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いよいよ来月公開の映画「アマルフィ」。ほぼ全編にわたるイタリアロケによる作品ということで、私も楽しみにしています♪原作もちょうど読み始めたのですが、スピード感のある展開と、イタリアへ行ったことがない人でも、景色や雰囲気をイメージできそうなビジュアル的な文章で、楽しく読ませてもらっています。映画の舞台はクリスマスを控えたローマからナポリ、そしてアマルフィ。季節はまったく逆ですが、ちょうど夏休みを控えたこの季節に公開ということで、世界一美しいといわれる海岸線の魅力を、映画を通して満喫できたらイイナ、と期待しています☆ほかの映画を見に行ったときに、ちょうど予告編を見たのですが、サラ・ブライトマンの「Time to say goodbye」が流れる中、大きなスクリーンに映し出される紺碧の海と、入り組んだ海岸線に広がるアマルフィの町並みを見たらもう、それだけで感激しちゃいます。。 ・・・明日からいよいよ7月。映画の公開を待つ間、ここでアマルフィ海岸の景色をお送りして参りたいと思います♪
June 30, 2009
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日差しがまぶしい、ミラノビーチへやってきました~♪海のないミラノでビーチといえばココ、イドロスカーロです。夜に野外劇場とか、湖畔ライブなんかやっちゃったところです この湖はリナーテ空港のすぐ裏手にあります。向こう岸の木立の向こうはリナーテ空港、ミラノの空の玄関口です。飛行機も飛んでますネ。しばらくのどかな景色を眺めていると。。。。 水面に、ナゾの生物!?なんてね ちょっと強引だったかしら~(笑)正解はモチロン、水面を漂うカヌーなのでした
June 30, 2009
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先日発売になった、iPhone 3GS。実は私も予約をして手に入れたんですケータイを買い換えるのは、実に3年以上ぶり(笑)もともとケータイよりPC派ですから、メッセージのやり取りや通話ができればいい、くらいな価値観でしたので、新しい機種が出ても特に買おうと思わなかったんですけど、さすがに3年以上も使い続けていると、あちこちガタが出るようでして、最近では2日に1回くらいの割合で、使用中(特にメールを書いているとき)に突然、何の前触れもなく再起動してしまうことが多発いいかげん買い換えなきゃ、と思ってお店に行ったら、iPhoneの予約受付をしていたというワケです 店頭で1時間くらい、弄らせてもらって、使いやすさをチェックしたのですが、なんといってもPC派にうれしいのが「ローマ字変換」できるキーボード配列。もちろんいつものケータイの文字配列でも書けるし、世界中の言語で入力ができるようになっているというのも魅力。たとえばイタリア語を選択しておけばc-i、と打ったところで「ciao」と予測変換機能まで出てくれるので、スペルを間違えないか心配な単語も安心☆26日の発売開始日には手に入らなかったけど、昨日手元にやってきました♪ホントに楽しくて、いじっていると時間のたつのもあっという間デス(笑)しばらくはまた、寝不足がつづいちゃうかも。。。。
June 29, 2009
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ミラノで大活躍のトラム。地下鉄網が充実してきても、ちょっとした近場の移動なら断然、トラムの方が便利。小回りが利くし、時間内なら乗り降り自由♪ 万が一間違えてしまってもまた切符を買わなくていいからありがたいというものです(笑)それに、なんといっても風情がありますものネ。チェントロを走る、1番と2番のトラムはご覧のとおり、クラシックな車両が現役で運行中。 車内もホラ、いい雰囲気でしょ?木の床に、木のベンチですよ~♪・・・ただ、このベンチ、座るのにコツがいります車両が小さくて小回りが利くから、乗ってみると意外と揺れるので、つかまっていないとタイヘンなことになっちゃいます。それは、木のベンチなので、急ブレーキやカーブにさしかかると、ツツ~ッと滑ってしまうことびっしりと席が埋まっていれば大丈夫だけど、空いているときほど気をつけていないと、ベンチの端から端まで滑っていってしまいます(笑)・・・これで何度、恥ずかしい思いをしたことか。。。座れたからといって気を抜いてはいけない、ミラノのトラムなのでした~☆
June 29, 2009
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ミラノのチェントロといえば、こんな風に大きなお屋敷が軒を連ねる風景を思い出してしまいます。どちらかというとゴッツイ造りの建物が多くて、雰囲気に圧倒されそうな感じがするのですが、カステッロの近くで、ちょっとかわいらしい建物を見つけました♪ 色石を組み合わせたアーチがつらなる建物は、ミラノというよりはどこかヴェネツィア風。どっしりしたお屋敷ばっかり見た後だから、なんだかホッとしますネ☆
June 28, 2009
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ミラノ郊外をドライブしていたら、屋上に木が植えられているビルを発見ちょっとブレているのでわかりづらいかもしれませんが、右手の建物の段々になっている屋上部分、緑が茂っているのがわかりますでしょうか??東京でも、ビルの屋上緑化が進んでいますが、こうしてイタリア、ミラノで同じようなエコ活動を見ると嬉しいというか、世界規模で行われている活動を思って自分もなにかしなくちゃ、なんて思ってしまいますネ。 ミラノのチェントロでも、こんな風にエコプロジェクトを実行しています。ナヴィリオの近く、サン・テウストルジョ教会のそばにあるアパートでは、南に面した壁一面を蔓性の植物で覆って「緑のカーテン」を作っていました。・・・カーテン、というよりは緑の壁、って感じでしたけどネもうすぐ夏本番。すこしでも地球に優しくすごすことができたらいいですネ♪
June 28, 2009
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ミラノの郊外は、年々拡大する町のベッドタウンとして開発が著しいところです。ここは、ベルルスコーニさんの都市計画で作られた新しいミラノ。イメージ的には、東京の新宿と、さいたま新都心、みたいな感じかな(笑)さいたま新都心も、なんだか安直なネーミングだと思ってしまったものですが、この住宅街もその点では負けてません。その名は、「ミラノ・ドゥエ」。直訳すると、「ミラノ2」って感じです とっても閑静な住宅街であるミラノドゥエ。 立ち並ぶマンションもみんな高級っぽいし、こんなキレイな公園もあります。向こうに見える建物はホテルです。地下鉄に乗ればミラノのチェントロまで30分以内だし、周囲はのどかな田園風景。こんな感じで将来、ミラノ3とか、4もできるのかな?・・・映画のタイトルみたいですね(笑) 公園の池のほとりには、アヒルの雛たち。ヒナといってもだいぶ大きくなってますけど。3羽ならんでウトウトしている平和的な光景に心が和む思いで近づいたら。。。。 親鳥がすごい剣幕でやってきて、羽を広げて威嚇ハイハイ、ごめんなさ~い
June 27, 2009
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ミラノで滞在するマンションでは、今年もプール開きを迎えたそうデス☆マンションの住人専用のプライベートプールは、夏本番を前に、小麦色の肌を手に入れたいスィニョーラたちが午前中の早い時間からデッキチェアをもって降りてきます。ご近所さん同士、世間話をしながら泳いだり、日光浴したり。。。私も何度かお世話になりましたが、こんな小さいプールでも、深さは浅いところで160センチ、深いところでは2メートルあります身長168センチの私でも、一番浅いところで背伸びして立つような感じです。こんなプールなので、気軽に水遊び、というよりは結構真剣に泳いじゃいます(笑)今年は5月から真夏のような暑さが続いていたミラノ。プール開きはいくつになっても嬉しいイベントですネ♪
June 27, 2009
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さて、最後にもう一度、記念霊園の中央の霊廟へと戻ってきました。外から見ると、シンプルなシマシマ模様の建物ですが、中がこんなに豪華だったとは、ホントにびっくりです。 そして、この霊廟の中央にあるのが、文豪アレッサンドロ・マンゾーニのお墓。やはり、群を抜いて大きくて重厚なお墓です。そして、マンゾーニのお墓の脇に据えられているのが、建築家のルカ・ベルトラミの墓。この二人以外にも、ミラノの上流階級の人々の名前が、壁に刻まれていました。 地元ミラノの名士たち、という感じでしょうか、壁一面に飾られたプレートに、たくさんの名前が彫られていました。こうした壁の装飾や、鮮やかな天井画を見上げながら後ずさりしていたら、もう一人、とっても有名な方の像にぶつかっちゃった ・・・そう、偉大な作曲家、ヴェルディさんだったのでした~~~いつもの観光ルートとはちょっと違いますが、ミラノはショッピングだけ、なんて思っている方にはぜひ、ゆっくりと散策してもらいたい、記念霊園。次回、お時間のある方はぜひ、行ってみてはいかがでしょうか?
