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徳山ダムのことに関しては、三年前に書いた。今日、ネット上のニュースで知ったのだが、名古屋高裁での二審でも、原告側の控訴が棄却されたらしい。裁判長の言は、以下の内容を含んでいた由。(1)「将来、水需要が上昇する可能性は否定できず、需要計画は合理性が認められる」(2)「特別会計を設けるか、一般会計で処理するかは事業者の裁量に委ねられる」ひとつめの点。将来ではなく、過去における将来、つまり、現在に於いての水需要に対しての必要性が、建設要否の判断基準であったのに、それを、現在における将来のことに、すり替えてしまっている。「可能性は否定できず」という、あいまいな表現での、責任逃れには、呆れる。ふたつめ。つまり、事業者の自由、やりたい放題、との判断を下していることになる。司法が、行政におもねって(あるいは、べったりで)下した判決。国、県、市、町、村、の各レベルで、土木業者との結託で進められる行政が、日本という国からなくなる日が来ることは、望み得ないのだろうか。
2006年08月31日
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ポップさんの『追想記』(“LUCIA. Erinnerungen an Lucia Popp.”)。購入してから三年半が経つのだが、読み通しておらず、拾い読みが続いている状態。そのため、いまだに「新しい発見」がある。これを、喜んでいいのか、或いは、嘆くべきなのか。以下は、最近の、三つの発見(昨年の、三つの発見とは、別)。発見(その1)[p.201]ユリアーネ・バンゼが、ラジオ番組でのインタヴューで、「ルチア・ポップとブリギッテ・ファスベンダーが師」と語っているらしい(直接、師事したというわけではないようだが)。とくにポップさんに関しては、こう話した由。“Ich habe sie leider nicht mehr persoenlich kennengelernt, aber wenn ich ihr zuhoere, geht mir das Herz auf.”「残念なことに、直接 お知り合いになることは出来ませんでしたが、このかたの歌を聴いていると、胸がすっきりとするのです」(少々、意訳)。発見(その2)[p.206]リリアーナ・ニキテアヌの名前を、自分は、ヴェルザー・メストの『ヘンゼルとグレーテル』で初めて知ったのであったが、なんと、アーノンクール/チューリヒ・オペラの『コシ』で、ポップさんと共演しているではないか。1993年、つまり、ポップさんが逝去された年。ポップさんがフィオルディリージ、ニキテアヌは、デスピーナ。ああ、それから、調べてみて知ったのだが、この舞台を収めた映像が、残っているらしい。なんとかして、手に入れるか、或いは、その映像を見せてくれるところに行くか、せねばなるまい。発見(その3)[p.244]1992年、プラハでの、ノイマン/チェコ・フィルによる、ベートーヴェンの第九。ソロイストとして、ポップさん、ペーター・ザイフェルト(つまり、ポップさんの御主人)、ペーター・ミクラシュと共演されていたのは、ベルナルダ・フィンク。
2006年08月29日
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Scientific American[2006年6月号]の書評欄に、編集者からの推薦になる一冊として、Abraham Paisの“J. Robert Oppenheimer: A Life.”が挙げられていた。エイブラハム・パイスに関して、自分は、“Strange Beauty”に描かれた姿でしか、知らない。そうして、“Strange Beauty”は、Johnsonが、Gell-Mannへのインタヴューに基づいて執筆したもの。ということは、パイスによる、オッペンハイマーの伝記を読む場合、僕は、ジョンスン、ゲル・マン、パイス、という三人の方々の「目」(“フィルター”と言っても良いかもしれない)を通して見る、ということになってしまう。このことは、オッペンハイマーに対する僕の見方について、客観性が増すということを意味するのだろうか。それとも、その正反対、ということになるのであろうか。
2006年08月27日
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ひとつめは、Scientific American(2006年6月号)、pp.58-65の記事。“Almost all grave software problems can be traced to conceptual mistakes made before programming started.”かなり意訳するが、「ソフトウェアに関する、深刻な問題というものは、プログラミング以前の、基本的構想の段階での誤りに起因する場合が、ほとんどである。」というほどの記述。基礎、出発点が誤っていたら、その後に、どれだけきちんとプログラムを構築しても、出来上がったものは不安定でしかない、と言ってもいいだろうか。たしかに、そうだろう。もうひとつは、ニュースで見つけたもの。偽装するために組み込んだソフトウェアの名前が“COCOM”(!)。悪い冗談としか思えない。
