この美しいブロンズ像が作られたのは1563年。以来ボローニャのシンボルとして欠かせない存在となっています。今でこそ、ただ眺めて鑑賞するところ、といった雰囲気ですが、昔は生活に欠かせない水場として、野菜売りが商品を洗ったり、夜遅くまで噴水の周りでおしゃべりに興じたりする姿が見られたそうです。その後、夜遊びでたむろする輩や像にいたずらする者が増えたために、1604年に周囲に鉄柵が設置されてしまったそうです。とはいえ、「ダメ」といわれると飛び込みたくなるのが人情結局、鉄柵の効果は上がらず、結局1888年に撤去されたのだそうです。 ・・・まぁ、ココで野菜を洗ってもたしかに、美しくないですよねでも、真夏の炎天下にこうして水場にたたずんでいると、つい、水に触れたり、飲んでみたくなります。 そんな町の人々のために(?)、ボローニャって親切ですよね、ちゃんと飲料水のフォンターナを別に用意してくれています海外で、水道水とか「生水」とかってあまり飲まないようにっていいますが、イタリアの水は大丈夫♪水道水といってもぜんぜんクセがなくって、おいしいのですヨ♪ こちらでは、親子連れがペットボトルに水を汲んでいます。水は買うもの、と思っていた私ですが、こう暑いとたびたび水分補給したくなるので、こういうフォンターナはとっても便利。ネプチューンサマのお水でのどを潤して、ボローニャの町歩きはさらに続きます。。。♪
August 17, 2009
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ボローニャの心臓部、ピアッツァ・マッジョーレへやってきました。いくつかの宮殿と教会に囲まれた広場には、ボロニェーゼたちと、世界中の観光客を魅了してやまない噴水があります。 ボローニャ駅から続くメインストリートから広場に入ると、魅惑的なお尻がイヤでも目に入るのですが、アレが有名な「ネプチューンの噴水」です。 後姿だけでは失礼なので、正面から。なんという、堂々とした美しさでしょう!!この噴水はまさに、ボローニャのシンボルでもあるのですが、海神ネプチューンのあまりのリッパな裸体について、これまでさまざまな論議を呼んだそうです。良識派は下半身を葉っぱで覆うべきだと主張し、擁護派からは訪問客の支持を募る署名運動が起こったりしたこともあったとか ネプチューンさんもリッパだけど、私はその下で水をほとばしらせている女神サマたちの方が気になってしまうんですけど。。。。 ボローニャ、そしてエミリア・ロマーナの豊かな恵みを象徴するかのような噴水。この豊潤な大地に囲まれたボローニャに、海の神様であるネプチューンが噴水として据えられていることにもまた、ボローニャの豊かさを見せ付けられるような気がします。美しい、ネプチューンの噴水に、ただただ感動して、見とれてしまうのでありました
August 17, 2009
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ボローニャの中心、マッジョーレ広場へと続くメインストリート。・・・ああ、炎天下ですこう暑いと、さすがに歩行者も少ないですよね。 ・・・歩行者どころか、クルマさえ少ない真夏のボローニャ。これではまるで、ゴーストタウンです 町の人はいったいどこへ行っちゃったんだろう?? ・・・いた、いた!そう、ボローニャは「ポルティコ(柱廊)」の町。中世の頃から町の条例で作られ始めたポルティコは、今では延べ40キロにもなるそうで、町の中、いたるところで見かけます。雨や雪、そして真夏の炎天を避けて歩行者たちを守ってきたポルティコは、まさにボローニャの歩行者天国。ウィンドウショッピングを楽しむ人、先を急ぐ人でにぎわうポルティコの中こそ、ボローニャの息遣いを感じることが出来るのかもしれません 涼しいポルティコの中を歩いていたら、あっという間にマッジョーレ広場へと到着。・・・広場にポルティコは。。。もちろん、ないですね(笑)仕方ない、しばらくはお日様と仲良くするしかなさそうです
August 16, 2009
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ボローニャって大きな町だけど、ホントに昔ながらのたたずまい。古くて細い路地が入り組んでるので、市内中心部には、住民および許可された車両しか入ることができません。トスカーナやウンブリアの小さな町でもそうですが、これだけの大都市であるボローニャで、車両進入規制をしても、実際に難しいのではと思ってしまいますが、路地を歩いているとその仕組みを見ることができます。 それがこのブロック道の真ん中に、柱のように立っているので、自動車は通れないようになっているんです。でも、それじゃあ地元の人たちはどうやって通るのか、というと。。。 ブロックの横にこんな機械がありましたコレがいわゆる、ボローニャのクルマ専用「自動改札」なんです 使い方はカンタン。住民や許可を得た車両は「通行許可証」を持っていて、それをこの機械の真ん中にある丸い部分にタッチするだけ。許可証を読み取った機械が、道路のブロックを地中に下ろして、クルマが通れるようにしてくれるというモノなんです。