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二つの街道の出発点を見た後は、再びビーチエリアへ戻ることにします。循環バスの乗り場がわからなかったので、ひとまず歩いて駅まで戻ることにしました。トレ・マルティーリ広場から駅へ向かう、ヴィア・ノヴェンブレ。ここもまた、ブティックやカフェの立ち並ぶ、ちょっぴり大人な雰囲気の通り。古い町並みがエレガントで、夜の一人歩きでも安心して通れます。 そんな通りの一角に、白亜の聖堂が現れました。13世紀にフランチェスコ会が建設した聖堂で、14世紀からマラテスタ家の所有となったところ。ここも、あのジスモンド城を設計したジスモンド・マラテスタによって改修が行われ、優美なファザードが完成したとか。残忍な面がクローズアップされがちなマラテスタ家ですが、この領主が残した文化遺産や建築物はリミニのみならず、均衡のチェゼーナやペーザロはもちろん、遠くロンバルディア州のベルガモやブレーシャにも残っているのだそうですこの聖堂には、ジスモンド・マラテスタの肖像や彼の棺が残されているとか。ちょっと見てみたいけど、バカンスシーズンにはムリね歴史のお勉強と海のバカンス、やっぱり両立は難しいデス(笑)
September 30, 2009
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さて、にぎやかなトレ・マルティーリ広場を通り抜けると、リミニの旧市街の外れである、アウグストゥスの凱旋門が見えてきます。 紀元前27年に築かれたという凱旋門は、現存する古代ローマの凱旋門の中では最も古いのだそうです紀元前のころは、この門がリミニという町の境界だったのですネ。夜の闇にライトアップされた凱旋門はとっても幻想的です ティベリウスの橋がミラノへ続くエミリア街道の起点なら、このアウグストゥス門はローマへ続くフラミニア街道のターミナル。2000年の時を超えて、大理石の凱旋門をくぐると。。。 正面、まっすぐに伸びる道が、フラミニア街道です紀元前220年、ローマ共和国の将軍ガイウス・フラミニウスがローマからアンコーナへと敷いた街道はやがてここ、リミニでエミリア街道と出会い、エミリア・ロマーニャからロンバルディア、ピエモンテへと延々と続いていく。。あぁ~、またしてもロマン フラミニア街道を背にして見上げた凱旋門。重厚なたたずまいに、しばらくぼ~~~っと、見上げてしまったのでした
September 30, 2009
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トレ・マルティーリ広場で、靴屋さんのウィンドウ・チェック夏物がALL半額ですって~リゾート都市、リミニならではの、カラフルなサンダルがステキですね☆リミニのブティックは、営業時間がほかの町とはちょっと違います実は、昼間はほとんど閉まっていて、夜の9時過ぎから店を開けて深夜まで営業、というところが結構多い夏のバカンス時期だけなんだと思うのですが、昼間はビーチでゴロゴロしていて、夕方から町へ繰り出し、ご飯も食べ終わったころにショッピング。。。という「バカンス時間」で営業しているんですね~。そんなリゾートで売っている靴は、やっぱりスポーツカジュアルが人気。 Baldininiも、ミラノのお店ではドレッシーな靴が多いけど、ここにあるのはこんなモカシンや、 セレブな雰囲気のレザースニーカー・・・ドイツの奥様が履いていそうだわ~
September 29, 2009
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リミニの中心部、トレ・マルティーリ広場。カフェやブティックが立ち並ぶ、この一見フツウの広場が、世界史に残るエピソードの舞台であったということは、意外と知られていないようです。そのエピソードとは、今をさかのぼること2000年以上も昔、主役はローマ共和国の大将軍。 ・・・そう、かの有名なユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)さん紀元前49年、ポンペイウスとの対決を決意したカエサルが、「賽は投げられた!」と叫んでルビコン川を渡ってリミニを占領し、そこから古代ローマのみならず、世界の運命を変えたというのは有名な話。ここはまさに、リミニを制圧したカエサルが兵士たちに訓示を与えたという広場だったのです カエサルさんの声がこだましたであろう、トレ・マルティーリ広場。現在カエサルさんの像は、広場の片隅に追いやられ、広場にはカフェやバールから響くおしゃべりや笑い声が響いています。平和なマルティーリ広場の夜を、カエサルさんは今もそっと、見守っているのでした
September 29, 2009
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カブール広場で再びウロウロしているうちに、日はとっぷりと暮れてしまいましたもう一度アウグスト大通りに戻り、東へ進むと。。。 もうひとつの広場、トレ・マルティーリ広場が広がります。カブール広場は重厚なお屋敷が立ち並ぶ、リミニの政治の中心みたいな雰囲気だったのですが、こちらのトレ・マルティーリ広場は、カフェやブティックが立ち並ぶ、モダンでカジュアルな雰囲気♪ リゾート都市らしく、こんな観光用の乗り物までありますなんだかディズニーランドみたいですしかし、フツウの広場にこういう乗り物が似合ってしまうんだから、ディズニーランドなんてきっと必要ないんでしょうね、この国にはちょっぴりアミューズメントパークっぽいマルティーリ広場ですが、この広場こそ、実は世界史に残るエミソードの舞台となったところなのです舞台はココ、マルティーリ広場。そしてその立役者とは。。。??次回に続きます♪
September 28, 2009
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ロマンあふれるティベリウスの橋から、ふたたびアウグスト大通りへ。もと来た道を戻って、リミニのもうひとつの中心地であるトレ・マルティーリ広場からアウグストゥス門へ向かいます。 お子様でにぎわうカブール広場の蚤の市さっきよりも一段と賑わいが増したようです。そういえば、この広場には16世紀に造られたという噴水があるって、ガイドブックに載ってたんですが。。。この人ごみじゃ、見つけようがないかしら。。?? ・・・っと思ったら、意外にも目の前にありましたあまりにも風景になじんでいて、トクベツな感じがしないところがまたイイですね16世紀の噴水の水を、21世紀になっても安心して飲めるなんて、ちょっと嬉しいかも♪
September 28, 2009
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ティベリウスの橋で夕日を眺めていたら、いつのまにか宵闇に包まれていましたハッと我に返って、早速この橋を渡って、エミリア街道へ第一歩を踏み出して見ることに。紀元前に着工して、完成したのは紀元十数年。2000年前に架けられた石の橋を渡るなんて、なんだかロマンを感じます・・・・とはいえ、実際に橋を歩き始めると予想以上に交通量が多くて、もちろん2000年前の橋に歩道なんてのがあるワケもなく、薄暗い宵闇の中、橋の欄干に体をつけるようにして、早足で横断 ・・・ロマンより、交通安全です 橋を渡ったところに松林に囲まれた公園があって、そこから橋を振り返ればまたしても、美しい眺めはるかミラノやボローニャからやって来た人々は、橋の向こうに見える町明かりにホッとしたでしょうし、またリミニを離れて旅に出る人たちもここでもう一度、ふるさとの町を振り返ったにちがいありません。。。う~ん、ロマンじゃっしばらくうっとりと、この風景を楽しんで、再びリミニの町へ戻ります。 ・・・・帰り道、夕日に背を向けて歩くほうが道が明るく見えました今ならクルマも少ないので、2000年前に造られた橋に刻まれた文字などもゆっくりと見られそう♪ そりゃあモチロン、なんて書いてあるかなんて、わかりませんケドいいじゃない、それもロマンですよネ
September 27, 2009