June 26, 2009
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お墓の彫刻で多かったのが天使その名のとおり、天の御使いですから、当然といえば当然ですが、天使に対してどんな風に思っているのかがそれぞれ窺えて興味深く思いました。 故人を偲んでいるかのような静かな表情の天使が一番多かったのですが、 遺族の思いを代弁するかのように悲しげな表情で空を仰ぐ天使も。。。。 この天使は、一番上のとそっくりな姿です。・・・まぁ、確かに嬉しそうに踊ってる天使じゃ、みんなに嫌われそうですけど。。なんて思いながら歩いていると、ものすごい働き者の天使たちに出会いました なんと、天使が二人がかりで、スィニョーラを天国へ持ち上げてました。。。天使のお仕事って、タイヘンなのね~~~
June 26, 2009
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ミラノの記念霊園はとても広くて、こうしてひとつずつのお墓のあるエリアと、 こんな風に、家族や先祖代々の霊廟のあるゾーンとに分かれていますこうした霊廟のあるゾーンはもう、お墓というよりはお家、お屋敷といった雰囲気の豪華なものがズラリと立ち並んでいました。 神殿のようなこちらの霊廟は、フランチェスコ・ヴィッラ家のもの。お墓、と一言でいうのは簡単ですが、こうしていろんなお墓や霊廟を見ると、なんだか考えさせられますネ。そして、こんな風にクラシックな霊廟ばかりかと思いきや、意外とモダンな霊廟もたくさんあります。 たとえばコチラ。ガラス張りの霊廟は、お天気がよければ、お日様の光が差し込んで明るい雰囲気に包まれそうです。・・・外側に張り付いているオンナのヒトがちょっとコワいけど。。。
June 25, 2009
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墓地を歩いていると、いろんなタイプのお墓があるのですが、時代によって流行みたいなものがあるのか、石のプレートだけのシンプルなものから、写実的な彫刻まで、いろんな種類があります。なかでも、19世紀ごろのお墓は、写真のような等身大のブロンズ像で飾ってあるものが多かったです。お墓を抱きしめるかのようにたたずむ貴婦人の姿に、思わず足を止めてしまいました。 この貴婦人のお墓なのか、それとも彼女の愛する人のお墓なのか。。。あまりにリアルな姿がちょっと痛々しい感じがします。 こちらはきっと、ご夫婦ですネ。 人生は舞台であり、生きるということはその舞台を演じきること、というイタリア人らしい、「見られる」ことを意識したお墓なのかもしれませんが、まるで芸術作品です。ただ、ここで肝試しはちょっと、コワイかも~~。
June 25, 2009
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ミラノの記念霊園は、とっても大きな霊園。敷地は幅がおよそ400メートル、奥行きがおよそ800メートルに及ぶもので、全部を回ろうとおもったら半日はたっぷりかかってしまいます。お墓の見学に半日??なんて思ってしまいますが、記念霊園というだけあって、有名人のお墓もあれば、貴族たちの豪華なお墓もあって、意外と見ごたえがあるんです。たとえば、入り口に立っているあのシマシマの建物も、マンゾーニやベルトラミ氏が眠る中央の建物の両側は。。。 こんな風に回廊になっていて、彫像やモニュメントで飾られたお墓がずらりと並んでいます。 お墓というよりは美術館のような雰囲気ですよね☆なんとなくイライラするときや、都会の喧騒に疲れたときには、こういうところで静かに思いをめぐらすというのもいいのかも。 人に見られるのが大好きなイタリア人ですから、お墓にはいってもきっと、誰かに見てもらったら嬉しいんじゃないかしら??そんな、ドラマティックなお墓たちを、次回紹介していきたいと思います♪
June 24, 2009
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さて、有名なベルトラミさんのお墓を見たので、彼のお仕事をしのんでみたいと思います。もっとも有名なのはココ、ミラノのシンボルであるカステッロ・スフォルツェスコの修復。イタリア北部のミラノは昔からヨーロッパ諸国からたびたび侵略されてきましたが、それによりこのカステッロも強固になっていったといわれています。現在ここで、いろんなイベントなどが行われるのも、ベルトラミさんのおかげなのかな。。 意外と知られていないのは、現在ミラノの市庁舎として使われている、パラッツォ・マリーノ。この建物も、ベルトラミさんのお仕事☆いつもは入れない、マリーノ宮の内部の様子は、ココで見ることができますヨ⇒マリーノ宮へ潜入! そして、マリーノ宮のすぐそばにあるマンゾーニ通り、このとおりに面したお屋敷のいくつかも、ベルトラミさんのお仕事なんだってなにげなく通り過ぎていた町並みも、ちょっとした情報で面白みが倍増しちゃうんですよね今度はこういうお屋敷めぐりをしてみたいな♪
June 24, 2009
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ミラノの記念霊園。イタリアを代表する偉人たちが眠る墓地として有名なところです。作家マンゾーニのお墓は以前にも紹介しましたが、今日は偉大な建築家、ルカ・ベルトラミ氏のお墓をご紹介。 記念霊園の正面の建物は、一歩中へ入ると、宇宙を思わせる神秘的なブルーの世界。高い天井と、目の覚めるような鮮やかなブルーと金の装飾に思わずため息がでちゃうほど。ここはもう、お墓というよりはお屋敷デス。 この、中央の建物に眠るのは、文豪マンゾーニとこの人、ルカ・ベルトラーミ。18世紀に活躍した建築家で、あのスフォルツァ城の修復に携わったということで有名です 偉大な建築家、ルカ・ベルトラーミさん。思っていたよりもずっと、繊細で紳士な雰囲気の方でした。。。
June 23, 2009
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ミラノのチェントロでは毎晩なにかしらのイベントがありますが、今日は少し郊外へ行ってみます。郊外といっても、チェントロからはクルマで15分ほど。リナーテ空港の近くにある人造湖、イドラスカーロの湖畔の公園です。昼間は日光浴やバーベキューをするミラネーゼたちでいっぱいですが、夜になるとまた、しっとりとしたオトナな雰囲気。バカンスシーズンになると、湖畔にはプールやディスコテカがオープンしますが、今日ご紹介するのは、公園で行われた夏らしいイベント。 薄暗い木立のむこうに、椅子がたくさん並べられていて、ステージらしきモノも見えます。・・・そう、この公園では納涼イベントとして、野外劇場が開設されていたんです♪劇はもう始まってしまったみたい。急がなきゃ! この日の演目は、シェイクスピアの「夏の夜の夢」。人間界と妖精界の恋の駆け引きが織り成すラブコメです。この演目は古くから劇や映画で親しまれているものですが、原題の「A Midsummer Night's Dream」は真夏ではなく、一年で一番太陽が高くなる6月下旬、ちょうど今頃をさします。 舞台の周りの木立を、物語の進行する森の中に見立てて、舞台はできるだけシンプルにしつらえてあります。ハードロック風の音楽が流れる舞台の上の登場人物の衣装は現代的で、木や岩といった小道具はなんとドラム缶。恋のドタバタ劇を盛り上げる妖精パックは、舞台だけではなく、客席を縦横無尽に走り回って観客を盛り上げます。惚れ薬でとんでもない相手を追いかけることになってしまった人間と妖精たちのやりとりは、イタリア語で聞くとまた新鮮な楽しさ。イタリアで映画を見たりするときも思うんだけど、イタリア人って、こういう世界に移入するのがとっても得意 面白い場面では思いっきり大声で笑うし、キケンが迫っていると「ソコ!後ろだ!!」なんて舞台に向かって叫んじゃったり(笑)私もすっかりこの雰囲気を楽しんじゃったのでした♪夏至の前後のこの季節は昔から、1年のうちでもっとも、妖精や精霊たちが活動する季節といわれているそうです舞台を見に行った私たちも、そんな妖精たちにすっかり引き込まれてしまったのデス。。。。。
