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私は、と、書き始めたが、これでよかったのかどうか、気になる。小生は、いや、僕は、それとも、拙者は、とか、我輩は、と書くべきであったか。悩ましい。そういえば、つい先ほどまで、なにか別のことで悩んでいたようにも思える。なにを悩んでいたのであったか。おお、そうだ、新規テーマに関する件であった。あまりに重要であるために、すっかり失念していた。どうでもいいことは、いつまでも覚えているのであるが。「味噌煮込みウドンに関する研究」も、そろそろ、終了すべきであろう。超音波エコー法による解析が未着手のままで推移しているのではあるが、いくら業務のためとは言え,不得意なものを対象として扱い続けるのは、つらい。少なくとも、研究対象を味噌ラーメンに変えるべき時期にあろうかと推定されたのだが、これでは、新規性に乏しい上に、入手したサンプルを実験に使う前に、食べてしまう可能性が高い。危険である。さすれば、別方面への展開を図らねばなるまい。新規案件は、ないだろうか。「ランジュヴァン方程式を用いた、長襦袢の構造解析」研究のためのサンプル購入に際して、いくぶんかの躊躇を覚えるような気がする。コンピュータシミュレーションに留めておけば、良いのだろうか。また、英文/仏文/独文表記法も調べる必要がある。ランジュヴァンがLangevinだから、長襦袢はLonggevinで良いのだろうか。語学が得意な同僚に確認することが必要だろう。ああ、面倒だ。「レーザードップラー法による、水戸納豆と甘納豆の識別に関する研究」部下であるフランス人たちに、このテーマの意義を説得するのは困難だと予想される。対象を、ゴーダチーズとカマンベールチーズに変えるほうが好ましいのかも知れぬ。再考を要する。「インドコウモリの歴史的糖尿病に基づく、新規物質の探索」おお、これは、なかなかに画期的だ。何故、発注したのかが判らない、三つの報文への投資が生きるであろう。しかし、いったい、なにを研究するのか、を、テーマ審査をする人間に理解いただくのは、むつかしい。なにしろ、書いている私自身にも、内容がわからない上に、審査するのは、私自身だからだ。「ある方の頭の中に生起していることが疑われるスピノーダル分解過程の解析等による、トリアタマ状態に関する研究。および、その結果に基づく、抜本的改良法の提案(その185)」これは、部下の一人による提案である。第185件目であり、彼女の願いが切実であることが伺える。研究対象となっている「ある方」が、誰なのかが気になる。確認しておくことが必要であるような気がする。
2006年02月26日
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表記の映画を見ていて、登場人物の一人が、気になった。気になった、というのは、かなりアイマイな言い方だが、この映画の冒頭で主人公が会う人々のなかの一人が、つまり、『アマデウス』で皇帝ヨーゼフ二世を演じた方で、あの役の印象が強く残っているがために、自分が『スリーピー・ホロウ』のストーリーに入り込むのに、すこし手間取った、というほどのことを言っている。ひとつの役柄の印象が、それを観た人の記憶に強烈にインプットされてしまうということは、俳優にとっては、プラスの部分と、逆に、その後の俳優としての存在においてマイナスになる点との、双方の意味を持つだろう。『アマデウス』で言えば、トム・ハルスも、同様だ(そういえば、この俳優は、その後、どうしているのだろうか)。アン・バンクロフトさんのミセス・ロビンソンや、ショーン・コネリーのボンドも、そうした例だろう。今は、第三作が準備中だというから、役柄のイメージが残っていることは、むしろ好ましいのだろうけれど、マット・デイモンも、ボーンとしての第三作が完成した後には、上記した方々と同様のジレンマを抱えることになるのではないだろうか。以上、実にとりとめもないことだが。
2006年02月22日
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昨日の午後、同僚のひとりであるシルヴィアが、変な顔をして、僕のオフィスに現れた。ああ、この書き方は、おかしい。御読みのかたがたに、誤解を与えるであろう。なぜならば、彼女は、既報の通り、目の覚めるような美女だからだ。「シルヴィアは、美女と思うか?」と、仮に100人に尋ねたならば、“YES”と答える方の数は、少なくとも、3億人にはなるであろう。そう、変な顔、ではなくて、怪訝な顔、より具体的には、「何がなんだか、ワケがわかんないわ。まったく!いやになっちゃう。」