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リミニ中心部の雑踏を抜けて、運河にかかるティベリウスの橋へやってきました。そう、ここがエミリア街道の出発点なのです日没直前の、なんともいえない空の色をバックに、2000年前に作られた石の橋を目の当たりにして、しばし言葉を失ってしまいました。水面に美しく影を落とすティベリウスの橋は、紀元前に時のローマ皇帝アウグストゥスが建設を始め、次の皇帝ティベリウスの時代に完成したもの。この橋から、チェゼーナ、フォルリ、イモラ、ボローニャを経て、モデナ、パルマ、ピアチェンツァからミラノへ、イタリア半島の付け根を東西に横断するエミリア街道が始まるのです。 夕闇に包まれた対岸の風景は、2000年の歳月を忘れさせてくれました。以前、ガイドブックの写真で見て、ココは絶対に夕景がすばらしいだろうな、などと想像していた私。今回は狙い通り、日没時に来ることができたのですが、こんなにすばらしい風景に出会えるとは、ちょっとうれしい想定外 橋のたもとで日没を眺めたらいよいよ、エミリア街道に第一歩を踏み出してみたいと思います。。。。
September 27, 2009
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蚤の市で大賑わいだったカブール広場を突き抜けると、東西に伸びる石畳の道に出ます。この道は、アウグスト大通り。その名のとおり、この道の東の突き当りには、 そう、さっきバスの車窓からみた、アウグストゥス門。道の突き当たりの、白くてお城みたいな狭間があるところですあの門を出たところから始まるのが、ローマへ続くフラミニア街道。そして、反対の北西方面に行くと、エミリア街道の始まるティベリウスの橋があります。つまり、このアウグスト大通りは、二つの大きな街道をつなぐ「連絡通路」みたいな道なんですネ 刻々と色を変える北西の空を目指して歩き始めると、夕闇に浮かび上がる鐘楼のシルエットがとってもきれいでしたカブール広場から、北西へアウグスト大通りを歩くこと7-8分。。。 道の両側に迫ってくるように立ち並ぶ建物が途切れると、たそがれ色に染まった運河に出ました。運河にかかる、エミリア街道の起点、ティベリウスの橋は、次回につづきます
September 26, 2009
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ジスモンド城でしばし、中世に思いを馳せた後は町の中心、カヴール広場へ。旧行政長官の館や、市庁舎として使われているカランピ館といった、歴史的な建物に囲まれた重厚感あふれるところ。。。。の、ハズだったんですが、なんだかすごい賑わい 平日の夜だというのに、広場では市がたっていましたしかも、お子様がたくさん それもそのはず、どうやらこの市は、お子様向けのおもちゃマーケットだったのです夏休みならではの光景ですが、市に並んでいる「商品」を見ると、使い古したトランプや手足がとれてしまったバービー人形なんてのもありますそれから、子供が大きくなって不要になった洋服や靴のリサイクルなんていうのもありました。みなさん、商売というよりは皆で集まっておしゃべりしたり、物々交換したり、という交流を楽しんでいる感じ。フリーマーケット、なんていうよりはまさに「蚤の市」という言葉がピッタリな、カブール広場の賑わいなのでした~☆
September 26, 2009
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リミニの市内循環バスに乗って、旧市街へ。町の中心である広場を目指します。ふと見ると、右手、車窓からアウグストゥス門が見えましたあの門が、リミニとローマとを結ぶフラミニア街道の起点。そう、リミニはエミリア街道だけではなく、フラミニア街道の起点でもあるのです一緒にバスに乗っていた観光客はぞろぞろとここで下車してゆきます。お目当ての広場はこの門をくぐって数十メートル歩いたところだからです。私は、まずはエミリア街道の起点であるティベリウスの橋に行くつもりでしたので、もう少しバスに揺られて。。。。 堅固な城壁が見えたところでバスを降りました。外国のバスって、次の停留所の案内とかしてくれないですよね、だからドキドキしちゃいますこの城壁が、リミニ領主、マラテスタ家のお城、ジスモンド城です。13世紀から15世紀にかけてリミニを治めてきたマラテスタ家は、学芸を奨励し人文学者たちを保護する反面、残虐な一面を持っていたことでも知られています。このお城を設計したジスモンド・マラテスタにも、最初の奥さんと離婚した後、2番目の奥さんを毒殺、3番目の奥さんを絞殺して、最後に愛人と結婚したというエピソードがありますソコまでして結婚した愛人というのもスゴイですよね。 私だったら眠れないわ・・・なんて、そんな小心者だったらそもそも愛人にすらなれないけど残酷さ、冷酷さというものは目の当たりにし続けると感覚的に麻痺するものなんでしょうか、代々受け継がれた残虐性によって、リミニの民衆に見放されたマラテスタ家はやがて、時代の風雲児、チェーザレ・ボルジアにその城を明け渡すことになります。 ジスモンドの後を継いだパンドルフォ・マラテスタは、自らの暴君ぶりが災いして民衆から憎まれ、ボルジアの足音が聞こえてくると夜逃げ同然にヴェネツィアへ亡命し、チェーザレ・ボルジアは剣も砲弾も使うことなく、リミニへと入城する。。。古代ローマの二つの街道が交差する町、リミニはまた、歴史が交差する場所でもあったのですね。参考図書:塩野 七生著「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」↑マンガで読める!チェーザレ・ボルジア伝記。
September 25, 2009
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リミニの町は、海沿いのリゾート部と、線路を挟んだ旧市街に分かれています。日暮れ時、旧市街へ向かうには、市内を循環しているバスが便利 深夜まで、10分間隔くらいで運行しています♪ホテルの前からバスに乗って、目指すは旧市街。今回の旅のテーマである、「エミリア街道」の出発地点に行ってみたいと思います♪バスに揺られながら外の景色を眺めていたら、途中からおそろいのジーンズ姿でお兄さんが二人、乗り込んできました。 二人して、上から下までお揃い・・・どこかのお店の制服かしら? それとも、相当な仲良しさん・・・??ちょっと可愛いデニムだな、と思ったらお尻に「Sex & Jeans」のロゴナポリ生まれのイタリアンデニムですネおそろいデニムのラガッツィの後姿にちょっぴりウットリしてしまった私なのでした
September 25, 2009
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さて、ビーチから戻ってシャワーを浴びたら、リミニの町へ繰り出します♪海沿いのメインストリートでは、こんな風に「路上美容室」が大繁盛せっかくバカンスなんだから、日頃できない髪型にもチャレンジできちゃいますよねドイツ人バカンス客が多いリミニ。金髪のコーンロウ、可愛いですネ
September 24, 2009
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ビーチリゾート、リミニです・・・といっても、今回海の写真はあまりありません2週間のバカンスの中で、海に行ったのはこの3日間だけでしたので、ビーチにいる間はほとんど、こうしてパラソルの下でぐうたらしてました リミニの海は遠浅で、ビーチから7~80メートルほど沖に行っても平気で足がつくので子供連れのファミリーにも人気。 足元はゴールデンサンドといわれる細かい砂浜なので、波打ち際の水はいつも白っぽくにごっています。去年アマルフィ海岸を満喫した後だけに、海自体の美しさはやっぱりアマルフィの方がよかったな、というのが正直な感想だったのと、ヒトリでしたので、あんまりカメラをもってウロウロするのもな、ということで写真は少ないです3日間、朝から晩まで文字通り、ビーチでゴロゴロしてましたのでいい色に日焼けしましたヨ イタリア半島の東海岸に面しているので、夕日は背後から。白い砂浜がオレンジ色に染まるのは7月末で19時ごろ。 私を含めて、一日ビーチで過ごした人たちも、そろそろ撤収。昼間はゴロゴロしていますからね、日が暮れてからみんな、活動しはじめるというワケ リミニは、別名「イタリアのマイアミ」と呼ばれているそうな。・・・マイアミに行ったことがないから、そういわれても全然ピンときませんけど確かに、延々と続く砂浜と、なだらかな沿岸の地形はアマルフィやトスカーナとはちょっと違う風景ですね。以上、3日間で撮ったリミニビーチの風景でした次回からは昼間の写真が少ない分、夜をタップリお届けしますね