June 23, 2009
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たそがれの、ピアッツァ・ドゥオモ。お日様が沈んだ後、街灯がともるまでのわずかな時間は、にぎやかな広場もなんとなく静か。人工的な明かりではなくて、残照に浮かび上がる大聖堂やミラノの町並みのシルエットはどこか荘厳な感じさえします夕日に照らされるドゥオモのファザードが、ばら色から金色へ変わる様子と、こうして薄闇に沈んでゆく町並みを眺める時間帯は、結構お気に入りデス。 もちろん、数分もすると広場はライトアップされ、ガッレリアも宝石箱のような輝きにつつまれます。数分間の静寂に包まれていた広場から、キラキラと光るガッレリアへ。ミラノの夜の始まりです。。。。☆ 昼間は圧倒的な人数で埋め尽くされるガッレリアも、夜になるとぐんと大人びた表情に。カフェやレストランからは微かな音楽と、食器の音が響き始め、モザイクの床にはヒールの音が響きます。今日は、どんなイベントが、どんなドラマが待っているのかしら。。。??夜のミラノへ繰り出しましょう♪
June 22, 2009
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ポルタ・ヴェネツィアからほんの少し北側に、昔のミラノの面影を濃く残す、ポルタ・ヌォーヴァがあります。城壁に作られた門よりも約1キロほど、内側に入ったところにあるこの門は、中世に都市の拡張が行われて作られた城壁よりもずっと昔、ローマ時代ごろにまでさかのぼるもの。前回のポルタ・ヴェネツィア(ポルタ・オリエンターレ)も、実は最初はもっとチェントロに近いトコロ、今のサン・バビラ広場の近くにあったものが、都市の拡大にともなって新しく出来た城壁に移動したものです。このポルタ・ヌォーヴァは、そんな古代のミラノの入り口。名前こそポルタ・ヌォ-ヴァ(新門)なんていいますが、この門に限っては、「アンティーカ・ポルタ・ヌォーヴァ」なんて呼んだりします そこで再び、中世ミラノの地図登場~。昨日ポルタ・オリエンターレの場所をズームしてアップしたものですが、もう少しエリアを拡大しています。さて、どこがポルタ・ヌォーヴァか、お分かりになりますでしょうか??? ・・・と、いうことでちょこっと解説。(かえって見づらいかも。。。ゴホゴホ)昨日書いたとおり、現在のヴェネツィア門、昔のポルタ・オリエンターレは右下、ブルーの囲みのあるところ(8)そこから上のほうに、黄色の丸で囲んだところがありますが、あそこがポルタ・ヌォーヴァ。そして、外側のポルタヌォーヴァから左にまっすぐ行った所にもう一箇所、黄色の囲み(9)があります、アレが一番上の写真、アンティーカ・ポルタ・ヌォーヴァです。ちなみに、画面左手、ピンク色の囲み(7)がドゥオモ。ドゥオモからポルタ・オリエンターレ(8)までつづく道の中間地点(6)がサン・バビラ広場です。それぞれのポイントをつなぐ道ですが、今のミラノの地図でいうと、1:ヴェネツィア大通り2:ヴィットリオ・エマヌエーレ2世大通り3:マンゾーニ通り4:スピーガ通り5:モンテナポレオーネ通りとなります・・・面白いでしょ??近代的に見えるミラノのまちも、こうしてみると、チェントロの町並みは、中世16世紀のころから、あんまり変わっていないんだな、って思います。 地図でみる町並みは変わっていないけど、建物を使う人たちはこの通り。昔の貴族のお屋敷も、いまでは立派なブランドショップになっていましたとさ
June 22, 2009
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さて、サンタンブロージョから、地下鉄に乗ってポルタ・ヴェネツィアへやってきました。双子のお家が並んでいるように見えるトコロが、ポルタ・ヴェネツィア、ヴェネツィア門です。中世の時代から、ミラノの東の玄関として使われてきた門ですが、ここから東へ伸びる道をたどってゆくと、ベルガモからブレーシャ、ヴェローナを経て、はるかヴェネツィアへと続きます。それでヴェネツィア門、という名前がついているのですが、その昔はポルタ・オリエンターレ、「東大門」と呼ばれていたトコロです。 現在では、忙しく行き交う人々やクルマを優しく見守る女神様がいるこの優美な門も、 昔はこんな感じ。ブルーの囲みのあるところが昔の東大門、ポルタ・オリエンターレです。この地図は、スフォルツァ城に展示されていた、16世紀半ばのミラノの地図の部分ですが、門の両側には分厚い城壁があり、その外側には大きな堀がめぐらされているのがわかりますそして、こんな1部分の拡大でも、門と城壁の内側と、外側では明らかに世界が違うということがわかりますネ。門の内側は建物が密集した都会、そして門の外は畑が広がる郊外の様子と、くっきりと分けられています。マンゾーニの小説「いいなづけ」の中でも、主人公のレンツォが初めてミラノへ足を踏み入れたのがここ、ポルタ・オリエンターレからでした。小説の中では、『田舎からミラーノの都に着いた時はなかなか面倒な尋問や取調べを受けたものだ、それはなかなか手荒なものだった、・・・・』と書かれています。なんとなく、「箱根の関所」みたいなトコロをイメージしてしまいますよね。 門の脇には税関吏が駐在する小屋などもあって、ミラーノに入る人や出てゆく人に対して取調べや徴税が行われていたようですが、現在では手前の建物は、なぜか「パン博物館」になっています・・・どうしてパンの博物館なのかはナゾ。たしか2006年にオープンしたばかりの新しいミュージアムです。たまたまオープニングセレモニーに行ったことがあって、お土産にパンをもらって帰ってきたという記憶があります。。。でも、今あらためて「いいなづけ」を読み返してみると、この門をくぐってミラノにはいったレンツォが、チェントロで「パン騒動」に巻き込まれてお尋ね者になる、そのハナシとなにか縁があるのかしらん?なんて思ってしまうんですよね~~~
June 21, 2009
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サンタンブロージョ教会は、3身廊。正面の中央祭壇の両側には、小さな礼拝堂がいくつか並んでいます。 それぞれ、イエス様、マリア様をはじめ、聖人たちへささげられた礼拝堂ですので、それぞれ絵や彫刻などで飾られています。こちらは、真っ白な大理石で作られた祈る姿。てっきりマリア様かと思いきや、聖マルチェッリーナの礼拝堂ということでした。 よ~く見ると、マルチェッリーナの像のしたには、やっぱりガラスの棺~!生と死が身近に感じられるようになのか、または死というものが「永遠の命」への出発だと考えるからなのか、聖人様たちのご遺体がこうして展示(?)されてるところ、結構多いですよね。。。 さて、礼拝堂をじっくりと見学して、いざサンタンブロージョに会いに行こうとした、ちょうどそのとき。礼拝堂の中の電気がいっせいに消され、ただでさえ薄暗い教会の内部がさらに暗くなりました!「いったい何事?」って思ったら、奥のほうから係りのヒトでしょうか、出てきて「キウ~~ゾ!」と叫びだしましたキウーゾ(Chiuso)、つまり教会を閉じますよ!というアナウンスです。時刻は午前11時25分。ガイドブック(地球の歩き方)には、午前中の見学は12時まで、と書いてあったのに!?もしかして、見学者が少ないから、勝手に繰り上げちゃったんじゃないの?なんて勘繰ってしまったのですが、真相はいかに。。。普通は12時まで見学可能なら、11時半で入り口を閉める、というのはわかるんですけどね、コチラでは時間がきたらどれだけ並んでいようが、お願いしようがお構いなしに閉まってしまう。。。電車の切符売り場とか、銀行の窓口なんかはホント、シビアです(涙)・・・・変なところで時間にキビシイんだから!!