と言いたいけれど、それを口にするのをおさえているような顔、と書けば、正確で科学的な記述になるであろうか。いや、けっして、そのようなことはないであろう。おお、ところで、彼女は「先日、御注文された論文が、届きました」と言って、僕に3つの書類をくれたのであった。それらのタイトルを見て、僕は、彼女の表情の原因が理解できた。なぜならば、届いた3報の内容/表題は、次の如きものだったからだ。(1)北米における、コウモリの生態系に関する、動物学者による論文(全145ページ;英文)。(2)糖尿病に関する、医学論文(全65ページ;英文)。(3)インドの、ある川の流域の、紀元前30世紀から紀元前15世紀までの期間を扱った、歴史学者による論文(全180ページ;英文)。ところで、世を忍ぶ仮の姿である、研究者としての小生の専門は、物質科学である。以上の3報により、画期的研究への展開が期待できる、と思うのは、僕だけだろうか。
2006年02月18日
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CD,“Bohemian Christmas Pastoral Songs”[Harmonia mundi PR 250 519]を、ようやく手に入れた。どうでもよいことだが、このCDの英文タイトル、ジャケットやライナーノーツの表紙には、“Bohemian Christmas Pastoral Songs”とあるのに、ライナーノーツの中(本文)では“Czech Christmas Pastorals”とある。最終校正段階で、二種類の表記が混在していることを見落としたのだろうか。ところで、このCDは、ポップさんの歌を収めたもの。だから、探し求めていたのであるが。Vladimir Valek指揮/Prague Radio Symphony Orchestra.収録されている曲の作曲家の名前をながめていて、15人の、どの一人の名前をも、自分が聞いたことすらないことに愕然。18世紀初頭から19世紀の終わり(つまり、モーツァルトの前の時代から、ドヴォルザークとほぼ同時代の頃までの間、ということになる)の15人。どの方もが、チェコの作曲家だということはあるにしても、知った名前がゼロ、という事実をなんとも情けなく思ったのだが、ライナーノーツを読み、すこし安心。というのは、上記の作曲者たちは、地方の小学校の教師だった方々、と判ったからだ(つまり、「知って」いたら、そのほうが、むしろオカシイということになるだろう)。作られてから二世紀以上を経た曲が、それぞれの地方にきちんと残っていることに驚く。そして、そうした音楽を、丹念に集めて、この録音を企画し、実現した方々に敬意を表したい。この録音は、1991年のクリスマスに際しての放送のために、同年11月と12月に、プラハで収録されたものである由(つまり、ポップさんが他界する二年前、だ)。小編成の合唱や、ハープシコードの音、そうしてもちろん、ポップさんの声が、とても心地良い(なお、ポップさんが、全ての曲を歌っているわけではない。このCDは、器楽のみで演奏される曲や、他の歌手の方々による歌をも含んでいる)。どの曲からも、素朴で敬虔な印象を受ける。それから。いずれの作品も、“東欧”という地域が存在した時代には、“西”に紹介されることはなかったらしい。「このパストラル集が、欧州の最終的統一に対しての、一助とならんことを!」と結ばれた解説文が、この録音が行われた時期-ベルリンの壁の崩壊から二年-を伝えてくれている。
2006年02月17日
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サヴァリッシュ/バイエルン歌劇場の、モーツァルト『魔笛』。1983年9月に収録されたもので、パミーナは、ポップさん。日本でもDVDで持っていたのだが、置いてきてしまったので、再購入。今回、手に入ったのは、2005年秋に当地(欧州)で(再)発売されたDVDで、5.1チャンネル仕様になっているのが、嬉しい点[ドイツ・グラモフォン 00440-073-4106]。やっぱり、この、ポップさんのパミーナは、いい。豊かで、落ち着いて、しっとりとした声。“Ach, ich fuehl’s”での、抑えた哀しみを、諦めへと持ってゆく表現は、なんど観ても絶品だと思う。アーノンクール/チューリヒ盤でのバーバラ・ボニーの可憐さも、それから、クレンペラー盤でのグンドゥラ・ヤノヴィッツのはかなさも、それぞれにいいのだけれど。
2006年02月15日