September 24, 2009
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ラヴェンナから、ローカル電車で1時間。アドリア海に面したビーチリゾート、リミニへやってきました~電車を降りた瞬間から、ちょっぴり湿った、潮の香りのする空気に包まれてテンションは急上昇~さっそくタクシーに飛び乗って、ホテルへ向かいます♪ 海沿いの道路は、松の木の並木道。石畳の道と、両側にびっしりと立ち並ぶホテルやレストラン、ブランドショップを見ているだけでも、ビーチリゾートにやってきたという実感が お屋敷好きな(?)私ですが、ココ、リミニではモダンなシティホテルに宿をとりました。だって、海沿いのメインストリートに面しているし、ホテルの玄関をでて、横の小道を裏に回ると。。。。 ビーチが目の前!なんですもの宿に着いたのは午後3時。荷解きもそこそこに、水着に着替えてビーチへ直行で~す
September 23, 2009
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ラヴェンナの中心、ポポロ広場です。こぢんまりとしたかわいらしい広場にはおみやげ物の店やバール、レストランが立ち並び、町歩きに疲れたときにほっと一息つける場所です。 広場の奥のほうには、ラヴェンナの二人の守護聖人が立っていて、町を見守っています。向かって左が聖アポリナーレさん、そして右手が聖ヴィターレさん。小さい町なのに、守護聖人が二人なんて、かなりお得な感じがします、ラヴェンナ まだまだご紹介していない見所はあるのですが、いずれまた次回からは「イタリアのマイアミ」と呼ばれているビーチリゾート、リミニへ向かいたいと思います♪
September 23, 2009
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そろそろ、ラヴェンナともお別れが近づいてきました。午後の早い時間には次の目的地、リミニのビーチでのんびり日光浴を楽しんでいる筈だったのですが、見所満載なラヴェンナとの別れを惜しんでいるうちにすっかり午後になってしまいました。ラヴェンナからリミニへは電車で1時間ほど。・・・やっぱりお昼はラヴェンナで食べていきましょう♪というわけで、2回目のピアディーナいかにも観光地!といった感じのするマンマのお人形が立っているバール。。。ではなく、 どうせ観光客するなら町の中心部の広場でいただきます♪ メニューをざっと見て、ルッコラとリコッタチーズのピアディーナを注文。 熱い生地の上で、チーズが溶けていますぅルッコラの香ばしい香りと歯ごたえ、そしてさわやかなリコッタチーズのジューシーな味わい。。。かぶりつくと、チーズがポタポタたれてくるのがちょっと嫌だったけど、おいしかったで~す♪
September 22, 2009
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素朴なモザイクと、戦争の爪あとを眺めてから現実世界へ。教会の門は内側からはこんな風に緑の蔦でびっしりと覆われていました。この門と教会の間には良く手入れされたお庭があって、濃厚なバラの香りに包まれていました。 教会の門を外側から。1944年の爆撃を生き抜いた大理石の門には、この教会にまつわる伝説がレリーフとして残されています 彫刻を良く見ると、中央のあずまや風の建物の中で、女性が一人、ひざまずいています。女性の目の前には聖人が立っていて、女性はその足元に手を差し伸べています。この女性は、教会を建てたガッラ・プラチディア。立派な教会を建てたものの、聖遺物がないことを嘆いていたガッラ・プラチディア。ある日夢枕に聖人が現れて、彼女にサンダルを残したという言い伝えから作られたレリーフです教会の名前がサン・ジョバンニ・エヴァンジェリスタということですから、この聖人というのはやっぱり、福音書記者ヨハネさんですよね福音書記者のヨハネさんといえば、宗教画や彫刻のなかでもいつも、美しい青年の姿で描かれることが多いイケメン使徒ローマ帝国の皇帝となったガッラ・プラチディアがひざまずいてまで欲しがるのも納得です 聖遺物といえば聖人サマの骨だったり、マリア様の服の切れ端だったり、いろんなモノがありますが、サンダルとはまた個性的聖人さまも、ほかになにかあげるものは無かったんでしょうかネそのサンダル、両足だったのか、はたまた片足だけで、シンデレラのお話のモトになったのか。。。いろんな妄想をかきたてられた、ヨハネさんのサンダルだったのでした~(笑)
September 22, 2009
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ラヴェンナで最も古い聖堂であるサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会。1944年9月の空襲で、美しいフレスコ画やモザイクの大半が失われてしまいました。 身廊奥の礼拝堂のフレスコ画もごらんのとおり、ツギハギ状態。この断片を見るだけで、本来の華麗な装飾が伺われるというものですが、なんとももったいないですネイタリアに限ったことではもちろんありませんが、戦争という行為のむなしさみたいなものを感じてしまいます。 教会の入り口近くには、爆撃を受けて大破したサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会の生々しい写真がありました 聖堂の外壁と鐘楼、そして大理石で作られた教会の門だけが、かろうじて残っている様子が見て取れますこの廃墟と化した教会をもとの形に復元し、ところどころ残されたモザイクを集めて、新しく生まれ変わったサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ。 完全に新しい教会を建てるほうが簡単かもしれないのに、あえて1500年前の面影を残して再建することで、昔からあったもの、失ってしまったもの、新しく生まれたものを同時に見ることができるのかもしれませんネ。65年前の爪痕を眺めながら、改めて平和を願わずにはいられない、厳かなキモチになったのでした。。。
September 21, 2009
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ラヴェンナの駅の近くにあるサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会。ガッラ・プラチディアによって建設されたこの教会は、ラヴェンナにある聖堂の中ではもっとも古いとされています。そして、ここもまた、モザイクが有名なんですが、今まで見てきたような、キンキン・キラキラなモザイクとはちょっと違う、なんとも味わいのあるモザイクに出会えます♪ ラヴェンナで最も古い聖堂といいながら、シンプルな内部はモダンな雰囲気。実は、第二次大戦の時の爆撃で、もともとあった建物は、外壁の一部を残して壊れてしまったのだそうです。今見ることができるのは、戦後に修復された教会。 本来であれば、この祭壇の上下左右にも華やかなフレスコ画やモザイクを見ることができたのですが、今となっては想像するのみ。でも、そんな爆撃を奇跡的に免れた、床モザイクの一部が身廊に飾ってありました 額絵のように並べられたモザイクたち。一見して、ほかの聖堂に見るような、絢爛豪華なものではないことに気づきます。キラキラのモザイクを見た後で見る、こうしたシンプルなモザイクは、かえって新鮮な感動を与えてくれます。 手作り感たっぷりな花模様や。。。 とっても微笑ましい恋人たちのモザイク これは、ユニコーンよね??・・・犬じゃないわよねぇ。。。そして、個人的に一番好きなのは、 兵隊さん♪「トツゲキ!」「トツゲキ!」「トツゲキ!「トツゲキ!」って掛け声が聞こえてきそうな、躍動感あふれるモザイクでしょ?シンプルというか、ちょっぴりユルイというか(笑)、なんとも脱力系のモザイクたちに思いがけず癒されてしまったのでした
