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「トリビアの泉」は好きな番組だけど、昨晩の「トリビアの種」はちょっとどうなんだろうと思った。東京から北海道までタクシーで行くといくらかかるか、というもの。実際に調べてみるのがこの番組のポリシーだから、この「種」も、実際にタクシーをチャーターし、お台場から稚内までフェリーも使って移動してみせた。値段は45万円ほど。しかし、これを実際にやってみせる意味はあるのかな?貴重な地球資源(ガソリン)を無駄に使い、環境を汚して、タクシーと運転手を拘束して時間を無駄にし、疲労させ、まったく目的のないお金、50万円近くを浪費して、確かめてみて、だからどうだっていうの?これって、地図で走行距離を確かめてタクシー会社で計算してもらい、道路公団に問い合わせた高速料金などをプラスすれば、おおよその額はつかめるんじゃない?テレビ局というメディアには、その巨大な力のもとに、莫大な資本が集まってくる。そこで仕事する人たちは、そのお金を、有意義に使う義務があるんじゃないのかな。無駄なことを検証してみることは、楽しい。散歩中に暴漢に襲われた主人を助けるホネのある雑種のワンコはどれだけいるか?なんてことは、実際に100例のワンコと飼い主の協力のもとに調査しないとわからないことだし、それほどの資本がかかることでもなさそうだし、罪も害もさほどない、楽しいものだよね。だけど、不眠不休で、エネルギーの無駄使いをして、北海道まで行き、やっとついたら、「さあ、帰るか」って、どうなのよ?って思うな。その50万円、どこかに寄付したら、どんなに喜ばれるかな。バラエティ系の番組にはほんとにバカらしいものもたくさんあるけど、バカらしいことは楽しいことでもあり、それはそれでいいと思う。だけど、この場合は、製作にあたる人々にもっとプロ意識がほしいなぁ、と。プロとして、どんなことをすべてきであり、すべきでないかをもうすこし考えてほしいなぁ、と思ったりした。まぁ、そういいつつ、また、この番組を見るんだろうけどね(^^;(ならばつべこ言わず見ろ、って言われるかなぁ)
2006.08.31
三島由紀夫の原作を、三島氏の親友だった浅利慶太氏が演出した劇団四季のストレートプレイ。文明開化の明治の日本の上流社会の華麗さと真実、政治的背景、人間の心の深淵、そこに三島文学の真骨頂の日本語の豊饒さ、甘美さ、森英恵さんの衣装の豪華な雅やかさがプラスされて、すべてが相乗して、そこに停止したひとつの歴史上の時間を描き出す。かつて芸妓であった朝子(野村玲子)は今は内閣大臣・景山伯爵(日下武史)の正妻として暮らしている。けっして公の場には出ず、内で和装を通す貞淑な妻。朝子は、とあることから、かつての恋人・清原(広瀬明雄)と、ふたりの間の息子・久雄(田邊真也)が政治的陰謀に取り込まれ、生命の危機にあることを知る。清原は夫・影山の政敵、妾の子として冷遇された久雄は父を憎んでいる。愛する者たちを救いたい。清原にも、久雄にも、健やかに豊かに人生を送って欲しい。そう考えた朝子は策を巡らし、すべてがうまくいくように取り計らう。そしてそのために、デコルテを装い、夜会の女主人を勤める決意をする。これ以上はネタバレになるので、書けないのだけど、20年ぶりの、朝子と清原、久雄との再会シーンがすばらしい。朝子の清原への愛、20年間も枯れることのなかったふたりの想い、そして、母としての久雄への想いが、ジンジンと伝わってくる。野村玲子さん、今も変わらず美しく、そして、うまい。そして、妻と政敵との過去を知った景山を演じる日下さんが秀逸。さすが。かつての恋人たちの間に今も存在する「透明な信頼感」への焼け付くような嫉妬、そしてまた、久雄の若さへの、男としての嫉妬、政治的な立場にある男としての策略・・・女としての自分に負けて、朝子の忠実な奥女中としての立場から寝返ってしまう、女中頭・草乃(中野今日子)もすごくリアルで共感を呼ぶ。久雄の、父への屈折した思い。愛しているからこそ、許せない。最大の仕返しで父を打ちのめす息子。男同士であり、父子である、微妙な関係性。これらすべては、日常的にごく当たり前にある感情なのだけど、それを「ほら」「さあ、みてごらん」と出されると、「これが自分だよ」と言われているようでもあり、思わずたじろいてしまう。すべてがうまくいくはずだったのに、完璧な計画だったはずなのに、なのに、もろくも崩れ果ててしまう運命の歯車は誰にも、どうすることもできない。それは、存在しているそのこと事態が孕んでいた矛盾であり、運命なのだから。ストーリー構成としては、シェイクスピアの古典悲劇的であるが、三島のするどい人間観察で、グサグサと切り取って描かれているところがすごい。それは、華麗な日本語の世界であるだけに、よけいに肌寒い感じがする。劇団四季の演目はミュージカル、と思っている人からは「今日は歌と踊りはないの?」という声も聞かれたとか…(^^;ですが、こういうタイプのものをじっくりと鑑賞するのもまた愉しくもあり、と思います。 名古屋ミュージカル劇場にて
