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終点は天空の城春の雷 別れ雪古城を抱きてそっと消ゆ 長野駅見送る義母の春ショール 旗源平の賽奔放に春満月 旅ひとり「はくたか」を追ふ百千鳥 校印の長閑なかすれ学割証 車窓行く「北陸ロマン」春の雪3月7日のプレバト俳句。お題は「北陸新幹線」。◇森迫永依。旗源平の賽さい奔放に 春満月(加賀・旗源平)春満月よ 賽の目は奔放に(添削後)先生の査定は「現状維持」でしたが…わたしは非常に面白い句だと思いました。季語にも歴史を感じさせる風情がある。これがボツになったのは惜しまれる。地方の風習を取り入れる俳句はべつに珍しくないし、それを前書きにすべきという先生の主張は納得しがたい。実際のところ、7・5・5の破調にした添削句にくらべても、むしろ原句のほうがいいんじゃないかと思います。前書きとして排除したら、サイコロが勢いよく跳ねる様子を、あたかも源平の武者に見立てるような、せっかくの効果もかえって失なわれてしまう。…とはいえ、議論すべき点は他にも3つほどあります。7・7・6の字余りについて6音の「旗源平」「春満月」という、撥音「n」をふくんだ漢字三文字が、シンメトリックに「ha」で頭韻を踏みながら呼応し、まるで平家物語のような独特のリズムと効果を生んでおり、わたしはこの字余りがまったく欠点とは感じません。切れの位置について意味は中七で切れてるはずなのに、形容動詞が連用形「に」で繋がるようにも見えます。しかし、これは、跳ねたサイコロが満月に重なるような効果ともいえるので、あきらかな欠点とまでは言い切れない。形容動詞「奔放なり」の選択についてこの「奔放」という語は、サイコロの予測不能な動きだけでなく、義経の型破りな戦法なども想い起こさせるけど、一方では「不埒」というニュアンスもあるので、伝統行事にふさわしい言葉なのか判断に迷います。たとえば「跳躍す」「乱舞す」など、ほかの動詞に置き換える選択もありえる。どこにも切れを入れず、たとえば「ha・ha・ha」と頭韻を踏んで、旗源平の賽はねあがり春満月とすることも出来ます。◇勝村政信。終点は天空の城 春の雷作者は「越前大野城」のことを詠んだらしいけど、先生はこれを幻想句と解釈したようです。そもそも「天空の城」と呼ばれる場所は、マチュピチュをはじめ世界中にたくさんあるし、前書きに⦅越前の旅⦆とでも書かなければ、具体的な地名を特定できません。しかも、越前大野を「終点」とする電車やバスの路線は、ネットで調べてみても見当たらないし、じつはそれ自体がフィクションなのかもしれない。なので、これは先生が言うように、宮崎駿や宮沢賢治っぽい幻想句として味わうのが妥当でしょう。◇犬山紙子。長野駅 見送る義母の春ショール義母の立つホームや 風の春ショ-ル(添削後)上五「長野駅」は、映像というよりも状況説明に見えます。また、動詞「見送る」の主語も明確とはいえず、「私を見送る義母」とも読める一方で、「私が見送る義母」とも読めてしまう。とりあえず、春ショール巻きたる義母の長野駅のようにすれば駅は映像化できますが、これでは「出迎え」か「見送り」かも明示できない。じつは添削句も、どちらかといえば「出迎え」のように見えるし、のみならず、二句一章に分けた結果、ショールを巻いてるのが義母なのか私なのか、それすらも判然としなくなっている。こうした情報の正確性を優先させて、かりに「長野」という駅名だけを諦めるなら、見送りの義母のショールや 春の駅のような解決策もありえます。◇的場浩司。別れ雪古城を抱きてそっと消ゆ古城抱く雪 あえかなる別れ雪(添削後)もし上五で切れる二句一章なら、A:最後の雪が降っている。私は古城の残像を抱きしめて去る。みたいな意味に解釈できるし、もし切れのない一句一章と見れば、B:最後の雪が古城を抱くように降り積もって消えた。と擬人化をふくんだ時間経過の描写になる。それによって「抱く」「消ゆ」の主語が変わります。作者は「B」の意図で詠んだらしいけど、動詞の主語を読み迷わせるのもあるし、雪が「降り積もってから消えるまで」ってのは、俳句が描写する時間としては長すぎる。そして、動詞の「抱く」もさることながら、下五「そっと」という副詞も安易な擬人化です。かたや添削句のほうは、同じ「雪」を二度描写するリフレイン的な手法。◇中田喜子。旅ひとり 「はくたか」を追ふ百千鳥ももちどり先生の査定は1ランク昇格でしたが…たしかに取り合わせが模範的とは思うものの、内容の面でちょっと疑義がある。春の季語「百千鳥」は、さまざまな種類の小鳥が鳴き交わす様子のことで、いっせいに群れをなして飛ぶ様子ではありません。そもそも、さまざまな種類の小鳥たちが、停まった車両のうえで戯れるならともかく、走る新幹線を群れをなして追うってのは、どれほどリアリティのある光景なのか疑わしい。正直、ちょっと嘘っぽいのです。なお、北陸新幹線「はくたか」の名称は、立山の"白鷹伝説"に由来してるとのことで、その意味でいうと、この句は、春の小鳥たちが冬の鷹を追う比喩とも読める。◇フルポン村上。校印の長閑のどかなかすれ 学割証うーん、ここまでくると好みの問題ともいえますが…いったい、どこの誰が、校印のかすれを見て「春の長閑」を感じるのか?ハンコのかすれに季節感なんかないでしょ。つまり、「ハンコのかすれが長閑である」ってのは、ごく主観的な作者の印象にすぎないわけで、およそ客観写生からは程遠いというべきなのです。こういう主観を押しつけられると、読み手によっては「しゃらくさい」と感じるし、わたし自身もそこに引っかかってしまう。…とはいえ、こうした主観の独白もふくめて、「長閑な春の景色のなかに一人の学生がいる」ってのは、客観的な映像として見えてくるのですよね。それは紛れもない事実。作者の主観そのものに違和感を抱けば、否定的な評価にならざるをえないけれど、その先に見える客観的な景にまで辿りつけば、一転して肯定的な評価にもなりうる。そこらへんが賛否の分かれ目になると思う。いずれにせよ、村上は、「ペンの減り」だの「目の潤み」だの、「窪みの浅さ」だの「ハンコのかすれ」だの、変な作風で味をしめちゃったなあ…と思います。半径30cmの世界に目を向けるのはいいとしても、変なところに詩情や季節感を見出すのは、ほとんど特殊体質のようになっている。◇梅沢富美男。車窓行く「北陸ロマン」春の雪車窓には春雪 「北陸ロマン」流る(添削後)谷村新司の追悼句なのでしょうか?「北陸ロマン」という曲が、新幹線の車内チャイムになってるそうです。おそらく、「発車のメロディと春雪の景色が車窓を流れていく」みたいな一句一章の内容なのでしょうね。しかし、それを構造的に組み立てられず、二句一章とも三段切れとも見える形になってるし、その結果、動詞「行く」の主語が、本来は《北陸ロマン&春の雪》のはずなのに、字面では《車窓 or 北陸ロマン》のように見えてしまう。そもそも、この「行く」という動詞を、景色が「流れ去る」という意図で使ってるのか、雪の北陸へ「向かう」という意図で使ってるのか、作者自身のイメージが曖昧なんじゃないかしら?もともと曲名だけで7音もあるので、あくまでそれを使うとしたら、添削のような字余りに収めるしかありません。◇清水アナ。春眠のA席 金沢切符はらり句またがりの二句一章ですが、2つの場面を取り合わせてるというより、「春眠のせいで切符を落とした」との因果関係です。無理やりな造語の「金沢切符」は、金沢行きの切符という意味なのでしょうが、たとえば「金沢で発行された切符」とか、たとえば「金沢市内を周遊できる切符」とか、そういう誤読も不可能とは言いきれない。そもそも17音に収めるには、「春眠」「金沢行きの列車」「切符を落とす」ってのは、やや材料として多すぎます。まあ、無理をするなら、金沢までの春眠 切符いずこと17音に出来なくもないけれど。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥前半カッコいいのに惜しい…😢#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/Sfykefn7si— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) March 5, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.03.11
だいぶ遅れをとりましたが、「アストリッドとラファエル4~文書係の事件録」第7話の《死神の呪い》と、最終話の《失われた記憶》を見ました。◇◇まずは第7話《死神の呪い》から。いきなりですが、ニコラの台詞です。ハロウィンの起源はケルトのサウィン祭で、あの世へと通じる門が開かれて、死者の魂が帰ってくる晩ですよ。たぶん、このエピソードの隠れテーマは、ブルターニュ地方のケルト文化だったのよね。◇フランス北西部のブルターニュ地方は、イギリス海峡に面した半島部分に位置するのだけど、5~6世紀ごろに、ブリテン島からケルト民族(=ブリトン人)が移住し、Bretagne(ブルターニュ)という地名も、ラテン語の「Brittania」(=ブリトン人の土地)に由来するらしい。現在でもなお、フランス語とは異なる「ブルトン語」が話されてて、ドラマのなかでは、フルニエ先生だけが理解できる言葉だったようです。ヨーロッパのなかで、もっともケルト系の言語が残ってる地域なのですね。ブリトン人の移動。https://ja.m.wikipedia.org/ケルト系言語の分布。https://ja.m.wikipedia.org/ブルターニュ地方に伝わる死神のアンクウ(L'Ankou)も、そんなケルト文化の名残なのかもしれません。◇ちなみに、この回に使われた音楽は、こころなしかハリーポッター風だったのですが、ブリテン島のウェールズやスコットランドにも、ケルトの文化は残ってるみたいだし、ハリポタに出てくるホグワーツ魔法学校も、スコットランドにある設定らしいから、もともとケルトっぽい要素が入ってるのかしら?ハリーポッター風の音楽?Erwann Kermorvant「Night Walk」◇◇さて、次は、最終回《失われた記憶》です。ラファエルはいままでにない大ピンチ!交通事故に遭って、記憶喪失になって、殺人容疑までかけられてしまった。逆行性健忘は、月9「ONE DAY〜聖夜のから騒ぎ〜」にも出てきましたね。◇この回の隠れテーマは、おそらくサッカー界の闇だったのだと思う。以下は、ニコラたちの話です。ジャン・マルク・ルーヴェのような代理人は、おもにアフリカや南米に行って世界的なスターになれる原石を探す。選手の家族は借金をして、名門クラブのトレーニング費用を法外な現金で払わされる。なかにはヨーロッパのビッグクラブで成功した例もあるが、競争に負けた子たちは容赦なく捨てられ、犯罪組織の餌食になり、麻薬や窃盗、売春に手を染める。ラファエルは、ルーヴェのことを「人身売買と現代の奴隷制の黒幕」と呼んだ。実際に、こういう問題はあるようです。映画 『ソカ・アフリカ -欧州移籍の夢と現実』お金を要求するだけして、サボのように選手を遺棄してしまうような人身売買めいた代理人に騙されている選手がほとんどなのがアフリカの実態だと、同じアフリカの代理人(FIFA公認)は語る。しかも、その被害は問題視されながらも変わっていないし、クラブ側もそれをさして問題視はしてない。1996年に16歳でカメルーンから欧州に来た Njiki Bodo 選手は、フランスやベルギーのクラブをたらい回しにされたあげくに、ほとんど奴隷的といえる契約にブリュッセルの路上で困窮することになり、欧州でスキャンダルとして大きく報道された。しかし、その実態は十数年たっても改善されたとはいえないようだ。英国のガーディアン紙は、ビッグクラブを夢見てやってくるアフリカのサッカー少年たちが、路上でニセブランドのカバンを売るような境遇に陥っていると告発している。https://www.asahi.com/sports/soccer/world/goal/GOC201301290057.htmlサッカーと貧困ビジネスの闇…悪質詐欺師がサッカー少年を騙して人身売買「サッカーでの栄光を求めて、アフリカからヨーロッパに人身売買される未成年は、年間15,000人以上と推定されています。プレミアリーグは、悪質なエージェントに騙されないよう注意勧告した結果、被害は減少しています。しかし、それでも詐欺被害は無くなりません」イギリスのスポーツ安全保障センターのフレッド・ロード氏が指摘するように、弱者から金を搾り取る悪質な詐欺は後を絶たない。アフリカの少年達は偽造パスポートを渡され、プレミアリーグと全く関係のないネパールなどの国に送られ、お金も身分証もないまま、違法薬物の運び屋や過酷な肉体労働を強いられる。https://bq-news.com/bq180730a性奴隷にされたサッカー選手7名が救出される…人身売買組織が関与『Marca』によれば、今回スペインの治安警備隊にあたるグアルディア・シビルによって救出されたのは南米出身の7名で、その中には未成年の選手も1名いたとのこと。彼らは、ある組織によって「給与が高い仕事とプレーできるクラブ」を約束されてスペインに連れて行かれていたという。しかし、いざスペインに到着すると、組織は選手たちのパスポートを剥奪し所持品や金品なども没収。カディス県にあるプラド・デル・レイという街の小さな部屋に彼らを住まわせ、同性愛者向けの売春を強要していたという。https://news.line.me/detail/oa-rp82321/b4a63c773d70ラファエルが殺人現場で見たポスターには、メキシコ風の骸骨の絵と「CONCERT XOCHITL」の文字。XOCHITLは、メキシコの女性の名前でしょうか?自殺したディエゴ・ラッソは南米の選手かもしれません。なお、日本では、小学館と漫画家の関係が取り沙汰されましたが、代理人=エージェントってのも安易には信用できませんね。◇◇それはそうと…第6話では、ラファエルがノラの恋を後押ししましたが、第7話では逆にノラがラファエルの恋を後押し!そして、ついに最終話では、記憶を失った2日間のあいだに、◆署で1回 ◆車の中でも ◆ソファでも合計6~7回もバンしたって。(…笑うとこ?)署内ってのは、さすがにどうなの?…(~~;結果、ラファエルは妊娠!一方、テツオは奨学金を打ち切られて東京へ?!ええ~?!そんな終わり方?でも、シーズン5が撮影中なのだそうです。最終回の挿入曲。Racoon Racoon「Unnamed」↓それ以前の挿入曲のプレイリストもありました↓https://open.spotify.com/playlist/6w01cEYoiWUvQ0tRJPQdcH
2024.03.09
日本アカデミー賞の授賞式を見ました。およそ20年前、井筒和幸の「パッチギ」をおさえて、山崎貴の「三丁目の夕日」が12部門総ナメにしたときは、さすがに出来レース感がバリバリだったので、思わず不満たらたらの記事を書いたものですが↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200603030000/去年は、わたしも「ゴジラ-1.0」の出来にかなり満足したし、今回の日本アカデミー賞は、ノミネートされた作品のラインナップを見るかぎり、どれが受賞してもおかしくないほど豊作だったので、授賞式を見ていても楽しかった。濱口竜介の「ドライブマイカー」が、海外のみならず国内の賞でも評価されたあたりから、全体的に映画界の意欲が高まってる気はする。◇去年は、坂元裕二の「怪物」の脚本がカンヌで評価され、ゴジラと宮崎駿のアニメも海外でヒットし、ヴェンダースの作品もオスカーにノミネートされ、かつてないほど日本映画が国際的に注目されました。関東大震災100年目に作られた「福田村事件」も、クラファン予算の自主映画ながら話題になりました。できることなら、山田洋次じゃなく宮崎駿の作品を、アニメ枠ではなく一般の作品賞枠でノミネートしてたら、賞予想はもっとヒートアップしただろうに!と悔やまれる。◇なお、主演女優賞はともかくとして、助演女優賞は安藤サクラじゃなくてもよかったよね。逆にいうと、作品賞の枠が豊作だったわりに、助演女優賞の枠は不作だったのかもしれませんが…。◇それから、坂元裕二が脚本賞にノミネートされなかったのは何故?もしかしたら、ノミネートしなかったのではなく、本人が拒否した可能性もあるかしら?日テレとなんらかの距離を取ってる気もしなくはない。でも、いちおう一昨年には「初恋の悪魔」を書いてるんだし、べつに日テレと関係が悪化してるわけでもないと思うけど。ちょっとそこは不可解でした。『怪物』 豪華版【Blu-ray】 [ 安藤サクラ ] 楽天で購入 初恋の悪魔 Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ 林遣都 ] 楽天で購入 anone【Blu-ray】 [ 広瀬すず ] 楽天で購入
2024.03.09
日テレ「ANOTHER SKY」のMCは、いつのまにか八木莉可子に変わってる!そして、いつのまに萌歌はメキシコへ行ったの?姉の萌音が、> 長期休暇もらって家族4人でメキシコに里帰りしたい!って言ってたの最近だよね。ひとりで抜け駆けww◇姉にくらべて、まだ幼かった妹は、メキシコ時代の記憶がちょっと薄いのでは??と思ってたのだけど…全然そんなことなかったね。ふつうに会話もできて、メキシコ舞踊もバリバリおどれるし、音楽や食べ物も覚えてるし、街並みも、生活の記憶も、かなり鮮明に覚えてるみたいです。姉妹で同じこと言ってるwhttps://mdpr.jp/news/detail/3799772#google_vignette上白石萌歌さんが八木ちゃんと旅をするなら…?#アナザースカイ #Pixelで撮影 #上白石萌歌 #メキシコ pic.twitter.com/tF2aQnpfbN— ANOTHER SKY | アナザースカイ (@ANOTHERSKY_NTV) February 22, 2024上白石萌歌&八木莉可子&石田真澄は青森へ?#上白石萌歌 さんが今とても気になる人を訪ねてお話を伺う連載!✨「上白石萌歌のぐるぐるまわる、ときめきめぐり」Vol.7は、写真家 #石田真澄 さんが登場!👀 ⏩https://t.co/IajnyIMOoP@moka_____k @adieu_staff @Masumi_Ishida_ pic.twitter.com/ZA0DuJ893M— 装苑ONLINE (@fashionjp) July 28, 2023 八木莉可子×石田真澄 3年半の記録 「八木莉可子はそのままでいいよ って受け止めてもらった気がする」 #八木莉可子 #石田真澄 #PitterPatter #写真集 https://t.co/N67Mf8s9vx— CREA (@crea_web) June 30, 2022◇~ソチミルコ~Xochimilcoアステカ時代の歴史が残る世界遺産の湖上都市メキシコシティの南部に位置し、ソカロ周辺の歴史地区とともに世界文化遺産に登録されているソチミルコ。水路が発達しており、アステカ帝国の繁栄を支えた重要な水上都市として「南米のベネチア」とも呼ばれている。現在は当時の水路を利用し、カラフルな小舟「トラヒネラ」に乗って運河を渡る遊覧船ツアーが行われている。運河には、お土産や食べ物などを売る舟や、マリアッチと呼ばれる陽気な伝統音楽を奏でる楽団を乗せた舟もあるそう。上白石さんは、ブルーの花冠とマヨネーズとチーズがたっぷりかかった焼きとうもろこしを購入。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/萌音が語ったソチミルコ。ソチミルコという街があるのですが、運河が流れていて、カラフルなボートがいっぱい並んでいるんです。そこには観光客が乗るボート以外に、トウモロコシ屋さんのボートとか、マリアッチが乗っているボートもあって、トウモロコシが食べたくなったら「お願いしまーす!」って呼んで買ってみたり、マリアッチのボートを呼べば、私たちのボートに乗ってきて演奏してくれたりするんです。そこは大好きでしたね。https://transit.ne.jp/2023/06/002242.htmlhttps://t.co/tP8PzJrMxX pic.twitter.com/Yh55fQ4RHt— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 2024念のために補足すると、ソチミルコ=南米のベネチア…とはいうものの、そもそもメキシコが「南米」ってのが間違いで、地理的にいえば完全に北米なのよね。南米でも中米でもない。わたしも萌歌の「ダリア」のことを書いたときに、メキシコを完全に「南米」扱いしてましたwhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202106160000/それどころか、わたしは、ある時期まで、コロンビアと位置関係を混同してた!でも、メキシコはテキサスに隣接してるし、場所によっては車でカリフォルニアに行けますよね。メキシコといえば、サボテンの生える砂漠のイメージがあるけど、それってたぶんテキサスとかネバダとかも同じ。…にもかかわらず、メキシコ=北米のイメージが薄いのは、ラテンアメリカを「中南米」と同一視するから。ラテンアメリカは北アメリカ大陸のメキシコをふくみ、南アメリカ大陸のガイアナ・スリナムをふくまない。日本においては「広義のラテンアメリカ」を総称して中南米と表すことが一般化している。https://ja.wikipedia.org/wiki/ラテンアメリカつまり、メキシコは、地理的には「北米」なのだけれど、英語圏の米国&カナダとは違って、旧スペイン領でありスペイン語圏なので、文化的には「ラテンアメリカ」に分類されます。そのうえ、日本ではラテンアメリカを「中南米」と呼ぶので、結果的にメキシコは、北米なのに中南米…みたいなことになるわけですねw米国のなかでさえ、カリフォルニアやテキサスやルイジアナは、スペイン系やフランス系の人が多いから、文化的には「ラテンアメリカ」に近いのかもしれません。トラヒネラからウーパールーパー博物館に上陸。アナザースカイ オフショットメキシコで出会った仲間たち🐍🐈①と② ソチミルコのウーパールーパー博物館で出会ったカメレオン氏とヘビ氏。速攻なかよくなった③メキシコ舞踊教室にいた飼い猫さましゃがんだらお膝に乗って下さった#アナザースカイ pic.twitter.com/Y4AI7Djbyr— 上白石 萌歌 (@moka_____k) February 22, 2024◇~カナネア民族舞踊文化センター~ExHacienda Centro Cultural, Social y Ambiental El molinoメキシコの民族舞踊が体験できるカルチャースクールメキシコ北西部の都市・カナネアの民族舞踊「Ballet Folklórico de Cananea(バレエ・フォークロリコ・デ・カナネア)」の体験ができる文化センター。上白石さんは、メキシコに住んでいた際に、お姉さんの萌音さんとメキシコ舞踊を習っていたのだとか。今回のロケでは講師のハビエル先生のもと、15年ぶりにチャレンジし、見事に踊り切った。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/萌音が語ったメキシコ舞踊。ベジャス・アルテス宮殿という古い劇場では、メキシコ舞踊の公演をよくやっていたんです。そこも家族で、何度も観に行ったのを覚えています。ちょっとだけ習っていましたね。最後の4カ月ぐらい。なので、2曲だけ踊れます(笑)。https://transit.ne.jp/2023/06/002242.html◇~エル・リンコン・デ・ラ・レチュサ~El Rincón de la Lechuza当時、上白石さんが行きつけだったメキシカンレストラン上白石さんがメキシコに住んでいたときにご家族でよく行っていた、1971年創業のメキシコ料理屋。地元住民や観光客で賑わっているアットホームな雰囲気の人気店。ここで上白石さんは、トルティーヤを細く切って揚げ、トマトベースのスープに入れて煮込んだ「ソパ・デ・トルティージャ」と牛肉とチーズのタコス「牛肉スペシャル」をいただいた。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/萌音が語ったエル・リンコン・デ・ラ・レチュサ。上白石さんにとって忘れられない料理が「ソパ ・ デ ・ トルティージャ」だった。その料理を家族みんなでよく食べに行ったのが、3年間過ごした街・メキシコシティにあるタコス店「El Rincon de la Lechuza(エル・リンコン・デ・ラ・レチューサ)」。ソパ ・ デ ・ トルティージャは、細長くカットしたトルティージャを油で揚げた後、ゴーダチーズ、アボカドをのせ、玉ねぎ・にんにく・ししとうを具材にしたトマトソースベースのスープをかけた一杯。帰国後、いろいろなメキシコ料理店で同じ料理を食べてみた上白石さんだが、やはり本場の味にはかなわないという。https://www.tbs.co.jp/saikourestaurant/old/archive/20210109.htmlhttps://t.co/vvW9CHp6Qb pic.twitter.com/4LxiNVWBeW— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 2024 「忘れられない味がある。」上白石萌歌#アナザースカイ #Pixelで撮影 #メキシコ#タコス #上白石萌歌 pic.twitter.com/COXNxKDB4X— ANOTHER SKY | アナザースカイ (@ANOTHERSKY_NTV) February 23, 2024 「ソパ・デ・トルティージャ」(1枚目)細く切って揚げたトルティーヤをトマトベースのスープに入れて煮込んだ料理。上白石さんにとっては「これを食べるとメキシコ制覇って感じがする味」と話す想い出の味。「タコス」 (2枚目)メキシコの主食であるトウモロコシのトルティーヤで様々な具を包んで食べる料理。ロケでは牛肉とチーズのタコスを注文。本場メキシコのタコスは皮が柔らかいのが大きな特徴。「エローテ」(3枚目)「メキシカン・ストリート・コーン」とも呼ばれるメキシコのストリートフード。焼いたとうもろこしにマヨネーズを塗って、その上にスパイスやチーズ、パクチーをかけ、ライムをしぼって食べる人気の屋台料理。「サボテンサラダ」(4枚目)食用サボテンを使用したサラダ。メキシコ国旗にサボテンが描かれているように、メキシコではサボテンを食べる食文化がある。食物繊維、ビタミン、カリウム、カルシウム、ビタミン類が豊富に含まれているので、健康にも美容に良いと言われている。https://www.instagram.com/anothersky_ntv/p/C3sENMJvfjJ/?img_index=1今週放送の上白石萌歌さんが堪能したメキシコ料理を4つご紹介🌮✨▶︎「ソパ デ トルティージャ」(1枚目)細く切って揚げたトルティーヤをトマトベースのスープに入れて煮込んだ料理。▶︎「タコス」 (2枚目)メキシコの主食であるトウモロコシのトルティーヤで様々な具を包んで食べる料理。… pic.twitter.com/5MV5h3LBhM— ANOTHER SKY | アナザースカイ (@ANOTHERSKY_NTV) February 23, 2024◇~コヨアカン市場~Mercado de Coyoacánカラフルな色彩と活気に満ちあふれたマーケットメキシコを代表する画家フリーダ・カーロ(Frida Kahlo)とディエゴ・リベラ(Diego Rivera)が暮らした街・コヨアカンにある市場。市場が充実している中南米の中でも、特にコヨアカン市場は大きく、食料品や日用品、お祭りの装飾や楽器など、ありとあらゆるものが手に入るので、地元住民にとって欠かせない場所の一つとなっている。上白石さんは自分用のお土産に食器を、MC2人にカラベラ(骸骨)モチーフのフィギュアを購入した。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/映画『リメンバー・ミー』(Coco)死者の日の間、骸骨となった死者達が陽気に暮らすテーマパークのような死者の国を舞台に、そこへ迷い込んだミュージシャンを夢見る少年ミゲルと、死者の国に暮らす骸骨のヘクターの2人を主人公に据え、2人が死者の国で繰り広げる冒険を軸に、生死を超えた家族の絆がエモーショナルに描かれている。アレブリヘ(Alebrije)作中では独特の色彩を持ち、死者に従う怪物の総称として登場する。元々はメキシコの伝統工芸品のことで、木彫りの動物に独特の彩色を施したものである。当初は木彫りの工芸品を指す総称がなく、メキシコシティのリナレス家によって「アレブリヘ」の名で製作された架空の動物を模した木彫りや、その奇抜な色彩を一般的な木彫りに施したものが国際的に有名となったためこの名が定着した。https://ja.wikipedia.org/wiki/リメンバー・ミー#上白石萌音 #リメンバーミー https://t.co/aCt1Ba4q8z pic.twitter.com/kxIxAAuwnf— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 7, 2023◇~フリーダ・カーロ博物館~Museo Frida Kahlo女性画家フリーダ・カーロが生まれ育ち、夫のディエゴ・リベラと共に長年暮らし続けた「青い家」をリニューアルし、公開している美術館です。フリーダ・カーロの作品はもちろん、彼女が暮らしていた部屋も再現されています。アートだけではなく、インテリアも楽しめる美術館です。https://media.thisisgallery.com/world_museum/museofridakahroメキシコ壁画運動(メキシコ・ルネサンス)は1920年代から1930年代にかけてメキシコ革命下のメキシコ合衆国で起こった絵画運動である。主な作家にディエゴ・リベラ(Diego Rivera)、ダビッド・アルファロ・シケイロス(David Alfaro Siqueiros)、ホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco)らがいる。https://ja.wikipedia.org/wiki/メキシコ壁画運動#上白石萌歌 #フリーダ・カーロ #ホセ・クレメンテ・オロスコ https://t.co/iv6soZrFzQ pic.twitter.com/mS2QUp7fQ4— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 4, 2024◇~ラ・コヨアカーナ~La Coyoacana地元住民で賑わう老舗のバー。コヨアカン地区にあるローカルなバー。注文したのは、テキーラとカリブ海発祥のカクテル・ピニャコラーダ。上白石さんは「バンデーラ」という飲み方で、人生初のテキーラを楽しんだ。「バンデーラ」とは、スペイン語で「旗」という意味。メキシコ国旗の色に見立てたライム汁、テキーラ、トマトジュースがそれぞれグラスに入っており、それらを順番に飲むというテキーラを美味しく楽しむための飲み方の一つ。マリアッチを聴きながらゆっくりグラスを傾け、当時住んでいた頃には楽しめなかったメキシコ本場のバーを思う存分味わった。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/九州女がテキーラぐい呑みでよか晩!マリアッチにリクエストしたのは「ハラベ・タパティオ」と「ラ・バンバ」。https://t.co/JUexfiEBaV pic.twitter.com/NmWYYvfoB0— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 2024◇~日本メキシコ学院~Liceo Mexicano Japonés, A.C.上白石さんが通っていた日本人学校。メキシコシティ南部アルバロ・オブレゴン行政区ハルディネス・デル・ペドレガルにある日本人学校。日墨の友好関係の象徴として1977年に設立された。日本コースとメキシココースがあり、教育と文化交流活動を通じて両国の文化の連帯と協調、理解への架け橋となることを目的としている。日本コースの教員は日本政府から派遣されているそうで、上白石さんのお父様もこの学校で教鞭を執っていた。今回の旅で、偶然にも上白石さんが東京で進学した中学校の校長先生と再会。現在は、日本メキシコ学院に派遣されているそう。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/上白石萌歌さんが小学1年生から3年間通っていた日本メキシコ学院🏫懐かしい宿舎で当時の文集を発見した上白石さん👀文集に書かれていた将来の夢とは…?🤔#アナザースカイ #Pixelで撮影 #上白石萌歌 #メキシコ pic.twitter.com/gdFrgBYwzO— ANOTHER SKY | アナザースカイ (@ANOTHERSKY_NTV) February 22, 2024 2/24 アナザースカイ に出演させていただきます。3年間住んだメキシコに、15年ぶりに里帰りしました🇲🇽 あらゆる場所に想い出が踊っていて、幼き自分に会えた気がしました。この頃の自分が知ったらびっくりするなああ。ぜひぜひぜひご覧ください! #アナザースカイ pic.twitter.com/8oxwWXhWld— 上白石 萌歌 (@moka_____k) February 17, 2024◇~上白石家~Moka's former house上白石さんが小学1年生から3年生まで住んでいたマンション。敷地内には広々としたテニスコートや屋内プール、公園などを完備。15年ぶりの訪問となったこの場所で、メキシコで生活していた当時の確かな記憶が蘇ってきた。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/治安の悪い地区の先にあるマンション。陸上選手のお父さんがアキレス腱を切ったテニスコート。https://t.co/Iz2jfyfrPt pic.twitter.com/p3TF9tywpZ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 2024 ◇~中村家~Nakamura's house上白石さんがメキシコに住んでいたときに家族ぐるみで仲良くしていた中村さん一家。音楽好きな中村家との交流で、歌うことの楽しさ、素晴らしさを知った。今回の旅でそんな中村家と久しぶりにセッション。15年経った今でもあの時の自分に戻り、歌うことができた。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/メキシコでオーストリアのエーデルワイス&ドレミの歌。家族でサウンドオブミュージックbyロジャース&ハマースタインを歌う環境は斉藤由貴と同じ。#上白石萌音 #上白石萌歌 #斉藤由貴 https://t.co/XrSStCsRDL pic.twitter.com/mKUCKcBwCR— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 2024メキシコ時代から、萌歌がリードボーカルで、萌音がハモリ。そして、萌音は見るからに日本人顔の眼鏡っ娘だけど、萌歌は昔も今もメキシコにいて違和感のない顔立ち!…もともとネイティブアメリカンってモンゴロイドだしね。スペイン人も、ラテン系とアラブ系が混じってるから、ゲルマン系やスラブ系のような北方ヨーロッパ人にくらべて、背も低く、髪の毛や瞳の色も黒く、アジアっぽい風貌。かたや日本では、近畿や四国などに比べて、沖縄や鹿児島は縄文系の要素が強いといわれてますが、どちらかというと弥生系より縄文系のほうが、ポリネシアの人に近い風貌じゃないかと思うし、そういう顔立ちの人は、南米にいてもさほど違和感がないのかもしれません。◇~メキシコの色彩~https://t.co/gLgBFXK17h pic.twitter.com/Cqz6g3nBf2— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 2024 華々しい芸能界デビューを果たした彼女だが、これまですべてが順調だったわけではない。今日にいたるまで幾度となく壁にぶつかり、幼少期の頃、純粋に好きだった表現や歌をいつしか愛せなくなってしまっているような気がした。https://anothersky-ntv.com//20240224_mokakamishiraishi/歌の表現に迷いが生じるのは、本人の欲求と噛み合ってないのか、世間のニーズと噛み合ってないのか、…って問題もあるけれど、そもそも萌歌とソニーの相性が良いのか悪いのか、…って問題もあるとは思う。原点に返るという意味では、午後の紅茶のカバー曲を本腰入れて作品化するとか、あるいは『Moka sings Noda Yojiro』みたいな作品集も、ひとつの可能性としてありえるかもしれないけど、むしろ萌歌にカラフルな音楽を歌わせてきたのは、ソニーよりもむしろNHKだったわけなので、たとえば菅野よう子あたりがプロデュースするなら、みんなの歌とか合唱曲などからセレクトして、『Moka sings NHK songs』…みたいなものを作る方向性はあるかも。◇メキシコから五島列島。この流れは八木莉可子コネクション?#八木莉可子 #上白石萌歌 #福原遥 #アナザースカイ #パリピ孔明 #舞いあがれ https://t.co/cWg8cC7s9e pic.twitter.com/q109KFGoFN— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 4, 2024 変なポーズと変な儀式。#八木莉可子 #上白石萌歌 https://t.co/N6ZnfiZJbY pic.twitter.com/vUzoetoXVr— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 5, 202415年ぶりに訪れたメキシコは相変わらず鮮やかで、笑ったり涙ぐんだり心が踊りまくった。匂いが、音が、風の肌ざわりが、たくさんたくさん覚えていたなあ。心から言えます「ここがわたしのアナザースカイ、メキシコ!!」観てくれてありがとうございました🇲🇽#アナザースカイ #メキシコ pic.twitter.com/AE9O13M8nr— 上白石 萌歌 (@moka_____k) February 24, 2024上白石萌歌さんがメキシコ以外で行きたい国とは?#アナザースカイ #Pixelで撮影 #メキシコ #上白石萌歌 pic.twitter.com/YHK7agzpWm— ANOTHER SKY | アナザースカイ (@ANOTHERSKY_NTV) February 21, 2024