September 21, 2009
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再びラヴェンナ市内。ラヴェンナは小さい町なので、ボローニャなどから日帰りで来ることもできますが、実際に歩いてみると、いやはや、見所が多くてとても1日では足りないな、というのが実感。 ガイドブックに載っている見所だけでも、かなり見ごたえがあるんですが、こうして町を歩いているだけでも、マニアの足を止めるモノはたくさんあるわけでして。。。たとえばほら、画面左手奥、お屋敷の屋根の上からにょきっとそびえているのは、ボローニャで沢山お目にかかった塔ではありませんこと? ほら、やっぱりこの手の塔って、あるところには沢山あるくせに、無いところにはぜんぜんありませんよね。なんでなんだろう?とはいえ、さっきまでビザンツ時代真っ盛りだったラヴェンナが急に、中世に進んだような気がしてちょっと楽しくなってしまった私です♪
September 20, 2009
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さて、ブランカレオーネ要塞のすぐ裏手には、FSの線路があり、その線路の反対側にはやはり世界遺産モニュメントに指定されている、テオドリクス王の霊廟があります。せっかくなので、陸橋を渡って行ってみることに。 陸橋から見下ろした線路と、ラヴェンナの駅。駅そのものは小さいという印象でしたが、なかなかどうして、沢山の路線がやってくるのですネ。・・・それにしても幹線道路沿いの陸橋。真夏のお昼前、日差しは苛酷なほどノースリーブのカットソーを着ていたら、肩が真っ赤に日焼けしてしまいました 陸橋を渡ってしばらく歩くと、左手に白亜の霊廟。テオドリクス王の宮殿跡と、霊廟です。背景に広がる緑の敷地が、その昔王様の宮殿があったところで、現在も発掘調査中。右手に見える白い建物が霊廟で、ここもまた、キラッキラのモザイクで有名なんだけど、残念ながら工事中で中に入ることができませんでしたせっかく灼熱の陸橋を渡ってきたのに。。。。 仕方ないので、線路の反対側を歩いてラヴェンナの駅まで行くことにしました。もう一度同じ道を通って帰るのもいいんだけど、どうせなら知らない道を歩きたいじゃない?なんて思ったけど、歩き始めて数分で後悔線路沿いの道路はクルマがビュンビュン走っていて、日差しをさえぎる木立や建物も見当たらず。。。灼熱の太陽と、クルマの排気ガスにフラフラになってしまいました・・・道路の反対側に見えるのって、海かしら?なんて思いつつ撮った写真も、朦朧としてますよね(苦笑) 線路沿いに歩くこと15分ほど。駅がね、通り抜けできればよかったんだけど、残念ながらそんな気の利いた駅じゃなくって、結局駅をぐるっと回りこんで、踏切を渡ってようやくサン・ジョバンニ・エヴァンジェリスタ教会の緑地が見えてきました。。。感涙!真夏に見知らぬ町を歩くときは、冒険しないほうがいいのかもしれません、ハイ
September 20, 2009
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ブランカレオーネ要塞の城門です。ブランカレオーネ、という名前は「ライオンの爪」という意味なんだか強そうですね~よく見ると、城門の上にもライオンのレリーフが飾ってあります あら、このライオン、翼があります。それに、右手に持っているのは福音書!?・・・おやまぁ、サンマルコの獅子だったんですねそれもそのはず、この要塞は1457年にヴェネツィア共和国によって建てられたものなのだそうです。ヴェネツィアのシンボルであるサンマルコの獅子がついているのはアタリマエですネ。お城の門をまもるだけあって、ものすごい強そうな顔してます。そして、要塞の名前の通り、福音書をつかんでいる右手の爪。。。。ナルホド、ブランカレオーネですね
September 19, 2009
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ラヴェンナの中心部からちょっと離れて、線路沿いに残る、ブランカレオーネ要塞へとやってきました。幹線道路沿いに、広々とした緑地の中にある城跡です。 優美で繊細なモザイクで知られるラヴェンナですが、歴史上、イタリア半島の東の入り口として重要な海軍基地であった一面をうかがえるような、どっしりとした構えの城塞。 現在では、砦の中は公園になっていて、市民の憩いの場所として開放されています。私が訪ねたときも、お弁当を持ってきてピクニックをする家族連れや、サマーキャンプの小学生たちがにぎやかに遊んでいました 公園内の小道を歩いてゆくと、蔦に覆われた砦や、古い城門に出会います。このあたりまで来ると、子供たちの声も遠くになって、かわりに静かに歴史を見守ってきた城壁のすきまから、いにしえの風が吹いてくるような感じがします・・・夏草や、 つわものどもが夢の跡。。。。なぁんて
September 19, 2009
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ラヴェンナで泊まったホテルです。18世紀に建てられた貴族サマのお屋敷を改装したところですが、リーズナブルな3つ星ホテル。ラヴェンナ駅から徒歩で5-6分程度(荷物がなければね)とアクセスもよく、静かで快適なお宿でした。 実際に宿泊したお部屋はこんなに広いわけじゃないんだけど(笑)スタッフの方がとっても親切で、落ち着いて過ごせました。 ボローニャのお屋敷ホテルは絢爛豪華だったけど、こういう別荘的なお屋敷ホテルはなんだか落ち着いちゃいますネ。1泊しかしなかったので利用しなかったんですけど、お屋敷の中に礼拝堂やらフィットネスコーナーやらもありました。・・・モザイクだけだと思っていたんですが、意外と見所がたくさんあったので、もしまた機会があったら是非、連泊ですごしたいところです。 お宿の周辺ももちろん、お屋敷街。ホテル!っていう感じの入り口じゃないから、「住民」っぽく歩けるところがまたちょっぴり嬉しいんです♪さあ、ラヴェンナ2日目。リミニへ向かう前にもう少し、町の散策を続けましょうラヴェンナのお宿、Ostello Galletti Abbiosi、HPはコチラです
September 18, 2009
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ラヴェンナ郊外の、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂から、バスに揺られて再びラヴェンナ市内へ。私が泊まったお宿は、こちら、もうひとつのサンタポッリナーレ聖堂のすぐ傍にありましたので、拝観時間は終わっていましたが、夕日を浴びたファザードと鐘楼が美しかったので夕涼みがてら歩いてみました。 空はまだ水色だけど、レンガ積みの鐘楼は夕日を浴びて燃えるようなオレンジ色に。初期キリスト教時代の建築の特徴なんでしょうか、この聖堂も、クラッセ聖堂も、ラヴェンナのドゥオモの鐘楼もみな、円形で、ピサの斜塔みたいなカタチ。このサンタポッリナーレ・ヌォヴォは、名前を直訳すれば、「新・聖アポリナーレ聖堂」ってことになるんですが、実際に建てられたのはクラッセのものよりもずっと古いのだそうです。ただ、もともと違う名前の教会だったところを、守護聖人である聖アポリナーレに捧げたために、新たな聖アポリナーレ聖堂という意味で現在の名前になったんだそうです。新しい(ヌォーヴォ)なんていいながら、かれこれ1500年。。。。夕日に映える鐘楼の美しさは、昔も今も変わらないのですネ
September 18, 2009