また、お店やホテルの利用者などは、読み取り部上のボタンで相手先を呼び出してブロックをおろしてもらうようになっていて、これはマンションのインターフォンとちょっと似ていますネ。実は、駅からホテルへ向かうときに、タクシーでこの道を通ったときにこのシステムを知ったんですが、アンティークな町の路地に、こんなハイテク仕掛けがあるなんて、とちょっとビックリしたんです ・・・あ、ちょうどまた、タクシーがやってきました!運転手さんが機械に向かって許可証を提示していますクルマの前のブロックが少し下がったのがわかります???そのまま少し待つと。。。 ほら、完全にブロックは地面の下に隠れてしまい、タクシーが通り抜けてゆきました。ちょっと面白い、ボローニャの自動改札ですが、すぐそばをバイクが二人乗りですんなりと走り抜けるのを見ていると、なんだか面倒な感じもしますネ
August 16, 2009
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ボローニャの小道を歩いていたら、ちょっとカワイ吊り看板を発見。ワインのボトルと、ぶどうをあしらったこの看板、ボトルのなかに照明が入っていて、夜になると電気がついて、ボトルに彫られた店の名前、「ボッテガ・デル・ヴィーノ」が浮かび上がるようになっています。 中世の雰囲気の残る路地で、こんな看板を見つけたら、飲兵衛さんにはタマリマセンでしょうな「ちょっと一杯、やってくか」なぁんて、ふらふらとお店に吸い込まれてゆくボロニェーゼたちを想像してつい、ニヤリとしてしまった私です。ボローニャ風、赤ちょうちん。ホテルのすぐそばのこのお店はその後、私の中ではこんなふうに呼ばれてしまったのでした(笑)
August 15, 2009
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今日は聖母被昇天の祝日(Ferragosto)です。イタリアでは、8月に入った頃から普段の挨拶に「Buon ferragosto! (ブォン・フェラゴスト!)」と言うフレーズが使われるようになります。12月に入るとメリークリスマス(buon natale)と言うのと同じ感覚ですが、フェラゴストの方がもうちょっとバカンス色が強いように感じます。今日の映像は、ラヴェンナのドゥオモの礼拝堂。被昇天のマリア様が美しい、壮麗なチャペルでした。では皆さんもご一緒に、「ブォン・フェラゴスト!」
August 15, 2009
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「100搭の町」という異名をとるボローニャ。ホテルに荷物を置いて外に出ると、正面に塔。 ふと横を見ると、小道の先にも塔。へぇ~、ホントに塔の町なんだ、と感心してしまいますが、伝説によると中世のころにはなんと200本以上あったといわれているとか摩天楼が立ち並ぶ大都市をイメージしてしまいますが、実際に残っている建造記録によると、その数は100本ほどだとか。それでもスゴイ数ですよね。現在ボローニャには約20本の塔が現存しているそうですが、こうして町を歩きながら見えてくる塔の姿はまた、味わい深いものです。 ふと、横を見るとなかなかいい雰囲気の扉が。お店かしら、おうちなのかしら?なんて思ったけど。。。 ・・・上はやっぱり塔なのでした~(後で調べたところ、この塔はTorre degli Azzoguidiというもので、高さが61メートル。ボローニャのシンボル、アシネッリの塔についで2番目に高い塔なんだそうです)
August 15, 2009
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2009年夏のイタリア旅行はココ、ミラノ中央駅から始まりました。はじめからボローニャへ降りようと思っていたのですが、飛行機のチケットが単純往復よりも5万円高くなってしまうというので、ミラノ(リナーテ空港)での往復チケットを買って、中央駅まではシャトルバスを利用、中央駅からユーロスターでボローニャ駅へと向かうことにしました。 ボローニャへ向かう私が乗る電車は10:30ミラノ発、ナポリ行きのユーロスター。およそ1時間でボローニャへつく予定です。・・・しかし、ナポリ行きと書いてあると、いっそナポリへ行きたくなりますよね。。途中停車駅はボローニャ、フィレンツェ、ローマ。。。うう、旅心がくすぐられますね♪ なんて、旅心がくすぐられるヒマもないくらい、電車はあっという間にボローニャ到着~。駅舎はこんなにカワイイボローニャ駅ですが、一日の利用客数はミラノ中央駅に勝るとも劣らないとか。それにしても炎天下到着早々、刺すような日差しに照りつけられて早くも額にじんわりと汗が。。早速タクシーで、ホテルへ向かいましょう♪ タクシーに乗って5分くらいで、今回お世話になるホテルへ到着。昔のお屋敷を改装したホテルで、ボローニャの町の中心であるマッジョーレ広場からも徒歩数分です♪ホテルについてはまた後で詳しくご紹介しますが、まずは重たい荷物を置いて、町へ繰り出しましょう