June 21, 2009
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ロンバルディア・ロマネスク様式の傑作といわれる、ミラノでもっとも古い教会のヒトツ、サンタンブロージョ教会。歴史を感じるレンガ造りのファザードと、回廊にかこまれた入り口は、ミラノの喧騒から離れた別世界への境界線を思わせる静けさ。 現存する建物は9世紀ごろに再建されたものだそうですが、もともとは西暦386年に建てられた教会。回廊には、最初の建物に使われていたというレリーフなどが残されています。西暦386年。。。。日本の歴史だと、ナニ時代でしたっけ。。。?? この教会で必見なのは、奥の祭壇と礼拝堂。とんがり屋根みたいな祭壇天蓋の下にあるのが、豪華な黄金の祭壇 中世の金銀細工の粋を集めたといわれる黄金の祭壇は、宝石や七宝がちりばめられたまばゆい浮き彫り彫刻で埋め尽くされています。祭壇以外はひっそりと質素な感じのする教会ですが、この裏手にある礼拝堂の天井にはやはり金ぴかのモザイクでサンタンブロージョの肖像が描かれています。そして、その礼拝堂の地下に、今もなお、聖アンブロージョ本人が、二人の初期キリスト教時代の殉教者とともにガラスの棺の中で眠っています。薄暗い教会の中で、黄金祭壇の輝きがなんともいえない荘厳な世界を作っているのでした。。。
June 20, 2009
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ミラノの守護聖人、聖アンブロージョを祀った、サンタンブロージョ教会。守護聖人様を祀っているんだから、ミラノにきたら、出来れば行っておきたいトコロ。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会や、健脚ならスフォルツァ城からも歩いていけるところですが、地下鉄2号線のサンタンブロージョ駅はわかりやすくて便利。 地下鉄駅から地上に出るとすぐに、ローマ時代の遺構を土台にした、サンタンブロージョの門が見えるので、間違えようがありません♪ 門をくぐったところには、最近注目のBikemi、という貸し自転車のステーションもありましたお天気がよければ、自転車でぐるぐる、効率よくミラノを走り回るのもいいかもしれませんネBikemiについては、こちらの記事で詳しく書いてます♪⇒ ミラノの新しい『足』、 BikeMi☆
June 20, 2009
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最後の晩餐で有名な、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会から歩いて5分ほどのところに、国立科学技術博物館があります。博物館といっても、外観はどうみても教会実際には正面に見える建物はサン・ヴィットーレ教会で、左手前の入り口を入ると、中世に立てられた修道院を改築したという博物館に入ることが出来ます。 さっそく入り口を入ってみると、すぐに中世の雰囲気そのままの、開放的な中庭。回廊にはバールもあって、ゆっくりと休息することが出来ます。博物館とは別なので、入場券がなくても、バールで一休みだけ、という利用もOK。 ちなみにこの博物館、正式には「ムーゼオ ナツィオナーレ デッラ シエンツァ エ デッラ テクノロジーア・レオナルド・ダ・ヴィンチ」といって、科学技術におけるダ・ヴィンチの頭脳と功績を見ることが出来ます。ダ・ヴィンチが描いたデッサンをもとに再現されたアイデアの数々を実際に立体的に見ることが出来る、非常に興味深いトコロ。科学技術とはちょっと離れた世界のような、もと修道院に、自分のアイデアが展示されてるなんて、ダ・ヴィンチさんもちょっとびっくりしてるかも
June 19, 2009
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最後の晩餐で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ダ・ヴィンチの絵だけじゃなくて、教会自体もとってもステキ☆ミラノにおけるルネッサンス期最大の建築物なんだそうですが、大きさというよりもむしろ、その繊細な美しさに見とれてしまいます。外観はロンバルディアゴシック様式というそうですが、レンガ積みの壁の装飾は、なんだかお菓子の家みたいなんです特に、後陣の特大ケーキみたいな部分はブラマンテ作といわれ、当時のミラノ公国王、ルドヴィーコ・イル・モーロの命によって完成したそうです。ルドヴィーコ・イル・モーロは、ダ・ヴィンチをミラノに招いたヒトなんですヨ 教会も美しいけど、通りをはさんだところに建っているこのお屋敷もステキ☆同じような時代に作られたのか、それとも教会に調和するように立てられたのかはわかりませんが、レンガ積みの壁と、その壁につけられた円を3つ合わせたような窓がまた、いい感じですよね♪ もちろん、お屋敷の名前はガイドブックには載っていませんので、ミラノの地図で調べてみたら、「パラッツォ・デッレ・ステッリーネ(Palazzo delle Stelline)」という名前のお屋敷でした☆ステッリーネ、とは「星☆」を意味するイタリア語のステッラの変形。~リーナ、というのは女性名詞をカワイクいいたいときに便利な言い回し。小さな女の子に対してピッコラ(小さい)に~リーナをつけてピッコリーナ、なんて呼んだり、お嬢さんに対する呼びかけのスィニョリーナ、というのも女性(=スィニョーラ)をかわいくしたカタチ。このお屋敷の場合、あえてステッリーナ、と単数形じゃなく複数形のステッリーネなんてつけちゃうトコロがまた、ニクイです。辞書で調べたら、ステッリーナという言葉自体が、映画やTVスターをあらわす言葉、なんて書いてあったのも、ちょっと面白いですネ☆もしかしたら、外壁のあの3つの円が並んだ窓も、ステッラをあらわしているのかもしれませんね♪なんだか、カワイイ。。。。☆
June 19, 2009
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ミラノ名所のヒトツ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。なんといってもダ・ヴィンチの名作「最後の晩餐」があることで有名な教会です。教会へは、時間内なら無料で何度でも入れますが、最後の晩餐は完全予約制。そして、その予約がとれない、ということでもまた、有名な教会です。最初から、ツアーなどでコースに入っていればもちろん、見ることが出来るのでしょうが、なにせいつも個人手配。毎回「次回は早めに予約して」なんて思うのですが、いつもいつも、飛行機のチケットさえ、出発の数日前にようやく購入したりする始末。・・・旅行の準備って楽しいですけど、実際にどういうコースで動くか決めるまでになぜかいつも時間がかかる私ですから、予約が取れなくて当然といえば当然です、ハイ いつか、この目で見ることができたらいいなぁ。。。。
June 18, 2009
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冬の間、まるで冬眠していたかのようなミラノも、春に目覚めると、毎日がイベントという、華やかな顔を見せ始めます。春はミラノコレクションを皮切りに、ファッションやインテリアなど、重要な展示会が目白押しでしたが、夏が近づいてくるともう、バカンス気分でウキウキしちゃうようなイベントが多くなってきます。町のあちこちでイベントやアペリティーヴォがあるので、友達からのお誘いも増える季節。 中にはこうして、ホットなダンサーを呼んじゃったりするイベントも。電子機器のプロモーションイベントかなんかだったんですけど、なぜかベリーダンスが始まりました(笑)魅惑的なボディーを激しく揺らしながら踊るベリーダンサーですが、やっぱりプロだな、すごいな、って思ったのは。。。 腹筋、割れてました。。。。
June 18, 2009
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さて、セレブなブティックをのぞいた後は、再びドゥオモ広場へと向かいます。このあたりは車やトラムが忙しく行き交う大通りもあれば、こんな風に車の通らない静かな通りもあります。両側を古いお屋敷に囲まれたこの通りは、近代的なミラノの中にあって、中世の雰囲気を感じるトコロ。 通りの名前は、VIA PALAZZO REALE、王宮通りという道ですなるほど、リッパなお屋敷だと思ったら、王宮だったのですね~すると、右上のほうに見えているとんがり屋根は。。。 王宮のシンボル、サン・ゴッタルドの鐘楼でした♪ドゥオモ広場や、大聖堂の屋上からは、上のほうだけがよく見えるのですが、こうして真下から見上げると、なかなかの迫力です☆今までは景色の一部、大聖堂の背景くらいにしか印象に残っていなかった鐘楼ですが、こうしてみると、また違ったミラノの顔のようにも思えますネ。 鐘楼を見上げてから、Via Palazzo Realeを歩いてゆくとすぐに、見慣れた大聖堂の彫刻が。ミラノの振り出しはいつもココ。次はどこへ行きましょうか。。。