2024.03.05
春場所前夜鯛の握りを十五皿 赤貝や父のアガリの緑濃し 鯛掲げ春場所終えし夢をみる ナマモノが苦手な僕は浅利汁 桜鯛皿取り思う宇良ピンク 回転寿司小さき手小さき春を取る 海の陽をたたえて碧し海苔の艶 二周目も取られぬ鮪花曇2月29日のプレバト俳句。今回は相撲力士対決。お題は「回転寿司」。◇梅沢富美男。海の陽をたたえて碧し 海苔のりの艶海の陽の香や 軍艦の海苔の艶(添削後)原句を二句一章と見れば、A:海が陽光を湛えて青いなあ。ここには海苔のツヤがあるよ。という意味になるし、かたや倒置法の一句一章と見れば、B:海苔のツヤが海の陽を湛えて青いなあ。という意味になります。それによって「碧し」の主語が変わる。また、もともと「湛える」という動詞は、1.液体を満たす(例:水を湛える)2.表情を浮かべる(例:笑みを湛える)という意味なので、一般には「陽を湛える」という言い方をしません。なので、この動詞は「讃える/称える」の意味にも誤読できる。その場合は、C:海は太陽を讃えて青くなったのだよ。ここには海苔のツヤが見えるよ。D:海苔のツヤは海の太陽を讃えてこそ青いのだよ。みたいな擬人化表現とも解釈できる。おそらく作者は「B」の意図で詠んだのでしょうが、「海の色を湛えて青い」のならともかく、「海の"陽"の色を湛えて青い」というのもちょっと奇妙です。陽の色なら赤やオレンジと考えるのが普通だから。…察するに、一方で、陽の光が海苔の「ツヤ」になり、他方で、海の色が海苔の「青色」になる、…みたいなイメージなのでしょうが、そのロジックが字面のうえで混乱をきたしている。じつは、動詞を漢字で書き、「碧し」を連体形にして「海苔」を修飾させ、海の陽を湛えて碧き海苔の艶と書けば、上記の問題はおおむね解決するし、かりに「湛える」という動詞を避けるなら、海の陽を秘めたる海苔の碧き艶海の陽を浴びしや 海苔の碧き艶のような添削案もありえます。とはいえ、ジュニアが指摘したとおり、寿司屋ではなく海辺の場面に見えてしまうし、先生も「色」の句にするのをやめて、あっさり「香」の句に改作してしまったのですね。あくまでも、作者の意図を汲むのなら、海の陽の記憶 巻き海苔つや碧しあの海の陽よ 巻き海苔の艶碧しのような二句一章にできるかもしれません。◇湘南乃海。春場所前夜 鯛たいの握りを十五皿一山本。ナマモノが苦手な僕は浅利あさり汁ナマモノが苦手 浅利汁は熱々(添削後)前者は70点の才能アリ1位。後者は40点の凡人4位。たしかに、前者のほうが二句一章の俳句らしい体裁に見えるし、後者は「僕」の主語表記がいかにも散文っぽいけど、じつは両方とも、「春場所前夜に鯛の握りを十五皿食べました」「生ものが苦手な僕は浅利汁をいただきます」という散文を俳句にしただけで大差がない。もっといえば、「春場所前夜なので、縁起のよい鯛の握りを十五皿食べました」「生ものが苦手なので、火をとおした浅利汁をいただきます」という因果関係の説明にも見えます。まあ、前者のほうが、「縁起ものの鯛」「一場所15日分」と験ゲンを担いだところに情緒があるとはいえ、それでも「才能アリ」にふさわしいかは疑問。なお、鯛は季語ではありませんが、「桜鯛」「鯛網」なら晩春の季語。「黒鯛」なら夏の季語だそうです。◇御嶽海。赤貝や 父のアガリの緑濃し刺身とお茶を写生することによって、満ち足りた父の様子を描いたのでしょうが、取り合わせと見れば前段と後段が近すぎる。むしろ切れ字で詠嘆せずに、赤貝に父のあがりの緑濃くと一句一章にまとめるべきだと思います。◇島津海。鯛掲げ春場所終えし夢をみる場所終えて掲ぐる鯛や 春の夢(添削後)夢オチの句は客観写生とはいえないし、「~し夢をみる」で締める形を認めたら、いくらでも同じパターンの句が作れてしまいます。かたや、添削によって夢が実景になったかどうかは微妙。◇若元春。桜鯛 皿取り思う宇良ピンク桜鯛 宇良の回しのような色(添削後)これも写生ではなく「思ったこと」を書いている。サッカーに「サムライブルー」があるように、相撲に「宇良ピンク」なる造語があるかは知らんけど、寿司ネタを見て力士のまわしを思い浮かべる、…って発想は、個人的にかなり抵抗を感じます。「食べ物の季語は美味しそうに詠む」という原則に抵触してるのでは??あくまで価値観は人によるだろうけれど。◇清水アナ。二周目も取られぬ鮪まぐろ 花曇これは「鮪」が冬で「花曇」が春の季重なり。兼題写真がなければ、回転寿司の場面だとは分かりません。まぐろ漁船が旋回してるようにも見えるし、まぐろが回遊してるようにも見える。鮪を「トロ」「赤身」などと書くことで、季重なりを回避できるかは賛否が割れるでしょうが、とりあえず回転寿司の場面だと明示するには、二周目の赤身の皿や 花曇中トロの皿は二周目 花曇のように書けばいいわけですね。カピカピの不味そうな食べ物と天気の取り合わせ。季語を不味そうに詠むのでなければ、ひとつの倦怠感の表現として容認できるでしょうか。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ぎりぎり…😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/4DB3Z0nIzB— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 26, 2024◇千原ジュニア。回転寿司 小さき手小さき春を取るこれは文句ありません。現代の核家族のささやかな幸せを切り取ってる。それが豊かだといえるかは分からないけれど。ジュニアの俳句はかなり良くなってますね。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.03.02
映画『マッチング』のプロモーションで出ずっぱりの由貴ちゃん。昨日はフジテレビ「突然ですが占ってもいいですか」に出演。この収録は、まだ「ぽかぽか」や「ネプリーグ」のときほどには痩せてない。直近のインタビューでも「死」について語ってたけど、年齢的なこともあるし、本人もすこし健康面が気になってるっぽい。当たり前の順序として“死”について考えるようになったという斉藤さん。だからこそ、そこに「悲壮感はない」とも。「もちろん若干、恐怖心はあります。病気はつらいだろうなとか。でも本当に“死ぬ”ってどんな感じだろうということは、よく考えるようになりました。同時に、それは当たり前のことなんだということも」https://futabasha-change.com/articles/-/655?page=2でも、星ひとみの占いによれば「60代でまたやらかす」ってことだから、まだ健康面で衰えることはないってことでしょ。それですこし安心しました(笑)。◇痩せてるのが気になりはしたものの、2月21日の「ぽかぽか」生出演でも、いろいろ面白い話が聞けました。てっきり神田愛花と横浜トークで盛り上がるかと思いきや、神田愛花のほうは横浜よりも港区のほうが好きだと(笑)。まあ、そういう人もいるでしょうね。横浜といっても、ド田舎もあれば旧スラムもあれば旧遊郭もあるし、いろんな面があるわけだから。じつは由貴ちゃんも「8年くらい自由が丘に住んでいた」そうです。この話ははじめて知った。わたしが忘れてるだけかもしれないけど…。凜が「東京出身」といってるのは、それゆえなのかしら?でも、横浜を抜ける風って大事だよね。横浜の海と風は、由貴ちゃんの作品のテーマにもなりうるはずだとずっと思ってる。この日の冒頭のトークでは「ストイック」という形容詞について「ストアという哲学者の名前からきてる」との小ボケもありましたが、これは人名じゃなくて学派名ですね。ストア派は、ゼノンがアテナイのアゴラ北面の彩色柱廊(ストア・ポイキレ)で教授していたことにちなむ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E6%B4%BEそれから映画『恋する女たち』の快晴のラストシーンが加佐ノ岬(石川県)じゃなくて東尋坊(福井県)で撮られたみたいに言ってたけど、これもたぶん勘違いじゃないかな。ほかのサスペンスドラマかなにかと混同してるのでは? 立川智也を中心とするバンドメンバーと数ヶ月おきに遊んでるって話もしてた。アクアラインを走ってたのは「ちゃんゆき」呼びしてる立川智也の車だったのだな。https://t.co/fISfV3xTbo pic.twitter.com/NfZ01VCtti— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) December 28, 2023年齢的にも健康面を気にしはじめてるっぽい。https://t.co/H2OSIYnNWp pic.twitter.com/V7zIdoUrHh— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 27, 2024 いままでになく次女をディスりがち。ペットボトルが気になるらしい。次女は占い好き。そして佐久間大介と相性がいいって!!由貴ちゃんにとって次女は救いの存在。https://t.co/afRLKxDBMq pic.twitter.com/wMJ7AmIA61— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 27, 2024 長女は母親似で、警戒心が強いわりに騙されやすく、男運も悪い。似てるだけに厳しくしすぎたのね。でも、音楽に向いてる!https://t.co/lhbXc6GcfR pic.twitter.com/8CFOYEnETg— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 27, 2024…さて、ここからは配信ライブの話。上記の「ぽかぽか」に生出演した2月21日の夜、デビュー曲39周年の記念トークライブを武部聡志とともにU-NEXTで配信しました。◇わたしは、そのチケットを買うべく近くのファミマでU-NEXTのプリペイドカードを買ったのだけど「3500円のチケットだから、とりあえず2000円のカード2枚買えば十分よね~♪」などとテキトーな考えで買ったのが大間違い!1ヶ月見放題プランとの組み合わせだったので、カードのポイントは2枚足しても2400円分にしかならず、結局はセブンイレブンで金額指定のカードを買い、不足分の1100ポイントを補うハメに(笑)。でも、結果的にU-NEXTの見放題プランを2ヶ月分ゲットしたのは良かったかも。「1ヶ月見放題+1200ポイント=2189円」だったので、実質的には1000円弱で映画が1ヶ月間見放題なのですね。見放題オンリーの「3ヶ月=4917円」のプランより割安だし、Amazonのレンタル視聴が1本300円だと考えたら、月に4本ぐらいで元がとれる感じ。ためしに観たい映画をリストアップしてみたら、かるく100本は超えた(笑)。シリーズもののドラマやアニメを含めたら200本以上になりそう。まあ、放送中のTVドラマも観なきゃいけないし、さすがに2ヶ月で映画100本観るのは無理だけど、1日1本ずつ観れば2ヶ月で60本、2日に1本のペースでも30本はイケる。これはもう時間との勝負!(笑) なんとか頑張って30本は観たい。これまでU-NEXTのことはよく知らなかったけど、現金派のわたしとしてはクレジットカードなしで利用できるのがありがたいし、去年まで利用してたGYAOの無料動画より検索しやすくて使い勝手もよかった。今後は自分で《映画月間》を設けて、このサービスを利用しようかな、などと思ってます。U-NEXTのラインナップでちょっと驚いたのは、およそ半世紀前に宮城まり子がアフレコしてた『まんが世界昔ばなし』が全話視聴できること!まだ「レミゼ」などという呼称が存在しなかった時代の「ああ無情」や「少女コゼット」が見れる。子供のときに見て以来だけど、絵のテイストとかけっこう覚えてました。それ以外にも、凜が演じてる「オルペウス&エウリディケ」とか、ゲーテの「ファウスト」とか、大人になったいま見ても面白くてためになります。キリスト教文化圏のお話が多いので、けっこう宗教色が強いけれど。…てな話はどうでもいいとして。なにやら「水響曲」は、由貴ちゃんと武部のユニット名になるらしい。由貴ちゃんが「水」の字を選び、武部が「響」の字を選んだわけだけど、由貴ちゃんにとっての「水」は、たんなる思いつきじゃなく、じつは『透明な水』からずっと繋がってたことに気づきました。《透明で形がなく変化していくもの》という概念は、93年の短編集『透明な水』から2010年の『何もかも変わるとしても』まで一貫して変わってない。由貴ちゃんが引用した《この世の中で唯一絶対があるとすれば、それは変化することだ》って何の漫画のセリフか分からなくて、なんとなく『ポーの一族』のような気はしたものの、残念ながら確認はできませんでした。一般的にはスウィフトの《There is nothing in this world constant but inconstancy》という言葉が知られてます。由貴ちゃんいわく、水は「いちばん必要な根源でありながら、透明で、いかようにでも形を変え、ひとところに留まらず流れていく」と。わたしは『透明な水』のタイトルの意味がいまいちよく分かってなかったけど、今回の話を聞いてようやく分かった感じ。ヘラクレイトスの「万物流転」も平家物語の「諸行無常」も同じことだけど、むしろ由貴ちゃんにとっては「透明」というところに力点があるのかも。かりに人生が透明な水であるのなら、それはいっさいが「無」であり「無常」ということです。余談ですが、…漫画といえば、上述の「ぽかぽか」でもアニメの話題になってて、近年の由貴ちゃんは『鬼滅』『チェンソーマン』『呪術廻戦』『葬送のフリーレン』などを観てるらしい。『呪術廻戦』の影響でKing Gnuのドームライブにも行ったと。チェンソーマンなんて怖そうな漫画を読んでるのは浜辺美波や山崎紘菜だけかと思ったら、由貴ちゃんもしっかり観てるのね…(笑)。さすが鬼滅どまりのわたしなんぞとはアニメ好きの格が違う。正直、北斗の拳にもベルセルクにもついていけなかったけど、チェンソーマンにもついていけません。ちなみに、奥森皐月と結婚しちゃったハライチ岩井も、山崎紘菜とアニソンバトルを繰り広げるほどのアニメヲタクだよね。#山崎紘菜 #浜辺美波 #チェンソーマン pic.twitter.com/kFJ5KMyNgg— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 28, 2023ライブの1曲目は「MAY」でした。長岡と武部の蓼科選曲合宿の話。そして、谷山浩子と中島みゆきにはホワイトorブラックの二面性があり、中学時代の由貴ちゃんにとって、この2人は対照的ながらも双璧だったとのこと。先日の「霜降り80'S」でも、中島みゆきについてかなりツッコんだ話をしてましたよね。以下は由貴ちゃんの話。ーー初心者の方に伝えたい、中島みゆきの魅力って何ですか?自分の傷をあからさまに晒しているところ。よく見せたいとか、綺麗に思ってもらいたいとか、キチンとしてると思ってもらいたいとかっていう風に、なんとなく表現をオブラートに包んでしまおうとする自分がやっぱりどっかしらにいると思うんですけど、自分ががむしゃらに向かっていって痛みや傷を負って血を流して…っていうのを全部表現してる。表現に命かけてる感じがすごくする。リスキーでもそうやって生きていくしかない…っていって生きてる感じがする。さらけ出してるという意味でいえば、すでに斉藤由貴のほうが中島みゆきを凌いでますけどね。…というか、現代の日本社会で斉藤由貴ほど自分をさらけ出して生きてる人など存在しない。みんな他人のことばかりあげつらって卑怯な自分を隠しながら生きてるのだから。https://t.co/RlTP1myyHf pic.twitter.com/PQDTkvVzWI— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 27, 2024 由貴ちゃんとヒコロヒーの選曲が対照的なのも面白かったな。ヒコロヒーが「負け女のやさぐれたセンチメンタリズム」に共感してるのに対して、由貴ちゃんは中島みゆきの「孤独」や「達観」に共鳴してる感じだった。斉藤由貴という人は、どんな状況でも自分のことを惨めだとは考えないと思ってたのよね。これはたぶん「横浜だからカモメ好き」ってのが最大の理由だとは思うけど、カモメの孤独をさえ「惨め」とは考えず、むしろ「美しい」と思うのだろうし、なんなら「そこにこそ至高の悦びがある」と考えるのが斉藤由貴だろうと思ってた。ーー「かもめはかもめ」について。横浜だからカモメ好きっていうのもある。「青空を渡るよりも…♪」みたいに、すごく明るいじゃないですか。ふわっと広がっていくビジュアルの感じと。でも、ふっと曲調が一瞬にして入れ替わって「かもめはかもめ、ひとりで空をゆくのがお似合い」って、ちょっと悲しくなる。その変化の仕方がすごく素晴らしいなって思います。よく私たちって「空を飛べる鳥がいいな」とか言うじゃないですか。「飛べることが羨ましい」みたいになるけど、最終的にいわんとする究極のところは「孤独」っていうことなんだと思うんですよ。その「孤独」を悲壮感をもって抱きしめるんではなくて、ふわふわ空を浮きながら「ひとりで孤独で、もう行くんでいいんじゃん」みたいな感じの軽やかさがすごい好き。でも、昨日の星ひとみの話によれば、じつは斉藤由貴は「孤独に弱く依存しがち」なのだと。これはあくまでも占いですが、そのように看破されるのも、ひとつの気づきになるかもしれません。高い場所に住むのは、丘の上が約束の地だからね。https://t.co/jY7vA1C8JK pic.twitter.com/r3BMxJ5D4Z— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 27, 2024さらに由貴ちゃんの場合は、80年代の中島みゆきに対して世代的なノスタルジーがあって、たぶん「悪女」とか「夜曲」とかが好きなのはそういうことでしょう。80年代の中島みゆきのポップでキャッチーなところに惹かれる感覚はわたしにもある。わたしは86年の「横恋慕」がいちばん好き。ヒコロヒーのほうは、由貴ちゃんとは対照的に、泥水を舐める人間の悲哀や感傷や慰めに共感してるっぽかったけれど、その反面で「うらみ・ます」の歌詞を俯瞰的な自虐ユーモアと解釈してたのは興味深かったです。凜も由貴ちゃんもキョコロヒー。由貴ちゃんのときと同じ企画w安里麻里は『氷菓』の監督。#斉藤由貴 #水嶋凜 #キョコロヒー #泥濘の食卓 #ヒコロヒー #齊藤京子 https://t.co/dvUsqLKckX pic.twitter.com/unyUGQdjZN— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2023なお、由貴ちゃんは、リスペクトライブに出演したものの、中島みゆき本人にはまだ会ったことがないとのこと。「歌縁」(うたえにし)-中島みゆき RESPECT LIVE 2023- [ (V.A.) ] 楽天で購入 中島みゆきのシングル曲はサブスクで聴けますが、いまのところアルバム曲のほうはSpotifyとかには配信されてませんね。「夜曲」の原曲も聴きたいし、由貴ちゃんバージョンの「夜曲」も聴いてみたい。中島みゆきといえば… 由貴ちゃんは、櫻井・有吉の「夜会」にも出演して《超速台詞覚え》にチャレンジしてました。台本をもちかえらず現場でその日のセリフを覚えるってのも不思議だったし、もしかして由貴ちゃんが読書家なのは映像記憶的な速読術を体得して超人的な集中力をもってるからではないの??などとも思ってたのだけど、あえなくレベル2で撃沈してました。わりと普通の人だったので安心(笑)。https://t.co/2squUNjaQl pic.twitter.com/oXXYhN52f4— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 27, 2024…ライブの2曲目は「青春」でした。母ピッチャー、娘キャッチャー。#斉藤由貴 #水嶋凜 #デビュー作#直ちゃんは小学三年生 #直ちゃんは小学五年生 pic.twitter.com/GeJg3BtKdx— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 9, 2022 筒美&松本による「卒業」「初戀」「情熱」と合わせて漢字2文字4部作になるという話。音楽惑星さんは、松田聖子の「制服」も合わせれば松本隆の5部作だと言ってたけれど。(ちなみに「制服」の作曲はユーミンです)ま:「卒業」に続いて「初戀」と「情熱」で二字熟語の3部作になるわけですけど、ほんとは、なにげに「青春」も二字熟語だったんですよね。惑:松本さんの作品として見れば、松田聖子の「制服」からはじまる5部作という見方も可能かもしれません。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-248.html…3曲目は「木綿のハンカチーフ」。由貴ちゃんの「卒業」が、太田裕美の「木綿」のエピソード0にあたるという噂の話。噂の出どころが松本隆本人かは判然としない。映画『青いうた〜のど自慢青春編』のときは、めずらしく体調が悪くて立ち上がることもできず、点滴を受けてから車椅子で撮影現場に入り、歌った後はまた車椅子で帰ったという話。そんなことあったのね。…4曲目は「夢の中へ」。井上陽水にかんしても、崎谷健次郎のプロデュースした『âge』にかんしても、おおむね音楽惑星さんとの話は終えてるのだけれど、公開のタイミングを逸したまま、もう5年も経ってるwww音楽惑星さんは「そのうちアップする」と言ってるけど、このままお蔵入りでもいいんじゃないかなあって気がしなくもありません。情弱すぎて事実関係のわからないことも多いし、谷山浩子の歌詞について勝手な解釈を垂れ流すのも、若干の後ろめたさを感じるようになってきたから。…情弱といえば、最近はだんだん萌音・萌歌・美波の情報も追いきれなくなってきたのよね(笑)。とくに年末年始は、去年もすごかったけど今年もすごかった。大晦日と元旦だけでも3人が出まくってました。12/31萌歌:Nコン90回のあゆみとともに 7:20~萌音:ポルトガル・アゾレス諸島 12:15~美波:紅白歌合戦 19:20~美波:ぐるナイおもしろ荘 23:45~1/1萌音:朗読『妹』という祝福 6:05~萌音:四国お遍路の旅 7:20~萌歌:バナナサンド元日SP 17:00〜美波:有吉弘行の爆食ツアー 20:50~萌音:あたらしいテレビ 22:15〜(元旦の番組のいくつかは地震の影響で延期)萌音が朝ドラ主演のあとに帝劇『千と千尋』初演をしたのも、朝ドラ『はね駒』のあとに帝劇『レミゼ』初演をした由貴ちゃんを彷彿とさせたけど、由貴ちゃんと同じく朝ドラ主演のあとに紅白司会をやってのけたのは浜辺美波でした。ちなみに美波は『ゴジラ-1.0』で国際的な評価を得てますが、萌音が主演した『夜明けのすべて』のほうも国際的に注目されてる。すくなくともヨーロッパでは濱口竜介と三宅唱が並び称される形になってます。そして、この2人は相米慎二の系譜を引いてる面がある。…5曲目は「春よ、 来い」でした。ユーミンの春の曲ってことで、てっきり「ダンデライオン」かと思ったら、これはまさかの選曲。去年は一青窈が歌ったわけですが。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202304180000/この曲は迷宮的だ、と話す由貴ちゃん。いわれてみれば、そうなのです。迷宮といっても、けっして「不思議の国のアリス」のような謎や魅惑に満ちた世界じゃなく、むしろ人生の春を待ちつづける者の永遠の迷いの歌です。谷山浩子のような自虐的なユーモアもなく、むしろひたすらに悲しい曲だというべき。もしかしたら世間では希望の歌だと受け止められてるかもしれないけど、じつはとても悲しい歌だと思う。ここ最近の由貴ちゃんが「死」について考えるようになったこととも無関係な選曲ではないのかも。春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く 夢よ 浅き夢よ 私はここにいます君を想いながら ひとり歩いていますそういえば、朝ドラ『春よ、来い』に主演したのは安田成美でしたが、彼女も由貴ちゃんと同い年で、やはり3人の子育て(男・男・女)が終わって一段落したらしく、夫婦それぞれ活動が顕著になってます。夫はドラマ『春になったら』の末期癌の父親役で奈緒と共演してるし、安田成美は細野のリアレンジで「風の谷のナウシカ」を再録音して、先日は「徹子の部屋」に出演してました。いちおう安田成美も相米組だったのよね。当初は『雪の断章』に彼女が主演する予定だったって噂もある。でも、彼女の口から相米の話ってあんまり聞いたことがない。いまのところU-NEXTのラインナップにも『光る女』は含まれてません。U-NEXTのラインナップは、ゴダールは充実してるのにエリック・ロメールが1本もないとか、小津や黒澤は充実してるのに山本嘉次郎や溝口健二にだいぶ不備があったりとか、けっして万全とはいえません。まあ、わたしの場合はとりあえず2ヶ月間利用するだけなんだから、まったく問題ないけど。…ライブの話はここまで。◇以下は「霜降り80'S」で由貴ちゃんが中島みゆきについて話した内容のメモです。ーー中島みゆきの歌詞の世界について。ダークで恨みとか情念みたいなところがあるかと思うと、地球とか人生とかをものすごく俯瞰で見たような作品もけっこう書かれてて、「時代」もそうですけど、人生とはそういうものっていうのを、私たちに諭し、諦めさせ、そのあとに勇気づけてくれるみたいな、多分そういう歌なんだと思うんですよね。ーー「炎と水」について。炎と水、相反するものが対照的なところに立っているんだけれども、その2人がどうしようもなく惹かれあって、ともに歩んでいくみたいな感じ。北海道出身ですから、炎とか水とか雪とか氷とかっていうのを歌うと、彼女の生まれもってきた土地のバックグラウンドがすごく感じられる。(この話を聞いて相米慎二の『風花』のことをちょっと思い出しました)ーー「永久欠番」について。歌詞の中に「100年前も100年後も私がいないことでは同じ」っていう歌詞があって、本当そのとおりだなと思う。私たちはいま生きてるけど、100年前に生きてなかったし、100年後もたぶん生きてないじゃないですか。自分がこの年齢になって人生の残り時間とか人生ってどんな意味があるんだろうなとか、やっぱりけっこう考えるわけですね。救いと、あとそれから「執着するなよ」っていうことをメッセージとして与えてくれる歌です。ーー「夜曲」について。たぶん、みゆきさんが本当に自分のことを書かれたんだろうな。どの曲もそうなのかもしれないけど。彼女がラジオやってて、その深夜ラジオで「私が言ってることとか歌ってる歌はすべてあなたに向けて歌ってるのよ」っていう歌なんですね。「どこかの街角でこの私の声とか歌を耳にしたら、すこしだけ私のことを思い出して」っていうような。私、ラジオがすごく好きなんです。耳だけで聞いて、たくさんの人が聞いてるかもしれないけど、不思議な「1対1感」があるじゃないですか。彼女はしゃべりながら、ただひとり自分が本当に心から愛する人たちに向かってしゃべってる、…あるいは歌ってるんじゃないのかなっていう感じがすごくする。だから有名な曲ではないかもしれないけど、私にとってはいちばん好きな曲に近いかもしれない。ーー中島みゆきの曲をどういうときに聴きますか?くじけそうなときですかね。自分の中にいろんなものが絡まってしまって、何が正解かとか何を選ぶべきかとか分からなくなるような、自分の中でこんがらがっちゃったときとかに、そういうものを「大したことじゃないんだよ」っていう風に「とりあえずみんな捨てちゃっても良くない?」とか「とりあえず手放してみなよ」っていうようなことを言ってくれる気がする。
2024.02.28
またまた一週おくれで、「アストリッドとラファエル4~文書係の事件録」第6話の《タイムトラベル》を見ました。めっちゃ面白かった!!いつもならオカルトっぽい要素があっても、ちゃんと種が明かされるのだけど…ついに今回はマジモンのSF??◇2059年からやってきた殺人未遂の女。未来では地球温暖化が深刻化し、キリンやオランウータンが絶滅し、環境運動家の男が極右政党と組んで独裁者になってる…と。でも、未来の独裁者が逮捕されて、石油企業オペラ社の不正が暴かれれば、タイムパラドックスが生じて未来が変わる?◇はじめのうちは、オペラ社がその女を暗殺者として雇い、環境運動家の男を消そうとしたと推察されました。そして女は、その報酬の大金をワイロに使って、護送車から脱走したのじゃないかと疑われた。でも、実際は、環境運動家の男こそが、オペラ社から大金をせしめて、おなじ環境運動家の女性を殺害していたのですね。なので、オペラ社が男を暗殺する理由などなく、女に大金を支払う理由もありませんでした。そう考えると、やっぱり女は脱走したんじゃなく、タイムリープで未来へ戻ったとしか考えられない!※余談ですが「タイムリープ」ってのは和製英語だそうです。◇でも、ラファエルは、猫が引っ掻いた女の子の手首の傷を確認しませんでした。それが未来人の傷と同じかどうかは、視聴者のご想像におまかせします!…って感じ?そこらへんの演出もニクい!まあ、女がほんとに未来人だと証明したかったら、DNAを鑑定して、レイプ犯だった環境運動家の男と父娘関係を調べれば、確実だったのだけどね。◇◇今回のエピソードには、SFっぽい本筋以外にも、いろいろと興味深い部分がありました。…ひとつは、環境運動家の男が、スラノヴスキーという東欧・ロシア系の姓だったこと。これには何かモデルや背景があるのかしら?ためしに「SRANOVSKI」でググってみたけど、何の情報も出てきませんでした。「スワロフスキー(SWAROVSKI)」なら、オーストリアの高級ガラスブランドですけども。…ちなみに、殺された仲間の女性は真面目なヴィーガンで、オペラ社の不正も本気で暴こうとしてたのに、スラノヴスキーのほうは、もともと悪質なレイプ魔で、金のためにオペラ社と手を組んだり、権力のために極右政党と手を組んだりしていた。彼にとって環境運動は、金と権力を握るための見せかけ・隠れ蓑だった?◇ついでながら、「ヴィーガンの死体は腐敗しやすく肥料になりやすい」って話も興味深い。いってみりゃ有機農法だよね…。ツバキの花は、品種によって、開花時期が11月〜4月ごろまでバラバラだけど、肥料しだいで開花が早まったりするのかしら。ふつうの椿も、ヴィーガンの死体を埋めれば寒椿になる??◇ノラとニコラの以下の会話も気になりました。ノラがニコラに、> ベビーブーム世代の人は音楽の趣味もいいし、> X世代やZ世代の人よりも好きだわみたいな思わせぶりなことを言ったのだけど、こういう世代分類って世界共通なのねえ…。ネット情報によると、X, Y, Z世代は米国発祥の概念だそうです。かたやベビーブーム世代ってのは、日本でいう「団塊ジュニア」のことかと思いましたが、Wikipediaによると、アストリッドやラファエルは30才の設定らしいので、たぶんニコラもそのぐらいの年齢だと思うし、いわゆるY世代(ミレニアル世代)のことですね。しかし、そこにフランスのベビーブームがあったかどうかは、調べてみても分からなかった。◇もうひとつ気になったのは、「アストリッドはニルスの指ぬきだ」という表現。たぶん指ぬき=保護者ってことだと思うけど、日本ではあまり耳慣れない言い方。フランスの慣用句なのかしら?ためしに「指ぬき・フランス」でググってみたら、可愛いアンティークの指ぬき画像がたくさん出てきました(笑)。フランス語の指ぬきは男性名詞の「dé」だそうですが、残念ながら比喩や慣用句の用法までは調べきれない。SAJOU ファインボーンチャイナ 「A」 指ぬき シンブル 【DÉ DE COLLECTION PORCELAINE - POINT DE CROIX - LETTRE A】 フランス MER_DE_FISMES_A 【予約】 楽天で購入 サジュー 指ぬき シンブル ホワイトポーセリン 【DÉ DE COLLECTION PORCELAINE BLANCHE BRODEUSE SAJOU ROSE】 手芸 パッチワーク キルティング フランス MER_DE_REIMS_ROSE 【予約】 楽天で購入 Sajou(メゾンサジュー) 指ぬき シンブル アセテートクリスタル 【DÉ DE COUTURIÈRE ÉCOSSAIS】 フランス MER_DE_ECOSSAIS_01 【予約】 楽天で購入
2024.02.27
フジ・カンテレ月10「春になったら」見てます。末期ガンの父と、嫁ぐ娘の話。物語のテーマはオーソドックスともいえる。俳優陣も演技派ぞろいで安定した内容。これは第4話ぐらいのシーン。1週おくれの第6話ですが…。父の雅彦(木梨憲武)をはじめ、ようやくみんながカズマル(濱田岳)の存在を受け入れました。予想どおりの展開ではあるけど、やっぱり泣いてしまう。忘れられないような幸福な時間。じんわりとした神回だった。龍ちゃん(石塚陸翔)の存在に救われる。子供がいるだけで救われることってあるよね。「ピザ食べたい」とか「おじい」とか言ってくれるだけで、老いることの寂しさが紛れます。たとえ血がつながってなくても。ふとした瞬間に死ぬのが寂しくなる…というのは、とてもリアル。
2024.02.27
映画「マッチング」のプロモーションがはじまってから、ずいぶん痩せて見えるんだけど。配信ライブのときとくらべても、急激に痩せてる感じがする。役作りなの?腕まで細くなってる感じで、あまり健康的な痩せ方には見えないし、ちょっと気になる。年齢的にも、そろそろ健康を第一に考えるべきでは?