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牧歌的なモザイクが素敵なサンタポッリナーレ聖堂。祭壇から教会の入り口へと続く大理石の柱廊が支える両側の壁はシンプルな白塗りになっていますが、本来はこの白い壁も豪華なモザイクで埋め尽くされていたのだそうです中世になって、お隣のリミニ領主、ジスモンド・マラテスタによってモザイクが取り払われてしまったそうですが、「教会にあつまる人々がモザイクに気を取られてしまうから」なんていう理由をつけたとか非常に冷酷で残忍な一面をもつというジスモンド・マラテスタについてはこのあと訪れるリミニでもう少し詳しく触れていきますが、祭壇のすばらしいモザイクを見てしまうと、在りし日のこの聖堂のまばゆさがしのばれるというものですネ。 10分だけ、ということで入れてもらったサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂。結局20分以上も滞在してしまいました。私よりも先に来ていた家族連れと一緒に外にでると、先ほど門を閉めていたお兄さんが野良猫にエサをあげていました「遅くまでありがとうございました」とお礼を言うと、猫のお皿に缶詰を開けながら笑顔を返してくれました。聖堂の外側をぐるりと歩いてみると、巨大な聖堂は少しずつオレンジ色が増してきた西日に照らされていました。 聖堂の周りは、こんな感じで広々とした草原に囲まれています。祭壇の、緑の牧場を描いたモザイクを思い出してしまう景色ですネ☆この草原地帯は、紀元前の昔は港だったところだそうですローマ帝国時代、重要な海軍基地だったラヴェンナ。聖堂のある「クラッセ」という地名も、艦隊を意味する「クラッシス」が語源なのだそうです。 ラヴェンナへ帰るバス停へ向かう途中で出会った立像。・・・この服装といい、お顔立ちといい、アノ方に違いない!と思って近づいてみると、案の定、「クラッセ港創立者、カエサル」と刻まれています。ローマ帝国の属州であったラヴェンナの総督であったカエサルは、やがてルビコン川を渡ってローマでの支配権を獲得するんでしたよね。右手を高々と上げたカエサルさん。偉大な人物ではありますが、夕暮れの、人気のないクラッセにぽつんとたたずんでいるのはちょっとさびしそうです。誰もいなかったから、私も右手を上げて、カエサルさんにご挨拶。「チャーオ、カエサルさん! また来るからね!」カエサルさんに手を振ってバス停に行くと、ちょうどラヴェンナ行きのバスがやってきたのでした。。。
September 17, 2009
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さて、しつこいようですが、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂のモザイク鑑賞、もう少しお付き合いくださいませ☆十字架の下に立っているのがこの聖堂の名前にもなっています聖アポリナーレさん。シリア出身の司教様で、ラヴェンナの守護聖人でもありますこの聖堂は、聖アポリナーレさんが葬られた地に建てられたものなんだそうです。 聖アポリナーレさんの上の十字架、よ~~~く見ると、ちょうどクロス中央の部分に、ジェズ様のお顔が描かれてました そして、十字架の真上からは神様の手がにょきっと。。。十字架の両脇にいるのは旧約に出てくる預言者たち、モーゼとイザヤなんだそうです。こちらは、左側のモーゼ。・・・ずいぶん若々しいお姿です でも、なんといってもこの聖堂のモザイクの目玉はこのかわいらしいヒツジちゃんたち聖アポリナーレさんの両脇に合計12匹いるので、もしかしたら12使徒をあらわしているのかもしれません。 かわいらしい羊たちの姿にすっかり癒されてしまいますネ☆
September 17, 2009
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かわいくて、のどかな雰囲気に癒されるサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂のモザイクしばらく、口をぽかんと開けたままで眺めてしまったのですが、聖堂内には、このモザイクがいかに細かなものなのかをわかりやすく展示してありました。 モザイクのアップ写真をモニター上で見ることが出来るようになっているので、首が痛くなるほど上を見ても見切れなかったような細かい部分までじっくりと見ることが出来ます。 草原に咲く白い花。マルゲリータかな?? 鳥の翼や木の枝、そして葉っぱまで、小さなガラス片を一つ一つ、埋め込んである様子を見ると、ホントに尊敬しちゃいます。こういう細かい部分を見ていると、ダンテさんが「色彩のシンフォニー」と絶賛したのもうなずけますよね。一つ一つ、カットや大きさ、色の違うガラス片でこんな繊細な情景を描き出すのですから このヒツジなんて、超~リアルでしょ。・・・・昔のヒトって、スゴイ!!
September 16, 2009
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さて、ラヴェンナの駅前からバスに揺られること15分ほど。ラヴェンナ郊外の広々とした草原の中に建つ、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂へとやってきました。初期キリスト教時代の教会の中では最大規模といわれる聖堂は、町の喧騒を離れたところに静かにたたずんでいます。もちろん、ココの見所もモザイク早速中に入ってみましょう♪ がらんとした聖堂内は、白い壁と大理石の円柱、そしてやはり船底を思わせる木組みの天井が印象的。とても大きな聖堂ではありますが、意外とシンプルな内装です。実はこの時間、もう見学の受付は終了してしまっていたんです真夏の日の長さに気づかずにいましたが、この時点で時刻は19時。でもね、私の持っていた本には、見学時間は19時半まで、って書いてあったんです。ちょうど入り口に行ったら、係りの人が「もう終わりですよ」って言いながら門を閉めるところでした私はラヴェンナに宿を取っていたので「明日また出直そう」と思ったのですが、やっぱり落胆した表情をしてたんでしょうね、係りのお兄さん、「スィニョーラ、お一人ですか? もう閉める時間ですが、まだ中で見学中の人もいますから、10分程度なら入ってもいいですよ」と、一度閉じた門をもう一度開いてくれたんですしかも、入場券を買おうとしたら「10分だけだからイイです」と、無料にしてくれたのですああ、この懐の深さ これだからイタリア大好きなんですペコペコとお辞儀をしながら(笑)中に入れてもらって、ほとんど貸切状態で、この聖堂を見学することが出来たのでした ・・・そしていよいよ、祭壇のモザイクにご対面です!画面左上から、ちょうど西日が差し込んで、緑の草原に憩う羊たちと、金色の天空をひときわ輝かせていました 羊たちを従えて中央に立っているのが聖アポッリナーレ。彼の頭上にはキラキラと輝く星に囲まれた十字架があり、その上に黄金のさざなみを思わせる空。十字架の真上には、天から差し伸べられた神様の手が描かれ、その両側には旧約聖書の預言者たちも十字架に手を伸ばしています。そしてなにより、緑の草原に憩う羊たちと、草原の景色がとってもファンタジックで可愛らしいもしかしたら、夕方のこの時間だからこそ、この輝きが見られたのかもしれません。。時間外に滑り込ませてくれた教会のお兄さんに、神様の祝福がありますように。。。なんて、感謝の気持ちでいっぱいになってしまったのでした感謝のサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂のご紹介は、まだまだ続きます♪
September 16, 2009
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ラヴェンナの世界遺産モニュメント、お次はラヴェンナ郊外にある、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ教会へと向かいます。そのほかの遺跡や見所がラヴェンナの町のなかに小ぢんまりと集まっているのに対して、この教会へは、駅前からバスに乗っていかなくてはいけません。バスの本数は少ないので、帰りのバスが何時まで走っているのか、チェックして、クラッセ行きのバスを待ちます。 バス停は、こんな感じでモダンテイスト。そして、バス停のベンチにも、モザイクで模様が描かれていました ほら、キレイでしょう?こんなベンチなら、いつまでも座っていたいかも♪なんて思いましたが、ベンチはがら空き。。。どうしてかしらそれはね、ただ単に、暑いから ・・・ちょうど日差しがバス停直撃な時間帯だったんですね~(笑)うっかり座っちゃったこのお兄さん、背中が悲鳴を上げてますこんなモダンなバス停も、時間帯を間違えるとかなりキツイってことなんでしょうね~。お兄さん、体張ってくれて、アリガトウ!!