June 17, 2009
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サン・アレッサンドロ教会のすぐ近くに、おしゃれなブティックがありました。通りかかったスィニョーラも、ウィンドウに釘付けですこのあたりは、昔からのミラノ貴族の邸宅が立ち並ぶお屋敷街そんなひっそりとしたお屋敷街に店を構えるこのブティックはきっと、そんな貴族のマダム御用達。 上質なシルクにこだわって、ドレスから小物類まで、すべて手作りというこのブティックは、ほんの数メートル先がにぎやかなトリノ通りだというのに、あえてこんな裏通りにお店をだしています。でも、飾られているお洋服を見ると、やっぱりどこか違いますネ。なんていうか、「社交界」用のドレス、という感じ。。。。??こういうブティックを見ると、やっぱり生活そのもののレヴェルというか、世界が違う人たちの存在というのもまざまざと感じますネ。 各ウィンドウごとにテーマカラーが決まっていて、こちらはグリーンでまとめています。ドレスにボレロのようにまとっているのはエキゾチックな織物。。なんだかお着物の帯みたいです。ちょうどウィンドウの中では店員さんがこのドレスの着付け(?)をしていました。 グリーンのドレスに、赤を基調としたはおりもの。着付けが終わって、ドレスが正面を向くと、なんともいえないあでやかさ☆隣のお洋服も、素敵です☆どんなマダムが買いにくるのかな~ ミラノの裏通りは、思っていたよりもずっと見ごたえのあるトコロなのかもしれませんよ~♪
June 17, 2009
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ミラノのドゥオモ広場から、南へと伸びる道がトリノ通り。両側にはいろんなお店が立ち並んでいて、活気のある通りです。・・・いつも通るこの道から、広告スペースになっている壁の向こうに見えるクーポラ、あれが結構気になっていました 大きなクーポラと、かわいらしい鐘楼。トリノ通り沿いの教会は、小さくてもガイドブックに名前が載っているのだけど、ココの教会は名前がかいてアリマセンでしたので、自分でミラノ市の地図を広げて調べたら、S.Alessandroと書いてありました。サン・アレッサンドロ教会、という名前なのかしら?前から気になっていた教会、ふと思い立って裏道へと入ってみることにしました。 細い路地を入ってゆくとすぐに、教会の正面に出ました~♪思っていたよりも大きくて、リッパな教会ですね。このあたりの教会にしては珍しい円柱や、左右対称の鐘楼など、なんとなくローマっぽい感じがします。。。。 せっかく目の前まで来たというのに、残念ながら非公開~。・・・というか、お昼休みだったのかも。ココで改めて地図をみると、実はこのあたりも、ミラノのお屋敷街。パラッツォ・トリブルツィオ、パラッツォ・ブリヴィオなど、貴族のお名前のついた建物が軒を連ねていましたにぎやかなトリノ通りから、ホントに数メートル、裏に入っただけなのに、閑静なお屋敷街になってしまうこのあたり。ちょっと、背筋を伸ばして歩きたくなってしまいます。。。☆
June 16, 2009
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さて、久しぶりにミラノへ帰ってきましたヨ♪もうすぐ夏本番、みなさま、バカンスの予定は決まりましたか??夏の旅行といえば、「海派」と「山派」に分かれると思いますが、私はどちらかというと「海」。そして毎年、水着を選ぶのも楽しみのヒトツ。最近はもっぱら、現地イタリアで調達しています。なんといってもサイズやデザインが豊富なことと、ビキニやセパレートタイプであれば、上下別に買うことができるのが魅力。サイズの問題だけじゃなくて、カラーやデザインの違うものを自分なりにコーディネートできるという楽しさがあります。それに、お値段もお手ごろ。写真の水着はどれも、20ユーロ前後です。その代わり、生地がちょっと頼りなくてカップも無いタイプが多いので、大抵は1シーズンで使い終わってしまうんですけど。今年はどんな色を買おうかな、なんて見て回るだけでも楽しいんですよ~♪
June 16, 2009
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ソレントから、カプリ島を臨んで。今日もいい天気 こんな絶景を眺めながらお茶を飲んだりするのって、ちょっと嬉しいですよね♪ というわけで立ち寄ったバール。冷たい飲み物を頼もうと、カウンターを覗き込んだけど、誰もいません。・・・今日、サッカーの試合あったっけ?? 誰か出てくるのを待ちながら、ショーケースの中のスイーツを物色。スフォッリァテッラが食べたいな~って思ってたんだけど、パフェ用のグラスに入ったフルーツが気になっちゃった。以前ボローニャかな、レストランでデザートに「フレッシュイチゴ」を頼んだら、あんな風に出てきたことがありました。。もちろん、ヘタは取ってあったけど(笑)それで、テーブルの上に持ってきてから、「パンナ(生クリーム)は?」って聞くの。「お願いします」って言うと別のお皿に山盛りの生クリームを盛ってきてくれて、「コレがイタリア風のパフェなんだ」って感動(?)したのを思い出しました(笑)コレに比べたら、日本のパフェはアイスクリームやらシリアルやらでとっても豪華に見えますよね。・・・でも、フルーツの量でいったら断然コッチのほうが豪華☆ 日本の喫茶店でもこんな太っ腹なパフェ、出してくれないかな~
June 15, 2009
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路地を歩いていたら、いかにも南国らしい装飾の教会がありました。「犬も歩けば棒にあたる」なんていうコトバがありますが、カトリックの国イタリアでは、それこそたくさんの教会があります。おなじキリスト教でも、カトリックは特に、「マリア様大好き」な宗派。主であるイエス・キリストの御母であり、すべての人々の母であるマリア様ですから、「マンマ至上主義」のイタリア人がマリア様をキライであるはずがありません。特に、南へ行けは行くほど、マリア様信仰は篤くなるようでして、同時に教会のご絵や像なども、豪華さを増してゆく傾向にあるような気がします。 幼子イエスを抱くマリア様の像ですが、イエス様もマリア様も、大きな冠をかぶっています。ちょっとでも首を傾げたらガクッて落ちちゃいそうな大きな冠や豪華な衣装はどこかエキゾチックな雰囲気をかもし出していますね。 なんだかいかにも南国風~♪雲ひとつない青空や紺碧の海にマリア様の青いマントを思い、そこに包まれる幸せと安らぎを求めて祈る人々。。イタリア人はマザコンだといいますが、もしかしたらその根底にはこうして先祖代々続いてきたマリア崇拝という信仰心があるからではないかしら。。。??美しく、気高く、強く。・・・すべての天使を従える「天の女王」であるマリア様は、永遠の「理想の女性」ですものネ
June 15, 2009
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夏のシーズン真っ盛りのソレントです♪目抜き通りにはイルミネーションが飾られ、各国の旗なんかが翻っちゃったりして、南国リゾートそのものといった感じです☆空も真っ青、町の色彩も鮮やかに感じるこの季節、日差しも強烈です 断崖の上にある町だから、海へ行く道は切り立った崖に挟まれた谷底のようなところを通って行きます。光と影のコントラストがくっきりと際立つ夏の午後、地元の人も、観光客も、ビーチで寝そべる以外の人は、なるべく日陰を求めて歩きます。 なるべく細い路地に、両側の建物をびっしりと並べて作る町並みも、じつはこんな真夏の日差しをさえぎる工夫なのかもしれませんね。私たちは部屋を借りたり、家を買うときには、「日当たりのよさ」を気にしますよね。なるべく日当たりのよい、南や東向きの家がいいかな、なんて思いますが、日差しが強いイタリアでは、真南に窓のある部屋というのは意外とモテないみたいデス以前にも書きましたが、イタリア式の涼のとり方は、直接温度に触れないこと、というのが大前提。湿度がないから、少しでも日当たりを避けて、熱そのものをシャットアウトするというのが理想。当然、町歩きでも、日陰が大人気というワケなんです☆・・・間違っても、紫外線がコワイから、という理由ではアリマセン