2024.02.26
親友のしゃがれたエール忘れ雪 デンモクがふたりを隔てる春休み 春の夜のカラオケ締めは「雪椿」 カラコロンマイクとお酒沁みる春 朧月負けたらあかんで東京に 「なごり雪」君を見ないで歌い出し らうらうと僧侶の美声花まつり カラオケの履歴は桜らんまんと2月22日のプレバト俳句。お題は「カラオケ」。◇GLAY・HISASHI。親友のしゃがれたエール 忘れ雪これが今週の1位。かなり知的に感じられる出来です。的確な写生だけに徹しつつ、ちゃんと心情が伝わってくるし、季語の選択も絶妙だし、中七で切って下五に季語を置く、という二句一章の型もしっかり出来てる。どこにも欠点は見当たりません。◇関口メンディー。デンモクがふたりを隔てる春休みデンモクが隔てるふたり 春休み(添削後)デンモクは第一興商の商品名で、カラオケ操作用リモコン(=電子目次本)だそうです。まず問題のひとつは、中八をどう処理すべきか。助詞「を」を除けば済む話ではあるけど、語順についての先生の解説は正確さに欠ける。「ふたり隔てる」なら動詞に軸足が来て、「隔てるふたり」なら名詞に軸足が来る、…みたいな話じゃないでしょ!これは、あくまでも切れの問題です。つまり、「隔てるふたり」とすれば、中七が名詞止めになって切れるけれど、「ふたり隔てる」とすれば、動詞の連体形が下五に繋がるわけです。先生&梅沢の添削案だと、中七で切れるために、映像のない季語「春休み」だけが浮いてしまう。季語を映像化するには、動詞の連体形で修飾して、デンモクがふたり隔てる春休みと書くほうが正解でしょう。しかし、問題はもうひとつある。そもそも「隔てる」という動詞の選択は、句材の状況を描くのにふさわしいのかどうか。この動詞を使うことで、二人の関係がネガティブな状態に見えて、別れを予感させてる気がしなくもない。作者いわく、二人の関係は、「デンモクを超えてまでは近づけない」ものの、その反面では、デンモクがあってこそ繋がってるわけだから、けっして二人の関係を裂いてるのではありません。いうならば、「繋いでもいるけど隔ててもいる」…みたいな微妙な位置づけのアイテムってこと。それを客観的に写生するなら、デンモクをはさむ二人の春休みとでも書くしかないと思います。◇田中あいみ。カラコロン マイクとお酒沁みる春ドアベルとマイクとお酒沁みる春(添削後)作者いわく、・おなじ擬音でドアベル&グラスの氷を掛け合わせた・楽しむ人もいれば悲しむ人もいるカラオケ店の様子とのことです。ちょっと材料が多すぎますよね。「カラオケ」「ドアベル」「グラスの氷」の3つの要素を描きながら、客の様子まで季語と取り合わせるってのは…。しかも擬音の「カラコロン」は、ドアベルやグラスの氷というよりも、入店客の下駄の音かしら?と誤解してしまう。さらに「沁みる」というのは、作者の主観・心情であって客観写生ではありません。あえて「沁みる」とは書かずして、そこに集う人々の心情を想像させなければならない。かりに「歌と酒が沁みる」と書いていれば、かろうじて聴覚&味覚の描写と言えたのだけど、「マイクが沁みる」という変な表現をしたことで、そうも言えなくなってしまった。そして、添削句のように、「ドアベルとマイクと酒が沁みる」と書いたなら、これはもう聴覚や味覚の描写ではなく、状況に対する心情の表現と解釈する以外にない。かりに「カラオケ」の要素を省くなら、ドア鈴と水割り 泣き笑いの春のように書けます。◇レイザーラモンRG。朧月 負けたらあかんで東京に例によってネタを組み込んだお約束の作風。今回は天童よしみネタを取り入れたわけですが、パクリ審判で「70点」から「3点」への大減点。歌謡曲の七五調を安易に取り入れる失敗は、星の入東風 今夜の恋をくれた人のときに予測したとおりの結果です↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202211150000/このときの前科があったわけだから、まして「カラオケ」の兼題で詠ませれば、こういう顛末になるのは想定内だったし、そう考えれば、今回の減点査定は、あらかじめ番組が仕込んだものと思えなくもない。…とはいえ、当初の査定が「70点」だっただけあって、句としてみると、じつによく出来てるのよね(笑)季語の選択もけっこう的確だし、「で」を省けば中七の定型になるものの、あえて中八のダメ押し効果を狙った気もする。たぶん、この人は、俳句の作り方は心得てるんだろうなと思う。◇梅沢富美男。らうらうと僧侶の美声 花まつり締めの一句に認定されましたが…中七の「美声」があれば「らうらう」は不要だし、逆に「らうらう」があれば「美声」は要らないでしょ。ためしに、らうらうと読経の若し 花まつりとしてみました。しかし、もっと根本的なことをいえば、「花まつりで読経する」のは当たり前なのだし、「剪定で鋏の音がする」ってのと同程度に無内容な凡句です。伝統行事にかんする知見をひけらかしただけ。◇小林幸子。春の夜のカラオケ 締めは「雪椿」雪椿咲きカラオケの締めはさて(添削後)曲名をそのまま季語として用いたら、季語の鮮度が落ちてしまうという話です。添削では、あえて曲名とは明示せず、あたかも実景の季語っぽい体際にして、そこから曲を連想させる、という作戦。…それはまあいいとして、添削句の「咲き」と「さて」は、不必要な音数合わせにしか見えません。ためしに、雪椿 カラオケの締め選びけりとしてみました。◇武田鉄矢。「なごり雪」君を見ないで歌い出しなごり雪 君を見ないで歌い出す(添削後)これも実景の季語から曲名を連想させる添削。…それはいいとして、そもそも「君見ず歌う」と書けば7音で済むものを、後段の12音をまるまる使う必要ってあるの?とくに中七の「見ないで」は、あまりにも口語的かつ散文的な言い回しだし、かりに4音分を使うにしても、「見ずして」「見ぬまま」「見れずに」のように書くべきでしょ。下五「出す」の必要性についても疑問なので、なごり雪 君見ぬままに歌う夜とでも直してもらいたい。もしも12音分を7音で済ませるなら、なごり雪 君見ず歌う博多の夜よのようにさえ書けるはずです。◇清水アナ。カラオケの履歴は桜らんまんとこれまた曲名を季語とするのでなく、やはり実景から曲名を想像させるべき内容。単純に添削するのなら、カラオケの履歴 桜のらんまんとでもいいでしょうが、カラオケの履歴や 並び立つ桜と書いたほうが楽曲履歴を連想しやすいかも。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥おしい…!今週の放送回で学びましょう!📚💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/3ixZe39wS8— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 19, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.26
またも周回おくれですが、「アストリッドとラファエル4~文書係の事件録」第5話の《盤上の殺意》を見ました。今回は、犯人のチェスおたくっぷりが炸裂!アストリッドがチェス対決で自白させた結末もお洒落だった。◇わたしはチェスができないし、小ネタの多くもチンプンカンプンだったけど、チェス好きにはたまらない内容だったかも。いちおう、わたしなりに、ドラマに出てきたチェスネタを調べてみました。ほとんどはニコラが話してたネタです。1.ロシアの「ルーク」は舟。チェスの「ルーク」という駒は、塔や城塞みたいな形をしてますが、ロシアでは「ラディヤ=船」と呼ぶらしい。チェス駒の概念は国や地域で異なるのですね。これは「ルーク」だけの話じゃない。もともと、古代インドのチャトランガという盤ゲームが、ペルシャでシャトランジになり、中国でシャンチーになり、日本で将棋になり、ヨーロッパでチェスに変わったとのことで、その結果、チャトランガの「ラタ=戦車」が、将棋では「香車」や「飛車」に変わったのだけど、これがチェスでは「塔」や「船」に変わってる。その経緯や理由は謎です。◇…ちなみにロシアといえば、今回のドラマには、「ロシアン・ザグレブが制作したチェス駒」が出てきて、これが事件解決の糸口になってましたね。きっと職人の手彫りによる高級品なのでしょうが、ネットで調べても詳しいことは分かりませんでした。日本でいったら、天童市の将棋の駒みたいな感じ?2.チェスとフリーメイソンの関係。これもよく分からないけど、たぶん「テンプル騎士団のチェス」のことだと思う。…といっても、▽Wikipediaに画像が掲載されてるだけで、https://ja.wikipedia.org/wiki/チェスの歴史それ以上の情報はネットを調べても出てこない。他方、「十字軍とサラセン人のチェス」を描いた絵も、ネット上にたくさん出てきます。つまり、チェスは、ヨーロッパ人とアラブ人の共通の遊びだった?それとも、チェスの伝播が十字軍遠征に関連してる?3.宇宙論の「クイーン」は変わりゆく魂。この話もよく分からなかったのですが、ちょっと気になったのは、甚野尚志の『中世ヨーロッパの社会観』という本です。1992年の『隠喩のなかの中世』を改題・文庫化したもので、もともとの単行本の内容紹介には、蜜蜂・人体・建築・チェス盤のなかに、宇宙の神的な秩序や社会の理想的なあり方を見出した中世ヨーロッパの人々の世界観を再現する。と書かれてます。中世ヨーロッパには、チェスに見立てた宇宙論があったのかもしれません。中世ヨーロッパの社会観【電子書籍】[ 甚野尚志 ] 楽天で購入 4.宰相シッサの米粒の説話。この話はネットでも確認できます。米粒じゃなくて麦粒になってる場合が多いけど。英語のWikipediaにも詳細な記事が載ってます。https://en.wikipedia.org/wiki/Sissa_(mythical_brahmin)https://en.wikipedia.org/wiki/Wheat_and_chessboard_problemいわく、インドの宰相シッサは、チェスを発明した褒美として何を望むのか王に問われ、> チェス盤の1マス目に1粒、> 2マス目に2粒、3マス目に4粒、4マス目に8粒、> …とマス目ごとに粒の数を倍にして、> 最後の64マス目に置かれた小麦の粒が欲しいと言ったのですね。これは2の63乗になる。似たようなものとしては、日本の曽呂利新左衛門の説話があって、彼は、豊臣秀吉から褒美を問われた際に、> 1日ずつ米粒を倍にした100日目の米粒が欲しいと言ったそうです。これは2の99乗になる。◇これは要するに指数関数の話で、> 折り紙を26回折ったら富士山より高くなるってのと同じようなことです。2の26乗は、67,108,864。2の63乗は、9,223,372,036,854,775,808。2の99乗は、633,825,300,114,114,700,748,351,602,688。https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%AE%E5%86%AAなお、曽呂利新左衛門は秀吉に仕えたお伽衆で、落語の始祖ともいわれてますが、実在した人物かどうかは不明だそうです。インドの宰相シッサも、おなじく伝説上の人物です。5.囲碁の打ち手とチェスの打ち手。アストリッドは、テツオとの囲碁練習が功を奏して、犯人とのチェス対決にも動じませんでした。これって、ある意味、チェスに対する囲碁の優位性を示してる気もする。実際のところ、囲碁の打ち手(局面数)はチェスよりはるかに多く、チェスが10の120乗、囲碁は10の360乗だそうです。木製 チェス セット ポーランド製 Olympia オリンピア ブラウン35cm×35cm chess set ハンドメイド 駒盤 数量限定販売 楽天で購入 初心者の木製囲碁入門セット ※木製新桂13路9路盤・プラスチック碁石椿(白石84粒・黒石85粒)・ブロー碁笥・囲碁入門本(1冊選択) 楽天で購入
2024.02.24
本職に黙礼される今年も春 春の雲血のり右目に染みており 春夕焼台本ト書き「ここで泣く」 初刑事手錠震わす余寒かな 冴えかえる帰宅後妻の取り調べ ロケバスに積む犯人の春日傘 張り込みのあんぱん香る桜漬け 刑事ドラマ沈黙破る鶯よ2月15日のプレバト俳句。お題は「刑事ドラマ」。◇矢柴俊博。春の雲 血のり右目に染みており春の雲 右目に染みてくる血のり(添削後a)撮影のどか 右目に染みてくる血のり(添削後b)紺野まひる。春夕焼 台本ト書き「ここで泣く」春夕焼 ト書き犯人「ここで泣く」(添削後)どちらの句も、上五に季語を置き、撮影の場面と取り合わせた作品。添削は入ったものの2句とも「才能アリ」の査定でした。なお、矢柴俊博の添削は、(b)よりも(a)のほうがいいと思う。状況は下五の「血のり」で想像できるはずだから、わざわざ冒頭から字余りでネタバレしなくともよい。◇内藤剛志。本職に黙礼される 今年も春本職に黙礼さるる春やまた(添削後)上の2句をおさえて、今週の一位だったのがこの作品。しかし、その評価が適切かは疑問です。まず作者が誰かを知らなければ、上五の「本職」の意味が分かりにくい。リズムや形式の面でいうと、下6の字余りもさることながら、中七に切れがあるかどうかも判然とせず、(終止形か連体形かが不明瞭)俳句の形として、いまいちボヤッとしてる。…添削句は、古語を使って動詞が連体形であることを明示し、くわえて下五の字余りも解決してます。ちなみに、ここで注目したいのは、添削句の下五「や」の用法です。以前もこういう添削があった気がするけど、思い出せない。一般に、切れ字「や」は場面を転換するため、リズムだけでなく意味の切れも生むのですが、実際には、場面転換をともなわない「や」もあって、たとえば芭蕉の「古池や」も、じつは場面を転換してないとの解釈がある。また、日本語の間投助詞「や」には、詠嘆のみならず呼びかけの意味もあるので、たとえば「ポチや、お食べ」のようにも使える。そこに場面転換はなく、多くの場合はリズムの切れさえありません。詩歌にも「これやこの」「春や春」などの例がある。それらは切れ字とは異なる「や」の用法です。なお、場面を転換しない「や」の用法については、↓以下の記事でも言及されてます。https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_55.jsp◇トレンディエンジェル斎藤。冴えかえる帰宅後妻の取り調べ冴返る深夜の帰宅 妻や待つ(添削後)下五の「取り調べ」はつまらない比喩。しかも、比喩だと伝わらなければ、妻が容疑者になった場面と誤読されます。かたや添削のほうは、またも下五で切れ字ではない「や」の用法!もしや先生のマイブーム?その是非はともかく、今後、この用法が増える可能性もあります。◇大友花恋。初刑事手錠震わす余寒かな余寒なり 手錠をかける初シーン(添削後)切れのない一句一章を「かな」で締める形。俳句の型はちゃんと出来てますが、主語に助詞がないため、リズムが上五で切れるのはちょっと惜しい。上五の造語「初刑事」は、兼題写真がなければ読み手に伝わらず、「刑事としての初仕事」「生まれて初めて会った刑事業の人」などの誤読を招きます。また、初めての刑事役に挑んだ「緊張」を、季語の「寒さ」と重ね合わせたことで、かえって焦点が散漫になっている。それらの問題は、刑事デカ役の手錠震わす余寒かなのように書けば、いちおう解決します。季語の「余寒」と「震え」が、重複(もしくは因果関係)に当たるとの見方もありますが、「刑事役の手錠の震えない余寒があったら持って来い!」とまでは言えないし、むしろ原句の問題は、「緊張」&「寒さ」の二重の因果が重複する点にあるので、「緊張」の要素を排して「寒さ」だけに特化したほうが、(添削というよりも改作になるけれど)手錠の金属の冷たさも際立ってくるはず。かたや添削句のほうは、「緊張」&「寒さ」を両立させたまま、それらが「震え」に帰結する因果関係を排除した形です。もちろん、それもひとつの選択ではある。ちなみに、添削の上五は「なり」で言い切る珍しい形ですが、その是非はちょっと判断しかねます。◇清水アナ。刑事ドラマ 沈黙破る鶯よここで描かれてる状況は、舞台かドラマかの違いはあれど、森口瑶子の「くつさめ(くっさめ)」の句とほぼ同じ。上7字余りの「刑事ドラマ」はちょっと状況説明的だし、下五の「よ」は詠嘆するだけの必然性に乏しく、取ってつけただけの音数合わせに見える。鶯の鳴き声を《子季語》と見なせば、刑事デカ役の台詞遮るホーホケキョのような定型にも出来ますが、それでもまだ因果関係の説明くささが残る。やはり森口瑶子の「くっさめ」と同じく、刑事デカ役の沈黙 鶯の初音のような対句に直すほうが描写的ですね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥お題がハード過ぎた…🤷♀️#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/khSOf6tqZI— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 12, 2024◇森口瑤子。ロケバスに積む犯人の春日傘犯人が女…ってところにドラマがありますよね。しかも日焼けを嫌う優雅な金持ち女の役どころ。その天気の良さとサスペンスの暗さの対比も面白い。◇梅沢富美男。張り込みのあんぱん 香る桜漬け桜漬けほんのり 張り込みのあんぱん(添削後)原句は、切れがあるのかないのか分かりにくいものの、香るのは「あんぱん」じゃなく「桜漬け」だろうから、構造的には中七で切れる句またがりです。(作者にその自覚があるかは知らんけど)そして、そのことをハッキリさせるためには、張り込みのあんぱん 桜漬け香ると書いて動詞の主語を明確にすればよい。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.19
またまた一週おくれですが、「アストリッドとラファエル4~文書係の事件録」第4話の《不死の男》を見ました。今回のテーマは"トランスヒューマニズム"。すなわち《超人間主義》です。遺伝子工学などによって、人間が生物学的な限界を超えるという思想。ストーリーは、いままででいちばん面白かったかな。◇以下は、簡単なあらすじネタバレ。メッタ刺しに殺されたのは遺伝子研究者の男。ところが、凶器に付着してたのは被害者自身の指紋とDNAだけ。もしかして自分で自分をメッタ刺しにした??そんなことありえない!!DNA型が同じ一卵性双生児の犯行とも疑われたけど、被害者に双子の兄弟など存在しません。結局、犯人は被害者の息子でした。…といっても、それはほんとうの息子ではなく、齢の離れたクローン人間だった …というオチ!クローン人間の息子が父を殺す一方で、アストリッドの腹違いの弟ニルスは、父の顔さえ知らないのに、亡き父と同じように鉛筆の噛み癖をもっていた…。そんな2つのエピソードが対比されてます。◇今回、とくに興味をひかれたのは2つの名前でした。ひとつは、遺伝子操作で誕生した赤ちゃんの「アンティゴネー」。もうひとつは、被害者の男が名乗っていた「イザーク・ラクデム」。◆アンティゴネーギリシャ神話のアンティゴネーはオイディプス王の娘です。彼女は、オイディプスの次王クレオーンと対立しました。このアンティゴネーとクレオーンの対立は、神の法(ピュシス)と人間の法(ノモス)の対立といわれてます。それは言い換えれば「自然」と「人工」の対立なのですね。今回のお話では、遺伝子操作の犠牲者である赤ちゃんアンティゴネーを見て、アストリッドが涙を流すシーンがありましたが、遺伝子工学にもとづく超人間主義が、神=自然の法則への冒涜と位置づけられてるわけです。◆イザーク・ラクデム一方、この名前は、デュマの未完の小説から採られてるらしい。その名も「Isaac Laquedem」という1853年の作品。主人公の名前が題名になってるようですが、残念ながらネットで検索しても邦訳が見当たらない。調べてみると、これは「さまよえるユダヤ人」のヴァリエーションで、すなわち不死伝説に材をとった物語のようです。ヨーロッパに伝わる「さまよえるユダヤ人」とは、十字架に向かうイエスを罵ったために、その再臨まで地上を彷徨いつづけるよう呪われた男のこと。つまり、永久に死ねなくなって、いつまでも生きることを強いられたユダヤ人です。◇この「さまよえるユダヤ人」の不死伝説は、その後、さまざまな文学作品などに変奏されてます。ワーグナーの「さまよえるオランダ人」もその一つですが、このアレクサンドル・デュマの「Isaac Laquedem」もそうなのね。日本でいうと、手塚治虫の「火の鳥」や、萩尾望都の「ポーの一族」や、大今良時の「不滅のあなたへ」などの漫画作品も、やはり不死をめぐる物語なので、この「さまよえるユダヤ人」のヴァリエーションかもしれません。Isaac Laquedem【電子書籍】[ Alexandre Dumas ] 楽天で購入
2024.02.14
タン塩を頬張る視線春愁の吾子 ハラミ食む君の笑顔や春の恋 目を背く燃えるパプリカ彼我の春 先輩をいや肉待ち侘びる二月の夜 焼肉で筋肉つけて春肥大 スッカラの窪みは浅し春の宵 春愁の一人焼肉持て余す 二月の焼肉屋涙の受験生2月8日のプレバト俳句。お題は「焼肉」。◇清水アナ。二月の焼肉屋 涙の受験生AのB/CのDの対句。季重なりなのもあるけど、下五の「受験生」って主観の説明なのかも。つまり、作者が「受験生だろう」と判断しただけで、厳密な意味の視覚情報ではないのでは?視覚的に描写するなら、学生の涙 二月の焼肉屋焼肉屋の冬 セーラー服の涙みたいな書き方になると思います。まあ、かつて受験生だった自分とか、知り合いの受験生を描写した可能性もあるので、季重なりを回避するだけなら、駒場の焼肉屋 涙の受験生焼肉屋の煙 受験生の涙みたいなやり方もあります。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥初歩的ミス…。😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/kQx69Mmwo3— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 5, 2024◇渡辺満里奈。タン塩を頬張る視線 春愁の吾子タン塩を頬張る春愁の吾子よ(添削後)下7の字余りですが、「春愁の吾子」と書いたら、わざわざその表情まで書く必要はない。なお、語順を逆にして、春愁の子はタン塩を頬張れりのようにも出来ます。◇梅沢富美男。春愁の一人焼肉持て余す春愁と一人焼肉持て余す(添削後)渡辺満里奈と同じ理屈でいえば、下五の「持て余す」が不要との判断になる。つまり、「持て余さない春愁の一人焼肉があったら持って来い!」ってこと。しかし!先生の添削は予想外の一手。下五を消すのではなく、「春愁」と「一人焼肉」を切り離してしまう作戦。これは添削というより改作だけど、なるほど、その手もあるか!って感じです。◇笠原秀幸。ハラミ食む君の笑顔や 春の恋ハラミ食む君と春待つ恋ひとつ(添削後)中七を「や」で切って下五に季語を置く形。そして「ha」の頭韻も踏んでます。…ってことからいえば、俳句の型はしっかり出来てるのだけど(笑)まず内容がつまらないし、「ハラミ食む君」と書いたら、あとは「笑顔」だの「恋」だの書く必要はない。そして、韻を踏むために使ったのか、文語のつもりで使ったのか、女性を可愛く見せるために使ったのか知りませんが、一般に「食はむ」という動詞は、人間が肉を食べるときには使いません。牛や馬が草を食べるときの動詞です。その意味では添削句も容認しがたいので、春待つや ハラミを食べる君の口としてみました。…そもそも、詩歌の世界で、「肉を食べる女性」というのを、綺麗な恋愛対象として描くのは難しいよね。あえてそれをやったら、滑稽になるか、ちょっと諧謔的になってしまう。◇棚橋弘至。焼肉で筋肉つけて春肥大筋肉の映える春なり 肉を食う(添削後)こちらは「肉を食べる男性」なので、女性にくらべれば句材にしやすいけど、発想があまりに散文的で詩情に欠けました。でも、本人の意図はともかく、下五の「春が肥大する」という表現は、考えようによっては面白いのよねw春の息吹が膨れ上がる…とも読めるし、春の妄想が膨れ上がる…みたいな解釈もできなくはない。まあ、作者自身が意図したところは、肉食えば筋肉輝く俺の春みたいな話なのだけど…(笑)。一方、先生の添削もなかなか面白い。下五は「肉喰らう」のほうがいいかも。◇市川紗椰。目を背く 燃えるパプリカ 彼我ひがの春彼と吾と網にパプリカ焦がす春(添削後)市川紗椰にはちょっと期待したのに!予想以上にダメだったな…(笑)。なにか難しいことをやろうとしたっぽいけど、結果的には意味不明な三段切れでした。本人の話によれば、網の上でパプリカが焼け焦げてるのに、それを見て見ぬふりをする自分の姿を、彼との距離感に重ねた…とのこと。うーん。ちょっと何言ってるかわからない!まず上五で、なにか凄惨な場面から「目を背けてる」と誤解させるので、中七の「燃えるパプリカ」もなにやら大仰な事態に見えます。下五の「彼我」は、相手と自分を対比的にとらえる言葉だから、あながち間違った用法とも言えないけど、男女の描写というよりは、パプリカをめぐる地域紛争とか、パプリカに象徴される国家戦争とか、そういう対立の抽象的表現かと見まがってしまう。たとえば、パプリカの焦げるのも見ず 春の彼我のように書けば大仰さは軽減されるけど、それでも状況はちょっと分かりにくい。かりに男女の描写だとしても、まだ出会ったばかりで距離感が埋まらないのか、もう別れ際で距離が遠ざかったのかも判別できない。ちなみに、以前もパプリカを使った句はありましたが、つい、それが季語なのかと錯覚してしまうし、色彩的なぶんだけ季語の主役感を喰ってしまいます。その意味でちょっと扱いにくいアイテム。なお、パプリカの一般的な収穫時期は7月以降なので、本来なら「春の野菜」とは言いがたいらしい。◇和牛水田。先輩をいや肉待ち侘びる二月の夜焼肉屋の前に先輩待つ余寒(添削後)いわく、「俺が寒さのなかで待ってるのは先輩ではなく肉なのだ」ってことだけど、意味も分かるし、句材も面白いとは思う。ただ、それは写生というより作者の心情なのよね。これを描写的に書き換えるのはなかなか難しい。◇フルポン村上。スッカラの窪みは浅し 春の宵掲載決定だそうですが…わたしなら断じてボツ!!句材は悪くない。描いてる映像は良いと思います。しかし、スプーンや匙のヘラ部分を「窪み」って言いますか??「スプーンの窪み」とか「匙の窪み」とか、そんな日本語の言い方は聞いたことがない。むしろヘラじゃなくて柄の部分に「窪み」があるのかしら?…と誤解してしまいます。わざわざ「窪み」などと書かなくても、「浅いスプーン」「浅い匙」と書けば通じるのだから、この句の場合も「浅いスッカラ」と書けば済むのです。たとえば、汁掬ふ浅きスッカラ 春の宵料理屋のスッカラ浅し 春の宵スッカラの浅きこと知る 春の宵のように書けば事足りる。ところが!!Googleで「スッカラ/浅い/深い」を検索すると、なぜか、この「窪み」という表現がネット上に頻出します。ちなみに、「スプーン/浅い/深い」で検索しても、「匙/浅い/深い」で検索しても、この「窪み」という表現はいっさい出てきません。せいぜい「掬う部分」「皿の部分」などと出てくるだけ。にもかかわらず、なぜか「スッカラ」で検索したときにだけ、この「窪み」という謎の日本語表現が頻出するのです。…どゆこと?あくまで、わたしの想像ですが、きっと日本語を使い慣れない韓国人のだれかが、この「スッカラの窪み」という変な表現を使いはじめて、それが韓国料理業界へと広まったのではないかしら?そして、村上も、これをどこかの韓国料理屋かネットで目にして、俳句にそのまま取り入れたんだと思う。しかし、これは日本語の表現としてかなり違和感があります。日本語の「窪み」は、全体の中でそこだけ凹んでる箇所を指すわけで、皿状・椀状の器具などに使う言葉ではありません。「茶碗の窪みに飯を盛る」「鍋の窪みで汁を煮る」「湯船の窪みにお湯を張る」などとは言いません。またしても、おかしな日本語が、公共の出版物に掲載されることになってしまった。やれやれ。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.12
セクシー田中さん問題。いろいろと議論が進展しています。まずはプレジデントオンライン。西山守の記事です。~芦原さんを苦しめたのは「原作改編」と「SNS炎上」のどちらか~これまでの関係者の発信を読み解くと、ドラマは最終的に全て芦原さんの監修が入っていた。「原作が尊重されなかった」と主張しているのは第三者だけではないか。https://news.yahoo.co.jp/articles/00423158fe0253207d329fbb4b63232794eb7741つまり、ドラマ版「セクシー田中さん」は、双方に想定以上の労力を強いたとはいえ、たえず原作者による修正が加えられたことで、結果的には「原作に忠実」な形で放送されてる…って話。たしかに、この事実は重要です。一部の漫画ヲタクは、「改変されまくりのドラマ版はつまらなかった!!」などと言ってるようですが、それは事実上、芦原妃名子の仕事を否定してることになる。◇最終的に、ドラマが「原作に忠実」な形で放送されたなら、プロデューサーは当初の約束を守ったことになります。…もちろん、いくつかの未解明な部分についての説明責任は残ってますが。それは大きく以下の7点です。1.なぜドラマ化は許諾されたのか。そもそもドラマ化に消極的だった芦原妃名子は、なぜ日テレによるドラマ化を許諾したのでしょうか?いちどは矢島弘一の脚本によるドラマ化を断り、まだ連載も途上だったのに、なぜ三上絵里子プロデュースのドラマ化には応じたのか?その時点で相沢友子の脚本起用は決まっていたのか?これについては、日テレよりも、許諾側の代理人たる小学館が説明すべきだと思います。2.なぜ木南晴夏は5月からダンスレッスンを始めたのか。原作者がドラマ化を許諾する1か月前から、木南晴夏はダンスレッスンを始めていたらしい。これについては日テレから説明するほうが早いでしょう。小学館と口裏を合わせていた可能性もありますが、たんに日テレやホリプロの勇み足だった可能性もあるし、これもまた業界の慣例だったかもしれません。3.プロデューサーは脚本家に何を伝えて何を伝えなかったのか。相沢友子は「初めて聞く事ばかり」とコメントしましたが、具体的に何を指してそう言ってるのかはハッキリしません。さすがに「原作に忠実に」という条件すら知らなかった、…とは考えにくいです。もし、そうなら、第1~8話も修正どころでは済まなかったはずだから。逆に「原作に忠実に」という条件が共有されていたなら、第1~8話の修正は想定内の作業だったといえます。実際、相沢友子も、第1~8話については「自分が書いた」と言ってるだけで、原作者による修正についてはとくに言及していません。一方、終盤の脚本を原作者に交代する可能性については、あらかじめ脚本家に伝えられていたのでしょうか?原作者側から、その可能性を通告されていたにもかかわらず、実際にそんな事態になるとは予想せずに、プロデューサーが相沢友子に伝えてなかった、…ってことも考えられる。その場合、相沢友子にとって脚本交代は青天の霹靂で、大きなショックになったろうと想像されます。そのあたりの事情は三上絵里子が説明したほうがいい。4.相沢友子のインスタ発信は妥当だったのか。相沢友子が、脚本交代の顛末をインスタで明かしたことが、騒動の発端になってしまったわけですが、わたしは、昨日の記事にも書いたとおり、暴露したその行為自体が悪いとは思いません。その種の「不満のぶちまけ」は、ほかの作家や脚本家もやってることだし、あくまで個人の表現行為の範疇であって、べつに日テレ側が制止すべきことでもないはずです。まあ、それについても、三上絵里子なりの見解を示せばいいと思いますが。5.なぜ脚本交代の経緯を小学館から説明しなかったのか。終盤の脚本交代に至るまでの経緯をくわしく説明したのは、小学館ではなく原作者自身だったわけですが、それは何故だったのか。日テレとの窓口は小学館だったのに、なぜか世間の矢面に立ったのは原作者自身だった。その理由については、代理人たる小学館が説明すればいい。6.なぜ芦原妃名子はSNSの文章を削除したのか。脚本交代に至る経緯について説明した文章を、芦原妃名子は亡くなる前に削除したのですが、これは本人の独断だったのか。それとも第三者による何らかの関与があったのか。それについて事情を知る人がいるなら説明すべきでしょうね。7.なぜ連載は休止になったのか。小学館によれば、今回の事態が起きる前から休載は決まっていたとのこと。これについても、自殺の動機を知る手掛かりの一つかもしれないし、代理人たる小学館が説明すればよいと思う。◇…ってことで、じつは三上絵里子が説明すべきことは、さほど多くありません。実際のところ、日テレのプロデューサー陣には、これといった契約違反もないし、目立った過失も義務違反もないのかもしれません。◇次に、Yahooの猿渡由紀の記事です。~原作ものの映像化と改変、最近のハリウッドの例を見る~小説やノンフィクション本、コミックが映像化されることは過去にも今にも数えきれないほどあるハリウッドでは、傑作の中にも、駄作の中にも、原作に沿ったものもあれば、大きく改変されたものもある。実際のところ、ある程度改変されることのほうが多い。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4f16e5b6d5bcb5bd82c97339e4057e5e105b08f9ハリウッドの優れた映画が、かならずしも原作に忠実なわけじゃない…という話です。まあ、常識的に考えて、オスカーにせよ、カンヌにせよ、原作をそのままトレースしただけの映画が高評価を得るわけがない。漫画ヲタクを喜ばせる映画と、映画ファンを唸らせる映画は、かならずしも同じではない、ってこと。◇次に、Yahooの徳力基彦の記事です。~「セクシー田中さん」と芦原先生の悲劇を繰り返さないために~おそらく重要な分岐点は、12月27日に一部メディアが、相沢氏のコメントを引用し「最終回で消化不良を起こした視聴者が続出」という内容の記事を掲載したことです。この記事は残念ながら、ライブドアなどのポータルサイトにも転載されており、それなりの人数に届いてしまったようです。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3ed6b751c16a1baee29f72a36e2de6bc79653899じつはSNSでの怒りの連鎖に着火したのは、ひとつのネット記事だったのではないか?…という話です。この問題については、明日以降に言及できれば、と思います。
2024.02.10