2006.08.30
直木賞作家の坂東真砂子さんが、日経夕刊(18日)に発表したエッセイが物議をかもしていることに対して、今日、日経朝刊が記事にしていた。ネット上で大きな議論となり、本社にも800件の抗議が寄せられたと。エッセイの内容は、タヒチ在住の坂東さんが、猫・犬数匹を飼っていて、その生まれた子猫を、捨てている…崖から投げ捨てて処分している、というもの。以前に、子犬の話もあったので、たぶん、子犬もということだろう。坂東さんは、動物にとって生きるとかなになのか?「生」の充実とは、好きなように、食べて、寝て、セックスして、子孫を残してやがて寿命を迎えて土に返る、ということなのでないか、という意味のことを伝えたかったようだ。それが本来の「生きる」ということだろう、と。そして、さらに、人間にとっての「生」「豊饒」また「性」とは?生きる意味とは? という問いかけも発しておられた。確かに「生」の実感があやふやになってきている現代。みんながそれをつかめずに迷っている。タヒチという環境に8年ほども暮らすと、そういうことを問いかけたくなる気持ちというのもわかる気がする。ただ、人間の生・性と、動物のそれは、違う。人間の性には、精神的な意味があって、だから大切なものだ。だけど、動物の性は、本能の要求だけだから、虚勢手術や避妊手術を、本人(=本犬、本猫)の承諾なしに、飼い主が、飼い主の責任&勝手で行うのは、当然のことだろう。「野生」として生きている動物にとっては、性は生と直接的に結びついている。性によって生を維持していかなければ、種は滅んでしまうから。でも、犬や猫のような、野生を失い、人間と生きることになった種は、もはや自ら性によって生を維持する必要がなくなった。それは人間によって管理され、コントロールされて、しかたないことだ。そのことの良い・悪いは別にして。坂東さんの、もう一度「生」の意味の確認を、というのはわかるけど、ペットである動物の場合は生まれたものを処分するより、生まれないようにするほうが、生体にとっての負担が少なく、健康に役立ち、なによりも近代生活には大切なことなのだろうなと思う。しかし、坂東さんのエッセイは確かに衝撃的だったけど、さて、人間はどうだ? と言われると・・・どうよ??少子化の時代でもあり、性犯罪の多発もあり。。。うーん、むつかしいね~
2006.08.25
友人が保健所に持ち込まれたワンコたちを保護するボランティア活動をしている。日々、飼い主の勝手な事情で、すんでのところで命を落とすとこだったワンたちがやってくる。保護して、病院や美容院を済ませ、新しい飼い主をみつけて渡すまでが彼女たちの仕事。今預かっているのは、ブリーダーで一儲けしようとしていた女性がとてもたいへんで採算が合わない、やってらんないと、「子犬が売れたお金で親犬を処分する」と申し込んだというもの。(現在は保健所に犬・猫を持ち込むには一定料金がかかります) このおばさん、まったく! どうにかしてよだから、みんなまだ2,3才なの。なのに、みんなボーっとして元気がない。やんちゃさがまったくない。あまりに不憫だよねゴールデンやらシュナウザーやら、大小犬種とりまぜて、劣悪な環境で、病気をいろいろかかえて、ガリガリにやせ細って、毛は短く抜け落ちて、不潔で臭ってた。耳が短く切れてしまったコとか、膿を垂らしているコとか…それでも母乳だけは出ているのが悲しいよ。。。食事も満足に与えられず、散歩も運動もさせてもらえず、ケージに詰め込まれて、ただ繁殖だけに使われていたらしい。こんな心身ともに不健康な親犬から、元気で健康な子犬が生まれるわけがない。でも、子犬のうちは外目にはわからないから、ペットが欲しい人はショップで何十万も出して買っていくんだろうな。こわいよね。ブリーダーは、その犬種の長所を伸ばせるように、優良な子孫を残せるように、長期的な計画と調査に基いて良心的なブリーディングをする義務があるはず。だから、大小とりまぜて、いろんな犬種を扱うなんてことができるはずがないし、ペットショップも、プロのはしくれとして、そういうブリーダーの子犬を扱ってはいけないでしょう。ペット産業、まったくの「商売」になってしまって、このままでは、今にスタンダードから外れた子犬ばかりになってしまうかもしれない。スタンダードというのは、見た目の美しさだけでなく、性格や適性など多岐にわたるもので、長い歴史の中で大切に培われてきたものだ。「儲かるから」と安易に素人が参入することは断固、許されてはならないはず。もちろん、良識あるプロフェッショナルなブリーダーさんも多くいる。しかし、悪徳ブリーダーや、無責任な飼い主がはびこる現代、ブリーダーも資格制にすべきではないか。そして、飼い主も、一定のセミナーなどを受講した後の登録制にすべきではないかと常々思っているのだけど、どうだろう。
2006.08.24