June 14, 2009
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再びヴェスヴィオ火山。この角度は、ポンペイの遺跡と、ナポリの間にある、エルコラーノの町の近くで撮ったもの。見る角度によって、いろんな表情を見せてくれますね。この角度はまるで、富士山みたいですそして、ヴェスヴィオが火山であることを実感するような山肌。土の色がなんともいえませんね~。 もう少し、南から見ると、こんな感じ。ちょっと崩れたMの字みたいな形が、ベスヴィオの象徴ですよね。 そして、さらに南から。海があって、ナポリの町があって、そしてベスヴィオの雄姿がある。ナポリ市内から仰ぎ見る山もいいけど、こうして少し離れたところから、ナポリの町並みまで景色にしてしまうのもまた、いい雰囲気がありますネ。 そして、ベスヴィオに背を向けて、南の景色を眺めると、そう、唄に歌われた、ソレントの町。・・・空も、海も、青いですネ☆
June 14, 2009
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ナポリの王様。王宮の外側の壁に、こうして歴代の王様の像が並んでいるワケなんですけど、ホントにみんな、こんなにリッパな体格してたのかな~。。スペイン王家だったり、フランスの王家だったりとたびたび支配者が入れ替わったナポリですが、そんな王たちを受け入れてなお、独自の文化を守り通したナポリの人々って、すごいですね そんな、フトコロの大きいナポリの王宮は、建物自体も大きかった。。。!!以前にも紹介した王宮内部ですが、今回はヴィーナさんのためにトクベツに(!)再編集~。王宮の中に入るのに、いきなりこの大階段を上っていかなくてはいけなくて、ビンボー性の私などはこの階段だけでもう、「恐れ入りました」って脱帽~(笑) お部屋の中だって、豪華絢爛~スペイン王だか、ブルボン王朝だか知らないけど、王様ってお金持ちですネ。 落っこちてきたらどうするの!? なんて余計な心配をしてしまいそうな、巨大シャンデリア☆真下に立っているマダムを見ている私がコワクなってしまいます。。。。
June 13, 2009
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夕暮れのポンペイから、再びナポリへと帰ってきました。夕方のラッシュの時間帯、道路はもちろん渋滞しています。にぎやかな道路の上に建っている、豪華な赤い建物は、ナポリの王宮。17世紀にスペイン王を迎えるために作られたそうですが、非常に規模の大きな宮殿です。現在は博物館として、豪華な内部を見ることができるのですが、王様のお部屋や舞踏会ができる大きなホールはもちろん、王様専用の劇場まで完備。 博物館へは、王宮の回廊を通って、中庭から入ります。赤い壁がとっても印象的な王宮ですが、ナポリの建物にはこうした赤い壁が多く見られるような気がします。 王宮の外側にも、赤い壁を背景に、歴代の王様たちの彫像がずらりとならんでいます。・・・・一番、赤が似合うのは誰かしら。。。。??? ・・・それは、やっぱり現役ナポレターノかもしれませんネ
June 13, 2009
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ポンペイに、夕暮れが近づいてきました。セピア色の古代の町が、夕日に照らされてばら色に染まっています。こうしてみると、まだまだ発掘途中であることが良くわかるようになっています。私たちがまだ知らないポンペイの歴史が、ここからまた発見されるのかもしれませんね~。 最近では、夏の観光シーズンに、夜間の見学というのも行っているらしいです、ポンペイ。確かに、夏の炎天下で遺跡を歩くのって結構大変。ヨケイなものが見えない夜間のほうが、よりロマンを感じることができるかも。夕焼け色に染まったポンペイの廃墟を振り返って、しばしたたずんでしまったのであります。。。☆
June 12, 2009
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月日の経つのは早いものですネ。今日は私の誕生日☆ またヒトツ、歳を重ねまして、いよいよ花の(?)40歳こうして、文章だけのお付き合いをしていると、年齢不詳でアタリマエですし、あえて年齢を言わなくてもね、と思うのですが、年齢だけは、生きていくうえで誰もが重ねてゆくものですから、「何歳になったから」、という重圧は感じないようにしています(笑)むしろ、一つ一つ歳を重ねることに前向きな気持ちで向き合えるようになってきたかな、というのが正直なキモチ。去年の誕生日の日記にも同じようなことを書いていますが、年齢に対してプレッシャーを感じないようになったのも、やっぱり大好きなイタリアのおかげ。33歳の誕生日を迎えて、なんだか焦っていたころ、イタリア人の彼から届いたメールは、「女性が最も輝く年代へようこそ」というものでしたそのときは「やっぱりイタリア人、口がうまいのよね」なんて思ったものですが、実際に30代を駆け抜けてみると、なるほど、そのとおりかもしれないと思います。イタリア語の数字は、10をディエチ、20がヴェンティ、30はトレンタ、と言います。20から上の数字には、ヴェンティ、あるいはトレンタに1(ウーノ)、2(ドゥエ)、と数字を重ねて言えばいいのですが、10の位だけは、11(ウンディチ)、15(クィンディチ)、17(ディチャセッテ)、19(ディチャンノーヴェ)というように、数字によって読み方も変わります。「へぇ、そんなもんなんだ」って覚えたものですが、この数字を年齢にたとえて見ると、変わりやすい10代の成長振りを想像できて面白いですし、21(ヴェントゥーノ)から29(ヴェンティノーヴェ)はヴェンティ(20)の時代、31(トレントゥーノ)から39(トレンタノーヴェ)までをトレンタ(30)の時代というように、その後も10年ごとに年代が区切られているようで、「10年ひと昔」なんていう言葉を思い出したりしちゃいます。そして、40代。実は数字の読み方も、40以上になると、ある一定の音節が使われるようになります。40(クァランタ)50(チンクァンタ)60(セッサンタ)70(セッタンタ)80(オッタンタ)90(ノヴァンタ)・・・そう、それぞれの読み仮名の、最後の2文字と、その前の母音がみんな同じ、「~anta(ァンタ)」となるんです10代から30代までは、年ごとに、あるいは10年ごとに読み方が変わる数字が、40を超えるとみんな、「アンタ」になるんです。実はこの法則(?)も、イタリアの友人から教わったもの。同年代か、どちらかというと年上の友人が多いせいか、こういう話題が結構多かったりするんですが、「いよいよアナタも『アンタ』になるのね~」なんていわれちゃったり(笑)なのでね、40歳を迎えるにあたって、「ワタシもいよいよ『アンタ』になるのよ~」って言えるのが実はちょっぴり楽しみでもあったというワケなんです40歳は、「不惑」の年なんていいますが、イタリア語に直すと確かに、数字の読みかただけは安定しますよね(笑)今日は会社の帰りに寄った本屋さんで、何気なく塩野七生さんの「サイレント・マイノリティ」という本を手にとってパラパラと流し読みをしていたら、「四十にして惑わず」という章が目に飛び込んできました。「男ならば、四十にして惑わず、生涯の事業に専心すべきである、もけっこうだけれど、身だしなみにも心すべきではないか、とわれわれ女たちは、心中ひそかに思っている。・・・」と始まるこの章は、男性に向けたメッセージなのかと思いきや、私たち女性にも大いに参考になるエッセイ。「四十を越える年頃になってはじめて、似合ってくるものが多い」「装いとは、自分が化したいと思う個性に合ったものであるべきだ」「アイデンティティー探しに無用な努力をするよりも、いろいろちがう自分を演じてみて、その選択と演じ方の総合から自然に浮びあがってくるのが、その人のアイデンティティーだ」などなど、いままで漠然と感じつつもつかみきれなかった「自分」という個性のありかたについて、実に明瞭な考え方を披露してくれます。この章全体をまとめると、要は「素材の良いもの、上質な「本物」を身につけなさい」というコトに集約されるのですが、それをどうして「40歳から」という線を引いたのか、という理由付けがまた、今日40歳になった私にとってはまさに痺れるような言葉で表されていて、きたるべき40代をどのように楽しもうかと、わくわくしてしまうほど40歳(クァランタ)を迎えたけれど、アンタの時代は、じつはまだまだ始まったばかり。これからも、どうぞよろしくお願いします*今日の写真は、トルコのひまわり畑 イタリアの次に大好きな国です♪*