セクシー田中さん問題。まるで示し合わせたように、各所からコメントが出ましたね。おおむね全体の「すり合わせ」が終わった感じ?小学館編集部が「伝えた」と言い、脚本家が「聞いてない」と言ってるところを見ると、おそらく日テレがすべての責を負う形になるでしょう。まあ、実際のところは全体の共犯だったとしても、脚本家に仕事を依頼したのは日テレなのだし、小学館にドラマ化をもちかけたのも日テレだろうから、小学館や脚本家になすりつけるのではなく、やはり日テレが全責任を負うのが筋なのだろうし、そういう決着で、とくに異論もありません。1.原作者の軽視相沢友子の「聞いてない」という話が、ホントかウソかはもちろん分かりません。実際には聞いていながら、それを無視するのが業界のルーティンだった可能性もあるし、おおむね原作者の意向は把握していて、それなりに「忠実」に書く努力はしたものの、芦原妃名子の要求する「忠実」が予想以上だったために、最後までその齟齬を埋められなかった可能性もある。小学館のほうだって、日テレと共犯だった可能性は十分にあるけれど、とりあえず原作者に近しかった編集部にコメントさせることで、なんとか漫画ヲタ勢の信頼をつなぎとめた形でしょうか。わたし自身はひねくれ者なので、あの情緒的な文章がやや気持ち悪く思えましたが、あれで漫画ヲタ勢を感動させることが出来たなら、小学館としては御の字じゃないでしょうか。きっと不買運動にもならずに済むでしょう。◇なお、相沢友子が最初にインスタでトラブルを暴露したことは、芦原妃名子の死の《遠因》になったとも言えるのだから、そのことを後悔する気持ちは理解できるけど、わたし自身は、トラブルを暴露したこと自体が悪いとは思いません。それと同じことは、佐藤秀峰なども原作者の立場からやってるわけだし、他の作家たちも同様のことはやっています。一方の「暴露」が賞賛されるのに、他方の「暴露」が断罪されるというのは、たんに結果から見たジャッジに過ぎず、公平性を欠いています。実際のところ、暴露しなければ分からないこともあるのだし、組織の隠蔽体質を助長することにもなりかねない。そう考えれば暴露することが一概に悪いとは言えない。2.自殺の原因重要なことは、ドラマ制作部が原作者の意向を軽視したことにせよ、相沢友子がインスタでトラブルを暴露したことにせよ、それらは原作者の死の《遠因》ではあるけれど、けっして《直接的なトリガー》ではないということ。結果から物事を見ようとする人間は、死の責任までも安易に背負わせようとするけれど、それを事前に予測するのは不可能です。自分が同じ立場だったら、それを予測できるのかどうかを想像すればいい。結果の側から原因を想像することもできない人間が、原因の側から結果を想像することなどできるはずもありませんが。◇原作者を軽視してきた構造上の問題と、原作者が自殺してしまった個別の問題とは、別々に切り離して考えるべき話です。むしろ自殺の《直接的なトリガー》は、原作者を軽視したことでもなければ、、インスタでトラブルを暴露したことでもなく、おそらく、1.SNSで相沢友子へのバッシングが加熱したこと2.芦原妃名子のSNSの文章を削除させる圧力が働いたこと…のどちらかである可能性のほうが高い。もちろん、そのどちらかであるにせよ、芦原妃名子の死までを予測することはできないし、その行為者に責任を負わせることは不可能です。とはいえ、相沢友子が後悔を表明しているように、SNSでバッシングを加熱させた人たちも、その行為について後悔はあってしかるべきでしょう。後悔することもなく、なおもバッシングをやめないとすれば、それはもう人間としてどうかしている。◇たしかに、ドラマ制作部の二枚舌に気づけなかった段階なら、相沢友子の側から芦原妃名子の存在が「悪者」に見えたり、芦原妃名子の側から相沢友子の存在が「悪者」に見えたりしても、ある程度は仕方ないことと言えます。しかし、現在ではもう状況が違っている。さまざまなファクターが介在しただろうことが、一般の人たちにも推測できる状況に変わっています。それにもかかわらず、この期におよんで、相沢友子のことを、まるで「人殺し」であるかのようにバッシングするのは、いまや不法行為としての《名誉毀損》の度合いが強い、…と言わなければなりません。そもそも、書き直しを迫られるような脚本を、わざわざ好きこのんで書く人間などいるはずがないし、その労力をあらかじめ予測しながらも、あえて悪意をもって原作を改変するなどありえない話です。3.SNSのバッシング逆にいえば、「相沢友子は悪意をもって原作を改変したのだ」みたいな解釈を拡散させている人たちのほうに、今となっては強い悪意を指摘せざるをえない。しかも、その中には、相沢友子の書いた文面を意図的に書き換え、曲解に曲解を重ねながら印象操作をおこない、それを拡散させている人間がいるのです。わたしの確認できる範囲では、ヤフコメに以下のようなデマが書かれている。https://news.yahoo.co.jp/articles/029c2791d0b1ff4f91c9c066cae82ba1f4b42f31/commentshttps://news.yahoo.co.jp/articles/dc2d3ddc1815f33d770df8a190ac0d1dc0f12b05/comments相沢友子の実際の文面は以下のとおり。最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました。私が脚本を書いたのは1~8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。まったく違う文面が、まるで相沢友子の投稿/コメントであるかのように書かれ、そのデマに1万人前後の人々が「共感」する形で拡散し、いまだ訂正も削除もされていません。たとえリテラシーの欠如が背景にあるにせよ、かなり悪質と言わなければなりません。
2024.02.09
わたしは知らなかったのですが、2010年に、いわゆる「やわらかい生活裁判」ってのがあって、そこでは、《原作者の完全勝訴/脚本家の完全敗訴》…との司法判断が下されてるのね。https://ja.wikipedia.org/wiki/絲山秋子#映画脚本を巡る訴訟このときは、原作の二次使用の許諾を取ったのが、映画制作会社や脚本家でなく、出版社(文芸春秋)だった、…というテクニカルな面での失敗もあるのだけど、やはり最大の判決理由は、原作者の「著作権/著作者人格権」を重視したことだと思う。(この裁判での出版社の立ち位置はいまいち分かりません)ちなみに、この裁判は、シナリオの雑誌掲載をめぐる争いだったのだけれど、理屈のうえでいえば、映画公開の中止さえも可能にするような判例だと思う。つまり、原作者の一存さえあれば、あらゆるメディアミックスを中止に追い込める、…ってことではないかしら?◇そこで気になるのが、現在の東宝ミュージカル「ジョジョ」のことです。一部では、あの騒動も、「もしや原作者とのトラブルでは?」なんて噂されてますが、…どうなんでしょうね。実際のところは分からないけど、あくまで理屈のうえでいえば、原作者の一存で公演を中止させることは可能だと思う。◇芦原妃名子だって、法的な観点からいえば、自分の一存でドラマをやめさせることは出来たはず。でも、小学館との信頼関係を優先させたのでしょう。出版社とのあいだで、二次使用や代理人にかんする契約をすることが、一概に悪いとも言いきれませんが、あくまで著作権や著作者人格権は原作者にあるのだから、代理人に縛られる必要はなかったはずなのよね。出版社は、最終的には企業のロジックで動くだろうし、そういう出版社を信頼しすぎると、結果として原作者自身が苦しむことになると思う。◇まあ、セクシー田中さんの問題でいえば、表向きは味方のフリをしながら、実際は二枚舌で原作者の権利を搾取していた、出版社&テレビ局が悪いんだろうし、それを慢性化させた業界全体の責任でもあろうけど、ぶっちゃけていえば、メディアミックスをめぐる対立というのは、すぐれて権利上の争いなのであって、誰が正義で誰が悪か…みたいな話ではないと思います。今回は、原作者の死という結果から見てるがゆえに、どこかに犯人がいるかのごとく考えがちだけど、ほんとうはそうではない。この争いでは、二次使用をする側が負けることもありうるし、そちら側に被害者が出ることだって想定せねばならない。◇もし原作者の一存で、映画やドラマや演劇を中止させることが可能だとすれば、それはメディアミックス産業にとって恐怖です。原作者の多くは、あくまで忠実な二次使用を望むかもしれませんが、それが市場の評価に帰結するとは限らないし、そもそも、映画にしろ、ドラマにしろ、演劇にしろ、「完全に忠実な二次創作」などありえないのだから。いったい何をもって「忠実」と判断するのか。たとえば東宝の「ジョジョ」はミュージカルですが、原作漫画に忠実なミュージカルなんて本質的に不可能!物語やキャラのみならず、衣装や舞台セット、音楽や歌など、原作漫画の世界観を壊しかねない要素は枚挙に暇がない。◇相沢友子の脚本もそうだったかもしれないけど、たとえ制作側が「それなりに忠実」なつもりでも、原作者から見れば「ぜんぜん忠実じゃない」って判断になったり、たとえ制作側が「最大限に忠実」なつもりでも、原作者から見れば「まだ足りない」って判断になるかもしれない。そういう終わりのない「無限忠実地獄」に翻弄されかねない。まして、出版社が二枚舌を使って仲介していたなら、その齟齬は永遠に埋めようがありません。かといって、細かい条件までを事前に確認しようとすれば、それはそれで、とてつもなく膨大な作業になるはずです。◇従来のメディアミックスの世界で、その合意がうやむやにされてきたのは、ある意味で必然的なのだと思う。うやむやにして進めるしかなかったのでしょう。結論をいえば、「改変OK」の原作でなければメディアミックスは不可能。さもなくば、「最低限ここだけは譲れない」みたいな限定的な項目だけを列挙してもらって、それ以外は「改変OK」と容認してもらうしかありません。これは、二次使用の際に、「リスペクトする気持ちがあるかどうか」なんぞという生易しい抽象論ではありません。そんな精神主義などクソほどの意味もありません。◇何をもって「忠実」とみなすかは、おそらく原作者の主観によってそれぞれであり、それを客観的に判断したり規定したりはできないのです。世間の漫画ヲタは、「原作ファンが納得することがいちばん大事!」などと都合よく考えてるらしいけど、そんな話は二の次三の次のどうでもいいことであって、法的な意味の最重要事項は、やっぱり「原作者自身が納得するかどうか」になる。そして、それは、原作者によって重視するポイントが違っていて、内容面での納得かもしれないし、権限面での納得かもしれないし、待遇面での納得かもしれません。まあ、原作者といえども、映像や演劇のプロじゃないのだし、二次創作へ介入するにしても能力的な限界があるから、最後はやっぱり、「金銭的な待遇」で決着するしかないんじゃないかしら?その意味でいうと、もしかしたら今回の東宝ミュージカルは、原作者による事実上の《ストライキ》の可能性もあります。◇たとえば映画会社は、Youtubeの「ファスト映画」を権利侵害だと糾弾してきたけど、原作者から見れば、待遇面で折り合わない映画会社の二次創作は、ファスト映画と大差のない権利侵害ってことになるはずです。なお、「ジョジョ」は集英社の作品ですが、先の「やわらかい生活裁判」の場合と同じように、二次使用の許諾を取ったのが集英社なのか東宝なのか、そこらへんも重要なポイントになるのかもしれません。つまり、仲介をする出版社が許諾をとるのではなく、制作会社が直接原作者から許諾を取らなければ、つねに中止に追い込まれる危険性を避けられないのでは?◇もともと「ジョジョ」の荒木飛呂彦は、メディアミックスに寛容なイメージがあるのだけど、本当のところはどうなんでしょうね。NHKドラマの「岸辺露伴」などは、原作ファンも納得の出来だと言われてるけど、あのドラマだって、かならずしも原作に忠実なわけではありません。とくに飯豊まりえの演じた泉京香のキャラは、かなりドラマオリジナルの要素が強い。あのドラマの人気は、泉京香のキャラによるところも大きいけれど、案外、原作者にしてみれば、そこが「最大の不満ポイント」だった…なんてことだって、ありえなくはないのです。◇わたしは、ドラマ版の「岸辺露伴」も、ドラマ版の「セクシー田中さん」も、十分に楽しんでいたわけですが、三次元の住人(ドラマファン)と二次元の住人(漫画ヲタ)とでは、まったく見え方が違ってる可能性があり、原作ファンと原作者自身のあいだでさえ、ぜんぜん見え方が違ってる可能性があるのです。原作者が納得しても、原作ファンには大不評ってこともありえるし、その逆も十分にあり得るってこと。◇そういえば、漫画ヲタクどもは、TBSによる「砂時計」のドラマ化を評価してたらしいけど、文春の記事によると、じつは芦原妃名子は、あの映像化にさえ苦慮してたらしいじゃないですか。原作者と原作ファンの見解が一致するなんてのは幻想です。それは原作者と出版社の利害が一致しないのと同じ。求めるところはそれぞれに違っている。漫画ヲタクの人たちは、「原作に忠実に作るのが正義!」みたいに簡単に言うけど、《二次創作の忠実性》という概念は、きわめて主観的、かつ曖昧、かつ多様だと考えるべきです。◇メディアミックス産業の未来に暗雲が立ち込めている。二次元世界と三次元世界は、いよいよ全面戦争に入るかも。池田理代子の「ベルばら」などは、漫画と宝塚歌劇がどちらも大ヒットして、メディアミックスの先駆的な成功例になった。萩尾望都は、宝塚ファンだったにもかかわらず、自作の舞台化にはずっと消極的でしたが、30年余りの交渉を経て「ポーの一族」が宝塚歌劇になった際は、「感動で言葉になりません」と話してたから、これも最終的には成功裏に終わってる。漫画協会理事長の里中満智子も、「二次創作は原作とはまた別の世界」と話してて、わりとメディアミックスには寛容なようです。今回の「ジョジョ」は、宝塚と同系列の東宝ミュージカル。東宝は舞台「千と千尋」も成功させましたが…もしかしたら今回の「ジョジョ」ミュージカルは、過去に例がないほどの大きな躓きになってしまうかもしれない。ジョジョの奇妙な冒険 31 (ジャンプコミックス) [ 荒木 飛呂彦 ] 楽天で購入
2024.02.08
相沢友子のインスタの文章は、昨日の記事にまるまる引用したとおりですが、あの文章が、芦原妃名子を攻撃したものだったかどうかは、文面そのものからは読み取れないし、内心どう思っていたかも知りようがない。すくなくとも、あからさまに原作者を攻撃した文面ではありません。◇しかし、この相沢友子の文章を受けて、彼女の仲間やフォロワーの一部が、芦原妃名子をあからさまに「悪者」と見なした、…そういうフシはあるっぽい。たしかに、日テレや小学館の二枚舌に気づかなければ、芦原妃名子が悪者に見えてしまっても仕方ない面はある。とはいえ、もし相沢友子本人に攻撃の意図がなかったとすれば、こうした「援軍」の存在はかえって迷惑なのよね。意図せずして対立図式が出きあがり、そのうえ自分が矢面に立たされるのだから。でも、その「援軍」の人たちは、おそらく相沢友子のファンや仲間なのだろうし、当人たちはよかれと思って、つまりは「相沢友子のために」やってるわけなので、それをむげに諌めたり非難したりもできない。そういう板挟みに陥ってしまう。◇それと同じことは芦原妃名子の側でも起こります。本人は相沢友子を攻撃するつもりがなくても、取り巻きの「援軍」の人たちは、ここぞとばかりに芦原妃名子を守れ!といって、相沢友子の陣営へ一斉攻撃をはじめてしまう。その結果、他人を傷つけることをいちばん嫌った漫画家が、なぜか、その攻撃の最前線に立たされてしまう。これはかなり絶望的だったかもしれません。◇太平洋戦争のときの天皇が、それとほぼ同じ。本人はアメリカと戦うつもりなどなかったのに、愛国的な天皇主義者たちが「天皇万歳!」と叫び、勇ましくも鬼畜米英に立ち向かってしまう。そして天皇が、その矢面に立たされてしまう。勇ましい愛国主義者たちは、さぞかし天皇を崇拝していたのでしょうが、崇拝された側にとっては、はなはだしい迷惑。さいわい昭和天皇は戦犯にはなりませんでしたが、ひとつ間違えれば処刑されていました。◇これにそっくりなことはジャニヲタにも言える。ジャニヲタ軍団は、大好きなジャニタレを守ろうとするあまり、ジャニー喜多川の性犯罪まで擁護していたわけですが、それがかえって世間の反感を買って、ジャニーズもジャニタレも窮地に追いこまれてしまった。しかしながら、ジャニヲタの人たちはあくまで善意のつもりだから、ジャニタレたちは、それに対して怒りを向けるわけにもいかず、ひたすら出口の見えない板挟みに苛まれていく。◇わたしの知っている範囲でいえば、上白石萌音にも同じようなことがありましたね。一部のファンが、「なんで紅白司会は萌音ちゃんじゃなくて橋本環奈なの?!」と言って橋本環奈のことをディスりはじめた。しかし、それで迷惑するのは萌音本人なのです。なぜ友人の橋本環奈と対立しなければならないのか?萌音の場合はさすがに我慢がならなかったらしく、すかさず自分のファンに本気で怒っていましたが、実際、そうでもしなければ収まらないのです。本人たちは善意のつもりでやっている。競合相手を蹴落とすことが、大好きな「萌音ちゃんのため」だと信じてる。◇こういうことは何度も何度も繰り返される。そして、くりかえし死者を出すことになる。当人たちには悪気がないどころか、むしろ正義だと思ってるから、なおさら質が悪い。まよわず敵陣を攻撃することが、仲間や崇拝者に尽くすことだと信じて疑わないし、その過ちに気づく理性と想像力は決定的に足りていない。バカにつける薬が是非とも必要なのだけれど、それはなかなか見つからないのです。◇◇◇絶賛暴走中の漫画ヲタク軍団が、ネトウヨやジャニヲタとよく似てるのは、組織の隠蔽体質に加担してしまうところにもいえます。漫画ヲタクは、好きな漫画や漫画家を守ろうとするあまり、その媒体である小学館をも擁護しようとするのです。編集担当者は漫画家の味方にちがいない!…と信じて疑おうとしないし、小学館の企業風土に多少の疑念があっても、そこには蓋をして見ないようにする。とりわけ、ふだんから小学館の漫画や雑誌を愛読してる人たちは、できれば小学館が「悪」だとは思いたくないし、可能なら日テレと脚本家だけが悪いという図式に持ち込みたい。◇これはジャニヲタが、大好きなジャニタレを守ろうとするあまり、ジャニー喜多川の性犯罪に蓋をして、それを見ないようにしてたのとまったく同じだし、ネトウヨが、政権与党や自衛隊の不祥事や失態を擁護したり、その隠蔽に加担したりして、問題をうやむやにしようとする心理にも似ています。つまり、都合のよい面ばかりに目を向けて、不都合な真実からは目を背けようとする。◇ジャニーズの問題が改善されなかったのは、シャニヲタがその暗部に蓋をし続けてきたからでもある。日本が戦争に負けたのは、当時の自称愛国主義者の連中が、日本軍の失態や敗退に蓋をして目を向けず、勇ましい活躍や成果ばかりを称えつづけ、真実の隠蔽に手を貸してしまったからでもある。現在の漫画ヲタク軍団が、不都合な真実から目をそむけて小学館を擁護するかぎり、小学館の側もまた、みずからの暗部と隠蔽体質を変えようとはしないでしょう。
2024.02.05
片言の子の猫舌と鱈の鍋 無事願いかかあと待ってる三平汁 牛鍋の〆のおうどん捜索隊 鍋囲う笑顔思いて出汁選び よーいドンおしくらまんじゅう鍋の夜 商談の中華テーブル窓凍てる ちゃぶ台に干支の過ぎたる祝箸 日脚伸ぶポン酢はあるかと問ふ電話2月1日のプレバト俳句。お題は「鍋つゆ売り場」。◇高橋真麻。片言の子の猫舌と鱈の鍋片言の子の猫舌と鱈鍋と(添削後)句材は面白いけどね。下五「鱈鍋」を「鱈の鍋」と書いたところは、いかにも音数合わせだなと感じてしまいます。また、幼い子供の描写として、「片言」で「猫舌」と2つの特徴を並べるのは、やや材料が多すぎる気がしなくもない。あるいは、すこし脚色をして、片言の子は猫舌で鱈鍋を猫舌の子が片言で鱈鍋とのように季語に絡める手もあるかな。◇勝俣州和。無事願いかかあと待ってる三平汁無事帰港願うかかあの三平汁(添削後)字面だけを見ると、「息子の無事を妻と一緒に願う夫」の句に見える。しかし、実際は、「夫の無事を願うその妻と一緒にいる作者」の句らしい。失礼にも、他人の妻を「かかあ」などと呼んでるので誤読を招きます。◇ナダル。鍋囲う笑顔思いて出汁選び鍋の出汁選ぶ売り場や 冬の夕(添削後)鍋の出汁を選んでる…というだけの凡庸な場面。そこに自分の心象を添えてしまう初心者の失策。なお、調理器の「鍋」は季語ではないけれど、「鍋物」「鍋料理」の意味なら季語と見なすべき、との考え方もあるようです。◇加藤ローサ。よーいドンおしくらまんじゅう鍋の夜おしくらまんじゅうみたいに寄せ鍋を囲む(添削後)兄弟家族で鍋を囲んでる…というだけの凡庸な場面。そして季語「押し競饅頭」を比喩にしてしまう初心者の失策。ちなみに、作者は一句一章のつもりで詠んでるのだけれど、字面だけを見ると、「かけっこ」「押し競饅頭」「夜の鍋」という三段切れの三句一章に見えてしまいます。◇キスマイ宮田。牛鍋の〆のおうどん捜索隊牛鍋の〆のうどんをさぐる箸(添削後)ベタな比喩で「捜索隊」と書いてしまう初心者の失策。ぜんぜん初心者じゃないけどねw鍋の底のうどんを探ってる場面だそうですが、台所の奥にしまってある乾麺を探してるのかな?と誤読されます。◇森迫永依。商談の中華テーブル 窓凍てる窓凍つや 商談中の中華卓(添削後)原句にあきらかな欠点があるとは思えない。「窓凍つ/凍てる」を上五に置くか下五に置くかは、もはや好みの問題かなあ…って気がします。たしかに、添削のように上五に置くほうが安定するけれど、逆にいうと、原句のほうは、最後の窓の印象が心もとなげな余韻を残します。しかも「凍てる窓」より「窓凍てる」のほうが、いっそう心もとない余韻を残すので、そこは好みの分かれるところかもしれません。なお、添削句のほうは「商談中」としたことで、当事者視点から第三者視点に変わってる気がする。それから「中」と「中」が重なるのも、押韻という感じではなく、むしろ鬱陶しい印象。原句の当事者視点を維持するなら、凍つる窓 中華テーブルの商談のような破調でもいいかなと思います。ちなみに、「凍つ」と「凍てる」は同義の古語だけど、「凍つ」は文語で「凍てる」は口語です。つい安易に《古語=文語》と同一視しがちですが、正確にいえば、現代語に《書き言葉》と《話し言葉》があるように、古語にも《文語》と《口語》があるわけですね。凍つ:自動詞下二段活用活用{て/て/つ/つる/つれ/てよ}凍てる:自動詞下一段活用活用{て/て/てる/てる/てれ/てよ}◇清水アナ。日脚伸ぶ ポン酢はあるかと問ふ電話先週につづいて動詞の季語。しかも、上五を終止形で切る形ですね。古語なので、連体形で「日脚伸ぶるポン酢」と誤読される惧れはないけど、時効の季語だけが映像化されないまま浮いてる感じがして、いまいち収まりが悪い。内容的にも、ちょっと状況が見えにくいですよね。近所に住む実家の親から、「ポン酢を貸してくれ」と頼まれたのか。遠方に住む実家の親から、「ポン酢がないなら送るよ」と言ってもらったのか。兼題写真を見れば、鍋の季節の状況だと想像できるけど、兼題写真がなければ、「醤油切れ」とか「味噌切れ」みたいな、ごく日常的な調味料切れの場面とも読めます。ちなみに「日脚伸ぶ」は、大寒と同じく1月下旬の時候の季語ですが、春の近さを感じさせる季語でもあります。もう鍋の季節も終わりに近づいて、日常で使うポン酢も切れてしまった状況なら、「日脚伸ぶ」という季語は妥当かもしれないけど、大寒のころで鍋真っ盛りという状況を詠んだなら、この季語はあまりふさわしくありません。そこは解釈の仕方によって判断が分かれる。なお、中八は助詞「は」を省けば解決します。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥まだまだこれからも勉強!!📚💪#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/o7FSbLR8ZH— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 29, 2024◇梅沢富美男。ちゃぶ台に干支の過ぎたる祝箸かしましや 干支の過ぎたる祝箸(添削後)中七・下五の、「干支の過ぎたる祝い箸」はとても面白いけど、作者の話をよく聞くと、じつは「年を越した」という意味ではなく、たんに「正月を過ぎた」という意味らしいので、正確性を欠いた記述なのですよね。つまり、作者は、正月を過ぎてしまって、ハレの日に用いられるはずの祝い箸が、日常のちゃぶ台に置かれてしまっている、…という滑稽味を詠んでるわけです。ところが、先生は「年を越した」と誤読してるので、去年の干支違いの祝い箸が使われてることに、面白みと詩情を見出してしまっている。そうすると「ちゃぶ台」との取り合わせは、蛇足かつ不釣り合いにしか見えないのです。これは先生の誤読のせいではなく、作者の不正確な記述のせいとしか言いようがない。まあ、わたしとしては、「去年の祝箸がちゃぶ台に置かれてる」との解釈でも、それはそれで面白いかなって気もしますが。両端を細めてあるのは神様と共用するためだそうです!▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.02.05
漫画ヲタクの暴走がいっこうに止まらない。原作至上主義こそ「絶対正義」と思い込み、テレビ局と脚本家が「絶対悪」と思い込み、にもかかわらず、なぜか小学館のことは「漫画家の味方」と信じて疑わない。そのうえ今度は、木南晴夏やめるるや毎熊克哉にまで、そのルサンチマンの矛先を向けている。おそらく3次元世界のすべてが憎いんでしょうねw芦原妃名子が亡くなった直接の原因は、相沢友子のインスタなんぞではなく、ほかならぬ漫画ヲタクどもの暴走にあるのかもしれないのだけど、その可能性からはあくまで目を背けつづけ、あろうことか、ますます個人攻撃をエスカレートさせてます。◇このような漫画ヲタクの暴走は、かえって自分自身の首を絞めてもいる。漫画ヲタクの掲げる原作史上主義は、メディアミックスの選択肢を狭めるあまり、かえって漫画出版社を窮地に追い込み、漫画文化そのものの経済基盤をも揺るがしてるのだけど、その現実からも目を背けてる。べつに「大人になれ」とかいう話じゃなく、子供であろうと、大人であろうと、現実から目を背けることはできないだろって話なのですが、おそらく漫画ヲタクの人たちは、彼らの愛する2次元世界が、現実の3次元世界を凌駕するように望んでるのでしょう。しかし、シンギュラリティでも訪れないかぎり、そんな世界は実現しません。◇もちろん日テレと小学館は、原因究明と事情説明をする必要がありますが、その説明を聞くまでもなく、もはや野木亜紀子や佐藤秀峰の文章を読んだら、おおよその背景と事情は察しがついてしまった、…ってのが正直なところ。そして、原作者と脚本家にすり合わせをさせない手法は、三上絵里子や相沢友子にかぎった話ではなく、テレビ業界全体の悪習だったこともバレてしまった。もちろん再発防止策も改善策も必要なのですが、おそらく改善に向かうというよりは、たんに《漫画原作が忌避される方向》へ流れるだけでしょう。漫画原作はめんどくさい、との認識が共有されて終わる。◇テレビドラマが漫画原作を避けることで、いちばん損をするのは出版社ですが、メディアミックスの可能性が大幅に狭まる事態に対し、どんな方策を講じればいいかについては、昨日の記事に書いたとおりなので割愛します。いずれにしても、漫画ヲタクの暴走から得られるものなど何もなく、漫画を中心とするメディアミックスの経済を縮小させることで、かえって彼ら自身の首を絞めているにすぎません。◇あらためて相沢友子のインスタの文章は次のとおり。〔12月24日〕最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました。〔12月28日〕私が脚本を書いたのは1~8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。この文章をどう読むかは人それぞれでしょう。脚本の書き直しをさせられたり、終盤の脚本がまるまるボツになったことについて、ショックを吐露してるのはたしかです。最初からボツになる可能性を知っていれば、わざわざ苦労して書くわけがないのだから、まともな意思疎通が出来てなかったのは想像に難くないし、原作をねじ曲げられた芦原妃名子がショックだったように、せっかく書いた脚本を反故にされた相沢友子が、同様にショックを受けたのも当然のことでしょう。◇そして最後の、「今後同じことが二度と繰り返されませんように」という一言は、十分な意思疎通を怠った自分への戒めとも取れるし、それを遮ったプロデューサーや出版社への苦言とも取れるし、構造的な問題が改善されることへの願いとも取れるのだから、それをあえて「原作者への嫌味」だと解釈するのは、ひとつのバイアスのかかった見方にすぎません。たしかに相沢友子の支持者のなかには、あからさまに原作者を "悪者" と見なす人もいたのだけど、それはちょうど、現在の芦原妃名子の自称支持者どもが、相沢友子を ”人殺し” 呼ばわりすることの裏返しであって、はたから見たら「どっちもどっち」でしかない。要は、双方の外野どうしが、> 自分たちが絶対正義で、> 相手がたは絶対悪である!と主張して互いに暴走してるだけ。さながら馬鹿なネトウヨが、> 日本人の愛国心は絶対正義だが、> 中国人の愛国心は絶対悪である!と主張してるのと同じで、はたから見たら「同じ穴のムジナ」なのです。◇ちなみに、ヤフコメには、この相沢友子の文章について、脚本家が「原作者のわがままのために酷い思いをしたけど、俳優さんたちやスタッフの皆様は素晴らしかった」という内容のコメントを誰の目にも触れる場所に発信…https://news.yahoo.co.jp/articles/dc2d3ddc1815f33d770df8a190ac0d1dc0f12b05などと、まったく違う文面に書き換えた人物が存在し、このデマ情報が、いまなおいちばん上位に表示されていて、1万人もの閲覧者が「共感」のボタンを押すなど、かなり悪質な拡散ぶりを見せています。◇芦原妃名子が亡くなったのは、相沢友子のインスタの文章のあとではなく、それから1ヶ月後のことです。つまり、芦原妃名子が、小学館に確認のうえでトラブルの経緯説明をし、それがSNSにおける騒動へと発展し、それを受けて当該文章を削除した直後なのだから、そこにこそ直接的なトリガーがあったと考えるのが普通。漫画ヲタクどもは絶対に認めたくないでしょうが、芦原妃名子の自称支持者の連中が、相沢友子への攻撃を激化させたことこそが、直接的な引き金だったのではないか?…と疑ってる人はかなり多いはずです。そうでなければ、「攻撃したかったわけじゃなくて」という最期の言葉にはなりようがない。◇もちろん、遺書の内容が公表されないかぎり、そのトリガーを特定することはできないし、わたし自身も、彼女が亡くなる前日に記事を書いてますから、それが本人の目に触れた可能性というのも、ずっと気になってるのは否めません。当時のアクセス数は300程度だったけれど、自分の記事がトリガーになった可能性が、絶対にないとまでは言い切れない。極論をいえば、この問題についてのネットの言葉のすべてが、何らかのトリガーになった可能性はあるわけで、その意味で、現在の状況というのは、たがいに責任のなすり合いをしてるとも言える。◇けれど、たとえ何がトリガーだったとしても、それが罪だとまではいえません。犯人探しをしたくなる気持ちは理解できますが、自殺の背景において、かならず犯人が存在するわけではない。にもかかわらず犯人を捕まえて断罪しようと暴走すれば、実質的な冤罪まがいのものを生み出すだけです。◇しかし、それでもなお、漫画ヲタクどもの暴走が止まることはないでしょう。わたしは今回の件で、日本で漫画ヲタクと呼ばれる人たちが、ネトウヨやジャニヲタと同じ種類の連中なのだ、…ということを完全に理解しました。
2024.02.04