2006年08月25日
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ドヴォルザークの『ルサルカ』については、ENO(English National Opera)のDVDや、ポップさんのガラ・コンサートのDVD(及び、各種のディスク)で、このオペラの全部を、あるいは、アリア「白銀の月」を、観たり聴いたりしてきている。さいきん、ダルゴムイシスキーという作曲家による、同名のオペラがあることを知った。僕は、この作曲家の名前すら知らなかった上に、ドヴォルザーク版への対抗作(ないしは、二番煎じ)かとすら思ったのであったが、なんと、「傑作」という評があるではないか。であるならば、聴いてみなくてはなるまい。さっそく手に入れたCDは、スヴェトラーノフ指揮/Grand Symphony Orchestra of Radio and Televisionによる、アンソロジー集。『ルサルカ』からは、前奏曲だけ。なかなかに劇的。そうして、さらにもう少し調べてみて、おどろいた。ダルゴムイシスキー版は、ドヴォルザーク版(1900年)よりも前、1856年に作られているらしい。「二番煎じ」などと(根拠も無しに)感じた自分に呆れる。原作。ドヴォルザークの作品が、人魚姫伝説ほかに基づくものであるのに対して、ダルゴムイシスキー版は、プーシキン原作とのこと。そして、なんと、粉屋の娘が、王子に捨てられて、ドニエプル川に投身するというストーリーであるらしい(その後、水の精の女王になって、人間に復讐、という流れらしい)。これは、是非とも、映像をも含めたソースを探さねばなるまい。
2006年08月23日
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実に久しぶりに、リストを更新した。ここでいうリストとは、作曲家の名前であるリスト、ではなくて、ポップさん関係の本(といっても一冊だけだが)とディスクとのリストの(1)から(4)までのことである。どのくらい久しぶりか、といいますと、前回以来ですから、ソウトウに久しぶりのことだと見られているようです。が、詳しいことは、まだ判っておりません。うむ、ニュースみたいであるなあ。おお、ニュースといえば。数えてみると、保有するディスクは、合計で248枚になった。あと2枚で、250枚。ということは、記念すべき、モーツァルト生誕250周年に、250枚に達する可能性が高い。そんなに買い込んで!、と叱られる可能性は、さらに高い。さらば、その前に、対策だ。250枚=N枚とする。すると、log(N)=2.398でしかない。ごく僅か、と言うことができよう。しかし、この手は、既に、使ったのであった。成長が見られない。Orz...
2006年08月21日
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表記は、2003年6月の、サン・ドニ音楽祭のライヴを収めたDVD。タイトル(“e”は、正確には、eアクサンテギュ)は、英語で言えば、“Sacred Arias”。Christophe Rousset指揮/Les Talens Lyriques.歌は、サンドリーヌ・ピアウ。モーツァルトの8作品で構成されたコンサート。途中に、シンフォニア・コンチェルタンテ[K.297b]が配されていて、ピアウさんが、休憩できるようになっている。“Ruhe sanft”は、リン・ドーソンや、クリスティーネ・シェーファーの歌でも聴いたことがあるし、よく聴き返す曲でもあるのだが、やっぱり名曲だ、と改めて思った。ピアウさんの声は、高さからいえば、マグダレーナ・コジェナーの声と、ベルナルダ・フィンクのそれとの、ちょうど中間ぐらいか。歌っているときの表情が、ときに、少々こわい。シンフォニア・コンチェルタンテ[K.297b]。バレンボイムの“The Ramallah Concert”での演奏も良かったが、Les Talens Lyriquesも、素晴らしくうまい。とくに、オーボエのかた。さいごを、コンサート・アリア“Ah se in Ciel” [K.538]で、軽やかに、明るくまとめてくれていて、夏の陽光に似合う、楽しいコンサート。《蛇足》見ていて気になったのが、画面の切替わりの頻度。歌い手、指揮者、演奏者たちのアップを多用しているので、頻繁に映像が替わり、真剣にみていると、少々、疲れる。
2006年08月20日
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先日、あるところで、体力年齢を測定する機会があった。実年齢よりも、11歳若いという結果が出た。うむ。なかなかである。おお、それから。精神年齢を測定する機会(または機械)が、あったなら。おそらく、実年齢の1割ほどという結果になるであろう。うむ。我ながら、すばらしい。Orz...