September 15, 2009
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サンタポッリナーレのモザイク・ファッションショウ(?)は、前回のメンズコレクションに続いて、レディースコレクションをご紹介☆やっぱり女性の方が、衣装もいちだんとおしゃれというか、華やかになりますネ。 衣装の柄もそれぞれ違うし、髪飾りやお化粧(?)も違っているところが楽しい♪衣装の模様や、体の線が浮かび上がるようなひだの入り方、こういうのがすべてモザイクで出来ているというところがスゴイ。衣装のカタチは同じでも、みんなそれぞれ違う色、柄の服を着ていて、個性的でお洒落ですよね♪ それでね、女性らしいナ、って思ったのは、足元にいる子羊を発見したとき甘えるように聖女を見上げている白い子羊の表情がとっても愛らしくて、見つめていて思わず微笑んでしまいますそして、お洒落な聖女たちが列をなして向かっているのはやっぱり、 天使を従えて、玉座に座るマリア様なのでした
September 15, 2009
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ずらりと並んだ殉教者たちのモザイクで有名なサンタポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂。奥の祭壇の左右の壁に、それぞれ20人以上の殉教者たちが一列に並んでいる様子はなかなかのものです。今まで見学してきたところでは、キラキラの幾何学模様だったり、ドーム上の天井に放射状に並んでいる聖人たちだったりしたのですが、こうして見学者たちと平行に並んでいる人物像というのは、やっぱり迫力があります。 それでね、一見同じように並んでいる聖人たちをよく見てみると、微妙に表情や髪型、衣装や持ち物が違っているので、これまた楽しい 左から2番目の彼は、白いマントの下に黄色の衣装をつけていて、髪の毛も金髪みたいだし、持っている冠も、みんなそれぞれ違うんです。それに、白い上着(マント?)も、同じように見えて、着方が違っていたり。まるで、ビザンツ時代のファッションショウみたいです♪ 殉教者たちは皆さん、美しい冠を手にしていましたが、こちらの二人は書物を持っていますもしかして、福音書記者さん??彼らが列を成して並んでいる、その先にはもちろん。。。 天使を従えたジェズ様ゴールドのラインが入った黒地の衣装がカッコイイ、ちょっぴりモードなジェズ様なのでした。。。
September 14, 2009
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ラヴェンナの世界遺産モニュメントのひとつ、サンタポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂。5世紀末に建てられた聖堂は、シンプルなレンガ造りの細長い建物。ここのモザイクは、そんな細長い、奥行きのある壁全体を使って表現されたもの。ダンテさんが「色彩のシンフォニー」と絶賛したモザイクのひとつです。 細長い建物の側面の壁にはずらりと殉教者たちが整列していました聖堂に入って、向かって右側の壁には男性の殉教者たち、そして左側には女性たちが描かれています。それぞれ20人以上の殉教者たちがモザイクで描かれている様子はまさに圧巻。それにしてもお行儀よく並んでますネ。さて、それでは左側、女性陣のほうを見てみましょう。 ・・・と、思ったら、残念ながら女性たちはお化粧直し中でした両側にずらっとならんでいるモザイクを楽しみにしてたんだけどなぁ。。。 まぁ、世界遺産ですから、全部一緒に隠してしまうなんていうヤボなことはしませんけどね。半分くらいの女性陣を見ることが出来ただけでもありがたいと思わなくちゃいけませんね。せっかく半分見えているので、次回は殉教者さんたちのファッションチェックなどをやってみたいと思います。。。
September 14, 2009
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さて、ラヴェンナの探索はまだまだ続きます♪モザイクで有名なラヴェンナですから、町を歩いていても、いろんなカタチでモザイクに出会います。以前は、町を彩る植木鉢のモザイクをご紹介しましたが、今回はモザイクで飾られた自転車のお話 ほら、スゴイでしょメタリックカラーのガラスをはめ込んだ、モダンなモザイクです。・・・ヒカリモノのお魚かと思っちゃったのは私だけ?? ・・・これだけ貼り付けたら、結構重たいんじゃないかしら??なんて心配してしまいますが、実はコレ、おみやげ物屋さんの店頭に飾ってあったもの。確かに、道行く観光客の目を引くという点では効果絶大ですでもね、絶対に売れないと思うのよ、コレ。 ・・・そうねぇ、せめてサドルを新しくしたら、もしかしたら売れるかも
September 13, 2009
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突然ですが、モンツァです。ラヴェンナ探索を中断してまで、ロンバルディアに戻ってきたワケは、もちろん、F1のイタリアグランプリのため前回のベルギーGPから、遅ればせながら勝ち方を思い出してきた感のあるフェッラーリ。今回は地元イタリアですので、毎年のことですが盛り上がってましたネ。結果は、3位表彰台にキミ・ライコネン、そして今回がフェラーリデビュウ戦となったジャンカルロ・フィジケッラは見事完走、9位でフィニッシュ。・・・予選パフォーマンスから考えれば上出来かな、と。今回は夏バカンス中にマッサの事故というニュースにショックを受け、その後すぐにマイケルがドライバーとして復帰、というニュースにワクワクドキドキし、帰国と同時くらいにマイケルが出られない、なんていうことでかなり私も振り回されましたが、TVでレースを観戦するたびに、行きたくなりますね、モンツァ。上の写真は、夏のバカンス時にモンツァへ遊びに行ったときに撮ったもの。サーキットレイアウトの形をしたモニュメントがあって、その傍には歴代のドライバーのサイン、モンツァサーキットの歴代の勝者たちの写真などがずらりとならんだウォールが出来てましたこのモニュメントについてはまた後日、モンツァの町と一緒にくわしくご紹介しますネ☆ モニュメントが立っていたのはこちら、レズモコーナーの近く。レズモ、というとそう、今回最終ラップで3位走行中のハミルトンが痛恨のクラッシュをしてしまったところ。おかげさまで(?)ライコネンが表彰台にあがることができたというワケなんですけど、昔から、「モンツァの森には妖精が棲んでいる」といわれています。妖精のいたずらなのか、順調に周回を重ねていたクルマが突然クラッシュしたり、トラブルに見舞われてリタイア、ということが数知れずありました。 緑豊かな公園の森に棲む妖精。きっとこの妖精はフェラリスタなんだな、なんて、今日のレースを見終わって思ってしまった私なのです。。。。次回から再びラヴェンナです♪イタリアグランプリの熱狂と、妖精のいたずらのお話は、3年前のレポートでご覧くださいマセ。。⇒イタリアGP観戦記3~andiamo a Monza ~
September 13, 2009
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偉大な詩人、ダンテ・アリギエーリのお墓。ちょっとした聖堂のような立派な建物で、監視カメラまでついてるのそんな立派で厳重警備なダンテさんのお墓ですが、実はこのお墓のすぐ裏手に、もうひとつのお墓がありました。 こんもりと、緑の蔦で覆われた土饅頭みたいなトコロ。背後にみえるレンガ造りの建物は、葬儀が行われた、サン・フランチェスコ教会です。豪華な表のお墓に比べると、なんとも地味~な感じのお墓ですが、それもそのはず。。。 この土饅頭は、第2次世界大戦中、爆撃を避けるために作られた、ダンテさんの避難所だったんです1944年3月23日から1945年12月19日までのおよそ1年半にわたって、ダンテさんを守るためにラヴェンナの人々が作った仮のお墓、というワケなんですねこんなに大切にしているんだもん、いくらお願いされても、フィレンツェには返せないわよね 町の中には、ダンテさんの名前のついた劇場もあるし。。。 通りの名前だって、ダンテさん。ダンテ様サマなラヴェンナですもの、ダンテさんだってきっと、悪い気はしないでしょうネ
September 13, 2009