予約しておいた「チェリー・ザ・ダストマン」が届く。“パンクジャズ”と言われる勝手にしやがれとオダギリジョーのコラボで、とてもいい感じになってます。武藤さんもオダギリと同じトム・ウェイツのファンだそうなので最初は、どんなかな…(^^; と思っていたのだけどプロモを見て、そんなにトムさん風、ではなかったのでちょっと安心(?)してました。トム・ウェイツって、いいけど、ずっと聴いているとこっちもなんかビョーキみたいになってくるんだよね(^^;;CHERRY THE DUSTMANは、武藤さん曲でジョーくんボーカル。URBAN COWBOYも武藤さん曲、ジョーくんはギター&コーラスRISE&FALLは、オダギリ曲でギター担当、ボーカルなし。初回限定版のジャケットがかっこいい。裏面に通常版の写真つき。黒スーツで細身のパンツに黒いハット。すごーくおしゃれ。プロモでは、ジョーくんは目のふちを黒ぬり、眉を薄くぬってました。これまたそれっぽくて、とにかくかっこいい♪チェーリー・ザ・ダストマンはチムニ・チェリーの曾孫で、雲の中に住み、世間の汚れを次々暴き、クリアにするお仕事をしているそうです(^^ がんばってほしいですね~オダギリくんもこの時期、音楽活動にパワーを入れているようなのでやはりがんばってほしいです。
2006.08.23
リリーさんのではなくて、江國香織さんの方、岡田くんの方です。ずっと録画したままで見れてなかった。すごく切なくて苦しいのかな(T_T)…と思ってたから。でも体調もいいので(?)見てみたら、そんなでもないのね。詩史(黒木瞳)は40歳、青山のセレクトショップのオーナーで、ダンナ(岸谷五朗)はうれっこCMプランナー、子どもなしの優雅な暮らし。なのに、友人の陽子(余貴美子)の息子・透(岡田准一)を恋人にしてる。透が18のときから、3年間。なんと、ずるいぞ(^^;で、ふたりの恋物語なんだけど・・・若いオトコノコが、キレイな熟女との関係に溺れる、というのはわかる。女の方は、自分に経験がないのでわからないが(だって20も年下だよ(^^;;でも、恋なら、若くて美形の情熱的な男の子との恋というだけなら、それに落ちていくのもわからないでもない。でも、その後よ。ちょっとどうなの?40をすぎた女が、そのオトコノコのために、離婚してすべてを捨てて、生活の糧(ショップ)も手放して、フランスまで追っかけていくというのは、どうみても夢物語という感じ。このトシまできたら、恋にも打算が働く。女だって、何が得で、自分はどうすべきかがわかっているはず。そう言うのは「わかってないんだよ」と言われれば、それまで、だけどさ。だけど、黒木瞳の演技だと、よけい夢物語に見えてしまうんだな~それよりも耕二(松本潤)と喜美子(寺島しのぶ)の不倫の方がリアルで共感できる。なんと言ってもダンナ(宮迫)が俗物で、いかにもいそうなつまらんヤツだし。あんなダンナに「今夜は酢豚だな(二マッ)」と言われてるより、若くてかわいいマツジュンとの恋愛がいいだろう(^^と。「このまま死んでしまうのはいやなの。 でもブレーキが壊れそうで、こわい」というのはすごく理解できるし、ふたりの関係の終わりもとてもよかった。それに高校のときに同級生の耕二と関係した母親が許せないという平山あやちゃんの役の女の子の気持ちもわかるな。耕二はいいとして、女同士として、母親はぜったい許せないという気持ち。この作品でいちばんよかったのは、陽子(余さん)が詩史に怒りをぶつけるところでした。そりゃ、大事の息子を、女手ひとつで大切に育ててきた息子を、キレイに育った自慢の息子を、40オンナに、しかも自分の友人に、おいしいところで取られたらそれは母親として怒り狂うでしょう。トーゼンでしょう。ワインだってぶっかけたくなるでしょう。岸谷さんが岡田くんに夫の怒りを爆発させるところも迫力あって共感、だったし。そうすると、ワキがリアルなだけに、よけいに主人公のふたりが浮いてくるのよね。結論として、岡田クンを鑑賞するにはとてもよかったけど、恋愛を語る作品としては、ちょっといかがか、という感じでした。それよりも主人公のふたり以外の部分がかえって際立っていた作品でした。 05年1月公開作品
2006.08.21
CATV 衛星劇場にて「亡国のイージス」鑑賞。昨夏劇場公開されていた頃は、頭の中は「メゾン・ド・ヒミコ」でいっぱいだったので、予備知識ゼロの状態で観た。原作も読んでいない。そしたらいきなり次々とややこしい話が展開、ついていくのが結構たいへんだったよ~(汗)ストーリーは某国(北朝鮮)の対日工作員にのっとられた海自イージス艦で、テロリストと戦う自衛官の話、なんだけど。GUSOH(グソー)だとか、DAIS(ダイス)だとか、FTG、CIC、テルミット・プラス、などなどetc.わからん言葉の連出で、それだけでたいへん。でも、本物のイージス艦やF2戦闘機を使ったシーンとか、ほんとの自衛隊に訓練してもらった俳優たちの演技だとか、それに、超豪華オールキャストだとかで迫力満点の映画に仕上がっていることは確か。