2006年08月19日
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表題の本を、読んでいる。Jung Chang,Jon Halliday著で、KNOPF社から2005年刊行。日本語訳も出ているようだが(『マオ-誰も知らなかった毛沢東』)、日本から取り寄せると、少々高いようなので、隣国イギリスの書店から英語版を入手。22.5ユーロだった。索引を含めると、800ページを超えるハードカヴァー。本文は、631ページまでなので、ようやく、三分の一ほどを読み終えたことになる。ゼロから出発した人間が、権力を握るに至る過程には、常識では考えられない行動がとられることも多いだろう。しかし、それにしても、ここまで読んできて、この人物の行動の異常さ、そうして、その動機の、あまりの卑小さには、呆れるほかない。その卑小な動機が発端となって、招かれた(結果として作り出された)、とんでもない数の人々の生に対する変化。別離。流転。侮辱。破滅。抹消。抹殺。著者が、主観を交えないで記述してくれているから、事実の持つ重さが、厳しく伝わってくるように感ずる。
2006年08月18日
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表記は、2002年11月、新潮社刊。つまり、矢川さんの没後に出版された一冊。三つの小説を収めたもの。『ファラダの首』ファンタジーといえば、よいだろうか。最後の二行が、気にいらなかった。『受胎告知』少々、期待はずれ。習作か、とも思えた。もっと短い作品であったほうが良かった、という気がする。タブッキの名前が出てくることには、嬉しくなったが。『湧きいずるモノたち』既に別の雑誌などに発表されている、前の二つの作品とは異なり、未発表らしい。三作のなかでは、この短編が、もっとも、読み物として楽しめた。ただし、読み終えると、なにか、序章だけで終わってしまった長編のようにも感じられた。実際に、長編になる予定であったのかも知れないが。
2006年08月15日
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コルンゴルトという作曲家のことは、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターのシャトレ座ライヴを収めたDVDを観て以来,気になっていた。ようやく、『死の街』(『死の都』)に関して、いくつかの候補のなかから、次のディスク(DVD)を選んで、手に入れた。Jan Latham-Koenig指揮/Orchestre Philharmonique de Strasbourg/Opera national du Rhin[ARTHAUS MUSIK 100342].冒頭のデュエットが、まるで、クライマックスのような趣き。パウル役の、Torsten Kerlという歌手が、全編、でずっぱりに近く、大変。第二幕の冒頭で、舞台には急に、色彩があらわれる。この演出が、きれいだ(第一幕が、白黒に近い世界であったことに、ここで気付かされる)。酒場のシーンは、まさに、極彩色。第三幕のスポットライトによる構成が、舞台を幻想的なものに見せてくれる。観て、聴いて、楽しめる舞台。映像には、カーテンコールまでもが、きちんと収められているおかげで、臨場感も味わうことができる。(個人的)蛇足。冒頭と終幕に登場する、ブリギッタ。その風貌、扮装が、どうしても、以前になにかの雑誌で見た、『中国のニクソン』のなかの登場人物の写真に重なり、『死の街』に入り込むのに、すこし、手間取った。
2006年08月13日
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ポール・ギャリコの『ほんものの魔法使』を読了。単行本としては1976年に大和書房から発刊されていたそうだが、今回、自分が手に入れたのは、今年出版された、ちくま文庫。読み始めてすぐに、まるで吸い込まれるように、本に没入したのは、この本の前には、いったい、どの一冊で、だっただろう。あるいは、いつのことだっただろう。心踊る物語。「生」というものの不思議さ、貴重さを謳いあげてくれてもいる。翻訳が、矢川澄子さん によるものであるからこそ、いっそう、のめりこむことができるようになっている、という部分もあるだろう。しかし、それだけではなくて、ギャリコのストーリーが、素晴らしくいい、というのも事実。この作家の本を読むのは、実を言うと、『ほんものの魔法使』が、まだ、二冊目(一冊目が、『雪のひとひら』 )。しかし、これら二冊で、ポール・ギャリコという作家は、自分のなかにおいて、エーリヒ・ケストナー と同じ位置を占めるかたとなった。
2006年08月10日