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フンパーディンクのオペラ、“Koenigskinder”[『王の子供たち』]。昨年末に手に入れたアンソロジー集“Fairy-Tale Music”で、初めて序曲などを聴いた作品。その後、すこし調べてみて知ったのだが、万人向けと言える『ヘンゼルとグレーテル』とはそうとうに違った感じの作品らしい(たとえば、『王の子供たち』では、主人公の二人は、劇の最後には死んでしまうのだ)。余談だが、バイエルン国立歌劇場では、今シーズン、このオペラが上演されているらしく、ネット上には、総支配人である、かのSir Peter Jonasが書いている解説記事が見つかった。“かの”、とは、Sir Jonasは、ポップさんの二人目の御主人だったかただから、というほどの意味。ポップさんと結婚されていた頃は、まだSirではなくて、シカゴ響の芸術監督だったかと思う(やや記憶が不正確だが)。さて、『王の子供たち』。音源としては、モノーラルも含めると、現在、入手可能な全曲盤が、三種類見つかったので、ステレオ版二つのうち、評判のよいほうを購入してみた。ハインツ・ワルベルク指揮/ミュンヘン放送管/バイエルン放送合唱団/テルツ少年合唱団による、1976年盤。王女役の、ヘレン・ドーナトが、素晴らしい。Spielmann(英訳だと、Fiddlerとなっているが、ストーリーから判断すると、「吟遊詩人」というのが最もちかいだろうか)役のヘルマン・プライ。なにも申しません。ただ、聴き惚れる。王子の、アドルフ・ダラポッツァも、美声(このかたの声は、ポップさんの、バーンスタイン盤『フィデリオ』で聴いているはずなのだが、印象に残っていない。情けない)。ああ、しかし、この二枚組の全曲盤,一枚目を聴き終えたところで、力尽きてしまった。合計153分を一気に聴きとおすというのは、なかなか、しんどい作業だ。いつか再挑戦、としよう。
2006年02月12日
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雑誌“LE FIGARO”.モーツァルト生誕250周年を記念しての、フルカラー、114ページの特別号。初めて入ってみた書店(つまり、CDショップではない店)で見つけたので、購入。12.9ユーロ(約1800円)という価格から、付録のディスク(DVD)は、オペラのダイジェストだろうと思ったら、それは間違いだった。カール・ベーム指揮/ウィーン・フィルによる、モーツァルト『フィガロの結婚』。1976年のウニテル版、全181分を収めた、贅沢なディスク(現在、単体でDVDディスクとして買うと、34ユーロ。うーむ。差額は、雑誌“LE FIGARO”さんが、自腹をきってくれたということなのだろうか)。ヘルマン・プライのフィガロが、いい。歌のうまさ、演技のうまさに加えて、このかたの天性の明るさが、見ていて実に楽しい。同じ印象は、ショルティの『ヘンゼルとグレーテル』(TV放映版)でのペーター役や、ポップさんと共演の『カルミナ・ブラーナ』(これもTV放映の映像)を見ていても、持った。ミレッラ・フレーニという歌手は、あまり好みではなかった(自分が、蝶々夫人の役を通じて作ったイメージによる)のだが、このベーム版でのスザンナを見て、そうとうに印象が変わった。なかなか愛らしいではないか。マリア・ユーイングのケルビーノも、少年という雰囲気。大人の印象を与える方(及び/あるいは、そのような年齢にある方)が演ずるのに比べて、よりそぐわしい。伯爵と伯爵夫人とが、それぞれ、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウとキリ・テ・カナワ。だから、この御二人(が演ずる役柄)が、すこし硬い感じを与えるのだけれど、このことによって、フィガロ、スザンナとケルビーノとが、いっそう引き立てられていて、劇全体として、品よくまとまっているのだというべきだろう。
2006年02月08日
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ブリギッテ・ファスベンダーの、1986年のニューヨークでのリサイタルを収めたCD、“Lieder”[ARTS ARCHIVES].ベルク、オーゲルマン、マーラーの作品を合計17曲。ピアノ伴奏は、John Wustmannというかた(初めてきく名前)。ベルクの“Vier Lieder”作品2.四曲。自分が、これまでに、こうした感じの曲を聴いてこなかったからだろうが、なんとなく後味のよくない音楽(好き嫌いを言っているに過ぎない)。オーゲルマンの“Tagore Lieder”これも、よくわからん。不安でもなく、喜びでもなく、哀しみでもない。陽が昇る、陽が沈む、といった記述で、自然や悠久といった概念を語り、それに対比させて個人の生、というものをあらわそうとしたもの(?)。タゴールの詩は、欧州人には、新鮮に映るのかも知れない。マーラーは、『つのぶえ』から。一つ一つの単語を、かっちりと(ときにドラマティックに)発音し、聴衆に語ってきかせる、といった印象。リサイタルなのだから、アタリマエだ、とも言われそうだが。録音もいい。リサイタルのライヴ録音なのだから、拍手もあったほうが臨場感が増すと思えるのだけれど、すべてカットされており、なんとなく味気ない仕上がりなのが、やや不満に感じられた点。