だけど、本と違って映画なのでわかりにくいのも確か(^^;レベルの高い虚構の娯楽映画として観るもよしだけど、やっぱりちょっとそれなりに考えてみると。。。専守防衛の象徴、海自の最強護衛艦イージス。しかし、国としてのあり方を失い、国家としての顔も失ったこの国に、護るべき何かがはたしてあるのか、それは亡国のイージス(盾)ではないか、というようなナレーションで始まるのだけど、日本は敗戦、そして占領、そこで国家としての信念を捨てた。失くした。そして、その後は精神的な支柱のないまま、経済的な成長という側面からのみ巨大化し、世界に進出していった。しかし、国家としての理想とか、責任とかはどうなのよ?みんな考えてる? ってことだろうな。確かに考えてないみたい。私は右でも左でもない、ごく普通の市民だけど、でも、やっぱりそれはちょっとまずいことなのだろうな、と思ったりしたのでした。でも勝地涼クンはかわいかったデス(*^^*) 原作:福井晴敏 監督:阪本順治 05年
2006.08.20
伊藤たかみ氏の『八月の路上に捨てる』今回の芥川賞受賞作品である。が、最近の文学賞、特に芥川賞の作品には、なんか物足りない思いがずっとしている。生意気な言い方だけど、圧倒的な力、というものが近年の作品にはないような気がする。自販機の缶飲料を補填してまわるアルバイト社員・敦(30歳)と少し年上の正社員の女性・水城さんの一日である。敦は脚本家志望くずれ、大学時代からの付き合いの妻・智恵子がいて、今、離婚届けを出すところ。水城さんもふたりの子持ちのバツいちで、恋人あり。ふたりの会話から回想の形でストーリーが展開していくのだが。敦と智恵子の日々の描写は、とてもうまい。愛しながら噛みあわなくなっていく若い夫婦を、場面、場面で切り取って丁寧に描いている。だけど、なんとなく、描写力に溺れているようなところもある。結果的に、だから、なんなんだ、という感じがしてしまう。選考委員の宮本輝氏が「描写の積み重ねがある地点から膨らんでいかない。それは小説の土台が初めから小さいからだ」ということを言われているが、まさにそういう感じだ。男女の恋愛も、薄く、粘りがなく、すぐに透き通って溶解してしまいそうななさけなさだ。生きることの難しさだとか、閉鎖的な状況の苦しさだとか、鬱屈した精神だとか、そういうものを文学はずっと長きにわたって描いてきた。だから最近の小説の表現しようとしているものを否定しないし、まっとうな文学の方向だと思う。でも、かつての作品には、鬱屈しているなりに、そこには爆発しそうな危険な大きなエネルギーがあったと思う。近年の作品は、鬱屈しつつ、怒りつつ、でも、それなりに折り合いをつけて、だましだまし、うまく生きていく人間を、ごくごく日常的にきりとって描いているだけのような感じがしてならない。もっと、ものすごいパワーに押し倒されるような作品が読みたいと思う。現実で、みんなチマチマと悩みながらそれなりに生きているのだから、それをまた虚構の世界に描いて見せられたところでなんにもおもしろくない。感動がない。誰もが小さくまとまっていく中で、小説までが小さくまとまって、一億総勢こころの病気、みたいなのは、なんか、とってもつまらないと思うのだが。。。ならば、おまえが書けるのか、と言われると、もちろん、書けないのだけど。
2006.08.19
昨晩TVをつけっぱなしにして台所を片付けていたら懐かしい曲が聴こえてきて、思わずダッシュ。チューリップの「心の旅」キリンラガーのCMだった。ライブの後の一杯、これまでを回顧しつつ…というシチュエーション、いい感じです。「心の旅」を最初に聞いた頃は、ほんとの子どもだったからこういう恋人関係というのは想像してみるだけ、というか、想像してもそもそもよくわからない、というレベルだったのだけど、でも、なんか、すごく切ない感じはそれなりに伝わってきて、忘れられなくなった曲だった。 ああ、だから今夜だけは きみを抱いていたい ああ、明日の今頃は ぼくは汽車の中 旅立つぼくの心を知っていたのか 遠く離れてしまえば 愛は終わると言った もしも許されるなら 眠りについたきみを ポケットにつめこんで このまま連れ去りたい ああ、だから今夜だけは きみを抱いていたい…今にして、こうして書いてみると、現代にはそぐわない歌詞でもあり…(^^;書いてしまうとかえって現実化されて感動が薄れてしまうけど…でも、離れたくないけど、ぼくは離れなければならない、今離れてしまえば、永遠の別れになる、わかっているけど、でも…というそんなふたりの心の切なさが伝わってくるではありませんか。。。 いつのいつのときでも ぼくは忘れはしない 愛に終わりがあって 心の旅が始まる別れが人を成長させる。でも、その別れを人はずっと心に持ち続けて一生を送る。このCMには、寺尾聡さんの「ルビーの指輪」編もあるらしい。クラッシックラガーと青春の名曲、いい組み合わせだな。
2006.08.16