芦原妃名子の自殺が今後どのような結果を生むか。大きく2つの方向性があります。1.原作に忠実なドラマが増える2.原作アリのドラマ自体が減るそして、おそらく正解は「2」のほうだと思います。◇野木亜紀子や佐藤秀峰がアップした文章を読むと、原作者と脚本家の意思疎通がいかに困難なのか分かるし、クリアすべき問題は脚本だけじゃないのだから、原作に忠実なドラマを作るのは途方もなく難しいと思える。脚本家と原作者が意志疎通をはかろうにも、時間的・距離的な制約があって難しい場合もあり、たとえ会ったところで、すり合わせの作業が円滑に進むともかぎらず、折り合いがつかなければ決裂する場合もありうる。なので、出版社側の担当者も、TV局側のプロデューサーも、なるべく両者を対面させずに乗り切ろうとしてきたわけです。それがなかば慣例化していた。その事情を知ると、出版社の担当者を責める気にもならないし、TV局のプロデューサーを責める気にもならないし、まして脚本家を責める気にもならない。原作者と本気で向き合おうとすれば、それはかなり手間のかかる作業になる、ということ。そこまでして原作に忠実なテレビドラマを作るというのは、まったくもって理想論としか思えない。◇以下は野木亜紀子のツイート。脚本家が好むと好まざるとに関わらず「会えない」が現実で、慣例だと言われています。私も脚本家になってからそれを知って驚きました。良くいえば「脚本家(あるいは原作者)を守っている」のであり、悪くいえば「コントロール下に置かれている」ことになります。慣例といっても、原作サイドから「事前に脚本家と会いたい」という要望があれば、プロデューサーも断れるはずがなく、そんな希望すら聞いてくれないのであれば作品を任せないほうがいいし、それを断る脚本家もいない……というか、会いたくないなんて断った時点で脚本家チェンジでしょう。原作がある作品において、脚本家の立場なんてその程度です。脚本家からしたら、プロデューサーが話す「原作サイドがこう言ってた」が全てになります。私自身も過去に、話がどうにも通じなくて「原作の先生は、正確にはどう言ってたんですか?」と詰め寄ったり、しまいには「私が直接会いに行って話していいですか!?」と言って、止められたことがあります。(後に解決に至りましたが)また、プロデューサーも、先生の意見を直接聞いているかというとそうでもない。半年以上に及ぶやり取りの中で、地方在住の方もいらっしゃいますし、ご自身の仕事が多忙でそんな暇ないということもある。そのため大抵は、出版社の担当者やライツを通した、伝言の伝言になります。https://twitter.com/nog_ak/status/1753260514329887140そして佐藤秀峰のnote。「映画は水ものだから企画段階では真剣に考えなくて良い」という編集者の言葉を真に受けていたら、ある日決まっていました。決まったと思ったら僕が口を挟める余地はありませんでした。漫画家は通常、出版社との間に著作権管理委託契約というものを締結しています。出版社は作品の運用を独占的に委託されているという論理で動いていました。契約書には都度都度、漫画家に報告し許諾を取ることが書かれていました。が、それは守られませんでした。すでに企画が進んでいることを理由に、映像化の契約書に判を押すことを要求されました。嫌だったけど、「映像化は名誉なこと」という固定観念がありました。映像化決定のプロセスが嫌なだけで、出版社もいろいろ動いてくれたんだろうなと。原作使用料は確か200万円弱でした。出版社への不信は募ります。何も言わないことと、何も不満がないことは違います。言えることは、出版社、テレビ局とも漫画家に何も言わせないほうが都合が良いということです。出版社とテレビ局は「映像化で一儲けしたい」という点で利害が一致していました。出版社はすみやかに映像化の契約を結んで本を売りたいのです。映像化は本の良い宣伝になります。だから、漫画家のために著作権使用料の引き上げ交渉などしません。漫画家の懐にいくら入ったところで彼らの懐は暖まらないのです。それより製作委員会に名を連ね、映画の利益を享受したい。とにかくすみやかに契約することが重要。著作権使用料で揉めて契約不成立などもっての外。テレビ局はできるだけ安く作品の権利を手にいれることができれば御の字。漫画家と直接会って映像化の条件を細かく出されると動きにくいので、積極的には会いたがりません。出版社も作家とテレビ局を引き合わせて日頃の言動の辻褄が合わなくなると困るので、テレビ局側の人間に会わせようとはしません。漫画家の中には出版社を通じて映像化に注文を付ける人もいますが、出版社がそれをテレビ局に伝えるかどうかは別問題です。面倒な注文をつけて話がややこしくなったら企画が頓挫する可能性があります。出版社は、テレビ局には「原作者は原作に忠実にやってほしいとは言っていますけど、漫画とテレビじゃ違いますから自由にやってください」と言います。そして、漫画家には「原作に忠実にやってほしいとは伝えているんだけど、漫画通りにやっちゃうと予算が足りないみたい」などと言いくるめます。https://note.com/shuho_sato/n/n37e9d6d4d8d9※佐藤秀峰のように出版社にまで喧嘩を売れるツワモノはかなり貴重だと思う(ちなみに「海猿」も小学館の作品です)。ふつうなら、安タケコのツイートのように「同じ思いの小学館、担当編集者、編集部も誠心誠意作家を守るために尽力してくれています」みたいに書くだろうから。べつに安タケコが嘘を書いてるとは言わないけど、とくに連載をもってる漫画家なら、公然と出版社に喧嘩を売るのはかなり難しいはずです。野木亜紀子がテレビ局を批判するのも、かなり勇気のいることだと思います。わたしは、そういう人たちのほうを圧倒的に信用する。◇今後のテレビドラマは、オリジナルの脚本が増える一方で、「改変OK!」のものでないかぎり、原作アリの作品は忌避されていくことになる。わざわざ原作者と折り合いをつけるために、時間と手間をかけるプロデューサーは少ないはずです。そもそも、原作に忠実なドラマは、漫画ヲタクには評判がいいかもしれませんが、一般層にまで広く遡及するとは限らないし、テレビドラマというのは、原作者以外にも配慮すべきことが多すぎます。話数や放送時間やCMのタイミングなど、様々なフォーマットに収めなければならないし、絶対に守るべき納期があるし、視聴率も取らなきゃいけないし、予算的な制約や撮影技術上の制約もあるし、スポンサーや出演陣のイメージにも合わせねばならないし、コンプラ違反をしてもいけない。おそらくドラマの脚本制作というのは、脚本家の自己表現を全開にできるような仕事ではなく、さまざまな要求や条件や制約に合わせていく作業だし、それを考えたら、原作者の要求に全面的に応じられるテレビドラマなど、ほとんど不可能だと考えたほうが正しい。◇なので、今後のテレビドラマは、「原作なしのオリジナル脚本」と、「改変OKな原作もの」に傾いていくはずだし、さらには「AI脚本」みたいなのが増える可能性もある。その結果、いちばん損をするのは誰かといえば、それは出版社です。これまで漫画出版社が、自社作品をTV局に売りわたすことによって、どのくらい儲けてきたのか知らないけど、今回の問題によって、テレビドラマはおろか、メディアミックス全般の可能性が大幅に狭まっていく。これは出版社側の自業自得ともいえますが、漫画雑誌の廃刊や、出版社の倒産を加速させることにもなりかねません。◇しかし、損をするのは出版社だけではありません。漫画ビジネスが日本の基幹産業になりつつある今、そのメディアミックスの可能性が狭まっていくことは、日本経済全体の巨大な損失になるからです。したがって、これは、ある意味、政治的な案件であり、経済界全体が注視すべき問題だというべき。◇では、漫画のメディアミックス産業を衰退させないために、いったいどうすればよいのか?ひとつの方策として考えられるのは、それを原作者にとっても「旨みのあるビジネス」に変えていくこと。たとえ原作の内容やイメージを変えられるのが苦痛だとしても、たとえ原作ファンの漫画ヲタク連合から袋叩きにされるとしても、「これだけ儲かるのなら仕方ないか…」と思わせるだけの経済的なメリットがあれば、その苦痛を我慢してくれる原作者はきっといると思います。◇そして、もうひとつの方策があるとすれば、漫画原作の売り先を、時間に追われてドラマを量産してる日本のテレビ局ではなく、Netflixのような国際映像メディアに移行させる、ということ。そのほうが、時間とお金をかけて、原作に忠実なドラマを作ってくれるかもしれないし、国内の漫画ヲタクだけでなく、世界中の漫画ヲタクの市場を相手にすれば、時間とお金をかけるだけの採算が合うかもしれません。
2024.02.03
いまだに多くの漫画ヲタクの人たちは、「小学館は芦原妃名子の味方だったはず!」と信じて疑わないようですが…何故そこまで出版社を信用できるのか、わたしには不思議でなりません。ネトウヨが自衛隊を批判しないのと同じく、漫画ヲタクは小学館を批判してはならない、…みたいな暗黙のルールでもあるのかしら?◇すくなくとも、わたしから見ると、小学館のふるまいには以下の4つの点で疑念があります。1.なぜ《原作クラッシャー》による企画を承認したか三上絵里子と相沢友子は、《原作クラッシャー》との不名誉な異名を与えられてますが、なぜ小学館は、もともとドラマ化に前向きでなく、さまざまな条件付けも多かった芦原妃名子の作品を、よりにもよって《原作クラッシャー》の2人に委ねたのでしょう?最初の段階では、まだ脚本家が未定だったかもしれませんが、三上絵里子がプロデューサーを務める時点で、原作が改変される恐れはあったわけだし、脚本家として相沢友子の名前が挙がった時点で、その起用を拒否することもできたはずです。かりに芦原妃名子が、2人のことをよく知らなかったとしても、小学館の担当者が知らなかったはずはない。三上絵里子が担当した「二月の勝者」や、相沢友子が担当した「ミステリと言う勿れ」は、いずれも小学館の作品だったのだから。もし小学館側が、2人を《原作クラッシャー》だと認識していたなら、芦原妃名子の作品を彼女たちに任せるはずがありません。にもかかわらず企画が止まらなかったのは、日テレの問題ではなく、むしろ小学館側の勇み足で原作者の意思を飛び越え、ドラマ化の流れを作っていったからだ、と思えます。そもそも、多くの漫画ヲタクの思い込みとは裏腹に、むしろ企業としての小学館は、この2人の仕事を高く評価していたのではないですか?2.なぜ日テレ側のスタッフと対面させなかったかこれについては、昨日の記事に書いたので割愛しますが、目下、小学館と日テレには、「なぜ原作者と脚本家に意思疎通をさせなかったのか」について説明することが求められています。一部の漫画ヲタクの人たちは、「小学館はあくまで原作者の味方であり、 原作者に代わって日テレ側に意向を伝えていたのだ!」と主張していますが、わたしに言わせれば、たんに原作者は小学館を頼るほかになく、小学館をとおして意思を伝える以外に手段がなかった、…というだけのことに見えます。3.なぜトラブルの経緯を説明したのは原作者だったかドラマ終盤の脚本を、原作者が書くことになった経緯について説明したのは、小学館ではなく、原作者自身でした。原作者が "小学館に確認しながら書いた" としているので、これをそのまま「小学館側の説明」と見なす漫画ヲタクもいますが、原作者と出版社の利害が同じではない以上、両者の言い分が同じである保証はどこにもありません。わたしに言わせれば、日テレとのあいだを仲介したのが小学館だったから、たんに小学館に確認するしかなかった、というだけに見える。そして、その説明は本来なら、仲介をしていた小学館が直接おこなうべきだったし、そのほうがはるかに正確だったはずです。…ところで、原作者は、亡くなる前にその文章を削除してしまいましたが、それは何故だったのでしょうか?相沢友子へのバッシングが加熱してしまったため、原作者が自分の意志で削除したとも考えられますが、もしかすると、日テレ側との関係が悪化するのを恐れた小学館が、原作者に削除要請をした可能性もあるのではないですか?もしそうだとすれば、それは原作者を激しく失望させたでしょう。4.なぜ小学館はいまだに経緯を説明しないのか繰り返しますが、脚本制作のトラブルについて説明したのは、原作者自身であって、小学館ではありませんでした。そして、原作者が亡くなった今もなお、小学館はその経緯について公に説明をしていません。それは何故でしょうか?小学館側に非があるからなのか。日テレとの事実上の「共犯」だからなのか。日テレとの関係悪化を恐れているからなのか。◇◇◇昨日の繰り返しになりますが、わたしは「小学館が悪い!」と言いたいのではありません。原作者と出版社の利害は同じではないのだし、たんにその立場の違いが顕在化しただけであって、企業としての小学館のふるまいは、むしろ当然だとさえいえる。企業は企業としての利益を優先するはずだからです。◇芦原妃名子は、残念ながら小学館を頼る以外になかったのだろうし、いまさら言っても遅いことですが、ほんとうは小学館を信用しすぎるべきではなかった。小学館を頼りすぎるべきでもありませんでした。そして、これは、芦原妃名子と小学館だけの話ではなく、あらゆる出版社に依存するあらゆる漫画家にいえることです。
2024.02.01
フジテレビのニュースによると、芦原さんがブログやXで投稿した条件や意向が日本テレビ側に伝わっていなかったという情報がある点について、小学館側に確認したところ「広報室として出したコメントとHPに出したコメント以上のことは答えることができない」との回答でした。https://news.yahoo.co.jp/articles/6ce0ad68b4582daee329fab93d99e911a37c6194…だそうです。なぜ芦原妃名子は、日テレ側のスタッフと対面しなかったのか。それは、小学館が「芦原妃名子を守ったから」ではなく、むしろ小学館と日テレが共謀して、原作者と脚本家を対面させないようにしていたから、…という疑いがもたれます。つまり、小学館は原作者の「代理人」の立場をよそおって、実際には原作者の意向をブロックしていた可能性がある。◇一部の短絡的な漫画ヲタは、「コナンを日テレから撤退させろ!」とか、「小学館は日テレと別れる英断を!」などと叫んでますが、小学館がそんな選択をするわけがありません。どう考えても、日テレと小学館はウィンウィンの関係であり、もっといえば共犯の関係にあるのです。たとえ青山剛昌がアニメをやめたいと言っても、日テレと小学館はアニメ制作をやめるはずがない。金づるなのだから!出版社を信用するのも大概にしろ!!ってこと。◇ドラえもんの同人誌問題のときに、小学館が「著作権の保護」を主張したのはなぜか?それは、藤子・F・不二雄の権利を守るためではなく、あくまでテレ朝と小学館の権利を守るためであり、そのためなら、作家個人の創造性など平気で踏みつぶすのです。あのとき、小学館の横田清や大亀哲郎は、さも藤子・F・不二雄の遺志を代弁するふりをしたけれど、実際は、たんに自社の利益を守ろうとしたにすぎない。故人の遺志を代弁できる根拠などどこにもないのだから。◇わたしは「小学館が悪い!」と言いたいのではなく、これはあくまで「構造的な問題だ」と言いたいのです。たとえば、ジブリの鈴木敏夫と宮崎駿の関係は、世間的にも "目に見える関係" ではあるけれど、あそこにも激しい緊張関係があります。鈴木敏夫は、予算を抑えて納期までに作品を完成させようとするし、メディアミックスにも非常に積極的です。それに対して、高畑勲や宮崎駿は、赤字になることも意に介さないし、納得いくまで制作に時間をかけようとするし、メディアミックスにもほとんど関心がありません。これは、どちらが正しいとか間違ってるとかではありません。経営者とクリエイターでは立場が違うということです。◇おそらく漫画家の人たちは、連載してくれた出版社に恩義があるだろうし、なるべく信頼関係を崩したくないだろうし、表立って批判もしにくいだろうし、敵対するのも憚られるだろうけれど、じつは、その信頼関係は、非常に脆いものだと思います。漫画家は ”身内” に裏切られる可能性がある。そのことを覚悟しなければなりません。ビジネスが大きくなればなるほど、原作者の思いは踏みにじられる可能性が高まるし、漫画やアニメが、日本の基幹産業として成長しているいま、今回のような問題にはいっそうの注意が必要です。漫画家の人たちは、出版社を過度に信頼しすぎることなく、不用意に依存しすぎることなく、自分たちで自分自身を守る術を考えなければなりません。
2024.01.31
日本テレビのコメントによれば、小学館が「原作代理人」だったようです。2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。しかし、一般的に考えれば、原作者がドラマ化に後ろ向きだとしても、出版社のほうはドラマ化に積極的になるはずだし、原作者と出版社の利害というのは、はじめから相反している可能性があります。そうだとすれば、原作者は、出版社から実質的に裏切られる可能性が高い。実際のところ、原作者の意向をないがしろにしていたのは、脚本家でもなければ、テレビ局でもなく、出版社だったかもしれない…ということです。◇欧米では、原作が出版される段階で、原作者と出版社のあいだをエージェントが仲介し、印税や、映像化の際の条件などを、あらかじめ文書で取り決めているようです。https://ja.wikipedia.org/wiki/著作権エージェントそうでもしなければ、原作者の主導で映像化の話を進めるのは本質的に不可能です。原作者の意向を無視して、出版社が勝手にメディアミックスなどを進めることもありうる。そもそも利害が一致していないのなら、出版社に「代理」を委ねる仕組みそのものに無理があります。◇一方、テレビの職業脚本家は、テレビ局側の依頼で書いてるにすぎないのだし、そもそも、原作者の意向などをどれほど知らされるのかも、それに従うべき立場にあるのかどうかも、現時点ではよく分かっていません。むしろ、原作者がいちいち内容に口出ししたり、脚本そのものの差し替えを要求してくることに、脚本家の立場として不愉快を感じたとしても不思議はない。◇そのあたりの事情も不明な段階で、むやみに脚本家の人格叩きなどをしても意味がない。まして、脚本家がインスタの文章を書く際に、原作者に「さん」づけをすべきだったかどうかなど、どうでもいい問題まであげつらっても仕方ありません。スピッツを「さん」づけで呼べ!!…などと騒いでいた短絡的な連中と同様に、まったくもって生産性のない議論であって、かえって問題解決の妨げになっているにすぎない。
2024.01.30
芦原妃名子が亡くなってしまいました。海外の事例も含めて、こういうことって過去にあるんだろうか?遺書の内容も明らかになってないし、そもそも人となりなども知らないので、なんのコメントしようもありませんが、ネット上の議論やらなんやら、いろんなことの板挟みになって、追い詰められてしまったのかもしれないし、わたしの一昨日の記事も、あながち例外とは言いきれない。ちなみにアクセスが急増したのは昨日なので、一昨日のアクセスは300弱でした。◇あくまで一般論としてだけど、わたなべ志穂が一昨日、「ドラマ制作時、作者には味方はあまりに少ない」とツイートしてたのは、その通りなんだろうな、と思った。そして、それは、テレビ局や脚本家だけでなく、出版社も含めての話じゃないかと思います。改めてですが芦原先生はとてもリスクを持ち発言されたと思います。俳優さんを傷つけるのではないか、ドラマを楽しんだ方から非難されるのではないか、自分はこれ以上傷付くのか。ドラマ制作時作者には味方はあまりに少ない。勿論大事にして下さる現場もありますが多くは違うはず→— わたなべ志穂 (@nabeshiho_enjoy) January 27, 2024テレビ局や脚本家を攻撃してる自称原作ファンが、ほんとうに「原作者の味方」だったとは思えないし、出版社が「原作者の味方」だったとも言い切れないのです。百歩ゆずって、担当編集者は味方になっていたとしても、企業としての出版社は、むしろドラマ化や映画化に積極的なはずだし、なんなら原作者をなだめてでも、自社の作品をどんどん売り込んで、ドラマ化や映画化を推し進めるのが普通だと思う。もっといえば、なんらかの炎上騒動を仕掛けてでも、作品の知名度を上げようと考えるかもしれません。…そんな味方のいない孤独な状況の中で、原作者だけが板挟みになる危険があるのかな…と想像します。◇商業芸術の世界において、作者の意思がねじ曲げられるのは普通の話です。むしろ、作者の意思が完全に尊重されるなんてことは、ありえない話だと考えるべきでしょう。これはなにも、ドラマ化や映画化だけの話じゃなく、たとえば、雑誌に掲載する段階でも、編集者からひたすらダメ出しされたり、内容を改変させられたり、容赦なく連載を打ち切られたりすることは、日常茶飯的にあるはずなのだから。…同人誌などに書くなら別ですが、作品を「商品」として市場に出す以上、作者の意思が完全に尊重される世界などというのは、まったくもって理想論でしかありません。商業芸術の現場で仕事をしてるクリエイターなら、そんなことは百も承知だろうけど、あまりの理想と現実とのギャップに直面したり、それに抗おうと奮闘するあまり、かえって過酷な状況に疲弊してしまい、追い詰められるケースはあるんだろうな、と思う。◇ケースバイケースだとは思いますが、たとえば、筒井康隆なんかは、人気作の「時をかける少女」のことを、"金を稼ぐ少女だ" などと言って野放しにしてますよね。それに対して、自分の作品に対する責任感が強く、多くを背負いすぎてしまうクリエイターは、かえってリスクが大きいのかな…という気もする。そんな原作者をサポートするのは、一義的には出版社なのだと思うけど、もちろん何から何までサポートするのは不可能でしょう。とはいえ、商業主義とのバランスには慎重であるべきだし、作家を過度に追い詰めない配慮は必要になるでしょう。
2024.01.30
一週おくれですが、「アストリッドとラファエル4~文書係の事件録」第2話の《千夜一夜物語》を見ました。今回はイラン難民の話。このドラマを見てると、フランスは移民社会なのだなあと分かります。黒人や日本人も出てくるし、北米先住民が出てきたこともあるし、むしろ生粋のフランス人のほうが少ない気がする。◇今回の物語の背景について、いろいろ気になったので調べてみました。1.ジン&イフリート&シャフリヤール被害者は、シャフリヤールという別人を名乗っていました。これは「千夜一夜物語」の王の名前でもある。サーサーン朝のシャフリヤール王は、不貞を犯した妻と奴隷を殺したあと、若い娘を毎晩ひとりずつ殺したのですね。しかし、シェヘラザードが物語を話しはじめたので、その続きが気になった王は、娘殺しをやめたわけです。…ジンというのは、アラブ世界で信じられている精霊/魔物です。精神病などを「ジンが憑依した」と解釈するそうです。スーフィーの占い師や祈祷師は、ジンを操って病気の治療をしたりするらしい。ディズニーの「アラジン」ではジーニーとして登場します。イフリートも、このジンの一種で、魔法のランプから出てくるのもイフリートです。今回のドラマでは「火の精霊」と説明されてました。被害者は、まるでイフリートに焼き殺されたかのごとく、真っ黒焦げの死体で見つかったわけです。2.スーフィズム&コーヒー&セマー後述するように、被害者の正体は別人でしたが、本物のシャフリヤールはスーフィーの男性で、もともとはイラン南部の羊飼いだったらしい。じつはスーフィーは、アラビア語で羊毛を意味する「スーフ」に由来し、羊毛をまとった貧しい人々の意味だったようです。…スーフィズムというのは、イスラム教より古くから存在する、神秘主義的で実践性の強い原始宗教です。ドラマのなかでニコラ・ペラン警部は、「その実践主義が教義に合わず、イラン政府に迫害されてる」と話してました。…こういう原始宗教は世界中に存在しますよね。たとえば日本では、仏教が観念的なのに対して、神道のほうは、より実践的で神秘的です。仏教のなかでも、顕教より密教のほうが実践的かつ神秘的です。また、キリスト教の世界でも、原始的な神秘主義はグノーシスとして異端視される。… ドラマのなかで被害者の娘を名乗っていた女性は、トルコ人のコミュニティに加わっていて、くるくる回るダンスを踊ってました。これは、メヴレヴィー教団の旋回舞踊「セマー」ですが、やはりスーフィズムから生まれた宗教行為で、トランス状態になるまで回って神を体感するらしい。トルコ政府は、メヴレヴィー教団の活動を禁止してるものの、観光客向けの芸能として「セマー」を容認してるようです。…加害者のひとりであるタクシードライバーの女性は、乗客にコーヒーを提供してました。じつはコーヒーの文化も、イエメンのスーフィズムに発祥しています。瞑想や修行に取り組む際、食欲や睡眠欲に打ち克つために、覚醒作用のあるコーヒーが飲まれたのだそうです。3.イラン革命防衛隊と女性による反政府デモ今回のドラマの加害者たちは、イラン革命防衛隊から迫害を受けたり、家族や恋人を殺されたりした3人の女性でした。これはおそらく、2017~18年に起こったイラン反政府デモを題材にしてます。フランスでこの回が放送された前年の2022年にも、やはりイランで大きな反政府デモがありました。これらはおもに女性を中心としたデモであり、BBCなどの記事によると、多くの人が逮捕され、不当な裁判で死刑判決を受けたり、拷問を受けて不可解な死に方をしたり、行方不明になったりしているようです。https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64092881さらに、こちらには、スーフィーへの弾圧のことも書かれています。https://www.moj.go.jp/isa/content/001380819.pdf…ドラマのなかで、シャフリヤールを名乗っていた被害者は、かつて革命防衛隊に属していた男でした。ニコラの話によれば、イラン政権は、彼が反体制派に殺されたと思ってるが、実際は脱走していたので、微妙な立場にあった。誰かに正体を知られたら庇護を受けられなくなるし、もし国に戻れば、民衆にリンチされるか、反逆罪で処刑される運命だった。とのことです。民族心理学者のカウンセラーが、3人の女性に復讐殺人を教唆したのは、上記のようなイランの政治的混乱のなかで、被害を受けた女性たちの悲劇を知っていたからです。その背景を知らなければ、最後にラファエルが涙を流した理由も分からない。◇◇◇余談ですが、第1話のタイトルは「ドラゴンの目」でしたね。辰年だけに??! …と思ったけど、去年のフランスのドラマだから、たんなる偶然。シーズン4では、黒人のアルチュールが休職した代わりに、保険会社から警察に出戻ったノラが加わりました。頭も切れて、なかなかセクシーな美人だし、またもラファエルの恋敵が現れた感じです。でも、ラファエルも負けず劣らず、髪型をボブに変えて、前シーズンより女っぽくなった。アストリッドの腹違いの弟は、なんだか変わった男の子です。◇◇これまた余談だけど…Tverで年明けに、テレ朝「未解決の女~警視庁文書捜査官」を再配信してました。考えてみたら、あの設定はアストリッド&ラファエルに似てる!麻見和史の原作「警視庁文書捜査官」シリーズは、2015年にはじまってて、大森美香のドラマも2018年にはじまってるので、2019年にはじまったフランスのドラマよりも早い。波瑠&鈴木京香の立場は、アストリッド&ラファエルとは逆だけど、波瑠のキャラは、どことなくアストリッドに重なります。
2024.01.30
待春の病室祖母に巻くロッド ほっとするパーマのヒーター冬の朝 早いかな襟足すっきり春近し 先駆けて切り揃えし春待ちの朝 金に染め宙舞う一月勝ち儀式 就活の黒髪は艶失せて冬 髪の毛の挟まる雑誌四温かな 切りすぎた襟足触り日記買う1月25日のプレバト俳句。お題は「美容院」。◇アインシュタイン河井。待春の病室 祖母に巻くロッド74点の高評価で1位。「春待つ」「待春」は晩冬の季語です。AのB / CにD …の形ですが、4つの要素を過不足なく配置した描写で、季語に詩情や希望を託した句またがり。キスマイ横尾の対句より内容に手応えを感じます。◇君島十和子。先駆けて切り揃えし春待ちの朝あさ髪を切り揃えて春待ちの朝あした(添削後)原句は破調の字余り。まず何を切ったのかが分からないし、「春に先駆けて」も、季語の「春待ち」に重複してる。全体的に映像の具体性も乏しい。◇研ナオコ。早いかな 襟足すっきり 春近し襟足をすっきり 春近き鏡(添削後)中八の三段切れ。上五は描写ではなく作者の心情になってる。本来、切れ字の「かな」は下五に置くべきだけど、この句は詠嘆でなく疑問の終助詞を上五に置いてて、いまいち俳句の体裁になっていない。添削のほうは、句またがりにせずとも、襟足をそろえ鏡に春近しのような定型に収めるのも可能。◇梅沢富美男。髪の毛の挟まる雑誌 四温かな切り髪の挟まる雑誌 四温晴(添削後)まずは型の問題。下五に切れ字の「かな」を置く場合は、途中に切れを入れないのが基本だから、中七に切れを入れた時点で失敗してます。この期に及んで初歩的な理解が欠けている。たとえば、切り髪の雑誌に残る四温かなとすれば、この問題は解決します。内容面でいうと、そもそも美容院の場面と分かるかどうかが疑問。たんに自分の抜け毛を描いた不潔な状況とも見える。たとえ美容院の場面であっても、「知らない誰かの髪の毛が挟まってる」ってのは、個人的にネガティブで汚らしい印象しか受けない。せめて「誰の髪の毛か」が分かってれば、愛おしい気持ちが湧くこともあろうから、だいぶ印象が変わるのかもしれませんけど。たとえば、見開きに吾子の切り髪 四温晴のようにも出来ると思います。◇武尊。金に染め宙舞う一月 勝ち儀式金髪に変え一月のゴング待つ(添削後)原句は、抽象的な表現を駆使した結果、まったく意味不明な句になってしまった。さらに、中七で切った場合は、下五に季語を置くのが基本なので、型の面でも、ちょっと無理がある。◇柏木由紀。ほっとするパーマのヒーター 冬の朝ほのほのとパーマヒーター 冬の朝(添削後)中八ではあるものの、そこで切って下五に季語を置いた基本の型。ヒーターは冬の季語だし、作者も暖を取るためにパーマを当てたらしいけど、まあ、一般的にいえば、パーマヒーターは季語にならないのでしょう。添削では、「ほっとする」という心情表現を「ほのほのと」というヒーターの描写に代えてます。◇森口瑤子。就活の黒髪は艶失せて冬就活の黒髪木枯に束ぬ(添削後)面白い俳句ではあるし、これはこれで成立してると思うけど、助詞「は」を使う必然性は薄いので、ふつうに「の」で十分だろうと思う。そして、下五を「~して夏」とか「~して冬」と締めるのは、言うならば「愛なんていらねえぜ夏」的な感じで、ややキャッチコピー的な安易さを感じないでもなく、このスタイルを容認したら、どの季節の俳句も量産できてしまう懸念がある。かたや添削句のほうは、気持ちを奮い立たせてる感じがあって、原句よりもポジティブに改作された印象ですね。◇清水アナ。切りすぎた襟足触り日記買う季語は「日記買ふ」で年末です。これに対して「日記始」や「初日記」は新年の季語。たとえば、「襟足を気にしながら買う」とか、「襟足を押さえながら買う」とか、「襟足を隠しながら買う」ならまだしも、「襟足を触りながら買う」ってのは、やや違和感がある。つまり、持続的な動作ならともかく、「触る」のような瞬間的な動作は、買う行為とは同時になしえない気がします。…ってことで、切りすぎた襟足隠し日記買ふとしてみました。動詞の季語はなかなか扱いにくいですよね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ぎり凡族!!😂#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/x677qC9k0X— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 22, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.29
わたしは去年の10月に、日テレ「セクシー田中さん」の最初の感想で、次のように書きました。日テレ「セクシー田中さん」面白い。もともと相沢友子の脚本って、正直、あまり信用してないのだけど、今作はかなり好感触。原作があるせいか、けっこう深みも感じます。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202310300000/もともと相沢友子が好きなわけでもないので、今回も、べつに彼女に味方する気はないのだけど、ただねえ…今回の件にかんしていえば、正直、どちらが悪いともいえない。なんなら個人的には、「相沢友子の書いた最終回が見たかったな…」って気持ちのほうが強い。ドラマの終盤はあきらかに尻すぼみだったから。◇いずれにせよ、こういう問題は、ドラマ化や映画化においては、つねにありうる話。プロデューサーも出版社もふくめ、あらかじめそれを弁えねばならないのだし、もし原作の改変を望まないのなら、最初から映像化を拒む以外にないでしょう。SNSなどでは、相沢友子への人格叩きのほうが優勢ですが、今回の件にかんしては、それに与する気になれません。一般に、経済的な力関係において、テレビ局のプロデューサーや脚本家のほうが、原作者や出版社よりも優位な立場にあるかもしれないし、その意味で、今回の問題はひとつの戒めにはなるでしょうが、今回の「セクシー田中さん」の場合は、けっしてスター俳優に依存した安易な企画ではなく、むしろ日テレにしちゃ意欲的で果敢な作品と思われただけに、かえってドラマ化の難しさを垣間見せられた感じ。◇ドラマ化・映画化・アニメ化によって、知名度や売り上げが増すことを期待する作家が多いなかで、芦原妃名子みたいに硬派な作家は稀有な存在だと思いますが、逆からいえば、今後、彼女の原作が映像化される見込みは薄くなりましたね。多くのプロデューサーは尻込みしてしまうだろうから。彼女の原作ファンの人たちも、むやみに映像化を望んだりはできなくなったでしょう。◇たぶん世間では、「ドラマや映画は原作に忠実であるべきだっ!」みたいな論調が強まるのでしょうね。しかし、はっきり言って、わたしの記憶するかぎり、原作に忠実に作られた映画やドラマで、名作と呼ばれるものはひとつも思い浮かびません。後世に「名作」として残ってる映像作品は、むしろ原作を大胆に脚色・改変したもののほうが多い。(もちろん駄作も多いだろうけど)なぜなら、自由な脚色が許されなければ、現場のクリエイティビティは十分に発揮されないからです。原作にリスペクトがあることと、たんに原作に忠実であることは、けっして同じではない。◇クリエイターである以上、原作者には原作者の思いがあり、脚本家には脚本家の思いがあろうし、それぞれに理念も信念もプライドもあるだろうから、それを調整すべきなのは、とりあえずプロデューサーや出版社だとしかいえない。◇◇まあ、ひとつの炎上商法として見れば、意外にウィンウィンだったりする気もしますが…。実際、小学館には、炎上商法の疑われる事例が過去に複数あるようだし。
2024.01.28
講談社のFRIDAYデジタルが、有村拓真なる人物の御用記事を掲載しています。偵察活動や道路啓開を行いながら…自衛隊を「被災地へ一気に派遣できなかったワケ」現場ルポ地震が発生した1月1日の夕刻に北海道の千歳基地より戦闘機2機が自衛隊による自主派遣として偵察活動を実施。その後16時45分に石川県知事より陸上自衛隊に災害派遣要請があり、即刻受理された。陸上自衛隊は各地の駐屯地からヘリコプター8機、同時に航空自衛隊も戦闘機などが7機、海上自衛隊も3機と合計18機の航空機が被災地上空で偵察活動を行った。筆者が現地入りした際、道路のあちこちが土砂崩れで寸断されており、遠回りを余儀なくされる場面が多々あった。だが、日に日に通れなかった道路が通れるようになり、昼夜を問わず自衛官らが重機などを使用して道路啓開に奮闘していた。次第に民間の建設会社に引き継がれて、別の土砂崩れ現場の復旧に移動する場面も多く見かけた。また、ヘリでの救助活動も連日行われており、着陸できる場所での救助は着陸するが、不可能な場合は上空から救助隊員が降下して救助者を吊り上げる手法でも行っていた。https://news.yahoo.co.jp/articles/6369826ca124c34eed9d1d8649e5351db1309951防衛省 or 自衛隊から得たらしき情報については、分単位の時刻と、具体的な数字を挙げていますが、それ以外の部分にかんしては、何日に取材したかすら書かれておらず、場所についての情報もまったく不明で、たんに自衛隊の一般的な救援活動を漠然と紹介しただけ。記事のタイトルは、「偵察活動や道路啓開を行いながら」…となっていますが、上空偵察と道路啓開をするのは当然の話で、そもそもそれがなければ救援できないのだから、べつに驚くことでも讃えるべきことでもありません。◇検証すべきは、「初動の72時間に、いつ、どこで、何をしたのか」なのだけれど、それについての具体的な内容は何も書かれていない。>> 筆者が現地入りした際…何日にどこへ入ったのでしょうか?>> 日に日に通れなかった道路が通れるようになり…日に日に道路が啓開されるのは当たり前。>> 次第に民間の建設会社に引き継がれて…そりゃそうでしょうが、いつ、どの区域がその段階に達したのか。>> 着陸できる場所での救助は着陸する…着陸できる場所に着陸するのは当たり前。>> 不可能な場合は上空から救助隊員が降下して…これも当たり前でしょう。そうするしかないんだから。さらに、>> ヘリコプター8機、>> 航空自衛隊も戦闘機などが7機、海上自衛隊も3機…にかんしても、いつから偵察活動に入ったか書かれていない。◇結局のところ、初動の72時間のあいだに、どんな部隊が、どれほどの規模で、いつ、どこで、何をしたのかはまったく不明であり、そもそも、記者が何日に現地入りしたのかも書かれておらず、道路復旧やヘリ救助の様子を、いつ、どこで見たのかもまったく書いていません。はっきりいえば、防衛省や自衛隊から得た情報だけで、わざわざ現地に行かずとも書ける内容の記事です。◇たんに防衛省の情報を垂れ流しているだけなのか、それ以上の具体的な内容を確認すらしていないのか、分かっていながら、あえて誤魔化しているのか。今後も、自衛隊の初動の件については、この程度の「ザル記事」しか出てこないのでしょうか??