August 14, 2009
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みなさま、こんばんは☆7月下旬からのイタリアバカンスからようやく帰ってまいりました~。時差ぼけはないものの、2週間とちょっと、たっぷりと息抜きをさせていただいて、気分はすっかり浦島太郎状態です(笑)・・・いろんなコトがあったのですね~~~地震や台風といった災害については現地のニュースでも報道されていたので知っていましたが、成田から帰ってくる電車の中吊り広告や新聞記事を見てびっくりすることもたくさんありました。。。が!そう、ココはイタリアマニアブログ帰国したからにはまた、バリバリとイタリアで見てきたことをアップしていきたいと思います♪今回の旅は、美食のふるさとエミリア・ロマーニャ州と、私にとってのココロのふるさと、ロンバルディア州がメイン。古代ロマンたっぷりのエミリア街道の出発点であるリミニから、イモラ、ボローニャ、モデナと街道沿いに北上してミラノを目指します。そして、東海岸の世界遺産であるラヴェンナで極彩色のモザイク装飾を鑑賞し、サンマリノ共和国で王様気分を味わい、ロンバルディアに入ってからはいつものように(?)ミラノでアペリティーヴォ、コモ湖でパーティと、楽しくすごしてきました♪今回もたくさん写真を撮ってきてしまい(笑)ドコから紹介しようかと、迷ってしまいますが、なるべく涼しげな景色を先に紹介しようと思うとやっぱりコモ湖の風景が一番かしら、と帰国後初の写真は、湖畔の小さな町、メナッジョの埠頭を選んでみました♪とりあえずは帰国のご報告ということで、明日からはまた、旅程を振り返りながら真夏のイタリアの旅をご紹介してまいります。旅行中、飛び飛びな更新にいつもお付き合いくださってありがとうございましたこれからもどうぞ、よろしくお願いします♪
August 14, 2009
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今日のランチはラヴィオリ~!!アーティチョーク入りのラヴィオリに、パルミジャーノをタップリかけて頂きます♪ソースは自家製ポモドーリよん☆ボゥナペティート!
August 12, 2009
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コモ湖の最北端の街、コーリコに来ています。小さな集落であるコーリコは、コモ湖周辺の中でも風が強いことで有名で、ご覧のようにパラセイリングやウィンドサーフィンが盛んです。湖のバカンスもイイですね♪
August 11, 2009
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バールで売ってる宝くじ。最高10000ユーロが当たるらしいです。運試しに1枚買ったけど、1ユーロも当たりませんでした(苦笑)今イタリアではジャックポットというロトくじがキャリーオーバーで、何と賞金総額123000000ユーロとなっていて、ニュースでも大騒ぎ。....こうなると当たるのもこわくなるんじゃないかしら。。。?
August 8, 2009
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美食の故郷、エミリア・ロマーニャで食べたもの。サラミや生ハム、チーズはもちろん、やっぱりパスタはまずボロニェーゼ ですよね♪高級リストランテではアリマセンが、マンマの味!っていう感じの小さな トラットリアでいただきました♪Che buoooono!
August 7, 2009
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再びリミニです。ビーチリゾートとして有名なリミニですが、イタリアはんとうの東の入り口として古代から政治や文化、交通の要所として栄えた街。そして、ここからローマへ向かうフラミニア街道と、ミラノへつづくエミリア街道が始まります。写真は、エミリア街道の出発点となるティベリウスの橋です。夕暮れの石橋に古代の街道筋の賑わいを思い浮かべて、しばし立ち尽くしてしまった私なのです。。。
August 4, 2009
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今日は日曜日! ブリアンツァ地方の聖地、マドンナ・デル・ボスコの教会でミサに与って来ました~。心が洗われる鐘の音と、雄大な景色をお届けします♪
August 2, 2009
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サンマリノ共和国です!小さいけれど立派な国。リミニからバスで50分。こんな山の上にコレだけの城塞を築いちゃうなんてむかしのひとってスゴイですね~。私なんて、この塔に上るだけで息切れしました(笑)ロマーニャ地方を一望できるこの砦。ちょっぴり王様気分デス♪
August 1, 2009
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