戦後61年。早朝から首相の靖国参拝で賛否両論。公人としてでなく、一人の人間として、戦没者の霊に参りたいという小泉さんの気持ちはわかるけど、人間誰だって、常に公けの立場を離すわけにはいかないのだから、中韓の反発を考えるなら外交上は行くべきでないのかも。日本国内の問題であって、海外からとやかく言われる筋合いはないという気持ちもよぉーくわかるけど。でも東アジアの連合と言う問題は捨て置けない最重要なものだしね。ということで、前フリ、長いぞ(^^;劇団四季の昭和の歴史三部作・名古屋公演について書いておこうと思います。5/11「李香蘭」6/3「異国の丘」7/8「南十字星」名古屋ミュージカル劇場にて。どの作品も、昭和の戦中の歴史に生きて、翻弄され、死んでいった若者たちのストーリー。思うに、私たちは、学校の歴史で日本の起源から習うわけだけど、小・中・高とくりかえし最初から学ぶのに、戦中・戦後あたりになるといつも学年最後になり、駆け足で走り抜けることになり、あんまり詳しくは知らないのではないかしら。一方で、一部の教師が夏休みの課外授業で戦争を題材に扱うこともあるけど、思想的に偏った傾向もないとは言えないもののよう。つまり、私たちは、現在の礎となっている昭和の戦争の時代の本当のことを実はよく知らないのだ。なぜ、この平和の時代に、戦争をテーマにしたミュージカルを創作し演じ続けるのかということに関して、浅利慶太氏は・・・単純な反戦論ではない。人間として、日本人として、戦わなければならないこともある。ナチズムやテロリズムのような暴力に対しても戦うだろう。ただ、指導的立場にある人は、政治的手段、外交的手段、あらゆる手段を尽くして戦争を回避するための努力をしなければならない。戦争は、民族・国家にとっての最後の手段でなければならない。あの時代の高級軍事官僚たちはどうだったか?なぜ蒋介石政権と和平しなかったのか。なぜ日米開戦を避けられなかったか。視野狭窄のリーダーたちが、国民を破滅と死に追いやったのではないか。身体をはって事態の推移をとめようとするものはいたか?ジャーナリズムの責任はどうか?戦後61年。戦争の傷跡は私たちから忘れ去られようとしている。最も重要な「日本の歴史」を、私たちは知らない。「官僚主義」と「事なかれ主義」が、過去も、現在も、日本社会を蝕んでいるのではないか。私たちには語り継がなければならない責任がある。・・・と言ってまして。そう、平和をあたりまえ、と思ってしまう気持ちは、過去の過ちを見ないふりしていこうとする「事なかれ」無責任さから来ているのかもしれません。毎年、この時期戦争の話になって、悲惨な話を聞かされるのは、すごく悲しい、暗い、嫌な気持ちになるし、なんか辛気臭い、年寄り臭い、そんな気持ちもあるんだけど、やっぱりもっと真剣に考えなきゃいけないんだろうな。ということで、今日はここまで。ミュージカルの内容は、明日につづく、です。
2006.08.15
約400万年前に東アフリカに誕生したとされる人類は、アフリカを出て、アジアに渡り、極東を経て、アメリカ大陸にまで行き着いたとされています。その遙かなる大遠征を英・考古学者、ブライアン・フェイガンはThe Great Journey と呼びました。探検家であり医師である関野吉晴さんが、その人類の軌跡を逆ルートでたどろうという旅に出たのが、1993年12月のこと。南米チリ・パタゴニアをスタートし、近代移動手段をいっさい使わず、徒歩・自転車・カヤック・動物のみで旅し、約10年を費やして、2002年2月にアフリカ大陸タンザニア・ラエトリに到着したのが「グレートジャーニー」でした。これはDVD、サントラ、写真集、書籍などが発売されています。「では日本人はどこから来たのか?」という道をたどる旅、「新・グレートジャーニー」が今回始まりました。「私たちはいったい何者なのか?」単一民族と言われているけれど、実はモンゴロイドのるつぼ、寄せ合わせ民族である日本人のルーツを、我々祖先の旅を、再びたどろうというのです。日本人は ●北方ルート ●南方ルート ●海上ルート3つのルートで日本にやってきたと言われています。その「北方ルート」の旅が昨晩放送されました。極寒シベリアに適応した人種が、シベリアを出て、サハリンを経由し、北海道に至った、その道を、関野さんが再び旅します。ロシアからアムール川沿いに自転車を走らせ、点在するアジア系少数民族を訪ね、カヤックで川を遡り、-40℃~60℃のシベリアで生活する人々と暮らしを共にし、狩りをし、凍結した間宮海峡をそり引きの徒歩で渡ることに挑戦します。しかし氷が強風で流され危険な所までで断念、夏に再スタート。サハリン最南端からカヤックで漕ぎ出し、12時間かけてついに稚内港に到着しました!番組のスタートでモンゴルの雄大な大草原を目にして、あんな場所で、自己の起源を、自分の生きてあることの意味を思うのは素晴らしいことだろうなぁ、などと思わされるのですが…やがて、そんなことを考えたことさえも、不埒で申し訳ないような気分になるのです。