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「ひとまず、達成」と書いたのは、『牧人の王』を入手した際で、昨年11月のこと だった。さて、昨日は、ずいぶん探していた、 “Jugendstil-Lieder” が、隣国ドイツから届いた。67ユーロ(約9700円)は、まあ妥当な価格。予算よりも、下回った、というべきかも知れない。なお、この価格が、仮に赤味噌に対するものであったなら、1トンに対応するものであっても、高いと思うことであろう。ならば、赤味噌を購入するに際して、1グラムあたり、9700円をもらえるのであれば、どうだろうか。いや、それでも、検討したくない。1ミリグラムあたり、この額の報奨金をもらえる、というシステムがあるのなら、前向きに検討する可能性があるかも知れない。うむ、恐るべし、赤味噌。おお、そうであった、“Jugendstil-Lieder”.この1枚を得たことにより、『追想記』の247~249ページにある、『フィデリオ』以下の全18アイテムの内、17アイテムの入手を終えたことになる。残るは、あとひとつ、Weinbergerの“Schwanda, der Dudelsackpfeifer”.なんとかして、見つけねばならない。
2006年08月10日
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“Mozart. Ses plus beaux operas.”[アクサン、略]これも、ひとつ前の日記に書いた事情のおかげで、手に入れたディスク(二枚組のCD;これらもEMIから、最近、発売されたもの)。一枚は、ジュリーニ指揮/フィルハーモニア管、合唱団の『ドン・ジョヴァンニ』。もう一枚が、かの、クレンペラーの『魔笛』。どちらのディスクも、ハイライト盤とはいうものの、『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』のそれぞれが、66分、68分も収録されていて、聴きごたえは、充分。それに、『魔笛』のほうは、クレンペラー盤であることから(つまり、もともと、台詞は録音されていないものなのだから)、夜の女王のアリア、二曲で、ポップさんに関わる部分は、網羅していることになる。この二枚セットで、6.7ユーロ(970円)。こうしたアイテムは、あと5セットほど、さりげなく購入しておきたい(20年以上前に購読していた、某雑誌でよく使われていた言い回し、のつもり)。そう、理由を挙げるならば:[1] ルチア・ポップのファン、として[2] “LuciaPoppファン”として[3] モーツァルト・イヤーに欧州に在住していた記念に[4] グンドゥラ・ヤノヴィッツのファン、として[5] そのブックレットの稀少価値、から第五に挙げた理由には、補足説明を要するだろう。ブックレットの3ページ目の右カラムのトップ(下のイメージ)を御覧下さい。そう、『魔笛』に、なんと、ジョーン・サザランドさんが、ドンナ・アンナ役で、飛び入り出演(友情出演?)しているのです。これには、クレンペラーさんもびっくりされたことでしょう(笑)。まあ、ブックレットを作る際、なんらかの手違いで、2ページ目(下のイメージ)の『ドン・ジョヴァンニ』の出演者の第一行目が、『魔笛』のほうにもコピーされてしまった、ということのようです。《蛇足》(その1)クレンペラー盤の『魔笛』の録音に於いては、ステレオ感を高めるために、タミーノ役のゲッダさんは、(舞台でそうするように)スタジオ内を走りつつ歌ったそうで、それを見たクレンペラー博士は、ゲッダさんが逃亡した、と勘違いして、指揮をやめてしまったというエピソードがあるらしいです。(その2)それから、個人的には、サザランドさんは、ドンナ・エルヴィラのほうが適役なのではないかとも思います。
2006年08月09日
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モーツァルト・イヤーであるおかげで、このことをうたっての、新しいCDを、ずいぶんたくさん、目にする。先週、見つけて買った、“Mozart. Les plus beaux Choeurs & Airs sacres.”[注:アクサン、略]は、EMIから最近発売されたもの。店頭で見たときには、包装状態のせいで(価格を示す大きなシールがあるため、裏面をみても)、ポップさんの曲が含まれているということしかわからなかったのだが、当然、購入した。ポップさんの曲は、ひとつだけ、だった。だったのだが、ゲオルク・フィッシャー指揮/イギリス室内管の「エクスルターテ・ユビラーテ」全曲(15分36秒)が収録されていた。ムーティ/ベルリン・フィル盤の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」ほかを含め、トータルで78分のディスクが、3.3ユーロ(480円)。「エクスルターテ・ユビラーテ」は、“Great Moments”や“Great Opera Divas. Lucia Popp. ”などでも(同音源で)持ってはいるが、いくつあっても、嬉しい。“Mozart. Les plus beaux Choeurs & Airs sacres.”、あと5枚くらい、買っておこうか。
2006年08月09日