2024.01.27
TBS「せかくら」を見てて驚くのは、日本のアニメ「セーラームーン」が、とんでもなく海外に浸透してるんだなあ…ってこと。街なかに設置したカラオケで、現地の女性が主題歌の「ムーンライト伝説」を歌うと、通行人が足を止めて、みんな懐かしそうに口ずさむ。メキシコでは、女の子にいちばん人気のあるテレビ番組だったらしく、ポルトガルでは、テレビ史上もっとも視聴者数の多かった番組だそうです。◇調べてみると、アニメ「美少女戦士セーラームーン」は、1993年にスペインとフランスで放送され、その後はロシア、韓国、フィリピン、中国、イタリア、さらに台湾、タイ、インドネシア、香港、そして北米へ広がり、最終的には「世界40ヶ国で放送されている」とのこと。2017年の世界フィギュアのときに、メドベージェワが「ムーンライト伝説」で踊ったときは、あくまで日本向けのファンサービスよね…などと思ったけど、案外、そうじゃなかったのかもしれません。彼女も本気でセーラームーンが好きだったらしい。◇英語のWikipediaによると、セーラームーンは、フェミニズムやガールパワーなどの面で、女性視聴者を力づけた作品と見なされてるようです。In western culture, Sailor Moon is sometimes associated with the feminist and Girl Power movements and with empowering its viewers, especially regarding the "credible, charismatic and independent" characterizations of the Sailor Guardians.実際、せかくらに出てきたメキシコやポルトガルの女性も、「セーラームーンは女の子にとっての夢だった」「セーラームーンの主題歌は女の子にとって大事な曲」と話してました。世界中の女子に与えた影響力の大きさからいうと、ジブリ作品をも上回ってた可能性がありますね。◇もともとセーラームーンは、武内直子の漫画「コードネームはセーラーV」を、東映の企画によってアニメ化したものです。それはいわば、・魔法少女路線・戦隊ヒーロー路線・セーラー服少女戦士路線を結びつけたところに生まれている。このうち、東映の魔女っ子シリーズというのは、1966年の「魔法使いサリー」にはじまっていて、東映のスーパー戦隊シリーズは、1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」にはじまります。https://ja.wikipedia.org/wiki/東映魔女っ子シリーズhttps://ja.wikipedia.org/wiki/スーパー戦隊シリーズ◇そして、東映のセーラー服少女戦士の路線は、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」(1981)にはじまり、斉藤由貴の「スケバン刑事」(1985)に受け継がれた、と考えるのが一般的でしょう。しかし、これについては、以前、音楽惑星さんと話したことがあるので、その部分をすこし抜粋しておきます。青字が音楽惑星さんで、赤字がわたしです。薬師丸ひろ子は、セーラー服を着て機関銃をぶっぱなしながら「快感…!」などと呟いてしまった。これが世間の度肝を抜いてパンドラの箱を開けたのです。これが1981年の出来事なのですね。赤川次郎の『セーラー服と機関銃』は78年の小説です。和田慎二の『スケバン刑事』の連載は75年にはじまっています。しかし、それらのイメージは、あくまでも小説や漫画の中にとどまっていて、お茶の間で共有されるようなものではなかったと思います。やっぱり実写のインパクトは強い。実写でいうと、72年にはじまる東映の「恐怖女子高校シリーズ」なんてのもありました。じつは、ここらへんが起点のひとつではあります。その前に日活の「黒猫ロックシリーズ」や東映の「女番長シリーズ」などがあり、それが若年化して不良女子高生のシリーズになっていたんですね。和田慎二の漫画よりも、チンピラ映画のほうが先にあった。もともと「スケバン」という用語も、71年の『女番長ブルース牝蜂の逆襲』という東映の成人映画にはじまってます。「セーラー服と機関銃」も東映の配給だし、「スケバン刑事」も東映のドラマだから、東映ヤクザ映画の流れを汲んでるのはまちがいない。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-363.html#sailorもともと東映は、バイオレンスやエロティシズムなどの表現も、まったく臆することのない会社だし、幼女向けの魔女っ子シリーズにさえ、永井豪の「キューティーハニー」みたいに、けっこうエロティックな作品があったりします。そんな東映の作品に、とてもフェミニズム的な観点があったとは思えないし、むしろ少女を性的な商品とみなす発想のほうが、はるかに強かっただろうと想像できます。そもそも、「魔法使いサリー」の横山光輝も、「キューティーハニー」の永井豪も、「スケバン刑事」の和田慎二も、「セーラー服と機関銃」の赤川次郎も、ことごとく男性作家なのだから。◇英語のWikipediaによると、武内直子も、「東映のアニメは男性的な視点で作られている」との思いを抱いていたようです。Takeuchi later said because Toei's production staff were mostly male, she feels the anime has "a slight male perspective."しかし、制作側の意図がどうであれ、受け手側の少女たちは、「魔女っ子メグちゃん」や「セーラー服と機関銃」などを、女子を勇気づける作品と解釈した可能性はあるし、とりわけ「セーラームーン」の場合は、作者の武内直子が女性だったこともあり、なるべく男性的な視点を排除して、女子を中心とする市場にターゲットを絞ったようです。Although the audience for Sailor Moon is both male and female, Takeuchi does not use excessive fanservice for males, which would run the risk of alienating her female audience. それは端的にいえば、男性向けのエロティックな描写を控えたってことでしょう。そしていまや、東映の生んだ美少女アニメが、世界の「女性解放」を象徴する文化として共有されてる。それはちょっと不思議なことです。ムーンライト伝説。セーラームーン。この曲はメキシコの女の子にとってシンボル的な存在なの。子供のころアニメがはじまるとテレビの前で歌いながら踊ってたわ。メキシコの女の子が大事にしてる曲です。 https://t.co/GcHTERXm24 pic.twitter.com/KV1ZwUSe9S— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024メキシコではセーラームーンは女の子にとって1番っていうくらい人気。#美少女戦士セーラームーン #SailorMoon #せかくら pic.twitter.com/cPV5J85krC— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024セーラームーンで育ったようなものよ。セーラームーンがいちばん好き。セーラー服で戦うのが斬新だった。セーラームーン(1997放送)ポルトガルテレビ史上もっとも観ていた人が多い番組。記録は未だに抜かれていない。#美少女戦士セーラームーン #SailorMoon #せかくら pic.twitter.com/cfVq04zlPD— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024◇余談ですが…主題歌の「ムーンライト伝説」の冒頭のメロディは、倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」のパクリなので、著作権使用料を一部分けることで和解してますね。◇…ちなみに、TBS「せかくら」のカラオケ企画は、機械採点でランキングをつけてるのだけど、あいかわらずカラオケの機械採点ってのは、人間の歌を譜面に押し込む発想で設計されてて、細かい節回しやリズムの揺らぎなどを許容せず、あろうことかプロのジャズ歌手に低い点をつけたりしてる。こういう機械採点は歌の多様性を殺しますよね。人を感動させる歌の何たるかをまったく理解してない。たとえば米国の黒人音楽なら、自由に節やリズムを変えて歌ったりするわけだから、こんなバカげた機械は絶対に作らないと思いますけど、もしかしたら、カラオケの設計をしてる日本の企業人は、「ボーカロイドの歌がいちばん上手い」とでも思ってるのでしょうか?
2024.01.26
能登半島地震。自衛隊の初動と逐次投入は妥当だったのか。その検証はまだこれから。ネトウヨ&軍事オタクの言い訳は、以下のとおり。・自衛隊の主任務は外敵からの防衛であって災害救助ではありません!・そもそも能登半島の周辺には大規模な自衛隊の拠点がありません!・そのうえ半島は陸路が限られるから逐次投入こそが妥当!・先に道路を復旧しなければ救助には入れません!・補給部隊も入らないと自己完結できないので隊員は数日で餓死します!・空き地やグラウンドは避難場所なのでヘリは着陸できません!・冬の北陸は風が強くて視界も悪いのでヘリを安全に飛ばせません!・初動はまったく遅くない!防衛相の会見ですでに結論は出ている!・ボクは地元の人間ですが、自衛隊の車両は列をなして現地に到着していて、とてもガンバってくれたし、ウチのお婆さんは手を合わして涙を流しながら隊員さんに感謝していました。本当です!これに対して、北陸信越ブロックの世論調査は、以下のとおり。政府対応遅い:61.8% 迅速:37.5%https://www.sankei.com/article/20240122-LXDU7HSA35KRFLLIOBRDBCLYPE/戦時中の報道についても同じですが、ミクロな次元での自軍の活躍と成功をいくら並べたところで、それは戦略や戦術全体の適否を判断する材料にはなりません。◇昨日のYahoo記事。奥山俊宏の見解は、以下のとおり。・道路を復旧して受け入れ態勢を整えてから人命救助…というのは順序が逆。・第1空挺団は、倒壊家屋の下敷き救出のための資機材の装備を充実させている。・第1空挺団は、ヘリを着陸させずにロープで降りるリペリングの資材をもつ。・初動の72時間だけでも、選抜した精強部隊を投入することは可能。・元旦の深夜26時ごろに、能登空港へのヘリの着陸は許可されている。・珠洲市の公園や輪島市のグラウンドにも大型のヘリは着陸している。・中部方面隊を軸に編成した防衛相・自衛隊の判断は「隊区主義」の弊害。・自衛隊法を改正し、災害派遣は「公助」でなく「行政義務」であると明示すべき。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/36e13ed9fb1564cd6a55379ca514e7a5ca2e40f4なお、第1空挺団は、1月7日に習志野で多国籍部隊との「降下訓練始め」を実施。震災そっちのけで千葉へ出向いた木原防衛相は、「同盟国・同志国との協力連携を内外に示すことは極めて重要」などと訓示。喫緊の災害救助よりも、恒例の軍事訓練を優先させた形です。https://www.asahi.com/articles/ASS175WFJS17UDCB009.htmlhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20240107/k10014312861000.html◇防衛省のタテマエは、以下のとおり。自衛隊の三大任務とは、①我が国の防衛 ②災害派遣 ③国際平和協力活動です。第1空挺団のタテマエは、以下のとおり。・あらゆる地形・気象下でも空挺作戦を遂行できます。・大規模震災などの困難な国家の危機に際し、迅速に空中機動し、身を挺してあらゆる任務を果たす精強部隊です。【北方積雪地訓練①】#第1空挺団 は、あらゆる地形・気象下でも空挺作戦を遂行するため、1月6日から北海道大演習場等において令和5年度北方積雪地訓練を実施中です。写真は、空挺降下及び総合訓練に向けた機能別訓練の様子です。#陸上自衛隊 #北海道 pic.twitter.com/WuQWqJEOgq— 陸上自衛隊 第1空挺団 (@jgsdf_1stAbnB) January 18, 2024◇いつもは威勢のいいことばかり言って、自国の軍事力を称賛しているネトウヨ&軍ヲタですが、今回ばかりはなぜか《出来ない理由》を並べ立て、「アマチュアは口出しするな!」「プロのことはプロにまかせろ!」「原発と自衛隊に対する批判はすべてデマだから封殺・弾圧せよ!」…などとわめいています。まるで「大本営発表だけを信じろ!」と怒鳴りつけ、あらゆる批評を弾圧した特高警察や憲兵隊みたいですが、彼らの言動を見ていると、日本が太平洋戦争で敗北した理由もはっきり分かります。なかには、原発や自衛隊のことを自分の妄想で擁護するあまり、かえって馬脚をさらしている愚か者も見かけますw
2024.01.25
NHKの100分de名著「シャーロック・ホームズSP」を見ました。わたしのお目当ては、1887年の「緋色の研究」(A Study in Scarlet)です。ホームズシリーズの第1作だけど、以前から、このタイトルの意味を知りたかったのよね。でも、残念ながら、それについての言及はなかった。◇フリッツ・ラングが、ジャン・ルノワールの映画「牝犬」をリメイクしたとき、かなり"イヤミス"っぽいフィルムノワールにアレンジして、タイトルも「緋色の街」(Scarlet Street)と改めたのだけど、 おそらく欧米では「スカーレット=緋色」というのが、ゴシックロマンス世界を象徴する共通イメージなのだと思う。そして、その元ネタは、たぶん米国のナサニエル・ホーソーンが書いた、1850年の「緋文字」(The Scarlet Letter)じゃないのかしら?…ってなことを、以前、シネマレビューのほうに書いたんだけど、https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063&TITLE_NO=15518#HITそれと同じことが、ホームズの第1作にもいえる気がする。◇スカーレット=緋色というのは、ナサニエル・ホーソーンの小説では、ピューリタンの社会が、姦通した女性の服に、その罪を刻印した際の「A」(=adulteress)の文字色です。かたやコナン・ドイルのホームズ第1作では、恋人を一夫多妻制だった初期モルモン教会に奪われた男が、血で壁に「RACHE 」(=復讐)と書いたときの色です。この小説の原題「A Study in Scarlet」は、日本では「緋色の研究」と訳されてきたけど、英語の「study」は仏語の「étude」と同義であり、絵画なら「習作」、音楽なら「練習曲」と訳す言葉なので、邦題を「緋のエチュード」としている訳もあります。コナン・ドイルとホームズにとっては、謎解きの対象となった米国のゴシックサスペンス事件が、いわば「緋色のエチュード」だったのかもしれません。◇そしてフリッツ・ラングの映画では、通りの名前が「Scarlet Street」なのです。原作の「牝犬(La Chienne)」は、パリのモンマルトルを舞台にしてますが、フリッツ・ラングの映画では、それをNYのグリニッジ・ヴィレッジに移してる。モノクロ映画だから分からないけど、グリニッジ・ヴィレッジは赤煉瓦の町だから、それにちなんで「Scarlet Street」としたのでしょう。(実際にそういう呼称があるかどうかは不明)◇思えば、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」が、ヒロインの名前をスカーレット(Scarlett O'Hara)にしたのも、南部ゴシック的な世界観を暗示してのことかもしれない。ちなみに、ナサニエル・ホーソーンの「緋文字」は、17世紀の北東部ニューイングランドの物語ですが、コナン・ドイルの「緋色の研究」は、19世紀、南北戦争前の西部ユタ州の物語で、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」は、19世紀、南北戦争下の南部ジョージア州の物語、…ってことになるかと思います。◇余談ですが、現在の日本では、あまり「緋色」という言葉を使いません。もともとは「火色」が転じたものらしく、すこし黄味がかった赤のことなのだけど、一見しただけでは、たんなる「赤」としか思えないし、せいぜいのところ「濃い橙色」とか、あるいは「赤味の濃いオレンジ」って感じです。そして、紛らわしいのはバイオレットとの区別なのよね。バイオレットは青紫/菫色のことだから、本来はスカーレットとまったく違うのだけど、日本では、桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」のせいで、セックス&バイオレンスからの語感的な連想があり、バイオレットのほうがどぎつい色と思われがちだし、かなり"赤寄り"に誤解されてる感じもある。松本隆の書いた歌詞は、《情熱の朱/哀愁の青》《ときめきの赤/吐息の青》と、赤と青の混じった色と言ってるだけですが、ジャケットデザインはあきらかに"赤寄り"の紫です。欧米人がスカーレットに託す暴力的なイメージは、日本人がバイオレットに抱くイメージに近い気がする。ちなみに、桑名正博の曲のタイトルは松本隆の発案ではなく、CMソングを依頼したカネボウ側の提案だったらしい。追記:▽こんな考察記事がありました!https://itukami.lampmate.jp/study-of-scarletコナン・ドイルの「緋色 /Scarlet」の由来として、ギリシャ神話由来、聖書由来などの説が紹介してあります。へええ~。▽こちらの論文によると、https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/841-73.pdfもともと日本の「緋色」には、明るい赤(スカーレット)&暗い赤(茜色や赤紫)の2系統があり、フランス語の「pourpre」の訳語にもなってるらしい。へええ~。
2024.01.24
去年の11月には由貴ちゃんの夢を見たけど、昨日は浜辺美波の夢でした。なんでこんな夢見るんだろう!やっぱり、けっこう長い夢だったので、あんまりよく覚えてないけど、はじめは買い物か何かしてた気がする。そのあと、映画の撮影現場へ見学に行くことになって、そこまで2人で歩きました。わたしが彼女のことを「みーちゃん」と言ったら、ちょっと嬉しそうだったwそして着いた場所は演劇の稽古場みたいなところで、映画の撮影といっても、学生サークルみたいな感じ。ってことは、わたしも浜辺美波も学生だったのかも。浜辺美波はその映画に出演するらしく、わたしは座って何か食べながら見物してたのだけど、ディレクター担当の若造がわたしを邪魔者扱いして、何やかや文句を言ってきたので、憤慨したわたしは、そいつをひっぱたいたりしてたwwでも、やっぱり浜辺美波は可愛くて、目が覚めた後はちょっとドキドキしましたねw
2024.01.23
もともとミクロス・ローザは好きだったけど、最近はYouTubeやサブスクでたくさん聴けるようになり、あらためてその魅力を認識しなおしてる。なぜか日本のWikipediaやクラシック系サイトでは、ハンガリー風の表記で「ロージャ・ミクローシュ」となってますね。◇一般的には「ベン・ハー」の音楽が有名ですが、わたしがとくに好きなのは、ヒッチコックの「白い恐怖」、フリッツ・ラングの「ムーンフリート」、ダグラス・サークの「愛する時と死する時」の音楽です。Alfred Hitchcock/Spellbound (冒頭がテルミンではじまる) Fritz Lang/Moonfleet Douglas Sirk/A Time to Love and a Time to Die 好きになった最初のきっかけは、30年くらい前に映画館で観た「ムーンフリート」。シネマスコープによる冒険絵巻でした。物語はよく覚えてないけど、ミクロス・ローザの血湧き肉躍る音楽が、ゴシックロマン的な冒険譚を否応なく盛り立てていた。◇ラフマニノフやレスピーギあたりと同じく、「遅れてきたロマン派」とも「擬古典主義」とも言えるけど、本家のロマン派より、もっとロマン主義的なのよね。まさに大迫力のスペクタクルにふさわしい作風。場面の転換にともなって、分裂症的に目まぐるしく変わっていく曲想にも、物語的なロマンティシズムを掻き立てられる。口ずさめるようなキャッチーなメロディも豊かで、ジェリー・ゴールドスミスやジョン・ウィリアムスが、ミクロス・ローザの弟子だってのも合点がいく。もともとはユダヤ系のハンガリー人ですが、土俗的な響きを大胆に打ち鳴らすところとか、そこはかとなく東欧的なエキゾチズムも感じられる。どこかしら日本の伊福部昭を思わせる面があるかも。◇わたしはコダーイやバルトークも好きだけど、同じハンガリー出身の作曲家として、彼らに並べるべき存在じゃないかと感じます。実際、映画音楽以外にも、バイオリン協奏曲などの純音楽を残してる。映画音楽にくらべれば、純音楽のほうが近代的かもしれません。ちなみにハンガリーでは、日本と同じようにファミリーネームが先に来るのだけど、Wikipediaなどの表記が、ハンガリー風に「ロージャ・ミクローシュ」と書くのは、米国ではなく、ハンガリーの作曲家と見なすがゆえ?それって、もしかして、「ヘンデルは英国人じゃなくドイツ人だ!」みたいなのと同じ理屈でしょうか??たしかに純音楽のほうでは、「Hungarian Serenade, Op. 25」(1945)のような作品もあったりするので、ハンガリーの作曲家と見なすのは妥当ともいえる。かたや英語のWikipediaのほうは、あくまで英語風に「Miklós Rózsa」の表記になってるのよね。◇その英語のWikipediaによると…母親はフランツ・リストの孫弟子にあたるピアニスト。やはり当初はブダペスト北部の民謡を収集したりして、コダーイやバルトークの後継者たろうとしてたようだけど、まもなく個人主義を抑圧する民族主義の危うさに気づき、一転してドイツ音楽のほうへ傾倒し、19才でライプツィヒ音楽院に入って作曲を学び、バッハゆかりの聖トーマス教会では合唱音楽を学んでる。しかし、純音楽の作曲家としては生計を立てられず、フランスで映画音楽を手掛けてた友人のオネゲルにならい、同じハンガリー出身の映画制作者アレクサンダー・コルダのために、ロンドンやハリウッドの映画界で作曲に従事する。ワーグナー風のライトモチーフをもちこむなどして、第二次大戦中の米国映画界で高い評価と成功を収め、戦後まもなく米国籍を取得し、後半生は米国で過ごしたようです。アカデミー賞には11度ノミネート。そして3度受賞。◇そこから考えると、祖国ハンガリーを捨ててドイツに学び、米国で生きることを選んだように見える。(ユダヤ人だったことも関係してるかもしれないけど)…とはいえ、音楽そのものは、やはりドイツ的とも米国的とも言い切れない何かがあって、そこはかとなく《ハンガリーっぽさ》を感じるのよね。ハンガリーのマジャール人の祖先は、コーカソイドじゃなくモンゴロイドだったらしく、ファミリーネームが先に来ることからも分かるように、言語的にもインド・ヨーロッパ語族とは別系統。ヨーロッパでは例外的なほどアジア・ユーラシア的で、かなり特殊な民族なのだといえます。ミクロス・ローザの音楽からも、しばしばアジア風の旋律が聞こえてくることがある。◇コダーイやバルトークは、いわば「近代の国民楽派」だと思いますが、チェコのヤナーチェクやマルティヌーも、米国のガーシュウィンやコープランドも、アルゼンチンのヒナステラも、ブラジルのヴィラ=ロボスも、同じように位置づけることが出来るし、わたしの好みも、そこらへんに集中している。そして個人的には、ミクロス・ローザもそこへ並べたい気がしてます。
2024.01.23
櫻井よしこによる「愛国主義教育」が物議を醸しています。以下が、櫻井よしこの1/19のツイート。「あなたは祖国のために戦えますか」。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです。元空将の織田邦男教授は麗澤大学で安全保障を教えています。100分の授業を14回、学生たちは見事に変わりました。そして、これを受けてか、1/22の読売新聞「編集手帳」は次のように書きました。〈愛国心〉自分の名声を輝かそうとする野心家なら誰でも、たいまつを近づけるとすぐに火がつくがらくた。米ジャーナリスト、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』(角川文庫)にある◆同じ言葉を、英国の文学者サミュエル・ジョンソンは〈悪党の最後の避難場所〉と喝破した。◆中国で今月、愛国主義教育法が施行された。つまり、愛国心を植えつける櫻井よしこの行為は、ほかならぬ中国共産党と同じである、ということ。若者たちを集めて「戦争に行きなさい」と教え諭す齢78才のおばあさん。たとえ頭がボケているとしても、あまりにグロテスクではないでしょうか。この世代の日本人は、ほんとうに不気味です。“祖国のために戦った若者たちは、戦友のために死んだ”これが表のメッセージである。しかし、言葉になっていないもう一つのメッセージを探すとすれば、次のようなものであるかもしれない。“戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから”クリント・イーストウッド https://t.co/uadHnIfIiT— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) January 22, 2024
2024.01.23
どこまでが猫でどこから毛布かな 冬晴のパリの街並み猫二匹 老猫のいびきは父似日向ぼこ 冬日向窓辺に毛布猫の夢 母を待つ今日も感謝の冬薔薇 吾に見えぬもの見えておる炬燵猫 可惜夜の猫の温みの布団かな1月18日のプレバト俳句。お題は「毛布の猫」。◇呂布カルマ。どこまでが猫でどこから毛布かな どこまでが猫でどこからが毛布(添削後)これが今週の1位。切れ字でなく、疑問の終助詞をそのまま使った、まるで小学生の子供みたいな俳句。俳句という文芸は、へたに概念的な大人の発想よりも、むしろ子供みたいな素朴な視点のほうが有利にはたらく、…という典型的な事例。とはいえ、俳句らしからぬ「かな」の用法や、助詞「で」の使用はいただけないので、わたしなら、どこまでが毛布か 猫はどこからかと直します。◇新木優子。冬晴のパリの街並み 猫二匹冬晴のパリの街並み 猫と吾と(添削後)句材はいたって凡庸だし、二句一章の取り合わせも近すぎるけど、俳句の形は出来てるので、平場なら「才能アリ」ってことでしょう。中七で切って、下五に季語以外のものを置いてますが、猫2匹が主役の存在感をもっていて、前段と後段の比重に偏りはないし、主役が冬晴れの風景を引き立ててるので、とくに季語を脇役に貶めてる感じもない。まあ、逆にいえば、それこそが「取り合わせが近い」ってことだけどw◇風間トオル。冬日向 窓辺に毛布 猫の夢日向なる窓辺に毛布 猫の夢(添削後)「冬日向」と「毛布」の季重なり。形式上は三段切れですが、「冬日向の窓辺に毛布があって猫が夢を見ている」という一句一章1カットの内容。句材も凡庸です。◇清水アナ。ガラス戸の喫茶 毛布の看板猫下6の字余り。風間トオルが住居の窓を描いたのに対して、こちらは喫茶店の入り口を描いてますが、おおむね同じような場面です。「ガラス戸の喫茶」とすべきか、「喫茶のガラス戸」とすべきかは迷うところ。また「喫茶」というのは、たしかに《喫茶店》の略としても使うけど、本来の意味は《茶を喫すること》なので、むしろ「カフェ」と書いたほうが正確です。さらに「毛布の猫」は、《毛布のような猫》との誤読もなくはないので、むしろ「毛布に猫」と書いたほうが誤読されない。…以上を踏まえて、カフェの硝子戸 毛布に看板猫とすれば17音に収まります。句材は凡庸なので、やはり平場なら「才能アリ」ってことでしょう。清水アナは過去にもっと良い句があったけどね。わたしと先生の評価はつねにあべこべなのです。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥久しぶりの才能アリ!🎊#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/r0AZbB1JYx— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 15, 2024 ◇サルゴリラ児玉。老猫ろうびょうのいびきは父似 日向ぼこ奇しくも先週の水野真紀が、「君は私似 春間近」と詠んだばかり。助詞「は」を使ったところも、下五に季語を置いた形式まで同じですね。二句一章なので、季語「日向ぼこ」の主体は、猫ではなく作者自身ということになる。◇若村麻由美。母を待つ今日も感謝の冬薔薇ふゆそうび通院の母待つ庭の冬薔薇(添削後)通院の母待つ庭や 冬薔薇(添削後)兼題とは無関係な、凡人ワードの「母」を用いて、自分の内面を語ってしまった心情句ですが、その「感謝」の対象も、はたして母なのか、薔薇なのか、または自分の人生のすべてなのか分からない。一般に季語の「冬薔薇」は、寂しさや侘しさの象徴なので、自分の孤独と共鳴する存在にはなっても、あまり感謝の対象にはなりにくいと思う。◇千原ジュニア。吾に見えぬもの見えておる炬燵猫なかなか非凡です!サスペンスホラーでありながら、ちょっと滑稽味もある。そして、これほど模範的な一物仕立てにはそうそう出会えない。◇梅沢富美男。可惜夜あたらよの猫の温みの布団かな可惜夜の布団に猫の寝息かな(添削後)可惜夜。すなわち《惜しむ可べき夜》ですね。ただ飼い猫と眠ってただけの夜を、おおげさに「可惜夜」などと書いたことが、かえって先生の反感を買ってボツ!例によって美辞麗句をひけらかしただけの作。なお、形容詞の「惜あたらし」という古語は、《惜しまれるほど貴重である》《もったいないほど素晴らしい》みたいな意味。なぜか「新し」と同音ですが、後者は「あらた」が「あたら」に音変化したもので、もともと語源も意味も違うようです。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.22
テレ朝「松本清張二夜連続ドラマスペシャル」を見ました。どちらも女性脚本家によるシスターフッド的な物語で、松本清張を意外な面から捉え直した形ではある。◇第1夜は「顔」。浅野妙子の脚本。後藤久美子&武井咲の主演。オスカー「国民的美少女」の先輩と後輩。顔を隠して生きてきた殺人犯の女性が、やっぱり最後はバレてしまうという話。なぜ逆光のシルエットを見て、顔まで思い出したのかは解せなかった。後藤久美子にかつての美少女の面影はなく、ただの色黒のオバサンかと思っちゃったw演技もあからさまにぶっきらぼうでしたが、なかば意図的なのかしら?なお、原作のほうは、女性じゃなくて男性の物語だったらしい。◇第2夜は「ガラスの城」。大森美香の脚本。木村佳乃&波瑠の主演。大森ドラマ常連女優の先輩と後輩。途中で語り手が失踪するのは面白かったけど、真犯人はまあ予想した通りだった。なお、原作では、波瑠の役どころのほうが年上の設定らしい。◇2作品とも、サスペンスとしての意外性には乏しく、ドラマとしての脚色も、可もなく不可もなしって感じでしたね。