「食料がもらえたとしても、狩りはする」と、-60℃の中、じっとひたすら獲物の来るのを待ち伏せする人たち。彼らには、狩り=生きること、なんだろうな。歴史の狭間で翻弄され、サハリンに置き去りにされつつ、たくましく生きてきた笑顔のアジア系女性たち。ありきたりの言葉だけど、自分を棚にあげた無責任発言だろうけど、私たちはこの日々の中で、自分の中にあるルーツを忘れていることをしみじみと思わざるを得ません。いちばん壮絶だったのが、サハリンにあるチュレーニー島でした。8万頭のオットセイの大コロニーにオロロン鳥も暮らしている、凄まじい光景です。オロロン鳥の子どもは、やっと育っても、オットセイのいる浜を越えて海に行き、そこでエサを取れなくては、生きていけない。幼鳥が、崖から海をめざして、ただ本能に促されて、浜に向かって歩き出します。そこいらじゅうがオットセイなので、避けて通ることはできません。子どもオットセイの好奇心のおもちゃにされ、かもめにつつかれ、飲み込まれ、何羽もの幼鳥が、浜で命を落とします。せっかく両親が飲まず食わずで育ててきた大切なこどもであっても、自然の定めには逆らえない。巣を出たかぎりは、もう自分の力だけで生きていかなければならない。自分で勝ち残ったものだけが、生きていける権利がある。浜に何羽もの幼鳥の屍が転がる中、かろうじて海に行き着くことのできたものだけが、波間に漂っています。私たちは、この命が明日もあると思っている。この生活がずっと続くと信じて疑わない。だから、今やらくちゃ、自分の力でなんとか生き残らなくては、という「生きる」という本来のことを忘れてしまっている。なんという欺瞞であろうか。人類のグレートジャーニーも、まさしく命をかけた旅だった。そこでは数え切れない命が犠牲になっただろう。その中で、生き残った強運の、そして強い意志の祖先の子孫が現在の私たちなんだ。それを、私たちは、かけらさえも忘れてしまっている。そんなことを思いながら、先月NHKで放送された「恐竜vs哺乳類1億5千万年の戦い」と同じくらいしみじみと涙が流れた2時間でした。 土曜プレミア特別企画「新グレートジャーニー・日本人の来た道」 フジ系 8/12 21時~
2006.08.13
昼ドラは、見始めると毎日見るのがたいへんだし、その展開があまりにもジェットコースターだったりでマジメに見続けたものがない。唯一見たのが「新・愛の嵐」。これは要潤めあて、でした(^^;そんな私が、今みてるのが「美しい罠」(フジ系13:30~)原作はカトリーヌ・アルレーの「わらの女」で、これまでにも何度かドラマアレンジされてる。成り上がりの資産家(麿赤児さん)の財産を狙って結託し策を巡らすヒロイン(桜井淳子さん)と秘書(高杉瑞穂さん)のストーリー。まず秘書・槐役の高杉さんがイイ男です。さわやか系で知的なのにダークヒーロー。いかにも主婦が喜びそうだ(^^;類子役の桜井さんもいいですね。先週は、信じていた槐に騙されていたことを知った類子が失意の中から立ち上がり、財産を自分の物にするぞ!(すでに資産家の妻となっている)と決意を新たにするところでした。でも、きっと、槐は、ほんとうに類子を愛していることに気付くって展開になるんだろうな。ただの騙しあいじゃドラマにならないもんね。ラブがなくちゃね。昼ドラだもん。澪さん(木内晶子さん)は私のキライなタイプ(^^;なんだ。天真爛漫で、ほんとにいい子で、美しくて、そのお嬢さんぶりから他人の裏側にある真実を探ろうなんてことはしない。自分の弱々しさ、かよわさを前面に出して、私を守って、と全身でアピールしてる。(つまり私と正反対のタイプなのだ。つまり、ヒガミか?)女だって、見栄を張れよ、強がって生きろよ、槐にしなだれるんじゃないっ(^^;;恒大さん(麿さん)は、だんだんほんとは弱くて優しい人なのがわかってきて、なんか、騙してるのは悪いんじゃないのって気がしてきた。そもそも、老人だからってんで、ドラマの中ではダメってことになってるけど、麿さんは堂々としてて、ダメって感じではないし、槐が見た目イイ男だから、なんとなく槐を支持してしまうけど、もし槐がブサイクだったら、ドラマはどうなんだろう?(やっぱイイ男だということは大切なことなんだな W)まあ「ありえない」と言ってしまえばそこまでだけど、とりあえず見始めた限りは最後まで見よう。録画ためると、毎日のことなのでたいへんですが(^^
2006.08.12