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幻想的な地下聖堂を持つ、サン・フランチェスコ教会。偉大な詩人、ダンテ・アリギエーリがその生涯を閉じたとき、この教会で葬儀がおこなわれたのだそうです。教会の、向かって左手に、緑が生い茂っているところが見えますが、あの奥にダンテのお墓もあります。 フィレンツェに生まれたダンテさんは、政争のために故郷を追放され、各地を転々と、流浪の生活を強いられます。ミラノやボローニャ、そしてパドヴァなど、彼の足跡を見てきた私にとって、ついに命の幕を引いたダンテさんの終の棲家を目の当たりにして、なんだか感慨深い気持ち。 ダンテさんがラヴェンナへやってきたのは、亡くなる5年前の1316年。ラヴェンナの領主であるグイド・ダ・ポレンタのもとに身を寄せたダンテさんは、「色彩のシンフォニー」と絶賛したモザイクのある町で、あの『神曲』を書き上げたのだそうです。 ちょっとした神殿のようなダンテさんのお墓。小道の突き当たりにある小さなお墓には、たくさんの人が訪れていました。 ダンテさんの生前の姿をうつしたレリーフや、詩聖をたたえる言葉のほかに、お墓の天井からつるされたランプがあります。毎年9月、ダンテさんの命日に行われるセレモニーで灯りがともされるランプ。実はこのランプの油は、ダンテさんのふるさと、フィレンツェから毎年送られてくるのだそうです。追放されてから亡くなるまで、ついに故郷の地を踏むことがなかったダンテさん。フィレンツェは長い歴史の中で何度も、ダンテさんの遺体を移送するように交渉してきましたが、ラヴェンナは断固として断り続けているのだそうです。。。亡くなった後でさえ、故郷に帰れないダンテさん。ホントの気持ちはどうなんだろうって、ちょっと気になってしまったのでした。。
September 12, 2009
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中世に再建されたという、ラヴェンナのサン・フランチェスコ教会。シンプルな聖堂内ですが、正面の祭壇の奥に、初期キリスト教時代の遺構が残っていて、見ることができます。この初期の聖堂も、実はモザイクで飾られていたという豪華なところ。ただ、当時の遺構は現在の教会の地下に残されているばかり。祭壇の奥に、小さな窓のような場所があって、50セントを入れると数分間、地下の遺構がライトアップされるという仕組みになっていますこういうときに限って、50セントコインを持っていない私。しばらく待って、後から来た親子連れの観光客が硬貨を持っていたのでちゃっかり一緒に見させてもらっちゃいましたまるで自動販売機みたいな機械に、コインをチャラン、と入れると、真っ暗だった地下聖堂がいっせいにライトアップされて、視界に飛び込んできます。 覗いてみると、長い年月の間に、雨水がたまって、まるで貯水池のようになっていました昔は雨のたびにたまった水を掻き出していたようですが、今はこうしてたまるに任せているようです。そして、そんな水を透かして、ビザンツ時代のモザイクで飾られた初期の教会の床がドラマティックに光の中によみがえります。 密閉された空間の、さざなみ一つ立たない水の下で、何百年という月日を重ねてきたモザイクを見るのは、なんだかとっても神聖な気持ち。 ・・・金色に照らし出された水の中では、金魚たちが優雅に泳いでいるのでした
September 12, 2009
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ラヴェンナのサン・フランチェスコ教会。偉大な詩人であるダンテ・アリギエーリの葬儀が行われたという教会です。もともとは初期キリスト教時代の聖堂で、キリストの12使徒と聖ペテロに奉献した教会だったところを、中世に再建したものだそうです。アッシジのサン・フランチェスコを思い出す、清楚なレンガ造りのファザードです。 教会の内部もいたってシンプル。キンキラキンのモザイクに溺れた後だけに、さわやかな印象。天井の組み木模様はまるで船の中にいるような感じですネ。正面の祭壇に向かって両側には小さな礼拝堂がいくつかあって、 かわいらしいマリア様の礼拝堂。 12の星の冠をいただいたマリア様。ビザンツ時代のモザイクに比べると、とってもヨーロピアンなお顔立ちになってますネ。こういうところにも、時代を感じます。。。 そしてこちらは、パドヴァの聖アントニオ ・・・相変わらず、美男でいらっしゃいますね、サンタントニオ様でも、教会の名前がサン・フランチェスコだというのに、肝心の聖フランチェスコはいったいドコにいるのかしら。。。。・・・なんて探しつつ、ぐるっと教会の中を一回りしたら、聖堂奥のほうにいらっしゃいました。 マリア様も、サンタントニオも、とってもファンタジックだったのに、サン・フランチェスコだけ、めっちゃリアルなんで、びっくりしちゃいました
September 11, 2009
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モザイクで有名なラヴェンナだけど、町を歩いているともう一つ、「自転車の町」であることに気づきます通りのあちこちで、駐輪中の自転車を見かけるし、 町の中では、自動車よりも自転車の方がたくさん走っています今回泊まったホテルでも、貸し自転車を用意してありました。効率よく町の見所を見て回るのにはすごく便利ですよね☆私は道がわからないのと、もし自転車が盗まれちゃったりしたらヤダな、なんて思って歩いて回ったのですが、こうしてみるとラヴェンナって平和。自転車の前カゴに荷物置いて平気でゆっくり走っているし。 おじちゃんも自転車 マダムも自転車。。。 そして、シスターも自転車今度行ったら絶対、自転車借りてみたいと思ってしまったのでした
September 11, 2009
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紺碧とゴールドのモザイクがまばゆいネオニアーニ洗礼堂。最初に見学したサン・ヴィターレやガッラ・プラチディア霊廟のように高い場所ダケではなくて、目線に近いところで精密なモザイクを鑑賞できるのが魅力 八角形の洗礼堂の中央には、大きな洗礼盤。ヨルダン川に身を沈めて洗礼を受けたジェズ様にあやかって、昔はこんな風に大きな浴槽みたいなトコロで、全身を水につけるやり方だったのですネ。実際、どのくらい大きいかというと。。。 ・・・・お嬢ちゃんが真剣によじ登らないとイケナイくらいなのもちろん、お嬢ちゃんはご両親に厳しくしかられてましたケド。 ・・・でもって、こういう場所にコインを入れるのは万国共通ですネ。いったい誰が始めたんだろう? ここで洗礼を受けた人は、罪を清める水を受けながら、預言者や12使徒、そして同じように洗礼を受けるジェズ様を仰ぎ見たのでしょうね。どんなにかすばらしい体験だったことでしょう。。。 美しいブルーのモザイクに、真夏の暑さもしばし和らいで感じたのでした
September 10, 2009
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ラヴェンナの大聖堂です。18世紀にカトリックのラヴェンナ(チェルヴィア)大司教座がおかれています。裏手から近づくと、大聖堂の中からオルガンの音色が響いてきました。 ドゥオモに隣接して建っているのはネオニアーニ洗礼堂。こちらは5世紀の建物で、やはり内部のモザイクで有名なところです。さっそく中に入ってみると。。。。 イエス様の洗礼の場面の周りに12使徒、そして預言者たちのレリーフが放射状にモザイクで描かれていました 自然の光がふんだんに取り入れられた、明るい洗礼堂は、豪華なモザイクでまぶしいほど。八角形の建物の内側はやはり、エキゾティックなアーチで飾られています。幾何学模様も美しいモザイクですが、イエス様や12使徒たちの表情や衣装がとってもリアルでビックリしてしまいます。 あんまりリアルなものですから、ヨルダン川に腰までつかっているジェズ様の、ビミョ~な部分がスッケスケになっているのが気になっちゃって。。。いくらモザイクとはいえ、ちょっとジェズ様、セクシーすぎです
September 10, 2009
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ラヴェンナのお土産も、やっぱりモザイクこんな風にキラッキラな装飾品もあれば、かわいらしいペンダントヘッドや小物入れ、はたまた「手作りモザイクキット」なるものまで売られていて、自分でもモザイクを作ってみたいというヒトにはオススメ・・・重たいけどネ私も、ラヴェンナではモザイクで作ったペンダントヘッドや小物入れ、絵葉書などを購入。おみやげ物屋のおばあちゃんと、お天気の話などをしながらあれこれと品物を選び、代金を支払いました。金額は26ユーロ。20ユーロ紙幣と5ユーロ紙幣、そして1ユーロをコインで渡すと、おばあちゃんはニコニコしながら、私の手に1ユーロを戻してぎゅッと握らせ、「あとでコーヒーでも飲みなさいネッ」と内緒話でもするかのように小声で言ってウインク「えっ!?」なんてビックリしてる私の手をぎゅっと握ったままニコニコしているおばあちゃん。こういう時って、やっぱり日本人なのね、うれしくてペコペコお辞儀しちゃった(笑)今までは、おつりをごまかされることがあっても、オマケなんてしてもらったことがなかったから、なんだかビックリしちゃったんですよねうれしいサプライズというか、旅先で出会ったやさしいオマケに、心がぽっと温まった私ですラヴェンナのおばあちゃん、今日もきっと誰かに「ほら、これでコーヒー飲みなさいネッ」なんて言っているのかもしれません。。。