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表題は、「夜」、「月」を対象とした歌を集めたCD[1995年録音。NONESUCHレーベルで、WPCS-5039]。ドーン・アップショウのコレクションが、なかなか進まない。このCDが、シャトレ座ライヴのDVD以後では、はじめて入手したもの。ポップさんシリーズも、そろそろ終盤に近くなった(いや、中盤をようやく過ぎた、という段階か。廃盤を、丹念に捜し求めねばならなくなってきた)ので、アップショウさんコレクションも、加速せねばなるまい。ところで、“White Moon”.ウォーロックという、聴いたことがない作曲家の「眠り」から始まる。伴奏は、マーゴ・ギャレットというかた(このかたの名前も、初めて聴く)のピアノや、ギター、チェロ、バンジョー、パーカッションに、オルフェウス室内管、と、多岐で、聴いていて楽しいディスク。 ブラジル風バッハ 第5番アーリーン・オジェーの“American Soprano”にも収められていた曲。オジェーさんの声に比べると、アップショウさんの声は、高音部が、やや冷たい感じ。だから、チェロの響きとは、オジェーさんの声のほうが、よく溶け合うように思える。モンテヴェルディ 『ポッペアの戴冠』から 「やさしい忘却」アルナルタのアリア。いい曲だ(と、書いていながら、このオペラは、フォン・オッターさんのDVDで、全体を通して既に観て/聴いているのに、このアリアのことが記憶に無い。なんと情けないことだろうか)。ルース・シーガー 「ホワイト・ムーン」この作曲者の名前は、初めて聴く。どうも、この曲のような、不協和音の多い音楽は、好きになれない。音楽だけで聴くのではなくて、劇や映画の中の音楽として聴いたら、気にならないのかも知れないが。ダウランド 「もう泣くな、悲しい泉」パーセル 『妖精の女王』から 「見よ、夜までもが」これら二曲は、いずれも、(このディスクでは)ギターが伴奏。ENOの『ルサルカ』で知った歌手、アイリーン・ハンナンの歌でも、聴いてみたい、と思った。
2006年08月09日
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購読している雑誌のひとつ、BBC Music の最新号で知った。ロレイン・ハント(Lorraine Hunt Lieberson)さん、7月3日に御逝去の由。50代で癌のため、というと、ポップさんや、アーリーン・オジェーさんと同じではないか。。。(とくに、ポップさんとオジェーさんとは、生年も、没年も、そうして、生命を奪ったのが脳腫瘍であった、という点までもが、一致している。マーラーの交響曲とか、アイヒホルン盤の『ヘンゼルとグレーテル』などの録音でも競演している二人の「生」の交錯からは、宿命とでもいったことを思うこともある。)実をいうと、僕は、まだ、ハントさんのディスクはひとつも持っておらず、たしか、出張の際のフライトで、いちどだけ声を聴いたことがあるだけ。その曲がなんだったかも記憶していないのは、情けないかぎりだが、気に入りの歌手に加えるつもりでいたのであった...
2006年08月08日
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表記は、昨晩、聴いていたディスク。2002年にSony Music Entertainmentから発売されたもので、タイトル通りに、19曲のデュエットを収めたもの。アメリカ語に浸りたくなったときに、実に好適。そういう動機でも許されるだろう。バーブラさんのデュエットの相手の、なんと贅沢なこと。バリー・マニロウ、バリー・ギブ、ニール・ダイアモンド、ブライアン・アダムス、レイ・チャールズ、セリーヌ・ディオン、ドナ・サマー、ジョニー・マティス、クリス・クリストファースン、キム・カーンズ、ジュディ・ガーランド、バーブラ・ストライサンド[...不思議に思ったのだが、過去の音源と改めてデュエットを行った、という形で作られたトラックもあるのだろうか。ライナーノーツには、解説が無いが...]第一曲目、バリー・マニロウとの“I Won’t Be the One to Let Go.”から、引き込まれてしまった。全曲を、堪能。キム・カーンズとの “Make No Mistake, He’s Mine.” は、懐かしい。アルバム“Emotion”から(FMで聴いて気に入ったのだが、このアルバムは、結局、買わなかったな)。22年ぶりか、この曲を聴くのは。すこし高めの男声と歌ったものが、とくに、いい。ジョシュ・グローバンとの、“All I Know Of Love.”ブライアン・アダムスとの、“I Finally Found Someone.”ヴィンス・ギルとの、“If You Ever Leave Me.”それにしても、ジョシュ・グローバン。なんと、いい声だろう。
2006年08月07日