ネタバレに関する内容も含まれています。まだご覧になっていない方はご注意ください。世界を旅して歩く日本人バック パッカー・哲平(オダギリジョー)アリゾナの砂漠の真ん中で、車の故障で立ち往生していたアリ(KAVI RAZ)を助けたことから同乗することになる。アリはパキスタン人で、アメリカの実家に帰ったままもどらない妻・ナディアを捜しにきている。アリの車は再び故障し、ふたりにアメリカ人女性・サラ(CHLOE SNYDER)が加わって、サラの車でナディアを探す旅をするロードムービーだ。サラはトレーラーハウスでアル中の祖父と暮らすプア・ホワイト。いたる場で差別を受けるアジア系の哲平、パキスタン人のアリとともに、アメリカではやはり、被差別層に属する人間だ。旅の途中でサラと哲平には恋愛感情がめばえる。アリとの間にも寄り添うような友情が育っていく。ナディアはアメリカ人男性と暮らしていた。「もう終わったのよ」と言うナディア。アリは「アメリカが壊したんだ」とののしる。「ほんとうにそうか? 自分には原因はないのか?」と追及する哲平。三人の友情は一度は壊れたかに見えながらも、その根底にある共感、いたわり、人間としての尊敬に支えられて、温かなほっこりとしたぬくもりを私たちの心に残していく。哲平を心から愛し始めるサラ。哲平とともにここを出て世界を旅することはどんなに素晴らしいことだろう。しかし哲平は「うん」とは言わない。サラのことはほんとうに好きだ。大切だ。でも、サラの人生をすべて受け止めて、ずっといっしょに生きていくのとは違う気がする。三人の旅も終点に近づく。アリの乗ったバスを見送り、哲平とも別れたサラは車の中でタバコをふかす。哲平もバスに乗って行ってしまう。もう二度と会えない人になる。思わず車を降り、哲平の乗ったバスを探しまわるサラ。見つけられない。バスが発車する。その後を追って車を発進させるサラ。でも、哲平はバスに乗らなかったのだ。サラの車を追いかける哲平。荷物を投げ捨てて、全速力で走り続ける哲平。バスは止まらない。サラの車も止まらない…走る哲平の後姿…ラストシーンがすごく切なかった。サラの車がウィンカーを出しているのだけど、私は、右折して行ってしまう、もう哲平とはほんとに会えないんだ、と。そういうちょっとした、“心の時間差”ということは、ほんとうによくある。好きだったのに、失くしてはいけない人だったのにと、後からどれだけ思い返しても、悔やんでも、もう人生で二度と、死ぬまで会えない人というのはあるもので、ああ、つらいなぁ… と思ってみた。ところが、いっしょに見た人はウィンカーを出していたのは、止まる合図だ、サラは後ろから追いかけてきた哲平に気付いたのだ、ふたりは劇的な再会をする。映画は温かな愛の物語として終わったのだと言う。うーん、見る人によって、受け取り方は違うのね。。。私って悲観的すぎ?でもなぁ… 画面の色とか温度とか、イメージ的にすごく「暗」「寒」だったのよ。再会とは思えないなぁ。。。でも、車から飛び出して哲平に走りよるサラを想像してみるのはとても嬉しい。二度と離さないと、強く抱きしめる哲平の胸の中で涙を流すサラの姿を思ってみることは、とても幸せだ。だけど、それも短絡的というか、楽観的というか、そぐわないって気もするな。ラストの見方はいろいろあるみたい。あなたはどう見ましたか?舩橋監督はBIG RIVERは「人種・文化・宗教などの枠付けで人間を語るのでなく、表面的なフレームを無効にすること、裸の関係をみつめあう人間」を描きたいとのことでした。モニュメントバレーの荒涼とした自然がとても美しかったです。でも私はあんまり行ってみたくはないなぁ。厳しすぎて、孤独に沈みこみそうで、怖いです。 (6月24日~7月2日 名古屋シネマテークにて) Directed by ATSUSHI FUNAHASHI Written by ATSUSHI FUNAHASHI and ERIC VAN DEN BRULLE
2006.08.10
朝、友人のAさん(60代)から電話あり。「今日、ヨシモトの木村さんの講演会があるんだけど、詳しいことはよく聞いてないけど、おもしろいらしいよ。Bさんのお誘いなんだけど、ひとり行けなくなったから、あなた行く?」ヨシモトの木村さん?キム兄?「はいはい。行きます♪」午後1時、AさんBさんと会場に赴くと、P整理を、地銀のH銀行の若手たちがしている。? Why?会場に入ると、ダークスーツのH銀行のおえらい方がズラ~~~ッと並んでお出迎え。「ようこそ。いらっしゃいませ」と深々と敬礼。 ?? な、なぜだ?私「H銀行の人ばっかりですね。なにかあるんですか? まだ来るの、早すぎました?」Bさん「そうよ。だって、H銀の招待だから」 へ? 聞いてないよ。。。受付を済ませると、美人行員からお茶のサービス。あちこちで「○○さま、ごきげんよう」「○○さま、ようこそ」の声が行きかう。 なんだ、この雰囲気は?お手洗いに行ってもどると、Bさんから詳細を聞いて全貌をつかんだAさんが「ごめんね。木村さん違いだったわ(^^;」 >オイ実態は、この催しは「H銀行お得意先談話会」という名目。今年度のH銀の業務報告など、顧客のためのご機嫌伺いの会であった。どうりで、なんだか年配者が多いと思った。しかも、真夏の昼間だというに、皆、それなりのセミフォーマルなスタイル。ジーンズの私は明らかに浮いている。。。しかも、「木村さん」は「木村政雄さん」だったのだ。ま、木村さんの話はおもしろかったよ。ヨシモト勤務時代の話題を盛り込み、楽しく、かつ人生の示唆を含み、それなりに、タダで聞かせてもらった価値があった。演題は「人間の賞味期限」について、でした。しかも、帰りには某デパートのお菓子の箱詰めのお土産つき。しかも、BさんとAさんから、資産運用について、個人指導してもらった。こんな方法なら、ウンヌン…と、実践レクチャー。この額をこの方法で運用すればひと月いくらになる…ふ~ん、儲けてる人は、儲けてるんだなぁ。。。「あなたもそろそろ始めなくちゃ、ただ貯金で眠らせておいては、お金はまったく働かないわよ」とグサリ。しかし、今日なによりもいい経験だったのは、銀行の頭取やら、常務やら取締役やら、おエライ面々もお得意さまには平身低頭な姿を見たこと、かな?(^^;;
