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レグ・・・・小石の砂漠
エルグ・・砂の砂漠
ハマダ・・岩の砂漠
サハラ砂漠はエルグが5分の1で、中心部はほとんどハマダで3000mを越えるピラミッド状の岩山あるそうです。
ベルベル人の家 3 (リビング、寝室)
北アフリカの先住民族ベルベル人の家 Part 3
ベルベル人と横穴住居 2
アラブ人の侵入とベルベル人のアイデンティティ
2000年以上前に ローマ人は自分達の住んでいる所以外の民族をバルバロス(野蛮人)と呼んだそうです
。それをアラブ人が受け継いでベラベルと呼んだのがベルベル人と言う呼び名のルーツだったと言います。
アラブ人の侵入とベルベル人のアイデンティティ
アラブ人が侵入してくるのは7世紀頃ですが、彼らは西北アフリカを 「マグリブの島」
と呼んだそうです。 地中海とサハラ砂漠と言う砂の海に囲まれた島のような土地
と言う事らしいです。(ラクダは砂漠の舟らしい・・・。)
最初にこの地を支配したフェニキア人も、後から来るギリシャ人もローマ人も、そしてヴアンダル人もマグリブの富を奪ったけれど宗教的に押さえる事は無かった。
怒濤の勢いで聖戦(ジハード)を掲げて西へ西へと攻めてきたのがアラブ・イスラム軍だった
そうです。
この時、アルジェリアのアル・カーヒナ女王のように アラブ・イスラム軍に抵抗したベルベル人もいた
そうですが、 大部分はイスラム教とアラビア語を受け入れ
てしまったようです。
受け入れた者は属国として政権を確立し、イベリアを支配したムラービト廟やムワッヒド廟のようにベルベル人の王国を築けたけれど、それは民族としてのベルベル人のアイデンティティを失わせた大きな要因
だった・・かもしれません。
マトマタの初期ベルベル人の穴居住宅
マトマタ周辺の山間にある住居は、やはり当初はアラブ・イスラムの攻撃から一時的に身を隠す為のものだった
らしい。(ある意味、防空壕に近かったのだろう。)
それが、短期間ではすまなくなり、生活を続けなければならなくなった時に穴居住居となったようです。
前回のホテルもこのような作りですが、全体を撮影していなかったので、下は本から参考に持ってきたものです。
おそらく昔はハシゴで上り下りして、侵略された時はハシゴをはずしていたのかも・・。
直径10m程のクレーターのような中庭を有し、横に掘られた独立した穴はダイニング、リビング、寝室と個々独立した住居部を持っている。
とは言えこれはどう見ても鉱物の採掘場にしか見えない。使われていないのだろう。
前回のベルベル人の一家の客間
今や電気が来てるからテレビもミニ・コンポもある。
集落を発見されにくくするために考え出された住居・・ですが、乾燥地帯で、雨量が少なく、夏は暑さをしのげやすく、冬は保温に適して住み心地は良いようです。
この地方の気候風土にあった独自の独創的な住居形態に間違い無いようです。
中庭を中心にして各穴がリビングであったり、ダイニングであったり、寝室であるわけですが、アリの巣穴のように中で繋がってはいません。
移動には必ず中庭(外)に出る事になります。
寝室
そこそこ広い部屋です。
本当に穴を掘っただけなのでしょうか・・。くずれないのかな・・・。
リビング
薄手の敷物ではさすがに直座りは寒そうですが・・。
物置? 隠れているのはバイクかな?
文明の利器が増えるのは仕方ない事です。
誰もが楽して生活してたいし・・・。
先程ベルベル人のアイデンティティ・・とか書いたけど、日本だって特に最近の若者達にはアイデンティティのかけらも無いもんね・・。
因みに日本人のアイデンティティの根幹になるのは、やはり家族、職業、国籍となるようです。
家の増築をしているようです。
さすがに今は穴を掘らないのでしょうか? それとも民家の周りに掘る場所が無くなったからでしょうか?
途中からレンガになっているのも気になりますが、屋根はどうするのでしょうね。
次回キッチンで終わりです。
リンク ベルベル人の家 4 (フランス移民のベルベル人)
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