2006年02月06日
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パリで見つけたので、ついつい買ってしまった...のではなくて、予定通りに購入した、ディスク(DVD)。Anne Sophie von Otter,“A Concert Music by Offenbach”.Marc Minkowski(指揮)/Les Musiciens du Louvre - Grenoble/Le Choeur des Musiciens du Louvre.2001年12月の、シャトレ座でのライヴ。オッフェンバックの作品から、アリアやデュエット、合唱曲などを組み合わせてのコンサート。このライヴに関しては、CDを既に持っているのだが、映像を収めたディスクがあると知ったからには、それを入手することは、当然の理であろうと思われた。少なくとも、自分には。オッフェンバックの音楽の楽しさを、映像のおかげで改めて知った次第。“La Belle Helene”合唱(正確には、女声合唱と、ソプラノとの競演と言うべきだが)が、いい。指揮をしながら、ミンコウスキも歌っている。“Lischen et Fritzchen”予告編を見て「オランピア」と、早合点して書いた(そうして、それは誤りであった。情けない)のが、この作品のデュエット。映像で見ていると、ミンコウスキが、歌い手を引き立てるために、オケを押さえ気味にしているのがよくわかる。“La Perichole”フォン・オッターさんの、ほろ酔い状態(もちろん、演技だが)でのアリア、“Ah! quel diner je vien de faire”は、絶品。観客も、スタンディングオベイション。それも当然だな、と思えた。さいごは、『天国と地獄』(『地獄のオルフェ』)の「地獄のギャロップ」。フォン・オッターさんも合唱に加わっての、華やかなフィナーレ。フォン・オッターさんの衣裳も、みもの。紫のドレス、真紅のドレス、将官の衣装など、見ているだけでも楽しい。やっぱり、映像も入手してよかった、と思った自分であった。これは自己満足でもなく、出費の正当化でもなく、正直な感想である。《付記》アクサンを使用して入力すると、エラーが出たので、上記の作品タイトルはアクサンを用いずに記します。したがって、“Helene”や、“Perichole”、“diner”は、フランス語としては正しい表記ではありません。
2006年02月05日
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椎名林檎『唄ひ手冥利~其ノ壱~』。このCD(二枚組)は、いや、このCD(二枚組)も(笑)、nshさんのトコロで知って、手に入れた一枚。椎名林檎、名前は知っていたのだが、曲を聴いたことはなかった。う~む、この歌手の歌が、実にいい。選曲も、心憎い。堪能致しました。「亀パクトディスク」名前も演奏も、初めて聞く/聴くのだが、虐待グリコゲンというバンドが、いいのである。「小さな木の実」僕は、ひそかに、この曲は名曲だと思い続けてきたのであるが、ライナーノーツで、世間でも“不朽の名曲”であるとされていることを知って、驚いた。「木綿のハンカチーフ」アレンジも、椎名林檎のうたも、とてもいい(太田裕美ちゃんファンだから、そう思うのではない。曰く言い難いのであるが)。“love is blind”、”more”、「白い小鳩」と、とにかく一曲ごとに、歌い方が違っていて、それが自然に聴こえるのが、すごいところだ。「森パクトディスク」「枯葉」には、ただ驚嘆。「黒いオルフェ」でもそうだが、椎名林檎の低音がいい。”I won’t last a day without you”つまり、カーペンターズの「愛は夢の中に」なのだが、宇多田ヒカルとのデュエット。こりゃ、絶品だ。注:「亀パクトディスク」、「森パクトディスク」というのは、2枚のCDそれぞれに付されていた名前。なにゆえに、そうした名前なのかと思われたかたは、是非、御購入して御確認ください。
2006年02月04日
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