June 12, 2009
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ポンペイの遺跡から、ベスヴィオ火山を臨んで。もともとは、富士山みたいにきれいな独立形の山だったベスヴィオも、ポンペイの町を飲み込んだ大噴火によって、山の大部分がえぐられたような現在の形になりました。・・・あれだけの土砂が一晩で降り注いだら、ひとたまりもありませんよね~世界に類を見ない大惨事となったベスヴィオの大噴火については、2000年たった現在もいろんな推察がされていますが、当時15,000人を数えたポンペイの人口のほとんどが命を落としたのは、降り注ぐ火山弾や灰だけでなく、噴火口上空で真空状態に圧縮された数千度にもなるという熱風が、風向きでまっすぐにポンペイに吹き降ろしてきたからだとか。 空高く上がった噴煙で、昼間でも夜のように真っ暗になってしまった空からは真っ赤に焼けた火山礫と、呼吸と視界をさえぎる火山灰が降り注ぎ、さらには一瞬で命を奪う恐ろしい熱風が、建物の中などに隠れていた人々にさえ襲いかかる。。。まさに地獄絵そのものであったかと思われます。今なお発掘が進められているポンペイの遺跡ですが、そうした大惨事によってこそ残された、当時の生活をより詳しく私たちは見ることができるのですネ。この写真は、当時のローマ神話の神々を祭る神殿の跡。 整然と区画整理された町並みですが、驚くのは、道路がきちんと舗装され、歩道と車道とにわけられていること真ん中、車や牛馬が通る道は、溶岩を並べて舗装してあり、その両側に一段高く歩道が作られています。 道の両側の建物の中はというと、身分の高い家ほど豪華な装飾や壁画が残っています。 この壁画もなかなか、立派なものです。壁画の前のガラスケースに入っているのは、2000年前に命を落としたポンペイの住民の遺体。火山灰の中で、長い年月をかけて肉体は滅びましたが、肉体を包んでいた火山灰がちょうど、鋳型のように空洞になって残っていたため、石膏を流し込んで遺体の復元に成功。一瞬の惨事に巻き込まれた人の生々しい表情までがしっかりと再現されていました。・・・さて、ポンペイの壁画といえば、「赤」が有名です。鮮やかで、ともすれば退廃的とも言える朱赤の壁画は「ポンペイの赤」と呼ばれて見る人をひきつけます。・・・でもね、 ポンペイは「赤」だと思って歩いていたら、こんなキレイなブルーの壁画も見つけたんですよ~~♪
June 12, 2009
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ナポリの町の下には、2000年前の町が今でも眠っているけど、思いがけなく地上に姿を現した町もあります。それがここ、ポンペイ。紀元前4-5世紀ごろにはもう、城壁に囲まれた一大都市として栄えていたポンペイは西暦79年8月24日、ベスヴィオ火山の大噴火によって、一夜のうちに火山礫と灰の下に埋もれてしまいます。長い時間の中で風化した町と違って、生きたまま封印された古代の都市は、現代に生き生きとよみがえって、訪れる人々を驚かせています。古代の家や飲食店などが立ち並ぶポンペイの町のはずれには、こんな立派な円形闘技場も。 ・・・今でも、ちょっと手を加えたらサッカーの試合くらいできてしまいそうですね~。 観客席の下の通路は、ローマの高度な建築技術を感じさせるレンガ積みのアーチになっています。ナポリの地下都市で見たようなつくりですネ。通路の床には、誰かが落としていったペットボトルの残骸。んもう、歴史のロマンが一瞬で冷めちゃう。。
June 11, 2009
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ナポリの地下都市への入り口、サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会。入り口でもらったパンフレットには、遺跡の様子がイラストでわかりやすく紹介されていますナルホド、今現在私たちが歩いている地面の下には、遠くギリシャ・ローマ時代の遺跡が眠っているというワケなんですね~。 遺跡には、教会の脇にある回廊から下りてゆくことが出来ます。説明によると、ちょうどこの井戸の真下に、ローマ時代のメルカート、市場があったようです。 こんな感じかな。中央の市場を囲むように、レンガのアーチが立ち並ぶローマ時代の街並み。今の教会の回廊がちょうど昔の遺跡の上に重なるように作られているのも、面白いですね。それでは実際に、地下の遺跡をたずねてみます。。 工事現場のような、ギシギシ鳴る鉄の階段を下りてゆくと、想像以上に整然とした、古代の町並みが現れました。むしろ現在の町よりもきちんと区画整理されたたたずまいに、ちょっとビックリです。隙間なくびっしりと積まれたレンガで造られた建物は、ナポリの現在の町を支えてなお、こうして残っているんですね~。 こちらは、古代の洗濯場。飛び石のようになっているのは、水でぬれた地面を歩かなくてもいいようにでしょうか。古代の人たちが、にぎやかにおしゃべりしながら洗濯している様子が目に浮かぶようですネ。ナポリの町は、ギリシャ時代に「新しい都市」という意味の「ネアポリス」という名前の町が作られたのがその由来といわれていて、ココのほかにも大規模な地下都市の遺構があちこちに残っているそうです。現在のナポリでさえ、見所がたくさんあるのに、地下まで探検しようと思ったら、やっぱり何度行っても足りないくらいですネ。「ナポリを見てから死ね」といいますが、これはなかなか死ねそうにありませんね~
June 11, 2009
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ナポリの心臓部、スパッカ・ナポリと呼ばれるエリアにある、サン・パオロ・マッジョーレ教会。 路地に面したファザードはまるで劇場のような華やかさ。ここにも地下にクリプタがあるそうですが、昔はこうして、教会などの地下にお墓を作るのが常識だったのかしら。この教会の目の前、通りを挟んでお向かいにあるのはサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会。 教会の入り口はこの鐘楼の左手。どちらの教会も「マッジョーレ」なんて名前つけてるけど、仲良しなのか、それとも張り合っているのかしら?こちらのサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会には、地下の遺跡への入り口があります。ナポリの町が、文字通り時代の上に成り立っている様子を見ることが出来るということなので、いざ、地下の古代都市へと行ってみたいと思います♪
June 10, 2009
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ナポリの市街地から1.5キロほど北の小高い山の上のエリアがカポディモンテ。イタリアでも、いえ世界でも屈指の美術館があることで有名なところですが、天気の悪い日には美術館でのんびりすごすのもいいかもしれません♪美術館のある丘全体は公園のように整備されていて、丘から見るナポリの町の景色もまたすばらしいです☆まっすぐ伸びる道路は、ナポリの町を通ってサンタルチアの海岸線へと続きます。 丘の近くには、ローマのサン・ピエトロ寺院を模して作られたという、美しい教会があります。マードレ・デル・ブオン・コンシリオ教会といって、地下にはもっとも古い地下墓所のヒトツといわれるクリプタがあることで有名。ここのクリプタはぜひ一度、行ってみたかったのですが、ちょうどお昼休みで見ることができませんでした。・・・それにしても、ローマのサン・ピエトロといえばヴァチカンですよね??いくら「模して作りました」と言っても、ちょっと小さすぎるかも(笑)大きく出たい気持ちはわかるんですけどネ~
June 10, 2009
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アンジュー家の王妃様のために作られた、サンタ・キアーラ教会。戦争の砲火によって教会は焼失破壊されましたが、近年再建されました。この教会の見所は、裏手にある修道会の庭園、クラリッセのキオストロ。回廊に囲まれた庭園にはマヨルカ焼きのタイルで作られた柱やベンチがあって、とっても華やか 庭園を取り囲む回廊や、マヨルカ焼きの装飾を見ると、修道会というよりはお屋敷といった風情です。 フレスコ画にも、赤や青といった鮮やかな色彩が多用されているのがいかにも南国風♪でも、南国気分を盛り上げてくれるのはなんといっても。。。。 そう、庭園に植えられているレモンやオレンジの木・・・たくさん実がなっているけど、食べられるのかな?なんて、ヘンなところが気になってしまいます。。。。ネ
