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現在、画策中である。2つの場所への訪問を。ひとつは、ミュンヘン。そうなのだ、かの大目標が、未達成のままに推移しているのだ。この遅さが、仕事の上でのことであったならば、不思議は無い。なぜならば、私は、仕事がら、仕事をしないことを要求されているからである。ところが、ミュンヘンは、なによりも重要な、ポップさんのことなのだ。この遅さは、問題である。いったい、どうしたことか。隣国ではないか、今から、車を飛ばしてでも行けるではないか。それから、もうひとつの場所、ウホルスカ・ヴェシュ。行き方や、ホテルなど、ずいぶんたくさんの情報は見つかった。それは、よい。ところが、それらのページのほとんどが、チェコ語(か、スロヴァキア語)なのだ。私に読めるはずが無い。どうしようか。おお、そうだ。最終で最強の手段がある。才媛、カテジーナが、いるではないか。天の采配というべきだろう。彼女があまりにも美しいためか、あるいは、私の持病(突発性アルツハイマー)のためであるのか、をつきとめるには、今後の研究を待たねばならないだろうが、彼女がプラハ出身であることを、私は、たびたび失念してしまう。それから、「ちょっと調べて欲しいことがあるから、あとで、頼む」と彼女に電話してから、その“あとで”が、3週間後になってしまうことがあるのも、不思議だが、ほんとうだ。どうしてだろうか、カテジーナは、徒歩で、わずか10秒で行けるオフィスにいるというのに。以上、縷縷記したごとき、複雑な背景と理由から、ポップさんゆかりの場所、ふたつへの訪問が未達である。これを解決するためには、カテジーナと、超美人秘書に、職務を交代してもらうのが適当ではないだろうか、と思えてきた。なぜ、そうであるのか、は、理論的には、よくわからないのだが。あるいは、私自身が、カテジーナの秘書になる、という抜本的改革が、最速での解決になるのかも知れない。
2006年09月27日
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9月11日。昨年は、ボケが急速に進行していたため、ニケ月以上が過ぎてから、自分が何をしていたのかを、考えていた。今年は、その反省の意味もあって、すこし気にかけていたため、今日の日付のことは、一日の初めから、アタマの中にはあった。そうして、一日が終わろうとしている今、5年という歳月の長さが持つ力に、感じ入る。あの日、渦中といえば大げさではあるが、僕はクアラルンプールに出張で滞在していて、翌日からのスケジュールを、変更すべきかどうか、やや悩みつつ、就寝したことを覚えている。翌朝の、空港での、経験したことのない、緊迫感。なにか、ツクリモノのなかに、自分がいるような気がして、現実味が極めて希薄だった。2002年、チャンギ国際空港で迎えた、9月11日。この日が、もっとも、緊張していたように思う。自分だけではなく、世界が。2003年には、テラー博士のことなどを、考えていたようだが、この時点では、自分の緊張感が、相当に低下してしまっている。それから、2004年。一日の終わりになって、初めて、日付のことに思い至っている。2005年は、冒頭に記した通り、その日付に、特段の思いすら持たずに一日を終えた。平和な状況というものが、アタリマエのもので、いつでも周りにあるものだと考えるほどにはなっていないつもりだが、客観的に見ると、2002年の時点でのそれと比べたら、今の自分の意識は、そうとうに低く、平和ボケ状態であるのは、事実だ。歳月の力が大きい、と書くと(じじつ、上にはそう書いたのだが)、ある意味で、責任逃れだと思う。自分の意識の低下という事実のことを、改めて考えてみなければならない。
2006年09月11日
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同僚の一人(旧東欧出身の美女、G嬢)に、ある調査を依頼した。その際、結果を、いくつかの地域ごとに分けて報告するように、と指示して。今日、調査結果を受け取った。「ヨーロッパ」、「アメリカ」、「アジア」の3つの部分からなるレポートだった(アフリカに関しては、報告すべき内容が無かったとのこと)。それを読んで、僕は、驚いた。「アジア」の部分に、次の国々に関する結果が入っていたからだ。イラン、インド、ウクライナ、オーストラリア、ロシア。僕は、しばらく考えた後に、悟ったのであった。G嬢にとって、「ヨーロッパ」とは、旧西欧と旧東欧。「アメリカ」とは、北米と南米。「ヨーロッパ」と「アメリカ」、それからアフリカ(及び北極と南極と)を除いた、“それ以外”の地域が、「アジア」となるのだ、と。
2006年09月05日
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モーツァルト没後200年だった、1991年、僕はカナダに住んでいた。そうして、モーツァルト生誕から250年の今年は、ヨーロッパに住んでいる。以上から想像すると、ドヴォルザーク没後150年である、2054年にも、ヨーロッパに在住していることになる可能性が高いのではないかと思われる。うむ、それまで、あとわずか、48年しかない。あわただしいことだ。いや、それよりも問題なのは、その翌年、2055年をどうするか、だ。この年は、エネスコ没後100年であるので、ルーマニアに住んでいそうな予感がする。しかし、同時に、この年は、太田裕美ちゃん御生誕100周年でもあることから、日本に住んでいなくてはいけないようにも思えてきた、今日このごろである。ルーマニア、日本、どちらにすべきか。悩ましい。
2006年09月03日
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