2024.01.21
朝ドラ「花子とアン」の総集編を見ました。本放送はもう10年前!!こわい…(笑)そのときはあまりちゃんと見てなかったけど、Netflix/CBCの「アンという名の少女」にも関係するので、あらためて見てみたかったのよね。とりあえず総集編だけでも見れてよかった。少女マンガ風の百合っぽさがあったり、昼ドラ「真珠夫人」っぽいところがあったり、人気の朝ドラになった理由がよく分かりました。◇脚本を書いた中園ミホは、村岡花子の人生をいろんな点でアンに重ねたのね。たとえば、花子&蓮子(村岡花子&柳原白蓮)の関係を、腹心の友だったアン&ダイアナに重ねたり、花子の出身地である山梨県甲府のブドウの話を、ワインで酔っぱらうエピソードにつなげたり…。村岡花子の父は静岡出身の茶商なので、べつに甲府で葡萄を栽培してたわけじゃありませんが。ちなみに小説では、アンがダイアナにワインを飲ませるけど、ドラマでは逆に、蓮子が花子にワインを飲ませてましたね。◇そして、「はな」という本名に「子」をつけた史実を、「ann」に「e」が付くことを望んだ物語に重ねている。旧姓時代の安中はなが、ペンネームとして「安中花子」を名乗ったのは、モンゴメリの小説を翻訳するより前のことだから、これはある意味、運命的な符合だったといえる。CBCのドラマが、あらためて名前の「e」に焦点を当てたのも、案外、この日本の朝ドラの影響だったかもしれない。Anne with an E(Eのつくアン)◇運命といえば、父の安中逸平がカナダ・メソジスト派の信徒であり、そのコネで東洋英和女学校に入学したことが、花子がモンゴメリの小説と出会うことに結びついている。おなじクリスチャンでも、この教派でなければ、村岡花子がモンゴメリの小説に出会うことはなかったでしょう。モンゴメリの「Anne of Green Gables」は、まさにカナダの長老派教会の人たちの物語なのだから。◇実際、ドラマを見ていていちばん興味が湧いたのは、やはり父の安中逸平のことです。地方の貧しい茶商の娘だったにもかかわらず、良家の子女が通う東京のミッション校に入学できたのは、父が熱心なクリスチャンにして社会運動家だったから。ドラマでは花子だけが単身で上京してましたが史実では花子が幼いときに一家で上京したらしい。おそらく娘の文才も父譲りなのでしょう。◇左翼活動家だった父とはちがい、戦時中の花子はやや日和見だったとも言えます。いわゆる翼賛体制にも協力的だった。けれど、じつは「赤毛のアン」の翻訳作業こそが、1939年~1945年の戦時中におこなわれていた。その点は重要だろうと思う。つまり、村岡花子は、よりによって米英との戦争中に、ひそかに英語の小説を翻訳してたわけですね。そして、それが彼女の代表作になった。この姿勢こそ、政治的だった父に通じている。◇柳原白蓮の人生もなかなかに壮絶で、ドラマではそれを「ロミオとジュリエット」に重ねてました。しかし、こちらのサイトによると、http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-3030.html?sphttp://bungeikan.jp/domestic/detail/705/村岡花子が子供のころから読んでたのは、むしろ「ロミジュリ」でなく「失楽園」だったらしい!白蓮と宮崎龍介の駆け落ちのことを考えると、これまた運命的というかなんというか。ちなみに昼ドラにもなった菊池寛の「真珠夫人」は、ほかならぬ「白蓮事件」をモデルにしたとの噂があったものの、実際には事件より小説のほうが先に書かれていたようです。なお、現在の「ブギウギ」に出てくる淡谷のり子も、竹久夢二とかかわりがあった人ですが、柳原白蓮も夢二とかかわりがあったらしい。もともと彼女自身が、夢二の美人画を具現化したような人ですよね。
2024.01.20
NHK土ドラ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」。前半は、無駄のない脚本と重厚感のある演出に、かなりの手応えを感じたのだけど…後半の展開と結末にガッカリ。蓋を開ければ、社会派を装っただけの安直なサスペンスに過ぎなかった。◇結婚式の出席者を前にして殺人の過去を打ち明けたり、痴呆症の母親がとつぜん息子の名前を呼ぶエンディングは、なんのリアリティもない通俗ドラマのコケ脅しとしか思えず、NHKによる「社会派」の触れ込みがかえってアホらしい。これがテレ朝あたりのサスペンスドラマなら、べつに文句も言わないのだけど、公共放送たる天下のNHKが、あえて「社会派」を装って取り上げるべき物語じゃないでしょ。幼女に対する性的虐待というテーマも、「白夜行」や「三度目の殺人」などで変奏されてきたけど、もはや社会問題を告発してるというより、ただサスペンスのネタにしてるようにしか見えない。ろう者をネタにしただけの通俗ミステリー小説を、公共放送が「社会派」を装ってドラマ化するのはどうかと思う。◇脚本や、演出や、キャストの芝居そのものは、さすがはNHK!と思わせて上出来だったのだけどね…。手話通訳士にツヨポン。県警刑事にエンケン。いわくありげな元夫に和田正人。このあたりのキャスティングは、まあ誰でも思いつきそうな、よくもわるくも安定の配役でしたが、むしろ松本若菜と橋本愛のほうに新鮮味があって、あらたな一面を見れたかなという気はします。◇しかし、とにもかくにも、企画の意図それ自体に疑問を感じざるをえなかった。まだしも生方美久の「silent」のほうが誠実だと感じます。
2024.01.18
NHKスペシャル「世界に響く歌 ~日韓POPS新時代」を見ました。1980年代の台湾ニューシネマ(侯孝賢や楊徳昌)もそうですが、2000年代以降の韓ドラやK-POP(冬ソナやBTS)も、国家的な文化事業が成功した結果だったのね…。かたや日本の場合、今回のYOASOBIの「アイドル」がアニソンだったことを考えると、日本の文化政策が基幹産業に位置づけるべきなのは、映画や音楽ではなく、やっぱりアニメなのかなあ…と思う。◇ひとたび海外でアニメ作品がヒットすれば、それにともなってアニソンや劇伴音楽も輸出できるし、さらには実写映画化、演劇化、ゲーム・玩具化、あるいは出版・ノベライズ化などによって、周辺産業にまで海外展開の可能性がひろがるし、もちろんライセンスの使用権を輸出することもできる。アニメに登場するシーンが、海外からの観光客の「聖地巡礼」を促すことも、ファッションや食品の輸出増につながることもある。ジブリパークのような施設さえ輸出できるかもしれない。◇国家的な文化政策としては、助成制度、受賞制度、教育制度などを整備する、…みたいな方法もありますが、たとえば、ブラック労働を強いられてる末端のアニメーターを、経済的な面から支援していくだけでも、産業全体の底上げになるんじゃないかと思います。ソニーや東宝のような国際企業を通じて、海外の市場調査・マーケティングをしていくのも重要になる。◇…さて、ここからは昨年末の紅白についての話です。ジャニーズを排除したぶんK-POP勢が増えて、いろいろと賛否両論もあるのだけど、わたし自身は、なんだかんだで、やっぱりK-POPのパフォーマンスの実力を見せつけられ、日本のアイドルとの差を痛感させられた感じ。◇文化の違いといえばそれまでだけど、K-POPのグループには、音楽とダンスを一体的な作品として見せる発想があって、わたしみたいに個々のメンバーに興味のない人間でも、そのパフォーマンスの魅力は十分に伝わってくる。わたしは、K-POP勢にアイドル的な興味はもってないし、そもそもメンバーの名前もまったく知らないけど、それでもBTSやTWICEのパフォーマンスには魅了されます。今回の紅白でも、SEVENTEENやNewJeansのパフォーマンスに惹きつけられた。◇ダンスの技術にかんしては、日本人と韓国人の筋力の差ってのもあるだろうけど、それ以上に重要なのは、やっぱり振り付けやプロデュースの方法じゃないかな。SEVENTEENなどは、「自分たちで振り付けをした」と言ってましたが、音楽とダンスの相乗性が高くて、テレビの生パフォーマンスでも映えるように、視覚的な効果がよく考え抜かれている。YOASOBIの「アイドル」のときにも、日韓のアイドルが代わる代わる踊ってたけど、やっぱり日本勢より韓国勢のダンスのほうが映えます。日本勢で対抗できるのはPerfumeぐらいじゃないかしら?◇日本のアイドルグループの場合は、個々のメンバーをアピールすることが主目的で、ダンスはそのための手段でしかないように見える。旧ジャニーズやAKBのパフォーマンスを見てても、ダンスそのものの魅力を感じることはほとんどない。個々のメンバーに興味がなければ、パフォーマンスそのものはちっとも魅力的に思えない。これは子供の学芸会と同じことで、親たちは大喜びしてるけれど、無関係な第三者から見たら、ただの取るに足らないお遊戯でしかないってこと。この点が世界市場にアピールするか否かを分けていると思う。◇もちろん、今後も日本のアイドルグループが、国内のガラパゴス的な市場だけで活動していくのなら、それもまたひとつの文化だとは思うけど、NHKの紅白歌合戦が、そういうガラパゴス的な文化を披露する場なのか、それともボーダレスな文化に開いていくべきなのか、そこは判断の分かれていく部分になる。おそらく、ボーダレス化を拒否して、あくまでガラパゴス的な文化の存続を望むのは、おもに40代以上の世代だろうと思うけど、コンテンツの未来を考える上では、そういう層は無視すべきじゃないかって気もする。◇先日、ネットニュースを見てたら、AppBrew「今なりたい顔」ランキングってのがあって、↓どれだけ信用できる調査かは知らないけど、https://news.mynavi.jp/article/20231220-2844783/どうやら日本の10代・20代の女子は、みんな「韓国アイドルみたいな顔になりたい!」と思ってるらしい。あまりの隔世の感に驚いてしまいましたが、若い世代はあきらかにボーダレス化のほうに向かっていて、日本のガラパゴス化なんてぜんぜん望んでないのでしょう。◇来年の紅白には、旧ジャニーズ勢もすこし戻ってくるだろうけど、ふたたびガラパゴス的なイベントへ逆戻りするのなら、紅白という番組自体を存続させる意義も薄いかなと感じます。
2024.01.17
NHK「ダーウィンが来た!」を見ました。龍のナゾを大研究!辰年にちなんだ特集でしたね。◇一般に「龍/竜」は、獅子・麒麟・鳳凰などと同じ架空の生物と見られていて、今回の番組も、そういう前提で作られてましたが、わたしは、以前から、そういう捉え方があまり妥当じゃないと感じている。…まだ地球上を遠くまで移動できなかった時代に、ライオンやキリンやクジャクを見たことのなかった人々が、アフリカや中東や南アジアからの伝聞に頼ったのは仕方ないし、その伝聞の過程でさまざまな誤解が加わっても無理はない。たしかに現代の知見に照らせば、獅子も麒麟も鳳凰も「実在しない」との判断になるけど、けっして荒唐無稽な空想から生まれたわけじゃなかろうし、すくなくとも昔の人たちは、その実在性を信じてたはず。それは龍についても同じだと思う。古代の中国人が、十二支のなかで、龍だけを空想上の生き物だと思ってたはずはない。◇おそらく龍のイメージは、恐竜の化石にもとづいている。実際のところ、現代のような科学文明が発達してなくても、恐竜の化石を見つけることは可能だったはず。崖とかの地層を掘ればいいだけなのだから。事実、恐竜の化石は、古代から洋の東西で発見されてたらしいし、中国では、あらゆる生物の化石をことごとく「竜骨」とみなして、現在にいたるまで生薬として利用しています。◇中国やインドの龍にも、西洋のドラゴンにも四つの足がありますが、北米や南米、アフリカやオセアニアでも、手足があるかどうかは別として、やはり虹蛇のような巨大生物の実在が信じられていた。それらに共通するのは、・水中に棲息している・空を飛ぶ…ということ。こうしたイメージには必然性があると思います。◇今回の番組では、青銅器時代の中国に生息していた体長7mのマチカネワニが、龍の起源だった可能性に言及してましたが、わたしに言わせれば、頭に角が生えてたり、体毛が生えてたり、空を飛んだりする龍のイメージは、現生の爬虫類を見ただけではけっして生まれてこない。中国の龍や、西洋のドラゴンのイメージは、角や体毛や翼の生えた恐竜の化石を発見しなければ、けっして出てこないものだと思う。逆にいうと、恐竜の化石から得られる断片的な情報を蓄積すれば、角や、鱗や、体毛や、翼の生えた、巨大な蛇のような水中生物の実在を信じたとしても、なんら不思議なことではないし、むしろ翼があれば空を飛ぶと思うのが自然です。現代人が、「巨大な蛇が空を飛ぶわけがない!」などといって笑うのは傲慢であって、むしろ翼をもって空を飛ぶ巨大な恐竜が、かつての地球に実在していた事実のほうに驚くべきでしょう。◇おそらく昔の人々は、地中から発掘される恐竜の化石を、古生生物ではなく、現生生物の死骸だと誤解してたはずだし、ふだんは姿を見せない巨大生物の死骸が、なぜか地中で発見される事実から、それらが水中や洞窟や海底に潜んでいると考えたはず。実際、中国や日本では、いわゆる「竜宮」が海底にあり、鍾乳洞などを通じて沼や湖に繋がっていると信じていた。同時に、魚類のタツノオトシゴを、龍の子供と信じた可能性も高いだろうし、それは「角が生えている」とか「水中生物である」という、龍のイメージを補強するものでもあったと思う。◇なお、今回の番組では、ボルネオに生息するグールドカグラコウモリの群れが、空を飛んだときに龍のような形になる事例を紹介してましたが、中国や日本で「龍は洞穴に住む」と信じられたことから見ても、鍾乳洞から出てきたコウモリの群れが龍の形になるのは興味深い。…日本のフタバスズキリュウの話も出てきましたね。ドラえもんの「のび太の恐竜」は、卵からかえったフタバスズキリュウを、のび太が "ピー助" と名づけて育てる物語でしたが、じつはフタバスズキリュウは卵生ではなく、体内で孵化させる胎生だった可能性があるとのこと!…ちなみに、フタバスズキリュウの化石は、1968年に福島県双葉で高校生の鈴木くんが発見したのですが、↓音楽惑星さんは、http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-368.html#honda円谷英二が福島県の出身だったことや、ゴジラが放射能に汚染された恐竜だったことや、原発事故によって化石のあった双葉が汚染されたことに、ある種の因縁を感じてるようです。
2024.01.16
一月の笑いの外にひとりいた 残業の鍋焼M-1の出囃子 初笑い追い出す寄席のはね太鼓 爆笑や横隔膜に去年の揺れ 福笑いのような祖父の、死に顔 初旅のB席iPadにドリフ 盃の富士に一礼初笑 「犯人は…」に続く客席のくつさめ 笑ひ声洩るる交番注連飾 妣の忌や遺言だもの牡蠣フライ ばればれの手品の父や冬座敷 ゲラの子はゲラに育つや春隣 元日の大仏の鼻抜く女優 大笑ふ君は私似春間近 墓前にてあなたと笑った冬の空 雪景色転んだあとの顔判子 1月11日のプレバト俳句。冬麗戦です。お題は「大笑い」。上位から順に見ていきます。◇1位は春風亭昇吉。一月の笑いの外にひとりいた笑いの外に誰かを見つけたときのセリフなら、「いた」という過去形にもなるだろうけど、自分自身を描写したのなら、ふつうは「居いる/居をり」と現在形にすべきです。◇2位はキスマイ横尾。残業の鍋焼 M-1の出囃子いつもの対句。正直、このスタイルにも飽きたけど(笑)。問題は季語の「鍋焼」です。本来の「鍋焼」は、肉を野菜と一緒に煮る料理。職場で豪勢に鍋焼を囲んでるのかしら?…とも誤読されるだろうし、かりに「鍋焼うどん」の略だとしても、キッチンのある職場で鍋焼うどんを作ったのかしら?…とも誤読されるはず。しかし、映像を見ると、即席の鍋焼うどんのようです。思うに、「いつものカップラーメンよりは贅沢」みたいなニュアンスかもしれませんが、そこらへんの作者の意図が量りにくい。なお、歳時記にはないものの、「M1」も「紅白」と同様に、実質的に季語としての機能をもってるので、ダメ押しの年末感がありますね。◇3位は梅沢富美男。初笑い追い出す寄席のはね太鼓ハネ太鼓の別称は「追い出し」です。なので、言ってみれば、「観客を追い出すのが寄席のハネ太鼓である」との説明を、季語を使って俳句っぽく書いただけ。いつもならボツになるパターンですが、今回は景気の良さや縁起の良さもあいまって、たまたま上手くいったかな、という感じ。◇4位はフルポン村上。爆笑や 横隔膜に去年こぞの揺れこれは評価するのが難しい…。季語でないものを上五で詠嘆し、形式は二句一章なのに、中身は一物仕立てに見えます。山本健吉の言葉を借りるなら、《主題+細叙的な反復》かもしれないけど、わたしにはたんに、《主題+主題の説明》のようにも思えるし、ある意味では、梅沢と同じく、「笑いとは横隔膜の揺れである」との説明に、季語を加えただけの句とも言える。上五の「爆笑」が、現在の爆笑か去年の爆笑かも分かりませんが、それを切れ字で詠嘆した際の位置づけも、どう解釈すればよいのか、判断しがたい。◇5位は立川志らく。福笑いのような祖父の、死に顔読点込みで17音ってこと?散文でいうなら、さしずめ「…」のような効果を狙ったものですが、なんか小手先の技巧って気もする。◇6位は川島如恵留。初旅のB席 iPadにドリフ9+9=18音の対句。他人のiPadなら、初旅や 隣のiPadにドリフと助詞の「に」を使ってもいいと思いますが、自分のiPadだったら、助詞は「の」を使うほうが妥当じゃないかな。◇7位は中田喜子。盃の富士に一礼 初笑実体験だといわれれば仕方ないけど、富士の絵柄に頭を下げる場面は、なんだかちょっと芝居がかっていて、あまりリアリティを感じないのよね。むしろ大袈裟に「一拝」「叩頭」などと書いて、マンガっぽい滑稽味を強める手もあるかなと思う。◇8位の森口瑤子。「犯人は…」に続く客席のくつさめ「犯人は…」の静黙 客席のくつさめ(添削後)原句は18音、添削句は19音の破調。芝居の重要なシーンの緊張感を、観客のくしゃみで遮られた様子ですが、あえて「くしゃみ」と書かずに、狂言っぽく「くっさめ」と描写した大仰さが、この場面の滑稽味を強めています。たしかに原句の「続く」が説明くさいけど、うまい代替案を出すのもちょっと難しい。ためしに17音で、「犯人は!」…そこで客席のくつさめでどうでしょうか。◇9位は千原ジュニア。笑ひ声洩るる交番 注連飾しめかざり兼題に対して内容が控えめすぎる…との理由で9位に甘んじましたが、俳句自体の出来としては、これがいちばん良いと感じました。◇10位は安藤和津。妣ははの忌や 遺言だもの牡蠣フライ母の忌や 遺言だもの牡蠣フライ(添削後)母の通夜 遺言だもの牡蠣フライ(添削後)梅沢が言うように、「妣」と「忌」の重複は避けるべきなのか、正直なところ、よく分からないけど、まあ、あえて両方を並べずとも、「母の忌」or「妣の日」で十分ってことでしょう。なお、後段のフレーズを面白いと思う人もいるでしょうが、わたしは「相田みつを?」との印象が先立って、どうも安っぽいコピーライトのように感じてしまう。むしろ、母の忌も遺言だから牡蠣フライと書いたほうが滑稽味が増すのでは?◇11位の本上まなみ。ばればれの手品の父や 冬座敷ばればれの手品の父や お正月(添削後)これも兼題に対して内容が控えめすぎる…との理由でランク外。たしかに添削のほうがいいと思うけど、個人的にはジュニアの次に良い出来だと思いました。◇12位はこがけん。ゲラの子はゲラに育つや 春隣大笑げらの子は大笑げらや 春隣のげらげら(添削後)原句は、助詞の「は」を使う必要を感じない。むしろ「の」を使うのが妥当だと思います。添削句のほうは「は」でいいと思いますが、いつもながらリフレインがくどくて好きじゃない。なお、Wikipediaを見ると、「ゲラ」はおもに関西方言とあります。とはいえ、その記述はやや信憑性に乏しい。むしろ起源不詳の現代語じゃないのかな。もちろん俳句に現代語を使っても構わないのだし、「ゲラ=校了紙」と誤読される惧れがなければ、あえて「大笑」にルビをふる必要もない気がする。◇13位はかたせ梨乃。元日の「大仏の鼻」抜く女優大仏の鼻を抜けたり お元日(添削後)これは東大寺の「柱くぐり」の場面。おそらく、「通り抜ける」を古語で「通り抜く」としたのでしょうが、字面からは古語か現代語か判断できないので、まるで鼻を「抜き取った」みたいに誤読されますね。◇14位は水野真紀。大笑ふ君は私似 春間近君は私似 春まぢかなる大笑ひ(添削後)造語「大笑ふ」の是非と、我が子の意味で「君」を使ったことの是非。※俳句では、恋人の意味で使うのが一般的。ふつうに書いたら、笑ふ子の顔は私似 春間近私似の子の笑ひ顔 春間近のようになるんじゃないかしら?◇15位は勝村政信。墓前にてあなたと笑った冬の空冬空に笑う原田芳雄の墓前にて(添削後)原句には2通りの解釈がありうる。A: あなた(墓参りの同伴者)とふたり墓前で笑ったときの冬空を思い出してるよB: 墓前にひとり立って、あなた(死者)と笑ったときのような冬空を見てるよしかし、Aの解釈はありえません。季語をふくめてまるごと過去の話になってしまうし、そもそも「墓前で笑う」という行為が不謹慎です。なので、Bの解釈が正しいのだけど、過去と現在の時制が交錯して分かりにくいし、上五に切れがあると言えなくもない。かたや添削句にも複数の解釈がありえる。A: 冬空に私は笑っている、原田芳雄の墓前で。B: 私は「冬空に笑う原田芳雄」の墓前でたたずむ。Aの解釈は、やはり「墓前で笑う」という不謹慎な話になる。Bの解釈は、季語が過去の話になる。したがって、両方とも許容できない。かろうじて、C: 冬空に「笑う原田芳雄」の墓前で立つ私との解釈をとれば問題を回避できるけど、かなり無理があるし、これなら原句のほうがマシ。ためしに句またがりで、冬空の墓前 あなたと笑った日としてみました。◇16位はえなこ。雪景色 転んだあとの顔判子失恋や 雪にわたしの顔の痕(添削後)下五「顔判子」の比喩の是非。手をつかずに顔面から転ぶ場面が、なにやらマンガっぽくて嘘くさく、比喩そのものもつまらなく思えるけど、あえてマンガっぽさを自嘲して、雪に転べば見事なる顔の型のようにも書けるかもしれない。◇清水アナ。ゴーグルの雪焼け はきと残りけり先生が言うとおり、後段の説明は不要ですね。かりに横尾っぽい対句にすれば、オフィスの休憩 ゴーグルの雪焼けみたいな感じでしょうか。なお、「ゴーグル」には、スキーの雪眼鏡や、水泳の水中眼鏡のほかに、オートバイ用とか、最近はVR用ゴーグルもあるけど、なぜか歳時記によっては冬の季語になってるらしい。一昔前の日本人にとっては、もっぱらスキー用語だったのでしょうねえ…(^^;https://t.co/mGVY7rUA6r— 清水麻椰 (@mayasmz4) January 6, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.15
避難所での災害関連死のおもな原因は、平時における行政不作為と、非常時における行政不作為に大別できます。とくに、停電時の暖房不足、断水時のトイレ不足、仕切りがないことから蔓延する感染症、手洗いが出来ないことによる食中毒などは、どう考えても「想定内」の事態なのだから、それにすら平時に備えていないのは、あきらかな行政義務違反であり、当然ながら賠償の対象になるはずです。避難者の基本的人権や生存権を無視している。◇これらを罰しないかぎり、国や自治体の「棄民政策」には歯止めがかかりません。とくに原発立地県では、防災計画をないがしろにした経済政策が後を絶たない。住民の生命や環境の保全が後回しになるからです。万博やカジノの利権を優先し、被災地の復興をないがしろにする政策についても、それと同じことがいえる。つまりは経済優先の人間疎外であり、もっといえば、既得権益のための「棄地」「棄民」政策です。◇いわゆる保守層は、普段は "愛国保守" などと自称して、やれ「尖閣を守れ、竹島を守れ」などと叫んでますが、その反面、原発の安全神話をばらまくことに貢献し、フクシマの土地と住民を棄てたことへの反省はなく、またも懲りずに原発の安全神話をばらまいています。それどころか、米国による原爆投下まで擁護して、広島や長崎の反核運動のほうを批判したりしている。これは、戦時中の軍部が「一億玉砕」を主張したのと同じことで、もともと保守層というのは、国民の犠牲や国土の荒廃を何とも思わない連中なのです。◇ひたすら原発の安全性や万博の経済効果を強弁するのも、けっして国の繁栄を願ってのことではありません。実際のところは、ごく矮小な政治利権や一部業界の利益誘導のためです。彼らをほんとうの「愛国保守」だと思ってはいけない。むしろネトウヨやエセ保守は、その "国賊的" な本性を隠すためにこそ、やたらと他人を非国民呼ばわりしてみせるのであって、それは彼ら自身の後ろめたさの裏返しにほかならない。彼らこそが、本質的な意味での国賊なのだから。経団連や日本維新もその類です。家や家族を失った人が万博に夢と希望を持つわけねえだろ維新・馬場代表万博開催される2025年には復興が進んでいるとして、万博が「北陸のみなさんにも、新たな夢や希望を持って、明るい将来に歩みを進めてもらえるイベントになるのではないか」https://t.co/ypFXZpsfeT— himuro (@himuro398) January 8, 2024
2024.01.13
被災地の支援のために、政治家、篤志家、芸能人、ユーチューバーなどが、現地入りする行動が議論になっており、なかばイデオロギー的な非難合戦の様相を呈しています。かといって、おそらく防衛省も、自衛隊の救援だけで事足りているとは思っておらず、それどころか近年では、永田町や霞が関から、民間や被災者自身の「自助」「共助」「自己責任」だのと、まるで行政責任の不備と怠慢をはぐらかすような、ご都合主義的な発言さえ出てきている。実際のところ、国や自治体が出来ることと出来ないことを明らかにし、行政としておこなうべき「義務」(≒公助)と、民間がおこなうべき「共助」の分担について、平時から議論し、社会全体で認識を共有しておく必要はある。「自助・共助・公助」という言い方が、語呂の良さもあってすっかり定着しているけれど、「自助・共助」は納得しても、「公助」は違うと思う。公は私達を「助ける」存在ではない。私達は、納税者として公的サービスを受ける正当な権利がある。私達は助けられるのではない。「公助」は行政の義務を曖昧に…— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) January 4, 2024 2011年と2024年では日本人の「公共」という単語の捉え方が大きく変わっているのだと思う。この13年で本来政治や行政が果たすべき「公的責任」は「公助」という新語にすり替えられ、「自助」「共助」と並べられることで彼らの責任が薄められた。最新の広辞苑第七版に「公助」はまだ収められてない。 https://t.co/XRY7ZMZevP— 津田大介 (@tsuda) January 8, 2024 行政が「公助」をサボる上に、「共助」さえヤメロ!の大合唱。これでは「自助」できない者は死ぬしかない。— kentarotakahashi (@kentarotakahash) January 9, 2024◇民間による支援がどうあるべきかを、一概に判定できるものではありませんが、全体として支援が殺到すれば、交通渋滞やガソリン不足などの弊害を招くことは自明。将来的にはドローンなどの支援も増えるでしょうから、陸路のみならず、空路も混乱しかねない。緊急時には、通信・陸路・空路・海路などのアクセスを制限し、許可制にする必要はあるでしょうが、ただでさえ人員が足りないときに、当該自治体が「受け入れ審査」などをする余裕もない。◇現在の仕組みがどうなってるか知らんけど、支援能力のある個人・団体・企業は、どのような物資を、どこまでの地域に、どのような手段で輸送できるのか、あらかじめ平時から登録しておくほうがよい。そして、国や赤十字などがそれを一元的に管理し、閲覧・検索が可能な形にリスト化しておいて、災害時には現地からの要請に応じ、交通などの状況に照らしながらゴーサインを出す、…といった仕組みにすべきだろうとは思う。そのようなシステムを構築するために、いわゆる最適化のための技術活用もせねばならない。また、賞味期限の切れた食料や古着など、ゴミ同然のものを送りつけるケースもあるらしいので、支援者としての資質を評価し、責任をもたせる仕組みも必要でしょう。【拡散希望】僕が独断で被災地に乗りこんだという悪意で捻じ曲げられた情報が拡散していますが(このままですと先方のNGOや被災自治体にもご迷惑がかかってしまうので)、まとめます。 pic.twitter.com/I2lKtfyKNS— 津田大介 (@tsuda) January 5, 2024また、ジャーナリストの現地入りの是非については、結果や実績で判断すべきでしょうし、何らかの社会的な合意が必要ですが、権力やポピュリズムの安易な選別にまかせるべきではありません。
2024.01.10
NHK「あたらしいテレビ2024」を見ました。MCは、東京03飯塚悟志/上白石萌音/星街すいせいコンテンツバトンリレーは、白山乃愛~福田雄一~山崎貴ダイヤモンドトーク座談会は、ダウ90000主宰の蓮見翔漫画家の魚豊ミュージシャンのアンジェリーナ1/3作家の日比野コレコ映像作家の今井環…という面子でした。なお、ほとんど誰もテレビの話はしてませんでしたw◇小学生の白山乃愛ちゃんと今井環くんは、奇しくも福田雄一の作品をよく見てるとのこと。マンガ的な作風が小学生にもウケるのかしら。また、山崎貴と福田雄一は、「日本の映画はアート系ばかり!」「ハリウッド的な本流のエンタメが皆無!」という見解を共有してるらしい。なるほどね。そして、座談会の参加者のほとんどが、老いるほど若々しい作品をつくる宮﨑駿を、もっとも理想的なクリエイターとして憧れてるようです。番組の制作者や参加者それぞれが、去年の《超個人的コンテンツアワード》を選んでました。以下の画像をクリックすると閲覧できます。https://www.nhk.jp/p/ts/R32JGQLRW6/blog/bl/plndyemZbD/bp/p5R4wDQEp6/ちなみに、萌音の選んだ「コンテンツアワード2023」は以下のとおり。クリックすると、ひととおり予告等が見れます。ブラッシュアップライフVIVANT君たちはどう生きるかBLUE GIANTスピッツ「ときめきpart1」ちひろさんハミルトンスイッチインタビュー「山里亮太×古舘伊知郎」EP1https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/peZjvLyGze/bp/pReJ3rz4X2/スイッチインタビュー「山里亮太×古舘伊知郎」EP2https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/peZjvLyGze/bp/pGPPV6mj9G/NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」https://www.youtube.com/watch?v=bPHtxZ0hMcwQ~子供のための哲学https://www.nhk.or.jp/school/sougou/q/onair/