2006.08.09
ネタバレには注意し、核心には触れないようにしましたが、ストーリーを知らされたくない方はご注意ください。私たちはみな孤独な存在だ。たとえ家族であっても、血縁であっても、親子でも、夫婦でも、兄弟でも、別の生き物である限り、究極は「ひとり」なのだ。この映画はそれをつきつけてくる。東京で写真家として成功し、華やかな暮らしをしている奔放な弟・猛(オダギリジョー)地方で実家に残り、家業を継いだ穏やかで優しい兄・稔(香川照之)弟には故郷を捨てたことの後ろめたさと、実直な兄への信頼と、同時にその生き方への軽い侮蔑感、がある。兄には、弟を愛おしみ、誇らしげに思う気持ちと、同時に、弟への妬み、やっかみ、そして自己嫌悪が澱のように沈殿している。表面上は理想的な兄弟のバランスが、ひとつのつり橋の事故で崩れ、その実態が暴かれていく。兄の想い人は、弟のかつての恋人。母の一周忌で実家に帰った弟は、その日の晩にちゃっかり縁りを戻してしまう。兄の気持ちを知りながら。誠実な、そして自分に自信のない兄が、いまだ触れていない智恵子(真木よう子)を、あたりまえのように、無責任に抱く猛。そして、弟にカマをかけ、会話からその事実を察知する兄。翌日、三人は幼い頃の思い出の渓谷に遊びに行く。今の暮らしに満ち足りない智恵子は猛について故郷を出て行きたい。反動で、稔に嫌悪感がわいてくる。つり橋の上でいさかいとなり、もつれる稔と智恵子。やがて智恵子が落下して渓流に姿を消す。その後の裁判のやりとりが、人間同志のあやうげな結びつきを、その結び目をどんどん解き放ち、二度と結び直すことのできないものにしていく。兄を救おうと、必死で裁判のために奔走する弟を、それは自分の保身のためだと嘲る兄。「オマエは自分が人殺しの弟になるのが嫌なだけだよ」弟は「昔の兄をとりもどすため、真実を語る決意をした」と、ある“決定的な”証言をする。ふたりは、ふたりの関係を、ふたりで、壊していく。もう、とりもどせないところまで。7年後。兄と弟との間を阻むようにある道路。届きそうで届かない距離、そのもどかしさ。そこにバスが到着する。「家に帰ろう」と大声で呼びかける弟に、慈しみの表情で微笑み返す兄の顔に車体がかぶさる。ラストシーンに、明確な「答え」は示されていない。こういう人間同士の関係のあり方、感情の抱き方というのは、男同士、兄弟、という間柄に限らず、世間に非常にたくさん存在すると思う。人間は誰もが、翳の感情、負の欲望、陰の自分を隠しながら、抱きながら、生きているのだろう。それがなにかをきっかけにして、二度と修復できない状態になる。陰の自分が表に出て、ほんとうの自分を暴露していく。それは、猛と稔だけでなく、ふたりの父と叔父の関係も同じだ。この映画のテーマを「再生」ととることもできるだろう。…兄は、バスに乗らない。ふたりはこの事件を経て、関係を修復する。一度壊さないと、とりもどせない関係というものもある...でも私には、稔は、あの笑顔を残して、やはりバスに乗って行ってしまったのだと思えた。一度壊れた関係は、もとどおりにはならない。しかし、「絶望」ではない。そこにあったものは「覚悟」私たちが、ひとりで生きていかなければならない存在として生かされているという事実を、受け入れて生き続けるための「覚悟」を示したこと。それがこの映画だと思う。西川美和監督は、ただもう、すごい人だとしか言いようがない。グサグサと容赦なく切り付けてくる。耐えられるか、気付かないフリをするか、降参するか。そして、降参して生きるか。とにかく、今年いちばんの名作であることに間違いはないだろうな。 (7月22日~ 名古屋・伏見ミリオン座にて公開中)
2006.08.08
ここを4ヶ月も放りっぱなしにしてしまいました。「どうしたの?」と聞いてもらうこともたびたびあり、ありがたいことです。忙しくしていると、そもそも仕事が、読むこと・書くことなので、ついついおなかいっぱいになってしまいます。その間にも、ここを始めてから、卒業していったり、お引越ししていったり、お休みしたり、いろいろなお友達がありました。自分もどうするのよ?と思ったこともありました。が、とりあえず、美月はここで続けることにします。またよろしくお願いします。
2006.08.08
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