まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2024.02.04
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カテゴリ: メディア問題。
漫画ヲタクの暴走がいっこうに止まらない。

原作至上主義こそ「絶対正義」と思い込み、
テレビ局と脚本家が「絶対悪」と思い込み、
にもかかわらず、
なぜか小学館のことは「漫画家の味方」と信じて疑わない。

そのうえ今度は、
木南晴夏やめるるや毎熊克哉にまで、
そのルサンチマンの矛先を向けている。

おそらく3次元世界のすべてが憎いんでしょうねw


相沢友子のインスタなんぞではなく、
ほかならぬ漫画ヲタクどもの暴走にあるのかもしれないのだけど、
その可能性からはあくまで目を背けつづけ、
あろうことか、
ますます個人攻撃をエスカレートさせてます。



このような漫画ヲタクの暴走は、
かえって自分自身の首を絞めてもいる。

漫画ヲタクの掲げる原作史上主義は、
メディアミックスの選択肢を狭めるあまり、
かえって漫画出版社を窮地に追い込み、

その現実からも目を背けてる。

べつに「大人になれ」とかいう話じゃなく、
子供であろうと、大人であろうと、
現実から目を背けることはできないだろって話なのですが、

おそらく漫画ヲタクの人たちは、

現実の3次元世界を凌駕するように望んでるのでしょう。

しかし、シンギュラリティでも訪れないかぎり、
そんな世界は実現しません。



もちろん日テレと小学館は、
原因究明と事情説明をする必要がありますが、

その説明を聞くまでもなく、
もはや野木亜紀子や佐藤秀峰の文章を読んだら、
おおよその背景と事情は察しがついてしまった、
…ってのが正直なところ。

そして、
原作者と脚本家にすり合わせをさせない手法は、
三上絵里子や相沢友子にかぎった話ではなく、
テレビ業界全体の悪習だったこともバレてしまった。

もちろん再発防止策も改善策も必要なのですが、
おそらく改善に向かうというよりは、
たんに《漫画原作が忌避される方向》へ流れるだけでしょう。

漫画原作はめんどくさい、との認識が共有されて終わる。



テレビドラマが漫画原作を避けることで、
いちばん損をするのは出版社ですが、
メディアミックスの可能性が大幅に狭まる事態に対し、
どんな方策を講じればいいかについては、
昨日の記事に書いたとおりなので割愛します。

いずれにしても、
漫画ヲタクの暴走から得られるものなど何もなく、
漫画を中心とするメディアミックスの経済を縮小させることで、
かえって彼ら自身の首を絞めているにすぎません。



あらためて相沢友子のインスタの文章は次のとおり。
〔12月24日〕
最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました。

〔12月28日〕
私が脚本を書いたのは1~8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。


この文章をどう読むかは人それぞれでしょう。

脚本の書き直しをさせられたり、
終盤の脚本がまるまるボツになったことについて、
ショックを吐露してるのはたしかです。

最初からボツになる可能性を知っていれば、
わざわざ苦労して書くわけがないのだから、
まともな意思疎通が出来てなかったのは想像に難くないし、

原作をねじ曲げられた芦原妃名子がショックだったように、
せっかく書いた脚本を反故にされた相沢友子が、
同様にショックを受けたのも当然のことでしょう。



そして最後の、
「今後同じことが二度と繰り返されませんように」
という一言は、

十分な意思疎通を怠った自分への戒めとも取れるし、
それを遮ったプロデューサーや出版社への苦言とも取れるし、
構造的な問題が改善されることへの願いとも取れるのだから、
それをあえて「原作者への嫌味」だと解釈するのは、
ひとつのバイアスのかかった見方にすぎません。

たしかに相沢友子の支持者のなかには、
あからさまに原作者を "悪者" と見なす人もいたのだけど、

それはちょうど、
現在の芦原妃名子の自称支持者どもが、
相沢友子を ”人殺し” 呼ばわりすることの裏返しであって、
はたから見たら「どっちもどっち」でしかない。

要は、双方の外野どうしが、
> 自分たちが絶対正義で、
> 相手がたは絶対悪である!

と主張して互いに暴走してるだけ。

さながら馬鹿なネトウヨが、
> 日本人の愛国心は絶対正義だが、
> 中国人の愛国心は絶対悪である!

と主張してるのと同じで、
はたから見たら「同じ穴のムジナ」なのです。



ちなみに、ヤフコメには、
この相沢友子の文章について、
脚本家が「原作者のわがままのために酷い思いをしたけど、俳優さんたちやスタッフの皆様は素晴らしかった」という内容のコメントを誰の目にも触れる場所に発信…
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc2d3ddc1815f33d770df8a190ac0d1dc0f12b05
などと、
まったく違う文面に書き換えた人物が存在し、

このデマ情報が、
いまなおいちばん上位に表示されていて、
1万人もの閲覧者が「共感」のボタンを押すなど、
かなり悪質な拡散ぶりを見せています。



芦原妃名子が亡くなったのは、
相沢友子のインスタの文章のあとではなく、
それから1ヶ月後のことです。

つまり、芦原妃名子が、
小学館に確認のうえでトラブルの経緯説明をし、
それがSNSにおける騒動へと発展し、
それを受けて当該文章を削除した直後なのだから、
そこにこそ 直接的なトリガー があったと考えるのが普通。

漫画ヲタクどもは絶対に認めたくないでしょうが、

芦原妃名子の自称支持者の連中が、
相沢友子への攻撃を激化させたことこそが、
直接的な引き金だったのではないか?
…と疑ってる人はかなり多いはずです。

そうでなければ、
「攻撃したかったわけじゃなくて」
という最期の言葉にはなりようがない。



もちろん、
遺書の内容が公表されないかぎり、
そのトリガーを特定することはできないし、

わたし自身も、
彼女が亡くなる前日に記事を書いてますから、
それが本人の目に触れた可能性というのも、
ずっと気になってるのは否めません。

当時のアクセス数は300程度だったけれど、
自分の記事がトリガーになった可能性が、
絶対にないとまでは言い切れない。

極論をいえば、
この問題についてのネットの言葉のすべてが、
何らかのトリガーになった可能性はあるわけで、
その意味で、現在の状況というのは、
たがいに責任のなすり合いをしてるとも言える。



けれど、
たとえ何がトリガーだったとしても、
それが罪だとまではいえません。

犯人探しをしたくなる気持ちは理解できますが、
自殺の背景において、かならず犯人が存在するわけではない。
にもかかわらず犯人を捕まえて断罪しようと暴走すれば、
実質的な冤罪まがいのものを生み出すだけです。



しかし、それでもなお、
漫画ヲタクどもの暴走が止まることはないでしょう。

わたしは今回の件で、
日本で漫画ヲタクと呼ばれる人たちが、
ネトウヨやジャニヲタと同じ種類の連中なのだ、
…ということを完全に理解しました。


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最終更新日  2024.06.17 20:31:38


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