2024.01.09
浜辺美波がようやくSNSを再開しました。(友人でもある橋本環奈のSNSはいまだ再開せず)昨年は、らんまん、ゴジラ-1.0、紅白司会と、彼女にとって絶頂の年だったのですが、皮肉にも、紅白が終わったその翌日、地元の石川県が震災に見舞われた。本人は無事のようですが、メンタル面の打撃は大きいでしょう。こういうときは、幸運と引き換えの悲劇のように思えてしまったり、辰年にゴジラの予言が現実になったように感じたり、意図せずして自分自身を責めがちにもなる。絶頂から一気にどん底へ突き落とされた気持ちでしょう。しかし、できることをやるしかありませんし、それ以上のことを望むことは不可能です。とりあえず、本人にできる範囲での支援や支援の呼びかけ。それから、すこしずつ気持ちを落ち着けながら、もとの仕事の軌道へ戻していくしかありません。皆さまへ。 pic.twitter.com/Y5eIoKlqS7— 浜辺美波 (@MINAMI373HAMABE) January 8, 2024 【令和6年能登半島地震災害義援金】受付開始この度の地震の影響により、家屋倒壊や断水など甚大な被害が発生しています。日本赤十字社は被災された方々を支援するため、義援金の受付を開始しました。お寄せいただいた義援金は、被災地の義援金配分委員会へ全額お届けします。— 日本赤十字社 (@JRCS_PR) January 5, 2024 ◇紅白については、旧ジャニーズの排除と、K-POP勢の出演への賛否両論や、視聴率の問題などもありますが、個人的には、なんだかんだで韓国勢のパフォーマンスに感嘆した、という事実はあります。それについては、落ち着いてからまた書きます。
2024.01.08
能登半島北端の珠洲市には、かつて原発の建設計画がありました。住民の反対がなければ、これが稼働していたかもしれない。一方、能登半島西岸の志賀原発は停止中でしたが、もし福島の原発事故がなければ、やはり稼働していた可能性が高い。かりに、これらが稼働していたら、今回の能登半島の大地震によって、2つの原発事故が同時に発生したかもしれません。◇今回、志賀原発は、地震発生後ただちに「異常なし」と発表し、翌日にも「取水槽の水位に有意な変動なし」としましたが、しばらくたって、「取水槽の水位は約3メートル変動」「変圧器で火災が発生し消火」「外部電源の大小2系統のうち主要系統が欠損」「変圧器で配管が壊れて3500リットル油漏れ」「油漏れの量は当初発表の5倍の2万リットル。海にも流れた」「モニタリングポストが18カ所で測定不能」「消火はしておらず火災そのものがなかった」などと発表を二転三転させており、その管理体制と情報の信憑性に疑念がもたれています。◇原発事故が発生した際の避難計画では、《半径5キロ圏内の住民は避難先へ移転》《半径30キロ圏内の住民は屋内へ退避》とされており、さらに、モニタリングポストの値によっては、《半径30キロ圏内の住民も避難先へ移転》としています。しかし、今回の大震災では、複数のモニタリングポストが計測不能になっている。また、たとえ正常な計測ができたとしても、幹線道路が寸断され、迂回路もなく、空路や海路の確保も困難をきわめ、数日経っても複数地区が孤立状態に置かれるなど、原発から30キロ圏内にあたる能登半島のほぼ全域で、避難先への移転は実質的に不可能になることが判明。また屋内退避をしても、多くの地区において、外部からの救援や物資の搬入が困難になることが分かりました。さらに避難所では、「防寒やトイレに新聞紙を使え」などと言うありさまで、すでに凍死する事例も出ており、公共の避難所ですら、まともに生命を維持できない状態です。志賀原発が想定した避難計画は、現状において完全に破綻している。ひどい。ストーブ1個、あえて言えばホッカイロ一つで助かる命ではないか。この日本でひどすぎる【能登半島地震】輪島市の避難所で低体温症で1人死亡 ウイルス感染も広がる:北陸中日新聞Web https://t.co/UP4pIJdGs2— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) January 7, 2024①まずは空路で食料や物資を投下し②その間に自衛隊などが寸断した道路や橋を車が通れる状態にして追加物資を大量投入③必要に応じて被災者を搬出するべきなのに政府は何を?内閣府では2日に完全オフでジョギングしてた人もいるし新年会も忙しかったようだが…#岸田に殺される #悪夢の自民党政権— がくさん (@gaku_sam) January 7, 2024我が国の公共放送NHKのゴールデンタイムの全国ネットNEWS 7避難所生活の冷え対策で、①新聞紙を体に巻く②段ボールを敷いて床に直接触れないと。これを時間割いて放送するのかよ…貧困国家、日本。@nhk_news pic.twitter.com/OLUyu5vgyu— kinho_00 (@quinho_00) January 4, 2024能登半島地震・志賀原発 避難ルート「のと里山海道」は一時全面通行止め 避難計画は“絵空事”だった https://t.co/KtvnpOUpwO #AERAdot #AERA— AERA dot. (アエラドット) (@dot_asahi_pub) January 7, 2024◇さらに深刻なのは、震度予測の問題。今年3月、原子力規制委員会は、「志賀原発の敷地内に活断層はない」と判断し、それにもとづいて、経団連の十倉雅和は稼働再開を要請していました。にもかかわらず、今回の震災では、町内の観測点で震度7の揺れを記録し、一昨日の夜にも震度6弱の揺れに襲われています。端的にいえば、原発敷地内の「活断層の有無」の判定は、震度の予測にとって意味をなさない …ということ。これは志賀原発のみならず、日本のあらゆる原発に当てはまることです。活断層がないことを「安全性」の理由にしてきた原発は、その主張の根拠を完全に失っています。活断層の調査とは別の手法を確立しないかぎり、地震の予測は本質的に不可能であることを示している。…ちなみに一部のネトウヨは、「震度7にも耐えたのだから大丈夫」などと言ってますが、震度7を記録したのは町内の別の観測点であって、志賀原発の地震計が測定したのは「震度5強」です。つまり、停止状態で震度5強の揺れにすら耐えられず、主要な外部電源を喪失するなどの被害を出すほど、深刻な脆弱さを露呈してしまった、ということ。震度5強と震度7では雲泥の差があります。もし稼働した状態で、震度7クラスの揺れに襲われていたら、いったいどうなっていたのか。志賀原発の外部電源の1系統を喪失という件に関して詳細が報じられるべきでしょう。◉50万ボルトという最大の外部電源が失われた理由◉もし稼働していたら、原子炉の安全性を確保できていたのか◉燃料プールの使用済み核燃料も2011年以降稼働が止まっていたために十分に… https://t.co/4ZHgJQ1DFl— 祝島島民の会 (@touminnokai) January 2, 2024また、今回の震災では4mもの地盤の隆起が見られましたが、原発が津波対策をする際にも、数メートルの隆起や沈降を考慮せざるをえないし、地盤そのものが傾いたら、いったいどうなるのか、…ということを危惧せずにはいられない。◇経団連の十倉雅和は、原発稼働要請への批判をかわすべく、口先では「被災地を支援する」などとウソぶいてますが、その反面で、大阪万博開催の方針を変えていません。しかし、万博の開催強行は、被災地復興にかかる建築資材の高騰や、人員・重機・資材不足などに拍車をかけるため、事実上の「二者択一」が迫られています。経団連会長は、大阪府の知事とともに、「復興の足枷になってでも万博開催を強行すべき」との態度を示していますが、日本国民は、政権と財界のこのような対応を許容できるのか。また、大阪府民は、吉本興業などと結託しながら万博・カジノへと突き進む、吉村洋文をこのまま大阪府の首長として承認できるのか。そのことが問われています。
2024.01.08
今回の能登半島地震は、東日本大震災、阪神大震災に次ぐ規模の災害ですが、なぜか救援人員の数は、熊本や北海道地震の際より少なく、発動のタイミングも遅い。…石川県知事の馳浩は、地震が発生した元旦の夜に自衛隊派遣を要請したものの、その規模はわずか1000人。この1000人という体制が、どのような根拠と経緯で判断され決定されたのか、あらためて検証する必要があります。◇輪島市や珠洲市のように、古い木造家屋の多い沿岸が震度7の地震に揺られ、さらに5mの津波が押し寄せた場合に、どの程度の規模の被害が発生するのかを、自治体の首長であれば、地元の現場感覚から、おおよその予測を立てねばなりません。かりに首長の現場感覚が欠如していたとしても、平時から、さまざまなケースごとに、被害をシミュレートしておかなければならない。そうした予測が立っていれば、実際に現場の被災状況を見る前から、最低限の救援体制は判断できるはずです。そこから考えても、1000人という人数はあまりに少ない。ようやく4日目に5000人弱の体制に強化されたものの、それでも熊本地震や北海道地震より規模が小さい。この程度の救援部隊で、瓦礫の除去と3ケタに及ぶ人命の救助、まして広範囲にわたる道路の復旧など出来るはずがない。熊本の時はすぐに20000人ぐらいだったよな、と思って確認した。翌日は1800人だったけど、次の日に15000人、その次の日は20000人体制になっていた。今回はなんで極端に少ないの?わからん。 https://t.co/d5NDHRjCF2 pic.twitter.com/Op6oAS5irK— Hironobu SUZUKI (@HironobuSUZUKI) January 3, 20241月2日昼の段階で、追加で約9千人の自衛隊派遣を「準備をする」と表明。今日3千人の派遣が決定されたというが、熊本地震では最大時2万6千人が派遣されている。大雨の予報もでている。救助が急がれているのだから、多くの自衛隊を派遣すべきではないのか?初動が遅い...😢 pic.twitter.com/0NyUA7JuBz— 祐佳 (@D9bf0NRDYrL21Ba) January 3, 2024此度の地震で自衛隊10,000人体制(派遣済み2,000、待機中8,000)てのはなんか少ないような気がしてんだけど、平成28年熊本地震26,000人平成30年北海道胆振東地震約25,100人今回の派遣規模を決めたのが岸田かどうか知らんけど、岸田ほど「逐次投入」って言葉がしっくりくるやつもそうおらんよな。— hirossi (@46hirossi) January 3, 2024◇一般に、原発立地県では、震度の予測も、被害の予測も、政治的に小さく見積もる傾向があります。ネガティブな情報や予測が原発推進の妨げになるからです。ほかならぬ馳浩も「原発推進派」でしたが、自治体の首長が原発推進派であれば、なおさらネガティブな情報や予測を排除しがちになるし、その結果、首長自身が災害予測に無関心になったり、甘すぎる災害予測をみずから信じてしまったりする。これは、さながら、戦時中の軍部や国粋主義者(現代でいえばネトウヨ)が、大本営発表にならって戦況を楽観視するのと同じ理屈。政治的な理由で最悪の想定を避けたがるのです。そして同胞の活躍ばかりを信じて称賛するようになる。そのようなご都合主義的な楽観論が国家の破滅を招きました。石川県の地震想定は26年前から変わらず 甘い被害予測、遅かった見直し https://t.co/ilmokUMqnW— 京都新聞 (@kyoto_np) January 7, 2024 ◇はたして石川県の地震予測や被害予測はどうだったか。それは「原発推進」の政策にどう関係していたか。もはや石川県だけの問題ではありません。しっかり検証する必要がある。かりに被害予測を低く見積もった結果、防災や救援体制に不備や遅れが生じたのなら、それは「原発推進派」による人災といわざるをえない。建物内で発見された死者が、圧死だったか凍死だったかも調査すべきです。
2024.01.04
震度6強以上の地域については、発生直後にドローン等の無人機やヘリを飛ばし、上空から建物倒壊や交通網寸断の実態を把握しなければ、通報を待ってからの初動では遅く、かえって優先順位を誤る。被害の大きな地域ほど、通信手段すらなくなって情報発信ができず、被害の小さな地域の情報ばかりが収集されてしまう、そういう矛盾が起こるからです。実際、今回の震災では、当日内に被害状況を把握できず、全容の把握が翌朝以降にずれこみました。その結果、被災者は一晩以上ものあいだ、暖房もない極寒のなかで、倒壊した建物の内部に放置されました。◇被害状況の正確な把握によって、救援すべき場所と規模とルートが決まるのだから、たとえ日が暮れたあとでも、夜間照明や赤外線による上空撮影をおこなって、被害の全容を早期に掴まなければならない。救援部隊にかんしては、たとえフライングになっても、被害の全容が明らかになるよりも前に、多めに見積もって編成しなければなりません。翌朝までには、救援プランを策定しつつ、機材や車両の運び込みも当日の夜間にかけて行うべきだし、日中と夜間に活動する人員も別々に手配すべきです。いずれにせよ、夜が明けてから状況を把握するのでは遅い。津波警戒はたいがいにしておいて、つぶれた家の下敷きになったひとたちを早く救出しないといけない。この寒さでひと晩すごさせたら死ぬ。— 早川由紀夫 (@HayakawaYukio) January 1, 2024なんで朝一とか言ってるのかな、知事は。今夜が勝負ではないの。倒壊家屋の下敷きになった方々を早く助け出し医療施設に収容する為に医官を帯同した習志野や宇都宮にいる陸自の即応精鋭部隊を方面隊に組み込みヘリで現地に投入。東日本大地震ではやれてたじゃないの。官邸は何しているんだろう https://t.co/W6qWuOyBWz— ガイチ (@gaitifuji) January 1, 2024馳・石川県知事「自衛隊の防災ヘリで石川県庁に向かう」 首相官邸で危機管理対応中、状況を説明「夜に入りましたので、明日の朝から本格的な情報収集、また、救命に入ることになると思います」やっぱりダメだ。災害救出の72時間の壁も知らないのか… https://t.co/cwW3AmTJaF— mipoko (@mipoko611) January 1, 20242000人規模に増強て、どんだけケチなの⁉️この規模の大地震なら、万人規模の派遣が必要でしょ⁉️首相「人命第一で救助に全力」、自衛官現地派遣2000人に - 日本経済新聞 https://t.co/FUoKS1vCq1— buzzuritama (@buzzuritama) January 3, 2024熊本の時はすぐに20000人ぐらいだったよな、と思って確認した。翌日は1800人だったけど、次の日に15000人、その次の日は20000人体制になっていた。今回はなんで極端に少ないの?わからん。 https://t.co/d5NDHRjCF2 pic.twitter.com/Op6oAS5irK— Hironobu SUZUKI (@HironobuSUZUKI) January 3, 2024あいかわらず避難所も、停電時の緊急的な暖房もままならず、トイレやプライバシー確保の不十分な劣悪環境です。公共の避難所には、石炭や石油を燃料とする床下暖房や温水暖房の設備を、火災防止・耐震装置付きで整えておく必要がある。避難所が収用人数を上回って過密になり、物資・設備が不足したり、感染症の危険があって環境が悪化するなら、むしろ避難者を大型バスや輸送ヘリで運び出し、一時的にでも分散避難をさせなければならない。雪・渋滞・土砂・地割れで物資輸送が困難な場合も、早期に分散避難を実施しなければなりません。避難所の劣悪な環境は、多数の災害関連死に繋がります。これは入管収容所と同じく人権上の問題にあたります。ここでイタリアの避難所を見てみましょう。 https://t.co/YLJEsX4n2n pic.twitter.com/xVQJ0QQCdx— 🐰SOT-dantyo🐰 (@TDantyo) January 1, 2024今の方がさらに悲惨でした😭政府、防災対策はどうなってんねん!#万博中止 https://t.co/oBfM1LoAqJ— ふっちゃん (@ashitawawatashi) January 3, 2024ひどい。ストーブ1個、あえて言えばホッカイロ一つで助かる命ではないか。この日本でひどすぎる【能登半島地震】輪島市の避難所で低体温症で1人死亡 ウイルス感染も広がる:北陸中日新聞Web https://t.co/UP4pIJdGs2— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) January 7, 2024①まずは空路で食料や物資を投下し②その間に自衛隊などが寸断した道路や橋を車が通れる状態にして追加物資を大量投入③必要に応じて被災者を搬出するべきなのに政府は何を?内閣府では2日に完全オフでジョギングしてた人もいるし新年会も忙しかったようだが…#岸田に殺される #悪夢の自民党政権— がくさん (@gaku_sam) January 7, 2024 700人の避難所で、携帯トイレを極力節約して使って在庫の300個でなんとか収めたそうです。人は平均1日トイレに4〜5回は行くのでどれだけそれが大変なことかよくわかります。在庫が切れた後は新聞紙の上に用を足しビニール袋で包んで捨てるしかないという状況だったとのこと。— 津田大介 (@tsuda) January 4, 2024 我が国の公共放送NHKのゴールデンタイムの全国ネットNEWS 7避難所生活の冷え対策で、①新聞紙を体に巻く②段ボールを敷いて床に直接触れないと。これを時間割いて放送するのかよ…貧困国家、日本。@nhk_news pic.twitter.com/OLUyu5vgyu— kinho_00 (@quinho_00) January 4, 2024東日本大震災から十年目に東北でシンポがあり、「十年が支援の終わりではなく、これから経験を世界に向けて活かすべき」と話し合ったのだが、それは国境なき医師団取材で知ったギリシャでの緊急難民支援でも、アフリカ奥地のキャンプでも日本のようなプライバシーなしの避難はないのを見たからでした。— いとうせいこう (@seikoito) January 2, 2024避難所の光景が東日本大震災のときと変わらず驚愕している。この国の安全保障はまず災害対策だよ。被災時の衣食住に税金使わなきゃ。やっぱり軍事費じゃない。もちろん万博でもない— ぴょん🍉🐿on the street (@saki10masaki) January 1, 2024私も復興増税は反対。東日本大震災の復興費が流用されていた件、忘れない。 https://t.co/G0WigGovj2— まめつぶ👻 (@0mame_mametsubu) January 1, 2024今回の震災は、原発稼働のために震度予測を歪め、浅い活断層の危険性を過小評価した結果の人災です。つまり、想定外だったのではなく、意図的に「想定から外した」結果だといえます。また、災害対応の中枢にいる旧世代の人々は、平時の事前対策においても、非常時の現場対応においても、現代の最新技術を十全に活用しきれていません。能力のある若い人材に活躍する場を与えていない。年金問題やマイナカード問題と同様、ちぐはぐで穴だらけの対応しか出来ないのはそのため。旧世代の人間が権力の委譲を渋った結果、平成以来の「失われた30年」はいまだ延長されています。この1年で、それらを転換する必要があります。志賀原発大丈夫?こんな断層だらけの所に原発建ててクレージーだよ https://t.co/SGnOFdWwt2 pic.twitter.com/EjsY8gD6Ck— rima (@rima_risamama) January 1, 2024こんな長かったんやマグニチュードで断層長推定できるんや https://t.co/R9drzpFOAi pic.twitter.com/3830b30A5q— Kazami (@RVFflow) January 1, 2024専門家「日本海側で最大級」「これで終わりではない」 能登の震度7 https://t.co/vOwynnbMuH 付近では震度7の地震の後も、大きな揺れを伴う地震が続いている。西村教授は「日本海側は断層が複雑に分布しているため、一つが動くとまわりも動いて活動が活発化しやすい」と話す。— 朝日新聞デジタル (@asahicom) January 1, 2024「10本弱の活断層が一斉に動いた可能性」 兵庫県立大教授https://t.co/geI1CDn6R0今回の地震は能登半島北沿岸部の陸域と海域の境界にある活断層がずれ動いた「逆断層型」とみられます。教授は「動いた距離は数十キロ超にわたるのではないか」と推測します。— 毎日新聞 (@mainichi) January 1, 2024この人が視察した1カ月後に今回の地震。変圧器で火災が発生し外部電源が一系統使えなくなったという報道もある。活断層の問題で運転停止中だが、昭和の発想での無責任な発言への警告と捉えるべきだろう。経団連・十倉会長 志賀原発視察「早期の再稼働を期待したい」https://t.co/q5OGXaSheg— 辻野 晃一郎 (@ktsujino) January 2, 2024①北陸電力が100億円かけて「断層ではない証拠」を買う②原子力規制委員会がそれを信じて「断層ではない」認定③経団連会長が志賀原発に入って早く再稼働しろと言う④震度7の震災。2系統しかない冷却電源の大きい方が死ぬ⑤モニタリングポスト13個死ぬ、変圧器爆発 pic.twitter.com/2sUyI8JS7i— kisahara (@kisahara1) January 2, 2024志賀原発の故障した変圧器から計7100リットルもの油が漏れています。北陸電力は志賀原発の再稼働を申請、経団連会長も「一刻も早く再稼働を」と要求。しかし稼働中なら深刻な事態になっていた可能性も。電力会社もメーカーも事故の責任を負わない制度になっているから安易に原発を推進するのです。 pic.twitter.com/915jqVvhqK— 長谷川ういこ Uiko Hasegawa (@uikohasegawa) January 3, 2024 政府は原発について異常があっても「異常なし」と発表する。このことはしっかり記憶に留めておくべきだ。【志賀原発 “外部電源一部使えずも 使用済み燃料プールの冷却は継続” 原子力規制庁 | NHK | 令和6年能登半島地震】 https://t.co/GgnFMvAgBI— m TAKANO (@mt3678mt) January 2, 2024志賀原発 外部電源が一部使えない状況続く 復旧の進め方検討https://t.co/PxfbQlQkMr #nhk_news— NHKニュース (@nhk_news) January 2, 2024北陸電力、2日の午前中に開いた記者会見で「水位計を監視していたものの、有意な変動は確認されなかった」→2日夜「取水口付近に設置した水位計で1日午後5時45分から午後6時までの間におよそ3メートルの水位の上昇を観測」原発を動かす資格はあるのですか。January 3, 2024北陸電がまた訂正 志賀原発の変圧器漏れの油は5倍超の2万リットル https://t.co/rLQ1WI19kf 能登半島地震をめぐり、北陸電力は5日、志賀原発(石川県)の2号機で外部電源を受けるために必要な変圧器から漏れた油の量について、当初発表の5倍超にあたる約1万9800リットルと訂正した。— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) January 5, 2024 スゴイよねこの人。「国内最速級の防災速報を」“特務機関NERV”防災アプリを世に出した石巻出身プログラマーの執念https://t.co/qn7ld8rh9l https://t.co/AppS2PTlxZ pic.twitter.com/G6W0g7Txaf— 通信のノラ猫@ID=AO.VTuber.cat (@ID_JAPAN_AO) January 2, 2024
2024.01.02
NHKプラスで「没後15年~氷室冴子をリレーする」を見ました。今年6月に北海道ローカルで放送された番組。萩尾望都や藤田和子が出演してました。30分弱の番組でしたが、北海道では《43分の拡大版》も放送されたとのこと。特設サイトには、出演者インタビューの全文が掲載されてます。https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n753ef2a5e0bb◇もちろん、わたしとしては、斉藤由貴がらみで、萩尾望都と氷室冴子の関係が気になるのだけど、両者の出会いについての話はありませんでした。わたしが知ってる範囲でいうと、氷室冴子は、もともと萩尾望都のマンガを愛読してて、高校時代には漫画家になることを夢見てて、大学時代には「トーマの心臓」に言及した評論も書いてる。『氷室冴子とその時代 増補版』には引き続き附録として氷室冴子が大学時代に執筆した『トーマの心臓』論ともいえる評論「少女マンガの可能性」が収録されています。90年代に行われた氷室さんと萩尾との対談中の氷室さんの発言(『物語るあなた 絵描くわたし』収録)のルーツがうかがえる内容です。— 嵯峨景子@『氷室冴子とその時代 増補版』発売中 (@k_saga) June 21, 2023そして、作家デビュー後には、同じ北海道出身の藤田和子のマンガの原作を担当。宝塚歌劇団をモデルにした「ライジング!」という作品で、その取材のために1年ほど宝塚市に住んだのですが、1988年に「ポーの一族」(小学館叢書)へ解説を寄せ、1993年の「氷室冴子読本」で萩尾望都と対談したころに、2人の共通の趣味になったのが、その宝塚だったのです。同じ93年には、三重県で上演された萩尾望都の舞台作「斎王夢語」を、2人で一緒に観劇したらしい。さらに2001年、氷室冴子が斎宮歴史博物館の学芸員と対談したのですが、その学芸員が氷室冴子の死後に書いた記事によると…氷室冴子もまた、萩尾望都と同じように、斎宮を舞台にした作品の構想をもっていたようです。…じつはコバルトの対談の時に、斎宮を舞台にした平安時代小説の新作、という話で盛り上がったのです。1. 主人公は斎宮に仕える筆頭女官、内侍にしよう。2. 彼女は正義感が強く、そのために都にいられなくなって斎宮に転勤してくる。少しぶーたれながらもやる気はいっぱい。3. 斎宮に着く直前、里の娘のようなお転婆で快活な、しかし少し不思議な少女に出会う4. 斎宮について、斎王と対面した時、斎王の座にいたのは、その少女だった。5. お転婆で型破りな斎王を中心に、内侍の視点から物語は進む。彼女らをとりまく貴族たちの思惑、伊勢神宮や朝廷を巻き込む陰謀などに、聡明な斎王と賢明な内侍の少女コンビが、時には弥次喜多のように、時にはホームズとワトソンばりに立ち向かっていく。…平安時代の雰囲気や斎王の儀式など、斎宮ならではの要素を生かして、物語を進めよう。https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/senwa/journal.asp?record=101◇とはいえ、氷室冴子と萩尾望都の出会いが1993年だとすれば、意外に遅かった気もします。由貴ちゃんのほうは、映画「恋する女たち」に主演した1986年に、雑誌「non-no」で萩尾望都と対談してるし、翌87年には「斉藤さんちのお客さま」にも迎えてる。ちなみに、86年の萩尾望都は、甲斐バンドのアルバム「らいむらいと」再発版で、ジャケットのデザインを手掛けていました。もしかすると、そこで長岡和弘との接点が生まれて、由貴ちゃんとの対談に繋がったのかもしれません。氷室冴子が「ポーの一族」の解説を書いた翌89年には、由貴ちゃんも「トーマの心臓」に解説を寄せています。◇由貴ちゃんは東宝の女優ですが、もともとの東宝の母体は宝塚だし、由貴ちゃんのお母さんも宝塚に憧れた人です。また、映画「恋する女たち」を監督したのは大森一樹ですが、彼も芦屋市の育ちで、何かと宝塚には縁がありました。1987年の映画「さよならの女たち」も、大森一樹が撮ったわけですが、もともとは氷室冴子が脚本を手掛ける予定で、彼女の宝塚在住時の自伝的な作品になるはずだった。そう考えると、氷室冴子、萩尾望都、斉藤由貴、大森一樹は、みんな宝塚という共通項でつながってた感じ。◇いずれにせよ、氷室冴子が萩尾望都に出会うのは必然だった。長年の愛読者だったのもあり、同じ宝塚ファンだったのもあり、案外、斉藤由貴が両者を繋いだのかもしれない。たとえば「クララ白書」の物語の舞台が女子校の寄宿舎だったりするのを考えると、たしかに氷室冴子の作品は、萩尾望都の影響をたぶんに受けていたと思えます。◇…とはいえ、両者の作品が共通のテーマで繋がってるかというと、それはそれで、ちょっと疑問に感じるところはある。今回のNHKの番組も、「氷室冴子は男性社会と戦っていた」というスタンスで作られてましたが、実際、氷室冴子は、男性社会との葛藤を乗り越えることで、女性としての自由を獲得しようとしてたのでしょう。しかし、萩尾望都の場合は、あまり男性社会を仮想敵にしてるようには見えない。むしろ「母との葛藤」や「父との葛藤」という面が強く、それゆえに彼女のテーマには現代性と普遍性を感じます。そもそも、「女性による少女マンガ」だけを読んで育った氷室冴子と、「男性による少年マンガ」から影響を受けた萩尾望都では、作家としての起点や基盤がちがってる気もする。◇…余談ですが、わたしは以前の記事に、由貴ちゃんと富田靖子の共通点について、両者とも「シャア推し」で「谷山浩子推し」と書いたのだけど、考えてみたら、由貴ちゃんが「恋する女たち」に主演した1986年に、富田靖子も「なんて素敵にジャパネスク」に主演したのよね。映画じゃなくテレビだけど。たんに主演しただけなので、べつに両者が「氷室冴子推し」とは言えませんが(笑)(由貴ちゃんがとくに氷室冴子を愛読してたとも思えない)なお、今回のNHKの番組では、酒井若菜がナレーションを務めていました。彼女はまぎれもない「氷室冴子推し」のようです。『海がきこえる』、解説を担当しました。ジブリ作品の原作。今回でジブリ関係の執筆は3回目。夢のようです。この文庫には近藤勝也さんのイラストが盛りだくさんで、たまらないです。涙 pic.twitter.com/8tABv1oPZs— 酒井若菜 (@_sakai99) July 8, 2022
2023.12.31
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