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表記の本を、僕は、“Predator”(P)の後に、読んでしまった。購入する前に、出版された順序を調べない、ズボラさのためだ。今になって調べて、四年前に読んだ”The Last Precinct” (TLP)と、“Predator”との間には、2冊、“Trace” (T)と “Blow Fly” (BF)が、この順序で刊行されていることを知り、“Trace”を手配した。つまり、自分は、出版順序から言えば、TLP → T → BF → Pの順に読むべきであったところを、TLP → P → BF → Tというケッタイな順序で読むことになる。もっとも、『検屍官』シリーズを、ここまで読んできてみて、初期の数冊は、順序にしたがって読まねばならないだろうが、TLPと、それから後の作品は、それほど厳密に順を追って読まなくても、さほど問題ではない、という思いもする。半分は、ズボラへのイイワケであるが、残りの半分は、ホンネである。ああ、肝腎の“Blow Fly”.この一冊も、そうとうに粗雑な作りだと感じた。だいたい、登場人物の内の二人が、この小説の中でとる行動は、いくらなんでもルール違反だ。作者と読者との間での、暗黙の了解とでもいうべきほどの「ルール」に即して、の意味だが。
2006年08月06日
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“BRICs”、または、“BRICS”。前者だと、ブラジル、ロシア、インド、中国の4つ。後者だと、それら4つに、南アフリカを併せた5ヶ国。しかし、どうしたことだろう、前者(つまり、最後のsが小文字の表記)を「ブラジル、インド、チャイナ、中国、ロシア」としている記事を、今日、目にした。記す順序を(わざわざ)変えたのも謎だが(BとRの二文字を、ブラジルとしたのか?)、「チャイナ」と「中国」の違いも、謎である。“Cs”の二文字をCの複数と解釈して、チャイナ と 中国、なのか?ならば、ロシアは、どこから引き出したのだろう?
2006年08月05日
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三年前に、文藝春秋社から、単行本で刊行されたのは、知っていた。その当時、欲しいと思い、買うつもりでいたのだが、なんとなく(つまり、特別な理由があるわけではなくて)買わずにいたのだが、最近、文春文庫として発売されたのを知ったので、入手。この作家の、明晰で、しかも詩的でもある文章が、僕は大好きだ。また、自分自身、「食」ということには、興味を持っていて、このサイトでも、それに関わることを書いてもいる(三年前の秋や、同じ年の暮など)。蛇足。さて、『神々の食』。沖縄での様々な食を、紹介してくれたもの。おいしかった、とか、貴重だ、といったことを記して、単に礼賛するという形の本ではなくて(そもそも、池澤さんが、そのようなことをなさる筈はないのだが)、それぞれの食に関して、歴史、背景、製造工程、食し方までをも記してくれていて、さらに、この本は、全体として、現代の「食」というものに対しての危惧をも示してくれている。垂見健吾さんという写真家(初めてきく名前なのだが)の写真が、また、いい。それから、「アイスクリン」。この言葉を、今日、この一冊を読むまで、高知県の専売特許(死語?)だと思っていたのは、高知県人の小生である。情けなや。なお、小生、まだ、沖縄には行ったことも、ない。これも、どうでもいいこと、だが。
2006年08月04日
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確認の必要があったため、念のために調べた。そうして、初めて、自分がとんでもない思い違いをしていたことを知った。昔、住んでいた街に、オキーフ・センター(O’Keefe Centre)というところがあった。まあ、別に伏せる必要も無いと思うので書くが、この「街」とは、トロント。僕は、“オキーフ”とは、当然、ジョージア・オキーフだろうと、思い込んでいた。しかし、これが、実は、ビール・メーカーの“Carling O’Keefe Breweries”に由来するものであった、と、知ったのが、今から10分ほど前。つまり、自分は、16年以上も、誤った理解を続けてきたことになるのだ。Orz...そうして、さらに知ったのは、その建物の名前が、既にオキーフ・センターではなくて、“Hummingbird Centre”に替わってしまっている、ということ。まあ、こちらの「改名」のほうは、1996年になされたものらしいし、カナダを離れて以来、15年、かの国は御無沙汰しているので、まあ、いいか。。。。って、なにが「いい」のか、よくわからんが。
2006年08月02日
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半信半疑であったため、「ほんとうだろうか?」と書いた。それから、なんと、八ヶ月が経ってしまったのだが、今日、ようやく、ほんとうであるということが判った。そう。ポップさんの可憐なマルツェリーネを収めたDVDが、今週、いや、今秋、発売されるのだ。1978年1月の、バーンスタイン指揮/ウィーン国立歌劇場での『フィデリオ』のライヴ。一日もはやく秋になってほしい、と思う、小生であった。
2006年08月01日
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