June 9, 2009
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風光明媚なナポリもいいけど、町の中を歩くのもまた、格別の楽しさ。スパッカ・ナポリと呼ばれる、ナポリの下町を歩いてみます。ガイドブックなどにも載っているこのエリア、もっと広いトコロかと思いきや、昔ながらの街並みのため、ただでさえ地元の人や観光客でにぎわう通りは、車が通るたびにクラクションが鳴り響くような、ちょっと煩雑な雰囲気。もっとも、そんな雰囲気を楽しむために歩いているワケなんですけどね距離的にはたいしたことないエリアなのですが、古い教会や遺跡がたくさん残っていて、ココを制覇するには少なくとも数日間は必要。上の写真は、ジェズ・ヌォーヴォ広場。この広場も大して大きくないのですが、周囲を背の高い建物に囲まれた広場に、ちょっとアンバランスとも思える大きくて立派な塔が立っているのが印象的。この塔は「インマコラータの塔」と呼ばれていて、ナポリでももっとも美しい尖塔のヒトツです。その名の通り、塔の頂にはインマコラータ、無原罪のマリア様 広場に面しては二つの教会。ヒトツは、広場の名前にもなっているジェズ・ヌォーヴォ教会。もともとはナポリのお隣、サレルノの王子様のお屋敷だった建物を教会にしてしまったという物件は、ナルホド、外観は教会というよりもお屋敷といったほうがよさそうな、シンプルなつくり。そして、この教会と向かい合うように建っているのが、 アンジュー家の王妃様の依頼によって建てられたという優美なサンタ・キアーラ教会。手入れの行き届いた中庭や、美しい回廊が自慢の教会です。広場の喧騒からは別世界の、静かで美しいサンタ・キアーラ教会で、一休みしていこうかと思います♪
June 9, 2009
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ナポリの海に、お月様が昇って、夜昼間とはまた違う顔を見せるナポリですが、海辺の二つのお城もまた、ライトアップされて輝き始めます やっぱり海に浮かぶ卵城は、美しいですねまるで絵画のようです。卵城は、イタリア語だと「カステル・ウォーヴォ」。 もうヒトツのヌォーヴォ城と、なんだか名前も似ていますネ。でも、夜の景色はというと、二つのお城はちょっと対照的。卵城がエレガンテな美しさなら、 ヌォーヴォ城は、いかにも「古城」といったたたずまい。名前はヌォーヴォ(新)なんだけどネ~(笑)エレガンテな卵城に比べると、ちょっと不気味な夜のヌォーヴォ城なのでした。
June 8, 2009
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さて、ナポリでお城といえばもうヒトツ。先に出てきた卵城は、景色はすばらしいけど実質的な立地条件はあまりよくなかったということで、当時シチリア王国の一部だったナポリがフランスのアンジュー家によって再び首都に返り咲いたときに新しく建てられたのがこちら。新しいお城だから、「ヌォーヴォ城」、またの名を「カステル・マスキォ・アンジォイーノ(アンジュー家のお城)」なんていうそうです。 こちらも、海岸線に臨む海のそばのお城ですが、フランスらしい高い城壁と円筒状の5つの塔が印象的☆・・・といっても今のカタチは15世紀にアラゴン家の当主アルフォンソ1世によって再建されたものなのだそうです。 アラゴン家といえば、スペインの名門。フランスのアンジュー家と度々、南イタリアをめぐって戦いを続け、勝ち取ったナポリの町に、意気揚々と入城するアルフォンソ1世の雄姿が、中央の白い凱旋門のレリーフに描かれています。はじめのうちはナポリっ子からもずいぶん嫌われていたアルフォンソ1世ですが、その後2度と故郷に帰らなかったと言われるほど、ナポリを愛し、その文化や芸術の保護に力を注いだのだそうです。お城の名前はアンジュー家の城だけど、残っているのはアラゴン家のお城。こんなところにも、ナポリの激動の歴史を感じてしまいますネ~。
June 8, 2009
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昔から、「Vedi Napoli, e poi muori! (ナポリを見て死ね)」という言葉があるように、美しい景色の中に歴史、文化、そして人情とドラマが凝縮された町、ナポリ。1度や2度ではその深さや楽しさは計り知れない町ですが、それゆえに魅力を感じるところでもあります。「ナポリを見て死ね」という言葉が何を意味するのかは、私もいまだにつかみきれていないのですが、まずはこの景色を見ると、その美しさにまず、「ナルホド」とうなってしまうのではないでしょうか緩やかにカーブを描く海岸線、ナポリ湾の向こうにそびえるベスヴィオ火山の稜線といった自然の美しさの中に、海に浮かぶように建てられたお城や、近代的な高層ビルが立ち並ぶ都会の風景がうまく調和しているんですよね。・・・まずはあの、海に浮かんでいるかのように見えるお城に行ってみましょうか 美しいサンタルチア地区のシンボルでもある、卵城。12世紀に建てられたこのお城、一説にはお城の基盤に卵が埋め込まれていて、もしもその卵が壊れたら、お城はもちろん、ナポリの町も滅びてしまうという伝説があるのだとかこんな大きな町が、タマゴで支えられているなんて。。。。。 海岸線からお城までは、長い埠頭になっていて、ソコから眺めるナポリ湾とベスヴィオの景色がまた、ウットリするほどの美しさ観光客はもちろん、地元ナポリっ子たちのデートスポットでもあるようです 王様の時代には、美しい港の景色はもちろん、王家のモノでも現在では、お城のすぐそばはレストランやカフェが軒を連ねるにぎやかなエリアとなっていました ・・・町並みは変わっても、海の景色は昔のままです♪
June 7, 2009
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ナポリの町に入ってきました♪トスカーナやウンブリアとは違う、やっぱり都会なナポリです。このあたりは港にも近くて、道路も大きくて広々とした通り。初めてナポリに来たとき、空港からホテルへ向かうタクシーの運転手さんが反対車線を思い切り逆走してくれたのも、このアタリ。。。(遠い目) チェントロが近くなるにつれて、交通量がどんどん増えていきます。正面の丘の上に見えているのは、サン・マルティーノ修道院。あの丘の上からの眺めもまた、絶景なんですよね~♪時間は夕方ということで、ちょうどトラフィックの時間帯。私たち旅行者が地図を見ながらゆっくり走っていると、ナポリっ子ドライバーたちはわずかな隙間に滑り込むように割り込んできたり、クラクションを鳴らしてあおってきたり 思わず空を仰いだら、アタマの上にもトラムの電線が縦横無尽に駆け巡っていましたとさ。。・・・ナポリへようこそ♪
June 7, 2009
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そろそろ関東でも梅雨入りでしょうか、最近パッとしないお天気が続いていますネ。せめてブログでは、一足早い夏景色をお届けしていきたいと思います♪今日は、トスカーナを後に、南へ向かう車窓の景色。トスカーナではどこまでも続く大地にさんさんと降り注ぐ太陽が印象的でしたが、高速道路に入って、一路、南を目指して走ってゆくと。。。。。。 ローマを過ぎるあたりから、景色が少しずつ変わってきました。枝がまるで傘みたいに広がっているあの松の木を見ると、ローマだな、なんて思ってしまいます。。。♪ ローマを過ぎて、さらに南を目指してドライブは続き、そろそろ夕暮れ。まぶしい日差しが和らいできたころ、窓の外には白い岩肌をみせる山が見えてきました。なんだろう、こういう山の景色も南らしく感じるのはカンパニア州に入ったという標識を見たからなのか、それとも半日以上のロングドライブのせい??・・・・それからさらにしばらく車を走らせていると、進行方向右手前方に、めざしていた町のシンボルである、美しい山が見えてきました。 そう、ベスビオ火山です!・・・といっても、絵葉書などで見慣れた姿とはまた、角度が違うので「コレがベスヴィオ?」なんて思ってしまうかもしれません。。。でもね、なにせ500キロ以上も走り続けてきた後ですから、夕暮れが近づくベスヴィオの雄姿を目の当たりにした私たちのヨロコビはひとしおです♪昨年も紹介してきました、南イタリア、アマルフィの景色。まだまだ紹介しきれていない写真がたくさんあるので、今日からまた、少しずつアップしていこうと思います☆
June 6, 2009
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