September 9, 2009
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絢爛豪華なモザイクで有名なラヴェンナ。サン・ヴィターレ聖堂やガッラ・プラチディア霊廟のほかにも、モザイクで有名なトコロはたくさんあるのですが、こうしてぶらりと町を歩いていても、町のあちこちでかわいらしいモザイクに出会います。 たとえばこの植木鉢素焼きの鉢に、モザイクで模様が描かれていますこうした植木鉢は町のあちこちにあって、モザイクの模様もそれぞれ違っていたりするので、それを見つけるのもまた楽しみの一つになってしまいました こちらの植木鉢は、ひし形の模様~。ローズマリーが植えられているのがイイ感じですネ♪ そしてこちらはギザギザ模様植木鉢の形もちょっと面白いですネ!ラヴェンナの人々の暮らしに密着したモザイクたち。町歩きが楽しくなってしまいますネ♪
September 9, 2009
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キンキラキンのモザイクを堪能したあとは、空腹を満たしましょう♪ラヴェンナでの遅めのランチは、ロマーニャ名物、ピアディーナをいただきますピタサンドみたいですが、小麦粉にラードやオリーブオイルを練りこんで、酵母を使わずに焼き上げたパンのことで、サクっとした歯ごたえと、しっとりした食感が特徴。私がオーダーしたのは、生ハムとなすのグリルをはさんだピアディーナ。アツアツのピアディーナにはさまれて、生ハムの脂肪分が透明にとろけて、かじった瞬間にジュワっと口の中に広がります香ばしい小麦粉の香りと、生ハムのジューシーな脂身、そしてなすのさっぱりとした風味が溶け合ってとってもおいしゅうございました ラヴェンナ市内のおみやげ物やさんのウィンドウには、ピアディーナの作り方がかかれたタペストリーみたいなモノも売っています材料とか、細かく書いてあるけど、やっぱり作るより食べるほうがいいわね
September 8, 2009
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西暦450年に亡くなったガッラ・プラチディアの棺。霊廟は新約聖書の福音書記者たちやアラベスク模様がモザイクで埋め尽くされています。 棺の上のモザイクは、今まさに火あぶりにされようとするサン・ロレンツォ。左手の保管庫の中には、4人の福音書記者による4冊の福音書が収められています。4冊の福音書には左上からマルコ、ルカ、左下からマタイ、ヨハネと名前が書かれています。。。細かいなぁ~~~ そして反対側には、善き羊飼い(=イエス様)の姿。『あなた方のなかに、100匹の羊を飼っているものがいるとしよう。その中の1匹を失ってしまったら、99匹を野原に残してでも、迷った1匹の羊が見つかるまで探し回らないであろうか。そして、もし見つけたなら、喜んでその羊を担いで家に帰り友達や近所の人を呼び集めて、「見失った羊を見つけたので一緒に喜んでください」というであろう。言っておくが、悔い改める1人の罪びとについては、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある』(ルカによる福音書15:4-7)有名な「迷える子羊」というおはなし☆道を見失っても、悔い改める心、神様を信じて求めるこころをなくさなければ、どこにいてもきっと、イエス様は見つけてくださり、抱きかかえて連れ帰ってくれるということ。善き羊飼いとして生きることができればいいのでしょうが、その前に・・・・悔い改めなきゃイケナイこと、たくさんあるわぁ~~~ そして、こちらのモザイクの中には、神様をあらわすギリシャ文字が。『私はアルファであり、オメガである」という黙示録の1節を思い出してしまいますがギリシャ語のアルファベットの最初の文字が「アルファ(α)」、そして最後の文字は「オメガ(ω)。つまり、「最初の者にして最後の者、初めで あり、終わり」というすべての存在を支配するものであることを意味しています神様のまたの名が「アルファ」だったり「オメガ」だというワケではないってコトね 西暦は、イエス様が降誕されてからの年式で数えます。自分が死ぬ20年前にお墓を立てたガッラ・プラチディア。2009年に比べると、1500年以上の歴史がある私たちに比べ、ガッラ・プラチディアとイエス様とはわずか400年の差。時代を経るごとに、ヨーロッパの宗教画や装飾は自分たちの民族に似せて描かれるようになりますから、モザイクたちがよりリアルに見えるのも、この時代だからなのかもしれませんよね
September 8, 2009
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サン・ヴィターレ聖堂の脇にぽつんと佇むガッラ・プラチディアの霊廟。東西に分裂する前の最後のローマ帝国皇帝、テオドシウス1世の娘として生まれたガッラ・プラチディア。イスタンブルを中心に栄えていった東ローマ帝国とは対照的に、ゲルマン民族の大移動と西ゴート族のイタリア侵攻によって、ガッラ・プラチディアは捕虜として南フランスへとつれていかれます。フランスで、ゴート族の王の弟と恋に落ち結婚したガッラ・プラチディアでしたが、授かった子供は夭逝し、夫も戦死してしまい、異母兄である西ローマ帝国皇帝ホノリウスの元へ帰ってきます。その後、ホノリウスの政略的な指示によって、ローマ帝国の将軍と結婚し、息子をもうけますが、その夫も結婚からわずか4年ほどで亡くなると、3番目の夫として名乗り出たのはなんと、異母兄であるホノリウスでしたいくらなんでも異母兄とはちょっと。。。、と言ったかどうかはわかりませんが、ガッラ・プラチディアは息子を連れて東ローマ帝国のコンスタンティノープルへと逃れます。その後、ホノリウスが亡くなると、跡継ぎのいないホノリウスの異母妹であるガッラ・プラチディアが急遽、西ローマ帝国の皇帝に指名されました。現存する重要な建築物などはほとんどがガッラ・プラチディアの治世の元に作られたのだということです。・・・オンナは強し、母は強し! 自らが亡くなる20年前にはすでにこの霊廟を完成させていたというガッラ・プラチディア。皇帝として晩年をローマで過ごした彼女は遺言によって、この霊廟へと安置されたのだそうです。 捕虜から、ついには西ローマ帝国の皇帝にまで上り詰めたガッラ・プラチディア。繊細な中に、強さと鮮やかさをたたえたモザイクを見ていると、波乱の生涯を駆け抜けた女帝のプライドが伝わってくるような気がしてしまいます。。。
September 7, 2009
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ローマ帝国皇帝の娘、ガッラ・プラチディアの霊廟。東西に分裂したローマ帝国のはざまで愛に生き、激動の人生を駆け抜けたガッラ・プラチディアの棺が収められています。小さな建物の中には、彼女の石棺と、周囲に燦然ときらめくモザイクが。 小さな霊廟には、ところどころに明り取りの窓がきられていて、そこにはめ込まれたアラバスターのうすい板がそとの光を吸収して、独特の幻想的な空間を演出しています。 薄く板状に加工したアラバスターの窓。自然石ならではのマーブル模様が素敵です丸見えのガラス窓よりも、いがいと便利なのかもしれませんネ
September 7, 2009
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めくるめくモザイクと荘厳な空間が満喫できる、サン・ヴィターレ聖堂。あんなにキラキラしていた内部とは打って変わって、地味な外観ですそして、この聖堂の裏手の小道を数十メートル進んだところにもうひとつの見所である、ガッラ・プラチディアの霊廟があります。。 カラっと晴れた夏空の下、松の木立の脇に見える小さなレンガ積みの建物が、かつてのローマ皇帝の娘、ガッラ・プラチディアの霊廟です。小さな建物は入場制限があって、ある一定の人数が中に入ると5分間ほど見学できて、そのあとは出なくてはいけません。でも、そんな制限されてまでみんなが見学にくるこの霊廟、やっぱり中がきになりますよね♪狭い扉を入ると、中は薄暗くて、目が慣れるまでに少し時間がかかります。やがて、目が暗がりに慣れてくると・・・・。 静謐の中で悠久の輝きを放つ、深いブルーのモザイクに包まれている自分たちを発見することになるのでした美しいモザイクの数々は次回また♪
September 6, 2009
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